2009年10月 1日 (木)

☆『火天の城』☆

29日(火曜)。
“実に中途半端な平日”ではあるも、夏期休暇を頂いた。
「さぁ、何処へ出かけよう?」と考えてたんだが、いつもの時刻に起床すると・・戸外が雨降りだったモノで、そのまままた寝てしまった(・ω・)
約1時間毎に寝ては目覚め、また寝ては起き・・ってのを数回繰り返し・・本格的に起床を決意したのは正午寸前だった(×_×) やっぱし疲れてたんだわ、うん。

目覚めのきっかけとなったのは某“宅急便”の呼び鈴である。
ついに『ひかりone』ちぅ光ファイバー通信のスターターキット(VDSLモデム+ホームゲートウェイ)が届いた次第☆

これにて、約半年も耐えに耐えて来た“遅過ぎるイ※モバ※ル”と(やっとこさ)おさらば出来るのである☆
(と言っても、2年間のシバリ(契約)があるので、とっとと解約する訳にも行かんのだが(×_×))

「すぐ接続しよう!」と思ったが、何だかパッケージが仰々しく、開封が“直感的に面倒”に思えたため、後回しとし、家事やら片付けやらをトボトボやっていた。

「雨降りだし家でゴロゴロしとこう」とも考えたが「そう言や、観たい1作があったんや!」と思い出し、夕刻迫る時間帯をクルマで向かったのは“ワーナー・マイカル・シネマズ綾川”である。取り敢えず、界隈ではここでしか観ることの出来ない1本『火天の城』ってのを鑑賞して来た。

ひと言で言えば“築城ロマン大作”ってトコだろうか。

切り口こそ、一見「荒唐無稽ぽく」も思えるが、内容は史実を下敷きとしたものだ(ろう)し、何と言っても演出面を抑えめにしてるのに好感を持った。2時間半に迫る(やや)長尺な上映時間のため、尻込みしちゃいそうになってしまったが、結構作品世界に没頭させてくれたかな。
傑作とまでは言えないんだが、静かなる佳作と好評したい。

今より500年の昔。
尾張の国を治める織田信長は、安土の地に、それまでに例のない巨大な城郭の建造を命じた。
5層7階の天守を構えた豪華絢爛な「安土城」である。
しかしかの城は、完成からわずか3年の後に失われてしまう。そのため後年「安土城」はこう呼ばれることとなった。
“幻の城”と・・

鉋(かんな)、鑿(のみ)、墨壺・・これらの道具を用い、幾多の功績をして“棟梁の手は神の手”と門人に言わせしめる熱田の宮番匠(宮大工)=岡部又右衛門(西田敏行)。
天正4年、彼のもとへ信長(椎名桔平)が直々にやって来る。
「安土の山をまるごと1つ、我が巨城に仕立てよ。そして、天守には5層の櫓を構えよ。工期は3年でな」

施主(=信長)の注文の中に「4層までを“吹き抜け”とせよ! 南蛮の大聖堂のように」なるムチャクチャな必須(?)条件の含まれることを知った又右衛門は、その点には流石に難色を示すが・・結果、信長は機嫌を損ねてしまい、
「“指図(=設計図)争い”を行い、その勝者に築城の総指揮を任せる!」と言い放つ。

又右衛門以外に(指図提出を)命じられた匠(たくみ)は2名。

「金閣寺」を手がけた“京の池上家”の宮大工=池上五郎右衛門(石橋蓮司)。
「東大寺大仏殿」を手がけた“奈良の中井家”の現棟梁=中井孫太夫。

圧倒的な2ツの名家を相手に、又右衛門は果たして“総棟梁”の座を勝ち取れるのか?
そして、、たとい勝ち取ったとして、その先、実際に3年の内に5層の天守を擁する巨城を完成させることが出来るのか?

妻=田鶴(大竹しのぶ)、ひとり娘=凛(福田沙紀)の見守る中、又右衛門は黙々と指図、雛型(=縮小模型)の作成に取り組むのだが・・

おお! なかなかに“ロマン”をかき立ててくれる快作である! 城作りを命じられた男が「vs施主」「vs家族」「vs同業者」「vs門人(大工衆)」「vs運命」など、あらゆる相手との対峙を余儀なくされつつ、持ち前の“知識”“経験”“人情”“直感”などでこれらを退け、或いは和合していく・・何だか某国営放送で(莫大な受信料を注いで←おい)スペシャルドラマ化すれば、結構な(視聴)率が取れそな、そんな展開である(=^_^=)

「流石にコレ(=この状況)はあかんやろ!」と思わせながら、毎回ギリギリの所で難関を突破していく演出はかなり面白い! その陰で、幾人もが命の花を散らして行くのだが・・まぁ西田さんが主人公だから、その人物像に突っ込む訳にも行くまい(⌒〜⌒ι)

惜しむらくは、豪華俳優を結集させてるが故、彼らの「役者としての存在」が「役柄(そのもの)を超えちゃってた」トコだろうかな。。
又右衛門が時に涙し、時に激するんだが、、その度に「あ、局長泣いてる」「また局長泣いてる」「局長怒ってる」「局長が黒幕?(←作品違うし)」と思えてならなかった(・ω・)
石工棟梁の清兵衛も「あ、夏八木勲さんだ」とか、「京の池上? まんま石橋蓮司さんやん」とか「木曾義昌? いつもの笹野高史さんじゃん」とか、そう言う風にしか思考を切り替えられなかった(×_×)
逆に余り「邦画を観ない」「男優を知らない」観客の方が純粋に楽しめるんかも知れない。

信長役の椎名さん。イマイチ「人間的な懐の深さ」までは迫れてない感もあったが(←私見だけど)、それなりに「ロマンに生きる、当時の日本で最も熱かったであろう漢(をとこ)」を好演してはくれてた。
武芸の稽古にも余念がないし、フリル付きのシルクのシャツ(?)の上に武将羽織(?)をまとった出で立ちは「この人じゃないとマズかった(サムかった)やろな〜」と思わせしめる。

意外と周囲の男衆の中に埋没してたみたいだが、福田沙紀演じる(又右衛門の娘)凛の容姿には「ほぇぇぇ!」と魅了されてしまった。これまでの演技は『ヤッターマン/劇場実写版』しか知らないんだが、あちらでは“ドロンジョ様”にすっかり意識を奪われてしまい(=^_^=)全然この子の存在が映ってなかったような・・

まだイマイチご尊顔と名前がマッチング(まいっちんぐ?)して来ない沙紀ちゃんだが、ちょいと注目して行きたいと思う。

〜 こんなことも 〜

♦後半(?)の“襲撃事件(騒動)”は「中途半端」で「取って付けた」ような演出に感じた。どうしても、忍者っぽいしとたちを登場させたかったんやろか?(海外上映対策?)
♦劇中で唯一“首コロ”されちゃったあのしと。どうして逃げなかったんやろ? 生き延びさえすれば「安土城」が拝めたであろうに(・ω・)
♦ムチャクチャ重そうな巨木が、本作の“重要アイテム”となるんだが、主君に現場を押さえられることもなく、良くぞ(秘密裏に)切り出しが出来たものだ! 人員的にもかなり必要と思ったが。
♦“本能寺”“明智光秀”なども「ネタ」として登場させ、絡めて欲しかった。
♦流石は信長公! あの世紀末覇者(←誰?)のように、飛びかかる刺客に“マント攻撃”を決めてくれてた!
♦終盤、とある人物が実はアレしてた辺り、、『宇宙戦争(2005)』を思い出してしまった(⌒〜⌒ι) 当初の仲間の涙は何だった?
♦石垣を巡る、石工の“現場のドラマ”も、並行してちょろっと描いて欲しかった。
♦あの巨石は結局どう運んだんやろ?
♦石を“畏れ敬う”と言うなら、その上に座るのもどうかと思うが(・ω・)
♦「1度裏返った板が、また表を向くこともある」と。
♦又右衛門の“忘れ物”・・特になくても(その日は)困らなかったようにも思った。
♦ボカボカ殴られながら「かたじけない」を繰り返す西田局長(=^_^=)は・・「傍目に見ると危ないおとっつぁん」でしかない。。
♦何処となく、吉村昭の実録小説『戦艦武蔵』を連想してしまった。
♦池上家の提示した天守閣(の指図)。頂の2層に「金閣寺」がまんま乗っかってるようで、コレはコレで素晴らしい意匠だった!

〜 こんなセリフもありました 〜 ※他にも“ええセリフ”が満載だが、メモが判読不能で(×_×)

又右衛門「力ずくでは、木は言うことを聞いてくれぬぞ。優しく扱ぅてやれ。女子(をなご)のようにな」
    「お前は何でも、簡単に言う」
    「化け物のような城じゃ」
    「“人”“物”“事”・・どれ1つ欠けても、それは成し遂げられぬ」
    「ご容赦!」
    「木には1本1本、癖がある」
    「“お願いの儀”が御座いまする!」
    「わしらは、1つのものを皆で分け合って来た」
    「あった・・出逢ぅた・・!」
    「陣兵衛殿、かたじけない」

信長「(ここから)何が見える?」
  「ここは、大和(やまと)66州の“ど真ん中”じゃ」
  「戦乱の世から、1000万の民を守る。大和の民を(このわし以外の)誰が思う?」
  「(この“抱え大砲”の活用こそが)これからの戦(いくさ)じゃ」
  「よくぞの願いじゃ!」
  「誰が(この器を)高価と決めた?」
  「強く願い、命をかけて突き進まねば、ことは成らぬ」
  「どちらにせよ、最後はこのわしが決着(けり)をつける」

田鶴「女は、笑みを絶やさんのよ」
  「お父さんを貶(おとし)めるのは、私が許しません」
  「女子は家内の日輪(にちりん)」

信長「出来るか? 出来ぬと言うのか?」
又右衛門「・・建てまする!」
信長「良ぅ言うた!」

又右衛門「その丸い物は? もしや“爆発玉”では?」
信長「図星じゃ! ・・マパ・ムンド(mapa mundo)。マパは“地図”、ムンドは“世界”
   即ちこれは“地球儀”じゃ。この世はかくも丸くある」

役人「身の程知らずの田舎大工が」

秀吉「無理を通してしまわれるのが、御館(おやかた)様じゃ」

市造「この世は、この瓜のように丸い」
熊蔵「たわけ! この世は何処まで行っても真っ平らじゃ」

清兵衛「どうじゃ? 自信は?」
又右衛門「“まな板の上の鯉”じゃ」

棟梁「木を粗末にするな! 拾え!」

平次「不器用は宝だ。(それを自覚するが故に)工夫し、努力する」

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2009年9月26日 (土)

☆『カムイ外伝』☆

25日(金曜)。
時々、自宅(マンション)の集合ポストにチラシが入っており、それは「コーティングプロショップ」のモノであった。
前々からクルマのボディ(表面)に皮膜加工を施す、ちぅ“ポリマーコーティング”に興味あったんだが、如何せん数万(!)もかかることなので、なかなか踏み出せなかった(×_×)

が、このチラシによれば「コースによっては、結構安い(←かどうかの感覚には個人差があります!)」みたいなので、仕事終了後に問い合せをし、そのまま(当夜に)予約を入れることとした(←直感的に決めますた)。

結局“3ヵ月間(効果の)維持されるコース”にプラスし、室内清掃+ホイール洗浄+フロントガラスの(撥水)コーティングなどを含めた「フルコース」でやって貰った☆

施行時間は1時間と少し。
“新車の輝きが再び!”・・と表現するには流石にチト厳しい感があるが、、ドアノブを握った瞬間、ボンネットフードに触った瞬間などの「ボディ表面のヌルっと来る感覚」が気に入ってしまった! ヌルっとスベスベな表面なのだ。

今までが(青空駐車により)徹底的に汚れまくって来たモノで、根本的に(ほぼ)キレイになったことはとても喜ばしい。

・・そんで「3ヵ月後にどうするか?」はまだ分かんないが、スタッフの雰囲気も良い感じなので「また来てもエエかな?」と思っている。
ボディ自体もさることながら、汚れまくってるホイールがピッカピカに変わると、それはそれは嬉しいモノである!

んで、作業を終えてから、タラタラとクルマを走らせ“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと。
本日の最終回となる『カムイ外伝』を鑑賞して来た次第。

17世紀の日本。徳川の時代。
最下層の民“非人”に生まれた少年=カムイは、貧しさ故に“忍(しのび)”となり、掟に縛られるが故に、やがて“抜け忍”となった。

カムイの願いは「強くなること」と「自由な人生を生きること」のみ。
しかし彼を抹殺するため、伊賀の里の大頭(おおがしら)は次々と“追忍(ついにん)”を放つ。

だが、カムイにとっての「最大の厄介な存在」とは・・“追忍”ではなく“絶えず己の中に芽生える疑心”であった。
今日も逃げ続けるカムイ、生きるために・・

次に彼の出会う人間は、敵か? 味方なのか?

監督:崔洋一、脚本:クドカン(宮藤官九郎)、主演:松山ケンイチ・・と来れば、スペック的に面白くならない訳がないんだが・・正直「かなりつまらない!」と感じた。って言うか「勿体ない」感がより強い。

特に佐藤浩市、小林薫の両名は、もっと“彼らならではの用い方”をすべきではなかったか?

クドカン脚本として、こんな作品は「評価したくない」ので「共同脚本の崔監督が、ダメ出しをしまくった結果、変質したんだろう」と勝手な解釈(?)をしておくとしよう(・ω・)
もしくは(ほぼ)同時期に執筆してたハズの『なくもんか(2009)』『鈍獣(2009)』『少年メリケンサック(2009)』のそれぞれにパワーを持って行かれ、スッカスカになってしまったんかも知んない。。

前半は「森林バトル」で、中盤以降は専ら「浜辺バトル」で構成される本作。
綾瀬はるか主演の『ICHI』も“予想より、もっさりした世界観”があり、必ずしもスピーディ&スタイリッシュとは評価出来ぬ仕上がりだったが、本作は更にもっさりし過ぎてる(×_×)

かつ「刀バトル」を眺めた際の“ヤバいほど斬れそうな刀身の映像表現&演出”にすこぶる失敗してたのが致命的やな・・と。
『キル・ビル(2003)』や『ラスト・ブラッド』等における“カタナ表現”に「全く迫れてなかった」のは、至極残念だった。

波らしい波もなく、淡々と物語は進んで行くんだが「差別する側、される側のドラマ」ってのも序盤辺りで踏み込み不足なまま、終わってた印象があった。
特にカムイ自身を「非人として悩む男」か「抜け忍として悩む男」かを明確に舵取り出来てないまま、ハナシが進むので、どう彼に感情移入して良いのか、分かんなかった(×_×)

客観的なことはナレーション(←山崎努氏! これが本作最大のサプライズかも!)で説明してくれるんだが、それも何処か漠然としてたし・・

他にも
♦「怪しいヤツが、案の定怪しい」と言う予定調和さ
♦海上シーンの妙な多さと、常に気になる“合成っぽさ”
♦中盤以降、妙に「立ち位置の後退し過ぎる」小林薫氏(×_×)
♦やってはならぬ“中途半端な悪夢演出”・・何だか理解不能。何処まで夢なのか、良く分かんないし。
♦いきなり浜辺で起こる、あの大惨劇(ムチャクチャや!)

ハッキリ言って、ワタシの観たかった“カムイ”は本作では全く描かれてなかった・・
『カムイの剣(1985)』の方が、ひょっとしたら面白かったかも知れんぞコレは(・ω・) ←いや、原作者違うし!

〜 ほか、こんな辺りも 〜

・舞台は「備中松山藩」ってことで、現在の岡山県高梁市らしいが・・あの海の色合いは「ない」んじゃないかと思う。。
(ロケ地はオキナワだったようで・・撮影、楽しかったやろなぁ)
・目玉(入れ眼=義眼)取れる、両腕ぶった斬れる、三方(さんぽう=台座)に生首据えられる・・など描写的に“年齢制限”かけた方がエエと思うんだが、、
・ワイヤーアクション多用し過ぎ! 全体的に表現がもたついとるし、、
・ブービートラップや追っ手を1人ずつ片付けて行く戦法がジョン・ランボーみたいやね(・ω・)
・ギターラ? グラス? 何とも「鎖国無用」なことで。
・白褌(しろふん)姿のケンイチうじが眺め放題!(要らんけど)
・すくう部分にホタテ貝を用いた「おたま」がエエ感じですた。
・前半では『刑事ジョン・ブック/目撃者(1985)』みたいな“まったり世界”になってますた。
・中盤は“釣りバカ”テイストになってますた。
・とあるリンチが起こりそうな瞬間・・駆け付けた長老(?)の放ったひと言が・・「行け! やっちまぇ!」
 え? 爺さまがそこで歯止めかけなきゃ?!
・あの「人相覚書」・・余りに似過ぎててヤバい!(=^_^=)
・海中から“とあるサプライズな存在”が・・いや、何か“安っぽいアトラクション”に見えました、、その演出。。
・アレのエサは「丸ごとの生きたイノシシ」・・何か『ジュラシック・パーク(1993)』みたいや(・ω・)
・いきなりハトが登場! あんたはジョン・ウーか! 崔監督!
・ひとり『蜘蛛巣城(1957)』状態な伊藤英明!(=^_^=) 或いはチャップリンの『担へ銃(1918)』路線とか??
・終盤のバトルでは、カムイの片手に何気なく“メリケンサック”が装着されてる? 何かのネタ?
・終盤に映し出される“残酷屏風絵”がなかなかにスゴい! 実物があるなら、少しばかり眺めてみたい(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

カムイ「追われる者が、ときに追っ手を待ち受けることもある」
   「この血を見い! お前(め)ぇらと同じ血じゃ!」
   「うぬ(=お前)が笑うと、腸(はらわた)が煮えくり返るわ」
   「過ぎたる猜疑心は、己の身を滅ぼす」
   「お前ぇが汚れることはない」
   「お前たち、ただ者ではないな?」
   「うぬだけは別だ!」

半兵衛「2人なら死ぬる。1人なら助かる」
   「潮時も、水の色もええ」
   「小(ち)ぃとでも、糸を緩めりゃ・・すぐにバレちまぅ」 ←“バラす”って表現、徳川時代からあったのね、、
   「秘密は墓場まで持って行ってくれ、頼む」

大頭「“抜ける”とは、死ぬことだ。覚えておけ、カムイ」
  「地獄だな? カムイ」
  「己の作った地獄で死ぬのだ」

村人「非人が米など喰えると思うなよ!」
  「お前ぇは、外道じゃ!」

ミクモ「どない足掻いても、我らは人にはなれん!」
   「憐憫哀れみに迷うたか?!」

サヤカ「ほんに醜か男じゃ、お前ぇは!」

スガル「私の猜疑心を、お前は笑ったな?」
   「また・・護れなかった」

カムイ「何故、急所を外した?」
お鹿「※※※であれば・・外しはせん」

藩主「愚民共が!」
  「彼は・・飽きた。もう良いわ」
  「愚民の100や200、いつでもそなたの△の△じゃな」

不動「肝は据わっているようだな?」
  「夢は“逆夢(さかゆめ)”と言うではないか」

※※「見せしめは、その数が多いほど“効く”からな」
  「“霞斬り”敗(やぶ)れたり!」
  「同じよ。俺も、貴様も」
  「◎◎◎の死に顔、高ぶったぞ! △△△の死に顔、とくと見たぞ!」

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2009年9月24日 (木)

☆『キラー・ヴァージンロード』☆

23日(水曜)の夕刻。
松本人志監督の『しんぼる』に引き続き“ワーナー・マイカル・シネマズ綾川”で鑑賞した2本目は、岸谷五朗監督&脚本(←知らんかった、、)によるエキセントリックな疾走型コメディ『キラー・ヴァージンロード』である。

って言うか、本作が岸谷氏の「初監督作」だったんやね、、それ自体を知らんかった。。

25歳のOL=沼尻ひろ子(上野樹里)は、幼少の頃から「どん尻ビリ子」とからかわれ続けて来た幸薄い(?)女性だったが、遂に笑顔のステキな青年=ケンイチとの挙式が決定、先輩(高島礼子)に「寿退社しま〜す!」と朗らかに告げ、職場を去ることに。
彼女の背に向かって、笑顔を崩した先輩は・・歪んだ表情でポツリと「天罰が下るとイイわ」と吐き捨てる(⌒〜⌒ι)

その呪いの呟き(?)に呼応するかのように、ひろ子を“とてつもない悲劇”が襲う!

新居に移る旨を伝える際、偶然にもハサミでもって(隣室に住む)マンション大家(寺脇康文)をズブリと刺し殺してしまう羽目に、、
「明日の挙式だけには何としても行かなきゃ!」「それが終わってから自首しよう」と決心を呟くひろ子だが、
いつの間にか「遺体運び出し」「車両盗難」「証拠隠滅」へとイケナイ方向に突っ走ってしまう・・

彼女の向かった先は、身元不明の(自殺)遺体が多数眠ると報道されてた(カーステ(のラジオ)によるニュースの中では36体!)富士山麓・青木ヶ原樹海・・そこで彼女は“死にたがってる女”小林(木村佳乃)に出会い、唐突に「女2人の奇妙な逃避行」が始まりを告げたのだった・・

いやー、分かり易い! 直前に観た『しんぼる』に比べ、物語にルビが振られてる、と言おうか、かっちりレールが敷かれてる、と言おうか・・予定調和でコンパクトでベタな世界観ではあったが、これはこれで「有毒」過ぎず(=^_^=)寛いで楽しめた気がする。

ときに『少林サッカー(2001)』も『舞妓Haaaan!!!(2007)』もそうだったと記憶してるんだが・・妙に「ミュージカルテイスト」を気取りつつ、途中でスタッフ側が飽きるのか(?)そっち方面にピタリと「演出が走らなくなる」ってのはどう言う構成なんだろ? やるなら(最後まで)徹底しろ! と言いたくもなったり。まぁエエんですけど(・ω・)

・・行く時には「タカラヅカ」にまでネタが走ってましたのに・・(ぼそり)

序盤こそ、ひろ子の“幸せモード”の展開にスローな印象が否めないが・・“事件”が起こり、舞台が樹海に移ってからは・・回転が速いのなんの(=^_^=) 「ロケの殆どが樹海なんじゃないか?」とまで錯覚してしまった(おいおい)

主人公の周りを常に(?)「死」「悲劇」の漂ってる辺りは『嫌われ松子の一生(2006)』のテイストを思わせてくれる。あちゃらの主人公も「川尻松子」ってことで、何だかネーミング的にも似てたかも(⌒〜⌒ι)

テンポは良いし、脇を固める俳優陣の豪華さも素晴らしいんだが、、一方でキャラ造型が雑だったり、演出が(何とも)ベタだったりしたのはあった。
ギャグネタの繰り返しはまだ良いが、、何名かのキャラの(劇中における)総移動距離が「有り得なかったり」して、どうも気持ちがザラついてしまう(=^_^=)

物語は一見「血なまぐさく」思えるが、観終わって「意外とハッピーなストーリーじゃん」と思えたりも。
ま、これは上野樹里ちゃんの“笑顔”に始まり、同じく“笑顔”で幕となっていた故であろう。

物事を深く考えちゃう(=^_^=)「おっさん観客」からすれば「んん?」と眉をひそめてしまう出来かも知んないが、思考の柔軟な「若い女性観客」には、きっとウケが良いんではないかいな? と思ったな。

〜 こんなことも 〜

・(真夜中の)樹海に暴走族? (真夜中の)樹海に自転車の警官? ちとムリがあるよ〜な。
・何て「留め金の甘い」キャリーケースなのだっ!
・新郎側(=ケンイチ側)のドラマはさっぱり描かれなかった(×_×) まぁ終盤でちょっとだけ描かれるんだけど、、
・マンションのベランダ。隣家との“非常用仕切り板”がしっかり固定されてるかどうか、女性入居者の皆さんは1度(入念な)チェックを!(簡単にぐるっと回るかも?)
・ハサミをそんな不安定な場所に置いてはならない!
・コーヒーにタバスコ、ワインにもタバスコ、、そのセンスは微妙、、
・コンビニの“モリマート”が大活躍☆
・「どんじり!」「そやそや!」の掛け声と共に、ひろ子をバッシングする町内の“どん尻ビリ子祭り”って・・“だんじり”のもじり?
・拳銃で撃たれたしとが、本作で一番の被害者だったかも知んない(×_×)
・犬のダミアン、2人組の殺し屋(?)、自転車の巡査、全日本死仁鬼汰連盟(暴走族)の面々・・これらみんな「劇中の総移動距離」がハンパじゃありませんってば(⌒~⌒ι)
・小林さんの総力を注げば、小倉さんクラスの男性ならば、どうにかなる(オトせる)と思うが。。
・チープなナビ画面で色々と遊んでるセンスは悪くないかも。
・2度描かれる「祖父が庭先で竹刀を振ってる」シーン。2度目ではボロボロ泣かされてしまった(×_×)
・「超絶自殺マニュアル」って何やねん。。
・咄嗟に田舎言葉(?)で窮地をくぐり抜ける小林さん。なかなか良い「方言回し」ですた。
・上野樹里と言えば、連想する野生のケモノは・・やっぱりイノシシですな(=^_^=) ←初主演作『スウィング・ガールズ(2004)』でも共演(?)してますた☆
・「ゴリラバタフライ」「お爺ちゃん弁当」は何とも耳触りの良いワードだな(=^_^=)
・あのお手柄巡査。「関東中央警察」の玄関から、何処へ走って行ったんだ? 猛然と? 乗り物もなしに?
・東秩父村、(静岡県)小山町がロケ地となってた。
・小出恵介(ラッキーアイテム:サングラス?)、北村一輝(ラッキーアイテム:チェーンソー?)の存在が光ってた。

〜 こんなセリフもありました 〜

ひろ子「私、幸せになります!」
   「何で〜?!」
   「この結婚だけは、ビリ子じゃないの!」
   「(小林さんは)幸せになれないと思います・・その理屈だと」
   「私が幸せになったら、皆が不幸になるの?」
   「皆が幸せでいるためには、私が不幸でいなければならないの?
    そうなの? お爺ちゃん」
   「ゴリラ、水吸って重(おも)っ!」
   「私にとって、小林さんは必要(な人)だったんです」
   「強盗が、もっと悪い強盗に襲われて・・」
   「今度は、何が起こるのだろう?」

小林「死ねないのよ、あたし」
  「誰にも必要とされないなら・・死んでるのと同じよね」
  「死んでるわよね? この人」 ←見られた〜(×_×)
  「殺さないで!」 ←どやねんな(=^_^=)
  「この小林に、任せなさい!」
  「不幸になりなさいよ!」
  「幸せはね、他人(ひと)の不幸の上に成り立つのよ」
  「幸せは、自分の手で掴みなさいよ!」
  「頼れば、誰かが何とかしてくれると思ってるの?」
  「何て面白いヤツ!」
  「あんた、何処にそんな力が・・」
  「あんたが、(あたしを)必要としてくれた」

小林「行くわよ! ビリ子」
ひろ子「ひろ子なんですけど・・」

小林「あんた、幾つ?」
ひろ子「25です」
小林「ふん! ガキが!」

小林「ツルッとやって、さっさとおしまいにするわよ!」
ひろ子「ツルッとって?」

ひろ子「崖です! 落ちますよー!」
小林「落ちますねー!」

ひろ子「また会える?」
小林「あたしのことが必要になったら・・また会える」

ひろ子「寿退社しま〜す!」
先輩「あ、そ」
ひろ子「寿退社しま〜す!」
先輩「2度、言わなくてもイイのよ」

男「やっちまったのか?」 ←我らが田中要次!(=^_^=)
ひろ子「・・はい」

青年「・・出ちゃった」
AYAKA「出ちゃったね」 ←ナニが言いたいのだ、監督!(=^_^=)

男「こんな山中のペンションに男が1人・・どうしてかってお思いでしょうね?
  ・・分かりました、お話ししましょう」
ひろ子「訊いてないんですけど・・」

祖父「イイんだよ。ひろっぺのお陰で、周りの皆が幸せになる」
  「ひろっぺのお陰で、皆は幸せになってるんだよ」

祖父「そぉら、焼芋だよ」
ひろ子「・・見れば分かる」

巡査「退きなさい! 暴走族が信号、守ってんじゃないよ!」

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2009年5月 9日 (土)

☆『GOEMON』☆

8日(金曜)の夜。

わずか(実働)2日に過ぎなかった今週の出勤であるが、、妙に疲れてしまったのが正直なトコロ。
明日はまた(午前中から)片道200キロほどを突っ走って帰阪する予定となっており、なかなかにのんびりした時間を持てないなぁ・・って高松市内でだらっと週末を過ごしときゃエエのにね・・(⌒〜⌒ι)

「そや、折角の金曜やし!」と思い付き、帰宅後にクルマを出し、またまた“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと向かったワタシ(=^_^=) いよいよ、狙ってた1作『GOEMON』を観ることがかなった♪

ただし、上映開始20:30〜ってことで、、観終わって帰宅したら23:00過ぎになっちゃってた(×_×)

この週末には、他に「1本」大阪エリアでこなしときたい(=劇場で観ときたい)のんがあるし・・って訳で、結構“劇場鑑賞メモ”のお片づけにすらアップアップし始めてる最近のワタシである(⌒〜⌒ι)

1582年、天下統一を目前にした織田信長(中村橋之助)が家臣=明智光秀に京で暗殺さる。これが史実に聞こゆる“本能寺の変”である。
信長の第一の家臣であった羽柴秀吉(奥田瑛二)は素早く逆賊・明智を討伐・・。この働きにより、秀吉は名実ともに天下人の立場におさまる。
巨大な“大坂城”を構えた豊臣秀吉は、今や自らを“太閤”と名乗り、徳川家康(伊武雅刀)、石田三成(要潤)らを押さえ付け権力をふるう。
更に“(布教活動の)裏でとんでもないモノを売り付けて来た(爆笑)”宣教師らの尽力で、更なる武力を蓄えた“太閤”秀吉の眼には、もはや海の向こうの“朝鮮”“明(みん)”を除き、国内に憂うべき敵など存在しなかった・・

束の間の“戦(いくさ)なき日常”に酔いしれる民(たみ)ら・・彼らの中で目下話題となっているのは、強欲商人から金品を鮮やかに盗み、それを(文字通り)庶民の頭上にバラまく、と言う胸のすく行為を続ける“義賊”石川五右衛門(江口洋介)その人であった。

ある時、豪商=紀伊国屋文左衛門(六平直政)の金庫室(?)から“南蛮渡来の藍色の箱”を奪い去った我らが五右衛門。中身が空だったため即座にポイと棄てるが、その箱にはとある“恐るべき秘密”が隠されていたのだ!

禁断の“パンドラの函(はこ)”を巡り、人々が、そして時代が五右衛門に向かって動き始める・・彼の前に立ちはだかった強敵は霧隠才蔵(大沢たかお)。その背後には“伝説の忍(しのび)”服部半蔵(寺島進)の影も・・

この“パンドラの函”に隠された驚愕の真実とは? そして超人的な身体能力をほしいままにする五右衛門の、生い立ちに秘められた哀しき記憶とは?

昨夜鑑賞の『ヤッターマン/劇場実写版』も“CG映像の集合体”であった(=に過ぎなかった?)が、本作も「やり過ぎ」な迄に映像に修正が加えられまくっていた、、監督=紀里谷和明氏ってば、どうにも「やるからには徹底的にやる」ってタイプらしく「何処やねん!」と突っ込めるほどの見渡す限りの草原や「余りに大工泣かせやろ!」と突っ込めてしゃあない、ムチャクチャな大坂城・天守閣の“禍々しくトンガリまくった屋根(の意匠)”などが苦笑を誘う・・一方で「光明&陰影」を大切に扱った映像も準備されていたりし、そのインパクトの格差ももの凄い!

序盤こそ「何だか笑うに笑えないしかったるいなぁ・・」と脱力しかけてしまったワタシだが・・「とある少年が、山中で、紅い西洋甲冑(?)に身を包んだ謎の騎士(?)に出会う」って辺りから、作品世界に急速に吸い込まれて行った(=^_^=)
劇中ではタイプの違うニンジャが「4人」登場するんだが、彼らそれぞれの相関関係(?)がクッキリとアタマに浮かぶようになってからは「面白いのなんの!」と転げ回りたいような気持ちにすらなってしまった(=^_^=) 本作ってば、稀にみる「脚本(ホン)が巧い!」と唸らされる1作と断言出来よう。

が、惜しむらくは「緩急の“緩”の部分に気を配る“余裕”を中盤以降、完全に失ってしまってた」ことや「展開を詰め込み過ぎたため、妙に主要キャラの“休むことなき場所移動”が目立ち、落ち着きを欠いてしまった」ことなどは惜しまれる。

ロマンスっぽい部分を期待させながら、実際には殆ど恋愛系の要素を楽しませて貰えなかったのも残念だった。

終盤なども、ピンポイント的に「コレを描きたかったんやろなー!」と紀里谷監督のキラキラした瞳が浮かぶようなダイナミックなシーンを楽しませてくれる一方で、間延びして見えた演出もあった。

ま、私的には「奥田瑛二=既に監督業に身を捧げてしまったおじさん」ってなイメージが勝手ながら強かったので「まだまだ、俳優としての実力&存在感をタップリ維持してはるんやなー」と嬉しく思えたりはしたものだ。

正直“総じて言えばちと長い”とも感じるんだが・・『ICHI(2008)』で大沢たかおが(腑甲斐なくて)すっかり嫌いになった! と言う女性ファンには、全裸になってでも(?)観ておいて頂きたい本作ではある! もう金輪際“とんま”とは言わせないッッ!!(=^_^=)

〜 こんなトコもありました 〜

♦「KIRIYA PICTURES」のクレジットが一瞬「RIKIYA PICTURES」に見えちゃった(=^_^=)
♦『武士の一分(2006)』と比べ“蛍の描写”にとんと心を動かされなかった(×_×)
♦長煙管(キセル)の金具部分で振り下ろされた日本刀を受ける、と言う“ハンデ有りまくり”な戦いぶりがスゴい!
♦“死を覚悟”した「りょう」さんの表情が、CG使ってるんか?! と言うぐらい奇妙に見えてしまった(×_×)
♦オルゴールにガトリング砲(?)に、、南蛮さん(の技術力)ってやっぱりすんごいのネ、、
♦物語の中での“現在”は1597年だったようだ。
♦いきなり“サロメ状態”となってしまった利休翁。良く見たら“変態侯爵(=平幹二朗さん)”ではありますまいか!
♦「天下」「布武」の2本のアレ・・めちゃカッコよろしおますなぁ!
♦ドリ※ムワ※クスの“D”のロゴにそっくりな形状の月が出て来た(=^_^=)
♦“秘密兵器”を太閤が紹介した時の、宣教師らの得意げで邪悪そうな表情がなかなか!(=^_^=)
♦「永・樂・通・寳(信長軍)」「大一・大吉・大万(光成軍)」などの旗印が面白かった。
♦ガトリング砲をとうとうジャックしてしまった五右衛門! まさに『ランボー/最後の戦場(2008)』状態!(=^_^=)
♦映画史上稀にみる※※を殺すシーンは強烈! 「独りじゃ淋しかろう」とか言ってたけど、、
♦ギャグ作品だったら、民衆の投げた空き缶(!)か何かが前頭部に直撃、ふらつきながら(自身も)前のめりにボチャンしちゃう訳だが、、
♦柱を蹴るシーン、太閤様に「ディス・イズ・スポァルトゥアァ!!」とか叫んで欲しかった(←またそのネタかよ)
♦森蘭丸、真田幸村、小早川秀秋・・などはキャスティングされてたんやろか。。
♦茶々役の広末涼子・・どうにも物語の軸に絡み不足な感があった。当初こそ『ルパン三世/カリオストロの城(1979)』におけるルパン&クラリス姫のような“良い関係”を期待したんだが・・
♦五右衛門(?)の最期を巡る、あの展開を観てて『梟の城(1999)』を少し連想してしまった。
♦折角の江口さん主演だし、『スワロウテイル(1996)』のセリフネタ「首斬れ〜!」などを言って欲しかった(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

五右衛門「佐助め・・ハナシが全然違うじゃねぇか!」
    「おお、絶景! 絶景!」
    「(煙管が)すっかり湿気っちまった・・モテねぇ奴の説教が長くてよ」
    「強くなれ、俺よりもずっと・・!」
    「これで終わりだと誓え! これで戦いが終わりだと! 皆が幸せに暮らせる日を誓え!」

太閤「世の中は変わってゆく、茶々も変わらねばなぁ・・」
  「お前は俺に死んで欲しいのか?」
  「大人しく茶だけ立てておれば良いものを・・わしの夢にケチをつけおった」
  「光成・・お前、(そこに)おったのか?」
  「腹が減って仕方なかった・・1度で良いから腹いっぱいになってみたかった。
   だが・・喰っても喰っても満足せんのだ。いつまで経っても、ひもじくて腹が減って仕方なかった。
   終いには“天下”を喰ってみたくなった・・それだけのハナシだ」
  「自由とはどんな気分だ?」
  「もう逃げられんぞ・・運命からはな」

茶々「利休様・・この地でも蛍は見れますか?」

家康「助かりましたな、石田どの」
  「天の涙か・・」
  「(乱世を)終わらせねば・・」

太閤「お前、最近、忙しそうだな?」
光成「総ては太閤様の御為(おんため)に」

佐助「豊かにゃなったが格差は開いた・・“弱肉強食”って奴ですかね?」
  「だから言ったんだ! 厄介なことになるって!」
  「俺は何度も言ったよな? やめろって・・厄介なことになるって」

※※「お前の母ちゃんが死んだのは・・お前が弱いからだ。
   お前があいつらより強ければ、こんなことにはならなかった。
   強くなれ。そうすれば、何も奪われはしない」
  「一緒に来るか? 俺がお前を強くしてやる」
  「俺が何時(いつ)か・・戦のない、平和な世界を作ってみせる」
  「(他人に)踊らされるな・・(自らで)踊れ!」

才蔵「まだ、錆びてないようだな」
  「事情が変わった・・命拾いしたな」
  「もう少しで侍になれる・・」

五右衛門「別に“足手まとい”が1人から2人になっても」
佐助「・・って俺も数に入ってるじゃないですか!」

半蔵「忍(しのび)とは影・・影に己(おのれ)は要らん」

利休「誰か“懐かしい方”にでもお逢いになられましたかな?」
  「茶を立てていると、声が聞こえます・・“世を動かす者”の声が」
  「少々、渋過ぎましたな」

茶々「友達はいますか?」
※※※「1人だけ・・△△と言います」

※※「強くなれたか?」
※※※「まだ、分かりません」
※※「それでいい」

才蔵「いつかは侍になれるかな?」
※※※「俺はいい・・それより自由になってみたい」

※※「自由を謳歌するなら、周りを巻込むな」
  「コレがお前の言う“自由”の代償だ!」

※※「お前は派手過ぎだ、泥棒にしちゃ」
五右衛門「大泥棒だ」
※※「自分で言うな」

※※「この世界を見てみろ! 狂ってねぇか?」
  「一番流される血は誰の血だ? お前ら(=庶民)の血だろ!?」

五右衛門「どんな気分だ? 天下ってのは?」
太閤「なかなかのものだ・・この酒ほどではないが」

光成軍の兵「信長様、ご出陣で御座います!」 ←んなアホな!

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2008年12月22日 (月)

☆『影武者(1980)』☆

20日(土曜)の夜。
衛星第2で放送された、黒澤明監督作『影武者』を観た。

3時間に迫る作品時間であり「録画しちゃうと、きっといつまでも観ないまま死蔵されるだけやろな」と薄ら予測がついたモノで(=^_^=)、しんどいけど頑張って(←頑張るなよ)観ることに決めた。そして・・観た!

世は天正の時代(1573〜93年)。刑場で「逆さ磔」に処されかけた所を連れて来られた奥州出身の盗人(仲代達矢)は、武田信玄(仲代の2役)、信廉(のぶかど)(山崎努)兄弟の前で詮議される。
信玄自身も、そして、これまでその“影武者”となり兄を支えて来た信廉も驚くほどの顔立ち、背格好をこの盗人は持っているのだった。つまり、信玄と“瓜二つ”だったのである。

上杉謙信を相手に「川中島の合戦(1553〜64年)」を戦い抜いた信玄の前に、勢力を伸ばしつつある存在が「三方ヶ原の戦い(1572年)」以来、因縁の深まっている織田信長(隆大介)と徳川家康(油井昌由樹)であった。

折しも、野田城に籠った家康勢・菅沼定盈(さだみつ)を兵糧攻めにしていた(1573年)信玄であるが・・夜な夜な城内から聞こえる「笛の音」を確かめるため、自ら城の外に“お忍び”で陣を構えた所、城内から唐突に種子島(火縄銃)で撃たれてしまう。

間もなくその傷が原因で信玄は死去。これに慌てた家臣らは「我もし(天下統一の志半ばに)死すとも、3年は喪を秘し、甲斐の国を動くな・・これを我が遺言と心得よ」なる彼の遺志に従い、先の盗人を“影武者”に仕立て上げ、信長&家康の間者(スパイ)の目を欺く計略に出る。

限られた家臣を除き、内々だけに伝えられた真実。
やがて野田城から甲斐へと戻った“影武者”は首尾良く自軍、果ては側室までもを(信玄)本人と信じ込ませることに成功するが・・ついある時、意外な者によりその正体を暴かれることとなる。

一方で、父・信玄の幻に悩まされ続ける息子=諏訪勝頼(萩原健一)は、ついに信長&家康の軍勢を叩くべく、甲斐の国を発つのだった。そして武田家の運命を大きく変える「長篠の戦い(1575年)」の火蓋が切って落とされる・・

上記を書きながら、年表を辿ってみると・・「実に巧く虚を実にはめ込んでるなぁ!」と感心させられるんだが、作品そのものに関して言えば「長い! ダラダラと長い!」と、そればかりを何度も感じさせられた。

クロサワ70歳の頃のメガホンらしいが、直感的に「ご老人の撮った映画」って感じで、妙に展開や(映像)描写がスロ〜モ〜である。フルカラーである利点を生かし、色々と光学的な味付けこそはしてるんだが、私的にはそう言うのは余り重要視してないもんで・・とにかく「もっと緩急を付けてよね」とツッコむことが幾度も御座った←あ、口調が(・ω・)

全体的に「人物が生きてない(=いわば“非健康”な印象)」ってのもあり、虚無感を色濃く交えた戦国絵巻を意図的に狙ったんだとしたら、これはもう「大成功!」なのだろうが、、どうも「各キャラが生き生きと物語を引っ張った」と言うより「描きたい節目ごとに、キャラの演技をはめ込んだ」って感が拭えず、かつ“影武者”の言動1つをとっても「何か巧くない」と直感的に響くモノがあった(・ω・)

特に「酷いなぁ〜」と突っ込んだのが次の3点。

・女性キャラの描き方がなっていない。そもそも描く気すらなかったようにも感じる。折角、桃井かおり&倍賞美津子と言う大物女優を起用してるんだから「もそっと何とかしようよ」と申し上げたい。
・中盤で展開される“高天神城の戦い(1574年)”の場面。15〜20分ほど合戦シーンが描かれるも・・夜間のせいで画面が暗い、暗過ぎる! まるで『スパルタンX(1984)』のクライマックスシーン手前(だか)のように暗く、何が何やら分かんない⇒眠たくなる。あんなシーンなら編集(カット)すべきだったのでは?
・終盤の“長篠の戦い”のシーン。本作のクライマックスなのだが「武田軍:騎馬隊の大群がダイナミックに疾走する!」「織田&徳川連合軍:並べた柵から種子島を一斉に放つ!」・・とそれぞれの場面こそは迫力たっぷりに映されるんだが・・どうにもカメラが切り替わってしまう(×_×) ワタシの観たい“肝心の描写”は響き渡る“銃声のみ”で済まされてしまってた。。

終盤では、城を「石もて追われる」身となった“盗人”が、騎馬隊全滅の有り様を(戦場の)草葉の陰からただ眺める・・ってな展開となるんだが、その際の仲代さんの「顔ばかりは真っ白だが、腕や胸元は健康的な肌色」って風の“ちぐはぐなメイク”も違和感&不気味さが漂うばかりだった。

エキストラ描写は確かにもの凄いが、屋内の各シーンは“いかにもセット”でイマイチ緊迫感に欠けてたり・・クロサワ映画の最高峰と評するにはほど遠い作品だと私的には決め打ちたい。

ただ、一方で「楽しんで撮らはったんやろな」「きっとどのシーンにも思い入れが強く、編集(カット)出来へんかったんやろな」と言う空気は随所から感じられた。きっとそれはそれで、巨匠ならではの余裕だったろうし、巨匠だからこそ許されたわがままだったんやろな、とは感じたワタシである。

〜 こんなセリフもありました 〜

信玄「ふむ・・良く似ておる」
  「確かにわしは強欲非道の大悪人じゃ、天下を盗むためには何事も辞さぬ覚悟じゃ」
  「冷えて参ったな・・冷えると古傷が痛む」
  「この者、使えるかも知れぬ」
  「我が旗を京の都に立てること・・この信玄の生涯の夢じゃ」
  「瀬田の橋はもう過ぎたか?」

信廉「“影法師”も楽ではない、己を殺して影に徹するのは辛い務めだ・・
   時々、己に帰って気侭に寛ぎたくなる」
  「影はその人を離れて、独り歩きは出来ん」
  「あの男、またもや磔にかけられた心地じゃろうな・・」 ←このセリフは重要!
  「動くな、何事があっても悠然と構え、動いてはならん」

山県「ご機嫌麗しう・・」
信玄「ない!」

家臣「寝ぼけ眼を開いて、しかと見よ・・お屋形(やかた)様はあれに御座るわ!」
  「武田の精鋭、一糸乱れぬ・・見事な眺めじゃ」
  「お屋形様、お通りぃ!」
  「間者の目(?)に戸は立てられん!」 ←と聞こえた気が(・ω・) 普通は「口に戸」ですネ
  「亡きお屋形様を想うなら、今こそお役に立つ時ぞ!」
  「ここ数日、念入りに教えた通りにやれば良い」
  「子供の眼は騙せぬな・・」
  「黒雲(くろくも=愛馬)はお屋形様しか乗りこなせぬ」
  「如何に(姿形が)似ていようと、根まではそうも行くまい・・」
  「殿、ご酒(しゅ)が過ぎます」
  「医者が申すには、病の後、しばらく女人(にょにん)を近付けぬようとのこと」 ←いや〜ん
  「見ろ! この者たちは貴様を護って死んだ、貴様も磔になった覚悟で動くな」
  「良くやりおる・・さながら亡きお屋形様が乗り移ったとしか思えぬ」

間者「もっと近くで見るべぇや、影武者かも知んねぇ」

山県「武田の家に殉ずる覚悟の者でなくてはつとまらぬ」
  「親方様は病の後じゃ、当分は馬にも側室にも“乗る”事は控えて頂く」 ←いや〜ん
  「よかろう、その件は信廉殿の裁量に任せよう」
  「※だけは欺けなんだ・・」

盗人「俺はあのお方の役に立ちたいんだ、使ってくれ!」
  「どうじゃ、面(おも)代わり致したであろう?」
  「重い病は、人の心も変える・・」
  「この信玄・・戦のときは本陣、常はこの館にある」
  「動くな! ・・山は動かんぞ」

竹丸「違う、これはおじじではない!」
  「おじじは本当に変わった、怖くなくなった」

家康「武田を攻めて見れば、その後ろに信玄のあるなし(=生死)は分かる」

信長「武田の備えはお主(=家康)に任せる」
  「流石は信玄、死して3年、よくぞこの信長をたばかった」
  「山が動いてはそれまでよ」
  「アメン!」 ←宣教師に向かって

勝頼「この勝頼、幾ら足掻いても亡き父の幻から逃れることが出来ぬ!」

追記1:本作でクロサワに救いの手を差し伸べたのがフランシス・フォード・コッポラ&ジョージ・ルーカス(共同で海外プロデューサー)である。
追記2:“長篠の戦い”では、撃たれた騎馬隊の屍体が累々と横たわる描写があるが・・辛抱し切れないのか、細かく足をばたつかせたり、首を持ち上げたりする“お馬さんたち”のナチュラルな演技(?)が微笑ましかった(⌒〜⌒ι)

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2008年11月21日 (金)

☆『狂った果実(1956)』☆

8日(土曜)の夜に鑑賞。前日に衛星第2で放送されたモノを録画しておいた次第(・ω・)

鎌倉界隈(由比ヶ浜、大磯、葉山など)を舞台に、1人の美しい女性を巡って確執を深めてゆき・・やがて“破滅”を迎える兄弟のひと夏の物語。

兄の瀧島夏久(石原裕次郎)は悪友らとつるみ、連日「学業そっちのけ」で酒とナンパと夜遊びにふけっていた。その弟である春次(津川雅彦)は温和で物静かな青年、そして(恐らくは)童貞であった。

彼ら兄弟の前に現れた魅力的な女性・恵梨(北原三枝)(引退後は石原まき子)は、逗子駅でまず春次を虜にしてしまう。
始めこそ、初(うぶ)な春次を誘い“デートごっこ”を繰り返す恵梨だったが・・彼女の“思いもかけぬ私生活”を掴んだ夏久は「このことは弟には黙っておいてやるから」と言う“ご無体な条件”を振りかざし、その躯をさっさと奪ってしまうのだった・・

夏久との“大人の関係”や“強靭な肉体”に溺れつつも、春次との“可愛らしい恋”“優しい抱擁”も棄て切れない恵梨。

だがある日、彼女から届いた待ち合せの手紙を(弟のいぬ間に)盗み読みした兄は、それを破り捨て、先に指定の場所に向かうや、恵梨をヨット「ルーチア(LUCIA)号」に強引に乗せ、さっさと大海原へ繰り出してしまう。

帰宅し、破り捨てられた手紙を見つけた弟は、急いで海へ。
共通の友人であるフランク平澤(岡田真澄)に“兄と恵梨の関係”を詳(つまび)らかに聞かされた春次は・・怒りに駆られるままモーターボート「太陽の季節(SUN-SEASON)号」で2人のヨットを追う!

翌朝・・決死の追跡の末、ようやく兄たちの乗るヨットを波間に発見した弟は・・

「昭和31年のモノクロ作品」ってことで、映像的に大した期待もしてなかったワタシであるが・・それ故に「色」を想像させてくれる台詞回しや表現などが、意外にもなかなか良かった。水槽の中で泳ぐ「青い魚」、横浜のナイトクラブ(?)「BLUE SKY」の煌煌としたネオンサイン、青々と(たぶん)広がる海に、白い(きっと)水着と海水帽の映えるヒロイン=恵梨の健康的で若々しい肢体・・
ワタシにもし巨万の富があるなら、ぜひ日活さんに提案し“パートカラー仕様”を“デジタル・リマスタリング版”で製作して貰いたいトコである☆

主演の石原裕次郎こそは「いつもの裕ちゃん」なんだが、彼を周辺から補佐する津川、北原、岡田の面々がいずれも(若さも手伝ってか)輝きまくっており、素晴らしかった!

まず津川さん。確かに同じ方なんだが・・この華奢でぶっきらぼうで不器用そうな青年が・・今ではこんな大物(体型的にも、、)になられたんですね・・としみじみするやら驚かされるやら(・ω・)
原作は無論のこと、脚本までも手がけた石原慎太郎(現:東京都知事)をして「春次は彼でなきゃダメなんだ!」と猛烈にプッシュさせたと言うだけあり、無言で無害そうな雰囲気の中に“狂気の炎”が確かにチラチラ見え隠れしてる感じがスゴかった!
本作、裕次郎映画ではあるも・・「主演:津川雅彦」と解釈したとしても、石※プロモ※ションの方々に決して恨まれることはあるまい、と思う(⌒~⌒ι)

そしておフランス生まれの美男子=岡田真澄(亡くなられましたね・・)の若き日のカッコ良さにもびっくり! ワタシの知ってる岡田さんは「何処がファンファン(←ジェラール・フィリップの愛称)やねんな」「あんさん、どっちか言うたらスターリン似ですやんか」って突っ込めるような・・まぁ“好紳士”な訳だが、こんなにカッコよかったとはね〜!
セリフまでもがいちいちキザですた(=^_^=)

ってことで、本筋は「普遍的かつ起伏に富みドラマに満ち溢れ」オチは「この上なく衝撃的で悲劇的」と言う「時代を超えたリメイクにも十分耐え得る」設定&人物造型に彩られた、ナイスな1作だと評価したい。

~ こんなセリフもありました ~

夏久「要するに、俺たちは退屈なんですよ」
  「現代に、俺たちに“ピンと来るもの”が1つでもあるか?」
  「正面切ってぶつかる、何が何処にあるんだよ?」
  「そこらには雑魚ばっかりだ・・大物はいないかねぇ」
  「こうなると、素人の強みですよ」
  「あんた、浮気は嫌いじゃねぇんだろ?」
  「女と魚はいつの間にかいなくなるもんさ」
  「死ぬものは・・いつでも死ぬよ」
  「何だか、気が滅入っていけねぇよ」
  「奴はもう“ただの弟”じゃねぇんだ」
  「帰しゃしねぇぞ・・もう帰さねぇぞ」
  「何もかもみんな棄てっちまえよ」
  「黙って俺について来いよ」

恵梨「広い水の中で1人っきりで泳ぐのって、ちょっと怖いけど気持ちのいいものよ」
  「バスストップで待ってて」 ←バス停とは言わなかったのね、当時、、
  「春次さんとは決して浮気なんかじゃないの・・
   私はね、いま自分が※※する前にしなければならなかったことをしてるのよ、順は逆さだけど」
  「私はね、真剣なの。そりゃ前に浮気は幾つかあったけど、今度だけは違うのよ」
  「あの人と逢ってると、私は“ずっと以前の自分”に戻れるのよ」

恵梨「あなた、妬いてるの? 弟さんに」
夏久「妬いてる? なる程、そうかも知れねぇな・・」
恵梨「どうしろとおっしゃるの? 私に」

夏久「俺と一緒について来いよ・・いちかばちか試すんだよ」
恵梨「何を試すの?」
夏久「俺も・・あんたもあいつもさ・・来いよ!」

フランク「人のこと言いたくないが、お前のやってることは、結局1人勝手な自分本位のお節介だよ。
     情けない奴だよ・・“ミイラ取りのミイラ”ってあんたのことだぜ」
    「兄弟でコップ(投げつけて)割ってやんの」
    「お前がいくら焦ったって、春ちゃんにあるものはお前には出て来やしないよ」

春次「みんな嘘だ! 大きなお世話だ・・畜生!」

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2008年10月18日 (土)

☆『幸福な食卓(2006)』☆

さる7日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。その週の“家族系ムービー”のトップバッター的な作品であったか、と(因みに、翌8日に『酒井家のしあわせ』が、翌々9日に『ゆれる』が放送された)。

あんまり期待せず観始めたが、妙にすき間(余白)だらけの演出・・が故に、(想像力もかき立てられ)味わい深いドラマではあったか、と。
最近に劇場で観た『トウキョウソナタ』もそうだったが“家族の崩壊&再生”こそが邦画がきっと最も得意とするジャンルだろうし、最も口酸っぱく描き続けるべきジャンルなんかも知れない(・ω・)

かつて教師だった父・弘が“とある事件”を起こして3年目の春のある朝、中原家の食卓で弘がポツリと言い放った。

「父さんな、今日で父さんを辞めようと思う」

その“とある事件”を機に、中原家はじわじわと崩壊を続けていた。
母(石田ゆり子)は夫と離れ自活。優等生だった兄・直(なお)は大学に行かなくなる。主人公でもある佐和子(北乃きい)は、毎朝の食卓の場で“家族3人揃ってはいるものの、言いようのない孤独感と当惑をひたすらに募らせ”続けていた。

そんなある日、彼女の前に爽やかな転入生・大浦勉学(勝地涼)が現れる。
あっけらかんと「俺んち、崩壊してんだよなぁ〜」と語る“裏表のない”勉学に、次第に惹かれてゆく佐和子。

やがて2人は揃って憧れの難関校=県立西高等学校(西高)に合格する。

とうとうクラスが離れてしまった2人だが、迫る(その年の)クリスマスを前に“プレゼント交換”をすることを約束する。

彼女はまだ、やがて訪れる失意のことを知らなかった・・

うーん、テーマ的には“家族”がメインだが、いきなり佐和子の前に現れる“大浦勉学”のキャラが作品世界を引っ掻き回すほどに印象的であるため、序盤&終盤の“静けさ”こそは際立つ半面、“家族の再生”に関してはややカラーが薄まってしまってた感もあったかな、と。

佐和子には勉学、直には“小林よしこ”・・と兄妹それぞれに“新たな家族候補”が誕生するんだが、最後に小林よしこをして放つ

「恋人も友達も何とかなる・・努力次第でさ。でも家族はそうはいかないよ・・
 もっと甘えたらいいのにって思う。
 ・・家族って“作るのは大変”だけど、その分“滅多に消えたりしない”からさ。
 だから安心して甘えたらいいと思う」

のセリフこそが、まぁ本作の“語りたかったこと”なのだと私的には解釈している。

それにしても、北乃さんの“静のキャラ”と勝地くんの“動のキャラ”のコンビが、すごくフレッシュで好感の持てた作品ではあった。今後、またお2人が共演することが実現するなら、それぞれのキャラ(の造形)を入れ替えての“コメディ作品”なんぞを観てみたいと思う(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

勉学「お前って“けど”が多いよな」
  「スゴいだろ? 気付かない所でお前って色々護られてるってこと」

母「あのね・・離れていると、それまで気付かなかった事に気付いたりして、良いこともあるのよ」
 「直が本当に人を好きになるのは、ずっと先のことよ」

よしこ「見え方が違うだけ・・べったりと近くに居過ぎると気付かないんだろうね」
   「とにかく、あんたは元気になんないといけないと思う・・まぁ別に急がなくてもいいけど」

直「我が家って、みんな役割を“放棄”してるんだよな」
 「俺にも(親父のように)歪みやずれが出始めたんだ・・そして、その歪みをゼロに戻すには、死ぬしかないんだな」
 「“真剣さ”さえ棄てる事が出来たら・・」

佐和子「きっと、他人じゃないと救えないものってあると思う」
   「死にたい人が死ななくて、死にたくない人が死ぬなんて・・そんなのおかしいよ、不公平だよ」
   “人は時々いつもと違う事をする・・きっとそれは“何かの予感”があって、自然にそうしてしまうんだろう”

勉学「キスしていいか?」
佐和子「もう・・どうしていちいち訊くの?」

父「子供はいいな・・次の日が楽しみになるなんて、大人になるとそうそうないからな」
 「父さんは・・やっぱり父さんでいようって思った」

追記1:予備校で講師のバイトをする父。そこのスローガンは「沈着・冷静・大胆」だった。何だか“犯罪的な響き”をも感じさせる3要素ですね(⌒〜⌒ι)
追記2:後半。電車の窓越しに、何かを(佐和子に)言った勉学。何と言った??(少なくとも「2つで充分ですよ」とか「作戦は5時間後に始まる」とかではなかったと思う、、)
追記3:ラスト、佐和子の前に現れる某人物。「大丈夫だから・・僕、大きくなるから」のセリフと、坂の上下に配された(その2人の)立ち位置映像に“新たな物語の息吹”を感じたりもしたワタシ(・ω・)

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2008年9月 4日 (木)

☆『蜘蛛巣城(1957)』☆

2日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを鑑賞。
昨夜は地上波初放送だった邦画『嫌われ松子の一生(2006)』を楽しみに観始めたものの、、序盤わずか30分で“緊急報道特番”により中断されたままに終わってしまい、フラストレーションも溜まってたが・・今夜(本作を観て)ようやく溜飲の下がった気がした(・ω・)

黒澤明監督がシェークスピア悲劇『マクベス』の舞台を日本の戦国時代に置き換え、再構築したファンタジー(?)作品。
日本の伝統美を愛してやまなかった黒澤の作り上げた“能楽+幽玄”の和風テイストが存分に味わえる1作と言える。

冒頭、とある山麓の霧の中に佇む記念碑が映し出される。その木肌には「蜘蛛巣城址」の文字が読み取れる・・
そう、かつてこの地には、山腹にその巨躯を横たえる「蜘蛛巣城」と呼ばれた城があったのだ。

2人の武将、鷲津武時(わしづたけとき:三船敏郎)と三木義明(みきよしあき:千秋実)が領内で起こった謀反を見事制圧し、大殿(=主君)に報告すべく馬を駆っている。その途中、2人は霧がかった深い「蜘蛛手ノ森」に迷い込み“もののけ(物の怪)”と思しき老婆に遭遇する。
その老婆が言うには「鷲津と三木はこたびの武勲で出世、殊(こと)に鷲津はいずれ“蜘蛛巣城”の城主となる」とのこと。

「大殿を討ち、わしが城主となるなど有り得んこと」と当初は予言に耳を貸さなかった鷲津だが「蜘蛛巣城」へ辿り着き(老婆の言葉通り)「北ノ館(たち)」の主(あるじ)に出世したことで、自らの心に“ざわめき”の起こるのを抑えることは出来なかった。

妻である浅茅(山田五十鈴)が鷲津を巧妙にそそのかす・・「いざ大殿を討て!」と。そんなことは出来ん、とその意見を一蹴しようとした彼だが、最後にはとうとう主君を討ち果たし、予言通り「蜘蛛巣城」の主の座におさまるのだった。

そして、老婆のもう1つの予言に「三木の嫡男・義照が、鷲津を継ぎ蜘蛛巣城の城主となる」なるものがあったが、浅茅は「三木の世継ぎのための反逆だった訳ではありませんぞ!」と言い切り、自らの懐妊(!)を伝えるとともに「義照を養子に迎えさせる」と言う元々の鷲津の気持ちを翻させたのだった。

主君を討ち、次には幼き頃からの強敵(とも)・三木にまで血塗られた刃を向ける鷲津。次第に狂気に蝕まれてゆく彼に「老婆の予言には続きがあったこと」にまで気を回す余裕はなく、そして自身もまた壮絶な死を迎えることになろうとは、その時の鷲津には思いもよらぬ事であった・・

とにかく終盤、逃げ惑う三船(鷲津役)に向かって大量の矢がびゅんびゅん飛んで来るシーンが凄まじい! CGやトリックなど有り得ない時代の映画なので、(弓道の)プロが狙ってたとは言え、その緊迫感はまさしく本物!
『HERO/英雄(2002)』で描かれた“無数の矢が飛んで来る”映像演出でさえ叶わない。だってあんなの・・CGだもん(・ω・)
終盤の三船の表情が“まじに恐怖に歪んでる”のはある種「ドッキリ」的な撮影進行だったんかもな〜と妄想したり。
このシーンの(撮影)終了直後、三船が黒澤監督に殴り掛かりつつ「俺を殺す気か!」と叫んだと言うエピソードも耳にしたことがあり、あながち「ガセネタ」にも思えない説得力が、確かにこのラストシーンにはある。。

意外とセリフが少なめなのも好感度が高く、以前に我が国の首相をされてたとある方(誰?)のように、短い言葉を声高に叫ぶパターンが多いのは、実に耳に心地よかったし(=^_^=)

「開門!」「逆賊!」「物の怪!」う〜ん、分かり易い☆

反対に長々としたセリフが語られるシーンは、何だか良く聞き取れず、そこは至極残念に感じられた。

終盤の“映画史に残るべきその名シーン”を観客に叩き付けんがため、次第に(緊迫感の)高められてゆく構成もなかなか良いが、私的には以下の「惜しいなぁ」と感じる点もあるにはあった。
ま、今だからこそ冷静にこんな評価が出来るんだろうけど・・きっと当時、劇場の大スクリーンで本作を(予備知識なしに)見せられた日にゃ、衝撃で自身も森の中を走り回ったことだろう(←いや、何処の森やねんな)

・大殿を討ち果たすまででちょうど半分・・と贅沢な時間配分をしているが、も少し前半を短くしても良かったか
・鷲津と三木が「ゆるりと語る」シーンが結局挿入されず、も少し「(友情の崩壊と言う)悲劇性を高める工夫」があっても良かったのでは
・「蜘蛛巣城」そのものの造形を楽しみたかったが、城全体がどうにも“安普請”な印象であり、天守閣も近くから殆ど映されなかったのが残念
・「蜘蛛手ノ森」が1つのポイントとなるロケーションだが・・「迷い込んだ森」と「動き迫る森」の印象がどうも一致せず「別々の場所ではなかったんか?」と言う違和感が残った
・強烈な存在感を放ってた奥方=浅茅が後半すぐ「本筋から離脱」してしまった感があり惜しかった

~ こんな武士(もののふ)トークなどもありました ~

鷲津「戯(ざ)れ言も程々にせい!」
  「主君を討つは大逆ぞ!」
  「大逆を犯して何と面目を保つ?」
  「その友義(ゆうぎ)には報いなければならぬ」
  「出あえい、物の怪!」
  「戦(いくさ)は、最後に勝つ者の勝利ぞ!」
  「何につけ色を失う腑抜け大将め!」

三木「夢は愚欲の現れと申すからな」
  「いずれ、ゆるりと話そう」
  「血も流さず屍(かばね)も積まず、一國を我がものに」

浅茅「(謀反の)お覚悟は定まりました?」
  「弓を執るのを望まぬ者が?」
  「功名の為ならば、親が子を、子が親を殺さねばならぬ世の中です」
  「大望を抱いてこそ男子!」
  「私は三木様のお世継ぎの為に、この手を血で汚したのでは御座居ません」
  「思わぬ事に座興が過ぎあい済みません・・今宵はこれにてお引き取り下さい」
  「幾ら洗っても何故消えないんだかねぇ・・どうして奇麗にならないのかねぇ・・この手は。
   手に染み付いて取れやしない、洗っても洗っても・・」

追記1:鷲津の奥方=浅茅(あさぢ)を静かに演じた山田五十鈴さんのエキセントリックさが光る! 夫が色を作(な)し自論を肯定しようとするのを、静かに「私はそうは思いませぬ」とひと言。どんな暴君でさえ「キャイン!キャイン!」状態ですわな(←どんな状態だよ!)
極め付けは囁くようなひと言「私、身籠りました・・」 鷲津以上に、全ての観客に“忘れ得ぬ衝撃”の走る瞬間です(=^_^=)
追記2:死ぬ寸前の鷲津の表情が“竹中直人っぽくて”ちょっと面白かった。。
追記3:原典『マクベス』では「バーナムの森」が動く設定となっている。

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2008年8月15日 (金)

☆『キサラギ(2007)』☆

14日(木曜)夜の鑑賞。
「木曜洋画劇場・40周年特別企画」の一環とし“地上波初放送”されたモノを観た☆
余りに期待するが故、残業を切り上げて帰ったほどでもあった(=^_^=) ま、公開当時にも、しっかり劇場で観た作品ではあるんだけど、、(・ω・)

冒頭&本編終了後に小栗旬(今が旬?)がコメントを寄せる“力の入れよう”がなかなか☆
彼をして「想像を超える物語展開」と言わせしめた“密室型ハートフルサスペンス”・・だそうである。

※詳しいレビューを

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/x_1/index.html

の2007年7月7日付『キサラギ』の記事にて詳しくコメントしております。そちらをまずご覧下さい。

某高層ビルの最上階でしめやかに(?)開催された「~永遠の清純派アイドル~如月ミキ一周忌追悼会」なるアイドルファンのオフ会的イベント。
初めて互いに顔を合わせる5人の男・・家元、安男、スネーク、オダ・ユージ、イチゴ娘。 が、ちょうど1年前の同日に自ら命を絶った(と報じられている)マイナーアイドル=如月ミキの死の真相に迫ろうとする。

今回はやはり“ちっこいTV画面”での鑑賞、それも“CMで寸断された放送スタイル”ってことで、、イマイチ物語世界に入り切れなかった感があった。。が、スクリーンにのめり込むように没入(?)し鑑賞した1年前の(劇場)鑑賞時とは少し違い、一歩引いたスタイルで寛いで観ることの出来た意義はあったかと思う(=^_^=)

民放のゴールデン枠(?)で放送されると、どうにも絵作りが軽く「特別企画ドラマ」ぐらいにしか映りにくいのもあり、食わず嫌いをされた(=観なかった)方も実際に多かったんじゃないかと予想するのだが・・「オタク」を毛嫌いするタイプの方以外には是非ご覧頂きたい本作☆
絞りに絞った5人のキャラが、1人の「今はこの世になき女性」を語る。

真実がどうなのか? が最後までハッキリとは分からないまま、5人が力を合わせ“そこ”へと突き進んで行く展開、そしてその中で次々と5人の「正体」が明らかとなり、それと同時に「力関係」もまた激変してゆくトコロが本作の最大の面白さであろう。

〜 こんなセリフもありました 〜

家元「しがない公務員です」
  「(彼女からの手紙の)内容がお世辞なのは分かってますよ」
  「あなたは展開に完全に付いて来れてないから、黙ってなさい」
  「こいつ(彼女に)コクったんだって・・バ〜カ!」←家元さんの“暗黒面”が表出(=^_^=)
  「(彼女に)近い人物がどんどん現れる・・いい気になって知識をひけらかしてた自分が滑稽だ」
  「僕なんて写真と記事を切り貼りしてるだけの“虫けら”さ・・この中で僕がミキちゃんから一番遠い」
  「なまじ僕たちファンがいたから・・彼女を一方的に追い詰めちゃって・・」
  「都合の良い仮説で何が悪いんですか? 真相なんて今となっては誰にも分からない」
  「アイドルは、虚像」
  「僕たちが今、ここに集まっていることにこそ意味があるんですね」

オダ「礼節、と言う言葉はご存知ですよね?」
  「最近の“何でもかんでも楽しければいい”と言う風潮には嫌悪感を抱きます」
  「これが自殺なんかする娘の笑顔ですか?」
  「正直、私は警察に対する嫌悪感を禁じ得ない」
  「警察なんて“お役所仕事”そのものだ!」
  「事件は現場で起こっているんだ!」
  「逃がさねぇよ・・逃がさねぇって言ってんだよ!」
  「(付着した)指紋なんかどうだっていい、彼が今取った行動こそが何よりの証拠ですよ」
  「離しなさいよ!」
  「(呼び名は)オダ・ユージでいい・・いや、オダ・ユージがいいんだ」
  「あんたらだって、ミキをスターにしたかったんだろ?!」
  「真実はある面において、常に主観でしかあり得ない」

スネーク「あ、ども、スネークっす!」
    「アロマキャンドルって顔かよ! お前なんか毎日香で十分だ!」
    「あんた怖いんだよ、オダ・ユージ」

イチゴ娘「・・無職です・・」
    「“戯れ”とでも申しましょうか・・」
    「(彼女は)脱いだらダメだよ・・絶対に」
    「現実になんて、何の意味がある!」
    「ストーカーと見守るってのは違うんだよ!」
    「さて、どう謝罪してくれるのかな?」
    「全ては、必然だよ」
    「(彼女は)アイドルだったんだ、正真正銘の」

安男「喪服を着れば盛り上がれるんです!」
  「なんか状況が激変してる・・」
  「また状況が変わってる・・」
  「あんたが追い込んだんだ! 彼女は“明るい自分”を演じ、振る舞ってただけだ!」

6人目の男「彼女の死が自殺だと? バカバカしい!」

追記1:ラスト、第6の人物により提示される“新たなるアイテム”・・今回は「眼を凝らし」眺めてみたが・・やっぱり「全く訳が分からなかった」(=^_^=)
追記2:小出恵介くんの「演技力の幅」を観た気がした。ドラマ『のだめカンタービレ』は殆ど観てなかったので、目下『僕の彼女はサイボーグ』における(彼の)キャラ造形との比較しか出来ないけれど・・(・ω・)

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2008年7月17日 (木)

☆『ゲド戦記(2006)』☆

スタジオジブリ制作の劇場用長編アニメ『ゲド戦記』を12日(土曜)〜13日(日曜)の2日に分けて観た。
番組そのものは11日(金曜)夜に“金曜ロードショー”で“地上波初放送”されたもの。
帰宅が遅くなるやろな・・と予測し、録画予約しといて良かった(・ω・)

“ジブリ祭り”の一環として流されたモノだったが、よくも悪くも「宮崎駿カントク作品ではない」ってことで(ご子息の宮崎吾朗氏が初めてメガホンを執られた(?)アニメである)、「名作保証工房」たる(?)ジブリにしては「意欲作には違いないが、ちとインパクトに欠けるな・・」と言うのがワタシの第一印象だった。
「荒廃した世界を舞台に、若者が生きる意味を探る」ちぅ壮大なテーマこそは良いが「ジブリファンがそれを観たがったか?」と言う部分でどうもスッキリしない。

ま、宮崎駿カントク自身『もののけ姫(1997)』『千と千尋の神隠し(2001)』『ハウルの動く城(2004)』・・と近年の作品群ではシリアス路線が次第に極まって来て、描画&表現テクニックの凄まじさとは裏腹に、正直「面白くないんですけど・・」と小声で言いたいトコロもあった(私的に)。
スポンサー側に「新境地を」「路線修正を」などと言われて来たのか? その辺りの実情は分からないが「迷走してるな」と思わずにはいられなかったモノだ。

ようやく最新作『崖の上のポニョ』に至って「(それまでの)気負いを払拭した」ような印象を受けるんだが(予告編を観る限り、、)、さて今回はどうなることだろう・・?

『指環物語』『ナルニア国物語』と並び“世界3大ファンタジー”の1つと評される『ゲド戦記』を単発もの(?)のストーリーにまとめた本作。
細かいトコで言えば『指環』『ナルニア』が英国産であるのに対し、唯一米国産のファンタジーである点も特徴的。確かワタシの自室にもハードカバー版のボックスセット(原作本)が何処かに転がっているハズだが・・全くページをめくった覚えのないのが情けない(×_×)

冒頭で「ことばは沈黙に 光は闇に 生は死の中にこそ あるものなれ 飛翔せるタカの 虚空にこそ 輝ける如くに」なる『エアの創造』からの引用が表示される。劇中世界=アースシーに伝わる古典詩の1つらしい。

海は荒れ、精霊と対話出来る“風の司(つかさ)”ですら、それを抑えることは出来ない。曇った空には互いを喰らい合う巨竜たちの姿が。農地は干ばつに喘ぎ、羊と牛は謎の感染で大量死を遂げる・・

王国エンラッドでは、国王と家臣がそんな現状を憂いている。
「世界の均衡がもたらす“光”が弱っている気がしよります」
「いよいよ“黄昏”の深まる兆しじゃろうか?」

間もなく国王は城内で何者かに刺し殺される・・その夜を最後に姿をくらませたのは彼の息子である17歳のアレン王子(声:岡田准一)。
彼が父親を殺したのか? 果たしてその理由は? 何も語らぬまま、国を棄てひとり逃避行を続けるアレン。
そんな彼の前に現れたのは大賢人と称される最強の魔法使いゲド(俗称:ハイタカ)(声:菅原文太)であった。

世界が均衡を失っている実情を目の当たりにする2人。やがて、彼らは港町ホートタウンに辿り着く。ゲドは昔なじみの女農夫(?)テナーの住む、町外れの一軒家を訪ねるが、折しもこの町では、邪悪な魔法使いクモ(声:田中裕子)が、私利私欲にかられるまま“永遠の命”を求め怪し気な実験を日夜続けていた。

ゲドとテナーは旧交を温めるが、彼女が5年前に連れて来た謎の少女テルーは、アレンに対する敵意を隠そうとはしない。
果たしてアレンが怯える理由とは? テルーに隠された秘密とは? そしてゲドとクモの壮大な魔法合戦の勝敗の行方は?

「ゲドってば主人公でもないじゃん!」とは本作を観ての感想。魔法を極めたが故、その使用をためらってしまう魔法使い。
彼が劇中で唱えた最大の魔法って「クモの城塞の入口の(重い)格子戸を上下させた」ぐらいじゃなかったろうか?
従者を連れている訳でもなく、そもそも長旅なのに、荷物らしい荷物すら持ってない。何だか「魔法も旅もなめているおっつぁん」て感じだ。誰がどうみても「早期カウンセリングを要する」アレンを導くでも励ますでもなく、ただ引き連れてるだけだし。クモとの過去、テナーとの過去も断片的なセリフの中でしか語られず、かなり消化不良だった(・ω・)

魅力がない、と言えばそれはアレンにもテルーにも言えることで、感情移入させる隙すら与えてはくれない。クモもまた然りで、悲しみが漂う訳でも、魅力がある訳でも・・ってことでキャラ群の吸引力が押し並べて乏し過ぎた(×_×)

哲学的で普遍的で・・深いセリフの数々こそは「耳にしておくべき」と思ったが、如何せん、総じてあの完成度ではちょっと感動には直結しないんじゃないかなぁ・・? と言うのがワタシの率直な感想であった。

〜 こんなセリフもありました 〜

ゲド「そなたと此処で出会ったのも、単なる偶然ではないだろう」
  「目的地は・・わしにも分からん」
  「疫病は世界が均衡を取ろうとする1つの運動、今起きているのは均衡を崩そうとする(反対の)動きだ」
  「わしら人間はどうしたら世界の均衡が保たれるか、良く良く学ばなければならない。
   均衡を簡単に壊す魔法はむやみに使って良いものではないのだ」
  「力を持つものは、その使い方を誤ってはならぬのだ」
  「死と再生の繰り返しこそが命の根幹なのだ」
  「不死とは生を失うことだ、死を拒絶することは生を拒絶することなのだぞ」
  「わしらが持っているものはいずれ失わなければならないものばかりだ。
   苦しみのためで、宝物で、天からの慈悲でもある・・わしらの命も」

女店主「まがい物だって物は物さ、信じられる。魔法やまじないのように形のない物とは違うんだよ」

アレン「・・お前たちが僕の“死”か」
   「いつも不安で自信がないのに・・時々自分でも抑えられないぐらい凶暴になってしまう。
    自分の中にもう1人自分がいるみたいなんだ」
   「ずっと不安にいるなんていやだ」
   「お前は光から目を背け、闇だけを見ている、自分が他者に生かされていることを忘れている。
    死を拒んで生を手放そうとしている」

クモ「世界の均衡などとうに崩れているではないか? 人間の欲望に際限などないのだ」

アレン「大切なものって?」
テルー「生命(いのち)に決まってる」
アレン「終わりの来ることが分かっていて、それでも生きていかなきゃならないのか?」
テルー「死ぬことが分かっているから生命は大切なんだ・・アレンが怖がっているのは生きることよ。
    生かされたからには、生きて、次の誰かに生命を引き継がないといけない・・
    そうして生命はずっと続いていくんだよ」

追記1:テナーの声をあてておられたのは風吹ジュンさん。彼女の「労いの言葉」と「ランチサービス」があるなら、多少の農作業(重労働、、)すら楽しいかも(⌒〜⌒ι)
追記2:おばさま2人の「くわばらくわばら」発言に違和感、、菅原道真公の名はアースシーにも聞こえていたか?
追記3:終盤の「右手がぶった切られて飛んじゃう」演出は必要だったのか? 『もののけ姫』に続き、本作でも疑問に感じた(・ω・)
追記4:「液体系に変化」する描写(映像演出)は、正直新鮮味がなくてつまんないと思う。

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2008年7月 8日 (火)

☆『ゲゲゲの鬼太郎(2007)』☆

5日(土曜)夜の鑑賞。「土曜プレミアム」で“地上波初”とし放送された「実写劇場版第1作」の『ゲゲゲの鬼太郎』を観た。

ヴィジュアル系(なのか?)のイケメン青年・ウェンツ瑛士を鬼太郎役に、お馴染みの“鬼太郎ファミリー”の面々がCG三昧でよみがえる・・! ってことだが、既に同じノリの『妖怪大戦争(2005)』が三池カントクにより映像化された後なので、そんなに(企画に)新鮮味はなかったかも、だ。


地方都市にある某団地は「あのよランド」建設反対デモに揺れていた。昔ながらの(?)地上げで住民は次第に立ち退いて行くも・・一部の強情な住民らに対し「妖怪をけしかけて脅す」と言う非科学的かつ効果的(=^_^=)なやり方で手腕を発揮するのが、建設会社に雇われた自称“怪奇現象研究所長”ビビビのねずみ男(大泉洋)。

妖怪退治を依頼すべく、森の中にある“妖怪ポスト”に直訴文(?)を投函したのは三浦健太少年。そんな健太を姉・実花は「妖怪なんかいる訳ない。あたしは目に見えて触れるものしか信じないの」と取り合わない(←ねずみ男の計画が浸透してないじゃん!)。

一方、ゲゲゲの森に届けられた健太の訴えを受けた鬼太郎はすぐ現地に向かい、妖怪連中を成敗する。

鬼太郎に追い払われたねずみ男は、金銭苦から稲荷神社の拝殿に忍び込み、お供えの油揚を盗み喰らうが・・偶然にも地下の洞窟で光り輝く石“妖怪石”を発見、これもまた盗み去る。

“妖怪石”は妖怪が手にするとすごいパワーを発揮するが、霊力の限られた人間が持つと「邪悪」に心を奪われてしまうシロモノだった。
ねずみ男はそうと知らず「古美術・珍宝堂」で売却しようとするが、そこにたまたまやって来た健太の父・晴彦が店頭からそれを持ち去ってしまったのだ。

晴彦は間もなく店主の通報により駆け付けた警察に逮捕⇒連行されるが、寸前に健太へ“妖怪石”を託した。「誰にも渡してはいけない」と約束させて・・

石を管理していた狐一族のリーダー格・空狐(くうこ)は必死になり“妖怪石”を探し求める。遂に彼らは三浦姉弟を追い詰めるが・・そこに現れたのが、我らが鬼太郎だった。


うーん・・何だか「映像の殆どがCG合成でインチキ」と言う印象がなかなか拭えず、大してのめり込めなかった気がしたな。
キーとなるアイテム“妖怪石”も「厳重な管理下にあったか?」と言うと全然そうでなかったし、今になって何故、空狐らがそれを奪おうとしたのかも分かりそうで分からなかった。。

中盤、あるトリックを使い“妖怪石”が警察に押収されぬよう健太を助ける(?)空狐に対しては「そこで健太に石を持たせるから、鬼太郎がくっ付いて来て事態がややこしくなるんだよ!」とツッコンでしまった。
ああ言う場合、警察に持って行かせ、鬼太郎の管轄外のトコで奪う方がはるかにクレバーだと思ったぞ(・ω・)

小雪(天狐役)、YOU(ろくろ首役)、西田局長(輪入道役)、田中麗奈(猫娘役)、室井滋(砂かけ婆役)、間寛平(子泣き爺役)、中村獅童(大天狗裁判長役)など、そこそこに有名ドコロを集めてるが・・やはり『妖怪大戦争』ほどの節操なき(キャスト陣の)豪華さにはやや及ばず、そこは残念だった。ラストで水木しげる先生も登場しないし・・

ぜひ、本作でも「地上げはイカンです、ハラがへるだけです!」などとオチのセリフを決めて欲しかったぞう。

それにしても・・ゲゲゲの鬼太郎と言えば「♪お化けにゃ学校も、試験もなんにもない」とか余りに有名(?)な歌があるくせに、鬼太郎が「墓の下中学中退です」と自己紹介(?)したり、「天狗ポリス」が治安維持を担ってたり、「妖怪憲法第103条による妖怪裁判」なんかもしっかり開廷されたりして、かなり生きにくそうな世界だと気付かされた(×_×)

ラストでは谷啓演じる妖怪“モノワスレ”により、劇中の殆ど全てがリセットされてしまうんだが、

猫娘「またお父さんにやられちゃった?」
鬼太郎「まあね」
猫娘「いつものことじゃない」

とか、ややのんびりした調子で語り合ったりする辺りなど、鬼太郎の人生からすれば「日常茶飯事」であることが観客に示される。彼本人は「350歳」などと言ってたので、案外人間を助けるのも道楽みたいなもんに過ぎないのかも知れない。

〜 こんなセリフもありました 〜

目玉のおやじ「まさかお前、色気づいたんぢゃあるまいの?」
      「人間との関わりはいかんぞ、彼らは死ぬからぢゃ」

鬼太郎「そんなにしっかりしなくてもいいんじゃない? 泣きたい時は泣きなよ」

砂かけ婆「ここ(=法廷)にも鬼太郎に助けられた妖怪が沢山いる筈じゃろう!?」

天狐「憎しみは、憎しみしか生み出しません」

晴彦「盗んだけど・・盗んだ覚えはないんだ。魔が差したんだきっと・・弱い心につけこまれた。
   だけど、やってしまったことはどうしようもない」
  「助けてくれる人に思いっきり甘えろ、そして大きくなったらお返ししろ」

※ちょっとこのお父さんの言い分には引っかかるモノがあるんですが、、(・ω・)

ろくろ首「愛の寿命なんて、せいぜい3年よ」 ←本名は“和江”と言うらしい(・ω・)

追記1:「ねずみ男のヘアスタイル」「毛針を飛ばし過ぎると、鬼太郎の髪型がどうなるか」などの発見(?)はある。
追記2:某ロケーションで実花と鬼太郎が“ツーショット写真”を携帯で撮影するが、後に鬼太郎の姿のみ消えてしまう。・・が、背景の写った画像データそのものは残されてたぞ? アレはエエのか?
追記3:“黄泉の国”で、ひたすら俯いて(鬼太郎らの)背後を歩いてゆくサラリーマンの姿がただただ悲しかった・・(×_×)
追記4:『OUT(2002)』の記憶が未だに強烈で、寛平さんが怖いのなんの・・(⌒〜⌒ι)

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2008年6月16日 (月)

☆『古墳ギャルコフィー/桶狭間の戦い(2007)』☆

さる2日の放送を録画しておいたモノを14日(土曜)に鑑賞。
“ヘタウマ&チープ映像がカルト的人気を呼んだ”と深夜番組「サンデーシネマナイト」の冒頭、紹介テロップに書かれてたが、、私的には「ヘタでチープなのはその通りやけど、決してウマくないやろ!」とまずそこからツッコんで差し上げたい(=^_^=)

古墳高校に通う、女子高生コフィーとその友達ダニエルが、不気味なヴィジュアルの担任・桶狭間(本能寺の変と呼ぶのは間違い?)と共にいきなり時空を超え、戦乱の世(1560年6月=永禄3年)に叩き込まれる展開。

元々のキャラ設定や世界観が全く分かってないので・・短い作品中、最後まで「?」が消えないままだった(×_×)
何せ「桶狭間先生は元々は落武者姿じゃなかった」ってトコにまず“ネタ”が振られるんだが「そんなのどうでもエエわい!」と言いたくなる気持ちが生じてしまう。
ま、それを言っちゃうと製作者=FROGMAN氏の“思うツボ”なんだろうけど(⌒〜⌒ι)

とにかく展開が早いので、それをわきまえた上での“確信犯”的なセリフ、

ダニエル「いきなり核心をついた結論に至っちゃうんですか?」

なんてのが痛快ではあった(=^_^=)

敵将・今川義元はそんなに出番がなく、中盤以降は顔色も悪いまま(⌒〜⌒ι)だったんだが・・彼の手下連中が彼以上にバカでトボケたキャラぶりを遺憾なく発揮してくれた☆ 特に、

義元「お前ら馬鹿じゃろ!」
家来「割とね〜」

などと言う掛け合いはライトタッチながら秀逸だったかな、と。

コフィーが終盤において、いきなり流暢な英語で「one shot,one kill.」と言ってくれるのが一番面白かった。

こんなセリフも良かったですね☆

桶狭間先生「この(建物の)中に入った者は生きて帰って来ないと噂じゃから・・死にたくなったら入るように」

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2008年3月23日 (日)

☆『ガチ☆ボーイ』☆

22日(土曜)の鑑賞。
「久々、劇場に行こう!」と決め『バンテージ・ポイント』とどちらにしよっかな? と迷いつつ決めたのが・・マイナー感漂う“スポ根”邦画『ガチ☆ボーイ』であった。
関西圏を代表(?)する映画評論家・平野秀朗氏(ラジオで喋ってる声しか知らない・・)がイチオシしてた作品、と言うのもあり観てみることに(まぁ『バンテージ〜』が人気あり過ぎて、直近の上映が満席(=座席状況:×ってヤツ)だったのもあるが・・)。

北海道学院大学(北大ではない?)を舞台に、学生プロレスに目ざめた主人公・五十嵐良一(佐藤隆太)の挑戦の日々を描く。

主人公とヒロイン=あさおかあさこマネージャー(サエコ)の恋愛ドラマなんかな〜と思いきや、そうでもなく実は「家族の物語」なんやな〜と気付かされた本作。
その反面、五十嵐家の家庭の事情が余り深く描かれず、それ故に(観客が自由に)想像力をかき立てる“余地”が敢えて残されている。そこが素晴らしい!

北学大プロレス同好会(HWA)はグラウンドの片隅に“くたびれたプレハブ小屋”を部室(?)とし構える小所帯の会。スター的な人気を博した佐田(リング名:ドロップキック佐田=24代目チャンプ)がプロレスを辞め、バンド活動に走ってしまったため、キャプテンの奥寺(リング名:レッド・タイフーン=25代目チャンプ)がかつての“盛り上がる試合”を取り返そうと「北海道学生プロレス連合」への加盟に躍起になっていたりする。

昨年(2006)の学祭でHWAの(無料)興行を観て以来、プロレスのとりことなった“優等生”良一は、当初こそ新メンバーとし温かく迎えられるが・・「試合の“筋書き”が覚えられず、ガチンコ(真剣勝負)に走ってしまう」「身体能力が低く、なかなか技を修得出来ない」「そもそも格闘センスがない」と言うことで、次第にHWAの中で不安視される存在となる。

その一方、都通商店街で開催されたエキシビションマッチ(公開模範試合)における良一(リング名:カエル男爵マリリン仮面)の白熱の試合ぶり(←それもその筈、彼にとっては“筋書き”の吹っ飛んだ“ガチ試合”だった!)をリングサイドで目にした「北学連合」の代表花形選手“シーラカンズ”がそれをいたく気に入り、HWAは見事、連合加盟を果たす。

その後の4試合、マリリン仮面は連合の放ったレスラーを次々に破り、無敗の記録が積み重なって行く。
が、その試合を眺めるHWA所属の新沼(リング名:玉子王子)の目にはそれが「解せない展開」と映るのだった・・
「今のあいつの関節技、全然決まってなかったじゃん?」

そしてマリリン仮面の5試合目を含む、今年(2007)の学祭の日が近付いて来た。
が、直前になり、体育館の使用申請のされていないことが発覚する。
良一にその役目を任せていた奥寺は怒りの余り彼に掴みかかるのだが・・実は良一には家族以外に知る者のない“ある秘密”を抱えていたのだった・・みたいな流れ。

良くも悪くも佐藤隆太のインパクトが大きい。ウィキ(ペディア)で調べてみたら『ローレライ(2005)』において“白球に生き、白球と共に散った”副操舵士を演じていたことを知った。なるほど・・

意外と“イケメンぞろい”だったのも女性客に対する呼び水とはなる・・か?(なってる・・か?)
私的には、
佐田・・反町隆史っぽい
シーラカンズのカッコいい方・・木村拓哉っぽい
玉子王子・・堤真一っぽい
とか勝手に思ってしまった。「っぽい」と言うだけの主観なんだけど。。

「深川湯」を男手1つで切り盛りしてる良一の父(泉谷しげる)はセリフも感情の表出も少ないんだが、それ故に終盤の行動が光る。まさに『遠い空の向こうに(1999)』『リトル・ダンサー(2000)』なんかにおける親父キャラの“渋み”をほうふつとさせてくれる。
妹・あかねを演じた仲里依紗(なか・りいさ)さんの「ぶっきらぼうで不機嫌だけど、兄のために健気に頑張るキャラ」にも好感が持てた。
終盤では自転車をひたすら漕ぎ、どこかの海岸まで突っ走っていたが・・一体どんだけの距離を走ったんやろ。。
(中盤までしか観てないが、伊丹十三監督『静かな生活(1995)』における兄妹にも通じる雰囲気を感じたり)

本作の“軸”となる部分は、まさに「記憶」なのだが、五体健全であるため、より一層“焦り”や“辛さ”が募ってしまう障害(症例)ではないかと思う。
脚本の素晴らしい見せ方により、彼が“記憶障害”を負ってしまったシチュエーションは中盤辺りになってようやく明らかとなるのだが、その直後に良一の1日 〜 朝、目覚めてから家を出、HWAの部室のシャッターをガラガラと押し上げる瞬間 〜 までが描かれる、その「視点」と「配置」が素晴らしいな! と感じた。
ワタシなんかだとシロウトだから、冒頭にそれを持って来てしまうと思う(・ω・)

「言っとくが、学生プロレスは“ガチンコ”じゃないからな」
「求められるのは“体力”“筋力”より・・“演技力”だ」

と言う「ホンネ」が序盤で早々に、率直に明かされる(?)インパクトも小気味良い☆ 

終盤の大ネタ(=大技)として“ドロップキック”が用いられる本作だが『ベスト・キッド(1984)』『シンデレラ・ボーイ(1985)』なんかのラストを連想させられた。
技そのものはシーラカンズが放った“ロープから相手に飛びつきつつ、両足首でその首を挟み、そのまま回転して倒す”みたいな華麗なテクニックの方(何て言う技だろ?)がよっぽど凄まじいと思うんだけど、きっとプロレスファンの中で“ドロップキック”だけは特に格別な扱いなのだろう(・ω・)

※ウィキで調べると“フランケンシュタイナー”なる技に当たりそうだ。ただし本作では“横回転”だったけど。。 

また、劇中で2回泣かされてしまったり(⌒〜⌒ι)

1つは強面(こわもて)キャラの大久保(リング名:デビルドクロ)が、ガチ試合で(良一から)顔面に頭突きを受けた直後の態度。一切怒りを彼に向けず、ひと言すら文句を言わなかったのだ。
ここを観て「顔つきと“外向き”の言動だけで人を推し量ってはあかんのやな〜」と改めて気付かされた。

1つは最後の試合。それまで「ギブアップしろ!」と繰り返してた(マリリン仮面の)タッグ相手が、(彼がいよいよ危機を迎えた)2カウント目を耳にするや(リング内に)助けに飛び出した瞬間。
「非力な(筈の)人間が、より大きな人間を動かし得る」
「そこに計算はなく、ただその人間が(彼に)与えて来た“記憶”が瞬時に、直感的に(彼の中で)結実する」
そんな風に感じた。

・医学的なオチを強引に付け足さなかったこと
・その後の展開を1枚の写真で描くにとどめたこと

も好感を受けた。
真っ先に「プロレス映画」と言う要素が飛び出してしまうため、ファン以外にはかなりとっつきにくい部分があるんだが・・色眼鏡をかけずに観て頂きたい作品である。

「健康であり、今日の自分が昨日の自分のまま続いている」現在の“実は幸福な日々”を、大事に生きようと言う意欲が、ちょこっとばかし高まると思うので。

〜 こんなセリフもありました 〜

良一「カラダは昨日の僕を覚えている。僕は生きてるんだ!」
  「生きてる証は“プロレス”しかない」

あかね「家族がギクシャクしちゃってるのが・・それが辛いです」

奥寺「自分の記憶に残らなくても・・みんなの記憶に、刻んでやるよ」

追記1:元々は舞台劇だったらしい。
追記2:ヒーロー然として描かれる佐田、、の彼女。めちゃめちゃ不細工でしたが(×_×)
追記3:エンドクレジットに入ってた「アヴリル・ビン・ラディン」なる人名にちょっと苦笑させられた。レスラーさん?
追記4:本作のエッセンスを抽出し、イギリス映画(炭坑モノ)としてリメイクしたら・・大ブレイクするんかも(⌒〜⌒ι)

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2008年1月 9日 (水)

☆『クレージー大作戦(1966)』☆

7日(月曜)の夜に鑑賞。
HDレコーダーの録画可能容量(残量)が既に半分を切ってしまってるもんで、機を見てどんどん片付けて(鑑賞⇒消去)行こうと考えている。そんな訳で、昨年10月中旬に衛星第2で放送されてた・・のを録画しておいた“クレージーキャッツもの”のコメディ作『クレージー大作戦』を観た。
ただし、本作は放送に気付いてから慌てて録画を開始したため、冒頭の10〜15分ほどは観れなかった・・尤も、観なくても問題なく物語には追いつけたが(=^_^=)

関東・砂橋(←船橋市のパロディ?)刑務所のとある夜。“雑居房”には6人の囚人たち。そのリーダー格である石川五郎(植木等)は“トロ”とあだ名される天才的な金庫破り(谷啓)を獄中スカウトし、「頭取」と呼ばれる闇世界の大物から10億円をせしめる計画を実行に向け始動させる。が、(同房の)他の5人が騒ぎ出したため(=^_^=)全員まとめて、チーム単位で強奪作戦を実行するハメとなる。。

翌日(?)、慰問先のコンサート会場から演奏中に脱獄を成功させた石川たちは、“見張り役”であった勤続15年(?)のカタブツ看守・加古井守(ハナ肇)をいつしか「第7のメンバー」としてまんまと巻き込むことにも成功する(←最初は石川らをいさめてたハズの加古井も次第にチームに溶け込んで行く・・(=^_^=))。

「頭取」の屋敷に潜入した石川&トロは、地下の金庫室に囚われていた謎の女・姫子を発見、彼女の情報をもとに「数週間後、伊豆の“日通富士見ホテル”で行われる“太平洋物産チェーン全国協議会”においてこそ、大規模な現金の取引が行われる」と言う「頭取」のプランを知り、撮影スタッフを伊豆へ移動させての(=^_^=)大掛かりな「10億円強奪大作戦」の火蓋が切って落とされたのだった! と言う進行。

いや〜・・全盛期の植木等、確かにアクションと言い、軽妙なセリフ回しと言い、圧倒的に光り輝いてて素晴らしかった! 何だか「この男、歳取らないんじゃ?!」とか「死なないんじゃ?」とまで錯覚させてくれる、ある種の「ヒーロー像」を高い次元で形成してくれてるのだ。それまでは『新・喜びも悲しみも幾歳月(1986)』での好々爺とか、(遺作となった)『舞妓Haaaan!!!(2007)』における更なる(⌒〜⌒ι)好々爺とかの役柄ぐらいしか意識して観てなかったのだが・・
反面、、やはりこんなにエネルギッシュで不老不死性(?)すら感じさせる人間にも、“老い”は平等に訪れたんやなぁ・・としみじみ。合掌。

物語は直球的に、クレージー側(囚人たち)とギャング側(「頭取」一味)の攻防を描きつつ突き進んで行くが、何の脈絡もなしに“ミュージカルシーン”の挿入される演出が巧く、インターミッション的役割(“急”に代わる“緩”の部分)となってて良かった。
伊豆ロケを最大限に活用(=^_^=)してか、いきなり草原で歌い出す(ハナ肇を含む)7人衆が映し出されるシーンでは、思わず『サウンド・オブ・ミュージック(1965)』のジュリー・アンドリュースよりもパワフルかつ荒削りでカッコええやんか! と妙にしびれてしまったものだ!
また、コレは制作側の意図したことではないんだろうが・・当時のコメディ作だけあって、色々と“えねちけスタッフ”に「自主規制」されちゃう系のセリフが意外と多く、そこも(不謹慎ながら)メチャメチャ面白かった。

例えば、デパート屋上のシーンで、老人に変装した石川(植木)に生意気そうな小僧(と言っても、今ご存命なら50歳過ぎぐらいか・・)が「あれ? おじいちゃん、・・・(←言葉が消されている)じゃないの?」と訊ねる辺りなどは「たぶん聴覚に障害を持つ人々を表現する“あの相応しくない言葉”なんやろな・・」と推察出来るんだが、続くセリフでは石川老人が「おじいちゃんはな・・・で・・・、・・・なんだよ、イッヒッヒッ!」とか笑いながら言ってて「コレってもはや物語の進行に支障を与えてるじゃん!」とツッコんでしまえる。
ここは適切なセリフに代わる“日本語字幕”をせめて表示するとか、もうちっと視聴者に対する配慮をお願いしたかったトコロだ(・ω・)

ギャングの下っ端として登場する二瓶“イデ隊員”正也&左“ヘイ・ユウ”とん平のぞんざいな扱い方もなかなかに爽快(?)だし、ギャングと言えば誰もがすぐ思い浮かべる“ステレオタイプなうさん臭いギャング像”も「もう勘弁してくれ〜」と言うぐらいに堪能出来る(=^_^=)

ちょっとギャグ的にゆる〜いのとかさむ〜いのとかも混じってるが、終盤のカーチェイスが異常に長く、かつ「結構、スタントマンにムリさせたんじゃないの?」と軽く背筋を震わせるような危ないアクションも見受けられたりした。
あと、若い頃の谷(啓)の動き&存在感を観てると「何か香港映画みたいやな〜」とか思えたり、「頭取」の屋敷地下室にプールがあり、そこにワニが放し飼いにされてるトコロなどは「『直撃地獄拳・大逆転(1974)』やら『ブルース・リー/死亡の塔(1980)』に通じる怪しいシーン演出やな〜」と逆に新鮮な驚きをワタシに与えてくれた(・ω・)

何にしても、ニッポンがパワフルだったあの頃を体現してるかのような、荒唐無稽&無国籍で、何だか(その中での)死さえ怖くないような「パラレル世界」を高い次元で成立させている、まぶしいコメディ作であった☆

「チープな脚本」に「レトロな世界観」。そこに放たれ続ける「ゆる〜いギャグ」・・それが故に“カラッと能天気かつクレバー(したたか)な植木のキャラ&存在感が弾けるほどに映えていた訳である。

〜 こんなセリフもありました 〜

石川「騙されたと思って、入ってみよう」 ←これはイイね(=^_^=)
  「たかが10億ぐらいの札束でガタガタするな」
  「日本の金なんかこりごりだよ。さぁみんな、(海外で)一発“悪ドル”を身に付けようぜ」

トロ「おい、(この女)死んでる!」
石川「だったら、尚さら怖がることねぇじゃねぇか。何にもしねぇんだから」

姫子「あんたってそういう“無責任男”じゃないの?」
石川「冗談言っちゃいけないよ。植木等と一緒にされてたまるかぁ」 ←このセリフには驚愕!

加古井の辞世の句「ああ悲し/狂えば狂え世の中よ/夢もチボーもなくなりにけり」 ←妙に“達筆”なのがポイントである。

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2007年12月28日 (金)

☆『コブラ(劇場版アニメーション)(1982)』☆

25日(火曜)。11月初旬に衛星第2で放送されたのを録画、しておいたものを観た。
日本が世界に誇ることの出来る劇画作家・寺沢武一の原作(コミック)を劇場用アニメとし“リ・イマジネーション”した感じの作品。
私的には30分(枠)番組とし製作されたアニメ版『スペースコブラ』の方が好きなんだが、こちらもなかなかにエロティックかつ躍動的な映像美が楽しめたりして面白かった☆

銀河をさすらう一匹狼の“宇宙海賊(スペース・パイレート)”コブラ。銀河系を掌握しようとする巨大無法集団“海賊ギルド”や宇宙最後の正義(?)“銀河パトロール”に追い続けられながらも、美女やお宝のある限り、彼は何処にでも現れる。そして銀河系で唯一“左腕に仕込まれた精神銃(サイコガン)”が火(?)を吹く時、もはや彼の行く手を阻む者はいない・・

今回は主人公=コブラの声を、山田康雄(故人)でもなく、野沢那智でもなく、あの松崎しげるが担当している! 初めて本作を観た(恐らく劇場ではなく地上波(テレビ)放送)際には「何か全然イメージ違うよなぁ〜」と不満に感じたものだが、今回観直すと「“快男児”的な活躍もあんまりないし、どっちかと言うと、劇中で(ヒロイン陣に)翻弄されまくってる⇒“オリジナルとは別物”と考えたら、それはそれで妥当なキャスティングなのかも☆」と“やや微笑ましく”楽しむことが出来たか。

監督があの出崎統ってことで、何やら「出崎節(?)」が炸裂しまくってた(=^_^=)
“(放射系)効果線の多用”
“アクションの3回描写(大抵は上下方向の動き)”
“地表叩き付けられ時の低速+バウンド表現”
“鳥が群れをなして飛びがち”
“古賀新一(怪奇漫画家)にも負けてないリアルな悶絶表情”
などなど、とにかく彼の作品を何か1つでもご覧頂くと、すぐにその(ワタシの言わんとする)ニュアンスが理解頂けるハズだ(=^_^=)

本作はコミックの初期巻をベースに、コブラが銀河系の危機を救うべく奔走「させられる」流れ。ジェーン、キャサリン、ドミニクのフラワー(美人)3姉妹が“軸”となり、そこに宿敵=クリスタル・ボゥイが大ボスとして絡んで来る。

コレも私的ながら・・やたらと嬉しかったのがドミニク・フラワーの声を担当してたのが風吹ジュンさんであったこと。思わづ「コキ〜ユ!」などと意味のない奇声を挙げそになりますた(⌒〜⌒ι)
加え、この3姉妹がやたらとオールヌードになっちゃうのも特徴と言えば特徴であり、特にドミニクの全裸姿には、何やら“己(おの)がサイコガン”すらも暴発しそうな雲行きにもなりかけました(知らんがな!)

ただ感心できなかったのが、彼女らのヌードのバストを描写する際「星形ニプレス」で突起部を表現してた(自粛?)トコだろうか。キミらは「スーパーボウル事件(2004)のジ※ネット・ジ※クソン嬢ですかっ?!」と突っ込みたくなった。何だか潔くな〜い。
一方では、股間部が“つんつるてん表現”なのも違和感あったし・・(いや、そればかりは描写不能か、、)

また、ワタシとしては「ボゥイの声」はやはり小林清志さんにやって欲しかったぞ、と。
(本作では睦五郎と言う方だった)

改めて「発見」出来たネタとしては以下のものがあった。
・「不死身の英雄、ここに眠る」と彫られた共同墓地内の(コブラの)墓碑(無論カモフラージュ)。併せ「2005-2037」との生没年が!
・「2年前に死んだ筈のコブラ」ってセリフがあったことから、作品世界は2039年となる!(ただ、別のセリフで「100年前の2873年、ミロス星人が絶滅した」とも語られてたけど・・)
・「へっぽこな脚本やのぉ〜」と思いきや、脚本担当のクレジットに原作者・寺沢氏自身の名が!(ただし共作)
・本心かどうか量りかねるが・・「オレはしょ〜もない海賊だけど」と自らを卑下する(主人公の)セリフがあった。
・中盤でボゥイにボコボコにされるコブラ。即座に処刑されるんかと思いきや・・「本部へ連行し洗脳⇒ギルドの幹部して迎える」ってなプランが語られてた。“リユース”されるんやね(⌒〜⌒ι)
・ルルージュ星の解放組織「スノウゴリラ」のサンドラ隊長。ヴィジュアル的にちっと『キル・ビル(2003)(2004)』のエル・ドライヴァーさん(ダリル・ハンナ演じる☆)が入ってるかも(・ω・)
・「サイコエネルギー反応」を計測することで、サイコガン発射の痕跡を調べることが出来るらしい。「性犯罪の行われた現場で容疑者の体液の痕跡を見つける」みたいな感じだろうか(←どんな例えや!)
・大幹部=ボゥイの背後に存在する“海賊ギルド”の元締は、ボゥイをして「我らがゴッドがおっしゃった・・“この第7銀河を消してしまえ”とな」と言わせしめたスゴ過ぎる存在。。海賊の親分はもはや「入神の域」なのか? それとも単なるボゥイの妄想なのか?

〜 こんなセリフもありまして 〜

宣教師ダコバ「星々の民よ! 神は神としてのたまわれり・・“この世に神はない!”」
(新銀河創世記・聖アルタウス第491章より、とのこと)

ジェーン「あなたなら、愛せそう」

コブラ「泣くなよ。例え銀河の果てで滅んだとしてもだ・・旅はいい」

クリスタル・ボゥイ「帰って来た・・私の“生き甲斐”が」

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2007年12月 4日 (火)

☆『機関車先生(2004)』☆

3日(月曜)。衛星第2で放送されていた教師モノ(?)映画『機関車先生』を観た。
・・が、中盤以降の鑑賞となった。。
午後9時からの放送だったもんで、録画なんかせんでも十分に帰宅出来るやろ、と考えてたら、週の始めから残業3.5時間コースに突入し、こっちが機関車にはね飛ばされたようにズタズタボロボロになってしまった(×_×)

まぁ、中盤以降で観始めても、あんがい展開はフォロー出来たけど(・ω・)

瀬戸内海に浮かぶ小島=葉名島が舞台。臨時教師としその島にやって来た“機関車先生”こと吉岡教諭(坂口憲二)を主人公に、彼の生徒である小学生らが反発しながらもやがて成長して行くさまを描いたドラマ。
島民とし堺正章(校長先生)、伊武雅刀(網元=漁師らの元締)、倍賞美津子(よねバアさん)、大塚寧々(島のお姉さん)が、他に徳井優(瀬戸内新聞の記者)も助演しており、意外に豪華キャストな印象☆

帰宅後、慌てて(=^_^=)テレビを点けると、とにかくあらゆるセリフや効果音が字幕表示されてて、少しびっくり。どうやら聴覚障害の視聴者の方々への配慮らしい。
作品そのものが“機関車先生”が「とある事情」により、話す事の出来ないキャラ設定となっていて、シーンによっては先生と周囲の人々が手話を用いて会話する展開があった。

伊集院静氏の同名小説の映画化と言うことで、島内の描写はややくどいぐらい丹念に作られていた(葉名島のモデルとなったのは、伊集院氏ご自身の出身地の島だそうである)。

なぜ“機関車先生”と呼ばれるようになったのか・・がもはや中盤からでは説明も終わってて分かんなかったのが残念だった(×_×) てっきり、島内への鉄道(蒸気機関)誘致運動絡みか何かの急展開を想像してたんだけど・・

坂口と言えば、CMで放ってた「親父ぃ?!」のひと言ぐらいしか、言葉を聞いた記憶がない感じなんだが、本作ではセリフを“封印”されているが故の「態度や視線で演じてる」って気迫みたいなものが終始立ち上ってて、なかなかに好印象を受けた。

倍賞さんが小僧どもに、ことあるごとに「バア呼ばわり」されてたんだが、ワタシとしては『OUT(2002)』において、全裸で浴室床に横たわる大森南朋を眺め下ろし「皮っかむりだねぇ・・」と呟いたり、襲いかかって来た最凶キャラ=間寛平をぶち殺したりした“武勇伝”ばかりがどうにも記憶に残ってるもんで・・「ゴラァ、ガキどもぉ! このしとは、ホンマはムチャクチャおっかないしとなんやぞ!」と諭したくなること度々であった(⌒〜⌒ι)

ラストでは、先生は生徒らと別れ、北の地へと赴任して行くのであるが、岸から手を振る生徒らに深々と頭を下げる船上の主人公の態度を眺めてて「何だか金田一耕助シリーズのノリやな〜」と妙な方向へ連想が働いたのだった(・ω・)> ←演出家がさしたる理由もなしに(=^_^=)いきなし「チューリップハット」を坂口にかぶらせたりして。。

で、もし更にとことんやるのなら(←何をだ(=^_^=))、校長先生役には加藤武氏をキャスティングし、登場シーンの9割以上で常に彼に粉薬を飲ませつつ、手を叩いて「よし、分かった!」と大した確証もなく叫ばせたり、ラストで同乗の船客として石坂浩二氏に特別出演頂き、島に別れを告げる先生の耳元で「あなたはおよねさんを愛してらっしゃったんですね」と呟いたりさせるとほぼ完璧(←だから何がだ(=^_^=))なんじゃないだろうか。

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2007年11月 4日 (日)

☆『クワイエットルームにようこそ』☆

3日(土曜)。待ちに待った祝日や〜! と狂喜しかけるも・・どうやら振替休日もなく、フツーの土日として過ぎて行ってしまうことに気づいたこの週末(・ω・) 色々とやりたいことはあるんだが「1本いっとく?(←う、懐かし・・)」ってことで、映画を観に行くこととした本日。
期待の大作(?)『パンズ・ラビリンス』を観てしまったので、しばらくは(私的に)小品ぞろいかもな〜と思いつつ、選んだのは蒼井優+妻夫木聡共演・・のキャスティングがつい目を引く『クワイエットルームにようこそ』であった。

かなり久々の内田有紀主演作である本作、公開時期的に、吉岡秀隆氏主演(?)の「アレ(の続編)」とモロにぶつかっちゃってる感のあるのがちょいと私的にインパクト。でも「体当たり度」だけで比べたら・・きっと内田さんの圧勝な気がするぞ、たぶん(・ω・)

月刊誌に800字コラムを連載しているフリーライター=佐倉明日香(内田)が眼をさますと、、そこは天井も壁も真っ白な“窓のない部屋”であった。おまけに、寝台に横たえられた自身の身体は両手両足などを“5点拘束”されており・・

そこからの流れで、どうやら彼女が今いるのは東京近郊(多摩辺りらしい)の「緑山精神科病院・女子閉鎖病棟」の「保護室(=クワイエットルーム)」である事が明らかになる。何故こんなトコで拘束されることとなったのか、記憶がすっかり抜け落ちてる明日香。ケータイなぞもちろん使えず、外部との連絡は取りようもない。
はたと思い出したコラム執筆の締め切り。彼女は焦るが事態は当面、どうにもならないようす。

看護師・江口(りょう)の説明によれば、彼女はどうやら「睡眠薬の過剰摂取により、丸2日間、昏睡状態に陥っていた」と言う。身に覚えのない自殺未遂(?)の事実に戸惑う明日香。一体、3日前の夜に何があったのか?
そして、廊下に繋がる扉のすき間から覗き込む若い女(蒼井)が彼女に囁いた言葉とは?
明日香はこの先いつ、どうやって“クワイエットルーム”から脱することが出来るのか? 様々な謎を抱えたままの彼女に、面会にやって来た人物は・・みたいな流れ。

原作&脚本&監督:松尾スズキによる、奔放に振る舞いつつも“生”を求め足掻いていた女性の「14日間にわたる追憶と喪失と再生の物語」である。

まずは何と言っても、助演陣がやたらと豪華である!

目当てにしてた中で、妻夫木氏(コモノ(菰野?))やりょう(江口)の絡み方はちょっと(私的に)中途半端で薄かったような気もしたか。意外なトコで存在感の爆発してたのはやはり大竹しのぶ(西野)、宮藤官九郎(焼畑鉄雄)、そして蒼井さん(ミキ)の面々だろう。
また殆ど言動はなかったけど・・徳井優(白井医師)とか庵野“カントク”秀明(松原医師)の存在感もそこそこに光っていた☆ 

題材としてはさすがに・・何処か既視感のあった設定なるも(やっぱりベタな連想ながら『17歳のカルテ(2000)』や『カッコーの巣の上で(1975)』の世界が浮かんでしまう)イマドキの邦画らしく「スピード感溢れる展開」「時間軸置換を駆使した演出」「妄想やキャラたちの(半ば強引な)言動に説得力を持たせる、ライトかつスタイリッシュな映像センス」が功を奏してた☆
中盤以降でこそ、物語の“暗黒面”が際だってしまってたが・・中盤までのハイテンションな演出は「素晴らしい!」のひと言。出来れば、もう少し観終わった後にカラッと晴れやかな気持ちにして欲しかったけど・・(あの終わり方なりに晴れやかさ(潔さ)はあるんだが・・)

少なくとも、単純なコメディには終わっていない作品と感じた。
登場する男たちが、揃いも揃ってダメダメなんだが(だけど社会的には“正常”)、それに引き替え女性陣がみなそれぞれにしたたかで、パワフルにスクリーンを闊歩してる印象を強く覚えた(だけど社会的には“異常”)。

考えてみると「不規則に、我慢を強いられず、孤独で、笑いもなく」生きることが、果たしてそれが「隔離病棟の外」だからと言ってホントに幸せなの? 健康と言えるの? 正常なの? と考えるに「う〜ん・・」と思わず悩んでしまうワタシである。
例えそれが“塀の中(←ここでは無論「刑務所」の意味合いは含んでいない)”だからとて「規則正しく、我慢(足ること)を知り、共同生活をし、たまには笑う」そんな人がいたら、それはそれで「幸せ」で「健康」で「正常」だと断言する価値観があっても、許してあげて良いと思うのだ。
そう言う意味で、男(である松尾カントク)が作り上げた作品世界ながら“女のココロ”の片鱗を勉強できる、良い機を得たとも思った次第だ。

特に印象的だった事柄をまとめてみる。

■仏壇1つを例に挙げても、宗教観の違いって結構「親族間の大きな溝」になるんかもな〜と。
■例え「不眠の相談を病院で受けた」としてもカルテ的には「心療内科に通院歴あり」と判断されることもある。
■“マトリョーシカ”は結構「隠し場所」に使える(=^_^=)
■例えば「病院の前に置かれたゴミ箱1つ」の中、にだって色んなドラマ的要素が詰まってる・・
■本人の「至って正常そうな言動」に関係なく、リピーターは戻るべくして戻るのかも知れない。
■結局、どんな状況下に置かれようが、退院出来るか否か、良くなるか否かは本人ら次第。医療側に奇跡の療法を期待してもムリなようだ。
■女が「今日まで脈々と続いて来た一族の血を絶やす」と意識するのってば「古い考え」なんだろうか?
■面白いだけの人間、は何事も面白いだけに帰結させてしまうようである。
■例えば、陽の目の当たらない所に、思わぬ“天賦の才能の持ち主”がひょっこりいたりするものである。
■拒食症にも様々な理由がある。患者の中には「自身の問題」を「世界の問題」に結び付けてまで考えを走らせている人がいる。
■三重県民は、もっと首都圏の人々に地元をアピールすべきかも知れない(・ω・)
■じんましんの発症に「ムヒ」の塗布は、医療者にも効用を認められているらしい。

〜 こんなセリフもありました 〜

※「バカはね、泣かれたらもっとバカになるんだよ」

山岸看護師「パンとミルクとイチゴに“スピード感”を与えたような食事です・・
      あ、間違っても“鼻水”のことは連想しないで」

鉄雄「オレってさ、基本“言われたまま”だから」
  「普通ないよな〜“アタマ燃やしません宣言”なんて」
  「いま、ヤラセの会議に、拉致られにゆきます」 成田直行⇒ミャンマーの奥地へと・・
  「“睨みメシ”って言うの? ありゃ絶対、眼からカロリー摂ってんな」

※「明日香、残念だ。」 ←(セリフでなく)手紙ですが・・

ミキ「1時間以内にこの※※を棄てないと、爆発する」
  「おっぱい、キレイよ」 ←“いけず”なカメラワークにウワァァン!

西野「聞き上手なのよぉ・・あたし」
  「生きるってね、重いことよ」

栗田「アドレスなんて書かなくていいわ、どうせすぐ棄てるから。
   ここを出るってのはね・・そういうことなの」

明日香「こんなに集まっているのに・・こんなに孤独」
   「静かだが、確かに動いている世界・・そして私は生きている」

追記1:「ゲロでうがい」・・コレって胃洗浄に関する(医学)業界用語だろうか・・(×_×)
追記2:西野、江口らの個性キャラはちょっと最後に「失速」してて残念。。
追記3:徳井優さん、もっと活躍して欲しかった。あんたの主演で是非「スピンオフ作品」を!(=^_^=)
追記4:金原さん、あんたそんな格好で、いつまでもそんなトコで何やってんですかぁ!
追記5:スリスタナ・ローケンよりもりょうの方が、よっぽど“女ターミネーター”ぽいかな、と。
追記6:あの先生、あの出血量では、もしや死んだ・・?
追記7:クワイエットルーム内は、みごと“トイレ”と化してしまったんやろか??
追記8:劇中に登場のアドレス「life_is_happy@loop.com」にメールするとどうなるのか? ちょっと怖くて勇気が出ないッス(⌒〜⌒ι)
追記9:部屋の中で、マスキングもせず※※をスプレー缶で※色に塗っては・・アカンでしょ。。

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2007年7月 7日 (土)

☆『キサラギ』☆

7日(土曜)。予定が特になければ、K阪電鉄主催により実施されるであろう(?)「七夕イベント(「K特急おりひめ号(5両編成)」と「準急ひこぼし号(5両編成)」が並んだり、何度もドッキングしたり(?)する毎年7月7日恒例の、鐵道ファン垂涎の催し)」を眺めにでも行くかな〜とか考えてたが、早起きが叶ったこともあり「そうだ、映画に行っとこう☆」と気まぐれを起こし、ミナミへ向かった。
んで、初の『なんばパークスシネマ』で鑑賞したのは・・邦画『キサラギ』。確かに、他にも「観たい作品」「観ておくべき作品」は幾つか存在したんだが・・本作は前々から気になっていた1本だったもので(・ω・)

で、結果・・コレが「大当たり」だった(=^_^=) 基本的に「舞台劇」をそのまま映像化したような「閉鎖的(密室的)テイスト」なんだが、ロケ移動やCG特撮面に制作費を(そんなに)かけてない代わり、練り込まれた“予測不能な展開”の脚本と、選りすぐり(?)の俳優陣がグイグイと物語世界を牽引して行くのである☆
早くも「今年観た中でNo.1の邦画となるかも知れんぞコレは!」と直感的に感じてしまった次第。
頑張れど、予算的&技術的にはもはやどうやってもハリウッド大作には追いつけそうにない邦画界、こういう「小粒ながらパワフルなシナリオで魅せる作品」こそがこれから先の目指す道(=方向性)ではないか?! とまで思ったモノである。

2007年2月4日。東京都内・某ビルの最上階。そこに1室を借り切り、その5人は集まる。
彼らはちょうど1年前の同日、無惨な死を遂げたマイナー系グラビアアイドル・如月(きさらぎ)ミキ(享年21歳)を偲ぶ会・・「〜永遠の清純派グラビアアイドル〜如月ミキ1周忌追悼会」に参加するために集結した“コアなファンたち”であった。
彼らはそれぞれ
「家元」「安男」「スネーク」「オダ・ユージ」「いちご娘。」のハンドルネーム(ネット上で自称する名)を名乗り、これまで本名や風貌、身分や経歴などを一切明かすことなく、ファンサイトで「一途にミキをフォローすること」だけに人生を費やして来た・・そんな筋金入り(?)の共通項を有する“同志”であった。
そんな彼らが今日「初対面」をする。

ファンサイト管理人でもある“知識オタク”「家元(演じるは小栗旬)」がこの会を企画し、そして集まった5人。
当初こそ「ミキを巡る(イベント会場等での)思い出」「ミキに関するコレクションの披露(自慢含む)と交換」など、比較的まったりとした空気(?)が流れていたのだが・・とある成り行きから、出席者の1人が「ミキの死が自殺じゃないとしたら?」と言い放ち、次第にその死の“真相”を暴いて行く流れとなる。
果たしてこの5人の中に真犯人がいるのか? そしてミキを巡る彼らの意外な相関関係とは? みたいなことが次第に明かされてゆく・・

アイドルを巡るファン心理(とその暴走)を描いた作品では『リリイ・シュシュのすべて(2001)』があった。歪んだアイドルファンの狂気を描いたアニメ作品に『パーフェクト・ブルー(1998)』もあった。いずれもワタシの好きな作品であるが(=^_^=) 本作は更に踏み込んだ描き方とコミカルさが追求されており、そう言う意味でも素晴らしい☆
(“軸”となる人物が既にこの世にいないトコは『嫌われ松子の一生(2006)』のテイストか・・)

「ミキは殺害された!」と某キャラが決め打ち(?)する頃には、戸外で雨が激しく降り続き、雷鳴が突如轟いたりする。ビルの最上階に位置する1室(←家元曰く「天国のミキに一番近い場所」とのこと)は見事に“密室”としての閉鎖的様相を呈している。
この「降雨」「密室」「登場キャラの本名が明らかにされない」といったテイストはまさに『12人の怒れる男(1957)』である! 見事なオマージュにびっくり。

登場キャラも多すぎず、少なすぎず、絶妙な数の設定。そしてそれぞれの性格付けが面白い。
「他者と比較、常に優位に立ちたがるヤツ」「形から入らんとする、極めて真面目で冷静なヤツ」「周囲に合わせ、本能的に器用に泳ぐヤツ」「何を考えているのか分からぬ、何か危険なヤツ」「周囲に付いてけず、どんどん遅れ行くヤツ」
そしてそんな5人のパワーバランス(力関係)が刻々と変化をみせる!

ミキに対する愛情表現も流石はオタクだけに過激で「極秘情報&レアアイテムを網羅する」「毎日ファンサイトを訪問しカキコ(書込み)する」「ファンレターを数百通も送り続ける」「ネット内では完全なる別人格を貫徹する」・・更には「部屋に忍び込み、彼女の持ち物を盗む」手合いまで(⌒〜⌒ι)

この空間ではお互いが「味方」である一方、お互いが「宿敵」でもある訳で。良くもこんなに空気がよどみ、ねじれちゃうもんである(×_×)
もはや・・何をどう書いてもネタバレになりそうで悔しい(=^_^=)トコだが、中盤以降で次々に5人が正体(?)を明かす展開がスゴい! とは言っても、みんな本名は最後まで明かされなかったり。。
ネット的な関係(=文字のやり取りのみでコミュニケーションする関係)って「本名なぞ、特に何の意味も持たない」ってことなんやね〜・・しみじみ(・ω・)
何故だか、中盤からの物語は渡辺淳一センセイの小説『阿寒に果つ』を連想してしまったか。
・・あんまし書くと、ホンマに面白味がなくなってしまうンだが。

某キャラがたびたび劇中で“中座(ちゅうざ)”するんだが、その辺の「(彼を欠いた場の)リアルな時間の進行」を感じさせる演出も素晴らしかった。「ますます展開に付いていけんぞ、これでは」とか「あいつ、もう帰って来ないかもな」とか想像して勝手にやきもきしてしまう。
それぞれの正体が明らかになる(?)シーンも同様で、それらが判明する“寸前”に「ああっ!!」と気付かされるのである。この“ネタの前フリ(配置)”と“観客に一歩早く発見させる親切設計”の手腕は実に素晴らしい。脚本家はかなり「観客心理を分かってる」と感じた。

小栗、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、塚地武雅、香川照之が5人を演じるが(敢えて(小栗以外の)誰が誰を演じるかは書かない(・ω・))、私的には香川の“弾けっぷり”が一番ツボにはまり気に入った。
初登場シーンで彼の醸し出す雰囲気が『ユージュアル・サスペクツ(1995)』『アメリカン・ビューティー(1999)』などにおけるケヴィン・スペイシーそのままなのだ(=^_^=) 巧いな〜香川センセイ。あなたは素晴らしい!

如月ミキ(本名:山田美紀、演じるのは酒井香奈子と言う女の子)の存在も故人であるが故、なかなか表情がはっきりと映されず、妙なホラーテイストを感じたりも(・ω・)
ラストでようやくハッキリと彼女の表情をとらえることが叶う(過去の映像にて)が、それまでのフラストレーションがあるためか(?)かなり可愛く感じてしまった(=^_^=)
あの(映像内の)持ち歌はどうにも“口パク”みたいだったが・・

終盤、物語は一応の“解決”を見るのだが・・更にラスト、意外な6人目の人物が「2周忌追悼会」に登場し「くだらん! 彼女の死が自殺だと? いいか? こいつを良く見ろ!」的に何だか良く分かんないアイテム(※※)を取り出して見せる!
「何なんだよ、それ!」とツッコミながらも物語は幕となるのだった(⌒〜⌒ι)

予備知識をなるだけ持たずに鑑賞し、是非この世界に浸って頂きたい。
かなり「観客を選ぶ」作品ではあるも・・その面白さは保証しますんで(=^_^=)

〜 こんなセリフを誰かが言ってた 〜

※「ミキは脱いだらダメなんだよ、絶対に」

※「アイドルなんて所詮“虚像”なんだよ」

※「漢字が少なく、誤字脱字が多い・・これは間違いなく(本人の)自筆の手紙だ」 ←おい(・ω・)

※「最大の魅力が“二重まぶた”と言ったね・・あれは“プチ整形”だよ」
 「歌も演技も出来ない・・ヌードでも出さなきゃ話題にならない」

※「これが自殺する子の笑顔でしょうか?」

※「“現実”に何の意味があると?」

ミキの遺言「やっぱりダメみたい・・もう疲れたわ。色々有難う。じゃあね」

オダ・ユージ「事件は現場で起こっているんだよ!」
      「(彼に)憧れてて、悪いかよ!」

※「僕のいない間に・・状況が激変してる・・」
 「展開に、完全に付いて行けてない・・」

※「警官・・あんたさっき“しがない公務員”と言っただろ!」
※「しがない身分ですよ・・父は警視総監ですけど」
※「全然しがなかねぇよ!」

※「私が犯人? いったい何を根拠に!」
※「お前の“第一印象”が根拠だよ!」

※「ストーカーと“見守り”は違う!」

※「この中で、僕が一番“遠い”・・」

↓ 段々と哲学味を帯びて来たり・・(⌒〜⌒ι) ↓

※「偶然は、全て必然」

※「真実とは、ある面において主観的なもの」

※「人の心は、未知なもの」

追記:キーワードは「徳沢駅行バス(福島県)」「きたきつねのラッキーチャッピー」「ファミリーピュア(洗剤)」「枕元にアロマキャンドル」「青山で喪服を即買い」「右斜め後ろ45度から見てジョニー・デップ似」「1年で55キロ減量!」「大磯ロングビーチ(神奈川県)」など(・ω・)
・・もそっと近かったら「ロケツアー」敢行するンだけど(=^_^=)

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2007年5月16日 (水)

☆『歌謡曲だよ、人生は』☆

16日(水曜)。有休を取り、自室でぶらぶら・・とはせず、午前中から元気に出かけた。
まずはK阪電車・京橋駅で下車、都島区内に唯一(?)あるとされる“寳塔”を探索に向かった。
それは「藤田美術館」敷地内にあると言う“多宝塔”である。ネットを介し、その存在を知ったまではイイが、仕事の合間にほいほい往復出来る距離じゃないし、また終業後だと「閉館後」で敷地内に入れないのである。
考えてみたら、平日にこうやって休みでも取らぬ限り、なかなか立ち入れない“近くて遠き塔”でもあったわけだが、ようやく本日ここに訪問が叶った☆

この塔は「藤田美術館」入口のほんの左脇にあるのだが、生垣に遮られており「もうちょい近づきたいな〜」と思わせる“絶妙な距離”だった。小振りで“華”はないのだが、外観の程度が良く、見飽きぬ塔ではあった。庭園の中に立っており、立地的にも幸せそうな感じだ(=^_^=) ←夜間閉鎖されるし

その後、梅田まで出て、ロフトの地下にあるミニシアター「テアトル梅田」で新作邦画『歌謡曲だよ、人生は』を観て来た。アンソニー・ミンゲラ監督の最新作『こわれゆく世界の中で』も候補に上がっていたが、「オムニバス形式のノスタルジーを誘う映画」って前評判から、『歌謡曲だよ、』に決めた次第。
正直、あんま期待もしてなかったんだけど・・

いや、しかし・・期待値が余りに(←おいっ)低かったぶん、予想外の面白さがあり、かなり楽しく観ることが出来た。その辺、少し前に観た『ロッキー・ザ・ファイナル』と似た“鑑賞姿勢”と言えるかも知れない(=^_^=)

「古き良きあの時代・昭和」を体現したかのような名歌謡曲群をテーマに、11人の映画監督がそれぞれ1曲ずつを担当、11本の短編に仕上げたオムニバス形式の物語(オープニングで1曲挿入されるので、全12曲となるかな)。監督の中でパッと名前の浮かぶのは(私的に)矢口史靖、蛭子能収・・辺りしかいなかったんだが(うう、監督名に疎くて情けない・・)、監督名よかストーリーでこそ評価したげたい、当然ながらそう言う気持ちで観た次第である。

「ダンシング・セブンティーン」・・オープニング。阿波踊り会場の、群舞する人々をとらえた映像をバックに流れる(セリフなし)。どうやら、徳島県のそれではなく、東京・高円寺の阿波踊りを映しているようだ(エンディング・クレジットより推測) 眺めてて「阿波踊りの躍動感ってば・・素晴らしい!」と妙に感動してしまった。
踊り手の映像をシルエットに変え、BPM140程度のループ系ブレイクビーツを流したら、恐ろしくカッコ良いプロモーション映像に仕上がるんじゃなかろうか。誰かそんなムービー作ってませんかねぇ?(・ω・)

「僕は泣いちっち」・・第1話。監督&脚本:磯村一路。冬には雪降る地方の漁村と大都会・東京。2つの地を舞台に、若い男女(歌劇団に入りスターを目指す沙恵&彼女を追い東京でボクサーとなる真一)の挑戦と挫折が描かれる。真一の叫び「青春は、東京にしかねぇのか?!」が耳に残る。
ハッピーエンドとは言えないんかな? ただ、全編を通じ最も“郷愁度”の高かったエピソードではある。
名セリフ「いいパンチだ・・」がちょっとクサくて笑える。

「これが青春だ」・・第2話。監督&脚本:七字幸久。「鈴木工務店」で働く大工の青年・藤木。施主の娘さん(?)・恵理への想いは募る一方だが、仕事ではドジばかり。ある日、公衆トイレで出会ったある男の存在を通じ“エアギター”に目覚める! 満を持し、いよいよ「エアギター選手権」に彼女を誘うのであったが・・。
これもハッピーエンドとはほど遠い、か。そもそも“エアギター”ってのが根本的に分かっておらず「何をやっとんねん」と観ながら思ってしまった。。
棟梁役で徳井優、選手権の司会役で田中要次が出演してるが、特に田中は(化け過ぎで)全然気付かない(×_×)
・・にしても「電ノコを飛ばし、ヘルメットだけを見事真っ二つにする」ってな芸当は、単なるドジには到底出来ない美技だと思うんだが(⌒〜⌒ι)

教訓:トイレを使う際は“起こり得る最悪のトラブル”を想定しておきましょう。

「小指の想い出」・・第3話。監督&脚本:タナカ・T。「山下工業株式会社」に勤務する地味な中年男(大杉漣)。アパート「メゾン・ド・メモワール」に帰宅し、今日もまた夢想(過去の恋)に耽る。そんな彼には、秘められた私生活があったのだ・・
このエピソードはイイッスね! 終盤の“オチ”なんかは「やりおったの、大杉ィ!」と心中で喝采を送ってしまった(=^_^=)
んでも“あんなこと”が出来るなら、こんなしみったれた生活を続けずとも暮してける、とも思うが・・そんな人生は、たぶん彼にとっては「違う」んだろう。
劇中に出て来る「平岩駅」(←新潟県らしい)駅舎内の張り紙「煙草のむな」の表現が何処となく“昭和”しててナイス(=^_^=)

「ラブユー東京」・・第4話。監督&脚本:片岡英子。原始時代の山岳地帯(岩場)と現代の東京。2つの時間軸を舞台に、とある男女(?)のすれ違う愛が描かれる。“転生モノ”と言うべきなのか? しかし、何処かおかしな世界観である。
後半のセリフ「ぶっ込んじゃってイイすか?」がある意味、衝撃的(⌒〜⌒ι)

「女のみち」・・第5話。監督&脚本:三原光尋。まさに「ド演歌コメディ」 本作中、私的に最高のエピソードである! かつて「女のみち」を歌い上げた(?)宮史郎(本人)が“タットゥー過多”な“かなんおっさん”宮田次郎役を見事に演じ上げている。
奈良・猿沢池界隈の銭湯「大西湯」のサウナ室を舞台に、男子学生・正治が“最悪な目”に遭う展開。「他人の不幸は何とやら・・」と言われるように、ホンマは笑っちゃいけないシチュエーションなんだが、コレがメチャメチャ笑える(殆どカメラも動かへんし・・)。
「俺、ホンマに関西人で良かった」と思えて来る。予想外(?)に興福寺・五重塔(因みに“国宝”!)の映像も挿入されたりして、嬉しくてたまんない!
ラストのセリフ「待たせたな」に続く、正治の驚愕の表情が心に残る・・

追記:宮さん、その演技魂と歌唱魂は紛うことなく“ホンモノ”だが・・ちと“そうでもなさげ”なトコも容貌的(?)に見受けられたり(⌒〜⌒ι) 浪速のモーツァルト系と言いましょうか・・(やめなさい)

「ざんげの値打ちもない」・・第6話。監督&脚本:水谷俊之。横浜、海浜の町。「沢木(伏木?)不動産」を女手1つできりもりする中年女性(余貴美子)。ある日、アパート「福寿荘」へ若い男を案内する。その姿を遠くから眺める若い女。そんな2人の若者の姿に、自らの過去をだぶらせる女。だが、そこに「昔の男」がひょっこり訪ねて来て・・
「女から女への、生き方のバトンリレー」とでも言おうか、詳細は敢えて描かれないが、奥の深そうな物語である。かなり暗かったけど。。
にしても、余さん、“演技を超越した演技”と言おうか「業の深い、虚ろな眼をした不幸なおんな」を必要以上に演じ上げ過ぎでは(×_×)

「いとしのマックス」・・第7話。監督&脚本:蛭子能収。この人の監督作を拝見するのは初めてだが「ど〜なってんの?」と口走ってしまう程にルナティックかつバイオレンスである。
地味なOL・沢口さんを救うため、同僚の一郎(武田真治)がついに怒りを爆発させる!
その不条理さの爆発ぶりには、かのロバート・ロドリゲスやクエンティン・タランティーノすらも賛辞を惜しまないのではなかろうか(=^_^=) 蛭子さんの世界と言おうか、なんか筒井康隆センセイの描く暴力世界が連想されてしまった。ときに“3人の女が血祭られる”シチュエーションは、何だか『獄門島(1977)』をほうふつとさせる(=^_^=)
ほか1名、あんまし悪くはないのに“連帯責任”“管理能力欠如”を問われた某男性上司が可哀想だった(×_×)

※ファンの方⇒武田クン、走ります☆ 踊ります☆ もはや血まみれです☆

「乙女のワルツ」・・第8話。監督&脚本:宮島竜治。かつては栄光のバンドマン(ドラムス)、今は喫茶店「5spot」のしがない経営者である中年男・マモル。やって来た常連客の“彼女”に、自らの“過去の恋人”の姿を重ねて・・
ちょっと無難で王道的な「不治の病に蝕まれた、夭折の恋人ネタ」って感じか。
ストレートに終わるとイマイチなトコだが、マモルの奥さんがラストに登場し、このしとが「思いっきり現実的な女性」なのが余りに等身大であり、考えさせられる(・ω・)

「逢いたくて逢いたくて」・・第9話。監督&脚本:矢口史靖。「飯田ハイツC」に引っ越して来た鈴木夫婦(高志:妻夫木聡&恵美:伊藤歩)は、先住者の男・五郎丸が最愛の女性に宛てた大量の手紙をひょんなトコロから発見する。引越祝いに駆け付けた友人らと共に、手紙を盗み読みする夫婦。
「なんだこいつ、ストーカーじゃねぇのかよ・・」 そこにひょっこり、五郎丸本人が訪ねて来て・・
矢口監督と主演の妻夫木は『ウォーターボーイズ(2001)』以来の共演☆ 監督作としては小品ながら、怪しくも最後には優しいテイストが全編を貫いており、その完成度は高い!
終盤では、とある展開からブッキー(=妻夫木)が全力疾走しつつ、涙ぐんだりするんだが、ここが「ええヤツ(って言う設定)なんや〜」と好ましく思えた。ラストの“オチ”は無駄な長さ(=蛇足的余韻)が全くなく、映像的にもパーフェクトと感じた。
あと、助演のベンガル氏もイイ感じです。

「みんな夢の中」・・第10話。監督&脚本:おさだたつや。中牧小学校の旧校舎にて、40年ぶりに6年2組の同窓会が行われる。校庭に埋めたタイムカプセルが掘り返され、懐かしいアイテムが次々と取り出される。その中には「8ミリフィルム」も納められていた。早速映写してみる同級生ら(9人)。そこには“懐かしい顔”が次々と映されるのだった・・
特定の年齢層の方々にとっては「強引に泣かせるような造り」のエピソードと言えるかも知れない。ワタシはまだ若過ぎるのか(?)大した感情の揺さぶりは受けなかったが。。
とにかくベテラン俳優陣が集まっててスゴい。高橋惠子、烏丸せつこ、松金よね子、本田博太郎・・(みんなが同い年とは思えないが・・)
私的には「ピエロがやって来ておどけつつファンタジー世界へ誘う」辺りの演出を眺めてて、ついスティーヴン・キング原作のホラー『IT(1990)』を思い出してしまった(×_×)
「フワフワと、お前も浮かぶンだよ!!」とか言いつつ「ウガーッ!」って牙を剥いたりするイメージだろうか(←どんなイメージやねん)
「無難な仕上がりだけど、決してけなせない」そう言う、ちょっと扱いにくい1編でもありますな(⌒〜⌒ι)
何気ないセリフ「年を重ねるだけでは、人は老いません」がちょっと心にこたえた、か・・

「東京ラプソディ」・・エンディング。「はっとバス(ナンバープレートは確か「8-10」)」が東京都内を周遊する。
バスガイド・渡辺香織役を瀬戸朝香さんが好演☆ そんなに注目してる女優さんでもないんだが・・美人ですね〜(・ω・)

ってことでざらっと書いてみた。
私的には、前述した通り「期待してなかったが故の面白さ」があり、なかなか楽しめた作品。そういう訳で、マイナーだけどおススメしときます(=^_^=)
あー・・また奈良市内の観光がしたくなって来たじぇ〜。

追記:珍しくも、観賞後に劇場売店で思わづ「小説版」を購入してしまったのだった(=^_^=)>

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2007年4月19日 (木)

☆『コキーユ/貝殻(1998)』☆

少しさかのぼって・・10日(火曜)に鑑賞した作品のことである。
衛星第2で放送された『コキーユ/貝殻』を観た。小林薫&風吹ジュンを主人公に、数十年を経て同窓会で再会した中年男女の静かで切ないロマンスの行方を描いた佳作。

目下「ベテラン女優さんの中で一番好きかも☆」と言える風吹さんの、風吹さんによる、風吹さんのための作品! とも言えた、私的には。
そこに『ウンタマギルー(1989)』な小林薫が、静かに、控え目で、情けなく、不器用な中年男を愚直に演じる。
もし、もうあと10年も若ければ、こんな作品なぞ、一片の感慨すらワタシに与えはしなかったろうと思うんだが・・もはや“中年男のロマンス”と言う“耳にするだに加齢臭でも漂って来そうな”そんな作品世界が切なくて愛おしくて仕方がない(・ω・) これって、ぼちぼち死期が近付いとる兆候なんやろか(×_×)

「東京から離れたとある地方都市」が舞台。広瀬山中学3年の同窓会で30年ぶりに邂逅を果たした浦山(小林)と早瀬直子(風吹)。学生時代から剣道に明け暮れていた浦山にとって、直子は会釈を交わす程度の「印象の薄い級友」であった。が、直子は会わぬ間も浦山を密かに想い続けていたのだ・・
職場の上司を連れ、郊外・幹線沿いのスナックに行く浦山。そこは直子が経営する「コキーユ(coquille)」と言う店であった。その夜は酔漢と化した上司の“ロマンス破壊行為(・ω・)”により、そそくさと店を後にした浦山だったが、その夜を機に「コキーユ」に通い始める。
(直子の「今度は、1人で来てね・・」「明日も来てね・・」なんてな“殺し文句”が、漢(をとこ)の下腹部にいちいちズシリと響くのだ←おいっ!)
学生時代の思い出を語り合う2人。そんな中、浦山の東京支社への“栄転”が現実的なものとなる。妻子と共に発つ日もそう遠くないある日、浦山は直子と「赤石沢」へハイキングに出かける。いよいよ急接近する2人。
だが、その小さな旅の記憶が、やがて心の底に悲痛なものとして残されることに、まだ男は気づいていないのであった・・そんな流れ。

憎まれ役とし登場する益岡徹(not増岡徹)(谷川某役)が、ぶん殴りたいほどに不愉快なキャラを貫徹してくれていて、ある意味、痛快☆(←どないやねんな) 直子を巡る2人の男の物語として観るのもアリかも知れない。
(考えたら、小林&益岡のコンビって、昔、某国営放送でやってたドラマ『イキのいい奴』で既に実現してたんやねぇ・・あの作品では、親方(小林)と弟子(益岡)ってことで、全然格が違ってたんだけど(・ω・))

にしても「カウンターで、来ぬ男を待ちながら、今夜も物思いに耽る女」を演じる風吹さん(自然体?)、ホンマにええ雰囲気やわぁ〜。
テーマが“中年の恋愛”ともなると、どうにもギトギト、ドロドロしたちょっと生々しいテイストに仕上がっちゃう危険性もまた大きい訳だが、そこはキャスティングの勝利と言えようか。
それに加え、過度に説明し過ぎない、ある意味(ディテールの細部を)観客の想像力に委ねさせてくれるような造りなのが良かった。

ただ、残念なのはちょっと作品そのものが“薄味”に終始してしまったトコロか。もう一歩、踏み込んで、作り込んでくれたら『トニー滝谷(2004)』をも圧倒する作品と成り得たんじゃないか・・とそこが残念ではある。

本作の終盤。主人公が「最後の最後に怒りを爆発」させ、そして「初めて、それまでの人生で押し殺し続けて来た“弱さ”をさらけ出す」シーンが印象的だった。何だか“任侠映画”とフェデリコ・フェリーニ監督の『道(1954)』を立て続けに観たような感じで、悲しい物語にも関わらずなんか「お腹いっぱい」になってしまったものでもある(⌒〜⌒ι)

※コキーユ(coquille)は「貝殻」の意。詩人ジャン・コクトー(1989〜1963)の作品「私の耳は貝の殻、海の響きを懐かしむ」を気に入った直子が店名にしたとの設定。因みに和訳は堀口大学(詩人、1892-1981)とのこと。

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2007年4月13日 (金)

☆『この胸いっぱいの愛を(2005)』☆

9日(月曜)の鑑賞。会社関係の某イベントがあり、ほどほどに酔いが回りつつの帰宅後、中盤から観た。地上波初登場だったと思われる。
何やらベタベタな感じの「主人公初恋&ヒロイン闘病」路線に、SF的な要素を絡めた作品だったと言えようか。私的に“もうちょいと老けたら、いずれは和製ヒュー・グラントや”と勝手に期待してる(=^_^=)伊藤英明を主人公に、『海猫(2004)』ぐらいでしか見かけたことのない女優さん・ミムラがヒロインを演じる(←どんな方なのか分からないが、タイプ的には好きな容貌)。
他にも、影の薄い青年役で“クドカン”こと宮藤官九郎が出演してた。何かこの人、『嫌われ松子の一生(2006)』と言い、不幸な役ばっか演ってる気がするが・・(・ω・)

とあるきっかけで20年前、つまり1986年の世界へ辿り着いた主人公ヒロシ。その時代には、難病によってこの世を去ることとなる彼の憧れの女性、カズミが生きていた。彼はカズミを救うため、その運命を変えるために奮闘するのだった・・みたいな流れか。

主役級(のキーキャラ?)が4人ほどおり、それぞれが「何らかの目的を遂げるために遣わされ、行動する」って群像劇風(?)のノリが『黄泉がえり(2002)』に似てるかも・・と思ってたらどうやら原作(小説)は同じ作家が手がけたモノらしい。
後半(か?)辺りで“シャマラン監督作的”にとある「驚愕的演出(?)」が展開されるんだが、それにしては物理的&概念的にもうムチャクチャな世界観が臆面もなく広がってしまってる感じで・・ある意味「天晴れ」と言えたかも(=^_^=)

前半を知らないんで、エラそうなことは言えない訳だが、こんなことを感じた。

○物語の「原因」となる辺りの演出(ネタ)が『ファイナル・デスティネーション(2000)』やんか、と連想してしまう。何にしても、私的には何時間かかってでも鉄路が良いなぁ・・国内の移動であれば。
○「ジャマー症候群」なる病名で「余命3ヶ月」と診断されるカズミ。これって遺伝的な疾患の設定なんだろうか?
○「4人が戻って来た意味」がちと薄いかも、と。他の人々も「もっと切実な願い」を抱えていたに違いないのだから。その辺り、思い切って『黄泉がえり』路線(集団復活状態!)に突っ走ったら良かったのに。で、ゾロゾロとショッピングセンターに集結するとか。(←それは別なホラー映画(1977)ですってば)
○過去の(少年時代の)自分自身と触れ合うヒロシ。これって『タイムコップ(1994)』の世界だったらどぇりゃあことに・・!(×_×)
○愛川欽也さんが「ちょっとパワーしぼんでる感じ」で残念だった。大丈夫なのでしょうか?

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2007年3月24日 (土)

☆『子ぎつねヘレン(2006)』☆

21日(水曜)。春分の日である(・・とカレンダーを改めて確認する)。そんな日であり、予想に違わず(?)“春眠”を貪ってしまう(・ω・) 起きたり、また寝たりしながら・・完全に眼を覚ましたら、、既に午後2時過ぎ(×_×) もはや外出する意欲も失せてしまい、新聞を切ったり、だらだらしたりして過ごした。
夜には“民放対決”とし(?)『2夜連続ドラマ・愛の流刑地』と映画『子ぎつねヘレン』がほぼ同時刻に流された。
『愛ルケ』にも確かに棄て難いモノはあったんだが・・ヒロイン役・高岡早紀さんを観るに(往年の熱狂的なファンとし)ツライものがあったのでやめにし、ファミリー向けの無難な映画をだらっと観て、過ぎ行く祝日を見送ろうと考えた次第。

北海道を舞台に、眼・耳・鼻の3つの感覚器官に(後天的な)障害を持つ野生のキタキツネ“ヘレン”と、その生命を1日でも延ばそうと奮闘する太一少年の過ごした、約3週間の日々を描いた実話ベースの物語。
牽引役となるキャラクターを演じる存在とし、大沢たかお&松雪泰子が出演。が、やはり武田鉄矢語録(2005年ごろ)に伝わる(=^_^=)「動物と子供には勝てないネ」の言葉の通り、存在がイマイチ薄かった。。
殊に、登場人物に関し予備知識ゼロで観たもんで、太一の母である女流カメラマン(松雪演じる)と、太一の兄貴分に当たるような獣医・矢島(大沢)の関係が何だか良く分かんなかった。どうやら、物語冒頭部の時点で既に恋人同士の間柄だったようだが(2人に肉体関係があったかは不詳・・)。

しかし本作、野生の動物を如何に人間の生活環境(=治療の場)に順応させるかがテーマ(の1つ)になってると思われるが、ラストにしっかり「病気に感染する恐れがありますので、野生のキタキツネには触らないようにしましょう」みたいな警告テロップが表示され、如何にも本作を観終えた子供らの親御さんにジレンマ(言うなれば“キタキツネのジレンマ”ってヤツ?)を植え付けそうな気配だ(・ω・)
物語自体は、妙に直球勝負で進んで行くんだが、あちこちで太一少年の“妄想シーン”が展開され、おっさんが鑑賞するに、何とも落ち着かぬ。
どうせなら、ママと矢島センセイが全裸で抱き合っている場面とかをリアルに妄想して欲しいトコなんだが・・(⌒〜⌒ι) ま、その手のシーンは後年にリリースされる“ディレクターズカット完全版”のブルーレイディスクソフトを待つこととしよう(←んなもん出るかい!)

ちょっと良かったのは、拾って来た野生の子ぎつねを矢島医師が「眼も耳もだめか・・こんな患者見たことない・・まるでヘレン・ケラーだ」と評した後、ヘレン・ケラーの伝記を何冊も読破した(←1、2冊で十分だと思うんだけど)少年が、水道の蛇口から“water”を飲ませよう(=水の存在を教え込もう)とするくだり。
『奇跡の人(1962)』に対するあからさまなオマージュでもあり「やるなぁ!」と。(←因みに『奇跡の人』では汲み上げた井戸水が用いられる)

ほか、こんなトコロを気づいたり感じたり。
・広い平原で大空を見上げ“異国”に関する妄想を展開する少年。「引っ越しも転校も留守番も我慢も、そこにはないンだ」と。そうか、それらが子供にとっての大きなストレッサー(ストレス要因)となるのか。
・母を“地軸みたいな人”と評する少年。そのココロは・・「とにかく自分中心なンだ」 お、うまい!
・矢島動物診療所界隈の森林をリヤカー(?)でウロウロしてたおばはんは一体何者だったのか(かつ積荷は何か)? 本編とは無関係ながらかなり気になる。。
・遠くまで続く、道内の公道でスケボーする少年。気持ち良さそうだが、かなり危険とも思われ(往来する車両が基本的に減速しないでしょうから)
・「これから4人でお風呂入ろっか?」なる松雪しゃんの挑発的セリフに期待値アップ! やっぱり“ディレクターズカット完全版”のリリースをよろすく(=^_^=)
・少年を励ます矢島医師。「辛い(と言う字)に一字を足すと・・ほら、幸せ(と言う字)になる」とかナントカ(・ω・) うーん、なんかこれも武田鉄矢語録あたりに元ネタがありそやね。

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2006年12月20日 (水)

☆『幻魔大戦(1983)』☆

19日(火曜)。帰宅後、だらだらっと新聞切りしつつ、衛星第2で放送されてた往年の“角川長編アニメ映画”『幻魔大戦』を観た(オープニングとその直後のみ見逃した・・)。

公開時、劇場に足を運んだ記憶は・・確か「ない」んで、ある程度の流れや幾つかのシーンを覚えてるのは民放で流れたのを観たからだろう。当時こそ、メディアで宣伝をばんばん展開した(と言ってもその頃のメディアに「インターネット」なぞは無論含まれないが(・ω・))“大作”であったが・・懐かしみながら“今のワタシの肥えた眼”で観てみると・・思ったより制作費が低い(かもな)感じ。かつ演出面が結構ポンコツっぽい印象で、全編に渡り“何とも形容出来ぬトンデモ世界観”が作品を覆い尽くしてたように思えた(⌒〜⌒ι)

東京・吉祥寺在住の高2生、東丈(あずまじょう)を主人公に、世界中の超能力戦士が新宿や富士山麓に集結(なぜ日本が大戦の舞台なのか、それも関東限定なのかは詳しく解説されず・・)し、銀河系の破壊者“幻魔大王”率いる“幻魔一族”に立ち向かう・・! ってな流れ。

観ててまず苦笑してしまったのが、敵ボスと言うべき悪の元凶的存在・・“幻魔大王”。つい「閻魔(えんま)大王」のパロディかよっ! と滑らかなツッコミ。“幻魔一族”って呼称も何だか忍者軍団みたいでピンと来ないし。。
丈と(同居する)姉との間に見事な“姉弟愛”が貫かれているんだが、これも何となく観てて(背筋と股間に←おいっ)ゾクッと走るものがあった。明らかに「シスコン(シスターコンプレックス)」が背後に流れており、時代が時代なら(?)同人誌で“ネタ”としてさぞ盛り上がったことだろう。
ロケーション的に、中盤で首都圏(新宿アルタ、吉祥院サンロード商店街など)やニューヨーク(マンハッタン、リバティ島など)が壊滅する場面が描かれるが、何だか小松崎茂先生が肩の力をやや抜いて描いた(?)ような「パニック絵図」が表示されるだけ、、なのだ。ああ、何て紙芝居的なのだらう(・ω・)

キャラデザインも物語も固く、アニメ作品としてはカット割りやカメラワークの大胆さとも殆ど無縁な印象を強く受けた。おまけに緊迫したシーンなのに“のどかなBGM”が流れたりするし。
そのくせ、主人公宅を幻魔の手下が襲撃、丈の姉が衣服を破かれ、ブラジャーの一部を露出させつつ追い詰めらるる・・的な「全年齢対象では無さげな演出」が妙に丹念かつリアルに描写されてたり(⌒〜⌒ι) なんかまるで、製作スタッフら自身が「幻魔」に精神を支配されていたかのようだ。。

新興宗教的な表現が作品世界を支配してた気味なのもやや気になったか。
「サイオニクス(←サイキッカーとは言わないんやね)」「プリコグニッション(未来透視←今なら“プリコグ”で通じるしともいるかも☆)」「テレパシー放送」などの“エスパー清※氏”的なワードがちりばめられたかと思えば、
「みんな、オレが生まれるずっと前からの仲間なんだ」
「地球を守る力は、愛から湧いて来るものなんだ」
「サイコキネシスで体感温度を調節する」
「石に元素転換された肉体にサイキック・ウェーブ・マッサージを施す」
「エネルギーが生体原子変換され跳ね返される」
「ボディを増幅装置に変えてぶつける」
などの“独特な台詞群”が飛び交い、その“エスパー原理主義”な強迫観念ワールドにときとしてクラクラしそうになる(×_×)

ただ、起用された声優関係は余りにも豪華だった! 丈を演じる古谷徹、ヒロイン・ルナ姫(←トランシルヴァニア王国ってどこだよ? やっぱりルーマニア地方なのか?)を演じる小山茉美、他にも潘恵子 、塩沢兼人の各氏。
聞き覚えのある声! と思ったのは美輪明宏氏だった。このころから既にアニメ界に進出(?)しておられたんやね。江守徹、穂積隆信・・と言ったベテラン陣の陰に隠れ(?)原田知世さんも声優デビュー(?)しておられるようだし。
なお、キャラクターデザインは(私的にイマイチ気に入らなかったが)大友克洋氏であることを知った。本作でのステップがその後『AKIRA(1988)』や『MEMORIES(1995)』・・『スチームボーイ(2003)』に繋がって行くことになるんやね。

追記:公開時の有名なコピーが“ハルマゲドン接近!(not春曲鈍)”だったと思うんだが、あまりそれに特化した台詞が飛び交ってた感はなかった。がその言葉自体は『アルマゲドン(1998)』として、後年の大作映画のタイトルに取り上げられることになるとはね。

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2006年10月20日 (金)

☆『交渉人・真下正義(2005)』☆

14日(土曜)の夜、TV放送を観たのが、地上波初登場の『交渉人・真下正義』である。刑事ドラマ『踊る大捜査線』からのスピンアウト(派生企画)作品でもある。
今週以降、連続で「踊るレジェンド」が4回(も)続くらしい(踊り疲れもするわなぁ・・)。で、今夜がその第1弾。本編では脇役に過ぎなかった(?)ユースケ・サンタマリア演じる、警視庁・交渉課準備室を率いる警視(←げ! 若いのに)・真下正義を主人公に、TTR(東京トランスポーテーションレールウェイ)の試作型自走車両「クモE4-600」の操作系統をジャックした謎の爆弾犯との駆け引きが描かれる展開。
物語の設定が映画『踊る大捜査線/THE MOVIE 2(2003)』で描かれた「レインボーブリッジ封鎖事件」から1年後(2004)のクリスマスの一夜となってて、まず何となく記憶を辿る作業から必要になった・・が、巧く思い出せず(・ω・) まぁ今回の事件には関連性がないし、ええか。
冒頭から日時、場所などを次々と表示する字幕が何とも煩わしい感(私見)。どうもこのシリーズって「状況データ&業界ネタの洪水」で観客をけむに巻こうと言う狙いがミエミエな印象を覚えたり(私見)。
爆弾犯はまず「葛西第二公園でゴミ箱を爆発」させ、次に「車両基地での爆発」を狙う。そして更に、第3の爆弾の在処が問題となって来る。彼は「おいでよ真下警視、一緒に地下鉄、走らせようよ」などと言って「TTR総合指令所」と「交渉課」を挑発するんだが、次第にその行動力、知性が常人を超え始めるトコが何だか「風呂敷を広げ過ぎてるなぁ・・」って感じで苦笑出来た。
ストーリー自体が“2時間超え”でまとめるにはちょいと冗長過ぎるようで、必然、私的な興味は「犯人像」ぐらいしかなかったのだが(真下や同僚刑事・木島丈一郎(寺島進演じる)にもさほど好感は持てなかった)、最後は行き着くトコに行き着いたな〜って風で、何となく『模倣犯(2002)』を連想してしまった。。
ラストは何とも“アレ”な幕切れとなってしまったが(ま、データ分析&声紋照合で追い詰めた容疑者が実は“アレ”と判明した時点で「どないすんねんな!」と言う(ツッコミの)心の準備は整いつつあったが(・ω・))、その瞬間(←B級作品的幕切れ)までの断片的な犯人像の描写はなかなか良かった。『激突!(1972)』のように“そいつ”の乗る黒いバン(「カエル急便」なる架空の宅配業者の設定)が“クルマ自体があたかも生命体のように”ゆっくり走り去ったり、『ボーン・コレクター(1999)』のように、車内にぶら下がってるマスコットが映し出されたり。
うーん・・それにしても、やっぱり全編トーキョーが舞台だと詳細な(?)地名と言うか所在(位置関係)が何ともリアル感(親近感)に乏しくて困る。もう少し大ざっぱなロケーションの方が関西人には(と言うかワタシには、か・・)有り難かった気がする。
「東陽町駅」「九段下駅」「永田町駅」「建設中の地下鉄13号線(池袋〜渋谷間)」とか言われても、雰囲気が分かんないっす。
こちとら地上(JR)と地下(メトロ)の繋がり具合すら(未だに)分かってませんもんで(×_×) デュアルダンジョン(?)状態・・

他に書いときたいのはこんなことかな。
○『ジャガーノート(1974)』『オデッサ・ファイル(1974)』『愛と哀しみのボレロ(1981)』・・とツウ好みな映画がネタに使われる! むーん・・手も足も出ぬわ(⌒〜⌒ι)
○木島刑事の走り回る“足”がレガシィ・ワゴン(BG型)。尚かつ「ターボなしグレード」なのがイイ感じ☆ 旧車だし、ラストは横転&炎上処分なのかな(石※プロ路線)・・と妙に不安になってしまった(・ω・)
○暴走地下鉄に頭を悩ませる指令室。素人ながらワタシなりには「特定の車両に追尾させる→乗客を避難させた後、最後尾車両を切り離す→激突させて止める(動きを封じる)」って方法はどうだろ? と考えたが・・
○「女声ボーカル」をフィーチャーしたBGMが『ローレライ(2004)』ぽかった。私的には好きな路線だけどね。
○「そしたら、青島さんまで付いて来ちゃって・・」とセリフ内のみの出演である本編の主人公=青島刑事(・ω・)
○トーキョーを飛び回る“邪悪の象徴”カラス。角川映画路線か? はたまたジョン・ウー監督作へのオマージュか?
○新宿・東京シンフォニーホール。特定の楽器の波形がカギとなる・・何だか『催眠(1999)』の宇津井健ネタみたい(⌒〜⌒ι)
○ひと言もセリフなかったけど・・指揮者役の西村雅彦がいい感じだった。

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