2014年11月 3日 (月)

☆『ザ・タウン(2010)』☆

「W※WW※Wで放送のプログラムを録画した」とされるDVDを借り、鑑賞したのはベン・アフレック監督・脚本・主演のクライム・サスペンス佳作『ザ・タウン』である。

因みに、本作は、公開当時に(住んでいた)香川県高松市のシネコンで観た作品でもある。

で、調べると・・2011年2月9日(水曜)の事だった。こちらに記事があるので参照いただけたら幸いです。

ベンアフ兄さんの2本目の監督作。次に手がけた(3作目)『アルゴ(2012)』も佳作と評せる完成度なので、本作辺りから「才能を発揮し始めた」と言えるのかも知んない。まぁ、初監督作『ゴーン・ベイビー・ゴーン(2007)』が未見なので、総じての評価は「まだ」下せない次第だが・・(・ω・)

銀行強盗事件の頻発する街、ボストン・チャールズタウン。

そこで生まれ育った主人公=ダグ・マクレイ(ベンアフ)は、幼馴染である親友=ジェームズ“ジェム”コフリン(ジェレミー・レナー)らと結成した4人組を率い、市内の銀行を襲っていた。

しかし・・ある朝、襲った銀行の女性支店長=クレアの(事件後の)行動をマークするため近付いたダグは、彼女との交流の中で“これまで頑(かたくな)だった自身の信念”の揺らぎを知る。

一方、FBI捜査官=アダム・フローリー(ジョン・ハム)もまた、強盗団を壊滅させるべく、クレアに接触を試みるのだった。

「強盗業から足を洗い、クレアと別天地で暮らす夢(の実現)」を真剣に考え始めるダグ。そんな彼に、町の顔役=ファーガス(ピート・ポスルスウェイト)は、強奪額も失敗のリスクも桁違いの“大仕事”をダグのチームに強要するのだった。

以前も記事に書いた覚えがあるが、やはり「クリス・クーパー」「ピート・ポスルスウェイ」「ジェレミー・レナー」をキャスティングしたベンアフの手腕に感心! 尚、ピートおじさんはこの年『インセプション』と本作(←確かに、かなり痩せておられる)に出演したのが最期の仕事となってしまった。合掌。

また、ウィキによれば・・本作は124分の劇場公開版の他、150分にも及ぶ特別版(エクステンデッド・ヴァージョン)が存在するようだ。今回、観てて「(総じての)テンポの意外な速さ」「全く描かれないフローリー捜査官の私生活」などに若干の違和感を覚えたりしたので、特別版さえ観れば、そう言った総ての点に「合点が行く」のかも知んない(・ω・)

終盤は『レオン(1994)』ばりに“変装プレイ”で絶対の危機を乗り越える強盗団のメムバーたち。そして・・

恋愛ものとしては、やや“切なさ不足”な感は否めないが、、まぁ「主人公が悪人」なんだから、それはそれで仕方ないような気もする。

そう言えば名作『太陽がいっぱい(1960)』のラスト、トム・リプリー(演:アラン・ドロン)が「電話ですよ!」と呼び出され、席を立つシーンを眺めた時にも(←子供の頃だし、TV放送での鑑賞)“かなりな切なさ”を覚えてしまったワタシだが・・あちらも「(更に?)極悪人」なんだから、大人の眼で観れば「ハッピーエンド」と解釈するのが正しいように思えなくもないなぁ。

追記:どなたか、特別版で追加されてる(未公開シーンの)内容を、コソッと教えてくんちぇ〜!

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2014年2月23日 (日)

☆『スノーピアサー(2013)』☆

2月9日(日)の午後、ご近所の「キューズモール」内にあるシネコン“MOViXあまがさき”で観たのは「殆ど予備知識もないままに」トライしてみた『スノーピアサー』である。

バタバタ(ジタバタ?)した状態で駆け付けたものの、何とか上映開始時間の「約8分前」にロビーに辿り着く事が叶った。取り敢えずは、目出たし目出たし(・ω・)

2014年7月1日の午后6時。
7年間に及ぶ論争の末、地球温暖化問題に終止符を打つべく・・人工冷却物質「CW-7」の搭載されたロケットが79ヵ国から打ち上げられ、大気圏上から「CW-7」は地上に向け一斉散布された。

その結果・・世界中の地表は凍り付き、あらゆる生物は“氷河期の突然の到来”によって絶滅してしまう・・

・・

それから17年後・・2031年。
わずかに生き残った人々は、凍結した大陸上をひたすら高速で疾走する列車『スノーピアサー(Snowpiercer)』に暮らしていた。

「永久機関(エターナル・エンジン)」を動力源とするこの列車は“フロント・セクション”と呼ばれる、前方車両にのみ居住を赦された「上流階級」によって支配され、殆どの人々は後方車両で“奴隷のような扱い”に苦しみ喘いでいた。

最後尾車両に住む男=カーティス(クリス・エヴァンス)は、周囲から「革命のリーダー」になるよう、密かに懇願され続けていた。
しかし、これまでの反乱が悉く失敗に終わった事実を知るカーティスは「今はまだ“その時”ではない」と蜂起を拒み続ける・・

そんなある時、各セクション(車両)を隔てる強固な扉を解錠する事の出来る“セキュリティー突破のプロ”が前方の車両に生存する事実を掴んだカーティスは、いよいよ“師と仰ぐ老人”ギリアム(ジョン・ハート)や弟分であるエドガー(ジェイミー・ベル)らを率い、これまでで最大規模となる「反乱」を開始する。

先頭車両に向かったカーティスたちが眼にしたものとは・・

元々は、おフランス謹製のグラフィック・ノベル(←いわゆるアメリカン・コミック)と言う本作。そんな原作に惚れ込んだ韓国の鬼才=ポン・ジュノ(『グエムル/漢江の怪物(2006)』『母なる証明(2009)』などを手がける)が、自ら監督・脚本に取り組み完成させたSF作品。

近未来を舞台とし“疾走する列車”と言う、ある種の「閉鎖された空間」に於いて展開される「階級社会批判モノ」でもある本作。『未来惑星ザルドス(1974)』『エリジウム(2013)』『フリージャック(1992)』『リベリオン(2002)』『アップル社のTVCM(1984)』辺りを(何処か)想起させる“支配する側/される側”の図式・世界観がまず観客の前に提示されるんだが、そこから始る“革命劇”が、ジリジリ進んで行く感じで、期待した程“爽快感”がなかった。

また、敵味方に分かれ様々なキャラが配されてたにも関わらず、彼らに関し「大した造型」も広げられぬまま、次々と“退場”していく流れが実に勿体なかった、、(×_×) 最後の“黒幕登場”以降でダラダラ引き延ばす(?)ぐらいなら、もっとエドガー君辺りの“活躍ぶり”をしっかりとアピールしといて欲しかったよなぁ・・

中盤までの流れから、観客の誰もが「ウィルフォードって・・ホンマは“アレ”なんとちゃうん?」と疑い始めてもしまうワケだが(←疑いません?)・・ その辺りは、良くも悪くも裏切られてしまう、、

んでも、、まさか終盤で「ポロック画伯(2000)」「ケーニッヒ少佐(2000)」が現れるとは予想もしてませんでした(⌒〜⌒ι)

主人公を演じるクリス・エヴァンスの名を耳にして「誰だっけ?」と思ってたら・・ 『アベンジャーズ(2012)』のスティーヴ・ロジャースであり『スコット・ピルグリムvs邪悪な元カレ軍団(2010)』のルーカス・リーだった事を知って、こちらにもビックリ! ホンマに「ワイルドなキャラ」も「生真面目キャラ」も演じ分けられる“器用なしと”なんやなぁ〜! それに、ヒゲ面もサマになるトコなんかは「2代目ローガン(=ウルヴァリン)」に自薦他薦しても良い感じ(=^_^=)

中盤辺りで、敵味方(←どっちが敵で、どっちが味方なのかは良く分かんないが、、)が斧やらを手に「乱戦状態」になだれ込む展開があるんだが、そこが本作に於いて最大規模の「ダイナミックな肉弾アクションシーン」と言えようか。その他にも、細かい「格闘」や「銃撃戦」「爆発演出」なんかが点在するものの、総じては「尻窄み」な物語だった。

って言うか、そもそも「車両整備不能な列車」が「保線作業不能な線路上」をひたすら全速力で突っ走り、それが「人類の暮らす世界の総て」って設定自体に、どうにも違和感と言おうか、ムリ過ぎさ(強引過ぎさ)をふつふつと感じてしまったな(・ω・)

一方、作品を“絶妙なコモノぶり”でもって(途中までながら)牽引してくれるのが、メイソン総理を好演してくれたティルダ・スウィントン姐さんなんだが・・これまでにない「(やや誤ったベクトルでの)コメディエンヌぶり」と言おうか、珍奇&異様なキャラを造り込み過ぎてて・・コワかった(⌒〜⌒ι) 姐さんが「何を狙って本作に出演しはったのか?」そこんトコに関し、ホンマに直でインタビューを試みたいトコではある。

それと・・“キーキャラ”とし、ナムグン・ミンス(ソン・ガンホ)とその娘=ヨナの2人が登場するが、そこだけ「部分的に韓流作品」じみてしまってもおり、いっそキャスティングを白人系に絞った方が「世界観がブレなくて良かったんじゃないかな」と思ったのもある。

まぁ「細長〜い世界で繰り広げられる、細長〜い物語」をツッコミ入れつつ楽しむ・・と言うのが、この作品の正しい鑑賞スタイルなのかも知んないね(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

・“主人公不在”っぽくもなるラストは、何だか船戸与一のバイオレンス小説を読んでるみたいだった。『伝説なき地』辺りかな?
・キャラの“生き死に”に関する「演出」「選択」が実に雑な印象。
・終盤の“真相”に突き当たってからは「ダレた流れ」になってしまった。列車に例えると「徐行運転」ってトコか(・ω・)
・“黒幕”に遭遇してからの主人公の言動は、例えるなら「ロールプレイングゲーム(RPG)に於ける、ラスボスに出逢った途端、石化させられてしまう勇者」を観ているようだった。
・演出次第では、舞台劇に置き換える事も充分可能な気がする。
・ヴァイオリンを弾けると、将来「何かの役に立つ」かも知んない。
・黒いこんにゃくみたいなプロテイン・ブロックは意外と美味しそうに見えた。原料は“何やらとんでもないもん”らしいが。。
・配給されるプロテイン・ブロックに「赤いメモ」の収納された金属カプセルが紛れ込んでるんだが「誰が」「何の為に」と考えると「コレは何かおかしいぞ?」と思い当たりそうな気もするが・・?
・近未来にも関わらず「フツ〜の巻き尺」の登場するトコで、爆笑しそうになってしまった。
・黄色いコートの女が登場するんだが、どんな身分・肩書なのかがイマイチ分かんなかった。さほど美人でもないし、賢そうでもなかったし、、 黒幕の“肉欲処理係”なんやろか(おい!)
・「クロノール」と言う、緑色した麻薬的な結晶が“劇中の小道具”として重要な役割を果たすが・・あの「特性」から考えるに、もっとしっかり厳重に管理しとくべきだったと思う。
・靴が製造(修理)出来るぐらいなら、弾丸ぐらい簡単に製造出来るんでは? いや、出来るんだよね(=^_^=)
・「おっさんターミネーター」は一体どうやって後部車両に回り込んだんだ?
・「おっさんターミネーター」の持つ銃に限っては、弾丸が無尽蔵っぽかった?
・「おっさんターミネーター」は予備バッテリーの起動で(?)復活するが、そこからの活躍さほど冴えなかった。
・「グレィ」と言うキャラは、妙にヒーロー的な“美味しい(活躍)シーン”を与えられてた。
・覚えてるトコでは「刑務所両(←最後尾)」「プロテイン工場両(←わさわさ動く“気持ち悪いもん”が原料)」「覆面+斧軍団の待ち構える両」「給水両(←浄化とリサイクル工程)」「ガーデン両(←噴水があり、編み物おばさんもいる)」「水族館両(←水槽化した天井&壁面をエイとかが優雅に泳ぐ)」「寿司カウンター両(←板前は黒人さん)」「食肉保管・加工両(←吊るされた沢山の豚、鶏)」「教室両(←“プロパガンダ教育”を担う)」「診療所両」「仕立て屋両」「ダブルデッカー型の食堂車」「プール両」「クラブ両(←ミラーボールあり!)」「ラウンジ両」「システム両(←システムエンジニアらが黙々と働く)」「発電機両」「先頭両(←巨大なエンジンが鎮座してる)」・・などの車両が連ねられていた。
・スロー映像で展開される“斧バトル”を眺めてて『ギャング・オヴ・ニューヨーク(2002)』『カンフーハッスル(2004)』を連想した。
・「エカテリーナ橋」通過の瞬間だけは、敵も味方もなく新年を祝ってた(=^_^=) しかし、何処に架けられてる橋なのやら。
・チープな巻き尺の登場する一方で「暗視ゴーグル」が多数登場し、活用されてた(⌒〜⌒ι)
・日本人と思しき「フユ将軍」なる軍人が出て来たが・・「冬将軍」が元ネタかよ?
・「スノーピアサー号」は1年がかりで世界を一周するとの事だ(年間走行距離:43万8千キロ)
・2019年に勃発した「7人の反乱」の首謀者らは、最終的に列車を降り、極寒の平野に飛び出した(=即座に凍結)ワケだが・・何処を目指そうとしたんやろ?
・後部車両では、1両に1000人が収容されてたそうだが・・ちょっと設定にムリがないか?
・ラストで山の斜面にシロクマがいたが・・どうやって今まで生き存えてたんだ? 「冬眠スタイルで乗り切れる17年間」だったのか?
・ジョン・ハートとイアン・マッケランの「区別」がなかなかつかない(×_×)
・ソン・ガンホってば、豊浦攻補に似てると思ってたが・・新井浩文にもかなり似てますなぁ・・

〜 こんなセリフも 〜

カーティス「もうじきだ・・もうじき一変する」
     「俺は“あいつが思うような人間”じゃない」
     「俺は“リーダーの器”じゃない」
     「奴らのライフルに弾は入ってない。
      つまりは“役に立たない銃”だ」
     「弾はない! ライフルは空だ!」
     「報酬はクロノール。“樽出し”の混ぜ物なしだ。
      1枚の扉(の解錠)につき1ヶ払う」
     「伏せろ! 何かに掴まれ!」
     「降伏か死か?」
     「呼べよ。助けが来るかもな」
     「死ぬ以外、お前が何の役に立つ?」
     「お前は(鮨を喰うのは)駄目だ。
      これ(プロテイン)を喰え」
     「俺は“おぞましい人間”だ。
      人肉の味を知ってる・・赤子が“一番美味い”事も」
     「この18年間、ただウィルフォードを憎み、
      この刻を待っていた・・遂にここへ」
     「扉を開けろ(Open the gate.)」

エドカー「クロノールの吸い過ぎで
     “急ぐ”って意味を忘れたか?」

メイソン「これは靴ではありません。
     サイズ10の“混沌”そのものです」
    「秩序があるから、あなた方は
     凍死せずにいられるのです」
    「18年前の今日、凍死していた筈の“恩知らず”たちよ」
    「水は口から飲むものよ」
    「色んなものが、実は存在している」

ナムグン「こいつ(マルボロライト)の味は、
     アホには分かるまいが・・吸いたいか?」
    「“土”だ・・俺はこの上で生きてたんだ」
    「扉に取り憑かれてるな?」
    「こいつは“外界”への扉だ」
    「“凍死しない”と言ったら?
     “外で生きられる”としたら?」
    「“吸うため”だけに集めたんじゃない」
    「簡単に言えば・・こいつは“爆弾”だ」

ギリアム「まだ(車外では)総てが死んでおる」
    「“給水セクション”を支配する者が、
     (奴らとの)交渉の主導権を握る」
    「特に女を抱きしめる時は、
     両腕の方がずっといいさ」
    「そんなに空腹なら“これ”を喰え!
     だからその赤子に手を出すな!」

日本人客「何だ馬鹿野郎!
     この仏像は俺のもんだよ!」 ←日本語で

乗客「プロテインは飽きた! チキンを出せ!」
  「グレィ、行って来い!」
  「待たせて悪いが、これでも必死でね」
  「チャン! 火を持って来い!」

フユ将軍「畜生!」 ←日本語で

ウィルフォード「列車で暮らすんだ、永遠にね」

黒幕「ここが“完璧”だとでも思うのか?
   ここはうるさいし・・それに“孤独”だ」 ←女がおるやん
  「閉鎖性生態系は“バランスとの戦い”なのだ。
   “自然淘汰”など待ってられないのでね」
  「“過激な解決策”も時には必要だ・・殺し合いも。
   頃合いを見計らって“鍋の底をかき回す”ワケさ」
  「最後尾とは、常に“連携”を保ってた」
  「暴動はトンネルで終わる予定だった」
  「君のお陰で盛上がった」
  「エンジンが最近、不安定でね」
  「この列車は“少しイカれてる”ぐらいが
   楽にやって行けるのさ」
  「バランスが失われたら、造り出せばいい」
  「エンジンが眼を覚ました(She is waking up now.)」
  「ここは“安らぎ”に満ちている」
  「最後に独りになったのは?
   最後に女を抱いたのは?」
  「エンジンを可愛がり、機嫌良く歌わせてやれ」
  「この列車が“世界”であり、我々は“人類”だ」
  「人間は滑稽で、無様だ」
  「これは“決められた持ち場”なのだ」
  「素敵だね(nice.)」

カーティス「時を待て」
エドガー「それはいつだ?」
カーティス「もうすくだ」

エドガー「あれを見ても平気なのか?」
カーティス「まだだ」

エドガー「殺られるなよ」
カーティス「お互いにな」

ターニャ「いよいよやるの?」
カーティス「まだだ」

乗客「1度喰ったステーキの味が忘れられない」
カーティス「じゃ、忘れる事だな」

カーティス「ここでずっと独りきりか?」
ポール「独り占めさ、ここをね」

カーティス「まだ半分も来てない」
ギリアム「誰よりも遠くまで来たさ」

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2014年1月 4日 (土)

☆『ゼロ・グラヴィティ:iMAX 3D版』☆

新年。
2日(木曜)の夜。
箕面市内にある“109シネマズ”に行き、レイトで観たのは『ゼロ・グラヴィティ:iMAX 3D版』だった!

この日は「ドライヴのついでに初詣もしちゃお!」と思い立ち、同市の(やや)山間部に位置する古刹「勝尾寺(かつおうじ)」へと、午後からの出発で出掛けたのだ。

自身の家族について「健康」とか「幸福」を願ったのは、ここに書く迄もない事だが(加えて、ちっぽけなワタシの浄財程度で、それらが容易く叶うワケがない事にも、薄々気付いてはいるが(=^_^=)) それ以上に大事なのは・・“お受験”の控えてる姪っ子の「合格祈願」だったので、ご利益の(比較的)ありそうな(?)このお寺に繰り出した次第。

因みに、境内に“朱塗りの多寳塔”がある事も、ワタシの食指を動かした理由の1ツではあった(=^_^=)>

にしても・・流石は3箇日・・神仏を呪いたくなる程に(←おい!)駐車場に至る道路が2〜3kmも手前から渋滞してた(×_×) 「思い付き」で行動すると、こう言った結果になるんやね、、 と新年から「ちょっぴり」勉強になりました・・って今更かよ!

帰りは、麓までドライヴウェイをダラっと下り、夕食がてら立ち寄った「箕面マーケットパーク・ヴィソラ」の敷地内にある“109シネマズ”に足を運んだワケで。

この施設に来たのは、これまでもせいぜい1〜2回程度だったと記憶してるが、自宅から最も近い距離にある「iMAXシアター」と言う事では、以前から関心の高まってたワタシ。

シネコンのロビーから見て、最も手前(右手)にある「スクリーン1」こそが(iMAX)専用シアターなのだが、入口に向かう廊下の雰囲気なども、例えば壁面に「i」「M」「A」「X」の巨大ロゴが蒼くぼんやりと輝いてて・・実に期待値を高めてくれもし、ええ雰囲気が演出されとるなっし〜!

毎年「鑑賞初め」の1本については、意外と(?)記憶に残って行くトコでもあるため、慎重にチョイスしたりするんだが・・今年の1本目は「昨年ベスト1ムーヴィー(の再鑑賞)」+「iMAXシアター」って事で、感慨深いモノとして、脳裏に焼き付きそうな気がする・・
(因みに、昨年の「鑑賞初め」は・・『レ・ミゼラブル』ですた)

・・

地上:600km
気温:セ氏125度〜マイナス100度

音もなく、酸素もなく、気圧もない、無重力の世界。
そこでは、生命の存在する事は許されなかった(Life in space is impossible)。

“新しい眼”と呼ばれる「最新鋭の医療用スキャンシステム搭載」と言うミッション遂行のため、スペースシャトル「エクスプローラ」船外で活動していたクルーたちを襲ったのは、ロシアがミサイルで破壊した人工衛星の破片雲だった・・

それらは時速3万2000kmと言う“途方もない速度”で彼らに迫っていた・・

・・

(昨年末に)1度観たばかり(?)であり、まだ記憶も残ってるので(=^_^=) 今回は「より物語と映像を楽しむ」って目的に専念する事が叶った。

特に、2度目の鑑賞では「マット・コワルスキー中尉」の言動に気を付けて観てみた。

すると・・マットが宇宙服(のヘルメット)を外す(=バイザー越しでない“素顔”をさらす)・・のは「例の1シーン」のみだった事に改めて気付かされた。

また、シャリフが破片雲の直撃を受け“即時退場”したはった事にも気付いた。アレでは「痛みも恐怖も何もなかった」であろう事だけは掴めた。で、何故だか、少しだけホッとした(・ω・) ←いやでも、船内のクルー2名は苦しかったやろね(×_×)

“3D映像の効果”が感じられたのは「(画面)手前に飛んで来る(衝突時の)破片」「(画面)手前に漂って来る(ストーン博士の)涙」などだったろうか。
総じては「別に“3D仕様”じゃなくても良かったかも」と感じた。ただし“スクリーンの大きさ”や“音響効果”に関しては、通常のシアターよりも良かった!

って事で、もし実現し得るのなら「更に客席数の少ない(iMAX)シアターの、中央部分の座席」にて「2D版」で鑑賞してみたいなぁ・・と思った。

〜 こんなトコも 〜

・iMAXの“冒頭オープニング・デモ”の映像+音響に期待値が上がりまくる! 『映画の中に入り込んだ様な、究極の臨場感、準備完了!』ってなナレーションが、アトラクション施設っぽくて良い感じ(=^_^=)
・久々に「カメラをかぶった、踊るおっさん」のデモ映像が冒頭に流れなかった。
・サンドラ姐さんの腹筋の締まり具合を見上げながら、しびれたラスト(=^_^=)
・「サンドラ姐さんの破片の受けなさ」が幸運&奇跡的だったのか? 「シャリフの運が悪過ぎた」のか?
・果たして、猛スピードで降下を始める「天宮(ティアンゴン)」に、ボンベ1本の推進力で、飛び移れるものなんか?
・「衛星破壊行為」にせよ「絡まり易く、外れにくいパラシュートのソユーズへの採用」にせよ、総てはロ※アが悪い!
・テザー(ロープ)から派生した言葉が「テザリング」であろう事に、初めて気付かされた。
・「時間をかけての減圧訓練」とかなしに、いきなし地上に降り立って大丈夫だったんか?
・マットの方の“酸素残量”はどうだったんやろ?
・「予備バッテリー」さえ持っていたら、状況は変わったんやろか?
・「一方通信」の場合、返事を待つ程度の「間」さえ置けば、後は“当人の判断”で、どの様に選択しても良いんか?
・途中から、マットが「バズ・ライトイヤー」に見えて来た。 ←きっと、みんなが思う事やろね。。
・ソユーズのコクピットに貼られてた(?) 子供を肩に乗せた賢者のイコン(絵)はどう言う意味なんやろ? 最初、タロットカードかと思ってた。
・“アニンガ”は、何処の国の人間だったんやろ?

〜 こんなセリフも 〜

ストーン「成功したら・・明日、地球で1杯おごるわ」
    「大丈夫だけど、この“無重力”で
     吐かずにいるのは難しいわね」
    「感想? ここは静かで、居心地が良いわ」
    「目覚めて仕事をし・・ただ運転するの」
    「仕方ない(great.)」
    「宇宙なんか大嫌い」
    「妙な気分ね・・“死を知る”って」
    「祈り方を知らない」
    「マット、頭がいいのね」
    「“ママは諦めない”と伝えて」
    「もう逃げない・・地球に還るわ」
    「これは違う感じ」
    「よし、天に任そう」
    「結果はどうあれ、これは“最高の旅”よ」

マット「このミッションはイヤな予感が」
   「最期の遊泳を楽しめ(Enjoy Your last walk.)」
   「1ツ確かな事は・・“最高の景色”って事だ」
   「彼女は何と・・」 ←気になる〜
   「ロシアが“処分権”を行使したようだ」
   「何処へ行こうと一緒だ(See. you go,i go.)」
   「“一方通信”であろうと、喋り続けないと」
   「美しいだろ・・日の出が」
   「何が1番、懐かしい?」
   「宇宙遊泳の記録に10分足りない」
   「何でもいい、しがみつけ!」
   「・・無事に帰還しろ」
   「目眩がして来たか? じき意識が遠のくぞ」
   「“墜落”も訓練の一環だ」
   「・・もう遠過ぎる
   「よし、頑張れよ」
   「ガンジス川を照らす太陽だ・・素晴らしい」
   「奇想天外な話でね・・
    予備のバッテリーを見付けたんだ」
   「ここは居心地がいい」
   「問題は“今、どうするか”だ

管制官“あなたはこの事態を予想していた”

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2013年12月17日 (火)

☆『ゼロ・グラヴィティ』☆

14日(土曜)。ご近所の「Qsモールあまがさき(=JR尼崎駅直結)」内にあるシネコン“MOViXあまがさき”にて鑑賞。

この日ってば“もはや生ける伝説と化したゆるキャラ(←大げさ)”こと「ふなっしー」がQsモールに光臨され、2回ものステージショーを精力的にこなされたって事もあり、恐ろしい程の数のお客(特に家族連れ)が特設ステージ周辺に集まってた! まるで「スーパーマーケットに集まるゾンビの群れ」みたいだった(←こら)

「たかが“着ぐるみ1体”如きに、ええ歳した大人がキャ〜キャ〜騒いでんじゃねぇよ!」・・とツッコみたい気持ちもなくはなかったが、、ワタシも積極的にステージ背後に回り込み、キャ〜キャ〜と心の中で騒ぎつつ、楽しんで来た次第(⌒〜⌒ι)

しかしアレだ・・ ムチャクチャ過ぎる人だかりのせいで、全くステージに近付けない! 思い返せば、今年の初め、高松市内の某商業施設で観た「アンパ※マンショー」の方が、まだしも真っ正面からステージを拝む事が出来た気がするぞ(ってか、そっちも堪能しとんかい!)

結局のトコ「ふなっしー」の背面から、それも距離を置いて眺めた程度に過ぎなかったが、いわゆる「イリュージョン(分かり易い表現を借りれば『ファスナー』とも言う)」が目視出来ただけでも「良し」としとこうか。

メキシコ出身の映像作家=アルフォンソ・キュアロンが、監督&脚本を手がけたSFサスペンス。

・・

1週間の期間をかけ、宇宙空間で行われる「特殊ミッション」に参加したライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)たち「SiS-157」のクルー(総勢5名)は、突然に飛来した無数の「爆破解体された“某国の”人工衛星の破片」の直撃にさらされる・・

クルーのうち3人はなす術もなく死亡。
残されたのは、ミッション経験の未熟なライアン博士と、彼女をサポートするベテラン宇宙飛行士=マット・コワルスキー中尉(ジョージ・クルーニー)の2人だけとなる。

シャトルは壊滅的な被害を受け、船外で作業していたライアン博士もまた「千切られたアーム部の先端」ごと、激しい勢いで宇宙空間に投げ出されてしまう・・

残された「酸素ボンベの残量」はわずか10%・・シャトルからも遠く引き離されてしまったライアン博士を、目視(確認)と(無線)交信だけで救出に向かうコワルスキー中尉だったが・・

この年末に公開される作品群の中でも、最も期待値を高めてた1作だったワケだが・・ 「その期待を上回る素晴らしい出来」であり、久しぶりに「ヒャッハ〜! やっぱり劇場鑑賞ってエエなぁ〜!!」とすっかりノックアウトされてしまった(⌒〜⌒ι)
って事で、今年鑑賞したムーヴィーの中でも、かなりランクの上位に喰い込んで来ると思う。って言うか、早くも「ソフト化」を渇望し始めてすらいたり(=^_^=)

「上映時間:(たったの)91分」「主要な登場人物:(たったの)2名」「エイリアン:(まったく)登場せず」・・と言う「ないない尽くし」「制約ありまくり」な物語設定の中、果たして何処までのドラマを見せてくれるってんだ?? と疑ってもしまったワタシだが、決して「密室劇」に落ち着いてしまうワケでなく「妄想劇」に着地してしまうワケでなく、程よい緩急のリズムを持ち、緊迫感を終始維持してくれてた。

機会があれば“iMAXシアター”で是非、鑑賞してみたいトコロ! サンドラ姐さんも、クルーニー兄さんも「ベテランとしての貫禄」を久々に地球全体に(=^_^=) 知らしめてくれたものと思う。

素晴らしい作品との出逢いに感謝!!

〜 こんなトコも 〜

・エンディングの思い切りの良さにも好感! 「ではぼちぼちここらで」ってトコでスパン!と終わる感じ。
・ジョージ・クルーニーと言う俳優の“置き方”の妙。特に「中盤」・・ ちょっと驚かされる(⌒〜⌒ι) 『エグゼクティヴ・デシジョン(1996)』のトラヴィス大佐を思い出したりも、、
・ホンマに「椅子の下」からウォッカの瓶が見つかったら面白かったのに。
・極限にまで「登場人物」「状況」を絞る(遮断する)事で「観客に(不足する要素を)補わせる」演出は凄い!
・『メメント(2000)』や『バンテージ・ポイント(2008)』を観た時のような「まだまだ“素晴らしい物語の描きよう”はあるんや!」ってワクワク感・多幸感に包まれますわ。
・「N※SAの技術力にかなりな不安を覚えさせる内容」なので、協力が得られなかったんやろか?
・原題「グラヴィティ(Gravity)」とは、地球に帰ろうとする主人公の心境の変化を「(地球の)重力に引っ張られる」事に引っ掛けてのネーミングだったんやろかね?
・久しぶりにソダーバーグ監督の『ソラリス(2002)』が観たくなったい。
・やっぱり“宇宙モノ”では、主人公=女性キャラの方が(圧倒的に)強い!
・「2名だけの出演」でも良作は造り上げられる、と知る!
・終盤、泳ぐカエルを観て『マグノリア(1999)』を思い出した(⌒〜⌒ι)
・「近いハズなのに遠い」・・って事実を絶妙に表現してる、地球からの電波(交信)・・
・登場・活躍するのがヒロインではあるも、充分に「オットコ前」な物語。いわゆる“野郎祭り系作品”たる『U-571(2000)』『ハート・ロッカー(2008)』『遊星からの物体X(1982)』などに決して引けを取ってない! きっとジェームズ・キャメロンやキャスリン・ビグローもお好みの「ノリ」のハズ!
・上空わずか600キロで“宇宙空間”と言う、大気の薄さに改めて気付かされ、驚かされる!(東京〜大阪間で約550キロ・・地球全体で言えば・・余りにもの薄さでしょう!)
・「肌の触れ合い」を一切描く事なく、ここまでの「プラトニックな愛情」を表現出来るのはなかなか。そして「宇宙を舞台に選べば、そんな設定が“ごく自然に”実現出来る事」に気付いたトコが凄い!
・無線が途切れる瞬間の悲しさ、淋しさ、恐怖感がなかなか!
・いい意味で『アポロ13(1995)』を再構築し、シェイプアップしてた印象も。
・宇宙空間で、バイザーに強い衝撃を受けると・・顔面が割れ、反対側まで穴がポッカリ開いちゃうんですね、、(×_×)
・ハッチを開ける際、必要以上の勢いで外側に開くのが恐怖だった・・ 油断してたら、宇宙空間に弾みをつけて放り出されます(×_×)
・iSSに乗り込んだ直後、宇宙服を脱ぎ棄てるサンドラ姐さんには『バーバレラ(1968)』のオープニングシーンを彷彿とさせられた(=^_^=)
・「ショートした火花」「涙」「血液」なども例外なく丸くなり漂う・・それこそが無重力空間。
・ソユーズ内で“調達”した宇宙服には「POCCNA」「L.DEMIDOV」と書かれていた。ロシアの宇宙飛行士のんやろね。
・大気圏突入後のカプセルってば、地上3mにまで降下しないと「ジェット噴射」が作動しないらしい。ギリギリじゃん!
・ボンベ1本を担いで宇宙空間に飛び出すサンドラ姐さんがカッコ良かった! まるでピッケルを両手に、断崖にジャンプする『ヴァーティカル・リミット(2000)』のクリス・オドネル君のようだ(⌒〜⌒ι)
・着水直後から始まる「溺水の恐怖」もハンパなかった(×_×)
・本作に限っては「C国製の宇宙設備」に欠陥が見受けられず幸いだった・・
・「一見、ヒットしなさそうなスペック」なのに、めちゃくちゃ面白いトコは、ドラマ『半※直樹』にも似とる気がする。
・字幕担当は松浦美奈さん。“ええ仕事”したはるわ〜。

〜 こんなセリフも 〜

ストーン「このミッションはイヤな予感が・・」
    「(無重力下で)吐かずにいるのは難しいわ」
    「いいえ(Negative.)」
    「“乾燥機の中のチワワ”みたいな気分」
    「研究所では“物は落下する”から」
    「私の瞳は茶色だけど?」
    「12時の位置にシャトルが、
     7時の位置にiSSが見えるわ」
    「誰か・・誰でも・・聞こえますか?」
    「誰か・・応答願います」
    「ムカつくわ(Damn it.)」
    「猛烈な恐怖だわ・・こんな所で漂流なんて」
    「この時刻は・・ラジオを聴いてるわ。
     “喋らない番組”なら何でも。
     そして・・ただ、運転してる」
    「目覚めて働き、そして運転するの。
     ・・それが、私の1日」
    「必ず掴むわ!」
    「あなたを掴んでいたのに・・
    「聞こえる?(Do you copy?)」
    「ケープカナベラルから1週間、
     絶えず喋り続けてたくせに」
    「“マルディグラの話”の続きを聞かせて」
    「仕方ないわね(Great.)」
    「あと4分も待てない」
    「残り7分で逃げないと」
    「“晴れ時々衛星の破片”ってとこね」
    「宇宙なんて大嫌い!(I hate space.)」
    「ふざけんな!(You gotta be kidding me!)」
    「私の名は“メーデー”じゃない」
    「私は今日、死ぬのよ・・
     妙な気分ね・・今日、死ぬって」
    「誰も悲しまないし、誰も祈ってくれない」
    「祈り方も、誰にも教わらなかった」
    「もうじき娘に逢える」
    「ウォッカは何処に隠したの?」
    「着陸は発射と同じ」
    「“ママが赤い靴を見付けた”と伝えてあげて」
    「“サラはママの天使”と伝えて」
    「“心から愛している”と伝えてくれるわね?」
    「もう逃げない・・地球に還る」
    「これは違う・・中国語分からない。
     ・・これで良さそう」
    「ハナシなんてどうでもいい(Never mind stories.)」
    「結果は2ツしかない・・そのどちらに
     なろうと、誰のせいでもない。
     結果がどうなろうと、これは“最高の旅”よ」
    「・・有難う」

マット「俺はマカレナを踊った事はないが」
   「“最後の遊泳”を楽しめ」
   「心配なら“地上の連中”にさせときゃいいさ」
   「彼奴はあれで“ハーバード卒”だ」
   「最高の景色だ・・素晴らしい」
   「ダメだ。船内に戻れ。これは命令だ」
   「じき交信が途絶えるぞ。
    ・・フェイスブックもダウンか」
   「やるぞ、シャリフ」
   「じき視界から消えるぞ・・見失った」
   「太陽と地球から位置を教えろ」
   「呼吸が速過ぎる」
   「この俺がハンサムで驚いたろうが、
    俺を見つめるのは止めて、何か考えろ」
   「一緒に行くぞ(You go,I go.)」
   「ソユーズへ向かう・・ちょっと遠いが」
   「いいね?(Agree?)」
   「日の出が美しいだろ?
    観られなくなると思うと寂しい」
   「誰かが空を見上げ、君を想ってる?」
   「服の中にも酸素が残ってる。ビールではなく、
    ワインのように、ちびちび(酸素を)吸え」
   「何でもいい! しがみつけ!」
   「無事に帰還しろよ」
   「墜落も訓練の一環さ
   「“諦める事”も学べ
   「“必ず生還する”と言え
   「・・俺に惚れてたろ?」
   「俺の瞳は茶色なんだがな」
   「13時間と11分・・ソロフィエフの記録を破ったぞ」
   「独りだと冷静になれる
   「必ず、何か方法がある
   「もし“戻る”つもりなら、もう“逃げる”のは止せ」

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2013年11月24日 (日)

☆『スティーヴ・ジョブズ』☆

さる9日(土曜)。
風邪気味でちょいとフラフラになりつつも・・クルマで「阪急西宮ガーデンズ」へと向かい、シネコン“TOHOシネマズ”で鑑賞したのは・・前々から関心の高まってた、我が(←何が“我が”だよ!)「アップル(Apple)」の創業者でもあるスティーヴ・ジョブズ氏(1955-2011)の半生を描いた自伝的ドラマ、その(作品)名もズバリ『スティーヴ・ジョブズ』だった。

2001年、アップル・タウン・ホール・ミーティング。
CEO就任を“正式に”受諾した翌年、聴衆を前にし、スティーヴ・ジョブズ(アシュトン・カッチャー)の弁舌は冴え渡っていた。
アイマック(iMac:エントリー向けオール・イン・ワン・デスクトップPC)とパワーブック(PowerBook:ノートPC)の販売総数が300万台に達した報告に続き、彼が取り出したのは、ポケットに収まるサイズの携帯型デジタル音楽プレーヤー『アイポッド(iPod)』だった。
そして、彼の予想通り、この日のプレゼンテーションも成功裏に終わる。

「開発好き」を自認するその男=ジョブズの資質は、青年時代に早くも“開花”しようとしていた。
1974年、オレゴン州・リード大学。
大学に籍を置いたのはわずか半年間だったが、中退後もキャンパスに居座り「カリグラフィー(西洋書道)」など“興味ある講義”のみをただで聴講し過ごしたジョブズ。

1974年、ビデオゲーム会社「アタリ(ATARI)」に就職。尊大なその言動により、社内に数々の反発を招く。

1976年、「アタリ」で学んだ経験を生かし、仲間たちと「アップル・コンピュータ」を起業。
父母(養父母)のガレージで開発・製作したコンピュータ(パソコン)を「アップル1(Apple I)」と名付け、販売を開始する・・

1977年、その後継機種「アップル2(Apple II)」の販売実績により、世間に広く認知される存在となってゆく「アップル」だが、その一方でジョブズの“独裁的な運営方針”が、次第に経営陣の反発を招くようになる。

自らが招き入れたブレーンであるCEO=ジョン・スカリー(マシュー・モデイン)、盟友=マーク・マークラ(ダーモット・マルロニー)らの手で、遂にアップルを追放される結果となったジョブズ・・

彼はその逆境から、如何にして立ち上がるのだろうか・・??

自身が1990年代後半以来の“マックユーザー(それも、ややヘビー寄り)”と言う事もあり、スティーヴ・ジョブズ氏の「追放事件と復帰劇」「ワンマン主義の功罪」等にまつわる伝聞を数多く拾って来たワタシではあるが・・正直、本作の脚本については「まだまだクリーン過ぎるし、内幕に踏み込んでまでは描けて(描いて?)ないなぁ」と感じた次第(・ω・)

彼の「家族に対する考え」が大きく変わるきっかけも良く伝わって来なかったし、盟友らに対する“ホンネ”の部分も、意欲的に描写されていた感はなかった。

「不器用で孤独で、思想的には“ナルシスト”かつ“アスリート”だったんやろなぁ」と勝手に「そのしと」の評価を固めてもしまうワタシだが「太く短く」と言う表現を借りるなら、この上なく幸せな人生だったように思える。

引き際の見事さによって、死して早くも“伝説”と化した男の、この物語を眼の当たりにした時・・生涯のライバルとも言える“あの男(=決して名前を呼んではいけない、マ※クロソ※ト社の会長であるあのしと)”は果たして悔しがるのだろうか?

〜 こんなトコも 〜

・ワタシの1番知りたかった「ピクサー・アニメーション・スタジオ」や「NeXT」設立に関するエピソードは、殆ど取り上げられてなかった(×_×) ←そこ、彼の人生にとって「かなり重要な部分」だと思うんですけど!
・「ヒッピー・ムーヴメント」を体現してたような、青年時代のジョブズだが・・思想的には(それと相反するようにも思える)最先端の技術分野にかなり渇望&固執していたようである。
・ウィキ情報では「ビートルズ以上にボブ・ディランを好んでいた」なる既述は(特に)見当たらなかったが・・実のトコはどうなんやろ?
・大学の講義をただで聴講してたと言うジョブズ。何だか、井上ひさしの小説『ドン松五郎の生活』に登場する、大学の教室の窓辺で「ただ聴講」して、やたらと賢くなって行った犬キャラのエピソードを思い出した(=^_^=)
・基盤上の回路に部品を「半田(ハンダ)付け」する際「傾けず(水平に)取付け、見映えを美しくしろ」と命じてたシーンが印象深い。「通常は人の眼に触れない」ハズの部分にまでこだわるセンスが、良くも悪くも「彼らしい」んだろう。
・シリコンバレーで結成された団体「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ」に興味津々。もの凄い面々が集ってたんやろね。
・現CEOであるティム・クック氏は全く劇中に登場せず、、(いつか制作されるであろう?)彼自身の「自伝的作品」の登場を待つしかないのか(⌒〜⌒ι)
・余りにも有名な1984年制作のマッキントッシュのTVCM・・ その監督を担当したのはリドリー・スコットなのだが、その辺りには全く触れられてなかった(×_×)
・ジョブズと親友=スティーヴ・ウォズニアック(愛称:ウォズ)の関係を眺めてると「もの凄い描画力を持ちつつもマイナーな漫画家」と「彼とタッグを組み、描かせた意欲作を世間に知らしめる事に成功した、したたかな原作者」みたいな図を連想させられる。
・マイナーながらも野心的・独創的な存在ゆえの「強み」「自負」・・そう言ったものを、かつてのアップル自身もユーザーも「確かに」持っていたように思う。
・IBM、マイクロソフト・・と常に“強大な仮想敵”を設定していたアップル。
・アルテア8800、アラン・ケイ(not安蘭けい)、原田泳幸氏との関わりも描いて欲しかった。
・「ラヴコールを贈り、ヘッドハンティングし、招き入れた者の手によって、自らが追放される悲しみ」を味わいながら、良くぞ立ち上がれたものと感心する。
・自分を裏切った相手に対し「やられたらやり返す・・倍返しだ!」の“半沢哲学”を当時にしてキッチリ実践してた「先見性」にも恐れ入る・・(⌒〜⌒ι)
・ジョナサン・アイブ氏に初めて出逢った時、ジョブズは“或いは”ウォズに初めて出逢った時と同じ様な「驚嘆と畏怖」を覚えたのかも知れない・・??
・晩年のジョブズのご尊顔は、余り画面に映し出されなかった。確かにカッちゃん(=アシュトン・カッチャー)の“老けメイク”では、ご本人と「ちっとも似てない」気もする。。
・アッブルを離れたジョブズが農作業に勤しむシーンがあったが・・詳しくないしとはNeXT社の事を「野菜を生産・出荷してる企業」だと勘違いするんじゃなかろうか?
・(某社製品の)CDウォークマンで音楽を聴いてたジョブズが「音飛び」に腹を立て、ゴミ箱に棄てるシーンも印象深い。「物理的に再生している限り(=デジタルに置換えない限り)“音飛び”問題からは逃れようがない」と閃いた“瞬間”やろか。
・リード大学の教授役でジェームズ・ウッズが出演してはった。『ホワイトハウス・ダウン』を観た時の彼を思い出し、妙に「構えて」観てしまった(=^_^=)

・アップルから贈呈された「20周年記念マッキントッシュ(Twentieth Anniversary Macintosh、Spartacus)」を気に入らず、即座に「窓から投げ棄てた」と言うエピソードも盛り込んで欲しかった。

〜 こんなセリフも 〜

ジョブズ「“素晴らしいもの”を見せよう・・未だこの世界では
     “誰も観た事のないもの”を」
    「コンセプトは『ハートのためのツール』だ」
    「誰かのハートに触れる事が出来たら・・可能性は無限大となる」
    「起きてるかだって? 勿論、起きてるさ」
    「親のカネを使ってまで、学位なんか欲しくない」
    「“赤子を棄てる親”がいるなんてね」
    「カラー(画面)が欲しい。改良しろ」
    「ここの奴らは何も分かってない」
    「(俺に)ここにいて欲しいか? なら変わらなきゃ」
    「自由に動けないとダメなんだ・・分かるか?」
    「HP(ヒュ※レット・パッカ※ド)なんか馬鹿だ」
    「ビートルズ(の曲)も悪くないが、ディランとは違う」
    「後で変えたっていい。今は“アップル(の社名)”で行こう」
    「商売は“勘”こそが大事では?」
    「シンメトリーで(部品を)取付けてくれ」
    「次は“一体型(All in one)”だ」
    「どいつもこいつも! ブリトー喰って死ねばいい」
    「仕事なんだ。自分で動け」
    「お前の仕事は“不要”に思えるぞ」
    「お前らみたいに遊んでろと?」
    「ディランもピカソも“失敗の危険”を恐れなかった」
    「IBMの猿真似なんかするな」
    「時間をかけてでも“良いもの”を造れ
    「熱意を分かち合えないなら、ここから出て行け。
     ・・そんな人間は要らない」
    「何故、まだここにいる?」
    「ビジョンを無視するプログラマーは要らない」
    「2度と“フォントのないワープロ”を開発するようなマネはするな」
    「奴らは大局を観ていない」
    「68000を使おう」
    「(君は)今からマックチームだ」
    「君は優秀か? 創造的か? じゃ、マックチームへ」
    「アップル2eは順調だろうけど、退屈だよな?
     ようこそマックチームへ」
    「熱心に取り組めば、忍耐力が得られる」
    「改善ではなく別のアプローチを考えろ
    「すごい・・いや、違うな・・“桁違い”だ」
    「ソーダを幾ら売りさばいても、いつか忘れ去られるぞ」
    「(コンピュータじゃなく)コンピュータで出来る事を売り込みたい
     ・・いわばこのマシンは“心のツール”だ」
    「僕と世界を変えないか?」
    「このまま一生、砂糖水を売るのか?」
    「ビッグブル(IBM)に対抗出来るのは、世界で我々だけだ」
    「値下げはIBMのする事だ」
    「あんた(ほどの人物)が言葉を失うとはな」
    「明らかに盗作だ! ゲ※ツに電話しろ!」
    「創造力のない泥棒め! 盗んだな!」
    「お前を雇ったのは間違いだった」
    「人間ってあんなに眠れるものなのか?」
    「“タイタニック”に乗る気などないね」
    「今やっている事は忘れろ。新しいものをデザインしろ。
     使えるもの、こだわりのあるものを創造しろ
    「馴染みの光景だな」
    「失ったんじゃない。奪われたんだ」
    「スピーカーを(筐体に)内蔵させてみろ」
    「許可なんて必要ない」
    「マ※クロソフトになろうとするな!」
    「もうこの会社は“クソ”を造らない」
    「つまり、再びアップルを“クール”にする」
    「もっと人生は広がる。君は人生を変えられる。人生を楽しめ」

ウォズ「回路が多過ぎる」
   「“好きな事”をやって楽しみたかった」
   「お前は変わっちまった・・成長したんだ・・いや、違うな」

マーク「このまま進み続けたら、君を護れなくなる」
   「君自身が、この会社の最大の敵なのだ」
   「犠牲も必要だったんだ」

導師の言葉「刻(とき)を浪費するな」
     「シンプルに生きれば、
      人生が単純で幸せな事に驚くだろう」     

ジョナサン「まだ“アップルが象徴するもの”を信じてる者が
      いるんです・・あなたをね」

ダニエル「デザインを専攻しろよ」
ジョブズ「デザインを仕事にする気はない。才能がないからね」

ウォズ「スピードを落とせ!」
ジョブズ「早く着けば、早く話せる」
ウォズ「僕は、生きて着きたい」

ジョブズ「我々にどんな投資を?」
テレル「ただ“興味がある”と言っただけさ」

テレル「良品か?」
ジョブズ「勿論さ」

重役「子供を駄菓子屋に野放しには出来んぞ」
マーク「だが、ここは“彼の駄菓子屋”だ

マーク「私が案内しよう」
ジョブズ「1人で観て回る、ここから先はいい」

社員たち「(アップルに)お帰りなさい」
ジョブズ「戻ってないさ・・“まだ”ね」

追記1:因みに、かつてのアップル製品の印象・評価は(ワタシ的にも、世間的にも)「やたらと高額」「壊れ易い」「ソフト(特にゲーム)が少ない」「だけど意匠が良く、オシャレ」ってな具合である。
追記2:ワタシ自身の、これまでに所有して来たアップルPCは、デスクトップ(オール・イン・ワン)型の「パフォーマ588」を筆頭に「パワーブックG3(12インチ)」「パワーブック2400c(2台)」「アイブックG4(12インチ)」「パワーブックG4(15インチ)」「マックブック・エア(13インチ、11インチ)」・・と、全部で8台。 ・・結局、かれこれ100万円以上を注ぎ込んで来た気がする、、(⌒〜⌒ι)

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2013年11月 3日 (日)

☆『地獄でなぜ悪い/WHY DON’T YOU PLAY in HELL?(2012)』☆

30日(水曜)の夜。
若干の残業をこなした後、梅田のシネコン『ブルク7』へと向かい“レイトショー”で観て来のは・・園子温が監督・脚本・音楽を手がけた任侠アクションコメディ(?)『地獄でなぜ悪い/WHY DON’T YOU PLAY in HELL?』だった。

当初は「別な作品」を観ようと考えていたワタシだが・・「そっちを観る場合、上映開始まで更に20分も余計に待たねばならない事」「ネットで『地獄で〜』の評価の方がポイントの高かった事」から、いきなり本作鑑賞に切り替えた次第。

で、久しぶりの「ブルク訪問」となったワケだが(少なくとも“約5年ぶり”ではなかろうか?)・・チケットカウンターが消失しており、3台ほどの券売機が並んでたのには驚いた。何とまぁクールな・・

大阪勤務に戻って以来「仕事帰りに立ち寄って観る」って言う経験も(確か)初めてだった事から、適度な「新鮮さ」「解放感」があって楽しめたかも知れない・・が、肝心の作品が「意外にもアレ」だったのがどうにも・・(⌒〜⌒ι)

どうやら自身が“にわかファン”であろう事をぼちぼち公認せざるを得ない(=^_^=) ノリにノッてる映像作家=園子温(そのしおん)の最新作。

関東圏の(?)架空の地方都市=深作市(=^_^=)を舞台に、10年以上の長きに渡り睨み合いを続ける2つの暴力組織を軸に据え、その一方の組長の娘である元CMタレントのヒロイン、そんな彼女に翻弄される若者、そして“映画の神様”との出逢いを渇望する自主映像制作集団のエキセントリックな面々・・の体験する“驚くべきおぞましき1日”が、コメディタッチで、バイオレンス&スプラッターに描かれる。

・・

暴力組織・武藤組を率いる武藤大三(國村隼)は、10年前の抗争の中、命がけで彼を庇い(その結果)投獄されてしまった愛妻=しずえ(友近)の出所をあと9日後に控えていた。

そんな大三としずえの間には、当時キッズタレントとして才能を開花させつつあったひとり娘=ミツコがいたが、抗争事件の影響で(反響の高かった)TVCMは放送中止となり、彼女も女優・モデルとして「決定的なブレイク期」の訪れないままに年頃の娘(二階堂ふみ)へと成長していた。

撮影現場を男と飛び出し1週間。行方をくらましたミツコは囚われ、組の監視下に置かれていたが、対立組織=池上組の襲撃に乗じ辛くも自力で逃げ出す事に成功。

彼女は追っ手をまくため、街でたまたま見かけた青年=橋本公次(星野源)に「今日1日だけ、10万円で“恋人のフリ”をして欲しい」と頼む。
ミツコの魅力にノックアウトされた公次は、気安くOK(?)するが、それは彼の運命(って言うか人生)を大きく変える事となる。

一方、ひなびた映画館『昭和座』に寄生(?)する自主映像集団『ファック・ボンバーズ(以下“FB”)』は、リーダーである自称映画監督=平田(長谷川博己)を筆頭に“永遠に語り継がれる1本”の制作を悲願としつつ、未だ“資金・コネ・キッカケ”の3大不足(=^_^=)のせいで果たせずにいた。

「驚くべき偶然」によって重なり合う事となる公次(&ミツコ)と平田たち『FB』の運命。
彼らは武藤の「間もなく出所して来るしずえのため、愛娘=ミツコの主演映画を撮る!」と言う“鶴の一声”に従う形で“永遠に語り継がれる1本”の制作に取りかからざるを得なくなる。

平田は、自身の目指す“究極のアクション”を撮るため、武藤組と対立する池上組のドン=池上純(堤真一)に“アポなし突撃”で協力を要請、見事に承諾を得る。

かくして「武藤組vs池上組」と言う“マジモンの抗争”をシュールに描き出す、ドキュメンタリーでスプラッターなアクションシーンの撮影が開始されるのだった・・

いつものように(?)暗がりの中、手探りでメモを執りながら鑑賞を進めたワタシだったが、物語のハチャメチャさに、結構ペンが止まってしまい「あちこちを書き逃した感」の残る作品でもあった(⌒〜⌒ι) 監督としては、思う存分ふざけまくったように思えるワケだが、そのふざけ度合いがワタシにとっては“(自身の)ツボ”とかけ離れてて「う〜ん・・」と言う感じ。

最近観た、松本人志監督の『R100』ほどヒドくはないんだが「胸のすく」「ゲラゲラ笑える」ノリかと言うと、正直そうでもなかったかなぁと。

序盤、いきなり始まる「血みどろ抗争」と“血まみれ割烹着姿”で、包丁1本を手に、街中を疾走する組長の奥さん(演:友近)
中盤、町角の祠(?)を「きっかけ」として“強烈な運命”で出逢う2組の主人公ら
後半、リハもなく「長回し」「1テイク」で撮影の決行される“血みどろ”の抗争ドキュメンタリー

・・と言う流れで(大まかな)ストーリーは展開するんだが、1つの街全体で“実録”的に事件が発生⇒推移し描かれるにも関わらず、総じては「断片的かつ密室劇っぽい雰囲気」が払拭出来てないのだ。尤もそれ自体が「狙って撮った密室劇」だったような感はあるんだが・・後半以降、ロケーションが「1ヶ所に完全固定される」ワケでもあり、もう少し「意識して“空間的広がりのあるロケーション”で前半~中盤を描き、後半〜終盤とのメリハリを巧くつけて欲しかったな」と思うのは、ワタシのわがままだろうか。

本作最大の重要人物を「ミツコ」だと思ってたワタシだが、扱いとしては「平田」の方が“最重要”だったのだな、と終盤で(ようやく)気付かされた。確かに、モノローグ(独白)を放ってる人物は、終始平田だったんだが・・それならそれで、彼のキャラクター(特に私生活や家族など)をもう少し「分厚く」設定&描写して欲しかったような。

と言うか、この『FB』って言う集団、とにかく「生活感なさ過ぎ」で説得力に欠けてたし(⌒〜⌒ι)

後半からは、主要キャラ陣のテンションも上がって来て、日本刀を各々握りしめてのリアルチャンバラ(=地獄絵図)に突入するワケだが・・必要性のない(ギャグタッチな)手・足・首の飛び散り方、何だか「客席まで臭気の漂って来ない」血のりの色合い&質感、どうにも「ナマクラそうな」日本刀の(刃の)質感・・ と“悪ふざけなスプラッター展開”の延々と続く印象だった。

『キル・ビルvol.1(2003)』『13人の刺客(2010)』『キックアス(2010)』を期待して観てみたら『悪の教典(2012)』『(ノリの悪い)ブレインデッド(1992)』だった・・みたいな感じだろうか(=^_^=)

色んな意味で物語を牽引してた國村さんが『ディープブルー(1999)』に於けるサミュ・Lおじさんのような“唐突さ”でもって「退場の先陣を切る」に至って、やっとワタシは「ああ、監督は物語そのものを盛大にぶち壊すために、今まで積み上げて来てたんや」と思い知らされるのだった。んでも、いきなり過ぎて“描写を楽しめなかった”のもあるので「國村さんのアレ」シーンは、機会あらば、もう1度観てみたいものである。

やや園作品に違和感の残されてた(=^_^=)のは、堤さん、長谷川さんだったかな? 「そこまでせんでも」「ちょっと(演技が)しんどそう」って印象を受けたりも・・(⌒〜⌒ι) まぁでも、この先しっかり“園子温ファミリー”に組み込まれて行くのかも知んないけど・・

〜 こんなトコも 〜

・全力製薬の歯磨きのTVCMは、インパクトこそあるんだけど・・も少し「全力で」制作して欲しかった(⌒〜⌒ι)
・アクションスター=佐々木のインパクトがとにかく凄かった! 演じた坂口拓氏は「本作出演を以て、俳優界を華々しく引退」されたそうだが「ホントに本作が最期で良かったの?」と素朴に感じたのはワタシだけじゃないように思う。(この作品の演技で)オファーがバンバン来ると思うんだが(まぁ、それが引退決意の決定打となったのかも知れないが・・??)
・しずえを交えた「親子のドラマ」は見事に中断されてしまった。 って言うか、友近の存在は何処に行ったの?
・登場キャラの殆どが「アレ」しちゃう辺りは『戦国自衛隊的(1979)』のノリやね。
・“妄想”を匂わせつつ、劇中の出来事の殆どは“リアル”だった。
・ヒロインを力演した二階堂さんの印象は「“パンクな言動”の宮崎あおい」って感じだった。
・一番の狂人は監督だった!! 「自作のためなら何でもやる」ってノリは、芥川龍之介の小説『地獄変』辺りが元ネタやろか?
・馳星周と同様のノリで「温子園」ってな施設が何処かに出来たら面白いんだが。
・「國村氏退場」は“いきなり”なので要注意!
・「スベりつつも、勢いを落とさぬまま斬り下ろした」って感じでは『R100』に勝ってると思う(=^_^=)
・監督は「インディーズ狙い」で「評価を余り気にせず、伸び伸び撮った」ってトコやろか?
・ミツコが殺陣をするシーンで、斬られた(左右に並んだ)相手からカラフルな血潮が虹のように吹き出る描写にしびれた! あれは『たどんとちくわ(1998)』に対するオマージュか?
・終盤における公次の運命が『ウンタマギルー(1989)』での(フラフラ歩く事となる)小林薫のようだった(×_×)
・監督の“究極の自己満足作”って点では『ピストルオペラ(2001)』にも通じるトコがあるのかな、と。
・北野武作品風に、本作にキャッチコピーをつけるとすれば『全員狂人 完結。』やろかね。
・ヒロインのインパクトを(中盤以降も)維持させ、あんな「あっけないオチ」にはして欲しくなかった。
・ラストの『カット!』発声は、誰もが予想出来そうなオチでイヤだった(⌒〜⌒ι) エンドロールの総て終わった後に「黒い画面に音声のみ」でやったら、更に良かったんじゃないか?
・久々に「怪鳥音」入りの“徹底した”ブルース・リーそっくりさんを観た! イエローのトラックスーツ着用、長髪、細マッチョ、ヌンチャクさばき・・どれを取り上げても、ファンを狂気させてくれる仕上り!(惜しむらくは、ご尊顔が“松重豊”系だったけど、、)
・(成り切り)ドラゴンの迎えるオチは『レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳(1976)』へのオマージュか?
・関わる男を、残らず“制御不能”にしてゆくヒロイン!
・だが、平田監督だけは“周囲”に全く影響されてなかった!
・誰が観ても「やり過ぎ」な木村刑事は一体どう言うつもりだったの?
・ミツコ&公次の設定を『ロミオ+ジュリエット(1996)』っぽく考慮してはどうだったろ? 公次が余りに「単なる通りすがりキャラ」だったのが悲し過ぎ、、
・國村さんの突然の“アレ”には『模倣犯(2002)』に於けるピース(=網川浩一、演:中居正広)の“アレ”と同じぐらいびっくり!
・もうちょっと「日本刀」の「バッサバッサと斬れますよ!」って描写力を高めて欲しかった。
・「少女」「血で満たされた床」と来れば・・これはもう『シャイニング(1980)』か?
・敵対する組の本拠で「愛娘の巨大なピンナップ」を発見した時の、武藤の「何だこりゃ?」って表情が絶妙だった(=^_^=)
・「覊不放奔(右横書き:ほんぽうふき)」「仁義一道(縦書き)」「徳成武忠(右横書き)」などの墨書が登場。しかし「忠武成徳」って余り聞き慣れないなぁ・・(「忠節ナル武功ガ徳ヲ成ス」なんかな?)
・「深作警察」「広能町交番」「マキノ通り」などは、比較的分かり易いオマージュのようである(=^_^=)
・「回転斬り」を観て『北斗の拳』に登場するフォックスの「跳刀地背拳」を思い出した(=^_^=)

〜 こんなセリフも 〜

平田“総ては(10年前の)あの日から始った”
  “いつもと違う不穏な空気を感じ
   ・・そして彼奴(あいつ)に出逢った”
  「そう! その顔だ!」
  “この日、この時・・俺たち
   『ファック・ボンバーズ』が1つになった”
  「そう来なくっちゃ! 今から撮影だぜ!」
  「良かった! “映画の神”が降臨してた!」
  「“永遠に刻まれる1本”を撮りたい!」
  “つまらない大人になったのか、だって?”
  「情熱とか、愛とか・・ “とか”でいいじゃん」
  「もしかして、今日が“大事な日”かも
   知れないじゃないか!」
  「“戯言(たわごと)”こそが最も神聖なんだ!
   ホォリィ、タワゴト!」
  「物事を“表面だけで捉える”のは止せ
  「・・全然分からん」
  「(その日が)今日だったんだ!
  「考えましょう・・10秒下さい」
  「・・撮れてるぞ」
  「音、頂きます」

ミツコ「今日1日、あたしの恋人になって。
    ・・“フリ”でいいから」
   「“お別れのキス”よ」
   「怖くないの? あたしが」
   「男なら、歯を剥き出して笑いな!」
   「あたしって、どうせバカじゃん。
    死ぬ時まで、どうせバカじゃん。
    だから1回ぐらい、パァッと咲きたかったな」

公次“何故だろう・・この人に抗えない。
   何故、逃げない俺? あなたは誰?”
  「今すぐ、僕と一緒に映画を作って下さい!」

木村刑事「“正当防衛”で、人が死ぬか?」
    「お前、スケベで良かったな」
    「次、行くぞ」

FB「すげぇな! 映画みたいだ!」

手下「バカ野郎! すぐ撃つな!」
  「男だったら覚悟しとけ!」
  「コカイン抱いてろ!」

武藤「おい、枕ぐらい用意してやれ」
  「寝る? 眠った方がいいよ」
  「俺は冷静か?」
  「正気だから、ここにいる
  「ここは“ニセモノ”ばっかりだ
  「“映画班”を作る」
  「いいか、それが“仁義”つぅもんだ」
  「娼婦とは朝飯しか、愛人とは昼飯しか一緒に喰わん。
   俺と一緒に夕飯を喰う女は、
   “俺と一緒の墓に入る女”だ」
  「晩飯を共にするのは“家族”だからだよ」
  「逃げたら殺す。完遂出来なかったら殺す。
   いずれにしても、巧くやらなきゃお前を殺す」

しずえ「空は別に、私を驚かせたくて
    青いんじゃない」

池上「そうか・・撮りたいだけ撮れ。
   ただし・・(俺が)あの角を曲がるまでだ」
  「今日から全員、和服に着替えろ」
  「撮影してるのか?」
  「ここは平和でいいね」

監督「それにあんた今、映画どころじゃないだろう?」

池上の女「“腹をくくる”なら・・和服よ」

老技師「“生涯の1本”・・良い映画を撮ってくれ」

池上「一旦“手打ち”に出来ねぇか?
   お互い、クールになろう」
武藤「ここは一旦、クールに休戦してやる」

佐々木「その日はいつ来るんだよ?!」
平田「いつか来る!」
佐々木「今日じゃねぇんだろ?!」
平田「今日かも知れない!

平田「映画で死ねたら」
佐々木「死ねるか?」
平田「死ねるね」
佐々木「じゃ、死ね!」
平田「なかなか死ねねぇんだよ!」

武藤「分かってくれるな?」
手下「・・少し!」

手下「自信はねぇけど“死ぬ気”でやりやす!」
武藤「本当に死ぬかもな」

池上「どう言うこった?」
平田「その(言葉の)意味するままです」

※「で、その映画はいつ作るの?」
FB「明日!」

刑事「やっぱり“映画”じゃないんですか?」

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2013年8月 5日 (月)

☆『終戦のエンペラー(2012)』☆

7月28日(日)の夜、比較的ご近所のシネコン“MOViXあまがさき”へとクルマを走らせ、観に行ったのは・・太平洋戦争の終結間もない我が国を舞台に、宇宙人=トミー・リー・ジョーンズが厚木(飛行場)に降り立ち「このろくでもない、すばらしき日本」の再建に向けた行動を開始する日本史的問題作(?)『終戦のエンペラー』だった。

正直、実際に作品の始まるまでは「何だか辛気くさそうだし、あんま気が進まんなぁ」とチケットを買いつつも、ちっとも気合の入らないトコがあったんだが・・「風呂敷を大きく広げつつ」「コンパクトなキャラ数&上映時間で」「僕らの知りたかった事」をドラマティックに描いてて、それはそれで満足感いっぱいとなったのだった(・ω・)

コレまで観て来た中で「おハリウッドが、下世話にも(天皇)陛下に対する娯楽的描写(表現)を断行した」と言えば『ラストサムライ(2003)』『硫黄島からの手紙(2006)』なんかが記憶に新しいトコであるが・・今作に於いても「降伏直後の日本に対し、開戦の責任が誰にあるのか? 陛下にあるとすれば、彼を裁くのか?」って際どい点(?)に容赦なく手を着けてる辺りには「日本の監督にこそ描いて欲しかった辺りを、また海外勢にやられちゃったよ」と思いつつ「まぁでも、今の日本を見渡し、ここに敢えて手を着け、更には娯楽作に仕上げちゃおうって気概のある監督さんなんか・・いないのかもネ」と妙に腑に落ちた感を覚えたのも事実である。

1945年8月6日。北マリアナ諸島・テニアン島のノースフィールド飛行場を飛び立った爆撃機=B29が同日、広島に・・続く9日には長崎に特殊爆弾を投下。

それらを“決定打”に、日本はポツダム宣言を受諾、無条件降伏した。

同年8月30日。神奈川県・厚木飛行場に降り立った、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のトップ=ダグラス・マッカーサー元帥(トミー・リー・ジョーンズ)は、合衆国の主導による日本の占領・統治に本格的に着手する。

堀1ツを隔て、皇居の真向かいに位置する「第一生命ビル」に総本部を構えたGHQは、戦犯(戦争犯罪人)の一斉逮捕を行うと共に“戦争を引き起こした張本人が誰であるのか”を、わずか10日と言う短期間の中で探り、結論を導き出すよう、副官の1人=ボナー・フェラーズ准将(マシュー・フォックス)に命じる。

中心に“現人神(あらひとがみ)”昭和天皇(エンペラー)=裕仁を配した相関図には、関係者が「軍人」「宮中」「政治家」の3種類に分類され写真と共に掲げられた。

フェラーズは「戦時中の首相=東條英機(火野正平)」「開戦時を知る前首相=近衛文麿(中村雅俊)」「陛下を補佐する内大臣=木戸幸一」の3人に絞って聴取を行い“開戦及び終戦における陛下の役割”を探り、陛下自身の“戦争責任の有無”の調査を進める一方、開戦前である5年前に知り合い、現在は戦争末期の大空襲や混乱の中で行方の分からなくなっている恋人=島田あや(初音映莉子)の安否を専属運転手である高橋(羽田昌義)に命じ探らせる。

検挙時の拳銃自殺未遂により病院に運び込まれた東條は黙して語らず、近衛は気高い態度でフェラーズを迎える。木戸(伊武雅刀)は会見場所である料亭にその姿を現さなかった。逃走を図ったようである。

木戸に代わる人物とし「宮内次官=関屋貞三郎(夏八木勲)」に面会を試みるフェラーズだが、関屋に逢うためには、皇居内に向かわざるを得ないのだった・・

上映時間=107分と言う適度な尺(長さ)であり、主人公=フェラーズが関係者たちに面会する事で、提示された“謎”の真相が次第に明らかになって行く・・と言う展開から、ある種“探偵小説”を読み進めて行くようなワクワク感を鑑賞中、持続させていたワタシ。その対象となる4人も、それぞれに「反応」が違っていて(←当然なのだが)面白かった!

恋人であるあやについては、殆どが“回想描写”だった事もあり、その結論的(?)な部分でも「(物語への)絡ませ方が薄いんでは?」とも感じたが、それはそれで「本作の主題」ではないため、観る人が観ればごく自然に思えるのかも知れない。

圧巻は、陛下がマッカーサーの公邸に面会にやって来る終盤のシーン。片岡孝太郎演じる“昭和天皇”は威厳を備え、側近を叱責(?)するといった言動にも独特な重み、崇高さを漂わせていたように感じた。私的には『ラストサムライ』で“明治天皇”を演じた2代目・中村七之助と同様「なかなか良いキャスティングやね!」と好感を持った次第。

トミー・リーは「もっと全面的に出しゃばって来やがるんじゃ?」と不安&不快(=^_^=)に思い、構えてたが・・案外と作品全体のリズムをぶち壊すワケでなく、良い立ち位置をキープしつつ主演男優をサポートしていた。

『ノーカントリー(2007)』『メン・イン・ブラック3(2012)』など、近年だと「(ネームの割に)余りパッとした活躍もしてないおっちゃん」ってテイストがワタシの中で強いトコもあったりするが・・「しっかり助演してはった」って点では評価したい。

日本側の俳優陣が、西田“局長”敏行、桃井かおり、伊武さん・・と(実名の)インパクトあり過ぎで「役名に繋がって来ない」って点では、多少残念な気持ちにもなったが「生まれてないし、知らないし、知らなくても構わない事なのかも知れないが、知って勉強になりました」って事で、満足感の高かった1作である。

~ こんなトコも ~

・「竹林を走る紅いドレス」の(幻想的な)イメージ映像は「あはは・・待て、こいつぅ~」「うふふ・・捕まえてご覧なさい~」な世界だろうか?

・准将と言う肩書の割に、民間人の日本人(それも運転手)が1人つくだけって・・(×_×) 将校なんだから、もそっと護衛をつけとくべきじゃ?

・鹿島大将(西田局長)の“不死身ぶり”がなかなかスゴい。

・厚木に降り立つ直前の「機内から描いた再現(?)映像」が面白い。コーンパイプもレイバン(グラサン)も、タラップに進み出る寸前に思い立っての(?)装着だったんやね。

・東條英機は「左利き」だった!

・フェラーズと近衛の会見した場所のロケ地が知りたい! 「天地人」と書かれた掛け軸が目立ってました。

・『LEONiE/レオニー(2010)』でもそうだったが、中村雅俊さんの存在感がなかなかイイ!

・「山田製紙株式会社」「前田商店」など、劇中に登場する看板は「月並みな店名」ばかりだった。。

・東京~静岡間は軍用ジープで(片道)約3時間もかかる距離(当時)らしい。

・「陛下がマッカーサーに語ったとされる言葉」は記録に残ってるのか? それともフィクションだろうか?

・皇居警備兵の“張り詰めた緊張感”がハンパなかった! そばの兵士は「腰の日本刀の柄」に手をかけてるし!

・「玉音放送の音源(レコード)」を奪うべく、約1000人(?)の反乱兵が皇居を襲撃した実在の事件(宮城事件:きゅうじょうじけん)があったそうだ。その1夜を克明に描いた歴史作品がぜひ観てみたい!

・陛下と会う際の(当時の)ルールはなかなか厳しかった。「飲食を勧めてはならない」「握手してはならない」「その眼を真っ直ぐ見つめてはならない」「その影を踏んではならない」「撮影は事前に許可されたカメラマンが遠距離からのみ行える」「その左側に座らなければならない」「その名を呼んではならない」

・陛下とマッカーサーの会話を「ドアの隙間から盗み聞き」してる主人公は、余り趣味が良いとは言えなかった。

・マッカーサーは結局、大統領にはなれず(1951年に解任⇒退任)。フェラーズも後年、アイゼンハワー元帥により大佐に降格させられたと言う。

・陛下は自らを「私」と呼んでいたが、実際にもそうなのだろうか? てっきり「朕(ちん)」を使うのかと思った。

~ こんなセリフも ~

フェラーズ「日本の国民にも、その忠誠心にも、

      疑いを持っておりません」

     「我々は占領軍だが・・支配者ではなく解放者に見られねば」

     「空襲で“通り”さえなくなった今では、住所もなければ、

      日本人の協力も得られまい」

     「日本は“矛盾の国”なのです

     「天皇は開戦を止め得たか? 例えそれを望んだとしても」

     「日本では何事も白黒がハッキリしない。

      殆どの事が灰色なのだ

     「お悔やみを(I'm sorry.)」

     「今、笑ったね?」

     「ソレデハ、失礼シマス」

     「オ会イ出来テ、光栄デス」

     「いつかは呑み損ねたな・・今こそ呑もう」

マッカーサー「武器を所持しない事、その“恐怖心のなさ”で

       彼らに衝撃を与えるのだ」

      「よし、米国軍人の“男っぷり”を見せてやろう」

      「直れ(As you are.)」

      「辛いだろうが、これも任務だ」

      「君は私と同じく“政府の言いなり”にならんようだ」

      「天皇を裁かねば、日本にロシアの共産主義が乗り込む」

      「馬鹿たれが。必要なら奇跡だって起こせ

      「いいな?(Clear?)」

      「我々は決して“道徳的権威”を失ってはならん」

      「この報告書の結論は“推論”なのか?」

      「では君主に会うとしよう・・証拠に代わる面会だ」

      「“蒸し返す”事もなかろう」

リクター「元帥は名誉と栄光を重んじる」

    「元帥は“アカ嫌い”だ」

アヤ「私は・・積極的な女の子なの」

  「もう来ないで(You should not have come.)」

  「軍は“国民の心”まで変えたいの」

  「神道を・・そして“信奉”を理解出来れば、日本を理解出来るの」

  “結局、私の居場所は此処・・

   でも、心はいつも貴男のものです”

東條“死に損ねて済まない”

近衛「靴のままでどうぞ(No need.)」

  「陛下は総ての戦争に反対しておられる」

  「我々はあなたたちを“お手本”にしたに過ぎない」

  「我々は“戦争の熱”に冒されていたのです」

鹿島「陛下に奉じる、その義務感ゆえに

   日本兵は米兵に勝っているのだ」

  「日本人を表わす2ツの言葉は“建前”と“本音”です

  「あの娘を想うなら、もう逢うな」

  「総て君宛の手紙だ」

衛兵「・・貴様1人だけだ。武器は外せ」

関屋「陛下ご自身の気持ちは、記録に残されない」

木戸「これから私が話すのは“非常に内密な話”です」

  「総ての記録は焼却され、証人も自決しました」

  「陛下の生活は“何1ツとして自由なきもの”です」

娼婦「ちょっとどうだい?」

明治天皇の御製(短歌)

  “四方の海 みなはらから(皆同胞)と思ふ世に

    など波風の立ち騒ぐらむ”

フェラーズ「“生存者リスト”はないのか?」

高橋「・・“死者のリスト”ならあります」

フェラーズ「家族を亡くし・・立ち直れたのか?」

高橋「少しも・・死のうとすら」

日本人A「彼奴(あいつ)らの来る店、決まってんだろ?」

日本人B「さあな、そこら中にいるぜ、ゴキブリみたいによ」

日本人A「彼奴、臭ぇんだよ」

客「姉ちゃん、何かないの?」

女将「ウチはうどんしかないよ」

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2013年5月 8日 (水)

☆『ゼロ・ダーク・サーティ(2012)』☆

自身でも、記憶のすっかり薄れてしまっとる次第だが、、「鑑賞メモを手元に残したまま力尽きる」事だけは、絶対にあってはならない! と思うワケで(←なら、もっと早く記事をアップせい!) 何とかメモを復元したり、その一部をでっち上げたり(おい!)しつつ書いてみたい。

もはやダレにも、今やその新鮮さの伝わるべくもない事は分かっているが・・(⌒~⌒ι)

・・

2月27日(水曜)の夜。香川県に住んでいた当時のハナシである(・ω・)

クルマで隣町にある“ワーナー・マイカル・シネマズ綾川”に行き“レイトショー”で鑑賞したのは「問題作臭」のぷんぷん漂ってたリアルな諜報サスペンス作(?)『ゼロ・ダーク・サーティ』だった。

“これは当事者の証言に基づく物語である”

2001年9月11日。

『・・助けは来るの?』『・・勿論です』の交信も虚しく、合衆国を象徴する2棟の高層建築物は倒壊し、内部に閉じ込められた人々を含む、総数3000名余りの生命が奪われた衝撃の日。

CiA(米中央情報局)の面々は全力を挙げ、テロの首謀者と目される人物=ウサマ・ビン・ラディンの居場所を捜し求めていた。

2003年。そのカギを握る“サウジ・グループについての尋問”がパキスタン某所・秘密施設で行われていた頃、同国支局に着任したばかりの若き女性分析官=マヤ(ジェシカ・チャステイン)は、凄まじい拷問の実態にたじろぎつつ、ほどなく(持ち前の)冷静さを取り戻してゆく。

捜査は難航を極め、そんな中もテロ活動が世界各地で勃発する・・

2004年5月29日。サウジ東部・アルハバルの外国人居留地に於ける乱射事件。

2005年7月7日。ロンドンを襲った同時爆破テロ。

2008年9月20日。パキスタン・マリオットホテルの爆破事件。

そしてついに2009年12月30日。アフガン・ホースト州にあるチャップマン基地で、関係者への接触を試みたマヤの同僚を含む7名が、自爆テロに巻き込まれ犠牲となってしまう・・

まるで私情に突き動かされるように、マヤはビン・ラディンに対する“仇討ち”を誓うのだったが、その“潜伏先”を遂に突き止めるに至ったマヤら局員に対し、局長ら高官はあくまで慎重な姿勢を崩さず・・

「テロ首謀者=ビン・ラディンを、CiAがどのような流れで追い詰めて行ったのか」を程よいサスペンス&アクション演出を交えつつ描き、大まかな部分でしっかりと“エンターテインメント”として成立させている辺り、監督=キャスリン・ビグローの流石の力量(≒したたかさ)を見せつけられた気がした。

前作『ハート・ロッカー(2008)』では「女流監督が“男ばかりの最前線”を描いた」ってトコで、観ようによっては「衆道(しぅどう)路線寄り」にも感じられた演出群だったが(おいおい)、本作は「女流監督が“最前線で孤軍奮闘する女性”を描く」ってな“骨格”の部分ありきのため、撮る側である彼女(監督自身)もやり易かったろうし、観るこちら側も、妙な先入観に邪魔される事なく物語にダイブする事の叶った気がする。

って言うか、CiAパキスタン支局内に於いて、任務遂行に総てを注ぎ込む余り「次第に孤立して行く感」「最後の最後には、男性軍人(=実働部隊)に作戦を丸ごと委ねなければならない口惜しさ」「そこに“愛国心”が優先されてたワケでもなかった事実」などは、ハッキリと演出されてるワケではないモノの、何となくビグロー監督ご自身の「現場に於ける姿」をも克明に描いてるようでもいて、想像を巡らせ過ぎる余りにクラクラ感じてしまったワタシでもある(×_×)

~ こんなトコも ~

・前半の拷問シーンの濃さ&重さが中盤以降サッパリなくなった。それはそれで観やすくはなったが。

・(CiA)捜索チームのメンバーそれぞれの描写(やキャラ造型)はないまま。名前すら分からんキャラも少なくなかった。

・主人公=マヤのプライベート(恋愛観や私生活や家族等)は殆ど描かれず。色恋沙汰が観たい訳じゃないが、、もう少しメリハリあっても良かった?

・赤系統色の初代レガシイワゴン(BF型)が登場するも・・間もなく悲しい眼に(×_×) スバリスト(=スバル車乗り)は必ず衝撃を受ける事だろう・・

・総じて言えば“主人公不在気味”な物語にも思えた。

・本作で描かれるCiAは、色々な局面で「無様さ」を露呈してた。

・「隠れとるハズや!」がメインテーマだった(なの?)本作は、「隠しとるハズや!」がメインテーマだった(なの?)『グリーン・ゾーン(2010)』にも通じるトコがあったと言えよう。

・スッキリすべきハズなのに、どうしようもなく虚しさの漂うラストだった。

・「行き詰まる」度に何となく周囲に助けられてた感もあったヒロイン。

・マヤは12年目のCiA勤務だったそうで。

・ステルスヘリのローター音は意外と大きい!

・上層部が「オバマ大統領をどう説得したのか」の経緯は不明だった(劇中では明らかにされず)。

・某基地内での「ちゅど~ん!」に至るやり取りは、非常にアマチュアっぽかった。

・主人公をひと言で表現するなら・・「ジーナ・デイヴィス系のケツ顎姐さん」ってトコやろか。

・振返るに、やや平坦でメリハリなくダラダラした脚本だったか。後半からの奇襲作戦シーンは緊迫感あって良かったが。

・(中盤での)「ヒロイン襲撃」は中途半端な描かれ方だった。何となくフィクション(な演出)にも思えたり。

・『スパイ・ゲーム(2001)』的に、直接戦闘には参加しないヒロイン。

・「目立つ白い四駆車を街中で乗り回してる」あの連絡者は迂闊過ぎると思う。

・“ビン・ラディン影武者説”は想定されてなかったのか?

・肝心な局面でのステルスヘリの墜落は勿体なかった(×_×)

・「タオルで顔を覆い、無理やり水を呑ませる」ってな拷問はメジャーな手法なんやろか?

・タイトルの意味がサッパリ分かんなかったが、ウィキによれば「軍事用語での午前0時30分」 って事だそうだ。

・会議が長引いてる時なんかには、一定時間経過毎に(室内から)眼につくガラス窓部分に赤マジックペンで「※※分(経過)!!!」とか(逆向きに)殴り書けば、多少は早く終わって出て来て頂けそうな気もする(⌒~⌒ι)

・ビン・ラディンの潜伏に関する情報には500万ドルもの懸賞金がかけられてたそうだ。

・その一方、世界中で「600ヵ所ものテロ候補地」が挙げられてたと言う。

・「96時間を超える不眠」に起因して“睡眠不足による記憶喪失”が発症するとか。

・登場する中東のしとたちの英語発音が独特だった。「アフタル(After)」「コンピュータル(Computer)」とか。。無理矢理なロシア語みたいやね。

・「Black site」なる英語字幕に「CiA秘密基地」の日本語字幕が重ねられてた。なるへそ(・ω・)

・中東のしとに“友情の証”としてランボルギーニでも与えりゃ・・「結構なムリ」を聞いて貰えそうだ(=^_^=)

・「5mの塀に囲まれた要塞」の屋上で「ブドウの棚の下を歩く第3の男」がカギとなった。

~ こんなセリフも ~

マヤ「長身・・長く白い顎鬚(あごひげ)・・杖をついてる・・

   それじゃ“ガンダルフ”とまるで同じね」

  「“同僚と寝る”なんて、そんなはしたない事・・」

  「5年前(の情報)ならまだしも・・今更、意味ないわ」

  「“生かされた”私が決着をつける。仲間が大勢死んだわ」

  「拷問できなきゃ証明できない」

  「“何もしないリスク”をどうお考えで?

   ・・これはいい質問でしょ?」

  「奴がいたら・・私のために殺して」

  「(潜伏は)100%確実よ。けど、そう言うと

   ビビるだろうから95%にしとくわ」

ダニエル「マットから1歩も出るな」

    「窓は塞いどけ」

    「ヤツが絶望するまでしばらくかかる」

    「お前の処遇は“お前自身の出方”で決まる」

    「捕まった時、優しくされるとでも思ったか?」

    「ヤツのアドレスを言えばシーツをやる」

    「バケツを」

    「水を入れろ」

    「嘘をついたら、痛めつける」

    「これが“敗北”って奴だ」

    「対等だと思うなよ」

    「誰でも最後は折れる」

    「此処のメシは酷いからな」

    「また“水責め”か? 他のがいいか?」

    「自業自得だぞ」

    「この箱はかなり苦しいぞ」

    「不完全な情報は嘘とみなす」

    「聞き出せなかったのは俺の責任だ」

    「俺は“災い”だ・・お前の味方じゃないぞ。

     ・・心をへし折ってやる」

    「100人以上を尋問した。

     ・・男の裸ばかりでウンザリだ」

ブラッドリー「冷血だそうだな」

      「今日サボった連中に伝達と感謝を」

      「努力は買うが・・“役立つ情報”をくれ」

      「捕虜に対する虐待に非難が集まってる・・気をつけろ」

      「我々は(9.11に)どう対処した? 何をした?」

      「“殺す相手を見つける”のが君らの仕事だ」

      「そろそろ“祖国を護る”事を考えろ」

      「正気をなくしたか?」

      「いいか・・“指揮権”を護り抜け」

ジェシカ「“わら山の針探し”の首尾は?」

    「下っ端はイデオロギーよりもカネになびくの」

ムフタール「道は2つ・・戦うか逃げるか」

     「聖戦(ジハード)を続けろ・・100年続く使命だ」

長官「確認出来なきゃ始まらねえ」

  「まとまりが悪いな」

  「“適任”だったな」

  「とんだ腰抜け共だ」

隊員「“墜落の経験”がある奴は?」

  「子供に“奥”を見せるな」

  「“ヘリは墜落させろ”って命令だっけ?」

  「どうだ?(Talk to me?)」

  「ちきしょ~め!(Fukkin' Shit!)」

  「こいつは誰だ?」

  「・・大当たりだ」

※「コーラン(聖典)にもある・・

  “アラーは現場で奮闘する者に報いる”とな」

 「(ヤツの)透析装置に毒でも入れよう」

 「一度“標的リスト”にその名が載ると、永遠に消えない」

 「大統領は思慮深いから、証拠を見せないと」

 「“消去法と推測”のみに頼るのは危険だ」

 「此処にいる、我々全員が“キレ者”さ」

 「この機を“丸ごと貸し切る”なんて大物なんだな」

ブラッドリー「志願したんだろ?」

マヤ「いいえ」

隊員A「何を聴いてる?」

隊員B「ソニー・ロリンズさ」

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2013年1月 7日 (月)

☆『人生の特等席』☆

既に鑑賞から半月以上が経ってしまってますが、、(×_×) 宜しければお楽しみ下さい~

・・

12月18日(火)の夜。

仕事で出掛けた東方面の某県内にある“シネマサンシャイン”で観たのは、密かに期待値を高めていた“御大=クリント・イーストウッド”主演の最新作『人生の特等席』だった。

“御大”と言えば・・『グラン・トリノ(2008)』に於ける「らしくない退場ぶり(或いは、最も彼らしい退場ぶり??)」には、困惑もさせられ、衝撃も与えられたワタシだったワケだが、、その後4年を経て、再びスクリーンで(お元気&頑固そうな)その姿を拝む事が出来、ホッとした気持ちは正直あった(・ω・)

『ヒア アフター(2010)』は“とある事情”から、劇場公開が早々に終了してしまったし『J・エドガー(2011)』は、都合がつかず観る事が叶わなかったため、何とも久しぶりに“御大”と触れ合えた気がする。向こうにすれば「知ったこっちゃないね」と苦みばしった表情でもって、嗄れた声で吐き棄てる程度の事だろうけど・・(=^_^=)

アトランタ・ブレーブスに属する“伝説級”のメジャーリーグ・スカウトマン=ガス・ロベル(クリント)は、今や排尿行為にも勢いのない(おい)、頑固な老人であるが「長年培った経験&勘は、今もって錆び付いていない」と言い切る程の自尊心はまだまだ健在だった。

そんな彼に託されたのは、リトルリーグで華々しい打率を誇る高校生スラッガー=ボー・ジェントリーに関する調査だった。ドラフトで(彼に対し)1位指名を目指すチームの“分析マネージャー”フィリップ(マシュー・リラード)は「コンピュータ時代に全く対応出来ていない」古いスカウトスタイルに固執するガスを煙たがっており、3ヵ月後に迫った(ガスの)契約更新は、望みの極めて薄いものでもあった。

そんな中、ガスの所へ(ほぼ時を同じくして)やって来た人物が2人。

1人は、父親の視力低下(原因:黄斑変性か緑内障)を心配し駆け付けた、中堅弁護士となった33歳になる娘=ミッキー(エイミー・アダムス)。

もう1人は、かつてガスが見出した元リーガーで、現在はライバルチーム(レッドソックス)に属する駆け出しのスカウトマン=ジョニー・フラナガン(ジャスティン・ティンバーレイク)。

6歳で母=ジョアンナと死別後、父に見棄てられ、親戚に預けられ育ったミッキーは、久しぶりに父と再会を果すもどうにもギクシャクとしたやり取りしか出来ない。そしてそれはガスにとっても同様だった。

やがて“野球ネタ”が縁で親しくなったミッキーとジョニーだったが・・ガスがジェントリーに対して下した“結論”が、彼ら2人の運命にも波乱を引き起こす事となるのだった・・

冒頭に表示される「ア・マルパソ・プロダクション(A Malpaso Productions)」の文字に何となく“名作保証”にも似た安心感を覚え、同時に高揚感も高まるワタシ(=^_^=) 実際には、さほど打率の高いモノじゃないのかも知れないが、今のトコ、激しく裏切られた記憶はない(・ω・)

題材が「野球」なので、何処まで劇中のネタ(セリフやウンチク)について行けるんやろ? と思ったが、それ以上に「父と娘のドラマ」ちぅ比重が高かったので、そこは心配無用だった。

観終わると「主人公は、実はミッキーだった」って事に気付かされたりもするんだが、彼女が“本格的に”物語に関わるまでは、確かにガスが画面の多くを占めていた。そう言う意味では、本作に於ける“御大”の立ち位置ってば、なかなか面白かった。

様々な男優が劇中に登場するが、いずれも「総じて言えばヘタレ」ってトコがあり、ミッキー姐さんの“鉄火肌(な言動)”を楽しんでスカッとするのが正しい見方とも言えるんかも(=^_^=)

“御大”は、物語の最後で「さて・・俺はバスで帰るとしよう」と飄々と言い放ち(画面奥へと)歩き去ってゆくんだが「まだまだ頑張って欲しいな~」と感じたのは、恐らくワタシだけではないように思う(=^_^=) 両腕で支えても良いから、マグナム銃を再びぶっ放して欲しい(=^_^=) ←どんな役柄だよ!

~ こんなトコも ~

・“灰色リス・モーテル”に於ける、某母子の“余りに長いフリ”には、すっかり翻弄されてしまった(⌒~⌒ι)

・スランプ選手を「家族に引き合わせる事」だけで打率が上がるってんなら、どんどんやったげましょうよ(=^_^=)

・向こうの医療機関では、視力検査用の台紙(?)に「C」代わりに「E、I、P、Z・・」などとアルファベットが列記されてる。

・水着も持たぬ2人が、いきなし服を脱いで泳ぎ出すシーンで、女性客はジャスティンに浮かれ、我々男性客は「一線を踏み越えない」エイミーにガッカリさせられるワケで(⌒~⌒ι)

・球団オーナー=ヴィンス役に、ロバート・パトリック。善人だか悪人だか(パッと見)分かんない“不気味さ”はこのしとならでは(=^_^=)

・『ファミリー・ツリー(2011)』に続き、マシュー“スクービィ・ドゥ”リラードに与えられた役柄は、極めて姑息な造型のキャラだった。。

・劇中で“You are my sunshine”なる曲が効果的に引用されてた。レイ・チャールズもカヴァーしたそうだ。歌そのものも良いが、それを“御大”が亡き妻の墓前で“君は俺を照らす太陽だ 曇っていても幸せにしてくれる 君は知るまいが こんなに愛している どうかこの陽差しを消さないで欲しい”と口ずさむのが素晴らしい。

・ブラックベリー(BlackBerry)携帯は、観客の予想通り、そばにあった「アレ」にポイされてしまった。

・劇中、セリフに登場するアルバート・プホルスはドミニカ出身の実在のメジャーリーガーだそうだ。

・クロッギング(clogging)と呼ばれるダンスが登場。躍動感に溢れてて楽しそうだが、実際にやってみるとすぐにバテるやろな(×_×)

・「お爺ちゃんが自動車事故を引き起こす事例」が意図的に描かれてた。対物の自損とか、相手車ありの人身とか。。

・挿入される“過去映像”中で、若き日の“御大”がパンチを放ってた! 過去主演作からの引用やろか? それとも再現CG?

・劇中での、俳優としてのアイス・キューブに対する評価がやたらと高くて笑えた。

・ボー・ジェントリー君のメジャー選手になりたい理由が「女祭りがしたいから」と言うのが、余りに性欲に溢れ過ぎてて苦笑させられた。

・「長嶋茂雄がかつて、電話越しに(素振り時のスイングの音の違いで)松井秀喜をコーチした」と言う逸話があるが、その信憑性を裏付ける脚本でもあった(?)

・ジョン・グッドマンの雰囲気がちょっと変わってて(?)、終盤まで気付かなかった。

・中継ぎ投手は「肩を壊す」までひたすらに酷使される世界でもあるらしい(×_×)

~ こんなセリフも ~

ガス「頑張れ、そうだしっかりしろ」

  「ショボショボしやがって」

  「笑うな、この役立たずめ」

  「ウチの娘の球の方が速い」

  「ヨガだと? カルトにでもハマったか?」

  「お前は野球の心配だけしてろ」

  「コンピュータなんぞ“野球を知らん奴”が使うもんだ」

  「大事なのは“良いスカウト”さ。

   コンピュータに“選手の勘”など分からん」

  「リタイア後? ラクなんかしたくないね。

   ギャラを上げ、すぐに再契約してみせるさ」

  「誰だ? 泥棒なら何でも呉れてやるが、

   TVだけは・・盗(と)ったら殺す」

  「医者なんて、右と左の違いも分からん。

   毎年、何件も臓器(の左右)を間違えて摘出してるだろ?」

  「優れたシェフの言葉だ・・“喰い物は温かい内に喰え”」

  「アイスキューブは多彩な男だ」

  「腰の回転を観ろ。スムーズにバットを振れているかをな」

  「行くか?(Ready?)」

  「球を見て、球を打て

  「たかが28歳で、何故“生きてて良かった”なんて分かる?」

  「悪酔いか?(Moonshine?)」

  「ニュージャージーの州鳥だと?

   引っ掛け問題だな? あの島に鳥なんかいない」

  「勘定だ!(Give me a goddamn Check.)」

  「奴は※※※が打てない?」

  「手が泳いだ。“純粋な音”なら、聴けば分かる」

  「“棄てる勇気”も必要だ

  「金属バットを使えば、女の子にだって本塁打は打てるさ」

  「その眼でいつ試合を見た? 総て“パソコンを通じて”だろ?」

  「こんな別れは、良くない」

  「そろそろ引退の時期が来たようだ」

  「こっちの方が大事だった」

  「こんな事で、将来を棄てるな」

  「ラクなど求めちゃいないさ」

  「良く観ろ。あれが“打てない奴”だ」

  「娘は、此処にいる誰よりも野球を知ってる」

  「俺もこれから変われるかも知れん」

  「だから“考えとく”と言ったろ?

  「さて・・俺はバスで帰るとしよう」

ジョニー「悔いは残るもんさ」

    「1杯おごるから、元気出せよ」

    「心に壁があるから・・君は独りなんだ」

    「驚異の3割バッターも“7割は凡退”って事だ

    「踊ろう(Move on me.)」

    「君はまるで隙がないんだな・・それで満足か?」

    「シングルモルト(ウィスキー)をラッパ呑み?」

    「考え過ぎだ(Too mach thinking.)」

    「いいさ。待つよ、何時までも」

    「“仕事を忘れて楽しむ”のが恐いか?」

ミッキー「アタマに来たわ(You piss me off.)」

    「私と勝負する? 負けるのが好き?」

    「何であなたが(私の)隣にいるワケ?」

    「パパと過ごす人生は3等席(チープ・シート)なんかじゃない。

     (人生の)特等席だったわ」

    「話してよ(Talk to me.)」

    「出来るわ、大丈夫(I can do that. It's all good.)」

    「“純粋な音”を聴いたの」

ボー「メジャー(選手)になれたら、毎日が“女祭り”なのさ」

  「今日はドジるなよ(Don't suck today.)」

  「俺のサインはすぐネットで売らないで呉れよ」

ガス「来るなら来るで電話ぐらいしろ」

ミッキー「したら断わられるから」

ガス「・・当然だ」

ミッキー「ここ、ぶつけたの?(What happens here?)」

ガス「ガレージが縮んでな」

ガス「こんな店に来るな」

ミッキー「“もっと酷い店”を覚えてるけど?」

ガス「いざとなりゃ、死んでやるまでさ」

ミッキー「それを聞いて安心したわ」

ガス「俺は変われない・・もうこんな俺に構うな」

ミッキー「努力もしないで言わないでよ」

ミッキー「すぐに賛否(の結論)を出せる問題じゃないわ」

グレッグ「・・それが“答え”って事だな?」

ジョニー「何処へ行く?」

ミッキー「あなたとの“安全な距離”を保ってるだけよ」

ミッキー「緊張してる?」

リゴ「いえ、楽しみです

追記:“とある音”に気付いたミッキーが、モーテルの外に出てみると・・椅子に縛り付けられた加瀬亮が、顔面で・・ って展開だったらイヤだな(⌒〜⌒ι)

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2012年11月26日 (月)

☆『少年は残酷な弓を射る(2010)』☆

14日(水曜)の夜。商店街の中心(?)にあるミニシアター“ソレイユ”で観たのは、その邦題にちょいと興をそそられてた1作『少年は残酷な弓を射る』だった。因みに“レディース・デー”の事である(⌒~⌒ι)

奔放な生き方で人生を切り開いて来た女流冒険家=エヴァ・カチャドリアン(ティルダ・スウィントン)は、夫=フランクリン(ジョン・C・ライリー)との熱愛を経て、息子=ケヴィン、娘=セリアを授かる。

物心ついた頃から、母親であるエヴァに対し、悉(ことごと)く反抗的な言動を取り続けるケヴィン。その理由は・・?

その“幼さ故の容赦なき残虐行為”は次第に加熱し・・15歳の美しい青年へと成長を遂げたケヴィンにより“残酷な弓”から放たれた矢は、娘=セリアや夫=フランクリンを経て、やがてエヴァたちの住む街全体を貫く「大きな事件」を起こす事になるのだった・・

久々に「意図的に時間軸を置換しまくって描く作品」を観た気がした。

物語自体(の展開)は、割と簡単に語れる(類の)モノであるが、詳細に描かれない部分が多く、その点では「あれこれと想像させられ続け、疲れてしまう」作品ではあった(・ω・)

エヴァの本業は、書店の店先に自著ポスターが大きく飾り立てられる程の(高名な)冒険家らしいのだが、その手の(冒険)シーンは全く描写されない。唯一、劇中で「エクアドルに7ヵ月行かなければならない」と夫に説明的に(?)語るセリフがあったぐらいだ。

なので、ポイントをしっかり掴んで観てないと「このしと、専業主婦やろか?」「何がどうなってんの?」「壁の汚れはトマト?」とワケが分かんなくなるかも知んない。

問題児=ケヴィン(エズラ・ミラー)についてもコレは同様で「学校でのシーン」が終盤以外殆ど描かれないため、彼がそこで起こしたとされる“事件”に対する予想が全く出来ない点は「不親切!」とも「隠し過ぎ!」とも思った。

冒頭から、エヴァが孤立した姿&疎外感溢れる言動で街をウロウロしたりするんだが、いきなり通りすがりの女性に顔を殴られたりし、観客である我々にも緊張が走った(×_×)

「一体、彼女の周りで何があったんや?」と静かなざわめきが心の中で起こり、高まってゆく。。

観終わってからは「ケヴィンの中に隠され続けてた“弱さ”」を感じる以上に「それでも尚、この街で暮らし続けるエヴァの“強さ”」に恐れ入ってしまった。

生来の頑固過ぎる性格によるモノか、この街でケヴィンを「待ち続ける」事を“償い”として自らに課した結論なのか・・

ケヴィンの「残酷な弓」がエヴァに向けては“決して”放たれなかった事実も「ケヴィンの、母に対する歪んだ愛情・・心の底では母を愛し、決して弓を向けられなかった」なのか「ケヴィンの、母に対する歪んだ憎悪・・母に最大級の苦痛を与えんがため、弓を向けなかった」なのかは、観客それぞれが想像で補って結論付けないといけないトコなんだろう。

全体的な印象が『エレファント(2003)』に似てた感もあったが・・決してお洒落には描いてない分、例えば「任意に1シーンを切り取れば、それがそのままポストカードになる」みたいな映像には乏しい(・ω・)

エヴァとフランクリンの恋愛模様も、或いは『ブルー・バレンタイン(2010)』みたいに演出する事も出来なくはなかったと思うが・・

何にせよ、ケヴィンを眺めるにしても、エヴァを眺めるにしても、どうにも救いようのないおハナシではあった・・

スペインのトマト祭り(トマティーナ)、ハロウィーンなど「騒がしい情景」が劇中に盛り込まれつつ、これ程までに暗く静かなテイストに貫かれてた点もまた、本作の忘れ難いトコであろう。

~ こんなトコも ~

・「タイトルがまんまオチになってますやんか!」と思わづツッコんだのは、ワタシだけではなかろう。

・妹=セリアの左眼の事、逃げたリス(?)の行方・・なども詳細には語られなかった。

・個性的な邦題には『隣人は静かに笑う(1999)』『ゆりかごを揺らす手(1992)』にも通じる命名者の(独特な)センスを感じる(=^_^=)

・「揺れるカーテンの向こうに庭が広がっている」そんな映像が繰り返されたが、さほどのインパクトはなかったか・・

・“ミスター・セロファン”は、やはり本作でも全体的に印象が薄かった。。顔つきこそは「濃い」んだけど(⌒~⌒ι)

・エヴァが眺めてた写真に写ってたのは「東大寺南大門(奈良県)」だったんやろか? それっぽく見えたけど?

・ケヴィンが「※※のメタファー」として、ライチをじゅるじゅる食べるシーンが不快だった(×_×)

・エヴァの家の裏手が線路になってた事が、終盤で明らかになる(←だからどうした)。

・リビング(居間)の事を「ファミリールーム」と言うそうだ。

・シーンによって流れる「三味線(?)風のBGM」が印象的ではある。

~ こんなセリフも ~

エヴァ「まさか・・ウソでしょ(You did not.)」

   「“死後の行き先”なら分かってるわ。

    地獄に堕ちて、永遠に呪われるだけよ」

ケヴィン「部屋の壁に紙なんか貼って、バカみたい」

    「個性って? バカみたい」

    「部屋を“特別”にしたかった」

    「もういい?(Now coming quick?)」

    「“慣れる”のと“好き”なのは違う

    「まだダメ(Not yet.)」

    「どうでも(Whatever.)」

    「コンピュータが壊れた?」

    「“切手集め”なんかに興味ないね」

    「絶好調さ」

    「此処が“どう言う世界”か分かってる?」

フランクリン「あの子も反省してる」

      「男の子はあんなもんさ」

      「無邪気な子のする事を気にするな」

      「天才だな(You are natural.)」

      「1度カウンセリングを受けろ(You need to talk this someone.)」

周囲の人々「地獄で腐り果てな!」

     「何様のつもりだ? “お情け”で誘ってやったのに」

     「地獄で朽ち果てろ」

フランクリン「2度といなくなるな」

エヴァ「2度と離さないわ」

フランクリン「軽く揺すればいいんだ」

エヴァ「(泣き止まないのは)私が悪いとでも?」

フランクリン「いつ言う気だった?」

エヴァ「今、言ったわ」

フランクリン「今更、何が出来る?」

エヴァ「“ママ”と呼んで」

ケヴィン「・・ヤだ」

エヴァ「それも“嫌がらせ”のつもり?」

ケヴィン「“嫌がらせ”? 母親に?」

エヴァ「太るものを食べるから、人は太るの

ケヴィン「時々、キツいね」

エヴァ「それに何の意味が?(What's the point?)」

ケヴィン「意味なんかないさ。

     そこがいい(That's not point.That's the point.)」

エヴァ「教えてくれない?(I want to you tell me.)

    ・・何故なの?」

ケヴィン「分かってるつもりだった・・でも今は違う」

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