2009年10月22日 (木)

☆『あなたは私の婿(ムコ)になる』☆

21日(水曜)の夜。満を持し(=^_^=)、仕事後に“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと向かい、期待値の高まりっぱなしだった(=^_^=)1作『あなたは私の婿(ムコ)になる』を観て来た☆

当初は「完全にスルーしちゃう予定」だったんだが・・ヒロイン=サンドラ・ブロック(notソンドラ・ロック)の“全裸が拝める!”ってことをitukaさんのブログで知り(=^_^=)

「これは・・『完全犯罪クラブ(2002)』のアルティメット・エディションのブルーレイ・ディスクを買うのんに優先してでも、劇場で観とかなきゃならんぞ!(←どんなヤツだ)」と直感し、早急に動いた次第である☆

しかし何だ・・流石に水曜(=レディース・デー)だけあって、女性客の多いこと多いこと。。
「どうせ、通常料金だったら来ないんやろ、キミら!」と彼女らを個別に罵倒したい気持ちも沸いて来たが(←ひがむなよ、おっさんよ(=^_^=))・・そこはグッとこらえ、男性客の1人とし、肩身も狭く、コソコソ鑑賞したのである(・ω・)

ニューヨークの中堅出版社“Colden Books(←確か)”で編集長を務めるアラフォー(40歳前後)のマーガレット・テイト(サンドラ)は“デキる女性”ではあるも、冷酷で容赦ない一面が目立ち、職場では“魔女”などと恐れられていた。
そんな彼女が突然に迎えたピンチ・・それは「出国禁止命令の違反」による「労働ビザの更新の却下」を役員に告げられたことだ(←うっかり(取材で)国外出張してしまったのだ)。

このままだと、解雇は無論のこと、週明けにも故郷=カナダへの強制退去あるのみ! パニックになりそうな状況の中、部屋に入って来たのは、日頃彼女がこき使っている「上級アシスタント」のアンドリュー・パクストン(ライアン・レイノルズ)だった。

(実際のトコロは、役員とのやり取りが長引くことを嫌うマーガレット自身が「10分したら“急用”と言って呼びに来て」と彼に命じたのである)

年下(20代後半)のアンドリューと眼を合わせた彼女は“とっさの判断”で
「実は、大事なお知らせがあります・・私たち、結婚します!」と宣言してしまう。

当初は思い付きの“偽装結婚”で、差し迫った国外退去の危機を乗り切ろうと考えたマーガレットだったが、移民局の審査担当者=ギルバートソンの眼光は鋭く「偽装結婚は重罪。25万ドルの罰金&5年の懲役が科せられる」などと脅して来る。

取り敢えず「3日後(月曜の午前11時)に個別面接をする」「その場で辻褄の合わぬ点が明らかとなれば・・お分かりでしょうな?」と言われた2人は、週末をアンドリューの故郷であるアラスカ州シトカ(Sitka)で過ごし「パクストン一家への婚約報告」をしつつ「面接に備えての勉強」もすることに。

ニューヨークから遠く離れ、マーガレットはアンドリューのプライベートを(3年の上下関係の中で)初めて知ることとなる。
その一方、アンドリューもまた、仕事を離れたマーガレットの言動に、今まで知らなかった彼女の一面を垣間みることとなる。

3日後に迫る面接の日。果たして2人の“偽装結婚”は巧く審査官の神眼(?)をかいくぐることが出来るのだろうか?

う〜ん・・ハリウッド的な“王道系ラヴコメ”の域は脱せてないンだが、それはそれで破たんもドンデン返しもなく、安心して観れるってな「強み」はあるんかなぁ、と(・ω・)

ただ、本作の場合「アラスカ州シトカの人々」のキャラ造型次第で、完成度がハッキリ変わって来もし、個性的な面々だったか? と強く問われると「まだ弱かったかも・・」と思えてしまう。

尚かつ、キーキャラとなるべきアンドリュー役のライアン君に「突出した個性」が余り感じられなかった(・ω・)

ってことで、本作は「ヒロインにサンドラ姐さんを迎えてなかった」としたら・・「眼もあてられぬ駄作」となり果ててしまってたように思ったワタシ(・ω・)

齢(よわい)90を迎える(←設定による)アニー婆さんのパワフルさはなかなかにスゴかった! その一方で「アンドリューとの間に“溝”のある父ジョー」や「アンドリューの元カノ=ガートルード」のキャラ造型などに「もう一歩、深みが欲しかった」と感じた。

ひょっとしたら、カットされたシーンがあるんやろか?

中盤〜後半にかけ、マーガレットが「騙してる」ことを強く意識し始め、迷って行く姿が良かった。
とある人物と「面と向かい合って」語る場面で「私は・・」「私ね・・」と真実がなかなか言い出せず、瞳に薄らと涙をためるサンドラ姐さんの演技に・・こちらも思わずウルウルさせられた(⌒〜⌒ι)

このしとは“良い脚本”に恵まれさえすれば、きっとモノ凄い大女優にも成り得たろうし、今後成り得る可能性も多いにあると思う。これからも注目を続けたい姐さんである。

〜 ほかにこんなことも 〜

♦序盤におけるマーガレットのキャラ造型もまた「やや描写不足」に思えた。ま、描けば描く程「イヤな女」にしか仕上がらないンだろうけど。。
♦ルイ・ヴィトン&エルメス。バッキバキに固めてるね、姐さん!
♦“水に溶けるゴルフボール”って実在すんの?
♦ラモーン氏(ダンサー)を主人公にしたスピンオフ作品『フル・モンティ/2バッド』が観たい(=^_^=)
♦“子宝毛布”って、通販で宣伝してみたら、結構売れるような気がする(=^_^=)
♦毎年、クリスマスに『嵐が丘』を読む。むむ、、“文学少女”を引っ張ってはる感じやろか?
♦ロブ・ベイス&DJ-EZロックのヒップホップナンバー“It Takes Two”・・古い音やけど、カッコええなぁ〜!
♦美人キャリア・ウーマンも“18ヵ月”ものご無沙汰。。何とまぁ・・(×_×)
♦サンドラ姐さんのオールヌード、健康的で良かったッス! 眼福でしたッ! シチュエーション的に即座に連想したのは『恋愛適齢期(2003)』のダイアン・キートンさん辺りか、、あのしとの場合、ちとご年齢的に「体当たり過ぎた」が、、
♦ヌードシーン以上に良かったのは、焚火(?)を囲んでの姐さんのダンスシーン・・モロに“ファンサービス”っぽい演出だが(=^_^=)素晴らしい。
♦シトカ唯一(?)のインターネットカフェ(?)には、電話線の接続された初代iMac(1998製?)のお姿が・・! 「ピー、ガー」のモニター音を耳にしたマーガレットが「何? この音?」と戸惑ってたのが可笑しかった。
♦空港の管制塔にいたアンドリューの旧友(?)ってば(物語の進行上)何の役にも立っておらず、逆に良かった(=^_^=)
♦同僚の(外野からの)ひと言「どっちがボスなのか、見せてやれ!」が痛快だった(=^_^=)
♦ラストの某人物によるセリフ「Let's do it!(さぁ、始めよう)」が何とも印象的でカッコいい! 続く「質問」の内容は訳が分かんなかったけど(=^_^=)
♦問われた人物の「クイズ番組か? 一体何なんだ?」のツッコミが笑えた。

〜 こんなセリフもありました 〜

マーガレット「お世辞は要らない」
      「あなたはクビ。次の職を探すことね」
      「どうしても、愛の力には勝てなかったの」
      「特別な女(ひと)でも待ってるの?」
      「私たち、離婚までは“運命共同体”なんだから」
      「あなたたち、何者なの?」
      「犬をあげるから、携帯を返して!」
      「もう一度(お尻に)触ったら・・“大事なモノ”を切るわよ!」
      「・・覚悟を決めたわ」
      「ガタガタ道だけど、私なら走れる
      「冷静になりたかったのよ」
      「出来るわ・・私は優秀よ」
      「アラスカの寒さに、(バストも)縮んだみたい」
      「思い出したのよ! 家族ってものを・・!」
      「これ以上、騙し続けられるの? あなたには?!」
      「総てを忘れるのが、最も簡単なことよ」

アンドリュー「ヤバそうな気がする」
      「I'm listening.(何だい?)」
      「“5秒ルール”さ。荷物を海に落としても、5秒以内に引き上げればすぐ乾く」
      「君は“魔女”だってバレるなよ」
      「実は、、そのハナシは彼女が得意なんだ」 ←ハナシを振ったねぇ(=^_^=)
      「気掛かりは“あの箱”だった」
      「見られてるぞ・・僕に抱きつけ」
      「I'm processing.(ちょっと待て。データ解析中だ)」
      「その曲は知ってたが、君の歌が聴きたくて」
      「真実がバレたら・・あの2人は立ち直れない」

役員「残念だが、もう君を雇えない。解決策があるなら、とっくに手を打っているよ」
  「婚約の報告は結構だが、早く“合法的”にしろよ」 ←左手薬指を指差しながら、、

アンドリュー「一体、どうなってんだ?」
マーガレット「これもあなたのためよ」

マーガレット「泳げないんだけど」
アンドリュー「だから船に乗るんだ」

マーガレット「何故、貧乏と?」
アンドリュー「そんなことは(1度も)言ってない」

マーガレット「なんでハダカなのよ?!」
アンドリュー「そっちこそ、何で濡れてるんだよ?!」 ←このシーンのメイキング映像が観たい!

マーガレット「何なのよ?!」
アンドリュー「朝だから!」 ←このやり取りに、女性客から笑い声の上がってたのが良かった(=^_^=)

マーガレット「私・・恐いの」
アンドリュー「僕もだ」

アニー「“女の子”とは呼べない(年齢の)フィアンセね」
   「(ラモーンの)あの動き、初めてね」
   「大地に感謝して、子宮の豊かな実りを願うのよ」
   「あなたの思うようにしなさい
   「まだハナシの途中よ」
   「祖母は“孫への贈り物”が大好きなのよ
   「“家族の一員”になる努力をすると、約束して」

アニー「私が死ぬ前に、孫の挙式を見せて」
2人「・・了解です!」 ←そう言われたら、、ねぇ(=^_^=)

ジョー「編集者? 作家におごって酔わせる他に、どんな仕事を?」
   「あの女は“金づる”か? お前はカネのために“寝る”のか?」

ネス「返答の期限は、20秒だ」 ←短っ!

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2009年10月21日 (水)

☆『エアフォース・ワン(1997)』☆

たまってるレビュー(その2)

18日(日曜)の夜、中盤から鑑賞。地上波の『日曜洋画劇場』で放送されてたモノである。

改めて気付いたのが、ウィリアム・H・メイシー(ナントカ少佐役)の助演。あんなに終盤まで頑張ってくれてる存在なのに、出演すら知らなかったとは・・(×_×)

一方で、ラデク(羅木人形?)将軍を演じたユルゲン・プロホノフ氏ってば“セリフなし”だったんやろか?
『Uボート(1981)』『キリング・カー(1986)』『ヒバリーヒルズ・コップ2(1987)』辺りからのご活躍の印象がちと薄いンだが・・そうか、本作の少し前に『マウス・オヴ・マッドネス(1994)』があったんやなーと(=^_^=)

因みに、あの作品では、ヘイデン・クリステンセン君が、まだ子役やったんやなぁ・・(・ω・)

〜 こんなことも 〜

♦大統領の一家を「ファーストファミリー」と呼ぶことを改めて知った。まぁ、確かに・・。
♦終盤の「コールサインを変更する。リバティ24はこれよりエアフォース・ワンとなる!」のセリフは素晴らしい。公開当時、劇場で観ていたら、きっとウルウルしたことだろうな。
♦後半、機体後部のデッキからパラシュートなしで多数が転落してた・・(×_×)
♦「逃すな!撃て!」 何とか、門は走り出たんだけどねぇ・・(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

イワン「(妻と娘の)どっちを殺す? さぁ決めろ! ホワイトハウスでいつもやってることだろ? 神様気取りでな」
   「すまんね。解放すると言ったのはウソだ」

大臣(?)「歴史は今の君の決断を評価する」

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2009年9月25日 (金)

☆『宇宙戦争(2005)』☆

23日(水曜)の夜。
“ワーナー・マイカル・シネマズ綾川”で(邦画を)2本立て続けに観て、フラフラっぽくなりつつ・・帰宅してから衛星第2で放送された『宇宙戦争』を観た☆
何やら今週は“スティーヴン・スピルバーグ監督作”が特集されてるようである。

私的には、どうせなら“ス※ルバ※グ製作総指揮作”を特集し、如何に彼がリスクを最大限に回避しつつ、ネームばかりを売りまくっているか、をこそ暴いて欲しかったりもするんだが(←おい!) まぁ、国営放送だし、そこまでドギツイことも出来まいか。

私の中では『激突!(1971)』がシンプルかつ低予算ながらも、最も敬愛するスピルバーグ作品だったりする。アレがなければ『ブレーキ・ダウン(1997)』もなかったし、ジョナサン・モストゥ監督も世に出なかったであろう(←勝手に決め打つなよ!)

この『宇宙戦争』は、劇場でも観たし、DVDも買い、地上波でも鑑賞し・・としつこく何度も(=^_^=)観返してる、数少ない(?)スピルバーグ監督作と言える気がする。

オチの部分が実にあっけない(?)んだが、とにかく「エイリアンによる攻撃の容赦なさ」がスゴいのだ! ダイレクトな殺戮シーンの映像的衝撃は『インデペンデンス・デイ(1996)』以上かも(×_×)

その一方で、極限の状況下に立たされた(置かれた?)人間ってヤツの言動の醜さをも、しっかり描いてくれてる。

何だか「宇宙人との戦い」以上に「人間同士の戦い」にこそスポットの当てられてた気すらする(・ω・)

近年稀にみる“抑えとくべきスピルバーグ映画”とは言えるのかも。
・・いや、オチの部分は実にあっけないんスけどね(⌒〜⌒ι)

〜 今回の鑑賞で感じたりしたこと 〜

・ナレーションを耳にするに、ふと思う。「そう言えばモーガン・フリーマンさん、お元気なんやろか?」と。
・主人公レイ・フェリアー(トム・クルーズ)のセリフの中にだけ登場する、彼の“兄貴”ってのを観てみたかった(=^_^=)
・街で出会った悪ガキたち(?)に「お前らの仕業か?」と問うレイ。その思考パターンが『サイン(2002)』におけるメルギブ(メル・ギブソン)みたいで面白い。(あちゃらでは隣家のライオネル兄弟が不当に疑われてた(=^_^=))
・劇中で、合計4回も眠ったレイ、、(自室ベッド、地下室、移動中の車、ハーランの地下室) トムクル主演作の中では結構多い方じゃなかろうか?
・ハーラン・オグルビー(ティム・ロビンス!)との激闘は、本来戦うべき相手と全然違う方角を向いてて、奇妙な印象をも受ける。「いや、君ら同士でやってないで、テキはほら、あっち!」と言ったげたいこのテイストは・・そう! あの『ゼイリブ(1988)』の後半に酷似してた気がする。『ゼイリブ』では「(このサングラスを)かけろ!」「イヤだ!」で、本作では「(大人しく)黙れ!」「イヤだ!」って感じ。
・後半、レイの視界に広がる絶望的な風景は・・ヒッチコック監督作『鳥(1963)』の終盤を思わせる。
・ラストではトムクルも流石にキレてました(=^_^=) “Look at the Goddamn birds!!”だってさ。

〜 こんなセリフもありました 〜

レイ「“無難な選択のクルマ”だな、ティム」
  「妙だな・・? 風が嵐に向かって吹いてる」
  「(このクルマに)乗らなきゃ死ぬぞ! マニー」
  「違う! ヨーロッパから来た相手なんかじゃない!」

同僚「この薄情者!」
レイ「女からもそう言われる」

ハーラン「笑えるな。“死ぬ気”で“生きる”とは・・」
    「俺は駆除されんぞ!」
    「大阪では(ヤツらを)幾つか倒したらしい。日本人に倒せて、俺たちに倒せない筈がない」
    「どうやらお前とは・・考え方が違うようだな」
    「Not my blood!(この血は、俺の血じゃねぇぞ)」
    「この国は、俺たちだけが生きる場所だ」

レイチェル「抜いちゃダメ! 体が自然に(トゲを)押し出すから」 ←聞き流してはなりません(=^_^=)

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2009年9月15日 (火)

☆『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』☆

14日(月曜)の夜。
何だか随分と“やっとかめ(=久しぶり)”な感もあるが、仕事帰りに“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へ向かい、新作『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』を鑑賞した☆ しかし・・「おハリウッド最新作」かつ「中規模シアター」なのに・・またもや全席自由席だったり(・ω・)

そう言うと、嬉しいことに“キャラメル・ポップコーン”の販売が復活しており、迷わず買い求めた!(夏場は販売してないんかな?) 塩味とかトウモロコシ味が吐くほどキライなワタシでもあり(←なら買うなよ!)、これだけはかなり嬉しい☆
他の(有りがちな)味に比べると、内容量こそちと少ないが、それでも許せる。

1845年。カナダ北西部・ノースウェスト準州。生まれながらに病弱な少年・ジェームズ(≒ジミー)は、とある夜に起こった悲劇を機に、兄・ビクターと共に屋敷を飛び出すのだった。

怒りに我を忘れると、両の拳頭部から白い角質(?)の爪が飛び出すジミー。
一方、兄・ビクターは超人的な跳躍力を持つと共に、爪の先端が伸び、恐るべき凶器となる。

そう・・2人は“異端者”であった。

南北戦争、第1次大戦、第2次大戦、ベトナム戦争・・逃亡の中で逞しく成長した2人・・ジミー(ヒュー・ジャックマン)&ビクター(リーヴ・シュレイバー)は、各地の戦火に次々と身を投じ、沸き起こる「獣のような破壊衝動」を歴戦の中で満たし続ける。

だが精神の高揚する余り、ビクターは上官や自軍をも血祭りに上げ始める。
とうとう軍法会議で処刑(銃殺刑)の決まった彼らだが、常人をはるかに超越する2人は、処刑直後にたちまち復活しちゃうのだった。

そんな中、彼ら兄弟の“異端さ”に理解を示す将校=ウィリアム・ストライカー(少佐)がやって来る。
少佐にスカウトされ、“特別部隊:チームX”に加入したジミー&ビクター。

世界各地で「合衆国の敵」を秘密裏に排除する“チームX”
しかしある時、ナイジェリア・ラゴスでの某作戦行動のさなか、民間人に対する大量殺戮命令に嫌気のさしたジミーは、ビクターの制止を振り切り、独り部隊を去る。

6年後、カナディアン・ロッキーで樹木の伐採作業員とし暮らすジミー。
ケイラと言う女性教師と静かに生きる彼の前に、恐るべき魔の手が・・そしてその背後には、更なる巧妙な陰謀がその黒い影を落とそうとしていた・・

私的には『X-MEN(2000)』シリーズが(実は)あんまし好きじゃなく、特にジミー=ローガン(ウルヴァリン)が主人公である辺りも「大して特長も、リーダー的なカリスマも備わってねぇじゃん!」と思ってた1人なンだが・・正直“あらゆる設定が後付け”っぽくもある本作こそが「今までの4作で最も面白いかも!」と感じてしまった。

これまでの3作と比べ、(シリーズの)看板的なキャラ群が殆ど登場しない訳だが、それはそれで新鮮味があってよろしい! “おかしなヘルメットをかぶっとる磁力爺さん”も出て来ません(=^_^=) 終盤で「あんた、駆け付けるのが遅過ぎるよ!」ってしとが唐突に登場しはったりはするが(・ω・) ←CGぽかったし、、

改めてミュータントの中に「不老長寿型」の存在することを知った。かつて『X-MEN』の中でローガンが若頭的存在(?)の“サイクロップス(スコット・サマーズ)”を「小僧扱い」するセリフがあったが、こんなに年齢差&経験の違いがあるとなりゃ、それも仕方ないかも、と。

“チームX”は、個々の能力(の程度)からすれば「やや弱い」んだが、それを補って余りある「個性」「野郎っぽさ」がムンムンしてて楽しかった(=^_^=) ランク的には「弱ミュータント」って位置付けだろうか?

前半のラヴロマンスが好きで好きで、もっともっとああ言う「エエなぁ〜」と男性諸氏の憧れるノロけた世界観をダラダラ描いて欲しかったんだが・・中盤から「ローガン現れる所、乱あり」ってな風に、作品世界が騒々しく&血なまぐさくなり過ぎてた感があるかな。

(相互リンク先の)itukaさんもブログ記事で書いておられたが「中盤、農場での場面」は、描き方はああするしかなかったにせよ、もっと余韻の残る演出が欲しかったぞ! あのしとたちは本作で一番可哀想だし、一番顧みられていないと感じた。

観終わって、ふと「色んなキャラが増えちゃって、余計に収集つかなくなってるじゃん!」と突っ込めもしたんだが、それはそれで続編(タイトルは、差詰め『ZERO2』辺りか、、)なんかに、それはそれで期待しちゃうワタシなのである(=^_^=)>

突っ込みドコロ満載ではあるも、現時点で最も「アタマ空っぽで観て、夢詰め込める」そんなメジャーな1本であると評したい。

〜 こんなことも 〜

・母親に「お前は何なの?」と言われちゃうジミー君。「いや、そう申されましても・・」
・オープニング、兄弟が名だたる戦場を走り抜けるシーンの映像演出に“戦争絵画の雰囲気”があって印象的だった。
・バイクで戦うジャックマンを眺めて『マンハッタン無宿(1968)』『ガントレット(1977)』のクリント・イーストウッドを“やっぱり”連想した(=^_^=)
・トーチカに単身飛びつき、さっさと壊滅させちゃうビクター兄ィ。戦争のルールを完全無視ですな〜(⌒〜⌒ι)
・ゼロ&ウェイド。この2人の戦闘能力が異常に高くてスゴかった! 飛んで来た弾丸を一刀両断! ってのはまだしも現実味があるが(←ないない)、弾丸を真っ2つに切り飛ばし、それらで左右のテキ2人を同時に倒す・・ってのはスゴい!
・ケイラさんのような「優しくて」「薄幸そうで」「エッチそう」な女性を見つけたら・・男性諸氏は絶対に放してはならぬ!
・(A)カナダで林業(伐採業)をやり、年収18500ドル。(B)オハイオ州スプリングフィールドの遊園地で、電球を使ったトリックで稼ぎ1回3ドル。どっちが狙い目?(・ω・)
・クエクワツー=ウルヴァリン。雑学としてためになるのやら、どうでもエエのやら。。
・アダマンティウム弾を頭に撃ち込まれると記憶が失われるが・・注射針で脳に注入すれば・・記憶は失われない?
・(A)納屋に全裸の一般男性が!⇒通報、場合により射殺(×_×) (B)納屋に全裸のヒュー・ジャックマンが!⇒全国から女性が殺到(=^_^=)
・「48年式パンヘッド」なるバイク。“ヨンパチ”ってな通称があるらしい(ネット情報)。
・スコット・サマーズ君。昔から建物を「うっかり壊す」クセがあったのね、、
・5億ドルあれば、全身の骨格にアダマンティウムを注入して貰えるらしい!(要らんわ!)
・唐突にボクシングやったり、カジノに向かったり、と展開が読めなくて楽し。
・レミー・ルボー(通称:ガンビット)なる若者。絡みが中途半端だが、印象的な人物ではあった! にしても、あのキャラ造型のイメージするトコロはジョニー・デップか? アントニオ・バンデラスなのか? はたまたオーウェン・ウィルソン?(・ω・) ←声色は何となくトム・ハンクスぽかったような、、
・ゼロは何処か加勢大周を連想させてくれた(⌒〜⌒ι)
・ウェイド役のライアン・レイノルズ。実生活ではスカヨハさんの旦那さんですか! ウッディ・アレンに恨まれるだろうなぁ・・?(⌒〜⌒ι)
・考えると・・第2次大戦時代、あのマグニートですら少年だったんやね、、
・あの教師はどんな「裏の生活」をしてたんや? どうにもムリがある(×_×)
・最強の存在は、本作に於いても・・醜かった(×_×)
・エンディングには2度ものカーテンコール(?)が。。最後まで席を立たない方が良いのかも?
・主人公兄弟の両親、老夫婦の息子(ジミーと激しく“体格一致”!)、太ったボクサーの過去、ジミーとケイラの馴れ初め、とかすべてカットされてたし。。3時間ぐらいの“完全版”があるんなら観たいのぅ(=^_^=)
・アダマンティウムは“サイクロップス型ミュータント”の熱線をも防ぐ!
・連想した作品は次の通り。『トータルリコール(←監視役の存在)』『スーパーマン(←老夫婦との関わり)』『スター・ウォーズ(←ジャバ様)』『ナッティ・プロフェッサー(←クランプ教授・・って言うかリック・ベイカー)』『M:i−2(←要塞島)』『ジャンパー(←瞬間移動演出&生意気な仲間)』『ボーン・アイデンティティー(←田舎に現れる狙撃手)』『ボーン・スプレマシー(←恋人の喪失)』『マッド・マックス(←動けない相手を葬る)』

〜 こんなセリフもありました 〜

ジミー「殺すつもりは・・」
ビクター「あったろ?」

ビクター「俺たち兄弟は互いを護らねば。そして、誰にも負けないよう、強くなるんだ」
    「(処刑が)終わったら、起こしてくれ」
    「上官を殺した理由? エラそうなヤツが嫌いでね」
    「前からお前に言っときたかったことがある・・動きが読めるんだよ!」
    「これきりになどならんさ。俺たちは兄弟だからな」

ジミー「あんたの望み通り、獣が生まれたのさ」
   「直感を無視し、自分を見失っていた」

ウェイド「刀は“記憶に残る”武器だ」

※「少しは黙れんか?」
ウェイド「起きてる限りはな」

ブラッドリー「お前なんか怖くないさ。死ぬこともな」
ビクター「何故そう言い切れる? 死んだ経験があるのか?」

ストライカー「驚きだ。全く歳を取ってないな」
ジミー「健全だからさ」

ストライカー「国家のために働こうとは?」
ジミー「あいにくだが、俺はカナダ人でね」

ケイラ「貴方の能力は“神からの贈り物”なのよ」
ジミー「送り主に返したい気分だよ」

ケイラ「女性は“説得する能力”を授かっているのよ」
   「月が孤独なのは・・恋人を失ったからなの」

ビクター「この店、保険をかけてるか?」
店主「いや、かけてない」
ビクター「そりゃ・・気の毒に」

ジミー「何故だ?!」
ビクター「こうでもしなければ、再会出来なかったからな」

ストライカー「お前は酷い苦しみを味わうが・・復讐を果たせるだろう」
ジミー「苦しみには、慣れてる」

ストライカー「ヤツを倒すには、お前の“人間以外の面”の力が必要なのだ」
      「獣となれ!」

トラヴィス「その裸体をこれで覆って隠せ。妻に卒倒されては困るからな」
     「若いの・・“何か良からぬこと”をやろうとしておるな?」

トラヴィス「人には親切にせんとな」
ジミー「親切・・その言葉に慣れてなくて」

トラヴィス「“血を求める者”の末路を?」
ジミー「・・いや」
トラヴィス「血に溺れるのさ。だから“他の道”を行け」

ジョン「何をされた?」
ジミー「訊くな」

ジョン「俺が騒ぎを起こすとでも?」
ジョン「いつもだろ?」

ジミー「飛び降りたら(海面は)痛そうな高さだ・・(俺を)いい気味だと思うか?」
レミー「ざまあみろ、だ」

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2009年7月31日 (金)

☆『アンティーク/西洋骨董洋菓子店(2008)』☆

30日(木曜)の夜、仕事帰りに思い付き、商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”にて日本の人気コミックを原作とする韓流作『アンティーク/西洋骨董洋菓子店』を観て来た。
正直、余り期待はしてなかったんだが・・これまでに(同シアターで)何度も観た予告編の中に“ミステリアス&サスペンスフルな要素”を感じもしたので、そこにちょっと興味を抱いた次第(・ω・)

1997年。とある高校の屋上で1つの恋が終わりを告げる。美貌の男子生徒=ソヌが意を決し、意中の同級生(←同性)=ジニョクに告白するも・・ジニョクはソヌの差し出したケーキを(罵倒しながら)彼の顔面に押し付けたのだった。

2008年。ジニョクは『アンティーク』と言う名の小さなケーキ店を開くことに。
しかし実は、彼は“甘いもの”が大の苦手なのであった・・では何故、敢えてケーキ店のオーナーに?

そんな謎を漂わせ(=引っ張り)つつ、お洒落な『アンティーク』に個性的な3人の男が集まって来る。

・11年ぶりの“因縁の再会”を果たすこととなる、今や“伝説のパティシエ”と呼ばれるソヌ。
・ケーキ好きが高じ、ソヌに弟子入りを果たすギボン。
・ジニョクの過去を知り、彼を“若(わか)”と呼ぶ怪し気なグラサン男=スヨン。

こぢんまりとした店ながら、常連客を増やし、順調な経営を展開する『アンティーク』

しかしそんな中、パリからジャンと言う名の“天才パティシエ”がソヌを迎えにやって来る・・

「中途半端なミュージカルテイスト」「何となく“勧善懲悪度”の低い終盤」「ノーマルな(?)恋愛描写なきストーリー」「ブライアン・デ・パルマ監督(←1例)を思わせる“画面分割テクニック”の多用」など、、観ようによっては粗く、観客を選ぶ作品ではないか、と。
折角の『アンティーク』も、店内(内装)より“厨房の模様ばかり”が映され「もっと丁寧に店内を映して欲しいなぁ」と感じた(×_×)

作品の性格上(?)、女性キャラが総じて少ないのは「観ててツライ」トコが「男性観客として」確かにあった(×_×)

幾つかのミュージカルシーンのみ“女性パティシエ(女性メイド?)”がわんさと登場するも、彼女らがあんまり可愛くなかったのも残念、、って言うか、私的にはメインのボーイズ(?)キャラ4人も押し並べて「フツーですけど・・?」って印象だった。
(確かにシーンによって、ソヌのみにはゾクッとさせる魅力を感じなくもなかったが・・)

中盤以降、ジニョクの幼少期(9歳ごろ)を巡る“謎”が次第に明らかとなって行くが、後半に描かれる「犯人追跡」の場面で『羊たちの沈黙(1991)』を思わせる(過去と現在の2シーンの)映像がカットバックっぽく展開されたのには「やるね!」と感心させられた。

笑えず、泣けず、引き込まれず、、とワタシとしては「ピンと来なさ過ぎ」な1作だったが、ワタシ以外の観客が全員女性だったことからも、ワタシが単に(作品の)ターゲットから外れてただけかも知んないネ(⌒〜⌒ι)

〜  こんなセリフもありました 〜

ジニョク“幸せな時にケーキを食べたくなるのは・・人間の本能”
    “ケーキを食べて不幸な人が? いるさ、ここに”
    「達人の有難い言葉? ・・いや、赦せない!」
    「お前の給料より、お前の腹に収まったケーキの方が高い」
    「ケンカなら、店の外で解決して来い」
    「謝罪なら、手短にしろ」
    “出会ってすぐにセックス、後はケンカばかり。まるでフランス映画だ”
    「お前もツキに見放されたみたいだな」
    「俺の事情を理解しないお前の無神経さには ・・ 随分と助けられた気がする」
    「“自分のして来たこと”全てに責任を取れる人が、いるでしょうか?」

ソヌ「僕を好きになるかどうかは、誰にも分かりません」
  「お前にフラれたから、今まで自由に生きられた」
  「プラダのパンツを一括払いで買う。それが夢さ」
  「女と同じ空間にいると、怖くて仕方がない・・女はダメなんだ」
  「パンを知るには、パンになれ」
  「素質はある。それに、お前ほど熱心な奴は見たことないよ」
  “成功しても、店を大きくするな”
  「無理するな」
  「材料より、配合の仕方をみろ」
  「“寝た”直後に出た言葉だから・・“ノー”と言えなくてね」
  「ケーキ作りは、言葉より腕だ」

ギボム「あいつは所詮、1分45秒で敗北する奴だったのさ」
   「昔はあいつの言動がいちいちハナについたが・・今は哀れに思える」
   「金でも身体でも使って、引き止めろよ!」

ジャン「客扱いの酷い店だな」
ジニョク「・・何だあいつは? “国家代表のゲイ”か?」

ジャン「権力を使って引き止めたとしても、ソヌはきっと逃げ出すだろう」

彼女「そんな言葉で女が口説けると?」

刑事「ボス! ケーキじゃなく、お客を見なきゃ!」
  「食べるの? 糖尿病は?!」

追記1:ジニョクの愛車とし登場する“初代フィアット500(=チンクエチェント)”が魅力的☆ 雨の中を“チンク”の走る場面では「雨漏り、サビ、大丈夫かよ〜?!」と(別な部分に)不安を覚えてしまった(⌒〜⌒ι)
追記2:世界には「3大パティシエ」と言うしとたちもおるらしい(・ω・)
追記3:店内の全ケーキを買い占めると32万ウォンとなる。また、店で惜しげもなく客に出されるケーキ皿(ババリア製)は、1枚100万ウォンするとか・・(×_×)
追記4:韓国で有名なケーキ店は「ウィーン」「クッキー・モリ」「ガル」の3軒だそうだ。

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2009年7月 7日 (火)

☆『英国王・給仕人に乾杯!(2007)』☆

6日(月曜)の夜。実は“シネマサービスデー”でもあったこの日。
何の予備知識もなく、また正直、期待感もさほどなかったんだが(おい!)「興味なき作品を、敢えて観てみるのも面白いかも知れんよ、キミ」とふと考え、アーケード内のミニシアター“ソレイユ”で、細々と(?)上映されてたチェコ映画『英国王・給仕人に乾杯!』を観て来た☆

(映画に疎い)一般の高松市民各位ともなると、ワタシ以上に財布のヒモが堅いとみえ(?)“シネマサービスデーだのに”寂しい入場率となってしまってた(・ω・) いや、意外と悪くはなかったんだけどねぇ・・

チェコ共和国の首都=プラハの某所にある「再教育監獄」から、15年もの刑期を終え、1人の老人が出所した。
彼の名はヤン・ジーチェ。投獄により総てを失った彼は、当局(?)に指導されるまま「国境地域」へと向かい、そこで道路工夫(こうふ)の仕事を始める。

若い頃には駅のホームで、細々とソーセージを売っていたジーチェ。
「小銭を稼ぎ、いつかは百万長者となり、自分のホテルを所有するんだ!」と言う夢を心に秘め続けて来た、青年期以降の彼の半生が、チェコスロヴァキア(←分離前)の辿った“激動の時代”をバックに綴られて行く・・

小柄な青年がそこそこの女性遍歴を経て、そこそこにチャンスを掴みつつ成り上がって行く・・ってなファンタジックかつ“時代を駆け抜ける”テイストに『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』を連想してしまったりも(トム・ハンクスは決して小柄じゃないけど)。
しかしながら・・中盤以降、作品世界は大きく“ハーケンクロイツ(鉤十字)”に覆われることとなる。。それにより、良くも悪くも作品世界が重厚に、かつドンヨリとしてしまってた感もあった(・ω・)

私的に「嬉しきサプライズ」だったのは、ふんだんに“エッチ系シーン”が盛り込まれてたこと☆
特に、主人公と親密な関係になってゆく“アーリア人至上主義者”のリーザ・パパネクさんのご尊顔が、ワタシの好みになかなか合致しており、このしとを眺めてるだけでハッピーな気分に浸ることが出来た(=^_^=)
他にも欧州美人が多数登場するし、その殆どが“美しきおっぱい”を惜しげもなく(?)見せてくれるのには、自身の中で溜飲の上がる間がなく(=^_^=)素晴らしかった☆

また、そこそこにCG描写(不気味な“モーフィング”など)もあり、そこそこにグロテスクな描写(戦傷兵など)もあり、で予測不可能っぽい半生記には仕上がっていたかな、と。

しかし・・決定的な「これアカンやろ!的描写」こそないモノの・・正直(作品全体に対し)PG指定をかけといた方が良かったんじゃ?・・と思ってもしまう本作であった(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

♦大富豪の楽しみの1つで“真夏の庭に冷凍庫を持ち出し、雪合戦をする”ってお遊びをやってた☆
♦第2次大戦当時、ドイツ女性(アーリア女性)を妊娠させるには“精液検定”に合格する必要があったらしい(×_×)
♦“優生学研究所”の屋外プールはなかなかに楽園状態☆ 全裸のドイツ姉ちゃんが、泳ぎまくってます(=^_^=) あっこら! おっさんは全裸で泳ぎなや!(苦笑)
♦“ハイル!(総統閣下万歳)”の際に挙げるのは「右手」が正しいらしい。
♦「チホタ荘」から「研究所」へ・・所有者こそ代われど、あの「2階」の使われ方はさして変わんなかった(⌒〜⌒ι)
♦戦時中のプラハでも“女体盛り”みたいなことをやっとったんやね。。
♦ラスト、老いたジーチェがカメラ目線で観客に語りかけるのが印象的。あれは監督の狙いか? それとも・・主演男優のアドリヴ?(んな訳ないか(=^_^=))

〜 こんなセリフもありました 〜

ジーチェ“幸運はいつも、不幸とドンデン返しだった”
    “大抵の人間は、道に落ちたコインを拾わずにはいられない”
    “飲み仲間と罵倒し合えば、ビールが美味くなること・・を彼らは知っている”
    “床に札束を敷き詰める筈が、こんなトコロで砂利を敷き詰めている”
    “直しているのは道路か? 自分の人生か?”
    「君は男好きな女だね? 眼を見れば分かる」
    “何も見るな、何も聞くな。だが、総てを見よ、総てを聞け。と「給仕の心得」を教え込まれた。
     かくて私は、何も見ずに総てを見、何も聞かずに総てを聞いた”
    “学ぶべきことを、学べる場所へ!”
    「人間は愚かで、悪意に満ちている、と。それは真実だと?」
    “彼女の人生は、悲惨な程に美しい”
    「チェコ人は、戦争なんかしない」
    “鏡の中の自分の姿が、見れば見る程恐ろしく思えた”

ヴァルデン「何を買い、何処でそれを売るか・・それが“商売の総て”だ」
     「捨てたコインが、札束となって戻って来ることもある」

※「“幹に音楽をたたえる樹”が森には存在する」

リーザ「ボヘミアの辺境からカルパチア山脈まで、“総統”は総てのドイツ人を解放するわ」

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2009年6月25日 (木)

☆『愛を読むひと』☆

24日(水曜)。来週のアタマ&週末に2本の出張が控えてるんだが・・それらの宿泊費等が早くも(嬉しくも)支給され、束の間の「リッチ気分」に浸ることの叶った1日でもある。
そんな訳で、今日は北方に位置する“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと仕事帰りに繰り出し、狙ってた1作『愛を読むひと』を首尾良く観て来た☆

シアターが全席指定だったこと、女性の姿の多かったことから「今日ってば“レディース・デー”やったんやね☆」と気付いたワタシ。女性客の皆さんってば“官能系”を期待して、本作を観に来たはったんやろかいね・・?(知らんがな!)

ワタシとしては、当然ながら(?)「PG−12指定」ってのに“甘美な響き”を覚えた次第であるが・・(=^_^=)

ドイツ・ベルリン、1995年。
中堅弁護士=マイケル・バーグ(レイフ・ファインズ)は検事である妻=ガートルードと別れて後、今では“特定の女性たちと、表面的な男女関係を短い間隔で続ける”だけの、そんな“希薄な私生活”を送っている男だ。

彼が仕事の合間に、そして女性たちと恋のさなかにあってすらも思い出すのは・・15歳だった頃(1958年)、故郷=西ドイツ・ノイシュタットで出会った、ある年上の女性との“ひと夏の恋”であった。

その女性は当時36歳の女性車掌=ハンナ・シュミッツ(ケイト・ウィンスレット)。突然の猩紅(しょうこう)熱に襲われ、苦しんでいた所をたまたま通りがかった彼女に介抱して貰ったのをきっかけに、年齢をまたいだ2人の“男女の付き合い”が始まる・・

ハンナはマイケルとの逢瀬の中で、彼に朗読を乞うようになる。
マイケルは『オデュッセイア(ホメロス著)』『チャタレイ夫人の恋人(ローレンス著)』『犬を連れた奥さん(チェホフ著)』『戦争と平和(トルストイ著)』『ドクトル・ジバゴ(パステルナーク著)』などを語って聞かせる。

ハンナはマイケルの朗読の声に耳を傾け・・そして彼女の「今日はそこまで」の言葉を合図に、少年は「待ってました!」とばかりに(=^_^=)彼女の豊満な肉体にしがみついてゆくのであった。

しかしそんなある日、ハンナは「別れの言葉」もなしにマイケルの前から忽然とその姿を消してしまう・・

ハイデルベルク、1966年。
“ハンナの喪失”と言う過去を未だに引きずりつつ、法学を専攻したマイケル(大学生となった)は、ロール教授(ブルーノ・ガンツ)のゼミの中で、とある元ナチス党員たちの裁判を傍聴する機を得る。

そして彼は、43歳となったハンナの姿を被告人席に認めたのだった・・

監督が『リトル・ダンサー(2000)』『めぐりあう時間たち(2002)』のスティーヴン・ダルドリー。プロデュースがアンソニー・ミンゲラ(!)&シドニー・ポラック(!)。字幕担当が戸田奈津子女史。
と、もの凄いメンバーが結集しての本作なんだが・・私的には、期待してたほどの感動はなかったかなぁ・・と(×_×)

注:ミンゲラ&ポラックの両監督とも故人である。

って言うか、ワタシが観たかったし、評価もしたかった「甘酸っぱい(あの夏の日々の)ロマンス的な演出」が中盤までにすっかりその影を潜めてしまい、そこから後はひたすらに重く、(半ば)枯れた物語世界が展開されてたよ〜な。。

ホロコースト路線で、この(作品)カラーの“反転ぶり”から連想したのは『ライフ・イズ・ビューティフル(1997)』辺りだろうか? あの作品も、中盤から作品のドンヨリしてしまってた印象が強い。

本作では、特に終盤にて(あの)レナ“蜘蛛女”オリンさんが、とある人物を“強烈なキャラ造型”でもって演じ切るんだが、ホンマにホロコーストの人々の(ナチスに対する)怒りの記憶は「(終戦から60年以上が過ぎようと)まだまだ乾いてないんや・・」と深く考えさせられもする(・ω・)

一方で、マイケル&ハンナの絆、ちぅか“心の交流”みたいなモノが、総じて思うのは「意外と表面的に過ぎなかったんかもな〜」とか。マイケルにせよ、ハンナにせよ、どちらもが「肝心な時に(相手に対し)背を向ける」みたいな言動があり、それはそれでリアルなんだろうけれど、ロマンチストな(?)ワタシとしては残念でならなかった(×_×)

中でも、一番勿体なかったのは「若き2人が1泊の自転車旅行に出かけた」と言う設定。あれは映像的にも物語的にも“かなり使えるネタ”だったハズであり、もっと「濃く描く」とか「ラストでもう1度、(別な切り口で)描き直す」とか、やって欲しかった!
ダルドリー監督には『チェンジリング(2008)』や『12人の怒れる男(2007)』『世界の中心で、愛をさけぶ(2004)』なんかの構成を勉強して欲しい! 

ケイトさんは本作においても「おっぱい出しまくり」で奮闘されてたが・・そのおっぱいの造型(?)が、年齢相応って言おうか、妙にリアルで、それはそれでゾクゾクっとさせられもした(=^_^=)
「歳、取らはったんやな〜」と思いつつ、彼女より更に年上である自身に気付き、ゲンナリとしてしまったりも・・(⌒〜⌒ι)

何にしても、前半の雰囲気の良さが崩れてしまったことに、やはり個人的にはガッカリさせられた本作。2つの時代を巡る男女のドラマの練り方(や組み立て)に、もう少し工夫が出来なかったものやろか・・?
(終盤では、レナ“蜘蛛女”オリン様が作品世界をすっかり覆い尽くしてた印象もあったし、、)

〜 こんなトコロも 〜

♦戸田さん節、やはりイマイチ炸裂せず! 「柱廊(ちぅろう)を駆け抜け」なる表現は独自性が光ってたが・・
♦アイロンがけの前、その底面に唾をプッと吹きかけるハンナの所作がワイルドで良かったかも☆
♦マイケル少年。劇中で最初の行為が「嘔吐」ちぅのは・・結構「映画史」に残るべき脚色やも知れぬ??
♦ロール先生&マイケルのドラマが唐突に終わってたけど、、カットされた部分があるんやろか?
♦マイケルを巡る「様々な女性たち」の「様々な価値観」「様々な強さ&したたかさ」がしっかり描写されてたのは、むろん評価したい! 女性監督でもなしに、良くぞあそこまで各(女性)キャラに踏み込んで描けたもんだ!
♦重要アイテムであろう「紅茶の缶(?)」・・あれはつまり、ハンナと(少女時代の)あの女性の“過去”を「観客に想像させる」ための品だったんやろか?
♦「狭く、決して清潔じゃないけれど、あたたかい」・・そんな、彼女の家の“浴槽”は何だかイイよなぁ〜(・ω・)
♦「西洋文学の“核”はそれが内包する“秘密性”である」とかなんとか(劇中で)解説されてた。

〜 こんなセリフもありました 〜

※「あなたの考えが読めるほど、長く付き合う女がいて?」

ハンナ「Look after yourself.(気を付けて)」
   「ズボンのまま風呂に入る気? ・・大丈夫よ、見ないから」 ←って、、しっかり見てるやんか!(=^_^=)
   「“このため”に戻って来たのね?」
   「私を見て・・坊や」
   「私を怒らせる? ・・自分が“それほどの相手”だと思ってるの?」
   「(『チャタレイ夫人の恋人』は)わいせつだわ!」
   「計画が得意なのね?」
   「地図は見せないで。(先のことは)知りたくないの」
   「・・朗読はもう終わりなのね?」
   「死者は生き返りはしないわ。今になってどう感じても、どう考えてもね」

マイケル“この人生は、仕事ばかりか?”
    “人を幸せにするもの・・それこそが愛だと”
    「あなたは僕のことを、何も訊ねないんだね」
    「謝るのは、いつも僕だ」
    「私は厄介な父親さ・・誰に対しても、打ち解けることの出来ない、ね」

※「あなた、真面目そうね」
マイケル「そう育てられてね」

ロール教授「社会を動かすのは何だと? “道徳”? 違う・・“法”だよ」
     「そう・・“法”は狭いのだ」
     「“感情”は無関係だ。問題は“どう動くか”なのだ」

マイケル「過去を考えることが?」
ハンナ「私たち2人の?」
マイケル「いや違う・・そうじゃない」

マイケル「静かに? 賑やかに?」
ハンナ「静かに」

マーサー「収容所で学ぶことなどないわ・・何も得られない所よ、何もね」
    「関係団体に寄付なんかしたら“赦した”と思われるわ」

追記:1958年当時の「避妊事情」ってどうやったんやろ? 冷静に考えると、ちょっと恐ろしいロマンスではありました。。

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2009年5月26日 (火)

☆『永遠のこどもたち(2007)』☆

24日(日曜)。金曜の夜から“2泊3日コース”の出張(松山方面)があり、この日の夕方に至りようやく帰松(と言うの?)と共に仕事モード⇒私生活モードへの切り替えが出来たような、そんな週末だった。
15時過ぎに社用車をオフィスに置きに戻ったんだが、そこから帰宅を開始するにあたり「週末らしい“気分転換的なサムスィング”をしときたいな」といきなり思い立ったワタシは、アーケード街にあるミニシアター“ソレイユ”に寄ってみることとした☆

“映像化不可能”と言われた(?)とされる某新作邦画の公開も始まっていたが、そちらはまだ上映期間に余裕があるんで・・今回は期間終了の迫ってる1本『永遠のこどもたち』を観ることに。

神戸などでは1月初旬に早くも鑑賞が可能となってた本作(・ω・) 私的には『パンズ・ラビリンス(2006)』以来、こそっと注目してるメキシコの鬼才=ギレルモ・デル・トロ(監督)がその製作を手がけた・・ってことで看過は出来まいと(年始から)感じてたワタシだった。

灯台をその先端に擁する、岬の見える海辺の孤児院“良き羊飼いの家”で幼少を過ごした37歳のラウラは、30年ぶりにこの地に戻って来る。彼女と医師である夫=カルロス、7歳の息子=シモンの一家は閉鎖されていた孤児院(洋館)を買い取り改修し、障害を持つ子供らのためにホームを開設しようと考えたのだ。

空想癖のあるシモンは、ワトソン&ペペと言う“見えない友達”と日頃から語り合う子だったが、孤児院へやって来てからは彼らとは別の“新しい友達”との内緒話に興じるようになっていく。

そんなある日、灯台の真下にある“満潮になれば海に没する洞窟”に散策(探検?)に出かけたラウラは(一緒にいた)シモンが「後でうちにおいでよ」と洞窟内の暗い岩陰で“友達”に囁いた日から、屋敷の中に「家族ではない誰かの存在」を強く感じるようになる・・

そして迎えたホームの開園パーティーだが・・シモンが孤児院から忽然と姿を消してしまい・・

観るまでは『アザーズ(2001)』に似た、何処かモヤモヤ感を内包した作品世界を想像していたが、何となく観てて連想したのはJホラーなあの1作『仄暗い水の底から(2002)』だったりした(=^_^=) 中盤の“シモンがいなくなる”辺りは『チェンジリング』っぽい構成にも感じたが、あちらよりも随分と(伝わって来る)喪失感の薄い気もしたか(・ω・)

チラシにも「『シックス・センス』以来の衝撃と感動!」とデカデカ書かれてる通り、どうにも“もはや1ジャンルとして確立しちゃった感のある『シックス・センス(1999)』路線”と決め打ってしまいたくなるような・・少し(ワタシの)期待から外れてしまってもいた本作。

そうは言っても“灯台”“洞窟”などを配したミステリアスな(スペインの)ロケーションや、ボロボロの麻袋(?)をかぶった“スケアクロゥ”みたいな邪悪少年=トマスの存在などが異彩を放ってるのは事実であり、正直「変に母性に満ち溢れた感動路線に着地せずとも、もっと不条理な恐怖路線を貫いても面白かったのにな?」と思ったのはあった(⌒〜⌒ι)

ホラー路線を「良く分かんないままに描く」のかと思いきや、警察&心理学者&霊媒師などが中盤から絡み始め、しっかりと“科学的な検証”も交えつつストーリーが進むのには、ちょっと制作陣の「それらしく見せる、第3者の介入にも、ぬかりないんでっせ!」的な“してやったり感”が受け止められて良かった(=^_^=)

私的に「これは怖いさぁ!」と感じたのは次の3点。
・(とある事情で)すっ飛んだベニグナ・エスコベード婆さんの下顎部周辺の凄い描写(×_×)
・ラウラのベッドにこっそり潜り込んで来たカルロス(?) ←ここはまさに『仄暗い』系と言えましょうか、、
・「1、2、3、壁を叩け」なる“達磨さんが転んだ”的な遊びをやる2回目のシーン。あの“振り返った先の情景を映し出すカメラワーク”はただモンじゃなかった!

ちょいと「おっさん」が観るには“余りに神聖過ぎて(?)こそばゆい感”のあるエンディングだったが、女性ならきっと誰もに、不思議な魅力と余韻を約束してくれる、そんな佳作ではないかなと思いますわ。

〜 こんなことも 〜

♦「灯台内の探索シーン」も盛り込んで欲しかったかな、と。
♦さり気なく“マトリョーシカ”をアイテムに持って来るトコロに“松尾スズキ”なセンスを感じた(=^_^=)
♦霊媒師=アウローラを好演してくれたのはジェラルディン・チャップリン。『ハイジ(2005)』のロッテンマイヤーさんを思い出してしまった(=^_^=)
♦スペイン北部に位置するアストゥリアス地方・・結構な雪が降るんですねー(☉д☉)

〜 こんなセリフもありました 〜

シモン「僕はならないよ、大人にはね」

ラウラ「(灯台の)見えない光が私たちを護ってくれる」
   「見えない存在の気配を、今は感じる」

アウローラ「悲劇は時として傷口を残してゆく、残響のように。そしてそれは、過去と今を繋ぎさえする」 ←『呪怨(2003)』みたいやね(×_×)
     「見えないものを信じなさい・・信じれば、それは必ず見えるわ」

レオ・バラバン教授「ユングによれば、潜在意識下において生者と死者は共存している」
         「“死の使い”であるとされるドッペルゲンガーの出現は、霊界の入り口が近いことを意味する」

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2009年4月11日 (土)

☆『宇宙戦争(2005)』☆

10日(金曜)の夜。仕事帰りに、某シアターに寄り“高松市に住み始めて以来、初の劇場鑑賞”を済ませた☆
まだまだ“大阪時代の生活ペース”の取り戻せてない感が強いが、少しなりと「やりたいことの出来た嬉しさ」を感じた次第。

帰り道、上機嫌(?)で実家に電話したトコロ、ハナシの中で家人より「ところで、今夜は『宇宙戦争』が放送されるよな?」って言葉がポロリと飛び出し、文字通り全身に電撃の走ったワタシ(⌒〜⌒ι) 「そやった!」

次の瞬間、自転車のペダルをこぐペースが倍増し、恐るべきスピードで帰宅したのだった!
で、夕食の準備に優先して(=^_^=)テレビを点けたのが、午後8時57分・・ホンマに番組開始ギリギリですた(・ω・)

『金曜ロードショー』で“地上波初放送”となるこの『宇宙戦争』。公開当時劇場で鑑賞、その後(通常版)DVDで2度観たので、今回で4度目の鑑賞となる計算だ。
(通常版)DVDはどなたかに進呈してしまったが、その後再び(特別版)DVDを買い直し(何でやろ? 安かったんだっけ?)、そちらは未開封のまんま、新居内の箱のどれかに入った状態で放置されている(×_×)

港湾でクレーン作業員として頑張るバツイチ(?)パパ=レイ・フェリアー(トム・クルーズ)。息子ロビー(ジャスティン・チャットウィン)、娘レイチェル(ダコタ・ファニング)との関係もぎこちないままに、父子3人の生活が始まるが・・奇しくも街の教会の地下から恐るべき“侵略者”がその姿を現し、破壊と殺戮の限りを尽くす。

別れた妻の待つ(?)ボストンへと向かうフェリアー親子。しかし、行く先々で、過酷な運命が彼らを待ち受けるのだった・・

スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮と言う“すこぶる安全で責任の低い立場”に決して逃げず(=^_^=)、しっかり監督としてクレジットを刻んでくれた本作☆
『インデペンデンス・デイ(1996)』に衝撃を受けたワタシとしては、今更「こんなん初めてや!」って程の驚きは(殆ど)与えて貰えなかった想いが強いが・・とにもかくにも『未知との遭遇(1977)』『E.T.(1982)』などの“ヌルい系SF”を連想するであろうスピルバーグファン各位のアタマに、天井から金だらいを叩き落としてくれるかのような(←ドリフのコントかよ!)“徹底的な暴力描写”だけはなかなかの重さ&衝撃を兼ね備えていて、それなりにスゴい。

前面に描かれるのは「侵略者(=異星人)による恐怖の演出」なんだが、それ以上に心にずんとのしかかるのは・・実に「パニック状態における人間たちの言動の恐ろしさ」ではなかろうか?

トムクル自身「生き延びるため」「家族を護るため」と言う自然な(?)理由はあるにせよ「自動車盗」「殺人(撲殺?)」などを前向きに行っており、ある意味“ダーティヒーロー”的な位置付けとも言えたかな、と(・ω・)

前々から思い出すたびに笑ってたセリフ「大阪じゃ、奴らを何体か倒したらしい!(日本人に出来たんだ、俺たちにだって出来るさ! ・・と続く)」であるが、今回初めて、その意味するトコロを掴んだ気がした。

つまり「トライポッドを内側から攻撃&破壊する“あのテクニック”をいち早く発見した」と言うより「大阪の水や空気が全世界の何処よりもキッツかった」ってことではなかったか、と。
そう言う意味では「大阪人ってすげぇ!」と手放しで喜んでる場合じゃなく「大阪の環境って地球で一番アレなんや」と恥ずかしがるべきなんかも(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

※「神様がこの街の連中にぶち切れたんだ」
 「辺り一面まるでヒロシマよ」 ←ちと日本人として抵抗を感じるセリフ、、

レイ「早く乗れ! 死にたいのか?」
レイチェル「どう言う意味?!」 ←この辺りのダコタちゃんのパニックぶりがスゴい!(ちとウザいけど)

ハーラン・オグルビー「世界最強の国が、たった2日でこのザマだ、戦争にもならねぇ・・人類は駆除される」
          「病院に着くまでくたばらねぇ奴、そう言う奴が最後まで生き残るんだ」
          「俺は“死んでも”生き残ってやるさ」
          「どうやら、俺とお前は生き方が違うようだ」

レイチェル「どうなってるの?」
レイ「・・枯れてる」

追記1:クルマを狙って群衆が群がって(襲って)来るシーンは、そんじょそこらの“ゾンビもの”より、よっぽど怖い(×_×)
追記2:「侵略者」の偵察装置(?)に“温感センサー”は搭載されてないらしい(=^_^=)
追記3:撮影時の共演はなかったろうが、モーガン・フリーマン(ナレーター)とティム・ロビンスは『ショーシャンクの空に(1994)』以来の“顔合わせ”とも言えよう。

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2009年3月 3日 (火)

☆『怒りの葡萄(1940)』☆

先月23日(月曜)の夜、衛星第2で放送された『怒りの葡萄』を観たことを少し書いておきたい。

ジョン・スタインベックによる同名小説を原作に、監督:ジョン・フォード、主演:ヘンリー・フォンダのタッグの放つ大河ドラマ風モノクロ・ロードムービー。

時は大恐慌の頃(1930年代)。
オクラホマ州サリソーの荒れ果てた地に、主人公=トム・ジョード(フォンダ)が帰って来る。彼は過去に起こした“ある殺人罪”により4年間服役、ようやく仮釈放が認められ、故郷に戻ったトコロである。

「砂嵐により作物が育たなくなったこと」「地主(ショーニー畜産)から来た男が一帯で立ち退きを勧告したこと」で、サリソー在住の小作人たちは次々に土地を棄て、その殆どが(西の)カリフォルニア州に逃げた・・と言う現状を元説教師の男に聞いたトムは、再会した父母らを説得、新天地=カリフォルニアを目指し、総勢12名ほどの家族一団でトラックの旅に出る・・

黄色のビラ(広告)に印刷された「果樹園労働者を大量募集!」の文句に夢を抱き、道中で高齢者も亡くなって行く中、ついにトムの一家は目指すトバリス群に辿り着くが・・

先祖代々、守り続けて来た土地をあっけなく奪われ、よそへ出て行けと追い立てられる・・と言う不条理には「ハラが立つ」以上に「頼る者なき不安」を高められる。

折角「更生しようとした」トムも、そう言った農場主/地主らの横暴を各地で眺めるにつけ、次第に心を荒ませてゆくのだ。
後半ではトム自身「見えぬ巨大な敵との戦い」を決意し、家族に別れを告げて独り何処かへ去ってしまう・・

そう言う流れからは「主人公が希望を携えてやって来るも、やがてはその希望を奪われ去って行く」までの“魂の旅路”を描いた物語とも言えようか。

観終わった後には、何とも言えぬ疲労感&絶望感がじわじわと観た者の心に広がるんだが、そんな中で“キーとなる人物”による、逞しいセリフが最後に放たれ「人間って弱いけれど、同時にタフでもあるんだよなぁ」と少しだけ立ち上がる力をくれもする。

本作の制作された時代から、既に半世紀以上が経っている訳であるが、劇中で描かれる「貧するとはどう言うことか?」「貧すると人はどう変わるのか?」などの要素は、突き詰めて考えれば(現在も)その本質は全く変わってはおらず「娯楽感覚で古典作品を楽しんだ」と言うより「今も昔も変わらぬ“普遍的な貧困の実態”を、鮮烈なモノクロ映像で拝見し、勉強となった」ってな思いのワタシである(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

トム「自分の家で逃げ隠れするなんてな」
  「相手が法律ならば我慢もしよう、しかし奴らは誇りや魂を踏みにじる」
  「こんな無法者にも何か出来ることがある・・それを見つけたい、俺は無知だけど」
  「1つの魂は大きな魂の一部・・だから俺は暗闇の中にもいる、俺は常にそこにいるんだ」

元説教師「今や、我が霊感は失われた」
    「説教すべきことなどないし、確信もない」
    「人の行いに、善も悪もないのかもな」
    「私の祈りには、今や心がこもっていない」
    「お前ももっと学べ、俺も学んでるところだ」
    「警察なんかじゃない、奴らは農園の自警団さ」

勧告する男「誰が悪いのか、私にも分からん」

ミューリー「守るものなんてないし、家族も戻っては来ない、今の俺は抜け殻さ」

母親「酷く痛め付けられると・・人は恨みに凝り固まり、獣のように牙を剥くと言うよ」
  「土地を追われて流れて行くなんて初めてさ、何もかも失った」
  「(暴力は)悲しいけど仕方なかったんだろ、お前は悪くないさ」
  「この忌々しい場所から離れられりゃ、何処だっていいさ」

祖父「役立たずの土(=土壌)だが、わしのもんだ」

トム「タイヤは(カリフォルニアまで)持つかな?」
元説教師「神の奇跡があればな」

トム「やつの話、本当だと?」
元説教師「あいつにとっては事実なんだろう」
トム「俺たちにとっては?」
元説教師「さあな」

警官「果実摘みの仕事は先月に終わった、そんなビラを当てにするからだ」

ご婦人「(撃たれた)この人、死んでしまうわ!」
警官「45口径だからな」 ←いや、そう言う返しじゃなくて、、

※※「男より女の方が思い切りがいい」
  「男の人生には区切りがあるけど、女の人生は川だよ・・その流れの止まることはないさ」 

追記1:この時代、キャンディが5セント、トラックが75ドル。桃を1トン摘んで1ドル。そんな貨幣価値だったそうだ。
追記2:道中で死者を埋葬する際「殺されたのではなく病死である」のメモ書きを添えるシーンがあった。すかさず「警察は生きてる者より死人を気にするのさ」の皮肉めいたセリフが放たれていた(⌒〜⌒ι)

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2009年2月28日 (土)

☆『エレジー』☆

昨日の記事(の冒頭)で「まだ先のことは良く分かんないが・・(・ω・)」と書いてみたら・・
実際に「先のこと」が予想外に(?)大きく回り出してしまったようで、、冷静な中にもパニックな胸中となってしまった今日の午後(⌒〜⌒ι)

そんな27日(金曜)の夜。「ちょっと今日は・・寄り道して帰りたいYo〜」と思い立ち、取り敢えずは(残業約1時間をこなし)退社後、ふらふらと梅田方面に出てみたのだった。

色々と気になる新作群はあったが・・あんまし「複雑」とか「重い」とか「長い」とか言うのを観る気分でもなかったので、久々に“テアトル梅田(ロフト地階)”へと向かい、以前からこそっと気になっていた1作『エレジー』を観た。

1度の離婚を経験し、今は“静かに迫る老いの恐怖”に怯えつつ・・「カリスマ教授」としての社会的地位に納まって久しい男=デヴィッド・ケペシュ(ベン・キングズレー)。
美しい女性に眼がなく・・“これ迄の人生で、抱いた女性は50人以上”を密かに誇るこの老教授は、教え子である黒髪のキューバ女性=コンスエラ・カスティーリョ(ペネロペ・クルス)に出会った瞬間から、激しく心を惑わされる。
長年のパートナーである(同年代の)女性=キャロライン(パトリシア・クラークソン)との関係をずるずると続け、一方でこの若い肉体にもハマってしまうデヴィッド。
しかし、心の何処かで“冷徹”であり続ける彼は「(彼女の)家族の“好奇の眼”を前に、恋人として振る舞い通せる訳がない」とコンスエラのパーティーの誘いをことごとく理由をつけては断るのだった。
彼との関係が「それ以上進展しないこと」を悟った彼女は、やがて1本の電話を最後にデヴィッドの前から姿を消す・・

突然の“喪失”から寝込んでしまった彼に、長年の親友でもある詩人=ジョージ・オハーン(デニス・ホッパー)は妻帯継続者としての真っ当なアドバイスを与えるのだった。

そうして2年と言う“孤独な時間”が過ぎた頃、コンスエラから突然に電話が入る。
再び現れた彼女の存在に驚きつつ、胸中では狂喜するデヴィッド。しかしコンスエラは“とある差し迫った事情”を抱えていたのだった・・

卓越した“知性と教養”でその分野に「君臨」している(つもりの)権威も、たった1人の若く美しい女の肉体の前には「かくも無力」なのである、、
同性としては「興奮したかった」つもりが「余計に落ち込んじゃう」こととなったか(×_×)

物語の“骨格”は川端康成、谷崎潤一郎など、日本文学では多く描かれて来たもの。ハリウッドでも『白いカラス(2003)』と言うそれっぽいテイストを少なからず含んだ(?)作品があった。
(と思って調べたら、本作も『白いカラス』も、同じ作家=フィリップ・ロスによる原作だった!)

何処となく「予定調和」で「低予算」なドラマが淡々と進行して行くんだが、主人公2人を脇から支える個性派俳優2人(パトリシア&ホッパー)の存在感が素晴らしく、単なる近視的な物語に終始していないのが良かった。

極端、後半になるとパトリシアさんもホッパーさんも“退場”ぽい展開となってしまい、そこからドラマ全体の「骨組み」が何だか緩んでしまった気がしたようにワタシは思った。

デヴィッド&コンスエラの“ややもすればこぢんまりとした”恋愛模様は、それだけを追うとスッカスカなモノがあり、これを更にチープにしちゃうと『キリング・ミー・ソフトリー(2002)』レベルにまで落ち込んでしまうような危うさもあった(・ω・)
そこを辛うじて高尚に踏み止めてみせたのがデニス・ホッパーの功労であり、パトリシア・クラークソンの何処かけだるく退廃的な言動であったんじゃないかと感じた。

〜 こんなセリフもありました 〜

デヴィッド「皆が“清教徒の子孫”と言う訳ではない」
     「結婚したことを後悔しています・・でも、これはここだけの話に」
     “老年期を迎えても「肉欲へのこだわり」は止まることを知らず、私の中では何も変わってはいない”
     「美は鑑賞者次第だ」
     “彼女は自らの美しさこそは熟知しているが、その使い方を知らない”
     「相手を礼儀正しくさせる何か、を君は備えているようだ」
     「人目が気になるのなら、私の家へ」 ←おっ!
     「高名なピアニストでさえ(メトロノームがなければ)演奏中は“加速”するんだ」
     「デジカメを使いたいが、仕組みが理解出来なくてね」 ←と言いつつ“ライカ”使ぅとるし!
     “彼女が傍にいない夜は、堪え難い”
     “私自身もかつては「あの若い男」だった”
     “美しい彼女が若い男の手に落ちるのは、時間の問題に思えた”
     “彼女は私を「敬愛している」と言うが・・「あなたのペ※スが欲しい」とは言わない” ←普通は言わない!
     “女性との交わりは、人生のあらゆる屈辱に対する報復だ”
     “思えば、関係から関係へと渡り歩いて来た人生だった”
     「君の“過去の空白”が知りたい」
     「20年付き合って、初めて本当に話し合ったな」

ジョージ「想像力がないからこそ、ピューリッツアー賞を獲れたのさ」
    「セックスは、ただセックスとして楽しめ」
    「“歳を取る心配”などせず“分別臭くなる心配”をしろ」
    「彼女と別れろ、縛られ過ぎてるぞ。それが無理なら・・せめて1歩先を歩け」
    「美しい女の内面は決して見えない。見えるのはその“美しい殻”のみだ。
     男はその外見の美しさに眼が眩み、内面を決して理解出来ない」
    「そろそろ“この状況を直視する潮時”ってことさ」
    「台無しじゃない、自然に終わったんだ」
    「人生ってのは、いつも想像を超える驚きを秘めてる」
    「俺は人生の半分を、お前の愚痴を聞いて過ごして来たんだぜ?」

コンスエラ「あなたとのひとときが私の救いよ」
     「男友だち2人と同時に“した”わ・・17歳ってのは、そんな年齢なの」
     「“たぶん”が好きなのね」
     「何故ここに? 総てを台無しにしたいの?」
     「私とどうしたいの?」
     「“嫉妬心”や“独占欲”は何の証明にもなりはしないわ」
     「本気で(結婚生活に)努力したの?」
     「それは・・私には“大事なこと”なの」
     「今は、私の方が年上みたいね」
     「可哀想な人・・私より怯えているのね」

デヴィッド「何と美しい乳房をしているんだ・・」
コンスエラ「気に入った?」
デヴィッド「崇拝するよ」

デヴィッド「弟がいたとは初めて聞いた」
コンスエラ「あなたの知らないことは、まだ沢山あるわ」

コンスエラ「美しい写真ね」
デヴィッド「美しい女性だ」

デヴィッド「君にペットは飼えないな」
キャロライン「あなただけ」 ←う!

ケニー「あんたは複雑なことをすぐに単純化するんだな」

ケニー「離婚が“道徳的に正しかった”と?」
デヴィット「少なくとも“正直な行為”だ」

ケニー「何故、結婚生活を“監獄”と?」
デヴィッド「現に“服役”していたからな」

キャロライン「シアトルはビジネスには最高の街ね、疲れるけど」
      「結局は“いい時期”も“理想の人”も来なかったわ」
      「男の“私を追う目付き”が変わって行くわ」

※「絵を購入した者は“絵を所有した”と考えますが、実は“絵が彼を所有する”のです。
  彼はいわば“一時的な管理人”に過ぎません。何故なら、絵の方が長生きするから」

追記1:「PG指定」こそないが、劇中ではペネロペさんのおっぱいが「眺め放題」だった(・ω・)
追記2:『ラースと、その彼女(2007)』では知的でお堅い(?)役柄を好演してくれたパトクラさん。本作ではちょっと年輪を感じさせるヌードのお背中を存分に披露してくれますた(・ω・)

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2009年1月25日 (日)

☆『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道(2005)』☆

15日(木曜)の夜。
衛星第2で放送された『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』を観た。実在のカントリー歌手ジョニー・キャッシュの半生を、人生最高の“ミューズ(創造の女神)”であり“パートナー”でもあった女性歌手ジューン・カーターとの交流を軸に描いた佳作ドラマ。

劇場公開当時「観たい気はしたが、結局観逃した」1作でもあった。
因みに、本作からはジューン役を演じたリース・ウィザースプーンが見事“アカデミー助演女優賞”に輝いている(第78回)。

1968年。ジョニー・キャッシュ(ホアキン・フェニックス)はカリフォルニア州レプレサにある「フォルサム刑務所」での慰問コンサートを前に、控え室とし用意された作業場に佇んでいた。彼の指先は、囚人が木材加工に使用する「回転ノコギリ台」の(ノコの)刃に触れていた。その冷たい感触に、ジョニーの少年時代の記憶がよみがえる・・

1944年。ジョニーとその兄はアーカンソー州ダイエスにある畑(失業救済局の作業場)で綿花の収穫作業をしていた。酒浸りの父レイ(ロバート・パトリック!)と優秀で心優しき兄ジャック。
貧しいなりに伸びやかに育っていた彼ら兄弟のお気に入りは、ラジオから流れる“カーター・ファミリー”の歌。
とりわけ、10歳のジューン・カーターの歌声にはほのかな恋心さえ抱いたほどのジョニーだった。

そんなある日、工場で作業していたジャックが「回転ノコギリ台」で重傷を負い、あっけなく他界してしまう。
ジョニーにとって、慕っていた兄の突然の死は無論ショックだったが、より彼の心に(後年まで)傷を残したのは、父の心ないひと言・・「悪魔は出来のいい方の子を奪った」・・であった。

そんな父には「こんな音楽などクズだ」と唾棄され続けたカントリーミュージックだが、ジョニーは次第に音楽に目覚め、(朝鮮戦争時には)ドイツ・ランツベルクに駐屯しつつ(1952年)、ギターを手に入れ独学で弾き始める。

1955年。恋人のヴィヴィアンと結婚したジョニーはテネシーのメンフィスに暮らし、家庭用設備のセールスマンとして働くが、その生活は少しも楽にならなかった。
そんな中、街角で眼に止まった「サン・レコード」の“アーティスト募集”の貼り紙に、ジョニーとその仲間(2人の自動車修理工)は発奮、社長のサム・フィリップスに(半ば強引に)オーディションを申し込む。

練習を重ね挑んだゴスペル曲に対する“サム評”は散々だったが、苦し紛れに歌った自作曲が見事に採用される!

「サン・レコード」の所属アーティストとしてデビューした“ジョニー・キャッシュ&テネシー2”はコンサートツアーに忙殺され始める。収入の上がる一方、妻ヴィヴ(ヴィヴィアン)との関係は次第に冷え込んで来る。

そして、テキサス州のテクサーカナ。とある公演(の舞台)で共演することとなったのが・・“憧れ”の女性シンガー=ジューン・カーター(リース)その人であった・・

私的にはホアキン・フェニックスもリース・ウィザースプーンも「どちらかと言うと好きではない」俳優なんだが、本作はとにかく「頑張って歌ってたなぁ!」と素直に驚かされた。これがケヴィン・スペイシー辺りなんかだと「芸達者やな〜」だけで済んじゃってしまい、あんまし彼の「汗」も「努力」も伝わって来ないんだが(←ケヴィンさん、スンマセン)・・この2人は見た目も(まだ)フレッシュな感じだし、死にものぐるいで練習に練習を重ねた姿が“浮かんで来て”俳優としての“のりしろ”の存在を感じさせてくれた。

※“のりしろ”は“のびしろ”とも言うそうだが、ワタシは専ら前者を用いている(・ω・)

ジョニーが舞台で低く放つ、ライヴ開始直後の挨拶「どうも、ジョニー・キャッシュです(Hello,I'm Johnny Cash.)」も「ええ声やな〜」と同性ながらホレボレさせられる。言ってることは殆ど同じなんだが「今晩は、ラッシャー木村です」とは全く“放つ、そのシブさ”の違う気がした(⌒〜⌒ι)

リースは「可愛さ」以前に「ひょうきんなご尊顔」って印象を改めて強くした。現代ハリウッドにおける“funny face”の称号(?)は、間違いなく彼女のために用意されたモノではないか、とさえ。。美人じゃない分、才能&演技でハリウッドを泳いで行かねばならない筈で(←勝手に決め打つなよ!)、ホンマの実力がこれから先も問われ続けるのだろう。

「ヴィヴィアンとの蜜月」は殆ど描かれず、違法薬物を常用してた「負の側面」も“父との確執”に端を発していたかのようにも描写され、逆境づくしの展開の中に「敢えて触れられてなかった点」が見受けられたのは多少気になったか。

語り継がれる“伝説のプロポーズ”の場面が終盤に控えており、ここは“オチ”としてとても良いと感じた。
「現在」⇒「少年期以降の回想」⇒「現在に戻ってのその後(結婚を含む)」と言うストーリーの流れや、1人の女性を不器用なまでに想い続ける主人公の姿を描いた演出から連想したのは『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』である(・ω・)

ついでに「そっくりさんの起用」「CG合成」などで、実在した人物(=偉人系)を“更に大胆に”ストーリーに絡めて貰っても楽しかったかも知れない、エルヴィス・プレスリーにしても、もっと派手に・・(ヴァル・キルマーが“再び”演じる(1993)もヨシ(=^_^=))

〜 こんなセリフもありました 〜

ジョニー「彼女(ファンの娘)たちは、一種の熱病なのさ」
    「(親父だけでなく)君までが俺にルールを押し付けるのか?」 ←妻ヴィヴに
    「ボブ・ディランに手紙を書いた、フォーク歌手のね」
    「君の不仲がちょっと嬉しい」 ←ジューンに
    「一生(舞台でのジョークで)笑いを取るだけか? いい声をしてるのに」 ←ジューンに
    「大丈夫さ、例え抜けたって(俺の)羽には番号が振ってあるから」
    「君と結婚したい、今がその時期だ・・愛を恐れるな」
    「一晩中そこで立ってるだけかい? ここへ来て俺と歌わないか?」
    「曲の途中で悪いが、君に訊きたいことがある」
    「彼女がイエスと言ってくれなきゃ、これ以上歌えない・・でないと、この歌がウソになってしまう」
    「今までに40回(求婚して)断られた」
    「何があっても君を独りにはしない」

ジューン「さっきは(声じゃなく)心で歌ったの」
    「昔のジョニーは何処へ? 今の彼は嫌いよ」

ヴィヴ「(演奏する)3人とも黒服なんて、葬式みたいよ」
ジョニー「葬式かもな」

サム「君の歌に感情がこもってないのは、その曲が借り物で、君の曲じゃないからだ。
   だから聴く者の心には響かない。聴けば“君が歌ってる”と誰もが分かる曲を歌え、自分自身の曲をね」

ジョニー「たまには俺と一緒に歌わないか?」
ジューン「私に構わないで!」
ジョニー「俺が何をした?」

ジューン「あんた達とは2度とツアーなんかしないわ!」
ジョニー「君が怒ってるのは、ツアーに対してじゃないだろ?」

ジェリー「神は“美味そうな林檎”を俺たちの眼の前にぶら下げといて「喰うな」とさ」

ジョニー「俺を愛してないと言え」
ジューン「愛してないわ」
ジョニー「・・ウソだ」
ジューン「じゃ、問題ないじゃないの?」

ヴィヴ「この嘘つき男! 彼女もすぐに気づくさ、あんたの本性にね」

ジョニー「元気かい?」
ジューン「ええ、あなたは?」
ジョニー「この前、逢った時よりはね」

レイ「俺には才能はないが、精一杯やって来たつもりだ。そう言うお前はどうだ? 薬物依存症のスター歌手さん。
   お前は所詮“空っぽの箱”だ、ただのクズさ」

ジューン「元のジョニーが戻ったわね、何か欲しい?」
ジョニー「ここにいてくれ」
ジューン「いいわ」
ジョニー「君は・・俺の天使だ」

ジョニー「今まで悪いことばかりしてきた・・親父の言ってることは正しい。
     君のことまで傷つけた、俺はクズだ」
ジューン「違うわ、いい人よ。今がやり直す時よ、神様がそのチャンスを下さったの」

※「ディラン、バーズ、ビートルズ・・今やみんなエレキだぞ、それにその黒服はなんだ? 葬式か?」
ジョニー「葬式かもな」

ジョニー「あんたもここでは“汚れた黄色い水”を飲むのか?」
刑務所長「私は、冷えたコーラを飲むさ」

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2009年1月23日 (金)

☆『美しい人(2005)』☆

22日(木曜)の夜。
衛星第2で放送された『美しい人』を観た。

本作に関しては、作品自体に対する予備知識が殆どなく、新聞には「出演:ロビン・ライト・ペン」と書いてたので「きっとマイナーなつまんない1作なんだろ」と勝手に決め打ってしまってたが・・その後、調べて(←結局、気になったんやね(=^_^=))知ったのが、

・『彼女を見ればわかること(2000)』路線の作品らしい。
・監督も『彼女を〜』と同じ、ロドリゴ・ガルシア(←ノーベル賞作家ガルシア・マルケスの息子さんだそうだ!)。
・複数の短編で構成されたオムニバス形式をとっている。

ってことで、俄然興味が湧いて来て、放送の開始された午後9時には、きっちりとTVの前に座してたワタシ(=^_^=)

9人のヒロインが、9つの短いエピソードの中で「人生の一瞬」を垣間見せる。
「何かの起こる、その時」「何かの起こった、その直後」「何かが起こりそうでいて、何も起こらなかった時」など、それぞれに演出過剰とならない程度の「女たちの転機(心の動き)」が描かれる。
彼女らの置かれた人間関係は、夫婦であったり、親子であったり、恋人であったり、不貞なそれであったり・・

骨太な展開は殆どなく(←あるエピソードのみ終盤で“拳銃”が登場するが(×_×))、1つのエピソードがぷっつりと終わった際には「えっ? 今のんで終わり?」と(身構えてたココロに)肩すかしを食らっちゃったようなハナシもあったりした。
いずれも女性が主人公であることから、きっと“想像力を働かせ、五感でストーリーを辿ることの出来る女性(観客)向けに、描き過ぎることを敢えて避けたんだろう”と考えたワタシ。

恐らく、男性の視点からすれば、オチに“爆発炎上!”“主人公は実は死んでた!”“全ては主人公の夢”“クリスタルスカルはチャチな小道具だった!”みたいなノリが控えてないと、ある種「納得出来ません」的なトコがあるんだろうが(←アホかい!)女性はきっとそう言う「作ってます」「仕込んでます」「引っ張ってます」的なオチを決して求めてる訳ではないんだろう。

原題の「Nine Lives」は直訳すると「9つの人生」となる。『9人の女たち』などと訳してしまうと“まんまオゾン監督風”となっちゃうので、まぁ『美しい人』で良かったんだろう。
9人(の女優)みんなが美しいかぁ? と言うとそうとも思えなかったワタシだが・・それは恐らくヒロインたちの「容貌&容姿」をのみ表現したモノではなかったんだろうな、と。

それにしても、長回しを多用する“静かながら、緊迫感溢れる”世界観はなかなかにスゴかった! 気の遠くなるようなNGテイクの山が、(どのエピソードにも)恐らくは築かれたことだろう(・ω・)

〜 エピソード名、粗筋、印象的なセリフなど 〜

【サンドラ】
ロスの某刑務所に服役しているサンドラは37歳。“清掃班”で熱心に働き、模範囚を目指す彼女だが、看守からは“密告”をそそのかされ、1ヵ月毎の待ち遠しかった面会では、受話器が壊れ、(壁越しの)娘との会話が途切れてしまう・・

サンドラ「どう助けてくれると? 私が告げ口してリンチに遭うのを?」
    「私に助言出来る立場かしら? 何よあんた、その歳で恥も知らないで服役なんかして!」

【ダイアナ】
小さなスーパー。カートを押し、買い物をするダイアナ(ロビン・ライト・ペン)の前に、元カレのダミアン(ジェイソン・アイザックス)が現れる。2人は現在、それぞれに配偶者を持ち、ダイアナは8月に出産を控えた身重の躯である。
当たり障りない会話の末、ダミアンに「今も君を想っている」と告げられたダイアナは・・

ダイアナ「(電話)番号は変わってないわ」
    「私たち一体何なの? まるで恋人同士みたい」
    「5分間、一緒にいただけで(別れてから)今までの人生が幻に思える・・あなたと居ると飲み込まれそう」
    「いきなり現れて“今も君を想ってる”だなんて・・ふざけないでよ!」 

【ホリー】
父との確執を清算するため、ホリーは実家に戻る。妹を通じ父を(オフィスから)呼び出して貰う彼女だが、父が帰宅するまでの10分間、庭に出て、(幼き頃の)記憶をよみがえらせたホリーの中で、感情が混沌とし始める・・

ホリー「この家、時間が止まったみたい」
   「ここはまるで墓場ね」
   「ボーイフレンドはいるの? じゃ、ガールフレンドは? 最近は、何が愛に化けるか知れないわ」

【ソニア】
ソニア(ホリー・ハンター)&マーティンの2人(スミス夫妻)は、友人のダミアン(ストーン夫妻)を訪ねる。2組の夫婦が会話を展開させる中で、マーティンは妻との間のとある「事情」を話し始める・・

ソニア「“彼らは彼ら、俺たちは俺たち”・・それってイイ響きね」
   「時々、本当に意地悪ね、あなた」
   「“とめどない時の流れ”に乾杯しましょう」

マーティン「最後は“正しい選択”をしたが、あの時はだらしなかった」

【サマンサ】
サマンサの家では、パパが重い障害を負って以来、パパとママの間には直接的な対話がなくなり、娘である彼女が2人の間を往復し、その関係を辛うじて繋いでいた。
パパもママも、そんなサマンサに「自由に羽ばたきなさい」と“奇しくも同じようなアドバイス”を送るのだが・・

パパ「別れ方は大事な問題だ」
  「お前はわが家の宝だ」
  「お前の触れるものは、全て黄金に変わる」

ママ「あなたはわが家のかすがいよ・・大空に羽ばたいて」
  「“人生はこれから”と思ってるかも知れないけれど、それは“今この瞬間”だけのことよ」
  「“いつか”は明日じゃないわ・・今日なのよ」
  「あなたが子供の頃、パパとママは競ってあなたの寝顔を見に階段を上がったものよ」

【ローナ】
ローナとその両親は、自殺した友人の葬儀に参列する。厳かな式の中、ローナの姿を認めた(友人の夫である)アンドリュー(ウィリアム・フィックナー)は彼女の姿に釘付けとなる。実は、アンドリューはローナの元夫でもあったのだ。
高ぶる想いを抑え切れず、彼はローナの手を引き、別室へと連れ込んでしまう・・

ローナ「人間をひと言じゃ表せないわ」
   「女は自殺なんかしないものよ」

父「女の中には宇宙が広がっているのさ」

友人「人生は秒針と同じ、こうやっていつまでも続くのよ」

ローナ「世界なんて狭いものね」
友人「人が狭くするのよ、過去を引き摺るから」

アンドリュー“君が忘れられない、君を想って自分を慰めてる” ←手話で話してられました。

【ルース】
モーテルの一室。ルース(シシー・スペイセク)と(その娘サマンサの教師である)スタントンは、背徳の一夜を過ごそうとしていた。しかし、スタントンがアルコールを買いに出かけた直後、窓の外で繰り広げられた光景が、彼女の心に“とある変化”をもたらすのだった・・

スタントン「総てがつながって存在してることを教えてくれるのが・・あの月さ」
     「明日は笑い飛ばせるといいが・・笑えないと、後悔しか残らない。それはこの世で最も醜い感情だ」
     「動物の一生は我々には想像でしか分からないさ」
     「ライオンがシマウマを眺めてる(TV)映像、あのシマウマは1年以上も前に別撮りされたものさ」
     「幻ほど、現実的なものはないさ」
     「ここにいない友に、乾杯」

ルース「キスが巧いのね」
スタントン「それを以前にも言われたことが・・」
ルース「あら? 誰にかしら?」
スタントン「移民局の係官にさ」

管理人「運に恵まれた人と見放された人がいるのよ」
   「みんな、責任は自分で取らないとね」

【カミール】
カミールは乳ガンの手術を控え、ナーバスになっていた。付き添う夫リチャードにもことあるごとにかみ付いてしまう彼女。やがて手術の時間が迫って来た・・

カミール「子供の頃に見たママの裸、きれいだった・・私は、乳房のない醜い姿となるのね」
    「眠らされるの、怖いわ」
    「人間なんて所詮・・夢と骨だけの存在よ、無なんだわ」
    「何故、いつもあなたには“説明”が必要なのよ・・仕方ないわね、元は他人ですもの」
    「他人(医師と看護師)の言いなりなんていやよ」
    「私たち・・しがみついて放して、またしがみついて・・」

看護師のホリー「指環をご主人に預けて」

リチャード「僕らは永遠にずっと一緒だ」 ←愛妻の耳元で囁く、このひと言がいい! 彼女は麻酔で既に眠ってたけど、、

【マギー】
マギー(グレン・クローズ)は娘マリア(ダコタ・ファニング)を連れ、1年に1度の墓参りをする。墓碑の前でシートを広げ、ピクニックをする2人。幸せな時間が過ぎて行くが・・感極まったのか、突然にマギーは娘の前で嗚咽し始めてしまう・・

マリア「墓参りの人、少ないわね」
マギー「昔来てた人も・・殆どが死んでしまったからね」

マリア「猫には9つの命があるの?」
マギー「いいえ、1つよ」

マギー「時は流れるの、みんな大きな重荷と一緒に流れて行ったわ」
マリア「重荷って?」
マギー「人生につきものの“沢山の苦しみ”のことよ」

マリア「樹に登ると・・ママより背が高くなって、大人になった感じよ」

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2009年1月 8日 (木)

☆『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国(2008)』☆

2日(金曜)の夜に鑑賞。
実は、かなり以前に“とある方”からお借りしていた(←永久レンタルとでも言うべきか、、)DVD(ディスク)があり「コレっていわゆるAV(←オーディオ&ヴィジュアル?)的なサムシングなんかな?」と不審がってしばらく自室に放置していたのだった(×_×) ←疑ってしまいスミマセン、、

あるきっかけで、試しに再生してみると・・しょっぱなに“LUCASFILM Ltd”なるロゴが表示され驚愕!
続く“砂山からプレーリードッグ親子(?)がひょいと顔を出す”映像演出で、完全に「このディスクが何を収録してるモノか」を掴んだ! 何とまぁ・・!

※恐らくコレは「有料チャンネルで放送されたモノを“私的鑑賞のためだけに録画”し、それを今回“たまたまお借りすることが叶った”」と言う次第であろう(・ω・)>

公開時、劇場鑑賞した本作なので、詳細は以前の記事を一読頂ければ良いだろう。

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/cat30597106/index.html

↑上記ページ内の「2008年6月27日 (金)」の記事となります。

今回はセリフ面でちょこっとメモしたモノがあり、それを紹介するにとどめたい。

インディ「アイゼンハワー(大統領)万歳!(I like Ike!)」 ←コレは“反共産主義”に対する露骨な嫌悪表現だろう。
    「・・絶対にマズい!」
    「ハーグローブの学説など! チャイルドの本を読め・・真の考古学者を目指すなら、図書館なんか出ろ!」
    「女はこれまでに何人かいたが、いつも不満があった・・“君とは違う”とね」

マック「ヘタな抵抗はするなよ(Don't get clever.)」
   「あいつはムチャする奴だってば!(You don't know it!)」

マット「あんた、ホントに教授?」
インディ「時々だがね」

イリーナ「全てが知りたいの・・教えて!(Tell me everything you know. I want know everything,I want know..)」
    「驚きはしないわ(I'm ready I want know.)」
    「もうやめて!(no more!)」

追記1:過度にソレを「肯定」しちゃうと“(シリーズの)ファンがドン引く”と考えたか(=^_^=)「宇宙人ってゆぅか・・“次元を超越した生命体”ちゃいます?」だの「宇宙ってゆぅか・・“宇宙と宇宙の間の空間”やろね」みたいな絶妙な表現が用いられてたように(=^_^=)
追記2:前半で某基地(エリア51?)から脱出した際の“ロケット推進装置”には「E-MCH-72」と書かれてた。何か“尤もらしいネタ”だったんやろか?

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2008年11月26日 (水)

☆『アイ・アム・デヴィッド(2004)』☆

25日(火曜)の夜。
衛星第2で放送されたヒューマニズム系脱走劇(←こんなジャンル分けでエエんやろか?(・ω・))『アイ・アム・デヴィッド』を観た。
全く予備知識がなく、始まってすぐ「あ、(日本語)吹替え版やんか・・」と少し萎えちゃう印象こそはあったが・・概ね、良い出来であった☆ なかなかに「掘り出し物」ですた。

第2次世界大戦後の1952年。東欧諸国では未だ言論の自由が認められず、反体制派の人々は引き裂かれ、その家族はちりぢりに各地の強制収容所へ送られて行った。
イギリス人の父を持つ12歳のデヴィッド少年(ベン・ティバー)もまた、ブルガリアのベレネ収容所で労働に明け暮れる中、とある“手引き”を得て脱走することに成功する。

彼に“指示”を与えた人物によれば
・合図があれば30秒間、鉄条網の高圧電流がカットされるので、その隙に乗り越えよ
・真夜中の内に国境を越え、ギリシアへ入国せよ
・ギリシアの南に向かい、サロニカ港からイタリア行きの船に潜り込め
・イタリアに着いたら、ひたすら北へ進みデンマークを目指せ
・託した封書をデンマーク当局へ届けよ

ってことなんだが、他にも
・誰も信じるな
・人目を避けろ、目立たぬようにしろ

などの細かいモノがあったりもし、デヴィッド少年はとにかく笑顔も見せぬままに逃げ続けるのだ。

イタリア人船員=ロベルト、親切そうなイタリア人のパン屋、心優しいジョヴァンニの一家、スイスの老女流画家=ソフィー・・彼らとの出会い&別離を繰り返しながら、少年は北を目指す・・

「全篇ヨーロッパロケしました!」って感じで、アメリカ映画らしさはかなり薄められており、好感が持てた。恐らく劇中の言語(会話)だけは「英語メイン」だったんだろうが。。
俳優陣もマイナーな顔ぶれで揃えられてたが・・唯一、デヴィッドの“恩師”を寡黙に演じたジム・カヴィーゼル(ヨハン役)の“静”の表情、そしてその“瞳”が強烈な印象を残す! 「現在の時間」に一切登場せぬキャラにして、あの存在感ってばスゴいや!

「人を信じること」の出来なかったデヴィッドが、無理をしながらも“笑顔”を身に付けて行く過程は、決してカットされることなく丁寧に綴られていた。
終盤、デヴィッドはいよいよ最大の危機(?)を迎えるんだが、そこで彼は「人を信じること」をほぼ体得出来たんだと思う。そしてそれ故、彼の前に立ちはだかったあの人物も、そんな彼の挨拶に“応えた”のだと思いたい。

“デヴィッド少年が旅をする”・・ってテイストから、何故か『A.I.(2001)』を連想してしまったワタシ。あちらも「捕まったら即座にエンド」「様々な人々との出会い&別離」って部分では共通するモノがあったかな、と(・ω・)

注意して聞けば、イタリア人の言葉が「英語」に変換され(!)響いて来たり、思いがけない人物と「偶然の再会」を果たしたり、中盤以降では何だか「身なりが(汚れず)小奇麗なままだった」って辺りがちょっとリアルじゃない気もしたが、まぁそれはそれでファンタジー的要素の範囲内(?)と捉えればOKか。

私的には「主人公のモノローグが殆どなく、客観的な心情描写に徹してたこと」「主人公が決して“盗み”をし飢えを凌ごうとしなかったこと」にだけは、妙に感心させられてしまった。

〜 こんなセリフもありました 〜

※「この世には幸福な世界もある・・きっと君にも見られる」
 「これは“君自身の旅”だ」

ヨハン「死にたい、とだけは言うな。生きていれば何かを変えられる・・しかし死ねば終わりだ」
   「どんなことをしても、絶対に生き抜け」
   「もう2度と、他人の物は盗るんじゃない!」

パン屋「“聖エリザベス様”は弱き者を救って下さる“守り神”なのだ・・特に我々パン屋をな」

デヴィッド「“聖エリザベス様”・・どうか僕を迷子にしないで」
     「僕、もうビクビクと怖がりながら生きるのはイヤだよ」
     「この世の中は悪人だらけなんだよ、マリア」
     「“聖エリザベス様”・・僕には、あなたに護って頂く資格はありません」
     「お願い、僕を引き渡さないで・・」

ソフィー「男が寡黙なのは良いことよ」
    「なろうと思えば大物にだってなれる器だって言うこと・・
     勿論、そうなるかどうかはあなたの自由よ」
    「じっと見つめれば・・絵は何かを語りかけて来るわ」
    「ここが“安全な場所だ”ってことだけは信じて」
    「この世の中の大部分は良い人たちよ・・みんな家族がいて、友達がいて・・
     幸せを求めて精いっぱい生きているの」
    「生きる事に臆病になっちゃだめよ、人の善意を信じるの・・
     でなきゃ“本当の幸せ”はいつまでも掴めないわ」

デヴィッド「僕ってこんな顔をしているの?」
ソフィー「と言うより、私の受けたあなたの印象がこうなのよ」

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2008年11月22日 (土)

☆『アイランド(2005)』☆

13日(木曜)の夜に“木曜洋画劇場40周年記念”の一環として“地上波初放送”されたものを観た。
監督:マイケル・ベイ、主演:ユアン・マクレガー&スカーレット・ヨハンソンと言うそこそこに(?)豪華なSFアクション大作。公開当時、劇場で観ましたなぁ・・(=^_^=)

2019年と言う近未来。地球上は汚染され、生き残った人々は隔離状態で地下施設に暮し、地上に唯一残されたと言う“汚染なき楽園=アイランド”への移住に憧れていた。
彼らを管理する側は定期的に「抽選会」を実施、それに当選した者のみが、1人ずつ“アイランド”へと旅立ち、2度と戻っては来ないのだった。

大柄で快活な男=スターク・ウェザー(マイケル・クラーク・ダンカン)が当選、満面の笑顔を残し“アイランド”へ旅立ってゆく。
入所3年目となるリンカーン・6・エコー(ユアン)と4年目のジョーダン・2・デルタ(スカーレット)は親しい間柄であったが、“アイランド”移住を心待ちにするジョーダンとは違い、リンカーンは作業区画で知り合った技師=マッコード(スティーヴ・ブシェミ)と言葉を交わしたり“換気シャフトを抜け、外部から地下へ降りて来た昆虫(蛾?)”を発見したりする中で“アイランド”の存在が「果たして素晴らしいだけの場所なのか?」と疑問を抱くようになる。

そんなある日、ジョーダンが見事に当選を果たす。
喜びを隠すことなく移住の準備を始める彼女に、リンカーンは自らの不安な気持ちを伝える。
いよいよ、意を決し、換気シャフトを昇って行ったリンカーンは、上層区画(?)で“移住し、ここにはいない筈”のスターク・ウェザーと、直後に彼の辿った“運命”を目の当たりにし、衝撃を受けるのだった。

彼は嫌がるジョーダンを連れ、地上へ逃げることに。

“ホログラム・タワー”なる通路区画(?)を駆け上がり、遂に地表へと到達した2人・・彼らの目の前に広がる風景は・・

それなりに良く出来た、観客そのものをも巻き込む“壮大なミスリーディング(だまし劇)”とも言える本作。
既視感にも溢れてたが、連想したのはまずSFコミック『銃夢(ガンム)』であり、次に『ヴィレッジ(2004)』『逃亡者(1993)』『マイノリティ・リポート(2002)』『シックス・デイ(2000)』などの個性派(?)映画群であった。

中盤までの約1時間と、そこから後の約1時間で、随分と映像世界の激変する面白さは良かった。比較的「静」の雰囲気を保っていた前半(←映像群は白の印象が強かった)とは打って変わり、後半ではカーアクション&ガンファイトの集合で「動」が前面に押し出された形である(←映像も全般的にザラついてたか)。

中でも、明らかに『マトリックス・リローデッド(2003)』の演出を意識したと思しき、カーチェイス場面は凄まじかった!
トレーラーに満載された鉄車輪(?)がゴロゴロと道路上を転がり、後続車を次々にぺしゃんこにして行くんだが、近未来でも、ああ言う(いわば半原始的な?)輸送手段しかないんやろか(・ω・)
トレーラーから降りた2人が次に駆る“ブラック・アスプ”なるジェット・バイクみたいなのんがかなりヤバそうな機動性を誇っていた! 考えようによっては“(バットマンの)バット・ポッド”よりも高性能かも知れません?(⌒〜⌒ι)

助演陣がショーン・ビーン(メリック博士役)、ジャイモン・フンスー(ブラックホーク・セキュリティの主任エージェント=ローラン役)、ブシェミ、ダンカン・・とこれまた“妙に豪華”なんだが、どのキャラも押し並べて「失速気味な退場」ではあった。。

中でもローランは、描き方次第では“スピンアウト作品の主人公”も十分につとまるような魅力的なキャラにも見受けられただけに、心情の変化などが殆ど描かれなかったのは私的に残念に思えた(そう言う“小難しい演出”は、マイケル・ベイ作品では御法度なんかも知れんが(=^_^=))。

リンカーンの仲間の1人で、ジョーンズ・3・エコーと言うおっちゃん(イーサン・フィリップス)が登場するんだが、雰囲気がどうにも(漫才コンビ)B&Bの洋七(今や「佐賀の名誉県民」とも呼べる“がばい”タレントさん(=^_^=))に見えて仕方なかった・・意味もなく“紅葉まんじゅう〜!”とか連呼して欲しかった、ニホンゴで(=^_^=)

「アグネイト」「遺伝子操作規制法」「ペンタゴン」「ルート39」「ノキア携帯」「キャデラックV12“シエン”(2002年のコンセプトカーなので、劇中世界では言わば“過去のクルマ”、、)」「ピカソの絵」「コートジボワールの暴動(2004年に実際に起こった)」などのキーワードを虚実交え、あちこちにちりばめてる辺りは“知的な印象”もチラリとながら漂わせてて、良かったか☆

後半で「どっちがどっち?」みたいな展開となるんだが、もう少し「観客にニヤリとさせる演出」は欲しかったトコロ。その場で“捨てネタ”的にバラしちゃってるのは、勿体なかった。
『M:i−2(2000)』の終盤などを参考に、表現をもっと洗練して欲しかったかも、である。

〜 こんなセリフもありました 〜

メリック「何が不満だ?」
リンカーン「“アイランド”に行くのを待つだけでなく、別なことをしたい」

マッコード「何か欲しいものがあったら、眼を閉じて願うよな? それを無視するのが“神”さ」
     「何で俺が“こんな役回り”を演じなきゃならないんだ?!」
     「ハンバーガー喰う奴が、その牛に会っときたいと思うか?」
     「女にゃクレジットカードを持たせるな・・これが“不変の真理”だ」
     「いいか、他人なんか信じるな! 所詮、人間なんて“生き残るためなら何でもやる存在”なんだ」

ローラン「静かに“片付ける”つもりだったが・・仕方ない、もはや遠慮は要らん!」
    「ある意味じゃ戦争すらビジネスだ、あなたのビジネスも“殺し”ですか?」

ジョーダン「あの男の子、私に似ていた・・あの子のママ、死にかけてるんでしょ?」
リンカーン「・・知らない」
ジョーダン「・・ウソ付いてる」

トム「風を感じられるものなら、デザインの対象は何だっていい」
  「あいつら、俺のクルマを撃ってる! それもエンジンを!」
  「たった1つだけ確かなことは・・“人は生き残るためだったら何だってする”ってことだ」

ジョーダン「“あの人”の眼がウソをついてる・・あなたと同じ」

ジョーンズ「“アイランド”に行くのに、バッグを置いて行くんですか?」

メリック「私は科学における“聖杯”を発見したのだよ」
    「“彼の人生”を生きることも選べたのに、ここに戻るとはな」

バーの客「気合入ってんなお前ら・・“UFOマニア”か?」

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2008年11月21日 (金)

☆『エターナル・サンシャイン(2004)』☆

6日(木曜)の夜、衛星第2で放送されたものを観た。
劇場公開当時から“気にはなってた”恋愛モノではあるも・・どうも(予告編の)「弾(ハジ)けてなさげな印象」のジム・キャリーにちと物足りなさを(直感的に)感じ・・結局、観に行かなかったように記憶している。
いや、案外忙しかっただけかも知れないが・・(⌒〜⌒ι)

ヴァレンタイン・デーの迫るある日。ジョエル・バリッシュ(ジム・キャリー)はいつものように目覚めた。
いつの間にか凹んでる、クルマの左(フロント)ドアに「?」と感じつつ、出勤するジェエリー(=ジョエル)・・が、駅のホームで“衝動的に”反対方面への列車に飛び乗ってしまう・・

「こんな突飛な行動をとってしまったのは、きっと寝覚めの悪さのせいだ」などと呟きながら。

仕事をサボり、彼の向かった先はモントークの浜辺・・その海岸で、そして帰りの駅ホームで、更に同じ列車内で、見かけた女性=クレメンタイン・クルシェンスキー(ケイト・ウィンスレット)と会話を始め、彼女に急接近して行くジョエリー。

しかしある日、クレム(=クレメンタイン)の勤める「B&N書店」に行ったジョエリーは、彼女に突然「素っ気なく」あしらわれてしまう・・そして彼は、クレムが「ラクーナ社」から手紙を受け取っていたことを知る。

その会社は「依頼を受け、顧客の脳から特定の記憶を消去する」と言う奇妙な(?)サービスを行っているのだった。
同社のスタッフに食い下がり、ついに「クレムとの契約で、同社が彼女の記憶からジョエリーを消去したこと」を聞き出した彼は、自らもまた“記憶消去手術”を受ける決心をする。

かき集めた“彼女との思い出の品”をもとに、一夜の“手術”の中で、急激なスピードでもって消されゆくジョエリーの記憶。しかし“思い出”と“夢”の混濁した意識の中・・やがて“手術”そのものに抵抗を始めるジョエリーがいた・・

基本路線は「記憶&夢の中での、恋愛の再編」みたいなノリなんだが・・意外な豪華俳優も共演してたりしてびっくり!
「ラクーナ社」のスタッフとしてイライジャ・ウッド(パトリック役)、キルスティン・ダンスト(メアリー役)が立て続けに画面に現れた時は、かなり驚かされた(⌒〜⌒ι) イライジャくんは正直、それほど重要な役柄でもなかったんだが(存在感は無論あったが、、)、特にキルスティンさんの役回りが「かなり重要」なことに中盤以降、気付かされ・・ソコにも「おおっ!」と思わされてしまった。
彼女は間違いなく、本作の主人公の1人と言えるのでは! と決め打っときたい(・ω・)

製作&脚本に『マルコヴィッチの穴(1999)』のチャーリー・カウフマンがクレジットされてるだけのことはあり(?)、奇想天外な展開ながら、何処か垢抜けない、微妙な退屈さも全篇に渡り漂ってた気がした。

ジムキャリ&ケイトのカップルはそれぞれに「巧い」のは認めるんだけど、フレッシュさや初々しさまでは流石に漂わせ切れてなかったように。
ちょっと2人の“メイクラヴ”シーンは想像出来なかったし(劇中で1ヶ所のみ、それっぽい“艶描写”はあるも・・全くドキドキしなかったワタシ、、)。

改めて「自らの脳からのみ記憶を消し去っても」「相手の脳からのみ記憶を消し去っても」完全ではなく、例え「2人ともの脳からそれを消し去ったとしても」・・2人の関係を知る周囲の人間の“お節介”によっては、記憶が再燃(復活?)することもあろうし・・大体、記憶を本当に完全に根本的に消し去るかどうか自体は「自らの中で(無意識にせよ)決意して始めて実行されること」なのかも知れないな〜などとも考えたり。

忘れるべきことは、外部の手助けなんかなくとも奇麗さっぱり忘れ去るモノだし、それが忘れられない、忘れたくないことだとしたら・・外部からの手助けも含め、寄ってたかって消そうと試みようとも・・完全には消去出来ないモノなのかも知れない・・と。
(この辺は専門家やおまへんので、良ぅ分かりまへんワ(・ω・))

「忘れることのできた」幸福と「忘れられなかった」幸福、果たしてどちらが不幸なんだろうか・・? と考えてる内にアタマがクラクラしても来るのであった(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

ジョエリー「何故、関心を示されると・・僕はすぐに恋に堕ちるんだろう?」
     「“退屈な人生”だから喋る事がなくてね・・きっと『僕の日記』を読めば分かるよ」
     「この思い出は消さないでくれ!」
     「僕たちからお互いの存在を消すなんて!」

クレム「今はあなたが“いい人”であることに感謝・・次の瞬間は分からないけど」
   「今日は変だったけど・・いつもの私は違うのよ」
   「私、酔えば簡単に口説けるタイプよ・・冗談!」
   「“夜のピクニック”は格別よ」
   「この会話は“無駄話”じゃないわ・・それが恋人でしょ?」
   「“子供の寂しさ”を大人はみんな、分かっていないわ」
   「言っとくけど、私は“手のかかる女”よ。私を優先にしないと承知しないから!」
   「私に幸せを求めたりしないで。私が欲しいのは“自分だけの幸せ”なのよ」

ハワード博士「この時期(2月)だから“手術”に忙しくてね」

クレム「この記憶もじきに消えるわ、どうするの?」
ジョエリー「楽しもう!」

ジョエリー「“いい人”と思われたくてね」
クレム「“いい人”なんてまっぴらよ、私」

ジョエリー「君のもとを(黙って)飛び出したところで、この記憶は終わりだ」
クレム「せめて(その時に)お別れを言ったことにしとかない?」

※※「君は・・“私との記憶”を消したがったのだよ」

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2008年10月24日 (金)

☆『イーグル・アイ』☆

22日(水曜)の夜。仕事帰りに梅田へと繰り出し、新作映画『イーグル・アイ』を観て来た。明日〜明後日にかけ、少なくとも今日よりは忙しくなる可能性が高く・・「ここらで観とこう!」と数秒間考えたのち、行く事に決定☆

場所は「泉の広場上ル」にある“梅田ピカデリー”だったが、とにかく混雑してて、中でも女性客の多さが目立ってた。あ、そう言えば今日は“レディースディ(水曜)”だったんやな、とその時初めて気付いた(×_×)

女性ならではのかまびすしさ&臆せず堂々と本編開始直前に入って来るずうずうしさに閉口させられつつ(←勿論、一部の女性客だけど・・)「君らの倍額支払って、何でこんな肩身の狭い思いをせなあかんねん!」・・などとは一切考えず(=^_^=)大人しく待っている内に、やがて上映は始まるのだった。

アフガニスタンの辺境、バルチスタンの村。ここで行われる葬儀に武装テロの指導者マジド・アル=ホエイが参列する情報を掴んだ米空軍は、北欧神話に基づくコールサイン“ヴァルハラ(本部)”“トール(偵察隊)”“ロキ(標的?)”を駆使し、テロ一派の殲滅を図る。
標的がアル=ホエイ本人である合致率は「声紋」「映像」から51%。その確率の低さに攻撃命令を出しあぐねていた指揮官=カリスター国防長官であったが、合衆国大統領直々の連絡がそこに入り・・

バックパッカーとし世界各地をさすらった末、現在は帰国し、安アパートの家賃すら滞納させつつ「コピーカバナ」で店員として働くジェリー・ショー(シャイア・ラブーフ)。そんな彼は、幼い頃から優等生だった、双子の兄=イーサンの訃報を受ける。

空軍の広報部に勤務していたエリートの兄は交通事故で亡くなったと言う。
悲しみに暮れるジェリーだったが、彼を迎えた父(ウィリアム・サドラー)との間に深く刻まれた溝に、埋まる気配は見られなかった。

ある日、行きつけ(?)のATMで現金を引き出そうとすると、昨日迄は“残高不足”だった筈の口座に“75万1000ドル”もの大金が振り込まれていた。
驚きつつも、札束をかき集めそそくさと帰宅するジェリー。大家のおばさんに家賃を渡すと、彼女は「部屋に荷物が届いていたよ」と彼に告げる。
部屋に入ったジェリーの前に、うずたかく積まれた銃器&爆薬&毒物が・・! 暗視スコープ、硝酸アンモニウム(545キロ)、F16操縦マニュアル、なんてのまであるし!

直後「30秒後にFBIが到着するから、すぐに逃げなさい」との“女の声”による警告が彼の携帯に。
動転してるうちに、ホントにやって来たFBIに捕まってしまうジェリーだったが、そんな彼を拘束されていたビルから助け出したのも“女の声”による指示だった。
逃げ出すジェリーと、それを追う主任捜査官トム・モーガン(ビリー・ボブ・ソーントン)。

彼の逃走を手助けする“女の声”の主は一体何者なのか? そしてその目的とは?

シングルマザーのレイチェル・ホロマン(ミシェル・モナハン)は、1人息子サムを駅から送り出す。彼は(ワシントンの)ケネディセンターにおける演奏会にメンバーとして参加するため、愛用のトランペットケースを携え向かう。

だが直後、レイチェルは携帯に架かって来た“女の声”に脅迫される。協力しなければサムの命はない、と。
その指示に従い「黒いポルシェ・カイエン」を手に入れたレイチェルだったが、間もなく(車の)助手席に同じく指示を受けたジェリーが乗り込んで来る。

かくして“余りにも巨大な陰謀”の片棒を担がされることとなる2人の、出口すら見えぬ逃避行が始まったのだった・・!

う〜ん・・どやろ(・ω・)
期待値が高過ぎたせいか、中盤までの吸引力が次第に失速し、後半には観ててかなり疲れてしまったかな、と。何にしても・・過去のサスペンス作品のネタを色々と引っ張って来てはいるんだが、それらが強引にモンタージュされ過ぎてて、どうにも“超B級作品”の域を脱することはなかった、少なくともワタシの中では。

それぞれの役者さんとも、頑張ってくれてはいるんだが・・全体的に地味な俳優陣。
笑いらしい笑いの要素すら、排されてた進行には正直「スティーヴン・スピルバーグの名を冠した(←監督ではなく、製作総指揮に過ぎないが)エンタテインメント大作としてはどうよ?」と感じたものだ。

ネタ的にも・・「奇しくも」とは思うが『アイアンマン』とその序盤が、『ゲットスマート』とその終盤が酷似してた(=^_^=) 後者については『交渉人/真下正義(2005)』にも(つまりは)酷似してる訳だが(=^_^=)
他に連想したのは『007/サンダーボール作戦(1965)(個人認証ネタ)』『マイノリティ・リポート(2002)(いんちきハイテク&えせサイバーネタ)』『逃亡者(1993)』&『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(2002)』『マキシマム・リスク(1996)(双子ネタ)』・・そして極め付けはスタンリー・キューブリック監督の・・
(ヒントは、空軍の情報将校として登場するキャラの名 − ※※※※少佐 − ですわ)

ここは「未だにキューブリックに対するリスペクトが止まないんやね・・」とスピルバーグに言ったげるべきか?

この少佐の名がワタシの記憶の中で・・と繋がった瞬間、オチにも自然と気付いてしまい、急に本作が色褪せて見え始めたのは確かにあったか。
もう1点の“しょ〜もなポイント”は、中盤で突然に出て来る「MASAKOバス」に乗った日本人によるツアーの一団。取って付けたような“日本人観客へのリップサービス”に「おいおいっ!」と突っ込んでしまったのはワタシだけではないハズ。
(同じような気持ちとなったのは『宇宙戦争(2005)』における「大阪では“奴ら”を何体か倒した連中がいるらしい!」みたいな、これまたムチャクチャなセリフだったか、、)

オチ自体は大したことなかったが、劇中で2度ほど展開されるハードなカーアクションにはぶっ飛んだ! 1度目では、最高級4駆車たる“ポルシェ・カイエン”が惜しげもなくボコボコになって行くのが圧巻! 夜のシーンなのと、カメラワークがハチャメチャ(素早過ぎ!)なので、途中「何が何だか分かんない状況」なのがスゴかった(=^_^=)

他には劇中に登場するガジェット(アイテム)関係だろうか。中でも“ヘックス”なる特殊な結晶体がスゴい! とある“外的要因”をきっかけに大爆発を起こすんだが、C4爆弾の約80倍(?)の破壊力を持ち、1粒で何とフットボール場ほどの面積が“消滅”するらしい。そんなオッソロしいシロモノを、削って加工しちゃうおっさんが出て来たりして、これまたぶっ飛んだ!(⌒〜⌒ι)

他には高度飛行中の機内における酸素欠乏(窒息)を防ぐ、特殊な薬剤(注射器タイプ)の存在も面白い。

ホンマにあるのか分かんないが、苦笑させられたのが“FBI”と側面に大書されたトレーラー車両。スゴいんだか、アホなんだか、何だか良く分かりませぇん。。

珍しい(?)ロケーションとし、空港の貨物搬送区画内(?)での追いかけっこには独特の味わいがあった。ジョージ・ルーカス監督なんかもきっと好きそな演出だろう(=^_^=)

ほか、こんなことも突っ込みつつ幕とさせて頂きたい(ネタバレは出来ないので)。

・“木の球ご〜ろごろ(2002)”に続いては“金の球ゆ〜らゆら”である(・ω・)
・“黒幕”はアホである(=^_^=) なぜ序盤の音で“オン”するようにしなかったんだろ? 音階的に無理でも、会場内のスピーカーを“ハック”するとか、なんぼでも出来たでしょ?
・オレがあの子供だったら、多分びっくりして、思わず次の1音を吹いてたろうな(=^_^=)
・「ヒッチコック好き」にとっては、物語が大き過ぎ、楽しめない気がする。オチもあんな風に転がっちゃあねぇ・・
・“イーグル・アイ計画”って言うと響きもカッコいいが・・“ギロチン作戦”ってのはセンス的にどうよ?
・“FBIの盗聴を完全に防ごうと考えるなら、もはや携帯の電池を外すしかない”ってな警告が劇中であった。
・ジェリーの父役のウィリアム・サドラー! このおっちゃんが“黒幕”とも思ってしまった(=^_^=) どうにも『トレスパス(1992)』『ダイ・ハード2(1990)』などの悪役ぶりが忘れられない。
・合い言葉“ポタス・トリプル・ワン”って何じゃ〜い。
・銭形警部的キャラでもあり、それなりに憎めなかった捜査官役のビリボブ(ビリー・ボブ)。にしては、あのあっけない“退場っぷり”ってばどうよ?
・サテライトに自動転送されたデータ(完全ではないが)はどうなった? 続編への“フリ”のつもりか?
・扱い慣れぬ(?)「レミントン870」を構えるジェリー。の筈なのに、街角の監視カメラをたったの一発で吹っ飛ばす射撃の腕は“ただ者”じゃなかったんでは?

〜 こんなセリフもありました 〜

ジェリー「女にはカネをかけろよ」
    「この家に戻る度、よそに来た気がする」
    「奴らなら、列車をアヒルにだって変えられるだろうさ」 ←どんな例えだ!
    「俺はいつも、兄貴の“引き立て役”だった。彼が俺に頼み事をするなんてなかった」

女の声「あなたを“起動”させた」
   「逆らえば、あなたの息子の乗る列車は脱線する」
   「質問はなし(no question)」
   「“逃走”は選択肢にはない」
   「我々は常に“監視”している」

モーガン「外はやけに冷えるな」
    「これは戦いだよ、君の私に対する“黙秘権”と、私の君に対する“拘留権”とのね」
    「俺を眺めてるヒマがあったら・・さっさと働け!」

日本人バスガイド「はあぃ、ごゆっくりぃ」

ジェリー「かくれんぼのつもりか?」
女の声「隠れてはいない」

レイチェル「離婚なんて、私の人生にとって汚点よ!」
ジェリー「汚点なんかじゃないさ、可愛い息子さんが生まれたろ?」

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2008年10月14日 (火)

☆『アガサ・クリスティー/謎の失踪・失われた記憶(2004)』☆

“放置プレイ”されてたレビューをアップします。。

さる9月27日(土曜)の夜に鑑賞。今回は「TV放送された映画」でなく、頂き物のDVDソフトにて鑑賞した“BBC(英国放送協会)製作による実話ベースのドラマ”と言うべき作品。

“ミステリーの女王”と呼ばれた英国の推理小説家=アガサ・クリスティー(notマッジ・ペンローズ、、)の生涯で、後年になってもなお語り継がれる実在の“11日間の失踪事件”の謎に切り込んだ物語。

実際の失踪はこんな顛末。

1926年12月初旬(ウィキペディアでは同月3日、の記載)。使用人にも行き先を告げぬまま、アガサは夜、突然に自宅(パークシャー州サニングデールの“スタイルズ荘”)を飛び出す。
運転していた青い愛車“モリス”が、サリー州ニューランズ・コーナーの砕石場界隈で衝突事故を起こした状態で発見され、車内には彼女の所持品がそのまま残されていた。

数日後には、アガサが“ロンドンから投函した”と思しき手紙の存在が明らかとなり、捜査陣は捜索範囲の拡大を余儀なくされる・・

結果的に、彼女は11日後、ヨークシャー州ハロゲートのホテルに“テレサ・ニール”なる偽名で宿泊しているのが見つかり、現地に向かった夫=アーチー・クリスティー大佐(ウィキペディアではアーチボルド・クリスティ大尉、の記載)により「間違いなく本人である」と確認された。

夫と感動の(?)対面を果たしたアガサであったが、衝突事故によるものか“失踪期間中の記憶”は完全に失われていたのだった・・

執筆した作品群の華やかさ(及び発行部数)とは対照的に(?)私的には“地味な私生活(作家人生)を送らはったんでは?”と勝手に推測するアガサ(1890-1976)。
そんな彼女の人生で、最もセンセーショナルな印象を受ける“謎の失踪”に切り込んだ意欲的な企画ではあるも、劇中で主治医(精神科医?)により明らかにされる“真実”は意外にあっけなく、俗人的なものでもあったか・・(・ω・)

元の所有者の方曰く「劇中で“アガサの悪夢”に登場する某人物がとにかく生理的に受け付けない」ってことで・・こっちも覚悟し、リモコンの“停止ボタン”に指をかけたまま鑑賞に望んだんだが(=^_^=)・・ワタシ的には全然OKですた(=^_^=)

私的には“あのキャラ造形”は役者さんが「造り込んだ範囲内」で良いかな、と。。
(ヴィジュアルを具体的に言えば、目付きが悪く、ニヤついてる、不気味なヒゲ面の薄汚れたおっさんであった)

「失踪事件」がメインではあるも、老齢のアガサがこれまでの人生を振り返る、みたいな展開となっており「ちと主題だけでは、吸引力が低いと判断しまして」的な制作側の“引き姿勢”を感じたようにも(⌒〜⌒ι)

劇中では「スタイルズ荘の怪事件」「茶色の服の男」「アクロイド殺人事件」「牧師館の殺人」の探偵エルキュール・ポアロもの、「聖ペテロの指の跡」の探偵ミス・マープルもの、がタイトルのみだが紹介されてた。
因みに、ワタシの好きなポアロものは「ABC殺人事件」だったりします(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

アガサ「パーティーは苦手なの」
   「取材が作家に必要な仕事だとは思いません」
   「金魚の記憶は10秒が限界とか・・ちょうど水槽を1周する間ですわね」
   「強い人間だった筈なのに・・誰かがそばにいてくれたら」
   「彼は自分の幸せしか頭にない男、でもその冷たさに惹かれたんですけど・・かつては」
   「人はいつか、独りで何かをするものよね」
   「プロ作家なら気が乗らなくても、巧く書けなくても書くわ・・嬉しい事に、書けばお金になる時代でね」

アーチー「君は、とらえどころがない」
    「察してくれ・・これ以上は酷だ」

アーチー「皆が幸せなど有り得ない、誰かが不幸になる」
アガサ「何故それが私で、あなたじゃないの?」

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2008年10月 9日 (木)

☆『アニー(1982)』☆

今さらながら、放置されていたレビューをば、、(⌒〜⌒ι)

さる9月16日(火曜)の夜に鑑賞した映画『アニー』について、少し書いてみたい。

この週に衛星第2で放送された“ミュージカル映画特集”の一環のようであったが「孤児である主人公の少女が、頑固な富豪をぎゃふんと言わせるハナシ(=痛快コメディ作品)」かと予想してたら・・そうでもなく、アメリカの“かつてクスブっていた時代”をしたたかに背景に取り込み描いた、意外にシリアスな物語世界だったことに、感心も感動もさせられたワタシだった。

1930年代。世界は恐慌に揺れていた。
ここニューヨークでも失業者が激増、ならず者(=犯罪者)が跋扈(ばっこ)すると共に、生活苦から我が子を棄てる親も決して少なくなかった・・
主人公のアニー(エイリーン・クイン←“エイリアン・クイーン”ではない!)は10歳の赤毛の少女。下町の「児童養護ホーム」で孤児いびりを生き甲斐としてる(?)ヒステリックなハイミス=ハニガン院長に服従を強いられる仲間たちの中にあって、唯一(?)希望を失わぬ“強い子”であった。

その理由は、アニーが肌身離さず身に付けてる“ハート形ペンダント(ロケット?)の片割れ”・・両親が彼女を育て切れず“この町”に託した際、その半分を割って残して行ったものであり、彼女は「いつか“ペンダントの残る半分”を携え、両親がきっと迎えに来てくれる」と信じているのだ。

そんなある日、いつものように“脱走”を図り、これまたいつものように“連れ戻された”アニーのもとへ、大富豪オリバー・ウォーバックス(アルバート・フィニー)の秘書=グレース・ファレル女史がやって来る。ウォーバックスが1週間の期限で“元気の良い孤児を1人”屋敷へ招待し“クリスマス休暇”を一緒に過ごしたい、なる申し出だった。
実際のトコロ、ウォーバックス自身は子供に興味がある訳でもなく「慈善活動してまっせ!」的なアピールを大々的に行い、名声を得ようと考えただけのことだった。

グレースに“あたしをここから助け出して”サイン(?)を送ったアニーは、望み叶い、ウォーバックスの豪邸(5番街の一角)に招待される。

間もなく、頑固で子供に興味のなかったウォーバックスの心に少しずつ溶け込んで行く、新しい家族“アニー”の存在。
1週間が過ぎる頃には「アニーを養子にしたい」と考え始めるグレース(とウォーバックス)だったが、アニーは「その気持ちはとても嬉しいが、私はやはり両親を見つけたい」と告白する。
ウォーバックスはそんなアニーの力になろうと、メディア(新聞&ラジオ)を活用し、FBIにも手伝わせ(=^_^=)「名乗り出たアニーの両親に5万ドルを!」なる大型キャンペーンを打つ。

“礼金狙いの連絡”が次々とウォーバックス邸に飛び込む中、ハニガン院長が突然「ニュージャージーからやって来た」としてアニーの両親を連れて来る。
マッジ夫妻を名乗るその2人は、確かに“ペンダントの片割れ”を所持していた・・

ニューヨークが舞台の「キッズ・ミュージカル」と言えば『ニュージーズ(1992)』を思い出してしまうワタシだが、本作も登場人物に“その時代ならではのリアルさ”を持たせていて面白い。
ロックフェラー、カーネギー、ルーズベルト大統領、FBI長官のフーバー、新聞王ハースト・・中でも、ルーズベルト大統領は“実際にそれらしい雰囲気を持つ”キャスティングで登場、ウォーバックス&アニーとプライベート会談みたいなことをやってくれたりもする。
こういう『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』的なフィクション系演出のセンスって、ベタながら結構好きなワタシです(=^_^=)

本作で最大の悪党キャラながら、一番誠実に(?)歌い踊ってくれた1人がルースターを演じたティム・カリー。良くこんな嫌な役を演るなぁ・・と感心するが、考えるとティムはかの『IT/イット(1990)』でオッソロしい殺人鬼キャラ“道化師のペニーワイズ”を堂々と演じ切った名優であるから、この手の起用はきっと楽しくて仕方がなかったことだろう(←勝手に決め打つなよ)。

終盤で、アニーが追いかけられ、鉄橋をよじ登って逃げる・・なるスペクタクルシーン(?)が展開されるが、その時にハニガン女史が「やめて! まだほんの子供よ、殺すことはないわ!」と絶叫するシーンで「あ、いつもはイヤなキャラで通してるけど、ホンマは優しくてええ人なんや」と言う彼女の“無垢な心”を感じさせられてしまい、それだけでウルウルしてしまったのだった。。

総じて、この映画版の評価は低いようだが・・私的には「いい作品を観たな〜」と何だか優しい気持ちになってしまったモノである。
まぁ、ジョン・ヒューストン監督がメガホンを執るべき映画だったのか、は微妙なトコかも知れないが(⌒〜⌒ι)

※同監督は『アフリカの女王(1951)』『許されざる者(1960)』などで有名。女優アンジェリカ・ヒューストンのお父さんでもある。

〜 こんな歌詞&セリフもありました 〜

【アニー】
♪パパとママの唯一の過ちはあたしを棄てたこと
♪この犬の名はサンディ、ウソだと思うならノミに訊いてみて
♪世の中、不況だと言うけれど、映画があれば気にしない
♪酷い昨日なんか済んだこと

【ハニガン】
♪あたしだって、男に耳を噛んで欲しいわ

【グレース】
♪アニーが家族に、まるで税金が戻って来たような気分

【ウォーバックス】
♪君は人生を歌に変える
♪アニー、君は破産した時の1ドル

アニー「傷つかないでね、あなたは優しい人よ」

グレース「どんなにお金や権力を愛しても、それらはあなたに愛を返してはくれません」
    「不正直な人間が、ニューヨークにこんなに多いとは・・」

ウォーバックス「落札したが好かん絵だ、トイレにでも掛けておけ!」 ←いや、それは“モナリザ”なんですが、、
       「女と来たら、宝石店に行くと・・戻って来やせん」
       「成功のために、多くの人を傷つけた」
       「いくら財を稼ごうと、分かち合う人がいなければ、貧しい頃と変わりはしない」
       「アニーが誘拐された! FBIの捜査員を総動員してくれ!」

大統領「失業者に職を、そして我が国民に誇りを」
   「アニー、この国に失望した若者に呼びかけてくれ」

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2008年10月 4日 (土)

☆『ヴェロニカ・ゲリン(2003)』☆

放置したまんまになってたレビューを、、

さる5月1日(木曜)夜、衛星第2で放送されたのを録画しておいた『ヴェロニカ・ゲリン』を、9月4日(木曜)と8日(月曜)、9日(火曜)の3夜に分けて観た。
ケイト・ブランシェット主演、ジェリー・ブラッカイマー製作&ジョエル・シューマッカー監督による、アイルランドの女性記者の“孤独な戦いとその死”を描いた実話ベースのドラマである。

「これは実話に基づく」と言う静かな字幕により幕開けとなる物語。

1996年6月26日。ネース裁判所に出頭、(常習的な)駐車&速度違反に関する“酌量的な判決”に笑顔をのぞかせての帰路、女性記者ヴェロニカ・ゲリン(ケイト)は信号待ちをしていた郊外の交差点で、背後から横付けされたバイクの2人組に襲われる。
6発もの銃弾を至近距離から受け、ヴェロニカは即死。

そして舞台は、彼女がアイルランド・ダブリンにはびこる若年層を狙った麻薬犯罪に宣戦布告する2年前に遡る・・

麻薬に依存するストリートの若者をレポート、その記事を書き始めたヴェロニカは、彼らの背後にマフィアの黒い影を突き止める。若者らや売人を逮捕⇒更生するより、麻薬組織の存在を公にし、ボスの正体をさらすことが麻薬撲滅の近道だと判断した彼女は、家族や同僚、麻薬課の刑事の心配をよそに、自身の行動の正しさをただ信じ、突き進む。

度重なる(マフィアの)妨害工作(3度あり、4度目でついに殺害された)にも負けず、いよいよボスが“馬術センターの経営者=ジョン・ギリガン”であることを突き止めたヴェロニカだが、彼の放った殺し屋は、既にその背後に迫りつつあった・・

劇中で主人公をして“聖女ヴェロニカ”と称されるセリフがあるが、今も昔も、全世界共通で言えることは「少なくとも誰かが犠牲にならなければ、動き出さないものがある」って悲しい現実だろうか。

以前、劇場で観た際に「ペンは剣より強しと言うが・・ペンを武器にするとしても、相手の剣を(実戦的に)防ぐ盾は肌身離さず携えていないとあかんだろう」と感じたワタシは「拳銃を携行する」「防弾チョッキを着用する」などの危機対策を全く怠っていたヴェロニカに対し「凶悪な相手と闘うには甘過ぎる!」と決め打ってしまったものだが、
今回改めて観直し
「精神的な死(=マフィアに屈し筆を折る)より、よほど肉体的な死(=マフィアに自身を襲わせとどめを刺す)を望んだのかも知れないな・・」と思うにも至った。

わずか1時間40分程度の上映時間の中に、異様な“濃密さ”があり、3度に分けての鑑賞を余儀なくされた本作。

“お遊び的要素”は街角でヴェロニカと会話する、名もなきチンピラを演じてたのがコリン・ファレルである、、ってぐらいだろうか(・ω・) ←勝手に“蜘蛛の巣くん”と名付けますた。。

押し付けがましい演出などは全く登場しないが、それが故に、観る者に余韻を残す1作ではある。

〜 こんなセリフもありました 〜

ヴェロニカ「この町は病んでるわ、私の記事なんか無意味・・みんな無関心よ」
     「この記事には意義があるわ、実態を伝えなきゃ」
     「実態を知ればあなたも闘う筈よ、世の中を変えたいの」
     「私の読みが正しいからこそ撃たれたのよ」
     「やりたいわけじゃない、だけどやるしかない」
     「国税庁は(マフィアの)申告額だけに注目し収入源を確認しないわ」
     「現在の法律が問題なら、不当な法律を改正しなくては」
     「約束して・・私が怯えたことは秘密に」 ←このセリフが最も印象的だった!
     「負けたくない、恐れたら連中の思うつぼよ」
     「私は買収されない、犯罪者に屈するのは敗北、私の信念が許さない」
     「もしここでひるめば、それは“ジャーナリズムの敗北”を意味するわ」

トレイナー「(麻薬より)酒の方が、よほど身体には毒では?」
     「状況ってものは、悪くなる時は悪くなるもんだ」

ギリガン「俺が成功してるのはな、正体がバレないからだ」
    「大物を気取るな・・雑魚(ザコ)のくせに」
    「俺の手下を侮辱するな」
    「利口だと勘違いしてるのが、お前の欠点だ」

母「乱暴者とは闘わないのも1つの方法よ、近付かない方が潔い場合も」

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2008年10月 3日 (金)

☆『アイアンマン』☆

2日(木曜)。
梅田に出、期待値の高まってた“アメコミヒーロー作品(マーベル・コミックス系)”『アイアンマン』を観て来た。
劇場は“ブルク7”で、最上階に近い(?)中規模のシアターだったが、中列の、足先に前席のない位置のシートを選べラッキーだった☆ 左右それぞれにも1席ぶんの空きスペースがあり、これもなかなかの幸運☆

アフガニスタン・クナル州。“聖人”とも“救世主”とも“死の商人”とも呼ばれる「スターク・インダストリーズ社」のトニー・スターク社長(ロバート・ダウニー・ジュニア)は新型の同時多発ミサイル兵器“ジェリコ”のデモンストレーションのため、自家用ジェットでこの地に降り立った。
現地での“ジェリコ”試射は成功裏に終わったが、テスト場から空軍基地に向かう際、トニーの乗る軍用車は多国籍テロ組織“テン・リングス”の強襲を受ける。
彼の護衛役でもあった、若い兵士らが次々と敵弾に倒れ、トニーは車外へ逃げ出す・・そんな彼の背後に小型のロケット弾が突き刺さる・・“スターク・インダストリーズ”・・見覚えのあるそのロゴを目にした次の瞬間、トニーは爆風と共に吹き飛ばされるのだった。

目が覚めると、テロ組織の隠れ家(=洞窟)に監禁されていたトニー。同様に囚われた“グルミラ村の外科医”インセンにより、心臓近くに刺さっていた“爆弾の破片”を除去しては貰ったものの、車載式バッテリーに繋がれた電磁石の寿命=1週間が経過すれば、破片は心臓に到達し、たちまち死んでしまうと言う。
それを聞かされたトニーは絶望に打ちひしがれるが、インセンの助言を得て「生き延びること」に執念を燃やし始める。

アジトに山積みとなった“スターク・インダストリーズ”製の兵器から“パラジウム”を取り出し、それを基に“アーク・リアクター”なる超小型動力装置を開発し心臓を補強。
次に「ここにある兵器・部品・工具で“ジェリコ”を製造しろ」なる、テロ組織のムチャな要求を承諾し・・つつも欺き、洞窟から脱出するための「パワードスーツ」の開発に取り組む。

無事に脱出を遂げ、帰国したトニー。その失踪期間は3ヵ月にも渡っていた。
彼はアフガンで目にした「自社製品がテロを強力に支援している」現実から、唐突に記者会見で「兵器の製造・出荷を辞める」と爆弾発言する。
役員会はトニーに対する“解任要求”を即座に提出、また当然ながら、同社の株価は急落する。
関係者が戸惑いと不安を高める中、トニー本人は自宅地下にある研究施設に単身こもり、極秘裏に「パワードスーツ」の改良を重ねるのだった。

ついに“マーク2”と名付けられた「パワードスーツ」が完成。そんな彼の目に「アフガンのグルミラ村がテロ組織“テン・リングス”の襲撃を受け人々が虐げられている」とのTV報道が飛び込む。

今・・“アイアンマン”が世界平和のための孤独な戦いを開始する・・

いやぁ、一見豪華なキャスト&無難なCGで固めた「良くあるヒーロー物」やろ、とタカをくくってたら、これが予想以上に面白く、反省しきり・・(×_×)
ただ、言わせて頂ければ「“アイアンマン”なる安直なタイトル」や「如何にも無造作にキャラを並べただけの(レイアウトの)あのポスター」は私的には「つまらん!」と痛感する。
もっと映像化に向け、野心的な“宣伝方法”を考えて欲しかったものだ。それらが与える「第一印象」で、総合的にソンしてるんじゃないかなぁ〜と思うのはワタシだけやろか?

ロバート・ダウニー・ジュニア・・何だか久々にスクリーンで観た印象だが、この人なりの“目ヂカラ”が確かにあって良いかなと。同じ武器商人ってことでニ※ラス・ケ※ジ主演ヴァージョンではどうじゃろ? とか勝手に妄想もしちゃうが、やはり実人生でも“陰影”を何処か背負ってる風なロバダウ(←略すな!)の方がしっくり来てますわな。

私的には『チャーリー(1992)』で喜劇王チャップリンを熱演・・と言うか、あの映画では、まだ幼さの残るミラ・ジョヴォヴィッチの裸身の方が印象に残ってるかも(⌒〜⌒ι)
沈んでた頃もあったが、いよいよ“完全復活”も近いようで、私的にはミッキー・ローク氏と共に、静かに今後の演技を見守ってゆきたい男優ではある。

『スカイ・キャプテン/ワールド・オブ・トゥモロー(2004)』以来、久々のグウィネス・パルトロゥ(社長秘書=ペッパー・ポッツ役)さんものんびり演じてた印象で好感! 『ハッピー・フライト(2003)』以来の“可愛い”キャラ造形だった。
1シーンで、顔をしかめながら手を某穴から奥に突っ込み、指先が妙な粘液でグッチョングッチョンになっちゃうシーンなどは、別な妄想を肥大させ、股間をも膨らませるおっさん観客が随分おるように思う(←お前だけだ!)

※妙な粘液の正体は“無機プラズマ性排出液”だそうだが、どうにも“有機物”っぽいぞなもし(=^_^=)

もう1人は、裸で携帯に出てたりしたジェフ・ブリッジス(オバディア・ステイン役)。この人の本作における“役作り”は尋常ではない! 『スターマン/愛・宇宙はるかに(1984)』をイイ意味で超えてたかも知んない(=^_^=)
終盤では、せっかくカッコ良く“変身”してくれたのに、殆ど顔面が“覆われて”見えなかったりもしてた・・ま、この人らしいや(=^_^=)

本作・・実は中盤までの“囚われシーン”こそが私的には秀逸であった。いつホンマに殺されるか分からない恐怖、初対面の男たちの“本能的な判断”に基づく信頼感や自己犠牲。
中でも、インセン医師が「私が囮となり、君の逃げる時間を稼ぐ!」と叫びながら機銃を手に牢獄から洞窟通路へと走り出るのだが、彼はそんな状況となっても「頭上に向け、機銃を掃射した」のである。目の前のテロリストらを撃ち殺したい気持ちも少なからずあったろうに・・
この行動には、妙にボロボロと泣かされてしまった(×_×) 何気ない演出だけど、ここは素晴らしく、必見だ!

もう1点は“アイアンマン”がグルミラ村に到着するトコロ。あのタイミングに、あの着地姿勢・・カッコ良過ぎますわ!

< エンドクレジットのあとに続きがあります >

なる親切な字幕(=^_^=)に続くラストでは、続編への布石と思しき、某キャラが唐突に登場するが・・私的には「(それを持ってしても)1作目に匹敵する物語性は、構築し得ないんじゃないかな?」と早々に決め打ってしまいたくなった。
・・さて?

〜 こんなセリフもありました 〜

トニー「君を“女性”でなく“軍人”と思ったよ・・やっと笑ったな」
   「ツーショット写真は構わんが、ブログには載せるなよ」
   「シーザーの物は、シーザーに返すとしよう」
   「世界に兵器が要らなくなったら、小児病院を建てるさ」
   「1度使えば“勝負の決まる”兵器こそが最強なんだ」
   「気付いたんだ・・自分が“非常に無責任なシステムの1つ”だったことに」
   「よし、飛べたぞ(I can fly)」
   「こっちの番だ(my turn)」
   「時には“歩く前に走ること”が必要だ」
   「“訓練だった”が、(事故発生時の)軍の常套句だろ?」
   「慈善事業でも、契約書へのサインでもない・・これこそが私の仕事だ」
   「生き残れたのには、何か理由が」
   「真実を言うと・・」 ←“答弁メモ”は結局、無駄ですた・・

ステイン「“撃ってから狙う”のでは、順番が違うぞ」

ローズ「無人戦闘機では、パイロットの“直感”や“本能”には勝てない」
   「次の機会だな、俺は・・」 ←ちょっと笑えるシーン

クリスティン「(良心の呵責で)あなたに眠れない夜はないの?」
トニー「(俺に付き合って)確かめてみるか?」

ポッツ「あなたでなく、急かされるのはこの私です」
トニー「急かされても、耐えろ」

トニー「“解放”なんてウソだ」
インセン「だろうな」

トニー「どうせ俺に残された命はあと1週間だ」
インセン「なら、この1週間が大事だろ?」

インセン「安心しろ、私の手は震えてはいない、だからこそ君を救えた」
    「望み得る全てを手に入れたとしても、家族がいないんじゃ空しいだろうな」

ポッツ「恥ずかしいわ・・汗止めもつけずに上司と踊るなんて」
   「あなたに死なれたら困るからよ」
   “トニー・スタークにもハートがある”

※※「テクノロジーは、昔からお前たち(テロリスト)のアキレス腱だな」
  「殺すべき時にヤツを殺さないからこうなる」
  「君の発案した物が、君だけの物とは限らないだろ?」
  「君のデザインは、余りに保守的だ」

※「こいつが12機あれば、アジアを支配出来る」

アイアンマン「好きにしろ」 ←ちょっと『北斗の拳』ぽいセリフ(=^_^=)

ローズ「何か手伝えることは?」
アイアンマン「飛行機を飛ばさせるな」

ニック・フューリー「君だけがスーパーヒーローだと?」

〜 こんなことも感じたり 〜

・不法侵入者に対し、とにかく警備の手薄過ぎるトニー邸。バルコニー床の耐荷重量(のなさ)にも大いに問題がある(・ω・)
・トニーが受賞した“アポジー賞”とはどないな賞なのだ?
・「旧型アーク・リアクター」⇒「不器用アーム君」と2段階で“置いといたネタを繋げる”って脚色にびっくり! すごいテクニックやな!
・トニーは“サケ(日本酒)とサシミ”がお好みらしい。
・あの環境(=洞窟)で「パワードスーツ」を完成させるのも凄いが、それ以上に「高度な外科手術を成功させる」のもすごい! 中東の辺境に、世界最高レベルの人材が今日も囚われてる・・ってのは現実に有り得るのかも知んない(・ω・)
・1シーンながら、オバディア氏が“セグウェイ”ぽいのに乗ってた!
・“アーク・リアクター”開発に同時に取り組む2チーム。どうしても開発出来ない側のチームがどうしたか? と言うと・・相手側から“盗み出した”が正解(=^_^=)
・前述の「不器用アームロボット」で複雑な作業を同時進行させるトニー。「音声認識」と組み合わせてて、かなりDIYもはかどることやろね。
・直立不動姿勢(?)で上空に浮上しつつ、両手を下にバランスを取る“アイアンマン”の飛行スタイル。何となく「嬉しくってぴょ〜ん」のポーズに似てなくはなかろうか?
・「パワードスーツ」も欲しいが、あの「携帯型マヒ装置」の方こそ欲しいかも・・
・米国内でより、アフガンでの人道的過激活動(?)の目立ってた“アイアンマン”・・飛んで行って帰って来る(往復)分のエネルギー消費量が結構勿体ないと思うのは、ワタシだけか(⌒〜⌒ι)
・ラストに登場の大物俳優・・少し前にあった『ジ※※パ※』の続編にもきっと出演されるだろうから、結構あちこち忙しそうな感じやね。熱弁中に背後から巨大ザメに喰われてたあの頃(1999)が懐かしい・・(⌒〜⌒ι)
・金とチタンの合金は「氷結に強い」らしい。
・ジンギスカン(チンギス・ハーン)が“弓矢”で築いた広大な領土は「アレクサンダー大王の2倍」「ローマ帝国の4倍」もの広さがあったらしい。
・ポッツさん好みのカクテルは「ウォッカ・マティーニをドライで、オリーブを3つ」だそうだ☆ 覚えとこ(=^_^=)

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2008年10月 2日 (木)

☆『アゲイン/男たちの挽歌3(1989)』☆

1日(水曜)夜の鑑賞。今週の衛星第2では月〜水曜の3夜に渡って“男たちの挽歌”3部作をイッキに放送してくれた。
“香港のツイ・ハーク”と呼ばれる(←そのまんまや!)ツイ・ハーク(製作総指揮)と、ブレイク前夜のジョン・ウー(監督&脚本)が関わってる“ピカレスク(悪漢)/任侠アクション作”って感じだろうか。

まず9月29日(月曜)夜に流れた『男たちの挽歌(1986)』のラストのみを“つまみ観”し、
♦冴えないルックス(←すんません)の3人組がドンパチの末、鮮血にまみれていく
♦チョウ・ユンファ演じる主人公“マーク”が逝ってしまう
と言った展開を確認した(・ω・)

「シリーズ第1弾」と言う輝かしい作品ではあるものの、垢抜けなさが際立ってる印象だった。。

次に30日(火曜)夜に放送の『男たちの挽歌2(1987)』を・・冒頭20分+終盤20分のみ録画した(・ω・) これはチョウ・ユンファの登場&退場(!?)シーンを確認したかったからに他ならぬ。どうやら前作で死んでしまった“マーク”には「双子の弟=ケン」がおり、彼が出しゃばる展開のストーリーらしい(⌒〜⌒ι)

で、今夜。録画した2作目を観れぬまま(=^_^=)完結編(?)を先に観た次第。
本作もやはりチョウ・ユンファが登場するので「今回はどんな言い訳(=^_^=)をこじつけ、引っぱり出して来やがるんだろ?」と言うトコこそが最大の鑑賞モチベーションだった(=^_^=)
ワタシの予想では
♦“パラレルワールド”とし、別な物語を展開する
♦マークとケンは実は3つ子(かそれ以上!)の兄弟であり、他にも良く似た奴が沢山おる(お※松くんかよ!)

のどちらかやろ? 特に後者とちゃうか? と言う「香港映画ならではの荒唐無稽さ」に期待したんだが・・実際には「1作目より以前の物語で、再びマークが主人公」と言う、それはそれは『インファナル・アフェア』シリーズ(3部作:2002-2003)を先取ったような、なかなかに素晴らしい構成の3作目であった!

良くも悪くも“ケレン味たっぷり”なアクションシーンが満載だったが、ヒロイン=キット役を演じたアニタ・ムイさんを筆頭に、どうも出演の皆さんの見映えがイマイチ良くなかった。。
チョウ・ユンファにしても、しょっぱなからベトナムの入国シーンにおいて、空港の取調室で半裸状態(パンイチ)にされてたし、、

※本作は1974年のベトナム・サイゴン(前半、終盤)と香港(中盤)が半分ずつのロケーションで描かれるが、どうやらツイ・ハーク監督自身が少年期をベトナムで過ごし、戦争難民とし香港に渡って来た経歴の持ち主であることから、自伝的なテイストが盛り込まれてるのかも知れない。

結構ダラダラと観てたが「シー・キエンさん」「時任三郎さん」の助演には、知らなかっただけに、かなり驚かされた!

まずキエン氏と言えば、かの『燃えよドラゴン(1973)』でブルース・リーと対峙する敵ボス=(少林寺の破戒僧)ハンを演じた、モノ凄い悪役キャラなおっつぁんである。本作では、なんとも弱り切った役だったが、きっと“手首から先をアタッチメント交換”さえすれば、マフィアの数人程度は容易くぶち殺せた筈だと確信している。

次に時任氏。日本人を父に持つハーフでインテリな敵ボス=ホーを好演してくれた。涼し気な表情で、キザなセリフを放ってくれたりして、カッコ良かった!
背も高そうだったし(ネット情報では身長188cmとのこと!)。流石に流暢な広東語(?)は恐らく口パク&吹き替えと思われるが、それなりに作品と雰囲気はマッチしてた。
2度ほど言い訳っぽく(?)「私の名は田中弘義、父は日本人だ」なるセリフを放ってたが、ナチュラルに「日本語で言われても、漢字のパッと浮かばない名前だよネ」と感じてしまった(=^_^=)

※同氏は今秋公開となる邦画『ハッピー☆フライト』にも出演予定とのこと。

〜 こんなセリフもありました 〜

ホー「何かを選べるのは、限られた人間だけだ・・その力なき者は、運命に従うしかない」
  「自分の物は、必ず取り返す」
  「憎しみの世界へようこそ・・もはや、残されたものは死しかないぞ」

その部下「ずっとあなたに忠実に仕えて来ましたが、最後にこんな過ちを・・」

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2008年9月19日 (金)

☆『オペラ座の怪人(2004)』☆

10日(水曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを期待値を高めつつ鑑賞☆
悪いけど、もし残業に突入してたとしても(コレ観るために)逃げ帰ってたかも知れません、、

公開当時、劇場で鑑賞したが、とにかく映像(美麗!)と音楽(大音量!)のダブルパンチに圧倒され、言いたいことも言えなかったように(何となく)記憶してるので(=^_^=)、今回はそう言う意味では「冷静に観ること」が叶い嬉しかったかな、と。

先日レビューをアップした『ウィズ(1978)』、そして今後アップする予定の『ヴェロニカ・ゲリン(2003)』と共通するスタッフが1人いて・・それこそがジョエル・シューマッカー監督である!
どうにもこのしと『バットマン/フォーエヴァー(1995)』『フォーリング・ダウン(1993)』などのB級気味な作品ばっか撮ってるおっさん(←おい、おっさん呼ばわりはやめろ!)って印象が拭えないんだが、近年は『フォーン・ブース(2002)』や『ヴェロニカ~』など、きらびやかさを抑えた、地に足の着いた(?)作品も精力的に手がけ、しぶといベテランぶりを光らせている。

そんなシューマッカー監督がアンドリュー・ロイド・ウェバー(作曲家)とガッチリタッグを組み、一世一代の(?)大ネタをぶちかましたのが本作。

1919年パリ。
かつては荘厳なオペラ座であった薄暗い廃屋にて「オークション」が開催される。そこに集まった中には、華やかなりし頃の(オペラ座の)姿を知る、マダム・ジリーやラウル・シャニー子爵の年老いた姿もあった。
今回のオークションの目玉たる“壊れたシャンデリア”がいよいよ紹介され、修復された“それ”は重々しく軋みながら吊り上げられる・・その瞬間、魔法のように(!)廃墟であったオペラ座の内部が隅々までまばゆく照らし出され、当時の輝きを取り戻す・・!

時代は1870年のパリ。
高慢な歌姫=カルロッタ(ミニー・ドライヴァー)、新たな劇場主となったフィルマン&アンドレ、パトロンであるラウル・シャニー(パトリック・ウィルソン)、そしてカルロッタの名声の影で静かに輝きを高めつつあるコーラスガール=クリスティーヌ・ダーエ(エミー・ロッサム)の面々が紹介される・・

そして、もう1人。オペラ座の地底湖の“王国”に君臨する謎の怪人(ジェラルド・バトラー)・・
今、彼らにより世紀のミュージカルの幕が開く!

改めて観たら、冒頭のモノ凄いシーンも『タイタニック(1997)』路線かよっ! とやや突っ込める感はあるが、にしてもあの「モノクロからカラーに映像世界が激変する」トコは凄まじい! 大スクリーンで観たら、きっとクラクラ来るんじゃなかろうか。
結局、全篇を通し“最大の見せ場”であり“衝撃の演出”でもあった訳だが・・(・ω・)

意外に怪人の言動が何だか良く分かんなくて面白かったのも発見だったか。“うわさ男”のジョセフ・ブーケを(そんなに極悪なヤツでもないのに)さらしもん的に吊り下げて殺したり、シャンデリアをぶち落とす後半では、カルロッタではなく(悪人とも言えなかった)ビアンジなる人物に直撃させ、殺してしまったり・・と何だか凶行の刃先がぜんぜんズレちゃってた気がした(・ω・)

また、ブーケもそうだが、マダムの娘=メグ・ジリーのキャラの描き方が薄過ぎたゾ(・ω・)

そう言うと、ワタシの中でなかなか“人相の定まらない”のがバトラー氏。本作では顔の右半分が(焼けただれてる設定のため)マスクで覆われちゃってるし・・どうにも『300(2007)』のレオニダス王の印象が余りに強烈だったもんで・・(=^_^=)>
あとは、アレだな・・怪人の隠された右顔面。モノ凄く惨たらしいんか?! と思ってたら『バニラ・スカイ(2001)』のトム・クルーズ同様「そないに気にせんでもエエやんかキミ」ってレベルでもあったような。

あれなら『ダークナイト』でのトゥーフェイス氏の方がその何倍も悲惨な気がしたぞ、、

本作(=本ヴァージョン)ならではの演出なのか? 怪人の少年期のエピソードが盛り込まれてたんだが・・どうやら「サーカス団で見せ物にされてた少年」を少女時代のジリーが救い出した、みたいな形となってた。それならそれで、怪人とマダム・ジリーの間にロマンスめいた展開があっても然るべきだなと思うんだけど(年齢も近いし)・・妙にマダムとの因縁を薄く描き、めちゃ年下(なハズ)の“教え子”クリスティーヌに手を伸ばしちゃうトコが不自然な(良く考えたら自然なんだが、男の習性としては(=^_^=))気もしたか。

〜 こんなセリフ&歌詞がありました 〜

怪人「我がオペラ座へようこそ。5番のボックス席は空けておけ、月2万フランの給料もお忘れなく」
  「支配人は事務所にいろ、舞台ではなく」
  「ダーエを邪魔すれば災難が降り掛かる、彼女に脚光を当てよ」

父グスタフ「天使がお前を護ってくれる、音楽の天使が」
     「天国へ行ったら、音楽の天使をお前に送る」

ラウル「いくら天才でも、彼は正気じゃありません」

(怪人)
♪私はその鏡の中にいる
♪その胸のときめきに酔うがいい
♪お前の歌に翼を与えたのに、その私にこんな仕打ちか?
♪私のオペラの幕を上げろ
♪誇りが有るなら師のもとへ戻れ
♪燃え落ちる橋を眺める2人、もはや元には戻れない
♪何故私は闇に幽閉される運命なのだ

(ラウル)
♪僕は君の隠れ家、君を導く光

(クリス)
♪1つの愛を、1つの人生を、そのひと言で何処までも貴男についてゆく
♪私に声を与えた恩人を裏切れと?
♪肌も露に躯を絡ませる私と貴男、愛の受難劇が今より始まる

追記:ミュージカルならではの苦笑ポイントなんだが(ファンの方、すんません)・・怪人がラウルを殺そうとする場面で「歌いながら殺そうとし、殺されようとする」お2人には流石に「おいおい、余裕あり過ぎじゃん!」と突っ込めた。
かの『タイタニック』を例えば“ミュージカル版”にした場合、ビリー・ゼイン演じるヒロインの婚約者が「♪殺すのさ〜 この拳銃で〜 お前を〜」とか歌いながらレオナルド・ディカプリオを追いかけ、追われる彼も「♪早く救命ボートに乗らないと〜 死んじまうんだぞ〜 お前も〜」などと歌い返してる感じやろか(⌒〜⌒ι)

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2008年9月18日 (木)

☆『雨に唄えば(1952)』☆

17日(水曜)。帰宅後、久々に溜まってる「新聞」を切りながら、だらだら観てたのが・・衛星第2で放送された『雨に唄えば』であった。

ジーン・ケリー&スタンリー・ドーネンが共同監督したコメディミュージカル。

トーキー映画がサイレント映画を駆逐して行く・・そんな銀幕界の迎える“過渡期”のハリウッドを舞台に、大スターのドン・ロックウッド(ジーン・ケリー)の見初めた“駆け出し女優”キャシー・セルデン(デビー・レイノルズ)が紆余曲折を経つつ、スターへの階段を上がって行くシンデレラ物語(と解釈してます、ハイ)。

とにかくジーン・ケリーが徹底して「唄いたい」「踊りたい」ってことで、台詞でボソッと“ひと言”言えば事足りるし、ラクなトコを(=^_^=)、ご丁寧に踊りまくり、唄いまくってくれる! それも、異常にカット(切り替え)が少なく(いわゆる長回し!!)・・その辺の事情にまで気を回してしまうワタシなどは、観てるだけでグッタリと疲れてしまったものだ。。

ケリー本人は、きっと(監督&主演なる)使命感に燃えてガンガンに演じてたことだろうが、彼の親友=コズモ・ブラウン役を演じたドナルド・オコナー氏の緊張感たるや、スゴかったんじゃなかろうか、、ある曲ではジーンと共に踊り、またある曲ではジーンが観てる前でソロのダンスを披露するんだが・・スクリーンでは終始笑顔を欠かさなかった彼も、カメラが止まった瞬間には、流石にそばのソファーにグッタリ倒れ伏したんじゃなかろうか、とか勝手に妄想・・(⌒〜⌒ι)

ミュージカルシーンは「雨の中で唄うケリー」を筆頭に、いずれも華やかで素晴らしいんだが、今回のワタシは「ひとしきり踊り終わった後、持っていた傘を通行人に差し上げるドン」「ラストで、指揮者を下がらせ自らがドン&キャシーのためのナンバー(楽曲)を指揮するコズモ」って辺りの“何気ない優しさ”が何故か心に染みてしまった。

とにかくコズモ氏、ラストシーンを観ても分かるように「結局はピエロ的な存在」なのだ。。それなのに、健気に頑張る彼の姿に「ちょっとクッと心に迫るモノ」を感じたワタシ。
ああ、どんどん自分の心が弱くなって行く・・(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

※「トーキーなどガラクタだ!」
コズモ「車だって、最初はそう言われました」

社長「いいアイデアだ! 昇給してやるぞ!」
コズモ「それはどうも! で、いつから?」
社長「・・・」

追記:ヒロインを演じたデビーさんの(実生活での)娘が、かのキャリー・フィッシャーとのこと。ほおお!

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2008年9月16日 (火)

☆『ウォンテッド』☆

先ほどレビューをアップした『パコと魔法の絵本』を観終え、ロビーに戻ってぐじゃぐじゃの速記メモをペラペラめくり「・・駄目だ、書いた本人にも読めん・・」とがっくりし(⌒〜⌒ι)、ポテト&ドリンクの軽食を立食してる間に、早くも開場時間(=開演の10分前)となってしまったのが『ウォンテッド』。
『パコ』同様、敬愛し、足繁く通っている某ブログ(←記事の左欄外にある ♦ヘバリット訪問先♦ を参照下さい☆)において、こちらも評価が異常に高かったので(=^_^=)、迷わず「今日観とこう!」と決めた次第。さすが“字幕版”だけあって(爆笑)ええ席にちゃんと座れたし(混雑はしてたけど)☆

1000年前にモラヴィアの地(←チェコの東部)で結成された、機織(はたおり)職人らによる暗殺組織“フラタニティ”。
そのDNAはスローン(モーガン・フリーマン)と言う1人のカリスマを中心に引き継がれ、現代アメリカに拠点を移し、今日(こんにち)も暗躍を続けている・・
そんな組織を裏切り、仲間を血祭りに上げている男がいた。彼の名はクロス。
その騙し討ちにより、その日も“フラタニティ”の精鋭である殺し屋がニューヨーク、メトロポリタンビルの屋上で凶弾に倒れたのだった。

とあるオフィス。顧客管理担当のウェスリー・ギブソン(ジェームズ・マカヴォイ)はファットな女ボス=ジャニスにはホチキス片手にいびられ、真後ろのデスクに座る“親友”バリーには恋人を寝取られる「フヌケ男」だった。

「今日を終えて気づいたことは・・明日もこの繰り返しだってこと」
「最近は、全てがどうでも良く思えて来た」

そんな気弱な彼にまたもジャニス&バリーがストレスを与える・・パニック障害を必死で抑えるため、彼は鎮静剤のビンに今日も手を伸ばす・・

そんなある日、ストアで(気配もなく)背後に立った謎の美女フォックス(アンジェリーナ・ジョリー)により、彼は自分を狙うクロスの銃弾から命を救われる。ストアを飛び出し赤いスポーツカー(ダッジ・バイパーらしい)で逃走する2人。彼らを執拗に追うクロス。

ようやく追っ手を振り切り、ウェスリーの案内されたのが“フラタニティ”のアジトだった。
彼を迎えたスローン、フォックスに事情を説明されるウェスリー。何と彼こそは「世界に数人」と言われる「弾丸の軌道を曲げることの出来る、暗殺者の血を引いた男」であると言う。また、昨日メトロポリタンビルで殺害されたのが(生後間もなく彼を残して消えた)実の父親であったとも。

一度は“フラタニティ”の誘いを断ったウェスリーだが・・翌日、職場でとうとうぶち切れた彼はジャニスを罵倒&バリーを“エルゴノミック(=人間工学的意匠)・キーボード”でぶん殴り「自身の人生を変えるため」に“フラタニティ”に加盟する道を選ぶのだった・・

想像を絶する過酷な訓練をこなし、6週間後(?)に暗殺者としての基礎を全て身につけた、精悍な顔立ちの青年=ウェスリーがそこにいた。

が、彼が訓練を続ける間にも“フラタニティ”の殺し屋たちは次々とクロスに血祭りに上げられてゆく。
「早く僕に父の仇を!」と迫るウェスリーに、違う“標的”の始末を命じるスローン。

果たして彼に“クロス暗殺”の命じられる日はやって来るのか? そして“フラタニティ”そのものに隠された意外な秘密とは?

う〜ん・・ひと言で評せば「新次元のCG特撮に、ちょっと強引な物語展開」って感じだろうか。私的には「限りなくB級ラインのA級」って風にコメントしときたい。

何だか“折角丁寧に語り上げられ、築き上げられた暗殺組織”があんな形でああなっちゃうのかぁ・・と言う勿体なさが大きかった。あんまりネタバレさせてはいかんのだろうが『ダークナイト』の前作である“アレ”に結構テイストが似てたような、と。
クロスと言う宿敵に関しては・・色々「詰めが甘いじゃん!」と思うトコも多く、ラストでは(私的には好かなかった)“どんでん返し”によりルーカス&スピルバーグ辺りが好きそうな演出にもなってしまってたし(⌒〜⌒ι)

続編に繋げない! と(一応は)思わせる潔い展開は「素晴らしい!」と絶賛したいが、果たして『ウォンテッド以前/以後』で何か映画が変わるのか? と問われると「そんなには・・」と言葉を濁してしまうトコロがあるんじゃないかな、と。。

まぁ、すっきり爽快なシーンが幾つもあるにはあるので、観てソンはないんじゃないかな(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

ウェスリー「済みませぇぇぇん!」
     「もう惨めな人生には戻れない」
     「運命は、あんたに死ねとさ」

フォックス「謝り過ぎよ」
     「一瞬の迷いが大きな不幸を生むわ」
     「1を殺すことがきっと1000を救うことに」

スローン「ハエの羽を撃ち落とせ、3つ数え終わるまでに」
ウェスリー「そんなの、見えやしないよ!」

スローン「負け犬の人生に満足するな、眠れるライオンを解き放て」
    「銃で交響曲を奏でてみせろ、君の父上のように」
    「君の疑問に答えるには、コーヒー1杯じゃ時間が足りないな」
    「君の為すべきは(標的の)解読ではなく(暗殺の)実行だ」
    「人を撃つ感覚を覚えろ」
    「弾を曲げるのは方法ではなく、意志の問題だ・・君自身の本能に従え」
    「父上の遺品を受け継ぎ、そこに絆を見出せ」
    「“フラタニティ”へようこそ」
    「これは命令ではない、君に課された運命だ」

※「ナイフは隠しやすい武器だ、それに弾切れも弾詰まりもない」
 「羊どもに狼は殺せない」
 「世界の運命は、羊でなく狼が支配するのだ」

ウェスリー「他の人生を生きたいと思ったことは?」
フォックス「・・興味ないわ」

追記1:『ハンコック』では“ass hole”が連発されてたが、本作では“fuck you”率がかなり高かったように(・ω・) ウェスリーがバリーをぶん殴った瞬間、キーボードのキーが外れ、空中で「F」「U」「C」「K」「Y」「O」「U」の7つが整然と並ぶのには苦笑。いや、元からそんな配列とちゃうやんか(=^_^=)
追記2:バリー君の避妊法は“「事後ピル」を砕き、オムレツに混ぜて彼女に喰わせたらOK”ってことらしいが、どうも眉唾っぽいな(そりゃそやろ!)
追記3:クロスに追われたウェスリーがフォックスの駆るスポーツカーに“スルッと”乗る(=^_^=)シーン・・あんな風にもし拉致されたら、された方も訴える気を喪失してウットリするんじゃなかろうか(いや、それとこれとはハナシが別やろ!)
追記4:「グ※グル」で手軽に拝める“殺害現場”の写真、、あんなに克明に表示されてんの??(遺体、もろに映ってたし・・)
追記5:「鉤(かぎ)で吊された遺体を撃つシーン」は流石に大幅カットされんだろうか? すぐ“豚さん”に変わりました。
追記6:1000年前から“運命の織機”で決められて来た標的の名前・・ついつい連想したのは『マイノリティ・リポート(2002)』の“木の球ご〜ろごろ”ですた(=^_^=)
追記7:印象深いご老人=ペクワースキーを演じてたのはテレンス・スタンプ! シブい!
追記8:後半で『カサンドラ・クロス(1976)』系な展開っぽくなるが・・あれって「1も1000も、、」・・ふがふが。。
追記9:“good-bye”弾など、色々「見せ」のヴィジュアルがあるも・・全てはウェスリーにでなく我々観客に向けられてたように感じた(・ω・)
追記10:ラスト、缶ビールやハンバーガーを同じ軌道上で撃ち抜くテクもすごい! ってか、あの“おとり”役って、良くぞ引き受けたなぁ・・
追記11:「ネズミ」を用いたあのネタ、中盤でまず出て来るが・・アレって「仲間からのそれとないヒント(=指導)」やったんか?
追記12:“フォックス”“クロス”と言ったキャラのネーミングがモーガン・フリーマン(出演作)をヨイショしてる感も?
追記13:「ディープキス2回止まり」で「セク〜スシーン」は皆無ですた。。それ以上は、ブラピ様が黙ってはいなかったか(⌒〜⌒ι)
追記14:オレ、追記が多過ぎ!(=^_^=)

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2008年9月13日 (土)

☆『ウィズ(1978)』☆

9日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを鑑賞。

・・カンザス州に住む少女ドロシーが愛犬トトもろとも竜巻に巻き込まれ、辿り着いた不思議な国で出会った3人の家来(仲間?)と共に旅を繰り広げる物語・・

そんな“オズの魔法使”をかのモータウンレーベルが監修! クインシー・ジョーンズおじさんがスコア(楽曲)を手がけ、ダイアナ・ロス&マイケル・ジャクソンが主演したらこう仕上がりました!
みたいな感じで「ごっさファンキー♪」なソウル・ミュージカルに仕上がってくれてました!(=^_^=) いやー、期待以上にブラックパワーが炸裂してましたねぇ~☆

ニューヨークのハーレム(プロスペクトと呼ばれる地区)に暮らす保母(?)のドロシー(ダイアナ)は仕事以外のことには内気&奥手な女の子(なのか?) 見かねたエムおばさんが「どんなに不安でも立ち向かえば乗り切れる、ハーレムの外の世界に目を向けなきゃ!」と激励したりもする。
そんなある雪の夜、飼っていた犬のトトが戸外へ突然飛び出し、それを追ったドロシーはストリートのど真ん中を迫って来た(=^_^=)竜巻に(トトもろとも)巻き込まれる!

果たして、彼女の辿り着いたのは“全ての核心である男”大魔王ウィズが統治するエメラルド・シティの一角であった。落下時に“邪悪な東の魔女=エバミーン”をたまたま踏んづけて(?)殺したドロシーは、壁面に(ポップアートな感じに)封じられてたマンチキン族(って言うか、端的に言えばブラックなブラザーたち(=^_^=))に感謝される。
やって来た“北の魔女=ミス・ワン”に、エバミーンの履いてた「銀色の靴」を託された彼女は、わが家に帰るために大魔王ウィズに逢いに行け、なるヒントを得る。

周りに数台のイエローキャブ(タクシー)が止まってるが、ドロシーが近付くや「OFF DUTY(回送)」と表示され、いきなし走り去ってしまうキャブたち(←屋根にしがみつく、とか窓をぶち割って強引に乗り込む、とか色々とやり方はあったと思うが、、)・・仕方なく彼女はトトと共に「黄色いレンガの敷き詰められた道」を辿ってウィズの住むシティの中心部へと歩き出すが・・

そんな彼女の前に「カカシ男(マイケル!)」「ブリキ男」「ライオン男」の3人が次々と現れて・・

原作(?)に漂ってた“牧歌的な風景”ってのはバッサリとカットされ、ニューヨークのパラレルワールドみたいなロケーションをドロシーたちが往くのが観てて面白かった。

・ブルックリン橋を模したような(?)巨大な吊り橋
・クライスラータワービルの尖塔を5本(!)並べたような建造物
・コニーアイランドの遊園地を模したような廃墟(ブリキ男と遭遇)
・ニューヨークの地下鉄駅を模したような無人の構内(←後年のマイケルのミュージックビデオ『BAD』を連想させる)
・ニューヨーク公共図書館を模したような建物(ライオンと遭遇)

※上記の『BAD(1987)』を監督したのはマーティン・スコセッシらしい!

ちょっとしたニューヨーク観光をしてるようで(実際に行ったことなどないが)楽しく、ウォルター・ヒル監督が描いたりする(=^_^=)ニューヨークとは全く違った雰囲気が漂っていた(=^_^=) しかし、最初に出会う仲間=カカシ男と遭遇するのが、ストリートの一角なのだが、あのシーンだけはちょっとニューヨークの雰囲気じゃなかった気もしたな(・ω・)

今とは全然フェイスの違うマイケルには苦笑させられっぱなし(⌒~⌒ι) 流石にダンスシーンにおける全身のバネと言うかキレは凄まじかった! 「僕のアタマの中には藁しか詰まってないんだ、脳が欲しい(←“ブレイン~!”とか叫ぶとゾンビ映画やね・・)」とか言ってる割に、懐から(孔子、ベーコン、キケロらの)的確な格言の書かれたメモを取り出し音読する“知恵”はなかなかにしたたかだった(=^_^=)>

にしても・・「カカシとしてのセリフ」ながら、マイケルの放つ言葉にいちいちハッとさせられてしまった(⌒~⌒ι)
「今日こそここから下ろしてくれるだろ?」
「一度でイイから自分の足で歩いてみたい」
「絶望的さ・・希望もなく生きるだけ」
「最初はこんなハズじゃなかったのに・・今の僕はただもがいてるだけ」
「長い間、吊されていたんだ」

マイケル自身の人生に投影してこれらのセリフを味わってみると・・いちいち心に刺さって来るモノがあったワタシ。。

ブリキ男が涙する場面では「コントかよ!」と突っ込めるぐらい大量の涙が(ノズルから発射されるかのように)ドボドボ湧き出たり、ライオンが初登場する場面では石像が真っ2つに割れ、中から彼が現れる演出に「お前は“キカイダー01”かよ!(←序盤で、仁王像の中から出て来よるんですわ、、)」と突っ込めたりした。

当時の流行り(モード)を取り入れたか「ローラースケート」「フラフープ」などのアイテムも効果的に用いられてた。

またキャストの殆どがアフリカン・アメリカンなしとたちで固められてたため「みんなコーラス&ダンスのセンスがスゴそうだし、ひょっとしたら殆どのシーンが“リハなし”“1発撮り”やったんかも・・?!」とか勝手な神格化を初めてしまうワタシでもあった(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

グリンダ「家は自分を知る場所、自分を知ることが出来るなら・・そこがあなたの家よ」

ドロシー「世界に飛び出さないと、自分自身は見つからないわ」

※「政治なんか、ダメ人間の最後の逃げ場だ」
 「大切なものは友情、分かち合う心だ」

追記1:私的に、人生初の“ドロシー作品”に劇場で触れたのは『オズ(1985)』だったと記憶してる。あんまり大した筋書きは覚えてないが「パンフレットを妙に大事に保管してた(今は何処にしまい込んだんやら、、)」「映画の帰り、百貨店の展望食堂で(家人に)何か食べさせて貰った」ことは覚えてる(・ω・)
追記2:スタッフ陣もまた凄まじい本作! 「監督:シドニー・ルメット」「製作:ロブ・コーエン」「脚本:ジョエル・シューマッカー」・・こんな顔ぶれ、なかなか実現しませんって!

注)ワタシは本作を『ウィズ』と記載してますが、ネット上では『ウイズ』の記載も見受けられます。どちらも正しい、とも言えますので、その辺りご了承下さい。

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2008年9月 6日 (土)

☆『アクロス・ザ・ユニヴァース』☆

5日(金曜)。長くて辛くて苦しくて、それでもそんな素振りすら見せられぬ1週間(←やや大げさだがある程度はホンマですわ)がようやく終わった(・ω・)
こんな日は「自分にご褒美をやろう!」ってことで、残業もそこそこに切り上げ、梅田方面に繰り出してシネコン“ブルク7”で新作ミュージカル映画『アクロス・ザ・ユニヴァース』を観て来た☆
これにて、狙ってた3本の内の2本目までも観ることが叶った☆ 残す1本は日曜にでも・・と予定している。

舞台劇『ライオン・キング(1997)』や映画『タイタス(1999)』で有名なジュリー・テイモア監督によるミュージカル。特色としては全篇“ビートルズのナンバー(楽曲)のみ”で固められてることであろう。

イギリスはリヴァプール、そしてアメリカはニューヨーク。これら2つの全く異なる街を舞台に、ベトナム戦争の時代(1965-73頃か)を生きる“男女の愛の姿”そして“恋人たちの迎える運命”を断片的&ドラマティックに綴った極彩色の作品世界。
とにかくスクリーンに「色」と「光」が溢れており圧倒された!

なお、ビートルズのナンバーの「歌詞」に関しては「(翻訳)監修:ザ・ビートルズ・クラブ」と冒頭でテロップが表示され、如何に気合がこもってるか・・をまずひしひしと感じた(=^_^=)

1960年代後半。イギリス・リヴァプールに暮らす港湾作業員の青年=ジュード・フィーニーは、母マーサの思い出(宝物?)である「若き日の父母の写真」を手がかりに、アメリカへ渡航する。
彼の生まれる前、母から去って行った父が現在、プリンストン大学(ニュージャージー州)に勤務していることを掴んだジュードは、父に生まれて初めて会うことが叶うも・・父=ウェズリー・ヒューヴァーは大学の用務員をしているに過ぎなかった。
彼はしばらく父のそばに留まるが、そんな折、破天荒な学生生活を謳歌しているマックスと知り合う。
マックスら悪友4人とつるんで騒ぐジュードだったが、マックスの妹ルーシーとの出会いは彼にとって忘れられぬものとなった。

オハイオ州に、チア・リーダーとして活躍する女の子=プルーデンスがいた。片想いのチア仲間が自分に振り向いてはくれないことを知った彼女は、ニューヨークへ傷心を癒すための1人旅に出る。彼女は同性愛者だったのである。。

マックスは両親とのいざこざを機に、ジュードと共にニューヨークへやって来る。そこで彼らは“売れない中年女性シンガー”のセディとルームメイトとなる。
そのアパートに黒人ギタリストのジョジョ、そしてたまたま飛び込んで来たプルーデンスが集まる。

そして、最後にルーシーが(兄を頼って)やって来る。彼女がベトナム戦争に送り出した恋人=ダニエルは、とうとう生きて再び街に戻ることはなかったのだ。表面上は明るく振る舞うルーシーだが・・彼女の中では「戦争に対する怒り」が静かに高まってゆく。

ジュード&ルーシー、セディ&ジョジョ、マックス&プルーデンス(になるんかな?)・・なる3組のカップルが集まり、物語は“絶頂期”を迎えるが、彼らの“輝ける愛情”にも次第に翳りが・・そしてその全ては、激化するベトナム戦争にこそ起因するのだった・・

中盤以降は「マックスの徴兵」「セディとジョジョの確執」「反戦活動に走るルーシーと、ついて行けなくなるジュード」と言った“安定期の終わり”“愛の衰退期”とでも言うべき演出が展開される。

残念なのは「突出した魅力に溢れる俳優さんに欠けた」ってトコだろうか。主要キャラそれぞれに頑張ってくれてはいたんだが、総じて「美男美女に恵まれてない」・・そんな気がした。

“ビートルズ好き”なら納得の作品か? と言えばそうでもないように思う。時代背景や、キャラのネーミング、彼らの語るセリフや心情などを巧く「ビートルズ世界」とシンクロさせているが「誰が歌うか」「どの曲を歌うか」「どんなシーンで歌うか」「曲のアレンジ性はどうか」「描かれる映像はマッチしてるか」と言った要素がファンそれぞれに「或いは」文句もあることだろう(・ω・)

私的にはジュード役を演じたジム・スタージェスの歌声が何となく『ムーラン・ルージュ!(2001)』におけるユアン・マクレガーにも似てる感じで好感が持てた。ヴィジュアル的にちょっとキツかったのはプルーデンスさんだろうか、、頑張ってはくれてるんだけどねぇ。

映像面では、時たま挿入される“エロティックなシーン”にちょいとドキドキさせられた。水中で恋人たちが泳いだり抱き合ったりするミュージカルパート、そんなに視覚効果を強調せず、美しいヌードをもっとじっくり眺めたかったッス(×_×) ルーシーちゃん(エヴァン・レイチェル・ウッド)も後半(?)のシーンでバストトップが拝めますが、ちょっとカメラが遠過ぎてガッカリですた、、

ベトナムの戦場で繰り広げられる幻想的なシーンはインパクト十分。・・ってか戦場で歌いながら銃撃戦してるのって、映画史上初の試みかも知れず(?)なかなかにシュール。『地獄の黙示録(1979)』のキルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)にも見せてあげたいシーンです(=^_^=)

【以下のシーンにも注目!】

・募兵ポスターの「アンクル・サム」がぐい〜んと飛び出し指差して来る映像
・戦場で下着姿の新兵らが「自由の女神像」を担いで進軍(?)する映像
・先頭に「Beyond(彼方へ)」と書かれた看板を掲げ、大陸を突っ走る“ヒッピーバス”車内でのトリップ映像
・何とも言えぬ“サーカス”の場面(あの前後のシーンは「監督、イッちゃってるんでは?」と正直、心配になる程のインパクトがあり『REX/恐竜物語(1993)』や『たどんとちくわ(1998)』に匹敵する危険度だ(=^_^=))
・後半で“修道院長”がグルグル回るシーンがこれまた強烈! 何だったんだ、あのしとは?!
・エンディングは“007シリーズのオープニング”を連想させる映像群。

色々と「眼福」な映像美(?)はあったんだが、総じて「散漫な印象」が強かったのは惜しかった・・
(オープニングも説明不足な映像を多数切り替え過ぎてて、分かりにくかった、、)

・・が、観賞後、突っ走る勢いでマ※ビル地下の「タワ※レコ※ド」へ急ぎ、サントラCD(←それも限定盤の2枚組!)を即買いしてしまったのは、ワタシらしくはある“微笑ましきエピソード”と言えるかも知んない(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

※「ここがまた恋しくなるさ(You're gonna miss this place.)」
 「大統領よ、今日は何人の子供を殺した?」
 「地球が丸いから、私は目覚めるの」
 「愛は古く、愛は新しい」

ジュード「誰もが誰でもないのなら・・誰にでもなれるさ」
    「僕は熱血系にはなれない」
    「大義はない、それが問題だ」
    「救いようのない人は、救えない」

ルーシー「出産ってのは自己愛よ」
    「感謝祭と言うのは、移民が先住民の手厚いもてなしに報いたのが始まりよ。
     だけど、結局は彼らを沢山殺して、へき地へ追いやってしまったの」
    「例えばここに爆弾が落ちれば、あなたにも分かるでしょうね」

ジュード「(君の家族が)皿を投げ合って大げんかするのは?」
ルーシー「それはデザートの時」

ルーシー「あなたのデッサン、(私の)左の乳首が変よ」
ジュード「君、横向きだったし・・遠かったから」

セディ「あなた、好青年そうだけど・・ハンマーで人を殺しそうにも見えるわね」
   「このギタリストには“魂の欠片(かけら)”もないわ」

ジョジョ「俺のかき鳴らすギターの大音量には、悪魔も近付けないさ」

マックス「俺はいよいよお国(=アンクル・サム)とデートだ」
    「捕まって刑務所に入れられるか、カナダへ逃げるかだな」

ロバート博士「西海岸は2年先を行ってるぜ」

※「(テレビで)戦争を居間に持ち込むと、意識が変わる」
ジュード「ここは居間じゃない、僕の仕事場だ」

キング牧師「もう暴力など、うんざりだ!」

〜 こんな歌詞も印象に残りました 〜

なすがままに、神のおぼしめしのままに 『レット・イット・ビー』 ←ゴスペル調のアレンジ☆
世界を1人で背負おうとするな 『ヘイ・ジュード』
別の日なら出会わなかった2人 『??』

追記1:キーキャラの1人であるドクター・ロバート。ケヴィン・スペイシーが巧妙に化けてるんかな? と思いきや(=^_^=)演じたのはU2のボノ氏だったようだ(・ω・)
追記2:後半での「イチゴの使用量」がハンパじゃなかった。映画史上「一番イチゴに試練を課した」作品と言えなくもないかも(⌒〜⌒ι)

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2008年7月 1日 (火)

☆『アナコンダ2/ボルネオ島の迷宮(2004)』☆

29日(日曜)夜、「日曜洋画劇場」で満を持して(=^_^=)“地上波初放送”されたものを観た! ・・10分遅れで。
いやぁ、久しぶりにクルマを運転し、帰宅後にお酒飲んだらすっかり眠くなっちゃったのネ、、で寝過ごしてしまいますた(×_×)

ってことで、冒頭を見逃したので(ちょっと気合ゲージが下がり)自然と肩の力を抜いて観ることが叶いました☆ 結果的にそれで十分だったし(=^_^=)

ボルネオの奥地、密林の秘境にひっそりと咲く、幻のラン(7年に1度しか開花しないらしい! そこまで詳しく生態を調べとるんやね!(=^_^=))を求め、へっぽこで、ジャングルの生態系を舐め切ってる面々がボロいボートで川を源流へと向かうが、そこには恐ろしい大蛇の群れが待つのだった・・!
とメチャメチャにアタマ悪そうな粗筋ですわん(⌒〜⌒ι)

何でも、原題が“Anacondas”と前作『アナコンダ(1997)』に比べ、格段にスケールアップ(何せ複数形だから!)してそうな続編である(←今度は戦争か?!)。そのためにキャストやスタッフの質まで落としてるってんだからスゴい(←勝手なこと決め打ったるなよ!)

誰が誰やらキャラの名前も分からない内に中盤となり、アナコンダどもの飽食の宴がその幕を切って落とす!

この手のパニック映画につきものなんだが「人々の諍いぶり」「続発的&致命的なトラブルぶり」を冷ややかに眺めるのが結構好きだったりする(・ω・) 本作でもボートの推力が急停止⇒直後に滝壺へ真っ逆さま! ってなムチャクチャな展開があった。スピルバーグ監督が観たら「何の捻りもない!」と激怒しそうなハプニングぶりではある。

船頭役のビルが、旧友に無線(?)で連絡を取るんだが、この旧友の爺さま(リヴィングストン)が、いきなり船上にいながらにして後ろからアナコンダに“お尻をかじられ虫(?)”となり、そのまま水中に引きずり込まれる描写も結構ムチャだった(=^_^=)
見境なくこんなことされたら、ボロボートの面々なんざひとたまりもないってば。。

本作をレビューする某サイトで書いておられた方がいたが「アナコンダが2匹(以上)同時に画面に登場しない(←終盤の“群れてるだけの映像”を除く)」と言うのも「確かにその通り!」で苦笑させられる。キャスト&スタッフを削ってなお「単発描写」が製作費の限界だったのか?
多少ムリしてでも(何せ劇中で、探索隊のリーダー格=ジャック・バイロンが“今そこにないカネ”までも口約束して、強引にボートを奥地へ進ませるんだから、監督も彼のその気合を見習って欲しいモノだ(=^_^=)) 2匹(かそれ以上)の同時に飛びかかる映像演出を放って欲しかったぞぅ。

・・例えボートをあんな風に強引に滝壺に叩き落とさなくてもエエからさ(=^_^=)

「あの大きさはきっと突然変異だ!」
「ランを食べて不死となり、デカくなったんだ!」

みたいなムチャクチャな解説(セリフ)も耳に爽快感はあった☆
「なら、(巨大化すんのは)アナコンダだけに限らないだろう、ばかやろう!」と面々に平手を喰らわせたくもなるってもんだ。

まぁ本作を反面教師とし「装備の悪さ、リーダーの悪さ、メンバーの悪さ」がここまで重なれば、いとも容易くパーティーってのは壊滅するんですよ、みたいなお勉強にはなると思う。

って言うか「もうちょっとしっかりした脚本を書け!」とスタッフ各位にヘビをけしかけてやりたい気分ではある(・ω・)

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2008年6月27日 (金)

☆『インディ・ジョーンズ4/クリスタル・スカルの王国』☆

※本作の正式タイトル(邦題)は『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』ですが、分かり易く『インディ・ジョーンズ4/クリスタル・スカルの王国』と表記しております(・ω・)

26日(木曜)の夜。少し残業をこなしてから梅田に出て、“インディ・ジョーンズ”のシリーズ最新作を観て来た☆
いや、元々観たかったのは別な邦画だったんだが・・“なんばパークス”での上映開始時間に全く間に合わずボツ。
次に『僕の彼女はサイボーグ』の再鑑賞を! と考えたが、(思い付いてから)改めて“梅田ピカデリー”の上映スケジュールを確認すると・・(上映期間が)終わってるではないか・・(×_×)
ってことで「かくなる上は」とようやく辿り着いたのが“インディ”だった。う〜ん、つまりはあんまし観る気マンマンな作品じゃなかったってことやね(⌒〜⌒ι)

が、ここでも“問題”が発生。。“TOHOシネマズ梅田(=ナビオ上層階)”を第1候補にして行ってみたはイイが、めちゃくちゃな行列が発生してたため「こりゃあかん・・」と鑑賞を諦めたのだった(以前も同じ経験をしたことがあるが、例えば作品毎に窓口を決め、行列を分けたらどうか? と思うんだが、この劇場の経営者は行列を生じさせ“大ヒット御礼”みたいな“絵”を描くのが好きなんやろか? どうも愚かに思えるなぁ)。
結局、早足に“ブルク7”に移動、行列も混雑もなく、すんなりチケット購入⇒入場が叶ったのだった。

上映時間が2時間とちょっと、と言うまだ耐えられる設定で良かった。主人公のヘンリー・ジョーンズJr.(=インディ:ハリソン・フォード演じる)を絶対的な主人公に・・と言う路線では(必ずしも)なく、恋人マリオン・レイヴンウッド(カレン・アレン)、マット・ウィリアムズ(シャイア・ラブーフ)たちとの絡みで“インディ・ファミリーの同窓会”って感があったな。

1957年のネバダ州某所。大きな格納庫(シャッター内側に「51」と書かれてる!)を擁する秘密基地に米軍を装ったロシアの軍用車両群が到着する。この巨大な保管庫の何処かに収容されている「とあるアイテム」を狙うのは、ウクライナ出身の美人将校=イリーナ・スパルコ大佐(ケイト・ブランシェット)を指揮官とするKGB配下の面々。
そして、うち1台のトランク(=^_^=)から引きずり出されたのが、我らが“インディ”であった。

旧友マックと共に、いきなり拉致され、連れて来られたインディは「(彼自身が)10年前に某所で極秘に回収を手伝わされた※※※の※※の収められた棺」を見つけ出す手伝いを強要される。
「棺は強力な磁気を発してるから、コンパスか、なければ火薬をあるだけ寄越せ」と言い、巧く彼らの銃器を無効化(?)していくインディ。機を見て逃げ出すも・・辿り着いた「無人の街」では“大変な実験”が今まさに行われようとしており・・


中盤以降は、ペルーで消息を絶った大学時代の友人・オックスリー教授や、かつての恋人マリオンの行方を探しつつ、マリオンの息子マットを従え“クリスタル・スカル”の行方を追う展開となる・・

シリーズの熱狂的なファンではないため、過去の作品からのネタは殆どフォロー出来ないワタシだが、監督:スティーヴン・スピルバーグ&製作総指揮:ジョージ・ルーカスの「実に、実に惜しい・・」との呟きを代弁するかのように、ちらちらと劇中で映し出される「ショーン・コネリーの写真」が印象的だった。
(劇中では「他界したこと」がインディにより語られたが、実際にはコネリーが出演を断ったため、オックスリー教授のキャラを造り上げたようである:ウィキペディアより)

当初の心配として、新星(?)シャイア君と(ハリソン君)のコンビがどうなんやろ? と不安だったが、予想以上にマッチしており安心した。『コンスタンティン(2004)』では“下っ端”な感じのシャイア君だったが、なかなか着実にチャンスを掴み、周囲の期待に応えてくれているようだ。

クレジットでもハリソン君の次であり、私的に最も期待してたケイトさんだったが、こちらも期待以上の好感が持てて良かった(=^_^=) 見た目だけだと「別にキャサリン・ゼタ・ジョーンズ嬢でもエエやんか?」とも思うんだが・・細かい言動で「冷徹な悪に成り切れてない」トコロが良いのだ☆
例えば“王国を探すための作戦会議”をしてる時でも、オックスリーは自分の世界に飛んじゃってるし、マリオン&マットは小難しいことは苦手そうで、マックも専門的(学術的)なことには首を突っ込まない・・ってことで、インディ博士の説明を一番熱心に聴いてる印象だったのが、本作で唯一スパルコ女史だけであった(=^_^=)
本作最大の生身アクション(?)を演じるのがマット&スパルコの一騎討ちのシーンなんだが、ここも「実は主人公は参加してない(運転のみ)」にも関わらず、妙に眺めててワクワクさせられた。

終盤も、悪党なりに「知識に飢えたインテリ軍人の悲しさ」みたいなモノを言動ににじませてくれ、印象的だった。
“I want know..”“I can see..”みたいな分かり易い英語も、彼女の口をついて出て来ると知的に聞こえて来るってんだからスゴい(=^_^=)

前半の“実験場”の場面は『ターミネーター2(1991)』や『チェーン・リアクション(1996)』を思い出させる、ちょっとショッキングな映像演出だ。
「残り時間:約15秒」・・ってことで、あの展開は『チェーン〜』におけるキアヌ・リーヴス以上に「有り得ない!」んだが、演出が巧いからか、何となく「勉強になりました!」と納得させられてしまう(⌒〜⌒ι) 地下シェルターをわざわざ増築すると高く付くし、大型冷蔵庫(分厚い鉛のヤツ!)を皆さん、有事に備え「一家に1台」買っときましょう(=^_^=)

その他、こんな見所なども・・

♦“クリスタル・スカル”なるアイテム自体が「超越した(=ブーツ飛んだ)存在」のため、色々な危機的状況を“問答無用”で救ってくれるのが笑える。
♦強力な磁気を帯びた「棺」だが、あんなにご都合的にくっ付いたりくっ付かなかったりするもんなんやろか(=^_^=) 例えば、軍服の金具でもくっ付くんだろ?
♦絶対に「もっと価値のある宝物」がゴロゴロ眠ってたと思うぞ、あの保管庫(・ω・)
♦本作におけるFBI、完全にKGBに追い抜かれてました(×_×) CIAも大した人材じゃなかったし、、
♦大きなサソリにたかられ(刺され?)騒ぐマットに、インディが「デカいサソリなら安心だ、小さなサソリに刺されたなら騒げ」みたいな“まめ知識”を授けてた。しっかし、大きさだけでサソリ(の危険度)を判断してエエのか?!
♦スタッフの苦心は分からなくもないが・・結局“クリスタル・スカル”はクリアなアクリル樹脂にしか見えなかった、、東急ハ※ズででも売り出せる程度の造形だったかも(⌒〜⌒ι)
♦50年代を完ぺきに再現した街中で「昼間」にカーチェイスしまくるのはスゴかった! あのレベルはなかなか見れないんじゃないかな、と。『ハムナプトラ2(2001)』でも「夜間」のカーチェイスだったし。
♦ウーガ族(カンフー(?)を駆使する!)の必殺の「毒吹き矢」を反対側から吹いて撃退するインディの機転には驚いた! あのアクション(演出)は必見だと思う!
♦崖っぷちの危険なシーンで、お猿軍団が唐突に登場するが、彼らが1匹も死なない演出に好感を持った(CGとは思うが)。
♦終盤に近付くに従い「スピルバーグ&ルーカスの過剰な宇宙信奉が結実してるなぁ・・」と思わされた。あのお2人、うさん臭い新興カルト教団とかに感化されてなければ良いのですが・・
♦軍隊アリがぞわ〜っと襲って来るシーンは『ハムナプトラ(1999)』への対抗意識か?
♦井戸の底に人骨の横たわってる演出は『リング(1998)』を意識したモノか?(違うってば)
♦ラストは地面に落ちたトレードマークの“フェドーラ帽”を何者かが拾い上げ、笑い声と共に「THE END?」と表示する・・ってのはどうだろう?(『フラッシュ・ゴードン(1980)』かよ!)
♦シャイア君のナイフさばき、ケイトさんの細剣(レイピア?)さばきは吹替えだろうか? もし本人なら、かなり練習したものと見える!
♦字幕担当は久々の戸田奈津子女史。しかし近年は、余り訳が「弾けて」ないなぁ・・(・ω・)
♦終盤の※※シーンで誰かがボソッと言ってた「無駄に待つ人生の、余りにもの長さよ」みたいなセリフがなかなか“深かった”かな、と。
♦ちょっと映像的に『アポカリプト(2006)』っぽいロケーションのシーンがありました☆

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2008年6月24日 (火)

☆『悪魔の呼ぶ海へ(2000)』☆

22日(日曜)の鑑賞。
2月ごろ、民放で深夜に放送されたのを「タイトルに惹かれ、何となく」録画してたモノ(・ω・)
録り溜めてた番組を片付けて行く中で「これまた、何となく」観ようと思った次第。

骨太嗜好(きっと!)の女流監督キャスリン・ビグローが『ストレンジ・デイズ(1995)』と『K−19(2002)』の間に撮った“文学的”サスペンス作品。
米・仏・カナダ合作の“伝奇ミステリー”みたいなノリであり、サスペンス劇そのものと言うよりは、劇中で描かれた“潮風の漂って来るような臨場感”なんかを楽しめなければ、きっと余り面白くないってことで、恐らくは「劇場公開」が見送られたんじゃないかな・・と勝手な決め打ちをしたり(本作はつまり「劇場未公開」作品である)

嵐に見舞われた1873年3月5日の夜。ニューハンプシャー州ポーツマスの沖に位置するショールズ諸島(のスマッティ・ノーズ島)において、ノルウェー移民である女性2人が惨殺される、と言うセンセーショナルな事件が起こった。
惨劇の行われた場所は、島の漁師ジョンが年若き妻マレン(サラ・ポーリー)と暮らす小高い丘陵に建つ一軒家。
当時、その家にはジョンとマレン、ジョンの連れて来たリウマチを患うドイツ出身の漁師仲間ルイス・ワグナー、そしてノルウェーからやって来たマレンの兄エヴァン・クリスチャンソンとその妻アネット、2人(エヴァンとマレン)の姉であるカレン・・の6人が住んでいたが、当夜は男たちが漁に出ていたため、残されたのは(寝たきりの)ルイス、アネット、マレン、カレンの4人だけだった。

辛うじて凶行を逃れたマレンの目撃証言により、アネット&カレン殺しの容疑者としてルイスが逮捕された。
裁判を経て、結局ルイスは絞首刑に処されたが、事件の真相は今も謎に包まれたままとされる・・

そして現代。100年前の「ショールズ諸島の惨劇」を取材するため、雑誌カメラマンのジーン(キャサリン・マコーマック)、その夫である詩人トーマス(ショーン・ペン)、トーマスの弟リッチー、彼の恋人アデリーン(エリザベス・ハーレイ)の4人がリッチーの所有するヨットでこの島へ上陸するのだった。

当時の地方紙などの資料を基に、事件を探るジーンだったが・・女性ならではのひらめき(?)と、プロだからこその嗅覚で(?)「この事件には真犯人が別にいるのでは?」と疑いを抱く。

その一方、ポーツマスの町で、裁判記録を調べる中、ジーンは自身の胸中に「夫トーマスを受け入れられない」もやもやした感情が渦巻くのを感じ始める。

やがて終盤、4人を乗せたヨットは猛烈な嵐に遭遇する。忽ちの内にキャビン(船室)は浸水、甲板からアデリーンが荒れ狂う海中へ転落する!
しかし直後、彼女を救うため飛び込んだのはリッチーではなくトーマスだった・・!

そして過去。事件当夜の真相が、遂に1人の人物の独白によって克明に語られ始める・・


19世紀末と20世紀末。100年と言う時間を隔て、2つの時代と2人の女性の想いが描かれる! と言うことでなかなかにドラマチックな作品世界ではあった。
(現代の)4人のシーンには、あんまし観るべきトコのなかった気もしたが、、島に建つ一軒家の情景が『シッピング・ニュース(2001)』などを連想させてくれ、何とも絵画的&幻想的で良かった。

サックスの即興的(?)な演奏が物憂げに響き、そこに主人公(ジーン)のモノローグ(独白)が続く・・ってな冒頭のテイストは、どうにも“安っぽい官能ドラマ系”の雰囲気だ、、が、そこにショーン・ペンの“演技だけとは思えぬ(=^_^=)クスブリっぷり”とエリザベス・ハーレイの“作品世界の品位をかき乱すほどに過剰な(=^_^=)豊満ボデー”が絶妙なスパイス(?)として観客に供され、妙な気分にさせられたりもする。。

“倦怠や官能”の世界に美的で深みを感じさせる“詩”を振りかけ、辛うじてその質を保ってた印象のあった「現代のシーン」とは対照的に、より丁寧な描き込みで「風景」「心情」「人物像」の仕上がっていたのが「過去のシーン」であった。

ってことで、本作の見所はやはり「過去のシーン」と言えるだろう。
もう少しその演出や構成が洗練されていたら『ピアノ・レッスン(1993)』をも凌いでいたかも知れない、と思うと残念ではある1作だ(・ω・)

〜 こんなセリフもありました(流石に詩的な言い回しだけは素晴らしい!) 〜

アデリーン「言葉を巧みに操れても、詩人はみな大きなテーマに取り組もうとしない」

トーマス「偉大な詩人と言うのは、読む者の心に残る言葉を選ぶものだ」
    「一番残酷なのは・・愛を失うことに気付いた時だ」
    「女が殺人を犯す動機ってのは、男よりも複雑だからな」
    「例え理性を失っても正気に戻り・・例え海深く沈んでも、再び浮かび上がるだろう・・
     例え恋人たちが死んでも、愛は残る・・かくて死に支配されることはない」
    「俺たちは作品の中で、時を止めようとしてる」

ジーン「私が変わり始めたのはいつだろう? 心の内を語っていれば、迎える運命は違っただろうか?」
   「何かが起こり始めるような予感のすることがあるが・・その時にはもう既に始まっているのだ。
    死もまた同じである、そして自分の歩んだ人生も・・」

リッチー「自分に正直に書けば、結果なんてどうでもいい」

トーマス「斧は相手に近付かなきゃ殺せない。それに、殺すことだけが目的なら、銃を使ったろう」
ジーン「殺すことで、愛する相手を独占したと?」

マレン「仕事と信仰が心の支え。沈黙を守り、絆を保って、賢く生きるのだ。
    頬の内側を噛んで涙を堪える・・一度それを流せば永遠に止まらないだろうから」

※※「ひたすら沈黙を守った、心の中の燃えるような熱い思いを解き放たないように・・」
  「私は思った・・時には神のご意思を理解出来ないこともあるのだと。
   神は何故、私たちに喜びや死や怒りや愛情を同時にもたらし、
   その区別さえつかぬ程の混乱をお与えになるのか・・?」
  「同じ経験をした者でなければ決して断言することは出来ないだろう・・
   怒りに心と体を支配された時、自分がどうなるのか」
  「私たちが暗闇の中にいる時こそ、神は救いの手を差し伸べて下さるはず」

トーマス「彼女とは本気か?」
リッチー「俺が本気にならないのは知ってるだろ?」

トーマス「才能があれば全て許される・・そうは思わないか?」
リッチー「違うね、それは天才だけだ」
トーマス「そうか・・この夕陽さえありゃ、誰にでも書けるって訳か・・」

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2008年6月 2日 (月)

☆『アサルト13/要塞警察(2005)』☆

1日(日曜)の夜。「日曜洋画劇場」にて“地上波初放送”された『アサルト13/要塞警察』を観た。

雪降る2004の大晦日。謎の武装テロ集団に突如襲撃されたデトロイト警察・13分署の当直警官らが勾留中の犯罪者たちとタッグを組み、それを迎え撃つ・・と言う何とも耳にするだにポンコツなサスペンス/アクション作である。。

イーサン・ホーク(ジェイク・ローニック巡査部長役)、ローレンス・フィッシュバーン(犯罪王マリオン・ビショップ役)、ガブリエル・バーン(組織犯罪対策班チーフ=マーカス・デュヴァル役)、ジョン・レグイザモ・・そしてブライアン・デネヒー(老警官ジャスパー役)(!)と異常に(=^_^=)豪華な俳優陣が集結してる割に・・物語そのものはやはり(予想に違わず)ポンコツだったんだが・・何やら“物語の骨格”には光るモノが確かにあったように思えた。

・・で、ウィキペディアで手早く調べたら・・

ジョン・カーペンター監督の初期作『要塞警察(1976)』の何とリメイクであることを知った! 更に、カーペンターは往年の名作西部劇『リオ・ブラボー(1959)』にインスパイアされ、オマージュ的な作品とし、この『要塞警察』を造り上げたと言う!

そんなことで、本作がリメイクされるまでの経緯を何の苦労もなしに(=^_^=)ネットでただ調べただけながら、どうにも愛おしく感じ始めたのだった☆
・・いや、そんでもやっぱポンコツはポンコツなんやけど(×_×)

「雪景色」の「年末」に「テロ発生」、と言うと誰がどう連想しても『ダイ・ハード2(1990)』が浮かぶと思うんだが、まぁそう言う“既視感溢れる無難な設定”を選択したおかげか、非常に分かり易い造りではあった。

脚本自体は決して悪くないハズなので、問題は「観客をのめり込ませる」更に数歩踏み込んだ演出やカメラワークなのだろう。特にガブリエルのキャラはもっと重く、深い仕上げが望まれた。「無抵抗な人間の眉間しか撃ち抜けない悪党」と言うち〜こい人物像にまとまってしまってた。
レグイザモなどは更に酷く、ペラペラ喋り⇒逃走をはかり⇒退場、と言う勿体なさ。どうもこのしとって『コラテラル・ダメージ(2002)』からこっち、ワタシの中では「銃撃に依る即時退場」の印象が深く刻まれてしまってる。。
何とかもうちょっとエエ役柄を(選んで)演じてもらえんモノやろかネ。

私的には、テロ集団の正体が明らかとなった辺りで、結構のめり込み始めてたんだが・・流石に「犯罪者らを解放し銃器を持たせる」と言う展開には「おいおい!」と突っ込まざるを得なかったな(・ω・)

あそこでドラマ版“スパイ大作戦”じゃないが「包囲してる連中がグルで、実は数人しかおらず・・内部から自発的に解放させる手口(トリック)だった!」みたいな“いじくり方”をしたら面白かったのにな〜などと考えたものだ。

それにしてもテロ集団。。赤外線(レーザー)ポインター付無反動小銃+閃光弾+防弾チョッキ+暗視ゴーグル、と過剰過ぎるぐらいの“完全装備”だったのにも関わらず、あのスローモーな攻めっぷりって何なんやろ、、まるで我が国のS※Tのような不甲斐なさである(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

ビショップ「私の知る限り、今まで一度も、神は救いを求める者に応えた事はない・・だから信仰を棄てた」
     「危険を顧みず私を助けるとは、立派な姿勢だな・・全く共感はできないが」
     「人の死に打ちのめされた時、選択肢は2つ・・酒を飲むか、それを乗り越えるかだ」
     「初めて会った時、お前はおどおどして、私の顔もまともに見られなかったよな?」 

デュヴァル「私には、部下とその家族全員を護る責任がある」

※「車で待ってろ、あんたはここから先を見る必要はない」

アレックス「死ぬときは、潔く死にたいわ」

ローニック「あんた、警官だろ?」

追記1:スポンサーCM突入前の字幕、今回は「ド迫力の銃撃戦!」「絶体絶命!」「謎の武装集団の正体とは?」「怒濤の後半戦に突入!」などと、観る者のハートを鷲掴みにしてくれますた(=^_^=)
追記2:『ダイ・ハード(1989)』シリーズもそうだが、主人公が最初に戦う相手(テロ組織のザコ)って、大抵はかなり格闘戦が長引き、かつ妙に強いのが“お約束”なんだが、、本作ではやたら弱かった。。
追記3:手にした警棒(トンファー?)で、独房の鉄格子をガラガラ叩き鳴らしながら歩く主人公。あれ、一度はやってみたいシチュエーションです(=^_^=) 『ターミネーター2(1991)』を観た時からの悲願なンです(=^_^=)
追記4:だんだん“フレッシュでミステリアスな印象”の消えて行くイーサンくん・・何処へ行くのだあなたは。
追記5:主要キャラの殆どが眉間を撃ち抜かれ退場する演出は、流石にスクリーンでは衝撃的だったことだろう。

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2008年4月 2日 (水)

☆『オリヴァー・ツイスト(2005)』☆

1日(火曜)。帰宅後に溜まってる新聞記事をごそごそ切っていたが・・何だか集中力が途切れたもんで(=^_^=)衛星第2で放送された映画『オリヴァー・ツイスト』を“ながら観”しつつ、取り組むこととした。

文豪チャールズ・ディケンズ(『クリスマス・キャロル』『大いなる遺産』などを執筆)の原作小説を巨匠(で少女好き(?)の)ロマン・ポランスキー監督が映像化した長編。
これまでにも繰り返し映像化されて来た物語なので「これを“なぜ?”“今?”“彼が?”」と言う気持ちがあったんだが、前作『戦場のピアニスト(2002)』が想定以上の(?)大成功を(彼のキャリアに)もたらしたので、その勢いに乗じ「これまで長年温めて来たテーマ」ってヤツにいよいよ取り組んだのかも知れない。

10歳の孤児オリヴァー・ツイストを主人公に、運命に翻弄されつつも“純心さ”を失うことなく成長を遂げて行く少年の姿を描いた作品。以前、イギリスのTVドラマ版(1999年製作のヤツらしい)を某国営放送(=^_^=)で観たことがあり、大体の流れは分かっていたが、今回はいっそう「生き延びるために、悪の道にどっぷり浸かって行かねばならぬ者の姿とその悲しみ」をストーリーの裏側に感じてしまったものだ。

極端、オリヴァー少年は本作の“軸”でしかないようにも見え、彼の周りに存在する
「少女ナンシー」「悪党フェイギン(←演じるはベン・キングズレー)」の言動やその運命こそに、強い印象を受けた。

「神は本作に存在するのか? しないのか?」

そこがまず、微妙な感じの描かれ方で面白い。孤児たちの過ごす「救貧院」の食堂の壁には大きく
“GOD IS HOLY”“GOD IS TRUTH”と掲げられてるが、彼らが日々、そこの職員(教区史)らに虐げられてる現状を眺めるてると・・「ここには“彼”はいないんじゃ?」とさえ思えて来る。

オリヴァーの「純粋な心」に触れたが故、フェイギンらの悪事を密告したナンシーが、不自然なほどに惨たらしく殺されてしまうのも、原作に忠実な演出とは言え、、違和感を覚えた。

が、中でも強烈な余韻を残してくれたのがラスト。いよいよ捕まってしまい、幾多の誘拐罪や窃盗罪に問われ絞首刑の確定したフェイギンが、牢獄で半ば発狂したような状態になってるんだが、そこに優しくも訪ねて行ったオリヴァー少年の耳元に、しっかりした声で囁いたのだ。

「絞首台のそぱを通るとき、わしが震えていたとしても構わず進め・・どんどん遠く、どんどん速く・・!」

それまでさんざんオリヴァーの運命を弄び、彼の心を束縛してきた悪党が、ついに彼を「解き放った」ような、そんな不思議な感慨に浸らせてくれるセリフだった。

オリヴァーを眺めていても、実は大して面白くない(かも知れない)本作。(ちっぽけな存在である筈の)彼に影響され、彼によって運命を狂わされる者たちのドラマ・・として楽しむのが、正しい鑑賞法なのかも知れない(違うかも知れない)。

〜 こんなセリフもありました 〜

ブラウンロー「この子に何かを感じる・・心を揺さぶる何かを・・」

フェイギン「なぜ盗みを、だと? それが“今日を生き延びる道”だからだ」
     「この世で最大の罪は何だと思う? それは“忘恩”だよ」

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2008年3月 5日 (水)

☆『アラバマ物語(1962)』☆

4日(火曜)。
残業を2.5時間ほどこなし帰宅。「冒頭に間に合えば観よう」と考えてた映画『アラバマ物語』が衛星第2で放送されており、何とか開始寸前に間に合ったので観ることとした☆

以前のテレビ放送(それも多分衛星第2だったと記憶している・・)で終盤の辺りのみ観て・・「わ! ロバート・デュヴァルが出演してるじゃん! ってかめちゃめちゃ若いし!」と想定外のキャスティングにとにかく驚かされたモノだった本作・・ついに通しでの鑑賞を成し遂げますた☆(大げさな)

1932年のアラバマ州の小さな町メイコム。温厚で誇り高き弁護士アティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)は妻を亡くした後、やんちゃ盛りの2人の子供を男手1つで育てている(家事全般は家政婦がやってるけど・・)。
もの静かで、決して子供たちの前で羽目を外さない父親像を確立していたフィンチだが、一方で「射撃の名人」「ご近所のがんこ婆さんをあしらう達人」と言う意外な一面も見せてくれたり。

そんな中、親友である判事の頼みで、フィンチはとある暴行事件の弁護を引き受けることとなる。
静かに正義の炎を燃やす彼であったが、今回の事件ばかりは少し勝手が違っていた・・
そう、法廷で裁かれる被告は黒人男性、そして被害者は白人女性なのだった。
法廷内は裁判長、検察官、証人、陪審員・・そして傍聴席に至るまでを白人が占め、黒人の傍聴者は2階へ押し込められると言う・・まるで『ロッキー4/炎の友情(1985)』の後半、ロシア(当時はUSSR・・)に赴きイワン・ドラゴ大尉(ドルフ・ラングレン)と戦った際の主人公バルボア(シルベ・スタロ〜ン)のような状況なのであった(・ω・)

被告の利き腕と被害者が殴打された側の顔面の相違点、医学的証拠が何ら提出されていない点、被害者証言の間隙、などを衝いて精一杯の弁論を繰り広げるフィンチであったが・・の流れ。

ナニやら、ウィキペディアによれば「2003年のAFI(アメリカ映画協会)発表による「最も偉大な映画ヒーロー」で、堂々の1位に輝いたと言う本作のフィンチ先生。
よほどの「理解者」が好意的な票を投じたとも思う訳で・・作品の切り口や展開の素晴らしさはあるものの、どうにも華やかさや盛り上げに欠けてる印象も少なからずあった。
まぁ、1960年代のモノクロ作品でこう言うテーマをグリゴリー・ペック主演でぶちかましたことこそが評価されるべきなのかも知れないが。

陪審員は最後、全員一致で(←でないと評決は成立しないが)「有罪」と結論を導き出すのだが、フィンチが被告トム・ロビンソンに「第一審はこうなると最初から予想していた」と言い放ったり、その後に「控訴すれば絶対に勝てていたのに」と悔しがる姿などがワタシには「ちょっと言い逃れっぽいな」「裁判そのものをやや戦略ゲーム的にとらえてそうだな」とも感じられた。
まぁ、そういう「敗軍の将となり果てた途端、饒舌になってしまう姿」もまた、悲しいけれど「悲しいけど、これ人間なのよね(スレッガー・ロゥ語録!?)」と言う主人公の“等身大な人間っぷり”を観客に包み隠さずさらけ出す、大きな演出上の狙いだったのかも知れないが・・

さて、最後の最後で登場するアーサー・ラドリーなる青年を演じたのが、若き日のロバート・デュヴァル。何と本作が31歳にしての映画デビュー作らしい!(同年にマイナーな作品で初出演してた可能性はあるかも、だが)
残念なことにセリフがひと言もなかったんだが、当時の“大物俳優”ペックとがっちり握手するシーンなんかもあって感慨深かった。

また、別に原作者が意識してのことではないんだろうが、終盤の辺りで保安官が「真実を貫くことこそが、我々にとって大きな罪となるのだ」みたいなセリフをボソッと放つトコがあり、『ロミオ+ジュリエット(1996)』で(それまで殆どな〜んもしてくれんかった(=^_^=))ヴェローナ市警のプリンス署長が「我々すべてが罪を背負わされたのだ!」みたいな“ごっつくて美味しいセリフ”を放つシーンにちょっとノリが似てるかもな〜と思った。

ラストの10分ほどで、サスペンスなテイストにちらっと突入するが、何となく「取って付けた感」もなきにしもあらずだった・・まぁ、あのオチがないと、ホンマに観てて救われないんだけど。。

この作品では「家族愛」「隣人愛」などにも力を注ぎつつ「人種系裁判」が取り上げられていたが、何故か鑑賞してて連想したのは『グリーンマイル(1999)』だったりもした。
きっとスティーヴン・キングっぽいセンスで「ノスタルジック性」「サスペンス性」をムリヤリに高めた演出にして「リ・イマジネーション」したら・・本作ってメチャクチャに面白く仕上がるんじゃないだろうか(・ω・)

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2008年2月10日 (日)

☆『エイリアンvs.プレデター【完全版】(2004)』☆

先月20日(日曜)に鑑賞。地上波初放送だと。
2004年10月4日、南極大陸の某島で感知された正体不明の熱源反応。その存在にいち早く気付いたのは(各国の情報機関すら押さえて!)巨大企業ウェイランド社の所有する軍事レベルの機能を持つ衛星だった。
ウェイランド社の総帥にして大富豪のチャールズ・ビショップ・ウェイランド(ランス・ヘンリクセン)は女性探検家アレクシア“レックス”ウッズ、考古学者、掘削チーム、特殊部隊の兵士らを率い、熱源のはるか地下に存在すると考えられる古代遺跡の調査に着手する。
リーダーに任命されたレックスは即席ながらも基本かつ重要な3つのルール

・決して単独行動をしない
・常に仲間と連絡を取り合う
・ハプニングが起こっても英雄になろうとしない

を徹底させんとするも「未曾有の発見を持ち帰り公表する」なる目先の功績に焦った探査チームは、この眠れる遺跡のシステムを“再起動”させてしまうのだった。
そして、遺跡の地下にて覚醒した“謎の生命体”がチームを容赦なく襲う。
一方その頃、時を同じくし、大気圏外に急接近した巨大宇宙船より“謎の異星人”が3体、南極を目がけ降下して来るのだった・・

この遺跡の正体とは? 探査チームの迎える運命とは? リドリー・スコットやジョン・マクティアナンやH.R.ギーガーの本作に対する評価とは?(←ま、それはエエやんか(=^_^=))
様々な謎をはらみつつ、レックスらの“生存をかけた戦い”が始まる・・みたいなノリか。

とにかく「巻き込まれた皆さん、お気の毒!」としか言いようがない本作。最終的に生き残るのは「たった1名」なんだが、そこまでの持って行き方が「イマドキのスプラッター系」って感じで、私的には「練ってるなぁ」とは全く思えない脚本である。
何と言うか「ああ、もうこいつ死んだんや・・」と思いきや、実は後のシーンでしっかり生きてて“再登場”するんだけど、結局はまたすぐに死ぬ・・みたいな演出が目立つのだ。そう言うのってキライなんやねぇ・・

まぁ「熱帯を好む“プレデター”が極寒地帯で動き回ってる」「地球に到達した時点で大問題となる存在の“エイリアン”が既に地球に生息している」「生命体を拒む極地=南極にかつて高度な文明が栄えていた」「古代遺跡の地下に“イマドキな造形の鎖”がぶら下がっている」「プレデターらが、仲間を運ぶ際“イマドキな造形の担架”を使用している」辺りのシチュエーションや演出を眺めるに「・・バカ映画かよ!」と突っ込める余地は十分にあるんだけど(・ω・)

それにしてもランス・ヘンリクセンさん・・まさに「客寄せパンダ」な感じで、殆ど起用に意味がなかったような・・
やはり“エイリアンシリーズ”と言えば“白い血のしと”がセットで登場しないと「しまらない」のかも知んない。“プレデターシリーズ”にジャングルがマッチしているのと同じように・・
(『プレデター2(1990)』にはジャングルが登場しないが・・アレは“大都会=コンクリート・ジャングル”ちぅシチュエーションらしい・・多少、苦しい気がするけど・・)

〜 こんなセリフもあったべさ 〜

ウェイランド「列車はもう走り出したんだよ」
      「死を間近にすると、人間は生きた証を遺したくなるものだ」

レックス「ここでは銃なんか無意味」

副官「仲間が1人死にました。こいつの死に意味が?」
ウェイランド「歴史を作る犠牲となった」
副官「あなたが歴史だと?」

追記1:“プレデターシリーズ”に比べ、本作に登場するプレデターってば、若くて戦闘経験にも乏しい(?)んだが、彼ら“先輩”以上に強かった気がする。
追記2:『アルマゲドン(1998)』とは逆に、穴掘り関係の“地表にいたしとたち”から、真っ先に血祭りにあげられていた。。
追記3:それにしてもプレデターの腕の“某装置”・・ムチャクチャ強力ですなぁ(⌒〜⌒ι)

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2007年10月 3日 (水)

☆『永遠のマリア・カラス(2002)』☆

1日(月曜)。衛星第2で放送されたものを鑑賞。“世紀の歌姫=オペラ歌手(←歌姫と言ってもそこらの“Jポップ系(量産型&人為型)”ではなく!(=^_^=))”マリア・カラスの晩年を、彼女と親しかった監督が「想像と記憶を膨らませて」描いたドラマ。虚実ない交ぜな側面も少なからずあるようで、厳密に言えばマダム・カラスの“真実のドラマ”と言うより・・フィクション性を際だたせ、エンターテインメント性を強調してた感もあったか。ま、それ故に観易かった訳でもあるけど。

1977年。パンク・バンド「バッド・ドリームズ」(何と客席に向かって“放尿”パフォーマンスをご披露する連中らしい(×_×))のライヴ公演を手がけるためパリへやって来たベテランプロモーター、ラリー・ケリー(ジェレミー・アイアンズ)は、日本での公演を最後にオペラ歌手としての表舞台から姿を消した、旧友マリア・カラス(ファニー・アルダン)に面会を求める。
53歳となった彼女は全盛期の美声を失い、かつての恋人だった海運王オナシスの死のショックから未だ立ち直れぬままに、パリの屋敷で隠居生活を送っているのだった。

当初こそラリーのやや強引な面会に不快の念を隠さなかったマダム・カラスであったが、そのプライドを器用にくすぐる(?)彼の巧みな話術に導かれたか、やがては再び、屋敷の外へとその足を踏み出すのであった。
ラリーの持って来た企画書“永遠のマリア・カラス”の中で彼女が乗り気になったのは、これまでの歌手人生の中で、一度も演じた事のなかったビゼー作『カルメン』の映像化である。
スペイン人のエステバン・ゴメス監督が撮り、相手役のドン・ホセには若くてジゴロっぽさげな青年、マルコがオーディションで選ばれた。

問題はマダム自身の“声”であったが、そこは専門家のテクニックで「現在の映像」に「22年前の(全盛期の)声」を編集、重ねることで“この世の美しさを超越した声”が見事に再現されたのである。

完璧な踊りにこだわるマダムのプライドが、時として監督やラリーと衝突する場面もあったが、最終的には素晴らしい出来映えで映画『カルメン』はクランクアップしたのであった。

その追い風をチャンスとばかり、ラリーを筆頭とした出資者らは『椿姫』『トスカ』などの名作オペラを次々に彼女に演じさせようとするが・・マダムならではの大きな気まぐれで、それらのプランは大きく方向を変えるのだった・・みたいな流れ。

主演のファニー・アルダン。近作『8人の女たち(2002)』でその存在を(初めて・・)意識した女優さんなんだが、かの作品では結構しゃしゃり出て演技してる割にそんなに魅力が感じられず「なんだなんだこのおばさむは・・」とムッとしてしまった覚えがある(・ω・) が、本作では髪型メイク&&服装が良かったせいか(?)はるかに魅力的に映ったのであった。
若い頃のファニーさんは、、おぼろげながら、往年の刑事ドラマ『Gメン75』に出ていた中島はるみと言う女優さんに何処となく雰囲気が似てたような気がする(実は全然似てなかったらすまんそん・・)

本作ではアイアンズ氏が「ペテン師肌のゲイ」と言うメチャメチャ難しいキャラ(⌒〜⌒ι)を“妙に自然体で”演じてることから、生半可な女優さんではその存在感がすっかり薄まってしまうトコだが、そこは流石に“大女優のご貫禄”って感じで、堂々と渡り合っておられた。。
中でも「天才肌で感覚型の女性」を感じさせる“意見がころころ変わる”“内から発する(本能的)感情に流され易い”“実人生の大半をオペラ(架空の)世界の中で生きている”“誰かと出会った瞬間、その別れにまで気を巡らせる繊細さ(?)を持ち合わせる”などの複雑ですんごい思考回路を持つ人物像をサラッと自然に演じておられた。
そこで失敗すると“ホラー系女優”に開眼(=^_^=)しちゃうトコを・・ぎりぎり“寸止め状態”で踏みとどまってる辺り、流石はベテランさんである☆

本作を観て思ったのは「儲け目当てに天才に絡んで行っても、人生を翻弄されるだけかも」ってことだろうか。本人にさして悪気がないだけにより始末も悪いし(⌒〜⌒ι)
「天才を利用しようとして、結局は利用された凡人のドラマ」として眺めるのも一興かも知れない。

そして、本当の天才は・・その人生の引き際も潔く、唐突なモノなのかも知れない・・。

〜 こんなセリフが印象的でした 〜

マイケル「この補聴器をしていれば、誘惑は聞こえない」 ←画家の青年。本作のヒロイン(?)の1人?

マダム「私がいないと言えば、いないと思って」
ラリー「それが君の方便なら・・僕も“たまたま”立ち寄っただけさ」

マダム「私が(醜悪な声で)吠えても観客は喜ぶわ、舞台で道化を演じるのはもうごめんよ」

ラリー「君を知らない若い世代が、世界には沢山いるんだぞ」
マダム「あら、それは残念」

マダム「(墜落した)イカロスに再度の(飛翔の)チャンスがあると?」
   「色んな国で暮して来た、でもどの国の言葉も完璧じゃない・・私は一体何ものかしら?」
   「人生の最後に、(これまで)守って来たものを踏みにじれと?」
   「神は願いを叶えてくれるものよ、“間違った願い”さえしなければ、ね」
   「私たちはほんの束の間ながら、栄光を手に入れた・・すべてを・・それもやがては消え去るけれど」
   「答えられない質問はしないで」

ラリー「今までの人生で、誰かを心から信じたことがあるなら・・今日はこの僕を信じてくれ。
    ・・何も言わず、ただ信じてくれ」

マダム「(編集された声で)私に悪魔に魂を売れと?」
サラ「私があなた(マリア・カラス)だったなら、魂だって売るわ」

記者「スカラ座で公演を?」
マダム「観客がマナーを学ぶならね」

マダム「(気分を害したからって)ここで降りるの? 道の真ん中よ」
ラリー「この車の中よりはよっぽどマシだよ」

※マリア・カラスの最後の(公式な)舞台が、日本ツアーだったとは知らなかった(・ω・)
※本作で“劇中劇”として描かれる映画『カルメン』。その映像センスが予期してた以上に素晴らしかった!
 これを単体の映画版に編集し直して欲しいぐらいである(・ω・)

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2007年9月14日 (金)

☆『アメリカン・スウィートハート(2001)』☆

12日(水曜)夜に衛星第2で放送されたモノを観た。一見「ハリウッドの内幕を描いたラブコメ映画」の体裁を取りつつ・・実際のトコは「ジュリア・ロバーツお得意(?)の“シンデレラ・ストーリー”」が“軸”とも言える作品なのであった(⌒〜⌒ι)

“アメリカ理想のカップル”と呼ばれ、かつて(?)一世を風靡したハリウッドの大物カップル、グウェン・ハリソン(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)とエディ・トーマス(ジョン・キューザック)が劇的な結婚を遂げ・・その後、別居して1年半が経とうとしている(きっかけはグウェンとスペイン人男優ヘクターの浮気によるもの)。
折しも、個性派名監督ハル・ワイドマン(クリストファー・ウォーケン!)の手がけた“2人の最終共演作”たる『刻(とき)を超えて(原題:Time Over Time)』が“ほぼ”クランクアップし、伝説の映画宣伝担当者=リー・フィリップス(ビリー・クリスタル)に「2人を完成披露宴の場に連れて来い」との指令が下される。
冷え切った仲の2人を何の手立てもなしに引き合わせることなどもはや不可能・・ってことで、リーはグウェンの妹で優秀な付き人でもあるキキ・ハリソン(ジュリア)に協力を依頼する。
著しい人気の低下に悩むグウェン、妻の浮気のショックから長期の療養生活を強いられてたエディ。が、キキとリーの骨折りの甲斐あって、2人はようやく記者会見の場に揃って登場する。
実のトコロ、エディは未だグウェンへの想いを断ち切ることが出来ないでいた。そしてそんな彼に密かに想いを寄せていたのが・・キキなのであった。

奇妙にねじれたまま転がるハリウッドの恋模様が、いよいよ完成披露試写会の場で意外な方向になびいて行くのである・・そんな流れ。

本作、エッセンスのみを抽出すれば、実に“直球勝負”で凡庸な作品となるんだが、そこは巧いこと変化球を投げ込んでくれてて面白い。まずは、良くも悪くも“ムードメーカー”なバイプレーヤー、ビリクリ(=クリスタル)が積極的に前面を動き回ってくれ「放っておけば(きっと)目立ち過ぎるジュリアの存在感」を絶妙に薄める役割を果たしてくれる。そこに、コレまたアクの強い(=^_^=)ゼタ・ジョーンズ&キューザックを放り込んでくれてて、更に味付けは中和され・・仕上げにウォーケンとハンク・アザリア(ヘクター役)、ブレイク寸前(?)のスタンリー・トゥッチ(キングマン役)を配置。
ココまで整えて、ようやく「所詮はジュリア映画やろ?」と言う観客の先入観を何とか払拭するに奏功したって感じか(・ω・)

私的にはちょいとコメディ面が華やか過ぎてアカン気もしたが、助演陣の言動を眺めたり、ビリクリの自虐トークを耳にしてるだけで、なかなか楽しめたのもまた事実であった(=^_^=)

劇中にちりばめられた「ネタ」を分解⇒強引に再構築してみると(=^_^=)・・「ロバ※ト・アル※マン監督の手がけた、ト※・クル※ズ&ニコ※ル・キ※ドマンの最後の共演作『ア※ズ・ワ※ド・シャ※ト』がいよいよクランクアップ、しかし今やニコ※ルはセクシーなスペイン男優、ア※トニオ・バ※デラスと浮気の真っ最中なのであった・・」みたいなノリであろうか(←シチュエーションとゴロを合わせただけなので、全然事実とは辻褄があってません(=^_^=)>)

やや抑えめとは言え、ウォーケン氏の怪演が適度に小爆発を起こしている☆ カジンスキー(ユナボマー)の暮してた小屋をまるごと買い取り、そこにこもって日夜フィルムの編集に励むロン毛のおっさん・・コレばかりはかなり怪しい! その上「私がこれまで撮った中で最も正直な作品です」とかしれっと紹介しつつ、肝心の『刻を超えて』の中身はと言えば・・盗撮と醜聞で固められてたり。。
中でも、ゼタ・ジョーンズがボンテージ&セクシーな衣装でボブヘアーに帽子をかぶって踊る、何とも言えぬ退廃的な雰囲気などは・・どうにも『愛の嵐(1973)』におけるシャーロット・ランプリングを連想してしまうのだった(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフが冴えていた 〜

リー「いいか、褒められるまで決して返事などするな」
  「ホテルに記者どもを缶詰にしろ、『シャイニング(1980)』に出て来たようなホテルにな」 ←(=^_^=)
  「もっと左・・」 ←獰猛な猟犬に股間を舐められつつ
  「その眼はよせ、問題を起こすヤツの眼だ」 ←グウェンに接近しようとするエディに
  「雑草が太陽に向かって伸びる、この世界に感謝」
  「今夜はゆっくり休んで、明日にはとびきり奇麗になってくれ」 ←グウェンに
  「明日はとびきり二枚目に」 ←続いてエディに
  「こんな話を? ある男がラビに相談した。「妻に毒殺される」と。
   ラビは妻の所へ行き、3時間話して戻って来た。そして男に伝えた。「毒を飲め」」

セラピスト「人生はクッキーだ」
リー「・・その言葉を“イエス”と解釈します」

エディ「彼女(グウェン)を近くに感じる、さては隣の部屋だな?」
リー「いや・・う〜んと離れたスイートだ」

リー「そこを動くなよ!」
エディ「動けるかよ!」 ←転落しそうになり、屋根にしがみついてる状態で

守衛「俺が夜勤だと、決まって変態野郎が現れる」

グウェン「その“硬い”のって銃? それとも感じちゃったの?」
    「彼(エディ)と私は“ソドム”と“ゴモラ”みたいに頼り合える存在なの」 ←何だそりゃ・・

エディ「いいネックレスだ」
キキ「実は、私のじゃないの」
エディ「分かってるさ」

エディ「夢に出て来るパンとは・・きっと“望んでも叶わない物”の象徴だ」
   「愛してるのに憎々しく思うなんて・・妙だな」

キキ「“退場”はあたしの十八番(おはこ)だけど、今回は気合を入れて行って来る!」
  「まるで“禁酒に失敗した大酒飲み”の気分ね」

キングマン「あのカートはやれん。何たって“シュワ”のプレゼントだからな」 
     「お前を殺してやりたい、“ある男”に電話を1本架ければ済むハナシだぞ」 ←怖!

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2007年9月11日 (火)

☆『アバウト・ア・ボーイ(2002)』☆

今週も、またまた楽しい楽しい(←半ばヤケ気味(=^_^=))仕事のお時間が始まった☆
(先週末の)土日も殆ど(?)家を空け「寳塔ツアー」やらで走り回ってたため、休みと言える休みが殆ど取れてない状況が続いてたりもする・・(×_×)

さて、今夜からの衛星第2では「ヒューマニズム系の佳作映画」のオンエアが続きそうな気配(・ω・) 第1夜(?)はヒュー・グラント主演の『アバウト・ア・ボーイ』が放送されたので、やや早めに仕事を切り上げ帰宅、バタバタしつつも観ることが叶った。

本作、知らなかったが「イギリス/アメリカ/フランス/ドイツ合作」と言うことだ。ロケーションは主にイギリス(ロンドン界隈)なんだが、どう言う部分で仏&独が制作に関わってるのか、何となく興味津々ではある。←ネットで調べてないので、詳細は掴めてないままだが。。

今は亡き父親の作曲した童謡(?)『サンタの素敵なソリ(1958)』が大ヒットしたお陰で、息子であるウィル(グラント)は38歳を迎えた今も、特に何の仕事をするでもなく、悠々自適なシングルライフ(≒印税収入生活)を楽しんでいる。
ジョン・ボン・ジョヴィの歌詞にある「いかなる人間も島ではない」を独りごち(←正しくは英国詩人、ジョン・ダンによる言葉らしい(・ω・))つつ、「家族なんか鬱陶しくてまっぴらだよ」とふらふら暮らすウィル。
そんな彼の前に「シングル・ペアレントの会(SPA)」の集会をきっかけとし、12歳の早熟な少年マーカスが現れる。

心を病んだ母フィオナ(トニ・コレット!)と母子2人で暮らすマーカス。彼もまた学校でいじめに直面し、心の何処かで“父親”を探し求めていたのだった。
ウィルにすれば「セクシーなシングルマザーをナンパしまくる」目的でSPAに近づいたのだが、その魂胆を早くも見抜いた(=^_^=)マーカスは「内緒にしとくから」と言う条件で、ウィル宅に放課後通い始める。

やがて、ウィルはレイチェル(レイチェル・ワイズ!)なる女性と、マーカスもエリーなる女生徒と親しくなる。
そうして2つの世代の男が、それぞれの恋心に歩み始めるのだが・・ってのがおおまかな流れか。

ヒュー・グラント、まさに“水を得た魚”の如く「ダメ男」を好演してくれてる(=^_^=) 「見た目は好青年、しかし“心の声”(←いわゆる独白)は極めて毒舌な皮肉屋、そしてホンマは小心者」ってキャラクター(人物像)がモノの見事にハマってる!
きっと「名優ウッディ・アレンの“後継者”を名乗る資格のある男優」の筆頭に挙げられるべき人物なんじゃないかと思う(=^_^=)

物語自体は大したひねりもなかった感じだが、とにかくウィルの放つ「こしゃくなモノローグ(独白)」にいちいちメモを取る作業に煩わされまくった(=^_^=) これもまたウッディ・アレン作品を観てるような錯覚に、ときとして陥ったモノであった(=^_^=) ←この“しんどさ”がアレン映画を観るのを躊躇ってしまう理由である。。
が、単にシニカルなまま物語の進んで行く訳ではないのが、まだしも「良心的」とは言えたか(=^_^=)

事実、後半〜終盤になるに従い、ウィルの「ヒネた独白」はどんどん減って行くのである。
ま、その演出(?)を「ウィルが沈黙するに至った」と見るか「ウィルは依然としておしゃべりだが、監督が敢えてそのボリュームを下げた」と見るか・・も観客それぞれの解釈に委ねられてるのかも知れない。

ラストでは、マーカスの“絶対の危機”に駆け付けるウィル。まるで『セント・オヴ・ウーマン/夢の香り(1992)』のアル・パチーノやら『小説家を見つけたら(2000)』のショーン・コネリーやらを連想してしまったものだが・・やはり何処かカッコ悪く、観ててかなりホッとさせられた(=^_^=) まぁでも、撮影現場的には「ヒュー様が我が校の体育館くんだりにやって来たわ〜! キャ〜!」みたいな黄色いフィーバーぶり(←ナニ?)があったのかも知れない?!

私的に面白かったのは、ウィルとフィオナの微妙な関係だった。当初予想するのは「この2人、果たして巧く行くんやろか?」ってシチュエーションなんだが(2人のキャスティングから考えても・・)、実は意外な流れにもなるのである。
それにしてもトニ・コレット。『シックス・センス(1999)』や『イン・ハー・シューズ(2005)』におけるビジュアルと全然雰囲気が違ってて、けっこう驚かされた。意外と“カメレオン女優”さんと呼ぶべきなのかも知んない(・ω・)

〜 こんなセリフ(或いは独白)が印象的でした 〜

※※「実は、今まで黙っていたことが・・」
ウィル「それって、刺激的なこと?」

マーカス「また、下心のある男が一緒だ」

ウィル「まさに最悪の状況だった・・だが、救急車の後ろにぴったり付いて走るのは爽快だ」
   「人生はテレビ番組に似てる。毎回のゲストは変わるが、レギュラーはいつも僕1人だ」
   「人助けは本気で取り組まなきゃならない。だが・・本気も善し悪しだ」
   「クリスマスとはいわば・・自分を再確認する日だ」
   「つまらないプレゼントほど、子供は喜ぶ」
   「一度(心の)ドアが開くと、誰でもずかずか入って来てしまう」
   「今から“最期の威厳”を捨てるぞ・・良ぉく聞け!」
   「問題は“告白のあと”に来る質問だ」
   「他人(ひと)は、君を幸せにもするが・・不幸にもする」
   「人は島だ。その考えは今も変わらない・・だが、島同士が繋がっている場合だってある。
    実際に海底では地続きだ」
   「僕は“怪物”を作った。・・それとも“怪物”がこの僕を?」 

フィオナ「彼女には“怒る権利”があるわ」
ウィル「良く分かるよ。で、僕には“帰る権利”がある」

レイチェル「最初にあなたを見たとき、何処か“うつろ”に見えた・・それは当たっていたのかも」
ウィル「君の言う通りだ・・僕は“空っぽ”なヤツだ」

追記1:本作の原作者(小説)は英国作家のニック・ホーンビィ。何と『ハイ・フィデリティ(2002)』の原作も彼の手によるモノだそうだ。確かに“独身中年男の小心さ&寂しさ”のテイストは共通していたように思う。・・ってか、オレももはや年齢的に“他人事”じゃねえぞ!(⌒〜⌒ι)
追記2:ウィルの愛車は「アウディTT」。終盤でマーカスのもとへ急ぐ際、カーブをやや強引に曲がってたが、一瞬「左後輪が(路肩の)縁石を踏み越えた」のが何ともリアルな演出で印象的だった(・ω・)
追記3:もしスティーヴン・キングが脚色したりすると『ゴールデンボーイ(1998)』路線になっちゃうんやろか。。ラスト辺りはリチャード・リンクレイターが演出したら、もっと“ノリノリ(2003)”になってたかも(=^_^=)
追記4:主人公が下心からサークルに参加する辺りは『ファイト・クラブ(1999)』のエドワード・ノートンに通じるゲスさがあって好感度高かった(←おい)

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2007年8月29日 (水)

☆『オーシャンズ12(2004)』☆

忘れかけてた「映画鑑賞メモ」を発見したもんで、ちょこっと書いてみることと(・ω・)

遡って10日(金曜)。「金曜ロードショー」で地上波初放送されたシリーズ第2弾『オーシャンズ12』を鑑賞した。
前作『オーシャンズ11(2001)』も地上波で手軽に(=^_^=)鑑賞した覚えがあり・・期待して観た割に「全編を貫く何とも軽薄な(作品の)トーン」がどうも肌に合わず「こんなもんか・・」と肩を落としてしまったほろ苦い思ひ出が(・ω・)

その続編たる本作。前作でダニー・オーシャン(ジョージ・クルーニー)率いる11人の盗賊団(?)にまんまと売上げの大金を奪われたカジノ王=テリー・ベネディクト(アンディ・ガルシア)が、プライドとカネを取り戻すべく、オーシャンら一味に挑んで来る展開。

1作目でこそ、そこそこ不気味で恐ろしいキャラとして描かれつつも・・何か「詰め」の甘さの目立ったベネディクト氏でもあり・・今作で「いよいよ本領を発揮し、エゲつない手を使って来るんやろな〜」と別な部分でワクワク(?)してたら・・何とも「ゲスト出演的な関わり方に毛の生えたような立場」に過ぎず、ある意味「このシリーズ、終わった・・」と見切ってしまえたワタシがいた(×_×)

“やり過ぎた”前作における計画のせいで「アメリカではもう仕事(盗み)はムリだ」とか(勝手に主人公らにより)結論が導き出されてる強引な流れ(=^_^=)で、オーシャンら一味(以下“オーシャンズ”とす)は海を渡り、オランダ・アムステルダムへ向かうことに(←マークがそこまで厳しいなら、渡航すること自体が難しいと思うんだが・・)。

だが欧州には、(オーシャンズ最強のメンバーである)ラスティー・ライアン(ブラッド・ピット)と浅からぬ縁のあるユーロポール(欧州警察)女性敏腕捜査官=イザベル・ラヒーリ(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)やら、世界一の怪盗を自認する“ナイト・フォックス”と呼ばれる一匹狼の盗賊(ヴァンサン・カッセル)がオーシャンズを待ち構えていたのだった・・

何やらネットで調べるに、スティーヴン・ソダーバーグ監督ってば「わずか3週間」で本作を撮り終えたとされている! そう考えると、短期でのクランクアップ(撮影完了)こそが“彼最大のマジック”と言えなくもない。
多少、いやかなり・・作品自体が下らなくとも、許してあげてイイ気がする(⌒〜⌒ι)

クルーニー、ブラピ(ブラッド・ピット)、ガルシア、マット・デイモン、ドン・チードル・・など「個々の出演俳優狙い」の女性観客層に向け脚本を調整(?)したものか、本作って何となく「男優陣は鈍感&女優陣は敏感」的な演出が目立ってた気もした。
ハイライトとなるシーンもまた「オーシャンの嫁さん=テス(ジュリア・ロバーツ)vsイザベル」であったり「イザベルvs女性ベテランFBI捜査官」であったりする。
特に美味しかった(?)のが、ライナス(デイモン)の※※※の客演。堂々たる演技でもって「ほぼ壊滅状態」のオーシャンズを全員救い出しちゃう! こんなんでエエんか? と思いつつ、爽快感を覚えたのもまた事実であった(・ω・)>

物語としては純粋な“盗みのドラマ”から、次第に「盗賊のプライド合戦」に脱線(?)して行く感じだったか。
私的には、大勢のメンバーを揃えようが、たった1人の“ナイト・フォックス”に全く太刀打ち出来てない・・と言うか明らかに「格下」な印象が拭えなかったな。
特に、ベネディクトの前に2度姿を現す“ナイト・フォックス”なのだが、1度目の出没の手口たるや“人間業”を超えていた。かつ終盤の“赤外線レーザー突破”のテクニック(体術?)も凄まじ過ぎる! もはや「入神の域」に達してますた(・ω・)

ワタシとしては、以下のことに不満を覚えてしまった本作。コレって気にし過ぎなんやろか(=^_^=)

■テスが※※に成り済まし、ブルース・ウィリスは※※の役を演じる・・こう言う「楽屋オチ的演出」がどうにも好かんねんけどね〜。
■※※※※へのすり替えに気付かなかったフランソワ・トゥルアー男爵(?)。彼の手腕&博識からしてちょっと説得力に欠けるかな、と。
■バンデル・バウデン(?)邸に間違いなく侵入した“ナイト・フォックス”・・その手口も是非知りたかった!
■オーシャンズには「ベネディクトを肉体的に再起不能にする」と言うアイデア(←意外に近道☆)は全く浮かばないんだろうか(・ω・)
■色々な盗みの手口(=作戦名)が紹介されてた・・「偽りの幸せ」「スポットライト」「重い小包」「軽い小包」・・面白そうだが、実際のトコロは何が何だか観客にはさっぱり分かんないンですけど(⌒〜⌒ι)

そんなこんなで、最新作の『オーシャンズ13』(公開中)では、いよいよテス・オーシャンが出演しないらしい(×_×) 多分観に行かないと思われるが、そのことだけをとっても、かなり不安に感じてしまう“シリーズ第3弾”ではありますなぁ。。

〜 こんなセリフもありまして 〜

仲間「オーシャンズだと? オレはヤツの手下なんかじゃねぇからな!」

ソウル「この齢になれば、それぐらいのわがままを言う権利はあるだろう?」

ライナス「“レストランのシーン”で奥さんが話しかけなかったでしょ? アレで分かったんです」
ウィリス「そうか、良く分かったな」

↑この会話はもしや・・(=^_^=)

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2007年7月 6日 (金)

☆『アポカリプト』☆

4日(水曜)。今週も何とか半ばまで乗り切った。。
またぼちぼち「劇場に行っときたい気持ち」が生じており、昨日行きそびれたんで、今日行っとこう! と意を決し、梅田で『アポカリプト』を観てから帰宅した。“イケメン魔術師の競演”とか“運の悪いヤツ4たび”って案もあったが、気分的にコレが観たくて。ただ「上映時間が2時間半近くもある」「全編マヤ語かつ俳優陣がほぼ素人」ってこともあり「長尺でコ難しいんかなぁ?」と言う不安はあった(⌒〜⌒ι)

・・が、観終わってみれば、実にシンプルで分かり易い作りの物語だった。拍子抜けしてしまったほどである(・ω・)
「難解なんと違う?」「娯楽性ってどうよ?」って部分(のみ)で鑑賞を躊躇してる方がいるなら「その点は大丈夫☆」と背中を押してあげることぐらいは出来そうだ(=^_^=)

前作『パッション(2004)』において“全編ヘブライ語(ほか)”で作品を貫徹させたメル・ギブソン監督、本作も前述のように「ヘタな客寄せ対策(キャスト面&CG特撮面の強化)を高じず、自らのこだわりを貫いてる」ってな“男前な印象”が強い。
全体像は全く異なるが、本作を観てて最も共通するイメージを感じたのは、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙(2006)』であった。
「アメリカに暮らし、アメリカ文化に囲まれ、アメリカ国民のための映画を作る」などと考えている限り、決して思いつかぬ(?)「異郷の文化を、異郷の言葉で、主観(や教訓)を極力差し挟まず描く」と言う地味ながらも珍しい試みを行っているのだ。その意味では「メルギブすごぅい☆」と感心させられてしまった。
ついつい「フリ〜ダ〜ム!」と絶叫してみたくもなるってもんだ(←いやそれ、別作品(1995)っす!)

中米・ユカタン半島。マヤ文明崩壊の始まる、ちょうどその頃(史実では1517年辺りか)。
森林に暮らし、山の獣を狩って家族を養う部族がいた。その族長的存在は“フリント・スカイ”なる熟年の男。彼の率いる若き戦士たちが今日も「貘(バク)狩り」を繰り広げている。
仕留めた貘の臓物を他の戦士らに分配する、リーダー的な役割を担うのが“フリント・スカイ”の息子である“ジャガー・パウ”だった。狩りを終え、意気揚々と村へ戻り、身重の妻や幼い息子と幸せな時間を過ごすジャガー・パウら・・だったが、一夜明けた日に別部族の奇襲に遭ってしまう。
いち早く襲撃に気づいたジャガー・パウは勇敢に立ち向かうも、その混戦の中で妻子とは離れ離れになり、また目の前で父が無惨にも殺されてしまう。結果的に、彼ら部族は幼少の者を除いた全てが“生け捕り”にされ、はるか遠くの交易都市(=マヤ帝国の首都)へと連れて行かれることとなる。
故郷の森を後にし、断崖を越え、激流を渡る彼ら・・やがて辿り着いた街において、予想もしない苦難がジャガー・パウらを待ち受けていたのだった・・と言う展開。

俳優陣がほぼ無名で揃えられており、役名も(難解で耳慣れないため)殆ど意味を成さない(?)本作。人物名に縛られての鑑賞が必要なくなるため、より集中してその物語世界に浸ることが出来て嬉しかった。
きっちり覚えるべきは“ジャガー・パウ”と彼を追う帝国側の“傭兵部隊長”ぐらいなもんである。
勝手な解釈なんだが、ジャガー・パウが「ハンサムなロナウジーニョ(←ロナウジーニョのファンに蹴られそやね(⌒〜⌒ι))」に、隊長が「精悍なピート・ポスルスウェイト」に見えてしまったりもした(×_×)

粗筋もより簡単にまとめちゃえば「走って走って捕まって、走って走って戦って」ってひと言で説明出来るし(・ω・)

後半まで、どっちかと言うと運命の波に流されるままだった“受け身状態”の主人公が、遂に拘束の鎖を断ち、故郷に向かって走り出すのが・・残り50分を切ったぐらいの構成だったか。いや、別にそこまでのハナシがダレまくってた訳じゃないけどね。。

歴史的にも“大きな転機”を物語世界の軸に据えつつ、主に描かれるのはあくまで主人公とその家族のドラマ、ってな潔さ(?)は何処か『デイ・アフター・トゥモロー(2004)』っぽい印象でもあったか(・ω・)

ネットで調べると「この監督はマヤ文明とアステカ文明を混同している」みたいな評価もされてるようだが、まぁ史実的に完璧な意見を言える人間なんぞ現存する訳でなし、それぞれに楽しめばイイんじゃないのかなって結論である、ワタシ的には。

〜 連想した映画たち 〜

『ミッション:インポッシブル(1996)』・・重力のままに(?)滴り落ちる体液(=本作では血)
『プレデター(1987)』『ランボー/怒りの脱出(1985)』・・密林の追いかけっこ、全身に泥をかぶる主人公
『コールドマウンテン(2003)』・・追われつつ、故郷を目指す主人公
『A.I.(2001)』・・中盤の“祭典”的な残虐シーン
『黙秘(1995)』・・“日蝕(エクリプス)”の起こる演出
『パトリオット(2000)』・・頭部を狙い“フルスイング”された棍棒を避ける、主人公の動き
『リング(1998)』・・“井戸”のような閉鎖的空間
『サイン(2002)』・・広大なコーン畑(=^_^=)

〜 こんな部分にも注目 〜

○“アノ行為”に効く、と「ソアンゾの葉」を手渡されたジャガー・パウの仲間“のろま”。次のシーンで「夫:股間を水で慌てて冷やし」「妻:激しくうがいしてる」・・キミら、どんなセク〜スしとってんな!(←予想はつくけど(=^_^=))
○その仲間“のろま”、左肩後ろの入れ墨が「太陽」にも「女性器」にも見えましたが(×_×)
○ジャガーの登場する後半。主人公が(どうにかして)手なずけるモノかと思ってたが。。しかし、ジャガーの“退場シーン”は可哀想・・あの“眼の表情”が本作で一番ショッキングでしたわ。
○中盤でとある少女が“予言”をするが・・もっと重要なことを予言せい! と思った。終盤で“更に大変な事態”が起こる訳なんだから(・ω・)
因みに予言は・・「聖なる時は近い」「ジャガーを連れて走る男がお前達を滅ぼす」「その男は泥沼からはい上がる」「暗黒の昼に注意せよ」「そして、その男はここにいる」
○骨で出来た棍棒って強力なんやね。『2001年宇宙の旅(1968)』でもお猿さんたちの“最強兵器”だったけど(⌒〜⌒ι)
○主人公は「3番目(3人目)の幸運」で繰り返し難を逃れていたようだ☆
○傷ついた仲間に「血管を切り裂いて楽になれ」とアドバイス(?)する傭兵隊員。マヤ語で「血管」なる(医学的?)表現があるとは知らなかった。
○映画史上でも珍しい(?)「水中※※」が拝める・・(・ω・)
○“切り口”から余り血の吹き出さない※※※遺体(神殿の頂きから落ちて来るヤツ)。先に※※をえぐり出したから、循環が止まったんかな?
○主人公を捕まえたら「生きたまま全身の皮を剥ぎ、それをかぶった姿をヤツ自身に眺めさせてやる」と言い放つ傭兵隊長。ホンマにやりそな雰囲気が怖い。大将! 眼がマジですってば!
○ジャガー・パウの奥さん、何か“経鼻チューブ”してるようにも見えますた・・(それにしても、何たる(劇中の)移動範囲の狭さ・・)
○葉で包んだ※の※を投げつける主人公。どうやって(無傷で)それを手に入れた?!

〜 何となく耳で覚えた(=^_^=)「マヤ語」 〜

バッシ・カ(何の用だ?) 
シェン(行け)
ギンセッショ(始末しろ!)

〜 その他、セリフ関係 〜

他部族「我々は“新しい始まり”を探す」

父「恐怖は病、それは人の魂に入り込み心を蝕む」

古老「人は心の穴を埋めんと際限なく欲し・・やがてこの大地から総てを奪う」

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2007年6月24日 (日)

☆『あるスキャンダルの覚え書き』☆

23日(土曜)。大阪市内に繰り出し、思いつく中で最も“演技主体で、地味な作品”と思われた(=^_^=)映画『あるスキャンダルの覚え書き』を観て来た。
他にも「京都どすぇ〜!」とか「少数精鋭やで〜!」とか「イリュージョンですねや〜!」とか・・そう言うハデハデ系なモノをこそ観ときたい気持ちもあったが、まぁ敢えて「冒険」してみるのも悪くないかな、とか(=^_^=)
そういや、今回の劇場(2スクリーン)ってば入口から右に入れば『バベル』、左に入れば本作が上映されていた。ケイト・ブランシェット女史が両作品に君臨(?)してるんやね〜。なかなかに天晴れ☆

本作はジュディ・デンチ+ケイト・ブランシェット主演(←このお2人って『シッピング・ニュース(2001)』でも共演してたらしい(ケイトの出演は失念(・ω・))。絡むシーンはないそうだが・・(←確かケイトは序盤ですぐ退場したんでは・・?))の学園モノ(?)。表向きはヒューマンドラマの皮(?)をかぶりつつ、実は充分なホラーテイストを兼ね備えており、そこが意外と言えば意外だった。
そんな「意外さ」から連想した作品は『ピアニスト(2001)』『ケーブルガイ(1996)』あと『アメリカン・ビューティー(1999)』『運命の女(2002)』だろうか。何にしても鑑賞後、予想以上にどよどよ〜んとしてしまった1本ではある。

ロンドンの郊外。労働者階級の人々が中心となって暮らすその町に「セント・ジョージ校」はあった。来年にも定年退職を控える歴史の教師=バーバラ・コヴェット(ジュディ)は厳格であるが故、生徒からも同僚からも距離を置かれ、孤独な女性だった。
彼女の数少ない楽しみは「“ポーシャ”と言う名の猫を飼うこと(自身、劇中で「猫はオールドミスの必需品よ」と悪びれず言及している(・ω・))」と「他人に打ち明けられた秘密を日記に“告白”すること」であった。それまで親しくしていた同僚=ジェニファーが昨年同校を去り、公私共に“孤立”した存在のバーバラの前に、年若く“ミステリアス”な美術教師=シーバ・ハート(ケイト)が赴任して来る。

若く美しいシーバに秘かに魅了されるバーバラ。彼女を“妖精”と称し徐々に接近、その関係を深くしようと企てる。ある夜、美術室で彼女と(個別レッスンを受けていた15歳の学生)スティーヴン・コナリーの“秘め事”を目撃(ピーピング)してしまったバーバラ。彼女はシーバに、学校側には内密にすることを約し、早急にスティーヴンとの関係を清算するよう命じる。

それを機に、微妙に「力関係」の揺らぎ始める2人の女。そしてバーバラの日記の内容は更に濃厚なものへと変わって行く。
だが、彼女の思惑とは裏腹に、シーバとスティーヴンの関係はクリスマスシーズンを過ぎても尚、ずるずると続いていた。
「信じていた友情が裏切られたわ!」
そう確信したバーバラは“とある事件”をきっかけに、シーバの秘密を白日のもとに晒そうと決意する。
「噂を一度放てば、後はそれが自然に広がって行くだろう」・・その目論みは“自身に何の疑念の降りかかることもなく”功を奏する筈であったが・・そんな展開。

とにかく、想像とは違った流れだ。ロケ移動も殆どなく、作品世界的にもスケールのちっこい物語ではあるが「客観的に色んな人間の色んな(ドロドロした)心の内面を覗き見せる」と言う制作側の狙い(?)は成功していると思った。同時に「とことんまで突き進み、凝り固まった人間の主観って恐ろしいなぁ!」とも。
とあるモノローグ(独白)が全編を通じストーリーを紡いでるんだが、コレが実にクセモノなのである。序盤こそ「語られる通り」に物語世界をなぞるんだが、やがて途中で「このモノローグは“事実の湾曲”と“自己の正当化”に満ちている!」と気づかされる。

で、ここで「大国が滅亡、1人の歴史家の遺した日記が遺跡から発見された場合、もし彼が“虚構と狂気に満ちた”歴史を著していたら、真実はどう(正しく)後世に引き継がれてゆくんだろう?」などと妄想が広がってしまった。よしんば、その歴史家の言葉に嘘がなく、悪意を持っていなかったとしても「主観(と史実と)のズレ」は考えられ得る訳で。いやー、日記ってば実は「とってもタチの悪い記録物」でもあるンですねぇ。

もしこれを読まれている方の中に“過激な日記”を日夜したためておられる方がいるなら・・くれぐれも用心深く管理されることをアドバイスしておきたい。
「あの日記・・さらされたら、終わりや・・」と言うことのなきよう、祈念する次第である。(←ダウンタウン『ごっつええ感じ』的ネタ・・)

バーバラに関しては「何故、孤立してしまってるのか」と言うトコロに“理由”があるんだが、その辺が終盤(?)になってから明かされるので、そこは「ちょっとズルいなぁ〜」と感じた。観客に示しとくべき情報は、もう少し巧く“フリ”として演出面で盛り込んでおいて欲しかったように思った。ああ言う「今まで黙ってたけど、実はこんなことがあったんですよね」的なもんだと「あとからなんぼでも言える」訳だし(・ω・)

観ようによっては“悪漢ヒロインもの”とも解釈し得る本作。ジュディと同世代ぐらいの女性の方々はどうご覧になられることだろう??

〜 あるネタとかの覚え書き 〜

・入浴シーン。「おお、ボーナスやぁ!」と興奮しつつ(=^_^=)眺めたら・・足先からずい〜っとカメラが(バスタブに沿って)右に移動した先に映し出されたのは・・ジュディ!!(×_×)
・メディア陣がバーバラに投げる言葉がスゴい。。「ババアだ!」「ババアのお戻りだ!」 ・・せめて名前で呼んだれよ(・ω・)
・ラストに登場する「第三の女」。ヴィジュアル的に何だか(激しく)レベルダウンな感があるんスが。。
・ケイトの「ブルジョワ風(=^_^=)ダンス」が何かええ感じ☆ DVDソフト化の折はメイキング映像を(特典に)頼ム(=^_^=)
・几帳面な人間が、あないに部屋のあちこちに「金星シール」を落とすもんやろか。。
・バーバラさんに言っときたい。「手動式の安いのんでエエから、シュレッダーを買え」と。
・劇中で何度か映される「登場キャラの抱擁シーン」に注目されたい。「言葉」と「腕の動き」を見比べると面白いのだ。
・「忘れていた(男性からの)甘い囁き」が「女性の“性の炎”を再び燃え上がらせる」そうである(・ω・)
・本作でもシーバの携帯から「ノキア」な着信音が。
・本作、個人的にはタイトルがイマイチな感じ。『スキャンダラス』とか『スキャンダル(←ヨンさま主演の同名作品(2003)があったか・・)』とか『サバト/魔女たちの狂宴』とかってのはどうかな? 後者は流石にB級っぽいか(⌒〜⌒ι) 他に『女教師狂騒曲/日記で死にそ〜』とか。。(←またそのネタ(1991)かよ!)

〜 あるセリフとかの覚え書き 〜

ある日記『労働者の子らの将来は・・或いはテロリストかも』
    『上流の人々は、発言に無防備なもの』
    『裕福なお前に、私の抱える孤独の何が分かる』
    『私たちの人生は、似ている』
    『今こそがチャンス。彼女を“支配”し、永遠の“借り”をつくる』

バーバラ「真実の相手かどうかを見極めるには、時に勇気が要るものよ」
    「考えてないで、とにかく行動しなくては(Don't think! do! do! do! ←せわしな気に発音☆)」

リチャード「何が成り行きだ! 出来事は人間が起こすものだ! 自然には起こらん!」
     「年の離れた男には悪いヤツが多いもんだ」 ←アンタもな(・ω・)
     「確かに私はサエない夫だが、いつだって君の一番そばにいただろう?」

シーバ「なぜ快楽を味わってはいけないの?これまでの“真面目な人生”の積み重ねで“その権利”はあるハズ」
   「彼と関係を持っても、それが赦されるように思えた」

母「彼女は美しいから、これまで何とかやって来れたけど・・実力や才能が伴っていないわ」

スティーヴン「遊びがマジになったらヤバ過ぎる。俺じゃあんたの力にはなれない」 ←ガキ・・

※『誰も触らないこの躯・・バスの運転手の手がたまたま触れただけで、下腹部が熱く疼く』 ←ホンマか?!

※「相手が人妻でも、チャンスはあるさ」 ←アンタが言うな!

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2007年6月 6日 (水)

☆『駅馬車(1939)』☆

4日(月曜)。何だか疲れが抜けず、残業もそこそこに退社。。月曜からこんな体調で大丈夫なんやろか・・
京橋にとある用事のため立ち寄ってからの帰宅。
その後、(新聞作業もそこそこに)衛星第2ちゃんねるで放送された、往年の名作西部劇『駅馬車』を観た。

ジョン・フォード監督+ジョン・ウェイン主演(←若い!)による“スペクタクル群像劇”。どう描いたってモノクロ画面だってのに(←失礼)、照り付ける太陽光や、吹き荒れる粉雪や、濁流を勢い良く渡る馬群や、色々とバラエティに富んだ“絵”を見せてくれる☆ その心意気がまずカッコいい(確かにその空気感は伝わって来るし!)。
6頭の馬+2人のガイド(御者と保安官)+7人の乗客(2人の婦人、酒の行商人、銀行頭取、お尋ね者、謎の紳士、酔いどれ医師)・・それらにより構成される1台の「駅馬車」がアリゾナ州・トントの町を発ち、ドライフォークの町〜アパッチ・ウェルズを経由、ニュー・メキシコ州・ローズバーグの町へと向かう。

乗客1人1人には、(凶暴な酋長ジェロニモ(notジ・エロニモ)が統率する)アパッチ族襲撃の危険を冒してでも、旅立たねばならぬ事情があるようす。それが詳しく語られるキャラがいたり、謎のままだったり。
私的には「あんなちっぽけな馬車の中に、様々な価値観を持つ人物をよくぞ集めた(まさに“当時の社会の縮図”と言える)」「(とある事情で)乗客が8人に増える展開はすごい」と感心した。対面式の座席に3人ずつが(向かい合って)座り、その中央(?)の位置にしゃがみ込むリンゴー・キッド(ジョン・ウェイン)のスタンスが面白い。思わず映画を観ながら「馬車内の座席図」をメモ的に走り描いてしまったが、本編終了後の解説番組で、山本晋也カントクが本作を思い入れたっぷりにトーク展開しつつ「馬車内の座席図」を取り出して見せたので「おお、カントクと同じ思考回路やんか!」と妙に独ぼっちじゃない気がした(=^_^=)

裏表なき、ヒーロー然としたキャラとしてはキッドが筆頭に挙げられるが、私的に「美味しいよなぁ〜」と感じたのは酔いどれ医師のブーン。途中まで飲んだくれてばっかで何の存在価値も認められないのだが・・中盤でしっかり「アルコール抜き」してからは、俄然“本領”を発揮する。銃も撃てば、荒くれ者のたむろする酒場に臆することなく入っていくし、何だか保安官以上にリーダー的、主人公以上にキーマン的な風格すら備わっていたように思ったぞ。
移動する馬車内での「探り合う」ような会話のシチュエーションは、後年の邦画『約三十の嘘(2004)』を何故か連想してしまった(=^_^=) 後半のアパッチ族襲撃シーンはやっぱり後のインド映画『ムトゥ/踊るマハラジャ(1995)』に影響与えたんやろか(=^_^=) ←流石に馬車が崖を飛んだりはしなかったけど。。

登場人物には皆“ヒトクセ”あるんだが、様々なイベントを経て、アパッチ族急襲の頃にもなるとそれなりに“団結”しちゃったりなんかする(←広川太一郎口調で(=^_^=))流れがなかなかに自然で良い。山本監督によると「全体で137分の上映時間の中、110分になってようやく襲撃シーンを迎える」って組立てらしいが、そこまで観客に我慢を強いらせる(=^_^=)ことこそが、後のスペクタクルなシーンにおけるカタルシスをマキシマムにさせるエフェクトを生んだと言えるのかも知れない(←横文字ばっかでもはや意味不明)。

1人の死者&2人の負傷者を出しつつも、馬車はローズバーグに何とか到着するのだが・・そこからも“盛り上げ”があって、意外なボーナスって感じで楽しめる。
因みに終盤に登場する、プラマー3兄弟のボス、ルーク・プラマーが妙にカッコ良く思えてしまったワタシ。ジョン・ウェインよかよっぽどカッコ良かったような(⌒〜⌒ι)

なお、意外と現代のCG映像に見慣れて(毒されて(=^_^=))しまうと「大したことねぇじゃん」って感じに見えてしまうアパッチ族の落馬シーン。結構荒っぽく(もんどり打ち系)倒れてるしともいたりして、観てて妙に心配になってしまった(←作品から半世紀以上経ってからの心配かよ!)。

それと、とあるシーンで、地面に上向きに置かれた(埋められた?)キャメラ(=^_^=)の上をアパッチ族の駆る馬が走って(跨いで)行くショットがあるが、こう言うのも斬新と言うかキャメラいじめと言うか・・当時はもの凄い決断を要する演出だった気がする(もしカメラが踏まれて壊れたら大損失やろからね)。

※ネットで色々な方の意見を読んでると「なんか何処まで走ってもモニュメント・バレー(特徴的な形状の岩山)の周囲をぐるぐる回ってるだけみたいな映像」ってツッコミ風のんがあって笑えた(=^_^=) それはきっと気のせいだ(=^_^=)

〜 結構、素晴らしいっすよ! なセリフ群 〜

ハットフィールド「見えない者に“天使の存在”は分かるまい」

キッド「色々あってね」
ダラス「分かるわ、色々あるから」

キッド「男は(いざって時に)逃げられないもんなのさ」

ブーン「言わば我々は“社会的偏見”と言う病気の犠牲者なのだ」
   「このわしに、他人の人生の是非など言えんよ」
   「先の短い人生ならば、尚さら(今を)楽しまなきゃな」
   「これであいつら、文明に毒されずに済む」

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2007年5月 9日 (水)

☆『ウィスキー(2004)』☆

7日(月曜)。衛星第2で放送されてた南米映画(ウルグアイ・アルゼンチン・ドイツ・スペイン合作)『ウィスキー』を観た。。
なんで語尾に「。。」が付いて、歯切れがイマイチ悪いのかと言うと・・(⌒〜⌒ι) 残業が予想外に長引いてしまい、帰宅した時点で物語が中盤近くまで進行しちゃってたから。ああ、ちゃんと“通し”で観たかったのに(×_×) ってことで、なんとか後半の40分ほどだけ観ることが叶った。

寡黙で無愛想な中年男ハコボとその弟のエルマン、ハコボの嫁さんマルタの3人がぎごちない旅をするロードムービー。後で(ネットで)調べたら、ハコボとマルタは「訪ねて来たエルマン」に対し、数日間“偽装夫婦”を演じてた・・って設定だったことを知った。そうかそうか・・。

全編を通し、何が起こる訳でもなく淡々と物語世界が進行し、寡黙でちくはぐで気まずい主人公らの言動の“すき間”に何とも言えぬ味わいがあって良かった。何処となく、アキ・カウリスマキ監督の描く世界観に通じるモノがあるかな、と。

ぶっきらぼうなおっさん=ハコボが全く面白そうな態度を見せず、マルタとも殆ど歩み寄ることなく・・そして、エルマン1人の“盛り上げ”がことごとく空振ってる感じの・・そんな展開が、何と終盤に突入しても「変化の兆しを見せない」のが、私的にかなりスリリングだった(⌒〜⌒ι)
何故って、通常の“お約束”ならば、後半で“何か”がきっかけとなり、フツーは3人の距離が急激に縮まるものだからして。

ハコボは何処となく、クリストファー・リー翁を更にマイナーにしたような感じで印象深い。マルタはプールで水着姿を披露してくれるが「あんさん、むちゃくちゃ老けたはるやんか」とつい突っ込めてしまう。そんなヒロインの老け具合を眺めてて、ついブラジル映画『セントラル・ステーション(1998)』の主人公を思い出してしまった。
ちと大スクリーンで観ると、生々しい感じのしとかも知れない(×_×)
エルマンは、まだまだ性生活を謳歌してそうな(←ほっといたれよ)、ツルツルテカテカな感じのヘアスタイルが眩しいおっさん。が、彼なりに兄(ハコボ)や、マルタに対する気遣いが感じられて好感度は高い。

ラスト。ハコボが劇的に「変わる」んかな? と思わせつつ、何となくそのまま「劇終(←香港映画かよ)」な流れだったか。
ハコボがマルタに「また明日な」とか声をかけ、彼女が「神が望むなら、また明日」みたいなことをボソッと言うんだが、その辺りの“フリ”が、どう翌朝に結実(?)してるのかが、ワタシには掴み切れないままだったのが残念。
でもまた、もっと年を経てからちゃんと観直したい作品だな、と思ったものだ。

途中で、主人公らに関わる新婚夫婦が登場するんだが、彼らが「マルタ&エルマン」に絡んだ後、別シーンで「ハコボ」とすれ違うんだが、その時の「シチュエーションと映し方の違い」が凄まじく良かった!
カメラアングル、そして夫婦の顔を映さず、彼らの会話とその(とある)特徴で描いてるのである。詳しくは書かないが「この映し方はイイなぁ〜!」と妙にホレまくってしまった。

それと、ホテルのカラオケバー(?)で延々歌ってる女の子も、妙な味わいがあって可愛くて良かった。でも、歌詞を日本語字幕で出して欲しかったぞぅ(・ω・)

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2007年4月 4日 (水)

☆『えびボクサー(2002)』☆

日付が変わったばかりの、1日(日曜)の深夜に民放で放送されてたのを鑑賞したのが迷作(?)『えびボクサー』であった。
以前からそのタイトルだけは耳にこびりついてたもんで、『いかレスラー(2004)←こちらも未見・・』との関連性とか、そういう雑学的で意味のない(=^_^=)部分に常々興味を高めてた訳だが、ようやく観る機を得た。
実際に観たら・・意外としんみりさせるテイストの作品ではあった(・ω・)

いわゆるイギリスの地方の下町に住む小市民をネタにしたような作品に思えた。上品かつ丁寧に描けば『ブラス!(1996)』や『フル・モンティ(1997)』や『リトル・ダンサー(2000)』・・下品かつB級に描けば本作って感じであろうか(=^_^=)

ボクサーを引退、今はくたびれたパブを経営してるメタボリック体型のおっつぁん=ビルが若手ボクサーのスティーヴ、その恋人のシャズと組んで、巨大エビを絡めたいんちきボクシングでひと儲けしようと奔走する物語。ある種の“ロードムーヴィー”と言えるのかも知んない(=^_^=)

※なお、劇中では「えびのパンチをまともに受けると中枢神経を破壊される」とか解説されてたりする(×_×)

「Crust(殻)」なる原題を強引に(?)“超訳”した(日本の配給会社(=アルバトロス!!)の)そのセンスはなかなか! 確かにインパクトありますもん。で、深いトコで(この題が)「殻を破る(=非日常に躍り出る)」と言う主人公らの言動をさり気なく表現してることにも気づくと、これまた密かに楽しいかも(=^_^=)

メインの大道具(?)は全長2.1mに及ぶ巨大えびなんだが、いかにもハリボテな感じが涙を誘う(・ω・) ビルはこれを8000ポンド(約150万円程度か・・)の私財を投げ打ち入手するんだが、ことあるごとに「どうしてこんなに巨大化したんだ?」と問われ、そのつど答えに窮してる姿が面白い(円谷プロ的に言えば原因ってば「宇宙線」「放射能」あたりに相場が決まってるんだろうけど・・)。
最初は「金もうけ」しかアタマになかったビルだが、えびの飼育(←“殻の保湿”“エラの手入れ”など細かく手順の記された手書きマニュアルが存在する!)をするうち、次第に愛情がわいて来て・・。

※因みに、巨大えびは大体いっつも唸ってたりする・・ホンマにあんな声を出すんやろか?

終盤では、いよいよテレビ番組へのビル一座(?)の出演が叶うが、ここのスタジオのセットが凄まじい! 衣装などのテーマとなったのは『中世ローマのコロセウム(闘技場)とグラディエーター(剣闘士)』らしいが、とにかくめちゃめちゃチープ(安っぽい)のである!
けど、考えたら『グラディエーター(2000)』にて闘技場(客席)の豆粒大のエキストラの1人として出演するよりは、本作にエキストラ参加する方が、けっこう目立てるし、それはそれである意味“映画史に残る快挙”なんかも知んない(=^_^=)

実際に“後の大物俳優”がこういうのんに案外出演してたりするものでもある(←いや、ないない!)

誰も死なないし、警官も登場しない(←確か)のは、安心して観ることの出来る1つの大きなセールスポイントかも知んない。
ストレスに囲まれた日常を過ごしておられる方、本作を騙されたと思って一度観て・・しっかり騙されて下さい(=^_^=) んでも、ちょびっとだけ、元気が出るかも(もちろん出ないかも)。

〜 ビルおじさんの迷言集 〜

「バーのつまみってのは、不特定多数の人間の尿で汚れてるもんだぜ」
「パブなんぞ、店で飲んだくれてる奴らにくれてやるさ」
「セックスは(ボクサーの)精神的エネルギーを奪うんだ」
「なるようになるだろうさ、なるようにな」

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2007年3月 8日 (木)

☆『アメリカン・ビューティー(1999)』☆

まだまだ残業は続く。が、昨夜より1時間ほど早く切り上げることが出来た、と言うか切り上げた。どうせ明晩も残業なんだし(×_×)
帰宅し夕食等を済ませた後、衛星第2で放送されていた映画『アメリカン・ビューティー』の後半からをだらっと観た。
公開当時、劇場で観て・・予想(期待)とはひと味違った作品世界にちょいとクラクラしてしまった覚えがある。

郊外にマイホームを持つバーナム一家の親子3人が、それぞれの絆を崩壊させて行くさまをブラックに描いたホームドラマ。この手の路線は、本来、邦画が最も得意とする感があるが、そこは流石にハリウッドさん。ゲイ、ドラッグ、ロリータコンプレックス、モーテルでの情事、ラストには“銃社会”という合衆国最大の負の側面(と私的には思う)を前面に押し出し、物語はイッキに結末を迎えるのだ。

前に観ただけだが、本作のラストってばどうにも忘れられなかったもんで、今回は「レスター・バーナム氏(ケビン・スペイシー演じる)がああ言う結末を迎えずに済む可能性はあったのか」って部分だけに注意しつつ鑑賞、展開を検証したんだが(物語世界の空気が急激によどみ始めるのは・・後半からと言って良い)・・結論は「どうにもならんかった」と言うこと(・ω・) アドバイスをするなら、
「ちゃんと戸締まりはしときましょう」ってトコだろうか。なにやら、出入り自由になってますやんか、バーナムさんちってば。

主人公レスターが最後に放つモノローグ、
「本来なら、殺されて怒るべきかも知れないが・・この世界が美し過ぎて、怒る気になれない」
ってのが、妙に心に残ってしまった。
確か作家の筒井康隆氏が「認識的・経験論的には、死は存在しない。いよいよ死ぬまでは死を意識できないし、死ねば意識はない」なる名言を遺しているが(←氏はまだご存命だが・・)、実際のトコ“死の瞬間”を通り過ぎた時点で、当人にとっては怒りの感情も悲しみの感情も消えてしまうのかも知れないな、とふと何の確証もなく妄想してしまった次第である。

※同作の監督はサム・メンデス。本作の次にメガホンを執ったのが『ロード・トゥ・パーディション(2002)』と言う「ハリウッド式・子連れ狼」みたいな作品だった、その作風の振り幅に驚いたものである。

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2007年2月22日 (木)

☆『オズの魔法使(1939)』☆

残業(約3.5時間)をこなし帰宅。今夜なんぞ、まだ運の良い方と言うべきか。。明後日(金曜)が(現時点で)「ヘビーランクの残業決定!」なもんで、恐ろしくて辛くて叶わない。ってか、プライベートが殆どないンですけど、最近(・ω・)

帰宅後、遅い夕食を摂りつつ、衛星第2で放送されてた映画『オズの魔法使』・・の後半からを観た。
まさしく“時短鑑賞”と言おうか(=^_^=)、観始めるやすぐ、主人公らが「オズの部屋」に入って行くトコロだった。本来はここまでが冒険の旅の醍醐味を味わうべき部分なんだろうが・・
今回は自室(←TVが壊れかけててモノクロ仕様なのだ)でなく、台所のTVで観たんで、ちゃんと“最大の見所”たる「テクニカラー(色彩映像)」を堪能することが叶った!

基本的に本作はベタベタなファンタジー路線なんだが、物語の裏側に流れてる「映画の都“ハリウッド”を擁する、我らが合衆国の映像技術力は世界一ィィィィ!」的な娯楽的表現に関する(金銭的、精神的)余裕が感じられるようで、改めて「このご時勢(=この年に第2次大戦が開戦)にこんな贅沢な映画を作ってる国に、まかり間違っても勝てる訳がない!」と打ちのめされてしまうものである(×_×)
また、監督のヴィクター・フレミングが同年(1939年)に大作『風と共に去りぬ』をも手がけてる事実も凄まじい!

物語は、オズの治める国にやって来た少女ドロシー(ジュディ・ガーランド)が3バカ(?)たる「ブリキの樵(きこり)、案山子(かかし)、臆病ライオン」を率いて王国を旅する展開なのだが「テクニカラーを強調せんがため、登場キャラの衣装やらメイクやらを思いっきり派手に仕上げてんねんな〜」と感じた。
3人の僕(しもべ)はなんだかもう「怪人物」ってレベルだし、ドロシーもメイクし過ぎな感。。私的には、ラストで“現実世界”に戻った彼女の自然なメイクの方にこそ好感を持ったぞう。
劇中最大級のワル「西の魔女」の家来として“翼を持った猿人”みたいなのんが多数出て来るが、そいつらが空から舞い降りて来るシーンで、不覚にも(?)俳優を吊ってると思しき“ワイヤー”の存在が全く見えず、やたらびびってしまった! 当時のことだから、かなりぶっといロープかなんかで吊るしかなかったはずやろ、と邪推するんだが・・ひょっとしたら、後年にCGを使って“消去処理を施した”んかも知れない。
そう言う“改訂(?)”をしたと言うことなら、決して悪いことじゃないのかもな〜と思う。モチベーション(制作の動機付け)とし、技術面の向上をまず披露せんがため「名作をリメイク」し、それ故に失敗する(←本作で言うなら、リメイクで主人公を演じるのがジュディではなくなった時点で、もう既にダメダメな気がする・・)ぐらいなら、旧作の「当時の技術では至らなかった」部分をその都度見直すのが真っ当なのかも知れぬ。
(ジョージ・ルーカス監督とかが既にやってることではあるけど)
例えば、同じ映画(旧作)でも、映像のノイズを適度に除去し、音響にサラウンド処理を施し、ナレーターをモーガン・フリーマンとかジェームズ・アール・ジョーンズとかウッディ・アレンとかに変えたりするだけでがらっと「作品全体の持つ雰囲気」が変わるんじゃなかろうか(=^_^=)

それにしても「西の魔女」との戦いのシーンは面白かった。魔女の最も苦手とする「あるもの」が桶に入って、ちょこんと手頃な場所に放置されているのだ! こんなコントみたいな展開は有り得んぞ、普通は(=^_^=)
拉致されたドロシーを3人が救出に行くシーンでは、臆病ライオンが「城に乗り込み、魔女とその手下どもをずたずたにしてやる!」と息巻いた後、他の2人に「頼みがある・・おれを引き止めてくれ」と言うセリフが気に入った。こんな言い回しは、たとい時代が変わろうと不滅だと思うのだ(=^_^=)
んな訳で、この次に本作を通しで観ることがあれば・・コメディ作品として肩の力を抜いて鑑賞するのがいいのかも、と思った次第である。

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2007年1月24日 (水)

☆『オーロラの彼方へ(2000)』☆

23日(火曜)。久々に(職場の)フロアで最後まで居残る。この先、こんな残業がだんだん増えて来そうな雲行きである。どうしよう(←いや、頑張れよ)
くたくたになりつつ帰宅、衛星第2で放送されていた映画『オーロラの彼方へ』を観た。

公開当時、しっかり劇場で観た本作。基本路線は「SF(タイムマシン)+家族ドラマ」なんだが、そこに巧い感じに猟奇殺人(サスペンス)を絡めており、1作で色々な味わいが楽しめるお得な作品とも言える。
酷似したタイトルの邦画に『オーロラの下で(1990)』があるが、ストーリーは全然違うのでお間違えなきよう・・ ←この作品も終盤の盛り上がりとか、決して悪くなかった気はするけどね(・ω・)

さて『オーロラの彼方へ』。原題が「Frequency(周波)」と至ってシンプルな訳で、軸となるアイテムは「ハム無線機」。これを介し、30年の時空を超え、1969年に殉職した消防士の父、フランク・サリバン(デニス・クエイド)と1999年に生きるその息子、ジョン・サリバン(ジム・カヴィーゼル)が“再会”を果たす。

見所は以下のそれぞれか。
○「タイムトラベル」をするのは登場人物の“肉体”ではなく“声”。ニューヨーク上空で観測された連夜の「オーロラ」がそのカギを握る・・と言うか、その辺りは余り詳細に解説されておらず(・ω・) 劇中ではブライアン・グリーンなる教授が「ストリング理論」を持ち出し何やら解説しておられた。。
○前半の「火災シーン」の臨場感がなかなかいい! 「火事場」と言うとつい『スパイダーマン(2002)』のあの“やたらと驚かされた場面”を思い出すんだが(=^_^=) それを除けば、本作か『バックドラフト(1991)』が他作を大きくリードしてると思う。
○とにかく「野球」ネタが全編を覆い尽くしてる! 1969年ごろの大リーグ史が好きな方には、たまんないんじゃなかろうか。
○クエイド演じるフランクの父親像がいい! 妙に純真で、妙に熱いのである。

反面、こんな疑問点・問題点なども。
○父親、息子・・に続き印象の強かったのが・・犯人(×_×) も少し、母親のキャラを目立たせる感じに配して欲しかった。
○ジョンの恋人サム。序盤で出て行ってしまって・・そのまま? 結局、終盤で再登場した印象がなかったよぅな??
○運命が変わると同時に「変わる前/変わった後」の2つの記憶を同時に有することとなるジョン。それって理論的にOKなんだろか? 変わった時点で、当事者の脳内では、記憶が(瞬間的に)大きく置換される気がするんだが。 ←とは言え、もの凄いムチャなことをしてる訳で、突然にアタマを激しく揺さぶりながら・・白目を剥いたり、耳から出血したりしそうな気がする(⌒〜⌒ι)
○犯人の殺人に至る動機付けも少し弱かったような・・いわゆる“先天的ナース萌え体質”だったんだろうか。。あと、30年間ぐらい、どこに隠れてたんやろか。片や白骨、片や潜伏、人々には様々な30年と言う月日が流れるものなのですね・・。

劇中の台詞では、ジョンの母、ジュリア・サリバン(エリザベス・ミッチェル)による
「母親は、黙っていても分かっているものよ。子供が自分を愛してくれているってことが。
  本当はもっとそれを言って欲しいけれど」
が良かったッス。

いつかまた、観直したい、そんな作品ですなぁ。

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2007年1月12日 (金)

☆『アリ(2001)』☆

映画メモがすっかり溜まって来てる。。折角、鑑賞しつつ取ってるものなので、使わぬまま棄てるのもしのびなく(・ω・)
短くまとめ、何とか日の目を見せてやりたい。
鑑賞日が異常に古いのも混ざって来ると思われますが、ご勘弁のほどを・・

12月29日(木曜)。録画しといて久しい、スポーツドキュメンタリー映画(?)『アリ』を観た。監督マイケル・マン+主演ウィル・スミスによる生真面目で長尺な実録映画である。
この監督の作品ってば「硬派」で「骨太」で「出演俳優がやたら豪華」なのが大きな特長なんだが・・何と言うか「こってりしてるだけで華がない」「俳優の輝きが消されがち」「とにかく長い」と言う“負の1面”もまたあるのかも、と感じたり。
『ヒート(1995)』ではロバート・デ・ニーロ+アル・パチーノ+ジョン・ヴォイト+ヴァル・キルマー+ナタリー・ポートマン、
『コラテラル(2004)』ではトム・クルーズ+ジェイダ・ピンケット・スミス(←実生活ではウィルスミの奥さん!)+ジェイミー・フォックス、
『インサイダー(1999)』ではアル・パチーノ+ラッセル・クロゥ、
とそれぞれもの凄いアクターが集まってるんだが、余りそれぞれの個性が生かされず(むろん殺されてはいないが・・)、作品の全体像も(ワタシの記憶の中で)結構ぼやけてたり。もう一歩“パンチ”と言おうか“アクの強さ”の欲しい監督さんである。
本作も、ウィル“フレッシュ・プリンス”スミス(以下ウィルスミと表記)を筆頭に、ジェイミー・フォックス、ジョン・ヴォイト(←過剰なメイクのせいで終盤まで気づかなかった(=^_^=))、マリオ・ヴァン・ピーブルズ(←マルコムX役!)、ロン・シルバー(←『タイムコップ(1994)』ではヴァンダムに蹴られ、エラい目に・・)、ミケルティ・ウィリアムソン(←いわゆる“えび野郎:ベンジャミン・ブルー(1994)”)、ジェイダ・ピンケット・スミス、ノーナ・ゲイ・・など特にブラック系アクターの集結ぶりがすごい! 白人監督による作品と思えないほどの充実ぶりですなぁ。

私的に、カシアス・マーセラス・クレイなるボクサーがどんな流れで“モハメド・アリ”に改名したのか・・彼を取り巻く思想的な背景が全く分かっておらず、その意味ではためになる鑑賞だった。ブラックムスリム(教団)との微妙な関係、マルコムXや(プロモーター)ドン・キングとの交友、ベトナム戦争時の徴兵拒否によるライセンス剥奪問題、3度に渡る結婚など・・ボクサーと言う“本業”以外での様々なスキャンダルにまみれて生きた、そんな男であり、その強烈な“光と闇に縁取られた個性”故にアメリカの歴史に名を残す人物となり得たように感じた次第。

が、ボクシングのシーンが意外に少なめだったのが個人的には不満だったか。4つの試合(←確か)が描かれるが、楽しみにしてた“蝶のように舞い、蜂のように刺す”ファイトスタイルがそれほど展開されなかったのはどうにも(・ω・) ザイールのキンシャサで行われたジョージ・フォアマンとの“奇跡の一戦”でも、総括的には防戦一方と言う感じで、足(フットワーク)も使われず、期待してた「鮮やかな復活劇」とはとても言えぬ試合運びだったのである。

公開当時、ウィルスミが「徹底的に鍛え上げたから、プロのヘビー級ボクサー相手にだって1ラウンドは闘えるんじゃないかと思ってる」と豪語(?)していたが、ファイトシーンのカメラワークは流石に秀逸。盛り上がった重量級の筋肉に極限まで接近し、時にロープをまたぐカメラ・・その臨場感は素晴らしい。

報道陣を前にしては攻撃的に捲し立てるアリであるが、マスコミ不在の場では極めて寡黙なのが印象深い。試合前にチャンプのジョー・フレイジャーとじかに会い、ファイトの約束を取り付けるシーンも良かった。

ジョー「俺はこの拳で勝ち、タイトルも手にした。あとは得るより失うだけだ」
アリ「だが、あんたのそのタイトルはまだ本物じゃないだろ?」
ジョー「ところで、懐は大丈夫か? 当座の助けは?」
アリ「いや、大丈夫だ」

プライベートでは「至って寡黙」な2人の、短いやり取りの中に「誠実さ」「親愛の情」が伝わって来る、良い場面だと感じた。

〜 アリの吠えゼリフ集 〜

「チャンプに教えてやるさ。話し方、闘い方、倒れ方までもな」
「俺は22歳の若さだ。見ろ、かすり傷1つない。俺は偉大だ、最高だ」
「試合にはかなり早めに来なきゃな、でないと相手がノビてる」
「ハッタリ男は5回でバッタリ、減らず口は4回で閉じさす」
「俺は偶像でなく“民衆のチャンプ”となる、俺の望むままの」
「喜べ、俺は最高だ。ここにいるのが俺でなきゃ君は場が持たない」 ←キャスター相手に
「俺はベトコンとケンカなんかしない。彼らも俺をニガー呼ばわりしないから」
「忌避も国に挑戦もしない、カナダにも逃げない、投獄したけりゃしろ。400年も牢獄にいた、4,5年なんか平気さ。だが人を殺しに1万6000キロの旅は断る、むしろこの国の圧政と闘って死ぬさ。死ぬ時は君らが敵だ、中国人でもベトコンでも日本人でもない、君らは自由と正義を求める俺の敵だ、平等の敵だ、戦地に送る敵だ。君らは俺の権利と信仰を応援しない、この米国においてさえ」
「お前の一族を集めろ、みんなの見てる前でお前を叩きつぶす」
「俺の動きが速すぎてヤツには見えない。俺は目にも留まらぬ早さで優雅に動き回るのさ」
「べガスでなら誰だって試合出来る、ここアフリカですることに意味がある」
「俺の信仰は神の眼には落第だろうね」

(恋人と)
ソンジー「ビートルズに会ったの?」
アリ「ああ、眼鏡のヤツはイカしてた。(俺はヤツに)こんなに熱狂するのか? と聞いた」
ソンジー「彼、なんて?」
アリ「自分であろうとするほど、ファンは(俺を)偶像化する、と」

(会見の場)
記者「彼(フォアマン)はあなたよりずっと若いですが」
アリ「俺はそういうあんたよりずっと若い、まだ32歳で絶好調だ」

(会見の場)
ハワード「失礼ながら、もう君に10年前の強さはないと皆、思ってる」
アリ「そう言う君の奥さんはこう言ってたぞ。あの人、もう2年前ほど強くないわ! って」

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2006年12月11日 (月)

☆『硫黄島からの手紙』ふたたび・・☆

10日(日曜)。昨日(土曜)は起きたのも遅かったし、雨降ってたし・・ってことで自室にこもり切り、終日(ひねもす)新聞切ったり、赤マーカー引いたりして過ごしたのだった。流石に2日続けてその流れだとメリハリなくてあかんだろ、との事で出かけることに。
守口市内に9月末オープンした「イオン大日」内のワーナー・マイカル・シネマズにて映画を観て来た訳だが、作品はまたもやと言うか『硫黄島からの手紙』である(・ω・)
いや、先日観た時って流石に“試写会”なもんで、会場が古くて映画上映に特化しておらず、映像面&音響面ともにどうにも納得出来なかったのである。

詳しいストーリーや、初めて観た際に感じた“新鮮な感想”みたいなトコは、先日のブログ記事をご覧頂くこととしたいが、今回観直して気づいたトコなどをちょこっと書き添えてみたい。
今日の鑑賞では、特に主だったキャラクターそれぞれの思惑や行動を追う事を第一としたワタシ。ようやく清水役を演じた加瀬亮くんの容貌&言動をハッキリ確認出来たのは良かった・・(・ω・)

□対立する関係の1つに「西中佐(伊原剛志)と伊藤大尉(中村獅童)」があるが、この2人の確執が『プラトーン(1986)』におけるバーンズ(トム・ベレンジャー)とエリアス(ウィレム・デフォー)を連想させた。
□同じく西中佐。明らかに周囲の兵卒と異なる“爽やかさ”を1人戦場に放っていたのだ。その辺りは『ウインドトーカーズ(2001)』におけるオックス・ヘンダーソン(クリスチャン・スレーター)の役回りを連想したものだ。
□兵卒・西郷を演じる二宮和也。何がスゴいかって、彼が「敵兵を殺めた数」なのである! ときにライフルで、ときにシャベルで果敢に米兵を攻撃するのだが・・。
□将校の1人が激戦区からの無電で栗林中将(渡辺謙)に嘆願する。「何卒(なにとぞ)、武士の本懐を・・!」 やはりこの時代の男子は武士道を精神に刻んで生きていたんだなぁ、と。
□ジョニーウォーカーをくいっと飲み干す栗林中将。1杯目を飲み干す顔つきの軽妙さが好きだ(=^_^=) 直後、2杯目をあおるが、この時の表情は真剣そのもの。緩急がついていて、かなり良い。
□兵卒らの愚痴の数々がリアルで面白い(面白がってたらあかんけど)。「いい加減にしてくれよ」「やってらんねぇぜ」・・いずれも上官の耳にまともに入ったら只じゃすまんと思うんだが。。
□重要な役回り(?)のあの犬の名は「ゴロウ」と判明。それまでしばらく静かにしてたのに、日章旗を掲揚しようとした途端吠えまくるのは何故に。。子供らがけしかけたんか?
□栗林中将と共に海岸まで落ち延びる副官(市丸少将か)。激戦を経ながら特に手傷を負ってなかったのはスゴい。
□※※※※を手に、海岸の栗林中将のもとへ駆けつける1兵士。何だか唐突な感も・・(・ω・)
□激戦前の硫黄島に存在した日本人町。「福ちゃん」なる看板の掲げられてた店は何の店だったんやろ?
□爆発シーン、「深紅の爆炎」の起こるのが恐ろしくてたまらない。砲弾の直撃で人が砕けた瞬間なのだ、あれはきっと・・。

□“もし”投降の際、千人針を巻き忘れてなければ・・。“もし”先人がおらず、1人だけの捕虜だったならば・・。“もし”見張りの米兵が人間愛を持ち併せていたならば・・。色々な“もし”が戦場に浮かぶ。そして一方では、自死(爆死)の初志が萎えてしまうほどに、※※の到来に見放された男もいたのである。
□兵卒・西郷が最も泣いた瞬間とは? それは決して「硫黄島が陥落した時」ではなかったのである。
□考えたら“老兵卒”の殆ど目立たなかった本作であった。
□スピルバーグが演出面でもっとのさばって(?)いたら・・「手にした手榴弾が不発のため、死ねなかった兵士」みたいな“過剰ぎみ演出”が恐らく取り入れられてたことだろう(・ω・) ←『シンドラーのリスト(1993)』における「銃の不発シーン」ぽい感じで。
□リアルさを追求するなら、きっと終盤“飢えによる狂気”・・つまり食人行為が描写されたように思う。でも、それは描かれなくて良かったのだろう。
□犬の「ゴロウ」くん。やっぱり、(日章旗掲揚前に)家の裏で吠えたとしても、(小さい吠え声なりに)上官どのの耳には入った筈と思うんだが。 ←しつこいねぇ・・(=^_^=)

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2006年12月 1日 (金)

☆『硫黄島からの手紙』☆

30日(木曜)。仕事の後、大阪市内・某所で開催された試写会に出かけた。クリント・イーストウッド監督による最新映画「硫黄島2部作」の完結篇(?)『硫黄島からの手紙』である。一般の劇場公開は12月9日からであり、その時にはきっと観に行こう・・と考えていたが、運良く事前に鑑賞することが叶った☆
太平洋戦争末期、小笠原諸島の硫黄島(IWO-JIMA)に於いて米国海兵隊と旧日本軍が激戦を展開した(1945年2月18日開戦、同年3月22日終結)。
その戦いを(戦勝国)米側の視点で描いたのが第1部『父親たちの星条旗』であったが、本作では(敗戦国)日本側から硫黄島を見たシチュエーションとなっている。

ワタシとしては、とにかく主演の渡辺謙。ブレイクするブレイクすると言われつつ・・なかなか『ラストサムライ(2003)』以降、そないに“ハリウッドで弾けてない”気がするもんで(と言いつつワタシは『SAYURI(2005)』は未見なんで『バットマン・ビギンズ(2005)』における彼の起用のされ方しか評価出来ないんだが・・)「そろそろここらで決めてくれよ!」と半ば念じながら観たものだが・・うーん、まだしばらくは「助走期間」って感じか。

とにかく。「地に足が着き過ぎ」と言おうか・・ホントに地味に、淡々と描かれた戦争映画だった。
第1部と比べても「(舞台が)明るい⇒暗い」「(作風が)華やか⇒地味」「(世界が)広い⇒狭い」「(CGが)派手⇒控え目」とホントに“陽と陰”、正反対の印象を受けたものだ。前作と並べると、どうにもスケールダウンしたような、作品としての勢いに欠けるような、そんな歯痒さを覚えもしたものだが、逆に言えば「それでこそ等身大の戦争映画や!」と言える訳なのだろう。「派手さをつい求めてしまう」自身をここらで猛省せねば。

にしても。この第2部、登場する台詞のほぼ全てが日本語(字幕担当:戸田奈津子女史だが、今回は「ラクしたね☆」って感じだ(=^_^=))だし、どう観ても「米兵側=悪」に描いてる印象なので、きっと本国(アメリカ)では評判が悪いんじゃないかな〜と思う。かつ、もはや「アメリカナイズされちゃった」日本でも、あんまし評判は良くないんかも(・ω・) ←今の若い連中がキライそうな作品ではある・・

さて。登場キャラをまとめて振り返ってみると「あっけなく&カッコ良く、死んでいくヤツ」「しぶとく&無様に、生き延びるヤツ」の2者に大きくその運命が分かれてたように思う。意外な印象では中村獅童くん。途中からちと物語本筋から脱線してゐる感じでした。。
栗林陸軍中将(若き日のニックネーム:クリ大尉☆)を演じた渡辺謙は、全体的な印象(家族想い、英語を話す、最後に突撃を選ぶ・・など)がやはり『ラストサムライ』における「あのキャラ」の域を脱せてなかったような。。
『青の炎(2003)』のラスト、蜷川幸雄監督ご自身が乗り移ったかのような重いモノローグを放ってくれてた(=^_^=)二宮和也くんが、本作では「戦争に批判的で、生存の可能性を模索」する性格(←実はそれこそが正常で健全な精神なんだが)の1兵卒を好演してくれたが、私的には何となく『グローリー(1989)』におけるデンゼル・ワシントンの演じた兵士に通じるキャラ設定を連想したか(天邪鬼系)。

まぁ、爽快感も笑いもなく(私的には)、怒りも涙も湧かなかったんだが、140分と言う長尺の作品の割に時計に目をやることは一度もなかったですな。
「日本人として絶対に観ろ!」・・とは思わないが、こんなに日本側に特化した視点のハリウッド作品を、ワタシは今日まで眼にしたことがなく(たぶん今後も少ないだろう)、そう言う観点で「やっぱりクリント・イーストウッドと言う人間はもの凄い!」と改めて感心させられたものである。

ほか、注目ポイントなど。

□本作では前作と異なり「英雄論」は一切展開されず。
□日米の「捕虜の扱い」を比べてみるのも興味深いかと。
□日本刀(軍刀)をゲットして喜ぶ若い米兵。やっぱし珍しいんやね(・ω・)
□前作で印象を残してた「突撃ラッパ」。意外にも全然重要アイテムじゃなかったッス(×_×)
□「天皇陛下、万歳!」と連呼する渡辺謙。やはり戦下における“狂気”を見事に瞳に漂わせてます。。
□「硫黄島協会」「愛國婦人会」などの(日本の)単語が印象的。犬は可哀想(・ω・)

〜 少し心に残った台詞 〜

米兵サムの母(故郷オクラホマからの手紙)「正義の意思を貫けば、やがてそれは本当の正義となるわ」

清水(加瀬亮)「犬が悪い訳じゃない」

西郷(二宮)「俺たちが掘ってるこいつは何だ? 墓穴か?」

栗林「ここはまだ※※か?」

※メモなし(記憶のみ)なので、台詞の一部が間違ってたらすんませーん(⌒〜⌒ι)

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2006年11月 5日 (日)

☆『オール・アバウト・マイ・マザー(1998)』☆

2日(木曜)。帰宅後、衛星第2で放送されてたのを観た。劇場公開当時、観に行った作品でもある。作品のテーマが「生(誕生)と死(別離)を“軸”にした、女の喪失と再生の物語」ってトコロにあるので(と我流に解釈)、性別の異なるワタシとしては、ちょっと作品世界に突き放された気がしないでもない(・ω・) 年頃の息子を持つシングルマザーの方が観ると「眼を覆いたくなるほどに痛々しい」そんな作品とも聞いたことがある・・
奇才ペドロ・アルモドバルが監督・脚本を手がけたスペイン映画。その後の彼の作品『トーク・トゥ・ハー(2002)』に比べると、やや全体から受ける印象ががさつな感じ(洗練されていない)で、(人により)不快感を覚えるエロ表現(台詞)などもあったりするが、登場する様々な女たちの秘めたる経験、人生観があちこちにちりばめられているようで、その意味ではパワフルでもある。
「性同一性障害」「後天性免疫不全症候群」「臓器移植」・・と取り上げるネタが精神医療、近代医学の分野に走ってる傾向もあるか。その点では医学関係の方の感想も聞いてみたいかも(・ω・)

マドリードの街。ラモン病院で「移植コーディネーター」として働くマヌエラ(セシリア・ロス)は36歳(実際にはセシリアさん、1956年のお生まれとのこと)。シングルマザーとし、育て上げた1人息子のエステバンは間もなく18歳。文豪トルーマン・カポーティを敬愛する彼は「母の半生を題材にした小説」を執筆しようと考えている。そのため、これまで母の口から語られることのなかった父の姿について教えて欲しい、とマヌエラに乞う。
そんな母が「18歳になったら教える」と息子に対する決心を固めつつあった矢先のこと。母子で出かけた公演『欲望と言う名の電車』を鑑賞した雨降る夜、エステバンは主役(ブランチ・デュボワ役)を演じた女優ウマ・ロホにサインを貰うため、終演後に楽屋口からタクシーに乗る彼女を追いかけるが・・交通事故に遭い死んでしまう。

エステバンの若い心臓は摘出され、移植されることに。それを見届けたマヌエラは、17年前とは逆に、マドリードからバルセロナへと旅立つ。自身の過去と向き合い、またエステバンの死を別れた夫ロラに伝えるためバルセロナにたどり着いた彼女は、ゲイでモデルをする(F行為もする・・)アグラードに再会、ロホが既に同居人の彼(?)のもとを去ったことを知る。またアグラードを介して知り合ったシスター(妊娠3ヶ月)、ロサ・サンス(ペネロペ・クルス)には、その実の父親もまたロラであることを聞くのだった。
当面の仕事を探していたマヌエラは、バルセロナで『欲望と言う名の電車』の公演中だったウマ・ロホに再会、とある流れから彼女の付き人となる。

若き日に、ロラ(スタンリー・コワルスキー役)と組んでステラ役(ブランチの妹かつスタンリーの妻)を演じた経験のあるマヌエラは、今回の公演で薬物中毒により出演出来なくなった女優ニナ・クルスに代わり、急きょステラ役を演じてのける。公演中止と言う事態を救ったマヌエラに対し感謝しつつ、「雨の夜、マドリード公演でサインを無視してしまった少年」のことを思い出したウマ・ロホは彼女に詫びるのだった。

やがてマヌエラの傍らで、親しき者の「死」と「誕生」が。その葬儀の日(息子の死から半年後)、彼女はようやくロラに再会するのだが、彼にもまた「死」の影が迫りつつあるのだった・・そんな流れだろうかな。

落ち着いて振り返ると、何だか主人公マヌエラの周囲で絶えず「別離or死」が展開されてる感もあったり。「セシリア現るところ乱あり」みたいなツッコミも何となく沸き起こった今回の鑑賞(⌒〜⌒ι) いや、彼女は別に悪くないんだけど。
また、今回観直して思い浮かべたのは「“エステバン”と呼ばれる生命のリレー」って言葉だろうか。劇中に3人の“エステバン”が登場することとなるんだが、妙に大河ドラマっぽい流れになっていて、作品全体に「荘厳さ」を与えてもいる印象。
マヌエラの息子であるエステバンが「死して他者に心臓(=命)を与えた」と言うシチュエーションも、1つの「リレー」として描かれてるが、マヌエラの決断・・そしてロサの決断も無意識にそんな「リレー」をイメージさせてはいないか?

ちょっと面白かったのは、バルセロナと言う街の描写のされ方だろうか。マヌエラが到着した夜、彼女の乗るタクシーの窓ごしに「桜田さん一家(≒サグラダ・ファミリア教会)」がチラッと映されるんだが、全編を通じ「観光地らしい観光地」が映像とし出て来たのはそこぐらいだった気がする。どうもアルモドバル監督が「ロケ強調の路線、やめっ!」と製作現場でいきなり叫んだような気がしてならない(=^_^=)
終盤なんぞ、線路が映し出された画面で列車が「グォーッ」とすれ違い(?)、そこに「2年後」と言う字幕がかぶせられるだけ。。「なぁあんた、何か手抜きしてないか?」みたいな(⌒〜⌒ι)
って言うか、ラストに「ウン年後」って字幕を入れるやり方は日本の連ドラ(とそれを送り出すヘタレ脚本家)の専売特許なんだから、巨匠にはマネして欲しくないぞぅ(=^_^=)

〜 こんな台詞もありました 〜

アグラード「あたしの中の本物は、ハートと体中のシリコンだけよ」

ウマ・ロホ「私の人生なんて、このタバコの煙と同じ。味もにおいもない・・慣れれば“ない”も同じ存在よ」

マヌエラ「何人もの男と寝たけど、私は売春婦じゃない」
    「女は孤独だと何だってするものよ」
    「うそは巧いわ、アドリヴも慣れてる」 ←ステラ役を演じ切る実力をアピール

ロサ「あなたは大女優だけど・・人間として間違ってる」 ←ウマ・ロホに
  「私をそう追い詰めないで」 ←咎める母親に

エステバン「たとえ彼がどんな人で、母に何をしたとしても・・僕にとっては父だ」

ロラ「この子に流れる1滴の血に、私の時が凝縮されている」

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2006年11月 1日 (水)

☆『アイリス(2001)』☆

31日(火曜)。衛星第2で放送された映画『アイリス』を観た。劇場公開当時から気にはなってた作品。
実在した英国の女性作家、アイリス・マードック(1919-1999)の半生を、彼女とその夫となる文芸評論家ジョン・ベイリーとの若き頃の交流の日々を交え描くヒューマンドラマ。「ある高名な女流小説家の半生」を題材としつつ、その物語全体に大きく影を投げかけるのが、晩年のアイリスを襲う“認知症”である(劇中では“アルツハイマー症”と呼称される)。果てしなく奔放に生きた若き日の彼女(ケイト・ウィンスレット演じる)と晩年(=現在の時間)の姿(ジュディ・デンチ演じる)のある種の“ギャップ”にどうにもため息が止まらない・・(×_×)

何と言っても驚かされるのは、オープニングの“遊泳シーン”からいきなし始まる、ケイトの脱ぎっぷりの良さである(・ω・) 14インチのTV画面(自室)がすっかり経年劣化で「緑色」と化してしまってるが、それに苦しめられながらも(=^_^=)水中で揺れる、若い彼女の豊満なバストにはすっかり魅了されてしまった。
シーンの途中で、泳いでるのが水着を着用したジュディに切り替わるが「切り替えんでええ!」「水着を着ててもあり得へん!」などと思いっきり突っ込んでしまう・・そんな向きも劇場公開当時は必ずやおったに違いあるまい(⌒〜⌒ι)
水から上がったケイトの全裸の肢体にも驚き! 一瞬側面からのショットで股間部分がボカされるんだが、それって“自主規制してませんヴァージョン”だったら、きっと“シェイム・ヘア”なんぞまでも映り込んでおるのでは?!
私的には『タイタニック(1997)←げ〜もうそないに昔の作品か!』のヒロインを演じてた頃から、あんましケイト・ウィンスレットってば好きなタイプの女優さんではないンだが、このささやかな探究心を満たすがためなら、メイキング映像付のディレクターズカット完全版+無修正版のDVD(2枚組)を購入してもええかも☆ とか思ってしまったりもするものだ。

※本作のDVDソフトは「通常版」しかリリースされてません(・ω・) ←きっぱり!

若い頃は大勢のボーイフレンドに囲まれ、ウブなジョン(本人曰く当時童貞..)にとって「高嶺の花」な存在のアイリス。過去の男性遍歴を延々聞かされることとなるジョンの複雑な表情。だが、彼女はこうも吐露する。
「セックスは重要じゃないわ、大事なのは“いい人”を選んで離さないことよ」
何とも女性の本質をバシッと言ってくれてる(のかな?)みたいで気持ちが良い。ウブな頃のワタシだと、こう言うのを聞くと、激しく動揺してたことだろう・・(=^_^=)
やがて、並み居る男友達を押しのけ、ジョンとアイリスは結ばれる。
ア「私たち、そろそろ寝てもいいころね・・あなた、コンドームは?」
ジ「いや」
ア「用心すればいいわね」
・・おい、あかんやろ! と突っ込めつつも微笑ましく、少し刺激的なそんな会話も交わされたり☆

自転車で、水泳で、ダンスで・・若い頃は常にアイリスに追いつけなかったジョンが、晩年、認知症に蝕まれた彼女につきまとわれ、何度も同じ言葉を繰り返され、ついに“一瞬”キレるシーンが切ない。
直後にジョンは「君は悪くない・・謝るな」とフォローするんだが、この辺りの2人のやり取りが心にグッと迫るのである。
CTスキャン検査にて、アイリスの脳は恐ろしく「萎縮」を遂げていることが判明する。往診したガジョン医師も絶望の言葉しか語らなくなり・・

漠然とながら、人生の虚しさ、哀しさに気づきつつあるワタシ(やっとかよ!)は、下記のように感じた。

○年なんか、取るもんじゃない
○年を取ることって素晴らしい! と言ってる人は(今が)健康だからそう言えるに過ぎない
○健全であってこそ、輝ける老後を送り得る
○耐えて耐えて耐え抜いて・・追いかけ続けることで恋が(意外と?)成就することもある(生理的に嫌われてる場合を除く(・ω・))

〜 ズシッと来るかも、なジョンのセリフ群 〜

ジョン「現代人に通じるのは、言葉より映像だな」
   「私たちは彼女の言葉を学ぶべきだ、その精神の光が消える前に」
   「君の優しい言葉を待っていたよ・・ずっと」
   「愛には終わりが・・人生にも」
   「昔は君と2人きりになるのが怖かった・・今は君なしじゃ生きられない」

※認知症が顕著になって来た時点で、アイリスの意識は濁り、記憶は閉ざされ、言葉も殆ど封じられる訳だが、彼女が言いたかったことは、既にそれまでの人生で言い尽くされていたようでもある。そう言う意味で、時折「若い頃の言動」や「講演会の映像」などを劇中に効果的に挿入する演出に対し「巧いな〜」と感心した。
※「老いたアイリス(ジュディ)が若き日のインタビュー映像(ケイト)を眺めるシーン」が印象的だった。こう言う“共演”のさせ方もあるんやね〜!

ってことで、ケイト・ウィンスレットの頑張りに男気(?)を感じ、未見の貴兄におススメ致します☆

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2006年9月16日 (土)

☆『アクシデンタル・スパイ(2001)』☆

13日(水曜)。30分遅れぐらいで、衛星第2で放送されてたジャッキー映画『アクシデンタル・スパイ』を観た。積極的にジャッキー・チェン主演作品を観るのは久しぶりな気もするが、物語も終盤に差し掛かり、やっとそこで「以前地上波で観たことあるな〜」と気づいた次第(・ω・) 他意はない私見だが、近年のジャッキー映画って大体どれ観ても一緒のよな気がするし。。
ただ本作、ホームタウン=香港で制作されたってことで、ハリウッド系出演作品に押し並べて流れてる「空気感」と言うか「(クンフー映画ファン以外の層に)配慮してる感」が当然なく、やりたいアクションにイキイキと(肉体的年齢相応に・・)取り組んでる楽しげな印象を受けた。

ストーリーは中国⇒韓国⇒トルコ・イスタンブール⇒イタリア・ヴェローナ(←最後だけ)・・とロケ地を次々に変えて展開されるが、お約束(?)の「全裸で人混みの中(それも混雑した市場内!)を走り回るシーン」も盛り込まれてて、苦笑させられる(全裸になってしまう流れ(=「仕組まれた」必然性(=^_^=))が『ラッシュアワー(1998)』そっくりな気もしたし)。
ユエンと言う青年(と言ってイイのか?)を演じるジャッキーが謎の大富豪・パク氏(何となく竹中直人+田中要次っぽい容貌)の意志を継ぎ、巨大な暗黒組織に追われつつ細菌兵器「タンソ2(炭疽菌?)」の在処を探しスパイっぽい活躍をする・・って展開。
墓碑に刻まれたメッセージ「Wait for me」が実は「924836763」と解読出来る暗号文だったり、何気なく身に付けたパク氏の遺品=ロザリオが思わぬ役に立ったり、とそこそこに想定を超える(←甘いか?)演出が楽しめた。余りに幸の薄いヒロイン=ヨン(ヴィヴィアン・スー)の儚さもちょっとキュンと来る感じがしたし(←やはり甘いか?)
敵ボス=ミスター・ゼンが何となく「ただ者じゃなさそう」な気がして、ラストバトルで回し蹴りとかバンバン放って来るタイプのしとかな〜と思いきや、あっさりベンツから車外放出されてしまったり(×_×)←ただ者かよっ! ちと寺※康文っぽいおじさんで好感度高かったけど(やってることエグいけど)。
んで、後半からはいきなり『スピード/トルコ篇』って感じで暴走タンクローリーが“軸”となって来る。
何とももの凄い「転調」ではあるが、そう言う意外性もまぁアリかな。

ところで、ワタシは昔からブルース・リー派なので、ジャッキーのふざけたようなキャラや、なかなか決着のつかないダラダラした格闘戦がイマイチ好きになれなかったんだが・・リーの「シリアステイスト」「時短バトル」をある意味“忠実に継承”してる(と勝手に受け止めてる)ジェット・リーの主演作品群を観るに・・「重い・・重苦しい・・」と感じてしまうことが多い。
例えば長寿アニメ『ルパン三世』がシリアス路線(パート1)からコミカル路線(パート2以降)にやや演出を修正、その後も(今に至る)息の長い作品となっていることを考えたら「マンネリでもいい、コミカルに生きて欲しい。」って感じで開き直って作品を作り重ね、演じ続けた方が“長い目で見たら成功”と言えるのかも知れないかな、と思ったりもした次第だ。

〜 こんな台詞もありました 〜

神父「まず目の前の(苦しんでいる)1人を助けなさい、後のことは神のご意志に委ねなさい」

CIAエージェント「組織を抜ければ殺される。何故ならば彼らは死人しか信用しないからだ」

ユエン「楽天家にでもならなきゃ、生きてられない」

追記:
・前半、中国から韓国入りをする主人公。大陸(地続き)なので「クルマでOKなんやなー」と改めて新鮮な驚きを受けた(・ω・)
・細菌兵器の説明で「茶さじ1ぱい程度で村1つが全滅する代物」なる台詞があり、その小規模な表現にちと苦笑させられた。。

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