2014年6月 7日 (土)

☆『WOOD JOB(ウッジョブ)!/神去なあなあ日常』☆

5月17日(土曜)の夜。ご近所のシネコン“MOViXあまがさき”で鑑賞したのは、三浦しをんの小説『神去(かむさり)なあなあ日常』を原作に、矢口史靖が“林業従事者”にスポットを当てつつ監督した『WOOD JOB!(ウッジョブ!)/神去なあなあ日常』だった。

今をときめく(?)大忙しの若手俳優=染谷将太を主人公に据え、“林業”と言う進路を選んだ青年の奮闘が描かれる。

・・

行き当たりばったりなまま高校生活を全うした主人公=平野勇気(染谷)。
気が付けば・・志望大学には合格せず、彼女(玲奈)にはフラれ、ついつい自暴自棄な気持ちとなってしまう。

カラオケボックスで酔っ払って騒いだ帰路、深夜の地元商店街に設置された「パンフスタンド」の中に眼にしたのは・・『緑の研修生』の募集パンフレット。
表紙で微笑む、美しい女性(長澤まさみ)の写真に吸い寄せられるかのように、勇気は東京から列車を幾つも乗り継ぎ、三重県の山奥へと向かうのだった。

30日間の合同研修を含む、1年間もの“林業体験”に臨む勇気。
そんな彼が、1ヵ月後に就職する事となったのは・・研修施設から更に山深い地区にある“神去(かむさり)村”の中村林業株式会社。

携帯(電話)の電波など届かず、マムシやトカゲ、ヒルのウヨウヨするこの(危険な)村で、中村林業(株)の血気盛んなエース社員=飯田与喜(ヨキ)(伊藤英明)によってしごかれ、過酷な林業の最前線に叩き出された勇気の運命や如何に・・

まさに恐るべし、矢口マジック! 前作『ロボジー(2012)』もそうだったが、粗筋だけを耳にする限り「へぇ~ (今回は)そんな物語なんやね。でも、今聞いたハナシだけで何となく展開も読めるし、わざわざ観に行く必要もないかな?」とどうしても(?)思えてしまい、そっから先の食指がなかなか動かないワケなんだが・・ そこを我慢して観に行ってみたら・・ コレがムッチャクチャに面白いのである!

って言うか「2014年の前半」に期間限定して断言するなら、「最も面白くおススメ出来る邦画」の筆頭に挙がるぞコレ!

生活の大部分をいきなり「不便の極み」に追い込まれ、あらゆる方向から“ドSな演出群”が(主人公に対し)波状攻撃を仕掛けて来る・・!
しかし、それを耐え抜いた先には、涙と感動が待っているのだ!

・・

原作小説には『神去なあなあ夜話』なる続編も刊行されとるっちぅ事で、世界観やキャスティングを(まかり間違っても)崩壊させる事なく、是非「パート2」を制作して貰いたいトコである!

主人公と、偏屈な山根会長(演:柄本明 ←ここにも!)との「ちゃんと対峙する」シーンも観てみたいし(・ω・)

~ こんなトコも ~

・序盤や終盤、都会で主人公がふらふらと歩き回る(?)“不安定に流されるイメージ”のカメラワークが面白い。染谷くんを板(?)の上とかに乗っけて、地面から数センチほど浮かせて撮影してた感じかな?
・すっかりノックアウトされてしまった「あの頃」・・ 即ち『世界の中心で、愛をさけぶ(2004)』から約10年・・ 『岳/ガク(2011)』以来、久々にスクリーンで拝見した長澤まさみさんだが、“不器用”で“姐さん”っぽいキャラを自然体っぽく演じてて、好感が持てた。ちょいと「神去村民」として“溶け込めてない感”も少なからずあったんだけど(=^_^=) そこは絶妙に「溶け込め切れない理由」をもしっかり準備してる! やるねぇ!
・一方、優香(飯田みき役)、西田尚美(中村親方の奥さん役)のお2人は「作品世界に溶け込み過ぎや!」と突っ込めるほどに「田舎の奥さん」を演じ切ってた!
・『レンタネコ(2012)』『アウトレイジ ビヨンド(2012)』なんかとのキャラ造型を比較すると、光石研と言う男優の「多様さ」にかなり驚かされる!
・伊藤英明と染谷将太は『悪の教典(2012)』以来のタッグ! あちらでは教師vs生徒として「“半田ごて”で語り合う、刺激的なシーン(?)」を観客に放ってくれたもんだが・・(×_×)
・伊藤英明演じるキャラ名「ヨキ」は(ニックネームじゃなく)本名(=与喜)だった! いちおう、横溝正史先生の某作品によれば(?)「ヨキ」には「斧」と言う意味があるそうで、もし彼(飯田与喜)に妹が2人いたとすれば、きっと「琴(こと)」「菊(きく)」と命名されてた事だろう(←なの?)
・飯田蓮実とか言う役名になってたら、やっぱり「ハスミン」って呼ばれてたんやろね(×_×)
・噛んでたガムを飛ばし“進路”を決めようとした主人公。パンフの表紙デザイン(=女性フォト採用)によっては自※隊に入隊してたかも知んない?
・研修生同士のドラマも、も少し観てみたかった。
・「万人に是非おススメしたい」本作だが・・唯一「爬虫類が苦手なしと」に(だけ)は向かないような気がする。。
・本作に於いては「鹿=害獣」のイメージだった。
・1年間、森林に身を置けば・・再び都会に戻った時に「幽(かす)かな樹の香り」をあれほどまでに嗅ぎ当てる事が出来るようになるんやろか?
・「愛羅武勇」の意味が一瞬分からんかった。「太平洋戦争中の“戦勝祈願グッズ”が(村に)残されてたんかな?」みたいな(⌒~⌒ι)
・スポットの当てられ方こそ異なるだろうが、同じく林業(木こり)の現場をネタにした『キツツキと雨(2012)』も気になる。
・観客の知りたい「その後」を、静止映像の連続で「断片的&必要最低限」に描くエンドロールが巧い!
・“SL(スローライフ)研究会”の面々に対し、ついに怒りを露(あらわ)にする勇気。その姿を遠くから無言で眺める与喜。そして別れの(無人駅の)ホームで、ただ泣き続ける与喜。 ・・それぞれの彼の姿にウルウルさせられた。(普段は)短気で口数の多い人物が「ひと言も発しない」その演出が素晴らしい。
・皆でごっつい四駆車に乗り込み、旅行に出掛ける村の婆さんたちのアクティヴさに圧倒される(=^_^=) 宮※駿カントクなんかも好きそうなシチュエーションかも知んない?
・「女子(をなご)のバイクの後ろに同乗し、(ふんどし1丁の股間を密着させたりもしつつ)ラクして(山頂まで)イッキに駆け登る」ってのは、後で(多少なりと)非難されたんではなかろうか?
・山根会長の怒っていた気持ちは良ぉく分かる。あそこは親方夫妻、ちゃんとお詫びすべきだろう。
・ロケーションは三重県内(旧美杉町を含む津市)がメインだったようだが、劇中のローカル線(上三津鉄道:比谷~渓津間)だけは岐阜県内の「明知線」の映像が用いられてた。三重の「JR名松線」を使う事は出来なかったんやろか?
・無人駅に降り立った直後「スマホを駅の柵に下げられたビニール傘(の残骸)の中(堪った雨水の底)に落っことしておシャカにする」と言う演出の自然さが神がかっててスゴい!
・チェーンソーが(硬い幹などに当たり)後方(作業者側)に勢い良く跳ね返る・・と言う「キックバック現象」が序盤で解説されるが、、「きっと、後半で勃発する何かの“悲劇演出”のフリなんやろな」と(エンドロール終了まで)心の休まらなかったワタシ(⌒~⌒ι)
・『※写真はイメージです』の表記にはハラも立つが(=^_^=) ちゃんと「地元女性をモデルに起用してるトコ」は、好感が持てるぞ。
・「もやい結び」ぐらいは覚えて帰らないとあかんトコやろね(×_×)
・本作の『ノンストップ大木エンターテインメント!!!』のコピーは、鑑賞後に読むと(意味が良く分かって)笑える。
・(劇中で)連続殺人事件とかが起こらなくて良かった(⌒~⌒ι) 猟銃+斧+チェーンソー(頭部には懐中電灯!)で武装した伊藤英明が、村人を次々と・・(やめんかい!)
・『海猿(うみざる)』ならぬ『神去(かむさる)』のタイトルにしても、インパクトあったかも!
・勇気を(初めて)迎えに来た時、与喜の運転する軽トラのライト&バンパー(左フロント側)がかなり損壊してるんだが、その辺りも理由やら時間経過やらの良く分かる演出だった。
・『ロボジー』同様「粗筋だけ聞くと、安直でベタでつまんない印象だが・・観てみるとかなり面白い!」と言う監督の手腕は、なかなかの“巧打者ぶり”と思う。
・ハロルド坂田(故人)がニコニコ笑いながら(無言で)襲いかかって来る・・ そんな作品を想像したら恐くなって来た(=^_^=) ・・って、そりゃ『オッジョブ!(ODDJOB)』だろが!
・林業家たちがトラックで唄ってた「木こり哀歌(?)」みたいな節の歌詞が知りたい。「♪(ノコを)引いても借金」とかサビ(?)で唄ってたけど・・
・研修施設を逃げ出し、駅まで行くも舞い戻った主人公。で、そっから研修の修了する1ヵ月後までの物語が「バッサリ割愛」されてて笑えた(=^_^=) きっと“ディレクターズカット完全版”には、ちゃんと収録されるんやろね(なのか?)
・「山林に立ち入る前に拝む」と言う所作は演出なんやろか?
・「鹿肉+マムシ酒」の効果が気になる~
・劇場では「関連グッズ」とし『中村林業(株)のタオル』『愛羅武勇のタオル』が売られてたが(=^_^=) ついでに『ホテル“ふたりの愛ランド”のタオル』も商品化して欲しかったトコ(=^_^=)
・クルマで片道2時間もかけ街に繰り出し「スナック・ニューヨーク」に通ってた(と思しき)与喜。彼女が「そこまで入れ込むべき女性」だったのかどうか・・私的にはかな〜り微妙だった(⌒~⌒ι)
・スナック菓子“う※い棒”を握りしめ、後部座席で寝てる子供は、実に幸せそうだった(=^_^=)
・中村親方には「GiS:ジオグラフィック・インフォメーション・システム」をもっと具体的にレクチャーして欲しかった。
・「節のない、レコード盤みたいに(年輪の)丁寧な溝」を(断面に)持つ材木は、競りで高額を叩き出せるようだ。因みに、劇中では1本=80万円の価値がついていた。
・「こうわくのぉ」「おってんぱか?」「なあなあや」などの神去弁には、字幕解説も欲しかった。。
・斧の刃先でヒゲを剃ってる杣人(そまうど)の雰囲気が、ちょっと『野盗(山賊)』の入ってる感じで良かった(=^_^=) 
・小学生らによる「ころつけ」「ういんなあ」「ヒル」などの習字(作品)が面白い。
・たまたま(研修に)参加した年が「48年ぶりの大山祇(おおやまづみ)大祭」にあたる・・と言うのも“運命”なんですなぁ・・
・神去村には「林業を休み、森の入口に注連(しめ)縄を張り巡らす」と言う“山留めの日”が設けられてた。言い伝えでは「山の神が樹の本数を数える日」であり「この日、山に入ると神隠しに遭う」との事だが・・この辺りはリアルなんやろか?
・山の神(女神?)による「山頂の迷子の所まで主人公を導く」と言う“恩返し”は良いんだが・・その後「主人公の左耳をマムシに咬ませる」と言うのはどうなんやろ? 「そこは護ったれよ!」と言いたい。
・勇気と直紀の関係が、何となく「現代風なアレンジ(年上の女性がリードする)の施された『潮騒』のテイスト」をも意識してるように感じた。ついでに大雨に遭った直後、2人で“監的哨(かんてきしょう)跡”に移動して欲しかったな(←ないない)
・樹の上にいた与喜が、大雨をどうやってやり過ごしたのかが気になる。
・長澤まさみが鼻をかんだタオルなら・・洗うべきではない(←おい!)
・クライマックスの「大木をスライダーで滑走させる」ってシーンで、ゴールに組まれてた「アレ」は・・いわゆる“女性器を模したモノ”って事やろかね、やっぱし(・ω・)
・「林業入門編」として、なかなかの完成度だった! んでも、実際には村内・組合・行政などの絡んだ「もっとリアルに醜悪な人間関係」もあるんやろね(⌒~⌒ι)
・クライマックスはCG仕立て(?)のダイナミックな展開だったが・・もう少し“抑え目”にしても良かったかも。
・山間部には、そんなにマムシがごろごろしとるんやろか(×_×) エサを求めて、とうとう人里に下りて来た??
・本作がジャッキー・チェン主演作だったら・・ ラストに撮影の組まれるのが「スライダーのシーン」なんやろね(スタントなしで)。
・後半の“ふんどし祭り”は、女子によっては「ヒャッハ〜!」なビジュアルの連続に違いなかろうて(=^_^=)
・スライダーで滑走する“巨木”は、いわゆる「男根御輿」の一種と解釈すべきなんやろね。

~ こんなセリフも ~

勇気「だよなぁ!」
  「わ! マジで?!」
  「1浪すんのも疲れるし」
  「林業って“男らしい”っつぅか? “エコ”っつぅか?
   ま、地球に優しくありたいワケよ」
  「ウソだろ?!」
  「それで・・此処(表紙)に写ってる人は、
   何処にいるんですか?」
  「倒れ~る~ぞ~!」 ←とは言わない
  「これ、獣医さんに行くんですか?」
  「俺、何やってんだろ」
  「樹って、何かイイですよね」
  「“村中”って・・それ、ただの破局ですよね」
  「だってこれ・・面積どんだけ・・」
  「これ、何処まで登るんですか?」
  「いや、俺もそう思います」
  「なあなあだよ」
  「もう帰って下さい・・帰れってば!」
  「俺、別にいいですよ、祭りぐらい」
  「俺に任せて下さい。絶対に見つけて来ます」
  「何でこんなとこまでいつの間に」
  「どうして、このタイミングで寝ちゃうかね」
  「あと何日だったっけ?
  「何だよ! そんな事で電話して来るなよ!」
  「・・助かった」
  「もしかして・・泣いてる?」

直紀「あいつなら大丈夫。“野生児”やから」
  「簡単に言わんといて。昔から住んどるとこやで」
  「やっぱり私の“勘違い”やった」
  「どうすんの? 行くの? 行かないの?
   ハッキリしぃ!」

与喜「山、舐めとったら、生命落とすぞ!」
  「精つけやんと身体、保たへんぞ」
  「何や、お前も“これ”か?」
  「自分で何とかせぇ!」
  「精つくぞ、マムシは」
  「調子に乗んな」
  「お前、ホンマにアホやな」
  「どうやったんや? キスぐらいしたんかコラ」
  「こいつは皆が思ってるより、ちゃんと“山の男”や
  「お前ももうちょっと、なあなあで行こうや」
  「“祇颪(かみおろし)”や。やたらに動くな」
  「朝日の昇る迄に先頭に来い!」
  「しゃあない! 乗れ!」

親方「ええ仕事をしたかどうか、
   その結果が出るのは、わしらの死んだ後なんや
  「そろそろ祭りの打合せや」
  「大胆な事、してくれるのぅ」
  「こっからが本番やで」
  「勇気、やってみぃ!」
  「これは俺が預かっとく」

みき「男と女の事やからね・・色々あんのよ」
  「ひと晩だけ、どっか行っといて。
   今日“チャンスデー”なんや」

山根会長「あんたんとこは“そう言う方針”か?」

友人「おぅ、お前どうだった?」

子供「あ“ヒルに股やられたヤツ”や」
  「・・って与喜が言うてた!

祐子「クサギムシ、食べさせるよ!」
  「村にも“色んな人”がおるから」

組合員「これ、マムシ」
   「藁人形、造ってどうすんのや」
   「今度会うのは山の中やな」
   「アホ!“下、見んな”って言うとるやろ」
   「まだ続けとったんやな!」

村民「神隠しに遭うたら、まず見つからんわ」
  「何か・・人、乗ってる」

婆さん「行って来い、行って来い」
   「なあなあや」
   「持って行き、マムシ酒」

SL研究員「詳しくはホームページを見て下さい」
     「超野生~!」

勇気「あ、何か(鹿から)汁出てる・・汁」
与喜「じゃかぁしい!」

勇気「此処(樹の上)で弁当、喰うんですか?」
与喜「当たり前や。いちいち下まで降りてられるか」

研究員「“倒れ~る~ぞ~!”って言わないんですか?」
勇気「いやいや、ないから」

直紀「後ろに“何か”当たるんやけど」
勇気「しょうがないでしょ。褌(ふんどし)一丁なんだから」

勇気「何で(被るの)水なんですか」
与喜「やかましい! とっとと行け!」

与喜「もやいや! もやい結びや!」
勇気「お、出来た」

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2014年3月30日 (日)

☆『偉大なる、しゅららぼん/The Great Shu Ra Ra Boom』☆

またもや、ハナシは遡る・・ って言うか、ハナシを遡る。

9日(日曜)の夕刻、ご近所のシネコン“MOViXあまがさき”にて鑑賞して来たのは、予備知識も殆どないままに突然「観よう!」と決めたファンタジー作『偉大なる、しゅららぼん』だった。

唯一、知ってたのは「万城目(まきめ)学氏の同名小説が原作」って事ぐらい。

同氏の作品を映像化したものでは、TVドラマ版の『鹿男あをによし(2008)』がとても好きだったワタシで『プリンセス トヨトミ(2011)』も悪くはなかったように記憶している。 ←ただ単に「大阪が舞台」って事で、好意的に受け止めただけかも知んないが(・ω・)

同氏の小説は読んだ事のないワタシなので、その作風に関する「万城目ワールド」って表現が(本当は)どのようなモノか、実は分かってないワケだが、、何となく「舞台が関西圏」「純和風」「伝奇的」「奇想天外」って辺りは、これまで触れて来た映像作品に相通じるトコがあるんじゃないかな、と思っている。

滋賀県・琵琶湖の湖東エリアに位置する城下町=石走(いわばしり)市。

此処では、1300年(?)もの永き歴史を持つ旧家「日出(ひので)家」が「湖の神から託された特殊な力」を代々伝承し、街の中心に位置する「石走城」から下界を見下ろしつつ優雅に(?)暮らしていた。

当代・日出淡九郎(佐野史郎)は“一族の掟”に従い、15歳の誕生日を迎えた分家の甥=涼介(岡田将生)を本家に招く。

城に居候しつつ、淡九郎の後継者となる事の運命づけられた長男=15歳の淡十郎(濱田岳)と共に、地元の高校「石走学園」に入学する涼介。
学業の傍ら、師匠・藤宮濤子(とうこ:貫地谷しほり)の下で“修行”に勤しむ事に。

しかし、生まれながらにして「お殿様」然とした淡十郎からはいつまでも「お供」呼ばわりされ、彼とお揃いの赤い学ラン(制服)の着用が義務づけられ、荷物持ち(≒パシリ)にされてしまう涼介。彼が「石走の地」で体験する総ては“珍奇なるもの”だった。

・・

学園では、同じクラスの秀才=棗(なつめ)広海に対し、事ある毎に「対抗心」を燃やす淡十郎。
それもその筈「湖東の日出家」と「湖西の棗家」は、琵琶湖を挟み、共に「特殊な力」を持つ「互いに相容れぬ一族」だったのだ!

そんな中、クラスメイトの物静かな女生徒・速水沙月に対し“仄かな恋心”を抱いた淡十郎が「彼女が好きなのは棗である」と言う事実を知るに及び、遂に「日出家vs棗家」の確執は決定的なものとなる。

凄絶な戦いの火蓋が切られようとするその時・・“予想もしなかった第3の勢力”の出現によって、両家は思いもよらぬ存亡の危機に立たされる事となる・・

「学園モノ」ベースの軽妙なファンタジー作品かな? ・・と予想して観に行ったワタシだが「壮大な設定」を(短い上映時間で)強引に練り込み過ぎた反動なのか「学園モノ」としても「恋愛モノ」としても何とも中途半端で、薄っぺらい物語に仕上がってしまってて、残念だった(×_×)

序盤から「風変わりな世界設定+キャラ群」が観客の眼の前で次々と展開されるので、観てる方は「ひたすらに戸惑ってしまう」ワケだが(⌒〜⌒ι)その勢いのまま、後半に向かって緊迫感の高まって来る“流れ”なので「も少し、休符(的な演出)なんかも入れつつ、緩急が欲しかったかなぁ」と。

そのキャラ陣に関しても「出番が少な過ぎるやんか!」と突っ込めるしとが多く、制作側の(恐らく)意図しないトコ(?)に驚かされた!

最たるは「淡九郎役の佐野史郎さん」と「棗の父親役の髙田延彦さん」 ・・あの程度の出番なら「特別出演」レベルの扱いで良かったんでは。。

“特殊な力”に関する描写は、当然ながら「CG依存」で展開されるんだが、、それらも「イマドキ、その程度(の完成度)で満足しとったらあきまへんえ?」なレベルだった。
いっそ「表現(手段)を(映像以外に)変えてみる」なんてな方向性でも持って行きようはあった気がする(・ω・)

「壮大なファンタジー」を期待して観に行くと、誰しもがその「舞台&スケールのちっこさ」にぶったまげてしまうだろうが・・ 赤い学ランで動き回る主人公の2人の姿に、何となく『実写版・ハイスク※ル!奇※組』のノリ(?)を感じたりもし、さほど気負わずに観る事が出来た・・って点だけは、評価したげて良いかな、、ってトコか。

〜 こんなトコも 〜

・劇場用作品じゃなく、いっそ「TVドラマ」として企画・制作した方が良かったんじゃないだろうか?
・“主人公らに大きく絡む”ハズのヒロイン(←“マドンナ役”と言っても良い)に魅力の乏しいトコは『鹿男〜』『プリトヨ』にも共通しとる感じ。原作(小説)からして「女性キャラの描写」に魅力を欠いとるんやろか?
・淡十郎が、どのような手段で「リーゼントの不良クラスメート」を丁髷(ちょんまげ)に仕立て、バスケのゴール(の上)に乗っけたのか、が知りたい! 誰か、教えて丁髷! (←「煙草の追加購入」で“あのしと”にお願いしたんか?)
・本作で最も笑える(唯一の?)シーンは、商店街を練り歩く日出家一行の前を「唐突に」横切った、通行人役の“あのしと”の存在だろうか! 朝の某ラヂヲ番組(←帯番組)のタイトルのように、ただ「お礼」のみを言い残し、去ってゆきましたが・・
・前半で、石走城に商談(?)に来てた渡辺哲さんは何者だった?
・教頭を始めとする“へりくだり連中”は、結局は「挨拶のみ」の出番だった!
・学園そのものに関する設定が薄過ぎ!
・だだっ広い屋敷(城)なのに、使用人の姿が全く見当たらなかった!
・後半は『十戒(1956)』の簡易版やら『インスタント沼(2009)』の簡易版やらをダラッと見せつけられた感じ。
・地元の金融機関「日出銀行」や「日出中央信用金庫」は、如何にも実在しそうな感じ。
・棗は、本拠である「湖西エリア」から、湖東エリアの石走まで“はるばる”通学してたんか?
・「黒幕の意外さ」・・は、その正体が“あのしと”だった事により、かなり「地味で枯れた印象」になってた。。
・「美術部」とか「絵画」に関する“フリ”は、特に何の意味も持たなかった(×_×)
・淡十郎には、たったの1度で良いから、劇中で「びっくりした?」と“キルオ口調”で言い放って欲しかったなァ(=^_^=)
・スタン・ハンセン(往年の人気プロレスラー)の入場テーマは「サンライズ」と言う曲だそうだ。
・「竹生島流剣術」は実在しないようだが「竹生島流棒術」は実在するらしい。
・淡十郎と涼介の誕生日は「平成10年6月21日」で、作品の舞台は「平成25年」と言う設定になるようだ。
・「しゅららぼん」と言う言葉の響き(?)から、どうにも「シュラバ★ラ★バンバ(1992)」と言う曲のタイトルを連想してもしまう(・ω・)

〜 こんなセリフも 〜

淡十郎「良かろう」
   「おい、近ぅ寄れ。・・毒味をしろ」
   「苦しぅない」
   「喜べ。これ(制服)はオーダーメイドだ。美しいだろ?」
   「よし、出陣だ」
   「僕がお前を“美しく”してやろう」
   「行くぞ“お供”・・お主の事だ」
   「この絵は、そなたが描いたのか? 美しい」
   「美しい心がなければ、あのような美しい絵は描けん」
   「修業しないのは・・美しくないからだ」
   「僕以外に“こんな美しい事の出来る人間”がいるとでも?」
   「心の中を読まれた」
   「力など、己を殺してまで護るものか?」
   「力などに頼らず、自分の手で未来を切り拓く」
   「良かろう・・面(おもて)を上げい」
   「否、そうではない」
   「見くびるな!」
   「そこに何の問題が有ろうか? いや無い!
   「力など、美しさの欠片(かけら)もない」
   「力に塗(まみ)れたら、僕が僕でなくなる。
    世界を観る眼も変わってしまうだろう
   「・・鬼畜の所業だ」
   「僕は戦う。だが力には頼らない」
   「下品な話だが・・」
   「龍が両家に授けたのは、
    “所詮その程度の力”なのか」
   「僕が“そんな美しくない事”を思いつく訳がないだろう?」

涼介「今、びっくりした」
  「なに? この出だしからのアウェー感」
  「“殿様”も相当大きな“器”だと思うけど」
  「男の気持ちも分からないぐらい、鈍感だもんなぁ」
  「この力が人々の為にあるのなら、僕も戦いたいです」
  「(龍に)通じたんですか? “フルボッコ(って表現)”」
  「どんだけ“ドS”なんですか」
  「力、漏れてる!」

淡九郎「今年、2人目だな」
   「目障りな奴め」
   「奴らにも“世継ぎ”が出来たか・・生意気な」

源治郎「長女の清子様は特別な方でさぁ。誰も逆らえねぇ」
   「淡十郎様も、特別でさぁ」
   「つまり・・本家の皆さん、特別でさぁ」
   「到着でさぁ」
   「日出本家は“日本で唯一、お城に暮らす一家”でさぁ」

濤子「大丈夫、大人を信じて」
  「あなたは今、やるべき事をやるの

清子「・・関係ないし」
  「あんた馬鹿ぁ?」
  「あたしが“フルボッコ”にする」
  「そこで待ってな。あたしの音は“くそヤバい”から」
  「あたしの記憶も、
   誰か消してくれたら良いんだけどね」
  「では“しゅらら、ぼん”だな」
  「2人の音を合わせたら、どうなる?」
  「よっしゃ! ナメんなよ!」
  「・・力がない・・」

棗「“こう言う時”こそ、力を使え」
 「信じ難い話だが、力が存在する以上、信じるしかない」
 「棗家の秘術で、総てを元に戻す」
 「お前に力が与えられた事には、やはり意味がある。
  俺はそう思う」

校長「あなた達の存在は、望まれていない」
  「“懸命な判断”を期待してますよ」

※※「余計な事をなさるお方だ」
  「60年前の記憶がよみがえって来たんでさ」
  「あれは成る程・・御神水だったんですな」
  「こんな危ないもの、儂で終わらせやす」
  「儂と戦おうって言うんですか?」

速水「似合ってないよ。紅い制服」
涼介「・・うん、知ってる」

清子「煙草が切れた」
淡十郎「・・承知した」

淡十郎「初めに“戦う”って言ったの、僕だからな!」
清子「小さ!」

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2013年12月27日 (金)

☆『永遠の0(ゼロ)』☆

先の3連休の中日(なかび)でもあった22日(日曜)の夜。
ご近所のシネコン“MOViXあまがさき”にて「レイトショー」で観て来たのは、公開が始って間もない邦画『永遠の0』だった。

百田(ひゃくた)尚樹氏による同名の原作小説(←氏の作家デビュー作との事)には、数年前から興味を持っていたが・・如何せん文庫本の高額さ&分厚さに「尻込み」したままの状態が続いてた(⌒〜⌒ι)

そんな中、いよいよ映像化が決定しちゃい、実現(=公開)に至ったと言う事で「手っ取り早く観て、済まそう」と考えてしまった次第、、

2004年6月。
祖母・大石松乃の葬儀に立ち合った大学生=佐伯健太郎(三浦春馬)とその姉=慶子(吹石一恵)は、火葬される祖母の棺を見送る際、床に膝を落とし泣き崩れる祖父=賢一郎(夏八木勲)の姿を眼にする。

その後、佐伯姉弟は賢一郎から“驚愕の事実”を告げられる。実は祖母には“最初の夫”がおり、自分たち姉弟と再婚した祖父との間には「血縁関係がなかった」と言うのだ。

司法試験に4年連続でフラれ、生きる事に対し“自暴自棄”になりかけていた健太郎は、フリーライターである姉の「手伝い感覚」で“本当の祖父”=宮部久藏がどんな人物だったのかを調べ始める。

記録によれば、太平洋戦争時「零戦パイロット」とし戦った久藏(岡田准一)は、昭和21年(1945)に“特攻出撃”により戦死したと言う。

自身(の年齢)と同じ「26歳」の若さで祖父が亡くなった事実を知った健太郎は、生前の祖父を知る「元零戦パイロットたち」に会い、彼らの証言を得ようと試みる。

しかし、祖父に対する戦友らの評判は、決して“芳しいもの”ではなかった。
“海軍壱の臆病者”“命を惜しむ男”“帝國海軍の恥さらし”“空を逃げ回ってた”“卑怯者”・・

そんな言葉に直面し、調査を続ける意欲を失いかけてもしまう健太郎だが・・とある人物を「再び訪ねる」事で、祖父の「本当の姿」へと1歩ずつ近付き始めるのだった。

そして、その先に待ち受けていた“衝撃の真実”とは・・

満を持しての映像化(?)って事で、期待に違わぬ「良作」にキッチリと仕上がっていた! 「ファミリー向け」かと言うと、決してそうではない気がするんだが、、例えば「祖父母と孫とを繋ぐ、世代を超えて“ハナシに花の咲く”作品」と考えた場合、これまでにないその取っ付き易さは、かなり高評価出来るものと思う。

主人公=ヒーロー(英雄)とし、華々しい戦果を挙げて来た人物か・・と思わせる宮部久藏が、何やらとても「評判の悪い」トコロにいて、その渦中に放り込まれる我々観客。

名誉の戦死を遂げた(?)彼に対し、「卑怯」「臆病」などと容赦ない悪評が下されるので、観てるこちらもだんだんツラくなって来たりするワケだが・・そこには、宮部なりの「時代や軍組織に決して左右されぬ“生き方のブレなさ”や“ある種のダンディズム”」などが貫かれていたのだ。

かつての部下から、同僚から・・或いはライバルとも言うべき存在の戦友(とも)からの“証言”によって、次第に「その人物の真の姿」へと迫って行く辺り、ワタシが連想した作品は『壬生義士伝(2003)』と『戦火の勇気(1996)』だった(・ω・)

また、若干の女性キャラは配されてるモノの、本作はやっぱり「“野郎祭”な作品」だったよなぁと直感的に思ったり。

実際に作品を牽引してたのは、宮部とその妻=松乃(演:井上真央)だが、彼ら2人共に「その言動が“他者に語られたもの”に限定されていた」と言う描き方には、とても不思議な印象を覚える。

特に「最期の生き証人」とも言えた筈の“現代の松乃婆さん”が、リアルな劇中世界に於いて「全く姿を見せず、語らず、それどころか終始、存在すらしてなかった!」って辺りの演出には唸らされる。

私的には、出来れば本作を「久藏篇」「松乃篇」の2部構成にし『最前線』『銃後』それぞれの世界(視点)でもって描いた物語を、じっくりと観てみたかったような気もするなぁ。

零戦に対する描写は、空中戦など「かなりCGに依存してる感」がアリアリだったが、アイテムとしての“添え方”は適度な感じだったように見受けられた。

まぁでも、もう1歩“零戦の魅力”を短くかつ効果的にみせる「遊び心ある演出」を挿入してくれてても良かったかな。その辺り、例えばジェームズ・キャメロン級の監督だと、抜かりなく描き込んでくれてた事だろう(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

・同じ様な“作品コンセプト”を感じたりもする『男たちの大和/YAMATO(2005)』よりは記憶に残って行きそうに思う(⌒〜⌒ι)
・深夜の密林で、宮部がトレーニング代わり(?)に上げ下げしてたのは「機銃」だったんやろか? って言うか、良くぞあそこまで運んで行けたな(⌒〜⌒ι)
・久しぶりに吹石一恵姐さんを拝見した気がする。。お元気そうで何よりです。
・田中泯さん演じる「その筋のしと」の凄みがハンパない(⌒〜⌒ι) 某シーンで某若者をいきなり「ハグ」しちゃう辺りは「カミングアウト色の濃いアドリブ」なんやろか?(←何でやねん!)
・某ヤクザもんが某女性を助けるために刀を手に飛び込んで来る辺り・・『パルプ・フィクション(1994)』のブルース・ウィリスを連想してしまう(=^_^=)
・床の間に飾られてる日本刀が「実は竹光(たけみつ)」だったりなんかしちゃうと『たそがれ清兵衛(2002)』に対するオマージュ感が(ハッキリと)出て来て面白かったと思うが。。
・ラスト。某人物の「妄想」風に、零戦が現代の東京上空を低空飛行して見せるんだが・・その「極端過ぎる演出っぷり」に、流石にちょっと冷めてしまったワケで(⌒〜⌒ι)
・夏八木勲さんは本作が遺作となってしまった。しかし『のぼうの城(2012)』『終戦のエンペラー(2012)』・・など、近年も良作の出演に恵まれてはったと思う! 改めて、ご冥福をお祈り致します。
・どうにも、押井守監督によるアニメーション作『スカイ・クロラ(2008)』が観たくなって来てしまった。
・長谷川役を演じた、ひらみきさん(=平幹二朗)の印象が、すこぶる良くなかった(×_×)
・夏八木さんよりも、橋爪功さんの方が、やはりと言うか(役柄を超えて)お元気そうに見受けられた、、
・中盤辺り(?)から、ちらちらと回想シーンに登場する染谷将太くん・・ 「なかなかスポットが当てられないねぇ」と思いきや「そう言う事」だったんやね!
・宮部の乗る事となった「21型」の操縦席にも「この度は、マジすんません」みたいな(チャラい)メモが挟まれてたら驚きやろね、、
・『聯合艦隊司令長官 山本五十六(2011)』に比べ、印象的な「食事シーン」が殆ど取り入れられてなかった。
・「久藏」なる名前からは、どうにも『七人の侍(1954)』を連想してしまうなぁ。「平八」って名前のキャラも、原作には登場するんかな?
・宮部の死後、某キャラの取った行動が『1枚のハガキ(2011)』の主人公を思わせる。
・作品の舞台は2004年だったので、10年を経た現在では“語り部”たちも更に減っておられるのかも知れない。
・「背面飛行」を得意としていた宮部小隊長。何だか『フライト(2012)』を思い出す。
・隊員に配られる「特攻志願書」に書かれた「望」「否」の選択肢が重い・・ 「望」の上に「熱」と書き足して提出する若い隊員もいたりして、更に重い・・
・「思い詰めた表情」が松本明子っぽくも見えてしまう井上真央さん。
・本作がもう少し早く公開されてたら・・今年の流行語大賞に『違うんです!』がノミネートされてた可能性があったのかも知んない(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフも 〜

健太郎「それ、初耳なんだけど」
   「“そんな人”の血を引いてるとはなぁ」
   「俺・・もっと知りたい」
   「何で特攻を選んだの?」

慶子「バイト代、出すから」
  「でも・・だったらどうして?」

母「私は“その言葉”が聞けただけでいい」

祖父「いや、調べて欲しい。お前たちの為にもな」

宮部「私は怖い。死にたくありません」
  「・・出ます!」
  「囮だったのか・・」
  「生きて、還りたい」
  「560海里・・こんな距離では戦えない」
  「生きる為に努力すべきだ!」
  「御前が死ぬ事で悲しむ人間は居ないのか?」
   どんな事があっても“生き延びる努力”をしろ!
  「横須賀入港は“極秘事項”なのです」
  「・・流石に、報(こた)えました」
  「あれが“特攻”です・・今日、逝ったのも
   私の教え子達です」
  「殆どの機が、敵艦に辿り着けなかった」
  「皆“こんな事で死ぬべき人間”では無かった」
  「簡単に言うな!」
  「俺は、彼等の犠牲の上に生き存(ながら)えている」
  「俺は・・如何(どう)すればいい?」
  「君に(これを)貰って欲しい」
  「・・治りましたか」
  「其の時、日本はどんな国に成っているのでしょうね」
  「“一緒に逝く”なら此の機がいい。
   私の“最期の我儘”聞いて貰えませんか?」

長谷川「・・知ってる」
   「我々“飛行機乗り”は、
    命を祖国(くに)に預けている」

井崎「あの時代“己の生き方”を貫いた
   小隊長は、誰よりも強(つえ)ぇ人だった」
  「この話を語る為に、寿命が延びたんです」
  「其処迄、命が大事ですか?」
  「小隊長の“その言葉”に、
   激しい嫌悪感を覚えました」

景浦「帰りなさい」
  「考えてもみろ。
   “臆病者”なら何故、特攻に行った?」
  「その刀・・人の血を吸ってるぞ」
  「少しは“いい面構え”になって来たようだな」
  「・・貰った!」
  「奴は俺を試したのだ」
  「あの日から、命が惜しくなった」
  「“この戦争も、遂に此処迄来たのか”
   とゾッとした」
  「特攻は“十死零生”
   ・・成功は即ち“死”を意味する」
  「奴が“彼岸に片足を乗せてる”ように見えた」
  「俺は又しても、奴を見失った。
   乱戦の中、忽然と奴は“消えた”のだ」
  「この話には“決して愉快ではない落ち”がある」
  「それは“死を覚悟した者”の眼ではなかった」
  「俺の話はこれで終わりだ」
  「“若い者”に送らせよう」
  「俺は“若い男”が好きでな」

松乃「・・嘘つき」
  「それがあの人の“運命”だったのです。
   貴男の所為(せい)ではありません」
  「・・行かないで下さい」
  「今、分かりました。
   あの人は約束を護ったんです」
  「貴男は今、此処に居ます。
   ・・あの人は約束を護ったんです」
  「“不思議な事”が、前にも1度ありました」

武田「あの人こそ“生き残るべき人”だった」
  「特攻の苦しみは“出撃した者”にしか分からない」
  「戦友(とも)を見送った時の気持ちは、
   忘れようとしても忘れられるものじゃない」

※※「こんなどうでも良い事が、総て愛おしく感じる」
  「今迄“自分が死んだ後の事”を
   考えた事が無かったんです」
  「宮部さんは還って来なかった・・私は此処に居る
  「御世話になったのは私の方なんです」
  「違うんです!」
  「そうじゃない! 違うんです!」
  「此処に来る事が、私の悦びに、
   人生の励みになって行ったんです」
  「“ハッキリと言葉に出来る”ような事ではない」
  「人生が壊れるのを恐れていた」
  「生き残った者がしなければならないのは、
   彼らの死を無駄にしない事。物語を続ける事」
  「宮部さんの話が出た事は1度もないが、
   忘れた事も1度もない
  「あの時代、1人1人にそんな物語があった」
  「この話をお前達に伝えられて良かった」
  「もっと早く、来るべきでした」

少佐「此の“不忠者”が!」

女子「そのハナシ、ちょっとついて行けませぇん」

友人「・・面倒臭ぇ奴」

米兵「ゼロだ!」
  「何で当たらない!」

宮部「では、行って来ます」
松乃「・・どうか、ご無事で」
宮部「必ず還って来ます。例え死んでも、
   生まれ変わってでも、必ず僕は戻って来ます」
松乃「・・約束ですよ」

松乃「どうしてそんなに優しくして下さるのですか?」
※※「命を救って貰ったからです」

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2013年1月23日 (水)

☆『悪の教典』☆

何をどう書いたら良いのか分からず(=^_^=) しばらく「放置」したままになってたけど・・ここらで意を決して書いてみます(=^_^=)

8日(火曜)の夜、市内のシネコン“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”で鑑賞して来たのは、公開期間も終了に近付きつつあった、三池崇史監督によるバイオレンス・エデュケーション・ホラー作『悪の教典』だった。

観る前から「きっと、激しく面白くないやろな~」と薄々感じてはいたんだが「学園群像劇としての仕上がり」や「挑発的なまでの過激スプラッター描写」なんかに少しばかり期待値の高まってたのは事実だったワケで・・

東京都町田市にある進学校=晨光(しんこう)学院高校では、定期考査(テスト)を前に“携帯電話を使っての集団チーティング(カンニング)”の問題が教諭陣を悩ませていた。

軽く明るく人気のあるチャラ教師=蓮実聖司(はすみせいじ:伊藤英明)は、物理教諭である釣井(つりい:吹越満)に協力を仰ぐべく「考査時間中に妨害電波を発信させてはどうか?」と提案するも「電波法違反では?」との指摘を(周囲から)受け、そこは爽やかに引き下がる。

そしてまた、同校では“集団チーティング”以外にも“柴原教諭(山田孝之)による女子生徒淫行”“久米教諭(平岳大)による男子生徒淫行(=同性愛)”“モンスターペアレント=清田氏による度重なる怒鳴り込み”“イジメ”“万引き”“裏サイトの存在”など、数々の「暗部」が増殖してもいたのだ。

“ハスミン”のニックネームを持つ蓮実は、自身の人気を利用して生徒たちを動かし「対柴原」「対久米」「対清田」・・と独自のやり方で揉め事を鮮やかに解決へと導いて行くのだが、そんな彼の言動に疑いを抱き始めたのは、他ならぬ釣井であった。

実は、生まれながらにして「他者に共感する能力」を徹底的に欠いている蓮実は、自らの正体を暴露される事を恐れ、遂に釣井に対して“とある行動”を起こすのだった・・

“ハスミン”を松田優作系キャラに置き換えての『指導遊戯(not殺人)(not死亡)』みたいな作品として楽しめる「娯楽作品」かと思いきや・・キャラ造型が良くないのか、伊藤英明の言動にイマイチ入り込めないのか・・「ヒーロー」としての“ハスミン”のカリスマ性を感じ取る事が、最後まで出来なかった。

教師陣をざっと眺めれば・・それはそれは“かなりなクセモノ連中”が揃ってるワケだが、彼らも巧く物語の中で機能(?)してるとは言い難かった。

脚本が悪いのか、原作からそんなものなのかは分かんないが、総じて「人物造型も演出も、勿体な過ぎる!」と感じてしまった。

特に俳優陣は“特筆モノ”で、山田孝之&平岳大(←この2人は『のぼうの城』でも共演してる!)を筆頭に、林遣都、染谷将太・・この辺りの競演は何とも贅沢! なハズなのに、彼ら同士が「殆ど絡んでくれない」のには「ナニやってくれてんの!」としか言いようがない。ここまでの「俳優の使い方のヘタさ加減」って何なんやろ(×_×)

(中盤の)拷問シーンも中途半端なら、群像劇として眺めた完成度も残念な具合だった。

それに「ハンディカム撮影」「アーチェリー」「刺又(さすまた)」「軽トラ(=ダイハツ・ハイゼット)」・・など「後々“フリ”に繋がって来るんやろな~」と直感して止まなかった数々のアイテムも、、結局は「大した意味」を持ってなかったりした(・ω・)

後半からスイッチの入る「散弾銃で大暴れモード」なノンストップバイオレンスシーンも、殺戮の単純な繰り返しで、観てて“疲れる”以上に“飽きて来た”のが正直なトコである。

同じ三池監督の『13人の刺客(2010)』だと、もっともっと終盤が「面白く仕上がってた」ハズなのに、何でこうなっちゃったんやろ。。

~ こんなトコも ~

・“ハスミン”が生徒らの反撃に遭って、次第にサイボーグとしての本性をアラワにして行く・・みたいな『クラス・オヴ・1999(1990)』路線を狙ってはどうだったか? ラストで「唐突に荒唐無稽さが極まる」ってのは『デッド・オア・アライヴ/犯罪者(1999)』の三池カントクにだけ(?)は赦された“特権”のハズだろうし(=^_^=)

・山田さんってば、中盤、明らかに物語に参加してなかったでしょ? ドラムソロを披露して誤摩化してもアカン!(=^_^=)

・家の周囲に“猫避けのペットボトル”を置きっ放しにしてる場合、たまに中身を確認しとくべきかも! いつの間にか「水」じゃなくなってるかも!

・学園祭前夜のシーン以降は、中途半端な『エレファント(2003)』に過ぎなかった。

・「ハンディカム映像」は見辛いだけの自己満足だったし「アーチェリーvs散弾銃」は映像表現(CG)が露骨過ぎて「お茶を濁した」だけだった(×_×)

・“ロミオ”を気取るかと思ってた男子生徒は『マーズ・アタック!(1996)』のマイケル・J・フォックスみたいな「悲しい運命」を迎えてた、、

・「AEDの“隠された機能”」には驚かされた! 知っとくべき!

・転落死した(ハズの)女生徒が※※するノリは・・ただのホラー系やろ(⌒~⌒ι)

・で、ホンマに「続編に続ける」つもりなの?

・自問自答したり、幻覚に翻弄されたりする“ハスミン”のキャラは、まんま『モンスターズクラブ』の主人公(演:瑛太)だった。

・ヘタレでゲイな男子生徒が・・意外にも「一番タフな抵抗」を見せてくれた!

・吹石満の「常に(喉に)痰の絡んでる感じ」がとにかく不愉快だった(⌒~⌒ι)

・手にした「コンビニ系のビニール袋」に、決して油断するな!(で、中身は何だったの?)

・電車内でも、決して油断するな!(で、頭部の殴り傷はどう解釈するの?)

・「軽トラ」と「ポルシェ」の使い分けが分かんなかった・・

・『告白(2010)』とは保護者の絡み方が全く違ってた。

・あの状況下で「身代わりの遺体を(それも2体も!)“投下”させる」って機転も・・恐ろしいっちゃあ恐ろしい(×_×)

・清田の勤務するスーパーの名前が『フレッシュフーズ西湖(さいこ)屋』ってのが、ちょっと笑えた。

・クレイの退場シーンは、やや『ファーゴ(1996)』のブシェーミってた。

・「あの」破壊されたカメラ内から「迫真のメイキング映像」は果たして「取り出せる」んやろか?

・“追いつめられて”左手首を切り自殺してる女生徒がいたりした(×_×)

・筒井康隆の短編小説『死にかた』にも通じるテイストを痛感した。

・ブレヒトの戯曲『三文オペラ(1928)』やら北欧神話やらが“ハスミン”の深層心理に練り込まれてるみたいだが、どちらにも詳しくないので(残念ながら)ピンと来なかった。

・オーディンに従う2羽のカラス・・フギン&ムニンは、それぞれ「思考」「記憶」を意味してるそうだ。

・京大法学部中退⇒ハーバード大経営学部卒(MBA:経営学修士取得)⇒モルゲンシュテルン銀行入社・・の凄まじい経歴にしては、英語能力が「ちょっとアレ」だと思うんだけど。。

・射殺寸前にパ※テ※の匂いを嗅げたら・・それはそれで満足だったか??

・伊藤英明のヌード姿にときめかぬ自分に、少しホッとした(⌒〜⌒ι)

~ こんなセリフも ~

蓮実「そこ(屋上)で寝てた? 床が濡れてるだろ?」

  「分かりますか?! 分かりますね!?」

  「一緒に浴びるか、シャワー? 別々の方がいいか?」

  「別に“話す程の事”じゃないよ」

  「どうせお前ら、普通に呑んでるだろが」

  「エクセレント! 流石は※※※※だ。

   仲間を売らなかった・・いや、いなかったのかな?」

  「罪と共に燃え尽きろ」

  「誰だと思う?」

  「団結すれば助かる、分裂すれば倒れる

   ・・未だ教えてなかったっけ?」

  「1発で2人を殺(や)るってのは、やっぱ難しいな」

  「これは“※※先生の仕業”なんだよ」

  「生徒との恋愛は赦されない・・それがどんなに美しいものでもね」

  「この状況に“分かり易い説明”をつけるのは、

   自分じゃなく警察の仕事さ」

  「・・ごめんよ、本当に済まなかった」

  「アタマの中に“命令”が響いて来た」

  「オーディンに宜しく伝えて呉れ」

清田「俺は“やる男”なんだよ、オラ!」

  「“教師の眼の行き届かない世界”があるんだよ!」

釣井「それに懲りとけ」

  「性格悪いだろ・・俺」

生徒たち「いつもより、いっぱい出ちゃいました」

    「もう止めて、この事件を調べるの。

     巧く言えないけど・・心配」

    「何で※※の携帯、持ってんの?」

    「あいつ、信用出来ねぇかも知んねぇぞ」

    「あんたが殺ったって事ですね」

    「連れて行かなきゃ・・外に」

    「こいつはもう“次のゲーム”を始めたんだ」

蓮実「最悪だな・・」

美彌「でしょ?」

蓮実「・・お前もだ」

健吾「俺・・東大に行かないと!」

蓮実「んっ? To Die?

追記:公開初日の、初回上映の、開場(=シアターの扉の開く)時間ってば・・やっぱし「10時(=テン)」だったんやろか(⌒〜⌒ι)

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2012年10月22日 (月)

☆『アウトレイジ ビヨンド』☆

遅くなって済みません〜 ようやくの記事アップとなりました(×_×)

11日(木)の夜。

高松(うどん県)の東にある某県某市(=^_^=)に出掛けてたこの日、市内唯一のシネコン“シネマサンシャイン”にて夕食のついでに観る事にしたのは『アウトレイジ ビヨンド』なる任侠バイオレンス作(?)だった。

北野武監督作品をわざわざシアターに観に行くのってば・・『座頭市(2003)』以来、実に2度目の事である。前作『アウトレイジ(2010)』も観てないし・・

ホントは“間違いなくスル~”となる類の作品のハズ(=^_^=)なんだが・・仕事関係の“とある方”が最近ご覧になった事を知り「何か今後の話題の1ツになると良いかなぁ」と考えたりもし、鑑賞に踏み切った次第。

ワタシの大嫌いな“ヤ※ザネタ”なのがどうにもベタっぽくて好かなかったが・・ある意味「この国に憂い、不満を抱え、暴力に飢えてもいる現代ニッポンの観客層」を狙い、それが見事に奏功したって感じだろうか。ネットでの評価もなかなかに好評なようで(・ω・)

前作『アウトレイジ』から5年後の関東。

2代目親分=加藤会長(三浦友和)率いる「山王会」はますます勢力を拡大し、政界にまでその影響を及ぼしていた。

元々は傘下組織「大友組」の金庫番に過ぎなかった石原(加瀬亮)は組長=大友(ビートたけし)を裏切り、今や「山王会の若頭」として“新しい時代のインテリヤくザ”の代名詞と呼ばれるまでの立場に昇り詰めていた。

そして「山王会」内部では“ハイテクな資金調達手口について行けない”古参の幹部ら=富田(中尾彬)、白山(名高達郎)、五味(光石研)が不満を募らせてもいた。

マル暴(警視庁・組織犯罪対策部捜査4課)の敏腕刑事=片岡(小日向一世)は、部下の繁田(松重豊)を従え、警察組織を逸脱した行動に出る。

それは・・富田ら古参幹部に接触を試み、不可侵の紳士協定(?)を護っていた大阪の巨大組織「関西花菱会」に引き合わせ波風を立てる事、そして獄中で刺されて“死んだ事”になっている大友を仮出所させ、彼を刺した張本人=木村(中野英雄)との間に入って「大友+木村」の“問答無用な暴力系タッグ”を再編する事だった。

繁田すらもが(そのやり方に)戸惑いを感じ始める中・・片岡の思惑通り、大友らは石原、舟木(田中哲司)、そして加藤へとその過激な暴力の鉾先を向けるだが・・

前作を観てなくても物語世界の流れは(充分に)掴めたが・・一方で「現代ハイテクヤくザの稼ぎの手口(シノギ)」をきっちり解説してくれるのかと期待してたら、その辺りは表面をなぞる説明(セリフ)だけで終わってしまった(×_×) で、そこから先は「暴力」「裏切り」「報復」「サツガイ」と言った(予定調和気味な)単語のオンパレード状態。。

意外な大物俳優が土下座状態のままあっさり射殺されたり、中心的な人物がこれまた土下座&失禁しつつもやっぱり殺されたり・・と「誰が、いつ、どう死んで行くのかが分かんない(読めない)」ってな“ホラー作品”調の楽しみ方こそは確かにあったんだが(=^_^=) それ以上の「深い演出(やテーマ)」は特に何も見当たらないのだった。。

まぁ、その辺りの「分かり易さ」こそが監督=北野の狙いだったのかも知れないが・・

本作で一応の「シリーズ完結」となるようだが、そう言う意味では前作を撮り終えた時点で既に「続編では、こいつはこうやって殺そう」みたいな構想が監督のアタマの中で出来上がっていたのかも知れず、その上できっちりと前作の俳優陣を(再度)揃えている事は「スゴいな~」と思った。

尚、劇中のヤくザさんたちのプライベートを「そこまで省きますか!」とツッコミたくなるぐらいに排してる脚色も、逆に新鮮だった。

物語の中に登場する女優さんってばたった2人だけだし、それとても「本編には殆ど絡んでない」のだった。

ラストの唐突さは「強烈!」って言うか「何だかコントみたいやな~」と感じた。

そう考えると、この物語自体が「1ツの大仕掛けなコント作品」にも思えて来たものだ(=^_^=) 江戸時代の巨大な藩とか、シェークスピア路線の英国の領などに舞台をそっくり置き換え、ストーリーを再構築したモノを観てみたくも思う(=^_^=)

前作では「スゴかった!」と言われてる(?)「殺しの手口の数々」は、期待してたほどには弾けてなかったろうか? バッティングセンターに於ける「アレ」がやっぱり一番強烈(と言うか印象的)だったが、それとても「あのロケーション」が最初に登場してからの、余りにもの“フリの長さ”についイライラしそうになってしまった(=^_^=)

あと、誰が誰を殺したのかが良く分かんない描き方もあったり。高橋克典氏も“カメオ出演”だったのか、何やら「取って付けたような」登場だったなぁ。

~ こんなトコも ~

・「策を弄し過ぎると、ヘタを打つ」ってのが、本作最大の教訓やろか?

・劇中で最も「生気のなさそうな」大友の動き(言動)を眺めるに「こう言うしとが結局、1番恐いんやろな」と痛感する。

・西野(西田敏行)の土下座(命乞い)シーンを是非拝見したかったンですけど(⌒~⌒ι)

・西野の“とぼけシーン”のイヤラシさはハンパじゃない(=^_^=)

・結局、遺体の見つからなかった人物が1人いた。それが逆に恐い~

・中田役を演じた塩見三省さんの「ゴラァ口調」が出色だった!

・光石さんの「コモノな大物ぶり」も見所である(=^_^=)

・木村が自歯で左小指を「アレ」しなかったら、あの場はどうなってたんやろ? それはそれで続きを観たかった!

・人の多いパチンコ店でも、決して油断は出来ないんやね、、

・防弾チョッキさえ着込んでたら、何とかなってたしともちらほらいたような?

・充分に恐そうなヤンキー2人も、リアルなヤくザさんを前にしては単なる「パシリ状態」なのだった。。

・「こしみず」と言う名の大臣がちょっとストーリーに絡んでたが、何処かで聞いたようなお名前・・

・「トコロ払い」「シノギに影響」「子分をはじく」「五分の手打ち」などの“業界用語”が飛び交ってた。

・中盤、片岡の絡みがちょっと弱くなってた。

・石原の「具体的なインテリぶり」は良く分からんままだった。

・「主人公不在な物語」と言えなくもなかった。松重さんが今後の展開に絡んで来る風にも思えなかったし。

・「1階に降りて来たエレベータを出て、よろよろ逃げたあのヒットマン」を放っといたあの2人は「馬鹿」だと思う。

・終盤に於ける、松重さんの「あの運の良さ」ったらないと思う!!

・「ああする」なら、敢えて1、2発目は空砲にしといて「試すべき」だったんでは?

・「あまり調子こいてると、※※するぞ、この野郎!」ってな言い回しがヤくザさんっぽいらしい。

・良く「興業」って社名は「その筋」っぽくてコワいと言うが・・本作では「有限会社※※総業」って社名が目立ってた。

・大阪の某親分(オヤビン)が「手下」を「てか」と発音してたのが印象的だった。

~ こんなセリフも ~

石原「手前ぇの心配ばかりしてんじゃねぇよ」

  「手ぇ付いて、アタマ下げるのが筋じゃねぇか?」

  「ヤくザにタカりやがって!」

  「合法的にでっかいカネを動かして行くんだよ」

  「幾ら“古参の幹部”でも、

   調子乗ってると容赦しねぇぞ、この野郎!」

  「聞いてんのか、この野郎!」

  「手前ぇらがシャンとしねぇから、

   会長の手ぇ、煩わせたじゃねぇか!」

  「ちょっと待って下さい! 色々ありまして・・」

※「こいつが公になりゃ、現内閣がぶっ飛んじまうんだぞ」

 「殺される前に殺しましょうよ」

 「調子乗ってると、お前も沈めっちまうぞ」

 「彼奴(あいつ)バカか?」

 「手前ぇ、何考えてんだ、この野郎!」

 「手前ぇ、動いたな?」

 「(飛んで来る)球を見ずに、気で感じて」

 「ヤくザ辞めてもよ、ケジメ付けなきゃな」

 「オツトメ済んだら“カタギ面”か?」

 「いちいちうるせぇ野郎だな」

 「ぶち殺せ!」

 「“利用されるなよ”って言っとけ」

 「ちゃんと聴こうじゃねぇか」

 「そんなんもこんなんもあるか、おぉ?!」

 「ハラ切るなり何なり、せんかい、こらァ!」

 「何処座ってんだよ、手前ぇ」

 「“老後の安定”を買うには、

  それなりのカネが必要なんだよ」

 「一生、ヒラでいいスよ」

木村「俺はいいスよ。大友の兄貴さえ良けりゃ」

  「大友? “大友さん”だろうが!」

加藤「偉くなっちゃうと、全然顔も見せなくなるなぁ」

  「使えるヤツはどんどん取り立てるが、

   使えんヤツはどんどん切り棄てる」

  「花菱に何か送っておけ。

   わざわざ買わなくても、何かあるだろ」

  「そんな事はすぐに分かるんだよ」

  「黙っとったら、悪いようにはしねぇ」

  「可愛がってやりゃ、調子乗りやがって、あの野郎!」

  「この俺に“弓を引く”のか? この野郎!」

富田「“幹部会”のくせにメシもねぇ」

  「ヤくザの筋が通んねぇ」

片岡「“若い”のを出して下さいよ」

  「出世しましたね・・もうボディガードじゃないんだ」

  「ホステスの部屋にバットなんかあるか!

   灰皿だろ、バカ野郎!」

  「お前ぇ、でっけぇ身体して小心者だな」

  「任せて下さい。後ろに我々が付いてますから」

  「言ってませんよそんな事。ウワサでしょ?」

  「そう言えば、刺されてましたね」

  「(塀の)外は、色々大変なんですよ」

  「まだモウロクしたワケじゃないでしょ?」

  「先輩、お楽しみでしたか?」

  「死んで行った、若いヤツらの事も

   思い出してやって下さいよ」

  「やっぱり、俺みたいなのがいないと

   駄目なんじゃないですか?」

  「そんなインネンつけるのは、止めて下さい」

  「そんな言い方はないじゃないですか」

  「まさか“もう終わった”とでも

   思ってんじゃねぇだろうな?」

  「俺のやり方を良ぉく見とけよ」

  「“警察のメンツ”ってのもあるんだから」

  「何も分かってねぇのに、

   知ったようなクチ利くんじゃねぇよ」

  「持って行きますか?」

  「・・え?」

西野「愚痴ばっかり言ぅても、始まらんやろ?」

  「ほんでどないするつもりや?」

  「まぁ任しとき。悪いようにはせぇへんから」

  「“会いたい”言ぅてすぐ会えるほど、

   ウチの会長は安ぅないで」

  「ナニ言ってんのか分かってんのか、おぉ?」

  「(お前らが)帰るか帰んねぇのかは、こっちが決めんだよ」

  「コレ聴いて貰えます?」

  「立ってねぇで座れや」

  「会長が直々に呼んでるのに

   “来られへん”ってどう言うこっちゃ?」

  「ナニ眠たい事、言うてんねん」

  「あんまり嬉しそうちゃうなぁ」

  “会長に対する不満は反目とみなし、

   会をあげて対処する所存である”

布施「誰やそれ? 使えるんか?」

  「それに、あいつはケチや」

  「ちぃと考えさしてくれ」

  「メシぐらい喰ぅて行ってもええやんけ」

  「彼奴ら、使えるな」

  「1度人を裏切ったヤツは、何回でも裏切りよる

大友「お前、俺が死んだってウワサ、流したろ?」

  「お前ら“道具”は持ってんのか?

   ・・此処で出すなよ」

  「何かっつぅと、ハラをやられるな」

  「手前ぇら、ガタガタうるせぇんだよ、この野郎!」

  「その手じゃ、呑めねぇか」

  「何でもするのか? ・・野球やろうか?」

  「彼奴には手ぇ出すなよ。俺が殺(と)ってやるから」

  「だいぶ片付いたな」

大友「(煙草は)吸わねぇよ」

片岡「まだ“長生き”したいんスか?」

大友「悪ぃけど、帰って呉れねぇか?」

女「今帰ると、会長に叱られます」

木村「謝って済む問題じゃない事は分かってますが、

   済みませんでした」

大友「あんたが謝るこっちゃないよ」

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2012年7月 1日 (日)

☆『生きてるものはいないのか』☆

28日(木曜)の夜。
仕事帰り、商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”にて鑑賞して来たのは、密かに期待値を高め続けてた1作『生きてるものはいないのか』だった。

元々、何の予備知識も持ち合せてはなかったんだが・・リンクさせて頂いてるブログ『シネマで乾杯!』の管理者=ぺろんぱさんの記事で本作を眼にして以来「気になるよなァ」と高松上陸を待ってたような次第でして(・ω・)

2007年に上演された同名の戯曲を、『水の中の8月(1995)←この作品、好きです!』『五条霊戦記/GOJOE(2000)』の石井岳龍(がくりゅう)カントクが映像化。

敷地内に病院の併設された、東京都内某所の神西(じんせい)大学を主な舞台に、「卒論テーマに『都市伝説研究』を選択した女学生とその仲間(ナナ、カツオ、マッチ)」「友人の結婚式に向け、出し物(=踊り)の練習をする学生ら(エイコ、エナリ、アンドレ)」「婚約者と元カノの間で板挟みとなる男子学生とそれを眺める喫茶店員(カツフミ、リョウコ、カオリ、、ケイスケ)」「アイドルグループの一員でもある現役男子学生(ショージ)」「出所後、妹に会いに来る謎の男(コウイチ)」「キャンパス内で息子を捜す母親(サチエ)」「病院から抜け出して来た難病の少女(ミキ)」「電車事故を目撃して来た2人の男(サカナ、ヤマさん)」「同僚女性に想いを寄せる不器用な耳鼻科医(マキ、ナイトウ)」・・が、とあるきっかけで次々に不条理な“死”を迎え始める・・

一体、世界に何が起こったのか? そして“死”から逃れる術は?

予告編が、とにかく「アオりまくってくれてる」感じなので、期待値がバンバンに高まってしまってたが・・中盤あたりから「んん?」と言うある種の“裏切られた感”が強まって来て、それがそのまま終盤まで引っ込む事はなかった(・ω・)

「日常の風景」が突然に崩れ始める・・って演出は、スリリングでもあり、設定こそ魅力的なんだが・・もっと「神がかリ的」な登場人物の相関関係や、ネタの繋がりを期待してたので、失望も大きかったと言おうか・・

『フィッシュストーリー(2009)』のようなワクワク感を期待して鑑賞すると、ションボリさせられてしまうワケで(×_×)

総じて言えば「細部が粗く」「散漫で」「パンチ不足」だった印象。いずれもがカントクにしてみれば「意図しての事」だったのかも知れないけど(⌒〜⌒ι)

謎の原因で(その理由めいたモノは「劇中のセリフ群」で仄めかされはするんだが・・結局のトコ、不明のまま)登場人物がバタバタと“退場”して行く、それだけの展開なんだが・・その描かれ方に色んなパターンがありはするものの、正直言って後になるほど「マンネリ感」が強く、頂けなかった。

この手の作品の場合ってば、最初に(とっとと)“退場”したキャラの方が「鮮烈だし、美味しい」のは『そして誰もいなくなった』『インシテミル/7日間のデス・ゲーム(2010)』などにも通じるトコだろう(=^_^=)

連想したのは『エレファント(2003)』とか、筒井康隆による短編小説『死に方』などだった。シャマラン監督の『ハプニング(2008)』にも似てるんかな? と思いきや、大して似てもなかったようである。

ポスターで描かれたシーン(情景)が、いよいよ終盤にやって来るんだが・・ケイスケ役の染谷将太が「その先」どうなって行くのか・・色んな想像の余地が残され、その点だけは印象深かった程度である。

〜 こんなトコも 〜

・『東京公園(2011)』では「アレ」してた染谷くんが、意外にしぶとかったり。
・「生きたいものはいないのか」「まともなものはいないのか」てなタイトルの方がしっくり来たかも?
・最後まで世界を眺め続ける役割の某人物も『エレファント』的だった。
・魅力あるキャラが少なし。
・“いきなり登場し、合流する”その意味(=意図したトコ)の分かんない人もちらほら。
・「決める」べきトコでさえ、徹底的にギャグにしてて・・結局は滑ってた(×_×)
・「いつ、何処で、どのように・・そして“誰と”最期を迎えるのかは(誰にも)分からないし、選べないのかも知れない」と思った。
・状況を「防ぐ」或いは「遅らせる」ような「手立て」はなかったのか?
・(「都市伝説」や「お尻から何か」など)数々の「フリ」はまとまらぬままで良かったのか?
・お尻から出て来る何かは『ドリーム・キャッチャー(2003)』系やろか?
・意外にしぶとかったのは、あの旅客機や鳥たちだった。
・「何かの貯蓄量」が体内でピークに達すると・・突然に“死”のスイッチが入るんやろか?
・あの“悪夢のような1日”を耐え切り、翌朝を迎えたら・・或いは事態は(自然に)終息を迎えるんかも知れない。
・色んな死に方(=最期の言葉)が劇中で描かれた。ワタシも“ある程度は”決めといた方がエエんやろか?
・演出としての「音」が大事なのに、期待ほどには「迫らなかった」。
・生協で購入したからって、酢昆布が安全とは限らない(いや、それが原因じゃないってば)
・『さかなの見分け方』ってホントに刊行されてる本やろか?

〜 こんなセリフも 〜

ケイスケ「どっか行くの? 何処も同じだよ。
     みんな死んでる・・俺たちも死ぬかも知れないんだよ?」

ミキ「何かしても、何もしなくても死ぬんじゃないの?」
  「きっと“医療事故”だよ・・先生たち、適当だからさ」
  「みんな、死んじゃうのかな?」
  「私は独りがイイよ・・独りだから」
  「治らない病気で“そろそろ死にそう”って思ってたら、
   みんなが死にだした」

リョウコ「“説明”して貰えますか?」
    「死ぬワケ、ないんだよ」
    「私は“愛するこの人”の隣で死にます・・さよなら」
    「この街の人、みんな死ぬんでしょ?」
    「・・眼が見えなくなったの」

カオリ「埒が開かないから、これじゃ」
   「あたし・・産むよ」
   「もっと真剣に考えてよ」
   「どうにかして生き残る努力、しないと!」

カツフミ「“養育費を払わない”って選択肢もあるのかな?」
    「仰る通りです」

マキ「死なないように努力するしかないでしょ?」
  「だったら何で、警察とか自衛隊とか来ないの?」
  「マンツーマンで死なれるの、私、イヤだから」

ナナ「都市伝説を探って行くと、人間の色々な事が分かるの」
  「ゾンビになったんだったら、ある程度は成功じゃん“不老不死”」

サカナ「結構、死んでるらしくて」
   「深海の水・・飲む?」
   「これまでも、何人か看取って来たんですけど」
   「長過ぎて、最後まで言えなかったんですね。
    ・・もっと“簡潔”にしないと」
   「人間たちが死んだら、この地球はもっと美しい」
   「サンキュー、世界!」

ヤマさん「血がどんどん下がるなぁ」
    「スゴかったんだよ・・パニックみたいになっちゃってて」
    「そんな“取って付けたような”心配は要らないよ」
    「君に会えて良かったよ」
    「生きろ〜!」

カツオ「“2人になる”ワケにいかないだろ?!」
   「何が起こってるか、知ってます?」

エイコ「“踊りたくない時でも、踊らなきゃならない時”ってあるじゃん」
   「フレンチっぽく“アンニュイなイメージ”で」
   「写メ撮ったけど・・全然有難くない」
   「お母さん・・知らなかったんだよ、私」
   「お前・・誰だ?」

アンドレ「この手の動きだけで、随分“アンニュイ”になりますね」

ショージ「俺、君のお母さんじゃないし」
    「お尻から“何か”出て来ちゃったみたいなんですよ。
     ・・“中身”的な・・」
    「俺、そろそろ死にそうなんで」
    「何をそんなに急いでるんですか?」
    「見守って貰って、イイですよね?」
    「あ・・来てます! 来てます!」

コウイチ「俺、ちょっと“オツトメ”してて」
    「イイ事なのかも知れないけど・・何か“回復”してない?」
    「ちょっと“ワガママ”なんじゃないか?」
    「ついて来て“アレ”するか、今すぐ“アレ”するかだよ」
    「お前は、俺が護る」
    「うそ〜! アメリカもダメなの?」
    「俺は“悪い兄貴”だった」

ナイトウ「院長は不老不死の実験で“3回は生き返ってる”って噂だ」
    “マキさん、聴いて下さい”

※「一体、何から卒業するの?」

エイコ「今の、あたしのせい?」
エナリ「うん」

カオリ「こいつがいると、ハナシがややこしくなるから」
カツフミ「俺、黙ってるよ。たまに喋るけど」

ナナ「砂漠でも、雨ぐらい降るでしょ?」
マッチ「いや、降らないから砂漠なんじゃ?」

カツオ「酢昆布の粉が原因?」
マッチ「それって・・旨味成分?」

マッチ「酢昆布に毒が?」
カツオ「あれ、何処で買ったの? 生協?」

マッチ「賢いんでしょ? メガネかけてるし」
カツオ「バカ、これは遠視だってば」

マッチ「何か・・死んだみたいなんです」
カツオ「何・・これ?」

カツオ「何で逃げんだよ!」
マッチ「自分も逃げただろ?」

コウイチ「気を付けてな」
マキ「何を? 何に?」

リョウコ「死ぬまでそばにいてくれない?」
ミキ「えぇ〜? どのぐらいかかるの?」
リョウコ「分からないけど、もうすぐだから」

ケイスケ「・・殺したの?」
ミキ「見てなかったの?」
ケイスケ「・・殺したのか?」
ミキ「うん」
ケイスケ「・・何で?」
ミキ「死に始めてたし・・苦しそうだったから」

ミキ「50mより近いと“独りじゃない気”がする」
ケイスケ「そう言われると“独りじゃない気”もするけど」

ケイスケ「海・・遠いよ?」
ミキ「・・知ってる」

サカナ「僕、人と話すと、心臓がバクバクするんです」
ナイトウ「それは(病気じゃなく)性格の問題だろ」

マッチ「だってこの人、人望なさそうだし」
ヤマさん「うん・・この人はないだろうねぇ」

ケイスケ「早くこの街を出よう」
ミキ「世界中、こうなんだよ」

ショージ「有難う、世界!」
サカナ「それ、僕も言おうと思ってたのに」

ケイスケ「海って好き?」
ミキ「好きって言うほど知らないけど・・
   好きだと思う」

ケイスケ「“自分が死んだ後”に誰もいないのってイヤじゃない?」
ミキ「そんなもんかな?」

ミキ「何でついて来るの?」
ケイスケ「独りはイヤだから」

ケイスケ「・・殺したの?」
ミキ「うん」
ケイスケ「・・スゴいね」
ミキ「スゴくないよ・・良く分かんないけど」

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2012年6月28日 (木)

☆『愛と誠』☆

週始めの夜。
他県内の“某シネコン”で鑑賞したのは、三池崇史カントクによる(←このしと、最近“焼き直し(リメイク)”ばかりが目立つなァ〜)新作『愛と誠』である。

因みにもう1作、最後まで「どっちにしようか」迷ってたのは『レンタネコ(2011)』だったんだが・・本作の方が如何にも「気楽に楽しめ」「スッキリ出来そう」な気がしたもんで(=^_^=)

1972年、東京の魔窟(=^_^=)=新宿。
学生らの鬱屈したエネルギーが充満する“混沌の地下道(=『新宿の目』の前)”に、1人の型破りな男がやって来た。彼の名は太賀(たいが)誠(妻夫木聡)。

生まれ故郷=長野から上京して来た彼の目論みは「“自らの人生をメチャクチャにしたある人物”の人生」を粉砕する事だった。

そんな彼の前に立ちはだかったのは、名家・早乙女(さおとめ)財閥の令嬢=早乙女愛(武井咲(えみ))である。

誠は当初こそ覚えていなかったが、愛にとって誠は「6歳の頃、(信州の)スキー中の事故で生命を落としかけた自身を、重傷を負いながらも無傷で救った」まさに“命の恩人”なのだった。

一生かかってでも、誠に対する“償い”をしたいと考える愛は、両親の財力等(?)を用い、彼を“真人間”にせんがため、乱闘事件で少年院に収監された誠を出所させ、自らも通う名門校=青葉学園高等部(3年1組)に転入させる。

しかし、愛のそんな献身さを疎ましく感じた誠は、関東屈指の低偏差値校(=^_^=)=花園實業に勝手に転校してしまうのだった。

両親(市村正親&一青窈)が引き止めるのも聞かず、それを追って花園に転入する愛。

そんな愛に「叶わぬ想い」を抱き続ける、青葉学園の秀才メガネ=岩清水(いわしみず)弘(斎藤工)も、彼女を追って花園に転校するのだった。

凄まじい暴力の嵐が吹き荒れる花園實業。その影に君臨する“裏番長”の正体とは?
そして・・愛の想いは、岩清水の想いは、果たして届くのだろうか・・?

同名の劇画を原作とし、これまでにも幾度となく映像化されて来た本作(のよう)だが「ハチャメチャな物語世界」を意図的に、忠実に、ハチャメチャなままに、現代邦画に持ち込むと・・こないにも痛快に仕上がるんやね! とカントクの“したたかぶり”に改めて恐れ入った(=^_^=)

誠の額に余りに大きく遺された“傷痕”や、どう眺めても「17歳」にはてんで見えない(←それはそう言う「奇病」らしいが)番長=座王権太(伊原剛志)の存在感など、ホンマに勢いがありまくる!

一方で、今や(?)邦画界広しと言えど、三池カントクのみに赦された(?)“暴走の過剰さ”は、観客によっては「実に不快」と受け止められるのかも知んない(⌒〜⌒ι)

カントクの『カタクリ家の幸福(2002)』は、恥ずかしくも未見なんだが、かの作品で培われた(?)「ミュージカル演出」が更に洗練されてるのか(?) ・・物語の「ペラペラさ」を巧い具合にミュージカルパートが補ってる感じで、意外にも好感を持ったワタシ。

周星馳(チャウ・シンチー)監督の『少林足球(2001)』『功夫ハッスル(2004)』のように「途中で監督自身が“ミュージカル演出”に飽きてしまう」と言う“中途半端さ”もなく、終盤までしっかりと「手抜きせず」描き切ってくれてたのも“天晴れ”である(=^_^=)

その一方、クエンティン・タランティーノ監督作品に影響を受けまくってしまってるのか・・唐突な“アニメパート挿入”といった演出が、若干ハナについてもしまった。

序盤の『空に太陽があるかぎり/歌:岩清水』『あの素晴しい愛をもう1度/歌:愛』辺りの“サムさ”がちょっとツラくてイタくもあるんだが(総ての観客が「この先、我々は何処へ連れて行かれるんや・・?」なんてな不安感に襲われる事だろう(=^_^=))・・その辺を我慢して乗り切れば、次第に「気にならなくなる」からアラ不思議(爆笑)。

『悪人(2010)』でのブッキー(妻夫木)が余りに「悲し過ぎた」モノで、こう言う「“首尾貫徹”して弱くないブッキー」も、たまには爽快でエエんじゃないかなと思う。

〜 こんなトコも 〜

・「カドカワ、東映、テレ朝、ホリプロ」がタッグ! こりゃスゴいわ(=^_^=)
・三池カントクの『逆転裁判』にも出てた斎藤くん。『悪夢のエレベーター(2009)』以降、段々「イケメン」に見えなくなって来たンだが。。
・舞台が花園實業に移って以降、愛の両親や青葉学園関係者は完全に「フェードアウト」してしまった!! 何でや〜!
・「いきなり始まる、某キャラの“アニメ混じり”の回想」「“異常に汚れたトイレ”なるロケーション」「“場所移動しないまま”だらだら続くシーン」などは、余りにタランティーノ的ではありますまいか?
・“淫獣マフィア”“純喫茶・窓”“キャバレー・タヒチ”“スナック・お富”“雄CAN(ゆうきゃん)”“性病科”などの看板群のネーミングセンスがキラリ☆
・「学園ドラマ」としての展開を期待してたら・・青葉学園を去って以降、完全に崩壊してた(×_×)
・他にも『激しい恋/歌:誠』『夢は夜ひらく/歌:高原由紀』『酒と泪と男と女/歌:誠の母親』『オオカミ少年ケンのテーマ/歌:権太』『また逢う日まで/歌:ガム子』ってなミュージカルパートがあった!(サントラ参照)
・「喫茶店内で、ちゃっかり“盗撮”してた」誠の姿は、どうにも想像しにくい(=^_^=)
・「一列歩行」「私語厳禁」「脱脂綿流スベカラズ」「永久不減」とかの“壁面語録”も楽しい。
・ツルゲーネフの小説『初恋』のハードカバーをいつも抱えてる女の子って、かなり不気味だ(×_×) 『メン・イン・ブラック(1997)』に(イラストで)出て来た「深夜のストリートを“物理の本”を手に彷徨い歩く少女」と同じぐらいに不気味。。
・ダンスの振付担当はパパイヤ鈴木。「♪あ〜い〜」と歌いながら、鼻先を伸ばすような、あの奇妙な仕草は何なんだ〜?
・「弾けてる市村さん」もたまには良い!
・人にはそれぞれ“禁句”があるのだろう(・ω・)
・何処となく「水野美紀」っぽいご尊顔の大野いとちゃん(高原由紀役)。“幸の薄い感じ”がなかなかに良い。“ホリプロの新星”やろか?
・「むちゃくちゃブッサイクやな〜!」と呆れながら観てた安藤サクラさん(ガム子役)。ネットで「ご両親が誰なのか」を知ってぶったまげた! 更に、所属事務所のプロフィール写真・・結構可愛いじゃないっスか!
・余貴美子さん、伊原さん、市村さんら“ベテラン勢”の配置の仕方、それぞれの吸引ぶりが光ってた!
・長回し気味な「ミュージカルパート」「格闘シーン」も、ある意味、圧巻である!
・この調子で『潮騒』『野菊の墓』『青い山脈』『24の瞳』なんかの作品群も、次々に“ミュージカルリメイク”したらどやろ?
・ポスターの「左:微笑む武井」「右:不機嫌そうな妻夫木」・・のレイアウトが『ファイト・クラブ(1999)』を何故か連想させてくれる(=^_^=)
・スケ番連中に、スリッパでバシバシアタマをしばかれてた岩清水君の、今後の成績が心配になる(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフも 〜

ジャワハルラル・ネール(インド初代首相、1889-1964)
 “愛は平和ではない・・愛は戦いである。武器の代わりが誠であるだけで、
  其れは地上に於ける最も激しい、厳しい、
  自らを棄ててかからなければならない戦いである”

誠「“お金持ちだから助けた”なんて思ったら・・ぶっ飛ばすぞ」
 「お前だよ・・お前だって」
 「やけに反抗的な眼、してやがんな?」
 「おいメガネ! お前だよ」
 「感動したぜ。あんたの思い切りの良さ」
 「“能書きの多い女”だな、お前」
 「裏番長だと? ・・アホかお前ら」
 「たった1人に、こんなに束になってよ」
 「お前と言う存在が、心から鬱陶しいんだよ」
 「トンでもねぇ化けもんだな・・彼奴(あいつ)ぁ」
 「あんたが“悲しい女”って気がするからさ」
 「あんた・・ホントに“悲しい女”だな」
 「つくづく“悲しい女”だな」
 「女だからって、容赦しねぇよ俺は」
 「あんたがいない方が、もう少しハナシは簡単なんだよ」
 「・・勘弁してくれよ」
 「だから“行かねぇ”って」
 「“2度と投げられねぇ手”にしてやろうか?」
 「止めねぇから騒ぐなよ」
 「付き合って、死んでやるよ」
 「“余りに寂しい人生”だったもんで、
  アタマおかしくなっちまったみてぇだ」
 「1度“死の恐怖”を味わった人間は、2度と自殺なんか
  出来ねぇらしいが・・まぁ、達者でやんな」
 「たく・・これだからお金持ちはよ」
 「それから・・“この事”は秘密だぞ」

愛「私は、負けないわ」
 「スポーツ万能。成績は・・ご免なさい。優秀です
 「イヤらしい事はイヤだわ」
 「(ラーメンに)卵は2ツ入れてみました・・贅沢かしら?」
 「何て説明的なの
 「此処“普通の喫茶店”ですよね?」
 「耐えるのよ・・私」
 「お客様のイヤらしい仕打ちに耐えていただけですわ」
 「いつの間に、こんな写真を」
 「貴男のために生きる・・それが私の“償い”なんです」
 「私1人が、こんな所で幸せに暮らしている場合じゃないわ」
 「来てくれたのね・・勘違いじゃないよね」

岩清水「・・悪魔のようなヤツだ」
   「君は君であればいい。君が君であるために、僕は生きる。
    つまり・・この岩清水弘は、君のために死ねる」
   「やる方向なんだね・・やる方向か・・」
   「愛する人が幸せになる事・・それが1番の幸せなんだ」
   「君は何故、そこまでして・・」
   「・・確かに、知り合いです」
   「メガネをバカにする奴は、メガネに泣くぞ!」
   「彼は何故、この東京へ?」
   「失敬な事を言うな!」
   「その言い草は何だ!」
   「それは愛だ・・無償の愛だ」
   「僕が死んでも・・彼女が助かるとは限らない」
   「僕の願いは、僕の幸せじゃない。
    彼女の幸せなんだ」
   「何処へ行くんだ? 君だって重傷じゃないか!」
   「来るよ・・彼はきっと来る」

由紀「分からない・・私にはそう言う事」
  「ちょっと・・したくなっちゃった。
   ついて来て・・早く」

早乙女「流石のパパも、堪忍袋の緒が切れた」

ガム子「基本、ぶっ殺してぇだけだし!」
   「全員、揃いました!」
   「いつまでもメロドラマやってんじゃねぇよ!」
   「流石は、このあたしが“一瞬でも惚れた男”だよ」
   「あたしもそろそろ“潮時”だな」

権太「何でや〜!」
  「“おっさんにしか見えへん病”・・かなり進んでるねん」
  「ところで、何しに来たん?」
  「何や、もっと面ろい奴と思ぅとったけど、つまらんのぅ」
  「猿、死んだ。これで“めでたしめでたし”や・・
   せやけど、このハナシには“ウラ”があるんや
  「こいつ・・めちゃ悪い奴(や)っちゃ」
  「アホな奴っちゃな〜」
  「何や・・“月光仮面”みたいやな」

店主「止めときな。あの女と関わり合って、イイ事なんか1ツもねぇ」

岩清水「メガネは“顔の一部”なんだぞ!」
誠「いや、意味分かんねぇし」

追記:そう言や、本作の鑑賞って・・「シアター内に1名だけ」でしたわ(⌒〜⌒ι)

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2012年1月14日 (土)

☆『エンディングノート(2011)』☆

13日(金曜)。
何となく“響きの悪い”1日でもあり「今日だけはキャンプ場には近付かぬようにしよう!」と、考えたかどうなのかは自分でも良く分かんないが・・余りに娯楽性に乏しかったこの1週間の流れを「最後にちょっぴり変えてやろう」と思いつき、仕事帰りに商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”にて上映中の『エンディングノート』を観る事にした。

撮影・編集も兼任する、砂田麻美による初の監督作品。プロデューサーは『誰も知らない(2004)』『空気人形(2009)』を監督した是枝裕和。

監督自身の父親=砂田知昭氏(1940-2009)の“終末活動(略して「終活」)”にスポットを当て、突然に“進行性の末期胃がん(ステージIV)”を告知されたお父さんの「段取り」をこなして行く様子を、家族との触れ合いを交えながらユーモラスに(?)描いたドキュメンタリー。

オープニングで砂田氏の迎えた「結末」が映し出されるので、観客は早々に“オチ”を知ってしまう訳であるが・・それでも暗くなり過ぎず、過剰過ぎる(ワザとらしい)演出もなく、ある意味淡々と“そこ”に向かって歩いてゆく「お父さん」の姿は、凛々しくもあり・・そして、それが故にやはり悲しくもあった。

中盤や後半で、何ヶ所か「ボロボロと(涙腺に)来てしまった」シーンがあったのだが、今のワタシの心境からすれば(←この先、変わって行くのかも知れない)「この父っつぁんの人生、一体何やったんや?!」と言う、本人に成り代わって勝手に悔しがり涙する・・みたいな感情が湧いて来たのである。

無論、更に作品を観て行くうちに「家族に囲まれ、旅立つ事の素晴らしさ、幸せ」みたいなトコに、首を大きく縦に振るんだけど、やっぱり「働いて、働いて、67歳までひたすら働き続けて・・ようやく“楽しい余生”が待ってる・・と思いきや、リタイア直後にこの仕打ちかい!」ってな点に“不条理さ”や“神の不在”を感じ取ってしまうのは、ワタシだけやろか?

砂田氏の“お元気な頃”から、様々な映像群が撮り溜めされ、縦横無尽に繋ぎ合わされるのだが・・正直「撮ったけど、生々し過ぎて使えなかった映像」「故人の印象を悪くしてしまう映像」なども(きっと)数限りなくあり、それらは編集(=都合良くカット)されてしまったんやろな〜 ・・などと決め打ってしまうワタシがいたりもする。
つまりは、出来上がった作品が「奇麗過ぎる」「美談過ぎる」と言おうか。

「激昂」「号泣」「罵倒」・・更に言えば「自殺未遂」「失踪」「再燃する(過去の)女性問題」なども(裏側に)あったのかも知れないし「全くない」とは、誰も言い切れないだろう。

その点に関しては「ドキュメンタリーの体裁は整えつつ、巧妙に整えられた物語」とは思った。

しかし、以前『トウキョウソナタ(2008)』を劇場鑑賞した時にも感じた「絵空事じゃないし、他人事じゃない」って気持ちを再度味わってしまった1作である。

元気でいられる“現在”を喜ぶと共に、孤独に死んでゆくかも知れない自身の“未来”に思いを馳せ、何ともゲンナリしてしまったモノだ(×_×)

〜 こんなトコも 〜

・「本人」に成り代わるナレーションは“饒舌”な程だが、実際に「本人の語る言葉」は“案外、少ない”のだった。
・コレまで“世紀の発明”と言えば『ウォシュレット』のひらめくワタシだったが(=^_^=) 本作を観て『携帯電話』のスゴさを再認識した! コレほど『携帯』が的確に&効果的にアイテムとして用いられてる例って、さほど多くないんじゃないやろか。
・続編が制作されるとしたら・・やはりあの「94歳のしと」に白羽の矢が立つんやろか。。
・昨年までの「毎年の定期健診」で見つからず、、今年いきなり「末期がん」の見つかるのってどうなの?
・「青山通り246」「妙見岳(長崎県雲仙市)」などが登場。
・「無農薬の人参ジュース」ががんを消す? いや、それは「ガセ」らしい。
・公孫樹(いちょう)並木に彩られた、神宮外苑がロケーションされてた。
・お孫さんの『(人も歳を取ると)本のように古くなって行く・・そして死んでしまう』と言う論が、妙に分かり易かった!
・“虎の門病院・消化器外科”“聖イグナチオ教会”がほぼ(?)実名で登場していた。
・伊勢志摩に行ってみたくなった(・ω・)
・砂田氏は、実は「関東電化工業」の元専務さんなのだった! 医者の息子で、自身も当初は医学部を目指したそうだし!
・あのお婆さん、若い頃の(モノクロ)写真がなかなかに美人だったのでびっくり!

〜 こんなセリフも 〜

主人公“人生を締めくくる最期の場所・・教会を訪れた”
   “申し遅れましたが”
   “『会社命』の気質が抜けないので御座います”
   “エンディングノート作りは、死に至る段取り・・
    1大プロジェクトで御座います”
   “死ぬ前に(内容を)話すアホがいるか”
   “成功より、失敗を思い出す
   “だけど、そこからが波瀾万丈”
   “気持ちの安らかになる場所、は何処だろう?”
   “やはり気掛かりなのは、家族の事で御座います”
   “孫にアゴで使われる感じが
    堪らないので御座います”
   “妻とのケンカの質も量も、
    エスカレートしたので御座います”
   “家族での最期の旅立ちです”
   “何故、女と言うものは、何処に行っても
    買い物出来るのでしょうか?
    私の気持ちなんてお構いなしで御座います”
   “伊勢志摩で『あわびステーキ』をもう1度だけ
    食べておきたかったのです”
   “『接待ゴルフ』の目的が、ゴルフではないように”
   “今年は、寒い冬になりそうです”
   “私は、死ねるでしょうか?
    上手に、死ねるでしょうか?
   “そんな事は、知る由もない訳で”
   “この娘だけは、最期まで段取り不足でしたが
    教育し直す力は、もう残ってはおりません”
   “そろそろ失礼しなくては。
    営業マンは引き際が肝心です”

砂田氏「私事で恐縮で御座いますけれども」
   “この1年間、この笑顔がなかったのだ
   「(待ってても)パソコンからオーダーは来ない。
    街へ営業に繰り出さなければ」
   「乱暴な生活を送っていた“咎め”が」
   「早速、勉強しなきゃいけない」
   「やたら撮って、何に使うわけ?
    著作権侵害だよ」 ←肖像権かと。。
   「政治に言いたい事? “がん患者に優しく。
    怖いおばさんに強く”」
   「ちょっと、記録(=撮影)を止めて呉れますか?
    ・・撮ってるでしょ!?
   「セレモニーは、シンプルな方がいい」
   「段取っても、必ず“何か”起こるのが本番と言うもの。
    “完璧過ぎる”と言う事はない」
   「自分で推測したり、外野がうるさいと悩んでしまう」
   「元気な時に会いたかった・・急だったから
    大変だったでしょ? ごめんね」
   「でも、日本もいいでしょ?」
   「感激しちゃった。秀樹、感激〜!」
   「全部、覚えてます
   「大きな期待をしちゃいかん」
   「薬、飲まなきゃ」
   「いい子になるんだよ。じぃじ、頑張ったんだけどね。
    また会おうね。頑張ろうね。
    いつも想っててあげるからね」
   「長い事、有難うね」
   「葬儀は簡単に、静かにやるから」
   「“落ち”があるかも知れない」
   「死ってのは、考えてるだけで、
    ノートには書いてない」
   「何で・・(人は)死んじゃうんだろうね」
   「(向こうは)いいらしいよ。
    ちょっと教えられないけど」
   「もう・・痛くも痒くも
   「また、やり直します・・幸せです

妻「ちょっと“シミュレーション”と違ったね」
 「誰もいない・・ここには、家族だけ
 「ちょっといい? 2人で」
 「一緒に行きたい

司祭「宗教が変わっても、突き詰めたら最期は
   “同じ事”を信じているのです」

医師「ちょっと入院します?」
  「何れにしても・・トータルでは(がんに)負けてた」
  「何で、あのくらい元気でいられるのかが不思議です
  「年を越せるかは・・分からない」
  「方法は・・“待つ”しかない」
  「良い方向にも、悪い方向にも動き得る」
  「“きっちりした線の引ける話”じゃないので」
  「年内は厳しい・・1週間後も厳しい」
  「恐らく(最期は)意識がなくなる、と思います」
  「“生存徴候”がなくなれば“死亡宣告”となります」

追記:「長生きは出来るけど、孤独に死んで行く」のと「早死にするけど、家族に囲まれて逝ける」のと、どっちが幸せなんやろ? まぁ「孤独に早死にする」のに比べたら、どちらも文句は言えんトコやろけどね(⌒〜⌒ι)

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2011年12月23日 (金)

☆『1枚のハガキ』☆

21日(水曜)の夜。
仕事終わりで、気になってた1作『1枚のハガキ』を商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”で観て来た。

世界広しと言えど“業界最高齢”と断じて差し支えなかろう(?)御大=新藤兼人の“最期の監督作”と言うべき円熟の1本である。
(正確には、ポルトガルに103歳の監督さんがおられるようだ)

たまたま(?)この日は“レディース・デー”にぶち当たってしまったんだが、折角のイイ作品にも関わらず・・場内は「男性:ワタシ1人」「女性:3人」ほどの・・かなりサビシい入場率となってしまってた(×_×)

昭和19年夏。奈良・天理教本部。

ここに集められたのは、中年男性のみで編成された“おっさん部隊”“掃除部隊”の100名であった。

不足する「兵舎」代わりに提供されたこの道場を1ヵ月かけて入念に清掃した彼らを前にして、上官(青年士官)は「次の任務は、クジを引く事で決める。貴様らに代わり“偉ぁい上官”がクジを引く事で、それぞれの任地が決まるのだ」と言い放つのだった。

100名のうち60名はフィリピン・マニラ方面に「陸戦隊」として派遣、残る40名のうち30名は「潜水艦」に乗せられ、遠い戦地へと送られる事になる。

残った10名は宝塚に送られ「兵舎」として提供される歌劇場を清掃する任務に就くのであった。

そして、更にその中から4名は「海防艦」に乗せられ、やはり戦地へと・・

・・

送別会で“武運長久”を祈るため、天皇陛下より賜った「酒1合、スルメ1枚」を黙々と齧(かじ)る2人の男の姿があった。

森川定造2等水兵(六平直政)と松山啓太2等水兵(豊川悦司)である。

宿舎で、同じ木製2段ベッド(上:森川、下:松山)に眠る縁(えにし)である2人は、ある夜に心を開いて語り合う。

森川は、妻の友子(大竹しのぶ)から届いた1枚のハガキを松山に見せ「16年連れ添った妻からのハガキだ。しかし、俺はまだ返事が書けずにいるし、書かずに出発する事になるだろう。もしお前が、この戦争を生き延びたら・・妻を訪ねて“森川は確かにハガキを受け取った”と伝えてくれないか?」と頼むのだった。

そして夜明けを待たず、森川は他の59名の兵士と共にマニラへと向かい・・そのまま“帰らぬ人”となった。

・・

8月。ヒロシマ。 ・・そして終戦。

奇跡的に宝塚の航空隊で生き延びた松山は、復員後に自身の家族の“崩壊”に直面する事となり、すっかり自堕落になってしまうが・・「とある決意」を胸に秘め、日本を発とうとしたその日、整理していた荷物の中から“1枚のハガキ”を見つける。

“今日はお祭りですが、貴方がいらっしゃらないので、何の風情もありません。”

ただそれだけの、森川の妻が愛する夫にしたためたハガキ。既に終戦からは4年が経過していた。

松山は、森川友子にハガキを届けるため、廣島県岩津郡熊石の村落へと向かうのだった・・

“99歳の境地”に達した新藤監督がメガホンを執ったと言う事で・・もっと「幻想的」「官能的」「支離滅裂」な“アタマで理解出来ぬ、感覚的な作品”を想像していたら・・意外に、と言おうかかなりしっかり造られてて驚かされた!

そして何より「小規模な(=ある意味、舞台劇的な)物語世界」なのに、シンプルかつ丁寧、分かり易く、破たんも見受けられないのである。

路線としては『キャタピラー(2010)』をまず想起し、比べてもしまうんだが・・あちらよりも「キワモノ狙いでない」「エロティック路線に逃げてない(?)」ってトコは、もの足りなさがありながらも(=^_^=)評価したい点である。

「年下の上等兵の若者に扱き使われ、宝塚海軍航空隊で終戦を迎えた(ウィキペディアより)」と言う監督自身の実体験が、エピソードとして随所に練り込まれているようで、そこに材をとった演出の数々には「絵空事でもあるまい」と観る者に実感させるだけの生き生きとしたパワーが確かに備わっていた。

惜しむべくは、友子を巡る(終戦前後の)エピソードのいずれもが吸引力を持っていたのに対し、松山のそれには「何処か少し粗っぽい」印象を受けた。奥さん役の方のご尊顔的なトコ(?)や、親父役のキャラクタの“徹底的に不在”なトコが、総じては気になってしまうのかも知れない。

でも観ておいて良かったし、観た上でちゃんと“時代背景の理解出来る世代”である自身に対し「昭和に生まれておいて良かった」とじんわり感じる事の出来た良作だった。

〜 こんなトコも 〜

・“おっさん部隊”に所属していた年代の人間が・・平成の世を迎え約100歳。ちょうど新藤監督の世代なのだ。
・“死出の行進”をしつつ、画面奥の闇に消えゆく兵隊ら。クロサワ作品『夢(1990)』の1エピソード「トンネル」に登場する“亡霊部隊”を連想し、思わずゾクッと背筋が震えた。
・久々に「実に人間らしい人物像」を演じ切った、大杉漣さんを拝見! こう言う「卑怯で、臆病者で、それでいて何処か自信過剰な小心者」が戦争を“したたかに”生き残り、どうしようもない遺伝子を残して行った結果が、現代なのかも知んない(×_×)
・土下座っぽい仕草をしつつ、チラッと上目遣いに相手の表情を確かめようとする柄本明氏の“したたか演技”は入神の域にすら達してる(=^_^=)
・友子の格好が「アロハシャツ+ジーンズ」にも見えてしまった。何だか『座頭市(2003)』みたいだ(=^_^=)
・後半にトヨエツvs大杉のバトルシーンがあるが、あそこだけはコミカルな味付けがされていた。あんなにスローに振りかぶったパンチなら、余裕で避けられるとも思うんだが、きっと「避ける」「防ぐ」ってのは(日本男児として)卑怯なのだろう。
・終盤に“龍”の登場するのがボーナス映像的な感じで楽しかった。大杉漣と龍のコラボは、ちょっと思い付かないアイデアだろう(=^_^=)
・大竹さんには、本作でも「吸え!」「下手糞!」と言って欲しかった(⌒〜⌒ι) 松山役が内野聖陽さんだったら「現場のアドリヴ」で実現し得たかも(=^_^=)
・熊石村にロケツアーしたくなって来たが・・どうやら架空の地名のようだ(・ω・)
・宇品港から自転車で片道約2時間の距離に、熊石村は位置するとの事。
・ラストシーンの「遠景、長回し、セリフなし」の何と心地良い事か!
・「道頓堀のキャバレー『キング』」とか「廣島銘酒・寳劔」にも興味津々(=^_^=)
・戦時中は「1道3府43県」だったと言う我が国。
・日本の夏には、日本の田園風景には、やはり茅葺き屋根が映える!
・ラストに表示される『おわり』には、何だかスタジオジ※リを連想させられた。

〜 こんなセリフも 〜


松山「俺らの運命はクジが決めるじゃけぇのぅ」
  「ビールを飲みに来たんじゃない」
  「ベちゃくちゃ喋んな!」
  「親父には逢わん! 親父を棄てたら・・殺すぞ!」
  「お前、運の悪い奴じゃのぅ」
  「外へ出れん。村じゅうの者(もん)が俺を笑ぅとる」
  「色々と身辺にありまして」
  「隊の検閲が厳しくて、簡単な事しか書けない」
  「暗い道は慣れてる」
  「戦争は、まだ終わっちゃおらんぞ!」
  「“五右衛門風呂”は懐かしいです」
  「“馬の骨”とは何じゃあ!
   帝國海軍2等水兵だぞ!」
  「※※※※へ行こうと思っちょります」
  「クジを、俺は認めたくない」
  「野垂れ死になんかせんで、生きんさい!
  「広い天地に解放されたいんじゃ」
  「生きるんじゃ! 生きるんじゃ!」
  「俺の“最期のクジ”を引かせてくれ」
  「此処を畑にして、1粒の麦を蒔こう」

妻「呑んでつかぁさい」
 「何も言うて来んけん、逃げたんよ」
 「戦死すれば良かったんじゃ!」

下士官「陛下より賜ったスルメを齧って、鬼畜米英をやっつけろ!」
   「貴様、何かやれ!」

森川「『後は頼む』と妻宛の手紙に書いても、検閲は通らん」
  「此の國の為に、一命を捧げて参ります!」
  「多分、生命はないじゃろう」
  「俺が戦争から帰って来たら・・今度こそ子供を作ろう」

友子「安心してつかぁさい」
  「此処に居(お)らしてつかぁさい」
  「もう何にも言ぅてつかぁさんな」
  「待っとるよ」
  「あんたぁ! わしを置いて何で死んだぁ!」
  「さ、行きまひょう」
  「此れからもずっと、兄さんの事は言ぅてつかぁさんな」
  「そりゃ運命じゃけぇ・・仕様がない事でひょ?」
  「其の事は、もう言わん事にしまひょ」
  「放っといてつかぁさい」
  「心配しんさんな」
  「どぅにかしよるけん」
  「戦争を呪ぅて生き・・野垂れ死にしますよ」
  「馬鹿にするな!」
  「水です・・清潔です」
  「白木の箱に入って帰りました」
  「骨も戻らないで・・あたしを置いて逝ったんだ」
  「どうして生きとるんじゃ?!
   何で死なないんじゃ?! あんたは!」
  「食べ物を作りますから、食べてってつかぁさい」
  「クジじゃけん・・わしは納得しましたよ」
  「お別れですけん、私もご相伴させてつかぁさい」
  「此の10万円で“クジ運の良さ”を帳消しにしたいんですか?」
  「金で片付く問題じゃない・・金じゃないと言ぅとるじゃろ!」
  「金をちらつかせる男は、わしは好かん」
  「戦争が、皆殺しにしたんじゃ」
  「わしも広い空の下に出てみたい
  「残念ついでに、何か祝ぅてつかぁさい」
  「死んでしもぅた・・わしも死ぬんじゃ!」
  「こがいなボロ布(きれ)の様な女に、
   そがいな事を言うてくれんさんな」

吉五郎「大日本帝國、危うし!」
   「手柄立てずに死なりょうか」
   「撃ちてし止(や)まん!
    ※※君は大日本帝國の礎(いしずえ)となられました」
   「がいな事を言うのぅ」
   「儂の世話にならんかね?
    心(しん)からあんたが好きじゃ」
   「好敵手、現る」
   「盗み聞きは、儂の“得意とする所”での

父「此れも御國の為じゃ、我慢して呉れんさい」
 「此の家に留(とど)まって呉れんさい」
 「憲兵に(脱走したお前が)捕まれば、儂ら家族は全滅じゃ」
 「堪えて呉れぇ!」

母「医者に払う銭(ぜに)はない」
 「お経をあげたら、死んだ人が生き返りますか?
 「一寸(ちょっと)来てつかぁさい」
 「堪えてつかぁさい」
 “此の運の悪い家を棄てて、逃げてつかぁさい”

父「軍艦で沖縄に行くんか?」
三平「軍艦なんかありゃせん。瀬戸内巡航船で行くんじゃ」

友子「クジ運が良かったんじゃ」
松山「そうです・・クジ運です」

友子「白木の箱には何も入ってませんでした」
松山「海の底に沈んだんですから」
友子「・・クジでね

松山「俺が担ぎましょう」
友子「やってみますか?」
松山「やってみましょう・・重いな」
友子「コツがあるんです・・毎日の仕事じゃけん」

友子「お強いのね」
松山「俺も“馬鹿な真似”をしました」

松山「表(おもて)、出るか?」
吉五郎「いやいや・・これ以上やられちゃ、背骨が折れちまう」

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2011年10月24日 (月)

☆『一命【3D版】』☆

22日(土曜)の夜。

クルマに乗り“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと行き“ハシゴ鑑賞”を敢行した2本目は、
三池崇史監督による時代劇『一命(いちめい)』である。

時代劇初の“3D作品”って事で多少は期待してたんだけど、ホンマに「3D仕様にする意味」が全然ないと言うか・・そもそも「活劇」としてジャンル分けされるモノでもなかった気がする(×_×) 「問題作」って言う事は、確かに分かるけど。

寛永7年(1630)12月。名門・井伊家の屋敷の門を、津雲半四郎(つくもはんしろう:市川海老蔵)と名乗る浪人(元・広島藩士、福島家)が叩く。
彼は家老=斎藤勧解由(さいとうかげゆ:役所広司)に「切腹をしたいので、当家の玄関先を拝借したい」と申し出る。

斎藤はそんな津雲に対し「2ヵ月前に当家を訪れ、全く同じ申し出をした浪人=千々岩求女(ちぢいわもとめ:瑛太)がいた事」を告げると共に、彼に対し行った処分を語って聞かせる。

話を聞き終えた津雲は、平然とした様子で、斎藤や側近=田尻(竹中直人)に「最期に1ツだけ。出来ますれば・・介錯人を※※※※※殿にお願いしたい」と申し出る。

そしてその理由を語り始めるのだった・・

鑑賞後に知ったが(=^_^=) この作品もまたリメイクらしい。監督:小林正樹、主演:仲代達矢による『切腹(1962)』が元になってると。(原作:滝口康彦著『異聞浪人記(1958)』)

元の方が、三國連太郎(斎藤役)、岩下志麻(美穂役)、丹波哲郎(彦九郎役)・・と、妙に俳優陣にワクワクさせられるんだけど(⌒〜⌒ι)

本作は「サムライの面目とは何か?」を問い、武家社会・武士道精神の抱える“矛盾”をテーマに「家老と浪人(=いわば、武士階級の上層と下層)が対峙する」物語なのだが・・平成のこの時期に、この仕様で、企画・製作された事が、正直良く分からなかった。

結論なんか出ないし、観終えて心が晴れるワケでもない。
三池監督が撮るべき、三池監督でなければ撮れない作品は「本作とは全く別なトコ」にあるんじゃないやろか? と感じたのはワタシだけやろか?

津雲の回りくどい(?)行動や、総てを語り切ったとも思えない心情。
それに対する、斎藤の「徹底的に思考停止した価値観」ってのも、妙に不愉快だった。
と言うか、役所さんならではの「持ち味」が生かされてなかったんじゃないかな、とか。

前半で描写される、瑛太の「切腹シーン」が妙にキツくて、観てて貧血を起こして倒れそうになってしまった。
いや、実際には、大した描写じゃないんだが・・想像力(妄想力?)の有り過ぎるしとには、刺激が強過ぎると思う。
(ホンマにキツかったのは“決意”してからの美穂ちゃん(演:満島ひかり)だったんやろけど、、)

三池さんの中に「“時代劇と言えば、山田洋次監督”ってな図式をぶっ壊してやろう!」的な目論みがあるのかどうか、そこは良く分かんないんだけど・・「エンタテインメント」を優先するなら(「3D仕様」と言うスペックだけから判断すれば、本作は「娯楽作」を狙ってる筈なので)もう少し「観終わって、気持ちの明るくなる物語」を選び、手がけて欲しい・・と思ったのだ。

〜 こんなトコも 〜

・ナニを勘違いしたか、チケットを買い求める際「最終上映の『いちみょう』を1枚」って言ってしまった。。まず、ちゃんと読めてないじゃん!(×_×) ←タイトルは『いちめい』です、ハイ。
・京都の「南禅寺」「化野(あだしの)念仏寺」がロケ地になってた。
・時代劇=庄内映画村・・と来ればセディックインターナショナル(=経営母体)に繋がって来るんやね☆ 観光地としても賑わうだろうし、巧いやり方だなァ!
・海老ちゃんのセリフがボソボソとし過ぎ(×_×)
・殿中を歩く斎藤の動きには“とある特徴”が。アレってば、戦(いくさ)によるモノか?
・斎藤の飼っている白い猫が印象的。ペルシャ猫じゃないのね(=^_^=)
・「壊れた木魚」にちょこんとおさまってる野良猫も可愛かった。
・本作を観ると・・「栄螺(サザエ)」が喰いたくなる!
・「傘張り」「竹光(たけみつ)」などの演出は『たそがれ清兵衛(2002)』で既に観たモノなので、さほど「新鮮さ」はなかった(⌒〜⌒ι)
・津雲の剣術の強さがハンパない! 内職なんかせずとも、武芸指南役とかで(藩に)仕官する事は叶わなかったんか?
・一方で、寺子屋の経営って、あそこまで悲惨なモノだったんやろか。
・広島城の“破却沙汰”に関する史実を、物語に巧く盛り込んでると思う(元和3年(1617)〜5年(1619))。
・当時の広島藩は49万8200石。572名を抱えていたと言う。
・「世話人」と「見届け人」の役割の違いが、分かりにくかった(・ω・)
・千々岩家に伝わる宝刀は、刀工・和泉守兼定の手によるもの。
・昔の子供は「お先に頂戴します!」と礼儀正しい(=^_^=) ←今はアカンのかい!
・地面に這いつくばって、割れた卵を吸うあのしとが悲し過ぎる・・
・傘6本を50文と交換してた津雲。1両=4000文と言う当時の相場だから、薬代=3両と言えば、傘1500本ぶんぐらいに相当したのか(×_×)
・竹中直人さんの持ち味は、余り生かされてなかった(×_×)
・連想したのは、やはり『HERO/英雄(2002)』だろうか。あの作品も、後味は決して良くなかったよなぁ(×_×) あ、あと『さや侍』(=^_^=)
・“竹光侍”たった1人に、何を手こずってンだか・・猫も退屈してますにゃん。
・「求女」と言う名前に、何処となく“ナンパな響き”を感じちゃうんスけど・・

〜 こんなセリフも 〜

津雲「御願いの儀があって参った。御取次ぎ願いたい」
  「其の時の経緯(いきさつ)を承りましょう」
  「其の様な御念(ごねん)には及びませぬ」
  「“喰詰め浪人”の最期には、
   此のままが相応しいと申すもの」
  「毎日、壱ツ壱ツ丁寧に行っておれば、
   やがて上達する。心配するな」
  「“熱い内にしか喰えぬ味”かも知れぬぞ?」
  「下らん事は心配せずとも良い」
  「弐人(ふたり)で食べた方が美味い
  「も少し大きな鯛にしたかったが、申し訳ない」
  「父親に遠慮などしてはならん
  「何ぞ手立ては無いのか?!」
  「其方は“侍の子”ぞ」
  「求女は何をしておる・・」
  「待って呉れ! 合点が行かぬ」
  「武士も“血の通ぅた人間”であろう?」
  「も壱ツ“持参したもの”が御座った」
  「正(まさ)しく“首があって首がない”・・」
  「全く辻褄が合わぬ! 下らぬ! 実に下らぬ!」
  「拙者は唯生きて・・春を待っていただけだ」

求女「御願いの儀が御座って参った」
  「御猶予を!」
  「・・是にて、斬らせて頂く」
  「夫が妻や子の為に働くのは当然であろう。
   我らは割符(わりふ)の如く“弐ツで壱ツ”なのだ」

彦九郎「此の様な差料(さしりょう)で
    潔く腹を斬ろう、とはな」
   「さ、御着替え召されよ」
   「御望み通り、切腹なさるが宜しかろう」
   「猶予とは見苦しい!」
   「御最期は、自分のものが宜しかろう?
    見事な脇差を御持ちじゃ」
   「最期の願いが其れか? 情けない奴め」
   「自分でぐいと引き回すのじゃ!
    引き回せ! まだまだ!」

斎藤「誠(まこと)、奇特な志(こころざし)と承った」
  「当家で“狂言切腹”は通用せぬ」
  「少し心を落ち着けられてはどうだ?」
  「我らとて、筋を通さねばならぬ。
   武士に弐言があってはならぬ。
   自分の為された事、分かっておるな?」
  「して、其処許(そこもと)は如何(いかが)なさる?」
  「・・何しに参られた!?」
  「武士が斬ると云ったら、斬らねばならぬ」
  「我等は武士として禮(れい)を尽くした」
  「人には夫々(それぞれ)面目があろう?
   なければならぬ!」
  「斬り棄てぃ!」
  「乱心者めが!」

甚内「こんな日に寝ておっては、罰が当たる」

田尻「御指示の通り、終わりまして御座居まする」

※「御侍ってのは、色々ややこしいもので御座んすねぇ
 「おや? 御存じではないんですか?
  今、巷を騒がせてる“狂言切腹”の噂を」
 「此の参両は御家老様から。確かに御届け致した」
 「“狂言切腹”は当家では通用しない、と」

斎藤「如何かな? 今の話は?」
津雲「・・して、その先は?」

斎藤「申してみぃ」
津雲「然(さ)れば」

質屋「其の御腰のものは御売りにならないんで?」
求女「・・無礼だろう!」

津雲「此処におられる皆様は“面目の為に
   死を恐れる”事はないと?」
斎藤「如何にも!」

藩主「手入れをして呉れたのか?」
斎藤「“赤備え”は我等が“誇り”で御座居ます故」

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