2013年10月 9日 (水)

☆『R100』☆

10月6日(日曜)の午後、ご近所のシネコン“MOViXあまがさき”に出掛け、観て来たのは・・公開の始って間もない、松本人志による4本目の監督作『R100』だった。

これまでに、松本監督がメガホンを執った3本の作品を総て観て来たが、自身が主演も兼ねた『大日本人(2007)』は終盤に於ける“失速ぶり”にガッカリさせられ、同様に『しんぼる(2009)』では“引き延ばし過ぎな1シチュエーションコメディ”に残念さを覚えた。

次の『さや侍(2011)』では、自身が監督業に専念(?)する事による「進化/深化」を期待したものの“笑えるでもなく泣けるでもない物語世界”に、ただ苦笑の止まらなかった気がする・・

そんなワケで本作。主演に大森南朋を迎え、その周囲を豪華女優陣が固める・・って事でかなり期待はしていたんだが、、

3年前から妻=節子(YOU)が「遷延性意識障害」で人事不省となっているサラリーマン=片山(大森)。

大手家具店で真面目に勤務し、郊外の一戸建で8歳になる息子=嵐(あらし)と慎ましく暮らす彼は、ふとした気の迷いから(?)都内の古びたビル(大光ビルヂング)の一室に居を構える秘密SMクラブ『ボンデージ(BONDAGE)』に赴き「1年間の入会契約」を交わしてしまう。

しばらくは、支配人(松尾スズキ)の言葉通り「日常生活の中で、いつやって来るか分からない緊張感」を満喫する片山だったが、次第に『ボンデージ』の差し向ける“女王様”の出没先は「職場」や「自宅」まで及び、その行為もまたエスカレートして行く。

そんなある夜、自宅にやって来た“女王様”とのプレイ中に「とある事件」が起こってしまう。

以前から「クラブ退会」を申し出るも、認められなかった片山は、その1件を機に『ボンデージ』と戦う事を決意する。

そんな彼の前に現れたのは、国の特務機関に所属すると言う謎の男=岸谷(渡部篤郎)だった。

事前情報を殆ど(?)シャットアウトし、鑑賞に臨んだワケだが・・正直、(またもや)期待し過ぎたようで(×_×)

導入部こそ、キューブリック監督の遺作(かつ怪作、、)『アイズ・ワイド・シャット(1999)』を思わせる、そこそこにミステリアスさを帯びた幕開けなんだけれど・・次第に「陳腐でおかしな方向」へと物語は転がり出す。。

中でも「“したたか”やなァ」と言おうか「そう言う“躱(かわ)し方”はイヤやなァ」と強く感じたのは「片山を主人公とした物語」自体を劇中劇(いわゆる“メタ構造”)として描き、主人公と観客の間に「もう1枚の、客観的な立場の存在」を挟み込む、巧妙な(狡猾な?)演出を施した事。

でもって「彼ら」に「観客のツッコまんとするポイント」を総て“先回り”し指摘させてしまった!

で、コレをやられてしまうと、観客はもう何も言えなくなるし、その「言えないフラストレーション」が募ったり、或いは「制作側に軽視されてるような気持ち」を覚え始めたりするのである。

大森南朋と言う素晴らしい俳優を主演に迎えたにも関わらず、彼の持つ「らしさ」「潜在能力」を封じ込め、単調かつコント的なシチュエーションの連続や、CG加工された表情などで「折角の“大森南朋の良さ”を余りに殺してしまってる」ように感じたのはワタシだけだったろうか?

中盤以降では『ボンデージ』なる秘密クラブの存在が、いきなし「世界的な組織」にまで拡大し描かれ始めちゃうワケだが、そこまでの荒唐無稽な展開なんてのは、正直必要なかったし、例えそれ(必要性)があったにせよ、もっと「ハッキリ描かず、臭わせる」程度で“寸止め”しといて欲しかった。

第1回監督作品『大日本人』からこっち、どうにも作を重ねる毎に「見かけ倒しになっている」「つまらなくなっている」と感じざるを得ないワケで・・何か「投げやりになってしまう理由」があるのかないのか、その辺りの監督の考えを訊いてみたいトコである。

まぁ、訊いた所で「このような形で放たれてしまった」作品の評価が、世間でも、ワタシの中でも、回復するのは難しいが・・

~ こんなトコも ~

・冒頭部分ではモノクロ映像の味わいが奏功してた! 「レトロな建造物」や「立ち上る紫煙」がホントに良く似合う色合いだ!

・時代設定は古いらしい(1983年頃か?)が、登場する車両、装置などの「こだわりぶり」が甘い(現代の車とかが走ってた)

・『アイズ・ワイド・シャット』のテイストと思いきや、クローネンバーグ監督路線や、鈴木清順監督の『ピストルオペラ(2001)』なんかを遠回しに批判するような狙いか?

・“劇中劇”な演出が、妙に粗い。

・唐突に「拳銃を使いこなし」「バイクを乗りこなし」「英会話に堪能な」主人公は・・実は「潜入捜査官」だった?

・渡部篤郎の役柄を、板尾創路氏が演じても面白かったか(⌒~⌒ι)

・世界規模の組織との戦いに突入して行く辺りから、悪い意味で松ちゃんの「稚拙さ」や映像作家としての「集中力の無さ」が露呈してたように思う。

・大森南朋の用い方は勿体ない、特に中盤以降は・・

・YOU、前田吟、渡部篤郎は、まさに後半で“退場”状態だった。往年の某番組内のミニドラマ『木瓜の花(1993)』みたいだ。

・“丸呑み”のどこが「女王様プレイ」なのか? また吐き出すの? 『アナコンダ(1997)』のジョン・ボイトみたいに、、

・嵐くんの「半裸(パン1)+緊縛+吊り下げ」行為ってば、児童虐待(児童ポルノ)に抵触しない?

・板前さん業界は眉を潜めそう(連続で「寿司を平手でバン!」な演出)

・「どっきり」シチュエーションの拡大版、とも言えそうか?

・「入会金」「年間契約料」は一体幾らで、どう工面したのか?

・高級な寿司屋にぶらっと立ち寄ってた主人公。慎ましい生活とのバランスがちょっとおかしくない?

・某女王様は「大量の手榴弾の詰め込まれたアタッシュケース」を杉浦邸に持ち込んで、一体どんなプレイをする気だった?

・嵐君が途中から「トシオ君」に見えて来た(=^_^=)

・「唾液が追跡装置になってる」とはどう言う意味?

・YOU、前田吟、渡部篤郎の“退場”を、片山は(結局)知らなかったハズ・・

・『タイムコップ(1994)』に於ける“時空移動シーン”のような波紋映像演出は独特だった。

・ラストはてっきり「群像劇+大地震のオチ」と思ったが・・

・CEOのゴツさが印象的。。あの巨躯はやっぱり「CG処理」だったのか? ガンダルフやクセルクセス王的な・・

・細かい「笑える」ネタは多いけど、、「ごっつい」のや「尾を引く」のは皆無だった(×_×)

・某ビルで開催されてた「中国農民画展」に興味津々。

・「ソルピデム」と言う薬品に興味が湧いた。

・40分ほど過ぎてからの、ようやくのタイトル表示に「遅過ぎるわ!」とツッコミ(=^_^=)

・わがままな老監督の言動(?)を眺めてると『100年の時計(2012)』の爺さまを思い出した。

・劇中に登場する「城楠大学附属病院」の外観は、大阪城公園の敷地内にある「旧・大阪市立博物館」のレンガの建物だろうか? 似てる気がしたが・・?

・花言葉が「希望」なのは・・“ガーベラ”らしい。

・いきなり始る「関係者インタビュー」こそ、本作最大の“松ちゃんらしい演出”だったのかも知れない(=^_^=)

・本作も「喫煙シーン」が目立ってた。

・劇中に登場する、木製の包丁(?)ケースに『涼』の1文字が、、

・『ユーフォリア(Euphoria)』は「多幸感」を意味するそうだ。

・劇中に登場する店舗(看板)として「洋菓子ポアール」「うなぎ天地屋」「鮨の六兵衛」「大久保興業」「喫茶若草」などがあった。

~ こんなセリフも ~

片山「で、分かりました?」

  「ベートーベンは作詞もしているんです」

  “人は総てのものを2つに分けたがる”

  「パパがちゃんとしないとな・・パパ、ちゃんとするからな」

  「嵐に何をした?」

  「とにかくやり過ぎだ。ちゃんとルールは護ってくれ」

  「そもそも“(彼女が)生きてる”のを観た事がない」

  「俺の身体は縛れても、俺の心までは縛れない

支配人「・・お帰りですか?」

   「“女王様”は常に貴方の傍にいますよ」

   「でも、興奮しませんでしたか?」

   「向上心の強い娘でしたね」

   「ここから先は“彼女の弔い合戦”ですよ」

   「CEOが動いたと言う事は・・

    いよいよ本部を本気にさせたようですね」

   「Mは、Mを極めるとSになる」

   「Sは、より強大なSに導かれ・・“真の扉”が開かれる」

杉浦「節子・・もう“こんなもの”を着けて

   生きるのは止めよう」

嵐「パパ、何かあったの?

  コロッケがグチャグチャだよ」

岸谷「ちょっと寝てみて」

  「あんた“ヤバいクラブ”に手を出してるだろ?」

  「忠告しに来たんだ」

  「あいにく、これは“プレイ”じゃないんだよ」

  「敵は、こいつの唾液について来てるんだよ」

  「よだれく~ん!」

女王様「ドキドキしたいんだろ?」

   「あんたの“止めてくれ”は“やってくれ”

    にしか聞こえないんだよ」

   「いい事、言うじゃない」

   「あたしも頑張ってみようかしら?」

   「時間厳守は“ビジネスの第一歩”ですから」

   「さてと、そろそろ行こうかね」

   「(CEOは)大胆なのに繊細な方よ」

警官「それじゃムリだって。動きようないよ」

  「プロレスは暴力じゃない」

  「(当事者は)未成年でもないし」

  「まぁ、実際に“分別ある大人”なのか

   どうかなんて、分からないですけどね」

インタビュアー“(彼女は)どんな人だった?”

       “CEOってどんな人?”

関係者「はい! もうダメ!」

   「この後も“丸呑み”があるので」

   「(前作と)テイストが違い過ぎだろ?」

   「そもそも、知らない※※※※の声、

    何で真似出来るワケ?」

   「“100歳を超えないと理解出来ないだろう”

    って監督が」

CEO「ここからは“高級ボンデージコース”だ」

   「カ~タ~ヤ~マ~!」

関係者A「あの“揺れてる”“揺れてない”ってのは、

     “何かの伏線”なのかね?」

関係者B「監督は“今の日本に於けるリアリティ”と

     申しております」

※「揺れてる? ・・違うか」

 「あれ? 今、揺れてます?」

 「揺れてる? ・・違うか」

片山「どう言う事だ?!」

女王様「こう言う事だよ」

片山「ここは私の職場だぞ!」

女王様「たった今から“あたしの職場”だよ!」

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2012年12月30日 (日)

☆『007/スカイフォール』☆

記事のアップが(遅れに)遅れ気味で済みません~(×_×) 気長にお待ち下さい。

・・

9日(日曜)の夜。市内の“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”で鑑賞したのは、待望のシリーズ最新作『007/スカイフォール』だった。

なるだけ・・と言おうか、結果的に(⌒~⌒ι)「事前情報を仕入れ過ぎず楽しもう!」と決めたので、これまでのダニエル“6代目ボンド”クレイグの出演作を観直したり、なんぞは全くしなかったワケだが・・本作は本作で、ちょっとこれまでの2作=『007/カジノ・ロワイヤル(2006)』『007/慰めの報酬(2008)』とは“毛色”の異なった感が強かったりもし、それはそれで正解だったのかも知んない。

シリーズの「第23作目」にして「50周年記念作品」を冠してもいる本作、さてその完成度は・・?

トルコ・イスタンブールに於ける極秘任務に就いていたMi-6(英国情報部)のトップエージェント=コードネーム:007ことジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)。今回の作戦は諜報員(世界中に暗躍するNATO工作員)リストの収録されたハードドライヴの回収である。

同僚のロンソン、現地女性エージェント=イヴと共に臨んだミッションだったが、結果的にハードドライヴは奪われ、ロンソンは銃撃され殉職、ボンドもまたドライヴを持ち去ろうとした傭兵のリーダー=パトリスとの列車上での格闘中、イヴの誤射により被弾し鉄橋上から谷底に転落、姿をくらましてしまう・・

3ヵ月後。

ボンド不在のMi-6では、女性部長=M(ジュディ・デンチ)が、情報安全委員会の新任委員長=ギャレス・マロリー(レイフ・ファインズ)から作戦の失敗に対する引責辞任を勧められていた。

引退(の提案)を拒絶するMのもとに、謎の人物から“自らの犯した罪を思い出せ”なるメールが届く。直後、本部がテロ攻撃(人為的なガス爆発)により半壊、職員8名が犠牲となるのだった。

実はトルコで一命を取り留めていたボンドは「Mi-6本部爆破」の報道を眼にしロンドンに戻る。

帰任報告に続き、Mの命令で「復帰テスト」を受けたボンドの成績は散々なものだったが「復帰させるには不適格では?」なるマロリーの意見を遮ったのは、他ならぬMその人だった。

パトリスの足跡を追って上海へと向かうボンド。遂に彼を倒す事には成功するも、その背後に潜む“黒幕”はなかなかにその正体を現さない。

マカオで謎の女=セヴリンに会ったボンドは、彼女の案内で孤島をアジトにする“黒幕”にようやく対面する事に。

そして、彼を待ち受けていたその人物は、ボンドにとって、またMi-6、Mにとっても因縁の浅からぬ男なのだった・・

上映時間=2時間22分と言う長さ、そして終始「守」「耐」の姿勢を貫徹するボンドの言動に、何とも言えぬフラストレーションの溜まりまくる1作ではあった(=^_^=) 観終わってから、誰しもが思うのは「本作のボンドガールって・・Mでは?」「って言うか、本作に限っては、Mが主人公だったんでは?」ってトコである。

同様に地味なドラマだった『カジノ・ロワイヤル』を経て、ようやく『慰めの報酬』で“アマチュアらしさ”の消えた“ダニエル”ボンドだったのに、またもやスパイとしてのスキルがすっかり低下してしまってた(×_×) 登場するスパイガジェットも地味だし、ボンドカーも「あんな程度の扱い」だし、もっと言えば「敵組織」にせよ「舞台」にせよ、実に“狭い&ちっこい”世界観だったのが何とも寂しい(×_×)

中盤以降(殆ど後半?)でその姿を現す、超重要人物=ラウル・シルヴァを演じたのがハビエル・バルデムさんなんだが、このしとも「“冷徹さ”や“残虐さ”が吹っ切れてない」と言おうか、同様に“ヤバ過ぎる人物”を見事に(不快な迄に)演じ切った『ノーカントリー(2007)』に於けるアントン“Mr.ボンベ”シガー役に比べると、インパクトに欠け過ぎだった。

「ボンドガールの不在」「Mi-6に関する重要キャラ:3名の登場」 「ボンドの出生の秘密」など、幾つかの特色を持つ作品である点は評価しなければならないんだが、観てて「何だか『ちっともスッキリしないヒーローもの=新生バットマンシリーズ』の影響が007シリーズにも“波及”して来たみたいでイヤやなぁ」と感じたのが素直なトコである。

長い割にメリハリに欠けると言おうか、ボンドに対する制作者側の“愛情”みたいなモノも余り伝わって来なかった。

この調子だと・・いずれはマロリー委員長が“真の悪玉”とかになったりする展開も有り得るんじゃないやろか??(⌒~⌒ι) 「決して名前を言ってはならないあのしと」みたいに(=^_^=)

~ こんなトコも ~

・ボンドに傷を与えた「劣化ウラン弾」は、誰がいつ放ったものだったんやろ? イヴが撃ったと思ってたので、それがパトリスに繋がる展開が(正直)良く分かんなかった(×_×)

・「あのしと」の死因は、手のケガによる失血死だったんやろか?

・“ボンドの出生”に対する(脚本的な)メスの入れられ方は余りに断片的で中途半端だった。

・シルヴァの「組織感」「君臨感」「支配感」が余り描けてなかった。突出した特徴、印象を持つ手下なんかも皆無だった。

・折角“端島(軍艦島)”が登場するのに、単なる「マカオ沖の小島」程度の扱いでしかなかった(×_×)

・議会(?)襲撃以降の展開はやや間延びしてたし、削れる部分は多かったのかも。

・後半に連続する爆発&炎上関係のシーンは、何となく(総じて)ミニチュアぽかった気がする。

・『慰めの報酬』の続きの物語ではなかった。敵組織「クアンタム」は既に壊滅したのか? またミスター・ホワイトは何処へ?

・前半、トルコで休暇中のボンドの“顔やせぶり”はスゴかった!

・終盤は“西部劇”となってた気もする。連想したのは『L.A.コンフィデンシャル(1997)』『ロード・トゥ・パーディション(2002)』辺りか?

・結局は、安直気味な“内輪ネタ”“ルーツネタ”の混在で、世界観のさほど広がってなかった感が(・ω・) 

・サム・メンデス監督が前の奥さんがケイト・ウィンスレットだったり、ダニエル・クレイグの今の奥さんがレイチェル・ワイズだったりして“案外、狭い世界なんかも”と思ったりする。。

・レイチェルに関して言えば、メンデス監督&ダニエル君って、ある種の“兄弟”みたいな感じになってると表現出来なくもない(⌒~⌒ι)

・『ドリームハウス(2011)』にも興味津々。

・バイク・チェイスの用いられるトコは、奇しくも『ボーン・レガシー』っぽくもあったか。

・本作に於けるボンドより、ロンドン5輪・開会式で披露された、ダニー・ボイル監督による短編『007/幸福と栄光(Happy & Glorious)』に於ける彼の方がよりスマートで、インパクトもあったような気がする(=^_^=)

・Mi-6所属のエージェントが殉職した場合、住居(アパート)は売却され、私物は倉庫に送られてしまう事が判明。。

・ボンドの連想した言葉は次の通り。「月⇒ダンス」「スパイ⇒囮」「女⇒罠に注意」「スカイフォール⇒テストはそこまで」

・サソリを手に載せて酒を呑む場合、どんな条件で「刺される/刺されない」が決まるんやろ?

・モディリアーニの絵を前にして狙撃されてたのって・・誰?

・他に連想した作品は次の通り。『セヴン(1995)←捕まえてからが厄介』『第3の男(1949)←地下道』『ザ・ロック(1996)←島』『ダーティ・ハリー3(1976)←島』『007/ゴールデン・アイ(1995)←黒幕』『追いつめられて(1987)←エスカレータ滑り降り』『007/消されたライセンス(1989)←全体的な規模の小ささ』『007/黄金銃を持つ男(1974)←黒幕』『スピード(1994)←地下鉄』『クリフハンガー(1993)←氷の下の戦い』

・シアン化水素のカプセル(劇薬)で死に損なうと、それはそれで悲しい事になるようだ。

・拘束室の地下が・・そのまま地下鉄に直結してて笑えた(=^_^=)

・Mのご主人は、いつの間にか亡くなっておられた(×_×)

・ボンドの父母の名が明らかに! 父親はアンドリュー、母親はモニカ(モニク)だった。

・字幕担当は戸田奈津子さんだったが・・(×_×)

・終盤ってば「結局、間に合わなかった」としても大した展開の違いはなかったんかも(⌒~⌒ι)

~ こんなセリフも ~

ボンド「ヘリを出す? 遅過ぎるさ」

   「“気晴らし”をされては? 生き返りますよ」

   「報告? 絵葉書なら出しましたよ」

   「今日・・無駄な1日」

   「コンピュータに“とっさに銃を撃つのを控える”

    決断が出来るか?」

   「・・世代交代か」

   「古風な物は棄て難い

   「幸運は必要だ」

   「何を恐れている?」

   「怯えてる女なら分かるさ。

    恐怖には“精通”してるからな」

   「僕になら彼を殺せる・・過去の経験で断言するよ」

   「食物連鎖だな」

   「銃のない君はいい」

   「問題は、奴の次の企みだ」

   「ツイてる・・列車が来る」

   「私は衛生安全委員です」

   「確かに、これは“誘拐”に見えますね」

   「何処へ? 過去へ」

   「他にも文句が?」

   「殺しに来る奴等を殺す」

   「追悼文を読みました・・最悪でした」

   「こんな家など!」

   「僕が最後のネズミだ」

M「撃つのよ!」

 「部下の働きは万全です」

 「もう充分(This is it.)」

 「此処には泊めないわよ」

 「“影の世界”は、今も消滅してないわ」

 「誰も巻き込まないで!」

 「銃はヘタなの」

 「私は1ツ・・正しかった」

マロリー「職務を全うしたなら、引き際も毅然とされては?」

    「現場は“若者の世界”だぞ」

    「引き際の悪いのは恥だ」

    「情に流されてますね」

    「しくじるなよ、007」

    「首相に知れたら? 地獄行きだろうな」

    「問題は“適正”だな」

Q「ペンシル爆弾なんて“アンティーク”です」

 「銃は壊さずに返して下さいよ」

 「たまにはラッシュアワーも良い経験でしょう?」

黒幕“自らの犯した罪を思い出せ(Think on your sins.)”

  “罪を思い出したか?(Have you been thinking?)”

  「どうした? 007はやはり死んだのか?

   何処かに消えちまったのか?」

  「そんなに小柄だったか」

  「“俺”で驚いたか?」

  「悔いはないか・・思った通りだな」

  「これで死ねると思ったが・・生にしがみつかれた。

   あんたにもう1度、逢うためさ」

  「あんたが・・俺をこうした」

  “トロいぞ、坊や”

  「ナマった身体でやるじゃないか」

  「女は俺のものだ」

  「イイね! ここ以外にない場所だ」

シルヴァ「生き残った2匹のネズミは“本性”を変えられたのさ」

    「薬と酒で何とか保(も)ってるな?」

    「70点だと? 40点の間違いだろ?」

    「互いを共喰いするか? 他を殺すか?」

    「どんな事にも“最初”はある

    「力での勝負は退屈だ」

    「自らのミッションを選べ」

    「見せよう(Let me show you something.)」

    「お前が抱いた男達だよ」

    「スコアを挽回してみせろ」

キンケイド「何の仕事だって?」

     「準備なら、お前の生まれる前から出来とるぞ、小僧」

     「ようこそスコットランドへ」

ボンド「(ミラーなんか無くたって)どうせ使わない」

イヴ「こっち側もね」

M「今のは?」

イヴ「ワーゲンのビートルです」

M「報告をなさい!」

イヴ「説明が難しいんです」

M「今まで何処へ?」

ボンド「“死の世界”へ」

ボンド「ケガは?」

M「プライドだけ」

M「遅いじゃないの」

ボンド「“深み”にハマってまして」

M「もう逃げるのは無理ね」

ボンド「僕がついてます」

イヴ「デスクワークをしろと?」

ボンド「その逆だろ」

ボンド「未だ顔にニキビがあるぞ」

Q「顔は別です」

ボンド「僕を狙ってないのか?」

黒幕「いいや、狙ってるさ」

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2011年6月29日 (水)

☆『SUPER 8/スーパーエイト』☆

28日(火曜)の夜。
「も少し残業、頑張っても良かったかもなァ」と後ろ髪を引かれつつ・・仕事を切り上げ、向かったのは“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”であった。

やっぱり(=^_^=)期待値をおさえる事の出来なかった新作『SUPER 8/スーパーエイト』の存在が気になり、観に行った次第で。

ってか、昨夜も“午前様帰宅”だったし、明日も「日帰りコース」ながら出張が控えてるので、帰宅してゆっくり過ごしたいのはあったンだけど。。

・・

スティーヴン・スピルバーグを製作総指揮に迎え、J.J.(ジェフリー・ジェイコブ)エイブラムスが脚本&監督を務めたSF作品。

ス※ルバ※グのネームバリュー(神通力?)なんぞは、もはやどうでも良く(以前から、どうでも良かった(=^_^=))、期待値を高めてくれたのは「予告編」において“モノ凄い吸引力”を発揮してくれる、エイブラムス監督の手腕のみだった。

エイブラムスと言えば『スター・トレック(2009)』以来のメガホンと言えるワケだが・・正直、まだ「監督さん」としてはコレと言った印象をワタシに植え付けてくれてはおらず(・ω・)

1979年。アメリカ・オハイオ州にある「リリアン」は、鉄鋼業で賑わう街でもあった。
保安官代理=ジャックを父に持つ、14歳の少年=ジョー・ラムは、4ヵ月前に、母=エリザベスを工場内の“痛ましい事故”で失い、失意の底にいた。

ジョーは幼馴染みである、FATな少年=チャールズ・カズニックと共に“8ミリフィルム”で映画を制作し、来(きた)る「映画祭」に出品するつもりでいた。
彼ら5人(ジョー、チャールズ、ケアリー、マーティン、プレストン)の仲良しグループは、エリザベスの1件においてラム父子と深い因縁を持つ男=ルイス・デイナードの1人娘=アリス(エル・ファニング)に声をかけ、主役級の女優とし作品に参加しないか誘う。

当初こそ、ジョーに近付く事に抵抗を示したアリスだが・・次第に彼ら5人に溶け込むのだった。

ある夜(その夜?)、劇中のクライマックス(?)を撮影すべく、深夜の「リリアン駅」に集まった6人は、奇しくもリハーサル中に、貨物列車がホームに入って来る場面に出くわし「これ幸い!」と、いきなりの本番撮影を開始する。

轟音を響かせ、彼らの立つホームを猛スピードで通過する長い列車・・しかし、その進行方向に、当然「1台のピックアップトラック」が立ち塞がる。

線路内に強引に進入したトラックは、先頭車両と激しく衝突!!

列車は次々と脱線し・・炎上する貨車、宙を舞う貨車・・と駅舎の周辺は、さながら“地獄のような様相”を呈する。

そして直後、彼ら6人は、トラックを運転していたのが“意外な人物”である事を知る。

間もなく現場には空軍が駆け付け、6人は逃げるようにその場を立ち去るのだった。

しかし、ジョーはハッキリと見たのだ。
横転した貨車の中に“何か”が潜んでいた事を。
そして、現場に“不思議な金属で構成されたキューブ(立方体)”の散乱していた事を。

そしてまた、ホーム上の3脚の上で回り続けていた「カメラの中の8ミリフィルム」には、事故の一部始終を収録した“驚くべき映像”が偶然にも残されていたのだった・・!!

私的には、そのタイトルを勝手に意訳し・・“凄八(すごはち、すごっぱち)”と呼んでた本作だが(=^_^=) 観終わってみると・・「何となくも、しかし確実なる“失望感”」のジワジワこみ上げるのをおさえる事が出来なかった(×_×)

帰り道で「ス※ルバ※グって、やっぱり“アホ化”が極まって来とるンやろか?」とも思ったワケだが・・最終的には「ス※ルバ※グとエイブラムスによる“ヒマを持て余した神々の遊び”みたいな企画(=^_^=)じゃなかったンやろか?」と考え、自身を納得させるに至った(=^_^=)

多分、お2人の中で『予告編には徹底的にカネをかける』『(完成までは)作品全体に関し極秘主義を徹底する』『コケても自分たちが絶対に損しないようにする(=^_^=)』などと言った幾つかのルールだけをまず決め、後はテキトーに遊びで造ったんじゃないか、と。

逆に、そうとでも考えなければ「手抜き」「説明不足」「理解不能」「チープ過ぎ」な演出が目立ち過ぎた。

観てて(特に後半以降で)連想したのは、スティーヴン・キング原作の『IT(1990)』や、ローランド・エメリッヒも関わってたSFコメディ『スパイダー・パニック!(2002)』であった。

館内壁面に飾られたポスターには、本作を異常に(?)絶賛するコメントが見受けられたが・・あんな評価をするヤツに、到底「鑑賞センスがある」とは信じられない、このワタシである(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

・『スター・ウォーズ(1977)』のポスター、挿入されるシック(Chic)のヒット曲“おしゃれフリーク(Le Freak)(1978)”、初代「ウォークマン」(1979)、「ルービック・キューブ」・・など、1979年当時の(人気、話題の)アイテムやネタがちらほら出て来て面白い。
・タイトルの“スーパーエイト”とは、動画用フィルム(8mm)の規格の事だった! ワタシはてっきり「仲良し7人組に新たに加わる“8人目の異星の仲間”」なんてな意味が含まれてるンかな、などと。。(←ウ※トラセヴンかよ!)
・工場の「無事故記録:784日」なるパネル表示が「1日」に架け替えられてしまった(×_×) で、その2年2ヵ月前には、果たしてどんな事故があったんやろ(×_×)
・本作で最も(?)エグいのは、冒頭のガキのセリフ「あんな風に死んで、あの棺に何が入ってると思う?」じゃなかろうか。次に、あのガキゾンビ。アレは怖かった! 同じゾンビが(劇中劇に)何体も出て来る設定も怖いし!(脈絡ないし!)
・「スリーマイル島」の原発事故は、1979年3月28日に勃発したそうだ。
・エンディングでは(左側に)流れる“映像群”ばかりに眼を奪われ、殆ど(右側の)クレジットが読めなかった(×_×)
・ジャック役の男優さんが、なかなかに好印象だった。風貌的には「カート・ラッセル+井上順+草刈正雄」みたいな感じやろか(=^_^=) ←違う?
・本編とは何の関係もないが(=^_^=) ミシガン州のマッキノー島に興味津々・・
・教師=トーマス・ウッドワードを「その後も徹底マーク」させてなかったネレク大佐は、ハッキリ言って「バカ軍人」だと思う。
・特殊な貨車には“フック”が備わってるモノらしい。
・序盤の脱線シーンは『ハンコック(2008)』や『逃亡者(1993)』に負けず、凄かった!
・“アレ”の表情は、何となく『ドリーム・キャッチャー(2003)』『サイン(2002)』に出てたヤツにも似てた気がする(?)
・「周波数=13201」って、普段は何処の放送局なんだ?
・モデラーに言わせると、同じように見えるグレーにも14種類ほどの色の違いがあるそうだ!
・本作では『ウォーキング・ディスタンス作戦』ってのが展開されてた。
・リリアンの人口は1万2千人との事。
・エリザベスの墓碑には「1942〜1979」と刻まれてたような?
・1958年に(何かが)墜落したり、1963年4月8日に(何かが)事件を起こしたり・・と、それなりの“らしい設定”がなされてた。
・サコ(SAKO)社と言う“銃器メーカー”があるそうだ。
・“アレ”と遠隔交信出来るらしいウッドワード先生ってば、まるでケムール人とテレパシーで交信出来る、神田博士のようである(←「ウルトラQ」の第19話『2020年の挑戦』より)
・いわゆる“少年モノ(ジュヴナイル?)”の登場キャラって、どうして「FAT系」「歯列矯正系」など、お約束的過ぎる“キャラ造型”なんやろ?
・亡くなった母の“謎の言葉”などを演出に絡めてくれたら、まんま『サイン』なのに、と思った(=^_^=)
・あの“キューブ”の造型がチープ過ぎて、笑えた。
・“劇中劇”における「あの列車脱線シーン」の完成度(=再現度)は・・結局「余りにも残念」なモノだった(×_×)

〜 こんなセリフも 〜

ジョー「分かるよ(I want.)」
   「“ディック・スミスの本”でメイクを習ったのさ」
   「ムーリン先生みたいな感じで動いてくれ」
   「そんなの分かんないよ(It's no clear.)」
   「こんな風にママに見つめられると、
    “自分の存在”を実感するんだ」
   「僕は、信じます」
   「悪い事があっても、僕らは生きて行けるんだ

チャールズ「今、行くってば!(I'm comin'!)」
     「ホンキの演技は、本番まで取っとけ」
     「確かにこのカメラはおじさんのだけど、
      中のフィルムは僕のだよ」
     「イイんだ。ムカつくのはそこじゃない。
      ・・お前ら“両想い”だろ? そこがムカつく」
     「飲んで悪いかよ。ノド渇いたし、ここ戦場だし」
     「今から痛くするから覚悟しろ!
      ・・いや、やる前から泣くなよ」

アリス「乗って!(Get in!)」
   「“何でも自分の思い通りになる人”なんていないわ
   「パパは“そう”思ってるの。私も・・時々“そう”思う」

マーティン「普通、教師が銃を(生徒に)向けるか?」

デイナード「もう、顔を見せるな(I won't see you.)」

ネレク「君に“積荷の明細”は見せられん。だが、危険な貨物ではない」

保安官「“ウォークマン”? つまりは“自分専用のステレオ”か・・
    閉じこもるのは感心せんぞ」

保安官代理「冷蔵庫のピザなら、俺が食べちまった。ごめんな」

住民「総てはロシア人の陰謀よ! ソ連の仕業だわ!」

ダニー「土足で乗るなよ。それから、無線機にも触るな」
   「マズい・・絶対にマズい・・」

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2009年1月17日 (土)

☆『K−20/怪人二十面相・伝』☆

16日(金曜)の夜。
年始に購入⇒「各部を調整」して貰ったは良いが、なかなか引き取りに行く時間が取れず“放ったらかし”だった(・ω・)“ハ※サム・スーツ(=^_^=)”をやっと取りに行った。
残業を少しこなしてから向かい、なんば界隈の店だったので「ついでに近場の劇場で1本観とこかな」と。

“なんば01(マルイ)”の上層階にあるシネコンか、アーケードの中にある“敷島シネポップ”に久々に足を運ぼうか? とも考えたが、前々から狙ってた1作『K-20/怪人二十面相・伝』の上映に関しては「上映してない」か「開始時間が遅過ぎる」って問題がそれぞれにあり・・結局は地下鉄で再び梅田に北上し(⌒〜⌒ι)“ナビオ上層階”の「TOHOシネマズ」で鑑賞することとした。

『ALWAYS/三丁目の夕日』シリーズ(2005、2007)をヒットさせ、山崎カントクの生命を繋いだ(←監督、すんません!)スタッフが再結集。
“パラレルワールドな昭和期”を舞台にレトロ調な活劇を描いたのがこの作品☆

1941年12月8日。この日、大日本帝国は米国&英国と“平和条約”を締結。これにより“第2次世界大戦”は回避された。これは“同大戦の起こらなかった”別の世界での物語。
戦争による多大な犠牲者の出ることはなかったが・・一方で、19世紀からの“華族制度”が継続され、社会には大きな格差が形成されることとなる。そして、華族以外の人間に「転職」や「恋愛」の許されることはなかった。

そんな暗い時代において、帝都の富裕層をターゲットに美術品を鮮やかに盗み出す「怪盗」のニュースが庶民を賑わせていた。
その名は“怪人二十面相”・・一方に、彼を追い続ける“帝都最後の正義(=^_^=)”たる存在が探偵=明智小五郎であった。

1949年、帝都。これより、1人の青年=遠藤平吉を主人公とした、壮大な冒険活劇がその幕を開ける・・

“スティック・リーディング”気味な金城武くん(平吉役)があろうことか(=^_^=)“怪人二十面相”に間違えられる「災難劇」を軸に、どうにも喜怒哀楽の掴みにくい仲村トオル氏が明智(←何と“男爵”らしい!)を演じるんだが、ここだけをキャスト面から眺めるに“如何にもつまらなさそう”なのである(←ファンの方、すんません!)。

が・・これが周囲に“國村隼”“高島礼子”そしてヒロインの“松たか子”らを配し、回り始めると、俄然面白く輝き始めるんだから不思議(・ω・)

劇中では「それまでの明智vs二十面相の戦い」がどう言うモノだったか、全くと言ってイイほど描かれてなかった(×_×) なので(江戸川乱歩による原作小説の)作品世界を知らない人には、およそピンと来なかったんじゃなかろうか。。

平吉にすれば“二十面相と間違われた濡れ衣を晴らすため”立ち上がることに決めたんだが、後半辺りからは彼なりに“世の中を変えるため”半ば自発的に動き始める。
その辺りの“心の動き”は丁寧に描写されており、不自然さは感じなかった。

幾つかのレビューでも書かれてることだろうが、冒頭からの雰囲気は(“バットマン”シリーズにおける)“ゴッサムシティー”な味わいがあって良かった。ビルジングの造型とか。
中盤で連想したのはクロサワ作品の『どですかでん(1970)』や『どん底(1957)』でも描かれた“バラック(仮設建築)”や“長屋”の風景描写だろうか。
カラクリの源治(國村)自身が“泥棒長屋”などと呼んでたが、あの人間模様は瞬間風速的にせよ「クロサワ映画」にかなり迫ってたかも知れない(=^_^=)
終盤は何と言っても『ルパン三世/カリオストロの城(1979)』である。是非ヒロイン=羽柴葉子(松)には「※※はまだ出来ないけど・・きっと覚えます」とか言って欲しかったどす。

平吉が“ハメられて”以降しばらくは「二十面相(ホンモノ)が巷を騒がせなくなったり」もして、色々“裏で進行してるであろうこと”を想像してしまった(=^_^=) 究極の(邪推)ネタは“終盤までの物語は平吉の自分勝手な妄想であり、全ては彼の自作自演だった!”と言う流れだが、流石にそこまで物語は崩れてませんでした(=^_^=) ←フィンチャー路線?

帝都の地図を買い、そこに無作為に引いた直線の通り、実際に走ったり昇り降りしたりする・・なる修業を中盤から行う平吉だが(ここのシーンは『ヤマカシ(2001)』であり『マッハ!!!!!!!!(2003)』でもある、本作のハイライトの1つだ!)、良く良く考えたら、最初にやっていた“命がけのサーカス芸”の方がスゴかったかも、と(=^_^=)
某場所で源治とタッグを組み「金庫破り」をするシーンがあるが、扉を開いた瞬間に(トラップで)飛んで来た“ナイフ”を素手で掴んで止める動作(動体視力&反射神経)も凄まじかった! (助けられた)源治自身もビックリしてたが、ワタシもそれに少し遅れる形でビックリした(=^_^=) ←咄嗟に分かりにくい演出やと思う、アレ。

レトロさをウリにしてたとすれば「画面の色調をやや上げ過ぎ」とも感じた。また「演出面」においてもたまに粗くなってる(スベリかけてる)トコが見受けられたか。
ほか“昭和期の街を完全再現”ってうたってる(?)割には、屋内など「限定的な空間」での展開が多く「再現し切ってた」訳でもないな、と突っ込んどきたい。

が、年内に観てたら・・きっと“2008年のベストムービー”において「次点」には入ったであろうと思う。

現時点の邦画界において「エンタテインメント作品の最先端を突っ走ってた印象」は強かった。続編を製作するとなれば、根本的な部分でかなり(1作目と繋げるための)アレンジを施さなきゃならんだろうが、それはそれでまた付き合っても良いかな? と考えている。

監督&脚本を手がけた佐藤嗣麻子さん、まだまだワタシの中では未知数な方であるが、次作を気にはしてみる所存である。

〜 こんなトコにも気付いたり 〜

♦八木博士、南部団長(小日向文世)、お2人とも途中からどっか行きましたが・・それで良かったんですか。。
♦オープニングのスタイリッシュなアニメ映像はなかなか良いっすね!
♦「軍警」「曲芸手妻師」「ツングースカ大爆発(1908)」「カストリ雑誌」「帝都スポーツ」「警務局」「全國指名手配」「帝都電力」「電磁波撮影機」「陸軍省情報研究所」「レイザー光線」「テスラコイル」などのそれらしいワード群が、ワクワクさせてくれたり(・ω・)
♦小林(芳雄)少年が時折見せてくれる「邪悪そうな言動」が最高にスリリングだった。
♦「少年探偵団」がおまけ的に登場するが、何だか「物陰から覗いてただけ」って風だった、、
♦羽柴公爵(大滝秀治)が葉子に託したのは「箱根の寄木細工」だったんやろか?
♦牢獄にいた男(川村?)が「俺は二十面相の素顔を見たことがあるぜ」とか言ってたが、どんなシチュエーションで見たのか、しっかり聞いておいた方が、後々役に立ったような気もするネ。
♦劇中で貧民エリア然とし(?)描かれてた“ノガミ”とは・・どうやら「上野」のことらしい!
♦二十面相もまた“修業ノート”を読破したとかしないとか? どっちやねん!
♦無一文な筈の平吉。マジックでいきなり「焼芋」を出してたが・・どうやったんだ?!
♦嶋田久作さん、鹿賀丈史さん、、あんな出番でよろしかったんでしょうか(・ω・)
♦「浅草田原町」「麹町」などの地名もセリフ内で登場。
♦情報研究所における明智の言動は面白い! ああ言う演技のメリハリの付け方は大好きです(=^_^=)
♦あの「マスク&マスク」なハンデで戦う二十面相(ホンモノ)はやっぱり凄かった!
♦終盤、やけに警備の手薄だった「羽柴ビルジング」
♦「二十面相がらみ」の事件以外には、全然仕事のなさそな明智、、素行調査とか、ないんかよ?
♦本作においても「ラバーマスク製作」はメチャメチャ早かった! トム・クルーズもジョン・ウーもビックリだ(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

シンスケ「いっそ、泥棒にでもなろうかな・・幾ら働いても貧乏なんだから」

南部「人間が疎かにされるような、そんな社会が長続きする訳がないよ」
  「諦めさえしなければ、どんな願いも必ず叶うさ・・“諦めた時”こそが最後なんだ」

侍女長「女の幸せは、結婚ですとも」

修業ノート“逃走術は、また侵入術でもある”
     “変装は、変装に非(あら)ず”

平吉「その動き・・お前も“サーカスの出”か?」
  「結局は自己満足なんだろ? ・・この偽善者!」
  「白いハトは大空を飛びたがっているんだ・・なぁ、こいつを羽ばたかせてやってくれよ」
  「既存のものを壊すには、圧倒的な力が必要なんだ」
  「自分の願いを叶えるのに、俺には“権力”なんて必要ない」
  「あんたを疑っていたのは、俺たちじゃない」
  「あんたは陽の当たる道を・・俺は夜の道を行くよ」

源治「幾ら何でも・・人、盗んだらマズいだろ」
  「大丈夫、ヤツは天才さ・・自分では気付いてないみたいだがな」

平吉「あんた、スゴいな!」
葉子「“良家の子女のたしなみ”ですわ」

葉子「石鹸で、髪、洗えるんですか?!」
一同「洗えるよ!」

葉子「何だか“人形の家”みたいですね、本宅はどちらに?」
  「どんな狭い場所でも生きて行けるのですね、人間は」
  「“見て見ぬふりをする”のは大きな罪です」
  「私・・自分の“すべきこと”が何だか分かった気がします」
  「富の独占は、無意味だと気付いたのです」

明智「この私が“誤認逮捕”をしたと言うことですか?」

二十面相「こういうもの(=拳銃)を使うのは、私の美学に反するのだがね」

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2008年11月 3日 (月)

☆『ICHI』☆

3日(月曜)。いよいよ、この3連休が儚くも終わってしまうんだが・・結局、最終日である本日も昼過ぎまで“寝溜め”となってしまい、何とも勿体ないことになりそうな予感もし、、

「コレではアカンぞう!」と天井を見上げつつ叫び(←危ないヤツだなぁ)、午後からながら自室を飛び出し、梅田方面へと繰り出した・・映画『ICHI』をも1度、観るために・・!
・・ってあんたも好きねぇ〜(=^_^=)

大まかな流れは前回の鑑賞で掴んだので(粗筋などは先月28日(火曜)の記事をご覧下さい)、今回はより寛ぎつつ、前回のチェックもれ&メモもれの部分を補ったりしようかな〜と。

そうそう。
本編開始前に新作『LOVE☆FiGHT』の予告編が流れたんだが、主人公の女の子(成長後は、北乃きいが演じる)の“回し蹴りっぷり”がなかなか良く「観たいぞう熱」が高まって来たり。
因みに、今月15日から一般公開どす☆
大沢たかおの初プロデュース作ってことで「笑顔の素敵な不惑の兄ちゃん」でもある同氏は、最近改めて注目し始めてる男優さんでもある。
そうさ、刀なんて抜けなくてもイイんだ!(←何やそれ!)

では、今回の鑑賞で気付いた点からまとめてみようか。

♦少女期の市。吹雪の中を瞽女衆(5人)で進むシーンでは「木の杖」をついている。本格的に「仕込み杖」を使い始めたのは“はなれ瞽女”となって以来のことのようだ。
♦舞台となる宿場は「美藤宿」。“びとう”と言うのは分かってたが、漢字が分かってなかった。。
♦刀身に(斬った相手の)血すら付着しない、市の凄まじい居合い斬り。きっと高速過ぎて、瞬間に空中に血が飛散するんだろう(!?) かつて読んだ、司馬遼太郎氏の小説『燃えよ剣』の前半で、沖田総司(後の新撰組・壱番隊長)の太刀が素早過ぎてか(?)「全く着物に返り血を浴びない」ってな描写があったが、市も同様に殆ど着物が汚れず、同じ理由と考えて良いのかな・・と解釈している。
♦「下総(=千葉県)の武士」と名乗りつつ「父は小高藩(=福島県)の武術指南役」とも言ってた十馬。どっちが正しいんだろ? 偽りを言ってたようでもないし。。
♦中盤で舞台を演じたのは「黒森歌舞伎」の一座。「県指定無形民俗文化財」なる山形の伝統芸能だそうだ。
♦“とある事件”をきっかけに「真剣が抜けなくなった」十馬。考えたのが「1.木剣で戦う」「2.槍を使う」「3.誰かが抜き身の刀を渡したげる」などのアイデアなんだが・・(・ω・)
しかし“最低でも5年間、抜かれなかった刀”ってば、あんなに即・使用可能な輝きを保ってるモノなんやろか(←或いは「手入れ」だけは欠かさなかったんかな?)。
♦宿場では「御宿:松屋」「きぬた屋」などの店が看板をあげていた。
♦万鬼党のアジトとし描かれた洞窟は「駒門風穴(静岡県御殿場市)」がそのロケ地だそうだ。

大げさな迄に“心情を包み隠さず、表情で見せる”ことの出来る大沢氏は、それはそれで素晴らしいし、きっちり終盤で「美味しいトコ」を見せてくれて良かった。
そして何より・・市を演じた綾瀬はるかさんの寡黙で物憂げな横顔には、ウットリとさせられっぱなしだった(=^_^=)>

こんな女(しと)に斬られたら、それはそれで男としては“本望”かも知んない(そうか? 斬られたら、痛ぇぞ(⌒〜⌒ι))

〜 こんなセリフもありました 〜

※「良く見りゃ、お前ぇなかなか・・」

市「私には“境目”と言うものが分からない・・見えないから、恐ろしい」
 「この剣の使い手を、万鬼は知ってるんだろ?」
 「おかみさんに“何もなかった”と言って下さい・・そこでしか、生きられないんです!
  ・・戻りたいんです!」
 「見えて来た気がする・・見えなかった“境目”が」
 「あんただけは、許す訳にはいかない・・!」
 「姉ちゃんにも、歩く時“灯り”が必要だったみたい・・お陰で“道”が少し見えて来た」

美津「全く変な“掟”だよ・・誰だって温もりがなきゃ、凍えて死んじまうってのに」
  「“色恋”で男が欲しい訳じゃない」
  「あたしらには(男の)姿形は関係ない」

虎次「偉ぇお手柄だ、小太郎。明日、団子買ってやらぁ」
  「俺は、親父とは違〜う!」
  「役人なんて当てになんねぇだろ?」
  「頼りにしてんぜ」
  「立派な親父持つとな・・ついつい別の道、歩きたくなっちまわぁ」
  「万鬼、その手で仕留めてこいや」
  「手前ぇら、死ぬ前に2人以上、叩っ斬れ〜」
  「今度は、逃げんなよ」
  「ぶった斬って来いや〜」
  「頼むぜ、先生よ〜」

長兵衛「やくざ風情が、とお笑いになるでしょうが・・」
   「歳は取りたくねぇもんです」

十馬「私は、音曲(おんぎょく)のことは何も・・」
  「私は、強いぞ!」

万鬼「俺たちは真っ当に扱われねぇ・・足蹴にされ、何処かで野垂れ死ぬんだ。
   お前ぇもそこで、堕ちる処まで堕ちるんだな」

(市の三味線唄)
♪今宵も 負われし 母(かか)様の お膝に揺られて 眠りゃんせ・・

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2008年10月28日 (火)

☆『ICHI』☆

27日(月曜)。先の週末(土日)では、微妙に映画に行くだけの時間が取れず、ややフラストレーションが溜まっていた。
特に、早々に観たかったのが、25日から一般公開の始まった『ICHI』・・つまり“綾瀬はるか主演による女版座頭市”である。
朝刊の映画案内記事(=劇場と開始時間の一覧)を見て「早めに行っとこう!」とは思いつつ、コレがなかなか時間が合わないのだ(×_×)

・梅田ブルク7・・18時10分から開始⇒ほぼ絶望的
・なんばパークスシネマ・・18時30分から開始⇒なんば駅から全力疾走中に事切れそ~
・阿倍野アポロシネマ8・・18時25分から開始⇒やはりち~と厳しい

今日の場合、結果的に18時ちょい前に退社は出来たんだが、上記3館ではいずれもムリがあった。
ついでに(iPhoneを駆使して)「高槻」「大日」「茨木」「八尾」などのシアターも調べたが、何処も似たり寄ったりの上映開始時間だった(×_×)
そんな訳で「今日は違うのにしよ・・」と一旦は、別作品を観るべくなんば方面へと向かったんだが・・

「いやっ! やはり今夜観とかないと!」と思い直し、逆方向(京橋方面)の電車に乗り換えたのだった。

実は大阪府下で唯一(?)、遠いけど上映開始に間に合う劇場があり、それこそが“布施ラインシネマ10(南館)”であった(=^_^=)
上映開始19時20分・・ってことで、全然余裕じゃん!(=^_^=)

結論とし「ちとロケーション的に寂れがち」な感はあったんだが、駅から意外に近いし、席も空いてるし、上映が終わってからもグッズ購入が出来るし、など“なかなか小旅行気分で面白い”劇場とは思った☆
んな訳で、今後もヒイキにしてエエかな~と考えている。

風雪の吹きすさぶ荒野を列を成して歩き、辿り着いた村々で三味線を演奏する盲目の女たち・・彼女らは瞽女(ごぜ)と呼ばれた。瞽女は4~5人の集団で旅し、互いを律し、行動するのが常であったが・・「貞節を乱す」などの理由により、即座に仲間から追い出され、1人で生きて行かねばならぬ・・なる“掟”もまた、存在していた。
そのようにして追放された者は“はなれ瞽女”と呼ばれた。
生きて行くため「躯を売る」ような“はなれ瞽女”もいたが、一方で、密かに剣術を極め「自らの身は自らで護る」ことを心に決めた女が1人・・その名を“市(いち)”と言った。

下総(しもうさ)から武者修行の旅に出て5年。師範代格の剣の腕を持つ、と言う藤平十馬(大沢たかお)は、通りがかったお堂(の脇)で、ごろつき共が瞽女らに危害を加えている現場に遭遇する。彼らは1人の瞽女に殴る蹴るの暴行を、もう1人の瞽女にも性的暴行を働こうとしていた。
ひとまず「待て待てっ!」と彼らを諌め“有り金のほぼ総てである十両の手形”を渡し、事なきを得ようとするも、野盗どもは納得しない。
「てめぇを斬って、十両もこの女も頂くぜ、ぐぇっへっへっ」みたいなことを言い出す。
仕方なく彼らと戦う決心をする十馬。しかし柄にかけた手がピッタリと動きを止めてしまう。
真剣を抜く事が出来ないのだ。
「何だてめぇ? ビビってんのか? ゴルァ!」的に斬り掛かって来るごろつき。十馬は思わず眼を閉じ死を覚悟する・・!

次の瞬間、血しぶきを上げ倒れたのは野盗であった。驚きの表情で「何が起こったのか」を把握しようとする十馬。
その前に「仕込み刀」を今まさに杖に収めようとする若い瞽女=市(綾瀬)の姿があった。

予告編(の映像)や“ICHI”なる表記のタイトルからして、もっとスピーディーな殺陣のガンガン展開されるスタイリッシュアクションなのか、と思いきや・・意外とゆったりした感の、実に「既視感に溢れた、予定調和な物語」ではあった。

(従来の)座頭市シリーズのイメージとし「主人公が無様でカッコ悪い」「劇中で大きな友情を育むも、それは終盤で崩壊する」「賭場で暴れたりもする」「中盤でリンチされボコボコになる」「終盤でテキの群衆を斬りまくる」などの要素があるかなと(私的に)思ってるんだが、流石に“はるかちゃん主演”だけあって「無様でカッコ悪い」キャラではなかった。。当然、畳にこぼれた酒を、口を擦り付けてチュウチュウ吸ったりするシーンなどはない(そりゃそうだろ!)

“徹底して綾瀬はるかを見せる作品”だな、と感じたのは、殆ど彼女と対峙する女性キャラが配されてなかった点からだろうか。
相対する2つの組織・・万鬼党(ばんきとう)の頭目=万鬼(中村獅童)にも、白河組の若親分=虎次(窪塚洋介)にも恋人的な存在はいなかった。そこまで描いてる余裕はなかったか?

流れとしては『はなれ瞽女おりん(1977)』の世界観に『用心棒(1961)』『七人の侍(1954)』『マッハ!!!!!!!!(2003)』『クイック&デッド(1995)』『シェーン(1953)』などの要素を“おいしい具合”にぶち込んだ印象か。
そこそこにしっかりした骨組みはあるんだけど、リズム感には著しく欠けてた気がするな(・ω・)

特に賛否の分かれるのは後半ではなかろうか? 私的にはも少し早く市に“あの場”に駆け付けて欲しかった、とも。
後半では“それまでさんざ「とんま」と呼ばれ続けて来た”十馬(とおま)がいよいよ「名誉挽回」するシチュエーションに力が注がれ過ぎてしまったかな、と。

市の「師匠」とも「父」とも解釈出来る某人物が登場するが・・「父親なのか?」と問われた彼女が静かに首を振るシーンを“敢えて盛り込んだ”トコに「何かがあるんやろか?」と妄想してしまった。
因みに彼は万鬼とも(過去に)死闘を繰り広げたようである。

市の肌身離さず持っている某アイテムが、ラストで“別な人物”に託される辺り「これが“居合の達人・座頭市の継承”の始まりなの?」とも思った。

しょっぱなの殺陣シーンは見応え十分! ここに本作のアクションのほぼ総てが集約されてたとも実感した!
・市の静かに手をかけた、仕込み杖の先端に蝶が止まっている
・居合い刀が一閃した後、刀を鞘に収める時に「ポクッ」「ポッ」なる小さな音がする
この辺りの演出には、かなり「ワクワクさせられた」ものである!

それと、窪塚君のセリフを耳で拾ってるウチに、何となく「脚本は“クドカン(宮藤官九郎)”かよっ?!」と思ってしまったのも事実(=^_^=)
何だかね、言い回しとか雰囲気とか、まんま『ピンポン(2002)』の星野“ペコ”裕(演じたのが窪塚)ですた。

一般客からすれば「前評判に比べ、ちょっとインパクトに欠けるよなぁ」と言う意見が、恐らくは多くを占めるんじゃないだろうか? しかし、綾瀬はるかファンには“マスト”な作品ではないかと考える。

かつて“学芸会レベル”とも一部で酷評された『あずみ(2003)』に主演した“あの娘”よりは「時代劇にしっくり溶け込んでおり、殺陣も自然」と感じたのは・・或いはワタシの贔屓目であったろうか・・?(⌒~⌒ι)

~ こんなセリフもありました ~

※「お前、はなれ瞽女だろ? “男の味”は知ってんだろ?」

市「私に構わないで下さい」
 「賭場は何処だい?」
 「灯りなんか、要らないよ」
 「子供は嫌いです。面倒だし、うるさいから・・でも汚れてない分、大人よりも信用出来る」
 「“境目”が見えないから、恐ろしい」
 「お節介も程々にしないと、酷い眼に遭いますよ」
 「私は私、ですから」
 「本当に何も分からなくなって、何も感じられなくなって・・」
 「今が昼なのか、夜なのか・・自分が果たして生きているのか、死んでいるのかも分からない。
  ・・別に、生きていたいとも思ってませんけどね」
 「人違いだよ」
 「あたしを万鬼の所へ連れてゆけ」
 「あんたに、訊きたいことがある」

十馬「大人は汚れている?」
市「大抵は・・」

十馬「今、鼻でフンと笑ったな?」
  「毎度、かたじけない」
  「いよいよ文無しか・・」
  「死んではならぬ」
  「生きるんだ・・生きろよ」

万鬼「“逆手一文字(さかていちもんじ)”の使い手は1人しかいないと思ってたが・・」
  「俺は、強ぇぞ」
  「俺たちは何処か“同じにおい”がする」
  「1度堕ちたヤツは2度と真っ当にゃ戻れねぇ・・特に血のにおいの染み着いたヤツはな」

長兵衛「“馬の骨”を幾らかき集めても、万鬼には叶わねぇ」
   「倅(虎次)を失うのは、本当に怖い」

虎次「死ぬ前に、2人以上叩っ斬れ~」
  「逃げんなよ、先生~」
  「(よっ)しゃぁ~」 ←まんま“ペコ”じゃないっすか(=^_^=)
  「ぶった斬って来いや~」

追記1:観終わって、かなりの興奮状態にあったか(=^_^=) グッズ販売コーナーで「鈴ストラップ(2本組)」を2ヶも購入してしまったのだった(⌒~⌒ι)
追記2:万鬼、あれでは「遠近感が掴めず、剣術面では極めて不利」と思うんだが。
追記3:虎次の父・長兵衛を演じた柄本明には「やっぱ“座頭市”と言えば、コイツが怪しい!」と思ったんだが(=^_^=)、それは考え過ぎだった。
追記4:万鬼の“隠された顔”も確かにインパクトあって怖かったが・・フツーにしてる竹内力さんも、十分に怖かった(×_×) 特にあの最後の表情は夢に出そうだ(=^_^=)
追記5:ロケ地協力は「庄内映画村」だそうだ。良さそうだなぁ・・
追記6:たけし版とは異なり“石灯籠斬り”は披露して貰えなかった。。
追記7:冒頭での市は笠をかぶり、深く顔を隠しているんだが・・このヴィジュアルをもっと引っ張って欲しかった。何となく『ゼイラム(1991)』の印象です。
追記8:考えたら、大沢さんと綾瀬ちゃんの年齢差より、大沢さんと渡辺えりさんのそれの方が少ないんやね(=^_^=)
追記9:馬は1頭のみ(?)しか登場せず、種子島(鉄砲)も弓矢も登場しませんですた。。飛び道具なきこの世界、、
追記10:後半で(?)とある重要キャラが“心停止”するような描写がありましたが・・アレって“補助バッテリーが起動”したんでしょうかねぇ?

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2007年11月13日 (火)

☆『ALWAYS/三丁目の夕日(2005)』☆

遡って2日(金曜)。(確か)地上波再放送となる『ALWAYS/三丁目の夕日』を観た。
昭和33年の東京を舞台に、高度成長期“前夜”の下町の人々の暮らしをノスタルジックなテイストで描いた群像劇。

『ジュヴナイル(2000)』で鈴木杏と言う超強力な子役女優を世に知らしめ(?)、華々しい初監督作デビューを飾ったモノの・・続く『リターナー(2002)』が余りに大衆迎合的な“パチもんSF”に仕上がってしまい・・「このしと、もう沈むんかも・・」と不安になってたら、見事に“勝ち組”に返り咲いた! ちぅ起死回生っぽい作品でもあった。
と言うか、もはや同監督の代表作とし語り継がれることになるかも知れない1作と言っても良いかも。

今回は「続編公開記念」ってことで2時間半を超えるぐらいの贅沢な放送時間でお茶の間に届けられた☆

原作版(コミック)は全く読んだことがないのだが、昭和期の消費生活を大きく“変革”させたモノ&コトを巧い具合に脚本に織り交ぜつつ、複数の主人公を同時進行的に動かす演出はなかなか。かつ「分かり易い」のが良い☆

ちょっと難を言えば、登場人物名や配役陣に関しては、もそっと工夫した方が良かったかも?? と感じた。茶川竜之介、古行淳之介・・の名前はどうにも“駄洒落にしてはそんなに面白くないし”って感じで。。まぁ、どうやら原作に忠実らしいため、決して監督ひとりが悪い訳じゃないんだけどね・・

勿体なかったのは鈴木オートの奥さん(トモエ)役の薬師丸ひろ子。そつなく演じてくれてはいたものの、もう少し見せ場があっても良かったかも・・夫(堤真一)との間に「一平(長男)に、弟を作ってやろうか?」みたいなリアルな(?)会話が殆ど交わされていないような・・よそよそしい空気感がどうもねぇ(・ω・)

前回の鑑賞時(TVで、だが)は特に(キャラの)誰にも感情移入しなかったんだが、今回は「とある人物」の言動に妙にウルウルしっぱなしであった(⌒〜⌒ι) それこそは・・“アクマ”こと宅間医師を好演した三浦友和氏。

酔った帰りに※※※に※※されて「最も幸福で、最も残酷な夢」を見せられるシーン。あの幻想的な場面は(前回の鑑賞により展開を知っているが故に)泣けて泣けて仕方がなかった。
後半の別なシーン(クリスマスの夜)では居酒屋で「ああ、今日は楽しい・・実に、楽しい」と独りごつ宅間センセイであるが、ここなどは(醸し出す)雰囲気も、言い回しも、何だか“名優・笠智衆(故人)”がまるで憑依したかのような素晴らしい存在感を示してくれた。

ワタシの中では、三浦氏と言えば・・どうにも『潮騒(1975)』で、全裸で焚火を飛び越えるシーンぐらいしか思い浮かばなかったんだが(⌒〜⌒ι)なかなかどうして、イイ俳優さんになられたものである。

いかにも「今後の展開のフリになってるな」と思わせてくれたのは、作家・茶川(吉岡秀隆)に関する「今でこそ、下町の半ばうらぶれた駄菓子屋の店主に過ぎぬが・・実家は信州の名家」ってウワサか。まぁ、吉岡くん&信州と言えば・・まんま『阿弥陀堂だより(2002)』の印象も連想されるんだけど。。←尤も職業は違ってたけど

もう1シーン、もうコレは泣くでしょう(×_×) と言うのは、毎度ながら鈴木オートのひとり息子(←現時点では(=^_^=))一平少年の“右肘の継ぎ当ての秘密”であるなぁ。ここでやっぱり泣いて「ああ、俺にはまだ人間の心が宿っていたのだな」とか安心したりするのだった(←大げさな!)

淳之介少年(須賀健太)と別れた時の茶川の言動を眺め「失って初めて、人間は目覚めるんだよなぁ」などと、故・相田みつを氏のおっしゃってそうなことにも気付かされるのだった。

それにしても・・“氷屋”を演じたピエール瀧のあの冷え冷えとした眼・・アイツはその内に何か“凶行”に及ぶんじゃなかろうか?? とストーリーの向こう側に“流血”までも想像してしまったワタシは、やはりちょっと疲れてるのだろうか(⌒〜⌒ι)

※淳之介少年が空想する“未来世界のビジュアル”のインパクトがスゴい! 中でもスゴいのは、何と言ってもやはり“空飛ぶ市電(路面電車)”であろう! ノーベル賞学者の江崎玲於奈博士が「真空管をいくら研究しても、トランジスタは生まれない」なる持論を何度も講演などでおっしゃっているが、まさにそんな“真空管突き詰め発想”の終着点とも言えるアイデアであろう(・ω・)
まぁ、円谷プロの特撮ドラマ『ウルトラQ(1966)』では、小田急ロマンスカーが夜空を飛んでたけど・・

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2007年8月11日 (土)

☆『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊(1995)』☆

5日(日曜)夜。衛星第2で連夜(5日〜12日)、特集の組まれている「アニメギガ・スペシャル/とことん!押井守」の第1夜を飾った作品『攻殻機動隊』を観た。
「明朝、また1週間の勤務が始まるしなぁ・・」とか「結局、カントクの独りよがり的難解世界に付き合わされてとことん!疲れるだけやろなぁ・・」とかネガティヴな妄想ばかりが脳内に渦巻いてしまったものだが、いざ観始めると、見事にハマってしまった(・ω・)>

冒頭で「企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても、国家や民族が消えてなくなるほど情報化されていない近未来」とテロップ解説される、2030年ごろの「アジアの一画にある企業集合体国家」を舞台とし描かれる「電脳(サイバー)犯罪」を巡る攻防の物語。
どうやら、具体的に説明されてはいないものの、近未来の日本の姿(やや無国籍風)が映像化されているようだ。

正体不明の国家的電脳テロリスト“人形使い”と、それを追う公安9課(俗称:攻殻機動隊)の面々。この辺りのエッセンスのみをまとめると、どうにも複雑怪奇で、アクション性に乏しく、男だらけの無骨なドラマ世界が連想されるモノだが・・主人公である隊長役が女性キャラ=草薙素子(くさなぎもとこ)少佐と言うこともあり、意外に「小集団によるスマートでテンポの良い脚色&展開」に仕上がっている。

改めて観返すと、予想以上にその進行が早く、中盤を過ぎてすぐに「最後のバトルフィールド(←過去のプレイステーション用ゲームソフト『メタルギア・ソリッド(1998)』のラストに酷似したバトル空間だった・・ま、こっちが影響されたのかも知れないけど)」にハナシが移るような印象だった。

今回、微笑ましく思えたのは、素子隊長=“少佐”と彼女を補佐する巨漢の隊員・バトーのやり取り。
一見、ドラマの(スピーディーな)進行のテンポを下げるような“ダレ場”に思えたダイビングのシーンなど・・まさに2人が「支え合い、好き合っている」そんな風にしみじみ実感出来た。
劇中では「復活(再生、修復)可能な義体(サイボーグ)兵器」なる立場を最大限に踏まえてのことか、突出して“少佐”の危険任務が多いのである。アジト突入、要人暗殺、凶悪犯逮捕など・・。
で、彼女が任務ごとに「光学迷彩」なる特殊技術で全身を透明化させる訳だが、この時に決まって“ヌード”となるのである。
作戦完了時、現場に駆け付けたバトーが“少佐”の背後からコートなんかを着せてやる行為に「優しくていいヤツなんだなぁ」と思わされた。
何故って、それは義体である彼女を「人間」と捉えているが故の“自然な気遣いの行為”に他ならないから。

また、余暇のダイビングを終えた“少佐”がボート上でスーツを脱いで着替える姿(裸の背中)を眼にしたバトーは「バツ悪そう」に背中を向けたりもする。コレだって、眺める方も、眺められる方も、極端に言えば「人間」ではない、とも言えるのに。

終盤で、それまで素子を「少佐」と呼んでいたバトーが、彼女の名前を叫ぶシーンも良い。
あそこで全編を通じ、唯一バトーが垣間見せた「油断による恋心の露呈」を描きたいがため、押井カントクは本作を映像化する決意をしたんではないか、などと邪推もしてみたり(・ω・)

ってことで、今回は犯罪シーンやアクション(バイオレンス描写含む)の数々より、素子&バトーの“秘めたるラブシーンの数々”を「エエなぁ〜」「エエなぁ〜」とうっとり眺めてしまったワタシなのである(・ω・)

〜 こんなことに気付いたりも 〜

■義体は「チタン製」らしい。で、素子の(ボディの)バスト部分は、ラインに沿う形でチタンフレームが構成されていた・・即ち、、“少佐のバストは硬い”と推測出来そうだ。。
■“少佐”が高所から飛び降りるシーンでは、着地時に地面が大きく凹んだり割れたりする。。めちゃ重いんや・・
■義体の後頸部にはプラグ穴が4ヶ。『マトリックス(1999)』では1ヶでしたな(・ω・)
■マーケットで乱射したり、大暴れする犯罪者。そんな彼が「28歳」と知りびっくり! ・・もっと老けてると思ってたぞ(・ω・)
■バトーの放つ「世論が納得するなら・・」なるセリフに「世論まではまだ支配されてない時代なんや」と妙な安心感を覚えた。
■「光学迷彩」は体温(の感知)までも抑えられるのか? ちょっとムリがあるように感じた。
■“少佐”の「最も人間らしい動作」は・・冒頭における「目やにを拭う」アレ。つまりは「分泌機能がある」ってことやね! すごい!
■本作における「生身の人間」とは・・「赤い血の流れてる、ゴースト(自我、自意識)を有するヤツ」と定義出来そうだ。
■中盤の(風景)イメージ映像(←ここでの一連のシーンは素晴らしい!)で、橋の上に“イノセンス犬”を視認した☆
■バトーのセリフ「良心的な運ちゃんから「人をはねちまった」って通報が入ったのさ」より、未来社会では「当事者からの事件通報の珍しい時代」に突入してることがうかがえた(⌒〜⌒ι)
■オペレータの女の子。とても可愛いけど・・義体だったみたい(×_×)
■“少佐”の衝撃セリフ(?)「生理中だからよ」は、やっぱりサイボーグならではの「頑張って放った、お硬いギャグ」なんやろか(・ω・)
■“人形使い”のセリフ「君と、融合したい・・」にズキュ〜ンとハートを射抜かれてしまった(・ω・) とってもエロチックなセリフでおますなぁ・・

〜 こんな思想/理論もありました 〜

・集団の、特殊化・機能化・画一化の果てには「緩やかな死」があるのみ
・「自分」とは、或いは形成された“模擬人格”に過ぎないのでは?
・DNAもまた、自己保存のためのプログラムに過ぎない
・医学は未だに“生命”を定義出来ないでいる
・コピーでは“個性”や“多様性”が存在し得ない

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2006年12月17日 (日)

☆後半だけ観ました『NaNa(2005)』☆

11日(月曜)、仕事後にちょっと寄るところがあり、帰宅したのは22時前だった。そこからで、地上波初登場の邦画『NaNa(ナナ)』のTV放送をだらっと流し観た。途中からなので、中盤までの流れが全く分からないし、そんな鑑賞では「観た」とは言えないだろうが、ちょこっとまとめてみたい。

とにかく眼を引いたのは「出演者が豪華やんか」ってトコだろう。私的には取りあえず「宮崎あおいさん目当て」ってのがあったが(=^_^=)、松田龍平、それに『DEATH NOTE(デスノート)(2006)』の主役の1人として目立ってる松山ケンイチの“ちゃんとした容貌”が確認出来た意義も(ある意味)大きかったかも(・ω・) あの作品では役作りし過ぎてて(?)俳優としての「素」の部分が良く分からんかったもんで。。
続編『NaNa2』が劇場公開されているが、キャスト的には「前作からの(俳優陣の)変更はかなり辛いイメージダウンかも」と思ったり。
原作を知らないので、雰囲気が再現出来ているのかは何とも評価できないが「眉毛なさげ!」「禿頭にサングラス!」「唇と耳をチェーンで繋いでる!」とインパクトの強いキャラでガッツリ揃えてる感じで、確かにその辺りから「コミック原作な雰囲気」が漂っては来る。

後半は中島美嘉の演じる方のナナの印象が強かった。。ひょっとしたら前半は宮崎あおいナナが主人公だったんやろか? ←もしそうなら、まるで前後半で主役キャラの変わる『運命の女(2002)』みたいな演出やね。。
「不釣り合いな感じ(?)の女の子2人の友情を描く」と言うより「引きずって来た過去(の恋)にけじめを付ける女の子とそれを応援する女の子」みたいな流れだと感じた。
まぁでも、ベテラン俳優がストーリーにのしかかって来て、世界観がほつれ始める・・みたいな邦画にありがちな「特別(友情)出演俳優起用系自壊(≒崩壊)」が全くなかったのは良い☆
物語の持ち味であろう「疾走する流れ」がラストまでほぼ貫かれてたし。登場人物みんな若いし。
ストーリー自体も「斬新でもなく、大きなメリハリもない」ものの、気合い入れて観るでもなく、気楽に「青くて軽くて温かい、そんなノリ」を流し観れる、それでいてどこか吸引力がある、そう言う「作り手側の狙い」が奏功してたように感じた。

私的にはシェークスピア劇『マクベス』における(魔女たちによる)「奇麗は穢(きたな)い、穢いは奇麗(fair is foul, and foul is fair.)」なる名台詞をもじって・・「強いは弱い、弱いは強い」なる言葉を「本作の主要なテーマのハズや!」と勝手に決め打ちたいっ。
・・ってかそこまでエラそうに言う前にちゃんと全編通して観たれよ、と(=^_^=)

追記:劇中で「ハチ」なるキャラ名がしばしば登場し、最後まで誰のことやら分かんなかったのだった。。これを書いてて、ネットでようやく知りましたわ(⌒〜⌒ι)

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2006年10月28日 (土)

☆『DEATH NOTE【前編】/ディレクターズ・カット特別篇(2006)』☆

27日(金曜)。「金曜ロードショー20周年特別企画」としTV放送されたものを観た。
「そこに名前を書かれた人間は死に至る」と言う禁断のアイテム“DEATH NOTE(デスノート)”を軸(小道具)に、知的犯罪者と謎の探偵が「究極の知能戦」を展開する・・みたいな“マンガのような”ストーリー・・と言うか原作はコミックなんだけど(・ω・)
以前から原作版に関し「裏の裏、先の先までを読んだ凄まじい知力戦が繰り広げられる!」的なモノ凄さを聞いてたような気がするんで、そのエッセンスを凝縮した映画版ってばやっぱしスゴいんやろなー・・とちょっぴり期待していたのが、
「意外とこぢんまりした世界やったなぁ」と言う感想が正直なトコだろうか。

主人公・夜神月(やがみらいと)(藤原竜也演じる)が「いきなり妙なノートを拾った」り、「そのノートの注意書きは英語で書かれてた」り、「ノートへの記載は日本語で全然OKだった」り、「登場人物のネーミングがどうも社会通念的に珍妙だった」り、「比較的、拳銃を所持した人間が都内にごろごろしてた」り、「警察組織全体が探偵L(える)(松山ケンイチ演じる)に依存するばかりで、その他の社会的識者が全く登場しなかった」り、「中盤に発生するバスジャック事件の運転手を演じてるのが田中要次だった」り、「安楽椅子型探偵か!? と思わせるLが終盤、いきなし(無意味に)戸外を動き回り始めた」り、「マスコミがとにかく後手だった」り、とちょっと脚色&演出の面で「すこぶる甘い」気がする。・・と言うか、ファンタジーから現実に壁を越える時点でムリがあるんだろうか?(劇場用アニメーションならまだ鑑賞に堪えた気がする)

パーツとして連想したのは下記の作品群だろうか。むろん私見に過ぎないが・・

・コミック『夢戦士ウィングマン』 ・・ 小道具の「ドリームノート」
・映画『リング(1998)』 ・・ 相次ぐ「心臓マヒ」死
・コミック『鉄人28号』 ・・ 少年探偵1人(ごとき)に全く頭の上がらない警察機構
・映画『バットマン(1989)』 ・・ ちょっと異常な2人(バットマン&ジョーカー)による、外野を無視したはた迷惑対決
・映画『AKIRA(1988)』 ・・ 不可解な存在を「宗教的に崇拝」する人々
・ドラマ『刑事コロンボ』シリーズ ・・ 犯人側の視点で描く手法

世界規模で犯罪者が次々に怪死する序盤。「おおお、もの凄い風呂敷の広げ方や!」と驚いてたら、特に全米規模にハナシが拡大する・・こともなく、殆ど(東京)都内オンリーで物語が進行したり(⌒〜⌒ι)
探偵Lの助力により、警察はいよいよ怪死事件を引き起こしている張本人と思しき“救世主キラ”の正体に迫る訳だが・・
「いやまて、たとい追い詰めても“凶器”と“アリバイ”の壁はどう崩すんだ?」と素朴に思ってしまう。

興味が湧き、ネットでちょこっと調べてみた感じでも

・因果関係が証明できなければ裁けない
・超自然的な要素が科学的・心理的・物理的に解明されていない以上、現在の法では裁けない
・犯罪が成立したことを証明出来ない限り「疑わしきは罰せず」で推定無罪となる。ただし犯罪行為を再現してみせれば犯罪の確定する可能性はある

って感じで、裁く(=立証する)には微妙に力不足な感じがするし。
・・って言うか「ノート」の存在以前に、「ノートの所有者にのみ姿が見える」とされる“死神リューク(声:中村獅童)”がリンゴを食った時、それが「現実の空間から消えてしまう!」ちぅ現象をどう説明、証明したら良いのか、その辺も意外に大事やと思います(=^_^=)

そういや、ナニを勿体付けてるのか(・ω・)放送中、常に「金曜ロードショー」なるロゴが画面右上に表示されてたっけ。「もそっと潔く行こうぜよ」と小さく突っ込んでしまったりした(=^_^=)
んでも、こんなしょぼい描かれ方をされてしまっては、ICPOもFBIも納得しないんじゃないだろうか・・

他に気になったこと
・救世主の名「キラ」って・・もしや「Killer」から来てるんだったり?
・AppleのノートPC「PowerBookG4」が登場☆ 既に「心臓部」も「処理速度」も旧世代のものですが(⌒〜⌒ι)
・FBI捜査官のレイ・イワマツ氏。どうにもマコ岩松(故人)の名が脳裏を飛び回るんですけどっ。
・地下鉄内(←福岡市営地下鉄でのロケらしい)で葬られる犯罪者のとある男。「眠るように死ぬ」・・ってのが何だか安らかでええやんか。ピンピンコロリ(PPK)を実践☆ って感じやね。
(映画『コラテラル(2004)』のト※・クル※ズも羨ましがるかも(・ω・))
・夜神月と恋人・秋野詩織(香椎由宇)の2人って・・ラブシーンが殆どなかったんですけど。
・エクスーゾ・ケナックってどんな画家なんだぁ?
・劇中に登場する「欧名(おうめい)美術館」って「青梅(+国際?)美術館」のパロディなのか?
・7日間に渡る、隠しカメラによる監視映像。「死神リュークの映像解析」はどうしてもムリなんやろか。

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