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2014年9月28日 (日)

☆『グランド・ブダペスト・ホテル』☆

ハナシは先月に逆行し(⌒〜⌒ι)8月27日(水曜)の夜。

隣駅のすぐそばにある、古き佳きスタイル(?)のシアター“塚口サンサン劇場”で鑑賞したのは、一般的な公開時期(6月上旬)に観逃してしまった1作『グランド・ブダペスト・ホテル』だった。

“つかサン”こと“つかサン”で(そのままかよ!)観るのは、今回が2回目。やはり、地下駐車場に出入りする際はその通路幅に戦慄し、界隈のイタリアン食堂『アレグロ』に於ける鑑賞前の食事は、期待通りの佳きものだった。

ヨーロッパ東部に位置するズブロフカ共和国は“偉大なる文豪”の祖国でもあった。彼の静かに眠る「オールド・ルッツ墓地」では、今もその著作を敬愛するファンが墓参に訪れ、生前の文豪を象(かたど)った記念碑の前で、代表作『グランド・ブダペスト・ホテル』を紐解くのである。

『グランド・ブダペスト・ホテル』・・その作品こそ、文豪自身が若き日に訪れた“保養地=ネベルスバートを代表する、時代遅れのホテル”で出逢った、1人の老人の“驚くべき半生の物語”がベースとなっていたのだ・・

監督の名を「ウェス・アンダーソン」と聞いて「誰だったっけ? ・・ホラー畑のしと?」と思ってたら、そちらは「ウェス・クレイヴン」だったり(・ω・) ああそうだ・・『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ(2001)』『ライフ・アクアティック(2004)』を撮った監督さんでした。

久々となる同監督作の鑑賞であり「とにかく豪華キャストの集結した、きらびやかな群像劇(いわゆる“グランド・ホテル形式”)」を期待してたら・・色んな意味で裏切られた(=^_^=) ロバート・アルトマン監督の『ゴスフォード・パーク(2001)』的な、いわば「舞台を“カントリーハウス(マナーハウス)”から“巨大なホテル”に移しましたよ」ってなノリを勝手に予想してたら、舞台はホテルから離れて行くわ、登場キャラそれぞれに関する“重要度”は激しく異なってるわ、で・・ホンマに予想外でした。。

ただ、本作の「狙った上の構成」ではあろうけど、ストーリー的な“括(くく)り”が激しく「入れ子」仕立て(構造)になり過ぎてて、観てて「次第に冷めて来る自身」がいたのも確かである。

冒頭からして「現代の墓地」⇒「文豪の書斎(1985年)」⇒「若き日の文豪の旅先(1968年)」⇒「出逢った老人の物語(1932年)」・・と目まぐるしく「時代&ロケーション」が激変するので、没入しにくかったような(・ω・) も少し、無駄な「入れ子」を外す事で“落ち着いた演出”にしても良かったような気がする。まぁ、ウェス・アンダーソンファンからすれば「10でも20でも、多層に渡るほど興奮する!」ってトコなんかも知れないけど。

物語は“伝説のコンシェルジュ”とされるムッシュ・グスタヴ・H(レイフ・ファインズ)を中心に、彼の巻き込まれる事となる“常連客の大富豪=マダムV.D.u.T(ティルダ・スウィントン)毒殺事件”の顛末をリズミカルに辿る事となる。と言っても、殺人事件そのものに対し「真犯人を推理する」なんてな楽しみが用意されてるワケではなく、どちらかと言えば「グスタヴ・Hと、その助手となる新米ロビーボーイ=ゼロ・ムスタファの交流」「2人を取り巻く、エキセントリックなキャラ群により紡がれる、エキセントリックな展開」を楽しむものなのだろう。

ワタシとしては「物語」や「展開」や「キャラ陣」はさほど好きになれなかったんだが(⌒〜⌒ι) 「映像の色調」「独特なロケーションとカメラワーク」がとにかく気に入った次第! 特に、屹立した岩山の頂に立つ「鹿の彫像」とか、ゲイブル・マイスター山頂に繋がる「ロープウェイ」とか、その殆どが(きっと)CG映像なんだろうけど、それを置いといても素晴らしい情景である!

また、色んな方面に配慮した結果なのか(?)・・誰がどう観ても「ナチスドイツ」な軍事国家の横暴が活写されるんだが、いっその事もう少し分かり易く国旗や名称をアレンジして欲しかったトコか。国旗のデザインも「ZZ」と言うより「XX」の方が、チャップリンの『独裁者(1940)』を(更に)明確に意識してる感じで潔く、見映えがした気がする。
ついでに「我がトメニアのアデノイド・ヒンケル総統閣下」とか“まんま”セリフで言っちゃっても全然オッケーだったろうに(←監督談:お前がオッケーでも、ワシには色々と事情があるんじゃい!)

〜 こんなトコも 〜

・F・マーリー・エイブラハム、ジェフ・ゴールドブラム、ハーヴェイ・カイテル、エドワード・ノートンらの“お元気な姿”を拝見する事が叶い、嬉しかった。
・ハーヴェイ・カイテルってば、近年「ああ言うキャラ(=マッチョな爺さん)」を確立してはるんやろか?
・「群像劇」でも「密室劇」でも「推理劇」でもなかった。三谷幸喜さんのコメントなんかも聞いてみたい(・ω・)
・「脱獄パート」や「スキー滑降アクション」など、観客を飽きさせない“演出の工夫”は面白い。
・「探偵モノ」として期待し過ぎると、肩すかし感を喰らう。
・私立探偵=ジョプリン(ウィレム・デフォー)のキャラは「極めて不気味」なんだが、それ以上ではなかったか。『シャドゥ・オヴ・バンパイア(2000)』の時の方が怖かった(=^_^=)
・ジョプリンの着てる革ジャケット(プラダの特注デザインらしい!)。左胸ポッケにスキットル(ウイスキーボトル)の収納出来るデザインが秀逸! ってか、酔ってバイクを乗り回してただろ!
・コヴァックス弁護士(ジェフ・ゴールドブラム)が追手をまくため飛び乗った路面電車。安堵した彼がブラインドを下げた瞬間、窓にジョプリンのバイクが映り込む! 巧過ぎる映し方!
・画面外にいったん消え、再び入って来る「人物」「車両」などの映し方も巧い!
・画面造りが「真っ正面」「真横」「真上」「左右対称」・・となってるのも印象的だった。 
・「ズブロフカ(Zubrowka)」なる国名の元ネタは「ズブロッカ(Żubrówka)」なのか?
・「常時メリケンサック装着」なジョプリン。ハードボイルド路線な探偵さんなんやね(⌒〜⌒ι)
・「地面に散らばる指4本」「カゴから引っ張り上げられる女中の生首」など、意図的にグロなシーンもあり(×_×)
・指の散らばる描写は『暴走特急(1995)』の終盤みたいだ。
・「余りヨーロッパロケしてない感」があったけど・・
・たとえシリアスな物語であろうと、カメラワークひとつでコメディぽくは仕上げられるものである。
・ローワン・アトキンソンとウィレム・デフォーに、窓辺で猫を抱かせたらアカンと思う(=^_^=)
・時代毎に「画面比率」を意図的に変えているそうだが「モノクロ」や「パートカラー」なんかも駆使して欲しかったかも。
・ホイトルの名画『少年と林檎』とすり替えられる事になる「あの絵」はエゴン・シーレ風だったか?
・本編は、パート1『ムッシュ・グスタヴ』、パート2『マダムV.D.u.T』、パート3『第19犯罪者拘置所』、パート4『鍵の秘密結社』、パート5『2通目の遺言の2通目』の5章に分けられてた。
・「V.D.u.T」が何の略なのかが、まず分かんない(=^_^=)
・“ゲシュパント(興味津々)”と言うのは、響きから察するにドイツ語かな?
・スペインワイン「ジュヴェ・カンプス」の1925年、26年ものと言えば、大層価値のあるヴィンテージ・ワインらしい。。
・ロビーボーイに求められるのは「(客の)嫌がる事を知る」「(客の)要望を先取りする」「(客の)秘密や醜聞を墓まで持って行く」「(客に)姿は見えずとも、いつもそこにいる存在となる」事だそうだ(⌒〜⌒ι)
・お金持ちに共通する要素は「不安」「虚栄心」「軽薄」「金髪」らしい。『オーシャンズ12(2004)』では「富と才能はあるが、常に退屈している」とか言われてたっけか。
・部分的に連想したのは『ビッグ・フィッシュ(2003)』『シンドラーのリスト(1993)』だったろうか。
・追いついた瞬間“退場”しちゃうセルジュ・X(マチュー・アマルリック)って・・
・結局は、袋ごと「美術館前のゴミ箱行き」となっちゃうネコ。何とまぁ・・(×_×)
・脱獄シーンでは「長過ぎるハシゴ」「長過ぎる縄梯子」に笑わされた(=^_^=)
・グランド・ブダペスト・ホテルに新しいコンシェルジュ=チャック(オーウェン・ウィルソン)のやって来た経緯が全く分からない(=^_^=)
・グスタヴ・Hが突然に「俺様を怒らせたな!」と言い放ちながら、ヅラと着け鼻を外し「決してその名を言ってはいけないあのしと」に変貌したら恐ろしかったやろな、、

~ こんなセリフも ~

文豪「作家は、良く誤解されがちだ」
  「人々は物語を作家に持ちかけて来る」
  「次の作品も、私の聞いた通りのものだ」
  「コンシェルジュと膝を突き合わせた姿勢で
   立つのが(滞在中の)クセになった」
  「その時、運命が私に味方してくれた」
  「デカダン(退廃的)過ぎる」
  「それは魅力的な“廃墟”だった。
   2度と観る事はなかったが・・」

グスタヴ「旅の前の不安は毎度の事」
    「(マダムは)“クソする犬”のように震えておられた」
    「経験ゼロ・・教育ゼロ・・家族ゼロ」
    「無礼は恐れの表れなのだ」
    「人生は、何をしても無意味なのさ」
    「“安い肉”は味わい深い」
    「観たか? まだ文明のかすかな光はある
    「人間の欲は広がる
    「おそれながら・・私が(グスタヴ)本人です」
    「絵を見せろと? ・・尤もな意見だ」
    「面倒な戦争が近い」
    「私は毒蛇の巣に堕ちたのか」
    「“喉切り”はあるか?」
    「“ストレート(真っ当)疑惑”を持たれるのは初めてだ」
    「何時でもいいさ。時間ならある」
    「誰も気にするまいが、誰も知らない
    「ズラかるぞ」
    「ル・パナシュ(香水)を忘れるとは」
    「上出来(な詩)だ。警報が鳴ったから止めるが、
     後で是非、その続きを」
    「正式にお会いする“暗殺部隊”は
     君らが初めてだ」

ドミトリー「生死を問わず、その喉をかっ切るぞ」

ゼロ「46節の詩を詠ずる間に、スープを飲み始めては?」
  「訓練が足りないぞ!
   ロビーボーイたる者、情報を漏らすな!」

老人「もし礼儀で訊いただけなら、そう言ってくれ」
  「ジャンはコンシェルジュとして1流とは言えん。
   いや、むしろ2流すら失格だろう」
  「わしの物語をありのままに聞かせよう」
  「アガサの名を避けては通れない」
  「かすかな文明の光は、まだあった」
  「ここで幸せだった・・短い間は」

コヴァックス「今、私の猫を窓から棄てた?」

ルートヴィヒ「これは“引き分け”だな」

ジャン「ムスタファ氏をご存じない?」

アガサ「絵の裏に何かが!」

司祭「これを持て。そして唄え」

ゼロ「これを隠して」
アガサ「イヤよ!」
ゼロ「でも持ってて」

グスタヴ「変装しなければ」
ゼロ「もうしてます」

グスタヴ「小心は彼のせいではない」
ゼロ「場合によります」

グスタヴ「絶景だ」
ゼロ「それは認めます」

グスタヴ「(アガサは)純粋だから魅力的なのだ」
ゼロ「でも、彼女を口説かないで

司祭「懺悔を」
グスタヴ「私は潔白だ!」
司祭「違う。懺悔室に行くのだ」

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2014年9月 7日 (日)

☆『トランセンデンス』☆

先月、8月3日(日曜)の夜。ご近所のシネコン「MOViXあまがさき」にて“レイトショー”で観たのは、ジョニー・デップ主演(?)のSFサスペンス作『トランセンデンス』だった。

公開前には予告編をイヤと言うほど見せられ(?)、ナレーションを担当されたエンケン(遠藤憲一)さんの「・・トランセンデンス・・」っちぅタイトルのご発声に、妙に期待値を高められたモノだった(=^_^=) ←人違いだったらすんません(×_×)

しかしながら、だ。

本作をスペック面で(冷静に)眺めた場合、注意を払わなければならないのは「監督がクリストファー・ノーランでなく、ウォーリー・フィスター」って点だろう。

このフィスター氏と言えば、ノーラン監督とのタッグで『メメント(2000)』『インソムニア(2002)』『バットマン ビギンズ(2005)』『プレステージ(2006)』『ダークナイト(2008)』『インセプション(2010)』『ダークナイト ライジング(2012)』などの作品群で撮影を手がけており「映像を捉える事」に関しては確かにベテランなんだろうけど・・ 監督としては本作が“デビュー作”って事で「作品を総合的に捉える事」が出来はるのかどうか、多少は警戒しとくべきだった(⌒〜⌒ι)

カリフォルニア州バークレー。かつて繁栄を誇ったこの街は、荒廃した都市へとその姿を変えていた。
人々が食料(例:乳製品)を渇望し、家庭から電化製品(例:冷蔵庫)のなくなった世界。往年の“コンピュータ時代”を象徴する入力装置=キーボードは、今や「ストッパー」の代わりにドアの隙間に挟まれるだけのガラクタと化していた。

マックス・ウォーターズ博士(ポール・ベタニー)は、凋落した街を歩きながら、5年前を思い返していた。
“世界最高の頭脳”とし自他共に認められていたキャスター博士夫妻と一緒に、リバモア国立研究所で働いていたあの頃を・・

・・

最新の人工知能システムを搭載する量子プロセッサ「PiNN(ピン)」を研究開発した科学者=ウィル・キャスター(デップ)と妻エヴリン(レベッカ・ホール)は「感情や自我を持つ、自立した人工知能」を目指していた。
『EVOLVE THE FUTURE(未来に進化を)』をテーマに基調講演を行うウィル。しかし“UNPLUG(プラグを抜け)”を唱え、飛躍的に発展するテクノロジーに反発する過激派組織「RiFT(リフト)」は、各地の研究施設を爆破したりと、その活動を激化させていた。

演壇を降りたウィルは、直後「RiFT」のテロリストに銃撃される。キズ自体は致命傷に至るものではなかったが、弾丸に放射性物質(ポロニウム)が含まれていた事から中毒症に冒されてしまう。医師は「余命4〜5週間」と夫妻に宣告する。

間もなく病床に就いたウィルは「PiNN」に言語を覚えさせる作業を続け、エヴリンはそんな彼の頭脳(知能・記憶・意識)そのものをデータ化し、人工知能上にアップロードさせようと試みる。

こうして、ウィルの肉体は地上から姿を消し、その頭脳はサイバー空間に“再生”を遂げる事に。
ネットに接続する事で、世界中から情報を得た「PiNN(=ウィル)」は驚異的な進化を加速させ、人類を脅かす存在となって行く・・

「人工知能を巡る(空想ベースの)プロモーション映像」として観たら、それなりに好奇心をくすぐってくれる作品と言えるんだろうけど、、全体的に「学説・理論の具体的な映像再現にばかりこだわった」ような物語(脚本)となってしまっており、エンターテインメント性やサスペンス性に著しく欠いてた印象がある。

何となく連想したのは、ロバート・ゼメキス監督の『コンタクト(1997)』だろうか。あちらも「過激なテロ組織との攻防」「壮大な研究の具現化(=映像表現)」などを活写してくれてはいたんだが・・総じて面白くなかった(・ω・)
また、不器用な天才科学者とその妻との「ラヴストーリー」が作品の根底(?)に流れてる辺りには「ポール・ベタニー助演」の印象も手伝ってか『ビューティフル・マインド(2001)』を想起させられた。

その一方、ワタシが本作(の作品世界)にすんなり入って行けなかったのは「RiFT」の絡み方に因るトコが大きいように自己分析している。
序盤〜中盤にかけ「赦し難い残虐非道なテロ組織」にしか思えない(描かれてない)のに、後半〜終盤にかけ「真っ当な活動をしてる組織」とし肯定的に描かれ始めるのだ。その辺り、なかなか「彼らに対する気持ちの切替え」が出来ず、観ててスッキリしなかった次第。

また、ウィルが(表舞台から)姿を消して(?)以降、エヴリン&マックスが物語の舵を取り、そんな彼らの周囲を『バットマン組』のジョセフ(モーガン・フリーマン)、ドナルド・ブキャナン連邦捜査官(キリアン・マーフィー)がサポートするワケだが・・ そんな2人のキャラ造型&言動が中途半端&地味な仕上りで「登場してもしなくてもあんま関係ねぇし」ってな絡み具合だった。そこはホンマに残念である。

常に、ノーラン監督作に対し「暗く、地味で、面白くない」ちぅ印象を抱きがちなワタシなんだが、そう言った「悪い部分」が更に顕著に現れてたように感じざるを得なかった。
それってば、監督が悪いのか、脚本が悪いのか、製作総指揮(←ノーランじゃん)が悪いのか・・はワタシにはハッキリ分からないんだが、、「ジョニー・デップ主演作」とし捉えても「ワーストランキングで上位に喰い込む事に間違いない1本」と評せそうである(・ω・)

(因みに『シークレット・ウィンドゥ(2004)』『ツーリスト(2010)』『フロム・ヘル(2001)』なんかが上位に堂々の(?)ランクインを果たしている)

〜 こんなトコも 〜

・要人ともなれば「差入れのケーキにダイオキシンが混入してるかも」「撃たれた弾を通じ放射能汚染しちゃうかも」などと色々気にしなければならなくなりそうだ。
・某FBI捜査官が、大した活躍もしてなかった。ってか、キリアンさんはテロリスト役で出演された方が引き立ってた気もする(⌒〜⌒ι)
・エブリンの乗ってたクルマはレガシィワゴン(BG系)だった。
・PiNNと繋がったウィルの意識の中で、電脳世界の広がる様子が“セレブロ接続”を連想させる。
・世界と繋がり、ある種「神」に近付いて行く辺り、寺沢武一氏のコミック『MIDNIGHT EYE ゴクウ』の主人公(風林寺悟空)を思わせる。
・「RiFT」のアイドル的存在(?)ブリー・ネヴィンス(ケイト・マーラー)に関し、も少し魅力的なキャラ造型は出来なかったんか?
・地下にデータ・センターが建造され、地表に太陽光パネルの敷き詰められたブライトウッドの街って、何処にあるの?
・少なくとも、最新鋭の治療設備を備え、難病を無償(?)で治す行為については、もの凄く人類の役に立ってた気がするが・・ ←いわゆる“奇跡の村”状態(・ω・)
・モーガン、レベッカと共に並ぶと・・意外に背の低さの露呈したキリアンさん(×_×) ←公称ではさほど低いワケでもないんだけど、、
・体内に仕組まれた(?)ナノレベルのマシーン(ロボット)により、急速で細胞の修復と再生の行われる“ハイブリッド人間”が登場! 当初こそ「新時代のゾンビや!」と驚いたワタシだったが・・「怖さ」を全く感じさせないのが「その設定の限界」だった。
・データ・センター内に並ぶサーバ機に、カタカナで「コンピューティング」と書かれてるのが、何とも滑稽だった(×_×)
・『マイノリティ・リポート(2002)』に登場のアイリス・ハイネマン博士もそうだったが・・科学者って園芸(庭いじり)がお好きなんやろか?
・世界規模の混乱・崩壊が描かれるワケだが、実際には田舎町(ブライトウッド周辺)が映されたのみである。やはり、限られた視点(ロケーション)で世界全体を描くのにはムリがあるのかも・・
・ナノロボットに関するCG描写は『地球が静止する日(2008)』で既に観たような気がする。
・データ・センターを遠くに臨む建物の屋上(?)にロケーションが限定され、しばらく物語の進行するトコは『ランボー(1982)』とか『ドーン・オヴ・ザ・デッド(2004)』を連想した。
・オープニングのナビゲーション映像で「トランセンデンスの世界へようこそ」などと喋り始める、ナレーターの爆笑問題。いや、そんなナビゲーションパートなんて、要らないんだけど・・
・ジョニデ主演作品としても、ノーラン製作作品としてもイマイチ過ぎ。
・ヒロイン(レベッカ・ホール)も、テロ組織の少女(ブリー)にしても、魅力に欠けてる。
・レベッカさんはスカーレット・ヨハンソンを平凡にした感じにも見える。ケイト・マーラーはクレア・ディンズを平凡にした感じにも見える。で、どちらにも“華”がない(×_×)
・時間の経過が淡々としてる。
・世界規模のハナシが見えて来ず。
・いきなり崩壊しちゃう「奇跡の村」状態のラボ・・ 並んでたしとたちは何とも可愛そう(×_×)
・ウィルのみならず、マックスも中盤で拉致監禁され“不在”に・・(×_×)
・「トランセンデンス映画祭」なんてのを開催してはどやろ?
・ナノロボットの動力源や設定が適当だった気も?
・「全世界に向け発信する演出」が一切なかった。例えば大統領演説なんかが盛り込まれてれば、少しはリアルに仕上がった事だろう。
・国家(軍)やFBIやCIAの動きが良く分からんかった。
・「夫婦愛のドラマ」としても薄味だった。
・「地下5階にコンピュータ設置」ってのは何か“根拠”があっての事か?
・構想自体には「古いB級作のテイスト」も漂ってた本作。

〜 こんなセリフも 〜

マックス“以前とは全く違う”
    “人類と科学技術の対立・・それは必然”
    “かつて、ネットの登場で世界は狭くなってしまった。
     だが、ネットのない(今の)方が狭く感じる”
    “キャスター夫妻は才能の塊だった”
    「何故“彼”だと言える?」
    「あれは・・“彼”じゃない」
    「聞きたくないね」
    「“Y2K”以上の混乱になるぞ」
    「必要なのは“原始的”な装置だ」
    「ナノロボットは世界中に運ばれる」
    「いつ、彼が変わった? 変わったのは※だろ?」
    「あれは、最初から※※※じゃない」
    「人の感情は、非論理的で矛盾に満ちている
    「僕らは折り合えない」
    “ウィルスが総てを破壊したが
     きっと、意味があるはず”
    “あの事件もこの庭も、
     作ったのは、彼女の愛だった”

ウィル「銅は電磁波を遮断する」
   「ここは“聖域”だからね」
   「進化し始めてる感じだ」
   「愚かな支援者達は“商業利用”って
    言葉を聞きたいだけだろ?」
   「妻は“世の中を変えよう”と考えてますが、
    私は“世の中”ってものが分かっていません」
   「政府からは、口出しも資金提供も受けたくない」
   「人間は、未知なるものを恐れる」
   「テロ組織のやり方は、論理的には
    筋が通らないが、皮肉には溢れてる」
   「最期ぐらい、君と過ごしたい
   「ナノテクを活用すべきだ」
   「テロで死ぬなんて」
   「死後も彼女を愛せるのか、不安だ
   「彼女を頼む」
   「無理するな」
   “聞こえるか?”
   “誰かいるか?”
   “暗い・・突然、夢から醒めた気分だ”
   “意識が分断されている”
   “治療しただけじゃない。彼は僕と繋がってる。
    ・・これで君に触れられる”
   “君も喜んでくれると思う”
   “今の僕なら、肉体的なハンディに
    苦しんで来た彼らを治せる”
   “これはまだ「初期段階」に過ぎない”
   “「僕らの夢」が叶うんだぞ?”
   “君をアップロードして彼らから護る”
   「僕は生きたかった」
   「恐れてるね?」
   「何故、僕を信じなかった?」
   「滅ぼす? 違う、この星を救うんだ」

ジョセフ「世界は偉大な考えと、偉大な男を失った」
    “ここから逃げるんだ(Run from this place.)”
    「意識が劇的に変化してるが、問題はそこじゃない」
    「奴は“軍隊”を造っている」
    「君の字は汚いな」

エヴリン「聞こえるかしら?」
    「出てって!(Get out!)」
    「音を立てるのは止めてくれない?」
    「あなたの肉体は、もう天国にいない」
    「あんまりだわ!(This is wrong.)」
    「彼は私しか信じないわ」

ブキャナン「奴は・・誰も殺さなかった」

ブリー「私達は“一線”を超えてしまったの」

ウィル「電磁波や信号を(銅の網で)遮断するのさ」
エヴリン「いっそ、携帯の電源を切れば?

エヴリン「何処へ行くの?」
ウィル「何処へでも」

エヴリン「人間とは戦えないわ」
ウィル“戦うまでもない・・超越する”

聴衆「神を創りたいのですか?」
ウィル「いい質問だ」

ジョセフ「良くぞ無事で」
ウィル「あなたに護身術も教わったおかげです」

ジョセフ「自我を証明出来るか?」
ウィル「・・難しい質問だ。
    だが、そう言うあなたは出来るのか?」

マックス「僕に君を救えるだけの頭脳があれば」
ウィル「卑下するな・・君は僕ら夫婦に次いで優秀だよ」

マックス「本当にいいのか?」
ウィル「猿でも出来たんだ」

ジョセフ「大丈夫かい?」
エヴリン「最高に幸せよ」

エヴリン「あなたは?」
マックス「・・矛盾だらけさ」

エヴリン「あなたなのね?」
ウィル「ずっとそうさ」

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2014年9月 6日 (土)

☆『マーサの幸せレシピ(2001)』☆

ブログの更新に関し、くじけそうになっとります、、(⌒〜⌒ι) まぁでも、気長にお付き合いいただければ幸いです。

・・

ハナシは(かなり)遡って、8月2日(土曜)の夜。
ご近所(=お隣の駅)にあるにも関わらず、全く訪れた事のなかったシアター「塚口サンサン劇場」に初めて行ってみる事にしたワタシ。

(むろん)新作も色々と上映されてたんだが、1週間の期間限定でリバイバル上映されてた『マーサの幸せレシピ』ってなドイツ作品を“レイトショー”で楽しんで来た次第(←料金:1000円)。

何でも、この8月は「ドイツ映画祭」と銘打ち『マーサ・・』『善き人のためのソナタ(2006)』『ソウル・キッチン(2009)』の3本を1週間交替で上映してくれてたようだ。何故「ドイツ映画祭」なのかはハッキリ分からなかったが・・きっと、サッカーW杯(WORLD CUP)のドイツチーム優勝記念だったんやろかね?

なお、シアターに入る前、界隈のイタリアン食堂『アレグロ』で夕食を済ませたんだが、ここは美味しいし、注文した料理を絶妙なタイミングでテーブルに運んでくれる配慮が珍しく、妙に感動してしまった!
ちゃんとこちらの食べるスピードに“目配り”しつつ、(例えば)ピザを焼き始めてくれる・・そんな感じである。コース料理を頼んだワケでもないのに、そこまでして頂けて、ホンマに嬉しかったです!

「サンサン劇場」を擁する「塚口さんさんタウン」に関しては、ちょいとくたびれた(昭和期の)雰囲気なんかも漂う施設なんだが・・色々と探検してみる価値もビンビンに感じる、古き佳き商業ビルと言えそう。
これからもまた、ちょくちょく遊びに来たい! ってか、もっと早く来とくべきだった!(×_×)
(ただし、地下駐車場に通じる入口の、左右の通路幅がハンパなく細いため、(3ナンバー車なんかだと)結構緊張する、、(⌒〜⌒ι))

「人前で食事が出来ない」「興奮すると過呼吸の症状が現れる」そして「孤独を好む」・・ ドイツ・ハンブルグの有名レストラン「LiDO」の料理長であり、オーナーのフリーダから「この街で2番目に優秀なシェフ」と高く評価されているマーサ・クレイン(マルティナ・ゲデック)は、仕事に関する完璧主義な姿勢&頑固でプライドの高い性格から、厨房のスタッフや来店客とも、衝突を繰り返す事が多かった。

そんなある日、彼女は“とある事情”から姉夫婦の娘である8歳の少女=リナをしばらく預からねばならなくなる。突然の共同生活に、お互いに抱く「ぎこちなさ」をなかなか解消する事の出来ないマーサとリナ。

決して“マーサのこしらえた食事”を摂ろうとしないリナは次第に弱って行くが、そんな彼女に「食事の愉しさ、素晴らしさ」をさり気なく教え示したのは、マーサが激しくライバル視するイタリア出身の陽気な料理人=マリオご自慢のパスタだった。

その件をきっかけに、マーサはマリオを料理人として認め、また異性としても意識し始めるのだった。

マーサ、リナ、マリオの3人の関係が良好になって来た頃、リナの父親であるイタリア人=ジュゼッぺ・ロレンツォがマーサのもとを訪ねて来る。リナを引き取り、イタリアで暮らす事を義妹に伝えるジュゼッペ。

マーサは当惑しながらも彼の提案を受け容れるのだったが・・

以前にも、BSP(プレミアム)で放送されたものを観た記憶があるが、今回は「松浦美奈さんご担当の字幕」の(質の)良さも手伝ってか「更に分かり易く、耳触りの良いセリフ群」を、大スクリーン映像と共に楽しむ事が叶った。

「いきなり同居人が増える!」ちぅ辺りの演出ってば、コメディ系ドラマなんかに有りがちな“ムーヴィーのお約束ネタの1ツ”とも言えるワケなんだが・・そこは主人公を演じるマルティナさんの「落ち着いてるけど、その実、テンパったりもする」「成熟した美しさを持つんだけど、その実、内面は子供っぽかったりもする」ってな相反する要素(?)を幾つも内包させたキャラ造型のチカラで十分に補い、独自の魅力を高めてたように感じた。

こちらに以前の記事がありますた。

〜 こんなトコも 〜

・リナの「ナ〜イン(=イヤだ、ドイツ語で「NO」)」ってな言い方が可愛かった。
・マリオ役のセルジオ・カステリットのご尊顔が、映し方によってはジャン・レノっぽくも見受けられる(・ω・)
・「ノーブラ+シャツ」な姿で歩くマーサを眺めてて「・・誘ってる?」とさえ感じてしまった(⌒〜⌒ι)
・オーナーのフリーダさんは何となくジュリアン・ムーアっぽい雰囲気をたたえてはった。
・イタリア人同士でもある、マリオとジュゼッペの共演シーンで「2人が何を喋るのか」に期待してたら・・何の会話もなかった!(・ω・)

〜 こんなセリフも 〜

マーサ“鳩はローストが1番。より風味が増す”
   「フォアグラは完璧よ。知ってるくせに」
   「煙草の吸い過ぎで、味が分からなくなってるのでは?」
   “シンプルな料理こそ、シェフの腕が分かる。
    シンプルな料理ほど、誤摩化しが利かないから”
   「正確さとタイミングが要なのは、料理も同じ」
   「退院したら“世界一の御馳走”を作ってあげるわ」
   “伊勢エビは水槽の中で痩せ細る”
   「召し上がれ(Bon Appetit!)」
   「午後は食べない事にしてるの」
   「私のせいだと言うの?」
   「フランスにマスカルポーネがなかったから、
    ナポレオンの料理人は絶望の余り、自殺したそうね。
    ・・ルイ14世(の料理人)だったかしら?」
   「幾ら努力しても、変えられない事があるの」
   「努力はしてるのよ」
   「ママは永遠にあなたのママなのよ。忘れないで」
   「リナは私に似ている・・内気なの」
   「これが“レア”でないのなら、いっそ“生”で出せば?」
   「塩でも振って、生で食べなさい!」
   「・・イマイチね・・何かが違うのよ」
   「砂糖はベルギー産のを使った?」
   「いいえ。でも“何を使わなかったのか”は分かるわ」

マリオ「“良く喰う料理人”こそ本物さ
   「あなたの鳩料理がないと、この世は虚しい」
   「働く以上“僕を認めてくれる店”でないと」
   「ここはあなたの店だが、厨房は彼女のものだ。
    シェフが居なけりゃ、此処はただの台所さ」
   「燃えてるよ」
   「ちゃんと作らないと、ニョッキは固くて食べられない」
   「“嘘をつく理由”が知りたい」
   「美味い! 抜群だ!」
   「・・全部喰うなよ」
   「あの娘は“家庭”を求めてる」
   「こう言いたいだろ? 『今、何時だと思って?』
    ・・そう、とても遅い時間だよ」
   「リナは君が好きなんだ・・分からないのか?」

リナ「ママはベジタリアンだったの」
  「・・忘れてたくせに」

クリスティン「(あなたは)いつも“そうね”ばかりね」

※「マーサ、話題を変えて良いかね?」
 「男なんて子供と同じね」

フリーダ「帰りなさい。あなたの意見は聞いてないわ」

シュタインベルク「独り身より寂しいのは・・独りの食事だ

医師「リナは何も食べません。何か食べさせないと」

リナ「ママは死んだの?」
マーサ「・・ええ」

リナ「お腹は空いてないの」
マーサ「・・私もよ」

マーサ「お早う(Good Morning.)」
リナ「今日は(Hello.)」

リナ「・・遅いわね」
マーサ「(彼は)いつも遅いのよ」
リナ「・・これだから男は困る

リナ「あなたはママになんかなれない」
マーサ「なりたくないし、その気もないわ」

マーサ「2度とこんな真似しないで!
    死ぬほど心配したのよ!」
リナ「・・ごめんなさい」

マーサ「力になって欲しい」
マリオ「・・行こう」

フリーダ「母上は御健在だと」
マリオ「そう、とても助からないと諦めていた。
    だが“奇跡”が」

フリーダ「今、出て行くのなら・・明日から来なくていいわ」
マーサ「それでも、出て行くわ」

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