« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »

2014年8月13日 (水)

☆ロビン・ウィリアムズさんに笑顔でお別れを☆

コメディからシリアスまで、
ホームレスから医師まで、
幅広い演技と存在感を誇った俳優、ロビン・ウィリアムズ氏の訃報を聞いた。

8月11日死去。まだ63歳と言う若さである。

やなせたかしさんが、某(絵本)作品のTVアニメーション化によって「大ブレイク」を果たすのが御年69歳、
カーネル・サンダース(大佐?)氏が、(外食系の)某フランチャイズ事業を展開し始めるのが御年65歳、

・・それらから考えると、やはり早過ぎる。

最近でこそ「客演」的な出演に、その活動の場がシフトしてはったような感もあるが、
ワタシの中では、その俳優キャリアの中で、最も輝きを放ってた1997年〜99年の彼の活躍ぶりが忘れられない。

因みに、この間には、
『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997)』
『パッチ・アダムス(1998)』
『奇蹟の輝き(1998)』
『聖なる嘘つき/その名はジェイコブ(1999)』
『アンドリューNDR114(1999)』
・・と、もの凄い傑作・佳作に次々と出演しておられた。

私的にロビンさんの作品で言えば、
『いまを生きる(1989)』
『フィッシャー・キング(1991)』
『グッド・ウィル〜』
『パッチ・アダムス』
『奇蹟の輝き』
『アンドリュー〜』
辺りが好きで「彼と共演する事により、飛躍的な知名度を得た」若手俳優も、決して少なくはなかったように思う。

彼の死はもちろん悲しいが、思い返すのであれば『ミセス・ダウト』辺りのコメディ作をこそ思い出し、笑顔で偲びたいものである。
そして、みんなで叫ぶのだ。

『グゥゥゥゥ、モォォォォニン! ベッナァァァァム!』
と。 (心の中で、で構いません)

| | コメント (2)

2014年8月11日 (月)

☆『GODZiLLA』☆

7月27日(日曜)の夕刻。ご近所のシネコン“MOViXあまがさき”で観て来たのは「怪獣映画の金字塔(の1ツ)」とも言うべき『ゴジラ(1954)』のハリウッド再リメイク版である『GODZiLLA』だった。

私的には、かつて『USゴジラ=GODZiLLA(1998)』を観た時の「“高い期待値”とそれに続く“深い失望感”」の落差にかなり打ちのめされたワケで・・正直「今回の仕上りも怖(こえ)ぇなぁ」と不安感も募り、躊躇う気持ちも小さくはなかったんだが・・ 頑張って「観届ける」事にした次第。

1999年、フィリピン諸島。
ウラン鉱脈を擁する「ユニバーサル・ウェスタン鉱山」にやって来た“モナーク(MONARCH):特別研究機関”のヘリから、2人の科学者が降り立つ。彼らは、生物学の権威である芹沢猪四郎博士(渡辺謙)とヴィヴィアン・グレアム博士(サリー・ホーキンス)。

崩落事故で40名の作業員が消息を絶った発掘現場に足を踏み入れた科学者らは、地底に巨大な骨格を発見する。それはこれまでの生物学の常識を覆す、謎の巨大生物の“化石”だった。

同じ頃、日本の雀路羅(ジャンジラ、JANJIRA)市では、富士山を臨む地に建造された原子力発電所が突然の地震に見舞われ、炉心の崩壊(メルトダウン)が引き起こされてしまう。

事故の中で、発電所の中心スタッフでもあったサンドラ・ブロディ(ジュリエット・ビノシュ)は暴走エリアから退避する事が出来ず死亡。その夫である科学者=ジョー・ブロディとまだ少年だった息子=フォードが遺される。

15年後。
成長したフォード・ブロディ(アーロン・テイラー・ジョンソン)は米海軍に所属する将校(大尉)となっていた。
14ヵ月にも及ぶ任務を終え、休暇を取得し家族(妻=エル(エリザベス・オルセン)と5歳の息子=サム)の待つサンフランシスコに帰還した彼だが、戻って間もなく「しばらく連絡をとっていなかった父=ジョーが雀路羅の退避区域(Q Zone)に無断侵入し、逮捕された」との連絡を領事館から受ける。

父を身柄を引受けるため、日本へと向かうフォード。
ジョーは原発事故の真相を解明するため、今もなお孤独な活動を続けていたのだ。
「お前の母親はまだ“あそこ”にいるんだ」とフォードに呟き、執念の炎を静かに燃やし続けるジョー。そして父子は、かつて住んでいた市内の自宅に残る、研究データの収められた記録媒体(フロッピーディスク)を回収するため、再び退避区域への侵入を図るのだった。

○題材が、世界中の誰もが(きっと)知ってる怪獣王=ゴジラ
○『USゴジラ』の過ち(?)を繰り返してはならない
○オリジナル版の世界観を「現代の背景&映像」に置き換えなければならない

・・などなど、かなり“ハードルの高くならざるを得ない”脚本ではあったろう(⌒〜⌒ι) 私的には、鑑賞後の今もなお「で、なんで今『ゴジラ』だったの?」と言う素朴な疑問が消えないままでもあるんだが、、何にせよ「ニッポンに関する描き方が(やっぱりここでも)おかしい」「ニューヨークとかワシントンでは暴れない」「合衆国(政府)との攻防が(直接的に)描かれない」って辺りで、観てて盛り下がって来たのは確か(・ω・)

また、シアター自体も(たまたまなのか)意外にも小規模だったな。

『USゴジラ』の頃は「キャスティングにカネをかけ過ぎ」「ゴジラの存在を軽々しく描き過ぎ」「ギャグ要素を盛り込み過ぎ」ってな、ローランド・エメリッヒ監督らしからぬ(?)「誤算と負の連鎖」により、悲しい結果(?)に終わってしまったワケだが、本作が『USゴジラ』の失敗(?)を研究し尽くし、更なるブラッシュアップに成功してたか? と言うと「まだまだ甘いなぁ」と正直に感じてしまったワタシである。

〜 こんなトコも 〜

・「B級要素」を極力廃し「終始“シリアス路線”を貫徹させよう!」なる制作側の意図・熱意は伝わって来たモノの・・「ジャンジラ市」と言うワケの分からん名称の架空都市がまず登場する時点で、かなり屋台骨(?)がぐらつき始めてた。
・芹沢博士、グレアム博士、ブロディ博士・・と科学者キャラが多数登場しながらも、本作に必要であるハズの「説得力」が備わってなかった。どの人物も造型不足で、ペラッペラだったのが惜しまれる。例えるなら、カメラで撮られてない時には「静止でもしてるか」のようだった。
・雌雄の2怪獣が引き合い、都心部で出逢う展開は『大日本人(2007)』的で笑えた(=^_^=)  ←「匂ウノ獣」
・そもそも出逢う前から、雌は卵を抱えてたけど?
・『ジョーズ(1975)』や『ジュラシック・パーク(1993)』に於いて、スティーヴン・スピルバーグ監督が知恵を絞り切ったと思しき(?)演出でもある「“そいつ”がなかなか姿を現さない」ってな描き方なんだけど、も少し定期的に「小出し」にしてくれても良かった気がする。
そう言う意味では『USゴジラ』に於ける「桟橋で釣りをしとる爺さんが“そいつ”に遭遇する」「襲撃された漁船の(生き残りの)爺さんが“その名”を呟く」辺りの「小出しぶり」はなかなか良かったと思う。
・オリジナル版では「被爆国ニッポン」「核実験」「戦後」などが“テーマ”になっていたが、本作では「原発」「自然の脅威」などがそれに当たるように感じた。
・芹沢博士は眼帯でもなく、アウトローな人物でもなかった。
・「オキシジェン・デストロイヤー」なんぞは(全く)登場しなかった。
・敵キャラ=ムートー(MUTO:Massive Unidentified Terrestrial Organism(未確認巨大陸生生命体))はどちらかと言えば「平成版ギャオス(1995)」系の容姿だったか?
・「いきなりな退場っぷり」など、ジョー・ブロディ博士の「存在意義」が余りに小さかった。
・主人公は『キック・アス(2010)』のデイヴ・リゾウスキ君だった! 気付かなかったなぁ!
・サンドラ役はジュリエット・ビノシュだった! これも気付かなかった!
・グレアム博士役はサリー・ホーキンス! 『ブルージャスミン(2013)』のジンジャーさんだったんやねぇ。
・ステンツ提督役はデヴィッド・ストラザーン! 『ボーン・アルティメイタム(2007)』の“あのしと”やね。これは薄らと気付いた。
・ゴジラの吐く放射能熱線が「青白い閃光」なのが鮮やかだった!
・ホノルルの沿岸部が大変な事になってた。。
・ゴジラを眺めずして死したジョー・ブロディ博士の悲しみたるや・・
・合衆国の「東海岸」には(残念ながら)上陸しなかった(×_×)
・ハワイアン・ソング「Ka Huila Wai」が劇中で使用されてた。
・相手の口を強引に押し開け、そこに放射熱線を吐く(流し込む)トコは『ヒドゥン(1987)』のアルテア星人的でもあった(=^_^=)
・ホノルル空港に於ける「1回目の戦い」がどう言う展開だったのかが、良く分かんなかった(決着がはっきりと描かれず)
・特撮映像群には、さほどの「新鮮さ」も「驚き」もなかった。企画&実現が『クローヴァーフィールド(2008)』や『パシフィック・リム(2013)』よりも早かったら、もっと凄まじく衝撃的だったろうけど・・
・イエローキャブ(タクシー)との追いかけっこシーンはなかった(=^_^=)
・フォード少年の自室に貼られてた(古い)怪獣映画のポスターは?! カタカナで『・・ニラvsハブラ』とか書いてあったけど(⌒〜⌒ι)
・フォード少年の乗るスクールバスの側面には、漠然と「国際学校」と書かれてたが・・??
・「パオ(日産)」「ビュート(光岡)」「エスカルゴ(日産)」「ラシーン(日産)」・・など“個性的”な日本の旧車が次々と登場してた。
・フォードが父親の身柄引受けに行った際、背後で交わされる余所の家族の「コウジ、馬鹿野郎!(父)」「あなた、何やってんの!(母)」「これ以上やったら、もう面倒見切れんぞ!(父)」みたいな会話群が、カタコトに響くわコントっぽ過ぎるわで、聞くに耐えなかった(爆笑)
・退避区域を巡回してた警備員(警備兵?)の放つ日本語「おいお前ら、何やってんだ? 此処が何処だか分かってんのか?」も響きが何やら不自然だった。。
・電磁パルス現象(に伴う停電)のせいで、独房の扉が勝手に解錠されてましたけど、、(⌒〜⌒ι)
・冒頭では記録映像っぽいモノクロ画面を交え『種の起原(1859)』『メイン号爆沈(1898)』『ビキニ環礁(1954)』『アルゴンヌ研究所(1946)』『モナーク計画』などの字幕が次々と表示される。その中で『モナーク計画』のみはフィクション(でっち上げ)なんだけど、違和感なく(尤もらしく)観客のアタマに入って来てくれた(=^_^=)
・ハワイ(ホノルル)のシーンでは「ヒルトンホテル」が実名登場してた。タイアップ?
・核兵器の爆発迄のカウントダウンが描かれる辺りは『ダークナイトライジング(2012)』の終盤を何となく想起させられた。
・「確かに、1999年頃ってば、まだFD(フロッピーディスク)を使ってたんだよなぁ」としみじみさせられたりも。

〜 こんなセリフも 〜

フォード「僕がついてる」
    「ごめんよ、信じなくて」
    「(父の言葉を)たわ言だと聞き流していた」

ジョー「俺の誕生日だったのか! 忘れてた!」
   「諦めるな!(Don’t you say that!)」
   「大丈夫だ・・やはりな(It’s clean..I know it.」
   「妻は此処で死んだんだぞ!
    ・・いや“何かに殺された”んだ」
   「2人を護ってやれ・・何があっても」

サンドラ「フォードを護って・・間に合わなかった」

芹沢「殺せ(Kill it.)」
  「殺そうとしたが、失敗した」
  「人間は自然を支配出来ない」

エル「気を付けてね(Be safe.)」

ステンツ「知りたいのは“核で(奴を)倒せるのかどうか”だ」

兵士「“狩り”の始まりだ」
  「今回の任務に“救出作戦”などない」

| | コメント (4)

2014年8月 3日 (日)

☆『春を背負って』☆

先月。3連休の最終日でもあった、7月21日(月)の夜。
「イオンモール伊丹」の上層階に位置する、ややご近所なシネコン“TOHOシネマズ”で観て来たのは「生真面目&丁寧に撮(つく)られた作品である事」の実感出来る山岳ドラマ『春を背負って』だった。

本作は『劔岳/点の記(2009)』で鮮烈な監督デビューを飾った“撮影畑出身”の木村大作による2本目。
今回は「山岳測量に材を取った(明治期の)実録モノ」ではなく「山小屋経営を軸にした(現代の)家族のドラマ」なる体裁をとっていた。

音楽は『劔岳』に続き、池辺晋一郎氏が担当。多少、古めかしく(?)も荘厳な印象の調べが全篇を盛り上げてくれてもいる。

富山県・立山連峰。
大汝(おおなんじ)山の頂き(標高3015m)に建てられた「菫(すみれ)小屋」で、長らく管理人をしていた長嶺勇夫(小林薫)が遭難客を救い落命する。
その妻=菫(檀ふみ)は、これを機に近隣の山小屋「雷鳥荘」に「菫小屋」を譲り渡そうとするが、葬儀のため一時帰郷した東京在住のひとり息子=亨(とおる、松山ケンイチ)が「小屋を引継ぐ」と宣言するのだった。

元々、山小屋経営と言うものが、採算の取れぬ“赤字続きの生業”でもあったため、母=菫をはじめ、周囲は猛反対するのだが、亨の意思は強かった。
麓の「民宿ながみね」で菫を手伝う快活な女の子=高澤愛(蒼井優)や、亡き父の(大学山岳部の)後輩だと言う“風来坊気質”の多田悟郎(豊川悦司)の支えもあり、久しく山に向き合って来なかった亨も、次第に「山小屋の主人」としての技量を積み、自覚・自信を身につけてゆく。

悟郎を“山の先達”を仰ぎつつ、数々の登山客らとの出逢い、そして経験を重ねる亨だが、来春に向けて小屋をいったん片付ける「小屋終い」の日に、思いもよらぬ“大きな事件”が巻き起こるのだった・・

笹本稜一氏の著した(同名の)連作短編小説を原作とするが、舞台となるのが「現代」である事や、キャスト陣を豪華にし過ぎてない(?)辺り、より物語そのものに集中して観る事の叶った気がする。また、青年である主人公の「成長のドラマ」「ぎこちない恋愛物語」なども軸になっており、山にとんと詳しくない観客が観ても「取っ付き易い」「微笑ましい」ドラマに仕上がってたように思う。

中でも特筆すべきは、主人公を導く悟郎のセリフの数々! 『レイクサイド・マーダーケース(2005)』や『妖怪大戦争(2005)』『ジャッジ!』ではあんまし良い印象のなかったトヨエツ(豊川)が、ここでは「助演男優賞モノだよこりゃ!」と賛辞を贈りたくもなる程の「存在感」「優しさ」を兼ね備え、心に残る言動を次々と放ってくれた!
多少「キザ過ぎる」「ニヒル過ぎる」きらいはあるんだが、ホンマに男が惚れる程の(?)人物を好演してくれたなぁ・・と思った。

主人公の「元トレーダー」と言う職歴や、バブル崩壊の際に「地獄を体験した」とされる悟郎の過去も、現在の「山と向き合う姿」と対照的に配されてて面白い。

「屋内シーンがスタジオ撮影っぽく見えて」しまったり「重要シーンでの音楽の入り方が強引に聞こえて」しまったり「ドラマ部分の演出が古臭く思えて(←スローモーション映像とか)」しまったりもするんだが、、その辺りの残念さも、作品全体からにじみ出る「生真面目さ」を前にしては、さほど気にならなくなるのが不思議である(=^_^=) まぁ『岳/ガク(2011)』でも、スタジオ撮影っぽいシーンは少なからずあったワケだし・・(⌒〜⌒ι)

トヨエツが苦手な方、本作はおススメです(苦笑) ムリに「ベタ踏み」せずとも、感情移入出来ちゃうハズです。

※本作で気に入られた方には、トヨエツ主演の『1枚のハガキ(2011)』もおススメしときます(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

・木村監督。前作と本作の間に『北のカナリアたち(2012)』の撮影をこなしておられるそうだ。
・エンターテインメント性がやや低めだった印象は(確かに)ある。
・エンドロールで流れるのは、山崎まさよしの「心の手紙」・・書下ろしの新曲だそうで。
・中盤で市毛良枝さんの放つ短歌(俳句?)を・・「完全に聞き逃してしまった」のが悔やまれるトコだ(×_×)
・市毛さんの旦那役とし、どうにも柄本明の顔が浮かんでしまふ、、(⌒〜⌒ι)
・亨の勤務していた「GAC(グローバル・アセット・キャピタル社)」では、専務(演:嶋田久作)や部長(演:仲村トオル)の重い存在感に、観客として観ながらですら息が詰まりそうになってしまった(×_×)
・ガイド役で出演してたしとたち(清水・加賀の両名)は、モノホンなんやろか? 山小屋に3人(亨、菫、愛)を案内し、帰りはスキーで麓まで滑降して行った姿が、ベテラン過ぎて眩しかったで(=^_^=)
・「(最期となる)電話で父親と話せなかった」ってのは『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(2011)』のオスカー少年もそうだけど、かなり心に重く残されてしまうものがあるだろう。
・「菫小屋」で売られてる特製Tシャツは2500円。意外に良心的な価格設定だと思う(・ω・)
・「美人か?」と問われると、ちょいと困ってしまう(←ファンの方、すみません)蒼井優さんだが、その明るいキャラは素晴らしいと思う。標高3000m級の山頂で、彼女と両手を繋いでグルグル回れたら、それはそれで(空気の薄い事も手伝って)メッチャ爽快やろね(=^_^=)
・「山岳監修」の多賀谷治氏は、国際山岳ガイドとの事だ。
・「山桜」「鯉のぼり」「紫陽花」など“まんま季語”みたいな情景を「どストレート」に映してくれるシーンにも、逆に好感が持てた。
・本作を観てて「ロックチェア」が欲しくなって来た! いつか買うぞ!(今の生活では置く場所がない(=^_^=))
・重さ=60キロの荷物を担いで山登り・・ 両膝が砕けるやろな、、(×_×)
・山小屋の朝は「午前3時半起床」との事だ・・ぐふぁっ!(×_×)
・完成したばかりの椅子を背負って(菫小屋に)やって来た、粟巣野家具工房の中川聡史(新井浩文)。そのタイミングがスゴい!
・山頂でも、ネット環境に限っては快適そうだった。
・『重力ピエロ(2009)』を観た直後だと「本作ってば、岡田将生を背負って山を歩くハナシなんやろか?」と勘違いしたりするのかも知んない(いや、ないない)

~ こんなセリフも ~

亨「寒い・・恐い」
 「久しぶりに登ると・・キツいっすね」
 「“山の天気”みたいな人だな」
 「全身が棒になったようだ」
 「親父なら、どうしてたかなぁ」
 「何となく、お前には
  話しておきたかったんだよなぁ
 「この低気圧は脚が速い。
  明日には晴れますよ」

勇夫「一歩一歩、自分の力で歩けばいいのだ」
  「ゆっくりでいい」
  「自分の脚を使え」
  「ザイルに頼ればいい」
  「気をしっかり持て」
  「着いたぞ。良く我慢した」
  「人はな、年を重ねるにつれ
   沢山の荷物を背負って行かなければならない」
  「そこには地図も目印もない。
   行き先は自分で決めなければならん」
  「鶴は、自分の帰るべき場所をちゃんと知っている。
   人間なんて、とても及ばん」
  『もう大丈夫だからな。脚、動かせる?』

菫「全く・・独りで勝手に逝ってしまって」

愛「“此処が私の居場所なんだ。此処で生きたい”って思った
 「(あの人は)窒息寸前の私に、沢山の酸素をくれた」
 「よし、奇麗になった。来年も宜しくお願いします」

悟郎「(登る)先は見ない方がいいよ
  「一歩一歩、負けないように、普通に歩いたらいいんだよ」
  「あんたは荷物とケンカしてる。
   荷物とは仲良くしないと
  「やっぱ、山で吸う煙草の味は格別やね」
  「煙草も人間も、煙になって初めて
   “本当の価値”が分かる
  「山ではお互い様。当たり前の事だよ」
  「気にしない! 気にしない!」
  「いつも自分の居場所を捜して
   旅をしているのさ」
  「人間は裸で生まれて、
   独り手ぶらであの世に逝く」
  「ゆっくりでいい。足元を確認して」
  「落ち着くかって? 当ったり前だよ」
  「3000m級の単独行は駄目」
  「(登山は)“自信の付いて来た頃”が1番危ない
  「同じ失敗を繰り返さない様にしたらいいんだよ」
  「欲をかいちゃいけないよ
  「だから“有難う”って言葉が
   身に沁みて来るんじゃないかな」
  「人生は徒労(無駄な骨折り)の連続なんだよ。
   それでも、一歩一歩歩いて行く。それが人生なんだ」
  「あれは、きっといい奥さんになるよ」
  「話したい事があったら、何でも話したらいい。
   我慢するんじゃない」
  「さ、俺はもう寝るよ」
  「“荒らさず、絶やさず、欲張らず”だよ
  「(これまで)好き勝手に生きて来た。
   人に迷惑をかけてまで生きたくない」
  「有難う・・もういい」
  「還されちまって」
  「ただ今、帰りました」
  「人間は、他人の心との触れ合いが
   あってこそ、生きて行ける」
  「鶴は軽々と超えて行く。
   自分の居場所に還るために」
  「あの2人は“決まり”やね」

聡史「此処が、この樹の居場所なんだな」
  「半端な事ばっかだ」

部長「空気、美味いんだろうなぁ」

※「数字は残酷だ」
 「“幸せの終わり”は突然やって来る

菫「全く“親の心、子知らず”だわ」
亨「それを言うなら“子の心、親知らず”だよ」

悟郎「彼女は今、自分が背負ってる荷物の1ツを
   下ろそうとしている」
亨「・・重かったんだろうな」

亨「俺に酸素をくれたのは、悟郎さんと愛ちゃんだね」
愛「沢山、酸素をあげますね

芭蕉の句『山路来て 何やらゆかし 菫草』

| | コメント (4)

2014年8月 2日 (土)

☆『マレフィセント』☆

7月13日(日曜)の夕刻。

ご近所のシネコン“MOViXあまがさき”にて観て来たのは、何だかスクリーンではお久しぶりな(?)感のある、アンジェリーナ“アンジィ姐さん”ジョリー主演最新作『マレフィセント』だった。

ジャンル的には「ダーク・ファンタジィ」っつぅ事で、物語のベースになっとるのは、同じく「ウォルト・カンパニー」謹製の古典アニメーション作『眠れる森の美女(1959)』なのだが・・ オリジナル版では「至って客観的に」描かれてた“悪の魔女”マレフィセントの存在に大きくスポットが当てられる事となり、それとは逆に“ヒーローキャラ(=本来「美味しい」キャラ)”であったハズの、フィリップ王子の立ち位置が大きく後退する事態となっている(×_×)

まぁ、それこそが・・いわゆる女子層を狙った「ウォルト社」の「イマドキ&したたかな新(?)戦略の一環」って事なのだろう(・ω・)

これは、昔々の物語。

敵対する2つの国家が隣り合って存在し、それぞれは「人間の国」「ムーア(妖精の国)」と呼ばれた。
“ムーアの守護者”とし、人間界の「度重なる侵略」を先頭に立ち喰い止め続けていたのが、大きな両翼をその背(せな)にたくわえた、美しき妖精=マレフィセントである。

だが、貪欲で嫉妬深い人間界の君主=ヘンリー王の密命(?)を受けた、ステファン青年の「裏切り」によって、彼女は唐突に、その美しい両翼を奪われてしまう。
そして、例えようのない悲しみを味わった事で、マレフィセントはその心を冷たく固め閉ざしてしまうのだった・・

・・

復讐に燃える彼女は、新たに国王となったステファンの、生まれたばかりの赤子=オーロラに「永遠に解けぬ呪い」をかける。それは「16歳の誕生日の日没前、糸車の針先で指を突いてしまう事により、オーロラが“2度と醒めぬ、死の眠り”に就く」と言う予言めいたものだった。

マレフィセントの呪いから逃れるべく、ステファン王の密命(?)で、城塞から遠く離れた森に隠れ暮し、3人の妖精(ノットグラス・シスルウィット・フリットル)に預けられ、育てられる事になった赤子のオーロラ。

やがて・・美しく育った彼女であったが“予言”された16歳の誕生日を翌日に控えたある日、とうとう自らにかけられた呪いと、それをかけた人物の正体を知らされる事となるのだった・・

非常に分かり易いハナシ(の展開)や、マレフィセントの立場に(視点を)置き換えての「みんなの知ってる物語」の超訳ぶり(?)が、新鮮でもあり、楽しかった本作。

その一方で、演出の幾つかが(その超訳っぷりの犠牲となってか)放置&崩壊しちゃってるトコもあり、そこは「ウォルト謹製」としては「そ、そのレベルの(仕上りの)脚本で良かったん?」と他人事ながら心配にもなってしまった(⌒〜⌒ι)

「ムーアの国の妖精たち」とか「ヘンリー王の側近&騎士団」「ステファン王の側近&騎士団」とか、もっと丁寧に描くべきトコがあったと思うんだけど、それらはまとめて割愛、、 もっとしっかりと見せて欲しかったトコやなぁ。あと、翼を取り戻してからの、大空を翔るマレフィセントの歓喜っぷりを表現するシーンとかもね。

ヘンリー王、ステファン王、フィリップ王子・・と主要な男性キャラはいずれも「華」を持たされておらず、最も前面に出てたのは、正体がカラスである青年=ディアヴァル。
そこそこにイケメンで、初登場シーンも“全裸+泥まみれ”と言う『ロック・ユー!(2001)』に於けるポール・ベタニーなんかを思い出させてくれるサービスカット(なの?)なんだが・・結局は「女主人(マレフィセント)の下僕」みたいな立場から脱するワケでなく、終始“クスんだ立ち位置”だった。。
ステファン王をあそこまで「狂気&極悪なキャラ」に仕上げるのも“お約束”としては良いんだろうけど、私的には「マレフィセントの思惑とは別に、裏で色々と画策してたディアヴァル」みたいなキャラ造型を組んでくれたら、それはそれで見応えが増したような気がする。
ちょっとダークな味付けでも施しとかないと「フィリップ王子以上に前に出ちゃう男子キャラ」ともなってしまうもんで。

オリジナル版『眠れる森の美女』の「最大の見せ場」とし「終盤で、マレフィセントがドラゴンに化け、フィリップ王子と一騎討ちする!」ってシーンが控えてるワケなんだが・・今回は「マレフィセントに魔法をかけられたディアヴァルがドラゴンに変身する」「ドラゴンはフィリップ王子と戦わない」ってな仕上りになっており、そこはどうにも消化不良だった(×_×)
って言うか、イマドキ「画面にドラゴンがど〜ん! と登場」しても、さほど驚きもないしねぇ、、 これが『ドラゴンハート(1996)』辺りの時代だったら、さぞ興奮しまくりだったんだろうけど(・ω・)

本来「コメディリリーフ役」であるべき、あの3妖精の言動も妙にムカつくだけだったなぁ。アレなら、代わりに「魔法の師匠キャラ」とか「剣技の師匠キャラ」を配し(例・・『風の谷のナウシカ(1984)』に於けるユパ翁)、幼いオーロラ姫に対しての「特訓シーン」なんかを挿入して貰ってた方が、よほど見応えがあったかも(・ω・)

全体的に、登場人物の造型をもっと「丁寧に」「分厚く」描いて欲しかったモノである、、

〜 こんなトコも 〜

・アンジィ姐さんの頬骨の“痩(こ)けっぷり”がちと異常な感じだった。大丈夫なのでしょうか?!
・ディアヴァル役を演じたのはサム・ライリー。サム・ライミやサム・リーと響きが似てるが別のしとです。因みに、ご尊顔はちょっとブレンダン・フレイザー入ってる感じやと思います。
・ステファン王を演じたのはシャールト・コプリー! あの“ヴィカスおじさん”だったとは! 最期は城壁から転落して行ってたが・・更に『エリジウム(2013)』のクルーガーばりに「転落+爆散」して欲しかったかも(おい!)
・CG満載なファンタジィ映像のどこを眺めても『アバター(2009)』以降の映像なんやな〜 って事に気付かされる(=^_^=)
・この調子で、男女を逆転させた『ジュリエット&ロミオ』『オペラ座の怪女』などの企画を次々と実現させて貰いたい。
・中盤で病死してしまう王妃様。キャラ造型としては「皆無」に等しかった・・ひっでぇ(×_×)
・『アリス・イン・ワンダーランド(2010)』同様に「映像こそ、そこそこ鮮烈だったけど・・きっと記憶には残んないだろうな」ってな作品感ではある(=^_^=)
・“悪の魔女”にも背景があった! ってのは、ネタとしてはミュージカル作『ウィキッド(2003)』の二番煎じなんやろか?
・ステファン少年の投げ棄てた「(鉄製の)指環」が後々の“フリ”になると思ってたが・・
・「両翼を切り取られる程の痛み」でも目覚めない睡眠薬・・ってどんだけ強力やねん! 糸車の針先に塗られてた(?)のと同じ成分だったんやろか?
・妖精の王国の「まとまりのなさ」がちょびっと気になる(・ω・)
・国中から集めた糸車ってば、城内に隠しとくんじゃなく、どっか辺境にでも棄てに行っとけば良いのに。。
・「かけた当人にすら解けない呪い」ってば、考えたらオッソロしいね(×_×)
・ステファン王に酷使されてた国中の鍛冶職人・・ 鉄の武器を造らせてたんかな(因みに、ボウガンの既に存在する時代だった)?
・劇中での「Castle(城)」の発音は「カーソル」に近かった。“Cursor”との響きの違いが分かんねぇ(×_×)
・城へと急ぐマレフィセント。それなら「馬」でなく「巨鳥」に化けさせたら良かったんでは?
・戦闘シーンのマレフィセントは、誰もが思うように、まんま「キャットウーマン」だった! これがふた昔(?)も前の企画だったら、ステファン王=マイケル・キートン、マレフィセント=ミシェル・ファイファーで演って欲しかったな。
・マレフィセントには「連続バック転」で王のそばまで来て貰い、背後で建物を唐突に爆発(=^_^=)させて欲しかった。ミャオ!
・「美しいヒロイン」であるハズのオーロラ姫なんだけど・・エル・ファニングを眺めてて「う〜ん」と正直、感じてしまった。まだしも、少女時代のマレフィセントを演じてた女の子の方が、可愛かったような気がしたぞ、、
・改めて『ドラゴンハート』を観直してみたくなった(=^_^=) 当時は「LD(レーザーディスク)」版のソフトを買ったんだよなぁ。
・ステファン青年に対しての「宝石よりもはるかに高価な、妖精の心を盗んでしまった少年」ってなナレーションを耳にして、どうにも『ルパン3世/カリオストロの城(1979)』の終盤に於ける銭形警部のセリフを思い出してしまったワタシ(=^_^=)

~ こんなセリフも ~

マレフィセント「出て来て(Come out.)」
       「盗みは悪い事だけど、殺したりしないから」
       「棄てたんじゃないわ。
        “それがあるべき所”に戻しただけ」
       「引き返すがいい!」
       「お前は“私の王”ではない
       「共に戦え!(Rise and Stand with me!)」
       「思い知れ!」
       「カラスよ、男になれ!」
       「我が翼となりなさい」
       「玉座が欲しくて、私の翼を奪ったのね!」
       「おやおや(Well,Well..)」
       「とんでもない(Why not.)」
       「可哀想なぐらい醜いわね」
       「醜い子は大嫌い」
       「あれじゃ“飢え死に”するわ」
       「もう行きなさい(Go away.)」
       「どうしてやろうか・・(I wonder..)」
       「お休み・・“モンスター”さん」
       「呪いよ、消えろ・・これっきりに」
       「この世には“悪”がある。
        私はあなたを護り切れない」
       「“真実の愛”など存在しない」
       「馬が必要ね」
       「・・遅かった」
       「来なくていいわ。
        これは“私の戦い”だから」
       「愛は天から降っては来ないわ」
       「“真実の愛”なんてないの(I told you.)」
       「赦しは請わない・・赦される事じゃない」
       「憎しみと復讐心で心が曇っていた」
       「生きる限り“あなたを護る”と誓うわ」
       「ドラゴンになれ!」

オーロラ「あなたは“妖精のゴッドマザー”よね」
    「何処へ行こうと、いつも
     “見護る気配”を感じていたの」
    「・・話す事があるの」
    「両親は死んだ筈では?」
    「止めて!(Enough!)」

ステファン「お前は“招かれざる客”だ」
     「静かに・・余が“会話をしている”のが
      お前には分からぬか」
     「射よ!(Shoot her!)」

ディアヴァル「“運命の人”だ(That boy is the answer.)」

フィリップ「父が“王に逢え”と」
     「こんな美女は初めてだ」

3妖精「近付かないで!(Stay away!)」
   「これからは飛ぶのも禁止。魔法も封印よ」
   「ズルしたわね!(You Cheating!)」
   「当日!(on!)」
   「翌日!(after!)」
   「(あんたはキスが)下手くそなのよ!」
   「私達の16年も犠牲になって・・
    ・・いえ、何でも」

ディアヴァル「犬(に化ける)なんてごめんだ」 ←狼ですが、、
マレフィセント「“何でも従う”と」

オーロラ「妖精には皆、翼があるの?」
マレフィセント「・・大半はね」

オーロラ「帰りもこの道を?」
フィリップ「もちろん」
オーロラ「ではまた、すぐに逢えるわね」
フィリップ「すぐにね」

| | コメント (2)

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »