« ☆ええ言葉 忘れた頃に 新たにす☆ | トップページ | ☆『悪の教典』☆ »

2013年1月22日 (火)

☆『ビフォア・ザ・レイン(1994)』☆

13日(日曜)の夜、久々にご近所のショップでレンタルして来たばかり(?)の『ビフォア・ザ・レイン』と言う作品を観た。

以前、仕事関係でクルマを走らせてた時、カーラジオから流れる関西系の某番組 ・・うどんを食して「あぁ、お※ちかった」等と言っておられた“決してその名を言ってはいけないあのしと(←別にエエやんか!)”が長らくパーソナリティを務めてる、感謝の言葉に彩られたタイトルの、例の朝の番組である・・ に於いて“強力におススメ”されてたのがこの作品だった!

どうやら本作ってば『TSUTAYA発掘良品』なる企画にてピックアップされてる内の1本と言う事だ。

それまでに、そのタイトルを耳にした事もなかったワタシだが、さて・・?

マケドニア共和国とイギリス・ロンドン。

2ツの異なるロケーションに於いて、時間軸を巧妙に交錯させつつ紡がれる人間ドラマを3部構成で描いた佳作。

「民族間の対立」そして「戦争の悲劇」がテーマとなったこの物語は、次の3ツのパートで成り立っている。

第1部『言葉』

マケドニアの海に面した、切り立った崖の上に建つ修道院。“沈黙の誓い”を立てて2年になる青年僧=キリルの部屋に逃げ込んで来たのは、兄を殺害した廉(かど)で同胞に追われる羽目となった、アルバニア人の少女だった。

遂に修道院にやって来たアルバニア人の集団に対し、キリルたち僧侶の取った行動とは・・?

第2部『顔』

ロンドンの街。夫との関係が巧くいかぬままの女性編集者=アンは、マケドニア出身の写真家=アレキサンダー・キルコフと惹かれ合っていた。

その日、タクシー内での“束の間の逢瀬”を最後に、結局はアンを振り切り単身発ってしまったアレキサンダーだが、残された彼女を待ち受けていたのは、余りにも過酷な運命だった・・

第3部『写真』

マケドニアに降り立ったアレキサンダー。帰郷した彼の村は、500年もの間に広がった溝を埋める術(すべ)もなく、マケドニア人とアルバニア人の対立が高まり続ける“危険な地”と化していた・・

「アルバニア人」と言う民族を取り巻く歴史や状況を「ある程度」は知っておかないと、充分に楽しんだり、理解する事の叶わないような気もしたが・・組立てとしては「ワタシの好きなタイプの物語」だった。

互いの相関関係って部分では、3ツのエピソードの繋がり方に「あれ? コレってパラレルになってね?」と感じてしまうトコがあったが、その点は2度、3度と(今後)鑑賞を重ねる事で、パズルのピースが(実は)凄まじくハマって行くモノなのかも知んない。

展開とし、どのエピソードも終盤に“流血”の待ち受けてた印象があり、そこは「結局のトコは銃撃沙汰による“力押しの悲劇”頼みかよっ!」と正直感じてしまうワタシだったりもした。

それが「ある種のワンパターン」にもなってたので、1エピソードぐらいは「全く異なる(予想外の)展開」を見せて貰いたかったトコだ。

また、第2部の「何でもなさ」「ラストの唐突さ」が全体の仕上がりにまでダメージを与えてる感もあった。

本作のテイストに対しては「後年の作品・・例えば『バベル(2006)』なんかにかなりな影響を与えたんとちゃう?」と邪推も走ってしまうワケだが、マイナーな俳優陣や、詰めの甘い展開などに「もう少しばかりの、洗練されたスパイスを!」と願ってしまうのは、欲張りな事やろか?

~ こんなトコも ~

・アン役の女優さん(カトリン・カートリッジ)は、ホリー・ハンターの入ってる気もした。んでも、若くして亡くならはったそうで、残念である(×_×)

・キリル役の青年(グレゴワール・コラン)は、エイドリアン・ブロディっぽい顔立ちだった。

・「丸腰の相手を背中から撃つ」と言う卑怯な民族の理念なんか、理解したくもないやい。

|

« ☆ええ言葉 忘れた頃に 新たにす☆ | トップページ | ☆『悪の教典』☆ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ☆ええ言葉 忘れた頃に 新たにす☆ | トップページ | ☆『悪の教典』☆ »