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2011年7月29日 (金)

☆『グラン・ブルー完全版/デジタル・レストア・ヴァージョン(1988)』☆

ハナシはかなりさかのぼって、18日(月曜)。
その日は「連休最後の夜」って事で、いつものように帰松を急ぐワタシの(クルマの)姿が、高松道にあった。

無事に辿り着いたワタシが、自室でひと息ついてからTVを点け、約1時間35分ほどの遅れ(×_×)で観始めたのは・・BSP(プレミアム)で放送された『グラン・ブルー完全版/デジタル・レストア・ヴァージョン』である。

実在したダイバー=ジャック・マイヨール(1927-2001)をモデルに、フリーダイビングの世界記録に挑み続ける2人の漢(をとこ)・・ジャック(ジャン・マルク・バール)とエンゾ・モリナーリ(ジャン・レノ)の友情と成功争ひ、1人の女性=ジョアンナ・ベイカー(ロザンナ・アークエット)を巡る愛の行方を描く。

物語自体が“脚本に縛られてない”って印象があり“良くも悪くも”約170分と言う長尺の上映時間の割に、中盤から観始めても、それはそれで作品世界について行く事が出来た(・ω・)

こう言うのって、近年のリュック・ベッソン監督作品においては、なかなか実現し得ない境地(?)だと思う(=^_^=)

最初に本作を観た時は、とにかくジャックの「溺れそうな、苦しげな表情で、陸(おか)で暮らす様子」ばかりが気になってしまい、妙に“彼の言動&価値観”に肩入れしてしまったモノだが・・今回、久しぶりに観たワタシは、とにかくエンゾが一手に引き受けている「ムードメーカー役」としての立ち位置&頑張りぶりにこそ感心させられた。

何と言うか、エンゾがポイントポイントで出て来て、主人公らを煩わせる(?)展開こそが、とっても心地良く感じられるのだ。

ってなワケで・・エンゾこそが、本作の“キーキャラ”であった事をはっきりと掴んだ。

それ故に、彼が“退場”してからは「物語全体が重苦しいトーンで、失速を始めた」かのようにも見えた。

「ジャック&ジョアンナだけじゃ、この先、この世界観を引っ張って行けないんじゃ?」とまで感じたモノだ。

・・

何となく、この時代のジャン・レノの方がパワフルで破天荒で、確かに魅力に溢れてた!

ワサビを平然と口に放り込んだり(2001)、チューインガムを大袈裟に噛んでアメリカ人のフリをしたり(1998)、ナイフを落っことしてスパイチームを危機に陥れたり(1996)・・そんな事をされても、ジャン・レノのファンは嬉しくも何ともないワケだ!(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

・『ティファニーで朝食を(1961)』において“ユニオシ氏”を眼にした時と同様、本作に登場する“余りにステレオタイプ過ぎる日本人ダイバーチーム”の描写にも、何となく“ベ※ソンの悪意”を感じ、イライラしてしまった(=^_^=) 取って付けたような「どうしたんや?!」みたいなニホン語もムカつく〜(=^_^=)
・ジャックの横たわる寝室の天井に、波打つ海面が出現!! 「素晴らしい!」と思う半面「ドリフのコントかよ!」とも小さくツッコんでしまった(・ω・)
・ヒロインを力演したロザンナさん。何処がどう・・って事はないんだが、総じて“アホ面”に見えてしまう。すすす、すんません。

〜 こんなセリフも 〜

エンゾ「中止だと? ご親切な事だな」
   「お前は正しい・・海の底はいい・・快適だよ」
   「俺を海の底に・・お前が連れて行け・・頼むよ」

ジョアンナ「“私の世界”の話がしたい・・貴方の事よ」
     「行きなさい。私の愛を見るのよ」

ジャック「“海から上がる理由”を見つけるのが難しい」
ジョアンナ「私にも悩みが・・“ここにいる理由”が見つからないの」

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2011年7月28日 (木)

☆『ガス燈(1944)』☆

27日(水曜)。
仕事帰りに、界隈の(と言っても、ちィと離れてるが)神社でお祭りをやってる、てな情報を頂いてたので、好奇心から覗きに行ってみた☆

・・ら、コレがコンパクトかつ“昭和の頃のテイスト”が満開であり、結構ワタシとしては楽しんだ次第。

露店が「たこ焼き」「かき氷」「福引き」程度しかなく、かつ特設舞台で勝手気まま(?)にカラオケ大会が“タケナワ”な感じに展開してた(=^_^=)

残業ですっかりハラも減ってたので、件(くだん)の「たこ焼き」を買い求め「樹脂製のビールケースを逆さに並べた上に、長い板きれを渡しただけ」な即席ベンチ(?)に腰掛け、カラオケ大会に何となく耳を傾けたり・・

司会者のおいちゃんが「今夜の大会は終了し、明日も開催される旨」を告知し、続いて「彼の言うトコロ」の“花火大会”が開始されたんだが・・コレが質も量も小規模な感じで、微笑ましいような気恥ずかしいような(部外者ながらも)妙な気分となってしまった(・ω・)

「折角だし、かき氷も喰って行くかな?」と考えてたら・・発電機が止まり、露店の照明がいきなり落とされてしまった(×_×)
どうやら、21時をもって“1次会”はお開きのようだった。

後は「欲求不満な中年男女の時間」なのだろう・・ ←何処まで不健全なお祭りやねん!

・・

帰宅し・・左腰が痛く、鼻水が(左の鼻腔から)垂れて来て止まんない・・って事で、しばらく横になって休む事にした。こう言う場合「風邪薬」か「腰の痛み止め」か、どっちをどのタイミングで飲むのか、に悩まされてしまう。。

仮眠を25分ていど取るつもりが・・うっかり35分も取ってしまい、、観ようと予定してたBSP(プレミアム)で放送の『ガス燈』の序盤、約5分を観逃してしまったのだった(×_×)

年上の作曲家=グレゴリー・アントン(シャルル・ボワイエ)と結ばれたポーラ(イングリッド・バーグマン)は、叔母である人気オペラ歌手=アリス・アルクイストがかつて住んでいた“ソーントン広場9番地(ロンドン)”にある邸宅に居を構える事に。

当初こそ幸せな新婚生活に酔っていたポーラだが、その屋敷は「10年前にアリスが絞殺され、いまだ犯人の見つかっていない因縁の場所」でもあったのだ!

やがて、誰もいないハズの屋根裏から響く足音、真夜中にフッと勢いの弱まる(寝室の)ガス燈の明かり、自身のあずかり知らぬ間に、消えては見つかったりする調度品など・・不可解な出来事が相次ぎ、次第に心的に追い詰められてゆくポーラ・・

そんな彼女に救いの手を差し伸べたのは、ブライアン・キャメロン(ジョゼフ・コットン)なる紳士であった・・

以前からBS2で放送されては、観逃し続けて来た本作(×_×)
序盤こそ(又もや)観逃してしまったものの・・概ね“満足な鑑賞”が叶い、喜んでいる。

この時代にして、なかなかの吸引力&サスペンス性を持つ佳作と言えよう! もっと早く観ときゃ良かった、ホンマに(=^_^=)

ポーラが次第に精神的に追い詰められて行く様、(善なのか悪なのか)得体の知れぬ周囲のキャラ陣、モノクロ映像でこそ映える、霧に包まれたロンドンの夜や石畳・・など本作ならではの見所は多い! また、それまで一貫して「怯え続ける奥様」を演じてたバーグマンが、終盤で突然“牙を剥く”辺りも「女優さんですやんか〜!」と感心させられた。

登場キャラがとにかく少ないので「この展開で、2時間近くも持つんかな?」とも心配になってしまったが・・それなりにロケ移動や、主人公置換(?)などもあって退屈はしなかった。

舞台劇が原作と言う本作。私的には、何処となく名探偵=シャーロック・ホームズ(ヘルロック・ショルムズ?)もののテイストを感じたり(=^_^=)
『赤毛連盟』や『まだらの紐』辺りだろうか・・

「怪しげなヤツが、やっぱり怪しかった」って点こそは、ちっと減点対象たり得るが(=^_^=)それはそれで楽しかった。

約70年前(!)の作品にして、もはや何処もいじくる必要のない完成度。これだから名作はやめらんない!(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

・ジョゼフ・コットンってば・・“ブタ顔”とは言わないが“猪(イノ)顔”とは思う。さほど善人にも見えないし・・
・セルギウス・バウアーって“当時”は幾つだったんや?
・てっきり、宝石は“子供用の橇(そり)の中”にでも隠されてるんかと思った(=^_^=)
・監督=ジョージ・キューカーは『マイ・フェア・レディ(1964)』も手がけておられる。
・メイド役=ナンシーを演じたアンジェラ・ランズベリーは、撮影当時わずか17歳だったそうだ!
・グレース・ケリーと共に、めっちゃくちゃに美人なバーグマンさん。ウィキ情報ながら、タッパ(身長)が175cmほどあったそうな。ワタシよか高いじゃん!

~ こんなセリフも ~

ポーラ「やっと“話せる方”が・・」
   「これは、貴方の助けにはならないわね」

グレゴリー「家のない者に、あれ程寒い街はない。
      しかし、家のある者にとって、ロンドンは格別の暖かさだ」
     「宝石は素晴らしい・・“独自の生命”がある」
     「いいさ。どうせなら心地良く過ごそうじゃないか」
     「気を付け給えよ。殿方は時に“野獣”に変貌するものだから」
     「“忘れてしまう”とは・・“嘘をつく”よりたちが悪い」
     「直感を信じて行動すべきだった」

ブライアン「法には触れずとも、常識には反する行動だ」
     「“公務”なら、喜んでやるんだろ?」
     「誰がそこにいるのか・・貴女には、もうお分かりの筈だ」
     「今夜、ここに来て正解だった」
     「ガス燈が・・いつからだ?」
     「朝日が、闇夜の記憶を消し去る事だってあるさ

警部「公務を“知り合う為の口実”に使うなよ」

ポーラ「起きた事が、総て夢だと言うの?」
グレゴリー「いや、そもそも何も起きてなんかいないんだよ」

真犯人「何が目的だ?」
ブライアン「宝石と正義さ」

真犯人「ヤツは盗み聞きをする気だぞ」
ポーラ「彼はそんな事はしないわ」 

ポーラ「長い夜ね」
ブライアン「でも、朝は来るさ」

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2011年7月24日 (日)

☆『クレアモントホテル(2005)』☆

23日(土曜)。
昨夜は、またまた酔ってはっちゃけてしまい・・帰宅が24時近くに及んでしまってた気がする(×_×)

某店のカラオケで『極付け! お万の方』を歌ってしまったが・・客観的には、スベってしまってたンやろか・・(焦)

その反動で、今朝は正午前まで突っ伏して熟睡してしまった(×_×)

午後からは、市内中心部へと向かい・・ “そちら方面の用事”の片付いた後で「ついでだし」と思い付き、商店街にあるミニシアター“ソレイユ”で、上映時間が変更されたばかりの『クレアモントホテル』ちぅ作品を観て来た。

英国女流作家=エリザベス・テイラーの同名小説が原作。彼女の著した、最晩年の長編だそうだ。

その名から「大物女優としての一面以外に、こんな文才も持ったはったんや!!」とアタマをぶん殴られたような衝撃を受けたモノだが・・大女優として知られる“決して名前を言ってはならないあのしと(←別にエエやんか!)”とは同姓同名の別人だと言う事を知った。

映像化そのものは、6年も前にされてたようだが、昨秋の日本公開となった本作。
「ようやく掘り起こされた佳作」と言うべきかも知れない。

・・

イギリス・ロンドン。
大英博物館の公文書館に勤める孫=デズモンドに会い、その近況を把握するため、老婦人=サラ・パルフリー(ジョーン・プロウライト)は“ランカスターゲート”の角にある「料理が自慢」と言う“クレアモントホテル”へとやって来た。

滞在期間は1ヵ月。彼女は“当ホテルで最上の部屋”なる触れ込みの「58号室」に案内される。
幾つもの大きな旅行カバンを携えたサラだったが・・彼女にとって最も大切なものは「死別した夫=アーサーのモノクロ写真」と「愛読書=ワーズワース詩集」だった。

しかし、このホテルは「料理」にせよ「サービス」にせよ「宿泊客」にせよ、サラの想像していたのとは随分と違っていた。

多忙なデズモンドに電話(=留守電)を架ける彼女だが、孫からの返事はなかなか来なかった。

そんなある日、サラは出かけた先からの帰り“ウェストボーングローブ地区”の路上で転倒し、膝を負傷してしまう。

そこに駆け付けたのは、ロン毛の美青年だった。
彼女を自室へと案内し手当した青年は、自らをルードヴィク・メイヤー(ルパート・フレンド)と名乗る。旧式のレミントン社製のタイプライターを愛用するルード(=ルードヴィク)は、作家の卵であると告げる。

ルードはサラに対し親切かつ誠実に接し、彼女もまた「(アーサーも愛読していた)ウィリアム・ブレイクの詩が好き」と言う事から、ルードに好感を持つ。

好奇心に溢れるホテルの住人たちの誤解によってデズモンドに間違われ、皆に好かれてしまうルード。
そんな中、ホンモノの(?)デズモンドが、何の前触れもなくひょっこりと“クレアモントホテル”に現れて・・

満を持して(?)上陸したって事もあり、期待に違わず良かった!! って言うか、最近の“ソレイユ”の上映作のチョイスって、ちょっと「何かを確実に掴んではる!」って感じで凄まじい!

今後のラインナップの中には『スコット・ピルグリムvs邪悪な元カレ軍団(2010)』も控えてるってコトで・・ぼちぼち支配人に、このカラダを許してもイイかな、とすら思い始めている(←何でそうなんねん!)

孤独な老婦人とピカピカツヤツヤのイケメン兄ちゃんの交流、って部分には・・どうにも観客の“下世話な想像力”が急加速を始めてもしまうトコであろうが(←お前だけだよ!)・・演出には適度なブレーキが施され、あくまで2人の「恋愛感情」に静かさ&上質さの貫かれる辺りは「老若男女対応面」でもバッチリだと思う。

中盤以降は、ルードの前にグウェンドリン(ゾーイ・タッパー)なる“お似合いの美女”が現れ、3人のドラマが進行して行ったりする。
しかし、ルード&グウェンドリンがイチャついてるシーンを観るに、つい「サラの方を応援したくなる」ってのは・・ワタシが既に精神的&肉体的に老境に突入しつつあるからかも知んない(×_×)

物語の性質上(?)、どうしてもサラに関わる“肉親的な人々”・・娘=エリザベス、孫=デズモンドの存在が「どちらかと言えば“悪キャラ”“お邪魔キャラ”」に描かれてしまってたのは・・仕方なくも、やや“意図的に過ぎる印象”もあったか。
彼らなりに、きっと我々観客に対し「何か言いたい事もあったろう」って気がしたので(・ω・)

ホテルの同居人(?)とも言うべき、アーバスノット夫人、オズボーン氏、バートン夫人、サリス夫人、ウィリー・・と言った“個性溢れる”面々も、当初は「醜悪あるのみ!」と斬って棄ててしまっちゃってたが、次第にそれなりの“人間としての本質”を垣間見せ始め、終盤ではちょっとイイ感じになってもいた。キャラ毎の「まとめ方」も強引過ぎず、良かったと思う。

“たとえトラブルを伴ったにせよ、出逢い1ツで、人生は如何ようにも輝き始めるものだ。
 静かに・・しかし確実に”と、そんなコトを信じたい気持ちになってしまったワタシである。

~ こんなトコも ~

・瞬間風速的(?)に「オーランド・ブルーム君よりもカッコええかも!」と思わせしめたルパート君。
・老ポーター=サマーズ役のしとが、何故だか故・荒井注さんに見えて来ちまったンだよ、バカヤロー。
・当初“完璧な人物”に思われた支配人が、次第に観客に失望感を与え始める(×_×)
・こき使われてた(?)サマーズが“唯一”あの支配人を叱り付ける(?)、あのシーンが良かった。
・アーバスノット夫人が読むのは『チャタレイ夫人の恋人』・・読んでる本で、そのしとの性格の「見えて来る」のが可笑しい(=^_^=)
・劇中で『ハロルドとモード/少年は虹を渡る(1971)』と『逢いびき(1945)』が紹介されてた。『逢いびき』を“初デート”で観た当時、サラは18歳だったそうで!
・中盤、ルードがギターで“For All We Know”を弾いて聴かせる。ウクレレにせよ、ギターにせよ「オトコが弾き語りする」ってのは、それだけで「キラースキル」なのかも知んない(・ω・) 因みに、ルードのギターに「Listen UP!」ってなステッカーが貼ってて、それはそれで良いアクセントになってた。
・後半に登場する、ビューリー村の風景が素晴らしい! ロンドンからかなり遠距離な印象もあったが・・
・アーバスノット夫人が「アレ」された場所は何処だったんやろ? それがもし“あそこ”なら、そこが「介護施設」と紹介されてた新聞記事が、妙に気になって来るンだが・・
・ゾーイちゃんのご尊顔の“ホクロの位置”が、かなり男性をズキュンとさせてくれる!
・オズボーン少佐(?)を好演したはった男優=ロバート・ラング氏は、本作の完成を待たず亡くなられたそうだ。合掌。
・ラストに表示される“総ての母と、祖母たちに捧ぐ”の言葉が印象的だった。作品自体は半分がた「ルード目線」で進行してたハズだが・・ 再度「サラとルードの母」「サラとエリザベス」「サラとグウェンドリン」のシーンを観直すと・・“女たちのドラマ”が更に良く理解出来るンやろか?
・同じモノクロ作品を100回も観る(それもレンタルで!)若い女の子・・って、ちょっと違和感を覚えるんスけど。
・ベッド脇に置かれた、あの“大切な原稿”は、その先一体どうなってしまったんやろ?

~ こんなセリフも ~

サラ「“第一印象が大事”と言うのが、母の口癖だったわ」
  「とんだ所へ来てしまったわ、アーサー」
  「あら嫌だ。また“あの機械”だわ(←留守電)」
  「人って、こんなにも“思い込み”でものを見るのね
  「“人生で大切なもの”は、もうこの手許にはないの。
   でも、ここ(記憶)とここ(心)にあるわ」
  「事実かどうかは問題じゃない。大事なのは
   “物語として面白いかどうか”だわ」
  「ここは“面会出来ないホテル”なの。規則でね」
  「あれは・・“会計士”よ」
  「これまでの私は“誰かの娘”“誰かの妻”“誰かの母”として
   生きて来たわ。だから、これからは“私”として生きたいの」
  「何故“昔は単純だった”と?」
  「現実と向き合わず、逃げてるだけでは?」
  「この歳でロマンスを経験するのも、元気が出てイイものよ」
  「貴方は“私を明るくする係”ね。・・それが言いたかったの
  「刻が経っても、運さえ良ければ思い出は消えないわ」
  「“日々の一瞬一瞬”を大切になさい」
  「女性の方が強いんですからね」
  「“また転ぶ”なんてね」

ルード「大丈夫ですか? ムリしないで」
   「パパラッチは撒きましたよ」
   「僕たち2人とも、おかしな名前ですね」
   「お茶はどうです? ちょうど淹れる所でした」
   「喫茶店で“追い出されるまで”書いてます」
   「お任せを。名演技をしてみせます。
    ・・イザとなったら」
   「個性的な人たちですね。まるで“喜劇の舞台”みたいだ」
   「誤解は、君の悪い癖だ」
   「金や車や定職がなければ、友人を造るのも難しい」

グウェンドリン「川に飛び込むのは構わないけど、
        そのDVDは置いて行ってね」
       「私はこれまでに100回は観てるから、
        1日ぐらい我慢するわ」
       「もしかして・・一緒に観てもいいわ。知り合えたらね」

アーバスノット「時々こうやって権利を行使するの。元気が出るから」
       「誰かを夕食に招待するなら、日曜になさいな。
        ローストビーフが少しはマシな日だから」
       「“覚悟”は出来ているの。もうずっと前からね」

バートン「“私たち、親戚になる”って予感がするの」

オズボーン「何だ、あのキャスターの“雨(rainy)”の発音は?
      最近のBBCは、一体どうなっとる?」
     「今の私は、空も飛べますぞ!」
     「この私を“幸せ者”にしてくれ」

ロージー「“新しい世界”に入ったの?」

運転手「このイギリスで“料理が自慢”だって?
    そいつは驚きだ」

サラ「貴方はまだ若いわ」
ルード「でも、もう26年が経ちました」

サラ「この関係は、いけない事かしら?」
ルード「楽しまなきゃ。僕も最高の気分だよ。
    ・・裸じゃないのに」 ←過激な言い回し!

サラ「ここからは、耳を塞いで」
ルード「じゃ、僕はお茶のお代わりを」

ルード「彼女が、貴女に嫉妬したら?」
サラ「その時は、私の“出生証明書”を貸すわ」

オズボーン「貴女をサラと呼んでも?」
サラ「・・私の名前ですから」

オズボーン「最近の貴女は“別人”のようですぞ」
サラ「では、誰になったと?」

※“秋にだって、春のときめきはあるわ”
 “ワインだって、古い方が上等よ”
 「私たちだって“家族”でしょ?」

サラ「夕食後に広間でドラマを?
   ひょっとして、身の毛もよだつ“米国ドラマ”かしら?」
アーバスノット「そう。『セックス&ザ・シティ』よ。
        アレを観てると“老い先短くて良かった”と
        心底、思えて来るわ」

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2011年7月21日 (木)

☆『ブルーバレンタイン(2010)』☆

20日(水曜)。
台風も一過し(?)・・“風が唸る”でもなく“雨が叩き付ける”ともならぬまま・・ただ薄暗く、暮れて行った1日だった。

数週間前から、左腰の痛みが再発し「ああ、またぼちぼち“椎間板ヘルニア”が騒ぎ出したンやろなァ」とトホホな気分に染まりつつ・・昨夜、鑑賞の叶わなかった『ブルーバレンタイン』を商店街のミニシアター“ソレイユ”で観て来た。

奇しくも(⌒〜⌒ι)今回も“レディース・ディ”だったワケだが、そこそこな混雑具合で良かった。

とある早朝。ディーン(ライアン・ゴズリング)とシンディ(ミシェル・ウィリアムズ)は、1人娘=フランキーの呼び声で順番に眼を覚ました。愛犬=メーガンが開け放しにされた犬小屋を飛び出し、何処かへ行方をくらませてしまったのだ。

そんな事件を皮切りに、互いの間に横たわる“溝”を広げ始めるヘラー夫妻。

2人の前に“因縁の男”ボビー・オンタリオがひょっこりその姿を現したり、フランキーを実家に預け、2人っきりで出かけた安いラヴホテル『未来ルーム』でも、結局は“すれ違い”の埋められぬままだったり・・

ディーンとシンディは、それぞれに“輝いていたあの頃”を思い出しながら、少しずつ歩み寄ろうと努力するのであったが・・

いわゆる“時間軸置換系”な恋愛モノだったが・・非常に淡々と物語の進行する割に、観客をして「劇中で常に“何か”が気になってしまい、思わず画面に釘付けにされ続けてしまう」そんな緊張感や吸引力を「確かに持つ」作品だった。

夫婦を軸とした“現在の物語”をメインに、決してファンタジー(妄想系)に走るでもなく、(銃などの“小道具”に逃げるカタチで)ヴァイオレンスを唐突に展開するでもなしに・・それでいて観客を惹き付け続ける点においては、ワタシは正直『(500)日のサマー(2009)』なんかよりも、よっぽど好感を持ってしまった次第だ(=^_^=)>

『ラースと、その彼女(2007)』以来、久々に拝見したライゴズ君であるが、ジョゼフ・ファインズがちょっとくすんでしまったような・・ニコラス・ケイジが青二才に戻ってしまったような・・それはそれで“厄介なヤツ”ながらも、何処かホンネを見せず、常にチカラを抜いてるような言動が印象的だった。

『彼が2度愛したS(2008)』でのヒロイン像が(それなりに)鮮烈だったミシェルさんも、いつもながら「全然“美人”とかじゃないのに、何だか気になるよなァ」ってな“不思議な存在感”が良い意味でスパークしてた!

特にスゴいのは「ややくたびれた感じの看護師」を演じる“現在のシンディ”と「勉学や恋愛に向き合う医学生」を演じる“過去のシンディ”の2ツの「キャラ造型」にしっかりと“メリハリ”を持たせてた点だった!

きっとこれは(同時進行ではなく)完全に(2ツのキャラの撮影に)期間を置き、別々なキャラを「精神的にも肉体的にも」組立て直しながら演じはったんじゃないか、と予想している(・ω・)

でなくば・・素人患者(?)然として、産科を受診するあのシーンでの「あんなナチュラルな演技」は出来ないハズだ!

そして・・特筆すべきは、やはりあの終盤であり・・何となく“後味の悪さ”を残してたトコに、めちゃめちゃ素晴らしい映像群をバックに、エンドタイトルの始まる演出には「このシーンを眺められただけでも、観といて良かった!」と心底、感嘆させられてしまった。

その上、そこにかぶせられる“あの曲”の置き方(とタイミング)も素晴らし過ぎる!

って事で、エンディング映像には「バズ・ラーマン監督を圧倒してたかも!」と感じ、あの曲には「『50回目のファーストキス(2004)』における、アダム・サンドラー君を圧倒してたかも!」と感じてしまったワタシでもあった(=^_^=)

そのリアルな展開に、観賞後・・短時間ながらボンヤリとさせられてしまったのは「ここだけのハナシ」って事で(⌒〜⌒ι)

〜 こんなトコも 〜

・本作の舞台ってば、どうやらペンシルベニアだったらしい。
・フェンスを乗り越え、橋から身を投げようとするディーン。放っといたら、ホンマにダイブしちゃいそうだった。。
・私的には“未来ルーム”より“キューピッドの入り江”の方が、その(名前の)響きが好きなんだけど(=^_^=)
・敢えて“体当たり”しなくてもイイ気がしたが・・ミシェルさんのバストが拝め、ハッキリと嬉しかったです、はい☆
・「思いっきり青い部屋」が登場したが・・アレこそが、本作のタイトルに繋がるトコだったんやろか?
・ライゴズ&ミシェルも「製作総指揮」として本作に大きく関わってはったそうだ!

〜 こんなセリフも 〜

ディーン「美味しいぞ。ヒョウみたいに喰ってみな」
    「大きくなると、(子供っぽく)遊んじゃダメなのか?」
    「男は女より、よっぽど“ロマンチスト”なのさ。
     女は男を値踏みし、選り好みする。
     結局、選ばれるのは“稼ぎのイイ男”さ」
    「しこたま酔っ払って、愛し合おう」
    「そんな事を、何故、今言う?
     それに“心配ない”って何だよ?
     なんで“ヤツが太ってる”と、俺が安心するんだ?」
    「僕が金を盗んだと思ってる? 今は職がある。
     “デートする金”だって、ちゃんとあるさ。
     それを君に言っときたくてね
    「何だこの部屋? “ロボットの膣の中”か?」
    「彼女を知ってるような気がしたんだ。
     本当は知らない・・でも、知ってる気が・・」
    「隣に座ってイイかい? 他は満席なんで」 ←何処が!(=^_^=)
    「俺の経験では・・綺麗な女は“悪女”だ。
     男は振り回される。でもそれは彼女が悪いんじゃない。
     周りがチヤホヤするからさ」
    “もし僕が、君を傷つけたなら、
     それは君を愛しているから・・誰よりも”
    「誰かの夫になりたかった訳じゃない。
     誰かの父親になるのは、僕の目標じゃなかった」
    「子供を作ろうか? ※の※※を」
    「俺が欲しいのは“君の体”じゃない。“君自身”なんだ」
    「何かあったんだろ? 話してくれなきゃ気分が悪い。
     俺はこう見えても、勘がイイんだ」
    「君が医師になった曉には・・是非、俺の主治医に」
    「君と俺はつり合わない。でも、君に相応しい男なんていないから、
     この俺が立候補する
    「ありきたりの曲なんかじゃ、つまらないだろ?」
    「今の俺は最悪だが・・立ち直ってみせる」
    「言っとくが、歌はヘタだよ。
     ・・歌うと“マヌケな声”になるんだ」 ←なかなかどうして!

シンディ「男の子? 女の子?
     ・・産まれて来るだけで、お楽しみよね」
    「久々に会った人に“浮気してない?”って質問を?」
    「“いつか消える感情”なんか信じられる?」
    「ただ“惜しい”と思ったの。貴方には色々な才能があるから」
    「貴方に“稼いで”なんて1度も言ってない」
    「貴方は、私の言葉の意味をねじ曲げ、文句ばかり言う。
     (私の)“言葉を素直に飲み込む貴方”を見てみたいものだわ」
    「あんたなんか、愛してない(There's nothing here for you.)」
    「限界なのよ(I can't do this anymore.)」
    「傷付け合う両親の姿を、あの娘に見せたくない」

祖母「良く選ぶのよ。恋に堕ちる相手が貴女に相応しいか」
  「貴女には“愛を信じる権利”がある。自分を信じるのよ」

運転手「運転中の、後部座席での“暴挙”は慎んでくれ」

シンディ「“愛”って、どんな気持ち?」
祖母「私は、まだ見つけてないわ」
シンディ「お爺ちゃんとは?」
祖母「最初は、確かに“愛”だったかも

ディーン「おい、俺が飲酒運転で事故ってもイイのかよ?」
シンディ「そうね。大歓迎だわ」

シンディ「何を考えてるの?」
ディーン「君の気が変わらない内に“早くしてくれ”って」

シンディの語った“ジョーク話”
 変質者と少年が連れ立って、とある森へと入って行った。
 2人は森の奥へ奥へとずんずん入って行った。
 辺りは次第に薄暗くなって行く・・
 少年はとうとう不安になり、変質者に言った。
 「おじさん・・僕、怖いよ」
 変質者はそれを聞くと、こう返した。
 「じゃ、おじさんは“1人で”この森から出るとしよう」

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2011年7月19日 (火)

☆最近のこんな事&あんな事☆

・17日(日曜)の朝。和歌山・湯浅での“釣り活動”に参加して来た。釣りそのものに関しては、大したネタもないンだが(=^_^=) 現地到着が早過ぎたので、仮眠所に上がらせて頂き、畳敷きの部屋で“置かれてあった某コミック誌”を読み始めたら・・コレがめっちゃ面白かった!! 我らが敬愛する(=^_^=)“原哲夫センセイ”の原作&作画による『猛き龍星(1995)』なる作品。最初こそ、船戸与一の小説『猛き箱舟』と何か関係あるンかな? と思ったが・・何の関係もなかった(・ω・) んで、イッキに読破! 分厚くも1巻にまとめられてたが、それでも終盤に近付くにつれ「コレ、どうやって(残りのページ数で)完結するんだいっ?!」と思いきや・・最期はいきなり終わっちまう! あおおぇ! へげぇっ! ・・ってかコレ、モロに“連載打切りパターン”じゃん!(×_×) 登場する刑事のおっつぁんが、(ヴィジュアル的に)絶妙な感じで“ピ※ター・フォ※ク”入ってて、それだけでシビレちまったってのによォォ・・(=^_^=)

・19日(火曜)の朝。台風6号が四国エリアに急接近! 少し早めに出勤する事にし、自宅マンション入口でビニール傘を広げた、その約2秒後・・ワタシの傘は猛烈な突風により、一瞬で“過伸展状態”となり、バキッと破壊されてしまったのだった・・(×_×)

・19日(火曜)の夜。台風6号が四国エリアに急接近! この機に「空いてるやろうし・・」と仕事帰りに商店街のミニシアター“ソレイユ”に立ち寄ってみたら・・こんな風になってました。残念(×_×) ※【参考画像1】

・我がクルマ。愛用して来たし、今も愛用してるが・・流石に12年オチ(乗り始めて10年目)ともなると・・あちこちに色々出て来る。トランクを開いた際のランプが点かない(←何度か開閉すると点く)とか、助手席側・天井バイザー裏側に装備されてる“バニティミラー”のフタの磁力が弱くなり、ペロンと垂れて来るとか、あとワイパー(の樹脂パーツ)も紫外線にさらされ続けてボロボロだぁ(×_×)

・最近の帰阪時&帰松時、何となく運転時に嗜んでるのが“電子タバコ”である。ニコチン、タール等を含まぬ、いわゆる「気分的なモノ」なんだけど。フィルター部分を吸い込むと、先端が赤く発光し、蒸気を吸い込めるンだが・・1度、気まぐれに「息を吹き込んでみた」トコロ、フィルター部がやたらと発熱し始め、焦った(⌒〜⌒ι) 正しく使うべきなんやろね。。車内で“突然発火”せずに済んで、良かった(・ω・)

・円谷作品の金字塔(?)“空想特撮シリーズ”の原点とも言うべき『ウルトラQ(1966)』の“総天然色カラーヴァージョン”のブルーレイ/DVDボックス化! やたらと期待値の高まる反面・・「それって、踏み込んじゃいけない領域なのでは?」との不安も高まる。。

・大切な事は、アイフォーン(iPhone)の「メモ」なる常駐アプリで記録するクセをつけてるワタシだが・・先週、酔っ払ってた時にか(?)うっかり大事な「メモ」を消去(=削除)してしまったのだった。。やっぱし大切な事は「手帳にエンピツでメモる」に限るのかも知んない(×_×)

【参考画像1】

Soleil2719

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☆ちょこっと&ぼちぼち“エエ言葉”☆

【2011.7】

里見 浩太朗(俳優)
 「年齢を理由に自分に規制をかけちゃいけない」

糸井 利則(大阪市立小学校教員)
 「『聞く』でなく『聴く』ことを意識してみよう」

ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ(作家、哲学者、1749-1832)
 「若き日の願いは年老いてのち豊かに充たされる」

秋野 暢子(女優)
 「(恋は)いっぱいしていますよ。
  恋はしたほうがいいですね」
 「母に『女であるということをやめないこと』
  をたたき込まれ、それが今に生きていると思います」

大野 直竹(大和ハウス工業社長)
 「私たちは住宅という夢を売っている。
  夢を託してもらうには、すがすがしい人でなければ
  ならない。人間を磨くことが1番大切だ。
  その方法は自分で考えるしかない」

鈴木 敏夫(スタジオジブリプロデューサー)
 「『いいもの』か、『悪いもの』か、
  世の中にはふたつのものしかない」

鈴木 理恵子(インテリアコーディネーター)
 「室内に風を通すには、窓から風を入れるだけでなく、
  風が出て行く場所も必要です」

よみうり寸評(2011.7.13)より
 「弁解がおわびの心のまことを消してしまう」

藤原 智美(作家)
 「もしかするとファッションの理想は、その時の流行に
  頓着せず、長く着続けることで服が体になじみ、
  やがて着る人の人柄そのものを体現するような
  お似合いの一着になる、ということかもしれない」

謝 珠栄(演出家、振付家)
 「舞台人、創作に携わる人材を育てるには、
  結局は技術ではなく、人間力を磨くしかない」

水森 かおり(演歌歌手)
 「歌の舞台に立つと、ここがまた私の古里になるんだと、
  景色までいとしく見えます」

マイケル・ガントン(映画監督) ※最新作は『ライフ』
 「動物を種として見てしまいがちですが、人間同様、
  彼らにもそれぞれ個性があります。彼らも私たちのように、
  困難にぶつかったり、それを乗り越えて幸せを得たり
  しているんです。
  ただ、死なないために生きているのではないんですよ」

辻本 好子(NPO法人『COML』理事長、1948-2011)
 「私たちはいのちの主人公、からだの責任者。
  だから、賢い患者になりましょう」

三遊亭 円楽(落語家、6代目)
 「目標に到達するには、取りあえず『前へ出る』ことが必要。
  後方でサボって結果に何か言っても、それはひがみに過ぎない。
  ひがむぐらいなら『前へ出ろ』って言いたいですね」
 「今年はこれをやる、と決めたら、目標に向かって
  『前へ出る』。その精神で毎年取り組んでます。
  もちろん、やみくもに突っ走る訳じゃない。どうしたら
  成功するか、状況を判断して作戦を立てる。
  うまくいかないなあと思ったら、作戦を立て直す」
 「ボクは『昔話』は好きじゃないんですよ。
  あのころは良かったとか、楽しかったとか、振り返っても
  先につながらないですからね。『思い出話』ならOKですが」

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2011年7月18日 (月)

☆『雨月物語(1953)』☆

17日(日曜)の夜。BSP(プレミアム)で放送された、溝口健二監督によるモノクロ作『雨月物語』を観た。

この日は、9時半過ぎ〜16時前まで和歌山沖(湯浅港発⇒御坊近海)で会社関係の“釣り活動”に参加してたため、日中はほぼ直射日光に全身をさらされ、日焼け止めを塗って尚、死にそうな感じでフラフラになってしまったワタシだが(最近、あんまし意識しとらんけど・・“放射能”大丈夫だったの?!)・・この夜は、疲れて途中で“おネムな体たらく”となるか・・と思いきや、しっかり全編を楽しむ事が叶った。

ま、代わりに翌朝は正午前まで寝だめしてしまい、家人の嬉しそうな言葉を耳にして初めて「サッカー日本女子代表の(アメリカを破っての)初優勝」を知った次第だった。 ← “にわか熱狂ファン”が大嫌いなワタシだが、VTR映像を観た中での「コーナーキックに併せての(ジャンピング)ボレーキックシュート」と「キーパーの(横に飛びながらの)右足セーブ」には驚かされた! あれはもう「何かを確実に持ってた!」としか表現出来ないのではあるまいか(いやそれ、もはや“月並な表現”なんスけどー)

・・

さて、BSPでは「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」として“家族”をそのテーマに、特集が組まれとるようだ。そう言えば、本作『雨月物語』も“怪談(くわぃだん:Kwaidan)”をメインテーマにしながらも「女たちの求める“家族”と言うもの」を普遍的に描き出してた事に、改めて気付かされた。

山田監督のコメント:本作は溝口さんの代表作であり、ヌーヴェルヴァーグ(仏における、1950年代の映像運動)にも多大な影響を与えました。

天正11年(1583年)、戦国時代の近江國・琵琶湖北岸が舞台。

作陶(陶器造り)に類稀(たぐいまれ)なる才を持つ男=源十郎(森雅之)とその働き者の妻=宮木(田中絹代)、彼の義弟=藤兵衛(小沢栄)とその妻=阿浜(おはま:水戸光子)の“2組の夫婦”の迎える、試練とその結末がそれぞれ描かれる。

詳しい内容は、以前の記事をこちらに載せているので、ご覧頂ければ幸いである。

今回は「今となっては、その存在そのものに“文化遺産級の価値”がある」溝口監督の放つ“モノクロ映像”に酔いしれつつ、鑑賞メモもそこそこに(=^_^=)楽しんだワタシ。

「いかにもセット調なロケーション」「シーン毎の“繋ぎ”が暗転するだけ、的な1本調子さ」はあるも、クレーン撮影を惜しげもなく敢行(?)したはるようで・・独自の“神の視点(=弱俯瞰映像)”が要所要所で展開されるスゴさ(豪華さ)に、改めて気付かされた!

「大切な何かを失うまで、その短絡さ&愚かさに気付かぬ愚かな男」
「その愚かな男に翻弄され、何かを奪われてしまう愚かな女」

ってテーマは、時代がその後「半世紀以上」を経ようとも・・大きな違いが生じて来る訳でもなく、考えさせられる(・ω・)

中盤で(ようやく)登場しながらも、強烈な個性&存在感を放つ朽木(くつき)屋敷の姫君=若狭(わかさ:京マチ子)のポッチャリ+麿眉な“能面顔”も、シンプルな表情ながら“哀しみ”“凄み”“秘めたる情念・情欲”を見事に表出しててすんごい!
彼女に仕える老婆=右近(毛利菊枝)の“アルフレッドぶり”にも、改めて圧倒された(⌒〜⌒ι)

「又と云わず、此の折に、若狭様と“お契り”なされたら良い」
「(父君様の)あの声のお嬉しそうな事・・
 姫様の“お祝言”をお悦びになって居るのです」
「もう(この)右近は、手を貸しませぬよ」

何だかもう「ロールプレイングゲーム(RPG)に出て来る敵のボスキャラとかで、そいつ自体には幾ら攻撃を加えてもダメージを与えられないのに、先に側近の敵キャラを倒したら、そいつも一緒に倒せちゃった」的な“主従の入れ替わり気味な立ち位置&存在感”があったりもした。
思わず「キャラ名は“右近”よか“安駄婆(あんだばぁ)”が似合うんでは?」と思ったりも(⌒〜⌒ι)

今回、その撮影のカラクリ(?)を知って驚いたのは「霧に包まれた(琵琶湖の)湖面を、こちらに向かって静かに進んで来る渡し舟」のシーン。
実際には(湖を模した)プールにスモークを焚き、舟は固定して動いてないそうで! そこにクレーン撮影でカメラのゆっくり迫る映像が、あのような完成体となった事を初めて知った!

また、山陰(やまかげ)の朽木屋敷の場面では、まさに「能の世界」を再現したかった、とかつて監督はコメントされたらしい。

能には(にも、、)疎いワタシだが、もし映像で観るなら・・フルカラーよりもモノクロこそが似合う芸能なんじゃないかな? と妙に分かったような事を直感した次第。
何にしても「ロウソクの炎の揺らぎを“真に表現”するには、カラー映像ではもはや“情報過多”なのかも知れない」と確信したワタシである。

スピルバ※グ監督、その辺について、如何お考えでしょうか?(・ω・)

〜 こんなセリフも 〜

源十郎「此れが“商い”と云うもんだ」
   「たんまり銀を持って帰って、吃驚(びっくり)させてやるでな」
   「さぁ、買わんか! 買わんか!」
   「人も物も処によって、こんなに値打ちが変わるのか」
   「“魔性のモノ”でも構わん!」 ←思うだけで口に出して言うなよ

宮木「貴方さえ居て下されば、私はもう何にも欲しくありません」
  「もうお止しなさい。お金はもう沢山」
  「前に巧く行ったからと云って、今度も巧く行くとは限りません」
  「最期に楽しく日を過ごす事。其ればかりを願っているのです」
  「親子3人楽しく暮らせれば、其れで良いのに」
  「戦(いくさ)は人まで変えてしまうのね」
  「さ、戻りましょう。
   此れはきっと“行ってはいけない”と云う徴(しるし)です」
  「そんなお話はもうお止めになって」
  「色々な事がありましたねぇ」

若狭「人に伝えてはならぬ“秘伝”でもあるのですか?」
  「手慣れの末の美しさ・・」
  「貴方は私を“魔性の女”の様に思ってらっしゃる」
  「此れからは、私の為に命を尽くして頂かなければなりませぬ」
  「“私の國”へ参りましょう」
  「其の様な事はもう忘れてお仕舞いなさい」
  「いいえ、もう帰しませぬよ」

藤兵衛「金が見たい! 金を此の手に握ってみたい!」
   「立身も出世も、お前が居ればこそだ」

右近「もう外へ出てはなりませぬよ」
  「何故“契り”を交わされた?
   男は“いったんの過ち”で済もうが・・女は済まぬ!」

阿浜「此れだって、立派に“女の習性”じゃないか」
  「私が汚(けが)れてしまったのも、みんなお前の罪だ!」
  「お前さんは馬鹿だから、
   自分で不幸せな目に遭わなきゃ、分からなかったんだろうね」

※「どさくさ紛れに儲けた金なぞ、身に付く訳がない」
 「こんな(高級な)もん着たら、お前の嬶(かか)ァの体が腫れるぞ」
 「出世祝いを兼ねての御器量の見せ処ですぞ、お頭!」
 「お前、夢でも見ておるのと違うか?」
 「しかし、親子と言うのは争えんものじゃなぁ」

老僧「お前の顔には“死相”が出ている」
  「お前を頼りにする者があるなら、早く帰りなさい」
  「お前は“望んではならぬ恋”を望んだのじゃ」

源十郎「私は一体、どうしたのでしょう?」
若狭「ふふふ・・あの仰りよう」

追記1:終盤で2度、眠りから覚める源十郎が印象的だった。
追記2:当時、琵琶湖にも“海賊”は跋扈(ばっこ)してたらしい。
追記3:ラストはフェリーニ監督の『道(1954)』のソレをも連想させる。
追記4:問われるまま、藤兵衛が“武士の心得”を酔った勢いで語る(自慢する?)シーンがあるが・・あれだけの知識が備わってるのは、ある意味スゴいと思った! 何かに“裏打ち”されたモノでなくば、ああ色々と言葉は出て来ないと思うワケで。

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2011年7月15日 (金)

☆『理由(1995)』☆

13日(水曜)の夜。
市内のミニシアター“ソレイユ”で『ジュリエットからの手紙(2010)』を観て、結構な「ご満足気分」で帰宅(=^_^=)したワタシは・・立て続けに、BSP(プレミアム)で放送の開始された『理由』を観始めたのだった(×_×)

以前から、そのタイトルだけは知ってたが・・「こんな作品」だとはつゆ知らず(⌒〜⌒ι) 改めて「色んなカタチのサスペンスってのが、世の中にはあるモノやなァ・・」と妙にアタマをガツンされてしまったワタシだった。。

同名(原題:JUST CAUSE)の小説を原作とする、ショーン・コネリー主演のヒューマン・サスペンス系ドラマ(なの?)

1986年3月、フロリダ州オチョピーにて11歳の白人少女=ジョーニー・シュライバーが惨たらしい遺体となって発見された。
彼女を誘拐し・・最後に殺害した容疑者として逮捕されたのは、地元に住む黒人のインテリ青年=ボビー・アールだった。

8年後、フロリダの刑務所に“死刑囚”とし収監されているボビーが、母親を介し頼ったのは、元弁護士で、現在は“死刑廃止論”を唱えるハーバード大のポール・アームストロング教授(コネリー)だった。

当初こそ、ボビー母子の依頼を突っぱねたポールだが・・妻=ローリー(ケイト・キャプショー)の勧めもあり、力を貸す事を決意する。

彼はボビーの逮捕⇒尋問を行った、地元警察の2警官=ダニー・ブラウン(ローレンス・フィッシュバーン)&J.T.ウィルコックスにハナシを聞くが・・次第に“暴力警官”と言われるダニーの挑発的な態度や、ボビーを“敵視”する地元住民らの態度に触れるにつれ「大変な事件に関わってしまった」と言う想いを強くするのだった。

そんなある日、面会時にボビーは「実は“真犯人”がこの刑務所にいるんだ」なる“衝撃の告白”をポールに語って聞かせるのだった・・

重厚なドラマを期待し、確かにそれが静かに進んで行く展開だったが・・(開始から)1時間と少しを経た辺りで、いきなり「物語が“一応の幕”を迎える」ってトコで「ココロのざわつき始める」のが分かった。

「この時点でこうなって、まだあと30分も残されてるって事は・・」と予想し始めたら、ほぼその通りにストーリーが急展開を見せ始めたのである!
後半〜終盤に至っては、妙な「アクション&バディ(=コンビもの)・ムーヴィー」に変貌を遂げたので、流石に苦笑しそうになってしまったな(⌒〜⌒ι)
まぁ、かなりな(?)サプライズには違いなかったけど・・

1度、本作を観終わってみると・・あらゆるキャラの言動に「ウラがあった」ようにも思え、何だか“人間ってモノ”が分かんなくもなったりする。。

更に落ち着いて良〜く考えると「脚本の何処かがスベッてそうだった点」にも思い至るワケだが、まぁ“原作小説”では、もっとしっかりとストーリーが構築されてたのかも知んない。

で、やっぱり・・どっか「スベッてる感」の強い本作だったが・・一方で

・少女時代のスカーレット・ヨハンソンちゃん(ケイト・アームストロング役)
・完全に狂っとる感じのエド・ハリスおじさん(ブレア・サリヴァン役)
・いきなり絞殺されそうになり、ホンマに苦し気な表情だったコネリーおじさん

を拝めるのは、嬉しい“ボーナス”にも思えた!(←そこかよ!)

ゼヒ、この「絶妙な奇妙さ」を皆様にも体感して頂きたいトコロである(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

・“電気椅子による世界初の処刑”は1890年の事だそうだ。
・マクネアー弁護士役は“オーティスブルク”で有名な(=^_^=)ネッド・ビーティ氏。
・「ワニのフリ」は・・余りに“引っ張り過ぎ”だと思う(=^_^=)

〜 こんなセリフも 〜

ポール「たとえそれが神であろうと、政府であろうと、
    “血で血を洗う報復”など、私は信じない」
   「何故、私が“君の銃の隠し場所”を知ってると?」
   「ウソも真実も、大して多くを語らんさ」
   「彼が“白状”したのさ。銃を口に突っ込むまでもなく、ね」

ボビー「まさか、ホントに来なさるとは」
   「ここらじゃ、暴力警官に嫌われちまったら、
    もうどうしようもないのさ」

ダニー「“自白”で気が楽になったろ?
    で、どうなるかは分かるな?」
   「乗りなよ、先生」
   「わめけ、大声でな」
   「あんたのやってる事は・・正直“迷惑”なのさ」
   「おめでとう! 巧く騙したな」

マクネアー「判決は“あれ”以外になかった。
      住民は“報復”を求めていたんだ」
     「“死刑判決”となっても、
      (弁護を引き受けた私の)仕事は半減した。
      もしこれで“無罪”にしてたら、どうなってたと?」

サリヴァン「やつらにゃ“創造性”がないのさ」
     「“怠惰は悪徳の元”ってな」
     「大勢殺し過ぎて・・俺は、頭の中が整理つかないんだ」
     「あんたの眼も“人殺し”みたいだな・・氷のように冷たい」
     「死刑囚にウソを? まぁ、ペテロも3度、イエスを否認したがな」
     「この俺にあるのは“殺しの欲望”だけさ」
     「この塀の中にいたって人は殺せるのさ。
      “電話を架ける”ように簡単にな!」
     「ウソなんて、殺し以上に簡単だ」
     「“我々”の狙い通りだ」
     「彼が死ぬ時・・(彼の)殺した者の数は、
      その“生前”に知られているよりも多かった」
     「高慢は罪だ! 神の試練が訪れるぞ!」
     「あんたを操ってやったぜ!」

※※※「殺される順番は、最初か? 最後がいいか?」

コンクリン「あなたは“古傷”をえぐってますわ」
ポール「それも“事実”を知るためです」

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2011年7月14日 (木)

☆『ジュリエットからの手紙(2010)』☆

11日(月曜)は、某店での“イングリッシュ・ディスカッション”が長引き(←ま、いつもの事だが)・・帰宅が“午前様”となった。
12日(火曜)は、短いながらも飲み会で疲れ「電気点けっぱ+玄関開けっぱ(=施錠レス)」でぶっ倒れ寝て、朝を迎える・・と言う「崩れた日々」をもって、週はじめの火蓋を切って落としてしまったワタシである(×_×)

本日、つまり13日(水曜)は「ぼちぼち“本来の自分のライフスタイル”を取り戻さなきゃ」とふと考え始め、商店街にあるミニシアター“ソレイユ”に久々に寄り、上映中の『ジュリエットからの手紙』を観て来た次第(・ω・)

奇しくも「水曜」だったモノで“レディーズ・ディ”と重なり「女性だらけの上映会」となってしまったワケでもあるが。。

イタリアの“愛の都”ヴェローナ。この地にある観光地“ジュリエットの家(Casa di Giulietta)”の壁には、世界中からやって来た女性がジュリエットに向けてしたためた「恋愛相談の手紙」が、日々トコロ狭しと貼付けられている。

そして驚くべき事に、それら総ての手紙には「ジュリエットの秘書」と呼ばれるボランティアの女性スタッフが、丁寧な返事を書き、返送すると言う。

・・

マンハッタンで“ニューヨーカー紙”に勤め、記事の裏付けを取る「事実調査員」なる仕事を任されるソフィは、記者デビューを夢見る女性。

婚約して1年を迎えるヴィクターとの“婚前旅行(プレ・ハネムーン)”を兼ね、イタリア・ヴェローナに発った彼女だが・・現地での彼は「ニューヨークでイタリアン・レストランをオープンさせる」と言う“目前の夢”に猛進してしまい、2人の行動はすれ違うばかりだった。

そんな時、彼女はぶらりと単身立ち寄った“ジュリエットの家”で、壁に貼付けられた多数の手紙を回収し、その返事を書く「ジュリエットの秘書」らと知り合う。

「秘書」らの仕事に興味を持ち“同行取材”したソフィは、壁から外れ落ちた煉瓦ブロック(?)の向こう・・穴の奥に隠された「50年も昔(1957年)に書かれた手紙」を見つける!

それはロンドンに住むクレア・スミスと言う女性が、ロレンツォ・バルトリーニと言う現地の男性に対する恋心をジュリエットに相談したモノだった。

「秘書」らのアドバイスで、その手紙に返事を書く事にしたソフィ。

しかし、数日後・・クレアの孫を名乗る男性=チャーリーが「秘書」らを訪ねてやって来る。彼が言うには「祖母もこのヴェローナに来ている」との事。

クレア(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)と出逢ったソフィは、彼女と語らう内に「ロレンツォを探し、逢いに行ってみよう!」と言うプランで意気投合するのだった・・

如何にも「ベタそう」な粗筋である事は知ってたので、軽い気持ちでダラダラ観始めたワタシだったが・・意外とその物語世界に引き込まれてしまった!

「ジュリエットの秘書」なる“事実”の設定をまず置き、そこに巧くフィクションを嵌め込み、また「世代(=価値観、恋愛観、境遇)の異なる、ヒロイン2人の恋と冒険のエピソードを絡めた」って脚本には「巧い事、考えたネ!」と素直に拍手を送りたい。

ソフィ役のアマンダ・セイフライドを、妙に額の広さが目立つため“デコちゃん”と勝手に命名したり、ヴァネッサさんも(意識してご尊顔を眺めたのは)『ミッション:インポッシブル(1996)』以来だったので「流石に、お婆ちゃんにならはったなァ・・」と溜め息をついてしまったりしたんだが・・お2人とも「容貌を演技で充分にカバーする」と言う“女優として大切なポイント”をしっかり踏まえておられ、感心した(・ω・)

私的には「ジュリエットの秘書」らとの交流に、もう少し時間を割いて欲しかったりもしたんだが・・世界的に観れば「描かずとも、誰でも知ってるネタ」なのかも知んない(・ω・)

ヴィクター役が、あのガエル・ガルシア・ベルナルなのだが・・キャラ的に「如何にも脇役」って感じに立ち位置が後退しており、その辺の意外さ(?)も“女性ウケ”するポイントかも知んない(=^_^=)
ってか、ソフィと話すシーンは、対面するより電話越しが多かったんじゃなかろうか(⌒〜⌒ι)

チャーリー役のクリストファー・イーガンも、ブレイク前(?)のマーク・ウォールバーグやマット・デイモン、或いはヒース・レジャーに通じるような“それ系”の顔をしてて(=^_^=)好感が持てた。
必ずしも「オットコ前」でないって点も、同性から観るに「安心出来る」と言えるんかも知んない(←ナニをエラそうに!)

この手の作品の場合、ヒロインそれぞれの“オチ”部分を分析⇒予想するに「ハッピーエンドかどうか」で“ほぼ4パータン”に分類出来ると思うんだが、その点でも「可愛らしいミスリード」が途中に盛り込まれており楽しめた。

「どうせラヴコメじゃん」と軽く観始めたら・・久しぶりにハッピーな気持ちにも、少しウルウルもさせられたりした良作である☆

恋に悩む女性だったら、ゼヒ!
恋に悩む女性・・を狙う男性にも、ゼヒ!(おい)

〜 こんなトコも 〜

・字幕担当は、松浦美奈さん!
・原題は“Letters to Juliet”なので「言い回し」が逆(?)だったりする(・ω・)
・“ジュリエットの家”の中庭(?)にあるジュリエット像(ブロンズ製)の右のバストを、男女問わず「揉んだり触ったり」しとるンだが・・何かご利益でもあんの?
・“ロレンツォ・バルトリーニ”はシエナ地方に74人も存在しとるようだ。さしもの“ターミネーター”も(人物特定に)苦労するやろね。。
・ヴェローナ〜シエナの距離感がハッキリと掴めなかった(×_×)
・別れの前夜、芝生に隣り合って仰向けに寝て、語り合う2人が良かった。まるで『恋人までの距離(1995)』ですやんか!
・イギリスには“パトリシア”って女性が多いんやろか?
・ソフィの書いた手紙(の文面)の明かされるタイミングが素晴らしい! コレが「前半でチャーリーに読ませたりする演出」に仕上がっちゃうと・・その脚本家はきっと「大バカ野郎」って事なのだらう(・ω・)
・監督のゲイリー・ウィニックは、本作が遺作であるそうだ。ご冥福をお祈り致します。
・女優=エレン・バーキンが、製作者としクレジットされてる!

〜 こんなセリフも 〜

ソフィ「私に返事を書かせて(I have to write back.)」
   「“書く事は情熱”なのよ」
   「“真実の愛”に消費期限などないのでは?」
   「取捨選択を繰り返し、真実を見いだすの」
   「イイ感じだわ(It's comin OK.)」
   「今ここにいるのは・・“運命”だと思う」
   「すぐに連絡するわ(I'll speak soon.)」
   「貴方との関係が見えないの」
   「お互いに(一緒にいなくても)気にしない。そこが問題なの」
   「そんな貴方が好きだった・・でも、私は変わったの

ヴィクター「多分、俺は“傑作”を生み出したんだと思う」
     「君は“書くべき”だよ(You should do that.)」
     「僕はここ(=チーズ保管庫)に住む、
      小さなネズミになりたいよ」
     「俺のいないヴェローナはどうだった?
      少し寂しい? それとも、とても寂しい?」
     「“模倣は最高の称賛”なのさ」

チャーリー「“スゴい、ステキ(Oh,my god!)”なんて言葉を使う
      女性には、祖母は会いたがらないさ」
     「“運命の人”だって? それは僕の祖父だよ」
     「もしかして・・“本心と逆の事”を言ってるのかい?」
     「“ハッピーエンド”なんか、信じないたちでね」
     「“完璧主義者”だって? つまりは臆病なだけだろ?
      何を恐れてるんだ?」
     「この瞬間を恐れてた・・これが“現実”なんだ」
     「“人を失った経験”のない君に、
      この僕の気持ちが分かるもんか」
     「今の僕は“日曜日の子供”と同じ。
      つまり、明日が来て欲しくない気分なんだ」
     「動けるかって? 唇だけはね」

クレア「孫が反対するからこそ、楽しいの」
   「記事に書いてもいいじゃない。
    “国家機密”じゃあるまいし」 ←マックスさん?
   「人生は、苦労そのものよ」
   「まだ、終わってないわね」
   「いい?(May I?)」
   「“忘れられない出来事”ばかりの人生だったわ」
   「髪をといて貰うのは、女性にとって
    “人生の喜びの1つ”なのよ」
   「あんな素晴らしい女性が、この世に何人いると?
    私のように、50年も待たないで」

秘書「夫もワインと同じ。
   “熟成”させるには、それは長い時間がかかるの」
  「女性にとって“婚約指環”は大切よ」
  「“ロミオとジュリエット”はイタリア人の
   シェークスピアによって書かれたのよ」

イザベラ「誰かが返事を書かないとね

ロレンツォ「・・長い年月だった」
     「今朝、私は老人として馬で出かけ、
      10代の若者として、ここに戻った」
     「愛に“遅過ぎる”と言う事はないさ

編集長「アリタリア(航空)の株を買い給え。
    君の記事を読んだ女性が、ヴェローナに殺到するだろうから」

シェークスピア“されど、我が愛を疑う事なかれ”

※「アメリカ人はいつも急いでる」
 「イギリス人は現実主義者で、冷たい」
 “愛なんて「ホルモンの1種」に過ぎない”
 「こんな男、何処へでも連れてっちゃって!」

手紙“もし、あの時”
  “結末なんて、誰にも分からない
  “かつてそれが真実だったなら、今も真実の筈”
  “貴女の愛を信じなさい”

秘書A「“1人の男”より価値のあるものは?」
秘書B「そりゃ“2人の男”よね」

チャーリー「彼の家をどうやって訪ねる?」
クレア「玄関でベルを鳴らすわ」
チャーリー「彼の奥さんが出て来て騒ぎになったら?」
クレア「女として光栄よ

ソフィ「彼女はいるの?」
チャーリー「語ると“長くて面倒なハナシ”でね」

クレア「彼女の眼をしっかり見て、心から謝りなさい」
チャーリー「分かってるさ。僕はもう子供じゃない」
クレア「だったら(その事を)証明して」

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2011年7月 9日 (土)

☆『刑事コロンボ/別れのワイン(1973)』☆

5日(火曜)の夜。
“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”で『花子の日記/Hanako's diary』を鑑賞後、慌て気味(=^_^=)に帰宅し、BSP(プレミアム)で放送された『刑事コロンボ/別れのワイン』を約10分の遅れで観た。

さる6月23日に83歳で亡くなられた主演男優=ピーター・フォーク氏をしのんで、3夜連続でシリーズの再(?)放送されたウチの1エピソード。DVDは所有しており、未開封のまま(×_×) 自室の隅に転がってるんだが・・この機会に鑑賞が叶い、嬉しかった。

自身が経営し、人生と私財の総てを投げ打って愛して来たワイナリーの売却を弟=リックに言い放たれた時、兄=エイドリアン・カッシーニ(ドナルド・プレザンス)の中で、殺意が走った。

彼はニューヨークでのアリバイ(不在証明)を実現させつつ、リックを葬り去る事に成功する。

幾つかの“腑に落ちない点”に気付いた捜査主任=コロンボ警部は、関係者らへの聞込みを続ける内、エイドリアンが犯人ではないか、と言う自説を確信するに至るのだった・・

観始めた時、既に「リックの昏倒した直後」だったので、カッシーニ兄弟の間でどんなドラマが展開されたのかは分からずじまいだったが、、エイドリアンの“ワインバカ”とも言うべき性格の描かれ方が徹底してて、その点(=キャラ造型)にこそ、感心させられたワタシ。

「いつもと違う行動を取る」「事件の“腑に落ちなさ”を、妙にコロンボに解説しようとする」って辺りで、既に“ロック・オン状態”となっちゃっとるワケなんだが・・そこに加え、エイドリアンと秘書=カレンとの間で展開する「切羽詰まった、もう1つのドラマ」の描かれ方が、何とも言えず良いのである。

エイドリアンとカレンのやり取り、そしてエイドリアンとコロンボのやり取りを理解するには、観客にも「それなりの人生経験」がないと難しいんじゃないかと思う。

それ故に、本エピソードは「通(ツウ)に好まれる、代表的な作品」に輝いているのではないか、と感じた次第だ。

〜 こんなセリフも 〜

コロンボ「言いたかないが、その通りです」
    「あたしもイタリア系だ。(互いに)助けがなくっちゃねぇ」
    「イタリアの北には“ハンサムな男”が多いから」
    「節煙してるんだ。節煙・・つまり“煙を吸わん事”だよ」
    「厳しい人なんだねぇ。部下(やってるの)も大変じゃ有りません?」
    「“イタリア人で音痴”ってのは、あたしだけじゃないでしょうか」
    「失礼・・こんなに(ワインが)効いてるとは思わなかったな」
    「“この方面の教養”に疎い事が分かりましたんで」
    「我ながら“酷い字”でねぇ」
    「ワインを投資の対象にしてる人もいるんですねぇ」
    「見せて貰うだけ・・飲みやしません」
    「こいつは古いですなぁ」
    「専門家なら、注ぐ時に手は震えませんからねぇ」
    「この辺で失礼しましょう」
    「あたしは、命令通りに動くだけなんで」
    「そりゃ真っ先にお伝えしますよ。何かあればね」
    「アラン・ラッドの『用心棒シガー』・・
     ありゃいいや。あの“手首折っちゃう”ヤツねぇ」
    「お詫びがしたいんです」
    「子守りが見つかれば、かみさんも連れて行きます」
    「ごめんなさい。もう1つだけ質問があるんですがね」
    「何せ(この車は)15万キロ、走ってるからね」 ←同じく(笑)
    「“汝、車を愛せ、されば車も良く走る”ってね」
    「あたしは“メニューに値段の書いてない店”は心配でね」
    「実はせっせと“予習”をやって来たんですよ」
    「かみさんに今夜の勘定がバレたら大事(おおごと)だ」
    「ホント言うと・・上司に告げ口されたら“クビ”ですからね」
    「結構な味ですなぁ・・景気良く注いで」
    「“喰い逃げ”はあの手に限りますなぁ・・覚えとこう」
    「いずれにしろ、もうお目にかかる事もないでしょう。お元気で」
    「“ゲスの勘ぐり”ってヤツでした」
    「解決はあなたのお陰ですよ」
    「女の人はこうなると強いですなぁ
    「勝手ですが、こんなもの持って来たんです」

エイドリアン「私は電報を打つのも、受けるのも嫌いなのだ」
      「あれ(弟)は結婚するんだよ。5000ドルあれば、
       あいつももう少しはマシなスタートが切れよう」
      「分かるのも当然です。皆さんが香りに酔っておられる間、
       私はラベルを盗み読んでいたのですからな」
      「人生は短い・・悲しい迄にね
      「5000ドルのワインを欲する人間なんてこの世にいないさ。
       ただ、私は他の人にこれを渡したくない」
      「もし就職のお話であれば、人事課に行って下さい」
      「葉巻の香りはワインの味を損なうのです」
      「きっとお気に召すと思いますよ」
      「弟を失って悲しまぬ者は・・おりますまい」
      「重要なのは・・ボトルの中の澱(おり)を、
       そのままボトルの中に残す事です」
      「私の人生は“ワインあるのみ”ですからね」
      「お見事です・・驚きましたよ」
      「なかなか抜け目のない方ですね」
      「(貯蔵室は)殺風景ですかな? 私にはまさに“天国”ですが」
      「刑事さんらしく“実証主義者”ですな」
      「がっかりさせたようですな」
      「今迄が、堅苦し過ぎた
      「折角の素晴らしい味が、煙草の匂いで消えてしまうからね」
      「飲むに耐えんワインだ。
       このようなものを出すとは・・侮辱だ」
      「嘘をつく必要はなかった。
       私は“恩を売られる立場”を好まない」
      「良い銘柄が良いワインとは限りませんから」
      「残念だな・・(いっそ)“最高記録”なら良かったのに」
      「実を言うと、重荷を下ろした気持ちなんです
      「刑務所は結婚より、自由かも知れませんなぁ」

エイドリアン「あなたもイタリア系でしょう?」
コロンボ「ええ、両親共ね」

エイドリアン「これは“非公式な取調べ”ですか?」
コロンボ「いえね・・ちょっとあなたとお喋りしたいと思いまして」

コロンボ「ポォの小説にありましたなぁ・・アで始まる・・」
エイドリアン「・・『アモンティラードの樽』」

コロンボ「アレを棄てるなんて・・“死ぬ想い”だったでしょう」
エイドリアン「人には想像もつかんでしょうな」

エイドリアン「最高のデザートワイン・・それに“別れの宴”にも相応しい。
       良く勉強されましたな
コロンボ「有難う。何よりも嬉しいお褒めの言葉です

コロンボ「あんたなら(ワインについて)大抵の事は知ってるだろうね?」
※「違うね・・“総て”を知ってる」

エイドリアン「君も私を疑っているのかね?」
カレン「いいえ。でも・・先週はいつものようではありませんでしたわ」

エイドリアン「何故、嘘をついた?」
カレン「貴方のためだと思って」
エイドリアン「君迄、危険を冒す事はなかった」
カレン「・・お力になりたかったんです。貴方の事だけが心配でした」

エイドリアン「愛情は“強制”によって生まれるものじゃないよ」
カレン「でも・・愛情がなくても、結婚は出来るわ」

追記1:「リック」は「エンリコ」のニックネームらしい。
追記2:被害者を評する表現「チャキチャキのスポーツマン」ってのが、ちょっと面白い響きだった。
追記3:あのまま物語が続けば“第2の殺人”が起こってしまったンだろうか(・ω・)

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2011年7月 7日 (木)

☆『花子の日記/Hanako's diary』☆

5日(火曜)の夜。
昨夜(=その前夜)もはっちゃけ過ぎ・・帰宅したのが、27時を過ぎてた感じだった(×_×) 1夜で1.5諭吉ほどが消えて行ったりもし「エエ加減にしとかんと・・ホンマ、死ぬゾこりゃ」と薄ら寒さを覚え始めたり(×_×)

そんな事で、今夜は仕事帰りに「健康的に1本、観て帰るだけにしよう」と決め“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”にて、公開も終了間近な小品『花子の日記/Hanako's diary』ってのを鑑賞した。

「オール香川ロケ」をウリにしてる本作。制作側も意図的に“B(ビーフ)級ムーヴィー”を謳ってるようだが、さて・・

監督=松本卓也氏が脚本も手がけ、香川県をロケ地に描いたハートフル・ナンセンス・コメディ(?)。
「2010さぬき映画祭」において“優秀企画賞”と“準グランプリ”を受賞している(因みに、どうやらグランプリは「該当作なし」だったらしい)。

・・

瀬戸内海に浮かぶ“小豊(おで)島”は、人口18名+牛500頭と言う妙な(?)比率が特徴の、小さな(実在の)島である。
派出所すら存在しないこの島で・・今、村長が島民を集め、広場(?)で喜びの演説を行っている。

と言うのも・・5年に1度、開催される「全日本和牛大会」において“肉牛”“種牛”の2部門を制覇したのが、島にこもり研究を続ける住人=伊地吾朗(永島敏行)の開発した新種「Hanako875号」だったからだ。

“日本一、いや世界一の肉牛”を生み出すべく・・長年、自らの家族すら顧みず研究に没頭し続けて来た吾朗は、1人娘(倉科カナ)にも“牛みたいな名=花子”をつける程の“牛バカ”だった。

そんな父親が、そして牛肉が大嫌いな花子は、中学を卒業するや、(島を飛び出し)高松市内の高校に進学⇒東京に下宿しつつ、美大に通う・・と“親父(オヤジ)に対する反発”を常にむき出しにしながら生きている。

・・

一方「日本の美味しい食材」を見つけるや、苗木や種子を盗み、自国に持ち帰り繁殖させる・・と言う新しいハイテクビジネス(←ってか犯罪!)に手を広げる韓国マフィアのボス=リュ組長が“イチゴ”の次に眼をつけたのが、この新種の和牛だった。

組織の人間の殆どが警察にマークされている現状から、彼らは「より一般人に近い」とある堅気の男=キムを雇い、小豊島の研究施設(只の牛舎?)から「種牛の精液」を盗み出し、自国に持ち帰るよう命ずる。

高額の手当+旅費の支給につられ、悪気なく(?)香川へとやって来たキムの隣には、多少のニホンゴを話す事の出来る、自身の愛娘=ジャンヒャンの姿があった。

着いたその夜にして、容易く(?)「精液」を盗み出したキム父娘だが・・花子に現場を見られた事から逃走する。

翌朝より、ぶつかり合いながらも「“2人組の泥棒”を捕まえるため」に行動を共にし始める吾朗&花子。

追いかけっこの果てに、誘拐⇒人質交換などのハプニングも起き・・2組の父娘が最後に辿り着いた先とは・・?

意外とシアター内に“観客の多さ”を感じた作品だった(=^_^=) これぞ「クチコミの力」ってトコなんやろか?

それに、脚色面では「アニメーションパートあり」「ドキュメンタリー風な演出あり」「“過去”や“妄想”絡みの映像あり」とそれなりに飽きさせない造りをしてたンだが・・2組の父娘の言動が、どうにも“オーバーアクト(=演技過剰)”に映って仕方なかった(×_×)

大抵の場合「脚本が多少強引でも、俳優陣が良ければ自然な仕上がりに落ち着き得る」「主要な俳優陣が“オーバーアクト”でも、脚本が良ければ修正はし得る」ってな“調整”が出来るハズなんだが、、本作のケースで言えば“俳優陣と脚本が、悪い意味で、補完し合ってない”って印象があり「常時、ドコかスベりかけてるんだよなァ」と、妙に残念に思われたのだった(×_×)

ネタ自体にしても「地味め」「有りがち」「性的な表現面で際どい」ってトコが目立っており・・「“自らに苦行を課した”かのような脚本&俳優陣を採用した結果、それが悪い部分で目立ってしまった」と感じられたのだ。

正直、(例えば)妙な“変化球”にこだわり続ける松本人志監督の『さや侍』なんかより・・“ど直球で投げ続ける”松本(卓也)監督の方にこそ、ある種の好感を覚えたワタシながら・・「もう1ツ、何らかの“光るモノ”を揃えて欲しかったなァ」とも感じた次第である。

〜 こんなトコも 〜

・上映開始寸前(2〜3分前)にして、ようやく開場されたシアター。何か(機械に)不具合でもあったん?
・上映の始まった瞬間、スクリーン右上にパッと映った「▶(=再生を意味するマーク)」も気になる(・ω・)
・水野美紀さんの“置き方”がちょっと印象的だった。
・「森永のおじさん」や「彼氏(サトシ)」のキャラが“絡ませ不足”な感じだった(・ω・)
・吾朗が劇中で飲んでたのは、小豆島の地酒『森』らしい。
・監督の趣味なのか(?)妙に“メイド喫茶”のシーンが丁寧に描写されてた(=^_^=) ソウルにもあるそうで。
・韓国語で「肉」は“コギ”と言うそう。因みに「精子」は“チョンジャ”だってさ。
・同じく「有難う」は“コマオ”だって。
・『呂葉酢(ろはす)』なる名の有機野菜喫茶が登場。その(ネーミング)センスがちょいと『来夢来人(らいむらいと)』な感じ(・ω・)
・マカロンにマカロニを挟んだ新メニューは、まんま“マカロニン”と命名されてた(×_×)
・ひっさびさに“メッコール(麦テイストの炭酸飲料)”を観た!! パッケージデザインも変わってるし!!
・“メッコール”は今も『ヴィレッジ・ヴァンガード(書籍&雑貨店)』で入手可らしい!
・「着ぐるみ士」なる専門職(?)は、実在するンやろか?
・“モエモエじゃんけん”ってどんなんやねんな!
・「ガスト栗林公園店」「“県庁前”バス停」や「ソレイユ前の広場」が映ったりもし、妙に嬉しくなったり!
・吾朗と花子が「一緒に食事するシーン」が劇中で2度描かれるが・・机の向き(とその距離)に変化が見られ印象深い。
・「逃げる(悪人の)父娘の方が、よっぽど仲良し」ってな点が、ある種の“面白味”には繋がってた。

〜 こんなセリフも 〜

花子“キライなのだ、牛が。
   もっと言えば、牛肉が。
   何処が良いのだろうか?”
  「牛肉なんか、誰も喰わねぇよ!
   気色、悪(わり)ぃンだよ!」
  「ホンマ(電話を)切るけんね」
  “風が吹いたのだ・・懐かしい、あの頃の風が”
  「親父、何(な)んしとん?!」
  「関係ないけん」
  「どうすん?」
  「親父の耳には、届いとらんけんね。
   私の声なんか」
  「ちょっと韓国、行って来る」
  「うん、知っとったよ・・ってか、遅いよ!」
  「もう、分かったけん」

吾朗「当たり前の事を続けてたら、当たり前の結果になった。
   ・・それだけの事や」
  「こんな“浮(うわ)ついたもん”は要らん」
  「トランプ、やろうや」
  「“さし(脂)の入り具合”も完璧や」
  「ええ肉を造るにはな・・
   牛に“ストレス”を与えたらアカンのや」
  「これは“和牛業界の重大事件”なんや」
  「これはな・・“国際問題”なんやぞ」
  「“美味けりゃいい”ってもんじゃないだろ?」
  「ホンマに美味しい肉はな・・
   “塩”と“胡椒”だけで喰うんや」
  「肉だって、言って欲しいんや。
   “ありがとう”“美味しかったよ”ってな

組員「警察なんかにビビってたら、
   この商売、出来ないでしょお?」
  「どうしたら、こんな風になっちまうんだ?」
  「これ以上の“イレギュラー”は、ウンザリなんだよ!」

キム「仮にもコレは、男のイ※モツ・・!」
  「お前、何処でこんな・・!
  「噛む? うどんは“飲み込んで食べるもの”だろ?」
  「日本でも、売ってるんだな・・(メッコール)」

キムスメ「コレ、結構“大事なもの”なのかな?」
    「“ありがとう”“ごめんなさい”・・
     ちゃんと“この言葉”を言って欲しいんじゃないかな?」
    「何で“思ってる事”を素直に口に出せないのかな?
     ・・日本人って」

メイド「“美味しくなる魔法”をおかけ致しますね。
    “モエモエソースでポワポワリン”」
   「“モエモエミルク”注入〜!」

〜 ロケ地一覧(ポスターより) 〜

・Cafe Jina(南新町)
・こだわり麺や・高松店(天神前)
・Cafe Umie(北浜alley内)
・パパスカフェ・高松店(丸亀壱番街・西館2階)
・太古の森・恐竜公園(三木町総合運動公園隣) ←ココだけめちゃ遠い!
・三友荘(中野町)
・香川大学
・高松南高校
・Soul Food Cafe カモメ(植松町)
・さぬきうどんたみ屋(藤塚町)
・Nomu Rock Hall(瓦町アミュージアムビル・地下1階)
・Nude Lounge(多肥下町)

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2011年7月 3日 (日)

☆『ダークナイト(2008)』☆

28日(火曜)の夜。
“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”にて新作『SUPER 8/スーパーエイト』を観た後、フクザツな想いを抱えながら(=^_^=)急いで帰宅(=^_^=)し、BSP(プレミアム)で鑑賞したのは『ダークナイト』だった。恐らく“衛星初”と思われる。

約10分の遅れで観始めたので、ジョーカー(ヒース・レジャー)の「銀行強盗シーン」などには間に合わなかった(×_×)

改めて“2時間35分(=放送時間)”と言う長尺の物語世界にトリップしたワタシであるが・・改めて「重いドラマやなぁ」とポツリ呟かされるのだった(・ω・)

要所要所で“アクションシーンの素晴らしさ”が光っているにも関わらず、それを物語世界全体の「重さ」「暗さ」が相殺してしまってるようにも感じた、今回の鑑賞である。

肉体的にも強靭な(←ある意味、強靭過ぎる?)ヒーローキャラが複数登場するんだが・・彼らが揃いも揃って「精神的に弱い」って部分の皮肉さが「軸」にもなってる本作であり、それ故に「如何にも肉弾戦に弱そう」なジョーカーの暴走を食い止められない流れが、劇中で繰り返されていたようにも見受けられた。

劇中で一番「ブレてない人間」がウェイン家の執事=アルフレッド(マイケル・ケイン)である事は、誰にも異論の差し挟めないトコであろうが、彼が主(あるじ)であるブルース・ウェイン/バットマン(クリスチャン・ベール)にかける言葉が「確かにそうなんだけど・・それを“表情すら変えず”“躊躇すらせず”にポツンと言い放てるアンタにも、ジョーカーに対する以上のコワさを感じますわ」などと思った。

ひょっとしたら、アル(=アルフレッド)の言葉1ツで、バットマンはもっともっとダーティなヒーローに導かれてしまうんじゃないだろうか。

今回は劇場以来の鑑賞だったが、今回も「ツキ過ぎてるジョーカー」には、若干の違和感を覚えた。劇中のあらゆる事象が彼に味方している点などは『セヴン(1995)』における“ジョン・ドゥ”をも連想させられる。

まさに「1人の賢い狂人に翻弄させられてしまう世界」って部分では『セヴン・イン・ゴッサム』ってタイトルがお似合いにも思えた(=^_^=)

ラストでは“孤独な戦い”の始まりを予見させる幕切れともなったワケだが、私的には「ウェイン卿に戻り、しばらく休養しとけばエエんじゃないの?」ともツッコみそうに。「ブルース・ウェインとして、メディアを活用して“光の騎士”となるも良し」「メディアで“ワタシがバットマンでした”と電撃告白するも良し(←トニー・スターク社長かよ!)」・・ジョーカーを圧倒し、超えるためには、それ位の「想定外」を組んで行かないと、このゴッサムでは生きて行けないような気もする。

ってか、次作でのジョーカーってどうなんの? ジョニー・デップ、ジュード・ロゥ、コリン・ファレルの3人で「収監され、3ツの人格を使い分けられるようになったジョーカー」って“新設定”はどやろ?! とか思うんであるが・・(=^_^=)

〜 こんなセリフも 〜

BM「真実だけでは街は救えない。
   “それ以上の何か”が必要だ」

レイチェル「英雄なら、他人に罪なんか着せないわ」
     「自分の生命を“コイン”で決めるつもり?」
     「私だけが生き残りたくはない」
     「・・これでいいの」

ジョーカー「口を割る奴なら・・見りゃすぐに分かる」
     「俺の組織は小さいが、将来は明るいぜ」
     「だから、この仕事が好きだ」
     「この俺と遊びたいか?」
     「我々が、今夜の“余興担当”です」
     「この傷の話を聴くか?」
     「余りのおかしさに、今も俺は笑い続けてるのさ」
     「答えろ、奴がこの街を平和にしたか?」
     「運転したい(I wanna drive.)」
     「お前がいなきゃ、悪事を働いても退屈だからな」
     「お前は、この俺を“完全”にしてくれる」
     「ルールが人を救うか? 真実を知りたいのなら、
      生きたいのならルールを破れ」
     「殺しとは“選択”なんだよ」
     「何故、俺がナイフを使うと?
      銃だと速過ぎて、
      死に行く者の“感触”が味わえないからさ」
     「お前はカネにしか興味がないようだな?」
      俺の目的は、カネじゃなくメッセージだ。
     “総ては燃える”と言う、な」
     「俺は思い付いた事をやるだけさ。
      計画主義者なんかじゃない」
     「爆弾と銃で、俺はこの街を地獄に変えてみせた」
     「小さな無秩序で、社会は転覆する・・カオス(混沌)の到来さ」
     「そんなに、この俺と縁を切りたくないか?」
     「お前は殺さない。お前がいないと退屈だからな」
     「勝負には、切り札が必要だ」
     「知っての通り、狂気とは“重力”と同じ。
      軽く押せば、すぐに堕ちるのさ」

デント「自分の運は、自分で決める」
   「英雄となって死ぬか、悪人として生きるかだ」
   「刑務所を信用してるのか?」
   「1人を起訴出来さえすれば、全員が共犯だ」
   「その運も、いつか尽きるぞ」
   「夜明けは近い。いつか彼(バットマン)も裁かれるだろう」
   「諦めるな!(You can't give in!)」

TF「後悔するのは、これからだ」
  「確かに、俺は半分死んだ」
  「“狂犬を放した者”に、その責任がある」
  「助かるかどうかは、運だ」
  「お前は運がいいな」
  「公平で偏見がなく、論理的なのは“運”だけだ」
  「さぁ、最愛の者にウソを言え! “大丈夫だ”とな」

アル「この一杯を飲んで、元気をお出しなさい」
  「今回の相手は、あなたにも理解不能な筈では?」
  「金が目的ではない、常識を超えた人間もいます。
   世界が燃えるのを、笑いながら眺める人間です」
  「でも“忠告”はしましたよ」
  「平和の前には、必ず混乱が」
  「平和の為に戦って、犠牲者が出ないとでも?」
  「真の英雄がいない間こそ、あなたが英雄でいなければ」

ゴードン「理想主義では、現場でやってけない」
    「“核心”に関わる人間は、少ない方がいい」
    「囚人も移送しなければ・・
     ヤツ(ジョーカー)の手先となってしまいます」

フォックス「“無駄な誠意”とは初耳ですな。面白い」

本部長「成功すれば、君に“損害を受けた”あらゆる人間に狙われるぞ?
    その覚悟があるのか?」

ブルース「この痛みが“教訓”となるのだ」
アル「では、さぞや多くの“教訓”を、
   これ迄に得た事でしょうな?」

アル「いつか“体力の限界”を感じる日が来たら?」
ブルース「“忠告したのに”と、君に言われそうだな」

ブルース「人が死に続ける。僕は、どうすればいい?」
アル「今は、耐え続けるのです・・“苦しみ”に」

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2011年7月 2日 (土)

☆ちょこっと&ぼちぼち再開の“エエ言葉”☆

【2011.6】

穴井 隆将(柔道家、天理大職員)
 「僕は稽古以外の日々の暮らしの中でも、
  同僚や家族から力をもらっている」
 「職場での生活が、柔道で世界一になっても
  慢心しないブレーキの役割を果たしている」

原 辰徳(読売巨人軍監督)
 「言葉はひらめき。選手の性格も分かっていて、
  自然と出てくる」

長浜 嘉孝(愛媛大教授、日本動物学会々長)
 「ひらめきや感性が思いがけない発見をもたらしたり、
  粘り強く観察を継続することが学会レベルの
  研究成果につながったりする例も少なくない」

畑村 洋太郎(東大名誉教授)
 「想定外に無力なマニュアルに頼ることをやめ、
  自分の頭で考える習慣を」

佐渡 裕(指揮者)
 「子供の頃よりも夢を持ってるかも」

和田 高甫(華道未生流家元)
 「蓮の葉は、枯れていく姿も美しい」

大槻 文蔵(観世流能楽師)
 「夢幻能において、起承転結はありません。
  何も起こらない、でもそこには何かがある、
  というのが能の行き方です」

小林 愛実(15歳のピアニスト)
 「夢に向かって頑張ることは大変。
  でも、頑張っていたら、どんな形かは
  分からないけれど、かなう時が来ると思う」

高石 ともや(フォーク歌手)
 「死ぬことは、生きてきたことを振り返る
  ことでもあります」

池乃 めだか(お笑い芸人)
 「ギャグの大半はとっさのアドリブ」
 「最近、とっぴな動きや表情だけで笑いを取る
  若い芸人をよう見るけど、それは笑われてるだけ。
  笑わせなあかんのですよ」

金井 壽宏(神戸大々学院教授)
 「やる気を常に高く保っておかなくてはと考えている
  人が多いが、間違っています。
  大事なのは、やる気にはアップダウンがあるという
  当たり前のことを認めることです」
 「何度も修羅場を乗り越えて回復した人は、
  心にしなやかさや弾力性、さらにはとてつもない
  回復力があります」
 「やる気は自己調整できることを知ってほしい」
 「やる気は伝染します。人に大きな刺激や影響を
  与える人がリーダーなのです」
 「やる気は個人から集団レベルへと広がっていく」

村上 信五(アイドルグループ「関ジャニ∞」)
 「「今日も楽しかったな!」と思って寝て、
  「ワッ、今日もまた楽しい1日が始まるわ!」
  と思って起きるんです」

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