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2011年7月18日 (月)

☆『雨月物語(1953)』☆

17日(日曜)の夜。BSP(プレミアム)で放送された、溝口健二監督によるモノクロ作『雨月物語』を観た。

この日は、9時半過ぎ〜16時前まで和歌山沖(湯浅港発⇒御坊近海)で会社関係の“釣り活動”に参加してたため、日中はほぼ直射日光に全身をさらされ、日焼け止めを塗って尚、死にそうな感じでフラフラになってしまったワタシだが(最近、あんまし意識しとらんけど・・“放射能”大丈夫だったの?!)・・この夜は、疲れて途中で“おネムな体たらく”となるか・・と思いきや、しっかり全編を楽しむ事が叶った。

ま、代わりに翌朝は正午前まで寝だめしてしまい、家人の嬉しそうな言葉を耳にして初めて「サッカー日本女子代表の(アメリカを破っての)初優勝」を知った次第だった。 ← “にわか熱狂ファン”が大嫌いなワタシだが、VTR映像を観た中での「コーナーキックに併せての(ジャンピング)ボレーキックシュート」と「キーパーの(横に飛びながらの)右足セーブ」には驚かされた! あれはもう「何かを確実に持ってた!」としか表現出来ないのではあるまいか(いやそれ、もはや“月並な表現”なんスけどー)

・・

さて、BSPでは「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」として“家族”をそのテーマに、特集が組まれとるようだ。そう言えば、本作『雨月物語』も“怪談(くわぃだん:Kwaidan)”をメインテーマにしながらも「女たちの求める“家族”と言うもの」を普遍的に描き出してた事に、改めて気付かされた。

山田監督のコメント:本作は溝口さんの代表作であり、ヌーヴェルヴァーグ(仏における、1950年代の映像運動)にも多大な影響を与えました。

天正11年(1583年)、戦国時代の近江國・琵琶湖北岸が舞台。

作陶(陶器造り)に類稀(たぐいまれ)なる才を持つ男=源十郎(森雅之)とその働き者の妻=宮木(田中絹代)、彼の義弟=藤兵衛(小沢栄)とその妻=阿浜(おはま:水戸光子)の“2組の夫婦”の迎える、試練とその結末がそれぞれ描かれる。

詳しい内容は、以前の記事をこちらに載せているので、ご覧頂ければ幸いである。

今回は「今となっては、その存在そのものに“文化遺産級の価値”がある」溝口監督の放つ“モノクロ映像”に酔いしれつつ、鑑賞メモもそこそこに(=^_^=)楽しんだワタシ。

「いかにもセット調なロケーション」「シーン毎の“繋ぎ”が暗転するだけ、的な1本調子さ」はあるも、クレーン撮影を惜しげもなく敢行(?)したはるようで・・独自の“神の視点(=弱俯瞰映像)”が要所要所で展開されるスゴさ(豪華さ)に、改めて気付かされた!

「大切な何かを失うまで、その短絡さ&愚かさに気付かぬ愚かな男」
「その愚かな男に翻弄され、何かを奪われてしまう愚かな女」

ってテーマは、時代がその後「半世紀以上」を経ようとも・・大きな違いが生じて来る訳でもなく、考えさせられる(・ω・)

中盤で(ようやく)登場しながらも、強烈な個性&存在感を放つ朽木(くつき)屋敷の姫君=若狭(わかさ:京マチ子)のポッチャリ+麿眉な“能面顔”も、シンプルな表情ながら“哀しみ”“凄み”“秘めたる情念・情欲”を見事に表出しててすんごい!
彼女に仕える老婆=右近(毛利菊枝)の“アルフレッドぶり”にも、改めて圧倒された(⌒〜⌒ι)

「又と云わず、此の折に、若狭様と“お契り”なされたら良い」
「(父君様の)あの声のお嬉しそうな事・・
 姫様の“お祝言”をお悦びになって居るのです」
「もう(この)右近は、手を貸しませぬよ」

何だかもう「ロールプレイングゲーム(RPG)に出て来る敵のボスキャラとかで、そいつ自体には幾ら攻撃を加えてもダメージを与えられないのに、先に側近の敵キャラを倒したら、そいつも一緒に倒せちゃった」的な“主従の入れ替わり気味な立ち位置&存在感”があったりもした。
思わず「キャラ名は“右近”よか“安駄婆(あんだばぁ)”が似合うんでは?」と思ったりも(⌒〜⌒ι)

今回、その撮影のカラクリ(?)を知って驚いたのは「霧に包まれた(琵琶湖の)湖面を、こちらに向かって静かに進んで来る渡し舟」のシーン。
実際には(湖を模した)プールにスモークを焚き、舟は固定して動いてないそうで! そこにクレーン撮影でカメラのゆっくり迫る映像が、あのような完成体となった事を初めて知った!

また、山陰(やまかげ)の朽木屋敷の場面では、まさに「能の世界」を再現したかった、とかつて監督はコメントされたらしい。

能には(にも、、)疎いワタシだが、もし映像で観るなら・・フルカラーよりもモノクロこそが似合う芸能なんじゃないかな? と妙に分かったような事を直感した次第。
何にしても「ロウソクの炎の揺らぎを“真に表現”するには、カラー映像ではもはや“情報過多”なのかも知れない」と確信したワタシである。

スピルバ※グ監督、その辺について、如何お考えでしょうか?(・ω・)

〜 こんなセリフも 〜

源十郎「此れが“商い”と云うもんだ」
   「たんまり銀を持って帰って、吃驚(びっくり)させてやるでな」
   「さぁ、買わんか! 買わんか!」
   「人も物も処によって、こんなに値打ちが変わるのか」
   「“魔性のモノ”でも構わん!」 ←思うだけで口に出して言うなよ

宮木「貴方さえ居て下されば、私はもう何にも欲しくありません」
  「もうお止しなさい。お金はもう沢山」
  「前に巧く行ったからと云って、今度も巧く行くとは限りません」
  「最期に楽しく日を過ごす事。其ればかりを願っているのです」
  「親子3人楽しく暮らせれば、其れで良いのに」
  「戦(いくさ)は人まで変えてしまうのね」
  「さ、戻りましょう。
   此れはきっと“行ってはいけない”と云う徴(しるし)です」
  「そんなお話はもうお止めになって」
  「色々な事がありましたねぇ」

若狭「人に伝えてはならぬ“秘伝”でもあるのですか?」
  「手慣れの末の美しさ・・」
  「貴方は私を“魔性の女”の様に思ってらっしゃる」
  「此れからは、私の為に命を尽くして頂かなければなりませぬ」
  「“私の國”へ参りましょう」
  「其の様な事はもう忘れてお仕舞いなさい」
  「いいえ、もう帰しませぬよ」

藤兵衛「金が見たい! 金を此の手に握ってみたい!」
   「立身も出世も、お前が居ればこそだ」

右近「もう外へ出てはなりませぬよ」
  「何故“契り”を交わされた?
   男は“いったんの過ち”で済もうが・・女は済まぬ!」

阿浜「此れだって、立派に“女の習性”じゃないか」
  「私が汚(けが)れてしまったのも、みんなお前の罪だ!」
  「お前さんは馬鹿だから、
   自分で不幸せな目に遭わなきゃ、分からなかったんだろうね」

※「どさくさ紛れに儲けた金なぞ、身に付く訳がない」
 「こんな(高級な)もん着たら、お前の嬶(かか)ァの体が腫れるぞ」
 「出世祝いを兼ねての御器量の見せ処ですぞ、お頭!」
 「お前、夢でも見ておるのと違うか?」
 「しかし、親子と言うのは争えんものじゃなぁ」

老僧「お前の顔には“死相”が出ている」
  「お前を頼りにする者があるなら、早く帰りなさい」
  「お前は“望んではならぬ恋”を望んだのじゃ」

源十郎「私は一体、どうしたのでしょう?」
若狭「ふふふ・・あの仰りよう」

追記1:終盤で2度、眠りから覚める源十郎が印象的だった。
追記2:当時、琵琶湖にも“海賊”は跋扈(ばっこ)してたらしい。
追記3:ラストはフェリーニ監督の『道(1954)』のソレをも連想させる。
追記4:問われるまま、藤兵衛が“武士の心得”を酔った勢いで語る(自慢する?)シーンがあるが・・あれだけの知識が備わってるのは、ある意味スゴいと思った! 何かに“裏打ち”されたモノでなくば、ああ色々と言葉は出て来ないと思うワケで。

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コメント

この作品はわたしも大好きです。モノクロ映画の魅力がつまった作品ですよね。渡し舟のシーンの撮影方法など、制限のある中で工夫して撮ったものというのは、現代の美麗なCGとは違った魅力がありました。

>彼女に仕える老婆=右近(毛利菊枝)の“アルフレッドぶり”にも、改めて圧倒された

確かに!(笑)
あの人が一番怖かったです。

投稿: 宵乃 | 2011年7月19日 (火) 09時33分

ばんはです。

戸外で強風(台風)が唸ってます(×_×)

クルマが飛来物で傷付きませんよーに・・

>この作品はわたしも大好きです。
>モノクロ映画の魅力がつまった作品ですよね。

総天然色カラー版なんてのは、似合いません(=^_^=)

>渡し舟のシーンの撮影方法など、制限のある中で工夫して
>撮ったものというのは、現代の美麗なCGとは違った魅力がありました。

撮影に工夫があるのは良いですね!

>あの人が一番怖かったです。

あのお婆を先に集中攻撃するんですよね。 ←だから、ゲームじゃないってば(=^_^=)

投稿: TiM3(管理人) | 2011年7月19日 (火) 22時14分

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