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2011年4月17日 (日)

☆舞台劇“国民の映画”を観て来た☆

16日(土曜)の夕刻。
帰阪した折に、森ノ宮(中央区)の“ピロティホール”で上演中(今月6日〜17日)の、三谷幸喜の作&演出による『怒拳7連弾キャンペーン(←んな名称じゃねぇだろ!)』の新作舞台劇「第2弾」である“国民の映画”を観て来た☆

三谷さんの作風とし、登場人物の少ない程「面白いし、研ぎ澄まされてて、巧い!」と(触れて来たその作品数は少ないながらも)実感して止まぬワタシなので「エラい登場キャラが多いねぇ・・大丈夫やろか?」と少しばかりの不安感のわいて来たモノでもある。

会場入口で「当日券あり」と案内されてたのも気になった。どうやら「立ち見」だったようだが(⌒〜⌒ι)

1941年の秋。
その夜、ベルリン郊外にある、国家社会主義ドイツ労働者党(=ナチス党:与党)の宣伝大臣=ヨゼフ・ゲッベルス(演:小日向文世)の別宅では、彼の招いたドイツ映画界の重要人物らがー堂に会する晩餐会が行われんとしていた。

集まったのは、

レニ・リーフェンシュタール(女流監督、演:新妻聖子)
グスタフ・フレーリヒ(2枚目男優、演:平 岳大)
エルザ・フェーゼンマイヤー(若手女優、演:吉田 羊)
グスタフ・グリュンドゲンス(老俳優、演:小林勝也)
エミール・ヤニングス(制作者、演:風間杜夫)
ツァラ・レアンダー(女優、演:シルビア・グラブ)

と言う、そうそうたる面々。

そこには、ゲッベルスと親しからぬ因縁を持つ、

エーリヒ・ケストナー(作家、演:今井朋彦)

の名も連ねられており、その事を知ったゲッベルスの妻、

マグダ・ゲッベルス(演:石田ゆり子)

は動揺を隠す事が出来なかった。

その一方“招かれざる客”である、

ハインリヒ・ヒムラー(親衛隊長、演:段田安則)
ヘルマン・ゲーリング(空軍元帥、演:白井晃)

の出席により、この晩餐会はにわかに「より政治的な意味合いを含む、緊迫した場」へも変わって行くのだった。
彼らをもてなす大役を任され、本作の“語り手”にもなって行く、

フリッツ(ゲッベルス邸の執事、演:小林 隆)

にとっても、この夜は「人生の大きな転機」となってしまうのである・・

第1幕:約60分。休憩15分を挟み、第2幕:約1時間40分。場内はほぼ満席であり、空調が機能してないようにすら思われた。。

第1幕は、殆ど「賓客の集合」のみにあてられ、各キャラクターの人物造型の描写に割かれた。そのため「作品自体の進行」がかなりスローなペースであり、私的には「眠たい時間」が結構あった(×_×)

第2幕は、物語の歯車が加速的に回転し始め、前幕で紹介されたキャラ造型が「イイ意味で」肉付けされたり、また一転したりと言う面白味があったろうか。

しかし、当然ながら・・終盤に向け“ホロコースト”ネタが大きく物語全体を覆い始めるので、そこからは「リアルで重い空気」に満たされ続けたワタシ(×_×) コメディー路線を楽しみに来た三谷(舞台劇)ファンにとっては、ワタシ同様「いつもと違う、鑑賞後の“何処か重苦しい”余韻」が尾を引いてしまうトコも少なからずあったんじゃなかろうか?

登場キャラが数的に「ちょっと多かったかも?」と言うのはあったか。
それぞれに「活躍の場(ハイライト)」は準備されてるんだが、終盤で「総てのキャラに対し突き付けられる“大きな選択”」のトコで、去り際の印象の薄いメンバーが少なからずいた。

まぁ、その辺りの“印象の濃薄の差”もまた、群像劇ならではの描き方(手法)なのかも知れないが・・

・・

かの“総統”については、徹底して「あのお方」としか語られず。
どうせなら「決してその名前を呼んではならないあのお方」とまで言って欲しかった(・ω・) それにしても、お芝居の中でさえ「ハーケンクロイツ(鉤十字章)」を眼にすると、妙に違和感を感じ、疲れてしまう(×_×)

※因みに、タイトルロゴの「画」と言う漢字の中にも「ハーケンクロイツ」がデザインされてたりする。

ネタ的には、妙に『イングロリアス・バスターズ(2009)』とかぶるトコもあり「きっと三谷さん、アレからもインスパイアされはったんじゃないやろか?」と勝手に妄想してしまったワタシである(=^_^=) 

大阪・十三に実在する(=^_^=)某シアターの名称にもなってる“第7の藝術”なる表現についての解釈・・つまり「時間の芸術(=音楽・舞踏・文学)」と「空間の芸術(=建築・絵画・彫刻)」の要素を併せ含んだ“新たなる芸術”と言う定義(論説)をおさらいしてくれたのは有難かった。

・・

キャラ的には「脚に障がいを持つ」と言うゲッベルスの特徴を、終始(徹底して)表現し続けた小日向さんの役者ぶりに、少し圧倒された。ラストのカーテンコールになり、ようやく「普段の通り」歩いておられた姿に、妙にホッとさせられた。
ニコニコ笑みをたたえながらも時に神経質で怒りっぽく、ニュートラルなキャラを思わせ、或いは無邪気さを爆発させつつ・・それでいてやっぱり「完全に狂ってる」って辺りの造型は、この人でなければ表現不能だったかも知んない。

小柄な小日向さんと対照的だったのが白井さん。ファットメイクが極まってて「何かイヤなキャラ造型やな〜」って第1印象(嫌悪感)が完全に消える事はなかったが・・第1幕の終盤で(?)やっと登場する点からも、重要なキャラである事は違いなかろう。

劇薬(や青酸ガス)に関する話題を時々持ち出す、ヒムラー役の段田さん。セリフも表情の変化も少ないんだが、ソレ故にゲーリングら“やかまし系”との対比が極まってて美味しかった(=^_^=)
奇しくもゲッベルス、ゲーリング、ヒムラーの3人共が後に「服毒自殺」を遂げてる点は「表面的には反目し合っていた」彼らの連帯感(?)が続いてたようにも見受けられ、興味深い。

風間さんと石田さんは、そのメジャーぶりからすれば、もっともっと「前面に出るべき存在」だったかも知れないが、まぁ群像劇と言う作品の性格上、あの辺りが精一杯だったのかも知れない。

新妻さん、今井さんは、共に「イヤなキャラ」を割り当てられてた(=^_^=)ようだが、ソレ故の美味しさもあり、光っていた。

しかし・・ワタシの中では、ダブル小林の“牽引ぶり”が特に輝いて見えた。共にベテラン俳優さんの風格を漂わせつつ、イイ意味で作品全体に深みや余韻を与えてくれてたのである!

・・

三谷謹製ならではの(?)コメディーセンスが・・終盤に近づくにつれ、萎んで行ってもしまうので「段々笑えなくなる展開と化す」ってのは辛かったかな。
『笑の大学(2004)』のように、某セリフをネタ的に“深く”引っ掛けといて、最期の最期に「悲しいけれど、ちょっと希望の余地も残されてる」ぐらいの軽妙なタッチに仕上げられなかったモノか・・そこは1人の観客の「感想の域」でしかないが・・も少し何とか出来た気もする。

「1ロケーション(ゲッベルス邸内のみ)&1シチュエーション(当夜のみ)」の限定的なハナシだったが「大階段を中央に配した舞台セット」がインパクトあって良かった!
「風間杜夫氏がいよいよ“階段落ち”を披露してくれるンじゃないか?」とか、妙にワクワクしてもしまったが・・少なくともソレは日の目を見なかった(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

・『風と共に去りぬ(1939)』『黄金狂時代(1925)』などの作品ネタが登場。
・本作のタイトルにもなってる“国民の映画”の題材は“ヴィルヘルム・テル”だった。
・ヒムラーの夢想してた“冒険映画”のタイトル『シャウエッセン・ジョーンズ』に苦笑させられた。
・ゲッベルス邸の「離れの2階」の壁に残された、大女優=マレーネ・ディートリッヒの直筆サインの脇には、彼女自身の「座右の銘」である(?)“努力”の2文字が力強く書き添えられてるそうだ(=^_^=)
・ベテラン俳優ともなると・・ピストルで撃たれながらも、それを感じさせぬ「長尺の演技」が出来るものらしい(=^_^=)
・記念グッズとして、例の「ゲーリング・バトン」の(ミニチュア)キーホルダーなんかを販売して欲しかった(=^_^=)
・舞台劇『コンフィダント/絆(2007)』では“フンコロガシ”だかのネタがセリフに登場したが・・本作ではそれに代わり(?)“カイガラムシ”が登場☆
・15歳もサバを読んでたフレーリヒ兄さん。。
・ラスト。映画に魅入られ、映画を愛してやまぬハズのゲッベルスが「映写機の操作法すら知らない」と言う痛烈な皮肉が効いてた!!
・フリッツによる“独白”の中で、ゲッベルス一家の「6人の子供らを巡るその後」が淡々と語られたが・・『ヒトラー/最期の12日間(2004)』の終盤のシーンを思い出し、落ち込んでしまった(×_×)

〜 こんなセリフも 〜 ※記憶頼み(メモ無)なので曖昧、、

ゲーテ“総てを求める者は、何1つ獲得する事は出来ない”

ゲッベルス「重要なのは“何を描くか”ではなく“どう描くか”だ」
     「実に面白い話だ。そして・・深い!」
     「“後に残らない物”には金をかけない主義でね」

ヒムラー「“本当に重要な事”は、当人以外に確認する事にしている」

ゲーリング「我々は芸術を愛している。
      ・・だがしかし、決して芸術には愛されない」
     「眼に見える物は、眼に見えない物で造られているのだ」
     「ムンクの描いた『叫び』に描かれたあの男は、
      叫んでいるのではない。
      ・・耳を塞いでいるのだ」
     「“ゲーリング・バトン”は何処だ? アレが無いと眠れない」

ケストナー「“物を書く事を赦されぬ作家の気持ち”は、
      誰にも理解出来ますまい」

マグダ「不眠症だって、眠れば治りますわ」

フリッツ「お気遣い下さいますな。寧(むし)ろ、ホッとしております」

グリュンドゲンス「悪魔の憔悴し切った姿ほど 情けないものは有りませんな」

ゲッベルス&ゲーリング&ヒムラー「貴様、盗聴してたのか?!」

マグダ「このような格好で、失礼致します」
ヒムラー「以前にお邪魔させて頂いた折も、
     そのような格好で御座いましたな」

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コメント

コチラでははじめまして、dachoです。

感想、興味深く読ませて頂きました。特に、三人が共に服毒自殺を図った因縁は気づきませんでした。

また、階段落ち、東京公演ではゲッ"べ"ルスが軽くやってましたが、あれは風間さんに対する東京楽日演出だったのかも知れません。

怒涛の7作品キャンペーン(これも名称違いますが)の次作感想を読みにまた、お邪魔するかもしれませんがよろしくお願いします。

投稿: dacho | 2011年4月17日 (日) 16時25分

dachoさん、こちらでは初めましてです。

舞台劇より「第7の芸術」の方に触れ、コメントする
機会こその多いワタシですが、どうぞ宜しくお願い致します。

>感想、興味深く読ませて頂きました。特に、三人が共に
>服毒自殺を図った因縁は気づきませんでした。

そうですね。
「あの方」に対する絶対の忠誠って部分で言えば、あの3人に
大きな差はなかったのかも知れませんね。
「潔い最期」を受け容れる覚悟もまた・・

>階段落ち、東京公演ではゲッ"べ"ルスが軽くやってましたが、
>あれは風間さんに対する東京楽日演出だったのかも知れません。

そうなんですね〜(☉д☉)

>怒涛の7作品キャンペーン(これも名称違いますが)の次作感想
>を読みにまた、お邪魔するかもしれませんがよろしくお願いします。

有難うございます。

次作では(?)夏目漱石が描かれるらしいですね。
大阪公演が実現するのか、そこんとこがまだ分かってないのですが
機会があれば観に行ってみますね。

ではでは。

投稿: TiM3(管理人) | 2011年4月17日 (日) 17時09分

はじめまして。
私は同じ16日の昼公演を見ました。
初見ですか?とても詳しく見て書いてらっしゃって驚きました。
なにしろ私はただただ面白いなーと笑って見てただけなので(汗)

風間さんの「階段落ち」、かどうかはわかりませんが、最後のキャストが一人ひとり階段から下りてくる所では、風間さんが最後の方で階段を踏み外すか何かでコケ掛けました。前の方にいた二人の肩を杖代わりして支えてましたけど。ドキドキしました。

でもこちらのブログを読んで「階段落ち」思い出しました……あれも演出だったのかなぁ?

投稿: shepherd | 2011年4月17日 (日) 20時50分

shepherdさん、初めまして。

三谷さんの前作『ろく啄』(←勝手に略すなよ!)は
ご覧になられましたか?

ワタシは、荒削りながら、やっぱりあっちの方が好きですねぇ・・

>私は同じ16日の昼公演を見ました。

おお、そうなんですね。
ピロティホール(入場)は、恐らく人生初ではないかな、と思います。

>初見ですか?とても詳しく見て書いてらっしゃって驚きました。
>なにしろ私はただただ面白いなーと笑って見てただけなので(汗)

どうなんでしょうね(・ω・)

コアな三谷ファンには
「あの方は、そのような見方をされる事を好まれない」
とか言われそうですね・・(⌒〜⌒ι)

>風間さんが最後の方で階段を踏み外すか何かでコケ掛けました。
>前の方にいた二人の肩を杖代わりして支えてましたけど。
>ドキドキしました。

そそ、それはいわゆる「ハプニング」「アクシデント」でしょうね。。
事なきを得て、良かったです(⌒〜⌒ι)

>でもこちらのブログを読んで「階段落ち」思い出しました……
>あれも演出だったのかなぁ?

平田満が出演(共演)されてないトコからも、そんな演出を敢えて盛り込む
必要性は余りないか、と思いますよ(=^_^=)>

投稿: TiM3(管理人) | 2011年4月18日 (月) 00時16分

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