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2011年4月28日 (木)

☆『エリザベス:ゴールデン・エイジ(2007)』☆

25日(月曜)の夜。
BSP(プレミアム)で放送された『エリザベス:ゴールデン・エイジ』を観た。
はるか昔に、前作である『エリザベス(1998)』を観た覚えはあるんだが・・それが劇場鑑賞だったのか、TV放送だったのか、もはや良く覚えてはいない(きっと衛星第2だろう、とは思うが)。

結婚を拒み“イングランドの花嫁”となる事を宣言したエリザベス1世(ケイト・ブランシェット)。

時は流れ、1585年。
当時「世界最強国家」だったスペインの王=フェリペ2世はカトリックを擁護し、ヨーロッパ全土を“聖戦の炎”に巻き込んで行く。

対し、プロテスタントを信奉するイングランド女王=エリザベスのみが、彼に激しい抵抗を示す。

両国の間に“大きな戦争”が間もなく始まるであろう事は、誰の眼にも明らかであった・・

ケイト、ジェフリー・ラッシュ、クライヴ・オーウェン、サマンサ・モートン・・と豪華俳優陣が集結したゴージャスな大作! ・・のハズが、総じてインパクトに欠けてた印象が否めない(・ω・)

見所は「後半の艦隊戦シーン」とか「ケイトの背中オールヌード」(←遠距離だが)とかぐらいだったろうか?

私的には、髪を長く下ろしたケイトが“雄々しき馬上の麗人”となる、後半のバトルシーンがとても良く・・極端に言えば「髪をアップにしたケイトの全裸」なんかより「髪を下ろしたケイトの甲冑姿」の方が、よっぽど魅力的にうつったモノである(=^_^=)>
(双方とも好きですが、ホントは(=^_^=))

いちおう、前作にてジョセフ・ファインズ演じた“元カレ(ロバート・ダドリー役)”みたいな立ち位置で、今回はクライヴ(ウォルター・ローリー役)が準主役(?)の立場におさまってはいたんだが・・ちょっと「恋愛物語」としても薄かったなァ。

総じて「3部作構成」となるのか? いずれ「完結篇」が制作されるのか? そうとすれば、やっぱし2016年の実現となるのか? その辺にだけは、ちょっぴり興味ありますわい。

〜 こんなトコも 〜

・翌日(火曜)の夜、劇場で観る事になる『悪魔を見た』でも“ギロチン処刑”な演出があったので「ぐぇ〜!」と思ってしまった。
・主演がもし・・ティルダ・スウィントンだったとしても、(しばらくは)その違いに気付かなかったかも知んないオレ(⌒〜⌒ι) ええまぁ、お2人とも好きですけんど。

〜 こんなセリフも 〜

エリザベス「法を犯した国民に処罰を」
     「不可能だからこそ、面白い」
     「夜には“影に怯えぬ力”を私に」
     「“笑いじわ”と? この私がいつ笑った?」
     「退屈な男よりはマシね」
     「お前も、所詮は“退屈な男”のようね」
     「女王は必ず勝つもの」
     「有るがままの私を、誰も愛さぬ」
     「男の欲望には、限りがない」
     「欲望とやらは、陸で満たすようになさい」
     「私に手を挙げるなら、その拳に噛み付いてくれよう」
     「何故、私の爪先や壁ばかりを見る?」
     「嵐が来る・・ここにいて欲しい」
     「本当は、命令に飽きているの」
     「敗北は避けねば」
     「囚人も解放し、武器を持たせなさい。彼らも我が国民です」
     「戦いの日々が終われば、天国で再会しよう。
      或いは“勝利の野”で!」

ウォルター「女王に逢うのは、スペイン船に乗るより難しそうだ」
     「スペインから奪えば奪うほど、この国は安泰に」
     「(私の)任務に“報いて”下さい」
     「海の人生は時に孤独・・だが、これも私自身の選んだ人生」
     「女王と言えど、死は免れません」
     「女王の態度とは思えませんな」

側近「処女性(ヴァージニティ)は貴重ですぞ」
  「策略とは厄介なものですな。陰謀が多過ぎて、
   終いには誰が誰だか分からなくなる」

博士「嵐に遭った時、人の取る行動は様々です」

エリザベス「我々が新大陸を発見するのか? 新大陸が我々を発見するのか?」
ウォルター「まさに“冒険者の言葉”ですな」

ウォルター「無礼をわきまえぬ我が馬をお赦し下さい」
エリザベス「そなた自身(の礼儀)はどうなのだ?」

エリザベス「別の世界なら、私を愛した?」
ウォルター「私の世界は1つ。ここであなたを愛しました」

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2011年4月27日 (水)

☆『悪魔を見た(2010)』☆

26日(火曜)の夜。
仕事も適度な早さで切り上げる事が叶ったので、久々に商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”に行き、公開中の韓流作『悪魔を見た』を観て来た。

最近まで、余り内容を知らず「タイトルからするに、オカルトもんやろか?」とすら勘違いしてたが・・そう言うのんとは一線を画してたワケで(×_×)

2月のとある雪降る夜。ソウル郊外のヨニ町に住む女性=チャン・ジュヨンは、雪道でタイヤがパンクしたため、レッカー車を呼び、その到着を待ちながら、携帯で婚約者=キム・スヒョン(イ・ビョンホン)と楽しいお喋りを続けていた。

特殊な職業柄「毎年彼女の誕生日に、そばにいてやれない事」を詫びるスヒョン。
奇しくも、その日はジュヨンのバースデーだったのだ。

自らのとある“幸せ”を婚約者にも内緒にしていた彼女。

しかし、そこに通りがかった親切そうな“塾生送迎車の中年運転手”の手により・・ジュヨンの人生も生命も肉体も、文字通り、彼女の総てが、その夜に突然引き裂かれてしまったのだった・・

国家情報院勤務と言う特殊な仕事柄、ソウルの警察組織以上に情報収集&調査の能力に長けたスヒョンは、復讐を強く誓い・・半月間の休暇を申し出るや、4人に絞られた容疑者の1人1人に対し“彼独自の鉄拳系訊問”を行ってゆく。

やがて、婚約者を殺(あや)めた男の正体が“入試専門塾”のお抱え中年運転手=チャン・ギョンチョルである事を「証拠込み」でガッチリ掴んだスヒョンは「彼女の味わった苦しみを倍にして返す」と言う自らへの誓いを果たすべく、ギョンチョルを精神的&肉体的に追い詰めてゆく。

猟奇犯を追う内、次第に自身もまた“悪魔”に魅入られて行くスヒョン。
しかし、とあるミスから、ギョンチョルに“思いがけぬ反撃の機会”を与えてしまう事となるのだった・・

“2010年最大の、アンチ・デートムーヴィー誕生!”
“本作に、レディース・デーは似合わない!”
“韓国じゃ、タクシー運転手も、命がけ!”
“韓流発の、容赦ないヴァイオレンス描写に圧倒さる!”

なんてなコピーが脳内に次々と去来した、鑑賞直後であった。何だか久しぶりに、このアッタマをクラクラさせつつ帰路を辿ったような夜である(×_×)

本作の最大のテーマは“復讐”なんだが、それを果たした先には、やっぱし“爽快さ”も“微笑み”も控えてはおらんのや、って真実(?)を、約2時間半かけ、延々と訴え続けられたような、そんなハナシ。

美女を殴打⇒殺害⇒損壊するって犯人の行動が淡々と描かれる冒頭の20数分には、とにかく「やめてくれ〜!」と心の中で叫びっぱなしだった(×_×) 登場する女優陣がいずれも美人揃いで、そのいずれもが不幸な目に遭う、って“お約束”も・・次第に犯人の行動パターンが掴めて来るにつれ「やめてくれ〜!」と言う、我が心の叫びに変わって行く。。

って言うか、世の女性の皆さん。ホンマに世間には“とんでもないヤツ”が確実に存在するので(←いちおうワタシを除く事とす)改めて「郊外の夜道の独り歩き」と言った、その危険極まりない行為を直ちに見直して頂くよう、切にお願いしたい。

そう言う意味では、、猟奇犯罪者に関し、100の事例を聞かされるより、本作1本を黙って(眼を逸らさずに)観る方がよっぽど「雄弁な説得」に思えなくもないが。。

・・

ときに、山本周五郎作の時代小説に『ひとごろし』って物騒なタイトルなのがある。
ある藩で、剣豪の討伐を命じられた(?)臆病者の若侍が、正面からぶつかっては“とても勝ち目がない”ので、剣豪の立ち寄る先々で「ひとごろし〜!」などと叫び、彼を精神的&肉体的に追い詰めて行く・・みたいな展開だったんだが、中盤まではソレと似たようなテイストを感じたりもしたかな。

相手に“とある仕掛け”を施し「何かをしようとする度、すかさず妨害する」みたいな(・ω・)

・・

後半で、ギョンチョルの「反撃」の始まる事は先に書いたが、この辺りでちょっと脚本が「スベリ始めてる」感があり残念だった。展開が駆け足気味で、何だか良く分かんなくなったりする(=説明不足)のだ。
終盤のオチは、きっと元から「脚本家の自信の仕上がり」だったろうから、も少し(全体の)編集を巧くして「流れ良く」やって貰いたかった。

ラストで、ビョンホン兄貴が「涙と笑いの入り混じった、狂気に突入したかのような演技」を見せてくれるんだが、その辺りが「ぶっ壊れた」或いは「遂に悪魔を見た」ようにも眺められ、余計に気分が重くなってしまう。

『G.i.ジョー(2009)』における(兄貴の)華やかなヒーローぶりには「カッコよろしいなァ〜」とホレボレしつつ「今後は、そっち(聖なる林のエリア)に活動の軸足を移しちゃうのかしらん?」と心配もしてしまったんだが、母国でこう言ったキャラを演じはるのに触れると、その“極端な振り幅”に戸惑ってもしまうワケで。。

〜 こんなトコも 〜

・色んな場面で「タクシー」が効果的に用いられてた。しっかしタクシー運転手って、あんなに危険業種なのね(×_×)
・4人目の容疑者は、どうやら“命拾い”したようで。
・序盤の“解体処理場”の(澱んだ)空気感が『チェンジリング(2008)』のあの農場に通じるトコもあり、ビビらされた。。
・『母なる証明(2009)』でも印象的だったが・・韓国人が「顔を手で覆って隠す」って表現には、どんな意味が含まれてるんやろ?
・ただ“ギロチン”を描く・・ってだけの理由で殺された、2人目の女性が可哀想で仕方なかった。その後の(発見されたとかの)報道も描かれないし。
・ギョンチョルが“ヤバい感じの西※徳馬さん”にも見え、余計に親近感も増して怖かったし(×_×)
・韓国ってば“ギロチン”を個人所有するのに、規制とかないんやろか?
・猟奇犯どもは、かつて共通の「思想グループ」か何かに属してたらしい。
・猟奇犯Bの住む屋敷が『シン・シティ(2005)』のケヴィン君(=食人鬼)の邸内にも似てて、怖かった(×_×)
・便器内の大量の排泄物が“何気なく”描写されるシーンがあり「やめてくれ〜!」とここでも心の叫びが!
・診療所の女の子が清純そうで良かった☆ 名札に書かれてた、あの役名は何と読むんやろ?
・韓国の道路は「右側通行」だったんや、と再認識。走る機会はきっとないと思うけど。
・詳しい描写もされなかった2人目の容疑者。どんなヒドい眼に遭ったんだか(×_×)
・色んなキャラが口にしてた「笑えるハナシだな」・・ソウルで流行りの言い回し?
・タクシーの後部座席に乗ってた先客のアイツ。一体、何の役回りだったんだか(・ω・)
・『ミラーズ(2008)』の主人公の妹さん以来の「アゴ開きの刑」を見た!
・“デキシブプロフェン”って薬が登場。もっと簡単に言うと「1番効くヤツ」で通じるらしい、、

〜 こんなセリフも 〜

ギョンチョル「パンクですか? タイヤを見ましょう」
      「肌が柔らかいから、簡単に“終わる”だろう」
      「待っても、もうバスは来ないでしょう」
      「不愉快そうな顔だな? こいつは初めて見たか?」
      「大丈夫・・すぐに終わらせるから」
      「俺がお前を好きだとダメか? 有り得るハナシだろ?」
      「お前1人か? どうやらそうらしいな」
      「やっぱりお前ら警察はこんなもんだ。それはそうと・・」
      「俺に言わせりゃ、あんたは運がない」
      「アレも知らないのか? ま、知らなくて当然だな」
      「昨日は折角の所で邪魔された。
       だから、今日は楽しくやろうぜ」
      「同じするにも、楽しさがないとな」
      「俺と勝負するってのか? してぇのか?
       どっちが“本当のクズ”か、片を付けてやるぜ」
      「生きてりゃ、面白い事もあるもんだ」
      「“俺を生かした事”を後悔しな」
      「待ってろ。“本当の苦しみ”ってヤツを教えてやる」
      「聞こえてるか? 俺から眼を離さない事だぜ」
      「なぁ、あいつを怒らせるには、どうしたらいい?」
      「妹がどうなったか? 後で確かめりゃ分かるさ」
      「(俺たちの)どっちが勝ったと?」

スヒョン“しつこく言って来るなんて、おかしいんじゃないか?”
    “これだけは誓う。君の苦しみを倍にして返してやる”
    「心配するな。問題なんて起きないさ」
    「この写真に見覚えは? 知らない? ・・そうか」
    「では、規定通り質問します」
    「待て。後でこいつに応急処置をして欲しい」
    「弱いフリをするな。これは始まりだ。
     ・・段々と残酷になるぞ」
    “俺の今の仕事が何なのか、良く知ってるだろ?”
    “この仕事には、意味がないワケじゃない”
    「確か、手、脚、頭の順番だったな?」
    「心配するな、サイコども」
    「警察に引き渡す? まだだ」
    「“心に大きな岩を抱えた感じ”だ。分かるか?」
    「俺は誓った。だからまだだ。先は長い」
    「笑えるか? おかしいか? おかしいんだな?
     なら“一生笑った顔”にしてやるよ」
    「どうやら、お前を甘く見ていたようだ。
     “それ相応のもてなし”をしてやるよ」
    「騒ぐな。これから始まるんだ。
     まだだ・・もう少し待ってろ」
    「考えてもみろ。その気なら、お前なんかとっくに殺してた」
    「1番苦しい時に、殺してやる。
     それが本当の、完全なる復讐だ」
    「お前も聞いたんだろ? “助けて欲しい”って声を。
     それを聞いて楽しんだろ?」
    「怖いか? 答えろ」
    「死んだ後も、苦しめ」

チャン班長「天が助けてくれた。
      でなければ、遺体は見つからなかったろう」

刑事ら「我々が駆け付けると、既に死にかけてました」
   「塾を見張り続けても、捕まえられるもんか」
   「逮捕状など要らん。とにかく逮捕しろ!」
   「待て。当人までが獣になってはいかん!」
   「あんなヤツらを助けなきゃならんのか・・
    つくづく人間をやめたくなるな」
   「イカれた事、しやがって!」

運転手「ここに車なんか来ませんよ。あんたは運がいい」

猟奇犯B「恐らくは、殺した女の家族だろうな。
     そいつも俺たちと同じく“狩り”を楽しんでるのさ。
     お前、まんまと捕まったようだな。怪物の登場だ・・面白い」
    「捕まえては逃がし、また捕まえては逃がし・・
     獲物の苦しむサマを楽しんでる。
     狩りをする時の“快感”を楽しんでるのさ、そいつは」
    「大人しくしろ。暴れると、もっと痛いし時間もかかる」
    「すぐ終わるから我慢しろ。一昨日のお姉さんを見たろ?」
    「お前はもっと早く、素直に謝るべきだったのさ」
    「どんなヤツなのか気になってた。怪物にゃ見えねぇな」
    「ヤツは、やられた分をやり返す男だ」

真犯人「お前はとっくに負けてる。
    俺を痛め付けたつもりだろ? だが俺は苦しみも恐怖も知らん。
    俺から得られるものなんか何もない。
    だから、お前は負けたんだ。分かるか?」
   「俺は生き抜いてやるさ。怖いものなんかねぇぞ」

追記1:こんな言葉も思い付きました。

   “病に冒されて初めて、医療者は真の病苦を理解する”
   “殺す者に、殺される者の痛みや苦しみは分からない”
   “シーザーでなくば、シーザーの悩みは理解出来ない”

追記2:本記事には、一切の「笑い顔文字」がありません、、悪しからず。

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2011年4月23日 (土)

☆『エンジェル・ウォーズ【吹替版】』☆

20日(水曜)の夜。
某県某市内に出かけた折。

その日の仕事を終え、ホテルにチェックイン直後、少し(1時間程度か?)仮眠したトコロ、体力を持ち直す事が叶ったので、界隈のイオン内にある“TOHOシネマズ(シネコン)”へと向かい、期待の新作『エンジェル・ウォーズ』をレイトショー(21:30〜)にて観て来た☆

シアター側の都合で“吹替え版”をチョイスするしか道はなかったんだが、広い場内に観客が3〜4人しか入っておらず、それはそれで寛いだ気持ちでもって楽しめたのだった☆

「精神外科」に脚光の当てられていた、かつての時代。

“妹を殺(あや)めた罪”により、父親(←真犯人)の希望で「レノックス精神病院」に強制入院させられたある少女。

そこには“患者の交流の場”である「劇場」と呼ばれるホールが設置されていた。

そこで少女は“ベイビードール”と言う呼び名を与えられ、先に入院していた4人の少女=スイートピー、ロケット、ブロンディ、アンバーと知り合う(スイートピーとロケットは姉妹)。

5日後に“ロボトミー術(lobotomy)”の施行が決まったベイビードールは、とあるきっかけで「現実の世界を超越した、別次元の異空間」に飛び込む術(すべ)を体得する!

その世界で「5ツのアイテム(地図、炎、ナイフ、鍵・・)」を見つけ出し、手に入れる事が出来れば“自由”を得る事が叶う、と出会った“賢者(スコット・グレン)”に教えられたベイビードール。

仮想世界で、4人の仲間と共に「アイテムを探す壮大な冒険」に旅立つ事を選ぶ彼女だったが・・

監督がザック・スナイダーって事で・・『300(2007)』の勢いに打ちのめされて以来、何となく(彼を)「新作を渇望する映像作家の1人」に挙げてしまってもいるワタシであり(=^_^=) ←『ウォッチメン(2009)』は未見だが、、

期待値がかなり高まっていた!

で、期待通り(期待以上とも!)と言おうか・・映像面でかなり打ちのめされたのだった! 脚本の大まかな印象は「既視感溢れるモノ」だし、細かい部分の設定なども「新鮮味なぞ殆どない」ワケなんだが・・そう言った「細かい部分のツッコミ」をぶん殴って1950年代まで吹っ飛ばす(Byドルフ・ラングレン)ほどの「強烈なヴィジュアル群/発狂気味な世界設定」が本作の勝利を問答無用なレベルで決定づけてるのだ!

正直、ワタシとしては「現実世界」のパートが蛇足にすら思え、イライラして来る程だった(=^_^=)

異世界(?)へ“ダイブ”するパートは、大きく分けて4ツあったんだが・・私的には「1番最初」のがモノ凄く良かった!!
雪降る山奥に広がる巨大な伽藍(寺院)で、東洋風の甲冑をまとった、紅い眼をした3体の巨人が、オッソロしい得物(バズーカ砲&ガトリング銃)を手に、ベイビードールに襲いかかるんだが・・

かの『未来世紀ブラジル(1985)』や『ドラゴン/ブルース・リー物語(1993)』を何処か連想させてくれつつ(=^_^=)更に圧倒的なヴィジュアル・ショックが観客をぶちのめしまくるのだ!!

続く世界の「複葉機&飛行船が埋め尽くすドス暗い空の下、紅い眼をしたドイツ将校の多数うごめく塹壕を突き進む!」だの「爆撃機の援護を受けつつ、中世時代の巨城(の中庭)に降下し、ドでかいドラゴン(火龍)と戦う!」だの「巨大な未来都市に向かって突き進む暴走特急に潜入し、ロボット兵(=メカガンマン)に護られた、強力な搭載爆弾の起爆装置を解除し盗み出す!」だのと言った「子供っぽい“ごった煮ファンタジー世界”ながら、インパクトの凄まじ過ぎるシーン」に圧倒されまくるのだ!

一般的かつ常識的(=^_^=)な評価では・・近年の“この手の作品(=精神世界系)”では『インセプション(2010)』がやっぱり代表格(筆頭格)なんだろうけど・・私的には「優等生過ぎて面白くない」あんな作品より「荒っぽくてムチャクチャで狂ってる」本作の方が、よっぽど親しみを感じ続ける事が出来たな(=^_^=)

ただ、やっぱり現実世界のパートが「暗いし、後味悪いし、つまんないし」ってトコで、そう言う点では『シカゴ(2002)』かと思いきや『ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)』路線だったかも、と思えなくもない。

ってワケで、こと「ヴィジュアルインパクト度」に関しては、もう今年中は、本作を超える迄のモノは出て来ないんじゃないかな? とまで、全身を震わせながら(=^_^=)直感しつつあるワタシである(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

・ヒロインを護送する車の窓に、激しく(?)打ちつける雨の筋が描くタイトル『原題:Sucker Punch』がカッコいい!
・「妄想世界」と「現実世界」がある程度までリンクしてるんだが・・“賢者”だけは、現実世界での「立ち位置」が良く分かんなかった(×_×)
・終盤で登場するイケメン医師(でも、どうやら医学スキルは低そう?)を演じたのは『ザ・タウン(2010)』のジョン・ハム氏。
・全編に渡り、強烈なインパクトを放ち続けるオスカー・アイザック(ブルー役)。私的に「ちょっとゲイの入った杉本哲太」に見えて仕方なかった(=^_^=) エンディングで見事なスプリット技(前後開脚パフォーマンス)をチラッと披露してくれてスゴい!!
・「ポーランド式セラピー」に興味津々(・ω・)
・雪降る大伽藍の本殿の左奥に、五重塔らしき木造建築が! 気になる!
・ドアを蹴り開ける(だけの)オヤジの描写にも、ちょっと“スパルタ式”が入ってた(=^_^=)
・イントロを数秒耳にすれば分かる(=^_^=) ビョーク(Bjork)の“アーミー・オヴ・ミー(Army of me)(1995)”がカッコ良かった! けど、既に「懐メロ」の域でしょうなァ(・ω・)
・ただファットな市長がやって来るだけ(=^_^=)だってのに、あのクイーンの“ロック・ユー”なテーマ曲のカッコ良さってどうよ?!
・「ちぎれた(服の)ボタン」や「葉巻の灰」が落ちたってだけで、あんなにケレン味たっぷりに描写出来るもんなのね(=^_^=)
・SFなサイバー世界を舞台に「大列車強盗」ネタの作品を映像化したら、あないな感じになるんやろね!
・5人のキャラの立ち位置や存在感、バランスが何処か破綻してた(・ω・)
・主人公が“そっち”なら、導入部も“そのように”整えるべきだったのかも?
・「妄想の入れ子構造」が、ワケ分かんなさを加速させ切ってた!
・本作ってば、いわゆる“復讐達成で観客の溜飲を下げる”タイプの展開じゃなかった(×_×)
・物語の「骨格」「世界観」を軸に据える、と割り切れば・・本作の続編も十分制作可かなと思う(=^_^=)

〜 こんなセリフも 〜

ナレーション“誰にでも天使がいる。それがどんな姿なのかは分からないが、
       その外見に惑わされないで”
      “天使が心の奥から囁きかけてくれる。
       「世界を変える力は、自らの中に有るのだ」と”
      “「いる筈ない、あり得ない」って言い聞かされても、
       天使は語りかけて来る・・「さぁ戦え」と”
      “そして最後に残った疑問。主役は誰?
       ダンスのステップを決めたのは誰? 勝利に導いたのは誰?”
      “愛する人に、尊い人生を与えるのは誰?
       自由へのドアを叩いてるのは誰?”
      “必要な武器は総て揃ってるわ・・さぁ戦って!”

BD「アイテムを持ってる相手に、私のダンスを見せるの」
  「私は、あんたの手には入らないわ」

ブルー「では“劇場”に参りましょうか?
    我々はここを“劇場”と呼んでます」
   「“楽園”が待ってるぞ」
   「良かったぞ! 良くやった・・最高だ!」
   「ショーは確かにお前のモノだ・・だが女達とお前は俺のモノだ」
   「劇場の固い絆に乾杯! ところで、エラく盛り上がってるのは、
    それなりの理由があるからだろうな?」
   「自分は特別だ、と思ってるんだろ?」
   「さて、いよいよショータイムだ」
   「1番大きな腐った卵が、他の腐った卵をそそのかしたようだな」
   「今更、いい人ぶっても遅いんだよ!」
   「ナイフが消してあるが、消すにはちょっと早過ぎるようだな?」
   「話してくれて有難う。だが、密告するような奴は嫌いだ」
   「持ってろ。・・銃は嫌いだ」
   「俺はな・・“玩具が手に入らず、砂場の端で泣いてるガキ”
    みたいなもんだ。だからこう決めたのさ。
    “玩具を奪い取ってウチへ帰ろう”ってな」
   「どうした? 戦意喪失か?」
   「どうした? 抜け殻みたいだぞ? もう楽園に行っちまったのか?」
   「俺がイイと言う迄、お前は自由にはなれないんだ!
    そうじゃないだろ? 違うだろ?
    ・・見てみろよ、彼女・・心がどっかに行っちまってる」

マダム「この世界を動かすのはあなた自身・・痛みも傷も総て解放しなさい」
   「“踊らない”って事は、意思がないって事ね?
    生き残りたければ、今すぐ戦いなさい。恐れるのはやめなさい。
    必要な武器は総て揃ってる・・さぁ戦って!」
   「すごいダンスだったわ」
   「荒削りなダンスですが、それも見所の1つです」
   「話してみて。私は聞き上手よ、解決策は必ずあるわ」

スイートピー「“クネクネとイヤラしいダンス”だわね」
      「ここから逃げられた娘はいない・・この前の3人も死んだわ」
      「・・あの娘が踊るわ」
      「知り合って間もないこの娘を、あなたは選ぶのね?
       今迄さんざん護って来た私じゃなく」
      「誤解しないで。あんた達を死なせない為に来たのよ」
      「他にも方法がある筈よ」

ロケット「ここじゃ、みんな複雑なの」
    「もうこれ以上、ここにいたくないの」
    「私たち、もう死んでるじゃない」
    「ここじゃ、誰も他人を助けたりしないわ」
    「ここから逃げるには、最期までやるしかないって」
    「でも私達、ここまでやれたわ。
     それって、誰にでも出来る事じゃないと思う」
    「いいモノ、見せてあげる」
    「2つだけ聞いて! いい? 絶対に怒らないでね」
    「それから2つ目は・・自由になって!
     家に帰ったら、ママに“愛してる”って伝えて」

アンバー「首にキスは、効果抜群ね!」

賢者「靴だ・・その靴のせいで、そこら中が雪まみれだ」
  「・・質問の仕方を変えよう。何を探している?」
  「自由はそれほど迄に困難な事かな?」
  「武器を手にした時、自由への旅が始まるのだ。
   地図、炎、ナイフ、鍵・・5つ目のアイテムは謎。
   ・・それこそが“理由”であり、旅のゴールなのだ」
  「大きな代償を伴うが、大きな勝利を得るだろう。
   それを見つけた時、総てから解放されるのだ。
  「それからもう1つ・・自分で自分の身を護れ」
  「ドイツ軍の手から、密使により皇帝に渡される地図を奪え。
   敵は“蒸気とゼンマイ仕掛け”で動く人形だ。容赦などするな」
  「信念の為に戦えぬ者は、いつ迄も他人の言いなりだ
  「最後にもう1つ・・力を合わせて戦え」
  「ミッションは城の中の巣の中の“赤ん坊”を殺す事だ。
   その喉の中にある、2つのクリスタルを打ち鳴らせ」
  「自分のケツも拭けないヤツが、大口を叩くな」
  「それからもう1つ・・ママを起こすなよ」
  「戻って来てくれて良かった」
  「もう1つ・・街に着いたら爆発するよう爆弾はセットされてる。
   俺がお前達だったら、もう飛び立ってるぞ」

医師「何なんだ? 今の患者の眼、見たか? 最期の瞬間にまるで・・」
  「正直、ロボトミーが正しいのか、迷う事もあるんです」
  「あんな眼をされたのは、私も初めてですよ。
   ・・まるで“それ”を望んでるかのようでした」

※※※「これが“私にしか出来ない事”・・自由になるのはあなたなのよ。
    普通の人生を手に入れて、愛と自由の人生を。
    みんなの分も生きて! それこそが私達の勝利なの。
    主役は私じゃない。あなたなの」

運転手「この人なら、ハートフォードから乗ってる」
   「ああ、それからもう1つ・・その人は“最高の乗客”ですよ」
   「少し眠るといい。これから長い旅が待ってる」

ロケット「今迄も独りでやって来れたわ」
スイートピー「ええそうね。でもその結果がコレじゃない?」

ロケット「ねぇ? “やり直せたらイイ”って思った事、ある?」
BD「・・いつも思ってる」

スイートピー「どうするの?」
BD「・・ここで待つだけよ」

追記:「ベイビードール」って言葉を耳にすると・・つい防弾チョッキを着せた娘に銃撃する、ニコラス・ケイジ演じるあのパパを連想してもしまう(=^_^=)

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2011年4月22日 (金)

☆『トロイ(2004)』☆

ハナシはかなり遡って・・11日(月曜)の夜。

高松の我が家で“BSプレミアム”がしっかり受信出来てる事に、初めて気づいたこの夜。
ある意味、ワタシの人生において「記念すべき1夜」と呼ぶべきこの夜だったのかも知んない(←えらい大げさやね、キミ!)

で、2時間半近くにも及ぶ、恐るべき長さをもって放送された『トロイ』をダラダラと鑑賞した。

監督:ウォルフガング・ペーターゼン+主演:ブラッド・ピット(=ブラピ)で描かれる、トロイア戦記を軸にした男女の愛憎の物語。

ときに、ペーターゼン監督について“名匠”と読んで良いモノか・・今なお、計りかねてるワタシ(⌒〜⌒ι)

だって、手がけた作品が『Uボート(1981)』『ネヴァーエンディング・ストーリー(1984)』は、まぁ有名だし名作だと思うんだが・・

そっから後が『ザ・シークレット・サービス(1993)』『アウトブレイク(1995)』『エアフォース・ワン(1997)』『パーフェクト・ストーム(2000)』・・『ポセイドン(2006)』と、有名ドコロかも知んないが・・正直「ビミョー」なのが多い。

「監督って誰だっけ?」「神通力、眼に見えて落ちてね?」とか言われても仕方ないような、そんな作品群なのである。

んでも本作。ブラピが「誰が観てもメジャー路線な大作に、(珍しくも)真っ当な姿勢&キャラ造型でもって主演し、それなりに代表作としてる」ってトコについては、評価出来ると思う。

彼の“かつて、持ち味であった”ハズの(?)「セクシーさ」「冷徹さ」などもキッチリ画面狭しとアピールされており、ファンならずとも眼を奪われっちまうンではなかろうか。

また、筋肉美の露出と共に、何とも言えぬ剣闘士としての“トリッキー&ダイナミック”なバトルスタイルが異様にカッコ良くて(=^_^=)その点にだけは圧倒されてしまった。

こんな格好で、こんな動き(どんな動き?)を繰り出してすら「サマになってる」ってトコは、さしものトム・クルーズも、ジェラルド・バトラーも実現し得ない、ある種の“高み”に到達してる気すらする。

ブラピ演じるアキレウスの盟友=オデュッセウス役とし、ちゃっかり“美味しく”目立ってるショーン・ビーンの「何てコトなさ」も良かった(=^_^=)

やっぱしこのしとがいなくちゃ『RONiN(1998)』も『リベリオン(2002)』も、物語が締まらないのである(=^_^=)

しかし・・オーランド・ブルーム君(パリス王子役)が「更なる高み」に昇りつめはるのは、いつの事なンだろう。。

追記:以前の鑑賞時の記事がここにありますた(・ω・)

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2011年4月20日 (水)

☆『魔法にかけられて(2007)』☆

19日(火曜)の夜。

とある経緯から・・極めてヘロヘロになりつつの帰宅となったワタシ(×_×)

自室に戻り・・気を抜けばたちまち“リバース”しそうな心地・・に酔いしれ(=苦しみ)つつ、TVを点けると・・チャンネルが「BSプレミアム」に設定されてたとみえ、放送されてたデゼネィ作品『魔法にかけられて』を5〜10分遅れでダラダラ観ながらクールダウンする事に決めた次第。

トゥーンタウン(=アニメ世界)であるアンダレーシア王国の姫君=ジゼルは、魔法使い(?)にそそのかされ、とある井戸から転落した事により・・現代のニューヨークへとやって来る。

おとぎの国から、はるか彼方の世界へと追放されてしまい、途方に暮れる姫(エイミー・アダムス)。そんな彼女を追って、婚約者であるエドワード王子(ジェームズ・マースデン)や、悪の女王ナリッサの手下=ナサニエル(ティモシー・スポール)といった面々も次々とニューヨークへと転生(?)。
場違いな扮装や、ちぐはぐな言動で大都会に騒ぎを巻き起こす事に。

たまたま知り合ったNYの弁護士=ロバート(パトリック・デンプシー)とその6歳の娘=モーガンにより助けられ、しばらく彼ら父娘と暮らす事となったジゼル姫だが、ナサニエルの妨害により、なかなかエドワード王子との再会は実現しないのであった・・

アニメーションと実写の“融合”ってネタが主軸となっており、そないに目新しさこそはないんだが・・「デゼネィ王国にとって、定期的には必要なタイプの作品とは言えるんかも知れないネ」と感じた。

古いトコでは『ロジャー・ラビット(1988)』なんてのもあったが・・結局「実写の中に演出(表現手段?)としてアニメーションを挿入する」ってネタは、意図的なテクニックとしても、古今「繰り返し用いられて来たモノ」なのかも知んない。

実際『キル・ビル(2003)』『鈍獣(2009)』なんてな作品における“アニメパート挿入”を・・我々自身、ある意味で歓迎してたりするんかも知んないし・・

その一方で、実写&アニメって“基軸”の部分に(視聴者の心が)すっかり慣れてしまうと、妙に作品が輝き(や吸引力)を失うのは、残念な点でもあった。

正直(疲れてたのもあったが)・・中盤以降、余り身の入らないまま、ダラダラと観てしまってたように思う。

ナリッサが後半で“実写化”を遂げ、それが(豪華にも!)スーザン・サランドンさんにより演じられるんだが、それすらもまた、やがては“CGキャラ”に置き換えられ描写されてしまい・・結局のトコ、魅力の伝わり切らぬままだった(×_×)

何だかでも、2組の男女が微妙に“スワップ”しつつ結びついてく辺りの展開は、ちょっと意外性もあったりして楽しかったかな。

〜 こんなセリフも 〜

ロバート「一時の情熱だけで結婚するから、ああなるんだ」
    「結婚は最後まで続くだけで奇跡だ。
     その上に、幸せを求めるなんて」
    「娘に“夢は叶う”なんて嘘は教えたくない」
    「最初でつまづいた関係は、結局巧く行かないのさ」
    「君らの(再会の)感動は分かるが・・周りの家具に気を付けてくれよ」

ジゼル「しっかり!(Hold on!)」

ナリッサ「憎しみには満ちてるが・・今のあたしは極めて正気さ」

エドワード「この小箱(=リモコン)で魔法の鏡(=TV)を操るのか・・」

エドワード「共に愛を歌う相手を探してる」
通行人「俺も(そんな相手を)見つけたいね」
エドワード「ならば、諦めぬ事だ」

ロバート「(知り合ってたった1日の)良く知らない男を愛せると?」
ジゼル「心は知ってるわ」

ジゼル「ある時、可哀想な狐が斧を持った赤ずきんに追いかけられたの。
    ピップ(リス)がいなかったらどうなってた事か・・」
モーガン「私の知ってる話と違う」
ジゼル「赤ずきんが話を変えたの」

ジゼル「あなたも良く落ちるの?」
ロバート「君が受け止めてくれる時だけさ」

ピップ“沈黙は金ならず”

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2011年4月19日 (火)

☆『スパイダーマン3(2007)』☆

17日(日曜)の夜。

実家(大阪)から帰松する際・・車載ナビの“へなちょこTV機能”にて「日曜洋画劇場」で放送された『スパイダーマン3』を“チラ観”しつつ走った。

・・ってか「走行中の鑑賞は危険!」なんて言う以前に、殆ど映らず・・「哀しくて情けない気持ち」に染まってしまった次第(×_×)

本作って言えば、劇場公開当時、しっかり鑑賞した覚えがある。ここに当時の記事があります。

だから今回は「観る事が叶わず」とも、そないにショックでもなかったんだけど・・

にしても、、序盤で主人公カップル=ピーター・パーカー(演:トビー・マグワイア)&メリー・ジェーン・ワトソン(演:キルスティン・ダンスト)のすぐそばに“ヴェノム隕石”が落下して来る演出には・・改めて爆笑させられてしまった!

「あのタイミング」に「あの墜落地点」・・脚本家はアホか天才かのどちらかだろう!(そらそやろ)

また、観直して「ホンマに気の毒なご仁や〜」と心から同情してしまったのは、ピーターの親友=ハリー・オズボーン(演:ジェームズ・フランコ)その人についてである。

「3段階の不幸」に次々と襲われ、、しまいには“退場”となってしまう・・私的には「3ツ目」がああ言うカタチで控えとるんやったら「2ツ目」はもう少しお手柔らかに描いたれよ! と思ってもしまった。

・・

出発から約2時間45分後。

高松に無事到着後、自室のTVでしっかりと終盤の30分を観たが・・“準ヒロイン”たるグウェン・ステイシー(演:ブライス・ダラス“もとハリウッドの新星”ハワード)が殆ど(物語の)前面に出て来なくなり、そこもヘンな印象だった。

エドワード・ブロック(演:トファー・グレイス)の“退場”も妙に「唐突&衝撃的」で違和感が残るし・・何て言うか「全体的に脚本が破たんしてる」ように思えてならなかったなァ。

〜 こんなトコも 〜

・あの“ひょうきんな(グリゴブ)マスク”を決して装着しなかったハリーはズルい(=^_^=) 亡き親父さんを冒涜してすらいる。『CASSHERN(2004)』で、せっかく原作に忠実にデザインされてた、あの“ダサいヘルメット”を一切装着しなかった伊勢谷友介と同じぐらいズルい(=^_^=) 2人とも『X-MEN(2000)』シリーズのイアン・マッケラン翁をちょっとは見習いなさいッ!
・序盤だけ観てると・・作品名を『マグワイアの絶対の危機』にしても良い気がして来る(=^_^=)
・編集長(演:J.K.シモンズ)にしてもフリント“サンドマン”マルコ(演:トーマス・ヘイデン・チャーチ)にしても、モノクロ画面に非常に映えそうな、コーエン兄弟監督作品に似合いそうな、そんな顔つきである(・ω・)
・これ以上、アクションを詰め込み過ぎたら・・ロジャー・ムーア時代(1973〜85)の“007作品”に変わり果ててた気もした(=^_^=)
・かつてのジェームズ・キャメロン監督ってば、本作における“サンドマン”のような性質(特質?)を持った“新型ターミネーター”を考えてもいたんじゃなかろうか?

〜 こんなセリフも 〜

MJ「・・あなたって“オタク”なんだから」
  「助けが必要な事だってあるのよ・・スパイダーマンにもね」

ハリー「記憶を失う前は、元気だった」
   「アイツは親友なんだ・・この命をやってもいい」
   「頭を打って、かえってスッキリしたみたいだ」
   「赦すよピーター・・友達だろ?」

マルコ「俺は悪人じゃない・・運が悪かっただけだ」
   「赦してくれとは言わない・・ただ“事実”を分かって欲しい」
   「望んでこうなった訳じゃない」

メイ「愛だけを頼りにして、行き詰まりたくなかったの」

編集長「お前ら、何を待ってる? 初日の出か? さっさと行け!」

グウェン「私を助けてくれたのは・・その見返りを決して求めない人です」

エディ「悪人でイイのさ・・俺はそれで満足だ」

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2011年4月17日 (日)

☆ちょこっと&ぼちぼち 再開の“エエ言葉”☆

【2011.4】

田辺 聖子(作家)
 「『これが小説? 今まで読んでたのと全然違う』
  といわれるものが、本当の小説」

松浦 弥太郎(エッセイスト、『暮しの手帖』編集長)
 「どんなことでも楽しむための工夫をしてみる。
  工夫をするとコツが見つかる。コツは魔法となって、
  わたしたちの暮らしを、きっと美しくしてくれるだろう」

辻 久子(ヴァイオリニスト)
 「人生は喜怒哀楽そのもので、
  音楽はその感情を最も表現しうるもの」

伊吹 文明(元自民党幹事長)
 「政治家も、皆さんから『先生』と言われることに
  生きがいを感じちゃダメなんだ」

桃井 かおり(女優)
 「演じるには独自の発想と表現が求められるから
  (役者は)孤独との闘いでもあるの」

海原 純子(心療内科医)
 「社会に出て自立していくには
  2つの大切な視点があります。
  第一は客観性です。成功、不成功は一元的なものでなく
  組織やコミュニティーによって変化するのです。
  (中略) 次に必要なことは、批判に耐える力です。
  人はなかなか協力してくれないし、ほめてもくれません。
  客観性のある批判は受けて立ち、単なる感情的な批判に
  動揺しないこと。少ない味方を大切にし、
  誰も味方がいない時は、自分が自分の味方になること」

山田 昌弘(大学教授)
 「勇気を持って行動した経験は、
  将来のあなたの人生にきっと役立ちます」

永 六輔(作家、タレント)
 「生きているということは、誰かに借りをつくること。
  生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと」

太田 雄貴(フェンシング選手)
 「体格差がある相手でも恐れたことはなく、
  勝つことしか考えていません」
 「スポーツには人にメッセージを伝える力がある
  と信じています。その力を言葉でも伝えられる
  アスリートでありたいのです」

町田 康(作家)
 「愚かな奴の愚かな意見にいちいち
  真剣に怒らないのもまたマナーである」
 「祈りたいが祈りに未熟、仕方がなく無駄と知りつつ
  言葉を紡いでいる。毎日、紡いでいる。無念である。
  今日もまた生きていく。今日もまだ生きている。
  みんなと一緒に生きている」

深田 昭一(上級教育カウンセラー)
 「少し乱暴な表現になりますが、子どもは親を恨んで
  成長していくものだと私は考えています」

永田 萠(絵本作家)
 「わたしの描く絵はファンタジー絵画だけれど、
  現実の世界に働きかける能動的で健康的な
  力を持たねばならない、といつも思っている」

坂東 三津五郎(歌舞伎俳優)
 「代役が回った時に、気づくことってあるんです。
  (中略) 準備期間がない代役は、逆に言えば
  まな板の上の鯉。
  開き直れて、欲も抜けるんですね。
  必死に準備して、集中を高めて勤める本役とは、
  違う風景が見える」

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☆舞台劇“国民の映画”を観て来た☆

16日(土曜)の夕刻。
帰阪した折に、森ノ宮(中央区)の“ピロティホール”で上演中(今月6日〜17日)の、三谷幸喜の作&演出による『怒拳7連弾キャンペーン(←んな名称じゃねぇだろ!)』の新作舞台劇「第2弾」である“国民の映画”を観て来た☆

三谷さんの作風とし、登場人物の少ない程「面白いし、研ぎ澄まされてて、巧い!」と(触れて来たその作品数は少ないながらも)実感して止まぬワタシなので「エラい登場キャラが多いねぇ・・大丈夫やろか?」と少しばかりの不安感のわいて来たモノでもある。

会場入口で「当日券あり」と案内されてたのも気になった。どうやら「立ち見」だったようだが(⌒〜⌒ι)

1941年の秋。
その夜、ベルリン郊外にある、国家社会主義ドイツ労働者党(=ナチス党:与党)の宣伝大臣=ヨゼフ・ゲッベルス(演:小日向文世)の別宅では、彼の招いたドイツ映画界の重要人物らがー堂に会する晩餐会が行われんとしていた。

集まったのは、

レニ・リーフェンシュタール(女流監督、演:新妻聖子)
グスタフ・フレーリヒ(2枚目男優、演:平 岳大)
エルザ・フェーゼンマイヤー(若手女優、演:吉田 羊)
グスタフ・グリュンドゲンス(老俳優、演:小林勝也)
エミール・ヤニングス(制作者、演:風間杜夫)
ツァラ・レアンダー(女優、演:シルビア・グラブ)

と言う、そうそうたる面々。

そこには、ゲッベルスと親しからぬ因縁を持つ、

エーリヒ・ケストナー(作家、演:今井朋彦)

の名も連ねられており、その事を知ったゲッベルスの妻、

マグダ・ゲッベルス(演:石田ゆり子)

は動揺を隠す事が出来なかった。

その一方“招かれざる客”である、

ハインリヒ・ヒムラー(親衛隊長、演:段田安則)
ヘルマン・ゲーリング(空軍元帥、演:白井晃)

の出席により、この晩餐会はにわかに「より政治的な意味合いを含む、緊迫した場」へも変わって行くのだった。
彼らをもてなす大役を任され、本作の“語り手”にもなって行く、

フリッツ(ゲッベルス邸の執事、演:小林 隆)

にとっても、この夜は「人生の大きな転機」となってしまうのである・・

第1幕:約60分。休憩15分を挟み、第2幕:約1時間40分。場内はほぼ満席であり、空調が機能してないようにすら思われた。。

第1幕は、殆ど「賓客の集合」のみにあてられ、各キャラクターの人物造型の描写に割かれた。そのため「作品自体の進行」がかなりスローなペースであり、私的には「眠たい時間」が結構あった(×_×)

第2幕は、物語の歯車が加速的に回転し始め、前幕で紹介されたキャラ造型が「イイ意味で」肉付けされたり、また一転したりと言う面白味があったろうか。

しかし、当然ながら・・終盤に向け“ホロコースト”ネタが大きく物語全体を覆い始めるので、そこからは「リアルで重い空気」に満たされ続けたワタシ(×_×) コメディー路線を楽しみに来た三谷(舞台劇)ファンにとっては、ワタシ同様「いつもと違う、鑑賞後の“何処か重苦しい”余韻」が尾を引いてしまうトコも少なからずあったんじゃなかろうか?

登場キャラが数的に「ちょっと多かったかも?」と言うのはあったか。
それぞれに「活躍の場(ハイライト)」は準備されてるんだが、終盤で「総てのキャラに対し突き付けられる“大きな選択”」のトコで、去り際の印象の薄いメンバーが少なからずいた。

まぁ、その辺りの“印象の濃薄の差”もまた、群像劇ならではの描き方(手法)なのかも知れないが・・

・・

かの“総統”については、徹底して「あのお方」としか語られず。
どうせなら「決してその名前を呼んではならないあのお方」とまで言って欲しかった(・ω・) それにしても、お芝居の中でさえ「ハーケンクロイツ(鉤十字章)」を眼にすると、妙に違和感を感じ、疲れてしまう(×_×)

※因みに、タイトルロゴの「画」と言う漢字の中にも「ハーケンクロイツ」がデザインされてたりする。

ネタ的には、妙に『イングロリアス・バスターズ(2009)』とかぶるトコもあり「きっと三谷さん、アレからもインスパイアされはったんじゃないやろか?」と勝手に妄想してしまったワタシである(=^_^=) 

大阪・十三に実在する(=^_^=)某シアターの名称にもなってる“第7の藝術”なる表現についての解釈・・つまり「時間の芸術(=音楽・舞踏・文学)」と「空間の芸術(=建築・絵画・彫刻)」の要素を併せ含んだ“新たなる芸術”と言う定義(論説)をおさらいしてくれたのは有難かった。

・・

キャラ的には「脚に障がいを持つ」と言うゲッベルスの特徴を、終始(徹底して)表現し続けた小日向さんの役者ぶりに、少し圧倒された。ラストのカーテンコールになり、ようやく「普段の通り」歩いておられた姿に、妙にホッとさせられた。
ニコニコ笑みをたたえながらも時に神経質で怒りっぽく、ニュートラルなキャラを思わせ、或いは無邪気さを爆発させつつ・・それでいてやっぱり「完全に狂ってる」って辺りの造型は、この人でなければ表現不能だったかも知んない。

小柄な小日向さんと対照的だったのが白井さん。ファットメイクが極まってて「何かイヤなキャラ造型やな〜」って第1印象(嫌悪感)が完全に消える事はなかったが・・第1幕の終盤で(?)やっと登場する点からも、重要なキャラである事は違いなかろう。

劇薬(や青酸ガス)に関する話題を時々持ち出す、ヒムラー役の段田さん。セリフも表情の変化も少ないんだが、ソレ故にゲーリングら“やかまし系”との対比が極まってて美味しかった(=^_^=)
奇しくもゲッベルス、ゲーリング、ヒムラーの3人共が後に「服毒自殺」を遂げてる点は「表面的には反目し合っていた」彼らの連帯感(?)が続いてたようにも見受けられ、興味深い。

風間さんと石田さんは、そのメジャーぶりからすれば、もっともっと「前面に出るべき存在」だったかも知れないが、まぁ群像劇と言う作品の性格上、あの辺りが精一杯だったのかも知れない。

新妻さん、今井さんは、共に「イヤなキャラ」を割り当てられてた(=^_^=)ようだが、ソレ故の美味しさもあり、光っていた。

しかし・・ワタシの中では、ダブル小林の“牽引ぶり”が特に輝いて見えた。共にベテラン俳優さんの風格を漂わせつつ、イイ意味で作品全体に深みや余韻を与えてくれてたのである!

・・

三谷謹製ならではの(?)コメディーセンスが・・終盤に近づくにつれ、萎んで行ってもしまうので「段々笑えなくなる展開と化す」ってのは辛かったかな。
『笑の大学(2004)』のように、某セリフをネタ的に“深く”引っ掛けといて、最期の最期に「悲しいけれど、ちょっと希望の余地も残されてる」ぐらいの軽妙なタッチに仕上げられなかったモノか・・そこは1人の観客の「感想の域」でしかないが・・も少し何とか出来た気もする。

「1ロケーション(ゲッベルス邸内のみ)&1シチュエーション(当夜のみ)」の限定的なハナシだったが「大階段を中央に配した舞台セット」がインパクトあって良かった!
「風間杜夫氏がいよいよ“階段落ち”を披露してくれるンじゃないか?」とか、妙にワクワクしてもしまったが・・少なくともソレは日の目を見なかった(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

・『風と共に去りぬ(1939)』『黄金狂時代(1925)』などの作品ネタが登場。
・本作のタイトルにもなってる“国民の映画”の題材は“ヴィルヘルム・テル”だった。
・ヒムラーの夢想してた“冒険映画”のタイトル『シャウエッセン・ジョーンズ』に苦笑させられた。
・ゲッベルス邸の「離れの2階」の壁に残された、大女優=マレーネ・ディートリッヒの直筆サインの脇には、彼女自身の「座右の銘」である(?)“努力”の2文字が力強く書き添えられてるそうだ(=^_^=)
・ベテラン俳優ともなると・・ピストルで撃たれながらも、それを感じさせぬ「長尺の演技」が出来るものらしい(=^_^=)
・記念グッズとして、例の「ゲーリング・バトン」の(ミニチュア)キーホルダーなんかを販売して欲しかった(=^_^=)
・舞台劇『コンフィダント/絆(2007)』では“フンコロガシ”だかのネタがセリフに登場したが・・本作ではそれに代わり(?)“カイガラムシ”が登場☆
・15歳もサバを読んでたフレーリヒ兄さん。。
・ラスト。映画に魅入られ、映画を愛してやまぬハズのゲッベルスが「映写機の操作法すら知らない」と言う痛烈な皮肉が効いてた!!
・フリッツによる“独白”の中で、ゲッベルス一家の「6人の子供らを巡るその後」が淡々と語られたが・・『ヒトラー/最期の12日間(2004)』の終盤のシーンを思い出し、落ち込んでしまった(×_×)

〜 こんなセリフも 〜 ※記憶頼み(メモ無)なので曖昧、、

ゲーテ“総てを求める者は、何1つ獲得する事は出来ない”

ゲッベルス「重要なのは“何を描くか”ではなく“どう描くか”だ」
     「実に面白い話だ。そして・・深い!」
     「“後に残らない物”には金をかけない主義でね」

ヒムラー「“本当に重要な事”は、当人以外に確認する事にしている」

ゲーリング「我々は芸術を愛している。
      ・・だがしかし、決して芸術には愛されない」
     「眼に見える物は、眼に見えない物で造られているのだ」
     「ムンクの描いた『叫び』に描かれたあの男は、
      叫んでいるのではない。
      ・・耳を塞いでいるのだ」
     「“ゲーリング・バトン”は何処だ? アレが無いと眠れない」

ケストナー「“物を書く事を赦されぬ作家の気持ち”は、
      誰にも理解出来ますまい」

マグダ「不眠症だって、眠れば治りますわ」

フリッツ「お気遣い下さいますな。寧(むし)ろ、ホッとしております」

グリュンドゲンス「悪魔の憔悴し切った姿ほど 情けないものは有りませんな」

ゲッベルス&ゲーリング&ヒムラー「貴様、盗聴してたのか?!」

マグダ「このような格好で、失礼致します」
ヒムラー「以前にお邪魔させて頂いた折も、
     そのような格好で御座いましたな」

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2011年4月14日 (木)

☆『天使と悪魔(2009)』☆

少しハナシはさかのぼる・・

9日(土曜)の夜。高松出発が遅かったため、当然ながら遅くの帰阪となった次第(・ω・)

戻って、これまた遅い夕食を摂りつつ、地上波初で放送されてた『天使と悪魔』を約30分の遅れで観始めた。
番組全体では3時間近くもあったようだが、長い原作小説をはしょりながら、ガンガン進行して行く展開らしく「何となくは流れについて行けるが、物語の組立てが正直良く分かんない」と言う、半ば致命的な鑑賞姿勢に終始してしまった(×_×)

って言うか、前作『ダヴィンチ・コード(2006)』からして、かいつまんでしか(地上波放での送時に)観てないからなぁ・・ 折角DVDソフトを買ったってのに、開封しただけで、全く再生されないままなのだ(×_×)

新しいローマ法王(教皇)を選出する“コンクラーベ(not根比べ)”を目前にしたヴァチカン。
そこに“イルミナティ”を名乗る集団(秘密結社)から強迫が入る。

“反物質”なる危険物を隠し持つ彼らは、特定の時間毎に、新法王の候補者を殺害して行く、と予告する。

教会に依頼された(?)大学教授=ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)は、独自の知識&経験を駆使し“イルミナティ”の凶行を阻止せんと動き出す・・

(・・ってこんな粗筋でイイんやろか? 書いててもワケ分からん(=^_^=))

監督:ロン・ハワード+主演:トム・ハンクス・・と前作のコンビが再結成された本作。一方で、トムハンと「もう1人」のキャスティングのみが「ビッグネーム過ぎる」せいで、ちょっと展開が「シロウトにも読める」って感があり、その点は残念だった(×_×)

って言うか、トムハンにしても、もう1人にしても“お茶の間で(=^_^=)お馴染みのキャラ”ってば、もっと明るくコミカルな調子なモノで、本作は「観てて妙に疲れる」のがあったなァ。

ある意味、トムハンともう1人の「良さ」「持ち味」が全く引き出せてなかった、とも評せようか。

ただ、後半にかけ、次々と主要キャラが“連鎖退場”して行く流れは、想定外な感じもあって、結構ドキドキさせられた。
その部分は『RONiN(1998)』路線、とでも言えようか(・ω・) また「爆発」「窒息」「炎上」など“ハデで印象的な視覚効果”がふんだんに用いられており(詳しくないながらも)『ダ・ヴィンチ・コード』よりもアクション性/エンタテインメント性は高かったんじゃないだろうか?

私的には、某所の書庫(?)で停電に伴う「酸素欠乏トラップ」みたいな状況に陥る主人公=ラングドンのシーンに、なかなかハラハラさせられたり。

以前にかいつまんで観た『オーシャン・オヴ・ファイヤー(2004)』でも、後半だかで主人公(演:ヴィゴ・モーテンセン)が「コレってもう、アカンのとちゃいますやろか?」的な状況に陥っちゃう展開が用意されてたが・・アレに通じるものがちょっぴりあったなァ。

それにしても、何だか(原理が)良く分からんかったが・・“反物質爆弾”の破壊力は凄まじかった!

例えて言うなら「“パンプキン爆弾”が隠し部屋にズラリ並んだ、オズボーン邸がまるごと爆発しちゃう」ぐらいの、凄まじい破壊力だった!
アレをもし、電気エネルギーに変換出来たら・・(関東にある)某大手電力会社も救われるだろうに(おい)

〜 こんなセリフも 〜

ラングドン「信仰心は、授かっていないんです」
     「信仰では、爆発から人々を救えません」
     「君も警官なら・・警官の勤めを果たせ!」
     「純粋過ぎる事は、罪じゃない」

パトリック「“飛ぶ術を学べ”と父に言われました」

※「宗教と科学は敵(同士)ではない」
 「苦しめて殺すのは罪だ。理由なく殺すのも」
 「気を付ける事だ・・神に仕える奴らにな」
 「宗教にも欠点がある。だがそれは、人に欠点があるからだ」
 「世界には宗教も科学も、どちらもが必要だ」
 「君を遣わせてくれた神に感謝しよう」

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☆『しあわせの雨傘(2010)』☆

13日(水曜)の夜。
昨夜に引き続き、仕事帰りに“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に寄って、期待値を高め続けてた1作『しあわせの雨傘』を観て来た。

この作品は「2週間限定での上映」って触れ込みと、何処となく“アルフォンス・ミュシャ謹製”を思わせる意匠の「センス溢れるポスター」の魅力により、どうにもワクワク感の高まってしまったモノだ。

監督:フランソワーズ・オゾン+主演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ちぅスペックも手伝って“名作保証”っぽいオーラが、ポスター全体から放出されまくってたンだが・・(・ω・)

1977年、パリ郊外の町=サンギュデュル。

ジョギングと詩作をこよなく愛するマダム=スザンヌ・ピュジョル(ドヌーヴ)は、雨傘を製造する老舗「ピュジョル&ミショノー社」の2代目社長=ロベールを夫に持つ“創業者の娘”であり、何不自由ない日々を送りつつ、何処か「物足りなさ&味気なさ」を漠然と感じ続けていた。

そんなある日、夫の非人道的な(?)経営手腕に対する不満から、遂に工場で大規模なストライキが勃発。心労の中でロベールは心臓発作を起こし、療養を止むなくされてしまう。

息子=ローラン、娘=ジョエル、社長秘書(兼愛人)=ナデージュらの後押しもあり、暫定的に社長に就任する事となったスザンヌだが・・“経営のイロハ”も分からぬハズの彼女の「自由&労働者目線のやり方」が速やかに奏功し、同社はストライキ突入前を越える収益を叩き出す事に。

3ヵ月後。会社に復帰したロベールは、妻の活躍に感謝しつつも面白くなく・・筆頭株主である自身の立場を利用し、スザンヌから社長の座を取り戻そうと画策する。

その一方、スザンヌの社長就任劇に尽力し、過去に“束の間の恋人”でもあった市長=モリス・ババン議員(ジェラール・ドパルデュー)は、彼女に対する“燃え上がる想い”を抑える事が出来なくなり、公私に渡って大きく関わり始めるのだった・・

オープニングからして、ポスターでお馴染みの(?)赤いジャージモード(?)でもってジョギング姿を披露して下さるドヌさん。
御年67歳にして、まだまだプクプクとお元気そうである。

流石に「顔面アップ」ともなると、右のコメカミの辺りにちと血管が浮かんだはったりして「ぬぬ・・」とこちらも眉がひそまってもしまうが・・豊満なボディの輪郭なんかが、妙に愛くるしくも思えたり(・ω・)

世界的な大女優さんでも、歳を重ねはった結果「キッツイご尊顔になってますやんか!」的なケースの多く見受けられる中、少なくとも“不快感を与えないご尊顔”を(自然体で?)キープされてる辺り、結構な好感度を高めてしまったワタシである(⌒〜⌒ι)

ドヌさんお1人が「常に画面の中心に配され、物語を引っ張って行く」と言う分かり易い流れは良いとしても、ハナシ自体が「オンナは幾つになっても、輝けるのよッ」だの「オトコなんて、土壇場でダメダメじゃないのよッ!」だのと言ったトーンで貫かれてるので、その辺りは“野郎観客”としては観てて辛くなって来るトコがあった(×_×)

中盤以降にもなると、スザンヌさんの「若い頃の奔放さ」が次々に明らかとなり、意外な展開に繋がって来るような演出もあって・・ババン議員以上に「えええッ?!」と言う「笑い飛ばせぬ衝撃」を受けたりする“野郎観客”が、恐らく少なくはなかったんじゃなかろうか?

私的にはもっと「ポップでライトで、ミュージカルテイストの貫かれた、ノンストップなハッピー・ストーリー」を楽しみにしてたので、意外ともっさりした展開や幕切れには、多少のガッカリ感が残ってしまった(×_×)

って言うか、オゾン監督の“人間としての軸”の部分に、どうやら「女性目線でもって、女優に寄り添いたいんですわ〜」的なクネクネした(?)根性をも感じ取ってしまい「もうちと、ガツンと撮ってくれよ〜」とも思ってしまったな。

ひょっとしたら「敢えて劇場でオゾン作品を観る」って機会は、今夜が最期になるんかもなァ・・とふと感じた。

〜 こんなトコも 〜

・ドヌさんならではの貫禄(存在感)&雰囲気でもって「何てコトのない物語世界」を引っ張ってた感じ。
・オープニングが「絵的」に素晴らしい! もっと躍動的でカラフルな仕上がりを期待してたワタシ。
・傘工場のパート(中盤まで?)をこそ、更に丁寧に描いて欲しかった。
・赤いジャージ&青いジャージ姿のドヌさんこそが(着飾ったドヌさん以上に)妙に魅力的に映った。どうせなら、黄色いジャージも着て頂きかった(=^_^=) ←G.O.Dでユマ・サーマンな感じ。。
・久々に見たドパルデュー氏は、特撮(=ファットメイク)してるかのようなデカくてコロコロした体型と化してた。。
・旦那は、何となくヴィジュアル的に“スピルバ※グ系”の入ってた感が(=^_^=)
・秘書=ナデージュさんを眺めてて『トッツィー(1982)』を思い出してしまった(=^_^=)
・足元の“パコパコ(つがい)兎”を眼にした時のドヌさんの反応には、まさに大女優ならではの風格が漂ってた(=^_^=)
・従業員が設置を要求した「トルコ式トイレ」って何じゃ〜い?

〜 こんなセリフも 〜

スザンヌ「仲の良い夫婦にも“倦怠期”はあるわ・・でも“再燃”するものよ」
    「(この私から)水がこぼれそうなのよ! “飾り壺”から溢れてね!
    「私が女だって事は一目瞭然でしょ? 女の何処が悪いの?」
    「長年一緒に暮らせば“絆”が生まれるわ。
     夫婦なんて、いわば“空気のような存在”ね」
    「その頃の彼は若くてハンサムで・・
     おまけに事務所には“おあつらえ向き”のソファーがあったの
    「近代化は、人員削減や工場移転の事じゃないわ」
    「長年の夫婦でも、話題は尽きないものね」
    「“女の連帯”が失われて、残念ね」
    「この私に“自由になる権利”はないの?」
    「1ツ訊くわね。私に投票出来る?」

ロベール「商談はまず、接待が肝心だ」
    「稼ぎたきゃ、ツベコベ言わずに働け!」
    「今だって“飾り壺”のままさ・・だが“空っぽ”じゃない」

ババン「困ってる隣人には、手を伸べるさ」
   「僕は一介の労働者だが、レディの名誉は重んじるさ」
   「空疎な言葉より行動だ!
   「君の言葉1ツで、僕は天にも昇れるんだ」
   「僕の心は2度、血を流した」

ナデージュ「従業員の思いが、社長令嬢に分かるハズありませんわ」
     「もうこれからは、脚を広げずとも、女性が成功出来るのですね!」

ローラン「カンディンスキーは“真の革命家”です」
    「あんたがいつ、僕の父親だった?」

ジョエル「ママはそれで幸せ?」
スザンヌ「勿論よ。それで幸せだと決めたの」

スザンヌ「工場に行ってどうするの?」
ロベール「決まっとる! ゲンコツだ!」

スザンヌ「まぁ! お上手ね。で、これは何を描いたの?」
孫「銃を持ったテロリストさ」

スザンヌ「慌てないで。マリー・アントワネットは、
     包囲された時でも騒がす冷静だったと聞くわ」
ジョエル「最期はギロチンで殺されちゃったけどね」

ババン「僕はあの時、階級を裏切ったんだ」
スザンヌ「あら? 私は夫を裏切ったわ」

スザンヌ「この“ブルジョワ・スタイル”で行くわ」
ナデージュ「その格好では、むしろ従業員に対する
      あからさまな“挑発”では?」

ロベール「譲歩ばかりで、敗北では?」
スザンヌ「いいえ。コレも立派な“交渉”よ」

ジョエル「ママは“飾り壺”で幸せだったんでしょ?」
スザンヌ「そう思ってただけよ」

ババン「投票箱を操作したな?」
スザンヌ「あなた程じゃないわ

スザンヌの即興詩
 “朝の薔薇 昼に咲き誇る 儚い運命 夜に枯れる”

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2011年4月13日 (水)

☆『ザ・ライト/エクソシストの真実』☆

12日(火曜)の夜。

1日の仕事もまぁ無難に片付き、体調もそこそこに良く、何より天気が崩れなかったので「ボチボチ、行っときますかァ」的な気分となり・・会社帰りに“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと向かい、新作『ザ・ライト/エクソシストの真実』ってヤツを観て来た。

元々、観たかったのはコレじゃなかったんだが・・どうやら本日は「狙っていた作品を上映してるシアター」が、某作の試写会に使われとるようで、夜の時間帯の上映が取りやめになってしまったのだ(×_×)

「ソレ」は後日回しにする事と決め・・ロビーのポスターを眺める度に、チビリそうにもなってしまう(←おい)『ザ・ライト』をチョイスした次第。

しっかし、あのポスターってば、気合が入り過ぎてると言おうか・・どっからどう眺めても“ハンニバル・レクター博士”のシリーズ最新作だよなァ・・(⌒〜⌒ι)

代々「葬儀屋」か「聖職(=神父)」のいずれかに就く事の義務づけられている(?)家系に生まれ育った青年=マイケル・コヴァックは、葬儀社を営む父=イシュトヴァン(ルトガー・ハウアー)のプレッシャーから逃れる事も出来ず、聖オズモンド神学校に進学する。

4年後・・「神学」を除くほぼ総ての学科で、優秀な成績を収めるマイケル。
即ち、彼は「信仰」と言うものを、まだ自身の中で完全に許容出来ずにいたのだ。

そんなマイケルに、師であるマシュー神父は、ヴァチカン教区に開講された“エクソシスト(=悪魔祓い師)養成講座(2ヵ月コース)”を受けてはどうだ、と持ちかける。
いったんは神父に「信仰の欠落」を理由に辞意すら示したマイケルだが・・半ば脅されるような感じ(?)でローマへと向かう事に。

ヴァチカンで出会った厳格な教師=ザヴィエル神父のアドバイスで、郊外に住む(?)“異端”のウェールズ人聖職者=ルーカス神父(アンソニー・ホプキンス)を訪ねるマイケル。

ルーカス神父はフィリッピス神父の弟子でもある“一流のエクソシスト”だと言う。
面会に行ったその日から早々に、妊娠した16歳の少女=ロザリアに対するエクソシストの実践講義(?)に立ち合う事となるマイケルだったが・・

本家の『エクソシスト(1973)』自体からして(DVDソフトは所有しとるモノの)未見であるワタシ(・ω・) オカルト路線が好き、とかって言うことより、取り敢えず「アンホプ爺さんに驚かせて貰おう!」的なライトな気持ちで観た次第(=^_^=)

悪魔がどんなカタチで映像的に具現化されるんやろ? ってトコは流石に興味津々であり・・『コンスタンティン(2005)』や『スペル(2009)』や『ゴールデン・チャイルド(1986)』辺りの路線を連想したモノだが・・期待してた程の“ダイレクトなクリーチャー描写(造型)”は楽しめなかった(×_×)

一方で、後半辺りになると、とにかくアンホプ爺さん(って言っても、このしと“ナイト”の爵位持ったはるけど!)1人で、大したヴィジュアル系小細工もなしに(=^_^=)物語をグイグイと引っ張ってはって、思わず「あんた、頑張り過ぎや!」とツッコミそうになってしまった(=^_^=)

それに引き替え、主人公マイケルの個性がちょっと弱かったり(←演じるコリン・オドナヒューの容貌が、何処となくアンソニー・パーキンスっぽくも見えたりして、思わず「こいつのモノローグは要注意や!」と妙な気を回し過ぎ・・お陰で疲れてしまった(=^_^=))、「父子のドラマ」「恋愛ドラマ」「師弟ドラマ」のどれを取っても、描き方が「中途半端」だったので、総じてはダメダメなんだけど・・中盤以降で、アンホプ爺さんがどんどんぶっ壊れて行く(?)辺りが“レクターファン”としては、妙に生々し過ぎて、それ故にスリリングな感じで、その点だけはキッチリ評価したげたいトコである(⌒〜⌒ι)

〜 こんなトコも 〜

・冒頭に「これは現実の出来事に基づいた物語である」なる字幕が。まぁ“ツカミ”って感じですかな(・ω・)
・ザヴィエル神父。何処から見てもアルフレッド“ドック・オク”モリーナだと思ってたんだが・・キアラン・ハインズと言う、別な俳優さんだった。。
・ロザリア役のマルタ・ガスティーニちゃん。劇中では、非常に魅力に乏しい、いや、どちらかと言えば敬遠したいタイプの娘さんだったが(すんません)・・ちゃんとした(?)プロフィール画像を見ると・・ムチャクチャきゃわゆいですやんか!
・カエルが(必要以上に)いっぱい出て来るので、つい『マグノリア(1999)』を思い出してしまった。。
・重要人物に思えた「あの神父」・・終盤の肝心なトコで、一体何処に行ったんだ? めっちゃ気になるんですけどッ!
・とある母子(=ヴィンチェンツォ少年とその母)が登場するが・・アレ(の真相)は“体罰系”ではなかったんやろか? そのように「も」解釈出来るセリフがあったようだが?
・眼の前で急に交通事故が起こると、流石に凍っちゃうやろな(×_×)
・事故渋滞のシーン。(直後の)ご遺体が、路上に死に顔のまんま(?)横たわってたが・・ローマじゃ、事故処理はあないにオープンな調子なの?
・作品的にはショボかったが(すんません)、字幕担当はきっちり松浦美奈さんだった☆
・ローマには野良猫が多いらしい?
・アメリカ合衆国には、エクソシストが14人、実在するらしい。
・とある場所に赤い眼をしたラバ(←悪魔の具現化)が出現するも・・妙にカメラが「寄り過ぎてて」不自然だった。。
・ルトガー・ハウアーも、すっかりおっちゃんになってしまって・・(涙)
・修道女の平均年齢は69歳らしい(全世界で? 合衆国で?)。
・“憑依”と“精神疾患”の違いを見極めるのは、なかなか難しいそうだ。
・イタリア語を2ツ覚えた(=^_^=) 「マンジャーレ(Mangiare)」は「食べる」で「プロント(Pronto)」は「もしもし」である。
・裸足+虚ろな眼をしたアンホプが、突然に(理由もなしに)傍の幼女に対し“鉄拳制裁”を・・! こりゃヒドいわ(×_×)
・父親の“退場”を巡る描き方は・・何だかおかしい。実際のトコ、観客にとっては「すこぶる情報不足&消化不良」だったと言えよう。
・「悪魔の子種を受けよ!」とか言いながら、下半身をヒロインの股間に押し付けて来る“例の爺さん”に・・すっかり圧倒された(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフも 〜

マイケル「人は真実より、嘘を好むそうです」
    「存在しないものなど恐れない」
    「この恐怖は現実だ。信じなければ勝てない」
    「僕は・・悪魔を信じる! 故に・・※を信じる!」

ザヴィエル「エクソシズムに“正統”などない」
     「苦しんでるのは(憑依された)対象ではなく、悪魔だ」

アンジェリーナ「私は真実に興味があるの」
       “常に、真実に光を!”

ルーカス「泥棒は家を荒らす時、明かりを点けたりはしない。
     “そこに居る事”を悟られぬためだ」
    「私にも“完全に信仰を失う”時がある」
    「憑依に対する治療行為に、進展はない」
    「悪魔を否定しようと、自分の身は護れんぞ!」
    「祈りで人は傷つかんだろう?」
    「君は“善き人”だな」
    「悪魔は、我々の罪や秘密を総て知っている」
    「君は、私に似ている。どうだ? ゾッとするだろ?」 ←は、博士!?
    「持てる力を尽くし“善き戦い”を戦い抜くのだ」

親友「楽しむなら今のウチだぞ。じき神学校で“去勢”されちまうンだからな」

女性「神父様、祈りを・・このまま死にたくない」

悪魔「聖書なら、知ってるさ」
  「私がお前を選んだ」
  「嘘つきは嘘つきを見抜くのさ!」
  「お前には、力も信仰もない」

父親「死者に対する詮索は、不吉な出来事を招くぞ」
マイケル「家に遺体があるんだ。それだけで既に不吉だよ」

マイケル「今ので終わり?」
ルーカス「そうだ。“回る首”や“緑色のゲロ”が見たかったか?」

マイケル「必要なのは(エクソシストじゃなく)医者では?」
ルーカス「私が医者だ」

マイケル「儀式で死者の出た事は?」
ルーカス「・・ある」

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2011年4月12日 (火)

☆『ファニー・ガール(1968)』☆

9日(土曜)の夕方。
帰阪の準備を進めつつ、TVを点けたら・・『ファニー・ガール』が放送されてたので、1時間半ほどの遅れながら、ダラッと観ることにした。 ←そのせいで、結局は帰阪開始も遅れてしまったワケだが(⌒〜⌒ι)

・・・

実在のミュージカル女優=ファニー・ブライスの半生をバーブラ・ストライサンド主演で描く。
『ローマの休日(1953)』『ベン・ハー(1959)』の巨匠=ウィリアム・ワイラー監督の晩年の作でもある。

ミュージカル作品としては、あんまり見所がなかったか? と言うより、ワタシの観始めた中盤以降(の約1時間)は、私生活(=結婚生活)の暗い部分のみが取り上げられており、ドラマとしては「重いトーン」が貫かれてたように見受けられた。

旦那=ニック・アーンスティンを演じたオマール・シャリフも“石油採掘”に熱を上げ過ぎ・・結果、夢は破れ、金銭感覚はボロボロになり、何とも精彩を欠いたままの“退場”となってしまってた(×_×)

それでも、妙に画面から眼が離せなかったのは・・やはりバーブラさんの持つ“妙な魅力”によるトコが大きかった。

特にメチャメチャ美人ってワケでもないし、鼻は大きいし・・んでも、何だか気になってしまうご尊顔だ。

また機会があれば『追憶(1973)』をしっかり観て、その上で「バーブラさんが好きなのかどうか」って問いにキッチリ決着をつけようと思う(=^_^=) ←そんなに真剣になるなよ。

〜 こんなセリフもありました 〜

ファニー「明日はきっとツイてるわ。今までだってそうだったもの」

ニック「君は世界で一番強い女だ」
   「観客が君を待ってる・・さよならファニー」

追記:バーブラさんのご尊顔の雰囲気に、何故だかトラさん(ジョン・トラボルタ)っぽさを感じたりもしてしまった(⌒〜⌒ι) ←何故に?!

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2011年4月11日 (月)

☆『スパイダーマン(2002)』☆

8日(金曜)の夜。
“金曜ロードショー”で放送された『スパイダーマン』を何となく“ながら観”してしまったワタシ。

劇場鑑賞も含め、これまでも幾度となく観た作品だったが・・今回は『キック・アス(2010)』を観て以降では初の鑑賞、と言うのもあり・・予想以上に楽しめたのだった(=^_^=)

トビー・マグワイア演じる主人公=ピーター・パーカーが「自意識過剰気味なモノローグ(=^_^=)」を放ちつつ、登場する辺り・・そしてダメダメな学生ぶりを殊更に(=^_^=)アピールしまくるトコが『キック・アス』に通じ過ぎるモノがあり、苦笑なしには観られない。

主人公の親友とし、ハリー・オズボーン(ジェームズ・フランコ)って(秀才系の)キャラが設定されてるが・・こいつもオッソロしい財力を持っていながら、決して“レッドミスト”側にまではメーターが振り切られておらず、そこも面白かった。 ←結局は(次作以降で)同様の道を歩く事となるが。。

って言うか、序盤ではピーターやハリーよりもフラッシュって名前の悪童(?)の方がよほど目立ってたように感じた。
何だか『ブロブ(1988)』の主人公が妙にシフトしちゃうあの感じ(どの感じ?)を彷彿とさせてくれたモノだ(=^_^=)

にしても、ウィレム・デフォーをノーマン・オズボーン役に起用してくれたセンスは、改めて素晴らし過ぎる!
この演技で“アカデミー助演男優賞”すらもゲット出来たンじゃないかと思うんだが、それはワタシの贔屓目なンだろうか?

これまでは、キルスティン・ダンスト演じるメリー・ジェーン(=MJ)・ワトソンの“ヒロインとしてどうよ?”的な部分にのみツッコミを入れて観て来たが・・今回はもうそんな細かい事はどうでも良く(=^_^=) ひたすらにデフォー兄貴ばかりを眼で追っていた(=^_^=)

ときに兄貴と言えば・・誰が何と言おうと(=^_^=)『ストリート・オヴ・ファイヤー(1984)』『シャドウ・オヴ・ヴァンパイア(2000)』『ルル・オン・ザ・ブリッジ(1998)』しかないのであるが(←『プラトーン(1986)』はナシかよ!) 本作はそれらに匹敵すべき、彼の代表作とし永遠に記憶されるべきであろう!

それはそうと、本作ではコロンビア大学の某研究所で、ピーターが“スーパースパイダー”に咬まれるってトコが、序盤のヤマ場(?)なんだが、肝心のそのクモがどっかに逃げたまま、その後(シリーズ全体を通じても)全く触れられないし、記事にもなってないトコに対し「脚本家、大丈夫?」とホンキで心配しそうになってしまった。

そんな細かい事はどうでも良いのか? いや、どうでも良くないやろ!

思えば『スパイダーマン3(2007)』における“サンドマン誕生”辺りのシーン(研究所?)も何だかワケ分かんないし、かの『ハリー・ポッターと賢者の石(2001)』でも、動物園から逃げ出した大蛇(?)のその後に全く触れられてなさげなのが“理解不可能”で、思い出す度に激しい頭痛に襲われるワタシなんだが(←そこまで気にするか、キミ(=^_^=))・・案外、ハリウッド級の脚本家なんて、ポイントポイントの展開&脚色に秀でてるだけで、総じては穴ぼこでムチャクチャな「執筆レベル」なんかも?

まぁ一方で、セリフ群や構成の光ってることは再認識したし、その点は認めざるを得ないが。

ってか・・なんのかんの言いながら、結局はしっかり楽しんだワタシだった(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

・MJ自身の“生きようとする力”のスゴさたるや凄まじい! 彼女の窮地を何度も救ったのは・・紛れもなく“彼女自身”だった!
・デフォー兄貴の、ラストのひと言「・・お・・!」ってのが面白過ぎる! 『ハード・ターゲット(1993)』におけるランス・ヘンリクセン翁のラストのひと言「・・おっと!」に匹敵する面白さだ!
・パンプキン爆弾の破壊力ってば、やっぱり強烈過ぎる! スターク社のCEOも驚くことだろう!

〜 こんなセリフも 〜

ピーター「例えて言うなら、無理して手の届かないものに
     手を伸ばしてるような・・そんな感じかな?」
    “代償を払うのは、いつも僕が愛する人たちだ”
    “僕に授けられた力は、一生この僕を呪い続ける”

MJ「・・これが“現実”よ」
  「あなた1人だけが、いつもそばにいて自信を与えてくれたの」

ノーマン「卒業とは終わりでもあるが、同時に始まりだ」
    「そんなに臆病でどうする? 科学の実験に犠牲はつきものだ」
    「ああ言うタイプは、いつか“財産目当ての本性”が現れるものだ」

ベン「腕力があるからと言って、人を殴って良い訳じゃない」
  「大いなる力には、大いなる責任が伴う。覚えておけ」

メイ「頭の良い人の部屋は、みんな散らかっているものよ」
  「彼女が(貴方を)知らないのは・・貴方が知るチャンスをあげないから」

編集長「Tバックのジュリア・ロバーツ(の特ダネ写真)なら撮れるってのか?」
   「俺が信用するのは、散髪屋だけだ」

緑衣の鬼「幾ら必死に戦っても、結局は憎まれるんだ。ヒーローって存在はな」
    「誰かだと? 初めから分かっている筈だ・・“俺たち”だよ!」
    「哀れな程に単純なヤツだ」
    「俺に“ノー”と言うヤツは赦さない!」
    「ゆっくり祈れ! 最期までな!」
    「だから、ヒーローってヤツは馬鹿なんだ」
    「運命は自分が下した選択によって決まる・・さぁ、選べ!」
    「酷く情けない姿だが・・そうなる事を選んだのはお前自身だ」

MJ「あなた、スゴいね!」
蜘蛛男「そう思わない人もいるさ」

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2011年4月 9日 (土)

☆『善き人のためのソナタ(2006)』☆

2月末頃“衛星第2”で放送されたモノを観た際、メモを遺しといた・・のが見つかったので、簡単にまとめときたい。

・・・

28日(月曜)の深夜、既に日付は火曜日となっていたが“衛星第2”で放送された『善き人のためのソナタ』を観た。
かなり以前の放送で、中盤まで観た覚えはあったが、今回は“通し”で鑑賞。

“冷戦時代”の東ドイツを舞台に、ある劇作家と、彼を徹底的に監視・盗聴する諜報将校との“奇妙なカタチの交流”を描く。

1984年の秋。「泣く子も黙る」シュタージ(国家保安省)の将校=ヴィースラー大尉は、上官の命で“反体制思想”の疑われる劇作家=ドライマンの監視・盗聴を担当することとなる。

しかし、彼や、彼と同棲する美人女優=クリスタ・マリア・ジーラント(=CMS)(マルティナ・ゲデック)の言動、思想に“いびつなカタチ”で触れ続けることで、次第にヴィースラーの心に“迷い”が生じ始める・・

一方でCMSの心にも、抑圧された生活の中で“人気女優として生き残って行くため、現体制(=社会主義)に屈すべきか否か”と言う“(ヴィースラーとは正反対の)迷い”が生じ始めるのだった・・

イイじゃないですか!!

静かな中に、緊迫感が漂ってて、サスペンスフルで、何処か背徳な感じで、ちょっぴりエロティックで・・それでいて上質で、独自の世界観を描き切っている!

監督さんは、後に『ツーリスト(2010)』を手がけることとなるフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクなのであるが、本作の完成度に比べれば『ツーリスト』なんざ「資本主義に毒されただけの、ただの凡作」にすら思えて来る(=^_^=)

本作は『第79回アカデミー賞・外国映画賞』に輝いたそうだが、それも納得の1本だった。

今更ながら「観る事が叶い、嬉しい!」と思えた。素直に。

〜 こんなトコも 〜

・ヴィースラーとコンビを組む監視局員が、何となくオリヴァー・プラットに見えてしまった。
・タイプライターで打たれた、無機質なハズの“2人はその後、激しい性交を行う”ってな報告文が、妙に艶かしくワタシの心に響くのは、何故なのだらう(⌒〜⌒ι)
・テイストが、かの『リベリオン(2002)』にも似てたり(=^_^=)
・盗聴・監視してる“体制側の者”が、人間とし目覚めてく・・ってトコは『笑の大学(2004)』を連想させてもくれる。

〜 こんなセリフも 〜

ヴィースラー「本当に無実なら、怒り出す筈だ。
       だが、そうでなければ・・黙り込むか、泣き出す」
      「真実を話す者は、自由に(それを)表現する」

グルビッツ「私なら、彼を監視するだろうな」
     「無能な人間ならば、彼の本質を見抜けまい」
     「お前の所属と階級を訊いておこう」

局員「(性交の)真っ最中ですか? 芸術家は年中こうだ。
   監視のし甲斐がありますな」
  「せっせと(性交を)やってますかね?」
  「ネクタイなど、ブルジョアの象徴だ」

ドライマン「今迄に恐れたのは、孤独と執筆の禁止だ」

イェルスカ「来世では、執筆を禁じられぬ幸せな作家になるとするよ」

ヴィースラー「あなたの魅力は“あなたらしさ”です」
CMS「それも“演技”かもよ?」
ヴィースラー「当時はもっと・・今よりもあなたらしかった」
CMS「・・私が分かるの?」
ヴィースラー「・・ファンですから」

ヴィースラー「今、自分を偽りましたね?
       “自分を売らず”とも、あなたには芸術がある、違いますか?」
CMS「・・あなたは善人なのね」

当時の東独の笑い話“太陽は、夜はホーネッカー書記長の挨拶に応えなかった。
          何故ならば・・“西側”にいたからだ”

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2011年4月 7日 (木)

☆『なくもんか(2009)』☆

しばらく、記事を書いたり、まとめたり、アップしたりする気力の尽きてたここら約1週間(×_×) 何となしに“環境の変化”にお疲れ気味な日々が続き・・不規則な仮眠のまま明け方を迎えたり、TVを点ける気になれなかったり、と色々あった。

まぁ、そんなワケで、過去のメモをまとめつつ、ぼちぼちと動き始めたい(・ω・)

・・・

1日(金曜)の夜。“地上波初”で放送された邦モノコメディ『なくもんか』を高松の自室で観た。
確か、先月11日(金曜)の夜に予定されてたプログラムが(震災関連の番組のため)順延されたモノと記憶している。

生き別れた兄弟の再会&再生(?)を軸にした「笑って泣ける、ちょっと変わった家族の物語」ってフレーズの本作。
「脚本:クドカン(宮藤官九郎)+主演:阿部サダヲ」のコンビが『舞妓Haaaan!!!(2007)』以来、再び実現!!

“山ちゃん通り”“ハムカツストリート”とも呼ばれる東京都文京区・善人商店街で“22年間(?)継ぎ足し、熟成させ続けた秘伝のソース”を武器に、経営する『デリカの山ちゃん』の評判を高め続ける2代目店主=祐太(阿部)。

「笑顔の絶えぬ、究極のお人好し」である彼の半生は、実に数奇なモノであった。

そんな彼の前に、新たな“波乱”を巻き起こすかのように・・徹子(竹内結子)、祐介(瑛太)、父親(伊原剛志)・・といった面々が次々に姿を現し・・

キャラ造型の“ツカミ”部分こそ、かなり面白そうで(大いに)期待させてくれたんだが・・総じては“ダメダメな凡作”とし収束してしまってた。或いは、(放送に当たり)大幅な編集(カット)がなされた故だったのか・・??

私的には、伊原演じる“クスぶってるダメ親父”と、陣内孝則演じる“華々しいダメ親父”のキャラの「2大巨頭ぶり」をこそ、もっと楽しみたかったんだが・・どうやらお2人とも「友情出演」とか「特別出演」と言ったレベルでしか本編に絡んで来てはらなかった様子。

先代の奥さん(いしだあゆみ)も、もっと絡んで来るかと思いきや「一定のラインからこっち」へは全く踏み込んで来られなかった(×_×)

一番の問題(?)は『毎週末の深夜(?)に“謎の行動”に走る阿部』・・って「ネタ」が、何だか共感も驚愕も出来ない感じのままに“滑り気味”に終わっちゃってたトコだった。
同様に祐介のキャラに関しても“にじみ出る、売れっ子お笑い芸人パワー”を殆ど感じられなかったし。。

私的に、1番「エエなァ〜」と思えたのは“金城ブラザーズ”の兄貴=大介役を好演してた塚本高史の“悲しみをたたえたような”存在感だった。
このしと(キャラ)の抱える「歯痒さ」「焦燥ぶり」「嫉妬心」などをもっともっと“深く&人間クサく”描いて欲しかったんだが・・後半は“半退場状態”に陥ってしまってたなァ。

竹内さんにしても“インパクト1点(=1シーン)凝縮型”で、そっから先の「広がり」が全くないし、正直『舞妓Haaaan!!!(2007)』に比べると、クドカンの“ホン(=脚本)ヂカラ”のパワーダウンが激しかったなァ。

ってことで、やはり「阿部サダヲの暴走キャラを使いこなすのは“至難の業”。あのジム・キャリー同様に」って点を、再認識した程度だった。

この気持ちを言葉に置き換えるなら・・「ムチャクチャ豪華そう&美味しそうな料理(キャラ)の数々を眼の前に並べられながら・・そのどれについても口に放り込むことを赦されなかった」そんな感じである。

〜 こんなトコも 〜

・同じ“ブラザーズ”を名乗るなら「加瀬亮(兄)+瑛太(弟)」で組んで欲しかったカモ。タイプ的に似てそうだし。
・「楳図かずお」のご本人カメオ(=^_^=)出演は、実現不可能だったんやろか?
・伊原親父の“アバンギャルドな言動の数々”は『東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン(2007)』における小林薫親父を「瞬間風速的」ながらも圧倒してた気がする(=^_^=) ソースで鉄板に“倅を4649”って書き置きするセンスが(特に)光ってた!!

〜 こんなセリフも 〜

祐太「治った? それとも偶然?」
  「ダメだ・・(涙が)漏れそう・・」
  「そんな・・他所のお客さんを横取りするなんて」
  「いやいや、好きでやってるんですよ」
  「むしろ僕は、デブを待ってたんだ・・デブ待ち?」
  「え? 今、俺、何つった?!」
  「真剣に可愛がるっつぅの!」
  「(あっちへ)行かないのか・・じゃあ、そこで見てなさい」
  「来ないの? じゃあ、こっちから行くぞ」
  「行ってらっシャイニング!
  「“給食のソース”に負けるとは・・今までの苦労は何だったんだ・・!」
  「あんたが謝ったら、赦すとか赦さないとか、そう言うハナシになるだろ?」
  「“淡々と飯を喰う”のが、リアルな家族なんだよ」
  「分かった。俺が何とかする」
  「なんくるないさぁ!」
  「お腹が痛い? どの辺が? どんな風に?」 ←問診風(=^_^=)

祐介「お先に勉強させて頂きました」
  「芸能人なんて“ラクして稼いでる”と思ってんだろ?」
  「いつも笑ってるんだ。楽しい事なんか何もない筈なのに、それでも笑ってるんだ」
  「笑ってないんだよ。腹の中では“1ミリも”笑ってないんだよ。
   笑顔が顔にへばりついてんだよ」
  「気持ちは嬉しいけど、滑るワケにはいかないから」
  「何でそんなに笑ってられんの? 教えてくれよ。何か裏があんの?」

徹子「不安なのよ・・まだ“好き”って言って貰ってないもん」
  「他所で泣いてくれるかなぁ?」
  「薄ら寒むっ!」
  「あんた、不幸な自分に酔っ払ってんだ! 笑えないよ、あんたには」

大介「本来、笑いのパターンは7種類しかないんですよ」
  「勘違い、オーバーアクション、変な顔、物真似、真顔、変な顔。
   7つ目は何だと思う? ・・それはね、不幸なんだよね。
   だって不幸ってさ・・笑えるじゃん」
  「俺の事、見棄てないでくれよ。お前の兄さんだよ、俺」

刑事「(家の)あちこちから或る人物の指紋が検出された。
   ・・って言うか、或る人物の指紋しか検出されなかった」

ナレーション“俺には兄がいるらしい”
      “俺には弟がいます”
      “元気な人が長生きする、とは限らない・・母は元気に早死にした”
      “笑われるのはイヤだけど・・同情されるのはもっとイヤだった”

弟「え? 何でそんなに」
兄「決めたんだ。子供の頃に」

祐介「何なんだよ! あんた」
徹子「この人の、女房よ!」

追記:『なくもんか』と言うより『なけるもんか』って感じ(⌒〜⌒ι)

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2011年4月 1日 (金)

☆ちょこっと&ぼちぼち再開の“エエ言葉”☆

【2011.3】

堀口 大学(詩人、1892-1981) ※『わが詩法』より
 「言葉は浅く、意(こころ)は深く」

読売新聞・編集手帳(H23.3/22)より
 「『崇高』という言葉は知っていた。
  意味するところを、いまにして知る」

山本 一力(作家)
 「光はそこにあるだけで、灯台のごとくひとに希望を与えてくれる。
  百万語を費やすよりも、1ワットの1灯が伝えられることが多々ある。
  日本各地で、闇が深くなっている。
  いまこそ、灯が入り用だ。
  相手を思いやることを示す、大切な明かりが。
  我知らず、気づかぬままに、さまざまな局面で無灯火で
  走ってはいないか。1度立ち止まろう。無灯火ではないか」

武田 鉄矢(俳優、歌手)
 「懸命に生きてきたんですから、いい詞を書かないとね」

加藤 寛(精神科医)
 「もともと人間ができることは限界があるのです」

アピチャッポン・ウィーラセタクン(タイの映画監督)
 「人間の心の動きや記憶はランダムなもの」

大森 一樹(映画監督)
 「映画的な映画を撮りたいですね」
 「映画っていうのは監督のやる気とは関係なく、
  神が宿るというか、“何か”が降りてきて完成する
  ものなんです。何10本も作っていると分かる。
  作品自体に意志のようなものがあって、
  それがこの100年間、映画を引っ張ってきたんです」

海原 純子(心療内科医)
 「幸せな時、それを十分楽しもうという方向に心を向けると
  不安が小さくなるはずです」

渡辺 貞夫(トランペット奏者)
 「理論にがんじがらめになり、なかなか納得できる曲が
  書けない時期があったのは事実です」
 「曲のヒントは身の回りにいくらでもある。
  難しく考えることはないんだと思い至ったら、肩の力が抜け、
  自由な気持ちで曲作りに臨めるようになりました」

久田 恵(作家)
 「『やらされている』意識でいると、人生はつまらなくなるばかり。
  ここは結論を出す前に、1度は『逃げるより、攻めろ!』で、
  取り組んでみてもいいのではないでしょうか」
 「自分のことは自分で褒める、人に感謝など乞わない、
  その主義でいれば、怖いものなし。気持ちがラクになりますよ」

追記:以下、管理人の近況。

1.高松市内のミニシアター“ソレイユ”での『キック・アス』上映終了(×_×) そのため、3度目の鑑賞(≒公約)は叶わず。。パンフも購入出来ず・・
2.腰痛再発(×_×) もっと背筋を鍛えなきゃならん気がする。
3.ダウンロード購入(iTunes Store)にて『ソウ』に続き『ディフェンドー/闇の仕事人』ちぅ作品を購入。小品ながら(?)面白そうな印象(・ω・)

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