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2010年6月29日 (火)

☆『SEX and THE CiTY2』☆

ハナシは戻って27日(日曜)。

寝袋をクルマに積み込み、某県への1泊2日のドライヴツアーを経て帰松したこの日。「ちょっと劇場に行っときたいな~」と言う“鑑賞の虫”がムズムズと全身の穴と言う穴から這いずり出して来たため(←どんな表現だよ!)
レイトショーながら“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”にて『SEX and THE CiTY2』を観て来た☆

結局のトコ、ドラマシリーズを全く観てないままのワタシ。。劇場版(シリーズ)のみをフォローしてる訳だが・・やっぱり前作より確実に2年も経っちゃっとる訳で、、主演4人様のご尊顔が“大スクリーン対応し切れてない”と言うか、さすがにちょっと「キレイやな~」と無邪気に喜べる感じじゃなくなってたか(×_×)

特に、ワタシの最も好きな感じ(照)のミランダさん(赤毛の弁護士のしと)の笑い顔なんかが「どうにも下品」に見え、ちょっと“2年ごしの恋”も冷めちゃったかも・・(←いや、最初から相手にされとらんのはお前の方だよ(=^_^=))

実年齢で言えば、まだお若いんだけどねぇ・・

ギャルの憧れの街=ニューヨーク(NY)で出会い、意気投合し、互いが切磋琢磨し合って・・それぞれが別々の道で成功し、セレブとなった4人・・キャリー・ブラッドショー(サラ・ジェシカ・パーカー)、シャーロット・ヨーク(クリスティン・ディヴィス)、ミランダ・ホッヴス(シンシア・ニクソン)そしてサマンサ・ジョーンズ(キム・キャトラル)・・

ホルモン&サプリメントと“生涯の契り”を交わした(=^_^=)プレイガールのサマンサを除いては、“ミスター・ビッグ”ことジョン・ジェームズ・プレストン(クリス・ノース)と遂に結婚したキャリー、旦那=スティーヴとの“離婚の危機”を何とか乗り越えたミランダ、いよいよ子宝に恵まれたシャーロット・・とみんなが“転機”を迎えたのだった。

そして、それから2年が経ってみると・・

サマンサは更にホルモン依存が本格化し(=^_^=)、ミランダは女性弁護士として上司に認めて貰えぬ苛立ちを募らせ、シャーロットは泣き叫び悪戯する2人の子供に慢性的な疲労を覚え、キャリーは念願だったビッグとの結婚生活に“何処かクスんだ気持ち&寂しさ”を抱えるのだった・・

そんな中、4人はひょんなことからアラブ首長国連邦(UAE)の首都・アブダビからやって来たお金持ち(=^_^=)=シーク・カリードのはからいにより“超VIP待遇”で1週間のアブダビ視察旅行に招待されることとなる。

4人は旅の中で、それぞれの直面している現実から少し距離を置き(正確には、NYから約1万km(=^_^=))自らの価値観/生活/結婚観/職業観を見直そうとするのだったが・・

まぁ、ひと言で言えば「そつなくキラキラに仕上がってた」って脚本・・

しかし、アレです。

ドラマ版を全く知らない、ワタシのようなクソ野郎からすれば(←いや、そこまで卑下せんでも)「もっとNYに根を下ろし、舞台としたセレブ&キラキラ系ストーリー(もしくは“毒にも薬にもならない系ストーリー(=^_^=)”)が観たぁい!」って気持ちがあるのに、制作側が「もう、NYでの物語は描き尽くしたし・・適当でエエやん?」と考えたかどうか知んないが・・中盤以降、舞台が中東圏に飛んじゃうトコで、観ててまず冷めてしまった(×_×)

そのロケ費用をジェニファー・ハドソンとかビヨンセ・ノゥルズの出演(=ギャラ)に充て、もう少し真剣に脚本を練り上げたら・・もそっと万人の納得する(?)『SaTC2』が完成した可能性もなくはあるまい? と思うと、ちと勿体ない感がある(・ω・)

にしても・・相も変わらず、魅力のわき起こらないのはサラ・ジェシカさんのご尊顔。
ヘアスタイルからお召し物から、もの凄い勢いで取っ替え引っ替えしまくるのに、ワタシの感じるのは「あ、まだPowerBook G4を愛用したはるんや」「“4ツ葉”の銀のペンダントトップ、エエなぁ」「“J'ADORE DIOR 8”のシャツってなんぼするんやろ?」とか、そう言った“ご本人以外”にしか眼が行かないのだ・・

あと、本作最大級の“サプライズゲスト”たる(?)ペネロペ・クルスさんだが「マドリード銀行副頭取=カルメン・カリヨン役」と言う微妙に「持ち味を発揮出来てないっぽい」キャラ造型で出演してはった・・それもたったの1シーンで!

更に数シーン絡めるとか、ラストのNGシーンで再登場させるとか(←ジャッキー作品かよ!)、もう1手が欲しかったなぁ(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

♦「SaTC」を冠してるにしては、幾つものエピソード&キャラが“投げっぱなし”“出しっぱなし”でまとまってなかった。その点、前作の方が「作品世界がこぢんまりとはしてたけど、しっかり物語の固められてた」気がする。
♦オープニングでガンガン“空撮どアップ”で映りまくるクライスラータワー(の塔頂部)が最高!! ホンマに好きな尖塔です。
♦初めてキャリーがNYにやって来たのは、1986年6月11日(火曜)15時30分のことだそうだ。
♦シャーロットとは87年に、ミランダとは89年に出会ったとか。
♦「バーグドルフ・グッドマン」ってNYの偉人さんと思ってたら・・高級デパートの名前でしたか(・ω・)
♦あなたが・・現在のライザ・ミネリさんでしたか・・(⌒~⌒ι)
♦サマンサさんの飲むサプリは44種類もあるそうで。。
♦1968年製のロレックスはビンテージモノで高額だとか?(モデルは何だったんやろ?)
♦ブチ切れたサマンサが自らの年齢を“fifty fuckin' two!”と言ってた(⌒〜⌒ι)
♦キャリーのセリフより。「白黒映画」はそのまんま“Black & White Movies”で良いらしい。
♦同様に「中東」も“Middle East”で良いンやね(・ω・)
♦ちょっと食べてみたいぞ。アフダル(AFDAL)航空・機内スナックの『アラビアン・プリングルス』
♦今回はシャーロットがiPhoneを愛用してた・・ってか依存気味だった(=^_^=)
♦スーク(市場)では、100ディルハム=20ドルとキャリーが言ってた。
♦4人がステージで“I am Woman”を歌うカラオケシーン。サマンサの衣装の“トゲトゲ付肩当て”が世紀末の拳法家みたいでカッコ良かった! 愛で空が堕ちて来る感じ!(どんな感じだ)
♦シャーロットの愚痴にたった1人で向き合い、耳を傾けようとするミランダ姐さんの姿にはグッと来た。2人のあのシーンは、本作最大の見所(の1ツ)だと感じた。(ただ延々と飲んでるだけ、にも見えるけど(=^_^=))
♦前作と同様「言わんでもエエこと」が波紋を広げてく展開になってた。ひょっとしたらドラマ版の頃から、この手の演出が『SaTC』流なんやろか?
♦アブダビの高級ホテルは1泊=2万2000ドルだそうで。
♦市場で、とある展開からバーキン(エルメスの最高級バッグ)を壊されたサマンサの“暴走ぶり”がスゴいことになってた。。
しかし、往来で中指立てて「くたばりやがれ!」はないでしょう(⌒〜⌒ι)
♦タクシーを“とある手段”で止めるキャリー。ああ、それも“フリ”でしたか・・(でもアレで止まらなかったら大変でしたネ)
♦新作ハリウッド大作『砂漠のファイター(原題:Heart of the Desert)』って、どうなんよ??
♦ジュード法(ロゥ)って新法が、存在するらしい(=^_^=)

〜 こんなセリフも 〜

キャリー“昔、ある所に島があった・・その島をオランダ人がビーズと交換に手に入れた”
    “ビーズがもたらしたのは・・蒸気船や摩天楼・・クライスラータワー・・ヤンキース”
    “これがNYのBC・・つまり、ビフォー・キャリー”
    “一瞬で10年が経つこともあれば、たった2年で、
     有り得ないと思っていた方向に変化の訪れることもある”
    「結婚する友達がまだいたとはね」
    “伝統は、逆らう者の信条までも動かす”
    “その夜、私たちは「激しいセ※クス」と「子供」の狭間にいた”
    「私は結婚前から“シェフよりもシャネル”だから」
    “片やノーブラなら、こっちはノーパン”
    「一緒に出かけるの。シャツを着替えるだけのことよ」
    「“ベッドで黙ってTVを観る夫婦”になんてなりたくないのよ。
     “キラキラした人生”を送りたいの」
    「空港でヘタに騒ぐと『ミッドナイト・エクスプレス(1978)』になるわよ!」
    「結婚の形は、人それぞれなのよ」
    「NYじゃ見飽きたけど、中東のカラオケは新鮮ね」
    “その時の私は・・NYをかつてなく遠くに感じた”
    “伝統を重んじつつ、自分なりに彩ればいいのだ”
    “男と女の関係にも、色んな色のあった方がいい”

サマンサ「どんな“工事”を、ですって? 100%ナチュラルよ!」
    「お仕事は“コンクリ”関係? あら、硬そう」
    「エストロゲン・クリームで、身体に“若かった”と信じさせるの」
    「サプリを1度に全部飲むの。“フ※ラの要領”でね」
    「全員“中東ヴァージン”よ」
    「1週間もホルモンなしじゃ、しまいにヒゲが生えるわ!」
    「生まれて初めての確信があるわ・・この地こそが私に相応しい、と」
    「今の案内の“一言一句”にウットリしたわ」
    「“オージー・ソーセージ”ね」
    「エストロゲンが切れた・・マッチョを前にして“ジュクっともしない”なんて・・」
    「いいわ〜! 下から何か突き上がって来た!」
    「私の“ビラビラのロレンス”様よ!」
    「男も子供も関係ない。私たちは“ソウルメイト”よ
    「炎天下で火照り死にそう」
    「さっさとついて来ないとぶっ殺す! 搭乗時間に遅れたら、次はエコノミー(クラス)よ。
     更年期にエコノミーなんて絶対ムリ!」

ミランダ「私には弁護士しか出来ないわ。この仕事を棄てたくない」
    「結婚は・・職業じゃないけど、立派に“仕事”よ」
    「いざ極めん!“アブダビ道”を!」 ←この“Abu Dhabi Doo!”は多分“YABBA DABBA DOO!”のもじりかと。
    「私の上司が嫌ってたのは・・私の“声”じゃなく、私に“声があること”だったのね」
    「何もかもが1万キロの彼方よ。さ、飲んで! そして言って!」
    「あんたは良く頑張ってる。さ、飲んで!」
    「夫の浮気? 今となっては果たして“知る価値”があったのか、分かんない」

ビッグ「僕を男前にするな。ゲイたちが気にする」
   「どっちが最悪って? そりゃサマンサだ。子供はいずれ泣き疲れるだろうから」
   「“シェフにキス出来る”のも“家飯(いえメシ)”ならではさ」
   「外でも家でも不満なのかい?」
   「ルールは自由なんだろ?」
   「今は、少し失望してるんだろ?」
   「“独自のルール”を設けたらいいさ。人生を好きに設計出来る」
   「仕事中だ・・(電話を)切るよ」
   「散歩していた・・“時間つぶし”さ。君を苦しめるためにね」

エイダン「これはきっと“生涯最高の蜃気楼”だ」
    「人を待たせるのも無礼だが、元カレと食事しないのも無礼だぞ」

アンソニー「結婚したって、中身は同じよ」
     「バーは“シュリンプ争奪戦”の真っ最中よ」

スタン「結婚するつもりで、19歳から貯金してたの」

ライザ「お静かに! 結婚は神聖なものよ! ・・少なくとも、そう聞いてる」

シーク「お言葉ですが・・ドバイはもう終わってます。
    これからはアブダビこそが“最先端の都市”と呼ばれることでしょう」

ガウラウ「逢えない時間が、逢えたときの喜びを大きくする・・幸せです」

キャリー「ナンパされてどんな気分?」
ビッグ「まだイケる、と」

ビッグ「僕からのプレゼントは、寝室に」
キャリー「いつもより良くなきゃ、ダメよ」

ビッグ「TVは失敗だった?」
キャリー「・・ジュエリーが良かったわ」

キャリー「あなたなの?」
ビッグ「でなきゃ、困る

キャリー「何故“黒ダイヤ”を選んだの?」
ビッグ「君が、他の女とは違うからさ」

シャーロット「結婚って“2人の人が毎晩、一緒に寝る”ってことよ」
サマンサ「そう? “4P”なら、経験あるけど」

リカルド「僕の名は、リカルド・スパルト」
サマンサ「つまり“リチャード”って訳ね。いっそ“ディック(=陽物)”と呼んでも?」
リカルド「アメリカ人はストレートだな」

追記:今回は劇中で『或る夜の出来事(1934)』や『The Talk of the Town (1942)・・ケーリー・グラント主演。邦題不明』のモノクロ映像が引用されてた! この辺りの、旧作を持って来るセンスは(したたかながら)なかなかイイ!

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2010年6月27日 (日)

☆『ムーンウォーカー(1988)』☆

25日(木曜)の深夜。
日本人として、この日ばかりは仮眠してでも、ムリしてでも深夜からの「第19回ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会・1次リーグE組最終戦(対デンマーク戦)」を観るべきトコだったンだろうが・・

そこまで気合の入った「ニワカサッカーファン」でもないワタシは・・(←何てなことを試合明けの渋谷駅前で声高に言ったりしたら、間違いなくぶち殺されてただろうなァ、、(×_×))同じ深夜でも、衛星第2で放送されたマイケル・ジャクソン(以下MJ)原案&主演&製作総指揮による唯一のミュージカル作(?)『ムーンウォーカー』をリラックスしながら楽しんで観たのだった。

ストーリーは3部構成、と言ったトコか。

第1部:過去からのMJ作品のダイジェスト映像(ライヴ&プロモーション)

第2部:ミスター・ビッグを名乗る下町の麻薬王(?)=フランキー・リデオ(ジョー・ペシ!)と“ムーンウォーカー”こと我らがMJの激突!

第3部:ビッグを葬った後、再びライヴ映像の中で存在感をアピールするMJ

辛うじて(=^_^=)確認出来た収録曲は以下の通り。

 1.Man in the mirror
 2.Music & Me
 3.I want you back(帰ってほしいの)
 4.ABC
 5.The love you save(小さな経験)
 6.2-4-6-8
 7.Who's lovin you
 8.Ben(ベンのテーマ)
 9.Dancing Machine
10.Blame it on the boogie(今夜はブギー・ナイト)
11.Shake your body
12.Rock with you
13.Don't stop 'til you get enough(今夜はドント・ストップ)
14.Can you feel it
15.Human Nature
16.Beat It(今夜もビート・イット)
17.Thriller
18.Billie Jean
19.State of shock
20.We are the world
21.The way you make me feel
22.Dirty Diana
23.BAD
24.Speed Damon
25.Leave me alone
26.Smooth Criminal
27.Come Together

有名なのは、やはりSFテイスト満載の第2部(ドラマ仕立て)であるが、ここでの「子供らを狂言回し的に配しながら、一方で容赦ない犯罪&銃撃&暴力描写を展開する」ってな演出が、どうも「バランス的に狂ってる」ようにもワタシの眼には映り、フクザツな気分となった(・ω・) マイケルの心の奥底の破壊衝動(?)がいよいよ具現化したんやろか?

特に「悪党としての威厳こそ“コモノ”レベル」ながら、倒れたMJを足蹴にする、女の子(ケイティ)を殴り飛ばす、など『天空の城ラピュタ(1986)』のロムスカ大佐(←ご本名?)顔負けなペシ様の言動が印象的だった。

MJ自身は“Speed Damon”や“Leave me alone”のPVの中で「自身の一挙手一投足にいちいち騒ぎ立てるメディア」「自身の姿を見かけるやいちいち(地の果てまで?)追いかけて来るファン&パパラッチ」に辟易してる感があり、そう言う点では実に「皮肉に固められた」映像&演出群であるように見受けられた。

しかし・・久々に眺めた“ロボットマイケル”のシーンは、当時は「何じゃそりゃ!」と笑ってただけだが、今回は「すげェなァ・・!」と感心&興奮することしきり。あのロボット顔こそはブサイク過ぎるが・・

ディテール&ギミックは『トランスフォーマー(2007)』に通じるモノがあったし、
ウェポン関係は『アイアンマン(2008)』を彷彿とさせてくれ、
雨のように降り注ぐ銃撃をバリアで防ぐ辺りは『インデペンデンス・ディ(1996)』にも影響を与えた気がした。

ときに、本作の終盤に収録されてる(ビートルズのカバー曲)“Come Together”だが、実際にアルバムに収められたのは『History(1995)』のこととなる。
つまりはアルバムに入れられるずっと昔から、ライブパフォーマンスにおける定番だったんやろか?

また「本作における、MJの代表的なパフォーマンス」は「走る(←ホンマに元気に走り回ってる!)」「逃げる」だったようにワタシには見受けられたが、
「走る⇒生きている」「逃げる⇒去る⇒逝く」・・とアタマの中で漠然と変換するに・・「こんなに無邪気で、生き生きと走り回っていたしとにも、やっぱり生命の終わりって言うのが訪れるんやなぁ・・」としみじみとしてしまったモノだった。

~ ほか、こんなトコも ~

♦MJは当時(?)ロスのエンシノ在住だったそうだ。
♦スタジオ内のシーン。やって来たツアーバスの呼びかける「スターにはエサを与えずに。刺激しないように」がズゥ(動物園)っぽくて面白い。
♦自由の女神(スタジオのミニチュアだが)がひと言喋ってた! 「ここは自由の国、おかしな連中の宝庫ね」と。
♦アメリカのフリーウェイ上はダンス禁止らしい(=^_^=)
♦MJを巡るゴシップ紙の見出しには「高圧酸素室で就寝?」「エリザベス・テイラーに求婚?」「エレファント・マンの骨を購入?」などがあった。もうちと後年なら「アインシュタインの眼球を購入?」とかも有り得たんかな?(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフも 〜

MJ「きっと気に入るさ・・心の準備を。ステキなものを見せて上げるよ」 ←子供らを言葉巧みに誘ってる?(⌒〜⌒ι)

ショーン「何か隠してるね?」
MJ「驚かせたいんだ」

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2010年6月21日 (月)

☆『孤高のメス』☆

20日(日曜)。
今朝も、昨夜の就寝時刻の深さがそのままずれ込んだかのように・・ぐぅぐぅと“寝だめ”してしまった。
考えたら、土日を高松で過ごすのって、案外久しぶりな気もする(・ω・)

結構自由に過ごせる時間があるんやねー・・と嬉しくなりつつ、結局はダラダラしてすぐ終わっちまうンですけれども。。

午後、と言うか夕方からは、クルマでないと行けない距離にある“ワーナー・マイカル・シネマズ綾川”と言うシネコンに、
ここでしか(恐らく香川県下では)上映されてない医療作『孤高のメス』を鑑賞に出かけた。

以前、浜村淳さんが朝からお礼を言ったはるようなタイトル(=^_^=)のラジオ番組で紹介されてもいた本作(6月3日だったか?)。
ゲストに堤真一さん&夏川結衣さんが出演し、ちょっとトークしたはったのを耳にし「ええ感じやな~」とその時から気になってたのである。

1989年。昭和が終わり、平成と言う新たな年号の始まった年。
千葉県さざなみ市にある地方病院「さざなみ市民病院」に新しく赴任した外科医=当麻鉄彦(堤)。
そこには、復帰して半年を迎える看護師=中村浪子(なみこ:夏川)が“この仕事がイヤで堪らない”と言う気持ちを日々募らせながら勤務していた。

それもその筈、現・外科部長=野本(生瀬“ボヤッキー”勝久)率いる“慶応医大からの派遣医グループ”の拙い医学知識&杜撰な執刀技術により、地元患者は次々と(陰ながら)不幸な眼に遭っていたのだ。

そんな中“ピッツバーグ大学で本格的な肝移植術を習得して来た”と言う当麻は、運び込まれた患者たちを次々と的確&鮮やかに処置して行く。その執刀ぶりに魅了された浪子たちスタッフも次第に感化され、第2外科部長に就任した当麻のもと、チームは活気を取り戻して行くのだった。

ある日、当麻の腕を買っていたさざなみ市長=大川(柄本明)が議会中に「ぐはーーッ!」と大量の血へどを吐いて昏倒、緊急搬入される(肝硬変⇒食道静脈瘤破裂)。
早急な肝移植が必要とされる状況の中、大川の弟や娘=翔子がドナー(提供者)を申し出るが、それぞれに問題が生じたため“生体肝移植”の道は閉ざされてしまう。

一方、トラックにはねられ脳挫傷の診断で運び込まれたのは、浪子の息子=弘平の通う保育園の音楽教師=武井(余貴美子)の1人息子=誠だった。
既に院内では“脳死”と判定された誠だが、日本の法律で“脳死肝移植”が認められていない現在、それを行うことは執刀医自身の破滅に繋がりかねない。

そのため、院長(平田満)も決断をしかねる中・・当麻は静かに口を開くのだった。
「私がやりましょう。“功名に走った1外科医の暴走に、院長は押し切られてしまった”と言うことで良いでしょう」
決意に満ちた口調でそう言い放つ当麻。

武井も、翔子もこのオペ(摘出⇒移植)には納得し、秘密裏に手術(オペ)は進行するかに思われたが・・それを快く思わぬ、野本ら“慶応3医師”が県警&マスコミにこのことをタレ込み、事態は大ごとになって行くのだった・・

シロウト衆を突き放すような・・序盤に飛び交う“医学用語群”を除いては・・

とても分かり易い流れの物語であり、浪子の死⇒成長し医師(研修医)となった彼女の息子=弘平(成宮寛貴)が「母の日記」を通じ、過去の物語をひもといて行く・・ってな組立ても“ベタな感”こそあるも「真面目に書かれた脚本」って印象で好感が持てた。

患部をボカシなんかで隠さぬ、堂々たる手術映像も、当初は「わー!」と思ったが、慣れて来ると“生命の神秘”みたいなモノが感じられ、怖い&気持ち悪いと言った気持ちが次第に消えて行くのが不思議だった。

流石に、オペ中に血がピュ〜ッと飛んで、顔面に付着したらヘナヘナとなっちゃうだろうけど。。

日記の中でしか、決して「本心」を語らなかった浪子の、当麻に対する外見的な“笑わず、寄り添わない”態度と、内面的な“敬愛を寄せて止まない”態度のギャップも観ていて微笑ましく思えた。

だからこそ、あの日記は弘平のみが読むべきモノではない、と確信する。
早速「院長」に見せてやんなさい、弘平!(=^_^=)

不器用で、一直線に進むそんな当麻であるが・・片や「病院以外での姿」は殆ど描かれず、如何にも“孤高のスーパードクター”然とした佇まいのまま最後までミステリアスに振る舞っていた。

ここでもうちょっとプライベートな姿(とか意外性)を見せてくれると、更に親しみが沸いたかも知れない(・ω・)

後半、移植の日に出勤して来た野本部長が、病院の周囲に集まったマスコミの姿を確認して「ズルく笑う」んだが、この辺りの生瀬氏の“憎たらしい演技”がカミガカリ的に凄まじかった。
キャバレー(の喧噪の中)から「タレ込み電話」してる背中の哀愁とか。流石はボヤやん(=ボヤッキー)である(=^_^=)

そして余さん。ホンマに「日本を代表する、トップクラスの女優となりつつあるなぁ」と。このしとの情念(怨念?)のこもったような“訴え表情”は、もはや唯一無二な感じすら漂う。

主演の堤さんをはじめ、柄本、余、平田・・そして松重豊、徳井優・・むろん夏川さん、と助演俳優の殆どに存在感&安定感があり、どんどん物語世界に引き込まれてしまった。

当然ながら・・リアルな地域医療の実態は“肝移植”よりも、きっと“認知症”“介護”などの高齢化がメインになってて、地味でエンドレスなモノなんだろうけど「眼の前の患者を治す」と言う根源的なポイントに絞っての物語は、我々シロウトな観客を「十分にアツくさせる」ことに成功していたと感じた。

夏川さんは、覚えてる限り『壬生義士伝(2003)』以来の拝見となったが、ちょいとご尊顔に貫禄が備わって来たと言うか・・だんだんと田中裕子さん路線の容貌になって来てるかも? と勝手に感じたり。

総じては「当麻&浪子のプライベートな絡み」に期待しちゃったワタシなので、そこが描かれなかった点には不満が残ったが(←きっとそれは、制作側が意図してのことだろうけど)・・良い作品に出会えて嬉しくなった。

〜 こんなトコも 〜

♦「先生」と呼ばれてた武井さん。「女医さん?」と誰もが勘違いしてしまうような気が・・?
♦2階(もしくは3階?)から真下を見下ろす、市民病院入り口を映すカメラワークが印象的だった。
♦「みぞおちの痛み」は心筋梗塞のサインの1ツらしい。。
♦出血の止まらない場合、患部にガーゼを詰めたまま、取り敢えず縫合して大学病院に送るそうだ(×_×)
♦序盤でか「鬼塚医院のドラ息子が処置した」みたいなセリフがあったが、演じたとすれば、やはり阿部サダヲ氏だったろうか?
♦「ヘパトーマがラプチャー」・・って“解説”がないと訳が分かんないー(×_×) ←「肝細胞ガンが破裂する」ってこと。。「ヘパがラプる」とか略するんかな?
♦主人公が上記のエキスパートだったら「ヘパ当麻」とか呼ばれるンかな?(芸人かよ)
♦一命を取り留めた「浜乃屋」の親父さん。何だか思いのほか言動がナヨナヨしてて、ちょっと気になった(放っといたれよ!)
♦市民病院の外科部長は、お役所における課長待遇の給与が支給されるそうだ(当時だけど)。
♦劇中で野本らがこもってた店の名は「グランドキャバレーミカド」・・何とも場末っぽいなァ・・
♦履歴によれば、各地の病院を転々として来た当麻。何があったんやろ?
♦実際には“生体肝移植”が1989年に、“脳死肝移植”となると・・1999年に国内で初めて行われたそうだ。
♦『週刊シャッター』の編集長。何処までタレ込み電話の内容を理解してはったんやろ?
♦虫垂炎(盲腸)の誤診から虫垂破裂⇒敗血症⇒腎不全・・で亡くなるケースもあるとのこと。
♦劇中で「肝移植を“ピギーバック法”で行う」と当麻が言ってた。「今夜もピギーバック」ってヤツ?(←全然違うし!)
♦劇中に登場するクルマは「袖ケ浦ナンバー」が目立っていた。

〜 こんなセリフも 〜

弘平“思えば、母はいつも“貧乏くじ”を引いていた気がする”
  “母は・・自らの仕事に誇りを持っていたのだろうか?”

浪子“今日もまた、後味の悪いオペだった”
  “オペ室での出来事を家族は知らない”
  “私の手渡したクーパーとペアンが、患者の血管を傷つけるのだ。いわば私も共犯者だ”
  “年号が代わり平成となっても、生活は何も変わらなかった”
  “愚痴をこぼせる相手は、この日記だけだ”
  “オペがこんなに美しいものだとは知らなかった”
  “これまでは決して救えなかった生命を救えた・・そんなオペに参加出来た興奮がずっと続いていた”
  “日記の愚痴が減って行く・・それを敏感に感じているのだろうか?
   泣いてばかりだった弘平が、良く笑うようになってくれた”
  “もっと巧くなりたい・・当麻先生のために”
  “当麻先生は、嘘が下手だ”
  “肝臓の裏側の処置は、誰も手伝えない孤独な作業だ”
  “スタッフの心も、同じように1つになってゆく”
  “生命がとうとう、1つに繋がった”
  “最後のクーパーだ。これを渡せば、オペは終わる”

当麻「モスキート(鉗子)やメッツェンバウム(剪刀)は先端がデリケートで、かつ安くはない器具です」
  「大学病院に送るのが慣例? だから諦めるんですか?」
  「外科医にとって大切なのは、眼の前で苦しんでいる患者を救うことだよ。大学の慣例じゃない」
  「患者の生命を“寿命だ”なんて決めつけないで下さい。不愉快です」
  「手術とは“手編みのセーター”をこつこつ編んで行くようなもんです。
   耐えて、忍んで・・だからそんなオペには“演歌”が合うんです」
  「朝はパン(食)にしてますから。手が掛からなくていい」
  「クラシックはダメだ。眠くなる」
  「ロックなんかとんでもない。メスが暴れてしまう」
  「信じられないな君たち・・彼女は“日本の宝”だぞ?」 ←彼女とは・・(=^_^=)
  「“サービス”は困ります」
  「地域医療のレベルアップが、これからの課題だよ」
  「医師であり続けることは、医師になることの何10倍も難しい
  「助かりたいと願う“患者”と、生命を繋げたいと望む“脳死患者の家族”が、
   今、僕の眼の前にいるんです。それを無視して手術しないのなら、
   僕は医師じゃない。自らメスを置きます」
  「肝臓が赤みを帯びて来る・・ドナー(提供者)とレシピエント(受容者)の生命が繋がった瞬間だよ」
  「私はただ、医師としての仕事をやるだけです」
  「汚(けが)れのない、美しい肝臓でした。お役に立てるよう、全力であたらせて頂きます」

看護師「また、何の為のオペなのか分からないまま、終わりましたね」
   「ここにそんな特別な鉗子なんか、ありませんよ」

野本「ガーゼもっと! ビンごと! 早くしろ!」
  「閉じて送るから」
  「なぁ青木・・いい飼い犬には立派な首輪が付いてるもんだ。
   お前も“慶応医大”って言う首輪、せいぜい大事にした方がいいぞ」
  「俺に命令するな! ・・誰にモノを言ってんだ?」
  「やらしちゃおう。失敗すればそれまで、成功しても、追い出してやる」
  「我々は“蚊帳の外”ですよ」
  「私は・・胸が痛い」

武井「先生は“もう眼を覚まさない”って。
   あの子の心臓は、あんなに元気に動いているのに・・
   あの子の手は、あんなに温かいのに・・どうして・・」

大川「病室の窓から見える“何気ない風景”が新鮮でね。
   生まれ変わった、と実感するんだ」

実川「彼のメスは“純粋”で“孤高”なんだよ」

大川「先生・・もし“あっちの方”で何か悩んでいることがあったら、俺に言ってくれ」
当麻「“あっちの方”とはどっちの方ですか?」

院長「今日は実は“お見合い”だったんですよ」
当麻「ああ・・誰と誰が?」

当麻「いつかまた、一緒に働ける日が来たらいいね」
浪子「結構です。先生は人遣いが荒いですから」
当麻「ああ・・ごめん」

当麻「まだ怒ってるの?」
浪子「笑ってます!」

追記:“iTunes Store”で『アンコ椿は恋の花』と『好きになった人』を思わず買い求めてしまった(⌒〜⌒ι)

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2010年6月20日 (日)

☆『ザ・ウォーカー』☆

19日(土曜)の3本目。
“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”にて『オーケストラ!』観賞後・・いったん帰宅し、少し休憩(1時間半ぐらいか?)してから再びシアターに向かったのは、公開の始まったばかりの新作SF『ザ・ウォーカー』である。因みに“レイトショー”での鑑賞。

デンゼル・ワーシントン(←しばらくこの記載が続くと思われ(=^_^=))と(大物俳優G.Oこと)ゲイリー・オールドマンが、荒廃した近未来を舞台に激突!

空に穴が開き、凄まじい量の紫外線(UV)が地上に降り注いだあの日。

海は枯れ、地は裂け、あらゆる生命体は絶滅したかに見えた・・しかし、人類は死に絶えてはいなかった(←どっかで聞いた言い回しやぞ? 海は枯れ切ってないし)
“最終戦争”とも言われる「崩壊の日」から30年後、バックパックに1冊の分厚い本を隠し、ひたすらに西を目指して歩き続ける旅人“ザ・ウォーカー”(デンゼル)の姿があった。

彼がある日、立ち寄った街はビル・カーネギー(ゲイリー)の支配する“文化的な街”だった。

“ザ・ウォーカー”に食事&ベッドを与え「ここに残って私のために働かんか?」と提案するカーネギー。
しかし彼は「“西に向かえ”と俺を導く声がする。俺のとどまるべき地はここではない」と旅立ちの決意を告げるのだった。

やがてカーネギーは、彼の肌身離さぬ書物が“自らの捜し求めていた1冊”であろうことを確信する。

一方で、カーネギーの囲う美しい女クローディア(ジェニファー・ビールス!)の1人娘=ソラーラは“ザ・ウォーカー”を慕い、彼の旅について行くことに。

街を去った2人を追い、カーネギーとその部下の駆る装甲車が荒野を突っ走る。

今、1冊の書物を巡る激しい戦いが始まろうとしていた・・

この日はアクション⇒ドラマと来て、またアクションに戻った「ハシゴ鑑賞」だったが・・思いのほか「分かり易く、大したヒネリもなく、製作費もかかってないような」そんな本作を最後に持って来て「正解」だった気がした。

何となく夜長に寛いで観られるような・・そんなノンビリ楽しめる(←いや、決して楽しくもないンだが)作品ではあった。

中盤から「書物」の正体が何であるのか? と言うのは明らかとなるが、そこから派生する「もう1ツのネタ」があり、それをどう落としてくれるのか、が物語の最大の見所ではあるかな、と。

んでも、ワタシはそれにすぐ気付いてしまったので(コレも分かる観客にはすぐ分かるかな、と)・・総じては「あんまり面白いストーリー」「クレバーな脚本」とも思えなかった(・ω・)

まぁ、本作の難点はデンゼル&ゲイリーと言う素晴らしい名優を迎えながらも、間延びした展開や、踏み込めてないキャラ造型ゆえに、彼らの持ち味が(全開で)発揮出来てなかった点かも知れない。

って言うか、デンゼルにもゲイリーにも「彼らでなければ!!」ってな魅力が欠けてたような。劇中の設定にも「良く分からんまま」のトコが幾つかあり、正直『アイアンマン2』をもう1回観とけば良かったなぁ・・と思ったりしたワタシ(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

♦ほぼ全編に渡り、極限近くまでに色を落とした映像となってた! そのこだわりはなかなかかも。トニスコ監督系?
♦序盤だけ、森林地帯が登場します。
♦冒頭のネコ殺し⇒食猫行為は、全世界の猫ファンの反発を逃れられない、かも。。
♦一方で、ネズミは喰わないんやね。。
♦30年も荒野を旅してる割に、所持してるiPod(のバチもん?)のバッテリーが残ってたり、KFCの紙ナプキン(指拭き)が干上がってなかったり、サングラスが妙にピカピカだったり、と良く分からんトコがあった。
♦「手を見せろ」「ほら、ヤツらとは違う」みたいなやり取りが何度かあったが、ヤツらって何だったの? ダ※ク・シ※カー?
♦近未来ではリップクリーム、紙ナプキン、シャンプーなどの価値が上がって来るみたい!
♦ムッソリーニ自伝、ダヴィンチ・コード、アンネの日記(?)などの書物が登場・・したが、カーネギーに「焼き捨てろ」と一蹴されてた。。
♦クローディアと言う名も、主人公の本名も、ずっと後の方で明らかとなる。
♦ボスに「手を洗ったか?」とすごみ訊かれ、答えた医師(?)の「2回・・石鹸で」の答えがコモノっぽくて面白かなしひ。。
♦背後から股間に矢じりを撃ち込まれ、悶絶⇒即死する悪党。この死に方は、確かに男には(?)エグい(×_×)
♦背後から、首筋に一発撃ち込まれてたような気もするデンゼルさん・・アンブレイカブル?
♦技術屋役でトム・ウェイツ氏が出演。ロン・パールマンと区別がややこしい(=^_^=)
♦“声”に導かれ、西を目指す主人公。そこでもし「トウモロコシ畑を切り開き、野球場を造れ」と言われたら・・やっぱりそうしはったんやろか(⌒〜⌒ι)
♦アイツは以前「Kマートの店員」だったことが明らかに!
♦ジョニー・キャッシュの歌詞、アニタ・ワードの“Ring my bell”(←アナログ盤や!)などが登場。
♦「殺してレクターする(≒佐川君する)」ってなネタが潜在的にあって、ゾゾッとさせられた。
♦ロケットランチャー&ガトリング銃の使用、装甲車の爆発&横転など・・特定のアクションシーンで予算消化を調整してた気もする(爆笑)
♦大事なモノはTVの中に隠されてた。かつての『レオン(1994)』ではラジカセの中だったっけ?(=^_^=)
♦近未来では、サンフランシスコ某所から「世界を代表する出版物」が次々と刊行されることとなるらしい。

〜 こんなセリフも 〜

ウォーカー「石鹸のないお陰で、強盗の臭いってヤツがすぐ分かる」
     「忠告したよな?」
     「道をそれるな・・お前には関係ない・・進むべき道を進め」
     “土は呪われた・・我々の故に”
     「選択肢はないだと? 決めるのは俺だ」
     「以前は物が余っていた。人々は“本当に必要な物”を見失っていた」
     「昔棄ててた物を、今は奪い合ってる」
     「この30年間、迷ったことなど1度もない。信じることが大切だ」
     「人のために尽くせ・・そんな“本当に大切な教え”を忘れかけていた」
     「・・海が近い」

カーネギー「お前には分からなくていい」
     「これが“地球最後のシャンプー”かもな」
     「自分が“ただの男”だと? そうではあるまい?
      君のさっき殺した連中こそが“ただの男”だ。君は違う」
     「どうしたソラーラ。お前の母親が痛がっているぞ? 助けてやれ」
     「教えろ!(Show me!)」
     「それこそは“読んだ者が力を得る書”なのだ。だから戦後、焚かれた」
     「人々を導く言葉が、その本には書かれている。絶望した者の心を操れる本なのだ」
     「その本を広め、みなで共有すべきなのだ」
     「気に入ったぜ(I love this guy.)」
     「信じて求めれば・・与えられん」
     「俺のために祈れ」

クローディア「※※なんか・・もう忘れたわ」

女「何もしない? みんなそう言うわ」
 「水? あんたのを奪って、ついでにあんたも食べるつもりだったのさ」

追記:本作の原題は“The Book of ELI”だそうで。やっぱりそれやとインパクトに欠けるネ。

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☆『オーケストラ!』☆

19日(土曜)の2本目。
“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”にて『アイアンマン2』観賞後、約15分後の開場でシアターに向かったのは、周囲から「良い!」と耳にしてた音楽ドラマ『オーケストラ!』である。

かつては“伝説の指揮者”とさえ言わせしめた男=アンドレイ・フィリポフ。
30年前、指揮する「チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲」の演奏が最高潮を迎えたトコロで、当局に踏み込まれ、コンサートは中断してしまった。
それもその筈、楽団は当時の“ブレジネフ政権”に逆らい続けたからである。

それ以来、酒浸りとなり「ボリショイ管弦楽団(ロシア)」に籍こそは置きつつ・・清掃係として苦汁をなめ続けているこの男だった。

そんなある日、ボス=レオニード・ドミトリーヴィッチの部屋を清掃していたアンドレイのトコロに、たまたま「ボスあて」のファックスの受信が。

内容はパリ・シャトレ座からの公演依頼だった。

反射的に(=^_^=)そのファックスをちぎり取り、現在の「ボリショイ管弦楽団」に成り代わって、自身がかつて指揮してた頃のオリジナル・メンバー(=^_^=)を率いシャトレ座に出演する、と言う大それた計画を実行に移し始めるアンドレイ。

妻イリーナの後押しに加え、友人サーシャ、KGB局員のイヴァン・ガヴリーロフなど中心的なメンバーの協力を得て、55人の楽団員を集めて行く。

イヴァンを通じ、シャトレ座の支配人=オリヴィエ・デュプレシ(フランソワ・ベルレアン)に粘り強く交渉し、ソリストには若手実力派のアンヌ・マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)を参加させることに。

2週間後に迫る公演。なかなかにリハの実現しない楽団・・と言うか、楽器すら売り払ってしまった団員もおったりする。。

メンバーそれぞれが期待&不安を心中に去来させる中、アンドレイは密かに「とある大きな告白」をしようと考えていたのだった・・

関西圏では、先月の劇場公開時「混雑しまくりだった」とも、色々なブログを拝読してて知っていた本作。
確かに、こちら高松でも、そこそこの観客数であり、かつその年齢層が幅広い! って印象を受けた。

肝心の物語については・・どうかなぁ(・ω・) 「メンバー集め」「いざ出国」「アンヌ・マリー出演」「リハーサル」など、幾つかの関門(とそれに絡めた脚本的な見せどころ)が用意出来たハズだが、いずれも何となく「無問題」でサラッと描かれた。。

総じて言えば、物語はアンドレイ、アンヌ・マリーをメインに、サーシャ、イヴァンをサブに・・って印象で、他の面々は殆ど「まとめて1人」的な扱いに見えなくもなかった。。

一方で、個性的な楽団員は“確かに”幾人もおられたので、その辺り「もう少し」メイン&サブキャラに絡めたり、独自の“何かのエピソード”を「もう少し」盛り込んだりしてくれてたら、更に評価の上がった気がしなくもない。
上映時間のやや長めな割に「まんべんなさ」「群像劇」としての要素には欠けるモノがあったように感じる。

にしても、搭乗寸前の空港ロビー内で、楽団員を前に“思いっきりオープンに”パスポートの偽造作業を堂々と進める業者の強引さ(大胆さ)は爆笑モノだった。「10ドル増額でモロッコ行きも発行出来るぞ」「3ドル増でラミネート加工はどうだい?」「ホルダーは付けなくていいかい?」とか。
警備員が向こうから不審そうな表情でじっと眺めてるンですけどォ・・(⌒〜⌒ι)

劇中でアンドレイが言ったように、中盤以降は“彼(彼ら)の告白”が重要なポイントとなって来る。そのためには「かつての楽団メンバーの再結成(←今や“ニセモノ”にせよ)」「アンヌ・マリーの参加」「チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏」が欠かさざる要素だった訳で。

冒頭&終盤の演奏シーンも無論良かったんだが、私的に最も「素晴らしい!」と感じたのは、楽団員たちを冷ややかな眼で眺めてたアンヌ・マリーが、ロマ(ジプシー)の陽気なヴァイオリニストの即興的な演奏(ムチャクチャ速い!)を耳にするうちに「驚愕の表情」に変わって行くトコ。
ああ言う演出にはワクワクさせられる! しかしあのロマのおっちゃん、何て言う名だったんだ?(・ω・)

ってことで、脚本にうるさい(が、自身が書く訳ではない(=^_^=))ワタシのようなおっさんには、細かい部分で不満の残るストーリーではあるも「コレも、今の時代だからこそ描ける物語なんやろね」とも感じた訳で「そこそこにしっかり作られた、分かり易い音楽ドラマが観たい」と仰る貴兄には、ハッキリおススメし得る1作ではあろうかな、と♪ ←何でそこだけ「♪」が付くねんな。

〜 こんなトコも 〜

♦貧乏そうだったアンドレイ&イリーナ夫婦だが、しっかり携帯だけは活用してた。やっぱり必須なんやねぇ。
♦本作に限っては、余り「寒そうなロシアの雰囲気」が描き出されてなかった気がする。
♦常に暴走してるサーシャの救急車。ダッシュボードに置かれた「クモのミニチュア」が気になった(・ω・)
♦イヴァンの(ロシア連邦共産党の)オフィスには、今もレーニンの肖像画やら胸像(ミニチュア)やらが。
♦イリーナの「離婚するわよ・・ここで行かなきゃ」のセリフにグッと来た!
♦「(通話を)接続する」みたいな“ロシア共産党員”の身体に染み着いた(?)言い回しの光ってたイヴァン氏。
♦詳しくないが・・LA管弦楽団を招く方が、ボリショイに色々吹っかけられまくる(=^_^=)より、更に費用がかさむらしい(=^_^=)
♦「音楽なんかカネにならない。今やネットでタダだからな」のセリフには考えさせられた。
♦結婚式のパーティー会場シーン。何だか急にマフィアのドンパチ(乱射)が始まったが、、あれは笑うべきトコだったんか?
♦「太陽は朝、当たり前のように昇るだろ? 夜には昇らないよな? 楽器の調達はパリまで待て。つまり、そこが朝だ」このセリフは分かり易く、希望も含んでて良かった☆
♦アンドレイの容貌が、何処となくハーヴェイ・カイテルとかシー・キエン(←『燃えよドラゴン(1973)』の敵ボス=ハン役)を連想させた。。
♦シャトレ座の職員ジャン・ポールが、何処となくクエンティン・タランティーノを連想させた。。。
♦パリでハンバーガー1ヶ=95サンチーム。モスクワのマックより安く、調味料も「取り放題」だそうだ(=^_^=)
♦「キャビア缶なんか売れない。中国の携帯なら即完売なのに」「韓国製のSIMカード内蔵の携帯だ。世界中に無料で架け放題だぞ」なんてなセリフもブラックで笑える。
♦メラニー・ロランさんの“恥づかしい場所のホクロ”をしっかり確認した!(←首筋だっての)
♦「電波の流出により、間違った国や惑星に届いてしまう」ってセリフもイイ感じ。
♦中断されたコンサートは1980年6月12日のことだそうだ。
♦オリヴィエを眺めてて、後半でようやく気付いた! 『トランスポーター』シリーズのタルコーニ警部だと!
♦どうやら“ニセボリショイ”(=^_^=)は追加公演の中でトウキョウ(シンフォニーホール)にも来てたらしい。
♦シャトレ座のお2人、実はゲ※だったんか?
♦アンヌ・マリー・ジャケが「あんまりじゃけぇ」と広島弁に聞こえたり←しねぇよ!

〜 こんなセリフも 〜

アンドレイ「バランスを取って・・ファゴット(木管楽器)、優しく」
     「私はボリショイを愛しているんだ」
     「彼は“燃える眼”をしていた。やる気なんだ」
     「音楽には“自発性”が大事なのです」
     「楽団員たちは、ここパリでインスピレーションを得て、学んでいるのです」
     「このコンサートは・・いわば1つの“告白”なんです」
     「“究極のハーモニー”が僕らを空へと浮かび上がらせる」
     「みなが1ツの楽器と才能を携えて来る・・コンサートとは“団結”なんだ」

イヴァン「人民は我々の味方だ!」
    「1人400ルーブル? これは“搾取”だよ!」
    「すっかり“減腹”だよ」
    「ロシア人は“遅れるのが礼儀”でして」
    「神よ・・本当に存在すると証明してくれ。ここで奇跡を起こしてくれ」

サーシャ「今も俺たちの指揮者なんだろ?」
    「2週間で80人集める? バレエでもやるか?
    「資金も時間もないぜ」
    「パーカッションとコントラバスはどうする? 俺が口で音を出すか?」
    「送迎バスの代金を先に払ったのか? だから来ないんだよ、バカ」
    「コンサートの最後に、※※が見つかるとしたら?」
    「言葉を信じても、言葉は裏切る。言葉は汚いんだ」

アンヌ・マリー「どうやったの? 今の倍音のアルペジオ・・普通の指使いじゃない」
       「“理性を棄てたヴァイオリニスト”になれと? それはムリだわ」

オリヴィエ「もっと小声でも聞こえます、ムッシュウ」
     「ロシア人はラバのように頑固だ。殴り付けないと前に進まん」

ジャン・ポール「今夜はお金、必要ないでしょ?」
       『彼らに今すぐ払わないと、リンチされそうです!』

トゥル・ノルマン店長「俺はアルカイダだ。払わないと、ここで一生ベリーダンスを踊らせるぞ」

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☆『アイアンマン2』☆

19日(土曜)。
「ちょいとした遠征だね、こりゃ」って感じでこなして来た出張だったが、思いのほか長期運転に伴うテンプルへの(精神的な)一撃があったものと見え、午前中はぐうぐうと“寝だめ”してしまった。

そんな訳で、この週末の帰阪は取りやめにし、市内のシネコンをハシゴしよう! と直感的に思い付いたワタシ。

ピックアップした中での第1候補が『アイアンマン2』であり、まずはそれを観に“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと繰り出した☆

社内での「スーツ暴走事件(2008)」も解決し、トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)は自らが“アイアンマン”であることを遂に公表。
父ハワードの遺志を継ぐ形で、1974年以来となる“スターク・エキスポ”を1年間の会期で盛大に開催する(会場:ニューヨーク・フラッシング地区)。

その頃、連日の(?)華々しいスターク社の報道を憎悪の眼で暗闇から見つめる男がいた。
彼の名はイワン・ヴァンコ(ミッキー・ローク)。かつてハワードと共同で、原子炉に変わる(とされる)未来のエネルギー装置“アーク・リアクター”を設計した物理学者=アントンの息子である彼は、父を追放したスターク父子に“復讐”を誓うのだった。

トニーが飛び入り参加(=出走)した“モナコ・ヒストリック・グランプリ”会場で、鉄をも寸断する電子鞭(?)を両手に大暴れするイワン。辛くも彼を撃退した“アイアンマン”だが、その破壊力に眼を付けたのは、ライバル企業=ハマー社のCEO、ジャスティン・ハマー(サム・ロックウェル)。

ハマーはイワンをまんまと脱獄させ、トニーに対する共闘を申し出る。

一方で、胸部に内蔵された“アーク・リアクター”の副作用による「中毒症状」の進行するトニー。最大の理解者である秘書=ペッパー・ポッツ(グウィネス・パルトロゥ)にも真相を切り出せぬまま、次第に(死の恐怖&虚無感からか)その言動は乱れ始める・・

そんな彼の姿を静かに見つめるのは、新しくトニーの助手となった才媛=ナタリー・ラッシュマン(スカーレット・ヨハンソン)であった。

本作! シリーズの続編ながら「前作で明らかにしとくべき(=^_^=)事実」が次々と出て来て、意外に飽きることなく楽しめた! 脚本的にはたぶん“後付け”の要素も多かったハズだろうが、ここまで巧くはめ込んでくれてると、ホンマに感心するばかりだ。

なお、脚本を執筆したのは『チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル(2003)』『マルホランド・トライヴ(2001)』などで俳優としても印象を残してくれたジャスティン・セロゥ。多彩なしとやねー。げ、同い年やんか・・

私的には、本作における“強敵”たるイワンとの「バトルシーン以外での交流」がかなり薄かったのと、前作のラストでその存在を怪しげに漂わせてくれた(?)、謎の組織“シールド”の実像が、結構まったりしたモノ(?)として表面化しちゃってたことに、若干の退屈さを覚えた感じかな。
まぁ、余り“テキ組織”が多過ぎてもこんがらがるので、この辺りの落ち着いた配置が、観る方にとっても有難いんだが(・ω・)

本シリーズで最もワタシの楽しみにしてるのが、グウィネスさん演じるポッツ嬢のキャラなんだが・・コレはもう、期待&予想を裏切らず、素晴らしいモノに仕上がってた。トニーとの「仲良くケンカしな」的なくっ付き具合も、すこぶる良い感じ。

アクションシーン全般はスカヨハちゃんがまとめて引き受けてたが、ワタシはやっぱり「本シリーズ、グウィネスさんあってのフォロワーでいたい!」と改めて心に誓うのだった。間違っても浅田美代子さんには代わって欲しくない(←って『釣りバカ』シリーズかよ!)

ロバダウさんの前作(?)『シャーロック・ホームズ(2009)』が私的にしょっぱ過ぎたもんで(続編、造るのォ?)、本作にも不安があったんだが、なかなか良い感じである。久々に(あらゆるハリウッド作に言われる)「第1作を超えるのは難しい」ちぅジンクスを打ち破ってくれてる気もする。

それにしても、警官も医師(主治医)も全く登場しない物語だったなぁ・・あと、モナコとエキスポ会場では、かなりの人々が重軽傷を負った気もするんだが、、そこは観客として、気にしなくてエエんやろか(⌒〜⌒ι)

〜 こんなトコも 〜

♦冒頭の会見シーン。ここでトニーの姿を「報道画面のみ」で見せ“声メイン”で描いてるのが良かった。あんまし最初からババーン! と出られちゃうと面白くないので。
♦エキスポの開会宣言。トニーの「戻って来れて嬉しい」「若い頃は色々と暴れて来た」ってなスピーチに、ロバダウご自身の“やんちゃ時代”が思い出され、ちょっとグッと来た!
♦サム・ロックウェルの壇上スピーチ直前のステップ(ダンス)がなかなかカッコ良かった!
♦サムロク、いずれはゲイリー・オールドマンの後継者となって行くんやろか? 系統が何となく似てると思いましてな。
♦「シールド」と「スターク工業」の関係、父ハワードとトニーの関係、トニーとポッツの関係など、新たに明らかになることも多く、見所は多かった。
♦モナコの公道サーキット。空撮で分かった「道幅の狭さ」にはビビる! そこを逆走するリムジンもスゴい!
♦終盤のアクションシーンは爆発指数(?)こそ極めて高いんだが・・全体的にこぢんまりとしてて余り面白くなかった(飛行シーンとかね)。
♦実は1ヶ所だけだったトニーとイワンが“2人だけで対峙”するシーン。もっと丁寧に描いて欲しかった気もする。
♦イワンの哀しみも、やや描写不足だったような。もっと同情すべき人間と思ってたモノで(・ω・)
♦トニーの眼、ローズ中佐(ドン・チードル)の眼、ポッツの眼・・みんなの「眼の表情」が結構な見所だったりする!
♦父ハワードの遺したメッセージ、本気でトニーを心配するポッツ(inモナコ)、「どうしたらいい?」と独り呟くトニー・・幾つものシーンでウルウルさせられた。
♦北朝鮮、イラン・・など“危険な国”が名指しで登場してた(・ω・)
♦公聴会から立ち去る際、左に全身を回転させながら報道カメラからアウトするトニーがカッコ良かった☆
♦パラジウムは恐るべき中毒を引き起こす物質だった!
♦クロロフィルを1日に2.4リットル摂取・・なかなか大変そう。。
♦トウキョウでモデルもやってたと言うナタリーさん。ビル・マーレィと出会った頃か?
♦空港の格納庫で優雅にサーモン・カルパッチョを・・それって粋なんだか無粋なんだか、、(・ω・)
♦イワンの欲しがった“ブルド(鳥?)”って、ホントは何だったの? ワタシはてっきり「女の子」の隠語かと・・(⌒〜⌒ι)
♦ニューヨーク・クイーンズ地区にあるハマー社。その界隈が流行ってるの?
♦ハマー社のリアクタースーツ。1台で1億2570万ドルもするらしい!!
♦でも国防総省との25年の契約締結に比べたら、そんな開発費など大したものじゃないらしい。
♦スタークのジャグワーの金色の腕時計。イチゴ1箱と交換してホンマに良かったの?
♦ポッツ嬢が唯一「アレルギー反応」を示す物質とは・・
♦アイアンマンがス、ス、ス、スクラッチしてるYo♪
♦DJのゴールドスタインが、トニーに「腹に響くビートを!」と乞われてかけたのは・・やっぱりRob Base & DJ EZ Rockの“It takes Two”らしかった(Queenの“Another One Bites the Dust”もミックスされてたみたい)。
♦酔ったトニーが「愛してるよ」と告白した相手とは・・ ←何とも微笑ましい(=^_^=)
♦パラジウム中毒には、2酸化リチウムが効くらしい。覚えとこうっと。←お前じゃ意味ないし!
♦無人機のことをドローン(Drone)って言うんやね。
♦“Rock my world”で「興奮させる」と訳されてた。なるへそ。
♦俗称“別れた妻”を巡るセールストークと、実際の攻撃力の「差」には爆笑させられる。
♦後部座席のナターシャ・ロマノフの“お着替え”をチラ見して「前を見て運転して!」と注意されるハッピー(=^_^=) ←あんたがジョン・ファヴロー監督やったんかい!
♦「伏せろ!」と突然言われたドンチーさん。もし伏せるのが遅れてたら・・(×_×)
♦終盤の激戦地が日本庭園だったのは、面白い。鳥居とか、ありましたね。間もなく焼け落ちたけど・・
♦プレデターのような(=^_^=) イワンの最後の切り札。あの時間設定は、彼なりの“最後の優しさ”だったんやろか?

〜 こんなセリフも 〜

トニー「この私がスーパーヒーローだと? どう見ても、私はヒーローって柄じゃない」
   「この国が、暢気に安定してればイイ、とは思ってないさ」
   「問題は、我々の未来に“何を遺すか”だ」
   「アイアンマンは兵器じゃない。いわば“ハイテクのギブス”のようなモノだ」
   「スーツと私は一体だ。つまり、私が私を引き渡すと言う“人身売買行為”など、到底容認出来ない」
   「私こそが“核抑止力”だ」
   「私は“世界平和を民営化”した。これ以上、何が出来る?」
   「エコ事業? 退屈なだけさ」
   「食事は9時半から? 11時には行くよ」
   「俺にベタベタ触るな」
   「毎秒1サイクルは低いな。リパルサー波を倍に増幅することだ。
    改良すれば・・イラン、北朝鮮、中国で高く売れるぞ」
   「自分の行いぐらいは分かってる」
   「スーツを着た状態でトイレをどうするかって? ・・・ この通り!」 ←おい!
   「父は私の力を認めてはくれなかった」
   「死後20年・・今も教えてくれるのか?」
   「手渡しは嫌いでね。そこ(座席)に置いてくれるか?」
   「・・簡単だった」
   「口の中がココナッツとメタルの味だ」
   「テストなら、今やれ」

ポッツ「あなたとは、8011件の話したいことがあるわ」
   「スーツなんか、あなたの“エゴの産物”よ」
   「ラテン語なんて“死した言語”では?」

ローズ「君を生かす装置が、君を殺しかけてる!」
   「部分的に報告を読むと、誤解を招く恐れが・・」
   「このスーツは返すよ」
   「ブドウを取り合ってるアシカみたいだぞ」
   「屋上で欲情するのはよしてくれ」

イワン「お前の負けだ・・お前は負けたのさ」
   「成功者は、歴史を都合良く書き換え、葬った人々を消し去ろうとするものだ」
   「神が血を流せば、人々は神を信じなくなる。
    そして、その血にはサメが群がる。
    お前がサメ共に喰い尽くされる様を、オレはここで見物するとしよう」
   「“パラジウムの死”は、とてつもなく苦しいぞ」
   「“クソ・システム”だな、このセキュリティは」
   「40年ぶんの復讐を、これから40分でお前に与えよう」

ハマー「殺すんじゃなく、ヤツが遺そうとしているモノを奪ってはどうかね?」
   「物事にこだわり過ぎるな。広い心を持て」 ←後でそっくりそのまま言い返される。。
   「この銃はベルギー製のFN2000。ワッフル以上の名産だ」
   「悔しいか? ザマミロだ」
   「彼らは“君のベビーシッター”だ。言っとくが手強いぞ」
   「今夜は、新聞が売れ過ぎてインクがなくなるぞ」

ニック「君! そのドーナツから降りてくれるか」
   「君はまだ、総てを試してはいまい?」
   「忘れるな。私は君を見ているぞ」

人工知能「“あなたが裸ではない映像”は新鮮です」

アントン「息子よ、済まない・・知識しか与えられなくて」

ハワード「総てはテクノロジーで実現出来る」
    「私の生み出した、最も素晴らしいものは・・」

議員「失礼。“とんがったヤツ”は扱いにくくてね」

ポッツ「一体、何を隠しているの?」
トニー「ベニスを覚えてる?」
ポッツ「ええ。でも今は、まずいわ」
トニー「俺にも君にも、充電期間が必要だ」
ポッツ「・・私は、電池で動いてる訳じゃないわ」

トニー「仮定で質問していいか? もし次に迎える誕生日が最後だとしたらどうする?」
ナタリー「やりたいことをするわ。好きな人と一緒にね」

イワン「プレゼンは出来るが、デモはムリだ」
ハマー「なら、何が出来る?」
イワン「敬礼ぐらいなら出来る」

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2010年6月19日 (土)

☆残念でした、な『デジャヴ(2006)』☆

18日(金曜)。

某県での出張3日目であり、同時に最終日でもあった。
仕事自体は午前中の早い時間帯に終わったモノの・・そこから「下道+高速」をひたすらに走るのがちょいと退屈なのはあった。

総走行距離:740キロメートルってトコだったか。

基本的に運転は好きなんだが、やっぱり自分のクルマじゃないぶん、エンジンブレーキの効きがイマイチ、とかハンドル握っててのワクワク感が悲しいまでに乏しい、とかそう言うのはあった。

ハイブリッド車だし、総じては「優等生」な1台なんだが・・やっぱしこの手のクルマはワタシには耐えられんなァ、と感じた次第。

高松に戻り、今日は仕事帰りに自宅近くの某大型電気店に行き“iPhone4.0”の本格的な注文を済ませた。ショップのお姉さんが言うには「本日の業務時間終了をもって予約受付は締め切る」とのことで「相も変わらず強気な連中やなぁ」と苦笑が漏れた。

何やら・・全く必要ないオプション契約を“抱き合わせ”的にゴチャゴチャくっ付けられたが「一定期間後で“必要ない”と判断されたら、解約して頂いて構わない」と説明を受けた。

あぁ・・こう言うのって「不要なのに、気付かぬままズルズルと解約の遅れてしまう」気もする・・きゃつらの思惑通りや(⌒〜⌒ι)

帰宅してからは、満を持して「金曜ロードショー」で“地上波初放送”となる
監督:トニー・スコット
製作:ジェリー・ブラッカイマー
主演:デンゼル・ワーシントン ←違うし(=^_^=)
によるSF作『デジャヴ』を観始めたんだが・・とある事情で中断せざるを得なくなった・・ああ・・(嘆)

今夜はHDレコーダに録画もしてなかったし、鑑賞の再開されたのは、開始から既に1時間半近くを過ぎた頃だったので・・流石に観る気になれずTVを消した。

結局、鑑賞を諦め切れぬワタシは、あまずぅんでDVDソフトを即座に購入クリックすることとした(⌒〜⌒ι)

「太っ腹やなぁ〜オレ」と感じつつも、思い出したのは・・同様に鑑賞を逃し、即座にDVDソフトを購入した1作・・『ボーイズ・ドント・クライ(1999)』が、未だにそのパッケージを開封すらされることなく、自室のどっかに転がっている事実(とそのイメージ映像)であった、、(×_×)

それにしても『デジャヴ』・・『マイノリティ・リポート(2002)』や『ブレードランナー(1982)』を彷彿とさせる、なかなかに面白そうな世界観&技術設定ではある! ヴァル・キルマーさんもお元気そうな感じで出たはって、嬉しい限りですなァ(=^_^=) これであと、ビル・マーレィおじさんが出てたら最高なンだけど。 ←そりゃ『恋はデジャ・ヴ(1993)』だってば!

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☆『ビバリーヒルズ・チワワ(2008)』☆

17日(木曜)の夜。

今日も某県での出張仕事をこなした。昨夜は妙に奮発し(?)地元の居酒屋で結構“景気良く”喰いまくった気がする。。
・・ってことで、その反動(?)で、今夜は大人しくお惣菜のパック群を(ホテルの)部屋に持ち込み、細々と済ませた(・ω・)
これにより、夕飯代が昨夜の1/4で済んだ(⌒〜⌒ι) ←セコっ!

フロントで借りたDVDのうち、前々から観たかった1本『ビバリーヒルズ・チワワ』と言うのを鑑賞。
実家で飼ってるのも“チワワ”なもんで、やっぱり数ある犬種の中でも、最も親しみを感じるイヌである。

小さいし、力ずくで戦えば、何とか勝てる(←おい)レベルの相手なのも「安心感」があると言うか・・いや、ノド笛を喰いちぎられ、あっさり負けたりして(=^_^=)

因みに・・他に欲張って借りたのは、
『ウォッチメン(2009)』『チョコレート・ファイター(2008)』の2枚だったンだが、ちょっと今回の出張では鑑賞の時間が取れなかったようで。

どちらも衛星第2に降臨して来るのを待つとするか・・ ←双方とも衛星向きじゃないねー(⌒〜⌒ι)

デゼニィ帝国の放つ、動物エンタテインメント作。

ビバリーヒルズ在住のカリスマおばさま(美容系企業のオーナーらしい)=ヴィヴィアン・アッシュ(ジェイミー・リー・カーティス)の飼う、白いセレブチワワ=クロエ・ウィンスロップ。
ルイ・ヴィトンのバッグにちょこんと入ってお出かけし、カシミアのセーター&ダイヤのちりばめられた(←本物でっせ!)首輪に身を包み、愛用の香水はシャネルの5番。
そんな彼女(?)に想いを寄せるのは、庭師の青年=サムの飼い犬=パピ(茶色チワワ)。
しかし、元野良犬でガサツなパピにクロエは見向きもしない。

そんなある日、ヴィヴィアンが10日間の取材旅行に出かけることとなり、クロエは彼女の姪=レイチェルに託される。
屋敷にこもっての留守番に耐え切れない(←言うても豪邸でっせ!)レイチェルは、即座に女友達を誘いメキシコへとバカンスにしゃれ込む。

自分にかまってくれないレイチェルにキゲンを損ねたクロエは、黙ってホテル(←言うても高級でっせ!)を抜け出すが、たちまち地元の“動物誘拐組織”に拉致されてしまう。

メキシコの某所で夜ごと開催される“ドッグファイト”なるイヌの賭け試合。
闘犬場に放り出され、獰猛なドーベルマンのチャンピオン=ディアブロに対峙させられるクロエ・・

絶体絶命に見えたその時・・彼女を救い出したのは、孤高のシェパード=デルガードだった。

他の“捕われイヌ”と共に、辛くもその場を逃げ出したクロエ。
夜のメキシコの街に駆け出した彼女を追う誘拐組織のボス=バスケスはディアブロの首輪にGPSを装着し、クロエの匂いを追わせる。
一方で、クロエはデルガードを頼って、彼の後をついて行く。

はるかビバリーヒルズを目指し、2匹は旅を続ける・・

その頃、クロエを捜すレイチェルに、サム&パピも合流するのだった。

果たして彼らは再会を果たすことが出来るのだろうか?

ストーリー的に「パピ&クロエ」の物語かと思ってたら、彼らの再会がかなり終盤なのが意外ではあった。「所詮は“動物モノ”やし、かったる〜く、脱力的に平和でベタな展開をしよんやろな〜」と思ってたら「動物誘拐」「地下闘犬場」など、なかなかにリアルで笑えない(?)設定が準備されてたりもしてビビった(・ω・)
ボスのバスケスも“おトボケ”とは無縁のキャラ造型で、全体的に眺めると「とてもデゼニィ系とは思えない」そんなハードな脚本にも感じる(=^_^=)

難を言えば、クロエに対する感情移入がなかなか出来ないトコ、パピにヴィジュアル的な魅力が薄いトコ、などだろうか。
中盤でマニュエル&チコなる「イヌじゃないヤツら」が出て来るのも、ちょいと世界観を乱してる風もあって「どうだろかなぁ〜」とワタシは感じたな。

チワワファン(←オレもか?)向けの見所としては、アステカ文明の遺跡と思しき密林地帯に広がる“チワワ王国”のシーンだろうか。沢山の可愛くない(=^_^=)チワワくんの出て来るのが圧巻ではある。
何処となく「チワワのルーツをキッチリ盛り込み、描き切りましたで」的なスタッフの“したり顔”が浮かんで来るようでもあり(=^_^=)

エンドロールで気付いたのは、イヌたちの声をあててた俳優陣の豪華さか。

クロエ:ドリュー・バリモア
デルガード:アンディ・ガルシア
ほか:ルイス・ガスマン

と言った面々! 知ってたら、もそっと真面目にセリフを耳に楽しませたのにぃ・・

〜 こんなトコも 〜

♦「イヌの誘拐」は“Dognap”と称されてた(=^_^=)
♦“ティファナ”“プエルトバヤルタ”“ソノラ砂漠”など「初耳なメキコ地名」がバンバン登場。。
♦終盤、ラミレス刑事の放つ「何処へ行くんだ?」の言い回しとタイミングに、不覚にもウルウルッと来てしまった。酔うと、あきまへんなァ・・(⌒〜⌒ι)
♦「メキシコの渇いた大地」を思わせる香水の名は・・“メヒコの5番”だそうだ(=^_^=)
♦クーガー3匹とドーベルマン1匹とを比べたら、前者との戦いの方が絶望的にも思えるンだけど・・(・ω・)
♦ビバリーヒルズは、ペットの履いてるブーティ(布製のブーツ)が汚れないほどに“道(路面)の奇麗な街”だそうで。

〜 こんなセリフもありました 〜

クロエ「私、買い物をするために生まれたんだから」
   「飼い犬も苦労するわね」

パピ「僕は小さい。だけど戦っているんだ・・大切な人のために」
  「花の価値は、美しさじゃない」 ←これは、深いと思う(・ω・)

モンテスマ「アステカの人々は去ったが、我々は残った。
      ここは、我々の種族の“発祥の地”なのだ」
     「我々チワワは小さい。しかし、我々は強い!(Yes,We're tiny. but we're mighty.)」
     「“叫び”こそが君を強くするだろう」
     「我々には色んな種類がいるが・・眼でなく心で見た時、みんな同じなのだ」

デルガード「俺も寂しいが、これはお別れじゃない・・きっとまた会えるさ」

追記:デゼニィが「元祖」なのか、良く分かんないが・・もはや“動物映画”で彼らの口の動きとセリフ(英語)が完全にリンクし「喋る」って演出が定番となってしまっとるようだ(・ω・)
邦画でも、その辺りをどんどん“拝借”すれば良いと思うンだがどうだろう? デゼニィ帝国に訴えられるのかな?
『名犬ゴロー』『ハチ公物語』『南極物語』『ドン松五郎』とかね・・ まぁ、その演出によって“悲劇性”は随分と薄れるかも知れンけど(⌒〜⌒ι)

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2010年6月17日 (木)

☆『ワン・ミス・コール(2008)』☆

16日(水曜)。
早朝から、2泊3日の行程で某県に出張してるが・・ここが劇場関係に限って言うと、甚だ絶望的なエリアでもあり・・ちょっとガッカリしてしまったが、宿泊先のホテルで「DVDプレイヤー&ソフトの貸出し」をやってたことを思い出したので、この2夜はそれを「夜長の愉しみとしよう」と考えたワタシ。

取り敢えず、欲張って3枚も借り(=^_^=)・・巧く鑑賞がさばけたら、あと1枚を追加で借りようかな、と予定している。

で、まず1本目。ぐっとハートフルなのんが観たくて(←どこがじゃ!)『ワン・ミス・コール』を観てみた。

本作。
まずは、パッケージデザインがやたらと不気味なのが興味をそそってくれる! そのインパクトには劇場公開当時からビビらされ「いいい、いつか観たいけど・・こここ、怖いなァ」と尻込みし続けてたワタシでもある(⌒〜⌒ι)

聖ルーク病院の火災事故を発端に、次々と起こる怪死事件。

自らの妹=ジーンを不審な死で失った刑事=ジャック・アンドリュースは、かつて彼女が同じ(聖ルーク)病院で研修を受けていたと言う仲間の女性=シェリーもまた、謎の溺死を遂げたことを知る。

一方、シェリーが死の直前に携帯でハナシをしていたリアン、そして(リアンの元カレ)ブライアン、(その友人)テイラー・アンソニー・・も連鎖的に死を迎える。
同じく、リアンたちと友人関係にあったベス・レイモンドは“死の危険”が自らの身に迫っていることを感じつつ、独自に“事件の真相”に迫ろうとする・・

「ん? 携帯が“キモなアイテム”なのか?」と気付いたワタシ。
そしてリアンの死のシーンを眺めるに至り、ようやくハッキリと気が付いた。

「これって『着信アリ(2004)』じゃん!」と。いや、実はそれ(=『着信アリ』のハリウッドリメイク版であること)をワタシが忘れてただけだった(×_×)

ってことで「怖くないし、既視感に溢れてるし、死に方がクリーン&マイルド過ぎるし、全然“現象”が合理的じゃないし」と、総じてしょっぱ過ぎな1作だった(×_×)

ワタシがこの手の作品に求めてやまぬのは、とにかく「斬新かつ衝撃的な恐怖演出」なのである。その上で「極めて凄惨なんだけど、具体的描写までには踏み込まず、観客の想像力で(恐怖を)補完させる」と言うモノなら、ホント賞賛を惜しまないであろう(代表例:『サイコ(1960)』)。

その点においては、本作って「映像の中心に主要キャラを配し、その手前(=シルエット処理)や背後(=ボカし処理)を何者かが横切る」ってなパターンを多用してたが、それが一本調子で次第につまんなく思えて来たのも事実だし残念。

主要キャラが全員「幻覚を見過ぎ!」ってのも怖さを超え、少しあきれてしまった。

そうそう。中盤でデイヴ・スペクターそっくりのおっつぁんが出て来て「結構、ハリウッドにも“デイヴ顔”っておるんやなぁ」と思ってたら、どうやらご本人らしかった(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

リアン「・・私の着メロじゃない」

ブライアン「ヤツらは動くんだ。そして俺たちのアタマに入って来る」

追記:DVDメディアの質感、収録映像の全体的な粗さ、“アサチュパ”なる名の日本語字幕担当者・・などから、本ディスクはどうやら「アレ」っぽいですね、「アレ」、、(⌒〜⌒ι)

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2010年6月16日 (水)

☆『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬(2005)』☆

14日(月曜)の夜。
衛星第2で放送された『マザー・テレサ(2005)』を観終え“おなかいっぱい”となり・・「さてさて、それでは“W杯”でも観るかな?」と考えつつ、チャンネルを切り替えてたら・・

BSフジの『シネマ☆パラダイス』なる番組で、トミー・リー・ジョーンズ監督&主演の『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』の放送されてるのに気付いたため「こっここ・・! これはもう観るしか!」と脳内に衝撃が走り、その勢いのままストーリー展開も掴めぬままに“約1時間遅れ”で中盤から観たのだった。

何処かの、誰かの評価で「観ておくべき1作」と聞いてはおり、衛星第2への降臨を待ってた(ウチの)1作でもあったが・・こんなカタチでご対面とあいなりますとは・・(×_×)

あるメキシコ人=メルキアデス・エストラーダの死を知った、彼の親友でもあった初老のカウボーイ=ピート(トミー・リー)が、誤ってのこととは言え、その死に大きく関わった国境保安官(?)=マイク(バリー・ペッパー)をふん捕まえ、彼に猛省をうながしつつ・・生前に彼の言い遺した「もし俺が死んだら、故郷のヒメネス村に埋葬してくれ」と言う“漢(をとこ)の約束”を果たすため、かの地へと向かう展開。

ロードムービーテイストも色濃く漂っていたが、埋葬され“その魂が安らぎを得ようとしている”メルキアデスを再び掘り返し、ムリヤリ(?)故郷に連れて行く・・と言う“ある意味、ピートの強引で独りよがりで狂気をはらんだ旅路”の淡々と描かれるのが、延々の白昼夢を見せられてるようでクラクラしたり(⌒〜⌒ι)

劇中、何度も「あんた、異常だよ」だの「ヤツは完全に狂ってる」だのと言われ続けたピートの突っ走りぶりを目の当たりにし、我々はその真意をはかりかねもする訳だ(・ω・)

そして、後半になるにつれ、掘り返された遺体がだんだん劣化して行くのがスゴかった。

親友の遺体の顔面にたかるアリを取り除くためとは言え、頭部に油をかけて燃やすわ、不凍液をホースで口中に流し込むわ・・スプラッタ映画かよっ?! と画面的に勘違いさせるようなすんごいインパクトがあったりも。

マイクを演じたバリー・ペッパーの受難ぶりも強烈で、後半では「ガラガラヘビ(?)に足を咬まれ、足先が真っ黒になる」みたいな、観ててイタ過ぎる映像演出もあった。

ラストで、観客は「メルキアデスの言いたかったこと」が何だったのか・・いや、そもそも「メルキアデスが本当は何者だったのか」に対する大きな揺らぎを覚え、そこにあくまで付き添う「ピートの心境」も良く分かんなくなって来たりする。。

ってことで、
結論を知った上で「ちゃんとオープニングから観てみたいな」と思わせしめた、不思議な余韻の残る1作だった。

〜 こんなセリフもありました 〜

マイク「あんた、騙されたんだな?」
ピート「いや、違う」

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2010年6月15日 (火)

☆『マザー・テレサ(2005)』☆

14日(月曜)の夜。

世間では“サッカーワールドカップ(W杯)”初戦(=対カメルーン戦)に沸いてることだろうが・・

ワタシはその点「非国民気味」と言おうか(⌒〜⌒ι)・・それほどホットな気分になるでもなく「まぁ、かいつまんで観れたらエエか」ぐらいに捉えている。
それ以上に気になってるのは、明日の夕刻より予約開始となる「新型iPhone(4.0)」のことだろうか(・ω・)

これも先着順で、かつ(申し込みが)打ち切られたりしたら悲しいなぁ・・まぁ、どう頑張っても自宅最寄りのショップに駆け付けるとなれば、宵の口の到着となっちゃう訳だけどサ。。

帰宅後、衛星第2で放送された『マザー・テレサ』を観た。「既に5年も前の作品なんやなぁ」としみじみ。劇場公開当時、機があえば観に行きたかった1作でもあった。

『ロミオとジュリエット(1968)』で・・その気丈そうで、かつ美し過ぎる容貌に「ほぇぇ!」と圧倒されたオリヴィア・ハッセーさんも、、そこそこのご年齢に(・ω・)
この作品を観た時ってば、、オリヴィアさんともしラヴラヴになれるんなら「生涯、白タイツ着用」を厳命されても、喜んで従って良いとさえ思ってしまったモノであったなぁ・・(=^_^=)>

1946年、インド・カルカッタ。
国内では「ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立」が高まり、ここカルカッタでもその混乱は凄まじいモノとなっていた。

ロレット修道会を代表するシスター=マザー・テレサ(オリヴィア)は、修道院から外に活動を広げ、通りに倒れている人を介抱したり、病の幼子を医者に診せたり、と地道な活動を続けるも・・それは「ヒンズー教徒を助けている」と捉えられ、イスラム教徒の反感を買うのだった。

修道院はテレサに“院外活動の禁止”を命じるが、彼女は従わなかった。
地道な努力を続け、自らの強固な信念を貫き、やがては「修道院の許し」を勝ち得るテレサ。

白(清らかさの象徴)と青(聖母マリアの色)からなる新しい尼僧服に着替え、カルカッタの市中(←スラム)に独自の救済施設を設ける彼女。

次第にカルカッタの市民を中心に「理解の輪」がその大きさを広げて行く一方で「ただ人助けがしたい」と言うマザー・テレサの活動を阻もうとする、様々な障害が立ち塞がるのだった・・

(公開)当時のニュースで「25年ぶりの主演作!」とか騒がれてて・・「そう言えば、女優さんとしては不遇な感じの歩みだったのかな・・?」と心配もしてしまったが、、ある意味でオリヴィアさんご自身の「これまで余り取り沙汰されて来なかった女優人生」に裏打ちされたような、役柄の中に自然に注ぎ込まれてる「演技じゃないピュアさ」みたいなモノがちょうど良い具合に現れてて良かった。

しかし、ストーリーの流れとしては「次々に現れる妨害」って感じで、すんなりマザー・テレサの慈善活動をただ眺めたかった&知りたかったワタシとしては「また邪魔が入るし〜」とちょっとムカついたのもあったかも(=^_^=) ま、物語性とか逆境的展開も、そりゃ大事なンですけれども・・

ホンマに想像以上の「わずらわされっぱなしな人生」だったのですね・・

そんなテレサを周囲で補佐する、魅力ある人々が幾人も登場するが、彼らのキャラ造型も、ちょっと表面的&客観的に過ぎる印象で「勿体ない」と感じた。
特に終盤で「ポコッ」と某重要キャラが“退場”しちゃうんだが、その辺りがどう言う事情だったのか、良く分かんなかった(×_×)

中盤、ローマはバチカンにやって来たテレサが、通りを眺め下ろしつつ「カルカッタでは、人々が食べ物に飢えているが、都会の飢えはもっと深刻・・何故なら人々は“愛”に飢えているから」とぼそりと呟くセリフにグッと来るモノがあった。

確かに地元(?)カルカッタの街(スラム)って「貧困なれど活気あり!」って感があったのだ。少なくとも「人々の考えてることの分かり易い」印象があった。

今さら文明を棄て、高度成長期前のニッポンに戻れよう訳もないが・・何処か「もっと世の中の分かり易かった、あの頃が懐かしいな」ともフト考えたワタシである(・ω・) ←知ってるんかい!

〜 こんなトコも 〜

♦テレサなりの愛情表現(?)で「相手の顔面を、左右から両の掌で挟み、顔を近付ける」ってのがあった。アレがやって貰いたくて・・ただそれだけで「彼女の力になろう!」と心に決めたしともおったのではあるまいか?(=^_^=)
♦「私は神を見ました」と劇中で“告白”してたテレサ。その「神を見た」と言う事実(?)があったからこそ、その揺るがぬ自信&信念を貫き通せたのかも知れぬ。

〜 こんなセリフも 〜

テレサ「神よ、貴方は私に何をお望みでしょうか? 私は修道女として失格なのでしょうか?」
   「ここカルカッタで暮らして20年・・私の居場所は修道院ではないと知りました。
    カルカッタの街の、最も貧しい人々の中です」
   「貧しい人々に尽くさねば」
   「神がそれを望まれれば・・必ず実現するわ。それはシンプルなこと」
   「ひたすらに祈りましょう。待つことも忘れて」
   「この子を生きさせないと・・」
   「ここではどんな差し入れでも助かるわ」
   「私が約束を守れば・・神様もきっと守って下さる」
   「選んで。私が救急車を盗み出すか、先生が私に協力して下さるのかを」
   「神が望まれれば・・必ず方法はある筈です」
   「私に力を与えてくれるのね」
   「5歳の子が路上で死ぬのにも許可が必要と?」
   「秘密は沈黙により護られます」
   「私は・・神が手に持つ“小さな鉛筆”に過ぎません。
    何を書くのか、は神のご意思次第なのです」
   「心と眼に映る喜びを忘れぬよう」
   「神が望めば資金は集まります。金額の(多寡の)問題ではありません」
   「あなたを頼っているのは私ではなく、貧しい村の人々です」
   「いつも笑顔でいると、それが周囲に広がるわ」
   「ここに来る人はみな“残りたい”と言ってくれるけれど・・1週間で(耐え切れず)去ります」
   「神はせっかちじゃないわ」
   「私の目的は人助けです・・宣伝などではありません」
   「仕事は神が与えてくれます」
   「“戦略”などは要りません」
   「休息を取れと? いずれは“永遠の休息”が待っているわ」
   「3人集まれば・・人は会社を作りたがるのね」
   「会社や数字には興味ありません・・組織化にもね。私はシンプルな仕事がしたいの」
   「暴力に対し暴力で立ち向かうのは愚かなこと」
   「あなたも私も神の手で導かれるのです」
   「ここでの仕事は大切ですが、もっと大事なのは祈りの力です。それは総ての原動力となるわ」
   「神のなさることは、ただ受け入れましょう」
   「波に押し流されて行くような感じです・・もう先には進めません」
   「何もしなければ、その1滴すらも永遠に失われます」
   「理解されるより、理解することを。慰められるより、慰めることを。
    愛されるより、愛することを。与えることは与えられること。
    赦すことで私たちは赦され・・死をもって“永遠の生命”が与えられる」 

※「人生でいざと言う時は、立ち上がらなくては」
 「ここインドに“明らかなもの”などないさ」
 「契約書にサインするまで、金は渡さん方がいいぞ」
 「あの人は・・“俺たちが見捨てた者”を懸命に世話してる・・」

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2010年6月10日 (木)

☆『コラテラル(2004)』☆

9日(水曜)。
今週の(3日に渡る)“怒濤のBS2シネマ祭(仮)”も何とか乗り切れたようでホッとしている。

7日(月曜)に『ココ・シャネル(2008)』、8日(火曜)に『ウエスト・サイド物語(1961)』・・と続き、そう来たら次に放送されるのは・・誰がどう考えても、今夜の『コラテラル』・・これっしょう! ってことで。(←いや、誰がどう考えても何の脈絡もない3本ってばよ!(=^_^=))

公開当時、劇場に観に行き、確かその後DVDソフトも購入⇒未開封のまま、自室のどっかに転がしてるような気もするが・・折角なので改めて鑑賞したのは、マイケル・マン監督+トム・クルーズ主演によるクライム・サスペンス『コラテラル』だった。

平凡で善良な運転手役のジェイミー・フォックスが絶妙な“小市民的ヒーロー”を演じ切り「おっ!」と思わせてくれたモノだ。

って言うか、この年は『Ray/レイ(2004)』にも主演したはったジェイミーさん。まさに「このしとの年!」って感じだった。
巧くすれば、同一年のアカデミーで“主演男優賞”と“助演男優賞”をダブル受賞出来てたかも知れないネ。
(結果的に『コラテラル』は(助演男優賞)ノミネート止まり。『Ray』で主演男優賞をもぎ取った)

4000台のタクシーが高層ビルの谷間をひしめき走る、世界第5位の経済都市=ロサンゼルス。

午後。
空港に降り立った、ビジネスマン風の男=ビンセント(トムクル)を乗せたのは、乗客想いの心優しきドライバー=マックス(ジェイミー)のタクシーだった。
問われるまま、1日の平均的な稼ぎが350〜400ドルと答えるマックスに、この客は300ドルを“前金”としてポンと手渡し「今夜中に、商談のため5人にそれぞれ会う約束がある。君のタクシーを600ドルで翌朝まで貸し切りたい」と持ちかける。
(貸切は)会社の規定に反することから、最初は断るマックスだったが、やはり差し出された紙幣の誘惑には抗えず・・

しかし、実はこのビンセントと言う男・・“凄腕の殺し屋”であり、マックスは半分脅されるカタチで「5人のターゲット殺害」の道案内をさせられることとなる。

こうして、2人の長い夜が始まった・・

今回の鑑賞で最も「得した気分」となったのは、後半で登場する某人物をハビエル・バルデムが演じてたのに気付けたことだ!
他にも、冒頭でジェイソン・ステイサムが出てたらしいが・・そっちは気付かなかった(×_×) ←この次の鑑賞でフォローしたい。。

“トムクルが悪役を演じる”ってのが公開当時、そこそこの話題となったように思うが・・一見、誰が観ても「トムクルが? ムリがあるっしょ!」ってトコを、しっかり&そつなく演じ切ってくれた彼の(役者としての)力量には、やはり恐れ入る。
この手の挑戦ってば、かの『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア(1994)』に次ぐ、トムクル史において注目すべきトピック(?)ではあるように思う(“笑顔封印”だったし)。

空撮を惜しみなく盛り込む映像ながらも、基本路線は「閉鎖的」「限定的」「一本調子」な物語だった本作。
ストーリー的には、しっかり作られており「なかなか素晴らしい!」と思うんだが、一方で「時にカメラワークがイマイチ」「シーンによりBGMが雰囲気に合ってない」「特に警察関係のキャラ造型&演出がポンコツ」って辺りはホンマに残念だった。

構成面でも「ここはもっと短くまとめてイイのに」と感じる場所が確かに存在した。
“巻込まれ型ストーリー”としては、例えば『ニック・オヴ・タイム(1995)』などを参考に、更なるテンポ良さが実現出来たろうと思う次第だ。

〜 こんなセリフも 〜

マックス「(ガソリンが)1ガロンで2ドルだって? 戦争には勝ったんだろ?」
    「早く辿り着けたのは、信号のお陰さ」
    「これは一時的な仕事さ。生活費を稼ぐためのね」
    「(密かに)準備してるのは、特別なリムジンの会社さ」
    「俺はただの“巻き添え”だ」
    「あんたのお陰で、新しい考えが浮かんだ。そうさ、やればいいのさ。失うものなんてない」

ビンセント「ロスは、いつ来ても“すぐに去りたくなる”街だ・・ムダに広く、断片的でな」
     「君も何も言わず行動するタイプか? 実に“クール”だな」
     「構うな、マクベス夫人。車内なんか汚くても構やしない」
     「お前は運転を、俺は仕事をする」
     「トラブルは起きる。それに適応しなければ」 ←劇中で2度出て来ます(=^_^=)
     「世界の人口は60億。ヤツ1人が死のうが“大したこと”じゃない」
     「巧くやれよ。もうこの車のトランクに“新たな屍体”を隠す余裕はないんだからな」
     「人目を引けば、また“ムダな犠牲”が出るぞ? 分かってるのか?」
     「君に朗報だ。仕事が順調に進んでる」
     「音は旋律を外れ、即興演奏に・・今夜みたいに」
     「誰にも(自身の)10分後すら分からない・・だろ?」
     「クリアカンとカルタヘナの連中にも聞かせるよ」
     「俺は“クール”だが、仕事は仕事だからな」
     「日常通りに動け」
     「俺の左2歩前を歩け」
     「見舞いには、花だ」
     「親は自らの欠点をわが子の中に見つけ・・決まってそれをなじるものだ」
     「選択の余地などない。それを“救い”だと思え」
     「人生なんてあっと言う間だ。朝まで生きていられたら(彼女に)電話しろ。いいな?」
     「俺の4.5メートル前を歩け」
     「(ヤツが)お前を信じたから助けろと? 言っとくが、これは俺の仕事だ」
     「俺が始末するのは“悪人だけ”とでも思ったか?」
     「生きるか死ぬかに理由なんて必要ない。知ったことか」
     「俺たちは運命で繋がっている」
     「いつかお前は気付くのさ・・“夢も叶わぬまま”年老いてしまったと。
      だが、本気じゃなかったのだから“当然の末路”だ」

アニー「公判初日の前夜はどうしても気弱になるの。敗訴すると思い込んじゃう。
    準備した冒頭陳述は説得力に欠け・・そして私は泣くの」

フィリックス「謝っても、(壊れてしまった)ハンプティ・ダンプティは元に戻らん。
       それとも、戻ると信じるか?」

アイダ「銃でも突き付けないと、ここには来ない息子でね」 ←このセリフはクスッと笑えるなぁ。

ビンセント「死んでる? ご名答だ」
マックス「・・あんたが殺したのか?」
ビンセント「確かに撃ちはしたが・・殺したのは弾丸さ」

ビンセント「騒ぐな。ただの屍体だ。運ぶのを手伝え」
マックス「・・まだ、筋肉が動いてる」

追記1:本作を観て「ボッテガ・ヴェネタ」と言うバッグのブランド名を初めて知ったのだった(・ω・)
追記2:後半、某ビル内で滑ってこけるトムクルの動きが・・とても“演技”に見えなかった(⌒〜⌒ι)
追記3:ジュリアード音楽院を退学したマイルス・デイビスを個人指導したのは、かのチャーリー・パーカーだったそうだ。
追記4:さんざ捜査シーンを(主人公側と)交互に描いておきながら・・麻薬課・ファニング刑事(マーク・ラファロ)の、あの“あっけなさ”って何なんじゃろ?
追記5:終盤の地下鉄(駅構内)のシーンなど、何処か『ジャッカル(1997)』を思わせる印象だった(⌒〜⌒ι)

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2010年6月 9日 (水)

☆『ウエスト・サイド物語(1961)』☆

8日(火曜)。
仕事が早めに切り上がったので、そろそろ気になってた「エンジンオイル+ATF(オートマオイル)」の交換をすべく、市内の“SAB(スーパーオートバックス)”へとドライヴがてら出かけた。

ワタシは、

エンジンオイル:5000キロ毎
ATF:2万キロ毎

を目安に交換してるんだが・・オイルのグレードやら、(併用すれば効果的とか言う)添加剤の追加購入やら何やらで・・プロに任せ切ってしまうあまり、結構自身が“ネギをしょったカモ野郎”に成り下がってしまってる気もし、ちょっと気分的に落ち込んでもしまう(×_×)

まぁ、言うても総走行距離が13万キロに迫る“ご老体”でもあるので、定期的なメンテナンスぐらいはケチらずしっかりやったげたいんだけど。

にしても・・先週イッキに交換した「タイヤ&ホイール代」も合算すると、きっと「クルマ自体の売却査定額」を軽〜く超えちゃっとるハズであり、それを思うと失笑を禁じ得ない。

もしワタシが「無保険、中古の軽、キズ&凹みお構いなし」ってなカーライフスタイルで、何の頓着もなく生きることの出来る性格なら、どんだけ他の面で生活にゆとりの生じとることやろ(=^_^=)

さて。

帰宅後は、衛星第2で放送された『ウエスト・サイド物語』を観た。
久々の再鑑賞ながら、どうせストーリー知ってるし、と“ダラダラ観る”つもりだったんだが・・結局、画面にほぼ釘付け状態で観終えてしまった(=^_^=) 何とも罪な作品ですわいな、ほんに(×_×)

ニューヨークのスラム街を舞台に、睨み合いを続けるジェット団(=ジェッツ:ポーランド移民系)とシャーク団(=シャークス:プエルトリコ移民系)の2つの青年グループの対立が、いよいよ頂点に達する。

そんな中、ジェット団の前リーダーであるトニー(本名:アントン)(リチャード・ベイマー)は、シャーク団のリーダーであるベルナルド(ジョージ・チャキリス)の妹であるマリア(ナタリー・ウッド)とダンスパーティーで出会い、互いに恋に堕ちる。

2人の“好ましからざる恋”はすぐにベルナルドの知るトコロとなり、それもが両陣営の抗争の気運を加速的に高めてしまうのだった・・

オープニングをすっかり忘れてしまってたが・・赤地に“妙なラインの束によるデザイン”の映し出されたタイトル、、が紫地に代わり、、やがて“あのカタチ”に実写化される、、ってな演出に、妙に魅了された。それに続く「昼間の空撮映像」も素晴らしい!

『ウエスト・サイド』と言えば、どうにも「昼でなく夜」「空や自然風景でなく、都会の片隅、コンクリート、アスファルト、フェンス」と言った閉鎖的な雰囲気が強いので、ああ言う意外なカメラワークは、とても意表をつかれる。

しかし何やろ? やはりワタシの中では『ウエスト・サイド』と言うと・・ベルナルド役のチャキリスのクールさ、カッコ良さ、そして・・(忘れちゃならない)アゴの割れ具合にまず魅了されてしまう(=^_^=)
彼の存在感を前にしては、若い恋人たち(トニー&マリア)がどうなろうが、2つのグループがどうなろうが、そんなこたぁもうどうでもイイ感じ(=^_^=)

それ故に、ベルナルドが“退場”してしまう後半以後(の約45分)がちょっと「長くて、暗くて、失速してる」気がした。後半ってメインキャラが2人も“退場”し、トニー自身もちょいと(訳あって)表舞台から姿をくらます・・的な展開となるもんで、ホンマに「キャラの魅力なしに、暗いトーンの物語だけでダラダラと引っ張る」って印象がすこぶる強い(×_×) リタ・モレノさん(アニタ役)は頑張ったはったが。。

そもそもが序盤以降、ミュージカルシーン&ダンスシーンの“弾けるような演出”がどんどんしぼんで行く方向を辿ってたような。

「あの頃は良かった」的な“回想/妄想”系でもイイから、後半にもアクティヴかつカラッと明るいミュージカルパートを強引に挿入して欲しかったモノであるなァ。

〜 こんなセリフも 〜

ベルナルド「ここアリメカじゃ、何だって起こるさ」
     「決闘はこの国の流儀なのさ」
     「憎みあう相手との握手など、断る」

リフ「稲妻のように素早く動くのさ」
  「我らジェット団が一番だ。大空をつかめ」

トニー「何かステキなことの起こる気がした」

アニタ「この時間(の挨拶)なら(ブエノス・ノーチェスじゃなく)ブエノス・タルデスよ」
   「あんたたちが血まみれで路上に倒れてても、ツバを吐きかけてやる!」

ドク「いつまで(こんな抗争を)続ける気だ? どこまで腐ったヤツらなんだ」
  「まだ分からんのか? なぜいがみ合う? なぜ殺し合う?」

マリア「みんなが彼を殺したのよ・・“憎しみ”でね」

トニー「人違いかな?」
マリア「そんなことないわ」
トニー「・・前に会った?」
マリア「初めてよ」
トニー「これって・・何かの冗談かな?」
マリア「冗談のはずはないわ。今夜も、そしてこれからも」

トニー「1分でいい」
マリア「短過ぎるわ」
トニー「では、1時間は?」
マリア「ムリよ」

トニー「信じる力が足りなかった」
マリア「けど、愛があるわ」
トニー「・・ムリだ」

部下「ヤツらの武器は?」
リフ「“命乞い”だろうさ」

ジェット団「俺たちの堕落は貧困のせいだ」
     「俺たちは“社会病”なのさ」
     「クールになれりゃ、楽しく生きてベッドで死ねる」

追記1:物語の始まりも終わりも「フェンスに囲われたバスケのコート」ちぅロケーションだった!
追記2:セリフだけの顛末だが、ジェット団には(同様の対立グループである)「エメラルド団」「ホーク団」をやっつけたと言う輝かしい(?)戦歴もあるらしい。
追記3:ビールケース(?)を運ぶ手を止め歌い出すトニー。おい、サボんなよ(=^_^=)
追記4:「シッ!静かに!」とか言いながら、周囲をはばかることなく歌いまくっとるトニー&マリア。おいおい、チミたち・・
追記5:抗争の場から逃げる際、トニーがよじ登るフェンスの高さが異常に高くてスゴい! あの降り方など「ちょいとした見せ場だね、こりゃ」って感じですん。
追記6:“出会いダンス”のシーンで流れる「マンボの曲」の出だしフレーズが『ひょ※こりひ※うたん島』のオープニングテーマ(の出だし)にそっくり!
追記7:“意中のしと”以外の存在が、視界の中で徹底的に“ボケて見えなくなる”のはスゴい! これが“ひとめ惚れ”ってヤツの感覚ですかいッ?!
追記8:トニーが(マリアとのデート後に)「何処へ行ってたかって? 月世界旅行さ」とはぐらかして(?)答えるセリフがあるが、この当時、まだ月面着陸は実現してなかったんやね!(アポロ11号による初着陸は1969年!)

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2010年6月 8日 (火)

☆『ココ・シャネル(2008)』☆

7日(月曜)の夜、前々から“衛星降臨”を心待ちにしてた『ココ・シャネル』を鑑賞する機にようやく恵まれた。
衛星第2さん、有難う!

劇場公開当時、メジャーだった方(?)の『ココ・アヴァン・シャネル(2009)』のみを観に行ったワタシは「2作共を観て、その上で初めて“シャネルの人生”について見えて来るモノがある!」「尤も、それが見えて来ようが、ワタシの実生活には何ら関係などない!」と、それぞれ思っていた(=^_^=)

さて・・?

1954年パリ。
長きに渡る“亡命生活”からようやく帰国、15年ぶりの“復活”を目指した伝説のデザイナー=ココ・シャネル(シャーリー・マクレーン)のショーは・・散々な結果に終わった。

ある人は「今やディオールの時代だぞ」と言い放つ。
またある人は「何? このコレクション。がっかりだわ」と失望を隠さない。

やがてショーが終わり、黙って煙草をくゆらせるココの座り姿が。

「分かってるわ・・大失敗ね。敵意すら感じたもの」と寂しそうにも呟く彼女だが、次には「失望には慣れてるわ・・ガブリエルと呼ばれてた頃からね」と言葉を重ねるのだった。

そうして。
紫煙を立ち上らせながら、彼女は自身の少女時代からの人生に思いを馳せる・・

イタリア・フランス・アメリカ合作、上映時間:約140分、と結構なスペックの“大河ドラマ”に仕上がってる本作。
シャーリー・マクレーンと側近(?)役のマルク(マルコム・マクダウェル)を配した“現代のシーン”と、バルボラ・ボブローヴァ演じる“若き日のココ・シャネルによるシーン”が交互に描かれるが、ことさらドラマティックに描こうともせず、淡々とココの半生の綴られる様(さま)に、観る側も「肩の荷を下ろして、ゆったり楽しむ」ことが叶った(=^_^=)

大まかな流れは(ココの伝記映画でもあるため)『ココ・アヴァン』とほぼ同じなんだが、彼女の人生に大きく関わって来る2人の男性=エチエンヌ・バルサン&アーサー“ボゥイ”カペルのキャラ造型(って言うか演じる俳優さん)に“あちゃら”とは随分とヴィジュアルの相違が見られ、そこが面白かった。

本作について言えば、ワタシの好みとしては(ゲ※ではないけど、、)バルサン役のおっちゃんの方がカッコ良かったかなァ。

〜 こんなトコも 〜

♦聞いてはいたが、劇中でメチャクチャに煙草を吸いまくっとるココ。死因に繋がったンでは? とまで考えてしまった。
♦中盤、美しい姪を相手に“ファッション論”をバシバシ語るココ。セリフが洪水のようにドカドカ流れ出て来て凄まじかった! 鑑賞メモを執る上で、最も厄介なのはウッディ・アレン監督作なんだが(←何せこのおっちゃんの作品はセリフが多くて長いのだ)、瞬間風速的にソレを圧倒してた感すらある(⌒〜⌒ι)
♦かつて『ココ・アヴァン』のレビュー内で「バルザン」とさんざん表記してしまってるワタシだが、、正しくは「バルサン」だったようで(×_×)
♦上流階級の乗り物は「馬」から「自動車」へと変わって行く。
♦「モノクロ映像+天井から見下ろすカメラワーク」が個性的で良かった!
♦女性キャラ陣それぞれの印象がどうにも薄かったかな?
♦オドレイ・トトゥ以上にも「大人っぽく冷めてる」印象だったココ。
♦要所で背景に流れる“タンゴ曲”の数々が良い☆
♦「黒いドレス」の誕生秘話(?)も少し語られてた。こちらの方がもっともらしい?
♦ココの「亡命に至る経緯」だけは、案の定と言おうか・・“一切”描かれなかった(・ω・)
♦従軍するカペル。「軍服+ヒゲ無し」なもんで「お前は誰だ?!」と一瞬分かんなくなってしまった。。
♦何であんなトコで事故ったのか、やっぱり良く分かんなかった(⌒〜⌒ι)
♦“鏡張りの階段”が特徴であるショー会場。やっぱり連想したのは『燃えよドラゴン(1973)』(=^_^=)

〜 こんなセリフも 〜

ココ「(酷評する)連中に、女の好みが分かると?」
  「話は終わり?」
  「私は本当に“過去の遺物”なの?」
  「私を“ココ”と呼びたいと? ご自由に」
  「・・キスぐらいなら何度だってしたわ。信じないの?」
  「私の人生は、私自身が決めるわ」
  「棄てられるのは、これが初めてじゃない」
  「夢のような毎日だったわ・・だけど今夜、目が覚めたの」
  「私に条件はつけないで」
  「引退なんてまだ先よ」
  「命令・・何て嫌な言葉でしょう」
  「カーテン以外は昔のままね、この店」
  「分かるわ・・私も父への愛に飢えてたから」
  「あなたの求婚を受けた時、私は意地を張って断った・・だからあなたは自由よ。
   私のことなら心配しないで。きっと乗り越えてみせるから」
  「ドレスは既に完成してるわ、(太ってしまった夫人には)減量して貰って」
  「彼と始めた仕事を途中で終わらせたくないの」
  「ショーを開かない約束? そんなの、してないわ」
  「喜びがなければ、知り合う意味などありませんわ
  「待つだけなんて嫌よ」
  「あなたが永遠に必要なの」

バルサン「あれは僕の馬だ。僕の命だよ。そして今に、君もそんな存在になる」
    「人は恋をすると分別を失うんだ」
    「僕が我慢ならないのは、女の嫉妬だよ」
    「君となら退屈しない。どんな誘惑も退けられる」
    「棄てられるのを怖れて、君の方から僕を棄てるのか?」

カペル「僕にはイギリス人の自覚もないし、興味もないさ」
   「学び方を学ぶことだ
   「こう見えたって、裏では礼儀に努力してるんだがね」
   「成功には店の場所が大切だ」
   「君は才能を、僕は資金を出す」
   「受け入れられない辛さは、僕も君と同じなんだ・・僕を拒まないで欲しい」
   「僕たちは似た者同士・・2人で1つなんだ」
   「君はプライドが高い。そのために、これから先も苦しむだろう」
   「戦争と平和なら、人は戦争を選ぶものさ

エミリエンヌ「あら、その真珠・・しばらく私のものだったの。留め金が外れ易いから気を付けてね」
      「男が飽きる前に“うんと搾り取る”ことね」
      「この世はね、男が支配するの」
      「男たちには分からないわ・・私たちは2粒の真珠なの」

ドゥーセ「“質問される前に答えを出す”ような芸術家は、世間から理解されんものだ」

マダム「修道院で一番の裁縫の腕前だそうね? 天使に教わったのかしら?」
ココ「失望はさせません」

カペル「手紙を書いた」
ココ「貰ってないわ」
カペル「・・出してないからね。でも“君を想わない日はない”・・そう手紙には書いたんだ」

ココ「あなたが去ってから、ずっと眠れなかったわ」
カペル「それを狙ってた
ココ「なんて残酷なの」
カペル「それが恋さ」

ココ「田舎の雨は憂鬱ね」
バルサン「都会だって同じだよ」

〜 ココのファッション論 〜

高い服だからこそ、着て楽しくなければ
「あなた(=男)が着せたい服と、女が着たい服は違うかも」
人は成功じゃなく、失敗することで強くなるの
「流れに逆らうことで私は強くなった」
「今夜“運命”に出会うと思って、自らを最高に美しく見せなさい」
「デザインは、着る人のニーズに合わせないと」
人と違ってこそ、かけがえのない人となりよ
「着飾るのとエレガントは全く別よ」
「素材なんか関係ない。大切なのはビジョン」
「美しさは、武器」
「香水の趣味の悪い女に、未来はないわ」
「過去を繰り返すより、挑戦して失敗する方がまし」
「ファッションは服だけじゃない。アイデアこそがファッション」
「実の有るものを残さないと、その香りすら消えてしまう」
「女には、毎朝起きてやることがあるの」
価値あるものには時間がかかるわ
「私が感謝するのは私自身だけ。これが“シャネル”たるゆえんよ」
「私に“デザイン画の描けない”のは知ってるでしょ」 ←そうなんや!
「金持ちには1人で着られる服を、労働者には働き易い服を、彼らの求める服はどちらも同じ」
「素材を決めるのは、この私よ」
「“5”は、きっとラッキーナンバーになるわ」
「ファッションは、通りに出てこそ生きるのよ」

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2010年6月 7日 (月)

☆『告白』☆

6日(日曜)。
昨日は、琵琶湖周辺を長距離ドライヴして来て、その疲れもあってか・・午前中はぐぅぐうと“寝だめ”してしまった(×_×)

午後からで「時間の都合がつけば観よう!」と直感で決めたのは、新作邦画『告白』だった。
相互リンク先のブロガーの方々が早々にチェックされ、そのレビュー関係を拝読する限り、なかなか面白そうだったので・・(・ω・)

(大阪の自宅の)出発時間が正午をはるかに過ぎてしまい、14:10上映開始の“アポロシネマ8(in天王寺)”を選んだ。なんばマルイ・上層階の劇場でも、ほぼ同時刻からの上映があったんだが「そっちは混んでるやろなぁ」・・と言うワタシの妖怪レーダー(妖気計算髪?)の反応を信じることとした次第(=^_^=) ←ホンマかい!

結果的に、到着しチケットを買い求めたのが14:13過ぎ⇒シアター突入が14:16ってトコだった。

いや、モロに「5〜6分遅れて入った」訳だが、上映作品群の予告編が流されており助かった(=^_^=)
人間、必死になれば、何とかなるモノですなァ・・何とかなる場合に限ってだけど(=^_^=)

平成21年3月25日(水曜)。富丘中学校・1年B組。
生徒らのお喋りの止まぬ“卒業式直後”の騒然としたホームルーム(HR)時間。担任女教諭=森口悠子(松たか子)が“とある告白”を始める。

彼女は「今月いっぱいで教職を辞する」と。

そして、さる2月13日に当校プールで起こった、彼女自身の愛娘=愛美(まなみ)の水死事故が実は“殺人”であり、その犯人がこのクラスにいることを告げる。

彼女の“告白”の中で、犯人2人は「A」「B」と呼称されたが・・生徒らにとってそれは、余りに分かり易い“匿名”だった。

その日、給食時間(?)を利用し“復讐の第1歩”に手を着けた森口。

彼女は発言通り、間もなく富丘中を去り・・4月から新たな男性教師=寺田良輝(岡田将生)がやって来た。

「A」「B」そして・・“告白者の1人”である北原美月・・クラスの主だった生徒ら以外の記憶から、
森口の存在は既に薄れ始めていたが・・

その一方で、彼女の“復讐劇”は第2、第3のステージに差し掛かろうとしていた・・

観終わって「教師の道を選ばなくて良かった〜」と心底、胸を撫で下ろしたワタシ(=^_^=) いや、そもそもそんな才能すらないンだけど。。

むろん、逆に教職に就いておられる方々に対する畏敬の念のわいたことは・・書くまでもない。

イマドキの中学生事情がどうなのか、良く分かんないが・・何だか妙に彼らの“生態”がリアルに感じられ、そこが不安&不快で堪らなかった(×_×) リアルに描かれる“熱い残酷さ”以上に、描かれぬ“冷ややかな残酷さ”にこそ、本作のポイントが存在したようにも思う。

物語としては、芥川龍之介『薮の中』を(恐らく?)軸に、三島由紀夫『午後の曳航』(←あらすじしか知らンですが、、)、岩井俊二『リリイ・シュシュのすべて』、森田芳光監督『模倣犯(2002)』、蜷川幸雄監督『青の炎(2003)』・・などのテイストを、所々に感じたワタシ。
それが原作小説自体がそうなのか、映像化にあたって中島哲也監督(兼脚本)の施した演出なのかは分からないけれど。

事件に関わる人物が、入れ替わり立ち替わり“告白”をし、それが積み重ねられて行く中で「残虐な展開の(連鎖の)歯車」が回り始める・・みたいな構成は、まぁ悪くないんだが・・「告白 誰々」と言う“章立て”的な見せ方をするには多少、雑然としてて・・ワタシ自身は「あの見せ方については、奏功してたとは言い難いなァ」と正直感じた。

もっと“章立て”の区切りを明確に描くか、そう言う組立てをやめるか、どっちかだったと思う。

また「それぞれが、好き勝手に主観的な(=^_^=)ことを告白する」と言う進み方から「何が“真実”なのか、すらもボケ始めて来てしまう」と言う困った事態(=混沌)にも突入してしまってたんでは? とも。

そこは「捜査関係者、教育関係者、報道関係者、保護者など“ちょっと(当事者連中から)距離の置かれた、まともで公正な立場の、まともで公正な判断の出来る”しと」を混ぜて欲しかったモノだ。

特に主人公である、森口の“告白”に何処まで信憑性があるのか、あったのか、そこがイマイチ掴めなかった。
グワ〜ッと“恐怖感”を高めといて・・「な〜んてね」とか、最後に言い添えるもんだからややこしい(⌒〜⌒ι)

監督自身も「観客に“衝撃”を与えたいのか、静かに訴えたいのか」その姿勢にブレがあったようにも感じたかな?
新聞記事になったことだけを「真実」と捉えたとしたら・・本作の劇中で描かれる殆どのことは「虚構」「妄想」にも思えて来る。

そう言う「ボールの投げられ方」をするのがキライなワタシなので、監督の意気込みには拍手を送りたいモノの、絶賛は出来ない本作である。

また、取って付けたような“1ヶ所のみのミュージカルシーン”もチャウ・シンチー監督作に対する評価同様「1曲だけで、ミュージカル演出に飽きたんかい!」ってツッコミをしたくなるし(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

♦“告白”と言うか・・そのまんま“遺書”になってはったしともおられました・・合掌(×_×)
♦工科大学の研究室って、あんなに「ザル」のように警備が手薄なんやろか?
♦ラストで「本作で描かれる言動を肯定するものではない」みたいなテロップが挿入されるが、アレは冒頭に表示しといた方が良かったのではあるまいか?
♦「母と子」のドラマばかりで「父と子」のドラマが皆無だった(・ω・)
♦“熱血先生”桜宮の「発症」はある意味“自業自得”だった気もする。ホンマにお気の毒ではあるんだけど・・
♦『天才博士の異常な衝動/または私は如何にして処刑マシーンを製作するようになったか』なんてなスピンアウト作品も作れそうやね・・(・ω・) ←キューブリックかい!
♦「1.殺意はあったが殺せなかった」「2.殺意はなかったが殺してしまった」・・この2ツの違いはどうなんやろ? ワタシはやはり後者の罪の方が重い、と考えるが。
♦良輝と言う名から「ウェルテル」なるあだ名を生徒らに呼ばせようとする寺田教諭。ゲーテかぶれ?
♦「ミラーに映る映像」「逆再生する映像」など、印象的なカットが幾つかあった。特に後者は、メチャメチャ製作費のかかっとる気がする(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフも 〜

森口「私が自分に課したルールは2つ。
   1.生徒を呼び捨てにしない。
   2.生徒と同じ目線で、丁寧な言葉で話す」
  「あなたたちの言葉など・・100%信じたりは出来ません」
  「それは、生徒を疑わなかった、教師の責任です」
  「息をしても大丈夫。空気感染など、しませんから」
  「思えばそれが・・愛美の“最後のわがまま”でした」
  「犯人は2人。これからその2人を“A”“B”と呼ぶことにします」
  「私を実験台にしたの? こんなものを作って」
  「これが、愛美の死の“真相”です」
  「春は・・総ての命が萌え上がる季節です」
  「桜宮なら、きっとそうするでしょう」
  「分かってないのは、あなたです」
  「法律があなたを護るとしても、私はあなたを赦しません」

A「先生には聞こえないの? 大切なものの消えちゃう音が」
 「僕の命は軽いけど、君のは重いから」
 「“殺人が悪”だなんて、誰も僕には教えてくれなかった」
 “こうして母は「最低の凡人」と結ばれ、僕が生まれた”
 “バカはバカと結ばれ、バカな子を生む”
 “この計画には、助手が必要だ・・いわばバカ中のバカが”
 「バカにバカって教えてやっただけさ」
 「君は、他のバカとは違う」
 “それからは、もう「ただの暇つぶし」・・生きてるのも「ただの下らない暇つぶし」
  ・・って言うか、僕は生きてる? その実感が、もうない”
 「命は、尊く、美しい! ・・な〜んてね」

Aの母「あなたには、ママと同じ血が流れているの。
    ママと同じ才能を受け継いでいるのよ」

B「僕は、やれば出来る子なのさ・・人殺しだって」

Bの母「この子は、やれば出来る子なんです」
   「買い取りますから・・これ、全部」

美月“先生、このクラスは異常です”
  「※※※※は、もう1人の私なの」
  “□□□□□なんか死んでもいい・・そう思ってる自分がいるんです”

生徒たち「“人”はみな、“孤”独じゃない」
    「“ロ”クでもない世の中だけど、“し”あわせになろうよ」
    「“し”んじよう!」
    「“ネ”バー・ギブアップ!」

※「虐げられた者は、耐えるか、死を選ぶしかないのか?」
 「私にも、大切なものの消えちゃう音が聞こえたわ。
  パチンじゃなく、ドッカ~ン! ってね」
 「作ったのも、スイッチを押したのも、あなたです」
 「これが私の復讐です。本当の地獄・・な〜んてね」

追記:松たか子vs木村佳乃の「演技対決」、天才子役の配置、岡田将生くんの中途半端な“退場”・・などの点を、もう少し何とかして欲しかったかなァ?

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2010年6月 3日 (木)

☆『ジュリー&ジュリア(2009)』☆

2日(水曜)の夜。
ちょいと気分転換したくなり、仕事帰りにアーケード内にあるミニシアター“ソレイユ”で公開中の『ジュリー&ジュリア』を観て来た☆ 関西圏では昨年末頃の公開だったンだけど・・(⌒〜⌒ι)

正直言うと、、自身はそれほど料理に興味がある訳でも「メリルおばさん大好き派」って訳でもないンだが・・何だか本作には、ワタシを引きつけるモノがあった。何だろう?
ポスターなどから受ける「屈託無さげ」なメリルさんの表情&雰囲気だろうかな?

1949年、フランス・パリ郊外のルーアン。ここに外交官である夫=ポール(スタンリー・トゥッチ)と共にやって来た、大柄な女性=ジュリア・チャイルド(メリル・ストリープ)。「慎ましく家で過ごすこと」に我慢ならなかった彼女は、プロの料理人養成学校『ル・コルドン・ブルー』に籍を置き、無骨な男子生徒らの中に1人混じって、たちまち料理の才を開花させてゆく。

1961年、重さ約1キログラム・全700ページ・総数524にも及ぶフランス料理のレシピを網羅した書『王道のフランス料理』を著した彼女は、TVの料理番組にも起用され、持ち前の天真爛漫さ(?)で主婦層の憧れの存在となってゆく・・

時は流れ・・

2002年、ニューヨーク・クイーンズ地区。夫エリックと共に「ピザ屋の2階、広さ84平方メートルの古びた部屋」へと引っ越して来たジュリー・パウエル(エイミー・アダムス)は、夫のアドバイスを得てブログを開設。
「尊敬するジュリアの524のレシピを、わずか1年で総て再現し、それをブログ上で紹介して行く」と言う無謀にも思える企画を実行に移す。

約半世紀を挟んだ2人の女性の“挑戦”の行く末とは? そして2人は時を超えて、相まみえることが出来るのだろうか?

ノーラ・エフロン監督がメガホンを執り、もの凄い豪華メンバーの集結した感がある! 特に『プラダを着た悪魔(2006)』で“決してお互いをさらけ出すことはないな”と思わせしめたメリル&トゥッチが「あっさりと」夫婦役を演じており、妙にハマってるのがスゴかった! この2人の共演を、今後ももっと色んなシチュエーションで眺めたいモノである(=^_^=)

エイミー&メリルも『ダウト/あるカトリック学校で(2008)』でバッチシ共演してたのを思い出す! こうなったら(どうなったら?)フィリップ・シーモア・ホフマンとアン・ハサウェイも出演させ、もっと既視感をあおりまくって欲しかったもんだ(=^_^=)

冒頭で「この物語は、2つの実話に基づいている」と表示される本作。てっきり、かの『めぐりあう時間たち(2002)』辺りの演出にヒントを得て、発展させたフィクションと思ってしまったが・・違ったのね。。

誰がどう観ても(?)ラストに2つの人生、2人の女性が「何らかのカタチでめぐりあう」って演出がミエミエなので、要はそこをどう自然に、巧く描くか・・ってトコだな、とワタシは予想したんだが・・
そこはちょっと“変化球”なオチでもあり、それはそれで意表はつかれたが面白く拝見した。

ただ、ジュリー&ジュリアを支えたり、関わったりして来る人物が多数集まって来たストーリーの割に、何処か人間関係が表面的にしか描かれてないテイストが一貫されており、物足りなさを覚えたのはワタシだけやろか?
ジュリア&ポール、ジュリー&エリックにしても、もっと(踏み込んだ)会話らしい会話をして欲しかったり、彼ら自身のプライベートな言動をちょっと織り込んだりもして欲しかった(ポール単独、エリック単独のシーンは殆ど描かれなかったと記憶している)。

何やら、ノーラ・エフロン監督の中で、エイミーを“メグ・ライアンの再来”とでも認めてそうな・・そんな印象を受けたりもした(コレもワタシだけか?)。
きっと、今後も自身のラブコメ系監督作で、エイミーを何度も起用しそうな気がするが・・?

なお、同監督は“ラジオ番組”を軸とした『めぐり逢えたら(1993)』や“電子メール”を演出の核に取り入れた『ユー・ガット・メール(1998)』などで脚本家としての才を見せつけてもおり、本作で“ブログ”に眼をつけたことから・・次作ではやはり“ツイッター”なんやろか? と今から勝手に予想したりするワタシである(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

♦「ミッドタウンの再建計画」ってのはフィクションだっけ?
♦クレーム処理の鉄則は『感情的にならないこと』だそうだ。
♦ADD(注意力散漫)と言う障害があるそうだが・・ワタシも「楽しくないこと」に限っては10分ぐらいしか持たないかもなァ(=^_^=)
♦『ラルース料理百科事典』が登場。コレも読んだことないけど、有名な書みたいやね。
♦ジュリアは40歳を過ぎてからポールと結婚。彼が“初めての男性”だったらしい。俺もそれを聞いて希望を持・・(コラ!)
♦エリックに「模造真珠のネックレス」を30歳の誕生日プレゼントに貰ったジュリー。それまで首につけてた“真珠っぽいネックレス”を引きちぎって棄ててたが・・アレってば(材料は)何だったんやろ? 「パッと見た感じ」自然だったけど。。
♦修了試験の課題レシピ(?)は「子牛のビックリ風カスタードプリン」とか言ってたが・・「ビックリ風」って、ナニ風?
♦あの日、ジュリアは地球上で一番「ムダにタマネギを刻んだ1人」だったと思う。
♦ジュリーの敗北したレシピが「アスピック」なるビーフ風味のゼリーだった。シャロン・ストーンがベッドに忍ばせてるアレ(1992)やろか?(←全然違うし!)
♦日本で「ババロア」と呼んでるデザートは、あちゃらでは「ババリアンクリーム」と呼ばれるようだ。
♦「マルセイユにはパリと違って何もない」とジュリアが愚痴ってはった。。
♦“Wish you were here”で「あなたさえいてくれたら」と訳されてた。なるへそ。
♦ジュリーのボスが「君の上司が共和党員だったら、クビだったトコロだぞ。僕は違うが」とか言ってたけど、ここは「笑うシーン」だったんやろか?
♦『王道のフランス料理』は「ソースと鶏肉料理ばっかりだ」とも酷評されてた(・ω・)
♦「ヤム(Yum)」と言う短いセリフだけで「美味しい」と訳されてた! 便利!

〜 こんなセリフもありました 〜

ジュリー「私はあなたの味方ですから」
    “空しい1日をホッとさせてくれる・・それが料理を作る魅力”
    “バターに勝るものが他に有ろうか? 「隠し味」の答えはいつもバターに決まっている”
    “使うバターは、多いほど美味しい”
    「毎日続ける(更新する)ことが大事なの」
    「日々、何の反応もないわね・・“虚無の世界”に向けて書き送ってる感じ」
    「ママは“ブログの読者の数”に入らないわ」
    「コメントをくれる人の後ろに、その100倍の読者がいる筈」
    「誰かの言った表現だけど・・私がパンなら、あなたはバターよ

エリック「出版は不要・・それがブログの魅力さ」
    「誰でも最初は“素人”だよ」
    「作ったことにしたら? 誰にも(真相は)バレないって」
    「君のブログが終わっても、読者は元通りに生きて行くだけさ」

母「あなた1人が(ブログを)続けようとやめようと、誰も気にしないわよ」

ジュリア「勇気を必要とする行為です・・フライパンをひっくり返すのは」
    「・・勇気が足りなかったようだわ」
    「何事も練習のみ、よ」
    「愛してるから“最初のひと口”をあなたにあげるのよ」
    「“食べること”が一番好きだわ。特技なの」
    「沸騰した湯からカネロニをつかみ出す
     ・・これって“いきり立ったペ※ス”みたい」 ←ポールさんすごぅい!
    「分量はとても大事よ」
    「材料の寸法をまず“メートル法”に換算しなきゃならないから大変ね」
    「もし失敗しても、謝ってはダメよ」
    「“科学的な料理を紹介”・・コレが私のモットーよ」
    「世間には、平気で“他人のアイデア”を盗んで行く人がいますから」

ポール「“もうダメ、死にそう”と言うまで、鶏肉に具材を詰め込むんだ」
   「意地になってタマネギを刻んでないかね?」
   「(妻とは)互いに多忙で・・キッチンでしか逢えなくてね」
   「たとえ何処にいようと・・僕らがいたら、そこが“家”だよ

講師「“すり鉢とすりこぎ”は必需品です」
  「(失敗を)気にせず楽しんで。喜びこそが大事です」

父「心から喜べん(結婚)式だな」
ポール「僕らの時もそうでしたね」

エリック「ブログのネタ? ここクイーンズの魅力について書けば?」
ジュリー「イイわね。それだと1行で済むから」

ジュリア「何処へ行くの?」
ポール「・・(ここじゃない)何処かさ」

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2010年6月 2日 (水)

☆『プリンス/パープル・レイン(1984)』☆

メモが残ってたもんで、簡単にまとめておく。

25日(火曜)の深夜。
衛星第2で放送された『プリンス/パープル・レイン』を久々に“入眠前の束の間の楽しみ”とし、暗くした部屋で、布団に入った体勢にて観た(・・ら結局、眠れぬまま観終えてしまった、、)。

“殿下”ことプリンスと言えば、ワタシの最も敬愛する音楽アーティストの1人なのだが・・流石の彼も、こと“俳優”“監督”としてのキャリア上では、あましパッとしたヒット作がなく、、1ファンとしては哀しみを覚えつつ、その一方で「あ、でもコレで音楽活動に専念して頂けるから嬉しいかも☆」と勝手に都合良く解釈してしまってたりもする(=^_^=)

彼の主演する、いわゆる「映画」を列挙すると・・本作と『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン(1986)』そして『プリンス/グラフィティ・ブリッジ(1990)』の3本があるんだが、いずれもVHSソフト(懐かし!)なりを、昔に購入したものだった(⌒〜⌒ι)

ホンマのファンなら、DVDソフトなりブルーレイ(Blu-ray Disc)なりを、買い直さなきゃならんトコだろうが・・そこまではどうだろうかなぁ(=^_^=)>

孤高のミュージシャン=プリンスの自伝的物語。“キッド”と言う名の、キザで小柄で(←すんません)、イマイチメジャー側に飛び出せない青年シンガーが、家庭でのゴタゴタやら、バックバンドとのゴタゴタやらに翻弄されつつ・・自らの目指す“音楽”を見つめ直すストーリー(←で、良かったんやろか?)

物語自体は「あってないような」ペラペラな感じ(?) 私的な見所としては、ヒットアルバム『パープル・レイン』のジャケ写にもババ〜ンと出てる「紫色のバイク」の実走シーンを拝めるトコとかか?
そんなペラペラなストーリーを補うかのように、ライブのシーンがパワフルに挿入されたり(・ω・)

ときに、主人公は(前述の通り)“キッド”と言う名の、メジャーになり切れない若手なんだが、その言動に関して言えば“実在するプリンスそのしと”のモノに相違ない訳で、ちょっと“キッド”と言うキャラ造型に違和感を感じまくりだったのはあったな。

おまけに、彼以外の人物の殆どが「自身の役(←役名)」でそのまま起用され、伸び伸びと演技してたし(←それって“演技”じゃなかったかも)(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

♦『アマデウス(1984)』主演時のトム・ハルス並みに“笑い声が耳障り”なライバル(←強敵)キャラ=モーリス・デイ。アレも一種の“怪鳥音”と評して良いんやろか?
♦前半、セリフ中に登場する「ミネトンカ湖」はミネソタ州ミネアポリスに実在する湖らしい。因みに、今回の鑑賞で湖の名をハッキリ覚えたワタシ。(これまでは)うろ覚えで「なめとんか湖」などと記憶してたし。。
♦主人公のバンドである“ザ・レヴォリューションズ”って、(劇中では)全然まとまりがないように見受けられたが、、良くぞ分裂しなかったモノだ。。

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