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2010年5月31日 (月)

☆『谷中暮色/Deep in the Valley(2009)』☆

昨日29日(土曜)は、午前中に帰阪しつつ・・その勢いのまま、奈良県内を“ドライヴツアー”して来た。

距離的に余りあちこち走り回る時間も、体力もなかったんだが・・しょっぱなに立ち寄った橿原駅界隈の「今井町」と言う細い路地の「重要伝統的建造物群保存地区」で“クルマをどっかに止めて歩けば良かった”モノを・・多少の「ラクしたさ」に負け強引に路地に入って行ったら・・
対向車とすれ違う際、左フロントのホイールを見事にガリガリ状態に擦ってしまい、ココロが大幅に凹んだ・・(×_×)

今夏に新型iPhoneがリリースされたら、購入は「ほぼ確定」してるが・・併せ“ちょこっと計画”してたiPad購入が、今回の「ホイールガリガリ君事件」の後処理でどうやら「吹っ飛んでしまった」ようでもあり、落ち込みも激しい、、
でもやっぱ、このまま(治さず)乗り続けるのは精神的に我慢出来へんし(×_×)

ってことで「狭路でコスるのがこれで運転歴2度目」なのもあり・・今後は“狭路走行、速度超過、違法駐車”の3ツのキーワードについて、自らを厳しく戒めたいと考えている。

そんな訳で、前述の通り「コスっただけ」で「今井町ツアー」は(下車し歩き回ることもなく)早々に終わったのだった。うわらば!

30日(日曜)。

「失意から取り急ぎ回復せねば!」と思い立ち、午前中から自宅を出発・・「地下鉄中央線・九条駅」界隈にあるミニシアター“シネ・ヌーヴォ”に向かった。
先週末に鑑賞し損なった1作『谷中暮色/Deep in the Valley』をようやく観た次第である☆

幸田露伴の著した小説『五重塔』のモデルになったとされる、東京都台東区谷中(やなか)地区にかつて存在した“五重塔”・・

1644年、建立
1772年、火災(←明和の大火)により焼失
1791年、48人の宮大工により再建
1893年、『五重塔』としてフィクション化
1957年、放火心中事件により焼失

焼失後ほどなく再建され、戦火も免れた古塔であったが・・男女の心中の道連れであっけなく失われたまま、半世紀を経ている。
今や塔の存在を示すものは、建てられた「天王寺五重塔跡」の石碑と、その奥に広がるがらんとした空間、そして礎石のみ。

地区内の住人から古いホームムービーを収集⇒修復し定期的に上映会を催している団体「谷中フィルム協会」に所属するカオリは、戦後に消失して久しい“五重塔”の存在と、その“まさに燃え盛る姿”を記録した8ミリフィルムが何処かに保存されていることを知る。

寺院の住職、霊園の女性墓守、工芸職人、郷土史家・・「谷中の過去を知る、年老いた人々」を訪ねる、カオリとその彼氏=ヒサキ。

果たしてフィルムは何処に隠されているのか? そしてその中に記録されていた映像とは・・?

寳塔・古塔好きなワタシとしては「CG映像で再現された、谷中五重塔の燃え上がる姿が拝見出来る」ってことで、外せなかった1作でもある(←この鑑賞動機は、少し野次馬根性じみてもいて、恥ずかしくもあるが)。

シアターが通常の広い方から、狭い“シネ・ヌーヴォX”に変わったので、2週連続で「あの空間」に叩き込まれることとなった(=^_^=) 因みに今回も「整理券番号:1」であり・・観客数に至っては。何と2名だった(⌒〜⌒ι)

物語自体は
1.インタビューによる「ドキュメンタリー」部
2.カオリ&ヒサキによる「恋愛ドラマ」部
3.宮大工・十兵衛とその妻・お浪による「小説『五重塔』の再現ドラマ」部
の3パターンが交代で展開される。

3つの物語に“ヴィジュアル的な変化”を持たせる意味でか、1と2は「モノクロメイン」で、3は「セピアカラーメイン」で描かれる。
たまに映像がフルカラーになったりして、戸惑ってしまうのもあったが(⌒〜⌒ι)

結論としては、1の出来は「記録映像」としてもなかなか良かったんだが、2がベタな展開であり、3が中途半端な出来だったために、総合的にバランスが崩れてしまい「ちょっとねぇ・・」って印象が正直拭えなかった。
1と2を組み合わせたパターンでは、かの河瀬直美監督辺りがスゴく巧い(したたか、とも言おうか)撮り方をしてるんだが、河瀬監督なら「そこまで踏み込んでは描かなかったろうな」と言う部分にまで描写・演出の手を広げ、かつそれがイマイチになってるのが敗因だったような・・

まぁ最大の敗因は、最大の見せ場である「クライマックスの五重塔炎上シーン」のCGの出来がどうにも「良くなかった」ってのがある。「形状」「背景とのバランス」「映し方(燃え方⇒崩れ方)」のいずれもがどうも不自然でペラッペラだった感じ。
あれはCGじゃなく、限りなく実寸に近いミニチュアをちゃんと製作し、火を放つ、ぐらいの気合が欲しかったトコだ。

主人公=カオリちゃんは眼の表情がイイんだけど、全体的に「ヒロインを演じるには、ちと荷の重過ぎる感」があったし、ヒサキのキャラ造型の背後にある“ヤンキーorチンピラorチーマー”の設定は、それを延々見せられても、共感も出来ないし、不愉快なだけだった。
(と言うか、1度現地界隈を数時間歩いたことがあるが、夜はあんなにヤバい地区と化すのか(?)、そこが大いに疑問である)

カオリ&ヒサキ役の俳優さんを、そのまま『五重塔』の2人(十兵衛&お浪)に流用(って表現でイイの?)してるのも、アイデアは認めたいけれど、ちょっと感情移入出来なかったかな。

ってことで、作品時間をもそっと削って、インタビュー部分はそのままに、(終盤の)フィルム上映の部分をもっと洗練した見せ方で描けば、更に“観客に伝わるモノ”が多くなった気がした。

一方で、シーンをスチール(写真)にして、そのまま(引き延ばして)ポスターにして飾りたいな〜と思わせる、素晴らしい「絵と構図」が(劇中の)あちこちにあったのは素晴らしい。

総じては「観といて、良かった」と思える1本ではあった。

〜 こんなトコも 〜

♦全編に渡り「英語字幕」仕様だった。
♦冒頭に数度のブランク(暗転を伴う余白)が挿入された。アレは意図的なモノか? にしてはさほど意味を感じなかったが?
♦谷中霊園は広大なので、あちこちに「甲4号1側」「甲9号4側」「甲3号2側」などの案内表示が立てられている。これらの配置(位置関係)が分かるしとは、更に臨場感を覚えたことだろうな。
♦「谷中」と呼ばれるのは、そこが「本郷」「上野」の2つの台地の谷間に位置するからだそうだ。
♦お寺の入口に「無」の1文字が掲げられていたが・・字幕には「nothingness」とあった。
♦冷静に“谷中五重塔”を眺めると・・「屋根の平べったさ」「相輪の(輪の間隔の)狭さ」が際立っている。正直、ワタシの好きなカタチではないかなぁ(・ω・)
♦墓守のお婆ちゃん。墓石を奇麗に磨く為とは言え、、墓によじ登り、足蹴にしたりしてる、、(⌒〜⌒ι)
♦「立ちのぼる線香の煙」「座した人の横顔のシルエット」「陽光の射した木の廊下」・・これらがモノクロ映像にすごくマッチしてる!
♦劇中に登場する“モテ香水”「Fall in Love Perfume」の正体は・・“薄めたリンゴジュース”に過ぎないらしい(×_×)
♦ご老人の(散らかった)お住まいはモノクロに「色を落として」映さないと、ちょっとキツいかも?

〜 こんなセリフも 〜

山崎「ちゃんと話して、ちゃんと聴いたげないと。相手は話したがってるんだから」
  「ちゃんと話さず“フィルムを貸して下さい”だけで貸してくれる訳ないじゃない」

ヒサキ「何でみんな“五重塔”にこだわる?
    何で“燃えちゃったもの”にあんなに執着するんだろ?」

ヴィンセント「こう言った居酒屋で得られるのは“商品”だけじゃない。
       それは“心地よい雰囲気”と言うか・・」

人々「(塔が)あったんですよ。残念ながら、燃えちゃったんですけど。
   どうやらホームレスの人が放火しちゃったらしいんですけどね」
  「子供の頃は、(塔に)入って遊んでましたね」
  「(塔は)そこに有るものだと思っていた・・それが“当たり前”だとね」
  「(塔が)焼けた時分は娘だったんですよ。それが・・今やお婆ちゃんですから」
  「(炎上当夜は)風がなかった。とにかく火柱がスゴくてね」
  「伽藍の中で、一番目立つ存在が塔だった。
   そして人々は、塔を通じ“仏様”を見ていたのです」
  「仏さんが新しいウチだけね・・大勢が来て、賑やかにやってくれるのは」
  「(フィルムなんか)持ってないよ。持ってたらどうなの?
   (中略) そう言うのが付き合いなの。他所様のこと、喋れないの。分かる?」
  「(炎上を)見ても“見た”って言えないよ。思い出したくないから・・たとえ見ててもね。
   分かる? その気持ち。 ・・おたくらには分かんないだろうねぇ」
  「何かまた、“建てる”ってハナシを言ってますよね」
  「生きてるウチに・・見たいもんだなぁ」
  「(炎上する姿は)そりゃ、奇麗でしたよ。人は死んでんだけどね」

〜 こんな英訳も(字幕より) 〜

「うそ!(I can't believe it.)」
「有り得ないって?(Let me ask you.)」
「そこ、邪魔(You are in my way.)」
「上人様(Highest monk)」
「ああ、やれやれで御座いまして(Oh,boy.. What a day.)」
「1人で行って来な(Go by yourself.)」
「何とも言えないけどね(It's hard to say.)」
「ふざけんなよ(Gimme a break.)」
「よみがえれ(Come to life once again.)」
「無縁様(Lonely stones)」

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2010年5月29日 (土)

☆『陰日向に咲く(2008)』☆

28日(金曜)の夜。
「金曜ロードショー」で“地上波初放送”された『陰日向に咲く』をダラッとした心持ちながら観てみた。

劇場公開当時「なかなか良い!」と言うハナシを周囲の誰かから聞いた記憶があるような、ないような(←どやねんな)感じなんだが、原作本(小説)の筆者たる「劇団ひとり」と言う人物のことを(バラエティ番組を全く観ないので)余り良く知らず「言うても、関東芸人さんが片手間に書いた本でしょ?」ってな勝手な先入観があったもので、ついつい敬遠してしまった(・ω・) ←ゴメンナサイ、、

ウィキでなぞってみると(=^_^=) 原作は5ツの短編から構成される、いわゆる“オムニバスもの”だそうだ。その中から4ツのエピソードを抜き出し、微調整をした感じ。

秋葉原、浅草など、トウキョウをメインに幾つかのロケーションが登場するが、風景描写にことさらこだわってる風でもなく、観ててもそんなに「あ、エエなぁ」と言う気持ちは沸かなかったか。あ、でも“浅草寺の五重塔”がチラチラ映されるのは、ちょっと嬉しかったな。

TVの気象ニュースでは、台風12号の九州上陸〜関東方面への移動が日を追って報道される8月。

都内で観光バス運転手をしている沢渡シンヤ(岡田准一)は“パチンコ依存症”の克服に努力する青年。400万の借金と、その回収のため付きまとって来る借金取りに怯える日々。
ある日、とうとう“パチンコ店”の誘惑に負け、またも有り金を使い果たしてしまったシンヤは、(飛び出して久しい実家の)父親に無心しようとした電話・・の間違って伝わった先の女性に“オレオレ詐欺”を働くことを思い付く。

25歳の売れないアイドル=武田みやこの熱狂的なファンである3人組(ユウスケ、ツヨシ、ハジメ)。リーダー格のユウスケ(塚本高史)にとって“ミャーコ”ことみやこの存在は、小学生時代の初恋に破れて以来の“ココロときめかせるもの”だった。
バラエティ番組への不遇な(←逆に美味しい?)カタチの出演を知り、彼女の「イメージを崩す」姿に打ちのめされる3人組だったが、ユウスケは彼なりの懸命さでみやこを応援しようと決意する。
そんな矢先、みやこからユウスケに1通の手紙が届くのだった。

“モーゼ”と呼ばれるホームレス(西田敏行)のもとに、生き別れとなった父親を捜す、大物プロ野球選手が現れる。
「大嘘つき」で知られる“モーゼ”は彼の父親であることを告白するが・・

浅草でシンヤが出会ったのは「1枚の写真」を頼りに“とある男性”を探し求める池田寿(ひさ)子(宮崎あおい)だった。鳥取県出身の彼女の母=鳴(なる)子(←宮崎の2役)が浅草で出会った「ゴールデン雷太」と言う名の“売れない”芸人(伊藤淳史)が、鳴子と共にその古ぼけた写真にはうつっていた。

一見無関係な“不幸を背負った、陽の当たらぬ場所にひっそりと咲く(←咲けてないかも、、)人々”が、終盤で大きな偶然により(=^_^=)“繋がって来る”のが本作の醍醐味だろうか。
まぁ繋げ方が強引だったり、お涙頂戴的でややもすれば「ベタ」な脚本(展開)を、豪華キャストで強引に引っ張り切ってた印象もなくはなかったが(=^_^=) 「ちょっとエエね」って世界観は確かに構築出来てたようで。

ワタシとしては“アキバ”の物語である“ミャーコ”を巡るエピソードは、ちょいと本筋から外れており、まとまりも良くない気がしたかな。
事前に『キサラギ(2007)』と言う、もンの凄く完成度の高い「アイドル映画」を観てしまってたがため、どうしても物語の完成度を比べてしまうのもあったりするし(⌒〜⌒ι)

シンヤの関係する“オレオレ詐欺”の顛末がなかなかに苦いながらも・・「首根っこをグイッと掴んで泣かせる」っぽい強引な脚色がされてたのが印象深い。
ま、確かにワタシも「あの遺されたお菓子缶(?)の中身」が明らかとなった場面ではウルッと来てしまった。

もう少し・・何やろ? 俳優のラインナップに逃げず(?) 映像や(ハナシの)余白で観るものを引っ張り、トリコにして欲しかったトコである。

あ、そう言えば・・伊藤淳史&塚本高史って『ロボコン(2003)』でも、ガッツリ共演してたんやな〜と・・思い出した(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

♦伊藤&宮崎の演じる「浅草ゴールデンホール」の看板(?)漫才トリオ=ゴールデン鳴子&雷太。しゃべくりぶりが、戸惑う程に「お寒い」のであるが・・(⌒〜⌒ι)
♦どれほど不幸を背負い、どれほど人生に陽光の降り注ぐことがなかったとしても・・世界でただ1人、宮崎あおいに惚れ抜いて貰えたら・・もう他にはなんにも要らない・・のでは??(一生、彼女にアタマは上がんないだろうけど)
♦シンヤの「バス運転手」って職業描写が、思いっきり「薄っぺらく」見えた。
♦三浦友和氏がホームレス生活に身を落とす(?)展開があったが、焚火のシーンを(わざわざ)設けて“モーゼ”に「その火を飛び越えて来い!」とかって言って欲しかった(=^_^=)
♦ユウスケが“ミャーコ”を応援するため、ネットの掲示板に色んな人格になり済まして「絶賛コメント」を書き込むんだが・・その内容がバカバカしくて面白かった! 劇場で観てたら、きっと爆笑してたことやろなぁ(=^_^=)
「無くしたリモコンが見つかりました」「死に際だったおじいちゃんが、最後にドロ子さんを観て笑いました」「引きこもっていた娘が、ドロ子さんを見て“明日から学校に行く”と言い出しました」・・みたいなノリ(=^_^=)
♦あおいちゃんの「鳥取弁」が可愛かった。「はぁ? 今のでマル(合格)かいなぁ?」「ウチ、決めたけん。一緒にさせてぐしない!」「2人で“日本一のお笑い芸人”になるいな!」「最後まで、していけぇな!」「ウチ、見つけるけぇ。必ずまた、雷太のこと見つけるけぇ!」
♦“風もいつかは止む・・雨もいつかは上がる(・・でもまた吹くし降る、、)”と言うのが、観終わってすぐのワタシの呟きだった。

〜 こんなセリフもありました 〜

シンヤ「上から“見下した”ように言うんじゃねぇよ!」

ユウスケ「俺なら、ファンレターに“好きだ”なんて書かない。
     何故なら・・それを出す時点で、その気持ちは伝わってるから」
    「最初で最後・・僕がした“現実の恋”・・初恋」

シンヤ「だから・・オレです」
父「ああ“オレオレ詐欺”・・」
シンヤ「そうそう・・って違います!」

モーゼ「俺はやっぱりここに残る。行けないよ・・
    20年前に、何もかも棄てたんだから・・仕事もお前たちも」

ドロ子「幸せドロ〜」

寿子「母はずっと、あなたの幸せを願っていました。それほどまでに・・あなたのことが好きだったんです」
  「今日のここでのこと、私には“全部、意味がある”って気がするんです。
   ・・誰かが教えてくれている気がするんです。“きっと、明日は晴れるよ”って」

父「もう、あいつを待つのはやめます。(思い出は)全部棄てます。これからは1人で・・そう決めました」

手紙“あなたと私が生きて来た話を、聞かせてください”

追記1:「手前に岡田君、奥に正面を向いたあおいちゃん」の構図のシーン。あおいちゃんに焦点(ピント)を合わせてないもので、何だか彼女の額のカタチが“月代(さかやき)”みたいに見えてしまった(⌒〜⌒ι)
追記2:西田局長のキャラ造型が良かった! このしとは、やっぱりこう言う“軽妙な役”が似合う!
追記3:“騙すことによる救い”ってのもホンマにあるもんなんや、と本作を観て確信した!
追記4:浅田次郎氏による、本作の評価が知りたい(=^_^=) テイストが何処となく似てるので・・

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2010年5月28日 (金)

☆『荒野の用心棒(1964)』☆

24日(月曜)の夜。同日の昼間に(衛星第2で)放送されたモノを録画しておいた『荒野の用心棒』を観た。
これまでの人生では、ことごとく放送と鑑賞のタイミングが巧く合致せず、すれ違ってばかりだったが・・ようやく鑑賞の叶った感。

「ここまで、長かったなァ・・」と、何やらしみじみ〜(=^_^=)

監督:セルジオ・レオーネ+主演:クリント・イーストウッドのタッグによる“マカロニ・ウェスタン史”に燦然と輝く1作。因みに製作国は「イタリア・西ドイツ・スペイン」と紹介されていた・・西ドイツも1枚噛んでたんやね・・(・ω・)

黒澤明監督の『用心棒(1961)』の世界観を西部劇に置き換えた“翻訳作”とウィキペディアには記載されてもいる本作。

テキサス州境にほど近いと思われるサン・ミゲルの町は、酒の販売をとり仕切るロホ3兄弟と、銃器の販売を一手に引き受けるジョン・バクスター(←本職は保安官!)の“2大勢力”が睨みをきかせ合う、血なまぐさい町だった。

そんな中、ふらりと現れた1人の長身のガンマン=ジョー(クリント)。早撃ちの腕前を売り込み、彼はまずロホ兄弟に「用心棒」として雇われる。次には、ロホ兄弟を離れ、バクスターの一味に情報を売り込む。

双方に近付き、首尾良く大金をせしめるジョー。彼の狙い通り、2つの陣営の対立は加速的に高まって行くのだった・・

青年期のクリント(当時34歳!)がとにかくカッコいい! 後年の「ハリー・キャラハン時代」の彼もむろん好きなんだが、より“外見は静かながら、内側にたぎるものをたたえてる”ってな、ギラギラしてトンガった雰囲気が強い。
年を重ねるに従い、クリント氏って“内面の穏やかさ”がにじみ出て来たように思うもので(・ω・) ←それが人として自然なハズなんだけど。

クロサワ版(?)では、主演の三船敏郎に絡んで来るニヒルな好敵手としての仲代達矢の“憎たらしさ”がキャラ造型的に光ってたんだが、本作では、その立ち位置にいたロホ兄弟・次兄=ラモンが「何だかギラギラしてるだけ」って風で、さして不気味さや強烈な個性を放つまでには至ってなかった気がした。

そもそもが(クロサワ版では)「刀vs短銃」と言うスゴい対比で“最後の対決”が描かれるんだが・・それが「拳銃vsライフル」って感じに置き換えられてて「ちょっと、緊迫感に欠けるなぁ」とも思ったり。

まぁ、かねてより聞いてた(=^_^=)「あのオチ」の演出ぶりは、確かに時が流れようと「鉄板(!)」のような変わらぬ個性とインパクトを、これから先も観る者に与え続けることだろうが・・ ←文字通り・・まさに「鉄板」ですねぇ(・ω・)

ジョーとラモンの間に「最後の対話」の欲しかったのもあったかも。『用心棒』では、それなりに好敵手をたたえてたし・・

〜 こんなトコも 〜

♦“赤&黒&白の影絵風オープニング”はなかなかカッコいい。
♦背中に“Adios Amigo(あばよ、まぬけ)”と書かれた紙を貼付けられたまま、黙って町を去って行くガンマン(?) どんなドラマがあったんやろ?
♦(クリント作品)恒例のリンチシーン。。じゃがしかし、観客はアレをみせられて、何を感じ取ればエエのだ? (・・痛み?)
♦西部劇で「床下に潜る」って言うシチュエーションを観るのは、珍しい気もする(=^_^=)
♦例の「あのオチ」だけど・・ちょっとシーン自体の長過ぎる気がしたかなぁ。ワタシがラモンだったら、狙う場所を変えるだろうな、絶対に(=^_^=) 少なくとも、7発も同じとこは撃ちません、ハイ。
♦主人公の名前は「ジョー」よりも「ジョン・スミス」の方が似合ってた気もした(=^_^=) ←それってブル※ス・ウ※リス?

〜 こんなセリフも 〜

ジョー「1つの町に、2人のボスか・・そいつは面白い」
   「2人のボス・・真ん中にこの俺・・確かにここは金儲けにはおあつらえ向きだな」
   「あんたに雇われてやるぜ・・だが、安くはねぇぞ」
   「(柩を)3つ、用意しとけ」
   「笑うのは失礼だぜ・・」
   「間違えた・・4つ要るぜ」
   「安くないと言ったが、その価値はあるだろ?」
   「ここは居心地がいいが、お前らには面白味がない」
   「金は返すぜ・・働かずに貰いたくはないんでな」
   「死人も・・使いようだ。今までも何度か救われた。
    死人は喋らず、生きてるかのようにも見える。
    それに・・撃っても平気。もう死んでるんだからな」
   「寝室に男がいると、亭主は危険な存在になる」
   「金さえ手に入れば、あとは平和が一番さ」
   「金持ちも、悪くなさそうだ」
   「ライフル? 俺は拳銃の方がいい」
   「この金を持ってけ。しばらくは喰える」
   「何故親切にするか? 昔“助けられなかった女”がいたからだ」
   「止めてくれ・・ここで見物(けんぶつ)だ」
   「どうした? 腕が鈍ったか? 心臓を狙って撃て。そう言ったろ?」
   「一方にメキシコ政府、もう一方にアメリカ政府・・真ん中にこの俺・・ヤバ過ぎるぜ」

ホアン「ここは“頭を使えば金儲け出来る所”さ」
   「ここじゃ、金持ちになれるか・・殺されるかだ。
    つまり、ひと山当てるか・・あの世行きだ」
   「あんたが死んだら、葬式の鐘は私が」

バーテン「ここは“葬式と埋葬に忙しい町”さ」
    「喰って、飲んで、殺す、か・・他の連中と同じだな」
    「喰ったらさっさと(町から)出て行け。ここは墓場の町だ」
    「豊かなのは、町じゃなく、ここを仕切ってる2人のボスさ」
    「危ない橋は渡らんことだ」
    「わしもついて行くよ・・あんたが“窮地に立つところ”が見たいんでな」
    「店を閉めろ? 見ての通り、今でも“開店休業”さ」
    「あんたは墓場がお似合いだな? この調子じゃ、すぐ“住人”になれそうだ」

バクスター「事が巧く運ぶと、女は逆に疑い深くなるんだな。
      いつも“この私が間違ってる”と言いたがる」

ロホ「ここじゃ“情報の有無”が生死を分けるのさ」

ラモン「ただの用心棒にしちゃ、頭が切れ過ぎる」
   「やつは危険な存在になるぞ」
   「拳銃とライフルの対決じゃ、拳銃の者に勝ち目はないぜ」

バーテン「何故バルコニーへ?」
ジョー「高い所からだと、物事が良く見えるんでな」

バーテン「(荷馬車の)荷台を覗き込んで、撃たれたら・・その中身は“金塊”だろうさ」
ジョー「そりゃいいアイデアだ」

ラモン「平和は好かんか?」
ジョー「“知らないもの”は、好きになれんな」
ラモン「まぁ、大いに楽しんでくれ(Enjoy yourself.)」

ピリペロ「頭を使って、あんたの銃を取り返して来た。誰も“酒の誘惑”には勝てんからな」
    「ようやく、この導火線に火を点ける時が来たな? ヤツらに投げ返してやれ」

ジョー「仕事場へ戻れ。柩がたくさん必要になる・・忙しくなるぜ」
ピリペロ「いいぞ。その言葉を待っておった」

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2010年5月27日 (木)

☆『書道ガールズ!!/わたしたちの甲子園』☆

26日(水曜)の夜。ちょいとお疲れの出て来たのがあったが・・観ときたかった1本『書道ガールズ!!/わたしたちの甲子園』と言う、我が在住の(=^_^=)「四国エリア」を舞台とした青春(?)モノを“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”にて楽しんで来たワタシ。

仕事の関係で時折、愛媛県・四国中央市に日帰り出張したりするが・・普段は“余り何も意識せず眼にしてる街並み”をスクリーンを通じ、改めて眺めていると・・妙に「郷愁感」と言うか、ある種の「愛おしさ」を覚えてしまったりもする。

描かれる世界こそハッキリと“2010年”なんだが、きっと「リアルに描写すると邪魔で雰囲気を損なう存在」を総て映像上から排除し“絵を構築”してたが故か「昭和期にタイムスリップしたような感覚」に溺れそうになるシーンがあったりもしたなぁ。

愛媛県・四国中央市は冬の季節を迎えていた。

「県立四国中央高等学校」に通う早川里子(成海璃子)は、実家が(厳格な父の経営する)「書道教室」と言う女高生。「町の何処からでも見える、紙工場の煙突(と煙)が好き」と言う彼女は、高校でも「書道部々長」と言う肩書を持ち、日々「書道展」に入選する為の練習に余念がなかった。

一方、その「書道部」は・・中心メンバーでもあった岡崎美央(山下リオ)が里子との衝突を経て部室を去って以来、新入部員は寄り付かず、退部希望者ばかりが増え、廃部寸前の空気すら漂っていた・・

まとまりなく部室に集う、
【女子部員】=好永清美(高畑充希)、山本小春(小島藤子)
【男子部員】=市ノ瀬誠、中野卓也、村上悟
・・の面々に、副部長=篠森香奈(桜庭ななみ)のテンションも下がり気味。

季節は春に。
産休に入った顧問教諭に代わり「書道部」の臨時顧問となったのは、赴任したばかりの青年教師=池澤ヒロト(金子ノブアキ)だった。

部室にやって来た池澤は、飾られた(部員らの)作品を眺め、里子の書いたモノを「つまんない字だなぁ」とバッサリ斬り捨てる。
彼に対する反発心と共に・・一方で迷いの高まって行く里子。

そんな中、新入部員を招く為に池澤の放った「書道パフォーマンス」たる“来たれ書道部”の大書に、部員たちは圧倒される。これに触発された清美などは、自身も独学で「書道パフォーマンス」に取り組む、と言い出す始末・・

部員たちは、池澤に教えを乞うのだが・・何故か、彼は決して首をタテには振らないのだった。

やがて季節が夏を迎え、ますます高まる不況の波に押され・・とうとう清美の父が経営する「好永文具店」が閉店することに。
家族で広島に発つことの決まった清美のため、“閉店記念セール”を開催する店の前で「書道パフォーマンス」の披露を決意する「書道部」一同だったが・・

観るまでは、、ズバリ「監督」とは言わぬまでも「製作総指揮」だか「脚本」だかで、てっきり“矢口史靖氏”の名が冠されとるモノと勘違いしてたワタシ(=^_^=) 何せ、どう見ても「数番煎じ」なテイストだったもんで(⌒〜⌒ι)

しかし本作・・その展開・脚色にこそ、ズバリ“ど直球”な作品性、或いは既視感があちこちに漂ってて、それが魅力でもあるンだが・・まずはもうちょい「地に足の着いたネーミング」にして欲しかったような。折角、内容が良いンですから(・ω・)

結構“模範的脚本”って感じに、ストーリーは「友情」「努力」「勝利」っぽいのん(←少年ジ※ンプ路線?)をなぞりつつ進むんだが・・中盤辺りで何もかもが「どん底」状態を迎えるトコや、主要キャラクターそれぞれに「肉付け」をし「見せどころ」を設けてるのが素晴らしかった!

私的には、前半の主人公=清美、後半の主人公=池澤・・などと勝手に解釈している(・ω・)

ベタっぽい脚本ながら、要所要所にアクセントとなる「シーン&セリフ」がしっかりはめ込まれてるため、安心してのめり込める世界観であり、未見の方にもお薦め出来る作品と思う。

ワタシ自身は「今年度の上半期、本作を超える邦画はもう現れまい!」と考えてるンだが、どやろ??

〜 こんなトコも 〜

♦ファットな女の子は、やっぱり鼻呼吸する際に“ブタみたいな音”が漏れ出ちゃうんやろか?
♦ドアを「バァン!」と閉めたショックで天井の照明がブラ~ンと垂れ下がる。“しょっぱなの笑い”のタイミング設定としてはまずまずだった(=^_^=)
♦私的には・・主演級のあの2トップ(里子&香奈)は、意図的にか、少し立ち位置の下がり気味だった感がある。また、里子の恋愛は途中から手がつけられず、香奈に至っては、私生活そのものが殆ど謎だった。。
♦池澤役の金子氏。容貌を含めたその雰囲気が、ワタシの兄に妙に似てて、違う意味で苦笑させられっぱなしだった(=^_^=)
♦久々に金山“イキのいい安男”一彦氏のお元気そうな姿を拝見した☆
♦草食系な男子部員トリオの醸し出す雰囲気は、何処となく『おっぱいバレー(2009)』のあいつらっぽい(=^_^=) うち1人はムチャクチャにバレーボールのセンスがあったみたいだし! 他に、背筋運動の速過ぎるやつもおるし!
♦あの森本レオ氏が、何と「伊予寒川駅」のホームに!! あのシーンで、何処かから“サイレン”が鳴り響き、いきなり同氏が暴れ出したら、マジでコワいやろな〜(⌒〜⌒ι)
♦池澤が劇中の8割近く(?)手放さなかった携帯ゲーム機。任※堂DSかな? と思ってたら、終盤で違うことが判明。
♦良い半紙は「厚さ」と「墨の乗り具合」でハッキリ分かるそうだ。
♦劇中で最も厄介なキャラは・・その雰囲気が『遠い空の向こうに(1999)』におけるクリス・クーパーを連想させてくれた。つまりは、ああ言うキャラが“変わる”瞬間に、ワタシは必ずボロボロ泣かされるのだ(⌒〜⌒ι)
♦宮崎美子さん。九州で松山ケンイチ君のお母さんを演じてはった時(2008)は、あんなにお元気やったのに・・(×_×)
♦美央ちゃんの働いてる(?)「スナック月光美」は「川之江駅」界隈に実在するらしい!
♦店内ロケで使用された「Bar Luke(バー・ルーク)」にも興味津々。こちらは「上分町」にあるそうだ。
♦「書道パフォーマンス」の選曲には『ワルキューレの騎行(ワーグナー)』『王将(村田英雄)』『学園天国(小泉今日子)』『手紙(アンジェラ安芸)』・・など。
♦いつもヘッドホンで何かを聴いてる小春ちゃん。てっきり『東京タワー(2005)』の主人公の友人みたいに「落語(古今亭志ん生? 古今亭今輔?)」を聴いてるんかと思ってた(=^_^=)
♦飛び散る墨汁の飛沫はCG処理か? シーンによっては『たけしの座頭市(2003)』の血飛沫を思い出した(・ω・)
♦「赤ジャージ&メガネ」の清美ちゃんに、ちょっと惚れた(照)
♦清美ちゃんの親父さんのキャラも良かった。あんな父親だったら、グレようにもグレられない気がする(・ω・)
♦商店街の人々の怒りセリフがリアルだった・・「どぅすんぞ!(←どうしてくれる)」「ほぅよ!(←そうよ)」
♦“中通り商店街”に「時速30キロ」の速度規制看板が揚がってたが・・あのアーケードでその速度は、ちょっとヤバいんじゃ?
♦後半、会場に向かう「部員」らの背後から声をかけたあのしと・・遮るモノなき、だだっ広い田舎道(?)だったから、きっと直前まで何処かにしゃがんだりして隠れてはったんやろなぁ・・(=^_^=)
♦流石は「書道パフォーマンス甲子園」・・「フルカラー墨汁」や「黒い巨大半紙」など、色んな個性が光ってた!
♦「うっかりこぼした色も、すぐに薄くなる」と気付いた(・ω・)
♦「書道科の有無」で大学を選ぶしともいはるんやね・・
♦池澤の“どでかいパフォーマンス”が劇中に2つ配されてるんだが、特に後者の方は「観客にのみ伝えられる」と言う素晴らしい描き方だった! これを部員が知ってたら(覗いてたら)メッチャクチャつまんなく仕上がってたトコだ。

〜 こんなセリフもありました 〜

里子「書道って、その(書いてる)字と静かに向き合うもんや」
  「私、間違ってないき!」
  「護らんと! なくしたらいかんのよ・・“この町の宝物”を」
  「紙は・・“この町そのもの”なんよ」

池澤「(シャツに飛んだ墨汁を)洗って来ていい? たぶん落ちないと思うけど」
  「こう言うツンケンした気持ちって、そのまま“書くもん”に出ちゃうからな」
  「この字ってさ・・“つまんね〜”って思いながら書いてるだろ?
   だから、見てる方もつまんなくなる・・そんな感じかな」
  「イキイキとした楽しそうな字だ・・何を考えて書いてた?」
  「闇雲に書いてても、練習にはならない」
  「腕だけで書くな。身体全体を使え」
  「書道は“足腰”からだ」
  「“永”の字をなめるな」 ←“永字八法”と言うそう(・ω・)
  「カタカナには“漢字の基礎”が詰まってる」
  「この3人でボートを漕いだら・・転覆は間違いないぞ。
   “同じ力”と“同じ速さ”で漕ぐんだ」
  「(この字)いいかも知んない。・・でも“何か”足んねぇんだよな・・何だろなぁ」
  「自分で、上下左右を見て考えてみろ。何が足りないのかを」
  「いい字でしょう? 書き手の楽しさや“書きたいって言う気持ち”が伝わって来る」
  「“楽しみ”が、いつの間にか“苦行”になりました」
  「“好きなもの”のために書いてる字だから・・こんなにイキイキとしてるんです」
  「お前らの強みは何だ? “チームワーク”だろ?
   全員が揃ったんだ。自信持って、やって来い!」
  「・・諦めるな・・」

高田「書道もサッカーと同じ・・最後にゴールを決めるのは1人だとしても、
   お互いに“良いパス”を出してったら“すっげぇゴール”に持って行けるんじゃないか?」

清美「こっから(=「伊予寒川駅」ホーム)でも見えるんですね・・煙突。
   この町の何処におっても、あの煙突が見える・・16年おって、初めて気付きました」
  「1人で“ムリや”と思っても・・誰かの力を借りたら“出来る”と思います」

香奈「ここは1つ・・“我慢”ってことで」
  「そうやないやろ、里子」
  「感動した!」

母「簡単に手放したら、あかんよ。“大好きなもの”を」
 「そんな顔だけはせんで。何もかも、諦めようとせんでよ」

池澤「指導には“人間性”が必要、だろ?」
香奈「先生の“人間性”には・・この際、眼をつむりますから」
池澤「・・帰ってくれるかな?」

里子「普通、そう思うやろ?」
美央「・・“普通”ってなに?」

男子「(部員が少なくても)イイんじゃないですか?
   これ以上“先輩たちみたいな人”が増えても・・」
  「“祝! 閉店記念”って・・」

※「この和紙は・・“この町の魂”じゃ・・持って行きなさい」

〜 こんな書が部室とかに貼ってた 〜

“寒いから閉めろ!”
“暑いから開けろ!”
“筆は分身”
“男は黙って墨をすれ!”
“筆を感じろ!”
“紙は神様!”
“一意専心”

追記:個人的にはお寺が好きなもんで、四国中央市が誇るべき(?)「三島興願寺(三重塔がある!)」「新長谷寺」をロケ地の1ツにして欲しかったなぁ。

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2010年5月26日 (水)

☆『グリーン・ゾーン』☆

25日(火曜)の夜。

ちょいと「ワケ」あって、帰宅後すぐまたクルマで出かける必要にかられたんだが・・「ついでやし」ってことで、前々から狙ってた新作『グリーン・ゾーン』を“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に観に行くこととした。
もう1本・・きっと“小品”とは思われるんだが・・愛媛県は四国中央市を舞台とした、とある青春(しぇ〜しゅん)モノが上映されており、そっちも「観に行きたいな〜」と考えてはいるんだが・・今日のトコは後回しとさせて貰いますた(・ω・)

かの“ジェイソン・ボーン”シリーズ(2004、2007)に続き、ポール・グリーングラス監督がマット・デイモン君を主演に迎え、イラク戦争(直後)をネタに描いた「セミ・ドキュメンタリー」な仕上がりの硬派な1本!

グリーングラス監督の中では『ユナイテッド93(2006)』に続く(?)“中東ネタ作品”でもあり、ワタシが思うに、彼の中では・・コレから先も同様の“切り取られ方”で、こう言った作品が定期的に放たれそうな気がしたりする。

イラクの何処かに隠蔽されていると言うWMD(Weapons of mass destruction:大量破壊兵器)を“脅威”と考えた米軍は、2003年3月19日、イラクに対する開戦に踏み切った。

同年4月、首都バグダッドを陥落させた(米軍を中心とする)連合国暫定当局は、バグダッド中心部の10平方キロメートルに及ぶエリアを“グリーン・ゾーン(米軍管轄区域≒安全地帯)”に定めた。

しかし開戦前を含め、12年の長きに渡る査察が進められるも・・件(くだん)のWMDの所在は明らかとなっていない・・

米陸軍のロイ・ミラー上級准尉(デイモン)率いるMET部隊はこれまでに3つの情報を得て、バグダッド周辺の倉庫やビルなどに出動、WMDの捜索を進めたが、それらはいずれも“ガセネタ”であった。

ミラーは上官に“情報の信憑性”を再確認するよう主張するが、それは退けられる。
彼は独自に「情報提供者が何者であるか」を調べ始めるが・・その先には国防総省・情報局の高官=クラーク・パウンドストーンが立ちはだかるのだった。

一方で、ミラーに協力・共闘を申し出る人物が現れる。それはイラク人=フレディ、CIAエージェント=マーティ・ブラウン、「ウォール・ストリート・ジャーナル」の海外特派員=ローリー・デインの3人。

彼らから得た情報を組み合わせたミラーは、最高機密に属する情報提供者が“マゼラン”と言う名の人物であることを掴む。

“マゼラン”の正体を追うミラーに、パウンドストーンの指図による妨害工作や、地元テロリストの魔の手が迫ったりもし・・

作品自体に余り「面白味」を感じず、失礼ながら「大量破壊兵器が実在しようがしまいが、もうどっちでもエエやんか」とまで“平和ボケ”してしまったアタマで考えてしまったワタシ(⌒〜⌒ι)

が、本作の訴えたかったポイントは・・実は「兵器の存在の有無」ではなく「兵器の存在がでっち上げられる、情報操作の恐ろしさ」であり、一方で「よその国(=ア※リカ)に自国をかき回されるイラク国民の(怒りの)魂の叫び」であったように受け止めたワタシ。

終盤で某イラク人の上げる「悲痛な叫び」こそが本作の総てではなかったか? とも感じた次第だ。

そんな訳で、中盤辺りで“ガセネタ”に振り回されるMET部隊の行動(の繰り返し)が描かれるトコで、とにかく眠たくて仕方なかった。「ああ、つまらんもんを観てしまっとる」とまで感じたモノで・・(⌒〜⌒ι)

市街戦の迫力や、銃撃戦のリアルさなんかが満喫出来る本作だが、一方で「ネタ」として難しいトコやなぁ、とは感じた。

つまり「リアルに徹して描くには、娯楽性との両立が課題となる」し「娯楽作として描くには、リアルさが障害となって来る」訳だ。グリーングラス監督としては、思い切ったか(?)「終盤、延々と闇夜の市街戦を“手ぶれ+高感度(ノイズ)ザラツキ映像”で描き切る」と言うある種の冒険(?)に出たんだが、、ここはエンタテインメント性を楽しみたいワタシとしては、ちょっと物足りないし、地味でがさつな印象が拭えなかったかなぁ。

まぁでも、一種のファンサービスとも言える(=^_^=)「軍服を脱ぎ、民間人ぽい服装で行動するデイモン君」「狭い独房で格闘戦を繰り広げるデイモン君」「小型車に乗り込み、イラクの市街地を爆走するデイモン君」などは、彼のファンならずとも“見所”とはなり得るンじゃないかな〜と思う(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

♦CIAのブラウン。後半から殆ど“退場”してしまってた感があり残念。タッグを組んでの展開を期待してもんで。
♦字幕担当は戸田奈津子さん。やっぱり、訳(やく)にお元気がない・・(×_×)
♦連合軍の管轄下となった“フセイン宮殿”のプールは、緊迫した街中に比べ、思いっきり「緩み切った空間」と化してた(・ω・)
♦100万ドルの詰まった袋を、無造作にミラーに投げてよこすブラウン。C※Aってスゴっ!
♦「バス停」ってひとくちに言っても、ニッポンのそれとは、随分と雰囲気(ってかヤバ度)が違いますね・・
♦ヒロイン不在なトコも寂しかったりした。
♦まかり間違っても、便器工場の廃墟では死にたくないなぁ・・
♦最後の某メール。送信先が「CC」表示なので、モロバレでアカンような気もする(=^_^=) いや、あの場合は敢えて「BCC」にしてないんかな?

〜 こんなセリフも 〜

ミラー「あの略奪行為を放置しておくな」
   「しっかり(ガス)マスクを装着しろよ」
   「道を空けさせろ。止まると格好の標的にされるぞ」
   「ここは戦場だ。顔を引き締めろ」
   「情報がいつも“空振り”だ・・何かウラがある」
   「新聞を売る為なら、国も傷つけるのか?」
   「情報のウラは? まさか、とってないのか?!」
   「暴動を治め、人命を救いたいが故の行動だ」
   「お前はお前の仕事をするがいいさ」
   「上層部は知らなかったか? それとも黙認か?」

フレディ「俺だってこの国のことを思ってるさ、あんたらよりも」

ブラウン「“安易な答え”で満足したいなら、ヤツ(パウンドストーン)の下で働くがいいさ」

ブラウン「コトはずっと複雑だぞ」
ミラー「そうか? 俺には至ってシンプルだ」

ローリー「その顔・・殴り合いでもしたの?」
ミラー「話すと、長くなるんでね」

ミラー「連中は味方では?」
ブラウン「君は・・甘いな」

ブラウン「(情報局の干渉など)納得出来ん! 本部に繋げ!」
部下「本部は“了承済み”とのことです」
ブラウン「・・・」

将軍「我がイラクは、君らによってズタズタにされてる。何故だ?」
  「バグダッド陥落で終戦だと? 今からが“戦いの始まり”だよ」

黒幕「ミラー? あいつは邪魔なだけだ・・“排除”しろ」

※「あんたらに、この国のことは決めさせない!」

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2010年5月25日 (火)

☆『アイ・アム・レジェンド(2007)』☆

22日(土曜)の夜。先月(=4月)18日の「日曜洋画劇場」で“地上波初放送”されたモノ・・を実家に頼んで録画しといて貰った、のをようやく鑑賞した。

ウィル“フレッシュ・プリンス”スミス演じる“地球最後の男”の、孤独な戦いとその運命を描いたSF(←“少し不思議”の略?)ヒューマンドラマ(←なの?)

どうやら、家人がずうっと昔に「コレは面白いぞ!」とススメてくれたのを期待して観たら・・ちっとも面白くなかった(←親父どん、すんません)作品で、チャールトン・ヘストン主演の『地球最後の男/オメガマン(1971)』ってのがあったが、それのリメイク作品と言うことだ。

公開当時、観もしなかったのに「おおよその内容」を知ってしまってたのと・・今回“もう1人の家人”の放った「何やかんやあって、最後に自爆するんや」「最後、みんな死ぬで」「自爆や、自爆」ってな“ネタバレコメント”にさらされてしまい、かなり萎えてしまった(×_×) ←このしとって、以前『武士の一分(2006)』を劇場に観に行く直前にも、先に自分が観た“優越感”からか・・「観ときや。最後、屋根からポンと飛び降りるんやで」とかネタバレコメントを楽しげに放ってくれた・・おいおい、あんたァ(⌒〜⌒ι)

まぁでも、気を取り直し・・HD(ハードディスク)レコーダのインデックス画面の「番組解説(あらすじ)」から丁寧にチェックし始めたら・・これが以下の通り、途中で途切れててハラが立った。因みに最後のトコはこんな感じ。

「夜になるとウイルスによって凶暴化したダークシーカーが街をうろつくため、日没後は厳重な戸締まりをして閉じこもる。そんな中、ロ」

おい! そのラストの「ロ」って何だよ! いやきっと「ロバート」だろうってことは分かるンだけどね・・(×_×) 

2009年。

アリス・クリピン博士による「“はしかウイルス”を遺伝子操作で人体に有効な治療薬に変える」と言う研究が奏功、人類はついに地球上から“がん”を退治するに至った・・

が、この“クリピン・ウイルス”による空気感染&接触感染により、人々に次々と“狂犬病”に似た症状が現れる・・

これに冒された者は「脳機能の低下に伴う、社会性の完全な退化と攻撃性の増大」「皮膚の変色と全身の脱毛」「瞳孔の散大」が見られ、次々にその仲間を増やしてゆく・・

それから3年後の2012年。

世界人口(約60億人)のわずか1%以下と目される“免疫者”・・の1人である、ロバート・ネヴィル博士(ウィル・スミス)は、愛犬サム(シェパードのメス)と共にニューヨークに残り、日夜の研究を続けるのだった。

日が暮れると、廃墟と化したこの巨大な街を徘徊するのは・・「かつて人間と呼ばれた」“ダークシーカー”と言う異形の存在たち。
そして“進まない研究”に、ロバートの焦りは募るばかりだった・・

完全に「無人の様相」を呈する(実は夜になると“大賑わい”なンだが・・(=^_^=))ニューヨークの街にたった1人(&1匹)となった主人公ロバートらの「やりたい放題で自由なんだけど、何をやっても楽しくなさそう」な・・そんな皮肉さが巧く描かれてた。
特にこのウィル・スミスと言うラッパー上がりの兄さんってば“虚無感に包まれた”寂しげな表情の演技が抜群に巧いのである!
このしとの起用(演技)によって、本作の醸し出す世界観は随分と“補完”された気がする。

夜になると、地下などの「闇」から“ダークシーカー”の集団が走ってやって来るんだが・・こいつらが「強いんだか弱いんだか」「賢いんだか賢くないんだか」最後まで良く分からんかった(×_×) ストーリーの進行と共に、色々と“学習”し、主人公に対抗して(?)来るんだが、アホなトコは徹底的にアホなのだ。

あんな細かいトラップを設置出来るんなら、もはや(あちこちに放置してある)クルマの運転すら容易いように思ったし。
凶暴化した犬がたくさんおる割に、凶暴化した鹿なんかが全然いなかったのも、妙と言えば妙だった。
彼らはあくまで感染対象じゃなく、捕食対象ってことだったんやろか?

中盤で、ロバートと愛犬サムの間にも“別離”が訪れるんだが・・ワタシは“あの結論”を下したロバートに対し「そう言うカタチの結論を急ぐんじゃなく、取り敢えずは麻酔をかけて眠らせ、最後の最後まで“治すために手を尽くす”べきじゃなかったんか?」と思った。

って言うか、時として「かなり精神的に参ってそうやなぁ」と実感する言動も少なくない主人公だった。

日々冷静に動物実験を繰り返す彼と、絶叫しながらクルマを暴走させ“ダークシーカー”を次々と跳ね飛ばす彼・・この「両極端な性格」の変貌ぶりって何なんやろ。。

また、後半から主人公に合流するキャラ(2人)が、どうやって「深夜に迎えたあの絶体絶命の危機的状況」から彼を救うことが出来たのか、そこがさっぱり分かんない。。
そこもロバート自身が“半分失神してるような状態”でぼんやりとシーンが展開するもんだから、、観客にはその事情(真相)の分かる術(すべ)がないのだ(×_×) ナニやら強烈な「光線兵器」を用いたっぽかったが・・?

前半だかでは“ダークシーカー”に飛びつかれたまま、ビル3階(?)の窓をぶち破って彼らと共に転落⇒巧く“ダークシーカー”を下にして着地⇒無傷で済む・・ってな「極めてアンブレイカブル」な身体能力を我々に披露してくれたりもしたロバート。

彼も“ダークシーカー”同様「強いんだか弱いんだか」「生き延びたいんだか死にたがってんだか」最後まで良く分からんキャラだった印象があった(・ω・)

〜 こんなことも 〜

♦「もう1人の生き残りをラストに見つける」と言う“別ヴァージョンのエンディング”とし、ゲストに「トミー・リー・ジョーンズ」「ジェフ・ゴールドブラム」「マーティン・ローレンス」「ケヴィン・クライン」をそれぞれ招いて撮影して欲しかった(=^_^=)
♦“ダークシーカー”の少女が助かってそうな展開があったんだが、、あの子はあの後「大爆発で退場」の運命を辿ったンやろか?
♦劇場公開時、タイトルを意訳っぽく『暗くなるまで待って』とか『闇の中で散歩』などにしてはどうだったやろ?(=^_^=)
♦ニューヨーク旅行前に本作や『クローヴァーフィールド(2008)』を観ると、ちょっと気分がトーンダウンしちゃうんじゃなかろうか(⌒〜⌒ι)
♦曇ってる(=日照不足な)日の“ダークシーカー”の行動予定ってどうなん?(⌒〜⌒ι)
♦中盤以降、ロバートの“気絶回数”の目立ってた気がする。ワタシ個人的には、余り「主人公が気絶する」「主人公が夢を見る」演出は好かないんだが(・ω・)
♦1匹(?)の“ダークシーカー”のみが「劇的に進化」した理由とは?
♦ラストの“頭突き対決”は・・確かに悲しいんだけど、それを吹っ切る雄々しさがあったように感じた。
♦キーキャラとして設定されてたハズのクリピン博士。どこに行っちまったの?

〜 こんなセリフもありました 〜

ロバート「ここから始まったんだ・・この街(=NY)に残り、必ず治療法を見つける」
    「ここはマズいぞ・・! 今すぐ、ここを出ないと・・」
    「パパはお化けを退治しに行って来るからね」
    「これは“神の仕業”なんかじゃない・・人間(の仕業)だ」
    「彼(=ボブ・マーリー)の理想は・・彼は人種差別や憎しみは必ず無くせると信じてた・・
     人々の生活に、音楽と愛を注ぎ込むことで・・」
    「ボブはこう言った・・“世の中を悪くしようとしてるヤツらは1日だって休まない・・
     たとえ撃たれたからって、寝てなんかいられるか・・闇を光で照らすんだ”とね」

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2010年5月24日 (月)

☆『都市霊伝説/心霊工場』☆

23日(日曜)。昨夜からふと(漠然と)考えてたプランがあり、それは「明日、雨降りだったら“アソコ”に行こう!」ってことだった。

それが何処かと言うと・・大阪市西区は九条にあるミニシアター“シネ・ヌーヴォ”である。
ここは、数年前から「行っとかなきゃ・・!」と考えてはいたものの、なかなか足を運ぶ機に恵まれなかった場所(・ω・)

何せ、一番はじめに向かった時、降りる駅を間違え、かつ上映開始時間も寸前となり、、携帯で連絡を取ったシアターのスタッフさんにも「う〜ん・・そちらからだと川を渡らないといけないし・・ちょっと開始には間に合いませんねぇ」と“残念でした口調”で告げられてしまい、結局スゴスゴと帰宅した苦い思い出があったりもする(×_×)

・・ホントは「地下鉄中央線・九条駅」で下車せねばならぬトコを、間違って「JR九条駅」で降りてしまうと、このような悲劇はこれから先も繰り返される訳だ(・ω・)

今回は、実はこの“シネ・ヌーヴォ”で2本をハシゴ(=連続鑑賞)したかったんだが・・結局“寝だめ”により、1本目の開始時間に間に合わず、午後からのもう1本に絞って観に行くことに。

大阪の自宅(実家)からで言うと「京阪本線(淀屋橋駅下車)⇒地下鉄御堂筋線(本町駅下車)⇒地下鉄中央線(九条駅下車)」と乗り継いで向かうんだが・・京阪の最寄り駅ホームで(携帯にて)シアターの場所を再確認したら・・やっぱり「間違えてJRに乗ろうとしてた」ワタシがいた・・おいこら、俺!(⌒〜⌒ι)

・・

地下鉄九条駅は・・(地下を抜け)線路が地上(高架)を走る駅となっている。何だか久しぶりに乗ると新鮮な感じ。
で、降りてアーケードをしばらく歩くと・・発見! こんなトコにありましたか!

予想してたより「入り易い印象」である。どっちかと言うと、同じく十三にある「第七藝術劇場(いわゆる“ナナゲイ”)」や、高松に有る「ロ※ポニカ」の方が(←おいおい)ちょっと入るのに“躊躇する度”が高い気もする(・ω・)

これは“ナナゲイ”や“ロ※ポニカ”が、ビルの上層階に位置するからかも知んない。その点“シネ・ヌーヴォ”はスッとそのままシアターに入って行けるので緊張感が少ない。

で、今回観ることにしたのが『都市霊伝説/心霊工場』ってな“ホラー系”であった。

しかし正直、作品そのものよりも興味の高まってたのが・・
施設の奥(最深部?)にあると聞く“シネ・ヌーヴォX”と言う特設(?)シアターである。

何だか、狭くて暗くて、入場時に色々と誓約書にサインさせられそうな、そんな先入観が拭えなかった(=^_^=)

実際には・・“シネ・ヌーヴォ”の地下ではなく、奥の階段を昇った2階にある、席数28ほどの「試写室」って印象。壁一面が黒い布で覆われてて、ちょっと暗くて狭くて怖い感じ(・ω・) 「万一、火の手が上がったら・・こりゃダメかもな・・」ってな“勝手な決め打ち”を心の中でしてしまったが・・それも我が「好奇心」には勝てなかった(=^_^=)

結局、観客は「整理券番号:1番」だったワタシを含め、わずか4人。でも、みんな(たぶん)リピーターらしく、大人しく観てはったのでこちらも落ち着いて楽しめた☆

ネット上の「心霊投稿掲示板」を賑わせるこんなネタがあった。

それは“取り憑かれた名無し”さんの書き込んだ「神奈川県にある、シノヤ※って言う廃工場はマジでヤバい」ってウワサ。
そこでは5年前、徳※書店発行のホラー雑誌『アトランティア』の女性記者が1人行方不明となり、未だその消息が明らかになっていないと言われている心霊スポット・・

千葉県船橋市にある同編集部では、低迷の続く売上げを何とかすべく、テコ入れ企画“近場の心霊スポット巡り”に取り組もうとしていた。
そして、部員各位が持ち寄ったネタの中に、新人=峰岸さんの「神奈川県内のシノヤマ廃工場」の取材案があった。たちまち重い空気に包まれる編集部・・

一方、知名度を上げようとする(地元の?)“学生(?)心霊写真サークル”の面々は『アトランティア』からの取材依頼を受け、メンバー6人で「シノヤマ廃工場」へと向かう。

メンバーが廃工場内で体感した恐怖とは・・?
そして、5年前に失踪した『アトランティア』記者=小野美香の“事件”のウラに隠された真相とは・・?

廃工場をメイン舞台に「訪れたしとたちが怪現象に襲われる」「おまけに手持ちハンディカメラ映像づくし」って(半ばドキュメンタリーな)テイストは、さして目新しいモノでもなかった。
かつ「廃工場に現れる※※」ってな“ホラー部分”に、「殺人事件とその謎解き」ってな“サスペンス部分”が盛り込まれて来るため、観客としては「“頭カラッポ”で怖がりたいのに、その一方で“冷静な判断&記憶力”での謎解きを強要(?)される」と言うややこしい心理状態にさせられ、どっちにも集中出来なかった気がする(・ω・)

演出を眺めた限り、この監督さんは心底『呪怨(2002)』『戦慄迷宮(2009)』など・・つまりは清水崇監督に心酔し切ってる(?)ように感じた。
だが、清水監督のホラー演出をブラッシュアップしてくれてたなら、観てるこっちは何の文句もないんだが・・どうも、あの監督の“良くない点”・・例えば「余計なキャラの挿入」「散漫な時間軸置換」「(冷静に)考えさせるホラー演出」なんかまでも、をなぞってしまってるようにワタシは感じたな。

もっと「削るトコ削って」「分かり易い直球」で作品をぶつけて来て欲しかったトコだ。

ラストでは、ついに“そいつ”が正体を明らかにするんだが・・正直「映し過ぎ」に思った。あんなにハッキリ映されると・・怖くなくなって来ますって。。もう少し「映し過ぎないが故の“余白のある”“想像力をかき立てる”恐怖」をあおって欲しかった。

因みに、ワタシが劇中で最も「イヤ〜な感じ」を受けたのは・・すりガラスの向こうに男女2人の人影が立ってる映像だった。。

ほか、某シーンでは、前の席に座ってた観客がちょっとのけぞるような動きをされ、その動きにこそビビったワタシだった(=^_^=)

ってことで「色々とやりたい(描きたい、詰め込みたい)ことが沸き上がって来る」その感性こそは認めたげたいんだけど、そこを敢えて抑えることも、これから取り組んで行って欲しい監督さんである。

〜 こんなトコも 〜

♦床を引っ張られ、叫びながら闇の中に消えてく・・って演出の元ネタは『女優霊(1996)』やろか? それとも『ゴースト/ニューヨークの幻(1990)』辺りが元祖?(⌒〜⌒ι)
♦工場の名称が「カサハラ(笠原)」だったら『パール・ハーバー(2001)』ネタっぽくて面白かったんだが(=^_^=)
♦トヨカワ監督は結局どうなったんやろ? 荷物を(持ち帰り)送れたってことは、あすこから生還出来てるハズなんだけど・・?
♦心霊写真の品評会をしてるサークルの女の子たち。「“小顔”だよね」「“キモ可愛い”感じ」ってのはクスッと笑えた。
♦廃工場の外観が映されるカット。流れる音楽次第で、随分と怖く見えるもんなんやなぁ・・と改めて感じた。
♦“植物防疫所指定施設”の設けられてた「シノヤマ工場」 ・・輸出入関係の工場だったか?
♦工場に潜伏していた凶悪犯=軍司 忠って人物のことも殆ど何も語られず、消化不良感があった。
♦両眼をえぐり出された※※の目玉がどこにあるかと言うと・・(×_×) あ、そのネタはちょっと『パンズ・ラビリンス(2006)』みたいやね。。 ←あちらでは“掌”にスッポリと収まってましたが。。

〜 こんなセリフも 〜

トヨカワ「この音、入ってるかな? 入ってますかねぇ?
     ずっと、誰かが後ろからついて来るような・・でも何も(カメラには)映らない・・」

麗子「その角に、立ってる。怖いと言うより・・気の毒、かな」
  「総ての苦痛を解き放ち・・安らかにお眠り下さい」

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2010年5月22日 (土)

☆『ミレニアム/ドラゴン・タトゥーの女(2009)』☆

21日(金曜)の夜。仕事帰り、久々に商店街の中心部にあるミニシアター“ソレイユ”に立ち寄り、何の予備知識もなく観たのが『ミレニアム/ドラゴン・タトゥーの女』ってサスペンス作品だった。上映時間:約2時間半、、(×_×)

「パンク調でピアス過多」なお姉ちゃんの顔面がドド〜ンと“どアップ”になっとるポスターは、もうそれだけでインパクト十分、、正直言うと、ワタシの趣味とは全く趣の異なる訳だが・・余り気にせず、鑑賞に取り組むこととした(⌒〜⌒ι)

巨大企業を率いる大物実業家=ハンス・エリック・ヴェンネルストレムの不正を暴こうとペンを執り上げた、社会誌『ミレニアム』の発行責任者であり、敏腕ライター=ミカエル・ブルムクヴィスト。しかし、決定的な証拠とされた数々のネタは総て“捏造”されたモノだった。
結果、ヴェンネルストレムに“名誉毀損”で訴えられたミカエルは、容易く敗訴・・。
15万クローネ(約200万円)の賠償金の支払いと共に、半年後には3ヵ月間の禁固刑に服さねばならなくなる。

そんなミカエルの正義感(?)に興味を抱き、接触を試みて来たのが、大企業“ヴァンゲル・グループ”の元会長=82歳のヘンリック・ヴァンゲルだった。
ストックホルム沖に浮かぶヘーデビー島にある、自らの屋敷に彼を招待したヘンリックは「40年前、即ち1966年9月22日。この島から忽然と姿を消した、姪のハリエット・ヴァンゲルの捜索を頼みたい」と切り出す。

事件当日、島に集まった約30名のヴァンゲル一族の写真をミカエルに示しつつ、ヘンリックは「この中に、間違いなく犯人がいるのだ」と確信に満ちた口調で告げるのだった。

同じ日、大規模な交通事故により、島と港町=ヘーデスタを繋ぐ「たった1本の架橋」がほぼ1日通行止めとなり、島は孤立した状態となっていた。そんな中、島内からいなくなった当時16歳の少女ハリエット。

・・年老いた私の“最期の足掻き”を手伝ってくれ・・ヘンリックの訴えが悲痛に響く。

依頼を引き受け、ヘーデビー島に居住することにしたミカエルに、フルーデ弁護士の紹介したのは“ミルトン・セキュリティ社”に所属するフリーの調査員、24歳のパンクルックな女=リスベット・サランデルであった。

物語の切り口や、組立てなどがこれまでになく独特(斬新?)で、予想していたよりは退屈せずに観ることが叶った。

それにしても“千年王国(Millennium)”を巡る宗教的なおハナシかと思いきや・・タイトルの『ミレニアム』ってのは、単なる(?)雑誌の名称に過ぎなかった。
それも、物語が“本題”に突入してからは、何の関係もなくなって来るし・・そもそもは『ミレニアム』の編集部全体を主人公とした、いわゆる「ス※イ大作戦」的な群像劇を描くつもりだったんやろか?
うーん、タイトルの「そうなった理由」が、イマイチ良く分からん(・ω・)

良く分からん、と言えばサブタイトルである“ドラゴン・タトゥーの女”ってのも、同様に良く分からんかった。

いや・・「誰がそうであるのか」などはすぐ分かるんだが・・別にそれが“本題”のキーになってる訳でも、謎解きに絡んで来る訳でもないんだ。単に“インパクト勝負”ってことだったんやろか?

ストーリーは、次第に「過去の連続猟奇殺人」を掘り起こすカタチとなって行くんだが、1ツ1ツの殺人に余り「内側」がなく、単なる記号(データ)的な扱いに終わってたのは、ちと勿体ない感があった。
被害者役の女優さん(?)たちが半裸やら全裸やらになって頑張ってはる(←遺体写真上で)のが、余り報われてなかった気もする(⌒〜⌒ι)

中盤で「宗教系」にハナシがもつれ込んで行く・・と思いきや、違うけれど「別の良くある系」に傾れ込んで行くのは、失礼ながら「またそっち系かよ〜」と思っちゃうのはあった。
どうも根源的な悪の根(?)をすぐ“アレ”に繋げちゃう短絡さってのが気になってしまうワタシ。

まぁ“フィクション上の仮想敵”としては、最もリアルで描き易く、かつインパクトもあるんだろうけど・・

ミカエル役の主演男優は、率直に言えば「胸毛の濃い、腹のちょこっと出たおっさん」で、余り応援する気になれなかった(=^_^=)
ヒロインであるリスベットも、物語の進行と共に、少しずつ「心境に微妙な変化を見せる」のが面白かったが、魅力に溢れとるか? と言えば決してそうでもなかったかな、と。
ただ「終盤の1シーン」のみガラリとファッションセンスの激変するトコがあり、あのシーンは強烈なアクセントになってて良かった!

私的にはサスペンス度に欠けてたし、何より犯人探しの面白さってのが殆どなかったんだが、ピンポイントで「ねちねちと無抵抗な人間をいたぶる」シーンが挿入され「あちゃ〜」「うわ〜」などと呟きつつ鑑賞する、奇妙な“背筋ゾワゾワ感”を味わう愉しみ(←愉しいか?)ってのはあるかも知れない。

殺人事件の犯人は「完全に狂ってる人物」だったんだが、ワタシとしてはあの犯人以上に、前半でリスベットをいたぶって来る、あっちのおっさんの方が「狂ってはいない分」余計に邪悪(厄介)に感じられたモノだ!

同じような調子であれば、続編『ミレニアム/火と戯れる女』はきっと観ないと思うが(=^_^=)、まぁこう言う「自身の既成概念を次々と揺さぶってくれる作品」も、たまには観てみるもんやね、とは感じたワタシである(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

♦本編開始前には・・懐かしの(?)「カメラをかぶったおっさん【旧ヴァージョン】」を観ることが出来た☆
♦スウェーデンのマックユーザー率、高し!(=^_^=)
♦弁護士いたぶりシーンに『セヴン(1995)』、オール(櫂)でフルスウィングするシーンに『リプリー(1999)』、リスベットのいたぶられるシーンに『正義のゆくえ/I.C.E.特別捜査官(2009)』、暗号解読(?)シーンに『ミッション:インポッシブル(1996)』、犯人の迎える運命に『マッドマックス(1979)』、終盤のロケ移動に『世界の中心で、愛をさけぶ(2004)』・・をそれぞれ連想してしまった(=^_^=)
♦やっぱりワタシは、リスベットよりも、あのポートレートのハリエットさんの方が好きやわぁ(・ω・)
♦液体石鹸で、じかにクチをゆすいでるリスベットさん。ちょっと口内に刺激が強過ぎるのでわ、、
♦相手がスタンガンを持ってる場合、押し当てて来る寸前に「電子音(?)」がするので、咄嗟に何か対処出来るかも知んない(?)
♦中盤辺り、ジョギング中に“狙撃”されるミカエル氏。後で「容疑者のアリバイ」とか「銃弾の照合」とかやったら、少しは進展があったと思うんだが?
♦21年モノの「シングルモルト」を美味そうに飲むしとたち。
♦劇中で主人公の乗り回してた4駆車。フロントグリルに「KiA」とあったから「起亜自動車」なんやねぇ。。
♦『ミレニアム』誌の女性パートナーさん。如何にもミカエルと“深い関係”にあるように見受けられた(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ミカエル「控訴なんかしたって・・失われた信頼は戻らんさ」
    「ハメられたのも、つまりは僕の責任だろう」
    「何故、あの家に?」
    「君がいてくれて、良かった」

リスベット「ご注文に応じたまでよ」
     「報告なら、お手元の資料に」
     「人間ならば、秘密の1つもあるでしょう?」
     「彼は“完全に無実”です」

ヘンリック「誰を疑うと? 全員だよ、我々のね」

ビュルマン「どんな取引も“信頼関係”があってこそ、だ」
     「ルールを叩き込んでやる・・“いい子”になれるかな?」

※「“ハネムーンの写真”を棄てる人がいて?」

ミカエル「君は僕の総てを知っているが・・僕は君について何1つ知らない」
リスベット「・・それでいいのよ」

ミカエル「今は“狩猟シーズン”だろ?」
リスベット「勝手に押し入る気?」

犯人「自分の最期だと分かっていますよね?」
  「私は“男の夢”を実現しただけです」
  「“あんな女”が1人、姿を消すなんてことは・・ありふれたことですよ」
  「レイプしてから殺す・・“当然の帰結”でしょう?」
  「眼の光が弱まり、死んで行く・・もうすぐ君も体験することです」
  「君もみんなと同じですね。ちょっと親切にされただけで“淡い希望”を抱いてしまう。
   しかし、そんなものは・・すぐに打ち砕かれるのです」

↑ ネタバレを防ぐため、犯人の口調を変えております(=^_^=)

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2010年5月21日 (金)

☆最近のお気に入り・・“世界にひとつだけの本”☆

ワタシの週末は・・都合がつけば帰阪し、また帰松する・・と言う「クルマには気の毒」な長距離移動をこなすことが、存外少なくない。

そんな中、最大の武器(≒行楽のお伴?)は、接続したiPodの楽曲をカーステレオに“飛ばす”と言う「FMトランスミッター」なる便利な装置である。

iPodなんぞなき頃は、自室の棚にぎっちりと(かつ雑然と、、)詰め込まれとる音楽CD群の中から“直感&気分”で最大10枚を引っ張り出し、10連装のCDチェンジャに積み込んでドライヴに出発したモノだった。

時代が少し進み・・今では、iPodに詰め込んだ、データとしての約3000曲を、自由自在に車内に流すことが出来る。

何と便利と言おうか、恐ろしい(≒おもそろしい)時代になったものだと思う。

・・が、FM電波に乗せ音楽を“飛ばす”と言う性質上、高松道〜神戸淡路鳴門自動車道の「一定の区間」においては、受信状態が最悪となる場合があり、そうなったら「カーステを切る(=音楽なしドライヴ)」か「直接(iPod本体に)イヤホンを差して聴く」か「FMラジオに切り替えて(番組を)聴く」か・・そのいずれかを選ばなくてはならなくなる。

そんなある時、鳴門界隈(だったので「FM徳島」と思われる)で、何気なく「FMラジオ」に切り替えて知った(=聴いた)のが・・ドラマ仕立ての朗読番組『Sound Library ~ 世界にひとつだけの本 ~』であった。

適度な長さの物語が、適度な非日常さを伴って語られる。
パーソナリティーである木村多江さんの語り口も上品で、透明感があって良い。

実は、まず知りたくなったのは・・初めて番組を聴いたとき「1曲目で流れた曲名」であった。
後で調べると、聴いたのは第3話であり、ABBAの“S.O.S.”と言う(実は有名な)ナンバーなのだった。

で、常日頃は殆どFM放送なんか聴かないワタシだったのだが、これまた便利なモノで・・番組のバックナンバーが「iTunes」のポッドキャストで配信されてることを知った。

で、第1話〜第5話までを(無料)ダウンロードし、イッキに聴いたんだが・・これが実に良い!

主人公である、旅行会社に勤める38歳のOL=月原さんが“1話完結スタイル”で色んな出来事に遭遇する、って構成なんだが「語り過ぎず、それでいて世界観が必要十分に構築されている」のである。

ちと「雑学オタク」っぽいネタも挿入されたりするんだが、脚本として眺めたとしても、なかなかの好感度&完成度なのである。

さて。こちらにオフィシャルページがあるので、興味を持たれた方は、一聴されては如何だろうか?

ワタシにとっては、もはや誰に何を言われようと「お気に入り」なプログラムである。

某国営放送の朝ドラ『ゲ※ゲの女房』も良いが、こちらも負けてないと思う(=^_^=)

追記:現在のトコ、各話(1〜7話)の繋がりは全くなさそうだが・・ひょっとしたら最終回で「並べ替えられてた時間軸」が見事に繋がったり、するんやろか?!(⌒〜⌒ι)

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2010年5月20日 (木)

☆『フォッグ・オヴ・ウォー/マクナマラ元米国防長官の告白(2003)』☆

18日(火曜)・・「月曜の深夜」とも言える時間帯だったが・・衛星第2で放送された『フォッグ・オヴ・ウォー/マクナマラ元米国防長官の告白』を寛ぎつつ観た。

本作鑑賞の1時間半ほど(?)前まで『許されざる者(1992)』を(真剣に(=^_^=))観てたので、精神的には“ややぐったり”してたんだが「入眠までの時間で、ムリせずダラッと観よう」と部屋を薄暗くし、観始めたら・・意外にも物語に吸引されてしまい、とうとう全部観てから眠ることに(⌒〜⌒ι)

ジョン・F・ケネディ(任期:1961-63)、リンドン・ジョンソン(任期:1963-69)と言う、2人の大統領の下で国防長官とし手腕を振るったロバート・マクナマラ(1916-2009)が晩年、自身の半生や軍事論などを語ったドキュメンタリー&インタビューなテイストの作品。

劇場公開当時もそうだったが・・マクナマラ氏については、余り人物的に(直感的に)魅力を感じない(と言うより、ワタシに知識が欠け過ぎている)ため、敬遠してしてしまった本作。
それはこの夜の鑑賞に際しても同様で、(鑑賞を通じ)さほど同氏に対する好感度がアップした訳でもなかった。。

最も大きな印象は「インタビュアーの切り込み具合(?)が甘いため、マクナマラ氏のホンネ(謝罪っぽいコメント?)を引き出すまでには殆ど至ってなかった」ってことだろうか。

インタビュアー氏なりに頑張って“ベトナム戦争”に対する彼のホンネを絞り出そうと、粘ってるトコもあったが・・
マクナマラ氏は終盤、とうとう「ベトナム(戦争)に関しては、何を言っても後で“修正”が必要となる。だから私は“語らない道”を選ぶ」とプイッと横を向いてしまった感があった。

まるでそれは、マイケル・ムーア監督の追求(2002)にプイッと横を向く、チャールトン・ヘストン(当時「全米ライフル協会」会長職)を何処か彷彿とさせるモノでもあった(⌒〜⌒ι)

〜 こんなコメントもありました 〜

「核に関しては、1度の過ちが国を滅ぼす」
「あの時(1962:キューバ危機)、核戦争にならなかったのは・・運が良かっただけだ。
 今なお、その危険はあるのだから」
「“自滅”などとんでもない」
「冷戦? いや、実に“熱い戦い”だったよ」
「グアムにいた頃、B29爆撃機が1晩で東京の10万人を焼き殺した・・130平方キロの“木造都市”をね」
「神風、自決・・日米戦争は類(たぐい)まれな“悲惨な戦い”だった」
「事故の原因がクルマにあるのなら・・速やかな改良が必要だ」
「繊細な人間には耐えられない考え方だ・・戦争と言うものは」
「“訊かれたことには答えない。答えたいことにだけ答える”・・そう心がけて来た」
「ベトナム戦争の責任は・・(ジョンソン)大統領にある。むろん彼1人のみを責めるべきではないだろうが・・
 だが、少なくとも・・ケネディが生きていたら、あれほど大量の兵士は送り込まなかったろう」
「歴史家は“仮説”を好まぬものだ」
「私が心がけているのは・・“後知恵”で考えることだ」
「人は誰もが過ちを犯す。そして有能な司令官であれば、その過ちを認める」
「戦争において、総ての変化を読むことは不可能だ。そして、不必要な戦死者をなくすこともまた難しい」
人間には理性があるが、その理性には限界がある
「これ以上は、何も言えない。多くの人があの戦争(ベトナム)を理解せず、私を理解しないのだから」

大統領書簡「結び目が“戦争”と言うロープを両側から引くのはやめよう。それは引くほどに硬くなるだけだ」

ケネディ「私だって、決して“大統領の学校”を卒業した訳じゃない」

〜 マクナマラによる【11の教訓】 〜

教訓1「敵に感情移入せよ」
教訓2「理性は頼りにならない」
教訓3「自己を超える何かがある」
教訓4「効率を最大限に高めよ」
教訓5「戦争にもバランスが必要だ」
教訓6「データを集めよ」
教訓7「信条や見聞にはしばしば間違いがある」
教訓8「論拠を再検証せよ」
教訓9「善をなさんとして悪をなすこともある」
教訓10「“決して”などと決して言うな(Never say never)」
教訓11「人間の本質は変えられない」

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2010年5月19日 (水)

☆『許されざる者(1992)』☆

17日(月曜)の夜、衛星第2で放送された『許されざる者』を久しぶりに観た!

ナニやら今週は・・“御大”ことクリント・イーストウッド(監督)特集が更にヒートアップして来てる! 勢い付いて、そのまま『チェンジリング(2008)』『グラン・トリノ(2008)』の放送に傾れ込んでくれたら嬉しいンだけど(=^_^=)>

本作は、クリントが“師匠”とし敬愛してやまぬ2人の監督・・ドン・シーゲル&セルジオ・レオーネに捧げた“最期の西部劇”とされている。・・因みに、オードリー・ヘップバーンさんは出演してますぇん。。

往年の“御大”の暴れっぷりを期待して観始めると、、後半までのその「枯れっぷり」に悲しくもなるんだが(・ω・) 最期の最期で怒りが(静かに)大爆発するトコロはなかなか圧巻である。その割に、終盤の映像そのものは「深夜&降雨」と“この上なく地味”なシチュエーションなんだが・・

“御大”の呼びかけに応えたか(?) ジーン・ハックマン&モーガン・フリーマン&リチャード・ハリスと言う3名優の集まったのはスゴい!
もっと欲張って“かつての悪党仲間役”でトミー・リー・ジョーンズ&ドナルド・サザーランド&ジェームズ・ガーナーまでもが集まったら、更に賑やかで散漫に仕上がって面白かったような気もするが(=^_^=) ←そのままラストは宇宙に舞台を移したりして、、(んなアホな)

かつての“泣く子も殺す大悪党”ウィリアム・マニー(クリント)が“生活苦”・・ただそれ故に“悪道”に戻り始める展開は、単純な「図」ながら悲しい。
彼は生前の妻=クローディアとの約束(があったと思われる)で“もう決して銃は手にしない”みたいな誓いを立ててたようだが、色んな事情から天に「鬼に戻れ」と命じられたような、そんな悲しさも作品の底に流れていたようにも感じた。

一方“エスカレートし過ぎた善の権化”って存在感を持つ保安官=リトル・ビル・ダゲット(ハックマン)は、何処か『ランボー(1982)』における悪徳保安官(ブライアン・デネヒー演じる)を彷彿とさせるキャラ造型にも見えた。

今回「知ってる俳優名の幅が広がってた」が故に驚いたのはリチャード・ハリスの助演。イギリスからやって来た“イングリッシュ・ボブ”って名のガンマン(賞金稼ぎ)を演じてるんだが、全くもって“肩すかし”なのだ。。
この辺の(彼と)ハックマンとの顛末は、何処となく『クイック&デッド(1995)』におけるハックマンvsランス・ヘンリクセンを思い出してしまい、ちと苦笑してしまったワタシ(=^_^=)

本作はまた“クリント式西部劇の集大成であり幕引き”とも受け取れるが、ウィキによれば「制作期間:わずか39日」と言うことで、その点にも驚かされる!

また「娼婦が牧童に暴行される」ってのが物語の導入部とし描かれるんだが、ウワサが勝手にその尾ひれを大きくして行き・・「顔を切られた」ってことだけが事実なのに「顔を切り刻み、目玉をえぐり出し、乳首も切り取った」「性器以外は総て切り刻んだ」などと、どんどん猟奇レベルのアップして行くのが「昔も今も変わらんなぁ」と“ウワサの恐ろしさ”を感じさせたものだ。

〜 その他 〜

♦クリント主演作の“ある意味お約束”とも言うべき「主人公がボコられる」って演出もやっぱりあった。
♦上映時間=約2時間15分と長いが、それほど展開のもたついてないのは流石である。
♦近年のクリント監督作に比べ「さほど説教っぽくもなく観易い」のも有難くはある。
♦終盤の雨降りは『セヴン(1995)』や『野良犬(1949)』を思わせる。意図的な演出だろうか? だろうな!

〜 こんなセリフもありました 〜

マニー「俺は昔とは違う・・女房のおかげで立ち直れたんだ」
   「汚い言葉はよせ」
   「2週間で戻る」
   「人を殺すのは・・11年ぶりだな」
   「ベッドに慣れたから、こいつ(野宿)は辛い」
   「昔の俺を知ってる人間には、嫌われて当然だろうな・・今じゃ心を入れ替えたってのに」
   「若い頃は“酒の勢い”だけで人を撃った・・そこに殺す理由なんかなかった」
   「誰にも言わないでくれ・・昔の俺のことは」
   「誤解するな・・君の顔の傷がイヤだからじゃない。君は美しい。
    もし誰かを“抱く”のなら、俺は他の女じゃなく君がいい・・でもムリだ」
   「人を殺した時“怖かったか”って? 覚えちゃいないさ・・いつも酔ってたからな」
   「人は皆、罪深い」
   「動くものは何であれ、容赦なく命を奪って来た」
   「人を殺す時は、いつもツイてる」 ←キ※ラハン刑事入ってません?(=^_^=)
   「これが貴様の運命だ」

ネッド「(殺しが)簡単だと? 血気盛んだった昔だって、決して簡単じゃなかったろ?」
   「今も“飛んでる鳥の眼”を撃ち抜いて見せるぜ」
   「お前の銃、銃身が曲がってるんじゃないか? でなけりゃ外れ過ぎだ」

ダゲット「血は十分見たろ?」
    「隠し持ってる“32口径”も寄越して貰おう」
    「これは蹴ってるんじゃねぇぞ・・伝えてるんだ」
    「重要なのは、(銃を抜いて構える)速さよりも冷静さだ」
    「撃ち返して来るヤツを殺すのは大変だ」
    「腰抜けはウンザリだ。むろん殺し屋もだが」

ボブ「この国じゃ、この20年で2人の大統領が暗殺されてる。“要人を撃つ”など非文明人の発想だよ」
  「実は1丁持ってるが・・気にはならんだろ?」

キッド「銃も金もあんたにやる。もう2度と人は殺さない。今は命が惜しい」

アリス「例え男に“乗られ”ても、あたしたちは馬じゃない」
   「町から出てけ! “施し”なんかごめんだよ!」

保安官助手「撃たれるなら、寒いより暑い方がいい。寒いと痛みが増すからな」
     「“他人が装填した銃”なんか、信用出来るかよ」

キッド「何てこった・・ヤツは2度と息をしない・・もう生きちゃいないんだ。
    この俺が引き金を引いただけで」
マニー「殺しはとてつもなく重い。相手の過去も未来も奪っちまう」

ネッド「町へ行くのか? 女を買いに」
マニー「今じゃもう、金で買える女にしか相手にされないだろうが・・金で買うのは良くない」
ネッド「ではどうしてる? 手で“する”のか?」
マニー「・・そんな気にもなれないさ」

ネッド「夕べは女房が恋しかったが、今夜はベッドが恋しい」
マニー「明日は屋根が恋しくなるぞ」

ネッド「目的の2人を首尾良く殺せるのか?」
マニー「この雨で死ななけりゃな」

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2010年5月13日 (木)

☆『ミリオンダラー・ベイビー(2004)』☆

12日(水曜)の夜、衛星第2で放送された『ミリオンダラー・ベイビー』を、やはり観てしまった(・ω・) “次第にずんずん重くなってゆく作品”ってことは、先刻承知済なのに・・

公開当時、劇場で鑑賞し、地上波初放送時にも観て、こちらにレビューを残してもいる。

今回の鑑賞では「マギー(ヒラリー・スワンク)に始まり、マギーに終わって行った物語なんやなぁ」って思いを新たにした。
愛弟子=ウィリーが師匠=フランキー・ダン(クリント・イーストウッド)を見限って去って行き・・ようやく“マギーの存在”に眼を向け始めるフランキー。

フランキーに絡んだボクサーは、(皮肉にも)ウィリーを除き総じて悲劇的に、その選手生命を終えていったようである。
しかし・・
フランキーとマンツーマンで「階段」を駆け上がって行き“歓声と栄光”に酔いしれるチャンスを「短いながらも」得られたのも、彼らの人生にとっては「宝」ではなかったろうか?
本作を「“太く短く生きたマギー”と“細く長く生きたフランキー”の、対比のドラマ」として眺めるのも、全くの間違いではないように感じた。

ただ、本作は“死んで行きつつも生きた”マギーをしっかりと見送りつつ“生きながらも死んだ”フランキーのその後について、スパッとハナシが斬り捨てられてしまったことについては・・“余韻の残し方”こそは確かに素晴らしいモノの「後日談を、その後のフランキーの姿を、観たかったな」と言う不満をワタシの中に少なからず残したモノだ。

そこを「パーフェクト」に演じ切ってくれたら、それこそ俳優=クリント・イーストウッドの“演技の到達点”とすんなり認められた気がする。

実際には、後年の『グラン・トリノ(2008)』のエンディングをもって“クリントの俳優人生”はひとまず幕となった(?)ようだが・・まだまだ“俳優としての彼”には到達しなければならぬ“極点”が存在するように思った(・ω・)>

ハナシは変わるが・・今回はほろ酔い状態で観始めたのもあり、ボクシングの試合シーンがどうにも「血なまぐさく」感じられてならなかった(×_×) 特に鼻骨の折れたマギーの鼻腔からの出血をフランキーが“20秒間”応急措置で止める、あの手当の演出で、アタマがくらくらして来た。。

やっぱりワタシは・・医者とか警官とか、駅員とかには向いてない気がするなぁ(←何でその3ツの職業だけやねんな)

〜 こんなセリフもありました 〜

語り手“下がりながら打つのが一番良い場合もある・・だが、下がり過ぎると負ける”
   “ヤツのフックは強力だが、その心臓は豆粒ほどに過ぎない”
   “ボクシングは孤高のスポーツだ・・だが、人々はその本質を理解していない”
   “ボクシングの魔術が、肉体の限界を超え、その人を戦わせる”
   “ボクシングでは、勝敗も予想の逆をゆく”
   “重心の保ち方と崩し方を、頭でなく体で覚えるまで、繰り返す”
   “ボクサーは必ず何かを信じ込んでるが・・その信念を忘れたら、ボクサーじゃない”

フランキー「タフなだけじゃだめだ(Tough ain't Enough.)」
     「根性だけの者は、簡単に敗れる」
     「足を動かせ! これはとても重要なポイントだ」
     「大切なのは、パンチの強さではなく正確さだ」
     「休むな! 死んでから、休め」 ←これも“フリ”だったか??
     「攻められても、決して呼吸を止めるな」
     「ああ。彼女は私の選手だ」 ←このシーンでウルッと来た。聞いたマギーの表情が、また良くて!
     「常に自分を護れ・・これが“鉄則”だ、決して忘れるな」
     「20秒で、鼻血が観客席まで届く勢いで吹き出すぞ・・20秒で倒してこい」
     「金はすぐになくなる。ムダな物には使うな」
     「黄昏(たそが)れて、弱気になったか?」
     「彼女は私に助けを求めている」
     「生かすのも残酷だ・・これをどう解決したらいい?」

スクラップ「あんな打ち方してると、手首を折っちまうぞ」
     「ボクサーが戦える試合数には限りがあるが・・本人はそれを知らん」
     「彼女は最後に“やれるだけやった”と思うだろう・・願わくば、俺もそう死にたい
     「新しい靴下を買いたいが、あんたに金を貰っても買うかどうかは分からん」
     「質問を恥じてはダメだ
     「誰でも1度は負けていい。次は王者になれるさ」

神父「わざと馬鹿を言うな。今日は君の“挑発”には乗らんぞ」

マギー「ボクシングが楽しいの。私にはこれしかないわ・・分かった?」
   「本心でないなら、そんなことは言わないで」
   「世界中を旅し、総てを手にした。その誇りを奪われたくない」

フランキー「“商売人”に技術は教えられん」
ウィリー「(技術なら)あんたから総て教わったよ」

ウィリー「どう戦えば?」
フランキー「打たせろ」

マギー「“足の悪い犬”の話を覚えてる?」
フランキー「そんなことは・・考えるな」

マギー「私には、あなただけ」
フランキー「面倒を見るよ・・いいマネージャーが現れるまでは」

フランキー「お前と違って、俺には両眼が見えるさ」
スクラップ「見えて、得したか?

母「先に相談してよ。生活保護や医療補助が受けられなくなるじゃないさ」
 「残った物を大事にしないとね」

追記1:終盤の展開を邦画リメイクしたら・・やっぱし『高瀬舟』っぽくなる?
追記2:観ようによって「老いて、ヘンリー・フォンダに似て来たか?」とも感じたクリント氏。
追記3:「“続編の企画”を思い付かせない」のが、クリント監督作の「スゴさ」だと痛感した!
追記4:「スクラップ(モーガン・フリーマン)も“その時”病院にいた」ってことを、今回(改めて?)知った!

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☆『300(2007)』☆

9日(日曜)の夜に「日曜洋画劇場」で“地上波初放送”された『300』を(ちゃっかり)録画しておいたもんで・・それを11日(火曜)&12日(水曜)の2夜に分けて観た☆

公開当時こそ「大スクリーン」で観て、それなりにエキサイトさせられちゃったワタシだが・・流石にちっこいTV画面で観て、かつあちこちがズッタズタにカット(編集)されてたもんで、ちょっと興醒めしちゃった感があるなぁ。

何故だか・・今回の鑑賞では『グラディエーター(2000)』を連想する以上に、何処がどう繋がったんだか(=^_^=)『戦国自衛隊(1979)』の(特に)終盤のテイストを思い出してしまった。。

悲惨な結末に突き進むのが分かってるのに、不敵な笑みを絶やさぬスパルタ王=レオニダス(ジェラルド・バトラー)に、千葉真一演じる“隊長殿”の醸し出してた“あの野性味”がダブって映ったんやろか(・ω・)

しかし、ロドリゴ・サントロ兄さん演じる“ペルシア神王”クセルクセスの妙なデカさは、改めて必見に思われた(=^_^=) 他に、鎖に繋がれたゴッツいおっさんが中盤で暴れ回ってたが、(神王サマって)あいつにひけを取らんぐらいデカかった気もする(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

王「ここで流した汗の分だけ、戦場で流す血は少なくなる」
 「恐怖を受け入れよ。それが人を強くする」
 「このスパルタでは、誰もが自らの言葉の責任を負う。例え“王の使い”であろうとも、だ」
 「これが“スパルタの流儀”だ!(This is SPARTA !)」
 「お前の息子はまだ若過ぎる。“女の肌”も知らんだろう」
 「進軍など命じてはおらぬ。私はそこらを歩いて来るだけだ。
  あれは私の護衛を務める300の兵士だ。即ち、我が軍はスパルタにとどまる」
 「今日と言う日を覚えておけ! そなたらの名が、歴史に刻まれる日だ!」
 「今日、スパルタ人は1人も死なぬ!」
 「“スパルタの女”を知るまい? こんな相手なら、女をここに寄越せば良かったと思ってるところだ」
 「自由な者が暴君に立ち向かったことを、世界は知るだろう。少数が大軍に立ち向かったことを」
 「この戦いが終わるのは、私が終わりだと言った時だ!」
 「スパルタ人よ、栄誉の刻(とき)に備えるのだ!」
 「お前も、自らの魂を見つけよ」
 「退却も、降伏もせん。それがスパルタの掟だ。その掟により、一歩も引かずに戦い、そして死ぬ」
 「我が物語を伝えよ! 勝利の物語を」
 「伝言? 王妃に、言葉は必要ない」
 「今宵、我々は地獄に向かう!(Tonight, we dine in hell !)」

妃「その指の動きを、唇で続けて」
 「託宣に“男の欲望”も奪われたの?」
 「私の夫の心を揺さぶる言葉を口に出来る女は・・この私だけ」
 「我が家の壁以外は信用出来ぬ」
 「自由を手に入れるには“高い代償”が要る・・“血”と言う代償が」

使者「次の言葉を慎重に選ぶことだ・・王として“最後の言葉”かも知れぬぞ」 ←序盤では主役級なのにネ(=^_^=)
  「我らが神王、クセルクセスに“この国の土と水”を差し出せ」

神王「お前は知るだろう・・私の情けを」

妃「楯と共に帰るの・・死すとも(Come back with your shield or on it.)」
王「必ず、帰る」

王「まずは頭で戦え」
妃「その次は心で」

使者「女が何故、男の話に口を出すのだ?」
妃「“本物の男”を産むのは女だから」

セロン評議員「王妃よ、それは毒ですか?」
妃「失望するだろうが、ただの水」

兵士「ここに集まった総てが“名を継ぐ息子”を持つ者です」
  「私は数え切れぬほど戦った。だが、スパルタ人の言う“美しい死”を与えてくれる
   敵と出会ったことは1度もない」
  「私の願いは“世界最強の軍隊”を相手にすることだが、どうやらその願いは叶えられそうだ」
  「今、お前たちペルシア人で石壁の隙間を埋めたところだ」
  「この楯の誇りにかけて!」
  「捕虜にせず殺せ!」

ペルシア隊長「この丘は、偵察隊が埋め尽くしている。
       お前たちの築いている、この“みすぼらしい壁”が、乾いた枯れ葉の如く、
       朽ち落ちずに何かの役に立つとでも思っているのなら、それは・・」 ←この絶句具合が最高!

語り手「“決して逃げるな”“決して負けを認めるな”“戦場での死は、この世で最高の栄誉”と教えられ、育った」
   「7歳で暴力の世界に放り込まれたスパルタの子は“戦士社会”の中で
   “痛みに悲鳴を上げないこと”“情けを棄てること”を教えられた」
   「感傷や弱さの入る余地など、スパルタ人の心にはない」
   「厳しく強き者だけが、自らをスパルタ人と呼ぶことが出来る」
   「スパルタ人らしき沈黙を保った者はただ独り・・それは、我らが王のみ!」
   「“不死の軍団”・・その名の通りか、我々は試した」
   「“勇敢なる素人たち”はその役目を果たした」
   「“不死の軍団”は、我らが王の前には不死ではなかった。
    そして自らを“神”と名乗る男は、その背筋に人間らしい寒気が走るのを感じていた」

追記1:アスチノス君の“泣き別れなボディ”の倒れてるのが映されてた。良くもカットされんかったモノだ(⌒〜⌒ι)
追記2:「クセルクセスの帝国の、闇の底から吐き出された醜き野獣」ってのはつまり、サイのことみたい。。
追記3:クセルクセスの本陣は「ただの阿片窟」に見えたし、彼自身も「ただのひざまずかせマニア」に見えた。
追記4:「ペルシアの金貨だ!裏切り者だ!」と罵倒されてたあのしと。ホンマに「余計なもん」を(それも肝心な時に)肌身離さず身に付けてましたねぇ。。
追記5:仮面を着けた忍者軍団、火薬ツボ(魔術?)を投げる軍団、、などペルシア勢はバラエティに富んでた。
追記6:ここに過去の記事がありますた。よろしかったら。

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2010年5月11日 (火)

☆『ペイルライダー(1985)』☆

10日(月曜)の夜、衛星第2で放送されたのを鑑賞。

地上波では『ダイ・ハード2.0(1990)』をやってたみたいだけど・・ワタシは正直、この『ペイルライダー』が好きで、まさに観直したかったトコだったので、迷わずにこっちを選んだ! エスペランザ将軍、すんません! あっけなく射殺されちゃうロバ※ト・パトリ※クさんもすんません!

“ゴールドラッシュ”に全米のあちこちが沸き返っていた頃の物語。

カーボン渓谷を擁する村落では、ハル・バレットを筆頭に“金塊の夢を追う”人々がカーボン川をこつこつとさらっていた。
そんな彼らを襲撃するのが、町を根城にする大地主=コイ・ラフッド率いる暴力的な近代採鉱組織。

彼らの狙いはカーボン川の底にあると思しき“金鉱床”だった。

ラフッド一味による、村人への嫌がらせが次第に加熱して行く中、美しき15歳の村娘=メーガンが「神に奇跡を祈った」のとほぼ刻を同じくして、渓谷に謎の牧師(クリント・イーストウッド)がぶらりと現れる。

彼は“何かの目的”のために、町に“戻って来た”ようだが・・

う~ん、観易くて良い! 牧師様自身の言ってた“遺恨”ってのが、殆ど劇中で明かされなかったが、、それもそれで適度なミステリアスさを残した感じに仕上がってて許せる気がする。

ラストシーンなど、如何にも『シェーン(1953)』なんだけど・・“御大”クリさん(=クリント)自らが監督・製作・主演までもこなすだけあって「防戦一方に終始しない、意外と“やんちゃ”な展開」を楽しめたりもする(=^_^=)

“007シリーズ(ロジャー・ムーア時代)”の個性的な殺し屋=ジョーズ役で有名なリチャード・キール氏が「クラブ」なる一味の大男役を演じてるんだが、このしとっていつも“根っからの悪人”に徹し切れてなくて、そこもホッと出来て面白かった。

後半にラフッドの呼び寄せる悪徳保安官=ストックバーンと6人の保安官助手の存在が、静かながらもなかなかにインパクト十分。
でも何やら、ストックバーンを演じてたジョン・ラッセル氏の雰囲気が、何処となくリー・ヴァン・クリーフ氏にも通じる気がしたが、、(⌒~⌒ι)

また(保安官)助手の1人を、どうやらビリー・ドラゴ氏が演じてはったようで。
少なくとも今回は「叫びながら転落する」って退場パターンではなかった。。

~ こんなセリフもありました ~

牧師「ただの木の棒も、役に立つもんだ」
  「あんたがたの口論は、私のせいか?」
  「1杯のウイスキーは、食欲を高める」
  「女心は・・“定まる”までに時間がかかるぞ」
  「汗水垂らして働けば、大抵は片がつくもんさ」
  「神と金の両方には仕えられない・・だから(その申し出は)断る」
  「開拓の邪魔? 誰の開拓だ?」
  「あんたのその“権利書”とやらが本物なら、私の“買収”など必要ない筈では?」
  「まとまれ。それが肝心だ・・でなければ敵は倒せない」
  「ガンマンが特別? ・・銃なんか誰でも」
  「あの保安官には“遺恨”があるんでな」
  「知ったら、何かが変わるのか? 私が何者かを」
  「愛したなら、その相手の言葉を信じなさい」
  「もし何かが起こったら・・私になったつもりで指図しろ」

ハル「保安官だって? 買収されて終わりだよ」
  「誇りを売り渡すのか? で、この次は幾らで売る?」

ラフッド「“我々が誰なのか”を言い渡さなかったのか?」
    「気力を失えば、人は敗北者となる」
    「(弱者に植え付けられた)信仰心は、ダニよりも厄介だ」

メーガン「犬は殺されたわ。私たちに必要なのは“奇跡”なのよ。
     (来世でなく)この世で救われたい・・お願い、奇跡を・・」

サラ「こうすれば吹っ切れる。・・これから先の人生も」

保安官「昔の知り合いかと・・ 別人だな。あいつは死んだ」
   「踊ってみせろ・・簡単さ」
   「諸君、“音楽”を奏で給え」

村人「俺は弱いが、腰抜けじゃない」

牧師「君では歯が立たんぞ」
ハル「それは・・自分で決めるさ」

メーガン「愛しています。牧師様」
牧師「愛しても構わないさ。この世に愛が増えれば、命を落とす者が減る。
   しかし、まずは“愛する練習”を積まないと」
メーガン「(練習を)積んだら、その先を教えてくれる?」
牧師「その先は・・“結婚”を意味する」

追記1:ラストの対決シーン。宿敵である保安官に静かに歩み寄りながら、空っぽの弾倉を交換する牧師の余裕さ&不敵さが凄まじかった! あの数秒って、ホンマに無防備な訳で!
追記2:通りに無様に倒れたまま、放置されてるあのしとが可哀想だった。『グラディエーター(2000)』のホアキン君並みに悲しい・・

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2010年5月10日 (月)

☆『マイレージ、マイライフ(2009)』☆

9日(日曜)。この日ばかりは、思いっきり“寝だめ”してしまった。。

と言うのも、前夜は早朝(午前3時半)に出発し“完徹状態”で島根県・安来市に日帰りロングドライヴして来たモノで、その反動である(・ω・)
総走行距離こそ、480キロ足らずだったが、往路:約3時間半、復路:約5時間・・と走りっぱなしだった(←“下道メイン”だったもんで、こないに時間のかかった次第)。流石に若くもなくなって来たか(×_×) 安来市内で2度+道中の路肩で1度の“短期仮眠休憩”を余儀なくされたが・・

って言うか、帰阪した時よりも走ってんじゃん! って感じ(帰阪時は往復で420キロほど)。。

昨夜は帰宅後、PCを開くも集中力が著しく途切れるほどの疲労感に襲われ、23:30過ぎに就寝・・ で“完全に”起きたのが今朝(=^_^=)の15:30ごろだった。我ながら16時間も寝てしまうとは、全くあきれた“グウタラ野郎”ぶりではある(⌒〜⌒ι)

今夜は、地上波初(かな?)で映画『300(2007)』も(日曜洋画劇場で)放送されるし、自宅でのんびり&だらだらと過ごしても良かったが・・ちょいと「観られるウチに観ときたい1作」があったもんで、ウォーミングアップも兼ね(?)クルマで“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと向かったワタシだった。正直、今日ばかりは・・あんましハンドル握りたくなかったけど(⌒〜⌒ι)

本日の作品は『マイレージ、マイライフ』。ジョージ・クルーニー最新主演作である。何でも香川県内では、ここ“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”だけの、それも5/8からの“2週間限定”の上映らしい! ちょっとコレは狙ってましたね、ええ(談)

年間の総出張日数=322日。“史上7人目とされる、マイレージ1000万マイル”ゲットに燃える「マイレージ依存症」の敏腕リストラ宣告人=ライアン・ビンガム(クルーニー)。オマハに本拠を置く「CTC社」を代表する“空駆ける旅の戦士”である彼だが、ある時、3つの「変化」がライアンの周りで起こる。

1:地元のバーで同じ“空の女戦士”アレックス(ヴェラ・ファーミガ)と出会う。お互いの“何処かドライで合理主義的な価値観”のピッタリ合致することを確認した2人は、すぐに「割り切った大人の関係」に傾れ込むが・・

2:CTCの上司=クレイグがライアンの留守中に雇い入れたのは、コーネル大学で心理学を専攻した若き才媛=ナタリー・キーナー(アナ・ケンドリック)。“GLOCAL(グローカル):グローバルをローカルに、を意味する造語”を売り文句に、彼女の売り込んで来たのは「ネットを介してのリストラ宣告事業」だった。
コレが正式採用されれば・・出張費が85%削減され、もう誰も出張せずに業務を行うことが可能となる・・

そんな会社決定に猛然と反発するライアンは、クレイグの命令でナタリーと「出張研修」の名目で行動を共にしつつ、彼女の持論を砕かなければならなくなる。

3:妹=ジュリーが結婚する、との連絡が姉=カーラから入る。ジュリーとその婚約者ジムのために“とある仕事”を頼まれたライアン。出張先でそれをこなす内に、故郷=ミルウォーキーへの想いが知らず高まって行き、彼は「とある人物」を故郷への旅に誘う。

そんな3つの「変化」を経て、少しずつ心境の変わって行くライアン。その一方で“1000万マイル”への達成もまた近付いて行く。
彼は果たして“史上7人目”に輝くことが出来るのか? そして彼自身はそれを成し遂げ、どう変わるのか・・?

観る前の印象では、結局は“ディケンズ系(つまりは『クリキャロ』)”の変化球、みたいなモノかな? と思ってたが、そう言う分かり易いテイストでもなかった。
結局は「俺って何者なの?」って言う問いをライアンに呟かせ、考えさせつつ・・最後は本作を目の当たりにした観客それぞれに「私って何者?」って問いを考えさせる、そう言うハナシではなかったかな、と。

と言うのも、ライアン自身の価値観が「揺らぎはすれど、崩れはせず」って絶妙なカタチのまま、作品が幕となってしまった(ようにワタシには)思われたから。そう言う点で、本作は「切り口こそは分かり易いが、物語としては余白・余地のある、テイストは悪くないけど、ちょっと消化不良なストーリー」と評せそうである。

後半に向かって、どんどんライアンが“弱くなって行く”姿が本作の見所だろうか? 実際に講演会で“あんなこと”したら、即座に業界抹殺っぽい気もするんだが・・何となくビクともしてない印象。流石はブルース・ウェイン卿だ(=^_^=)

本作の華は、ワタシにとってはアナケンちゃんではなく(←この子、眉&目元の雰囲気から「トム・クルーズの妹っぽいな」と感じた(=^_^=))、やっぱりヴェラ様! メチャクチャに美人、ではないんだが(←済んません)、漂わせる(上品な)雰囲気や(知的な)言葉遣いが、まさにかつてのクリスティン・スコット・トーマスを彷彿とさせる。『イングリッシュ・ペイシェント(1996)』『ランダムハーツ(1999)』辺りの、クリスコ様の雰囲気ね。

“おハリウッド謹製のアクション大作”なんかには出演しなくてイイから、知的でクールな女優さんとしての演技を、もっともっと極めて行って頂きたいのです、ヴェラファミ様!(←何だかスーファミみたいやね)

助演陣では、上司=クレイグ役のジェイソン・ベイトマンが『ハンコック(2008)』の、あの“ダメダメ夫”を演じてはったあのしととは! また、宣告される側のあのしと(J.K.シモンズ)が『スパイダーマン(2002)』のあのドケチ編集長だったとは! なんてな発見もあった☆

決して観終わって「ああ、人生ってエエなぁ」とは感じられない作品ながら(ワタシは、ね)「出会いってもんを大事にしなければな」とは考えさせられた物語だった。
あと10年、20年してから観返せば・・大泣きしちゃうかも知んないなぁ(⌒〜⌒ι) 案外リストラされてたりして(×_×)

〜 こんなトコも 〜

♦オープニングを飾る歌では、歌詞の中で「カリフォルニアからNYまで、レッドウッドからメキシコ湾まで、リヴァーサイドからスタテン島まで、ジョージアからテキサス、ロサンゼルスまで」とか歌われてた。
♦「出張の達人」同士の会話もまた“雑学オタク”っぽくて楽し。レンタカーの比較(マエストロ、ハーツ、コロニアル)やらホテルの比較(ハンプトン、ヒルトン、メイプルウッド、ルクソール)やら(・ω・)
♦高級な会員カードともなると、材質が(カーボン)グラファイト製になるらしい!
♦確かに年収9万ドル⇒⇒いきなり週250ドルの失業手当・・の生活に変わるなんて、家族にもどう伝えて良いか分からんね。。
♦CTC社の場合、出張時の夕食手当は40ドルとのこと!
♦“フィンチ機長”って有名なの? 彼と何を喋ったらイイの?(知らんがな)
♦セントルイス空港は、ライト兄弟やリンドバーグも飛んだ場所とのことだ。“ドーム建築の先駆け”でもあるらしい。
♦講演の中で、ライアンは「交渉や議論を交し、秘密を分かち合い、妥協し合える人の存在こそが人生の財産」と言っていた。必ずしも彼自身の実人生にはリンクしてなかったが(?) 良い言葉だと思う。
♦アルファ・テク社のパーティー。会場で流れてる曲群が懐かしくってスゴかった! Naughty By Natureの“O.P.P”、Chicの“Good time”、TTD(terence trent d'arby)の“Sign your name”、カラオケのシーンではcindy lauperの“Time after time”なんかも。会場には特別ゲストとし、あの(?)“Young MC”が! ・・って随分と雰囲気が変わられましたね(いわゆる「ファット+スキヘ」系)。。
♦ご本人が「眉で分かる」と断言(だんげ)ってた(=^_^=) 学生時代のライアンの写真。アレってクルーニーさんの“持ち込み小道具”やろか? バスケ(ポジション=ポイントガード)をやったはる設定だったが(・ω・)
♦終盤で「とある人物」に「道に迷った人」扱いされてしまうライアン氏。コレが実に“深い表現”に感じた。
♦マイレージクラブ(会員数:7名)のカードに記載されてる電話番号は“専用回線”らしい!

〜 こんなセリフも 〜

ライアン「“僕が何者か?” イイ質問だ」
    「クビを言い渡せない“(あんたの)腰抜け上司”に雇われたのが、この僕さ」
    「これは“能力査定”じゃない。だから気にするな」
    「この資料が、君の総ての問いに答える」
    「この苦境を、君のバネにしろ・・本当だよ」
    「さぁ、カードキー(=社員証)を渡してくれ」
    「日課を作れば、気分も落ち着く」
    “あんたと次に会うことはないだろう”
    “いわば、空港こそが我が家だ”
    「あなたの“人生の重さ”は? バックパックを背負っているあなたを想像して下さい。
     その中身は? あなたの“人生の持ち物”は?」
    「我々は“詰め込んだ荷物の重み”で動けなくなっている。
     だが、人生とは“動く”こと」
    「もしあなたの背負っている、そのバックパックが燃え出したら、何を取り出しますか?」
    「あなたに“秘密を分かち合える人”はいますか?」
    「(あのホテルの)“見せかけのアットホームさ”に騙されるな」
    「あの“ソファ・クッション責め”はアドリブだよ」
    “出張のない43日は・・つまり、家で侘しく過ごした”
    「理由なしに解雇か? 訴えられるぞ」
    「見当違いが分からないのか?」
    「枕は機内にある。だからここで棄てろ、要らない」
    「子連れの並んでるゲートは、ベビーカーで手間取る。老人の方は、金属類の所持が多い。
     ゲートを選ぶなら、アジア人の並びを。彼らは合理的だ。見ろ、靴には紐さえない」
    「我々の役割は・・(宣告された)彼らの苦痛を和らげることだ」
    「スポーツ選手が子供に好かれる理由を? それは彼らが“夢を追い続けている”からさ」
    「時間にしばられる者は、幸福を知らない」
    「マイルにならない金は、使わない主義でね」
    「あれ位の愚痴は、みんな言うさ」
    「宣告後の追跡調査? してないね」
    「人々を不安に突き落とす・・それが我々の仕事だ」
    「結婚? 価値を感じない言葉だね」
    「“話し相手”なら大勢いるだろ? 結婚なんかしなくても」
    「結局、死ぬ時は独りなんだ」
    「きっかけは忘れたが、独りになりたかった」
    「最近は、背負っている“空っぽのバックパック”に何かを入れたいが・・」
    「彼女とは“気楽な関係”さ。巧く行ってる」
    「相手と瞳を見つめ合った瞬間に“世界が動きを止めた”ことは?
     そんな経験があるだろ? ・・それが僕にはないからさ」
    「ここの連中は手強いぞ。シンプルにやれ。資料を渡したら、すぐ退席させろ」
    「謝るな。同情の言葉も出すな。クールに徹するんだ」
    「“面倒を避ける”ってのが僕の理論でね」
    「思い出してみろ。過去に“幸せだった”時、君は独りだったか?」

クレイグ「この国を見ろ。史上最悪の不況だ! ・・つまり、我々の出番なのさ」
    「辞表をメールで寄越すとは・・若い者は礼儀を知らん」
    「出張の復活だぞ。喜ばんのか?」

アレックス「ステイタスにこだわる私たちこそ、チープなのよ
     「寂しくなったら電話して。その辺の女とは一緒にしないで。
      私は“後腐れのない女”よ」
     「34歳にもなると(結婚相手の)容姿なんか気にしないわ」
     「若い時とは(相手に求めることが)違うの。一緒にいて楽しい人。子供と遊ぶ体力のある人」
     「そして・・その人に“優しい笑顔”さえあれば
     「“女に走る”と大変よ・・経験あるけど」
     「若いから“妥協が負け”だと感じるのね」
     「どうしたいの? それも分からない?
     「私は“大人の女”なのよ」

ジム「あんたは、妻帯者よりもよほど幸せそうだな」
  「僕の“副機長”になってくれ」

フィンチ「この“小さな会”にようこそ。君の忠誠に、感謝している」

宣告された人たち「見ず知らずのヤツに解雇されるのか?」
        「いきなり過ぎる。妻にこんなこと言えるかよ」
        「僕に言わせれば、失業とは“僕の死”だ」
        「良く平然としてられるな? 人をこんなに苦しめて」
        「あんた、良く眠れるか? あんたの家族はどうだ?」
        「家のそばに橋があってね・・」
        「暗いトンネルの先に、まだ光は見えない」
        「朝起きて、隣の妻の顔を見れば・・生きる意欲がわいて来る」

クレイグ「これはボート、これが溺れかけてる君だとしよう。ボートに乗りたくないか?」
ライアン「乗るとも、1人でね」

ライアン「何故、男を差別する?」
ナタリー「“子供を産めない”からよ」

アレックス「“人生の計画”は巧くいかないものよ」
ライアン「その内“計画”そのものを立てなくなる」

フィンチ「私と何を話したいんだね?」
ライアン「感激で、言葉を忘れてしまって・・」
フィンチ「誰にでもあることだよ」

追記:「あの人物」との(携帯での)その後の会話が挿入されていたトコロ、※※※を譲る電話が中断したままのトコロ、などに“かなりの余地”を感じてしまうワタシである。ちょっと光が差し込んでる気さえする!

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2010年5月 8日 (土)

☆『ダーリンは外国人』☆

7日(金曜)の夜。
暦通りの大型連休を“ちぃこぃ範囲の活動”で済ませ(⌒〜⌒ι)帰松したワタシは、昨日〜今日と仕事に励んだ。

・・な訳で「この2日、休まず頑張ったし、自分に褒美でもつかわそうぞ!」と考え、帰宅後しばし休憩の後“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へとクルマで出かけ、新作(?)ラヴコメ『ダーリンは外国人』と言うのを観て来た☆

正直、あんまし興味はなくて「こいつぁ、スル〜かなぁ・・?」とも考えてた1作だったが、拙ブログにコメントを寄せて頂いてるvivianさんが、ご覧になられたことを(別ブログによせておられたコメントで)知り“悪くはなさげな印象”を感じたモノで「せば、観に行こ!」と直感的に決めた次第(・ω・)

シアターも小規模なら、全席=自由席の上映でもあったが、まぁ寛いで観ることの出来た気がする(・ω・)

プロの漫画家を目指す主人公=さおり(小栗左多里)。彼女のボーイフレンドは“語学オタク”のトニー・ラズロ君。
出会いから同棲に至るまでは、意外とテンポ良く進んで行った2人であるも・・楽天家(?)の母(大竹しのぶ)に引き替え、寡黙で厳格な父(國村隼)は、面と向かって次女=さおりに「お前たち(の交際)を認めないからな、絶対に」と静かに言い放つのだった。

そんなある日、父が心臓の病気で倒れてしまう。そして、それを機に、次第に心のすれ違ってゆくさおり&トニーだった・・

まぁ“脚本学校のテキスト”を映像化したような、変化球もどんでん返しも何にもない、ライトタッチなラヴコメ(?)ではあった。
ワタシの期待(?)してたのは「トニーによる勘違いニッポン文化」「それに伴う、トニーの妄想的ジャポネスク映像群」だったが・・
そう言うノリの物語ではなかった(=^_^=)>

どちらかと言えば、さおりの言動が主観的に“丁寧に分かり易く”綴られてたのに比べ、トニーの「本心」みたいなモノは、彼がそれを口に出して言わない限りは観客にも、そしてさおり自身にも伝わって来なかった気がする。
彼の仲間(=外国人)が、いわゆる“ナンパ野郎”的キャラに描かれてたのに対し、トニー自身の言動が「妙に真面目過ぎる」のは、やや違和感を感じたりもした。

アレはトニーの(母国での)家庭環境により形成されたモノなのか、それとも彼の(全く描かれなかったが)「宗教観」に起因するモノなのか・・?
も少し「トニーのダーティな“ホンネ部分”」に切り込んで欲しかった気もした(=^_^=) 余りにきゃつが「イイ奴」過ぎた点に、ちょっと「踏み込みが甘いぞ!」と感じちゃったワタシである。

・・にしても、大竹&國村の夫婦キャラのインパクトはなかなか大きかった! 國村さんは「良く見かけるタイプのキャラ造型&行く末」なんだが、特に大竹さんの「哀しみのどん底にありつつも、気丈に振る舞う」ってな演技が“カミガカリ的”に巧くて「もの凄いしとやね〜ホンマに」とびっくらこいてしまった。
ついでに(?)ボーリングの球を武器代わり(?)に「吸え!」とか言って欲しかったなぁ!(←言うかい!)

BGMの挿入の仕方とか、TVドラマから流れて来る(“勧善懲悪型”時代劇と思しき)セリフ群なんかもイイ感じだった☆ 特にさおりが“とある決意”をする際に流れて来るラップ曲「くればいいのに(KREVA&草野マサムネ)」のイントロの入り方&タイミングが、絶妙で良かった!

ナニがどうってこともないんだけど、寛いで&安心して観られる「良作」とは言えましょうな。

〜 こんなセリフもありました 〜

さおり「彼氏なの? それとも只の友達?(Boy friend? Just friend?)」
   「私も、焦ってる訳じゃないしさぁ」
   「外国人のダーリンってば“ハードル高過ぎ”な気がしなくもないし」
   「ここ(NY)じゃみんな外国人・・あ、外国人は私か」
   「度肝、抜かれました」

トニー「そんなこと言わんといて。僕、ホンマに困ってるんですワ」
   「“つかぬこと”ってどんなこと?」
   「“やれ、あ〜しろこ〜しろ”の“やれ”ってナニ?」
   “ホレンソ 美味しかったね”
   「“時期尚早”・・イイ言葉だと思わない? 言葉に力があるよ」
   「しらたき? したきり? しきたり!」
   「どさくさ? あさくさ!」
   「同じ抜かれるなら・・“度肝”がイイよね」
   「ハチミツ? ハムカツ? ハツラツ!」
   「“日本人かどうか”なんて関係ない。僕にとって、彼女は“さおり”なんだ」
   「ここで逢ったが100年目!」
   「間違ってますね・・“全然”と来たら“否定形”で終わらないと」
   「日本の家族は・・信頼し合っているからこそ、人前で敢えて“悪口”も言えるんだよね」

トニーの友人「あの娘がさおり? あそこに立ってる、まるで“地蔵”みたいな娘?」
      「日本に来たら“ちょっと英語を話す”だけでスーパーマンになった気分さ」
      「日本の娘なんて“簡単”だよね。すぐ携帯(の番号)を教えてくれるし」
      「日本の娘は、個性がないね」

父「そんなに甘いことじゃないんだよ・・“赤の他人”同士が家族になるってことはな」

母「男の子には“お肉”、外国人には“お寿司”が相場と決まってるわ」
 「人と人は、違って当たり前。誰かと生きて行くってことは・・その違いを
  ちょっとずつ許して、認めて、分け合って行くってことじゃない?
  ね? それが“2人になる”ってことだよ。それが“家族になる”ってことだよ」

出版社の女性「自分から諦めて欲しくないな」

追記1:要所要所で「ダーリンが外国人な(数組の)カップル」に対するインタビューシーンの挿入されるのが良かった☆ まさに“ハリウッド的恋愛モノ”のタッチである!
追記2:トニーが真っ先に惹かれた漢字は「華」だった。
追記3:外国人のダーリンが“お気に入りの言葉”には「高田馬場」「腹を割って言うと」「ぺたんこ」「たりとも」などがあるそう。
追記4:父の立ち寄った本屋は「書泉グランデ」。トニーの着てた(オレンジ色の)シャツには「Dover Electronics」とプリントされてた。
追記5:ニューヨーク郊外(?)でトニーの家族に逢うさおり。“You must be saori!(あなたがさおりね!)”から始まって、結構ご家族の言葉の聴き取れる気がした! いや・・きっとメチャメチャレベルの低い英会話なんやろね、、
追記6:常に船長帽(?)をかぶってたトニーの父(?) 何だか“クラシック・アーミー”な雰囲気を感じたが、、(⌒〜⌒ι)
追記7:ご本人たち(左多里&トニー)も出演されてたようだが、分かんなかった、、(×_×) そういや、イラストでしか(彼らを)知らないんだなぁ。。

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2010年5月 7日 (金)

☆溜まっとる「鑑賞メモ」を取り敢えずさっさとサバいときたくて(その1)☆

・・で、駆け足気味に書いときますよってに。

♦『チャーリーと14人のキッズ(2003)』

4月13日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたのを観た。
ワタシにとっては久々の“エディ・マーフィーもの”であるが、半王道的な(?)サクセスストーリーでもあり、安心して楽しめた☆

エディと言えば「絶頂期」を過ぎちゃって久しい感じで・・ちと(昔ほど)元気(=勢い)のない印象を受けるが、代わりに“真面目さ”“深み”が増したようにも見受けられる。後は“転機となる作品との出会い”だけなんだろうけど・・やっぱり今も、ギャラとかかなり要求してそうな気がするなぁ(=^_^=)

“軍隊式保育”で有名な、ハリダン園長(アンジェリカ・ヒューストン)の「チャップマン・アカデミー保育園」に負けじと、ある日突然“リストラ”されたチャーリー・ヒントン(エディ)&フィルが保育園を立ち上げる!

当初こそ、子供のあしらい方(?)が全く掴めず、園内&子供らの性格がメチャクチャになって行くが・・やがてはハリダン園長も対抗意識を燃やし始めるほどの評判となり・・

大物女優であるアンジェリカさんが「実にイヤ~なキャラ」を見事に演じておられる。何とも天晴な女優魂!
エキセントリックなキャラ=マービンを演じるのが“基本イケメン系”なハズ(?)のスティーヴ・ザーンなのも、ちょっと意外性があって面白かった(“スタートレックマニア”の青年であり、園児と“クリンゴン語”で会話したりする!)。

いわゆる“ジョン・グッドマン系”な(主人公の)同僚=フィル役のジェフ・ガーリンって男優さんも憎めなくて良かった。
園の立ち上げ直後、園児に股間を蹴られ、バルコニー(?)付近でのたうち回って苦しむシーンがあるが、場面が変わりしばらくして(再び)映されても・・まだ痛みにのたうち回ってるのが気の毒で笑えた。“あの痛み”は確かに、長引くもんなぁ・・

“痛み”と言えば、エディも「園児に脛を蹴られ、その激痛に耐えつつ、怒ったような表情でその保護者に答える」その顔つきが最高だった(=^_^=) 今、思い出しても笑える。ああ言う笑いってば、害がなくて良いと思う。

~ こんなセリフも ~

チャーリー「クビになったよ(F-I-R-E-D.) つまり、仕事を失ったのさ(I lost my J-O-B.)」
     「長く経営する気はないさ。取り敢えずは破産を免れるためだ」
     「おいで。家族3人で“団結のハグ”だ」
     「今、息子のオムツを替えといて・・将来自分がオムツになった時、息子に替えさせろ」
     「コーヒーとかお茶とか水とかは如何? もしくは秘薬とか?」
     「甘い物を食べると、子供は暴走する」
     「“大きな過ち”に気付いたよ」
     「(知識を)詰め込むんじゃない。子供の望みを聞いてやるんだ」
     「稼げないだろうって? “カネよりも大事なもの”があるのさ」
     「笑いながら、帰るとするよ」

ハリダン「庭師さえ良ければ、苗木は立派に育ちます」
    「面白さが鬱陶しさに変わり・・今は(彼らに)ムカついてるわ」
    「良くって? 人生には勝者と敗者しかいないの・・そして勝者は、勝つために汚い手だって使う」
    「“楽しさ”には勝てないわ・・新芽のウチに摘んどくべきだったわね」

チャーリー「入園してくれて、あなたは恩人だ」
母親「何かあったら、タダじゃおかない」
チャーリー「・・・」

フィル「考えが甘かったな」
チャーリー「(俺の顔で)分かるか?」

チャーリー「一体、児童は何人いるんだ?」
フィル「分からんさ・・みんな走り回るから」

チャーリー「さてと、君は何を勉強したい?」
園児「赤ちゃんの作り方を!」
チャーリー「・・・」

チャーリー「君のペットは何処だい?」
園児「タランチュラなんだけど・・どっかに逃げちゃった」
チャーリー「・・・」

元上司「この負け犬め!」
チャーリー「その負け犬に子供を預けて、カネ払ってるくせに」

ハリダン「これが証明書? こんなの、ただの紙切れじゃない」
フィル「ただの紙切れってのが問題なら、後で“ラミネート加工”するさ」

チャーリー「どうした?」
キム「久しぶりに、あなたの顔が輝いてるわね」

マービン「あんたは“カーク船長を裏切った、ミスター・スポック”よりもタチが悪い」

追記1:オープニング曲の、いったん中断する演出が面白い。
追記2:『スタートレック』の第35話に登場する“トリコーダ”って機械(?)がネタになってた。。
追記3:マービンが「読んだ」と言ってたのが『スポック博士の育児書』・・決して『スタートレック』ネタではないそうで。
追記4:ワタシが初めて友人同士で劇場に行き、観たのが『ゴールデン・チャイルド (1986)』だった。懐かしいなぁ・・(当時はエディその人を良く知らんかったし(=^_^=))

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2010年5月 1日 (土)

☆『アリス・イン・ワンダーランド:3D』☆

30日(金曜)。連休突入前の“最後のひとふん張り”って感じで働き、そして無事に終業時間を迎えた。

フタを開けてみたら・・特にナニも問題はない1日だったが・・やはり仕事が終わるまでは、緊張もし、疲れもするモノである。

その反動から「ヨシ! 帰阪前に1本頑張って観とこう!」と考え、またまた“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へとクルマで向かい、レイトショーで『アリス・イン・ワンダーランド』の3D版を観て来た☆

高松ッ子にとって「へへ・・ちょいとしたニュースだね、こりゃ」ってことが今月にあり、その1ツがこの4月中旬からの“3D作品の上映解禁”である(・ω・) コレまでは「3D作品が観たいな〜」と思えば、コレはもう“ワーナー・マイカル・シネマズ綾川”に出かけるしかなかったンだが、コレからはより近いシネコンで、思う存分(←ってそんなにラインナップあるんか?)「3D作品」を満喫することが出来るのだ! ・・って言うか『アバター』上映時に、ソレを実現させて欲しかったぜ、支配人さん!

今夜の場合、レイトショー料金に「3Dメガネ代」が加算され1500円。まぁ、妥当な設定だろうかな。
何となくのワクワク感も手伝い「フィギュア付ドリンクボトル」を思わず買い求めてしまった(⌒〜⌒ι) ってどうするんだよぅ・・つまんなかったらよぅ・・。

“ニタニタ笑う猫”“奇妙なドードー鳥”・・それらの登場する「同じ内容の怖い夢」に度々悩まされる“夢見がち”な6歳の少女=アリス。
でも彼女には「自分の言葉にしっかりと耳を傾けてくれる」父=チャールズの存在があった。
父は優しく愛娘に語りかけるのだった・・「お前はおかしな子だね。だけど・・(人と違う)優れた人は、みんなおかしなものさ」

やがて13年が過ぎ、アリスは19歳の美しくも不機嫌(?)な少女に育っていた。
父=チャールズは既に亡くなっており、母=ヘレン、姉=マーガレットの望みは「アリスが若く、美しいうちに幸せな結婚をすること」のみであった。

貴族である青年=ヘイミッシュを“許嫁”に決められたアリスだが、彼からの突然のプロポーズに戸惑い、関係者一同の集められたその場から逃げ出してしまう。
そして、自分にだけ見える「“こっちこっち”と手招きするウサギ」の後をついて行った彼女は、大木の根本にポッカリと口を開けていた暗く大きく深い穴に堕ちてしまう・・

そうして気が付いた時、彼女は“ワンダーランド(不思議の国)”に辿り着いていたのだった・・それはアリス自身が忘れていたことでもあったが、実は“再訪”でもあった・・

監督:ティム・バートン、主演:ジョニー・デップ(←クレジット的には“一応”そうらしい、、)、音楽:ダニー・エルフマン・・ってことで「いつもの鉄板なトリオ」の作品ではあるんだが・・ワタシとしては「かなりしょっぱい!」と正直評したい。
観客は、アリスの旅を半強制的(?)になぞらされるだけなんだが、その展開にワクワクもドキドキもしないのだ。で、クスリと笑えるシーンもなければ、ウルッと涙腺を刺激するシーンも(ワタシには)全くなかった。

中でも、最も致命的なのは「3D作品としての素晴らしさ」に全く欠けてたことだろう。かつての『戦慄迷宮3D/THE SHOCK LABYRINTH(2009)』も(立体的な)演出面で、どうにも不満や疑問符の湧き出るモノだったが、そのレベルにもはや(=^_^=)比肩してる感じ(・ω・)

一応“白河夜船”だけはせず、頑張って(=^_^=)全編を観たワタシだが(←中盤以降、内面で尿意との激闘が展開されてたが、、)期待してたキャラ「ハンプティ・ダンプティ」が出て来なかった(?)のは、返す返すも残念だった。。

他のキャラもそうだが、何だか監督の「はいはい、ちゃんとなぞってまっせ〜」的な“半ばやっつけ仕事”と言おうか、映像的な表現以上の「その背後に流れる監督の愛みたいなモノ」がどいつにも感じられなかった(×_×)

つまり、こう言う作品こそは「製作」「製作総指揮」の立場に身を置き“ベッソれば”或いは“スピルバぐれば”良かったのにネ、、と思う訳だ。

ウィキで改めて、バートン監督の作品群を辿ってみたが・・『エド・ウッド(1994)』か、せいぜい『マーズ・アタック!(1996)』辺りまでは(確かに)評価出来ようモノの、以降は「映像技術ばかりが豪華で、毒や反骨精神が薄く、つまんない世界観の押し付けが強く、イマイチな作品の量産が目立って来てる」のが(明らかに)見て取れる。

ってことで、しばらくはティム・バートンに“ダメ監督のラジー殿堂”に入って頂こうと思う、ワタシの中で(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

♦冒頭(本編開始前)に「3D立体メガネをかける時間だよ!」とウサギのアイキャッチ画面が表示されるが・・続く映像は「【2D版】カメラをかぶったおっちゃん&赤色回転灯をかぶったおっちゃん」だった(×_×) ←でも新ヴァージョンの、あのどっかエキセントリックな感じのお姉ちゃんがちょっと好きである(変)
♦少女の名はアリス・キングスレー。父は・・「ベン(ベンジャミン)」じゃないのね(・ω・)
♦なんで「生垣の前のシーン」でだけ、衣服のサイズが変化せず、マッパ・ダッカーとなったんやろ?
♦“得体の知れない”クスリやケーキに手を出してはいけません(=^_^=)
♦水パイプを吸う、長老肌の青芋虫=アブソレム。アレって“元ネタ”はアンソニー・ホプキンス?
♦「予言の書(=絵暦)」を破る、とか燃やす、とかそう言うことは考えなかったんか?
♦いきなり「フラブジャスの日(Frabjous day)」「ヴォーパルの剣(the Vorpal Sword)」とか、専門用語を出されても分かりませんって。。
♦標識に「Snud:南」「Queast:東」と書かれてたが「北」と「西」のスペリング(綴り)も気になった(=^_^=)
♦「ハートのジャック」こと赤の騎士団長=イロソヴィッチ・ステインを演じた男優さんはクリスピン・グローヴァー。何と『バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)』で主人公マーティの親父(青年期)を演じてはったしとらしい! 
♦1シーンのみ、ジョニー・デップ演じるマッドハッター(狂乱の帽子屋)が披露してくれる「ファッターワッケン(=歓びのダンス)」は必見! 頸椎や腰椎までもが「360度」グルグル回転する(!)もんで、流石にマ※ケル・ジ※クソンを超えてました!(=^_^=) ←CGじゃんかよ!
♦赤いトランプ兵士の(ガッシャガッシャと)走る姿がちょっとカッコ良かった。しかしあいつらって、全員で52名しかおらんのかな?
♦アリスが咄嗟に使った偽名は「アムブリッジ」。何か意味のある名やろか?
♦桜の樹の咲き誇る「白の女王の城(マーモリアル)」の風景がなかなか良かった!
♦ワンダーランドでは「誘惑罪」ってな罪状も存在してた(×_×) 関連して「狂言誘惑」「営利誘惑」ってのもあるんか?
♦劇中に「ヤマネ」ってキャラが出て来るが・・ワタシはてっきり「ニッポンからやって来た、山根さん」かと思ってたら、、「ヤマネズミ」のことらしい(×_×) 他に「ハリネ」「ドブネ」とかもいそうやね、、
♦「アッペルクーヘン(林檎のケーキ)」を喰えば、大きくなる! ・・腹回りが(=^_^=)
♦白の女王の美しさに期待してたら・・アンハサ(←アン・ハサウェイ)さんでしたか、、(・ω・) 何だか唾を吐いたり、嘔吐しそうになってたり、色々と“体当たり”したはりましたね(×_×) このしと、ムチャクチャ奇麗なんだけど・・ちょっとでも表情を動かすと、何か“違和感がある”んですねぇ、、将来の「変化」の怖い女優さんどす、、
♦赤の女王(ヘレナ・ボナム・カーター)には「イラスベス」、白の女王には「ミラーナ」ってな名前があるようだ。
♦イロソヴィッチvsハッター。ここの一騎討ちの場面でのハッターの戦い方(←針を活用)が巧い! ケンカのプロみたいだ(=^_^=)
♦終盤では、妙に「香港」など“中国圏をヨイショしてる感”があった。。バートンの次のターゲットはホンコンか?!
♦アブソレムの声はアラン・リックマン! ジャバウォッキーの声はクリストファー・リー! 豪華!

〜 こんなセリフも 〜

アリス「もし“頭の上に魚を乗せる”のが礼儀なら? コルセット(を装着する習慣)なんて、その魚と同じよ」
   「このダンス、退屈じゃない?」
   「白いバラがおイヤなら、赤く染めればイイじゃない」
   「とても興味深いおハナシだけど、失礼しますわ」
   「変だわ? いつもはツネると起きるのに」
   「ここは夢じゃなく・・記憶の世界なのね?」
   「あなたを・・忘れる訳がないわ」
   「聞いて。王子様なんかいないのよ」

ヘイミッシュ「そんなこと、他人には言わないことだ。迷ったら、口をつぐめ」
      「何故、そんな“有り得ないこと”を考える?」

ヘレン「美貌の衰えは早いものよ。イモージェンおばさんをご覧なさい」 ←あのおばさん、美貌があったの?

イモージェン「彼は王子だけど・・王座を棄てなければ、私とは結婚出来ないわ」

赤の女王「私のスクワンベリー味のタルトが3つ盗まれた! ・・お前か?」
    「“頭の大きな人”は大歓迎よ」
    「痛む脚には“ブタ腹”が一番」
    「No! Next! Another!(ダメ! 次! 別のを!)」
    「朝の処刑は格別ね」
    「嘘つき! インチキ! 裏切り者!」
    「やはりそうよ・・怖れられる方がいい・・」

白の女王「“希望”を小さじ2杯・・」
    「“殺生はしない”と誓ったの」
    「自分の意思でお決めなさい。怪物に立ち向かう時、あなたは1人なのですから」
    「殺す? 何の恩義でそなたを殺せと?」 ←このセリフはかなり冷酷に響きますた、、

イロソヴィッチ「これはこれは! 俺の大好きなトリオだな? 頭のおかしな・・」

チェシャ猫「誰かとぶつかったのかい?」
     「傷口に、包帯だけでも巻いておこうか?」

馬「ワンコは何でも信じますなぁ」

帽子屋「お茶会をしていてね。君が“戻る”までの暇つぶしなんだが」
   「君が“戻った”からには、あの日へ戻ろう」
   「ダデカヘッ! つまり“打倒、デカヘッド!”さ」 ←“ボンバヘッ!”とは違うンやね(=^_^=)
   「“忘れて許す日”かね? それとも“許して忘れる日”? どちらでもイイけど」
   「馬や鉄道も良いが・・乗り物は“帽子”に限る」
   「“殺すのはイヤ?” 赤の女王の悪行も知らずに、良く言えるな?」
   「強さを・・ここ(=胸)にあった何かを、君は失ってしまったようだな?」
   「哀れむべき大きな頭ですな!」
   「君は僕にとって“大き過ぎるか小さ過ぎるか”だね」
   「正式な処刑には、正装で臨まねば」
   「“カラス”と“書き物机”は何故似ていると?」
   「まだ“夢の中”と思ってる? じゃ、僕も実在していないと?」
   「実に面白い・・でも今は、ヤツに集中するんだ」

ベイヤード「帽子屋を助けに行く? そんな行動は“予言書”にはない」
     「運命から逃げるな」
     「お赦しを。“運命とは違う道”を行かせました」

アブソレム「涙? 涙など何の役にも立たんぞ」
     「“ヴォーパルの剣”が戦ってくれる。お前は離さず、握っておれば良い」

双子「秘密を教えたげる」
アリス「話したら、秘密じゃないわ」

アスコット夫人「私はね、怖れているのよ」
アリス「貴族の没落を?」

赤の女王「(この予言書では)私の可愛いジャバちゃんをどうすると?」
イロソヴィッチ「さぁ? 退治するトコロでは?」

イロソヴィッチ「愛されるより、怖れられた方が幸せでは?」
赤の女王「もう・・分からない」

帽子屋「おい、帽子は取るな」
処刑人「ああ。俺としちゃ、処刑が出来りゃそれでイイ」

※「I Know.(やっぱりだ)」

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