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2010年5月13日 (木)

☆『ミリオンダラー・ベイビー(2004)』☆

12日(水曜)の夜、衛星第2で放送された『ミリオンダラー・ベイビー』を、やはり観てしまった(・ω・) “次第にずんずん重くなってゆく作品”ってことは、先刻承知済なのに・・

公開当時、劇場で鑑賞し、地上波初放送時にも観て、こちらにレビューを残してもいる。

今回の鑑賞では「マギー(ヒラリー・スワンク)に始まり、マギーに終わって行った物語なんやなぁ」って思いを新たにした。
愛弟子=ウィリーが師匠=フランキー・ダン(クリント・イーストウッド)を見限って去って行き・・ようやく“マギーの存在”に眼を向け始めるフランキー。

フランキーに絡んだボクサーは、(皮肉にも)ウィリーを除き総じて悲劇的に、その選手生命を終えていったようである。
しかし・・
フランキーとマンツーマンで「階段」を駆け上がって行き“歓声と栄光”に酔いしれるチャンスを「短いながらも」得られたのも、彼らの人生にとっては「宝」ではなかったろうか?
本作を「“太く短く生きたマギー”と“細く長く生きたフランキー”の、対比のドラマ」として眺めるのも、全くの間違いではないように感じた。

ただ、本作は“死んで行きつつも生きた”マギーをしっかりと見送りつつ“生きながらも死んだ”フランキーのその後について、スパッとハナシが斬り捨てられてしまったことについては・・“余韻の残し方”こそは確かに素晴らしいモノの「後日談を、その後のフランキーの姿を、観たかったな」と言う不満をワタシの中に少なからず残したモノだ。

そこを「パーフェクト」に演じ切ってくれたら、それこそ俳優=クリント・イーストウッドの“演技の到達点”とすんなり認められた気がする。

実際には、後年の『グラン・トリノ(2008)』のエンディングをもって“クリントの俳優人生”はひとまず幕となった(?)ようだが・・まだまだ“俳優としての彼”には到達しなければならぬ“極点”が存在するように思った(・ω・)>

ハナシは変わるが・・今回はほろ酔い状態で観始めたのもあり、ボクシングの試合シーンがどうにも「血なまぐさく」感じられてならなかった(×_×) 特に鼻骨の折れたマギーの鼻腔からの出血をフランキーが“20秒間”応急措置で止める、あの手当の演出で、アタマがくらくらして来た。。

やっぱりワタシは・・医者とか警官とか、駅員とかには向いてない気がするなぁ(←何でその3ツの職業だけやねんな)

〜 こんなセリフもありました 〜

語り手“下がりながら打つのが一番良い場合もある・・だが、下がり過ぎると負ける”
   “ヤツのフックは強力だが、その心臓は豆粒ほどに過ぎない”
   “ボクシングは孤高のスポーツだ・・だが、人々はその本質を理解していない”
   “ボクシングの魔術が、肉体の限界を超え、その人を戦わせる”
   “ボクシングでは、勝敗も予想の逆をゆく”
   “重心の保ち方と崩し方を、頭でなく体で覚えるまで、繰り返す”
   “ボクサーは必ず何かを信じ込んでるが・・その信念を忘れたら、ボクサーじゃない”

フランキー「タフなだけじゃだめだ(Tough ain't Enough.)」
     「根性だけの者は、簡単に敗れる」
     「足を動かせ! これはとても重要なポイントだ」
     「大切なのは、パンチの強さではなく正確さだ」
     「休むな! 死んでから、休め」 ←これも“フリ”だったか??
     「攻められても、決して呼吸を止めるな」
     「ああ。彼女は私の選手だ」 ←このシーンでウルッと来た。聞いたマギーの表情が、また良くて!
     「常に自分を護れ・・これが“鉄則”だ、決して忘れるな」
     「20秒で、鼻血が観客席まで届く勢いで吹き出すぞ・・20秒で倒してこい」
     「金はすぐになくなる。ムダな物には使うな」
     「黄昏(たそが)れて、弱気になったか?」
     「彼女は私に助けを求めている」
     「生かすのも残酷だ・・これをどう解決したらいい?」

スクラップ「あんな打ち方してると、手首を折っちまうぞ」
     「ボクサーが戦える試合数には限りがあるが・・本人はそれを知らん」
     「彼女は最後に“やれるだけやった”と思うだろう・・願わくば、俺もそう死にたい
     「新しい靴下を買いたいが、あんたに金を貰っても買うかどうかは分からん」
     「質問を恥じてはダメだ
     「誰でも1度は負けていい。次は王者になれるさ」

神父「わざと馬鹿を言うな。今日は君の“挑発”には乗らんぞ」

マギー「ボクシングが楽しいの。私にはこれしかないわ・・分かった?」
   「本心でないなら、そんなことは言わないで」
   「世界中を旅し、総てを手にした。その誇りを奪われたくない」

フランキー「“商売人”に技術は教えられん」
ウィリー「(技術なら)あんたから総て教わったよ」

ウィリー「どう戦えば?」
フランキー「打たせろ」

マギー「“足の悪い犬”の話を覚えてる?」
フランキー「そんなことは・・考えるな」

マギー「私には、あなただけ」
フランキー「面倒を見るよ・・いいマネージャーが現れるまでは」

フランキー「お前と違って、俺には両眼が見えるさ」
スクラップ「見えて、得したか?

母「先に相談してよ。生活保護や医療補助が受けられなくなるじゃないさ」
 「残った物を大事にしないとね」

追記1:終盤の展開を邦画リメイクしたら・・やっぱし『高瀬舟』っぽくなる?
追記2:観ようによって「老いて、ヘンリー・フォンダに似て来たか?」とも感じたクリント氏。
追記3:「“続編の企画”を思い付かせない」のが、クリント監督作の「スゴさ」だと痛感した!
追記4:「スクラップ(モーガン・フリーマン)も“その時”病院にいた」ってことを、今回(改めて?)知った!

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コメント

こんばんは。
私もまたしても!観てしまいました(途中からでしたが)。

>「後日談を、その後のフランキーの姿を、観たかったな」と

実は私も今回、同じ事を感じましたです。

>やっぱりワタシは・・医者とか警官とか、駅員とかには向いてない

流血の本人・ボクサーってのは如何ですか!?(*^_^*)

投稿: ぺろんぱ | 2010年5月14日 (金) 21時04分

ぺろんぱさん、ばんはです。

今日は奈良ツアー(と言っても例によってお寺ですが、、)を楽しんで来ました。

>私もまたしても!観てしまいました(途中からでしたが)。

TV放送で、毎回「中盤で鑑賞の中断してしまうしと」にとっては、
本作の“真の姿”はきっと伝わらぬままなのでしょうね(⌒〜⌒ι)

「ああ、あの『ロッキー』みたいなヤツやろ?」
のひと言で片されてしまうのでしょうか・・ああ・・(×_×)

>実は私も今回、同じ事を感じましたです。

そこを「難なく描けたけど、描かなかった」と“御大”が考えておられるとすれば・・
それはもう、ワタシの完敗です(←って同じリングにも上がれてねぇじゃん!)

>流血の本人・ボクサーってのは如何ですか!?(*^_^*)

ボクシングジムの清掃係でイイです・・(=^_^=)

投稿: TiM3(管理人) | 2010年5月15日 (土) 22時56分

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