« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月30日 (金)

☆『ウルフマン』☆

29日(木曜)。折角の休みだったので「遠距離ドライヴするしか!」と志だけは高く持っていたんだが・・
いざフタを開けてみれば、風邪が悪化して、ダウン状態だった。昨日も何だか寒かったですしねぇ(×_×)

結局、本格的に起き出したのは午後になってから。
「徐々にカラダを動かしていかないと、このままじゃ1日が寝て終わるぞ!」と自らに活を入れ「洗濯」「靴磨き」などをちまちまとこなし始めた。

夕方からは、外出出来るほどに体力のゲージが戻って来たので、散髪に出かけた。
ついでにその後、クルマで向かったのは“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”である。気になってた新作『ウルフマン』ってのをダラッと観て来た次第。

“心清らかな、祈りを欠かさぬ者でさえ・・トリカブト咲く秋月の宵には、狼にその姿を変えると言う”

1891年、ニューヨークで「ハムレット役者」とし成功していたシェークスピア俳優=ローレンス・タルボット(ベニチオ・デル・トロ)のもとに、兄の許嫁=グウェン・コンリフ(エミリー・ブラント)からの手紙が届く。
「あなたの兄=ベンが行方不明となって3週間が経とうとしています。故郷のタルボット城に戻り、捜索を手伝っては頂けませんか?」

手紙を受取り、すぐに英国へと発つローレンス。故郷=ブラックムーアのタルボット城(=邸宅)に戻った彼を出迎えたのは、父=タルボット卿(アンソニー・ホプキンス)の老いた姿だった。

父は、息子に驚くべきことを伝える・・「ベンは昨日の朝、修道院近くの溝で遺体となって発見された」と。
そして、兄の変わり果てた姿に対面したローレンスは「コレは人間に殺されたモノではない・・!」と確信する。

奇しくも、ブラックムーアの周辺には流浪民がキャンプを構えて久しかった。酒場の人々が「(流浪民の)ヤツらがこの村に来てから、立て続けに3人が殺されている。きっとコレはヤツらの連れてる“見世物熊”の仕業だ!」と噂するのを聞きつけ、彼らのキャンプに単身向かったローレンスだったが・・

う〜ん、しょっぱい! しょっぱいバレー!(←意味不明) 「R15指定」なるスペックに“アダルツなかほり”を直感的に感じ取ったワタシだったが・・正直、あんまし面白くなかった。全体的に「世界観構築」「映像演出」などが洗練されてない、と言おうか「こんなもんでエエやろ」的に「やっつけ仕事」でやってるのがミエミエって感じだった(×_×)

「特撮メイクがスゴいか?」と言うと・・さほどでもないし「官能的か?」と言うと・・全然そんなこともない。この時期に、ナニがしたくて(ナニを見せたくて)リメイクしたのか、そこがさっぱり分かんなかった(×_×)

ただ、唯一“眼福”だったのは、中途半端な立ち位置ながら「作品の華」としての頑張りを見せてくれたエミリー・ブラントさん・・のアゴのカタチである☆
このしと、ジュリエット・ルイスの妹か? イライジャ・ウッドの姉か? ってな容貌をお持ちなんだが、アゴのちょこっと割れたあの感じが大好きである! きっとあのアゴに高額な保険をかけたはるに違いなかろう!(ホンマかいな)

にしても、ピンポイントで、イイ感じにキャラを配してるのに、彼ら(=使用人でシーク教徒のシン、流浪民の占い女=マレーバ)を“表面的に置いただけ”だったのは、実に勿体ない。彼らの俳優人生の未来をも粉砕しちゃってるようにも見え、腹立たしくなったぞ。

〜 こんなトコも 〜

♦徹底的に「流浪民」なる呼び方で統一していた。“ジ※シー”は今や禁句なの?
♦「聖コルンバヌス」と言う聖人の存在を初めて知った。
♦流浪民のキャンプのそばにあったのは・・“ストーンヘンジ”やろか?
♦ブログ仲間のitukaさんも指摘しておられたが、ロンドン警視庁のアバライン警部(ヒューゴ・ウィーヴィング)の喋り方が、若き日のクリント・イーストウッドっぽかった! 「歯を噛みしめながら、苦々しく言葉を放つ」あの感じ(・ω・)
♦ブラックムーアの住人は309人で、酒場の周りにうち214人が住んでるらしい。・・酒場をもっと開けば?(=^_^=)
♦凶行直後の現場に・・臓腑の散らばってるのがキツかった、、
♦狼男に追いつかれ、咄嗟に自らのこめかみに銃を当てて自殺を試みるも・・弾切れだった! 次の瞬間、狼男の腕のひと振りで首と胴体が泣き別れ・・ コレってどっちの死に方が「マシ」だったんやろ、、
♦ランベス精神病院の主治医さん(博士?)。公開実験の場で勝手にノリノリになって喋り続け・・背後で“どんな状況”なのかが分かっておられず、かなり面白かった! いわゆるドリフ的な「後ろ〜! 後ろ〜!」ってヤツですね(=^_^=)
♦「地下に閉じ込める係」「ハンドルを回す係」はなんかラクそうに思えた(=^_^=)
♦劇中では「Wolfman」ではなく「Werewolf」と呼ばれてたようだ。
♦鉄柵の先端のトンガリ(?)に転落⇒串刺しとなる「ご臨終」を観るのは『ダロウェイ夫人(1997)』以来な気も(⌒〜⌒ι)
♦ロンドンの夜の街で展開される「スピーディーだけど、どっかチープな特撮映像シーン」には『ハムナプトラ(1999)』シリーズを連想させられた。
♦当時のロンドンの新聞(号外?)、写真がまだないため「狼男が暴れてる様子」を緻密なイラストで紙面に再現していた。イラストレーターも命がけだったやろね(⌒〜⌒ι)
♦グウェンがマレーバに会いにいく展開で、どうしても『スペル(2009)』を連想しちゃいますた(=^_^=) そう言やマレーバ役は、ジェラルディン・チャップリンさんなんですねぇ(←かの喜劇王=チャップリンの娘さんどす!)。
♦ラストシーン。背後が崖なんだから、もうちょいと効果的な演出(展開)が欲しかったなぁ。
♦ジョー・ジョンストン監督。傑作『遠い空の向こうに(1999)』からほぼ10年ですか・・まだまだクスぶってはりますね、、
♦ラストで月が顔をのぞかせたら・・今度はあのしとが・・?

〜 こんなセリフもありました 〜

ローレンス「こんな帰郷になるとは・・」
     「身体の強くなった気がします」
     「あなたと来世で逢えたなら・・私は他に何も要らない」

父「これはこれは・・“放蕩息子”が戻ったな」 ←「2度」言いますから!
 「過去は恐怖しか生まぬ。決して後ろを振り返らぬことだ」
 「今度、無断でこの城に立ち入ったら・・歓迎はせんぞ」
 「さっきのは“芝居”だ。私も“役者”だろ?」
 「この眼を見ろ・・私は完全に死んでいる」 ←ここのホプ爺はメチャクチャ怖い!

マレーバ「偶然? 偶然などない・・あるのは運命のみ。
     そして、運命には誰も逆らえない」
    「この呪いは、彼を愛する者にしか解けない」
    「彼を“責める?” それとも“解き放つ?” この意味がお分かり?」
    「彼のために、命を懸けられる?」

アバライン「舞台でのあなたは、見事に“ハムレット”“マクベス”“リチャード3世”を演じ分けておられる。
      他にどんな人間を演じられるのですかな?」
     「突然にお邪魔して失礼! 演奏を続けて!」
     「ヤツを見かけたら、会話は無用だ。即座に撃って、殺せ」

アバライン「銀弾を持っているか?」
刑事「銀弾、ですか?」

刑事「警部・・鏡を割ると不吉とか・・」
アバライン「・・・」

※「(兄上のご遺体は)ご覧にならない方が・・」
ローレンス「久しぶりの再会だ」

狼男「獣がお前を支配し、やがてその姿を現すだろう」
  「恐ろしいことをしでかしたようだな?」
  「ローレンス、強くなれ(be strong)」
  「人生は魅力的過ぎてな・・特に私のように“呪われた者”にとっては」
  「間違いだ・・“獣を閉じ込める”なんてことは。そうは思わんか?」
  「今夜は満ちるぞ・・月が」
  「今に“彼女(=月)”が現れる・・闇から光の中へとな」

“獣を殺そうと、罪には問われない。人間を殺せば罪。その境界が何処に?”

| | コメント (2)

2010年4月28日 (水)

☆『タイタンの戦い』☆

27日(火曜)。
何やら昨日辺りからノドが痛くて困っている。加えて、咳やクシャミも出たりする。連休寸前だってのに、厄介なことで(×_×)

こう言う時は・・家であったかくし、安静に過ごしてれば良いんだろうけど・・それだとありきたりで面白くないもんで、
帰宅後、少し休憩してからクルマを出し“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に繰り出した。

「連休突入前にこなしとこう!」と、漠然とながら考えてた新作『タイタンの戦い』を観るためである。

『タイタンの戦い』・・と言うと、どうしても思い出すのが1981年のオリジナル版だ。“ハリウッド特撮史”において神格化すらされている人物=レイ・ハリーハウゼンが制作を手がけた作品を、どう「CGごまかしのみ」で再現するのか? その点にはかなり興味があった次第。

巨神族“タイタン”による支配〜混乱の時代を経て・・この世は3人の兄弟神=ゼウス(リーアム・ニーソン)、ポセイドン、ハデス(レイフ・ファインズ)により、それぞれ天界・海界・冥界に分けて統治されることとなった。

そして神は“自らの似姿”とし人間を造ったが・・次第に地上の人々は増長し始め、神々に対し反旗を翻すようになった。
即ち、今こそ“神と人間を繋ぎ、世界を変える運命の者”の出現が待ち望まれる時代、ともなったのだ。

嵐の夜、漁師の男(ピート・ポスルスウェイト!)により荒波から引き上げられた棺の中には、死した母親と元気な赤子の姿があった。
やがて逞しく成長した若者は、その名をペルセウス(サム・ワーシントン)と言った。

ある日「アルゴスの兵士らが、岬の先端に立つ“ゼウスの聖像”を倒壊させる現場」にたまたま立ち会ってしまったペルセウス一家を乗せた漁船は、人間の愚行に怒りを爆発させたハデスの攻撃の巻き添えを食って、あっけなく沈没させられてしまう。

家族を海底に引きずり込まれ、唐突に“天涯孤独の身”となったペルセウスはハデスへの復讐を心に誓う。

一方、そのハデスは“煮え切らぬ弟神”ゼウスに「今こそ、思い上がった人間どもを懲らしめなければならぬ。我ら神々のためにも」と言い放ち、アルゴスの現国王=ケフェウスに「次の日蝕(=10日後)までに汝の娘=アンドロメダ姫を生贄に差し出さねば、巨獣=クラーケンを放ち、この国を滅亡させる」と脅しをかけるのだった。

奇しくもアルゴスの都に滞在していたペルセウスは、この機にハデスに一矢報いるため、ケフェウスの命を受け、クラーケン討伐のはるかな旅に出ることとなる・・

うーん・・テンポが速過ぎ、映像や演出そのものも含め「軽い!」って印象がかなり強かった。

「最終的にクラーケンを倒すためには・・」って言う“目的に至るための条件”もロールプレイングゲーム的に分かり易く仕組まれてるので、観客としては「脇道を想像してみる隙間」すら与えられず、ひたすら「突っ走る」物語を見せられ続けるのみである(×_×)

まぁでも、殆どな〜んも考えずに観れるのはラクで良かった(=^_^=) 主要キャラ陣がボコボコ退場していく後半の某展開もスゴかったし・・

“リメイク版”を意識し過ぎて鑑賞に取り組むと・・かなり期待を裏切られる気もするが、、「1時間40分ほどのアトラクションムービーなんやな」と考えたら、それはそれで面白いんじゃなかろうか。

んでも監督が『ダニー・ザ・ドッグ(2005)』『トランスポーター(2002)』『トランスポーター2(2005)』のルイ・レテリエと言うのは意外だった。彼が監督しながら、みだりに「フランス人俳優の多数起用」に踏み切ってないトコもそこそこに評価出来ると思うし。

(と・・ここでワタシは、ウィキで調べてて「レテリエ監督と誕生日(=月日)が全く同じこと」に気づいたのだった!)

〜 こんなトコも 〜

♦ペガサスが「黒馬」と言う設定は、解釈が斬新&独特で面白かった。
♦「ゼウスの鎧」ってば、キラキラと輝き過ぎだと思う(=^_^=)
♦『300(2007)』で巨大なサイに乗る設定も面白かったが、本作でも“スゴいのん”に乗ってた! 何だか移動速度が遅そうだったけど・・
♦本作における“ヒロインキャラの置き方”はなかなか「変化球」的で面白い!
♦オリジナル版に比べ、メデューサの動きがメチャクチャに速くて怖かった!
♦メデューサの巣窟(洞窟?)の入口付近に「石化させられた勇者たち」が何人か見受けられたが・・中に甲冑を着たようなヤツがいた。アレはニッポンから来たサムライだったんやろか?(っていつの時代?)
♦アルゴスの都の大広間で、ハデスの暴走により兵士が全滅しちゃうのに、ただ1人ペルセウスのみがピンピンしてるのは笑えた。ありゃ、誰が見ても「お前、絶対に常人とちゃうやろ!」と突っ込めるな。
♦天界の全能神=ゼウスともあろうお方が「間男」みたいなセコい行動を取ってるのは(まさに人間的で)笑えた。
♦オリジナル版では、主人公=ペルセウスのキャラが「長髪で美男子系」だったように記憶してるが、今回は全くそうではなく、その点では違和感を覚えっぱなしではあった。
♦ピート・ポスルスウェイトさん。ちょい役(?)だったが、お元気そうで嬉しい!
♦後半で“とあるアイテム”を争奪しつつ「空中戦」を展開する辺りの演出を眺めてて「(ハリーポッターの)クィディッチ大会かい!」と心の中で突っ込みました(=^_^=)
♦片親が神なら、生まれ来る子は“デミゴッド(半神)”となるらしい。もしそのフォロワーがいたら・・「半神ファン」って言われるのかな?
♦1シーンだけ登場した「金のフクロウロボット」・・オリジナル版では、もっと重要なアイテムだった気がするぞ?
♦森を進軍中、靴紐の切れたペルセウス。「コレを使え」と新しい革紐を投げて寄越す者がおり、「待ってやろうか?」と声をかける者がおり、「おっと!」とわざとぶつかる者もおり・・3者それぞれの態度の違いが面白かった(・ω・)
♦「人間をその背に決して乗せない」と言われる聖馬=ペガサス。乗りこなそうとするペルセウスの姿に“トゥルークマクト”なワーシントン君のイメージがよみがえった(=^_^=)
♦三途の川の船賃とし「金貨1枚」を※※※に渡されるペルセウス。「2枚」ではない点を良ぅく考えたら“参加しない決断”もそれはそれで賢い選択だった気がしなくもない(⌒〜⌒ι)
♦「サソリの楯」は、鋼鉄より硬く、かつ軽いそうだ。何だか「N※SAの開発した新素材」みたいやね(=^_^=)
♦あの“傭兵兄弟”の生き方が、結局は一番賢い気もする。。
♦「砂漠の邪悪な魔法使い」と呼ばれてたジン族。まるでプレデターのような、あんな“究極の武器”を秘めていたとは・・(⌒〜⌒ι)
♦アルゴスの兵士たち・・エウセビオス、イクサス、ソロン、ドラコのキャラそれぞれの名前を強烈に区別(&記憶)させるだけの演出が、もう1歩欲しかった気がする(・ω・)
♦クラーケンを倒せたから“アルゴスの王”になれるんじゃなく、元々から“王子”だったんやね、ペルセウス君って。
♦グライアイの3魔女。どれが姉やら妹やら、良く分かりましぇん(⌒〜⌒ι)
♦海神=ポセイドンの存在感の薄さが異常なほどだった。。続編へのフリやろか?
♦「最重要アイテム」を海に“ボチャン”しちゃったペルセウス。アレって問題なのでは?! それとも続編へのフリ?!
♦観てる限りは『アルゴスの戦い』とタイトルをつけた方が、よほどしっくり来る気もした(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

ペルセウス「私は十分幸せです・・ここで」
     「“神の力”は罠だ!」
     「意地でも、俺は人として戦ってみせる!」
     「喰うのはよせ。人間の肉なんか、硬いぞ」
     「人を造ったのに、人のことを何も知らないんだな?
      人は人のために生き、そして死ぬ。神のためじゃない」
     「“予言”を覆すチャンスを俺にくれ」
     「投げたコインがオモテなら・・この川を泳いで渡るだけさ」
     「俺にとって“尊敬する人”は1人だけだった・・父だ。
      だが今は・・“尊敬する男”が更に4人に。女が1人。それに、あんたもだ」
     「自らの感覚を信じろ。決して眼を見るな」
     「私は(アルゴスの)王でなく、1人の兵士として女王に仕えます」
     「ここで十分、幸せさ」

父「お前にはいつか“天命”により旅立つ日が訪れるだろう。
  ・・しかしそれは、今夜ではない」
 「飢えてしまっては、神に祈る気すらも失せる」
 「我々の誇りさえ、神々は奪おうとする。
  いつか誰かが・・神々に“もう嫌だ! 我慢出来ない!”と叫び声を上げることだろう」
 「嵐がお前を(私のもとに)運んだのだ」

ハデス「“愛が糧”だと? それがそなたの弱点なのだ」
   「傲慢さには報いを。親に歯向かう子には戒めを」
   「塵に等しい人間どもめ!」
   「“死に勝る美”がこの世にあると?」
   「破滅か生贄か・・どちらかを選ぶが良い」
   「私の王は・・私だ」

ケフェウス「何と・・生き残った兵はたったのコレだけか?」
     「“神の子、かく語りき”だ」

アンドロメダ「父上。勝利にでなく、犠牲にこそ眼を向けて下さい」

ゼウス「※と呼んでも良いのだぞ? お前がそれを望むならな」
   「鍵を握っているのは、人間自身」

イオ「今は駄目! 好機を待つのよ」
  「“必要なこと”のみを訊ねなさい」
  「メデューサの住処に入れるのは男だけなの。でも、そこから生きて戻れた者はいないわ」
  「メデューサが黙って首を差し出す、とでも?」
  「嵐を鎮めなさい」

ドラコ「剣は体の一部だ。言わば“蜂の針”だ。
    常にバランスを保て。倒れたら“死あるのみ”だからな」

兵「ヤツは何者だ?」
ペルセウス「知らん。(ヤツに)直接、訊くとしよう」

兵「※※※の背に揺られてると、気分が悪い」
ペルセウス「腹の中よりはマシだろ?」

兵「帰りの金貨は?」
ペルセウス「ない」
兵「・・・」

ドラコ「人にクラーケンは倒せんさ」
ペルセウス「誰がそう言った?」

ペルセウス「あんたは笑わんのか?」
ドラコ「もし神を出し抜いたら、せいぜい笑ってやるさ」

ドラコ「この船に乗って“こちら側”に来ようとはな」
ペルセウス「誰を亡くした?」
ドラコ「・・娘だ」

ペルセウス「弟か妹の生まれる予感がする」
父「だとしても、お前に対する(私の)愛情が変わることはない」

ゼウス「どうしたいのだ?」
ハデス「・・人間どもを懲らしめる」

※※※「お前を(オリンポス=天界に)誘うのは、これ1回限りだ」
ペルセウス「そりゃ有難い。断る手間が省ける」

イオ「私は“歳を取らぬ呪い”をかけられてしまった」
ペルセウス「それが“呪い”?」
イオ「愛する者を失い続ける“残酷な呪い”だわ」

イオ「クラーケンを倒すのは、あなたの使命よ」
ペルセウス「俺の仇は、クラーケンじゃない」

A「5頭のヒドラ(竜)の、どの首を斬れば良いのかを知るまい?」
B「真ん中だろ?」
A「まぐれだろうが・・正解だ」

A「これが“(船団の)最後の船”か?」
B「いえ・・“(生還した)唯一の船”です」

妃「もはや人に神が必要かしら? 今や我々が神なのです!」
王「そ、それは・・言い過ぎだ」 ←流石にたしなめる王(=^_^=)

※「another way!(どけ!)」
 「Suicide!(勝ち目なんかないさ!)」
 「我らの旅が、愚痴で溢れんことを」
 「Stay back!(下がれ!)」
 「He must die!(死あるのみ!)」

| | コメント (2)

2010年4月27日 (火)

☆『映画の巨人/ジョン・フォード(2006)』☆

ごく最近になって、何故だか“帝王”ジェームズ・ブラウンのアルバムを(輸入盤ながら)集めもし、聴いていってる。

少し前までは、ネットラジオでMJ(=マイケル・ジャクソン)に特化した放送ばっかりをず〜っと聴いてたんだが、衛星第2で『ロボッツ』を観た辺りから(改めて)興味が湧いて来て、聴き始めた(←この作品でJBの曲が効果的に使われてたのだ!)。

『in the jungle groove』と『Gravity』の2枚をあまずぅんでクリック(=購入)し、やっと先の週末になりシュリンク(=ビニール包装)をひっぺがした訳だが・・「アツ過ぎるファンク魂」と言おうか、とにかくそのパワフルさに圧倒される!
シンプルなリフ(?)が延々リピートされるだけなのに、そこにJBのボーカル&シャウトが入ると、もの凄いグルーヴ感が形成されるのだ。

リズム隊がJBを補完し、JBもまたリズム隊を補完してる感じ。
改めて「どんだけ、後年の全世界のラップ、R&Bに影響を与えとんねん!?」と後年にパクられ(=サンプリングされ)まくったと思しきフレーズに気付く度、驚愕させられる。

ってことで、しばらくは“MJ強化週間”から“JB(notジェイルブレイク)強化週間”に切り替わりそうである。

あぁしかし・・お気に入りの音楽に出会えるってことは、ホンマに素晴らしい!

さて、本日は民放で邦画『おくりびと』を観直しても良かったんだが・・何気なく衛星第2を点けると、ドキュメンタリー作品『映画の巨人/ジョン・フォード』が放送されてたので、最初はダラダラと観始め・・やがては姿勢を正し(=^_^=)総て観てしまった。

元々は1971年に制作されたモノに、新たな関係者インタビュー映像を加えたりし、リメイクされた1作。

ジョン・フォード監督と言えば・・『駅馬車(1939)』『わが谷は緑なりき(1941)』『怒りの葡萄(1940)』が有名だし、ワタシはあと『ミスタァ・ロバァツ(1955)』ぐらいしか観たことがないんだが(お恥ずかしい、、) 今回のドキュメンタリーを観て、改めてフォードのイキイキとした人物像をアタマの中に形成することが出来もし、良かった。

ナレーターがオーソン・ウェルズ。そして関係者とし、ジョン・ウェイン、ジェームズ・スチュワート、クリント・イーストウッド、スティーヴン・スピルバーグ、マーティン・スコセッシ・・ってな“ハリウッドの重鎮”的な面々がコメントを寄せるのもモノ凄い!

〜 こんなセリフがありました 〜

ジェームズ・スチュワート「彼の現場は決して“お気楽”じゃない。常に張り詰めてるんだ」

ジョン・ウェイン「謝るな。それは“弱さの証拠”だ」 ←主演作より
        「彼は俳優をいたぶるのさ。重要じゃないシーンでね。そしてその俳優を刺激するんだ」
        「彼はシーンの“核”と“枝葉”とを直感的に、そして正確に見分ける」
        「セリフのないシーンだって、観客それぞれが想像し、そこに心を与えれば良いのだ」

クリント「彼は“まず、俳優達と良い関係を築こう”などとは考えない。
     彼が現場に入れば・・いきなり“最初のシーンの撮影開始”さ」

フォード「今日の撮影が終わる頃、君は私を酷く憎むだろうが・・“良い演技”が出来ている筈だ」
    「“テイク1”だと? 私は1回しか撮らんよ。
     俳優もスタッフもプロなんだから“1テイク”で十分だ」
    「どう撮るかだと? カメラで、に決まっとる」
    「地平線を画面の一番上か、一番下に置いた方が、真ん中に置くよりもずっと良くなる。
     そのことが分かっていたら・・ひょっとしたら、いつかは良い監督になれるかも知れんな」
    「“声がでかい。ヤツは良い監督になるだろう”と若い頃、社長に言われたな」
    「(撮影現場で)何か起きれば、それを巧く利用するさ」
    「運が良い時もある。大抵は悪いがね」
    「何度もスタジオ側と戦い、そして負け続けた。しかし幾つかの作品は残せた。
     そんな負け方なら・・あっても良い筈だ」
    「必要のない会話なら、削れ。シーンをいちいち説明するよりはよっぽど良い」
    「長いセリフなんて要らない」
    「君とずっとこうして話してるが・・伝わると良いんだがな」
    「もし“古くさい場面”と思っても、全力で演じろ。でなければ“場面の真の意味”は掴めんぞ」

ピーター・ボグダノヴィッチ「俳優が2人共演するシーンで、彼はそれぞれの俳優を別々に呼び出し、
              “あいつは良い役者だ、気を抜くな”と言ったそうだ」

追記1:『わが谷は緑なりき』における食卓シーンの父親のセリフ「分かっている。お前がいるのは」を耳にし、思わず泣きそうになってしまった(⌒〜⌒ι)
追記2:“うっかり録音テープの回ってた”キャサリン・ヘップバーンとのインタビューの“オフレコ部分”で「君を愛している」と語りかけるフォードの言葉にグッと来た。そうだ、成就せずとも、言わないよりは言った方がはるかに良いのだ!
追記3:ウィキ情報では、青年時代のフォードに映画技法を叩き込んだのは『吸血鬼ノスフェラトゥ(1922)』などで有名なドイツのフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ監督だったそうだ!
追記4:決して有名な作品でもないようだが・・リンカーン大統領の暗殺シーンをリアルに再現してた『虎鮫島脱獄(1936)』に興味を持った。暗殺犯ブースが(劇場2階の)バルコニー席から舞台に飛び降りるんだが、その高さが何ともスリリング、、

| | コメント (0)

2010年4月24日 (土)

☆『シャッターアイランド(2010)』☆

23日(金曜)の夜。
「今週も自分なりに休まず(←おいおい)働いたし、ご褒美をやることにするか!」と本会議で可決されたため(=^_^=) 帰宅後、クルマを持ち出し“ワーナー・マイカル・シネマズ綾川”に出かけた。
何だか金曜夜の「ドライヴ+食事+シネコン」が、週末の唯一の(?)贅沢となりそうな予感もする(=^_^=)

にしても・・やはり不況(←食材高騰など)の影響なのか、イオン綾川内にある、某お気に入りの「コナモン屋」に久々に食べに行くと、お値打ち感のあった“ドリンクバー”が先月下旬をもって廃止されてて、ちと悲しくなった。
私的には、食後のミニアイスなんぞは廃止してもイイし、何ならドリンクバーのタンクに水を足して薄めてもイイから(←こらッ!)、あのサービスを継続して欲しかったよなぁ・・

食べ終わり、まだ時間があったので、フロアの端にある「ヤ※ダ電機」に足を運んでみたら・・ちょうど本日『アバター』のDVDが発売されてて、思わず欲しくなった(・ω・) 値段も3K円を切っており「安過ぎて不気味なぐらい」である(⌒〜⌒ι)
もうそろそろ、DVDソフトの時代が終わって来てるのやろか・・? 正直、すぐにも買いたかったし、何の抵抗もない金額ではあったが・・「買っても、どうせ開封すらしないんやろなぁ」「あまずぅんで更にも少し安くなっとるんやろなぁ」なんてな抑制思考(?)が働いたため、購入は中止した。

ちらほらと、ネット経由で違法ダウンロードしてるしとたちのハナシも聞くが、私的には「これぐらい、買ったげようよ」と言ってあげたい気もするなぁ。ま、イイけど。

一方では、任※堂DS(←分かるってば)ソフト『ドラゴ※クエスト9』も再販されたらしく、2.5K円を切る価格で並んでた。。
発売当時、家人にプレゼントするため、6K円近くはたいた気もするんだが・・何とまぁ。

あぁでも、ここ2年ぐらい、DS本体に触ってすらいない気がする(×_×) アイフォ※ン買っちゃったしなぁ・・でも、高松暮らしも2年目となり、少しは生活に変化をつけなきゃ「面白くない」ので、ひょっとしたら「今年はDSを起動するかも知れない!」・・ってどんな抱負だよ(=^_^=)

(にしても・・かつてない、最近のガソリン代の高騰って何やろ?)

さて。
シネコンで観たのは話題沸騰(なの?)の『シャッターアイランド』である。
奇しくも今日から『タイタンの戦い』の上映が始まったようで「おおおおおおおお!」とも感じたのだが、ひょっとしたら“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”でも上映されるかも知れないので、そっちに期待することとした。

主演:レオナルド・ディカプリオ+監督:マーティン・スコセッシ(←観終わるまで気付いてなかった(=^_^=))によるゴシック調サスペンス。

1954年。ボストン湾に浮かぶ“シャッターアイランド”と呼ばれる「精神科病棟」を擁する孤島から、1人の女性患者=レイチェル・ソランドーが忽然と姿をくらませた。
独房をも想起させる(?)病室は完全に施錠され、脱出は不可能・・それにたとえ病棟を抜け出せたとしても、島には多数の警備隊員が巡回している。更に、隣の島までは18キロもの距離があるのだ。

コーリー院長(ベン・キングスレー)の要請を受け、島にやって来たのは連邦保安官のエドワード“テディ”ダニエルズ(ディカプリオ)、チャック・オール(マーク・ラファロ)の2人。
病棟を皮切りに島内を歩き回る2人。

やがて、テディは島の隅に位置する“灯台”が怪しい、と感じ始め、そこに近付く機をうかがうが・・そんな中、チャックが姿をくらませてしまう・・

・レイチェルは何処にいるのか?
・彼女の遺したメモ「4の法則 67は誰?」の意味するトコロは?
・彼女の主治医=シーアン医師はなぜ急に休暇を取り、島を去ったのか?
・テディの追い求める男=アンドリュー・レディスはこの島に潜伏しているのか?
・灯台の中に、果たして何があるのか?
・相棒=チャックの行方は?

それらの謎をはらみながら、物語は重苦しく進んでゆく・・

冒頭に幾つかの“警告”が表示される本作。

「あなたの脳は、自分に都合の良い解釈をする。従って、脳に騙されてはいけない」
「この映画のラストの驚きは、まだ観ていない人には、決して話さないで下さい」

「シャマランかい!」と突っ込めてもしまう(=^_^=) もしくはヒッチコック監督を気取っているのやろか?

何の予備知識もなかったので、探偵2人が排他的な(?)環境の中で事件を追う・・って展開に『薔薇の名前(1986)』を連想し、ワクワクしてしまったんだが・・ワタシの観たかった物語では全然なく、結果的に「失望」「疲れ」「しょっぱさ」だけが残ってしまった(×_×)

改めて連想したのが「主演:ガイ・ピアース+監督:クリストファー・ノーラン」のアレとか「主演:ジョン・キューザック+監督:ジェームズ・マンゴールド」のアレとか「主演:ラッセル・クロゥ+監督:ロン・ハワード」のアレとか、、まぁ観客が「騙そうとしてるしとの話を、真面目に聞かされる」ってノリだろうか。
あんまり書くとネタバレになってしまうので、それは避けたいんだが、、

しかし何だろう? キャストも世界観も映像の雰囲気も“超一級”なハズなのに、何のワクワク感も、ドキドキ感もないのだ。これってスコセ※シ監督に才能がないのか、ワタシに才能がないのか、どっちかだと思うんだが・・どうやろ?(⌒〜⌒ι)

ま、昔からスコセッシ作品には余りピンと来るものがなかった気はする。単に感性が合わないだけかも知れないかなぁ。
(あ、でもマイケルの『BAD』のプロモーションヴィデオ(PV)はかなりセンスが溢れてて好きです)

本作も、正直(疲れも手伝ってか)中盤辺りでかなり眠たくなってしまった。テディが「崖を下りる」などと言い出さなければ、その淡々とした物語性に、ついに付き合い切れなくなった気もする(×_×)

唯一、ビクッとしたのは、湖の畔(ほとり)で、帰宅したテディが妻=ドロレス・チャナル(ミシェル・ウィリアムズ)を抱擁したシーンの直後、いきなり響き渡った「あの音」を耳にした時ぐらいかな・・

ってことで、長くて疲れる「しょっぱい作品」でしたよ、ええ。

〜 こんなトコも 〜

♦字幕監修:戸田奈津子女史。やっぱり「眼を見はる」ような素ン晴らしい超訳は一切なし(×_×)
♦冒頭、船酔い(?)で嘔吐するシーンのディカプリオの演技(?)がスゴい! つられて吐きそうになったぐらいだ(×_×)
♦墓地(?)にあった銘板の文字が印象的。「此処に眠る我々も、愛し、笑い、そして生きた」と。
♦コーリー院長曰く、この島は「法・秩序・医療の融合された、世界的にも例のない施設」だそうだ。
♦劇中でグスタフ・マーラー作曲の「ピアノ4重奏曲イ短調」が効果的に用いられてた。
♦ベン・キングスレーもそうだが、マックス・フォン・シドーの出演は全く予想外で、ちょっと驚きだった。しっかしお2人とも、ますますお元気そうやなぁ、、(⌒〜⌒ι)
♦何気なく(?)描かれた「ダッハウの虐殺」の映像こそがある意味ショッキングだった(×_×)
♦「精神外科」と表記し「ロボトミー」とフリガナがつけられてた。その解釈で良いの?
♦「アスピリン」ならまだ分かるが・・「ソラジン」「アミタール」「クロルプロマジン」となると、何の薬か分かんない、、
♦AとBで42、Cでに24。合計すると・・
♦終盤で、悲し気に首を振って“合図”を送る相棒が悲しかった。
♦ラスト、灯台の映像に「叫び声」が響くんやろか・・と身構えてしまった(⌒〜⌒ι)
♦“胸毛フェチ”のしとには、マーク・ラファロの上半身は「見もの」だと思う。
♦イマイチ、パトリシア・クラークソンさんの出演に気付かなかった(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

テディ「ただの水だ。(海なんて)ただの水が沢山あるだけだ」
   「水が、ちょっと苦手でね」
   「この知恵は、狼に教わりましてね」
   「あれは“戦闘”じゃない。“虐殺”だ」
   「ここは・・ひどく眩しくないか?」
   「俺を愛してるなら、もう喋らないでくれ」

ドロレス「私は“棺の中の羽根”よ。この現実を受け入れて」

コーリー「人は、自らの“思い込み”を正しいと信じるものだ」

ナーリング「流石だな。咄嗟に切り返し、(自らの)身を護っている」

カーンズ「私にだって“荒れる日”はあるわ。
     ロクデナシの旦那の頭に斧を振り下ろしても当然でしょ?」

レイチェル「“狂ってない”って言っても、この島じゃ意味がないのよね」
     「やがて50年経てば・・“この島が始まりだった”と言われるわ」

警備隊長「“神の贈り物”を楽しんだか? “暴力”だよ。神はそれを好まれる。
     この世の中を見てみろ。“暴力”に満ち溢れている。
     人間とは“暴力そのもの”なのだよ」     

テディ「ピリピリしているな?」
マクファーソン「そう言う状況でね」

レイチェル「痛みは何処から生まれると?」
テディ「ケガをした傷口では?」
レイチェル「・・脳よ」

※「真実を知りたきゃ、彼女にかまうな」
 「ナチスから学ぼう」
 「“俺たち”と言ったか? 誰のことだ?」
 「心の中の闇が、モンスターを産むのさ」
 「“家に帰る”と? ここが君の“家”では?」

| | コメント (6)

2010年4月22日 (木)

☆『刑事コロンボ/ヴィデオテープの証言(1975)』☆

22日(木曜)。
雨だったもんで、(恒例の)木曜夜のジョギングイベントは中止となってしまった。。

肉体的には走りたくないんだけど(=^_^=)精神的には走るつもりで予定を開けてたもんで・・もはや劇場に向かう気分にもなれず、今夜もトボトボと帰宅したのだった。

んな訳で、久々に冒頭から観ることの叶ったのは、衛星第2で放送された『刑事コロンボ/ヴィデオテープの証言』である。
先週観たのが『刑事コロンボ/第3の終章(1974)』の、ソレも後半からだったんだが・・コレがもう、犯人役がジャック・キャシディさん(←あ、バラしてもうた(=^_^=))なもんで「あんたってば、顔を観ただけで犯人ってのがバレバレやんか!」的なツッコミをしたげたくなるほどに、誰がどう観ても“怪しいおとっつぁん”なもんで苦笑が止まらなかった。

かつ言動も、やってることも『刑事コロンボ/構想の死角(1971)』と殆ど似てて、思わず「一体、ロスには何人の“ジャック・キャシディ似”“パトリック・マクグーハン似”“ロバート・カルプ似”の凶悪で知的な殺人者予備軍がおるんや?!」と統計を取りたくもなってしまう(=^_^=) ←因みにキャシディ&カルプはシリーズでそれぞれ3度の、パトマグさんはシリーズで4度の犯人役を演ったはるそうで。

今回は、当時まだ珍しかったハズの「監視カメラ」「ビデオデッキ」「自動ドア」「デジタル腕時計」などが登場し、まぁいわゆる“ハイテク殺人犯”と“アナログ型刑事”の対決が楽しめたりもする。

犯人役のオスカー・ウェルナー氏は、本作でのキャラ造型&容貌を拝見するに、何とも“コモノっぽい感”が否めないんだが「きっと少年〜青年期はムチャクチャカッコ良かったんやろなぁ〜」と思わせるに足る面影を残してはった。
“サラサラの金髪の美青年”と来りゃ、、そりゃあ、モテましたでしょうなぁ・・(・ω・)

ジャンヌ・モローと『突然炎のごとく(1962)』で共演? うーん・・ラストシーンしか覚えてないぞぅ(×_×)

ミダース電子工業の社長=ハロルド・ヴァン・ウィック(ウェルナー)は、妻エリザベス(ジーナ・ローランズ!)の母親である会長から、ついに「解任」を言い渡されてしまう。「明日の朝一番で、辞任届を提出なさい」・・

この会長を亡きものにしようと考えていたハロルドは、ビデオテープを用いての“鉄壁のアリバイ”をこしらえた上で、彼女を首尾良く射殺するのだが・・

本作は上映時間がわずか(?)75分しかなく、観易くて、すぐに解決しちゃった感(・ω・) いつもながら、コロンボ警部(ピーター・フォーク)の着眼点がスゴくて、参っちゃうんだが、本筋からやや外れた(?)珍しい演出があったりし、そこも見所だった。

・コロンボが拳銃を発砲する!
・コロンボがチリを食べる ←いつもだよ!
・コロンボが風邪を引く!

ってのが、それに当たるんだが、逆に言えば「“くしゃみ連発状態”だってのに、あないに冴えてるのってスゴい!」と感心させられたワタシ(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

コロンボ「不躾を承知で、1つ2つうかがいたいんで」
    「あたしには“悪い癖”がありましてね・・。
     人が“いつもと違うこと”をやると、何かあるんじゃないか、とすぐ思っちゃってね。
     ・・いえね、大抵は“思い過ごし”なんですが」
    「どぅもお恥ずかしいこってす」
    「この(アート)作品が4700ドル? これは家一軒の値段だよ・・」
    「恐ろしいこってす」
    「どっかに“取っかかり”を見つけませんとね」
    「現場じゃなく、モニター観てたんだから“時間は確実”じゃありません」
    「うるさいとお思いでしょうが、すぐ済みますからご協力を。
     これが最後ですから。もう2度とお邪魔しません」
    「推測だけでこんなこと言いやしません」
    「見えますか? ここんトコとここんトコ。“違い”が分かりますか?」

ハロルド「この装置ならどんなことだって可能さ」

会長「ショックを受けるのに、一番良い姿勢をとりなさい」

ギャラリーの女性「芸術は“説明するもの”じゃなく“感じるもの”なんですよ」

コロンボ「タイトルのない、この作品(の値段)は?」
ギャラリーの女性「・・これは作品じゃなく“エアコン用の換気口の穴”ですわ」

追記1:『グロリア(1980)』での役柄から、パワフルな女性って印象の強いジーナさん。本作では「か弱い感じの女性」を演じたはった。
追記2:コロンボの影響を強く受けたか・・仕事中に困ったことがあると右掌で額を押さえてしまうクセがついてしまった(×_×) そう言や、衣服や愛車がクタクタなトコも似て来てるかも・・(=^_^=)

| | コメント (0)

☆『ラヴソングができるまで(2007)』☆

21日(水曜)の夜。
「帰りに1本、(劇場に)行っときたいなぁ」・・と思いつつ、ちょいと仕事が長引きもしたため、その希望は泡と消えた(×_×)
んで、雨のパラつく中をトボトボと帰宅。

仕方ないので、衛星第2で放送されてた『ラヴソングができるまで』と言うコメディ作を何気なく観始めたら・・コレが面白いのなんの!(=^_^=) タイトル&キャストから受ける“第1印象”がイマイチ良くなかったんだが・・いやぁ「観てナンボ」のモンですねぇ、ホンマ!

すっかり気に入ったワタシは、このレビューをアップ次第、あまずぅんでサントラCDをクリック(=購入)しようかな、と考えてもいる訳だ(=^_^=) ←しっかし、DVDソフトよりもサントラCDの方が高いって、、(×_×)

代表作となるヒット曲『恋は突然(POP! GOES MY HEART)(1984)』などを放ち、80年代に一世を風靡したアイドルロックバンド(?)“ポップ”だったが、主要メンバーであるコリンとアレックス(2人のヴォーカリスト)が袂を分かってから、彼らの迎えた運命はまさに正反対と言えるモノだった。

ソロデビューの大成功したコリンは、今や“サー・コリン”と呼ばれるほどの人気者に。
一方のアレックス・フレッチャー(ヒュー・グラント)と言えば・・同様にソロアルバムをリリースするも、見事にコケてしまい、今は作曲家としてほそぼそと稼いだり、各地のレジャー施設の特設舞台でミニコンサートを開催し、往年のファン層を相手にした“異常に客席との距離の近い”(=^_^=)ライヴ活動に精を出す日々だった。

そんなある日“ポップ”の曲を(7歳の頃から)聴いて育ったと言うトップアイドル歌手=コーラ・コーマンから声がかかる。
「金曜までに、新曲『愛に戻る道(Way Back Into Love)』を書いて欲しい。前回リリースした曲が全米チャート2位止まりだったから、次は1位を狙いたい」と・・

迫る締め切り、巧く進まないグレッグ・アントンスキー(作詞家)とのコラボ(共同作業)・・そんな時、アレックス宅にやって来た(鉢植えの)水やり係=ソフィー・フィッシャー(ドリュー・バリモア)の口ずさんだ、何気ないひと言がアレックスをスランプの沼から引き上げ始める・・

ソフィーを“ミューズ(創造の女神)”と仰いだアレックスだが、曲が完成してからも様々なトラブルは続くのだった。

本作の撮影中から“パニック障害”を発症したと言う(←ウィキより)グラント氏。一時はかなり俳優として危ない状況となってはったようだし、本作も「精神安定剤」を飲みまくって、何とか撮影を続行したそうだが(⌒〜⌒ι) そんな裏事情(?)を全く感じさせぬ、観ようによっては「これまでになくハイで、輝いてる」グラントを拝めた気がしたな。

グラント&バリモアって主役コンビから「どんだけベタな物語なんやろかいな〜」と軽く考えてたんだが、コレが「確かに軽いには軽い」んだが(=^_^=)、演出面&楽曲面で妙に「ホンキ出して作って来てる」のに、好感が持てた!

例えば、終盤では“マディソン・スクエア・ガーデン”で巨大なライヴツアーが行われるんだが、何の脈絡もなく(=^_^=)ステージに姿を現す「大仏像」の造形的完成度も含め、過剰なほどの「上質さ」を感じ、安心して楽しめたのだ。

基本的に、劇中に悪人の出て来ないのも良かったし、アレックスの“自嘲的ユーモアに溢れた”トークのセンスが、ある意味かなり爆発してた気がした(=^_^=) 観ずに言うのも何なんだが、ひょっとしたらグラントの最新作『噂のモーガン夫妻(2009)』より、よっぽど面白いんじゃないか? ってな気すらして来る(⌒〜⌒ι)

『ノッティングヒルの恋人(1999)』では「Oops There it is!(おったまげ!)」と叫んでたグラントだが、今回は「Ridiculous!(バカ言うなって!)」って悪態(?)を2度ほど放ってくれてた☆ 「ヒュー・グラントの悪態(?)マニア」みたいなしとも世界には数多いんやろか?(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

アレックス「曲作りは“悪夢”なんだよ。分かるだろ?」
     「その嫌味の続きはまた後で」
     「君はまるで“パンティを履いたコール・ポーター”だな。・・ま、彼も履いてたかも知れないが」
     「無くした愛をまた見つける? 何だか“旅行カバン”みたいだけど面白い」
     「これは僕のソロアルバムだ。密かに印を付けて毎週確認してるが・・この店では6年も売れ残ってる」
     「世界中のどんな小説も“即座に”こんなイイ気分にはしてくれない・・これが歌の持つ力なのさ」
     「この鉢植えは、君の水のやり過ぎで死んだ。さぁ、次のを殺せ」
     「もっと大きな声で歌ってくれよ。人間が聴くんだから」
     「彼女の、あのおかしな動きは・・いつもの運動だよ、食欲増進のね」
     「僕には人一倍の洞察力があるんだ。ソレを自分に使う必要はないんだけど」
     「コンサートでの、僕のズボンがピチピチなのは、心臓にギュッと血を送るためさ」
     「そこの、アトラクション待ち列の君も拍手を・・したくなきゃイイけど」
     「アンコール? 出なきゃ駄目か? 見ろ、客が全然ノッてないぞ」
     「では、次の曲は『僕と踊ろう』を・・って男に向かって言う言葉じゃないな」 ←マネージャーに(=^_^=)
     「以前のショーでは、僕が菓子を投げたら“死者が出そうな争奪戦”になってね」
     「オレンジ色の服を着て来る? 何だか道路掃除の囚人みたいだな」
     「よせ。今ここでは何も言うな」
     「そら見ろ。“カルマの壁”に跳ね返されたろ?」
     「音楽は結局、総てがビジネスなんだよ。・・明快でイイけど」
     「客の脂肪(=痩身ビジネス)で稼ぐな。ペン(=作詞活動)で生きろよ」
     「“ひらめきに頼る”のは素人だよ」
     「彼女(コーラ)は“ダライ・ラマ”を動物の名前だと思ってたよ」

ソフィー「ドイツ語の悪態ってばサイテーね」
    「壁に当たったら、気分転換することね」
    「“影の中で生きてる”って辛いものね」

コーラ「結果は既に決まってるの・・運命でね。でも違うかも」

ロンダ「恋をする前に、彼の気持ちをしっかりと確かめなさい。
    あなたをどう見つめるのか、どう触るのか・・あなたのために“何か特別なこと”をしてくれるのか

カーン「フレッチャー様、今日も良い1日を」
アレックス「有難う。ここまでは順調さ

グレッグ「彼女、またここに来るかな?」
アレックス「多分ね。宇宙船(Mothership)に戻らなければ」

ソフィー「こうして冷やしたら、頬の痛みは和らいだ?」
アレックス「実を言うと、反対側なんだけどね

アレックス「作詞家になって、たった6日だろ?」
ソフィー「あら? 天地創造も“たったの”6日だわ」

追記1:マネージャーのクリスがソフィーに「ありがとう」と(声に出さず)口の動きで伝える演出に「エエなぁ〜」と思った。
追記2:仏教かぶれ(?)のコーラちゃん。彼女の愛読する「マタシャビ師」ってどんなうっさん臭い宗教家なんだか(=^_^=)
追記3:2人の作詞を巡るトークの応酬が小気味良く、上質で良かった☆ ここに更に、ウッディ・アレンとリチャード・リンクレイターの(2監督の)ノリが加わったら・・もの凄い作品に仕上がったと思う!(って言うか、ワタシが脚本をもし書くとすれば、そう言うテイストのんにするやろなぁ)
追記4:中盤で1度は訣別に走る2人だが・・実は「お互いの知らない所で、お互いを知ろうと努力していた」のだった。ああ言う演出は実に微笑ましい。
追記5:エンドロールで、数々のコミカルなコメントが“吹き出し調”に挿入されるのんが、メチャクチャ面白かった! 例えば、ポップのメンバーのうち3人までもが“ポップダンス”で負傷し「股関節置換手術」を受ける羽目になったそうだ。また、クリスによる問題発言「ビートルズよりビッグだ」には、直後「メンバーの数のことだ」なる“苦しい言い逃れ”が付け加えられたらしい(=^_^=)
追記6:劇中でアレックスの使用してたピアノは「ボールドウィン(Baldwin)」製。

| | コメント (2)

2010年4月20日 (火)

☆『幸せのレシピ(2007)』☆

19日(月曜)の夜。
雨が降っても来たので、、仕事を終えたワタシは、大人しく帰宅した(・ω・)
今週の衛星第2は“恋愛作品特集”みたいなので「せめてヴァーチャル域ででも恋愛感情にひたりまくろう」と考え(苦笑)、第1弾の『幸せのレシピ』を観ることに(・ω・)

ドイツ映画『マーサの幸せレシピ(2001)』が6年を経て“ハリウッドリメイク”された本作。
アラフォー(?)の頑固者な女性シェフ=ケイト・アームストロング(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)を主人公に、ニューヨークは「ブリーカー通り22番地」に位置する高級レストラン“ブリーカー22”に勤務するケイトの生活に訪れた大きな変化と、それによって少しずつ変わってゆく彼女自身の姿が丁寧に描かれる。

以前(数年前)に衛星第2で放送された『マーサの幸せレシピ』を観て、それはそれで気に入ったワタシ。今回はスペック&キャスティングの部分で「豪華なのはエエけど、スベってたらヤだなぁ・・」と若干の不安があったりした。
が、まぁ過剰な描写もなく、静かに(慎重に?)巧くまとめられていたと思う。

特に気に入ったのは、ピアノ伴奏を主体としたBGM。作品の背後に流れるこの“音楽”の存在で、かなり物語の質を高めることに成功した気がするな。

アーロン・エッカート演じる“陽気なシェフ”ニック・パルマー(←高級店「イル・トレヴィーゾ」の副シェフだった男)の存在感も良かった。アーロン氏と言えば『ベティ・サイズモア(2000)』で惨殺されてしまったり(×_×)、『ダークナイト(2008)』で“ゴッサムシティ”の低レベルな医療(?)を体現する某検事役を演じたりしたのを思い出し、共に強烈な印象が脳裏に刻まれてしまってたモノだが・・本作では「言動」「容貌」ともになかなか良く、つい憧れてしまったワタシである。

来世は“イタリアにかぶれたシェフ”に生まれようっと。 ←お前の一存じゃ、とてもムリだよ(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ケイト“ウズラは「ラヴバード」・・恋人たちに似合いの料理。でも焼き過ぎに注意。
    ローストが一番。トリュフが合うわ・・料理を引き立てる。
    でも「高級トリュフ」じゃなきゃ、使わない方がまし”
   「料理は喜びです」
   「妥協なんか出来ないわ」
   「隣人とはデートしないルールなの」
   「ルールの何処が悪いの?」
   「あなたは姪なのに・・“好きな色”さえ知らない」
   「I want you stay.(あなたに、いて欲しいの)」
   「これ以上のレア・ステーキはないわ。まさか“生きてる牛”を出せと?」

ニック「空腹だと、舌が鈍る」
   「僕はイタリア料理に恋をした」
   「失恋はしたが・・おかけで人生が開けた」
   「これから? 今までと同じさ。君の指示通り、僕は“好き勝手”にやるだけ」
   「この厨房が君の総て? 違うな、君のほんの一部さ」

ニック「訊いても?」
ケイト「断れる?」

ケイト「キスなんて・・」
ニック「考えるな」

ケイト「キスは駄目、ゾーイの前よ」
ニック「ゾーイ、君のおばさんにキスするよ?」

セラピスト「人生は想い通りに動かないものさ」
ケイト「厨房は別よ」

ケイト「“生き方のレシピ”が欲しいわ」
セラピスト「分かってる筈だろ? “自分のレシピ”がベストなのさ」

〜 こんなトコも 〜

♦オーナー役のパトクラ(=パトリシア・クラークソン)さん。もうちょっと彼女ならではの魅力を引き出して欲しかった(・ω・)
♦「テンダーロイン」「サフラン・ソース」「エシャロット」「デリーヌ」「ドルチェット」なんかの料理用語(?)が飛び交ってたが、さっぱり分からん(×_×)
♦「フランス料理の最も重要な3要素」は「バター、バター、そしてバター」だそうだ(=^_^=)
♦「すごい渋滞で遅れそうだけど、何とか辿り着くわ」と留守電に吹き込まれていた(ケイトの)姉=クリスティーンのメッセージ。あのクルマのシーンで、もう少し“観客の心にざわつきが起こる”ぐらいの演出を盛り込んで貰えたら、完成度はもう少しばかり上がったように思う。
オリジナル版を知ってるから、展開の予想はついたけど・・少し“唐突”に感じたのです。
♦オリジナル版に比べ、(階下の)隣人=ショーンの存在も“バッサリ”じゃなくて、それはそれで悲しく仕上がってなくて良かった。
♦“とある一夜”を経て、いきなり「キス回数の増える」お2人さんに「おいおい・・」と突っ込みたくなってしまった。何だか(某ゲームの「宿屋の主人」のように)「昨夜は(随分と)お楽しみでしたね」とからかってやりたくもなる(=^_^=)
♦ケイトが「火加減は“コム・イル・フォ”よ」と言ってたが、これはフランス語「Comme il Faut」で、英語で言うトコの「as it should be(そうあるべきやり方で)」ってことらしい。
♦ゾーイの「who care?!」を「もういいわ!」と訳してるセンスに少し唸らされた。

| | コメント (2)

2010年4月17日 (土)

☆『第9地区(2009)』☆

振り返れば、何とも、元気のわかない1週間だった。
昨年と比べると、ちょいとプライベートで(ワタシにしては)珍しい行動を始めたので、その反動かも知んない。

何でも、世間では「新型うつ」って病状が増えているとかいないとか(←いや、増えてるんだよ!) 周囲から眺めたら、ワタシなんかも「うつ」に見えるんやろかな? 「(自分が)周囲を眺めること」と「周囲から(自分が)眺められること」・・この2つの結果にはどうしようもない“ずれ”が生じて当然なんだろうけど、それを今まで以上に意識し始める事態となったら・・それってひょっとしたら、何か危険な“サイン”なのかも知れない・・

さて、16日(金曜)の夜。
この1週間を乗り切った自身への“ささかなご褒美”も兼ね、夕食は外食で済ませることに決めた。
それに併せ、久々にドライヴがてら“ワーナー・マイカル・シネマズ綾川”に行き、新作を1本観ようかな、と。
って言うかそれって「まずはシネコン鑑賞ありき」だったんだけど(=^_^=)

狙ってたのは・・「ディカ様(って言うの?)主演の最新作であるアレ」と「妙に期待値の高まってるSF作『第9地区』」であるが・・直感で後者に決めた。ワタシの知る、ブロガーの方々の評価も高そうだったし・・

1982年。巨大な宇宙船がその上空に姿を現したのは・・ワシントンでもロサンゼルスでもシカゴでもなく、何故か南アフリカ・ヨハネスブルグであった。
宇宙船は地上から一定の距離を保ち、浮かんだまま動かない。どうやら地球侵略が目的でもなさそうだ?

軍部が壁面に穴を開けて乗り込み、船内を探索したトコロ・・沢山の“エビ”に似た2足歩行型エイリアン(異星人)が、栄養失調&無気力な状態で発見された。
船内から連れ出された彼らは、宇宙船のちょうど真下に設けられた“臨時キャンプ(=第9地区)”で暮らすことを許される。

それから28年が経ち2010年。 ・・フェンスで囲まれた“キャンプ”は今や“スラム”と化していた。
“エビ”たちは180万人(匹?)にまで増殖し、治安の更なる悪化を危惧した南アフリカ政府は、超国家機関=MNU(MULTI-NATIONAL UNITED)の主導のもと、彼らを現在の居住区から約200キロ離れた“難民キャンプ(=第10地区)”に移送させる計画を実行に移す。

“エビ”たちの住居を予め訪問し「立ち退き通告書」にサインを貰う、と言う名誉ある(?)ミッションの責任者に任命されたのが主人公=ヴィカス・ファン・デ・メルヴェ。
背後を武装兵(傭兵部隊)に援護して貰いつつ、半ばお気楽(?)に“キャンプ”を回り始めるヴィカスであったが・・

観客とし、作品が始まってまず眼に入るのが「ピーター・ジャクソン・プレゼンツ」と言うでっかいクレジット(表記)。
確かに本作、彼の「プロデュース力の高さ」が証明されもした感がある。もっとハッキリ言えば、自らの監督作である『ラヴリー・ボーン(2009)』なんかより、よっぽど惚れ込みもし、力を注いだんじゃないか? とまで感じたほどだ(⌒〜⌒ι)

正直、前半部分では(勝手に)期待を高めてた「壮大なSF世界観」が殆ど感じられず、かつ“エビ”の用いられ方すらも、いわゆる“B級テイスト”だったため・・『えびボクサー(2002)』ならぬ『えびエイリアン』かよ?! と心の中で失望感のジワジワ広がってゆくのが抑えられなかった。

ノロノロとヴィカスが住居を回り始める辺りになると、、とにかくもう観てて「しょっぱさ」と「苦痛」でしんどかった(×_×)

が! 中盤、とある人物が“パーティー会場”で墨汁っぽい液(?)を「ウボァ〜!」と吐くシーンぐらいから、メッチャクチャに面白くなって来た!

中盤まで「しょっぱさ」にのたうち回ったこの気持ち・・そう! あの『ユージュアル・サスペクツ(1995)』の鑑賞時を思い出したワタシ(=^_^=)

詳しく書くと、面白くなくなるので書けないんだが・・特に後半の特撮&アクション描写(演出)が素晴らしい。感情移入までは(残念ながら)出来なかったが、ヒューマニズムなドラマ性も思いのほか良かった。

当初こそ「何やねん、このうっといおっさんは(←と言いつつ、後でこのしとが自分より年下と知りますた、、)」と不快さを感じてた主人公=ヴィカスが、その言動によって次第に輝いて来るのがスゴい。文字通り、本作はヴィカスの“変身”を軸にした物語、とも言えた訳だ。

惜しむらくは、前半の何とも言えぬ「回転&吸引力の悪さ」だが(例えば、ウチの家人に見せたら、きっと最初の30分ぐらいで観るのをやめる気がする)・・考えたらそんな「緩和と緊張」こそ、スピルバ※グ監督辺りの“最も得意とする演出テクニック”やろしね。

ってことで、ワタシの中では『アバター(2009)』を超えるまでの衝撃には至らなかったモノの『ハート・ロッカー(2009)』を奈落の底に(←そこまで言うか(=^_^=))蹴り落としてもエエよ、ってほどの充実感・満足感を味わえた1作だった。

〜 こんなトコも 〜

♦ラストのカット(映像)は「そのものズバリ」を映し過ぎと思った。あの※を拾い上げる“右手”だけで良かったんでは?
♦南アフリカが舞台であるだけに“差別意識”“差別感”の取り込まれた設定が、より輝いた気がする。
♦コレが実話なら(=^_^=) ヴィカスはネルソン・マンデラを超える“南アフリカ史上で最も有名な人物”となったことだろう。
♦本作のような(?)事態に備え、みんな「猫缶」を貯蓄しましょう!
♦字幕担当は松浦美奈さん。ホンマにエエ仕事をしたはる!
♦もしオレが主人公だったら・・何度(途中で)あの子に「スマンけど、実はな・・」と真相を語ってしまったか分からない。。最後の最後まで、物事がどう転がるのかは分からんもんですねぇ。
♦傭兵部隊vsギャング団、と言う構図はもっと丁寧に(?)描けた気もする。もっと面白くも。
♦ピーター・ジャクソンが惚れ込んだ(?)のも頷ける。作品の裏側に、確かに『キング・コング(2005)』にも共通する“悲哀テイスト”を感じましたもん。
♦ラスト、とある人物の玄関先に※を持って行くエイリアン。その行動の「危険さ」「悲しさ」に、少しばかり考えさせられた。
♦司令船内や武器類なんかの意匠が、あのエイリアンと全然繋がって来ないんですが、、
♦エビたちはタイヤなどのゴム製品も好きらしい。
♦ナイジェリア地区では“猫缶詐欺”に要注意(=^_^=)
♦“異種間での売春”なんかの問題も起こってた(×_×)
♦本作がリメイクされたら(爆笑)、ギャング団のボス=オビサンジョ役はやっぱりサミュエル・LL・クール・ジャクソン氏だろうか?
♦わずかヘリを1基調達出来さえすれば、物語はもっと簡単に進んだ気もする(・ω・)
♦劇中で、MNUは“世界第2の武器メーカー”と紹介されていた。更に上があるんやね。。
♦クリストファー・ジョンソン・・と言う名前だけでは、もはや人種の特定が困難やね(⌒〜⌒ι)
♦あのロボットと交換された猫缶は・・わずか100個、、
♦クーバス大佐、どうにもトム・ハンクスに見えたぞ(=^_^=)
♦エビたちの惑星には、月が7ツもあるらしい。
♦ヴィカスがギャング団に求めた武器は「AK47(=カラシニコフ自動小銃)」だった。
♦“空中弾丸集結”“ロケット弾左手キャッチ”などの映像演出には、思わず椅子から立ち上がりそうになった!(=^_^=)
♦ヴィカス役のシャールト・コプリー氏は『特攻野郎Aチーム/The Movie(2010)』にも出演したはるらしい。

〜 連想した作品 〜

『MEMORiES/最臭兵器(1995)』
『ザ・フライ(1986)』
『インデペンデンス・ディ(1996)』
『イレイザー(1996)』
『ロボコップ(1987)』
『アバター』
『アイアンマン(2008)』
『トランスフォーマー(2007)』
『マイノリティ・リポート(2002)』

〜 こんなセリフもありました 〜

ヴィカス「(通告書は)叩き落とされたが、手の跡が着いた。コレをサインと見なすよ」
    「この缶が手榴弾か、だって? とんでもない、キャットフードだよ。
     これを投げて、ヤツらの気をそらすんだ」
    「この地区でマスクなんかするのは、腰抜けだけだぞ」
    「ヤツを撃つ必要はないだろ!? ブタを撃つから!」
    「気にするな。ほら、右手は何ともないだろ?」
    「タニア、君か? ・・君であってくれ・・!」
    「違う! 何が“同じ”なもんか!」
    「3年って聞こえたけど、それって“地球時間”でか?」
    「行け! 僕を“無駄死に”させるな!」
    「行くんだ! 僕の気が変わらぬ内に!」
    「口先で言ってるんじゃない。ホントの天使なのさ。
     ・・この部分はカットされるかな?」

エビ「人間の技術など、我々の役に立たん」
  「“こうなる理由”は1つだけ」

※「第9地区には、謎が多い」

オビサンジョ「言ったろ? この日が来る、と」

追記:かの『アバター』もそうだったが、最近のSF作ってば・・劇中で話される“言語”までも設定・構築しなきゃならんほどにリアルさが問われて来てるのかも知んない(・ω・)

| | コメント (8)

2010年4月15日 (木)

☆『トランスポーター2(2006)』☆

7日(水曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを観た。昨夜に続き、まんまと(=^_^=)シリーズの1、2を観てしまった感。。

まぁ、ここに“地上波初”で放送された際の(たぶん興奮冷めやらぬ頃(=^_^=)に書かれたと思しき)レビューがあるんだけど・・

名物キャラ(?)=タルコーニ警部の立ち位置(≒言動)がどうにも中途半端でダラダラしてて勿体なかったが、それでも彼のキャラが変わらず登場してくれたのはちょっと嬉しい。
彼がギャラの問題(⌒〜⌒ι)だかで、今後シリーズに登場しなくなるとすれば・・コレはもう「殺される」と言う出来事によって主人公=フランク・マーティン(ジェイソン・ステイサム)の怒りに繋がる、ぐらいしか演出的には選択肢の残されてない気もする訳で。

第1弾の依頼品が「女性」であれば、今回の依頼品が「子供」と来るのは大体予想がついたが・・誘拐事件そのものは中盤で解決(?)をみるのが思い切ってて良かった。

ハナシが次第に“殺人ウィルス系”となって行くので、意識してかどうかは知らないが『M:i−2(2000)』とか『M:i:3(2006)』っぽい演出がチラホラと見受けられた。科学者の名前が“ディミトリ”ってのも、どうにも安直なネーミングに思えたなぁ。

ジャック少年の両親役でマシュー・モデイン、アンバー・ヴァレッタ(←ちと雰囲気がキャメロン・ディアスっぽかった)が出演してはったが、アンバーさんがエエ雰囲気を出してはる(ある意味、本作のヒロインは“あの女”じゃなく、このしとだと受け止めたワタシ)のに比べ、モデイン氏の“普通っぽさ”が何だか残念ではあった。

役者もやっぱり、美醜以上に個性が大事なのかなぁ・・

後半で、武器を手にしたテキのザコ軍団を“ホース”や“鉄パイプ”を使ってバッタバッタとなぎ倒して行くアクションが描かれるが・・これがまさに『ドラゴン危機一発(1971)』と『燃えよドラゴン(1973)』のエッセンスをふんだんに引用してる感じで苦笑しつつも魅せられてしまった。

ザコそれぞれ/ザコ全体のどちらを見ても“記憶に残るもの”を欠いてた故、きっとすぐ忘れちゃうだろうワタシだが、あのバトルシーンは『キス・オヴ・ザ・ドラゴン(2001)』の終盤同様、一見の価値はあると思う。

〜 こんなセリフもありました 〜

フランク「俺は、出来ない約束をする男じゃない」

オードリー「あなたのくれた時間と、私への敬意に感謝するわ」

タルコーニ「飛行機に乗るなら、追い風の時に限るよな」
     「今度の便は向かい風だ。望むものは手に入りにくいもんだな」

ジャンニ「必要なのは残忍さだ。ジョークなどは要らん」

オードリー「私、どうしてイイか分からないの」
フランク「皆、そうです」

タルコーニ「そっちの状況は?」
フランク「込み入ってる」
タルコーニ「いつものことだろ?」

| | コメント (0)

2010年4月14日 (水)

☆『カサンドラ・クロス(1976)』☆

12日(月曜)の夜。今週はなかなか「狙った作品目がけ、シネコンに突進する」と言う行動が取れずにいる(・ω・)
地方都市の悲しき実態と言おうか・・「選ぶのに困るほど」でなく、やっぱり正直「公開してるのんで我慢しなきゃならない」ってトコを実感してもいる。

ま、そもそもこの日は雨降りがスゴく、遠くの劇場に向かう気力自体がすっかり萎えちゃってたんだが・・

そう言う訳で帰宅後、DVDソフトをお借りしたままとなってたサスペンス大作(←ま、一応ね)『カサンドラ・クロス』ってのをイッキに観た☆ パッケージを開封すらしないまま、半年近くも自室に転がしてた感があるなぁ・・すんません(←誰に謝ってるんだよぅ)

“ハリウッド印”に正面きって対抗し(?)「伊+英+西独」合作で“謎の細菌による、列車内のパニック”を描いた群像サスペンスもの。

発車寸前の“スイス・ジュネーヴ発、バーゼル〜パリ〜アムステルダム経由、ストックホルム行き大陸横断特急”に、今しも「国際保健機構本部」を襲撃したばかりの爆弾テロリスト(の生き残った1人)が紛れ込む。

運の悪いことに、彼はテロ行為(←未然に阻止された)の際、同本部の研究室で「米国により極秘裏に培養されていた新型の肺炎菌」に身体を蝕まれてしまったのだ!
そんな彼が1等客室車両を動き回り、他の乗客と接近&接触する度、感染は静かに、しかし確実に広がってゆく・・

この事態を重くみた責任者=米陸軍情報部のマッケンジー大佐(バート・ランカスター)は、バーゼル・パリを通過させ、そのままニュルンベルクで列車を憲兵隊に“封印”させる。

やがて終着駅をポーランド・ヤノフ収容所に設定され、再び走り始める列車だが・・途中には老朽化した橋梁“カサンドラ・クロス”が巨大で不気味な姿を横たえていた。

1948年に封鎖され、以来約30年間に保守もされていないこの鉄橋に、列車を支えることが果たして可能なのか?

2等客室の人々は、神経外科医=ジョナサン・チェンバレン博士(リチャード・ハリス)をリーダー格に、女流ベストセラー作家=ジェニファー・リスポリ(ソフィア・ローレン)、黒人神父=ハリー(O.J.シンプソン)、スウェーデン人のカプラン老人(リー・ストラスバーグ)、富豪の奥方=ニコール・ドレスラー(エヴァ・ガードナー)、その若き愛人=ナバロ(マーティン・シーン)らが集結し、鉄橋に差し掛かる前に列車を止めんと、密かに行動を開始するのだが・・

どちらかと言えば、ド派手なアクションはなく、共に閉鎖的な2つのロケーション・・“疾走する列車内”“(大佐の)作戦指令室”が交互に映される舞台劇っぽくもあるテイスト。しかし、空撮やら銃撃戦やら、ツボをおさえたダイナミックなカメラワークや活劇描写が効果的に挿入されてはいる。

正直、出演陣の中に「そないにピンと来る俳優さん」の見当たらなかったワタシだが、それ故「誰がいつ、どうなるのか、全く予想出来ない展開」なのは良かった☆
まぁ見るべきは“決死のスタント役”を一手に引き受けてたマーティン・シーンと、一介の医師だのに、妙に銃の扱いに手慣れてる(=^_^=)リチャード・ハリスだろうか。

マーティンはやっぱりチャーリー・シーンに似てるし(そりゃ父子ですから!)、若き日のアルバス・ダンブルドア校長がマシンガンを乱射するエネルギッシュなさまなど、ヴォルデモート卿なんぞより、よほどリアルにおっかない気がする(=^_^=) 

マッケンジーとチェンバレンの“知能戦”も1ツの見所ではあるが、その2人が終始「無線だけ」でやり取りするのが面白い(≒互いに、相手の容貌を知らない)。ちょっと『ダイ・ハード(1988)』や“メタルギア(←コレはゲーム)”入ってる演出。

列車の乗客数が1000人ってことや「どうやら鉄橋ごと列車が落ちるんじゃなかろうか?」と直感させてくれるシチュエーションから、あの『ウォンテッド(2008)』を連想してしまったな(・ω・) 「1(の真相)を隠すため、1000(の乗客)を殺す」みたいな、ね。

列車の屋根に登ろうとするナバロの演出(←どうにも合成バレバレだったが、、)は、後の『ミッション:インポッシブル(1996)』にも影響与えたか? と勝手な邪推をしてしまった。青年期のマーティン・シーンの凛々しさもある種、当時のトム・クルーズに通じるモノがあったかも。

最も重要な終盤のシーンがもろに“ミニチュアな感じ”で、そこだけは何とも惜しかった。あの部分だけでもCGで再構築(再映像化)したら、まさに最強の『カサンドラ・クロス』の誕生する気がするんだがなァ・・

それにしても・・「老若男女の区別なく、殺す時は殺します」って演出は、スピルバ※グ監督の“婦女子憐れみ主義”に慣れてしまってる我々にとっては、強烈な印象を与え続けてくれる作品ではないかな、と。

「ハリウッドとはちゃいまっせ〜」と製作陣がしたり顔をしてるのが眼に浮かんだモノだ。

〜 こんなトコも 〜

♦「知的障害のある子の脳を活性化させる方法の発見」により“ストラスブール医学賞”を受賞したチェンバレン博士。その研究自体は本作の“フリ”ではなかったんやね。
♦白いセーター姿のテロリストがお洒落に見えた。
♦「皆さんの生命を護るため」・・と言う一方「逃げたら武力を行使する」とも警告する大佐。おいおい。
♦橋梁の手前にはこんな看板が・・「通行禁止 違反者は死刑」。。
♦「川面に浮かんでるご遺体の描写」は『宇宙戦争(2005)』のようだった。
♦1時間23分ほどを経て、初めて描写されるカサンドラ橋梁。霧の中に浮かんでるようなカメラワークが、幻想的でもあり素晴らしかった。
♦コンパートメント(≒客室)入口の名札に「ヒポクラテス」と走り書きしたジョナサン。つまりは「本名を名乗りたくないけど、医者なんですよ」って言いたかったんだろう。

〜 こんなセリフもありました 〜

ジョナサン「幾ら洗ってもムダだよ。(感染を防ぐには)呼吸を止めるしかない」
     「(感染から)助かるとすれば・・自然免疫、運命、神。このどれかだ」
     「自分で解決するしかない」
     「これは・・1000人を救う賭けだ」
     「Here we go.(いよいよだ)」
     「The cassandra crossing is unsafe.(橋は危険だ)」

ジェニファー「Don't tell me?(あら)」

マッケンジー「承知しております、閣下。真相は伏せて処理します」
      「列車を早く“密封”するのだ」
      「逃げ出した乗客は射殺しても構わん」
      「誤った希望を与えると・・列車を停めろなどと言い出しかねん」

カプラン「勝ち続けとるのは・・私がイカサマをやっとるからさ」
    「あの橋が・・まだそのままあるのかね」

ジェニファー「昔のあなたは立派だったのよ、忘れた?」
ジョナサン「そのようだ」

ジョナサン「彼は氷壁の征服を?」
ニコール「ええ。私までも、ね」

| | コメント (2)

2010年4月10日 (土)

☆DVD『長良川鉄道の魅力』☆

10日(土曜)。
さっさと起き、どっかに何かを観に出かけよう、と考えてたんだが(←漠然とし過ぎ!)・・結局は“寝だめ”してしまった(×_×) 疲れてるんやろかねぇ・・

冷蔵庫をゴソゴソし、適当な朝食を済ませて後・・「ふ〜っ」とひと息つきつつ気付いたのは「あ、買ったまま観てないDVDソフトが部屋に多過ぎるやんか!」ってこと。

最も最近に入手し、収録時間も手頃な1本『長良川鉄道の魅力』ってのをダラッと観てみることに。

岐阜県(各務原(かかみがはら)市・関市・郡上市)をドライヴツアーした折、某観光商業施設で買い求めた1本。いわゆる“鉄道マニア”の(←そう言う呼ばれ方を嫌っておられるなら済みません、、)本田さんと言う方が、年月をかけ丁寧に撮りだめた“地元鉄道=長良川鉄道の風景&車両”の映像を編集⇒制作されたDVDソフトだ。

本田さんご自身が、監督・脚本・撮影・編集・ジャケット写真を手がけてはる。本編約55分。

四季折々の風景を映しながら、長良川鉄道の全駅を「美濃太田」から終点「北濃(ほくのう)」まで北上してゆく流れ。
線路脇に揺れる「ひまわり」「コスモス」「栗の樹」や、バックに収録されてる「セミの鳴き声」なんかが、観る者に季節感を雄弁に伝えてくれる☆

ワタシは鉄道好きではあるモノの、根っからの鉄道ファンでもないので、今回DVDを観て初めて長良川鉄道が「単線」「ディーゼル車両」ってことを知った(・ω・)
なお、作品で取り上げられた車両のうち“ナガラ1形”“ナガラ200形”“ナガラ300形”の3タイプについては、いずれも「富士重工業」製と言うことで(ウィキより)、何だか親しみもわいて来る。

また、これもウィキ情報であるが“ナガラ200形”に関しては「史上に1台しか現存しない」車両だと言うことで「スバルロット=400台」などとつい連想しちゃうワタシにしたら(←そんなに製造するかい!)
「それ知ってたら、本気で撮影に行ったのにな〜」と改めて悔やんでもしまう次第。

しかし何だろ・・私的には「もうちと“長回し”で観たいトコでの、容赦ないカット挿入」や「露出面で“明る過ぎて色が白く飛んじゃってるなぁ”と見受けられた点」などが気にもなり、残念だった。

・・と言うか、コレは(きっと)単に本田さんとワタシとの感性の違いなんだろうけど(・ω・)

鉄道自体の経営がかなり苦しいようだが、確かに駅の発着シーンでのお客の乗り降りが妙に少なかった(演出的なモノもあるかな?)。
どの駅も「運転士の目視&判断で(停車せず)通過したらエエやんか」とさえ、思えたりもした(おいこら)

ワタシの購入したこの1枚だが、その(購入額の)一部でも鉄道の維持に役立てば嬉しいと思っている。

因みに、ここここに関連ページがありますので、鉄道ファンの方は(←限定かよ!)、ゼヒご覧下さい。
(無断リンク、失礼します)

追記1:昼間のシーンで、クロスフィルターを装着し、車両のヘッドランプを効果的に“尖(とんが)らせてる”のがあった。こんな使い方も出来るンやね〜と感心させられました(・ω・)
追記2:側面に“私たちは長良川鉄道を応援します! 八幡信用金庫”と書かれた車両があった。地元しんきんさんのエール(の想い)が伝わって来る。んでも、鉄道ファンからすれば「アレはないよね〜」「無粋だよね〜」などと酷評されちゃうんやろか(・ω・)
追記3:本記事を書く、その瞬間まで「各務原」を「かくむはら」と読んでた! 何て骨体!(×_×)

| | コメント (0)

2010年4月 7日 (水)

☆『トランスポーター(2002)』☆

6日(火曜)の夜。衛星第2で放送された『トランスポーター』を、ダラッと寛ぎつつ観た。
当時はそれなりに「スピード感」「スタイリッシュな映像センス」なんぞに「おっ!」と感心させられもしたンだが、もう既に8年も昔の作品なんやねぇ・・(・ω・)

“ルール厳守”の冷徹なプロ運転手=フランク・マーティン(演:ジェイソン・ステイサム)が、ひょんなことで知り合った少女(?)=ライ(演:スー・チー)と行動を共にする中で「変わってゆく」展開は、やっぱし“御大=ベッソン”謹製(←本作では、製作&脚本のクレジットにとどまる)って感じで、かの『レオン(1994)』のテイストを「未だに」色濃く引きずってる印象は否めまい。。

しっかし・・『TAXi(1998)』シリーズもそうだったが、ワタシたち(←って俺だけ?)の観たい「過剰過ぎる演出なしの、純粋なハード・ドライヴィングもの」に徹する・・って作品性は“御大”の驚異的な想像力&表現力を持ってしても(実現の)難しいモノなんやろか?

どうにも“運び屋”って言う「ストイックな世界観」が、物語の進行と共にどんどん崩れて行っちゃってるようにも映った(×_×)

ただ、香港の誇る(?)“アクション映画界の至宝”コーリー・ユン(←ルイ・レテリエと共に本作の監督を務める)の手がけた格闘シーンは流石にお見事☆
『リーサル・ウェポン4(1998)』『ロミオ・マスト・ダイ(2000)』『ザ・ワン(2001)』『キス・オヴ・ザ・ドラゴン(2001)』などを経て、いよいよ集大成って感じに「アクション監督」としての手腕が冴えまくっている。

上半身裸体となった主人公=フランクが、ぐるりを取り囲んだザコ共を、連続回し蹴り技でバシバシ倒して行くアクション演出は・・まさに“ブルース・リー作品”であった(⌒〜⌒ι)
何となく“やや上からのカメラワーク”なんかもまた『ドラゴン怒りの鉄拳(1972)』にソックリだった気が・・(=^_^=)

しかし、コーリー・ユンとスー・チーが同年の『クローサー(2002)』でもタッグを組んでるのには驚かされる。彼らにとっては、結構エネルギッシュな1年だったんやね。

〜 こんなセリフもありました 〜

フランク「俺を雇った連中は、結局俺を認めなかった・・世間もな」

ライ「悪人だとしても、私の父には変わりないの」

追記1:ライのお父さん役のしと。やっぱり不気味なご尊顔ですた、、
追記2:“ルール”をまず破ったのはフランクの方だった。。プロの世界だと、アレのせいで殺されても・・文句言えないような気がするなァ・・(・ω・)

| | コメント (0)

☆“高松市内、第3のシアター”へ行く・・(・ω・)☆

6日(火曜)。観たい劇場公開作は(確かに)幾つかあるものの、時間の都合がつかない(=開始時間が早過ぎる/遅過ぎる)ので、しばらくは「行かない感じ」となりそうだ(・ω・)

こんな時「自分は既に観た作品だから、さっさと(別のんに)かけかえてくれ!」と“ソレイユ”支配人に訴えたくもなってしまうんだが・・そんな身勝手な理屈は、この街では通じないんだろう(=^_^=) ←どの街でもだ!

ってことで、今日は仕事帰りに、、何をとち狂ったか(=^_^=) 前々から興味のあった“高松市内、第3のシアター”にオズオズとながら行ってみたワタシである☆

で、その劇場ってのが・・「ロッポニカ高松」と云ふ・・所謂(いわゆる)「成人映画専門館」である(⌒〜⌒ι)

敢へて其のやうな“虎穴にをば入らむとぞ思ふ”心持ちと成つたのは・・

大阪は千日前の「国際地下劇場」の閉館寸前に『実録・阿部定(1975)』を恐る恐る(=^_^=)観に行って以来だろうか?

こちらに記事がありんす。

・・少し迷いつつ、無事到着。

まずは場外から建物を眺めたり、デジカメで撮影したり。
(裏通りながらも)たまに通行人が来るので「別に何ら悪いコトしてる」訳でもないのに、携帯を取り出して眺めたり、隣接する神社(?)に拝みに向かうフリをしたり・・と、それはそれは涙ぐましくも不自然(で取って付けたよう)な行動を装ったのだった(=^_^=)
次には「上映中に火災が起こったとしたら・・?」なる“突飛なシミュレーション”をアタマの中で組立ててみたが・・結論として直感的に導き出されたのは「・・逃げ遅れて、死ぬな・・」と言うモノだった(⌒〜⌒ι)

何だかね、、すっごく短時間で煙の充満しそうな雰囲気ですた。。

入口の上映時間案内に「6:00〜7:00/7:00~8:00/8:00~9:00」などと書かれてたもんで、一瞬「それって早朝かよ!」とも思ったが・・まぁ、そこは“午後”ってことだった。
到着時点で、既に6時(=18時)20分近かったので「(次の開始まで)時間もあるし、近くの天満屋でしばらくダラッと過ごそう」と考え、ひとまずその場を離れたワタシ。

再び劇場前に舞い戻ったのは18時50分過ぎだった。階段を上がり、販売ブースのおっちゃんにチケットを買い求める。
「次は19時からですよね?」と何気なく訊ねたワタシは、次のおっちゃんの返答に愕然とさせられる。

「もう始まっとるよ。ちょっと早くなることも、ままあるからね」

言い回しこそ、若干違ったかも知れないが、そんな意味だった。
・・って、そんな適当な表示やったんかい! もし“オープニングが重要な作品”だったら、どないしてくれんねん! とおっちゃんに吠えたくもなったワタシだが、そう言うのもこの業界(どの業界?)の常識なんだろう・・と思いやめておいた(×_×)
入口に垂らされたビラビラの黒い布をめくってシアター内に入ると・・既に大画面(←でもないが)では、濃厚な男女の交合シーンが今や遅しと(=^_^=)展開されてたのだった・・

結局、狙ってた『痴女の痴格・ピンク肌の色情』は30分ほどで終わってしまい(←1本が約60分なので、ワタシは30分も経ってから観始めたこととなる、、)次の『馬小屋の未亡人・異常興奮』も(悔しいから)しっかり観てやった(=^_^=) この点は「全席:自由席」「観客入替:なし」の素晴らしいトコである☆

しかし何だろ・・思うには、

♦場内が飲食&喫煙自由なため、タバコ臭がヒドい。
♦観客の動きが激しい(劇中でも容赦なく出入りする。座席移動も然り)。
♦激しい濡れ場シーンでは、シートをギシギシ軋ませる観客がおる(何か、やったはるで〜?)。。
♦床が吸い殻などで激しく汚れている。
♦スクリーンがちぃこい。

などの「アカン点」も目立っていた。少なくとも「女性に優しい施設か?」と問われたら「否!」と即答出来る訳で(・ω・)

作品そのものについては・・妙に「昭和っぽさ」が漂っていたなぁ。んでも「誰も死なない演出」「途中からでも分かる筋書」「意外にオムニバスなテイスト」などは、ワタシの眼には却って新鮮に映った(=^_^=)

取り上げられるネタも「證券業界のスキャンダル」「アミューズメント施設誘致による町おこし」など、それなりにリアルっぽい(?)トコを1枚かませている。ストーリー自体は別に骨太でもないンだけど(=^_^=)

なお、調べたら『痴女の痴格』も『馬小屋の未亡人』も、1997年の制作だそうだが・・とてもそうは見えないような、古くさくてベタな仕上がりが何とも言えなかった(×_×)

もうちょっと“安心感”を無意識に感じられる場内にしてくれたら・・と思ったワタシだが、まぁ1400円ぽっちで「こんなにディープかつスリリングな体験」が出来たことは、レビューするに値するモノ、と思った次第である。 ←それでエエのか?

〜 こんなトコも 〜

『痴女の痴格』篇

・道玄坂の「ホテル・ララ」・・って実在するんやんか(=^_^=)
・「男は朝、精を出すものと聞いたわ」ってセリフに「巧いこと言いますねぇ」と感心させられた。
・女性用高級下着販売業者「クレセント」の若き(?)セールスマン=松川君。ちと雰囲気的に「中※貴一」「東※秀樹」の両氏が入ってますた。
・詳しく“営み”を描写されるカップル、そこそこなカップル・・と表現に差があったりした(俳優の美醜による?)。
・アタマの中で考えるべきことを(独白じゃなく)、口に出して言ってるキャラがいて笑えた。誰に聞かせとるの!?
・「総てこの私に任せておけば“天下太平”よ」ってセリフ(=言い回し)は、女性からはなかなか出て来ないと思うが。。

『馬小屋の未亡人』篇

・(主役格の)枕芸者さんが当初、山※邦子さんに見えて仕方なかった。。
・エロ町長の「エエじゃないか。(お前のココが)どないなモノか、ワシも知っておかんとのぅ」「こんなになっとる・・大洪水じゃ」ってセリフが笑えて仕方なかった。どないなおっさんやねんな。
・登場する旅館「福善」もまた、群馬県渋川市伊香保町に実在してるみたい(・ω・)
・芸者さんの「難しいお話ばかりで、お疲れになったでしょう」のセリフこそは、妙にタイミングが良くて説得力があったが・・続く「隣に床(とこ)の準備も」には「アレ?」と感じた。ま、まぁ“据え膳”って訳ね(⌒〜⌒ι)
・「そんなこと仰って・・もうこんなに」「すごい・・密壺のようだ」なんてなセリフ群もイイ!
・馬のピ〜ニスは、たといモロに(ボカシなしで)描写しても“映倫的”には問題ないようだ・・
・芸者の駒奴(こまやっこ)&ファザー牧場の京極専務、不破町長&女将、従業員&女学生、と3組共が揃いも揃って異常性欲を示してくれた。
・終盤で、所謂“ゴダイヴァ夫人式乗馬スタイル”を実写映像で拝ませて貰ったのは眼福だった☆

追記:何だか、フツーの作品(=^_^=)ではなかなか触れられぬ“影の部分の男女のやり取り”をこそ、特化(?)して徹底的に描いてる姿勢には圧倒された。実際に、世の中がこんな男女ばかりだったら“少子化”なんぞ、大して恐るるに足らぬ問題に思えるんだが。。

| | コメント (2)

2010年4月 6日 (火)

☆『ソフィーの復讐(2009)』☆

5日(月曜)。先の週末は“桜ツアー”と称し、クルマやら電車やらで、あちこちに繰り出した。
ドライヴだけでも900キロほど走ったような気がする(・ω・) まぁ、長い付き合いのスバル車だし、そないに疲れることもなかったけど。
電車では、京都・伏見界隈をブラブラ歩いて来た。お目当ての1ツ“寺田屋”では、続々とツアー客が押し寄せて来て、ちょっと入れそうになかったので、外観を眺めたり撮影したりしたに過ぎなかったが・・

今日は、少し気分転換したいのもあり、やや久々の(商店街の中にあるミニシアター)“ソレイユ”に会社帰りに立ち寄り、上映してた中華ラヴコメムービー『ソフィーの復讐』ってのを観て来た☆

初恋の道をきた(1999)、アジアンビューチーなチャン・ツィイーさんの主演。
私的には“中華4大女優(←あと2人のことは良く知らん、、)”と称される中では、ツィイーさんよりもヴィッキー・チャオちゃんの方が好きだったりするんだが、まぁソレはソレとして・・

人気女流漫画家=ソフィー(ツィイー)は、今や華々しくスポットライトを浴び、自伝的な新作『ソフィーの復讐』が売れに売れる、時代の寵児となっていた。しかし・・ほんの2年前、彼女はイケメン外科医=ジェフを売れっ子女優=ジョアンナに奪われてしまい、失意のズンドコ・・ならぬどん底を彷徨っていたのだ。

そんなソフィーが、如何にして失恋のダメージから立ち直ったのか? そして彼女が心に誓った“復讐劇”の顛末とは?

“コメディエンヌなツィイーさん”を期待して観たら・・確かに喜怒哀楽のクルクル変わる表情がムチャクチャに巧く「こりゃ、確かにアジアン最強の女優さんやわ!」と感嘆させられた半面、何と言おうか・・ナチュラルなコミカル演技の“ウラ”に「演じてはる姿勢」がチラチラと垣間みられたりもし、ちょっと一定のラインから先(いわゆる“好きでっせ側”)へ、踏み込んで行けなかったワタシだった(・ω・)

その“スイッチの入り方”がもそっとナチュラルだったらイイんだけど・・何だかいつぞやの作品で観た沢※エ※カさんのような印象やろか・・
「ホンマは難しいしとなんやろね」・・と何となくワタシのこのアンテナが感じるのだ ←って、お前なんかにゃ一生、接点も何もないってば!(=^_^=)

登場する2人の“カレシ”も、イケメンなんだかどうだか、同性としては「うぅむ?」ってトコが確かにあったよぅな。。
特に写真家=ゴードン役の彼の方は、どうにも“青年期の原田大二郎”に見えて仕方なかったなァ(⌒〜⌒ι)

本作のチラシには(確か)『アメリ(2001)』のファンタジー性と『猟奇的な彼女(2001)』の楽しさを併せ持った、洗練されたセンスのラヴコメディー・・みたいな美味しそうなコメントが「踊ってた」ように記憶しているが・・コレが確かに、ピンポイント的にはモノ凄く豪華でインパクトある映像演出をガンガン放ってくれてたんだが、どうも編集がヘタと言うか、通常映像との落差が激しいと言うか、散漫で冗長と言うか、何だか全体を眺めるとイマイチだったのれす。

んでも、CGやらアニメーションやらでポップ&カラフルに攻めて来る演出群はホンマに素晴らしい!
中でも“(ブライアン)デ・パルマ(監督)調”な「画面分割テク」は、恋愛映画では意外と珍しいような気がしないでもなかった??

後半で一ヶ所「ああ、コレってあん時、振ってたネタだったんやね〜」と苦笑させられるトコがあった。
何となく分かるんだけど、当初のフリの弱さ(?)も手伝い、大抵の観客は「右から左に聞き流しちゃってた」んではなかろうか? (因みに、某キャラが“料理の得意なこと”について語る辺りですわ)

本作そのものには「ちょっとね〜」ってトコがうっすらとあったんだが、エッセンス部分を煮詰めてもっと面白く描けば、或いはハリウッドで「更に楽しいもん」に仕上げられるかも知れない?
演出自体がかなり面白かっただけに、そこは惜しい気がした。

〜 こんなセリフもありました 〜

ソフィー「自らを知らずして、愛は手に入らない」
    「気まずい時ってば、笑うしかないわね」
    「私は、頭の中の“記憶の箱”を空っぽには出来ない」    
    「ハッピーエンドではなかったけど、成長出来た気がする」

母「恋は女を盲目にし、正気を失わせる」
 「女の一生は、付き合う男で決まる」
 「賢い人間は、決して失敗を恐れない」
 「自分を信じてたら、自ずと幸運はやって来る」
 「努力すれば、報われる」
 「(失敗したにせよ)何かを学べたなら、それでイイわ」
 「悔いのない恋をしなさい」

※「賢い女が結婚出来ないのは、身勝手だから」
 「愛の下(もと)では、人は平等」
 「落ち着きのないのは、悩んでいる証拠ね?」
 「出来るなら・・朝、目覚めた時から・・君の声を聞いていたい」

ゴードン「君に勝ち目はない」
ソフィー「そんなの、やってみなくちゃ分からないわ」

ジョアンナ「忠告を聞かなかった以上、ケガして当然ね」

追記1:チャン・ツィイーは「章子怡」、パーフェクトは「完美」、ベンツは「奔馳」、Day by dayは「一天一天」と表記されるそうだ。
追記2:リベンジ作戦は「寛容になれ」「過去を利用せよ」「汝の敵を知れ!」「イケメン誘惑作戦」「嫉妬心をあおれ」など。それにしても「イケメン」と設定されてた彼は、大したイケメンでもなかったぞ?!
追記3:「北京和睦家医院」なる病院がロケで使われてた。「医院」と言いながら、大病院のようにでかかった(=^_^=) 因みに英語だと“Beijing United Family Hospital”ですね。

| | コメント (4)

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »