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2010年2月27日 (土)

☆『ファンタスティック4/銀河の危機(2007)』☆

26日(金曜)の夜。「金曜ロードショー」で地上波初(?)放送された『ファンタスティック4/銀河の危機』を観た。『ファンタスティック4/超能力ユニット(2005)』の続編である。

劇場公開当時から「何ともバカっぽいな〜」と、異彩を放つその「予告編」の“ベタCGゴテゴテな特撮映像”に、妙に胸キュンしてしまった(←したんかい!)記憶がある(=^_^=)

今回、妙に親切って言うか・・冒頭に「これまでのあらすじ」とし前作のダイジェストが流されたり、CMから本編に戻る毎にアイキャッチみたいな映像群が盛り込まれたり、、と至れり尽くせり(なの?)な感があった。後で知ったのは「本編92分」と短いので、色々と番組を太らせてただけかもってことだが(⌒〜⌒ι)

地球外活動中の事故により、全身に宇宙放射線を浴びた研究者たち・・リード・リチャーズ博士、スーザン・ストーム(ジェシカ・アルバ)、(その弟の)ジョニー・ストーム、ベン・グリム・・は、それぞれに特殊能力を身に付け、超能力ユニット“ファンタスティック4”として世界のために(って言うか、取り敢えずは合衆国のために?)日夜活躍するのだった。

そんな彼らの前に“宇宙のサーフィン野郎”こと「シルヴァー・サーファー」なる強敵が現れて・・

銀河系レベルで「サーフィン」もしくはそれに類する概念(?)があるのかどうか知らないが・・地球外生命体が人間そっくりの体型をしてて、なおかつ「サーフィンボード」に乗ってる・・って設定からして、ぶっ飛んでてスゴ過ぎるわ(=^_^=) グリーン・ゴブリンもびっくりだ(=^_^=)

一方で、テキの“そこまでのインパクト”に対し、主人公らの“余りにもな凡庸/地味ぶり”が見事に露呈もしてしまっており、ちょっと“防戦一方”な印象も少なからずあった。
何せ、テキと交戦することにより、主人公らの「能力の幅」ひいては「演出の幅」が広がるってんだから素晴らしい(=^_^=)

20年ほど昔のロバート・パトリックを眺めてるような(=^_^=)「シルヴァー・サーファー」の造型がとにかくイッちゃってるんだが、実は彼の背後に「ギャラクタス」なる、もっと巨大で、邪悪で、曖昧な(=^_^=)ラスボス(?)が控えてて、こいつが『フィフス・エレメント(1997)』における「電話を架けて来る(?)巨大邪悪反生命体」と同様に“緊迫感なさ過ぎ”で却って楽しい(=^_^=)

中盤で、前作の敵ボスだった「因縁のキャラ」ヴィクター・ヴァン・ドゥーム博士が超能力ユニットに合流(?)するんだが、こいつもまた「銀色に輝くサーフィンボード」に魅了され、地球の危機そっちのけ(?)で波乗りを楽しんでおられた(=^_^=)

死んだキャラが生き返ったり、地球外で吹っ飛んだハズのキャラがどうやら生きてたり、(日本の)駿河湾でベタ&特撮過ぎる風景が描写されたり(因みにここで登場する漁船には「ますよ」と船名が書かれてた)、どのキャラにも魅力が薄かったり、はするんだが・・まぁ脱力感半分でマッタリ観るにはうってつけな1作だった、と言えなくもないか。

〜 こんなトコも 〜

♦本作で最も無惨に退場を遂げるヘイガー将軍(アンドレ・ブラウアー)、、このしとのご遺体描写は、何とも哀れだった(×_×)
♦そういやアンドレさんってば『ミスト(2007)』でも哀れな感じでしたね、、
♦ラトヴェニアって実在するお国かと思ってた。「青春ラトヴェニア」? そんなラジオ番組はねぇってば。
♦ワタシがこの世で最も好きな建造物の1ツ「クライスラータワービル」の上層階が映されるシーンはとても良かった! ただ、あんな高層階で働いてるしとはいないように思う。
♦「スタン・リーを名乗るとっつぁん」がチラッと出てござったが・・ご本人? 原作の人?

〜 こんなセリフも 〜

リード「僕や僕の仲間に敬意を払ってくれ!」

ベン「“鉄拳制裁タイム”になりそうだ」
  「これまで、リードの読みが外れたことはない」
  「地球最後の瞬間? 思いっきり暴れたいね。でも、本音を言えば・・恋人を抱いて、迎えたい」
  「そら、良い波が来たぞ!」

アリシア「幸せになろうとするのを責めるのは間違ってるわ」

スーザン「ホントのことを言ってくれないと、あなたの力になれないわ」

ジョニー「最近、ちょっと勝負に弱くてね」

ドゥーム「私は気前の良いタイプではないんでね」

SS「使者として、主(あるじ)をお招きします」
  「方法がない場合もある」
  「破壊を行うのは、私ではない」
  「残された数時間を、悔いのないように過ごせ」
  「2人の時間を慈しめ」
  「必ず方法はある」

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2010年2月25日 (木)

☆『食堂かたつむり』☆

24日(水曜)の夜。
ちょっと時間が出来たので、久々に仕事帰り“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”まで出かけ、新作邦画『食堂かたつむり』を観て来た☆
当初考えてた1本は、やはりクリキントンさん(←誰? 刑事の人?)の監督した“例のアレ”だったが・・上映開始時間を10分ほど過ぎてからのロビー到着だったため(←きっと、すぐシアターに飛び込んだら、本編開始には間に合った気もするが)そっちはパスしてこっちをチョイスした。

本作、ちっとも期待してなかったが・・リンク先である『しあわせ生活』の管理人さんが「良かった。元気になれた」と書いてはるのを読み「ああ、元気が欲しいなぁ〜」とふと感じ、鑑賞した次第(・ω・)

何でもロビーの掲示によれば「香川県内唯一の上映館」だと言う・・! ぬぬ・・(・ω・)

“おっぱい山の村”と呼ばれる双峰村で生まれた倫子(りんこ:柴咲コウ)は、父親が誰かを知らず・・“ふりんのりんこ”などとあだ名されて育った。
だらしないオカン(母)=ルリコ(余貴美子)との2人暮らしが我慢出来なかった倫子は、15歳で村を飛び出しトウキョウへ。
祖母のもとに身を寄せた彼女は、料理の腕を磨いてゆくが・・やがて色々と失意が重なり、結局は10年後に故郷へと無一文で舞い戻る・・

祖母は既に亡くなり、
最も信頼を寄せていた彼氏に逃げられた衝撃で“言葉”を失ってしまった倫子。

彼女は「好きな料理で生計を立てたい」と考え・・ルリコの許可を得て、自宅裏の物置小屋を改装し“食堂かたつむり”と言う小さなレストランを開く。

「完全予約制」「料理はシェフ(倫子)任せ」「1日に1組限定」と言う独特の運営ながら・・クチコミで食堂は繁盛し始める・・

そんな中、ルリコに「あたしの命はもう長くないのよ」と聞かされた倫子は・・

予告編でも感じることだが、とにかく“CG処理でごってり飾ってる映画やな〜”と言うのが第一印象。そこが本作の魅力でもあり、一方で激しく(?)敬遠されるトコロとも言えよう。

全体から連想したのは『おくりびと(2008)』『嫌われ松子の一生(2006)』そして『ブタがいた教室(2008)』などであろうか(・ω・)

柴咲さん、今回はモノローグ(独白)を除いては“ほぼ完全”にセリフなしで頑張ってはった。
まぁ、ラストでひと言(?)だけ「言葉を取り戻す」んだが・・何を仰るのかは、観てのお楽しみってことで(=^_^=)

しかしアレだ。本作って、物語の中心には倫子がいる訳なんだが、全体的に「半歩ほど身を引いてた」印象を受けた。
実際、全編を通じ魅力を放ってくれたのはブラザートム(熊さん役)、江波杏子(お妾さん役)・・そして何と言っても余貴美子さんなのである!

先ほど『おくりびと』に似とる! と書いたのは、倫子の相手するお客が、次第に彼女自身に近付いて来る“流れ”から。
中盤まで、多少の“ハプニング”を挟みつつ、物語はいわゆる“食堂かたつむり”での日々が綴られることとなる。

ここで倫子にそれぞれ(1対1で)厨房を挟み(?)対峙する、熊さんやお妾さんとのやり取りが・・イイ! のである。

第1号のお客であった熊さんが、倫子の出した“ザクロカレーライス”を平らげた直後に見せた行動(?)・・ここにまずウルウルさせられた。結局、その理由は(必ずしも)ワタシの思ったこととは違ってたんだが、あの演出は・・ズルい(=^_^=)

“ハプニング”後の初のお客であったお妾さんの、コース料理を食べ進めるシーンも・・イイ! 当初は「江波さん、めちゃめちゃ老け込みはったなぁ・・大丈夫かなぁ」と心配してしまったが・・「あんた、女優ですやんか!」と叫びそうになってしまった(=^_^=) このしとの「食べながら」そして「食べ終えて」変わって行く演技には、かなり驚かされる。

このしとを起用しない監督さんがいるとすれば「どうかしてる!」とまで直感してしまった。まるで『情婦(1957)』におけるマレーネ・ディートリッヒの“あの演技”を見せつけられた時のような衝撃である・・ってそこまで言うか(=^_^=)

地元の土建会社々長を好演(?)した、田中哲司氏の“毒舌”も見所の1ツか。彼が倫子に「挑む」シーンからの言動の変化も観逃してはならない。

劇中の主なロケーションの1ツが、ルリコの経営するスナック「アムール」の店内だが・・ここの「地方の場末ならでは(?)のすさんだ店内ぶり」が生々しくてスゴい(=^_^=) この場面はどうにも『鈍獣(2009)』を思い出してしまったな(⌒〜⌒ι)

一見「素朴」に見えて、その実「素材にこだわっとる感バリバリ」なレシピの数々は、眺めててハラも立つが(=^_^=)、確かに美味しそうだった。ワタシってば“泣けるほどに美味い料理”ってもんを生まれてこのかた、食べたことがないので・・
まずは正直「静かに」「ゆっくり」「味わって」食べる・・ってのを実践してみたくなった。

・・その夜。帰宅してから“孤独な晩飯”を喰った訳だが(←いつもだが)『食堂かたつむり』のメニューの数々を思い出しつつ、食卓を一瞥して思ったのは、

「こんなもん、クズ同然や!」ってこと・・(×_×)

いや、(こんなもんにせよ)食材(の製造・流通・販売)に関わって頂いた皆さんを前にしてはとても言えない言葉だが・・「そそくさと」「じっくり味わいもせず」「他のことを考えながら」作業的にかっ込んでるだけなのだ、ホンマ。

こんな食事を毎朝、、毎晩、、毎日、、続けてたら・・そりゃ精神も肉体もヘバるやろ、、と愕然としてしまったワタシ。

ホンマに喰うべきモノ、を喰うべき時間を捻出してでも喰わなきゃ・・「死ぬぞ・・俺」と感じた次第である(・ω・)

〜 こんなトコもありました 〜

♦インパクトあるロケーション=おっぱい山。2つの山頂の“乳首”に当たる緑色のもっこりは、何だったんやろ?
♦魅力的な某キャラ“エルメス”・・その名の由来は、ウィキで知った(・ω・)
♦倫子と“エルメス”のテレパシー会話(?)のシーンが好きだったが・・中盤以降、バッサリ演出的にカットされてた(×_×)
♦余さん。数々のシーンで『東京タワー(2005)』での“あのキャラ”に迫る「キッツイィー」もんがあったんだが、後半の飛行シーン(?)で妙にゾクゾクしてしまったな(=^_^=)
♦飲酒状態で馬に乗って移動するのは・・道交法的にセーフなんかな?(いちおう“軽車両”にあたるらしい(=^_^=))
♦ハトが飛びまくる! これであと「爆発炎上」「2丁拳銃」「スローモー映像」の3要件を満たしたら・・もはや“ジョン・ウー作品”と呼べそうだ(←呼ぶな!)
♦「マウントオッパイ・バンジージャンプ」・・怖いけど楽しそうやな。
♦「ヨロズヤストア」で新鮮な食材を買い揃えれば、オレにも作れる! ・・かな?
♦「おっぱい村の恵みを、かたつむりの歩みのように、ゆっくりとお届けしたい」ってのが、かの食堂のコンセプトらしい。
♦“ジュテーム・スープ”を飲みに来てる・・男性2人(☉д☉)
♦「乳山ナンバー」のクルマが登場! こだわってるねぇ。
♦初めて“サムゲタン(蔘鷄湯)”って言葉を知った。 ・・って知っても、この先、喰うこともねぇかも(=^_^=)
♦邦画にしては珍しい(?)大規模なガーデンパーティーのシーンが印象的だった。
♦劇中の献立を手がけたのは「オカズデザイン」なる専門チームだったみたい(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

倫子“決めた! いつか料理屋を開く!”
  “愛、お金、夢・・総て盗まれた”
  “私は今、わけあって声が出ないのです”
  “どのようなご会食でしょうか?”“恋人?”

ルリコ「シミはコンシーラーで消すのよ」
   「“人の噂も75日”・・長い人生の中の“たった75日”の辛抱じゃない?
   「あんたは“処女懐妊”なの」
   「あたし、ガンだって。“ガ〜ン!”だよ」
   「(手遅れで)ラッキーよ。手術でカラダ切られるのイヤだもん」
   「何か喋ってよ。あんたの声、忘れちゃったよ」
   「気取って食べたって、美味しくないじゃない
   「“※※※※”食べちゃおうと思って」

熊さん「スゲェよ、倫子ちゃんの料理は。
    喰うとさ、変わるんだよ・・ホントに」

倫子“食堂をやります”“物置を貸して”
ルリコ「勝手にすれば?」

雅子「50過ぎると、枯れてく一方よォ」

エルメス“何を怒ってるのか知らないけど、ちゃんと美味しいもの作ってよね。
     それがあんたの仕事なんだから”

※「あたしは、あんたの店なんて潰れればイイと思ってるのさ・・だから」
 
※「酒、飲みに来てるんだから・・馬で来るしかねぇだろ?」
 「このオレのカラダを知らねぇまま、人生終わったら後悔するぞ」
 「相手、選ぶようじゃ・・プロじゃねぇよ!
 「嫌いなヤツには(料理)作れねぇよな?」
 「時間かけりゃ、誰でも作れるよ」
 「こんなに待たせて“※※※”かよ! こんなのオレだって作れるよ」

手紙“あなたがいたから、生きて来られた。
   他に何もないし、何も要らなかった”
  “胸を張って、堂々と生きなさい”
  “あなたには、料理がある”

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2010年2月24日 (水)

☆『アパートの鍵貸します(1960)』☆

23日(火曜)の夜。今夜も、衛星第2ではビリー・ワイルダー監督の『アパートの鍵貸します』が放送されるってことで、コレはもうとっとと帰宅するしかなかった(・ω・)

そもそもは・・職場で知り合った、とある人物がスラスラと挙げてた作品群の中の1本でもあった本作。ようやく、その鑑賞の機を得た次第だ(⌒〜⌒ι)

因みに、その人物の挙げてた作品群って言うと・・『シー・オヴ・ラヴ(1989)』『ジャック・サマースビー(1993)』『恋におちて(1984)』・・そしてこの『アパートの鍵貸します』などだった(・・ように記憶している)。当時から「好きなシネマを心に持ってて、それがスラスラと言えるのんってエエな〜」と感心もし、憧れたモノである。

ワタシなど、雑食的に色々観過ぎてるが故に、なかなか(思い切って)絞れなかったり、絞った結果、余りに(挙げる)作品群が“ベタ化”したりもし、情けなくなることが多いもんで。。

1959年11月のニューヨーク。巨大ビルに丸ごと居を構える、大手総合保険会社に勤めるC.C.バクスター=愛称:バド(ジャック・レモン)は上司に“ヘボ社員”と陰で呼ばれつつ・・その実、自身の住むアパート(西67丁目51の2階A号室)を4人の課長の“逢い引きの場”に提供するしたたかな一面も持っていた。

4人の課長=カークビィ、ドビッシュ、アイケルバーガー、ヴァンダーホフを“お得意様”とし、部屋の鍵を提供。“自室が静かになる”午後8時まではサービス残業をしたり、アパートの周囲で(寒さに震えながら)時間を潰したり。
上司が口にする「君の昇進は近いぞ」の言葉を信じ、せっせとデスクの電話で(勤務中に)先々の(自室の)予約を調整するバド。

そんな“孤独な彼”にも憧れの女性がいた。それは毎朝の出勤時に出会う、エレベーターガール=フラン・キューベリック嬢(シャーリー・マクレーン)である。

ある日、総務のジェフ・シェルドレーク部長に呼び出されたバド。
「全社員(←3万1259人もいるそうだが、、)の事情に精通している」と自負する彼には“鍵のやりくりの件”も既にお見通しだった。慌てて「もう鍵を貸すのはやめます!」と約束するバドだが・・部長は「君と私だけの秘密で、優先的に鍵を貸して貰えんか?」と提案する。

代わりに人気ミュージカル“ミュージック・マン”の切符を2枚手渡されたバドは、早速それを武器に(?)キューベリックにデートを申し込む。
「その夜は(デートの)先約があるの」と言う彼女だが、それが終わり次第“マジェスティック劇場”の前に行くわ、と答えるのだった。

だが・・劇場前で待ち続けたバドの前に、とうとう彼女は現れなかった。

不意にぼんやりと、彼の中で「キューベリックと付き合ってるのが“5人の顧客の内の誰か”なのではないか?」なる疑念が沸き上がる。
果たしてそれは誰なのか? そして彼の(彼女への)想いの報われる日はやって来るのか?

(アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ(1960)』同様に)1960年の作品にして「モノクロ作品」ってのが、妙に印象深い。当時となれば「カラー作品」を撮ることの方が自然であり、主流ともなって来てた(?)ハズで・・これはもう“大御所=ワイルダーのこだわり”と評するしかないのではなかろうか?

劇中でキスを迫られるシャーリー・マクレーンが「口紅が付くわ」とかわす(?)シーンがあるが、あそこも「モノクロ」なので、観客自身が想像力で(映像に着色し描写を)補わないと、ちっともドキドキしないんじゃなかろうか?(⌒〜⌒ι)

私的には「コンパクト」や「シャンペン」など小道具の“フリ”がとにかく巧くて、正直「コレはスゴいや!」と唸らされた。
コンパクトはまだしも中盤だが、(ピストルの会話ネタの一件が)シャンペンに繋がるのは・・かな〜り終盤なので、結構“ジラされる”感がなくもない(=^_^=)

ジャック・レモン演じる主人公が、とにかく「周囲に誤解されっぱなし」であり、情けなくも歯がゆくもなるキャラをしっかりと確立してくれていた。同性としても心から同情したくなるが・・実のトコロ「自分で蒔いたタネ」が一因でもあり、その辺も「易々と観客に感情移入させない」作り手側の「ニヤリぶり」が伝わって来るようだ(=^_^=)

悲しいけど重くはなく、面白おかしいけど“紛うことなくオトナ向け”なビターな味わいが独特な本作。

ワタシとしては、中盤から後半にかけ「ちょいとダラダラしてるなぁ」なる印象があり、更に10分程度ダイエットさせつつ、研ぎ澄ませてくれたら、もっと評価も上がってた気がする・・

日本で(何度)舞台化されたのか(されてないのか)、良く分かんないが・・この世界を植木等主演にして(当時の)邦画で再現してくれてたりしたら・・コレはもう、結構大ヒットしたような気もする(=^_^=) 課長のうち2人には、ハナ肇&谷啓をキャスティングして、ね(=^_^=)

〜こんなトコも 〜

♦バドが何度か放つ「僕、マヌケじゃない?」のセリフが、後でグッと効いて来ますなぁ。
♦いつかは言ってみたい(=^_^=)バドのセリフ。「君が大好きだったが・・もう終わった。出てってくれ」
♦劇中、TVで名画が放送されてたが・・それは『グランド・ホテル(1932)』だった。
♦ドビッシュ課長のセリフ「モンロー級の女だ」が面白い(=^_^=) ワイルダー監督の『お熱いのがお好き(1959)』ではジャック・レモンが“その”マリリン・モンローと実際に共演してるし!
♦フランは「ダイキリ」を、マクドゥーガル夫人は「ラム・コリンズ」を飲んでいた。
♦(当時の?)保険業界では「良く交通事故に遭う契約者」のことを「不良契約者」と言ったそうである(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

バド“僕の月85ドルのアパートには、事情が”
  「当店は“年中無休”ですとも」
  「調整して連絡を・・」
  「今夜、3人でデートしないか? 僕と君と・・この帽子君でさ」
  「家族はいないが、家は無人じゃなくてね」
  「恋人はいるが、僕のじゃない」
  「手紙はやめといた方がいいな。綴り(スペル)を間違えるだろうし、
   それに、後で自己嫌悪に陥るに決まってる」
  「何処へ? さぁ・・まず、ここ部屋を出るのが先決でしてね」
  「聞こえたかい? ・・心から君を愛してる」

フラン「盲腸の手術のことは内緒にして。あなたが(手術跡を)見たと思われちゃうわ」
   「思い出すと、(愛の時間の)総てが汚らしく見えて来るのよ」
   「私は離婚なんか頼んでないわ。でも・・本気なの?」
   「バカみたいね。妻子ある男性との恋に、マスカラは禁物なのに」
   「頭にガムの塊が詰まったみたいだわ」
   「人は何故、人を愛するの?」
   「利用する人とされる人・・後者はとことん損ばかりよ」
   「ポンプを使って、頭から“イヤな記憶”を吸い出したいわ」

フラン「どうしたらイイの?」
バド「勝つことさ」

フラン「あなたに恋をすれば良かったわ」
バド「そんなものさ、世の中なんて」

バド「独りは気楽さ」
フラン「偶然ね。私もよ」

彼氏「毎朝のエレベータが耐えられない。よそよそしいあの挨拶・・こんなにも君を愛してるのに」
  「クビにした秘書の密告で妻が私をクビに・・とんだ解決だよ」
  「食堂やトイレも、重役用のを使いたまえ」
  「自分が大事じゃないのか? ここ27階まで昇るのには何年もかかるが。失墜はほんの30秒だぞ?」
  「ヤツめ・・“相手が君だとなおさら断る”だと言い放ってね」

課長「ワーゲン(ビートル)のドライヴは、カラダに堪えるのだ」

オルセン「イイこと? 最後に泣きを見るのは、いつも女なのよ」

バド「どうしました先生? 急患ですか?」
ドレイファス「サンドイッチの楊枝を抜かずに喰ったヤツがいてね」

バド「僕は何を?」
ドレイファス「コーヒーを入れて・・祈れ」

バド「医師より隣人として考えて欲しい」
ドレイファス「隣人だとしても・・今の君なら、迷わず蹴飛ばすさ」

ドレイファス「殴られたのは気の毒だが、自業自得だな。明日にはアザになるぞ」
バド「こんなの大丈夫。少しも痛くない」

ドビッシュ「酒もクラッカーも要らん。鍵さえあれば構わんさ」

ドレイファス「窓を開けて、空気を」
      「歩け! 眠ってはいかん、数時間は」
      「患者より、医師が疲れるよ」
      「メンシュ(=人間)になれ!」

バド「借りた皿は洗って返すよ」
隣人「(洗うと)きっと割るだろうから、取りに来るわ」

バド「鏡が割れてる・・」
フラン「そうよ。私の今の気持ちを映してるの」

追記:“ビリー・ワイルダー語録”とし、こんな言葉が遺されてるそうだ。

  「監督とは・・警官であり、助産婦であり、精神分析医であり・・
   そして何よりもまず、ロクデナシでなければならない」

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2010年2月23日 (火)

☆『ゴスフォード・パーク(2001)』☆

22日(月曜)の夜、衛星第2で放送された、本編=2時間17分の群像劇大作『ゴスフォード・パーク』を観た。

今週は内勤が主なので「この機に何本かこなしに行っとこう!」・・などとも考えた訳だが、、今週、それも序盤は妙に衛星第2が「アツい!」のである。
ってことで、特にここ2日間は、仕事が済めば大人しく帰宅しよう・・と考えている。

この『ゴスフォード・パーク』は、公開当時、何に触発されたか分かんないが、きっちり劇場で観た1作だった。ロバート・アルトマン監督と言えば「『ショート・カッツ(1994)』がとにかく長い!」だの「『プレタポルテ(1994)』のラストが衝撃的!」だのと聞こえてたのを覚えとる程度で、別段思い入れのあるカントクさんでもなかった(・ω・)

本作も、今にして思えばエミリー・ワトソン、クライヴ・オーウェン、クリスティン・スコット・トーマス(←略称“クリスコ”)などの各々がたが出演(本作で言えば、ある意味主演?)されてて、そんだけでも豪華なんだが・・当時はチャールズ・ダンスぐらいしか知ってる(=ピンと来る)俳優さんがおられず、思い出すに「情けなき限り」でござる。

1932年11月、雨のそぼ降るイギリス郊外。
恒例の「キジ撃ちパーティー」に参加すべく“ゴスフォード・パーク”と呼ばれる邸宅(マナーハウス)にゲスト陣が従者を伴い、次々とやって来る。
彼らを迎え、もてなすは屋敷の主人=ウィリアム・マッコードル卿(マイケル・ガンボン)とその若き妻=シルヴィア夫人(クリスコ)。

さて。
屋敷の階上は、ゲストたちの華やかながらもその実ドロドロした欲望渦巻く“薄氷の空間”となってゆく。
一方の階下は、ゲストたちの従者が、屋敷の使用人との“それなりの上下関係/距離感”や“微妙な連帯感”をつのらせてゆく。

“キジ撃ち”の終わったその日、屋敷内で殺人事件が発生。
急きょ駆け付けた“唯一の部外者”トンプソン警部補は、この厄介な「セレブ空間」にたちまち翻弄されることとなる。

そんな彼に代わり、独自の観点で“事件の真相”に迫ったのは・・

サスペンス劇としては正直「つまんない」本作。それより“ゴスフォード・パーク”と言う1ツの小世界の中にギュッと凝縮された「階級社会ノ図」みたいなモノを好奇の眼で眺め下ろす、ぐらいの「上から目線」でダラダラ観るのが、案外最も正しい鑑賞法と言えるのかも知んない(・ω・)

「誰が殺される?」「誰が殺した?」って要素は、物語全体から眺めれば「意外と些細な、メインでもなさそなこと」に感じられる。それより「何か起こるぞ?」「妙〜に変だな〜?(←稲※淳二さんかよ!)」「何か寒々しくて、ヤな空気だな」など・・ジワジワと高まってく“違和感”“不安感”などを楽しむべき作品なのかも知れぬ。

始まって1時間辺りでようやく「キジ撃ち」が行われ、それに続く1時間20分辺りでとうとう「殺人」が起こる訳だが、正直ダラダラと間延びしてる印象も否めず、人物らも「浅くまんべんなく」描写されてるので、ホンマにこう言った脚本で「吸引力を維持させること」の難しさったらないと思う。

その辺を「閉鎖的な空間+リアルさにこだわり抜いたあらゆる意匠(調度品・食器・衣類・人物の交わすセリフに至るまで)」でがっちり固め、カヴァーしてるトコは「流石や!」と感心させられた。
後で「完全にチェック忘れてたよ!」と情けなくなったが・・アルトマン監督ならではの“長回しテクニ〜ク”もきっと(何ヶ所も)あったんだろうと思う。

「面白いか?」と問われれば、実際“微妙〜”な部分も少なからずあるんだが、、観ておくべき1作には間違いあるまい。

〜 こんなトコも 〜

♦序盤から登場人物名がバシバシとセリフの中で飛び交うので、結構必死に字幕を追わねばならぬ・・? いや、そないに必死に各キャラにピントを合わせる必要も、実はないんだけどサ(⌒〜⌒ι)
♦メイドなりの「ホンネトーク」を聞くことの出来る階下の世界こそが、やはり楽しい。
♦登場人物は、総勢=22名。放送された今日=22日との“一致性(?)”ってば、某国営放送局さんならではの「粋な計らい」やったんやろか?(←単なる偶然だよ!)
♦“キジ撃ち”のシーンで「散弾銃を水平撃ち」したヤツ! 名乗り上げなつぁい!
♦「私は警部補の・・」とまで言う度に“名乗り”を遮られ続ける刑事さん・・(×_×)
♦愚かで俗物な主人と知りつつ仕えながら・・そのプライドはすこぶる高い使用人らの言動の面白さ。

〜 こんなセリフも 〜

妻「今夜は“耳の悪くない人”と同席出来るわ」
夫「何だって?」

エルシー「名門ですって? お高く止まっただけの一族よ」
    「メイドは主人の秘密以外、何でも話すべきだわ」
    「後悔なんかしてないわ。今が旅立ちの時ですもの」

※「肉が食べられないなんて、面倒くさい客だわね」
 「平穏が一番だ。食べよう」
 「退屈な客に、ゴマスリに・・うんざりだわ」
 「退屈で眠れないの」
 「女だと、長年仕えても評価されんのさ」
 「まだ居たの? 私を簡単に口説ける女と?」
 「普通、未婚女性は食事を寝室で食べたりはしないものだけど」
 「君は金に貪欲過ぎるぞ」
 「犯人が誰かって? 興味ないね」
 「優れた召使いの条件を? 先を読む能力よ、それを頼まれる前にね」
 「召使いに、自分の人生なんてないわ」

A「あいつ、何かを隠してるな?」
B「皆、ここじゃ何かを隠してるのさ」

女「あなたは前線で戦ってないのでしょう?」
男「だが、貢献はしたさ」
女「戦争を利用して“大もうけ”しただけじゃなくって?」

女「狩りを楽しんだの?」
男「よしてくれ。こちとら破産寸前さ」

デントン「“ウイスキーと話し相手”が要ると思ってね」

パークス「Don't call me mate.(その“兄弟”ってのはやめてくれ)」

A「旦那様を恨む人が?」
B「少なくとも“聖人”じゃなかったわ」

パークス「欲しいものを手に入れられる連中がいる一方で、
     頑張っても、決して報われない連中がいる。君は“運”を信じてる?」
メアリー「私は“愛”を信じます。愛することが大切で、愛されるかどうかは2の次です」

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2010年2月22日 (月)

☆“ソレイユ”がヤバいことになってるかも知れない件☆

22日(月曜)。何だか「H22.2.22」と並ぶので、イイことありそうな感じのする日でもある☆
・・結局、なんにもエエことなかったけど(=^_^=) ←いつもだよ、お前にはよ。

携帯(アイフォーン)の画面に“常駐”させてるアプリ(ケーション)の1ツが「Now Playing」と言う、シネマ系の劇場名&作品名&開始時間を教えてくれるヤツなんだが・・ここに「いつも表示される」べきミニシアター“ソレイユ”の名が出て来ず「?」と感じた本日の昼休みだった。

結局、何だか気になって・・仕事の帰りに“ソレイユ”に立ち寄ってみると・・

・地上4階のシアターは、さる2月19日をもって無期限休館となったこと
・地下1階のシアターは、今週いっぱい休館となること

が貼り紙で表示されていた(×_×)

何てこったい!

そう言えば“メンバーズカード(=スタンプカード)”が1月末で押印サービス終了となった辺りからも「ちょいと、苦しいんでは?」と直感したものだったなぁ(・ω・)
今までの(ちっぽけな)人生で、こんなに近くにシアターの存在することはなかったし、きっとこれから先もないような気がするもんで、是非とも“ソレイユ”の関係者の皆さんには、頑張って頂きたいトコロだ。

何だったら、毎回、売店でお菓子、買いますし! ←そんなんじゃ「焼け石に“露”」なんだよ!

参考: 讃岐映画村ブログ(お知らせ記事)

※無断リンクで済みません。

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2010年2月18日 (木)

☆『ハンサム★スーツ(2008)』☆

レビューをアップし損ねてたもんで、ちょこっと書いときますぅ(・ω・)

13日(土曜)の夜、『土曜プレミアム』で“地上波初放送”された『ハンサム★スーツ』を観た。
本心から言えば「全然期待してなかった」んだが(←制作スタッフさん、済みませんぬ・・)、予想してたよりも楽しかった(⌒〜⌒ι)

観てて・・「コレは、何だ? そうか、アレだ!」と気付いたのは、ジム・キャリーの出世作(?)『マスク(1994)』にテイストが似てるじゃん! ってこと。“ツキに見放され続けてる、モテないクン”がある種“非科学的な手段”によって、次元の異なるキャラクターを手に入れるんだが、最後に大きな選択を迫られて・・
ってな展開だけを抽出するに、この上なくソックリな気がする・・のはワタシだけやろか?

“世の中には、ハンサムとブサイクの2種類の男が存在する”

生まれながらにして(?)容貌&容姿にコンプレックスを持つ33歳の主人公=大木琢郎(たくろう:塚地武雅)は、亡き母の遺した『大衆食堂・こころ屋』の店長。心優しく、料理の腕こそはピカイチなんだが、そのブサイクさが災いし「彼女いない歴」を今なお更新させ続けている(・ω・)

新人バイトのきゃわゆい(←死語)星野寛子さんに、そのうち「告(コク)る」も・・失敗してしまうブタロウ、もとえ。琢郎。
そんなある日、友人の結婚式用のスーツを買いに行った「洋服の青山」で、彼は「着るだけでハンサムになれる」と言う触れ込み(?)の“ハンサムスーツ”をゲットする。

マシ※マロマンみたいなゴツくってダサいスーツ(って言うか着ぐるみ)を、その身にまとった琢郎は・・たちまちハンサムな青年(谷原章介)に変身するッ!

カリスマモデル=光山杏仁(ひかりやまあんにん)とし、都心部で脚光を浴び始める(変身した姿の)琢郎。
一方、惰性で続けてる(←おい!)『こころ屋』では、琢郎をフって辞めてしまった寛子に代わりやって来た、おデブな橋野本江(大島美幸)がバリバリと頑張るのだった。

ブサイクな(元の姿の)琢郎は、いつしか本江に親しみを覚え始めるが・・その一方、所属事務所の花形モデル=來香(らいか:佐田真由美)との距離も急接近していく杏仁(姿の琢郎)だった。

琢郎としてこのままブサイクに生き続けるか? 杏仁としてこの先華やかに生きて行くか? 彼の選んだ答えとは・・

意外にも、本作で一番光ってたヒロインは本江ではなかったか、と不覚にも感じてしまったワタシ。正直、星野寛子のキャスティングにはさしたる魅力も感じなかったし、ぶっちゃけて「キャストが誰でも良かったかも」とさえ思ってしまう。

その一方、本作できっちりキャスティングしとかなきゃならんのは、やはり杏仁役であり、そして本江役と言えよう。

脇を固めてた中では、モデル事務所の社長=神山役の伊武雅刀、そして「冴える」店長=白木役の中条きよし、また「冴えない」おじさん役の温水洋一がそれぞれイイ感じだった。彼らのキャスティングも外し得なかったろう(なの?)

自身の中で冷静に考えると・・「ハンサム」と耳にして真っ先に浮かぶイメージは、決して谷原氏でもないんだが・・本作の場合、コメディアンな面や裸体露呈(?)的な“体当たり要素”もまた求められるため、総じては「彼にしか確立出来なかった役柄」とも言える。

まぁベタと言えばベタなんだが、悪人が出て来ず殺人も描かれないので「安心して気楽に楽しめるエンタテインメントな1作」とは評せよう。

〜 こんなトコも 〜

♦中条さん、あの「マッチョ過ぎるボディ」は自前? それともCG?
♦白木店長の脇にいた「ハンサム店員」は“着用”してたんやろか?
♦池内博之演じる友人=真介の“車椅子姿”は何かのフリだったんだろうか? そこをちと観逃してしまったカモ(×_×)
♦「若くてブサイク(?)」より「老けてるがハンサム」を選んだ温水さん・・(⌒〜⌒ι)
♦石田純一、パンツェッタ・ジローラモはハンサムだろうけど・・デーブ・スペクターは如何なんやろ? ま、ハンサムですか、ね・・
♦あんだけすっ飛ぶと、バイクの兄ちゃんは流石に即死してしまうように思うが(←ギャグだってば)
♦あんな目立つとこにスーツをぶら下げて乾かしてたら、深夜に見上げた通行人が卒倒する気がする。。
♦ハンサムスーツを着用し、掃除機で空気を吸い出す・・何だか「電撃ネ※トワ※ク」の芸風みたいな、、

〜 こんなセリフもありました 〜

琢郎「たのむでホンマ。さっぱりワヤやで」
  「慰めなんか要らんよ。そう言う言葉にブサイクは振り回されんねん」
  「やっぱ、ハンサムはやめられんわ~」
  「“自分やないと感じられへん幸せ”ってあるんですね」

杏仁「ハンサムやったら、コーヒーなみなみ注いでくれる!」
  「俺いま、街なかをスキップしてるで!」
  「誰だって、一番ステキなのは笑顔かな・・って」
  「僕は、その笑顔の方が好きだな」
  「俺になれば“大きな幸せ”を手に入れることが出来る。
   “大きな幸せ”を手に入れるためには“棄てなければいけないもの”もあるんだ」
  「“大きな幸せ”を手に入れた代わりに、沢山の“小さな幸せ”が消えて行きました」

店員「いらっしゃいませ。やはり来て頂けたんですね」
  「欲しいのでは? “人生を変えるスーツ”が」

白木「ハンサムで、済みません」
  「うちのスーツで“レッツ★ハンサム”!」
  「どちらが良かったですか?」
  「結局“人は見た目だ”ってこと・・分かったでしょ?」

神山「この神山が、君に“大きな夢”を見せてあげられると思うよ」

寛子「私は・・“本当の私”を見てくれる人が好きです」
  「一緒にいて、笑顔になれる人って誰ですか? 私はそう言う人と一緒にいたいんです」

本江「自分が“なりたかった自分”になれたら、幸せですかね?」
  「琢郎さんが、琢郎さんのままで、何がいけないんですか?」

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2010年2月17日 (水)

☆『バレンタインデー』☆

16日(火曜)。今日は出勤時も、更に会社からの帰りも「雨に祟られず」に済んだ。
実を言えば・・観たい作品が「3本」ほどあるにはあるんだが・・いずれも上映開始時間の都合がなかなかつかない(×_×)

何となく、自身の中で「敗色の濃さ」を感じ始めてもいる。。

まぁ「観れなきゃ観れないで、いつか観れりゃエエかな?」とも考える訳で(←どやねんな)「観れる時に、観れる新作からチェックしとこ」と見方を変え、今日は“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”にて「ちょっとネタの古くなって来てる感」の否めない(=^_^=)1作『バレンタインデー』っつぅのんを観て来た。
若手監督のペラペラしたラブコメ系なのか、と思いきや、ベテラン=ゲイリー・マーシャル監督による最新作であることを知りびっくらこいた!

一方で、マーシャル監督のホレた(?)2人の女優=ジュリア・ロバーツ&アン・ハサウェイの共演してるのも豪華、と言おうか興味深い(・ω・)

ロサンゼルス、2月14日。ラジオ番組(?)“ロミオ・ミッドナイト”のパーソナリティが「バレンタインデー」の朝を告げる。

とある2人の、指環がきっかけとなる恋のゆくえ・・
とある2人の、ロス到着までの“束の間”の機内ロマンス・・
とある女教師の“追いかける恋”の顛末・・
とある老夫婦の“老いてなお”すれ違う想い・・
とあるアメフト選手の抱える、秘めたる気持ち・・
とある少年の“意中の女性”とは・・?
とある女性の“副業”を知った新しい彼氏は・・

恋人たちにとって“1年で最も甘美な1日”であろうこの日、ロスを舞台に様々な「人間ドラマ」が繰り広げられる・・

とにかくベタっぽく、やや散漫な印象の「群像系エピソード」・・を補って余りある(?)キャスティングの凄まじさは確かにあった!
前述のジュリア&アンハサの共演(同時に登場するシーンはなかった気がするけど、、)を筆頭(?)に、ジェイミー・フォックス、シャーリー・マクレーン、ヘクター・エリゾンド、ジェシカ“ナンシー・キャラハン”アルバ、キャシー“ミザリー”ベイツ、アシュトン“かっちゃん”カッチャー、クイーン“ママ”ラティファ・・などなど!
観終わってみると、(実は)脇役に過ぎず、全然「恋模様」まで踏み込む場を与えられてなかったしとたちも見受けられたが、、(・ω・)

意外にも物語の「中心」に配されてたのが、エディソン君と言う少年。
彼の周りで色んなキャラが出会ったり、恋心に気付かされたり、あのキャラとこのキャラとの相関関係が明らかになったりして来る☆
群像モノの“最大の醍醐味”こそ(?)が「このキャラは(結果的に)ここにこう絡んで来るのでした!」的な(パズル&ピースな)オチでもあるんだが、そんなにムチャクチャなくっ付け方でもないように映ったので、その点では脚本は巧く機能してたんではなかろうか?

一方で、少し前のハリウッド作に安直に観られがち(?)だった「勘違いニッポン描写」が殆ど払拭されてて、そこを楽しみにしてたワタシは少々物足りなかったか(=^_^=)
代わりに“インド”が大きく取り上げられてますた。もろに「マサラ・ムーヴィー」な演出もあったし・・あの上からのキャメラワークとか(=^_^=)

「結局何だったんだ、キミは」とツッコミたくなるキャラも(ワタシの中で)おられたような・・もうちょっと観客の理解をすんなりと導くような、そんな「理由づけ(演出)」が欲しかったかもなぁ・・

ってことで「気合を込めて観る」までの作品ではないモノの「(全体的な)キャスト陣を眺めたりしてたら、決して眠くはならない」そんな佳作なのでした。

〜 こんなトコも 〜

♦「iPhone」使っとるしとが多かったような気がする。着信音もそれぞれにこだわりを持ってはるようで(・ω・)
♦初登場時のアンハサ。何だか「女装した、若き日のヒュー・グラント」に見えた。。おったまげ!
♦やっぱり、表情が大きく動くと(顔面)バランスの崩れるアンハサさん。メチャ可愛いのになぁ、、
♦(今もって)まさに“ファニーフェイス”なシャーリーおばさん。そういや『ココ・シャネル(2009)』観逃したんだ・・(×_×)
♦“Love sick”は「恋煩い」と訳されてた。なるへそ(・ω・)
♦“フェイスブック”なる言葉に反応し、ジュリア・ロバーツが笑ってた。何やろ?
♦ムーアパーク(MoorPark)を逆に読むと“KrapRoom(くそルーム)”となるそうだ!
♦グラウンドで捻りバック転(?)を披露してた青年。結構スゴい動きや!
♦押し並べて“スリム系イケメン”の揃ってた感があった。
♦E.E.カミングス、ルーミーなどの詩人の名が劇中で挙がってた。
♦全裸に「ソックスのみ」ってのは聞いたことあるが「フォークギターのみ」ってのもあるんやね、、
♦“I gotta go.”で「じゃあね」と訳してた。フムフム。
♦恋愛モノならではの「妙に親切なヤツら」がウヨウヨ発生(=^_^=)してますた!
♦空港で「“コードF”発生!」と言ってたが、不審者のことかな?
♦遠くに「ハリウッドサイン」の見えるグラウンドが出て来た。イイ立地やなぁ。
♦キャスターの言った“My day.”は「いよいよデビューだ」と訳されてた。巧いね。
♦同じくキャスターの“Oh,I miss highSchool.”は「青春ってイイね」と。
♦シャーリー主演のモノクロ作『ホット・スペル(1958)』が劇中劇(?)とし、効果的に用いられてた☆
♦グレース役のエマ・ロバーツは、ジュリア・ロバーツの実の姪っ子だそうで!
♦『イン&アウト(1997)』な突然の記者会見の展開にびっくり。。
♦観てると分かる(=^_^=) エディソン少年が好きなしと・・ああ、こう言うシチュエーションってイイね!(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフも 〜

リード「父は言った。“最高と思う女に出会ったら、すかさず求婚しろ”とね」
   「今日は、誰もがロマンティックな気分さ」
   「愛は“この地上で最後のカンフル剤”なのさ」
   「愛は急(せ)かせない」
   「離婚は遺伝しないし、感染もしない」
   「飼い猫の名が“バブ”だぞ? そんなヤツ、ゲイに違いないさ」
   「恋に破れ・・残ったのは“空しい指環”と“空っぽの部屋”
    そして・・“胸(ハート)に開いた大きな穴”さ」
   「彼女は・・そう“太陽”なんだ」
   「“最高(の相手)には、最高(の贈り物)を”か・・」

ジュリア「あなたの唯一の欠点は“仕事”ね」
    「ハートがボロボロ? それが“恋のさだめ”よ」
    「私たち・・ホントに“友人関係”のままでイイの?」

リズ「(昨夜)脱ぎ捨てたスカートは何処? あ、そっか・・半分、覚えてる」
  「“仲直りのセ※クス”って大好き!」

ポーラ「母親の電話を乱暴に切るなんて、随分と冷たいのね。・・気が合いそう」
   「“隠語の達人”はキライじゃないわ。仕事優先なら、クビにはしない」

アレックス「たぶん信じたさ。俺のビビり方に“説得力”があったハズ」

モーリー「結婚って、考えて決めるもの? “直感的なもの”じゃ?」

ホールデン「面と向かえば、そんな心配なんか消えてなくなるさ」

エドガー「愛してるなら、何故そんなことを話した?」
    「真実を1つ知ると、今までの総てが偽りに思えて来る」
    「妻は“愛とは、相手を丸ごと愛すること”と言った・・今なら分かる」

ショーン「望んで引退しない選手の“決まり文句”は、
     “家族と過ごしたい”だな。・・あいにく僕に家族はいないが」

ケルヴィン「流石はバレンタイン、色々と起こるな」

グレース「チャンスは“意図的に作る”んじゃなく
     “自然にそうなるべきもの”だと思うの」
    「刻(とき)が来るのを待ちたいのよ」

※「あなたって何故、いつも幸せそうなの?」
リード「それが“自然なこと”だろ?」

※「前に夫を驚かせて・・結果、離婚となったわ」
 「孤独は自分のせいよ」
 「“する前”に食事は? せめてスポーツ飲料とか」
 「セ※クスは“計画通り”にするモノじゃないわ」
 “未練を燃やせ!”
 「これからは“シンプル”で行こう」
 “さぁ、裸になろう!(Let's get naked!)”

ルーミー“恋は踏み込むものでなく、堕ち込むものだ”

追記:エンディングには“NG集”が流される。それはそれでエエ感じ☆

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2010年2月16日 (火)

☆『パイレーツ・ロック(2009)』☆

15日(月曜)。改めて感じたことだが・・最近どうにも記憶力が減退しているようだ。
仕事上の「肝心な部分」で記憶(いわゆる“言った/言わない”“聞いた/聞かない”の類)がこんがらがってしまい困ってしまう。その場で書き残したメモを見返したり、落ち着いて考え直せば思い出すんだが、その場で上司の問いに即答したりすると・・間違ってしまうことが多い(×_×)

その内「ピート・ポスルスウェイト」「ラッセ・ハルストレム」「ステラン・スカルスガルド」「ビョーク・グズムンズドッティル」などの人物名がだんだん出て来なくなって来る予感がする(×_×)
ま、別にいつも会うしとたちじゃないので、構わんのかも知れないが。。

さて、今日は・・衛星第2でベン・キングズレー主演の超長編(?)『ガンジー(1982)』が放送され「是非観なきゃ・・!」とも思ったんだが、3時間を超えるのもあり「流石にチトしんどいや〜」と考え直し「仕事帰りに1本観て帰り、その上で中盤からダラダラ観よう」とガンジーには失礼ながら、半ば暴力的な思い付き(?)でミニシアター“ソレイユ”に寄り『パイレーツ・ロック』なるロケンロー&シャケナベイベーな作品を観たのだった(・ω・)
奇しくも本日は“メンズデー”だったので、安く済んで嬉しかったけど。

1966年、イギリス。ブリティッシュロックが全盛期を迎えていた頃・・それと反比例するかのように、英国々営放送局(BBC)はポップス/ロックの放送を1日=45分間に制限していた。
が、それに対抗するように、北海に浮かぶ海賊放送船舶『レィディオ・ロック号』は24時間、ガンガンにポップス/ロックチューンの数々をゴキゲンに流し続け・・そのリスナーは全世界に2500万人とも言われていた!

ドラッグ&タバコで学校を追放された18歳の少年=カールは、母=シャーロットの言い付けで「矯正のため」この船に送られて来る。母の旧友=クエンティン(ビル・ナイ)が仕切るこの船で、カールはいつしか個性的なDJの面々に感化され、ロックや恋に目覚めることとなる。

一方、海賊放送局の存在に手を焼く大臣=ドルマンディ(ケネス・ブラナー)は側近を使い、彼らを徹底的に規制⇒撲滅せんと策を巡らせる。

北海の洋上で勝手気ままに娯楽の限りを尽くす『ロック号』のクルーたちだったが・・この船にも静かに“最期の刻(とき)”が近付いていたのだった・・

まず、大きな勘違いをしてたワタシ(・ω・) 「ロック」と耳にしたもんで、てっきりジャック・ブラックが主演してるんかと思いきや、主役格はフィリップ・シーモア・ホフマンなのだった(⌒〜⌒ι) ま、それはそれで楽しかったけどネ。

2時間を超える上映時間の割に、物語は結構ダラダラと進んで行く印象だった。一応はテンポ良く(?)「大臣側」「海賊船側」の動きが交互に綴られる訳だが、ワタシ的には「感情移入出来るキャラ」が1人も見当たらず、その長さ(=間延びさ?)に次第に疲れて来た感があったかも(・ω・)
おまけに、ブラナー演じる大臣役のキャラに「エエとこ」が全くなくどうにもハラ立って仕方なかった。

って言うか、あの風貌&言動がどうもナ※スの某総統閣下(←ヒンケル総統のモデルとなったしと)を彷彿とさせるのだ。ブラナー氏ってば『ワイルド・ワイルド・ウエスト(1999)』の時もそうだったが、何だか「悪役としての出演作」の選択を誤ってるように思う。。

個性的なDJの筆頭格がホフマン演じた“ザ・カウント(伯爵、の意)”なんだが、中盤で彼に対抗する伝説のDJ=ギャヴィン・カヴァナ(リス・エヴァンス)が早々に(?)『ロック号』に帰還を果たすため、個性派DJの2大キャラ(?)がぶつかってしまい、ちと吸引力が削がれそうになってしまったな(・ω・)

次第に「あ、最期に『ロック号』は沈没するんやろな」って予感めいたモノがアタマに浮かぶ訳だが・・ラストで展開される演出にだけはちょっとウルウルっとなりかけてしまった。まさに“お約束”的なんだが「リスナーの恩返し」って感じでとても気分が良いのだ。
このラストを観るだけでも、本作はそれなりの価値を有すると思う。

ただ、全体的に汚らしいキャラ群&世界観だったので、その辺りだけは「受け付けない観客」も少なからず存在するんじゃないか、と感じたワタシである(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

♦『ロック号』の「ラジオ局としての描写」はかなり丁寧になされてたが、、その一方で操縦士とか整備士とか言った人々が全く画面に出て来ず、その辺が奇妙に思えた。何でもかんでもクエンティン1人でこなせる訳じゃなかろうし・・
♦『ロック号』の顛末はきちんと綴られるが、大臣側の物語が終盤でスパッと切り落とされてたように見えた??
♦大臣の「いかにもつまんない」私生活の描写がたまんない。
♦主役ではなかったが、ビル・ナイの身のこなし&ダンスパフォーマンスがなかなかカッコ良かった。こんなおじさんになりたい。
♦誰も船酔いしてなかったのがスゴい! ロック野郎は船(揺れ?)に強い! のか?!
♦放送史上初の“Fワード”を6回も放つとは・・(⌒〜⌒ι)
♦わずか17時間で破局を迎えた某新婚カップル、、公的な理由は「音楽の趣味の違い」だそうで(×_×)
♦ジャックマン(Jackman)には「オ※ニー野郎」ってな(スラングな)意味もあるらしい。。
♦『ロック号』運命の海域は「北緯53.17/東経2.15」とのこと。・・ああ、そう言う場所なのね(=^_^=)
♦ボブが命がけで1枚だけ持ち出そうとしたアナログ盤(レコード)。デイヴが彼を引っ張り上げた直後「要らないよ。こんなつまらないレコード」とあっさり棄てるのがスゴかった(=^_^=) アレは何てアルバムだ?(=^_^=)
♦『ロック号』の沈没シーン。灯りが消え、音楽が途絶えてからの緊迫感はなかなかだった。パニック映画みたい(⌒〜⌒ι)
♦リス・エヴァンスはなんか久しぶり(・ω・) 『ノッティングヒルの恋人(1999)』で個性を目の当たりにし、次に観たのは『シッピング・ニュース(2001)』だったかな。真面目もワルも演じられる、なかなかの男優さんですなぁ。

〜 こんなセリフもありました 〜

クエンティン「ヤッたのはどっちだ? タバコか? それともドラッグ?」
カール「・・両方さ」
クエンティン「・・良くやった! エラいぞ」

カウント「暴力は、愛を殺す」
    「さらば、独身!(stag!)」
    「“婚前交渉しない”派? そりゃ“ゲロもん”だな」
    「クズ野郎。お前の言い分を聞こうか?」
    「ベトナムですら、小競り合いに過ぎないってことを
     これからお前に教えてやるよ。これがホンモノのW-A-R・・戦争ってヤツだ」
    「俺の人生の頂点は終わった・・これが現実さ。後は“長い下り坂”のみだ」
    「死ぬまでここ(=船)からロックを流すさ・・いや、死んでもだ」
    「沈黙なんてクソッタレだ!」
    「この先も、政治家は“より良い世界”なんて作っちゃくれないのさ」
    「今夜、この船が死んでも・・これから先も素晴らしい曲は生まれ、
     この世界に奇跡を起こすだろう」

クエンティン「政府は自由人を嫌うのさ」
      「何もない男に、何をプレゼントしろと?」
      「うちのファンにしちゃ、やけにダサいな?」
      「全く愛とは不思議なもんだ・・新郎がこいつなのに、新婦は女神そのもの」
      「花嫁が気の毒だが、ここでキスして」
      「ここへ来て、果たして良かったのかな?」
      「事態が好転しないな?」 ←コレは名セリフ(=^_^=)

ドルマンディ「気に入らんモノは、新法を制定し早々に排除するのだ」
      「俺の言う“クビ”は、お前にとって“一生モノ”のことだぞ」
      「連中の“タマ”を握ったな。いい感触だ」
      「“海洋犯罪法”? いい名だ」
      「処刑は“密室”で行うのが望ましかろう」

デイヴ「“愛の手榴弾”のピンを抜くぞ」
   「ようこそ“愛の船”へ」

ボブ「まずは自らが聴かなきゃ・・“人の魂に届く音楽”を」
  「戻るよ、音楽のもとに」

ギャヴィン「俺を見て、良く学ぶように」
     「俺は“イギリスの乳首”をいじる男なのさ」
     「終わったら中身を棄てて、すすいでまた使え」 ←おいっ!
     「優しくな・・しかし肝心のモノはコチコチに硬くな」
     「ようやくこの船も、波風が収まったようだ」
     「早く始めようぜ。股間がウズウズしてる」

サイモン「僕のものだ(My eyes only.)」
    「音楽があったからこそ、これまで生きて来れた。
     だから、音楽のために死ねる」

マリアン「さよなら(So long.)」

シャーロット「“古い問題”が解決したようね?」

ハロルド「帰るトコロはあるけど、サエない町だ・・だからここに残る」

マーク「モテる秘訣? それは“何も話さないこと”だ。ひたすらに沈黙を守り、
    テンション(緊張感)が高まったらこう言う・・“どうだい?(How about it?)”
    このひと言で巧く行くのさ」

ギャヴィン「君がカウント(伯爵)なら、俺はキングかな?」
カウント「クラウン(道化師)かもな?」

カウント「ここらで話し合うか?」
ギャヴィン「“5ツ星級の腰抜け”だな」
カウント「・・親切で言ってやったのにな」

デイヴ「フランス語は分かる?」
マリアン「いいえ」
デイヴ「良かった。僕も話せない」

エレノア「分かってくれたみたいね」
サイモン「全然だけど? ・・分からないのは、君のその“残酷さ”だよ」

シック「ホントに海に投げ込むと(僕でも)泳げるようになるの?」
カウント「ああ。でも、子供だけかもな」

クエンティン「追われるぞ?」
カウント「追わせるさ!」

カール「その質問には、答えたくない」
カウント「つまり“答えはイエス”ってことだな?」

クエンティン「“良いニュース”と“悪いニュース”がある」
※「“良いニュース”は?」
クエンティン「エンジンが爆発した。全員、死ぬ」
※「では“悪いニュース”は?」
クエンティン「極寒の北海で、溺れ死ぬ」

追記:「PG-12」である本作。とにかくセリフ群が激しかった(・ω・) 『ロック号』の面々の放つセリフもダーティだが、対する大臣の口からポンポン飛び出すセリフも十分に(?)ダーティだったりする。その辺りも「しっかり見届け、聞き届けないといけないポイント」なのかも知れない。

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2010年2月12日 (金)

☆『サロゲート(2009)』☆

11日(木曜)の夜。この日が終日(ひねもす)晴れていたら・・! そして早起き出来ていたら・・!
(←“イフ”ばっかしやな)プランとしては「市内の劇場をハシゴし、イッキに5本観る」つもりだったんだが(←1日になんぼ使ぅとんねん!) 運良く、そして運悪くそれは叶わなかった(・ω・)

“ソレイユ”で『大洗にも星はふるなり』を観終え、これも晴れてたらそのまま“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へ突撃!する予定だったが、雨も降り止まず、おまけに風&(衣類に)染み込む雨でムチャクチャに寒く、いったんの帰宅を余儀なくされたワタシ(×_×)

帰宅後、軽く食事(=間食、、)してから改めてクルマで“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に向かい、鑑賞したのがブルース・ウィリス主演最新作『サロゲート』だった。監督がジョナサン・モストゥ。共演がロザムンド・パイク、ヴィング・レイムス・・そしてジェームズ・クロムウェル、となかなかに豪華!

モストゥ監督作にしてはパンチの弱過ぎる気もしたが、それなりにダレず、まぁまぁの仕上がりだった。
特に長髪&若メイクのウィリスが妙におかしかった(=^_^=) 『ジャッカル(1997)』の時ほど狙ってないが故に、余計おかしいんやろな(=^_^=)

近未来のボストン。
14年前に開発された「センサーが脳をモニターするシステム」の応用により、11年前にライオネル・キャンター博士(クロムウェル)は「身代わりロボット(=サロゲート)」を開発。ロボットたちは“陸軍歩兵”とし前線に投入され、戦場で大きな成果を挙げる。

最高裁で「サロゲートの一般社会での使用」が認可されたため、7年前にキャンター博士を初代会長とする『VSI社』は飛躍的な発展を遂げることに。
その後、殆どの人々は公の場でサロゲートを使うことに何の抵抗もなくなってしまった。

やがて、経営方針の違い(?)から会長職を追われたキャンター博士は表舞台から姿を消す。
一方、3年前からサロゲートに反対する“生身の人々”が「予言者」と称されるパウエル師(レイムス)を代表に「独立区」と言うエリア(ドーチェスター区)に立てこもる事態となる。

パウエル師が「“身代わりロボットなるまやかし”を排除しよう」と訴え続ける現在。
そんなある日、キャンター博士の愛息が何者かに「サロゲートごと殺害される事件」が起こる。

犯罪率がほぼ100%近くまで激減したハズの社会。久々の殺人事件に戸惑いつつ、捜査を開始するFBIのトム・グリアー(ウィリス)&ジェニファー・ピータース(ラダ・ミッチェル)の2捜査官だったが・・

事故などのリスクを排除するため、誰もが自室に横たわって過ごし、プラグで繋がった「身代わりロボット」が戸外を歩き回る・・ってな「どっか風刺的に描かれた」近未来の世界観が面白い。そもそもキャンター博士自身が年老いた、車椅子生活を余儀なくされている科学者であったからこそ「若く、健康なロボットの開発」に情熱を捧げ得たのかも知れぬ。

ウィリス演じる捜査官トムも“髪の毛フサフサ”“お肌ツヤツヤ”な外貌はサロゲート故のことで、実際にはやっぱりツルツル&デブデブ&ヨレヨレないつもの(?)ウィリスなのだった(⌒〜⌒ι) 何だか安心・・

物語は、かの『アバター』とは違い、「サロゲートって技術はこんなにスゴいんでっせ!」と言う描写よりも、サロゲートを操りつつ「実は操られている」生身の姿の人間の心情、と言おうか「何とも言えぬ悲しみ」・・みたいなトコこそに脚光を浴びせてた印象があった。

すっかりサロゲートに依存しちゃってる人々なので、その実態は「椅子に座りっぱなしの、やる気なき、デブで年老いた男女」なるステレオタイプにほぼ描写が統一されてる(×_×) (実際の)キャンター博士やトムの妻=マギー(ロザムンド)のさめざめと泣いてる姿がかなり強烈な印象だった・・決して「幸せを掴めた」訳でもなかったのね、、

ウィリス演じる主人公は「2度楽しめる」と言おうか、サロゲートとしての活躍(前半)、生身としての活躍(後半)が観られる。
15年ぐらい前の彼を思わせるピチピチした肌合い(?)や超人的な身体能力を眺め、満喫出来もするが・・やっぱり生身のウィリスを眺めてる方がよほどホッと出来る気がするなぁ(=^_^=)

クロムウェルが重要人物となってる辺り、妙に『アイ、ロボット(2004)』とそのキャラがかぶってしまっており、観てて残念な感はあったか(・ω・)

また、ロザムンドさんと言えば『007/ダイ・アナザー・デイ(2002)』での“微妙な立ち位置のボンドガール”って印象が強かったが・・本作ではまさに“サロゲート女優”って呼んであげたいほどの「ハマリ具合」だった。ウィリスと実年齢で比較すると、父娘以上の年齢差があって「ブーツたまげてもしまう」んだが、まぁその辺りは“老けメイク”で釣り合いが取れてた、と評しとこう。

例えば『タイムコップ(1994)』におけるタイムマシン(?)の存在同様、本作におけるサロゲートも「正規型(=VSI社製)」と「非正規型(=無認可?)」の2タイプが存在する。特に後者の場合、生身(の人間)と思いきや・・「実はサロゲートでした」的なケースもあって、その辺りが本作最大の“どんでん返し”ぽい演出(の限界)だろうと思われた。

上映時間が100分とちょい、なので・・後半は“やや駆け足気味”に物語のまとめられてた感はあったか。まぁでも、それなりのエキストラを使い、空撮なんかも使って楽しく撮影したんやろな〜とは感じた。

〜 こんなトコも 〜

♦原題は「SURROGATES」と“複数形”ですた。因みに字幕を手がけはったのは戸田奈津子女史。ちとお元気なき(?)仕事っぷり。
♦グリアー夫婦にはロビーと言う息子がいたそうだが、彼に関するエピソードがまるまる割愛された(?)のか、実に消化不良。
♦近未来のクセして「USBメモリスティック」や「旧型(先代)プリウス」などが大きく登場してた(・ω・)
♦殺人事件の被害者は「脳が液状化」だってさ・・(×_×)
♦コレも近未来のクセして「サロゲートが実際にパソコンのキーボードを叩いたり」「しゃがみ込んで書棚を調べたり」「ハンドル操作でクルマを運転したり」してる・・もっとオートマチックなやり方(?)が実現され得るハズなのに(・ω・)
♦近未来でも「アライ」のヘルメットは売れてます(=^_^=) バイクも売れてます。
♦「独立区」はFBIすらおいそれと立ち入れぬ「管轄外のエリア」だそう。サロゲートがうっかり迷い込んだりしようものなら・・たちまちリンチ(私刑)に遭います(×_×)
♦「DIE ROBOPIG(ロボットの豚野郎に死を)」って攻撃的な落書は印象的だが、豚野郎はサロゲート自体じゃなく、その“オペレータ(操作する生身の人間)”こそだと思った。
♦O.D・・ってのは大物俳優のイニシャル(←それは『ハンニバル(2001)』におけるG.Oでしょ!)とかじゃなく「過負荷銃」なる兵器の名称。
♦自動車の派手に突っ込んだブティックの店名は「KOMEKO」・・何とも印象的(・ω・)
♦ブルース・ウィリス主演作の中で「(暴走行為により)最も通行人を跳ね飛ばした作品」と言えるであろう本作。。
♦終盤の描写が『ハプニング(2008)』ぽかった。しかし、いきなし歩道や石段に倒れ込むエキストラの演出はどう撮ったんやろ? 顔面から倒れてるしともおったような・・やっぱしCGかな?
♦物語は一応の解決を見たが・・肝心の「VSI社」への切り込み具合が余りに浅かったように思うぞ?

〜 こんなセリフもありました 〜

キャンター「オペラの世界では、皆死ぬものなのさ」
     「何のつもりだ? “良いデカ”と“悪いデカ”のサル芝居か?」
     「“我が子に先立たれる”以上の悲劇があろうか?」

トム「君と一緒に過ごしたい」
マギー「毎日、一緒じゃない?」
トム「“サロゲート同士”がね」

トム「僕が欲しいのは・・あっちの部屋にいる“本当の君”なんだ」
マギー「昔とは違うのよ、あなた」

トム「あんた、ホントは何者だ?
   椅子に座って、チ※ポをダラリと垂らしてるデブ男なのか?」
  「僕は・・気が狂いそうだ」

マギー「笑顔が消せたからこそ、何とかこうして生きていられるのよ」

ストーン「おい、生身でうろつくな。家で大人しくしてろ」

予言者「どうだ? 生身となった時の“本当の痛み”は?」

※「また、あの薄汚い人間に戻ると?」
△「でも、それが人間よ」

黒幕「“サロゲート依存症”を断ち切らねば」

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2010年2月11日 (木)

☆『大洗にも星はふるなり(2009)』☆

11日(木曜)。久々に「寝だめ出来た」感のある朝だった。

8日(月曜)&9日(火曜)と連夜、出張先=宇和島市(愛媛県)で飲み、昨夜は高松市内で飲んだ。。もう今週は酒を飲まないようにしよう(=^_^=) そんな訳で、3日間とも衛星第2で放送されてたシネマ群は全く観ることが叶わなかった、、うぐぐ、、(×_×)

そう言うと、月曜夜に宇和島のとある居酒屋さんで食べた「ホータレ」の、余りに苦かった味を思い出す。「ホータレってナニ? 見た目イワシだけど?」と思ってたら「ホウタレイワシ」が正しい呼び名らしい(←「カタクチイワシ」のこと)。何だ、イワシだったのか(・ω・)
「マズくて手を付けられないアテ(=つまみ)」ってのにたま〜に当たるが、その「苦さ」に尻込みしてしまったのは、これまで殆ど例のないことだったな。。

今日も朝から降ったり、小降りになったり、また降ったり・・と外出する気分をガリガリと削いでくれる日だった。
が、家にいてもダラけてしまうばかりなので、意を決し市内のミニシアター“ソレイユ”に行き、期待してた1作『大洗にも星はふるなり』を観て来た。取り敢えず、ソレイユの上映作群には追いつけた感じかな?

茨城県大洗町。その浜辺に『海の家・江の島』はあった。マスターと5人のバイト男性、2人のバイト女性。
彼らが「和気あいあいと楽しく過ごした夏」は早くも終わり、例年の如く8月末に『江の島』は閉店される・・
「何で海の家って、8月31日で終わらなきゃいけないんだろ?」誰かが疑問を口にする。「何か寂しいっス」誰かが呟く。

・・時が経ち12月24日、即ち“クリスマス・イヴ”の夜。5人の男たちが人気(ひとけ)なき『江の島』に再び集結する。
彼らはいずれも“『江の島』のマドンナ”とも言うべき江里子(戸田恵梨香)から差し出された手紙、
「イヴの日に、またあの『海の家』で会いたいな」を携えていた。

肝心の江里子本人が姿を現さぬ中、男達は「これはアレだ! きっと江里子ちゃんによる“マジ彼の最終審査”なんだ!」と勝手に決定、その場は「互いが互いを牽制し合う、一触即発の場」(=^_^=)と化すのだった。

そんな中、やって来たのは『江の島』の撤去命令書をちらつかせる鋭い弁護士=関口。江里子の「本命」が決定しないことには『江の島』の撤去もままならないことを察した関口は、彼ならではの知識&経験でもって「誰がマジ彼なのか?」を探り始めるのだが・・

元々は舞台劇だったと言う本作。「男7人が女1人を巡って激突するッ!」って構成が、どうにも『キサラギ(2007)』の亜流のようにも感じられるんだが、コレはコレでこんがらがることなく7人の野郎キャラをイキイキと描き切っており、その監督の手腕に感心させられた。

中でも特筆すべきは「飛び交うおバカなセリフ群」と「妄想再現映像の凄まじさ」であろう。
ストーリーの中心にしっかりと立ち、吸引力を保たせ続けるキャラが杉本役を力演した山田孝之。彼自身の語る「江里子との思い出」と、直後に周囲が看破(?)する(=^_^=)「再現映像」におけるギャップ(特に後者のヴィジュアル!)がめちゃくちゃに面白く、関口弁護士(演ずるは安田顕←ワタシより若いとは、、)が中盤以降「私も好きだな、江里子さん」とバトルに乗り込んで来る辺りのテンションの高さ、それに続く「あんた、正気か〜?!」の叫びのシチュエーションと共に、思わず声を出して笑ってしまったワタシ。こんなに笑えた作品ってば珍しい(=^_^=)

唯一、ワタシとして「ちょっとなぁ」と思ったのは、江里子自身のイメージが劇中で明確に描かれ過ぎており、かつ戸田さん自体に(ワタシは、ですよ)余り魅力を感じなかったことだろうか。。もう少し「描き惜しみ」しても良かったように感じた。ま、それをやり過ぎると・・それこそ『キサラギ』のまんまパクリ路線になってしまうんだが(・ω・)

作品世界に酔いしれつつ、笑いながらも・・次第にアタマの何処かに「そもそも江里子はここにやって来るのか?」「ってか、手紙を書いたのが江里子自身って確証があるのか?」なんてな疑問も浮かんで来るんだが、それはそれで終盤に無難にまとめてくれてもおり、後味の悪さはさほど残らなかった。

7人も野郎キャラが登場するので、その中に「なかなか登場しないヤツ」「潔く退場する(?)ヤツ」「他の連中よりアドバンテージのあるヤツ」「更にもっとアドバンテージのあるヤツ(=^_^=)」「イメチェンを図り、結局諦めないヤツ」などを配し、7人が“塊(かたまり)とならぬよう”配慮してる演出も良かった。

たまにこう言う“おバカな作品”に触れられるからこそ。そしてこう言う“おバカな作品”を笑える感性が維持出来ているからこそ。
何とかこうして生きていられるような・・そんな気のしたワタシである(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

♦「あけたらしろめ」「夏はまた来る、冬も来るけど みつを」などの『江の島』内の落書ぽい(?)注意書きが楽しい。
♦なかなか画面に登場しない(=^_^=) もう1人のバイト女性=よしみの存在が「野郎どものセリフだけ」で輪郭づけられて来て面白い(⌒〜⌒ι) 「西田敏行の女装版」だの「東京ドーム4ヶぶんのブス」だの「ザラキ(←『ドラゴンクエスト』に登場する呪文)を唱えても死なないブス」だの、容赦なかった。。
♦「鴨川」「品川」「江ノ島」・・と来れば次は「沖縄」なんですねー。なるほど。
♦「ロレンチーニ瓶」についての知識がついた(=^_^=)
♦医師たる者「どうしよう発言」のもたらす、後の混乱を予期せねばなりません(=^_^=)
♦林くん、いつから『江の島』の外にいたんでしょ??
♦ブラザートムの息子さんである小柳友くん(仁科役)。『トウキョウソナタ(2008)』でしか知らなかったから、もの凄いキャラの違いに戸惑ったっス(⌒〜⌒ι)
♦ムロツヨシ氏演じる猫田の愛用してたマフラー・・あの柄って「ホグワーツ魔法魔術学校」のヤツでは?(・ω・)
♦ラストでは「あの2人」だけが後日談を語られることもなく幕となってしまい、少し寂しかったっス。

〜 こんなセリフもありました 〜

※「さっきから、何回してるんですか? 乾杯」
 「あるよー! 目的あるよー! めちゃめちゃ」
 「あんたの何処が“チョイ悪”だよ」
 「いや、切らずに(鳴ってる携帯に)出て下さいよ」
 「だから、切らずに(携帯に)出て下さいって」
 「弁護士さん・・刑事みたいだ」
 「あの人・・気持ち、ヒゲ伸びてません?」
 「“ダブルな〜んちゃって”ですか?」

※「超愛してます」
マスター「その超って、どんな字?」
※「他にどんな字があるんですか!?」

杉本「閻魔(えんま)愛してます」
マスター「それ、鬼を超えちゃってるねー」

杉本「8月31日で終わるから『海の家』なのさ」
  「俺の中の理性が、もう1歩を踏み越えさせなかったのさ」
  「思い出、ねじ曲げ過ぎですぜ・・」
  「アレは“夏の魔物”が俺の精神をおかしくさせたが故だ」

松山「何か隠し事してる? 分かり易くアタフタしてるから」
  “言えよ!” ←口パクで訴える(=^_^=)

マスター「一時はどうなることかと思いましたが。
     結局、どうにもなりませんでしたが。
     しっかり大赤字のまま、終わりましたが」
    “「GPS」付けてんの? え? 「今どこサーチ」も出来るの?
     彼、「GPS」付けられてるの知ってんの? 知らないんだ・・”
    「済みません。軽く忘れてました」
    「(店内)広いから、(ケンカするなら外に)出なくていいよ」
    「まぁ、聞きなよ」
    「やれやれ・・(バカなことを)叫ばれる海も迷惑だねぇ」
    「ちゃんと見たら、必死だよね」
    「林くん・・もうやめろ手前ぇ」
    「“イソップの死”を皮切りに、展開に困ると、次々に人の死んだ
     ドラマだったからな・・『スクールウォーズ』は」

マスター「“運命”と書いて・・“うんめい”と読む」
仁科「そのまんまじゃんかよ!」

マスター「OKOK! “お口にルージュ”ね」
仁科「チャックでしょ!」

関口「ちょっと待った。みんながちゃんと“済みません”って謝ったのに、
   君だけ“済みませんぬ”と言ったね? 反省してないね? 君だけ」
  「聞きたくもない皆さんの会話を聞かされ、
   その上ちょっと涙ぐみかけた私の身にもなって下さい」
  「困ります。こう言うモノは受け取れません
   ・・って(現金じゃなく)“ベルマーク”ですか!」
  「普通、脚を組み替えるでしょう。2回ぐらい」
  「君は・・扱い的に“さかなクン”ですね」
  「恋の暴走は、止められないのだ」
  「離婚の際は、是非私に」
  「可能性があるなら、チャレンジすべきです」

猫田「“今どこサーチ”? くそー! 俺を“お爺ちゃん扱い”しやがって!」
※「いや、そう言う意味じゃなくて」

杉本「毎日、窓を見上げて、(彼女宛の)郵便物もチェックして・・」
※「それ、ストーカーだろ!」

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☆『崖の上のポニョ(2008)』☆

5日(金曜)の夜に「金曜ロードショー」にて“地上波初放送”されたモノ・・を実家に(慌てて)連絡し録画しといて貰い(←と言うのも出先におり、どうしても鑑賞/録画の都合がつかなかったため)、帰阪した6日(土曜)の夜、実家で観たのがスタジオジブリ作品『崖の上のポニョ』であった。

「せいぜい2時間以内のアニメーションやろ」と思いきや、どうも3時間ほどの放送プログラムとなっており慌てた次第。。
しかし、どうやら最初の1時間はメイキング系の特番をくっつけて視聴者を焦らしてた(?)ようであった。まぁ“焦らし”と書くと聞こえが悪いので“たっぷり1時間の前夜祭プログラム付き”と考えたら良いんやろか(・ω・)

深海の潜航艇(?)を抜け出し、日本の港町(モデルは広島県福山市・鞆の浦とされる)にやって来た魚の子=ポニョ(本名:ブリュンヒルデ)が、5歳の人間の男の子=宗介と出会い、交流を深めて行く。

その一方、ポニョの逃走を知った“謎の「海洋深層水」散布男=フジモト”は、波の形状をした魔物(?)を操り、ポニョを連れ戻そうとする・・

スタジオジブリの、と言うか宮崎駿監督の手がけた前作『ハウルの動く城(2004)』が“とてつもなくしょっぱい作品”に(ワタシには)思われたので、劇場公開当時、わざわざ観に行く気になれなかった本作。

観終えて「監督自身の描きたいモノが、断片的に繋がれ(紡がれ?)こしらえられた作品」って印象を受けた。あちこちで設定やら、キャラ造型やら、娯楽的に膨らませもし得るセリフやらが「手も付けられぬまま、放り出されちゃってる」感じで、ある意味、側近たち(←って言い切って良いんやろか?)の不安に眼を向けることもなく、突き進んで完成させましたね宮さん、的な。

公開当時「セル画の総てに対し“手描き”にこだわった」と何処かで耳にした気もするが、実際には彩色作業などにデジタル技術が用いられてるそうである。

港町の風景描写が実にリアルで見事なのに対し、物語の背景、演出・・などがかなりファンタジーなので、その大きな隔たりに「妙な違和感」を感じ続けたのは、ワタシの許容量の狭さのみが理由であろうか? これでも少し『パンダコパンダ(1972)』のように、軽いタッチで笑える世界だと、寛いで観られもしたんだが・・基本シリアス路線だった(とワタシは解釈した)のが、違和感の最大の理由だったようにも自己分析している。

〜 こんなトコも 〜

♦「はじまり」「おわり」の平仮名表示が面白い。「いっぽうそのころ」みたいなのもあっても面白かったかも(=^_^=)
♦海沿いの道路を突っ走る宗介の母=りさの軽自動車(りさカー)。本作最高のアクションシーンである(=^_^=) ナンバーの「333」となってる辺りが『ルパン三世/カリオストロの城(1979)』におけるフィアット500(←ナンバーは「R33」だった)を連想させる。
♦ポニョによる顔面への一撃(いわゆる“顔射描写”←っておい!)が意外と目立つ。。何かのメタファーか?(←何のだ!)
♦ポニョを緑色のバケツに入れる宗介。水道の蛇口を捻って・・って、注ぐのは海水じゃなくてもエエのかい?(⌒〜⌒ι)
♦ベランダにサーチライトのある宗介宅。崖の上に近付かんとする者がいたら、威嚇も出来る訳やね(・ω・)
♦フジモトの潜航艇。ドアや備品(ツボとか)に「1871」「1907」「PANGEA」などと書いてあって興味深い。
♦「ダイナミックな高波描写」はアニメ史上最高の規模!? 実写作品では『ライアンの娘(1970)』での暴風描写も印象的だったけど・・
♦「プロパンガスは災害時に強い」ことを再確認(=^_^=)
♦後半に登場する「船の墓場」の描写が妙にゾクゾクさせる。『紅の豚(1992)』での「飛行機の墓場」が元ネタか?
♦船員の「観音様のお御渡りだ」のセリフに、何となく監督の「死に対する漠然とした不安」や「母なる存在の象徴たる、観音に対する信奉」なんかを感じ取ってしまった。
♦「水没の街」の描写は『天空の城ラピュタ(1986)』も彷彿とさせてくれて素晴らしい。
♦宗介の「僕もりさのおっぱいを飲んだんだよ!」のセリフに、思わず「耕一(=父)も飲んだわい!」と言いたくなったワタシ(=^_^=) ←ナニ言ってやがる!
♦水没後の「静かに、しかし確実に生態系の狂ってる世界」はある意味凄まじい。
♦元気な「ひまわりの家」のご老人(ってか老婆ばかり)を眺めてて『コクーン(1985)』を連想してしまった(・ω・)
♦「町営山上公園」に通じる「山上隧道」の描写がとても良かった! 実際にあるならロケツアーしてみたい! 

〜 こんなセリフもありました 〜

りさ「運命って言うのがあるんだよ。辛くても運命は変えられないんだよ」
  「人は見かけじゃないんだからね」
  「宗介がしたかったら、そうしてあげな」
  「いい? どんなに不思議で嬉しくて驚いてても、今は落ち着くの。いい?」

宗介「うーん・・ポニョに訊いてみないと分からない」

フジモト「見つけたか? え? 人間に捕まったって? マズい・・ものすごくマズい」
    「人間の水と息がどれほど汚れているものか。あれほど教えたではないか」
    「流石に“あの人”の子だ・・強い」
    「いつまでも幼く無垢であれば良いものを」
    「やはり“あの人”に来てもらわねば」
    「この井戸がいっぱいになった時、再び海の時代が始まるのだ・・
     忌わしい人間の時代が終わるのだ」

母「ごめんね。赤ちゃんはまだスープを飲めないの。
  でも私が飲むとおっぱいになって、赤ちゃんが飲めるのよ」 ←パパも飲むぅ〜(←おいっ!)

追記:本作の主人公(?)宗介のネーミングの元になったとされる、夏目漱石の小説『門』をボチボチと読み進めてるが・・コレが暗いの、長いの、でなかなかに苦戦中・・(×_×)

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☆プりウス君に乗って☆

8日(月曜)の早朝出発〜10日(水曜)の夕刻帰松コースで、愛媛県は宇和島市への出張をこなして来た。
今回のメインは市内及び郊外のお客様をご挨拶訪問するってことだったが、会社でリース契約している(現行型)プりウス君を相棒に、久々に走り回って(走りまくって)来たので、そのことを少し書いておきたい。

【悪】
・バックモニターは正直殆ど見ない ⇒ なくても構わんかった装備の1ツ。「もっと使うかな?」と最初こそ思ったが(・ω・)
・始動時はブレーキペダルをしっかりと、深く踏み込まないと“Dレンジ”にレバーが入れられない ⇒ コレは焦った! “P(駐車)レンジ”から“D(運転)レンジ”にレバーが入らないのだ。後で知ったのは「ブレーキペダルをしっかり奥まで踏み込む⇒パワーボタン(始動ボタン)のLEDがグリーンに点灯する⇒その状態でパワーボタンを押し始動⇒“Dレンジ”に入れられる」って手順。軽い(=浅い)ペダル踏み込みだと反応してくれない(×_×)
・シガーソケットの設置場所が最悪に悪い。運転席左脇のコンソールボックス内にあるんだが「FMトランスミッター」を使う人間のことを殆ど考えてくれてないように感じた。
・「FMトランスミッター」接続時、コンソールボックスのフタを開放したままにするんだが(同じくはね上げるタイプの)トレイがブレーキ挙動により、すぐ「パタン!」と倒れるのが鬱陶しい。
・後方視界が悪い。ハッチ部分、左右に渡されたピラー(柱)パーツがちょうど邪魔になり、後方から接近して来るクルマが「あるのかないのか」「あるならどんなクルマなのか」がさっぱり分かんない。

【良】
・“エコモード”で走行しててもちっともワクワクしないが“パワーモード”でアクセルを踏み込むと、想像以上に楽しい! どうやら「2.4リッターの自然吸気(NA)エンジン搭載車並み」のトルクが楽しめるらしいが、ホンマに「そこいらの2リッター以下クラスのクルマを引き離して余りある」ほどの加速が満喫出来る。

リコール問題もあって、今やちと物議を醸してる感のプりウス君だが・・こと“パワーモード”の楽しさを知り、少し見直したワタシである。もうちと(運転しての)ワクワク感を高めてくれたら・・とは思うが、社用車としては「理想的な1台」と言えるのかも知れない。

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2010年2月 5日 (金)

☆“突発性コロンボ依存症(=^_^=)”☆

“あまずぅん”にて「ポチッとな〜」な感じでもって“半直感的購入クリック”してしまった「刑事コロンボ/完全版DVDボックス」が、ここ2日ほど某配送業者さんをわずらわせた挙げ句、ようやっと我が部屋に届いた☆
改めて眺めると・・さすがにDVDのトールケースがズラリ22枚並んだだけの幅がある訳で・・圧巻と言おうか、タジタジしてしまう。
重量こそは大してないんだが・・ボックスセットのサイズ的には、両手で持ち上げて振り下ろしたら、立派な鈍器になりそな雰囲気である(←凶器かよ!)

購入記念とし、これまで衛星第2で放送されて来た⇒部分的にせよ鑑賞して来た『刑事コロンボ』のエピソード群を振り返りつつまとめてみたい(・ω・)

♦『刑事コロンボ/祝砲の挽歌(1974)』

メモによれば、何と昨年11月19日(木曜)の鑑賞(×_×) ホッタラケ(=放ったらかし)かよ!

「ヘインズ陸軍幼年学校」の経営を巡る、創立者の孫=ウィリアム・ヘインズ理事長と、厳格なる指導者=ラムフォード大佐/校長(パトリック・マクグーハン)との確執。記念式典の朝、祝砲の暴発により、ついに悲劇の幕は上がる・・

冒頭から“犯人”の行動が映され「ああ、これが“倒叙法”なんやな〜」とワクワクさせてくれる。例によって、探偵役=コロンボ(ピーター・フォーク)の登場は中盤に差し掛かった辺り(?)からなんだが、本作はパトマグ(←略すな!)の存在感が強烈で、それ故に作品自体のそれなりの荒削りさ(?)もが許される気がする。

1ツの刑事ドラマの割に、幼年学校と言う「閉鎖的世界」に入り込み、内側から「兵士の卵」たちの生活を描いてる演出はスゴい。劇中ではコロンボ自身が校内で1泊したりもするし(体験入学?)。

コロンボシリーズについては、エンディングのパターンが幾つかあり、
1)最後に“犯人”が印象に残るセリフを言う
2)“コロンボによる、犯人への一撃(←力石徹みたいだネ)”が放たれ、そのまま幕となる
3)犯人が連れて行かれ、そのロケで余韻の残されたまま終わる
4)ほか

となるんだが(↑大雑把過ぎる分類かも、、)本作は上記の「1」の中でも秀逸なエピソードだった。

〜 こんなセリフもありました 〜

ヘインズ「つまりだな、もう兵隊ごっこは流行らないのさ。戦争は終わったんだ」
ラムフォード「戦争が終わることはない。君のような人種が、我が国を“モラルの廃墟”にしてしまったのだ」

ラムフォード「今、(彼らに)戒律を学ばせなければ、一生学べん」
      「人間と言うものは、やり方によって良くも悪くもなる」
      「総てが殺人とは限るまい? “不測の事故”は何処でも起こり得るもんだ」
      「確かに私は、万人に愛されてはおらん」
      「人間、時としては、嫌われ者にならねばならんこともある」
      「人間が、互いに殺し合うことをやめる世の中が来れば・・君も(その)制服を脱ぐだろう」
      「我が国は“世界最強の陸軍”を持つことになるのだよ」
      「君が必要と思えば、やれば良かろう」
      「見事な調査だ。だが私が後悔していると思ってくれるな。
      “あれ”は必要だった・・私は何度でもやるだろう」
      「少し待ってくれるか」

コロンボ「あの子、何か隠してますねぇ。ウソをついてるんじゃないが、何かを隠してる」
    「もう1つだけ」
    「どうも、このファイルが引っかかりましてね」
    「こりゃどうも・・あなたも(葉巻を)お喫(や)りで・・ちっとも知りませんでした」
    「酒も飲(や)りますが・・懐の都合もありますんで」
    「こいつぁ・・最高級品ですね」
    「もっと続けましょうか?」

コロンボ「これは過失による事故じゃなく故意なんです」
ラムフォード「バカなことを・・論理が飛躍し過ぎとる」
コロンボ「だから話したくなかったんです」

ラムフォード「つまりだ、彼にはアリバイがある訳か?」
コロンボ「アリバイじゃなく事実なんです」

追記1:被害者が「僕がやるさ」と言わなければ、死んでたのはルーミス大尉だった・・(×_×)
追記2:本作と言えば・・連想するのは「リンゴ酒」である。一見全く無関係な「殺人事件」と「リンゴ酒(密造)事件」が同時進行する辺り、脚本の巧さを痛感するのだ。

♦『刑事コロンボ/権力の墓穴(1974)』

昨年10月29日(木曜)夜の放送を中盤から鑑賞。。
「ヘリを使っての空撮」が、ちょっと贅沢な印象もあったか。

♦『刑事コロンボ/野望の果て(1973)』

昨年11月5日(木曜)夜の放送を後半から鑑賞。。
「選挙モノ」と呼べるエピソード。政治家と銃弾ってのは、案外「連想するに近い関係」なんかも知れない(・ω・)

♦『刑事コロンボ/自縛の紐(1975)』

昨年11月26日(木曜)夜の放送を中盤から鑑賞。。
本エピソードをひと言で表現するとすれば・・「輪っか」であろう(=^_^=) ←そんだけかよ!

♦『刑事コロンボ/黒のエチュード(1972)』

昨年12月17日(木曜)夜の放送を後半から鑑賞。。
コロンボがピアノ弾いてるし! どうやら『ビッグ(1988)』の中でトム・ハンクスが足で弾いてた(?)のと同じ“チョップスティック”って曲らしい。ヒロイン役のしとがグウィネス・パルトロゥっぽくてマジマジとご尊顔を眺めてしまったモノだが・・後で、ブライス・ダナさんであると知った!
流石に似ておられます、お母さま! 犯人の最後の言葉が「それでは皆さん、チャオ!」みたいな感じで「カッコよろしいな〜」と言いたくなった。あ、でも、このカッコいいしとが(監督業で有名な)ジョン・カサヴェテスさんなんですね!

♦『刑事コロンボ/アリバイのダイヤル(1972)』

1月14日(木曜)夜の放送を後半から鑑賞。。
「アリバイ崩し」に重点の置かれてる作品って印象(・ω・) 犯人が何やら継続的に(?)怒ってたのが観ててちょっとツラかった。「いっつも怒ってるしと」って苦手なのである。。

♦『刑事コロンボ/意識の下の映像(1973)』

1月28日(木曜)夜の放送を後半から鑑賞。。
ひょっとしたら、刑事ドラマに“サブリミナル効果”をネタとし取り入れたのは、これが史上初なのでは? と思ったりする。どやろ?

♦『刑事コロンボ/逆転の構図(1974)』

2日(火曜)の夜。中盤からの鑑賞。ラストの犯人vsコロンボの戦いがスゴい! 犯人がナチュラルに感服した表情で「そうか・・わざと※※※をしたんだな?」と問いかけるんだが、そこで言葉を返さないコロンボがカッコいいのだ!
終盤のシーンで刑事らがうじゃうじゃと部屋の中にいるのが、ちょっと面白い。うち1人ぐらいには、上司に「君、今の見たね?」と問われ「いえ、全然見てません」程度のボケをかまして欲しかったトコだが(=^_^=)

♦『刑事コロンボ/2枚のドガの絵(1971)』

3日(水曜)の夜。中盤からの鑑賞。事件が事件を呼び「第2の殺人」が起こるんだが、第2の被害者は余りに可哀想過ぎる。。こんな犯人は許せん! ラストシーンでのコロンボの「得意そうな」表情が何とも言えず鮮烈(=^_^=)

♦『刑事コロンボ/パイルD-3の壁(1972)』

4日(木曜)の夜。中盤からの鑑賞(・ω・) 改めて「ピーター・フォーク自身の監督作」と知りびっくり! 「引っ掛かったように見せて、実は引っ掛けてた」ってオチがスゴい! あと、終盤の「パンク騒動」は犯人を励ましてあげたら良いのか・・観ててフクザツな気分になった(=^_^=)

・・ってことで“コロンボックス”を購入しつつも、衛星第2の放送を、それも中盤以降でしっかり観てしまっていってるワタシ・・(=^_^=) しかしながら、殆どのエピソードを「途中から観てる」もんで・・被害者については「名前しか知らなかったり」するのも多い(=^_^=)>

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2010年2月 2日 (火)

☆『リミッツ・オヴ・コントロール(2009)』☆

1日(月曜)。昨夜の(高松への)到着時間がやや遅めだったこと、今朝の起床が早かったこともあり、午後からは特にヘロヘロとなった本日。
最大の課題(?)は「時間厳守で愛媛県四国中央市に向かう」ってことだったが・・それが無事にこなせたことで、安心した半面、疲れもまたドッと出てしまったのかも知んない。
客観的には「そんなことぐらいで」と言われるだろうが、主観的には「ポイントは押さえた」とそこは強がっておきたいトコだ。

終業時には雨が降り続いてたが・・「雨宿りも兼ねて行っとこう」と考え、市内のミニシアター“ソレイユ”で、昨秋から首を長く伸ばして(=^_^=)「高松上陸」を待ってた1作『リミッツ・オヴ・コントロール』を観て来た次第☆

ジム・ジャームッシュ監督の最新作。彼の手がけた作品では『デッドマン(1995)』と『10ミニッツ・オールダー/人生のメビウス(2002)(←の中の1エピソード)』しか観たことがなく、お恥ずかしい限りであるが・・いよいよ、最新作にかじり付くことが叶った。

スペインの空港に降り立った、コードネーム“孤独な男”と呼ばれる1人の殺し屋(イサック・ド・バンコレ)。
彼の今回の任務は「自分こそが偉大だ、と思っている男を墓場に送れ」と言うとてつもなく不可解で漠然としたターゲット抹殺指令。
タクシーでマドリードに辿り着いた彼は指示通り「タワー」を目指し「カフェ」へと向かう。
タワーで、カフェテリアで、彼を待ち受け、また彼が待ち受ける人々・・それぞれにコードネームを持つ彼らと接触し“LE BOXEUR”のマッチ箱(に隠されたメッセージ入りのメモ)を交換することでターゲットへの歩みを進めて行く“孤独な男”・・

ついにセヴィリアのサンタ・ジャスタ近郊(?)の山岳地帯でターゲットをとらえた“孤独な男”だが、任務を果たした彼を待ち受ける運命とは・・?

アクション作を(ちょっと)期待して席に着いたんだが、そう言う類のモノではなく、その点では少し肩すかしを食らった(×_×)
しかし、作品世界そのものの雰囲気は決して悪くはない。いや、むしろ「訳の分かんない世界」をたゆたうような面白味、出口(≒答え)なき迷宮を彷徨うような「繰り返しの鑑賞にも耐え得る」完成度って言うのはあったと思う。
成功のカギは・・恐らくはイサック・ド・バンコレと言う主演男優の醸し出す魅力、そして何と言っても・・撮影監督を任されたクリストファー・ドイルの手腕によるトコが大きいだろう。

バンコレの雰囲気を眺めてて連想したのは、かの『ゴルゴ13』に登場した、ゴルゴ最大の好敵手の1人たる“スパルタカス”と言う名の殺し屋だった。自らを律しまくり、コレと決めた習慣から決して逸脱しない、そんな言動は感服にも値する。
殆どの場面で「無言」「無表情」を貫徹する“孤独な男”であるも・・数シーンで少し表情の和らぐのが面白かった。特にフラメンコ喫茶(?)で「とても重要な歌詞を持つ歌」を聴き終えた際の「あの表情」と「思わず拍手してしまってた、あの動作」には、観客が客観的に眺めるってこと以外の、もっと重要な意味が含まれてるようにも感じた。

そもそもが、冒頭からアルテュール・ランボォの詩の一節・・“非情な大河の流れを下りながら、俺はもはや船曳き達の導きを感じなくなった”の表示されるのがスゴい。コレって『酔いどれ船』じゃないですか! まさに「イイですか〜? これから意識下の世界に入って行きますからね〜」と監督に耳打ちされてる気すらして来る(・ω・)

多分敢えてのことだと思われるが、極力劇中に映し出されるメッセージ関係の「和訳字幕」の表示されなかったのもクールだった。
マッチ箱に折り畳んで収納されたメモの文字はさっぱり訳がわかんないし、某ピックアップトラックの荷台にデカデカと書かれた“LA VIDA NO VALE NADA”ってのも、後で調べてやっと「人生に価値なんてない」って意味であることを知ったわけで。
何度も登場する、あの美術館のシーンにも、様々なメッセージが隠されてたように・・今となっては感じる。

工藤夕貴が“モレキュール(分子)”なるコードネームを持つキャラとし“孤独な男”の前に現れる。その中で唯一、完全な日本語で「宇宙には、中心も端もない」と誰かに言い聞かせるように語ってたのが印象的だった。少なくとも“孤独な男”にはその意味までは伝わっていなかった筈だろうから・・

〜 こんなトコもありました 〜

♦コードネームがまんま“ヌード”って言うメガネのお姉さん(パス・デ・ラ・ウエルタ)が力演! この人の存在が、どんだけ男性客を魅了し、ある種の退屈さから救ってくれたことだろう!(=^_^=)
♦ティルダ・スウィントン演じる、コードネーム“ブロンド”なる女。後半でどっかに拉致されてましたが、、(⌒〜⌒ι)
♦コードネーム“メキシカン”な男(ガエル・ガルシア・ベルナル)。彼と“孤独な男”の絡みの辺りで、一瞬「船を漕いで」しまいますた・・(×_×)
♦ビル・マーレィ。本作では持ち前の(?)コミカルキャラを完全に封印してました(×_×) せめて「樹の幹に隠れる」ぐらいのサービスはして欲しかったのに。。 ←それは違う作品ですって。
♦総てのキャラが1度は主人公に訊ねる言葉は「スペイン語は話せるか?」だった(・ω・)
♦メモに眼を走らせた後、エスプレッソでそれを飲み下す主人公。アレに猛毒が塗ってあったらイチコロですなぁ。。にしても、劇中で何枚飲み込んだんやろ?
♦美術館で意味深な数々の絵画に対峙する主人公。何故だかクロサワ作品『夢(1990)』を思い出しちゃった(=^_^=)
♦スーフィー教ってナニ? と思ったら、要するにはイスラムの思想のことなんやね。
♦本作のスコア(楽曲)全般を手がけたのは「BORiS」なる日本のバンドらしい! 劇中曲の1ツでタイトルが“   ”とブランクなのがあり、ちょっとシビれた!
♦メモが白紙なら、飲まなくてもエエんやね(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

孤独な男「エスプレッソ2つ。別々のカップで(Dos Espressos. Separate Copa.)」
    「カバンの中は、空っぽだ」
    「仕事中は、やらない主義だ」

※「覚悟は出来ているか? 心の準備は・・」
 「持てる想像力とスキルを使え。総ては主観的なものだ」
 「小細工はするな」
 「“自分こそ偉大だ、と思う男”は、生命の意味を知るだろう。本当の世界を知るだろう。
  いや、1握りの灰となるだけだ」
 「現実は、気まぐれだ」
 「真実などないのさ。所詮は想像の産物だよ」

ヴァイオリン「楽器は信頼出来る。特に木製の楽器はな」
      「奏でられずとも、楽器を構成する木は(過去の)音の記憶を分子に刻んでいる。
       問題は、それを認識出来るかどうかだ」

ブロンド「『断崖(Suspicion)』をご存じ? ヒッチコックの」
    「昔の映画では昔の世界が観られるわ。昔の生活の1コマが」
    「オーソン・ウェルズの『上海から来た女』は観た? 訳の分からない映画だけど、
     ブロンドのリタ・ヘイワースはこの作品でしか観られないの」

ヌード「我慢出来るの?」
   「このレインコート、好き?」
   「シューベルトは好き?」

モレキュール「分子を辿れば、その物の履歴が調べられるわ」
      「3日待って。パンが届くまで」

モレキュール「気を付けて。私たちの中に“仲間じゃない者”がいるわ」
孤独な男「・・俺たちは仲間じゃない」

子供ら「おじさん、アメリカから来たギャングなの?」
孤独な男「・・違う」
子供ら「違うってさ」

ギター「あいつらボヘミアンの中から、才能ある者が出て来るのさ」
   「言葉の起源は、堂々巡りだな」

ターゲット「どうやって入った?」
孤独な男「想像力を使って」

ターゲット「お前には“世界がどんな仕組みで回ってるか”すら分かってはいまい?」
孤独な男「分かってるさ、自分なりに」

追記:ワタシの中で非常に興味のあるジャームッシュ監督作は、何と言っても『ゴースト・ドッグ(1999)』だろう。主人公の価値観(や行動)において、両作(『リミッツ〜』と『ゴースト〜』)で何となく共通した部分があると思っている。

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2010年2月 1日 (月)

☆この週末のこと☆

その実“覚え書き”のようなモノにも満たないが、、久々に「日記風」に書いてみる(・ω・)

♦29日(金曜)

・仕事の帰りに“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に向かい、新作『Dr.パルナサスの鏡』を観る。
・帰宅後、地上波初で放送されてたファンタジー作『エラゴン/遺志を継ぐ者』を(約10分遅れながら)観る。

♦30日(土曜)

・午前中からクルマにて帰阪開始。
・(阪神高速・3号神戸線の)月見山〜若宮間での「事故復旧工事に伴う渋滞」にぶち当たる(×_×)
 車列が殆ど動かず・・ハラの立って来たワタシは(最寄りの)須摩インターでさっさと降り、下道を使い三宮に向かおうとしたが・・・インター出口でいったん左折(←右折用車線は混んでるため)、三宮方面に向かおうと「すぐ先で右方向にUターン」した際・・急角度でハンドルを切ったため、モロに“樹脂バー”に車体右側面をヒットさせてしまう、、
 ⇒ 後で恐る恐る車体を確認したが、特にキズはなかった(⌒〜⌒ι) 危ねぇ〜、、
・帰宅後、地上波初で放送された『ハッピー・フライト』を観る。
・夜半、(大阪の)自宅で“あまずぅん”を徘徊してて・・とうとう『刑事コロンボ・完全版/コンプリートDVDボックス』ってのんを購入クリック! 旧シリーズ=全45話、DVD23枚組、約3740分収録・・と凄まじい仕様! コレでもう、衛星第2での放送を(たとえ観逃そうと)気にせずに済む・・のかな?(⌒〜⌒ι)

♦31日(日曜)

・(半月ほど乗れてない)ホントのオーナーに代わっての“暖気運転(←って言うんかな?)”と称し、家人の所有する“スズキ・スイフト(←スポーツヴァージョン)”を借りて出かける。“スイフト”のハンドルを握るのは1年近くぶり(?)な気もするが、最初はやっぱり「がっくんフットブレーキ」をやらかしてしまう。。自分のクルマ(=レガシィ)に比べ、ホンマに「擦らせる」ような軽い踏み方が必要となる訳だ。
 それから、今回気付いたのは「左右ドアミラーの視界がすこぶる良い」ってことか。目視確認せずとも、ばんばん車線変更出来ちゃう(←コラ!)ような感じ。死角のない気すらして来る。
 いや、もちろんホンマは決してそうじゃないと思うんだが(・ω・)
 また、発進の際のアクセル踏み込み時「ホイルが軽くスピンする」のを感じるほどの元気さを何度も実感した。全体的に自分のクルマより「軽い」「フットワークが良い」ことを改めて体感させられる。
 数年後、家人からこの“スイフト”を託されるような予感もするんだが、これはこれでめちゃめちゃ楽しく走り回れそうな気がする。ホンマにイイクルマやな、と思う。
・前々から心の何処かで気になってた場所・・『司馬遼太郎記念館(←大阪府東大阪市下小阪)』に行って来た☆ ここは・・イイ!
 「外から窓ガラス越しに書斎が覗き込める」自宅の更に奥に、安藤忠雄氏の設計による(コンクリート外壁の)展示室が建てられてるんだが、今まで足を運んだ同氏(=安藤氏)の(手がけた)作品の中(※1)でも、特に(建物)内部の構造・・(ここで言うと)「地下書架の意匠」が素晴らしかった! そしてまた、様々な形状&質感のガラスのはめ込まれた、透明なステンドグラス調の装飾のインパクトが強烈である!
 ここを訪問された折には、是非とも「内側から」ご覧頂きたいトコだ(因みに内側は館内であり、当然ながら撮影不可だ)。

※1 余り回ってるワタシではないが「ベネッセハウス・ミュージアム(香川県直島町)」「大山崎山荘美術館(京都府大山崎町)」「四国村ギャラリー(香川県高松市)」・・などが記憶に残っている。

・帰松の際、クルマを走らせつつ、地上波初で放送される『母べぇ』を移動しながら2ツの手段(1:ナビのTV 2:ワンセグTVチューナーを経由させたiPhone)で観ようと試みたが・・コレがどちらも大、大失敗(←又もどっきり調)だった(×_×)
淡路島内⇒徳島(鳴門)⇒高松・・とワンセグ、ナビのTVともに(電波の受信状況が悪過ぎ)全く何の役にも立たなかったのだ。。
 思い返せば、この「TV&バッテリー」なるオプションパーツってば、今まで「ワンセグチューナー」としても「予備バッテリー」としても、何の役にも立った試しがないように思う(×_×)

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