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2009年11月20日 (金)

☆『博士の愛した数式(2006)』☆

17日(火曜)の夜、衛星第2で放送された『博士の愛した数式』を観た。
以前、地上波で(初)放送された際にしっかり鑑賞したので、今回は「ダラっと観るだけ」のつもりだったんだが・・やはり観てるウチに“鑑賞メモ”をバリバリ執り始めてしまったのだった(⌒〜⌒ι) ←中盤以降ぐらいか。

因みに、以前の鑑賞記事は ↓ こちら(の下の方) ↓ にあります。

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/11/index.html

今回は、一切劇中に登場せぬ「博士の兄」と言うキャラについて、色々と思いを馳せてしまった。直感的に石※浩二氏の面影が浮かんだりもしたが・・ちと違う気もするネ(・ω・)

“道を踏み外した2人”とし語られる、博士(寺尾聰)とその義姉N(浅丘ルリ子)の過去のドラマは、もっと具体的に観てみたかった気がする。
博士ってば「とある事故」に遭う前は「文武両道」な凄まじい人物だったらしいし・・

ひょっとしたら「博士の兄」が“3人の関係”に終止符を打たん、と考え・・「とある事故」は起こるべくして起こったのかも知れない・・?

その一方、ヒロインである家政婦キョウコ(深津絵里)の「旦那」ってキャラにも、全く触れられることのなかった本作。
物語をなぞる上で、特に必要ではないものの・・「博士の兄」「キョウコの旦那」っちぅ2人のキャラ造型を完全に(意図的に)欠いてる辺りには「数式とし本作を眺めた場合、不完全な部分」があり、そこはミステリアスで興味深い。
(“死”の概念を取り込んでいない点も印象的な物語である)

あと、ホンマの人柄がどうなのか分かんないし、分かんなくてもエエか・・と考えてるんだが、少し気になってしまうのは、、ルート先生役の吉岡秀隆の実像。
(画面では)ものすごく腰が低く思えるんだが、パッと見“超自然体”なあのキャラ自体が、案外“演技”なんやろかネ?

〜 博士の語った言葉など 〜

博士「直感は大事だ」
  「皿なんか洗ってる場合じゃない」
  「暗算? 直感を働かせているだけだよ、君のようにね」
  「子供は大きくなるのが仕事だ」
  「大きくなる力は、種の方にあるんだよ」
  「ぺんぺん草なんか摘んでる場合じゃない」
  「それが“サイクロイド曲線”だ」
  「真実の直線は・・ここ(←自らの胸を示す)にしかない。永遠の真実は、眼に見えないんだよ。
   肝心な事は心で見なくちゃ。眼に見えない世界が、目に見える世界を支えているんだ」
  「勇気を持って、君の賢い瞳を見開きなさい」
  「子供は大人より、ずっと難しい問題で悩んでいる」
  「失うものはもう何もない・・ただあるがままを受け入れ、自然に自然に、生き抜こうと思う」
  「感じることが大切だ」
  「発見? “神様の手帳”を覗き見して、ちょっとそれを書き残しただけのことさ」
  「よし、お祝いしよう。子供には祝福が必要だ」

キョウコ「温かいですか?」
博士「君の手の、この温もりだけでも・・」

義姉「この木戸は、これからはいつでも開いております」

追記:「eπi+1=0」と言う“オイラーの公式”は「eπi=-1」とも表されるようだ。なるへそ(・ω・)

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