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2009年5月31日 (日)

☆『ディファイアンス/抵抗』☆

少し日付が前に戻り・・27日(水曜)の夜。
またもや“気まぐれ”を起こし、会社からの帰り、アーケード街の中に位置するミニシアター“ソレイユ”にて「やや気になってた」1作『ディファイアンス』を観て来た☆

主演:ダニエル・クレイグって部分がどうにも(チラシでも)目立ってしまい、どっちかと言えば彼は苦手なタイプ(の俳優)なので「どうなんかいね~?」と好かなかったんだが(←海外ではゲイのしとたちにもの凄い人気らしいが(=^_^=))・・いや、思った以上に“ヒーロー”でも“リーダー”でもない(ような)描かれ方で、それ故に気に入ってしまった(=^_^=)

物語のメインとなる4兄弟(←流石に末弟は幼く、地味だったが)それぞれの考え方、生き方が同時進行で(時に錯綜し)展開するんだが・・その離れ方、くっ付き方が実に柔軟で、予想してたよりも楽しめたか。

監督は『レジェンド・オヴ・フォール/果てしなき想い(1995)』『グローリー(1989)』『戦火の勇気(1996)』『ラストサムライ(2003)』のエドワード・ズウィック。彼ならではのロケーション(森林系)、物語展開(民兵系?)なども、ある意味“期待通り安心して”(=^_^=)楽しめる1作だった。
華やかさには欠けるが・・押さえといて良かったと、観終わった今は感じている。

1941年。ドイツ軍は東欧・ベラルーシへと侵攻、瞬く間にここを占領下に置いてしまう。
多くの(ユダヤ系の)民は虐殺され、強制移送されてしまう者もいたが・・運良く市街地を逃れ、広大な森林地帯へと逃走を試みる人々もいた。
(ベラルーシにユダヤ人の多い理由は、ロシアから大量に移住して来たためらしい)
そして、その彼らを追うのがSS(ナチス親衛隊)と彼らに尻尾を振る地元警察の連中である。

“1人捕まえれば500ルーブル”と言う報奨金で次々と“狩られゆく”ユダヤ人たち。

そんな中、森林へ迷い込んだ彼らを束ね、その生命を救った男たちがいた。その名は“ビエルスキ兄弟”・・

自らも両親を、妻を、殺され、復讐の鬼と化した長兄=トゥヴィア(ダニエル)、それは次兄=ズシュ(リーヴ・シュレイバー)も同じであり、心優しい三男=アザエル(ジェイミー・ベル)をも変えて行く・・(因みに、末弟はアーロンと言う少年)

神出鬼没の存在とし、各地の森林地帯(8月:リピクザンスカ、10月:ペレラズ、12月〜翌4月:ナリボッカ)を移動する、ビエルスキ兄弟率いるパルチザン(武装組織)。だが、ドイツ軍の追撃も日々、その激しさを増してゆく。

そんな折、兄弟は2つの大きな選択を迫られることとなる。

1つは、組織を解体し、精鋭の兵士(少数)のみがロシア軍人=ヴィクトル・パンチェンコの赤軍に合流する道
1つは、あくまでビエルスキ・パルチザンとし、自分たちの力で抵抗を続ける道

“復讐”“同胞”を巡る価値観の相違から、やがて兄弟の絆に「溝」が入り始め・・

冒頭から「これは真実の物語である」と字幕が挿入され、何となく姿勢を正さざるを得なくなる本作(⌒〜⌒ι)

物語は、意外にシンプルな展開で進むんだが「何が正しいのか?」と言う部分で、ときに観客は“複雑な想い”を味わうこととなる。

例えるなら「トゥヴィアが単身、ベルニッチ署長一家に復讐を果たしに向かう場面」や「“助けてくれ、子供が2人いるんだ!”と泣いて命乞いするドイツ兵を(武器を手に)取り囲むユダヤ人らと、その光景を目の当たりにし、指示を迫られるトゥヴィア」など・・。どちらのシーンも実にシンプルにストーリーは進むんだが、観てるこっちは感情に「急ブレーキ」がかけられてしまう(×_×) 正解のない(?)シチュエーションなだけに、苦さだけが残ってしまう訳である。

私的な印象としては、

トゥヴィア:ときに激情型だが、基本は頭ごなしに命令するのでなく、集団の成長を言葉少なに見守るタイプ。直感的。
ズシュ:理知的で感情にブレがない。人前で涙を見せることを嫌うが、案外心優しい。口ベタで損をするタイプ。
アザエル:兄たちの葛藤を心中で受け止め、自身の糧としていくちゃっかりタイプ。意外に兄弟随一の頑固者。

って受け止め方をしたが、どうだろう?

ダニエルは、次第に(肉体が)貧弱&(精神が)ヘタレであることが露呈しても行くが、時に「拳銃頼み」でそんな自身の威厳を保とうとしたり(=^_^=) リーヴは「主役を演じるには、ちと存在が暑苦し過ぎて困る」トコロ(=^_^=)を、巧い立ち位置で泳ぎ切ってくれ、かなり評価の高まる部分があった。なんせ今までで印象深かったのが『スクリーム(1996)』程度だったから(⌒〜⌒ι)
ジェイミーは・・もはや『リトル・ダンサー(2000)』の頃のピカピカした彼のイメージは忘れようか・・みたいな。。
まぁ彼としても『ジャンパー(2008)』のグリフィン役のように“新たなイメージで羽ばたきたい”気持ちは当然あるんだろう(・ω・)

食料調達隊のクーデター(?)など、次第に“危惧すべき相手”が「眼に見えぬ周囲のドイツ軍」より「同じ組織内の連中」にシフトして来たりする演出は、ちょっとした変化球な感じで新鮮に(?)映ったか。

ラストでいきなり本格的な激戦がおっ始まり「えっ? 監督変わったの?」みたいな不思議な違和感も覚えてしまったワタシだが、それに続く“あの展開”には「おおっ!」と感心させられた。本作の終盤は、なかなかのスッキリ感を与えてくれますわ!

〜 こんなトコロもありました 〜

♦字幕担当=戸田奈津子女史! しかし、全然意訳が弾けてない、、(×_×) 昔は「戸田さんが手がけはった」ちぅだけでワクワクもしたし、実際に訳が“活きてた!”感があったのに、、
♦『ラストサムライ』後半での真田広之の不死身っぷり(?)も凄かったが、本作におけるリーヴさんの鉄人ぶりもなかなか!
♦眼鏡紳士=イザック・シェルマン(元会計士?)の終盤が哀しい。『ミスト(2007)』じゃないが「もうちょっと待っとけ!」と言ったげたかった・・
♦超禁欲的に見えたトゥヴィアだが・・しっかり愛する女性と肌を重ねて(合わせて)るし! おまけに暖炉を備えたロッジみたいな、むちゃくちゃ快適そうな部屋でだし!
♦パルチザンの主食はビーツとポテトばかりらしい。「ビーツってナニ?」と思い調べたら、紅色の大根のことらしい。
♦戦車を奪っても喰えないが、馬は奪うと食料にもなる・・(・ω・)
♦「屍体は狼にくれてやれ」ってなセリフがちょっとワイルドで良い感じ(=^_^=)
♦結局、兄弟の中で「最も人生を戦乱に捧げた」のは・・
♦有事に必要なのは“ペニシリン”! 『デイ・アフター・トゥモロー(2004)』でも、学びましたよねー(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

トゥヴィア「復讐心は押さえろ。犠牲はもういい。“生き残ること”こそが我々の復讐だ」
     「力を合わせろ! 我々がここで言い争ってどうする!」
     「たとえ追われようとも、我々は“獣”じゃない」
     「生きようとした結果、生命を失うなら・・それは“人間らしい生き方”だ」
     「1度襲撃した農家を記録し、何度も襲わないようにしろ」
     「皆の前で、俺に逆らうな!」
     「今より“失った暮らし”を取り戻すのだ」
     「ユダヤ人が自由に暮らせる場所は、今や世界でここだけだ」

ズシュ「血には血だ、だろ?」
   「もう増やすな」
   「冬が来るってのに、こんな調子じゃ雨露もしのげんぞ」
   「モーセ気取りか?」
   「“気位ばかり高い”連中なんだよ、あいつら(ユダヤ人たち)は」
   「“反ユダヤ主義”は共産主義に反するのでは?」
   「1人、加わっていいかな?」

アザエル「やれば出来るさ、今までもそうして来たろ?」
    「奇跡なんか(待ってたって)起こらない。自分たちで起こすんだ」

ズシュ「武器があれば・・」
トゥヴィア「あればどうする? 全ドイツ兵と戦う気か?」

ズシュ「殺った気分は? スッキリしたか?」
トゥヴィア「黙れ」

ズシュ「みんな死んだ。だが俺たちは・・」
トゥヴィア「何故か、生きてる」

トゥヴィア「他の連中は?」
ズシュ「死んださ! あいつら(ユダヤ人たち)のためにな」

※「乾杯」
トゥヴィア「死者に、魂の安らぎを」

※「同じユダヤ人だろ? なぜ助け合わない?」
トゥヴィア「危険だからだ」

老教師「こんな世界になって、信念がぐらついた」
トゥヴィア「教室も同じだよ。先生の話は、いつも良く分からん」

ユダヤの戒律“もし生命を救ったなら、その者の生に責任を持て”

モーセの言葉“私を信じるな、神の声を信じよ”

老教師「西にヒトラー、東にスターリン・・次に救世主が現れるなら、きっとそいつも“ひげ面”だ」
   「血も枯れました・・神よ、他の民をお選び下さい」
   「神は君を我々に贈られた。神と君に感謝を捧げる」

イザック「デカルトは“我思う、故に我あり”と言った」
老教師「わしはさしずめ“お前に悩まされ、我あり”だな」

ベラ「女には銃を持たせてくれないの?」
ズシュ「男にも持たせない・・数も足りない」
ベラ「女にも“自分を護るための武器”が必要よ」
ズシュ「女は、男が護るさ」
ベラ「・・私も護って欲しいわ」

イザック「何処まで歩かせるんだ? 足がもげそうだ」
    「戦う力は確かに必要だが・・他にも考えるべきことが。・・例えば“共同体”」

ヴィクトル「ユダヤ人は“反革命的”だな」
     「犠牲はいつも必要さ。犠牲あってこそ戦いが続けられる」

トゥヴィア「大学で何を専攻した?」
リルカ「・・音楽よ」

※「ゲットーから1人逃げると、残った者が20人殺される」
 「我々の唯一の武器は“時間”さ・・しぶとく生き残ってみせるとも」
 「若いの、酒を飲め! 胸毛が生えるぞ」

リルカ「彼女にとって生きる支えなのよ! お腹の新しい生命が」
   「あなたは“人間らしく生きよう”と言ったわ。ここで獣になるの?」
   「あの子は、この地獄に生まれた“ただ1つの光”なのよ」

ご婦人A「また口(=人数)が増えたわ」
ご婦人B「でも、若い男の身体は温かいわ」 ←おおっ!

アザエル「えぇと、君と僕・・つまり、僕たちだけどさ・・」
ハイア「返事なら“イエス”よ!」
アザエル「ええっ?!」

アーロン「これで食料は最後だよ」
トゥヴィア「・・カゴを覆っておけ」

A「今、何時だ?」
B「約束でも?」

A「ズシュは利口だった」
B「なら、追えよ?」

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2009年5月26日 (火)

☆『重力ピエロ』☆

25日(月曜)。今日も案外すんなりと(?)仕事を終えることが出来たので、帰りに「元気あるし、1本行っとこ!」と思い付き、またまたミニシアター“ソレイユ”で新作邦画『重力ピエロ』を観て来た☆
(余り意識してなかったが、本日は“メンズ・デー”なので1000円ですた! 野郎万歳!(=^_^=))

宮城県仙台市。
この街では今、市民&警察の眼をかいくぐり、彼らをあざ笑うかのような放火事件が(5件)続いていた・・

遺伝子研究を専攻する、25歳の大学院生である兄=泉水(いずみ)(加瀬亮)、落書き消しのバイトをする弟=春(はる)(岡田将生)の奥野兄弟は、春のひと言「放火現場の近くに、必ず奇妙な落書き(グラフィティ・アート)が残されている・・!」から、新たな落書きを辿って放火魔を待ち伏せる計画を練る。
しかし放火魔は彼らの裏をかくように次なる事件を起こすのだった。

兄弟は次に、これまでの放火現場を再調査することに。
その結果、彼らは「単なる落書きに思えた」スプレーの文句(英字)と、界隈の看板(など)との間に“コドン表”と呼ばれる「遺伝子構造の“2重螺旋配列”を盛り込んだ高度な暗号」が盛り込まれている事実を探り当てる!

一方、奥野家には“交通事故(自損事故)で亡くなって久しい”母=梨江子(鈴木京香)を軸とした、父(小日向文世)ですら語ることを拒むような“24年前の、とある大きな事件”が濃い影を未だに落としていた。

過去と現在、時代を隔てた2つの“連続型事件”、そして父が兄弟に語った“大きな衝撃の事実”とは?

1つの兄弟、1つの家族、2つの事件、そして2人の父親・・を巡る物語が、いま奇跡の符合を見せる・・

うーん・・どうなんだろう? 映像表現や演出的には“必ずしも映像不可能”とまでは言えなかったんでは? と直感的に思ったワタシ。ただし、ロケ地である仙台市の地名や情景がバシバシ登場するので「仙台市の印象(治安や市民に対する)が悪くなるんでは?」と、そう言う“どっちでもエエこと”が妙に気にかかってしまった(・ω・)

“遺伝子”が事件のヒントとなって来る辺りから「放火犯の知能レベル」がかなり高度であろうことに気付かされる我々観客。それに伴い、犯人像も「彼」か「彼」か「彼」か「彼」か・・ぐらいに絞られて来る(・ω・)

が、一方で事件はもう1つの大きな“悪”の再登場を迎えることに! この辺りの「2つの事件」「2つの事件現場の類似性」には「おお!」と感心させられるものがあった。そこに気付くのは兄弟だけだったんだが、ネット全盛の現代ならば「趣味で過去と現在の事件の類似性を追ってる」ような探偵趣味なオタク野郎もいたりするんかも? とこちらも妄想がつい膨らんでしまう(=^_^=) 放火事件も過去の事件も、実際に死者が出ることは「ほぼ」なかったんだが、それ故、何だか事件がすぐに忘れ去られてしまう(しまった)であろうことが予測出来、何とも言えぬ複雑な気持ちにもなる(×_×)

組み立てはそこそこに面白いし、ダレ場なく進行して行く展開もなかなかなんだが・・私的には俳優陣に押し並べて“輝き”の不足していた印象があったか。

・加瀬亮:彼ならばすぐ“見当”が付いたように思うが。。にしても、観客に共感を与えるまでの表情(表現)に乏しかった感がある。
・鈴木京香:幼い(乳母車の)泉水に聞かせる「野菜の歌」がとても良かった! しかしながら、全体的に輝きがなかった。
・小日向文世:若い頃の小日向さんの髪型が、とにかく気になってしまった(⌒〜⌒ι) も少し、表面に歩み出て欲しかった気もしたが、この方が出過ぎると作品全体のバランスが狂うし・・難しいトコロなんだろう。
・渡部篤郎:本作のキーキャラがこの人! なんだが、もう1歩“底の深さ”を表現してくれたら、と感じたか。

終盤では、弟キャラがとある武器を振りかざすシーンがあるんだが・・そこのエッセンスだけを抜き出すと、まんま『サイン(2002)』におけるホアキン・フェニックスみたいやな〜と苦笑してしまった(=^_^=) 神の声が「振り切って!」とか(彼の)アタマの中で響いたんやろか?(=^_^=) 

〜 こんなことも感じたり 〜

♦劇中のサーカスは「木下サーカス団」らしい(・ω・)
♦「マイケル・ジョーダンのサインバット」なんて、実在すんの?(⌒~⌒ι)
♦「逢うべきでない相手」「知るべきでない真実」って、やはりあるのだと思う。
♦兄貴! ヤフ※でネット検索もエエけど、グ※グルもよろしおまっせ!
♦『ニコニコ殺人倶楽部』なんてサイトがあるの?!
♦壁に貼られたポスター絡みの演出は『ショーシャンクの空に(1994)』以来かも?
♦「国内の水」と「舶来の水」とで、火を消す効果が何処まで違うんか? と思いきや、、(・ω・)
♦“あのしと”の言動を辿るに、本作における「ガンジー」のような存在ではなかったか、と感じる。
♦“シトロエン2CV”“パンダトレノ”が眼を引いた☆
♦もろにソ※トバ※ク(携帯)の宣伝っぽい(音声)演出が入ってたような、、
♦今や、女性にとって「美醜の問題」など、もはやどうとでもなるような錯覚に陥ってもしまった(⌒~⌒ι) 本性とか言動、みたいなものは変わらないんだろうけど・・
♦後半からの“探偵役のシフトぶり”はちょっと面白い。
♦過去に大罪を犯した人物の絡ませ方が『ゴールデンボーイ(1998)』を連想させる。
♦「このバットはな、とっても貴重なんだぞ」とか何とか言いながら、父はきっと“それを与える時に”唇を触っていたんだろう(・ω・)
♦高所でガクガク状態となってるサーカス団のピエロ。。いざ“飛びまっせ!”って決意した瞬間の“ブランコの持ち方”が「あんた、プロですやん!」的な安心感を漂わせてくれてもいる(=^_^=)
♦99.7%と言う確率・・限りなく100%に近いが、、決して100%ではないんやね。。
♦ジャッキー主演の『デッドヒート(1995)』でも仙台の暗部(?)が描かれてたが、本作もなかなかに。。

〜 こんなセリフもありました 〜

泉水“春が、2階から、落ちて来た・・春と言うのは、弟の名前だ”

春「じゃ、行こう・・やっつけに」
 「別に、お前を助けたんじゃないよ」
 「こんなのはアートじゃない・・“素人芸”だ。俺の中の“ピカソ”が許さないよ」
 「ホントに深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」
 「“悪者退治”に欠かせないのが、兄貴とこのバットなんだ」
 「兄貴がいないと不安なんだよ・・俺はこう見えて億病なんだ」
 「もう1つ、行くよ」

父「おう、2人で遊んで来たのか?」
 「この情熱を他に向けたら、大物になるだろうなぁ」
 「眼の見える奴に、こんな(ローランド・カークのような)楽しい演奏は出来ないだろうさ」
 「※※よりも、退屈で死にそうだよ」
 「俺の頭の中に響いた神の声はこうだ・・“自分で考えろ!”
  ・・この言葉は“神の在り方”として、なかなか正しいよな」
 「俺たちは“最強の家族”だ」
 「大丈夫だよ、※※ことなんか怖くない」
 「嘘が下手だな」

ガンジー「人は生きる為に食べるべきであり、味覚を満足させるために食べるべきではない」
    「非暴力こそが最大の武器」
    「自分自身がこの世で見たい、と思う変化になりなさい」

母「“その場限りの安心感”が、人を救うことだってあるの」
 「泉水と春・・どちらも英語にすると“スプリング”なのよね」

母「あんなに楽しそうな顔をした人が落ちる訳ない。もし落ちたとしても無事に決まってる」
父「つまり、楽しそうに生きてれば“地球の重力”なんて消してしまえるんだよ」

※※「人の悪は、人の良心をはるかに超えるんだよ」
  「俺は“想像力の塊”なんだ」
  「ま“青春の1ページ”って奴だな」
  「恥を隠そうともしないんだな? お前の親は」

※「炎には浄化作用がある・・浄化してやるよ、お前のやってることも、お前自身も」

※「俺に隠れて、何かをやった・・そうだろ?」
※「何かって?」
※「悪いことだ」

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☆『永遠のこどもたち(2007)』☆

24日(日曜)。金曜の夜から“2泊3日コース”の出張(松山方面)があり、この日の夕方に至りようやく帰松(と言うの?)と共に仕事モード⇒私生活モードへの切り替えが出来たような、そんな週末だった。
15時過ぎに社用車をオフィスに置きに戻ったんだが、そこから帰宅を開始するにあたり「週末らしい“気分転換的なサムスィング”をしときたいな」といきなり思い立ったワタシは、アーケード街にあるミニシアター“ソレイユ”に寄ってみることとした☆

“映像化不可能”と言われた(?)とされる某新作邦画の公開も始まっていたが、そちらはまだ上映期間に余裕があるんで・・今回は期間終了の迫ってる1本『永遠のこどもたち』を観ることに。

神戸などでは1月初旬に早くも鑑賞が可能となってた本作(・ω・) 私的には『パンズ・ラビリンス(2006)』以来、こそっと注目してるメキシコの鬼才=ギレルモ・デル・トロ(監督)がその製作を手がけた・・ってことで看過は出来まいと(年始から)感じてたワタシだった。

灯台をその先端に擁する、岬の見える海辺の孤児院“良き羊飼いの家”で幼少を過ごした37歳のラウラは、30年ぶりにこの地に戻って来る。彼女と医師である夫=カルロス、7歳の息子=シモンの一家は閉鎖されていた孤児院(洋館)を買い取り改修し、障害を持つ子供らのためにホームを開設しようと考えたのだ。

空想癖のあるシモンは、ワトソン&ペペと言う“見えない友達”と日頃から語り合う子だったが、孤児院へやって来てからは彼らとは別の“新しい友達”との内緒話に興じるようになっていく。

そんなある日、灯台の真下にある“満潮になれば海に没する洞窟”に散策(探検?)に出かけたラウラは(一緒にいた)シモンが「後でうちにおいでよ」と洞窟内の暗い岩陰で“友達”に囁いた日から、屋敷の中に「家族ではない誰かの存在」を強く感じるようになる・・

そして迎えたホームの開園パーティーだが・・シモンが孤児院から忽然と姿を消してしまい・・

観るまでは『アザーズ(2001)』に似た、何処かモヤモヤ感を内包した作品世界を想像していたが、何となく観てて連想したのはJホラーなあの1作『仄暗い水の底から(2002)』だったりした(=^_^=) 中盤の“シモンがいなくなる”辺りは『チェンジリング』っぽい構成にも感じたが、あちらよりも随分と(伝わって来る)喪失感の薄い気もしたか(・ω・)

チラシにも「『シックス・センス』以来の衝撃と感動!」とデカデカ書かれてる通り、どうにも“もはや1ジャンルとして確立しちゃった感のある『シックス・センス(1999)』路線”と決め打ってしまいたくなるような・・少し(ワタシの)期待から外れてしまってもいた本作。

そうは言っても“灯台”“洞窟”などを配したミステリアスな(スペインの)ロケーションや、ボロボロの麻袋(?)をかぶった“スケアクロゥ”みたいな邪悪少年=トマスの存在などが異彩を放ってるのは事実であり、正直「変に母性に満ち溢れた感動路線に着地せずとも、もっと不条理な恐怖路線を貫いても面白かったのにな?」と思ったのはあった(⌒〜⌒ι)

ホラー路線を「良く分かんないままに描く」のかと思いきや、警察&心理学者&霊媒師などが中盤から絡み始め、しっかりと“科学的な検証”も交えつつストーリーが進むのには、ちょっと制作陣の「それらしく見せる、第3者の介入にも、ぬかりないんでっせ!」的な“してやったり感”が受け止められて良かった(=^_^=)

私的に「これは怖いさぁ!」と感じたのは次の3点。
・(とある事情で)すっ飛んだベニグナ・エスコベード婆さんの下顎部周辺の凄い描写(×_×)
・ラウラのベッドにこっそり潜り込んで来たカルロス(?) ←ここはまさに『仄暗い』系と言えましょうか、、
・「1、2、3、壁を叩け」なる“達磨さんが転んだ”的な遊びをやる2回目のシーン。あの“振り返った先の情景を映し出すカメラワーク”はただモンじゃなかった!

ちょいと「おっさん」が観るには“余りに神聖過ぎて(?)こそばゆい感”のあるエンディングだったが、女性ならきっと誰もに、不思議な魅力と余韻を約束してくれる、そんな佳作ではないかなと思いますわ。

〜 こんなことも 〜

♦「灯台内の探索シーン」も盛り込んで欲しかったかな、と。
♦さり気なく“マトリョーシカ”をアイテムに持って来るトコロに“松尾スズキ”なセンスを感じた(=^_^=)
♦霊媒師=アウローラを好演してくれたのはジェラルディン・チャップリン。『ハイジ(2005)』のロッテンマイヤーさんを思い出してしまった(=^_^=)
♦スペイン北部に位置するアストゥリアス地方・・結構な雪が降るんですねー(☉д☉)

〜 こんなセリフもありました 〜

シモン「僕はならないよ、大人にはね」

ラウラ「(灯台の)見えない光が私たちを護ってくれる」
   「見えない存在の気配を、今は感じる」

アウローラ「悲劇は時として傷口を残してゆく、残響のように。そしてそれは、過去と今を繋ぎさえする」 ←『呪怨(2003)』みたいやね(×_×)
     「見えないものを信じなさい・・信じれば、それは必ず見えるわ」

レオ・バラバン教授「ユングによれば、潜在意識下において生者と死者は共存している」
         「“死の使い”であるとされるドッペルゲンガーの出現は、霊界の入り口が近いことを意味する」

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2009年5月24日 (日)

☆溜まって来とるレビューをば・・☆

鑑賞メモのみが残されたまま、どんどん時間が経っとるんだが・・残してても不憫(?)なので、少しずつ書いてみますわな、と(・ω・)

☆『オーシャンズ12(2004)』☆

先月28日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。正直言って“ながら観”だったけど・・
ある意味、前作『オーシャンズ11(2001)』の「正常進化的な続編」って感の本作だが、何だか「ダニー・オーシャン(ジョージ・クルーニー)一味に「ご丁寧に」脅しをかけるカジノ王=ベネディクト(アンディ・ガルシア)の“底の見えぬ恐ろしさ”が殆ど伝わって来ず、それよりも中途半端な“強敵”にまつり上げられちゃってる怪盗=フランソワ“ナイト・フォックス”トゥルアー(ヴァンサン・カッセル)のスゴさが、そのスゴさの割に余りにあっさりと扱われてて」そこがまず不満だった。

「交わされるセリフの数々で、観客の想像力を刺激し、(表面的な)本作そのもの(の厚み)を補完させる」みたいなのが本シリーズの特徴の1ツ(?)なんだが、今回の“ゲスト”トゥルアーの手口が(セリフの中だけで語られるに過ぎないのにモノ凄く)“石油王の所有する全長60メートルほどのクルーザーを船員ごと盗み去り、1週間後に船員らは全員無事に戻されたが、彼らの記憶は全て失われていた”・・ってのからして恐ろし過ぎるワケだ(×_×)

彼自身の“盗みのシーン”が後半であっさりと描写されるんだが、ここがまた凄まじい!
正直、こんな今世紀最大級の怪人と対決するぐらいなら、単なるカジノ王に過ぎぬ(?)ベネディクト自身をどうこう(流血にせよ、無血にせよ)した方が、よほどラクな気がしたのはワタシだけだろうか?

ブルース・ウィリスが“ゲスト出演”したり、ジュリア・ロバーツ(テス・オーシャン役)が意外な人物になり済ます展開もあるんだが・・「何か軽いよなぁ」と。

そう、本作の長所であろう(?)「余りにもの軽さ」が、どうやらワタシの感性とずれてしまってるようなのだ。

ラスティ・ライアン(ブラッド・ピット)とオーシャンの信頼関係も「軽い」し、ライナス・コールドウェル(マット・デイモン)の活躍ぶりもまた「軽い」モノで。

これらの「軽さ」が改善されぬ限り、本シリーズには・・と言うかスティーヴン・ソダーバーク監督にはさほどの期待感を持てないな、と言うのが正直なワタシの気持ちだ(・ω・)

☆『ダヴィンチ・コード(2006)』☆

こちらは今月16日(土曜)夜の鑑賞。ま“地上波初放送”されたモノを中盤から“ながら観”したに過ぎなかったんだが。。
(実はDVDソフトを購入しており、開封はしたモノの、まだ観れてない状態なのだ(×_×))

とにかく出演者が豪華な本作!
主人公=ラングドン教授役にトム・ハンクス、その周囲を固めるメンバーに、オドレイ・トトゥ(ソフィー役)、イアン・マッケラン(リー役)・・ジャン・レノ(警部役)、ポール・ベタニー(刺客役)、アルフレッド・モリーナ(司教役)など・・

本作をひと言で語るなら(←語るなよ)「アクション要素を極力抑え、宗教的タブーへの“踏み込み率”を意図的に高めた“インディ・ジョーンズ”路線」って感じだろうか?
ネタそのものが大き過ぎる、と言おうか、そもそもニッポンジンの好奇心を刺激するには“弱い”ってな印象を受けるんだが、劇中に挿入される「歴史的再現映像」の数々が実にしっかり(映像的に)造られており、そこは感心させられた☆

またテンポも想像以上に良かったかな、と。

ただ、オチの“どんでん返し率”を高めようとする余り、多少強引かつ「折角の今までの演出&感情移入を台無しにしちゃう」ような組み立てが見受けられ、そこは私的には残念だった(×_×) 原作に忠実に描いたんだろうけど・・

あとキャストが豪華、と先述したが、、そのキャスト陣が(押し並べて)精彩を何処か欠いていたのも特筆すべきトコロだろうか?

トム・ハンクスも主人公と言うには華がなく、持ち前のコメディセンスも封印されてたように感じた。
ジャン・レノも、オドレィ・トトゥも、“彼らならではだった、あの作品(1994)やあの作品(2001)”からすれば、実に華がないのである(×_×)

ウ※キペデ※アをざらっと拝見する限り、世界的にも「興行収入」以前に「(宗教的)物議」が前面に押し出されてしまい、余り爆発しなかった作品な感がある。

何にしても2時間半近くの作品時間の割には、意外と飽きさせずみせてくれた1作であるな、とは思ったので、また機を見つけDVD版でじっくり再鑑賞してみたいトコロである。

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2009年5月16日 (土)

☆『ダウト〜あるカトリック学校で〜』☆

15日(金曜)。
今週は何とも短い1週間・・に感じた。と言うのも、週半ばに(1泊2日コースの)出張が入ったからだ。
松山市経由で、愛媛県の南方に位置する宇和島市へと行って来た。

出張先では、出来る限り早起き⇒ホテル周辺を歩き⇒界隈の気に入った寺を“早朝拝観”する・・ってのが1つの「息抜き」なのだが、、結局はそんなことをするから、余計に疲れるんだろうな(×_×)

そうそう。初めてレンタカーで“ト※タ製の某国民的(?)ハイブリッド車”を運転する機に恵まれたが・・(アクセルペダルを)踏み込んで「時速:ぬわわ〜ぬふわkm」を出しても安定感があり、全然(全身に)緊張感の走らないのは気に入った。
※ヨタ車らしい、と言おうか“運転の喜び”は殆ど感じないんだが、ホンマに「優等生」って感じでそつなく乗れる印象である。

欲を言えば「妙な場所にある、妙な形状で、妙な操作を要するシフトレバー」と「ペダルによるパーキングブレーキ」だけは何とかして欲しかったかな、と(ま、自分のプライベートなクルマじゃないからエエけど)。

さて、出張を無事にこなし帰松したワタシは、本日ばかりはややゆったりした調子で働かせて頂き、来週始めからの出張(今度は2泊3日コースで高知へとゆきます)の準備を進めつつ「そや、週末やし、久々に1本行っとこう!」と思い付いたのだった。

“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”で観たのが(こちらでは)上映の始まったばかり(?)の『ダウト~あるカトリック学校で~』だった。舞台劇を映画化した骨太な物語のテイストを感じたが、果たして・・?

ジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで凶弾に倒れた翌年である、1964年。
ニューヨーク・ブロンクスにあるカトリック学校“聖ニコラススクール”では、厳格な女校長=シスター・アロイシス(メリル・ストリープ)が、専属の神父=フリン(フィリップ・シーモア・ホフマン)の行動に“疑い”を抱き始めていた。

スクール開校以来“初の黒人生徒”である12歳のドナルド・ミラーに対し、神父が一線を越える“不適切な関係”を持っているのではないか? と言う“疑い”・・

神父の“怪し気な行動”を偶然に目撃した若きシスター・ジェームズ(エイミー・アダムス)は、日頃アロイシスに「あなたは純真過ぎますね」と冷ややかに評され、委縮してもしまう新米シスターであったが、、“フリン神父の寛容さ”を眼にする機会を得るにつけ、次第にアロイシスに対する“もやもやとした不信感”の高まりを押さえ切れなくなる・・

うーん・・渋い! 構成そのものは至ってシンプルだし、正直大した“テーマ”にも“ヤマ場”にも欠いてるように感じたワタシであるが「メリル&ホフマンの2大演技派俳優の言動だけで、シンプルなストーリーをグイグイ引っ張り切った」こと・・に対しては、流石に評価せざるを得ないだろう。
ロケーション的にも「学園の庭」「校長室」なんかが“クライマックスの場”と言う等身大さ(⌒〜⌒ι) 2大俳優に対するギャラ以外、大して製作費かかってへんのとちゃう? とまで“疑い”を持ってしまったり(=^_^=)

物語の中で“比較的ニュートラルな存在”であるシスター・ジェームズがどう「軸部分」に絡んで来るのか? と、例えば『プラトーン(1986)』におけるチャーリー・シーン的な立ち位置を連想したんだが・・そう言う流れではなく、ちょっと肩すかしを食らった気もしたか(・ω・)
同様に、ドナルドくんやその母(ミラー夫人)にも「ここ!」と言う見せ場はそれぞれ用意されてはいるんだが、どうにも「軸部分」にまでは絡んで来てなかったように感じる。。

結局は、外野キャラがごちゃごちゃ言うシーンより「フリンvsアロイシス」の対決こそが重要であり、その対決には小賢しいロケーションもカメラワークも、必要とはされなかった・・ちぅことだろうか。

カトリック学校な割に(だからこそ?)生徒らの“しつけ”がイマイチだったのは、全体を通しても気になったところか、、
特に「授業中に私語をすれば、たちまち教室から追い出され、校長室に謝罪に行かされる」と言う“判で押したような罰則”ばかりを繰り返す一方、廊下で(日常的に)行われてる“イジメ”みたいなモノは「見て見ぬ振り」を決め込んでるように感じたぞ、教師陣!

後半になってから「とある重要な場面」でやっぱり「授業中に喋ってて校長室に行かされる」生徒が出て来るが・・校長に「教室に戻れ、授業中は黙ってれば良い」みたいにあしらわれ“回れ右”するシーンがあり、その生徒の舌打ちが聞こえるような感じがして、それはそれで面白かった(・ω・) ←このシーン、ロケーションは切り替わるが、時間軸がフツーの流れ(教室⇒廊下⇒校長室⇒教室)で繋がれてて、意外と新鮮に映ったな。

「事件の真相」もそうだが「2大キャラの本心」もまた断片的かつ表面的にしか描かれず、ある種の消化不良感が残るのは、制作陣の意図したトコロなんだろうか?

「ドナルド問題」以外にも「ヴェロニカ問題」ってのが劇中(の裏)に存在しており、そこの辺りは“反撃材料”にも成り得たのにな〜と感じたワタシ(⌒〜⌒ι)

芸術的&普遍的&高尚なドラマだとは思うんだけど、この描き方やこの落とし方でエラそうな顔(=大作ぽく気取った宣伝)をされてもなぁ・・とジワッと感じてしまったワタシである。

本作はきっと“上級者向け”の作品なのではないだろうかな、と(・ω・) しかしカトリック圏ではもの凄い物議を醸し出すだろうな、とは思う。宗教がネタにされながら、実のトコロは“人間の俗性”が描かれてる訳なのだから・・

〜 こんなことも気になったり 〜

♦全く登場しないが、妙に存在感を感じる「ドナルドくんのパパ」
♦劇中で「3度の教義(教えのスピーチ)」を披露してくれるフリン神父。特に2つ目のトークはなかなか良かったです☆
♦「神父側」と「シスター側」で“食事シーン”の雰囲気がまるで違う!(=^_^=)
♦“センセイに没収されたモノ”が決して帰って来ない理由・・がそれっぽく描かれてた(=^_^=)
♦ロバート・デ・ニーロの描いたブロンクスとは、随分と印象の異なる気がした(=^_^=)
♦校長室の電球は切れ過ぎ(=^_^=)
♦アロイシスは「飲酒」を「下劣だ」と一蹴していた(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

フリン「確信がない時はどうするか?」
   「絶望感が人と人を結び付ける」
   「あなたの隣人の“孤独”を想像して下さい」
   「針路は果たして正しいのか? 人は疑い始めます」
   「“疑い”は強力な絆と成り得る、確信と同じぐらいに」
   「“飢えたる龍”だな」
   「ハナシが脱線しましたな?」
   「あなたのやり方は感心出来ませんな」
   「校長はあの子に手を差し伸べたか?」
   「少なくとも、私は校長よりも“あの子想い”だ」
   「あなたの哲学が表情にあらわれている・・“優しさ”が」
   「愛は悪くない」
   「美徳の名の下に、優しさを葬ってはならない
   「人生には“迷える時期”があるものだ」
   「全ては言えない・・言えないこともある。分かるか?」
   「風が私を運び去ります・・その意図も分からぬままに」

アロイシス「待たせないで!(Don't make me wait!)」
     「咳止め? これはキャンディで、呼び方が違うだけです」
     「最近は、誰もがラクをしようとする」
     「ボールペンなんか使うと“サルのような醜い字”になります」
     「今に殴られるでしょうね」
     「こうならぬよう祈っていたのに・・ついに起きてしまったみたいですね」
     「よりによってドナルドを・・」
     「悪人よりも知恵を働かせるのが、私の仕事です」
     「流石は雌猫だわね!」
     「少し(校長室の)ドアを開けておきましょう・・決まり(=規則)ですから」
     「ボールペンをお使いですか?」
     「信じるの? その方が楽だから?」
     「確信できるわ、経験からね」
     「スパルタでは大声の人が物事を決定していたそうね・・でもここはスパルタじゃない、幸いにもね」
     「生徒から取り上げましたが、今では私が病み付きに」
     「私ではなく、あなたが問題なんです」
     「私には・・人間が分かります」
     「噛み付く犬の習性は直りません」
     「私は後悔など感じない人間・・同情などしません」
     「悪を駆逐する中では、神から遠ざかることもあるわ
     「我々は余り眠ってはいけないのかも」

ジェームズ「2列で歩いて、ノアの方舟のように」

ジェームズ「余り厳しくすると、生徒が怯えるのでは?」
アロイシス「怯えるのは“ワルの生徒”だけです」

ジェームズ「人を疑うことは・・神から遠ざかる行いに思えます」
アロイシス「遠ざかろうと、神のためです」

アロイシス「何をお書きですか?」
フリン「“不寛容”についてです」
アロイシス「・・・」

フリン「世の中は変わって行く・・教会も変わらねば」
アロイシス「その目的は?」

フリン「不愉快な口調ですね」
アロイシス「あなたの口調もね」

オローク神父「風に舞い散り・・再び総てを拾い集めることの叶わぬ羽根・・それこそが“噂の正体”だ」

ジェームズ「花を本のページに?」
フリン「“春をいつも思い出す”ためにね

ミラー夫人「たとえ体罰を息子に与えようと、夫のすることに口出しは出来ません」
     「世の中を知りもしないで・・」
     「私はあの子に良くしてくれる人の味方です・・あなたもそうであれば」

フリン「あなたは過ちを犯したことがないのか?」
アロイシス「・・あります」
フリン「それは大罪か?」
アロイシス「・・そうです」

追記1:エイミーは『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(2004)』でディカプリオの恋人役だったらしい! 全然覚えてない!
追記2:校長(尼僧)<神父<院長<司祭<司教<教皇・・とランクが上がっていくらしい(・ω・)
追記3:久々に「拳銃が出て来ず」「空撮がなく」「手持ちカメラ撮影」じゃない作品を観た気がする(=^_^=)

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2009年5月12日 (火)

☆『スラムドッグ$ミリオネア』☆

10日(日曜)。例の如く、土曜に帰阪⇒日曜に帰松(←でイイの?)ってなコースで実家に戻った。

高速代自体は確かに安くなってるし、運転時間もまぁワタシとしては“そこそこ長いかな”ってレベルのもんなので、さして苦痛ではないんだが・・唯一「勿体ないなぁ」と感じるのはやっぱりガソリン代。1往復で6000円ほどかかります(×_×)

今回のメイン目的は「大阪で、映画を観よう、久々に」と言う5・7・5調にスッキリとまとまりやすいモノである。
高松でも、そこそこ“掘り出し物”を鑑賞する機には恵まれるが・・やはり絶対的な(上映)本数が少なく、メジャー作にしても公開時期が1〜2テンポ(?)遅かったりする(・ω・)

「観たい作品は、観たい気分のウチにとっとと観るべき!」と言うのもワタシの持論(なの?)であり、今回は短い“在阪期間”の中、狙ってた1作『スラムドッグ$ミリオネア』を観て来た次第☆

場所は“なんばパークスシネマ”。大阪時代には「何せ遠過ぎる」なる理由で「出来るなら、足を運びたくない劇場」の筆頭格となってたんだけど・・

2006年、ムンバイ。かつて“ボンベイ”と呼ばれたこの街は、凄まじき勢いで高層ビルが天に向かって建造され、まさに“世界の中心”とも言うべきその発展ぶりを諸外国に見せつけていた。

しかし「そこに暮らす人々の生活水準が押し並べて良いか?」と言えば・・無論そんな“平等さ”に眼を向けた人道的な政策は後回しとされ、高層ビル群の隙間に広がる空を見上げながら「毎日を命がけでしのいでる」下層の市民もまた、確かに存在しているのである。

ムンバイの富裕層も、そして貧民街(スラム)の住民も「それだけは平等に」楽しんでいたのは・・無一文の人間でさえ、運と教養が備わっているなら一夜にして“一攫千金”を狙うことの出来るTV番組「クイズ$ミリオネア」であった!

そしてその夜「スラム育ちの1人の青年=ジャマール・マリクが出題を次々とクリアして行く」と言う前代未聞の出来事に、ムンバイの人々は興奮の度合いを高めていた!

司会者=プレームすらをも圧倒するジャマールの好調ぶり。

しかし“とある人物”による「インチキ(不正)を働いてるに違いない」なる指摘が疑惑を呼び、ジャマールは最終問題(獲得額:2000万ルピー)を前に、警察へ連行される・・

密室で繰り返される暴力&拷問・・「インチキの手口を言え!」と脅しをかける警官らに対し、
「・・答えを知っていたのさ・・」と不敵な視線を投げかけるジャマール。

そして、彼の語り始めた“スラム育ちの少年(=スラムドッグ)の半生”には「クイズ$ミリオネア」に出題される難問(?)の数々との間に、恐るべき“偶然の一致(Synchronicity)”が盛り込まれていたのだった・・

「第81回アカデミー賞(2009)」において最多8部門を受賞した本作。正直「ふざけたタイトル付けやがって!」「どれ程のもんじゃい!」と眉に唾を塗りたくる気持ちで鑑賞に挑んだワタシだが・・

第一印象は「色んな意味で(画面が)汚いな」と率直に感じた(⌒〜⌒ι) いや、ホンマに汚いシーンが(制作側の意識したトコだろうが)目に付いたもんで。

次の印象は「荒削りで、何処かスッカスカな風ながら、巧くツボを押さえてるよな」「恐ろしく暴力的&悲劇的な軸を持つ半面、テイストは必ずしも(絶望の)どん底を擦ってないよな」と感心させられたことか。

監督=ダニー・ボイルは「インドを(イギリス人=外国人として)外から“客観的に”眺める」と共に「カメラをインドの下町に潜らせ“主観的に”眺める」と言う2つの意欲的な試みをし、共に成功していた。

そしてそれを彩るのが作曲家=A.R.ラフマーン・・そう! あの『ムトゥ/踊るマハラジャ(1995)』のスコアを手がけた“鬼才”なのである! これには流石に恐れ入った! このおっちゃん、とうとう“アカデミー作曲賞”に輝いちゃったよ!

本作ってば、テイストは「逆境にさらされる主人公」「引き裂かれる恋人たち」「強大な悪党の影」「ラストは歌って踊っての大団円」・・と言った“マサラムービー”のストライクゾーンを貫いてる気のしたワタシだが、これがインド人監督なら恐らく取り組まぬであろう「徹底した生々しい描写」「荒唐無稽さ&能天気さの排除」などの“不協和音”を意欲的に組み込んだことで“唯一無二な作風”の成立に奏功したんではないか、と。

100本の“マサラムービー”を咀嚼し、その中から“新たな”1本を造り上げた監督の手腕には、素直に拍手を送りたい。

〜 こんなトコもありました 〜

♦「宗教的対立」は恐ろしい! 問答無用で女子供もしばき殺される、、振り上げられた棍棒(?)を前に「かかか、改宗します!」と絶叫したら、一命は取り留められるのだろうか?
♦とある選択肢「運命だった(It's written)」の原語部分が特に気に入ったワタシ! 「運命の書に書かれていた」って感じだろうか?
♦主人公の名を耳にするたびに「じゃマ〜ル」と言う往年の雑誌を思い出してしまったワタシ(・ω・)>
♦主人公の兄サリーム。人物的には、彼の方が“はるかにキャラの立ってた”気がした。
♦成人したサリーム。何となくご尊顔の雰囲気に「サミュ・L・ジャクソン」入ってた気がしました(=^_^=)
♦ムンバイでは、映画スターにも案外容易く近付けるようである(⌒〜⌒ι)
♦本作、物語の組立てが『ユージュアル・サスペクツ(1995)』っぽく見えなくもなかったか、、
♦「才能の突出してない方が巧く生きて行ける世界もある」・・と学んだ。例えば、歌が巧くても、下手なフリをしとくべき“人生の局面”もあるってことだ(⌒〜⌒ι)
♦ムンバイの少年らをサーキットのピットに配置させてみたい。タイヤなどを“外す”作業に関しては、プロのピットクルーよりも早いんじゃなかろうか?(苦笑)
♦わざわざ地方へと、自ら赴いて来るボス=ママンの細やかさが好きだった(=^_^=) 対するボス=ジャヴェドは殆ど「視察」をしてなかったと思う。
♦「高層建築から“2人”の転落する予告編映像」が一番気になってたが・・ああ言うことでしたか(×_×)
♦「“この眼で見たこと”ならば答えてみせる。何故なら、それは痛みと共に、記憶に刻み付けられたものだから。」なんてなキャッチコピーはどうだろう?
♦あのベンツは盗難保険に加入してなかったような気がする。何かインド側のおっさんの反応が“微妙”だったから、、
♦終盤のサリームの言動が『グラン・トリノ』ぽくもあったか。
♦「ラストのダンス(群舞)シーン」では少し救われた。あれは私的には嬉しかったな。
♦最終問題を前にしての、プレームとジャマールの“精神戦”には、後で思い出してもゾクゾクするほどの“緊張感”が漲っていた! 正直、ワタシだったら・・“あれ”を目にしてしまっては、恐らく“あれ”になびいてしまったことだろう(×_×) まだまだ精進が足りません、、(←因みに(既に本作を)観た方にそれを話したトコ・・「アホや!」と一蹴されました(×_×))
♦寝てる子(←それも育ち盛り!)の股間に、決して唐辛子を放置しないように!

〜 こんなセリフもありました 〜

プレーム「心の準備は? ・・幸運を!」
    「ツイてたな・・だがここまでにしておけ。次は無理だ」
    「全ての人々の夢・・小切手がいま破られ、散ります!」
    「スラムで喘いでいた者が、一夜にして大富豪に・・過去にその奇跡を成し遂げた人間を、
     私は1人しか知らない。それは・・」
    「今こそ、掃き溜めから王宮へと飛び立つのだ!」
    「これは、私の番組だ!」

ジャマール「天才じゃなくても分かる・・誰だって知ってることさ」
     “その答えは知らない方が幸せだった”
     「これが“本当のインドの姿”です」

サリーム「赤ん坊は泣かせとけ。その方が(同情を引いて)3倍稼げる(=恵んで貰える)」
    「ボンベイはムンバイになり、今や世界の中心だ。俺たちは“世界の中心の、その中心”にいるんだ」
    「俺はお前の兄貴だぜ・・ボスは俺だ!」

ラティカ「もしおかわりをくれたら聖人よ」

ママン「人生の決断の時だ。俺のようになりたいか・・それとも・・」
   「盲目の少年が歌えば、2倍稼げるぜ」

ママン「歌ってみろ」
ジャマール「歌うから50ルピーを。あんたはさっき“お前はプロの歌手だ”って言ったろ?」

駅員「小僧、降りろ!」
サリーム「お前の父ちゃんの列車かよ!」

警部「1000ルピー札の肖像が誰なのかを?」
ジャマール「知りません。見たこともないですから」
警部「ガンジーだ」
ジャマール「(その名なら)聞いたことはあります」

アルヴィンド「君は幸運で、僕は違った・・それだけのことさ」

警部「何を手間取ってる? 電気を流せばすぐに自白するさ」
  「スラムの野良犬は良く吠えるな」
  「“金と女”は人生を誤る最大の要因なのさ」

米の観光客「子供をぶつのはよせ! どうせ(車両は盗難)保険に入ってるんだろ?」

警部「ラティカとは、どんな女なんだ?」
ジャマール「・・世界一美しい女性だ」
スリニヴァス「スラムの片隅で、だろ?」

ジャヴェド「頼んだのはコックじゃなく、食洗機だ。どうなってる?」
ジャマール「ええ、僕がその“食洗機”です」

ジャマール「やっと逢えた」
ラティカ「逢えて・・それでどうなると?」

ジャマール「愛してる」
ラティカ「・・その言葉に何の意味が?」

ラティカ「1つお願いが」
ジャマール「何でも」
ラティカ「・・私を忘れて」
ジャマール「・・・!」

〜 問題はこんな感じでした 〜

・1000ルピー インド映画『鎖(1973)』の主演俳優は?(アミターブ・バッチャン)
・4000ルピー インド国章に記された言葉は?
・1万6000(?)ルピー ラーマ神が右手に持つ物は?(弓と矢)
・25万ルピー インドの高名な詩人は?(スールダース)
・100万ルピー 米100ドル札の肖像は?(ベンジャミン・フランクリン)
・250万ルピー 「ケンブリッジ・サーカス」のある街は?(ロンドン)
・500万ルピー リボルバー銃の発明者は?(サミュエル・コルト)
・1000万ルピー 最多記録を保有するクリケット選手は?
・2000万ルピー デュマの小説『3銃士』の3人目は?(アラミス)

※他にも1問、あった気がするが、、(×_×)

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2009年5月 9日 (土)

☆『GOEMON』☆

8日(金曜)の夜。

わずか(実働)2日に過ぎなかった今週の出勤であるが、、妙に疲れてしまったのが正直なトコロ。
明日はまた(午前中から)片道200キロほどを突っ走って帰阪する予定となっており、なかなかにのんびりした時間を持てないなぁ・・って高松市内でだらっと週末を過ごしときゃエエのにね・・(⌒〜⌒ι)

「そや、折角の金曜やし!」と思い付き、帰宅後にクルマを出し、またまた“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと向かったワタシ(=^_^=) いよいよ、狙ってた1作『GOEMON』を観ることがかなった♪

ただし、上映開始20:30〜ってことで、、観終わって帰宅したら23:00過ぎになっちゃってた(×_×)

この週末には、他に「1本」大阪エリアでこなしときたい(=劇場で観ときたい)のんがあるし・・って訳で、結構“劇場鑑賞メモ”のお片づけにすらアップアップし始めてる最近のワタシである(⌒〜⌒ι)

1582年、天下統一を目前にした織田信長(中村橋之助)が家臣=明智光秀に京で暗殺さる。これが史実に聞こゆる“本能寺の変”である。
信長の第一の家臣であった羽柴秀吉(奥田瑛二)は素早く逆賊・明智を討伐・・。この働きにより、秀吉は名実ともに天下人の立場におさまる。
巨大な“大坂城”を構えた豊臣秀吉は、今や自らを“太閤”と名乗り、徳川家康(伊武雅刀)、石田三成(要潤)らを押さえ付け権力をふるう。
更に“(布教活動の)裏でとんでもないモノを売り付けて来た(爆笑)”宣教師らの尽力で、更なる武力を蓄えた“太閤”秀吉の眼には、もはや海の向こうの“朝鮮”“明(みん)”を除き、国内に憂うべき敵など存在しなかった・・

束の間の“戦(いくさ)なき日常”に酔いしれる民(たみ)ら・・彼らの中で目下話題となっているのは、強欲商人から金品を鮮やかに盗み、それを(文字通り)庶民の頭上にバラまく、と言う胸のすく行為を続ける“義賊”石川五右衛門(江口洋介)その人であった。

ある時、豪商=紀伊国屋文左衛門(六平直政)の金庫室(?)から“南蛮渡来の藍色の箱”を奪い去った我らが五右衛門。中身が空だったため即座にポイと棄てるが、その箱にはとある“恐るべき秘密”が隠されていたのだ!

禁断の“パンドラの函(はこ)”を巡り、人々が、そして時代が五右衛門に向かって動き始める・・彼の前に立ちはだかった強敵は霧隠才蔵(大沢たかお)。その背後には“伝説の忍(しのび)”服部半蔵(寺島進)の影も・・

この“パンドラの函”に隠された驚愕の真実とは? そして超人的な身体能力をほしいままにする五右衛門の、生い立ちに秘められた哀しき記憶とは?

昨夜鑑賞の『ヤッターマン/劇場実写版』も“CG映像の集合体”であった(=に過ぎなかった?)が、本作も「やり過ぎ」な迄に映像に修正が加えられまくっていた、、監督=紀里谷和明氏ってば、どうにも「やるからには徹底的にやる」ってタイプらしく「何処やねん!」と突っ込めるほどの見渡す限りの草原や「余りに大工泣かせやろ!」と突っ込めてしゃあない、ムチャクチャな大坂城・天守閣の“禍々しくトンガリまくった屋根(の意匠)”などが苦笑を誘う・・一方で「光明&陰影」を大切に扱った映像も準備されていたりし、そのインパクトの格差ももの凄い!

序盤こそ「何だか笑うに笑えないしかったるいなぁ・・」と脱力しかけてしまったワタシだが・・「とある少年が、山中で、紅い西洋甲冑(?)に身を包んだ謎の騎士(?)に出会う」って辺りから、作品世界に急速に吸い込まれて行った(=^_^=)
劇中ではタイプの違うニンジャが「4人」登場するんだが、彼らそれぞれの相関関係(?)がクッキリとアタマに浮かぶようになってからは「面白いのなんの!」と転げ回りたいような気持ちにすらなってしまった(=^_^=) 本作ってば、稀にみる「脚本(ホン)が巧い!」と唸らされる1作と断言出来よう。

が、惜しむらくは「緩急の“緩”の部分に気を配る“余裕”を中盤以降、完全に失ってしまってた」ことや「展開を詰め込み過ぎたため、妙に主要キャラの“休むことなき場所移動”が目立ち、落ち着きを欠いてしまった」ことなどは惜しまれる。

ロマンスっぽい部分を期待させながら、実際には殆ど恋愛系の要素を楽しませて貰えなかったのも残念だった。

終盤なども、ピンポイント的に「コレを描きたかったんやろなー!」と紀里谷監督のキラキラした瞳が浮かぶようなダイナミックなシーンを楽しませてくれる一方で、間延びして見えた演出もあった。

ま、私的には「奥田瑛二=既に監督業に身を捧げてしまったおじさん」ってなイメージが勝手ながら強かったので「まだまだ、俳優としての実力&存在感をタップリ維持してはるんやなー」と嬉しく思えたりはしたものだ。

正直“総じて言えばちと長い”とも感じるんだが・・『ICHI(2008)』で大沢たかおが(腑甲斐なくて)すっかり嫌いになった! と言う女性ファンには、全裸になってでも(?)観ておいて頂きたい本作ではある! もう金輪際“とんま”とは言わせないッッ!!(=^_^=)

〜 こんなトコもありました 〜

♦「KIRIYA PICTURES」のクレジットが一瞬「RIKIYA PICTURES」に見えちゃった(=^_^=)
♦『武士の一分(2006)』と比べ“蛍の描写”にとんと心を動かされなかった(×_×)
♦長煙管(キセル)の金具部分で振り下ろされた日本刀を受ける、と言う“ハンデ有りまくり”な戦いぶりがスゴい!
♦“死を覚悟”した「りょう」さんの表情が、CG使ってるんか?! と言うぐらい奇妙に見えてしまった(×_×)
♦オルゴールにガトリング砲(?)に、、南蛮さん(の技術力)ってやっぱりすんごいのネ、、
♦物語の中での“現在”は1597年だったようだ。
♦いきなり“サロメ状態”となってしまった利休翁。良く見たら“変態侯爵(=平幹二朗さん)”ではありますまいか!
♦「天下」「布武」の2本のアレ・・めちゃカッコよろしおますなぁ!
♦ドリ※ムワ※クスの“D”のロゴにそっくりな形状の月が出て来た(=^_^=)
♦“秘密兵器”を太閤が紹介した時の、宣教師らの得意げで邪悪そうな表情がなかなか!(=^_^=)
♦「永・樂・通・寳(信長軍)」「大一・大吉・大万(光成軍)」などの旗印が面白かった。
♦ガトリング砲をとうとうジャックしてしまった五右衛門! まさに『ランボー/最後の戦場(2008)』状態!(=^_^=)
♦映画史上稀にみる※※を殺すシーンは強烈! 「独りじゃ淋しかろう」とか言ってたけど、、
♦ギャグ作品だったら、民衆の投げた空き缶(!)か何かが前頭部に直撃、ふらつきながら(自身も)前のめりにボチャンしちゃう訳だが、、
♦柱を蹴るシーン、太閤様に「ディス・イズ・スポァルトゥアァ!!」とか叫んで欲しかった(←またそのネタかよ)
♦森蘭丸、真田幸村、小早川秀秋・・などはキャスティングされてたんやろか。。
♦茶々役の広末涼子・・どうにも物語の軸に絡み不足な感があった。当初こそ『ルパン三世/カリオストロの城(1979)』におけるルパン&クラリス姫のような“良い関係”を期待したんだが・・
♦五右衛門(?)の最期を巡る、あの展開を観てて『梟の城(1999)』を少し連想してしまった。
♦折角の江口さん主演だし、『スワロウテイル(1996)』のセリフネタ「首斬れ〜!」などを言って欲しかった(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

五右衛門「佐助め・・ハナシが全然違うじゃねぇか!」
    「おお、絶景! 絶景!」
    「(煙管が)すっかり湿気っちまった・・モテねぇ奴の説教が長くてよ」
    「強くなれ、俺よりもずっと・・!」
    「これで終わりだと誓え! これで戦いが終わりだと! 皆が幸せに暮らせる日を誓え!」

太閤「世の中は変わってゆく、茶々も変わらねばなぁ・・」
  「お前は俺に死んで欲しいのか?」
  「大人しく茶だけ立てておれば良いものを・・わしの夢にケチをつけおった」
  「光成・・お前、(そこに)おったのか?」
  「腹が減って仕方なかった・・1度で良いから腹いっぱいになってみたかった。
   だが・・喰っても喰っても満足せんのだ。いつまで経っても、ひもじくて腹が減って仕方なかった。
   終いには“天下”を喰ってみたくなった・・それだけのハナシだ」
  「自由とはどんな気分だ?」
  「もう逃げられんぞ・・運命からはな」

茶々「利休様・・この地でも蛍は見れますか?」

家康「助かりましたな、石田どの」
  「天の涙か・・」
  「(乱世を)終わらせねば・・」

太閤「お前、最近、忙しそうだな?」
光成「総ては太閤様の御為(おんため)に」

佐助「豊かにゃなったが格差は開いた・・“弱肉強食”って奴ですかね?」
  「だから言ったんだ! 厄介なことになるって!」
  「俺は何度も言ったよな? やめろって・・厄介なことになるって」

※※「お前の母ちゃんが死んだのは・・お前が弱いからだ。
   お前があいつらより強ければ、こんなことにはならなかった。
   強くなれ。そうすれば、何も奪われはしない」
  「一緒に来るか? 俺がお前を強くしてやる」
  「俺が何時(いつ)か・・戦のない、平和な世界を作ってみせる」
  「(他人に)踊らされるな・・(自らで)踊れ!」

才蔵「まだ、錆びてないようだな」
  「事情が変わった・・命拾いしたな」
  「もう少しで侍になれる・・」

五右衛門「別に“足手まとい”が1人から2人になっても」
佐助「・・って俺も数に入ってるじゃないですか!」

半蔵「忍(しのび)とは影・・影に己(おのれ)は要らん」

利休「誰か“懐かしい方”にでもお逢いになられましたかな?」
  「茶を立てていると、声が聞こえます・・“世を動かす者”の声が」
  「少々、渋過ぎましたな」

茶々「友達はいますか?」
※※※「1人だけ・・△△と言います」

※※「強くなれたか?」
※※※「まだ、分かりません」
※※「それでいい」

才蔵「いつかは侍になれるかな?」
※※※「俺はいい・・それより自由になってみたい」

※※「自由を謳歌するなら、周りを巻込むな」
  「コレがお前の言う“自由”の代償だ!」

※※「お前は派手過ぎだ、泥棒にしちゃ」
五右衛門「大泥棒だ」
※※「自分で言うな」

※※「この世界を見てみろ! 狂ってねぇか?」
  「一番流される血は誰の血だ? お前ら(=庶民)の血だろ!?」

五右衛門「どんな気分だ? 天下ってのは?」
太閤「なかなかのものだ・・この酒ほどではないが」

光成軍の兵「信長様、ご出陣で御座います!」 ←んなアホな!

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2009年5月 8日 (金)

☆『ヤッターマン/劇場実写版』☆

7日(木曜)。昨夜は「この連休はTVらしいTVも、映画らしい映画も観れんままやったなぁ・・」としょんぼりしつつ、ここ高松へと戻って来た次第。
結構“法定速度遵守(←もちろんデス!)”でノロノロとクルマを走らせつつ・・も意外とサクサク帰って来られた(自宅前からきっかり2時間半)のだけは嬉しかった☆

今朝は・・朝から雨が降っており、再びしょんぼり(×_×) バス通勤がとにかく「(到着)遅い」「(運賃)高い」「(車内)座れない」と3重苦を抱えた厄介な存在なのだ(ワタシにとっては)。。

そんなことで、久々の通勤で朝から疲れ、勘の戻らぬ(=^_^=)職場の電話対応に神経をすり減らし・・夕方の近付く頃には「何かすぐにも気分転換しとかないと、こんままじゃ明日1日すら乗り切れんぞ!」と(連休明けながら早くも(=^_^=))切羽詰まってしまうのだった、、

ってことで、仕事を終えてからまた“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと“ことでん(2両編成でけなげに高松エリアを走る、ローカル線)”に揺られ向かったワタシ。

ホントに観たい作品は「正直、別にあった」んだが・・上映開始20:30と、ちょっと帰宅時間までを加味し考えるとキツ過ぎたので、18:45から始まる『ヤッターマン/劇場実写版』を観ることにした☆
「サービスデーでもないのに、満額(=1800円)払ってわざわざ観るかぁ、俺?」って感じで“自身の行動を考え直させようとする、別な自分自身”も確かにいたのだけれど、、(⌒〜⌒ι)

で、シアターはやはり“全席指定席”だった。かつ上映(期間)も末期だったためか・・観客はおっさんばかり3〜4人どまりだった気がする(・ω・)

古(いにしえ)から世界各地で“文明”“歴史”の影に隠れながらも語り継がれて来た謎の石“ドクロストーン” 地球上にちらばった“全て(=4つ)のドクロストーン”を集めた者には、奇跡がもたらされると言う・・

辺境“ナルウェーの森”で2つ目の“ドクロストーン”を発見した考古学者・海江田(阿部サダヲ)は、直後に失踪してしまう。海江田博士に1つ目の“ドクロストーン”を託されたひとり娘(?)・翔子は、それ故に“ドロンボー(=3悪)”の一味に狙われることとなる。
翔子を助けるためヤッターマン(1号&2号)が駆けつけ「渋山・ハッチ公前広場」での“ヤッターマン(=男女ペアの等身大ヒーロー)&ヤッターワン(=犬型の巨大ロボット)”vs“ドロンボー(=女1+男2の等身大3悪トリオ)&ダイドコロン(=巨大ロボット)”の激闘が開始される・・

観る前からちらほら耳にしてたことでもあるが・・ある意味“ドロンボー”の女ボス=ドロンジョ(深田恭子)を大きく取り上げた「オリジナルアニメ版に比べ(?)やや脱線した感のある」作品にも映った。
この深キョン(←おい、早速馴れ馴れしい呼び方かい!)が・・当初こそ「めちゃめちゃ“スティック・リーディング”やんか!」と驚愕させられる訳だが(⌒〜⌒ι) 次第に「これはこれでエエか」とさして気にならなくなって来るのが不思議☆

深キョンと言えば・・『阿修羅のごとく(2003)』で幸薄き(4姉妹の)末っ娘役を演じてられたのをうっすらと覚えてる程度、、
改めてまじまじとご尊顔(は半分がたマスクに覆われてもいたが・・)やスタイルを拝見した次第だが・・思った以上に巧く“初々しさ”を漂わせつつ、その中で自分らしいアピールもしてるように見え、意外に好感度が高かった!

特に「手下2人(ボヤッキー:生瀬勝久、トンズラー:ケンドーコバヤシ)に対しては容赦ない言動を浴びせつつ、とある成り行きを経て以降は、ヤッターマン(1号:高田ガン(櫻井翔)、2号:上成愛(福田沙紀))に対し、複雑な感情を見せる機会が増えてくる」って展開で、その“戸惑いの表情”が妙におっさんのハートをくすぐってくれた☆

一見、三池崇史カントクの厳しい演技指導(?)を前に、半泣き状態で妙な言動を突き付けられ続けた、ハードル高き撮影現場の日々やったんかなー? とか観る者を心配させつつ・・ホントは案外楽しんで、現場でアドリブなんかも交えたりして、嬉々として演じてはったんかもなー? とも思わせる、そんなしたたかさ&余裕も何処かに感じさせる女優さんである。

ボヤッキーが「全国の女子高生の皆さん」にリアルに囲まれる(?)映像演出は、全国のボヤッキーファン(?)からすれば、きっと夢のようなショット(=^_^=)に違いなかろうが・・一般の観客としては「荘厳さすら感じさせる」か「ただ単にムダなカットに等しい」か、のどちらかで・・観る者全てがある意味“寛容さ”を試される瞬間とも言えようか(=^_^=) 

阿部サダヲが冒頭&終盤で登場するが、特に後者でのメイク演技には、正直“ハリーポッターシリーズ”の鼻のないハゲた敵ボスのおっさん(←おい!)なんかよりもよっぽどヴィジュアル的なインパクトも備わっており、禍々しさがより巧く表現されてた気がしたな。
ラスボスが2段階で“変身”する演出なども、ロールプレイングゲームに出て来るボスキャラみたいで個人的には楽しめた。

ロケーションが大きく3つ(渋山、オジプト、南ハルプス)に分かれ、激闘も3回ほど繰り返される訳だが、あの全体的なライトタッチの世界観(←映像群の色調こそ、押し並べてやや暗めだったが)からすれば、もそっと削るトコは削ってスマートにまとめた方が良い気はしたか。

また、妙に“オトナ対応のエロネタ”に逸脱&暴走しちゃう傾向があり、そこは「対象年齢が絞れてない」印象があり、観てて複雑な感があったかな(・ω・)
制作スタッフの誰かが暴走し、周囲も黙認せざるを得なかったか・・? と勝手に決め打ちしてるワタシなんだが(=^_^=) 果たして誰が「リアルドクロベエ(=暴君)」だったんだろうかな?(=^_^=)

〜 こんなトコロも 〜

♦人間姿のトンズラーの胸に「豚面(とんづら?)」なる名札が! 一方、ボヤッキーの名札は・・(漢字が)判読出来なかった(×_×)
♦トンズラーが「猪八戒」に、ボヤッキーが「沙悟浄」にも見えてしまった。
♦生身の人間と思ってたヤッターマンのお2人だが“アンブレイカブルな存在”であることが序盤戦で判明! あんなに身体能力が高かったとは・・
♦人間姿のトンズラーの“おかっぱ頭”+ボヤッキーの“アフロ頭”から「B&B(漫才コンビ)」を連想してしまった。。
♦唐突なバトルシーンから始まる(冒頭の)演出はなかなか良い! それにしても浅草は平和だったのに、渋谷(=渋山)は妙に廃墟になってたなぁ?
♦CGとは言え、あの“ドクロ雲”を良くぞ再現したなぁ・・と(・ω・) 反発する団体が何処かにきっといると思う、、
♦ヤッターマンのマスコットロボット“オモッチャマ”は何と「単3電池×2本」ぽっちで動作し続けてるらしい! エネル※プの開発者がぶっ飛ぶハナシですなぁ(⌒〜⌒ι)
♦命綱もなしに、四つん這い(!)で南ハルプスの断崖絶壁を頭を下に(!)降りてゆく翔子ちゃん! ホントの名は“伽椰子(かやこ)”ではなかろうか、、
♦某サラリーマンの言ってた「ピコピコルンルン」って何だ? IT用語か?
♦ヤッターワンの走行シーンで「ETCカードが挿入されました」ってアナウンスの流れるのはなかなか良い☆
♦ヤッターワンにしがみつく翔子。振り落とされそうになり必死で耐えるが・・ヤッターマンの2人は全く気遣いもせず、、
♦ドロンボーの2台目の巨大メカ“ヴァージンローダー”・・武器の“おっぱいマシンガン”“おっぱいミサイル”ってのはタイムリーで素晴らしい! ナイスおっぱい!
♦ヤッターワンの片眼がマシンガン攻撃で割れる描写が細かい。あの辺りから“ヤッターワンの迎える運命”は決まってたのかも(・ω・)
♦消えてはならぬもの・・“ジャンボパチンコ”看板の1文字・・ってあんたは『たけしの挑戦状』(往年のファミコンゲーム)のネタかい!
♦「右にヤッターマン1号、左にドロンジョ」を配した、2分割された画面・・を中央から強引に開こうとするヤッターマン2号! この映像演出にはブラ※アン・デ・パ※マ監督も驚愕?!
♦ボヤッキーのヒゲ(?)は付け鼻と同様、造りものであることが判明(?) サルバドール・ダリ的に言う“宇宙と交信するアンテナ”みたいな突起なんだろうか?
♦ちらっと浅草寺の五重塔が映ってました! ってことで、あの遊園地は「花やしき」?
♦鮨屋の客とし、声優の小原乃梨子さん、たてかべ和也さんが特別出演! 流石にかなり声と(ご尊顔の)ヴィジュアルのギャップが開いて来てはるような、、
♦全身赤銅色(?)のヤッターワン、無塗装(?)のヤッターキング・・と、味方巨大メカのカラーリングがどうにもサエなかった。。

〜 こんなセリフもありました 〜

トンズラー「毎週毎週、かなわんわ」
     「女王様は、逆ギレしてナンボやで」
     「ナンボでも見したったらエエねん、そんなモン!」
     「生きるんや・・ボヤやん!」
     「“カチッ”って何やねん、これ・・」

ボヤッキー「お給料の3ヵ月分で埋め合わせたぜ・・」
     「ヤッターマンめぇぇ・・特に1号めがぁぁ・・!」
     「このイカスミ、電撃を跳ね返す。しかも・・地球に優しい☆」
     「天才の天才たる所以(ゆえん)を、これからお見せ致しましょう」

ドロンジョ「悪いのはぜ〜んぶこのボヤッキーなんです!」
     「このメカでも勝てなかったら、タダじゃおかないよ!」
     「あたしは泥棒の神に帰依した女・・」
     「スカポンタンな一生を過ごすもよし、新しい青春を取り戻すもよし」
     「いい女は、振り向かないものなんだよ」

ドクロベエ「それは、人間如きの手に負える石ではないべぇ」
     「ドロンジョよ、今日も美しいのぅ・・」
     「ドロンジョよ、お前は我輩のモノだべぇ」

ヤッターマン1号「ところで“ドクロストーン”って何だ?」
        「助けた訳じゃないぜ。こう言う形で勝負がつくのは好きじゃない」
        「ヤッターマンは2人で1人!」
        「助けるだけが正義じゃない・・誰だって自分の力だけで乗り越えなきゃならない時もある」
        「しまった! 出るタイミングを完全に逃してしまった!」

翔子「キスってどんな感じですか?」
ヤッターマン2号「大したことないわ。ドキドキするのは1回目だけ・・1度してみたら分かるって」

ドクロベエ「恋と仕事は両立しないべぇ」
ドロンジョ「・・泥棒が恋をしてはいけませんか?」
ドクロベエ「逆らうのか?」
ドロンジョ「いえ・・でも、初めての恋なんです」

ドロンジョ「モノを盗むのが定めの女が・・一番大事なもの・・心を盗まれました」
トンズラー「・・コクってしもたがな」

ボヤッキー「よくもフったな・・」
トンズラー「色々フクザツやねんな」

ドロンジョ「人を好きになるって・・楽しいな」
ボヤッキー「・・はい」
ドロンジョ「ずっと・・友達でいような」
ボヤッキー「ええーっ!」 ←ボヤやん、打ち砕かれる、、

ナレーター「説明せねばなるまい!」

海江田「刻(とき)は判然と流れるものだ!」
   「これじゃ、俺のキ※タマが持たない!」 ←おいっ!

ヤッターマン2号「ライバルがいないと、恋もつまんないでしょ?」
ドロンジョ「ムカつく女だね」

翔子「2号さん・・」
ヤッターマン2号「私は2号だけど、、“さん”は要らないんだよ・・」
海江田「・・子供は分からなくてイイんだよ」

追記1:マスクを装着した福田沙紀さんはなかなかイイ感じだった。マスク越しの笑顔が(雰囲気的に)長澤まさみさん(の2004年ごろ)に似てる気がした(・ω・)
追記2:エンドロール終了後の「次回予告」はどやろ・・? 私的には「ギャグテイストながら、スポンサー向けの“真面目にラブコール的”なオマケ」と解釈したんだが・・?

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2009年5月 6日 (水)

☆“ハリチワ”は観れず・・☆

6日(水曜)。
連休ならでは! って感じで、こちら(大阪)に帰ってからは連朝“寝だめ”を精力的にこなしてるワタシ(・ω・)

が、折角の帰阪だし・・ってことで連休最後(?)の1日に至り、初めて「そうだ、劇場に行っとこう!」と決めた次第。。

狙ってた1本は「実家で飼い始めたトコだし」「タイトルに冠した作品は今までに(聞いたこと)ないし」「高松市内では今のトコ観ることが出来ないし」と言う単純な理由から『ハリウッド・チワワ』に決めたんだが・・これが大阪人のハートにも響きまくったのか(?)

TOHOシネマズなんば・・14:10からの回 ⇒ 座席状況:×
TOHOシネマズ梅田 ・・15:00からの回 ⇒ 座席状況:×

と、共に敢えなく“そっぽを向かれてしまった”次第(×_×)
「D社が手がけ」「吹替え版しかなく」「如何にも無難で何も残らなさそ〜な」1作ではあるんだが、とにかく「帰阪した際にしか鑑賞出来ない1本」には違いなく、食指をそこそこに動かされたモノだったが・・どうやら縁がなかったようである。

なんば⇒梅田・・と結構な距離を地下鉄&徒歩で移動したんだが、連休最後の1日に至り、妙に疲労感を高めてしまっただけだった(×_×)

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2009年5月 2日 (土)

☆『バーン・アフター・リーディング』☆

1日(金曜)の夜。“黄金週間(GW)”にいよいよ突入! ってことで、高松の支局員もワタシを除き殆どが帰阪してしまった様子。
ワタシも、やはり帰阪する予定ではあるが・・今夜からそそくさと帰るのもしんどいし、色々と片付けたいこともあるし、ってことで、今宵はある種の解放感(?)に包まれ「劇場で1本観とこう」と言う気分になったのだ。

で、またまた“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと向かい、狙ってた新作『バーン・アフター・リーディング』を観て来た次第。

今回はいつもより大きめのシアターを案内され、かつ“全席指定”だったので驚いた。加えて料金も千円だった(←毎月1日のサービスデーでしたネ)。
どう言う基準で“指定席”“自由席”に決めてるのか、未だ良く分かっていないし(×_×)

ヴァージニア州ラングレー。ここに本拠を置くCIA(中央情報局)では、今しも分析官=オズボーン・コックス(ジョン・マルコヴィッチ)が“飲酒問題”を理由に、強引に情報分析部の解任を言い渡されたばかりであった。
オジー(オズボーン)は潔く退職を決意するも・・回顧録を執筆し、それをステップに次の仕事(コンサルタント関係)にありつこうとしたたかに考える。

そんな中、執筆に関連する機密情報の詰まったCDロムがひょんなことから流出(×_×)

それを手に入れた“ハード・ボディ・ジム”のインストラクター=リンダ・リツキ(フランシス・マクドーマンド)&チャド(ブラッド・ピット)は流出源がオジーであることを突き止め“アッタマ悪いやり方”で彼を脅し5万ドルをせしめようとする。
特にリンダには、ライフワーク(?)たる“全身整形”をするための大金が必要だったのだ。

一方で、オジーの妻=ケイティ(ティルダ・スウィントン)と不倫関係にある連邦保安官=ハリー・ファラー(ジョージ・クルーニー)は、意外な流れでリンダ&チャドに接近することとなる。

そのまた一方では、密かにリンダに想いを寄せ続けるジムのオーナー=テッド(リチャード・ジェンキンス)にもまた、オジーとの避けられぬ“因縁”が待ち受けていたのだった・・

監督のコーエン兄弟と言えば、昨年鑑賞した『ノーカントリー(2007)』における、後半からの“衝撃的ではあるも、何だかおかしな物語の流れ方”が未だに強烈な印象として残っているが、、本作も中盤以降の“粗過ぎる”“洗練、なる言葉にほど遠い”脚本の展開が、どうにもワタシの感性に響いて来なかった(×_×)
それぞれの登場人物の顛末の描かれ方も「CIA上官と主任の会話の中で片付けられる」と言う何とも肩すかし&放り投げられた形に終わっており「コーエン兄弟ともあろうアンタらが、こんな落とし方でエエのか?!」と消化不良感が尾を引いた形で残される。
コーエン兄弟、いよいよ“枯れて来た”のだろうか?

まぁ、彼らならではのエッセンスは本作にも色濃く流れてるようで、

・主要な登場人物それぞれが、予想と違う状況に放り込まれ、じわじわと追い込まれて行く。
・総じて女性キャラの方が逞しく、自らの置かれた状況に果敢に立ち向かって行く。
・断片的ながらも、暴力描写が容赦なく描かれる。

などの特色が挙げられようか。

観る前から予備知識のあった“ブラピが誰かに殴られ鼻血を流すシーン”をワクワクしながら待ったモノだが(⌒〜⌒ι)本作には、さらに印象的な“流血のシーン”が直後に準備されている!
ここは余りに“いきなり”だったもんで、苦笑(失笑)と驚愕の波が同時に押し寄せ、実に複雑な気持ちに包まれたワタシ(=^_^=) ご覧になった皆さん、如何でしたか?(=^_^=)

ワタシなりの見所としては、

1.ハリーが工夫してこさえた“地下室の摩訶不思議なマシーン”(=^_^=) 特にあのマシーンを「誰のためにこさえたか?」と言うトコロにある種の意外さやらドロドロさやらがあって、面白い!
2.『マルコヴィッチの斧』って感じで、手斧を片手に往来で暴れる(?)マルコさんがスゴい! 斧で相手の頭部を殴り付けた瞬間、そこに切れ目(割れ目?)が入り、血がパァッとこぼれ出す(一瞬の)カットにクラクラ来てしまった。。

〜 こんなセリフもありました 〜

オジー「CIAを辞めたよ」
ケイティ「どうして?」
オジー「“流れに逆らって泳ぐ”のに疲れてね」

オジー「冷戦時代が終わり、国務省も変わった」
   「この国を愛するからこそ書くんだ」
   「全てのアホの代表として、俺の前に現れたんだろ? 世間のバカ同盟のな!」

弁護士「離婚を阻止するのも、弁護士の仕事です」

美容整形医「40歳を越えると急激に脂肪のつくのは・・身体がそう命令するからです」

ハリー「歳を重ね、死を意識し始めるにつれ“嘘をついてる時間”が惜しくなった」
   「眼の前のものに納得しなきゃ」
   「食物アレルギーなんだが・・食べてみるとしよう。人生は賭けだからね・・たまには“ゴムなし”で」
   「“別居しよう”・・結婚生活で初めて、妻と意見が一致したよ」
   「何て文句の多い女だ!」
   「ショッキングな体験を通じ“人生には限りがある”と気付いた」

ケイティ「私は1度もブレていないわ」
    「離婚を決断して。この関係は“遊び”じゃないのよ」
    「今の言葉はすぐに撤回して!」

チャド「マノロ、お前はロッカールームでCDロムなんか拾わなかったよな? な?」
マノロ「いいえ、私はロッカールームでCDロムを拾いました」 ←おい、話を合わせろよ(=^_^=)

リンダ「こんなぶよぶよの身体じゃ、人生終わりなのよ!」
   「これはチャンスよ! 高級店の前の氷で滑って転倒し、賠償金を要求するのと同じように」
   「奴のタマ(弱み)はしっかり握ってるわ・・それも運転席でね」
   「スゴい! やるじゃない!」 ←“それ”を誰のために作ったかと言えば・・!
   「“全身整形”はただの遊びじゃないのよ!」
   「45分も待たせるなんて、何処までふざけた大使館よ!」
   「あんたなんて“ダメ出し”ばかりじゃないさ!」

テッド「(整形なんかしない)今の君を愛する男が“案外近くにいる”かも知れんよ?」
リンダ「いても“負け犬”よ」
テッド「・・・・」

チャド「これは恐喝じゃない。いわば“善意のサマリア人に払う税金”だ。
    ・・って言うか税金じゃないけど」
   「これを見ろよ! 日付に数字に、日付に数字に・・とにかくやっべぇよ!」 ←アホ丸出しや!(=^_^=)

リンダ「あなたの“銃”・・“暴発”したりしない?」
ハリー「“別の部屋”で確かめてみよう」 ←このセリフも“フリ”だったんやね(⌒〜⌒ι)

元同僚「老いたスパイの悪い癖だが・・後ろの2人、君をじっと見ているぞ」

CIA上官「奴のアクセスレベルは?」
CIA主任「3です」
CIA上官「なら放っておけ。理解不能な状況になったら、報告しろ」

CIA上官「何ともクソややこしい話だな」
     「手の焼ける一件だ、全く」

CIA上官「この一件で何を学んだ?」
CIA主任「さぁ・・」

追伸1:劇中に出て来る映画『幸せのデイジー』にはクレア・デインズ&ダーモット・マルロニーが出演☆
追伸2:公園に止められたままのチャドの自転車・・この先どうなって行くのかが気になる(⌒〜⌒ι)
追伸3:パソコンのOSを確認する際のセリフが「PC? or Mac?」だった。これで「ウィンドゥズかマックか?」の意味となるらしい。ってこたぁ、マックはPCじゃねぇのか?(=^_^=)
追伸4:ハリーの20年の連邦捜査官人生で“初の発砲”とは・・?(×_×)
追伸5:「自分にとって、咄嗟の時にホントに頼れる人とは?」ってことを考えさせられもする本作。で、案外そう言う人がいないことに気付き愕然とさせられもする(=^_^=)

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2009年5月 1日 (金)

☆『僕の、世界の中心は、君だ。(2005)』☆

23日(木曜)の夜、衛星第2で放送されたのを観た。
まぁ、いわゆる『世界の中心で、愛をさけぶ(2004)』の韓国版リメイクなのだが、、(・ω・)

「テミョン高校」の卒業生らが集まり、同窓会の開催されたその日。
10年ぶりにキム・スホが街へと戻って来た。
かつての級友たちが「今もペ・スウンを想っているのか?」とスホをからかう。

そして、スホの中で“生涯忘れ得ぬ彼女”との物語が、静かにそのページを開く・・

オリジナル版(?)を極めて忠実になぞってる印象があり、そうなるとヒロイン役の女の子が「長澤まさみをどこまで圧倒してるのか?!」と言う、ただその1点(のみ)に男性観客の視線は落ち着く訳であるが(=^_^=)・・私的には「キャスティング面だけだと、流石にオリジナル版に迫れてないよなぁ」と正直感じた。

しかし! 素晴らしかったのはスホの祖父が『マングム葬儀店』を経営してる・・って設定。
これにより、爺さんの初恋の女性=スニムに対する“最後のけじめ”の部分に『おくりびと』で言う山崎努に通じるようなインパクト(厚み)の増した気がしたものだ!
冩眞舘の店主(ってなオリジナル版の設定)も良いが、イマドキの眼で見たら、やっぱり“葬儀屋”って方が“よりしっくり来る”気がしたりする(・ω・)

あと、オリジナル版については“柴咲コウさん演じてた某キャラ”の立ち位置がイマイチ自分の中でスッキリしておらず「ひょっとしたら不要だったかも?」とまで思ったこともあり、その観点からすると「実に潔く、かつスッキリしてて」良かった☆

・・にしても“田園地帯で自転車を2人乗り”って行為が、ささやかながら何とも素晴らしい! “性のかほり”が漂わなさ過ぎて「まどろっこしい」部分は少なからずありながらも(=^_^=) こう言うのはこう言うので(シチュエーション的に)ホンマに微笑ましい。

〜 こんなセリフもありました 〜

スウン「(私が自転車の後ろに乗ると)意外に重いでしょ?」
スホ「覚悟してた程度だよ」

スウン「台風の中心は静かで穏やかだそうよ」
スホ「じゃあ今も台風の中心にいるのかな? 僕ら」

スホ「地球はヒーローが守り、スウンはこのスホが守る!」
  “いつか分かるかな? 雨が玉のように1粒ずつ降るのか、長い糸のように繋がって降るのか?”
  “寝ている母の背中を見ると、悲しくなる”
  “残されるのは死ぬよりも怖い・・君は僕が覚えているが、僕は誰が覚えてくれる?”

スホの母「お前、自分の母親に色目を使う気かい?」

スウンの父「私にしてやれるのは、君に頼むことだけだ」

教師「人間は進化したと言われるが・・人の心の奥にあるものは2000年前と余り変わらんようだ」

スウン“初めてあなたに会った時、海だと感じたわ・・告白しないと溺れそうだった”
   “あなたは嘘をつくと言葉が詰まるけど・・そこが好きよ”
   “約束して・・幸せに生きると、元気になると”

マングム「神の決めたもうた“単純な運命”かと思えば、そうではない。
     それは複雑に絡み合い、少しの狂いで人生は大きく変わるのだ」
    「有難うな、わしを覚えていてくれて。お前の“死に装束”はこのわしが仕立てた。
     少しだけ待っていてくれ・・わしもすぐ行く」

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☆『僕の彼女を紹介します(2004)』☆

22日(水曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを鑑賞。

実を言うと・・この日まで「衛星放送は受信出来ない」と勘違いしており、ハッキリと「何だ、観れるんじゃん!」と確信出来たのが、実に“本作がテレビ画面に映し出された瞬間”だった(・ω・)

ってことで、咄嗟に観ることに決めたのもあり、ちと“メモを取りつつ”ってなスタイルを失念してしまっての鑑賞だった(×_×) ま、以前に地上波でも観た覚えがあるので(今回は)ダラダラ観るのも悪くはなかったかな、と。

教師である主人公=コ・ミョンウ(チャン・ヒョク)の「僕の彼女を紹介します」なる独白で、本作は幕を開ける・・
粗暴で猟奇的な美人婦警=ヨ・ギョンジン(チョン・ジヒョン)との出会い、そして凸凹な関係から始まった2人が次第に「互いの心の距離」を近づける中、とんでもないアクシデントが起こってしまい・・

“恋愛もの”“刑事もの”“教師もの”・・コメディとしては、いずれも「中途半端で未完成」としか贔屓目にも評価出来ない本作であるが・・そこをヒロイン=チョン・ジヒョンの魅力でもって「強引に描き切った感」があり、それはそれで「ま、エエか」と妙に納得させられてしまったワタシ(=^_^=)>

『僕の彼女はサイボーグ(2008)』を観ても感じたことだが、このクァク・ジェヨンと言う監督さん、ホンマに「アイドル系女優のプロモーション的映画」を撮らせたら、めちゃくちゃに才能を発揮しまくる“器”な気がする!

構成としてはオープニングで“すごい状況”をまず見せつけておき、時間軸が戻って行く手法を大胆に(?)取り入れている。
流れとして、観客を飽きさせはしないが、少々唐突で散漫なテイストではあったか。。

しかし、それにしても・・ラストに登場する“某人物”には驚かされ、ニヤリともさせられたモノだ。
クァク監督による“彼女シリーズ”第1弾『猟奇的な彼女(2001)』を観た人間なら、あのラストを見せつけられては・・もうそれだけで“納得するしか道はない”んじゃなかいか、と思う(=^_^=)

韓国人の死生観が何となく垣間みれる感もある本作。
監督お好みの(←たぶん)「窓辺の風景」「過激な暴力描写」「都会の夜の情景」もしっかり楽しめる。

さて。
チョンちゃんと言えば、新作『ラスト・ブラッド』の公開が控えてるハズでもあり(←5月末より)、一時的に(綾瀬はるかちゃんから)浮気して(⌒〜⌒ι)「観に行ってみようかな?」と考え始めてたりする・・美香子センセイ、赦して!(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

医師「彼女は、生きようとしている・・!」

彼「こんな姿は見せたくない」
彼女「どんな姿でも構わない」

彼女「逢いに来て! 風でもいいから!」

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