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2009年3月30日 (月)

☆『アクターズ・スタジオ・インタビュー/レイフ・ファインズ自らを語る(2006)』☆

27日(金曜)の夜。さる17日(火曜)夜に衛星第2で放送されたのを録画しといた、名物インタビュー番組『アクターズ・スタジオ・インタビュー』を観た。

今回はゲストにレイフ・ファインズを迎えた、司会者ジェームズ・リプトン氏。
当のレイフは・・と言うと、これが「上品で知的で冷静」な紳士かな? と予想してたら「気さくだけどやや内気」な兄さんって感じであり・・妙な“名優オーラの隠れっぷり”に驚かされつつ、ある種“初々しい印象”を感じ、結構魅了されてしまったワタシだった(=^_^=)

“マイケル・シンメル芸術センター”で2006年に収録の内容。当時の(彼を巡る)最新ネタが『ナイロビの蜂(2005)』『ハリー・ポッターと炎のゴブレット(2005)』『ウォレスとグルミット(2005)』『上海の伯爵夫人(2005)』・・と(ほぼ同時期にも関わらず)複数の作品に渡ってて、モノ凄い!

俳優としての自負もなかなかのモノだが、一方で“これまで共演して来た女優さん”を押し並べて(?)絶賛しておられる言動からは・・ゲッスいワタシなぞはつい「“徹夜コースの濃厚な演技指導”なんぞも前向き(前剥き?)にこなして来はったんやろな〜」と軽蔑半分、尊敬半分(=^_^=)の複雑な気持ちで心がいっぱいになった次第である(⌒〜⌒ι)

〜 こんなことが語られた 〜

・冒頭で(リプトン氏に)紹介された出演作は『シンドラーのリスト(1993)』『クイズ・ショウ(1994)』『オスカーとルシンダ(1997)』『ことの終わり(1999)』『イングリッシュ・ペイシェント(1996)』『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする(2002)』『レッド・ドラゴン(2002)』『メイド・イン・マンハッタン(2002)』『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』など。
・ワタシの聞きたかった『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日(1995)』『アベンジャーズ(1998)』の2作に関しては、全く言及に至らず(×_×)
・弟である俳優=ジョセフ・ファインズについては、名前すら出ず(・ω・)
・イギリスのサフォーク州生まれ。父はマーク、母は『埋葬』などで有名な作家のジェニファー・ラッシュ。
・「ファインズ」のルーツはノルマン人。元々の読み方は「フィエン」らしい。
・学生時代は画家を目指し、実際にチェルシーの美大に進学した。
・(美大で)舞台のような構図のベラスケスの絵画『ラス・メニーナス』を模写してて「そうだ、自分は舞台が好きなんだ!」と改めて実感し、舞台に立ちたいと本気で思った。
・母は「役者をやりたい!」と言う息子(レイフ)の言葉を待っていたようだった。
・合格した王立演劇学校(RADA)では、クラットウェル学長の「努力はやめ、自然に任せ演じなさい」の言葉に「自身を思い切ってさらけ出せる機を与えられた」と語る。
・リプトン氏によれば、トニー賞を受賞したハムレット俳優は「レイフただ1人」だそうである。
・『シンドラーのリスト』は、わずか72日間で撮り終えたとのこと。
・『クイズ・ショウ』でロバート・レッドフォード監督に会ったのが、自身で初めての“渡米”だった。

〜 こんなセリフもありました 〜

リプトン「なぜ“Ralph”と書いてレイフと?」
レイフ「ここで答えたら、2度と訊かれずに済む?」
リプトン「アメリカの他に、125ヵ国で放送されますから」
レイフ「古い読み方らしい。元来“レイフ”と読むんだ」

リプトン「当時(少年時代)は邪悪な一面があったと?」
レイフ「誰にでもあるさ・・僕にはないよ」

【ハムレット】
レイフ「演出家ジョナサン・ケントは“セリフは重々しくなく、思考と同じ速さであるべきだ”と言った。
    そんな彼の演出のお陰で、僕は解放された」

【シンドラーのリスト】
リプトン「(闘病中の母上はきっと)あなたの演技を誇りに思われた筈」
レイフ「母は決して大げさに褒めたりはせず、ただひと言“良く出来たわね”と・・
    彼女は気に入ってくれたようだった。作品自体もね」
リプトン「・・間に合って良かった」

レイフ「スピルバーグ監督は僕の自意識をなくさせるため、カメラを止めず、何度も僕にセリフを繰り返させた。
    セリフが自然に出るよう導いてくれたんだ。自由に演じさせ、予想外の演技を引き出してもくれた」
   「母は亡くなったが、『シンドラーのリスト』の巻き起こした旋風で、悲嘆に暮れる暇などなかった。
    忙しさの波にのまれ・・お陰で母の死を十分に受け止めることが出来なかったんだ」

【イングリッシュ・ペイシェント】
レイフ「彼女(=ジュリエット・ビノシュ)をあれほど間近で見られたのは最高だった。共演できて嬉しかったよ」
   「アンソニー・ミンゲラ監督は(官能的なシーンの)ムード作りを
    僕ら(=レイフ&クリスティン・スコット・トーマス)に任せてくれた。彼は鋭い感性を持つ素晴らしい監督だ」

【オスカーとルシンダ】
レイフ「僕は賭け事にはのめり込まないが・・役者稼業は言わば“賭け”だ。
    舞台でも映画でも、何が起こるか分からないしね。この道を選んだことが十分“賭け”だよ」

【ことの終わり】
レイフ「とにかく僕は“ズボンを脱ぐシーン”が多くてね。まぁ、それも“芸術のため”だよ」
   「彼女(=ジュリアン・ムーア)はとてもユーモアのある女性だ。
    だからベッドシーンでもすごくリラックス出来たんだ。また共演したいよ」

【レッド・ドラゴン】
レイフ「“かみつき魔”ダラハイドを演じるにあたり、異常犯罪者を調べると、
    彼らの少なくとも85%が“過酷な幼少期”を体験してるんだ」

リプトン「共演のエミリー・ワトソンはこうあなたを評しています。
     “普段の彼はどこかぎこちない。演じてる時の彼が一番落ち着くように見える”と」
レイフ「演じている時には生気がみなぎる。現実はとても厳しい試練の連続だからね。
    だけど、演じているとその現実から逃避出来る・・役者の実生活なんて大抵はボロボロさ。
    人間だからそれが普通だよ・・でも、演じることで解放されるんだ」

【ナイロビの蜂】
レイフ「フェルナンド・メイレレス監督は即興を多用し、脚本が絶対という考えは持っていない監督だ。
    彼の即興が、僕と(共演の)レイチェル・ワイズの間に“親密な空気”を生んだんだ。
    愛し合う2人が持つ“心の繋がり”をね・・それは“眼には見えない線のようなもの”さ」
   「レイチェルは素晴らしい女優さ。おおらかでとても寛大、彼女とはいい即興ができたよ。
    彼女との共演は本当に楽しかった」

【ハリー・ポッターと炎のゴブレット】
リプトン「悪を演じると解放される?」
レイフ「完全にね」

レイフ「“鼻のないイメージ画”を初めて見た時は、正直気乗りしなかった。
    役者としては「大事な顔に何するんだ」と不安になる。自分の知らないところでデジタル加工されるんだからね。
    でも完成した映像を観て大満足さ」 ←え? そうなん?(⌒〜⌒ι)

〜 演技論、人生観など 〜

レイフ「失敗なんて幾らでもすればいいんだ。なりふり構わず演じることこそ重要だ」
   「(RADAで)学んだのは“リスクを冒せ”だ」
   「役作りのためなら、無関係だと思えることでも何でもやってみる」
   「結果を求めず過程を楽しめ。何事にも前向きに。監督や共演者を大切にしてチャンスを最大限に生かす。
    演じるその瞬間こそが何よりも貴重だから」
   「ラブシーンでは“相手に恵まれること”をただ願うよ。でも、現場は意外に味気ないものさ。
    共演者のユーモアに救われることもある。昔デヴィッド・ニーヴンは相手役に“勃っても勃たなくても謝るよ”
    と。ユーモアで場が和むのさ」
   「演技は人を変えられる。物事に対する見方や姿勢が変わるかも知れない。
    俳優業を選んで僕は変わったし、変わったと言う事実に満足している」
   「思考や感情を刺激し、精神を浄化してくれるもの・・それが演劇や映画だ。
    それはとてつもない力で観客すべての精神さえ変え得る・・それこそ僕たちが求めていることなんだ」

リプトン「毎回、演じる役から学ぶ、と言ってますね?」
レイフ「作品に全力を注ぐから。人々を魅了する、価値ある映画を作りたい。そのために努力していると自分も変わるんだ」

〜 番組恒例の10の質問 〜

好きな言葉・・「心」
嫌いな言葉・・「面喰らう」
心躍るもの・・「シェークスピア」
幻滅させるもの・・「環境破壊や汚染」
好きな音・・「静けさ」 ←「私もです」と静かに言葉を重ねるリプトン氏に「美味しい!」と(=^_^=)
嫌いな音・・「レストランなどで流れるBGMが耐えられない」
好きな悪態・・「普段はフ※ック(fuck)、不機嫌だとカ※ト(cunt)」 ←「後者(の登場)は3度目ですが、(好んだのは)いずれもイギリス人俳優です。因みに、うち2人は女性でした」とリプトン氏(=^_^=)
就きたい仕事・・「野生動物の保護に関わる仕事。自然保護公園などでね」
就きたくない仕事・・「タブロイド紙のゴシップ・コラムニストだ」
天国に着いた時、神に言われたい言葉・・「役をあげよう」

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2009年3月27日 (金)

☆『秒速5センチメートル(2007)』☆

さる9日(月曜)の夜、先の『新S0S大東京探検隊(2006)』に続いて衛星第2で放送された『秒速5センチメートル』を観た。

こちらは「きっとロマンチストでナルシストに違いない!」と勝手に決め打ってしまいたくもなる、孤高のアニメーション作家=新海誠の原作&脚本&監督による中編のオムニバス作品。

同氏の作品としては、初の劇場版長編である『雲のむこう、約束の場所(2004)』しか観たことのないワタシだが(それも確か衛星第2だった・・)、本作も『雲のむこう〜』に骨格部分で酷似した世界観&映像テイストを放っており、ストーリー的に言うと「ちょっと気恥ずかしくて、付いて行けないわん」ってのが現時点でのワタシの評価であるが・・(⌒〜⌒ι)
描き込まれた風景描写の凄まじさは流石に素晴らしく、ある意味「実際の風景よりも物語性を内包しているんではないか?」とさえ思えて来る!

良き映画を観て、つい「ロケツアーしてぇなぁ〜」と思ってしまうのがワタシの常なんだが、本作の場合だと「実際に足を運んでも、こんな現実離れした情景は、きっと拝めようハズもないよな」と諦めの気持ちすらわいて来たり(×_×)

『雲のむこう~』でもテーマとなっていた(と思しき)「宇宙」「道(=軌跡)」「恋人たち」「記憶」などが、本作でも同様に大きく取り上げられていた感。

第1話「桜花抄」、第2話「コスモナウト」、第3話「秒速5センチメートル」の3エピソードの中で、栃木県岩舟町(第1話)、種子島(第2話)、東京(第3話)の風景が情緒豊かに綴られる。

主人公は、遠野貴樹・篠原明里・澄田花苗の3人であるが、エピソードごとに語り手(主役)が変わる(?)ため、彼らの言動が主観的になったり、客観的に描かれたり、と“3人それぞれの心情にすき間が設けられ、観客に、それを自在に補う余地が残されている”辺りが「エエなぁ」と思った。

ただ、キャラの顔が妙にアニメアニメしてるのだけは、風景から浮き上がってるようで残念だった(・ω・) が、劇画調に描けば良いか? と言うと・・「そうなると今度はファンタジックな部分が欠落してしまう」のもあり、難しいトコロではある。

きっとこの先も“新海作品”を観るたび、同じことに思いを至らせてしまうワタシのいるような気がする(・ω・)

ちょっと気の利いたタイトルとし響く「秒速5センチメートル」は“桜の花びらの落ちる速度”である、と劇中でネタバレ(?)されていたが、宇宙開発事業団(NASDA)のロケットを格納したコンテナが、発射場に移動する際の速度が「時速5キロ」と語られてもおり、こちらも何故だか心に残ってしまった。

〜 こんなセリフもありました 〜

貴樹“時間ははっきりとした悪意を持って、僕の上を流れて行った”
  “僕らの前には、茫漠とした時間が横たわっていた”
  “あのキスの前と後では、世界の何もかもが変わってしまったような気がする”
  “僕はただ、彼女を守れるだけの力が欲しいと思った”
  “ただ生活をしているだけで、悲しみはそこここに募る”
  “昨日、夢を見た。まだ僕らが13歳の頃の”
  “今振り返れば、きっとあの人も振り返ると、強く感じた”

花苗“彼は優しくて、私は時々泣いてしまいそうになる”
  “出す当てのないメールを打つ癖が付いたのは、いつからだろう?”
  “潮は少しずつ、涼しくなって行った”
  “彼は優しいけれど・・私の向こうを、私のずっと向こうを見ている”

明里“夕べ、昔の夢を見た”

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2009年3月26日 (木)

☆『新S0S大東京探検隊(2006)』☆

さる9日(月曜)の夜、衛星第2で観たのが“原作&キャラクター原案:大友克洋”が最大のウリ(恐らく)の、短編ノスタルジックSFアニメーション『新S0S大東京探検隊(2006)』であった。

何の予備知識もなかったワタシだが・・夏休みの東京を舞台に、オフ会的に集合した4人の少年たちが、広大なトウキョウの地下を探検する物語。

この導入部こそは、かなりワクワクさせられるんだが、、中盤以降で妙に登場人物が増え、いきなし“中途半端な群像劇をムリヤリ見せつけられる展開”となり、ちとゲンナリさせられた(×_×)

が、アニメ作品としての“ある程度の挑戦”が観る者にもひしひしと伝わって来るトコはあり、
・アニメーションで「ハンディカム映像」を表現
・JR沿線の風景など、やたらリアルな(現代)トウキョウの描写
は見所と言えたろうか。

後半で、旧(大日本帝国)陸軍の戦車が登場するんだが「その開け放たれた上部ハッチから、セーラー服姿の少女が半身をのぞかせ、それに並行してオレンジ色のJR車両が走る」って“図”は流石にもの凄いインパクトがあった(きっと作者が最も描きたかったシーンの1ツに相違あるまい)。
「セーラー服の少女がマシンガンを乱射する」ってな(往年の某邦画の)シチュエーションにも、決して負けてなかったと思う(・ω・)

ノスタルジックな骨格部分がなかなか良かっただけに、妙に自由度を下げ過ぎた中盤以降の展開が惜しまれるトコだ。

〜 こんなセリフもありました 〜

山下老人「誰じゃ、儂(わし)の室(むろ)に入る奴儕(やつばら)は?」
    「今こそ死して、御國(みくに)の鎮守(ちんじゅ)足らん!」

又吉「壊れたものは、直せば良いさ」
  「イイか、お前ら・・大きくなっても、地下に来るような大人にだけはなるなよ・・俺はダメだったけどな・・」

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2009年3月25日 (水)

☆『佐賀のがばいばあちゃん(2006)』☆

さる13日(金曜)の夜。『金曜ロードショー』で地上波再放送されたのが“波乱のお笑い芸人”島田洋七氏の(同名)自伝小説を原作とする『佐賀のがばいばあちゃん』であった。

「おや?」と感じるトコがあり、HDレコーダーを確認してみると・・2007年11月23日(金曜)に、同じ『金曜ロードショー』で“地上波初放送”された際に、しっかり録画してたのが見つかった(⌒〜⌒ι)
そこで「今夜の放送を機に、ちゃんと観ておこう!」と決意し、放送とほぼ同時刻に(=^_^=)早速(録画した方を)観始めたワタシである。

九州・博多へと向かう新幹線。間もなく広島に到着しようとするその車内に、スーツ姿の主人公(三宅裕司)の姿があった。
発車時間を迎え、広島駅からひとり乗り込んだ少年は、別れを済ませ、車窓の向こうに遠ざかってゆく母の姿にただ涙する・・
そんな少年の姿に、自身の若き日を重ね合わせる主人公。

そして物語は、昭和32年の夏、広島から幕を開けるのであった。

幼くして父を亡くし、広島で母(工藤夕貴)、兄と暮らしていた少年=昭広が、突然やって来た真佐子伯母さん(浅田美代子)に殆ど「騙される」形で佐賀へ連れて行かれる導入部。

母たち姉妹を育て上げたおばあちゃん(吉行和子)の、小柄だけどパワフルな言動に、当初こそ気圧される(=^_^=)主人公=昭広だったが・・次第にこのおばあちゃんの“がばい(=すごい)”生き様をリスペクトし始めるようになる・・

本作、適度な長さのエピソードを小気味良く積み重ねた感じの構成でもって、主人公が佐賀で過ごした(少年期の)8年間が描かれる。印象として、

・「佐賀ならでは!」ってなロケーションが伝わって来ず、インパクトが弱い。
・「ここぞ!」と言うヤマ場&泣かせ場にやや欠ける。
・現在と過去の“絡ませ方”がイマイチ美しくない(不自然で散漫な感さえある)。
・母親&兄&伯母のキャラの描き込みに不足がある。

ってな「マズい点」は見受けられたが、丁寧で飽きさせない(飽きさせにくい)作りは評価に値するかも知れない。

にしても「おばあちゃん」と劇中でさんざ言われつつ(結局、本名も良く分からなかったし)、年齢が「58歳」であることが判明もし、私的には「年齢的にちと違和感を感じるかもなぁ」と思ったりした(・ω・)

また、主人公に“野球の才能があった”って部分が中盤以降、やや大きく取り上げられて行くこととなるが・・
「チームメイトとの友情」「クラスメイトとの初恋」なんてな脚色はバッサリカットされており、残念(×_×)

世知辛い世の中、作品世界・・と身構えてもしまったが、意外と“根っからの悪人”の登場しなかった本作。
貧乏で何もなかった少年時代ではあるも、何もないが故に、代わりに“確かにあった何か”の存在を、そんな作品世界の隅々に感じた佳作でもある(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

ばあちゃん「ただぼうっと歩きよったら、がばい勿体なかろうが。
      こん世の中、拾うもんはあっても棄てるもんはなかとばい」
     「曲がった野菜も、切って煮てしまえば一緒」
     「川はがばい良かスーパーマーケットばい、配達までしてくれると」
     「大は小を兼ねる」
     「けちはいかんが、節約は天才ばい」
     「何ね、お金かかるとね・・ やめときんしゃい」
     「気のせいばい、腹減ったと思うけん食べとうなる、まだ減っとらんと思えば減っとらん」
     「靴が減る、裸足で走らんか」
     「いかん、人様の世話にはならん!」
     「貧乏には“暗い貧乏”と“明るい貧乏”の2通りある」
     「うちは先祖代々の貧乏やから自信ば持て」
     「今のうち貧乏ばしとけ」
     「貧乏で良かったろ?」
     「親にとって、おらん方がいい子供なんか、おるわけなかろうが」
     「人に気付かれんようにやるのが、本当の優しさ」
     「辛い話は夜するな、どんなに辛い話も・・昼したら、大したことない」
     「勉強ばっかしてるとくせになるよ」
     「普段は何も買わん、ばってん、買うときは一番良かもんしか買わん」

追記1:「出てはるらしい」と聞いてた故・緒形拳さん。“特別出演”として豆腐屋のおじさん役で、確かにちょっと出たはりました☆
追記2:教師役の山本太郎がなかなか良かった! 殆ど名前すらなかったのが惜しいトコロだ。
追記3:伯母が主人公に言った「広島におったら、あんたの教育に悪かけん」なるセリフは、当時の広島を知る人々にはどう聞こえたんだろ?
追記4:川で、流れて来る野菜だかを拾うばあちゃん&昭広少年。右から左にやや長回しされるシーンで、手前の「柱」が次々にパスされて行くカメラワークが結構気に入った(=^_^=) やってることはきっと基本的なんだろうけど、何だか「見せてくれる」映像演出である☆

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2009年3月20日 (金)

☆『ワルキューレ』☆

20日(金曜)。
送別会っぽいのんが3夜連続し、ちと「寝だめ」「休肝日」に充てようと考えてた1日だったが・・午前中から引っ越し業者さんが見積りに来はる! ってことで、そないに深く眠ることもなく起きた(・ω・)

無事に業者さんとの打合せも終わり、解放感に包まれた(=^_^=)ワタシは、市内(国道1号線沿い)にあるシネコン“シネプレックス枚方”に、本日から公開の始まった新作『ワルキューレ』を観に向かったのだった☆

監督:ブライアン・シンガー、主演:トム・クルーズによる、第2次大戦時に実在したドイツ軍将校=シュタウフェンベルク大佐らの一派による“反逆”とその結末を描いた軍事サスペンス。

「初日の2回目」ってことで「入場出来る可能性も半々ぐらいかなぁ・・」と覚悟してたら、すんなりチケットが買えたので拍子抜け。。
今ドキの観客層からすれば「トムクル主演」ってのも「第2次大戦モノ」ってのも、食指を動かすポイントから外れとるんやろか・・?

“これは事実に基づく出来事である”

1934年、アドルフ・ヒトラーが総統に就任、ドイツ帝国は隆盛と領土拡大を続けていた。その一方、勢い付く国家の“影”の部分で、夥しい数の人々が日々粛清され、その命を落としていた。大多数の軍人はそんな現状を知りつつも受け流していたが・・中には現政権に反旗を翻す将校もいた・・

度重なる過激な発言が祟り、今や南アフリカ・チュニジアに“最前線送り”となった青年将校=シュタウフェンベルク大佐(トム)は、
「救うべきは祖国(=ヒトラー総統)より、まず(虐げられている)国民の生命ではないか?」と疑問を感じつつ、慢性的な水不足に喘ぐこの地で戦いの日々を送っていた。

将軍の視察を迎えたそんなある日、シュタウフェンベルクは連合軍機の強襲を受け重傷を負う。

ミュンヘンの陸軍病院で目覚めた彼は、自身が“鉄十字勲章”を授与し、陸軍総司令部・参謀長の肩書を得た(=昇格)ことを知るも・・代わりに失ったものも“左眼+右手首+左手2指”と大きかった。

一時的な帰宅を赦されたシュタウフェンベルクは、妻ニーナや2人の子供らと“束の間の幸せな時間”を過ごすが・・今や彼の邸宅周辺にも空襲の手は伸びていた。
地下室に避難する一家。階上の、止め忘れた蓄音機からかすかに漏れ聞えて来る“ワーグナーの交響曲(ワルキューレの騎行)”の旋律に耳をすませながら、
「この国には変革が必要で、そのためには“ドイツの敵”ヒトラーを倒さねばならない」「このまま命を失ってしまっては、子孫に恥を残すだけだ」と深く考え始める。

1943年3月13日。コアントロー(フランス産の酒)の木箱に仕込ませた小型爆弾による“総統暗殺未遂事件”が起こる。
爆弾はヒトラーの搭乗機に積まれたが、不発に終わった。
その事件の仕掛人である将校&高官ら(ベック将軍、トレスコウ少将、ヴィッツレーベン元帥、オルブリヒト将軍、、)にスカウトされたシュタウフェンベルクは「名誉の負傷をした身」をも武器にしつつ(?)総統に近付いてゆく。

1944年7月20日。“総統本営=狼の巣”でのヒトラー暗殺⇒ベルリンでの“新政府発足”を連鎖的に行う“ワルキューレ作戦”がいよいよ発動! シュタウフェンベルクは副官=ヘフテン中尉と共に“狼の巣”へと向かう。その手には小型爆弾の仕込まれたカバンが下げられていた。

・・爆弾が炸裂するまでの猶予は10分。地下壕まで4分+脱出に6分と試算したシュタウフェンベルク。
果たしてヒトラー暗殺は成功するのだろうか?

う〜ん・・確かにシブい! と言うか地味! と言うか、トムクル主演作としては、総じて演技を抑え目にしてる感じで、それも良いかな、と(群像劇、と言う見方も出来たか?)。
何せ、前作『トロピック・サンダー/史上最低の作戦(2008)』における立ち位置が「あんた! 前に出過ぎだよ!」って突っ込めるほどの凄まじいレベルだったもんで(=^_^=)

激戦により負傷する前後で、シュタウフェンベルクのキャラが(容姿&性格)ガラッと変わってもしまう本作。ロケ現場で気さくに握手に応じてくれるような(←実際にどうなのか知らんけど(=^_^=))“いつものトム様”は前半でしか拝めません(・ω・)
んでも、劇中の何シーンかで絶叫気味になるトコでは、トレードマークの(?)甲高い声に「叫ぶと、やっぱしトム様やね☆」とホッとさせられた次第(=^_^=)

彼以上に、魅力的だったのが反逆の将校らのキャラ。中でも“軍人なのに終始スーツ姿”だったベック将軍(テレンス・スタンプ!)、主人公の上官なのに、何やら迷いまくってるオルブリヒト将軍(ビル・ナイ!)、この2人はその起用&存在感だけで魅せてくれた!
テレンスの泰然とした佇まいはかつてのゾッド将軍(1981)にも負けてないし(=^_^=) ビル・ナイの演技幅ちぅか化けっぷりちぅか・・本作を観ちまうと『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト(2006)』での彼の存在感なんか「驚くと言うより、笑っちゃう」と小※元首相のように一刀両断にしたくもなってしまう(⌒〜⌒ι)

欲を言えば、も少し「大佐と家族のドラマ」を掘り下げて描いて欲しかったかも。「パパと言うか、軍服マニアの怖いおじちゃん」としか見えなかったようにも思う(こらっ!)

物語自体の顛末を(事前にウィキペディアで読んで)知ってしまってたがため、ある意味、自分自身で首を絞めてしまった感もある本作。正直「上質だし決して悪くはない」と思うんだが、ちと「アタマ1ツ、抜けてるトコもないんでは?」と。
まだまだ『スーパーマン・リターンズ(2006)』で“滑っちゃった感のある”シンガー監督の“完全復活”とは評せないかな、と。

ま、でも見所はワタシなりにあって、

1:飛行場に集まったドイツ将校らの姿に緊張感が漲る! ロングコートにブーツ、上着の内側に「赤色」の見えるファッションは、狙ってか狙わずか、かなりのカッコ良さを放ってもいた。
2:ババリア地方・ベルクホーフ山荘に総統を訪ねる際の、ヒトラーとシュタウフェンベルクの短いやり取りに、緊迫感があり、コレも良い! 何だか「ムチャクチャな起案事項のファイルを携え、社長室のドアをノックした」時のようなリアルなスリルさを連想しちゃうサラリーマンな観客のしともいるんじゃなかろうか(⌒〜⌒ι)

〜 こんなことにも気付きました 〜

・やたらと将軍の名前が登場! ドイツ帝国には、いわゆる“名ばかり将軍”が多かったんか?
・やはり「自ら“命を賭けて見届ける”ぐらいの気合」なくば、(この手の作戦の)成功は覚束ないのではなかろうか? 死にたくない気持ちは分からなくもないが(・ω・)
・ドイツ軍人の腕に止まったヤブ蚊の“どアップ”や“狼の巣”の地下会議壕(?)に向かう2人(シュタウフェンベルク&ヘフテン)の姿を(ネット越しに)上から見下ろし、さながら“網に捕われた”ように写すカメラワークなど、独特の視点が幾つかあった。
・妻ニーナが別れ際に呟いたひと言。口の動きから「Please(どうか・・)」に思えたが?
・「My Fuhrer(我が閣下)」「Heil Hitler,General(万歳、将軍)」などの“ドイツ語ちゃんぽん英語”がちょっと苦笑モノだった。。「Tension!(気を付け!)」ってのも違和感あったなぁ、、
・後半、至近距離から“いきなりのアッパーカット”を放てば、ゲッベルス大臣は間違いなく殺害出来たように思う(・ω・)
・ヒトラーの山荘にはやはり(=^_^=)“でかい地球儀”が置かれてたが『独裁者(1940)』におけるヒンケル総統のモノほどはでかくも、軽くもなさそうだった(=^_^=)
・意訳は弾けてなかった、字幕担当の戸田奈津子さん(・ω・)だが、人物の初登場シーンに [ベック将軍] などと表示してくれたのは親切だった☆
・大佐が携行してたのは・・“ジッポーライター”ではなくて、、(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

トレスコウ「瓶を間違えたようだ」
ブラント「ここでそのコアントロー(酒瓶)を開封されては? さぞ喉がお渇きでしょう?」

シュタウフェンベルク「出世より、信念を」
          「あなた方は敬意と人気を混同しておられる」
          「あの絵(総統の肖像画)は外され、あの絵に描かれた男は吊るされる・・それがこの戦争の終結だ」
          「I saw the blast(爆発を見た・・確かに・・)」
          「あなた方は、腰抜けだ」
          「眼をお上げなさい・・国民は決して忘れない」
          「ドイツよ、永遠なれ!」

フロム「君と握手したいが、手を奪われそうだ」
シュタウフェンベルク「今それを仰って、メンツも奪われましたな」

フロム「覚えておけ。総統のご存命の限り、総統ご自身が“正しい側”なのだ」
   「君は“ハイル・ヒトラー(総統閣下、万歳)”を言わんのか?」

フェルギーベル「無理強いをするな!」
シュタウフェンベルク「それは、あなた次第です」
フェルギーベル「お前らなど“沈みかけた船のネズミ”だぞ!」

反逆者ら「我々は辛抱し過ぎた」
    「世に示すのだ、彼(総統)以外にもドイツ人のいることを」
    「ベルリンの掌握、即ちドイツ全土の掌握だ」
    「神は“10人の高潔な人間がいたならソドム(悪徳の街)は滅ぼさない”と言われた。
     このドイツには“たった1人の高潔な人間”がいたらいい」 
    「小型爆弾に、正確さを求めるな」
    「975グラムの爆薬の包み2つで、戦車が吹き飛ぶ」
    「今日こそが“運命の日”だ」
    「神聖なる我がドイツに栄光を!」
    「ヒトラーとヒムラー、2人とも手に余る狂人だ」
    「行動に出た彼を見棄てると?」
    「良き昔を思い出そう」

ブラント「この私が“総統の眼”だ」

ヒトラー「君のような男が欲しい」
    「君の加えた修正なら、信用出来る」
    「ワーグナーを知らずして、国家社会主義を語るなかれ、だ」
    “私の声が分かるな、少佐?”

シュタウフェンベルク「失敗すれば・・君たちも逮捕される」
ニーナ「覚悟しています」

将校「ギリシア時代なら、伝令は直ちに殺された。お前は幸運だな」
  「大佐、これはあなたのカバンでは?」
  「余りに暑いので、会議室は変更されました」

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2009年3月18日 (水)

☆『パッセンジャーズ』☆

16日(月曜)の夜。そこそこに残業をこなし、もう1つ“やらねばならぬ作業”もあったんだが・・どうにも我慢出来なくなり、(それはうっちゃっといて)JR高槻駅のすぐ北にある「ロコ9シネマ」に新作『パッセンジャーズ』を観に行った☆

先週半ば、同じように仕事後で梅田に観に行くと・・「残席:×」と電光表示されており、すごすご帰宅させられた記憶も新しい本作。
いやが上にも期待値が高まっちまったちぅねん! ってことでかなりワクワクしてましたズラ、ええ。

「NEWSKY社」の109人乗り旅客機がアメリカ東部(恐らく)の海岸に胴体着陸、直後に爆発炎上を起こす。
この事故で、乗客&乗務員総ての生命は絶望視されたが・・現場では、奇跡的に一命を取り留めた5人の人々が、事故の衝撃もさめやらぬまま、呆然とした表情で浜辺を彷徨っていた・・

彼ら生存者は直ちに医療施設に収容され、若きセラピスト(臨床心理士)=クレア・サマーズ(アン・ハサウェイ)が即座に5人のカウンセリングを一任される。

生存者は鬱状態の4人(ディーン、ノーマン、ジャニス、シャノン)と躁状態の1人(エリック・クラーク)に大別され、中でもエリック(パトリック・スチュワート)は意味深な言動でクレアにモーションをかけ、グループ・カウンセリングに一度も顔を見せず、個別のカウンセリングを彼女に要求したりもする。

そんな中、グループ・カウンセリングを重ねるたび、参加者の4人が次々に行方不明となり始める。
やがて、クレア自身の周辺に2人の“謎の男”が現れる。

1人は航空会社の調査官アーキン(デヴィッド・モース)、そしてもう1人は「あの事故の生存者だ」とクレアに衝撃の告白をする!

果たして事故の本当の原因とは? そして姿を消し始めた5人の背後には、どんな真相が隠されていると言うのか?

若きヒロインが生存者への聞取り(?)を進める中、旅客機墜落の直接原因が「飛行中のエンジンの爆発」にあるのか否か、を気にし始める展開が色濃くなり、そこは何となくミスリード(引っかけ)にも思えた。

無論、航空会社側は「パイロットの誤操縦による人的ミス」を公的見解にしようとするが、5人の中には「まず閃光と爆発があり、その後に墜落した」と証言する者もおり、もしそれが事実なら「エンジンの故障⇒会社側の整備ミス」が原因とし浮上して来るのだ。

総てを知っているような(?)エリックは真相を答えず、アーキンは「事故以外には考えられない」と「故障説」を頭ごなしに否定する。ついにはクレアの上司=ペリー(アンドレ・ブラウアー)までもが「君は良くやった、だが君の知りたがっている真実はそうではない」と意味深なことを告げ始めたりする。。

「知らぬはクレアばかりなり」・・ん?

本作、これ以上書いてしまうと“ネタバレ”にしか至らないので、ここまでにしておく。

が、正直「衝撃のラスト」を過剰に期待してしまうと・・“既に(大きな)前例のあるパターン(の応用型)”にしか思えず、そう言う意味では「10年前に公開されてたらもっと話題になったろうし、11年前に公開されてたら監督=ロドリゴ・ガルシアの名がサスペンス映画史に刻まれたに違いなかろうな」と、そこだけは惜しく感じた。

※そういや邦画にも似たようなテイスト(切り口)のモノがあったような・・2005年頃に(・ω・)

私的にはアン・ハサウェイの「お人形さんのような美顔」をアップで眺め続け「ほぁぁぁぁ!」とホレボレする一方、困惑の表情・険しい表情・軽く歯を剥き出して笑う表情などに「美の崩れ始める、微妙な境界線の存在」を何処かに、確かに感じてしまい、そんな“制作側の(たぶん)意図しないトコロ”にこそ、何ともゾクゾクさせられてしまった(⌒〜⌒ι)

ってことで、基本的にハサウェイさんは「お澄まし顔」が一番良いと思う(なお、劇中で1シーンのみ(?)“眼鏡ルック”が拝め、そこは眼福だった!)。

脇を固める中では、色々とクレアの私生活を詮索する、隣人(?)のおばさん(トニさん)を演じたダイアン・ウィーストの“不気味かつ優しい表情”も外せない(=^_^=) ウィーストさんの笑顔を眺めてて「レニー・ゼルウィガーさんが年を重ねたら、こんな感じにならはるんかも、、」とふと感じたりもした(⌒〜⌒ι)

サスペンス劇としては物足りなかったが、エドワード・シャルマー(シェアマーとも?)によるピアノベースの静かなスコア(楽曲)(←私的には彼の出手がけた中では『光の旅人/K−PAX(2001)』のスコアが好きだ! で、ちゃっかりサントラCDも買いますた(=^_^=))が心地良いし、パトウィル(←略すな!)とクレアのラブロマンス、ちぅ見方をすれば、それはそれで丁寧に、美しく綴られてたんじゃなかろうかな。

パトウィル氏の容貌を眺めてて、何処となく「ケヴィン・コスナー+クリスチャン・スレーター」を連想してしまったモノだが、実はこの男優さんって『オペラ座の怪人(2004)』で準主役だったんやね・・気付かんかった(×_×)

あと、ひと昔前は「どう観てもレオナルド・ディカプリオにしか見えんかった」クレア・デュヴァルさん(シャノン役)が、ようやく彼女らしい個性をその表情にあらわし始めたな〜とも思った(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

クレア「正しい事実の把握を」
   「負の感情を封じ込めると、後でその反動が来るの」
   「例えば、子供たちの多くは真実をファンタジーで飾っているわ」
   「You don't know me!(見損なわないで!)」

エリック「君に姉妹がいるなら・・まだ“間に合う”うちに連絡すべきだ」
    「事故について一番思い出すのは・・顔に当たる風だ」
    「始めてしまえば、(絵画なんて)そんなに難しくはないさ」
    「美人は・・無意味な言動で自分の価値を隠そうとする」
    「人生が現実となる、それが結婚の恐ろしい所さ」
    「あの事故以来、まるで生まれ変わった気分だ」
    「簡潔だけど、曖昧な人だな・・君は」
    「来いよ? 来ないなら、なぜ今夜、会いに来た?」 ←おっ!
    「これでもう、僕を追い払えないよ」 ←おおっ!
    「希望を捨てるな! 信じろ!」

エリック「イチジクはいかが?」
クレア「結構よ・・それ、洗って食べたら?」

ペリー「真実こそ癒し」
   「君は探偵じゃないんだぞ」
   「嘘には、真実の一部の混ざることがある」

トニ「慎重になり過ぎて、チャンスを逃したの」
  「人生なんてあっという間よ・・翼を広げなさい」
  「会うのをやめないと・・彼を忘れないと・・」

アーキン「自らの仮説を押し付けるのは止せ」
    「突き詰めれば、事故は総て人的なものさ」
    「君の言動など信用出来んな」
    「君の思い違いだ」

ペリー「何があった?」
クレア「・・一線を越えたの・・」

クレア「もしご両親に会えたら、何を伝えたい?」
シャノン「あれは事故だったのよ、と」
クレア「他には?」
シャノン「2人を赦す、と」

※※「人に言われることじゃない」
  “△△△の居ない人生は、厳し過ぎるわ”

追記1:「超感覚的知覚」なんてな専門用語(?)も登場していた。
追記2:夜の街を駆け出し、幻想的に振る舞う(?)エリックの言動にパトリック・スウェイジのイメージがダブったり(・ω・)
追記3:クレアとの間に確執のある姉エマ。彼女の「不在」の続くのがちょっとしたポイントかも。
追記4:改めて劇中における「眠り」と言う行動の不思議さを思った。
追記5:終盤における、回想シーンでのエリックの「笑顔」が良かった!
追記6:子供キャラは不在だった本作。少しは欲しかった。
追記7:世界設定には、やはり物理的な違和感を覚えた(・ω・)
追記8:ポイントとなる「グループ・カウンセリング」のシーンが結構あっさり描かれてて残念だった気も。。
追記9:基本はラヴロマンスなテイストの本作。連想したのは『シティ・オヴ・エンジェル(1998)』ですた。
追記10:あんな悲惨な結果にせよ、胴体着陸にまで持って行った機長の操縦テクニックは、それなりにスゴいと思う!
追記11:ロドリゴ・ガルシアは『彼女を見ればわかること(2001)』『美しい人(2005)』の監督さん!

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2009年3月15日 (日)

☆『ハンコック(中盤から)』☆

8日(日曜)の夜。
4月以降の新生活に備え、その新居を決めるべく、某県某市へと1泊2日コースで出かけて来た。
1日目の夜は(同市内にある)支局メンバーに紹介して貰った、とある「鳥の美味い店」で少し飲んだりした。

結局、翌9日(月曜)夕方までの2日間で「10件+αの物件」を見て回ったが・・結果的には、2日目の朝にキャンセルの出たと言う、新築のマンションに決めた次第☆ 間取りは1Kに過ぎないが、それはそれで必要十分な気がした。

どうやら、実家の部屋も「空っぽにして出て行け!」と言う感じでもなさそうなので(?)ある程度の荷物は残して行って良さそうであり「住んでるうちにちょっと狭くなるかも知れんけど、そこを工夫する楽しみもあるかな」などと楽観視している(・ω・)

8日の夜は、市内中心部の某ビジネスホテルに泊まったが、部屋のチャンネルでは・・

・地上波で『トリプルX/ネクスト・レベル(2005)』
・シネマチャンネルで『ハンコック(2008)』と『SEX AND THE CiTY(2008)』

が放送されていた。他にもバラエティ番組みたいなのはやってたが、大阪府内に比べるとやはりチャンネル数に見劣りし、ただでさえ“消費系番組”の大嫌いなワタシは、欲張って上記3本をチャンネルを切り替え、それぞれを(貪欲に)楽しんだのだった(=^_^=)

『トリプルX/ネクスト・レベル』・・監督:リー・タマホリ、主演:アイス・キューブ、共演:ウィレム・デフォー、サミュ・L・ジャクソン・・とモノ凄い顔ぶれなのに「日本未公開」な悔しさの漂う1作。
恐らく前作(2002)で主人公を演じたヴィン・ディーゼルに比べ、アイス・キューブだと“見劣りがする”と配給側が考えたんだろうか。。
飲み会を終えてからの鑑賞だったので、中盤以降だったが(一応自宅で録画しといたんで、また近い内にちゃんと観ときたい)、少なくとも「テンポは良い」と思った。

『ハンコック』・・「主人公が数週間、刑務所に収監される」辺りから終了までを観た。(ぐるぐるリピート放送されてたので)2回ぐらい観たかな(=^_^=) 劇場以来の鑑賞だが「主人公と“もう1人”がロス中心部で激闘を展開するシーン」「主人公が“チョコバー”で強盗と対峙するシーン」の“駆け足気味な流れ”にちょっと面食らった(☉д☉)
もっと(展開に)余韻があると思ってたもんで。

セリフの中では、
「長く生きて、運命が絶対じゃないことを知った・・それは選べるのよ」
「分かるよ・・欲しいモノがあると、人は我慢出来なくなる、だから盗るんだ」
が印象的だった。

それと、ラストまで絡んで来る“悪のボス”が「どうやら生きてる」らしきことを改めて知った。アレも続編制作に向けての「余地」なんやろか?(=^_^=)

『SEX AND THE CiTY』・・劇場以来の鑑賞。公開当時は「誰も死なない!」点を筆頭に、結構好意的なレビューを寄せた本作だったが・・主人公を演じたサラ・ジェシカ・パーカーさんと『ハンコック』のヒロインを演じたシャーリーズ・セロンさんを比べると・・流石にサラさんはキッツいモノがあった(×_×)
中盤で「花嫁衣装で悲劇の主人公ぶりを遺憾なく発揮」されるサラさんだが・・「むむぅ・・美しくない・・」とちょっと画面から距離を置いてしまったほどだ(×_×)

後半から(?)ジェニファー・ハドソンが登場するが、容貌こそはハドソンさんも「ちょっと・・」なのに、画面に登場する限り、何故だかその言動に惹き付けられ、正直(それらのシーンでは)サラさんを「喰ってしまってる」感すらあった!

どこがどう、とは言えないんだが、ジェニファー・ハドソンはやはりスゴい女優(←本業は歌手だそう)です!

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☆我が街・枚方を味わい直す☆

14日(土曜)。
珍しくも、午後からの休日出勤であった。
ワタシの記憶する限り・・(出張を除いての)本社屋への休日出勤となると10年以上ぶりな気がする・・(ラクさせて貰ってたんやろね)

「大阪を去ること」が確定してからは、とにかく「行き残したトコに行っときたい」「買い残したモノを買っときたい」と、妙に焦る気持ちが募ってしまい・・いけない。

午前は、数年ぶりに日本橋(恵比須町)に出かけ、数日前の新聞で紹介されてた「あるモノ(玩具)」を買って来た☆
それは、鉄道模型メーカー「トミーテック」からリリースされている“建物コレクション/お寺シリーズ”のジオラマキット、その名もズバリ(=^_^=)『五重塔』である☆(商品名は「お寺C」なので注意!)

組立式ではあるが、
・塗装済みで、ウェザリング(汚れ塗装)を施された質感がなかなか良い(ネット紹介画像による)
・全高約20センチと、そこそこの存在感がある
・単体で飾るにも違和感がなさそう

ってことから、予備分(?)も含め、2ヶも購入してしまった!(=^_^=)
是非、組み上げて新居に飾り、毎朝語りかけたいと思う(小鳥かよっ!)

仕事が終わってからは、今福界隈にある某ショップに、クルマを引き取りに行った。
支払い合計額が10諭吉を超えてしまったことには・・激しく動揺してしまったが「10年間&10万キロ走り続けた車体」としては、ここは気張らねばならぬメンテナンスなんだろう、と。

「そろそろラジエータが危ないですよ」とアドバイスを受けたが、様子を見ることとした。

そこからスバルの某ディーラーに向かい、新たにリリースされた『インプレッサWRX STI A-Line』のカタログをこそこそと貰って来た(=^_^=) ←実車は店内に見当たらず(×_×)

正直、ここ最近リリースされた“日本車”総ての中で、最も気になってしまう1台ではある。
が、セコいワタシには「2.5リッターの排気量」はオーバースペックに思えたり。
だが「パドルシフト」「クルーズコントロール」「SI-DRIVE」それぞれの搭載(採用)は正直、かなり魅力的ではある。

きっと今乗ってるクルマが「高速走行中に突如、空中分解して全損扱い」となったら、コレが目下(次車候補とし)最も有力な気がする(・ω・) ←ま、高速走行中に空中分解したら、乗ってるワタシもタダじゃ済まんだろうけど(⌒〜⌒ι)

帰路、枚方に戻り、前々から気になってた(神奈川県内に1号店があると思しき)某パスタ店に初めて行ってみた☆ もちっとした食感で定評ある(?)パスタ店である。

以前からここの店にも行こうとは思いつつ・・ここまで戻ると余りに自宅が近いので・・駐車場にクルマを滑り込ませるまでの決意に至らなかったこれまでである。。

今日は、そこそこな「上品さ」「美味しさ」「お値段(=^_^=)」を満喫したワタシだが・・他のファミリー客とカチ合わせてしまったのが“運の尽き”だった(×_×)
何だかね・・小僧が店内を走り回ってて。。

「“サ※ゼ※ヤ”かここはっ!」と叫びたくなったモノ。

最近、何だか「騒がしい客」とカチ合わせてしまい、それが原因で店の評価までもを下げてしまうことが多い。前に行ったパスタ店でも、隣のテーブルのおばさんが「リウマチが如何に痛いか」を延々話してて、聞いてるこっちまでどよ〜んとした気持ちとなってしまった(×_×)

そんな訳で、この(鎌倉に1号店があると思しき←おい!)某パスタ店についても「もうここに来ることはないんやろな」と確信めいた直感を覚えてしまったワタシである。
(ワガママと言われるかも知れないが、ワタシにもワタシの“払った分だけの文句を言う自由”はあるんだし)

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2009年3月11日 (水)

☆『アクターズ・スタジオ・インタビュー/マット・デイモン自らを語る(2006)』☆

10日(火曜)の夜。衛星第2で放送された、名物インタビュー番組『アクターズ・スタジオ・インタビュー』を観た。
今夜の(と言っても、きっと再放送だろうけど)ゲストはマット“新生”デイモン。

“マイケル・シンメル芸術センター”で2006年に収録された内容。司会進行役(兼インタビュアー)のジェームズ・リプトン氏をして、冒頭で「お迎え出来て光栄です」と言わせしめたデイモン君!

収録当時で“13年の俳優キャリア”と紹介されていたが、流石に大物の貫禄が漂っており「単なる悪そうなガキ」と言う印象は、殆ど払拭されていたと言っても過言ではなかった(=^_^=)

・・にしては、インタビュー時に「ピー音(=放送禁止用語)」が目立ってますたけど、、

会場には、彼の演劇の師であるデヴィッド・ウィーラー氏も最前列に座し、デイモン君自身のご両親、妻子、親戚・・とファミリーがかなり集結してる印象だった☆
微笑ましく思えた一方「この“わがまま”により、かなりの人数が入場出来ず泣いたんやろな」とも(⌒〜⌒ι)

因みに、盟友ベン・アフレック君は来てませんでした(=^_^=)

〜 こんなことが語られた 〜

・出身はボストン。隣接するケンブリッジについて「(かつては)今よりも味のある街だった」。
・カイルと言う名の兄がいる。
・12歳でウィーロック・シアターの演劇教室に入る。
・『ナチュラル(1984)』でのロバート・レッドフォード演じる主人公のセリフ「人に言われたい。あれが最高の選手だ、と」に憧れた。
・リプトン氏の「素晴らしいご両親だ」なる賛辞に対し「(両親は)あなたを見に来たんですよ」と切り返す余裕も(=^_^=)
・ハーバード大学へ進学、英文学を専攻。「地元だし、いい学校だと思った」。
・ブライアン・デネヒー、ロバート・デュヴァルら“個性派大物俳優”との共演を学生時代に重ねる。
・「『戦火の勇気(1996)』では大役を演じた」。「(ヘロイン中毒の兵士と言う)役作りのため、朝夜に10キロずつ走り、食事制限を毎日続けた」「その成果あって“3ヵ月で18キロの減量”に成功したが・・体調を崩し、その後1年間の治療を要した」「当時は突っ走り過ぎたね」。
・5年目の復学がきっかけで『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997)』の(脚本の)骨格が誕生。だが次第に行き詰まりを覚え、ベン・アフレックに相談に行くと「一緒に悩んで、書こう」とアドバイスしてくれた。
・ベンアフと共同で書き上げた脚本はすぐに買い手が付き、その3~4日間で人生が大きく変わった。
・脚本のみならず、自らの出演にもこだわった。「『ロッキー(1976)』における“スタローンの成功例”が励みとなった」。
・ロビン・ウィリアムズの紹介でスティーヴン・スピルバーグ監督に会い、それが『プライベート・ライアン(1998)』の出演に繋がった。スピルバーグには「何か映画に出てたね? 『戦火の勇気』? アレはいい演技だった。真っ先に“ライアン役に”と考えたが、何しろ痩せ過ぎてたからね」と言われた(←会場で爆笑)
・スピルバーグを「高い志で仕事をする人」と評価。
・『リプリー(1999)』に関して。「演技には、偽りのない感情を込めたい」「徹底的に役を研究し、準備し・・現場でその全てを投げ出し、後に何が残るかを見極める、それが僕のやり方」「耳を傾けること。それこそが役作りの総てと言っていい」。
・「『オーシャンズ11(2001)』撮影時、スティーヴン・ソダーバーグ監督はまさに“絶頂期”だった」「驚くべきことに、彼は自らカメラを回し、同時に編集もやってのけたんだ」。
・「ダグ・リーマン監督がやって来て「面白い企画がある」と『ボーン・アイデンティティー(2002)』の話ばかりするから、僕を主人公に使いたがっていることがすぐ分かった」。
・「正直『ボーン〜』のヒットする予感はなかった。前評判も決して良くなかったし」。
・「『ボーン〜』出演に当たり、リーマンから“ボクシングを習ってくれ。ボクサーの「迷いのない、軽やかなフットワーク」を身に付けてくれ”と言われ、半年間ボクシングを続けた」「明らかな善人も、明らかな悪人も登場しない、言わば“灰色の部分”を描いた作品だ」。
・「『ディパーテッド(2006)』は故郷が舞台だし、尊敬するマーティン・スコセッシが監督・・それだけで最高だった」「役作りのため、麻薬密売の摘発現場にも立ち会った。防弾チョッキ着用でね」。
・「ジャック・ニコルソンは“私はシーンを膨らませる、最も金のかからない方法でね”と言った」「彼の演技は“無限”だ」。
・「『グッド・シェパード(2006)』を監督するに当たり、ロバート・デ・ニーロは作品の細部にまでこだわった」「人物に関する資料を求めたら、彼から自宅に“山のような文献”が届いた」「デ・ニーロは僕ら俳優を的確に導き、常にそばで見守ってくれた。安心して演技出来る“最高の環境”を整えてくれたんだ」。
・「(共演した)アンジェリーナ・ジョリーが現場に現れると・・パパラッチが群がるんだ」「彼女はとても勇敢な女性。余りにも美しく、そして偉大な女優だ」。
・「デ・ニーロが露骨な“老けメイク”を嫌うため、内面からの表現を重視して老いを演じた。外見的には“着用する眼鏡の(レンズの)分厚さ”で年齢を演じ分けたんだ」。
・「演技は意図的に抑えたんだ。デ・ニーロの狙い通りにね」。
・「最新作『ボーン・アルティメイタム(2007)』も半分ほど撮り終えた。現場には家族も連れて行くよ」。

〜 番組恒例の10の質問 〜

嫌いな言葉・・「シ※ト」
好きな言葉・・「カ※ト」 ←「アクセントをつけると響きがいいんだ」と補足(=^_^=)
好きな人・・「好奇心のある人。例えばデ・ニーロ」
嫌いな人・・「好奇心のない人、例えば今の大統領」
好きな音・・「(月並みだろうけど)娘の笑い声」
嫌いな音・・「急ブレーキの音(直後に衝突音が来ると思うと怖い)」
好きな悪態・・「フ※※ク!」 ←「思考を繋ぐ言葉さ、ボストンでは」と補足(=^_^=)
就きたい仕事・・「監督をしてみたい」
就きたくない仕事・・「“王の尻拭き係”かな。王の絶大な信頼はあるんだろうけど・・ごめんだね」
天国の門に着いた時、言われたい言葉・・「下界に渦巻く苦しみには全て意味がある。それをこれから説明しよう」

〜 ほか演技論、人生観など 〜

「デ・ニーロとの仕事では、学ぶだけでなく、忘れていたことを思い出した」
「演技に慣れて来た俳優の“悪い習慣”は、分かり易く伝えようとしてしまうことだ」
「主観的過ぎるのはダメだ。また“やり過ぎ”は観客への押し付けだ」
「君たちには過程を大事にして欲しい」 ←学生へのアドバイス
「デ・ニーロの求める演技は、評価や喝采とは正反対の、押し付けがましくないものだ」
「部屋にポスターを貼るほど憧れている俳優=ミッキー・ロークには、現場の隅で“俺のようになるな。撮影現場では謙虚に振る舞い、遅刻をするな。そして、自身の演技に全身全霊を傾けろ。俺はそれらを総て忘れてしまっていたんだ”とアドバイスされた」
「自らの仕事に敬意と情熱を持って取り組み続けること。人々はその熱意を決して笑ったりはしないはず」 

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2009年3月10日 (火)

☆『チーム・バチスタの栄光(2008)』☆

2日(月曜)の夜。早くも「地上波初」で放送された“和製・高度医療サスペンス”『チーム・バチスタの栄光』を観た☆
劇場公開当時から「実は気になってた」1作。
ただ、阿部寛+竹内結子の主役コンビに、そないに「ピンと来る」ものがなく・・それ故、劇場にも何となく足の向かなかったように記憶している。このお2人、ワタシの中では「どんな役を演じても、阿部寛であり、竹内結子」ってご存在なのである(・ω・)

因みに、竹内さんを見てて「マナカナ(三倉茉奈&佳奈)に容貌の印象が似てるかも」と感じたワタシ。どっちに似てるか? と問い詰められると、もうそれだけで口ごもってしまうと思うが(⌒〜⌒ι)

東城大学付属医学病院。ここに「拡張型心筋症」に最有効な手段である“バチスタ術”を連続し成功に導いて来た、第1外科・桐生助教授(吉川晃司)率いる“栄光の7人”と呼ばれる「バチスタ・チーム」が存在していた。
が、紅一点=星野看護師がチームを離れ、大友看護師(井川遥)が編入された辺りから、3例の手術失敗(=患者の術死)が続いてしまう。

桐生自身の要望もあり、高階院長(國村隼)から「連続術死の原因解明を」と内部調査を依頼された(←直接依頼を受けたのは別医師(有働教授)だったが、銀婚式の世界一周旅行が控えていた)不定愁訴外来(通称:愚痴外来)=田口医師(竹内)は“門外漢であること”を強みにし、チーム7人の聞取りを開始する。

一方、厚生労働省から突然やって来た調査官=白鳥(阿部)が型破りなキャラクターで、独自に強引な調査を進め、白鳥&田口の凸凹コンビは、連携も満足に取れないままに、真相に迫って行くのだった・・

製作費こそそれ程かかってなさそうだが、医学の素人にも取っ付きやすい世界観や、吸引力の高い構成&演出など、決して軽んじれぬ完成度が確かにあった! 正直「コレはいいな〜」と感じてしまったワタシ。
一方で、俳優陣の「演じるキャラへの没入ぶり」に何処か「押し並べての甘さ」が見受けられ、そこは残念だった。
あと(の問題点)は緊迫感を損なう、暴投気味でお寒い(?)ギャグテイストから受ける悪印象だったろうか。

時間が経過し、手術が次々に行われ、連続術死もまた続くんだが・・チームメンバーの紹介やキャラ造型、患者側のドラマが(時間的な制約で仕方ないにせよ)駆け足過ぎとなり、そこも残念だったか。

同様に、患者遺族側のドラマも(当然ながら)完全に割愛。そっちだけで何本もサイドストーリーが造れた気もしますな(・ω・)

本作の良さは、後半における「振ったネタの落としっぷり」であり「痛快な引っかけ」であろうか(いわゆる“刑事コロンボ系”?)。実際には専門家(=厚生労働省のお役人)が専門家(=現役医師)に斬り込んで行っとるだけの“やや内輪的な物語”に過ぎないんだが、何故だか観てて「高慢な(?)医療者連中をぎゃふんと言わせてくれる爽快さがイイな〜」と踊らされてもしまうワタシ(=^_^=)

そしてまた、真犯人である“あの俳優”の「静かでナチュラルな壊れっぷり」もスゴかった! あれには騙されたなぁ・・
それと、かなり久しぶりに「グラサン外した吉川晃司」を眼にしたが「なかなかの魅力とミステリアスさ、そして不器用さも併せ持った、面白い俳優さんとなられたもんやな〜」と感じた。刑事役なんかも似合うんじゃないだろうか。

チームの残る6人、
第1助手=垣谷(佐野史郎)、第2助手=酒井(玉山鉄二)、麻酔医=氷室(田中直樹)、臨床工学技師=羽場、大友看護師、病理医=鳴海(池内博之)もそれぞれに“一見まとまってるけど・・桐生が中心にいないと、忽ち崩壊する”みたいな、各位の自己主張もが漏らし描かれてて、好感が持てた。

俳優の起用の仕方には「全く問題なかった」と確信する本作(本シリーズ?)。次なる課題は「映像の重厚さ」であろう、と直感的に思ったワタシである。
重ねて言うが「軽いノリ」「薄い画面」はやはり惜しかったトコロだ。

〜 こんなセリフがありました 〜

桐生「再鼓動が来なかった時の恐怖は、その場にいた者にしか分からない」

田口「(眺めてて)心臓、止まるかと思いました・・」

白鳥「私はね、あらゆることが気になって仕方がないんです」
  「うどんをおかずにそばを食べているんだ」
  「分かりましたよ、犯人が」

黒崎「話は手短に願いますよ、忙しい身ですから」
白鳥「ご安心下さい。こちらはもっと忙しい身ですから」

白鳥「1度、入ってみたかったんだ・・看護師控え室に」
田口「・・人間のカスですね」

酒井「再鼓動が来ません・・!」
垣谷「もうちょっと我慢して」

※※「俺たちはまだまだ昇ってけるんだよ・・お前さえいなけりゃな!」

※※「そうか、それで“今日は死ななかった”んだ」
  「何故“こんなこと”をしてはいけないんですか? 僕にも“娯楽”は必要でしょう?」
  「再鼓動を起こさない患者に、騒然となる手術室・・あれは“カーニバル”ですよ」

追記1:「パッシブ・ヒアリング(受動的聴取)」「アクティブ・ヒアリング(能動的聴取)」「オフィンシブ・ヒアリング(はったり)」などの専門用語(?)を知った。
追記2:「オートプシー・イメージング(遺体に対するMRI画像診断)」は色々と明らかになることがあって良さそうだ! 劇中では、検査技師がやたら怒ってたし、同様にそれを不快と感じるご遺族もおられるだろうけど・・
追記3:劇中で「名刺1枚」ぽっちをかざし、堂々と物語の中核に潜り込んだ男=白鳥。「ホンマに厚生労働省の人間やったんか?」と言う疑問がワタシの中で生じもした(⌒〜⌒ι) ←過去のドラマ『伝説の教師』でそれっぽいネタがありましたか、、

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2009年3月 7日 (土)

☆『チェンジリング』☆

大阪追放(←おい)のカウントダウンが静かに開始された感じの今日この頃。
「発つ前にやっておかねばならぬこと」が幾つかあり、本日7日(土曜)はその準備をしていた。

1つに、総走行距離=10万キロを突破し久しいクルマの消耗パーツ(タイミングベルト等)の交換作業。昨年の車検以来、逃げ回って来たが(=^_^=)ついに観念し、周辺のポンプ類なども含め、イッキに交換しとくことに。
預けたのは大阪市内・今福界隈にある某ショップさん。正直、総額は決して安くないんだが・・その腕を見込み、黙ってお願いすることとした。
1つに、明日から1泊コースで現地視察(住居関係)に行くための高速バスのチケット手配。ネットなり、電話なりでラクすることは幾らでも可能だろうが、対面式で色々訊ねながら買わないとどうにもスッキリせず、京橋界隈の旅行代理店で予約購入した。

午後からで少し時間の余ったため、梅田のシネコン“ブルク7”にて狙っていた新作映画『チェンジリング』を観た。
周りで観た人の評価が押し並べて高く「コレは観とかなきゃ!」と急かされるモノもあったか(=^_^=)
決して明るくも、軽くも、そして短くもない作品であるが、確かに見応えがあった。

これは真実の物語。

ロサンゼルス、1928年3月9日(金曜)。9歳になる1人息子ウォルターを育てるキャリアウーマンのシングルマザー=クリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)は「明日こそ、新作映画『謎の飛行士』を観に行こう」と息子と約束するが、それは果たすことが出来なかった。
勤務する電話(通信)会社での“初の女性主任”と言う立場上、急な部下の欠勤に対応せねばならぬ事情があったのだ。

3月10日(土曜)。ウォルターを自宅に残し、後ろ髪を引かれる想いで出勤するクリス(クリスティン)。窓辺に佇み、彼女を静かに見送るウォルター。

それが母が“愛する息子”を見た最後の姿であった・・

帰宅後、息子の姿が自宅内にも戸外にも見当たらぬことを知った母は、急ぎ警察に電話するが、対応した警官の対応は、
「24時間以内の捜索は行っておりません。何故なら、居なくなった子の99%は翌朝に戻るからです」
「明日になれば、必ず戻りますよ」
と言う、極めてノンビリしたものであった。

果たして5ヵ月後の8月18日(土曜)。イリノイ州デカルブ郡のダイナー(食堂)で無銭飲食し、逃走した男の連れていた少年が「ウォルター・コリンズ」を名乗ったため、“コリンズ事件”は突然に劇的な解決を迎えることとなる!

しかし、報道陣の集められた“母子の再会の場”である駅のホームでは、予想も出来ぬ言葉が交わされていた。

少年「僕のママだ」
母親「私の息子じゃない・・」

7センチも縮んだ身長、前歯の特徴の相違、割礼(!)の痕。通う学校では女教師の名も、自分の座席も分からないウォルター。

彼は何者なのか? そして、別人だとすれば本当の息子は何処に?

「事件解決」を誇らし気に吹聴するロス市警に対し、孤独に“抵抗の声”を上げるクリスであったが・・

先入観で「重く、狭く、救いのない物語なんやろな〜」と予想していたワタシだが、それはある意味において正解で、ある意味においては不正解とも言えた。
何と言うか、全体的に上質で、構築された作品世界の完成度がハンパではない!

タイトルだけを見ると“母子のドラマ”と捉えられがちだが、実に「取り替えっ子事件(=チェンジリング)」を軸に据えながらも、本作は「警察モノ」でもあり「おんなの物語」でもあるのだ。

クリス自身、主人公に極めて近い“立ち位置”でありつつ、物語の一面しか見ていない(見せていない)キャラとして描かれ、後半に彼女と対峙することとなる“某重要人物”もまた、主人公の1人ではなかったか? とさえ思えて来る!

中盤で描かれる“ワインヴィルにあるノースコット牧場”の緊迫感溢れるシーンはなかなか! いきなりロケーションは飛ぶが、ここって実はかなり重要な場所でもあり、この辺りシーンのメリハリの付け方が大好きである。

昇進街道をひた走る、冷徹で計算高い警部=ジョーンズがいる一方、あくまで現場で泥にまみれ続けるタフな刑事=ヤバラを(彼と)対極な位置に配し、この2人の言動や行く末を対照的に写している手法も良い!

コレはもう、マイナーキャスト版(=^_^=)の『L.A.コンフィデンシャル(1997)』路線に近いものと言ってもイイかも知れない。そう言えばジョーンズ警部を好演してくれた俳優さんは何処となくガイ・ピアースに雰囲気が似てなくもなかったし(←2人ともアゴ噛みしめ系?)、ヤバラ刑事を(少し)若き頃のラッセル・クロゥが演じたとしても、そないに違和感はなかったかな、と(・ω・)

ロスを「かつては“天使の街”だったが、今や“無法者の街”に過ぎない」と断じる、長老派教会のグスタヴ・ブリーグレブ牧師(ジョン・マルコヴィッチ)が「現れる時にきっちり現れてくれる協力者」としての揺るぎない立場を貫いてくれたのは頼もしかった☆
土壇場のシーンでいきなり「マルコヴィッチ? マルコヴィッチ!」とか、自分の名前しか連呼出来なくなったりしたら困るもんね(⌒〜⌒ι) ←それ、作品が違いますし!

ロス病院で出会う(女性患者)キャロル・デクスターの存在もいい。彼女こそを“本作の天使”と評せなくもない。
特に、クリスと彼女の別離のシーンで展開される「視線のみで言葉を交わすシーン」の“観客に体感させる長さ”は尋常ではなかった!

全体的にキャラクターが「乾いてる感」を強く意識したものだが、それはきっと監督である御大=クリント・イーストウッド自身が狙ったモノだろう。

正直、アカデミー賞にもっと殴り込んで欲しかった逸作ぶりを見せつける本作。

終盤では「もうぼちぼち終わりかな?」とソワソワし始めたワタシに「実はこんなことがありました」ってな演出を持って来て、ウォルターを「再び、そして更に、イキイキと輝かせる」ことに成功していた!

そしてまた「希望はどこかに常に存在し、それはある時ふと浮上して来るもの」ってことも教えられたワタシ。

御大クリント・・老いて尚、凄まじい作品を放ってくれたモノである(⌒〜⌒ι) これはもう次作『グラン・トリノ』も観なけりゃなるまいか、、(御大ご主演だけど、、)

〜 こんなセリフもありました 〜

クリス「早く食べなさい。朝食が冷めるわよ」
ウォルター「シリアルは元から冷めてるってば」

クリス「ケンカは売るな。でも売られたケンカなら、最後にきっちり決着(ケリ)を付けろ」 ←御大語録?
   「世の中には、何よりも“責任”を恐れる人がいるのよ」
   「“その言葉”だけは言わないで!」
   「あなたには分からないでしょうね・・自分が何をして、誰をどれだけ傷つけているのか」
   「私の目的は“市警との戦い”ではありません」
   「失うものは、もう何もないわ」
   「あの子は生きています・・今もあの子の存在を感じます」

ウォルター「暗くても平気さ、何も怖くないよ」

デイヴィス本部長「我々の対応に問題は?」
クリス「“24時間以内の捜索”が出来ないと言うのは・・」
デイヴィス本部長「“手続きの問題”以外では?」
クリス「・・ありません」

デイヴィス本部長「我々警察は、常に市民の味方です」
        「なんて少年だ。自分が悪いのに、警察を批判するとはね」

ジョーンズ警部「(5ヵ月前の)記憶の息子さんとは、確かに違うでしょうね」
       「この子には、行く場所がないんですよ?」
       「全て説明が出来ます。時間が解決する問題です」
       「何故、母親としての責任から逃れようと?」
       「嘘つきは、放置すると厄介だ」
       「俺の命令が、署の方針だ」

タール医師「恐らくは、5ヵ月間のストレスで背骨が(7センチ)縮んだのでしょう。
      珍しいケースだが、医学的に説明出来ることです」 ←新説やな、、
     「母親だからこそ、客観的になれないんです。あなたは直感的で、感情的だ」

グスタヴ牧師「良く読めば分かります・・実に巧みな記事ですな」
      「世間の半分は騙されているでしょう」
      「蛇に魅入られた者は、忽ち転落します」

キャロル「食べるのは“正常な行為”なのよ、食べるよう努力して」
    「女は弱い、理論的にものが言えない・・奴らはそう考えているわ」
    「あなたは戦える。頑張ってね」
    「時には“使うべき言葉”を使わなければ・・“失うものの何もない時”にはね」

スティール医師「あなたは良く混乱するのですか?」
       「どうやらあなたには“より強力な治療法”が必要なようですな」

クリス「医師を殴るなんてね」
キャロル「だって殴りたかったから。お陰でいい気分だったわ」

ヤバラ刑事「埋めたんなら、掘れる筈だろ?」

ハーン弁護士「“放り込んだ”のではなく“送り届けた”と? 表現は関係ありませんな」
      「救えたかも知れないのに、あなたが時間を無駄にした」

※※※「公平で立派なのは、この法廷で“あの人”だけだ」
   「みんな、泣き叫んだよ」
   「もう赦しを乞う時間が残されていない・・地獄はイヤだ」
   「痛いのか?」
   「頼むから、急かさないでくれ!」
   「どうだ! 全部の“段”は踏んでないぞ!」

クリス「これでやっと、確かなものを掴んだわ」
グスタヴ「何です?」
クリス「△△よ」

追記1:劇中でチラッとセリフに挙がってたチャップリンの新作は、どうやら『サーカス(1928)』らしい! また、NYヤンキースのベイブ・ルースがホームランを量産してたのもこの時代のようだ。
追記2:印象的だった助演陣は、何と言っても「無表情な美人看護師」と「想いを切り出せぬ上司=ベン・ハリス」だろうか。どちらも1ポイント的な関わり(?)ながら、強い存在感を示してくれた。
追記3:意外に描かれてなかった「クリスの5ヵ月間」「クリスのプライベート」「クリスの夫のこと」 でも、それ故に色々と想像を刺激してくれもする。
追記4:母が子に「“ノー”じゃなく“ノーサンキュー”でしょ」と諭すシーンは印象的だった。考えたらあの2人、最も近い位置にいる「真実を知る2人」でもあったんやね。
追記5:「ここはあたしの部屋だからね!」としか言ってなかったしと。彼女に対しても、それなりにクリント監督の演技指導があったんやろか(⌒〜⌒ι)
追記6:何か間違いが起こったとき(?)は「ワッセルマン反応が陽性と出てね」とか何とか、職場で言い訳しようか(こら)
追記7:歌っていようが構わず“作動”させちゃう担当者。何だか“あの作品(2000)”でのビョークさんを思い出してしまいました(×_×)
追記8:第7回アカデミー賞(1934)は「作品賞=或る夜の出来事」「監督賞=フランク・キャプラ」「主演男優賞=クラーク・ゲーブル」「主演女優賞=クローデット・コルベール」「助演男優賞=当時は設定なし」「助演女優賞=当時は設定なし」・・つまりは『或る夜の出来事』の独占状態だったようで!
追記9:みんな言ってることだが(←みんなって誰だよ)某重要人物(カナダに逃亡してたしと)が雰囲気的にブレンダン・フレイザーそっくりだった(=^_^=) 新境地か?!(いや、だから別人だってば)

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2009年3月 6日 (金)

☆『m:i:3(2006)』☆

3月1日(日曜)の夜。
“テレビ朝日開局50周年記念”の一環で「日曜洋画劇場」にて地上波初放送された、トム・クルーズ主演による人気シリーズ第3弾の『m:i:3(ミッション:インポッシブル3)』を観た☆

そもそもは、劇場公開当時に観に行った本作。
まずは、以前のホームページ記事から、本作のレビューを再掲してみたい(再利用かよっ!)

(ここから)

★2006/08/05 (土) 00:40 ☆『M:i:3』☆

4日(金曜)。本年度初の夏期休暇を取得。周期的に左臀部&大腿背部が痛み、特に「左靴下を履く」動作なんかがファンタスティックなまでに激痛モノなんで、この週末は横になって静養してよう・・といったんは決めたものの・・「やっぱしそれじゃ勿体ないずら!」と考え直し、久々に映画を観に行くことに。
作品は、春頃(=^_^=)から予定してた『ミッション:インポッシブル』シリーズの最新作『M:i:3』☆ 何となく「駄作なんじゃね~の?」と不安な気持ちが高まってたが・・ある意味「その通り」って感じで、シリーズ中一番“観ててノリの悪い作品”と感じた。閉鎖的で受動的、画面暗くてユーモア激減、そんな印象。

本編開始。字幕担当は久々の(?)戸田奈津子さん。何の状況説明字幕もなしに、いきなし「死の10カウント」が始まる。直後、マッチ棒の先端が燃え上がるオープニングになだれ込むが、何とも唐突な印象。まるで『007/ダイ・アナザー・デイ(2002)』みたいだ。。(冒頭シーンそのものは『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ(1999)』ぽいが)
オープニングが済み、時間軸が急激に遡られる。
主人公=イーサン・マシュー・ハント(←ミドルネームが判明♪(=^_^=))(トム・クルーズ演じる)は結婚間近。お相手は女医のジュリア・ミード。2年の交際を経てめでたく婚約・・したものの、CIA傘下のスパイ組織“IMF(直訳:不可能指令軍団?)”に属するイーサンは当然自分の職業を彼女に明かすことなど出来ず「ヴァージニア交通局に勤務する、出張の多いサラリーマン」としての「仮の姿」を演じ続けている。婚約パーティーのさなか「リゾート・トラベル・サービス社」からイーサンを呼び出す電話・・新たなミッション(作戦)の始まり。ジュリアの心に芽生える疑惑、「ただ僕を信じて欲しい」と訴えるイーサン・・
エージェントを退き、現在は「訓練教官」とし後輩の養成にあたるイーサン。今回は彼が眼をかけIMFメンバーに推した愛弟子(?)リンジー・ファリスがベルリンでのミッション中に失踪してしまうトラブル。大物武器商人オーウェン・ディヴィアン(フィリップ・シーモア・ホフマン)の関わる兵器工場に潜入するイーサン組(イーサン+ルーサー・スティッケル(ヴィング・レイムス)+ゼーン(マギー・Q)ら)。追撃のヘリをかわしリンジーの救出に成功するが・・

中盤以降、“ラビットフット”なる暗号名で呼ばれる謎のブツを巡りディヴィアンを追うイーサン組。イタリア・ヴァチカン⇒アメリカ・ヴァージニア⇒中国・上海・・とミッションは続く。
ヴァチカンのシーン&橋上の護送シーンを除き、「日没後映像」の目立った本作。ロケし易いのか、特撮で誤摩化し易いのかは知らないが、何となく作品世界が狭く、暗く思えてしまう。前作『M:i-2(2000)』が(どっちかと言うと)ノ~テンキなまでに明るく、リゾート色が強かったので、かなり対照的なビジュアル。ミッションも基本は「力押し(≒強引)」な印象が強く「銃撃しまくり⇒大爆破でシメる」ってのが多かった。本来の「スパイ大作戦(ドラマ版)」に相応しい「無血主義&敵の自滅を狙うプラン」など、ハナから考えてないようで(・ω・)
また「鼻腔から※※を※※する」ってエグい演出も『トータル・リコール(1990)』かい! と突っ込める。

突っ込めると言えば上海でのビル潜入ミッション。肝心のブツの「入手シーン」は割愛されてたり(×_×) いきなし窓ガラス割ってイーサンが飛び出してたけど、あれはあんな描き方で良かったんやろか。ちょっと「主人公の行動を描く」と言う点から考えるに、個人的には疑問である。
『ミッション:インポッシブル(1996)』に比べ「IMF本部」のディテールが思いっきりしょぼかったのも突っ込みたい。
(ラングレーの本部じゃなく)どっかの支局だったんやろか? まさにそこらの交通社って感じ(そのナチュラルさが狙いか?)。ブラッセル局長(隙ッ歯のステキ☆なラリー(ローレンス)・フィッシュバーン)、マスグレイヴ主任(ビリー・クラドップ←個人的に“うらなり”と命名(=^_^=))のキャラも何だか良く分からない・・と言うか存在が薄い。尚かつオモテに出過ぎな感。
終盤ともなると、舞台は完全に「上海オンリー」となり、都心部やら郊外の水郷・西塘(シータン)やらで大騒動が起きる。しかし何だ、怪しげなアパートの一室にトップエージェントが集結したり、郊外の村の怪しげな家に大物が続々登場したり、良く考えんでも何かおかしい気がする。
おかしいと言えば、ヴァチカンの路上で最終的に※※されるスーパーカーの「ランボルギーニ・ガヤルド」。あんなトコが開閉する仕掛けじゃ、通常走行出来へんでしょ(・ω・) シャフト通ってますし。。

個人的な見所は以下のみ! かも(・ω・)
○橋上で襲撃されるシーン。カメラワークがドキュメンタリー的に荒くて緊迫感がある☆ イーサンが自動小銃(?)で襲いかかる※※※をやっつける活躍は凄い! 『トゥルー・ライズ(1994)』+『007/ロシアより愛をこめて(1963)』を連想。
○「変装用マスク」作成の一部始終が遂に明らかに! マスク作成機のデザインはシド・ミードによるもの☆(エンド・クレジットより判明) デジカメで(顔面凹凸)データを取込むしょっぱなこそ手軽だが、削ったり、塗ったり、音声チップ作成に時間&手間がかかったりと・・イマイチ本作では「使えん道具やな」って印象。
ジョン・ウー時代(2000)の方が手軽&コンパクトで良かったぞぅ(=^_^=)
○ルーサーとディヴィアンの(親しげな)会話シーンが素晴らしい! 考えたら元祖「スパイ大作戦(ドラマ版)」の面白さって、ああ言う“あり得ない状況”にこそ込められていたような気がする。
○空港にて。チェコ人の旅行者=パヴェト・ソボツカを名乗る男。・・おいおい、お前は『ジャッカル(1997)』かよ!
○ローマにて。配達車両のエンジントラブルを装い、その隙に(ヴァチカン国境の)高さ:16.55m+αの塀を乗り越えるイーサン。前後のシーンでイタリア語がバンバン飛び交うも・・画面に日本語字幕(和訳)は一切なし(=^_^=) 「戸※奈※子女史の限界」を感じた(=^_^=)
○病院にて。数秒で効果の現れる「手首貼付型・失神パッチ」。売ってたら欲しいぜぉい(=^_^=)
○謎のアパートを訪ねたり、ころころ転がる“ブツ”を追いかけたり・・何となく『マイノリティ・リポート(2002)』を連想させるシーンのあったトムクル。

~ こんなセリフが印象的やってん ~

ルーサー「一生オレは(ジュリアには)会えそうにねぇな」
    「無茶もいいが・・度が過ぎるとアホも同じだぞ」  ←このセリフは笑えた!
    「CIA本部への侵入よりヤバい」 ←このセリフも笑える!

イーサン「サンドバッグは殴り返さない」 ←何かブルース・リーが言いそなセリフ・・

ベンジー「テクノロジーは神への冒涜をもたらす」

ディヴィアン「オレのことより、今後のお前自身のことを心配した方がいいぞ」 ←報復を匂わせる
      「好かない相手をどう扱うか、そこにそいつの本性が現れる」

【追記】
・エージェントの恐れてるのは「クビ」とか「逮捕」より「市民権を奪われること」なのだ(某セリフより)。
・「中東の砂嵐を収める」みたいな意味深なセリフあり。大国の驕り? 民主主義の礼賛?
・防弾チョッキは着ておけってば!
・「ディヴィアン死して、靴を残す」(・ω・)
・「ヤバい国」として、パキ※タンと北※鮮の実名が挙げられてた(・ω・)

・・何にしても本作、『シリーズ中で一番面白い!』と言う声が高いようで、自身と世間一般の映画観の違いが改めて浮き彫りになったようにも感じるのだった(⌒~⌒ι) ま、別にええけどね。

(ここまで)

・・うーん、、当時から“観てる&突っ込んでる&連想してるポイント”が殆ど変わってないな(=^_^=)
後年に気付いた点としては・・婚約者=ジュリアを演じたのが『イーグル・アイ(2008)』のミシェル・モナハンだったこと、監督が『クローヴァーフィールド/HAKAISHA(2008)』の製作を手がけることとなるJ.J.エイブラムスだったこと、だろうか。

にしても“リンジーの死に顔の凄まじさ”“彼女の頭部から※※が取り出される際の、何となくエグいカメラワーク”“妙に陰湿なトムクルの(受ける)尋問シーン”など、どうもこれまでのシリーズと違った「シリアスさを超え、ホラー色すら帯びた“マイナー作品気味”な描写&演出」が目立って見えた。
ブラッセル局長&マスグレイヴ主任の存在感なんかは改めて観ても「取って付けた」ようで、正直「本シリーズの作品世界」から“浮いてる”気がしたし。

今回の鑑賞で、更に連想した作品とそのシーンは以下の通り。
『攻殻機動隊(1995)』・・夜の高層ビル屋上に佇む(ダイブ直前の)トムクルの姿。
『スピード(1994)』・・もみ合ってる内に、相手を組み伏せて(上のポジションに)いたが故、吹っ飛んでしまう敵キャラ。

『宇宙戦争(2005)』でもそうだったが、この頃のトムクルって「自身では一線を退いてるつもりなんだけど、再びヒーローとなることが、展開から余儀なくされちゃうんだよね」みたいな、ちょっと“ハードアクション前提の出演はお断り”っぽい姿勢をとってたようにも感じる。
その割には『宇宙戦争』でも本作でも、妙に“全力疾走するシーン”が目立ってはいたんだけど(⌒〜⌒ι)

追記:終盤で、ジュリアが「やって来た人物に見境なく発砲する」って展開が描かれたが、、あの状況下で建物内にひょっこりルーサー(ヴィング・レイムス)が入って来なくて良かったと思う(=^_^=)

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☆好きです! 恋愛映画! 嘘です!☆

って訳で(←ナニがだ)残業を終えて帰宅後、メールチェックしてみると、[mixi]系のメルマガに載ってたのが、

「米エンターテインメント・ウィークリー誌が最近25年間(1983年以降)に製作された恋愛映画の名作25本を発表」ってな記事だった。

折角なので、コレにコメントしてみたい。

(ここから引用)

ベスト25は以下の通り。

1.「タイタニック」(97)
2.「ムーラン・ルージュ」(01)
3.「ONCE ダブリンの街角で」(06)
4.「ブロークバック・マウンテン」(05)
5.「眺めのいい部屋」(86)
6.「エターナル・サンシャイン」(04)
7.「恋人たちの予感」(89)
8.「ザ・エージェント」(96)
9.「プリティ・ウーマン」(90)
10.「メリーに首ったけ」(98)
11.「シザーハンズ」(90)
12.「ロスト・イン・トランスレーション」(03)
13.「ダーティ・ダンシング」(87)
14.「ゴースト/ニューヨークの幻」(90)
15.「愛と哀しみの果て」(85)
16.「アメリ」(01)
17.「セイ・エニシング」(89)
18.「月の輝く夜に」(87)
19.「天国の口、終りの楽園。」(01)
20.「花様年華」(01)
21.「イングリッシュ・ペイシェント」(96)
22.「シド・アンド・ナンシー」(86)
23.「ウェディング・シンガー」(98)
24.「ピアノ・レッスン」(93)
25.「美女と野獣」(91)

(ここまで引用)

私的には『恋人たちの予感』や『ロスト・イン・トランスレーション』は「イイセンスやね!」と評価したいが・・一方で「それ、恋愛映画かなぁ?」「ベタやね〜」「ああ、あのバカップル作品、、」などと苦言を呈したくなるモノもあるような、ないような。

ワタシがこのランキングに捻り込ませる(=^_^=)とすれば『恋人までの距離(1995)』『リービング・ラスベガス(1995)』『レオン(1994)』『ノッティングヒルの恋人(1999)』はまず外せないかなぁ・・と。
どうせだし『ザ・フライ(1986)』『エム・バタフライ(1993)』『テルマ&ルイーズ(1991)』も入れちゃっとこうか?(=^_^=)

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2009年3月 5日 (木)

☆『サウンド・オヴ・ミュージック(1965)』☆

これもさる2月26日(木曜)の夜。
衛星第2で放送されたミュージカル作品『サウンド・オヴ・ミュージック』を、後半からのみであるが観た☆

ロバート・ワイズが監督し、ジュリー・アンドリュースを主演に迎えた「ミュージカル映画の最高峰」とも言うべき本作。

・・が、今回は途中からの鑑賞なので、どうにも物語そのものに集中し切れず・・オーストリア(ザルツブルク)を舞台に描かれる物語なのに、ほぼ全篇「英語圏」・・って細かい点(=^_^=)に、やはりの“違和感”を抱き続けたのだった。。
(完全なドイツ語は「ハイル・ヒトラー!」など幾つかの言葉に過ぎなかったようで、、)

厳格な一家の大黒柱でもある、トラップ大佐を演じたのはクリストファー・プラマー!(女優アマンダ・プラマーのお父さん)

今でこそ『シリアナ(2005)』などで「鋭い感じのお爺ちゃん」ってな存在感を放っておられるが、当時はめちゃめちゃに知的でハンサム、若くて上品なおじさんやったんやな〜と。

後半で高まって来る「ナチスの台頭」なる演出には、未だにドキッとさせられるモノがある。ドイツ軍人が隊列を組んで行進し、建物には「ハーケンクロイツ(鉤十字旗)」が掲揚されるのだ、、
「大戦が終わって久しい」「所詮はフィクション」と分かってはいるんだが、やはり心の何処かで落ち着かない気分となってしまう。

なお、今回“オトナの眼”で観て、印象深かったのはトラップ大佐と婚約するまでの仲になるも・・やがては身を引いて去ってしまう男爵夫人=エリザのキャラであった(演じたのはエリノア・パーカー)。

彼女の語る、
「あなたとは似合いそうにないわね・・だって、あなたは私を必要としてないんですもの。
 私は、頼られるのが好きな女なの。例えそれがお金目当てだとしてもね・・」
のセリフが、何とも悲しくて、切なくて仕方ないのだった、、

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☆『プラトーン(1986)』☆

さる2月25日(水曜)の夜。
衛星第2で放送されたベトナム戦争映画『プラトーン』を、後半からのみであるが観た。

オリヴァー・ストーン監督による、恐らくは彼の「最高傑作」「代表作」とも言える本作。

初めてビデオソフト版(←確かレンタル)で観た時は「ひとくちに“ベトナムもの”と言っても、色んな監督による、色んな描き方やメッセージがある」と言う点にまでアタマが回らず、正直『ハンバーガー・ヒル(1987)』や『フルメタル・ジャケット(1987)』と本作の明確な区別すら、殆どついていなかったのだった(・ω・)>

・地味な戦闘シーンばかり続く ⇒ 『ハンバーガー・ヒル』
・訓練シーンばかり続く ⇒ 『フルメタル・ジャケット』
・3作の中で最も派手で華やか ⇒ 『プラトーン』

と言った先入観で3作を区別してた程度かな、と。

別な部分では、当時の若手スター俳優=チャーリー・シーンの“プロモーション的な作品”ってな歪んだ見方もしており、ほぼ同時期に公開された(?)『トップガン(1986)』のトム・クルーズと「どっちがカッコええか?!」みたいなゲッスい部分で、兄と意見を二分してたような記憶もある。。
(因みに、ワタシは“チャーリー・シーン擁護派”であった(=^_^=))

が、今回鑑賞し、やはり強烈だったのは・・主人公かつ語り手であるクリス・テイラー(チャーリー)より、彼の上官の1人を演じたエライアス軍曹(ウィレム・デフォー)の存在感である!
当時は、もう1人の上官=バーンズ軍曹を演じたトム・ベレンジャーの言動こそがとにかく(その容貌からして)恐ろしく、鮮烈だったが・・今にして考えると、デフォーの方が「ホンマは狂ってたんでは?」「実は“パンプキン爆弾”を多数、隠し持ってたんでは?」「故郷ではオーバーオール姿でハンマーを振り回し暴れてたんでは?」とか、色々と(その後に)予備知識の入ってしまったがため、邪推&妄想も広がるってもんだ(=^_^=)

とは言いつつ・・後半からの鑑賞であり“回想”風の数ショットでしか、エライアスの姿は映像に出て来なかったようで(×_×)

そうそう。フォレスト・ウィテカー&ケヴィン・ディロンの助演に気が付き、その気付いたことが妙に嬉しかったりもしたな(=^_^=)
一方で、今回も「ジョニー・デップの出演シーン」は分からぬままだった(×_×)

序盤だったんやろか? それはきっと『トップガン』でメグ・ライアンを見つけたり、『007/ネバー・セイ・ネバー・アゲイン(1983)』でローワン・アトキンソンを見つけたりするのと同じぐらいコツがあるんだろうなぁ(←ねえってば!)

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2009年3月 4日 (水)

☆“神童(The Prodigy)”が放ってくれた!☆

※この記事は、珍しく(?)音楽CDに関するものです。

先週末、iTunesStore関係のDMで知ったのが“デジロックの雄”とも言うべきロックバンド(私的には、彼らはいつまでもテクノバンドなんだけど・・)「The Prodigy(ザ・プロディジー)」の新作フルアルバム「Invaders Must Die」のリリースである。
今作で確かオフィシャル5枚目だと記憶してるんだが、

1作目「Experience(1992)」
2作目「Music for the Jilted Generation(1994)」
3作目「The Fat of the Land(1997)」
4作目「Always Outnumbered, Never Outgunned(2004)」

と並んだ、彼らのラインナップの中(ベスト盤、日本限定企画盤を除く)では、とにかく1作目の印象が強烈過ぎ、その後に続くアルバム群がどうにも地味で没個性に感じてしまったモノだ、ワタシは。

世界的に、恐らく最も売れたと思しき3枚目も「ジャケットデザイン」「代表曲群」こそ“かつてない程に強烈!”だったのは異論の挟みようもないが・・やっぱり一定回数を聴くと、その後は余りリピートしなくなった(・ω・)

そんな中のこの5枚目だが、とにかく・・良く言えば「原点回帰」「本領発揮」悪く言えば「懐古主義」って感じで、90年代初頭の“ハードコアテクノ”“ブレイクビーツ”の「あの懐かしくも忘れ得ぬ音色&リズム回し」を掘り返し、使いまくってくれている!

ワタシの中では「ハードコアテクノと言えばブリープ(ピコピコ音)であり、オケヒ(=オーケストラ・ヒッツ)や!」と言う勝手な持論があるんだが、本作ではソレっぽい味付けのナンバー(楽曲)をバシバシ放ってくれ、実に小気味良い!

1作目と聴き比べれば「基本は同じだが格段に進化してるんやなー」と気付かされるトコロも少なくないし、そこがまた面白く、聴いててニヤリともさせられる。

因みに国内盤(=日本盤)が先行発売ってことで、どうも好かなかったが・・3月2日には輸入盤をCDショップの店頭で見つけることが出来た☆
国内盤の方がボーナス曲が2ツほど多いが、ワタシとしては・・敢えてストイックに(?)輸入盤を買い求めて頂きたいトコロである(・ω・)

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2009年3月 3日 (火)

☆『怒りの葡萄(1940)』☆

先月23日(月曜)の夜、衛星第2で放送された『怒りの葡萄』を観たことを少し書いておきたい。

ジョン・スタインベックによる同名小説を原作に、監督:ジョン・フォード、主演:ヘンリー・フォンダのタッグの放つ大河ドラマ風モノクロ・ロードムービー。

時は大恐慌の頃(1930年代)。
オクラホマ州サリソーの荒れ果てた地に、主人公=トム・ジョード(フォンダ)が帰って来る。彼は過去に起こした“ある殺人罪”により4年間服役、ようやく仮釈放が認められ、故郷に戻ったトコロである。

「砂嵐により作物が育たなくなったこと」「地主(ショーニー畜産)から来た男が一帯で立ち退きを勧告したこと」で、サリソー在住の小作人たちは次々に土地を棄て、その殆どが(西の)カリフォルニア州に逃げた・・と言う現状を元説教師の男に聞いたトムは、再会した父母らを説得、新天地=カリフォルニアを目指し、総勢12名ほどの家族一団でトラックの旅に出る・・

黄色のビラ(広告)に印刷された「果樹園労働者を大量募集!」の文句に夢を抱き、道中で高齢者も亡くなって行く中、ついにトムの一家は目指すトバリス群に辿り着くが・・

先祖代々、守り続けて来た土地をあっけなく奪われ、よそへ出て行けと追い立てられる・・と言う不条理には「ハラが立つ」以上に「頼る者なき不安」を高められる。

折角「更生しようとした」トムも、そう言った農場主/地主らの横暴を各地で眺めるにつけ、次第に心を荒ませてゆくのだ。
後半ではトム自身「見えぬ巨大な敵との戦い」を決意し、家族に別れを告げて独り何処かへ去ってしまう・・

そう言う流れからは「主人公が希望を携えてやって来るも、やがてはその希望を奪われ去って行く」までの“魂の旅路”を描いた物語とも言えようか。

観終わった後には、何とも言えぬ疲労感&絶望感がじわじわと観た者の心に広がるんだが、そんな中で“キーとなる人物”による、逞しいセリフが最後に放たれ「人間って弱いけれど、同時にタフでもあるんだよなぁ」と少しだけ立ち上がる力をくれもする。

本作の制作された時代から、既に半世紀以上が経っている訳であるが、劇中で描かれる「貧するとはどう言うことか?」「貧すると人はどう変わるのか?」などの要素は、突き詰めて考えれば(現在も)その本質は全く変わってはおらず「娯楽感覚で古典作品を楽しんだ」と言うより「今も昔も変わらぬ“普遍的な貧困の実態”を、鮮烈なモノクロ映像で拝見し、勉強となった」ってな思いのワタシである(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

トム「自分の家で逃げ隠れするなんてな」
  「相手が法律ならば我慢もしよう、しかし奴らは誇りや魂を踏みにじる」
  「こんな無法者にも何か出来ることがある・・それを見つけたい、俺は無知だけど」
  「1つの魂は大きな魂の一部・・だから俺は暗闇の中にもいる、俺は常にそこにいるんだ」

元説教師「今や、我が霊感は失われた」
    「説教すべきことなどないし、確信もない」
    「人の行いに、善も悪もないのかもな」
    「私の祈りには、今や心がこもっていない」
    「お前ももっと学べ、俺も学んでるところだ」
    「警察なんかじゃない、奴らは農園の自警団さ」

勧告する男「誰が悪いのか、私にも分からん」

ミューリー「守るものなんてないし、家族も戻っては来ない、今の俺は抜け殻さ」

母親「酷く痛め付けられると・・人は恨みに凝り固まり、獣のように牙を剥くと言うよ」
  「土地を追われて流れて行くなんて初めてさ、何もかも失った」
  「(暴力は)悲しいけど仕方なかったんだろ、お前は悪くないさ」
  「この忌々しい場所から離れられりゃ、何処だっていいさ」

祖父「役立たずの土(=土壌)だが、わしのもんだ」

トム「タイヤは(カリフォルニアまで)持つかな?」
元説教師「神の奇跡があればな」

トム「やつの話、本当だと?」
元説教師「あいつにとっては事実なんだろう」
トム「俺たちにとっては?」
元説教師「さあな」

警官「果実摘みの仕事は先月に終わった、そんなビラを当てにするからだ」

ご婦人「(撃たれた)この人、死んでしまうわ!」
警官「45口径だからな」 ←いや、そう言う返しじゃなくて、、

※※「男より女の方が思い切りがいい」
  「男の人生には区切りがあるけど、女の人生は川だよ・・その流れの止まることはないさ」 

追記1:この時代、キャンディが5セント、トラックが75ドル。桃を1トン摘んで1ドル。そんな貨幣価値だったそうだ。
追記2:道中で死者を埋葬する際「殺されたのではなく病死である」のメモ書きを添えるシーンがあった。すかさず「警察は生きてる者より死人を気にするのさ」の皮肉めいたセリフが放たれていた(⌒〜⌒ι)

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