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2009年3月 3日 (火)

☆『怒りの葡萄(1940)』☆

先月23日(月曜)の夜、衛星第2で放送された『怒りの葡萄』を観たことを少し書いておきたい。

ジョン・スタインベックによる同名小説を原作に、監督:ジョン・フォード、主演:ヘンリー・フォンダのタッグの放つ大河ドラマ風モノクロ・ロードムービー。

時は大恐慌の頃(1930年代)。
オクラホマ州サリソーの荒れ果てた地に、主人公=トム・ジョード(フォンダ)が帰って来る。彼は過去に起こした“ある殺人罪”により4年間服役、ようやく仮釈放が認められ、故郷に戻ったトコロである。

「砂嵐により作物が育たなくなったこと」「地主(ショーニー畜産)から来た男が一帯で立ち退きを勧告したこと」で、サリソー在住の小作人たちは次々に土地を棄て、その殆どが(西の)カリフォルニア州に逃げた・・と言う現状を元説教師の男に聞いたトムは、再会した父母らを説得、新天地=カリフォルニアを目指し、総勢12名ほどの家族一団でトラックの旅に出る・・

黄色のビラ(広告)に印刷された「果樹園労働者を大量募集!」の文句に夢を抱き、道中で高齢者も亡くなって行く中、ついにトムの一家は目指すトバリス群に辿り着くが・・

先祖代々、守り続けて来た土地をあっけなく奪われ、よそへ出て行けと追い立てられる・・と言う不条理には「ハラが立つ」以上に「頼る者なき不安」を高められる。

折角「更生しようとした」トムも、そう言った農場主/地主らの横暴を各地で眺めるにつけ、次第に心を荒ませてゆくのだ。
後半ではトム自身「見えぬ巨大な敵との戦い」を決意し、家族に別れを告げて独り何処かへ去ってしまう・・

そう言う流れからは「主人公が希望を携えてやって来るも、やがてはその希望を奪われ去って行く」までの“魂の旅路”を描いた物語とも言えようか。

観終わった後には、何とも言えぬ疲労感&絶望感がじわじわと観た者の心に広がるんだが、そんな中で“キーとなる人物”による、逞しいセリフが最後に放たれ「人間って弱いけれど、同時にタフでもあるんだよなぁ」と少しだけ立ち上がる力をくれもする。

本作の制作された時代から、既に半世紀以上が経っている訳であるが、劇中で描かれる「貧するとはどう言うことか?」「貧すると人はどう変わるのか?」などの要素は、突き詰めて考えれば(現在も)その本質は全く変わってはおらず「娯楽感覚で古典作品を楽しんだ」と言うより「今も昔も変わらぬ“普遍的な貧困の実態”を、鮮烈なモノクロ映像で拝見し、勉強となった」ってな思いのワタシである(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

トム「自分の家で逃げ隠れするなんてな」
  「相手が法律ならば我慢もしよう、しかし奴らは誇りや魂を踏みにじる」
  「こんな無法者にも何か出来ることがある・・それを見つけたい、俺は無知だけど」
  「1つの魂は大きな魂の一部・・だから俺は暗闇の中にもいる、俺は常にそこにいるんだ」

元説教師「今や、我が霊感は失われた」
    「説教すべきことなどないし、確信もない」
    「人の行いに、善も悪もないのかもな」
    「私の祈りには、今や心がこもっていない」
    「お前ももっと学べ、俺も学んでるところだ」
    「警察なんかじゃない、奴らは農園の自警団さ」

勧告する男「誰が悪いのか、私にも分からん」

ミューリー「守るものなんてないし、家族も戻っては来ない、今の俺は抜け殻さ」

母親「酷く痛め付けられると・・人は恨みに凝り固まり、獣のように牙を剥くと言うよ」
  「土地を追われて流れて行くなんて初めてさ、何もかも失った」
  「(暴力は)悲しいけど仕方なかったんだろ、お前は悪くないさ」
  「この忌々しい場所から離れられりゃ、何処だっていいさ」

祖父「役立たずの土(=土壌)だが、わしのもんだ」

トム「タイヤは(カリフォルニアまで)持つかな?」
元説教師「神の奇跡があればな」

トム「やつの話、本当だと?」
元説教師「あいつにとっては事実なんだろう」
トム「俺たちにとっては?」
元説教師「さあな」

警官「果実摘みの仕事は先月に終わった、そんなビラを当てにするからだ」

ご婦人「(撃たれた)この人、死んでしまうわ!」
警官「45口径だからな」 ←いや、そう言う返しじゃなくて、、

※※「男より女の方が思い切りがいい」
  「男の人生には区切りがあるけど、女の人生は川だよ・・その流れの止まることはないさ」 

追記1:この時代、キャンディが5セント、トラックが75ドル。桃を1トン摘んで1ドル。そんな貨幣価値だったそうだ。
追記2:道中で死者を埋葬する際「殺されたのではなく病死である」のメモ書きを添えるシーンがあった。すかさず「警察は生きてる者より死人を気にするのさ」の皮肉めいたセリフが放たれていた(⌒〜⌒ι)

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コメント

こんばんは。

先日鑑賞した『チェンジリング』で「J.マルコヴィッチさんも少しお年を召したなぁ」というコメントのやり取りがありまして、それを機に<マルコヴィッチつながり>でスタインベックの「ハツカネズミと人間」を購入して読み始めているところです。(久々にゲーリー・シニーズさんのお顔も観たい気はしますが。)

過酷な現実に裏切られて起こる悲劇(文庫解説より)・・・本作『怒りの葡萄』では救いはあるのでしょうか。

投稿: ぺろんぱ | 2009年3月 4日 (水) 21時35分

ぺろんぱさん、ばんはです。

アメリカ文学! いいですねー。
サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』『ライ麦畑でつかまえて』を読みたい読みたい・・と思いつつ、未だに叶ってません(⌒〜⌒ι)
(もうムリかのぅ・・)

>先日鑑賞した『チェンジリング』で「J.マルコヴィッチさんも
>少しお年を召したなぁ」というコメントのやり取りがありまして、

出たはるんですね〜。
御大クリントとは『ザ・シークレット・サービス(1993)』以来のタッグかな?(あちゃらは御大監督ではないですが)

私的には、マルコヴィッチと言えば『コン・エアー(1997)』と『シャドウ・オヴ・ヴァンパイア(2000)』でしょうか(=^_^=)

『コン・エアー』では、その退場っぷりが、昔話『さるかに合戦』を連想させてくれるのです、ワタシの中で(=^_^=)

>それを機に<マルコヴィッチつながり>でスタインベックの
>「ハツカネズミと人間」を購入して読み始めているところです。
>(久々にゲーリー・シニーズさんのお顔も観たい気はしますが。)

映画版(1992)は、シニーズの監督作なんですね! マルコはちと「ピュア」な役回りだったと記憶してます。

>過酷な現実に裏切られて起こる悲劇(文庫解説より)・・・
>本作『怒りの葡萄』では救いはあるのでしょうか。

救いは余りないですが・・主人公が旅立つ所でひと区切りとなるので、
絶望を描き切ってる訳じゃなく、そこは救いになりますね。

投稿: TiM3(管理人) | 2009年3月 4日 (水) 22時59分

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