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2009年2月28日 (土)

☆『エレジー』☆

昨日の記事(の冒頭)で「まだ先のことは良く分かんないが・・(・ω・)」と書いてみたら・・
実際に「先のこと」が予想外に(?)大きく回り出してしまったようで、、冷静な中にもパニックな胸中となってしまった今日の午後(⌒〜⌒ι)

そんな27日(金曜)の夜。「ちょっと今日は・・寄り道して帰りたいYo〜」と思い立ち、取り敢えずは(残業約1時間をこなし)退社後、ふらふらと梅田方面に出てみたのだった。

色々と気になる新作群はあったが・・あんまし「複雑」とか「重い」とか「長い」とか言うのを観る気分でもなかったので、久々に“テアトル梅田(ロフト地階)”へと向かい、以前からこそっと気になっていた1作『エレジー』を観た。

1度の離婚を経験し、今は“静かに迫る老いの恐怖”に怯えつつ・・「カリスマ教授」としての社会的地位に納まって久しい男=デヴィッド・ケペシュ(ベン・キングズレー)。
美しい女性に眼がなく・・“これ迄の人生で、抱いた女性は50人以上”を密かに誇るこの老教授は、教え子である黒髪のキューバ女性=コンスエラ・カスティーリョ(ペネロペ・クルス)に出会った瞬間から、激しく心を惑わされる。
長年のパートナーである(同年代の)女性=キャロライン(パトリシア・クラークソン)との関係をずるずると続け、一方でこの若い肉体にもハマってしまうデヴィッド。
しかし、心の何処かで“冷徹”であり続ける彼は「(彼女の)家族の“好奇の眼”を前に、恋人として振る舞い通せる訳がない」とコンスエラのパーティーの誘いをことごとく理由をつけては断るのだった。
彼との関係が「それ以上進展しないこと」を悟った彼女は、やがて1本の電話を最後にデヴィッドの前から姿を消す・・

突然の“喪失”から寝込んでしまった彼に、長年の親友でもある詩人=ジョージ・オハーン(デニス・ホッパー)は妻帯継続者としての真っ当なアドバイスを与えるのだった。

そうして2年と言う“孤独な時間”が過ぎた頃、コンスエラから突然に電話が入る。
再び現れた彼女の存在に驚きつつ、胸中では狂喜するデヴィッド。しかしコンスエラは“とある差し迫った事情”を抱えていたのだった・・

卓越した“知性と教養”でその分野に「君臨」している(つもりの)権威も、たった1人の若く美しい女の肉体の前には「かくも無力」なのである、、
同性としては「興奮したかった」つもりが「余計に落ち込んじゃう」こととなったか(×_×)

物語の“骨格”は川端康成、谷崎潤一郎など、日本文学では多く描かれて来たもの。ハリウッドでも『白いカラス(2003)』と言うそれっぽいテイストを少なからず含んだ(?)作品があった。
(と思って調べたら、本作も『白いカラス』も、同じ作家=フィリップ・ロスによる原作だった!)

何処となく「予定調和」で「低予算」なドラマが淡々と進行して行くんだが、主人公2人を脇から支える個性派俳優2人(パトリシア&ホッパー)の存在感が素晴らしく、単なる近視的な物語に終始していないのが良かった。

極端、後半になるとパトリシアさんもホッパーさんも“退場”ぽい展開となってしまい、そこからドラマ全体の「骨組み」が何だか緩んでしまった気がしたようにワタシは思った。

デヴィッド&コンスエラの“ややもすればこぢんまりとした”恋愛模様は、それだけを追うとスッカスカなモノがあり、これを更にチープにしちゃうと『キリング・ミー・ソフトリー(2002)』レベルにまで落ち込んでしまうような危うさもあった(・ω・)
そこを辛うじて高尚に踏み止めてみせたのがデニス・ホッパーの功労であり、パトリシア・クラークソンの何処かけだるく退廃的な言動であったんじゃないかと感じた。

〜 こんなセリフもありました 〜

デヴィッド「皆が“清教徒の子孫”と言う訳ではない」
     「結婚したことを後悔しています・・でも、これはここだけの話に」
     “老年期を迎えても「肉欲へのこだわり」は止まることを知らず、私の中では何も変わってはいない”
     「美は鑑賞者次第だ」
     “彼女は自らの美しさこそは熟知しているが、その使い方を知らない”
     「相手を礼儀正しくさせる何か、を君は備えているようだ」
     「人目が気になるのなら、私の家へ」 ←おっ!
     「高名なピアニストでさえ(メトロノームがなければ)演奏中は“加速”するんだ」
     「デジカメを使いたいが、仕組みが理解出来なくてね」 ←と言いつつ“ライカ”使ぅとるし!
     “彼女が傍にいない夜は、堪え難い”
     “私自身もかつては「あの若い男」だった”
     “美しい彼女が若い男の手に落ちるのは、時間の問題に思えた”
     “彼女は私を「敬愛している」と言うが・・「あなたのペ※スが欲しい」とは言わない” ←普通は言わない!
     “女性との交わりは、人生のあらゆる屈辱に対する報復だ”
     “思えば、関係から関係へと渡り歩いて来た人生だった”
     「君の“過去の空白”が知りたい」
     「20年付き合って、初めて本当に話し合ったな」

ジョージ「想像力がないからこそ、ピューリッツアー賞を獲れたのさ」
    「セックスは、ただセックスとして楽しめ」
    「“歳を取る心配”などせず“分別臭くなる心配”をしろ」
    「彼女と別れろ、縛られ過ぎてるぞ。それが無理なら・・せめて1歩先を歩け」
    「美しい女の内面は決して見えない。見えるのはその“美しい殻”のみだ。
     男はその外見の美しさに眼が眩み、内面を決して理解出来ない」
    「そろそろ“この状況を直視する潮時”ってことさ」
    「台無しじゃない、自然に終わったんだ」
    「人生ってのは、いつも想像を超える驚きを秘めてる」
    「俺は人生の半分を、お前の愚痴を聞いて過ごして来たんだぜ?」

コンスエラ「あなたとのひとときが私の救いよ」
     「男友だち2人と同時に“した”わ・・17歳ってのは、そんな年齢なの」
     「“たぶん”が好きなのね」
     「何故ここに? 総てを台無しにしたいの?」
     「私とどうしたいの?」
     「“嫉妬心”や“独占欲”は何の証明にもなりはしないわ」
     「本気で(結婚生活に)努力したの?」
     「それは・・私には“大事なこと”なの」
     「今は、私の方が年上みたいね」
     「可哀想な人・・私より怯えているのね」

デヴィッド「何と美しい乳房をしているんだ・・」
コンスエラ「気に入った?」
デヴィッド「崇拝するよ」

デヴィッド「弟がいたとは初めて聞いた」
コンスエラ「あなたの知らないことは、まだ沢山あるわ」

コンスエラ「美しい写真ね」
デヴィッド「美しい女性だ」

デヴィッド「君にペットは飼えないな」
キャロライン「あなただけ」 ←う!

ケニー「あんたは複雑なことをすぐに単純化するんだな」

ケニー「離婚が“道徳的に正しかった”と?」
デヴィット「少なくとも“正直な行為”だ」

ケニー「何故、結婚生活を“監獄”と?」
デヴィッド「現に“服役”していたからな」

キャロライン「シアトルはビジネスには最高の街ね、疲れるけど」
      「結局は“いい時期”も“理想の人”も来なかったわ」
      「男の“私を追う目付き”が変わって行くわ」

※「絵を購入した者は“絵を所有した”と考えますが、実は“絵が彼を所有する”のです。
  彼はいわば“一時的な管理人”に過ぎません。何故なら、絵の方が長生きするから」

追記1:「PG指定」こそないが、劇中ではペネロペさんのおっぱいが「眺め放題」だった(・ω・)
追記2:『ラースと、その彼女(2007)』では知的でお堅い(?)役柄を好演してくれたパトクラさん。本作ではちょっと年輪を感じさせるヌードのお背中を存分に披露してくれますた(・ω・)

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2009年2月27日 (金)

☆『7つの贈り物』☆

26日(木曜)の夜。ようやく“嵐のような”残業の連夜に、少しばかり“凪(なぎ)”が訪れたようである☆
とは言え、まだ先のことは良く分かんないが・・(・ω・) 仕事以外にも色々と。。

ま、とにかく「平日の夜に早く退社させて頂けるんなら」ってことで(←早いと言っても1時間半近くは残ったが)、意外と元気の残ってたワタシは「そや、新作を1本観とこ!」と直感的に決め、天王寺駅界隈にあるシネコン“アポロシネマ8”に『7つの贈り物』を観に向かったのだった(上映開始19:40)☆

数年ぶりに訪れた気もするが、今回改めてこの劇場が「地下鉄1本で行ける」「雨に濡れず行ける」「意外とシートの座り心地が良い」ことに気付かされた☆
併せ、これはちと私的に重要なトコだが(=^_^=)「上映中も手元が適度に明るい」ってのが良い! メモをとる際に助かります☆

一方で「コンセッション(売店)のラインナップがしょぼい」「本編開始前の予告編がしょぼい」ってのがあったが・・「余計な散財をせずに済む」「本編のみに集中出来る」とプラス解釈すれば良いだけのことだろう(=^_^=)

しかし本作・・“核”となる部分をどうレビューして良いか、ちょっと判断に困ってしまう。
「ネタバレはさせぬよう極力配慮する」を自負してる(つもりの)ワタシだが・・さて、どう書いたモノか?

ロサンゼルス。財務省・国税庁の納税調査員=ベン・トーマス(ウィル・スミス)は、とあるモーテルの1室から911(緊急電話)を架ける。いよいよ彼の中で「その計画を実行する時」が到来したのだ・・

劇中には、

・食肉販売会社で電話オペレーターをする男=エズラ・ターナー
・先天的なある疾患を抱えた印刷職人の女=エミリー・ポーサ
・恋人からの度重なる暴行に怯える女=コニー・ティポス
・老人介護施設を経営する男=スチュワート・グッドマン
・児童福祉施設に勤める女=ホリー
・少年ホッケーチームのコーチである男
・病棟で暮らす少年

などが登場し、ベンにより“贈り物を受け取る資格があるのかどうか”を主観的あるいは客観的(!)に審査されてゆく。
彼らの選ばれた(=彼らでなければならなかった)理由は? そして、彼らはどんな“贈り物”を「見ず知らずのこの男」から受け取ると言うのだろう?

冒頭で彼は独白する。“神は7日かけて世界を造り上げた・・僕は7秒で人生を叩き潰した”と。

我々観客は、彼が断片的に「語る言葉」「蘇らせる記憶」から、彼が“過去に起こしたとある事件”と共に“未来に起こそうとするとある計画”を色々と推理して行かなければならない。

その描き方&(小出しにされる)ネタのバラし方が、本作の“見所”であると同時に“イラつかせる要因”でもあると思う。
ワタシは、そないに間延びした感も受けず、ただ淡々と映像を楽しむ(?)ことが出来たが・・その手の「消化不良なまま、ずんずん物語が進行します」ってテイストに我慢出来ないしとにとっては、恐らく“最低の評価”が下される映画じゃなかろうか?

私的には・・ミステリアスな主人公の言動にこそ、それなりに魅了されたモノだが、終盤に至っての“パズルのピースのはめ込ませ方”にどっか“強引、乱暴、粗雑”な印象があり、総じて言えば「ちょっとなぁ・・」と“残念でした”的なトコロに(評価が)落ち着いてしまうのだった。

ただ、一方で(割合丁寧に)描写される、主人公と“彼に審査される人々”との対話のそれぞれには「深い味わい」が感じられ、そこはとても気に入った。

常にウィルスミの瞳は虚ろで、自らに何かを課したまま「生き急ぐ」って風だったが・・何度か描かれる「食事のシーン」には「素晴らしい!」と唸らされた。
因みに、彼が劇中で“唯一”破顔するシーンも「食に関するシーン」だったかと。

「人は人と“語り”“食事をし”“触れ合い”・・そして、それがひょっとしたら、相手にとって“永遠の時間/記憶”となり残っていくのかも知れない」などとも感じた次第。

「本作最大のネタ」とも言える“7つの贈り物”だが、観終わった直後に数え直し「6つ?」と(一瞬ながら)思ったりしてしまった。いや、ちゃんと「7つ」用意されてたんだが・・「うち1つ」と「ほか6つ」は種類の全く異なる“贈り物”だったもんで(⌒〜⌒ι)

最後の「仕上げ」こそは何とも荒っぽかった(?)んだが、そこに至る「同時進行」で「用意周到」な“計画”と、それを淡々とながら的確に実行に移す手腕は、まるで『セヴン(1995)』に登場したサイコ犯罪者=ジョン・ドゥを思わせる「神っぽさ」すら放っていた!

それと「自身(の総て)をもって償うための計画」であったにも関わらず、たまに「言うたかて、楽しんでるやん?」「一時的な“生き甲斐”になってるやん?」「それなりに“報酬(=見返り)”を得てるやん?」「やってることが“別な迷惑”に繋がってるやん?」とか突っ込みたくなるトコもあったかな(=^_^=)

ウイルスミは「控えめな中にも、やっぱし(いつもの)強引さ&猪突猛進さを秘めてまっせ!」なキャラ像にバシッとハマってて無論良かったが、周囲に配された俳優陣もそれぞれに好感度が高かった!

・ロザリオ・ドーソン・・ウィルスミとは『MiB2(2002)』以来の共演かな、と。ようやくのラブラブモード(?)実現でしたネ。
・ウディ・ハレルソン・・近年は“今ひとつパッとしないポジション”での助演が目立ってたように思うが、本作は良かった! ハレルソニアン(って言うの?)な皆さんにもおススメですわ!
・バリー・ペッパー・・“とても重要な役”なのに、イマイチ前面に出てなかった気が、、でも、お元気そうでした(=^_^=)

脚本の構成としては・・「これまでに余り観なかったタイプ」でもあり、興味深いトコロは確かにあった☆
が、何処か本作には「おや?」と思うような・・「破綻気味なんじゃ?」と感じるような・・“スッキリしなさ”が(観賞後に)残されるのだ(・ω・)
また「そう感じる人でなければ“鑑賞者としてのセンス”に欠けてるのかも」と勝手なことを思ってしまったワタシだった。

〜 こんなことにも気付きました 〜

♦とにかく「ベジタリアン」の数多く登場した本作。出て来る(でっかい)ワンちゃんでさえ「ベジタリアン」の設定(⌒〜⌒ι) んでも“出された肉”は美味しそうに平らげてますた。。
♦「とある分野の方(専門家)」にすれば・・きっと“ムチャクチャな設定(=※※的監修)”なのであろう。
♦「バナナの皮を刻んで土に混ぜる」と良い肥料になるらしい!
♦モーツァルト作の「K(ケッヘル番号)397」に該当するスコアが劇中で使われてた(「ピアノ幻想曲ニ短調」なる未完の曲らしい)。
♦ウィルスミの流暢なスペイン語(会話)はなかなか!
♦「ヒュンダイ(HYUNDAI)」製のピアノが登場! 楽器も作っとるんやね!
♦ベンの最終学歴はMIT(マサチューセッツ工科大学)! これってウィルスミ自身の人生に微妙にリンクしてるかも!(実際の彼はMIT進学を蹴ったそうだが)
♦女性は「印刷物の凹凸を好む」そうだ!
♦※※しながらの※※は、やっぱりアカンです! 7秒で人生が崩壊します!
♦登場するPCは「バイオ」だった☆(流石にソニー系作品)
♦オトナ的に考えると・・ベンは7人のうちの1人には「2つの贈り物」をしたかも? とか(・ω・) 後日談はどうなんでしょ?(←連想するのは『ターミネーター(1984)』におけるマイケル・ビーン的な行為、、)
♦後半の雨(の演出)が『ハンコック(2008)』にも似てたかも、と。
♦送り主の“顔”さえ知らぬ人物がいたんやね。その人の記憶の中では「ダイナーで聞いた声の主」として、ベンの存在が残って行くのだろう。
♦“片方”を失って、あんなにダッシュ出来るんだろうか?
♦あんな悲劇を起こしても、まだなお「※※※※を握り続ける」んやね(×_×)
♦ベンの夫婦に“もしも”子供がいたら・・?

〜 こんなセリフもありました 〜

ベン「契約を取るためのコツは3つ。1つ、言うべきことを言おうとする。 2つ、実際に言う。 3つ、もう1度言う」
  「“俺のもの”をお前にあげたろう? 忘れたのか?」
  「私とも話をしたくないのは分かります。でも私なら、彼の置かれた状況を変えることが出来ます。
   ・・それに値する人間ならば。 彼が“良い人間”なのかどうかを私に教えて下さい」
  「彼はあなたにどんな罰を・・?」
  「もう少しで信じるところだった!」
  「“パッとしない人生”なら、この僕よりはいい」
  「酷い境遇にあって、助けが必要なのに施しを求めない人・・そんな人の名が知りたい」
  「嘘をついてしまった・・本当は“死”を考えない日はない」
  「いいか、弱気になるな」
  「予想外の経緯(いきさつ)があってね」
  「恋はした・・だが、終わった。この話はもう止してくれ」
  「・・時が来た」

手紙“何故「贈り物」を貰えたか、も考えないで。それが僕の願いだ”

弟「繋がらないぞ。電話線を抜いたのか?」
ベン「壊したのさ。どの道、もう俺には電話など必要ない」

サラ「夜通し怒るわよ」

エミリー「他の収入源ですって? “祈りの泉”で拾ってる小銭のことかしら?」
    「“相手を傷つけない言葉遣い”の研修ってものを、国税庁では行ってないの?」
    「私は“翼の折れた女”なのよ」
    「ここへ来てくれることが嬉しいわ。あなたが何者なのか、分からないけど」
    「昔の私はセクシーだったのよ。国税庁も手出し出来ない程にね」
    「やりたいことが多過ぎる・・世界中を旅したい、医者の存在を気にせずに。
     くよくよ悩まず、色々やってみたい。 ・・それから、走ってみたい」

※※※※「何故、私に特別な扱いを?」
ベン「君にその資格があると、感じられたから」

管理人「モーテルの部屋で魚を飼うヤツなんて、聞いたこともねぇ」
ベン「ここにいるさ」

管理人「あんた、いつまでこのホテルに?」
ベン「(ホテルじゃなく)モーテルだろ? 死ぬまでここで暮らすつもりだ」
管理人「なら“前払い”にしてくれよ」

ダン「こんな頼まれ事は・・普通じゃない!」

ホリー「何をしに来たの?」
ベン「君に逢いにさ」

※※※「何故、私なんだ?」
ベン「・・あなたが良い人間だから」
※※※「本当の理由は?」
ベン「・・誰も見ていない時も」

※※※※「余り面白い話じゃないわね・・」
ベン「このすぐ後でドラゴンが現れて、俄然面白くなるんだ」

※※※※「スーツ姿で草むしりを?」
ベン「これしか着る服を持ってなくてね」

※※※「エミリーだね?」
エミリー「・・ええ」 ←このシーンでの“間”と“雰囲気”はチャップリンの『街の灯(1931)』のラストを何処か彷彿とさせる!

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2009年2月26日 (木)

☆『シリアナ(2005)』☆

24日(火曜)の夜。衛星第2で放送されたドキュメンタリータッチの群像ドラマ『シリアナ』を観た。
どうやら今週のBS2では“アカデミー受賞作品特集”が組まれてるようだ☆

「第78回アカデミー賞(2006)」でジョージ・クルーニーが“助演男優賞”に輝いたと言う本作。
何やら「シリアスで小難しい群像劇らしい」と言うことだけは(公開当時から)知っていたが・・どうにもタイトルが“ass hole”を連想させるもんで、、積極的に観る気にはとてもなれなかった1作でもある(・ω・)

2つの巨大石油企業の合併を軸に、中東の油田絡みの覇権を巡って「石油成金である地元王族」「CIAのベテラン工作員」「一攫千金を狙う若き投資家」「欧米諸国を快く思わぬテロリスト集団」らがそれぞれの思惑を交錯させる。やがて事態は過激な方向へと転がり始め・・

出演俳優陣がとにかく豪華で、マット・デイモンを筆頭に、クルーニー、ジェフリー・ライト(←あんたがCIAやろ! と突っ込みたくなるしとも多いかと(=^_^=))、ウィリアム・ハート、クリス・クーパー、アマンダ・ピート・・などそうそうたるモノだ!
だのに、押し並べてみんな存在感の地味なのが却って面白い(⌒〜⌒ι)

パッと観た感じ「クルーニー主演とちゃうの?」とも思うんだが、ラストまで「我慢して」観ると・・どうやらマット&ジェフリーが主役だったんかな? と何となく納得させられた次第。

そう! 本作はまさに「耐えて鑑賞する作品」って趣で、正直“目まぐるしく豪華に切り替わるのはロケ地ばかりで、物語そのものは実に淡々と進む、、”って風。
ホントを言えば、途中で少しねぶたくなってしまったりもした(⌒〜⌒ι)

まぁ、辛うじて(?)劇中で「3度」ばかり“爆発シーン”が描かれるので、

1度目は『フロム・ダスク・ティル・ドーン(1996)』(の映像演出)を、
2度目は『イーグル・アイ(2008)』(の冒頭)を、
3度目は『ユナイテッド93(2006)』(の雰囲気&無情感)を、

それぞれに連想してみるのもアリかなぁ・・と。

なお、

ボブ役のクルーニーは“肉体的な痛み”を、
ブライアン役のマットは“精神的な痛み”を、

それぞれ一手に背負い込んでた印象もあったか。
特に中盤、ボブが(某展開から)顔面をボコボコに殴られるシーンの臨場感がスゴくて『オーシャンズ11(2001)』(での暴行シーン)とは、殴り方(と緊迫感)が根本的に違うな〜・・とそのリアルぶりには“コメディ・テイスト”なんぞ微塵も漂ってはいなかったのだ(×_×)

全体的に「ロケ地表示(字幕)」のみ親切なんだが、誰と誰がどんなハナシを進めてるのか、みたいな(肝心な)部分がどうにも“石油ビジネスの基礎や、中東情勢をそれなりに掴んでる”前提でズンズン進められて行くので、正直「不親切やなぁ」と不満が高まってしまった。

因みに、劇中で一度たりと語られることのなかったタイトルの“シリアナ”・・これは「シワシワの集まってるアレ」のことでは勿論なく(おい!)中東における「想定国家」「理想国家」みたいなものの名称、つまりはそれ自体が「専門用語に近い呼称」らしかった。

って訳で、中東情勢に疎い“平和ボケ”したような日本人が観て楽しめる類の作品と言うよりも、それらにある程度精通しつつ、ハリウッドスターも大好きやで、みたいな“アングロサクソンなしとたち”が苦々しい笑みを終始たたえつつ観るような・・その手の「高尚な娯楽作」ではあるまいか、と感じた次第だ(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

「テヘランは“世界の中心”だ」
「君は差詰め・・“羊の顔をしたライオン”だな」
「中国人は運転がヘタだ」
「ペルシャ人は“時計を戻す”のを嫌う」
「カネこそが、最後にモノを言う」
「ここで仕事が欲しければ言葉を学べ、アラビア語をな」
「宗教と国家は切り離せない、とコーラン(聖典)は言う」
「資本主義は失敗した・・キリスト教は失敗した・・西欧社会は失敗した」
「あなたは王になりたいのでは? 王子殿」
「ピーターはクモに指を咬まれ、半分クモになったんだ」 ←お、このネタは・・?!
「姦淫は罪だ。それは道徳に反する。だから・・童貞を恥じることはない」
「ベイルートは“中東のパリ”だ」
「9.11以来、感情に流されて動く(CIA)局員は多い」
「誰もが石油ビジネスを“汚れた世界”だと知ってる」
「あんたらは“史上最悪の浪費家”だな」
「庭に“巨大なATM”を置いた気分だ」
「贈賄こそが成功のカギだ」
「我がアラブでは、大事なものは常に独占され続けた」
「君は“狭いが深い経験”を持っているようだな」
「気を付けることだ。2mの浅さを掘れば出て来る屍体はせいぜい3つ・・しかし4mも掘ればごろごろ出て来るぞ」
「会計士は法律を知らず、法律家は数を理解出来ない」
「来世こそが真実だ。僕は純粋な心で死に・・あの世で“本当の命”を得る」

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2009年2月25日 (水)

☆『乱(1985)』☆

22日(日曜)の夜。
さる12月22日(月曜)の夜、衛星第2で放送された黒澤明監督の長編時代劇『乱』・・の後半1時間程度のみを録画しておいたものを観た。
何だかもう「録画してたこと」自体をすら半分がた忘れかけてたんだが・・(⌒〜⌒ι)ハードディスク容量を増やすために色々と知恵を絞る中で「さっさと観て、消そう」と考えたうちの1本である。

・・ってか、どんどん録り溜めたモノを観て減らせよ! と言うのが一番の解決法なのだけれど(・ω・)

「老けメイクのし過ぎ」ですっかり“おんじ状態”となった大殿(仲代達矢)が、ピーター演じるお小姓(?)と共に、どっかの城の石垣をバックにうだうだやってる一方、鮮やかに緑の広がる平原では、大規模な合戦が起ころうとしており・・

鮮やかなカラー映像、ワダエミによる“原色ベース”の甲冑群、約1分間もの長回し(!)で「河川(濁流)をイッキに渡り切る騎馬隊」がダイナミックに描かれる演出・・など、作品を構成する“1つ1つの要素”こそはかなり凄まじい訳だが・・それらを総じ「クロサワ作品」とし“厳しく眺めた”場合に、何とも言えぬ「吸引力の低さ」「冗長で、総花的ではあるも散漫な群像劇」ってなマイナスイメージがぐんぐんワタシの中で高まって行ったのだった(×_×)

“世界のクロサワ”による意欲作を鑑賞しながら他のことを考える、など大変に失礼なハナシなんだが・・思うには、
「突出したキャラクター=俳優の不在」が大きかったんじゃないかな? と勝手に決め打ってしまったワタシ。カメラが全般的に「俳優に余り寄って(迫って、懐に飛び込んで)いない」のも気になった。これにより、どうも映像が「客観的にただダラダラと続く」って印象を受けたのだ。
それはまるで・・クロサワ自身が、出演俳優らを評して“寄って撮るに価する者がいない!”と一刀両断にでもしたような・・そんな直感的な印象すら受けたモノだった。。

エキストラ、衣装、巨城の再現(建造)など・・ある意味において、かつての代表作『蜘蛛巣城(1957)』を資金的、物量的、映像的に完全に凌駕したかのようにも感じられる本作だが・・そのセンスと言おうか、完成度は『蜘蛛巣城』に全然及んでいないなぁ・・と少し切なくなってしまったワタシでもあった(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

小姓「畜生! 人は泣くだけ泣いて、死ぬんだ!」
  「人はいつも道に迷ってる」
  「人間、昔から同じ道ばかり歩いてる」

「しかしな、この陣構えは穏やかではない、1つ間違うと合戦になるぞ」

家臣「大将、出陣の際、女人に心を残すべからず」
  「今こそ正念場じゃ、デンと構えて、(敵勢に)乗ずる隙を与えてはなりませぬぞ」

若殿「国境を侵(おか)すならそれもよし!」
家臣「勇ましいお言葉じゃ、が、言葉だけでは戦には勝てませぬぞ」
若殿「いつも俺の弱気を詰(なじ)っていた貴様は何処へ行った?」

大殿「惨いことをするな! 何故わしを墓から引きずり出す?」

家臣「魂を呼び戻してはならん! この上まだ大殿を苦しませたいのか!」
  「言うな! 神や仏をののしるな! 神や仏は泣いているのだ、いつの世にも繰り返すこの人間の悪行、
   殺し合わねば生きてゆけぬこの人間の愚かさは・・神や仏にも救う術(すべ)はないのだ」
  「泣くな! これが人の世だ・・人間は幸せよりも悲しみを、安らぎよりも苦しみを追い求めているのだ」

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☆第81回アカデミー賞のこと☆

忙しくて、新聞でちょこっと眼にした程度なんだが・・(・ω・)>
“第81回アカデミー賞(notアホデミー賞)”の各受賞作品が決まったようである。

みんなもあちこちで(好き勝手に)書いてることだろうから、手短に書くが(←やっぱりお前も書くんかい!)、当然のことながら日本人としては、

・外国語映画賞・・『おくりびと』
・短編アニメ賞・・『つみきのいえ』 ←わずか12分程度の作品とか。

の2作がオスカーをもぎ取った(?)ことは素晴らしいと思う。

私的には「どうにもハリウッド・ブランドが“本格的なパワーダウン”を呈して来たようやな」とも感じたり。
もはや“1つのメジャー系大作が複数の賞をかっさらう”って図は、今後見られないのかも知れないな〜

・・などと、分かったようなことを呟いてみたり(・ω・)

・助演男優賞・・ヒース・レジャーin『ダークナイト』

は、少し他の(受賞)ラインナップに比べ違和感、と言うか“毛色の違い”を感じもするが・・拍手をもって迎えられるべきものだろう。しかしヒース君の“キャリアの頂点”ではまだまだなかった筈! と思うのはワタシだけだろうか?

・長編アニメ賞・・『ウォーリー』

も、そこそこには納得。現時点での(最先端)CG技術の集大成みたいなもんでしょうから。尚かつ、人間をリアルに描くことを「少し外してる」辺りに、今後に向けての“大きな課題”が残されてる気もしたか。

なお「ノミネートされたけど逃しちゃいました」系のしとたちにこそ、何となしに愛着のわいてしまったワタシ(=^_^=) 以下の作品が眼を引きました。

・主演男優賞・・ミッキー・ロークin『レスラー』
・主演女優賞・・アンジェリーナ・ジョリーin『チェンジリング』
・助演男優賞・・ロバート・ダウニー・ジュニアin 『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』


『おくりびと』に関しては「滝田洋二郎(監督)、本木雅弘(主演)、広末涼子、余貴美子」の4人が会場に向かうシーンを朝のTV番組で数分ほどだけ眼にしたが・・私的には「広末さんの功労ぶりはちと薄かったのでは、、もっと注目されるべきは山崎努、笹野高史・・そして峰岸徹さんや!」と感じた。
ワタシの中では『おくりびと』における峰岸さんの存在感は『ダークナイト』におけるヒース君のそれに、勝るとも劣らぬモノがあった! とも思ったし(そうなの?)

ってことで、広末さん、おめでとうございました!(←結局はヨイショかよ!)(=^_^=)

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2009年2月24日 (火)

☆“ウィル・スミスin徹子の部屋”☆

20日(金曜)の昼間に放送された“徹子(not鐵子)の部屋”を録画し、22日(日曜)の夜に観た。
数年ぶりにこんな平和な(?)番組を観る気となったのも・・招かれたゲストが、あのウィル“新鮮王子”スミスだったからである。そう言えば、以前に観た放送も女優のオリヴィア・ハッセーさんがゲストだったような気がするな(⌒〜⌒ι)

ウィル・スミスが勿論日本語を流暢に話す訳はなく、2人の女性訳者がポンポンと同時通訳して行くスタイルだった。
流石の黒柳徹子さんも、通訳を介してのやり取りだと、ちと(日本人相手の)絶好調のテンポ・・とは行かなかったような気がする(・ω・)

「今日のお客様は、ハリウッドのNo.1スター、ウィル・スミスさんです」と紹介され「ヨロシク、アリガトウゴザイマス」と(ここだけは)日本語で返してくれたウィルスミ。

〜 こんなことを語って下さいました 〜

ウィル「緊張していますが、(この番組で)良い仕事をしたいと思ってます」
   「バラク・オバマの合衆国大統領就任は、僕自身にとっても、世界にとっても喜ばしいことです。
    5年前には考えられなかったことです」
   「アーティストとして、人間として(この仕事には)責任感を感じている」
   「映画を通して色んな役を演じ、世の中の役に立ちたい」
   「白髪が少し目立って来ました」
   「観る人の人生を変えたい、(映画を通じ)そんな仕事をやって行きたい」

   「『幸せのちから(2006)』では・・走り回ってて、ドラマと言うよりアクション映画になってしまったかも」
   「本当に息子(ジェイデン)は良い仕事をしました。父親としても不思議な気持ちです。
    大人っぽいませた子だが、説明をすれば自然に感じ、演じてくれる子です」
   「主人公のあの口ひげは、考えたらちょっと大き過ぎたかも」

   「ずっと前から・・人を喜ばせるのが大好きだった」
   「いつも、写ってる写真では“カメラ目線”の子供だった」
   「(表現することは)やりたい、と言うよりやらなければならない、僕にとって必要なことだった」
   「みんなを楽しませたい、みんなに楽しんで欲しい・・そんな想いが僕の人生にとってのガソリンです」
   「重要なのは自分の総てを集中し投入すること・・このインタビューにもベストを尽くし、総てを出す所存なんです」
   「物事は“悪くする方”がラクなのかも知れないけど
   「父はとても厳しく、有る意味“クレイジー”です」
   「数学が得意で名門大学にも進学出来たが・・音楽の道を選びました」
   「母も、1988年にグラミー賞を獲ってからは認めてくれました」
   「今となっては、もう俳優一家で“ファミリービジネス”を呈してますね」

   「『アイ・アム・レジェンド(2007)』では娘(ウィロウ)と共演しました」
   「『ALI/アリ(2001)』では僕の妻(ジェイダ・ピンケット)が妻の役だったんです」

   「ラブシーンは苦手ですね、私生活では別に嫌いじゃないんですが・・カメラが回ってるとどうも」
   「たまに家族のためにスペシャルなパンケーキを焼きます」
   「全ての基本は“少し遊んで仕事もする”です
   「寿司が大好きで、週に2〜3回は食べます。朝食にトロを食べたりもします」

   「最新作の『7つの贈り物』の概念である“何かの損失を経験しても、人はまた歩み直せるか”
    ・・その違いはその人に「目的」があるかどうかだと思う」
   「僕は“役を私生活に引き摺る”タイプでして・・『7つの贈り物』の撮影期間である数ヵ月間は、
    家族との食卓も暗いものになってしまいました」
   「この作品を観て下されば・・次は“コメディ”をやると約束します」
   「(エンディングテーマ曲に気付き)この音楽は? あと30秒しかないって?」

徹子「あなたの作品では『バガー・ヴァンスの伝説(2000)』が大好きです」
ウィル「あの映画は・・成績は良くなかったが、ファンの多い作品です」

徹子「女の子にもてました?」
ウィル「それはまぁ、若い頃は・・まぁまぁもてましたね・・今は1人の女性に尽くしていますが。
    でも失恋の方が多いんですよ、実は・・
    (顔を覆って)僕はこのショーで泣きたくなかったんですけど、思い出すと涙が出て来ました」

徹子「ホントにお元気ですね」
ウィル「頑張ってます」

徹子「『ALI/アリ』での拳闘は?」 ←“拳闘”てあんた、、
ウィル「1年半ほどトレーニングを。(あの作品は)今までのキャリアで一番難しい役だったと思う、そして達成感もありました」
徹子「(逞しい左上腕を触って)とても鍛えてらっしゃるんですね!」
ウィル「出来るだけトレーニングを積んでます、1年で4〜5ヵ月ほどは」

※記事中の人名の殆どを「敬称略」とさせて頂きました。

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2009年2月23日 (月)

☆『バイオハザード3(2007)』☆

21日(土曜)の夜。『ボーン・アルティメイタム(2007)』同様、兄に借りてたDVDソフト『バイオハザード3』を観た。
90分ちょいの作品時間だったので、ゆっくり観てもそんなに面倒臭さはなく、疲れもせず楽しめた☆
いや、作品自体に関して言えば、そないに楽しくもなかったんだが・・(=^_^=)

『バイオハザード3部作(?)』の一応の完結編。前作(2004)で(物語の舞台とし描かれた)“ラクーンシティ”は壊滅、人間をアンデッド(=ゾンビ)化する恐怖の病原体“T-ウイルス”は世界的に蔓延してしまう・・

わずか数ヵ月で“不毛の荒れ地”と化した地上では、生存者らが「楽園」を目指し生き残りの旅を続け、地下では「アンブレラ社」の残党(でエエのか?)が「地上回帰」を狙って“血清”の開発を急いでいた。

単身、過酷な旅を続ける主人公=アリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は、ソルトレークシティで「楽園=アラスカを目指した、とある人物の綴った日誌」を発見後、ネバダ州の砂漠にあるモーテル周辺で野営中の“クレア・レッドフィールド車団(コンボイ)”に合流する。
車団のサブリーダーとなっていた、かつての戦友=カルロスとの再会を喜ぶアリスだが、そんな彼らを宇宙空間から(アンブレラ社の)衛星が監視し、アリスの「血液」と「遺伝子」を狙うアイザックス博士(イアン・グレン)の魔手が、やがて車団に伸びるのだった・・

これまでの2作では、どっちかと言えば「屋内」「文明」「夜間」の印象が強かったんだが、本作に至りそんな既成概念(?)が粉々になり、まるでジョージ・ミラーにより監督された1980年前後のオーストラリア映画(←ハッキリとタイトルを書けよ!(=^_^=))を観てるような「終末感」「既視感」が映像の端々にまで漂っている。

私的に言えば“この手の世界観”は余り好きでもないんだが(手垢も着いてるし、敢えて本シリーズでわざわざ描くモノじゃないと思う)、特に中盤で“T-ウィルス”に感染したカラスの大群が車団を襲う映像群にだけは「見とれて」しまった!

これはまさに・・アルフレッド・ヒッチコック監督が(恐らく)苦心して撮った『鳥(1963)』の、いわば「映像的な完成体」だと感じたからだ。
『ピッチブラック(2000)』の鑑賞時もそれなりには驚かされたが、本作に於ける“飛び回るモノたち”のビジュアルインパクトについては、ほぼ完成の域に達してる! と素直に感心させられた。

今回は“シリーズの集大成”ぽいトコロもあり、名物の「あの場所(←最もエグいロケーション)」や「あのゾンビ生物(←アリスに飛び蹴られた縁)」が再登場してた! 中でも「あの場所」は終盤のクライマックスでも再度ロケに組まれ、第1作(2002)を思い出したワタシは「ぐぇー!」「ぎぇー!」と心中で叫びっぱなしだった(=^_^=)

蒼い瞳の印象的だったミラさんは、確かに美しいし、アクションも頑張ってくれてるんだが・・今ひとつ「キュンとこの胸に(おえっ!)迫るモノ」がなく残念だった。「整ったお人形さん」を眺めてるような気分だった(・ω・)

主人公らの旅を邪魔するのは、殆どが「名も無きアンデッド」なんだが、個性もなければ面白味もなく、ただ大勢で砂漠をウロウロしてるだけだった。そこそこのヴィジュアルインパクトはあるんだろうが、個々のキャラとして「立ってない」以上、こいつらだけで物語を引っ張るのは流石に相当キツいなぁ・・との印象が。

基本的に「予定調和なキャラ」の繰り広げる「予定調和な物語」だったんだが、冒頭部分だけは“ひとクセある奴ら”が登場し、それなりに期待させられた☆
ああ言う“クセのある演出”を全篇に点在させてたら・・本作の評価ももっと良くなったような気がしなくもない。

あと、正直付いて行けないトコがあったが・・本シリーズって“サイキック(超能力)”が軸になってたんやろか? アリスが思念波(?)で、重量物を動かしたり、特殊なバリアを張ったりする辺りは、私的には「余りに唐突」な気がして、ちょっと興醒めしちゃったモノである(×_×)

~ ほか、こんなことも ~

♦超能力の使われた際に観測されるのが「プシー粒子」なる特殊な波動らしい。ちょっと照れそになる名前やね。。
♦研究員らがアンデッドに「調教」を施すシーンが笑える。「かつては人であった名残」で携帯電話やデジカメを難なく操作する彼(アンデッド)だが・・「特定の形のブロックを、その形状の窓から箱の中に落とし込む」みたいなパズルに手こずって、いきなりブチ切れて研究員らに襲いかかる・・! いや、携帯とかデジカメの方がよっぽど難しいやん!
♦某キャラが実は咬まれてて・・みたいな演出は、何だか“お約束”過ぎて、観てて気恥ずかしかった(×_×)
♦何処となく「昔の“お坊ちゃん風時代”のトム・クルーズ」ぽくも見えた若き研究部長(?) あの“退場”は余りにしどい、、
♦後半の「突入作戦」時に流れるBGMが『ターミネーター(1984)』のソレっぽかった。
♦砂漠に濃い影を落として立つ“自由の女神像”・・何故だか妙に絵になる! 何度観ても!(=^_^=)
♦ニッポンのファン向けのサービスなのか、ラストで近未来のトウキョウと思しき、ヘンチクリンな風景が映される。。
路面に「芝浦」「品川」・・まぁこれはイイとしよう。んでも、案内板の「夜空雪風/Tokyo Metro」「考楽火月星/Zatoichi Square」ってのは、一体何やねん! 和訳になってへんやんか! 意味分からんし!

〜 こんなセリフもありました 〜

アリス「5年間放置され、べガスは砂漠に戻ったのよ」

博士「議会か、この私か・・どちらにつくのか慎重な選択をな」

クレア「皆あなたに感謝してる」
アリス「でもここから消えろ、と?」
クレア「怒らないで、感謝の気持ちは本当よ」

カルロス「何故、俺たちと別れて旅を?」
アリス「独りの方が安全だから」
カルロス「では何故、戻った?」
アリス「・・・」

クレア「皆の命を預かる者として、甘い夢は語れないわ」
カルロス「だが・・今は夢や希望こそが必要なのかもな」

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2009年2月21日 (土)

☆『ボーン・アルティメイタム(2007)』☆

先月下旬以降、連日の如くに残業が続いている(×_×) 会社帰りに、のほほんと劇場に寄り道なんぞしてた“あの頃”が何とも懐かしい・・
スタッフ不足(気味)のトコに到着書類の過多、疲れの蓄積による能率の低下、はたまたミスの誘発(おい!)、コミュニケーション不足に伴う人間関係の悪化(←ワタシ自身の問題かねぇ)・・

ま、嘆いてても仕方ないんで、溜まってるレビューをここいらで片付けとくとしようぞ(・ω・)

さる1月25日(日曜)の夜(古っ!)、兄に借りたままとなってるDVDソフトにて『ボーン・アルティメイタム』を観始めた。
“ジェイソン・ボーン3部作”の完結編にして“最高傑作”とも謳われるスパイアクション作品☆
サクサクっとイッキに観るつもりが・・巻き戻したり、スローで観たり、セリフを聞き直してメモしたり、特典映像を観たり・・してる内にとても一夜では時間が足りなくなり(⌒〜⌒ι) 翌日26日(月曜)の夜とで観終えた次第。

それらはDVD鑑賞ならではのメリットと言えようが・・ホントに「正しい鑑賞法」なのかどうかは、微妙なトコかも知んない、、

かつてはCIAの精鋭エージェントだった主人公=ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)。被弾し、記憶を失った状態で海原(大西洋上)を漂っている所を、通りがかった漁船に救出された彼は、自分が何者であるかを取り戻すために旅立つが・・そこに、ボーンの命を執拗に付け狙うヒットマンらが、次々と姿を現す。 ⇒『ボーン・アイデンティティー(2002)』

インドに潜伏するボーン。その記憶はまだ断片的にしか戻ってはいなかった。彼と共に平穏な日々を過ごす恋人=マリー・クルーツ(フランカ・ポテンテ)であるが、2人の前に新たなヒットマンが現われる。 ⇒『ボーン・スプレマシー(2004)』

愛する者を失い、孤独な逃避行を続けるボーン。そんな彼を追うCIAの諜報チーム主任=パメラ・ランディ(ジョアン・アレン)の心には、何故かボーンに対する奇妙な“信頼感とも言うべき気持ち”が芽生え始めていた。
その一方、パメラにさえ実体を知らされぬまま“トレッドストーン計画”が進化(アップグレード)を遂げ“ブラックブライアー作戦”とし動き出す。
ついに、自らを陥れんとする“巨大な陰謀”と向き合う覚悟を決め、ニューヨークにあるCIA調査局へと戻って来るボーン。彼を待ち受ける運命は? そして彼の本当の正体とは?

オープニングからして、前作『ボーン・スプレマシー』の終盤の続きであり、いきなりロシア・キエフ駅周辺に我々観客は放り出される(⌒〜⌒ι) 何なんだここはっ?!(=^_^=)
ボーンの記憶に関しても、次第によみがえる“断片のサイズ”が心なしか拡大して来た(?)ようで、色々と黒幕に近いしとたちの表情や声が小出しに漏らされて行ったりする。

監督が“臨場感”を得意とする(?)ポール・グリーングラスであり、とにかくシーンが次々に切り変わり、手持ちカメラを効果的に使った映像もブレたり、通行人の視点ぽかったりして面白い☆
(こと本作に於いては“風景描写”より“ボーンの言動”で、ロケされた国名が浮かんで来るぐらいである(=^_^=))

マット・デイモン君は・・『ボーン・アイデンティティー』の頃こそ“新生”をウリにしてた(?)が・・一方で『オーシャンズシリーズ(2001、2004、2007)』などにおいては、従来の“旧型マット・デイモン”のスタイルも貫徹しており(?)、「近年では出演作のチョイスを激変させたはるんかな?」と期待しとる向きには、少々歯がゆい状況が続いてたりもする(=^_^=)

が、本作ならではの「非情にはなり切れないが、極限までプロフェッショナル意識を維持する若手諜報員」と言う、ある意味演じるに難しい役回りをなかなか自然にこなしてくれ、危うげなく観ることが出来た。きっと彼なりに(画面に映らない部分でも)色々と努力を重ね、本シリーズに挑み続けてるんだろう。

一方で、私的に「本シリーズには欠かせない!」と感じたのがジョアンさん。『フェイス/オフ(1997)』の頃はそないにピンと来なかったが、近年はかなりお気に入りな女優さんである。
年齢を重ねたはる筈なのに『フェイス/オフ』『カラー・オヴ・ハート(1998)』『ボーン・スプレマシー』『デス・レース』・・と次第に若々しく、洗練された雰囲気となったはるように☆
この調子で、ぼちぼちファレリー兄弟辺りとタッグを組み、コメディエンヌぶりを発揮して頂いても悪くない、と信じる(=^_^=) ←『シリアル・ママ/リターンズ』とか?(苦笑)

冷徹な(?)CIA対テロ極秘調査局長=ノア・ヴォーゼンを好演したデヴィッド・ストラザーンは・・余り(これまでの)印象がなく「ダスティン・ホフマン路線っぽいしとやな」と感じたぐらいだが、その背後にはスコット・グレン&アルバート・フィニーちぅ「ダブル御大」が控えてて、 コレはちょっとしたサプライズだった(・ω・)

マリーの“退場”後、ボーンとの間にちとロマンスの芽生えそうな気配(?)となるCIAエージェント=ニッキー・パーソンズ(ジュリア・スタイルズ)だが、この子が実に「無表情」ぽく、そこが逆に印象的だった。「ちょっとは相好を崩しなさいよ〜!」と思ってたら・・ラストで少しだけ微笑んでくれて「あ、観客へのご褒美みたいな“この表情”はエエな!」とほっこりさせられた(・ω・)

CIAが「全世界規模」で“衛星からの監視”“電話回線の盗聴(←世界中のあらゆる通話から特定のキーワードの登場を探知する!)”を行っていると言う「途方もない演出」には、技術的&道徳的に度肝を抜かれるが、それをかいくぐるボーンの「ローテクな対処法」がスゴい! ・・と言うか、殆ど無防備なのだ(=^_^=)

素顔を堂々とさらし、手袋も装着せず、普段着で公共の場にひょっこり現れたりする! 彼がガーディアン紙(本社:ロンドン)のサイモン・ロス記者に(CIAより先に)接触しなくてはならない、と言う重要なシーンでは・・「変装もなしに」何気なく彼の背後から近付きつつ「アクションを起こす」のだった!
で、直後にロスの挙動から(ボーンの行動に勘付き)「いつの間にヤツはターゲットに接触したんだ!?」とか慌てるCIAの面々・・いや、さっき(あんたらの)眼の前を通りましたがな!(=^_^=)

思うに「プロならではの勘」で“今なら監視の眼をかいくぐれる”“この状況なら狙撃されまい”と言う「空気」を本能的(超能力的?)に察知⇒確信しとるんやろな、と。
そうでもなきゃ「パリ北駅」を変装もなしに、あんなに堂々と歩けはすまい(=^_^=)

「シリーズ定番」とも言うべきカーチェイス&格闘戦も、集中的に盛り込まれていた。短い代わり、徹底的に「見せる」ことにこだわり抜いたそれらのシーンは、その後に製作された『007/慰めの報酬』なんかにも、きっと少なからぬ影響を与えている筈! と決め打ちたい。
流石に007シリーズよりは“小さな(組織的)規模のハナシ”に思えるが、適度な緩急の付け方などでは、決して007シリーズに引けを取らない作品だと思う。

〜 こんなセリフもありました 〜

ボーン「これは(新聞)記事の中の出来事じゃない、現実だ、分かるな?」
   「今までに殺した人間の顔を思い出す・・名前は思い出せないが」
   「ここで総てが始まった、決着もここで着ける」

CIA長官「最上を望み、最悪に備えた計画を立てるべし」
     「覆す証拠が出るまでは、危険な男だ」

ノア「物事は何処から見るかで異なってくる」
  「君だって現場の危険は承知だろう?」
  「いいだろう、発砲許可を与える」

パメラ「問題は(ボーンに対し)手を打つ、その方法よ」
   「出せる限りの力と知恵を注ぎなさい、相手はボーンよ」
   「携帯を使わない職員をこそ洗いなさい、その数は少ない筈」
   「本気でこんな作戦を続ける気?」

パメラ「混雑する駅コンコースで狙撃なんて・・」
ノア「部外者が後から批判するのは簡単だ」

パメラ「一体、何処まで突っ走る気?」
ノア「ボーンとの戦いに勝てば止まるさ」

黒幕「事件を私に結び付けんようにな」

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2009年2月17日 (火)

☆『ミッドナイトイーグル(2007)』☆

15日(日曜)の夜。
「日曜洋画劇場」で“地上波初放送”された和製山岳サスペンス(?)『ミッドナイトイーグル』を観た。
大沢たかお主演による局地(?)テロリストもの。
全体的な雰囲気に『ホワイトアウト(2000)』やら『亡国のイージス(2005)』に通じるものがあったが・・それもその筈、両作のスタッフが再結集して完成させた作品でもあったそうだ。

戦場カメラマン・西崎(大沢)は4年前、中東の紛争地区で、目の前の少年が飛来したミサイルで吹き飛ぶ凄惨な現場に出くわし、衝撃を受ける。「写真で平和を訴える」と心に決め、世界各地を渡り歩いて来た彼だが、それ以降はカメラを半ば封印し、専ら国内各地の山を登ることに情熱を傾けて来た。

そんなある日、彼は北アルプス近郊でヒバーグ中(?)に、ステルス機が墜落する閃光を目撃する。

密かに軍事訓練を行っていたステルス機“B-5”に搭載されていた“何か”を巡り、周辺の自衛隊基地や、ひいては永田町(内閣府)が激震に包まれる・・

墜落現場に残された“何か”を回収すべく、渡良瀬総理(藤竜也)は陸幕長に命じ、名うてのレンジャー部隊を北アルプス・見岳沢へ向かわせる。
一方で、西崎の後輩でもある東洋新聞・松本支局の記者・落合(玉木宏)は、左遷の不名誉を挽回すべく、スクープをゲットせんと、西崎を伴い(=雇って)同様に見岳沢を目指すのだった。

だが、レンジャー部隊も、西崎たちも知らなかった。
某国の工作員によって構成された集団が、完全武装の上で“何か”に恐ろしい勢いで迫っていたことを・・

出だしの展開からして『ブロークン・アロー(1996)』の亜流みたいなもんかな、と感じたが、もっと自由度&娯楽性の低い、ややしょっぱいテイストの作品であった。。

主役となるステルス機“ミッドナイトイーグル”の造型、中盤以降の銃撃戦・・と見せ場ならば、沢山用意出来たハズなのに・・あらゆる場面を「吹雪」「雪原」が覆い隠してしまい、かなりヴィジュアル的に“観客の期待したモノ”が失われてしまう形となってしまった(×_×)
後半ではステルス機内に到達する面々もいたりするんだが、、何処となく「ニセモノ」っぽくて興醒めな感じ(の機内)にも映った。。

西崎の構えるカメラ(一眼レフ)のロゴが完全に黒く消されてて余計に気になったり、ヒロイン=有沢慶子(竹内結子)のぶっ放すチャカ(拳銃)が玩具っぽかったり、石黒賢演じる雑誌社(週刊WISE)編集長のキャラが何ともペラペラに見えたり、渡良瀬総理が必死に訴えようとするヒューマニズムがどうにも滑ってる感じだったり・・“総じて”どっかで「製作費を浮かせ、儲けとるヤツがおったのでは?!」と決め打ちたくなるトコロが正直あった。

(何処の国かは)何となく分かるが(=^_^=)、工作員を多数潜り込ませて来た「某国」に対する風刺(?)が甘く、かつ(山岳における)相手工作員側の(人間)ドラマの描写が殆ど0%(!)だったのは、ただただ消化不良に思えた。

更に細かいトコでは、雪原を「赤いジャケット(落合)」や「黒いジャケット(西崎)」を着てウロウロ歩き回る主人公らが、何故ラスト近くまで狙撃されずに生き残れたか? ってのも大いなる疑問だった(どう見ても民間人ぽいから容赦して貰えたんかな?)

オチも“衝撃的”な筈なのに「涙」じゃなく「疲労感」がどっと溢れたのだった。

「日本での“この手の”アクション映画には、やっぱ限界があるんやなぁ」としみじみ感じた2時間(とちょっと)だった(×_×)

〜 こんなセリフもありましたが 〜

西崎「ナパームは兵士だろうが、子供だろうが見境なく命を奪う」
  「必死に生きようとする子供たちの未来を一瞬にして奪う、それが戦争だ」
  「シャッターを切ることじゃ、たった1つの命さえ救えない」

佐伯「我々は軍隊ではない、自衛隊だ」

総理「・・民間人?!」
  「有沢慶子さんですね? 総理の渡良瀬です、初めまして」
  「残念ながら、全ての真実が国民の幸せと安全に繋がるとは限りません」
  「政治家の、唯一最大の責務は・・どんな手段をこうじても戦争を阻止することです」

落合「山は夏がいいですよね・・雪が溶けたら、また行きましょうよ」

※「西崎の写真を見て、誰もこんな眼に遭わせたくない、そのために自衛官になろうと決めた」

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2009年2月15日 (日)

☆『グッバイ、レーニン!(2003)』☆

先月21日(水曜)の夜、に実は(=^_^=)鑑賞してたのが“東西ドイツ統一”当時の、ベルリンに住む一家(母子)を軸に描いたドラマ『グッバイ、レーニン!』である。
製作陣はある程度の“エンタテインメント性”をちりばめた上で製作したと思われるんだが、結構お硬い・・と言うか史実に基づいた(ある意味骨太な)構成であったせいもあり、2回(2夜)に分けての鑑賞を強いられた。。
(そもそもは昨年6月15日(日曜)夜の放送(BS2)を録画したまま延々放置してしまい、、今般(1月17日(土曜))に再放送された・・のもまた観送ってしまったのを機に「そろそろ観とくで!」と重い腰を上げて鑑賞した次第、、)

主人公=アレクサンダー・ケルナーは自身の暮らす東ドイツ・ベルリンの街角で反体制デモに参加(89年10月7日:DDR(=ドイツ民主共和国)の建国40周年記念日の夜)するも、衝突した警官隊に間もなく逮捕されてしまう。
そんな彼を眼にしたのが、たまたま現場を通りがかった、彼の最愛の母=クリスティアーネだった。
彼女は目撃時のショックで心筋梗塞を起こし倒れてしまう・・

意識不明の続いた母だが、8ヵ月ぶりに“奇跡的”に目覚める。しかし、部分的な記憶を喪失すると共に「再度の精神的な刺激が命取りになる」と主治医に診断される身体となってしまう。

実はその間に、ベルリンの壁は崩壊し(同年11月9日〜)、東西ドイツは本格的な統一に向け動き出していたのだ。
(正式な統一は翌90年10月3日とされる)

崩れ去った壁(=国境)を越え、東の国民は西へ去り、西の国民は東へと傾れ込んで来る。
ベルリンに押し寄せる、急激な資本主義の波! ビルの壁面には「コカ・コーラの巨大な広告幕」が吊るされ、街頭は近代的な西側のクルマや派手なファッションで彩られる。

アレックス(=アレクサンダー)は母を“資本主義の波”にさらさぬよう、姉アリアーネや近隣住民らに協力を仰ぎ、必死で“社会主義体制の継続”を装うが・・

切羽詰まった緊迫感こそに、ユーモアの要素が実は多分に内包されている、と言うことを全篇を通じ教えてくれる作品である。アレックスの頑張りが、ある意味“家族の結束を辛うじて保っていた”と考えれば、彼の涙ぐましい努力も、決して徒労ではなかった、と認めてあげたい。

「嘘を貫き通す」と言う主人公の凄絶な(=^_^=)行為は『ライフ・イズ・ビューティフル(1997)』も連想させてくれたか(・ω・) あちらの作品では「※※がやって来た」って演出を“転”(と同時に“結”でもあったけど)に据えていたが、本作では「ヘリに吊り下げられたレーニン像(の巨大な上半身)が何処かへ撤去される情景」が“社会主義の崩壊”を問答無用&単純明快に描写していた(やたら低空飛行だし、真っ昼間に(容赦なく)撤去ってのが逆に“白昼夢”にも思えたり、、)。

アレックス以上に好感を持ったのが、彼の同僚で親友でもあるデニス・ドマシュケ君。クリスティアーネを効率的に欺く(?)ため、過去のニュースビデオを繋げ“架空の報道特番”をでっち上げたり、自らリポーターとし“偽りの現地取材”を敢行したり。ここまでやってくれる親友って、人生でなかなか出会えまい、と思う(・ω・)

・・と、表面的には“孝行息子の物語”ぽく描かれてるんだが、一方で「何処となく“母親を謀(たばか)る言動”を必ずしも厭わず、いやむしろ、楽しんでる時もあったやろ!」と直感的に突っ込める箇所もあるにはあったか(=^_^=)
まぁ、本人が楽しんでやってる部分があったからこそ、全体的な不自然さもカバー出来たんやろな、と好意的に解釈したい。

終盤では、かつての“国民的英雄”が意外な場所でクスぶった境遇に身をやつしているのが明らかになったりする(×_×) が、そんな彼にも「たった1度の、たった1人に対する、一世一代の大芝居」が控えていたのだった!

崩壊が再生と親密な関係にあること。
結果だけじゃなく、家族には経過も大事なんだと言うこと。
・・そんなことを何気に再認識させてくれる、佳作である。

〜 こんなセリフもありました 〜

アレックス“1978年8月26日、ソユーズ31号でジークムント・イェーン飛行士が宇宙に到達したその日、
      我が家では不幸が始まった”
     “初の自由選挙が実現し、姉は貨幣の流通を初めて実感した”
     “恋人のララは、上機嫌だと髪を下ろして来る”
     “変化の風が国中を吹き抜けた”
     “夏のベルリンは世界一きれいだ”
     “世界の中心にいるような心地だった・・未来は不確かだが輝いていた”
     “1990年6月、国境はその意味を失った”
     “6月末、東ドイツの店は何処も空っぽに”
     “真実なんて、案外、不確かなものだ”
     “姉は戦線を離脱、コーラの旗を掲げた”
     “(西独マルクへの交換期限を過ぎ)今や紙切れとなった東の紙幣は西風に舞った”
     “この町の何処かにいる、一日中チーズバーガを詰め込む太った父の姿は、別の世界の住人だった”
     “生活のテンポは上がる一方、まるで粒子加速器に入った原子の気分だ”
     “僕のシナリオは独り歩きを始め、母のために作ったDDRはいつしか僕自身の理想像へと”
     “夏も終わり、僕は幻想を消すことにした・・現実とは違い、祖国には威厳ある最期を”
     “母が去ったあの国は、母が信じた国だった・・僕らが延命させたあの国は、現実とは違う姿の国だった”
     “あの国を思い出す度に、僕は母を想うだろう”

母「西へ逃げてどうなると言うの?」
 「あの音は? 同志が西側のチャンネルを観てるの?」
 「受け入れてあげて、西からの難民を」

姉「しまいには街の中、全部を変えなきゃね」

店員「西のお金が手に入ったのに、わざわざ東の製品が欲しいの?」

アレックス「先日の先生は?」
医師「あの先生は西へ」
アレックス「・・先生はいつ西へ?」

TVリポーター「西ベルリンにコーラ会社が設立され、国営飲料企業との提携協議に合意しました。
        専門家によると、コーラの起源は我が国にあるとのこと。1950年に試験所で開発されたのです」
母「コーラが社会主義? 戦前からあるわ」

運転手「君が(僕に対し)何を思ってるのか分かるよ、でも別人だ」
   「“上”は奇麗だった、ただし遠かった」

アレックス「出来たか?」
デニス「俺の最高傑作だぞ! 大勢に見せたいよ」
アレックス「お前には感謝・・」
デニス「いいって、湿っぽいのは苦手なんだ」

新国家元首「親愛なるドイツ民主共和国の皆さん。私たちの蒼い地球を、宇宙から眺めると言う奇跡を経験すると、
      ものの見方が変わります。宇宙に比べれば、人間の命など小さなものです。
      成し遂げたことも、達成した目標も小さなことです。
      この祖国も宇宙から見れば小国に過ぎません。でもその小国に人が殺到しました。
      敵であった人々が共生を希望しています。この国は不完全です。でも私たちの信念は感動を呼びました。
      たまに目標を見失っても、修正しました。
      壁で遮断するのではなく、人々と共に生きるのが真の社会主義なのです。
      より良い世界を作るために、私は国境の解放を決意しました。
      ここでは出世や消費が第一ではなく、競争が絶対でもないのです」

追記1:終盤のどでかい報道特番。母の視線がTV画面にではなく、その画面に釘付けになってる息子の姿に、静かに優しく注がれているトコに注目頂きたい。
追記2:劇中に挿入される某ピアノ曲は・・どう聴いても『アメリ(2001)』のサントラ曲だった(×_×) と思いきや、同じ作曲家さん(ヤン・ティルセン)だったんですね。
追記3:ご近所のお爺さんで「ガンスケさん」ってしとがいたが、日本人ではなかったようだ(=^_^=)

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2009年2月14日 (土)

☆『羅生門/デジタル完全版(2008)』☆

14日(土曜)の午後。阪急・高槻駅界隈の商店街の中に位置するミニシアター『高槻ロコ9プラス』にて短期上映の始まったクロサワ作品『羅生門(1951)』のデジタル復刻版を観て来た☆
(本日が何と初日! ・・で27日まで)
そもそもは、先月上旬に新梅田シティ内のミニシアターにおいて、期間限定で公開されてたのを観逃し(連日、上映開始時間が早かったのれす・・)、悔やんでた矢先だったので、意外な近場(?)で観られることに喜んでしまったワタシ。

皆さん、そないには食指が動かぬのか、恐れてた“大混雑”とはほど遠い入り(=入場率)ではあった。ま、分かる人が観れば良いのでしょう(=^_^=)

芥川龍之介(not茶川)の小説『薮の中』『羅生門』を原作とした和製ミステリー。平安期の京都を舞台に、とある“事件”を巡って語られる「食い違う証言」を軸に、人間の抱える根源的な“自尊心”“虚栄心”“脆弱さ”“邪悪さ”などをあぶり出す。

上映時間=約90分、とその意外な短さにまず驚かされる。
最初に観た時は(確か学生時代だったろうか?)「内容って『薮の中』だけじゃん!」とストレートにツッコんでしまった覚えもあるが・・メインで描かれる“事件”を挟み込みつつ、前後を中心に『羅生門』をミックスさせた構成は、なかなかにしたたかながら自然で巧い!
半壊した「羅生門」の造型も素晴らしく、あの門が(今や)実存しない事実を知る我々としては「もはや映像遺産やん!」と評価せざるを得ない!

役者としては三船敏郎、京マチ子、森雅之、、志村喬、千秋実、加東大介、、とそうそうたる“クロサワ座俳優”の集結してた感(『七人の侍』も4人ほど入っておられますし(=^_^=))。

物語は、とある“事件”に関連する「樵(きこり:志村)」「盗賊・多襄丸(三船)」「武士の妻(京)」「武士自身(!)」の4人の口から“検非違使(けびいし:平安期における、京の治安維持を担った機関)の庭”にて語られるが、特に「武士自身」の語る“巫女”を介した証言に意外性があって面白い!
更にその後、“オフレコ扱い”でとある人物が“目撃した本当の顛末”を再び語ることとなる・・

“事件”そのものは「関山から山科へと向かう」森林の中で起こるので、ヴィジュアル的なインパクトにはかなり欠けるが、それを補うのが驟雨の降り続く、半分焼け落ちた「羅生門」の門の下である。この辺りのメリハリはイイ!

真相を巡って、観客自身が激しく揺さぶられる造りは、後年の『戦火の勇気(1996)』『ユージュアル・サスペクツ(1995)』にも影響を与えたっぽく思われ、終盤まで(現実世界で)ひたすらに雨の降り続く演出は『セヴン(1995)』を連想させてくれる。

正直、京マチ子さんの「スゴさ」が、中盤までは殆ど感じられなかったワタシだが(×_×)、後半に至って初めて「スゴいわ、こりゃ」と脱帽してしまった。例えるなら『情婦(1957)』におけるマレーネ・ディートリッヒさんみたいな感じか。

さて・・期待した「デジタル修復」に関してであるが「美麗!」と驚かされるのではなく「自然!」と言う静かな感動がまず前面に出たか。
特筆すべきは、登場人物の「肌に浮かんだ汗玉」や「薄ら脂がかった(額の)皮膚」などの鮮やかさの際立っていたことかな、と。また音響面でも(オリジナルに見受けられる)「ボソボソ感」の軽減が観られた。
(なお“キ※ガイ”と言うセリフもはっきり聞き取れました、、(⌒〜⌒ι))

事件そのものはまさしく“薮の中”なんだけど、その中でも「足跡」「遺体の発見場所」「傷口とその深さ」などを入念に調べたら・・ある程度は真実に近付けたような気はしたか。まぁ現場一帯は(事件)3日後の驟雨でかなり状況を変えられてしまってることでしょうが・・(×_×)

終盤で、いきなり“とある人物”が現れ、その人を巡る3者(樵、法師、下人)の善悪観が激突することとなるが・・それぞれの「憤り」や「諦観」なんかが、どれもグサリと観る者の心に刺さって来たりする。

最後の最後に雨が止み、そこに残された2人(?)の静かなやり取りが、(周囲が)静かであるが故に厳かで、清々しさをも感じさせてくれたのは良かった。

人が迷いつつも、何かを信じ行きてゆく・・それが叶ったからこそ、羅生門自体が朽ち果てても、日本人は戦乱の世&混沌の世を乗り越え、これまで生きながらえて来られたんじゃないかな?
・・などとお行儀の良いことを感じつつ、劇場を後にしたのだった・・

〜 こんなセリフもありました 〜

樵「分かんねぇ・・さっぱり分かんねぇ・・何が何だか分かんねぇ」
 「わしには、わし自身の心が分からねぇ」

法師「今日と言う今日は、人の心が信じられなくなりそうだ」
  「人間の命などは、朝露のようにはかないものです」
  「人間は・・弱いからこそ、嘘をつく」
  「人間がそんなに罪深いとは考えられない」
  「人が人を信じられなくなったら、この世は地獄だ!」
  「私は・・恥ずかしい事を言ってしまったようだな」

多襄丸「青葉を揺らす、あの風さえ吹かなければ・・あの男も殺されずに済んだものを」
   「出来れば“男を殺さずに女を奪おう”と思った」
   「これほど気性の激しい女は見たことがない」
   「この俺と20合も斬り結んだのは、天下にあの男だけだ」
   「未練がましく女を苛めるのは止せ」

武士の妻「2人の男に恥を見せるのは、死ぬより辛いわ」
    「何処へでも連れて行って下さい」 ←女の心変わりは恐ろしいのぉ、、
    「女の私に何が言えましょう」

下人「本当のことを言えねぇのが人間さ」
  「女って奴は、涙で自分自身すらも騙しちまうもんなのさ」
  「一体、正しい人間なんてものがいるのかい?」
  「この門に棲んでいた鬼さえ、人間の(やることの)恐ろしさに逃げ出したって話だぜ」
  「嘘だとことわって、嘘を言う奴はいないからな」
  「人の気持ちなんざ気にしてたら、キリがねぇや」

武士“これほど呪われた言葉が、かつて1度でも人間の口から出たことがあったろうか?”
  “その言葉だけでも、盗人の罪は赦されると思った”
  “何処かで誰かが泣いている・・”

※「今となってはこんな※より、あの葦毛(馬)を盗られる方が惜しい」
 「女は腰の太刀にかけて自分のものにするもんなんだ!」
 「何をする! この子の肌着まで剥ぐつもりか?!」

追記1:小説『羅生門』では「髪を盗む老婆」が“悪の象徴”とし登場したが、本作では「着物を盗む男」がその立場に置き換えられていた。
追記2:至近距離から顔に唾を吐きかけられるミフネさんにはびっくり(×_×)
追記3:「疑われること」に対する2通りの態度「嘘をつく」「黙り込む」がキャラにより明確に描き分けられていて面白い。「黙ってることは認めたってこと」とは、昔からワタシも家庭で(=^_^=)教えられたことだが(=^_^=) 今にして思えば「ちょっと違う」と考える。
澱みなく“反撃の言葉”を返して来る人間をこそ「おかしい」と批判したくなるこの頃だ。「黙する優しさ」や「黙する弱さ」はもっと評価されて良いと思う。

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2009年2月13日 (金)

☆『レッド・ウォーター/サメ地獄(2003)』☆

ああっ・・! こんなん観てもぅた!(⌒〜⌒ι)

12日(木曜)の夜、残業を終えフラフラになったアタマで帰宅。
遅い夕食を食べつつ・・つい魔が差して(=^_^=)観てしまったのが“木曜洋画劇場”で地上波初放送(=^_^=)された“サメパニック映画”の『レッド・ウォーター/サメ地獄』であった、、(×_×)

基本路線は、主人公の石油掘削技師(ルー・ダイヤモンド・フィリップス!)が、麻薬組織の下っ端と、巨大人喰いザメの両者に左右からプレッシャーをかけられつつ、生き延びるために色々ごちゃごちゃとやりまっせ、みたいな展開(←テキトーやなぁ)

久々に「ご健在である」ことを確認出来たルー様(←とは言え、既に本作から6年も経っちゃってますが、、)やら、麻薬組織から派遣された、やることなすこと全てが荒っぽく「まんまバカそう」なギャングスタ役にラッパーのクーリオ(おおっ!)やら、ピンポイントで話題性のある(←オレの世界の中だけの話題性かも知んない(=^_^=))キャラを配しつつ、余りに分かり易い「定番的進行」でもってハナシは流れてゆく・・

タイトル通り、でっかいサメが登場するにはするが・・こいつが川底をのんびりと(?)泳いでる映像に「えっ? あんた淡水魚かよっ?!」とまずソコに違和感、、どうやら「その手の性質のサメ」と言うことだが、、

川底を掘削する大掛かりな機械に『アルマゲドン(1997)』『ザ・コア(2003)』などを連想し、
隠された大金をめぐるガチンコバトルには『トレスパス(1992)』なんぞを連想してしまった。

正直、サメについては「何匹おったのか?」すら良く分からず、余りに“喰いしん坊”過ぎな彼(?)のキャラにも納得の行かないトコがあったり。

一方で「ナニしでかすか分かんない」ってな暴走ぶりに関しては、陸(おか)(?)の上のギャングスタチームの方がよほど存在感を放ってたもんで、私的には“ギャング地獄”とサブタイトルを付けた方が、違和感は少なかったようにも思えた(=^_^=)

どうやら本作、劇場公開じゃなく、テレビ向けに製作された映画だったようで。
にしては、ロケやら小道具やらにはそれなりのこだわりがあり、爆発シーンでの火薬量にも妥協のなさはあった(=^_^=)

「誰でも書ける」レベルの脚本にも思えたが・・そこにはきっとプロ脚本家なりの意地ちぅか「あのペンタグラムな(=^_^=)イケメン男優=ルー・ダイヤモンド・フィリップスが、あの大物ラッパー=クーリオが、首を縦に振った!」と言う、プロ俳優を唸らせる「懐の深さ」が存在してたのかも知んない。

・・少なくとも、オレには理解出来んかったが(=^_^=)

追記1:ルー様速報! 何と『チェ/39歳・別れの手紙』にも出演したはるらしい!
追記2:続編では「大都会の地下水路(←当然ながら淡水(=^_^=))」を舞台に、「配管工である主人公」「麻薬組織」「巨大人喰いザメ」「ゾンビ集団」の4ツ巴のバトルを展開させて欲しい(=^_^=)

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☆『ヒトラー/最期の12日間(2004)』☆

さる1月25日の深夜(←厳密には土曜の深夜)、衛星第2で放送されていた『ヒトラー/最期の12日間』の終盤のみを鑑賞した。
以前にも衛星第2で放送されたことのある本作。その時は録画し、(個人の範囲内での)鑑賞目的でDVDに焼いたりしたが・・長尺のドラマ(約2時間40分)であるため、未だ観れていないのだった(×_×)

今回は、ラストになだれ込む約50分ほどを観たが、ヒトラーが“退場”してからも物語は30分近く続き、巻き起こる悲劇も(“独裁者”の生前以前より)更に救いようのない状況下でしばらく続くのだった・・

(ベルリンの)地下要塞内、再深部にある自室にこもったヒトラー夫妻(妻のエヴァ・ブラウンが最期まで“総統”に付き添った)を訪ねるのが、側近の妻であるゲッペルズ夫人だったが・・彼女の終盤における“行動”が余りに強烈で、観ていてアタマがクラクラしてしまった。。

「このしとは、ホンマもんのオニや!」と身体がワナワナ震えてもしまったが・・そんな彼女も“行動”を終え部屋を後にした直後は、疲労感や罪悪感に耐え切れなくなったか? 壁にもたれ、座り込んでいたのが印象的だった。

ワタシがこのシーンに「鬼畜性」を感じてしまったのは・・現代が「平和ボケした世界」だからかも知れず、当時のドイツ国民の視点で眺めれば・・「これぞ母性!」「愛国婦人の鑑!」「その意気やよし!」と絶賛するのが当然だったような気もする。

ブルーノ・ガンツ扮するヒトラーの「そっくりぶり」も気にはなったが、(観始めて)すぐ“退場”してしまったため、ヴィジュアル的に印象に残ったのは秘書ユンゲ(本作の語り手的存在)を好演したアレクサンドラ・マリア・ララさんの清楚な美しさであった(・ω・)

その他、気になるのは「ヒトラーの後継者」とも言われた“マルティン・ボルマン”“ルドルフ・ヘス”の2大幹部(共に、死亡したのは“替え玉”とする説も少なくない)の言動や、終盤の描かれ方だろうか。
(劇画『ゴルゴ13』では、2人とも、しっかり終戦を生き延びてたりした、、)

ゲッペルズ夫人の“行動”だけは、思い返しても辛くなってしまうんだが・・いつかは眼を背けずに観ておくべき作品(の1つ)なのだろう、と感じた。

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2009年2月10日 (火)

☆“黒澤アンコール”を連夜、部分的ながらも観た!(下)☆

7日(土曜)の夜。クロサワ作品のベスト1に輝いた『七人の侍(1954)』・・の終盤を観た☆

色々とやることがあり、ラスト45分間ぐらいの鑑賞しか出来なかった今回だが、展開を知っていても「終盤の、豪雨の中の激闘」には相変わらず(=^_^=)ワクワクさせられた。

味方の侍たちが、いずれも「“刀ではない”とある武器」で次々に倒されて行く展開は、『ラストサムライ(2003)』の終盤にも似て“つば迫り合いの結果、勝敗が決まる”ってなそれまでの“チャンバラバトルの終焉”を何処か感じさせてもくれる。

モノクロ作品が故に「炎」「流血」などの映像ディテールが程よく低減(?)され、観る者の想像力で、よりリアルにも感じられたのは本作にとっての大きなアドバンテージと言えるのではないか?
少なくともこの『七人の侍』がフルカラー作品だったなら、鮮やかな半面、より陳腐で軽い世界観に仕上がってしまってたように思う。

〜 こんなセリフもありました 〜

七郎次「人間、明日の命も分からぬとなれば、多少は浮ついたことでもしなければ、息苦しくて叶わぬのだ」

菊千代「1本の刀じゃ、5人と斬れん」

勘兵衛「勝負は、この一撃で決まる!」

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2009年2月 9日 (月)

☆『ベンジャミン・バトン/数奇な人生』☆

8日(日曜)の朝。
色々と忙しく、ここしばらくクルマに乗ってなかったことに気付いた! って訳で、久々(2週間ぶり)にドライヴしつつ、新作も観ちゃおう! と欲張りさんに考え、少し離れた場所(京都と奈良の境界)にある“ワーナー・マイカル・シネマズ高の原”に『ベンジャミン・バトン/数奇な人生』を観に行った☆

別な作品でも観たいのはあったが、ヒロイン役にケイト・ブランシェット&ティルダ・スウィントンのお2人(←このお2人、系統的には似てると思う、、例えばラッセル・クロゥとデヴィッド・モースみたいに)が出てるとなれば、こりゃもう観に行くしかないでしかし! って感じで心穏やかには過ごせなかったワタシなのだ(⌒〜⌒ι)

ワクワク感が止まらなくなり、1時間ほどで現地到着☆
改めて、今日のドライヴで気付いたのは「流れを守れぬ、ノロノロ運転のおじいドライヴァーの、如何に増えたか!」ってこと。スピード厳守のその気持ちは確かに分かるが、まず「速度を意味不明に落とし切って、左の店舗(駐車場)かなんかに入り始め、後方から(と言うかワタシなんだが)クラクションを鳴らされてようやく左の指示器を出す」ってな行動はもうやめにして欲しい。もしくは何らかの「マーク」をボディに貼付けなさい、と。
1日で5回ほど、一般道での追い越しを敢行したが、あれってする方も命がけなんですよ、ええ。

シネコンのロビーに到着した際には「幸」と「不幸」があった。
前者は「座席が意外に空いてたこと」「(通常は2時間枠の)駐車場の無料時間設定が、長編映画(約2時間50分)であるため、有難くも5時間枠に拡大されてたこと」であり、
後者は「日本語吹替え版」しか上映の設定がなかったことだ。字幕版を観たいとなると、更に1時間半ほどぼんやり待たねばならず、仕方なく吹替え版で我慢した。結果的には、それはそれで楽しめたけどね。

2005年8月、ルイジアナ州ニューオーリンズにある某病院の617号室。
ハリケーン・カトリーナの迫る中、老婆=デイジー・フラーがベッドに横たわり、臨終の時が静かに歩み寄っていた。側に付き添う娘=キャロライン(ジュリア・オーモンド!)に老婆は「スーツケースを開け、中に入っているものを取り出して」と頼む。果たして、その中には“ベンジャミン・バトン”なる人物の手による日記があった。
それを読んで欲しい、とデイジーはキャロラインに乞う。

そしてこの“数奇な物語”は、日記の書き手=ベンジャミン(ブラッド・ピット)自身の独白と、それを補完するデイジー(ケイト)の記憶の中で、いきいきと時間を遡り、動き始めるのだった・・

うーん・・長い! ワタシは覚悟してたから大丈夫だったが、途中で何人もの女性がバタバタとシアター外に飛び出しては駆け戻って来てた、、きっと膀胱の限界だったのだろう(・ω・)

1918年(11月11日)に端を発し、2005年8月(現代)に完全に物語は幕を下ろすこととなるんだが、監督がデヴィッド・フィンチャーってのがまず引っかかり「何処かに、大きな騙しがあったんじゃなかろうか?」とコレを書いてる今も気になってしまう(=^_^=)

注意すべき点は「日記」と「デイジーの記憶」の中だけにしか、もはやベンジャミンの存在の痕跡が確実には残されていないことではなかろうか? “80歳の肉体をもって生まれ、常人とは逆に、次第に若返ってゆく男”のハナシは、きっと新聞社や研究機関なんかも(FBIも?)興味を持つジャンルだと思うんだが、特に劇中で“ベンジャミンの数奇さ”が世間の好奇の眼にさらされることはなかった。
それが故に「実在したと言う証拠を、誰も辿ることが出来ない」ってのが、本作の持つ最大の(?)ミステリー性であり、面白さであり、監督の狙いだったのかも、とか(=^_^=)

物語はニューオーリンズの“カナル・ストリート駅”に設置された「逆回りの大時計」の製作者=盲目の時計職人ガトーのエピソードを皮切りに、ベンジャミン自身の少年期⇒青年期⇒壮年期・・を、彼自身の体験(と言葉)を軸に、時に恋人であるデイジーとの絡みを交え、ある意味淡々と描いてゆく展開。

フィンチャー作品としてはどうにも“どんでん返し”“衝撃のラスト”を期待してしまうが、まぁ物語自体が“どんでん返し”な男の人生でもあり、そう言う期待は過剰にしないが良いかな、と。

アカデミーでの監督賞は(本作をフィンチャーの新境地と認めたくはないので)獲って欲しくないワタシだが、ブラピ&ケイトの静かながらも強い印象を残す言動は、素直に良かったと思う。

可能な限り、CG+メイクで俳優自身の“老け”を追求してた本作。残り1時間足らずほどで、ようやく“若さの爆発”してるブラピを拝むことが叶うが、初期作『リック(1988)』の時のような「ツルツルピカピカ過ぎる」ブラピには同性ですら「ほあぁぁぁ!」と驚愕かつ嫉妬してしまった(☉д☉)

意外とシーンは限られるが、ベンジャミンの“バイク姿”がカッコいい! ・・と言うより切ない。。きっと彼の乗る移動媒体が“クルマ”では、あの切なさは表現し切れなかったろう。
・・デイジーの見守る中、眼下を走り去って行くバイク姿のベンジャミン・・この1シーンこそが、本作をある種、象徴的に描き切った瞬間ではないか、とさえ思えた。

なお、

ガトーを巡るエピソードには『ビッグ・フィッシュ(2003)』
デイジーとの運命や、船旅&戦争体験をする展開には『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』
老婆の語る恋バナ(?)には『タイタニック(1997)』
不条理なミステリアスさには『オルランド(1992)』

などを連想してしまった。また、原作がフランシス・スコット・フィッツジェラルドの短編小説だそうで、そうなると(=^_^=)きっと本作がもっと以前に製作されてたとしたら・・ロバート・レッドフォードが主演してたんじゃないかな、やっぱ・・と決め打っとくとしよう(=^_^=)

個性的なキャラがわんさか登場するも、それぞれの描き方に「ちと溝不足があったんでは?」と感じたのはワタシだけだろうか? 特に好きだったのは、

・洋上では仲が良いのに、港に戻るや取っ組み合いの大ゲンカを始めるブロディ兄弟(双子?)
・7度も雷に直撃された男(←回想シーンが昔風の映像処理なのがイイ!)
・時に、全裸であろうとお構いなく、老人ホームの庭に星条旗を掲揚する元将校のジイさま(ウィンズロー元大将)

辺りの面々。

反対に物足りなかったのは“育ての父(ティージー?)”や“うさん臭いがカリスマ的な牧師さん”“フィラデルフィア動物園でサルと暮らした男”などだろうか(・ω・)

父親のトーマス・バトン(ジェイソン・フレミング)も、冷徹なままでは生きられぬ“弱き人間”とし、その後もたびたび登場し、何処となく「憎み切れなさ」を漂わせていたのには好感が持てた。

ブラピ作品では『ジョー・ブラックをよろしく(1998)』がめちゃくちゃ好きな(=^_^=)ワタシで、アレに迫る(もしくは超える)“恋愛物語”を・・! と期待したが、、それほど切なさを感じたり、ウルウル来たりしなかったのは残念だった。
どうやら、冷静に分析するに「デイジーより、エリザベス・アボット(ティルダ)との相性の方が良かったんじゃないの?」と素直に感じてしまったことが大きいと思う。

「デイジーとあそこまで荒々しく“ドアを閉めた”夜があったか?」
「デイジーとあそこまで深く語り明かした日々があったか?」

いやきっと、あったんだろうけど・・そこのイマイチ伝わって来なかったワタシである(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

デイジー「眼を開けているのも辛いわ」 ←老いて
    「少女に愛の何が分かると?」
    「ダンサーはみな信頼し合うの・・セックスも信頼の証よ」 ←ドキッ!
    「今は、助けて欲しくないの」
    「もう2度と、自分を憐れんで泣いたりしないわ、約束する」 ←ここはグッと来ます
    「ダンスは身体のラインが全てなのよ、いずれは崩れるのだけれど・・」

キャロライン「怖いの? ママ」
デイジー「怖くはないけれど・・どうなるのかしら?」

キャロライン「早く知っていたら・・」
デイジー「これで知ったでしょ?」

観衆「(あの大時計は)逆回りだ!」
ガトー「このような時計を、どうかお赦し下さい・・
    しかし、時を戻せば・・戦地で亡くなった、この街の若者たちが戻って来るかも知れません」

ベンジャミン「いつも知りたかった、外には何があるのかを、あの角を曲がった先には何が・・」
      「真夜中だが寂しくはなかった・・家の“息遣い”を静かに聴いていたから」
      「知っての通り、神は与え・・そして奪う」
      「人は去り、人は来た」
      「老人達の話題は“天気”“湯加減”“夕焼け”のことだけだ」
      「僕はね、子供なんだ」 ←彼の秘密
      「生命が生まれ、生命が消えた」
      「名前も覚えていない人が、記憶の中で一番印象的だったりする」
      「何事も経験してみないと」
      「長い1日だったが、夜はもっと長かった」
      「時間が来れば、僕たちはそれぞれの部屋に戻り、それぞれの人生に戻った」
      「ハチドリがあんなに高く飛ぶのを、初めて見た」
      「人生は色んなチャンスに左右される・・逃したチャンスも含めて」
      「人生は、複雑とは限らない・・求めるものさえ分かっていれば」
      「人生は、どうにもならない出来事の積み重ねだ・・
       もしあの時、何か1つでも歯車が狂っていたら・・」
      「この子には“ちゃんと歳を取る父親”が必要だ、僕じゃない」
      「なりたい自分になればいい」
      「もし見失ったら・・大丈夫、自分の力でやり直せばいい」
      「永遠は、君の心にある」

デイジー「そうやってずっと無言を?」
ベンジャミン「(ムードを)台無しにしたくない」

ベンジャミン「永遠なんてないんだな・・」
デイジー「いいえ、あるわ」

デイジー「あなたのいない人生なんて、考えられない」
ベンジャミン「君を忘れるなんて・・無理だ」

ベンジャミン「ママ、昨日と今日は違う気がする」
クイニー「誰しもそう思うものよ・・だけど、行き着く先は同じ、通る道が違うだけ」

牧師「ベルゼブブ(悪魔)よ、去れ!」
  「よみがえれ、ラザロのように! 立ち上がれ」

サル男(?)「人と違う人間はな、独りで生きて行くものなんだ」
     「みな結局は独りさ・・誰にとっても、それは死ぬほど怖いんだが」
     「あの女はもう“友達”じゃないのさ、あの女は気難しくてな」

クイニー「神様は、きっと何かお考えなのよ」
    「みんな順番待ちをしてるようなものだわ、ここではね」

※「大切なのは、巧く(ピアノを)弾くことじゃない・・どう言う気持ちで弾くかなの」
 「失って初めて、その人の大切さを学ぶの」

船長「人の意見なんか気にせず、自分のやりたいことをやれ」
  「ジャップとナチス野郎をぶっ殺してやるぜ!」 ←おい!

トーマス「良いボタンは、このバトンにお任せを!」

エリザベス「ロシアでワインやチーズを食べるなんて陳腐なだけよ、キャビアとウォッカに限るわ」

ベンジャミン「(ティーに)ハチミツを? ハエが入ってるけどいいかな?」
エリザベス「・・遠慮しておくわ」

追記1:『サブリナ(1995)』『トゥルーナイト(1995)』以来、かなり久々にご尊顔を拝んだ感じのジュリア・オーモンドさん。何だかメイクのせいなんだか、すっかりクスんだはりました(×_×)
追記2:(俳優演技で)セオドア・ルーズベルト大統領、(セリフで)ジョン・ウィルクス・ブース(←エイブラハム・リンカーン大統領を暗殺した俳優)、エドガー・ケイシー(予言者)、D.H.ローレンス(『チャタレイ夫人の恋人』などで知られる小説家)、(実写映像で!)ビートルズなどが登場した。
追記3:日記の何頁かが破り取られてたり、大幅に消されてたりしてた(らしい)のが気になった。“ベンジャミン自身”以上に、どんな“謎”が存在し、それが永遠に失われてしまったんだろう?
追記4:ベンジャミンらのタグボート「CHELSEA号」と、ドイツ潜水艦(497と書かれてた)との一騎討ちは本作最大のダイナミックな海洋アクションシーンと言える。びゅんびゅん飛んで来るテキ機銃の“光跡”が怖いのなんの!

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2009年2月 8日 (日)

☆“黒澤アンコール”を連夜、部分的ながらも観た!(上)☆

衛星第2で昨春以降、放送されて来た“没後10年・黒澤明特集”のラストを飾る(?)企画とし行われた「あなたが選んだ黒澤(映画)アンコール」の投票結果がいよいよ発表され、上位5作が再放送される運びとなった☆

ほぼワタシの、と言うか万人の予想通りでもあったんだが・・やはり選ばれた5作はいずれも「モノクロ作品」である(×_×) 私的には、何故だか分かんないけど『どですかでん(1970)』が5位くらいに食い込んで来たり・・と“どっか感覚のおかしくなっとるコアなファンたちの集合票”を期待したりもしたが(⌒〜⌒ι) やっぱしそんなどんでん返しの起こるハズもなかったネ。

ベスト5は、

第5位:『天国と地獄(1963)』・・2月2日(月曜)夜に再放送
第4位:『生きる(1952)』・・2月3日(火曜)夜に再放送
第3位:『用心棒(1961)』・・2月4日(水曜)夜に再放送
第2位:『赤ひげ(1965)』・・2月5日(木曜)夜に再放送
第1位:『七人の侍(1954)』・・2月7日(土曜)夜に再放送

となった。私的には「投票するまでの意欲はなく、何となくスルーしつちまつた」が、1作を選ぶとすれば・・敢えてマイナー寄りな作品である『虎の尾を踏む男達(1945)』をチョイスしたんじゃないかな、と。

なお、BS2さんの本特集サイトを眺めたら、嬉しくもこんな案内が掲載されてたり☆

(ここから)

また、この5作品をはじめ、みなさんのリクエストにお答えして全30作品をすべて再放送します。
各作品の放送予定は「全作品再放送予定」をご確認ください。

(ここまで)

おお、嬉しいじゃないッスか〜(=^_^=)

んで気になって、第5位以下のランキングを確認してみると・・

『虎の尾を踏む男たち』は何と(全30作中)第27位だった(×_×) 『デルス・ウザーラ(1975)』の第9位は意外にも映る(?)健闘ぶりだが、『どですかでん』なんかしっかり第16位に食い込んでんじゃん! 
『野良犬(1949)』『わが青春に悔なし(1946)』『素晴らしき日曜日(1947)』辺りも、なかなかの名作群だと思うのに、それぞれ第17位、第22位、第26位どまり・・うううっ(×_×)

今週は連夜残業がガンガン続き、帰宅してから充分に寛ぐことすらままならなかったが・・そんな中、遅めの夕食を摂りつつ、3日夜には『生きる(の終盤)』を、4日夜には『用心棒(の終盤)』を、そして(今夜)5日夜には『赤ひげ(の中盤以降)』を“途中参加スタイル”ながら、部分的に楽しむことの叶ったことだけは嬉しかった☆

☆『生きる』☆

3日(火曜)の夜。
終盤30分ほどの鑑賞。“昼行灯”のようだった某市の市民課長・渡邊(志村喬)。
病に冒され、余命がもはや長くは残されていないことを知った時、彼の取った行動とは・・? って流れ。「ヒューマニズムを謳った現代劇」としてはクロサワ作品中でも屈指の完成度&知名度を誇っていると言えよう。
決して活劇ではなく、無論コメディでもない本作だが、ナニがスゴいって「本作が『七人の侍』の直前に撮られた作品」と言う事実だろう! 監督・黒澤のチャンネルの切り替えもスゴければ、両作を比較しての“存在感の全く異なる志村喬の演技”もスゴい! 後半で、しょぼくれ、よたついた感じの“消え入りそうな主人公”が、役所の廊下(助役室前)でやくざもん数人(宮口精二、加東大介ら)と言葉を交わすシーンがあるんだが、そこで『七人の侍』における“3巨頭(志村、宮口、加東)”が顔合わせしてるのも、考えたら豪華であった(=^_^=)

勤務先で30余年。波風を立てず、ひたすら地味に枯れた生き方をして来た主人公(部下の女子職員(小田切みき)には陰で“木乃伊”とあだ名されてたりする)が、死期が目前に迫るに至り、初めて「生の炎」を静かに、そして強く燃え上がらせるシチュエーションは、(この平成の世に舞台を置き換えても色褪せぬ)普遍さをも感じさせる。

セリフの中では、

渡邊「人を憎んでなんかいられない、わしにはそんな暇はない」

部下「街のゴミ箱を1つ片付けるにも、そのゴミ箱と同じぐらいの量の書類(=決裁)が必要なんだから」

ってのが心に響いた。

☆『用心棒』☆

4日(水曜)の夜。
これも終盤25分ほどの鑑賞。観始めた時点で、主人公・桑畑三十郎(三船敏郎)が、とっ捕まって、ボコボコにされた後だった(×_×) 命からがら何とか逃げ出し、野っ原の(?)念仏堂でケガの回復を待つ彼だが、ほんの数日間の経過(と主人公は語ってた)の割に、むちゃくちゃ治癒の早いのには驚いた!
これではまるで“アンブレイカブル”か“ハンコック”かって感じだ(⌒〜⌒ι) ま、“ウルヴァリン”でもエエけどさ。

剣豪・宮本武蔵は“最大の敵”との戦いに「渡し船の床に転がってた、折れた櫂」を削ってこしらえた“長い木剣”で臨んだ」そうだが、本作でも“最強の敵”に対し絶大な効力を発揮したのは「包丁」だったりした(・ω・)

最後は、宿場町を舞台にラストバトルが展開されるんだが・・送風機でガンガン送られてた風の量が、まずハンパじゃなかった(=^_^=) 仲代達矢さんが(主人公の)好敵手をニヒルに演じるんだが、あの風体(所持品)は“ある種SF”と決め打っても良いんだろうか?

セリフの中では、

桑畑「面白ぇ見世物だろうが、見物は後回しにしてくれ・・説教も後だ」
  「俺はまだ死ぬ訳にゃ行かねぇ、死ぬ前に叩っ斬らなきゃならねぇヤツがだいぶいる」

悪党「人魂が怖い? 俺は人魂ぁ見ると、胸がスッとすんだ!」

って辺りが印象に残っている。

☆『赤ひげ』☆

5日(木曜)の夜。
全体で3時間を超えるボリュームの本作であるが、観始めた時点で既に1時間以上が経っていた(×_×) 駆け出しの医師である青年・保本(やすもと:加山雄三)を語り手に、彼と、その師であり“赤ひげ”と呼ばれる「豪快だが人間味に溢れるベテラン町医者」新出(にいで:三船敏郎)との“病魔や、それに冒された患者たちとの闘いの日々”を描いた展開。

作品全体で3時間を超える、長尺のドラマである。無論のこと、冒頭から鑑賞する気だったが・・残業により、帰宅した時点で1時間以上が経過していた(×_×)

ロケーションの殆どは彼らの勤める“小石川療養所”とその周辺に限られたが、患者たちの語る「回想譚」の中においては、(モノクロ世界ながら)自在に日本の原風景が描かれ、ハッとさせるようなカメラワークもあったり☆
特に、画面の中心に瓦屋根を写し、片隅に人物を配したアングルには「いいなぁ・・」と素直に感心させられた。

何人かの患者がピックアップされ、その病状や(彼ら自身の)過去が描き語られるんだが、後半に控える「おとよ」「長坊(長次:頭師佳孝)」を交えたエピソードは、本当にいい!

“病んでいる人間”の表情を描く際、女子供とて容赦なく「思いっきりどす黒くメイク」する演出には恐れ入った。本当は賢くて思いやりのある「おとよ」にしても、初登場時には“ホラー映画に出て来る、這って来る感じの子”みたいになってた(×_×) とある「同じ動作」をひたすら繰り返してる性癖も恐ろしいし、、

精神面を病んでいる、頑な「おとよ」をどう治して行くか? が後半のハイライトだと思うんだが、彼女が初めて口を開いた際のセリフ「あの人は、何故ぶたなかったの?」を耳にした瞬間、何故だかウルウルっと来た。
そこに至る、そしてそこからの描かれ方は『奇跡の人(1962)』『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997)』に通じるノリを持ちながら、決してそれらに引けをとらぬ「治療と言う行為の壮絶さと、それが報われる瞬間(の喜び)」をきちんと観客に伝えてくれる。

粗筋を(ネットで)調べてみたら、前半に登場する香川京子さんのエピソードが“それこそホラー”な感じでスゴそうなので、この次に放送される機会があれば、是非フルで観てみたいと思う。

追記:映画ではきっとかなり珍しい演出と感じたが・・大根でイヤな人間のアタマを殴り付け、退散させるシーンには苦笑させられた。実生活でも、是非やってみたいもんである(=^_^=) 殺傷力はそんなにないだろうし・・(松本清張の推理小説で、(硬いままの)餅で殴って人殺しをする・・ってのはあったけど、、)

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2009年2月 5日 (木)

☆『アクターズ・スタジオ・インタビュー/アンジェリーナ・ジョリー自らを語る(2005)』☆

4日(水曜)の夜、衛星第2で放送された、名物インタビュー番組『アクターズ・スタジオ・インタビュー』を観た。
以前、一時的にめちゃくちゃハマってしまってた番組だったが・・「観ながらメモし、メモしながら観て」と言う作業に、毎度グッタリとなってしまうモノで、その内に観るのが億劫になってしまった次第(×_×)

今回、久しぶりに観たら、ちょうどアンジー姉さん(=アンジェリーナ・ジョリー)の出演された回だったので、あんまし好きな女優さんでもなかったんだが・・結局は「しっかり全部観てしまった」のだった(⌒〜⌒ι)

ニューヨークにある(?)“ジョン・L・ティシュマン劇場”で2005年に収録された内容。司会進行役(兼インタビュアー)のジェームズ・リプトン氏は(ウィキペディア情報では)何と「アクターズ・スタジオ」の副学長さんだそうだ!

インタビューでは「実に真面目な表情」でアンジー姉さんに斬り込んで行く(←それが彼の“常套スタイル”ではあるが)リプトン氏と、
「屈託なき笑顔」で軽妙(かつやや露骨)に返して行く姉さんのやり取りが、スムーズながらも独特な緊迫感を保ち続けてて、なかなかに見応えある内容であった!

〜 こんなことが語られた 〜

・本名はアンジェリーナ・ジョリー・ヴォイト(父はオスカー俳優のジョン・ヴォイト)。
・“ヴォイト”はチェコ系の名。
・敬愛する兄がいる(2人兄妹か?)。
・少女時代、“心を解放“するために自傷行為を繰り返していた(今は克服)。
・10代半ばから母(女優のマーシェリン・ヴェルトラン)も公認の「(彼氏との)同棲生活」を送っていた。
・16歳から演技を学び始めた。「演技は、対話の最良の方法」と語る。
・メジャーデビュー作はロボット人間(?)を演じた『サイボーグ2(1993)』。「素晴らしい経験だったわ・・(完成した)作品を実際に観るまでは、だけど」と苦笑しつつ語る。
・オスカーを獲得した『17歳のカルテ(1999)』(でのリサ役)には強い思い入れがあり「彼女は他人を救えるけど、誰も彼女を救えない、そんな役よ」と語る。
・『トゥームレイダー(2001)』での父ジョンとの共演を「数ヵ月ぶりの再会で、(現場での)最初の挨拶はぎこちなかったけど・・父とは良い時間を過ごせたと思っているわ・・本当に」と感慨深げに語る。
・『Mr.&Mrs.スミス(2005)』で共演したブラッド・ピットについて「俳優としても人間としても大きな人よ」「つい乗せられてバカになれるの、彼といるとね」と語る(その後、姉さんはブラピと正式なパートナーに)。
・プライベートでは「単独飛行」がお気に入りだそうで「セックスよりも素晴らしいものよ」と興奮気味に語る。

〜 番組恒例の10の質問 〜

好きな言葉・・「今」
嫌いな言葉・・「ノー」
好きなもの・・「生(なま)なもの、生な感じ」
嫌いなもの・・「偽物」
好きな音・・「息子(養子のマドックス君)の笑い声」
嫌いな音・・「息子の苦しむ声」
好きな悪態・・「フ※※ク!」
就きたい仕事・・「探検家」
就きたくない仕事・・「狭い場所で同じ作業を繰り返す仕事」
天国の門に着いた時、言われたい言葉・・「入れてあげる」

〜 ほか演技論、人生観など 〜

「涙は何も生まないと思うわ、正直、今もね」
「自分に向き合い、正直に、全力で生きる・・それを“瞬間を生きること”と解釈しているわ」
「“依存症”が何かってことは、良く知っているわ、薬物以外についてもね」
「役を振り切ることは、出来ないわ」
「撮影が終わると、時々、自分を使い果たした気がする・・取り戻すのに時間がかかるの」
「私は言葉を飾らないだけ、正直に話したいだけよ・・“お騒がせ女”じゃないわ」
「大切な人はきっと分かってくれる、世間が分かってくれなくてもね」
「そう言えば、受賞以来、オスカーを眺めてないわね」
「コメディは、照れてしまうの」
「静かに相手と見つめ合う、そんな(精神的な)演技の方が難しいわ、性的な演技よりも・・肉体的な演技は(私には)簡単よ」
「感情移入出来ない時は・・撮影を中断して周囲と話し合う、シーンそのものを皆と吟味し直すの」
「一気に(撮影に)集中し、終わったら切り離すの、役をね」

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☆『ハリー・ポッターと炎のゴブレット(2005)』☆

時間軸を遡って(=^_^=)・・さる1月17日(土曜)の夜。
『土曜プレミアム』で“地上波初放送”された“ハリー・ポッターシリーズ”第4弾の『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』を観た! 大した盛り上がりもなく、とにかくダラダラと長かったが・・頑張って、観た!

第1作『ハリー・ポッターと賢者の石(2001)』では小ちゃくて可愛らしかったハリー&ロン・ウィーズリー(ルパート・グリント)&ハーマイオニー・グレンジャー(エマ・ワトソン)の仲良し(実際にはそうでもない?)3人組も、すっかり大人びて(設定では14歳ちぅことだが、、)・・きっと撮影現場じゃ遅刻は連発するわ、スタッフは人間(=マグル)扱いしないわ・・とさぞ“クソ生意気盛りなお年頃”なんやろな、と(←勝手に決め打つなよ)。

今回もまたまた“実は後付けながら、さも自然に準備されたか、のような(=^_^=)”試練に次ぐ試練&習わしに次ぐ習わしで、きっとハリー役のダニエル・ラドクリフ君からも(代理人を通じ)制作側に「実際に演じなくても、CGで描けば済むハナシじゃんかよ!」「童貞を棄てるチャンスを窺ってんだよね、俺(←スタッフも最近じゃ「また言ってるよ」的に聞き流してるとか、、)」などの色んな注文(おねだり?)がついたことは想像に難くないが(←だから勝手に決め打つなっての!)。

・・何だか全盛期の“週刊少年ジャ※プ”の長期連載マンガ(特に格闘系)を読まされてるような「第422回クィディッチ・ワールドカップ(のいきなりな中断)」⇒「3大魔法学校対抗試合(トライ・ウィザード・トーナメント)(のいきなりな開幕)」・・と、あれよあれよ的に、観客はややもすれば強引な展開に引きずり回される(=^_^=)

某国(連邦)の首相にそっくりだった“お屋敷僕(しもべ)妖精ドビー”も出なけりゃ、ハリーを人間界でイビってただけのデブ一家(ダーズリーファミリーと言うらしい)も出て来なかった本作。ま、出て来なくてせいせいしたが(おい)。

残念だったのは、

・大物俳優GO(←前作『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人(2004)』におけるキーキャラ=シリウス・ブラック役)がヴィジュアル的に登場しなかった。
・毎度(終盤で)登場する“最大のお邪魔キャラ(?)”ヴォルデモート卿を演じてたのが「レイフ・ファインズ(!)」だと全く気付かなかった(お鼻がなかったですが?)。。
・ジェイソン・アイザックスの出演(マルフォイの親父役)も、何となくスルー(看過)してしまった。。

辺りだろうか(・ω・)

また、ハリーの「新恋人」になってくんかな? と思われた、チョウ・チャンと言うアジアンな女の子は、結局「軸部分への絡み」も殆どないまま(ハリーから)離れて行ったのだった(×_×)

逆に見所としては、

・ドラゴンと(ハリーが)空中戦を繰り広げる映像演出
・“動くステンドグラス”の映像 ←なかなかイイ!(物理的に有り得ないが)
・(3大魔法学校の1つである)「ボーバトン魔法アカデミー」の女生徒らの初登場シーン。艶かしい喘ぎ声(?)を発する、あの独特な“あいさつ”には胸がキュンとなってしもた(=^_^=) やっぱし女子校は良い!(←ナニ抜かしてやがる!)

の3点を挙げておきたいっ。

しかし何だ・・あの“ドラゴンの扱いの軽さ”って何なんやろ・・正直、次の試練(水に潜るヤツ)やその次の試練(生垣の迷路に放り込まれるヤツ)なんぞより、はるかに難易度も高く、死の危険が伴ってた気がしたぞ(・ω・)
そもそもファンタジー世界におけるドラゴンは“モンスターの中でも別格の存在(であり最強クラス)”だと信じるワタシとしては、あの用いられ方だけは、どうにも納得出来なかった。

「鰓(えら)昆布」ってキーアイテム(?)も良く分かんなくて、魔法アイテムなのやら薬草なのやら健康食品なのやら、ハッキリ決めときなさい、と言いたくも。

中盤から後半にかけ、殺人事件が2度も起こったが、正直「ホグワーツ魔法魔術学校」だけの問題じゃなく、魔法省なり、魔法警察(軍?)なりがもっと本気になって捜査を進めていかなあかん問題とちゃうの? とは強く(←これは、中断された“クィディッチ・ワールドカップ”の一件についても同様に感じたことだが)。

同校のアルバス・ダンブルドア校長(マイケル・ガンボン)が「管理不行き届き」を咎められたり、死んだ生徒の遺族に謝罪を求められたり、ってな「リアルな部分」をこれから先も避けて通ると言うのなら・・観る我々の側にも考えがある、とスタッフには言っときたいトコロだ(←何をエラそうに!)

ってか、学校以外の世界観(の造型)が余りにテキトーなんじゃないだろうか? こんな世界には、とても愛娘は預けられません!(←いるのかよ!)

~ こんなセリフもありました ~

ロン「どうせ僕は“ハリー・ポッターのおまけ”ですよ」 ←そや!
  「女って年々怖くなるよな」 ←そや!
  「ホグワーツに静かな年なんてあるのかな?」 ←7作目が終わったら、ネ☆

マクゴナガル先生「女の子の中では優雅な白鳥が羽ばたく時を待ち、男の子の中では雄々しきライオンが眠っているのです」

※つまり両者をミックスさせると・・「雄々しきライオンが優雅な白鳥に飛びかかる」と、、(×_×)

ダンブルドア「真のリーダーならば、外聞なぞ気にはせん筈じゃ」 ←そうは言ってもねぇ、、
      「好奇心は罪ではないが、慎重に扱わねばな」
      「夢にいつまでもとらわれんことじゃ、棄て去るが良い」
      「どんな呪文も死者を蘇らせることは出来ぬ」 ←そこを何とか、、
      「容易(たやす)きことと正しきことの選択を迫られるじゃろう」

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2009年2月 3日 (火)

☆『パイレーツ・オヴ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト(2006)』☆

2月1日(日曜)の夜。
「日曜洋画劇場」で地上波初放送された『パイレーツ・オヴ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』を観た。何でも「テレビ朝日開局50周年」を記念してのプログラムとのことだ(・ω・)

シリーズ1作目『パイレーツ・オヴ・カリビアン/呪われた海賊たち(2003)』(コレもTVで鑑賞)が思いのほか面白くなく、あんまし記憶らしい記憶も残ってないんだが(せいぜい“オーランド・ブルーム君を売り込むつもりが、すっかり当てが外れたみたいやね”って感想ぐらい、、)、続編である本作は、前作同様の「だる〜い」物語世界ながらも、それなりにピンポイントで「見せてくれる」演出があったりもし、まぁまぁマシな印象だった。

前作から数年後。
世界の海運業を掌握しつつあった「東インド貿易会社」は、眼の上のこぶである海賊たちを一掃しようと画策していた。同社の代表格=カトラー・ベケット卿は、数年前の冒険を経て相思相愛の仲となった(のか?)、ウィリアム・ターナー(オーランド・ブルーム)&エリザベス・スワン(キーラ・ナイトレイ)の結婚を妨害し、彼らの旧友(?)であるキャプテン・ジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)の持つ「コンパス」を持ってこなければ2人を投獄すると言う。
リズ(=エリザベス)が拘束されたため、仕方なくスパロウを探し独り旅立つウィル(=ウィリアム)。

一方、棺に潜り込み海上を漂いつつ移動(?)してたスパロウは“ブラックパール号”に帰還。船長とし再び指揮をとり始めるも、彼の左掌には「黒い円形の染み」・・伝説の海賊デイヴィ・ジョーンズ(ビル・ナイ)と交わした“とある契約”の烙印・・が浮かび上がるのであった。
スパロウのもとへ「その期限」の迫っていることを告げに来たのは、ウィルの父=ビル・ターナー(ステラン・スカルスガルド)である。

密かにジョーンズを亡き者にし“契約”をホゴにしようと奔走を始めるスパロウ。彼が狙うのはジョーンズの※※が納められた“死者の宝箱(デッドマンズ・チェスト)”であった。

そのお宝の眠る“十字架島”に向かってスパロウ一味、ジョーンズ一味、そしてウィル&リズもそれぞれに「波乱の海路」を辿ることに・・

どうにも本シリーズってば「死の概念」が余りに軽過ぎる気もする(=^_^=)
ビル・ターナーが亡霊かと思いきや、意外にしっかり生きてたり、死んだと思ってたキャプテン・バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)も実は生きてたことが判明する。
(何やら「アステカ金貨の呪い」がどうだか・・と言う前作からのフリらしいが「何でもアリ」にするための理由付けにしか思えなかったり・・)

確かに「活劇に次ぐ活劇」ってな製作者(ジェリー・ブラッカイマー)&監督(ゴア・ヴァービンスキー)の狙う“ノンストップなエンタテインメント大作”としての醍醐味はあるのだろうが、醸し出す空気がやっぱし緊迫感不足で「だる〜い」ため、観ててちっともエキサイトしないのだ(・ω・)

ただ、2点だけだが「おおっ!」と思わされたのは、

・タコの化け物=クラーケンによる“昼間”の船舶襲撃シーン
・「でっかい水車」がゴロゴロ転がり、その内部(?)でウィルやスパロウたちが戦うシーン

の各映像演出。前者は「もはやコレを越える“大ダコの襲撃シーン”は製作不可能じゃないか?」とまで思わせるほどにリアルでスゴい。こんなおちゃらけた作品(←ファンの方、済みません)で完成されてしまったことが悔やまれるほどだ(=^_^=)

後者は、何だかスピルバーグ作品『1941(1979)』で、ゴロゴロ転がってた“大観覧車の演出”を連想させられた。この場面も前者(クラーケン)同様、白日の下(=昼間)に描いてるのは評価したい! 夜間の特撮は(「逃げ」にも思え)どうにも好かんのよ、ワタシ。

⇒『ロード・オヴ・ザ・リング(2001)』の中盤・・“モリアの地下坑道”の入口にもクラーケンっぽいのが出現してたが、あのシーンにしても“夜間”だったので、その造型がとんと楽しめなかったのだ、、

本作ってば「キャラ&世界観」がすっかり完成してるので、もはや誰が監督で、どう撮ってもそれなりに失敗はしないんだろう、と決め打ってしまうワタシ。ま、こういう「だる〜い」マンネリズムが観てて安心出来るため、根強いファンもいるんだろう。
確かに、これを強引に「変化をつけよう」「完結させよう」としちゃうと・・『X-MEN/ファイナル・ディシジョン(2006)』のような“台無し感”に繋がってしまうようにも感ぜられるし・・(×_×)

終盤ではスパロウが「かなりヤバい状況」となったまま“劇終”となるのだが・・私的にはスパロウの運命はどっちでも良く(←放っといても間違いなく生きてるだろうから)、それより(前半の)どっかの島の浜辺で“ペリコストス族(食人族)”の集団に追っかけられてたワンちゃんの運命・・こそが気になったんやでしかし。

それと、ジョーンズの手下たちの造型が、もはや“ハリウッドの定番”とさえ評せるクリーチャーぶりで、実にしょ〜もなかった。俳優さんたちは頑張ってメイクされてたことだろうが、あんなもんはCGでテキトーにやって貰ったとしても、ワタシの評価はさして変わんなかったように思うぞ(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

スパロウ「さっさと帆を上げて、やるべきことをやれ!」
    「夢じゃないな? 夢なら酒があるもんな」
    「人ってのは・・“最後の審判”が恐ろしくてたまらないんだよな」
    「思いつきじゃないぞ! これは・・何があっても絶対、ってな命令だ!」
    「もし捕まりそうになったら“ジャック・スパロウのツケを清算しに来た”と言えば・・助かるかも知れん」
    「惨いのが人生だ、死んだからと言って大して変わらん」
    「血文字で念書でも書こうか? それともタコの墨にするか?」
    「俺の前じゃ、奇麗なドレスを着るか、ハダカでいろ・・尤も俺の部屋にゃドレスなんかないがな」
    「似た者同士だろ? 俺と君、君と俺・・つまり俺たち」
    「“本当のこと”だって多く言うさ・・その度にみんな驚くがな」

ベケット卿「海賊は死にゆく種族だ、世界の空白部分は消えて行くのだ」

船長「(ここにこうしてドレスが残されてると言うことは)きっと、密航者の女はハダカだ!」
部下「おお〜っ!」

副官ギブス「後ろは、しっかり見張ってるぜ」
スパロウ「いんや・・心配なのは、むしろ前」

ビル「海賊が、望まぬ道だった・・と言えばウソになる」

リズ「いつかあなたは気付くの・・自分が“良い人間だ”ってことにね」

ギブス「(船を)棄てるのか?」
スパロウ「所詮、ただの船だ」
ギブス「希望を棄てちまうよりはマシだな」

ギブス「“あいつ”が消えて、世界がちょいと寂しくなった」
部下「カネに目のない紳士だった」

ティア・ダルマ「運命が、今変わる」
       「酒精を飲めば・・寒さが和らぐよ、悲しみも」

※※※※※「さぁ訊こうか? 俺の船がどうなったのかを」 ←沈んじまったよ!(一同)

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