« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月31日 (土)

☆『007/慰めの報酬』☆

30日(金曜)の夜。
昨日が徹底的な残業(4時間以上)で身も心もボロボロになりかけてしまい、今夜もどうやら同様の顛末を覚悟しなきゃならん・・と思ってたら、意外に早く(1時間程度の残業)「お開きにしましょう」的な空気となったので、この(1週間の)モヤモヤした気分を、、怒りと疲れを、、何処かで晴らさねばなるまいよ! と直感的に思いつき、梅田に出て新作『007/慰めの報酬』を観ることとした☆

もう1本、観たかった新作は『ザ・ムーン』なんだが、目下この“007”に対する期待値の方がより高まって来ていた。リンク先のブログ管理者の皆さんからも、少なからず高評価を感じ取ったし・・

劇場は「泉の広場上ル」の“梅田ピカデリー”である。音響面では大して期待出来ないシアターなんだが、中央部の席をしっかりキープすることが叶い、そこは嬉しかった☆

前作『007/カジノ・ロワイヤル(2006)』の物語世界から数刻後(劇中セリフにはなかったが、わずか1時間後らしい!)。
恋人ヴェスパー・リンドとの永遠の別離、カジノを舞台に荒稼ぎを目論んだ“死の商人”=ル・シッフルの死・・を経て、任務を完了させたイギリス情報局秘密情報部第6課(MI6)のトップ諜報員“007”ことジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)はヴェスパーの“死の秘密”のカギを握る男=ミスター・ホワイトを追い詰める。
ようやくホワイトに接触を果たしたボンドだが、次に迎えたのは彼の奪還(或いは殺害)を画策する“謎の組織”による激しい追撃であった!

MI6内にも既に配下を忍ばせていた“組織”。“裏切り者”を激闘の末に倒したボンドではあるが、捕まえたホワイトは(その間に)何処かへ連れ去られてしまう・・

“裏切り者”の所持金を調べたMI6の女部長“M”(ジュディ・デンチ)は、その足取りの先に、エコロジーを謳う非営利活動団体(NPO法人)“グリーン・プラネット”の若き代表(CEO)=ドミニク・グリーンの存在をあぶり出す。

わずかながらの私情を挟みつつ(?)も、グリーンの「裏の顔」に迫って行くボンド。やがてその背後に「クァンタム(QUANTUM)」なる犯罪組織があること、彼らが“ティエラ計画”なる巨大な悪事(?)を実行に移そうとしていること、を探り当てる。
そんな中、グリーンの「表の顔」に惑わされる英国のお偉方(お大臣連中)は、自国の利益を優先する余り“M”に命じてボンドの動きを妨害しようとまでする。

クレジットカードの停止、パスポートの制限、ついには“停職”を上司に言い渡されたボンド。
現場で培って来た、自らの野生のカンを信じ、孤独な戦いを続けた先に彼の見出したものは・・

監督が『チョコレート(2001)』『ネバーランド(2004)』のマーク・フォースターってことで、どうにも“ドラマ系のしと”って印象の強かったワタシだが、初の(?)ハードなアクション作にしては、かなりの頑張り&柔軟さを見せつけてくれた気がした。

ただ、このしと、色々と他作に影響されちゃう性格にも思える。『主人公は僕だった(2006)』は(未見ながら)『トゥルーマン・ショー(1998)』の影響を何処となく受けてそうだし、本作は・・直前に(DVD版で)鑑賞した『ボーン・アルティメイタム(2007)』とテンポやアクション演出などに“単なる偶然以上の酷似性”を認めたりもした(・ω・)

⇒建物の屋根伝いの肉弾チェイス、目まぐるしいロケ移動、車体側面にセッティングしたカメラによるカーチェイス映像などがそれに当たる。

思うに、ドラマ部分が意外とペラペラだった割に、アクションパートの完成度が異常に凄まじかったことから「きっと優れたアクション監督が存在してたんやろ」と勝手に邪推してるワタシ(=^_^=)
特にオープニングのカーチェイスの凄まじさは筆舌に尽くし難い!
あの演出だけは歴代ボンド作品の“オープニングアクション”の中でも屈指の完成度ではなかったかと思う。
(作品全体を通しても“殆ど唯一”って感じのカーチェイスであり、絶対に本作の冒頭を見逃してはならない!)

“アクションに次ぐアクション”ってのが(本作)最大のウリにも思えるが、ノンストップで各シーン(各国)を突っ走ってる感が強く、もっと観客に「直前のシーン展開について反芻させ、確認させるだけの精神的余裕」を与えて欲しかった気はした。何だか「あれよあれよ」と物語が進むので、それぞれのシーンの余韻が殆ど残らないのだ。
中盤(?)でプッチーニのオペラ“トスカ”が大劇場で演じられるシーン(オーストリアのブレゲンツ)など、めちゃめちゃに製作費がかかってる筈なのに、多分15〜20分ぐらいの(ある意味)断片的な描かれ方しかされてなかった(×_×) アクション部分を多少なりと整理(割愛)してでも、も少し1つ1つのシーンをゆったりと描くべきだったのでは? と思う次第だ。

ドラマ部分が薄っぺらい、と言うのはやはり思い出しても感じるトコロだが、一方でこれまでになかった(描かれなかった)ボンドの“女性観”“友人観”などをセリフの端々に覗くことが出来たのは嬉しかった。歴代ボンド作品の中では語られ得なかったスゴいセリフ群もありましたな!(後述するセリフの中で、気に入ったモノに下線を引いてます(=^_^=))

敵組織“クァンタム”に関しては、正直何が何やら分かんなかった。。言えることはグリーンなどは“小物”に過ぎず、もっと不気味に静かに世界に広がっている、そんな組織に思える。
劇中で2度のみ「見せしめ的な殺人」が行われるんだが、それらだけは“クァンタム”の殺し屋が直々に行ったものじゃなかったかな、と。因みに両方とも、被害者は「石油」や「エンジンオイル」なんかをムリヤリ飲まされてたようです(×_×) ひっでぇ・・

正直、私的には「冒頭のカーチェイス」以降、ずんずん評価の沈んで行った本作であったんだが、そんなマイナス点を補って余りある“アクションの素晴らしさ”と“ちりばめられた「ボンド語録」の貴重さ”が確実に存在したので、取り敢えず迷うくらいだったら、是非とも劇場に足を運んで頂き、冒頭を中心に(=^_^=)楽しんで貰いたいトコロである。
前作(『カジノ・ロワイヤル』)よりは数倍、観応えありましたし(=^_^=) 拷問シーンもなかったし(=^_^=)

〜ほか、こんなことも 〜

♦前作で愛用してた腕時計「オメガ」の登場は余りなかった? 一方で愛銃「ワルサーPPK」が大きく取り上げられてた。
♦スパイガジェット(小道具)製作担当の“Q”や、ボンドの隠れ恋人(?)である秘書マネー・ペニー嬢は登場せず(・ω・)
♦一切「回想シーン」がなく、映像的に登場しなかった(前作ボンドガールの)ヴェスパー・リンド。どんなご尊顔やったっけ? あんまし好印象は感じなかった気がする(・ω・)
♦敵ボス(グリーン)の意外な“小悪党さ”が光ってたり(=^_^=) たぶん『007/消されたライセンス(1989)』に出て来た「麻薬王のおっつぁん」ぐらいの悪役レベル(=スケールの小こさ)に過ぎなかったかな、と(=^_^=) 一見、巨大なエコ団体のトップなのに、意外と取り巻きが少なかったのにも苦笑させられた。警護面でもエコ採用かよ、みたいな。
♦南米の国ボリビアが後半のネタに用いられる。が、あないに国内が短期間で混乱しちゃうと、国民も大変だろうね。。
♦“クァンタム”に関し、かつての「冷戦時代の東側国家」のような“不気味な脅威”は醸し出せてなかったかな、と。もはや仮想敵にも限界説が囁かれてる・・?
♦上映時間106分、と言う短さは良い! が、本編開始までに、予告編が15分も流され続けたのには閉口(×_×) 早く始めて、早く帰らせてくれっちゅ〜の。
♦改めてミスター・ホワイトの存在感が浮上して来た感。きっとあいつが“クァンタム”のボスか、そうでないにしても最高幹部クラスなんじゃないかなと睨んでいる。『007/サンダーボール作戦(1965)』で言うトコロの“スペクター大幹部のエミリオ・ラーゴ”みたいな立ち位置か。
♦本作は恐らくヒットするだろうし、そうなれば次作も続投するに決まってるだろうが・・私的には、も1度“地に足の着いた、シンプルながらも濃厚なドラマ”を描いて欲しいフォースター監督ではある。
♦何だかアメ車ばっかりに乗ってましたネ(・ω・)
♦「こんな安ホテルになんぞ泊まれるか!」と怒るボンドは、実に人間味に溢れてた(=^_^=)
♦背中のキズ痕が過去を語っていたボンドガールのカミーユ(オルガ・キュリレンコ)。
♦ラスト、斧で襲いかかってくるボス像ってのは『007/美しき獲物たち(1985)』のクリストファー・ウォーケン以来ではなかったろうか?(=^_^=) 自分で大ケガしてたけど、、
♦NPO法人「グリーンプラネット」は兵庫県宝※市にも実在する団体らしい(⌒〜⌒ι)
♦グリーン役のマチュー・アマルリックさん。何か“眼のキラキラしたスティーヴ・ブシェーミ”って印象もあったり。。
♦ジェフリー・ラッシュの出演がどうにも思い出せなかったが・・出演してはったのはジェフリー・ライトですた(=^_^=) ←何か名前似てっから。。
♦声だけだが、プライベートらしきシーンで“M”の旦那(?)が出てた! ボンドからの(直通電話の)コールに「君にだよ」とただひと言(・ω・)
♦アストンマーチンのトランクに押し込められ、過激なドライヴを満喫・・ってのも、スリリングで楽しい人生経験なのかも知んない(=^_^=)
♦ラストの「必要ながらもベタっぽいエピソード」は『ブレイド(1998)』(の終盤)にもその“ベタさ”が似てたかも。。
♦砂漠の“あのホテル”にいた人たちはどうなったんでしょう?? どうやら「歩いて何とかなる距離」では全然なかったと思うんだが(×_×)
♦シリーズがノって来たら(=^_^=)・・ぼちぼちボンドも日本にやって来るか?(=^_^=) ←姫路辺りに来て欲しいっす。
♦ボリビアの独裁者=メドラーノ将軍と(ドルでなく)ユーロで取引するグリーン。やっぱりドルはもうあかんのね(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

ボンド「魂は神父の領域です」
   「今更、どうでもいい男です」
   「強い者ほど強敵を持つ、と言う」
   「復讐の思いは同じだな、俺たち」
   「彼女の貢献に対し、上に報告を
   「南米からコカインと共産主義を引いたら、何がそこに残ると?」
   「引き金を引く時が大切だ、復讐心がそれを乱す・・深呼吸し、一発で仕留めろ」
   「ノドが乾いたら、それを飲め」 ←ちと『マッドマックス(1979)』ぽいシビアさ、、
   「死者は復讐など求めない

カミーユ「あなたって“待ったなし”ね」
ボンド「それはお世辞か?」

カミーユ「残酷だった父も、私には父よ
    「焼け死ぬのはいや・・」

M「人って分からないものね・・あなたは信用出来る?」
 「ここにまで“組織”が潜入していたとはね」
 「お金は“回る”ものよ」
 「あなたにとって女はみな“言いなり”のようね」
 「悔いなんかないわ、私はプロよ」
 「ボンドは私の部下よ、私は部下を信頼しているの

ホワイト「何も分かってないんだな・・我々の仲間は“あらゆる場所”にいるんだよ」

ボンド「彼はもう“脈なし”だ」
M「・・殺したのね!」

ボンド「“過去の人間”はどうだっていい」
M「殺したのね?」

M「また殺したのね?」
ボンド「仕方なく」

M「早く復職して」
ボンド「私がいつ離れました?」

ボンド「お前たち(CIA)は悪党と組むのか?」
フェリックス「すっかり善人が減っちまったからな」

ボンド「(俺に残された)余裕は?」
フェリックス「30秒だ」

※「ヤツに何を教えた?」
フェリックス「ガセネタさ

グリーン「君と“寝た”のが間違いだった・・好きになった」
    「彼には残念なことをした・・“役に立つ地質学者”だったのにな」
    「見返りには砂漠(の土地)を頂くよ・・不毛のね」
    「あんたは我々の“組織”に暗いとみえる」
    「言っておくが、我々には“右翼”も“左翼”も同じことだ。“政府軍”も“反乱軍”もな。
     現大統領が“ハナシの分かる人間”だったら、あんたなんか必要なかったのさ」

マティス「若い頃は、容易く“善人”と“悪人”の区別がついたのに・・歳を取ると、それが難しい

マティス「彼には(飲み物なんか)注(つ)ぐな」
ジェンマ「いいじゃない、安ワインだし」

ボンド「何故俺に付いて来たんだ?」
マティス「“過ちを認めた者”に対する敬意からさ」

フィールズ「あなたは“普通の学校教師”なのに、こんな高級ホテルなんて・・」
ボンド「“宝くじに当たった学校教師”でね」

親友「このままでいい、そばにいてくれ・・頼む」
  「互いを赦そう」
  「彼女は君に全てを捧げた・・彼女を赦せ・・そして自分自身を

カミーユ「友達をそんな所に捨てるの?」
ボンド「本人は気にしないさ

カミーユ「彼女はどんな女性だったの? 恋人?」
ボンド「恋人じゃない」
カミーユ「母親?」
ボンド「それに近い存在だ

大臣「外交を“あやふやな勘”に託せと?」

※「この国(ボリビア)じゃ“飲める水”を手に入れるだけで、収入の半分を失うのさ」
 「今どき“頼れる取引相手”なんてものは悪人だけさ」

外国語関係(=^_^=)
 「ムチョ・グースト(mucho gusto)・・よろしく」
 「ネーム・チェック(name check)・・人物を調べろ」
 「アイ・キャント・トライ(I can't try)・・どうかな?」

追記1:字幕担当は戸田奈津子女史。あんまし“超訳”は弾けてはらなかったなぁ、、
追記2:ロケーションは覚えてるトコロで「イタリア・シエナ」「ロンドン」「ハイチ・ポルトープリンス」「オーストリア・ブレゲンツ」「イタリア・タラモーネ」「ボリビア・ラパス」「ロシア・カサン」って感じだった。
追記3:8年を真面目に勤め上げた情報部員の裏切り・・これはMI6にとって、大変な事態だと思う(×_×) カネで動いた訳でもなさそうだし。。
追記4:ジャンカルロ・ジャンニーニさん、拝見するのは(本シリーズ以外だと)『ハンニバル(2001)』以来であるが、ホンマに災難の似合うおっつぁんですね(×_×) でも、将来はこんなシブいおっつぁんになってゆきたいワタシ(=^_^=)>

| | コメント (6)

2009年1月30日 (金)

☆『グッドナイト・スリイプタイト』を観た☆

※以下の記事は「映画評」ではなく「演劇評」です!

17日(土曜)の午後、西梅田にある“サンケイホールブリーゼ”にて、三谷幸喜脚本&演出による2人芝居『グッドナイト・スリイプタイト』を鑑賞した。
以前(07年5月)に同氏の作品『コンフィダント・絆』を観て以来、都合がつけば足を運んでいる(大阪公演に限るが、、)“三谷演劇”であるが(とは言え、他に舞台で観たのは『エキストラ(07年12月、於:京橋)』ぐらいだけど)今回も、観るまでは「2人芝居だし、冗長なだけでショボいんじゃないだろうか」と不安になってたら・・予想以上に良いデキで驚かされた。参りました(⌒〜⌒ι)

⇒なお『コンフィダント・絆』の鑑賞レビューは「2007年6月5日(火)」の記事を参照下さい。

未だに“映画監督・三谷幸喜”に対しては「余りよその畑に足を踏み入れん方がよろしいのとちゃいますやろか?」とアドバイスしたくなることも少なくないんだが、、人数を絞り切った世界に、男女の愛憎劇なんかを描かせたら、メチャメチャにうまい! 「舞台劇の執筆の才能」に関しては心底、尊敬いたします。

名もなき夫妻(中井貴一&戸田恵子)の邸宅にある“ベッドルーム”を舞台に、彼らの30年間の長きに渡る「夫婦感情の移ろい」を断片的に綴った小品。

ついに離婚を決意し、それぞれの荷物を整理する“最後の夜”の2人。
そんな中、夫の見つけ出した「小さな函(はこ)」は“3ケタの数字で開くダイヤル錠”でぴったりと閉ざされていた。
函の中には何が隠されているのか? そして2人はどのような経緯でその函に秘密をしまうことにしたのか?

中井さんはほぼ出ずっぱり、戸田さんは(退場するパターンの多い代わりに)お色直ししまくり、な印象があった。映画関係だと「中途半端なカリスマ性をちらつかせる悪党役←『陰陽師2(2003)』『亡国のイージス(2005)』『どろろ(2007)』」の多い(?)中井さんだが・・コミカルでちょっとエキセントリックな役柄を与えられたら、こんなにも輝かはるのか! と改めてその器(=懐)の深さに気付かされる。
一方で「若くて精神年齢も幼い頃」から「他人の助けをもはや必要としなくなった、熟年世代の女」までを1人で演じ切る(声も、姿勢も、総てを変えてみせる!)戸田さんの演技幅も負けじとスゴい。

基本的に、物語は「何かの“できごと”を控えた」「何かの“できごと”が進行中の」「何かの“できごと”を終えた」それぞれのベッドルーム内だけで進行するため、描かれない部分は彼ら夫婦のセリフから想像を膨らませないといけないんだが・・そこの「想像幅」の取り方が良いのだ。

⇒連想したのは映画『約三十の嘘(2004)』などだろうか(・ω・) あの作品も“本来描かれる筈のシーン”が敢えて描かれず、それが故に個性を放っていた☆

また、場合によりシーンが(暗転を経て)現在⇒過去⇒現在⇒・・と時間軸を置換し描かれる演出テクニックは、悔しいまでに効果を上げている。

舞台の右上には「電光掲示板」が表示され、(暗転から)新たなシーンの始まるごとにデジタルの“とある数字”が増えたり減ったりし観客に示される。
それが“どのような規則性を持った数字なのか?”と言うことは、それぞれのシーンにおける夫婦の言動(や容姿)を眺める内に、やがて気付かされるんだが、そんな所にも「分かる人は、分かった上で楽しんでね」といたずらっぽく(客席に)挑戦するような“三谷センス”がバッチリ光っていた。

「言うても、たった1つのロケーションやん」とナメてたら・・ベッドの距離が近付き始め、照明&効果音によって、ベッドルームは“新婚時代のタヒチのホテル”に時間&空間を瞬時に移動させたりもする!

2人の会話の中には“ペットのタロー”や“クニマサさん(←国松さん、かも知れません、、)”などの「後で次第に明らかとなって来る(場合もある)キャラ」を絶妙に配したり。

ナンセンスさの極まってるのは、彼ら夫婦自身が「舞台(ベッドルーム)が時間軸を行き来してること」にうすうす(?)勘付いてる点。そう言うぶっ飛んだ“超現実的な感覚”もスゴい!
タローが死んでしまい、その骨壺が部屋の隅(観客側)にちょこんと置かれてるんだが、舞台が暗転する(=時間移動を始める)寸前に、それが「パコン!」と(舞台)床に格納され、瞬時に消えてしまうのだ・・それも夫の見てる前で。
中井さんがそれを目にして「えええええ?!」と驚愕するシーンなどはかなり面白かった!

後半では、とある“浮気の証拠”を処理せんがため、夫はとっさに舞台から外に飛び出し、隠し場所を探すんだが・・“部屋の境界線”をまたぐ瞬間に、何やらモノ凄い電気ショックが全身に走るらしく「わぁぁぁぁ!!」とか(その度)激痛に身をくねらせたりもする。

本作を眺めて、改めて

・悲劇に喜劇の味付けをすると、この上ない「エンタテインメント」と化す
・夫婦2人だけの世界で、彼ら2人共が“事実”と捉えたことは・・実際にはそれが“間違い”だったとしても・・彼らの中で“事実”とし永遠に残って行くものである(←観客だけには“事実”が実際にどうであったかが明かされる)

なんてことを再認識させられた次第である。

ラストでは、再びベッドルームが過去へ飛び「小さな函」のシーンが描かれる。
ここで舞台が幕となる訳で・・こう言う構成だと、ラストシーンは“ハッピーエンド”にも映るんだから面白い。

「絶頂期をそのラストシーンに配した、(晩年は悲劇的だった)誰か有名人の自伝映画」を観たような感もあり、本来は切なさを感じなければならぬ筈の(?)ラストにも、妙に爽快さを覚えてしまうワタシだった。

少人数に絞り切った“三谷演劇”・・これからも眼が離せなくなりそうである(・ω・)

追記1:「グッドナイト・スリイプタイト(Good Night Sleep Tight)」は“ぐっすりお休み”を意味する慣用句らしい。
追記2:“ぐっすり”は「Good Sleep」から派生した、なる“三谷説”もチラリ(←彼も親類(?)から聞いた、と言うことだが・・)
追記3:(職業が)作曲家である夫による「コスモ保険」のCMソングはなかなかにインパクトがある! どうやらこの「コスモ保険」は“(今はなき)奈良ドリ※ムラ※ドの公式スポンサー”だったそうだ(⌒〜⌒ι)
追記4:舞台で倒立⇒前後開脚・・を披露された戸田さん。そのサービスぶりには客席もどよめいてますた(=^_^=)
追記5:妻の職業が「ミュージカル女優」「ペットシッター」「英会話教室経営者」「美術商」と思いつきっぽくもクルクル変わって行くのは面白い。
戸田さんの放った「(安藤)広重に200万出せる人間なら、300万だって出せるわよ」のセリフは言い得て妙であった(=^_^=)

| | コメント (0)

2009年1月25日 (日)

☆『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道(2005)』☆

15日(木曜)の夜。
衛星第2で放送された『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』を観た。実在のカントリー歌手ジョニー・キャッシュの半生を、人生最高の“ミューズ(創造の女神)”であり“パートナー”でもあった女性歌手ジューン・カーターとの交流を軸に描いた佳作ドラマ。

劇場公開当時「観たい気はしたが、結局観逃した」1作でもあった。
因みに、本作からはジューン役を演じたリース・ウィザースプーンが見事“アカデミー助演女優賞”に輝いている(第78回)。

1968年。ジョニー・キャッシュ(ホアキン・フェニックス)はカリフォルニア州レプレサにある「フォルサム刑務所」での慰問コンサートを前に、控え室とし用意された作業場に佇んでいた。彼の指先は、囚人が木材加工に使用する「回転ノコギリ台」の(ノコの)刃に触れていた。その冷たい感触に、ジョニーの少年時代の記憶がよみがえる・・

1944年。ジョニーとその兄はアーカンソー州ダイエスにある畑(失業救済局の作業場)で綿花の収穫作業をしていた。酒浸りの父レイ(ロバート・パトリック!)と優秀で心優しき兄ジャック。
貧しいなりに伸びやかに育っていた彼ら兄弟のお気に入りは、ラジオから流れる“カーター・ファミリー”の歌。
とりわけ、10歳のジューン・カーターの歌声にはほのかな恋心さえ抱いたほどのジョニーだった。

そんなある日、工場で作業していたジャックが「回転ノコギリ台」で重傷を負い、あっけなく他界してしまう。
ジョニーにとって、慕っていた兄の突然の死は無論ショックだったが、より彼の心に(後年まで)傷を残したのは、父の心ないひと言・・「悪魔は出来のいい方の子を奪った」・・であった。

そんな父には「こんな音楽などクズだ」と唾棄され続けたカントリーミュージックだが、ジョニーは次第に音楽に目覚め、(朝鮮戦争時には)ドイツ・ランツベルクに駐屯しつつ(1952年)、ギターを手に入れ独学で弾き始める。

1955年。恋人のヴィヴィアンと結婚したジョニーはテネシーのメンフィスに暮らし、家庭用設備のセールスマンとして働くが、その生活は少しも楽にならなかった。
そんな中、街角で眼に止まった「サン・レコード」の“アーティスト募集”の貼り紙に、ジョニーとその仲間(2人の自動車修理工)は発奮、社長のサム・フィリップスに(半ば強引に)オーディションを申し込む。

練習を重ね挑んだゴスペル曲に対する“サム評”は散々だったが、苦し紛れに歌った自作曲が見事に採用される!

「サン・レコード」の所属アーティストとしてデビューした“ジョニー・キャッシュ&テネシー2”はコンサートツアーに忙殺され始める。収入の上がる一方、妻ヴィヴ(ヴィヴィアン)との関係は次第に冷え込んで来る。

そして、テキサス州のテクサーカナ。とある公演(の舞台)で共演することとなったのが・・“憧れ”の女性シンガー=ジューン・カーター(リース)その人であった・・

私的にはホアキン・フェニックスもリース・ウィザースプーンも「どちらかと言うと好きではない」俳優なんだが、本作はとにかく「頑張って歌ってたなぁ!」と素直に驚かされた。これがケヴィン・スペイシー辺りなんかだと「芸達者やな〜」だけで済んじゃってしまい、あんまし彼の「汗」も「努力」も伝わって来ないんだが(←ケヴィンさん、スンマセン)・・この2人は見た目も(まだ)フレッシュな感じだし、死にものぐるいで練習に練習を重ねた姿が“浮かんで来て”俳優としての“のりしろ”の存在を感じさせてくれた。

※“のりしろ”は“のびしろ”とも言うそうだが、ワタシは専ら前者を用いている(・ω・)

ジョニーが舞台で低く放つ、ライヴ開始直後の挨拶「どうも、ジョニー・キャッシュです(Hello,I'm Johnny Cash.)」も「ええ声やな〜」と同性ながらホレボレさせられる。言ってることは殆ど同じなんだが「今晩は、ラッシャー木村です」とは全く“放つ、そのシブさ”の違う気がした(⌒〜⌒ι)

リースは「可愛さ」以前に「ひょうきんなご尊顔」って印象を改めて強くした。現代ハリウッドにおける“funny face”の称号(?)は、間違いなく彼女のために用意されたモノではないか、とさえ。。美人じゃない分、才能&演技でハリウッドを泳いで行かねばならない筈で(←勝手に決め打つなよ!)、ホンマの実力がこれから先も問われ続けるのだろう。

「ヴィヴィアンとの蜜月」は殆ど描かれず、違法薬物を常用してた「負の側面」も“父との確執”に端を発していたかのようにも描写され、逆境づくしの展開の中に「敢えて触れられてなかった点」が見受けられたのは多少気になったか。

語り継がれる“伝説のプロポーズ”の場面が終盤に控えており、ここは“オチ”としてとても良いと感じた。
「現在」⇒「少年期以降の回想」⇒「現在に戻ってのその後(結婚を含む)」と言うストーリーの流れや、1人の女性を不器用なまでに想い続ける主人公の姿を描いた演出から連想したのは『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』である(・ω・)

ついでに「そっくりさんの起用」「CG合成」などで、実在した人物(=偉人系)を“更に大胆に”ストーリーに絡めて貰っても楽しかったかも知れない、エルヴィス・プレスリーにしても、もっと派手に・・(ヴァル・キルマーが“再び”演じる(1993)もヨシ(=^_^=))

〜 こんなセリフもありました 〜

ジョニー「彼女(ファンの娘)たちは、一種の熱病なのさ」
    「(親父だけでなく)君までが俺にルールを押し付けるのか?」 ←妻ヴィヴに
    「ボブ・ディランに手紙を書いた、フォーク歌手のね」
    「君の不仲がちょっと嬉しい」 ←ジューンに
    「一生(舞台でのジョークで)笑いを取るだけか? いい声をしてるのに」 ←ジューンに
    「大丈夫さ、例え抜けたって(俺の)羽には番号が振ってあるから」
    「君と結婚したい、今がその時期だ・・愛を恐れるな」
    「一晩中そこで立ってるだけかい? ここへ来て俺と歌わないか?」
    「曲の途中で悪いが、君に訊きたいことがある」
    「彼女がイエスと言ってくれなきゃ、これ以上歌えない・・でないと、この歌がウソになってしまう」
    「今までに40回(求婚して)断られた」
    「何があっても君を独りにはしない」

ジューン「さっきは(声じゃなく)心で歌ったの」
    「昔のジョニーは何処へ? 今の彼は嫌いよ」

ヴィヴ「(演奏する)3人とも黒服なんて、葬式みたいよ」
ジョニー「葬式かもな」

サム「君の歌に感情がこもってないのは、その曲が借り物で、君の曲じゃないからだ。
   だから聴く者の心には響かない。聴けば“君が歌ってる”と誰もが分かる曲を歌え、自分自身の曲をね」

ジョニー「たまには俺と一緒に歌わないか?」
ジューン「私に構わないで!」
ジョニー「俺が何をした?」

ジューン「あんた達とは2度とツアーなんかしないわ!」
ジョニー「君が怒ってるのは、ツアーに対してじゃないだろ?」

ジェリー「神は“美味そうな林檎”を俺たちの眼の前にぶら下げといて「喰うな」とさ」

ジョニー「俺を愛してないと言え」
ジューン「愛してないわ」
ジョニー「・・ウソだ」
ジューン「じゃ、問題ないじゃないの?」

ヴィヴ「この嘘つき男! 彼女もすぐに気づくさ、あんたの本性にね」

ジョニー「元気かい?」
ジューン「ええ、あなたは?」
ジョニー「この前、逢った時よりはね」

レイ「俺には才能はないが、精一杯やって来たつもりだ。そう言うお前はどうだ? 薬物依存症のスター歌手さん。
   お前は所詮“空っぽの箱”だ、ただのクズさ」

ジューン「元のジョニーが戻ったわね、何か欲しい?」
ジョニー「ここにいてくれ」
ジューン「いいわ」
ジョニー「君は・・俺の天使だ」

ジョニー「今まで悪いことばかりしてきた・・親父の言ってることは正しい。
     君のことまで傷つけた、俺はクズだ」
ジューン「違うわ、いい人よ。今がやり直す時よ、神様がそのチャンスを下さったの」

※「ディラン、バーズ、ビートルズ・・今やみんなエレキだぞ、それにその黒服はなんだ? 葬式か?」
ジョニー「葬式かもな」

ジョニー「あんたもここでは“汚れた黄色い水”を飲むのか?」
刑務所長「私は、冷えたコーラを飲むさ」

| | コメント (2)

2009年1月23日 (金)

☆『美しい人(2005)』☆

22日(木曜)の夜。
衛星第2で放送された『美しい人』を観た。

本作に関しては、作品自体に対する予備知識が殆どなく、新聞には「出演:ロビン・ライト・ペン」と書いてたので「きっとマイナーなつまんない1作なんだろ」と勝手に決め打ってしまってたが・・その後、調べて(←結局、気になったんやね(=^_^=))知ったのが、

・『彼女を見ればわかること(2000)』路線の作品らしい。
・監督も『彼女を〜』と同じ、ロドリゴ・ガルシア(←ノーベル賞作家ガルシア・マルケスの息子さんだそうだ!)。
・複数の短編で構成されたオムニバス形式をとっている。

ってことで、俄然興味が湧いて来て、放送の開始された午後9時には、きっちりとTVの前に座してたワタシ(=^_^=)

9人のヒロインが、9つの短いエピソードの中で「人生の一瞬」を垣間見せる。
「何かの起こる、その時」「何かの起こった、その直後」「何かが起こりそうでいて、何も起こらなかった時」など、それぞれに演出過剰とならない程度の「女たちの転機(心の動き)」が描かれる。
彼女らの置かれた人間関係は、夫婦であったり、親子であったり、恋人であったり、不貞なそれであったり・・

骨太な展開は殆どなく(←あるエピソードのみ終盤で“拳銃”が登場するが(×_×))、1つのエピソードがぷっつりと終わった際には「えっ? 今のんで終わり?」と(身構えてたココロに)肩すかしを食らっちゃったようなハナシもあったりした。
いずれも女性が主人公であることから、きっと“想像力を働かせ、五感でストーリーを辿ることの出来る女性(観客)向けに、描き過ぎることを敢えて避けたんだろう”と考えたワタシ。

恐らく、男性の視点からすれば、オチに“爆発炎上!”“主人公は実は死んでた!”“全ては主人公の夢”“クリスタルスカルはチャチな小道具だった!”みたいなノリが控えてないと、ある種「納得出来ません」的なトコがあるんだろうが(←アホかい!)女性はきっとそう言う「作ってます」「仕込んでます」「引っ張ってます」的なオチを決して求めてる訳ではないんだろう。

原題の「Nine Lives」は直訳すると「9つの人生」となる。『9人の女たち』などと訳してしまうと“まんまオゾン監督風”となっちゃうので、まぁ『美しい人』で良かったんだろう。
9人(の女優)みんなが美しいかぁ? と言うとそうとも思えなかったワタシだが・・それは恐らくヒロインたちの「容貌&容姿」をのみ表現したモノではなかったんだろうな、と。

それにしても、長回しを多用する“静かながら、緊迫感溢れる”世界観はなかなかにスゴかった! 気の遠くなるようなNGテイクの山が、(どのエピソードにも)恐らくは築かれたことだろう(・ω・)

〜 エピソード名、粗筋、印象的なセリフなど 〜

【サンドラ】
ロスの某刑務所に服役しているサンドラは37歳。“清掃班”で熱心に働き、模範囚を目指す彼女だが、看守からは“密告”をそそのかされ、1ヵ月毎の待ち遠しかった面会では、受話器が壊れ、(壁越しの)娘との会話が途切れてしまう・・

サンドラ「どう助けてくれると? 私が告げ口してリンチに遭うのを?」
    「私に助言出来る立場かしら? 何よあんた、その歳で恥も知らないで服役なんかして!」

【ダイアナ】
小さなスーパー。カートを押し、買い物をするダイアナ(ロビン・ライト・ペン)の前に、元カレのダミアン(ジェイソン・アイザックス)が現れる。2人は現在、それぞれに配偶者を持ち、ダイアナは8月に出産を控えた身重の躯である。
当たり障りない会話の末、ダミアンに「今も君を想っている」と告げられたダイアナは・・

ダイアナ「(電話)番号は変わってないわ」
    「私たち一体何なの? まるで恋人同士みたい」
    「5分間、一緒にいただけで(別れてから)今までの人生が幻に思える・・あなたと居ると飲み込まれそう」
    「いきなり現れて“今も君を想ってる”だなんて・・ふざけないでよ!」 

【ホリー】
父との確執を清算するため、ホリーは実家に戻る。妹を通じ父を(オフィスから)呼び出して貰う彼女だが、父が帰宅するまでの10分間、庭に出て、(幼き頃の)記憶をよみがえらせたホリーの中で、感情が混沌とし始める・・

ホリー「この家、時間が止まったみたい」
   「ここはまるで墓場ね」
   「ボーイフレンドはいるの? じゃ、ガールフレンドは? 最近は、何が愛に化けるか知れないわ」

【ソニア】
ソニア(ホリー・ハンター)&マーティンの2人(スミス夫妻)は、友人のダミアン(ストーン夫妻)を訪ねる。2組の夫婦が会話を展開させる中で、マーティンは妻との間のとある「事情」を話し始める・・

ソニア「“彼らは彼ら、俺たちは俺たち”・・それってイイ響きね」
   「時々、本当に意地悪ね、あなた」
   「“とめどない時の流れ”に乾杯しましょう」

マーティン「最後は“正しい選択”をしたが、あの時はだらしなかった」

【サマンサ】
サマンサの家では、パパが重い障害を負って以来、パパとママの間には直接的な対話がなくなり、娘である彼女が2人の間を往復し、その関係を辛うじて繋いでいた。
パパもママも、そんなサマンサに「自由に羽ばたきなさい」と“奇しくも同じようなアドバイス”を送るのだが・・

パパ「別れ方は大事な問題だ」
  「お前はわが家の宝だ」
  「お前の触れるものは、全て黄金に変わる」

ママ「あなたはわが家のかすがいよ・・大空に羽ばたいて」
  「“人生はこれから”と思ってるかも知れないけれど、それは“今この瞬間”だけのことよ」
  「“いつか”は明日じゃないわ・・今日なのよ」
  「あなたが子供の頃、パパとママは競ってあなたの寝顔を見に階段を上がったものよ」

【ローナ】
ローナとその両親は、自殺した友人の葬儀に参列する。厳かな式の中、ローナの姿を認めた(友人の夫である)アンドリュー(ウィリアム・フィックナー)は彼女の姿に釘付けとなる。実は、アンドリューはローナの元夫でもあったのだ。
高ぶる想いを抑え切れず、彼はローナの手を引き、別室へと連れ込んでしまう・・

ローナ「人間をひと言じゃ表せないわ」
   「女は自殺なんかしないものよ」

父「女の中には宇宙が広がっているのさ」

友人「人生は秒針と同じ、こうやっていつまでも続くのよ」

ローナ「世界なんて狭いものね」
友人「人が狭くするのよ、過去を引き摺るから」

アンドリュー“君が忘れられない、君を想って自分を慰めてる” ←手話で話してられました。

【ルース】
モーテルの一室。ルース(シシー・スペイセク)と(その娘サマンサの教師である)スタントンは、背徳の一夜を過ごそうとしていた。しかし、スタントンがアルコールを買いに出かけた直後、窓の外で繰り広げられた光景が、彼女の心に“とある変化”をもたらすのだった・・

スタントン「総てがつながって存在してることを教えてくれるのが・・あの月さ」
     「明日は笑い飛ばせるといいが・・笑えないと、後悔しか残らない。それはこの世で最も醜い感情だ」
     「動物の一生は我々には想像でしか分からないさ」
     「ライオンがシマウマを眺めてる(TV)映像、あのシマウマは1年以上も前に別撮りされたものさ」
     「幻ほど、現実的なものはないさ」
     「ここにいない友に、乾杯」

ルース「キスが巧いのね」
スタントン「それを以前にも言われたことが・・」
ルース「あら? 誰にかしら?」
スタントン「移民局の係官にさ」

管理人「運に恵まれた人と見放された人がいるのよ」
   「みんな、責任は自分で取らないとね」

【カミール】
カミールは乳ガンの手術を控え、ナーバスになっていた。付き添う夫リチャードにもことあるごとにかみ付いてしまう彼女。やがて手術の時間が迫って来た・・

カミール「子供の頃に見たママの裸、きれいだった・・私は、乳房のない醜い姿となるのね」
    「眠らされるの、怖いわ」
    「人間なんて所詮・・夢と骨だけの存在よ、無なんだわ」
    「何故、いつもあなたには“説明”が必要なのよ・・仕方ないわね、元は他人ですもの」
    「他人(医師と看護師)の言いなりなんていやよ」
    「私たち・・しがみついて放して、またしがみついて・・」

看護師のホリー「指環をご主人に預けて」

リチャード「僕らは永遠にずっと一緒だ」 ←愛妻の耳元で囁く、このひと言がいい! 彼女は麻酔で既に眠ってたけど、、

【マギー】
マギー(グレン・クローズ)は娘マリア(ダコタ・ファニング)を連れ、1年に1度の墓参りをする。墓碑の前でシートを広げ、ピクニックをする2人。幸せな時間が過ぎて行くが・・感極まったのか、突然にマギーは娘の前で嗚咽し始めてしまう・・

マリア「墓参りの人、少ないわね」
マギー「昔来てた人も・・殆どが死んでしまったからね」

マリア「猫には9つの命があるの?」
マギー「いいえ、1つよ」

マギー「時は流れるの、みんな大きな重荷と一緒に流れて行ったわ」
マリア「重荷って?」
マギー「人生につきものの“沢山の苦しみ”のことよ」

マリア「樹に登ると・・ママより背が高くなって、大人になった感じよ」

| | コメント (4)

2009年1月22日 (木)

☆『五線譜のラヴレター/DE-LOVELY(2004)』☆

14日(水曜)の夜。
衛星第2で放送された『五線譜のラヴレター/DE-LOVELY』を観た。
この週は“ミュージシャン自伝映画・強化週間”って感じで・・連日、そうそうたるラインナップが流されたのだ。
んなもんで、こっちも必死になってテレビにかじり付いてしまった(=^_^=)

ケヴィン・クラインを主演に、音楽家コール・ポーターの生涯を綴ったミュージカルテイストの佳作。

老境に差し掛かったコール(クライン)はピアノを前に、これまでの目まぐるしい人生をぼんやりと振り返っている。
そこにやって来たのは、ゲイブ(ジョナサン・プライス)と言う人間の姿をした天使(?)。
「もうお迎えか?」のコールの問いに、ゲイブは「まだ先さ」と答えた。

「それより、君の人生を弾き語ってくれないか?」と今度はゲイブが乞う。「いいとも」と答えたコールの眼の前に、青年時代の自身の姿が映し出される。

・・「あれが私か? 若いな、歌はまずいが・・」

美しき、彼の愛するリンダ・リー(アシュレイ・ジャッド)との出会い、そして別離。
人生こそはミュージカル! コールの弾く軽快なピアノの旋律に乗り、ドラマが今、始まる・・

・・って、何かめちゃめちゃ抽象的な粗筋やね(=^_^=) ま、いいか。

私的にはケヴィン・クラインと言えばまず連想しちゃう主演作が『イン&アウト(1997)』であり、どうにも“ゲイっぽいしと”って印象が深くワタシの中に刻まれてしまってる(×_×) 実際には「そうは見えない荒々しい男優」こそが意外とゲイだったりもするんだが・・ま、いわゆる“ゲイ達者”ってことで(←そう言う小ネタはもういいってば(=^_^=))

本作では、コールとリンダの「夫婦と言うより、異性の親友」って印象も強い、その関わり方が知的で、過度に束縛し合ってなくて、好感を覚えた。
リンダは既に“パリ社交界の花”って立場を確立、婚歴もあれば複数の恋人だっているのだ。片やコールは・・(公演中の)ロシアの青年バレエダンサー=ボリスの楽屋に足繁く通う“隠れゲイ気質”だったりする。

リンダが彼にとっての“ディーヴァ(創造の女神)”であったことは間違いなく、彼女が“些細な諍い”でパリに去ってからは見事に“スランプ&深酒”の悪循環にめそめそとハマってしまうコール。

気分転換に乗馬していた彼は、落馬事故で両足に致命的なダメージを負ってしまう。「ピアノのペダルが踏めなくなる」と言う事態に陥った彼の前にリンダは駆け付けるが、その眼の前では表情1つ変えず「しっかりしなさいな」的な態度を見せるのだが、彼の前を辞し、別室に入った途端に顔をクシャクシャにして静かに嗚咽するトコは、流石に胸に迫るモノがあった・・

なかなか芽が出ず、ようやくヒットメーカーになった途端に重傷を負う・・と言うもの凄い波乱の人生を送った、この作曲家であるが・・こんな素晴らしい女性と出会えたことには“地位”や“名声”なんかの及ばぬ、もっと高い次元の幸福をきっちりと掴まはったんやなぁ・・と羨ましく感じた。

こんな“運命の女性”と出会え、自身に秘められた才能(←注:秘められてる場合に限る)を刺激⇒開花させて貰えるなら、出会う前に死んでもいい! と断言したくもなるってもんだ。・・いや、出会う前に死んだら、意味ないじゃん! あんたの今の言い草、根本的におかしくね?(=^_^=)

~ こんなセリフもありました ~

コール「恋は突然にやって来るものさ」
   「葬儀の曲だけは好きになれんな」
   「私はご都合主義じゃない」
   「私は目立ちたがり屋なんだ、恐がりでもあるが」
   「私は貪欲でね」
   「結婚してからも、彼女への恋の歌を繰り返し書いたものさ」
   「小鳥も蜜蜂も恋をするさ」
   「僕らの芝居は悲劇? それとも喜劇?」
   「歌えないのは、楽しんでいないからだ」 ←文句たれる歌手に
   「彼女に出逢って、僕は生き返った。そして捧げると誓った、僕自身をね」
   「過去を持ち出すな、終わったことを」
   「『道化師になろう』はおふざけで作った曲だったが、本気で作った曲の100倍は稼いだな」
   「育ちのいい仮面を着けた傲慢だよ、慎みなんてものは」
   「スランプでね・・いい曲を作るには酒が要る」
   「時間をかけるだけじゃ無理さ、いい曲を作るには」
   「手術の度に“曲の血”が奪われる気分だ」
   「曲を書くウィットも情熱ももう残されちゃいないさ」
   「最後だけは“毅然とした選択”をさせてくれ」
   「孤独で惨めでメランコリー・・なんて人生のフィナーレだ」

リンダ「聴衆を信じて」
   「私以上に“男好き”なのね」
   「あなたには変化が必要よ」
   「感じるままに(夜を)演じましょう」
   「大丈夫、私の運命は神の手に、公演の運命はあなたの手に・・逆なら良いのだけれど」 ←病床において
   「私の命はそう長くはないわ、少し早めにお別れをさせて」

コール「(ハリウッドは)花(=女優)の良く育つ場所さ」
リンダ「熟れ過ぎよ」

リンダ「彼から生き甲斐の音楽を奪えば、彼はもう生きられません」
医師「高望みのし過ぎですぞ」
リンダ「そんな夫婦なんです、私たちは」 ←このひと言がイイ!

サラ「“無愛想な演技”がヘタね」
コール「昔は巧かったんだがね」

友人「人生はカーニバルだが、今は必死の綱渡りだよ」

メイヤー「曲に小細工などは要らん」
    「ここハリウッドじゃ、いいものは全て映画絡みさ」 ←MGMの創始者やね。

追記:劇中で、リンダの流産が演出されていた。こればかりはポーター夫妻にとっての大きな悲劇の1つだったのかも知れないが・・ワタシなりに「それを経てこそ、2人の絆はより深まったのかも知れないな」とポジティヴに考えた次第だ。

| | コメント (2)

2009年1月21日 (水)

☆『いつも2人で(1967)』☆

19日(月曜)の夜、衛星第2で放送されたイギリス映画『いつも2人で』・・を終盤のみながら観た。

この日はTVを観る気は余りなく、取り敢えず“ガンガン溜まって来てる新聞の類(たぐい)”に引導を渡しちゃる! と思いつつ、とある事情から(自宅の)最寄り駅そばの某居酒屋で「独り飲み会(!)」を1時間ちょい程度ぼそぼそと執り行う(=^_^=)こととなり、誰とも喋らなかったが故に、たった“ビール・ジョッキ2杯”で妙に酔っぱらってしまった不覚な一夜でもあった(×_×)

会話でエネルギーを消耗しないもんだから・・酔いが回る、回る(=^_^=)

帰宅後、1時間半ほどをもつれる指で(=^_^=)新聞記事を切ったり、赤ラインを引っ張ったりした後、残り(時間)約20〜25分を観たに過ぎなかった次第(⌒〜⌒ι)

ジョアンナ(オードリー・ヘプバーン)とマーク(アルバート・フィニー)の長年に渡る“夫婦関係”の機微を描く。

オードリーの出演作で言うと『暗くなるまで待って(1967)』と同年なんだが、何と言おうか・・オードリーのご尊顔が「老けて、疲れて、やつれてて」見えた感じに驚かされた。
「役作りし過ぎ?!」とも感じたが、どうやら本作の撮影時は、私的に「大変な時期」に身を置かれていたようで、そこが表情に反映されたのでは、と決め打ち(・ω・)
正直、、ワタシの好きなオードリーではありませんでした。。

アルバートは『アニー(1982)』『ビッグ・フィッシュ(2003)』と飛び飛びにその出演作を拝見してる男優さんだが、本作を含め3本を並べると・・それぞれに「頭髪」「体型」などが異なっててそれはそれで“カメレオン俳優”な感じもする(・ω・) 美形と言うより快男児って印象を直感的に覚えるが、ヒロインを引き立たせるだけのバイプレイヤーとしての技量を買われたのだろう。

〜 こんなセリフもありました 〜

マーク「僕がいなければ?」
ジョアンナ「彼と婚約していたわ・・でもあなたはここにいる」

マーク「悲しいがこれが人生だ、仕方ないさ」

| | コメント (4)

2009年1月20日 (火)

☆『ビヨンドtheシー/夢見るように歌えば(2004)』☆

13日(火曜)の夜。
衛星第2で放送された『ビヨンドtheシー/夢見るように歌えば』を観た。
ケヴィン・スペイシーが監督&脚本(←共同執筆)&主演に意欲的に取り組み、ヒロイン役にケイト・ボスワースを抜擢したミュージカル仕立てのドラマ。

実在した歌手ボビー・ダーリンの半生を描く。

「デビュー10周年」を記念し、ボビー(ケヴィン)は「自伝映画」の撮影を始めていた。が、スタジオのスタッフ&キャストから「一体感」の伝わって来ない彼は、次々にNGを出す。スタジオ内には「疲れた空気」が漂い始めていた。
そんな中、ボビーはスタジオの奥に1人の少年の姿をみとめる。彼はボビーの“少年時代の姿”そのものだった。

その少年に導かれるように、スタジオを歩くボビー。少年が「始まりは、ここだ!」と言ってスタジオから外へ通じる扉を開け放った先には・・ボビーの生まれ育った「ブロンクスの古き町並み」が広がっていた・・

ボビーを演じるケヴィンが歌って踊る! これは彼ならではのもの凄い練習(役作り)の成果なのだが、見応えがある!
一方で“出生にまつわるとある秘密”が(物語の背後で)後半まで引っ張って行かれ、上記の「歌って踊る」陽気な“光の一面”とは正反対の“翳り”を形作っていた。

すぐ後年にも『スーパーマン/リターンズ(2006)』でケヴィンと共演を果たしてるケイトだが、本作での演技は『ブルー・クラッシュ(2002)』も『スーパーマン〜』をもはるかに凌ぐ、素晴らしいものだった! これまでに観た作品より、より生き生きと役割を演じていたのだ。往年の女優、サンドラ・ディー(愛称:サンディ)役だったんだが、可愛いだけの「お嬢様」じゃなく、中盤以降は夫であるボビーとの間のリアルな(?)倦怠感や、アルコールに依存していく“弱さ”までもを自然に演じてくれた。

ただ、実際にはボビーとサンディの結婚生活は7年ほどしか続かなかったようだが(←ウィキペディア参考)、本作では夫婦の終焉に関する描写はあっさりと、やや曖昧にしか描かれてなかったようだ。

ボビー自身が「(ケヴィンの眼に止まるほどの)描き甲斐のある魅力的な歌手」だったのか、ケヴィンが(リスペクトを込めて)演じたが故に「凡な歌手が輝いて見えた」のか、は正直分からなかったが、ケヴィンの初監督作としてはまずまずの良作と決め打って構わないのではなかろうか。

奇しくも本作以降、ちょっと「快進撃の治まり始めてる」印象もあるケヴィンさん・・また「仕掛人的な監督」とタッグを組んで、個性的な悪役演技で、我々観客を「アッ!」と言わせて頂きたいトコロである(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

ボビー「時間も病気も忘れて生きて行ける世界、それが音楽だ」
   「音楽が僕の人生」
   「記憶は“月の光”のようなもの、好きに思い描けるんだ」
   「誰でも無名から出発するんだ」
   「歌えることを証明したい」
   「配達人にまで“この僕が誰なのか”を知られた時こそが“本物のスター”だよ」
   「“20分で書いた曲”が大ヒットとはね」
   「映画を作るぞ!」
   「演技が僕の人生さ」
   「僕は(演技の)素人かも知れないが、君(←サンディ)だってヘプバーンじゃないだろう?」
   「“人生の計画を信じて生きろ”と母に教え育てられました」
   「古い街に佇むと思うんだ・・人々はここで、生き、愛し、争い、死んで行ったと・・そして今は僕らが」
   「“卓越した存在”である人を見るのが好きだ」
   「君は恋に堕ちる」
   「ベッドの中央に置いた、この1本の剣(=境界線)を越えられるのは君だけだ」 ←騎士(ナイト)を気取る、、
   「君は僕よりはるかに賢いさ、あの子(=息子のドッド)がその証明だ」
   「人はいつか死ぬ・・そろそろパパの番だ」
   「パパはブロンクスから出発したが、ここ(ビバリーヒルズ)からなら簡単さ」
   「私は歌うために生まれて来た、そして今、報われた」

母「真実が一番」
 「お前には才能があるわ」
 「大スターには粘りとカリスマ、そして“天性の何か”が必要」
 「シナトラを超えなさい」
 「ここ(=NYにある世界最高のナイトクラブ“コパカバーナ”)で歌うの、そして彼(シナトラ)を超えるの」

サンディ「ハニー(あなた)、カツラが曲がってるわ」 ←何たる屈辱、、
    「田舎者はすぐにアカデミーを欲しがるのね!」
    「毎晩同じ曲を歌ってて飽きない? 俳優は同じ映画には2度出ないものよ」
    「人は浅はかで・・“見かけ”で聴くのよ」

ボビー「髪が薄いのは分かってる」
スティーヴ「じゃ、カツラを着けろ」 ←何たる屈辱、、

ボビー「小犬(サンディ)に近付くにはまず母犬(母親)からだ」
チャーリー「しかし、あれは名犬じゃないぞ」

サンディ「あなたを傷つけるわ」
ボビー「何てことだ・・君を愛してる、心から」

ボビー「最近、飲み過ぎだぞ、何が不満なんだ?」
サンディ「舞台のあなたにしか会えないからよ」
ボビー「舞台が僕の人生なんだよ」

サンディ「彼(=アカデミーを獲った俳優メルヴィン・ダグラス)は死にそうだから同情票よ」
ボビー「死にそうなのは俺だよ!」

ボビー「本当の父が誰なのか知りたい」
チャーリー「自分を見つけたきゃステージに戻れ」

スティーヴ「これ以上何を望む?」

チャーリー「信じればそれは必ずそうなる」
     「お前は機関車だ、舞台で走り続けろ」

| | コメント (0)

2009年1月18日 (日)

☆『Ray/レイ(2004)』☆

12日(月曜)の夜。
衛星第2で放送されたレイ・チャールズの自伝的作品『Ray/レイ』を観た。実は本作、昨年(2008)の2月9日(土曜)にもBS2で放送され、しっかり録画はしたんだが・・その後、すっかり“死蔵状態”となっていた、、(×_×)
今回、ようやく再放送(?)を機に鑑賞が叶い、HDレコーダーから消去することも出来た次第だ(・ω・)

1948年。母アリサとの約束“自分の足で強く生きる”を胸に、17歳のレイ・チャールズ・ロビンソン(ジェイミー・フォックス)は故郷のフロリダ北部からシアトルへと向かう長距離バスに乗り込んだ。

バスの後部・・(両眼の)光を失っていなければ眼にしたであろう・・「黒人専用」と表示された席で揺られながら、彼の心は希望に膨らんでいた。

シアトルの街角でクインシー・ジョーンズ(!)と言う名の少年に出会い、レイは“ロッキング・チェア”と言う酒場でジャズ・ピアニストとし働き始める。オーナーのマーリーン・アンドレに気に入られた彼は“マクソン・トリオ”の一員となり、“南部男”とあだ名されつつ、めきめきと頭角を現す。
その一方で、彼は安い契約料でこき使われ、夜な夜なマーリーンに「ママのお菓子を十分に味わって」と“夜伽のお相手”にされるのだった、、

1950年。いよいよ酷使されていることに我慢ならなくなったレイは「最初から俺を食い物にしてたな? 俺をなめるな!」とマーリーンらに言い放ち、独立を志しロスへと発つ。

彼には“少年期に起こったとある事件”に起因するトラウマ(心的外傷)があり、見えない両眼で「水浸しとなった床に、弟ジョージの骸(むくろ)が横たわる」と言うリアルな幻覚に度々苦しめられるのだった。

創作活動のため、そして忌わしい“幻覚”から逃げるため、レイは麻薬(マリファナ)を覚え、やがてそれは量を増し、更に強力なヘロインの常用へと変わって行くのだった。

彼の創作を支えたもう1つの存在は“ミューズ(女神)”であった。
仲間からも「ヤツは手首を触って、いい女かどうかを見極めるのさ」とその選択のセンスに脱帽されたレイ。

女性ゴスペル・トリオ“セシル・ショー・シンガーズ”のリードボーカリスト=デラ・ビー・アントワインを素早いアタックで妻に迎え、「家庭は家庭として築きつつ」、、ソロ・シンガーのメアリー・アン・フィッシャーや、バック・コーラス・トリオ“レイレッツ”のリーダー=マージー・ヘンドリックスに次々と手を出してゆくのだった(×_×)

本作は、レイ・チャールズの影の部分・・「肉欲&快楽主義」・・に軸を据え描かれた、スキャンダラスな物語でもある・・

むむむ。観始めてすぐに「万人受けするも面白味に欠ける、キレイ尽くしの自伝の類(たぐい)」などとは一線を画してること、にまず驚かされた! ジョージア州で行った“黒人差別に対する抵抗”をのみ、分かり易くも美的な“偉業”として描写しつつ、その他のシーンの殆どは“不倫”“薬物依存”がメインに取り上げられてるのだ。

自身の中でレイ・チャールズと言えば、サザン・オール・スターズの代表曲(?)“いとしのエリー”をカヴァーした、ひょうきんそうなピアノ弾きのおっちゃん、ぐらいの印象しかなかったんだが(←ファンの方、済みません) こんなに壮絶で桃色な(?)人生を送らはった方とは知らなかった。
と言うか、この“暗黒面をほじくり返すような”脚本に「OK、OK」と快諾した、その度量に敬服します(・ω・)

冒頭で差別主義者っぽい長距離バスの運転手に「ノルマンディー上陸作戦の際、砲弾でやられてね」と盲目になった理由を説明していたが、実際には病気によるものだったようだ(劇中でも明かされる)。

それにしても、杖に頼ることもなく、ずば抜けた聴覚のみで堂々と動き回るレイの行動力はスゴい。彼の両耳は“窓の外を飛ぶ、ハチドリの羽ばたき”までも、その方角&距離を的確に掴んでいたようだが、その“超人的な聴覚”を解説(?)するシーンのカメラワークは、何だか『スパイダーマン(2002)』となった直後のピーター・パーカー(トビー・マグワイア演じる)の超聴覚を解説する場面にも似ており、驚かされつつ苦笑もさせられてしまった。

宗教観の違いから、ワタシには「ゴスペルをアレンジ(改変)してR&Bと融合させ、キャッチーに売る」と言うことの“冒涜さ加減”がハッキリとは掴めなかったが・・自身の信じる道を「ハッキリと見定め」突き進んだ一方で「自身の心の弱さ」には徹底的に悩まされ続けた・・その“天才性”と“凡人性”の対比が、絶妙なリアルさとハーモニーを持って、観客に迫って来るようだった。

ただ、主演のジェイミー・フォックスが“演技に魂を込め過ぎてる”ため、未だ“フツーの作品”におけるジェイミーと同一人物であることが「少し考えてみないと」繋がって来なかったりする(⌒〜⌒ι)

同じような“ドロドロした人間”を演じた『ドリームガールズ(2006)』ともまた、全く違う雰囲気を魅せてくれるジェイミー。
本作での熱演こそが、彼の俳優キャリアにとって、そこから先の“呪縛”となって行かないことを祈るばかりである。。

〜 こんなセリフもありました 〜

レイ「大事な話の時には、決まって俺をマリファナでハイにさせるんだな?」
  「このピアノはアート・テイタム? 話すには畏れ多い存在だよ」
  「耳が眼なんだ。この指で、この靴先で触れるものはみな音が違う」
  「受けが良くなければ喰えないんだ」
  「はっきり言ってくれ、俺の母のようにね」
  「“スタイルを変えて受けなくなる”のは怖い」
  「盲目の僕は、生き方が限られてる」
  「俺のハンデを哀れむな」
  「ニューヨークはサウンドの街だな」
  「俺たちとツアーに行かないか?」
  「何号室だ? 69か?」 ←兄貴! 最高ッス!(=^_^=)
  「俺に合わせて即興でやれ、行くぞ」
  「(収録し切れないから)2番をカットするだと? 君を(この場から)カットするぞ?」
  「俺の音楽は全て本物だ」
  「ヒットは簡単だ、だが出し続けるのは難しい」
  「差別のある会場ではやらない」
  「眼の見えない闇の恐怖も知らずに! 神に借りなんかない」

運転手「盲人の旅の面倒は見れん」
レイ「このバスに乗る権利は有る筈です」

ゴッシー「(マーリーンを)満たしてやれば、仕事もどんどん来るさ」

母「悲しんでる時間はないわ、誰も哀れんではくれない」
 「2度目までしか手を貸してはくれない、それが世の中よ」
 「世界中を旅したようね・・でもまだ弱いわ」

ビー「ゴスペルを編曲しないで!」
レイ「これが俺の音楽の原点なんだ・・これこそが(わき上がる)自然な感情なのさ」

レイ「父は家族を3つも持っていた」
ビー「あなたは家族を1つだけ作るの」

レイ「売ってくれ」
仲間「こいつはヘロインだ、マリファナとは訳が違うぜ・・ダメ人間になりたいのか?」
レイ「もうダメ人間さ」
仲間「じゃ、売ってやる・・快楽を楽しめ(Take a ride.)」

マーリーン「稼ぐには“投資”もしないと」

アーメット「小さな要求には小さな額で、大きな要求には大きな額で応えます」
     「良く身体を掻いているな? 症状が丸見えだぞ」

ビー「人の真似が出来るなら、自分の真似も出来るはずよ」
  「1つだけお願い・・“ツアーで起きたこと”を家に持ち込まないで、言い訳はいいの」

マージー「天才と身も心も1つになりたいの」
    「旅(=ツアー中)では私が奥さんでしょ?」
    「家族が大事ですって? バカな人! “麻薬と音楽と女”でとうに家族なんか棄ててるくせに」

ビー「ビバリーヒルズに引っ越しなんかしないわ、あなたの行動が問題なの」
レイ「せめて家では孤独にしないでくれ、君の助けが必要なんだ」
ビー「・・甘えないで」

ジェフ「奥さんから電話です」
レイ「忙しい、と言え」
ジェフ「・・ウソは嫌です」

※「見ろよ、膝が震えてる・・ありゃ“依存症”だ」
※「しかし演奏は最高だ」

レイ「“この業界では最高の利益を求めろ”と教えてくれたろ?」
アーメット「我々には対抗出来ない・・“シナトラを凌ぐ契約額”だからな」

クインシー「南部巡りは辛いぞ、未だに差別が色濃い」

ジェフ「ボスもいつかは運が尽きる」

ジョー「解決したか?」
レイ「心は暗いままだがな」

ハッカー医師「“有名人の依存患者”は君が初めてじゃない」

| | コメント (2)

2009年1月17日 (土)

☆『K−20/怪人二十面相・伝』☆

16日(金曜)の夜。
年始に購入⇒「各部を調整」して貰ったは良いが、なかなか引き取りに行く時間が取れず“放ったらかし”だった(・ω・)“ハ※サム・スーツ(=^_^=)”をやっと取りに行った。
残業を少しこなしてから向かい、なんば界隈の店だったので「ついでに近場の劇場で1本観とこかな」と。

“なんば01(マルイ)”の上層階にあるシネコンか、アーケードの中にある“敷島シネポップ”に久々に足を運ぼうか? とも考えたが、前々から狙ってた1作『K-20/怪人二十面相・伝』の上映に関しては「上映してない」か「開始時間が遅過ぎる」って問題がそれぞれにあり・・結局は地下鉄で再び梅田に北上し(⌒〜⌒ι)“ナビオ上層階”の「TOHOシネマズ」で鑑賞することとした。

『ALWAYS/三丁目の夕日』シリーズ(2005、2007)をヒットさせ、山崎カントクの生命を繋いだ(←監督、すんません!)スタッフが再結集。
“パラレルワールドな昭和期”を舞台にレトロ調な活劇を描いたのがこの作品☆

1941年12月8日。この日、大日本帝国は米国&英国と“平和条約”を締結。これにより“第2次世界大戦”は回避された。これは“同大戦の起こらなかった”別の世界での物語。
戦争による多大な犠牲者の出ることはなかったが・・一方で、19世紀からの“華族制度”が継続され、社会には大きな格差が形成されることとなる。そして、華族以外の人間に「転職」や「恋愛」の許されることはなかった。

そんな暗い時代において、帝都の富裕層をターゲットに美術品を鮮やかに盗み出す「怪盗」のニュースが庶民を賑わせていた。
その名は“怪人二十面相”・・一方に、彼を追い続ける“帝都最後の正義(=^_^=)”たる存在が探偵=明智小五郎であった。

1949年、帝都。これより、1人の青年=遠藤平吉を主人公とした、壮大な冒険活劇がその幕を開ける・・

“スティック・リーディング”気味な金城武くん(平吉役)があろうことか(=^_^=)“怪人二十面相”に間違えられる「災難劇」を軸に、どうにも喜怒哀楽の掴みにくい仲村トオル氏が明智(←何と“男爵”らしい!)を演じるんだが、ここだけをキャスト面から眺めるに“如何にもつまらなさそう”なのである(←ファンの方、すんません!)。

が・・これが周囲に“國村隼”“高島礼子”そしてヒロインの“松たか子”らを配し、回り始めると、俄然面白く輝き始めるんだから不思議(・ω・)

劇中では「それまでの明智vs二十面相の戦い」がどう言うモノだったか、全くと言ってイイほど描かれてなかった(×_×) なので(江戸川乱歩による原作小説の)作品世界を知らない人には、およそピンと来なかったんじゃなかろうか。。

平吉にすれば“二十面相と間違われた濡れ衣を晴らすため”立ち上がることに決めたんだが、後半辺りからは彼なりに“世の中を変えるため”半ば自発的に動き始める。
その辺りの“心の動き”は丁寧に描写されており、不自然さは感じなかった。

幾つかのレビューでも書かれてることだろうが、冒頭からの雰囲気は(“バットマン”シリーズにおける)“ゴッサムシティー”な味わいがあって良かった。ビルジングの造型とか。
中盤で連想したのはクロサワ作品の『どですかでん(1970)』や『どん底(1957)』でも描かれた“バラック(仮設建築)”や“長屋”の風景描写だろうか。
カラクリの源治(國村)自身が“泥棒長屋”などと呼んでたが、あの人間模様は瞬間風速的にせよ「クロサワ映画」にかなり迫ってたかも知れない(=^_^=)
終盤は何と言っても『ルパン三世/カリオストロの城(1979)』である。是非ヒロイン=羽柴葉子(松)には「※※はまだ出来ないけど・・きっと覚えます」とか言って欲しかったどす。

平吉が“ハメられて”以降しばらくは「二十面相(ホンモノ)が巷を騒がせなくなったり」もして、色々“裏で進行してるであろうこと”を想像してしまった(=^_^=) 究極の(邪推)ネタは“終盤までの物語は平吉の自分勝手な妄想であり、全ては彼の自作自演だった!”と言う流れだが、流石にそこまで物語は崩れてませんでした(=^_^=) ←フィンチャー路線?

帝都の地図を買い、そこに無作為に引いた直線の通り、実際に走ったり昇り降りしたりする・・なる修業を中盤から行う平吉だが(ここのシーンは『ヤマカシ(2001)』であり『マッハ!!!!!!!!(2003)』でもある、本作のハイライトの1つだ!)、良く良く考えたら、最初にやっていた“命がけのサーカス芸”の方がスゴかったかも、と(=^_^=)
某場所で源治とタッグを組み「金庫破り」をするシーンがあるが、扉を開いた瞬間に(トラップで)飛んで来た“ナイフ”を素手で掴んで止める動作(動体視力&反射神経)も凄まじかった! (助けられた)源治自身もビックリしてたが、ワタシもそれに少し遅れる形でビックリした(=^_^=) ←咄嗟に分かりにくい演出やと思う、アレ。

レトロさをウリにしてたとすれば「画面の色調をやや上げ過ぎ」とも感じた。また「演出面」においてもたまに粗くなってる(スベリかけてる)トコが見受けられたか。
ほか“昭和期の街を完全再現”ってうたってる(?)割には、屋内など「限定的な空間」での展開が多く「再現し切ってた」訳でもないな、と突っ込んどきたい。

が、年内に観てたら・・きっと“2008年のベストムービー”において「次点」には入ったであろうと思う。

現時点の邦画界において「エンタテインメント作品の最先端を突っ走ってた印象」は強かった。続編を製作するとなれば、根本的な部分でかなり(1作目と繋げるための)アレンジを施さなきゃならんだろうが、それはそれでまた付き合っても良いかな? と考えている。

監督&脚本を手がけた佐藤嗣麻子さん、まだまだワタシの中では未知数な方であるが、次作を気にはしてみる所存である。

〜 こんなトコにも気付いたり 〜

♦八木博士、南部団長(小日向文世)、お2人とも途中からどっか行きましたが・・それで良かったんですか。。
♦オープニングのスタイリッシュなアニメ映像はなかなか良いっすね!
♦「軍警」「曲芸手妻師」「ツングースカ大爆発(1908)」「カストリ雑誌」「帝都スポーツ」「警務局」「全國指名手配」「帝都電力」「電磁波撮影機」「陸軍省情報研究所」「レイザー光線」「テスラコイル」などのそれらしいワード群が、ワクワクさせてくれたり(・ω・)
♦小林(芳雄)少年が時折見せてくれる「邪悪そうな言動」が最高にスリリングだった。
♦「少年探偵団」がおまけ的に登場するが、何だか「物陰から覗いてただけ」って風だった、、
♦羽柴公爵(大滝秀治)が葉子に託したのは「箱根の寄木細工」だったんやろか?
♦牢獄にいた男(川村?)が「俺は二十面相の素顔を見たことがあるぜ」とか言ってたが、どんなシチュエーションで見たのか、しっかり聞いておいた方が、後々役に立ったような気もするネ。
♦劇中で貧民エリア然とし(?)描かれてた“ノガミ”とは・・どうやら「上野」のことらしい!
♦二十面相もまた“修業ノート”を読破したとかしないとか? どっちやねん!
♦無一文な筈の平吉。マジックでいきなり「焼芋」を出してたが・・どうやったんだ?!
♦嶋田久作さん、鹿賀丈史さん、、あんな出番でよろしかったんでしょうか(・ω・)
♦「浅草田原町」「麹町」などの地名もセリフ内で登場。
♦情報研究所における明智の言動は面白い! ああ言う演技のメリハリの付け方は大好きです(=^_^=)
♦あの「マスク&マスク」なハンデで戦う二十面相(ホンモノ)はやっぱり凄かった!
♦終盤、やけに警備の手薄だった「羽柴ビルジング」
♦「二十面相がらみ」の事件以外には、全然仕事のなさそな明智、、素行調査とか、ないんかよ?
♦本作においても「ラバーマスク製作」はメチャメチャ早かった! トム・クルーズもジョン・ウーもビックリだ(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

シンスケ「いっそ、泥棒にでもなろうかな・・幾ら働いても貧乏なんだから」

南部「人間が疎かにされるような、そんな社会が長続きする訳がないよ」
  「諦めさえしなければ、どんな願いも必ず叶うさ・・“諦めた時”こそが最後なんだ」

侍女長「女の幸せは、結婚ですとも」

修業ノート“逃走術は、また侵入術でもある”
     “変装は、変装に非(あら)ず”

平吉「その動き・・お前も“サーカスの出”か?」
  「結局は自己満足なんだろ? ・・この偽善者!」
  「白いハトは大空を飛びたがっているんだ・・なぁ、こいつを羽ばたかせてやってくれよ」
  「既存のものを壊すには、圧倒的な力が必要なんだ」
  「自分の願いを叶えるのに、俺には“権力”なんて必要ない」
  「あんたを疑っていたのは、俺たちじゃない」
  「あんたは陽の当たる道を・・俺は夜の道を行くよ」

源治「幾ら何でも・・人、盗んだらマズいだろ」
  「大丈夫、ヤツは天才さ・・自分では気付いてないみたいだがな」

平吉「あんた、スゴいな!」
葉子「“良家の子女のたしなみ”ですわ」

葉子「石鹸で、髪、洗えるんですか?!」
一同「洗えるよ!」

葉子「何だか“人形の家”みたいですね、本宅はどちらに?」
  「どんな狭い場所でも生きて行けるのですね、人間は」
  「“見て見ぬふりをする”のは大きな罪です」
  「私・・自分の“すべきこと”が何だか分かった気がします」
  「富の独占は、無意味だと気付いたのです」

明智「この私が“誤認逮捕”をしたと言うことですか?」

二十面相「こういうもの(=拳銃)を使うのは、私の美学に反するのだがね」

| | コメント (2)

2009年1月15日 (木)

☆『X-MEN/ファイナル・ディシジョン(2006)』☆

11日(日曜)の夜。
“日曜洋画劇場”で地上波初放送された『X-MEN』シリーズの3作目にして完結編である『X-MEN/ファイナル・ディシジョン』を観た。

『1(2000)』『2(2003)』共に「まぁまぁ」って感じで、それなりに楽しんで観て来た同シリーズだが・・今作は良く言えば“サプライズの連続”であり、悪く言えば“積み重ねて来た物語世界を台無しにした”とも言えるデキだった。

どうやら敗因(?)は、これまで1&2作目を監督したブライアン・シンガー監督の手を離れ、ブレット・ラトナーがいきなし(?)監督に起用されたことと、“X-MENチーム”のリーダー格だったサイクロップス(ジェームズ・マーズデン)が、シンガー監督が(本作と)同時期に手がけた『スーパーマン/リターンズ(2006)』に出演することとなったため、その登場シーンが殆ど序盤のみに限られてしまったことであろう。

これにより、本作も『スーパーマン〜』も、中途半端でボロボロな仕上がりとなってしまったように思えてならない。。

そう遠くない未来。

“プロフェッサーX”ことチャールズ・エグゼヴィア(パトリック・スチュワート)率いる“善のミュータント集団”である“X-MENチーム”と、かつてその同志だった“マグニートー”ことエリック・レーンシャー(イアン・マッケラン)率いる“悪のミュータント集団”である“悪のミュータント集団(←そのまんまや!)”は、微妙なバランスで互いに睨み合っていた。
直前、激闘の中で“X-MEN”の参謀格=ジーン・グレイ(ファムケ“オナトップ”ヤンセン)が激流に飲み込まれ姿を消して(←前作ラスト)以来、その恋人だった“サイクロップス”ことスコット・サマーズはすっかり無気力となってしまっていた。

そんな中、2つの大きな事件が起こる。

1つはワージントン博士が「ミュータントを人間に戻すことの出来る」新薬“キュア”を完成させたこと、
1つは、ジーンが姿を消した「アルカリ湖」で、驚くべきことに彼女が“無事な姿で”発見されたこと、である。

“ミュータント特有のX因子を抑える治療薬”が開発されたことで、アルカトラズ島(サンフランシスコ沖の孤島)に建つ「ワージントン研究所」は“ミュータント解放の拠点”となり、未だ社会から阻害されてるミュータントらにとっては「ミュータントとしての尊厳を貫くか? それを棄て人間に戻るか?」の大きな選択肢が突き付けられることとなる。

一方で“生死の境を彷徨った末”(これまでチャールズにより封じ込められてた)邪悪かつ強大な別人格“フェニックス”の覚醒したジーンは、収容されていた「恵まれし子らの学園」を逃亡し、実家に戻る。
奇しくもその家こそは「20年前、少女時代の彼女をスカウトすべくチャールズ&エリックが肩を並べ訪れた場所」でもあった。

再びジーンの前にチャールズ&エリックが駆けつけ、彼女の暴走を食い止めようとするも・・“クラス5”のサイキックパワーを自在に操るジーンの前には全く歯が立たなかった・・

その後、ジーンを味方に(?)引き入れた“マグニートー(エリック)”は「ダサいヘルメット」を冠りつつ(=^_^=)、若きミュータントらを率い「ブラザーフッド」なる私設軍隊を結成。
“キュア”の根絶と、この新薬の源となった遺伝子を持つ少年ミュータント“リーチ”を抹殺すべくアルカトラズ島へ向け進軍する。

それを阻止せんと、“ウルヴァリン”ことローガン(ヒュー・ジャックマン)、“ストーム”ことオロロ・モンロー(ハル・ベリー)、“ビースト”ことハンク・マッコイ、“アイスマン”ことボビー、“コロッサス”、キティ・・のわずか6人となった“X-MEN”が現地へ飛ぶ。

ついに、彼らの最終決戦が始まろうとしていた・・!

シリーズを(いずれもTV放送ながら)観て来た人間としては「勿体ない!」と叫びたい気持ちで一杯だった(×_×) 私的に“サイクロップス”や“ミスティーク”ことレイヴン(レベッカ・ローミン・ステイモス)、“ローグ”ことマリー(アンナ・パキン)などのキャラが好きだったんだが、そんな彼らが次々と「脱落」「退場」して行く展開には・・「コレはヒドい!」と嫌悪感を剥き出しにしたファンも、決して少なくなかったんじゃなかろうか?
半面、魅力ある新顔(ミュータント)は登場しなかったし、最終決戦の始まる前に「あんたがおらなんだらアカンやろ!」と言うべき“大物”が姿を消しちゃったりもして、、ムチャクチャだった。

そう言うと、近年は「CG映像でキャラを“粒子化”すれば、それが“真っ当な死の描写”となるだろう」と考えてる映像クリエイターが何だか多いように思えてならないんだが、そんな「小手先のお遊び」だけで観客を納得させられる、とは決して思わないで貰いたいモノだ。

『スーパーマン〜』は興行的に“失敗作”だったようだが、本作もワタシに言わせて頂ければ、ヒットはしたにせよ物語としては「愛情が込められてない」し「どう考えても失敗作!」と決め打ちさせて貰いたいトコロである(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

マグニートー「パワーの崇拝は失墜を招く」
      「自分だけが特別だと?」
      「団結だと? 人類に騙されるな」
      「可哀想だが、もう君は我々の仲間ではない」
      「何故、才能を封じ込める?」
      「何故、チャールズは“女神の才能”を閉じ込めたのだ?」
      「自由でいたければ戦わなければならん、今その戦いが始まるのだ」
      「我々こそが奴ら人類の“治療薬”なのだ」
      「“アダマンティウムのにおい”でお前の存在は分かっていたぞ」

プロフェッサーX「パワーを操るか、それに操られるか・・それが君の課題だ」
        「アインシュタイン博士はミュータントの存在を知らなかったろう、恐らく」
        「世の中は良くなったが、天候は急変するものだ」
        「野獣は野放しにするより、眠らせておく方が良策だ」
        「パワーに操られるな・・!」

ローガン「止められるのは俺だけだ」

サイクロップス「(身体の傷だけでなく)心の傷も早く癒えるんだな」

フェニックス「変わったわね、ローガン・・飼い馴らされて」

ローグ「私だって人と触れ合いたいの」
ローガン「どうせ男のためだろ?」
ローグ「どうして引き止めないの?」
ローガン「友人だからな・・だが良く考えな」

ストーム「ここは安全よ、これまでも、そしてこれからもね」
    「あなたは真実を見失ってる・・彼女は“マグニートーを選んだ”のよ」

ビースト「男には戦う時が・・そう言うことだ」

マグニートー「まだ懲りんのか? 貴様は」
ローガン「とっくに懲りてるさ」

追記1:「クソ人類め!」と元気良く毒づいてたあのしとが・・間もなく“キュア”により「クソ人類の1人」になっちゃう悲劇。。
追記2:アンナ・パキンちゃん、だんだんヒロインとしての存在感が後退して行ってた(×_×)
追記3:「王は死して玉座を遺し・・※※は死して車椅子を遺す」・・のか?
追記4:“翼を持ったミュータント青年”が重要な存在になるかと思いきや・・大した“立ち位置”でもなかった(・ω・)
追記5:「大統領執務室に飾られてたリンカーン大統領の肖像画」が印象的だった。アメリカ人には“グッと来る演出”なんやろか?
追記6:ヒュー・ジャックマンとハル・ベリー。本作では大したロマンスも描かれなかったが、考えたら『ソードフィッシュ(2001)』ではヒーロー&ヒロインの関係だったんやね(⌒〜⌒ι)

| | コメント (2)

2009年1月14日 (水)

☆『ハルク(2003)』☆

9日(金曜)の深夜に地上波で放送された『ハルク』をその場で約30分、続きは録画し翌10日(土曜)の夜に観た。
マーベル・コミックスを代表する(?)アメコミ作品『超人ハルク』の実写映画化。吹替え版。
何がスゴいかって・・監督が『グリーン・デスティニー(2000)』や『ブロークバック・マウンテン(2005)』のアン・リーってこと! 全く、ワタシの中で(作品と監督の)イメージが繋がりまへんわ(×_×) ←名前こそ似てるが、女優のコン・リーとは別人です(分かってるって)

4歳の頃、父デヴィッド(←元は“大統領の科学顧問”だったらしい!)と母を同時に“とある事故”で亡くした主人公ブルース・バナーは、その時の記憶が成人した今となっても混濁したままだった。
成長し、父と同じ遺伝子学者となったブルース(エリック・バナ)は「核物質バイオテクノロジー研究所」に勤務し、同僚の科学者ベティ・ロス(ジェニファー・コネリー)らと共に、小動物に“緑色ガンマ線”を照射することで、遺伝子レベルの細胞(ナノメット)を活性化させ、同時に「傷ついた細胞」の自己再生をも促すことを実証する。

が、まだガンマ線には照射段階で不安定さが伴い、浴びせ過ぎたカエル(フレディ君)は細胞が膨張し、内部から「ひでぶっ!」と爆発してしまうのだった。。
そんな中、研究中に機材の回路がショートを起こし、暴走した照射装置から仲間をかばおうとしたブルースは、全身に多量の“緑色ガンマ線”を浴びてしまう。

目を覚ました彼は、自身が「破裂することなく生きている」ことに気づき、また(体の)古傷が全て治って(消え去って)いることに驚く。
その夜、父デヴィッドを名乗る男(ニック・ノルティ)がブルースのもとへ現れる。「30年ぶりだな・・」と語りかける男は「怒りの感情には、気を付けた方がいいぞ」なる“謎の言葉”を彼に残し、その姿を消した。

直後、彼の体内で異変が起こる! 全身の皮膚が緑色と化し、筋肉が数倍に膨張、衣服は弾け飛び・・やがて研究室にすっくと立ち上がった巨躯はもはや人間ではなかった!
そして、その恐るべき破壊力&移動能力&跳躍力で戸外へと飛び出す緑色のモンスター“ハルク”

一方、研究所で起きた“異変”を知ったベティの父=ロス将軍は、ブルースから愛娘を遠ざけると共に、彼(ブルース)のライバルである科学者グレン・タルボットと手を組み“ハルク”を捕獲⇒その組織を研究、生体兵器に応用しようと目論むのだった・・

そこそこに期待してたんだが、、アカンですね〜。特に“ハルク”が誕生した中盤以降はスッカスカな物語が加速的に展開し、リズムも重みも台無しとなってますた(×_×)
そもそも、ワタシには巨大化したクリーチャー“ハルク”がどうにも“シ※レック”に見えて仕方なかった、、

ジェニファーも、折角『ビューティフル・マインド(2001)』でオスカーを獲った(=アカデミー助演女優賞)ってのに、次がこれではアカンやん、、その後の『ダーク・ウォーター(2005)』もイマイチだったし(×_×)

エリックも、翌年の『トロイ(2004)』での存在感はなかなか良かったんだが、本作ではイマイチ魅力が伝わって来なかったな。
結局、楽しそうだったのは“ニクノルのとっつぁん”だけだったのかも知れん(⌒〜⌒ι)

ヴィジュアル的には“シュレ※ク”な主人公だが・・“変身し怒りに全身を支配される”ってノリは“ジキル博士とハイド氏”辺りがちと入ってるんかも? 後半からは本格的に軍関係とCG映像で楽しそうに遊んだりするが、終盤になるとヘンテコなテキが出現し(←電流を浴び巨大化する・・って演出が『大日本人(2007)』ぽくて笑えた)これまた作品が暴走。。

あ、特撮関係について言うと、2シーンだけ、強烈な印象を受けたものがあり、

♦“謎の人物”がけしかけた、3頭の“ガンマ猛獣(←どっかの飼い犬にガンマ線を照射し、巨大化&凶暴化させたクリーチャー)”のうち、プードルっぽいヤツ
♦日中のサンフランシスコ市街地における、路面電車の脱線シーン。

これら2つは素晴らしかった(=^_^=) 特に前者(=ガンマ・プードル)は「自身が格闘向きの犬種ではないこと」を熟知しており、他の2頭が“ハルク”に襲いかかるのに、自分だけは(か弱い)ベティ博士を襲うのだ! これ程に可愛くてずる賢いヤツは、他に余り例を見ません(=^_^=)

“ハルク”誕生以降、どんどん作品世界が破綻していったんだが、、まぁこの“ガンマ・プードル”を観るだけでも、得した気分に浸れると思うんで、機会があれば是非にご覧下さいネ(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ブルース「すっかり元通り、それ以上だ・・古傷も治った」
    「今までにない程、気分はいいんだ」
    「あれが起きると、我を失ってしまう・・しかもその状態が“快感”だ」
    「怒らせたな? 怒らせると後悔することになるぞ」
     (You're making me angry. You wouldn't like me when I'm angry.)

ベティ「あなたのせいじゃない・・“心を開かない”男の人を好きになってしまう私がいけないの」
   「身体の傷なら目に見える、でも心の傷は見えない所で深く進行して、連鎖反応を生むかも知れない」
   「(例えあなたが)どんな姿でも・・私には分かる」

父「説明したところで半分も分からんだろう・・体験しなければな」
 「私の愛するもの、大切なものは全て・・この指をすり抜け、ただの記憶に変わってしまったのだ」
 「喚くのはやめろ、つまらん人間のすることだ」

※※「お前は“あの能力”を葬りたいのか?」
  「私は自分の肉体を高めようとしただけだ・・自分自身の肉体をな」
  「お前はただの“入れ物”に過ぎない、薄っぺらい理性を保ってはいるが、そんなものはアッという間に崩れ去る」
  「軍服を着た連中は、何も考えず、自分たちの勝手なルールを世界に押し付けているではないか!」
  「私とお前なら、奴らの掲げる旗も、奴らの政府も消し去れるのだ! 瞬く間に! 潰してやれる! お前と私なら!」
  「死んで生まれ変わるのだ・・宗教や文明が人類の魂を食い荒らす、その前に“英雄”としてな」

追記1:多用される“画面分割”がノーマン・ジュイソンやブライアン・デ・パルマの亜流っぽくて、苦笑させられた。
追記2:巨大化しようが、決して破れないズボンに違和感・・どんな繊維だってんだ?
追記3:かなりの重量であるハズの“ハルク”が“戦闘機の背中にしがみついて音速飛行”する演出はどうもやり過ぎな。。
追記4:スポットライトに2つの椅子・・後半の“対話シーン”はどう眺めても「舞台劇」だと思う(・ω・)
追記5:そもそも劇中では、誰も“ハルク”なんて呼び名を使ってなかったぞ??
追記6:ちと想像つかなかったが・・エリック・バナは、母国オーストラリアでは“コメディアン”の肩書の方でこそ有名だそうだ!(←ウィキペディアより)

| | コメント (2)

2009年1月13日 (火)

☆『ハイジ(2005)』☆

8日(木曜)の夜。衛星第2で放送されたイギリス映画『ハイジ』を観た(吹替え版)。
往年のアニメ作品『アルプスの少女ハイジ(1974)』として有名な、かの児童文学を実写化したもの。当時のアニメ作品自体を殆ど観ておらず「手っ取り早く“ハイジ”の世界を学んどこ」と考え、鑑賞することに。

(両親の死後、育ての親となった)デーテおばさんに連れられ、祖父であるアルムおんじ(マックス・フォン・シドー)に預けられることとなったアーデルハイド(エマ・ボルジャー)は“ハイジ(Heidi)”のあだ名が似合う(?)9歳の活発な少女。
おんじには“何か良からぬ噂”が囁かれているらしく、スイス・デルフリ村から外れた、冬になれば深い雪に閉ざされる山小屋で独り、暮らしていた。
無愛想で頑固で厭世的なおんじは最初「お前をここに置く訳にはいかんぞ」とハイジに対し冷たい態度を取ったが、純粋で心優しい彼女と接することにより、次第にその態度を軟化させてゆく。
村外れにはヤギ使いのペーターも住んでたが、彼もまたおんじ同様“心の何処か”の屈折した少年だった。

彼らとのアルプスでの暮しにも慣れたある日、デーテおばがやって来て、嫌がるハイジを半ば強引にフランクフルトの富豪・ゼーゼマンの屋敷へと連れて行く。ここでは、足の不自由な11歳の少女クララが彼女を待っていた。

病弱で外出もままならず、塞ぎ込みがちなクララに友達とし紹介されるハイジ。
彼女はこの“新しい友人”を歓迎したが、ハイジ自身は、屋敷での堅苦しい生活や、ことあるごとに辛くあたる執事ロッテンマイヤー(ジェラルディン・チャップリン)により、次第に心を病んでゆくのだった・・

CG特撮により、谷間に架けられた“超ロングサイズのブランコ”をハイジがこぐシーン・・がいよいよ実現するか?! と期待してたが、そう言うアニメファン向けの演出は一切挿入されなかった(・ω・)>
全体的にはハイジを軸とした「対おんじ」「対クララ」「対セバスチャン(使用人の青年)」「対(クララの)おばあさん」ってな交流が綴られるんだが、どれも児童文学の域を超えるものではなく(←超えなくてええって)、丁寧だが予定調和的に進んでく感じだった。

私的にはもっと“アルプスの野辺で遊ぶハイジ”って映像を観たかったが、物語の半分はゼーゼマン屋敷篇であり、アルプスのシーンにしても半分ほどは“冬の生活”の描写だったので、意外と“インドア”な印象が強かったように。

残念だったのは、アルムおんじを除く面々に、さほど魅力を感じなかったことか。ハイジもクララもペーターも“可愛さ”や“美しさ”よりも“リアルさ”の優先されてた気が(⌒〜⌒ι)
ロッテンマイヤーさんのみが、最後まで「認めぬ! 退かぬ! 媚びぬ! 顧みぬ!」と、頑な性格を崩すことなく孤軍奮闘されてたが、それはそれで“助演女優”としては光ってたかな、と。
しかし、かの“喜劇王”チャールズ・チャップリンの娘さん(!)でもあるジェラルディンさん・・果たして本作におけるキャラ造型を“偉大なるチャーリー”が天界から微笑んで見下ろしていたのかどうかは・・微妙なトコだったかも知んない。。

終盤では、アルプスに戻ったハイジを、今度はクララが訪ねる・・と言う展開となるが、そこでペーターが(クララの裕福さに嫉妬したのか)いきなり“(クララの)車椅子を谷底に向かって蹴る”なる凶暴な行動に出るのが衝撃的だった。
結局、(それについては)謝罪も告白もなかったが・・その後、怒りを克服出来るようになったのか、作品を観終わってからもその点が気になってしまった。。

〜 こんなセリフもありました 〜

ハイジ「あの鷹は何を鳴いているの?」
ペーター「村に住んでる、諍いばかりの人間をあざ笑ってるのさ」

ハイジ「ここ(屋敷)から見えるのは石の道だけね」

ペーター「ヤギ飼いには読み書きなんか必要ねぇもん」
    「外は酷い風だ、いつかこんな家、吹き飛ばされっちまうよ」
    「本なんか読む奴はバカだ」

おんじ「都合のいい時に売り買い出来るシロモノじゃないぞ、あの子は」
   「これまでに山ほどの悪事をやって来たが、誓って人は殺していない・・」
   「これ以上、わしらに何が必要だと言うんだ?」
   「齢(とし)を感じるようになった・・」

ロッテンマイヤー「私は遅刻する人間が大嫌いです」

ハイジ「この街(フランクフルト)に大きな樹は1本もないの?」
教会の男「こんな都会に住む程、樹は愚かじゃないさ」

クララ「ハイジはね・・毎日、私を笑わせてくれるの」

おばあさん「“ハイジ”がこの子の本名なら、(アーデルハイドではなく)そう呼ばれるべきです」
     「ハイジ、誰でも字は読めるわ」

おばあさん「あなた、ホントにハイジが嫌いなのね?」
ロッテンマイヤー「認めたくありません・・良い子だと相手に思わせる、あの子の才能を」

おばあさん「あなたがあの子の本質を見抜いているとは思えないわ。
      ・・“良い子のふり”をしているのはあなた自身でしょう?」

追記1:いきなりいなくなったハイジを心配し、行方を尋ねる村人に・・

おんじ「ハイジは・・わしが喰っちまった」

ってのは、村における(おんじの)評判から察するに“シャレになってなかった”と思うんだが、、
追記2:おんじは「ヨーゼフ」と言う名の犬を飼ってなかった。。これは(アニメ版のみの)オリキャラだったらしい(・ω・)
追記3:ペーターを演じる少年の容貌・・ちと“スティーヴ・マックィーン”が入ってました(=^_^=)
追記4:以下、ウィキペディアより転載(=^_^=)

「(アニメ版で)オープニングのハイジが乗っているブランコの長さは、振り子の周期から計算して約37.8メートル。」

| | コメント (2)

2009年1月12日 (月)

☆『ラースと、その彼女』☆

11日(日曜)の午後。
久々に(?)新梅田シティにある“シネ・リーブル梅田”に行き、これまた久々の小品(?)『ラースと、その彼女』を観て来た。う〜ん、やっぱし平日に行くとしたら“少々面倒な立地”ですなぁ・・今日にしても、寒風がなかなか肌に厳しかったのれす(×_×)

午後からの回で観たが、開場時間前のロビーにガキ・・じゃない、ちびっ子(連れのお父さんなど)が多くて当惑(・ω・) 『ラース〜』って、こんな“幼き者たちのハート”をすら、鷲掴みにしてるのかしらん?? と“末恐ろしきモノ”を感じてしまっ・・てたら、何のことはなく、直前まで上映されてた『トミカヒーロー・レスキューフォース/爆裂MOVIE〜マッハトレインをレスキューせよ!〜』なる特撮映画を観終わったしとたちに過ぎなかった(⌒〜⌒ι) ←案外メチャメチャ面白かったりして。。

リンクさせて頂いてる幾つかのブログでも評価が高く「これは押さえとかな!」と関西弁で直感した本作。殆ど予備知識を仕入れずに観に行った次第だが、さて・・?

アメリカの何処かの田舎町(←ややイギリスっぽくも映る、実際にはカナダで撮影されたそうだ)。27歳のラース(ライアン・ゴズリング)は、兄夫婦の住む“本宅”の斜め(?)に建つ“ガレージ”を改造した家で暮らす純粋で心優しき青年。
町の皆には“ミスター・サンシャイン”と親しみを込め呼ばれているが、彼がいつまでも1人で悶々と(?)生活を送っていることに、義姉カリン(エミリー・モーティマー)は心を砕いていた。
「せめて食事ぐらいは一緒に」とラースを再三誘うカリンだが、口約束こそは結ぶものの、彼が実際に実兄ガス(ポール・シュナイダー)たちの食卓に座ることは殆どなかった。

そんなある日、ラースは職場で同僚に“リアルドールはいいぞ”と聞かされる。ホンモノの人間(の女性)そっくりの肌触りに体重。また、オプションの選択によっては、年齢や国籍をも自在に設定出来ると言う。ラースの心の何処かで、確かに“響くモノ”があったようだった・・

6週間後、ラースが珍しく兄夫婦の家の戸を叩く。
「会わせたい女性(ひと)がいる」と、ラースはもじもじしながらも嬉しそうだ。
「彼女は外国人で、言葉が不自由なんだ」「移動には車椅子が必要なんだ」弟が眼を輝かせ続ける言葉に、うんうんと頷くガス&カリン。
しかし、ラースが“彼女”として紹介したのは“リアルドール”のビアンカであった。

ポスターなどで有名なのは「右にビアンカ、左に微笑んだラース」を配したショットなんだが・・まぁ、言ってみれば「この1枚が本作(全体)を明確に表現してる」とも思う訳で、この点に限れば『リトル・ダンサー(2000)』のソレ(ポスター)にも通じる“ヴィジュアル・インパクト”を有してたような気がする。

物語の展開はタイトルである“ラースと、その彼女(ビアンカ)”に端を発するものの、中盤以降は“ラースの家族と、その町の人々”って風に広がってもゆく。
彼ら(一家)に対する愛情故に、町全体で(?)ラース&ビアンカを受け入れ、見守り、祝福しようと、ストーリーは流れて行く。

そのまま「劇終」(←香港映画かよっ!)となっても、それはそれで良かったかも知れないが・・後半では、ラースが「意を決してビアンカに“プロポーズ”したけど、彼女の返事は“ノー”だったんだ!」と兄夫婦に告白し、その心境に“微妙な変化”の訪れたことが観客にも明示される。
そして“意外な人物(?)による幕引き”を経て、ラースに“喪失と再生”がもたらされるのだが・・(・ω・)

私的に、本作で一番「光ってる!」と感じたのはダグマー・バーマン医師だったろうか。この方の「冷静で毅然と振る舞いつつも、踏み込めば温かい」と言うキャラ造型は、かなり本作の質を高めてくれていた。連想したのは『スカウト(1994)』で医師を演じてはったダイアン・ウィーストさんかな。

パトリシア・クラークソンさん、ワタシの中で「要注目の女優さん」となりそうですなぁ。

実はラースの間近には、彼に想いを寄せるマーゴと言う女の子(同僚)がいたりもし、彼女なりの“やきもき”“じたばた”する様子も、見所の1つと感じた。
美人、とは言えないしとだが(ファンの方、済みません)“コメディエンヌとしての才能”のスゴそうな女優さんである。

意図された演出とし、冒頭&終盤で神父の語るシーンがあるが、特に前者におけるセリフ(うろ覚え)

「神の仰る究極のルールはただ1つ・・“互いを愛しなさい”です」

と言うのが、それが放たれた瞬間から、作品世界全体に染み渡って行くようで「エエなぁ〜」と妙に気持ちが安らいでしまった(=^_^=)

総括としては“町ぐるみの、実話めいたええハナシ”って域を超えるモノではなく、私的には涙腺を刺激されることもなかったが・・

「妄想を作り出すのも、それに幕を下ろすのも、結局は自分と言う人間なんやね」
「みんなが1人を変えることって、逆に言えば1人がみんなを変えることでもあるんやね」

と何だか“アホみたいなこと”を観賞後に改めて思ってしまったワタシである(⌒〜⌒ι)

〜 ほか、こんなことも 〜

♦海外にも“アクション・フィギュアおたく”のおることを再確認(・ω・)⇒安心(=^_^=)
♦「テディ・ベア」の救命(蘇生?)シーンは“ミスター・ビーン”っぽくて微笑ましかった。ローワン・アトキンソンがやるよりも断然魅力的だし(=^_^=)
♦主人公の第一印象は「(『スクリーム(1996)』『スパイダー・パニック!(2002)』に出てた)デヴィッド・アークエットに似とるね」である。どないでしょ?
♦ビアンカは「ブラジルとデンマークのハーフ」であり宣教師。看護師の資格もある、と紹介されていた。日本人好きのしとなら「トウキョウからやって来たコギャルの“ミドリ”」っておなごもチョイス可らしい(=^_^=)
♦ビアンカの下腹部を「チラ見」したカリンが「やだ、ウソ・・!」と驚愕するシーンに、観てるこっちも驚愕(⌒〜⌒ι)
♦ラースには“リアルドール”を勧めつつ、(多分)自身は購入しなかった同僚くん。「X−boxの新型を買って、金がなくなったんだ」とか言い訳してたが・・「たかだかゲーム機が、幾らのモンやねん!?」とぶん殴ってやりたい気分だっ(おいっ)
♦バーマン先生による治療は(時間的にも)手厚過ぎる気がした(・ω・) 「入院させるだけの(金銭的)余裕はない」とか兄夫婦は言ってたが、あそこまで入念な通院(の質&回数)ともなると、結構(費用が)かかったんではなかろうか?(にしては薬を処方してなかったようにも思う?)
♦兄夫婦を写した「同じ」写真が「2ヶ所」で飾られてたのが印象的だった。
♦ボウリング場でのラースの「1投目」には笑った! あのネタは合コンでも使えるね(←まだそんなんやっとんかい!(=^_^=))
♦ラスト寸前“ラースと、その彼女”を手前に配しつつ、その背後を戻って行くバーマン先生の後ろ姿にキュンとしてしまった。きっと「やれやれ、治療は終わったようね・・」とでも呟いておられたことだろう。
♦中盤からの“サスペンス劇”を何処か期待してしまってたワタシ・・(ビアンカが)ベッドで自然に(左に)倒れる演出には・・ヒヤリとしました(×_×)
♦最後は、やっぱり「あの木箱」を“再利用”したんやろか?(←おいおい)
♦「犬」や「警官」の存在しない世界でしたね(・ω・)
♦エミリーさん、激した時の“声のかすれ具合”も含め、デミ・ムーアっぽさはそこそこ健在ですね☆
♦何のかんの言って(←言わないが)、結局は沢山の女性に愛されてたラース君でしたな(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜 ※メモなし鑑賞につき細部は異なります、、

ラース「僕を抱きしめようとする人もいるけど、抱きしめられるのが嫌いな人だっている」
   「これは造花だから、美しさは永遠に損なわれないよ」

マーゴ「涙の理由はそれだけじゃないの」
   「彼といても面白くなかった、だけど・・寂しかったのよ」

ラース「いつ、大人を自覚した? セックスを知ってから? そもそも“大人”って何だ?」
ガス「皆に正しいことをする、例えそれが辛くても・・それが“大人”だと俺は思う」

バーマン「心の病の全てが悪いわけではないわ」
    「ビアンカが現れたのには“理由”が有る筈よ」
    「これから先、を決めるのは彼自身よ」

バーマン「寂しさの余り、患者の名前の綴りを間違えることもあるわ」
ラース「先生は・・面白い人ですね」

※「満員だと? 女どもを帰らせろよ!」
店員「そんなこと出来るかよ、八つ裂きにされちまう」 ←ボウリング場にて

ガス「弟は“町の笑い者”になる」
バーマン「あなた方もね」

彼女「そろそろ私たちも、みんなの所に戻らない?」
ラース「少し歩かないか?」
彼女「いいわ」

同僚「解剖学的にも“精密”らしいぜ」

おばさん「人生なんてそんなものよ・・“幸福”と“不幸”が一度にやって来るの」
    「まるで大きな子供ね・・夫みたい」

| | コメント (12)

2009年1月11日 (日)

☆『ピノッキオ(2002)』☆

7日(水曜)の夜、衛星第2で放送された『ピノッキオ』を観た。
元々は、会社のとある方から「ロベルト・ベニーニ監督&主演の意欲作(←兼脚本)」と聞かされたことがあり「DVDソフト、貸すよ?」なる“ご好意”もあったんだが「借りてもどうせ放置したままになるやろし・・」と(お借りする前から)申し訳なく思い辞退申し上げ続けた1作でもあった(・ω・)

さて、この度いよいよBS2に降臨となったんだが・・これはヒドい! 全然面白くなかった!

どうやら(ベニーニ演じる)主人公ピノッキオのヴィジュアルや、物語の展開は「原作にかなり忠実」と言うことらしいが、私的には「それだったら(原作者が激怒しようが)映像化するにあたって“徹底的に手直し”するべきやし、そのために権利者が難色を示す事態となるなら、それは熱意&愛情でもってとことん説得すべきやろ」と思えて仕方なかった。

青いチョウが荷馬車に積まれた1本の丸太ん棒に触れ、それは石畳に落ちて、街路を元気良く転がり始める・・
その丸太ん棒が最後に辿り着いたのは、ジェペット爺さんの暮らす家の戸口だった。

爺さんに「彫り出された」操り人形のピノッキオ(ベニーニ)は、爺さんに対する感謝の気持ちもそこそこに、戸外へ飛び出し「天真爛漫に騒ぎ始めた」のだが・・

ベニーニがピノッキオを、(彼の実生活上の妻である)女優ニコレッタ・ブラスキが“妖精の奥様”を演じるんだが、どうも「仲睦まじい夫婦のホームビデオを延々と見せられてる感」が拭えなかった(・ω・) ベニーニ自身が「俺こそがピノッキオなんや! 観てくれ!」と高らかに宣言してる印象も強いんだが・・そこからして「師匠、そこはグッと堪えて引き下がって頂かないと!」と必死で説得したげたかった。。

何だか大ヒットした前作『ライフ・イズ・ビューティフル(1998)』で稼いだポイントを全部すっ飛ばしてしまった気がするぞ(×_×)

今回放送されたのは“吹替え版”だったが、妙にテンションの高い兄ちゃんが喋り&歌いまくってて「何かウザいなぁ、、」と思ってたら、ラストでユースケ・サンタマリアさんによる声アテと知った。そのま※ま東さん(某県知事の就任前)とはちゃうかったんやね(⌒〜⌒ι)

原作に忠実であり過ぎる故か(?)、日本のちびっ子に(幼い内から)徹底的に教え込んどきたい「勧善懲悪(悪は滅び、最後に善が勝つ)」ってな(マンネリぽくもある)思想が(背景に)殆ど練り込まれてなかったのには閉口させられた。

・首吊り状態となるピノッキオ
・捕まって投獄されるピノッキオ
・“如何にも造りもん”なピノッキオたちに生える“ロバの耳”
・足の折れたロバが崖から海中に棄てられる残酷シーン
・親友=ルシーニョロの非情な「退場」

何やら「小悪党」どもがわんさと出て来た印象があり、そいつらが殆ど「報いを受けない」のは、日本人として違和感を禁じ得なかった。
確かに「悪人こそが、のうのうと生き長らえる」ってのが正味のハナシなんだろうが、それは童話の中で子供に伝えるものではなく、成長の中でおいおい彼ら自身が気づいてゆけば良いハナシだろ、と思うし(・ω・)

ってことで、これこそが「原作の世界観」なのだとしたら、ワタシは“日本に輸入され、脚色されたピノッキオ”の世界観こそを支持したいと考える次第である。

〜 こんなセリフもありました 〜

メドゥーロ「チョウは悲しみを知らぬ生き物、その日1日を楽しく生き、死んでゆくのです」
     「人に幸せを与えずして、生まれて来た意味がありましょうか?」

ジェペット「こりゃなかなかいい木だぞ、美しい松の木だ」 ←イタリア語で「ピノ」は「松」の意
     「世界一の人形をこさえてやるぞ」
     「自分で木から出て来るものだ、いい操り人形と言うものはな」
     「舌は一番最後に作るべきだったな、このお喋りめ」
     「何と恩知らずで嘘つきで残酷で・・真心のない息子じゃ」
     「悪い子がいい子に変わる時は、周りのものまでが明るく新しく変わるのさ」

ピノッキオ「生まれて来て良かった、何て素敵な世界だーっ!」
     「こんな(伸びた)鼻じゃ、恥ずかしくて外に出られないよーっ!」
     「僕が生まれて、たった15分も穏やかに過ぎることはなかった、たった15分も!」
     「明日なんて、僕、待ち切れないよーっ!」

妖精の奥様「あなたの見ているのは鏡よ」
メドゥーロ「何と! 鏡も昔とは随分変わったものですな」

コオロギ「お金は働いて稼ぐものです、畑では育ちませんぞ」

※ピノッキオの最初の相方(?)はコオロギくん。これってディズニーの新作アニメ『WALL-E』における“ゴキブリくん”のキャラ造型に繋がったんやろか?

| | コメント (2)

2009年1月10日 (土)

☆『ハッピー☆フライト』☆

9日(金曜)の夜。
昨秋より漠然と「行きてぇな〜」と考えてた1本『ハッピー☆フライト』をようやく観て来た。

いや、実を言えば“ホントに観たい作品”は他にあったんだが、、←まだ言ってるよ(・ω・) ま、こちらも綾瀬(はるか)ちゃんが出演してるし〜♡ ってことで、その「快進撃ぶり」をこそ楽しみに拝見してみようかな〜って軽いノリで(=^_^=)
(大阪)市内で観る手もあったが・・少しばかり残業ぽくなり、バタバタしてしまったので、メジャーな(中心部の)劇場で「チケット売り場の混雑に巻込まれ、上映開始に遅れる結果となってもアホらしいし」と考え、地下鉄で守口市内の“ワーナー・マイカル・シネマズ大日”までわざわざ(?)足を運んだ次第。

羽田発、ホノルル行きの全日空(ANA)1980便(ボーイング744型機)。
その機ではフライトに備え、余念なき清掃&給油作業が行われていた。
乗客は同社&同機を無意識に(?)信頼し、次々と搭乗手続きを進めて来たが・・実はこの便、「国際線デビュー」となるフレッシュなCA(客室乗務員)や「機長への昇進」のかかったコ・パイロット(副操縦士)らが奇しくも顔を合わせる、ある意味“記念すべき”フライトを控えた機体でもあった。

タッグを組む機長が当初“仏の望月(小日向文世)”でありホッとしていたコ・パイ=鈴木(田辺誠一)は、彼が体調不良によりいきなり“鬼の原田(時任三郎)”に変更されたことに、激しく動揺する(⌒〜⌒ι)

新人CA・斎藤(綾瀬はるか)は“搭乗寸前”に職場(=空港)に駆け付けた両親(父:柄本明)から、激励と共に“お守り&正露丸(←パチもんではなくホンモノ(=^_^=))”を渡される。
“持ち前の明るさ”がウリの、そんな彼女の前に立ちはだかるのは“鬼チーフ”と恐れられる山崎麗子(寺島しのぶ)であり、プライドの高い先輩(吹石一恵)であった。

空港の受付では、業務に疲れを感じ始めてる案内係・木村(田畑智子)やその後輩(平岩紙)が、器用に搭乗客をさばき始めた。

コントロールセンター(指令室)では、ベテランだが最新の機器に付いて行けてない高橋室長(岸部一徳)がのんびりと孫の手で背中を掻き掻きしながら、追われるように(=^_^=)喫煙コーナーに“退避”していた。
そんな中、スタッフが懸念するのは、関東一円に迫りつつある“台風13号”の存在だった。

ドック(格納庫)では“定刻の離陸を第一に考える”ベテラン整備士・小泉と“ギリギリまで修理に取り組もうとする”若手整備士・中村が、互いのプライドを絡め火花を散らしていた。

その他、ある者は管制塔で、またある者(ベンガル)は空港周辺で(“ライフルを準備”しつつ)、空港上空に眼を光らせていた。

乗客の視点からはなかなか想像しにくい「旅客機に携わるプロたちの“地味な”仕事ぶり」を丹念に抽出⇒再構築し、総体的に“群像劇スタイル”で描いたセミ・ドキュメンタリー(=^_^=)とも言うべき作品。
息もつかせぬ(?)ハプニング(人為的&不可抗力的)の集合体、みたいな展開なので、そこそこの吸引力は持っているが・・ちとワタシの期待してた(軽い)ノリとは違った気がする(・ω・)

グウィネス・パルトロゥ主演の『ハッピー☆フライト(2003)』の和製リメイク(=^_^=)を何処かで期待してたワタシなんだが、どうにも連想したのは『アポロ13(1995)』だった(×_×) つまり「トラブルづくし」って感じ(×_×)
緩急のバランスが良くなく、意外と笑えず、何だかお金を払って「全※空製作のプロモーションドラマ」を延々見せられたようにも。。

更に「スタッフ以上に乗客各位にインパクトがあり過ぎた」感も。“ズレてる”笹野高史さんを筆頭に、温厚そうだが怒らせると実に厄介なビジネスマン、不細工な新婚夫婦、座席でやにわに入れ歯を外すおばちゃん(←そうする理由は描かれるが・・)、愛鳥連盟のしとたち(身分詐称!)、イケメン2級建築士の太田君、飛行機マニアども、出っ歯&ヒゲ&ホクロ&小僧の4人衆(←いや、それぞれは互いに面識ないンやけど、、)

「ドラマやね〜」で笑って済ませられる演出もある一方、「一歩間違うと乗客軽視とも言えるんでは?」的な印象のエピソードもあり、楽しみつつも“ちと引っかかるモノ”があったりした。パッと思いつく中では「機内のデザートが尽きてしまい、何とかしなきゃ〜」のシーンとかね(・ω・) まぁ“公認の綾瀬ちゃんレシピ”なら許せるけど(=^_^=)

「本作の何処がハッピーやねん!」とは誰もがふと突っ込んでしまうトコではなかろうか? 専門用語混じりの会話で「煙にまかれてる」印象も少なからずあったし。。

ってことで、全※空の皆さんの仕事ぶりにはしっかりと敬意を払いつつ・・でもやっぱり「こんな飛行機には、絶対乗りたくねぇ!」と正直、思ってしまったワタシでした(⌒〜⌒ι)

〜 他にこんなトコロも 〜

・特定のクレーム客が“ハリウッド印アクション大作”で言うトコロの「テロリスト的役回り」に見えた(=^_^=) 寺島しのぶvsクレーム客のやり取りは“屈指の緊迫シーン”と言えましょう!
・韓国映画に影響されたか? 「下品なヴィジュアルの乗客」「嘔吐シーン」などの“インパクト重視型演出”がちらほら見受けられた。
・基本的にヒーロー&ヒロインは不在な気がした。
・田畑さんや岸部さんを巡る「恋のようなもの」の描き方は曖昧ながらも“大人な感じ”で好印象だった!
・ラストシーンは、どう観ても『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』な映像演出が入ってる。。
・ポッキリ折れた(機外の)ピート管(?) ちょっと「ヒヤリ」とさせてくれます。何か『トワイライトゾーン/超次元の体験(1983)』の第4話(ジョン・リスゴー主演のエピソード)のラストを連想させられた。。
・「例え毎日乗ったとしても“400年に1回”起こるかどうか」と墜落の確率がセリフで語られていた。航空事故に遭われたご遺族の方々にとっては「何の説得」にもならない言葉だろうが・・
・カラスやハトは賢く、飛行機にぶつかったりしないが、カモメは馬鹿だそうで(・ω・)
・「ギアアップ」を「ギアラップ」と言ってて面白かった。きっと発音は良くないと思われるが。
・操縦桿を預ける際の「I have(私が預かった)」「You have(あなたに預けた)」の挨拶(?)が好印象だった。
・機長とコ・パイでは献立を別々にするそうだ。これは「同じ物を食べることで2人共が食中毒となるトラブル」に備えてのことらしい。何だか“伝統”って感もありますけどね。
・正露丸のフタはちゃんと締めとこう!
・工具を盗み出した“あいつ”に損害賠償請求をしよう!(=^_^=)
・田畑さん、動物で言うと“カエルっぽい”方ですが、何とも言えぬ魅力がありますね☆ 美味しい部分は全て綾瀬ちゃんにかっさらわれてしまってましたが・・(それは吹石さんも然り)
・マニアがプロ(本職)を圧倒する・・ってノリは『ギャラクシー・クエスト(1999)』以降の“新しい演出”とも言えるんやろか?

〜 こんなセリフもありました 〜

教官「訓練で良かったな」 ←シミュレータで海面に激突してますた(×_×)

上司「(離陸までの)あらゆる文句は全て、我々“地上係員”に来る。オンタイム(定刻)のフライトは半分以下の現状だ。
   “オンタイム厳守”で取り組んで貰いたい!」
  「誰かがやらなきゃならないんだ! 分かってるだろ?」

同僚「(帽子を)冠ってると、寝癖も治るぜ」

望月「もう訓練は、始まっているんですから」

斎藤「あのぅ、デザートって私たちのも、あるんですかぁ?」
  「(CAを目指すのは)やめといた方がいいかも・・」
  「(CAは)厳しいわよ!」

鈴木「有難うございまする」 ←アナウンスで乗客の緊張を解く(?)

鈴木「“上昇気流”とかけて“緊張しぃ”と解く。その心は・・“アガッている”・・どうです?」
原田「・・(無視)」

原田「“良い着陸”とはどう言うものだと思う?」
鈴木「それは・・“接地したことを感じさせない”ソフトランディングでしょう?」
原田「そう答えるパイロットは多いな・・」

鈴木「失速しかけている?!」
原田「違うな、スピードが出過ぎている・・速度のことは無視し、機の姿勢とパワーに集中しろ!」

原田「“こう言う時はまず笑え”って教えている・・笑ってみろ」
鈴木「・・無理です」

原田「どうして帽子を冠らないんだ?」
  「帽子を冠ってなかったな?」
  「そっちの都合で勝手に(話を)進めるな」
  「本機が揺れたら、この鈴木君のせいだから・・あ、メモらなくていいよ、冗談だから」
  「そんなに緊張してて、良いフライトなんか出来るか?」
  「お前が(コクピットに飛んで来たカモメを)避けてどうする」
  「問題があるかないか、は君の決めることじゃない」
  「美味いんだろうな・・そのカニ飯」 ←和食を食べ損ねた
  「“その時はその時”だろ?」
  「意地でも(機の進路を)曲げるなよ!」
  「ナイス・ランディング」

山崎「(CAを)もっと“華やかな世界”とでも思ったの?」

乗客「俺がタカってると思ってんだろ? 機長を呼べ!」
山崎「キャビンでは、私が責任者です!」

乗客「俺の言ってることがおかしいのか?!」
山崎「そうなります・・!」

CA「あれって(機長じゃなく)コ・パイだね・・」 ←がっかり
CA「あ、ホントだ・・」 ←がっかり

CA「(チーフパーサーの)山崎さんと仕事する前には、水を出来るだけ沢山飲んどいた方がいいよ〜
   ・・だって、いっぱい泣くから」
  「それはそっちの都合でしょ?!」

小泉「手ぐらい振ってやろうじゃないか」
  「(紛失した工具は)“エンジンの中”じゃないよな?」

木村「(笑顔で手を振りつつ)さっさと行って〜」
後輩「(笑顔で手を振りつつ)戻って来るなよ〜」

愛鳥連盟「飛行機を守るために“鳥を殺す”なんて・・人間のエゴです!」
バードパトロール「大丈夫ですって、※※ですから」

追記:エンドロールで紹介(表示)されてたが・・「2010年は航空100周年」らしい☆

| | コメント (4)

2009年1月 9日 (金)

☆『イヌゴエ/幸せの肉球(2006)』☆

2日(金曜)の夜。お借りしてたDVD(ディスク)で『インディ・ジョーンズ4/クリスタル・スカルの王国(2008)』を観終えた後、地上波(京※テレビ)の「新春シネマ指定席」なるプログラムで放送された『イヌゴエ/幸せの肉球』を観た☆

以前も同じ「※都テレビ」で何気なく観て、すっかり引き込まれてしまった本作。

当時のレビューは下記ページで「2008年8月18日 (月)」の記事をご覧下さい。

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/cat30597103/index.html

誕生日を間違えたことで、結婚前提だった(?)年上のカノジョ=涼子に出て行かれてしまった主人公=凌。彼女が良く立ち寄ってたペットショップ“ペットハウス・グーパース”(←以前の記事では“グーパーズ”と書いてましたが正しくは“ス”でした、、)を起点に、彼女の声でぶつくさ喋る不思議なオス犬(=^_^=)「ペス」を連れ、凌の“彼女を探す”旅は続く・・

今回は、作品の細かい部分に眼を見開き、耳をそばだたせ、より入念なメモ作業に没頭してしまってたかも(←いや、ちゃんと画面も観いや!) それ故、冒頭&終盤で2度登場するセリフ

「なぁ、うちら結婚しいひん?」

の“重要さ”をしっかり受け止めることが叶った☆

そう言えば、今夏に“岐阜・郡上八幡”に日帰りドライヴツアーした際、早朝の「郡上八幡駅」構内にいた地元の女学生さんが発した「電車、行ってまった!」の言葉に“何とも言えぬ郷愁感”を味わったことを思い出すなぁ・・(・ω・)

改めて、岐阜弁の女性は良いぞ〜! と感じてしまったモノだった。
(とは言え、怒らせてしまうと“くそだわけが!”と毒づかれるんでしょうけど、、)

〜 こんなセリフもありました 〜

涼子「あたしらって今まで何やったんやろね」

凌「ああ、出てっちゃったか・・」
 「わざわざフィルムで撮って現像するなんて、流行らないのかな」
 「(結婚も)考えてないことはないんだけど・・実感がなくてさ」
 「今度と言う今度こそ終わりだあ・・こう言うもんなんだ・・」
 「さっきのは絶対、涼子の声だったよなぁ?」
 「近付いてるのに、だんだん引き離されてる感じ・・やっぱダメだったのかな」
 「見とけよ、男の生き様を・・」

さとみ「“賭け”に出たんだ・・その子」

ペス“抱かんでええて・・な、近寄らんといてて、タバコ臭いて”
  “ええって言っとるやん・・ええ加減にしとかんと、バリかいてまうよ”
  “しっこしとなってまった”
  “何やてここ? 落ち着かへんとこやなぁ・・変なにおいしとるし”
  “タバコ臭ぇ言うとるやろが、このくそだわけが”
  “腹へってまった、ぺこぺこやて、ぺこぺこ”
  “あかん・・坂道、急過ぎてあかんて”
  “うっさいて!”
  “急に恥ずかしくなってまったでかんわ”
  “どこまで行く気やて”
  “息苦しいてあかんて”
  “なぁ、これどう言うことやて”
  “ホントこっすいヤツやね”
  “やったったわ、やったった”
  “覚悟しときゃーよ”
  “交尾ってどんなんなんやろうね、気持ちええんかなぁ”
  “これどういうこと、なぁて”
  “凌って、いっぺんうちのこと間違って涼子って呼んだんよ”

保健所員「この土地の人やないんやね」
    「お前らは、モノやねぇのになぁ・・お前らも飼い主、選べりゃええのになぁ」

セールスマン「タバコやめよかな? 絶対やめたほうがいい、タバコやめんとなぁ・・だって売れる訳ねぇんだもん」
      「こいつら、本能で生きてっからしょうがないよね」

追記:確実なロケ地とし「JR王子駅」「静岡県小山町の“旅館こざる”」を確認(・ω・)

| | コメント (0)

2009年1月 8日 (木)

☆『棚の隅(2006)』☆

3日(土曜)の夜、地上波(京※テレビ)の「新春シネマ指定席」なるプログラムで放送された『棚の隅』を観た。
連城三紀彦による同名の短編小説を原作とした小品。新春から観るにしては「ちとドンヨリし過ぎ、、」なんでスが。。

某商店街(ロケ地:神奈川県相模原市の相模台商店街)で小売店「おもちゃのみやた」を経営する宮田(大杉漣)のもとに、8年ぶりにひょっこりと“お客”として現れた(逃げた)前妻=岡崎擁子(ようこ)。
宮田は、と言えば既に秀子(ひでこ)と言う女性と再婚、(擁子の残した子である)今や小学生となった毅(たけし)を、慎ましくも愛情を注ぎ育てていた。

勤務先で、同僚=進藤に求婚されつつある擁子は、再婚に向け気持ちの揺れる中、成長した我が子に対する愛情が再燃し始める。保険の外交員とし度々「おもちゃのみやた」に立ち寄る中で、売れ残った“半額処分”のプラモデルを“定価”で買ったりする擁子。

そんな中、いよいよ秀子が彼女の存在に気付き始める。

一方で宮田は、経営難から次々と店を閉じてゆく周囲の店主を見るにつけ、自身の進退を真剣に考え始めるのだった・・

大杉さん、等身大でリアル過ぎ!(⌒~⌒ι) 市井の玩具店長役が余りにハマり過ぎてます・・。淡々と、ギラギラさとは無縁の人畜無害な(←肯定的な意味ですよ!)言動を見せ(魅せ?)つつ、時に「少年のように純粋に、ラジコン飛行機の修理に徹夜で取り組んだり」「シャッターを下ろした無人の店内で声を上げて泣いたり」「風呂掃除をしてる奥さんに水鉄砲で襲いかかったり」・・と中年男性の哀愁が漂いまくってました(×_×)

大きな展開もド派手な銃撃戦も(←あるかい!)一切ないんだが、そんな中で「トマト嫌いの擁子」と「そんな母に似て(これまた)トマト嫌いの毅」の食卓シーンの対比や、終盤に宮田一家と進藤&擁子のオールキャスト(?)が集結するロケーションが「多摩テック」なる地方っぽい遊園地(東京都日野市)だったり、と「これでもか的」に“トレンディ”を外してる脚本には恐れ入った、、

『トウキョウソナタ』のパパ役=香川照之も同様に寂しさは漂わせてたが、まだ何処か「抗ってる感」があった。それすらも(演技の中で)消してしまってる大杉漣の凄まじさだけは「一見の価値あり」と言えそうである。

〜 こんなセリフもありました 〜

擁子「この棚、全部“半額”なんだ・・」
  「今夜は帰って貰っていい? 独りでいたいの・・」
  「優し過ぎるよ、進藤さん」

信ちゃん「知ってます? 牛にビール飲ませると、肉が柔らかくなるんですよ。
     ・・人間も飲むと柔らかくなるのかなぁ・・」

問屋「こんなに仕入れて大丈夫? この前の売れた?
   ・・玩具ってさ、気持ちで売るものだと思うんですよね」 ←徳井優さん!

宮田「重くなったなぁ、毅」
  「幸せだからひょっこり現れたんだろう? 8年ぶりに」
  「見てるだけで・・本当にお前、それでいいのか?」
  「いつまでも過去に縛られたままじゃ、前に進めないだろう?」
  「有難うな」

秀子「逃げる気じゃ、ないわよね?」
宮田「当たり前だろ」
秀子「・・だったらいいの」

追記:本作を手がけた門井肇は、翌年『休暇』を監督している。こちらにも興味津々(・ω・)

| | コメント (2)

☆『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国(2008)』☆

2日(金曜)の夜に鑑賞。
実は、かなり以前に“とある方”からお借りしていた(←永久レンタルとでも言うべきか、、)DVD(ディスク)があり「コレっていわゆるAV(←オーディオ&ヴィジュアル?)的なサムシングなんかな?」と不審がってしばらく自室に放置していたのだった(×_×) ←疑ってしまいスミマセン、、

あるきっかけで、試しに再生してみると・・しょっぱなに“LUCASFILM Ltd”なるロゴが表示され驚愕!
続く“砂山からプレーリードッグ親子(?)がひょいと顔を出す”映像演出で、完全に「このディスクが何を収録してるモノか」を掴んだ! 何とまぁ・・!

※恐らくコレは「有料チャンネルで放送されたモノを“私的鑑賞のためだけに録画”し、それを今回“たまたまお借りすることが叶った”」と言う次第であろう(・ω・)>

公開時、劇場鑑賞した本作なので、詳細は以前の記事を一読頂ければ良いだろう。

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/cat30597106/index.html

↑上記ページ内の「2008年6月27日 (金)」の記事となります。

今回はセリフ面でちょこっとメモしたモノがあり、それを紹介するにとどめたい。

インディ「アイゼンハワー(大統領)万歳!(I like Ike!)」 ←コレは“反共産主義”に対する露骨な嫌悪表現だろう。
    「・・絶対にマズい!」
    「ハーグローブの学説など! チャイルドの本を読め・・真の考古学者を目指すなら、図書館なんか出ろ!」
    「女はこれまでに何人かいたが、いつも不満があった・・“君とは違う”とね」

マック「ヘタな抵抗はするなよ(Don't get clever.)」
   「あいつはムチャする奴だってば!(You don't know it!)」

マット「あんた、ホントに教授?」
インディ「時々だがね」

イリーナ「全てが知りたいの・・教えて!(Tell me everything you know. I want know everything,I want know..)」
    「驚きはしないわ(I'm ready I want know.)」
    「もうやめて!(no more!)」

追記1:過度にソレを「肯定」しちゃうと“(シリーズの)ファンがドン引く”と考えたか(=^_^=)「宇宙人ってゆぅか・・“次元を超越した生命体”ちゃいます?」だの「宇宙ってゆぅか・・“宇宙と宇宙の間の空間”やろね」みたいな絶妙な表現が用いられてたように(=^_^=)
追記2:前半で某基地(エリア51?)から脱出した際の“ロケット推進装置”には「E-MCH-72」と書かれてた。何か“尤もらしいネタ”だったんやろか?

| | コメント (2)

2009年1月 6日 (火)

☆『ワールド・オヴ・ライズ』☆

5日(月曜)。いよいよ“泣いても叫んでも(=^_^=)”本日から仕事の開始である(×_×)
ま、昨秋以降で顕著となって来た不況&失業率の高まりから考えれば「働ける場があるだけでも幸せ」とプラス解釈すべきなんだ、と思う。

・・とこんなこと言い(書き)ながら、この先、自身や、自社がどうなって行くのか・・正直、想像もつかない部分があったりもするのだが(・ω・) 誰しも楽観は出来ませんよね。。

(お小遣い(←定額給付金とも言う)が貰えても、消費税の増税が控えてる訳だし、、)

仕事の終了後、ささやかに“懇親会的なもの”が開催されたが、どうも場がなく(=^_^=)さっさと退社させて頂き、梅田界隈へと繰り出した次第☆
今夜は、最近気になり始めてた1本『ワールド・オヴ・ライズ』を観とこうかな・・ってことで。

ホンマに観たい作品は別にあったんだが、どうにも上映開始時間が間に合わなかった。(そっちだと)本編そのものも2時間半近くあるので、ちと週始めからはキツかった感。
その点、本作なら2時間ちょいであり、近場である“梅田ブルク7”の18:45からの回に余裕で間に合ったのは嬉しかった(間に合わないケースを考え、当初は“梅田ピカデリー”での19:00からの回を観るつもりだった)。

観客が6〜7人程度しかおらず「そろそろ(終了)やなぁ・・」と感じたり。確かに年末年始にチョイスするには、ちとドンヨリし過ぎる“ハリウッド印”ではあったか、、(×_×)

イングランドのシェフィールドでバスの爆破テロが発生する。直後に「我々(=アラブ人)の流した血は、奴ら(=欧米人)の血で償わせる、最後の一滴に至るまで」なるビデオ声明を発したのは“世界規模の破壊工作”を高らかに宣言するジハード(=聖戦)組織のリーダー=アル・サリーム。
果たしてその言葉通り、イングランドのマンチェスター、そしてオランダのノールデルマルクト・・これらの都市で爆破テロが続発する。

事態を重くみたCIA(米中央情報局)は、本部ラングレーにエド・ホフマン(ラッセル・クロゥ)、現地イラクにロジャー・フェリス(レオナルド・ディカプリオ)の諜報員を配し、秘密裏に「爆破テロの阻止」及び「サリームの捕獲」の両作戦を進める。

CIAのメンバーのみでは員数&情報不足でとても対処出来ないことを悟っていたホフマンは、現地の情報組織“ヨルダン情報局(GID)”の長官ハニ・サラーム(マーク・ストロング)に共闘を持ちかける。

ハニは情報提供を約束する代わり、フェリスの瞳を静かに見つめ「最初に“ルール”を言っておく・・いいか? 嘘をつくな、私を騙さんことだ」と厳しく言い放つ。
彼を“サー(閣下)”と敬称で呼び、偽りなく接したいフェリスであるが、ホフマンは「お前のボスは奴ではなく私だ」とばかりに独断で(フェリスに)次々と別行動をとらせようとする。

そんな中も、なかなか居場所を掴ませないサリーム。

フェリスは「こちらから追うのでなく、サリーム側から接触させる」作戦に転換するようホフマンに提案する。
かくして「目覚めの兄弟」なる“架空のテロ組織をでっち上げる”プランが組立てられて行くのだったが・・

スパイアクションやラヴロマンスを期待すると大して良いデキとも思えないんだが、CIAの「リアルな諜報活動」「したたかな駆け引き」に限りなく迫ったセミ・ドキュメンタリー風な脚本は、大いに評価したい!
ラッセル・クロゥはとにもかくにも「貫禄と横柄さが全て」って感があったが、満身創痍となりながら、ひたすら走り回るディカプリオには、かなり自身の中での評価の高まりを覚えた。
『タイタニック(1997)』以降、余りパッとした印象のない彼だが(と言っても『仮面の男(1998)』『ザ・ビーチ(2000)』『ギャング・オヴ・ニューヨーク(2002)』『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(2002)』しか観れてないが、、)本作は取り敢えず「『タイタニック』後の約10年間で最高の主演作」とも言えるんじゃないか? と(勝手に)決め打ってしまったワタシ・・(=^_^=)>

したたかだが、冷酷非情にもなり切れず、破綻寸前の精神状態の中で(←たぶん)、自身の活動が世界にもたらす「より良さ」だけを信じ、ひたすら孤軍奮闘するのである。
決してヒーロー然としては描かれず、むしろ「吹っ飛び」「(狂犬に)咬まれ」「(金槌で)ぶっ叩かれ」ボロボロで無様な姿をさらし続けるんだが、何かを信じ、孤独な諜報活動を続けるのだ。

劇中で彼がボソッと放つ「“悪いアラブ人”を嫌う“良いアラブ人”ってのはいないのか?」なるセリフが(観賞後にだが)「これこそがフェリスの行動原理だったんでは?」と心に響いて来た。
つまり「アメリカがいつまでもアラブ社会に関与するのをよしと思ってる訳じゃない、だが、アラブ人同士の中で事態が改善されないとなれば、俺たちアメリカ人が率先してやるしかないんだ!」と信じていたのだろう、と。
それは彼の「この国が好きだ」と言うセリフ(←少なくとも「リップサービスではない」ように映った)や、後半で危難に遭う恋人=アイシャを助けんと、プライドや経歴を全て打ち捨て奔走する姿にも良く現れていた。
(ま、その甘さこそがフェリスの“最大の魅力”ともなっていたんだが)

中盤で「恐ろしく周到で、非情で、壮大な“でっち上げ”」をぶちかますCIAだが、結局はソレは展開の1つに過ぎず、最後にはフェリスをも唖然とさせるような“大きな作戦”が回っていたのだった!

ポイントとなるキャラは、(ディカプリオ以上に)存在感に満ちていたハニ役のマークさん。頭を切り替えないと、どう観てもアンディ・ガルシアにしか見えず、阪急コンコース(梅田)で松田優作に“ちょん切られる”イメージ(1989)が何とも脳裏をチラついちゃうんだが・・(⌒〜⌒ι)(←よほど強烈だったのネ、、)この人の起用が本作の質を大きく高めている!

余り記載してしまうと、どうしてもネタバレに突入してしまうんだが・・“嘘”に敏感になってしまった観賞後は、フェリスの背後(=裏)でホフマンとハニの間に“何か別な関係が存在したのではないか?”などと、どんどん疑心暗鬼が生じてしまう。。

テロリストが「信仰」を名目にした破壊活動を行うとすれば、(劇中で描かれた)CIAも「世界平和」を名目にした、ある種の“テロリスト”なんじゃないのか? と。アラーに殉教するテロリストが存在する一方で、アメリカのために命を捧げる覚悟のフェリスも、ある意味で“殉教者”ではなかったか? と。

「誰が最後に笑ったのか?」を見届けると共に、
「今日(こんにち)、世界の裏側で何が行われているのか?」を想像する力を(平和ボケした頭に)呼び起こしてくれる・・そんな見方をすれば「超一流のエンタテインメント作品」と呼べなくはない。

ただ「巨匠リドリー・スコットが自らメガホンを執った」にしては・・光るモノがなさ過ぎたのも事実だった(・ω・)

〜 こんなことも思ったり 〜

♦ラッセルの「メタボ体型」はメイク仕様(リック・ベイカー工房とか)でこと足りたのでは?
♦ディカプリオの怪我が「みるみる治って行く様」に、凄まじい劇中時間の経過を感じた。
♦諜報活動中の爆発事故で砕け散った(残されたのは“記憶”と“マッチ箱サイズの骨片”のみ、、)某現地連絡員に対し「速やかに彼の家族に補償を」と提案するフェリスに、ホフマンの放つ「君の助手と言うだけで、その男の名すら知らん」の台詞は前半の衝撃だった(×_×)
♦『ボーン・アイデンティティー(2002)』じゃないが“諜報員自身に発信器を仕込む”と言う対策はとられてなかったんやろか?
♦ハニの使った「砂漠に“釣り”をしに行く」なる表現が印象的だった。確かに、あれじゃ“釣られた魚”は逃げられまへんわな。。
♦アラブのことわざで「金持ちは四駆で街を出、庶民は自転車で砂漠から戻る」ってのはどうだろう(・ω・)
♦「盗撮写真のバラまき」「個人PC侵入&データ吸い出し」「勝手な口座開設&大量送金」「世界へのメール送信(代理!)」・・などで一般人がたちまち“大物テロリスト”に早変わり!
♦捕まった情報員がバンに押し込められる瞬間、その頭部を撃ち抜くフェリスの狙撃スキルの高さに驚愕!
♦スパイ組織たる行動の第一が「情報を掴む以上に“流す”ことであり“仕立てる”こと」であると再認識させられた。
♦「すまん、相棒」は・・「これからハメるぞ」の詫びの言葉だったか?
♦印象的な言動&描写にイマイチ欠け、その魅力の伝わり切らなかったヒロイン。。
♦スパイ衛星からの「サーモ(温度)感知」はまだ実現不可能か?
♦0.001単位近くまで座標(北緯&東経)を伝える連絡員の手腕はスゴい!
♦「皆がアメリカに行きたがるアラブ人」と「中東を好むフェリス」が対照的だった。
♦メディア面(例えば現地記者)から見た本作ってのも(スピンアウト作品とし)観てみたいかも☆
♦塀を乗り越えての「格闘シーン」は、(数少ない)アクション的な見せ場とし“スタイリッシュ”に描いて欲しかったかも(・ω・)
♦現地・アラブでは、金持ちでも、乗り回してるのは“(せいぜい)ふた昔前のベンツ”だった。。

〜 こんなセリフもありました 〜

ホフマン「長期戦は、被占領国を必ずしも疲弊させるものではない」
    「我々には、テロリストと一般人の区別すらつかない」
    「携帯もメールも使わない、彼らの“前近代的な手段”が我々の脅威となっている」
    「彼らが異教徒に迫る選択肢は“改宗”か“殺害”のどちらかだ」
    「今さら改宗しても遅いさ、そいつの保護などはしない・・街へ戻せ」 ←げっ!
    「どうせ死ぬ運命だったさ・・ん? その“沈黙”の意味は何だ?」
    「これは戦争だぞ? ヤツは(情報屋である以前に)ただのテロリストだ」
    「この職に就いた以上、誰もが結婚をしくじるのさ」
    「要点を言え!」
    「何か問題が?」
    「(ここへ来る)機内では『ポセイドン』って映画を観た」
    「話を聞き終わるまでは“ノー”と言うなよ」
    「サリームは信仰心より自尊心の強い男だ、それが奴の弱点でもある」
    「“砂場”から戻ったか・・文明社会はどうだ?」
    「ハニの首尾範囲は、狭い国内だけだ・・だが私は世界を守る」
    「頭の切れる悪ガキめ!」
    「奇麗事なんか通用せんぞ!」
    「後ろ向きの考えは良くないぞ」
    「私だけを信頼しろ」
    「戻って来い、もう日焼け止めともクスクスともおさらばだ」

バッサーム「ネットで“処刑映像”を流されたくはないからな」

ニザール「(組織は)知り過ぎた者に“殉教しろ”と迫る」
    「お前に“イスラムの苦しみ”が分かるか?」

フェリス「俺が捕まったら、撃て」
    「バビロンは酒で滅んだそうだ」
    「“良い医者のいる病院”は変えないさ」
    「ホフマンは上司だが、俺の情報なしには一歩も動けない」
    「この際、ホフマンのことは忘れましょう」
    「俺は“悪い夫”だったが・・妻はもっと悪かった」
    「このデブのクソ野郎が!」 ←遂にキレた!
    「正気じゃないのはどっちだ?!」

ホリディ「異例の出世だな・・では、君らの失脚を見届けさせて貰うとしよう」

ハニ「“罰”は“拷問”とは全く違う・・目を逸らさず良く見て、そして(上司に)報告しておけ」
  「私のやり方を見ておけ」
  「家族は“殉教”よりも大切だ」
  「アメリカは機密を守れんさ・・“民主主義の国”だからな」
  「奴(=ホフマン)は横柄だ、今に失脚するだろう」
  「友情で、(失う)命も救われるものだ」
  「“最初に見舞いに駆け付けた者が、最も心配している者”と言うぞ」

ホフマン「ガキを連れて、また『ライオンキング』の鑑賞だ・・ガキは持つなよ」
フェリス「・・俺の話を聞いてたか?」

アイシャ「男の価値は仕事じゃないわ・・本質よ」

ホフマン「何だったら、大統領からヨルダン国王に連絡させようか?」
ハニ「生憎だが、この活動については、私が“王”でね」

サリーム「危害を加えられた者は、報復する」
    「人質交渉などしないさ」 ←げっ!
    「大義に倒れた者を“死者”と言ってはならぬ、彼らは生きている」

ホフマン「冗談を言うな、中東が好きな奴なんかいない」
フェリス「あんたのそう言う考えが問題なんだ」

ホフマン「言っておくが、ここは危険だぞ」
フェリス「何処にいたって危険さ」

| | コメント (2)

2009年1月 4日 (日)

☆『ミラーズ』☆

4日(日曜)の午後。
元日からこっち、全く劇場鑑賞が出来ておらず・・正直、今日は(明日からの仕事開始に備え)自室でゆっくり寛ぎたいってのもあったが・・「いや、そう言う面倒なトコを敢えて出かけることで、素晴らしい1作にめぐり逢えるモノなのだっ!」と考え(←いや、家でゆっくりしとけよお前はよ、と)、大阪市内に向かい“TOHOシネマズ梅田(←ナビオ上層階にあるシネコン)”にて1本目となる『ミラーズ』を観て来た。

ホントは年末に観ときたかった本作。その際は「座席:×」の表示に泣かされ『特命係長・只野仁/最後の劇場版』を泣く泣く(←おいっ!)観る羽目になってしまったなぁ。。

ニューヨーク、地下鉄の「ハーレム駅」構内。
男が何かに怯えながら走っている・・。逃げ込んだ更衣室(?)で、男は目の前の大きな鏡に向け懇願する。
「逃げたんじゃない! 殺さないでくれ、死にたくない! な? 磨くから・・」
次の瞬間、鏡の向こうで“尋常ならざる現象”が起こり、男はノドを切り裂かれ即死する・・。
男の名はゲリー・ルイス。彼の遺体がここで発見されるまでには、まだしばらくの時間が必要であった。

ニューヨーク市警(NYPD)の警官ベンジャミン・カーソン(キーファー・サザーランド)は、1年前に“事故”で同僚を誤射し、死に至らしめて以来“休職処分”が解けないでいた。それ以降、重度の情緒不安定に苦しむ彼は「禁酒」と「精神安定剤(?)の服用」を医師に強く言われ、一方で家族(妻エイミー、息子マイケル、娘デイジー)との距離を置いた暮しを余儀なくされているのだった。

ぼちぼちとだが社会復帰を進めんがため、ベン(=ベンジャミン)は6番街にそびえ立つ“メイフラワー・デパート(跡)”の夜警の仕事を始める。
が、ここは5年前の放火による大火災で45名の犠牲者を出した、今となっては黒こげの巨大な廃墟に過ぎなかった。

昼の警備担当=ロレンゾ・カペリがベンに巡回経路を説明する。
「前任者のルイスが失踪してね」
「鏡を覗くのはよせ」
「どうやらルイスは鏡に取り憑かれちまってたようでね」

そして初めての夜警の夜。彼はデパートの壁面に大きく張られた鏡に“奇妙な手形”を発見する。誰が? 何故? こんな場所に? ベンはそれを「拭い取ろうと」擦ったり拭いたりするのだが、手形は一向に消えなかった、、まるでそれが※※から※※したものであるかのように・・!
ふと見上げた彼の眼には、その位置から天井近くにまでペタペタと続く手形が・・

その夜を境に、巡回中のベンは「視覚・聴覚・触覚」にリアルに訴える怪奇現象に遭遇し始める。
当初は自分だけの(内面的な)問題と思い、じっと抱え込んでいた彼だったが、いよいよ怪現象が彼の周囲の“愛する人々”にまで及ぶに至り、一刻も早くそれを解決するための行動に出ることを決意するのだった。

鏡の求めるモノが“E-S-S-E-K-E-R(エシィカー)”であることを掴んだベン。
だがその“エシィカー”が何であるかが分からない。
彼は自身に襲いかかる恐怖に打ち勝つことが出来るのか? そして“エシィカー”の正体とは??

むーん、、私的には「もっと知的で、直接的表現に走り過ぎぬ(いわゆる観客の想像力を刺激しまくってくれる)恐怖演出に長けてるのかな?」と期待したんだが、どちらかと言うと「アッタマ悪い系」のヴィジュアルホラー(?)の域を超えるものではなかった(・ω・)

懸念した通り、と言おうか本作もやはり“既視感の塊”であり、パッと思いつくだけでも
『呪怨(ビデオ版)』
『リング』
など“Jホラー”の影響を色々と受けまくってる感が。

ベンの周囲の人々が、これまた災難に遭い、パニック状態に引き摺られていく(⌒〜⌒ι)んだが、、1人だけ、どうにも可哀想過ぎるキャラがいて、あの演出には「ハラが立って」仕方なかった。
何の前兆もなく、あんなに惨たらしい眼に遭ってしまうのは、どうなのか? と。特にあのしとには(せめて)終盤まで退場せず頑張って欲しかったのに。

後半に出て来る「とある壁」がやたら薄かったり、往来で拳銃を握りしめたままアタマ抱える主人公の姿に「銃口が泳いで、ご近所に危ないよ!」と叫びそうになったり、終盤の主人公の行動に「それって拉致じゃん!」とツッコミそうになったり、まあ色々と粗かったですなぁ・・

んでも、現職刑事以上に(?)顔パス(?)が利いたり、情報を自在に入手出来たりする主人公の万能さは、観ててある意味“痛快”ではあった。劇中で彼が起こした数々の問題行動をピックアップして行ったら、それだけできっと免職となりそうな気もするんだけど・・(⌒〜⌒ι)

ラストはちょっと『ダイハード』辺りのエンディング直前の雰囲気が入ってたかも(=^_^=) 何処となく満身創痍なキーファー氏(の容貌)ってブルース・ウィリスやミッキー・ロークの面影が漂ってたりしますね、、
(ってその後に、スゴい運命に見舞われる彼だけど・・)

そう言うと、主人公が別な州に向かう辺りの場面で、劇場の左側から尋常ならざる「ガンガン!ゴンゴン!」ってな物音が響いてかなりビビりました(⌒〜⌒ι)
どうやら手洗いに立ったどっかのおばはんが、扉が「外側からは開かない構造」のため、強引に押し入ろうとして叩いてたようだったが・・って言うか「別な扉を探して静かに入って来い、バカ!」・・と言うのが、周辺の観客全ての感情だったことでしょう。。

〜 こんなセリフもありました 〜

ベン「人は変われるんだ」
エイミー「人じゃなく、あなたの問題よ」

マイケル「ママ、鏡の中で女の人が叫んでる」

ベン「夢のようだが、それは確かに起きていた」
  「覗いていないのに、誰かが(鏡の中から)見返してる気がする」
  「鏡が“現実を超えた何か”を映しているとしたら?」
  「犯人を知ってる・・だが、誰も信じないさ、君も」

テレンス・ベリー“Mirrors are guilty!(鏡がやった)”
        “炎だけがそれを破壊出来る”

某警告“見た目より間近にあり”

エイミー「家に“何か”がいる・・!」
    「この悪夢を終わりにして」

追記1:本作でも重要なロケーションとし登場したペンシルバニア州。M・ナイト・シャマラン監督へのオマージュのつもりなんかな?(同州はシャマラン作品にとにかく(=^_^=)多く登場する)
追記2:とっさに「顎」に片手を、「頭頂部」にもう片手を押し当て、抵抗したら助かったんかな? 一応“牽引力”は自分(自身)と同じなんだろうし・・?
追記3:「鏡から離れたら助かる場合」と「離れても助からない場合」、「一撃で殺される場合」と「じわじわいたぶって来る場合」とかの“贔屓”があったように感じた(=^_^=)
追記4:ワタシが主人公なら・・「空き缶を蹴る練習をする」とか「コインをゆっくり動かす」とか、色々とチャレンジしてみようと思う(1990)(=^_^=) あ、陶芸も楽しいかも・・(やめなさい!)
追記5:スペル(綴り)のうち“R”が反対向いてたりするタイトルロゴ。思わず「トイ※らス」かい! と突っ込んだ方も少なくないかな、と。

| | コメント (6)

2009年1月 3日 (土)

☆『劇場版いぬゴえ(2005)』☆

1日(木曜)の深夜、地上波チャンネル(京※テレビ)で“新春シネマ指定席”とし放送された『劇場版いぬゴえ』を観た。
昨夏に、同じチャンネル(※都テレビ)で放送された『イヌゴエ/幸せの肉球(2006)』を期待せずに観たら・・コレがなかなか良くて(その1作目である)本作の放送を、実は「じっと待ってた」ワタシでもあった(=^_^=)

いや〜、ついに観ることが叶いました☆
年初めの1本が「TV鑑賞」と言うのはちと悲しい感もあるが・・まぁ楽しけりゃエエんですよ!

主人公・芹沢直喜(山本浩司)は人一倍“におい”に敏感な青年。その特技(?)を最大限に生かし、彼は「臭気判定士」の資格を取得、(消極的ながらも)それを生かした仕事に就いている。

そんなある月曜日。父から電話が架かって来る。「旅行に行く間、拾い犬を預かってくれ」なる唐突な内容。
一方、外出時はマスクを常用、自宅(品川区内のアパート)でも換気扇を回し、常ににおいを籠らぬようにする直喜の徹底ぶり(潔癖ぶり?)には、付き合ってる同僚=はるかすら閉口するのだった。

火曜日。芳香剤メーカー「マーブル」に呼ばれた芹沢は、新製品「世界の名所の香り」のラインナップのうち、一番親しみある(?)「日本海の香り」をテストで嗅ぎ、その強烈さに失神してしまう・・
目が覚めると・・いつの間に運ばれたか、彼はベッドに横たえられており、そして傍には1匹のフレンチ・ブルドッグが、、どうやら父が(寝てる間に)承諾なく強引に押し付けていったものだった。
残された「父より」と書かれた伝言のDVD(に収録された映像)によれば、彼は1週間ほど尼崎へ同窓会に出かけるらしい。
「仲良ぅやって」と語り、さっさと終了してしまう父の映像、、「どうすんだよ、もう~!」と思わず叫んだ直喜の耳に、回り続ける換気扇に対し「寒いな」「寒いね」とぶつくさ呟く声が聞こえて来た・・フレンチ・ブルドッグが喋っている?! それも関西弁で?!

こうして、直喜とこの不思議な拾い犬=ペスの1週間が始まるのだった・・

続編と言うべき『イヌゴエ/幸せの肉球』に比べ、よりリアルに物語設定を作り込んでる印象を受けた本作。続編では良く分からなかった“何で急に、主人公にイヌの声が聞こえるようになったのか?”のヒント(らしきもの)が劇中で語られるし、劇中で主人公に絡む人々の抱える“ドラマ”が妙にシリアスに、ヘビーに響いて来たりもする。
序盤〜中盤の展開や、続編の印象などから「つまりは恋愛映画かな?」と思って観ていると・・結構な“どんでん返し”に驚かされてしまう。
「もっとすんなり進むやろ」と油断してたワタシからすれば「子供には難解(ってか微妙)な演出が続出!」とも警告しときたいぐらいだ。
「動物を描くように見せつつ、実は人間こそが描かれてた作品」とも言えるんではないだろうか。
(そう言う意味では、続編の方が“よりファミリー対応”と言えると思う)

表面をなぞるだけの(一過性の)関係であれば「温和で丁寧で親切な人」が・・1歩、プライベートな領域に踏み込んだ瞬間に“豹変”する・・と言う演出はホラー作品のテイストにも(ある意味)通じる部分があり、ハッとさせられる。

また、続編以上に「人間同士の会話の中に、イヌの呟きがガンガン割り込んで来る」ってノリからは、赤塚不二夫のコミックや、ウディ・アレン監督の『アニー・ホール(1977)』などを連想させられた。
これを更に磨けば、凄まじいコメディに発展させることが可能ではなかろうか?!

あと、本作の特徴とし「主人公の対話シーンにおいて極力、カメラが寄らない」と言うのがある。慣れぬ内は「もっと寄って、人物の表情を見せてくれろ!」と思っちゃうんだが・・慣れて来ると、これはこれで“傍(はた)から眺めてる感”が良く出ていて、気にならなくなって来るから不思議だ(=^_^=)

意外とハリウッド大作でも、今後「斬新なカメラワーク」とし多用されるようになるんかも知れない(=^_^=) ←ないってば!

〜 こんなセリフもありました 〜

直喜「(においの原因は)ここだすね」
主婦「今、“だす”って言った?」

はるか「マスクやめた方がいいよ、どんどん過敏になっちゃうよ」
直喜「だって臭いじゃない、世の中」

直喜「石橋は叩いた方がいいの」
はるか「叩き過ぎると壊れちゃうよ」
直喜「壊れるような橋、渡らなきゃ良かったってことでしょ?」
はるか「屁理屈ばかり、つまんない・・帰る!」
直喜「あれ?怒ってる?」

力石「(イヌの名が)ペルだったら飼うのに」
直喜「良かったな、ペル!」
力石「さっきペスって言ったろ! ・・ってか、こう言うやり取りがウザったいんだよ!」

直喜「今、思い出し笑いしてただろ?」
力石「してねぇよ!」

はるか「“ワンワン”ってのが解読出来るわけ?」
直喜「ちょっと違う」

ペス“何やこの甘ったるいにおい? これアレやな、糖尿やな” ←男子トイレで
上司「調子いいんだよ~、最近」 ←勢い良く用を足す
ペス“死ぬな、こいつ”

はるか「もう直ちゃん家、行けないから」
ペス“あのメス、昨日のメスや・・絶対な・・2回は「した」な、間違いない”

父「お父ちゃんやけど・・イヌ、元気にしとるか?」
直喜「イヌが先かよ!」

父「三枝(さえぐさ)の野郎、チョッカイかけて来よったんや」
直喜「誰だよ! 三枝って」

父「お母ちゃんはバツイチやない、(父ちゃんと結婚出来たから)マルニや。
  お前はいっつもマイナス採点や、もっとポジティヴに生きな」
 「何でも、やってみた方がええんや」

ペス“また甘いにおいのおっさんや、堪らんちぅねん・・この前より悪ぅなってるわ、どんどん広がっとるわ”
  “苦しいて、息出来へんて”
  “腹減ったのぅ、ごっつメシ喰いたい”
  “人間は臭いのぅ、、臭いのぅ”
  “ごっつ※※したいのぅ” ←※部分に吠え声“ワンワン!”が入る(=^_^=)
  “人間なんて大っ嫌いなんじゃ!”
  “泡が眼ぇしみるっちぅねん”
  “とことんやったろか? やったるわ!”
  “助けたらなあかん、早よせな、手遅れになってまう・・あの子は可哀想やねん、毎日毎日ぶたれとるんや”

篠塚「イヌになった気持ちで接すると、何となく通じ合うものです」
  「イヌは飼い主に似る、とは良く言ったもんですな。恐らくあなたが本気で話していないからでしょう。
   眼を見て、本気で話したいと思わなければ(イヌの声は)聞こえないものです」

直喜「何だか、ずいぶん遠回りしたな・・」
  「良くないよ、動物虐待」
  「難しいな、人間って奴は・・でも言えて良かった、かな?」
  「人が生きてりゃ、においはするんですよ! 個性ってことでいいんじゃないですか?」

ペス“色々おもろかったな、恋のキューピットになれんかったな・・お前のにおい、嫌いやなかったで”
直喜「おおきに・・ってか、会話成立してんじゃん! 聞こえてたのかよ!」
ペス“・・最初っからな”

| | コメント (0)

☆『どですかでん(1970)』☆

さる11月15日(土曜)の夜、衛星第2で放送されたもの。録画後、すっかり“HDレコーダーのコヤシ状態”となってたが、これまで拙ブログで、幾度も「失敗作とされる」「駄作らしい」と“観もせず決め打ってしまってた感”があり、そこを反省しつつ、頑張って(=^_^=)観てみることとした。

が・・“抑揚に乏しき展開”“魅力なき登場人物群”などに阻まれ、結局は元日を挟み2回(=2夜)に分け鑑賞する憂き目に遭ってしまった本作(×_×)
んで、2日(金曜)夜に完全に観終えた次第☆

何だかね・・鑑賞にあたって体力&精神力の求められる作品だったッスね。。

山本周五郎の小説『季節のない街』を原作とした黒澤明監督、初のカラー作品。
“夕焼けの似合う”とあるくたびれた、スクラップに囲まれた街。ここには何処かエキセントリックな人々が集まって暮らしている。「過去にワケアリな住民」「現在にワケアリな住民」「未来にワケアリとなるであろう住民」・・
そんな彼らが、どん底のような暮しの中で、悲しくも逞しく生きてゆく・・そんな物語。

全篇に漂う「妙な郷愁感」が、作品世界の奇妙な色彩(←ある意味、狂ってる!)と相まって、妙な気分に誘(いざな)ってくれる(⌒〜⌒ι)
ときに、ウィキペディアでは「上映時間:126分」と記載されてるが、実際に観た感じ「2時間20分」ほどあったのではないか? “完全版”や“劇場版”なんかの区別があるんやろか?(・ω・)

幾つかのエピソードが断片的に、交互に描かれる展開(時間軸置換はなし)。
紛うことなき「群像劇」であり、観ようによっては同監督の『どん底(1957)』を、舞台を現代に置き換え、散漫にし、狂気性を高めた進化系(?)と解釈出来なくもないか?

・知恵遅れの六ちゃん(頭師佳孝)は“常人の眼には見えない列車”を運転し、決まったルート(路線)を「どですかでん!」と口ずさみながら朝から晩まで往復運転させることを日課&使命としている少年。その母(菅井きん)は「息子の回復」を願い、仏間で「なんみょうほうれんげーきょう!」と声高らかに唱えるのだが、それに気付かぬ六ちゃんは・・そんな母の隣で「毎度のことですが、どうか、母ちゃんの頭が良くなるように、よろしくお願いします」と祈願するのだった。

・作業員風の男2人(井川比佐志&田中邦衛)はそれぞれのアイデンティティーカラー(?)に身を包み(井川:黄色、田中:赤)向かい合った「赤い家」「黄色い家」に暮らす“義兄弟の間柄”である。常習的に(?)仕事帰りには「へべれけ」になって帰宅する2人。ある日、彼らは互いの同意のもと(?)家を取り替え暮らし始める。つまりは、双方の妻をもスワッピング(!)した2人であったが・・。

・今や堕落した饒舌な男・綿中は、健気で無口な義理の娘・かつ子にひたすら内職を強いる。ある夜、食う物さえ食わず、徹夜で働き続け、彼女は遂に疲労から寝入ってしまう。足を広げた、娘の無防備に眠るその姿に、あろうことか欲情した父は・・。

・あばら屋の戸口に南京錠をかけ、ふらふらと外出するコート姿の無口な平さん(芥川比呂志)。ある日、彼のもとへ“その過去”を知る女(奈良岡朋子)が押し掛けて来た。

・広場の片隅、黄色いシトロエン(2CV)のジャンク内で暮らす乞食の父子。金にも食う物にも悩まされる彼らだが、父親(三谷昇)は“大きな邸宅を建てる”と言う希望だけは捨てず、毎夜息子にその夢物語を語って聞かせるのだった。

・蓄膿症の発作(?)に時々見舞われる島さん。太った難癖おばはん(←『功夫ハッスル(2004)』に登場した“大家のおばはん”にそっくり(=^_^=))をワイフに持つ島さんは、横暴な態度を取る彼女に対し、とある感情を抱き続けていた。

・5人の子宝に恵まれ、内職に勤しむ父親(三波伸介)。ある夜、泣き出した子供らに「僕たちみんな父ちゃんの子じゃないってホント?」と問い詰められた父は。

・“街の長老”とも言うべきご老人。広場で日本刀を振り回し暴れる男あれば行って説得し、自殺しようと考える老人が来れば軽妙にあしらい、深夜に忍び込んだ強盗には金品を与え帰らせる。そんな彼は、広場に暮らす乞食の父子にも救いの手を差し伸べるのだが。

・酒屋「いせまさ」の若店員・岡部。密かに想いを寄せるかつ子に往来で出会う度、彼女を励ますのだったが・・ある日、そんな彼に“思いも寄らぬ災難”が降り掛かるのだった。

特にひねくった演出などはなく、クライマックスらしきモノもないんだが(とは言え、後半では“逃亡”“別離”“死別”“激昂”“刃傷沙汰”などの展開がそれぞれのエピソードで描かれたりするが)、
そんな中で私的に「おっ!」と感じたのは「終盤において意外にご近所同士だったことが判明する人々」「終盤になってその名の判明する人物」「終盤でようやく重い口を開く人物」などが配されてたことか。

“クロサワによる初のカラー映画”となれば、これは間違いなく“壮大な活劇”・・と(恐らく)期待した当時の観客を(きっと)大きく裏切る形となったんじゃないか? と勝手に想像するワタシだが・・恐れ多くも「ちょっと製作すべき時期も違ったし、まず第一に“世間の求める(クロサワ)作品と乖離してる感”があるんでは?」と思ってしまった。

〜 こんなセリフもありました 〜

六ちゃん「電車に轢かれたら、どうしようもないじゃないか!」

岡部「人間、働くのにも限度があるし、自分のことを考える権利もあるんだ」

女たち「あんまり奇麗な口を利ける人間、いやしまいと思うけどさ」
   「見かけに騙されるんじゃないよ・・ああ言うのはね、生まれつき人並み外れて“色深い”たちなんだよ。
    幾つになっても身体は“色盛り”でちっとも衰えないってクチさぁ」

長老「楽しい夢を見るのも、生きていればこそだねぇ」

綿中「女ってもんはな、親父・・15でも30でも、同じようなところがある・・魔物だよ、女って奴は」

息子「父ちゃん、僕たちみんな父ちゃんの子じゃないってホント?」
父親「そう言うことは自分で考えてみろよ、自分が父ちゃんの子かそうでないかってことは。
   父ちゃんは、みんな自分の子だって言うことは知ってる。
   だからみんな大事だし、可愛くてしょうがない・・けれどお前たちが父ちゃんが好きでもなく、
   自分たちの父ちゃんだと思えないんなら、父ちゃんはお前たちの父ちゃんじゃない、そうだろ?
   人は色んなことを言うよ、何だのかんだのって、好き勝手なことを言ってる。
   つまりその、父ちゃんを信用するか、父ちゃんより他の人を信用するか、どっちかだ・・どうだいみんな?」

島氏の同僚「僕たちは今日、招かれざる客じゃなかったのかい?」

島氏「あれは、野人なんだよ」
  「僕のワイフはね、そりゃ、君たちにはね、三文のね、値打ちもないと見えるかも知れないけどね、
   僕のためには苦労したんだよ。食う物も食わず、水ばかり飲むような生活をやって、辛抱したんだよ」

女「どうしても口を利いては下さらないんですか・・」
 「あんたも苦しんだでしょうけど、あたしもずうっと辛い思いのし通しでした」
 「人殺しのような重い罪を犯した者でも、事情によっては服役が終われば赦されることもある、と聞きました」
 「枯れてしまえば、何の木でもないんだわ」

綿中「ここは倫理学よりも法医学的な処置を取る方が、合理的だと思うね」
妻「分かるように言って下さい、堕ろすんですね?」
綿中「つまり、そうだよ!」

妻「何でそんなに怒鳴るんです? あの娘の言ってることが本当に出鱈目なら、
  何もそんな剣幕で喚くこともないし、警察行くの、そんなに怖がることもないでしょう?」

| | コメント (0)

2009年1月 1日 (木)

☆“2008年のベストムービー”を発表!☆

溜まってる映画メモもようやくやっつけ(←やっつけ仕事かい!)、「何とか年内に・・!」と考えた企画が、この“2008年のベストムービー”発表である☆
そもそもは、リンクさせて頂いてる幾つかのブログに記載された、同企画(?)に触発されただけのことなんだが、、(⌒~⌒ι)>

結局・・今さっき日付が変わってしまったので・・年内の記事アップは実現出来なかったが、、まぁ、折角ですのでご覧頂けると嬉しい限りである。

劇場鑑賞本数:49本
リピート作品: 2本 ←『僕の彼女はサイボーグ』『ICHI』・・って分かり易っ!

総括すると・・「邦画の圧勝」って印象だったか。(実際には)決して邦画(の出来)が突出してた訳でもなく、洋画が腑甲斐なかったのでは? と直感的に思う。

 1位:『おくりびと』・・コレは私の中で“ぶっちぎり”な感。
 2位:『僕の彼女はサイボーグ』・・CGに頼らず、日本の原風景をロケしてる点も評価。
 3位:『バンテージ・ポイント』・・物語の展開のさせ方に感心。
 4位:『スカイ・クロラ/The Sky Crawlers』・・世界観の勝利。物語自体の議論は後回しで良い。
 5位:『ミスト』・・正直“好かない”が、あの“禁じ手”なラストは確かに衝撃的!
 6位:『トウキョウソナタ』・・現代日本の“危うさ”を描き切ってる。絵空事じゃなく、他人事でもない。
 7位:『12人の怒れる男』・・リメイクにあたってのいじくり方を評価。が、やや冗長。
 8位:『デトロイト・メタル・シティ』・・“ヒーロー系”として観ても楽し。農家のしとのスキル高し!
 9位:『ICHI』・・ヒロインの素晴らしさに。久々“殺陣”に魅了された。
10位:『クローヴァーフィールド/HAKAiSHA』・・鑑賞までのワクワク感に敬意を払って。
次 点:『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』・・ホンマに最低(=^_^=) でも徹底したブラックな笑いを評価。

来年こそは、ハリウッドに頑張って欲しい。リメイクばっかだと正直、寂しい。
また、今年のような調子が続くと、全国各地のシネコンが大変なことになると思う(只でさえ“シアター過多”な現状なので)

邦画は、無理して“ハリウッド路線”を狙うのでなく、邦画ならではの「描くべき題材」を「地に足着いた演出」で描いて欲しい。あと“安直なハリウッドリメイク”は、出来るなら断って欲しい(=^_^=)

| | コメント (8)

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »