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2008年12月31日 (水)

☆溜まっとるレビューをバシバシ片付ける!(その2)☆

古くさい記事ですが、今しばらくお付き合い頂けると嬉しぅございます。

・『ALWAYS/続・三丁目の夕日(2007)』・・11月21日(金曜)の夜「金曜ロードショー」で“地上波初放送”されたモノを観た。劇場公開当時、気になってた1作ではあり、期待値もいやが上にも高まっていた☆
『ALWAYS/三丁目の夕日(2005)』の続編。前作から数ヵ月後の昭和34年(1959)の東京の下町(夕日町3丁目)を主な舞台に、町の人々の辿る展開を描く。

う〜ん・・(・ω・)
前作が言わば「無(=0)の状態から、昭和期の東京の町をCGを交え作り上げた」巨大ジオラマみたいな物語世界の実現を果たした1本な訳で「さて、今回はどうよ?」とワタシも期待したが、、正直、前作ほどの興奮や衝撃は感じなかった。
ま、映像面では前作で既に「やるべきことをやり尽くしてる」みたいだしねぇ。

前回は「鈴木オート」一家(堤真一、薬師丸ひろ子、堀北真希)を中心に、彼らの周囲の人々を“ほぼ満遍なく”描いた印象があったが、今回は「ブンガク」こと作家・茶川竜之介(吉岡秀隆)とその想い人=ヒロミ(小雪)の恋愛の行方にかなりの比重が置かれてたように。
私的には「“鈴木オートの1人息子=一平”と“茶川家に住む賢い少年=古行淳之介(須賀健太)”がつるんで起こす騒動」「“アクマ”こと宅間医師(三浦友和)のペーソス溢れるドラマ」こそをもっと観たかったんだが、どちらも大した描き方はされず、その部分でまず「アカンなぁ・・」とガッカリさせられた。
お約束的な部分(=^_^=)で大会社社長=川渕康成(小日向文世)が淳之介を連れ帰ろうと、茶川にプレッシャーをかけて来るんだが、その辺りも“大きなサプライズ(進展)”はなく、やや冷めてしまったか。
ワタシとしては「大会社の社長を気取るくせに、本人が言うほど忙殺されてない・・と言うか、身分を証明してるのは“高級車”“秘書”“名刺”の3点セットだけやんか!」と川渕の“正体”をつい疑ってもしまう。
今後『続々・三丁目の〜』が製作される日が来れば、きっと“彼の実体”が明らかになるんじゃないか? とワクワクしてる次第だ(=^_^=)

冒頭で“東宝映画”ならではのとあるメジャーキャラがドーン! と出て来るんだが、ここで爆走するオート三輪が“合成丸出し”であり、かなりしょっぱかった・・! ツカミで大失敗してた気がするぞ、あれは。

そうそう。本作において“ポイント”となってたのが「騙す」と言う行為(演出)だった。「誰が誰を、どう騙すか」「騙し、騙された結果、どう物語が転がったか」に注目して観ると、それはそれで“因果応報”を感じたり“終わり良き嘘なれば全て良し(←そんなん言うか?)”を学んだり出来、その点は面白いと思う☆

もう1点、折角の物語世界だから、もっと「実在の人物」をCG合成で絡めて欲しかったかな。
劇中で描かれる時代ってば、東宝では「クロサワ&ミフネ」を擁してもいた頃であり、夕日町界隈で、クロサワ映画のロケが組まれてたとしても“ムチャクチャ不自然ではなかった筈”と思うのだ(・ω・) 無論、承諾関係で色々大変だと言うことは承知しているが、、

〜 こんなセリフもありました 〜

郵便配達「戦友会のお知らせで〜す」
鈴木「お前、中身読むんじゃねぇよ!」

川渕「優秀な子供には、それに相応しい教育を受けさせねば。これは大人の義務です」
  「ポンコツ屋は、ポンコツを直してればイイんだ」
  「ふっ、これではとんだ悪役だな」
  「これから、この国は変わるぞ・・」
  「滑稽だな・・君の人生は実に喜劇だ。全く噴飯モノだな」
  「そう言う低級な※※に引っかかるのは、人間が低級だからだ」
  「元々ムリだったんだ、才能がないんだから」
  「実に・・君らしい」
  「ハッキリ言って、実に甘い。現実はこうはいかんよ」
  「金より大事なもの、か・・」

鈴木「純文学なんて辛気くせぇもん、読めるかよ」
  「そんな訳ねぇ・・そんな訳ねぇんだよ・・」
  「読んだのか? 読んでからそんなこと言ってんのか?」
  「自分で読んで考えてから言え! 俺は読んだぞ・・そして泣いたぞ」
  「(展望台の)1ヶ所に集まると、(東京タワーが)傾かねぇか?」

一平「すき焼き、久しぶりだね」
母「お大臣みたいでしょ?」 ←誰?

六子「只の塩むすびだども、お腹空いた時は、何よりのご馳走だど」
  「東京にも蛍がいるんですねぇ」
  「明日になれば、何もかもきっと巧く行ってるって」
  「しっかとけっぱれ(=頑張れ)」
  「こったらことして手に入れたプレゼントでおらが喜ぶと思うか?」
  「どしてあの人がこったらとこさいるんだ?」
  「なして、そったら酷いことが出来るだ?」

ダンサー「美智子様にでもなったつもりかい?」
    「重結婚の時代なんだし」 ←えっ?
    「夢なんか、見るだけ無駄だよ」

一平「ねぇ淳ちゃん、デリカシーって何か知ってる?」
淳之介「アメリカのお菓子かな?」

茶川「あそこのうちは給食費も払えない、なんて言われたら・・」 ←今じゃ親も気にしませぇん(・ω・)
  「お前がそんな余計な気なんか使わなくていいんだよ・・バカやろ」
  「もしかしたら、今までで一番の駄作を書いちまった気もする」
  「これから先も、お前を幸せにしてあげられるか分からない・・でも俺は男としてお前たちを・・」

A「学がある奴ほど、こう言う時、厄介だよな」
B「学がなくて良かった」

母「“のるかそるかの大勝負”なんでしょ?」
 「何だか、お祭りの後みたいねぇ」
 「今日も(夕日が)奇麗ねぇ」

煙草屋「ああ見えて、あの子なかなかの“トランジスタグラマ”だからねぇ」

一平「知ってるか? この(=日本橋の)上に高速道路が出来るんだぜ」
母「どんどん変わって行くのねぇ」

松下「私は(芥川賞を)取れると思いますよ・・いや、取らなきゃいけないんだ、本来ならね」

宅間「どうだろう? あなたも読んでみたら」

美加の父「私は何もかも無くしてしまったと嘆いていたが・・悪いことばかりではなかったようだ」

茶川「今日は特に(夕日が)奇麗にみえるなぁ・・」
淳之介「僕、知ってるよ・・それは“3人で”見てるからだよ」

・『シン・シティ(2005)』・・12月29日(月曜)の深夜に鑑賞。録画可能なハードディスク容量が極めて少ないため、就寝時間までの少しの間“前半のみ”を観ることとした。
私的に“本作のポイントキャラ”は「食人鬼ケヴィン(←恐ろしく強いが声は“天使”にも似てるらしい←“DVD特典”とし副音声で収録して欲しかった(=^_^=))」「イエロー・バスタード(←よく観たらジ※ン・コナー似?)」の2名だと決め打ってるので、しんどかったし“ケヴィン篇”だけを観た次第。
改めて、イライジャ・ウッド君、スゴい!(ワタシ自身、本作から“アカデミー助演男優賞”受賞者を複数選出させるべき(イライジャ&ニック・スタール)、と信じてる(=^_^=))

が、、映像や演出や何やかんやが全て残虐過ぎるため、カットされまくりで、正直「何が何だか」分かんなかった(⌒〜⌒ι) まぁ、地上波ではあの程度が限界なのだろう。
また「どうせ字幕やろ」と思ってた本作が、吹替え版であり少し驚かされた。それも、なかなか台詞回しがハードボイルドな風で耳に心地良いのである。

自室の棚のどっかに、確か未開封のDVDソフトがささってる筈なので、機をみて“吹替え版”で鑑賞しようかな、と考えてゐる(・ω・)

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☆溜まっとるレビューをバシバシ片付ける!(その1)☆

だいぶ以前の鑑賞のモノもあります、、(×_×)
短くまとめてゆきますので、肩肘張らず(←張ってるのはオレか、、)軽く一読頂けたら幸いです。

・『大菩薩峠/竜神の巻(1960)』・・11月19日(水曜)の夜に鑑賞。地上波チャンネル。
悪の剣豪=机竜之助(市川雷蔵)に挑む青年剣士=宇津木兵馬(本郷功次郎)。遂に、仇敵である竜之助を崖の上に追い詰めた兵馬・・その戦いの行方は??
再映画化された(と思しき)『大菩薩峠(1966)』の鑑賞が中盤で止まってたりする本シリーズ(×_×) そちらでは竜之助を仲代達矢が、兵馬を加山雄三が演じている。
今回は「帰宅時間の都合」により、後半からの鑑賞となったんだが、前述の「1966年版」がモノクロであったのに対し、本作はカラー作品だった。製作費の違いなのか、監督が敢えて狙ったことなのか?
終盤では、崖の上での対決が始まった途端、唐突に「第2部 終」(←エンディング)を迎えてしまい、何が何だか分かんなかった(×_×) 竜之助もいつからなのか盲目になってしまってる。。
ま、そもそも、続きモノを途中から観るからアカンのだろう(⌒〜⌒ι)
でも、仲代達矢とは違った“無味無臭な冷徹さ”を市川雷蔵は放っていた。これは流石と言うべきか。

竜之助によるセリフ「この竜之助、両の目は盲(めし)いたが、剣の目は見えておる」がカッコ良かった。

・『ホット・ロック(1971)』・・同日夜の鑑賞。こちらはこちらで別なこと(←何だっけ?)をしてて前半(20〜30分ほどを過ぎて)から観始めることとなった(・ω・)>
ダイヤモンド強奪を狙う4人組(リーダー的存在のドートマンダー役にロバート・レッドフォード!)の活躍を描いた、クライムムービーと言ったトコロか。
キャスト面や(作品タイトルを含む)インパクト面に何とも欠けるので、観てみないとその良さ(面白さ)が全く伝わらないのだろうが・・テンポがすこぶる良く、地味ながらもそこそこに吸引力があって十分に「佳作」と評せるレベルであった。
博物館(展示室)での強奪シーンは中盤までに終わってしまうんだが、そこから先は「捕まった仲間の1人」の隠したダイヤを巡り、刑務所⇒警察署⇒銀行地下貸金庫・・とどんどんターゲットがその難易度を上げて行く(?)(⌒〜⌒ι)
結局“最難関”はラストの貸金庫だったんだが、ここで4人の実行犯をはるかに凌ぐ(?)「強力な助っ人」が登場し、一味はあっけなくダイヤを取り戻すのだった!

劇後半に登場する合い言葉(?)「アフガニスタンバナナスタンド」が、観賞後も尚、耳に残ってしまっている(=^_^=)

・『オーメン(2006)』・・11月27日(木曜)の夜に鑑賞。この日は劇場で『1408号室』なるホラー作品を観たので、その帰宅後の鑑賞となり・・殆ど後半から「木曜洋画劇場」で“地上波初放送”されてたモノを観た形となる。
オリジナル版(1976)のリメイクらしい・・が、それ自体を観てないワタシ(・ω・)
期待してたのはピート・ポスルスウェイト演じる“神父様”だったんだが、観始めた時点で既に「退場」されてたようだ(×_×)
そっから先は、主人公を演じるリーヴ・シュレイバーとその相方を演じるデヴィッド・シューリスがウダウダと“悪魔の子=ダミアン”を巡る謎を調べ回ってた感。
そういや、意識してシューリス氏を観たのは久しぶりな感があるが『太陽と月に背いて(1995)』『ドラゴンハート(1996)』『セヴン・イヤーズ・イン・チベット(1997)』以来、それほど印象が変わっておらず、少し驚いた。
どうやら“R指定”の作品らしく、残虐描写もウリ(?)だったと思しき本作。シューリスさんも、唐突に“首ポロ”状態で「退場」されたようだ(←流石に“その瞬間”はカット入ってますた)
主人公側の手際の悪さも手伝ってか“防戦一方”の物語展開だったような。劇場でもし観てたら、きっとフラストレーション溜まったろうなぁ。。
あと「レクサス」が劇終盤で結構荒っぽく乗り回されており、そこは見所だったかも。ぶつけたりもしてましたし(×_×)
何処となく世界観が『クリムゾン・リヴァー2(2003)』ぽくもあったか?
ま、正直言わせて頂くと・・あんまし観る価値を感じなかったホラーではある、ワタシとしては。

・『ブルース・リーの生と死(1973)』・・11月30日(日曜)の深夜に中盤から鑑賞。ジークンドー(截拳道)の始祖=リー先生の生涯を関係者インタビュー&秘蔵(?)映像群などを交え辿るドキュメンタリー的作品。
中学生時代に熱狂的なリーファン(←二谷友里恵さんのファンではありません・・)だったワタシであり、既に「ま、記憶に残すべきは主演作群だけで良いかな」とその熱狂レベルは落ち着きを取り戻しているが、
「リー先生は死すとも、映像遺産は遺されて行く」と考えれば、意義のある記録映像群ではあろうと感じた。
先生が亡くなり(1973)、既に36年もが経とうとしているのだが・・ハリウッドで成功を掴み、英語での俳優活動に全く不自由がなく、各方面に交流が広く、加え監督の才もあった・・と言うことで、ホントに「未知数な可能性を秘めたまま」旅立ってしまったことが悔やまれてならない。

作品内では、彼の語った「格下だと思ってしまえば、格下だ」のひと言が印象深かった。根っからの武術家でもあったのだろう。

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2008年12月29日 (月)

☆『椿三十郎(2007)』☆

28日(日曜)の夜、「日曜洋画劇場」で“地上波初放送”されたものを鑑賞した。
黒澤明監督による同名作品(1962)を「まんまカラー化してリメイクしました」的な1本ではあるが・・

山間部に位置する某藩では、密かに藩内を蝕む汚職問題に、若侍(青侍?)たちが今まさに立ち上がらんとしていた。
が、頼みの綱である城代家老は“黒幕”たちの手にかかり藩内の何処かに拉致監禁されてしまったと言う。
木立の中、密談を続ける若侍・・その数わずか9人・・にも、彼らの潜む堂宇を取り囲まんとする、“黒幕”の放った手勢が既に差し迫っていた・・
まとまりに欠け、自暴自棄に走りそうになる若侍ら。
その時「ちょっと待ちなっ!」と、堂の奥で寝泊まりしていた浪人姿の男(織田裕二)が欠伸(あくび)をしながら出て来る。

不審で無作法なこの男に、一度は斬り掛からんとした一同だが、話している内に“黒幕”の真の姿を掴み、この浪人に心酔するようになる。浪人もまた、彼らを見棄てることが出来ず(あわよくばこの機に食い扶持にありつこう、とも考えてたようだが)・・最後には「危なくて見ちゃいられねぇ!」と一肌脱ぐことを決意する。

かくして、この浪人・・椿三十郎(自称)率いる若侍たちの痛快な“藩政改革”が始まるのだった。

そんな彼らの前に、不気味で不敵な侍頭、室戸半兵衛(豊川悦司)が立ち塞がる・・

うーん・・脚本的にはまんま“オリジナル版”なんだが、細かいトコで「冗長な味付け」がなされてたように感じた。
キャスト面では「可もなく不可もなく」ってトコロか? だが、ワタシは「織田が椿を演じてる」「豊川が室戸を演じてる」なる“一歩下がった見方”がどうも出来ず・・「織田が織田を、豊川が豊川をそつなく演じてる」と感じただけだった。

これってミスキャスト? って言うか企画自体「アレ」だったのかも、、うっ(森田芳光監督、すんません)

クライマックスで展開される「織田vs豊川」のガチンコ対決が、最大の見所ではあるんだろうけど、、イッキにズバッとやって欲しかったあのシーンが「スローモーション」「種明かし(?)映像付き」で“まったりした味付け”となってたのは残念、と言うか衝撃。。
北野版『座頭市(2003)』における終盤対決(北野vs浅野忠信)と、奇しくも殆ど同じ映像演出だった気もするが、、「何でもっとスピーディーに描かないのか?」とすこぶる疑問である。
私的には「間延びした刀剣バトル、なんぞ描く価値はない!」と思ってますもんで(←無論、刀を抜くまでの対峙&下腹で互いの鍔を合わせての膠着(こうちゃく)、などの演出であれば、幾ら長く描いて頂いても構わないが)。

番組で“茶室の3悪人”と紹介されてた(←セリフでは登場しない)、黒藤(小林稔侍)&菊井(西岡徳馬)&竹林(風間杜夫)の3巨頭は、各々に存在感がありなかなか。
私的には更にセンス良く(=^_^=)“離れ茶室の3悪人”と命名しときたい!

オリジナル版の室戸は仲代達矢さんが演じており、見た目“タコ入道”って感じで「どす黒い顔色&ギョロッと見はった両眼」がすこぶる印象的だった。
トヨエツ氏ではクール過ぎ、あのギラギラ&ギトギトした殺気は出せてなかったよなぁ・・とも。

「学芸会レベル」では勿論ないし、リメイクにかける意気込みのようなものは感じたんだが、、クロサワ監督の墓前で自信を持って報告出来るか? と問われたら「う〜ん、その気持ちだけでイイんじゃない?(報告はよしとこうよ)」とアドバイスするに止めたい、そんな作品である(・ω・)>

〜 こんなセリフもありました 〜

椿「盗み聞きってのは、話してる奴より、話の本筋が良く分かるもんだ」
 「手前が馬鹿だって思われてるのを気にしねぇってのは、大した大物だ」
 「岡目八目ズバリだ、聞いてみな!」
 「お前、丑年の生まれか? 何かにつけて突っかかるが」
 「さぁ、俺を踏み台にしてくれ」
 「俺は酒飲んだ方が、頭良くなるんだぜぃ」
 「馬鹿、それじゃ話がうま過ぎねぇか?」
 「待ちな! 俺はどうも気乗りがしねぇ」
 「手前たちにゃ愛想が尽きたぜ、とても付き合い切れねぇ」
 「やい! 手前らのお陰で、とんだ殺生したぜ」
 「勇ましく斬り込むつもりらしいが、隣はそれを待ってんだぜ」
 「ごっそり流しゃ、文句あるめぇ?」

室戸「貴公、なかなか出来るな」
  「類は友を呼ぶ・・俺も相当悪い」
  「なかなか聞き分けがいいな・・いい子だ」
  「夕べも貴様、俺に一杯喰わせたな?」
  「もはや、これまでですな・・」

若侍「こうなったら、死ぬも生きるも我々9人!」
椿「・・10人だ!」

奥方「すぐ人を斬るのは悪い癖ですよ、あなたは何だかギラギラし過ぎていますね。
   そう、抜き身みたいに。あなたは鞘のない刀のような人・・
   でも“本当にいい刀”は鞘に入っているものですよ」
  「お父様はなかなかの、顔の長い狸ですからね」 ←ネタバレ?(=^_^=)

菊井「心配はありません」
竹林「その心は?!」 ←口癖?

菊井「こうなったらそれもいいでしょう、今が勝負時です」

黒藤「打つだけの手は打った」

若侍「貴様の出る幕か?!」
押入れ侍「今、すぐ、引っ込みます」

室戸「何だこのざまは?! 貴様らしくもない」
椿「面目次第もねぇ」

室戸「何をしている?」
椿「俺は椿の花、好きでな」
室戸「ふざけるな!」

室戸「貴様みたいに酷い奴はない、こけにしやがって」
椿「まぁそう怒るな」

追記1:冒頭で「時間&サイズを編集した特別版でお送りします」と紹介されていた。道理で流血映像が全くと言って良いほど描かれないのに、噴出音(?)ばかりが耳についた、ちぅ訳だ(・ω・)
追記2:前半では「森林での小競り合いシーン」が新たに追加されてたと思う。なくても良かったけどね。。
追記3:製作総指揮に“御大”角川春樹氏の名が。彼からすれば「若侍が派手に斬り込んで・・玉砕!」みたいなドラマにこそ仕上げたかったんかも知れない?(・ω・) ←そうなると、主題歌は長渕剛さん?
追記4:みんなで椿の花を次々に斬り落とし、水の流れに叩き落とすシーンでは「椿愛好家団体のクレーム」が心配になってしまった。。
追記5:城代家老の屋敷にかかってた3福の掛け軸は、(左)「本来無一文」(中)「虚無恬淡」(右)「人生小笑」ですた(・ω・)
追記6:かつては血気盛んだった主人公=椿が、暴走寸前の若侍たちを(未然に)食い止め、暴走を経た室戸を(口惜しく思いつつも)倒す・・みたいな“世代間の人間ドラマ”が描かれてたようにも思い出すオリジナル版。今回は椿&室戸の年齢設定が「殆ど同じ」だったのもあり、そう言った感慨はばっさりカットされてたように・・(×_×)

あと、、2008年5月23日 (金)の拙記事に“オリジナル版”のレビューを載せてますので、良かったら併せて一読頂けると・・幸い、ちぅ訳だ。

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☆『特命係長・只野仁/最期の劇場版』☆

28日(日曜)の午後。
一般的な企業さんより“ひと足お先に”年末年始の休みに突入し・・早くも(27日以降)ダラダラと過ごしそうになってる、、(×_×)
昨日は兵庫県⇒奈良県にかけてのドライヴを楽しみ、今日は大阪市内へ電車で繰り出し、1本観て来た☆

ホンマに狙ってたのは「別な作品(一応ハリウッド系)」だったが・・主演男優が「別なTVドラマシリーズでそれなりにブレイクしたしと」って理由からか、考えてた劇場(←ナビオ上層階)の上映開始時間分では「座席:×」と電光掲示されており凹んでしまった。。

で、場所を“梅田ピカデリー(←泉の広場上ル)”に変え、観て来たのが『特命係長・只野仁/最初で最期の(=^_^=)劇場版』である。
いやぁ~・・以前から「“フン!フン!フン!”だけは劇場で観とかんと、越せる年も越せんでしょお?」「コレを(鑑賞予定リストから)外すのは、有り得んでしょお?」などと、周囲に機があれば(ネタ的に)振りまいてた気もするが(=^_^=)・・まさか、ホンマに観る羽目になるとは(=^_^=)
それも定価で(=^_^=)>

2008年12月、東京・・
黒川会長(梅宮辰夫)率いる大手広告代理店(←代理店と言うか大企業レベルだが)“電王堂”は、総額80億円をかけた巨大イベント「フラワーアースフェスタ2008(集客見込数:60万人)」を月末に控え、慌ただしい雰囲気となっていた。イベントのイメージキャラに選ばれたのは、今をときめくグラビアアイドル=シルビア(B86/W58/H88の20歳)である。

所属する芸能事務所「ビッグスター・プロモーション」の“看板”であるシルビアは、奇しくも“電王堂”が宣伝を手がけた新商品「激生ビール」のCMタレントにも起用されていた。
和気あいあいとした雰囲気の中「激生〜」の発表記者会見が行われる。

キャッチコピー「激生ごっくん♡」をシルビアが言い放ち、カメラマンらが一斉にフラッシュを焚く。
次の瞬間。舞台上に組まれていた鉄骨が倒壊を起こす! その場にいた関係者は色を失うが、彼女は、間一髪で飛び出した総務2課係長=只野仁(高橋克典)に救われ、無傷だった。

翌日、彼は会長直々の「特命」を受ける。彼は只野に「舞台崩壊事故」直後に届けられた1通の脅迫状を見せる。差出人は“暗黒王子”を名乗る、謎の知能犯。「シルビアの活動を妨害する」とその脅迫状は伝えていた。

会長は「フェスタが成功裏に終わるまでの間、彼女を警護し、この脅迫犯を突き止めろ」と只野に指示する。
かくて、特命係長・只野の任務が幕を開ける・・

正直、TVドラマスペシャル(それも1回分)しか観てない本シリーズだが「荒唐無稽」ってのがコンセプト(=最大のウリ)でもあり、その点では「好き放題、キャスト&スタッフが楽しんで作ってる」・・そんな“映画の原点”みたいな空気が作品全体から漂っており、1800円払う価値が果たしてあるのかどうか・・は別にしても(=^_^=)期待しなかった分、それなりに楽しめた感はあったか。
(色んなブログで評されてる通り、良くも悪くも“TV版と同じ”ではあるんだろうけど)

ま、(わざわざ企画した)劇場版ってのを意識してのことか(?)

・格闘戦で(無敵なハズの)夜・只野が敗れる
・閨房では無敵なハズ(←何だか“台所では無敵”を誇る(セガール演じる)世界最強のコック=ライバックみたいやな(=^_^=))の夜・只野の“フン!フン!フン!(←俗に言うセク〜ステクニ~ク)”の通用しない女が登場する

などの“特別な演出”を盛り込んでくれてた気がする。

ロケ地は東京⇒大阪⇒福岡、と多岐に渡り、空撮なんかも割と豪華に用いられてたか。

基本的に「力を抜いて作ってる」企画なので、たまにムチャクチャな所、強引な所などあるが、余り突っ込む気にはなれなかった(=^_^=)

見所は「アイドルの本音」みたいな(少しばかりダークな)部分が、露骨に(忠実に?)描かれてる辺りや、「メイド“寿司”カフェ」「(一見)真っ当そうなストーカー野郎」「宅配便業者を装ったヒットマン」などの“イマドキ事情”が意欲的に物語に取り込まれてることか。
「マツバ」「ススキ」など、セリフに登場する自動車メーカーも巧い具合に名称をパロっており、耳触りは悪くなかった(=^_^=)

それなりのクライマックスは夜・只野vs謎の大男(チェ・ホンマン←K1選手だそうだ)のバトルだが、2回戦では『死亡遊戯(1978)』を思わせる「胸に足ペタ」があり「おおっ!」と興奮(=^_^=) 3回戦では『007/ゴールドフィンガー(1964)』と『007/ムーンレイカー(1979)』を連想させる、とある展開を辿ってましたわ。
そうか、あいつのキャラは(『死亡〜』における)ハキム(カリーム・アブドゥール・ジャバール演じる)であり、(『ムーンレイカー』における)殺し屋ジョーズ(リチャード・キール演じる)だったんやな、と。
しっかし・・露天風呂程度の深さでは「アレ」はどうにもならんだろ??

〜 こんなセリフもありました 〜

昼・只野「これ、当たるようにして下さいね」 ←宝くじ売り場で

夜・只野「人は誰でも“何らかの役割”を演じながら生きてるんじゃねぇか?」
    「例えあんたの言う“ゴミみたいな存在”だろうが、
     生きてる限り、そいつの中に“幸せを掴む権利”はある筈だ」

会長「商品に手ぇ出すな」
  「男の幸せって何だろうな・・?」
  「このイベントにかけてるのなら、(中止せず)続けるんだ」

シルビア「何、この人・・?」 ←初対面で昼・只野に

※※※※「(聞かれたって)気にすることないわ、こいつ(=運転手)ロボットだから」 ←きっつぅ〜!

※「知っての通り、広告業界は“奇麗事の通用しない世界”でね」

※「只野さんって“窓際”なんですか?」
昼・只野「そうなんですよ、窓からの景色が素晴らしくて」

エミ「(男の)年収よりスゴいものって・・あるのね・・!」 ←通天閣から打上花火が(=^_^=)

※※「嫁はんに逢いたい・・」 ←このセリフにはウルウル来ました(×_×)

黒幕“虎”「俺たちはマカオへ飛びバカンスだ、お前たちは玄界灘の底へ沈んで貰おう」 ←生々しいなぁ(⌒〜⌒ι)

〜 ほか、こんなことも 〜

♦大阪ロケ敢行! 気の付いた所では・・新大阪駅(駅前)、道頓堀(入口)、大阪城(天守閣前)、法善寺(境内)、通天閣(真下の串カツ店「だるま」)、一心寺(墓地)などが登場してた。嬉しかったのは(=^_^=)京阪電車・北浜駅(地下構内)が登場したことか!
♦「だるま」親父による「2度づけはアカンで!」の怒号には、さしもの只野もタジタジ(=^_^=) 店の表にあるおっさん人形・・“目玉の飛び出るアクション”搭載だったんやね(⌒〜⌒ι)
♦昼・只野の買い求めた宝くじ(バラ40枚=1万2千円分)のうち1枚は「69組190721番」なる番号・・何とまぁ。
♦昼・只野の年収は500万円(天引き前)とのこと。
♦ケータイ小説作家、ハイパーメディアプロデューサー、英会話スクール社長・・などの有象無象たちが登場(⌒~⌒ι)
♦「引き出しの中から見上げた(カメラ)アングル」って、案外珍しいのでは!?(=^_^=) ←何とも画面が「安っぽく」なるんだけど(苦笑)
♦「なにわ芸能」の社長役で桑名正博さん登場。いつも事務所内の陰ってるような雰囲気が、リアルでたまんなかった、、
♦夜・只野の弱点(←触られると悶える)は「右の乳首」らしい、、しかし、黒い(×_×)
♦大阪城を見下ろすホテルの展望バーに現れた夜・只野。「シングルモルト」を注文してますた。
♦にわかエグゼクティヴの提唱する(=^_^=)「シークレットルーム」には「サウナ」「ジャグジー」「茶室」の3点セットが必須らしい。。
♦夜・只野が突如現れた謎の大男に発信器を仕掛けるシーン・・ここは笑えますね〜。直後に“回想シーン”が描かれるんだが、そんな大事なことはその場で演出しとけよ!(=^_^=)
♦海中からいきなし「ダイバー部隊」の出現するのも、何だかなぁ・・
♦終盤に登場する福岡某所の敵アジト(単なる倉庫とも言いますが)。当直室だかの壁に貼ってた「SEIRI SEITON」の注意書きに苦笑させられた。
♦ラストシーンでは「新宿・住友三角街」がロケーションされてた。
♦謎の大男に飛び蹴りする夜・只野。何だか「距離が完全に足りてなかった」気がするんだけど・・
♦つる部分のスイッチ(?)1つで「右目側:赤」「左目側:青」にレンズの色が瞬時に切り替わる昼・只野の黒縁眼鏡。メールボーイ(永井大)が「速達です!」と届けて来たハガキ(スーパーミライの“全品半額セール”の通知)の裏に使用すると・・「特命」の2文字が3Dで飛び出すんだが・・もっと効率的な伝え方があったと思うぞ(⌒〜⌒ι)

追記:この1本が、或いは「年内最後の劇場鑑賞」となるんやろか、、(・ω・)>

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2008年12月28日 (日)

☆『まあだだよ(1993)』☆

25日(木曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。

以前に“何気なく”TV鑑賞した覚えはあり、その時は「まったりしてるなぁ〜」と感じたに過ぎなかったが・・今回は流石に「今春から放送されて来た“没後10年・黒澤明特集〜全30作放送〜”のラストを飾る、監督の“文字通り”最後の作品」ってことで、確かに感慨深いモノがあった。

作家・内田百閒(1889-1971)の教師(=法政大学のドイツ語教授)生活引退後の半生(1943〜)を、かつての教え子らとの心温まる交流の日々を軸に描いた佳作ドラマ。
その作品(随筆など)で取り上げられた幾つかのエピソードを、軽妙に描いた造りなのだが、特に中盤以降で40〜50分ほどの時間を割いて丁寧に演出される“愛猫ノラを巡るハナシ”がとても良かった。

これはウィキペディアからの情報(の鵜呑み)で恐縮なのだが・・還暦の翌年から、門下生や主治医(=^_^=)らを集め毎年盛大に開催された誕生会「摩阿陀會(まあだかい)」は実在した集まりだそうだ。「ノラ(←野良猫からの命名)」「クルツ(←短い尾からの命名、Kurzは独語で“短い”の意)」なる飼い猫2匹の名もまた然り。

「私もどうやら、書いたものが売れるようになった」と意気軒昂に文壇に殴り込みをかけた(?)百閒(松村達雄)であるが、狙い通りの裕福な生活は実現しなかったようで、劇中では空襲で自宅は焼け落ちるわ、続いて住んだのがまさにアバラ屋だわ、となかなか波乱の作家人生だったようにも。。

アクションシーンを期待しても仕方のない(=^_^=)本作。
作家と教え子の織りなすドラマもむろん微笑ましいが、やはり秀逸なのは妻(香川京子)とのやり取りであろう。

馴れ初めは一切描かれないし、性的なシーンなぞ微塵も演出されないんだが、寄り添う2人の「オイ」「ハイハイ」な“つうかあの雰囲気”が素晴らしい。
(一見“亭主関白”に見えるんだが、当然ながら奥さんの方が“1枚も2枚も上手”なのだ(=^_^=))

また、普段は飄々としてて、毒舌で、ふざけてばかりで、掴みにくい性格の百閒なんだが「2シーンだけ」寡黙で弱虫な“素(す)”の彼が拝める所はメリハリが非常に効いていて良い!

・自宅で雷に襲われた時
・ノラがいなくなった時

ワタシも年を取ってしまったか・・後者(ノラ騒動)における百閒の憔悴し切った、女々しくも痛々しい様子には、ついウルウルと来てしまった(×_×)

後年には恐らく語り継がれぬであろう(文豪の周りの)凡な(←ある意味、名もなき)人々(妻や教え子)が・・実に、表面的な彼(百閒)の明るさの裏(=実像)を知る希有な存在だった・・ってな脚本は巧いし、徹底して客観的に描かれ続けた彼の内面(心中)に「最後の最後」に至ってようやく大胆に切り込む“あの映像演出”にも技巧的に感心させられるトコロがある。

ふと思ったのは、

・所ジョージ演じた“活気あるサラリーマン”の役を、若き日の植木等がやってたら、それはそれでパワフルだったろうし面白かったやろな〜。
・第1回「摩阿陀會」の冒頭、百閒が巨大ジョッキでビールを一気飲みする演出は「長回し(カット&映像切替なし)」で見せて欲しかったな〜。

ってトコかな。

にしてもあの“一気”は、その恐ろしさを知ってるワタシにはかなりの緊迫感を与えてくれた。。今のご時世では、ホントのところ「ちと配慮すべき表現」と言えるかも知れませんな・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

百閒「文士なんてそんなもんさ」
  “世の中に、人の来るこそ嬉しけれ、とは言うものの、お前ではなし” ←内田邸玄関の一首
  「こりゃまさに“干天の慈雨”だ」
  「人間生きてると、色々と持ち物が増えて困るよ」
  「昔の歌はいいねぇ・・私は昔の歌が大好きだ」
  「おいおい、そんな話は困るよ」
  「威張ってる重役は、じゅうえき(重役)にかけなければならない」
  「ここはまさに“金殿玉楼”だよ」
  「我ながら名案だと思うよ」
  「みんな、自分が本当に好きなもの、大切なものを見つけ、そのもののために努力しなさい。
   君たちはその時、努力したい何かを持っている筈だから」

教え子A「しかし先生、どうしてあんなに・・」
教え子B「先生は、感受性も想像力も俺たちとは違うんだ」

教え子A「良く眠ってる・・夢を見てるらしいよ、でも先生はどんな夢を見るのかなぁ」
教え子B「夢も“金無垢”だよ、きっと」

妻「主人のステッキを・・」

教え子「短いから祝辞だ。長いと弔辞になる」

追記1:戦後の焼け野原ぽいシーンは『素晴らしき日曜日(1947)』の終盤を想起させてくれる。
追記2:「女性の描き方を忘れはったんでは?」と心配になってしまった『影武者(1980)』鑑賞以降のクロサワ作品だったが、本作は「描き過ぎず、かと言って足りない訳でもなく」巧いと感じた。まさに“クロサワ印ドラマの総決算”な1本と言えよう(念のためも1回書いときますが(=^_^=)・・アクションシーンはないッスよ!)。

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2008年12月26日 (金)

☆“黒澤監督・世界の若者と語る”☆

25日(木曜)の夜。
いよいよ衛星第2で今春から放送されて来た“没後10年・黒澤明特集〜全30作放送〜”も、今夜の『まあだだよ(1993)』をもって終了となる(・ω・)
忙しい中も、極力時間の許す限り(鑑賞に)付き合って来たワタシ。
完全に観逃したのは初期作の『一番美しく(1944)』1本だけだったと記憶している。

尤も、時間が取れず“録画したまま”の作品も7〜8本ほどあるんだけど、、(⌒〜⌒ι)

今夜は特集のラストを飾る、監督の遺作『まあだだよ』の前に“黒澤監督・世界の若者と語る”ってな特番が(再)放送されてたので、5分遅れぐらいで(←退社したのが遅かった、、)観始めたワタシである。

テロップによれば「1991年6月に放送された番組」とのこと。どっかのホール(←どこやねん)で600人の若者を前に「黒澤明」「本多猪四郎」の2大監督が質疑応答形式で“戦う”流れ。

何処までがガチンコ(リアル)だったのかは分からないが「誰しもが思うこと」をズバリ、御大・黒澤にぶつけとる若者もいたりして、ある意味“スリリングさ”が漂っていた。
そんな彼らって・・今、何をやってるんだろう・・?(・ω・)

で、幾つかの“黒澤語録”を必死にメモしたので(=^_^=)折角だし、紹介させて頂きます。

「三船君とは『赤ひげ(1965)』までのコンビでやるだけのことはやった。
 これ以上組んでも“マンネリズム”になるだけと思っている」
「映画とは注文されて出来るもんじゃない、映画とは生まれるもの。注文されて出来るもんにロクなもんはない」
「記者会見を(公的に)開くまでは、次作のことは絶対に言えない、盗まれるから」
「(作品を)続けて撮る方が、スタッフを押さえておける」
「あんたがつまんないって思ったら、それはつまんなくていいよ。そう言うもんなんだよ」
「映画ってのは多面体のもんだと思う、色んな人が色んなアングルで観て貰って構わない」
「批評には左右されない、それだけは覚えといてくれよ・・でも批評を拒絶する訳ではない」
「悲しい時に明るい音楽が聞こえたりすると、ますます気が滅入る」
「映像と音のことは難しい」
「撮影は窯変(ようへん)の連続である」
「“世間の黒澤評”なんて、虚像ですよ」
「厳密な絵(=映画作り)は好きじゃない、自由に自然に撮っている、その時の流れに乗っている」
「現場の雰囲気が作品(映画)には絶対出る」
「まず優れたシナリオを書きなさい、ちゃんとした才能があれば書けるはず。
 でも大抵(の人)は書かない、そう言う人には“情熱がない”としか思えない」
「努力すれば書ける。良いものを良く読みなさい、それしか道はない」
「“努力できる人”がある意味で天才」
「ファーストシーンとラストシーンを読めば、大体脚本は分かる」
「自分が本当に言いたい事を言うことだよ」
「心の中で思っていることは、何かしら作品に自然に出て来る、それが観る人の心を打つ」
「映画だけじゃだめ、文学も読まないと。両方をやって下さい」
「いい脚本家は皆いなくなった、年取った人、亡くなった人・・少し堕落しちゃった人も」
「書かせてるってことは、書いてることに等しい・・(そういう監督は)実質的には書いてる訳だよ」
「いい作品は普遍性を持っていると思っている」
「一番肝心なのは、それ(=描きたいこと)が映画になっていること」
「原爆ってものは、これからも沢山扱われるべきテーマと思う、人類が開けた“パンドラの函”のようなものだから」
「自然に、正直に、うそをつかずに付き合うこと、嫌なものは嫌と、本気で言うこと。それが人との付き合い方」

※『八月の狂詩曲(1991)』完成直後に行われた招待イベントらしい。

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2008年12月24日 (水)

☆『夢(1990)』☆

23日(火曜)の夜。衛星第2で放送された黒澤明監督作品『夢』を観た。
ひょっとしたら当時、リアルタイムに近い形で観た(多分劇場ではなくTV放送時と思うが)「初めてのクロサワ映画」かも知れない・・と思い出す。

「カラー作品であったこと」「無骨な印象が微塵も感じられなかったこと」「小エピソードの集合体であり、やや散漫な印象の漂ってたこと」などから、当時はハッキリ言ってそれほど評価してなかったような気が・・(・ω・)

が、その後、劇中で効果的に用いられる表現「こんな夢を見た」が、かの夏目漱石の短編小説『夢十夜』(の書き出し)に強くインスパイアされてると思しきことを知ってからは「イイね!」と好意的な印象の俄然わいて来た1作でもある。

クロサワ監督80歳にしての“夢の映像詩”たる短編集。いずれも「こんな夢を見た」と言うテロップで始まる8つの夢の中で、ベテラン監督の放つ自由奔放なイメージの群れが、観る者をひたすらに圧倒する・・

1、狐の嫁入り
2、桃畑のひな祭り
3、ゆきおんな
4、トンネル(隧道)
5、ゴッホを訪ねて
6、赤富士
7、鬼の哭く地
8、水車村にて

(正式な“各章のタイトル”は違うかも知れません・・ワタシの独断で各エピソードに命名してみました(=^_^=))

1・・日照り雨の降るある日、絣(かすり)の着物の少年が深い森の中で出会ったものは、、って展開。霧の中からボウと現れる「狐の嫁入り行列」は無論不気味なんだが、それ以上に“少年に無茶な試練を課す”母(倍賞美津子)の言動こそが恐ろしい(×_×) こんな夢からは、一刻も早く目覚めたいもんである(⌒〜⌒ι)
因みに、狐軍団は少年の隠れてる側(進行方向で言う左側)にばかり注意を払ってた印象が強かったが、、右側は気にしなくて良かったんやろか?(=^_^=)

2・・これも少年の受難もの。伐採され尽くした桃畑に誘い出され、咎められ。。
おっさんになった今も尚(=^_^=)思うことだが“女の子の背中をヒョロヒョロ追っかける”とロクな目に遭わない(=^_^=) 冷静に(周囲や自身の置かれてる)状況を見極めましょう☆

3・・吹雪に囲まれ3日目、いよいよ精神力&体力をすり減らし、寝入るように1人また1人と脱落してゆく山岳隊員ら(隊長役は寺尾聰)。そこに白き衣をまとった不思議な女(原田美枝子)が現れて、、って展開。終盤になり、ようやく吹雪が止むんだが、目指すキャンプ(=テント)の余りにもの近さには、流石に唖然とさせられた。。
「3日間、正しくキャンプに向け歩を進めた結果」なのか、それとも「キャンプ近くでただぐるぐる迷ってた」のか・・その真相が妙に気になったりもする(・ω・)

4・・復員姿の男(寺尾)が峠に口を開けた薄暗いトンネル(隧道)を前にして遭遇したものは、、って展開。怪談としては最も完成度の高いと思しき作品。ヴィジュアル的に与える印象も1番強烈なのではないか?
これまで(の鑑賞で)は「トンネルの奥へと第3小隊が踵を返し戻って行く」トコロで終わるのかと思ってたが・・その後も自爆犬(←複数個の手榴弾を胴にくくり付けた軍用犬)が主人公にまとわりつき、しつこく唸る姿がただ恐ろしい。
亡霊的な存在がトンネルの奥に消え、ひと安心した・・そこに再び出て来るのである! 「ラストまでリアルを引っ張る」そんな怪談の“ツボ”を巧妙に取り入れている。
惜しむらくは、トンネル出口の両側の壁が現代的な「菱形のコンクリート製ブロック張り」だったことだろうか、、アレだけは現実感が漂い過ぎていたように、、(それもまた監督の狙いだったか?)

5・・自身の耳を切り落とした事件で精神病院に運ばれたヴィンセント・ヴァン・ゴッホが退院。そんな彼を訪ねる主人公(寺尾)であるが、ようやく出会えたゴッホ(マーティン・スコセッシ)は何かに急かされるように、いそいそと去ってゆく・・。
女優・高岡早紀さんのアイドル時代(←好きでした!)に『セザンヌ美術館』って1曲があり、そのプロモーション・ヴィデオ(PV)の中で、彼女がセザンヌの絵画世界の中を散策する・・みたいな映像演出をやっていた。それを思い出した(=^_^=) まぁ映像作家としては“誰しも1度は思い付くネタ”なんかも知れませんな。特撮そのものより、名画を映像的にいじくって使用する承諾関係こそが大変そう?

6・・葛飾北斎の描いた浮世絵『赤富士』の角度そのままの世界で、富士山の背後(?)に位置する6つの原子力発電所が連鎖的に爆発を起こす。逃げ惑う人々、地獄絵のような風景の中、放射性物質を含んだ色付きの煙が風に乗り主人公(寺尾)らに向かって漂って来る・・。井川比佐志&根岸季衣がイイ味を出してくれている。彼らのお陰で、作品に漂うドンヨリした空気が「妙に明るく」変わるのが救いだ。最後は煙に向かい、脱いだ上着を振り回し抵抗する主人公だが、、これも正直、さっさと目覚めたいシチュエーションではある(・ω・)

7・・荒廃した近未来都市。途方に暮れながら砂地の斜面を登って来た主人公(寺尾)は、頭に1本の角を立てた“鬼”のような男(いかりや長介)に出会う。その“鬼”がシニカルな口調で語り始めた、この世界の置かれた状況とは、、って展開。過激なメイクをまとい、ひたすら生真面目に熱演するいかりやさんがイイ。終盤で彼の“鬼の本性”がいよいよ露(あらわ)となるんだが、私的にはセリフの何処かで「ダメだこりゃ!」と“チャーミングなひと言”を放っておいて頂きたかったかも(=^_^=)

8・・水車小屋の建ち並ぶ、山あいの水郷の村へぶらりやって来た主人公(寺尾)。飄々とした佇まいの老人(笠智衆)が、彼に「葬式が始まるのじゃ」と話し出す。いよいよ、の最終エピソード。
エピソード3以降、色んなシチュエーションで旅を続ける(?)主人公だが、次第に受け身なキャラに変わってゆく。いかりやさんに続いては笠さんの存在感の前にただ聞き役に徹してた感(・ω・) 笠さんは笠さんなりにメイクを施されており、必ずしも優しそうな印象の放たれていない点は、やや残念でもあるか(⌒〜⌒ι) ロケーション的に印象深いのは「水車」であるが、物語そのものには殆ど関係なかったりする、、まぁ本エピソードは、笠さんの存在感の勝利なのでしょう。
後半に描写される“死者を弔う踊りの列”は北野武監督をして、後の『座頭市(2003)』に影響を与えたと見えなくもない?

〜 こんなセリフもありました 〜

母「出てくんじゃありませんよ」
 「見たりすると、怖いことになりますよ」
 「お前、見たね? 見てはいけないものを・・」
 「早く狐の所へ行って、謝っておいで・・本当に“死ぬ気”になって謝んないとダメだよ!」
 「狐の家はその虹の下よ」

※「そこの子供! お前に言いたいことがある」
 「お前の家はこの桃畑の桃の木を全て切ってしまった」
 「今さら泣いても仕方がない」
 「この子は、いい子だ・・この子にもう一度、この桃畑の花盛りを見せてやろう」

隊員「この吹雪はもう止まない! この吹雪は俺たちが死ぬのを待ってるんだ!」

女「雪は、温かい・・ 氷は、熱い・・」

野口一等兵「中隊長殿、自分は本当に戦死したのでありますか?!」

中隊長「お前が死んだのは事実なんだ」
   「生き残ったわしは、お前たちに合わす顔がない」
   「わしはお前たちと一緒に死にたかった、このわしの気持ちを信じてくれ!」
   「戦死とは言え、犬死にだ!」
   「帰れ、帰って静かに眠ってくれ」

ゴッホ「なぜ描かん? 素晴らしい景色だぞ」
   「“絵になる風景”を探そうとするな」
   「急がねば・・描く時間はあと少ししかない」
   「太陽が“描け”と脅迫する、こうしてはいられない・・」

男「狭い日本だ、逃げ場所はないよ」
女「分かってるけど、逃げなきゃどうしようもない」

※「これまでだよ、みんなこの海の底さ」
 「どっちにせよ、放射能に追いつかれるのは時間の問題だよ」
 「しかし全く・・人間はアホだ」
 「死神に名刺貰ったってどうしようもない」
 「じゃ、お先に」
 「すいません、僕もその“縛り首の仲間”の1人でした」

男「あれはイルカだよ、イルカも逃げてるのさ」
女「イルカはいいねぇ、泳げるから」

鬼「人間だな?」
主人公「君は、鬼か?」
鬼「そうかも知れねえ・・だがこれでも、昔は人間だったんだ」

鬼「昔は、この辺り一面の花畑だった・・それを水爆やミサイルが、こんな砂漠にしちまった!
  ところが最近、その死の灰の積もった地面から“不思議な花”が咲き始めた・・タンポポの化け物だよ」
 「放射能が花たちを※※にしちまった」
 「バカな人間が、地球を猛毒物質の掃き溜めにしちまったんだ」
 「食べ物なんか有る訳ないよ、俺たちは共喰いをして生き延びてるんだ・・そろそろ俺の番だ」
 「のさばるだけのさばるがいいよ」
 「俺はもうじき喰われるんだけどな・・いや、喰われるのはやっぱり嫌だ!」
 「夕方になると名うての鬼どもが哭(な)くんだよ、角が痛んでな・・
  死にたくても死ねないから、哭くより仕方ないのさ」
 「俺の角も、痛くなって来た・・」
 「鬼になりたいのか!!」

老人「(この村に)名前なんかないよ、わしらはただ「村」と言っている」
  「人間は便利なものに弱い、便利なものを良いものと勘違いして、本当に良いものを棄ててしまう」
  「暗いのが夜だ・・夜まで昼のように明るくては困る」
  「人間に本当に必要なのは、良い空気、自然な水、それを作り出す木や草花だ」
  「あんたは変な顔をするが・・本来、葬式は目出たいものだ。
   尤も、子供や若い者が亡くなるのは目出たくはないが」
  「生きるのは苦しいとか言うが、それは人間の気取りだよ・・正直、生きてるのはいいもんだよ、とても面白い」

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2008年12月23日 (火)

☆『地球が静止する日』☆

23日(火曜)。
昨夜は仕事を終えてから“レクリエーション”をし、その後は地元に場所を移して、久々に“バー”へなど立ち寄ってみた☆
映画『マイアミ・バイス(2006)』で興味のわいたカクテル“モヒート”を注文したら・・「ない」とバーテンダーに一蹴され(オヨヨ、、)代わりに“ジン・リッキー”を飲むと、コレが結構回ってしまった感じ・・(で、また夜も更けての帰宅となりますた)

加え、今朝は早朝(午前5時過ぎ)に「凄まじき腹痛」に襲われ目覚めてしまった(×_×)
何かに当たったんやろか? 昨夜の宴に参加された皆さん、大丈夫やろか? と少し不安になったりも。

にしても・・粗相に至らず、ちゃんと起きることが出来、ホッとした(⌒〜⌒ι) コレが認知症入っちゃうと、自意識すらないままに、粗相しちゃうんやろな(×_×)

そんなことで、中途半端に2度寝を余儀なくされてしまい、次に目覚めたのは正午寸前だった。ああ、また遠出出来なくなったじゃん(×_×)

仕方なく、市内のご贔屓シネコン(?)“シネプレックス枚方”へとクルマで繰り出した。
プランとし「2本ハシゴ」したかったトコだが、2本の上映時間が「一部重なってしまった」ため断念し、1本目の『地球が静止する日』のみを観るにとどめた。私的には2本目の方にこそワクワクしてたんだが・・(=^_^=)

キアヌ・リーヴス&ジェニファー・コネリー最新主演作。

宇宙から“地球を救うためにやって来た”人間体のエイリアン=クラトゥ(キアヌ)が、唯一の理解者である女性宇宙生物学者(プリンストン大の教授)=ヘレン・ベントン(ジェニファー)やその義理の息子=ジェイコヴと共に「地球の静止」を食い止める手立てを探し求める、そんな展開。

本作について評したとあるブログでは「既視感の塊のような特撮映像群」みたいにコメントされてもいたが・・確かに各種ディザスター(災害)大作(?)を観慣れてしまった観客にとっては、制作側の狙った「モノ凄い映像群」も、もはやレベルが低過ぎ「マイルド」にしか映らないのではあるまいか?
ワタシ自身も「マッタリし過ぎや!」とスクリーンに心中で突っ込むこと、幾度もあった。
ハリウッド帝国の技術力&資金力をもってしても、もはや「パニック映画」ってジャンルは頭打ちであり、ひょっとすると“衰退期”に差し掛かってるんかも知れない(・ω・) ←問題は企画力の著しい欠如、か・・

冒頭では、1928年のインド・カラコルム山脈(雪山)がちょこっと描かれるが、あそこで登場するのは「DNAの素となった」彼なのであろう。
もしあの場にいたのが“もっと不細工な人間”だったらどうなってたんやろ? と興味は尽きない(⌒〜⌒ι)

ヒロインとしてのジェニファーさんと、女性国防長官=レジーナ・ジャクソンを演じたキャシー・ベイツの2大女優こそはそこそこに存在感を示してたものの、全体を眺めると・・魅力的な描き方をされてた女性キャラはおらんかったなぁ、と。
って言うか、どのキャラクターも(男優陣についても)表面的にあっさりとしか描写されてなかったように感じた。

オープニングを経ての直後は「マンハッタンに“国家の危機”が迫ってる!」なる、残り時間1:18:40のサスペンス劇が展開するんだが・・それを過ぎてからの失速ぶりが止まらない(・ω・)
加えて、見飽きた感もある“広範囲粒子飛散系CG”のほか“リアルペ※シマンのCG”が特筆すべきレベルの「失笑モノ」だった。あいつ(ゴート)だけは最後まで「CG合成感」が拭えませんですたわ。。

年末の“大作映画”を気取るにしては、ちょっとパワー不足(そもそもがアイデア不足(←リメイク版なので)だが)な1本。ま、“外宇宙のよそもん(=エイリアン)にすら愛想を尽かされる、情けなき我が地球”の姿をシニカルに眺める楽しみ(?)みたいなもんはあるだろうから、悲観も楽観もせずに、ご覧になられては如何だろうか。

〜 メモ帳 〜

【悲劇の3人】
・ダイヤモンド・ドリルの交換を命じられたしと
・フィラデルフィア近郊を走行してたトレーラー運転手のしと
・マイケルさん

【アレの予兆】
・衣服の袖や背中のあちこちが“虫食い状態”で破れ始める
・理由もなく鼻血が出て来る
・目の前のガラスに、無数の細かなヒビが有機的に走る

〜 こんなセリフもありました 〜

ヘレン「何が起こっているの?」
※「私も知らない・・“緊急事態”としか」

※「以前も(我々科学者の)招集されたことはあったが・・今回は“ごっこ”じゃないようだ」
 「1時間で(マンハッタン及びその周辺の)800万人の避難など不可能だ・・2次災害を防ぐので精一杯だ」
 「秒間3万kmの速度じゃ、2次災害対策など無意味さ・・衝突すれば、地球なんかチリだ」

女性兵「携帯ですか? ・・借りられます?」

クラトゥ「クラトゥ・バラダ・ニクト」
    「まず、この身体に慣れないと」
    「現実感がない・・異質だ」
    「以前は“違う姿”だった・・だが、それを詳しく言えば君は怖がるだろう」
    「“我々の星”? そうじゃない」
    「私は“地球の味方”だ」
    「逃げるのも戦うのもダメだ・・何をしても無駄だ」
    「1つの種のために、この星全体を犠牲には出来ない」
    「この星を※※から守らねば・・」
    「待ったが、もう限界だ・・“処置(Process)”は始まった」
    「技術的な問題じゃない、君たちの本質が問題なのだ」
    「本当の死はない・・総ては“形を変える”だけなのだ」 ←ここは重要!
    「※※には“別の面”が・・今はそう感じる」

国防長官「友好目的で(軍事衛星の)防衛網を不能にしたりはしないわ」
    「今回“劣る側の文明”は私たちよ・・滅亡か隷従の運命しかないわ」
    「あれは“方舟(アーク)”だわ・・」

イケガワ博士「(彼の存在は)『死海文書』と同じだ。この先、何世紀も研究しなければ」

老人「(地球人は)理性的な連中ではない」
  「(彼らは)破壊的な連中だ・・この先も変わることはない」

ヘレン「分かったわね!?(I'm serious!)」
   「変われるわ!(We can change!)」

ヘレン「(この曲は)バッハよ」
クラトゥ「美しい」

バーンハート博士「彼の心を変えろ、君の力で」

追記1:ジェイコヴの父=アンドリュー・ベントンは1972年の生まれ。。俺より若いじゃん・・(×_×)
追記2:クラトゥを“もっと激しく動かす”だけのシチュエーションは、地球上になんぼでも転がってた筈(・ω・)
追記3:NASAの“スペースガード計画”ってナニ?!
追記4:ちょっと胸毛のモジャッてるキアヌくん。シャガデリック!(←ハート型ではない)
追記5:カール・T・バーンハート教授(“Q”ことジョン・クリーズ演じる)。地球の運命を握る1名の筈なのに(ノーベル賞学者だし)政府に全くマークされてなかったのは何故?
追記6:森林や砂漠の動植物たちは戻って来る? もしくは盗まれたまま?
追記7:4人乗りのクルマが激しく横転⇒運転手は即死、同乗の3人は無傷・・ってこともあるんですね、、
追記8:『メン・イン・ブラック2(2002)』もそうだったが、夜間にはセントラル・パーク(NY)をウロウロせん方がイイみたいね(⌒〜⌒ι)
追記9:明らかに浴室のなさそな場所(ファーストフード店など)でも、トイレのことを「バスルーム(bathroom)」って言うんやね。

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2008年12月22日 (月)

☆『影武者(1980)』☆

20日(土曜)の夜。
衛星第2で放送された、黒澤明監督作『影武者』を観た。

3時間に迫る作品時間であり「録画しちゃうと、きっといつまでも観ないまま死蔵されるだけやろな」と薄ら予測がついたモノで(=^_^=)、しんどいけど頑張って(←頑張るなよ)観ることに決めた。そして・・観た!

世は天正の時代(1573〜93年)。刑場で「逆さ磔」に処されかけた所を連れて来られた奥州出身の盗人(仲代達矢)は、武田信玄(仲代の2役)、信廉(のぶかど)(山崎努)兄弟の前で詮議される。
信玄自身も、そして、これまでその“影武者”となり兄を支えて来た信廉も驚くほどの顔立ち、背格好をこの盗人は持っているのだった。つまり、信玄と“瓜二つ”だったのである。

上杉謙信を相手に「川中島の合戦(1553〜64年)」を戦い抜いた信玄の前に、勢力を伸ばしつつある存在が「三方ヶ原の戦い(1572年)」以来、因縁の深まっている織田信長(隆大介)と徳川家康(油井昌由樹)であった。

折しも、野田城に籠った家康勢・菅沼定盈(さだみつ)を兵糧攻めにしていた(1573年)信玄であるが・・夜な夜な城内から聞こえる「笛の音」を確かめるため、自ら城の外に“お忍び”で陣を構えた所、城内から唐突に種子島(火縄銃)で撃たれてしまう。

間もなくその傷が原因で信玄は死去。これに慌てた家臣らは「我もし(天下統一の志半ばに)死すとも、3年は喪を秘し、甲斐の国を動くな・・これを我が遺言と心得よ」なる彼の遺志に従い、先の盗人を“影武者”に仕立て上げ、信長&家康の間者(スパイ)の目を欺く計略に出る。

限られた家臣を除き、内々だけに伝えられた真実。
やがて野田城から甲斐へと戻った“影武者”は首尾良く自軍、果ては側室までもを(信玄)本人と信じ込ませることに成功するが・・ついある時、意外な者によりその正体を暴かれることとなる。

一方で、父・信玄の幻に悩まされ続ける息子=諏訪勝頼(萩原健一)は、ついに信長&家康の軍勢を叩くべく、甲斐の国を発つのだった。そして武田家の運命を大きく変える「長篠の戦い(1575年)」の火蓋が切って落とされる・・

上記を書きながら、年表を辿ってみると・・「実に巧く虚を実にはめ込んでるなぁ!」と感心させられるんだが、作品そのものに関して言えば「長い! ダラダラと長い!」と、そればかりを何度も感じさせられた。

クロサワ70歳の頃のメガホンらしいが、直感的に「ご老人の撮った映画」って感じで、妙に展開や(映像)描写がスロ〜モ〜である。フルカラーである利点を生かし、色々と光学的な味付けこそはしてるんだが、私的にはそう言うのは余り重要視してないもんで・・とにかく「もっと緩急を付けてよね」とツッコむことが幾度も御座った←あ、口調が(・ω・)

全体的に「人物が生きてない(=いわば“非健康”な印象)」ってのもあり、虚無感を色濃く交えた戦国絵巻を意図的に狙ったんだとしたら、これはもう「大成功!」なのだろうが、、どうも「各キャラが生き生きと物語を引っ張った」と言うより「描きたい節目ごとに、キャラの演技をはめ込んだ」って感が拭えず、かつ“影武者”の言動1つをとっても「何か巧くない」と直感的に響くモノがあった(・ω・)

特に「酷いなぁ〜」と突っ込んだのが次の3点。

・女性キャラの描き方がなっていない。そもそも描く気すらなかったようにも感じる。折角、桃井かおり&倍賞美津子と言う大物女優を起用してるんだから「もそっと何とかしようよ」と申し上げたい。
・中盤で展開される“高天神城の戦い(1574年)”の場面。15〜20分ほど合戦シーンが描かれるも・・夜間のせいで画面が暗い、暗過ぎる! まるで『スパルタンX(1984)』のクライマックスシーン手前(だか)のように暗く、何が何やら分かんない⇒眠たくなる。あんなシーンなら編集(カット)すべきだったのでは?
・終盤の“長篠の戦い”のシーン。本作のクライマックスなのだが「武田軍:騎馬隊の大群がダイナミックに疾走する!」「織田&徳川連合軍:並べた柵から種子島を一斉に放つ!」・・とそれぞれの場面こそは迫力たっぷりに映されるんだが・・どうにもカメラが切り替わってしまう(×_×) ワタシの観たい“肝心の描写”は響き渡る“銃声のみ”で済まされてしまってた。。

終盤では、城を「石もて追われる」身となった“盗人”が、騎馬隊全滅の有り様を(戦場の)草葉の陰からただ眺める・・ってな展開となるんだが、その際の仲代さんの「顔ばかりは真っ白だが、腕や胸元は健康的な肌色」って風の“ちぐはぐなメイク”も違和感&不気味さが漂うばかりだった。

エキストラ描写は確かにもの凄いが、屋内の各シーンは“いかにもセット”でイマイチ緊迫感に欠けてたり・・クロサワ映画の最高峰と評するにはほど遠い作品だと私的には決め打ちたい。

ただ、一方で「楽しんで撮らはったんやろな」「きっとどのシーンにも思い入れが強く、編集(カット)出来へんかったんやろな」と言う空気は随所から感じられた。きっとそれはそれで、巨匠ならではの余裕だったろうし、巨匠だからこそ許されたわがままだったんやろな、とは感じたワタシである。

〜 こんなセリフもありました 〜

信玄「ふむ・・良く似ておる」
  「確かにわしは強欲非道の大悪人じゃ、天下を盗むためには何事も辞さぬ覚悟じゃ」
  「冷えて参ったな・・冷えると古傷が痛む」
  「この者、使えるかも知れぬ」
  「我が旗を京の都に立てること・・この信玄の生涯の夢じゃ」
  「瀬田の橋はもう過ぎたか?」

信廉「“影法師”も楽ではない、己を殺して影に徹するのは辛い務めだ・・
   時々、己に帰って気侭に寛ぎたくなる」
  「影はその人を離れて、独り歩きは出来ん」
  「あの男、またもや磔にかけられた心地じゃろうな・・」 ←このセリフは重要!
  「動くな、何事があっても悠然と構え、動いてはならん」

山県「ご機嫌麗しう・・」
信玄「ない!」

家臣「寝ぼけ眼を開いて、しかと見よ・・お屋形(やかた)様はあれに御座るわ!」
  「武田の精鋭、一糸乱れぬ・・見事な眺めじゃ」
  「お屋形様、お通りぃ!」
  「間者の目(?)に戸は立てられん!」 ←と聞こえた気が(・ω・) 普通は「口に戸」ですネ
  「亡きお屋形様を想うなら、今こそお役に立つ時ぞ!」
  「ここ数日、念入りに教えた通りにやれば良い」
  「子供の眼は騙せぬな・・」
  「黒雲(くろくも=愛馬)はお屋形様しか乗りこなせぬ」
  「如何に(姿形が)似ていようと、根まではそうも行くまい・・」
  「殿、ご酒(しゅ)が過ぎます」
  「医者が申すには、病の後、しばらく女人(にょにん)を近付けぬようとのこと」 ←いや〜ん
  「見ろ! この者たちは貴様を護って死んだ、貴様も磔になった覚悟で動くな」
  「良くやりおる・・さながら亡きお屋形様が乗り移ったとしか思えぬ」

間者「もっと近くで見るべぇや、影武者かも知んねぇ」

山県「武田の家に殉ずる覚悟の者でなくてはつとまらぬ」
  「親方様は病の後じゃ、当分は馬にも側室にも“乗る”事は控えて頂く」 ←いや〜ん
  「よかろう、その件は信廉殿の裁量に任せよう」
  「※だけは欺けなんだ・・」

盗人「俺はあのお方の役に立ちたいんだ、使ってくれ!」
  「どうじゃ、面(おも)代わり致したであろう?」
  「重い病は、人の心も変える・・」
  「この信玄・・戦のときは本陣、常はこの館にある」
  「動くな! ・・山は動かんぞ」

竹丸「違う、これはおじじではない!」
  「おじじは本当に変わった、怖くなくなった」

家康「武田を攻めて見れば、その後ろに信玄のあるなし(=生死)は分かる」

信長「武田の備えはお主(=家康)に任せる」
  「流石は信玄、死して3年、よくぞこの信長をたばかった」
  「山が動いてはそれまでよ」
  「アメン!」 ←宣教師に向かって

勝頼「この勝頼、幾ら足掻いても亡き父の幻から逃れることが出来ぬ!」

追記1:本作でクロサワに救いの手を差し伸べたのがフランシス・フォード・コッポラ&ジョージ・ルーカス(共同で海外プロデューサー)である。
追記2:“長篠の戦い”では、撃たれた騎馬隊の屍体が累々と横たわる描写があるが・・辛抱し切れないのか、細かく足をばたつかせたり、首を持ち上げたりする“お馬さんたち”のナチュラルな演技(?)が微笑ましかった(⌒〜⌒ι)

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2008年12月20日 (土)

☆『ブラインドネス』☆

19日(金曜)の夜。
仕事の帰りに、公開期間も恐らく終盤に迫って来てる1作『ブラインドネス』をついに鑑賞して来た☆
最近では珍しいほどに「観に行こうとすれど、なかなか機に恵まれなかった」作品でもある。

今夜も少しばかりは残業めいてたので、大阪市内の各劇場では間に合わなかったんだが・・またも、遠路はるばる(?)東大阪市内にある“布施ラインシネマ10・北館”での19:15上映開始・・のプランに間に合わせた次第(=^_^=)

以前の『ICHI』は同シネマの南館で観たが、流石に北館は商店街の奥ではなく、通りに面した大きめの建物だった。
それぞれに趣はあるが、私的には1階に“マクド”の入ってる北館の方が気に入ったかな?

アメリカの何処かを思わせる巨大都市。そこでは、様々な年齢の様々な人種が「言葉の壁」「宗教の壁」に時として阻まれながらも、粛々と暮し、働いている・・

そんなある朝、交差点で信号待ちしていた車内で、運転していた日本人青年(伊勢谷友介)の視力が突然に失われる。
「見えない!」「眼の中に光の粒子が溢れて・・!」後続車にクラクションを浴びせられる青年。気を利かせた通りかがりの男が運転を代わり、彼のクルマを走らせる。
通行人らは「急に見えなくなったらしい」程度の興味しか示さなかったが、これが“大規模な感染の始まり”であったことに、気付いた者は1人としていなかった。

帰宅した青年の妻(木村佳乃)は、突然の夫の発症に戸惑う。

青年を診断した眼科医は首を傾げる。「普通は黒く感じるものだ、白くじゃない」「黒内障か? いや、それにしては白く見える筈がない」「失認症(アグノシア)の一種か?」
帰宅後も、そのことを考え続ける彼だったが・・翌朝、彼の妻(ジュリアン・ムーア)が耳にした起きがけの夫のひと言は
「見えない(I can't see)!」だった。

この“奇妙な症例”は各地で同時多発し“接触感染の可能性”に慌てた政府は、患者を専用車で特別病棟に連行⇒隔離する政策に踏み切る。この間にもハイウェイではバスが横転事故、空港では旅客機が立て続けに墜落事故を起こす。

次々と「白の病」に冒された人々が運び込まれる病棟。政府は「隔離」を「あらゆる個人的事情を超えた、公善的処置」と位置づけた。一方その頃、パニックで渋滞したハイウェイは、事故の続発により、今は1台の走行車両もなかった。

そして急速に・・人々の間から「公共心」が失われて行ったのである・・

新作映画のレビューを精力的に執筆されているituka氏のブログ記事が気になったりもしつつ・・キアヌ・リーヴスの主演最新作『地球が静止する日』にも“それなりの興味”はあったんだが・・敢えてこちらをチョイスしてみた☆

が、フェルナンド・メイレレス監督、、どうもエンタテインメント路線で本作を撮った訳では全くなかったようで、彼の前作『ナイロビの蜂(2005)』以上に「(世界が)狭い」「(世界が)暗い」「(世界が)重い」「(世界が)汚い」と言う「何だかな〜」な4拍子が絶妙に揃っていた(×_×)

いや、私的には「M・ナイト・シャマラン(監督)路線で行け!」とか「(スティーヴン)キング原作っぽく(物語を)走らせろ!」とまでは言う気もないし、期待もしてはいないんだが・・ここまで作品世界が重苦しいと、流石に「何とかしてくれ〜」とツッコミたくもなる。
「メイレレス(作品)は滅入るっス」などとヘタなダジャレを飛ばしてる場合じゃなく(・ω・)「次作には手を出さんようにするかな」と心に決めてもしまうワタシ。

世界規模の物語か? と思いきや、殆どの展開は「隔離病棟内」で進行する。
何処か『サイン(2002)』のような“ある種、世間と隔たった空間”でもあり、一方で“脱獄モノ”の雰囲気が微妙に漂ってたり(?)もする。

コンパクトな劇中世界で、それなりのカリスマを持った奴が“君臨”しちゃうノリは『ミスト』にも通じるトコがあったかも(・ω・)

それにしても、1番我慢ならなかったのが、映像を覆う「汚物/廃棄物」の群れ。流石に排泄シーンこそはなかったが(←排尿シーンはありますた)、そっち系(デカい系)の汚物も廊下や路上にゴロゴロしてたように感じた。
後半では、野良犬の群れが若者の遺体(の衣服)をくわえて引き破り合ってるし(×_×)
また、意図的に配したんかも知れないが、屋内でも、屋外でも、妙に全裸状態の男女がウロウロと動き回ってて、興奮するより先にゲンナリしてしまった(×_×)

2番目は、スッキリしない“極悪キャラ”共の行く末か。良く分かんないままにどっかに消えたりし、消化不良感が後に引いた。最近はああ言う演出が流行ってるんやろか?(『ミスト』もこの点では同様だった)

「劇中でただ1人、ホントは総て見えている人物」に関し、その謎を軸に据えストーリーを転がして行く・・と(どんでん返しも含め)予想してたので・・そっち関係が不明瞭に扱われていた描き方は、やはりワタシの感覚には合わなかったかな。
振り返るに「1度」たりと劇中で笑えなかったし。。

ま、きっとメイレレス監督が悪いんじゃなく、日本の配給会社側がそこを「ネタ」にしてホラー臭を意図的に漂わせたんだ、と決め打ちしてるワタシだが(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

青年「何故、走り出さない?」
男「信号が赤だからさ」

※「眼の見えない人間につけ入るなんて、どんな奴だよ」
 「怖いのは、眠りから覚め、眼を開ける瞬間だ」
 「外の連中には、この状況は想像もつくまい・・経験するしかないってこった」
 「人を死なせるのは、苦しいものよ」
 「人それぞれの価値観を尊重するしか」
 「俺の領分に入るな!」
 「何故彼らが自宅で眠らないか? その場所が分からないからだ」
 「シャンパン? 奇麗な水だけで感謝です」

老人「私が邪魔なら、正直に言ってくれ・・象のようにそっと消えるから」
  「老人に夢を訊ねても、仕方あるまい?」
  「私は、今が一番幸せなんだ」

※「何を喰ってる?!」
 「肉の匂いだ!」

盲目の男「今まではハンデがあったが、この状況下じゃオレは超人さ」

女「もし要求が“男を差し出せ”だったら、この中に志願者はいるのかしらね?」

夫「私だって、妻には行って欲しくない・・だが、決定権は彼女にあるのだ」

保健省の女性大臣「私も、見えなくなりました」

王様「この病室は“君主制”でね」
  「食料が欲しけりゃ、払え・・それ相応にな」
  「ここでの“モノの価値”は俺たちが決める」
  「“燃料代わり”のパンをやる」 ←不快な台詞!
  「ちょいとトシだが、悪くねぇ」
  「ゾンビもいたが、他は“プロ級”だな」

眼科医の妻「もうイヤ(oh,I can't take this.)」
     「イヤなら(貴金属を)差し出さなくても良いけど・・今後の善意には期待しないで」 ←不快な台詞!
     「この場所を決して明け渡さないで」

神父「神はパウロを回復させ、同時にその視力を奪いました・・今、神は同じ事を我々に」

眼科医「君のタルトも絶品だった」
その妻「あれはティラミスよ」

眼科医「総てを世話になっていると、まるで・・」
その妻「まるで?」
眼科医「まるで母か看護師のようだ・・惨めになる」

追記1:劇中で「エミリアーノ・ホテル」なる固有名詞が登場することから、どうやら舞台は「ブラジル・サンパウロ」ではなかったかと考える。監督のホームタウンらしいし。
追記2:『ハンニバル(2000)』でレクター博士も(会話で)使ってたと記憶してるが「近付く=warm」「離れる=cool」と表現するようだ。
追記3:ダニー・グローヴァーさん、すっかり老け込んではりますた(×_×) もはやプレデターは倒せまい、、
追記4:彼女とのデートでは観ない方が良いでしょう、本作。
追記5:ああ言う状況になると「金」だの「貴金属」だのは正直、大した価値を持たないと思う。欲求のレベルも自然と下がって来る訳で(・ω・)

※ituka氏のブログは下記の通りです。

http://blog.goo.ne.jp/ituka100mile

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2008年12月19日 (金)

☆『サンタクローズ(1994)』☆

18日(木曜)の夜、衛星第2で放送されたクリスマスシーズン企画(?)な1作『サンタクローズ』を観た(吹替え版)。
如何にも「お子ちゃま向け」「ご家族向け」って感じで、正直余り気の進まないのはあったが・・ティム・アレン主演ってことで「ネヴァー・ギヴァップ! ネヴァー・サレンダー!(1999)」を合い言葉(←ジェイソン“タガート艦長”ネズミスの決め台詞)に、ついつい観ちゃった感じ(=^_^=)

アレン演じる、玩具会社に勤める平凡な中年男=スコット・カルヴィン(←と言いつつ、年齢設定はワタシの今のソレと変わらなかったり、、ぎゃふん!)が、離婚した妻ローラ、独り息子チャーリーとの交流を見直しつつも、サンタの後継者となって活躍する展開。

タイトルが“サンタクロース”じゃなく“サンタクローズ”なので「何だそりゃ?」と思ってたんだが、コレにはちゃんと意味があった☆

サンタが不慮の事故に遭い(?)リタイアした時、その衣装を着た者が結んだこととなる・・“サンタ契約”を指すサンタ用語(?)なのだった! スコットは、たまたまサンタの転落事故の第一発見者であり、下着姿でその場に参じたがため、寒くて思わず衣装を着込んだだけだったんだが・・

物語は父子の触れ合いを軸に(?)、サンタとしての貫禄(?)を身に付けて行く主人公の姿がコミカルに描かれるんだが・・ちと「演出頼み」「メイク頼み」な部分が必要以上に目立ってしまい、ティム・アレンの“映画デビュー作”としては、やや薄味過ぎた気がしないでもない(・ω・)

ただ、嫁はん(ローラ)の現在のパートナーである精神科医=ニール・ミラーを演じたのが『ビバリーヒルズ・コップ3部作(1984、1987、1994)』でエディ・マーフィーの“当たり役”だった主人公(アクセル・フォーリー)の同僚=ローズウッド刑事を好演したジャッジ・ラインホルド氏だったのは、少しながら眼福だったかも、と。

玩具を売りながらも、根性のややひねくれたスコット、
幼少の頃(3歳ごろ?)に願ったプレゼントが(靴下に)貰えず、早くも“サンタ不在説”の信奉者となったニール、

そんな両者の対立は、間にローラなるヒロイン(?)を挟みつつも、極力「ドロドロさ」「セ※クス臭」を抑えており(←そりゃそや!)、余り気兼ねなく家族全体で楽しめるレベルをキープしてくれていた。

しかしながら一方で・・サンタとしての自覚を持ち始めた頃から、主人公が仕事(=本職)を棄て始めた(←やっぱり両立は無理なんやね、、)と思しきこと、屋根から転落した“先代”が、衣装のみを残し現場から忽然と消えてしまう展開(あのしとの人生はどう終わったんやろ?)・・には、共にスッキリしないモノが残されたのも事実である。。

空飛ぶトナカイが8頭ほど登場するが、飛ぶシーンではカメラが離れ過ぎ、スコット父子と絡むシーンではカメラが近付き過ぎるのが何とも不自然で(=^_^=)気になってもしまった。
特に“胴から下”が殆ど映されないトコロなぞ、まるでかつてのドラマ『鹿男あをによし』を観てるようだ(←ロボットかい!)

どうやら本作には『サンタクロース・リターンズ!/クリスマス危機一髪(2002)』なる続編もあるらしいので、そちらもあわよくば放送されんかな〜などと期待している次第だ(・ω・)

ひょっとしたら今後『サンタクロース・フォーエヴァー!/クリスマス怒りの鉄拳(2010)』だの『サンタクロース&ロビン/クリスマスへの道(2018)』だのと言ったシリーズが8年ごとに製作されたりして(←ないない)。

〜 こんなセリフもありました 〜

スコット「楽しいパーティーで前へ進みましょう・・帰りは安全運転で」 ←当時は飲酒帰宅にも寛容だったのね、、
    「デニーズをバカにするなよ・・“アメリカの名物”だぞ」
    「これは事故だ・・私に責任はない」
    「空飛ぶトナカイとは・・“ディズニーチャンネル”からのプレゼントかも?」
    「玩具には・・単純で金のかからないもの、子供の想像力を働かせるものがいい」
    「(リストの“A”の項目を見ながら)・・アーマンド・アサンテ?」

サンタのネームカード(の裏)“何かあった時は、私の服を着てトナカイに任せよ”

チャーリー「僕のしてることは、みんなバカなことなの?」
     「自分が見たことないだけで、ないとは言えないでしょう?」
     「黙っててよ、パパがホントは誰かも知らないくせに」

女の子「サンタさんなら、ちゃんとミルク飲まなきゃダメでしょ?」
スコット「悪いけど、おじさん、乳製品は苦手でね」

妖精ジュディ「心で信じてるから、それ(=奇跡、夢物語)が見えるのよ」
      「子供はここへ来なくても、サンタの国が存在することを知っているわ」

賢いガキ「じゃあもし、僕がサンタになりたかったら、あんたを屋根から突き落とせばイイんだね?」

ローラ「サンタには負けたわ・・」

追記:警官に現行犯逮捕(=^_^=)されたスコットが取調室で名前を問われた際、「クリス・クリングル」「ベルズ・ニコール」などと並べ立てていたが、それらは総てサンタの別名だそうだ。

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2008年12月17日 (水)

☆『プレストとウサギのアレック』☆

15日(月曜)の夜。
“TOHOシネマズ(ナビオ上層階)”で『WALL-E』の本編開始前にサプライズ的(?)に上映された“前座”的短編アニメーション『プレストとウサギのアレック』を観たことを思い出したので、ついでに書いておきたい。

恐らく、上映時間は5〜10分程度だったんじゃないかな? と。

愛用の“魔法の帽子”を使い「色んなモノを取り出す手品」を行うマジシャンの男=プレスト(PRESTO)と、お腹を空かせたまま楽屋のケージ(カゴ)に放置されたウサギ=アレック(ALEC)が、
アレック「公演前にまずエサの人参をくれ〜!」
プレスト「人参が欲しけりゃまず働け〜!」
ってことで、お互いにすれ違った気持ちのまま、舞台に上がるのだが・・みたいな展開。

まさにスラップスティック(どたばた)って感じに「天井からモノが転落」「ズボンが脱げる」「指を引き出しで挟む」「配電盤に触れ感電する」とカートゥーン(海外アニメ)お決まり(?)の“ネタ”をオンパレード的に見せてくれる。

面白い、と言うより「痛々しい」と言うか「引っ張り過ぎ」(=^_^=)な感もあるんだが・・最後の最後で、
「アレックの優しさ」と「プレストの優しさ」が立て続けに演出され、何処かホッとさせられた。

何となく実験的な(?)1作にも思われたが、劇中の楽屋&舞台の雰囲気には「独特のノスタルジー」が醸し出されており、ある種の味わいがしっかりと成立してもいた。
機会があれば、触れておいて良い佳作だと思う。

※それにしても・・“魔法の帽子”なるアイテムに関し「実は種も仕掛けもない」と言う設定には、ある意味ぶっ飛んでしまった! ああ言う描き方で強引にストーリーを展開されると、もはやツッコミをすら忘れてしまうモノである(=^_^=)

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2008年12月16日 (火)

☆『WALL−E(字幕版)』☆

15日(月曜)の夜。
先の週末にちっとも映画を観る事の叶わなかったことが、ひたすらに腹立たしく・・「残業をぶっちぎってでも行ったるで〜!」と、自身の中で高めるモノがあったりした。
ほんなこつで、適度に仕事を明日回しとしつつ(いや、ちゃんと区切りはつけましたんで、、)梅田方面に繰り出し、とある作品を観に“梅田ピカデリー(泉の広場上ル)”に向かった・・
が、狙ってたヤツは「本日は特別試写会となっており、ご鑑賞頂けません」ってことを窓口で案内され・・(×_×)

仕方なく、次の候補作であった『WALL-E』を観に“TOHOシネマズ(ナビオ上層階)”に向かったワタシ。

ま、期待は「そこそこ」とか思いつつも・・しっかり“WALL-E君フィギュア付き、限定版コンボセット(ドリンク&キャラメルポップコーン)”を買い求めたワタシだったが(=^_^=) ←カロリー高そ〜

西暦・・なる言葉をすら、もはや誰も使う者のいなくなった・・2810年(=802年後)の地球。
かつて“街”と呼ばれたそのエリアでは、高層化するほど山積されたゴミの塔があちこちにそびえ立ち、日々その合間を縫って健気にスクラップ処理を続ける1台のロボットの姿があった。

彼の名は“WALL-E(ウォーリー/Waste Allocation Load Lifter Earth-Class:地表型ゴミ運搬&積載ロボ・・って感じ?)”。はるか昔、BNL社により開発・量産・販売された、いわゆるスクラップ回収&処理ロボットである。
人っ子1人いない地上で、彼は「プログラムされた通り」にゴミを集め、四角くプレスし、正しい配置で積み重ねて行く。

バッテリーが低下すれば、太陽光をパネルで集め満充電し、一定の作業を終えれば、住処へ戻り休息する・・
そんな“WALL-E”の唯一の遊び相手(?)が“ゴキブリ君”であった。

ある日、上空から“天使を思わせる”白い筐体のロボット“イヴ”が降下して来る。
彼女は、地表で“起動”するや、あちらこちらの瓦礫やゴミをスキャンし始める・・どうやら、指令に基づき何かを探しているようだ。

最初は彼女に警戒されもした“WALL-E”だが、やがて“ゴキブリ君”の仲立ち(?)もあり、次第に親しくなって行く。
そんな中、ついに“イヴ”は「とあるアイテム」を発見してしまうのだった。

当然に訪れた“イヴ”との別離。それに我慢出来なかった“WALL-E”は、彼女を連れ戻すべく、旅立つ決心を固めるのだった・・

オープニング、上空より俯瞰で映された「地球の未来の姿」にしょっぱなから驚かされ・・中盤になって、ようやく登場し始める「人類の未来の姿」には、更に驚愕させられた。
本作で最も強く感じたのは「作業を何もかも自動化させた人間は、当然、何もかもが出来なくなる」ってことだろうか。これが笑って観てる一方で、(実は)観客の背筋を薄ら寒くさせるような、ある種の「警鐘」に思えてもならなかったワタシ。

健気に働く“WALL-E”は、どうと言った印象もわかない「只のロボット」なのだが・・時として「人間以上に人間らしい動作や表情(?)」を見せてくれユーモラスだった。
いじけて、地面に指(?)で円を描くような動作なんかが微笑ましい。危険を感じるや・・穴を掘り、地面に潜ろうとするし(=^_^=)

私的には前半〜中盤にかけての「乾いた世界観」が好きだった。何ならそのままロケ移動しなくても良かったかも知んないほど(=^_^=)
中盤以降は、ガラッと展開(=物語世界)が変わり、正直「騒々しいし、回りくどい」演出にも思えた。

ゴミ回収作業をしつつ、珍しい「宝物」を見つけては住処に持ち帰り、コレクションする“WALL-E”の行動が、何とも人間臭くて面白かった。中でも、
・指環の箱を拾い、中の宝石はポイと棄てて、箱だけを大事に持ち帰る
・クルマのリモコンキーを拾い、押してみると・・廃墟の何処かでセキュリティ解除の音がする
って演出には「うお!」とワクワクさせられた。

無論、マックユーザーとしては「“WALL-E”が(太陽光で)充電した時の完了音」が何よりも素晴らしく、アレを耳にした途端に、何故か「・・負けた」と感じてしまったワタシでもある(=^_^=) アレは必聴ですわ!
(“WALL-E”の(仕草の)ネタ元の1つには『天空の城ラピュタ(1986)』に登場する“園丁ロボット”が入ってるんじゃないか? と勝手に妄想したり・・溶接ビーム(?)も出すし)

「iPod」「ルービックキューブ」「ビデオテープ(←どうやらVHSじゃなくベータ!)」「ジッポーライター」などの小道具群も、それぞれに良い味わいを醸し出してくれてた。

一方の“イヴ”・・こちらの「必要十分」なデザイン&質感には感心させられた。
当初こそ「下らないデザインやな〜」と思ってたんだが、あのシンプルさは同時にミステリアスさも内包させている!
材質がどうにも“(旧型MacBook同様の)ポリカーボネイト製”に思えて仕方ないんだが(=^_^=) 蒼い目(?)も色々と表情豊かで、ハッとさせられた。
(ネタとしては“ココロボ”と言うペットロボットで実用化(?)されてた「眼の液晶表示が(感情により)切り替わる」って仕様を参考にしてそうな気もするが・・)

ほか、こんなことも気付いたり、感じたり。
・“イヴ”って「※※探査機」なのに、あんなに強力な殺人兵器(?)の搭載は必要だったんやろか?
・とあるポッドが20秒後に大爆発するんだけど、あれでどうやって助かったんやろ?(無傷だったし)
・消火器ってあんなに無尽蔵に(?)吹き出すシロモノやろか?(←いちいちうるさい(=^_^=))
・「ピザを育てるぜ!」とか叫んどるおっちゃんがいたけど、、誰か説明したってくれ(=^_^=)
・“WALL-E”の大型機(?)“WALL-R”ってのも出て来たけど、あの洗練されてないデザインはどうよ?
・ホログラム映像(の距離感)を認識出来ないロボット、アームでキーボードをいちいち叩いて操作してるロボット、には超未来とは思えぬ「アホさ」「非効率さ」を感じてしまった(・ω・)
・地球⇒アクシオム(AXIOM)は案外近かったのに、アクシオム⇒地球は“ハイパージャンプ(←いわゆるワープ航法)”を要するほどに遠かった。。この差は?!
・住処に修理パーツを沢山集めてた“WALL-E”・・つまりは「仲間の遺体をバラして、もぎ取って集めてた」と。。
・劇中で大きく取り上げられてたミュージカル映画は『ハロー・ドーリー!(1969)』 ←ワタシは未見(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

地球の看板「WALL-Eが片付けます」

2110年の某人物「いいか、地球には戻るな」

※※「生き残るより、生きたいんだ!」
  「良く生きていたな、へこたれずに」
  「青空は一体何処だ? 草木は?」

アーム「預カリマス」
※※「いいよ、これぐらい自分でやる」

アナウンス「皆さんの喜びが、私たちの励み」

追記:現在のCGアニメーションの「極み」とは実感する本作だが、これ以上描く作品&余地がないか? と自問するに「そうでもない」と思う。終盤も、あとひと押しでウルッと来たんだろうが、正直泣けなかった。思うには、やはり驚愕&予測不能な前半から・・「慣れ」の生じた中盤以降の展開に、何処か「盛り下がる」トコがあったんじゃないかと考えている。
(消火器で遊ぶ(?)シーンなども、私的には余り必要性を感じなかった、、)

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2008年12月15日 (月)

☆『ユナイテッド93(2006)』☆

※古いレビューとなります。ご容赦下さい。

さる11月20日(木曜)の夜。
「木曜洋画劇場40周年記念」の一環として“地上波初放送”された『ユナイテッド93』を観た。
公開当時に劇場で鑑賞した本作。予想していた以上に“エンタテインメント性”が削ぎ落とされており、臨場感溢れるカメラワークの効果も相まって、作品世界に引き込まれ・・「辛い」「悲しい」より先に「悔しい」「ただ悔しい」と強く感じたものだった。

※当時のレビューは以下のリンク先にて一読頂ければ幸いです(06年9月17日(日曜)の記事)。

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/16/index.html

今回の「吹替えによる放送」では、特にテロリスト側、乗客側ともに(確か)一度は口にした言葉「何を待っている?」が印象深かった。

また、作品が迎える悲劇の結末を知っているが故に・・
・同僚に「ご苦労さま、また後でね」と声を掛ける客室乗務員(CA)の女性。
・離陸直前、ぎりぎり搭乗に間に合った男。 ←『タイタニック(1997)』のジャックと同じ描かれ方、、
・出張を終え、帰宅すべく同機に乗った男。
などの言動は、心にこたえるモノがあった。

お互いに、常日頃から乗務に心身を削らせてるのか、ふと交わされたCAたちのセリフ、
「今日もラクな仕事になりそうで良かった」
「今日はラクよね、お客が少なくて」
もまた、耳に残ってしまう。

テロリストたちがいよいよ動き出すと、乗客間では様々な危機的情報が飛び交い始める。この辺りからの緊迫感と言おうか、機内に充満し始める“合衆国の終焉のイメージ”みたいなモノの漂い方がスゴい。映像的に大したテクニックは使っていない筈なのに“絶望”が作品世界を覆っているのだ。

間もなく乗客に「(通常の)身代金目的のハイジャックでは済まないこと」の伝わった瞬間、彼らの絶望感はピークに達する・・

「木曜洋画劇場」でお茶の間にサラッと流して良いタイプの作品だったのか? ワタシの心の何処かに引っかかるものはあったんだが“エンタテインメント作品”と表面上を取り繕ってでも「伝える」べき作品ではあるのだろう。

そして本作は、同機の墜落現場(ペンシルヴァニア州シャンクスヴィル)に建てられた慰霊碑よりも、ある意味“雄弁に”この事件を鮮やかに語り継いでも行くのだろう・・

〜 こんなセリフもありました 〜

※「忙しい? 時間は作るもんさ」
 「(機が)半径50マイル以内に入れば・・ワシントンは守れない」
 「これは戦争と同じ状況なんだ、分かるな?」
 「この機は着陸しない、空港になんか戻らないぞ」
 「愛してるって言いたかった」
 「愛してるって伝えてくれ」
 「あなたを誰よりも愛してた、忘れないで」
 「自力で何とかしないと、誰も助けてはくれないぞ」
 「ただ、愛してると伝えてくれ」
 「無事に帰れたら、明日にでも仕事をやめるから」
 「子どもたちに愛してるって伝えて」
 「みんな、そろそろ行こう」

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2008年12月13日 (土)

☆『マイアミ・バイス(2006)』☆

さかのぼって4日(木曜)の夜(・ω・)。
「木曜洋画劇場40周年記念特集」の一環とし“地上波初放送”されたマイケル・マン監督のクライムアクション作『マイアミ・バイス』を観た。

元々のオリジナル版(ドラマ版)は全く知らないワタシであるが・・“マイアミ”なるピーカンで能天気っぽい印象(←行った事ないッスが・・)とは違い、かなり(同監督作にある意味共通する)地味で暗い雰囲気の作品世界だった。

マイアミ警察に所属する、リカルド・タブス(ジェイミー・フォックス)&ソニー・クロケット(コリン・ファレル)の2人は、麻薬組織摘発&撲滅のため、地元で“潜入捜査”をひたすら続けるタフな刑事である。

今回もFBI捜査官=ジョン藤間の持ち込んだ、巨額の麻薬密輸のネタに関し「敵の黒幕の正体」を掴み「(捜査)情報漏洩の謎」を探るべく任務に就く。

経験とカンを生かし“プロの運び屋”として組織に絡むことに成功した2人だが・・そんな中、ソニーが組織のボス=モントーヤの秘書であり、パートナーでもある女性=イザベラ(コン・リー)を口説き落とし、親密な関係となってしまう。

深入り(←色んな意味で、、)し過ぎる相棒の身が気がかりなリコ(=リカルド)。
そして、リコのパートナーでもある女刑事トルーディが一味に拉致されてしまい・・

う~ん・・「良くも悪くもマイケル・マン」って感じで、いつものように“男2人の、風変わりな状況下での友情&信頼感”みたいなもんが軸となってたか。マン監督はやはりそんな造り(=彼なりのスタイル)でストーリーを構築するのがずば抜けて巧く、基本路線が「男1人の物語」だった以前の『ALI(2001)』なんかは、観ていて「何とも言えぬ物足りなさ」を感じたりしたワタシだった(・ω・)

ただ、今回はコン・リーさん(ヒロイン役)が“やや中途半端に”作品全体に絡んでしまい、その反動で(?)ジェイミーのキャラ&存在感がググッと後退してしまってた感が強い。
尚かつ、ウ※キペデ※アでも書かれてるように(=^_^=)「女性キャラの描き方(立たせ方)がヘタクソ」な監督さんのため、恋愛劇がメインだったのか、潜入劇がメインだったのか、何だか最後まで軸の定まり切ってなかったように思えたのはワタシだけだろうか?

『Ray/レイ(2004)』が未見(←録画はしてるが、、)のワタシにとっては、ジェイミーっぽさと言うのを『コラテラル(2004)』『ステルス(2005)』『ドリーム・ガールズ(2006)』辺りから感じ取るしかないのだが、一方で「余り作品には触れてないものの、魅力を感じてしまう」のが、ファレルであった。
『マイノリティ・リポート(2002)』では“ブラピのパチもん”みたいな印象も受けたんだが(←ファンの方、すんません)『フォーン・ブース(2003)』では小品ながら堂々の主役を演じ、またカメオ的な出演に過ぎなかった『ヴェロニカ・ゲリン(2003)』での彼もまた、なかなかエエ感じだった!

本作では彼の「寡黙さを、瞳で補う」みたいな役柄に好感を持った。ブラピと言うより『リーサル・ウェポン2/炎の約束(1989)』辺りのメル・ギブソンにも「表情の醸し出す切なさ」が似てたように思う。ウ※キペデ※ア情報では、色々と私生活でエピソードの多きご仁のようだが・・何にせよ、これからも注目したい男優の1人ではある。

コン・リーさんは・・見ようによっては“大鶴義丹”に見えて仕方なかったりしたが(←ファンの方、すんません、、あと“小雪”さんもちょい入ってます)・・ファレルとは実年齢で11歳ほど差がある(!)ようで、そう考えれば十分に美しいと言える(チャン・イーモウ監督にとっては、公私に渡り長年の“ミューズ”だったようだ)。

さて、敵組織の中で「ホセ・イエロ」と「モントーヤ」の2人が組織を代表するキャラとしてピックアップされてたが、2人の力関係がイマイチ分からないワタシだった、、ワタシにも問題はあろうが、描き方も抽象的で良くなかったかな、と。
そういやモントーヤさんの見た目が(お会いしたことはないが)『ダーリンは外国人』と言うコミックに出て来る旦那さん(トニー・ラズロ氏)に印象が(特徴面で)似てて、違う意味で苦笑させられた。

終盤のハイライトは『L.A.コンフィデンシャル(1997)』をちょびっと連想されてくれる“一騎討ち”のシーン。(夜間なので)画面が暗く、詳細の掴みにくいトコもあったが、銃撃描写はなかなかのもんだった。サラウンドで耳にしたら、きっと“鳥肌状態”だったに違いない。

興行的には成功を収めたらしいが、私的には「そこそこ」って出来に思う。
主役格の3人は決して悪くなかったので、問題はやはり脚本や演出だったんだろう(贔屓目に評しても「華のない」作風であったし)。

〜 こんなセリフもありました 〜

リコ「仕事を選ぶのは俺たちの方だぜ」
ソニー「(俺たちの職歴ぐらい)呼ぶ前に調べとけ!」

リコ「ここで殺し合うのは簡単だが、どっちの得にもならねぇ」
  「銃を構え、バッジをかざし、逮捕する・・それが仕事だ」

ソニー「好きなのは“モヒート”だ」 ←ラムベースのカクテル
   「悪いことの起こる可能性は重力と同じだ、誰もそれに逆らえない」
   「夫なら妻を、危険にはさらさないものだ」
   「お前自身が(取引場所に)来れば・・取引は本物だ」
   「1人で行け、誰も君を追わない・・俺もだ」

モントーヤ「君らがずっと仕事を出来ることを願っている、ご家族の幸せを祈っている」

イザベラ「私はビジネスウーマンよ、養ってくれる男がいなくても生きて行けるわ」
    「あなたの周りは何もかもモントーヤに支配されてるのよ」

ソニー「良くないな・・未来もない」
イザベラ「・・分かってる」
ソニー「だとしたら、心配もないな」

イザベラ「言ったでしょ・・“人生は短い、時は恵みなり”って」
ソニー「ああ、だが終わった・・幸せ過ぎた」

リコ「やったのか?」
ソニー「いや・・“愛し合った”だけだ」

ソニー「(俺が)自分を見失ってるとでも?」
リコ「お前を信じてる」

リコ「いよいよだな」
ソニー「ああ・・」

藤間「イヌと寝れば、ノミだらけになると言うぞ」

イエロ「あいつら、仕事が出来過ぎる・・どうも気に入らない」

カステロ「ブツを見せるまで、ヤツらは狙撃しては来ない」

追記:ジェイミーさんとファレルくんの実年齢差も9歳近くありますた。。先輩後輩並みやね、、

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2008年12月12日 (金)

☆『バレット・モンク(2003)』☆

11日(木曜)の夜。「木曜洋画劇場」で“地上波初放送”されたアクション作品『バレット・モンク』を観た。
チョウ・ユンファ主演、ジョン・ウー製作(←ココがポイント! 監督ではない!)ってことで、期待はそこそこに止めつつ(=^_^=)鑑賞したんだが、アクション要素を含みながらも大したことはなく、コメディ要素を含みながらも大したことのない、ホンマに“B級”な物語だった、、

1943年チベット。山岳の“至高真理の寺院”に眠る「究極の巻物」が、今まさに師から弟子へと引き継がれた直後、ドイツ軍が寺院へと攻め込み、殺戮の限りを尽くす。
師は撃たれ死亡。弟子(チョウ・ユンファ)もまた、追い詰められ、胸に銃弾を受け、崖下に転落する・・
落ち行く彼の姿を見下ろしつつ歯噛みするのは、ナチの将校=ストラッカーと言う男だった。

時は流れ、60年後のニューヨーク。

ストラッカーは年老いて、今は表向き「人権保護機関」の顧問的立場に納まりつつ、しぶとく「究極の巻物」を探し続けていた。

スリの青年カーは、ひょんなことから(ストラッカーとその孫娘=ニナの率いる一味に)今も追跡される僧侶(ユンファ)に出会ったことで、同じように付け狙われるターゲットに含まれてしまう。

一度は一味に「巻物」を奪われてしまう2人だったが、それはニセモノだった。
果たして本物の「巻物」は何処に? そして僧侶&青年の戦いはどんな決着を迎えるのか?

劇場公開当時の予告編か、TVコマーシャルかで、メチャメチャに面白そうな映像の流れてた気がするんだが・・それは“いわゆるエサ”って感じで、非常に限定されたシーンのモンタージュ(繋ぎ合わせ)にしか過ぎなかった(×_×)
何だかもう「“アクション系”と言うより“プロモーション系”」って感じで、かいつまんで観るだけで十分な気がしたゾ。

見所は実に・・冒頭の「吊り橋上で戦うシーン」と、中盤の「クルマの屋根に乗り2丁拳銃を振り回すシーン」ぐらいなのだ。

中身はホンマにペラッペラのスッカスカなんだが、ユンファ演じる“弾丸坊主”の語るセリフがそれなりに「深そう」だったので、そこで辛うじて破たんを食い止めてたようにも(⌒〜⌒ι)

連想した作品は、
『ゴールデン・チャイルド(1986)』・・小悪党キャラだが力を秘めた青年の活躍
『トゥルー・ロマンス(1993)』・・アジア映画に育てられた(?)アメリカ青年
『ブレイド(1999)』・・捕まって拘束される主役キャラ
『ハンコック』・・最強な2人が誕生するラスト
『太陽を盗んだ男(1979)』・・ビル屋上から落っこちるも、電線に救われる(?)展開
などだったろうか、、

終盤でユンファの“封印”が解けて(?)しまうんだが、そこからしばらくのメイクが何とも「コントっぽくて」噴飯モノだった(=^_^=)

また“ニホンの誇るハリウッド俳優”マコ岩松氏(1933-2006)も客演(←中国映画館“ゴールデン・パレス”の支配人=コジマ役)されてたが、、『パールハーバー(2001)』と『SAYURI(2005)』に挟まれる形で出演された本作では、どうにもパッとしない役柄だったのが惜しまれる。。まぁ、こんなんが遺作とはならず、そこは同じ日本人としてホッとしたものだが(・ω・)

そうそう。終盤のストラッカーとのバトル中に、優位に戦いを進めてたユンファが「足を噛まれひるんじゃう」演出にはかなり失笑させられた。アレは意外性があって良かったな〜(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

師「私の刻(とき)は終わり、お前の刻が始まる」

弾丸坊主「名は既に忘れました」
    「心の濁る者は、魂の救済より見返りを求めるものだ」
    「私を蹴り飛ばすつもりにしては、君は少しばかり喋り過ぎだな」
    「君は名前を得、私は棄てた」
    「君が悟りの境地に到達し、私の質問に答えられるようになったら・・私も君の質問に答えよう」
    「肉体を奇麗に保ちたければ、生き物を絶対に殺してはならない」 ←と言いつつ足元でアリとか踏んでそう、、
    「他人を知るのは賢さの証、そして己を知るのは悟りの証だ」
    「奇麗な水に、魚は住まない」
    「学んだ場所は問題じゃない」
    「相反するものの和を学べ」
    「怒りのためでなく、平和のために拳を放て」
    「力に頼るな、しなやかさだ」
    「戦いとは、己を知る事だ」
    「空気だ・・眼には見えないが、肺を満たす空気・・それを信じ、操れ」
    「存在しないと本気で信じれば、それはなくなってしまう」
    「巻物を護る者は、巻物に護られる」
    「石のように空気を踏め、ただ信じさえすればいい」
    「2つの半端な人生を生きるより、1つの完璧な人生を生きる方が幸せだ」

カー「俺は、飛び立つ」
  「言っとくけど、女に関して坊さんからアドバイスは受けねぇぜ」
  「目くらましとスピード、それが盗みをする時の秘訣さ」

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2008年12月10日 (水)

☆『デルス・ウザーラ(1975)』☆

6日(土曜)の夜、衛星第2で放送されたクロサワ映画『デルス・ウザーラ』を観た。
青年期、その原作(探検記)を読み肝銘を受けた黒澤明が、助監督時代から映画化に向け構想を温め続けていた、とされるロシアもの。

初のカラー作品でもあった前作『どですかでん(1970)』がいわゆる“大ゴケ”し、邦画界においてかなりな苦境に立たされた彼に手を差し伸べたのが当時のソ連政府だった、と言うのは皮肉ながらも素晴らしい偶然だったように思う。

【序】
1910年、シベリア・コルフォフスカヤの開拓地。「3年前に埋めた、友人の墓」を探し、1人の男がここへやって来た。が、開拓の中で周辺の樹々は総て伐採されてしまっていた・・

【第1部】
1902年。地誌的研究のためウスリー地方にやって来た、ウラジミール・アルセーニエフ隊長率いる探査隊は、ある夜野営地に独りやって来たゴリド人の猟師=デルス・ウザーラに案内役を乞う。小柄で、ロシア語も決して流暢ではないこの男は、時に隊員たちの嘲笑を買ってしまう。
だが、デルスの言動の総ては、隊を、そしてアルセーニエフの生命を救うこととなる。
いつしか彼は、旅の中でこの小柄な猟師に尊敬の念を抱くようになる。

やがて最終目的地である、ハンカ湖周辺の探索が完了。
隊は解散、アルセーニエフも故郷ウラジオストクへ帰郷することとなる。
彼はこの“偉大なる友人”に「来ないか?」と誘うも、デルスはその申し出を断り、ただ1人森の中へと戻ってゆくのだった。

【第2部】
1907年。日露戦争が終結し、ウスリー地方の探査が再開される。
ある日、隊は密林で「ゴリド人の猟師を見た」と言う情報を得る。
懐かしさも手伝い、霧がかった深い森の中、旧友の名を呼び駆け出すアルセーニエフ隊長。そして・・それに応える「カピタン(隊長)!」の声・・
再会した2人は、もう一度デルスを隊の案内役に、旅を続けることとなる。

濁流を渡るトラブルなどを経て、更に結束を強めたかに見えた一行とデルス。
だがある日、彼は“カニガ(=森の精霊)の使い”とされる虎(アンバ)を威嚇するつもりが、誤って銃撃してしまう・・
走り去った虎の背に「わしは、何てことをした・・」と衝撃を受けるデルス。

やがて、デルス自身に大きな変調が起こる。
その身を案じたアルセーニエフは、彼を説得し、故郷ウラジオストクへと連れ帰るのだが・・それが大きな悲劇に繋がってしまうことに、アルセーニエフは気付いていなかった・・

果たして黒澤監督おん自らがメガホンを執るべき作品だったのかどうか・・ちょっと評価の難しいトコロはあるも、デルスと言う人間の魅力に溢れる1作、と言う事実にかわりはなく、退屈もせずイッキに2時間20分ほどを観た☆

私的には“冒険篇”とも言うべき【第1部】がかなり気に入った! こちらだけだと約80分程度だったと思うが、【第2部】に突入し、ドラマの流れの萎んで行ってしまう展開ともなるので「オープニング(1910年)へと繋げ、帰結させる構成」としては必要だったのだろうが、ちょっと盛り下がってしまった感は否めない(×_×)

シベリアの大自然において“サバイバル術の天才”と思われたデルスも、街に来ると「猟で得た大金は騙し取られ」たり「庭でテントはダメ、猟銃の携行はダメ、なる条例に凹まされ」たりして、実に生き辛そうであった。。

野に住む人間を都会(?)に住まわせ、快適な文明のただ中に身を置かせ、それで良いのか? と言うと決してそうではなく、却ってその者の命を縮めるだけではないのか? とか、色々と考えさせられもする。

作品的に至極まじめに作られてるこの映画であるが、唯一「??」と良く分かんなかったのは、【第2部】の半ば、隊長の眠るテントの壁(布地)に、ハッキリと映し出された「虎の動く影」であった・・!
アルセーニエフがテントを飛び出し、虎(の影)が走り去った方向に駆け付けると・・虎の姿などはなく、ただ幻影に怯えるデルスが、彼のテントの中で錯乱(?)してるような展開となるんだが、誰がどう観ても、あのシーンでは「第3者(=観客)に虎の姿を見せてる」訳で、アレが概念的なものだったのか、それとも怪現象なのか、ハッキリ言って良く分かんなかった。
あのシーンだけはある意味“ホラー的”であり、思い出すに「ゾッとしてしまう」演出でもあった。。

〜 こんなセリフもありました 〜

アルセーニエフ“自然は我々にその魅力や、時として陰惨さも見せる”
       “私は驚くべき洞察力と美しい心を持つこの男に驚嘆した”
       “自然の中で、人間は余りにも小さい”
       “彼との再会を思うと、胸は高鳴った”
       “思えばこの出来事が、次に起こる悲劇の予告だった”

デルス「撃つな、わし、人間!」
   「兵隊がやって来て、獲物を撃つから、わし、喰えない」
   「家族、天然痘で、みな死んだ」
   「お前たち(=探査隊)、子供と同じ、何も見えてない、1人で山に住んだら、すぐ死ぬ」
   「鳥、鳴き始めた、雨、すぐ止む」
   「あの人(=太陽)一番偉いが、死ぬ、我々も、みな死ぬ」
   「火、水、風、みな怒ると怖い」
   「わし(ビンを吊り下げた)ヒモ、撃つ、そしたら(落ちた)ビン、わしに呉れるか?」
   「若い人、つま先で、老人、かかとで歩く」
   「すぐ、(ここから)戻るか? わし、少し心配」
   「風、(わしらの)足跡を消す、戻ろう」
   「ここ、通ってない、違う!」
   「夜、来ると、わしら終わり」
   「たくさん草を刈る、刈らないと、わしら2人、死ぬ」
   「急げ、休むな!」
   「一緒に働いた、だから礼、要らない」 ←このセリフはイイ!
   「わし、クロテン探す、金も食物も、要らない」
   「ここに来る中国人、獣を無駄に殺す、悪い」
   「撃たれた虎、死ぬまで走る」
   「わしの鼻、眼より良く見える」
   「わし、何故、当たらない?」
   「わし、どうやって、これから生きる?」
   「この人、言葉、正しく話す」 ←蓄音機に
   「なぜ、水に、金を払う?」
   「どうして人、(窮屈な)箱の中(=家)にいられるか?」
   「街ではテントもだめ、銃を撃つのもだめ・・わし、息が詰まる」
   「わし、街、いる、苦しい・・街、出る」

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2008年12月 8日 (月)

☆『ゴースト・シップ/呪われた豪華客船(2002)』☆

7日(日曜)の夜。「日曜洋画劇場」で“テレビ朝日開局50周年記念”とし地上波初放送された『ゴースト・シップ/呪われた豪華客船』を観た(公開時タイトルは『ゴースト・シップ』のみ)。

劇場公開当時「怖いもの観たさ」で鑑賞し、そのひっどい出来映えに閉口してしまった覚えがあったが・・再度“穏やかな眼と感性で観直せば、何か別な好評価が導き出せるかも・・”と考えた次第(・ω・)

1962年5月、イタリアの誇る“海に浮かぶ宮殿”とも呼ばれた豪華客船「アントニア・グラーザ号」がラブラドル半島(カナダ北東部)沖で消息を絶った。
船内では赤いドレスの歌姫=フランチェスカが妖艶な魅力を振りまき、デッキでは紳士淑女が酒とダンスに酔いしれていた・・そんな中、何者かによる“大量殺戮”が行われたのである・・

そして40年後。民間タグボート“アークティック・ウォリアー(北極の戦士)号”を共同経営するマーフィー船長(ガブリエル・バーン)、(女性クルーの)エップスら総勢6名のクルーは、パイロットである青年ジャック・フェリマンの持ち込んだ情報

・・ ベーリング海上(アラスカとロシアに囲まれた海域)で巨大な幽霊船の漂う姿を目にした ・・

を信じ「未発見の客船内に眠るであろう“莫大なお宝”を頂く計画」に乗ることに決める。
フェリマンと交わした契約は「儲けの総額の10%を彼に」「彼自身も同行する」と言うものだった。

「海がくれたチャンスを逃すな」をモットーとする(?)一行は、早速現地へとタグボートを走らせるが、その船には大変な災厄が渦巻いていたのだった・・

ジョエル・シルバー&ロバート・ゼメキスの共同製作ってことで、ある意味“良作やろ”と思ってたら、結局はコレが大したポンコツだった(今回、観直すも評価変わらず、、)。

・脚本の組立が(奇しくも)『バイオハザード(2002)』そっくり
・主人公の言動や運命などは『エイリアン(1979)』を参考にしたっぽい
・船内で遭遇する怪現象の数々はまんま『シャイニング(1980)』『MEMORIES/彼女の想いで(1995)』の世界
・表面的(?)な豪華演出はやはり『タイタニック(1997)』を意識してそう

他にも(船内のお宝以上に)ザクザクと映像ネタ&演出ネタが発掘されそうだ(⌒〜⌒ι)

「お茶の間対応」ってことで、ある程度“残酷描写”はカットされてたんだが、それでもなお「冒頭のいや〜なワイヤー演出」「ミイラの縊死体」「缶詰の中の虫」など、まだまだ不快さの拭い切れてない部分が残されてたような。。

私的には「幽霊船の探索」と言うドキドキする舞台をせっかく準備してるんだから、浮ついた過剰な演出なぞは極力控え、静かに格調高く(?)進んで行くタイプの作品にして欲しかった。
フランチェスカなるキャラに関しては“かなりエエ雰囲気”を醸し出してたが故、あんなアトラクション的な扱われ方しかされなかったのは実に勿体ない、と。

6名のクルーが1人ずつ殺られてゆく流れなんだが、それぞれにキャラ造型が薄っぺらく、死んでから名前のハッキリ掴めた奴などもいたのには苦笑させられた。
終盤では“サタン系”の展開にも足が突っ込まれるんだが、もう何が何だかって感じ・・

製作を手がけた『さまよう魂たち(1996)』と同様に「ゼメキスとして、どうよ?」と私的には“しょっぱ感”の止まらない1作である。

〜 こんなセリフもありました 〜

マーフィー「不謹慎な行動はよせ」

ケイティ「霊になると・・“家族が死んだ”ってことが分かるの」

※※※※「海の底に横たわってるのは退屈なもんだぜ・・そこには光も希望もねぇ」

※※※※※「愛のため、命を捧げるか?」

追記1:「CM戻し(←CM後に巻き戻され、もう1度CM前のシーンが描かれる)」がやたらと多かったように。本編91分ですか、、道理で(・ω・)
追記2:悲劇の先鞭をつける「第1の犠牲者」。出演時間もいっちゃん短い訳で、最も哀れなんだが・・考えようによっては「何が何だか分かんなかった」分、ラクな死だったかも知んない(×_×)
追記3:やっぱり登場! アクション映画の定番アイテム「C4爆薬」だ〜!

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☆しぶとくゲージツの晩秋(MIHO再訪)☆

7日(日曜)。
昨日に続き、風こそは肌寒いものの、天気の良い1日となった☆

昨日は、起きた時点で既に午後に突入してしまってたため、自室にこもり(久々に)溜まってる新聞切りなんぞに精を出したが・・今朝は午前中にも(一応は)スッキリと目覚めることが出来たので、
「そや、クルマに乗ろ!」と決め、再び滋賀県は信楽町内にある『MIHOミュージアム』へとドライヴがてら出かけた☆(あんたも好きねぇ〜)

実を言えば、前回は後半にやや駆け足気味だったのもあり「展示の美術品群も大事だけど、それらに添えられたコメントたちをもう1度完全に読んどきたい!」と言う気持ちが直後から高まっていたモノである。

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/cat30597104/index.html

※前回の訪問については、上記より「11月11日の記事」を参照下さいね。

特別展である『2008年・秋季特別展(良寛生誕250年)〜大和し美(うるは)し〜川端康成と安田靫彦(ゆきひこ)』がいよいよ来週末(14日(日曜))で終了となり、それに伴いミュージアム自体が冬期休館となるため、行くならここらが勝負やろ!(路面が凍結したら大変やし・・)ってのもあった。

今回は往復ともフルに下道で。。ワタシらしい、と言おうか(=^_^=)国道307号線をアオり、アオられつつ(=^_^=)延々と信楽まで突っ走る感じだ。

正直、心の中に「1人で来館した客には、何か“アプローチ”があるのとちゃうやろか?」的な不安もなかったと言えばウソになるんだが・・いやいや、まさに“芸教分離(←って言うの?)”って感じでホントにジェントルな施設でした。

既に秋も暮れ、境内・・じゃない、敷地内の紅葉もすっかり散ってしまってはいたが、(駐車場などで)ススキの穂がそこここで黄金色に輝き、風に揺れてるのを眼にし「これもこれで秋の風景であり、風情だわな」とささやかに心を楽しませるワタシだった。

では、今回も(=^_^=)館内でメモしまくった言葉の数々を少しばかり紹介させて頂きたい。

【川端康成】
「美術品、ことに古美術を見てをりますと、これを見ている時の自分だけが、
 この世の生につながってゐるやうな思ひがいたします」
「秋の野に鈴鳴らし行く人見えず」 ←“野”“鈴”で“ノーベル”てな解釈もあるとか、、
「東山(魁夷)さんの絵は、古今のすぐれた画家の作品がさうであるやうに、
 見慣れてしまうということはなく、時によつて、むしろいつも、新しい見出しを感じる」
「人間は死後の世界まで、生前の世界の人間の姿で生きていなければならないといふことは、
 もつと悲しい人間の習はしと、私には思はれてなりません」 ←『叙情歌』より
「いよいよ天城峠に近づいたと思ふ頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、
 すさまじい早さで麓から私を追つて来た」 ←『伊豆の踊子』より
「いかなる犠牲を拂(はら)ってもと存じましたが、先約のところへ行ってしまひました。
 残念でなりません」 ←古美術蒐集にかける執念!
「この子犬の恰好は今初めて見る感じだが、前にそつくり同じ恰好を見たと感じた。
 信吾はしばらく考えた。「そうか。宗達の絵だ。」とつぶやいた。
 今見る黒い子犬の姿に品格と優美とを加へたのが、そつくりあの絵だ」 ←『山の音』より
「古い日本が私を流れて通つた。私は生きなければならないと涙が出た。
 自分が死ねばほろびる美があるやうに思つた。私の生命は自分一人のものではない」 ←『天授の子』より
「美に古今なく、今日に伝はつた美を今日の美と感じて今日使ふのは
 今日に生きるしるしの一つのやうに、私は思つている」
「どの角度から見ても、わざとらしさや破綻はない。みごとである」
「はじめて出合ったやうな、これまでにどこでも見たことがないと思つたやうな、
 このやうな邂逅こそが、文学ではないのでせうか、また人生ではないのでせうか」
「(一茶の句の)「うつくしや」といふ、ありふれた存在の言葉に、美が発見され、創造されています」
「私は安田先生の存在を貴重とも幸福とも思つている」

【安田靫彦】
「弘(ひろ)く見、深く見ることによって、いいもののよさが本当にわかってきて、
 本当のいいものの姿がはっきりしてくる。高い山を眺めるには、
 麓から仰いで見たのでは美しくない。こちらの眼の位置を高く上げてくると、
 高い山の本当の美しい姿が現れるようなものである」
「名作によって教へらるるところ多大です」
「古典は決して死んでいない。常にわれわれと倶(とも)に在つて、われわれに教へてくれる」
「品位は芸術の生命である」
「人は常に目に見えないものを求めて止みません。
 美しいものも、今見えているものよりも、もつと深いものを求めます」

【三島由紀夫】
「(川端さんの)『美しい日本の私』の、読後心に残つて忘れられないのは、
 伊勢物語の「三尺六寸の藤の花房」のことであります」

で、またもや“川端ショック”を受けたワタシは(=^_^=)、関連書籍の揃えられた販売コーナーで、3冊も文庫本を購入してしまうのだった。。

・東雅夫編『文豪怪談傑作選/川端康成集・片腕』(ちくま文庫)
・『川端康成/三島由紀夫 往復書簡』(新潮文庫)
・中条省平著『小説家になる! 芥川賞・直木賞だって狙える12講』(ちくま文庫)

※最後の1冊は家人へのプレゼント用(⌒〜⌒ι)

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2008年12月 6日 (土)

☆『デス・レース』☆

5日(金曜)の夜。
仕事帰りに新作カーアクション(?)映画『デス・レース』を観た☆

元々は大阪市内の劇場で「コレか、もう1本の別のか」を観ようと考えてたが・・ウダウダと残業めいてる間に、共に18時半前の上映開始時間には間に合わぬ雲行きとなり、結局は地下鉄で大日駅(守口市)まで向かい“ワーナー・マイカル・シネマズ大日”にて観ることに。。
(ここのシネコン、行きは地下鉄1本でラクなんだが、帰りは1駅ぶん(15分程度?)歩き、かつ辿り着いたK阪・門真市駅が“鈍行駅”なので、ちと時間を喰われて大変である、、モノレールを使う手はあるけどネ)

花金(←何て今ドキ言うか?!)だしきっと・・と混雑を予想してたら、意外にも入場数が全然なく、驚いた(×_×) ワタシの座った列に限れば、左右を見渡しても誰も座ってなかったし。

2012年、アメリカ。
国内経済は崩壊、失業率は過去最高を記録、それに伴う犯罪者の激増と共に、全国の刑務所は何処も囚人で溢れかえった。
その結果、あらゆる刑務所は民間企業にその運営を委託された。

海に浮かぶ“ターミナル島”は近未来の合衆国を代表する大型刑務所。
そこでは、娯楽に飢えた国民のため「ローマ時代の“グラディエーター(剣闘士)ショー”の再現とも言うべき“ケージ(金網)ファイト”」が番組とし企画されるも、やがて人々(視聴者)の興味は薄れて行った。

次にターミナル島の製作したのが、所内をサーキットに見立て、囚人らを武装した改造車で暴走させる『デス・レース』なる白熱イベントだった。
生中継されるこの番組は驚異的な視聴率を記録、中でも“無敗”を誇る仮面のレーサー“フランケンシュタイン”のカリスマ性は他の選手(=囚人)の追随を許さなかった。

そんな中、レース中の大クラッシュでフランク(=フランケンシュタイン)は出走出来なくなってしまう。

視聴率の低下を恐れた(ターミナル島の)運営側は“フランクに代わる、カリスマ的なレーサー”を見つけ出すため、ある一線を越えようとさえするのだった・・

元レーサーのジェンセン・G・エイムズ(ジェイソン・ステイサム)は、既にライセンスを剥奪され、今はクルマから遠ざかった生活。とある製鋼所で慎ましく働く日々だった。
が、ある日、勤務先が突然に閉鎖。彼の手元に残されたのは2週間で120時間働いて手にした、わずか300ドルばかりの“最後の給料”のみだった。

そんな彼にも、帰宅する家はあり、そこでは愛する妻スージーと、ベビーベッドに横たわる愛娘パイパーが待っていた。
しかし、エイムズのささやかな幸せはその日、無惨にも引き裂かれてしまう。
謎の覆面の男に眠らされ、気がつくと・・そばには事切れた妻が倒れ、自身の手には血に染まったナイフが握られて・・!

こうして半年後、大いなる陰謀と運命の悪戯により、ターミナル島にエイムズは収監される。
間もなく彼は“超極悪人”と囚人らに囁かれる女所長ヘネシー(ジョアン・アレン)に「再起不能となったフランクに代わり、仮面を装着し走って貰いたい」と提案される。

5勝すれば無罪放免となるこの『デス・レース』。出走する他の囚人らの挑発を受け流しつつ、彼が選んだ“生き延びるための道”とは・・?

スカッと分かり易い流れの、一見“B級間違いなしぃぃ!”な作品なんだが、期待値を高めずに行くと・・意外にヒートアップ出来て楽しめる(=^_^=)
特にジョアンさんファンは「必見!」とも言えましょう(=^_^=) 今回は“クールな女所長役”ってことで「フルタイム将校服(?)姿」をどうにも連想してたんだが(←それだとケイト・ブランシェットさんの方が似合うのかも?)・・そうではなく、そこそこにラフさのあるハーフ・カジュアル(って言うの?)ないでたちだった。

(カメラが)ご尊顔にアップで迫ると「わ、をばさむでねべが!」と流石にビックリしちゃうんだが(すんません・・)、徹底して冷酷なキャラ設定のハズなのに、そんなに(演じよう演じようと意識した時に作られる)極悪さが漂って来ず、どちらかと言えば「カメラの回ってない時は、撮影現場で明るく笑いながら振る舞ってはったんとちゃうやろか?」的な“嬉々として演じてはる”雰囲気が感じられ、そこが最高に良かった!
「怖くない」と言おうか、それよか“スピンアウト(派生)作品”が観てみたいし! と思うような、そんな感じね。

一方、主人公のジェイソンくん。いつも通りの(?)自然体っぽい(?)キャラ造型だったんだが、とにかく数シーンで見せる「鍛え上げたマッチョなボディ」はスゴかった! ウィキで調べたら、ワタシより(どうやら)年下である事実をも知り、更にびっくり(×_×)
現時点(現世?)では「髪の量」ぐらいしか勝てるトコがないかも知れん。。(それもいつかは負けるんやろか・・)
しっかし「気の毒な男」「家族思い」みたいなキャラを好演しつつ「全身これタトゥー」ってヴィジュアルなのは(どうにも)説得力ゼロ気味ですた・・(・ω・)
(まぁ、劇中では語られぬ、色んな“やんちゃな過去”があったんでしょ)

パッと連想した作品は以下のような感じか。
色んな旧作からエッセンスを抽出⇒再構築してるっぽい印象も多々感じたが、未見ながらオリジナル版(『デス・レース2000(1975)』)に引けを取らない完成度なんじゃないか? とまで妄想してしまう。ロジャー・コーマン(オリジナル版、リメイク版ともに製作総指揮!)からすれば「このリメイク版は、大作を狙い過ぎててつまらん!」とか言ってはるかも知んないが・・

・何者かの罠にかけられた主人公が、不利な状況下で真犯人を追い詰める・・『逃亡者(1993)』『メメント(2000)』
・娯楽と称されるイベントの中、次々に殺されゆく競技者・・『バトルランナー(1987)』『グラディエーター(2000)』
・(基本は)周回する(だけの)レース展開・・『ベン・ハー(1959)』『スターウォーズ・エピソード1/ファントム・メナス(1999)』
・仮面を被ったヒーローが2つの人物を演じ分ける・・『デトロイト・メタル・シティ』(←げ!)
・向き合った2台が至近距離で撃ちまくり合う・・『007/ダイ・アナザー・デイ(2002)』
・巨大なモンスタートレーラーが牙を剥く!・・『激突!(1972)』『マッドマックス2(1981)』
・工場地帯ぽいコース設定・・『ロボコップ(1987)』

レース自体は(殆ど)間髪置かず、3回戦(=3ステージ)が行われるんだが、当初9人いたレーサーがボコボコ減って(退場して)行くのがある意味凄絶だった。あんなにアレしちゃうと次のレースまで(メンツが揃わず番組を)引っ張って行けないとも思うんだが、エエんやろか(・ω・)

劇中で一番スゴかったのは何と言ってもやっぱし“ステージ2”。視聴率を上げんがため、ヘネシー所長の粋な計らい(?)で「極悪巨大装甲車両=“戦艦(ドレッド・ノート)”」ってのが製造され、登場するんだが、こいつの破壊力がムチャクチャにスゴい! その“鬼神”のような破壊っぷり、紅蓮の炎に包まれたコースの“まさに地獄のような様相”には、ここしばらく(映画鑑賞で)感じてなかった「鼓動の高なり」を覚えますた!

因みに競技者9人は次の通り。
・マシンガン・ジョー(連勝を続ける黒人レーサー、フランクの最大のライバル)
・パチェンコ(白人同盟(?)の代表格)
・フランケンシュタイン(連勝を続ける仮面のレーサー)
・トラヴィス・コルト(ナスカー出身のドライバー)
・14K(MIT卒のインテリ東洋人)
・グリム(終身刑3回(!)の反社会的人格障害者!)
・カーソン
・サイアド
・ほか1人(失念・・)

ボディ全体を銃器&鉄板で武装しまくった各マシン。脱走されたらマズいんとちゃう?! と要らぬ心配(=^_^=)をしてたら、ちゃんと“対策”は抜かりなかった。
・管制塔(?)のヘネシー所長が「キル・スイッチ」のリモコンを持っている。不審な動きがあれば即座にエンジン停止。
・コースの数ヶ所に設置されたポイント(見た目は“マンホールのフタ”そっくり)を通過することで、武器/防具が使用可となる⇒「剣(ソードのアイコン):車載した30ミリマシンガン、ナパーム弾などの使用が可となる」「盾(シールドのアイコン):車載したスリップオイル&スモーク&撒菱(まきびし)の使用、“墓石(トゥームストーン)=リアに装着された厚さ15cmの鉄板”の切り離しが可となる」「ドクロ(頭蓋骨のアイコン):地面から“何か”が出て来る」の3種があるんだが、ヘネシーの命令1つでオン/オフされ、ポイントを通過しても使用可とならなかったりもする(×_×)
・最悪の場合、クルマに前もって“何か”を仕掛けられたりする。

マシンを駆るのは野郎の囚人ばかりだが、レース当日に(同乗し)彼らを補佐するのは別の女子刑務所から移送される“お姉ちゃん系”のナビガールたち。

マシンガン・ジョーと言う奴のナビシートはいつも野郎だったり(ゲイ対応ってこと?)、14Kと言う奴のナビガールが惨たらしく殺されたり(!)もするが、基本的に彼女らは緊急時に「シートイジェクト+パラシュート」で脱出可な立場らしい。
しかし何だ・・競技車両内はプライバシーガラスで覆われるそうなので、(レース中の)視聴率にはあんまし関係ない気もするぞ、美女軍団の起用は(・ω・)

色んな悪党どもがこれでもか的に登場する本作だが、総じて一番凶悪(?)だったのは、フランクをサポートする整備士の“コーチ”だったように思った。。
温和で総てを悟ったようなことを語る彼ながら・・「手塩にかけた自らのマシンに小細工されると、ブチ切れる性格」らしく、ラストでは「エイムズすら思いもよらぬ(筈の)ムチャクチャなこと」を平然とやってのけた。。
コーチの仲間の、リストってな大人しいオタクっぽい兄ちゃんも、怒らせると「背後から静かに忍び寄り、容赦なくぶっ刺す」タイプだったりする。。

実際、こう言う人たちが“いざ怒ったらいっちゃん怖いタイプ”なんかも知れない(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

※「40年ここ(製鋼所)に勤めてるぜ・・結婚より長い」

スージー「何とかなるわ、いつもみたいに」
    「あなたのカラダに惚れて、結婚したのよ」

“威嚇なしに発砲する” ←刑務所・食堂の壁にある警告

※「こいつは何だ? 人間の食い物か?」
コーチ「オートミールだ・・恐らくな」

ヘネシー「汚い言葉が嫌いなの」
    「世間は感動に飢えているわ」
    「あなたはここで、あのケダモノたちと一生暮らすべき男かしら?」
    「神の右手が、私に力を貸して下さってる」
    「世界があなたたちの勇気に感化されることでしょう」
    「いい父親になれると本気で思っているの?」
    『舐めた真似してくれたわね・・私に逆らう奴は、絶対に生かしておかない』 ←重要なセリフ!

エイムズ「それは何だ?」
ガナー「一番大事な装備さ」 ←と言いつつ“シガーソケット”だが、、

ケース「あたしがあんたを護ったげる」
   「あんたの方が(フランクより)男前ね・・ケガさえしなけりゃ」

コーチ「黙ってろ・・マスクが(フランクと言う男を)語ってくれる」
   「ここにいる間に、世の中はすっかり変わっちまった・・
    ここは刑務所だが、少なくとも“知った世界”だからな」
   「色んな奴を見て来たが・・本当に妻を殺した男は、そんな眼で娘(の写真)を見ない」
   「耐えろ! アクセス(=視聴率)が激増すれば(“戦艦”は)引っ込む筈だ」

エイムズ「・・モンスターになってやるさ」
    「殺したい奴がいる」
    「愛する気持ちがあれば、(家族を)幸せに出来るさ」

ジョー「2度と俺のピットに入るな」
   「サヨナラ、フランキー!」
   「手前ぇとの会話で和んでるヒマはねぇ」
   「覚悟しな“イゴール”・・村人が三叉を手に、追いかけて来たぜ」

“本作のレースシーンは、プロのスタントが安全を確保した上で、慎重に撮影が行われました。
 従って、絶対に真似をしないで下さい” ←エンドロール時のテロップ ←ってか真似しねぇよ!

〜 ほかにもこんなことに気付いたり 〜

・劇中、最初に放たれた某キャラのセリフが“クソ!(Damn it!)”ってのがなかなかお行儀悪くてヨシ☆
・ターミナル島の囚人たちって余り「労役させられてる」シーンがなかったが? 案外「3食付きのお気楽な生活」だったのかも?
・テスト走行もなしに、いきなりあんな走りが出来るの? エイムズさん(ブランクもあった筈だろうに)。
・「スロースタート」「コース逆走」「レース中に停車⇒下車」「レース中に素手で殺人」などなど“前代未聞の行為”を披露してくれた“新生”フランクですた。
・終盤より。わずか1.9リットル(←確か)のガソリンでも、結構距離を走れるもんですね。もしかして“エコ走行”だった?
・ステージ1の開始時は9台 ⇒ ステージ2の開始時は6台 ⇒ これがステージ3の開始時になると・・
・“本物のフランク”は終始マスクをかぶってレースしてたが・・エイムズによれば「息苦しい」らしい。そして無論視界も悪い。・・ってことで、実力は本物の方がはるかにスゴかったと判断する。
(劇中では、どっちのキャラも多分ジェイソン君が演じてたと思うが)

追記:ヒットしたら続編、製作されんの?(=^_^=) もしアレでヘネシーさんがアレしてたら・・“戦艦”から吹っ飛ばされた看守たちも同様にみんなアレしてるってことだろうなぁ。。『ダークマン2(1994)』でピンピンしてた(前作で完全にアレした筈の)敵ボスのおっさん並みにスゴいかも知んない(⌒〜⌒ι)

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2008年12月 5日 (金)

☆『レーサー(1969)』☆

3日(水曜)の夜、“追悼ポール・ニューマン特集”の第3夜とし(?)衛星第2で放送された『レーサー』を観た。

スランプに悩まされ始めた孤独なレーサー=フランク・キャプア(ニューマン)。ある夜、彼は気晴らしに出かけたレンタカー店で、受付をしていた美しき女性エローラ(ジョアン・ウッドワード)と出会い、たちまち恋に堕ちる。

やがて2人は結婚。フランクは(実はシングル・マザーだった)彼女の息子=チャーリーにも実の父親のように愛情を注ぐ。

だが“家族3人での生活”を大切にしたいエローラの気持ちは伝わらず、フランクは成績を上げるためにガレージやテストコースにひたすら泊まり込み、練習&整備に明け暮れる日々。

愛に飢えた妻は、夫のチームメイトであり、最大のライバルでもある若手レーサー=ルー・アーディング(ロバート・ワグナー)との深い関係にはまり込んでしまうのだった・・

実生活において、ニューマンの妻でもあったジョアンさん。それにしては“モノ凄い”(ドロドロした)展開であり、驚いてしまった(⌒〜⌒ι)
ライバルである男に愛妻を寝取られる役、、と言うのは脚本として「よほどの決意」がないと承諾しにくいとも思うんだが、まぁそこを難なく(?)OKしちゃうトコロが、ニューマン夫妻なりの“スター性”なのかも知れない(・ω・)

タイトルこそ『レーサー(原題:WINNING)』となっているが、物語の軸は「フランクのプライベート」であった感が強かった。
飽きさせぬよう、要所でレースシーンが展開されるも、マックィーンの放った『栄光のル・マン(1971)』とは、何処に重きを置くかなど、その(両者の)テイストには大きな違いがある(それぞれの作品性の問題なので、甲乙は付けられないが)。

ワタシの記憶に残るのも、恐らくはレース&クラッシュシーンの数々より・・すれ違い始める2人(フランクとエローラ)の関係がどう転がってゆくのか、その予測不能な展開(ある意味“レース展開?”)の方こそ、な気がする・・

黙して屈辱に耐え続けたフランクが最後の最後に怒りを爆発させるんだが、あの持って行き方も“ある意味、アクション映画的(任侠映画的?)”で苦いんだけれど、溜飲の下がる部分が確かにあったか。

終盤は、歩み寄る2人の会話で幕となるんだが、観てて「あ、コレが言いたかったんやな」と、レースにおける勝利場面以上に、気持ちがスッとしたのだった。

〜 こんなセリフもありました 〜

フランク「車を借りたい」
エローラ「あなた、酔ってるわ」
フランク「シラフなら借りたりしないさ」 ←今では冗談でも交わせぬやり取り、、

エローラ「ここは狭い町よ、娯楽は噂話だけ」
    「時々、遠くへ言ってしまうのね・・うわの空みたい」
    「あの頃の私は孤独が怖かった・・誰でもいいから側にいて欲しかったの」
    「離れてても、思っているわ」
    「私には私の人生があるのよ」 ←息子に

エローラ「休まないの? 神様も日曜は休んだのよ」
フランク「俺は神様じゃない」

フランク「ドアは開かん、窓から入れ」 ←レーシングカーのこと
    「転がして、身体で覚えろ」 ←バギーカーのこと
    「車を信じるしかない、無理にでもね」

ルー「結婚して2週間でうんざりだ、いつも隣には“違った顔”がいる方が新鮮だね」

チャーリー「(離れるんなら)なぜ結婚するの?」
フランク「いい質問だ・・だが“答えのないこと”もある」
    「夫婦を続けるには愛情が必要なんだ・・それは理屈じゃない」

チャーリー「僕は“持ち物”じゃないぞ、心がある」
     「レースを見る・・あの男に勝ってよ!」
     「親が別れたら・・子どもは傷つくさ」

インタビュアー「なぜゴール後も周回を?」
フランク「止まりたくなかった」

ルー「幸せになってくれ」
エローラ「・・あなたも」

※「勝ったんだから、もっと素直に喜べよ」
フランク「勝利だけが喜びか?」

エローラ「私の望みはあなただったのよ・・彼に抱かれたのは、それが満たされなかったから」
    「この結婚は失敗だったわ」
フランク「まだ始まってもいないさ・・これからはちゃんと向き合いたいんだ、車にも君にも」

エローラ「私はあなたほど強くないわ」
フランク「強くなれるさ・・でないと、何のために苦しんだのか分からない」
    「やり直せると信じよう」

追記1:後半のレースシーン(インディアナポリス・スピードウェイでの“インディ500”)。しょっぱなのクラッシュで、客席に外れたタイヤがドデ〜ン! と落下するショットが強烈だった! 多分軽い素材でこしらえた(=はりぼて)タイヤを(観客の頭上から)落としての“再現映像”とは思うんだが・・
追記2:勝者を取り囲む喧噪の中、セールスマンのおっちゃんが早速「不動産投資をなさる気はありませんか? 老後に備えて」などとすり寄って来るシーンには苦笑させられた。今も昔も変わらんのね。。

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2008年12月 4日 (木)

☆『タワーリング・インフェルノ(1974)』☆

2日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたパニックムービー『タワーリング・インフェルノ』を観た☆
未見ながら「超高層ビルで大火災が発生する」と言う大まかなストーリー(←ホンマに大まかや!)だけは知ってたので「それにしては作品時間:2時間45分とは、えらい長尺やなぁ・・」と観る前から睡魔が心配だったり。

そもそも、この日は会社の後に神戸方面まで出かける予定があったので「放送開始時間までに帰宅できないかもなぁ・・」とも考えもしたんだが(←今回は録画予約してなかった)、巧い具合に、開始10分ほど前にギリギリ帰宅出来、全篇を観る事が叶った次第である。

サンフランシスコ中心部(モンゴメリー通り)にそびえ立つ“DEタワー”は「ガラスの塔」とも呼ばれる、世界一の超高層ビルであった。
ダンカン・エンタープライズの繁栄の象徴でもあるこのビルは、ジム・ダンカン社長(ウィリアム・ホールデン)が才能に溢れた2人の男・・設計士=ダグ・ロバーツ(ポール・ニューマン)と配電の天才=ロジャー・シモンズ(リチャード・チェンバレン)にタッグを組ませ、ついに完成させたもので、今夜にも各界の名士を招いての落成記念パーティーが最上層(135階)の展望フロアで執り行われる予定であった。
ワシントン州選出の上院議員=ゲイリー・パーカー(ロバート・ボーン)、ロバート・ラムジー市長夫妻、帰郷した投資家ハーリー・クレイボーン(フレッド・アステア)らそうそうたる面々が集まる。

昼間、式典(本番)に備えての試験点灯が実施されるが、その際「配電盤のショート」が発生する。だが「センサーは異常を感知」しながらも「火災警報が発報」することはなかった。
警備員に呼ばれ駆け付けたダグは「ダウンした予備発電機」をチェックし、配線がコンジット(電線管)で覆われていない事実を知る。それはどうやらロジャーが「ダグの指定した仕様の電線を使わず、建設費を安く上げた」ことによるものだった。

ダグは「安全設備も未完成な“手抜きビル”で祝賀会を開くのは危ない」とダンカン社長に訴えるも、彼は聞く耳を持たなかった。実のところ、配線の相違もそもそもはダンカンがロジャーにコスト削減を命じ、その結果200万ドルを浮かせたものらしい。

そして彼らが気付かぬ場所・・81階の倉庫・・では、配電盤からの火花がそばの書類に飛び、炎がメラメラと燃え上がり始めていたのだった・・

何よりも一番の驚きは「手抜き工事が大火災の要因だった」と言う笑えない出火の理由だった。これって単に「昔のフィクション」のひと言では片付けられないものだと感じる・・(・ω・)

序盤こそニューマンと恋人=スーザン(フェイ・ダナウェイ)の甘い展開なども描かれるが・・パニックシーンの始まる頃には、サンフランシスコ消防署から駆け付けたマイケル・オハラハン隊長(スティーヴ・マックィーン)が存在感を示し始める。

基本的に火だるまになって倒れ伏す犠牲者より、熱気に耐え切れず高層階から身を投げる犠牲者の方が映像的には目立っており、なおかつショッキングでもあった。
中には火だるまになりつつ、結局投身する、と言う凄絶な運命を辿るキャラもいたりし、そうなった経緯には「密かに睦言に耽る余り、今や部屋のすぐ外にまで迫る紅蓮の炎に気付かなかった」と言う切なさもあった。お子さまには分からない事情には違いなかろうが、その切なさの何となく分かる(?)ワタシには、全篇を通じ最も印象的で悲劇的な展開だった(×_×)

マイク(=マイケル)がダグと連絡を取り合いながら、閉じ込められた展望階の人々(300人ほどいた、、)を知恵&勇気を振り絞って助け出す展開は、ややもすれば単調な繰り返しにも映るんだが・・アクセント的に意外なトラブルや、キャラの死などを織り交ぜ、結構な吸引力を保っていた。

高層ビルの上下階などで連絡を取り合う2人の男には後年の『ダイ・ハード(1988)』に通じるエッセンスを、危険な現場と(ひとまずは安全な)指令本部を往復するマックィーンの行動にも、同じく後年の『スピード(1994)』における主人公(キアヌ・リーヴス演じる)に通じる演出を感じた。(ついでに、屋上で救助に降りて来たヘリが爆発⇒炎上⇒墜落する展開もまた『ダイ・ハード』の後半に継承されてた気が(・ω・))

2大スター(マックィーン&ニューマン)の輝きこそは良かったが、一方で「アステア演じるキャラの意外な薄さ」「チェンバレン演じるキャラの強引ぽい退場」など、やや造型の粗いトコもあったかな、と。

何にしても「泳げぬ者が船旅をする時には、すべき覚悟がある」のと同様「飛べぬ者が高層ビルに昇る時にも、すべき覚悟がある」って戒め(真理?)を改めて耳元で囁かれた気もした本作。

最後の最後に、とある作戦で炎がイッキに鎮火する際、水流の勢いに押し流され結局は墜死しちゃったしとたちの姿を克明に思い出す度に「生き死にの運命ってのはホンマに分かんない」とため息をつき続けるワタシであろう・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

“世界の消防士たちに感謝を込め、本作を捧げる” ←冒頭のメッセージ

ダン「僕が君を軽く扱った時は、叱ってくれ」 ←秘密の恋人に

ダンカン「隠してる酒を出し給え」 ←バーテンに
パーカー「それはもしや1929年の?」

※「今さら、そんな“ガラス瓶”を抱えてどうする?」
バーテン「だって1929年ものですよ?」

ダンカン「ボヤ程度で騒ぐな、さっさと正装しパーティー会場へ来い」
    「残された時間など私には分からん・・ただ全員は助からんだろうね」

マイク「7階より高い場所での火事は厄介なのだ」
   「燃えると青酸ガスの出るものがある」
   「お言葉だが、火災は全て危険です」
   「何で装備は・・こんなに重いのだ」
   「犠牲者は200人を越えなかった・・だが、いつか1万人が同様のビル火災で死ぬだろう。
    私は遺体を運び続けるさ・・誰かが正しいビルの建て方を訊きに来るまではな」

ダンカン「市長に命じる気か?」
マイク「火災現場では私の方が立場が上だ」

消防士「高層ビルの火事はな・・まるで煙突の中だ!」

ダグ「いつも建築基準を言い逃れに使うんだな」 ←ダンカン社長に
  「パニックで救出カゴを失った・・もう収まったが」 ←たくさん墜死されました、、
  「いっそ、このままの姿で残してはどうだ? “世界の廃墟の象徴”として」

スーザン「私は地上であなたをただ心配するわけ?」
    「頼まれたら、北極へだって、メンドシノ岬の崖へだって行くわ」 ←カリフォルニア州にある岬

部下「(展望エレベータを支えるヘリからのワイヤーが)切れませんかね?」
マイク「・・耐えて貰わんと困る」

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2008年12月 3日 (水)

☆『傷だらけの栄光(1956)』☆

1日(月曜)。街のあちこちで「師匠の走る月」ともなった(←走るの見たんかい!)
今週は衛星第2で“追悼・ポール・ニューマン特集”がささやかに(?)組まれてるようで、1夜目である今夜は、彼の(スクリーンにおける)人気に火の点いた佳作『傷だらけの栄光』を楽しみに観てみた☆
(元々はジェームズ・ディーンが主人公を演じる予定だったそうだが、彼の急逝により主演が叶ったと言う)

実在のプロボクサー=ロッキー・グラジアーノの、スラムから飛び立ち“ミドル級チャンプ”に輝くまでの栄光の軌跡。

かつては自身も栄光を目指したボクサー=ニック・バルベラを父に持つ青年ロッコ(ニューマン)は、飲んだくれでロクデナシの父に反発し、下町(ブルックリン)の悪友らとつるんでは、窃盗を繰り返し少年院にぶち込まれる“札付きのワル”であった。
高級車のタイヤを外し盗み、ホテル屋上から客の荷物を釣り上げ盗み・・捕まっては施設を脱走する生活。

そんな中“ライカーズ島刑務所”へ向かう護送車の中で、フランキー・ペッポと言う男に「金に困ったら“スティルマン・ジム”に来てみろ」と声を掛けられるロッコ。しかし、父ニックの堕落を間近に眺め育った彼は「ボクシングなどに興味はない」と言い放つのだった。

釈放の決まった日、彼を塀の外で待ち受けていたのは米陸軍の関係者であった。
徴兵され、軍キャンプでは上官に「ヒトラーと戦え!」と、同室の仲間に「確かに徴兵は嫌だが、来たからには力を尽くす・・この愛国心が君に分かるか?」と言われ、またも反発したロッコは伍長に続き大尉をも殴り倒し、ブルックリンへ逃げ帰るのだった。

故郷に戻るも所持金なき彼は、ペッポの言葉を思い出し“スティルマン・ジム”へ顔を出す。
関係者の「10ドルで、ホワイティ選手のスパーリング相手にならんか?」なる申し出に飛びついた彼は、何と「ライトヘビー級のプロボクサー」である彼を連打の末に倒してしまうのだった!

ジムと専属契約し“ロッキー・グラジアーノ”なるリングネーム(←“グラジアーノ”はイタリア産ワインの銘柄から咄嗟に思い付いた偽名らしい)で6戦6KOの華々しいデビュー&戦歴を飾るロッコ。

しかし、とうとう陸軍に見つかり「上官に対する暴行」「4ヵ月に及ぶ無断離隊」の罪状で“レベンワース軍刑務所”に1年服役することに。
所内でハイランドと言う名の軍曹に「(ボクシングの)スタイルこそ酷いが、お前の右拳には“憎しみ”が宿ってる・・それを自分のために役立てろ、そして人生を変えてみせろ」「外(=シャバ)で怒りを燃やしても無意味だが、(リングの中で)燃やし続ければ怒りもいつか尽きてなくなるだろう・・それが嫌なら、天に唾して生きて行け」と諭されたロッコは、いよいよボクサーになる決心を固める。

出所後、ジムに戻り“有望なミドル級ボクサー”とし順調に勝ち進むロッコ=ロッキー。私生活でもノーマ・アンガー(ピア・アンジェリ)と言う美しい恋人を得、やがて彼女を妻に迎えることに。

だが、ついにタイトルマッチでミドル級王者=トニー・ゼールにKOされてしまう。初めての敗北に少なからぬショックを受けるロッキー。だが、彼は妻の励ましも手伝い、間もなくゼールとの再戦を決める。

そんな折「刑務所服役」「懲戒除隊」など、ロッキーの“触れられたくない過去”をネタに「八百長試合」をさせようとする連中が現れ・・

破滅の淵を踏み外しかけてた“悪童”が真っ当な人間に・・そして静かなる闘士に変わってゆく過程は、吉川英治の描く“新免武蔵(しんめんたけぞう)=宮本武蔵”像ぽくもあり、下町のチンピラが恋を知り“唯一の手段”であるボクシングで成り上がってゆく様は『ロッキー(1976)』を連想させてもくれた。

監督がロバート・ワイズと知り、少し驚いたワタシだが・・本作に関しては「ニューマンに白羽の矢を突き立てた」トコロにこそ、彼の真価が最大限に発揮されたようにまずは感じる☆
ニューマンの言動を観てしまった後では「ジミー(=J・ディーン)のキャラとは、少し違うな・・」と言う直感的な確信をどうにも覚えてしまうモノだ(・ω・)

演出上のテクニックとしては
・冒頭。画面奥に逃げて行くロッコ少年の背に「放っておけ」「どうせ将来は見えてるさ・・10年後は刑務所だ」と呟く警官ら・・そしてロッコが画面奥から再び駆け戻って来たら・・ニューマンに変わっている!
・ゼールに初敗北を喫するシーン。試合(風景)自体の映像は全く描かれず、夫の帰宅を待つノーマたちが、不安げな表情で“ラジオ中継”に耳を傾ける居間の描写のみで構成される!
これらは特にスゴかったなぁ!

「人生には出会うべくして出会う、少なくとも3人の人間がいる」
と言うのが、ワタシの漠然とした持論なんだが(=^_^=) 本作に関しても
・プロモーターのルー・スティルマン
・ハイランド軍曹
・後に妻となるノーマ
・近所の“ソーダ・バー”を経営するベニー
と言った人々の言動や価値観が、(本人は黙し認めないにせよ)大きくロッキーの生き方に影響を与えたんではないかな、と。

主人公の試合シーンをフルに(映像で)流すのは終盤のみに止め、彼のプライベートな一面の描写(苦悩や紆余曲折など)にこそ時間を割いた造りにも、逆に好感を覚えた☆

ラストでは、色んな場所でロッキーの試合中継(ラジオ)に耳を傾ける、周囲の人々を配してくれ、そういう演出に弱いワタシは「油断すれば忽ちウルウルしてしまうような状態」に陥ってしまった(⌒~⌒ι)

製作年的にも、当然と言えば当然な(?)モノクロ映像である本作。ニューマンの青い瞳が再現されなかったのばかりは惜しいトコだが、これにより“流血の表現”が緩和されてる(?)視覚効果には一方で好感が持てた。
フルカラー仕様だと、却ってあの“深夜の下町のどん底さ”は表現し切れなかったかもな・・とも感じた次第だ。

~ こんなセリフもありました ~

ロッキー「これが、覚えている真実だ」 ←冒頭の独白
    「ボクシングは嫌いでね、身近に知ってるボクサーが最低な人間なんだ」
    「何も心配ない(Don't worry about a thing.)」 ←口癖!
    「俺だってちゃんと生きたい・・けど、どうしても駄目なんだよ!」
    「ボクシング以外、何も上手く行かなかったんだ」
    「今のうちに喜べ、俺もいずれは負ける・・だが王者だった事実は残る」

母アイダ「(お前の父は)ボクサーをやめたからああなった、私との恋が彼の生気を奪ったのさ」

ノーマ「“ラブシーン”になると映画館を逃げ出すのね、あなた」
   「(試合に負けたって)彼は鍛えてるしタフだけど・・私はもう限界」
   「夫をまた悪人にしたら、あなた方(=ゴシップ紙の記者たち)の気が済むの?」
   「彼が社会に戻るには、ボクシングしかないの」
   「過去からは逃げられないわ、目を背けないで」
   「私は彼の妻でマネージャーじゃない。あなた(ルー)が離れてからも、私は彼と暮して行くのよ」

ルー「あんたがロッコの彼女か?」
ノーマ「どうかしら?」
ルー「まだなのか?」
ノーマ「どうかしら?」

ルー「生半可な付き合いならやめておけ! (彼女と)別れるか、結婚しろ」

ロッキー「俺はワルだ、君をきっと不幸にする」
ノーマ「もう遅いわ・・あなたを愛してる」

コーエン「お前は世界一人気者のイタリア系だ・・ミケランジェロとシナトラを除けばな」

ベニー「今や、独房も墓も静かなもんだ」
   「ここでソーダを飲めば、料金を支払わなきゃならん。
    同様に、悪事にも代償を払う必要がある・・そんな簡単なことを分からん奴が多い」
   「払う覚悟もなく注文をするな」
   「俺はここでソーダを売っているだけの男だが・・ここ(店内)も外の世界もそう変わらんさ」

親友ロモロ「更生しろだと? お前だって失敗したろ? 俺たちに希望なんかねぇんだ、だろ?」 ←サル・ミネオ氏が好演。

追記:ジミーの恋人でもあったアンジェリさん。彼の死去(1955年9月)から間を置かぬ撮影には、きっと他人にはうかがい知れぬ、涙や苦悩もあったことだろう・・

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2008年12月 1日 (月)

☆『トロピック・サンダー/史上最低(サイテ~)の作戦』☆

30日(日曜)。

・朝から京都市内へと繰り出し、今秋最後の(まだイケる?)紅葉を満喫しよう!
・午前中から劇場をハシゴし、映画を2〜3本「イッキ観」しよう!

など、(過ごし方の)計画だけは漠然と形成されてたが・・結局はまたも正午前まで“寝だめ”となってしまい、上記いずれの計画も瓦解してしまうのだった(×_×) ←まぁ、身体が疲れてるんなら、明日からまた仕事だし“寝だめ”でも何でもしとくべきだとは思うが(・ω・)

が、空は晴れ渡り、出かけない手はなかったので・・近場ながら市内のシネコン“シネプレックス枚方”までクルマを走らせ、新作『トロピック・サンダー/史上最低(サイテ~)の作戦』を観て来た☆
ここ最近の何となくの「しんどさ」「だるさ」を果たして“笑い”で払拭出来るのか・・妙に期待値こそは高まってしまうのだったが・・(=^_^=)

2013年以降、地球に次々と襲いかかる危機を単身救い続けるヒーローの活躍を描いた『スコーチャー』シリーズも、その後ズルズルと(=^_^=)6作目を迎え、花形男優=タグ・スピードマン(ベン・スティラー)の前途にもいよいよ暗雲が垂れ込め始めていた。
「この次がコケたら“終わり”」とも囁かれる中、再起をかけた1作『トロピック・サンダー』がクランクイン(撮影開始)される。

原作は、ベトナム戦争で両手首を失いつつ奇跡の生還を果たしたフォーリーフ・ティバック(ニック・ノルティ!)による自伝的小説『濡れた攻勢』。
(何でも、10人いた兵士のうち生還はわずか4人。そのうち自伝を執筆したのは3人。そのうち2人の作品がヒット。そのうち1人の小説の映画化だそうだ(=^_^=))

これを映像化するにあたり、プロデューサー=レス・グロスマン(トム・クルーズ!)はタグの他に『ファッティーズ』シリーズで有名な“お下品男優”ジェフ・ポートノイ(ジャック・ブラック)と、『悪魔の小路』でトビー・マグワイア(!)と共演し、熱演をみせた“なり切り男優”カーク・ラザラス(ロバート・ダウニー・Jr.)、そして清涼飲料水“ブーティ・スウェット”のCMタレントでお馴染みの若手ラッパー=アルパ・チーノ←(=^_^=)を共演させる。

監督にはマイナー系の新人=デミアン・コックバーンを起用、つまりは自分のやりたいように現場を(遠隔地から)操ろうとする彼だが・・撮影は個性派男優同士の衝突や操縦難、爆破チーフの誤爆(←200ポンド×2ヶ所の爆薬がカメラの回ってない状況で炸裂、400万ドルの損失となったらしい、、)などが相次ぎ、なかなかはかどらない。

ハッパをかけるグロスマンに、頭を抱えるデミアン。そんな彼にフォーリーフが「俳優たちを地獄に連れ出せ」と助言を与える。
そして最低限に絞り切ったスタッフ8人(←俳優5人+スタッフ3人(原作者+監督&ハンディカム撮影+ヘリ操縦&爆破チーフ=コディ))による、アジア某国・奥地を使った「ゲリラ撮影」が開始されたのだが・・

彼ら俳優が「強制収容所」と台本で教えられた施設は、実は『炎龍』なる“アジア麻薬市場の1/8を抑える密売組織”のヘロイン工場であった・・!

ベン・スティラー自身が監督&製作&脚本&主演をつとめる本作。単なるバカ映画なのかと思いきや、ハリウッドの内幕をバッシング覚悟で暴露してそうな部分や「知的障がい者」「黒人」「ベトナム人」「夜の女性」などの“切り込みにくい領域”に遠慮なく踏み込んで行ってる感があり、その意欲にまず圧倒された。
かつ、豪華キャストをかなり頑張って揃えてくれてるのにもびっくり!(ネタバレですかねぇ? まぁ集客に繋がるんならイイかな、と)

トムクルの出演(←ある意味主演級かも!(=^_^=))はスタッフ側の狙い通りのサプライズをまず与えてくれるが、それ以外にもマコノヘイ(not近衛兵)、トビマグ、ニクノル・・ラストだけだが、ジョン・ボイト氏も出て来るし!
名実共に、最も儚かったのが監督役の俳優さんだったぐらいだ(=^_^=)
展開だけを取り上げれば“王道”とも言うべき『サボテン・ブラザーズ(1986)』『ギャラクシー・クエスト(1999)』な路線なんだが、そこに絡め「演技論」「女性観」などもちりばめられ、一笑に付すには余りに勿体ない気がした!

きっと映画に詳しければ詳しい観客ほど、色んな部分に気付かされ、そして笑わされ、時にムカつかされる作品であるに違いなかろう(=^_^=)

念入りに下見しとけよ! と“事件後”に思わず突っ込める、ヘリ降下直後のシーンは必見。『ディープ・ブルー(1999)』で熱弁をふるった、サミュ・L・ジャクソンの“あの運命”をも思い起こさせる、驚きの展開だ(=^_^=) 『ダブル・チーム(1997)』のラストが好きな方も、きっと気に入ることだと思う。。(それにしても、良くトラブルなく、事前にカメラをあちこちセット出来たもんやな、、)

総じて言えば「意外と重く」「笑わされるよりも考えさせられる」作品だったような気が(私的には)したが、色んなサプライズが楽しめるので、観てソンはないかな、と思う。少なくとも「会話のネタ」にはなりますわ(=^_^=)
(ただし、スラングが余りに多いのでデート向きではないかな、と。残酷描写(映像面)よりダイレクトな性的表現(セリフ面)でのPG−12指定ではなかったんかな、と)

〜 こんなセリフもありました 〜

『スコーチャー6』より「冷蔵庫を開けたのは、誰だ?」

『ファッティーズ2』より「(屁だって)国によっちゃ“敬意の表現”だ」

『悪魔の小路』より「私は悪い子です・・神父様」 ←トビマグ君!

タグ「国に戻ったら、お手玉を教えてやるよ」
  「カウントダウンで演技を始めたくない・・“アクション”のかけ声で頼む」
  「精巧な“造り物”だが、血のりはどうせコーンシロップとジャムだ。
   (舐めて)・・ん、“血の味”の混じったコーンシロップだな・・」
  「よしカットだ! 今のシーンは予告編に使えるぜ」
  「体は縛られようとも、心は自由だ」
  「次は“拷問シーン”だな?」
  「俺が間違っていた! 早くこのクソ※を吹っ飛ばせ!」

オサイラス「隠れんぼの時間か? 見つけたぞ」
     「監督を探してるんなら・・その辺だ」 ←『ユニヴァーサル・ソルジャー(1992)』のラストみたいや。。
     「“特別な存在の女”はいるのか?」
     「頭が脱水状態で・・電解質が欲しい」
     「俳優はアスリートと同じだ」
     「こんなに星の美しい夜は、つい“人生の意義”を考えちまうな」
     「“DVDのコメント撮り”が終わるまでは作品の役になり切る主義だ」
     「『クロコダイル・ダンディー(1986)』の主人公を悪く言うな!
      彼は“祖国(=オーストラリア)の至宝”だ」
     「お前、一線を越える気か?」
     「“完璧な愚か者”を演じては、オスカー狙いは駄目だ。完璧は“禁じ手”なのだ。
      『レインマン(1988)』のダスティン・ホフマンは自閉症だが、突出した数学的才能がある。
      『フォレスト・ガンプ(1994)』の主人公はニクソンの友人だし、ピンポンの天才だ。
      『チャンス(1979)』のピーター・セラーズも幼稚なだけだ。
      『アイ・アム・サム(2001)』のショーン・ペンに訊いて見るがいい」
     「今が男になる時だ、気休めは言わねぇぞ」

ファッツ「クソが5キロも出そうなほど暑いぜ」
    「ゲロで窒息して死にたかねぇ」

ブルックリン「(飛び出した)内臓を戻さないと」
      「俺たちがジグソーパズルだとすれば、あんたは“最後の1ピース”なんだ」
      「ハリウッドは次世代ディスクを巡って2派(ブルーレイとHD DVD)
       に分かれたが、本当は技術的な差は問題じゃない。
       要は、ゲームソフト会社とポルノ産業がどちらになびくかなんだ」

コディ「撮影車両がジュディ・デンチを轢いたが、その件より深刻だ」 ←おい!
   「俺は戦場は知らないが・・指を『ドライビング・ミス・デイジー(1989)』
    の撮影中に吹き飛ばしてね」 ←爆破シーンが?
   「実を言うと、J・L・カーティスを盲目にしかけたことが」 ←こらっ!

レス「おいお前、そのマヌケ面(←監督)をぶん殴れ」
  「これからは、お前のケツの中まで監視するからな」
  「(身代金の)1億ドルなど誰が払うか。代わりにホームレスのチ※※スをくれてやる」
  「イチモツをもぎ取って、ケツに突っ込んでやろうか? ああ、君のことじゃないよ、ヘレン。
   君の場合はオッパイをもぎ取って・・」 ←言わんでええ!
  「G5(=パーソナル・ジェット機)をやろう、
   これでもう“マイルをちまちま溜める”必要はないぞ」
  「無駄に良心を膨らませ、全てをフイにする気か?」

フォーリーフ「男の価値は・・“切り取った敵の耳の数”で決まる」 ←そうなのか?
      「(寝袋じゃなく)ベッドだと、未だに悪夢を見るんでな」
      「この銃の名など知らん。だが、こいつが“人間の生命を奪う時の音”なら知ってる」

ファッツ「撮影はいつ終わる? 実はホテルにビタミン剤を忘れてね」
フォーリーフ「黙れ、ウジ虫」
デミアン「そうだ、ウジ虫」

デミアン「まずお前たちの携帯を没収する、ここに入れろ」
オサイラス「俺は持ってねぇ・・そもそも1969年に、携帯なんかあるかよ?」

タグ「俺は・・ニワトリだ!」
※「何を言ってるんだ?」

モータウン「そこのチョウ・ユンファ、動くんじゃねぇ!」

ファッツ「“ブルックリンが童貞を失う”のを見届けてから死んでやる」
※「言っとくが、ヤツは女性を知らずに死んで行く役だぜ」

リック「G5と引き替えに、15年来の友人を裏切れと?」
レス「・・そうだ」
リック「あんたに1つ訊いておきたい」
レス「何だ?」
リック「あんたの言うG5は、ジェットエンジン機のG5か?」 ←なびいてるじゃん(=^_^=)

モータウン「弾の出ねぇ銃器をいじってどうする?」
オサイラス「ガキと同じだ。不安になるとチ※※をいじるだろ?」

タグ「“世界で最も愛すべき存在”を・・殺してしまった・・!」
リック「ついに娼婦を殺したのか? よし、いいか?
    出来る限りの漂白剤と石灰をかき集めるんだ」 ←どうする気?

トラン「我々の知る、唯一の映画が『シンプル・ジャック』なのだ。
    あの主人公の演技はオスカーに値する」
タグ「それ・・VHSテープか?」

タグ「ベトコンズをやっつけようぜ!」
モータウン「それは正しくねぇ・・ベトコンに“ズ”は付かねぇぜ。
      “チャイニーズズ”なんて言うか?」

※「チ※※でクソでもほじってろ」 ←おい!
 「お前のイチモツを握り、導いてくれる娼婦を早いとこ見つけなきゃな」

〜 こんなトコロにも注目?! 〜

・常用してない人間がいきなりヘロインを嗅がされたら・・16時間程度は昏睡状態となるらしい。
・恥ずかしい垢は英語で“ディックチーズ(Dikk Cheese)”と言うらしい、、
・襲いかかって来るベトナム兵を走りながら“右手を背中に回し、腰の位置から左方向に銃撃する”オサイラス軍曹の動きがカッコ良かった!
・何度もセリフに登場する“ティーヴォ(番組録画装置)”の存在が「マクガフィン的(=サスペンスで用いられる、抽象的なアイテム・要素などを指す)」で面白い。最後までケースの中身は明かされなかったし(・ω・) 役には立ったけど、、
・“ゼリー・ビーンズ事件”以降、JB(ジャック・ブラック)の言動が数歩「引いて」しまってたような(⌒〜⌒ι)
・終盤、どんな手段で“あの助っ人”はやって来たんだろう?
・『シンプル・ジャック』『悪魔の小路』のフルヴァージョンが観たいっス(=^_^=) DVDソフトの特典に付いて来るんかな?
・M.C.ハマー、エニグマ、ベル・ビヴ・デヴォーなどの曲が使われてて良かった!
・雨の降り続くジャングルの夜。タグがiPodで観てた動画に笑わされた。ユ※チュ※ブで「映画史上最も迫力のないアクションシーン」のタイトルで紹介されてる、アレですね☆
・密林で咆哮を上げる、恐ろしい猛獣をメッタ刺しにしたら・・ここの衝撃はスゴい(=^_^=)
・歴代の「泣猿賞」受賞作に興味津々。。
・クライマックスの“爆破シーン”は『地獄の七人(1983)』に通じるかも。
・トムクルのダーティさは『マグノリア(1999)』のあの役に迫ってたかも。ダーティのみならず、解放的で、少し自己陶酔されてましたし(=^_^=) ←いつもか・・

追記1:当の本人が「駄作」と捉えている作品も、ひょっとしたら「世界の何処か」で「素晴らしい感動作」とし伝わっているかも知れない不思議・・って有り得るの?(=^_^=)
追記2:アホデミー賞は確実! かも☆

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