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2008年11月28日 (金)

☆『1408号室』☆

27日(木曜)夜。仕事を終えてから梅田方面に繰り出した。
ホントは・・18時半前に始まる“別な作品”をこそ観たかった訳だが・・少しダラダラと残業めいてしまい、結局は“ブルク7”で19時から上映開始の新作ホラー『1408号室』をチョイスしたワタシだった。

オカルト作家=マイケル・エンズリン(ジョン・キューザック)は業界で「そこそこの立ち位置」にいる売れっ子。処女小説「長い帰り道」こそは父子の濃密なドラマを描いた佳作とし一定の評価を得たが、その後は“全米の怪奇スポット”を巡り「幽霊ホテル10」「幽霊屋敷10」など、分かり易い路線のランキング本(?)を、命知らずにも次々とリリースし、作家生命を(辛うじて?)キープしているのだった。

大雨の夜、フェアフィールド郡境に近い名物(?)怪奇ホテル“ウィーピング・ビーチ・イン”の14号室(1860年のメイド縊死事件以来、幽霊が出ると噂の「屋根裏部屋」)に泊まった彼は、大した怪現象に遭遇することもなく朝を迎える。

ぐっすり眠った彼は「確かに雰囲気はあった・・ここを“6ドクロのホテル”と評価しよう」と屈託なくテープレコーダーにメモを残す。今回も彼の「完全勝利」であった。

そんなある日、ロスの海岸でサーフィン中に溺れかけたエンズリンは、その直後に立ち寄った郵便局の私書箱でまとめて受け取った“ファンからの手紙束”の中に1通の妙な封筒を発見する。
そこにはひと言「ニューヨークにある“ドルフィン・ホテル”の1408号室にだけは近付くな」と。

これをファンからの“挑戦”と受け止めた彼は、早速ニューヨーク(のレキシントン・アベニュー)へと向かう。過去に“とある出来事”があって以来、避けるようにして来た街=ニューヨーク。
彼の命知らずな提案に、ホテル支配人=オリン(サミュ・L・ジャクソン)は幾つかの恐ろしい逸話を語って聞かせる。

・部屋に入室して、これまで1時間以上持ちこたえた人間はいない
・報道していない“自然死(22人)”を含めると、創業(1912)以来(95年間で)56人が死んでいる
・スープで“溺れた”客もいた
・月に1度だけ、ドアを開放し、10分間でルームメイキングをしているが、1度メイドが閉じこめられ・・
・窓から飛び降りた客だけでも7人いた

支配人は過去の“事件”をまとめた分厚い本(ファイル?)を作家に渡し「これを読んでから、泊まるかどうか決めろ」と言う。また「1410号室も造りは殆ど変わらないから、その部屋を撮影して済ませてはどうだ?」とも。
が、エンズリンの気持ちは変わらず、ついに根負けしたオリンは、彼に“禁断のカギ”を渡すのだった・・

部屋に入室して1時間、彼はどんな体験をするのだろうか?

うーん・・ひと言で評すると・・私的には「しょっぱい」作品だった。他には「ダラダラ」「うだうだ」「繰り返し系」「引っ張り過ぎ」とかコメントしとくとしよう(・ω・)
スティーヴン・キング原作の物語は“もの凄く感動的”“もの凄く怖い”“もの凄く不愉快”“もの凄くつまらない”などに大別されると思うんだが・・ワタシなりに言わせて頂ければ「前述のうち第4グループ」に区分されるんでは、と。

序盤こそ「いきなり“音”でビビらせる」「ラジオ付きデジタル時計の表示が“60:00”に切り替わり、カウントダウンが始まる」「ドアが閉ざされ、差し込んだカギは折れ、ドアノブも外れる」「向かいの高層ビルに男の姿が」って辺りはそれなりにゾクゾクさせられたんだが、そこからの“幻覚”“幻聴”の連続がどうにも・・(×_×)

ハリウッド流のオカルト感覚(=映像表現)がそもそも“好かない”ってのがあるんだが、そこに妙な“大甘なJホラー系”の怖がらせテイストもまた見受けられた(ように思えた)のは「アカンなぁ」と。
“携帯電話”“ノートPC”などの電子機器をムリヤリ、このオカルト空間に持ち込ませたのも、設定的にやや強引さがあり、白けさせる要因だったんかな? と。

高層階から客の飛び降りる映像(の幻覚)が何度か出て来るんだが・・彼らが地面に到達する瞬間の消え方(=映像的演出)が如何にも“ホログラム調”なのは、最高にしょうもなかった(×_×)

部屋に入るまでの“雰囲気の高め方”がなかなか素晴らしかっただけに、主人公の体験が二転も三転もする「慌ただしさ」だけは正直、勘弁願いたかったモノだ。

〜 こんなセリフもありました 〜

オリン「君を救おうとして言ってるのに、何故からかう?」
   「君の命を心配してるんじゃない・・“後片付け”が迷惑なだけだ」
   「君は・・知的な皮肉屋だな」
   「あの部屋ではマグ(磁気)カードが作動しない・・だから未だにカギで施錠している」
   「誰が“幽霊が出る”と言った? あの部屋は“邪悪の部屋”なのだ」
   「もう1度だけ言う・・お願いだ、あの部屋には行くな」

※「私もお前のように生きた・・お前も私のように死ぬのだ」
 「人は死後に“何か”を期待している」
 「良くやった、上出来だ」

エンズリン「何が出るか、楽しみだ」
     「これは仕事だ、恐怖などはない」
     「怖がって」 ←サイン会での“決め台詞”
     「神も幽霊も信じないたちでね」
     「ここか? ・・普通の部屋だな」
     「ナッツが8ドル? 確かに“邪悪の部屋”だな」
     「作家が欲しいのは“ネタ”だ、ビビってたまるか」
     「良く言われたんだった・・“人からアメを貰うな”と」
     「“夢では死なない”と言うが、本当か?」

アンナ「また「長い帰り道」のような本を書ける?」
エンズリン「もうムリだ」

アンナ「「長い帰り道」は実話なの?」
エンズリン「・・いや」

エンズリン「1408号室に泊まりたいが」
予約係「・・あいにく塞がっております」
エンズリン「・・まだ日付を言っていないが?」
予約係「・・・」

追記1:サミュ・Lのおっちゃん、多忙過ぎるのか、出演シーンが思った以上に少なかった!
追記2:劇中の“ドルフィン・ホテル”は「プラザ・ホテル」に次ぐほどの高級さらしい。どんなもんなんや?
追記3:あのエアコンの修理工(と言いつつ、修理してくれないが)の存在が何だったのか、ちと気になる(・ω・)
追記4:ジョンQさんの使ってたテープレコーダーは「サンヨー製」だった! 何だかしみじみ(・ω・)
追記5:オカルトグッズ(?)の「ルミノール反応・確認灯」が欲しかったり(⌒〜⌒ι) でも、色々な場所で照らしまくったら「知らない方が良かったこと」にも沢山気付かされる気がする・・(×_×)
追記6:「1408」の数字をすべて足すと・・

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2008年11月27日 (木)

☆『Dearフランキー(2004)』☆

26日(水曜)の夜。
衛星第2で放送された『Dearフランキー』を観た。以前の「ラインナップ紹介番組」で魅力的に映ったことと、“ブレイク前夜”のジェラルド・バトラーが脇を固めているのを知ったこと、から鑑賞を決めたが・・それ故に、今夜も劇場での新作鑑賞は叶わぬものとなってしまった(・ω・) 良し悪しやね。。

イギリスの港町・グラスゴー(スコットランドの南西に位置する)。
聴覚に障害をもつ9歳半の少年=フランキー・モリソン(ジャック・マケルホーン)は、口数こそ少ないものの・・母リジー(エミリー・モーティマー)、祖母ネルと共に、それなりの明るさで生きていた。
彼ら3人には父デイビーの存在が欠けていたが、彼は船員とし世界の海を旅する“ストレンジャー”であったのだ。

父は定期的に息子に手紙を送り、息子もまた父に返事を書くのだった。
フランキーは部屋の壁に貼った世界地図に、父の乗る“アクラ(ACCRA)号”の航路をマークし、まだ見ぬ父の姿を想像するのだった。

そんなある日、転入した学校で悪友(?)リッキーに「19日(土曜)にアクラ号が入港するぞ。俺はお前の父ちゃんが(お前に)逢いになんか来ない方に賭けるぞ。もし(その日の午前に控えてる)サッカーの選考会に父ちゃんを連れて来たら、俺のカードコレクション(←サッカー選手のか?)を全部やる。でも来なかったら、お前の(収集してる)切手とナイフをよこすんだぞ」と持ちかけられてしまう。

実際には、父デイビーは船員などではなく、母リジーの思いついた“うその職業”でしかなかった。
投函した手紙を私書箱で受取り“父の言葉”で返事を綴り続けた母。だが、今度ばかりは「本当の父親・・を演じられる男」が急きょ必要となる。
焦ったリジーは友人のマリーに相談する。

そして彼女の紹介で1人の男(バトラー)が母子の前に姿を現すのだが・・

物語のエッセンスだけで語れば、さっさと話し尽くせてしまうような本作。会話劇と言うより、風景描写こそが際立っていたりもし、その“すき間だらけ”の物語世界が、却って観る者に「心地良さ」を与えてくれる。ピアノ伴奏がメインとなるスコア(音楽)も雰囲気にマッチしてて良い。

劇中で、フランキーの母=リジーは28歳と明かされるんだが・・醸し出す雰囲気が「可愛いようで、かすれてもいて」随分と印象深かった。
息子への愛・・それ故に“大きなうそ”を独り背負い込んで(不器用に)戦い続ける女性。
バトラーの醸し出す“(やんちゃだけれど)大人の男”な印象もカッコ良かったが、エミリーの“陰のある強さ、そして弱さ”もまたなかなかに忘れ難い。

劇中でさり気なく

マリー「彼のこと、どう思う?」
リジー「特に何とも思わないわ・・“契約”しただけの関係よ」

みたいなやりとりや、

リジー「聞いて・・あなたに“大事な話”があるの」
フランキー「分かってる」

みたいなやりとりが交わされるんだが、それらが後に“少し違った印象”をもって思い出され、響いて来るのも知的で微笑ましく、忘れ難かった。

もし原作に“後日談”が記されているのなら、ちょびっと読んでみたいような・・そんな“吸引力”を感じた佳作であった☆

〜 こんなセリフもありました 〜

ネル「もっとあの子に話をさせなさい、事情が事情でも」
  「まだあの子に手紙を? もうやめたかと」
  「あの子に必要なのは“うその手紙”じゃない」
  「毎朝、新聞の死亡記事欄を見る限り、デイビーはまだ死んじゃいないさ。死んでるのはむしろ“お前の方”だよ」
  「もう新聞はいいよ、大したことは載ってないから」

父の手紙“1週間前に赤道を越え、もうすぐ喜望峰だ。海の上は暑く、手すりに触れると火傷しそうだ。
     ・・そろそろ見張りの時間だ” ←こんな手紙を書ける母もスゴい!(でも筆跡は?)

フランキーの手紙“長い間にパパは変わった? 僕は背が伸びたよ”

カトリオーナ「知りたいけど、知りたくないのね・・それって複雑だわね」
      「内緒のものはクローゼットの奥にしまってあるハズだわ・・女は“秘密”が好きなのよ」

フランキー「僕は誰に似てる?」
リジー「あなた自身によ・・あなたはあなただわ」

リジー「“過去も現在も未来も知らない人”を探していたの・・あの子にとって“1日だけ”の父親役を」
   「(彼の)素性を知る必要なんかないわ・・これは私の“最後のうそ”よ」
   「まさか、船が“実在”するなんてね」

ストレンジャー「賭け事はしない主義だが・・勝つ自信はある」
       「賭けは賭けだ、遠慮はするな、(戦利品を)受け取れ」
       「お前が踊るなら、俺もママと踊る」
       「(あの子の目は)君と同じ目だ、つい引き込まれてしまう・・」
       「何を恐れてる?」

リジー「自分を何様だと? 誰がここまでしてと頼んだ?」
ストレンジャー「・・君だ」

ストレンジャー「最初に、俺の過去は知らなくていいと言ったのでは?」
リジー「・・今は違うわ」

ストレンジャー「彼は幸せだ」
リジー「何故? 母親は毎日、うそをつき続けているわ」
ストレンジャー「違う、彼を必死で守ってる」
リジー「・・毎回“最後の手紙”にすると誓うの・・でもあの子が書かないと私がしかけちゃうの・・
    あの子の“声”が聞きたくて」

ネル「ウイスキーを開けるって、何のお祝いだい?」
リジー「ただ、飲みたいの」

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2008年11月26日 (水)

☆『アイ・アム・デヴィッド(2004)』☆

25日(火曜)の夜。
衛星第2で放送されたヒューマニズム系脱走劇(←こんなジャンル分けでエエんやろか?(・ω・))『アイ・アム・デヴィッド』を観た。
全く予備知識がなく、始まってすぐ「あ、(日本語)吹替え版やんか・・」と少し萎えちゃう印象こそはあったが・・概ね、良い出来であった☆ なかなかに「掘り出し物」ですた。

第2次世界大戦後の1952年。東欧諸国では未だ言論の自由が認められず、反体制派の人々は引き裂かれ、その家族はちりぢりに各地の強制収容所へ送られて行った。
イギリス人の父を持つ12歳のデヴィッド少年(ベン・ティバー)もまた、ブルガリアのベレネ収容所で労働に明け暮れる中、とある“手引き”を得て脱走することに成功する。

彼に“指示”を与えた人物によれば
・合図があれば30秒間、鉄条網の高圧電流がカットされるので、その隙に乗り越えよ
・真夜中の内に国境を越え、ギリシアへ入国せよ
・ギリシアの南に向かい、サロニカ港からイタリア行きの船に潜り込め
・イタリアに着いたら、ひたすら北へ進みデンマークを目指せ
・託した封書をデンマーク当局へ届けよ

ってことなんだが、他にも
・誰も信じるな
・人目を避けろ、目立たぬようにしろ

などの細かいモノがあったりもし、デヴィッド少年はとにかく笑顔も見せぬままに逃げ続けるのだ。

イタリア人船員=ロベルト、親切そうなイタリア人のパン屋、心優しいジョヴァンニの一家、スイスの老女流画家=ソフィー・・彼らとの出会い&別離を繰り返しながら、少年は北を目指す・・

「全篇ヨーロッパロケしました!」って感じで、アメリカ映画らしさはかなり薄められており、好感が持てた。恐らく劇中の言語(会話)だけは「英語メイン」だったんだろうが。。
俳優陣もマイナーな顔ぶれで揃えられてたが・・唯一、デヴィッドの“恩師”を寡黙に演じたジム・カヴィーゼル(ヨハン役)の“静”の表情、そしてその“瞳”が強烈な印象を残す! 「現在の時間」に一切登場せぬキャラにして、あの存在感ってばスゴいや!

「人を信じること」の出来なかったデヴィッドが、無理をしながらも“笑顔”を身に付けて行く過程は、決してカットされることなく丁寧に綴られていた。
終盤、デヴィッドはいよいよ最大の危機(?)を迎えるんだが、そこで彼は「人を信じること」をほぼ体得出来たんだと思う。そしてそれ故、彼の前に立ちはだかったあの人物も、そんな彼の挨拶に“応えた”のだと思いたい。

“デヴィッド少年が旅をする”・・ってテイストから、何故か『A.I.(2001)』を連想してしまったワタシ。あちらも「捕まったら即座にエンド」「様々な人々との出会い&別離」って部分では共通するモノがあったかな、と(・ω・)

注意して聞けば、イタリア人の言葉が「英語」に変換され(!)響いて来たり、思いがけない人物と「偶然の再会」を果たしたり、中盤以降では何だか「身なりが(汚れず)小奇麗なままだった」って辺りがちょっとリアルじゃない気もしたが、まぁそれはそれでファンタジー的要素の範囲内(?)と捉えればOKか。

私的には「主人公のモノローグが殆どなく、客観的な心情描写に徹してたこと」「主人公が決して“盗み”をし飢えを凌ごうとしなかったこと」にだけは、妙に感心させられてしまった。

〜 こんなセリフもありました 〜

※「この世には幸福な世界もある・・きっと君にも見られる」
 「これは“君自身の旅”だ」

ヨハン「死にたい、とだけは言うな。生きていれば何かを変えられる・・しかし死ねば終わりだ」
   「どんなことをしても、絶対に生き抜け」
   「もう2度と、他人の物は盗るんじゃない!」

パン屋「“聖エリザベス様”は弱き者を救って下さる“守り神”なのだ・・特に我々パン屋をな」

デヴィッド「“聖エリザベス様”・・どうか僕を迷子にしないで」
     「僕、もうビクビクと怖がりながら生きるのはイヤだよ」
     「この世の中は悪人だらけなんだよ、マリア」
     「“聖エリザベス様”・・僕には、あなたに護って頂く資格はありません」
     「お願い、僕を引き渡さないで・・」

ソフィー「男が寡黙なのは良いことよ」
    「なろうと思えば大物にだってなれる器だって言うこと・・
     勿論、そうなるかどうかはあなたの自由よ」
    「じっと見つめれば・・絵は何かを語りかけて来るわ」
    「ここが“安全な場所だ”ってことだけは信じて」
    「この世の中の大部分は良い人たちよ・・みんな家族がいて、友達がいて・・
     幸せを求めて精いっぱい生きているの」
    「生きる事に臆病になっちゃだめよ、人の善意を信じるの・・
     でなきゃ“本当の幸せ”はいつまでも掴めないわ」

デヴィッド「僕ってこんな顔をしているの?」
ソフィー「と言うより、私の受けたあなたの印象がこうなのよ」

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2008年11月24日 (月)

☆『ブロードウェイ♪ブロードウェイ/コーラスラインにかける夢』☆

24日(月曜)。「紅葉満喫をば!」と心に決めてた3連休の最終日。
・・が、実際には半・公的な釣り活動がド真ん中に入り・・土曜夜〜日曜夜が“壊滅”してしまった(×_×)

最終日の本日も結局、疲れは残るし、天候には恵まれず・・仕方ないのでお出かけ気分で大阪市内へと繰り出し、新作映画『ブロードウェイ♪ブロードウェイ/コーラスラインにかける夢』を“なんばパークスシネマ”で観て来た☆

伝説的なミュージカル“コーラスライン(初演:1975年)”の再演(2006年)に向け、オリジナル版の出演者&スタッフを中軸に据えた製作側は「どなたでも歓迎」と門戸を開きつつ、主要キャストの大規模オーディションを実施する。
19人の採用枠に対し、応募総数は何と約3000人!

本作は、オリジナル版を企画した“伝説の振付師”マイケル・ベネット(1943〜87)の在りし日の映像&音声を交えながら、8ヵ月にも渡るオーディションの模様をインタビューや記録映像で綴った物語である。

まず反省しなきゃアカンのは「本作が映像ドキュメンタリーであること」を知らず「“コーラスライン”の何たるかを知っておかねばならないこと」をも満たしてなかったワタシ自身についてであろうか(⌒〜⌒ι)

直感的に「隠れ名作!」と信じ、シアターに突進したのは良いが・・正直言って入場率はすこぶる良くなく、周囲の観客の数人からも「予想してた作品と違ってるし」的な“集中力が途切れてまっせ”系の動き(=ソワソワ系)がチラホラ見受けられた気がした(・ω・)

どうやらオリジナル版の“コーラスライン”自体が「新作ミュージカルのために集められたダンサーたちを巡る、オーディションのハナシ」ってことで、本作そのものがまさに“コーラスラインの世界”であり「入れ子状態(=入れ子構造)」ともなっているのだ!
その辺り、オリジナルを知ってる観客からすれば、きっと感動もひとしおだったんだろうな、と。

それにしても・・本来ならオーディションが終了した時点で、映像ネタは揃っていたハズの所・・今に至っての製作&公開となったのは興味深い。

詳しい事情は分からないが、冒頭で
「オーディション等の映像を提供下さった俳優労働組合に感謝を捧げます」的なメッセージが表示されてたことや、オーディションを受けてる(記録)映像の中で、顔をボカして映ってるダンサーの映像が一部あったりもした辺りから「使用許可(承諾)」を巡る活動にこそ時間がかかったんではないか、と。
(NY公演がこの8月半ばをもって千秋楽となったので、そのタイミングに併せての公開となっただけかも知れんけど・・)

オーディションを受ける側、審査する側でそれぞれに「本音」めいた部分が語られるトコは“他人事ながらこそ”の面白さがあった(面白がってては当事者の方々に失礼なんだが・・まぁ料金分ぐらいは面白がらせて下さい)。

流れで言うと「ダンスの才能」が最初に試されるんだが、そこでパスしても、次に「歌唱力」「英語の発音」などが試され、付け焼き刃的な能力&自負で渡米した程度のダンサーではまず合格は覚束ない。
またそれらをパスしたとしても・・「(審査側の心に)ピンと来なければ落ちる」と言う、(ショービズの世界では当然だろうが)“直感的で曖昧な基準”が大きなウェイトを占めてるようにも感じた。

ただ「落とすためにオーディションを行う」と言う形ではなく、バッサリ切り捨てるには惜しい人材には「全員が終わってから、もう1度やってくれるか?」と提案する部分もあり、また合格者の中にも「容貌面ではどうよ?」と感じちゃう方(スンマセン)も少なくはなかったので“そこそこに明るく公正な決め方”はされてたんじゃないかな? と。
私的には「色仕掛け」は少なくともなかったんじゃないかと思う(おいこら!)

日本からも唯一、沖縄出身のユカと言うダンサーが完全合格を果たしていた。
小柄な方なので苦労もされたと思うが、ダンス以外に求められる「歌唱」「演技」「英語発音」・・そして「ディレクターの心を掴むために必要な“何か”」をワタシなんぞには理解出来ぬ“高い次元”で成立させていたのだろう。

名作とも佳作とも言い切れぬ荒削りな部分はあったが、全篇に「適度な緊張感」の漂う世界観はワタシに退屈さを感じさせなかった。
オーディション中にディレクター陣を唯一“泣かせた”もの凄い俳優が登場するシーンもあり、ミュージカル好きにはきっと堪えられない1作ではあろう。

〜 こんなセリフもありました 〜

【審査側】

「他は、お疲れ様」
「残りは、お疲れ様」
「楽しかったよ、有難う」
「ピンと来ない」
「良くない」
「彼はノー(駄目)だ」
「若過ぎる」
「変だな、以前と違う・・吹っ切れてない」

「見事だ、とても良かった」

「泣かされたよ、この私が・・30年ぶりの涙だよ」
「(彼に)決まりだな」

「(初演キャストと)そっくりでは意味がない・・起用にも“冒険”がなければ」
「みんな有難う、結果は彼から」 ←振られた彼も可哀想・・
「公演初日は、演技過剰で“大甘”なものだ」
「演技をしないで、ただ(セリフを)語ってくれ」
「あらゆる才能を秘めた者が必要だ」
「ソロのダンスは高速でマラソンをする程に厳しい」

「舞台に登場しただけで“ひと目惚れ”させる好感度が大事だ。
 そして役に“新味”を与えることが出来れば、なお良い」

「緊張感を受け容れて生かせ、決してそれを恐れるな・・良くここまで来た、有難う」
「もう少し楽に。頑張り過ぎだ、分かるね?」

【俳優側】

「この日のために頑張って来たのよ、私には他に何もないわ」
「とにかく・・私は(この場に)残ったわ」
「例え不合格でも、人生は続く。道は半ばだよ」
「あのセリフが言えるだけの経験は積んだわ、栄光の後の凋落がどんなものかだって分かってる」
「本気が試される場よ、弱気な人には向かないわ」
「意識し過ぎると、やり過ぎたり不足したりする」
「考えようとしても駄目なことがある」
「待ち疲れたわ・・」
「振付けは身体が覚えてる・・後は“羽ばたける”かどうかよ」
「才能ある人は大抵、このショービズ界で名声を得ている・・なら僕にだって」
「この作品が大切なのは“真実”だから」
「今回は駄目でも、いつかきっとチャンスが来るわ」

【元ダンサー】

「最も辛いのは“踊れない”ことだ」
「ダンスは私にとって“宇宙(コスモス)”だ」
「ダンスを愛したことに悔いはない」

【ベネット】

「ブロードウェイは厳しい世界だけど、身も心も捧げるよ、喜んでね」
「鏡に向かって踊り続けることで、ダンサーは自我を掘り下げてゆく」

追記:映画版『コーラスライン(1985)』ちうのもありますね。いつかは観なきゃ・・(・ω・)

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2008年11月22日 (土)

☆『アイランド(2005)』☆

13日(木曜)の夜に“木曜洋画劇場40周年記念”の一環として“地上波初放送”されたものを観た。
監督:マイケル・ベイ、主演:ユアン・マクレガー&スカーレット・ヨハンソンと言うそこそこに(?)豪華なSFアクション大作。公開当時、劇場で観ましたなぁ・・(=^_^=)

2019年と言う近未来。地球上は汚染され、生き残った人々は隔離状態で地下施設に暮し、地上に唯一残されたと言う“汚染なき楽園=アイランド”への移住に憧れていた。
彼らを管理する側は定期的に「抽選会」を実施、それに当選した者のみが、1人ずつ“アイランド”へと旅立ち、2度と戻っては来ないのだった。

大柄で快活な男=スターク・ウェザー(マイケル・クラーク・ダンカン)が当選、満面の笑顔を残し“アイランド”へ旅立ってゆく。
入所3年目となるリンカーン・6・エコー(ユアン)と4年目のジョーダン・2・デルタ(スカーレット)は親しい間柄であったが、“アイランド”移住を心待ちにするジョーダンとは違い、リンカーンは作業区画で知り合った技師=マッコード(スティーヴ・ブシェミ)と言葉を交わしたり“換気シャフトを抜け、外部から地下へ降りて来た昆虫(蛾?)”を発見したりする中で“アイランド”の存在が「果たして素晴らしいだけの場所なのか?」と疑問を抱くようになる。

そんなある日、ジョーダンが見事に当選を果たす。
喜びを隠すことなく移住の準備を始める彼女に、リンカーンは自らの不安な気持ちを伝える。
いよいよ、意を決し、換気シャフトを昇って行ったリンカーンは、上層区画(?)で“移住し、ここにはいない筈”のスターク・ウェザーと、直後に彼の辿った“運命”を目の当たりにし、衝撃を受けるのだった。

彼は嫌がるジョーダンを連れ、地上へ逃げることに。

“ホログラム・タワー”なる通路区画(?)を駆け上がり、遂に地表へと到達した2人・・彼らの目の前に広がる風景は・・

それなりに良く出来た、観客そのものをも巻き込む“壮大なミスリーディング(だまし劇)”とも言える本作。
既視感にも溢れてたが、連想したのはまずSFコミック『銃夢(ガンム)』であり、次に『ヴィレッジ(2004)』『逃亡者(1993)』『マイノリティ・リポート(2002)』『シックス・デイ(2000)』などの個性派(?)映画群であった。

中盤までの約1時間と、そこから後の約1時間で、随分と映像世界の激変する面白さは良かった。比較的「静」の雰囲気を保っていた前半(←映像群は白の印象が強かった)とは打って変わり、後半ではカーアクション&ガンファイトの集合で「動」が前面に押し出された形である(←映像も全般的にザラついてたか)。

中でも、明らかに『マトリックス・リローデッド(2003)』の演出を意識したと思しき、カーチェイス場面は凄まじかった!
トレーラーに満載された鉄車輪(?)がゴロゴロと道路上を転がり、後続車を次々にぺしゃんこにして行くんだが、近未来でも、ああ言う(いわば半原始的な?)輸送手段しかないんやろか(・ω・)
トレーラーから降りた2人が次に駆る“ブラック・アスプ”なるジェット・バイクみたいなのんがかなりヤバそうな機動性を誇っていた! 考えようによっては“(バットマンの)バット・ポッド”よりも高性能かも知れません?(⌒〜⌒ι)

助演陣がショーン・ビーン(メリック博士役)、ジャイモン・フンスー(ブラックホーク・セキュリティの主任エージェント=ローラン役)、ブシェミ、ダンカン・・とこれまた“妙に豪華”なんだが、どのキャラも押し並べて「失速気味な退場」ではあった。。

中でもローランは、描き方次第では“スピンアウト作品の主人公”も十分につとまるような魅力的なキャラにも見受けられただけに、心情の変化などが殆ど描かれなかったのは私的に残念に思えた(そう言う“小難しい演出”は、マイケル・ベイ作品では御法度なんかも知れんが(=^_^=))。

リンカーンの仲間の1人で、ジョーンズ・3・エコーと言うおっちゃん(イーサン・フィリップス)が登場するんだが、雰囲気がどうにも(漫才コンビ)B&Bの洋七(今や「佐賀の名誉県民」とも呼べる“がばい”タレントさん(=^_^=))に見えて仕方なかった・・意味もなく“紅葉まんじゅう〜!”とか連呼して欲しかった、ニホンゴで(=^_^=)

「アグネイト」「遺伝子操作規制法」「ペンタゴン」「ルート39」「ノキア携帯」「キャデラックV12“シエン”(2002年のコンセプトカーなので、劇中世界では言わば“過去のクルマ”、、)」「ピカソの絵」「コートジボワールの暴動(2004年に実際に起こった)」などのキーワードを虚実交え、あちこちにちりばめてる辺りは“知的な印象”もチラリとながら漂わせてて、良かったか☆

後半で「どっちがどっち?」みたいな展開となるんだが、もう少し「観客にニヤリとさせる演出」は欲しかったトコロ。その場で“捨てネタ”的にバラしちゃってるのは、勿体なかった。
『M:i−2(2000)』の終盤などを参考に、表現をもっと洗練して欲しかったかも、である。

〜 こんなセリフもありました 〜

メリック「何が不満だ?」
リンカーン「“アイランド”に行くのを待つだけでなく、別なことをしたい」

マッコード「何か欲しいものがあったら、眼を閉じて願うよな? それを無視するのが“神”さ」
     「何で俺が“こんな役回り”を演じなきゃならないんだ?!」
     「ハンバーガー喰う奴が、その牛に会っときたいと思うか?」
     「女にゃクレジットカードを持たせるな・・これが“不変の真理”だ」
     「いいか、他人なんか信じるな! 所詮、人間なんて“生き残るためなら何でもやる存在”なんだ」

ローラン「静かに“片付ける”つもりだったが・・仕方ない、もはや遠慮は要らん!」
    「ある意味じゃ戦争すらビジネスだ、あなたのビジネスも“殺し”ですか?」

ジョーダン「あの男の子、私に似ていた・・あの子のママ、死にかけてるんでしょ?」
リンカーン「・・知らない」
ジョーダン「・・ウソ付いてる」

トム「風を感じられるものなら、デザインの対象は何だっていい」
  「あいつら、俺のクルマを撃ってる! それもエンジンを!」
  「たった1つだけ確かなことは・・“人は生き残るためだったら何だってする”ってことだ」

ジョーダン「“あの人”の眼がウソをついてる・・あなたと同じ」

ジョーンズ「“アイランド”に行くのに、バッグを置いて行くんですか?」

メリック「私は科学における“聖杯”を発見したのだよ」
    「“彼の人生”を生きることも選べたのに、ここに戻るとはな」

バーの客「気合入ってんなお前ら・・“UFOマニア”か?」

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2008年11月21日 (金)

☆『狂った果実(1956)』☆

8日(土曜)の夜に鑑賞。前日に衛星第2で放送されたモノを録画しておいた次第(・ω・)

鎌倉界隈(由比ヶ浜、大磯、葉山など)を舞台に、1人の美しい女性を巡って確執を深めてゆき・・やがて“破滅”を迎える兄弟のひと夏の物語。

兄の瀧島夏久(石原裕次郎)は悪友らとつるみ、連日「学業そっちのけ」で酒とナンパと夜遊びにふけっていた。その弟である春次(津川雅彦)は温和で物静かな青年、そして(恐らくは)童貞であった。

彼ら兄弟の前に現れた魅力的な女性・恵梨(北原三枝)(引退後は石原まき子)は、逗子駅でまず春次を虜にしてしまう。
始めこそ、初(うぶ)な春次を誘い“デートごっこ”を繰り返す恵梨だったが・・彼女の“思いもかけぬ私生活”を掴んだ夏久は「このことは弟には黙っておいてやるから」と言う“ご無体な条件”を振りかざし、その躯をさっさと奪ってしまうのだった・・

夏久との“大人の関係”や“強靭な肉体”に溺れつつも、春次との“可愛らしい恋”“優しい抱擁”も棄て切れない恵梨。

だがある日、彼女から届いた待ち合せの手紙を(弟のいぬ間に)盗み読みした兄は、それを破り捨て、先に指定の場所に向かうや、恵梨をヨット「ルーチア(LUCIA)号」に強引に乗せ、さっさと大海原へ繰り出してしまう。

帰宅し、破り捨てられた手紙を見つけた弟は、急いで海へ。
共通の友人であるフランク平澤(岡田真澄)に“兄と恵梨の関係”を詳(つまび)らかに聞かされた春次は・・怒りに駆られるままモーターボート「太陽の季節(SUN-SEASON)号」で2人のヨットを追う!

翌朝・・決死の追跡の末、ようやく兄たちの乗るヨットを波間に発見した弟は・・

「昭和31年のモノクロ作品」ってことで、映像的に大した期待もしてなかったワタシであるが・・それ故に「色」を想像させてくれる台詞回しや表現などが、意外にもなかなか良かった。水槽の中で泳ぐ「青い魚」、横浜のナイトクラブ(?)「BLUE SKY」の煌煌としたネオンサイン、青々と(たぶん)広がる海に、白い(きっと)水着と海水帽の映えるヒロイン=恵梨の健康的で若々しい肢体・・
ワタシにもし巨万の富があるなら、ぜひ日活さんに提案し“パートカラー仕様”を“デジタル・リマスタリング版”で製作して貰いたいトコである☆

主演の石原裕次郎こそは「いつもの裕ちゃん」なんだが、彼を周辺から補佐する津川、北原、岡田の面々がいずれも(若さも手伝ってか)輝きまくっており、素晴らしかった!

まず津川さん。確かに同じ方なんだが・・この華奢でぶっきらぼうで不器用そうな青年が・・今ではこんな大物(体型的にも、、)になられたんですね・・としみじみするやら驚かされるやら(・ω・)
原作は無論のこと、脚本までも手がけた石原慎太郎(現:東京都知事)をして「春次は彼でなきゃダメなんだ!」と猛烈にプッシュさせたと言うだけあり、無言で無害そうな雰囲気の中に“狂気の炎”が確かにチラチラ見え隠れしてる感じがスゴかった!
本作、裕次郎映画ではあるも・・「主演:津川雅彦」と解釈したとしても、石※プロモ※ションの方々に決して恨まれることはあるまい、と思う(⌒~⌒ι)

そしておフランス生まれの美男子=岡田真澄(亡くなられましたね・・)の若き日のカッコ良さにもびっくり! ワタシの知ってる岡田さんは「何処がファンファン(←ジェラール・フィリップの愛称)やねんな」「あんさん、どっちか言うたらスターリン似ですやんか」って突っ込めるような・・まぁ“好紳士”な訳だが、こんなにカッコよかったとはね〜!
セリフまでもがいちいちキザですた(=^_^=)

ってことで、本筋は「普遍的かつ起伏に富みドラマに満ち溢れ」オチは「この上なく衝撃的で悲劇的」と言う「時代を超えたリメイクにも十分耐え得る」設定&人物造型に彩られた、ナイスな1作だと評価したい。

~ こんなセリフもありました ~

夏久「要するに、俺たちは退屈なんですよ」
  「現代に、俺たちに“ピンと来るもの”が1つでもあるか?」
  「正面切ってぶつかる、何が何処にあるんだよ?」
  「そこらには雑魚ばっかりだ・・大物はいないかねぇ」
  「こうなると、素人の強みですよ」
  「あんた、浮気は嫌いじゃねぇんだろ?」
  「女と魚はいつの間にかいなくなるもんさ」
  「死ぬものは・・いつでも死ぬよ」
  「何だか、気が滅入っていけねぇよ」
  「奴はもう“ただの弟”じゃねぇんだ」
  「帰しゃしねぇぞ・・もう帰さねぇぞ」
  「何もかもみんな棄てっちまえよ」
  「黙って俺について来いよ」

恵梨「広い水の中で1人っきりで泳ぐのって、ちょっと怖いけど気持ちのいいものよ」
  「バスストップで待ってて」 ←バス停とは言わなかったのね、当時、、
  「春次さんとは決して浮気なんかじゃないの・・
   私はね、いま自分が※※する前にしなければならなかったことをしてるのよ、順は逆さだけど」
  「私はね、真剣なの。そりゃ前に浮気は幾つかあったけど、今度だけは違うのよ」
  「あの人と逢ってると、私は“ずっと以前の自分”に戻れるのよ」

恵梨「あなた、妬いてるの? 弟さんに」
夏久「妬いてる? なる程、そうかも知れねぇな・・」
恵梨「どうしろとおっしゃるの? 私に」

夏久「俺と一緒について来いよ・・いちかばちか試すんだよ」
恵梨「何を試すの?」
夏久「俺も・・あんたもあいつもさ・・来いよ!」

フランク「人のこと言いたくないが、お前のやってることは、結局1人勝手な自分本位のお節介だよ。
     情けない奴だよ・・“ミイラ取りのミイラ”ってあんたのことだぜ」
    「兄弟でコップ(投げつけて)割ってやんの」
    「お前がいくら焦ったって、春ちゃんにあるものはお前には出て来やしないよ」

春次「みんな嘘だ! 大きなお世話だ・・畜生!」

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☆『エターナル・サンシャイン(2004)』☆

6日(木曜)の夜、衛星第2で放送されたものを観た。
劇場公開当時から“気にはなってた”恋愛モノではあるも・・どうも(予告編の)「弾(ハジ)けてなさげな印象」のジム・キャリーにちと物足りなさを(直感的に)感じ・・結局、観に行かなかったように記憶している。
いや、案外忙しかっただけかも知れないが・・(⌒〜⌒ι)

ヴァレンタイン・デーの迫るある日。ジョエル・バリッシュ(ジム・キャリー)はいつものように目覚めた。
いつの間にか凹んでる、クルマの左(フロント)ドアに「?」と感じつつ、出勤するジェエリー(=ジョエル)・・が、駅のホームで“衝動的に”反対方面への列車に飛び乗ってしまう・・

「こんな突飛な行動をとってしまったのは、きっと寝覚めの悪さのせいだ」などと呟きながら。

仕事をサボり、彼の向かった先はモントークの浜辺・・その海岸で、そして帰りの駅ホームで、更に同じ列車内で、見かけた女性=クレメンタイン・クルシェンスキー(ケイト・ウィンスレット)と会話を始め、彼女に急接近して行くジョエリー。

しかしある日、クレム(=クレメンタイン)の勤める「B&N書店」に行ったジョエリーは、彼女に突然「素っ気なく」あしらわれてしまう・・そして彼は、クレムが「ラクーナ社」から手紙を受け取っていたことを知る。

その会社は「依頼を受け、顧客の脳から特定の記憶を消去する」と言う奇妙な(?)サービスを行っているのだった。
同社のスタッフに食い下がり、ついに「クレムとの契約で、同社が彼女の記憶からジョエリーを消去したこと」を聞き出した彼は、自らもまた“記憶消去手術”を受ける決心をする。

かき集めた“彼女との思い出の品”をもとに、一夜の“手術”の中で、急激なスピードでもって消されゆくジョエリーの記憶。しかし“思い出”と“夢”の混濁した意識の中・・やがて“手術”そのものに抵抗を始めるジョエリーがいた・・

基本路線は「記憶&夢の中での、恋愛の再編」みたいなノリなんだが・・意外な豪華俳優も共演してたりしてびっくり!
「ラクーナ社」のスタッフとしてイライジャ・ウッド(パトリック役)、キルスティン・ダンスト(メアリー役)が立て続けに画面に現れた時は、かなり驚かされた(⌒〜⌒ι) イライジャくんは正直、それほど重要な役柄でもなかったんだが(存在感は無論あったが、、)、特にキルスティンさんの役回りが「かなり重要」なことに中盤以降、気付かされ・・ソコにも「おおっ!」と思わされてしまった。
彼女は間違いなく、本作の主人公の1人と言えるのでは! と決め打っときたい(・ω・)

製作&脚本に『マルコヴィッチの穴(1999)』のチャーリー・カウフマンがクレジットされてるだけのことはあり(?)、奇想天外な展開ながら、何処か垢抜けない、微妙な退屈さも全篇に渡り漂ってた気がした。

ジムキャリ&ケイトのカップルはそれぞれに「巧い」のは認めるんだけど、フレッシュさや初々しさまでは流石に漂わせ切れてなかったように。
ちょっと2人の“メイクラヴ”シーンは想像出来なかったし(劇中で1ヶ所のみ、それっぽい“艶描写”はあるも・・全くドキドキしなかったワタシ、、)。

改めて「自らの脳からのみ記憶を消し去っても」「相手の脳からのみ記憶を消し去っても」完全ではなく、例え「2人ともの脳からそれを消し去ったとしても」・・2人の関係を知る周囲の人間の“お節介”によっては、記憶が再燃(復活?)することもあろうし・・大体、記憶を本当に完全に根本的に消し去るかどうか自体は「自らの中で(無意識にせよ)決意して始めて実行されること」なのかも知れないな〜などとも考えたり。

忘れるべきことは、外部の手助けなんかなくとも奇麗さっぱり忘れ去るモノだし、それが忘れられない、忘れたくないことだとしたら・・外部からの手助けも含め、寄ってたかって消そうと試みようとも・・完全には消去出来ないモノなのかも知れない・・と。
(この辺は専門家やおまへんので、良ぅ分かりまへんワ(・ω・))

「忘れることのできた」幸福と「忘れられなかった」幸福、果たしてどちらが不幸なんだろうか・・? と考えてる内にアタマがクラクラしても来るのであった(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

ジョエリー「何故、関心を示されると・・僕はすぐに恋に堕ちるんだろう?」
     「“退屈な人生”だから喋る事がなくてね・・きっと『僕の日記』を読めば分かるよ」
     「この思い出は消さないでくれ!」
     「僕たちからお互いの存在を消すなんて!」

クレム「今はあなたが“いい人”であることに感謝・・次の瞬間は分からないけど」
   「今日は変だったけど・・いつもの私は違うのよ」
   「私、酔えば簡単に口説けるタイプよ・・冗談!」
   「“夜のピクニック”は格別よ」
   「この会話は“無駄話”じゃないわ・・それが恋人でしょ?」
   「“子供の寂しさ”を大人はみんな、分かっていないわ」
   「言っとくけど、私は“手のかかる女”よ。私を優先にしないと承知しないから!」
   「私に幸せを求めたりしないで。私が欲しいのは“自分だけの幸せ”なのよ」

ハワード博士「この時期(2月)だから“手術”に忙しくてね」

クレム「この記憶もじきに消えるわ、どうするの?」
ジョエリー「楽しもう!」

ジョエリー「“いい人”と思われたくてね」
クレム「“いい人”なんてまっぴらよ、私」

ジョエリー「君のもとを(黙って)飛び出したところで、この記憶は終わりだ」
クレム「せめて(その時に)お別れを言ったことにしとかない?」

※※「君は・・“私との記憶”を消したがったのだよ」

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2008年11月19日 (水)

☆『犯人に告ぐ(2007)』☆

16日(日曜)の夜。「日曜洋画劇場」で「地上波初放送」されたサスペンス映画『犯人に告ぐ』を観た。
豊川悦司主演ってことで「まぁ、悪くはないんかな?」とそこそこに期待して観始めたんだが・・意外とポンコツな完成度だったもんで、ソコにこそびっくりしてしまった(×_×)

2000年の大晦日。神奈川県警は総力を挙げ「桜川健児くん誘拐事件」の捜査に当たっていた。
犯人が児童の母に“身代金(3000万円)の受渡し場所”とし指定したポイントは“新宿・小田急百貨店前”⇒“横浜・展示場広場”と切り替わる・・
現場で陣頭指揮をとる巻島史彦管理官(豊川)はこの事件とほぼ同時に、救急搬送された妻の難産にも気を揉んでいた。

解決を焦った巻島は部下に命じ、母親に接触した若者を確保するが・・それはただのナンパ目的の男だった。
カウントダウンの混乱の中、巻島は容疑者と思しき男を見かけるも、姿を見失ってしまう・・

やがて事件は「雨中の河川敷(?)で、健児くんの遺体が発見さる」と言う最悪の結末を迎えた。

矢面に立たされた記者会見で「我々はやるべきことをやりましたが・・残念ながら、結果はついて来なかったと言うことです」と他人事のような態度でコメントする巻島。会見を切り上げ足早に立ち去ろうとした彼に報道陣が取りすがる。
巻島はついにメディアの前で叫ぶのだった「女房が死にかけてんだよ・・どけよ!」

・・そして彼は足柄署へ左遷されるのだった。

6年後。再び神奈川一円は「川崎連続児童殺害事件」に揺れていた。自らを「BADMAN(バッドマン)」と名乗る正体不明の人物は、県警やマスコミに対し挑戦的な言動を放ち続ける。

県警本部に「特別捜査官」とし呼び戻された巻島は、報道番組「ニュース・ナイト・アイズ(NEWS NiGHT eyes)」の生放送を使い「BADMAN」を挑発する作戦に臨むが・・

この手の作品の場合は「意外な犯人像」「犯人なりの(ある種、共感し得る)痛烈な社会批判」「(確執を経ての)捜査陣の団結」「主人公(=主任捜査官)の公私の描き分け」などの要素で、幾らでも“本筋”を太く補い、面白くすることが可能なハズだが・・そのいずれもが全く出来てなかった。
いや、きっと原作では「心理描写」「側面的な演出」をきっちり描いてたのだろうが、この映画版では(製作費か作品時間かの問題で?)全くの描写不足なのだ。

中でも「事件そのものより、県警内部の“腐敗”し切った実態」にこそ衝撃を受けた! 事件が断片的にしか描かれぬ半面、捜査本部内での「足の引っ張り合い」が妙に生々しく展開するのだ(×_×)
終盤ではイッキに「3つの事件」が解決をみるんだが、、「それって“結論”だけやんか!」と正直、突っ込みたい気持ちでいっぱいだった。

キャラ的には巻島の腹心の部下=津田を演じた笹野高史、そして一瞬の出演ながら、テレビのコメンテーターを好演してた大阪府警(!)の元刑事=迫田和範役の石橋蓮司のお2人が特に良かった。彼らをもっと巧く本筋に絡ませられたら良かったと思うんだが、、まず前面に押し出されてた上司=曽根(石橋凌が演じる)やライバル=植草(小澤征悦が演じる)の不愉快さにより、台無しにされてしまってた感。

あ、そう言えば・・殆どセリフもないのに、それでもなお強烈な個性を放ってたのは根岸季衣さん! ただ慟哭するだけで、画面を“Jホラー”のテイストに変えちゃう、あの存在感はどうしたものだろう!?(=^_^=) 私的には、ぜひ根岸さんヴァージョンの『黒い家』が観てみたいものだ!(特に「吸え!」「ヘタクソ!」の名シーン(?)が観たい(=^_^=)>)

〜 教訓など 〜

♦物的証拠に「指紋」を残さぬよう注意しても「掌紋(しょうもん)」ってのも残り得る。「しょうもんばっかしとると、ぼうこんがくるぞ〜」ってアレだろうか?(←全然ちがうし!)
♦要所要所で観る者の気分をザラつかせてくれる“宗教(邪教?)的なプロパガンダ”には何の意味があったんやろ?
♦日夜、張り込み続けてる意味のなかった刑事さん。。玄関だけ監視しててもあかんでしょ!
♦(後半に写真のみ登場の)アイドル“みゆりん”について、もっと知りたい(=^_^=) スピンアウト作品をきぼ〜ん(=^_^=)
♦犯人に無防備な背を向けるな! 罪人をかばうな! と“彼”に言っときたい。あと「寄せ鍋」にも(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

津田「愚痴も過ぎれば、醜いものだ」

BADMAN「ガキ共は、醜い大人のミニチュアだ」

誘拐犯「昔のことを、きれいさっぱり忘れたような顔しやがって」

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2008年11月17日 (月)

☆『忍/SHINOBI(2005)』☆

14日(金曜)の夜。この日は梅田へ出て、劇場で『私が2度愛したS』を観て来たのだが・・帰宅してから、地上波放送(←確か「初」ではなかったと記憶している。前回も録画し損なったもんで、、)されてた『忍/SHINOBI』を後半から観た。

・原作は山田風太郎の人気忍者小説。
・(当時?)最新鋭の特撮技術による映像化。
・製作にあたり「ファンド(基金)」の設けられた「商業意識の高い」作品。
・どうやら上記の「邦画初(?)の映画ファンド」は失敗に終わったらしい。

ぐらいの知識しかなかったが、後半から観てもそれなりに物語の流れを掴めた感もし、その分かり易さにこそ「う〜ん・・」と唸らされてしまった(別な意味で)。

伊賀と甲賀の忍者2大勢力が死闘を始め、そのまっただ中に放り込まれる、両里の“若頭目”である(?)恋人たち(オダギリジョー&仲間由紀恵)の悲恋の行方が描かれる・・

テレビを点けた途端に、オダギリと「気持ち悪い化粧をした変な悪役のしと」の戦っているシーンが始まっていた。う〜ん・・何か観たことあるしとやな〜、少なくとも平幹二朗ではないな〜(←変な化粧をしてるおっちゃんを観ると、すぐ平幹二朗さんかどうかが気になってしまうワタシ(=^_^=))と思ってたら・・死闘がたちまち終わってしまい、次の瞬間に

「あ、椎名桔平さんやったんや・・」と気づいた。
う〜ん・・そのメイク&キャスティングでは「妖艶」的なキャラを描くにはかなりキッツイィーもんがあったのでは? と。

続くシーンで、突然に生き返った(?)椎名さんと、現れた黒谷友香さん演じる“妖艶なくのいち”との激闘が始まったりもし、彼が“いきなし生き返った、その理由”も詳しく掴めぬままに、またもや戦いが終わってしまった、、(⌒〜⌒ι)

終盤では、忍者の“隠れ里”が徳川家康の配下に痛め付けられる展開となったが・・
♦“隠れ里”が如何にも「郊外の山間部(奥多摩とか?)の採石場にセットをこしらえました」的な造型。更に爆発も予定調和的。
♦家康の配下にしては、本陣の規模や雰囲気がどっか寂しい。

ってのが映像的に妙に気になった。何だか「製作費の残りを気にしながら、とにかく投資家各位への責任があるし、くじけず撮り続けました」ぽい印象が画面全体から漂って来るのだ・・

ラスト近くで、オダギリと仲間の悲しい決着が描かれもするが・・超人的な(素早い)動きで斬りまくる力を備えたオダギリに対し「“忍の頭領”と言う役柄でなく“1人の(フツーの)女優”としての所作(=走り方)」で向かって行く仲間さんの動きには、どうにも失望感の高まるのが止められなかった(×_×)

「2005年度・文春きいちご賞」の堂々1位に輝いた本作!(同賞がどんな賞かは、各自ウィキなどでご確認下さいね(=^_^=) 因みに“きいちご”を英訳すると“ラズベリー”となります(=^_^=))

映画そのものより、本作に“夢”を託した(個人)投資家のみなしゃんをインタビューして回る・・みたいな“スピンオフ”的ドキュメンタリー作品なんぞを、ぜひ観てみたいなぁ〜などと思ったりした(⌒〜⌒ι) ←茶化して済みません、、

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2008年11月15日 (土)

☆『彼が2度愛したS』☆

14日(金曜)。残業もそこそこに切り上げ(殆どやってないじゃん! と言う関係者の証言もあるかも知んない)、梅田に出て“ブルク7”で新作官能サスペンス(なの?)『彼が2度愛したS』を観て来た。
予告編映像に充満(?)していた、アダルツかつ官能的なかほり(←小椋佳?)に『アイズ・ワイド・シャット(1999)』なノリをも(勝手に)感じ、鑑賞を決意した次第であったが、さて・・(・ω・)

夜更けのニューヨーク。大企業のオフィスにポツリと1人残り、煌々と灯る照明の下、監査業務を黙々とこなす青年会計士=ジョナサン・マコーリー(ユアン・マクレガー)の姿があった。
恋らしい恋もなく、これまでの人生で深く付き合った女性は4人・・真面目だけが取り柄のこの男は、日々「何か」を渇望していた・・
そんな彼の前に2つの出会いが。

地下鉄(タイムズ・スクエア駅)のホームで見かけたブロンドの女性。彼女は“S”の文字をかたどったアクセサリーを身に付けていた。
「“カナル・ストリート”へはこの路線で行けるかしら?」女がそう訊ね、男がそれに答えた・・それだけの関係の筈だった。

オフィスで知り合った、スマートでやり手の青年弁護士=ワイアット・ボーズ(ヒュー・ジャックマン)。ちょいワル(死語ぎみ?)路線で遊び慣れたこの男に次第に感化されてゆくジョナサン。
ある時、2人は互いの携帯電話をうっかり取り違えてしまう。
ジョナサンの携帯を持ったまま、数週間の海外出張に発ってしまったワイアット。そんなジョナサンのもとに(ワイアット宛の)着信が。代わりに出たジョナサンの耳に“Are you free tonight?(今夜は暇?)”なる女性からのメッセージが・・

そしてそれを機に、めくるめく官能の世界がジョナサンの目の前に広がってゆくのであったが・・

物語はジョナサンが主役となる前半、ワイアットが主役となる後半に巧く分割されている。私的には無論、ジョナサンが「秘密クラブ」にのめり込んで行く前半の雰囲気が大好きだった(=^_^=)
どうやらこのクラブには、

・本名や職業は互いに明かさない。
・基本的に会話も(極力)してはならない。
・待ち合わせはホテルでのみ行う。
・暴力的なプレイは御法度。
・“Are you free tonight?”を合い言葉とし、誘った側がホテルを予約、代金を負担する。
・新参会員には、上記ルールを予(あらかじ)め教えておくこと。

などの規則があるようだ。

マギーQに似た女性(=^_^=)ティナや、“ウォール街の美女”と称される、シャーロット・ランプリングに似た熟女(んん?)などがジョナサンの前に現れる。それなりの美女ぞろいとは言うモノの・・流石に還暦をこえてらっしゃるシャーロットさんと一夜を・・と言うのは「ウッ・・」と理性の戻って来る瞬間があったりするかも、、(⌒〜⌒ι) いやでも・・アリかな☆(照)

私的には、このシャーロットさんとのシーンが「物語全体を通じ、最も緊迫した」モノだった(=^_^=) この上なくサスペンスフルでしたわ。。

物語は、中盤でいきなり現実的かつ陳腐な流れに突入してしまう・・つまり「秘密クラブ」は表面上のネタに過ぎず、その裏側には・・大企業の有する「巨額の隠し口座」を狙ったキナ臭い犯罪計画が綿密に練られてたりして・・ああ、そんな現実的な物語はどっちでも良かったのに〜(×_×)

私的に何だかなぁ・・と感じたのは以下のそれぞれだった。

♦後半、※※※※が舞台となるが、如何にも“スタッフの慰安旅行”を兼ねてるように思えた(・ω・)
♦※※※※ってあんなにずさんな国なの? 拳銃所持も、公園での発砲も、偽造パスポートも、何でもOKみたいだ。。
♦あの「水漏れ」ネタはちと“フリ”が大き過ぎたと思う。
♦中盤から2人の刑事が登場するが、妙に関わりが薄かった(×_×)
♦ミシェル・ウィリアムズ演じる“S”・・澄まし顔こそはなかなかに美人さんだが、泣き顔や困り顔がどうにもよろしくない。。ミスキャスト気味・・??
(ウィキ情報:彼女は『ブロークバック・マウンテン(2005)』で共演したヒース・レジャー(故人)と交際しており、女の子ももうけたようである!)

陳腐な犯罪ドラマに傾かず、ひたすらにミステリアスかつエロティックな世界観を貫いて欲しかった。
前半の映像群(特に夜の表現)が良かっただけに、やたらと開放的な「絵」が映し続けられる終盤などには「ちょっとな〜」と不満の噴出しまくったワタシである(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

ジョナサン「整然としているのが好きなら、会計士はつとまるさ。君はどうだ?」
ワイアット「アホ共が好きなら、弁護士はつとまるさ」

ワイアット「今まで付き合った女の数を言えるか? 普通はちゃんと覚えてるものだぜ」
ジョナサン「・・4人かな? そういう君は?」
ワイアット「覚えちゃいないさ!」
ジョナサン「さっき、覚えてるものだって・・」
ワイアット「もてないヤツに限っては、のハナシさ」

ワイアット「お前を見てると、ジェイミー・ゲッツを思い出すぜ、古い友人の。・・真面目過ぎるヤツでね」
ジョナサン「彼は今、どうしてる?」
ワイアット「・・自殺したさ」

ワイアット「残業か? それともポルノのダウンロード?」
     「昔は、成功したヤツほど、働かなかったそうだ・・いい時代だったよな」
     「闘争心を持てば、負けやしないさ」
     「見たところ“余り恵まれてない”ようだな?」
     「女にだって“欲望”はあるさ・・ひょっとして“出世女が働いてるだけ”とでも思ってるのか?」
     「たまには外に出ろ、蛍光灯の光は有害だそうだぜ」
     「入れ込むのはお前の勝手だが・・言っとくが“あの会の女”だぞ」

ウォール街の美女「シャイな男の子も大好きよ♡」←ウウッ、、
        「“手続きの経済性”と“後腐れのない親密さ”がこの会の良さね」

ジョナサン「何を注文したの?」
S「(中国語だから)さっぱり分からないわ」
ジョナサン「嫌いなものが来るかも?」
S「好きなものかもよ?」

ジョナサン「自分が孤独な存在だと、ふと強烈に感じることがある」

黒幕「“正義のヒーロー”になろうとはするな・・ケガするぞ」
  「本当のオレに“何が出来るのか”も知るまい?」
  「お前など・・元々“死んだも同然”の男だ」
  「疲れていようが・・オレの“求め”は拒めやしないぞ」
  「大金を眺めりゃ、悲しい気分も変わるさ」

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2008年11月14日 (金)

☆『ホワイト・ライズ(2004)』☆

5日(水曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。遅いレビューとなっております・・(×_×)

ニューヨークからシカゴへやって来た元写真家の青年=マシュー・サイモン(ジョシュ・ハートネット)は、とある実業家のもとで頭角を現し、彼の妹であるレベッカとは婚約も済ませた仲であった。
彼にとっては総てが順風満帆な筈だった・・かつての恋人リサ(ダイアン・クルーガー)がマシューの前に、再びその姿を現すまでは・・

恋心の再燃したマシューは、任された商談を成功に導くため、単身中国へ発つ予定だったが・・空港を密かに抜け出す。

リサの姿を求め、シカゴの街をさまようマシュー。
彼女の声、その香水の匂い、ドレイク・ホテル(←『ミッション:インポッシブル(1996)』でもキーとなった高級ホテル←「聖書」は持ち出し厳禁です(=^_^=))のルームキー、銀のコンパクト・・リサの存在が近いことを確信させる事象が、次々とマシューの周辺に現れる。

ついに彼女の住む部屋を突き止め、不法侵入して(←おい)待ち伏せるマシューであったが・・部屋に戻って来たのは、看護師のリサを名乗る、全く別人の女(ローズ・バーン)であった・・

とにかく、女難に翻弄されまくって、人生がガタガタに崩れていく主人公を演じたハートネットが・・どうにも「青年期のトミー・リー・ジョーンズ」に見えて仕方なかった(・ω・)
彼にしたら“情けないキャラ”を徹底的に演じてれば、それなりに物語は回転する訳だが・・“ミステリアスな造型”が必須条件であるヒロイン“リサ”役が、ダイアンさんではちと弱い気がしたか。。
正直に言うと、リサ2號機(?)を演じたローズちゃんの方がワタシの好みだったかも知んない・・(=^_^=)>

「物語の始まる前から、既に物語は始まっていた」って部分では、ちょっとズルい気もする本作。
キャラ群が(押し並べて)どうにも弱いんだが・・骨組み自体は決して悪くなく「同じシーンにも、実は別な角度や経緯、意味があった!」ってトコは、なかなかに知的な印象も受ける。

画面を分割する手法(ノーマン・ジュイソン監督やブライアン・デ・パルマ監督を連想させてくれる)は(ちと多用し過ぎながら)クールだし、“さっきのシーンって、何かあるな?”“ここでこんな描き方をする理由が、後で明らかとなるんやろな?”みたいな「おや?感」(←どう言う表現だよ)を幾つかちりばめてくれてるのも面白い。

にしても・・こんな小規模な(?)作品世界の中で「3人の女性」に愛されたハートネットくん、同性としてはやはり羨ましい限りだ(・ω・)
きっと、オレが彼の行動を真似たりしたら、即座にシカゴ警察のご厄介になるんやろなぁ・・(涙)

~ こんなセリフもありました ~

ルーク「なぜ1人の女に絞る?」
   「彼女の前では、ウケを狙うなよ」
   「ある決心をした瞬間、別な誘惑がやって来るもんさ」
   「ちょっと待て・・クールな男は3コール(待ってから)で(電話に)出るもんだ」

マシュー「特別な物だけじゃなく、平凡な物も美しい」

アレックス「何も知らずに相手を裁くのは自分勝手よ」
     「恋をすると・・人は正気を失い暴走するのよ」

追記1:「ドラゴン靴店」を経営するマシューの友人=ルーク(マシュー・リラード)とその彼女=アレックスが微妙に物語に絡んで来るが・・女優をしている彼女のメイクが落とされて行くシーンでは、流石に「おお!」と思わされた。なかなかの演出です。
追記2:資産家(?)のダニエル氏を巡る「とある事件」がリサの言動に関わって来るが、ちょっと分かりにくいし、描き切れてなかったかな、と。
追記3:少なくとも登場人物のうち3人が「破壊」されてしまう終盤・・それでエエんやろか、、(・ω・)
追記4:本作の教訓は・・

「その一瞬を逃せば、一生すれ違ったままとなってしまう運命もある」
「恋は人間を見事に狂わせるが、されど“相思相愛の成立”は意外に難しい」
「崩れ去った友情の残骸の上に咲く一輪の花・・それこそが恋なのかも知れない」

であろうか。
追記5:ちょいと『ルームメイト(1992)』の雰囲気が入ってたように思ったり(⌒〜⌒ι)
追記6:本作ってば『アパートメント(1996)』なるフランス映画のリメイクだそうだ。オリジナル版ではヴァンサン・カッセル+モニカ・ベルッチがタッグを組んでるらしい! 豪華!

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☆『恋人までの距離(1995)』☆

12日(水曜)の夜。
そろそろ劇場で1本、(新作でも)観とこっか? と思ったりもしたが・・今夜は衛星第2で“絶対に見逃せぬ作品”が放送される・・ってことで、結局は大人しく帰宅し、準備万端で(=^_^=)テレビの前に座し“その作品”の始まるのを待つのだった・・

監督:リチャード・リンクレイター、主演:イーサン・ホーク&ジュリー・デルピーによる恋愛映画『恋人までの距離(ディスタンス)』である。
かなり以前に、これも(確か)衛星第2で放送されてたのを何気なく(冒頭は観逃し、前半からで)観始めたんだが・・恋愛と言うものの“唐突さ”“非日常さ”“曖昧さ”“ほろ苦さ”などを、強引に描く訳でもなく、作品世界全体に漂わせてて素晴らしく・・とにかく喰い入るように眺めてしまったモノだった!

(本作とタイトルの響きのみであるが似てる)『恋人たちの予感(1989)』も(ややコメディタッチながら)好きな作品であるが・・「古今東西の恋愛映画の中から、1本をまず挙げろ!」と憲兵にすごまれ、抜き身の日本刀を首筋に突き付けられたとしたら(←どんな状況だよ)・・きっとワタシは本作のタイトルをまず叫ぶんじゃなかろうか。そうなると、恐らくは次の瞬間に「国賊ッ!」などと罵声を浴びせられつつ斬られることだろうが(←だからどんな状況だよ)

6月のヨーロッパ。広大な大陸を走る列車の中で男と女は“運命的な出会い”を果たす。

マドリードを経由しての、数週間の旅行中であったアメリカ人青年=ジェシー(ホーク)と、ブダペストを発ちパリへ戻る途中の、ソルボンヌ大学に通う女の子=セリーヌ(ジュリー)。
そばの座席でドイツ人夫婦が諍いを始めたのを機に、ジェシーの向いの座席に移動して来たセリーヌ。

「彼らは、何て言ってたの?」「ドイツ語は分からないわ」
「ところで、何の本を読んでるんだい?」「そういうあなたは何を読んでいるの?」

自然と話が弾み、すぐに意気投合した2人は、ウィーン駅のホームへ降り立ち、歴史あるこの街を散策することに。
しかし2人とも、実は翌朝には別れなければならない運命・・限られた時間の中で、2人はどう恋を深めて行くのか?
そして、その行方は・・?

以前に邦画『四季・奈津子(1980)』を観た際「自然体のセリフが積み重ねられて行く」演出に新鮮さを感じたものだが、そこで用いられた“ダイアローグ技法(脚本を詳細に作らず、撮影現場で状況に応じ主人公らのセリフを拡縮させていく手法)”を用いたような自然な映像&会話を展開させている、ユニークかつ知的な物語である。

ストーリーのほぼ全てが2人の「場所移動」「会話」をメインに構成されているため、とにかく“ウッディ・アレン作品”を観ているかのような忙しさでもあった。。約1時間45分、セリフをメモしっぱなしってヤツである(⌒〜⌒ι)

折角なので「場所」ごとにセリフを並べ立ててみたい。本作の雰囲気だけでもドウゾ(=^_^=)

【昼:列車内】
セリーヌ「年配の夫婦には、お互いの声が聞こえないものよ」

【昼:食堂車】
ジェシー「何週間も車窓を眺められて良かった。色んな考えが浮かぶんだ」
    「“陽だまりの中で眠る犬の姿”なら絵になるだろ?」
    「何て言うか、総てのことが・・死さえもが曖昧なんだ」
    「もっと早く、君に会いたかったよ・・もっと君と話したい」

セリーヌ「父は、幼かった頃の私の“気まぐれな夢”を、悉(ことごと)く“稼げる仕事”にすり替えようとしたわ」
    「死ぬ前の数秒が堪らなく怖いわ・・確実に“自分の死ぬこと”が分かるんですもの」

【昼:路面電車】
ジェシー「愛は複雑なテーマだよ」

セリーヌ「何もかもに、我慢ならないの」

【昼:公園墓地】
セリーヌ「“知られざる死”に憧れてるの、私」

【夕:遊園地・大観覧車】
セリーヌ「私にキスしたいの?」
    「総てに反抗するのは、人の健全なプロセスよ」
    「運命に任せて生きるなんて、哀れだわ」

ジェシー「この世に僕の居場所はなかったのさ・・でも、誇りを持って生きてるよ」
    「人は何事にもロマンティックな幻想を抱くものさ・・そして現実を避ける」

セリーヌ「何が敵なのか、分からないの」
ジェシー「そもそも・・敵なんているのかな?」

【夜:街角・修道士】
ジェシー「僕の秘密を聞きたい?」

【夜:街角】
手相見「“ぎこちない人生”に身を任せなさい」
   「大丈夫、彼は学んでるわ」
   「あなた方は星よ、忘れないで」

【夜:街角〜教会】
セリーヌ「人間は、移ろい易いわ」
    「宗教は否定するけど、教会に来る人の気持ちは分かるわ」
    「自分が“死を待つ老婆”に思えるの」

ジェシー「大人になる方法が分からないんだ、今も“13歳の少年”の気分だよ」
    「クエーカー教では、ただ見つめ合うだけで人は結ばれるそうだ」

【夜:川べり】
セリーヌ「あなたの知り合いがいないから、(あなたの)悪い話が聞けないわ」
    「ずっと一緒にいたら、私のどこに最初に腹を立てるかしら?」
    「さっきのがケンカなら・・ケンカって楽しいものね」

ホームレス詩人「僕に言葉をくれ、そして僕の詩で“人生が少しでも輝いた”なら・・金をくれ」

ジェシー「突然に“勝ちたい”と言う欲望が湧いて来るものさ、誰にでも」
    「前から作っておいた詩に、言葉を付け足しただけなのかも?」
    「技術の進歩で時間が短縮されたって、余計に忙しくなるだけさ・・
     ワープロを使って浮いた時間で“禅”を習おうとする奴なんかいないだろ?」

【夜:バー】
セリーヌ「なぜ好きでもない人がまとわりつくのかしらね?」
    「セックスの正当化だなんて・・いかにも男性の主張だわね」

ジェシー「愛は利己的なものさ、そして“逃げ道”でもある」
    「相手には“せいせいした”と思われてる、それが最悪の別れ方だよ・・こっちは悔やんでるってのに」

ジェシー「女は平気で男を殺してしまうもんさ」
セリーヌ「男が女を滅ぼすんじゃないの?」

【夜:街角の踊り】
ジェシー「面白いものには金がかかるんだな」
    「僕は心から人を愛せる、ただ・・何か“功績”を遺して死にたいんだ」

セリーヌ「今、生きてるのに・・それでも文句があるの?」
    「愛し愛されることはとても大事だわ」
    「神がいるとすれば、それは人の心の中じゃない・・人と人との“わずかなすき間”によ」

【夜:レストラン】
セリーヌ「(別れた)彼に“恐い女”だと思われたくはない・・私が傷つけるのは“自分だけ”よ」
    「女の行動は男にとっては謎・・でしょう?」

【夜:船上】
ジェシー「総てには終わりがある」
セリーヌ「だから・・今夜が大事なのよ」

セリーヌ「考えようによっては・・“今夜だけ”と言うのも悪くないわ」

ジェシー「なぜ人は永遠の関係を求めるんだろう?」
    「先の約束はせず、今夜を楽しもう」

セリーヌ「私たちに残されているのは“明日のさよなら”だけ?」
ジェシー「今、それを言えば・・きっと楽になるだろうさ」

【夜:公園・芝生】
セリーヌ「あなたといると幸せ・・今夜が私の人生にとってどれだけ貴重なのか、
     あなたには分からないでしょうね?」
    「私たち“寝ない”方がいいと思う・・2度と会えないと思うと、辛くなるわ」
    「素晴らしいこの夜を“旅の自慢話”にはして欲しくない」
    「駅で列車を降りた時、あなたと“寝る”と決めていたの・・でも今は分からない」
    「複雑な関係ね、私たち」

ジェシー「自分と言う存在が死ぬ程に疎ましくなる時があるんだ」
    「“偽インテリ”を演じるのはもううんざりさ」

【朝:街角・ハープシコードの家】
ジェシー「君を眼に焼き付ける・・忘れぬように」

【朝:広場】
セリーヌ「本当の愛は、時が経っても色褪せたりはしないものよ」

追記1:冒頭、橋の上で誘われた「ウィルミントンの牛の角」なる素人舞台・・それはそれで観てみたかったかも。別な展開に結び付いたかも知れない、と思うと・・(・ω・)
追記2:一瞬「ひねくれた本性」を覗かせたジェシー。一瞬「精神的な危うさ」を告白したセリーヌ。これらは2度目の鑑賞でこそハッキリと掴めた印象である。
追記3:ウィーン駅のホームで固く抱き合う2人。ギューッと音のする(?)ジェシーの皮ジャケットが良い効果をあげている。
追記4:お互いに照れくさかったのか(?) 別れの言葉にヒトクセあったか。「オーボア」とセリーヌ。「レイター」とジェシー。
追記5:ラストで「2人を欠いた風景の数々」の丁寧に映し出される演出が素晴らしかった!
追記6:街角に貼られてた展覧会のポスターは「スーラ(SEURAT)」の作品だったみたい。

※鑑賞直後、早速にDVDに焼き直し“保存版”をこしらえるワタシであった(=^_^=)>

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2008年11月13日 (木)

☆『マディソン郡の橋(1995)』☆

11日(火曜)の夜。
溜まってる新聞を切ったり、片付けたりする・・訳でもなく、ついダラダラッと夜長を過ごしてしまってたが・・ふと思いつき、衛星第2で放送されてた『マディソン郡の橋』の終盤(残すトコロ40分ぐらいだったか)を観た。

既に(これまで)2度ほど鑑賞し、どうにも“サンフランシスコ市警時代”のクリント・イーストウッド(=ハリー・キャラハン)の印象の強過ぎるワタシとしては「本作では、ちと大人し過ぎるよなぁ・・」と感じたのが従来の印象だったが、
今回は必ずしもそうでなく「良い感じに弱々しく“よそ者”を演じたはるなぁ」としみじみ感じた。
(きっとワタシも年を取ったのだろう、認めたくはないが・・)

まるで『許されざる者(1992)』の中盤、馬に颯爽と乗れず、何度も地面に振り落とされる(?)無様な主人公(クリント演じる老ガンマン)の姿を静かに眺めるかのように、本作のロバート・キンケイド(クリント演じる写真家)の言動を辿っていたその夜のワタシであった。

にしてもクリントさん・・これまでの俳優人生(=主人公時代)では「徹底的に自らの立ち位置を“ど真ん中”に据え、強き人物を演じて来はった」ように感じるんだが、その後は「数歩下がり、心なき人々に色々と辛酸を舐めさせられつつ、表舞台からトボトボとひとり去って行くスタイル」の描写が堂に入ってるよなぁ・・と感心してしまう。

本作でも「ワシントンから来た“よそ者”のカメラマン」に扮し、マディソン郡のその田舎町で“たった1人の運命の女性”を除いては・・1人の友人も得られず、寂しく雨の中を去って行く・・ってキャラを静かに演じ切った。
ノリ(?)としては、後年の監督&主演作『ミリオンダラー・ベイビー(2004)』で好演した老トレーナーの印象にも重なったりする(・ω・)

物語の見所としては・・やはり“溢れる涙と、ほんのちょっぴりの苦笑”を、観る者に約束してくれる(?)終盤の“雨に打たれて、わかめヘアー”であろうか、、まぁ、あそこまできっちりと「生真面目に情けないキャラを演じてくれる」からこそ、御大クリントなのだと思う、、(師匠、尊敬してます!)

劇中では、どうにも“枯れかかった田舎のおばちゃん”に見えて仕方のなかったメリル・ストリープ(ヒロイン=フランチェスカ役)であるが、実は前年に『激流(1994)』でしっかりアクションヒロインを演じており、その“化けぶり”はなかなか。
近年では『プラダを着た悪魔(2006)』でも、その悪魔っぷり(?)が見事であったが、確かに「ロバート・デ・ニーロと双璧をなす超技巧的演技派」と呼ばれるのも頷ける!

本作も『ミリオンダラー〜』同様、登場する某家族が「観てて、鬱陶しくて仕方なかった」訳であるが・・まだこちらの場合、最後に態度を少しは軟化させてくれたようで(?)ホッとした。

まぁ「不愉快な家族を描かせたら、ハリウッド随一!」と言う称賛(?)も、御大クリントならば、欲しいままにして良いのではないだろうか(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ロバート「こんな確信は、生涯に一度きりだ」

フランチェスカ「離れると、きっとすぐに消えるであろう関係もあれば、
        離れても生涯消えない関係がある」
       「言葉では言い表せないもの、今では曖昧となった記憶、
        ・・それらを作品で照らし出せるのが芸術家の力」
       「幸せになるために、手を尽くしなさい」

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2008年11月12日 (水)

☆『ティファニーで朝食を(1961)』☆

10日(月曜)の夜、衛星第2で放送されたものを、新聞を切りながらダラッと観た(・ω・)

ニューヨークを舞台に、自由奔放に生きつつ、やがて最後には“真実の愛”に目覚める女性=ホリー・ゴライトリー(オードリー・ヘップバーン)の姿を描いた作品。

ブレイク・エドワーズ監督が手がけたので、もっとコメディータッチな映画なんかな? と思いきや、意外と笑えなかったり、間延びした印象を受けたりもする。

本作の最大の見所は、ホリーの住むアパートの階上に居座る、怪し気な日本人(日系人?)ゲージツ家=ミスター・ユニオシ(YUNIOSHI)にこそある! と決め打ち(=^_^=)
ミッキー・ルーニーが嬉々として(?)演じてるんだが・・単に滑稽と笑うより、我々ネイティヴな(=^_^=)日本人としては、とにかく“違和感”を感じまくる訳だ。

エドワーズ監督と言えば、ピーター・セラーズ主演(?)による『ピンクの豹(1963)』以降の、いわゆる“ピンク・パンサー”シリーズが有名であるが・・考えたらあちゃらでも「加藤(ケイトー)」なる怪し気な日本人(日系人?)が動き回っており、我々はゲラゲラ笑うだけでなく、ひょっとしたらエドワーズ監督に対し、もっと怒りを露にすべきだったのかも知れない(←もう今さらエエけど・・)

オープニングから、タイトルそのまんまに「ティファニー前で朝食を食べる」ホリーの姿(←決してお行儀は良くない)を拝むことは出来る☆
何となく“このシーンだけで、全体を観るまでもなく「作品世界の表現」が事足りてる”気もしないでもないワタシ(⌒〜⌒ι)

そう言えば、ホリーとその彼氏ポール・バージャック(ジョージ・ペパード)が窓辺でヘンリー・マンシーニによる名曲“ムーン・リヴァー”をバックに佇む、みたいなシーンが中盤にあるんだが、そこのシチュエーションが後年のラブコメ作品『ニューヨークの恋人(2001)』に妙に酷似しており、記憶がこんがらがってしまった・・(×_×)

ラストでは、ホリーのとった「とある行動」に、ついに静かな怒りを爆発させたポールが、突然タクシーを降りて歩み去ってしまうのだが・・私的には、あのシーンでこそ「タクシー運転手の気の利いたひと言」をホリーに浴びせて欲しかったものだ、と。
ああ言うシーンでの、ああ言う役回りは、もっともっと突飛な使い方をしても良いと思うがなぁ(・ω・)

それにしても本作、、当時既に大女優だった(筈の)オードリーが「ショップで万引き」したり「大雨で濡れネズミ」となったりするのは、確かになかなか突飛で面白い試みだったかも知れない。

も少し彼女の「キュートな魅力」が欲しかったトコでもあるが、何にせよ“オードリー・ヘップバーンの代表作の1つ”には違いなかろう。

〜 こんなセリフもありました 〜

ホリー「お互いに貧乏で良かったわ」
   「ここ“ティファニー”は、災いとは無縁の世界ね」
   「40歳前にダイヤを付けるなんて悪趣味よ・・それまで待つとするわ」
   「誰を(夫に)選んだって構わないのなら・・ネールかシュバイツァー、或いはバーンスタインね」
   「私は束縛されない・・決して誰のものでもないわ」

ポール「現実の人間は、互いに求め合い、愛し合うものだ・・幸せを掴むためにね」

ティファニーの店員「時が流れても変わらぬ物には、温かな気持ちを覚えます」 ←このしと、かなり美味しいポジションです(=^_^=)

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2008年11月11日 (火)

☆ゲージツの秋・怒拳2連弾!!(←やや意味不明・・)☆

芸術の秋も折角深まって来たし・・と言うことで、先週末は映画館に行ったりはせず、
ドライヴがてら、ワタシなりの芸術鑑賞を楽しんで来た☆

8日(土曜):少し前からその存在がチラチラと気になってた『MIHOミュージアム』にようやく足を運んだ。
以前だと、わが街(枚方)から行くにせよ・・国道307号線をひたすら信楽方面に走らないとあかん訳だったが・・新名神高速道路が近くの「信楽インター」まで通じたことで、随分とアクセスが良くなった☆

私的に、初めての新名神走行体験となったが、適度に混雑もしており、寂しくなくて良い(=^_^=)

さて、この『MIHOミュージアム』であるが・・建築物としての内外の完成度、展示作品の数々、入場料の安さ(ワタシはそう思う)、など・・思いつくどれをとっても素晴らしい! のひと言しかないのであるが、、この施設を運営する母体的な組織がらみで「万人におススメしまくりたい!」と思う気持ちが、ややなえてしまうのが残念ではある。。

詳しくは書かないが、
・館名の『MIHO』に冠されている「美秀子氏(故人)」のこと
・同館に向かう道すがら見かける、とある広大な施設
・日本国憲法・第20条(←わ、直接的や!)
などから・・推して知って頂ければ良いかな、と。

設立趣旨や、背景にあるモノがどうなのか、などは言える立場にないが、とにかく美術館としての完成度は凄まじかった!
先入観を抜きにして(←抜きに出来るタイプの方であるなら)、訪問の価値はあると思う。
(私設美術館としては、まさに“わが国最高峰”と言えるのではなかろうか?)

今回は目玉でもある、『2008年・秋季特別展(良寛生誕250年)〜大和し美(うるは)し〜川端康成と安田靫彦(ゆきひこ)』がやはり素晴らしかった。

共に貪欲な美術品の蒐集家でもあった川端(小説家、1899-1972)と安田(日本画家、1884-1978)に関する、コレクションを中心に集めまくり、何気なく並べているそれら品々の凄まじさに圧倒される!

今年の初めごろにも、京都文化博物館へ『川端康成と東山魁夷』展を見に行き、感動しまくったモノであるが・・作品としての小説を読む以上に、こういった展示で目にする文豪・川端の記した言葉の数々にメロメロにされてしまい困ってしまう。

今回も何気なく、展示を見て回っていたが・・途中でついに我慢が出来なくなり、スタート地点まで小走りで戻り(=^_^=)、彼が展示物の脇に寄せた解説(コメント)の幾つかを熱心にメモしてる自身がいた(⌒〜⌒ι)

以下に少しばかり、紹介させて頂きたい。

「私は古いものを見るたびに人間が過去へ失つて来た多くのもの、
 現在は失はれている多くのものを知るのであります。」
「旅に出ないかぎり、東山(魁夷)さんの絵を見ぬ日はない。」
「私はクレエ風の絵を最も愛好してゐる。」
「日本の美の伝統のために生きやうと考えた。」
「芸術品の数百年、数千年の生命も、今私のそばにあつて今である。」
「知識も理屈もなく、私はただ見てゐる。」
「何千年を貫いて生きている美を今使ってゐるのは、
 私の短い生も古今を貫いているやうなものかもしれない。」
「いいものに出会ふと自分の命を拾つた思ひがある。」

安田が語った言葉の中では、
「一枚の葉を描くことができれば、全宇宙を手に入れることができます。」

と言うのがとりわけ印象的だった。

そんな訳で、改めて川端の小説群、中でも『山の音』『古都(の特に冒頭!)』『伊豆の踊子』などを読み返したくなってしまったワタシであった。

川端のコレクションの中でも、特に異彩を放ってたのが『十便図/十宜図』である(共に国宝!)。
彼のコレクター人生でも、恐らく“最大の冒険”だったと思われ、この20帖を余さず集めるために、彼は“私財のほぼ総て”を投げ打ち、自身の妻にも貧困を強いた、と言うから凄まじい!

併せ、土門拳(写真家、1909-1990)が川端邸に招かれた折、この20帖を直(じか)にめくり楽しむ僥倖(ぎょうこう)に恵まれたそうだが・・傍に飾ってあった“川端の手による水彩画”に「仲々ですね」などとお世辞を言ったばかりに、川端がこれに気を良くし「何ならお持ちになって良いですよ」と応え、そのやり取りに恐縮したり、何て酷い絵だと本心では思ったりしたがために・・その後、この日のことで思い出すのは『十便図/十宜図』ではなく、川端の描いた水彩画の方だ・・と語った逸話が紹介されており、これもまたワタシの心に残った次第(・ω・)


10日(月曜):仕事を終えたワタシは、残業がため職場にダラダラと残るをよしとせず、素早く退社して地下鉄で天王寺駅へと急いだ。
これは近鉄百貨店・阿倍野店の上層階(9階アート館)で短期開催されていた『2008年・名士名流作品展』をのぞくためであった。
入場料が無料だったから・・と言うのはもちろん大きな理由ではなく(=^_^=)、各界の名だたる名士の手による書画・工芸品が一堂に展示され、その一部は即売される! と言うことにワクワクして向かった訳だ。
自身の中では「頭金のみ払い、残りはカード決済とす(←みみっちぃ)」「作品を買い求めるにせよ、上限は3諭吉までとす(←みみっちぃ)」などのルールをきっちりと決め、会場に足を踏み入れた・・

ら・・“ワタシの物欲を刺激しまくるモチーフ”の1つでもある(他に「裸婦画」も好き(=^_^=))「木造塔」を描いた作品が4点ほどあり、ずっこけそうになってしまった。。
結果とし、場内を3周ほどぐるぐる考えながら歩き回り、そのうちの1枚を即決で購入したのだった☆
(因みに、即売可コーナーの4作に描かれてた「寳塔」はそれぞれ『醍醐寺』『当麻寺』『薬師寺』『興福寺』であり、ワタシは『興福寺の塔&猿沢池』の描かれたモノを買った)

なお、この作品は冨川順生画伯の描かれたF4サイズのパステル画である。

大きさも、その価格も満足のゆくものだったので、嬉々として支払いを済ませたはイイが・・これが持ち帰るには少々「大き過ぎ&重過ぎ」で大変だった(×_×)
いや、作品そのものはさして大きくも重くもないんだが・・特装額がとにかくごっつくて重いのだ。。
帰りはJR線⇒K阪電車・・と乗り継いで帰宅したんだが、どちらの車内でも“かなり迷惑な荷物”に見られてしまったことだろうと思う。

そうやって、無事に持ち帰ったこの作品ではあるが、、すんなり立てかけて飾れるスペースが自室にある訳でなく、、「週末にも壁に釘を打ち込まなきゃな」と、いまだ箱から取り出されることもなく、静かに眠り続けている次第である。。

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2008年11月10日 (月)

☆『スーパーマン/リターンズ(2006)』☆

9日(日曜)の夜。“日曜洋画劇場で地上波初放送”された『スーパーマン/リターンズ』を観た。少し前にもDVDソフト版でしっかり鑑賞したんでスけど・・(⌒〜⌒ι)
「テレビ朝日開局50周年記念」と銘打ってドド〜ン!と放送されたようだが・・何やら細かい部分でカットされたシーンも多く、それらを知ってるだけに観ててゲンナリしてしまった(×_×)

が、流石は“お茶の間対応”ってことで(?)「ロケーション表示(テロップ)」や「分かり易く意訳された吹替え(?)」などを駆使してくれてたようで、それらの点に関しては評価したげたい!

・冒頭。田舎のシーンで「スモールヴィル・ケント家」のテロップが出、フルネームで“マーサ・ケント”とキャラ名も表示。
・“デイリー・プラネット”編集長のキャラ名を“ペリー・ホワイト”とフルネーム表示。
・スーパーマンの父=ジョー・エルの登場シーンで“マーロン・ブランド”と俳優名を表示。←若いしとには彼が故人だと言うことが伝わらなかったかも??(⌒〜⌒ι)

劇中で宿敵=レックス・ルーサー(ケヴィン・スペイシー)が「2つの物体は、1つの場所には存在出来ない」なる名言(?)を放つんだが、コレはその通りで、今回ワタシは本作を観てて「同時多発的な緊急事態には、あんなダラダラした姿勢では対応出来んやろ?」とふと気付いてしまった。
ロイス・レイン(ケイト・ボスワース)と夜空でまったりデートしてる間にも、世界の何処かでは(ま、そこまで言わずとも、広大なメトロポリスの何処かでは)凶悪犯罪/市民の生命の危機が絶えることなく勃発してると思う(⌒〜⌒ι)

あと、序盤のセリフの中で・・メトロポリス中を騒がせてる(?)“誕生日パーティー殺人事件”なる記事について触れられるんだが、アレが果たしてどんな事件だったのか・・本編以上に気になってしまった(=^_^=) 迷宮入りとなるんやろか?

〜 こんなセリフもありました 〜

ルーサー「俺は神になりたいんじゃなく、人間に“火”を与えたいだけだ・・ただしマージンは頂くがな」
    「女のウソは男には通用しないもんさ」 ←逆もまた然り(=^_^=)
    「頭脳は、筋肉に勝る」

キティ「犬、2匹いなかった?」 ←このひと言は終盤にも関わってるんやろか?

ロイス「こんなに温かかったかしら・・」

父「お前を独りにはしない・・息子は父の中に、父は息子の中にいる」

ロイス「また、逢えるかしら?」
スーパーマン「いつも君のそばにいるよ・・お休みロイス」

追記1:高速飛行は出来るが、瞬間移動は全く出来ないスーパーマン。
追記2:スーパーマンの血は赤かった!
追記3:ルーサー、戯れに小指を口にくわえ、ポーズを決めて欲しかった(=^_^=) ←ドクター・イーブルかよ!

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2008年11月 7日 (金)

☆『ビッグ・フィッシュ(2003)』☆

4日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。
今週のBS2は“エキセントリックな恋愛ムービー特集”とでも題せば良いのだろうかな?

公開当時、劇場で観た本作だったが、断片的にしか覚えてなかった。。きっと当時は「もっとハチャメチャなティム・バートン(監督)作品」を期待していたことだろう・・(・ω・)

死期の迫った、病床の老いし父=エドワード・ブルーム(アルバート・フィニー)。彼に少年時代から「虚実ない交ぜなエピソードに彩られた半生」を聞かされ続け育った息子=ウィル・ブルームは、3年ぶりに身重の妻ジョセフィーンを連れ、父のいる病院を見舞う。
父の語り続ける“大いなるホラ話(=ビッグ・フィッシュ)”に対し、今や素直に耳を傾けられなくなったウィル。
そんな2人に、父エドワードはいつものように“奇想天外なエピソード”を語り始める。

そしてウィルは、父との別離の前に、彼の語る“物語”の中に隠された“真実”を見つけようとする・・

老エドワードがくすんだ色彩の世界(=現実)の中で、静かに“それ”を待っているのとは対照的に、青年期のエドワード(ユアン・マクレガー)がとにかく元気に語り、動き回ってくれる。
周囲のキャラ陣に比べ、余りにも(アルバートとユアンでは)ヴィジュアル的なギャップが大き過ぎる(=^_^=)気もするんだが・・(←コレが今回の鑑賞で、最も気になった点だ)「現在(現実)/過去(幻想)」の2つの世界を交互に描いたり、父と息子の確執から和解へと至るドラマを展開させるやり方は、バートンとしてはかなり珍しい感がある。

ややもすれば「饒舌過ぎてウソくさい」物語世界ではあるも、そこを巧く補完(?)してくれたのが、豪華な助演俳優陣である。
さっぱり覚えてなくて失礼なんだが(⌒〜⌒ι) (裸足の町スペクターで出会う)詩人ノーザ・ウィンズローを演じたスティーヴ・ブシェーミとサーカス団のキャロウェイ団長を演じたダニー・デビートの2人の登場には、結構驚かされた(=^_^=)
ユアンを含めた「この3人」によって、本作はとりあえず吸引力を飛躍的に高めたんではないかな、と勝手に決め打ってしまいたい。

父と子のドラマが描かれる一方で、エドワードの体験する「恋物語」もまた、丁寧に綴られる。
運命の女性=サンドラ・テンプルトンを追いかけ、彼女の住む(オーバーンの町の)屋敷の周囲に恐ろしいまでの量の“プレゼント”を運ぶ(?)やり口には「これは・・ちょっとホラ話、入ってるやろ」と突っ込んでしまう、すっかりおっさん化してしまったワタシ・・(×_×)
劇場で観た時には、感動すらしてた筈なのにねぇ・・

エドワードの波乱の人生の中でも、特筆すべきは“朝鮮出兵”“銀行強盗”の各シーンではなかろうか?
ただ・・コレはあまりやり過ぎると“致命傷”とはなっちまうんだが・・も少し「悪ノリ」があっても良かったかな〜と。
『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』『ユージュアル・サスペクツ(1995)』などを参考に「実在する大人物との交流(←むろんCG合成)」「ウソと真実のちりばめ方&収束のさせ方」などをもうひと工夫してくれたら、更に素晴らしく印象的に仕上がっていたのでは・・と思ったものだ。

〜 こんなセリフもありました 〜

ウィル“釣ることのできない魚がいる・・不思議な力の働く「大物」だ。
    そいつは高級なルアーにだって、決して喰い付きやしない”
   “父とは互いを良く知る他人同士だ。彼を語るとき、僕は真実とウソを区別出来ない”
   「ロマンスを持ち出されちゃ、フランス人には叶わないな」
   「彼は家庭での退屈を“作り話”で紛らせたんだ」
   “男は物語となり、やがては永遠の存在となる”

エドワード“僕の少年時代には、どの町にも魔女がいた”
     「心配するな、わしの見た“死に方”はこうじゃない・・実に驚きの結末だよ」
     「君が大きいんじゃなく、この町が小さいのかも。こんな町でくすぶってないで、大都会に行かないか?」
     「この町を出た人から便りがないのは、彼が元気だって証拠だろ?」
     “この町で落ち着くには、僕はまだ若過ぎる”
     “死の淵で思い出した・・「こんな死に方じゃない」と”
     「コンゴのオウムは流暢なフランス語で色んな話をするそうだ、宗教のことを除いてはな。
      ・・と言うのも、宗教の話題は誰の感情を損ねるか、分からんからだ」
     「倅(せがれ)の話は事実だけで面白味がない」
     「若い頃は、現れる全てのことに、果敢に飛び込んだものさ」
     「運命の人に会うと時が止まる・・これは本当だ。
      そして・・止まった時が戻ると、それは追いつくために“早回し”となる」
     「悪者と言われる存在は・・実は孤独で、社会に適応出来ていないだけだ」
     「男には、戦うべき時と潔く負けを認めるべき時がある」
     「事実をそのまま話すのは、正しいが面白味には欠ける」
     「訊かれたら、答えたくなるだろ?」
     「わしは生まれた時からありのままだ・・それが分からんのはお前の落ち度だろ?」

魔女「人に釣られぬ魚が、川で一番の“大物”になる」 ←“釣られる”の意味を考えるに・・深い!

日曜学校の教え「困難が大きい程、得る物も大きい」

町長「人生、遠回りの方が実は近いもんさ」

団長「普通“未来の妻”だったら、見失う前に求婚するもんだがな」
  「お前など、小さな池の大きな魚に過ぎん」

サンドラ「涙は、干上がらないみたい」

ジェニファー「知らない方がいいこともあると思うわ」
      「彼自身は決して裕福ではなかったけど・・彼が裕福にした人々は確かにいた」
      「彼は私にとっては“おとぎ話”だった。
       きっと・・私のいる世界はにせもので、あなたのいる世界が本物なのよ」

ベネット医師「本当の話は面白くないだろ? 私なら“おとぎ話”の方を選ぶね」

サンドラ「私のことを、何も知らないのに」
エドワード「これから知ればいいさ」

追記:“本作限定”で物語やエピソードを分析し、紹介するような番組がもし制作されたら・・やっぱり、その番組名は『ビッグ・フィッシング』と名付けられるんだろうかな(=^_^=)

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2008年11月 6日 (木)

☆『スーパーマン/リターンズ(2006)』☆

2日(日曜)の夜。
“購入したは良いが、開封すらしてなかったDVD版ソフト”を引っ張りだし、いきなしイッキに鑑賞☆

「何故に今か?」と言うと・・今週末の9日(日曜)にも“日曜洋画劇場”で“地上波初放送”されることが明らかとなったからである(・ω・) 観ないままTV放送されちゃイヤ~ンな気もし、そそくさと観ちまうことにしますた。←セコっ!

『スーパーマン2/冒険篇(1981)』の実質的な続編としての位置付けである(らしい)本作。
スタッフ&キャストは当然ながら“一新”されちゃってる訳だが「スーパーマンを映像化するにあたっての生命線」でもある主人公キャラに、ブランドン・ラウスなる“ハリウッドの新星(←なのかどうか、一般的な評価は不明だけど)”を抜擢し、大きく成功を見せたように、私的には感じた☆

思えば・・物心ついた(?)頃、家人に連れられ劇場で観た『スーパーマン2』では、とにかく主役を演じたクリストファー・リーヴ(故人)の逞しさ&凛々しさ&上品さに、どうにも憧れてしまったものだ。

歴代の“スーパーマン俳優”ってば、何故だか「不幸な人生を送る」ことが運命付けられてる・・ようにも(勝手ながら)思ってしまうんだが、、本作のブランドンくん、その後目立った活動をしてないようにも見受けられるが(恐らく、本シリーズの2〜3作目の製作が終わる迄は、むやみやたらと他作に出演せぬよう、契約で縛られてるんじゃなかろうか? などと邪推してしまうワタシ(・ω・))、本作をきっかけにどんどん頑張って欲しいものである。

(ただし、ウィキペディアによると、本作は興行的に“振るわなかった”ようだ・・)

「クリプトン星から来た最強の男=スーパーマン」が突然に姿を消し5年が経っていた。彼の恋人とも呼ばれる“デイリー・プラネット社”の敏腕女性記者=ロイス・レイン(ケイト・ボスワース)は彼が行方をくらませた後『なぜ世界はスーパーマンを必要としないか?』なる刺激的なコラム記事を発表し、ピュリッツァー賞に輝いていた。

そんなある夜、スーパーマンの(地球での)育ての親たる、老母マーサの住む田舎町に巨大隕石(=“船”)が墜落する。
果たして、その中から現れたのはクラーク・ケント(=スーパーマンの地球における名)(ブランドン)であった。
・・スーパーマンの帰還である!

だが、クラークが再び大都会“メトロポリス”に、そして“デイリー・プラネット”に戻った時、彼は自身を取り巻く状況が余りにも大きく変わっていることを知らされる。
ロイスは編集長の甥=リチャード(ジェームズ・マースデン)と婚約、何とジェイソンと言う1人息子を育てる逞しい母親となっていた。

一方・・“世界征服の野望”を諦めぬ大悪党=レックス・ルーサー(ケヴィン・スペイシー)は、刑務所を釈放された後、とある老女(ガートルード)を騙し、その全財産を受け継ぐことで巨万の富を手にする。
忠義な部下らと“ガートルード号”に乗り込み、スーパーマンの地球での基地的存在(?)たる北極の“孤独の要塞”に不法侵入、故郷・クリプトン星の誇る“28銀河の文明の結晶”たるクリスタルをまんまと盗み出す。

クリスタルを用いた秘密の実験を経て、地球規模の“大陸再生”を試みんとするルーサー。
ロイスとのすれ違う想いに悩み、苦しめられつつ・・地球が今まさに瀕している危機を救うため、単身ルーサーの一味に戦いを挑むクラーク=スーパーマンであったが・・

ブライアン・シンガー監督が手がけるこの新シリーズ、イマドキのヒーロー映画らしく「とにかく主人公が苦悩し、痛め付けられる展開」が目立ち過ぎる。正直、前半を除き「著しく爽快感に欠ける」印象が強く、そこが敗因だったのかな〜と。

ジョン・ウィリアムズによる例のテーマ曲(←“スター・ウォーズ”のソレと酷似してもいる、、)を(妙なヒップホップアレンジ(=^_^=)などせず)忠実に用いたり、スーパーマンの父=クリプトンの科学者ジョー・エルの映像に、CG再現したマーロン・ブランド(故人)を起用したり、と“ファンの喜ぶツボ”は押さえてくれてたと思うんだが(・ω・)

しょっぱなで、ピンチに陥ったロイスたちの乗るプレス関係者用の旅客機(ボーイング777)の墜落を、駆け付けたスーパーマンが救うシーンのインパクトがモノ凄いだけに、その後の“防戦一方”な描かれ方がどうにもワタシの中で不完全燃焼だった。。
いや、考えたらスーパーマンの場合“防戦”が基本スタイルなんかも知れないが・・
(『007/ゴールデンアイ(1995)』の冒頭エピソードもスゴかったが、アレに匹敵するインパクトである!(=^_^=))

先代レックス・ルーサーを演じたジーン・ハックマンと、なかなかに雰囲気の似てたケヴィンだったが、、彼自身や、彼の部下らの「妙に“マジ悪党”過ぎるキャラ造形」に違和感&不快感を覚えたのはワタシだけだろうか。
“ブルータス”なる後頭部に奇妙なタトゥーのある男がロイスを痛め付けようとする演出、パワーを封じられたスーパーマンをルーサーらがリンチにかけるシーンなどでは「これまでの作品イメージが崩れちゃうんでは?」と妙な心のざらつきまでも感じた。
コメディ路線にしろ、とまではもちろん言わないが、基本的にルーサーは「肉弾攻撃を嫌う男」だと思うモノである。。

ほかには、

♦ヒロインの立ち位置が良く分かんなかった。『スパイダーマン』シリーズのヒロイン=MJ(キルスティン・ダンスト演じる)を更にしたたかにしたようなキャラ造形だ。
♦前半の“船”の墜落以降も含め、殆ど軍/警察/MiB(=^_^=)関係の動きの描かれなかったのが妙だった。
♦終盤では、ルーサーvsスーパーマンの決着シーンのないまま(?)幕となり、何とも消化不良だった。きっとあのイヌもそう思ってるのでは・・(⌒〜⌒ι)
♦リチャードが“真相”を知れば・・“暗黒面に転落”するように思う。両眼から強烈なレーザービームが出たりするんじゃなかろうか。。(←それは別作品!)
♦墜落を救うシーン、スゴい演出ではあるも・・(直前の)飛行中の旅客機映像などがCGっぽ過ぎた。まるで『キル・ビル Vol.1(2003)』だ(=^_^=)
♦スーパーマンが引きちぎって投げ棄てた旅客機の両翼・・そのまま落下したとすれば(海上でなく)人口密集地だったと思われるんだが・・大丈夫だったの?
♦強盗団の「無反動式ガトリングガン」で撃ちまくられても破れ目1つ出来なかった超頑丈なスーツ。後半の某シーンで、医療関係者が(苦もなく)バリッと引き脱がせてたが・・あいつって実は“ハンコック”だったんとちゃうやろか?!
♦大西洋沖の何処かに、今も沈んでいる「クリプトナイト(放射性物質)」の欠片・・早めに“回収”しとかないと。。
♦重傷を負って病院に搬入されるスーパーマン。薄暗い病室で安静にしてるんだが・・せめて“太陽光”ぐらいは当てたれよ! と思った。

〜 こんなセリフもありました 〜

ルーサー「頭脳より、タバコや武器が力をもつ場所なのだ・・ムショとはな」
    「技術を支配する者が、世界を征す」
    「神とは・・赤いマントで空を飛び、強大な力を独占してるヤツだ・・そんな神などご免だ」
    「凡人には、先進技術と魔法の区別すらつかんのだろうな」
    「このクリスタルはいわば“種”と同じ・・他に必要なのは“水”だけだ」
    「頭脳は腕力に勝る」
    「皆が欲しがるのは金や宝石じゃない、土地だ」
    「教わらなかったか? 周りを良く見てから飛べ、と」

編集長「再雇用の礼なら、わしじゃなく、死んだ記者に言え」
   「“彼”の帰還で株価への影響はどうだ?」
   「売れる3大記事は悲劇、セックス、スーパーマンだ」
   「ピュリッツァーもアカデミーと同じ事だ、内容より獲ることに意義がある・・堂々と貰う事だ」

クラーク「変わらないと思っていたものが、変わってしまった」

リチャード「どんなに近くにいても、彼女は“謎”でね」

ジョー・エル「人間には良き資質がある、だがそれを導く“光”がない」
      「彼ら(=人類)の善なる能力を照らし導くため、お前を地球へ送った」

ロイス「もうヒーローは必要ない、私にもね」
   「“大切なこと”を話しておくわ」

父「お前は特別だ・・きっとこの先、疎外感も味わう・・でも独りじゃない。
  お前は強くなる・・私の人生を理解し、そして後継者となる・・やがて父は息子に“還る”だろう」

リチャード「クラークって?」
ロイス「ただの同僚・・」

ロイス「いい船ね、未亡人から騙し取ったの?」
ルーサー「・・言うね」

ルーサー「このクリスタルのことを?」
ロイス「シャンデリアの材料?」

ルーサー「こんな時、何と言う? さぁ!」
ロイス「イカれてる」
ルーサー「違う!それじゃない」

ルーサー「キティー、俺の親父の口癖を言ってやれ!」
キャサリン「ハゲるぞ」
ルーサー「違う! その前だ」
キャサリン「出て行け」
ルーサー「・・・」

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2008年11月 3日 (月)

☆『ICHI』☆

3日(月曜)。いよいよ、この3連休が儚くも終わってしまうんだが・・結局、最終日である本日も昼過ぎまで“寝溜め”となってしまい、何とも勿体ないことになりそうな予感もし、、

「コレではアカンぞう!」と天井を見上げつつ叫び(←危ないヤツだなぁ)、午後からながら自室を飛び出し、梅田方面へと繰り出した・・映画『ICHI』をも1度、観るために・・!
・・ってあんたも好きねぇ〜(=^_^=)

大まかな流れは前回の鑑賞で掴んだので(粗筋などは先月28日(火曜)の記事をご覧下さい)、今回はより寛ぎつつ、前回のチェックもれ&メモもれの部分を補ったりしようかな〜と。

そうそう。
本編開始前に新作『LOVE☆FiGHT』の予告編が流れたんだが、主人公の女の子(成長後は、北乃きいが演じる)の“回し蹴りっぷり”がなかなか良く「観たいぞう熱」が高まって来たり。
因みに、今月15日から一般公開どす☆
大沢たかおの初プロデュース作ってことで「笑顔の素敵な不惑の兄ちゃん」でもある同氏は、最近改めて注目し始めてる男優さんでもある。
そうさ、刀なんて抜けなくてもイイんだ!(←何やそれ!)

では、今回の鑑賞で気付いた点からまとめてみようか。

♦少女期の市。吹雪の中を瞽女衆(5人)で進むシーンでは「木の杖」をついている。本格的に「仕込み杖」を使い始めたのは“はなれ瞽女”となって以来のことのようだ。
♦舞台となる宿場は「美藤宿」。“びとう”と言うのは分かってたが、漢字が分かってなかった。。
♦刀身に(斬った相手の)血すら付着しない、市の凄まじい居合い斬り。きっと高速過ぎて、瞬間に空中に血が飛散するんだろう(!?) かつて読んだ、司馬遼太郎氏の小説『燃えよ剣』の前半で、沖田総司(後の新撰組・壱番隊長)の太刀が素早過ぎてか(?)「全く着物に返り血を浴びない」ってな描写があったが、市も同様に殆ど着物が汚れず、同じ理由と考えて良いのかな・・と解釈している。
♦「下総(=千葉県)の武士」と名乗りつつ「父は小高藩(=福島県)の武術指南役」とも言ってた十馬。どっちが正しいんだろ? 偽りを言ってたようでもないし。。
♦中盤で舞台を演じたのは「黒森歌舞伎」の一座。「県指定無形民俗文化財」なる山形の伝統芸能だそうだ。
♦“とある事件”をきっかけに「真剣が抜けなくなった」十馬。考えたのが「1.木剣で戦う」「2.槍を使う」「3.誰かが抜き身の刀を渡したげる」などのアイデアなんだが・・(・ω・)
しかし“最低でも5年間、抜かれなかった刀”ってば、あんなに即・使用可能な輝きを保ってるモノなんやろか(←或いは「手入れ」だけは欠かさなかったんかな?)。
♦宿場では「御宿:松屋」「きぬた屋」などの店が看板をあげていた。
♦万鬼党のアジトとし描かれた洞窟は「駒門風穴(静岡県御殿場市)」がそのロケ地だそうだ。

大げさな迄に“心情を包み隠さず、表情で見せる”ことの出来る大沢氏は、それはそれで素晴らしいし、きっちり終盤で「美味しいトコ」を見せてくれて良かった。
そして何より・・市を演じた綾瀬はるかさんの寡黙で物憂げな横顔には、ウットリとさせられっぱなしだった(=^_^=)>

こんな女(しと)に斬られたら、それはそれで男としては“本望”かも知んない(そうか? 斬られたら、痛ぇぞ(⌒〜⌒ι))

〜 こんなセリフもありました 〜

※「良く見りゃ、お前ぇなかなか・・」

市「私には“境目”と言うものが分からない・・見えないから、恐ろしい」
 「この剣の使い手を、万鬼は知ってるんだろ?」
 「おかみさんに“何もなかった”と言って下さい・・そこでしか、生きられないんです!
  ・・戻りたいんです!」
 「見えて来た気がする・・見えなかった“境目”が」
 「あんただけは、許す訳にはいかない・・!」
 「姉ちゃんにも、歩く時“灯り”が必要だったみたい・・お陰で“道”が少し見えて来た」

美津「全く変な“掟”だよ・・誰だって温もりがなきゃ、凍えて死んじまうってのに」
  「“色恋”で男が欲しい訳じゃない」
  「あたしらには(男の)姿形は関係ない」

虎次「偉ぇお手柄だ、小太郎。明日、団子買ってやらぁ」
  「俺は、親父とは違〜う!」
  「役人なんて当てになんねぇだろ?」
  「頼りにしてんぜ」
  「立派な親父持つとな・・ついつい別の道、歩きたくなっちまわぁ」
  「万鬼、その手で仕留めてこいや」
  「手前ぇら、死ぬ前に2人以上、叩っ斬れ〜」
  「今度は、逃げんなよ」
  「ぶった斬って来いや〜」
  「頼むぜ、先生よ〜」

長兵衛「やくざ風情が、とお笑いになるでしょうが・・」
   「歳は取りたくねぇもんです」

十馬「私は、音曲(おんぎょく)のことは何も・・」
  「私は、強いぞ!」

万鬼「俺たちは真っ当に扱われねぇ・・足蹴にされ、何処かで野垂れ死ぬんだ。
   お前ぇもそこで、堕ちる処まで堕ちるんだな」

(市の三味線唄)
♪今宵も 負われし 母(かか)様の お膝に揺られて 眠りゃんせ・・

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2008年11月 1日 (土)

☆『ドーン・オブ・ザ・デッド(2004)』☆

26日(日曜)の夜に鑑賞。その少し前(23日)“木曜洋画劇場”で地上波初放送されたモノを録画しておいたのだった。
サラ・ポーリー演じる看護師アナがある朝、突然に叩き込まれる“非日常なゾンビ世界”の物語(地獄絵巻とも言う、、)。
監督が『300(2007)』のザック・スナイダーってことで、スタイリッシュ&スピーディーな映像美を期待したが・・フツーの“ゾンビ映画”の域は特に脱し切れてなかったかな、と(・ω・)

オリジナルがジョージ・A・ロメロ監督による佳作『ゾンビ(1978)』ってことで、その展開までもがほぼ一緒だったんだが、、ゾンビと言えば・・ショッピングモール! って感じで即座に連想されるロケーションでもあるモール(CROSS ROADS MALL)が、開始後15分で(早くも)登場したのには「ぐぇぇ〜!」と正直思ってしまった。こっからがなっかなかロケ移動しないんだよなぁ〜(⌒〜⌒ι)

前半に少しだけ「街の外でも、全米規模で大変な事態になっとる!」ってことがTV報道されるんだが、それも間もなく放送中止(?)となり、ゾンビ共の出没した原因も、軍部による対策とかも、何にも分かんないままだった(×_×)

確か原作では、地球にほど近い(?)惑星の爆発による影響で(宇宙線の照射か?)死者が蘇った、みたいなムチャクチャな理由付けがそれなりになされてたように記憶してるが。。
(本作では“原因不明の病原体に感染した”ことがそもそもの(ゾンビ化の)発端らしいが、詳しくは分かんない)

へっぽこな群像劇風でもある本作。アナに序盤から合流する、警官ケネス(ヴィング・レイムス)、アンドレ&マイケル&ルダ(アンドレの嫁さん)・・などそれぞれに職業観や人生観などがあるんだろうけど、どのキャラもそんなに深くは描かれず、従って輝きも放っておらず、誰がいつ死んでもおかしくないし、誰がいつ死んでも気にはならないレベルのキャラ造形であった(⌒〜⌒ι)

モールに場所移動してからの展開がホンマにダラダラしてたんだが、序盤などで披露される「アナの乗るクルマの疾走を、フロントやリアから捉えた大胆かつ躍動的なショット」「上空から街の“異変”を淡々と俯瞰する映像」などはそこそこに個性があって良かったかも。

さて。我々が、ゾンビが現れた時(=^_^=)のために覚えておくべきは、
・ヤツらは集団で走って来る!
・ヤツらは犬には反応しない!
・ヤツらのアタマを破壊すると殺せる(←“殺せる”ってのも表現的におかしい・・)
・ヤツらは運転出来ない
・ヤツらに咬まれると、数時間(目安は5時間)で死を迎え、死んだ直後にゾンビ化してしまう

などのポイントだろうか。私的には「今後もリメイクされることがあれば、次は“泳ぐ(エイリアン系)”か“飛ぶ(ロボコップ系)”かどっちかなんだろうなぁ」と予想してしまったりも(=^_^=)

アナが凛々し過ぎ、と言おうか、序盤で(旦那の)ルイスと別れ、終盤で新恋人(?)のマイケルと別れる運命にさらされるんだが、そんなに悲しみが伝わって来なかった。

ゾンビ好きには堪えられないタイプの作品(=^_^=)なんだろうけど、ゾンビネタ以外の演出や物語がつまらな過ぎて、困ってしまった。ラストもTV版独自のモノなのか、良く分かんないまま終わって行ったし・・
少なくとも、ワタシの中では“死ぬまでに観たい10の映画”には、全くノミネートされませぇん(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

アナ「何故“彼ら”は此処(=モール)に来るの?」
ケネス「生前の記憶か、本能だ」

教祖「兄弟よ、神は貴方がたを裁いておられます。貴方の信仰が今、問われているのです。
   地獄が多くの死者で溢れた時“彼ら”が地上を歩き始めます」

アンドレ「これが“最期の審判”ってヤツか?」
    「もし神がいるのなら・・俺にも生き方を変えるチャンスを、与えて欲しい」

ケネス「パスター基地では、みんな死んだのか?」
スティーヴ「“生きてる人間”はな」

スティーヴ「危機に臨み、人の絆の美しき哉」

ケネス“待っても、助けは来ないぞ”
アンディ“それが驚くようなことか?”

フランク「生きることは、素晴らしい・・そう信じたい」

マイケル「これまでで最悪の仕事だったのは“夫”業かな?」
※「それって、仕事じゃないわよ」
※「仕事だよ」
マイケル「そして、最良の仕事は・・“父親”業だ」

ケネス「死ねば・・“生きてるより恐ろしい世界”が待ってると分かった」

マイケル「此処でしばらく頑張って・・日の出を眺めるよ」

追記:“ゾンビのやっつけ方”について、TVで郡保安官のケイヒルっちぅおっつぁんが「アタマを撃って倒せ、そして火をかけて灰にしちまえ!」と丁寧に(?)ガイドしてくれてたが、私的には『バタリアン2(1987)』の後半で発見(?)された“とっておきの撃退法”で彼らを一網打尽に出来たんじゃないか? 少なくとも試してみる価値はあったんじゃないか? と感じたものだ。

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