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2008年10月 6日 (月)

☆『トウキョウソナタ』☆

5日(日曜)。家庭のことで昨日よりバタバタしており、行ってる場合じゃなかったかも知れないが・・大阪市内に出て、新作邦画『トウキョウソナタ』を観て来た。劇場は「新梅田シティ」内の“梅田ガーデンシネマ”である。

東京(劇中の設定では、京王線沿いの目黒区駒場東界隈)に住むとある一家をネタに“不協和音を奏で始めた家族”の行く末を淡々と描いたドラマ、みたいなことは何処かで聞いたかして知ってたが、殆ど予備知識はなかったに等しい(・ω・)

が、観終われば・・確かに淡々と進む展開ながら「ワタシ自身もまた、1人のちっぽけなサラリーマンであるし、今もこの先もそうに過ぎない」と言う現実を(客観的な視点を含め)考えた場合「こりゃ“笑えん喜劇”であり“泣けん悲劇”やな」とチクリと心の何処かが痛んだ次第である。
本作は、映画評論家やタレントと言った「“よその世界を眺める”視点で作品を語るであろう方々」より“現役の政治家”“現役の教師”と言った方々にこそしっかりと観て頂きたい1本である、と思う!

多少の誇張はあるも、これって日本を(もはや“トウキョウ”だけの、とは言えまい)覆っている“不気味で歪んだ現状”を巧妙に抽出し、とある家庭に放り込んで眺めた、そんな物語なのである・・

大手企業『TAVITA(タビタ)』で総務課長のポストに就いている佐々木竜平(香川照之)は働き盛りの46歳。
自身の家庭より職場にこそ全力投球、これまで頑張って来たが、ある日上司から「君の課の業務そのものを海外支社に委譲する」と告げられる。事実上、前触れなしの“リストラ宣告”である。
途方に暮れた佐々木は、戸惑いを隠せぬままに帰宅。だが、妻にも事実を言い出せず、彼は翌朝以降も決まった時間にスーツ姿で“出勤”・・公園の(食事)配給の列に並んだりし、日々をぶらぶら過ごす。
彼なりにハローワークに足を運んだりするも“元一流企業の管理職だった”と言うプライドが邪魔し、どうしても清掃業やコンビニ店長と言った再就職口には納得出来ない。
そんなある朝、彼は公園脇を通りがかったスーツ姿の男が高校時代の同級生=黒須(津田寛治)であることに気付く。佐々木が声をかけ、旧交を温める2人。
「1時間に5回」も勤務先から携帯に連絡の入る多忙な男、黒須。彼は公園の配給の列に目をやり「何だありゃ?」「俺も喰ってみようかな? あんなの喰う機会なんて滅多にないだろ?」と佐々木に語りかける。複雑な表情でそんな黒須を見つめ返す佐々木。

彼の家にも招かれ、妻や娘とも夕食を共にした佐々木。
しかしある日、黒須との音信が途絶えてしまう・・彼の自宅を再訪した佐々木は、驚愕の事実を知らされることとなる。


大学生の長男=貴(たかし)、小6生の次男=健二の2人の息子を育て上げた佐々木の妻=恵(小泉今日子)。頑固で、何事につけても“家長”ぶって権威を振りかざす夫と、その言動に悉く反発する2人の“繋ぎ役”となっていた彼女にも、年齢的なものか“疲れ”が見られ始める。
化粧っ気はなくなり、笑顔も減り「誰か、あたしを引っ張って・・」と自宅ソファーに寝そべったまま、つまらなそうに虚空へ手を伸ばす彼女。
そんなある雨上がりの日、予想外の出来事が彼女の身に起こる。


貴は学業より夜遊び(=朝帰り)とバイトに明け暮れる日々。繁華街で配布するティッシュもなかなかノルマがさばけず、結局は鉄橋からごっそり川面に破棄する。同僚はつまらなそうにポツリと「来ねぇかな、大地震」と呟く。
やがて貴は“第1期・外国人米兵入隊願(?)”にサインをくれ、と両親に言い出す。
米兵と共に海外(中東)で実戦に参加、何かを学び取ろうとするつもりなのか?
佐々木夫妻は当然のように反対するが、長男の気持ちはもう決まっていた。


健二は両親にも構って貰えず、担任教師=小林にも「俺はお前を無視する、だからお前も俺を無視していい」と熱意ある態度を全く見せては貰えない。
そんなある日、通学路にある“かねこピアノ教室”で生徒にレッスンをする美人教師=金子薫(井川遥)に惹かれた彼は、母に貰った給食費(5千円)を黙って彼女に(月謝として)渡し、こっそりピアノを習い始めることに。
自身では気付いていなかったが、両親に隠れてレッスンを続けること3ヵ月・・薫はある時、健二に「君には才能があるわ、人並みはずれたピアノの才能がね」と告げるのだった。

以前に“リストラ”“不倫”“ドラッグ”“ゲイ”“不純異性交遊”“ロリコン”“発砲事件”などをネタに「一家の崩壊」を描いた『アメリカン・ビューティー(1999)』なる作品があったが、あちらよりもっと生々しく、(日本人として)リアルな作品性があると感じた。
尤もアメリカは“銃社会”であるから、拳銃を“日常的かつ非日常的なアイテム”とし用いる事が自在に出来るのだが、日本ではなかなかそうもいかない(安直な作品では、すぐ“ヤクザネタ”に手を伸ばすンだが、、)。
本作では“唯一の凶器”とし「出刃包丁」が登場するが、それすらも作品全体からすれば、大した“アイテム”ではなかった。

その辺りの“非日常的な武器&バイオレンス”に安直に逃げないトコには好感が持てたか。

秋風と共に疾走する夫、空の広がる海へと向かう妻。長男は“敬礼”を残し海外へ、次男は遠距離バスの貨物室に潜り込み・・それぞれが“トウキョウ”を離れようとする後半。
「終わったな、この一家・・」と思いきや、エンディングでそれなりのまとまりを見せる彼らに“家族の可能性&絆”を感じたりも。

良くも悪くも“家族の呪縛”ってのはあるのだろうし、長い目で見れば、そういう日々の煩わしさも“後に笑い話となるのだろうか・・?”などとも思わされた。
・・そして、不思議な落ち着き&余韻を残し、本作は幕となった。

~ こんなセリフもありました ~

ホームレス「ハローワークに行っておけ・・運が尽きる前にな」

佐々木「ずいぶん(荷物)しょってんな」
健二「重過ぎ」

ミカ「佐々木さんも、大変ですね」

同級生「何だよ? お前だぜ、やり始めたの」

面接官「この会社に提供出来る“あなたの能力”を見せて下さい」
佐々木「え・・」
面接官「カラオケでも結構です」
佐々木「は・・?」
面接官「あなたさっき“カラオケが得意だ”とおっしゃいましたよね?
    そこにあるペンをマイク代わりに、歌って下さい」
佐々木「(しばらく躊躇した後)♪し~・・」 ←この曲名が気になる(⌒~⌒ι)

※※「ゆっくり沈んでく船みたいだな、俺たち。ここんとこ(=喉元)まで水が迫ってて・・
   ・・けど、水の中に潜る覚悟なんかなくてさ」
  「行っちまったんだよ“救命ボート”はな」

老先輩「洗剤(の使い分け)1つにも“プロのやり方”がある」

恵「お母さん役も、悪い時ばっかりじゃないわ」
 「潰れちゃえ、そんな権威」
 「これまでの人生が全部夢で、ふと目覚めて全く違う人生だったら・・どんなにいいだろう」
 「ここには、現金は、ありません」
 「こんなに遠くまで来たのに・・今さら帰る訳にはいきません」
 「私、やり直せるでしょうか? ここからもう1度」
 「お腹空いたね・・すぐ作るから」

佐々木「(窓から入ったのは)戸締まりを確かめたかっただけだ」 ←戸締まりも“ネタ”だった!
   「俺は世界が、じゃない・・お前が心配なんだよ」
   「どうやったら、やり直せる? ・・やり直したい」

貴「沢山、殺したよ・・殺して来た・・」
 “アメリカだけが正しい訳ではない、と言うことを知りました”

※※「どうして戻って来た?!」
恵「そう言う約束だから」

※「勝手なんだよ、大人は」

~ こんなことも思ったり ~

♦日々の何気ない“気付き”“声掛け”なるコミュニケーションが、“家族の接着剤”となるのかも知れない。
 「教習所に通ってるそうだな? 免許、取れそうか?」
 「取れたのか! 頑張ったな、家族みんなで何かお祝いしなきゃな」
 「どれ、見せてみろよ・・ふ~ん、(免許証の)写真だと美人だな、お前」
 「朝帰りか? 大丈夫か最近?」
 「バイトの方は順調か?」
 「何だ、ピアノ習ってるのか? 今度、俺と母さんにも聞かせてくれよ」
 こんな言葉を日頃から掛けられてたら・・きっと佐々木家には違う物語が紡がれた筈である。
♦偶然の「目撃」「遭遇」シーンの多かった気が(・ω・) 現実ってば、実際にはそんなものか?
♦「家が人を縛り付ける」のかも知れない、良くも悪くも。
♦他人の死を阻止出来た人間が、容易く自らの死を選ぶ弱さ&悲しさよ。
♦不器用な人間は、結局不器用にしか生きて行けないのだろうか?
♦卓越した技術以上に、商売や人間関係のセンスが必要とされるのだろうか?
♦スーツ姿で配給に並ぶサラリーマン姿の失業者。その律儀さが余りに悲しい。
♦我が子に“遺伝によらぬ”意外な天才性の備わっている不思議。
♦言葉でなく態度で伝え合う「日本人気質」が非常に巧く描写されていた。
♦黙って耐える人間と、そのことを知りつつ、ただ黙って(その人を)眺め続ける人間。それは「沈黙の美」「見て見ぬ振りの美」と賞されるべきものか?
♦家族それぞれが、日常に潜む“死の影”に翻弄される恐ろしさ。
♦「死ぬべき時でなければ、人は死なない(死ねない)?」のだろうか?
♦巧妙に表面を取り繕うほど、崩壊時の顛末は悲惨となるのだろう。
♦究極の崩壊が、或いは再生の希望の灯をともらせることだってある、と信じたい。

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コメント

こんばんは。
本作、結局劇場鑑賞は見送り、「来たるDVD鑑賞にむけて…」になる模様です。
なので、じっくり読ませて頂きました。
何だかちょっと怖そうですね。

でも「終わったな」と思わせてからの「可能性&絆」とは・・・萎みかけていた期待度が再び大きくなりかけてきました。

劇的な事象なんて何も無くても、どんな家族も多分地雷的なものを抱合しているのかもしれませんね。

投稿: ぺろんぱ | 2008年10月22日 (水) 20時49分

ぺろんぱさん、ばんはです。

>本作、結局劇場鑑賞は見送り、「来たるDVD鑑賞にむけて…」
>になる模様です。
>なので、じっくり読ませて頂きました。

そうですか、、確かに昼間っから観ると「落ち込む」場合もあるでしょう。

>何だかちょっと怖そうですね。

リアルなんですよね、色々と。
ある意味“確信犯的なブラックコメディ”と評せるかも知れません。

>・・萎みかけていた期待度が再び大きくなりかけてきました。

観終わると、オープンカーに乗って、海を眺めに行きたくなるかも知れませんよ(=^_^=)

>劇的な事象なんて何も無くても、どんな家族も多分地雷的なもの
>を抱合しているのかもしれませんね。

ある程度の演出がないと、リアル過ぎ(地味過ぎ)て面白くないんでしょうが、
本作の場合「有り得るよなぁ」とチラとでも思わせるトコロが“勝因”だったと思います。
(長い目で見て、勝ったのかどうかは分かりませんが・・って言うか、何に対してだよ! って部分もありますね(=^_^=))

投稿: TiM3(管理人) | 2008年10月24日 (金) 00時08分

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