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2008年10月31日 (金)

☆『はなれ瞽女おりん(1977)』☆

30日(木曜)。昨夜はグッチョングッチョンに(←どんな形容だ!)泥酔してしまい、起きていたのか眠っていたのか、生きていたのか死んでいたのか自分でも良く分かんない状態での帰宅となった(×_×)

流石に今夜も寄り道して帰ったりしたら・・「この週末は反動で寝込むことになるやろな、、」と“自身がもう若くないって事実”に素直に向き合い始めたワタシなので(=^_^=)、今日は残業を切り上げ、スタコラと帰らせて頂くことにした。

前回のレビューが新作『ICHI』であり、その中で主人公の境遇とし設定された“はなれ瞽女”の強烈な印象が忘れられなくなったワタシは・・ここでハタと気付くこととなる。

「あ、そう言や邦画『はなれ瞽女おりん』のDVDソフト版を折角買ったってのに観てなかった!」と。

んな訳で、いそいそとかの作品を鑑賞した次第である(⌒〜⌒ι)

※そも『はなれ瞽女おりん』を購入するきっかけとなった経緯(?)については、

2月7日(木曜)の拙記事『“若州(じゃくしゅう)人形座公演/はなれ瞽女(ごぜ)おりん”を観て来た』を併せご覧頂けたら幸いです(・ω・)

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/cat30597104/index.html

世の中が「米騒動」と「シベリア出兵」に揺れていた大正中期。
仲間から落とされた“はなれ瞽女”の女=りん(岩下志麻)が「人生の漂泊をみつめ、魂のありかを求める」物語。
越後高田にある、里見の瞽女屋敷を追われ、天涯孤独の身となったおりんの前に、下駄の修理を生業とする、鶴川と名乗る大柄な男(原田芳雄)が現れる(背丈=5尺8寸との設定)。

おりんは「これまでの人生で出会って来た」男ら同様、鶴川もまた自分の「躯(からだ)」を狙って付いて来ているものかと初めこそ疑ったが、彼は「お前ぇを抱けば、わしらのこの関係は崩れてしまう・・だから抱けん」と頑に彼女を拒む。

表向きは「兄妹」とし、各地を旅する2人だったが、そんな彼らの前に越中富山から来た薬商人=別所彦三郎が現れ、おりんの肉体をつけ狙い始める。
そんな折も折、鶴川を追って、福井県鯖江憲兵分隊から袴田陸軍憲兵中尉(小林薫)がやって来る。

鶴川の犯した“とある罪”から彼を庇おうとするおりん。旅仲間の“はなれ瞽女”おたま(樹木希林)との束の間の友情も交えつつ、おりんの旅路は続く。
そして、彼女の辿った漂泊の行く末は・・

冒頭で「芸術祭参加作品」と大きくテロップの表示される本作。
とにかく、ロケーションが多岐に渡っており“確実に失われつつある、日本の原風景”をこれでもかって感じで切り取りまくってくれる、その意気込みにまず圧倒された! ベテランの撮影監督=宮川一夫が泣きながらファインダーを覗き、彼をして「これが俺の遺言だ」と言わせしめたと言う本作でもある。

※前記述は、以下のサイトの記載を参考とさせて頂きました。無断リンク失礼します。

http://www.nihoneiga.info/classic/0007/02.html

これまでの作品群には首を傾げさせられっぱなしだった(監督、すんません)篠田正浩氏によるメガホンだが、正直ここまで気合の込められた傑作だとは思わなかった!

・「一度も瞳を見開かぬ、盲目の演技」ながら、艶やかさの漂って来るようだった岩下志麻さん
・外道なヤツながら、何処か憎み切れぬ、若き日の西田(敏行)局長(=^_^=)
・盲目の演技の凄まじさが観る者を圧倒する樹木希林、奈良岡朋子の両女優。
・冒頭で「小林薫(新人)」と紹介される(!)イキのいい奴(=^_^=)、小林さん。この頃は寡黙で不気味な演技もこなしてられたんですね〜! 軍服もお似合いですた(⌒〜⌒ι)

など、キャスト陣も風景描写に負けず頑張ってくれている。

♦「報われぬ下層の2人が旅の日々を続けれど、真の自由の訪れることはなかった」と言う無情感。
♦「最も近くにいる男とのプラトニックな関係すら、やがては引き裂かれる」と言う悲しみ。
♦「おりんの躯を汚したくない」と願う鶴川の気持ちとは裏腹に「凍えるような寒い夜には、男に寄り添って“温もり”が欲しい」と性への渇望(?)を隠さないおりんの「ゆれる」心情。

と言った要素は、そこそこに人生の辛酸を舐めた者にしか伝わって来ないような気もする。
ってことで・・これはやはり「芸術作品」と呼べるのではなかろうか。堅苦しくはないけれど。

おりんの話す言葉は新潟弁(上越弁)だそうだが、感動する程に完璧に“その土地の女”になり切ってるように感じた。
岩下志麻と言う女優について「若い頃ってどんな作品に出てたっけ?」と思うしとは、是非本作に触れ、その女優としての力量のもの凄さを知って欲しいモノである。
・・ってナニをお前ぇはエラそうに(=^_^=)>

〜 こんなセリフもありました 〜

※「眼は見えねども“へそ合わせ”は出来るべ」
 「貧乏人は、何やっても損するように出来てるんだ」

里見の親方「おらさ、“め△ら道”歩いて来た甲斐がありました」
     「め△らにゃ地獄が見えねぇように、阿弥陀様がおらがの眼(まなこ)潰して下さったんじゃ」
     「瞽女は“神様の嫁御”にして貰ぅたんじゃ」

鶴川「若い衆が牙剥いて、おまんの躯さ、くすねようとしてるだで」
  「お前ぇはいい娘だ、こげないい娘が、め△らに生まれたばっかりに、こげな暮しをせにゃあならん。
   おらぁ、つくづくこの世の中ちぅものが“地獄”に見える」
  「人の話は、信用出来ねえや」
  「金のある奴は徴兵を逃れられた、しかしおらがのような貧乏人は銭のために体を売るしかなかった。
   戦争は貧乏人を犠牲にしてる!」

おりん「何ぼ諭されても、おら自分で自分の躯の火照りを抑えることが出来ね」
   「男と寝るちこと、こげに温(ぬく)いものかと思いました・・おらほんに罰当たりなこと、しましたす」
   「また、戯(おど)けなすってぇ」
   「おみゃあさん、なんでおらの躯、抱きなさらんのじゃ?」
   「め△らの女が拒んだとて、男衆の大きい力に組み伏せられて、言いなりになるより仕方御座りませなんだ」
   「どうかも少し、おらの躯、温めて下せぇ」
   「おらの躯、こんげに冷えとるに何で温めてくれんのじゃ」
   「おみゃあは、おらが・・おらがこの世で一番好きな人じゃ」←このセリフに泣きそうになりますた
   「おら、“しだらおなご”でねぇ」
   「待ってけれ、自分で帯さ解くだから・・」
   「日暮れは、空気の“匂い”が変わります」
   「弱気過ぎます、あの婆さまは・・」
   「松林、松林言われても、何処が松林で、何処が浜なのか、おらには“境目”が分かりません。
    世の中、どげんな“境目”があるのか・・ただ掌(てのひら)で触ったり、匂うたりしながら
    阿弥陀様に導かれて歩いているだけで御座ぇます」

別所「辛抱出来るのかや? おみゃあも女なら、抱いて欲しい夜さりもあるべし?」

追記1:善光寺境内でのロケーション。カメラに映る限りの人々(の全て)に大正期の風体をさせている徹底ぶりに驚愕!
追記2:中盤、海辺で地震&落石が起こるんだが、あれは作品に必要な演出だったんやろか?
追記3:要所要所でしっかり「雨を降らせる」こだわりぶりがイイ。山門での雨宿りシーンは映像的にも素晴らしい。
追記4:定点撮影で(宿の)軒先を映し「女中が提灯を畳む」動作のみで“祭りの終わり”を表現する演出にうならされる!
追記5:「磨歯ンオイラ」「まばを/濱小」「のらひんし」などの戦前表記が面白い。因みに駅看板の英語表記は左読みの「OBAMA」だった。
追記6:終盤、無表情な男=鶴川が初めて落とした涙に、こちらまでウルウルさせられてしまった(×_×)
追記7:樹木希林、小林薫ら助演陣のあっさりとした“退場ぶり”が面白い。何の余韻もないのだ。。
追記8:ラストシーン・・“描き過ぎ”な感もあったが、ある意味衝撃的ではある。。

※本記事の中で、(現代では)差別的な表現と思われる言葉に関し、伏せ字にて表記させて頂きました。他意は御座いません。

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2008年10月28日 (火)

☆『ICHI』☆

27日(月曜)。先の週末(土日)では、微妙に映画に行くだけの時間が取れず、ややフラストレーションが溜まっていた。
特に、早々に観たかったのが、25日から一般公開の始まった『ICHI』・・つまり“綾瀬はるか主演による女版座頭市”である。
朝刊の映画案内記事(=劇場と開始時間の一覧)を見て「早めに行っとこう!」とは思いつつ、コレがなかなか時間が合わないのだ(×_×)

・梅田ブルク7・・18時10分から開始⇒ほぼ絶望的
・なんばパークスシネマ・・18時30分から開始⇒なんば駅から全力疾走中に事切れそ~
・阿倍野アポロシネマ8・・18時25分から開始⇒やはりち~と厳しい

今日の場合、結果的に18時ちょい前に退社は出来たんだが、上記3館ではいずれもムリがあった。
ついでに(iPhoneを駆使して)「高槻」「大日」「茨木」「八尾」などのシアターも調べたが、何処も似たり寄ったりの上映開始時間だった(×_×)
そんな訳で「今日は違うのにしよ・・」と一旦は、別作品を観るべくなんば方面へと向かったんだが・・

「いやっ! やはり今夜観とかないと!」と思い直し、逆方向(京橋方面)の電車に乗り換えたのだった。

実は大阪府下で唯一(?)、遠いけど上映開始に間に合う劇場があり、それこそが“布施ラインシネマ10(南館)”であった(=^_^=)
上映開始19時20分・・ってことで、全然余裕じゃん!(=^_^=)

結論とし「ちとロケーション的に寂れがち」な感はあったんだが、駅から意外に近いし、席も空いてるし、上映が終わってからもグッズ購入が出来るし、など“なかなか小旅行気分で面白い”劇場とは思った☆
んな訳で、今後もヒイキにしてエエかな~と考えている。

風雪の吹きすさぶ荒野を列を成して歩き、辿り着いた村々で三味線を演奏する盲目の女たち・・彼女らは瞽女(ごぜ)と呼ばれた。瞽女は4~5人の集団で旅し、互いを律し、行動するのが常であったが・・「貞節を乱す」などの理由により、即座に仲間から追い出され、1人で生きて行かねばならぬ・・なる“掟”もまた、存在していた。
そのようにして追放された者は“はなれ瞽女”と呼ばれた。
生きて行くため「躯を売る」ような“はなれ瞽女”もいたが、一方で、密かに剣術を極め「自らの身は自らで護る」ことを心に決めた女が1人・・その名を“市(いち)”と言った。

下総(しもうさ)から武者修行の旅に出て5年。師範代格の剣の腕を持つ、と言う藤平十馬(大沢たかお)は、通りがかったお堂(の脇)で、ごろつき共が瞽女らに危害を加えている現場に遭遇する。彼らは1人の瞽女に殴る蹴るの暴行を、もう1人の瞽女にも性的暴行を働こうとしていた。
ひとまず「待て待てっ!」と彼らを諌め“有り金のほぼ総てである十両の手形”を渡し、事なきを得ようとするも、野盗どもは納得しない。
「てめぇを斬って、十両もこの女も頂くぜ、ぐぇっへっへっ」みたいなことを言い出す。
仕方なく彼らと戦う決心をする十馬。しかし柄にかけた手がピッタリと動きを止めてしまう。
真剣を抜く事が出来ないのだ。
「何だてめぇ? ビビってんのか? ゴルァ!」的に斬り掛かって来るごろつき。十馬は思わず眼を閉じ死を覚悟する・・!

次の瞬間、血しぶきを上げ倒れたのは野盗であった。驚きの表情で「何が起こったのか」を把握しようとする十馬。
その前に「仕込み刀」を今まさに杖に収めようとする若い瞽女=市(綾瀬)の姿があった。

予告編(の映像)や“ICHI”なる表記のタイトルからして、もっとスピーディーな殺陣のガンガン展開されるスタイリッシュアクションなのか、と思いきや・・意外とゆったりした感の、実に「既視感に溢れた、予定調和な物語」ではあった。

(従来の)座頭市シリーズのイメージとし「主人公が無様でカッコ悪い」「劇中で大きな友情を育むも、それは終盤で崩壊する」「賭場で暴れたりもする」「中盤でリンチされボコボコになる」「終盤でテキの群衆を斬りまくる」などの要素があるかなと(私的に)思ってるんだが、流石に“はるかちゃん主演”だけあって「無様でカッコ悪い」キャラではなかった。。当然、畳にこぼれた酒を、口を擦り付けてチュウチュウ吸ったりするシーンなどはない(そりゃそうだろ!)

“徹底して綾瀬はるかを見せる作品”だな、と感じたのは、殆ど彼女と対峙する女性キャラが配されてなかった点からだろうか。
相対する2つの組織・・万鬼党(ばんきとう)の頭目=万鬼(中村獅童)にも、白河組の若親分=虎次(窪塚洋介)にも恋人的な存在はいなかった。そこまで描いてる余裕はなかったか?

流れとしては『はなれ瞽女おりん(1977)』の世界観に『用心棒(1961)』『七人の侍(1954)』『マッハ!!!!!!!!(2003)』『クイック&デッド(1995)』『シェーン(1953)』などの要素を“おいしい具合”にぶち込んだ印象か。
そこそこにしっかりした骨組みはあるんだけど、リズム感には著しく欠けてた気がするな(・ω・)

特に賛否の分かれるのは後半ではなかろうか? 私的にはも少し早く市に“あの場”に駆け付けて欲しかった、とも。
後半では“それまでさんざ「とんま」と呼ばれ続けて来た”十馬(とおま)がいよいよ「名誉挽回」するシチュエーションに力が注がれ過ぎてしまったかな、と。

市の「師匠」とも「父」とも解釈出来る某人物が登場するが・・「父親なのか?」と問われた彼女が静かに首を振るシーンを“敢えて盛り込んだ”トコに「何かがあるんやろか?」と妄想してしまった。
因みに彼は万鬼とも(過去に)死闘を繰り広げたようである。

市の肌身離さず持っている某アイテムが、ラストで“別な人物”に託される辺り「これが“居合の達人・座頭市の継承”の始まりなの?」とも思った。

しょっぱなの殺陣シーンは見応え十分! ここに本作のアクションのほぼ総てが集約されてたとも実感した!
・市の静かに手をかけた、仕込み杖の先端に蝶が止まっている
・居合い刀が一閃した後、刀を鞘に収める時に「ポクッ」「ポッ」なる小さな音がする
この辺りの演出には、かなり「ワクワクさせられた」ものである!

それと、窪塚君のセリフを耳で拾ってるウチに、何となく「脚本は“クドカン(宮藤官九郎)”かよっ?!」と思ってしまったのも事実(=^_^=)
何だかね、言い回しとか雰囲気とか、まんま『ピンポン(2002)』の星野“ペコ”裕(演じたのが窪塚)ですた。

一般客からすれば「前評判に比べ、ちょっとインパクトに欠けるよなぁ」と言う意見が、恐らくは多くを占めるんじゃないだろうか? しかし、綾瀬はるかファンには“マスト”な作品ではないかと考える。

かつて“学芸会レベル”とも一部で酷評された『あずみ(2003)』に主演した“あの娘”よりは「時代劇にしっくり溶け込んでおり、殺陣も自然」と感じたのは・・或いはワタシの贔屓目であったろうか・・?(⌒~⌒ι)

~ こんなセリフもありました ~

※「お前、はなれ瞽女だろ? “男の味”は知ってんだろ?」

市「私に構わないで下さい」
 「賭場は何処だい?」
 「灯りなんか、要らないよ」
 「子供は嫌いです。面倒だし、うるさいから・・でも汚れてない分、大人よりも信用出来る」
 「“境目”が見えないから、恐ろしい」
 「お節介も程々にしないと、酷い眼に遭いますよ」
 「私は私、ですから」
 「本当に何も分からなくなって、何も感じられなくなって・・」
 「今が昼なのか、夜なのか・・自分が果たして生きているのか、死んでいるのかも分からない。
  ・・別に、生きていたいとも思ってませんけどね」
 「人違いだよ」
 「あたしを万鬼の所へ連れてゆけ」
 「あんたに、訊きたいことがある」

十馬「大人は汚れている?」
市「大抵は・・」

十馬「今、鼻でフンと笑ったな?」
  「毎度、かたじけない」
  「いよいよ文無しか・・」
  「死んではならぬ」
  「生きるんだ・・生きろよ」

万鬼「“逆手一文字(さかていちもんじ)”の使い手は1人しかいないと思ってたが・・」
  「俺は、強ぇぞ」
  「俺たちは何処か“同じにおい”がする」
  「1度堕ちたヤツは2度と真っ当にゃ戻れねぇ・・特に血のにおいの染み着いたヤツはな」

長兵衛「“馬の骨”を幾らかき集めても、万鬼には叶わねぇ」
   「倅(虎次)を失うのは、本当に怖い」

虎次「死ぬ前に、2人以上叩っ斬れ~」
  「逃げんなよ、先生~」
  「(よっ)しゃぁ~」 ←まんま“ペコ”じゃないっすか(=^_^=)
  「ぶった斬って来いや~」

追記1:観終わって、かなりの興奮状態にあったか(=^_^=) グッズ販売コーナーで「鈴ストラップ(2本組)」を2ヶも購入してしまったのだった(⌒~⌒ι)
追記2:万鬼、あれでは「遠近感が掴めず、剣術面では極めて不利」と思うんだが。
追記3:虎次の父・長兵衛を演じた柄本明には「やっぱ“座頭市”と言えば、コイツが怪しい!」と思ったんだが(=^_^=)、それは考え過ぎだった。
追記4:万鬼の“隠された顔”も確かにインパクトあって怖かったが・・フツーにしてる竹内力さんも、十分に怖かった(×_×) 特にあの最後の表情は夢に出そうだ(=^_^=)
追記5:ロケ地協力は「庄内映画村」だそうだ。良さそうだなぁ・・
追記6:たけし版とは異なり“石灯籠斬り”は披露して貰えなかった。。
追記7:冒頭での市は笠をかぶり、深く顔を隠しているんだが・・このヴィジュアルをもっと引っ張って欲しかった。何となく『ゼイラム(1991)』の印象です。
追記8:考えたら、大沢さんと綾瀬ちゃんの年齢差より、大沢さんと渡辺えりさんのそれの方が少ないんやね(=^_^=)
追記9:馬は1頭のみ(?)しか登場せず、種子島(鉄砲)も弓矢も登場しませんですた。。飛び道具なきこの世界、、
追記10:後半で(?)とある重要キャラが“心停止”するような描写がありましたが・・アレって“補助バッテリーが起動”したんでしょうかねぇ?

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2008年10月25日 (土)

☆『ダイヤモンド・イン・パラダイス(2004)』☆

24日(金曜)の夜。「金曜ロードショー」で“地上波初”として放送された『ダイヤモンド・イン・パラダイス』を観た。
正直、全然予備知識がなく「ピアーズ・ブロスナン主演ってことで・・『トーマス・クラウン・アフェアー(1999)』の続編みたいなもんかな?」ぐらいしか考えておらず、やる気もないままに観始めたんだが・・終盤での“どんでん返し”が小気味良く、意外にも「観といて良かった〜」とワタシに言わせしむる1作であった(・ω・)

カリブ海に浮かぶ某リゾート・アイランド。ここに、半年前(?)“第2のナポレオン・ダイヤ”の強奪にまんまと成功した大泥棒=マックス・バデット(ブロスナン)とその恋人ローラ(サルマ・ハエック)が暮していた。
“第2のダイヤ”を盗み出す際、7年前(“第1のダイヤ”強奪時)から彼らを追っていたFBI捜査官=スタンリー・ロイド(ウディ・ハレルソン)に撃たれたマックスは、ローラにも口では“引退”を告げてはいたが・・奇しくも島には“第3のダイヤ”の展示施設を擁する豪華客船「セブン・シーズ・ナビゲータ号」が入港し、数日間停泊すると言う。

そしてマックスを追って、島にスタンリー捜査官がやって来る。彼は地元警察の女性刑事=ソフィーとタッグを組み、マックス&ローラの動きを監視し始める。

“引退”を半公言するマックスに接触して来た男がもう1人・・デトロイト出身の“島一番の悪党”ヘンリー・ムーア(=仏語だとアンリ・モレー)(ドン・チードル)である。
ダイヤを盗み出してくれ、と持ちかけるムーア。その(マックスが動き出す)チャンスを逃すまじ、と眼を光らせるスタンリー。
狙いが“第3のダイヤ”にあったからこそ、恋人はこの島に移って来たのでは? と疑い始めるローラ。

そして客船が間もなく出航すると言う最後の夜、展示室に忍び寄る覆面の男の姿があった・・

監督が“コンビもん”を得意とする(?)ブレット・ラトナー。
メインとなる2人が“ブロスナン&サルマ”から次第に“ブロスナン&ハレルソン”へとシフトして行く辺りで「ん? なんか方向性が変になって来たぞ?」と不安の高まって来たワタシ(⌒〜⌒ι) 製作陣も次第に悪ノリを加速させたか(?)作品世界がだんだん緊張感を失ってゆく・・
「んん? 野郎2人によるコメディものだったか?」とも思わされたんだが、、終盤でテンポの良い“どんでん返し”が2発続き「お、緩んでるだけの作品やなかったんやな〜!」と少し感心させられてしまったものだ(⌒〜⌒ι)
ってことで“一見ダレてそな作品”でも、頑張って最後まで観てみるもんやな、と。
(なお、序盤の“フリ”が終盤でも“オチ”にしっかり繋がっており、笑わされた)

オープニングでいきなしブロスナンが胸(?)を撃たれて倒れ込むもんで・・てっきり「M・ナイト・シャマラン監督系かよっ?!」と思ってしまったが・・そう言う“安直な脚本”でもなくて安心した(=^_^=)

ハッキリ言って「一見ゆるい」物語なんだが、観ておく価値はある作品、と評したい(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

マックス「ここへ来る前は、フィリピンで工場を経営していたよ・・現地の子供らをこきつかってね」
    「雨の日でも、傘なんか要らんよ」
    「泥棒は最後に捕まるだろうが・・それは“予想とは違う”男だ」
    「一説によると・・誘惑を追い払うには“屈する”のが一番だそうだ」
    「ふと“やり残したことがある”と思ったことは?」
    「そんな“傘の付いたカクテル”なんか飲むな」 ←“レモラ”なるドリンク
    「もっと離れて尾行しないと・・“転送電話”がバレるぞ」
    「負けるときもある、か」

ローラ「あなたは今日まで“失点なし”でゲームに勝ち続けた・・けど今が潮時よ」
   「“世界一美しい宝石”だって、お風呂でこんな風には楽しめないわ♡」
   「あなたは確かに最高の泥棒よ・・でも最低の男!」

スタン「最後に笑うものこそが、勝者だ」
   「世の中の人間は“夕陽の好きな人間”と“そうでない人間”の2種類に分かれる」
   「1日の終わりにのんびりと夕陽を楽しめる・・そんな人生こそが幸せなんだ」
   「人生の終わりに“山ほどの財産”と“山ほどの後悔”を抱えて死んでゆくんだよ、お前のような人間はな」

スタン「笑顔が素敵だな」
ソフィー「あなたには見せてない」

マックス「何で小声なんだ?」
スタン「サメに聞かれるだろ!」

追記1:『ノーカントリー(2007)』では、帽子を終始(?)かぶりっぱなしだったハレルソン。本作でその理由が何となく掴めた(×_×)
追記2:ドン・チードルの“キャラの落差”がモノ凄いため、本作の鑑賞前に『ホテル・ルワンダ(2004)』を観るのはやめといた方が良かろう(⌒〜⌒ι)
追記3:中盤に登場する「サメ」が何とも作りもんっぽかった(=^_^=) ←きっとコメディ狙いなんだろ
追伸4:「拳銃所持の認められた国」に住む以上、ある意味「防弾着」着用は常識と言えるのかも。
追記5:序盤、ローラによる“変装”がなかなかに素敵&完璧だった。あの“変装”をもっとバンバン演出面で取り入れて欲しかったッス!

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2008年10月24日 (金)

☆『イーグル・アイ』☆

22日(水曜)の夜。仕事帰りに梅田へと繰り出し、新作映画『イーグル・アイ』を観て来た。明日〜明後日にかけ、少なくとも今日よりは忙しくなる可能性が高く・・「ここらで観とこう!」と数秒間考えたのち、行く事に決定☆

場所は「泉の広場上ル」にある“梅田ピカデリー”だったが、とにかく混雑してて、中でも女性客の多さが目立ってた。あ、そう言えば今日は“レディースディ(水曜)”だったんやな、とその時初めて気付いた(×_×)

女性ならではのかまびすしさ&臆せず堂々と本編開始直前に入って来るずうずうしさに閉口させられつつ(←勿論、一部の女性客だけど・・)「君らの倍額支払って、何でこんな肩身の狭い思いをせなあかんねん!」・・などとは一切考えず(=^_^=)大人しく待っている内に、やがて上映は始まるのだった。

アフガニスタンの辺境、バルチスタンの村。ここで行われる葬儀に武装テロの指導者マジド・アル=ホエイが参列する情報を掴んだ米空軍は、北欧神話に基づくコールサイン“ヴァルハラ(本部)”“トール(偵察隊)”“ロキ(標的?)”を駆使し、テロ一派の殲滅を図る。
標的がアル=ホエイ本人である合致率は「声紋」「映像」から51%。その確率の低さに攻撃命令を出しあぐねていた指揮官=カリスター国防長官であったが、合衆国大統領直々の連絡がそこに入り・・

バックパッカーとし世界各地をさすらった末、現在は帰国し、安アパートの家賃すら滞納させつつ「コピーカバナ」で店員として働くジェリー・ショー(シャイア・ラブーフ)。そんな彼は、幼い頃から優等生だった、双子の兄=イーサンの訃報を受ける。

空軍の広報部に勤務していたエリートの兄は交通事故で亡くなったと言う。
悲しみに暮れるジェリーだったが、彼を迎えた父(ウィリアム・サドラー)との間に深く刻まれた溝に、埋まる気配は見られなかった。

ある日、行きつけ(?)のATMで現金を引き出そうとすると、昨日迄は“残高不足”だった筈の口座に“75万1000ドル”もの大金が振り込まれていた。
驚きつつも、札束をかき集めそそくさと帰宅するジェリー。大家のおばさんに家賃を渡すと、彼女は「部屋に荷物が届いていたよ」と彼に告げる。
部屋に入ったジェリーの前に、うずたかく積まれた銃器&爆薬&毒物が・・! 暗視スコープ、硝酸アンモニウム(545キロ)、F16操縦マニュアル、なんてのまであるし!

直後「30秒後にFBIが到着するから、すぐに逃げなさい」との“女の声”による警告が彼の携帯に。
動転してるうちに、ホントにやって来たFBIに捕まってしまうジェリーだったが、そんな彼を拘束されていたビルから助け出したのも“女の声”による指示だった。
逃げ出すジェリーと、それを追う主任捜査官トム・モーガン(ビリー・ボブ・ソーントン)。

彼の逃走を手助けする“女の声”の主は一体何者なのか? そしてその目的とは?

シングルマザーのレイチェル・ホロマン(ミシェル・モナハン)は、1人息子サムを駅から送り出す。彼は(ワシントンの)ケネディセンターにおける演奏会にメンバーとして参加するため、愛用のトランペットケースを携え向かう。

だが直後、レイチェルは携帯に架かって来た“女の声”に脅迫される。協力しなければサムの命はない、と。
その指示に従い「黒いポルシェ・カイエン」を手に入れたレイチェルだったが、間もなく(車の)助手席に同じく指示を受けたジェリーが乗り込んで来る。

かくして“余りにも巨大な陰謀”の片棒を担がされることとなる2人の、出口すら見えぬ逃避行が始まったのだった・・!

う〜ん・・どやろ(・ω・)
期待値が高過ぎたせいか、中盤までの吸引力が次第に失速し、後半には観ててかなり疲れてしまったかな、と。何にしても・・過去のサスペンス作品のネタを色々と引っ張って来てはいるんだが、それらが強引にモンタージュされ過ぎてて、どうにも“超B級作品”の域を脱することはなかった、少なくともワタシの中では。

それぞれの役者さんとも、頑張ってくれてはいるんだが・・全体的に地味な俳優陣。
笑いらしい笑いの要素すら、排されてた進行には正直「スティーヴン・スピルバーグの名を冠した(←監督ではなく、製作総指揮に過ぎないが)エンタテインメント大作としてはどうよ?」と感じたものだ。

ネタ的にも・・「奇しくも」とは思うが『アイアンマン』とその序盤が、『ゲットスマート』とその終盤が酷似してた(=^_^=) 後者については『交渉人/真下正義(2005)』にも(つまりは)酷似してる訳だが(=^_^=)
他に連想したのは『007/サンダーボール作戦(1965)(個人認証ネタ)』『マイノリティ・リポート(2002)(いんちきハイテク&えせサイバーネタ)』『逃亡者(1993)』&『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(2002)』『マキシマム・リスク(1996)(双子ネタ)』・・そして極め付けはスタンリー・キューブリック監督の・・
(ヒントは、空軍の情報将校として登場するキャラの名 − ※※※※少佐 − ですわ)

ここは「未だにキューブリックに対するリスペクトが止まないんやね・・」とスピルバーグに言ったげるべきか?

この少佐の名がワタシの記憶の中で・・と繋がった瞬間、オチにも自然と気付いてしまい、急に本作が色褪せて見え始めたのは確かにあったか。
もう1点の“しょ〜もなポイント”は、中盤で突然に出て来る「MASAKOバス」に乗った日本人によるツアーの一団。取って付けたような“日本人観客へのリップサービス”に「おいおいっ!」と突っ込んでしまったのはワタシだけではないハズ。
(同じような気持ちとなったのは『宇宙戦争(2005)』における「大阪では“奴ら”を何体か倒した連中がいるらしい!」みたいな、これまたムチャクチャなセリフだったか、、)

オチ自体は大したことなかったが、劇中で2度ほど展開されるハードなカーアクションにはぶっ飛んだ! 1度目では、最高級4駆車たる“ポルシェ・カイエン”が惜しげもなくボコボコになって行くのが圧巻! 夜のシーンなのと、カメラワークがハチャメチャ(素早過ぎ!)なので、途中「何が何だか分かんない状況」なのがスゴかった(=^_^=)

他には劇中に登場するガジェット(アイテム)関係だろうか。中でも“ヘックス”なる特殊な結晶体がスゴい! とある“外的要因”をきっかけに大爆発を起こすんだが、C4爆弾の約80倍(?)の破壊力を持ち、1粒で何とフットボール場ほどの面積が“消滅”するらしい。そんなオッソロしいシロモノを、削って加工しちゃうおっさんが出て来たりして、これまたぶっ飛んだ!(⌒〜⌒ι)

他には高度飛行中の機内における酸素欠乏(窒息)を防ぐ、特殊な薬剤(注射器タイプ)の存在も面白い。

ホンマにあるのか分かんないが、苦笑させられたのが“FBI”と側面に大書されたトレーラー車両。スゴいんだか、アホなんだか、何だか良く分かりませぇん。。

珍しい(?)ロケーションとし、空港の貨物搬送区画内(?)での追いかけっこには独特の味わいがあった。ジョージ・ルーカス監督なんかもきっと好きそな演出だろう(=^_^=)

ほか、こんなことも突っ込みつつ幕とさせて頂きたい(ネタバレは出来ないので)。

・“木の球ご〜ろごろ(2002)”に続いては“金の球ゆ〜らゆら”である(・ω・)
・“黒幕”はアホである(=^_^=) なぜ序盤の音で“オン”するようにしなかったんだろ? 音階的に無理でも、会場内のスピーカーを“ハック”するとか、なんぼでも出来たでしょ?
・オレがあの子供だったら、多分びっくりして、思わず次の1音を吹いてたろうな(=^_^=)
・「ヒッチコック好き」にとっては、物語が大き過ぎ、楽しめない気がする。オチもあんな風に転がっちゃあねぇ・・
・“イーグル・アイ計画”って言うと響きもカッコいいが・・“ギロチン作戦”ってのはセンス的にどうよ?
・“FBIの盗聴を完全に防ごうと考えるなら、もはや携帯の電池を外すしかない”ってな警告が劇中であった。
・ジェリーの父役のウィリアム・サドラー! このおっちゃんが“黒幕”とも思ってしまった(=^_^=) どうにも『トレスパス(1992)』『ダイ・ハード2(1990)』などの悪役ぶりが忘れられない。
・合い言葉“ポタス・トリプル・ワン”って何じゃ〜い。
・銭形警部的キャラでもあり、それなりに憎めなかった捜査官役のビリボブ(ビリー・ボブ)。にしては、あのあっけない“退場っぷり”ってばどうよ?
・サテライトに自動転送されたデータ(完全ではないが)はどうなった? 続編への“フリ”のつもりか?
・扱い慣れぬ(?)「レミントン870」を構えるジェリー。の筈なのに、街角の監視カメラをたったの一発で吹っ飛ばす射撃の腕は“ただ者”じゃなかったんでは?

〜 こんなセリフもありました 〜

ジェリー「女にはカネをかけろよ」
    「この家に戻る度、よそに来た気がする」
    「奴らなら、列車をアヒルにだって変えられるだろうさ」 ←どんな例えだ!
    「俺はいつも、兄貴の“引き立て役”だった。彼が俺に頼み事をするなんてなかった」

女の声「あなたを“起動”させた」
   「逆らえば、あなたの息子の乗る列車は脱線する」
   「質問はなし(no question)」
   「“逃走”は選択肢にはない」
   「我々は常に“監視”している」

モーガン「外はやけに冷えるな」
    「これは戦いだよ、君の私に対する“黙秘権”と、私の君に対する“拘留権”とのね」
    「俺を眺めてるヒマがあったら・・さっさと働け!」

日本人バスガイド「はあぃ、ごゆっくりぃ」

ジェリー「かくれんぼのつもりか?」
女の声「隠れてはいない」

レイチェル「離婚なんて、私の人生にとって汚点よ!」
ジェリー「汚点なんかじゃないさ、可愛い息子さんが生まれたろ?」

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2008年10月22日 (水)

☆『5月之恋(2004)』☆

21日(火曜)の夜、衛星第2で放送された恋愛映画(なのか?)『5月の恋』を観た。
全く予備知識もないまま観始めたんだが、ラヴコメか? と言うとそうでもなく、ちょっと期待してたほどは宜しくなかったかな、と(・ω・)

台湾は台北に住む、ミュージシャンを夢見る青年アレイ(阿磊)。そして、中国は哈爾浜(ハルビン)に住む、京劇女優を目指す少女チャオ・シュアン。2人の出会いは台北の人気ロックバンド=メイデイ(五月天)のファンサイトにおけるチャットに端を発する。

メイデイのメンバー(ギタリスト)の弟であるアレイは、ヴォーカリストのアシン(阿信)と偽ってシュアンとメールのやり取りを続ける。
ある時、彼女から“5月の雪って知ってる? それを見るため三義(=地名)まで連れてって欲しいの。4月25日に台北に向け出発するから、5月1日に(市内の)誠品書店で会いましょう”なるメールを受け取ったアレイは“分かった、会おう”と返信したのだが・・

キャラ的に、ちょいとブサ〜ク系が多く“恋愛モノ作品”に本来、欠かされざるべき「トキメキ」を殆ど感じられなかったのは残念。メイデイなるバンドのメンバー(5人組)が揃いも揃って・・“ヴィジュアル系バンド”とはお世辞にも言えなかったのは、、(後略)(ファンの方、済みません、私見です)

ヒロインの女の子も“ほんわかした美少女”じゃなく“キッツイィー系”なのが好みに合わなかったッス!

かつ、物語も後半ともなると、2人の恋愛ドラマ(の進行)より、シュアンの祖父を巡る物語にシフトして行ったりして不思議な感覚に陥った。。

ただ、台北と(彼らが“本土”と呼ぶ)ハルビンの思想や言語、歴史などの違いをネタとし描いてくれたのは勉強になったかな。

ワタシなどからすれば全く一緒に見えるんだが・・

「台湾の発音は(さほど)舌を巻かないが、本土の発音は舌を巻きまくる」
「台湾の方が異文化(ロックミュージックなど)に寛容。本土では、場所により非難される場合がある」
「台北は比較的暖かいが、ハルビンは寒い(特に冬場の寒さはスゴい)」
「台湾の若者はネット上での“身分詐称”にさほど抵抗を感じてないが、本土人は(比較的)真面目に本名を名乗る」

なんかの違いが見受けられた。

これまでは、ハルビンと言えば、ワタシなどは“伊藤博文暗殺の地”ぐらいしか知識がなかったが、後半のロケ映像の中で“聖ソフィア大聖堂”なる荘厳なロシア建築物を拝めたのは、眼福だった。
ビザンチン建築の影響が色濃いらしいが、そう言う建築学的なややこしいこと(=^_^=)は置いといても“緑色のたまねぎ屋根”“緻密な壁面の造形”などが実に素晴らしい!

台北でのロケ映像は全体的に弱かったが、とにかくこのハルビンの冬の情景(って言うか先の大聖堂だけだが、、)のみは映像価値も高かったように感じた。

〜 こんなセリフもありました 〜

兄「これまでの人生で努力をして来なかったお前が、この俺に勝てるのか?」

アンアン「本名で誘う勇気はないの?」

アレイ「相手だって偽名かも知れないだろ? 男かも? ネットなんてそんなもんだよ」

アレイ「アシンと名乗らなくても、僕にメールくれた?」
シュアン「それは絶対ない」

シュアン「ここって落ち着ける部屋なのに・・少ししかメールくれないのね」
    「ネットでの60日より、現実の1日よね」

京劇団の監督「どうした? 役に入り過ぎて故郷も忘れたか?」

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2008年10月18日 (土)

☆『幸福な食卓(2006)』☆

さる7日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。その週の“家族系ムービー”のトップバッター的な作品であったか、と(因みに、翌8日に『酒井家のしあわせ』が、翌々9日に『ゆれる』が放送された)。

あんまり期待せず観始めたが、妙にすき間(余白)だらけの演出・・が故に、(想像力もかき立てられ)味わい深いドラマではあったか、と。
最近に劇場で観た『トウキョウソナタ』もそうだったが“家族の崩壊&再生”こそが邦画がきっと最も得意とするジャンルだろうし、最も口酸っぱく描き続けるべきジャンルなんかも知れない(・ω・)

かつて教師だった父・弘が“とある事件”を起こして3年目の春のある朝、中原家の食卓で弘がポツリと言い放った。

「父さんな、今日で父さんを辞めようと思う」

その“とある事件”を機に、中原家はじわじわと崩壊を続けていた。
母(石田ゆり子)は夫と離れ自活。優等生だった兄・直(なお)は大学に行かなくなる。主人公でもある佐和子(北乃きい)は、毎朝の食卓の場で“家族3人揃ってはいるものの、言いようのない孤独感と当惑をひたすらに募らせ”続けていた。

そんなある日、彼女の前に爽やかな転入生・大浦勉学(勝地涼)が現れる。
あっけらかんと「俺んち、崩壊してんだよなぁ〜」と語る“裏表のない”勉学に、次第に惹かれてゆく佐和子。

やがて2人は揃って憧れの難関校=県立西高等学校(西高)に合格する。

とうとうクラスが離れてしまった2人だが、迫る(その年の)クリスマスを前に“プレゼント交換”をすることを約束する。

彼女はまだ、やがて訪れる失意のことを知らなかった・・

うーん、テーマ的には“家族”がメインだが、いきなり佐和子の前に現れる“大浦勉学”のキャラが作品世界を引っ掻き回すほどに印象的であるため、序盤&終盤の“静けさ”こそは際立つ半面、“家族の再生”に関してはややカラーが薄まってしまってた感もあったかな、と。

佐和子には勉学、直には“小林よしこ”・・と兄妹それぞれに“新たな家族候補”が誕生するんだが、最後に小林よしこをして放つ

「恋人も友達も何とかなる・・努力次第でさ。でも家族はそうはいかないよ・・
 もっと甘えたらいいのにって思う。
 ・・家族って“作るのは大変”だけど、その分“滅多に消えたりしない”からさ。
 だから安心して甘えたらいいと思う」

のセリフこそが、まぁ本作の“語りたかったこと”なのだと私的には解釈している。

それにしても、北乃さんの“静のキャラ”と勝地くんの“動のキャラ”のコンビが、すごくフレッシュで好感の持てた作品ではあった。今後、またお2人が共演することが実現するなら、それぞれのキャラ(の造形)を入れ替えての“コメディ作品”なんぞを観てみたいと思う(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

勉学「お前って“けど”が多いよな」
  「スゴいだろ? 気付かない所でお前って色々護られてるってこと」

母「あのね・・離れていると、それまで気付かなかった事に気付いたりして、良いこともあるのよ」
 「直が本当に人を好きになるのは、ずっと先のことよ」

よしこ「見え方が違うだけ・・べったりと近くに居過ぎると気付かないんだろうね」
   「とにかく、あんたは元気になんないといけないと思う・・まぁ別に急がなくてもいいけど」

直「我が家って、みんな役割を“放棄”してるんだよな」
 「俺にも(親父のように)歪みやずれが出始めたんだ・・そして、その歪みをゼロに戻すには、死ぬしかないんだな」
 「“真剣さ”さえ棄てる事が出来たら・・」

佐和子「きっと、他人じゃないと救えないものってあると思う」
   「死にたい人が死ななくて、死にたくない人が死ぬなんて・・そんなのおかしいよ、不公平だよ」
   “人は時々いつもと違う事をする・・きっとそれは“何かの予感”があって、自然にそうしてしまうんだろう”

勉学「キスしていいか?」
佐和子「もう・・どうしていちいち訊くの?」

父「子供はいいな・・次の日が楽しみになるなんて、大人になるとそうそうないからな」
 「父さんは・・やっぱり父さんでいようって思った」

追記1:予備校で講師のバイトをする父。そこのスローガンは「沈着・冷静・大胆」だった。何だか“犯罪的な響き”をも感じさせる3要素ですね(⌒〜⌒ι)
追記2:後半。電車の窓越しに、何かを(佐和子に)言った勉学。何と言った??(少なくとも「2つで充分ですよ」とか「作戦は5時間後に始まる」とかではなかったと思う、、)
追記3:ラスト、佐和子の前に現れる某人物。「大丈夫だから・・僕、大きくなるから」のセリフと、坂の上下に配された(その2人の)立ち位置映像に“新たな物語の息吹”を感じたりもしたワタシ(・ω・)

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☆『スティング(1973)』☆

さる2日(木曜)の夜、衛星第2で“追悼ポール・ニューマン特集”とし放送された、俳優ニューマン氏の代表作『スティング』を観た(私的には『明日に向かって撃て!(1969)』の(シリアス路線の)方が好きなのだが・・)

本作では『明日に向かって〜』同様、監督:ジョージ・ロイ・ヒル、共演:ロバート・レッドフォードの顔ぶれではあるが、ニューマンがより貫禄に満ちた“静”の存在感を魅せてくれる。

主人公や、物語の展開で言えば“レッドフォードが主人公”と(も)言えるのだが、、しばらく経ってからようやく登場するってのに、ニューマンのあの“すっぽりと物語の中心におさまるキャラ”ってば流石!

物語は1936年の9月、イリノイ州ジョリエットに始まる。賭博の取締が厳しくなっていた時代、表立っては静かで平穏な街角であったが・・裏ではやはりマフィアが闇賭博を牛耳っていた。
そんな中、ベテランのルーサー&若手のジョニー・フッカー(レッドフォード)からなる“詐欺師コンビ”が、まんまと街のチンピラ=モトーラから「すり替えトリック」で1万1000ドルをせしめる。
思わぬ収穫に大喜びの2人だが・・モトーラは実はニューヨークのマフィアのボス=ドイル・ロネガン(ロバート・ショウ)の手の者であり、違法賭博の売上金をシカゴへと運ぶ途中であった。

報告を受けたロネガンは、シカゴの部下に「地元で片を付けろ、示しをつけないとそいつらは図に乗るぞ」と暗に“殺害”を命じる。

調子に乗り、ルーレットで3000ドルをイッキに失った失意のフッカー。先輩のルーサーに「派手に使うとバレるぞ、一人前になれ」とたしなめられる。更に彼は「私ももう歳だ」と呟き「これからは、スリルはないが合法的な仕事をするよ」とこの後輩に語るのだった。「たった5年で“黄金コンビ”を解散かよ!」と不満げなフッカー。

直後、悪徳警官スナイダーに絡まれたフッカーは「ロネガンの組織の金に手を出すとはな・・知らなかったでは済まんぞ」と脅される。不安にかられたフッカーがルーサーを訪ねると・・果たして彼は既に組織の放った殺し屋=ライリー&コールの手で窓から突き落とされた死体となっていた・・

生前のルーサーに「俺は引退するから、これからは“超一流の詐欺師”ヘンリー・ゴンドルフのもとで学べ」と聞かされていたフッカーは、彼を訪ねシカゴへ向かうも・・初対面のゴンドルフ(ニューマン)はFBIの追跡に怯え、遊技場に隠れ住むしょぼくれた中年男に過ぎなかった、、

直情型で活発なレッドフォードに、安楽椅子型(?)で冷静なニューマンが絡み、こんなにもメリハリの効いた“詐欺師コンビ”になるとは。。
今で言う、刑事ドラマ『相棒』なんかに少なからぬ影響を与えてるんかも?

拳銃アクションや乗馬シーンなどは『明日に向かって〜』と比較すれば、殆ど“ないに等しい”んだが、凄絶な逃避行をひたすらに見せたあの作品とはひと味違った、インドアメインながらも“上質なエンタテインメント”を見事に構築してくれている。

基本的に“いらち(=短気)”で“疑り深く”“執念深い”ロネガンを「如何にハメるか」が本作の醍醐味(?)だが、そう言う“軸”を中央に配しつつ「フッカーと凄腕の殺し屋=サリーノの攻防」「フッカーとダイナー(食堂)の孤独な女=ロレッタの束の間の恋」「ゴンドルフとFBI捜査官=ポークの攻防」なども巧妙に描かれ、特に“サリーノ”“ポーク”を巡る「オチ」には、すっかり騙されてしまう観客が殆どではないだろうか?

そう言うと、ゴンドルフがリーダーとなり、詐欺師仲間がかき集められるんだが、その際“符丁”ぽく交わされる詐欺の手口の数々が『オーシャンズ3部作(2001)(2004)(2007)』ぽくて面白い☆
結果的に採用された手口「電信」の他にも「おびき出し」ってのが存在するらしく、そっち路線の物語も是非観てみたかったものだ(=^_^=)

※『オーシャンズ13』のみは未見です、ワタシ。。

にしてもロネガン氏・・中盤以降、シカゴの街に「滞在し過ぎ」な気もしたな。組織の大ボスってば、あんまし“アウェー(よその縄張り)”ばかりに気を回すべきじゃないと思うンだけど、、(・ω・)

なお、改めて観ると・・ロネガンはシカゴ行の中で3度も大きな被害に遭っており、それはそれで気の毒なおっつぁんには思われた・・(列車内でのスリ被害⇒いかさまポーカーでの大敗⇒ラストの“トドメ”)。

因みに、本作のタイトル『スティング(The Sting)』を“とどめの一撃”“強烈なひと刺し”などと解釈してたワタシだったが・・今回は“信用詐欺”と和訳されてたし。
それはそれで理解出来るんだが、何だかそんな意訳そのものに「騙された」感のあるワタシだったり(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ルーサー「金持ちは、黒人を信用しないのさ」

ゴンドルフ「鮮やかに奪ったとして、その後も騙し続けられるか?」
     「やると決めたら、半端な仕事はしない」
     「失敗したら、FBIより怖い連中に狙われることになる」
     「友人にウソは良くないぞ・・困った若造だな」
     「シカゴは腐敗した街だ、刑事すら汚職にまみれてる」
     「警察に追われてさえなきゃ、俺のやってることは詐欺じゃないかもな」

ゴンドルフ「黒い帽子の男がロネガンだ」
フッカー「何だ、普通の男だな」
ゴンドルフ「我々もな」

ゴンドルフ「復讐してもルーサーは戻らん、詐欺など空しいだけだ」
フッカー「では何故続ける?」
ゴンドルフ「挑戦だからだ」

フッカー「この街を出て、行き先は?」
ロレッタ「乗った列車次第よ」

ロレッタ「私を口説く気ね?」
フッカー「下心はない、君と俺は似た者同士だ・・孤独な2人なのさ」

追記:初対面時、如何に「経歴」「過去」「凄み」を漂わせるか・・そこがプロ(の詐欺師)の凄まじさなのだろう!

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2008年10月17日 (金)

☆『ゲットスマート』☆

16日(木曜)の夜。残業を早々に切り上げ、梅田方面に出てシネコン“ブルク7”にて、新作スパイコメディ『ゲットスマート』を観て来た。
本作は、60年代のコメディドラマ『それ行けスマート』がオリジナルらしいが、とにかくこれまでに何度も劇場で目にした(=^_^=)予告映像にハートを掴まれ「きっと、行こう!」と考えてたモノだった。

冷戦時代が終わり、それと共に表立った活動を停止した、とされる2つの組織があった。
1つは国際的犯罪組織“カオス”
1つは国際的諜報機関“コントロール”

今や「スミソニアン博物館(ワシントンDC)」に“再現グッズ”の展示されるような「遺物的扱い」の“コントロール”だったが、実は現在も活動を継続しており、その本部は何と! 同博物館の地底に存在するのだった。(館内以外にも「合衆国議会議事堂」前に広がる“池の中”に通用口があったりする)

主人公である“負け組な40男”マックス・スマート(スティーヴ・カレル)は“コントロール”の敏腕(?)分析官だが、華やかなエージェントとしての仕事に憧れ、昇進試験を繰り返し受けては、落ちる人生だった。
そんな中、とあるエージェント(38だったか?)のミスにより、殆どの所属エージェントのデータが“カオス”に漏洩してしまう。
事態を重くみたチーフ(アラン・アーキン)は、整形によりまだ正体のバレていないエージェント99(アン・ハサウェイ)に、新たに昇格させたエージェント86を付け、2人1組で“カオス”の核兵器製造計画を暴き、これを壊滅させるべくロシアに派遣する。

そしてそのエージェント86こそは、マックスなのであった!

マックスのおトボケを楽しむ・・ってのが本作の正しい見方と言えようか。逆に、そこが楽しめない観客にとっては、苦痛の時間でしかないように思う(=^_^=)
もっと極端に言えば、俳優スティーヴ・カレルの言動を許容出来るかどうか、だろうかな。
私的には“許せる範囲”だったが、意外と“笑いの要素”がガジェット(=スパイグッズ)頼みなトコも少なくなかったので、コメディアンとしてのスティーヴの真価は、まだまだ私的には未知数な印象を残した。

それにしても豪華な助演陣! 意外と格闘アクションを“そつなく”こなすハサウェイちゃんには好感を持ったし、『暗くなるまで待って(1967)』『クルーゾー警部(1968)』『ガタカ(1997)』のアーキン(←若い頃はかなりイケメン!)、“カオス”の最高幹部シーグフリード役には『コレクター(1965)』『スーパーマン2/冒険篇(1981)』『プリシラ(1994)』『ホーンテッドマンション(2003)』『ウォンテッド』で近年ますます渋みの光るテレンス・スタンプ。
合衆国大統領役には・・何と『ゴッドファーザー(1972)』『ミザリー(1990)』『イレイザー(1996)』のジェームズ・カーンがキャスティングされてたり。
カメオ出演なんかも知れないが、エージェント13(?)役のビル・マーレィの存在感などは、なかなかに強烈だった!(=^_^=)

色んなスパイ映画の要素をちょこちょこ拝借してそな感もあったが、まず「スカイダイビングしつつ“カオス”の巨躯の殺し屋=ダリープと戦う」ってなシーンはどう観ても『007/ムーンレイカー(1979)』だと思った。このダリープが、物語の中盤以降、少し“変化”を見せるトコなども、同作で007を苦しめた殺し屋“ジョーズ”(リチャード・キール)の言動にかなり通じるものがある。
ガジェットで遊ぶ演出は『ジョニー・イングリッシュ(2003)』路線って感じだったか。

その活躍だけ眺めれば・・マックス君を“喰っちゃってた”エージェント23。どうみてもツラ付きが“スコーピオン・キング(2002)”じゃん! と思ってたら、どうやら“ザ・ロック”のリングネームで知られるのが、俳優ドゥエイン・ジョンソンさんやったんですねぇ〜! 知らんかった。

ってことで“お約束”的なバカバカしいお笑いがちりばめられつつ・・しっかりエージェントとしての“ツボ”はおさえ、活躍してくれるマックス君に、ちょっとムカついたりもしつつ楽しんだのだった。

〜 こんなセリフもありました 〜

エージェント23「携帯を貸してみろ・・(バキッとへし折り)これで永久に“圏外”だ」
別のエージェント「(携帯を貸した同僚に)次は、自分の携帯を使え!」

エージェント23「ゲームオーバーだと? それは俺が決める」

チーフ「君の“実存主義に関する小論”はなかなか的を射ていた」
マックス「確かそこは“空白”で提出したかと・・」
チーフ「“実存主義”の本質など“空白”でしかない・・君の答えは正しい」

マックス「人間の直感こそが大事なんだ」
    「痛みに耐えろ・・!」
    「固定観念は、忘れなきゃ」
    「言っておくが、僕は“韓国武術”の達人だからな」
    「一食を抜くと、後に響くぞ」
    「“007の世界”にはクソもネズミも出て来ない、ここ(リアル下水路)とはえらい違いだ」
    「BB弾を装填した銃を構えたチャック・ノリスが、お前たちを狙ってるぞ」
    「いいか、僕らは彼に掴まって、一緒に・・(行こうとするが、先に行ってしまう)・・行かない」
    「“チクチクする毛布”を差し入れてくれて有難う」
    「“ゲロ袋”お代わり!」
    「政府を代表して、この車を徴用する!」

エージェント13「“樹の中の男”なんかと話したくないよな・・」

ロイド「スイッチは強く押さないと・・」

※「例えばこのメモ用紙でも、お前を殺せるぞ」
※「ジリジリと、だけどな」

チーフ「地雷処理現場に飛ばされたいか?」

シーグフリード「お前の代わりなら幾らでもいるぞ」

エージェント99「アドレナリンとホルモンを勘違いしてるようね」
        「エージェントから事務職に異動なんて“おろし金で額を1日中擦る”ような苦痛よ」

エージェント99「“いざと言う時”はこれを・・9秒で死ねる毒薬よ」
マックス「それを“いざと言う時”に敵に飲ますことは出来るかな?」

マックス「パンよりも、もっともっとホットな物(=核兵器のこと)が欲しい」
パン屋のおばさん「嬉しいけど、私には恋人が・・」
マックス「・・どうも話が噛み合ってないと思うぞ」
パン屋のおばさん「小麦粉の上でなら、フカフカよ」

マックス「僕があんたの敵なら、あんたは死んでる。あんたが僕の敵なら、僕は死んでる。
     2人とも死んでいないなら、我々は敵じゃない」
シュターカー「確かに、この男の言う通りだ」

※「金正日は“米国人の骨で作ったプリン”が大層お気に入りらしい」

追記1:放たれるギャグ群の中では“予告編”で眼を引く(=^_^=)「受話器投げ」辺りが最もリズミカルに思えた☆
追記2:終盤、上空を“(ロサンゼルスの)ディズニーホール”へと向かうセスナ機に負けじと、猛ダッシュするマックス&99。ほぼ同時に到着してたようで「どんだけ走るの速いねん!」と突っ込めるポイントっす。
追記3:ロシアにもフェラーリはあるし、カメラ付き携帯はあるのだ!
追記4:ラストの演出が『交渉人/真下正義(2005)』にそっくりな気がした(・ω・) まぁネタ的にはサスペンスもんの“定番”かも知んないが・・

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2008年10月14日 (火)

☆平日にだって展覧会には行ける!☆

14日(火曜)の夜。
先週7日(火曜)の新聞(夕刊)に特別記事の掲載されていた
「そごう心斎橋本店・開店3周年記念/後藤純男展」に足を運んでみた。

就業時間が終わって以降も、ついグダグダと“潔くない残業”をしてしまうケースの多い週始めのワタシであるが、前もって「今日は、行く!」と決めてたもんで、残ってる部内の面々には「済まぬ・・」と思いつつ、足早に退社させて頂いた。

これまで、後藤純男なる画家の存在を全く知らなかったワタシだが(済みません・・)、画伯の描く日本画の幾つかを紙面で見て、ガァン! とアタマを“上から落ちて来た金だらい”で殴られたような(←ドリフかぇ!)衝撃を受けた!
と言うのも、その絵画世界に“大和(奈良)”“古塔(木造塔)”“静謐(静寂)”・・なる「ワタシの考える理想的な日本の原風景」を構成する要素がカンバス(画布)狭しと溢れかえっていたからである。

特に“雪を被った、木造塔を擁する伽藍”の描かれた「大和/雪のしじま(1992)」は素晴らしく、、「是非、コレは原画で眺めときたい!」と思わせるに十分であった。

会期が今月20日(月曜)までと短いんだが、有難いことに午後8時まで開館(ただし、入場は閉場の30分前まで)しているので、今日なんかの場合で言えば、かなりゆとりを持って鑑賞することが出来た☆

さて、後藤画伯は昭和5年の生まれで、現在で御年78歳となられるそうだが、モチーフ(題材)が「桜」「古都」などの静かなテーマに落ち着くか・・と思いきや「断崖」「富士」など壮大でダイナミックなものと化し、遂には日本を飛び出し「タクラマカン砂漠」「中国(紫禁城など)」を描く、と言う劇的な変化(成長?)を近年になっても遂げておられ、その柔軟さには敬服する。
(私的には、古塔を描かれた一連の作品以外には、それほど感動しなかったですが・・)

昭和も後半に入ってから、初めて訪れた中国に魅せられ、それまで頑(かたくな)に画中から排していた「人物」「動物」を積極的に描き始める・・など“凝り固まった俗人”には到底出来ないことだろう。

ただ1つ“塔マニア”として訝しく、かつ微笑ましく(=^_^=)思えたのが「秋の談山神社/多武峰(1995)」なる大作。
作中に大きく描かれた“桧皮葺(ひわだぶき)の十三重塔”の塔頂部にそそり立つ装飾具の“相輪”である。

実際には「輪が7つ」なんだが、画伯は「5つ」を描くにとどめておられた。。
細かいトコなんだが、そのデフォルメが何とも気になってしまったかも(・ω・)
(まぁカンバスの高さを突っ切る勢いで描かれてる塔なので、総合的なバランスを考慮して“えいやっ!”と処理したんかも知れないが・・)

そういうどっちでもイイけど心に残ること、、にも心を砕きつつ(?)、やっぱりギャラリーを出た直後はグッズ販売コーナーにすっ飛んでゆき、腕組みして熊のようにウロウロウロウロ歩き回り(=^_^=)、結局ポスカ(ポストカード)を12枚も購入してしまったのだった(⌒〜⌒ι) ←取り敢えず“塔”の配されてるポスカは全種をおさえておいたし☆

改めて「奈良はええぞ!」と再認識させてくれた後藤画伯に、小さな声ではあるも、お礼を申し上げたい。

追記:画伯、このちっぽけなブログに眼を通されることが(まかり間違って(=^_^=))御座いましたら・・是非に“室生寺・五重塔”と“薬師寺・東塔(三重塔)”も描いて下さい!

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☆『アガサ・クリスティー/謎の失踪・失われた記憶(2004)』☆

“放置プレイ”されてたレビューをアップします。。

さる9月27日(土曜)の夜に鑑賞。今回は「TV放送された映画」でなく、頂き物のDVDソフトにて鑑賞した“BBC(英国放送協会)製作による実話ベースのドラマ”と言うべき作品。

“ミステリーの女王”と呼ばれた英国の推理小説家=アガサ・クリスティー(notマッジ・ペンローズ、、)の生涯で、後年になってもなお語り継がれる実在の“11日間の失踪事件”の謎に切り込んだ物語。

実際の失踪はこんな顛末。

1926年12月初旬(ウィキペディアでは同月3日、の記載)。使用人にも行き先を告げぬまま、アガサは夜、突然に自宅(パークシャー州サニングデールの“スタイルズ荘”)を飛び出す。
運転していた青い愛車“モリス”が、サリー州ニューランズ・コーナーの砕石場界隈で衝突事故を起こした状態で発見され、車内には彼女の所持品がそのまま残されていた。

数日後には、アガサが“ロンドンから投函した”と思しき手紙の存在が明らかとなり、捜査陣は捜索範囲の拡大を余儀なくされる・・

結果的に、彼女は11日後、ヨークシャー州ハロゲートのホテルに“テレサ・ニール”なる偽名で宿泊しているのが見つかり、現地に向かった夫=アーチー・クリスティー大佐(ウィキペディアではアーチボルド・クリスティ大尉、の記載)により「間違いなく本人である」と確認された。

夫と感動の(?)対面を果たしたアガサであったが、衝突事故によるものか“失踪期間中の記憶”は完全に失われていたのだった・・

執筆した作品群の華やかさ(及び発行部数)とは対照的に(?)私的には“地味な私生活(作家人生)を送らはったんでは?”と勝手に推測するアガサ(1890-1976)。
そんな彼女の人生で、最もセンセーショナルな印象を受ける“謎の失踪”に切り込んだ意欲的な企画ではあるも、劇中で主治医(精神科医?)により明らかにされる“真実”は意外にあっけなく、俗人的なものでもあったか・・(・ω・)

元の所有者の方曰く「劇中で“アガサの悪夢”に登場する某人物がとにかく生理的に受け付けない」ってことで・・こっちも覚悟し、リモコンの“停止ボタン”に指をかけたまま鑑賞に望んだんだが(=^_^=)・・ワタシ的には全然OKですた(=^_^=)

私的には“あのキャラ造形”は役者さんが「造り込んだ範囲内」で良いかな、と。。
(ヴィジュアルを具体的に言えば、目付きが悪く、ニヤついてる、不気味なヒゲ面の薄汚れたおっさんであった)

「失踪事件」がメインではあるも、老齢のアガサがこれまでの人生を振り返る、みたいな展開となっており「ちと主題だけでは、吸引力が低いと判断しまして」的な制作側の“引き姿勢”を感じたようにも(⌒〜⌒ι)

劇中では「スタイルズ荘の怪事件」「茶色の服の男」「アクロイド殺人事件」「牧師館の殺人」の探偵エルキュール・ポアロもの、「聖ペテロの指の跡」の探偵ミス・マープルもの、がタイトルのみだが紹介されてた。
因みに、ワタシの好きなポアロものは「ABC殺人事件」だったりします(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

アガサ「パーティーは苦手なの」
   「取材が作家に必要な仕事だとは思いません」
   「金魚の記憶は10秒が限界とか・・ちょうど水槽を1周する間ですわね」
   「強い人間だった筈なのに・・誰かがそばにいてくれたら」
   「彼は自分の幸せしか頭にない男、でもその冷たさに惹かれたんですけど・・かつては」
   「人はいつか、独りで何かをするものよね」
   「プロ作家なら気が乗らなくても、巧く書けなくても書くわ・・嬉しい事に、書けばお金になる時代でね」

アーチー「君は、とらえどころがない」
    「察してくれ・・これ以上は酷だ」

アーチー「皆が幸せなど有り得ない、誰かが不幸になる」
アガサ「何故それが私で、あなたじゃないの?」

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2008年10月13日 (月)

☆さようなら、峰岸さん☆

ネット系のニュース記事にて、俳優・峰岸徹氏さんの訃報を知った。享年65。

先の緒方拳さんもそうであったが、がんを患われ、治療にあたっておられたとのこと。

奇しくも、峰岸さんの遺作となった(?)映画『おくりびと』のレビュー記事を先月21日にアップした際には、

“『ねらわれた学園(1981)』で“学園を狙ってた(←まんまや!)”峰岸徹さんも、だいぶ老けはりましたねぇ・・”

と記載したワタシであるが、一方で「いよいよ“いぶし銀な演技”に脚光が?!」と期待していたトコもあり、惜しまれる・・

峰岸さんの出演された映画として、他に『廃市(1984)』と言う佳作があった。
その作品を観て以来「行きたい! 行きたい!」と考え、いよいよ訪問の叶ったのが“福岡県柳川市”でもあった。

『おくりびと』の終盤(?)で見せる、
− 主人公の記憶の底の“とある人物”の顔にピントが合い、優し気な峰岸さんの笑顔がパッと一瞬、映し出された映像 − を思い出す。

ご冥福をお祈り致します。

追記:正式なご遺作は、大林宣彦監督の新作『その日のまえに』(11月1日公開)となるそうだ。

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2008年10月11日 (土)

☆『ゆれる(2006)』☆

9日(木曜)の夜。衛星第2で放送された、西川美和の脚本&監督による意欲作『ゆれる』の鑑賞がようやく叶った。
劇場公開当時“観ようかどうしようか”とゆれ、DVDリリース当時“買おうかどうしようか”とゆれ、原作本の文庫版発売時“読もうかどうしようか”とゆれ、色んな意味でこれまでゆらされて来た1作だった(・ω・)

母の法事のため、東京から故郷である山梨県へ帰省したカメラマン=早川猛(たける)(オダギリジョー)。ガソリンスタンドを経営する頑固な父=勇(伊武雅刀)、それを手伝う真面目な兄=稔(香川照之)と再会する。
そしてもう1人、スタンドで働く女性店員。
彼女が幼馴染みの川端智恵子(真木よう子)であることを知らされた猛は、奥手な兄を出し抜き、早くもその夜に智恵子と“大人の関係”を結んだのだった。遅い帰宅となった弟を、背中を向け「おかえり」と迎える兄。その表情は・・“何か”を察したのだろうか?

翌日(平成17年10月2日)、兄弟と智恵子は(猛のクルマで)“あすみ渓谷”へと出かける。
渓谷の向こうには、老朽化した吊り橋が架かっている。

猛がまず撮影がてら橋を渡る。それを下で眺めていた智恵子が「私も渡ってみようかな?」と言い出す。
高所が苦手だと言う稔は智恵子を引き止めることも出来ず、戸惑っていた。

渓流の音に紛れた、かすかな“言い争う声”を耳にした猛が下から橋に眼をやると・・果たしてそこには、へたり込み川面に向かって手を差し伸べる兄の虚ろな姿だけがあった。
智恵子はゆれる吊り橋から転落してしまったのだ。

やがて溺死体で発見される智恵子。
“事故”か“殺人”かを巡り、検察側と弁護側が法廷で論争を繰り広げる展開となる・・

公判に進展が見られなくなって来た時、いよいよ証人として猛が重い口を開く。
彼の口から語られた“事件の真相”とは・・?
そして、兄弟と被害者しか知る者のいない“橋の上で起こった真実”とは一体何だったのだろうか?

これまで伝え聞いた情報(?)などを繋ぎ合わせ、私的には(芥川龍之介の)小説『薮の中』を、現代に置き換えたような、そんな“トリッキーなサスペンスもの”を予期していたんだが、もっともっとシンプルかつ普遍的な、淡白だけど濃い(どっちだ!)テーマが作品の底に描かれているように感じた。
“事件”そのものは開始後30分もすれば発生するし、1時間後には本格的な公判が始まる訳で・・もし(本作に)吸引力が欠けていたら、その後の約1時間を引っ張るのは、相当キツかったことだろう。

が、そこは流石に“香川照之&オダギリジョー”だけあって、しっかり観客を作品世界に繋ぎ止め離さなかった!

私的には“事件の真相”そのものより、それをきっかけに、兄弟それぞれが(それまで)押し殺していた感情や本質的な性格、みたいなものをさらけ出してゆく“ゆれる展開”に圧倒された。
いい加減で自堕落な調子だった弟が絶叫&嗚咽し、生真面目だった兄はただ黙して微笑む・・ラストシーンの2人の表情は『ファイト・クラブ(1999)』のポスターにおける“ニヤつくブラッド・ピット&不機嫌なエドワード・ノートン”の醸し出した「強烈な対比」にも決して劣らなかったように思う。

ちょうど後半では、弟と兄の性格がスワップされたようになり、それこそ“いよいよ演技合戦や!”と興奮させられたが、(そこは流石に?)やや直後に“寸止め”されてしまい残念だった。
狂気vs邪心・・『あずみ(2003)』の時のオダギリと『OUT(2002)』の時の香川がぶつかったら・・もうそれは“物語性”も“ロケ移動”も必要のない“高み”に昇りつめちゃう気もする(⌒〜⌒ι) 観たいけれど、かなり危ない領域なんやろな、、

惜しい部分としては“少年時代の映像”“※年後、なる字幕”は(安直なので)出来れば用いて欲しくなかったことと、ヒロインの“死して尚、な存在感”までは描き切れてなかったことか。
“回想シーン”をああまで自在に使いこなすだけの技量を持つ監督さんなのだから、もっともっと智恵子と言うキャラを多面的&魅力的にも描けただろう、と思うと惜しい。

助演陣もピンポイント的ながらそれぞれに見せ場があり、巧い扱われ方をしていた。
ガソリンスタンドで働く若店員を演じた新井浩文は終盤で存在感を爆発させるし、私的には検察官を演じた木村祐一の言動&態度のいちいちが強烈に響き「本作のキムを主演に、スピンアウト作品を撮っては・・?!」と思わず期待してしまったものだ(=^_^=)
本作で恐らく最も“揺すぶられてた”弁護士役の蟹江敬三氏にもまた、独特の味わいがあった。

全体的に言えば「何処かが演出過多」「何処かが演出不足」と言う直感的な印象もあるんだが・・その消化不良さをねじ伏せるだけの静かで強烈なパワーに、確かに溢れている。

近年稀にみる「ブームが過ぎ、後年になったとしても、観ておくべき作品」の1つだと思う。

〜 こんなセリフもありました 〜

勇「(猛の仕事なんざ)他人様がそっぽ向きゃ、明日にもどん底ですよ」

稔「東京のガスで頭、濁ってんじゃないのか?」
 「俺が、智恵ちゃんを落と・・」
 「俺ねぇ、あの人(弁護士である伯父の修)駄目なんだわ、昔から」
 「お前な・・この町のこと、あったかいなんて・・」
 「まぁ、あのスタンドで一生生きて行くのも、この檻の中で生きて行くのも大差ねぇか」
 「お前がいつも言ってるようなことじゃん」
 「所詮、つまらない人生だよ」
 「何でこんなことになっちまうのかなぁ・・なんでお前と俺はこんなに違うんだよ」
 「俺、本当はあんな吊り橋なんか全然怖くねぇんだよ・・何つって何つって何つって・・」
 「事実なんて、もういいじゃない」
 「お前は俺の無実を事実と思ってる? 自分が“人殺しの弟”になるのが嫌なだけなんだろ?」

猛「兄貴とさ2人、すげぇ息あってるね・・嫉妬しちゃったわ、俺」
 「俺、お前ん家、上がっていい?」
 「奇麗なところだな、光が透き通ってるもんな」
 「疲れるばっかりだぜ、東京なんてさ・・所詮、田舎もんには水が合わねぇんだよ」
 「誰の眼にも明らかだ・・最後まで僕が奪い、兄が奪われた」
 「腐った板が蘇り、朽ちた欄干が持ち堪えることはあるだろうか? あの橋はまだ架かっているだろうか?」

智恵子「色んなことが怖くて、失敗しちゃいけないって思ってる内に、何にもない人生になっちゃった」
   「怖いよ・・あの人もう(私たちの関係に)気付いてるんじゃないかな?」

修「憶測じゃ、法は動かないのさ」
 「俺の確信で証拠でも出てくりゃ苦労はしねぇがな」
 「相手だけが得したって思うのは・・それは被害者意識から来る、想像力の欠落ってヤツだわ」

智恵子の母「あの子、殺されるような子だったのかなぁ?」

検察官「死んでても、痛かったんやないかなぁ?」
   「(事件を起こしてから)“ごめん”なんちぅのはね、加害者のご都合でね」
   「彼女に好意を抱いていた? 言っちゃって!」
   「初めからパーフェクトに両想いになれる相手がいると分かっているならば・・私は旅に出ます」

若店員「俺はあんたのしたことが正しいとは思えない」
   「奪いっぱなしですか? それであんたは何を手に入れたんです?」

追記1:検察官により、智恵子の解剖報告書が読み上げられるシーン。「被害者の膣内から微量の精液が・・」なる生々しく、衝撃的なセリフには、猛よりも稔よりも、観客が一番“揺すぶられる”かも知れない、、
追記2:回想映像内での伊武雅刀さん、実に楽しそうに“(ドリフの)ヒゲダンス”をされてました(=^_^=)

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2008年10月 9日 (木)

☆『アニー(1982)』☆

今さらながら、放置されていたレビューをば、、(⌒〜⌒ι)

さる9月16日(火曜)の夜に鑑賞した映画『アニー』について、少し書いてみたい。

この週に衛星第2で放送された“ミュージカル映画特集”の一環のようであったが「孤児である主人公の少女が、頑固な富豪をぎゃふんと言わせるハナシ(=痛快コメディ作品)」かと予想してたら・・そうでもなく、アメリカの“かつてクスブっていた時代”をしたたかに背景に取り込み描いた、意外にシリアスな物語世界だったことに、感心も感動もさせられたワタシだった。

1930年代。世界は恐慌に揺れていた。
ここニューヨークでも失業者が激増、ならず者(=犯罪者)が跋扈(ばっこ)すると共に、生活苦から我が子を棄てる親も決して少なくなかった・・
主人公のアニー(エイリーン・クイン←“エイリアン・クイーン”ではない!)は10歳の赤毛の少女。下町の「児童養護ホーム」で孤児いびりを生き甲斐としてる(?)ヒステリックなハイミス=ハニガン院長に服従を強いられる仲間たちの中にあって、唯一(?)希望を失わぬ“強い子”であった。

その理由は、アニーが肌身離さず身に付けてる“ハート形ペンダント(ロケット?)の片割れ”・・両親が彼女を育て切れず“この町”に託した際、その半分を割って残して行ったものであり、彼女は「いつか“ペンダントの残る半分”を携え、両親がきっと迎えに来てくれる」と信じているのだ。

そんなある日、いつものように“脱走”を図り、これまたいつものように“連れ戻された”アニーのもとへ、大富豪オリバー・ウォーバックス(アルバート・フィニー)の秘書=グレース・ファレル女史がやって来る。ウォーバックスが1週間の期限で“元気の良い孤児を1人”屋敷へ招待し“クリスマス休暇”を一緒に過ごしたい、なる申し出だった。
実際のトコロ、ウォーバックス自身は子供に興味がある訳でもなく「慈善活動してまっせ!」的なアピールを大々的に行い、名声を得ようと考えただけのことだった。

グレースに“あたしをここから助け出して”サイン(?)を送ったアニーは、望み叶い、ウォーバックスの豪邸(5番街の一角)に招待される。

間もなく、頑固で子供に興味のなかったウォーバックスの心に少しずつ溶け込んで行く、新しい家族“アニー”の存在。
1週間が過ぎる頃には「アニーを養子にしたい」と考え始めるグレース(とウォーバックス)だったが、アニーは「その気持ちはとても嬉しいが、私はやはり両親を見つけたい」と告白する。
ウォーバックスはそんなアニーの力になろうと、メディア(新聞&ラジオ)を活用し、FBIにも手伝わせ(=^_^=)「名乗り出たアニーの両親に5万ドルを!」なる大型キャンペーンを打つ。

“礼金狙いの連絡”が次々とウォーバックス邸に飛び込む中、ハニガン院長が突然「ニュージャージーからやって来た」としてアニーの両親を連れて来る。
マッジ夫妻を名乗るその2人は、確かに“ペンダントの片割れ”を所持していた・・

ニューヨークが舞台の「キッズ・ミュージカル」と言えば『ニュージーズ(1992)』を思い出してしまうワタシだが、本作も登場人物に“その時代ならではのリアルさ”を持たせていて面白い。
ロックフェラー、カーネギー、ルーズベルト大統領、FBI長官のフーバー、新聞王ハースト・・中でも、ルーズベルト大統領は“実際にそれらしい雰囲気を持つ”キャスティングで登場、ウォーバックス&アニーとプライベート会談みたいなことをやってくれたりもする。
こういう『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』的なフィクション系演出のセンスって、ベタながら結構好きなワタシです(=^_^=)

本作で最大の悪党キャラながら、一番誠実に(?)歌い踊ってくれた1人がルースターを演じたティム・カリー。良くこんな嫌な役を演るなぁ・・と感心するが、考えるとティムはかの『IT/イット(1990)』でオッソロしい殺人鬼キャラ“道化師のペニーワイズ”を堂々と演じ切った名優であるから、この手の起用はきっと楽しくて仕方がなかったことだろう(←勝手に決め打つなよ)。

終盤で、アニーが追いかけられ、鉄橋をよじ登って逃げる・・なるスペクタクルシーン(?)が展開されるが、その時にハニガン女史が「やめて! まだほんの子供よ、殺すことはないわ!」と絶叫するシーンで「あ、いつもはイヤなキャラで通してるけど、ホンマは優しくてええ人なんや」と言う彼女の“無垢な心”を感じさせられてしまい、それだけでウルウルしてしまったのだった。。

総じて、この映画版の評価は低いようだが・・私的には「いい作品を観たな〜」と何だか優しい気持ちになってしまったモノである。
まぁ、ジョン・ヒューストン監督がメガホンを執るべき映画だったのか、は微妙なトコかも知れないが(⌒〜⌒ι)

※同監督は『アフリカの女王(1951)』『許されざる者(1960)』などで有名。女優アンジェリカ・ヒューストンのお父さんでもある。

〜 こんな歌詞&セリフもありました 〜

【アニー】
♪パパとママの唯一の過ちはあたしを棄てたこと
♪この犬の名はサンディ、ウソだと思うならノミに訊いてみて
♪世の中、不況だと言うけれど、映画があれば気にしない
♪酷い昨日なんか済んだこと

【ハニガン】
♪あたしだって、男に耳を噛んで欲しいわ

【グレース】
♪アニーが家族に、まるで税金が戻って来たような気分

【ウォーバックス】
♪君は人生を歌に変える
♪アニー、君は破産した時の1ドル

アニー「傷つかないでね、あなたは優しい人よ」

グレース「どんなにお金や権力を愛しても、それらはあなたに愛を返してはくれません」
    「不正直な人間が、ニューヨークにこんなに多いとは・・」

ウォーバックス「落札したが好かん絵だ、トイレにでも掛けておけ!」 ←いや、それは“モナリザ”なんですが、、
       「女と来たら、宝石店に行くと・・戻って来やせん」
       「成功のために、多くの人を傷つけた」
       「いくら財を稼ごうと、分かち合う人がいなければ、貧しい頃と変わりはしない」
       「アニーが誘拐された! FBIの捜査員を総動員してくれ!」

大統領「失業者に職を、そして我が国民に誇りを」
   「アニー、この国に失望した若者に呼びかけてくれ」

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2008年10月 8日 (水)

☆『酒井家のしあわせ(2006)』☆

8日(水曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。
“四方を山に囲まれた”関西圏の地方都市(←モロに田舎っぽい)を舞台に(ロケ地は三重県伊賀市だった☆)、父親(ユースケ・サンタマリア)の突然のカミングアウト&家出に揺れる、おかん(友近)がバツイチなファミリー・・酒井家の人々が崩壊の危機にさらされつつ、次第に再生して行く道のりが描かれる佳作。

夫婦を演じてるのがユースケ&友近ってことで、キャスト的に(第一印象で)余りピンと来るものがなく(ファンの方、済みません)メモなしダラダラ鑑賞とした訳だが、思ってたより「軽くてベタながらも真面目な」その物語世界には少なからず好感を持った。

語り手でもある一家の長男=次雄(つぐお)の言葉を借りれば・・“ショボい!”のひと言に尽きるストーリーなんだが(=^_^=)、巧くいきそうな恋愛が結局はしょっぱく終わったり、無関心っぽいおかんの言動が、なかなかに「役者やのォ!」であったことが分かったりし、ほぼ全篇を通じ飛び交う“ベッタベタな関西弁の迫力”も手伝ってか(=^_^=)、思ったよりは吸引力があった。

ただ、ちと惜しかったのは、次雄の妹である、おかっぱ頭の光ちゃんだろうか。
もうちょい、本筋に絡んでくれると「巧い!」と思えたんだが、どうにも「添えもん」的なキャラに終わってしまってる感が強かったよ〜な・・

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☆『ハチミツとクローバー(2005)』☆

6日(月曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。
劇場公開当時、そのメルヘンチックな(?)タイトルと、カラフル&ポップな意匠のポスター(確か、、)に何処か惹かれつつ、劇場へは足を運ばなかった覚えがある(・ω・)

今回、殆ど予備知識もないままに観てみたんだが、ワタシの好きな「美大ネタ」「青春モノ」「群像劇」「天才系」などの要素がなかなか(自身の)ツボにはまり「観て良かった!」と素直に感じた次第である☆

『人のセックスを笑うな』を観た時も感じたことだが、、次の人生があるとすれば、きっと美大に通いたいなと思っている(⌒〜⌒ι) ←そう言えばあちゃらにも蒼井優ちゃん、出てましたね☆

冒頭に、詩人エミリー・ディキンソン(1830-1886)による一節「草原を作るには、蜜蜂とクローバーが必要だ」が示唆的に表示される・・

トウキョウ郊外(?)のとある美大を舞台に、集まった学生たちの青春の日々を断片的に描いた群像劇。

建築科を専攻する主人公=竹本(櫻井翔)の人生に、2つの大きな変化が訪れる。
1つは“チョモランマで消息を絶った”とも言われた、伝説の彫刻科8回生=森田(伊勢谷友介)が、竹本の隣室にひょっこり戻って来たこと。
もう1つは、講師の花本(堺雅人)から、親戚筋の少女=花本はぐみ(油絵科、通称“はぐ”)(蒼井優)を紹介されたこと。彼は人目で恋に堕ちてしまう。
内気で口数も少ないながら、それでいて豪快&奔放な抽象画を感覚的に仕上げてゆく“はぐ”・・そんな彼女に対する恋心を手探りで深めて行こうとする竹本。
だが、森田もまた、この年下の天才少女に強く惹かれていたのだった。

建築事務所でバイトする真山(加瀬亮)は事務所の女先輩=理花(西田尚美)に憧れ続けている。
その気持ちが内向的(?)に募り過ぎるが故“(理花の)使用済アイテム収集”“尾行”“部屋の監視”などの「よろしくない挙動」にも走ってしまう日々。
が、そんな一途な真山の姿を、これまたストーカー気味に静かに見守る山田(陶芸科)(関めぐみ)がいた。
彼女の恋心はいつか、報われるのだろうか?

改めて「うぉ、ムチャクチャ豪華な俳優陣ですやんか!」とびっくり。主役格かと当初は思ってた田辺誠一(原田役)が写真オンリーの登場に過ぎなかった(?)一方で“特別出演”とクレジットされてる中村獅童が「結構、重要で美味しい役」にちゃっかりおさまってたりもし、その予測不能な起用のバランスも心地良かったか。
ただ、本来は主役であるハズの竹本を演じた櫻井が(ジャニーズ系アイドルグループ“嵐”の一員にしては)、もっさりした外見&言動でちょっと“隊列を乱してた”ような気もした(これは私的な感想ですよ!)。

演出的なものかも知れないが、一応は“製作シーン”を披露してくれる蒼井&伊勢谷に引き換え、櫻井&関&加瀬の面々は、殆ど作品に取り組んでるシーンすら描かれず「映像的に“ちと説得力に欠ける”よなぁ・・」などとも(・ω・)

もの凄い(←きっと)芸術的才能を持つ人間であっても「愛だの恋だの」に煩わされ、創作の筆も止まる辺りなどは「青臭いぞ!」と思わされる一方で「やっぱり恋愛こそが創作の最上のエネルギーなんかも知んないなぁ」「恋愛って、普遍的に人を強くも弱くもするものなのかもなぁ」・・とこちらまで青っぽいことを感じさせられてしまう。。

♦凡人は不運に打たれ強く、ぶれない。引き換え、天才は脆く不安定な人生を辿ることとなる。
♦駄作を(愚なる衆人に)賞賛され、戸惑いつつも「よし」としようとする天才。そして、そんな彼の本心を根幹から揺さぶる、別な天才の視線が“対(つい)のように”存在する。
♦凡人にこそ与えられた“ただじっと見守る力”“変わらぬ優しさ”“ひたすらに耐える力”が天才を癒すことだってある。
♦「感覚で動く」人間の大胆さ&繊細さは、魅力に溢れる。
♦本来“後から発生”すべき資産的価値が、まず作品に求められる悲しさ。
♦休まず走り続けたら、やがて自分が見付かるのだろうか? と言う不安と期待感。
♦その場にいないと座が寂しくなるような存在が、案外と凡人であったりする不思議。

なんてことも考えつつ、結構楽しんだワタシであった。

〜 こんなセリフもありました 〜

竹本「桜の花が散ると、ホッとする」
  「僕はこの日のこと、この日から始まったことの総てを決して忘れないだろう」
  「この人が一生、絵を描いて行くとすれば・・10年後の僕は一体何をしているんだろうか?」
  「こいつらの眼で見たら、世界はどんな風に見えるんだろう?」
  「そして僕は、自分が彼女のために出来る事の少なさ、小ささに愕然としていた」
  「テレビに出てる場合かよ・・! 森田さん」
  「そして僕は逃げ出した、転げ落ちるみたいに」
  「気がつくと走っていた、ひたすら」
  「あの日の海はあんなにきらきらしてたのに・・」
  「逃げてる場合じゃなかった・・今逃げたら、総てはなかったことになってしまう」
  「いつの日か、君を支える強さを持ちたいと思う」

真山「人が恋に堕ちる瞬間を、初めて見てしまった」
  「美味い・・でも熱い・・でも美味い」 ←焼き肉について
  「負けるのが嫌だから、リングに上がらないで試合放り出す訳か?」
  「いいんです、傷つけても・・俺、傷つきませんから」

山田「子供って、匂いとか声とかだけで描けるからスゴいよね」
  「竹本君ってさ、幸せそうなの似合わないよね」
  「今・・私、振られた?」
  「振られてしまったけど・・“逢いたい気持ち”は強くなってしまった」
  「いい加減、負けることも覚えないと、こっから先の人生が大変ですよ」
  「私の好きな人が、私を好きで居てくれる・・たったそれぽっちの条件なのに、永遠に揃わない気がする」
  「何か難しいよね、生きるって・・幸せになりたい」
  「何か楽しいね、身体を動かすと」

森田「すげぇのは俺じゃなくて世界だよ・・何たって世界は“ホンモノ”だからな」
  「(作品に)値段をつけるのはギャラリーだ、だから全然俺は悪くねぇ」
  「札束燃やしてる気分だな・・安心しろ、今ここで燃えてるのは札束だ、作品じゃない」
  「お前は1人じゃない、だから勝手に1人になるな」

花本「はぐは、はぐが描きたい絵を描きたいように描けばいい・・賞を獲る獲らないは重要じゃない」
  「俺たちにも“美術評論家を殴ってた頃”があったんだよ、もう忘れたか?」
  「今は気まぐれではぐの心を乱すな、頼む」
  「“無軌道な才能”で突っ切ってくれると思ったんだが」
  「見守るしかない、俺たちには」

はぐ「あの彫刻・・1週間前(=原木の時)の方が良かった」
  「なんか“いつも通り”が出来なくて・・」

藤原兄弟「いいこと? 芸術である前に商品なのよ、これは」
    「彼の才能からすれば、こんなのは通過点ですらないわね」

※兄弟の名前はそれぞれ“マリオ”“ルイージ”と言うらしい(=^_^=)

幸田先生「自分のやりたいように、では公募展は勝ち抜けない。
     奔放に、自主性を大事に、で消えて行った才能を・・これまで沢山見て来ました」

竹本「これで完成ですか?」
花本「まだだろ、サインも入ってないし」

山田「諦めるってどうすればいいんだろ?」
森田「つうか、諦めなきゃいいじゃん」

森田「何で人は絵を描きたいんだろうな?」
はぐ「描きたいから・・描かずにいられないから・・」

森田「俺はこの国を出る」
はぐ「・・そうするだろうと思ってた」

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☆緒形拳さん、亡くなる・・☆

職場で、ベテラン俳優・緒形拳氏の訃報を(聞かされ)知った。享年71。

死因がまだ良く分かっていないが、何処かを患っておられたのだろうか?
ともあれ、ご冥福をお祈り申し上げたい。

私的には“余り俳優に詳しくない頃”に、山崎努さんと“出演作”を間違いそうになったりもし、
随分と失礼な言動もあったかと思う(ご本人の耳には全く届かなかったろうが、、)。。

思い出深いのは、何故だかドラマ『古畑任三郎』の1エピソード(←確かスペシャル版だった)で、行政解剖医(監察医、と言って良いのか?)を演じておられた“おみくじ殺人事件”での演技&存在感だったろうか。
“サロペットジーンズ”なる「何とも耳慣れないアイテム」の名と共に、別段覚え続ける必要もないのに、未だ記憶が抜けて行かない。。三谷幸喜、恐るべし!

映画で言うと『武士の一分(2006)』での剣術の師匠役と、何と言っても『隠し剣/鬼の爪(2004)』における“高島礼子にご無体なことをしちゃう、威厳はあるけどエッチなご家老”と言う、とてもとても複雑な人物を演じておられたのを思い出す。
最後はあっけなく“ぷすっ”とされちゃうのだが、この演技も深く印象に残ったものだ。

驚かされるのは、代表作(として報道されがちな)『砂の器(1974)』の出演時。
年老いた元警官を演じておられたが、実際には(当時)40歳に満たぬ実年齢だったこと。
確かに“回想シーンで若々しかった印象”がおぼろげながらあるが、それ程にお若かったとは!

お疲れさまでした。
邦画界の行く末を眺めながら、今はゆっくりとお休み下さい。

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2008年10月 7日 (火)

☆『ポセイドン(2006)』☆

5日(日曜)の夜に“日曜洋画劇場”で放送されたものを鑑賞。
『ポセイドン・アドベンチャー(1972)』のリメイクを、かのウォルフガング・ペーターゼンが監督した! それが遂に地上波初で! ってことで、かなり期待してたんだが・・これが異常につまらなくて失望した(・ω・)

「オリジナル版から大幅カットしたんか? なんやあの大波到達までの短さ(=人間ドラマの描きの浅さ)は?!」と思ってたが・・どうやら元々から上映時間わずか98分ほどのコンパクトぶりだったようだ。
とにかく、大勢の乗務員&船客がおりながら、ばっさばっさと削って(減らして)ゆき、中盤に至る迄で既に10名を残すかどうか、程度の人数しか“描かれてなかった”のには驚く。
加えて、でっかい自然災害がしょっぱなで描かれた(と言ってもCGに過ぎないが)後は、しょうもない2次災害が(爆発、火災、水没など)ちまちまと繰り返し展開された、ぐらいで緩急に乏しかった(×_×)

登場人物も余り個性が際立っておらず、いわゆる“ひとくせ有りげキャラ”が、いるにはいたが・・すぐ退場したりした、のもつまんなく仕上がった大きな要因ではなかったか、と。

1つだけ苦笑させられたのは、主人公的な位置付けのロバート・ラムジー(カート・ラッセル)が、元ニューヨーク市長であり、それ以前は“消防士をしていた”と言う過去ぐらいか。“昔取った杵柄”的に「熱風のフラッシュ火災」ネタで騒いだりしてたが、私的には『バックドラフト(1991)』のパロディのつもりかよっ?! と小ツッコミ(←ラッセル主演による消防士モノ)。

ラムジー「大丈夫! 私は昔、消防士だった」 ←きっとこのセリフを言わせたかったんやろ(=^_^=)

助演でリチャード・ドレイファス爺さま(建築家ネルソン役)も出てたが、流石に『ジョーズ(1975)』の頃とは位置付けがだいぶ違ってたように思う、、

イマドキのリメイクっぽく、少年の部・代表(?)のコナーくんがPSP(プレステポータブル)を携えてるシーンなどもあったが、ブラッドフォード艦長(アンドレ・ブラウアー)が余りに無力(無気力?)だったり、船内に密航者がいたり(⌒〜⌒ι)、意外な人物が、終盤で意外な死に方をしたり、、と現代に舞台を置き換えたにしては、どうにもポンコツな演出が目立った(環境が整っていたら、少なくとも音響面ぐらいは凄かったんだろうけど)。

おおそうだ! 『ブロブ/宇宙からの不明物体(1988)』以来の目立った出演(?)とも感じた、ケヴィン・ディロン(←マット・ディロンの弟!)の健在な姿を久々に眺めたが・・役名である“ラッキー・ラリー”とはほど遠い、極めてアンラッキーな運命を辿ることとなる、すかんおっちゃんに過ぎんかった・・(×_×)

最後に、ラッセルさんのセリフで本レビューを終わらせて頂く(・ω・)

ラムジー「所詮・・誰が死に、誰が生き残るかなんて・・不公平なものだよ」

追記:客船内のバーで“ネタ”となってたワイン「ロマネ・コンティ【1988】」って・・1本で200万円近くもするんやね。。(劇中では1本5000ドル、と紹介されてた)

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2008年10月 6日 (月)

☆『トウキョウソナタ』☆

5日(日曜)。家庭のことで昨日よりバタバタしており、行ってる場合じゃなかったかも知れないが・・大阪市内に出て、新作邦画『トウキョウソナタ』を観て来た。劇場は「新梅田シティ」内の“梅田ガーデンシネマ”である。

東京(劇中の設定では、京王線沿いの目黒区駒場東界隈)に住むとある一家をネタに“不協和音を奏で始めた家族”の行く末を淡々と描いたドラマ、みたいなことは何処かで聞いたかして知ってたが、殆ど予備知識はなかったに等しい(・ω・)

が、観終われば・・確かに淡々と進む展開ながら「ワタシ自身もまた、1人のちっぽけなサラリーマンであるし、今もこの先もそうに過ぎない」と言う現実を(客観的な視点を含め)考えた場合「こりゃ“笑えん喜劇”であり“泣けん悲劇”やな」とチクリと心の何処かが痛んだ次第である。
本作は、映画評論家やタレントと言った「“よその世界を眺める”視点で作品を語るであろう方々」より“現役の政治家”“現役の教師”と言った方々にこそしっかりと観て頂きたい1本である、と思う!

多少の誇張はあるも、これって日本を(もはや“トウキョウ”だけの、とは言えまい)覆っている“不気味で歪んだ現状”を巧妙に抽出し、とある家庭に放り込んで眺めた、そんな物語なのである・・

大手企業『TAVITA(タビタ)』で総務課長のポストに就いている佐々木竜平(香川照之)は働き盛りの46歳。
自身の家庭より職場にこそ全力投球、これまで頑張って来たが、ある日上司から「君の課の業務そのものを海外支社に委譲する」と告げられる。事実上、前触れなしの“リストラ宣告”である。
途方に暮れた佐々木は、戸惑いを隠せぬままに帰宅。だが、妻にも事実を言い出せず、彼は翌朝以降も決まった時間にスーツ姿で“出勤”・・公園の(食事)配給の列に並んだりし、日々をぶらぶら過ごす。
彼なりにハローワークに足を運んだりするも“元一流企業の管理職だった”と言うプライドが邪魔し、どうしても清掃業やコンビニ店長と言った再就職口には納得出来ない。
そんなある朝、彼は公園脇を通りがかったスーツ姿の男が高校時代の同級生=黒須(津田寛治)であることに気付く。佐々木が声をかけ、旧交を温める2人。
「1時間に5回」も勤務先から携帯に連絡の入る多忙な男、黒須。彼は公園の配給の列に目をやり「何だありゃ?」「俺も喰ってみようかな? あんなの喰う機会なんて滅多にないだろ?」と佐々木に語りかける。複雑な表情でそんな黒須を見つめ返す佐々木。

彼の家にも招かれ、妻や娘とも夕食を共にした佐々木。
しかしある日、黒須との音信が途絶えてしまう・・彼の自宅を再訪した佐々木は、驚愕の事実を知らされることとなる。


大学生の長男=貴(たかし)、小6生の次男=健二の2人の息子を育て上げた佐々木の妻=恵(小泉今日子)。頑固で、何事につけても“家長”ぶって権威を振りかざす夫と、その言動に悉く反発する2人の“繋ぎ役”となっていた彼女にも、年齢的なものか“疲れ”が見られ始める。
化粧っ気はなくなり、笑顔も減り「誰か、あたしを引っ張って・・」と自宅ソファーに寝そべったまま、つまらなそうに虚空へ手を伸ばす彼女。
そんなある雨上がりの日、予想外の出来事が彼女の身に起こる。


貴は学業より夜遊び(=朝帰り)とバイトに明け暮れる日々。繁華街で配布するティッシュもなかなかノルマがさばけず、結局は鉄橋からごっそり川面に破棄する。同僚はつまらなそうにポツリと「来ねぇかな、大地震」と呟く。
やがて貴は“第1期・外国人米兵入隊願(?)”にサインをくれ、と両親に言い出す。
米兵と共に海外(中東)で実戦に参加、何かを学び取ろうとするつもりなのか?
佐々木夫妻は当然のように反対するが、長男の気持ちはもう決まっていた。


健二は両親にも構って貰えず、担任教師=小林にも「俺はお前を無視する、だからお前も俺を無視していい」と熱意ある態度を全く見せては貰えない。
そんなある日、通学路にある“かねこピアノ教室”で生徒にレッスンをする美人教師=金子薫(井川遥)に惹かれた彼は、母に貰った給食費(5千円)を黙って彼女に(月謝として)渡し、こっそりピアノを習い始めることに。
自身では気付いていなかったが、両親に隠れてレッスンを続けること3ヵ月・・薫はある時、健二に「君には才能があるわ、人並みはずれたピアノの才能がね」と告げるのだった。

以前に“リストラ”“不倫”“ドラッグ”“ゲイ”“不純異性交遊”“ロリコン”“発砲事件”などをネタに「一家の崩壊」を描いた『アメリカン・ビューティー(1999)』なる作品があったが、あちらよりもっと生々しく、(日本人として)リアルな作品性があると感じた。
尤もアメリカは“銃社会”であるから、拳銃を“日常的かつ非日常的なアイテム”とし用いる事が自在に出来るのだが、日本ではなかなかそうもいかない(安直な作品では、すぐ“ヤクザネタ”に手を伸ばすンだが、、)。
本作では“唯一の凶器”とし「出刃包丁」が登場するが、それすらも作品全体からすれば、大した“アイテム”ではなかった。

その辺りの“非日常的な武器&バイオレンス”に安直に逃げないトコには好感が持てたか。

秋風と共に疾走する夫、空の広がる海へと向かう妻。長男は“敬礼”を残し海外へ、次男は遠距離バスの貨物室に潜り込み・・それぞれが“トウキョウ”を離れようとする後半。
「終わったな、この一家・・」と思いきや、エンディングでそれなりのまとまりを見せる彼らに“家族の可能性&絆”を感じたりも。

良くも悪くも“家族の呪縛”ってのはあるのだろうし、長い目で見れば、そういう日々の煩わしさも“後に笑い話となるのだろうか・・?”などとも思わされた。
・・そして、不思議な落ち着き&余韻を残し、本作は幕となった。

~ こんなセリフもありました ~

ホームレス「ハローワークに行っておけ・・運が尽きる前にな」

佐々木「ずいぶん(荷物)しょってんな」
健二「重過ぎ」

ミカ「佐々木さんも、大変ですね」

同級生「何だよ? お前だぜ、やり始めたの」

面接官「この会社に提供出来る“あなたの能力”を見せて下さい」
佐々木「え・・」
面接官「カラオケでも結構です」
佐々木「は・・?」
面接官「あなたさっき“カラオケが得意だ”とおっしゃいましたよね?
    そこにあるペンをマイク代わりに、歌って下さい」
佐々木「(しばらく躊躇した後)♪し~・・」 ←この曲名が気になる(⌒~⌒ι)

※※「ゆっくり沈んでく船みたいだな、俺たち。ここんとこ(=喉元)まで水が迫ってて・・
   ・・けど、水の中に潜る覚悟なんかなくてさ」
  「行っちまったんだよ“救命ボート”はな」

老先輩「洗剤(の使い分け)1つにも“プロのやり方”がある」

恵「お母さん役も、悪い時ばっかりじゃないわ」
 「潰れちゃえ、そんな権威」
 「これまでの人生が全部夢で、ふと目覚めて全く違う人生だったら・・どんなにいいだろう」
 「ここには、現金は、ありません」
 「こんなに遠くまで来たのに・・今さら帰る訳にはいきません」
 「私、やり直せるでしょうか? ここからもう1度」
 「お腹空いたね・・すぐ作るから」

佐々木「(窓から入ったのは)戸締まりを確かめたかっただけだ」 ←戸締まりも“ネタ”だった!
   「俺は世界が、じゃない・・お前が心配なんだよ」
   「どうやったら、やり直せる? ・・やり直したい」

貴「沢山、殺したよ・・殺して来た・・」
 “アメリカだけが正しい訳ではない、と言うことを知りました”

※※「どうして戻って来た?!」
恵「そう言う約束だから」

※「勝手なんだよ、大人は」

~ こんなことも思ったり ~

♦日々の何気ない“気付き”“声掛け”なるコミュニケーションが、“家族の接着剤”となるのかも知れない。
 「教習所に通ってるそうだな? 免許、取れそうか?」
 「取れたのか! 頑張ったな、家族みんなで何かお祝いしなきゃな」
 「どれ、見せてみろよ・・ふ~ん、(免許証の)写真だと美人だな、お前」
 「朝帰りか? 大丈夫か最近?」
 「バイトの方は順調か?」
 「何だ、ピアノ習ってるのか? 今度、俺と母さんにも聞かせてくれよ」
 こんな言葉を日頃から掛けられてたら・・きっと佐々木家には違う物語が紡がれた筈である。
♦偶然の「目撃」「遭遇」シーンの多かった気が(・ω・) 現実ってば、実際にはそんなものか?
♦「家が人を縛り付ける」のかも知れない、良くも悪くも。
♦他人の死を阻止出来た人間が、容易く自らの死を選ぶ弱さ&悲しさよ。
♦不器用な人間は、結局不器用にしか生きて行けないのだろうか?
♦卓越した技術以上に、商売や人間関係のセンスが必要とされるのだろうか?
♦スーツ姿で配給に並ぶサラリーマン姿の失業者。その律儀さが余りに悲しい。
♦我が子に“遺伝によらぬ”意外な天才性の備わっている不思議。
♦言葉でなく態度で伝え合う「日本人気質」が非常に巧く描写されていた。
♦黙って耐える人間と、そのことを知りつつ、ただ黙って(その人を)眺め続ける人間。それは「沈黙の美」「見て見ぬ振りの美」と賞されるべきものか?
♦家族それぞれが、日常に潜む“死の影”に翻弄される恐ろしさ。
♦「死ぬべき時でなければ、人は死なない(死ねない)?」のだろうか?
♦巧妙に表面を取り繕うほど、崩壊時の顛末は悲惨となるのだろう。
♦究極の崩壊が、或いは再生の希望の灯をともらせることだってある、と信じたい。

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2008年10月 4日 (土)

☆『ヴェロニカ・ゲリン(2003)』☆

放置したまんまになってたレビューを、、

さる5月1日(木曜)夜、衛星第2で放送されたのを録画しておいた『ヴェロニカ・ゲリン』を、9月4日(木曜)と8日(月曜)、9日(火曜)の3夜に分けて観た。
ケイト・ブランシェット主演、ジェリー・ブラッカイマー製作&ジョエル・シューマッカー監督による、アイルランドの女性記者の“孤独な戦いとその死”を描いた実話ベースのドラマである。

「これは実話に基づく」と言う静かな字幕により幕開けとなる物語。

1996年6月26日。ネース裁判所に出頭、(常習的な)駐車&速度違反に関する“酌量的な判決”に笑顔をのぞかせての帰路、女性記者ヴェロニカ・ゲリン(ケイト)は信号待ちをしていた郊外の交差点で、背後から横付けされたバイクの2人組に襲われる。
6発もの銃弾を至近距離から受け、ヴェロニカは即死。

そして舞台は、彼女がアイルランド・ダブリンにはびこる若年層を狙った麻薬犯罪に宣戦布告する2年前に遡る・・

麻薬に依存するストリートの若者をレポート、その記事を書き始めたヴェロニカは、彼らの背後にマフィアの黒い影を突き止める。若者らや売人を逮捕⇒更生するより、麻薬組織の存在を公にし、ボスの正体をさらすことが麻薬撲滅の近道だと判断した彼女は、家族や同僚、麻薬課の刑事の心配をよそに、自身の行動の正しさをただ信じ、突き進む。

度重なる(マフィアの)妨害工作(3度あり、4度目でついに殺害された)にも負けず、いよいよボスが“馬術センターの経営者=ジョン・ギリガン”であることを突き止めたヴェロニカだが、彼の放った殺し屋は、既にその背後に迫りつつあった・・

劇中で主人公をして“聖女ヴェロニカ”と称されるセリフがあるが、今も昔も、全世界共通で言えることは「少なくとも誰かが犠牲にならなければ、動き出さないものがある」って悲しい現実だろうか。

以前、劇場で観た際に「ペンは剣より強しと言うが・・ペンを武器にするとしても、相手の剣を(実戦的に)防ぐ盾は肌身離さず携えていないとあかんだろう」と感じたワタシは「拳銃を携行する」「防弾チョッキを着用する」などの危機対策を全く怠っていたヴェロニカに対し「凶悪な相手と闘うには甘過ぎる!」と決め打ってしまったものだが、
今回改めて観直し
「精神的な死(=マフィアに屈し筆を折る)より、よほど肉体的な死(=マフィアに自身を襲わせとどめを刺す)を望んだのかも知れないな・・」と思うにも至った。

わずか1時間40分程度の上映時間の中に、異様な“濃密さ”があり、3度に分けての鑑賞を余儀なくされた本作。

“お遊び的要素”は街角でヴェロニカと会話する、名もなきチンピラを演じてたのがコリン・ファレルである、、ってぐらいだろうか(・ω・) ←勝手に“蜘蛛の巣くん”と名付けますた。。

押し付けがましい演出などは全く登場しないが、それが故に、観る者に余韻を残す1作ではある。

〜 こんなセリフもありました 〜

ヴェロニカ「この町は病んでるわ、私の記事なんか無意味・・みんな無関心よ」
     「この記事には意義があるわ、実態を伝えなきゃ」
     「実態を知ればあなたも闘う筈よ、世の中を変えたいの」
     「私の読みが正しいからこそ撃たれたのよ」
     「やりたいわけじゃない、だけどやるしかない」
     「国税庁は(マフィアの)申告額だけに注目し収入源を確認しないわ」
     「現在の法律が問題なら、不当な法律を改正しなくては」
     「約束して・・私が怯えたことは秘密に」 ←このセリフが最も印象的だった!
     「負けたくない、恐れたら連中の思うつぼよ」
     「私は買収されない、犯罪者に屈するのは敗北、私の信念が許さない」
     「もしここでひるめば、それは“ジャーナリズムの敗北”を意味するわ」

トレイナー「(麻薬より)酒の方が、よほど身体には毒では?」
     「状況ってものは、悪くなる時は悪くなるもんだ」

ギリガン「俺が成功してるのはな、正体がバレないからだ」
    「大物を気取るな・・雑魚(ザコ)のくせに」
    「俺の手下を侮辱するな」
    「利口だと勘違いしてるのが、お前の欠点だ」

母「乱暴者とは闘わないのも1つの方法よ、近付かない方が潔い場合も」

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2008年10月 3日 (金)

☆『アイアンマン』☆

2日(木曜)。
梅田に出、期待値の高まってた“アメコミヒーロー作品(マーベル・コミックス系)”『アイアンマン』を観て来た。
劇場は“ブルク7”で、最上階に近い(?)中規模のシアターだったが、中列の、足先に前席のない位置のシートを選べラッキーだった☆ 左右それぞれにも1席ぶんの空きスペースがあり、これもなかなかの幸運☆

アフガニスタン・クナル州。“聖人”とも“救世主”とも“死の商人”とも呼ばれる「スターク・インダストリーズ社」のトニー・スターク社長(ロバート・ダウニー・ジュニア)は新型の同時多発ミサイル兵器“ジェリコ”のデモンストレーションのため、自家用ジェットでこの地に降り立った。
現地での“ジェリコ”試射は成功裏に終わったが、テスト場から空軍基地に向かう際、トニーの乗る軍用車は多国籍テロ組織“テン・リングス”の強襲を受ける。
彼の護衛役でもあった、若い兵士らが次々と敵弾に倒れ、トニーは車外へ逃げ出す・・そんな彼の背後に小型のロケット弾が突き刺さる・・“スターク・インダストリーズ”・・見覚えのあるそのロゴを目にした次の瞬間、トニーは爆風と共に吹き飛ばされるのだった。

目が覚めると、テロ組織の隠れ家(=洞窟)に監禁されていたトニー。同様に囚われた“グルミラ村の外科医”インセンにより、心臓近くに刺さっていた“爆弾の破片”を除去しては貰ったものの、車載式バッテリーに繋がれた電磁石の寿命=1週間が経過すれば、破片は心臓に到達し、たちまち死んでしまうと言う。
それを聞かされたトニーは絶望に打ちひしがれるが、インセンの助言を得て「生き延びること」に執念を燃やし始める。

アジトに山積みとなった“スターク・インダストリーズ”製の兵器から“パラジウム”を取り出し、それを基に“アーク・リアクター”なる超小型動力装置を開発し心臓を補強。
次に「ここにある兵器・部品・工具で“ジェリコ”を製造しろ」なる、テロ組織のムチャな要求を承諾し・・つつも欺き、洞窟から脱出するための「パワードスーツ」の開発に取り組む。

無事に脱出を遂げ、帰国したトニー。その失踪期間は3ヵ月にも渡っていた。
彼はアフガンで目にした「自社製品がテロを強力に支援している」現実から、唐突に記者会見で「兵器の製造・出荷を辞める」と爆弾発言する。
役員会はトニーに対する“解任要求”を即座に提出、また当然ながら、同社の株価は急落する。
関係者が戸惑いと不安を高める中、トニー本人は自宅地下にある研究施設に単身こもり、極秘裏に「パワードスーツ」の改良を重ねるのだった。

ついに“マーク2”と名付けられた「パワードスーツ」が完成。そんな彼の目に「アフガンのグルミラ村がテロ組織“テン・リングス”の襲撃を受け人々が虐げられている」とのTV報道が飛び込む。

今・・“アイアンマン”が世界平和のための孤独な戦いを開始する・・

いやぁ、一見豪華なキャスト&無難なCGで固めた「良くあるヒーロー物」やろ、とタカをくくってたら、これが予想以上に面白く、反省しきり・・(×_×)
ただ、言わせて頂ければ「“アイアンマン”なる安直なタイトル」や「如何にも無造作にキャラを並べただけの(レイアウトの)あのポスター」は私的には「つまらん!」と痛感する。
もっと映像化に向け、野心的な“宣伝方法”を考えて欲しかったものだ。それらが与える「第一印象」で、総合的にソンしてるんじゃないかなぁ〜と思うのはワタシだけやろか?

ロバート・ダウニー・ジュニア・・何だか久々にスクリーンで観た印象だが、この人なりの“目ヂカラ”が確かにあって良いかなと。同じ武器商人ってことでニ※ラス・ケ※ジ主演ヴァージョンではどうじゃろ? とか勝手に妄想もしちゃうが、やはり実人生でも“陰影”を何処か背負ってる風なロバダウ(←略すな!)の方がしっくり来てますわな。

私的には『チャーリー(1992)』で喜劇王チャップリンを熱演・・と言うか、あの映画では、まだ幼さの残るミラ・ジョヴォヴィッチの裸身の方が印象に残ってるかも(⌒〜⌒ι)
沈んでた頃もあったが、いよいよ“完全復活”も近いようで、私的にはミッキー・ローク氏と共に、静かに今後の演技を見守ってゆきたい男優ではある。

『スカイ・キャプテン/ワールド・オブ・トゥモロー(2004)』以来、久々のグウィネス・パルトロゥ(社長秘書=ペッパー・ポッツ役)さんものんびり演じてた印象で好感! 『ハッピー・フライト(2003)』以来の“可愛い”キャラ造形だった。
1シーンで、顔をしかめながら手を某穴から奥に突っ込み、指先が妙な粘液でグッチョングッチョンになっちゃうシーンなどは、別な妄想を肥大させ、股間をも膨らませるおっさん観客が随分おるように思う(←お前だけだ!)

※妙な粘液の正体は“無機プラズマ性排出液”だそうだが、どうにも“有機物”っぽいぞなもし(=^_^=)

もう1人は、裸で携帯に出てたりしたジェフ・ブリッジス(オバディア・ステイン役)。この人の本作における“役作り”は尋常ではない! 『スターマン/愛・宇宙はるかに(1984)』をイイ意味で超えてたかも知んない(=^_^=)
終盤では、せっかくカッコ良く“変身”してくれたのに、殆ど顔面が“覆われて”見えなかったりもしてた・・ま、この人らしいや(=^_^=)

本作・・実は中盤までの“囚われシーン”こそが私的には秀逸であった。いつホンマに殺されるか分からない恐怖、初対面の男たちの“本能的な判断”に基づく信頼感や自己犠牲。
中でも、インセン医師が「私が囮となり、君の逃げる時間を稼ぐ!」と叫びながら機銃を手に牢獄から洞窟通路へと走り出るのだが、彼はそんな状況となっても「頭上に向け、機銃を掃射した」のである。目の前のテロリストらを撃ち殺したい気持ちも少なからずあったろうに・・
この行動には、妙にボロボロと泣かされてしまった(×_×) 何気ない演出だけど、ここは素晴らしく、必見だ!

もう1点は“アイアンマン”がグルミラ村に到着するトコロ。あのタイミングに、あの着地姿勢・・カッコ良過ぎますわ!

< エンドクレジットのあとに続きがあります >

なる親切な字幕(=^_^=)に続くラストでは、続編への布石と思しき、某キャラが唐突に登場するが・・私的には「(それを持ってしても)1作目に匹敵する物語性は、構築し得ないんじゃないかな?」と早々に決め打ってしまいたくなった。
・・さて?

〜 こんなセリフもありました 〜

トニー「君を“女性”でなく“軍人”と思ったよ・・やっと笑ったな」
   「ツーショット写真は構わんが、ブログには載せるなよ」
   「シーザーの物は、シーザーに返すとしよう」
   「世界に兵器が要らなくなったら、小児病院を建てるさ」
   「1度使えば“勝負の決まる”兵器こそが最強なんだ」
   「気付いたんだ・・自分が“非常に無責任なシステムの1つ”だったことに」
   「よし、飛べたぞ(I can fly)」
   「こっちの番だ(my turn)」
   「時には“歩く前に走ること”が必要だ」
   「“訓練だった”が、(事故発生時の)軍の常套句だろ?」
   「慈善事業でも、契約書へのサインでもない・・これこそが私の仕事だ」
   「生き残れたのには、何か理由が」
   「真実を言うと・・」 ←“答弁メモ”は結局、無駄ですた・・

ステイン「“撃ってから狙う”のでは、順番が違うぞ」

ローズ「無人戦闘機では、パイロットの“直感”や“本能”には勝てない」
   「次の機会だな、俺は・・」 ←ちょっと笑えるシーン

クリスティン「(良心の呵責で)あなたに眠れない夜はないの?」
トニー「(俺に付き合って)確かめてみるか?」

ポッツ「あなたでなく、急かされるのはこの私です」
トニー「急かされても、耐えろ」

トニー「“解放”なんてウソだ」
インセン「だろうな」

トニー「どうせ俺に残された命はあと1週間だ」
インセン「なら、この1週間が大事だろ?」

インセン「安心しろ、私の手は震えてはいない、だからこそ君を救えた」
    「望み得る全てを手に入れたとしても、家族がいないんじゃ空しいだろうな」

ポッツ「恥ずかしいわ・・汗止めもつけずに上司と踊るなんて」
   「あなたに死なれたら困るからよ」
   “トニー・スタークにもハートがある”

※※「テクノロジーは、昔からお前たち(テロリスト)のアキレス腱だな」
  「殺すべき時にヤツを殺さないからこうなる」
  「君の発案した物が、君だけの物とは限らないだろ?」
  「君のデザインは、余りに保守的だ」

※「こいつが12機あれば、アジアを支配出来る」

アイアンマン「好きにしろ」 ←ちょっと『北斗の拳』ぽいセリフ(=^_^=)

ローズ「何か手伝えることは?」
アイアンマン「飛行機を飛ばさせるな」

ニック・フューリー「君だけがスーパーヒーローだと?」

〜 こんなことも感じたり 〜

・不法侵入者に対し、とにかく警備の手薄過ぎるトニー邸。バルコニー床の耐荷重量(のなさ)にも大いに問題がある(・ω・)
・トニーが受賞した“アポジー賞”とはどないな賞なのだ?
・「旧型アーク・リアクター」⇒「不器用アーム君」と2段階で“置いといたネタを繋げる”って脚色にびっくり! すごいテクニックやな!
・トニーは“サケ(日本酒)とサシミ”がお好みらしい。
・あの環境(=洞窟)で「パワードスーツ」を完成させるのも凄いが、それ以上に「高度な外科手術を成功させる」のもすごい! 中東の辺境に、世界最高レベルの人材が今日も囚われてる・・ってのは現実に有り得るのかも知んない(・ω・)
・1シーンながら、オバディア氏が“セグウェイ”ぽいのに乗ってた!
・“アーク・リアクター”開発に同時に取り組む2チーム。どうしても開発出来ない側のチームがどうしたか? と言うと・・相手側から“盗み出した”が正解(=^_^=)
・前述の「不器用アームロボット」で複雑な作業を同時進行させるトニー。「音声認識」と組み合わせてて、かなりDIYもはかどることやろね。
・直立不動姿勢(?)で上空に浮上しつつ、両手を下にバランスを取る“アイアンマン”の飛行スタイル。何となく「嬉しくってぴょ〜ん」のポーズに似てなくはなかろうか?
・「パワードスーツ」も欲しいが、あの「携帯型マヒ装置」の方こそ欲しいかも・・
・米国内でより、アフガンでの人道的過激活動(?)の目立ってた“アイアンマン”・・飛んで行って帰って来る(往復)分のエネルギー消費量が結構勿体ないと思うのは、ワタシだけか(⌒〜⌒ι)
・ラストに登場の大物俳優・・少し前にあった『ジ※※パ※』の続編にもきっと出演されるだろうから、結構あちこち忙しそうな感じやね。熱弁中に背後から巨大ザメに喰われてたあの頃(1999)が懐かしい・・(⌒〜⌒ι)
・金とチタンの合金は「氷結に強い」らしい。
・ジンギスカン(チンギス・ハーン)が“弓矢”で築いた広大な領土は「アレクサンダー大王の2倍」「ローマ帝国の4倍」もの広さがあったらしい。
・ポッツさん好みのカクテルは「ウォッカ・マティーニをドライで、オリーブを3つ」だそうだ☆ 覚えとこ(=^_^=)

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2008年10月 2日 (木)

☆『アゲイン/男たちの挽歌3(1989)』☆

1日(水曜)夜の鑑賞。今週の衛星第2では月〜水曜の3夜に渡って“男たちの挽歌”3部作をイッキに放送してくれた。
“香港のツイ・ハーク”と呼ばれる(←そのまんまや!)ツイ・ハーク(製作総指揮)と、ブレイク前夜のジョン・ウー(監督&脚本)が関わってる“ピカレスク(悪漢)/任侠アクション作”って感じだろうか。

まず9月29日(月曜)夜に流れた『男たちの挽歌(1986)』のラストのみを“つまみ観”し、
♦冴えないルックス(←すんません)の3人組がドンパチの末、鮮血にまみれていく
♦チョウ・ユンファ演じる主人公“マーク”が逝ってしまう
と言った展開を確認した(・ω・)

「シリーズ第1弾」と言う輝かしい作品ではあるものの、垢抜けなさが際立ってる印象だった。。

次に30日(火曜)夜に放送の『男たちの挽歌2(1987)』を・・冒頭20分+終盤20分のみ録画した(・ω・) これはチョウ・ユンファの登場&退場(!?)シーンを確認したかったからに他ならぬ。どうやら前作で死んでしまった“マーク”には「双子の弟=ケン」がおり、彼が出しゃばる展開のストーリーらしい(⌒〜⌒ι)

で、今夜。録画した2作目を観れぬまま(=^_^=)完結編(?)を先に観た次第。
本作もやはりチョウ・ユンファが登場するので「今回はどんな言い訳(=^_^=)をこじつけ、引っぱり出して来やがるんだろ?」と言うトコこそが最大の鑑賞モチベーションだった(=^_^=)
ワタシの予想では
♦“パラレルワールド”とし、別な物語を展開する
♦マークとケンは実は3つ子(かそれ以上!)の兄弟であり、他にも良く似た奴が沢山おる(お※松くんかよ!)

のどちらかやろ? 特に後者とちゃうか? と言う「香港映画ならではの荒唐無稽さ」に期待したんだが・・実際には「1作目より以前の物語で、再びマークが主人公」と言う、それはそれは『インファナル・アフェア』シリーズ(3部作:2002-2003)を先取ったような、なかなかに素晴らしい構成の3作目であった!

良くも悪くも“ケレン味たっぷり”なアクションシーンが満載だったが、ヒロイン=キット役を演じたアニタ・ムイさんを筆頭に、どうも出演の皆さんの見映えがイマイチ良くなかった。。
チョウ・ユンファにしても、しょっぱなからベトナムの入国シーンにおいて、空港の取調室で半裸状態(パンイチ)にされてたし、、

※本作は1974年のベトナム・サイゴン(前半、終盤)と香港(中盤)が半分ずつのロケーションで描かれるが、どうやらツイ・ハーク監督自身が少年期をベトナムで過ごし、戦争難民とし香港に渡って来た経歴の持ち主であることから、自伝的なテイストが盛り込まれてるのかも知れない。

結構ダラダラと観てたが「シー・キエンさん」「時任三郎さん」の助演には、知らなかっただけに、かなり驚かされた!

まずキエン氏と言えば、かの『燃えよドラゴン(1973)』でブルース・リーと対峙する敵ボス=(少林寺の破戒僧)ハンを演じた、モノ凄い悪役キャラなおっつぁんである。本作では、なんとも弱り切った役だったが、きっと“手首から先をアタッチメント交換”さえすれば、マフィアの数人程度は容易くぶち殺せた筈だと確信している。

次に時任氏。日本人を父に持つハーフでインテリな敵ボス=ホーを好演してくれた。涼し気な表情で、キザなセリフを放ってくれたりして、カッコ良かった!
背も高そうだったし(ネット情報では身長188cmとのこと!)。流石に流暢な広東語(?)は恐らく口パク&吹き替えと思われるが、それなりに作品と雰囲気はマッチしてた。
2度ほど言い訳っぽく(?)「私の名は田中弘義、父は日本人だ」なるセリフを放ってたが、ナチュラルに「日本語で言われても、漢字のパッと浮かばない名前だよネ」と感じてしまった(=^_^=)

※同氏は今秋公開となる邦画『ハッピー☆フライト』にも出演予定とのこと。

〜 こんなセリフもありました 〜

ホー「何かを選べるのは、限られた人間だけだ・・その力なき者は、運命に従うしかない」
  「自分の物は、必ず取り返す」
  「憎しみの世界へようこそ・・もはや、残されたものは死しかないぞ」

その部下「ずっとあなたに忠実に仕えて来ましたが、最後にこんな過ちを・・」

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