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2008年9月29日 (月)

☆ニューマンさん、安らかに☆

昨夜、大物俳優ポール・ニューマン氏の訃報を知った。

詳しい年齢や病状は知らなかったが、氏の出演を『ハスラー(1961)』・・『明日に向かって撃て!(1969)』『スティング(1973)』・・『ハスラー2(1986)』・・『ロード・トゥ・パーディション(2002)』・・とほぼ10年ごとの出演作で断片的にしか辿れてないワタシとしては、
とにかく近作『ロード・トゥ〜』でのボス役の演技に「えらいまた老けはったなぁ、、」と戸惑ってしまった覚えがある。
(かの作品ではトム・ハンクスのデブ度、ジュード・ロゥのハゲ度もかなり印象的だったが(←もちろん、皆さん“造り込んではった”だけでっせ! 悪口やおまへんで!))

「観なきゃ!」とワタシの宿題になってる1作は『評決(1982)』なんだが、あわよくば“追悼特集”とし衛星第2で放送してくれると、かなり偲べそうです・・(・ω・)

ウィキペディアで氏の人生を辿ると・・『エデンの東(1955)』の助演が叶わなかったこと、その後『傷だらけの栄光(1956)』で華々しく主役デビューを飾ったことなど、ジェームズ・ディーンの影響を大きく受けてしまったんやなぁ、と。

クルマ好きの面々には“鉄仮面”の俗称を欲しいまま(?)にした“日産スカイラインR30型(1981-85)”が“ニューマン・スカイライン”と呼ばれた(彼がCMのイメージキャラクターに起用されたことから)ことも周知の事実であろう。

他には、ぐっとレベルが下がるんだが(=^_^=)、かつてのお笑い番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』の1コーナー、、“兄貴!”のコント中での兄貴(松本人志)と子分(今田耕司)の掛け合いで、

兄貴「わしがあのポール・ニューマンやったらなぁ〜! お前みたいなもんはぁ〜!」
子分「そや! お前みたいなもんはぁ〜!」
兄貴「・・にゅうめんじゃ」
子分「そや、お前なんかにゅうめんや」

みたいなのがあって、かなり苦笑させられた覚えがある。

きっと松本人志氏の人生観にもただならぬ影響を与えて来た証左なんだろう(=^_^=)

何はともあれ、ご冥福をお祈り致します。

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2008年9月28日 (日)

☆『12人の怒れる男(2007)』☆

28日(日曜)。ガバッと起きたら・・またも午前10時を回ってた(・ω・) 早く目覚められたら、クルマで遠出したかったンだけどねぇ。。
明日からまた仕事だし、遠出するのはやめときまひょってことで、以前から鑑賞を熱望してた1本『12人の怒れる男』を観に行くことにした☆
本編が約160分ちぅ“骨太大作”で、かつ決してメジャー路線じゃないだけに、劇場も自ずと限られて来る・・(・ω・)

今回は「心斎橋」か?「十三」か? ってな二者択一を経て、後者にあるミニシアター“第七藝術劇場”に初めて行ってみることに決めた☆
阪急・十三駅で下車し、アーケード街をくぐること2度。風俗系案内所が界隈に賑々しく建ってたりする某ビルの上層階に、そのシアターはあった。
む〜ん、何てコアなロケーションなんや、、と思ってたら、集まって来るしとたちも何処となくコアな感じだった。。梅田/難波の劇場なんかで良く見かける「アタマ悪そな若い男女」「(作品の)選択を間違えてそなご老人」と言った観客は皆無! みんなきっとリピーターかつ確信犯(?)的な映画好きの奴ら・・いえ、方たちなんだらう。

薄暗く、静かなロビー(と言える程広くもない・・)で言葉少なに佇む、開場待ちの人々の発するオーラに気圧されたか・・チケット販売のお兄さんに「“12人の怒れる男たち”を1枚」と思わず口走ってしもたワタシ・・タイトル、間違えてるじゃ〜ん!(×_×)

シドニー・ルメット監督による法廷モノ群像劇の傑作『12人の怒れる男(1957)』を、物語の“軸”はそのままに、舞台を現代のロシアに移し“リメイク”・・いや、これはもう“リ・イマジネーション”と言って良いかと思う・・した長尺の物語。監督は“おいしい役”で出演(主演?)も果たしてるニキータ・ミハルコフ。

養父である陸軍少佐=ワローシャのノドを切り裂いて殺害、その所持金を奪い逃走した罪で、チェチェン出身の少年=ウマルが今、裁かれようとしている。3日間の審議を経て、いよいよ12人の陪審員たちの手に少年の運命は委ねられる・・

「時間は無制限とす」「全員一致の評決を下すこと」「検察側に同意するなら“有罪”を」「“合理的な疑い”があるなら“無罪”を」「上告はない」

女性裁判長が“休廷”を告げ、間もなく陪審員らは“仮設の陪審室”へと移動を始める。そこは老朽化した某学校の体育館である。
12人の男たちは「どうせすぐに終わるさ」「軽いもんだ」「さっさと済ませよう」と“全員一致の有罪”で本件がさっさと片付くものと考えていたが・・そこにたった1人の陪審員が“無罪”を主張したことから、陪審室は大いなる論議の渦巻く場へと変わってゆくのだった。

上映時間の長さ&シートのイマイチさに、後半からは尻が痛くなり、もぞもぞ座り方(体位)を変えたりしてた(・ω・)

ワタシなりの結論としては「娯楽作と言うには“長過ぎて無駄が多い”」ってことで、オリジナルを超えるつもりで撮った作品だとすれば「こんなのは評価出来ません!」ってトコに評決は落ち着くが・・現代ロシア国民の抱える“焦り”“苛立ち”などをかなり大胆に脚本内に盛り込んだチャレンジに対しては「凄い! 良くやった!」と絶賛したい。

陪審員の何人かが「自身の境遇」や「国民としてお国に言っときたい事」などを吐露した後、自分の意見を見つめ直し「無罪票」を投じて行く、みたいなパターンが繰り返されたが、2ヶ所ほどの語りのシーンで「割愛」っぽさの見受けられた印象があった。当局の指導が入ったんやろか? とか。
終盤に陪審員長が何かを語りかけるんだが・・結局、彼の口をついて出た言葉は「・・では評決をとろう」であった。私的には“ディレクターズカット完全版”が恐らくは存在するんやろなぁ・・と決め打った次第だ(=^_^=)

細かいトコで、陪審員1番、2番、3番・・辺りのキャラに“重要どころ”を固めてしまってた感のアリアリだったのが、不満だったか。実際には、そう巧くキャラが連番にならないと思うし(・ω・) やっぱししょっぱなは“陪審員8番”さんからやって欲すかった(=^_^=)

主人公的キャラもオリジナル(ではヘンリー・フォンダ)とは違い、途中からは「総てを見通した上で、敢えて“有罪”に投じてたとある人物」が文字通り物語を「まとめてた」印象が強かった。
陪審員も12人の職業が全て異なっており(←これも凄い偶然だけど)、外科医が実はナイフ扱いの達人だったり(このおっちゃんの“ナイフさばき”はモノ凄い! かのセガールとも渡り合えるんじゃなかろうか! 流石に“厨房”では彼に勝てんだろうけど(=^_^=))、老芸術家に別な一面があったり、墓地管理人の“稼ぎの手口”に全員が黙らされたり、冷静で理知的な印象の男が、実は少年のように恋に身を焦がしてたり・・とそれぞれの「語り」の中に「おおっ!」と背筋を正してくれるキャラが何人かいて、嬉しくなった。

ちょっと苦笑させられたのが、チェチェン紛争時、激しく降る雨の中を小犬が何かをくわえて走るイメージ映像・・くわえてる何かが“キラリ〜ン☆”といちいち光るんだが、あの光り方が何だかコント的で頂けなかった。。まるで『嫌われ松子の一生(2006)』で谷原章介が登場する時に光る歯かよ! と突っ込めそうな輝き方である・・(⌒〜⌒ι)
ラストで光っていたモノの“正体”がついに明らかになるが・・『用心棒(1961)』とか『悪霊島(1981)』とかかよっ! とここでまた突っ込んでしまいますた。。予備知識があるって、悲しいものですね・・(♪「愛燦燦」ネタ)

言いたかった者が、言いたかったことを言い、そのまますっぱり終わってしまう幕切れも、オリジナル版と比べ、賛否両論の起こるトコではないかな、と。
私的には「陪審室から戸外へ出た男たちが、それぞれに深呼吸なぞしながら、街の風景を改めて眺める」「廷吏が何か最後に“気の利いたこと”をポツリと放つ」ぐらいのサービスが欲しかったかな、と。

〜 こんなセリフもありました 〜

陪審員たち
 「ピアノさえ“鉄格子の向こう側”だ」
 「見ろよこの下着(=ブラ)・・学生だってのに栄養がイイな」 ←持って帰んなよ?!
 「“有罪”の挙手だったのか? てっきり“投票に賛成”の挙手かと思ったよ」
 「結論には早すぎないか?」
 「出産と小便は先延ばし出来んもんでね」
 「トイレはひらめきの宝庫だ」
 「路上でのたれ死ぬ筈だった私を、たった1人の人間が見捨てなかった」
 「周りを見ろ! このモスクワは他国に乗っ取られてる」
 「ユダヤ人の冗談は、冗談にならない」
 「人生には、どんな偶然だって起こるものだ」
 「女は・・天使なんかじゃないさ」
 「ロシア人は法を信じない、法など役立たずだ!」
 「私には、あの少年の孤独と恐怖が伝わって来る」
 「いつまでもニヤけず、真実を見ろ! 何でも笑いたがるな!」
 「カフカスじゃ、ナイフは一種の“文化”だ」
 「何処でも同じさ、やり方は違えど、誰でもやってることだ」
 「悪どく儲けた金でロレックスも買うが・・地域にも還元はしてる、学校も建てたさ」
 「死人の金を生きた奴に使う・・俺にしか出来ないことだ」
 「厄介なのは・・人間の本能に巣食う“愚かな嫉妬心”さ」
 「明るい海辺に向かって飛び立つか、ここに残るか、自分で決めろ・・誰も決めてはくれないぞ」
 「ここの次の修理は、恐らく40年後だろうよ」
 「彼が“有罪”に絶望し首を吊ったなら・・それが彼の運命なのだ」
 「路上より刑務所の方が長生き出来る・・そう考えたことは?」
 「元将校? “元”かどうかは関係ない」
 「国民がそんな“日和見根性”じゃ、この国は乗っ取られるぞ」
 「信念なき“小者”は、生き延びるためなら何でもやらかすさ」

廷吏「電灯は新しいんだが、配電盤が古いもので・・」

ある母親「あの人は変な人じゃないわ・・悲しいだけよ」

兵士M.N「いつか戦士となり、ロシアと闘え」

ウマル「母さん、ロシア語で話してよ」

B・トーニャ ←って誰?
 「些細な日常より、人間の本質に真相を求めよ」
 「法の力は揺るぎないが、慈悲の力はその法をも凌ぐ」

〜 ちょっと陪審員(ルックス)が彼らっぽかったです 〜

トム・ベレンジャー/ジェームズ・コバーン系
ジョン・マルコヴィッチ系
ジェフ・ゴールドブラム系
ポール・ソルヴィーノ系
クリス・クーパー系

追記1:劇中で“凶器”とされたのは“エマーソン製CQC−7”なるコンバットナイフだった。
追記2:劇中で、ある陪審員が“アウディ80”に乗ってる、と言ってたが、既に(10年以上前に)消滅してる車種らしい(・ω・)
追記3:劇中で唯一、作品に似つかわしい(=^_^=)“アンジェリーナ・ジョリー”なる名が出てた☆ 彼女に唇の似てる、“ジュリー”なる恋人を持つ某陪審員が惚気(ノロケ)てはりましたわ(⌒〜⌒ι)

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2008年9月27日 (土)

☆『スパイダーマン(2002)』☆

26日(金曜)。梅田で『デトロイト・メタル・シティ』を鑑賞し、いい気分になりつつ帰宅。

K阪電車Y駅(始発駅)で“カバン1つ”ドアから滑り込ませてた筈なのに・・無情にも電車のドアが目の前で閉まり「このメスブタがぁぁ・・!」と女車掌に毒づきつつ、次の1本を待った(ウソです、お仕事頑張って下さいネ☆ 発車時間に遅れて来る乗客なんぞ、ばんばんドアで挟んじゃって下さい(←こら))。

帰宅後、遅い夕食を摂りつつ、テレビ放送されてた映画『スパイダーマン』を途中(後半)から観た。劇場でも観たので、今回で確か3度目の鑑賞になるかな、と思う。

現在のトコ、シリーズ(1〜3)で一番楽しませてくれた悪漢=グリーン・ゴブリン/ノーマン・オズボーン(ウィレム・デフォー)の言動がやはり楽しいし、素晴らしい☆
主人公ピーター・パーカーを演じたトビー・マグワイアの“俳優人生の代表作”となるのかは、ワタシには断言出来ないが(データ的にはそう言えるンだろうけど・・“CG群が凄い”だけで、それらを超えるトビー君の“俳優パワー”が炸裂してたか? と言うと、そうでもなかった気がするのだ)、ウィレム・デフォーの助演作の中では、久々のヒットだと考えている。

因みに彼の“悪役人生”の中で(今なお)突出して魅力的なのは、やはり『ストリート・オブ・ファイヤー(1984)』であろうか。叶うならば、近作でも「斧を携え、オーバーオール姿で暴れまくって欲しい!」と考えるデフォーファンは、きっと日本にも5.3人ぐらいはいるであろう(←なんで数が中途半端やねん)

さて。
展開は大体掴んでる本作なので、映像はテキトーに流して観てた感じだったが、セリフ系には「エエよなぁ〜」と感じてしまった。

ネットで調べると、やはり(=^_^=)脚本自体には監督(サム・ライミ)はクレジットされておらず、その点は安心した。

因みに、ワタシが劇中で一番好きなシーンは、ビルの火災現場で「2度目の人命救助に向かう」トコロだ。劇場で観た時、あの“クルッと振り返る演出”には激しく驚愕させられたモノである。当時、何だか夢に出そうだった(⌒〜⌒ι)
映画『サイコ(1960)』や、電気グルーヴのPV(プロモーションビデオ)『モノノケダンス』の終盤にも通じる「いや〜な感じ」のほとばしるシーンである(×_×)

〜 こんなセリフがありました 〜

ノーマン「・・散らかっている」
メイおばさん「頭の良い人の部屋はみんなそう」

ノーマン「お前は女に関しても無知だから、教えといてやる」
    「大事な息子なのに、これまで振り向いてやれなかった」

ゴブリン「賢い戦士が攻撃するのは・・相手の心だ」
    「悪者の罠にはまり、残酷な二者択一を迫られる・・それがヒーローだ」

ピーター「彼女の瞳を見つめ、そして彼女も僕を見つめ返す。
     そうすると・・強くなったような、弱くなってしまったような
     嬉しいけど、怖いような・・そんな気持ちになる」
    「代償を払うのは、いつも僕の愛する人たちだ」
    「僕に授けられたこの力は・・僕を一生呪い続ける」

メイおばさん「やっと笑ってくれたね、お前」
      「彼女にあなたを知るチャンスを与えなさい」

船員A「ムリだ、持ちこたえられない」
船員B「彼なら出来る!」 ←何で断言出来るねん、、

追記:『デトロイト・メタル・シティ』と比べ、両作それぞれに“ヒーローもの”としての共通する要素があったりして面白い☆ 特に感じたのは「超人には“2面性”がつきもの?(←ある種“ハイ”になる)」「大いなる変身には、大いなる依存性の快楽が伴う?」「ヒロインは、あくまで主人公にとってのみのヒロインである(観客全てにとって、ではない)」

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☆『デトロイト・メタル・シティ(D.M.C)』☆

26日(金曜)の夜。
以前から「観ときたい!」と直感的に考えつつ、なかなか機に恵まれなかった1作・・『D.M.C』こと『デトロイト・メタル・シティ』をナビオ上層階のシネコン“TOHOシネマズ”でようやく鑑賞した☆
上映期間が後期に近付いてるようで、かなり小規模のシアターに追いやられてしまってた感があったが、それ故に程よい集客具合を見せてたかな、と。

今日は、周囲から回された仕事をこなし、書類をチェックしてるだけで“自分の仕事が一切出来ぬまま”に1日が暮れてしまったが・・残業する気も失せて来たのでさっさと退社させて貰った次第。でも、巧く気分転換出来て良かった☆

母(宮崎美子)や弟・俊彦と別れ「オシャレなミュージシャンになるため」に、故郷(大分県犬飼町)から上京した主人公=根岸崇一(松山ケンイチ)。進学した都内の大学では「ポップミュージック研究会」に在籍し「No music. No dream.」を座右の銘(?)にささやかな“ギターポップ路線”を歩む。

研究会では、ガールフレンド=相川(加藤ローサ)や後輩・佐治らとの交流に恵まれた崇一もやがては卒業。
メジャーデビューの夢を高め、渋谷・道玄坂の某雑居ビルにあるインディーズ・レーベル“デス・レコーズ”の扉を叩いたのだった・・

そして、事務所の女社長(松雪泰子)の指示に従った崇一は・・過激な“デスメタル”を演奏するバンド「デトロイト・メタル・シティ」のギター&ヴォーカル=“ヨハネ・クラウザー2世”とし、驚愕の変貌を遂げたそのスタイルでデビューを遂げる。

「僕がしたかったのは、こんなバンドじゃない!」

そんな彼の心の叫び(?)をよそに「デトロイト・メタル・シティ」の放つ“悪魔系楽曲”は渋谷から西日本全域(?)へとミュージックシーンにその波紋を拡げてゆく・・

いやぁ、強引でムチャクチャな演出もあった(例:何処にでもコスチュームがある、着替えがとにかく早い、など)ものの、、ある意味、予想以上のジェットコースターぶりで楽しませて貰った☆
特に主演の松山ケンイチ、以前は大した興味もなかったんだが『人のセックスを笑うな(2007)』以降、かなり注目してる若者だ。本作でも『人のセックス〜』より更にパワーアップもし、ブレイク(=崩壊)もしてる“キャラの造り込み”がなかなかにスゴかった!
うかうかしてると、彼にどんどん追い抜かれてくベテラン俳優さん、多いんじゃなかろうか(・ω・)

基本路線は「事務所社長の暴力(愛の鞭?)に怯えつつ、“自分のやりたいジャンル”でない“デスメタル”の分野でどんどんカリスマ化してゆく主人公。そんな彼が、再会したガールフレンドには“邪悪な正体”を隠しつつも、一方で高まっていく熱烈なファンの期待も裏切れず・・“究極の2人格”に煩悶させられる」って感じなんだが、そこに色んな形の“再会”を交え、脚本の流れがマンネリとならぬよう工夫されている。

本作は、エッセンスを煮詰めて行くと「挫折(中盤)からの再生(後半)が描かれる」「主人公がヒロインに正体を隠そうとする」「派手で華やかなルックス(?)と裏腹に、主人公は深く(?)悩んでいる」などの造形が“ヒーローもの”であるし「終盤で走りまくる」「最後にとある“対決”が展開される」などの演出は“青春映画(或いはスポ根路線)”に通じるものがあったりも。

邦画では「CGガンガン系のパニック映像型ヒーロー作品」なんぞ、撮影など出来ようハズもないけれど、こんな形の“ヒーローもの”を造れるのもまた、邦画ならではなんやろなぁ〜と感心させられた☆

本作には「母親」「彼女」「女社長」と言う全くタイプの異なる3人のヒロインが登場するんだが、それぞれの主人公に対する“絡み方”が「浅過ぎず、深過ぎず」で絶妙だった! 私的にウルウルさせられちゃったのは、何と言っても故郷における「母&息子(崇一)」のシーン。母はきっと「クラちゃんが何者であるか」に気付いたんだろう。
しかしそこを「全て言い当てない」彼女の言動には、何故だか半泣きにさせられた。

他に特筆すべきは“D.M.C”信者のリーダー格を演じた大倉孝二氏。この人の存在感ももの凄い! 本作から「助演俳優賞」を選ぶとすれば、ワタシは間違いなく彼をチョイスするだろう。

「ヒーローとは、自身は変わらずとも、周囲にパワーを与え、彼らを変えて行き得る存在なのかも知れない」
「いつまでも地味で不幸なまま生きて行く自分を、変わらず見守り続けてくれる人がいるのかも知れない」

なんてな“甘っちょろいこと”を少し妄想したりもするワタシだった(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

崇一「恋愛は、音楽を生み出すエネルギーだ」

クラウザー「音楽を生み出すエネルギーは、恋愛なんかじゃねぇ・・それは“恨み”“憎しみ”・・」
     「この恨み、晴らさでおくべきか!」
     「死にたくなくば、生まれるな」
     「我殺(や)る、故に、我殺(や)り」
     「音楽と出会えたことに感謝している。
      ミュージシャンになっていなければ、恐らく猟奇殺人鬼となっていただろうから」
     「深入りするでない」
     「ナイス・タンバリン!」
     「お前も“べぇべぇ”してやろう」 ←ヘビメタ猛牛(?)を手懐ける
     「イエス、アイドゥー(Yes,I do.)」 ←素直じゃん (=^_^=)

社長「踊り狂って、アソコもビショビショさ」
  「ファックオフ!(Fuck off) あたしは、こんな曲じゃ“濡れない”んだよ!」
  「あいつは天才さ」
  「ヒーローには使命があるんだよ、人に夢を与えるって」

あさと「“お遊戯的な曲”なら、よそでやってくれよ」

聴衆「キツくない?」
  「ヒドいでしょ、これ」

D.M.C信者「貴様、クラウザーさんに殺害されるぞ!」
      「あれこそ究極の“自虐プレイ”だ・・凄過ぎる」 ←いや、首吊り事故だってば!
      「クラウザーさんに“死の概念”などない」
      「何だ・・? 新曲か?」

〜 ほかこんなことも 〜

・主人公が冒頭、故郷を発つ際に乗ったのはJRロゴ入りの「キハ47形4500番台」。詳しい方は、この形式を耳にしただけで、即座に路線が分かるんやろなぁ(⌒〜⌒ι)
・都内の「カワイ音楽教室」を揺るがしたクラウザー様(=^_^=) 確かに怖い。。
・「魔の刻印サイン会」「ファッキンガム宮殿」「テトラポッド・メロンティー」「お洒落四天王」「金玉ガールズ(←おい!)」「公然猥褻カット(俗に言う(?)マッシュルーム頭)」「出鱈目マザコン・チェリーボーイ(略すと“D.M.C”)」などのネーミング群もブーツ飛んでる!
・結局は自身のセンスで“デスメタル”曲群を自在に作詞作曲しており、その才能は高いと思われる崇一(・ω・) 「歯でギターを演奏」したりもし、技巧的にもスゴいんじゃないかな、と。
・母からの携帯メールが大分弁(?)により読み上げられるんだが、その(宮崎さんの)ナレーションと、同時に展開されるバイオレンス映像とのギャップがもの凄い! ここは見所でしょう(⌒〜⌒ι)
・社長の飼っている猛犬(?)2頭の名前が「ぐり」と「ぐら」ってのもなかなかセンス良し!
・「本作はフィクションであり、劇中に登場する一部の台詞・歌詞などを肯定するものではありません。」みたいなラストの“おことわり表示”も面白かった。やっぱりここは掲示しとかないと、色々言う人がおるんやろね(・ω・)

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2008年9月24日 (水)

☆“ほぅ、そうかね”☆

23日(火曜)。
「秋分の日」ってことで、仕事は休みだったが、昨夜の酒宴が響いたようで・・午前中は“ポンコツ状態”でベッドにただ横たわり、すっかり惰眠を貪ってしまった(×_×)
溜まってる新聞を切るとか、溜まってるビデオ(主に映画)を観るとか、、色々とやりたいこと・やるべきことはあったんだが・・「天気もエエし!」ってことで、またまたクルマを走らせ、奈良方面へと。

本日向かったのは、奈良市内にある“入江泰吉記念・奈良市写真美術館”であった。位置的には「春日大社の南、新薬師寺の裏手」なる立地。
界隈を“高畑”と言う。
初めて行った時は、道に迷ってるうちに閉館時間となってしまい泣かされたが(⌒〜⌒ι)一度場所を覚えてしまえば、ラクに辿り着けるようになる(←そりゃそうだ)。

展示スペース自体はもちろんであるが、私的にはロビーやら、庭園(って表現で良いんかな?)やら、そして何より古今の写真集&美術書がなかなかに充実している図書室が好きなのだ☆

ここへ入館するのは、確か(今回で)3度目となろうか。

明治〜昭和時代にかけての鉄道関係の写真を中心とした“奈良の鉄道〜明治・大正・昭和への旅〜”なる特別展示が今月末ごろまで開催されているが、そこを眺め、併設のミニシアター内でハイヴィジョン映像をしばらく鑑賞した(←んだが、疲れからか、殆どウトウトしてた(×_×))後、グッズ販売コーナーを冷やかし(←買わなくてすんません)、いよいよ待望の図書室へと向かった☆

前回の訪問以来、かなり気になってる写真集が1冊、そこに所蔵されてるのである。
その名も・・

“おじいさん〜笠智衆写真集(1992)”

個性派俳優・笠智衆の当時87歳にして“最初で最後”の写真集である(因みに笠氏は翌年(1993)、88歳にして逝去)。
彼が故郷の熊本、人生の多くの時間を過ごした鎌倉などを舞台に、気品溢れる好々爺(こうこうや)然とした姿で佇み、歩き、その静かな“生の姿”をプライベートフォト風に見せてくれる。
ワタシが惹かれたのは、笠氏の写真もそうなんだが、彼が写真の脇にポツポツと寄せてる「語り」なのであった。
で「この次に行った時は、全てを読み、気に入ったコメントは1ツ残らず覚えて帰ろう!」と心に決めてたワタシは、閉館時間の迫るのも気にせず(⌒〜⌒ι)ひたすら、彼のコメントをメモするのだった・・

そんな宝石のような言葉が以下である☆

1人になると急に日が永くなりますわい。

まあ、行ってごらん。むずかしいもんじゃないさ。

ほめられると、子供心に、これは悪いことはできないと思う。
子供をよくしようと思ったら、叱っちゃいけませんね。

どんなに欲張ったって、人間にはそれぞれ分がある。

酔っぱらいの演技は、飲まない人の方がうまいんです。

人間なんて、何でもできるだけのことはしとくもんだ。

原節子さんとはほとんど口をききませんでした。
僕みたいなのがおつきあいすると、あの美しさを汚すような気がしまして。

ああ、きれいな夜明けじゃった。今日も暑うなるぞ。

コメントの読破こそは遂に成し遂げたワタシであったが・・今は無性にこの写真集が欲しくなり(=^_^=)「あまずぅん」に出品されてる「中古商品一覧ページ」を眺めてはため息をついている次第だ。
いや、価格的には全然問題ないんだけどね・・あの図書室にわざわざ行き、あそこにあるその1冊をめくる・・てな楽しみを失うような気がしまして。

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2008年9月23日 (火)

☆『男たちの大和/YAMATO(2005)』☆

21日(日曜)の夜。
久々に地上波で放送されたのが『男たちの大和/YAMATO』であった。

拙ブログでは昨年4月11日の記事で“地上波初放送”された際の鑑賞レビューをやや詳しくアップしているが、今回もまた後半・・と言うより殆ど終盤であったが、(残り)約40分ほどのみをだらっと観た。

TVを点けると、既に一番艦=大和が上空からの凄まじい敵襲を受け、かなり形勢不利となっている状況だった。

激しい銃撃&爆撃にさらされる甲板の映し出されるヴィジュアルこそはなかなかに迫力あるんだが・・交互に映される敵戦闘機の飛来映像などは、如何にも「別に用意した映像を編集作業でもってくっつけました」って風で、観ててかなり興醒めしてしまう(・ω・)

戦艦大和の全体像を上空から映すアングルなどもときに挿入されたりするも・・画質や映像のトーンが甲板部のそれと全然違うので、やっぱり吸引力が発揮されない。
加えて、準主役であった(ハズの)反町隆史のキャラが思った程目立っておらず、残念。

たぶん、激戦突入前の(彼の)言動をしっかり辿っておけば、そんな違和感も感じなかったワタシだろうが・・

その演技・・どうですか? と感じたのはヒロイン役=鈴木京香さん。ヴィジュアル的にはかなり好きな女優さんなのだが、何とも「懸命に演じてます」って印象が強過ぎ・・「巧くない、、」としょっぱさを覚えて仕方なかった。

主人公的な兵卒を演じた松山ケンイチは、やがて年老い、仲代達矢演じる漁師に変わるんだが・・『用心棒(1961)』『椿三十郎(1962)』での(若き日の)仲代さんの印象が強く残ってしまってるワタシは・・「現在が仲代さんだとしたら、若い頃は“松山顔”とは全然違うだろ!」とここにもギャップを感じまくった。

が・・終盤でやはりボロっと来てしまったのは、主人公の(戦死した)友人の母を演じた余貴美子さんの

「あんた、死んだらいけんよ! 死んだらいけん!」

なる悲痛な叫びであった。

現代の(一連の)シーンにおける何とも言えない“わざとらしさ”に、観てて背筋がゾクゾクしてしまった今回の鑑賞だったが・・余さんのあの言動だけは、かなりグッと来ると思う。

ベテランの佐藤純彌が監督を務めたが、この人『ゴルゴ13(1973)←高倉健ヴァージョン』『北京原人/Who are you?(1997)』など「企画段階で断っとくのもプロなのに」と思っちゃうルナティックな作品も手がけてたりし、ちょっと私的には評価の定めにくい人物ではある(⌒〜⌒ι) ウパ〜!

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/index.html

※参考リンクです。

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2008年9月22日 (月)

☆“世界のナベカズ”に逢う(先方は覚えておられないだろうけど)☆

20日(土曜)の夜。
奈良県は桜井市の某市民会館(←何が某だよ)で開催されたジャズ公演『SAKURAI Jazz Festival vol.1/渡辺香津美コンサート』に出かけた。“日本を代表するギタリスト”と言うことは雑学程度に知っていたが、どんな演奏(=奏法)をされるのか? どんなナンバーを得意とされるのか? 好きな食べ物は何か?(←関係ないし) など・・殆ど分かっておらず、かなりご本人からすれば「レベルの低い観客(の1人)」だったと自覚している。。

チケットは前売り価格で「2英世」だったのだが、お世辞にも都会とは言えぬ開催地なだけに、集客面では如何とも厳しかった気が・・と言うか、最大1200人収容可能な巨大ホールをフルに使うのではなく、もう少し「(座席の)前半分だけ使うけど、それは(アーティスト側が)考えての判断(=意向)であり、演出なんですよ」的な“造り(=会場レイアウト)”をせめてやっておいて欲しかったかな、と。
どうにも後ろ半分の座席の埋まってないのが気になってしまって。。

ジャズコンサートってどんなの? と殆ど経験のなかったワタシだが、ステージには渡辺氏の演奏するギターが数本(アコースティックとかエレキとか・・プラグを差すタイプのアコースティックもあったけど、あれはそもそもエレキなのか? それすら分からん(×_×))と、ウッドベースがセッティングしてあった。ピアノ系とドラムスがなかったのは意外な気もしたが、逆に斬新だった。きっと音数が増え過ぎると逆効果なのだろう。

渡辺氏の演奏は無論素晴らしかったが、テクニック(技巧面)に疎いワタシとしては、演奏自体もそうだけど・・曲間のトークやパートナーであるベーシスト・井上陽介氏とのアドリヴプレー(?)の一幕などが特に印象的だった。
渡辺氏が心底寄せる「信頼感」や、またその彼をリスペクトしている(と思しき)井上氏の「優しさ」がセッションの随所に見られ「ああ、こう言う“丸い”性格の方たちはいいなぁ・・」と思った。

※暴力的な弾き方で強引にギターを押えつける、と言うのではなく、激しいけど、決してギターに無理は強いないって感じか。“強打者”でなく“巧打者”の雰囲気だ。

渡辺氏の演奏の中では(なにぶんシロウトなので、表現すら拙くて申し訳ないが・・)“♪ビ〜ン”と言う弾(はじ)き音と「♪ジャ〜ン」と言う弾(ひ)き音をほぼ同時に発してる・・ぽく聴こえるのがあり、「どう演ってんの?!」と不思議に感じた。

コンサート終了後、氏のお人柄にすっかり魅了されてしまったワタシは、ロビーの“特設・CD販売コーナー”で『KYLYN』なる、1979年発表のアルバム(のリマスタリング盤)を購入し、渡辺氏ご自身にブックレットにサインをちゃっかり頂いたのであった☆

ついでに欲を出し、(iPhoneに内蔵の)デジカメで近影を頂戴もし、最後に右手(氏の“弾く側”の手)で握手して頂いた☆
残念なことに、撮影の方に意識の集中してしまったワタシは「プロギタリストの手指ってしなやかで官能的なんやろか?」って部分に気が回らず(回さんでええけど)、どんな感触の握手だったか、すぐに忘れてしまったのが痛恨・・(×_×)

あ、そうだ。耳では知ってるけど、タイトル(すら)を知らないナンバーが次々と演奏された中で、異彩を放ってたのが、ご自身で作曲された『遠州燕返し』と言う曲名のナンバーだった。
どっから着想されたのか分かんないが、なかなか個性的なネーミングだ(=^_^=)
かつて“THE SQUARE”と言うフュージョンバンドが『上海混ぜご飯』なるナンバーを放ったが(尤もこれは仮タイトルであり『HIT AND RUN』なる普通(?)なタイトルにその後、定まってしまったが)それに通じるネーミングセンスがあるかな、と。

にしても、17歳で初アルバム『INFINITE(1971)』を引っさげデビュー。当時“天才ギタリスト少年”と騒がれたと言う渡辺氏。
テクニックはその頃すでに極めておられた(!)そうで「早くに開眼し、その頂点を極めた者」がその後、業界(世界)をどう眺め、生きて来たのか、そこはとても気になるトコロではある。

http://www.sakurai-ch.jp/event/20080920.html

http://www.jump.co.jp/bs-i/chojin/archive/065.html

※参考サイトです。リンクが切れてしまったら済みません(・ω・) 無断リンクも済みません。

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2008年9月21日 (日)

☆『おくりびと』☆

21日(日曜)の午後、大阪市内へ繰り出し新作邦画『おくりびと』を観て来た☆ 劇場は“なんばパークスシネマ”。
とにかく駅から歩かねばならず、私的には「平日夜にチョイスする可能性の極めて低いシネコン」でもある。

「葬儀関係の仕事に奮闘する主人公のドラマ」ぐらいしか前知識はなかったが、世間的には結構評判が良いらしく、シアター内も混んでたし、何より(観客の)年齢層が高めなのが印象的だった。

・・で、観終わって感じたのは「ワタシの中で、今年ナンバー1の邦画となるかも!」ってことだ。

どうにも物語とかタイトルなどが“地味”な印象なので、CMや特番をがんがんやって集客を狙う、ちぅタイプの作品ではないように感じるんだが、宣伝が地味であろうとも、その分どんどん“クチコミ”でヒットして欲しい1作だし、そのために拙ブログが少しなりと「訪問者さんの食指を動かす存在」となれたら良いな、と願う次第だ(・ω・)>

プロのチェロ奏者を目指し「一緒に世界各地を演奏旅行しよう!」をプロポーズの言葉に、美香(広末涼子)を妻とした主人公=小林大悟(本木雅弘)。
だがある日、曽根崎オーナーの「解散します・・!」のひと言(&一礼)により楽団は突然に“死”を迎えてしまう。
大悟の手元に残ったのは、借金して買った“1800万の高級チェロ”のみ・・
自身の奏者としてのレベルが限界(=ソロでは食べて行けない)であることを悟った彼は、妻と共に故郷・山形へ戻る。

そんなある日、新聞で「高給保証」「未経験者歓迎」などの文句が踊る“NKエージェント”なる会社の正社員募集広告を目にした大悟は“安らかな旅のお手伝い”の事業説明コピーに「旅行代理店だろうか?」と疑問を感じつつ、面接に向かう。
彼の差し出した履歴書に殆ど目も通さず「採用!」と言い放ったのは同社々長=佐々木(山崎努)。

何やら過去ありげな事務員=上村(余貴美子)と3人での運営となった“NKエージェント”だが、その業務内容は・・「納棺(NK)」であった。
様々な“年齢層”で、様々な“境遇”を経て亡くなった人々を“おくる”納棺師の仕事をこなしてゆく大悟。

そんなある日、彼の仕事を知ってしまった美香は「そんな恥ずかしく、汚らわしい仕事は辞めて!」と夫に切り出すのだった・・

序盤こそ「おっかなびっくり」で観始めた(俺だけ?)観客に「意外なツボ」で笑いを提供してくれる流れだが、次第に取り扱う“おくられびと”たちの境遇が大悟自身の人生に密接に関わって来る構成がなかなか。
幾つかのケースで「(亡くなった当人に)反発する人間」「(納棺師を)歓迎しない人間」などをまず配しておき、そんな彼らが“納棺の儀”を眼にする事で「変わって行く」展開に持って行くんだが・・ここで

「反発していた人間(=代表的なご遺族の1人)が、棺のふたが閉まろう、とする寸前に泣き崩れるシーン」

があり、そのうちの2シーンでは泣けて泣けて仕方なかった。珍しく「へぐっ」だか「ぐすくっ」だかの嗚咽が漏れてしまったし・・情けなや(⌒〜⌒ι)

「舞台が山形県であり、庄内弁が飛び交う」「割と贅沢に(?)庄内地方の四季が描写される」「主人公らの食事シーンが意図的に盛り込まれる」ってポイントに、何処となく“藤沢周平作品へのオマージュ”が見え隠れしてたようにも妄想するワタシ。
ま、あちゃらは時代劇なので、根本的には全く違うんだけどネ。。

主人公が「その筋では新人」と言いつつ、流石に「もはや青臭い若者とも言えん年齢」・・ってことで、ある程度の「成長シーンの割愛」が入ってたのは小気味良かった。

「深夜の電話で呼び出され、駅前のホテルで首吊り自死した客を“おくる”」ってな仕事などは「うげ〜、それをいちいち描くの?」と不安にかられてたら・・翌朝にシーンが切り替わり、大悟が佐々木&上村に「無我夢中でやりました」と報告するに演出がとどめられてて「よっしゃ!」と思わず喝采を送りたくなったり(=^_^=)

物語のあちこち(特に中盤まで)に「職業差別?」と思わせるような言動が、主人公の周囲で描かれたのは少し重かったか・・結局そこには余り踏み込まれぬまま、残りの物語が無難に(?)進行したようでもあった。確かに、微妙な問題やしね、、

まぁ、何はともあれ「いま、生きている人」「いつか、死ぬ人」(=^_^=)はなかなかに必見かと!

〜 こんなトコロにも注目したり 〜

・1つの“只の石ころ”が父から子、そして孫へと受け継がれることだってある
・孤独死して2週間が経ち、ようやく発見された老婆。『デスペラード(1995)』に登場した“世界一汚いトイレ”に対抗し得る“映画史一汚い、腐乱遺体の眠る日本家屋”が拝める(やめんかい!)
・劇中で製作された「良く分かる“納棺の儀”解説DVD(業務用)」をDVDソフト発売時「ボックス版」に特典として付属すべし!(=^_^=)
・「鮭が故郷の川を遡上する」ってなシーンは映画史の中でも珍しい映像かと!
・どうやら棺のフタは「重い!」らしい(・ω・)
・同じ脚本をベースとした“山田洋次監督ヴァージョン”と“故・伊丹十三監督ヴァージョン”が観てみたいものだ(・ω・) ←無理!
・かつて『天国と地獄(1963)』で“究極の悪”を力演した山崎努氏も今や老境に・・
・一度は実家へ去った美香が、ひょっこりと戻る後半。あそこにも「“1人の人間”が家族を繋ぐ」ってドラマが底辺にあった
・『ねらわれた学園(1981)』で“学園を狙ってた(←まんまや!)”峰岸徹さんも、だいぶ老けはりましたねぇ・・
・「米沢牛サーロインのすき焼き」「河豚(フグ)の白子の塩焼き」・・うーん、美味しそう(・ω・)
・井戸水を汲み、薪で沸かしたお風呂は“熱いが(肌には)チクつかない”らしい
・美香さんの“ウェブデザイナー”としての手腕は未知数なままだった(=^_^=)?

〜 こんなセリフもありました 〜

大悟「子供の頃に感じた冬は、こんなに寒くなかった」
  「色んな意味で、このチェロは僕には重過ぎた」
  「・・付いてるんです・・“アレ”が」
  「それまで夢だと信じていたものは、夢ではなかった(=重い現実だった)」
  「人生最後の買い物(=棺)は・・他人が決めるのだ」
  「僕は一体、何を試されているのだろう?」

佐々木社長「大丈夫、大丈夫」
     「サボテン・・咲いたなぁ」
     「練炭自殺だな・・(遺体が)傷んでいない」
     「・・やってみるかい?」
     「ちゃんと(遺体の両足を)持て!!」
     「生き物は生き物を喰って、生きている」
     「同じ喰うなら・・旨い方がいい」
     「これが旨いんだ・・困ったことに」
     「君の“天職”だ」

上村「左の(棺)は合板、右の(棺)は総檜。燃え方も灰も、おんなじだけどね」

※「お前ら“死んだ人間”で喰ってんだろ?」
 「あいつ・・今迄で一番奇麗でした」
 「ありがとう・・また逢おうの」
 「死は・・“門”だ」

大悟「ここをたまたま通ったんですか?」
佐々木「偶然じゃない・・運命だ」

追記1:物欲にどっぷり浸かってるワタシなどは「買う」「遊ぶ」が人生の醍醐味だと思ってるんだが、、「喰う」「話す」こそが正しく“生きる”ために本当に必要な要素なのかも・・
追記2:本木雅弘氏。今や「監督」「作品(脚本)」を“自由に選ぶ権利のある”希少な存在の“ホンマもんの俳優”であろう・・と思わせてくれる。“邦画界の至宝”的存在に近付いている気すらする・・

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2008年9月20日 (土)

☆『ジーザス・クライスト・スーパースター(1973)』☆

18日(木曜)の夜、衛星第2で放送されたのを観た。
正直、タイトルしか知らず「キリストの“受難(パッション)”に至る最後の数日間を描いたミュージカル作品」と言うことぐらいは知ってたが・・
これがこれが、なかなかにファンキーでスゴかった! いや、ミュージカル映画も喰わず嫌いせず、積極的に観てみるモノなのかも知れない!

作曲を手がけたのが、当時まだ20代半ばだったアンドリュー・ロイド・ウェバー卿(←ウィキにより“ナイト”と“バロン”の爵位を授けられてる事を知ったので、慌てて“サー”を付けさせて頂くことに・・(=^_^=))。
若いって素晴らしい! って言うか、冒頭で流れる「(1)Heaven On Their Minds」と「(2)What's The Buzz」の両曲がとにかく凄まじくファンキーでびっくり!
(1)テクノっぽい(エレキ)ギターリフ&ダンサボォなドラムをバックに、アフリカンアメリカンなキャラ造形で描かれる逆徒=ユダが、砂漠地帯でシャウト気味に歌い上げる!
(2)ファンキーなソウル。ハモンドオルガン(?)がええアクセントになってますわ!

※ネットで検索すれば「ユ※チュ※ブ」の動画で観られます☆ おヒマなら是非!

全篇を通じ、セリフらしいセリフを殆ど排し、ただ師弟関係でありつつも、底辺では徹底的に対立する「イスカリオテのユダ(カール・アンダーソン)」と「ナザレのイエス・キリスト(テッド・ニーリー)」が非難や苦悩のシャウトをメロディーに乗せ、ぶつけ合う・・そんな展開。

監督が『シンシナティ・キッド(1965)』『夜の大捜査線(1967)』『ザ・ハリケーン(1999)』などのノーマン・ジュイソン。当時は『屋根の上のヴァイオリン弾き(1971)』も同時期に手がけており、どうやらミュージカルの映画化にご執心だったようにも思える(=^_^=)

砂漠にぽつりと建つ遺跡に1台のバスがやって来る。ステップから次々に降り立ち、遺跡に足場を組み、ステージをこしらえて行くヒッピー風の若者たち。

カメラが切り替わると・・そこは聖書の舞台であるイスラエルの地。小高い砂山の頂から、ユダがジーザス・クライスト(=キリスト)を取り囲む一団を見下ろす。赤い衣のユダと白い衣のジーザス。
2人の確執は今やピークを迎えつつあった・・
そしてある日、ユダは銀貨の詰まった袋を大祭司カヤパより受け取り「彼はゲッセマネの園にいる」と師の居場所を密告するのだった・・

従来のワタシの印象としては「ユダ:影で師を批判し、やがては裏切る“小悪党”」って人物造形が強かったんだが、本作では他の11人の使徒(高弟)とは一線を画す「堂々と師を非難する男」とし描かれる。
洞窟でマグダラのマリアに香油を塗られ、休憩してるジーザスに「そんな高価な香油を使うなら、それを換金し民衆を1人でも救ったらどうだ?」とバシッと直球を投げつけたりする。
反逆のキャラにせよ、ここまで面と向かってバッシングしてくれると、それはそれでちょっとスッキリする部分も感じたり(・ω・)

弟子たちと“最後の晩餐”を済ませ、やがてはゴルゴタの丘にて“磔刑(たっけい)”に処されるジーザスであるが、彼がその後“復活”するかどうかまでは劇中で描かれないものの、(それとは対照的に)密告直後、高い木(の枝)を使って縊死したハズのユダが(衣を白く“お色直し”して)復活するシーンが「わざわざ」挿入されてるのは印象深かった。

聖書では「使徒の末席を汚す1人」程度の解釈しかされていない(これは言い過ぎか?)彼が、実はジーザスに対抗し得るオーラやパワーを秘めていた(無論全ては“内向き”のモノだが)のだとしたら・・これはなかなか面白いのではないか?

〜 こんな歌詞がありました 〜

(ユダ)
♪一番弟子の俺の言葉に耳を傾けてくれ
♪最近のあんたはおかしい、何がが歪んでる
♪地味に故郷のナザレで暮せ、大工だったあんたの父のように
♪裏切っても彼は怒りやしない
♪俺にだって迷いはあるさ
♪今はあんたを軽蔑してる
♪裏切り者が誰なのか、はっきり言ったらどうだ?
♪なぜ俺を追い詰めた? あんたさえ巧くやってくれてりゃこうはならなかった
♪あの人をどうやって愛したらいい? なぜこんなに心が動く
♪今は彼が怖い・・彼は俺を愛し、赦してくれるだろうか?

(ジーザス)
♪明日は明日に任せろ、ただ今日を生きろ
♪なぜ戦いにこだわる?
♪弟子たちがこれほど浅はかとは、私を心配する弟子は1人もいない
♪沸き上がる歓声は誰にも止められはしない、例え私の舌を抜こうとも
♪力とは何か、栄光とは何かを皆は分かっていない
♪死を克服するには、死ぬより他にない
♪お前たちは神聖な祈りの場、神殿を盗人の巣にした
♪やり残したこともない、布教のこの3年
♪苦難に満ちた人が多過ぎる・・私にはムリだ、私に求めるな!
♪お前たちは少し辛い思いをするだろう、何故なら“我らの友”が終わりをもたらすから
♪お前たちは思い出すまい、私が死んだすぐ後ですら
♪ペテロは「私を知らない」と3度言うだろう
♪私と共に、寝ずに待とうと言う者はいないのか?
♪受難の杯は受けたくない
♪かつてはあれほど霊感に満ちていたのに、今はただ悲しみと疲労だけ
♪私の死は人々の注目を集めるため? 彼らは何を得る? 彼らは報われる? 私の死によって
♪いいだろう、私は黙って死にゆこう!
♪見るがいい、この死に様を・・飲み干そう、受難の杯を・・命を差し出そう、この私を打つがいい
♪ユダよ、そのキスが“裏切りの合図”か?
♪“ユダヤの王”と? 私はそうは言っていない
♪私の王国があるとすれば、それは“ここ”とは別の場所だ
♪あなたは無力だ、権力は空しい(総督ピラトに対し)
♪父よお赦しを・・彼らは何をしているのか分かっていないのです
♪父よ、委ねます・・あなたの御手(みて)に、私の魂を

(マグダラのマリア)
♪あなたが悩まずとも、世界は回るわ
♪彼を堕落させてやろうか?

追記1:劇中で「戦車」や「ジェット機」がいきなり登場する演出にはびっくり。案外、ジュリー・テイモア監督などは、本作を研究し尽くした上で『タイタス(1999)』の映像化に取り組んだのかも知れない?
追記2:「お前が奇跡を起こすと言うのなら、水面を歩いてみな」なる挑発をスッと流してしまったジーザス。そこはちょっと“融通を利かして”欲しかったなぁ・・(⌒〜⌒ι)

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2008年9月19日 (金)

☆『オペラ座の怪人(2004)』☆

10日(水曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを期待値を高めつつ鑑賞☆
悪いけど、もし残業に突入してたとしても(コレ観るために)逃げ帰ってたかも知れません、、

公開当時、劇場で鑑賞したが、とにかく映像(美麗!)と音楽(大音量!)のダブルパンチに圧倒され、言いたいことも言えなかったように(何となく)記憶してるので(=^_^=)、今回はそう言う意味では「冷静に観ること」が叶い嬉しかったかな、と。

先日レビューをアップした『ウィズ(1978)』、そして今後アップする予定の『ヴェロニカ・ゲリン(2003)』と共通するスタッフが1人いて・・それこそがジョエル・シューマッカー監督である!
どうにもこのしと『バットマン/フォーエヴァー(1995)』『フォーリング・ダウン(1993)』などのB級気味な作品ばっか撮ってるおっさん(←おい、おっさん呼ばわりはやめろ!)って印象が拭えないんだが、近年は『フォーン・ブース(2002)』や『ヴェロニカ~』など、きらびやかさを抑えた、地に足の着いた(?)作品も精力的に手がけ、しぶといベテランぶりを光らせている。

そんなシューマッカー監督がアンドリュー・ロイド・ウェバー(作曲家)とガッチリタッグを組み、一世一代の(?)大ネタをぶちかましたのが本作。

1919年パリ。
かつては荘厳なオペラ座であった薄暗い廃屋にて「オークション」が開催される。そこに集まった中には、華やかなりし頃の(オペラ座の)姿を知る、マダム・ジリーやラウル・シャニー子爵の年老いた姿もあった。
今回のオークションの目玉たる“壊れたシャンデリア”がいよいよ紹介され、修復された“それ”は重々しく軋みながら吊り上げられる・・その瞬間、魔法のように(!)廃墟であったオペラ座の内部が隅々までまばゆく照らし出され、当時の輝きを取り戻す・・!

時代は1870年のパリ。
高慢な歌姫=カルロッタ(ミニー・ドライヴァー)、新たな劇場主となったフィルマン&アンドレ、パトロンであるラウル・シャニー(パトリック・ウィルソン)、そしてカルロッタの名声の影で静かに輝きを高めつつあるコーラスガール=クリスティーヌ・ダーエ(エミー・ロッサム)の面々が紹介される・・

そして、もう1人。オペラ座の地底湖の“王国”に君臨する謎の怪人(ジェラルド・バトラー)・・
今、彼らにより世紀のミュージカルの幕が開く!

改めて観たら、冒頭のモノ凄いシーンも『タイタニック(1997)』路線かよっ! とやや突っ込める感はあるが、にしてもあの「モノクロからカラーに映像世界が激変する」トコは凄まじい! 大スクリーンで観たら、きっとクラクラ来るんじゃなかろうか。
結局、全篇を通し“最大の見せ場”であり“衝撃の演出”でもあった訳だが・・(・ω・)

意外に怪人の言動が何だか良く分かんなくて面白かったのも発見だったか。“うわさ男”のジョセフ・ブーケを(そんなに極悪なヤツでもないのに)さらしもん的に吊り下げて殺したり、シャンデリアをぶち落とす後半では、カルロッタではなく(悪人とも言えなかった)ビアンジなる人物に直撃させ、殺してしまったり・・と何だか凶行の刃先がぜんぜんズレちゃってた気がした(・ω・)

また、ブーケもそうだが、マダムの娘=メグ・ジリーのキャラの描き方が薄過ぎたゾ(・ω・)

そう言うと、ワタシの中でなかなか“人相の定まらない”のがバトラー氏。本作では顔の右半分が(焼けただれてる設定のため)マスクで覆われちゃってるし・・どうにも『300(2007)』のレオニダス王の印象が余りに強烈だったもんで・・(=^_^=)>
あとは、アレだな・・怪人の隠された右顔面。モノ凄く惨たらしいんか?! と思ってたら『バニラ・スカイ(2001)』のトム・クルーズ同様「そないに気にせんでもエエやんかキミ」ってレベルでもあったような。

あれなら『ダークナイト』でのトゥーフェイス氏の方がその何倍も悲惨な気がしたぞ、、

本作(=本ヴァージョン)ならではの演出なのか? 怪人の少年期のエピソードが盛り込まれてたんだが・・どうやら「サーカス団で見せ物にされてた少年」を少女時代のジリーが救い出した、みたいな形となってた。それならそれで、怪人とマダム・ジリーの間にロマンスめいた展開があっても然るべきだなと思うんだけど(年齢も近いし)・・妙にマダムとの因縁を薄く描き、めちゃ年下(なハズ)の“教え子”クリスティーヌに手を伸ばしちゃうトコが不自然な(良く考えたら自然なんだが、男の習性としては(=^_^=))気もしたか。

〜 こんなセリフ&歌詞がありました 〜

怪人「我がオペラ座へようこそ。5番のボックス席は空けておけ、月2万フランの給料もお忘れなく」
  「支配人は事務所にいろ、舞台ではなく」
  「ダーエを邪魔すれば災難が降り掛かる、彼女に脚光を当てよ」

父グスタフ「天使がお前を護ってくれる、音楽の天使が」
     「天国へ行ったら、音楽の天使をお前に送る」

ラウル「いくら天才でも、彼は正気じゃありません」

(怪人)
♪私はその鏡の中にいる
♪その胸のときめきに酔うがいい
♪お前の歌に翼を与えたのに、その私にこんな仕打ちか?
♪私のオペラの幕を上げろ
♪誇りが有るなら師のもとへ戻れ
♪燃え落ちる橋を眺める2人、もはや元には戻れない
♪何故私は闇に幽閉される運命なのだ

(ラウル)
♪僕は君の隠れ家、君を導く光

(クリス)
♪1つの愛を、1つの人生を、そのひと言で何処までも貴男についてゆく
♪私に声を与えた恩人を裏切れと?
♪肌も露に躯を絡ませる私と貴男、愛の受難劇が今より始まる

追記:ミュージカルならではの苦笑ポイントなんだが(ファンの方、すんません)・・怪人がラウルを殺そうとする場面で「歌いながら殺そうとし、殺されようとする」お2人には流石に「おいおい、余裕あり過ぎじゃん!」と突っ込めた。
かの『タイタニック』を例えば“ミュージカル版”にした場合、ビリー・ゼイン演じるヒロインの婚約者が「♪殺すのさ〜 この拳銃で〜 お前を〜」とか歌いながらレオナルド・ディカプリオを追いかけ、追われる彼も「♪早く救命ボートに乗らないと〜 死んじまうんだぞ〜 お前も〜」などと歌い返してる感じやろか(⌒〜⌒ι)

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2008年9月18日 (木)

☆『雨に唄えば(1952)』☆

17日(水曜)。帰宅後、久々に溜まってる「新聞」を切りながら、だらだら観てたのが・・衛星第2で放送された『雨に唄えば』であった。

ジーン・ケリー&スタンリー・ドーネンが共同監督したコメディミュージカル。

トーキー映画がサイレント映画を駆逐して行く・・そんな銀幕界の迎える“過渡期”のハリウッドを舞台に、大スターのドン・ロックウッド(ジーン・ケリー)の見初めた“駆け出し女優”キャシー・セルデン(デビー・レイノルズ)が紆余曲折を経つつ、スターへの階段を上がって行くシンデレラ物語(と解釈してます、ハイ)。

とにかくジーン・ケリーが徹底して「唄いたい」「踊りたい」ってことで、台詞でボソッと“ひと言”言えば事足りるし、ラクなトコを(=^_^=)、ご丁寧に踊りまくり、唄いまくってくれる! それも、異常にカット(切り替え)が少なく(いわゆる長回し!!)・・その辺の事情にまで気を回してしまうワタシなどは、観てるだけでグッタリと疲れてしまったものだ。。

ケリー本人は、きっと(監督&主演なる)使命感に燃えてガンガンに演じてたことだろうが、彼の親友=コズモ・ブラウン役を演じたドナルド・オコナー氏の緊張感たるや、スゴかったんじゃなかろうか、、ある曲ではジーンと共に踊り、またある曲ではジーンが観てる前でソロのダンスを披露するんだが・・スクリーンでは終始笑顔を欠かさなかった彼も、カメラが止まった瞬間には、流石にそばのソファーにグッタリ倒れ伏したんじゃなかろうか、とか勝手に妄想・・(⌒〜⌒ι)

ミュージカルシーンは「雨の中で唄うケリー」を筆頭に、いずれも華やかで素晴らしいんだが、今回のワタシは「ひとしきり踊り終わった後、持っていた傘を通行人に差し上げるドン」「ラストで、指揮者を下がらせ自らがドン&キャシーのためのナンバー(楽曲)を指揮するコズモ」って辺りの“何気ない優しさ”が何故か心に染みてしまった。

とにかくコズモ氏、ラストシーンを観ても分かるように「結局はピエロ的な存在」なのだ。。それなのに、健気に頑張る彼の姿に「ちょっとクッと心に迫るモノ」を感じたワタシ。
ああ、どんどん自分の心が弱くなって行く・・(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

※「トーキーなどガラクタだ!」
コズモ「車だって、最初はそう言われました」

社長「いいアイデアだ! 昇給してやるぞ!」
コズモ「それはどうも! で、いつから?」
社長「・・・」

追記:ヒロインを演じたデビーさんの(実生活での)娘が、かのキャリー・フィッシャーとのこと。ほおお!

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2008年9月17日 (水)

☆『七人の侍(1954)』☆

今をさること、、6日(土曜)の鑑賞。衛星第2でドド〜ンと放送されたが・・本編を挟み、前後に設けられた解説コーナーを含むと・・何と約4時間ものボリューム! いやぁ、長尺で御座った(⌒〜⌒ι)

既にワタシごとき“公開当時、劇場で鑑賞すらしていない小僧”がごちゃごちゃ語っても仕方ないトコなんだが、今回久しぶりに“フル”で観て感じたのは「これまでは鬱陶しい存在だった菊千代(三船敏郎)こそが、実は一番本作に欠かせぬサムライだったんやな・・」ってことである。

それまでのワタシはまだ(気持ち的に)若く(・ω・)、剣術に長けたニヒルな久蔵(宮口精二)や、泰然としたリーダー格の島田勘兵衛(志村喬)にこそ憧れていたもんだが(因みに、そのまた昔、本作を観た時などは役者名とキャスティングが全く理解出来ておらず久蔵=志村喬、勘兵衛=三船敏郎などと勘違いしてた、、)今回はハッキリと菊千代が両者(=浪人と農民)の間に割って入り、双方を繋いだからこそ本作が自然に仕上がり、かつまた「サムライになり切れなかった漢(をとこ)の悲しき人生」が作品の底辺で浮き彫りにされたんやなーとしみじみ思った次第だ。

公開当時から、観た者の間では劇中の“セリフ引用ごっこ”が流行ってたそうだが(=^_^=)、確かに登場キャラの農民の1人に至る迄、それぞれに「渾身のひと言」がまんべんなく用意されてたぽかったのがスゴい! 役名すら良く分かんない長老(高堂国典)が迫力を漂わせ言い放つ

「(野武士を)殺(や)るべし・・! 腹が減りゃあ、熊だって山ぁ下りるだ・・」

も強烈だし(←この目付きと凄みだけで、下っ端の野武士程度ならショック死させられるんじゃなかろうか(=^_^=))

農民の依頼をようやく受けることに決めた、勘兵衛のひと言

「この飯、おろそかには喰わぬぞ」

も短い言葉の中に膨大な“思う所”を含んでいる気がして来る。

劇中で一番ウルウルッと来てしまったのは、(後半)燃え盛る水車小屋をバックに、乳飲み子を抱えた菊千代が

「こいつは俺だ、俺もこの通りだったんだ・・!」

と叫ぶ台詞であった。ここでウルッと来ないヤツは「ガキ」か「野武士」に違いなかろう!(←決めつけんなよ)

惜しむらくは「野武士側の個性キャラ不足」「最初に“退場”しちゃう侍2人の、総じてのキャラ造形の薄さ」ぐらいだろうか。まぁ、それらも本作全体の完成度から考えたら、大した問題とは言えぬか・・

後年“西部劇”“戦争もの”“オタクもの”・・と色んなカタチにいじくられ、エッセンスを吸い尽くされて来た感も強い本作だが「農民階級の悲しさとしたたかさ」をチクチクとトゲ立たせ、描き込んだこの世界観だけは、亜流のどれにしても“決してコピーし切れていない”んじゃないかな、と感じたワタシである。

〜 こんなセリフもありました 〜

勘兵衛「子供が、ひもじかろうと思うてな」
   「・・要するに、負け戦(いくさ)ばかりでな」
   「もう儂(わし)も、戦にはあきた・・歳だでな」
   「金にも出世にもならん、難しい戦があるのだが・・付いて来るか?」
   「これは“戦遊び”とは違うでな」
   「ひとかどの侍なら、正気を失うほど酔いはせん」
   「無益な・・勝負は見えておる・・」
   「(立身出世の)夢を追う内、髪はこの様に白くなり・・親も身内もない」
   「子供は働くぞ、尤も“大人扱い”をしてのことだが」
   「まぁ良い、落武者になって竹槍に追われた者でなければこの気持ちは分からん」
   「辛かろうがのう、是非も無いのだ・・離れ家まではとても護り切れん」
   「己のみ守るヤツは、己をも滅ぼすヤツだ!」
   「もう大丈夫、そう考える時が一番危ないもんでな」
   「苦しくなるのはこれからだが・・」
   「抜け駆けの功名は手柄にならん、戦は1人でするものではない」
   「また生き残ったな、戦終わりて・・今度もまた負け戦だったな」
   「勝ったのはあの百姓たちだ、儂たちではない」

平八(千秋実)「薪(を割るの)は、人を斬るほどには参らぬ」

※「守るのは攻むるより難しいでな」
 「百姓に生まれねぇで良かったな、犬の方がましだ」
 
侍「人間、ひょんなことで知己を得るものじゃなぁ」
 「攻める時も、退く時も走る、戦に出て走れなくなった時は・・死ぬ時だ」
 「敵は怖い、誰だって怖い、しかしな・・向こうだってこっちが怖い」
 「貴様、時々うがったことを言うのう」
 「どんな苦しいことでも、話をすると少しは楽になる」
 「良い城にはきっと1つは隙がある・・守るだけでは城はもたん」
 「いかん、貴様は死ぬ気だ・・俺が行く」
 「貴様らしくもない、そんなことで明日の働きは出来んぞ」
 「そんな面(つら)つきではとても戦に勝てんぞ」

農民「種の良し悪しは分かっても、侍(さむれぇ)の良し悪しは分かんねぇでよ、おら」
  「早く死んで・・こんな苦しみ、逃れてぇだよ」
  「倅(せがれ)の仇を討たせるだ!」

菊千代「百姓ぐらい悪ずれした者はねぇんだ! けちン坊で狡くて泣き虫で・・」
   「今夜はおっ母ぁを可愛がっておけ」
   「何もかも、ぐじぐじしてやがる」
   「こんな馬でも、乗り手次第で天まですっ飛ばわぁ」
   「それでも馬か、恥を知れ恥を」
   「1本の刀じゃ、5人と切れん!」

久蔵「お前は、この窪地におれ」

勝四郎(木村功)「あなたは素晴らしい人です、私は前からそれを言いたかったのです」

※ウィキペディア情報の引用にしか過ぎないが(×_×)・・スティーヴン・スピルバーグ監督が「もの作りの原点に立ち戻るため必ず観る」映画が、本作と『捜索者(1956)』『アラビアのロレンス(1962)』『素晴らしき哉、人生!(1946)』の4本だそうである。
・・って言うか、これらを繰り返し観ていながら、放つ作品群がその程度かよ、、的なツッコミはしたくなるが・・(失礼ながら、彼の監督作の中で文句がないのは『激突!(1971)』のみなワタシであります!)

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2008年9月16日 (火)

☆『ウォンテッド』☆

先ほどレビューをアップした『パコと魔法の絵本』を観終え、ロビーに戻ってぐじゃぐじゃの速記メモをペラペラめくり「・・駄目だ、書いた本人にも読めん・・」とがっくりし(⌒〜⌒ι)、ポテト&ドリンクの軽食を立食してる間に、早くも開場時間(=開演の10分前)となってしまったのが『ウォンテッド』。
『パコ』同様、敬愛し、足繁く通っている某ブログ(←記事の左欄外にある ♦ヘバリット訪問先♦ を参照下さい☆)において、こちらも評価が異常に高かったので(=^_^=)、迷わず「今日観とこう!」と決めた次第。さすが“字幕版”だけあって(爆笑)ええ席にちゃんと座れたし(混雑はしてたけど)☆

1000年前にモラヴィアの地(←チェコの東部)で結成された、機織(はたおり)職人らによる暗殺組織“フラタニティ”。
そのDNAはスローン(モーガン・フリーマン)と言う1人のカリスマを中心に引き継がれ、現代アメリカに拠点を移し、今日(こんにち)も暗躍を続けている・・
そんな組織を裏切り、仲間を血祭りに上げている男がいた。彼の名はクロス。
その騙し討ちにより、その日も“フラタニティ”の精鋭である殺し屋がニューヨーク、メトロポリタンビルの屋上で凶弾に倒れたのだった。

とあるオフィス。顧客管理担当のウェスリー・ギブソン(ジェームズ・マカヴォイ)はファットな女ボス=ジャニスにはホチキス片手にいびられ、真後ろのデスクに座る“親友”バリーには恋人を寝取られる「フヌケ男」だった。

「今日を終えて気づいたことは・・明日もこの繰り返しだってこと」
「最近は、全てがどうでも良く思えて来た」

そんな気弱な彼にまたもジャニス&バリーがストレスを与える・・パニック障害を必死で抑えるため、彼は鎮静剤のビンに今日も手を伸ばす・・

そんなある日、ストアで(気配もなく)背後に立った謎の美女フォックス(アンジェリーナ・ジョリー)により、彼は自分を狙うクロスの銃弾から命を救われる。ストアを飛び出し赤いスポーツカー(ダッジ・バイパーらしい)で逃走する2人。彼らを執拗に追うクロス。

ようやく追っ手を振り切り、ウェスリーの案内されたのが“フラタニティ”のアジトだった。
彼を迎えたスローン、フォックスに事情を説明されるウェスリー。何と彼こそは「世界に数人」と言われる「弾丸の軌道を曲げることの出来る、暗殺者の血を引いた男」であると言う。また、昨日メトロポリタンビルで殺害されたのが(生後間もなく彼を残して消えた)実の父親であったとも。

一度は“フラタニティ”の誘いを断ったウェスリーだが・・翌日、職場でとうとうぶち切れた彼はジャニスを罵倒&バリーを“エルゴノミック(=人間工学的意匠)・キーボード”でぶん殴り「自身の人生を変えるため」に“フラタニティ”に加盟する道を選ぶのだった・・

想像を絶する過酷な訓練をこなし、6週間後(?)に暗殺者としての基礎を全て身につけた、精悍な顔立ちの青年=ウェスリーがそこにいた。

が、彼が訓練を続ける間にも“フラタニティ”の殺し屋たちは次々とクロスに血祭りに上げられてゆく。
「早く僕に父の仇を!」と迫るウェスリーに、違う“標的”の始末を命じるスローン。

果たして彼に“クロス暗殺”の命じられる日はやって来るのか? そして“フラタニティ”そのものに隠された意外な秘密とは?

う〜ん・・ひと言で評せば「新次元のCG特撮に、ちょっと強引な物語展開」って感じだろうか。私的には「限りなくB級ラインのA級」って風にコメントしときたい。

何だか“折角丁寧に語り上げられ、築き上げられた暗殺組織”があんな形でああなっちゃうのかぁ・・と言う勿体なさが大きかった。あんまりネタバレさせてはいかんのだろうが『ダークナイト』の前作である“アレ”に結構テイストが似てたような、と。
クロスと言う宿敵に関しては・・色々「詰めが甘いじゃん!」と思うトコも多く、ラストでは(私的には好かなかった)“どんでん返し”によりルーカス&スピルバーグ辺りが好きそうな演出にもなってしまってたし(⌒〜⌒ι)

続編に繋げない! と(一応は)思わせる潔い展開は「素晴らしい!」と絶賛したいが、果たして『ウォンテッド以前/以後』で何か映画が変わるのか? と問われると「そんなには・・」と言葉を濁してしまうトコロがあるんじゃないかな、と。。

まぁ、すっきり爽快なシーンが幾つもあるにはあるので、観てソンはないんじゃないかな(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

ウェスリー「済みませぇぇぇん!」
     「もう惨めな人生には戻れない」
     「運命は、あんたに死ねとさ」

フォックス「謝り過ぎよ」
     「一瞬の迷いが大きな不幸を生むわ」
     「1を殺すことがきっと1000を救うことに」

スローン「ハエの羽を撃ち落とせ、3つ数え終わるまでに」
ウェスリー「そんなの、見えやしないよ!」

スローン「負け犬の人生に満足するな、眠れるライオンを解き放て」
    「銃で交響曲を奏でてみせろ、君の父上のように」
    「君の疑問に答えるには、コーヒー1杯じゃ時間が足りないな」
    「君の為すべきは(標的の)解読ではなく(暗殺の)実行だ」
    「人を撃つ感覚を覚えろ」
    「弾を曲げるのは方法ではなく、意志の問題だ・・君自身の本能に従え」
    「父上の遺品を受け継ぎ、そこに絆を見出せ」
    「“フラタニティ”へようこそ」
    「これは命令ではない、君に課された運命だ」

※「ナイフは隠しやすい武器だ、それに弾切れも弾詰まりもない」
 「羊どもに狼は殺せない」
 「世界の運命は、羊でなく狼が支配するのだ」

ウェスリー「他の人生を生きたいと思ったことは?」
フォックス「・・興味ないわ」

追記1:『ハンコック』では“ass hole”が連発されてたが、本作では“fuck you”率がかなり高かったように(・ω・) ウェスリーがバリーをぶん殴った瞬間、キーボードのキーが外れ、空中で「F」「U」「C」「K」「Y」「O」「U」の7つが整然と並ぶのには苦笑。いや、元からそんな配列とちゃうやんか(=^_^=)
追記2:バリー君の避妊法は“「事後ピル」を砕き、オムレツに混ぜて彼女に喰わせたらOK”ってことらしいが、どうも眉唾っぽいな(そりゃそやろ!)
追記3:クロスに追われたウェスリーがフォックスの駆るスポーツカーに“スルッと”乗る(=^_^=)シーン・・あんな風にもし拉致されたら、された方も訴える気を喪失してウットリするんじゃなかろうか(いや、それとこれとはハナシが別やろ!)
追記4:「グ※グル」で手軽に拝める“殺害現場”の写真、、あんなに克明に表示されてんの??(遺体、もろに映ってたし・・)
追記5:「鉤(かぎ)で吊された遺体を撃つシーン」は流石に大幅カットされんだろうか? すぐ“豚さん”に変わりました。
追記6:1000年前から“運命の織機”で決められて来た標的の名前・・ついつい連想したのは『マイノリティ・リポート(2002)』の“木の球ご〜ろごろ”ですた(=^_^=)
追記7:印象深いご老人=ペクワースキーを演じてたのはテレンス・スタンプ! シブい!
追記8:後半で『カサンドラ・クロス(1976)』系な展開っぽくなるが・・あれって「1も1000も、、」・・ふがふが。。
追記9:“good-bye”弾など、色々「見せ」のヴィジュアルがあるも・・全てはウェスリーにでなく我々観客に向けられてたように感じた(・ω・)
追記10:ラスト、缶ビールやハンバーガーを同じ軌道上で撃ち抜くテクもすごい! ってか、あの“おとり”役って、良くぞ引き受けたなぁ・・
追記11:「ネズミ」を用いたあのネタ、中盤でまず出て来るが・・アレって「仲間からのそれとないヒント(=指導)」やったんか?
追記12:“フォックス”“クロス”と言ったキャラのネーミングがモーガン・フリーマン(出演作)をヨイショしてる感も?
追記13:「ディープキス2回止まり」で「セク〜スシーン」は皆無ですた。。それ以上は、ブラピ様が黙ってはいなかったか(⌒〜⌒ι)
追記14:オレ、追記が多過ぎ!(=^_^=)

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2008年9月15日 (月)

☆『パコと魔法の絵本』☆

15日(月曜)。起きたのが正午前で「3連休が終わっちゃうじゃ〜ん! こんなのいやぁぁ〜!」と叫びつつ(←おい、大丈夫か!)ドライヴがてら市内のシネコン「シネプレックス枚方」を再訪した☆
実は他に観ときたいのが2本ほどあるんだが、、今回は「観れるモノを、観れる劇場で、観れる内に観とこう!」ってことで、邦画のファンタジー『パコと魔法の絵本』と、先行上映されたハリウッドアクション『ウォンテッド』をわずか30分の間隔を空けたのみで連続して鑑賞した(⌒〜⌒ι) いやー、ちょいと“作業”っぽくなってしまったなぁ、、

とあるキャラをして“ゴミためみたいな場所”と呼ばれる郊外の病院が舞台。
そこには一代で大会社(=(株)ルワール)を築き上げた大貫会長(役所広司)を筆頭に、自殺未遂を繰り返す“元・有名子役”の室町(妻夫木聡)、消防車に轢かれた消防士=滝田(劇団ひとり)、おせっかいなオカマ=木之元(國村隼)、縫いキズだらけのチンピラヤクザ・・などのエキセントリックな面々が入院していた。
自身の不在に伴う(自社の)売上げ減を心配し、何もしない毎日に苛立つ余り、大貫は医師(上川隆也)、看護師(小池栄子&土屋アンナ)にも患者らにも見境なく不満をぶつけ、悪態をついていた。
そんなある日、彼が出会ったのは「絵本」の好きな女の子=パコ(アヤカ・ウィルソン)。
とある勘違いから彼女をぶってしまう大貫だが・・翌日、左頬にガーゼを当てた痛々しい姿のパコに詫びようとした彼に、彼女は「おじさんは誰?」と問う。
彼女が自動車事故により、1日しか記憶を保てないことを知った大貫は・・次第に「クソじじい」のキャラを脱皮し、パコのために何か良いことをしてやろうと決意するのだが、そんな彼の心臓には、既に“最後の発作”が近付きつつあるのだった・・

「ごてごてしたCG群に興醒めするんやないかなぁ」とそこがまず不安だったが、エキセントリックなキャラ群&世界観とそれなりにマッチしてて助かった。特に何度か画面の端に出没した「黒猫」の動きが良い。如何にも「後から描き足してます」なタッチなんだが、そこがイイ味を出してるのだ☆

サブタイトルか何か(クレジットがあった)で“ミッドサマー・キャロル”と銘打たれてたように、物語の軸はディケンズの小説『クリスマス・キャロル』をネタにしてることは明白なようだ。そこに『ガチ☆ボーイ』の記憶ネタ、『クワイエットルームにようこそ(2007)』の閉鎖的世界、『嫌われ松子の一生(2006)』の身内絡みの回想スタイル・・などを色々と取り入れ、器用に仕上げてるかな、と感じた(たまたまの一致かも知れないが)。

実際に観る迄「ミュージカルか?」と思っていたが、さほど楽曲ががんがん流れてた訳でもなく、國村さんの歌う(中途半端な)ジュディ・オングが耳に残るぐらいだった(=^_^=)

前評判でだか、ストーリーを大体知ってたので、それほど驚くべき展開はなかったんだが・・本作の場合は「キャラ群の言動を楽しむ」「キャラごとに用意されたオチを楽しむ」って部分こそが観るべきトコではなかったかな、と。

私的には「パコ⇒大貫」の影響は勿論のことだが「※※⇒室町」「医師⇒大貫」と言った影響の及ぼされ方も好きで「ああ、こんな関係っていいよなぁ〜」とうっとりしてしまったものだ(=^_^=)>

中盤で大貫老人が「あああああ〜!」と号泣するシーンに、ついワタシもボロボロっと来てしまった。頑固じじいが(ひょっとすると人生初の)「悔い」と「不安」の感情を人前に露(あらわ)にするこの場面、ピクリとも心に迫らないヤツはきっと「ガキ」に違い有りません(・ω・)

キャラ的には“狂言回し”でもあった堀米けんじ(阿部サダヲ)の弾けっぷりが凄まじかった! あの言動は『マスク(1994)』時代における“絶頂期のジム・キャリー”をも圧倒してた気がする。
共にモンスターっぽくなってた2大看護師(小池さん&土屋さん)もお互いの接点(ってか会話)は殆どなかったけど、共に良いアクセントとなってました(⌒〜⌒ι)

また、やはり忘れられないのがパコを演じたアヤカちゃん。何故だかその面影に「将来の長澤ま※み」を観てしまった気のしたのはワタシだけではありますまい(=^_^=) この先“太りそう”な感じもして不安だけど、今後も頑張ってね、と☆

本作を観終え「自宅の畳の上で死ぬより、どっかの集会所で(老人会の)出し物中に、コスプレのままぶっ倒れて死ぬ」って方が鮮やかで気持ちの良い“逝き方”かも知れんなぁ・・と感じてしまった。カッコ良く言えば『ライムライト(1952)』のカルヴェロ(チャールズ・チャップリン演じる主人公)なんだろうけど・・

〜 こんなセリフもありました 〜

大貫「お前が私の事を知ってるだけで、腹が立つ」
  「明日じゃ駄目なんだよ!」
  「私はこの子の心に入りたいんだよ」

堀米「写真になれば“頑固じじい”もこの通り、静かなもんです」
  「人間はこの世で一番悲しく醜い生き物なんです」
  「悪いのは僕じゃない、思春期がいけないんだぁ!」
  「出た!その理論」
  「ボタンがあったから押した? まるでさおりちゃんのリコーダーが
   教室にあったからそっと舐めた小学生時代の僕のようですね」

医師「そもそも人間に殻なんてないんですよ」

木之元「オカマの人生はね、1度で2度美味しいのよッ」

堀米「残念! 正解はタニシでした」
ヤクザ「だから、何のハナシやねん!」

堀米「お聞きになりたいんですね?」
青年「あなたが話したいんでしょ? ・・って言うかもう始まってるし」

大貫「私は弱い人間になったのかな?」
医師「人間は、強くなきゃいけないんでしょうか?」

大貫「教えてくれ、この涙をどうやって止めればいい?」
医師「簡単です、いっぱい泣けば、涙は止まります」

大貫「あの子といると、自分が弱い人間に思えて来る」
医師「それは辛いですか?」
大貫「いや、却って心が軽くなる」

パコ「触ったよね? 昨日このほっぺに?」

室町「死ぬのは怖い・・でも、生きるのはもっと怖い」

看護師「♪ハラワ~タえぐ~り、鍋で煮込~む」←“蛍の光”の歌詞で
患者「こわっ!」

追記1:原作者=後藤ひろひと氏が冒頭「エルヴィス・ゴトー」とし「ハワイアン&タヒチアン・スクール」で踊ってる!
追記2:ボタンを押すと上から“たらい”が落下、、観客もきっと同時に突っ込んでた(=^_^=)「ドリフかい!」

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2008年9月13日 (土)

☆『ウィズ(1978)』☆

9日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを鑑賞。

・・カンザス州に住む少女ドロシーが愛犬トトもろとも竜巻に巻き込まれ、辿り着いた不思議な国で出会った3人の家来(仲間?)と共に旅を繰り広げる物語・・

そんな“オズの魔法使”をかのモータウンレーベルが監修! クインシー・ジョーンズおじさんがスコア(楽曲)を手がけ、ダイアナ・ロス&マイケル・ジャクソンが主演したらこう仕上がりました!
みたいな感じで「ごっさファンキー♪」なソウル・ミュージカルに仕上がってくれてました!(=^_^=) いやー、期待以上にブラックパワーが炸裂してましたねぇ~☆

ニューヨークのハーレム(プロスペクトと呼ばれる地区)に暮らす保母(?)のドロシー(ダイアナ)は仕事以外のことには内気&奥手な女の子(なのか?) 見かねたエムおばさんが「どんなに不安でも立ち向かえば乗り切れる、ハーレムの外の世界に目を向けなきゃ!」と激励したりもする。
そんなある雪の夜、飼っていた犬のトトが戸外へ突然飛び出し、それを追ったドロシーはストリートのど真ん中を迫って来た(=^_^=)竜巻に(トトもろとも)巻き込まれる!

果たして、彼女の辿り着いたのは“全ての核心である男”大魔王ウィズが統治するエメラルド・シティの一角であった。落下時に“邪悪な東の魔女=エバミーン”をたまたま踏んづけて(?)殺したドロシーは、壁面に(ポップアートな感じに)封じられてたマンチキン族(って言うか、端的に言えばブラックなブラザーたち(=^_^=))に感謝される。
やって来た“北の魔女=ミス・ワン”に、エバミーンの履いてた「銀色の靴」を託された彼女は、わが家に帰るために大魔王ウィズに逢いに行け、なるヒントを得る。

周りに数台のイエローキャブ(タクシー)が止まってるが、ドロシーが近付くや「OFF DUTY(回送)」と表示され、いきなし走り去ってしまうキャブたち(←屋根にしがみつく、とか窓をぶち割って強引に乗り込む、とか色々とやり方はあったと思うが、、)・・仕方なく彼女はトトと共に「黄色いレンガの敷き詰められた道」を辿ってウィズの住むシティの中心部へと歩き出すが・・

そんな彼女の前に「カカシ男(マイケル!)」「ブリキ男」「ライオン男」の3人が次々と現れて・・

原作(?)に漂ってた“牧歌的な風景”ってのはバッサリとカットされ、ニューヨークのパラレルワールドみたいなロケーションをドロシーたちが往くのが観てて面白かった。

・ブルックリン橋を模したような(?)巨大な吊り橋
・クライスラータワービルの尖塔を5本(!)並べたような建造物
・コニーアイランドの遊園地を模したような廃墟(ブリキ男と遭遇)
・ニューヨークの地下鉄駅を模したような無人の構内(←後年のマイケルのミュージックビデオ『BAD』を連想させる)
・ニューヨーク公共図書館を模したような建物(ライオンと遭遇)

※上記の『BAD(1987)』を監督したのはマーティン・スコセッシらしい!

ちょっとしたニューヨーク観光をしてるようで(実際に行ったことなどないが)楽しく、ウォルター・ヒル監督が描いたりする(=^_^=)ニューヨークとは全く違った雰囲気が漂っていた(=^_^=) しかし、最初に出会う仲間=カカシ男と遭遇するのが、ストリートの一角なのだが、あのシーンだけはちょっとニューヨークの雰囲気じゃなかった気もしたな(・ω・)

今とは全然フェイスの違うマイケルには苦笑させられっぱなし(⌒~⌒ι) 流石にダンスシーンにおける全身のバネと言うかキレは凄まじかった! 「僕のアタマの中には藁しか詰まってないんだ、脳が欲しい(←“ブレイン~!”とか叫ぶとゾンビ映画やね・・)」とか言ってる割に、懐から(孔子、ベーコン、キケロらの)的確な格言の書かれたメモを取り出し音読する“知恵”はなかなかにしたたかだった(=^_^=)>

にしても・・「カカシとしてのセリフ」ながら、マイケルの放つ言葉にいちいちハッとさせられてしまった(⌒~⌒ι)
「今日こそここから下ろしてくれるだろ?」
「一度でイイから自分の足で歩いてみたい」
「絶望的さ・・希望もなく生きるだけ」
「最初はこんなハズじゃなかったのに・・今の僕はただもがいてるだけ」
「長い間、吊されていたんだ」

マイケル自身の人生に投影してこれらのセリフを味わってみると・・いちいち心に刺さって来るモノがあったワタシ。。

ブリキ男が涙する場面では「コントかよ!」と突っ込めるぐらい大量の涙が(ノズルから発射されるかのように)ドボドボ湧き出たり、ライオンが初登場する場面では石像が真っ2つに割れ、中から彼が現れる演出に「お前は“キカイダー01”かよ!(←序盤で、仁王像の中から出て来よるんですわ、、)」と突っ込めたりした。

当時の流行り(モード)を取り入れたか「ローラースケート」「フラフープ」などのアイテムも効果的に用いられてた。

またキャストの殆どがアフリカン・アメリカンなしとたちで固められてたため「みんなコーラス&ダンスのセンスがスゴそうだし、ひょっとしたら殆どのシーンが“リハなし”“1発撮り”やったんかも・・?!」とか勝手な神格化を初めてしまうワタシでもあった(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

グリンダ「家は自分を知る場所、自分を知ることが出来るなら・・そこがあなたの家よ」

ドロシー「世界に飛び出さないと、自分自身は見つからないわ」

※「政治なんか、ダメ人間の最後の逃げ場だ」
 「大切なものは友情、分かち合う心だ」

追記1:私的に、人生初の“ドロシー作品”に劇場で触れたのは『オズ(1985)』だったと記憶してる。あんまり大した筋書きは覚えてないが「パンフレットを妙に大事に保管してた(今は何処にしまい込んだんやら、、)」「映画の帰り、百貨店の展望食堂で(家人に)何か食べさせて貰った」ことは覚えてる(・ω・)
追記2:スタッフ陣もまた凄まじい本作! 「監督:シドニー・ルメット」「製作:ロブ・コーエン」「脚本:ジョエル・シューマッカー」・・こんな顔ぶれ、なかなか実現しませんって!

注)ワタシは本作を『ウィズ』と記載してますが、ネット上では『ウイズ』の記載も見受けられます。どちらも正しい、とも言えますので、その辺りご了承下さい。

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☆『山猫は眠らない3/決別の照準(2004)』☆

11日(木曜)。「木曜洋画劇場」で確信犯的(=^_^=)に放送された“B級系作品”と思しき(←ファンの方、済みません〜)1本『山猫は眠らない3/決別の照準』を終盤のみながら、興味半分で観てしまった(⌒〜⌒ι)
トム・ベレンジャーが「凄腕スナイパー」を演じるらしい本シリーズ、この「3」が取り敢えずの完結編となっているそうだ。
悔しくも(←ホンマにそう思ってるんか?)全く未見な本シリーズであるが、

この完結編でもベトナムをメインのロケ地とし、途上国に回帰(?)させたような物語に『ランボー』にも通じるテイストを覚えた。根っからの傭兵や戦士にはきっと「最先端技術に囲まれた暮し」「IT企業への就職」など考えられないのだろう・・

ラストでいよいよ最後の敵ボスを狙撃する展開となるが・・相棒である刑事を人質に、その背後に隠れる標的を、異なる狙い方でもって1発で仕留めるベレンジャー兄貴がやっぱしカッコ良かった☆

ゴルゴ13(=架空の人物ながら世界一有名な日本人スナイパー)が物陰に隠れた“見えない敵”を倒す際なんかには、柱に1度弾丸を当て、角度を変えて狙う・・なる“跳弾”ってな超絶テクニックを使ったりするんだが、それとも違うやり方で面白かった。ワタシが思うには、

・人質自身が反撃(肘鉄、足の甲を踏む等)し、敵がひるんで丸見えとなった瞬間を撃つ
・人質もろとも撃ち、貫通させた弾丸で倒す
・人質の足などを撃ち抜き、敵がひるんで丸見えとなった瞬間を撃つ

の大体3パターンが描き得ると思うが、本作の演出も「ちょっと計算と角度が狂ったら大変だヨ!」と思わせつつも、珍しいオチだったかな、と。

またいずれ心にビシッと命中するもんが出て来れば、DVDボックス(全3作の本編3枚+メイキング3枚)を買っちゃったりなんかして(=^_^=)>

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☆『メン・イン・ブラック2(2002)』☆

12日(金曜)。ノートPCのデータの一部をDVDメディア(←2層式ディスクなので、1枚に8ギガも移せる♪)にバックアップする作業の片手間「金曜ロードショー」で放送された『メン・イン・ブラック2』をダラダラ鑑賞した。
冒頭に新作映画『20世紀少年』のスペシャル映像がたっぷり流れた後、ようやく本編が始まったんだが、TV欄を事前にチェックしてなかったもんで・・「また特番で映画本編が削られるんかよ!?(最悪の場合、中断とか?)」と少しゲンナリしてしまった。。

前作『メン・イン・ブラック(1997)』から5年後の物語。新たに地球に現れた凶悪エイリアンの脅威に立ち向かうべく・・地球圏内におけるエイリアンの活動を監視&抑制する準政府機関“M.i.B(メン・イン・ブラック)”の精鋭(?)エージェントJ(ウィル・スミス)は上司Z(リップ・トーン)の指令を受け、かつての相棒であり“史上最高のエージェント”と謳われたとある男を“現場”に連れ戻す。

一方で“M.i.B”本部はエイリアンのボス(?)サーリーナ(ララ・フリン・ボイル)により容易く制圧されてしまう。
失われた記憶を首尾良く(?)取り戻し、鮮やかに復帰を遂げたエージェントK(トミー・リー・ジョーンズ)とJはサーリーナの狙う“ザルタの星”なるアイテムの意外な正体をやがて知ることとなる・・

うーん・・「やかましくて」「しょうもなくて」「記憶に残らない」(3拍子揃った)ジャンクSF映画に仕上がっちゃってるこのシリーズなんだが、それはそれで「こんな企画でも通るんや・・」とホッとさせられもする(=^_^=)

にしても、前作で丁寧に(?)築き上げたM.i.Bの“それなりのミステリアスさ”が悉く叩き潰されたのにはびっくり。「続編に繋いでくれるか?!」とかなり期待してたエージェントL(出演が叶ってたらリンダ・フィオレンティーノ・・だったハズ)の存在はセリフの中でちょろっとしか語られないし、これまた大型ルーキーを思わせるエージェントMも“スクリーンを通じただ採用を懇願してるだけ”に過ぎなかった、、彼ってきっと巨大ロボット(=通称:ロボットマイケル)にも変形出来る(1988)し、むちゃくちゃ重宝されると思うんだけどなぁ(=^_^=)
ここは是非「エイリアン雇用促進法案」とやらの速やかな可決を期待したいトコだ(=^_^=)

何だか分かんないが「エイリアンは夜間以外は外出禁止! ただしイーストヴィレッジを除く」みたいなアナウンスが劇中でされてたのには苦笑。。そんなにエキセントリックなしとたちが昼日中からうじゃうじゃしてるエリアなんやろか。。

あと、劇中でJが結構、エイリアンなどによるダメージを受けるんだが(吹っ飛ぶ、殴られる、など)全く出血もせず、あざも出来ず、妙にピンピンしてるのが異様に映った今回の鑑賞・・ひょっとしたら「実はハンコックだった!」「実はアンブレイカブルだった!」みたいなオチが続編(3?)以降に用意されてるんやろか?

それと、終盤で空中を逃げるエージェントカー(=ベンツ)が、後方から追いすがって来るサーリーナの小型ポッドから発射されるビームの直撃を何度か受けるんだが、全くダメージのないのが不自然だった。

オープニングでは、サーリーナの超小型(?)宇宙船から発射される“チャチっぽい”ビームですら、次々と巨大惑星が爆発⇒消滅してたってのに・・

「殆ど中盤から登場のトミー・リー」「90分を切る上映時間」・・と色んな意味で「要領かましまくり」だった本作。それでも前作を超える興行収入を叩き出したそうであり、まさに“ハリウッドマジック”の存在を感じる(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

Z「余り張り切り過ぎると、仕事に残りの人生を喰い尽くされるぞ」

J「大抵“お宝”ってのは、そういう小さいモノだ」
 「世界の何処かで起こっていることが、全て分かっている気のしたことが?」
 「着替えてくれ、あんたがこれから一生着る服に・・もう1度」
 「逃げろだって? 俺、優勢なのに」

ケヴィン「君は誰だ?」
J「問題はそう言うあんたが誰かってことだ」

J「説明させてくれ、こいつら(=エイリアン)は・・」
ローラ「いいの、もっと酷い男を知ってるわ」

ローラ「言っとくけど・・」
J「それ、もうちょっと後で言って」

K「俺はわずか2日前、郵便局長だった。君には君の“正体”がある」
 「やっぱり、この街がいい・・」

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2008年9月10日 (水)

☆『チップス先生さようなら(1969)』☆

8日(月曜)の夜、衛星第2放送でやってたモノを鑑賞。
今週のBS2は“ミュージカル系”が続くみたいだ(?) 楽しみだなぁ〜♪
だけンど、ミュージカル系作品って、総じて長尺なんだよなぁ・・(×_×)

そんな特集のオープニングを飾る(?)『チップス先生さようなら』は、1920年代〜40年代にかけ、イギリスの全寮制男子校「ブルックフィールド校」で教鞭を振るった(←と言っても体罰教師ではない、、)アーサー・チッピング教師の半生を描いた大河ドラマである。

主演は『アラビアのロレンス(1962)』『おしゃれ泥棒(1966)』(←両作ともに未見、、)で有名なピーター・オトゥール。近年では『トロイ(2004)』でヘクトル(エリック・バナ)&パリス(オーランド・ブルーム)両王子の父=プリアモスを演じてられたアカデミー男優。
今でこそすっかりおぢぃちゃんなんだが、当時のオトゥール氏ってば「上品」「長身」「魅力的」で素晴らしかった!
ウィキペディア情報(プロフィール)によると身長188cmってことで、確かに周囲の俳優陣を圧倒する存在感ですた(・ω・)

1924年。“古典の権威”と呼ばれる「旧弊で堅物な男」チッピングは、有力者の息子に便宜をはかる同僚バクスターとは対照的に「午後一番でテニスの選手権を控えた生徒(サタウィック君)に対し、正午の終業ベルが鳴り終わる迄、決して教室から出さない」と言った“徹底した指導”をする教師。「例え嫌われても、彼らに教えなければならない」との持論に従う彼には「休暇に遺跡を散策する」程度の趣味しかなく、浮いたハナシもこれまでに一切なき人物だった。

そんな彼が運命的な出会い(と彼自身は当初考えてなかったが)を果たしたのが、年下の喜劇女優=キャサリン・ブリッジス(本名:キャサリン・ブリスキット)嬢であった。ロンドンの「サボイホテル」で友人を介したちぐはぐな初対面をし、旅先のポンペイ遺跡で再び邂逅を果たして以降、彼らは急接近し、やがて結ばれることに。

が、紳士然としたチッピングとは正反対の、キャサリンの“奔放な性格”はブルックフィールドの教員らには評判が悪い。
そんなある日、同僚らの話す「教師夫人があのようないかがわしい女性とは・・」なる中傷を偶然耳にしてしまったキャサリンは、驚き&悲しみの余り、追いかける夫を振り払ってクルマで逃げてしまうのだった。

♪私には君が全て などと調子良く歌ったりし(=^_^=)、やがて2人は元の鞘に戻るが、折しも世界は台頭するナチスの脅威に揺れ始めるのだった。やがてイギリス上空にもドイツ軍の爆撃機が飛来するような時代となる。

1939年。一度の挫折を経て、ついにブルックフィールド校長への就任を打診されたチッピング。喜びに走り出し、妻に報告しようとするも・・時既に遅く、彼女は慰問のお芝居(喜劇)をするため、校庭を横切る車上の人となっていた。
「遂に校長に決まったぞ!」と叫ぶ夫に「何? 聞こえない! 帰ってから聞かせて!」と言い残して走り去るキャサリンだったが、それが彼女との最後の会話になろうとは、知る由もないチッピングであった・・

学校を舞台とした1人の教師の人生を描く・・ってことで連想したのは『陽のあたる教室(1995)』や『いまを生きる(1989)』であったが、実際に観てみると教壇で生徒を教えるシーンは「序盤&後半」に固められ、前半〜後半にかけての大部分はチッピングとキャサリンの(長きに渡る)プライベートな恋愛模様が丁寧になぞられてた感がある。

最初こそ「蓮っ葉そうやなぁ」と感じてたキャサリンのキャラが、結婚生活15年を経て、誰も文句を言えぬような「上品で落ち着いた、素晴らしい夫人ぶり」となるのは良かった。

後半に「出征を控えたある学生がキャサリンに片想いし、それに対し露骨に不愉快になるチッピング」ってエピソードが盛り込まれてたが、確かに魅惑的な年上の(かなりだが、、)女性に映ったことだろう。私的には『スカウト(1994)』におけるダイアン・ウィーストさんみたいな雰囲気を覚えたか(⌒〜⌒ι)

それにしても・・往年のミュージカル(特に欧州が舞台のモノ)では、かなりの割合で「開戦&ナチスの脅威」が背景に描かれるものだなぁ、と。それらはやはりドラマで用いられるべきネタの“王者格”と言えるのかもしれない(・ω・)

それと・・終盤でサタウィック少年が再びチッピングの前に現れ、少し会話を交わすシーンがあるが、そこで老人に「テニスの試合はどうかね?」などと問われた彼が「僕はテニスをしません。父はブルックフィールドの生徒ではなかったので、きっと祖父のことを仰っていると思いますが・・祖父は既に亡くなりました」などと答えるセリフは衝撃的であった!
一体“老チッピング”ってばラストで何歳の設定だったんやろか?!(あと西暦何年なんや?!)

〜 こんなセリフもありました 〜

チッピング「君を教室に足止めする権利ならある、教師である私にはね」
     「潮風は傷心の薬です」
     「足をくじいて担架に乗る前に、慎重を心がけるのが大事です」
     「“世界最高”は買いかぶり過ぎです、私は“権威の1人”に過ぎません」
     「生徒たちへの愛だけは、彼らに伝えたい」
     「厚顔な相手には、私も礼儀を棄てますぞ」
     「“愛”と言う言葉なら、どの辞書にだって載っている」
     「死んだと思えた言葉が生き返ることがある」
     「どんな(時代の)変化の波も、この老人の記憶を変えることなど出来ない」
     「今ここにいるままの諸君を忘れはしない、その姿が私の老後の慰めとなる、故に我々に別れはないのです」
     「礼儀と規律は教えた、教師にとってこれほど大事な“教えるべきこと”は他にあるまい?」
     「近頃の物理熱は相当なものだな」

キャサリン「舞台が嫌いな俳優もいるでしょう? 海が嫌いな船長がいるように」
     「どんな時も相手の立場を思うのね、あなたは」

チップス「私は滑稽ですか?」
キャサリン「あなたの人柄が私を楽しくさせるの、温かいのよ」

キャサリン「あなた、私が好きなのね?」
チップス「ジョークとしては平凡ですが、私の好みには合います」

チップス「愛は永遠だと?」
キャサリン「そう信じてるわ」

チップス「結婚によって君から多くを取り上げたね」
キャサリン「何を?」

アーシュラ「傷心にはシャンパンがいいわ」

マックス「性格と相性は容姿以上に大事だぞ」
    「君の何処が“冷血”だよ」
    「彼ら(ナチス)は容赦などしない、不幸な時代になって来た。
     そうは思わないか? ・・君ら英国人には分からないか」

校長「彼ら(生徒)を見ていると、年を取るのが恨めしい」

〜 こんな歌詞も印象的ですた 〜

♪時は子どもを老いさせる、彼らの気づかぬ間に(チッピング)

♪あなたが微笑み、私が微笑む、それが愛なの(キャサリン)

♪私たちは老いるほどに寄り添う、あなたと私だけにそれが出来る(キャサリン)

追記1:子どもを愛してやまなかったチッピング夫妻が「子宝に恵まれなかった」ことは恐ろしい皮肉にも思えた。
追記2:劇中で“チップス”なる愛称の使用を唯一許していた相手が妻キャサリンであった。そう考えると、本作のタイトルに愛称“チップス”が用いられてるのには不思議な感がある。

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2008年9月 7日 (日)

☆『メン・イン・ブラック(1997)』☆

5日(金曜)の夜、地上波でまったり(・ω・)放送されたものを中盤から観た。出来れば最初から(久々に)観ておきたかったが、梅田で『アクロス・ザ・ユニヴァース』を観終え、帰宅してからとなり、自然と中盤以降になってしまった次第。
(ちょうど“耳スイッチに触れて顔パカ”になるトコロ) ←スイッチが異常に作動しやすい気が。日常生活で支障なかったんやろか(⌒〜⌒ι)

今回の鑑賞で、地球を“銀河(宇宙)時間1週間”の期限付きで脅して来たのが「アルキリア星人」そのものであったことを知る。。彼らもちっこい体躯のくせに身勝手で、その期限って“地球時間”に換算するとわずか1時間なんスけど、、

地球滅亡の危機&地球圏外にアルキリア帝国の母艦・・! と言う凄まじい状況だった割に、人々はスタジアムでのんびり大リーグ(野球)観戦してたりして何ともおマヌケな後半・・“事情に気づいてた”専門家全てが口を閉ざしたんやろか?

終盤でエージェントK(トミー・リー・ジョーンズ)が敵の大ボスに飲み込まれてしまうんだが、彼の「目的」が奪われた“2丁の兵器”のみならず“先に飲み込まれた※※”であったことに改めて気づいた(⌒〜⌒ι)

Kは「銃を取り戻す」と言ってたが、※※を探すと言う目的が最初からあったんやろか?

ちと熟年(?)ぽい設定ながら、ヒロインとして頑張ってくれてたローレル博士役のリンダ・フィオレンティーノさん。超美人かと言うとそうでもない気がするが・・個人的には好きなタイプです☆
ご尊顔をアップでとらえた時の「キラキラ瞳+そばかす顔(?)」が魅力的で素晴らしい。

続編(2002)でもちゃんと活躍して欲しかったぞう(×_×) ←セリフのみの登場・・

唯一、エージェントJ(ウィル・スミス)の放った
「恋をしないよりは、失恋した方が幸せって言うからな」
のひと言(セリフ)に「おおっ!」と反応してしまったワタシ。

案外“幸せもの”と言えるんかも知れない!(そう思うか?)

本作を観てて「スゴそうな敵ボスだけど、実はしょうもない奴」って部分で『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀(1986)』を連想してしまった。
10年に1本ぐらいのペースで(?)、ハリウッドってこういう「風呂敷は大きいけどしょうもない」大作を放ってくれるもんなんですねぇ・・

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☆『どん底(1957)』☆

3日(水曜)の夜、衛星第2で放送された黒澤明監督による群像人情悲劇(?)『どん底』を観た。
ロシアの作家・ゴーリキーによる同名の戯曲を「貧困に喘ぐ人々の生活を、彼ら各々の人生観を交え描く」と言うテーマはそのままに、舞台を「江戸末期の長屋」に置き換え、やや“定点的”に描いた長編ドラマである。

黒澤さん、どうにもロシア文学に傾倒されてたようで・・『白痴(1951)(原作:ドストエフスキー)』にこの『どん底』、後年に『デルス・ウザーラ(1975)(原作:アルセーニエフ)』・・とピンポイントでそっち系(ってどっち系?)の作品を精力的に映像化している。どうやら『戦争と平和(原作:トルストイ)』も映画化しようと考えておられた、と言う逸話もある。

江戸時代の末期。町人が「どうせ掃き溜めだ」と毒づきながら芥(ゴミ)を投げ落とした土手下・・にある棟割長屋に集まった人々がそれぞれの価値観を譲ることなく「生きる」姿を描いた群像劇。

とにかく、登場人物が多く、名前やキャラ設定が意外に分かりにくい(かつ覚えにくい)のもあるが・・“長屋そのものが主人公”とでも解釈すれば良いんだろうか?(・ω・) 常連俳優たる三船敏郎(泥棒の捨吉役)や重要キャラたる左卜全(巡礼の嘉平役)も登場するが、それぞれの退場の仕方を眺めるに・・主人公か? と問われると決してそうでない気がする(・ω・)

テーマが「人は何のために生きるか」「嘘とは何か」とも言われるが、これと言った答えや(監督自身の)解釈が劇中で明確に描かれてる訳でもなく、従って私的にも「物語世界に入って行きにくい」作品ではあった。。

そんなことで、取り敢えずは「セリフ」群をまとめて紹介させて頂く。

 「お前さんは辛抱強過ぎたんだよ」
 「今にお前、本当に地獄へ堕ちるぜ」
 「いっそ、くたばったんなら有難てぇがな・・大家」
 「思い出せねぇことばっかりよ」
 「善根を積めば、その報いは必ずある・・あの世でな」
 「親切は親切、借金は借金だ。味噌も糞も一緒にしちゃなんねぇ」
 「働く? 働いて楽になるんなら働くさ」
☆「温かくさえ有りゃ、そこが極楽さぁ」
 「この若い衆も正気じゃないねぇ・・」
 「手討ちにするだと? で、刀はあるのか?」
☆「河原の石ころさ、もまれて丸くなったのさ」
 「あの世に行きゃ、息がつけるさ」
 「5文じゃ三途の川も渡れねぇ」
 「死ぬ前には、心が寂しくなるもんだ」
 「何故良くなる? また苦しい目に遭うためかい?」
 「往生の妨げはせんことだ」
 「いいことをしなきゃ、悪いことをするしかねぇわな」
 「嘘か真(まこと)か、自分で行って確かめてみるんだな」
☆「この世の中で嘘が悪いとばかりは限らねぇよ・・また真が良いとばかりもな」
 「女は女さ、男のようには行かないよ」
 「あんた、糸の切れた馬鹿みたい」
 「いつか、あたしもこんな風に虐め殺される・・」
☆「俺もお前もいつかはくたばる、ただそれだけよ」
 「みんな我が身を不憫がる暇もないんだからねぇ」
☆「死んだ者は何もしやしないよ、怖いのは生きてる奴さ」
 「身体は汚れていても、心が汚れていなければ生娘も同じだと」
 「なぜこんなことを喋るのか、そこんところを汲んでやりな」
 「お泣き、たぁんとお泣きよ」
 「ただこの連中はあんたに妬いているんだよ」
 「あたしだって色んなこと考えて、本当にそうなることを考えてんだよ・・明日になれば何かいいことがあるって」
 「いいかい、余計なことは言わないで労(いたわ)ってやるんだよ」
 「俺はな、何でもありのままをぶちまけねぇと気がすまねぇ質(たち)なんだよ」
 「何処に行くのか分からねぇから、それを探しに出かけるのさぁ」
 「男の一言だ、間違いねぇ」
 「後悔なんかしてねぇ、こうでもしなきゃ今頃くたばってらぁ」
 「1人で探すよりは2人で探す方が良いに決まってる」
 「米がなければ麦を喰う、麦がなければ稗(ひえ)を喰う」 ←マリー・アントワネット系発言?
☆「どぶ板を踏み抜いたのよ」
☆「この男はね、お前を酷い目にも、嬉しい目にも遭わしゃしないよ」
 「そろそろお神輿(みこし)を上げようと思ってね」
 「叩けば埃の出る身体、か」
 「あたしも出て行こう、何処でもいいさ、ここでさえなけりゃ」
☆「この世の中には、嘘でつっかえ棒しなきゃ生きていけない奴もあらぁ」
☆「その人は、ひょっとしたら、わしらのため、世の中のためにいいことをしに生まれて来たかも知れねぇ」
 「俺は今日、馬鹿に人がいいな」
 「下らねぇ、なるようにしかならねぇよ」
☆「どうせ人間は同じ事を繰り返すだけだ・・朝起きて晩寝て・・」
 「酒は毒だぜ、余り飲み過ぎちゃいけねぇ」
 「折角の踊り、ぶち壊しやがって・・」
(気に入ったセリフに“☆”をつけてみますた)

※「足元の明るいうちに出て行きな」
※「そういうあんたの足元はどうだい?」

※「人の気も知らねぇで」
※「へぇ、どんな気だい?」

さて本作、下町の人情悲劇かな、と思ったんだが、のろのろと抑揚少なく進む物語のくせに「劇中で3人も死人(しびと)が出る」ってのにちょっとした意外さがある。
「最下層の人々が放つ金言(?)に酔う」ちぅ楽しみ方は確かにありそうで「話劇」としては興味深いが、それにしてもズバリ言わせて頂くと・・「総じて面白くない!」ってトコだろうか(・ω・)

カラー化に踏み切った第1弾『どですかでん(1970)』が、黒澤監督作品の中で最もつまらない! と言う評価をネットで見つけたが、本作もモノクロ作品群の中ではなかなかのつまらなさを誇るのかも知んない。

まぁ「貧乏かつ堕落した日々を手に入れたが故に、周囲を入念に観察し、そして実人生に賢くなれた人間」って言う「どん底なりの人生勉強の一端が眺められる」楽しみのみはあるんかも知れない。

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2008年9月 6日 (土)

☆『舞妓Haaaan!!!(2007)』☆

さる29日(金曜)の夜、地上波初放送された“クドカン(宮藤官九郎)脚本”による舞妓モノ映画『舞妓Haaaan!!!』を観た。

公開当時、劇場で観て、それなりに良い印象を持った本作だが・・流石に「CMで寸断されまくり」「微妙なカットありまくり」だとなかなか作品世界に入り込めないモノであるな。。

初めて観た時の感動(?)は過去の記事を併読頂くとして、今回は「思ったこと」に焦点を絞って少し書いてみるにとどめる。

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/13/index.html

※上記リンクの下方にある「2007年8月18日」の記事です。

やはり“舞妓オタク道”を爆走する主人公=鬼塚公彦(阿部サダヲ)の弾けっぷりが楽しい。あそこまでオタクな公ちゃん(=公彦)が、いざ花街にやって来てから「一見さんお断り」の大原則を思い出すってのは、絶対におかしいと思うんだが(=^_^=)・・ま、そこを突っ込むとあのミュージカルシーンも成立しませんし。。

・強いオタクが潜在能力を爆発させると・・!
・オタクが情熱を仕事面で爆発させると・・!
・脳内で日時&金銭感覚の欠落してるオタクぶり
・オタクは髪型&服装に何らこだわらない
・アクティブなオタクは家になんかこもらない

などと言った主人公の言動は「オタクに秘められた可能性」や「オタクならではの悲しき生態」を優しくかつ厳しく描いており、嬉しいやら恥ずかしいやらだった(⌒〜⌒ι)

君ちゃん以外に「もう1人の舞妓オタク(後継者?)」もまた育ちつつあった本作だが・・考えたら、元々あの店(=卯筒)にいたベテランの“下足番”さんも元々は「舞妓オタク」だった可能性があるよな〜と気づいた今回。

なお、次の人生がまたあるとすれば「余暇にバッティングセンターに通い、掌にマメをこしらえるぐらい振り回してみよう」とも思った次第(・ω・)
何やら自分の“違った可能性の芽”が伸びて来るかも知れませんし(=^_^=)

「そんなことってあるんですよねぇ〜」

〜 こんなセリフもありました 〜

ぼん「もうお人形さんみたいですわ」
  「もう死んでもええわぁ〜」
  「京都と三重の歯ぎしりは、全然違う」
  「12年目の春どすえ〜!」
  「(花街は)銀座のクラブよりもリーズナブルです・・行った事ないから分かんねぇけど」
  「一生かやく作って生きるのか? “かやく社員”か俺は?」
  「こんなことってあるんですねぇ~」
  「楽しい! ナムコワ※ダーエッグの100倍楽しい!」
  「結果、出したろやないけ!」
  「素材が良ければ・・飾る必要なんかおまへん」
  「もういいよ! もういいだろ!」
  「だって・・始まったら、終わっちゃうってことじゃないですか?
   来るってことは、帰っちゃうってことじゃないですか?」
  「あいつ、明らかに僕らより楽しんでましたよね?」
  「人間“眠ってる才能”ちぅのがあるもんやね」
  「年内に完成しないとカンヌに持って行けないよ!」
  「京都は日本の宝だ〜っ!」
  「忘れられます・・出来ます! 阿呆やもん!」
  「いいです、(野球拳って)泣きながらするもんじゃないし」
  「楽しいです! ・・ウソです、正直思ってた程楽しくなかった」
  「好きとか嫌いやないよ!」

ナイキ「ふん、喰いつきよったで」
   「カッパやカッパ!」
   「のし上がるこっちゃ、ええ思いしたいならな」
   「どや? 年俸8億のバットは」 ←“年棒”と“肉棒”を引っ掛けてるんですねぇ〜(解説せんでええて!)
   「決起盛んな遺伝子が姉さんの“ミット”にバシッと決まったんや」
   「アレはあったらあかんて、おい」

ぼん「どうかお伴を」
鈴木社長「よし、気に入った! ・・と言うとでも思ったか、この馬鹿者」

駒富士「あんなよぼよぼの爺さんとも・・するんですか?」
   「三味線もお囃子もありまへんけど、アカペラでもよろしいやろ?」
   「なに弱音、吐いてはんの!」
   「何だったんだろ、私の京都・・」

医師「胃潰瘍、尿管結石にヘルペス・・即、手術やね・・んん」

千崎「一緒に走って行こ思たら、追い抜いてもうたわ」

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☆『アクロス・ザ・ユニヴァース』☆

5日(金曜)。長くて辛くて苦しくて、それでもそんな素振りすら見せられぬ1週間(←やや大げさだがある程度はホンマですわ)がようやく終わった(・ω・)
こんな日は「自分にご褒美をやろう!」ってことで、残業もそこそこに切り上げ、梅田方面に繰り出してシネコン“ブルク7”で新作ミュージカル映画『アクロス・ザ・ユニヴァース』を観て来た☆
これにて、狙ってた3本の内の2本目までも観ることが叶った☆ 残す1本は日曜にでも・・と予定している。

舞台劇『ライオン・キング(1997)』や映画『タイタス(1999)』で有名なジュリー・テイモア監督によるミュージカル。特色としては全篇“ビートルズのナンバー(楽曲)のみ”で固められてることであろう。

イギリスはリヴァプール、そしてアメリカはニューヨーク。これら2つの全く異なる街を舞台に、ベトナム戦争の時代(1965-73頃か)を生きる“男女の愛の姿”そして“恋人たちの迎える運命”を断片的&ドラマティックに綴った極彩色の作品世界。
とにかくスクリーンに「色」と「光」が溢れており圧倒された!

なお、ビートルズのナンバーの「歌詞」に関しては「(翻訳)監修:ザ・ビートルズ・クラブ」と冒頭でテロップが表示され、如何に気合がこもってるか・・をまずひしひしと感じた(=^_^=)

1960年代後半。イギリス・リヴァプールに暮らす港湾作業員の青年=ジュード・フィーニーは、母マーサの思い出(宝物?)である「若き日の父母の写真」を手がかりに、アメリカへ渡航する。
彼の生まれる前、母から去って行った父が現在、プリンストン大学(ニュージャージー州)に勤務していることを掴んだジュードは、父に生まれて初めて会うことが叶うも・・父=ウェズリー・ヒューヴァーは大学の用務員をしているに過ぎなかった。
彼はしばらく父のそばに留まるが、そんな折、破天荒な学生生活を謳歌しているマックスと知り合う。
マックスら悪友4人とつるんで騒ぐジュードだったが、マックスの妹ルーシーとの出会いは彼にとって忘れられぬものとなった。

オハイオ州に、チア・リーダーとして活躍する女の子=プルーデンスがいた。片想いのチア仲間が自分に振り向いてはくれないことを知った彼女は、ニューヨークへ傷心を癒すための1人旅に出る。彼女は同性愛者だったのである。。

マックスは両親とのいざこざを機に、ジュードと共にニューヨークへやって来る。そこで彼らは“売れない中年女性シンガー”のセディとルームメイトとなる。
そのアパートに黒人ギタリストのジョジョ、そしてたまたま飛び込んで来たプルーデンスが集まる。

そして、最後にルーシーが(兄を頼って)やって来る。彼女がベトナム戦争に送り出した恋人=ダニエルは、とうとう生きて再び街に戻ることはなかったのだ。表面上は明るく振る舞うルーシーだが・・彼女の中では「戦争に対する怒り」が静かに高まってゆく。

ジュード&ルーシー、セディ&ジョジョ、マックス&プルーデンス(になるんかな?)・・なる3組のカップルが集まり、物語は“絶頂期”を迎えるが、彼らの“輝ける愛情”にも次第に翳りが・・そしてその全ては、激化するベトナム戦争にこそ起因するのだった・・

中盤以降は「マックスの徴兵」「セディとジョジョの確執」「反戦活動に走るルーシーと、ついて行けなくなるジュード」と言った“安定期の終わり”“愛の衰退期”とでも言うべき演出が展開される。

残念なのは「突出した魅力に溢れる俳優さんに欠けた」ってトコだろうか。主要キャラそれぞれに頑張ってくれてはいたんだが、総じて「美男美女に恵まれてない」・・そんな気がした。

“ビートルズ好き”なら納得の作品か? と言えばそうでもないように思う。時代背景や、キャラのネーミング、彼らの語るセリフや心情などを巧く「ビートルズ世界」とシンクロさせているが「誰が歌うか」「どの曲を歌うか」「どんなシーンで歌うか」「曲のアレンジ性はどうか」「描かれる映像はマッチしてるか」と言った要素がファンそれぞれに「或いは」文句もあることだろう(・ω・)

私的にはジュード役を演じたジム・スタージェスの歌声が何となく『ムーラン・ルージュ!(2001)』におけるユアン・マクレガーにも似てる感じで好感が持てた。ヴィジュアル的にちょっとキツかったのはプルーデンスさんだろうか、、頑張ってはくれてるんだけどねぇ。

映像面では、時たま挿入される“エロティックなシーン”にちょいとドキドキさせられた。水中で恋人たちが泳いだり抱き合ったりするミュージカルパート、そんなに視覚効果を強調せず、美しいヌードをもっとじっくり眺めたかったッス(×_×) ルーシーちゃん(エヴァン・レイチェル・ウッド)も後半(?)のシーンでバストトップが拝めますが、ちょっとカメラが遠過ぎてガッカリですた、、

ベトナムの戦場で繰り広げられる幻想的なシーンはインパクト十分。・・ってか戦場で歌いながら銃撃戦してるのって、映画史上初の試みかも知れず(?)なかなかにシュール。『地獄の黙示録(1979)』のキルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)にも見せてあげたいシーンです(=^_^=)

【以下のシーンにも注目!】

・募兵ポスターの「アンクル・サム」がぐい〜んと飛び出し指差して来る映像
・戦場で下着姿の新兵らが「自由の女神像」を担いで進軍(?)する映像
・先頭に「Beyond(彼方へ)」と書かれた看板を掲げ、大陸を突っ走る“ヒッピーバス”車内でのトリップ映像
・何とも言えぬ“サーカス”の場面(あの前後のシーンは「監督、イッちゃってるんでは?」と正直、心配になる程のインパクトがあり『REX/恐竜物語(1993)』や『たどんとちくわ(1998)』に匹敵する危険度だ(=^_^=))
・後半で“修道院長”がグルグル回るシーンがこれまた強烈! 何だったんだ、あのしとは?!
・エンディングは“007シリーズのオープニング”を連想させる映像群。

色々と「眼福」な映像美(?)はあったんだが、総じて「散漫な印象」が強かったのは惜しかった・・
(オープニングも説明不足な映像を多数切り替え過ぎてて、分かりにくかった、、)

・・が、観賞後、突っ走る勢いでマ※ビル地下の「タワ※レコ※ド」へ急ぎ、サントラCD(←それも限定盤の2枚組!)を即買いしてしまったのは、ワタシらしくはある“微笑ましきエピソード”と言えるかも知んない(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

※「ここがまた恋しくなるさ(You're gonna miss this place.)」
 「大統領よ、今日は何人の子供を殺した?」
 「地球が丸いから、私は目覚めるの」
 「愛は古く、愛は新しい」

ジュード「誰もが誰でもないのなら・・誰にでもなれるさ」
    「僕は熱血系にはなれない」
    「大義はない、それが問題だ」
    「救いようのない人は、救えない」

ルーシー「出産ってのは自己愛よ」
    「感謝祭と言うのは、移民が先住民の手厚いもてなしに報いたのが始まりよ。
     だけど、結局は彼らを沢山殺して、へき地へ追いやってしまったの」
    「例えばここに爆弾が落ちれば、あなたにも分かるでしょうね」

ジュード「(君の家族が)皿を投げ合って大げんかするのは?」
ルーシー「それはデザートの時」

ルーシー「あなたのデッサン、(私の)左の乳首が変よ」
ジュード「君、横向きだったし・・遠かったから」

セディ「あなた、好青年そうだけど・・ハンマーで人を殺しそうにも見えるわね」
   「このギタリストには“魂の欠片(かけら)”もないわ」

ジョジョ「俺のかき鳴らすギターの大音量には、悪魔も近付けないさ」

マックス「俺はいよいよお国(=アンクル・サム)とデートだ」
    「捕まって刑務所に入れられるか、カナダへ逃げるかだな」

ロバート博士「西海岸は2年先を行ってるぜ」

※「(テレビで)戦争を居間に持ち込むと、意識が変わる」
ジュード「ここは居間じゃない、僕の仕事場だ」

キング牧師「もう暴力など、うんざりだ!」

〜 こんな歌詞も印象に残りました 〜

なすがままに、神のおぼしめしのままに 『レット・イット・ビー』 ←ゴスペル調のアレンジ☆
世界を1人で背負おうとするな 『ヘイ・ジュード』
別の日なら出会わなかった2人 『??』

追記1:キーキャラの1人であるドクター・ロバート。ケヴィン・スペイシーが巧妙に化けてるんかな? と思いきや(=^_^=)演じたのはU2のボノ氏だったようだ(・ω・)
追記2:後半での「イチゴの使用量」がハンパじゃなかった。映画史上「一番イチゴに試練を課した」作品と言えなくもないかも(⌒〜⌒ι)

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2008年9月 4日 (木)

☆『蜘蛛巣城(1957)』☆

2日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを鑑賞。
昨夜は地上波初放送だった邦画『嫌われ松子の一生(2006)』を楽しみに観始めたものの、、序盤わずか30分で“緊急報道特番”により中断されたままに終わってしまい、フラストレーションも溜まってたが・・今夜(本作を観て)ようやく溜飲の下がった気がした(・ω・)

黒澤明監督がシェークスピア悲劇『マクベス』の舞台を日本の戦国時代に置き換え、再構築したファンタジー(?)作品。
日本の伝統美を愛してやまなかった黒澤の作り上げた“能楽+幽玄”の和風テイストが存分に味わえる1作と言える。

冒頭、とある山麓の霧の中に佇む記念碑が映し出される。その木肌には「蜘蛛巣城址」の文字が読み取れる・・
そう、かつてこの地には、山腹にその巨躯を横たえる「蜘蛛巣城」と呼ばれた城があったのだ。

2人の武将、鷲津武時(わしづたけとき:三船敏郎)と三木義明(みきよしあき:千秋実)が領内で起こった謀反を見事制圧し、大殿(=主君)に報告すべく馬を駆っている。その途中、2人は霧がかった深い「蜘蛛手ノ森」に迷い込み“もののけ(物の怪)”と思しき老婆に遭遇する。
その老婆が言うには「鷲津と三木はこたびの武勲で出世、殊(こと)に鷲津はいずれ“蜘蛛巣城”の城主となる」とのこと。

「大殿を討ち、わしが城主となるなど有り得んこと」と当初は予言に耳を貸さなかった鷲津だが「蜘蛛巣城」へ辿り着き(老婆の言葉通り)「北ノ館(たち)」の主(あるじ)に出世したことで、自らの心に“ざわめき”の起こるのを抑えることは出来なかった。

妻である浅茅(山田五十鈴)が鷲津を巧妙にそそのかす・・「いざ大殿を討て!」と。そんなことは出来ん、とその意見を一蹴しようとした彼だが、最後にはとうとう主君を討ち果たし、予言通り「蜘蛛巣城」の主の座におさまるのだった。

そして、老婆のもう1つの予言に「三木の嫡男・義照が、鷲津を継ぎ蜘蛛巣城の城主となる」なるものがあったが、浅茅は「三木の世継ぎのための反逆だった訳ではありませんぞ!」と言い切り、自らの懐妊(!)を伝えるとともに「義照を養子に迎えさせる」と言う元々の鷲津の気持ちを翻させたのだった。

主君を討ち、次には幼き頃からの強敵(とも)・三木にまで血塗られた刃を向ける鷲津。次第に狂気に蝕まれてゆく彼に「老婆の予言には続きがあったこと」にまで気を回す余裕はなく、そして自身もまた壮絶な死を迎えることになろうとは、その時の鷲津には思いもよらぬ事であった・・

とにかく終盤、逃げ惑う三船(鷲津役)に向かって大量の矢がびゅんびゅん飛んで来るシーンが凄まじい! CGやトリックなど有り得ない時代の映画なので、(弓道の)プロが狙ってたとは言え、その緊迫感はまさしく本物!
『HERO/英雄(2002)』で描かれた“無数の矢が飛んで来る”映像演出でさえ叶わない。だってあんなの・・CGだもん(・ω・)
終盤の三船の表情が“まじに恐怖に歪んでる”のはある種「ドッキリ」的な撮影進行だったんかもな〜と妄想したり。
このシーンの(撮影)終了直後、三船が黒澤監督に殴り掛かりつつ「俺を殺す気か!」と叫んだと言うエピソードも耳にしたことがあり、あながち「ガセネタ」にも思えない説得力が、確かにこのラストシーンにはある。。

意外とセリフが少なめなのも好感度が高く、以前に我が国の首相をされてたとある方(誰?)のように、短い言葉を声高に叫ぶパターンが多いのは、実に耳に心地よかったし(=^_^=)

「開門!」「逆賊!」「物の怪!」う〜ん、分かり易い☆

反対に長々としたセリフが語られるシーンは、何だか良く聞き取れず、そこは至極残念に感じられた。

終盤の“映画史に残るべきその名シーン”を観客に叩き付けんがため、次第に(緊迫感の)高められてゆく構成もなかなか良いが、私的には以下の「惜しいなぁ」と感じる点もあるにはあった。
ま、今だからこそ冷静にこんな評価が出来るんだろうけど・・きっと当時、劇場の大スクリーンで本作を(予備知識なしに)見せられた日にゃ、衝撃で自身も森の中を走り回ったことだろう(←いや、何処の森やねんな)

・大殿を討ち果たすまででちょうど半分・・と贅沢な時間配分をしているが、も少し前半を短くしても良かったか
・鷲津と三木が「ゆるりと語る」シーンが結局挿入されず、も少し「(友情の崩壊と言う)悲劇性を高める工夫」があっても良かったのでは
・「蜘蛛巣城」そのものの造形を楽しみたかったが、城全体がどうにも“安普請”な印象であり、天守閣も近くから殆ど映されなかったのが残念
・「蜘蛛手ノ森」が1つのポイントとなるロケーションだが・・「迷い込んだ森」と「動き迫る森」の印象がどうも一致せず「別々の場所ではなかったんか?」と言う違和感が残った
・強烈な存在感を放ってた奥方=浅茅が後半すぐ「本筋から離脱」してしまった感があり惜しかった

~ こんな武士(もののふ)トークなどもありました ~

鷲津「戯(ざ)れ言も程々にせい!」
  「主君を討つは大逆ぞ!」
  「大逆を犯して何と面目を保つ?」
  「その友義(ゆうぎ)には報いなければならぬ」
  「出あえい、物の怪!」
  「戦(いくさ)は、最後に勝つ者の勝利ぞ!」
  「何につけ色を失う腑抜け大将め!」

三木「夢は愚欲の現れと申すからな」
  「いずれ、ゆるりと話そう」
  「血も流さず屍(かばね)も積まず、一國を我がものに」

浅茅「(謀反の)お覚悟は定まりました?」
  「弓を執るのを望まぬ者が?」
  「功名の為ならば、親が子を、子が親を殺さねばならぬ世の中です」
  「大望を抱いてこそ男子!」
  「私は三木様のお世継ぎの為に、この手を血で汚したのでは御座居ません」
  「思わぬ事に座興が過ぎあい済みません・・今宵はこれにてお引き取り下さい」
  「幾ら洗っても何故消えないんだかねぇ・・どうして奇麗にならないのかねぇ・・この手は。
   手に染み付いて取れやしない、洗っても洗っても・・」

追記1:鷲津の奥方=浅茅(あさぢ)を静かに演じた山田五十鈴さんのエキセントリックさが光る! 夫が色を作(な)し自論を肯定しようとするのを、静かに「私はそうは思いませぬ」とひと言。どんな暴君でさえ「キャイン!キャイン!」状態ですわな(←どんな状態だよ!)
極め付けは囁くようなひと言「私、身籠りました・・」 鷲津以上に、全ての観客に“忘れ得ぬ衝撃”の走る瞬間です(=^_^=)
追記2:死ぬ寸前の鷲津の表情が“竹中直人っぽくて”ちょっと面白かった。。
追記3:原典『マクベス』では「バーナムの森」が動く設定となっている。

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