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2008年8月31日 (日)

☆『ハンコック』☆

31日(日曜)の鑑賞。またまた正午前後まで「寝だめ」してしまったため(←マジメに疲れが抜けません〜)「コレじゃ遠出のドライヴも出来ないや・・」と“落ち込みモード”に一旦は突入しかけたが「そや、ドライヴがてら映画でも観に行こ!」と考え、近く(と言っても同じ市内ながら徒歩ではとても行けないが、、)にある“シネプレックス枚方”なる国道1号線沿いのシネコンに初めて出かけることとした☆

※ここは(往復の)道路がいっつも混んでるけど(←国道なのに)、駐車料金を取らないのは良心的で良い!

行きたい作品は目下3本ほどあるが、優先したかった1本『ハンコック』をチョイス。
イマドキの現象らしいが「吹替え版」が残席わずかの状況だった一方で「字幕版」はかなり席に余裕があったようだ。それでエエのか、あんたら!(まぁ、好きずきだけどサ)

続発する凶悪犯罪に喘ぐ現代のロサンゼルス。今日も武装したアジア系の強盗団が追いすがるパトカー群に銃弾を浴びせつつ、ハイウェイを逃走中・・
その報道映像の映し出された街角のテレビを観た子供が、そばのベンチで居眠りしてるホームレスっぽい男に声をかける。
「ハンコック、起きてよ、ワル者だよ」
「クッキーなんかないぞ」
「クズ!」
子供に罵倒され、やれやれと言った風に起き出す男=ジョン・ハンコック(ウィル“フレッシュ・プリンス”スミス)。次の瞬間、彼は地面を蹴り上げ、事件現場のハイウェイへとひとっ飛び!
鮮やかに事件を解決するも、ロスの街が彼(の破壊的英雄行為)により被った損害もまた甚大であった・・(この1件で900万ドル!)

「ロス市警のお荷物」「ニューヨークへ行け!」などと警察関係者にも嫌がられるハンコックって・・

一方“PR界のボノ”と称される宣伝マン=レイ・エンブリーは“オールハートマーク”なる世界規模のロゴキャンペーンを提唱、市内の企業でプレゼンするも、全ては失敗に終わっていた。。

帰路、踏切のど真ん中でレイのクルマが立ち往生、ドアも開かず「これ迄か?!」と覚悟した瞬間、ハンコックが現れレイは命を救われる。が、彼が線路上をどかなかったため、列車は彼に激突! 先頭車両を除き、後続車両が大規模な脱線事故を起こすのだった。。

現場で「このクズ!」「酔っぱらい!」と取り囲む人々に罵倒される彼を、レイが「でも彼は僕を助けてくれた」とかばう。そしてレイは「君は“人々に愛される正義のヒーロー”であるべきなんだ、もっと印象を良くしなくては」と提案、そのイメージ改善のため色々と知恵を絞る・・

■ハンコックのための“自己アピール法”の幾つか■

・地面には静かに着地する
・建物にはちゃんとドアから入る
・警官を「良くやった(good job)」の言葉で褒める
・市民には笑顔で接する

まず始めに、レイは「法を守る存在であることをアピール」するため、ハンコックに2週間ほどカリフォルニア州立刑務所に服役しろ、とアドバイスする。果たしてその結果、ロスの犯罪率は30%増加・・とうとう「とある凶悪な事件」が起こり、遂に警察署長から救援を要請する電話が入る。

レイの用意した新型スーツ(←キツいらしい)に身を包み、無精髭も落とし“イメージアップ”した姿で事件を解決させるハンコック。
しかし、記憶を失った彼には知る由もなかった・・スーパーパワーを持った人間が“世界にただ1人、自分だけ”ではなかったことなど・・

“嫌われ者のスーパーヒーロー”が主人公のストーリーは、日本のコミックで少なからず取り上げられた、と私的に記憶してる題材ではある。桂正和による短編『ヴォーグマン』や藤子・F・不二雄の短編『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』など・・他にも沢山あるような気がする(・ω・)

が、中盤以降はレイの妻・メアリー(シャーリーズ・セロン)がハンコックの問題行動に我慢ならなくなったか(⌒〜⌒ι)彼の言動に関わり始める、、中盤における“くしゃみ事件”の始まる瞬間の衝撃はなかなかのもんである。

・・悔しい事に、ワタシはちょっと知ってしまってたので「あ〜やっぱり」って感があったけど・・

とにかくセロンさん&ウィルスミの「眼の演技」が本作ではかなり重要なことになってます!
ホントに2人とも「悲し気な」「何かを知ってて黙ってるような」そんな黙した演技が巧い!
しかし本作・・「白人至上主義」の人々をかなり刺激する内容でもあるんじゃないかな、と。「神」って言葉までセリフに登場しちゃいますし、、

惜しかったのは、

・中盤からの展開により、レイと(彼の息子)アーロンのキャラが引っ込んでしまった。
・敵ボスの「悪」をもっと掘り下げて描いて欲しかった
・必要以上に「カメラが人物の周囲をぐるぐる旋回」したりして気付かせ過ぎ(=^_^=)

などだったろうか。もうちょっとそれぞれの人物像を深く描いて欲しかった。CGはその分カットしてもイイからさ(=^_^=)

〜 こんなトコにも気付いた 〜

・後半、とある人物の生命を救うため、ハンコックの行うのが・・「五体投地」!
・最後にはニューヨークへ旅立っちゃうハンコック。レイのアドバイスがなくて大丈夫やろか。。
・スーパーパワー同士がぶつかると、何故かロスの街に竜巻が!雪が!大雨が! なんか急に『デイ・アフター・トゥモロー(2004)』状態だぁ!(=^_^=) 看板も飛んで来たりして、、
・ヒーローたちが「結ばれない」悲しみは“ハリネズミのジレンマ”を体現してるようであり『X−メン(2000)』におけるヒロイン(?)ローグとその恋人たちの悲劇性を眺めてるようでもある。
・ハンコックじゃない方のヒーローは・・いずれ「(年月による)別離」が来るんだろうけど・・そこまでの悲劇の予感は、観客として感じ取る必要はないんやろかネ(⌒〜⌒ι)
・スーパーパワーを持ってる割に「聴覚」などは必ずしもスーパーじゃなかった主人公。。(同じソニーピクチャーズ製ヒーローである)『スパイダーマン(2002)』に数段劣ってます(×_×)
・画面左手前にハンコック、同右奥に“レッド”教授を配した終盤のレイアウトは、何処となく『レオン(1994)』の終盤を連想させた。(あちゃらでは手前にジャン・レノ、奥にゲイリー・オールドマン)
・シンボル(?)である“鷲”とハンコックの関係が良く分からず。。単に(?)合衆国の象徴と絡めてるだけなんかな?

〜 こんなセリフもありました 〜

ハンコック「何だ、お前らの中に女性メンバーはいねぇのか」
     「俺はハンコック・・酒を飲む」
     「これだけ生きて来たのに、誰1人として知り合いが名乗り出ない」

ハンコック「コンニチワ〜」
強盗団「俺たちゃ日本人じゃねぇ!」

レイ「例え用事があっても、食事は必要だ」
  「世界は変えられなくても、彼1人ぐらいは変えてみせるさ」

ミッシェル「あのクズだ」
ハンコック「俺をそう呼ぶな」

ハンコック「あの道路は、俺が来る前から陥没してた」
レイ「ウソつけ、僕は毎日あの道路を見てるんだぞ」

レイ「行列の子供たちを押しのけアイスクリームを奪うとは・・」
ハンコック「あれは火事現場の帰りだ。あんた“生身で火事を消したこと”が?」

キャスター「合衆国憲法はあなたより強いわよ」

メアリー「レイは良い人よ、彼を失望させないで」
    「暴力だけが物事の解決方法じゃないわ」

ハンコック「良くやった、ホントに」
警官「それはもうさっき聞いたよ」

※「長く生きて、運命が絶対じゃないことを知った」
 「結ばれかけると、誰かが追って来る運命なのよ」
 「私たちは“神が人類に与えた保険”のような存在」
 「あなたは、死ぬ」

ケネス“レッド”パーカー「雨は誰にも降り注ぐ・・お前にもな。これまで十分楽しんだろ?
             寂しくなるが“次の世界”で幸せにな」

悪党「このウルヴァリンもどき! クズ野郎!」
ハンコック「今、何て?」

追記1:『ミステリー・メン(1999)』『アンブレイカブル(2000)』と並ぶ異色のヒーローもの、とは呼べるかなと。
追記2:続編にどうとでも(=^_^=)持って行ける余地の残し方は『ジャンパー』みたいだネ。
追記3:ウィルスミ自身がプロデュースしてた本作☆ 続編があれば、いよいよジェイダ・ピンケット・スミス(=嫁さん)と共演かも?! ←『アリ(2001)』以来かな?
追記4:何だか久々に戸田奈津子女史が字幕担当だった。ちょっと“意訳が弾けて”ませんでしたが・・(・ω・)

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☆『ジャイアンツ(1956)』☆

25日(月曜)の夜、衛星第2で放送されてたモノを観た。
“ジェームズ・ディーンの遺作となった大河ドラマ”と言うことは前知識とし知ってたが、作品自体は未見で「いつか観なければ!」とは常々考えてた1本。

とにかく・・長し! 約30年に渡る、3人の男女を軸とした物語が約3時間半も描かれるのだ。
中盤で1分間のインターミッション(休憩)が辛うじて(=^_^=)設定されてたが、わずか1分じゃトイレモードも完遂出来ないケースがあり得るんじゃなかろうか?(=^_^=)

1920年代~50年代のテキサスの地を舞台に、長きに渡る男女の確執や、「生きるとは?」「成功する(not性交)とは?」「人種の壁とは?」などのテーマを軸にストーリーは展開する。

とにかく、登場シーン毎に注目したのは、当時24歳の若さであり『エデンの東(1955)』『理由なき反抗(1955)』と立て続けに主演作がヒットしてたジミー(ディーン)。
本作では主人公であるレズリー(エリザベス・テイラー)&ビッグ・ベネディクト2世(ロック・ハドソン)に絡む野心的な牧童ジェット・リンクを演じてたが「おや?」と感じたのは、思ったより長身じゃないんかも? ってこと。
監督を務めたジョージ・スティーヴンスの前作は、かの名高い西部劇『シェーン(1953)』なんだが、そちらに主演してたアラン・ラッド氏と、ひょっとしたらタメを張るぐらいの背丈だったんかも知れない? どうにも(立ち姿)全体と比べ、かぶってるカウボーイ・ハットが大き過ぎる印象もあったし(・ω・)

※ネットで調べるとジミー(173cm)、ラッド(175cm←公称、、)ですた。因みに(←因むな!)トム・クルーズ(173cm)、ダスティン・ホフマン(163cm)、ダニー・デビート(156cm)、池乃めだか(149cm)・・

(東部出身の)令嬢であるレズリーは(西部の男)ビッグと結ばれ、子宝にも恵まれるが・・一方のジェットはビッグに疎んじられ、牧場経営から一転、一攫千金を狙わんと“油田採掘”に熱を上げ、自らに与えられたわずかな土地を離れることなく掘りまくる!

遂に、彼は油脈(?)を掘り当て、やがてテキサスを代表する大金持ちとなるのだが・・その頃には既にジェット自身も、彼が変わらず想いを寄せ続けるレズリーもまた、髪に白いものの混じる老年となってしまうのだった。

「あんさんの心を手に入れんがため一生懸命頑張ったんやけど・・気ぃ付いたらお互い、老境に差し掛かってますやんか?!」って大いなる皮肉が終盤に提示される。
救いは、石油を掘り当てるため孤軍奮闘してた頃(青年期)のジェットの姿が輝いてたことだろうか。ようやくそれを突き当て、吹き出した油にまみれ真っ黒になるジミーの笑顔が全篇中で最もイノセントかつ魅力に溢れてたのは、観客の記憶に一番鮮明に刻まれる部分ではなかろうか。

そう言えば、ビッグ&レズリー夫妻の長男とし誕生するベネディクト3世の青年期を好演してくれてたのが、何と紅顔な頃のデニス・ホッパーだったのにはびっくり! この後、何処でどう歪んで“爆弾魔”(1994)に育っちまったんだろ(⌒〜⌒ι)

後半ではジミーがホッパーを2発ほど殴る場面があり「うぉ〜、薫陶授けた瞬間やな〜」と自分勝手に盛り上がってしまった(・ω・)>スミマセン
それにしても成功を掴んだってのに、酔い潰れ、挑発したビッグに「お前など殴る価値もない」などと蔑まれたまま終わって行ったジェットって・・

中盤以降は、時代が切り替わり、子供らは成長するわ、主人公3人は青年から初老に差し掛かるわ・・となかなかの“転”を見せる。
感心したのは、テイラー&ハドソン&ジミーの“老けメイク”が意外にもしっくり来てたこと。あそこで失敗すると(日本のドラマみたいに)「コント調」に成り下がってしまうもんで(・ω・)

余りにジェット・リンクなる人物の生涯をほぼ完璧になぞり過ぎ、演じ切ったため、フレッシュな(中盤までの)印象が何処かへ消えてしまうジミー。1人の人間(=役柄)の一生を奇しくも“全う”してしまったことが、彼が本作の撮影終了直後に(交通事故で)帰らぬ人となってしまった事実とダブり、何とも複雑な後味であった。

〜 こんなセリフもありました 〜

レズリー「意外だわ、あなたにこんな才能があったなんて」
ジェット「初めて、才能を見抜かれた」

ジェット「貧しい男に興味のある美人の妹はいないの?」
    「のし上がってみせるさ、その内に」
    「望みが叶わない女性(ひと)は多いが、君はどうだ? 夫にそいつを叶えさせては?」←レズリーの娘に言い寄る・・
    「君にはそれなりの夫が必要だ、例えば俺のような」

ホテルマン「生憎の荒天ですね」
ジェット「晴天を注文するのを忘れてた」

追記1:これもネット調べで恐縮であるが・・タイトルの「ジャイアンツ」は(本作の舞台である)テキサス州そのものを意味する呼称らしい。
追記2:ビッグの最後の「対戦相手」が何処ぞのレストランのおっさん(店長)、と言う意外性はなかなか良かった。結局はサラダにまみれちゃうハドソン氏だったが、、
追記3:ジェット・リンクの経営する会社のロゴが「JR」だったのに苦笑。。

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2008年8月28日 (木)

☆『北北西に進路を取れ(1959)』☆

26日(火曜)夜、衛星第2で流れたモノを観た。アルフレッド・ヒッチコック監督作品の中でも、かなりスケールの大きなスパイアクションと言えようか。
実を言えば、序盤から中盤にかけての展開を殆ど覚えておらず(×_×)・・(過去の鑑賞時の)記憶が鮮明によみがえるのは専ら「複葉機の急襲」&「ラシュモア山頂での対決」と言うスペクタクルなシーンばかり(・ω・)

今回、恐らく初めて“通し鑑賞”の叶った次第だが、あちこちに「ネタをばらまい」たり「観客を飽きさせぬ転調をピンポイントで置い」たりしてることが良ぉく分かり「さすがは巨匠ヒッチコック!」と唸らされた。
勿論、本作を最後まで引っ張り切ったのは、主人公を演じたケーリー・グラントの魅力が大きい訳でもあるが。

ニューヨークで活躍するやり手広告マン=ロジャー・ソーンヒル(グラント)は、プラザホテルでの会合中、電報を打つため中座した際、たまたまホテル側の「カプラン様はおられますか?」なる呼びかけと同時に立ち上がったがため、その正体を(物陰で)探っていた謎の組織に銃で脅され、そのままクルマで拉致されてしまう。
彼の連行された先は郊外のグレンコーブにある外交官レスター・タウンゼンドの邸宅だった。
そこでロジャーは身も知らぬ「ジョージ・カプラン」なる人物と間違われ・・「そんな男など知らない」と言った所、バーボンをムリヤリ飲ませられ、事故を偽装した手口で、ベンツごと崖下に墜死させられそうになるのだった。

命からがら逃げ出した(飲酒運転しまくり!)ロジャーはグレンコーブ警察署の刑事らを率い、翌朝タウンゼンド邸に押し掛けるも・・一夜を経た屋敷内は模様替えされ、彼の訴えは退けられてしまう。
次に、彼はアポなしで直接タウンゼンドに会うため国連の総会ビルへ向かうが、やって来た男は身も知らぬ別人だった! 尚かつ、ロジャーが邸宅のことを彼に確認しようとした途端、何者かの放ったナイフが背中に刺さり、タウンゼンドは絶命してしまう・・今やロジャーは「外交官殺人犯」とし全米の警察に追われる身となってしまった!

そんな中、シカゴへ向かう“20世紀特急”に乗り込んだ逃亡中の彼は、とあるブロンドの美女と運命的な出会いを果たす。彼女は産業デザイナー=イヴ・ケンドール(エヴァ・マリー・セイント)と名乗る。イヴの協力を得て「カプラン」の正体に迫るロジャーであったが、行く先々には彼の生命を狙う“罠”が巧妙に張り巡らされており・・

原題が“North by Northwest”であり、緊迫感溢れるスコア(楽曲)に併せオープニングなどに表示される「(最初のスペル)N」と「(最後のスペル)T」の一部が矢印状(→)にデザインされたタイトルロゴが、とにかくカッコいい!

↓ こちらにロゴの画像があります ↓ 無断リンクで済みません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/画像:North_by_Northwest_movie_trailer_screenshot_(38).jpg

レトロなアニメーションが躍動感を発揮する辺りは、如何にも後年、スティーヴン・スピルバーグ監督が自作『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(2002)』でちゃっかり“拝借した”っぽい気がする(・ω・)

因みに、本作のオープニングをデザインしたのはソウル・バスと言うアメリカの有名なグラフィック・デザイナー。

ロケーションとし、前述の「ラシュモア山(合衆国の歴代大統領4人の肖像が刻まれた有名な観光スポット)」と「(劇中で“41号線のプレーリーストップ”と説明されてた)片田舎のハイウェイ&トウモロコシ畑」は最も有名だが、それ以外にも「国連ビル」や「大陸横断特急」が登場し、ストーリーに広がりを持たせている☆

因みに「国連ビル」は当時「撮影許可」が下りなかったそうで、外観以外はセットで再現されたようだ。実際に内部のロケが認められるのは後年の『ザ・インタープリター(2005)』が映画史上初のことらしい。う〜ん、実現までに約半世紀を要したんやね(⌒〜⌒ι)

主要キャスト陣が素晴らしく「あんたで本作はもってるよ!」と絶賛したげたい(ナニをエラそうに!)グラントを筆頭に、ミステリアスなヒロインを演じたエヴァも美しかった。
劇中の年齢設定は26歳だったが、この落ち着き&醸し出してた大人の女性の雰囲気って一体なんなんじゃあぁ?!

そしてそして! これまた特筆しときたいのが、敵ボスの副官を演じた知的で不気味な男=レナード役のマーティン・ランドー。それまでは往年のスパイドラマ(←そのまんまや!)『スパイ大作戦(1966-1973頃)』における中心的メンバー(変装の達人=ローラン・ハンド役。間違ってもイーサン・ハントではない(=^_^=))を演じてた時の彼しか知らなかったので、この“悪役出演”には驚いた覚えがある。

マーティンは本作では殆ど喋らなかったが、それ故「敢えて発する言葉」にインパクトがあって良かった。
そう言うと“ボスに「あの女は怪しい」と的確に忠告するものの、彼の怒りを買って災難に遭う(可哀想な)演出”などは『M:i−2(2000)』におけるショーン・アンブローズ(ダグレイ・スコット)がその部下ヒュー・スタンプ(リチャード・ロックスバーグ)に課した“あの体罰”も連想させてくれたり・・ きっとジョン・ウー監督も本作を少なからず意識したハズだ!(←勝手に決め打ち)

ヒッチコック作品の1つの特徴・・と言うか“お遊び的なお約束”とし、監督自身が劇中にちょろっと姿を見せるってのがあるが、本作では「冒頭でバスに乗り遅れる、太ったおっさん(←失礼)」なる分かり易いシチュエーションでプチ出演(≒カメオ出演)を果たしてた。
実際にはもう1シーンで登場するんだが、そっちは気付かなかった(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

ロジャー「広告マンには“戦略的誇張”が大切だ」
    「楽しみを奪うと言うのなら、暴力も辞さんぞ」
    「女性の審美眼にも自信がある」
    「我ながら敏腕だ」
    「僕の問題と君の予定は巧く連動しないものかな?」
    「生存術には興味があってね」
    「何かあっては困る。母親や秘書、元妻2人、それとバーテンダーに頼られてる身なもんでね」
    「(別れた)妻たちは僕の人生が退屈、とね」

レスター「我々に若干の協力さえすれば、今夜を生き抜けるのですぞ」

駅係員「(サングラス姿に対し)眼をどうかされました?」
ロジャー「質問アレルギーでね」

イヴ「空腹で愛は語るものじゃないわ」
  「読みかけた本は退屈だし、夜は長いわ・・この意味がお分かり?」
  「忍耐は美徳よ」
  「私の決心をぐらつかせないで」

イヴ「あなた、本当に殺人犯なの?」
ロジャー「有り得るさ、今夜君の息の根を止めるかも」
イヴ「そうして」

ロジャー「この重い荷物は何だ?」
イヴ「ボウリングのボールよ」

イヴ「※※で撃たれた時よ、あれは名演技だったわ」
ロジャー「優雅に倒れたろ?」

イヴ「あなたは結婚を信じない男よ」
ロジャー「2度結婚したがね」
イヴ「ほらね」

教授「戦争は地獄だ、それは例え冷戦であっても同じだよ」

ロジャー「バーボンをくれるか? 2〜3杯でいい」
教授「ご一緒しよう」
ロジャー「なら倍の量を」

レナード「真実は時に苦い。私の直感を笑いますか?」

追記1:当初は「大物スパイに間違えられた不幸な男」としてロジャーを眺めるんだが、どうも色んな点が引っかかった(・ω・)
♦シーンや相手により、酒の好みが変わる! →「(カクテルの)ギブソン」「氷なし&水割りのスコッチ」「バーボン」
♦煙草を殆ど(全く?)吸わないのに自らのロゴ「ROT」入り紙マッチを持ち歩いてる
♦異常に札束を持ち歩いてる
♦眼の前でナイフ殺人が行われても、さほど動揺してるように見えない
♦どんな窮地に陥っても軽口を叩く
♦平然とクルマを盗んだりする
♦銃に対する抵抗感がない
ひょっとしたら、観客にすら伝えられぬ“秘密のキャラ設定”がロジャーにはあったのかも知れない!?
追記2:スパイアクションに付き物の(?)「カジノシーン」はなかったが、、代わりに「美術オークションシーン」があり、ここが結構笑えた。「1200ドル、これ以上はありませんか?」と言ってる司会者に、あのだだっ広い会場で「13ドル」とはなかなか言えないんじゃなかろうか(=^_^=)
追記3:終着駅のホームで“20世紀特急”のポーターの1人が「服を奪われた」と鉄道警察官らに訴えるんだが・・その後、1人になった彼が(下着姿のまま)懐から札束を出して数えてるシーンに感動した! (一見無駄なような)この言動を盛り込むかどうかで“後味”がかなり違って来るってんだから不思議だ。

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2008年8月26日 (火)

☆『イノセンス(2004)』☆

少し前、民放で深夜に放送されたモノを録画⇒鑑賞した。

・・が、難解な格言の洪水(・ω・)を前に、少し観ては疲れ、また少し観ては中断、、とただ観るだけだってのに(=^_^=)なかなかはかどらず・・結局4夜(18日(月曜)、19日(火曜)、23日(土曜)、24日(日曜))に分割しての鑑賞となってしまった。。

もしかして、俺って・・ファン?!(⌒〜⌒ι)

製作費20億円&制作期間3年を費やし、押井守監督がアニメーションを“1つの極点”に到達させたデジタル動画絵巻とも言える作品。

情報網が世界を覆い尽くし、人間とガイノイド(ロボット)が共生する2032年の未来が舞台。
アジア圏と思しきその電脳都市では、所有者を惨殺直後、ガイノイドが自壊(=自己破壊行為、のような意)する、と言う奇怪な事件が続発。
事態を重く見た電警(電脳警察)は公安にも捜査協力を要請。公安9課の部長・荒巻はベテランであるバトー、イシカワの2捜査官に新メンバーとしトグサを任命、彼らは独自のダーティなやり方で、事件の真相に迫ってゆく。

かつての上司であり“相愛の仲”でもあった草薙素子(通称:少佐)が失踪して以来、何処かクスぶっているバトーは、この事件を追う内「ひょっとして彼女と“再会”出来るのではないか?」と考え始めるのだった。

うーん・・物語が「現場から新たな現場へ」「聞き込みから強行捜査(?)へ」と、実に分かり易い展開で進んで行くのに引き替え、登場人物の「永遠に続くかのような言葉遊び」のねちっこさって何や?! と改めて閉口させられた。

きっとどのキャラも監督自身の“分身”に違いなかろうが(=^_^=)、人間を超える知能&記憶力を持ち、本来“会話”など極力少なくて済むであろう存在のサイボーグ(バトーら)が妙に饒舌で、それ故「人間臭く」見えて来るのが面白い。
私的には・・どんどんロボットやネットを用いて利便性を高めてゆけば、最後には「端末の前に座し、端末に接続するのみ」ってな必要最低限の移動行為しか人間は必要としなくなるんじゃないか? と思ってるんだが、劇中のバトー&トグサはとにかく(昔ながらの捜査みたく)歩き回るのである。
この辺りは「未来におけるあるべき生活の姿」をきっちり予想してるのか、予想した上であえて皮肉っぽく「その逆」を描き切ってるのか、興味津々ではある。

便利そうな世界にはなってるけど、人々の「顔」が前作(『攻殻機動隊(1995)』)以上に(個人単位で)曖昧でぼやけて見えるのも「世界がいよいよ斜陽を迎えてんのかな?」とあらぬ不安をかき立ててくれる。
もしや、近未来に「個性」は必要とされないのだろうか?

現在と変わりない(?)要素としては「ヤクザ」「性的愛玩人形(通称:セクサロイド)」「ハッキング」「(児童の)人身売買」などのネタが本作の底に幾つも横たわっていた。何やらマイナスなキーワードばかりだが、、

家庭用ロボットが暴走を起こす、と言う設定はある意味『アイ・ロボット(2004)』に酷似してると言えるかも知れない。が、押井監督自身はさほど“ロボット三原則”に対する考察(持論?)を展開するでもなかった。
そこから察するに、監督の中では「工学的なロボット」と「からくり人形の延長であるロボット」とを“全く別次元の存在”とし考えてるのかも知れないな? とまたまたワタシの妄想は膨らむのだった。

〜 こんなセリフもありました 〜

(冒頭の字幕)

ヴィリエ・ド・リラダン「我々の神々も我々の希望も、もはやただ科学的なものでしかないとすれば、
            我々の愛もまた科学的であっていけない謂れがありましょうか?」

(壁の文字)

「生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落落磊磊」

訳:生死の去来するは棚頭(ほうとう)の傀儡(くぐつ)たり、一線断ゆる時落落磊磊(らくらくらいらい)

(キムの遺言)

「遺言により、生花・造花・包丁のご贈与は固くお断り申し上げ候」
「今月本日をもってめでたく死去致し候」


荒巻「理解だと? 理解なんてものは、概ね願望に基づくものだ」
  「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない」
  「人は概ね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない、
   肝心なのは・・望んだり生きたりする事に“飽きない”ことだそうだ」
  「孤独に歩め。悪をなさず、求める所は少なく、林の中の象のように」
  「ここはジャングルではない」

刑事「柿も青い内は、烏も突つき申さず候」

バトー「自分の面(ツラ)が曲がっているに、鏡を責めて何になる」
トグサ「鏡は悟りの具に非ず、迷いの具也(なり)」

バトー「“備考欄に感想を書くタイプ”だな」
   「春の日やあの世この世と馬車を駆り、だ」
   「娘の誕生日は“優先事項”だとよ」
   「イシカワ、お前最近、口数が増えたぞ」
   「世界は偉人たちの水準で生きる訳にはいかねぇからな」
   「てめぇらの半端な電脳を恨みな」
   「あんな大技が決まる訳ねぇだろ、馬鹿」
   「個体が造り上げたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現型だ」
   「偉くなったな? 俺を呼び捨てにする貫禄を何処で拾った?」
   「忘れねばこそ思い出さず候か?」
   「“さん付け”で呼ばれるような貫禄不足でもねぇ」
   「信義に2種あり、秘密を守ると正直を守るとなり、両立すべきことに非ず」
   「人の上に立つを得ず、人の下に就くを得ず、路辺に倒るるに適す」
   「驢馬(ロバ)が旅に出た所で、馬になって帰ってくる訳じゃねぇ・・器なりに身を持ち崩した馬鹿な野郎さ」
   「寝(い)ぬるに尸(し)せず」←孔子
   「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」←孔子
   「神は永遠に幾何学する」
   「幸運が3度姿を現すように不運もまた3度兆候を示す・・
    だが、俺たちの世界じゃ3度どころか最初の兆候を見逃せば終わりだ」
   「騙してやろうと待ち構えてる奴ほど騙しやすいもんだ」
   「思い出をその記憶と分つものは何もない、そしてそれがどちらであれ、
    それが理解されるのは常に後になってからの事でしかない・・主時間は“セーブ不能”だから辛いな」
   「理非なき時は鼓(こ)を鳴らし攻めて可也、談判破裂して暴力の出る幕だ」
   「鳥は高く天上に隠れ、魚は深く水中に潜む」
   「精霊は現れ給へり」

バトー「何だ、お前だけか?」
イシカワ「コガは夕食に喰ったツナサンドと“再会”した後で、おロク(遺体)と一緒に戻った」

イシカワ「生活習慣を固定するから罠を仕掛けられるんだ」
    「迅速に勝る機密保持はない」

少佐「此処で引いたんじゃ、9課の存在意義を問われる」
  「何人か鏡をとりて魔ならざる者也、魔を照らすに非ず、造る也」
  「鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず、声ある者は幸い也」
  「幸福? 懐かしい価値観ね、少なくとも今の私に葛藤は存在しないわ」

トグサ「その思念の数は如何に多き哉、我是を数えんとすれど、その数は砂よりも多し」←旧約聖書・詩編139節
   「彼ら秋の葉の如く群がり落ち、狂乱した混沌は吠えたけり」←ミルトン
   「本当に“物理現実”に帰ってるんだろうな?」

チンピラ「秘密なきは誠なし、とも言うぜ」

キム「それが事実なら無粋な話だ」
  「シェリーの『ひばり』は、我々のように自己意識の強い生物が決して感じることの出来ない、
   深い無意識の悦びに満ちている、認識の木の実を貪った者の末裔にとっては、神になるより困難な話だ」
  「死を理解する人間は稀だ」
  「人は死なざるを得ないから死ぬ訳だ」
  「これがまだ疑似信号の造り出す現実の続きでないと言い切る自信が、お前にあるのか?」

追記1:ハラウェイ博士に好意を抱いてたと思しきトグサ。彼女の“顔パカ(!)”を(去り際に)果たして眼にしたんだろうか?
追記2:冒頭、高層ビルに大きく表示されてた「狗(いぬ)」の1文字に苦笑。やっぱり最初に登場するのは“イヌ”なんかい!
追記3:序盤で語られたセリフ「子供とは、人間の前段階としてカオス(混沌)の中に生きる存在」が監督の次作『スカイ・クロラ』に通じる大きなヒントだったんかも、と今さらながら感じた。
追記4:日系暴力団「紅塵会」を仕切ってた“若林”って、事務所にいた1人なんやろか? 良く分かんなかった(・ω・)
追記5:全体的に「銃器類アクション」や「ガイノイドの造形」にさほどの魅力が感じられなかった。。
追記6:後半、あの“茶運び人形”は逃げ出してどうするつもりだったんだろ? また、あいつをわざわざ銃撃しなきゃならない“大きな理由”があったんやろか?

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2008年8月22日 (金)

『ブルークラッシュ(2002)』

19日(火曜)の夜、衛星第2で放送された『ブルークラッシュ』を観た。“サーフィン系の青春映画”らしい、と言う予備知識は何となく何処かで身につけてたが、こんなに観やすい作品とは知らなかった(⌒~⌒ι)

舞台はハワイ・オアフ島のノースショア界隈。
「世界一のサーファーになるの、絶対に!」と少女時代から自分に言い聞かせて来たアン・マリー・チャドウィック(ケイト・ボスワース)は、天才的なサーフィンの才能を持つ女の子ながら、3年前の大会で大波に巻き込まれ、海底の岩礁に頭をぶつけ無様に溺れかけた経験から「ビッグウェーヴ」に向かって行く時に(恐怖心から)ブレーキがかかるようになってしまっていた。

家賃や食費、妹ペニーの学費に喘ぐアンは、7日後に迫ったサーフィン大会で優勝し、スポンサーをつけ収入を激増させようと練習に明け暮れる日々。
そんな中、彼女はバイト先の高級リゾートホテルにやって来たフットボール選手・マットと恋に堕ちる。彼との関係が深くなって行き、本格的な練習がおろそかになって行く中・・いよいよ大会は翌朝に迫るのだった・・

その一方で、アンはマットに関する“とあるウワサ”を耳にする。それは、彼がバカンスの先々で地元の手頃な女の子をナンパ、高級な装いをさせ夢見心地に浸らせてから棄てる、と言うもの・・突然、自らを取り巻く全てに“不安”を覚えるアン。
そんな彼女の耳にかつてのライバルでもある親友イーデン(ミッシェル・ロドリゲス!)がゲキを入れる。
「覚えてる? マネフネでのジュニア大会。あの日のあなたの“天才ぶり”には誰もが目を見張ったのよ! あの頃のあなたを見せて!」

大会当日。20分の競技時間の中でアンに挑みかかるベテラン勢の姿があった。
ケイト・スカラット、ケアラ・ケネリー(共に実在の高名なサーファーらしい)らとの対戦。

ボードを叩き折る身の丈(?)6メートルの凶暴な大波に、彼女は果たして“テイクオフ”出来るのか?!

主演のケイトさんは本作が初主演だそうで、現地でサーフィンの猛特訓を受け撮影に臨んだとのこと。「こりゃ無理やろ!」と誰の目にも映るシーンばかりは流石に(プロによる)スタントだろうが、その辺りの区別が殆ど付かなかったので、そこはやはりかなり達者にテクニックを高めたのだろう。
(正直、ヴィジュアル的に“サーフィンと言う才で主演を掴んだ現地のリアルな女の子”とも思ってしまった、、)

とにかく専門用語が・・「スライド」「ダブル・オーバーヘッド」「トリプル・オーバーヘッド」「バックドア」「ボトム・ターン」「ドロップ・イン」「ワイプアウト」・・などと多過ぎ、感覚的にしか掴めなかったんだが、流石にダイナミックな波が左から右へとトンネル(パイプとかチューブとも言う)を形成する中を波肌(?)を左手でなぞりながら華麗に滑って行くサーファーらの姿は圧巻のひとこと!
それをアイポイント(目線)やら背後からやら、波の内側から(!)やらで奇麗に撮影してるスタッフってば更にスゴい! 何だか「フリーダイビングの“世界記録”映像をダイバーの真下から捉えてるカメラマン(=^_^=)」みたいなモノ凄さがある。実演するヤツもスゴければ、それを映像に収めるヤツも更にスゴい、みたいな世界!

私的には、ポイントとなるべきキャラと感じたマットの正体(?)が、後半でいよいよ大会に突入してしまったがため、あまり追及(解明)されぬままだったのが心残りか(⌒~⌒ι) 土壇場のシーンでアンにかける言葉の端々から推測するには「常に“悪意に満ちた、過剰なウワサ”に付きまとわれる気の毒な兄ちゃん」って風だったようだが・・?

~ こんなセリフもありました ~

※「あんな波に向かってくなんて正気か?」
アン「当然!」

マット「ここは浅瀬だから安全だろ?」
アン「安全かどうかはその人によるわ」

イーデン「この波に乗れなきゃ、優勝なんて出来ないわよ」
    「彼とはすぐに終わるわ・・後に残るのはその高価なハイヒールかしら?」
    「心配しないで、楽しむのよ」

アン「私は波に乗るために生まれたのよ」

マット「君の人生は君自身のものだ、だが(人生に)悔いを残すなよ」
   「元の君に戻れ、男に頼らない男に」

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2008年8月20日 (水)

☆『雨月物語(1953)』☆

さる6日(水曜)、衛星第2で放送された『雨月物語』を2夜に分け鑑賞した。
と言っても、約2/3までを鑑賞した1夜目とその残りを鑑賞した2夜目(18日(月曜)の夜)の間には1週間以上ものブランクが空いてしまった。。本来、こう言う鑑賞の仕方はしたくないんだが、、

上田秋成の著した怪奇短編集『雨月物語』から2つのエピソードを抜き出し、巧妙に味付け(アレンジ)を施したモノクロ作品。名匠・溝口健二が監督した本作は同年(1953)のヴェネチア映画祭で賞を獲ったそうで、冒頭には

“1953年度イタリーヴェニス國際映画コンクール 最優秀外國映画賞 栄冠獲得”

と誇らしく表示される。

実際のトコ、劇中に大きな区切りなどはないが「第一部 蛇性の婬」「第二部 浅茅が宿」と章立てが最初に表示され、続いて

“「雨月物語」の奇異幻怪は 現代人の心にふれる時 更に様々の幻想をよび起す これはそれらの幻想から 新しく生れた物語です”

と製作意図(?)が紹介される。なくても何ら差し障りないのに、敢えてこれらの表示をはじめに持って来る辺りに溝口監督の律儀さ、のようなものが感じられた。

ある年の早春、近江國は琵琶湖北岸。時は“戦國時代”のただ中であり、一円は「羽柴勢」と「柴田勢」が火花を散らす緊迫の状況下にあった。

こつこつ地味に器を作る真面目な陶工・源十郎(げんじゅうろう:森雅之)には妻・宮木(みやぎ:田中絹代)と幼子・源市(げんいち)なる愛する家族がいたが・・ある時、弟分の藤兵衛(とうべえ)を伴い“長浜の市”へ器を売りに行った所、これが大成功し、欲をかいた彼は帰宅後“取り憑かれたように”更に大量の焼き物をせっせとこしらえ、今度は“大溝の市”(現在の高浜市)へ商いに向かう。

戦(いくさ)の火の手が街道沿いに村落に迫ったため、船で“尾上の浜”(現在の湖北町)から湖水を渡ることとした源十郎。一行は彼と藤兵衛、その妻であり船頭の娘・阿浜(おはま:水戸光子)の3人となり、宮木と源市は同乗せず“美濃街道の裏山”にある隠れ家に潜伏することとなる。

霧深き湖面を無事に渡り、大溝へ着いた一行。

藤兵衛は陶器を売って得た金で「具足」「槍」を買い揃え、かねてより念願だった侍の家来(丹羽“五郎左衛門”長秀配下の雑兵)となる。

夫に去られた阿浜は、これまた何処へともなく姿を消す。

源十郎は大溝城下で商い中、多数の注文(花生け、徳利、皿など)をした美しい娘に心を奪われる。彼女は朽木左衛門(くつきさえもん)の娘・若狭(わかさ:京マチ子)と名乗り、朽木屋敷まで器を届けて欲しいと彼に頼む。

屋敷を訪れた源十郎は、美しい若狭の歓迎を受ける。彼女に付き添う老婆が「若狭様とこの折りに“お契り”なされたら良い、あの声のお嬉しそうなこと・・」と彼の耳元で囁く・・
確か(=^_^=)妻子持ちであった筈の源十郎なれど人の子、、この“OKサイン”を受け「据え膳をがつがつ食す」のにさほど時間はかからなかった・・

藤兵衛は卑劣な闇討ちで、不破某(=佐久間“備前守”安政の名だたる家臣)の大将首を討ち取る(・・と言うか彼の自刃直後、介錯した部下を背後から襲い、首を盗んだだけ、、)。その武功で「馬・鎧・家来」の3点セットを与えられ、いっぱしの武将気分となるも・・立ち寄った街道沿いの遊郭で落ちぶれた阿浜に再会、愕然とするのだった。

源十郎は、久しぶりに下山し出向いた市で通りがかりの高僧(?)に「お前の顔には死相が出ている!」と指摘される。お前がただ亡者に取り殺されるのを見るにはしのびない、と語る高僧は彼の背中一面に護符(的な梵字?)を墨で黒々と描く。

(朽木一門の亡霊を振り払い)命からがら屋敷を後にした源十郎がやっとの事で故郷へ帰った時、彼は宮木が既にこの世にいないことを知らされるのだった・・

「立身の夢」に「絶世の美女」・・どちらも男の本能(=^_^=)とロマンをくすぐる代名詞のようなものであるが(そうなのか?)今も昔も、そこに盲目的に走ったが故に“大きなものを失った”男も多かったことだろう。時代が平成の世に移ろうと、本作と似たような運命の皮肉はきっと起こり得るんだろうな、と思わせる普遍的な味わいが確かにあった。

作品のラストで“千の風となった”宮木が、空から源十郎に「あなた本来の場所で、あなた本来の姿に戻るのです」と優しく呼びかける演出があるが、ここのセリフがどす〜んと背中にのしかかった。

ときに、戦国時代の農民の生活と言えばかなり悲惨なモノで、ひとたび戦が起これば、男はさらわれて人夫にされ、女は暴行を受けるのである。その当時の貞操観念が如何なるものだったかは分からないが、後世から眺めるには、これは悲惨極まりなかった(×_×)

「成功や性交(おい!)」「出世や出精(こら!)」の亡者となる悲しき漢(をとこ)の性(さが)を見よ!

生きるため、辱めに耐えるしかなかったかつての婦(をんな)の慟哭を聞け!

と言う下世話っぽい(?)教訓を、ともあれワタシなりに得たのであった(・ω・)

~ こんなセリフもありました ~

阿浜「分を守って働かないと、きっと不幸せが来るよ」
  「どさくさ紛れに儲けたような金は決して身に付くもんじゃない、金が入ればまたその上に欲が出る」

宮木「この(土産の)小袖が嬉しいのではありません、買って下さるあなたの心に」
  「戦(いくさ)は人まで変えてしまうのね」

源十郎「万事は金だ、金がないから辛くもなるんだ、望みもなくなっちまうんだ」
   「人も物も処(ところ)によって、こうも値打ちが変わるものか」

家来「お頭、出世祝いを兼ねてのご器量の見せどころですぞ!」

阿浜「人が偉くなるためには、嫌な辛抱もしなけりゃならないさ」
藤兵衛「立身も出世もお前がいればこそだ」
阿浜「あたしは汚れてしまったの・・みんなお前の罪だ!」

老婆「妻子がありながら、何故契りを交わされた?」
  「男はいったんの過ちで済もうが、女は済まぬ!」
  「姫様のお幸せをそんな儚いものにされて、お心に咎めはしませぬか?」

阿浜「幾ら言っても、お前さんは馬鹿だから、自分で不幸せな目に遭わなきゃ気が付かなかったんだねぇ」
藤兵衛「戦が俺たちの望みを歪めてしまったんだ」

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2008年8月18日 (月)

☆『イヌゴエ・幸せの肉球/VOICE OF DOG - Happy dog Paws(2006)』☆

17日(日曜)の夜、珍しくも(=^_^=)京※TVの「日曜シネマ倶楽部」なる番組で放送された邦画『イヌゴエ/幸せの肉球』を観た。
今まで(作品名を)耳にしたこともなく、中途半端な“犬映画”なんかなぁ〜と思いつつ、先月に飼い犬を突然に失って以来、ちょっと「犬なる存在」から遠ざかり過ぎてしまってるので「これを観たら、何か少し、優しさが取り戻せるかも知れないかな?」と漠然とした期待感を持ってしまったのはあるかも(・ω・)

いやいや、それにしても京※TVさん、とにかく通販の宣伝が多いのデスね・・(⌒〜⌒ι)

アマチュア写真家の主人公・凌は「大事なことの順番が見えてない」と言う頼りない性格が災いし、年上の彼女・涼子を怒らせることしばしば。
その夜も彼女の「30歳の誕生日」を1日間違えてしまい・・激怒した涼子は「私らって今まで何やったんやろね・・くそだわけが!」のひと言を残し、同居するアパート(?)を出て行ってしまうのだった(×_×)

彼女に突然去られ「そう言えば、彼女の勤務先も実家も何処だか知らなかった」凌は途方に暮れる。
翌日、彼女の戻らぬままに、日もまた暮れてしまう。

部屋を飛び出し、夜の街を駆ける凌。そんな彼の耳に何故か「涼子のぶつくさ呟く声」が響く。その声を追って彼の辿り着いたのは、彼女がたまに寄っていたペットショップ「ペットハウス・グーパーズ」だった。

彼女の姿を店内に探す凌。どうやら声の主は(涼子が飼いたい、と言っていた)ぶさいくなフレンチブルドッグの「ペス」だった。
「何か(彼女を見つける)手がかりとなるかも?」と考えた凌は「ペス」を購入する。因みに店員の小泉さんによれば、涼子は「確かに昨日ここへ来て、実家に帰るって言ってた」とのこと。

腹ぺこだった「ペス」のふと漏らした「“ミルフィーユビーフみそかつ”が食べたい」なる呟きを信じ、凌はそれが食べられる唯一の場所(?)である「岐阜市内の“あさま食堂”」へと向かうことに決める。

スポーツバッグ&銀塩カメラを持ち、そして「ペス」を連れての凌の旅が始まった・・

邦画の得意とする(?)「ロードムービー」系な本作。どうやら映画版では2作目となるそうだが、とにかくゆったりのんびり観ることの出来る造りがいい。セリフも情報量も少ないので、鑑賞メモをとるのもラクだし(おいおい)
ま、そんな冗談はさておいても「彼女を探す旅に出るダメ男」に「何故か彼女の呟きを漏らす犬」と言う設定を(強引ながら)巧くミックスさせた企画者はスゴい!
結局「何故、彼女の声だったのか?」「凌以外に声が聞こえなかったのは何故か?」「そもそも犬が喋ることってあるのか?」って言う謎の“コアな部分”は「劇中で一切、解明されない」のも潔くて良い(=^_^=)
きっとソレこそが本シリーズの「ネタ」の1つだろうから、無理して解説する必要はないし、きっとソコに違和感を(それほど)感じない観客だけが楽しんで行ければ良いんだろう。

前作では「男性」が犬の声を担当されてたらしいが、やっぱり男性からすれば、女性の声の方が断然嬉しい(=^_^=) どうやら「ペス」はオス犬らしいんだが、、もうそんな破たんがちな設定について、細かく突っ込んだりはしません(=^_^=)

「抱かんでええて」「近付かんといてて」「ええかげんにしとかんと、バリかいてまうよ」「なぁ腹へってまったで、ぺこぺこやてぺこぺこ」「なぁこれ、どういうことやて」「ホントこすいヤツやね、覚悟しときゃーよ」
などの「ペス」のセリフは“岐阜弁”らしく、何だかすっかり「岐阜弁を喋る女性」に興味津々となってしまったオレ(=^_^=) 因みに「バリかく」は「引っかく」って意味なんやて。

ロードムービーらしく、旅先で“中途半端な交流”が幾つか描かれるのも本作の面白さ。自転車で日本縦断を目指す(も、挫折寸前らしい)さとみさん(伴杏里演じる)、岐阜の保健所職員(温水洋一演じる)、東京から地元(岐阜)へ戻ったスーツ姿の(煙草の?)セールスマン(山本浩司)・・それぞれが赤の他人の凌にだからこそ“誰にも言えぬホンネ”を漏らしたりするのだ。

さとみ「たかだか数千キロ走っても、人間なんて激変するもんじゃない・・それに気付いて引き返すとこ」

職員「お前らは“モノ”やねぇのにな・・大事なもの(=生命)は人も犬も変わらん、お前らだって自分の好きな人とおりてぇもんな」

セールスマン「ああ、ぶっ殺してぇ・・」←誰をだ(⌒〜⌒ι)

ラストも涼子の実家に辿り着いたトコでやや唐突に(?)物語は幕となるんだが、色んな日本各地の風景が映し出され、思わず「やっぱ、ロードムービーは“長回し”に限るよなぁ・・」と和んでしまったのだった。

ちとピンポイントとなる人物以外の“旅先キャラ”に魅力の乏しかったのは残念だが、面白い映画を見せて貰った気がした。

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2008年8月17日 (日)

☆『ランブルフィッシュ(1983)』☆

うう、レビュー書くの忘れてた(⌒〜⌒ι) どんどん鑑賞が進んで行くもんだからして。。

さる10日(日)の深夜(土曜の“24時以降”と言うべきか)に放送されてたフランシス・フォード・コッポラ監督の『ランブルフィッシュ』を中盤以降ながら観た。
衛星第2で何気なく放送されてたのを寝しなにたまたまチェックしてみた、程度の“軽い気持ち”ながら、しっかりラストまで連れてかれてしまった(=^_^=) コ〜ポラ(←違)、恐るべし!

ある地方都市を舞台に、不良グループのリーダーとし数々の“伝説”を一代で(=^_^=)築き上げた男“バイクボーイ”(ミッキー・ローク)と、彼を兄に持つ“跳ねっ返りだが勢いの空回りしてる”弟ラスティ・ジェームズ(マット・ディロン)の交流を軸に、真っ当に生きようともがくワルの悲劇を「モノクロ映像」の中に描いた作品。

ネットで粗筋を辿るに、中盤までは比較的躍動感ある展開だったようだが、ワタシが観始めてからの世界はかなり静かな流れで、とにかく「モノクロの画面に漂う深夜の街角の霧」「その霧に白く浮かび上がるネオンサイン看板」「“バイクボーイ”がぽつりと語る、達観したような、答えをすくい取れとでも言いたげな深いセリフ群」などに酔わされてしまった。
また、描かれる全てがモノクロであるハズの世界の中で“とあるモノ”だけが鮮やかな色合いで表現されており、そのパートカラー演出の用い方に圧倒された!

「ミッキー・ロークの起用」「パートカラー」ってな要素は、ひょっとしたら本作を観て刺激を受けた(?)ロバート・ロドリゲス監督が『シン・シティ(2005)』を映像化する際、大いにオマージュを捧げたと言えるのかも知れない?

主人公はラスティであるが、彼を取り巻く助演俳優陣も凄まじく、彼女=パティ役にダイアン・レイン、父親役にデニス・ホッパー(!)、同じ不良グループの仲間スモーキーを演じてたのが・・しばらくは気付かなかったが(=^_^=)・・何とニコラス・ケイジなのだ!!
流石に精悍で、とある部分がフサフサしてて、甘いマスクのカッコいいあんちゃんであった(=^_^=)

ラストでは“とある行動”をとった“バイクボーイ”を、待ち構えてた警官が襲うのであるが、運んでる※※で両手の塞がってる、(恐らくは)丸腰の人間を、いきなり問答無用で銃撃するってどうなんやろ? と疑問に感じたものだ。K国の国境警備隊じゃあるまいし、、

中盤より観たからこそ、その静かなモノクロ世界に惹かれたのかも知れないが、こんなに魅力的な作品とは思わず、次回放送時には、きっと最初から観てやるぞ! と心に決めた次第である(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

バイクボーイ「人を率いるなら“行き先”がなくっちゃな」
      「忠誠ってのは・・悪徳だ」

ラスティ「この街はクールだな、あらゆる色が溢れてるぜ」

スモーキー「知恵がなきゃ、抗争も出来ねぇ」

追記:後半、チンピラに襲撃されたラスティが手前の地面に横たわり、その体が“幽体離脱”するシーン(一種のワイヤーアクションと思われる)に、奇妙な余韻があった。当時のコッポラ先生、どっかの宗教集団がなんかに心酔してはったんやろか。。

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☆『SEX AND THE CiTY』☆

16日(土曜)。
ぐぅたらと自室で過ごす予定が(・ω・)、ひょんなことから鑑賞する気分となったのが、劇場版映画とし一般公開寸前の『SEX AND THE CiTY』である。
・・ってか、ドラマ版(1998-2004)ってば1話、、どころか1シーンたりと観てないんですけど〜。。

20代の女性が2つの「L」・・即ち「レーベル(高級ブランド)」と「ラヴ(愛)」を求め集まる街=ニューヨーク。そんなきらびやかな大都市を舞台に「独身か結婚か」「結婚か離婚か」などの“人生の岐路”に立たされつつ、その度“友情パワー”で乗り切り、逞しく40代(俗に言う“アラフォー(Around Fourty)”ってヤツか、、)を生きてゆく4人の女性・・キャリー、ミランダ、シャーロット、サマンサの物語である。

ぬぬ、流石に「女性の、女性による、女性のための作品」って印象で見渡す限り(?)座席は女性ばっかし。オタク野郎がムンムンと集まってた『スカイ・クロラ』とはシアター内の雰囲気がまるで違う〜(=^_^=)

しかし何だ、、ドラマシリーズ(の開始)からだと、ほぼ10年が経過してるそうで、流石にどの女優さんも“ポスター映え”こそはするものの、スクリーンでご尊顔を拝見する限り「ちょっと、どうでしょうか・・」と感じてしまったりはした。。エラそうに済みません(⌒〜⌒ι)

予備知識も期待感もあんましなく、鑑賞メモすら手にしてなかったんだが「最も定番であり、脚本家&演出家が安直に手を出しそうなネタ」の筆頭格たる“闘病”“死別”に全く手を着けず「出会い&別離」「確執&和解」のみをガンガン積み重ね、それでいてあきさせない展開は「安心して観れるよな〜」と感心させられた。

作品自体も「何度かのヤマ場」を準備しつつ「2時間半近く」引っ張る、ってことで『ダークナイト』にも似た構成を感じたモノだ。最近のハリウッドってば「複数ハイライト+2時間半ライン」がスタンダードとなって来てるんやろか?

タイトルに“SEX”が冠されてる通り、正常範囲内(ってどんな基準や!(=^_^=))ながら、ピンポイントでエロティックな描写が冴えていたのも特筆モノ。
私的には「全裸で両バストトップ&股間部のみに※※を乗せただけのお姿のサマンサさん(あれで裸足なら尚良かったですのに・・)」と「激しい“絡みシーン”でバストトップ周辺のお色の美しさ(薄くて素敵ですた☆)が映えてたミランダさん」の大胆さにそれぞれ拍手を送りたいトコである。同性として出来れば観たくなかったが(⌒〜⌒ι) 野郎同士のキスシーン(劇中で2度ほど)、肉体派プレイボーイ=ダンテ君がシャワーシーンで一瞬見せた“だらり状態のサオ”も女性観客からすれば「ちょっとした見所」なんかも知れない、、

ニューヨークを描いた部分では「ブルックリン橋」「5番街のペントハウス」「セントラルパーク」「市役所」「公共図書館」などが登場し、知ってる方には嬉しいかも知んない。

ロケーションとしては「ロサンゼルス」「メキシコ」が目立ってたか。しかし「メキシコの水道水を飲むとヤバい」ってネタが大きく劇中で取り上げられており、メキシコ観光局はきっと本作にいい印象を持たない気がするぞ(=^_^=) 某日本食をちと茶化す演出もあったし(=^_^=)

主役の4人共がそこそこに波乱を抱え、頑張ってくれてたが・・私的には彼女らを周囲で支えてた助演陣にこそ魅力を覚えた。中でも謎の大富豪=ビッグ(本名はジョン)、シャーロットの夫=ハリー、そして何と言っても・・キャリーを中盤からサポートするセントルイス出身のアフリカンアメリカンな女性=ルイーズである。

ジョンを演じた男優さんの“影でウジウジし、失恋をいつまでも引っ張る様子”はまるで『バットマン』に登場する謎の大富豪=ブルース・ウェインそのものだった。そう言えば顔立ちも何となくジョージ・クルーニーぽかったかも?(或いはボブ・ガントン系?)
また、ルイーズを好演したのが『ドリームガールズ(2006)』のジェニファー・ハドソン。決して美人ではないんだが、この人の存在感(醸し出す雰囲気)はスゴい! “ハリウッドの至宝”とし、今後も増長だけはせず(=^_^=)頑張って欲しい女優さんだ。

〜 こんなネタもありました 〜

・ニューヨークでは、携帯電話の市外局番が「917」から「3??」と変わったらしい(番号が一杯になったため)。
・ニューヨークでは、借りた本の返却が遅れると追徴金が発生する。
・ニューヨークでは、タクシーを呼ぶとフルブレーキででも止まってくれる(⌒〜⌒ι)
・ニューヨークには、ウクライナ人の街も存在するらしい。
・ニューヨークには、「ブランドもののバッグ」をレンタル出来るサービスがあるらしい!(高いやろな〜)
・映画『若草の頃(1944)』は、セントルイスを舞台にしたミュージカル映画である。
・「携帯を貸して、早く!」と叫び“iPhone”を手渡されたキャリーがひと言。「(使い方が)・・分からない」
・キャリーの愛用してたPCは(ワタシと同じ)『PowerBook G4』。チャット用カメラが付いてないデザインを見るに、インテル製じゃないようだ(=^_^=)
・ペントハウスはエレベータのボタン上では「PH」と表記される。
・“SEX”のことを劇中で「塗り絵」になぞらえてた4人。「もっと沢山の色で塗りたいわ」とか「私の彼の場合、枠からはみ出しちゃう」とか、色々言ってくれてますねぇ〜(⌒〜⌒ι)
・キャリーが服を整理する時、他の3人が「TAKE(取っとく)」「TOSS(棄てる)」と票決するシーンが面白かった。
・「プラダのバッグでプリンを携行」ってのがオシャレらしい!(ホンマか?)
・幾ら美人でも「チョコプリン漏れ」「半年間ムダ毛放置」ってのは頂けないかも(⌒〜⌒ι)
・終盤では“シンデレラ”を連想させる演出で、高級パンプス(でエエのか?)を履くキャリー。しかしそのヒール・・かなり高さがあるんやネ(⌒〜⌒ι)
・ロスの街角で※※を見かけるサマンサ。※※が「くぅ〜ん」とばかりに彼女を見上げる描写に「ア※フル」のCMかい! と小さく突っ込んだワタシ。
・この※※がなかなかにクセモノ(=^_^=) こいつの動きを眺めてると「ファレリー兄弟の作品かい!」とこれまた小さく突っ込める。

〜 こんなセリフもありました 〜

キャリー「あなたがいなくなると困るわ」
ルイーズ「それは次の人に・・そして次の人のやり方で」

シャーロット「あんたの生まれた日を呪ってやるわ!」

編集長「女性のウェディングポートレートは、40歳が限界ね」

キャリー「心配なんかしないで、むしろ嫉妬して」
    「私は賢い女よ、そこは巧くやってみせるわ」
    「20代は周囲に甘えなさい。30代で色々学んで、40代は自分が飲み代を払うこと」
    「大晦日に独りでカップラーメンなんてね」

ミランダ「首でも吊ってるんじゃないかって心配で電話したの」
キャリー「あら、1時間ほど早かったわね」

キャリー「私、決めたわ!」
ミランダ「それってボトックス注射のこと?」

※「41歳の私にも(SEXの)意味なんか分からない、ましてや3歳の子供に分かる訳ないわ」

※「賢い女も、ひとたび恋に堕ちればこのざまね」

※「良くある話なのよ、養子を迎えた後に妊娠するってことは」

※「最高の男を見つけるってのはね、最高の部屋を見つけるのと同じで、年月のかかるものなのよ」

追記:今さらドラマ版を観直す気にはなれないが、機があれば、もう1度しっかり鑑賞メモ持参で(=^_^=)観直してみようかな? と考えている。女性のことをもっともっと勉強しなきゃネ(=^_^=) ←もう遅いわ!

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2008年8月16日 (土)

☆『スカイ・クロラ/The Sky Crawlers』☆

15日(金曜)。世間ではそこそこに“お盆の空気”が流れてるのだろうか?
確かに、通勤時の鉄道ダイヤが変更されてたり、職場の電話の鳴る頻度も少なければ、架ける方も不在が多かったり、昼休みに行きつけの食堂が閉まってたり、と色々「この1週間だけ」の変化は見受けられたが・・

今週も休まず&倒れず(・ω・)頑張れた“自分へのご褒美”的なトコで、会社の帰りに梅田へ出て「観よう!」と心に決めてた1作『スカイ・クロラ』を鑑賞した。

劇場は“ブルク7”だが、シアターが小規模だっただけに、異様に混んでてびっくり。最後列の端っこの席を選んだんだが(しか、空きがなかった、、)左右がしっかり埋まってしまい窮屈やら、鬱陶しいやらだった。
ま、そりゃお互い様か・・(・ω・)

『GHOST IN THE SHEL/攻殻機動隊(1995)』『アヴァロン(2001)』『イノセンス(2004)』・・と近作はそこそこフォローしてる(つもりの)、押井守監督の最新作は“戦争しか知らない子供たち”に焦点を当て描かれた、不思議な魅力に溢れるCGアニメーションだ。

『イノセンス』を劇場で鑑賞した際は「極めて美麗で情報に溢れ過ぎてる映像」と「昔ながらのセル画アニメ」の融合に“妙な違和感”を覚えてしまったワタシだったが、本作では「CGは主に(人間の姿が極力描かれぬ)空中戦&飛行映像」「セル画アニメは主に地上(?)におけるキャラたちの日常」と“棲み分け”がそこそこ実現出来ていたため、それほどの違和感は感じなかったかな。

しかし本作を観るに・・押井監督ってホンマに「ボブヘアーの女性」と「ポーランドの街並」がお好きなんやなぁ~とつくづく感じてしまう。まぁ、オレも決してキライじゃないけどさ(=^_^=)

現在ではない時間・・未来? それとも過去? 欧州の何処かと想定される、草原と青空に囲まれた空軍(前線)基地に1人の少年が降り立つ。彼の名はカンナミ・ユーイチ(函南優一:声は加瀬亮)。
ハッキリした幼少時の記憶を持たぬ代わり、年を取らぬ存在で、戦地における“先兵”とし次々に消費&補給されてゆく、そんな儚い存在“キルドレ”の1人だ。

彼は司令官であるクサナギ・スイト(草薙水素:声は菊地凛子)に配属早々、疑問に感じていること

「自分の乗る双発機「散香」の前任者(=前パイロット)が何者で、何処へ行ったのか?」
「あなたも“キルドレ”なのか?」

を問うも、彼女は「機密事項」としその答えを与えなかった。

飛行訓練(時に実戦)が断続的に行われる他には、時間の流れが止まったような日々を過ごす優一。

先に着任している“キルドレ”のユダガワ(湯田川)、シノダ(篠田)との淡白な関わり。
だが、その中でもトキノ(土岐野:声は谷原章介)だけは「バイクでのツーリング」「コールガールとのデート(彼自身は“朝帰り”となるケースが多い)」など、独自の楽しみを「基地の外」に見出し、優一をそんな「遊び」に連れ出したりする個性的な戦友だった。

・・日々は流れる。

“キルドレ”たちの過ごす地上での暮しには、殆ど何の変化も訪れはしなかったが、日々「新聞」や「TV」で報道される戦況に関しては、彼らの属する“契約戦争企業”ロストック社が「敵企業」であるラウテルン社の猛然の巻き返しに苦しめられつつあり“ティーチャー”と呼ばれる同社のエースパイロットが、優一らの“戦区”にも姿を現し始める。

そんな中、戦友の1人が海上で撃墜され、もう1人の“元エースパイロット”も一命こそ取りとめるものの、撃墜されてしまう。
優一は密かに「“ティーチャー”を撃ち落とせば、この戦況の“何か”が変わるのかも?」と考え始めるのだった。

新たな“キルドレ”であるアイハラ(相原:戦死したとされる某キャラに外見が酷似!)、ミツヤ(三ツ矢:声は栗山千明、珍しい女性キルドレ)を仲間に加えた自軍。

ある日、出撃した戦闘空域で「機首に“黒豹のペイント”の施されたスカイリィ機」即ち“ティーチャー”の機影を彼方に見出した優一はこれを迎え撃たんと単身、隊列を離脱し向かって行くのだが・・

コレはいい! 詳しい世界観の説明が殆どなされない代わり、観客の想像の幅でどんどん物語を補完させてゆく楽しみがある。
中盤までは「もっとドッグファイト(空中戦)をガンガンやって、飛行映像に酔わせてくれよ〜」と思ったりしたが、機銃掃射を受けたパイロットや機銃兵が血しぶきと共に一瞬で吹っ飛んだり(=直接的描写)、基地に帰還しない機があったり(=間接的描写)するのを眺めさせられる内に「カッコ良くなんかないじゃん・・」と“戦場での死”と言うものの「軽そうな重さ」がだんだん伝わって来て、地上での変わらぬ日々の描写こそが愛おしく思えて来た。

「何も分からないづくし」の優一にヒントを与えるのが草薙、土岐野、そしてコールガールのフーコ、であるが(女性整備士・笹倉が恐らく最も“真相”を把握していると思われるが、最も口を閉ざしている)「相原の赴任」や「草薙の語る“ティーチャー”の前身」などから、観客にも次第に“キルドレ”がどういう存在なのかが(朧げながら)分かって来る。

そう言う意味で、ラストシーンはちと「描き過ぎ」と感じたが(降り立つ、までで十分だったかなと)・・平和な時代にこそ観ておき、自分なりの“何か”を感じ取っておくべき作品ではないか、と感じたのも事実である。

〜 こんなトコロにひと言、ふた言 〜

・「作戦⇒プロジェクト」「上官⇒上司」なる言葉の用い方(言い換え)が「会社組織」ぽかった。
・“ダニエルズ・ダイナー”のマスターや、その入口の階段にひたすら無言で座り続けてる爺さまの「ドラマ」が気になる。
・撃墜された機体の着水時、海面⇒海中⇒海面と自在に切り替わるカメラワークがスゴい!
・少年少女に“兵器的な価値”を見出すのはアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』にも通じる設定か。
・草薙と彼女の“妹”ミズキ(瑞季)を巡るシチュエーションは、アニメ『トップをねらえ!』の終盤で用いられた“時の流れの非情さ”を連想させてくれる(あちゃらは“ウラシマ効果”がネタだったが)。
・飲酒(←飛行前は流石に御法度(=^_^=))も運転も喫煙もセックスも自由、と言う“特権”を与えられた“キルドレ”たち。未見ながら特攻隊員を描いた『君を忘れない(1995)』にも通じる設定かも知れない(あちゃらはせいぜい「長髪」「食事」程度の“特権”だったらしいが)。
・異世界でも「読売新聞」は健在だった!(=^_^=)
・観終われば「空を這う者(Sky Crawlers)」と言うタイトル(日本語訳)に込められた“もっと大きな意味”を感じもしてしまう。
・機銃掃射ばかりで「ミサイル攻撃(ロックオン系)」や「空爆」などは行われなかった。企業同士の「ルール(紳士協定)」が設けられてたんだろうか?
・「戦士は戦争なしには生きてゆけないか?」ってテイストは『戦争のはらわた(1977)』の主人公(ジェームズ・コバーン演じる)にも共通してたかも。
・三ツ矢には柴咲コウのイメージを、土岐野には伊藤英明のイメージをそれぞれ感じた。。
・草薙が劇中で長々と“戦争論”をぶつシーンは聞き所かも。ちと感情不足なんだが、それはそれで味がある(=^_^=)
・コルト・ガバメントやワルサーPPKなど(違ってるかも・・)オートマチック拳銃ばかりが登場。リボルバー拳銃は邪道なんかな?
・そもそも描かれた(戦区の)全ては“キルドレ”のためだけに企業の用意した環境ではなかったか?(ダイナーの客がいつも同じ顔ぶれ、コールガールがいつ呼んでも来る、など)
・敵の具体的な姿が見えて来ない辺りは『MEMORIES/大砲の街(1995)』『となり町戦争(2006)(未見なんだけどイメージ的に・・)』とかを連想させるかも。
・劇中、優一が英語で話すシーンはやや発音がお粗末だったかと(⌒〜⌒ι)
・「欧州連合の勧告で戦闘中断」なる中盤の大規模空戦中止の展開には「所詮は企業同士の壮大なコンペティションじゃないんか?」「“何か”の(世界的)バランスを保つため“誰か”が仕掛けてる戦争じゃないんか?」とワタシの想像は広がるのだった。
・優一と“ティーチャー”の関係には、殆ど説明がされてないが、私的には「ルーク・スカイウォーカーとダース・ベイダー卿」或いは「オースティン・パワーズとイーブル博士(=^_^=)」のような因縁が潜んでるんじゃないか? と妄想してしまった。
エースパイロットとしてのDNAはそんなにポコポコと自然発生するもんじゃないと思うし・・

~ こんなセリフもありました ~

草薙「随分と早い到着ね」
函南「・・太陽が余りに眩しかったから」
草薙「カミュ?」

草薙「人の状態は突き詰めれば2つ・・そこに“いる”か“いない”かだけよ」
  「可哀想なんかじゃない! 同情なんかであいつを侮辱するな!」
  「もしかして・・君も殺して欲しい?」
  「殺していい? それとも、殺してくれる? さもないと・・私たち“永遠にこのまま”だよ」
  「戦争の存在は不可欠なのよ、それを意識しなければ平和は維持出来ないわ」

函南「煙草を吸わない上司は信用しないことにしてるので」
  「この機体は何だか躯にしっくり来る・・違和感を感じない」
  「キミに誇れるようなことは、何もしちゃいないさ」
  「キミは大人になりたいの?」
  「明日死ぬかも知れない人間が大人になる意味なんて、あるのでしょうか?」
  「殺し合い? これは仕事だよ、昔ながらの非効率的で懐古的な、ね」
  「“生”の実感がない・・“記憶”に確信がない」
  「いつも通る道でも、見える景色は違う・・それだけじゃいけないのか?」

フーコ「あなたが来たってことは・・仁郎(ジンロウ)は死んだってことね」
   「仁郎に訊ねたわ・・“心をいつもどこに置き忘れてるの?”って・・
    彼は黙っていたけれど・・その答えは“空”だったのかも知れないわね」
   「また来てくれる? きっとよ」

土岐野「ここ(基地)を“見学”するって発想をどう思う?」
   「エースってのは“ままならない”ものなんだよ」
   「双子のキルドレの場合、1人だけが戻って来ることってないな」

※「あの人、危ないよ・・まっすぐにここ(胸)からぶつかっちゃってる感じ」

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2008年8月15日 (金)

☆『キサラギ(2007)』☆

14日(木曜)夜の鑑賞。
「木曜洋画劇場・40周年特別企画」の一環とし“地上波初放送”されたモノを観た☆
余りに期待するが故、残業を切り上げて帰ったほどでもあった(=^_^=) ま、公開当時にも、しっかり劇場で観た作品ではあるんだけど、、(・ω・)

冒頭&本編終了後に小栗旬(今が旬?)がコメントを寄せる“力の入れよう”がなかなか☆
彼をして「想像を超える物語展開」と言わせしめた“密室型ハートフルサスペンス”・・だそうである。

※詳しいレビューを

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/x_1/index.html

の2007年7月7日付『キサラギ』の記事にて詳しくコメントしております。そちらをまずご覧下さい。

某高層ビルの最上階でしめやかに(?)開催された「~永遠の清純派アイドル~如月ミキ一周忌追悼会」なるアイドルファンのオフ会的イベント。
初めて互いに顔を合わせる5人の男・・家元、安男、スネーク、オダ・ユージ、イチゴ娘。 が、ちょうど1年前の同日に自ら命を絶った(と報じられている)マイナーアイドル=如月ミキの死の真相に迫ろうとする。

今回はやはり“ちっこいTV画面”での鑑賞、それも“CMで寸断された放送スタイル”ってことで、、イマイチ物語世界に入り切れなかった感があった。。が、スクリーンにのめり込むように没入(?)し鑑賞した1年前の(劇場)鑑賞時とは少し違い、一歩引いたスタイルで寛いで観ることの出来た意義はあったかと思う(=^_^=)

民放のゴールデン枠(?)で放送されると、どうにも絵作りが軽く「特別企画ドラマ」ぐらいにしか映りにくいのもあり、食わず嫌いをされた(=観なかった)方も実際に多かったんじゃないかと予想するのだが・・「オタク」を毛嫌いするタイプの方以外には是非ご覧頂きたい本作☆
絞りに絞った5人のキャラが、1人の「今はこの世になき女性」を語る。

真実がどうなのか? が最後までハッキリとは分からないまま、5人が力を合わせ“そこ”へと突き進んで行く展開、そしてその中で次々と5人の「正体」が明らかとなり、それと同時に「力関係」もまた激変してゆくトコロが本作の最大の面白さであろう。

〜 こんなセリフもありました 〜

家元「しがない公務員です」
  「(彼女からの手紙の)内容がお世辞なのは分かってますよ」
  「あなたは展開に完全に付いて来れてないから、黙ってなさい」
  「こいつ(彼女に)コクったんだって・・バ〜カ!」←家元さんの“暗黒面”が表出(=^_^=)
  「(彼女に)近い人物がどんどん現れる・・いい気になって知識をひけらかしてた自分が滑稽だ」
  「僕なんて写真と記事を切り貼りしてるだけの“虫けら”さ・・この中で僕がミキちゃんから一番遠い」
  「なまじ僕たちファンがいたから・・彼女を一方的に追い詰めちゃって・・」
  「都合の良い仮説で何が悪いんですか? 真相なんて今となっては誰にも分からない」
  「アイドルは、虚像」
  「僕たちが今、ここに集まっていることにこそ意味があるんですね」

オダ「礼節、と言う言葉はご存知ですよね?」
  「最近の“何でもかんでも楽しければいい”と言う風潮には嫌悪感を抱きます」
  「これが自殺なんかする娘の笑顔ですか?」
  「正直、私は警察に対する嫌悪感を禁じ得ない」
  「警察なんて“お役所仕事”そのものだ!」
  「事件は現場で起こっているんだ!」
  「逃がさねぇよ・・逃がさねぇって言ってんだよ!」
  「(付着した)指紋なんかどうだっていい、彼が今取った行動こそが何よりの証拠ですよ」
  「離しなさいよ!」
  「(呼び名は)オダ・ユージでいい・・いや、オダ・ユージがいいんだ」
  「あんたらだって、ミキをスターにしたかったんだろ?!」
  「真実はある面において、常に主観でしかあり得ない」

スネーク「あ、ども、スネークっす!」
    「アロマキャンドルって顔かよ! お前なんか毎日香で十分だ!」
    「あんた怖いんだよ、オダ・ユージ」

イチゴ娘「・・無職です・・」
    「“戯れ”とでも申しましょうか・・」
    「(彼女は)脱いだらダメだよ・・絶対に」
    「現実になんて、何の意味がある!」
    「ストーカーと見守るってのは違うんだよ!」
    「さて、どう謝罪してくれるのかな?」
    「全ては、必然だよ」
    「(彼女は)アイドルだったんだ、正真正銘の」

安男「喪服を着れば盛り上がれるんです!」
  「なんか状況が激変してる・・」
  「また状況が変わってる・・」
  「あんたが追い込んだんだ! 彼女は“明るい自分”を演じ、振る舞ってただけだ!」

6人目の男「彼女の死が自殺だと? バカバカしい!」

追記1:ラスト、第6の人物により提示される“新たなるアイテム”・・今回は「眼を凝らし」眺めてみたが・・やっぱり「全く訳が分からなかった」(=^_^=)
追記2:小出恵介くんの「演技力の幅」を観た気がした。ドラマ『のだめカンタービレ』は殆ど観てなかったので、目下『僕の彼女はサイボーグ』における(彼の)キャラ造形との比較しか出来ないけれど・・(・ω・)

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2008年8月14日 (木)

☆『ダークナイト』☆

11日(月曜)。仕事帰りに「1本行っとこう!」と軽い気持ちで鑑賞したのが、公開前から期待してた1作『ダークナイト』だった。

しかし・・予想以上に「重くて」「暗くて」「“守り”の物語で」「“繋ぎ”の物語で」「長くて」・・とマイナス的な要素が強く、思ったほどの“爽快感(←これはワタシにとっての判断基準で、一般に言う「作風」とは別)”が得られなかったのは残念だった(・ω・)
特に後半の約1時間は膀胱がパンパン状態で破裂しそう(う。失礼、、)になり「もう、この辺でエエですやんか~」的な呟きが心の中で漏れ続けたのも事実だった。。
(さながら“腹部に埋め込まれた携帯電話”のように痛みますた・・)

シカゴに似た大都市“ゴッサム・シティ”では「ならず者の自警市民の代表格」と称されるダークヒーロー“バットマン”が、人々の眼に届かぬ“影の部分”で、悪の手から街を守り続けていた。

中小規模の悪党退治には活躍の冴え渡る彼であるも・・街を裏で牛耳ているマフィア(ファルコーネの一味)や怪し気なアジア系ハイテク企業(香港に本拠を構えるラウ社)にはなかなか決定的な鉄槌が下せず、戦いは長期化の様相を呈していた。

そんな中、街に“光の騎士”と“混乱の使者”がほぼ時を同じくして現れる。
前者は正義感に燃える新任の地方検事=ハーヴェイ・デント(アーロン・エッカート)、後者はピエロメイクで相手を脅かす狂人的犯罪者=ジョーカー(ヒース・レジャー)である。

手始めにゴッサムの大手銀行を鮮やかに襲撃したジョーカー(率いる一味)は、その勢いでマフィアとラウ社を挑発、次にバットマン襲撃&ゴッサムの要人殺害と言った大胆な計画を次々と実行してゆく。

我らがバットマンは・・と言えば、はびこるマフィアを根絶すべく、まず香港に逃げ帰ったラウ社長を連れ戻し、ゴッサム市警に引き渡す。その活躍に応えるかのようにハーヴェイはマフィアの幹部=サルヴァトーレ・マローニを摘発、彼ら2人のタッグには縁の下の(?)協力者=ゴッサム市警のジム・ゴードン警部補(大物俳優G.Oこと(=^_^=)ゲイリー・オールドマン)も唸るしかなかった。

だが、そこにマフィアと手を組んだジョーカーが現れ“にせ”バットマン(既にゴッサムにはバットマンを模倣する市民が多数存在し、好き勝手に(=^_^=)正義の拳を振りかざしていた)の“見せしめ的”な殺害を皮切りに、街の要人の同時殺害を予告する。そこには市警のローブ本部長のほか、あろうことかハーヴェイの名も含まれていた。

ジョーカーは予告通り、的確に要人を襲撃してゆく。

次なる標的がガルシア市長であることに気付いたバットマン&ゴードンは辛うじてその暗殺を阻止するも・・それはジョーカーの仕組んだ数々の“悲劇”と、そしてバットマン&ゴッサム市民に突き付けられた“大いなる選択”の始まりに過ぎなかった・・!

良くも悪くも、前作『バットマン/ビギンズ(2005)』で積み上げた数々の“作品世界を構成する要素”を自ら解体&再構築してた印象を随分と受けた本作。細かい部分で「台無し」になってしまった要素や、どうにも冗長な構成など、監督以下の製作陣がかなりアタマを悩ませながら何とか脚本を練り上げた作品、と私的には感じる。

本作は惜しくも、今後の活躍の期待された若手男優ヒース・レジャーの遺作であり、狙ってか狙わずか、そこも(悲劇ながら)PRの1つになっているのだが、確かに作品全体を覆うジョーカーの存在感は絶大だった(悲しくも、彼の“素顔(ノーメイク)”は結局、劇中では拝めなかったが・・)。

バットマン=ブルース・ウェイン卿(クリスチャン・ベール)は、アクションシーンを一手に引き受け「画面狭し」と動き回ってくれるモノの、総じて存在感が希薄、と言おうか“クリスチャン・ベール”でなくとも(他の男優でも)務まる気もした(⌒~⌒ι)

本シリーズに限ってはブルースを取り巻く人々・・執事アルフレッド(マイケル・ケイン)、副官ルーシャス・フォックス(モーガン・フリーマン)、ゴードン、そしてヒロインであるレイチェル・ドーズ(マギー・ギレンホール)を演じる人々こそが重要に思う。
そんな訳で『ビギンズ』でレイチェルを演じた女優さん(ケイティ・ホームズ)が交代してしまったのは残念だし、心の何処かで「今回(のヒロイン)はミスキャストだったんでは?」とも感じてしまった。

シリーズの続編とし「原作が持つ物語本来の重厚さ(?)」を尊重したためか、前作に比べ“遊びの部分”が殆どなく、ジョーカーなる“終始ニヤついた悪党”がほぼ全篇に渡りスクリーンを騒がせる割に・・全くと言って良いほど「笑えるシーン」の設けられてなかったことも「重苦しさ」「閉鎖感」に輪をかけてしまっていたようだ。

んではザラッと感じたことを列挙してみたい。

・前作での「殺しはしないが、助けもしない」ちぅ“バットマン精神”がやや破られてた(2度もジョーカーを葬り去る機を逃した)
・前シリーズ(1989)でジョーカー(ジャック・ニコルソン)の放った「月光の下で悪魔と踊ったことがあるかい?」に迫る“決めゼリフ”がなかった(←文字通り“殺し文句?”)
・メディア(報道陣)不在だったゴッサム。個性的な「記者キャラ」の全く登場しなかったのが残念、、
・ウェイン産業ほどの大企業なのに「医療部門」すらないのか?(会長おん自らキズを縫合するのもどうかと・・)
・武器&爆薬の調達はどうやったんだ、ジョーカー?(あの爆薬に関する専門知識はどこで修得した?)
・ヒロインはキャリー・フィッシャー似だったような・・(⌒〜⌒ι)
・主人公の“嫉妬心&喪失感”が殆ど描かれず、感情移入も出来なかった・・『リベリオン(2002)』と比べても全然ベール君の言動の厚みが違う、、
・バットマンとゴッサム市民の間に、妙な距離感が。。『スパイダーマン2(2004)』のように「ヒーローをかばおうとする市民ら」を描いたり、終盤でジョーカーと群衆を直接“論戦”させても良かったかと思う(考えたら、殆ど市民と直に向かい合わず、遠隔操作ばかりやってた印象の強いジョーカー、、実は対人恐怖症だったか?)
・マフィア組織、ラウ産業、ジョーカーの部下らに描き込みが足りなかった。
・昼間のゴッサムの情景(空撮など)に幻滅・・あれじゃただのシカゴじゃん(=^_^=)
・香港に出張しイーサン・ハントばり(=^_^=)の“高層ビル潜入”をするバットマンの行動に違和感・・
・終盤に登場する“あの少年”がいずれ(バットマンの相棒)ロビンとなるのか?
・ゴッサムの医療レベルの低さに驚愕!(特に熱傷の処置)
・冒頭は『ビバリーヒルズ・コップ2(1987)』で幕を明け、中盤では『バンテージ・ポイント(2008)』ぽい演出をやってた(=^_^=)
・(バットマンによる)囚われたデントの救出作業は余りにお粗末だったのでは? その後、彼を見舞いもしなかったし(デント自身が面会を断ったか?)
・強烈なメイクで存在の際立ってたヒースくん。しかしあの倒錯的な女装(ナースプレイ)はさぞ苦痛だったのでは?
・続編でのジョーカーはどう描く? (やや似てる系の)マーク・ウォールバーグ氏を起用か?
・「銀行を“自警”してる組織(マフィア)」って演出は面白い!
・前作で完全に発狂したと思ってたスケアクロウ(キリアン・マーフィー)の回復が喜ばしかった☆(あっけないが)
・今回“理由”あってバットケーブ(洞窟)は登場せず・・製作費の問題もあったか?(⌒〜⌒ι)
・研究開発部の機密事項をネタにフォックス社長をゆすってたチンケな悪党リースくん。キミにはキミなりの“愛社精神”が備わっていたと言うことか?
・「砕け散った弾丸の破片を再生⇒指紋を検出」とか「市内の全携帯から1つの回線を探し出すシステム」なんかは面白かった。
・ジョーカーの語りたがる“キズに秘められた物語”・・私的には「単に自分で切ったんでは?」と想像するが?(ハンニバル・レクター博士にそそのかされたんかも(=^_^=))
・「プルイットビル」ってどんなビルなんだ? 引っ張るのん?
・リース君が容易く知り、ジョーカーが遂に見破れなかったバットマンの正体って・・(・ω・)
・ゴッサム総合病院の完全爆破シーン(空撮風CGか?)は流石に圧巻だった!
・“バットポッド”が左右に連なった車列のドアミラー群を火花を上げて擦りつつ、疾走するシチュエーションはなかなかカッコいい!
・いつかは「シアワセを掴んで欲しい」エッカートさん。『ベティ・サイズモア(2000)』では頭皮を剥がされ惨殺されてますたし・・あの顎の具合からするに、立派に主役級の顔立ちと思うんだが・・(⌒~⌒ι)
・「市長襲撃シーンでのゴードン」「高層ビルから転落したレイチェルの救出」・・と“ネタ”が続くので、その後の「悲劇」がにわかに信じられなかった。“観客だまし”ばっかしやってると、本当に描きたい悲劇や衝撃の印象もがすっかり薄まってしまうんではなかろうか。。
・終盤の「連続拳銃殺人」の容疑者への結び付けは余りに強引ではないか? それなら「トゥーフェイスがやったこと」としつつ「逃走したトゥーフェイスを追跡中」と報道した方が、誰もが納得するんでは?
・警察署内で「電話を架けさせろ」と要求するジョーカー。いざ携帯を受け取って「圏外表示」「バッテリー切れ」だったらどうする気だったんだ?(=^_^=) ←『トゥルーライズ(1994)』でハンディカム撮影してた手下みたいだ(=^_^=)
・真のワル(悪党)は「ヒーローに重大な選択を迫るモノ」と言うことに気付かされた。『スーパーマン(1978)』のレックス・ルーサー(ジーン・ハックマン)も『スパイダーマン(2002)』のグリーンゴブリン(ウィレム・デフォー)も“2ヶ所同時攻撃”を身上としていたようだ(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

ジョーカー「死ぬような目に遭ってみな・・こんな風にイカレちまうのさ」
     「その“しかめっ面”を、このオレが笑顔にしてやるぜ」
     「お前が欠けたら、オレは生きていけない・・お前もオレも所詮は“化け物”なんだからな」
     「銃だと速過ぎてじっくり味わえない・・殺され行く人間の感情、そいつの本性は・・
      それをじっくり味わうにはナイフを使うに限る」
     「お前はルールでがんじがらめだな? たまにはルールを破ってみろ」
     「狂気ってものはまるで重力だ、軽くひと押ししてやりゃ・・たちまち真っ逆さまさ」
     「相手を権力で支配しようなんざ、バカげてる」

バットマン「ニセモノめ、オレは“ホッケーの防具”など身に付けん!」
     「悪党1人より、組織の摘発が先だ」

ブルース「この痛みは・・自分への戒めだ」
    「ハイテク社長には、人との触れ合いこそが必要だ」

ジョーカー「この頬の“キズの物語”を聞いたことは?」
バットマン「知らん・・だがお前は“新しいキズ”を作れ!」

銀行員「お前、盗もうとしてるのが誰のカネだか分かってるのか?」

ブルース「バットマンに“限界”などない」
アルフレッド「しかし、あなたにはある」

ブルース「飛び降りた後、もう一度(飛行機の)機内に戻るには?」
アルフレッド「それにはチケットを買って下さい」

ブルース「奴らは一線を超えた」
アルフレッド「だが、(彼らに一線を)超えさせたのはあなたですぞ」

デント「決めたのはコインだが、コインで運を引き寄せたのは僕だ」
   「夜明け前は、最も暗い」
   「問題は狂犬を放ったヤツだ、そいつが一番悪い」
   「最愛の人に“大丈夫じゃない局面”で「大丈夫だ」と言ったことが?」
   「万人に公平なのは“運”だけだ」

ゴードン「関係者が増えると・・腐敗も起こる」

フォックス「そこはビジネスマンとしてご理解を」
     「山の方が視界が利きますな」

ガルシア市長「“財布を軽くされた連中”の報復がすぐに始まるぞ」

アルフレッド「少しお酔いになられては?」
      「屈辱に耐えるのです、そして他の人間には下せない決断を・・正しい決断を」
      「山賊を捕まえるには・・森を焼くことです」
      「悪党の顔に唾する限り、犠牲者もまた必ず出ましょう」

ローブ本部長「実は立場上、良く脅迫を受けるのだ・・そんな時の対処法がコレだ」←酒かよっ!

レイチェル「自分の運をコイン任せにしないで」

刑事「あんた、死んだんじゃ?!」
トゥーフェイス「・・半分だけな」

トゥーフェイス「さぁ、最愛の者にウソをつけ!」

追記1:ランボルギーニほぼ全壊!勿体ないなぁ・・
追記2:終わり方の“投げっぱなし”っぽいトコロは『ロボコップ2(1990)』にも似た後味を覚えた(・ω・)
追記3:観終わってからしばらく「喋る時、舌をペロッと出すクセ」がついてしまった(⌒〜⌒ι) ヤバいヤバい。。

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2008年8月11日 (月)

☆『ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ(2005)』☆

7日(木曜)の夜『木曜洋画劇場・40周年企画』の一環とし“地上波初放送”されたものを観た。

恐らくは映画史を代表する“最高の演技派男優”たるロバート・デ・ニーロと、どんな名優にも対峙し得る“稀代の名子役”たるダコタ・ファニング(←将来的にどんな女優さんに育っていくかは未知数だけど・・)がタッグを組み、観客をミスリード(引っかけ)に誘うサイコ・サスペンス作品である。

心理学者ディヴィッド・キャラウェイ(デ・ニーロ)は愛する妻アリソンを“突然の自死”と言う形で失う。この事件が彼の心に影を落としたのは言うまでもないが、それ以上に“お母さんっ子”だったひとり娘エミリー(ファニング)に与えたショックは計り知れず、彼女はすっかり心を閉ざしてしまう。

ディヴィッドのかつての教え子で、今はニューヨーク市内で小児科専門病院に勤務する女医キャサリン(ファムケ・ヤンセン)はエミリーの継続治療を提案するが、父は郊外にある避暑地(ウッドランドの町)へ娘と共に引っ越すことを決意する。

娘の“閉ざされた心”は住まいを変えたトコロで改善する気配すらなく、しまいに彼女は「かくれんぼの好きな、見えない友だち“チャーリー”が出来たの」とはしゃぐようになる。専門家であるディヴィッドは当初「少女期ならではの空想」とし片付けようとするが・・“チャーリー”の目に見えるイタズラは日を追うごとにエスカレートして行く。

エミリーの言う“チャーリー”は何処に隠れているのか? また“チャーリー”が父子を脅かすその真の理由とは?

全ての謎が、終盤で描かれる“嵐の一夜”に明かされることとなる・・

演出によって、観客の「推理」を何とか反らそうとする制作側の狙いは分かるンだけど・・消去法で(?)“チャーリー”の正体を突き詰めて行った結果、どうしても“そこ”にしか着地点はなく、それ故についつい・・

「またそのネタかえ!」とツッコんでしまった。
う〜ん、もうこのパターンは“お腹いっぱい”だぞ、正直なトコ(×_×)

「手垢ついてるやんか!」的な脚本の割に、父子を支えるヒロインキャラには・・ファムケ・ヤンセン&エリザベス・シュー(エリザベス・ヤング役)が起用され、2人ともがそれなりに豪華なので、そこだけは華やかだった。うちお1人が後半で“退場”しちゃうのが、とても悲しかつたのだけれど、、

色んな古今のサスペンス作品を参考にしてる感が強かったが、中でも「バスルーム」「カーテン」「ナイフ」の3要素から真っ先に連想されたのは、何と言っても『サイコ(1960)』であろう。
他には『シークレット・ウィンドゥ(2004)』『シャイニング(1980)』『アイデンティティー(2003)』などなど・・あ、列挙してるだけで犯人像がどんどん浮かび上がって来るでしかし(⌒〜⌒ι)

デ・ニーロと言えば、大好きなのが『ザ・ファン(1996)』における「野球には余り詳しくないんだ、とか言いながら上着を脱ぐとしっかり下にユニフォームを着込んでるおっつぁん」ってキャラ像なんだが(訝し気なウェズリー・スナイプスに人懐っこい笑顔を投げかけるデ・ニーロが最高☆)、本作も“昼行灯”みたいなダメ親父が、最後の最後、観客に向かって人懐っこく笑いかけるような印象が確かにあり、そこはちと「背後からいきなしバットで後頭部を殴りつけられた感」があったかも知んない(←それは『アンタッチャブル(1987)』だっつぅの!)

ラストでヒロインの1人が“チャーリー”といよいよガチンコバトルにもつれ込むんだが、意外に弱くガッカリした。どうせなら『007/ゴールデンアイ(1995)』の時のように“カニバサミ攻撃”で“チャーリー”ごときはさっさと昇天(?)させて欲しかったし、彼女は“それ”が出来るキャラだったと思ったぞう(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ディヴィッド「やれやれ、田舎の人は親切かと思っていたのに・・」
      「“昔の私”より幸せな子にしたかった・・なのに・・」
      「ホントはチャーリーが言ってることじゃないんだろ? チャーリーなんていないんだろ?」

エミリー「パパには会いに来ないと思う、パパを嫌ってるもん」
    「パパにはチャーリーを止めるのは無理なの!」
    「そっちに行ったら・・チャーリーが来る!」

チャーリー「“もうオレとは遊びたくなくなった”って顔をしてるな?」

追記:“戦うお父さん”の姿はそのまんま『サイレン/FORBIDDEN SIREN(2006)』の後半における森本レオ氏である(=^_^=) シャベルを振り回すトコもそっくり!(=^_^=)

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2008年8月10日 (日)

☆『どろろ(2007)』☆

4日(月曜)の夜に「月曜ゴールデン・夏の映画スペシャル」で地上波初放送されたものを鑑賞。
劇場公開当時は「妻夫木くん主演のアクション時代劇だっ!」とそれなりの期待感を高めてたものだが(と言っても結局は観ないままだったが・・)、いざTVで観てみたら・・余りにつまらなくて驚いた!

以前から「“大作っぽい見せかけ”で、いざ観てみたら“実につまんない作品”」って言うのを数多く観て来たが・・まだこんな「古き悪しき邦画」が作られてたんやなぁ・・と。

賢帝歴3048年。戦乱の世において覇権を握らんとする武将・醍醐景光(中井貴一)は、魔物との契約を交わす。それは、生まれ来る我が子・多宝丸の身体から48の部位を差し出す代わりに“常人を超えたパワー”を得ること。

そうして20年後。呪い師の男(原田芳雄)に助けられ、欠けた部位を義肢で補い、剣の腕前を磨き上げたかつての赤子は“百鬼丸(妻夫木聡)”と名乗り、諸国をさすらう旅を続けていた。
村々を巡り、そこに巣食う魔物どもを倒すことで失われた部位を1つまた1つと取り戻す百鬼丸。
6体目を倒した村では、彼の左腕に仕込まれた刀を目にした盗人・どろろ(柴咲コウ)が彼を付け回すようになる。

やがて2人は醍醐の統治する国に辿り着く。そこで待ち受けるのは“多宝丸”を名乗る若武者(瑛太)と、その母・百合(原田美枝子)であった。
また、どろろにとって城主・景光は殺された父母の仇であったのだ。

百鬼丸、そして景光を中心に、彼らを取り巻く人々の運命の歯車が大きく軋み、回り始める・・

冒頭からして「賢帝歴って何やねん!」とツッコミが。「戦乱の世」と字幕表示しとけばイイじゃん、と。
作品の(現代の)舞台が「賢帝歴3068年」と計算しても、そこには何の意味もなかったりするし(⌒〜⌒ι)
物語そのものが暗く、ドラマ部分にこそ重厚さ&丁寧さを発揮させて作らなあかんトコを、興醒めなCG三昧で「ドラマもダメ」「特撮もダメ」とダメダメづくしになってしまってたのが、痛かった。

また、妻夫木も柴咲も「明るく元気に振る舞ってナンボ」な俳優さんだと思うので、どっちかと言えば「抑圧された」キャラ造形を淡々と&延々と演じるのは、彼らにとっても観客にとってもフラストレーションが溜まって、アカンかったのじゃなかろうか。。
ウィキペディアによると「続編(2&3)」の製作が決定してるそうだが、かなりな修正と要するんじゃなかろうか、と他人事ながら心配でしょうがない・・(・ω・)

映画に出演してる中井貴一氏を眺めてていつも思うのが「中井さんってどんな作品で誰を演じても中井さんなんやなぁ・・」ってことで・・本作でも中途半端(←しっかりした演技は勿論されるが、強烈な個性か? と言うとそうでもない気がする、私的には)な存在感でもって、作品世界を覆ってしまってた(×_×)

劇団ひとりが出演してたそうだが、良く分かんなかった。。カットされたシーンがあったんやろか?

そんなこんなで、こう言う仕上がりになるぐらいなら、敢えて「舞台劇」を狙ったような“長回し映像の多用”“ロケーションの固定”でもってもっともっと味わい深く描くべきだったのでは? と感じた(にしても、終盤の“国境跡”の場面は妙に長く“舞台劇のテイスト”を思わせてくれた・・)。

〜 その他、こんなことも 〜

♦戦地から拾い集めた死骸の手足に薬草を混ぜ「命の水」を作る⇒そこに「エレキテル」を通す・・とかで義肢製作を紹介するシーンがあるが、、エレキテルってあんた、、
♦序盤では原田芳雄氏のイメージがどうにも『あずみ(2003)』とかぶってしまった(・ω・)
♦国境跡の場面は、何処となくクロサワ映画『羅生門(1950)』の影響(←朽ちた門の佇まい)も感じてしまった。

〜 こんなセリフもありました 〜

手相師「おめぇ、とっくに死んでんじゃねぇのか?」

どろろ「盗っ人に名前なんかねぇ」
   「俺たちは生きもんだ、生きもんが生きようと必死になって何がおかしいんだよ!」

鯖目「神も仏もないとはこのことで」

琵琶法師「時が来ちまったか」
    「憎しみも恨みも、雪の如くこの大地に積もるばかりか」

景光「戦(いくさ)で迷いは命取りぞ!」
  「恐ろしぅ育ったな・・」

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2008年8月 8日 (金)

☆『ジョンQ/最後の決断(2002)』☆

1日(金曜)と3日(日曜)の2夜に分け鑑賞した。
そもそもは昨年11月16日に「金曜ロードショー」で“地上波初放送を録画しておいた”もの。随分と寝かせてしまつたものですね・・(⌒~⌒ι)

突然、両親の眼の前で倒れた9歳の息子マイク。我が子に刻一刻と迫る死の恐怖、そしてそれを阻止し得る選択肢は・・巨額の費用を要する心臓移植手術のみ・・低所得者である父ジョン・クインシー・アーチボルド(デンゼル・ワシントン)が追い詰められた末に選んだ道とは・・

う〜む・・取り上げたテーマ“我が子を救わんがため、低所得者層を切り捨てむとする現代の医療体制(制度)に単身立ち向かう父の姿”がシンプルながら普遍的なヒューマニズムにも満ちて素晴らしく、
キャスティングもジェームズ・ウッズ(心臓外科部長のレイモンド・ターナー医師)、ロバート・デュヴァル(シカゴ市警のフランク・グライムズ警部補)、レイ・リオッタ(同市警のモンロー本部長)、アン・ヘッシュ(レベッカ・ペイン院長)・・といずれもを凄まじい助演俳優陣が固めているのに・・どうにも調理方法と出来映えがポンコツだった気がした(・ω・)

1つには、主人公ジョンQ(=クインシー)を取り巻くキャラ陣の「一歩踏み込んだ造形」や「描き分け」がイマイチだったことが挙げられようか。
前述の4俳優とも、初登場時こそ“クセのある言動”で「おおっ?!」と期待させてくれるものの、いざジョンが(彼らの)言葉に「全く耳を貸さない」ことが決定的になるや、途端に“個性”が奥へと引っ込んでしまった。。
これはメインキャラではないが、イイ味を出してたキャスター(役名:タック・ランプリー)にも言えたことだが。

そもそも、マイクが倒れるまでは丁寧な物語づくりだったのが、ジョンが「ホープ記念病院」の救急室(ER)に立てこもる暴挙に突入した途端、妻デニーズ、友人ジミー・パランボらとの交流が殆どバッサリとカットされてしまうのだ(ま、中盤以降は「ろう城事件」がネタですけど・・)。
正直、こんな月並みな展開に突入する組立だったら・・息子が倒れるまでの日々をもっと長く、丁寧に描いた方が全体的なバランスも良くなったように思う。

序盤で起こる“別な事件(交通事故)”の挿入の仕方も(全体像からすると)妙に間延びしてるし、終盤におけるジョンQの“ある決断”を巡る展開も「あの映し方じゃ、間に合わなかったんじゃないの??」とかなりな違和感を覚えた。
更にその後、裁判のシーンが少し付け加えられるが、コレがどうにも平和的でつまんなかった。
あんな法廷シーンだったら、むしろもっと時間を拡げ、デンゼル氏にアツくスピーチして頂いた方がパワフルで良かったんじゃないか、と。

ってことで、ニック・カサヴェテス監督には「粗筋だけでは語り切れぬ、重さと衝撃をこそきっちりと練り込んで描いて頂きたいっ」と伝えたいトコである。

テーマが深く、着眼点も良かっただけに、やはり後半以降の“無難な着地ぶり”が惜しまれた次第だ。

~ こんなセリフもありました ~

ジョンQ「これはもう頼みじゃない、命令だ!」
    「(救急外来は)専門外だと? 習ったことはあるだろ? “儲かる”と思って処置しろ」
    「病気なら、誰でも助けろ!」
    「オレは息子の葬式なんて絶対出さない、息子がオレの葬式を出すんだ」
    「あんたには“ただの患者”なんだろうな」
    「ママに毎日“愛してる”と言え。
     そしていつか、恋人を持つ日が来たら・・お姫様のように扱えよ、大切な人だ」
    「何かすると約束したら・・何かすると口にしたら、必ずしろ、約束は果たせ。すごく大事なことだぞ」
    「金を稼げ、金があれば何でも楽に出来る」
    「悪い所へは近付くな、悪いことに関わっちゃ駄目だ」
    「ずっとそばにいる・・いつもお前と一緒だ・・“ここ”にいる」
    「殺そうと思ったのは※※だけだ」

マイク「家族だもん、助け合わなきゃ」

デニーズ「そうね、あなたはいつも「きちんと」やってくれる。
     ・・だけどそれじゃ不十分、今回は本当に何とかして!」

フランク「この病院は誰も働いてないんですか?」
警備員「今日は土曜日ですから」
フランク「だから? 土曜日は病気になりませんか?」

ペイン院長「人は病気になって死んで行く、そういうものです。
      問題は・・この国に医療保険のない人が5千万人もいることです」

ジミー「この国で尊重されるのは価値観じゃない、重要なのは価値なんだ」
   「25万ドルの治療費が払えなくて追い詰められるのは・・そいつじゃなく“何か”が間違ってるんだ」

フランク「名案? そんなものなどあるものか」

フランク「突入したとして、人質たちはどうなる? 彼らは人間なんだぞ」
モンロー「床に伏せてりゃいいんだよ!」

ターナー「ここは今も病院だ」

追記:泣き崩れる妻の肩を抱きつつ、自身も“泣き笑いの表情”を造り、医師に「済みません・・何しろ余りのことで・・」と気丈に言葉を絞り出すデンゼル。ここのシーンにだけはホロリとさせられた。『グローリー(1989)』における“むち打ち刑の場面”もそうだったが、デンゼルの見せる涙には“もらい泣き”を誘うだけのすごいパワーがあると思う!

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2008年8月 6日 (水)

☆『ハプニング』☆

今週は、週はじめから自身の疲れがピークに達してるような実感がある。。
(録画したまま)溜まってる映画群こそぼちぼち片付けていってるモノの、それをブログ上で評するまでの根気に繋がらない(×_×)
昨日(4日:月曜)など、メールチェックもそこそこにさっさと寝てしまった。。

何か“おかしな空気”でも吸い込んでしまったんやろか・・?(=^_^=)

※実を言うと先週末(土日)に関東方面(横浜&鎌倉など)を駆け足で旅して来たので、その影響はあるんかも知れない(⌒〜⌒ι) 職場に土産を買う時間もなかったもんで“お忍び”ってことで黙ってるンだが・・

ってことで、このクスぶった状況を打破せねば・・! と、仕事帰りに気合を入れ“TOHOシネマズなんば”に行き、期待(=^_^=)の新作サスペンス映画『ハプニング』を観て来た。
「観ながら、疲れのため寝てしまうんと違うやろか?」ちぅ不安もあったが、、流石にそこまでつまらない作品ではなくホッとした。

自身の中で(既に凋落して久しい)「M・ナイト・シャマラン評価」を急上昇させるには至らなかった作品だが(=^_^=)、まぁ「人類への警告度」の高さがリアルかつタイムリーな感じで、コレはコレで面白いんじゃなかろうか。

とある火曜日、午前8時33分。ニューヨーク(NY)・セントラルパークで、公園内の人々が突然動きを止め、方向感覚を失い、自殺行為に走り始める。ベンチの女性は鋭利な髪止めを引き抜くや自らのノドを突き刺し、警ら中の巡査は腰の拳銃を自らの眉間に押し当て(こめかみとちゃうんやね、、)、躊躇なくその引き金を引く・・

セントラルパークから3ブロック先の工事現場、午前8時59分。高所作業をしていた労働者らが次々と地上へ身を投じ始める・・ 地上にいた現場主任の男は「一体・・どうなってる?」と困惑と恐怖の入り混じった表情で虚空を眺めるしかなかった。

午前9時45分。フィラデルフィアの高校では青年教師エリオット・ムーア(マーク・ウォールバーグ)が生徒らに「ミツバチが(合衆国の)24州で同時に姿を消している、それも死骸も残さずに」と考察を促している。

そんな中、教師たちは緊急招集され「NYで有毒ガスの散布によるテロが発生している」なる情報が伝えられる。即座に授業は中止され、エリオットは妻アルマ、同僚教師ジュリアン(ジョン・レグイザモ)、その娘ジェス(8歳)と共にフィラデルフィア駅を出発、ジュリアンの実家がある町(ハリスバーグ)へと避難を開始する。

が、列車はペンシルバニア州のフィルバート(?)の町で停車し、いきなり運行中止となってしまう。
駅員らは「誰とも連絡が取れなくなった、済まないがここから先は各自で移動して頂きたい」と乗客に告げるや、さっさと立ち去ってしまう。

駅前の食堂でこれから先の行動を話し合う人々。そんな彼らの不安をあおるかのように「リッテンハウスパークも“攻撃”された」「ボストンも“やられた”らしい」などのTV報道、携帯電話による情報が人々をパニックへと駆り立てる。

辛うじて“ホットドッグ好き爺さま”夫婦のクルマに便乗することの叶ったエリオット&アルマだが、ジュリアンのみは「妻と約束した待ち合せ場所に向かう。すぐ君らに追いつく」と言い残し、ジェスをエリオットに託して反対方向へ向かうクルマに乗り込むのだった・・生き残る確率=62%を信じて。

「合衆国の北東部が危ない」なる報道から、西へ西へと向かうエリオットらであったが、辿り着いた田舎のとある交差点では、進むべきあらゆる方向から「避難して来る人々」が押し寄せて来たのだった。

彼らは2つのグループに分かれ、1つは(近辺の陸軍基地からやって来た)オースター2等兵が率い、残る1つはエリオットが引率することとなる。

“集団行動”を取ることで安心感を高めていた彼らだが、先発隊に遅れ移動していたエリオットたちの耳にしたのは、前方からの断続的な銃声だった。既に“それ”は彼らの周りにも迫っていたのだ・・!

少人数に散って草原を逃げるエリオットたち。風と共にやって来る“それ”の正体とは?
そして“それ”から逃げ延びる術はあるのだろうか?

前もって得てしまってた情報(おい!)が

・結局、劇中において“謎”は何も解決されない
・後半に出て来る“バアさま”がめちゃめちゃ怖い
・監督が何処に出てるのか良く分かんない

などであったが、私的には「ハリウッド品質をそこそこキープしつつ、巧妙に製作費を削って造り上げおったなシャマラン!」と違う部分にこそ、本作に対する“だまされた感”が強かった(=^_^=)
『サイン(2002)』の時もそうだったが、世界規模(?)の危機を“風呂敷ばかりは大きく拡げ”描きながらも“妙に作品世界が閉鎖的でちっこい”のである。

本作でもセントラルパーク、パリ、ぐらいはマトモにロケしてたようだが、他は殆ど誤摩化してたようにも感じられた。上記の2シーンも、落ち着いて冷静に眺めたら、かなり“アホっぽい行動”をエキストラに強要してた気もするし(⌒〜⌒ι)

とある朝(8:33)から翌朝(9:27)までの限定された時間の中で静かなパニックの進行が描かれるが、とにかく自殺する人々の多いこと多いこと・・(×_×)
猛獣に両腕をちぎられ(ちぎらせ?)つつ、その映像を“iPhone”で中継されてるしとにも何だか苦笑させられるが、1丁のハジキ(拳銃)を使い回し、次々に頭を撃ち抜くしとびと、大型芝刈り機を始動させその軌道上にあらかじめ寝そべって大人しく“輪禍”を待つしと・・色々と思いつくものですネ(・ω・)

中盤で、重要なキャラが(惜しくも)退場してしまうんだが、その手段が妙にちまちましてて、これまた(笑っちゃいかんトコだが)失笑させられたものだ。直前の「ドーン!」でそのまま逝ってた方が、よほど潔かったネ、、

“既視感のオンパレード”とはまさに本作に対する最大の賛辞(?)と言えようか。パッと思いついただけでも、

・阿刀田高氏の短編小説『自殺菌』
・筒井康隆氏の短編小説『死に方』
・『宇宙戦争(2005)』←終盤のエキセントリックなキャラの登場とその閉鎖感
・『サイン』←物語全体の規模のちっこさ
・『鳥(1963)』←怪現象と言う部分で共通
・『サイコ(1960)』←謎の婆さまの存在
・特撮ドラマ“怪奇大作戦(1968-69)”の1エピソード『青い血の女』
・寺沢武一氏のコミック『コブラ』の1エピソード“異次元レース(雪に覆われた町のハナシ)”

などなど、偶然かも知れないがどうにもワタシの中で連想が加速してしまった。
(ただ、シャマラン監督が無意識にせよ(?)アルフレッド・ヒチコック監督作品に影響を受けてるっぽいのは想像に難くない・・)

人々が自殺しまくる、と言う演出には救いようのなさが色濃く漂うんだが、考えたら「殺し合いをする」現象(殺人衝動)よりはよほどマシだったかも知れない。それとえげつない映像群が結構“寸止め表現”されてて救われた気がした。
乳幼児や女性が“攻撃を受ける”ビジュアルがほぼ皆無だったことから、シャマラン監督なりに“表現に抑制を利かせてた”のかも知んない。

終盤ではとある“バアさま”を軸とした(やや焦点のズレた?)恐怖演出が展開されるが・・私的にはアレよりポーチでいきなりライフルをぶっ放される中盤での“ハプニング”にこそ「後味の悪さ」を覚えたな。

劇中において“3軒の邸宅”が登場するが、いずれも奇妙かつ不気味なシーンだったので、その辺りが「見所」と言えるかも知れない(1軒目の“ニセモノ屋敷”はどうにも『インディ・ジョーンズ4/クリスタル・スカルの王国』を思い出してしまったぞ、と)。

「伝声管」と「お人形」については、もう少し効果的な用い方、描き方があったんではないか、と。

ってことでシャマラン先生、またもやハリウッドの大海を巧妙に泳ぎ切ったようである(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ムーア「例え物事に理由付けが出来たとしても、それは理論が成立したに過ぎない」
   「人間の発するエネルギーには、色がある」
   「※に捕まるな!」
   「ビニールか・・だが“ニセモノ”にも話しておこう」
   「“それ”は既に終わっていたのだろう」

ジョーンズ「2人が見つめ合ったとして・・互いの瞳の中に同じだけの愛が宿ることなんてないわ」
     「※※だって、思うようには育ってくれないものよ」
     「主は、我が羊飼い」

ジュリアン「最後まで守り抜けないのなら、触るな」

オースター「我が銃は、我が友!」

アルバート・アインシュタイン「もしミツバチが消えたら、人類に残された時間は4年」 ←なる言葉(警告?)を遺されてるそうだ。

追記1:アルマを演じた女優さんがどうにも好きになれなかった。ホントはもっと健康的で魅力ある方なんかな?
追記2:“ホットドッグ爺さま”は結構好きなキャラだったんだが、、
追記3:ビニール製のアレ・・何で無風なハズの屋内で、あんなに揺れていたんやろ・・??
追記4:布屋根(クルマの幌)が破れてたら・・指でつまんで走っとけ!(当事者にゃ分かんねぇか・・)
追記5:観終わって劇場を出たら・・戸外では大雨が、、これもある意味“ハプニング”(・ω・)

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2008年8月 1日 (金)

☆『ボーン・スプレマシー(2004)』☆

30日(水曜)&31日(木曜)の2夜に分け鑑賞。
そもそもは昨年11月9日の夜『金曜ロードショー』で地上波初放送されたのを「録画したまま」となってたモノだった(⌒〜⌒ι)

“新生マット・デイモン”を合い言葉に(=^_^=)、孤独で凄腕でちょっとしゃくれてる(⌒〜⌒ι)青年暗殺者=ジェイソン・ボーンを主人公としたシリーズ(全3部作らしい、取り敢えずは)の第2弾。

監督が『ユナイテッド93(2006)』のポール・グリーングラス。本作がブレイクのきっかけとなったようだが、ワタシは先に劇場で『ユナイテッド〜』を観たクチなので・・どちらかと言うと“『ユナイテッド〜』のポール・グリーングラス監督作品”なるキャッチコピーの方が、よほどスッと耳から入って来る気もするかな(=^_^=)

前作『ボーン・アイデンティティー(2002)』から2年。愛する女性マリー(フランカ・ポテンテ)と共にインド・ゴアでひっそりと暮らす、元CIAのトップエージェント=ジェイソン・ボーン(デイモン)の姿があった。既にCIAの追跡の手は途絶えたか、に見えた日々であるも・・「失われたまま、断片的にしか蘇らない記憶」が悪夢の形で現れ、しばしうなされる夜もある彼だった。

そんなある日、彼はゴアの市場の雑踏の中に“醸し出す雰囲気が周囲から完全に浮いている男”を2度も目にする。本能的に「同業者(=暗殺者)」であることを察知したボーンはマリーを連れ逃げようとするが、その暗殺者=キリルの放った狙撃銃の1発がマリーを直撃、彼らはクルマもろとも橋上から川へと転落する・・

地元警察により引き上げられるクルマを、呆然と眺めるボーンの姿が川岸にあった。
「CIAは手を出さないと約束した筈・・それが何故?!」彼はこれまでの生活の痕跡や、マリーとの思い出の品々を全て焼却し、かつて自身の関与していた“レベル5”の最高機密“トレッドストーン計画”の元メンバーを探し、古巣(CIA)の動きを突き止めようとする。

一方で、ドイツ・ベルリンにおいて“7年前に忽然と消えたCIAの公的資金2000万ドル”の行方を追っていたエージェント2名が何者かに殺害される事件が発生。
現地(ベルリン)潜伏チームの女性リーダー=パメラ・ランディ(ジョアン・アレン)らの調べにより、現場から検出された指紋がボーンのものと判明。再び、CIAとボーンの戦いが始まろうとしていた。

しかし、ベルリン事件を裏で操っていたのはロシアの油田王=ユーリィ・グレツコフであり、彼の放った殺し屋キリルこそが直接の下手人だった。そしてそこには、グレツコフに公的資金の在処を教えていた“内通者”が確かに存在するのだった。

自らの過去の封印を解くため、恋人マリーの死の真相を探るため、ボーンの孤独な戦いの火蓋が、いま再び切って落とされる・・!

う〜ん・・基本は「防戦路線」な構成の物語にも思えた。インド・ゴア⇒イタリア・ナポリ⇒オランダ・アムステルダム⇒ドイツ・ミュンヘン⇒ベルリン(オスト駅)⇒ロシア・モスクワ⇒アメリカ・ニューヨーク・・ととにかくメチャクチャ豪華なロケツアーを世界規模で組みまくってるんだが、それにしては全体的な印象が閉鎖的で暗かったような、、
ボーン自身も手探りで調査を進める一方、有能そうなパメラさんが「現場に残された指紋のみ」を証拠に、まんまとグレツコフ氏の“仕掛け”に踊らされてるのがちょっと情けなかった・・まぁ、どっちかと言うと(工作員でなく)デスクワークから昇進して行った女性だったんだろうな、と思う。
実名でホテルに泊まったり、殺される危険を知ってか知らずか“丸腰”で内通者に逢いに行ったりしてたし(⌒〜⌒ι) プロの世界からすれば「あんた、大丈夫か?!」ってツッコまれても仕方ないのでは? マンハッタンの高層フロアで、カーテンも閉めず窓の近くで電話したりするし、、「あんた、狙撃されるよ!」

グリーングラス監督のスゴいトコは「再登場させるべき、前作のキャラ(俳優)をしっかり集め直し」たり「観客の予想する展開には沿いつつ、凄まじいスピードで演出をまいて」行ったりする辺りだろう。
本作で言えば・・何と言ってもボーンの上官=コンクリンを演じたクリス“小松の親分(=^_^=)”クーパーの再起用に尽きる!
前作の終盤で明らかに殺されちゃってて、今回は写真と回想映像でしか登場しないってのに、何てイキイキと作品世界に君臨していたんだろうか、と(=^_^=) どうせなら、クライヴ・オーウェン氏も再登場させて欲しかったゾ(=^_^=)
展開の早さと言えばフランカちゃんの退場とか、、まさか始まってすぐ『女王陛下の007(1969)』路線をやっちゃうとは・・!

あ、それにしても、観客に辛抱させるだけさせただけのことはあり、終盤のカーチェイスが結構ムチャクチャやってくれてて良かった☆ 前作ほど“クルマ自体”に魅力を持たせる造りではなかったが、モスクワを模しての(←多分、実際にはモスクワであんなロケは組めないんじゃないか、と)あの“もと共産圏”ならではの引き締まった(?)空気の中、ハイウェイ逆走&トンネル内爆走の2大演出がスゴすぎる! 『RONIN(1999)』や『Mr.&Mrs.スミス(2005)』におけるカーチェイスもかなり凄まじかったが、本作もそれらに引けを取らぬパワーが確かにあった! 全体でわずか5分程度なのに!

さながら世界旅行のように、移動シーンこそは多いものの、ダイナミックさには欠ける展開だったのはちと残念・・しかしそれを挽回するだけのアクションが終盤に固められていた点は評価したげたい。

〜 こんなセリフもありました 〜

アボット「まるで本を読んでいるような喋り方だな」
    「マリーを殺したのはお前だ。ヒッチハイクして、彼女の人生に入り込んだ瞬間にな」
    「お前に安住の地などあるものか」

ボーン「人生は変わる、真実を知ることで」

追記1:ボーンと運転を交代するマリー。あなたも・・かなり巧い!
追記2:「ツーショット写真」を焼かれ・・やがて“存在の痕跡”すらなくなってしまったマリー。悲しい女性だ。
追記3:「ガス」と「トースター」と「雑誌」・・この3点セットで豪邸がエラいことに、、
追記4:本作・・『L.A.コンフィデンシャル(1997)』『ダイ・ハード2(1990)』『イレイザー(1996)』に並ぶ“上司を信じられなくなる映画”の1本に選んで良いと思う(⌒〜⌒ι)
追記5:「変装」なし「手袋」なしのボーン。ちょっとそれはクレバーとは言えないのでは。『ジャッカル(1997)』のブルース・ウィリスを見習えとは言わないけどさ・・(=^_^=)
追記6:後半、とある展開から足首を痛めるボーン。その後もしっかり足を引きずっていた演出は、実際にはかなり「編集スタッフ泣かせ」だったような気がする(・ω・)
追記7:車体左側に追いすがるベンツを従えたまま、交通量の激しい大通りに飛び出して行くボーンのクルマ。直後、左側面からトラックに激突されるんだが・・“ベンツ1台分”がちょうどクッションになって、スピンはするも大破せずそのまま走り続ける! ここの演出はスゴいなぁ〜。
追記8:(ボーンとの)至近距離でのダイレクトな接触が一度もなかった(確か?)パメラさん。演じたジョアンさんは、何となく“おサル”っぽく見えてしまったりもするんだが・・『フェイス/オフ(1997)』『カラー・オヴ・ハート(1998)』で大好きになっちゃった女優さんでもあったり(⌒〜⌒ι)
追記9:ボーンとキリル。本作における“因縁の2人”だが・・劇中で交わした言葉は全くなかった!

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