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2008年8月26日 (火)

☆『イノセンス(2004)』☆

少し前、民放で深夜に放送されたモノを録画⇒鑑賞した。

・・が、難解な格言の洪水(・ω・)を前に、少し観ては疲れ、また少し観ては中断、、とただ観るだけだってのに(=^_^=)なかなかはかどらず・・結局4夜(18日(月曜)、19日(火曜)、23日(土曜)、24日(日曜))に分割しての鑑賞となってしまった。。

もしかして、俺って・・ファン?!(⌒〜⌒ι)

製作費20億円&制作期間3年を費やし、押井守監督がアニメーションを“1つの極点”に到達させたデジタル動画絵巻とも言える作品。

情報網が世界を覆い尽くし、人間とガイノイド(ロボット)が共生する2032年の未来が舞台。
アジア圏と思しきその電脳都市では、所有者を惨殺直後、ガイノイドが自壊(=自己破壊行為、のような意)する、と言う奇怪な事件が続発。
事態を重く見た電警(電脳警察)は公安にも捜査協力を要請。公安9課の部長・荒巻はベテランであるバトー、イシカワの2捜査官に新メンバーとしトグサを任命、彼らは独自のダーティなやり方で、事件の真相に迫ってゆく。

かつての上司であり“相愛の仲”でもあった草薙素子(通称:少佐)が失踪して以来、何処かクスぶっているバトーは、この事件を追う内「ひょっとして彼女と“再会”出来るのではないか?」と考え始めるのだった。

うーん・・物語が「現場から新たな現場へ」「聞き込みから強行捜査(?)へ」と、実に分かり易い展開で進んで行くのに引き替え、登場人物の「永遠に続くかのような言葉遊び」のねちっこさって何や?! と改めて閉口させられた。

きっとどのキャラも監督自身の“分身”に違いなかろうが(=^_^=)、人間を超える知能&記憶力を持ち、本来“会話”など極力少なくて済むであろう存在のサイボーグ(バトーら)が妙に饒舌で、それ故「人間臭く」見えて来るのが面白い。
私的には・・どんどんロボットやネットを用いて利便性を高めてゆけば、最後には「端末の前に座し、端末に接続するのみ」ってな必要最低限の移動行為しか人間は必要としなくなるんじゃないか? と思ってるんだが、劇中のバトー&トグサはとにかく(昔ながらの捜査みたく)歩き回るのである。
この辺りは「未来におけるあるべき生活の姿」をきっちり予想してるのか、予想した上であえて皮肉っぽく「その逆」を描き切ってるのか、興味津々ではある。

便利そうな世界にはなってるけど、人々の「顔」が前作(『攻殻機動隊(1995)』)以上に(個人単位で)曖昧でぼやけて見えるのも「世界がいよいよ斜陽を迎えてんのかな?」とあらぬ不安をかき立ててくれる。
もしや、近未来に「個性」は必要とされないのだろうか?

現在と変わりない(?)要素としては「ヤクザ」「性的愛玩人形(通称:セクサロイド)」「ハッキング」「(児童の)人身売買」などのネタが本作の底に幾つも横たわっていた。何やらマイナスなキーワードばかりだが、、

家庭用ロボットが暴走を起こす、と言う設定はある意味『アイ・ロボット(2004)』に酷似してると言えるかも知れない。が、押井監督自身はさほど“ロボット三原則”に対する考察(持論?)を展開するでもなかった。
そこから察するに、監督の中では「工学的なロボット」と「からくり人形の延長であるロボット」とを“全く別次元の存在”とし考えてるのかも知れないな? とまたまたワタシの妄想は膨らむのだった。

〜 こんなセリフもありました 〜

(冒頭の字幕)

ヴィリエ・ド・リラダン「我々の神々も我々の希望も、もはやただ科学的なものでしかないとすれば、
            我々の愛もまた科学的であっていけない謂れがありましょうか?」

(壁の文字)

「生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落落磊磊」

訳:生死の去来するは棚頭(ほうとう)の傀儡(くぐつ)たり、一線断ゆる時落落磊磊(らくらくらいらい)

(キムの遺言)

「遺言により、生花・造花・包丁のご贈与は固くお断り申し上げ候」
「今月本日をもってめでたく死去致し候」


荒巻「理解だと? 理解なんてものは、概ね願望に基づくものだ」
  「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない」
  「人は概ね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない、
   肝心なのは・・望んだり生きたりする事に“飽きない”ことだそうだ」
  「孤独に歩め。悪をなさず、求める所は少なく、林の中の象のように」
  「ここはジャングルではない」

刑事「柿も青い内は、烏も突つき申さず候」

バトー「自分の面(ツラ)が曲がっているに、鏡を責めて何になる」
トグサ「鏡は悟りの具に非ず、迷いの具也(なり)」

バトー「“備考欄に感想を書くタイプ”だな」
   「春の日やあの世この世と馬車を駆り、だ」
   「娘の誕生日は“優先事項”だとよ」
   「イシカワ、お前最近、口数が増えたぞ」
   「世界は偉人たちの水準で生きる訳にはいかねぇからな」
   「てめぇらの半端な電脳を恨みな」
   「あんな大技が決まる訳ねぇだろ、馬鹿」
   「個体が造り上げたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現型だ」
   「偉くなったな? 俺を呼び捨てにする貫禄を何処で拾った?」
   「忘れねばこそ思い出さず候か?」
   「“さん付け”で呼ばれるような貫禄不足でもねぇ」
   「信義に2種あり、秘密を守ると正直を守るとなり、両立すべきことに非ず」
   「人の上に立つを得ず、人の下に就くを得ず、路辺に倒るるに適す」
   「驢馬(ロバ)が旅に出た所で、馬になって帰ってくる訳じゃねぇ・・器なりに身を持ち崩した馬鹿な野郎さ」
   「寝(い)ぬるに尸(し)せず」←孔子
   「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」←孔子
   「神は永遠に幾何学する」
   「幸運が3度姿を現すように不運もまた3度兆候を示す・・
    だが、俺たちの世界じゃ3度どころか最初の兆候を見逃せば終わりだ」
   「騙してやろうと待ち構えてる奴ほど騙しやすいもんだ」
   「思い出をその記憶と分つものは何もない、そしてそれがどちらであれ、
    それが理解されるのは常に後になってからの事でしかない・・主時間は“セーブ不能”だから辛いな」
   「理非なき時は鼓(こ)を鳴らし攻めて可也、談判破裂して暴力の出る幕だ」
   「鳥は高く天上に隠れ、魚は深く水中に潜む」
   「精霊は現れ給へり」

バトー「何だ、お前だけか?」
イシカワ「コガは夕食に喰ったツナサンドと“再会”した後で、おロク(遺体)と一緒に戻った」

イシカワ「生活習慣を固定するから罠を仕掛けられるんだ」
    「迅速に勝る機密保持はない」

少佐「此処で引いたんじゃ、9課の存在意義を問われる」
  「何人か鏡をとりて魔ならざる者也、魔を照らすに非ず、造る也」
  「鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず、声ある者は幸い也」
  「幸福? 懐かしい価値観ね、少なくとも今の私に葛藤は存在しないわ」

トグサ「その思念の数は如何に多き哉、我是を数えんとすれど、その数は砂よりも多し」←旧約聖書・詩編139節
   「彼ら秋の葉の如く群がり落ち、狂乱した混沌は吠えたけり」←ミルトン
   「本当に“物理現実”に帰ってるんだろうな?」

チンピラ「秘密なきは誠なし、とも言うぜ」

キム「それが事実なら無粋な話だ」
  「シェリーの『ひばり』は、我々のように自己意識の強い生物が決して感じることの出来ない、
   深い無意識の悦びに満ちている、認識の木の実を貪った者の末裔にとっては、神になるより困難な話だ」
  「死を理解する人間は稀だ」
  「人は死なざるを得ないから死ぬ訳だ」
  「これがまだ疑似信号の造り出す現実の続きでないと言い切る自信が、お前にあるのか?」

追記1:ハラウェイ博士に好意を抱いてたと思しきトグサ。彼女の“顔パカ(!)”を(去り際に)果たして眼にしたんだろうか?
追記2:冒頭、高層ビルに大きく表示されてた「狗(いぬ)」の1文字に苦笑。やっぱり最初に登場するのは“イヌ”なんかい!
追記3:序盤で語られたセリフ「子供とは、人間の前段階としてカオス(混沌)の中に生きる存在」が監督の次作『スカイ・クロラ』に通じる大きなヒントだったんかも、と今さらながら感じた。
追記4:日系暴力団「紅塵会」を仕切ってた“若林”って、事務所にいた1人なんやろか? 良く分かんなかった(・ω・)
追記5:全体的に「銃器類アクション」や「ガイノイドの造形」にさほどの魅力が感じられなかった。。
追記6:後半、あの“茶運び人形”は逃げ出してどうするつもりだったんだろ? また、あいつをわざわざ銃撃しなきゃならない“大きな理由”があったんやろか?

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コメント

こんばんは。

確かに台詞が難解で、私みたいな押井作品初心者は翻弄された感も否めません。
しかし、何故か惹かれました。
理解は出来ていないのでしょうが、主題曲に惹かれて観に行った後に得たものは期待以上の衝撃でした。
本格的な日本のアニメーション世界に触れたことがなかったせいかも知れません。

にもかかわらず、今回の貴レヴューを拝読していて、あまりに細部の記憶を逸している自分に唖然。(それでも、この監督の名は忘れずにインプットされていますが。)

勉強の為に、何度も観返す事は大切なのですね。


投稿: ぺろんぱ | 2008年8月26日 (火) 21時10分

ぺろんぱさん、ばんはです。

次作『スカイ・クロラ』になると、また物語世界が(ある意味)シンプルに回帰した気がします、押井監督。

本作は、スタッフいじめ&声優いじめ&観客いじめ、な感も漂ってますね(=^_^=)>

>しかし、何故か惹かれました。
>理解は出来ていないのでしょうが、主題曲に惹かれて観に行った後に得たものは期待以上の衝撃でした。

理解しようとガツガツ観る、タイプの作品ではないのかも。
「所詮、借り物の格言の集合体じゃん」ってなひん曲がった評価もアリでしょうし・・

>本格的な日本のアニメーション世界に触れたことがなかったせいかも知れません。

CGで固め過ぎてて“手作りのぬくもり”ってのとは、次元が変わっちゃってますけどね(⌒〜⌒ι)

>勉強の為に、何度も観返す事は大切なのですね。

結論として「ウッディ・アレン作品を観てるようで、とにかくセリフが多過ぎて困ったワン」ってな意見もあったりします(=^_^=)

投稿: TiM3(管理人) | 2008年8月26日 (火) 23時42分

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