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2008年7月30日 (水)

☆『ブラッド・ワーク(2002)』☆

27日(日曜)と28日(月曜)の2夜に分け鑑賞。
元々は「HDDに録画したままになっとる映画群をそろそろ片付けよう!」キャンペーンの一環とし、昨年10月25日(←古っ!)に「木曜洋画劇場」で放送されたものをただ“死蔵”してたんだが、、何気なくそんなに期待もせず観始めたら・・意外に面白く、結構好きになってしまったのだった(=^_^=)

監督&製作&主演が“巨匠”クリント・イーストウッド、脚本が『L.A.コンフィデンシャル(1997)』『ミスティック・リヴァー(2003)』『ロック・ユー!(2001)』『ペイバック(1998)』のブライアン・ヘルゲランドってことで、結構硬派で綿密に練り上げられつつ、エンタテインメント性を犠牲にしてない“ほど良くシリアス&骨太”な「犯罪心理サスペンス」を実現!
・・出来てたらもっとヒットしたと思うんだが(=^_^=) それはそれとしても、決してB級ではなかったし、御大クリントご自身が『スペース・カウボーイ(2000)』のように製作費ガンガン使って“老人の集い(←他意はありません、済みません)”をやるでなく『ミスティック〜』や『ミリオンダラー・ベイビー(2004)』のようにシリアスで上質であるも、ちょっと寛いでは観れぬようなドラマをやるでなく、程よい“フリースタイル演奏”を放ってるようなその(本作の)質感に好感が持てた。

ベテランFBI捜査官テリー・マッケイレブ(クリさん)は自身の捜査官人生の総決算(?)たる“連続暗号殺人”の犯人を追い求めていた。現場の壁に赤文字で「捕まえてみろ 903 472 568」なる謎の暗号の見つかった、6人目の被害者の発生した夜・・遂に彼は現場に“見物人”とし舞い戻った容疑者を見つけ追いかける。
・・も、突然の心臓発作に倒れてしまうのだった。

2年後、心臓移植術を無事に終えたテリーの姿がロスの某病院内にあった。彼は諦めていた心臓移植が無事に済んだこと(約2年待ち、2ヵ月前ドナーより提供を受けた)に感慨を深めつつ、フォックス医師(アンジェリカ・ヒューストン)の許可を得て、ようやく退院し、住まいであるヨットに“帰宅”するのだった。

隣のヨットで、親の遺産をエサにグウタラ生きる(?)バディ(ジェフ・ダニエルズ)がテリーの帰還を歓迎する。自称“負け犬”と言うこの男をテリーは何処か憎めなかった。
そこへグラシエラ・リヴァースと言う女性がテリーを訪ねる。面識もない彼女を訝しがる彼に、グラシエラは「あなたの授かった心臓は・・2ヵ月前、コンビニ強盗に銃撃され、脳死状態となった妹グロリア・トーレスのものなの。彼女を殺した犯人を探す手伝いをして欲しい」と切り出す。随分唐突なハナシではあったが、彼はリハビリも兼ね(?)「生かされた恩を返す気持ち」で経験とカンを頼りに独自の捜査を開始するのだった・・

冒頭の事件がちょん切れたままやんか・・と勘違いさせられもするが、実は全体が繋がってて面白い。どう表現すべきか難しいんだが「犯人が異常なまでのFBI捜査官ストーカー」であり「彼の行動を公私に渡り監視し、時には寄り添おうとまでする」って具合が『ザ・ウォッチャー(2000)』にも見られた“歪(いびつ)な愛情”も形成してたりして誠に不気味である(×_×)

犯人が油断する余り、次第にテリーに追い詰められて行くんだが、全体的には犯人側の行動力&知能の方が常に勝っており、ある意味『セヴン(1995)』に迫る“神がかった冷静で綿密な殺人”をも実行してて、そこはスゴかった。

一方で、テリーの運転手&助手役となるバディのキャラがどうにも“素人探偵”ぽ過ぎて「後半でいきなり犯人に惨殺されやしないか?」と、コレはもう『ダーティーハリー』シリーズのような“ハラハラ感”を勝手に募らせてしまったワタシでもあった(=^_^=)

ちょっと感じたのは「義理や人情が武器にされつつ」「ドライなハズの米社会でも、意外と容易く個人情報が流出したりするんやな〜」ってことだろうか。監視カメラ映像がぽんぽん民間人(例え、元FBI捜査官と言う職歴があったにせよ、だ)の自在に眺められる状況下にあるのは、関係者(ご遺族)としては頼もしくもある反面「ちょっと如何なもんかな・・」と思ったのはワタシだけじゃないんじゃなかろうか(・ω・)

テリー・マッケイレブと言う主人公名には、結局最後まで慣れることはなかったが(=^_^=)「その後のハリー・キャラハン刑事」とし描かれた作品としてでも捉えたら、好きな人には意外と“喝采モノ”かも知れない。

〜 こんなセリフもありました 〜

ロックリッジ「オレはこう思ったよ、オレが撃たれてたかもってね。救急車に無視されたのはこのオレかもって」

テリー「事故は運命だが、殺しは犯罪だ」
   「こう言う事件は、ささいなことから解決するものだ」

ウィンストン保安官「最近、“普通”が何か分からない」

グラシエラ「どうして海で生活を?」
テリー「庭の芝刈りが嫌いでね」

グラシエラ「携帯は持ってないの?」
テリー「信用出来なくてね、線が繋がってないと」

バディ「友だちなら、慰めじゃなく真実を言えよ」

※※「俺たちは繋がってる、それが俺たちの運命なんだよ。カインとアベル、ケネディとオズワルドのようにな」

追記:そういや『21グラム(2003)』でショーン・ペンの演じたキャラ名も「リヴァース」だった。綴りが“Rebirth”だとすれば、これは主人公の「再生」に関わることを連想させる、ちょっとした製作陣の遊び心なんだろうか?

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2008年7月26日 (土)

☆『21グラム(2003)』☆

さる20日(日曜)の鑑賞。番組自体は昨年11月(・ω・)に深夜放送されたものを録画しておいた、浜村淳氏が司会を務める“映画へようこそ!”と言うプログラムである。

監督が次作とし『バベル(2006)』を放つこととなるアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥと言うこと、心を揺さぶる名作らしい! とのことで期待はしつつ、なかなか観れなかった作品でもあった。

「1つの心臓」を巡る、6人の男女の愛憎の物語。

大学教師のポール・リヴァース(ショーン・ペン)は心臓を患い、残り少ない余命に怯えるベッドの上の日々。彼が生き延びるためには心臓移植術が必要不可欠であり、それはまた消極的に言い換えれば「他の誰かの死を待つ時間」でもあった。
妻のメアリー(シャルロット・ゲンズブール)と二人三脚で「生」を掴もうとするポール。そんなメアリーもまた「自らの生の行為」に執着し、不妊治療を続ける身だった。
ある日、病院からメアリーに連絡が入り、ポールはついに心臓の提供を受けることに。
手術は成功し、病院を離れ「生」を取り戻した彼だったが・・一方で自らを救ってくれたドナー(臓器提供者)に対する好奇心を押さえ切れぬまでに高めた彼は、ドナー探しに躍起になり始める。
その行為が妻メアリーとの心の繋がりを徐々にほどいて行くことを、その時の彼はまだ知らない・・

クリスティーナ(クリス)・ペック(ナオミ・ワッツ)は建築家の夫マイケル&2人の娘ケィティとローラに恵まれた幸せな女性。薬物に依存していたかつての彼女を立ち直らせたのも、愛する家族との交流があったからこそだった。
そんなある日、彼女が帰宅すると夫と2人の娘はおらず、留守電には夫の(携帯からの)伝言が残されていた。
直後、彼女の人生は音を立て崩れ始める・・3人が暴走トラックにひき逃げされ死んでしまった、との連絡が入ったのだ。
悲しみの中、クリスは“とある決断”をする。そしてその決断を機に、彼女の中の「喪失感」が激しい勢いで膨れ上がってゆくのだった・・
果たして彼女に「再生の日」は来るのか・・?

ジャック・ジョーダン(ベニチオ・デル・トロ)は筋金入りの前科者であったが、妻メリーアン&2人の子フレディとジーナとの交流により、次第に「神への信仰心」を持つように変わって行った。
が、自宅に友人を招いての“誕生パーティー”を開催した日、帰りを急ぐ彼は、Uターンをした際に「道路を横断していた親子連れ」に気付かず、運転していたピックアップトラックで跳ね飛ばしてしまう・・彼は再びの収監に怯える余り、そのままトラックを走り去らせてしまうのだった・・

「生きるとは? 死ぬとは?」「信仰は報われるべきもの?」「肉体の再生は精神の再生をも満たす?」など、全く「説教くさくはない」ながら、色々な問いかけを劇中で観客に静かに突き付けて来る作品だ。
テイストとしては『チョコレート(2001)』に何処となく世界観の似ている気がしたか。
6人の男女・・即ち3組の夫婦がそれぞれに存在の濃淡を携え、絡み合って来るのだが・・「寡黙で殆ど出番なき人物」の存在感が鮮烈だったり「主役級の人物で、目に見える言動の描かれ方は多い」んだが、何処となくその存在が希薄だったりと「人物造形」に非常に凝ってる印象なのが興味深い。

尚かつ「主人公(=主観的な視点)」と「時間軸」を細かく組み替え構成されてるので、シンプルな展開ながら「緻密で知的」な印象を受けた。
『バベル』における登場人物の繋がり(=相関)具合に対し「やや突飛?」ってな感触のあったワタシとしては「本作での、こぢんまりとした、だがしっかり繋がってる作品世界」の方にこそ、自然さと好感を覚えた次第である。

そういう楽しみ方をすべき作品ではないのだろうが・・時間軸に沿ってシーンを並べ替え、素直に展開を追ってみると・・「意外な素晴らしさ」か「意外な陳腐さ」か、どちらかがかなり高まるような気がする。
と言うことで、いつかまた観直してみたい、不思議な余韻を持った佳作だと評したい。

〜 こんなセリフもありました 〜

※「安全なセックスに欠かせない質問は?」
※「“旦那はいつ帰る?”だろ」

↑ このやり取りも劇中の展開にちょろっと関係して来る、、

医師「今はもうあなたの心臓ですよ」

医師「今の心臓はじき駄目になります、次の心臓が見つかるまで再入院を」
ポール「誰かが死ぬまで待つなんて」
医師「このままでは心不全を起こしますよ・・窒息は想像を絶する惨い死に方です」
ポール「僕は外で死にたい・・入院などまっぴらだ」

ポール「(失われた)時間を取り戻してみせる」
   「僕が死ぬとは思わなかった人に乾杯」
   「今さら僕らの傷口を塞ぐには・・遅過ぎる」
   「人は死ぬと、どんな人も“21グラム”だけ軽くなると言う。人は死んで何をどれだけ失う?
    いつその“21グラム”は減る? (人は死んで)何がどれだけ得られる?」

メアリー「過去をほじくらないで。一緒に探すのよ、未来を」
    「あなた・・“家を空け過ぎてる”とは思わない?」

※「主は苦痛に耐える強さを我々にお与えになる」
ジャック「・・苦痛も与える」

ジャック「地獄に堕ちるだと? ここが地獄だよ、ここがな!」
    「俺を見て、何かを言おうとしてた・・あの少女が」
    「自分で下した決断、過去は俺の鏡だ・・俺1人で向き合うしかない。過去は誰にも消せやしない」

クリス「何故私に“好きだ”と? 知らない相手に言う言葉じゃない。
    言ってはいけないわ・・相手の抱えてる問題や気持ちも知らないで」
   「あんた、何様のつもりよ! ドナーの妻を抱いて、彼の椅子に当然のように座って!」
   「あの子は“嫌がってた”赤い靴ひもをつけて死んで行ったのよ・・
    私はあの子の欲しがる青い靴ひもを買ってやらなかった」

※「人生は続くのよ、神様に関係なくね」

※「本当に有罪だったら?」
警官「良くあることだ、これが最初じゃない」

追記1:やはりこの監督は今作でも“1丁の拳銃”を重要なアイテムとして持ち出して来ていた(・ω・)
追記2:「留守電」「後部座席のチャイルドシート」「輸血を巡り判明した2つのこと」が印象深い。

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2008年7月25日 (金)

☆『AFI選出アメリカ映画・勇気と感動ベスト100(2006)』☆

24日(木曜)の夜。
夏風邪でヘロヘロ状態となってしまい、往復の通勤時にはぶっ倒れかけ、自宅ではひたすらうんうん唸って寝込んでるようなここ数日であった(×_×)
ようやく体調復活の兆しが見えて来たので、リハビリを兼ねつつ(?)衛星第2で放送された『AFI選出アメリカ映画・勇気と感動ベスト100』なる“ハリウッド作限定で勝手に映画史上のベスト100を決めちゃいましたが何か?”系のやや下世話な(=^_^=)番組を観た。
「AFIって何じゃ〜い!」と思ったら「アメリカ映画協会」のことらしく(←知っとけよ!)、企画自体に対する「身勝手なベスト組んでやがるなぁ・・」ちぅささやかな文句すら言わせぬほどの(=^_^=)豪華コメンテーター陣がよってたかって出演しておられ・・観てるウチに「ま、まぁ妥当なベスト100じゃないのン?」とすんなり納得させられてしまうオレ自身が何とも情けなかったが、まぁセレブにめっきり弱いちっぽけなヤツですから・・(⌒〜⌒ι)

【コメントを寄せてた皆さん、の一部(敬称略)】

♦サリー・フィールド
♦ジェーン・フォンダ :『バーバレラ』の頃とは流石にギャップが、、
♦スティーヴン・スピルバーグ
♦ウーピー・ゴールドバーグ
♦ベン・キングズレー :近年は『オリヴァー・ツイスト』での印象が強過ぎて、、
♦ジェフ・ブリッジス
♦ロン・ハワード :U※Jの某アトラクションに映像出演してはる頃とだいぶギャップが、、
♦ルイス・ゴセット・ジュニア
♦ミラ・ジョヴォヴィッチ :ヨヴォヴィッチ、とネイティヴは発音するらしい☆
♦ジェシカ・アルバ
♦ラルフ・マッチオ :お元気そうで安心しますた☆
♦ミッキー・ルーニー :紅顔の美少年時代とのギャップが、、半“ジャバ様”状態、、
♦ゲイリー・シニーズ
♦ノーマン・ジュイソン
♦エド・ハリス :『アポロ13』時代とはアソコのボリュームにギャップが、、
♦ドン・チードル
♦シドニー・ルメット
♦ルー・ダイアモンド・フィリップス
♦ジェームズ・クロムウェル :『L.A.コンフィデンシャル』観て以来、どうにも悪党に見えて、、
♦ウィリアム・H・メイシー
♦ダニー・デビート
♦ジェームズ・R・ジョーンズ :ええ声してはるわぁ〜☆
♦シドニー・ポワチエ
♦ジョージ・フォアマン :ちと“畑違い”な気も、、
♦カーク・ダグラス :かなりご高齢な、、“最晩年のビデオメッセージ”状態、、
♦エヴァ・マリー・セイント
♦アンジェラ・バセット
♦マリオ・ヴァン・ピーブルズ

うーん・・もの凄い! 特にAFIが「ヨイショしてまっせ!」って感じを受けたのは(コレはきっとワタシの妄想でしょうが)スピルバーグ&キングズレー&ポワチエ、の3氏だったろうか。彼らにはきっと事前に「こんなベストで如何でしょうか?」的な“お伺い”なんぞがあったような気もする(コレももちろん妄想ですよ!)

ベスト100は次の通り。後ろに「※」のついてるのは、ワタシが「観よう!」「観直そう!」ってな気に(思わず)なっちゃった作品である・・

100「炎のランナー」
 99「レイ」
 98「ベスト・キッド」
 97「キュリー夫人」
 96「ボビー・フィッシャーを探して」※
 95「プレイス・イン・ザ・ハート」
 94「我は海の子」
 93「ビューティフル・マインド」
 92「フェーム」
 91「ペーパー・チェイス」
 90「ホテル・ルワンダ」
 89「ハロルドとモード/少年は虹を渡る」
 88「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー」
 87「ワーキング・ガール」
 86「落ちこぼれの天使たち」※
 85「ティナ」
 84「セルピコ」※
 83「オペラハット」
 82「屋根の上のヴァイオリン弾き」※
 81「少年の町」
 80「ベイブ」
 79「十戒」※
 78「テルマ&ルイーズ」
 77「ドライビング・ミス・デイジー」
 76「終身犯」
 75「評決」※
 74「ガンガ・ディン」
 73「エリン・ブロコヴィッチ」
 72「愛の勝利」
 71「暴力脱獄」
 70「歌え!ロレッタ愛のために」
 69「翼よ!あれが巴里の灯だ」
 68「愛と青春の旅だち」
 67「地球の静止する日」※
 66「シルクウッド」
 65「ア・ライジン・イン・ザ・サン」
 64「ワイルド・ブラック/少年の黒い馬」
 63「レインマン」
 62「ブレイブハート」  
 61「サウンダー」
 60「キリング・フィールド」
 59「ダンス・ウィズ・ウルブズ」
 58「未知との遭遇」
 57「ヨーク軍曹」
 56「ベン・ハー」
 55「手錠のま々の脱獄」
 54「ルディ/涙のウィニング・ラン」
 53「シェーン」
 52「いまを生きる」
 51「カラー・パープル」
 50「シービスケット」
 49「群衆」
 48「アフリカの女王」
 47「2001年宇宙の旅」
 46「野のユリ」
 45「黄昏」※
 44「スパルタカス」
 43「風と共に去りぬ」
 42「十二人の怒れる男」※
 41「サウンド・オヴ・ミュージック」
 40「ミニヴァー夫人」
 39「スター・ウォーズ」
 38「ピノキオ(アニメ)」
 37「フォレスト・ガンプ/一期一会」
 36「波止場」
 35「招かれざる客」
 34「大統領の陰謀」
 33「街の灯」
 32「カサブランカ」
 31「グローリー」
 30「アラビアのロレンス」
 29「ガンジー」
 28「フィールド・オヴ・ドリームス」
 27「真昼の決闘」※
 26「オズの魔法使」
 25「サリヴァンの旅」:「なぜボロを?」「納税で金がなくなった」の劇中セリフが笑えた。
 24「緑園の天使」
 23「ショーシャンクの空に」
 22「打撃王」
 21「夜の大捜査線」
 20「フィラデルフィア」
 19「ライトスタッフ」※
 18「アンネの日記」
 17「カッコーの巣の上で」
 16「ノーマ・レイ」
 15「奇跡の人」
 14「戦場にかける橋」
 13「勝利への旅立ち」
 12「アポロ13」
 11「我等の生涯の最良の日」
 10「プライベート・ライアン」
  9「三十四丁目の奇蹟」
  8「ヤング・ゼネレーション」
  7「怒りの葡萄」
  6「E.T.」
  5「スミス都へ行く」
  4「ロッキー」
  3「シンドラーのリスト」
  2「アラバマ物語」※
  1「素晴らしき哉、人生!」※

ふう・・放送と同時進行でランキングをメモしまくったので、それぞれの作品に寄せるコメンテーターたちの「ええ言葉」をとてもとてもすくい切れなかったのが残念・・(×_×)

因みにこのベストは「06年時点で9年目(9回目)」だそうだ。なお、ベスト入り作品における最多出演俳優はシドニー・ポワチエであった。うぅ〜ん、おめでと〜(←どんだけフランクに賛辞を寄せとんねん!)

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2008年7月22日 (火)

☆『白痴(1951)』☆

19日(土曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。
観始めるまで「クロサワ映画やし、そんなに長くもないやろ・・」と軽く考えてたら、、これが前&後篇ぶっ通しで2時間46分もあり「ぐえぇぇ・・」と凹んでしまった(×_×)
考えたら、原作がロシアの文豪ドストエフスキーの長編小説なんだから、仕方ないトコでもあるんだが。。
まぁ、それでも当初の企画では何と! 4時間25分もあったそうだ・・!
流石にこのオリジナル版では会社側が許可せず、フィルムを切られたとか何とか・・で、黒澤明監督が「これ以上フィルムを切ると言うなら、タテに切るがいい!」と憤慨した、なる逸話が残ってるそうだ。

良くも悪くも大河ドラマ的な大長編・・分かりにくい部分や唐突な部分はきっと「消された1時間39分」の中に封じ込められたまま、闇に葬られたのかも知れない・・??

戦後間もない極寒の地・北海道を舞台に、戦地から復員して来た青年・亀田(森雅之)を中心に、愛憎の火花を散らす那須妙子(原節子)、赤間(三船敏郎)、大野綾子(久我美子)・・の4人の男女の物語。

ポイントは何と言っても、戦地で死の恐怖にさらされた挙げ句“白痴:てんかん性痴呆”となってしまった青年・亀田の言動と、それが巻き起こす波紋の数々であると言えよう。
(なお“白痴”と言う表現は、差別的な意味合いを含んでおり、誤解を招かぬよう使い方に注意されたい)

愚直な人物が主人公となり周囲に変化を与えて行く物語としては、
『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』
『イワンのばか』(ロシアの作家トルストイによる教示的小説)
『さぶ』(山本周五郎による時代小説)
などがパッと思いついたトコで挙げられるだろうか。

ただし・・本作では、そんな主人公の生き方が、余計に周囲に“ねじれ”を生んでしまった・・そんな気もした。

第1部:愛と苦悩
北に向かう汽車の中で赤間は「悪夢にうなされていた」亀田と出会う。2人は辿り着いた札幌駅で別れるが、その直前、駅前の某写真館のショーウィンドー内に飾られた美女のポートレイトを2人は眺めるのだった。その1枚の主こそは“恋多き女”那須妙子その人である。
妙子はとある大物政治家の愛人であったが、60万円と言う(巨額の)持参金付きで、香山と言う男のもとへ嫁ぐ運びとなっていた。そこへ殴り込んで(?)来た赤間が100万円をポンと投げ出し・・結局、妙子は赤間と共に香山のもとを去ってしまうのだった。
何処かへ去ってしまった妙子に、亀田は「美しさと秘めたる寂しさ」を見出し、彼女を追い求める。一方、彼が身を寄せる大野(志村喬)家の2女=綾子もまた、表立っては烈しい性格ながら「自らと正反対の分け隔てない優しさ」を持つ亀田に想いを寄せ始めていた。
亀田は札幌に舞い戻った赤間と再会するが、赤間は「近くにいながらも心を開かない妙子」に苛立ちを感じ、その心が今も亀田にあると知るや、いきなり隠し持っていた刃物で彼に襲いかかるのだった・・!

第2部:恋と憎悪
襲われた瞬間、亀田は発作を起こし昏倒してしまう。そんな彼を見て逃げ出す赤間。
しばらく療養していた亀田も次第に良くなり、大野家の人々と「氷上カーニバル」(後の“さっぽろ雪祭り”?)に出かけられるほどに回復する。そこに現れた(仮装した)妙子が亀田に接触をはかり、それに鋭く気付いたのはやはり綾子だった。
終盤。赤間の屋敷では、彼を背後に控えさせた妙子が、亀田への想いを伝えようとするが・・そこに綾子が現れ、亀田は妙子に「私か、この娘か、どちらを選ぶのか決めなさい!」と迫られることとなる。

うーん・・書いてても重いだけでつまらん(×_×)
極端、途中を端折っても、ポイントさえ押さえとけばOK的な作品の気もする。いわゆる「名シーン」ってヤツですね。正直、ワタシとしては「もっともっと短く切っても良かったんでは?」と感じるトコもあった。そもそもが「重く」て全く「エンタテインメント路線」ではない故、長編映画として放つより、連続ドラマとして分割放送した方が正しかったんじゃないか、などとも・・
クロサワ監督は「何としてもこの重厚なロシア文学を映像化したかった」なる意欲を本作に叩き付けたようだが「あなたでなくとも描けた物語かも知れませんよ」と言ってあげたい気もする(済みません)

ただし・・森、原、三船、久我・・の主要キャストのアップ映像がいずれも素晴らしく、ポートレイトにそのまま使えるし、ぜひ使いたいような、そんなイキイキ&キラキラした表情だったことは特筆に値する! 当時、久我さんが20歳で原さんは31歳だったそうだが、2人ともが強烈な「ヒロインオーラ」を放っており、(モノクロ画面なのに)圧倒されたのは確かである。

後で知ったんだが(=^_^=) 主人公4人はそれぞれオリジナル版の人物名を微妙にアレンジしてるそうで、
ナスターシャ ⇒ 那須妙子
ムイシュキン ⇒ 亀田欽司
ロゴージン ⇒ 赤間伝吉 (間違えて「ご老人」と言ってはならない(⌒〜⌒ι))
アグラーヤ ⇒ 大野綾子
となるようだ。

中でも、ナスターシャのアレンジセンスはなかなか光ってるなぁ〜などと“そう言う切り口のみ”には素早く反応しちゃうワタシであった(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

赤間「世の中は狼ばっかりだ、気を付けな」

亀田「あなたはそんな人じゃない・・そんな人じゃないのに」
  「僕、黙りませんよ。あなたは1人で苦しみ過ぎたんです」
  「僕、あなたの写真を一目見た時から、あなたが僕を呼んでいるような気がしたんです」
  「僕はただ、あの人が可哀想なんだ・・あの人が幸せでさえあってくれれば、それでいいんだよ」
  「それ、うそですね」
  「それも、うそです」

妙子「私、あなたみたいな赤ちゃんの・・一生を台なしには出来ませんわ」
  「愛と哀れみはね・・同じことなんですよ、お嬢さん」

綾子「人間の知恵には、大切なものとそうでないものと2つあって・・誰にもそれが分からないんだわ」
  「こんな大きな・・奇麗な心は生まれて初めてです」

亀田「これ紙切りナイフじゃないね」
赤間「肉を切るナイフだ」
亀田「それにしても・・ずいぶん新しいね」

(以下は観客の想像力を刺激する“スゴい演出”と言えましょう! 監督、こここそが描きたかったか?)

亀田「あれは・・君がやったんだね?」
赤間「奇麗な身体してるぜ・・夜が明けたらお前も見てやんな・・ただ臭いが出やしねぇかと心配でな」
   しかし、猪口(ちょこ)に一杯も血が出ないんだぜ」
亀田「それは僕、知ってる・・内部出血って言うんだよ」

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2008年7月20日 (日)

☆『マッハ!!!!!!!!(2003)』☆

17日(木曜)の夜「木曜洋画劇場」で放送されたのを観た☆
劇場公開時、スクリーンで観たが“地下バトル”みたいなシチュエーションで戦うシーンが好きで、そこを観直そうかな〜と考えた次第。
同時刻に衛星第2では『ネヴァーランド(2004)』が放送されたみたいだけど、今回は録画もしませんですた、すまん(⌒〜⌒ι)

タイ映画界が世界に放つ(?)アクション大作。
タイ映画と言えば『フェーン・チャン/ぼくの恋人(2003)』と『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団(1974)』←まだ言ってるよ(=^_^=) ぐらいしかパッとタイトルが思い浮かばないんだが(まぁ、ロケ地としタイの用いられた『ドラゴン危機一発(1971)』は格別であったが・・)
ここに来て、強烈なインパクトを誇って良いアクション作品が誕生したんやな〜と感心させられたものである、当時。

今回は、一番期待してた“日本人格闘家:トシロウ”が全く劇中に登場せず「・・おい、まるまるカットしたんかい!」とツッコンでしまった。きっと地上波初放送じゃなかったからだろうけど・・他にカットすべきシーンがなんぼでもあったやろ?! とは言いたい気分である(誰にだよ)
トシロウさんの華麗なステップ技が観タカタヨ〜(←片言になってもダメだよ)

タイの片田舎ノンプラドゥ村では、造られてちょうど24年目となる神聖な仏像“オン・バク”を祝しての7日間の記念式典(法要?)が執り行われようとしていた。だが、村一番のチンピラであるドンが“オン・バク”の仏頭(アタマの部分)を取り外し盗んでしまう・・

“オン・バク”とは(きっと)直接的な因果関係はないと思うんだが(←おいっ)、その日から村は日照りによる農地への打撃と、井戸水の枯渇に見舞われることに・・ドンの行き先が首都バンコク(←どうやら“バンコク”は略称らしく、正式名称は“クルンテープ・マハーナコーン・ボーウォーン・ラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャターニー・ブリーロム・ウドム・ラーチャニウェート・マハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤ・ウィッサヌカム・プラシット”と言うそうだ!)であることを掴んだ村民らは、村を代表し、ムエタイ(国技でもあるタイ式ボクシング)を修得した青年ティン(トニー・ジャー)をバンコクへと遣わせることに。

ティンは「バンコクに着いたら、僧侶の勉強をしているハムレイを訪ねるが良い」と彼の父にアドバイスを受けるも・・いざ現地で会ったハムレイは、今や髪を金色に染めた“ジョージ”と名乗る「賭け事にどっぷり浸かった」極めて俗的な(村二番の)チンピラに成り下がっていた。
親切そうに近付いて来たジョージに、有り金をまんまと全部持ち逃げされたティンの辿り着いた先は・・麻薬&仏像密売組織のボス=コム・タンが取り仕切る、禁断の賭け試合が日夜(?)行われる「闇格闘技場」であった・・!

2度目の鑑賞ともなると(特にTV画面もちっこいし)色々と気付くトコロも出て来るんだが、とにかく「折角の研ぎ澄まされたアクションシーンの数々が、ベタで緊迫感を下げるコメディシーン群によって台無しとなっている」って部分にまず突っ込みを。結局のトコ、ティンは色々なトラブルに巻き込まれ、その都度「地下バトル」で戦わされるんだが、それならそれで、そっちに腰を据えて“密室劇”的に徹底して描けば良かったんでは? と。

冷静に観れば「屋外ロケのシーン」と「地下バトルのシーン」は(当然のことながら)まとめて撮影がなされ、後で(順番を)編集してるのに決まってるんだし・・路地裏を逃げ回ったり、トゥクトゥク(原動機付小型三輪車)で激しいカーチェイス(?)を繰り広げる場面も本作の見所には違いないだろうけど・・何だか物語の本筋から外れ、全体像を散漫にさせてるだけじゃなかったのかなぁ? とも感じた次第。
(トニーに対する“何だ、格闘家じゃなくスタントマン肌じゃん”ってな評価にも繋がってしまうかな、と)(←元々はスタントマン業で(映画)業界に入った人だそうで、それは間違いじゃないんだけど)

彼を取り巻く「ハムレイ」「ンゲク」と言ったキャラも何とも後味の悪い“退場”が心に残ってしまう。凄まじく爽快なアクション作品であるにも関わらず、鑑賞後にどうにもドンヨリさせられてしまったモノだ(×_×)

追記1:村人が「オンバクの首と“それにお布施まで”盗まれてる」って嘆いてるのが心に少し響いた。訳し方によっては「お布施の盗難の方がより重大」とも解釈出来る訳で(⌒〜⌒ι)
追記2:公開当時も思ったが、ハムレイは「南伸坊さん顔」やなぁ、と。
追記3:ティンが相手を倒した直後、伝説の格闘家(?)みたいなヤツ(大男)が奥からやって来るんだが・・「まさか、うそだろぉ!」としか紹介されなかったので、ワタシの中ではこいつの名前は「まさか、うそだろぉ!」としか留まっていなかったり(=^_^=)
追記4:「トゥクトゥク」でのアクション。衝突安全性の極めて低そうなボディに、軽装で乗り込むもんだから・・あれ、死亡事故率が極めて高いんじゃなかろうか。。
追記5:「肘に全体重乗せてます」的な“痛みの伝わって来る殺陣”は流石に凄まじい! 格闘スタントマンの年収をこそっと訊いてみたいもんだ・・(⌒〜⌒ι)
追記6:「お金なんか要らないから(村へ)戻って来て」のメッセージが劇中で数回繰り返されてた。田舎を棄てバンコクへ出て来た(観客である)タイの若者らの心にはどう響いたんやろ?
追記7:終盤の洞窟にいたコム・タンの部下たちがいずれもやたら強かった! あんなにあそこ(洞窟内)ばかりを警備強化しなくてもエエと思うんだが。入口にその頭数を回すとか・・(入口は手薄ですた)

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2008年7月19日 (土)

☆『長江七號/ミラクル7号』☆

18日(金曜)。仕事帰りに「明日から3連休だし!」ってことで、なんば方面へと向かった。
メインの目的は『iPhone 3G』用ケースの購入であったが、それが意外に早く片付いたのもあり「ダメもと」で“なんばパークスシネマ”に上がった(8階)トコロ、ちょうど上映開始時間に間に合いそうだったので・・観ました(=^_^=)
チャウ・シンチー(周星馳)監督&主演の最新作『長江七號/ミラクル7号』を。

いやぁ・・地味で下らない“お涙頂戴”ファンタジーなのかと思いきや、なかなか地に足の着いた(?)完成度となっていた☆
勢いこそあったけど、全体的に散漫気味だった、近年の監督作『少林サッカー(2001)』『功夫ハッスル(2004)』と比較しても、総合的なデキは上を行ってたんじゃなかろうか?(・ω・) その分「バカ映画度数」は極めて低かったけど・・

私立名門小学校に通う、ディッキー・チャウは、ボロボロの靴をいつもはいてる小柄な少年。母を幼くして亡くした彼を男手1つで育てるのは「無学で真面目だけが取りえ」の父ティー(シンチー)。
肉体を限界まで酷使し、建設現場で日夜働くティーの頑張りこそは「息子には学を授けたい」との一念から来るものだった。

学校でクラスメート(で金満家の息子)のジョニーが自慢する、犬型ロボット“ミラクル1号”に心を奪われたディッキーは(デパートの)玩具売り場で見つけた“1号”を買って! と泣いて父にせがむ。
が、建設現場のボスに多額の借金までしているティーはそんな高価なものなど買える訳がない・・彼の人生は「妻が元気だった頃の治療費」「彼女が亡くなった際の葬儀代」を未だ(辛い記憶を引きずりつつ)払い続けなくてはならない過酷なものだった。

その夜も、ディッキーのためのボロ靴を調達すべく、通い慣れた(?)ゴミ捨て場にやって来たティーだが、うずたかく積まれたゴミの山がいきなり「隠れてた何か」の始動⇒上昇により崩れ去り、その後に残された「緑色のゴム球体」を父は息子に持ち帰る。

父の土産であるゴムボール(?)をいじくり回してたディッキーだが“アンテナのような”突起物を押し込み捻ったトコロ、球体は“妙な生命体”へと変身(トランスフォーム?!)を遂げる!
それを“ミラクル7号”と呼び、ペットに迎えたディッキーだったが・・彼が“7号(=ナナちゃん)”に対し抱く多大な期待感は、ことごとく裏切られるのだった。

一度は“ナナちゃん”を「役立たず!」とののしり、ゴミとして棄ててしまったディッキーだが、その豊かな表情や人懐っこい性格が忘れられず、再びペットに迎えるのだった。

そんなある朝「実力でテストで60点以上を取る!」なる約束を息子は父と果たさねばならぬこととなり、人質(?)とし“ナナちゃん”を建設現場に連れて行ったティーであるが、、そこに重大な事故が起こって・・

どっかで観たテイストだぞ・・? と思ったら、これはもう、まんま“ドラ※もん”の世界じゃねぇのか? と気付いた。異世界からやって来た存在に「万能」を期待し、それを利用して「いじめっ子」らを見返してやろう、と企む少年の“夢想(=理想)”がやがて“現実”に着地する描かれ方。
そこにシンチー監督ならではの“大げさなCGアクション群”を交え、終盤では『ゴールデン・チャイルド(1986)』っぽい演出をやってくれてたような(・ω・)

どうやら“ナナちゃん”・・「林檎」「扇風機」・・で、続く「※※」・・とその“再生能力”にはパワーや回数の制限が確かにあったようである。。
“再生行為”をするにあたって「特に躊躇するでもなかった」ようにも見え、ワタシとしては「その能力を発揮するに相応しい相手に遣わされ、それが必要な局面となれば、躊躇わずそれを行うこと」をあらかじめ命令(プログラム?)された、そんな存在ではなかったかと解釈している。
で、そう言う見方をすれば、父子が“ナナちゃん”を選んだのではなく・・“ナナちゃんを遣わせた何か”こそがあの父子を選んだのではないだろうか? とも。

どうだろう?

〜 こんなセリフもありました 〜

ディッキー「僕の苦しみは、終わりません!」
     「僕を構って!」
     「パパは僕のヒーローさ」
     「“魔法を使える”なんてこと言うな! ・・言ってないって?」

ティー「貧乏でも、心は正しいぞ」
   「例え貧乏でも、ケンカはするな」
   「今日びは何だってハイテクだな・・無学な俺にゃついて行けない」
   「いいか? 例え貧乏でも、ウソはダメだ」
   「忘れたのか? 貧乏を」

ボス「同郷のよしみだ・・ズルなら誰だってするさ」

先生「いくら何でもやり過ぎだ!」
ディッキー「やらせたのは先生だ!」

追記1:劇中で最も「ファンタジー世界の反対側」に位置してたような父こそが・・実は「壮大なファンタジー」である本作を造り上げた張本人(=監督)である、と言う意外さ! そこが素晴らしい。
追記2:あの「マスコット人形」そのものはその後どうなるんだ?
追記3:「ウソやろ?!」って言う“ナナちゃん”の大活躍シーン(?)にも、ちゃんと合理的(?)な説明の与えられてるのは良かった(良くあるオチなんだが(⌒〜⌒ι))
追記4:香港の建設現場は、未だあんなに安全対策がおろそかなのか・・(×_×)
追記5:ハナクソを持て余した末・・「体内に処理しちゃう」シーンは、映画史上でも流石に珍しいのではあるまいか?(=^_^=)
追記6:巨漢同士がバトルを展開する長〜い渡り(?)廊下。あの場であそこを横切ろうとしたヤツがいたら、間違いなく死んでたように思う。。
追記7:ゴキブリを躊躇なく素手や素足で潰せる、この父子はある意味スゴい!
追記8:“ナナちゃん”って一体どんな構造をしてたんだ?! 平べったく潰れる割に、歯(つまりは恐らく骨格も?)が生えてるし、排泄するのに肛門ないし、頭からバネが飛び出てるし。。

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2008年7月18日 (金)

☆『ホテル・ルワンダ(2004)』☆

14日(月曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを鑑賞。
紛争に揺れるアフリカはルワンダで起こった実話をベースに“ルワンダのシンドラーと呼ばれた男”のとった行動が丹念に描かれるヒューマニズム系ドラマ。

それまで「脇役ポジションで、捜査官役とかを自然体で(?)演じてるおっちゃん」ってぐらいの印象しかなかった黒人俳優ドン・チードル(←ドン・シーゲルと名前がこんがらがり易いが、全くの別人である、、)がギャグやアクションを封印(?)し、生真面目なホテル支配人を演じ上げた。

ちょっとシリアス過ぎ、いつもの(?)チードル氏らしくない・・と評すると言い過ぎかも知んないが、、良質なドラマであったことは否定しない。
恐らくチードル氏の俳優人生を後年、振り返り総括したとしても「シリアスさの極まっていた、希有な主演作」と評されることではなかろうか(・ω・)

1994年、アフリカ中部に位置するルワンダ共和国。この国では首都キガリを中心に、2つの部族「ツチ」と「フツ」が民族紛争を繰り広げ、いつまで続くとも知れぬ混沌のもとで市民は不安を隠せないでいた。

フツ族であるポール・ルセサバギナ(チードル)は“外国資本の4つ星ホテル”「ミル・コリン・ホテル」の支配人。妻のタチアナはツチ族であるが、2人の間に部族を異にする違和感は何らなかった。
ポールはホテルマンとしての才覚(交渉力、調達力、人脈)を発揮し、ルワンダ政府軍(ツチ族を虐殺する体制側)のビジムング将軍に“ハバナ産の高級葉巻:コヒバ”“アルコール類”などを世話し、友好的な関係を築いていたが、フツ族至上主義の声が高まり、ツチ族を「反逆者」「ゴキブリ」などと称し、次々に連行⇒投獄&虐殺して行く現状を眼にして、フツ族/ツチ族を分け隔てることなく、ホテルに受け入れる(かくまう)選択をする。次第に「難民受け入れ所」状態となってゆくホテル。

「増えて行くルワンダの難民たち」を眺めるポールの心には「ホテルの格式と風格を下げてしまった・・」と言う後悔の念が芽生えたりもする・・

そそくさと国外に退去する(白人の)報道関係者たち、期待に応えてはくれぬ“余りに無力な”国連の平和維持軍。
そしてやっと、国連認可による難民らの海外移送が決定、平和維持軍の護衛のもと、次々とホテルからルワンダ人が空港へと向かうが・・
歯止めの効かぬ暴徒(フツ族の民兵)の群れは、とうとう「政治難民トラックを襲撃する」と言う愚挙に及ぶのであった・・

治安、経済、医療、食料自給・・など、思いつく限りの切り口で「黄昏れて行ってるよなぁ・・」と悲しいながらも肯定せざるを得ない我がニッポンの現状であるが、まだしも「民族紛争がない」って点だけは十分に「幸せである!」と考えて良いのだと痛感した。
何処かの誰かの密告で、ある夜いきなりお隣の一家が憲兵に連行され、朝になるともぬけの殻、そして2度と戻っては来なかった、、こんな恐ろしさってないんじゃないだろうか(×_×)

或いは、報道の眼(耳?)の全く届かない、どこかの河川敷に、埋葬もされぬままの市民の遺体が、殺害された状態で、老若男女を問わず無数に転がっている、、こんな悲惨さもまた想像すらしたくないシチュエーションである。

世界情勢を断片的ながら眺めるに「国連なんか、何の役にも立ってないじゃん!」と突っ込みたくなるケースがこれまでに何度もあったが、本作を観ると“リアルに国連解体を提案したくなる”気持ちがわいて来もする(・ω・)
劇中で描かれた「国連・平和維持軍」の現地活動の“腑甲斐なき実態”を、関係者各位は「恥」を持ってとくと観るべきではないかと感じた。

〜 こんなセリフもありました 〜

ポール「時は金なり、と言うからね(time is also money.)」
   「何とかしたいが、僕には何も出来ない・・それに隣人は隣人だ、僕の家族じゃない」
   「僕は白人に追従し、何もかもを鵜呑みにし・・そして全てを失った、民族の誇りすらも」
   「ここを難民キャンプと思わせてはならない、ここは外国資本の4つ星ホテルなのです」
   「君たち家族をナタでは殺させたくない・・いざとなったらホテルの屋上から飛び降りてくれ、子供たちと」

ジャック「世界はあの虐殺映像を観て「怖いな」って言うだけでディナーを続けるだろうさ」

アーチャー「少女が殺される瞬間に叫んだわ・・“どうか殺させないで! もうツチにならないから!”と」

TVキャスター「虐殺行為が何度あれば“大量虐殺”だと言うのですか?」

隊長「ルワンダ・フランなぞケツを拭く紙にもならん、この先は国連にでも守って貰うんだな」

タチアナ「このもてなしの代償に私は何を・・?」
ポール「君の“キス1つ”でいいさ」

アーチャー「ホテルは満杯?」
ポール「いつも空いておりますとも」

追記1:助演陣にニック・ノルティ(国連軍・オリバー大佐役)、ジャン・レノ(ホテル本社(ベルギー)・テレンス社長役)、ホアキン・フェニックス(記者・ジャック役)・・とそうそうたる男優がポイントを押さえててスゴい。
追記2:「種族を効率的に絶やすため、女子供を優先して殺害する政府軍」なるセリフには流石にムカムカ来た。

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2008年7月17日 (木)

☆『ゲド戦記(2006)』☆

スタジオジブリ制作の劇場用長編アニメ『ゲド戦記』を12日(土曜)〜13日(日曜)の2日に分けて観た。
番組そのものは11日(金曜)夜に“金曜ロードショー”で“地上波初放送”されたもの。
帰宅が遅くなるやろな・・と予測し、録画予約しといて良かった(・ω・)

“ジブリ祭り”の一環として流されたモノだったが、よくも悪くも「宮崎駿カントク作品ではない」ってことで(ご子息の宮崎吾朗氏が初めてメガホンを執られた(?)アニメである)、「名作保証工房」たる(?)ジブリにしては「意欲作には違いないが、ちとインパクトに欠けるな・・」と言うのがワタシの第一印象だった。
「荒廃した世界を舞台に、若者が生きる意味を探る」ちぅ壮大なテーマこそは良いが「ジブリファンがそれを観たがったか?」と言う部分でどうもスッキリしない。

ま、宮崎駿カントク自身『もののけ姫(1997)』『千と千尋の神隠し(2001)』『ハウルの動く城(2004)』・・と近年の作品群ではシリアス路線が次第に極まって来て、描画&表現テクニックの凄まじさとは裏腹に、正直「面白くないんですけど・・」と小声で言いたいトコロもあった(私的に)。
スポンサー側に「新境地を」「路線修正を」などと言われて来たのか? その辺りの実情は分からないが「迷走してるな」と思わずにはいられなかったモノだ。

ようやく最新作『崖の上のポニョ』に至って「(それまでの)気負いを払拭した」ような印象を受けるんだが(予告編を観る限り、、)、さて今回はどうなることだろう・・?

『指環物語』『ナルニア国物語』と並び“世界3大ファンタジー”の1つと評される『ゲド戦記』を単発もの(?)のストーリーにまとめた本作。
細かいトコで言えば『指環』『ナルニア』が英国産であるのに対し、唯一米国産のファンタジーである点も特徴的。確かワタシの自室にもハードカバー版のボックスセット(原作本)が何処かに転がっているハズだが・・全くページをめくった覚えのないのが情けない(×_×)

冒頭で「ことばは沈黙に 光は闇に 生は死の中にこそ あるものなれ 飛翔せるタカの 虚空にこそ 輝ける如くに」なる『エアの創造』からの引用が表示される。劇中世界=アースシーに伝わる古典詩の1つらしい。

海は荒れ、精霊と対話出来る“風の司(つかさ)”ですら、それを抑えることは出来ない。曇った空には互いを喰らい合う巨竜たちの姿が。農地は干ばつに喘ぎ、羊と牛は謎の感染で大量死を遂げる・・

王国エンラッドでは、国王と家臣がそんな現状を憂いている。
「世界の均衡がもたらす“光”が弱っている気がしよります」
「いよいよ“黄昏”の深まる兆しじゃろうか?」

間もなく国王は城内で何者かに刺し殺される・・その夜を最後に姿をくらませたのは彼の息子である17歳のアレン王子(声:岡田准一)。
彼が父親を殺したのか? 果たしてその理由は? 何も語らぬまま、国を棄てひとり逃避行を続けるアレン。
そんな彼の前に現れたのは大賢人と称される最強の魔法使いゲド(俗称:ハイタカ)(声:菅原文太)であった。

世界が均衡を失っている実情を目の当たりにする2人。やがて、彼らは港町ホートタウンに辿り着く。ゲドは昔なじみの女農夫(?)テナーの住む、町外れの一軒家を訪ねるが、折しもこの町では、邪悪な魔法使いクモ(声:田中裕子)が、私利私欲にかられるまま“永遠の命”を求め怪し気な実験を日夜続けていた。

ゲドとテナーは旧交を温めるが、彼女が5年前に連れて来た謎の少女テルーは、アレンに対する敵意を隠そうとはしない。
果たしてアレンが怯える理由とは? テルーに隠された秘密とは? そしてゲドとクモの壮大な魔法合戦の勝敗の行方は?

「ゲドってば主人公でもないじゃん!」とは本作を観ての感想。魔法を極めたが故、その使用をためらってしまう魔法使い。
彼が劇中で唱えた最大の魔法って「クモの城塞の入口の(重い)格子戸を上下させた」ぐらいじゃなかったろうか?
従者を連れている訳でもなく、そもそも長旅なのに、荷物らしい荷物すら持ってない。何だか「魔法も旅もなめているおっつぁん」て感じだ。誰がどうみても「早期カウンセリングを要する」アレンを導くでも励ますでもなく、ただ引き連れてるだけだし。クモとの過去、テナーとの過去も断片的なセリフの中でしか語られず、かなり消化不良だった(・ω・)

魅力がない、と言えばそれはアレンにもテルーにも言えることで、感情移入させる隙すら与えてはくれない。クモもまた然りで、悲しみが漂う訳でも、魅力がある訳でも・・ってことでキャラ群の吸引力が押し並べて乏し過ぎた(×_×)

哲学的で普遍的で・・深いセリフの数々こそは「耳にしておくべき」と思ったが、如何せん、総じてあの完成度ではちょっと感動には直結しないんじゃないかなぁ・・? と言うのがワタシの率直な感想であった。

〜 こんなセリフもありました 〜

ゲド「そなたと此処で出会ったのも、単なる偶然ではないだろう」
  「目的地は・・わしにも分からん」
  「疫病は世界が均衡を取ろうとする1つの運動、今起きているのは均衡を崩そうとする(反対の)動きだ」
  「わしら人間はどうしたら世界の均衡が保たれるか、良く良く学ばなければならない。
   均衡を簡単に壊す魔法はむやみに使って良いものではないのだ」
  「力を持つものは、その使い方を誤ってはならぬのだ」
  「死と再生の繰り返しこそが命の根幹なのだ」
  「不死とは生を失うことだ、死を拒絶することは生を拒絶することなのだぞ」
  「わしらが持っているものはいずれ失わなければならないものばかりだ。
   苦しみのためで、宝物で、天からの慈悲でもある・・わしらの命も」

女店主「まがい物だって物は物さ、信じられる。魔法やまじないのように形のない物とは違うんだよ」

アレン「・・お前たちが僕の“死”か」
   「いつも不安で自信がないのに・・時々自分でも抑えられないぐらい凶暴になってしまう。
    自分の中にもう1人自分がいるみたいなんだ」
   「ずっと不安にいるなんていやだ」
   「お前は光から目を背け、闇だけを見ている、自分が他者に生かされていることを忘れている。
    死を拒んで生を手放そうとしている」

クモ「世界の均衡などとうに崩れているではないか? 人間の欲望に際限などないのだ」

アレン「大切なものって?」
テルー「生命(いのち)に決まってる」
アレン「終わりの来ることが分かっていて、それでも生きていかなきゃならないのか?」
テルー「死ぬことが分かっているから生命は大切なんだ・・アレンが怖がっているのは生きることよ。
    生かされたからには、生きて、次の誰かに生命を引き継がないといけない・・
    そうして生命はずっと続いていくんだよ」

追記1:テナーの声をあてておられたのは風吹ジュンさん。彼女の「労いの言葉」と「ランチサービス」があるなら、多少の農作業(重労働、、)すら楽しいかも(⌒〜⌒ι)
追記2:おばさま2人の「くわばらくわばら」発言に違和感、、菅原道真公の名はアースシーにも聞こえていたか?
追記3:終盤の「右手がぶった切られて飛んじゃう」演出は必要だったのか? 『もののけ姫』に続き、本作でも疑問に感じた(・ω・)
追記4:「液体系に変化」する描写(映像演出)は、正直新鮮味がなくてつまんないと思う。

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2008年7月15日 (火)

☆『スパイダーパニック!(2002)』☆

10日(木曜)に「木曜洋画劇場」で“地上波初放送”されたモノを観た。確か本作も劇場公開当時、やけに期待して観に行った覚えがある・・若かったのぅ、あの頃(=^_^=) ←「製作総指揮:ローランド・エメリッヒ」って惹句にまんまと、、うぷぷっ

アリゾナ州の“マコーミック金山”を擁するとある田舎町。深夜にこの町を通過していた「バイラノル化学」の廃液運搬トラックの荷台から、大きな缶(タンク?)が川面に転落する・・それに気付かず走り去るトラック。
缶からは廃液(有害物質)がドクドクと流出を始め・・そうして一夜が明ける。

一方で、町外れに住む“外来クモ研究家”ジョシュア老人の飼っていたコレクション(クモ)がケースの隙間から逃走、先に紹介した(=^_^=)廃液を飲んだか何かでいきなし“巨大グモ”の軍団が発生することに!

いち早く町の異変に気付いたのは、ジョシュア老人宅に通っていたマイク少年と、10ぶりに町へ舞い戻った大地主の息子=本作の主人公クリス・マコーミック(デヴィッド・アークエット)である。

彼らは女保安官(でありマイクの母でもある)サム・パーカー、誇大妄想家のラジオDJ=ハーランらと協力し、町の人々を「プロスパリティ・モール」に避難させる。
しかし、時は既に遅く、巨大グモはモールの周囲を取り囲み、住民たちをジリジリと追い詰めるのだった・・

全体的な雰囲気は「古き良き頃のB級ホラー」って味わいだ。私的には「中盤以降、ロケーションの殆どが“ショッピング・モール内”となる」ってあたりが『ゾンビ(1978)』をかなり意識してる(オマージュか?)のがアリアリ〜で苦笑させられっぱなしだった。
だが「深夜のダイナー(食堂)」は描かれるも「場末の映画館」が登場しなかったのだけは、かなり残念だった(×_×)

そうそう、何がスゴいかって言えば、何気なく(?)助演してる(保安官サムの娘)アシュリー役が何と! スカーレット・ヨハンソンちゃんだった! コレは発見である。
ま、役柄としては“バカ小娘”って感じなのだが、この翌年『真珠の耳飾りの少女』と『ロスト・イン・トランスレーション』でその存在感が大爆発することを考えたら「あら、まぁ、、」って言葉しか出て来ない(=^_^=)
魅力ある役・・とはお世辞にも言えない本作だったが、しつこく言い寄るボーイフレンドの股間に(母に託された)スタンガンを押し当て、失禁させる・・と言うアクション(?)は、きっと全世界のヨハンソンちゃんファン(のおっさん)どもの股間にも“電撃”を与えたことであろう(知らんがな!)

またモールのシーンでは、立てこもった住民らがそれぞれに武器を手にしクモ軍団を迎え撃つ展開になだれ込むんだが、若干1名が「ホッケーマスクをかぶり、電動チェーンソーを手にする」と言う“クリスタル・レイク殺人鬼(1983)”な出で立ちで暴れてくれるのは面白かった(すぐやられちゃうんだが・・)

今回、冷静に観て(=^_^=)「何でクモだけが巨大化すんねん!」と素直に突っ込めてしまった・・川の生態系・・小魚やミジンコ、アメンボに至るまで、みぃんな巨大化しても「決しておかしくない」と思ったんですけどねぇ。

〜 こんなセリフもありました 〜

※「トゲは、抜かなきゃいつまでも痛いままよ」
 「女は“ベッドで朝食を食べる”のが好きだからね」

店長「この町の連中は、金も仕事も、床屋の料金が安いことに感謝する気持ちもない」

ハーラン「妄想癖があるからって“正しいことを言ってない”とは限らないぜ」

クリス「子供の話を聞いてくれ! 一度でいいから!」

ピート「コレは・・オズワルドの使ったライフル。
    ・・なんでこんなものがここにあるのかは、分かりません」

追記1:バイクに乗って逃げ回る市長(町長?)のバカ息子。中盤以降は、ひたすら坑道内を走り回ってた気がする(⌒〜⌒ι)
追記2:B級ホラーにしては「ちょっと映像も演出も洗練され過ぎていた」ように思えた。もっとチープかつゲラゲラ笑えるホラーが観たかったのれす。

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2008年7月13日 (日)

☆『ギャラクシー・クエスト(1999)』☆

7日(月曜)の夜。衛星第2で放送されたものを観た。
劇場公開当時、単館系シアター(確か、梅田ロフトの地下だったと思う)で観たんだが、観賞直後「ブラボー!」と思わず喝采を送りたくなった、ワタシにしては珍しい作品の1つである。
他に「ブラボー!」と思ったのは『ムトゥ/踊るマハラジャ(1995)』や『インデペンデンス・デイ(1996)』などであろうか、パッと思いつく限りでは・・(・ω・)

物語の展開としては『七人の侍(1954)』や『サボテン・ブラザーズ(1986)』のエッセンス(特に後者)を巧くリ・イマジネーションしてるなぁ〜と思わされるんだが、サブカルチャー好きであれば間違いなく絶賛するであろう、その独特の「閉鎖的」かつ「宇宙的」な物語世界がたまらなく最高である!
実はこの作品、DVDソフトの発売を待って「即買い」してしまった、これまた珍しい作品でもある(=^_^=)

因みにこちらも、他に「DVDを即座に買った」のは『ラストサムライ(2003)』や『マルホランド・ドライヴ(2001)』などであろうか、パッと思いつく限りでは・・(・ω・)

なお本作、確か精神科医・香山リカさんもまた絶賛されていたように記憶している。

往年のスペースオペラ(宇宙活劇)であるTVドラマ『ギャラクシー・クエスト』(1979-82の放送)に出演した、かつてのクルー役を演じた俳優たちは、その後、それ以上の活躍の幅を広げることもなく(⌒〜⌒ι)毎年の“ファンイベント”に引っ張り出され、それを軸に何とか食い繋いでいる現状。
中には『ギャラクシー〜』出演を“忌わしい過去”とし、同作における“(演じた役の)決め台詞”を「絶対に言わない!」とまで言い出す(元)シェークスピア俳優もいる始末(⌒〜⌒ι)

そんな中『ギャラクシー〜』を“実際にあった宇宙戦争の記録映像”と誤解した銀河系の善良な(?)エイリアン“サーミアン星人”がイベント会場にやって来て、劇中で“母艦ブロテクター号”の司令官=ピーター・クインシー・タガート艦長を演じる俳優ジェイソン・ネズミス(ティム・アレン)に「凶悪なサリス将軍による攻撃から我々を救って下さい」と懇願する。

ネズミスは彼らを「熱狂的なファン(=クエスタリアン)と勘違いし『ギャラクシー〜』関連のイベントの仕事のつもりで軽い調子で引き受けるが・・実は彼らは「フィクション」と言う概念を知らぬ、マジモンのエイリアンなのであった!

実際に宇宙での歓待(?)と戦闘活動を体感したネズミスは“プロテクター2号”の新しい艦長として迎えられ、調子づいた彼はイベント会場に戻り、仲間たちを誘ってこの母艦に舞い戻る。

お遊び気分でサリス将軍率いる宇宙要塞に戦いを挑んだクルーたちだったが、事態は次第にシリアスの度合いを高めて来て・・

まさに愛すべきコメディ作品である! 正直、本作を「生きてるウチに観ることが出来た」こと、また「本作を存分に楽しめる感性が現世(?)の自分に備わっていた」ことが嬉しくてしょうがない(=^_^=) 本作を観て「何処が面白いのかちっとも分からない」と言う人を「悲しいぞそれは・・」とまで思ってしまったりする(・ω・)

「サリス将軍を筆頭にする悪玉エイリアンの造形」「中盤で登場するゴリグナク(岩石モンスター)の造形」などが、余りに「没個性(前者)」「突飛(後者)」だったりして、ちょっとイケてないよな〜と突っ込んでしまえる部分こそはあるも、全体的な展開や演出、仕上がりはかなりワタシの理想に近く「完成体」と言えるデキであろう。

過去の名作(?)フィクションドラマに対し、制作サイドの思惑をはるかに凌駕する(=^_^=)「強烈な、愛すべきファン」が存在するのもまた紛れもない“真実”であるが・・そんな彼らの生態(?)を劇中に取り込み、本来「扱いに手こずる」であろうハズの“ファン心理”をも“メタフィクション”的に非常に巧く描き出しているのだ。

シガニー・ウィーバー(マディソン少佐/グウェン・デマルコ役)、アラン“グルーバー【弟】(1988)”リックマン(ラザラス博士/アレックス役)、サム“チョコパイ吹き男(1999)”ロックウェル(クルーその6/ガイ役)・・なる大物男優が助演し、作品にアクセントを与えているのもスゴい。きっと「脚本を理解し、愛したからこそ出演を快諾(?)したんだろう・・」と勝手に美談として解釈している(=^_^=)

後半で、某キャラが死んでしまうシーンは、毎回の“泣きポイント”なんだが、今回はそれ以上に、後半でタガート艦長が通信装置を介し、熱烈な青年ファン=ブランドンにアドバイスを求めるシーンが、泣けて泣けて仕方なかった(×_×)

ブランドン「本当は“全てテレビドラマだ”って言うんでしょ? ちゃんと分かってるよ」
タガート「いや、聞いてくれ、全ては“紛れもない現実”なんだ」
ブランドン「やった、やっぱりだ! やっぱり現実なんだ!(Oh,my god! I knew it! I knew it!)」

この失望⇒狂喜に切り替わるやり取りが、どうにも泣けてしまった。簡単なセリフの応酬に過ぎないのに、何故ここまでワタシの心にツーンと来るんだろう(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありまして 〜

ファン「早くクルーをステージに出せ!」
(舞台袖)グウェン「客席は“共食い”でも始めそうな雰囲気よ」

ガイ「あんたのアタマがいいのは劇中だけかよ?」
  「俺にゃ役名なんかないんだ、状況説明のためだけに殺される、只の“クルーその6”さ」
  「何だか俺、上陸直後に殺される気が・・」

サリス将軍「“欺いた”と言う意味で、お前たちは私よりもずっと残酷だな」

グウェン「なんでいつもダクト(通風溝)を滑り降りなければならないの?」
    「爆発の停止は“1秒前”がお約束ね」

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2008年7月11日 (金)

☆『ボルケーノ(1997)』☆

6日(日曜)の夜。「日曜洋画劇場」で放送されたモノを観た。
以前、TV放送(たぶん地上波初)された際にしっかり観てたので、今回はそんなにやる気ではなかったんだが、近年は何となく俳優トミー・リー・ジョーンズに“老いの兆候の加速”を感じてしまい、彼の出演する作品が気になって仕方ない・・(・ω・)

思えば、彼を初めて意識したのは、やはり悪役キャラの数々であり“アタマにナイフの刺さったしと(1993)”だの“ヒーローに勝ててた状況なのに、トスされたコインを拾おうとし転落しちゃったしと(1995)”だの、何処かその散り様にも悲しさが漂っていたように思う。
逆にヒーロー(善人)然とした役柄は余り好きじゃなく『スペース・カウボーイ(2000)』や『逃亡者(1993)』などにおける“優等生キャラ”はどうかな〜などと評した次第。

それにしても、、その時々で不安定な状態にならはるのか(?)『メン・イン・ブラック2(2002)』や『ノーカントリー(2007)』に関してなどは「だ、大丈夫・・?」と他人事ながら、その精彩のなさにかなり驚かされたモノだ。

以前、何かのインタビューで「スタッフやその家族の生活が全て、このワタシの演技にかかっていると思えば、全力で役柄に取り組むのは当然のことだ」みたいなことをおっしゃっていたが(そう通訳されてた)「いや、そこ(スタッフの家族の人生)まで荷を背負って働かれずとも・・」と気の毒に感じてしまったことも、、(ま、その姿勢こそがプロでしょうけれども)

本作も、ロサンゼルスを襲う火山活動(と溶岩流)の恐怖に立ち向かうヒーローって感じで活躍してはくれるが、如何せん相手が「倒してどう」ってタイプではないため、ガッツが何処か無駄に飛散してしまってたような印象もあったかな、と。
演出やCG特撮も“ガンガンイケイケ系”では必ずしもなかったので、ディザスター(災害モノ)ムービーとしてはイマイチ緩急に欠けるトコロがあったな、と今となっては感じられる。

劇中では、最も正義感に燃える“ヒーローっぽい“方が最も悲惨な亡くなり方をする「地下鉄の救出シーン」がやはり痛々しい。
あと終盤で、トミー・リー発案による奇策(?)で溶岩流がみごと防がれるのだが、その際「かなり大量の瓦礫&粉塵」が発生していたモノで・・「(健康面での)2次被害が、きっとのちのち起こるんじゃなかろうか?」と作品の枠を超えた(描かれない)部分に不安感が高まってしまった(×_×)

ときに、本作でも(セリフ中で)効果的に引用されてた『新約聖書・マタイ伝』の第7章26節はこんな感じである(調べてみた)。

「砂の上に家を建てたる愚か者。雨が降り、風が吹きて其の家を打てば、その倒れたるは甚(はなは)だしきなり」

〜 ついでにこんなセリフも印象的でした 〜

※「爆薬の計算だけで数日はかかる、とても20分でなんてムリだ」
トミー・リー「なら“新記録”を作れ」

トミー・リー「名案だと? いいとも、お前に任せるよ、全てな」

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2008年7月 9日 (水)

☆『アフタースクール』☆

9日(水曜)。
放置してるウチに期間終了に近付いたモノで、職場には大変ご迷惑をかけてしまうことを猛省しつつ・・慌てて休暇を頂き、府内は門真市にある運転免許試験場に「免許証」の更新手続きに出かけた。
な〜んも問題がなければ、地元の警察署でチャッチャッと済ませたかったトコだが、数年前「超高級プリクラ(赤外線仕様・・)」を撮られてしまったため、今回は「2時間の違反運転者講習」を受講せねばならず、半日を割いてイッキに片付けようと考えた次第(警察で更新すると受講は後日回しとなる)。

朝、9時半前には現地入りしていたものの、11時前からの講習開始であることが発表され、時間調整に少し失敗したことを知った(×_×) 自宅で30分ぐらいブラブラ出来てたんだよなぁ(・ω・)

一部、映像教材を用いてのお勉強だったが、講師の方が熱弁をふるうより、実際に事故の瞬間のカメラ映像の数々をただただ眺める方がはるかに説得力もあり、泣く子も黙らざるを得ないインパクトがあった(×_×) リアル『レッドライン』と言ったトコロか(いや、そこはふざけんな、と)
事故の内容を比較的“ソフト路線”にしぼっての収録であったが、終盤のエンドクレジット辺りのカメラ映像で、信号無視の自転車が交差点中央付近で猛スピードのクルマにはねられ、パーツを飛散させながら吹っ飛ぶシチュエーションがあり「これは極めてハード路線では・・??」とかなり後味の悪いモノを覚えた(ま、モノクロの粗い映像なので、自然に印象が緩和されたのはあったが)。。

即時免許は発行されたが、気分的にちっとも明るくなれず「そや、1本行っとこう!」と自宅とは反対方向の電車に乗り、大阪市内へと繰り出したのだった。
今回は久々の“なんばパークスシネマ”へ行き、公開(期間)末期と思われる『アフタースクール』を観た☆
以前から「観よう!」と決めていた作品であり、ようやく鑑賞が叶った格好だ。

上映開始まで、これまた1時間ほども空きがあり、隣接する某大型家電量販店に行こうにも、戸外が雨模様だったのでパスし、レストランで時間を潰したり・・と休みならではの贅沢な過ごし方をした次第(・ω・)

ある朝、出産を間近に控えた妻(常盤貴子)の待つ団地から“責任感の強い、誠実な男”木村一樹(堺雅人)が出勤し、そのまま姿をくらませてしまう。彼と最後に接触したのは、母校である「西森沢中学」に今は教師とし勤務する神野(大泉洋)。実は神野と木村はこの中学の同級生でもあった。

一夜明け、神野は同じ(母校の)同級生を名乗る島崎(佐々木蔵之介)の訪問を受ける。彼は木村の勤務先である大手企業「梶山商事」に雇われた探偵(?)で、「14期の卒業生」を通じて情報を得、消えた木村の行方を探したいと言う。
人の良い神野は彼に協力し「木村探し」の手伝いをすることに。

「当時は11あったクラスも、今じゃ4つに減ってねぇ」などと当時を懐かしがりつつ、校内を島崎に案内する神野。だが実際には、島崎は北沢と言う本名を持つ“ヤバい商売”に手を染めた借金まみれの男だった。

神野は彼の手先(?)となり、関係者の尾行、盗撮、情報収集などを手伝わされる。そんな中「梶山商事」と裏で繋がる大物ヤクザ・片岡(伊武雅刀)の存在が次第に明らかとなる。

片岡をピラミッドの頂点に、「梶山商事」上層部と島崎、そして木村の間にある秘められた関係が露呈してゆく。

一方で、木村の妻がいよいよ産気づき、それと前後し神野が木村に貸していたクルマ“ポルシェ・カレラ4”が意外な場所で運転手不在のまま発見されることとなり・・

「もの凄い仕掛けのある作品」ってな予備知識が少しだけあり、そこにこそ期待値をやたら高めて観始めたが・・「ヤクザ」「改造拳銃」「裏社会」「風俗店」などのキナ臭い要素&世界観がかなり前面に押し出されていたもんで、ワタシの期待する作品世界とはだいぶかけ離れてるなぁ・・と言うのが第一印象だった。
(正直、劇中に“ヤクザ”を登場させる脚本は“逃げ道”に感じられ好かないワタシである)

木村の消息や如何に? と言う部分で物語を追っていると、中盤で「描かれる視点」ががらりと激変するので、かなり驚かされる。ま、そここそは製作陣が“してやったり”とほくそ笑む場面なのだろう。
基本的に「シリアス&暗黒路線」の流れなので「クレバーやな!」の驚きは確かにあったものの、余りに笑える要素が少なく、魅力的でぶっ飛んだキャラクターにも乏しい作品ではあった。

例えば、本作を『キサラギ(2007)』と比較すると「しぼり切った主要キャストにそれぞれの個性(=濃さ)、意外性(=正体)、インパクト(=体型、言動、思考回路)がしっかり存在していた」あちゃらに比べ、かなりのっぺりした印象だ。小道具(特に監視カメラの記録映像!)や時間軸置換の(それなりの)巧さが光っていただけに「もうちょっと愛すべきキャラを出し、全体的にとぼけた作品世界には仕上げられなかったモノか?」と感じた。

言わば「脚本学校の優等生作品を見せられた」そんな気分だった。

加え「時間軸置換シーンの挿入箇所の分かりにくさ」「過去を語らせる説明口調の多さ」には冷めてしまうモノがあった。

中でも、私的に一番落ち込んでしまったのは佐々木蔵之介さんのキャラ造形だったろうか。何せ、ドラマ『鹿男あをによし』で俄然その輝きに魅了され始めたワタシ・・続く作品が「本作」だったことは実に悲しかったなぁ、と。

〜 こんなセリフもありました 〜

※「ギャンブルで借金返したヤツはいねぇからな」

大黒社長「俺は人一倍“臆病”だからこそ、今日までこうして生きて来れたんだよ」

バクさん「安心しなよ、(あんたを)売ったりしないからさ」

島崎「要るか? 非合法映像(のDVD)」
神野「バカ! 俺は教師だぞ」
島崎「だから何だ?」

島崎「(選ぶのは)どれだっていいよ!」

島崎「現実なんてこんなもんだろ? お前は木村って男をどれだけ知ってると言うんだ?」
神野「そう言うお前は知っているのか?」

島崎「教室でずっと生きてるヤツに人生の何が分かる? 早く“卒業”しろよ、中学校から」

※※「さっきの僕、カッコ良くなかったッスか?」
婦警「いえ、特に・・お疲れさまでした」 ←こういう万事が事務的な女性、職場にも居ますね(=^_^=)

美紀「神野くんは変わらないね」
神野「美紀さんの何が変わったの?」

神野「お前みたいなヤツは教室に何人もいる、全てが分かったような顔して、ひねくれて。
   ・・学校なんて正直どうでもいいんだ。お前がつまらないのは、お前自身のせいだ」

片岡「お前に対する俺のイライラは“先送り”してるだけだからな」 ←こ、怖い・・
  「西村さん・・」 ←片岡崩壊!

追記1:『僕サイ』で“プリティ・ナカノ”を嬉々として(=^_^=)演じてたあのおっつぁんが、こんな恐ろしい役を。。
追記2:堺雅人さんの笑顔がちと怖いかも・・『シン・シティ(2005)』におけるイライジャ・ウッドくんみたいな役柄を演(や)らはったらスゴいピッタリ来るんじゃなかろうか?!(セリフなしで)
追記3:「音の出ないケータイ」・・ちょっと使えるかも(おいっ)
追記4:妊婦さんを演じる常盤さん、どうも『地下鉄に乗って(2006)』の終盤を連想してしまい、危なっかしい(×_×)
追記5:劇中の某店メニュー「バク絶品・羊脳印度カリー」に興味津々(・ω・)
追記6:保守党議員・江藤まさよし氏・・もっとコミカルな言動を残して欲しかった、、
追記7:「ケータイ会話中の“手相男”登場シーン」「真のラストでチラリと拝める“指環”」にはハッとさせられた。その辺りの“見せ方”“繋げ方”の巧さは確かに認めます。
追記8:ヤクザに金を借りると「完済してる計算であろうと・・利子だの難癖を付け、更に(借金を)膨らませ、いつまでも“飼われる”」って“絵”らしい。
追記9:凄まじい早さで、何処からともなく「門外不出」のハズの監視カメラ映像が「DVDソフト化」され調達される恐ろしさよ・・

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☆『レッドライン』☆

8日(火曜)の仕事帰り。
「気分転換でもしよう!」と考え、梅田に出て“ピカデリー(泉の広場上ル)”で上映中の『レッドライン』を観て来た。

資本主義の到達点(?)とも言える「ゲッスい系富欲層」が魑魅魍魎のごとく集う街・・ロサンゼルス&ラスベガス・・を舞台に、1レース=数百万ドルの賞金を賭け、公道レース(無論のこと非合法(=^_^=))を繰り広げる連中がいた。
そんな“限界速度(レッドライン)”に挑む若者たちの希望と退廃ぶりを描いたアクション作品である。

基本的に「レーサーを雇う側」と「ブルジョアに雇われる側」の2つの視点しか、本作にはほぼ存在しなかったんだが、何やら観終わってからは「カネにモノを言わせて運転させるより、権力をにおわせ脅しつける方が、ドライバーがよほどしっかり仕事してくれるんじゃないの?」と思ってしまったり(・ω・)
「人は金でなく、恐怖で本当に動く」なんてな格言ってのも有り得るのかも知れない。

主人公はナスカーで活躍したレーサー=ブレット・マーティン(1960-2003)を父に持つナターシャ(愛称:ナット)。母サリーと共に“ナットのドライバー養成所”を運営する若く(ハデだけど)美しい彼女は、父譲りの卓抜したドラテク(運転技術)を持ちつつ、自身がヴォーカルを担当するバンド“ムーヴィング・ヴァイオレーション(moving violation)”の全米メジャーデビューの方にご執心な女の子だ。

そんなナットに目を付けた成金ラッパー、インフェイマスが彼女に「30万ドル+デビューアルバム制作」を条件に、ライバルである成金メタボォなおっさん、マイケル・ドラジオのお抱えドライバー、ジェイソンと闘わせようと企む。
このジェイソンもまた“ロス⇒べガス間を(通常は4時間かかるトコ)1時間45分で突っ走れる”超絶のドラテクを誇る若者。
実はこのジェイソン、マイケルの甥であり、カルロと言うイラク(派兵)帰りの青年を兄に持つんだが、対立する両者(叔父と兄)の間で揺れる繊細な青年でもあった・・。

いよいよナットvsジェイソンの一騎討ちが始まる。

(賭けレースの)経験が深い分、中盤まではナットを圧倒するジェイソンだが、彼女も天性のセンスでいよいよジェイソンに追いつき、抜き去る・・!
終盤、ゴールへのストレート(直線)、ジェイソンはついに“禁断のNOS(ニトロ)ボタン”を押し込むのだったが・・

全編を彩るスーパーカーの数々がやはり豪華と言うか、イイ具合に“観客を釣るエサ”になっている(=^_^=) 近年のスーパーカーにはとんと疎い(まぁ、恥ではなかろう)ワタシなので、何が何だか分かんなかったが・・唯一、序盤でチンピラの乗ってたのが日産シルビア(S14?)らしきことは判別出来た☆ うぉ、ニッポン車代表じゃん!(これのみは“買えるレベル”のクルマだったかも☆)

それにしても、本編の殆どが「ギャンブル」「乱闘」「賭けレース」だったなぁ・・(私的な)バカ映画の条件たる「無駄に全編を包むストリートラップ楽曲の数々」ってのも忠実にやってくれてましたし(=^_^=)

余りの荒唐無稽さに正直、唖然とさせられてしまったのはあるが、以下の2シーン

・序盤のナットによる全開走行時「ぶつかってるんとちゃうんか?!」と思う程に2台が幅を寄せて突っ走る演出
・“NOSボタン”を押し込んでからの描写

は見応えがあった。後者は特にムチャクチャである。。殆どブレーキングの意味がないって(×_×) しかしアレは“違法改造”として賭けレース自体が無効になるんでは? と思ったんだが、良かったのだろうか?

〜 ほか、こんなことも 〜

♦何が起こっても全損(全壊)必至な速度領域、、運が良ければ“爆発炎上”だけは免れる
♦どっかにタトゥーしてそうでしてなかったナットちゃんに好感☆(CGで消してたんかも?)
♦「ギャンブル」や「乱闘」の描写は削ってエエから、ナットちゃんのベッドシーンだけはちゃんと映せ!
♦高速でのレース中にドリフト走行する演出があったが、タイム的には無駄な動きって気がするぞ
♦クルマを愛してるんだかどうなんだか微妙な気もした作品世界(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

インフェイマス「いま俺を逃したら、損するぜ」
       「最後にモノを言うのは“馬力”だ」
       「気合を高めて行かなきゃ、即破産だぜ」
       「Time is my money(時はカネなり、だ)」

サリー「怖いのは、走りたい気持ちの裏返しよ」

バンドマン「金や俺たちのためじゃなく、あんた自身の希望のために走ってくれ」

※「そのシャツ、女モノかよ?」
※「あんたの彼女のだ」

マイケル「君の瞳が俺の魂を見つめた・・その瞬間、俺の中で全てが変わった」
    「80歳になった時、今日のことを孫たちに話そう」
    「今まで出会った女性はみな、俺を見限った・・母もその1人だった」

ナット「運(Luck)なんか信じないわ、信じるのは運命(Desteny)だけ」

追記1:本作ならでは(?)の表現で「プラチナ※本」ってのがあった。(純無垢のプラチナ棒)1本で130万ドル相当だそうだ☆
追記2:マイケル役のうさんくさい、メタボォなおっさん、何処かで観たゾ! と思ったら『リベリオン(2002)』の司令官役のしとだった! 確か、あの頃からメタボォだった!(⌒〜⌒ι)

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2008年7月 8日 (火)

☆犬が亡くなりました☆

7日(月曜)の朝、9時30分ごろに我が家の犬が亡くなりました。享年13歳。
人間の年齢に置き換えると70歳ぐらいだそうです。

仕事を終えて帰宅すると「何かが変わっている・・?」

さっぱり懐いていないにせよ、自宅内の何処にも彼が寝そべっていないことに、すぐ気付きました。
更に見回すと、犬用のベッドも取り払われてます・・

家人に訊ねると・・「やっぱり分かったか」「今朝、死んだ」とのことでした。

朝方から炎天下だった往来で(日課である)散歩をさせ、帰宅したところ、ぐったりした状態のまま
ベッドに潜り込み、気が付くと胸の上下する運動が止まっていたそうです。

「たら」「れば」を言っても仕方ないトコロながら、もし月曜の朝が「今朝のように大雨」だったら
散歩は中止となったハズで、そこは残念に思えてなりません。

が「苦しまなかった様子」「ベッドの中で眠るように」との家人の言葉に救われる気がしました。

何故だか分からないけれど、涙は出ないのですが・・家族の何処かにぽっかり穴の開いたような
そんな感じです。

13年前と言えば、ワタシもまだ働き始めて数年・・と言う頃でした。
改めて、付き合いの長さを感じます。

そう言えば、その朝(7日)はワタシの出勤前に、台所で連続して吠えていたもので、彼のアタマの上にバッグをどすっと2度ほど下ろして(当てて)「うるさいぞ、コラ」みたいなことを言ったのですが、
思えばその「うるさいぞ、コラ」が彼との最後のやり取りとなってしまったのでした。

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☆『ゲゲゲの鬼太郎(2007)』☆

5日(土曜)夜の鑑賞。「土曜プレミアム」で“地上波初”とし放送された「実写劇場版第1作」の『ゲゲゲの鬼太郎』を観た。

ヴィジュアル系(なのか?)のイケメン青年・ウェンツ瑛士を鬼太郎役に、お馴染みの“鬼太郎ファミリー”の面々がCG三昧でよみがえる・・! ってことだが、既に同じノリの『妖怪大戦争(2005)』が三池カントクにより映像化された後なので、そんなに(企画に)新鮮味はなかったかも、だ。


地方都市にある某団地は「あのよランド」建設反対デモに揺れていた。昔ながらの(?)地上げで住民は次第に立ち退いて行くも・・一部の強情な住民らに対し「妖怪をけしかけて脅す」と言う非科学的かつ効果的(=^_^=)なやり方で手腕を発揮するのが、建設会社に雇われた自称“怪奇現象研究所長”ビビビのねずみ男(大泉洋)。

妖怪退治を依頼すべく、森の中にある“妖怪ポスト”に直訴文(?)を投函したのは三浦健太少年。そんな健太を姉・実花は「妖怪なんかいる訳ない。あたしは目に見えて触れるものしか信じないの」と取り合わない(←ねずみ男の計画が浸透してないじゃん!)。

一方、ゲゲゲの森に届けられた健太の訴えを受けた鬼太郎はすぐ現地に向かい、妖怪連中を成敗する。

鬼太郎に追い払われたねずみ男は、金銭苦から稲荷神社の拝殿に忍び込み、お供えの油揚を盗み喰らうが・・偶然にも地下の洞窟で光り輝く石“妖怪石”を発見、これもまた盗み去る。

“妖怪石”は妖怪が手にするとすごいパワーを発揮するが、霊力の限られた人間が持つと「邪悪」に心を奪われてしまうシロモノだった。
ねずみ男はそうと知らず「古美術・珍宝堂」で売却しようとするが、そこにたまたまやって来た健太の父・晴彦が店頭からそれを持ち去ってしまったのだ。

晴彦は間もなく店主の通報により駆け付けた警察に逮捕⇒連行されるが、寸前に健太へ“妖怪石”を託した。「誰にも渡してはいけない」と約束させて・・

石を管理していた狐一族のリーダー格・空狐(くうこ)は必死になり“妖怪石”を探し求める。遂に彼らは三浦姉弟を追い詰めるが・・そこに現れたのが、我らが鬼太郎だった。


うーん・・何だか「映像の殆どがCG合成でインチキ」と言う印象がなかなか拭えず、大してのめり込めなかった気がしたな。
キーとなるアイテム“妖怪石”も「厳重な管理下にあったか?」と言うと全然そうでなかったし、今になって何故、空狐らがそれを奪おうとしたのかも分かりそうで分からなかった。。

中盤、あるトリックを使い“妖怪石”が警察に押収されぬよう健太を助ける(?)空狐に対しては「そこで健太に石を持たせるから、鬼太郎がくっ付いて来て事態がややこしくなるんだよ!」とツッコンでしまった。
ああ言う場合、警察に持って行かせ、鬼太郎の管轄外のトコで奪う方がはるかにクレバーだと思ったぞ(・ω・)

小雪(天狐役)、YOU(ろくろ首役)、西田局長(輪入道役)、田中麗奈(猫娘役)、室井滋(砂かけ婆役)、間寛平(子泣き爺役)、中村獅童(大天狗裁判長役)など、そこそこに有名ドコロを集めてるが・・やはり『妖怪大戦争』ほどの節操なき(キャスト陣の)豪華さにはやや及ばず、そこは残念だった。ラストで水木しげる先生も登場しないし・・

ぜひ、本作でも「地上げはイカンです、ハラがへるだけです!」などとオチのセリフを決めて欲しかったぞう。

それにしても・・ゲゲゲの鬼太郎と言えば「♪お化けにゃ学校も、試験もなんにもない」とか余りに有名(?)な歌があるくせに、鬼太郎が「墓の下中学中退です」と自己紹介(?)したり、「天狗ポリス」が治安維持を担ってたり、「妖怪憲法第103条による妖怪裁判」なんかもしっかり開廷されたりして、かなり生きにくそうな世界だと気付かされた(×_×)

ラストでは谷啓演じる妖怪“モノワスレ”により、劇中の殆ど全てがリセットされてしまうんだが、

猫娘「またお父さんにやられちゃった?」
鬼太郎「まあね」
猫娘「いつものことじゃない」

とか、ややのんびりした調子で語り合ったりする辺りなど、鬼太郎の人生からすれば「日常茶飯事」であることが観客に示される。彼本人は「350歳」などと言ってたので、案外人間を助けるのも道楽みたいなもんに過ぎないのかも知れない。

〜 こんなセリフもありました 〜

目玉のおやじ「まさかお前、色気づいたんぢゃあるまいの?」
      「人間との関わりはいかんぞ、彼らは死ぬからぢゃ」

鬼太郎「そんなにしっかりしなくてもいいんじゃない? 泣きたい時は泣きなよ」

砂かけ婆「ここ(=法廷)にも鬼太郎に助けられた妖怪が沢山いる筈じゃろう!?」

天狐「憎しみは、憎しみしか生み出しません」

晴彦「盗んだけど・・盗んだ覚えはないんだ。魔が差したんだきっと・・弱い心につけこまれた。
   だけど、やってしまったことはどうしようもない」
  「助けてくれる人に思いっきり甘えろ、そして大きくなったらお返ししろ」

※ちょっとこのお父さんの言い分には引っかかるモノがあるんですが、、(・ω・)

ろくろ首「愛の寿命なんて、せいぜい3年よ」 ←本名は“和江”と言うらしい(・ω・)

追記1:「ねずみ男のヘアスタイル」「毛針を飛ばし過ぎると、鬼太郎の髪型がどうなるか」などの発見(?)はある。
追記2:某ロケーションで実花と鬼太郎が“ツーショット写真”を携帯で撮影するが、後に鬼太郎の姿のみ消えてしまう。・・が、背景の写った画像データそのものは残されてたぞ? アレはエエのか?
追記3:“黄泉の国”で、ひたすら俯いて(鬼太郎らの)背後を歩いてゆくサラリーマンの姿がただただ悲しかった・・(×_×)
追記4:『OUT(2002)』の記憶が未だに強烈で、寛平さんが怖いのなんの・・(⌒〜⌒ι)

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2008年7月 6日 (日)

☆『猫の恩返し(2002)』☆

4日(金曜)の夜。民放で放送されたスタジオジブリによる劇場アニメ作品『猫の恩返し』を観た。
たぶん地上波では2度目だかの放送なので、今回は軽〜い気持ちで、鑑賞メモなぞもとらずに(=^_^=)観始めたのだが・・意外にも吸引力があり、それまで新聞記事を切ってたハサミを持つ手がぴったり止まってしまったのには、苦笑させられた(⌒〜⌒ι)

多感な女高生のハルが、とある猫を助けた恩返しに猫の国に招かれ、ファンタジックな体験をする物語。長いハナシかと思いきや・・90分を切る(本編の)放送時間なので「なかなか巧くまとめてたんやなぁ」と感心させられた(ウィキペディア情報によれば、わずか75分である!)。

長編アニメ作品『耳をすませば(1995)』の続編ともスピンアウト(派生)とも思われるが、より肩の力の抜けてる雰囲気は観やすくて良かった。
だが「主人公も、その親友も車道を無軌道に横断した」り「(ハルの学校の)下駄箱に現れたネズミの大群を、これまた突然現れた猫の群れが“駆除”した」り「猫の案内とは言え、他所の家の軒屋根や塀の上をずかずか横切った」り「王宮の“宴シーン”において大道芸人らが地上に突き落とされた」り・・と演出が絵ヅラに似合わぬ“過激”なテイストでもあり、そこも実は見逃せない(⌒〜⌒ι)

キャラ的には主人公ハル(声は池脇“ジョゼ”千鶴!)よりも、(晩年の出演となった)故・丹波哲郎氏が(声を)あてていた“猫王”や、妙にキャラクターの表情や言動が光りまくっていた“ナトル”と言う名の召使い猫の「2キャラ」にこそ、注目させられっぱなしだった☆

セリフとしては、バロンことフンベルト・フォン・ジッキンゲン男爵(声は袴田吉彦)の放った
「しっかりと自分の時間を生きるのだ」「君は君の時間を生きるのだ」のセリフが説教クサいながらも、心に響いて来た・・気がした。

本編と併せ、劇場最新作『崖の上のポニョ』の映像が紹介された。
これまでしばらく続いてた「イケイケ路線=湯水的製作費路線=大風呂敷広げまくり路線」から一転、昔に戻ったような「素朴で分かり易い作品世界」の存在を何処となく感じた。
言うなれば『パンダコパンダ(1972)』の頃みたいな・・
まぁ、ワタシとして(余り偉そうなことも言えないんだが)近年の宮崎(駿)監督アニメを観るにつけ「何処か、アイデアの枯渇と迷走を感じるよなぁ」と評してしまうことも多かったので・・そう言う意味では「原点に戻り、楽しんで描いてはるんかも知れないな、宮さん」と喜ばしく思う次第である。

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☆『ドラムライン(2002)』☆

2日(水曜)の夜、衛星第2ちゃんねるで放送されたモノを鑑賞。ドラムに青春をかける若者の映画、と言う大まかな筋は掴んでいたが、ここまで閉鎖的な(校内の)ハナシとは知らなかった(⌒〜⌒ι)
まぁでも、ワタシは楽器の中で一番好きなのが“打楽器系”であり、劇中でセリフ内に登場するアーティストや、演奏されるレパートリーの幾つか(いずれもソウル&ファンク路線!)には「おっ!」と思わされるモノがあった☆ そう言う意味では、観てソンはしなかった映画だったかな。

デヴォン・マイルス(ニック・キャノン)は母と離れて故郷の町を出、アトランタの「A&T大」へ進学する。ここは「モーリス・ブラウン大」と双璧を成す“マーチング・バンド”の名門校である。
ハイスクール時代、「A&T大マーチング・バンド部」の監督であるリー教授(オーランド・ジョーンズ)にその資質を見込まれたデヴォンは2週間の“軍隊式合宿”を経て、グループ分けで同期生のトップを飾る形で「P1(レギュラー)」に編入される(部員は「P1」〜「P4」に峻別される)。

練習時、先輩のショーン・テイラーを挑発する態度を取り続けるデヴォン。ついにはショーンも堪忍袋の緒を緩め(?)「じゃあ、お前が(次の試合の)ハーフタイムショーでのソロ演奏を(俺の代わりに)全てやってみろよ!」と言い放つ。
その天性のドラムの才能こそは確かに“折り紙付き”なデヴォンではあるも、流石に大観衆を前にしてのソロには臆してしまう。リー監督はそんな彼に失望の色を隠せない。

それに重ね、ドラム奏者としての「とある基礎」が修得出来ていないことが判明したデヴォンは、リーに「P4降格」を言い渡されてしまう。
ふてくされる彼の前に「モーリス・ブラウン大」のウェード監督(かつてのリーの師)がスカウトに現れる・・

要素としては「大学対抗のアメフト試合で、ハーフタイムショーを飾る存在」のバンドなんだが、アメリカならではのプロ意識(?)と言おうか「アメフトよりバンド、ハーフタイムこそが試合だ!」とセリフにもあるように、本来の試合そっちのけで物語は進行する(⌒〜⌒ι)
アメフトのシーンなんて殆ど映像で描かれなかったし、、

青春モノの“お約束”でもある“軍隊式練習”は流石にハード! ブートキャンプな日々である。。
「バンドは1つ、音楽も1つ」が部の合言葉であり、「走ってる間も頭の中で演奏しろ!」とイメトレまでも強要して来る(・ω・)

私的に「スゴいな〜」と見直したのは、どっちかと言うと繊細でコミカルな印象のあったオーランド・ジョーンズが、マッチョ型でクールだけど実は熱血漢、と言う魅力的なリー監督役を演じ切ってくれたこと。何せ同時期に出演してたのが『タイムマシン(2002)』における(ニューヨーク市立図書館の)ホログラム司書“VOX(ヴォックス)”役でしたから、、

本編はデヴォンの成り上がり⇒躓き⇒自信喪失⇒“意外な人物”の励ましによる再起⇒大団円・・と青春映画ならではの分かり易い構成で作られている。
ガールフレンド・レイラとの恋愛も少しだけ描かれるが、キスシーンぐらいしかなく、ちょっと拍子抜けしてしまった。デヴォン自身の“やんちゃな人肌ドラムスティック”が唸る! ・・みたいな演出を少しは期待してたもんで(こらこら)

それにしても「モーリス・ブラウン大」のマーチング・バンド部。『少林サッカー(2001)』や『クール・ランニング(1993)』(における最終ライバル)と同様、妙にメンバーが“非健康的”“極悪そう”な描写なのが笑えた。
いや別に、相手側からすれば「A&T」の方がよっぽど「悪らつ」な印象だった筈で、あの辺は製作側の主観を観客に押しつけているとしか思えない(=^_^=)
本来、マーチング・バンドってのはもっと爽やかなハズだっ!

〜 アツいセリフの数々 〜

※「いいか、パーカッションはバンドの“脈”だ。“脈”がなきゃ死んでしまうだろ? ・・だから一番大事だ」

ショーン「下を見てたらリズムが乱れる、相手の眼を見ろ、“愛し合う時”のように」

リー「お前たちの好みは何だ? アンジー・ストーン? LLクールJ? スヌープ・ドギー?
   それも良いが、バンドの元祖はEW&F(アース・ウィンド&ファイア)だ」
  「スティックを落としても叩き続けろ!」
  「ヒップホップか・・あれはバンドではない」
  「あれは“ラジオ音楽”だ、我々のバンドこそが本当の音楽だ」
  「リーダーである君(=ショーン)が情熱を失ったら、チームはまとまらない」

ワグナー校長「いつも今日が始まり」

追記1:『ダンシング・ヒーロー(1992)』でも驚かされた演出だが、本作の中盤で主人公に“再起の力”を与える伝説の奏者「レイ・マイルス&ファンク・コネクション」・・その名からして何かファンキーでエエんでねぇの!?(=^_^=)
追記2:本作の楽曲を監修したのは「ボーイズ2メン」の仕掛け人などでも知られる米音楽界の重鎮ダラス・オースティン氏! 何でも彼自身の半生が(主人公デヴォンの)モデルとなってるそうで。
追記3:冒頭、デヴォンと同じ(ハイスクールの)卒業生の中に「ホセ・メンドーサ」と言う名の生徒がいて、ちょっと笑えた(コォク・スクリュウ奏法?)。

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2008年7月 3日 (木)

☆『リトル・ダンサー(2000)』☆

30日(月曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを観た。

劇場で鑑賞した当時はラストに登場するアダム・クーパー(英ロイヤル・バレエ団の“プリンシパル(最高位ダンサー)”だった青年舞踏家)の存在を全く知らず「何だこの“白鳥の湖”のアレンジバレエは? ・・イロモノか?」などと非常に失礼な感想を抱いてしまったモノだ(×_×) あの時はスンマセンでした。。

1984年。イングランド北東部に位置する炭鉱の町ダラムに、11歳のビリー・エリオット少年が暮らしている。厳格な父ジャック、マリファナに依存する兄トニーは共に炭坑夫であったが、折しも町はサッチャー政権下で不況に揺れており、大部分の坑夫は賃上げを求め長期のストライキに突入するのだった。
若くして母を亡くしたビリーは、彼女の資質を受け継ぎ、ピアノとバレエに興味を抱く少年だったが、ジャックは「バレエなんて男のすることじゃない、許さん」と息子にボクシングの修得を強要する。

だが、自らがボクシングに向いていないことを悟ったビリーは“エベリントン少年クラブ”の体育館の隅で開かれていた「バレエ教室」の方に興味を持ち、女性コーチ・ウィルキンソンの指導を受けることとなる・・

『シネマ坊主』と言う映画コラムをまとめた書籍の中で、松本人志氏が「ポスターを眺めればそれが全てである作品」と言うようなコメントをもって「一刀両断」されてた本作だが、ワタシは「極論はそうであるとしても」そこに肉付けされてるセリフや(主人公の周囲の)登場人物の心情なんかをすくい上げてみたいな、と思った次第だ。

劇場では、とにかく親父の“苦虫を口に放り込みっぱなしたような”キャラが「やがて変わって行く」様子に心を奪われ、後半では泣きそうになってしまったんだが、今回はおばさん教師ウィルキンソンの言動に、より注目させられた。

・自らの娘デビーにはダンサーとしての資質がどうも欠けている
・決してラクな暮しではないのに、ビリーの家族には“中流の奥さん”呼ばわりされる
・個人レッスンの中で、ビリーに「ひょっとして僕に気があるの?」などとからかわれる
・助走をつけてやったビリーは間もなく(自分を大きく超えて)旅立ってしまう

と、かなり悲しい人生ではあるのだ。もちろん彼女が悲しがる表情など劇中には一切描かれないが、幾つかのシーンで“遠くから彼女のシルエット姿を映す”カメラワークがあり、その時々ってどんな表情しとったんやろかなぁ? と想像をかき立ててくれた。

友人マイケルや、デビーのキャラは正直“絡み方”が足りず、中途半端な関係に終始してた。それぞれにもう一歩ずつ、主人公に「稲妻を落としてくれる」言動(=演出)が盛り込まれてれば、と思ったが(・ω・)

ビリー少年が達者なダンスを披露するシーン(長回し!)は流石に巧い。ちょっとパトリス・ルコント監督の『髪結いの亭主(1990)』の中で、少年時代の主人公がアラブ音楽に合わせて踊るシーンがあったが、アレを何故だか連想してしまった(・ω・)

やっぱり本作で最も凄絶なのは、父が兄に放つ「俺たちは終わりだ・・だがあいつにはチャンスがある」のセリフだろうか。言われた兄にとってもかなり衝撃的だとは思うが(⌒〜⌒ι) 観客もまた、その短い言葉にこめられた「親父の執念」みたいな気迫に、きっとハッとさせられることだろう。

そう言うと、少年時代のビリーを演じたジェイミー・ベル君。その後どうしてはるんか・・とウィキペディアで調べたら、、何と『ジャンパー』で主人公(ヘイデン・クリステンセン)と共闘する青年=グリフィン役を演じてたことを知った! 何とまぁ、何とまぁ、、!(気付かんかったし)

〜 こんなセリフもありました 〜

亡き母の手紙より「あなたが息子であることを誇らしく思います、自分らしく生きなさい」

ビリー「何で口紅を?」
マイケル「塗りたいから。父さんもやってるし」 ←おい!

父「ロンドンには行ったことない、行かなきゃダメか?」
ビリー「だって首都だよ」
父「だが、そこに炭鉱はないだろ?」

面接官「家族のサポートがないと到底無理です、彼を支えられますか?」
父「もちろん」

ビリー「先生を忘れない」
ウィルキンソン「嬉しいけど、それは無理ね」
ビリー「絶対に忘れない」

ビリー「最初は硬いけど・・踊り出すと全て忘れてしまう、そして消えてしまう。
    体の中に火が点く感じ・・空を飛んでいる気分に・・鳥のように・・
    電気のように、そう・・電気のように」

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2008年7月 2日 (水)

☆『僕の彼女はサイボーグ』☆

1日(火曜)の夜。
趣味かつ依存症的に(=^_^=)切り続けてる、新聞記事関係の溜まって来とるここ最近であるが・・勤務時間終了時に「あ、今日はシネマサービスデー(¥1,000均一)だったんや!」と気付いたので、がぜん元気が戻り(おい)、会社帰りに梅田へ出て“ブルク7”へと向かった。

鑑賞の第1希望はやはり『僕サイ』こと『僕の彼女はサイボーグ』であった☆

なんばの“敷島シネポップ”で上映されてる某スペイン映画や、以前から観たい“なんばパークスシネマ”での某邦画も候補には挙がったものの「劇場への距離・開始時間・興味の高さ」の総合バランスの最も良かったこの作品を「もう一度鑑賞しよう!」と前向きにチョイスした次第だ☆

詳しいレビューに関しては、6月11日にアップした記事をご覧頂けると幸いである。

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_a5f8.html

今回は新たに気付いたトコロを列挙するにとどめる。

♦「誕生日に麺を食べると長生き出来る」とは(主人公)ジローの母の言葉。スパゲッティでも可☆
♦ジローと“彼女”が2008年に再会した店は「旧神戸居留地十五番舘」にあるレストラン(震災後の再建ながら、重要文化財に指定されてる)

http://www.nozawa-kobe.co.jp/15ban/pdf/15ban02.pdf (参考リンクです)

♦“彼女”がジローの部屋に飾られた某フィギュア(台座)のボタンを押すと「あんたバカぁ?」の音声が!
♦劇中では描かれないが「レストランで襲撃される1週間前に購入したロトくじが当選、身体の自由を失うことと引き替えに巨万の富を得る」なるジローの人生もあり得た。
♦86歳のジロー(老人)が21歳のジロー(現在)に伝えたかったのは「悔いのない人生を送れ」ということ。
♦竹中直人演じる“怪教授”のチョーク箱は「俺」「夢」と書かれた区画で上下に分けられてる(・ω・)
♦カピバラの※※※を食べるのはトルコの辺境に暮らすクロマ族(実在すんの?)
♦インタビューを受けてた“シーランド少年サッカークラブ”の子供は「小暮くん」と「矢野くん」。
♦ジローが“彼女”と故郷へ向かったのは品川ナンバーの「大霧交通」のバス。
♦故郷の駄菓子屋で居眠りしてたおっつぁんが蛭子能収氏(・ω・)
♦バス停の名前は「稲香」(!) どうやら「いなか」と読ませるようで、、
♦蘭山女子高に籠城した男の名前は阿部武(37歳)
♦(ジローの部屋の)窓の外、大看板に書かれてたメッセージは「まどをあけてね!」 ←劇中で唯一拝める“彼女”の筆跡!
♦“彼女”の次にオークションにかけられたのは“エルヴィス・プレスリー”のサイボーグ。
♦“彼女”の前にオークションにかけられたのは、何と“ブルース・リー”のサイボーグ! 『死亡遊戯(1978)』の終盤における黄色コスチューム(トラックスーツ)姿で、これまたお揃いの黄色のヌンチャクを持ってたし!
♦「未来のあなたが“頼んだ”」と“彼女”は言う。「未来のあなたが“命じた”」ではないトコが重要かも知れない。
♦2133年。何と未来の博物館(?)には奈良美智氏の大きな絵画が展示されてた!

〜 こんなセリフもありました(追加) 〜

ジロー「変えられた時間は、僕に何をすると言うんだろう」
   「お見事! やっぱり君は僕の“彼女”だ」
   「愛してるって言えないなら“あなたの心を感じる、感じることが出来る”と言ってくれたらいいのに」

彼女「撤収!」

追記1:岐阜・郡上八幡でロケされたらしきジローの故郷のシーン、もう今回はボロボロ泣きっぱなしでした(⌒〜⌒ι) とどめは“がばい”吉行和子さんの「ジロー? ジローなのかい?」の呼びかけですわ。ここで泣かない中年男はもはや人間ではありません(そこまでゆうか!)
追記2:結構“熟女”だったハズの吉行さんと閨を共にし、ご懐妊させた男性の存在・・劇中では一切語られなかったが、ちょっと気になるです(・ω・)
追記3:ジローと“彼女”の関係が「時間の流れ」を考慮した場合、やたらと難しくなるんだが・・特に“彼女”がジローに渡した“マスコット人形”が何処から出て来たモノかもややこしい、、未来の玩具だろうか? にしてはチープな造形だが、、

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2008年7月 1日 (火)

☆『アナコンダ2/ボルネオ島の迷宮(2004)』☆

29日(日曜)夜、「日曜洋画劇場」で満を持して(=^_^=)“地上波初放送”されたものを観た! ・・10分遅れで。
いやぁ、久しぶりにクルマを運転し、帰宅後にお酒飲んだらすっかり眠くなっちゃったのネ、、で寝過ごしてしまいますた(×_×)

ってことで、冒頭を見逃したので(ちょっと気合ゲージが下がり)自然と肩の力を抜いて観ることが叶いました☆ 結果的にそれで十分だったし(=^_^=)

ボルネオの奥地、密林の秘境にひっそりと咲く、幻のラン(7年に1度しか開花しないらしい! そこまで詳しく生態を調べとるんやね!(=^_^=))を求め、へっぽこで、ジャングルの生態系を舐め切ってる面々がボロいボートで川を源流へと向かうが、そこには恐ろしい大蛇の群れが待つのだった・・!
とメチャメチャにアタマ悪そうな粗筋ですわん(⌒〜⌒ι)

何でも、原題が“Anacondas”と前作『アナコンダ(1997)』に比べ、格段にスケールアップ(何せ複数形だから!)してそうな続編である(←今度は戦争か?!)。そのためにキャストやスタッフの質まで落としてるってんだからスゴい(←勝手なこと決め打ったるなよ!)

誰が誰やらキャラの名前も分からない内に中盤となり、アナコンダどもの飽食の宴がその幕を切って落とす!

この手のパニック映画につきものなんだが「人々の諍いぶり」「続発的&致命的なトラブルぶり」を冷ややかに眺めるのが結構好きだったりする(・ω・) 本作でもボートの推力が急停止⇒直後に滝壺へ真っ逆さま! ってなムチャクチャな展開があった。スピルバーグ監督が観たら「何の捻りもない!」と激怒しそうなハプニングぶりではある。

船頭役のビルが、旧友に無線(?)で連絡を取るんだが、この旧友の爺さま(リヴィングストン)が、いきなり船上にいながらにして後ろからアナコンダに“お尻をかじられ虫(?)”となり、そのまま水中に引きずり込まれる描写も結構ムチャだった(=^_^=)
見境なくこんなことされたら、ボロボートの面々なんざひとたまりもないってば。。

本作をレビューする某サイトで書いておられた方がいたが「アナコンダが2匹(以上)同時に画面に登場しない(←終盤の“群れてるだけの映像”を除く)」と言うのも「確かにその通り!」で苦笑させられる。キャスト&スタッフを削ってなお「単発描写」が製作費の限界だったのか?
多少ムリしてでも(何せ劇中で、探索隊のリーダー格=ジャック・バイロンが“今そこにないカネ”までも口約束して、強引にボートを奥地へ進ませるんだから、監督も彼のその気合を見習って欲しいモノだ(=^_^=)) 2匹(かそれ以上)の同時に飛びかかる映像演出を放って欲しかったぞぅ。

・・例えボートをあんな風に強引に滝壺に叩き落とさなくてもエエからさ(=^_^=)

「あの大きさはきっと突然変異だ!」
「ランを食べて不死となり、デカくなったんだ!」

みたいなムチャクチャな解説(セリフ)も耳に爽快感はあった☆
「なら、(巨大化すんのは)アナコンダだけに限らないだろう、ばかやろう!」と面々に平手を喰らわせたくもなるってもんだ。

まぁ本作を反面教師とし「装備の悪さ、リーダーの悪さ、メンバーの悪さ」がここまで重なれば、いとも容易くパーティーってのは壊滅するんですよ、みたいなお勉強にはなると思う。

って言うか「もうちょっとしっかりした脚本を書け!」とスタッフ各位にヘビをけしかけてやりたい気分ではある(・ω・)

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