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2008年6月30日 (月)

☆『無宿/やどなし(1974)』☆

28(土曜)の深夜・・日付は日曜に変わってしまってたが、ふと点けたTVの“衛星第2”で放送されてたものを“チラ観”し、そのままイッキに(作品世界に)引き込まれてしまった(=^_^=)
・・ってことで中盤からの鑑賞。。

とにかく「饒舌なカツシン(勝新太郎)と寡黙な健さん(高倉健)のコンビ」が陽炎の立ち昇るような真夏日の中、何やら風情たっぷりに語り合い、動き回ってた情景が実に“絵になってて”光ってた☆
その2人に絡む形で登場するヒロインが梶芽衣子さん。ってか、、往年の“動いてはる姿(映像)”を意識して拝見したのって、コレが初めてだったかも。。

寡黙な健さん(着流し姿!)が竹やぶで、待ち受けるヤクザもんと“ドスバトル”するシーンなど、どんな物語なんやら、どんな展開してるんやら全く分かんなかっただけに(=^_^=)かなりワクワクさせられた! 健さんとその(対決)相手が組み合ってドスを交差させ、グッ・・と動かなくなる映像を(2人の)真下からのカメラワークで捉え、レンズ面に血のりがポタポタしたたる見せ方とか「すごぅい!」と感心してしまう。

一方のカツシンは、白い洋装で統一し(健さんと)対照的なジェントルさを漂わせる。(彼の)言動だけを拾うと全然ジェントルに成り切れてなかったンですけど・・

後半からは、カツシンが梶さんを伴って漁船で海に出「(沈没した)バルチック艦隊の残骸(=お宝)」を潜水服で探し求める・・と言う、壮大だけど何だか良く分かんない“冒険ドラマ”にいきなし突入。そこに寡黙で不器用な健さんも合流する・・

ラストがこれまたメチャメチャ唐突で、『イージー・ライダー(1969)』路線かよ! と何となく突っ込んでしまった。

梶さんの脱衣⇒全裸での海水浴シーン・・なんてのもちょろっとあるが、あの映し方からして、間違いなく“吹替え”っぽい、、それが分かる年齢なワタシだけに、観てて余計に“切ないモノ”があった(⌒〜⌒ι) ←勿論、妄想でもって補完し、楽しませて頂きましたがね、へっへっへっ。

どうやら、本作のベースとなってるのは、フランス映画『冒険者たち(1967)』らしい。
ワタシは『冒険者たち』は未見だし、本作も“復讐劇”がメインに描かれる前半こそが面白い、みたいな評価もあるようなので、また機会があれば観直してみたいものだ。

しっかし健さん・・本作の前年に『ゴルゴ13(1973)』主演とは・・何ともな“カメレオン俳優”ぶりではあります・・なかなかに器用ですね(苦笑)

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2008年6月28日 (土)

☆『訣別の街(1996)』☆

25日(水曜)、27日(金曜)の2夜に分け、衛星第2でさる5日(深夜)の放送を録画しておいた映画『訣別の街』を観た。アル・パチーノ主演による“政治モノ”なのだが、公開当時のTVCMを未だ覚えており、アルパチが恐ろしく気合の入った演技で「誰かに何かを力説してる」シーンがとにかく印象的だった。

実際に10年と少しを経、観た次第だが・・やはり今だからこそ楽しめる、と言うか「政治」や「サスペンス」の要素以上に“男同士の友情”を色濃く描いてる部分が目立ち、妙な“アツさ”を覚えてしまったモノだ。

中盤に差し掛かる辺りで、教会においてアルパチ演じる主人公が「約5分間」の演説をぶつシーンがあるが、この場面こそワタシが強烈なインパクトをCMで受けたトコロであり、彼の熱弁にホレボレしてしまうのだった(・ω・)
ただ、残念なことに準主役であるジョン・キューザックと並んで歩く映像演出が(作品の前半に)盛り込まれてたため、どうしてもお2人の“身長差”が気になって仕方ないのだった・・(×_×) 何もあんなに露骨に並ばせなくても、、

そこで成功するか挫折するかは運が決める・・そんな街ニューヨーク。
ある日、市庁舎で現市長ジョン・パパス(アルパチ)が東京都知事(ハタヤマ氏)の歓迎スピーチをしている時、ブルックリン地区の雨降る街角で“その痛ましい事件”は起こったのだった。

第74分署に勤務する熱血刑事エディ・サントス(32歳)が、麻薬の売人ティーノ・ザパティ(21)に接触しようと単身歩み寄った瞬間、ティーノがいきなり隠し持っていた拳銃を発砲・・エディもこれに応戦し、双方が死亡。
更に悲惨なことには・・たまたま近くを歩いていた6歳の少年ジェームズ・ボーンの背に流れ弾が当たり死んでしまったのだ。

市長の頭の中には「市民に職と食と住を与えるべく」市有地に“両替銀行ビル”を建設、3000人の雇用を促進する壮大な計画があったが、その実現に「待った」をかけたのが今回の悲劇である。
ボーン少年の葬儀に駆け付けた市長は、持ち前の見事な演説で市民を酔わせるのだが、一方で彼の補佐官であるケヴィン・カルホーン(キューザック)は市長より更に掘り下げた行動でこの“ブルックリン事件”を追う。

第1の疑問は、2年前「1キロもの麻薬所持」の前科があったティーノが何故「軽罪=保護観察処分」で片付けられたのか、である。現にティーノはこの保護観察中に逃亡を図り、捜索中の身だったのだ。
これには、当時彼を裁いた最高裁判事スターン・ワクトラー(マーティン・ランドー!)の判断と、保護観察局の担当官であるラリー・シュウォーツ主任の手がけた「観察報告書」の内容が重要と考えられた。
第2の疑問は、エディ刑事が「無線なし&応援なし」と言う規則違反を犯してまでティーノに会いに行ったことである。

それらの背後にはティーノが“ブルックリンの大物=ポール・ザパティ”の甥であることが大きく関与していると考えられる。

ケヴィンはエディの妻エレーンや、刑事基金協会の女弁護士メアリベス・コーガン(ブリジット・フォンダ!)の協力も得、独自の調査を掘り下げて行く。
その一方で、ザパティ一家と繋がりのあるフランク・アンセルモ議員(ダニー・アイエロ!)にも接触し“両替銀行ビル”の建設資金捻出に関する擦り合わせを(市長代行とし)行う。

そんな中・・事件の核心を知る“重要な証人”となるべき人物が次々に殺されて行き、ケヴィン自身にも危険が迫る。
この事件の裏に隠された真相とは何か?
執拗に調査を進めるケヴィンの前に「意外な人物」の関与している事実が明らかになり・・と言う流れ。

序盤こそ、大物俳優が政界の大物を演じる図が複数展開し、ちょっと観てて「しんどい」トコもあったんだが、関係者が殺害され行く展開に流れ込むと、イッキに物語が転がり出す。

惜しむらくはカメラワークや演出面(=見せ方)がやや甘く、サスペンス色の描き方にイマイチ「緊迫感」「重厚感」が足りなかったことだろうか。そこをもう少し何とかしてくれたら『L.A.コンフィデンシャル(1997)』にも迫るシブさが出せたと思う。

一方で、名言が全編に渡りバラまかれている部分は素晴らしく、アルパチの(件の)鬼気迫る熱弁シーンも手伝ってか、ワタシの評価はすこぶる良いモノとなった次第である☆

〜 こんなセリフもありました 〜

シュウォーツ「重罪人を保護観察にしたのは誤りかも知れんが・・軽罪人を服役させるよりはいい」
      「こういうことは起きるのさ・・手一杯なんだよ、常に。市は機能せず、世間じゃ善悪も曖昧だ」
      「いい保護観察官になれるのは、フランツ・カフカぐらいだろうよ」

市長「人の器量はその友でなく、敵で決まるのだ」
  「友に対する評価は慎重にすべきだ、一瞬で断定すべきではない。冷たく裁くな・・“単純な善悪”などない」
  「白と黒の中間にあるのが灰色、つまり我々だ。
   灰色はタフな色だ・・黒や白ほど単純じゃないからな。メディアにはウケが悪いが、それが我々だ」
  「(自身の)老後は、自分で完結できないものだ」
  「人生を楽しめ」

アンセルモ「法律は、我々労働者のために存在するんだ」
     「私は公職だから、仕事に終わりなんかないさ」
     「いいか・・口をつぐむことだ」
     「職を与えれば、有権者は票を生む」

ケヴィン「“危ない人物”とは距離を置くべきです」
市長「距離など知るか。距離とは“敵”との間に取るものだ。友を切るのは“男の連帯(メンシュカイト)”の欠如だ」
  「それが政治さ・・すべては流動する」

市長「男同士には、握手で伝わる“何か”がある」
ケヴィン「その握手に善悪の感触は?」

ホリー「お偉い裁判官殿だって、金で転ぶだろうぜ」

ケヴィン「“半端なワル”こそ見くびるな」
    「ジョン・パパスと出会って、僕はやっと“自分が何かを出来る場所”を得たんだ」

アンセルモ「100回のうち99回、こういう問題は解決出来る」
ザパティ「つまり、1回は残るわけだな」

ザパティ「君は“歌う”んだろうな」
    「役目を果たして楽になれ・・家族のためにも」 ←いわゆる“最後通告”・・

ケヴィン「僕の車で送りましょうか?」
アンセルモ「結構だ。この街で移動するなら、電車の方がよほど早い」

ホリー「まだ薮をつつく気なのか?」
ケヴィン「果たして“ヘビ”は出るかな?」

※※「1000の活動を経て、密約1つが余計だった」

【おまけ】ジョン・パパス市長のスピーチ(抜粋)

何の恐れもなく通りを歩き、公園に集いたい
そんな日が来るまで、我々に“本当の街”はない
その日まで私は敗北者だ

人が“生きてゆける”街にしなければ・・だが、生きるだけで良いのか?

かつて街が宮殿であったのなら、この街は再び宮殿に戻れるはず・・王族のいない宮殿に
そこにいるのは市民だけだ
より良き街にすると誓い合った市民だけだ

その実現はムリか?
その荷は重過ぎるか?
所詮は叶わない夢か?

私は「諦める」という道は選ばない!(I will not go down that way!)
闘うことを選ぶ!(I Choose fight back!)
立ち上がる道を選ぶ!(I choose rise not for!)
生きるぞ、死ぬものか!(I choose live,not die!)
一緒に行こう(join me)
私と共に立ち上がって下さい!(rise up with me!)

その時、あなたの街が、我々の街が(your city our city)
そして死した彼の街が、再び宮殿となろう!(his city is a palace again!)
再び宮殿となろう!(is a palace again!)

・・ジェームズ、君と共に(I am with you,little james)
・・私は君だ(I am you)

【解説】

聴衆の心理を代弁⇒聴衆を挑発⇒理想を提示⇒(それと比較しての)自身の無力さを吐露
⇒テンション上げる⇒聴衆に(理想が)ムリか? と問いかける
⇒更にテンション上げ決意を述べ切る⇒聴衆に共闘を呼びかける
⇒理想を連呼する
⇒テンションを落とす⇒静かに語りかける⇒自身が小さき存在であることを語りまとめる

の流れで構成されており、実にアクセントある素晴らしいスピーチだ!

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2008年6月27日 (金)

☆『インディ・ジョーンズ4/クリスタル・スカルの王国』☆

※本作の正式タイトル(邦題)は『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』ですが、分かり易く『インディ・ジョーンズ4/クリスタル・スカルの王国』と表記しております(・ω・)

26日(木曜)の夜。少し残業をこなしてから梅田に出て、“インディ・ジョーンズ”のシリーズ最新作を観て来た☆
いや、元々観たかったのは別な邦画だったんだが・・“なんばパークス”での上映開始時間に全く間に合わずボツ。
次に『僕の彼女はサイボーグ』の再鑑賞を! と考えたが、(思い付いてから)改めて“梅田ピカデリー”の上映スケジュールを確認すると・・(上映期間が)終わってるではないか・・(×_×)
ってことで「かくなる上は」とようやく辿り着いたのが“インディ”だった。う〜ん、つまりはあんまし観る気マンマンな作品じゃなかったってことやね(⌒〜⌒ι)

が、ここでも“問題”が発生。。“TOHOシネマズ梅田(=ナビオ上層階)”を第1候補にして行ってみたはイイが、めちゃくちゃな行列が発生してたため「こりゃあかん・・」と鑑賞を諦めたのだった(以前も同じ経験をしたことがあるが、例えば作品毎に窓口を決め、行列を分けたらどうか? と思うんだが、この劇場の経営者は行列を生じさせ“大ヒット御礼”みたいな“絵”を描くのが好きなんやろか? どうも愚かに思えるなぁ)。
結局、早足に“ブルク7”に移動、行列も混雑もなく、すんなりチケット購入⇒入場が叶ったのだった。

上映時間が2時間とちょっと、と言うまだ耐えられる設定で良かった。主人公のヘンリー・ジョーンズJr.(=インディ:ハリソン・フォード演じる)を絶対的な主人公に・・と言う路線では(必ずしも)なく、恋人マリオン・レイヴンウッド(カレン・アレン)、マット・ウィリアムズ(シャイア・ラブーフ)たちとの絡みで“インディ・ファミリーの同窓会”って感があったな。

1957年のネバダ州某所。大きな格納庫(シャッター内側に「51」と書かれてる!)を擁する秘密基地に米軍を装ったロシアの軍用車両群が到着する。この巨大な保管庫の何処かに収容されている「とあるアイテム」を狙うのは、ウクライナ出身の美人将校=イリーナ・スパルコ大佐(ケイト・ブランシェット)を指揮官とするKGB配下の面々。
そして、うち1台のトランク(=^_^=)から引きずり出されたのが、我らが“インディ”であった。

旧友マックと共に、いきなり拉致され、連れて来られたインディは「(彼自身が)10年前に某所で極秘に回収を手伝わされた※※※の※※の収められた棺」を見つけ出す手伝いを強要される。
「棺は強力な磁気を発してるから、コンパスか、なければ火薬をあるだけ寄越せ」と言い、巧く彼らの銃器を無効化(?)していくインディ。機を見て逃げ出すも・・辿り着いた「無人の街」では“大変な実験”が今まさに行われようとしており・・


中盤以降は、ペルーで消息を絶った大学時代の友人・オックスリー教授や、かつての恋人マリオンの行方を探しつつ、マリオンの息子マットを従え“クリスタル・スカル”の行方を追う展開となる・・

シリーズの熱狂的なファンではないため、過去の作品からのネタは殆どフォロー出来ないワタシだが、監督:スティーヴン・スピルバーグ&製作総指揮:ジョージ・ルーカスの「実に、実に惜しい・・」との呟きを代弁するかのように、ちらちらと劇中で映し出される「ショーン・コネリーの写真」が印象的だった。
(劇中では「他界したこと」がインディにより語られたが、実際にはコネリーが出演を断ったため、オックスリー教授のキャラを造り上げたようである:ウィキペディアより)

当初の心配として、新星(?)シャイア君と(ハリソン君)のコンビがどうなんやろ? と不安だったが、予想以上にマッチしており安心した。『コンスタンティン(2004)』では“下っ端”な感じのシャイア君だったが、なかなか着実にチャンスを掴み、周囲の期待に応えてくれているようだ。

クレジットでもハリソン君の次であり、私的に最も期待してたケイトさんだったが、こちらも期待以上の好感が持てて良かった(=^_^=) 見た目だけだと「別にキャサリン・ゼタ・ジョーンズ嬢でもエエやんか?」とも思うんだが・・細かい言動で「冷徹な悪に成り切れてない」トコロが良いのだ☆
例えば“王国を探すための作戦会議”をしてる時でも、オックスリーは自分の世界に飛んじゃってるし、マリオン&マットは小難しいことは苦手そうで、マックも専門的(学術的)なことには首を突っ込まない・・ってことで、インディ博士の説明を一番熱心に聴いてる印象だったのが、本作で唯一スパルコ女史だけであった(=^_^=)
本作最大の生身アクション(?)を演じるのがマット&スパルコの一騎討ちのシーンなんだが、ここも「実は主人公は参加してない(運転のみ)」にも関わらず、妙に眺めててワクワクさせられた。

終盤も、悪党なりに「知識に飢えたインテリ軍人の悲しさ」みたいなモノを言動ににじませてくれ、印象的だった。
“I want know..”“I can see..”みたいな分かり易い英語も、彼女の口をついて出て来ると知的に聞こえて来るってんだからスゴい(=^_^=)

前半の“実験場”の場面は『ターミネーター2(1991)』や『チェーン・リアクション(1996)』を思い出させる、ちょっとショッキングな映像演出だ。
「残り時間:約15秒」・・ってことで、あの展開は『チェーン〜』におけるキアヌ・リーヴス以上に「有り得ない!」んだが、演出が巧いからか、何となく「勉強になりました!」と納得させられてしまう(⌒〜⌒ι) 地下シェルターをわざわざ増築すると高く付くし、大型冷蔵庫(分厚い鉛のヤツ!)を皆さん、有事に備え「一家に1台」買っときましょう(=^_^=)

その他、こんな見所なども・・

♦“クリスタル・スカル”なるアイテム自体が「超越した(=ブーツ飛んだ)存在」のため、色々な危機的状況を“問答無用”で救ってくれるのが笑える。
♦強力な磁気を帯びた「棺」だが、あんなにご都合的にくっ付いたりくっ付かなかったりするもんなんやろか(=^_^=) 例えば、軍服の金具でもくっ付くんだろ?
♦絶対に「もっと価値のある宝物」がゴロゴロ眠ってたと思うぞ、あの保管庫(・ω・)
♦本作におけるFBI、完全にKGBに追い抜かれてました(×_×) CIAも大した人材じゃなかったし、、
♦大きなサソリにたかられ(刺され?)騒ぐマットに、インディが「デカいサソリなら安心だ、小さなサソリに刺されたなら騒げ」みたいな“まめ知識”を授けてた。しっかし、大きさだけでサソリ(の危険度)を判断してエエのか?!
♦スタッフの苦心は分からなくもないが・・結局“クリスタル・スカル”はクリアなアクリル樹脂にしか見えなかった、、東急ハ※ズででも売り出せる程度の造形だったかも(⌒〜⌒ι)
♦50年代を完ぺきに再現した街中で「昼間」にカーチェイスしまくるのはスゴかった! あのレベルはなかなか見れないんじゃないかな、と。『ハムナプトラ2(2001)』でも「夜間」のカーチェイスだったし。
♦ウーガ族(カンフー(?)を駆使する!)の必殺の「毒吹き矢」を反対側から吹いて撃退するインディの機転には驚いた! あのアクション(演出)は必見だと思う!
♦崖っぷちの危険なシーンで、お猿軍団が唐突に登場するが、彼らが1匹も死なない演出に好感を持った(CGとは思うが)。
♦終盤に近付くに従い「スピルバーグ&ルーカスの過剰な宇宙信奉が結実してるなぁ・・」と思わされた。あのお2人、うさん臭い新興カルト教団とかに感化されてなければ良いのですが・・
♦軍隊アリがぞわ〜っと襲って来るシーンは『ハムナプトラ(1999)』への対抗意識か?
♦井戸の底に人骨の横たわってる演出は『リング(1998)』を意識したモノか?(違うってば)
♦ラストは地面に落ちたトレードマークの“フェドーラ帽”を何者かが拾い上げ、笑い声と共に「THE END?」と表示する・・ってのはどうだろう?(『フラッシュ・ゴードン(1980)』かよ!)
♦シャイア君のナイフさばき、ケイトさんの細剣(レイピア?)さばきは吹替えだろうか? もし本人なら、かなり練習したものと見える!
♦字幕担当は久々の戸田奈津子女史。しかし近年は、余り訳が「弾けて」ないなぁ・・(・ω・)
♦終盤の※※シーンで誰かがボソッと言ってた「無駄に待つ人生の、余りにもの長さよ」みたいなセリフがなかなか“深かった”かな、と。
♦ちょっと映像的に『アポカリプト(2006)』っぽいロケーションのシーンがありました☆

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2008年6月24日 (火)

☆『悪魔の呼ぶ海へ(2000)』☆

22日(日曜)の鑑賞。
2月ごろ、民放で深夜に放送されたのを「タイトルに惹かれ、何となく」録画してたモノ(・ω・)
録り溜めてた番組を片付けて行く中で「これまた、何となく」観ようと思った次第。

骨太嗜好(きっと!)の女流監督キャスリン・ビグローが『ストレンジ・デイズ(1995)』と『K−19(2002)』の間に撮った“文学的”サスペンス作品。
米・仏・カナダ合作の“伝奇ミステリー”みたいなノリであり、サスペンス劇そのものと言うよりは、劇中で描かれた“潮風の漂って来るような臨場感”なんかを楽しめなければ、きっと余り面白くないってことで、恐らくは「劇場公開」が見送られたんじゃないかな・・と勝手な決め打ちをしたり(本作はつまり「劇場未公開」作品である)

嵐に見舞われた1873年3月5日の夜。ニューハンプシャー州ポーツマスの沖に位置するショールズ諸島(のスマッティ・ノーズ島)において、ノルウェー移民である女性2人が惨殺される、と言うセンセーショナルな事件が起こった。
惨劇の行われた場所は、島の漁師ジョンが年若き妻マレン(サラ・ポーリー)と暮らす小高い丘陵に建つ一軒家。
当時、その家にはジョンとマレン、ジョンの連れて来たリウマチを患うドイツ出身の漁師仲間ルイス・ワグナー、そしてノルウェーからやって来たマレンの兄エヴァン・クリスチャンソンとその妻アネット、2人(エヴァンとマレン)の姉であるカレン・・の6人が住んでいたが、当夜は男たちが漁に出ていたため、残されたのは(寝たきりの)ルイス、アネット、マレン、カレンの4人だけだった。

辛うじて凶行を逃れたマレンの目撃証言により、アネット&カレン殺しの容疑者としてルイスが逮捕された。
裁判を経て、結局ルイスは絞首刑に処されたが、事件の真相は今も謎に包まれたままとされる・・

そして現代。100年前の「ショールズ諸島の惨劇」を取材するため、雑誌カメラマンのジーン(キャサリン・マコーマック)、その夫である詩人トーマス(ショーン・ペン)、トーマスの弟リッチー、彼の恋人アデリーン(エリザベス・ハーレイ)の4人がリッチーの所有するヨットでこの島へ上陸するのだった。

当時の地方紙などの資料を基に、事件を探るジーンだったが・・女性ならではのひらめき(?)と、プロだからこその嗅覚で(?)「この事件には真犯人が別にいるのでは?」と疑いを抱く。

その一方、ポーツマスの町で、裁判記録を調べる中、ジーンは自身の胸中に「夫トーマスを受け入れられない」もやもやした感情が渦巻くのを感じ始める。

やがて終盤、4人を乗せたヨットは猛烈な嵐に遭遇する。忽ちの内にキャビン(船室)は浸水、甲板からアデリーンが荒れ狂う海中へ転落する!
しかし直後、彼女を救うため飛び込んだのはリッチーではなくトーマスだった・・!

そして過去。事件当夜の真相が、遂に1人の人物の独白によって克明に語られ始める・・


19世紀末と20世紀末。100年と言う時間を隔て、2つの時代と2人の女性の想いが描かれる! と言うことでなかなかにドラマチックな作品世界ではあった。
(現代の)4人のシーンには、あんまし観るべきトコのなかった気もしたが、、島に建つ一軒家の情景が『シッピング・ニュース(2001)』などを連想させてくれ、何とも絵画的&幻想的で良かった。

サックスの即興的(?)な演奏が物憂げに響き、そこに主人公(ジーン)のモノローグ(独白)が続く・・ってな冒頭のテイストは、どうにも“安っぽい官能ドラマ系”の雰囲気だ、、が、そこにショーン・ペンの“演技だけとは思えぬ(=^_^=)クスブリっぷり”とエリザベス・ハーレイの“作品世界の品位をかき乱すほどに過剰な(=^_^=)豊満ボデー”が絶妙なスパイス(?)として観客に供され、妙な気分にさせられたりもする。。

“倦怠や官能”の世界に美的で深みを感じさせる“詩”を振りかけ、辛うじてその質を保ってた印象のあった「現代のシーン」とは対照的に、より丁寧な描き込みで「風景」「心情」「人物像」の仕上がっていたのが「過去のシーン」であった。

ってことで、本作の見所はやはり「過去のシーン」と言えるだろう。
もう少しその演出や構成が洗練されていたら『ピアノ・レッスン(1993)』をも凌いでいたかも知れない、と思うと残念ではある1作だ(・ω・)

〜 こんなセリフもありました(流石に詩的な言い回しだけは素晴らしい!) 〜

アデリーン「言葉を巧みに操れても、詩人はみな大きなテーマに取り組もうとしない」

トーマス「偉大な詩人と言うのは、読む者の心に残る言葉を選ぶものだ」
    「一番残酷なのは・・愛を失うことに気付いた時だ」
    「女が殺人を犯す動機ってのは、男よりも複雑だからな」
    「例え理性を失っても正気に戻り・・例え海深く沈んでも、再び浮かび上がるだろう・・
     例え恋人たちが死んでも、愛は残る・・かくて死に支配されることはない」
    「俺たちは作品の中で、時を止めようとしてる」

ジーン「私が変わり始めたのはいつだろう? 心の内を語っていれば、迎える運命は違っただろうか?」
   「何かが起こり始めるような予感のすることがあるが・・その時にはもう既に始まっているのだ。
    死もまた同じである、そして自分の歩んだ人生も・・」

リッチー「自分に正直に書けば、結果なんてどうでもいい」

トーマス「斧は相手に近付かなきゃ殺せない。それに、殺すことだけが目的なら、銃を使ったろう」
ジーン「殺すことで、愛する相手を独占したと?」

マレン「仕事と信仰が心の支え。沈黙を守り、絆を保って、賢く生きるのだ。
    頬の内側を噛んで涙を堪える・・一度それを流せば永遠に止まらないだろうから」

※※「ひたすら沈黙を守った、心の中の燃えるような熱い思いを解き放たないように・・」
  「私は思った・・時には神のご意思を理解出来ないこともあるのだと。
   神は何故、私たちに喜びや死や怒りや愛情を同時にもたらし、
   その区別さえつかぬ程の混乱をお与えになるのか・・?」
  「同じ経験をした者でなければ決して断言することは出来ないだろう・・
   怒りに心と体を支配された時、自分がどうなるのか」
  「私たちが暗闇の中にいる時こそ、神は救いの手を差し伸べて下さるはず」

トーマス「彼女とは本気か?」
リッチー「俺が本気にならないのは知ってるだろ?」

トーマス「才能があれば全て許される・・そうは思わないか?」
リッチー「違うね、それは天才だけだ」
トーマス「そうか・・この夕陽さえありゃ、誰にでも書けるって訳か・・」

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2008年6月23日 (月)

☆『静かなる決闘(1949)』☆

21日(土曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを鑑賞。戦後間もなく描かれた「医学ドラマ」ながら、現代に至ってもそのエッセンスが十分に通じる、ある意味「普遍的」なストーリーであった。
改めて「モノクロ時代のクロサワはやはり凄いな・・!」と強烈に打ちのめされる。

太平洋戦争後期の1944年、とある雨の夜。南方の何処かの戦地にて、最前線の野戦病院で兵士の治療(=応急処置)にあたる青年軍医・藤崎(三船敏郎)は、負傷兵・中田進の腸の縫合手術の最中(さなか)、誤ってメスの先端で指先にキズを負ってしまう。

終戦後、復員し父(志村喬)が院長を務める「藤崎医院」に戻った藤崎だったが、血液検査により(中田の血液を通じ感染した)スピロヘータ(梅毒の病原菌)に、自身もまた冒されてしまっている事実を知り愕然とする。

彼には出征を挟み6年間も待たせている婚約者・美佐緒がいたが、とても彼女に真相を打ち明けることは出来ず「この体は純潔だが汚れてしまった」なる曖昧な言い訳を繰り返すばかりで彼女を遠ざけるのだった。

そんな折、藤崎は4年ぶりにかつての患者・中田と再会。彼が持病に無頓着な余り、その妻にまで感染を拡げ、彼女が妊娠後期の身重の状況であることを知る。

中田夫妻に適切な治療を施し、健全な赤ちゃんを出産させるべく奮闘する藤崎父子だったが、中田本人は酒に逃げ場を求め、終いには「俺を通じて(梅毒に)感染したなんて、あんたの勝手な言いがかりだ!」と藤崎を責め立てる始末。
そしてとうとう美佐緒から「明日、別な殿方と結婚します」と告げられた藤崎は・・


自らが人間である前に1人の医師であり、人を救うことこそが使命なのだ、と悲壮な決意を胸に生きる主人公。そんなに「タテマエ(?)」ばかりを押し通さなくても・・と同情してたら、、劇中でたったの1ヶ所、きっと“一生に一度限り”であろうホンネを彼が激白する場面があり、ものすごいパワーを叩き付けられた!
クロサワ監督自身、このシーンに関し「本来、冷静であるべき監督と言う立場の自分が、この場面に於ける三船の迫真の演技を前にして、体がガクガク震える感覚を押しとどめることが出来なかった。あのような経験は後にも先にもその時だけである」などと語っておられるそうだ。

確かにあの三船の涙には、思わず貰い泣く女性看護師・峯岸(千石規子)の姿にも素直に納得してしまう。あそこで泣かなきゃ人間失格だろうし、あの告白に“唯一”立ち会ったからこそ、彼女もまた「変わることが出来た」と思うのだ。

全体的に振り返ると、実に本作の“ヒロイン”は峯岸さんであったのだなぁ、と気付かされるのだ。

物語の軸となる「2組の男女」は“藤崎&美佐緒”と“中田夫婦”なのだが「ホンマに人間のクズやなぁ・・」と思わせてくれる中田の言動には、逆に感心させられた。演じ切った男優・植村謙二郎氏、その後の出演依頼とか、大丈夫だったんやろか。。
また、中田の妻を演じた中北千枝子さんの演技も良く、虐げられる一方だった立場の妻がやがては夫を振り捨て、逞しく生き始める・・と言う別なドラマの存在を(裏側に)しっかりと感じることが出来た☆

終盤で、ついに中田が“衝撃的な現実”を叩き付けられ「崩壊」するんだが、そこもまた(=^_^=)アキ・カウリスマキ監督『白い花びら(1999)』の終盤のように、限定的&定点的なカメラワークで描かれ、(真相を)観客の想像力で補わせる演出が素晴らしかった!

〜 こんなセリフもありました 〜

藤崎「あと何人だ?」
助手「キリがないんですよ」

藤崎「患者にしたって、痛いと喚く者もいれば脂汗を流して耐える者もいるのだ」
  「いっそこの欲望に溺れた方が、よほど人間として正直じゃないのか?!」
  「僕は・・医者の良心を、人間の良心を持って生きていかねばならないんだ、どんなに苦しくても」

警官「産んでみなくちゃ、子供の良さは分からんよ」

患者「先生、ギブスの中にノミが1匹いるんですよ」
藤崎「誰でもそう言うね」

峯岸「世の中って面白いですわね、裏には裏があって・・」
  「立ち聞きって、時々“ホントのこと”を教えてくれるから大好き」
  「男の人の肉体的な欲求って、そんなに簡単に抑制出来るものなんですか?」

父「お父さんは“恥ずかしい想像”をしてしまった。例え親子だって、謝るべきことはちゃんと謝らねば」
 「不幸は人間を頑(かたくな)にするものだ」
 「聖者と言うと、聖(ひじり)ですか? ・・あいつはただ、
  自分より不幸な人間の傍で希望を取り戻そうとしているだけですよ。
  幸せだったら、案外俗物になっていたかも知れません」

警官「立派な身なりの紳士がいきなりステッキで・・」
藤崎「では、診察しなきゃならんのはそいつの頭かな?」

美佐緒「自分でも(動揺しないって)自信持っていたのに・・女ってダメね」

藤崎「あの人(=美佐緒)は、自らの幸福を切り拓(ひら)いて行ける人だよ」
峯岸「脂汗を流しながら、ね」

中田の妻「わたくし、近頃、中田の言う逆を逆を、信じる気持ちとなっているものですから・・バカな夫婦ですわ」

峯岸「人間って、俯(うつむ)いて歩いたらダメですよ、ちゃんと胸を張って上を向いて」
中田の妻「あなた・・先生をお好きなのね」

追記1:クロサワの“医学3部作”は『酔いどれ天使(1948)』『赤ひげ(1965)』と本作、とされる。
追記2:同様に、クロサワの“復員3部作”は『素晴らしき日曜日(1948)』『野良犬(1949)』と本作、とされる。
追記3:『酔いどれ天使』時代と大きく異なり(=^_^=) 「ここは静かにハナシをしようじゃないか」「円満な解決は出来ませんか?」と穏やかな性格を覗かせるミフネ。最後の最後にブチ切れて、凶暴なやくざに転職する、とか2太刀ずつ素早く叩っ切る、とかの暴挙に及ぶんじゃないか・・とヒヤヒヤしてしまった(⌒〜⌒ι)

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2008年6月22日 (日)

☆『ゼブラーマン(2003)』☆

数ヵ月前、民放・深夜で流された(きっと地上波初だったハズ☆)邦画『ゼブラーマン』を20日(金曜)&21日(土曜)の2夜に分け鑑賞。ぼちぼちHD(ハードディスク)内に埋もれたままの映画群を鑑賞し(不要であれば)どんどん消してゆかねば・・ってことで。

監督:三池崇史、脚本:宮藤官九郎、主演:哀川翔なる黄金の(?)トライアングルで実現となったSFアクション。哀川兄貴の“主演100本記念作品”でもあるそう☆

2010年の近未来(!)。横浜市八千代区を舞台に、地球侵略を目論む知的生命体を相手に、正義のヒーロー“ゼブラーマン”を名乗り立ち上がる中年ダメ教師の活躍を描いたコメディテイストの邦画。

全体的にどうにもゆる〜い感じであるも“ポイントは的確に押さえてる”クドカンのホン(脚本)を、三池さんが気負いなく(きっと楽しんで)描いたって感じで、独特のお気楽っぽい世界観が展開していた☆
哀川演じる、八千代小学校の学年主任(3年)・市川教諭は「真面目で不器用」なキャラをほぼ一貫して突っ走るが・・彼と並行し、独自に地球侵略計画を探る“防衛庁特殊機密部”所属の2隊員=及川(渡部篤郎演じる)&瀬川にもまた強烈な個性+魅力があってステキだった(=^_^=)

大雑把だが味わいあるCG群、ヒーロー像を独自の視点から追求(?)する物語思想など、全体的な印象にはあの『大日本人(2007)』にも通じるモノが感じられ面白かった。

一応のヒロイン役とし鈴木京香さん(転校生=浅野晋平くんのお母さん役)が出演しておられたが、彼女が1シーンで演じてみせた“ゼブラナース”のコスチューム造形が何ともワタシのハートを射抜いてくれた(⌒〜⌒ι)
柄本明(北原役)、徳井優(放火犯役)に惨たらしい“退場シーン”を準備したり、田中要次を1カットながら効果的に(=^_^=)配したり、ウッチャン(内村光良)演じる“どっかアウトロー”な一本木教諭、大杉漣の好演した“謎がいっぱい”の教頭・目黒国治など、怪優(?)群を適材適所で使いこなしてるなぁ〜とホレボレさせられてしまった次第だ(=^_^=)

ネタ的には『リング(1998)』『ドリームキャッチャー(2003)』『光る眼(1995)』『パラサイト(1999)』『スポーン(1997)』『マスク(1994)』『妖怪大戦争(2005)』辺りのキャラや演出を引っ張って来てた感じもしたか。

劇中劇とし描かれたヒーロー特撮番組「ゼブラーマン」(“花を愛するタフな男”十文字譲(渡洋史)を主人公に昭和53年3月から放映開始されるも、視聴率低迷(1.8%)のため、わずか7話で打ち切りとなり、その後はいっさい映像ソフト化も再放送もされていないカルト作)の「それっぽい映像センス」が素晴らしい! 主題歌を歌手・水木一郎氏に歌わせる、と言う徹底ぶりだし!(⌒〜⌒ι)

なお、本作ではクドカン流の“ヒーローの条件”とし「空を飛べること」が筆頭(?)に挙げられていた。私的には「飛べなくても、(例えば)強力なビーム(=破壊光線)をボディから射出できる能力」なんかの方こそ重要じゃないの? と思ってたが・・本作を観て「あ、“飛べる”と言う条件が大切なのは、人類が重力に勝てない(克服出来ない)以上、窮地に陥った(=高所から転落しかけた)彼らを“必ず助ける”ために必要不可欠な能力(の1つ)に他ならないからなのかもな!」と再認識させられた。

〜 こんなセリフもありました 〜

瀬川「やっぱり安い風俗はやめた方がいいですよ」 ←股間が痒い(!)と言う及川に
及川「安い風俗はね、都会の縮図なの」

上官「人間以外の生命体が、この八千代区に生息している」
及川「ケジラミですか?」

市川「怒鳴る練習はしてるんだけど、練習してる時点で・・ダメだよね」
  「ヒーローには、バイクが必要だ・・(バイクを買うけど)ごめんな」
  「お父さん、空、飛べると思うか?」
  「飛べると思います? ・・訊かなきゃ良かった・・」 ←問われた鈴木京香が、悲しそうに首を横に振る、、

市川「はい! それでいいと思います」
目黒「何が?」
市川「えっ?」
目黒「全然聞いていないじゃないですか!」

市川「ちょっとトイレに・・」
目黒「先生、トイレにカバンは要らないだろ?」

ゼブラーマン「えっ?」 ←殺人現場に出くわして
カニ男「何だお前?」
ゼブラーマン「(小さな声で)ゼブラーマン・・」
カニ男「あぁ?!」

瀬川「お、及川さん」 ←エイリアンの遺体を前に
及川「ん?」
瀬川「あの、触んない方がいいんじゃないですか?」
及川「何だ、ダメなの?」
瀬川「いや、分かんない・・たぶん」

市川「卒業生(への生活指導)はいい(=要らない)んじゃないですか?」
一本木「ダメですよ!」

目黒「あんたは何も分かってないよ! もう来るとこまで来てんじゃんよ!」
  「信じれば、夢は叶う(Anything Goes!)」

駄菓子屋「お巡りさ〜ん、早く撃って、撃って!」
警官「撃ってったって、相手は子供でしょお?!」

及川「いやいや、そんな大事な話じゃないんだけどさ・・
   チャチャッとさ、地球守ってよ・・あんたヒーローなんだろ?
   ・・ボロボロだもんね。ごめんね、なんか変なこと言っちゃって。
   気にしないで、じゃね。あ・・血出てるよ、消毒して」

上官「みんな頭がおかしいんだ! それでも生きていかなきゃならないんですよ!」
  「ニッポンに核兵器は不要であります」

放射能戦隊アレキサンダー「こうなりゃ、放射能だ!」 ←戦隊を名乗りつつ、ソロなヒーロー、、

〜 (おまけ)「TV版ゼブラーマン」タイトル一覧(台本による) 〜

第1話「緑の地球は今いずこ」
第?話「変身!ゼブラーマン登場」
第5話「決着!巨大蟹男の最後」
第7話「車椅子の少年が見た悪の世界」
第24話「ゼブラーマン死す! そして地球は失われる」←幻の最終回! ってか負けてんじゃん!

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2008年6月19日 (木)

☆『D.O.A.(1988)』☆

18日(水曜)の夜、衛星第2ちゃんねるで放送されてた『D.O.A.』を5分程度の遅れ(×_×)ながら鑑賞した。
ハッキリ言って本作、何の予備知識もなかったし、何の期待もしてなかったんだが(スンマセン・・)、それ故に主人公のカップル(?)をデニス・クエイド&メグ・ライアンが好演し、そこにシャーロット・ランプリングさんが絡んで来る! とそれだけでもう「鼻の下」や「股の下」が知らず知らずのウチに伸びてしまうのだった(危ないぞ!)

元々は『都会の牙(1949)』なるフィルム・ノワール(暗黒映画、犯罪映画)のリメイクと言う本作。意外にも荒唐無稽っぽいサスペンスだったりする!

某大学に勤務するデックス・コーネル教授(デニス)は青年期に執筆した小説で華々しい文壇デビューを飾るも、その後はスランプが続き“過去の栄光”にしがみつきっぱなしの人生。

遂には妻のゲイルにも「離婚届」を突き付けられ、自暴自棄になって行くコーネル。
そんな中、キャンパスで事件が起こる。
彼に憧れ(?)作家を目指す学生=ニック・ラングから渡された“自信作(小説)”をコーネルが開封すらしなかったことで、衝撃を受けた彼(ニック)はコーネルの執務室がある棟の屋上から投身自殺。
そのことを知ったゲイルは何故か、夫以上の衝撃を受けるのだった・・

ある日、チャーミングな女子学生=シドニー・フラー(メグ)とヤケ酒を飲んだ翌朝(←肉体関係なし!)、体調を崩したコーネルが病院に行くと・・何と彼は何者かに猛毒=塩化ラジウム(RaCl2)を盛られていたのだった!
医師に「24〜48時間で死に至る」「解毒剤は効果がない」と宣告されるコーネル(×_×)

誰が? 何のために俺を? 半ば思考の混乱した中、コーネルが帰宅すると・・奇しくもゲイルが何者かに頭部を殴打され、息を引き取るトコロであった。。

警察に連行され「ニックの死が自殺でなく殺人であること」を刑事に聞かされた彼は、自らが「ニック殺し&ゲイル殺しの最有力容疑者」となってしまっている状況を知る。
人質を楯に警察署から逃げ出した彼は、事件の真相を晴らすためシドニーに逢いに行くのだった・・

本作のタイトルである「D.O.A.」は“到着時死亡(Death On Arrival)”なる捜査用語の略らしい。てっきり「Dead Or Arrive」だと思ってたんだが・・(・ω・)

観てるうちに「実はハードボイルド気取りな作品」だったんやな〜と気付かされる本作。
序盤ではすっかり「フヌケ感」漂う主人公が、次第に死の恐怖を克服し(?)ニヒルな言動を炸裂させるようになる(=^_^=)
随所で“哭きまくる”エレキギターの即興的な(?)響きがいかにも『ストリート・オヴ・ファイヤー(1984)』辺りを彷彿とさせてくれて、苦笑してしまう(=^_^=)

当時のメグの、どうにも素晴らしいキュートさとふた昔前(?)なパーマスタイルはやっぱり可愛く、デニスのダーティでモノクロ映像の似合う“陰(憂い)を含んだ表情”もなかなかに味があった。

ストーリーは特に中盤以降、凄まじい「暴走」を開始し、次々と登場人物が死んで行くんだが・・眉間を撃ち抜かれたり、(底なしの)タール坑に真っ逆さまにボチャンしたり、と色んなバリエーションがあって観客を飽きさせない(おい!)
「主人公が死にかけ」と言う特異な(?)設定であるが故か、相手キャラと1対1で語り合うシーンにおいては、相手がペラペラと真相を語ってくれるのが笑えた。死に行くものには、誰もが無防備なのねん、、(・ω・)

〜 こんなセリフもありました(細部、間違ってるかも) 〜

“毒を放り込めば、毒が出て来る” ←あるプログラマー曰く
“死は一時の休息”
“生を追究すれば死を見いだす、死に眼を向ければ生に至る” ←シェイクスピア曰く(?)

コーネル「“出版か消滅か”それがこの世界の常識さ」
    「死など自分には縁がないものと思っていた」
    「死を目前にすると、生の実感を覚えるのさ」
    「金や名誉で成功は味わえない・・情熱は自分で勝ち取るものだ」

コーネル「何故別れる?」
ゲイル「生きていないから」

ルームメイト「ねぇシドニー、ジムに行かない? ・・あら、もう“運動”は済んだようね」

コーネル「下らん想像しか出来んのか?」
刑事「下らん世の中だからな」

※「どうやってその事実を?」
コーネル「超能力でね」

コーネル「生きる意味を忘れていた」
シドニー「遅くないわ、あなたはここにいる・・生きて!」

追記1:大学の敷地内に、訳の分からない「タール坑(タールの池)」が、、危ないやろ、それ!
追記2:異常に銃の扱いが巧い主人公・・に違和感(・ω・)
追記3:手錠で繋がれての逃避行、と言うのは演出的に“アリ”としても・・瞬間接着剤で自分の右掌と相手の左手首をくっ付けるってのはどうよ?
追記4:冒頭やラストで唐突な“モノクロ映像”に切り替わるんだが、コレがなかなかカッコ良かった! ロバート・ロドリゲス監督辺りも実は本作を観て「しびれた」クチかも知れない(=^_^=)

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☆『ニュースの天才(2003)』☆

さる6日(金曜)の深夜に放送されたのを録画しておき、15日(日曜)&16日(月曜)の2夜に分け鑑賞した。
以前からそのタイトルだけは知っていたが「きっと報道関係のむづかすい作品なんだろうな〜」と何となく敬遠してもいたのだ(⌒〜⌒ι)

確かに、観始めて30分ぐらいは「お固い『ザ・ペーパー(1994)』路線かよ・・」と『骨太で面白味に欠ける“業界モノ”』かと思ってしまったんだが・・約35分後にワタシの中で何かのスイッチが入ってしまった!

「・・おお?! コレは何ともまぁ、ミスリーディング(引っかけ)な・・!」
こんな“途中から急加速して来る”感覚ってば『ユージュアル・サスペクツ(1995)』以来、久々のモノである(=^_^=)

ってことで、作品全体を振り返れば「ちょっとムリがあるよなぁ・・?」って気もするが、どうやら本作は“実話が元ネタ”らしく「そう考えたら、有り得たハナシなのかもなぁ・・」と、単なる観客に過ぎないワタシの理性までもがしっかり揺さぶられてしまった次第だ(×_×)

1914年創刊の“ワシントン・ニューリパブリック誌”は、今や“全米の政治評論の旗手”である。それは、1万6,800種ある雑誌の頂点に君臨し、合衆国大統領専用機(エアフォース・ワン)に唯一設置されている権威的な存在なのだ。 
1998年の時点で記者と編集者をあわせ15名。驚くべきことに、彼らの平均年齢はわずか26歳であった。
その最年少記者が、当時24歳の主人公=スティーヴン・グラス(ヘイデン・クリステンセン)。

「春の異常事態」「ジャングル」「バカ騒ぎ」「没落の後」「ケシの行商」「安物スーツ」「追放」「高く付いた打ち上げ」「裏切り」「自然の状態」「困った状況」「ずぶぬれ」「陰謀者たち」「グリーンスパン万歳」「モニカの成功」「精神衛生の危機」「三位一体」「有望なサンタ」「やめとけ」「バカの子守」そして「ハッカー天国」・・数々の名コラム記事で、読者を魅了して来たスティーヴンは、今や“憧れのスター記者”とし、母校(?)“ハイランドパーク高校”の教壇に招かれている。
「7年前は、僕も君たちのように・・教壇を見上げる学生の1人に過ぎなかったのさ」と親し気な笑顔で生徒たちに語りかけるスティーヴン。

彼の語る「ニュース業界の内幕」と交互に、これまでの(成功に至る)スティーヴンの経歴がかいつまんで披露される。
女性教師は「たまには退屈な記事も書いて。目標が高過ぎるの」と苦笑混じりにスティーヴンに賛辞を贈る。
そして終盤、

“ワシントン・ニューリパブリック誌”の会議室で、
“ハイランドパーク高校”の教室で、

2つの大きな拍手が沸き起こるが・・それらが向けられた相手とは・・

オープニング(クレジット)で、本作のプロデューサーが「トム・クルーズ&ポーラ・ワグナー」であることを知った!
う〜ん、確かにトムクルが若ければ自身で必ずやスティーヴン役を演ってた気がするな(=^_^=)
ヘイデンくん、最近では“おかしな空間移動能力”に目覚め、すっかりハマってるようだが(=^_^=)、本作ではそんな“特異体質”に頼ることなく「眼の演技」で堂々と勝負をかけてくれる!

何を書いても“ネタバレ”ぽくなってしまうんで、レビューを仕上げる身としてはツライんだが、、取り敢えず「約35分後」に浮かび上がる「?? ⇒ ?! ⇒ !!」の瞬間をぜひ味わって頂きたいトコロだ☆

〜 こんなセリフもありました 〜

スティーヴン「記者には目立ちたがり屋が多い。そんな連中のお陰で“逆転現象”も起きる」
      「控え目で親切な者がかえって人目を引く」
      「人の愚かな行動を書く方が面白い、それは人間的な記事となるからだ・・人を描くのが報道だ」
      「誰を相手に書くか、分かってないと駄目だ。彼らが何に感動し、何を恐れるか・・そこが狙い目だ」
      「良い編集長も、悪い編集長もいる。最低でも1度、良い編集長に巡り会えるといい。
       立派な編集長は記者をかばう・・記者のために戦ってくれるんだ」
      「記事にすべきか・・迷う話だ」
      「常に求められるのは、正確な内容の記事だ」
      「ジャーナリズムは、真実の追究だ」

※「中傷されて怒るのは、世間から忘れられた負け犬だ」
 「何かしでかしそうな自分が怖くて仕方ない」

チャック「怪し気な人間が“1つだけ”と言ったら君はどうする? 信じるのか? 全部を調べないのか?」

弁護士「“人心”という側面も考慮しなければならない」

マイケル「私の時も※※したのか?」

追記1:「それが正しいかどうか?」を判断する場合において、我々はどうにも「彼の言葉」より「彼の人間性」にまず視線が行きがちである。「言動の良くない者」「取っ付きにくい者」はそれだけで「悪」と決めつけてしまうトコロがある。そう言った“色眼鏡”を、本作は外してくれる。
追記2:劇中に登場する最強の少年ハッカー=イアン・レスティルが“ハッカー集会”で「カネをよこせ! カネを見せろ!(Show me the money!)」と連呼するシーンがかなり笑えた。まんまトムクル主演作『Jerry Maguire(1996)』ですがな(=^_^=)
追記3:エンドクレジットまで観ると「主人公は前編集長=マイケル・ケリー(ハンク・アザリア演じる)だったのかも」と感慨深いモノが胸中に浮かんだりもした次第だ。

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2008年6月17日 (火)

☆『秘密結社鷹の爪 THE MOVIE/総統は二度死ぬ(2007)』☆

さる2日(日曜深夜)の放送を録画しといたモノを、14日(土曜)に鑑賞。
先日かいつまんで(=^_^=)紹介させて頂いた短編アニメ『古墳ギャルコフィー/桶狭間の戦い』に続き、ホンマに唐突に物語は始まるんだが・・残念なことに「バレーボール中継の延長のため25分繰り下げての放送」ってことで・・終盤で無情にも終わってしまったのだった(×_×) う〜ん、消化不良〜

地味な時間帯ながら“地上波初放送(!)”された劇場版長編アニメ。監督&脚本&声の出演を“FROGMAN”なる島根県在住(?)の人物が1人で担当しており、バカバカしいんだけど、凄い!
しょっぱなに“「作ったのはね!」蛙男商会”なる彼のロゴが表示されるんだが、それが妙に誇らし気にも見えてしまった☆

島根県で結成され(?)現在は東京・麹町の何処かにアジトを構える“ベンチャー秘密結社”『鷹の爪団』。「たぁ〜かぁ〜のぉ〜つぅ〜めぇ〜」を合い言葉に、日々世界平和の実現に向け頑張っている(何をだ?)。

が、資金難とそれに乗じた(?)天敵(=^_^=)“デラックスファイター”の恐喝(=^_^=)により、銀行から何とか融資の叶った110万円も彼に奪われ(?)・・遂に団員らは“夜逃げマシーン”で深夜の逃避を敢行!
・・が、立ちはだかった“大家のオバさん(50歳)”の追撃を振り切るべくブースターを最大出力で噴射したトコロ“夜逃げマシーン”は宇宙空間へ飛び出してしまうのだった、、

そのマシーンに「大気圏突入能力」などない事実を知った団員らは死を覚悟したり、数少ない食い物(=たった1つのパン)を奪い合ったり(=^_^=)するが・・そんな彼らの前に“ナチュラルトランス財団”の所有する巨大宇宙実験ステーション『ピースボール』がその姿を現す!

「渡りに船」とばかり、ステーションに乗り込む団員らだったが、その施設こそは人類最大最凶の存在“フェンダーミラー将軍”とその6人のクローン人間の潜む、悪の本拠地なのであった・・! みたいな流れ。

ストーリーは強引だし、あんまり面白くもない(・ω・)
本作で観るべきは“FROGMAN”氏の持つ、自虐的かつサブカルチャー崇拝主義っぽい精神世界から次々と放たれる、驚きの小ネタ群と、全編を通じ交わされる登場人物らのとんちんかんで狂ってるような会話の数々と言えよう(=^_^=)

画面右端に“バジェット・ゲージ”なる縦長のバーが設置され、コレが本作に残された予算額を視覚的に表示している。
で、ムリしてタイトルでCGを多用するもんだから・・オープニング終了時点で既にゲージが半分近くまで減っている、、ナニやってんだか(×_×)

前述の通り“フェンダーミラー”による「世界各国の要人誘拐計画」「全人類老人化計画」などが具体的に動き始めた辺りの「CM突入」をもって、ワタシの本作鑑賞はいきなり終わってしまったんだが・・まぁ面白い部分は大体楽しめたかな、とそれなりに満足している。

セリフの一部がどうにも“小学生レベル”で、思わず気恥ずかしくなりTVのボリュームを下げたりしてしまう箇所もあったが(⌒〜⌒ι) 特に「総統」と「戦闘主任・吉田くん」の掛け合いのパワフルさはなかなかのモノだった!
エッセンスを抽出し、更に洗練すれば、そこいらのプロ漫才師を圧倒出来るぐらいのネタに仕上げられそうな予感がする☆

内容のなさにちょっとゲンナリもしてしまうが、たまにはこう言う「何も残らないが、思い返すと部分的におかしさが黄泉がえり(=^_^=)、こみ上げて来る」そんな作品も大事なんじゃないか、と感じた。

〜 是非、実際に聴いて欲しいセリフ&掛け合いの数々 〜

吉田くん「劇中に告白タイムを設けていますので、結婚されている皆さんは、この機会に離婚して下さい」
    「もうエッチな本は読みません! もうエッチな本は読みません!」
    「エッチな本を差し上げます、エッチな本を差し上げます」
    「ここの劇場の売店で売ってそうな微妙なグッズならあるぞ〜!」
    「あっ“外資系OLの基礎体温”だ」
    「総統、気を付けて下さいよ! 本作のタイトルによれば、
     まだもう1回死ななくちゃいけないんですから」

総統「(そんなことを)もう何度もやらせていたのかね!」
  「人間なんて宇宙から見れば、ほんの(地球の)表面に生えたカビほどにも目立たん存在じゃ」
  「誰かがこの世界を1つにまとめなくては」
  「泣くんじゃない、世界には我々が流す涙よりも、もっと悲しい涙があるんじゃ」

レオナルド博士「うるせぇな、興が乗っちまったんだから仕方ねぇだろ!」

デラックスファイター「悪の秘密結社に資金提供するような銀行は、まとめて木っ端微塵だぁ〜」
          「僕らは仔馬よ〜! 緑の丘を駆け抜ける仔馬よ〜!」
          「仔馬のように汗をかけ〜!」

デラックスファイター「みんな一般庶民だったら、構わず(デラックス)ボンバーやっちゃうけどな〜」
総統「お前、ホントに人間のクズだな」

総統「菩薩峠くんが何処にもおらんぞ!」
吉田くん「エッチなケーブルテレビのカードを買いに行ったんじゃないでしょうか?」

総統「何だね、この不気味な部屋は?」
吉田くん「まるで島根県みたいです」 ←このやり取りが一番笑えた(=^_^=)

総統「これはクローン人間じゃよ・・!」
吉田くん「長い下積み生活を続けているってことですね?」
総統「それは苦労人じゃろ!」

総統「わしの予感が当たっていれば・・これはとんでもないことじゃ」
吉田くん「予感って恋の予感ですか?」

フェンダーミラー「お前たちは余程のバカか、救いようのないバカだな」
吉田くん「結局バカ扱いですよ、総統」
総統「う〜ん・・みんな気軽にバカバカ言い過ぎ!」

吉田くん「トイレは何処にすればいいんですか?」
敵兵「部屋の隅っこにでもしてろ!」
吉田くん「何だ、いつもと同じことか」
総統「部屋の隅におしっこをしていたのは吉田くんじゃったのか?!
   ・・こんな時に衝撃的なカミングアウトされても、怒る気になれんが・・」

総統「吉田くん、わしはもう駄目じゃ・・」
吉田くん「総統が駄目なのは、何も今に始まったことじゃないじゃないですか?」
総統「何気に厳しいことを言うねぇ〜」

副官「副大統領、大変です!」
合衆国副大統領「どうした? ワイフが弁護士と駆け落ちでもしたのか?」

日本の大臣「どうしたものかなぁ・・」
他の大臣「まぁア※リカに従っていればいいんじゃないか?」
一同「そうだな!」

総統「舌を入れて来るな! ・・歯の裏側を舐めるな!」
大家のオバさん「仕方ないだろ、(人工呼吸の)途中であたしの“女”が目覚めちまったんだから・・
        イヤだよ、久しぶりに“体の芯”が熱く疼くじゃないさ」

大家のオバさん「何だよ、何であんな情けない男の顔なんか思い浮かべるのさ・・
        イヤだよ、すっかり体が火照っちまったよ」

追記1:“映像ネタ”では、オープニングCGの中で、受精卵が上下にパカッと分かれ、(中から出て来た)猫のシルエットが腰(シッポ)を振る演出が最高に素晴らしかった! タマじゃんか!(=^_^=)
追記2:「日本の“住”」につきものの「家賃、敷金、礼金、共益経費」を「そんな生ぐさいもの」とセリフの中でバッサリ斬り棄てた“FROGMAN”氏に、心の中で思わず喝采を送ってしまった(=^_^=)
追記3:悪の元凶=フェンダーミラー(オリジナル)とその6人のクローンがとにかく連携出来てないのが面白い。同じ人間のコピーと言っても、思考&言動がピッタリまとまる訳じゃないんやね。。相手を侮蔑する際の「黙れ、おそ松!」ってなセリフも「ネタなんやな〜」と。
実際の(クローンの)研究がどうなってるのかには詳しくないが・・案外“この程度”なんかも知れない(・ω・)

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2008年6月16日 (月)

☆『古墳ギャルコフィー/桶狭間の戦い(2007)』☆

さる2日の放送を録画しておいたモノを14日(土曜)に鑑賞。
“ヘタウマ&チープ映像がカルト的人気を呼んだ”と深夜番組「サンデーシネマナイト」の冒頭、紹介テロップに書かれてたが、、私的には「ヘタでチープなのはその通りやけど、決してウマくないやろ!」とまずそこからツッコんで差し上げたい(=^_^=)

古墳高校に通う、女子高生コフィーとその友達ダニエルが、不気味なヴィジュアルの担任・桶狭間(本能寺の変と呼ぶのは間違い?)と共にいきなり時空を超え、戦乱の世(1560年6月=永禄3年)に叩き込まれる展開。

元々のキャラ設定や世界観が全く分かってないので・・短い作品中、最後まで「?」が消えないままだった(×_×)
何せ「桶狭間先生は元々は落武者姿じゃなかった」ってトコにまず“ネタ”が振られるんだが「そんなのどうでもエエわい!」と言いたくなる気持ちが生じてしまう。
ま、それを言っちゃうと製作者=FROGMAN氏の“思うツボ”なんだろうけど(⌒〜⌒ι)

とにかく展開が早いので、それをわきまえた上での“確信犯”的なセリフ、

ダニエル「いきなり核心をついた結論に至っちゃうんですか?」

なんてのが痛快ではあった(=^_^=)

敵将・今川義元はそんなに出番がなく、中盤以降は顔色も悪いまま(⌒〜⌒ι)だったんだが・・彼の手下連中が彼以上にバカでトボケたキャラぶりを遺憾なく発揮してくれた☆ 特に、

義元「お前ら馬鹿じゃろ!」
家来「割とね〜」

などと言う掛け合いはライトタッチながら秀逸だったかな、と。

コフィーが終盤において、いきなり流暢な英語で「one shot,one kill.」と言ってくれるのが一番面白かった。

こんなセリフも良かったですね☆

桶狭間先生「この(建物の)中に入った者は生きて帰って来ないと噂じゃから・・死にたくなったら入るように」

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2008年6月14日 (土)

☆『酔いどれ天使(1948)』☆

12日(木曜)。衛星第2で放送されたモノを録画しておいた、黒澤映画『酔いどれ天使』を3日に分け鑑賞した。この日、ようやく観終えた次第である☆

以前、少し関わりのあった「自主制作映画と任侠作品の鬼」みたいな方(最近はお元気なんやろか?)が言うに「黒澤作品で最も好んでいる1本」とのことだったが、ようやく鑑賞が叶った。
いつもながら「モノクロ時代のクロサワ、まるで水を得た魚のように凄まじいな・・!」と圧倒される。

戦後、復興期をひた走る東京。が、その下町で静かに忍び寄る「結核菌」の存在に人々は怯えていた。

舗装の進んでいない闇市(=南新町マーケット)の広場。大きなどぶの傍にある「眞田醫院(=真田医院)」では、名医だが「貧乏・アル中・毒舌」の中年医師・真田(志村喬)が儲け(営業)を度外視した“面と向かっては(患者を)罵倒するも、実は思いやりに溢れた診療”でささやかに近隣住民の支持を集めていた。

そんなある夜「ドアに手を挟まれた」として“ちょっと苦みばしった痩せっぽちの青年やくざ”松永(三船敏郎)が医院を訪れる。果たして、執刀した彼の患部からは“鉛玉”が転がり出す。
本当は“抗争で被弾した”モノだったのだ。

治療の中で、彼が肺結核に冒され、恐らくはその肺に穴が開いているであろうことを掴んだ真田は「酒・煙草・女は禁止だ!」と言い付け、彼の自堕落で無軌道な生き方を修正しようとするが・・持ち前の毒舌が災いしてか(?)松永は一向に暮しを改めようとせず、下町の「顔」として“肩で風を切り”闇市を闊歩するのだった。

そんなある日、傷害事件を起こし服役していた松永の兄貴分・岡田が4年ぶりに娑婆(シャバ)に舞い戻る。一度は真田の元に足繁く通い、改心の兆しを見せ始めたか・・に思えた松永だったが、岡田の影響で、またもや「酒・煙草・女・博打」の悪循環に転げ落ちてしまう。

賭場でついに吐血⇒昏倒し医院に運び込まれる松永。「絶対安静」を真田に言い付けられた彼だが、やはり看護師・美代(中北千枝子)の制止を振り切り町へ・・。
花屋で“この界隈は今や岡田の縄張りだ”と耳にした松永は、親分の真意を聞きに本拠へと向かうのだが・・

ウィキペディアにも記載の通り(=^_^=)、黒澤監督の描きたかった(?)主人公像=真田医師を超え、準主役である松永=ミフネがすっかり主役を喰ってしまってる感があった。
が、ワタシなりに感じたのは「クロサワ自身にも“主人公を真田に引き戻すための(挽回的)演出を敢えて(脚本に)盛り込まなかった”と言う「狙ってた部分」があったのでは?」ってこと。
ある意味、それ程までに当時(彼の)感じたミフネの印象が強烈だったんだろう(ご存じの通り、本作は“ミフネ初登場のクロサワ作品”である)。

ちんぴらが自滅して行く物語、と言えばひと言で「粗筋に変わるもの」となるが・・そこを視覚的に彩る三船の強烈な「言動・パワー・輝き」が確かに本作の見所ではある。
前半では白スーツ、後半からはダークスーツ・・と“お色直し”するのも面白い。

番組解説においては「本当の主役はある意味“どぶ”」と言う刺激的なコメント(=^_^=)が交わされてたが、確かに(ロケ移動の比較的少ない中)要所要所で映し出されるどぶの様々な表情&映像表現は、それだけで強烈なビジュアルイメージを観る者に叩き付ける。モノクロならではの味わいに「どんな色をしとるんやろ?」と思いを馳せるのもアリだろう(馳せるなよ!)

全編を通じ、真田医師を支え続けたのが中北千枝子さん演じる看護婦・美代だったが(←後半で急に出て来なくなりちょっと気になる(・ω・))、それよりも(2シーンのみ出演の)女生徒(久我美子)と(1シーンのみ出演の)ブギを唄ふ女(笠置シヅ子:クレジット表記は“笠置シズ子”)の方がはるかに強烈であった。特に後者、、(⌒〜⌒ι)

私的には「最後は改心モノか?(所謂「君は悪くない」「ごめん、今まで」的な、、)」と予想してたが、流石は黒澤、徹底的に“暴力を否定”するオチを描き切った。

が、1シーン「長いな〜」と感じたのは、終盤の「松永vs岡田」の対決だった。劇中で唯一(?)の「アクションシーン」ではあったが、あそこはアキ・カウリスマキ監督『白い花びら(1999)』の終盤みたく、断片的に描き、(真相を)観客の想像力で補わせて欲しかったものだ(・ω・)

ほか、劇中で黒澤作詞による1曲「ジャングル・ブギ」が笠置女史により披露されるが、歌詞にあった“♪骨の溶けるような恋をした”の一節を聴いて、思わず松任谷由実(ユーミン)の「真夏の夜の夢」を思い出してしまったワタシである。。

〜 眞田語録! 〜

 「タダ飯喰ってるヤツからは、出来るだけボることに決めてるんだ」
 「結核患者5人持ってりゃ、医者は左団扇(うちわ)だからな」
 「聴診器で何が分かるもんか、そんなものはおまじないだよ、医者は格好が付かねぇからあんなことするだけさ」
 「お前んとこの酒はアルコールよりも石油に近いんでな」
 「元来、医者って商売がバカらしいんだから仕方がねぇよ、この世の中に病人がなくなったら
  一番困るのは医者だろ? それなのに、医者ってヤツはその病人をなくす事ばかり考えてるんだからな」
 「説教聞いて出直すには老け過ぎてらぁ」
 「グレるにはグレるだけの訳があるんでな」
 「あいつは何て言うか・・芯がやられてやがるんだ」
 「お前の一生は、まだ半分残ってるよ」
 「病気を恥ずかしがる、お前の根性がおかしいんだ、お前たちはそれが勇気だと思ってやがる・・
  俺に言わせりゃお前たちほど臆病者はないよ」
 「年寄りはそうじらすもんじゃねぇ」
 「酒喰らってへべれけにならなきゃ、ここへ来られなかったんだろ? 情けねぇヤツだ」  
 「何処の死に損ないだ? とんだ時間に世話焼かせやがる」
 「何がムリだ、いつもムリばかり通してやがるくせに」
 「お前の肺ばかりきれいにしようったって駄目な相談だよ、
  お前の周りには腐り切った、ばい菌みたいな奴らばかり集まってるからな」
 「もしその女がこの家にいたとしても、てめぇの声聞いて飛んで出て来ねぇようじゃ脈はねぇんだ」
 「仁義なんてものは、悪党仲間の“安全保障条約”みたいなもんさ、結局はカネだよ」
 「日本人ってヤツは、とかく下らねぇことに身を棄てたがっていけねぇ」
 「結局、けだものはけだものさ、人間にしようなんて考えるのがそもそも甘っちょろいんだ」
 「人間に一番必要なクスリは理性なんだよ」

追記:本作の三船には若い頃の役所広司っぽい野性味を感じた。志村には何処となく老けた柳葉敏郎ってなイメージを感じたりした。

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2008年6月11日 (水)

☆『僕の彼女はサイボーグ』☆

6日(金曜)、、8日(日曜)、、、と立て続けに“上映開始時間”の折合いがつかず、涙を呑んで帰路についた(←大げさな!)期待の1作『僕の彼女はサイボーグ』を本日10日(火曜)の仕事帰り、ようやく鑑賞して来た☆ いや、正直言うと今夜も危なかったんだが。。

ご贔屓のシネコン“ブルク7”で観ようと、劇場のチケット販売カウンターまで進んだが、ふと電光案内を見上げると・・上映時間が変わってたのだ! 次回の開始まで1時間半ほども待たねばならず・・とっさに“梅田ピカデリー”に問い合わせると「15分後の(最終)上映がある」ってことで、梅田の地下道を西から東へと突っ走るおっさんですた(⌒〜⌒ι)

監督&脚本に『猟奇的な彼女(2001)』『僕の彼女を紹介します(2004)』を手がけたクァク・ジェヨン(郭在容)を、主演に(ワタシの中でお株急上昇中の)綾瀬はるかを迎えた青春ファンタジー映画(で良いのか?)。主人公(で良いのか?)に小出恵介(『キサラギ(2007)』など)。彼らの脇を固めるのも、吉行和子、竹中直人、小日向文世、伊武雅刀、蛭子能収・・となかなかに味のある面々。
そんな、そこそこ豪華な俳優陣を配しつつ、彼らの殆どに“大した絡み方”をさせてないことにも好感が持てた。

2008年11月22日の19時26分。「誕生日を祝ってくれる恋人もいない」青年・北村ジロー(小出)はちょうど1年前のこの日を思い出していた・・同じデパート(ロケ地:大丸神戸店!)に突然現れた、アヴァンギャルドなボディスーツ姿の女の子(綾瀬)。微笑みながらジローに近付いて来た“彼女”・・大食いで、馴れ馴れしく、盗癖があり、ミステリアスな“彼女”は、何処から来たのか、何と言う名なのかも語らず、数時間ばかりのデートを終えると“此処でない何処か”へジローを残して消えてしまうのだった。

そして今夜、再びジローの前に“彼女”が姿を現す。が、1年ぶりに現れた“彼女”は何処か様子が変わっていた。自身を「ロボットとは言わないで。私は“サイバーダイン”103型」と紹介した“彼女”は、ジローの周囲で次々に起こる「事件」を鮮やかに解決してゆく。
その行動の理由は? そして“彼女”の究極の目的とは?
戸惑いつつも、次第に“彼女”の粗暴さや(自分からの)感情の伝わらないもどかしさに苛立ち始めたジローは、自身を待つ大きな運命の存在も知らず“彼女”に絶縁を言い渡すのだった・・

うむむ、クァク監督らしい! と言おうか、、漫然と観るだけであれば、全体的に既視感があり、物語もかなりな強引さを維持したまま終わってしまうだけなんだが・・一歩引いて物語世界を眺めると、妙に「深さ」を感じてしまう。
何の取り柄もない、きっと童貞だろう(←放っといたれよ!)ジローと言う主人公が、平凡な人生を生きた最後の最後(61年後=2070年)に(金銭的な)幸せを掴み「決意したこと」が彼自身の過去を変え、そして自らも与(あずか)り知らぬ未来(更に63年後=2133年)の人物に大きな影響を与えたりするのだ!

本作を観終えた日にゃ「生きてる内に精一杯の“エエこと”をしとけば、或いは“未来人”の眼に止まり、巡り巡って“現世での幸せ”に繋がるんかも☆」と言う“何ら根拠のない希望”すら湧いて来るから不思議ってもんだ(=^_^=)

少し気になったセリフは“彼女”の「変えられた時間は、元に戻ろうと必死になる」ってヤツだろうか。時間が意思を持つとは到底考えられないが、何処か「深さ」の感じられる言葉だった。

作品としては『ターミネーター2(1991)』を軸に『A.I.(2001)』『アンドリューNDR114(1999)』『スウィートホーム(1989)』『エイリアン2(1986)』なんかのエッセンスも入ってましたか。“彼女”が2008年に現れる際の演出がまんま“ターミネーター”してて楽しかったが、惜しむらくは接地部分(?)が“球体”に陥没しなかったことか。あすこだけは(製作費がかかっても)徹底して欲しかった。

何処かで綾瀬さんの「瞬きをしないよう演技するのに苦労した」なるコメントを聞いた(読んだ?)気がするが、そうおっしゃってる割に序盤では結構パチクリしてたので「駄目じゃん!」と思ってたが・・ちゃんとそこには理由が隠されていたのでつね・・(×_×)

笑っても、怒っても、踊っても、万引きしても、食い逃げしても、窓ガラスを投石で割っても可愛い(=^_^=)綾瀬さんだったが、やはり最高の魅力は“酔っぱらった時の言動”ではなかろうか、このシーンだけは必見である! ジローの友人連中が余り騒ぎ立てないのも面白かった(=^_^=)

中盤で、妙に時間を長くとってジローと“彼女”が彼(ジロー)の故郷に出かける(疑似体験?)場面が描かれるが、ここでとある人物がジローを迎えるため待っているトコロで、腑甲斐なくもウルウルしてしまった。。
良く観たら・・“がばいばあちゃん”だったんだが、、とにかくこの辺りのシーンにおける妙な郷愁感の盛り上げ方って何じゃ〜い! って思ってしまう(=^_^=)

綾瀬さんに対して好感を持てるか? が本作の唯一かつ最大のポイントであろうが、ワタシとしては大満足のデキだった。「な〜んかしばらく故郷(くに)に帰ってねぇなぁ〜」とお考えの貴兄にも、是非おススメしたい佳作である(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

彼女「ここでアイツが、キスした」
  「あなた、バカじゃないの?!」
  「顔でも、洗って来な!」
  「あなたの心を感じる・・感じることが出来る」

友人「女で廻ってるんだよ、世界は」
  「キミ、なかなかグロいね」

ジロー「僕は歳を取って死んだのか・・僕も死ぬのか・・」

〜 ほか、こんなことも 〜

♦あっさりと“鍋料理”の具材にされちゃったアイツ。あれって「変えたい過去」には含まれなかったんか?
♦カピバラの※※を食べる某部族のハナシ。何かの“フリ”かと思ったんだが。。
♦右にジロー、左に“彼女”を写しての「画面2分割」が近付き、やがて「スムーズに1画面となる」演出があり「イイな!」と感じた。
♦故郷(ロケ地は郡上八幡らしい!)で昔の自分の※※を勝手に持ち出した(?)ジロー。返しといたれよ!
♦“彼女”が2008年に現れる際、パニックを起こしたクルマに通行人の跳ね飛ばされる描写が(一瞬)あった。。妙に生々しかったんですけど(×_×) 校舎から転落するしとの映像も。“吸い殻”で燃え上がるしとの演出も。。
♦不用意に“彼女”の髪を撫でようなどとすれば・・手がズタズタに(×_×)
♦物語の中で、主人公の周囲に起こる「日々メディアで報道される、リアルで不条理な事件」にちゃんと目を向け、丁寧に描いてた演出は何やら珍しく、感心させられた。後半にもなれば、そんなちっこい事件の存在など描きようもなくなるんやけど・・
♦22世紀の貨幣単位は「キャップ」と言うらしい(・ω・)
♦私的には“サイボーグ”と言うより“アンドロイド”かなと思ったが、、どやろ?
♦南京町など、神戸界隈のロケ地が目立っていた☆ メインの舞台は東京なのに? まぁエエけど(・ω・)
♦“ジロー”と言う名はやはり(?)「人造人間キカイダー」からインスパイアされたモノだったんだろうか?(・ω・)
♦バスの旅には「ゆで卵」と「ラムネ」が良く似合う?!
♦やっぱり時代が22世紀になっても“エルヴィス”は偉大でした(⌒〜⌒ι)

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2008年6月 9日 (月)

☆『地下鉄(メトロ)に乗って(2006)』☆

8日(日曜)の夜『日曜洋画劇場』で地上波初放送されたモノを観た。
浅田次郎氏の原作小説を映画化した作品。まぁいわゆる“タイムトラベルもの”なんだが、そこに昨今ブームの“昭和期のレトロ世界観”を巧く練り込んで造っていた。

少年時代、優秀な兄・昭一を“不慮の事故”で失った主人公=小沼真次(堤真一)は、今は家族(小沼家)を棄て、長谷部真次(母方の姓)を名乗って、東京・神田の「岡村衣料商会」で正絹女性下着の営業販売をしている。そんなある日、弟・圭三から「父・佐吉(大手企業=小沼産業の創業者)が動脈瘤破裂&肝臓の腫瘍で緊急入院した」との連絡を受ける。

未だ“兄を死に追いやり、家庭を顧みなかった男”として父を許せないでいる真次は見舞いに行くべきかどうかを思案していたが・・そんな中「永田町駅」の階段を上がり地上に昇った彼は、眼の前に広がる“見慣れぬ風景”に呆然とする・・それは東京オリンピック開催(1964)に湧く“かつての東京”の姿であった。
そして彼は(タイムスリップした)その日、その夜こそが兄・昭一の亡くなった“昭和39年10月5日”である事を知る。直後“すれ違うように駅のエスカレータを昇ってゆく兄の背中”を見つけ、真次は思わずその後を追うのだった・・

う〜・・ん、ネタが“タイムトラベルもの”である時点で「物語世界に手垢がこびり付いてるんじゃない?」と思わされたもんだが、、後半で思いがけぬ“真相”が明かされ、その演出に何となく説得されちゃったワタシだった(⌒〜⌒ι)

過去に飛び「死ぬ運命の人間を救う」と言う主人公の行動は、こと映画において(?)は奏功した試しが存外少ないように思うが・・反対に「生きていた筈の人間が(過去に死んだために)いなくなる」と言う喪失感は、もの凄いモノがあると思う。
それ故、何となく(変わってしまった)運命を受け入れ、すぐ立ち直ってしまう主人公の姿には違和感を覚えてしまった。

前半は「兄」、中盤で「若き日の父」と絡み、終盤でいよいよ「軸となる人物」との関係が明らかになって行く流れであるが、真次の「現在の生活」を合間に見せられる我々としては「何とか・・真相がそうであったにせよ、元のノンシャラン(←仏語らしい!)とした生活に戻れなかったもんかのぉ・・」と感じてしまう訳だ。特にワタシは男なもんで(・ω・)

ときに、一度(退職後or解雇後(げ!)にでも)学んでみたいのが「タイムマシン理論」だったりする。今まで観て来た“その手の”映画の中では、

・異なる時間の中でも「自分が同時に2人」存在する
・異なる時間の中では「自分は同時に2人」存在しない

の2パターンに大別されると思うんだが、それを「作品ごと」「監督ごと」などに分類し系統立て、(作品の)製作された時代の「諸学説との関係」も含め研究してみるのも面白いやろな、と。

今のトコ、他人の時間を研究するまでの時間的余裕には(幸いながら?)恵まれていないんだけど・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

野平教諭「地下鉄なら、乗り継いで行けば、どう廻っても帰れる」
    「この歳になれば、焦る理由もない」

岡村会長「過去を変えると、どっかに必ず歪みが出る」

みち子「あなたは、誰からも忘れられてない」

アムール「ナリのいいヤツは信用出来る、ハラの減ってるヤツは駄目だ」

佐吉「満州ならまだいいが、南方に持って行かれたら・・玉砕だ」
  「テキの弾に当たって、命とられるまでは生きろ!」

お時「親ってもんはね、自分の幸せを子供に求めたりはしないものよ。
   ・・自分の好きな人を幸せにしてやりな」

追記1:仕方ないトコロではあるも「真次の奥さん」「終盤に登場する女性事務員」の2人のキャラの印象や用いられ方が、余りにも薄く可哀想だった。彼女らにもきっと有ったであろう“何らかのドラマの存在”を少しなりと匂わせて欲しかった。
追記2:前半の喫茶店のシーンで、映像の奥に原作者(浅田氏)と思しき姿が一瞬写ってて苦笑させられた。「自身の出演」が映像化の条件だったんやろか・・
追記3:何かの意味を持つかのように、主人公の前に現れる老教師・野平(田中泯)。彼が“タイムトンネルの門番”みたいな存在だったんだろうか?
追記4:地下道を昇ると過去、降りると現在ってことで「逆に、降りて行って現代に迷い込んだヤツもおったのでは?!」と妙に不安になってしまった。。
追記5:過去における“干渉”の結果、現在に存在すべき人物が不在となる・・と言う演出が本作のクライマックスなんだが、、そう言う場合、それに併せ「立ち会った人間の記憶」もまた消えてしまうもんじゃないんだろうか? その辺りが(観てて)一番悩んでしまうトコでもあるのだ、この手の物語では(×_×)
追記6:過去から現在へも、公衆電話を介して通話出来るのが凄かった(=^_^=)
追記7:本作を観てからこっち「ケチャップかけ放題のオムレツ」が食べたくて仕方がない(⌒〜⌒ι) 昼休みに(時間的)余裕を持って喰えるようなお店はないのかしらん、、

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2008年6月 8日 (日)

☆『THE有頂天ホテル/The Wow-Choten Hotel(2006)』☆

7日(土曜)の夜。
三谷幸喜の監督最新作『ザ・マジックアワー』の公開開始に合わせ「土曜プレミアム」で地上波放送された『THE有頂天ホテル』を観た。
確か、昨年末に地上波初放送されるも、見逃してしまった作品だったので「今回こそは!」と気合を入れ鑑賞に取り組むこととした次第。

・・にしても「バレーボール(予選)中継」の延長により“55分”もの放送時間繰り下げ。。作品そのものが3時間近くあったもんで、流石に疲れてしまった。。何とかならんもんかねぇ・・(×_×)

ある年(結局、西暦何年だったんや?)の大晦日、都内(?)の一流ホテル「ホテル・アバンティ」を舞台に、集まった人々(ホテル側&客側)がそれぞれに“予期せぬ出会い(邂逅も含む)”や“笑えぬトラブル”に見舞われつつ、終盤の「カウントダウンパーティー」に向かってその言動・運命を収束させて行く・・と言う流れ。

とにかくキャスティングが豪華であり、演出の細かい部分で「キャラの接続(Aが実はBだったことが判明する)」「キャラの置換(偶然からCがDを演じることとなる)」「キャラ&アイテムの移動(Aが動く事でCに出会う、Bの渡したアイテムが他人の手を次々に介し再びBに戻る)」などの“秀逸なテクニック”が光ってたりもし、その何点かには正直「やるなぁ〜」と唸らされた☆

が、反面「キャラが多過ぎる」ことから「光る演出」「厚いキャラ造形」の全てが奏功してた、とは言い難かった。全体を通し「作り手側が満足してるだけで(観客には)面白くない演出」「引っぱった割に、描けてなかった(薄い)キャラ」も少なくはなかったか、と。
それは劇中のギャグについても同様で、概して「上品で人畜無害な造り」ではあるも「クスリとも笑えんぞ!」と感じた類のも目立ってたようだ。
三谷幸喜ファンじゃないと分かんない“お遊び”も多かったと思われたし。

キャラクターの中では、矢部(戸田恵子)と瀬尾(生瀬勝久)に、もっと内面(ホンネ)を語って欲しくあり、議員・武藤田勝利(佐藤浩市)と演歌歌手・徳川(西田敏行)、それと芸能プロ社長(唐沢寿明)辺りの大物連中が結局、最後にどう新年を迎えたのかの演出・・にはやや「放置プレイ」な印象を受けた。

本作は基本「スラップスティック(どたばた)コメディ」なのだが「更に高密度な同時多発的進行」「時間軸の置換」「キャラの主観毎による同一シーン(再現時)の微妙な相違」「廊下の移動映像を使ってのキャラ交代(それも長回し!)」など・・演出を更に磨きつつ、上映時間も「せめて2時間以内」に収めれば、もっともっと面白く、素晴らしい映画に仕上がったと思う。
「コメディ作品」も「アクション作品」同様、何でもかんでも贅沢に詰め込めばそれで良い、と言う道理で片付く訳では勿論なく・・つまりは「緩急」が大事だと考える。
その辺りから評すると・・「長尺過ぎて、観ててダレて来た」と言うのが正直な感想(の1つ)である。

例えば、俳優陣のレベルを落とし、同じように本作を撮ったとすれば・・きっとメタメタに仕上がってしまったハズで、つまりは「総じると目立って来る“破たん”を俳優陣の豪華さで強引に取り繕った作品」・・そんな感すら漂いはしないか?

ひょっとしたら、三谷幸喜と言う人物は「多人数で豪華な物語を綴りたがるけれど、実際には多人数も豪華なのも苦手なタイプのしと」なんじゃなかろうか? もしそうなら、周囲に担がれムリをするのじゃなく、自身の性格(身の丈)に合った「少人数で短いけれど、ばっちり笑わせてくれ・・そして最後にホロリとさせてくれる」そんな映画を期待したいトコロだ。

〜 こんなセリフもありました(“耳コピー”なので細部は不鮮明、、) 〜

新堂「夢を諦めた青年を見ると、つい感傷的になってしまいまして」
  「演出家の仕事は“幕が開くまで”です。そこからは舞台監督の出番となります」
  「お言葉ですが、家族がいつも優しい言葉をかけてくれるとは限りません」

矢部「“謹賀信念”の誤記・・これはこれで深い意味を感じますが」

ホテル探偵「どんなに明るい太陽の下にも、悪魔はいるもんだ」

芸能プロ社長「たまには“息抜き”も必要ですよ・・この娘に恥かかせないで下さいよ」

武藤田「人前でここまで自分をさらけ出せるってのは・・尊敬に値するな」
   「俺のこれまでで一番の罪は・・政治家になったことかな、有権者を騙した」
   「マスコミの恐さをあんたは知らないんだよ」

ベルボーイ「みんながみんな、夢を叶えられる訳じゃないんだって」
     「やりたいようにやらないと、勿体ないよ」

ヨーコ「何のために大晦日があると? 明日から年が変わるのよ・・そしたら、何か良い事が起きるかも」
   「貴男を1人になんかさせないから! (これまでに)死のうとしてる人の顔を何人も見て来たあたしなのよ」

堀田「今それが公表されると・・間違いなく私の中で“何か”が終わる」

徳川「歌は、趣味で歌ってるのが一番だよね」
  「いいモノ(才能)を持っているとね・・神様は見ていて下さいますから」

元妻「うそなんか要らない、本当のあなたで何がいけないの?」

大富豪「世間なんか関係ないと言うが・・私はその世間で生きているのだ」

ハナ「言いたいヤツには言わせておけばいいのよ」
  「例えカッコ悪くても・・生き延びる道を選びなさい」

ヨーコ「私もここに居ていいの?」
矢部「どうせ何処にいても、年を越すんだから」

追記1:私的に最も印象に残ったのは、地味な「筆耕係」を静かに演じたオダギリジョーだった(=^_^=) それと、恐ろしい“2面性”を見せる西田敏行さん、流石にお上手です(・ω・) ←メタボ〜な裸体のご披露だけはちとご勘弁ですが、、
追記2:“サロペットジーンズ”てな耳慣れぬ(=^_^=)ネタもこれまでに披露して来た三谷監督。今回は“スタッグディレクター”なる特異な職種(?)を登場させた。ちと危う気な変化球っぽいですが・・
追記3:一度は確かにホテルから外へ飛び出した※※※。フツーはもう戻って来ないと思うが?
追記4:堀田を演じた角野卓造さんが「フリ〜ダ〜ム!」と絶叫する姿には苦笑させられた。メル・ギブソン(1995)へのリスペクトなんやろか?
追記5:生真面目な副支配人がポロッと「我々は決して善意でやっている訳ではないんです」と言い放ったのが少し気になった。そこは「言わぬが華」では・・?
追記6:“ホテルまるごと”のドラマを描くんなら『タイタニック(1997)』を見習い「厨房」「ボイラー室」「バンドマン楽屋」などでも(スタッフの)ドラマを徹底し展開させて欲しかった。

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2008年6月 7日 (土)

☆『雪国(1957)』☆

6日(金曜)夜に鑑賞。
同日の昼間、衛星第2ちゃんねるで放送されたものであり、当然ながら放送時間に観ることは無理なので、HD(ハードディスク)の記録可能時間に怯えつつ、録画しといたものである。

雪のしんしんと降る中越地方(新潟県)の湯沢温泉郷を舞台に、東京からやって来た日本画家・島村(池部良)を軸に、芸者・駒子(岸惠子)とその(義理の)妹・葉子(八千草薫)の2人のヒロインの確執と愛情の行方を綴ったドラマである。

「国境の長い隧道(トンネル)を抜けると雪国であった。」と言う原作(小説)における冒頭の一文は、文豪・川端康成の造り上げたシンプルかつ究極の“つかみ”であるが、こんな風に映像になるのか、とまずは感じた。何だか、想像してたより賑やかで詩文性(?)に劣るような・・かつバックに流れる音楽がな〜んか明る過ぎる気もした(・ω・)

“川端文学の最高峰”ともされる本作(原作)だが、映像作品を観た限りでは、情景描写こそ素晴らしいものの、
・ロケーション(場面転換)にやや乏しく、まず物語そのものが長尺(何と134分もある!)
・登場人物のキャラ描写が甘い
・ヒロイン2人(姉妹)の心情がイマイチ伝わって来ない
・物語が(ボリュームに比して)起伏に乏しい
などの“根本的な問題”を抱えてるようにワタシには思えた。

もっとビシバシッと削り「90分前後」ぐらいにした方が印象は良くなった気がする。

原作だと島村は小説家との設定だそうだが、この映画版ではそうでなく、また主人公が「全く絵筆を握らない」どころか「劇中で写生すらしない」のには違和感がありありだった。
東京での彼の生活が全く描写されないことからも「実は何もしてないんじゃないか?」なるクエスチョンが明滅してしまったりする。

駒子と島村の関係も難解である。。
「混浴」や「一泊」をする演出が含まれたんで、きっと“肉体関係はある”と思われるが・・流石にその手のシーンは全く描かれず、更に「葉子と島村の交流」となると、とんと分かんないのだ。

終盤において、唐突に“事件らしい事件”が勃発するんだが、それも何だか取って付けた感があり、その直後に主人公がこれまた急に「雪国から去ってしまう」流れとなるのも戸惑ってしまった。

お恥ずかしくも、原作小説は冒頭の辺りしか読んだ記憶がないんだが、同じ川端文学の『古都』を読んだ時と同様に、実際にしっかり読んでみたら、案外“日本語(表現)的には美しいし、常人には構築し得ない作品世界”ながらも“何処か構成・骨格的に破たんした物語”なのかも知れない(・ω・)

劇中のセリフの中に、何度か「小千谷(おぢや)」の地名が登場したモノで、どうしても約半世紀後にこの中越地方で発生することとなる「新潟県中越地震」を連想するワタシだった。

〜 こんなセリフも印象的でした 〜

※「どうなるんでしょうねぇ・・世の中は」
※「どうも不景気風が吹き捲くりそうだよ」

※「何とかなるんだったら・・今までに何とかなってるだ!」

※「インテリとお見受けしますが」

※「女にこんなこと言わせるようになったら・・あんたもうおしまいよ! 分かる?」

島村「今日はどうも人懐っこいんだよ、今夜は1人じゃやり切れん」
  「今の世の中に合うような絵が描けないからさ、僕には」
  「駄目なんだ、仕事の中にも逃げ切れなくてね」
  「君とさっぱり付き合いたいから、口説かないんじゃないか」
  「こんな所に咲いてる花だから、余計奇麗に見えるんだよ」 ←“深い意味”がある?
  「絵なんか描いたって、見向きもしない世の中になったよ」
  “いつでも手紙を書く時には、本当の自分ではなくなるのではないかと言う不安がある、
   どうも僕はそう言う人間だ”
  「もうこの雪国へ来ない事が・・せめてもの君への謝罪だ」
  “僕は自信のない責任を持つ事が、何よりも無責任だと思うのだ”

駒子「もうすぐ大きな戦争が始まるって本当かしら?」
島村「戦争? 何処とやるんだい?」
駒子「それは知らないけど・・」

島村「何故、僕の手紙に返事を呉れなかった?」
駒子「(あんたの)奥さんに見られてもいい手紙なんか、誰が書くもんですか」

駒子「芸者さんを探すって? まぁイヤだ・・宿では“そういうお世話”は一切しないの」
  「“好きだ”なんて言わなかった人のことの方が、いつまで経っても懐かしいのね、忘れないのね」
  「あたしがいけないんじゃないよ、あんたがいけないのよ」
  「今笑わなくたって、きっとあなたは後で(あたしを)笑うわ」
  「東京なんてすっかり諦めて・・山の樹に染まって元気に生きてくの」
  「まるで生きてることが徒労みたいね」
  「日記はね・・焼いてから死ぬの、あたし」
  「死んでく人が、どうしてあたしの自由を止められるのよ!」
  「こんな晴れた日には、三味線の音(ね)が違うのよ」
  「どうにもならない気持ちってのもあるじゃない? いいとか悪いとかじゃなくってさ」
  「生きた相手だと思うようにハッキリも出来ないから、せめて死んだ人にはハッキリしとくの」
  「これでもあたし、強運の許す範囲で奇麗に暮らしたいと思ってるのよ」
  「一生に一度、好きな人に逢えたから、それでもいいの」

島村「君は、三味線の音でどの芸者か分かるのか?」
按摩「耳はあいておりますよ。でもね、旦那さん・・今日の駒ちゃんの三味線は、
   張り詰め過ぎていますよ、悲しいぐらいに」 ←このやりとりにはハッとさせられた!

島村「僕は正直に自分の気持ちを言いたかった、それで済むと言うものでもないけどね」
葉子「でも、黙っているよりはましですわ」

追記:前半で“ぶさ※く”な若手芸者・勘平(かんぺい)を好演したのが、当時21歳(!)の市原悦子さん(・ω・) 「簪(かんざし)で木天蓼(またたび)を刺して食べる」ちぅ豪快な姿には、唖然とさせられますた(=^_^=)

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2008年6月 6日 (金)

☆『ハンテッド(2003)』☆

5日(木曜)の夜。
「木曜洋画劇場」の“祝40周年記念企画”の一環とし“地上波初放送”された『ハンテッド』を観た。殆ど期待せずに観てたら・・極めて地味ながらなかなかに面白く、気に入ってしまった1作である(・ω・)

1999年3月のコソボ紛争。セルビア人将校を“ショート・キル(刃物による近距離殺害)”で仕留めた功績で「銀星勲章」を与えられた英雄=アーロン・ハラム軍曹(ベチチオ・デル・トロ)であったが、その後も続いた“非公式の任務”により、彼の心は次第に狂気に蝕まれて行く・・

2003年、家族(妻アイリーン&娘ロレッタ)を棄てるように突然家を飛び出し、行方をくらましたハラムは、半年後オレゴン州シルバーフォールズの森林でハンター2名を刺殺、その遺体を無惨にも損壊させたのだった。

その直前にも同様の手口で2名を殺害したハラムに対し、FBIのアビー・ダレル(コニー・ニールセン)&ボビーの両捜査官は“トラッカー(追跡者)”とし高名な老野生保護官=L.T.ボナム(トミー・リー・ジョーンズ)に協力を要請する。殺人現場を訪れたボナムは、足跡やナイフの使い方などから、容疑者がかつての教え子=ハラムであることを掴む。

森林での壮絶な格闘の結果、ハラムを取り押さえたボナムであったが、彼は軍歴の殆どが謎に包まれた“存在しない男”なのであった。地元警察もFBIもそんな機密絡みのハラムに手出しが出来ず、彼は間もなく軍に戻されることとなるが・・その道中、護送車が謎の横転事故を起こし、彼は逃走。再びオレゴン州ポートランドの何処かに姿をくらませてしまう・・

監督がベテランのウィリアム・フリードキン(何と!『フレンチ・コネクション(1971)』の監督さん!)ってことで、全体的にもっさりした、ホントに地味な造りなんだが・・作品世界に程よい「重厚感」があって、そこが良かった。
むろん、主役となる2大男優のパワーによる所も大きいんだが。
そしてまた、本作は確実に「漢(をとこ)の映画」と呼べる作品だったことも記しておきたい。

“裏ブラピ”とも言うべき(言っとるの俺だけか、、)ベニチオさんだが、無言の横顔や暗く沈んだ(憂いを湛えた)瞳の表情にも、何か深いセリフを周囲の空中に放ってそうな・・そんな雰囲気が良い。
遺体を損壊する趣味(習性?)がある、ようには見えない感じもしたが、劇中では決して描かれぬ“発狂の瞬間”がきっとあったのだろう(・ω・)

一方のトミー・リー。格闘術は駆使するわ、猛然と走るわ、崖から1本足バンジーするわ(?)・・と肉体的にも予想以上に体当たりしてる印象だった☆ 近作『ノーカントリー』における演技、と言うか言動が“殆ど無意味(←すんません)”だったことに比べると、本作を観た方が、はるかに“俳優トミー・リー”の魅力は観る者に伝わる、と思う。

そして『フレンチ・コネクション』のテイストを現代に蘇らせたかのような「追跡劇の組立」「動的なカメラワーク」「場面展開(=ロケーション)の豪華さ」がフリードキン監督ならではのベテランっぽさを醸し出していた。冒頭の追跡劇があっという間に終わるトコロも、その緩急の付け方に「凄いな〜」と感心させられたもんである。

てっきり、中盤から「法廷モノ」に切り替わると勘違いしてしまったぐらいだ(=^_^=)

終盤のみ、ボナムが石器(矢じり)、ハラムが鉄器(自家製ナイフ)と、それぞれの得物(武器)がいきなり原始的になっちゃう演出がある意味“B級へのライン”を踏んづけかけてた感もあったが・・おおむね良く出来た追跡サスペンス作品と好評したい。

〜 こんなセリフもありました 〜

ボナム「神はアブラハムに言った・・“息子を殺せ、国道61号線で”と」
   「生きてれば、(俺は)2日後に戻る!」
   「まさか“供述通りに記録される”と思ってるのか?」
   「俺は(殺し方を)教えただけで、実際に人を殺したことはない」
   「素早く正確に、効率的に殺せ」
   「心を切り離せば、殺すのは簡単だ・・本当に難しいのは“心を呼び戻す”ことだ」

ハラム「銃には“殺す相手への敬意”がない」
   「本当に分かっているのか?」
   「悪夢が酷くなって行く・・正気じゃなくなって行く」
   「“生きるため”に隠れてるのさ」
   「人は動物を敬わなくなった」
   「この線を越えたら、後はもうこの俺を殺すしかないぞ」

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2008年6月 4日 (水)

☆『ランボー/最後の戦場』☆

目下、劇場で観ておきたい映画が4本もあり(内訳:洋画2、邦画2)、その中で2番目に自発的に観たかった作品『ランボー/最後の戦場』をお疲れ気味の老体(?)に鞭打って観て来た☆
シアターは「TOHOシネマズ梅田」。「(HEP)ナビオ上層階のシネコン」と言った方が結局、はるかに分かり易いが・・(=^_^=)

タイ北部の辺境で毒ヘビ(ドクフキコブラとか、、)を捕まえ、魚を(弓矢で!)獲り、売りさばいて口を糊してる我らがジョン・ランボー(シルベ・スタロ〜ン)。
そこへ、隣国ミャンマーの東部を中心に、軍事政権に迫害されてる「カレン族」の暮しを(主に医療面、教育面で)サポートするため、丸腰で(!)密入国しようとする米・コロラド州の牧師会(いわゆるNPO活動団体)のメンバーが訪ねる。目的はズバリ現地入りするためのボートの手配である。

当初こそ無関心な態度で「お前らが行っても何も事態は変わらん、とっとと家に帰れ!」と断り続けたランボーだが、紅一点メンバー=サラ・ミラーのひと言「あなたは人を信じられなくなってしまったのね・・」に心を動かされ、あっさり密入国の片棒を担ぐ(・ω・)ことに。

が、道中で凶暴な海賊に遭遇、先手必勝とばかりに彼らの1隻を殲滅するのだった。
メンバーのリーダー格=マイケル(ちとウィル・パットンっぽいしと)は「いかなる場合も、殺戮は容認出来るものじゃない、君のやったことはしっかり報告させて貰う」と不快さを露にし「帰りは陸路を取るから、君はもう帰ってくれ」と、ランボーを追い払うのだった・・

その後、アーサー・マーシュと言う男がコロラド州からランボーを訪ねる。彼の話では牧師会メンバーが帰国予定より10日も遅れ、かつ連絡の取れない状況だと言う。アーサーは5人の傭兵(=“この種の事件に経験のある人材”と表現されてた、、)を連れており、すぐにもボートを出し捜索に向かって貰って良い、とランボーに依頼。

かくて、彼の最強最大の、そして最後の戦いの幕が切って落とされたのだった・・みたいな展開。

いや〜・・本編約90分、と言うそこそこの短さながら、イッキにストーリーが流れるのでかなり観易い☆ 暗い画面の「潜入シーン」「潜伏シーン」がやや贅沢に(時間を取って)描かれるが、その緊張を我慢すれば・・続くシーンでは大体スッキリと大量殺戮をやってのけてくれちゃったり☆

数人のテキを一瞬にして葬るシーンが前半〜中盤で2ヶ所ほどあり、終盤などは傭兵とのタッグで一気にミャンマー軍を迎え撃ったりして、私的には『椿三十郎(1962)』における“緩急の構成”“素早い殺陣”やら『七人の侍(1954)』における“異郷の地を救い、倒れゆく戦士たち”やらを連想してしまった。いやきっと! スタロ〜ンは“クロサワ映画”も少なからず研究し、本作を造り上げたに違いあるまい!(妄想)

“ランボー”シリーズと言えば「報われぬ愛国心」「上官と部下の愛憎」「拷問からの脱出」などがテーマ(と言うか演出)の1つだったが、流石に今回は“戦場の記憶”以外に彼を束縛するモノはなく、ヘタに捕まるような“青さ”など微塵も感じさせなかった。
終盤では『戦国自衛隊(1979)』か『ラストサムライ(2003)』かって感じで重機関銃を撃ちまくり、敵兵の容姿も分からぬ間に次々とその肉体を四散させてゆく・・こればかりは「凄惨」だの「爽快」だのと言う次元を超え、ただただ唖然とスクリーンを見つめるしかなかった・・(×_×)

特に何を訴える、と言う類いの作品ではなかったが「武器なしで戦場をどうこう出来るほど、現実は甘かねぇんだよ!」と言うスタロ〜ンの心の雄叫びをスクリーンの向こうから聞かされ続けた、、そんな1本であった。

〜 こんなセリフもありました 〜

ランボー「あれは内戦と言うより、虐殺だ」
    「武器の供給でもしなきゃ、何も事態は変わらん」
    「全てが変えられる訳じゃない」
    「国のためじゃない、自分のために殺す」
    「俺を撃つのなら、(チャンスは)今しかないぞ」
    「何かのために死ぬか、目的もなく生きるか・・お前が決めろ」

サラ「故郷には帰らないの?」
ランボー「帰る理由なんかない」

サラ「何とお礼を言えば・・」
ランボー「何も言うな」

↑ 石坂浩二風に言えば「あなた、サラさんを愛してらっしゃったんですね」ってトコだろう(=^_^=)

傭兵「俺たち“悪魔”に“神の仕事”をやらせようってハラか」
  「怒りの眼を俺に向けても、通用せんぞ・・昔、良く(そんな眼を)見たがな」
  「神様は助けちゃくれねぇぞ」

〜 その他、こんなことも 〜

・しばらく、鼻っ垂れ(?)の傭兵隊長に「ボート屋」呼ばわりされてた“伝説の兵士”・・ちゃんと謝っておきなさいって(⌒〜⌒ι)
・「毒をもって毒を制す」と言う精神をきっちりわきまえてたアーサー・マーシュ。流石に聖職者(?)ながら1枚上手である(・ω・)
・「プライドをいぢられ、ヒューマニズムを刺激される」と、男は思わず動いちゃうモノである(=^_^=)
・終盤、路傍の石をもって殺戮に及んだ平和主義者。この演出だけはなかなかに「深い」気がする。
・ミャンマー軍人の会話に殆ど「英文字幕」「日本語字幕」が付かなかった。それはそれで観易かった☆
・観終わって感じたのは「自身が情に流される性格」と熟知していたが故、ランボーは戦場に行きたがらなかったんじゃないかな、と言うこと。
・中盤のクレイモア(対人地雷)1発の破壊力がめちゃめちゃに凄い! まるで『プレデター(1987)』の自爆シーン(=^_^=)か『スターシップ・トゥルーパーズ(1997)』の“ニューク弾”みたいだ。。どうやら2次大戦時に英軍の残した“トールボーイ爆弾(不発弾)”が誘爆され、あの凄まじい破壊力に結び付いたモノらしい。
・無抵抗なカレン族を殺しまくるミャンマー兵ら。確かに「酒」「女」「虐殺」漬けの毎日なら“爽快”にも違いなかろう・・(×_×)
・海賊の習性を妙に恐れてたランボー。「女は犯され、男は首を刎ねられる!」とか言ってはったし。んでも、半月近く経過してからでも一応捜索に行くってことは・・海賊に捕まるよりよっぽど「生きてる望みがある」と考えたんやろか?
・結構ハデな銃声が闇に響いたと思うんだが・・他の海賊連中には気付かれなかったんやろか?
・ミャンマー兵の視点からすれば、全く何が起こったんだか分かんなかったんじゃなかろうか? 遠くから矢や機関銃で殺されたり、背後から首を刎ねられたり、、多分「劇中でランボーの姿を見て、生き延びたミャンマー兵はいない」と言うのがワタシの見解である(=^_^=)
・ラストで名前のみ登場する「R・ランボー」とは・・?!(アリゾナ州ボウイ在住らしい)
・傭兵の1人が浅野忠信では・・? と思えて仕方なかった、、(・ω・)

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2008年6月 2日 (月)

☆『アサルト13/要塞警察(2005)』☆

1日(日曜)の夜。「日曜洋画劇場」にて“地上波初放送”された『アサルト13/要塞警察』を観た。

雪降る2004の大晦日。謎の武装テロ集団に突如襲撃されたデトロイト警察・13分署の当直警官らが勾留中の犯罪者たちとタッグを組み、それを迎え撃つ・・と言う何とも耳にするだにポンコツなサスペンス/アクション作である。。

イーサン・ホーク(ジェイク・ローニック巡査部長役)、ローレンス・フィッシュバーン(犯罪王マリオン・ビショップ役)、ガブリエル・バーン(組織犯罪対策班チーフ=マーカス・デュヴァル役)、ジョン・レグイザモ・・そしてブライアン・デネヒー(老警官ジャスパー役)(!)と異常に(=^_^=)豪華な俳優陣が集結してる割に・・物語そのものはやはり(予想に違わず)ポンコツだったんだが・・何やら“物語の骨格”には光るモノが確かにあったように思えた。

・・で、ウィキペディアで手早く調べたら・・

ジョン・カーペンター監督の初期作『要塞警察(1976)』の何とリメイクであることを知った! 更に、カーペンターは往年の名作西部劇『リオ・ブラボー(1959)』にインスパイアされ、オマージュ的な作品とし、この『要塞警察』を造り上げたと言う!

そんなことで、本作がリメイクされるまでの経緯を何の苦労もなしに(=^_^=)ネットでただ調べただけながら、どうにも愛おしく感じ始めたのだった☆
・・いや、そんでもやっぱポンコツはポンコツなんやけど(×_×)

「雪景色」の「年末」に「テロ発生」、と言うと誰がどう連想しても『ダイ・ハード2(1990)』が浮かぶと思うんだが、まぁそう言う“既視感溢れる無難な設定”を選択したおかげか、非常に分かり易い造りではあった。

脚本自体は決して悪くないハズなので、問題は「観客をのめり込ませる」更に数歩踏み込んだ演出やカメラワークなのだろう。特にガブリエルのキャラはもっと重く、深い仕上げが望まれた。「無抵抗な人間の眉間しか撃ち抜けない悪党」と言うち〜こい人物像にまとまってしまってた。
レグイザモなどは更に酷く、ペラペラ喋り⇒逃走をはかり⇒退場、と言う勿体なさ。どうもこのしとって『コラテラル・ダメージ(2002)』からこっち、ワタシの中では「銃撃に依る即時退場」の印象が深く刻まれてしまってる。。
何とかもうちょっとエエ役柄を(選んで)演じてもらえんモノやろかネ。

私的には、テロ集団の正体が明らかとなった辺りで、結構のめり込み始めてたんだが・・流石に「犯罪者らを解放し銃器を持たせる」と言う展開には「おいおい!」と突っ込まざるを得なかったな(・ω・)

あそこでドラマ版“スパイ大作戦”じゃないが「包囲してる連中がグルで、実は数人しかおらず・・内部から自発的に解放させる手口(トリック)だった!」みたいな“いじくり方”をしたら面白かったのにな〜などと考えたものだ。

それにしてもテロ集団。。赤外線(レーザー)ポインター付無反動小銃+閃光弾+防弾チョッキ+暗視ゴーグル、と過剰過ぎるぐらいの“完全装備”だったのにも関わらず、あのスローモーな攻めっぷりって何なんやろ、、まるで我が国のS※Tのような不甲斐なさである(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

ビショップ「私の知る限り、今まで一度も、神は救いを求める者に応えた事はない・・だから信仰を棄てた」
     「危険を顧みず私を助けるとは、立派な姿勢だな・・全く共感はできないが」
     「人の死に打ちのめされた時、選択肢は2つ・・酒を飲むか、それを乗り越えるかだ」
     「初めて会った時、お前はおどおどして、私の顔もまともに見られなかったよな?」 

デュヴァル「私には、部下とその家族全員を護る責任がある」

※「車で待ってろ、あんたはここから先を見る必要はない」

アレックス「死ぬときは、潔く死にたいわ」

ローニック「あんた、警官だろ?」

追記1:スポンサーCM突入前の字幕、今回は「ド迫力の銃撃戦!」「絶体絶命!」「謎の武装集団の正体とは?」「怒濤の後半戦に突入!」などと、観る者のハートを鷲掴みにしてくれますた(=^_^=)
追記2:『ダイ・ハード(1989)』シリーズもそうだが、主人公が最初に戦う相手(テロ組織のザコ)って、大抵はかなり格闘戦が長引き、かつ妙に強いのが“お約束”なんだが、、本作ではやたら弱かった。。
追記3:手にした警棒(トンファー?)で、独房の鉄格子をガラガラ叩き鳴らしながら歩く主人公。あれ、一度はやってみたいシチュエーションです(=^_^=) 『ターミネーター2(1991)』を観た時からの悲願なンです(=^_^=)
追記4:だんだん“フレッシュでミステリアスな印象”の消えて行くイーサンくん・・何処へ行くのだあなたは。
追記5:主要キャラの殆どが眉間を撃ち抜かれ退場する演出は、流石にスクリーンでは衝撃的だったことだろう。

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