☆『静かなる決闘(1949)』☆
21日(土曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを鑑賞。戦後間もなく描かれた「医学ドラマ」ながら、現代に至ってもそのエッセンスが十分に通じる、ある意味「普遍的」なストーリーであった。
改めて「モノクロ時代のクロサワはやはり凄いな・・!」と強烈に打ちのめされる。
太平洋戦争後期の1944年、とある雨の夜。南方の何処かの戦地にて、最前線の野戦病院で兵士の治療(=応急処置)にあたる青年軍医・藤崎(三船敏郎)は、負傷兵・中田進の腸の縫合手術の最中(さなか)、誤ってメスの先端で指先にキズを負ってしまう。
終戦後、復員し父(志村喬)が院長を務める「藤崎医院」に戻った藤崎だったが、血液検査により(中田の血液を通じ感染した)スピロヘータ(梅毒の病原菌)に、自身もまた冒されてしまっている事実を知り愕然とする。
彼には出征を挟み6年間も待たせている婚約者・美佐緒がいたが、とても彼女に真相を打ち明けることは出来ず「この体は純潔だが汚れてしまった」なる曖昧な言い訳を繰り返すばかりで彼女を遠ざけるのだった。
そんな折、藤崎は4年ぶりにかつての患者・中田と再会。彼が持病に無頓着な余り、その妻にまで感染を拡げ、彼女が妊娠後期の身重の状況であることを知る。
中田夫妻に適切な治療を施し、健全な赤ちゃんを出産させるべく奮闘する藤崎父子だったが、中田本人は酒に逃げ場を求め、終いには「俺を通じて(梅毒に)感染したなんて、あんたの勝手な言いがかりだ!」と藤崎を責め立てる始末。
そしてとうとう美佐緒から「明日、別な殿方と結婚します」と告げられた藤崎は・・
自らが人間である前に1人の医師であり、人を救うことこそが使命なのだ、と悲壮な決意を胸に生きる主人公。そんなに「タテマエ(?)」ばかりを押し通さなくても・・と同情してたら、、劇中でたったの1ヶ所、きっと“一生に一度限り”であろうホンネを彼が激白する場面があり、ものすごいパワーを叩き付けられた!
クロサワ監督自身、このシーンに関し「本来、冷静であるべき監督と言う立場の自分が、この場面に於ける三船の迫真の演技を前にして、体がガクガク震える感覚を押しとどめることが出来なかった。あのような経験は後にも先にもその時だけである」などと語っておられるそうだ。
確かにあの三船の涙には、思わず貰い泣く女性看護師・峯岸(千石規子)の姿にも素直に納得してしまう。あそこで泣かなきゃ人間失格だろうし、あの告白に“唯一”立ち会ったからこそ、彼女もまた「変わることが出来た」と思うのだ。
全体的に振り返ると、実に本作の“ヒロイン”は峯岸さんであったのだなぁ、と気付かされるのだ。
物語の軸となる「2組の男女」は“藤崎&美佐緒”と“中田夫婦”なのだが「ホンマに人間のクズやなぁ・・」と思わせてくれる中田の言動には、逆に感心させられた。演じ切った男優・植村謙二郎氏、その後の出演依頼とか、大丈夫だったんやろか。。
また、中田の妻を演じた中北千枝子さんの演技も良く、虐げられる一方だった立場の妻がやがては夫を振り捨て、逞しく生き始める・・と言う別なドラマの存在を(裏側に)しっかりと感じることが出来た☆
終盤で、ついに中田が“衝撃的な現実”を叩き付けられ「崩壊」するんだが、そこもまた(=^_^=)アキ・カウリスマキ監督『白い花びら(1999)』の終盤のように、限定的&定点的なカメラワークで描かれ、(真相を)観客の想像力で補わせる演出が素晴らしかった!
〜 こんなセリフもありました 〜
藤崎「あと何人だ?」
助手「キリがないんですよ」
藤崎「患者にしたって、痛いと喚く者もいれば脂汗を流して耐える者もいるのだ」
「いっそこの欲望に溺れた方が、よほど人間として正直じゃないのか?!」
「僕は・・医者の良心を、人間の良心を持って生きていかねばならないんだ、どんなに苦しくても」
警官「産んでみなくちゃ、子供の良さは分からんよ」
患者「先生、ギブスの中にノミが1匹いるんですよ」
藤崎「誰でもそう言うね」
峯岸「世の中って面白いですわね、裏には裏があって・・」
「立ち聞きって、時々“ホントのこと”を教えてくれるから大好き」
「男の人の肉体的な欲求って、そんなに簡単に抑制出来るものなんですか?」
父「お父さんは“恥ずかしい想像”をしてしまった。例え親子だって、謝るべきことはちゃんと謝らねば」
「不幸は人間を頑(かたくな)にするものだ」
「聖者と言うと、聖(ひじり)ですか? ・・あいつはただ、
自分より不幸な人間の傍で希望を取り戻そうとしているだけですよ。
幸せだったら、案外俗物になっていたかも知れません」
警官「立派な身なりの紳士がいきなりステッキで・・」
藤崎「では、診察しなきゃならんのはそいつの頭かな?」
美佐緒「自分でも(動揺しないって)自信持っていたのに・・女ってダメね」
藤崎「あの人(=美佐緒)は、自らの幸福を切り拓(ひら)いて行ける人だよ」
峯岸「脂汗を流しながら、ね」
中田の妻「わたくし、近頃、中田の言う逆を逆を、信じる気持ちとなっているものですから・・バカな夫婦ですわ」
峯岸「人間って、俯(うつむ)いて歩いたらダメですよ、ちゃんと胸を張って上を向いて」
中田の妻「あなた・・先生をお好きなのね」
追記1:クロサワの“医学3部作”は『酔いどれ天使(1948)』『赤ひげ(1965)』と本作、とされる。
追記2:同様に、クロサワの“復員3部作”は『素晴らしき日曜日(1948)』『野良犬(1949)』と本作、とされる。
追記3:『酔いどれ天使』時代と大きく異なり(=^_^=) 「ここは静かにハナシをしようじゃないか」「円満な解決は出来ませんか?」と穏やかな性格を覗かせるミフネ。最後の最後にブチ切れて、凶暴なやくざに転職する、とか2太刀ずつ素早く叩っ切る、とかの暴挙に及ぶんじゃないか・・とヒヤヒヤしてしまった(⌒〜⌒ι)
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コメント
こんばんは。
またしても黒澤作品・・・しかし、本作(本作の貴レヴュー)は何だか“より一層”心に迫り来るものがありました。
カウリスマキの名が登場したこととは、今回は関係なく^^;、下記の件りで。
>きっと“一生に一度限り”であろうホンネを彼が激白
>ものすごいパワーを叩き付けられた!
植村謙二郎さんと仰る俳優さんの(ある意味)捨て身の名演も観てみたいです。
休日にT○○の「名画シリーズ」でちょっと探してみまるとします。
投稿: ぺろんぱ | 2008年6月23日 (月) 19時45分
みまるとします→みるとします の誤りです。
すみません。
投稿: ぺろんぱ | 2008年6月23日 (月) 19時47分
ぺろんぱさん、ばんはです。
HD(ハードディスク)内に録り溜めたアーカイブ(保管庫)を
機会があればごそごそやってる次第ですが、
なかなかに「当たり」が多くて喜んでます(=^_^=)
>またしても黒澤作品・・・しかし、本作(本作の貴レヴュー)は
>何だか“より一層”心に迫り来るものがありました。
それまではクロサワと言えばダイナミックでフロンティアな時代活劇の旗手、と固定観念を持ってたんですが、
実は人物(俳優)をしぼり切った小品こそが彼の真骨頂だったのでは? と感じています。
特に『虎の尾を踏む男達』『素晴らしき日曜日』と本作は、観ておかずしてクロサワを語るなかれ! と偉そうなことをつい言いたくなりますね(⌒〜⌒ι)
>カウリスマキの名が登場したこととは、今回は関係なく^^;
アキさんネタで、ちょこっとぺろんぱさんのカキコを期待してしまってたかも知れません(・ω・)
>下記の件りで。
誰を相手にそれを聞かせたか? そこが実に深いのです!
>植村謙二郎さんと仰る俳優さんの(ある意味)捨て身の名演も観てみたいです。
最後は『セヴン』のラストのように、完全に崩壊しておられました、、
>休日にT○○の「名画シリーズ」でちょっと探してみまるとします。
BS2の方も、鑑賞が叶うなら、是非に☆
投稿: TiM3(管理人) | 2008年6月23日 (月) 22時27分
再びこちらにもお邪魔します。こんばんは。
先日レンタルしたDVDを、2回に分けて今日観終えました。
>きっと“一生に一度限り”であろうホンネを
あそこが最大の山場でしょうね。
“ホンネ”を吐露し、同時に封印もした、恭二のそれまでの人生の幕引きとこれからの人生の幕開けを同時に感じました。
>実に本作の“ヒロイン”は峯岸さんであったのだなぁ、と
納得です。
彼女もまた、違うところで“脂汗”を流して耐えていたのでしょうね。
>「自分より不幸な人間の傍で希望を取り戻そうとしているだけですよ。幸せだったら、>案外俗物になっていたかも知れません」
こういう台詞を口に出来る父親もまた凄い存在ですね。
>「人間って、俯(うつむ)いて歩いたらダメですよ、ちゃんと胸を張って上を向いて」
この台詞にも、(ベタな表現ですが)心に風が吹くのを感じました。
恭二を身近で囲む人達がいい人達でよかった!
そういう人達が集うのも人徳の為せる業なのでしょうけれどね。
投稿: ぺろんぱ | 2008年7月 7日 (月) 21時27分
誤解も無く不要なら削除して下さいね。↓
(ベタな表現ですが)と書いているのは、勿論ですがその後の私の書いた「心に風が吹くのを感じました」という表現に付いて記述したものです、誤解を避けるため、念のため申し添えます。
語彙が乏しく、的を射た表現方法が出来なかった自分を哀しく思います。
投稿: ぺろんぱ | 2008年7月 8日 (火) 21時18分
ばんはです。
ご覧になられたんですね、良かった良かった・・(?)
>先日レンタルしたDVDを、2回に分けて今日観終えました。
一度に観るには「体力」が必要かもですね。
>あそこが最大の山場でしょうね。
>“ホンネ”を吐露し、同時に封印もした、恭二のそれまでの人生の幕引きと
>これからの人生の幕開けを同時に感じました。
こう言う言い方はキライですが(⌒〜⌒ι)
「聖人誕生の瞬間」なる見方も出来るのかも知れません。
>彼女もまた、違うところで“脂汗”を流して耐えていたのでしょうね。
彼女の「逞しさ」もまた本作に欠かせざる要素だったかな、と。
>こういう台詞を口に出来る父親もまた凄い存在ですね。
中盤で息子に謝罪するシーンがあったでしょう?
アレはなかなか(分かっていても)出来ることじゃありません!
>恭二を身近で囲む人達がいい人達でよかった!
>そういう人達が集うのも人徳の為せる業なのでしょうけれどね。
そうですね・・戦地であの(冒頭の)事件がなければ、医師と負傷兵の(復員後)の生き方は正反対だったかも知れません。
>誤解も無く不要なら削除して下さいね。↓
いや、一連のコメントを偶然に読まれる方のために・・
ご丁寧なフォローを有難うです。
>語彙が乏しく、的を射た表現方法が出来なかった自分を哀しく思います。
いやいや、良く分かりました☆
追記:そうそう、終盤の演出&カメラワークはどうでした? 中田が処置室(?)に入ってゆく前に「赤子の泣き声」のしたのが、ひたすらに恐ろしかったです、、
投稿: TiM3(管理人) | 2008年7月 8日 (火) 23時07分
こちらにも一言、です。
>演出&カメラワークはどうでした?
>「赤子の泣き声」・・・
確かに、恭二は確か「胎内でもう既に赤子は…」と言っていたと思うので、私もあの瞬間、ぞわっとするものを感じました。
如何に病気の惨さを台詞で語り連ねるより、あの数秒程度のシーンの方が説得力はあったでしょうね。
ただ、最後の最後まで、中田が「俗物」として描かれて終わったことが少し残念です。
ラストで、藤崎老医師(志村さん演じる)に抱かれる峰岸の赤子の幸せそうな表情の描写に、“小さな生命”にまで及ぼす「残酷なまでの運命の違い」を感じました。
投稿: ぺろんぱ | 2008年7月 9日 (水) 19時42分
ばんはです。
>私もあの瞬間、ぞわっとするものを感じました。
うわー、やっぱりだぁ(何がだ!)
>ただ、最後の最後まで、中田が「俗物」として
>描かれて終わったことが少し残念です。
あの場では「奥さんの自立のドラマ」こそが大事だったでしょうからね(・ω・)
>“小さな生命”にまで及ぼす「残酷なまでの運命の違い」を感じました。
そうですね。女性も、赤子も、強い存在なのです。
男が・・一番弱い(=^_^=)
投稿: TiM3(管理人) | 2008年7月 9日 (水) 22時54分