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2008年5月24日 (土)

☆『つぐない』☆

23日(金曜)。ちょっと仕事は残ってたんだが「そろそろ観とかないと、公開が終わっちまうし!」と不安になって来たもので、いよいよ(約1ヵ月前から)観ようと考えてた筆頭の1本『つぐない』を観て来た。
劇場が梅田・ロフト地下の『テアトル梅田』だったもんで・・「狭い」「遠い」「混んでいる」とコレまたマイナス材料がてんこもりな印象のシアターなんだけど、、思ったよりは酷く混雑もしておらず、まぁまぁ寛いで観ることが出来ただろうか。
しっかし・・自分を差し置いて言うのも何だが、おっさんのソロ客が意外にちらほら目立ってたぞ?
“エロティック文芸作”なぞと勘違いしてやがったんやろか?(あ、それはオレもか、、)

1935年のイングランド。自然に囲まれた大きな屋敷に住むタリス家では、セシーリア(愛称:シー)とブライオニーの姉妹がロンドンから久々に帰省して来る兄リーオンを迎える準備をしていた。“作家志望”の13歳の少女=ブライオニーが密かに憧れる存在は(住み込み)家政婦のひとり息子ロビー。だが、彼は・・実は姉セシーリアと身分を超えた相思相愛の仲なのであった。

ある晴れた日、気持ちのすれ違いから仲違いしてしまったセシーリアとロビー。彼は謝罪の手紙をしたため「自分で渡すのはバツが悪いから」とブライオニーに託すが、その手紙は間違って封筒に入れられてしまった、極めて破廉恥な内容(・ω・)のモノであった・・

そしてリーオンが友人ポール・マーシャルを伴ってタリス家に戻り、しばらく経ったある夜・・「おぞましい事件」が起こる。たまたまその現場にやって来た“第1発見者”のブライオニーは“多感な少女ならではの残酷さ”からか「恐るべき虚言」を放ってしまう。

そしてその事が、セシーリア、ロピー、そしてブライオニー自身のその後の人生に大きな影を落とすこととなるのだった・・


う〜ん・・何だろ? ワタシとしては期待値が大き過ぎたモノか「怒る」「悲しむ」などの感情のスイッチにとんと触れない作品だった本作。
どうにも『コールドマウンテン(2003)』や『ロング・エンゲージメント(2004)』辺りの作品に先に触れてしまったがため“既視感”が先行し邪魔されたんかも知れない(・ω・)

セシーリアを演じたキーラ・ナイトレイさんに対しては『ラヴ・アクチュアリー(2003)』で彼女を(初めて意識して)観た時に感じた「うわ〜、きれぇ〜!」ってな衝撃が殆ど感じられず「アップはちょっとなぁ」「しゃくれたはるなぁ」「バストがボーイッシュ(?)だなぁ」とずんずん私評が下がってゆく一方だった(ひょっとして彼女の起用ってば“ミスキャスト”だったんじゃなかろうか?)

ロビーを演じたジェームズ・マカヴォイ。彼こそは全編を通し、単身やたらと数奇な運命を辿ってゆくが・・ラストのブライオニーの“告白”を耳にするに「それもどうだったんやろ・・?」と色々と雑念が入って来たし(×_×)
何処となくエドワード・ノートンを思わせる風貌のマカヴォイくん、今度はサイコな悪漢役にもチャレンジして欲しい。

観客の殆どはブライオニーに対し「不気味で醜悪で偽善的」と憎悪の視線を投げつけることだろうが・・ワタシは少し違った角度で「少女ローラと“あの事件”の真犯人であるあいつ」の2人に対し妙な不快感を覚えた。
ブライオニーと違って全く“主観的”に描かれてはいないので、その言動は知るよしもないが・・

幸せなタリス家の描写が(後から考えると)それほど丁寧に演出されず(意外と断片的!)、ロビーの母親と言うキャラクターも(大事なのに!)中途半端に姿を消してしまったのは惜しい。
主人公がブライオニー、ロビー、セシーリアの3人であると考えた際、どう観ても「ロビー篇」>「ブライオニー篇」>「セシーリア篇」の順にその「濃さ」と「質」が全く異なるように感じられ仕方なかった。
そしてまた、3人の女優がそれぞれ「3つの年代」のブライオニーを演じるのだが、その切り替えもどうにも唐突に写り、もっともっと有機的に(?)映像を繋げる(絡ませる)手法があったんではねぇの? と不満を覚えた。
ラスト近くでは、いよいよ老女となったブライオニーをヴァネッサ・レッドグレイヴさんが好演されるが、『ミッション:インポッシブル(1996)』以来の(?)“ご尊顔のどアップ”には「わ〜、アレから12年がちっきり経過したはるんや〜」とタジタジしてしまった(⌒〜⌒ι)

何にしても「もうそこに相手がいない」場合、どんなに加害者が“告白”と“贖罪”を重ねようとも、それはある種の自己満足にしか着地しないモノなんかも知れんなぁ・・と感じたのは事実。

ロビーが某シーンで「真実を書くんだ、韻も装飾も抜きで」と言い放つセリフがあるが・・「真実を書く」と言う行為を“彼女”が果たしてどう解釈したのか? 或いは既に彼女の中で“知性の崩壊”が始まっていたんやろか? などと色々“物語に描かれなかった余白”に想いを馳せてしまう次第である。

〜 こんなセリフもありました 〜

ブライオニー「愛ももちろん大事だけれど、分別も大切よ」
      「これは・・私の遺作であると同時に、処女作とも言える小説なの」

セシーリア「何てことするのよ! すごく高価な花瓶なのに」
ロビー「でも、もう違う(←壊れてしまったから)」

セシーリア「彼をいい気にさせないで」
     「私って何てバカなの・・自分の気持ちにさえ気付かなかった」
     「今さら、皆があなたの“告白”を聞きたがると?」

※「暑さがモラルを乱す、とも言われるわね」

ロビー「このまま、君の乗るバスが来なけりゃいいのに」
   「再開出来るかも・・僕らの物語を、あの日の僕の壮大な計画を」
   「僕は戻る・・堂々と生きるために」

※「陸にいる海軍など、あてにはならんさ」

※「軍が“戦略的撤退”を英断したって!」
※「要するに“撤退”でしょ?」

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コメント

こんにちは。
キーラの「ミスキャストかも」論には、バストが云々の外見要素は別として^^;、何となく本作での位置的観点から考えて微妙に脳にヒットするものがありました。

>少女ローラと“あの事件”の真犯人
これは私も拙ブログで実は触れたかったことです。
諸悪の根源でもあるはずなのに敷かれた運命のこの違いに愕然とし、ブライオニーも踊らされた哀しき存在に過ぎないのか、とも・・・。

>その「濃さ」と「質」が全く異なるように
これも仰ってることが分かる気がします。
不思議な感じの映画であったことは確かです。

投稿: ぺろんぱ | 2008年5月25日 (日) 09時57分

ぺろんぱさん、どもです。

今夜は地上波初で『JC』なんですね☆
何とも『ゴールデンチャイルド』『エンド・オブ・デイズ』路線のBっぽいヤツに(私的には)思うんですが(・ω・)
ピーター・ストーメアが助演してるので、観とこうかな〜と思ってます。

何かね、上空からス〜ッとね、降りて来るンですよ、彼が(=^_^=)

>キーラの「ミスキャストかも」論には、バストが云々の外見要素は別として^^;、
>何となく本作での位置的観点から考えて微妙に脳にヒットするものがありました。

ひと昔前だったら・・ウィノナ・ライダーさんが演じても、違和感はなかったかも、ですね(⌒〜⌒ι)

キーラさんは「絡み方が甘い」と言うか「片手間に出演してる」って印象が否めませんでした(ワタシには)。
ウィキ情報では「2007年に3本」「2008年に2本」と映画のお仕事が殺到してるので、そう言ったトコも微妙に影響してるかも・・

>諸悪の根源でもあるはずなのに敷かれた運命のこの違いに愕然とし、
>ブライオニーも踊らされた哀しき存在に過ぎないのか、とも・・・。

チョコレート王の奥さんの、あの視線がめちゃめちゃ怖かったです(×_×)
ブライオニーは主演と言うより「狂言回し」でしたね。

>不思議な感じの映画であったことは確かです。

原作小説『贖罪』の発表が2001年だったってことで・・「もっと早く執筆され」「もっと早く映画化され」ていたら・・ワタシの中で評価も良くなったことと思います。

な〜んか「今さら」の物語なんですよねぇ・・こう言ってはいけないんですけど、、

投稿: TiM3(管理人) | 2008年5月25日 (日) 11時33分

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