« ☆『姿三四郎(1943)』☆ | トップページ | ☆『虎の尾を踏む男達(1945)』☆ »

2008年5月10日 (土)

☆『續・姿三四郎(1945)』☆

7日(水曜)の夜、前夜に引き続き、衛星第2ちゃんねるで放送された黒澤活劇『續・姿三四郎』を観た☆
前作『姿三四郎(1943)』のラスト(主人公の旅立ち)から2年後の明治20年。

横浜・堺町へ久々にその姿を現した主人公=三四郎(藤田進)は、港湾区でメリケン水夫に絡まれてた人力車夫の青年=左文字大三郎を助ける。「サノバガン!(Son of a Gun!):この野郎、的な意の悪態」などと毒づきながら拳闘のポーズで挑発して来る水夫を悠然と突堤に誘い出した三四郎は「うむ、ここらでよかろう」とばかりに、彼を一瞬で掴んで投げ、海中の人とする。
その勇姿を眺めていた米領事館の通訳官=布引に誘われ、三四郎は領事館で連日(?)開催されている「拳闘vs柔術」のエキジビションマッチ(公開試合)を見学する。

館内中央に設けられたリング上では、スパラー(ボクサーのことらしい)の無敗選手ウィリアム・リスターが柔術家・関根嘉兵衛と対戦する寸前だったが、三四郎はここで「待った」をかける。
「君、こんな見せ物のような仕合はやめ給え」と忠告する彼に、関根は「こうでもしなければ喰って行けない。柔術が此処まで落ちぶれてしまったのも、元はと言えば君たち柔道家に敗れたからだ」みたいなこと(愚痴?)を言い放つ。返す言葉の出ない三四郎。
試合は関根の劣勢となる・・リスターの連打を受ける柔術家、その醜態をゲラゲラ笑うメリケンの観客ら。余りにも惨い試合展開に、三四郎は領事館の扉を閉め、逃げるようにその場を立ち去る・・

一方、2年前の死闘で主人公に敗れ去った檜垣源之助(月形龍之介)の2人の弟、鉄心(月形の2役(=^_^=))と源三郎が九州からはるばる復讐を果たすため上京する。
「私闘ヲシタル者ハ是ヲ破門トス」みたいな掟を持つ修道館であるが故、矢野正五郎師範(大河内傳次郎)は三四郎に戦うことを禁じ、兄弟を追い払うが・・その日から門弟らが次々と夜討ちされる事件が勃発。
そして遂に、三四郎に憧れ入門した左文字までが闇討ちに遭ってしまった・・

遂に道場の掟を破り“破門覚悟”で檜垣兄弟の果たし状を受け取る三四郎。駆け付けた檜垣源之助との邂逅、そして想いを寄せ合う女性・村井小夜(轟夕起子)とのひとまずの別れの挨拶を済ませた主人公は、兄弟の待つ武州・天狗峠(雪山!)へと向かう・・檜垣流唐手(=空手)と柔道の凄絶な激突、果たして生き残るは・・?!

戦時中に製作されたが故か、カタカナ言葉が極端に排除されていたり、三四郎が(天狗峠に向かう直前に)拳闘家リスターと対戦し、一撃で投げ倒したり、と言う“国民感情を高揚させる”造りとなっている。

物語は前作ほど「師弟愛」「求道」「女難」と言った色合いが強調されておらず、異種格闘技の連続って趣もあり、構成としてはかなり分かり易い。尚、ワタシはてっきり空手兄弟を打ち破ってからメリケンボクサーをやっつけて幕、と言う組立てを予想してたもんで、いとも容易くリスター選手を倒した展開には、意表をつかれ、結構驚かされた(・ω・)

終盤、天狗峠でのバトルがビジュアル的に強烈な印象! 白い雪原を背景に、鉄心&三四郎が対峙するんだが、2人が異常に露出アンダー過ぎて、容貌どころか、いでたち迄もが真っ黒になってるのだ。お前らは『呪怨/劇場版(2003)』かい! みたいな。
それに、檜垣流唐手って、何か格闘技と言うより舞踏みたいだったぞ。

鉄心をついに豪快に谷底へ投げ落とした三四郎(←即死したかと思いきや・・一応助けてやったようだ)。その夜は床に伏した鉄心の看病も兼ね、峠の山小屋で兄弟と一夜を過ごすんだが・・すっかり寝入ってしまった彼の頭部を目がけ、静かに忍び寄った源三郎は隠し持った鉈を振り上げ・・

ここから先は、主演男優=藤田進ならではの爽やかさ故の“オチ”に繋がるものだ、と感じ入った。(黒澤監督とタッグを組んだ時代が違うので妄想に過ぎないが)もしこれが三船敏郎の主演であったなら、躊躇なく鉈の餌食となっていたに違いあるまい(⌒〜⌒ι)

「負かした相手をも変え得る男」・・それこそが、真の強者なのかも知れない。

〜 こんなセリフもありました 〜

和尚「近頃のハイカラ処世には稀な根性じゃ、わしは三四郎のそこに惚れておるのじゃ」
  「駄目だな、女にも惚れ切れんような小さな肝っ玉では、何も出来ん」
  「何じゃ、まるでお前が修道館を“破門した”ような言い草じゃのう」
  「道のための形は、道のために崩れても構わんじゃろうが?」
  「かけていいと悟れたら、その名札をかけに(道場に)行くがいい」
  「つべこべ言わず、そやつが消え失せるまで、お前に取っ付いてる奴を睨むのじゃ」

三四郎「勝っても悲しいことがある、勝ちたくない時もある
    ・・ところが負けられないんだ、石に齧り付いても」
   「自分の勝利が、沢山の(負かした)人を押し潰すのを見るに耐えません」
   「俺の気持ちは、一生ふらふらしている」
   「(道着を)着ろ、教えてやる。・・だが、柔道は痛いぞ」
   「朝から晩までこの体をこき使ってさえ、眠れん」

矢野「お前と私の苦労も、大きな道に達するためだ。妥協の中に真の平和はない」
  「(今日の柔道の隆盛は)この矢野正五郎のいち功名でも、姿三四郎のいち勝利でもないのだ」
  「この者(三四郎)は私の門人だが、精神は1つだ」

源之助「この私が再び勝つことなど・・天も許すまい」
   「(人力車に)幌をかけてくれたまえ、やはり・・冷える」

追記1:修道館柔道場の「3つの掟」が“私闘の禁止”“見せ物試合(出場)の禁止”“飲酒と道場汚染(嘔吐や失禁か?)の禁止”で“即刻、破門処分”なのだが、三四郎がこれら総てを破戒(?)する行動がある意味、凄絶だった(・ω・)
夜更けの道場で門下生仲間(四高弟の1人=壇義麿)とやけ酒を酌み交わすシーンに(矢野)師範がひょっこり現れ、徳利を相手に技の指南を行う。それを正視する事が出来ず、(恥ずかしさから)どんどんうなだれて行く主人公の姿が痛々しい。
追記2:病身を圧して三四郎の下宿を訪ねた源之助が、帰りにばったり(想い人である)小夜に出会い、人力車を引く三四郎に幌を下ろして呉れ、と頼むセリフもまた悲しい。
追記3:奇しくも、鉄心&源三郎の2人が本作のラストで、全く同じセリフを呟いた。
追記4:上記1〜3からも、本作が登場人物の細かい言動を注意して観るに、なかなかの深さと苦さを巧く描いていることに気付かされる。

|

« ☆『姿三四郎(1943)』☆ | トップページ | ☆『虎の尾を踏む男達(1945)』☆ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ☆『姿三四郎(1943)』☆ | トップページ | ☆『虎の尾を踏む男達(1945)』☆ »