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2008年4月30日 (水)

☆『トスカーナの休日(2003)』☆

28日(月曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。
正直、あんまり期待してなくて、ただダイアン・レインが主演するから観ておこうかな〜程度に考えてたんだが、これがなかなかに心にしみて来る“ほろ苦い大人の恋愛モノ”に仕上がっていた。
どっちかってぇと女性向けの、“喪失”と“再生”の物語なようにも思うが・・(・ω・)

夫トムの不倫を原因とする結婚生活の終焉。いきなり失意の底に叩き落とされた主人公の作家(書評の仕事もしている)フランシス・メイズ(ダイアン)は、妊娠が発覚した友人パティー(サンドラ・オー)から「10日間のイタリア・トスカーナ地方の旅」を私の代わりに行ってもらえない? と持ちかけられる。同じような立場の男女が暮らす“離婚者マンション”での息の詰まるように暮らしに慣れぬフランシスは、考えた結果、気分転換も兼ねてその申し出を受けることに。

降り注ぐ陽光、咲き誇る幾多のひまわり・・バスの中はゲイだらけ・・(・ω・) そんな中、フランシスは「ブラマソーレ(BRAMASOLE:太陽に焦がれる、の意)」と書かれた(表札の掲げられた)古びた屋敷を車窓の向こうに見つけ、何かの“啓示”を受けたのか・・何と! バスを飛び降り、その屋敷へ向かう。
で、あろうことか、自身に残された資産の殆どをはたいてそれを購入してしまうのだった。
かくしてトスカーナでの新しい生活が始まったのだが、色々とフランシスを巡る“男難(女難の反対・・)”が巻き起こり・・みたいな流れ。

『フィールド・オヴ・ドリームス(1989)』の主人公(ケヴィン・コスナー演じる)じゃあるまいし・・って感じでやや強引な感もあるんだが、ヒロインがいきなし異国の地で新生活を始めちゃうって“転”の部分が「軸」としては面白い。男性のワタシには分からぬ“お告げ”みたいなものを体感する(子宮で感じる?)能力が、女性の中には備わっているのかも知れない、本能的に。

基本的に悪党の登場しない本作だが、舞台がイタリアってことで、あの国ならではの“プレイボーイ”がわらわらとフランシスにまとわりつく(⌒〜⌒ι)
まぁ「口説くのが彼らの礼儀よ、例え妻子持ちだとしてもね」 ってセリフが劇中でサラッと語られてましたけどね。。

そんな訳で、彼女は瞬く間に(?)不動産屋のマルティーニ、庭師の青年パベル(←彼はポーランド人)、街で知り合ったマルチェロ・・ってな男たちと親密になってゆく。
で、再び、燃えるような情熱と官能の時間を取り戻したフランシスは「まだ男をとりこにできる、すごい!」とはしゃぐのであるが、そんな恋も長くは続かず・・

このトスカーナの地で「新婚パーティーを開きたい」「家族を持ちたい」と願う彼女の気持ちは果たして天に通じるのか?

いや〜・・ダイアン様。すっかり惚れてしまいました(⌒〜⌒ι)
表情によっては額に皺が目立ってしまったり、ベッドで「まだ男をとりこにできる!」とジタバタしながらはしゃぐ演技などに「うっ・・」「ぐっ・・」とこちらの眉も思わずひそまってしまうんだが・・シャロン・ストーンより優しそうで、メグ・ライアンより賢そう・・そんな一面が発見されたような気もします(いや、前述のお2人とも、十分に魅力的ではありますが、、ファンの方、済みません)

“ブラマソーレ”のバルコニーから見下ろした、とある塀の装飾(祠か?)に、欠かさず花を供える老人が何度も描かれるが、彼がフランシスに心を開く日は来るのか?(現状=彼女が手を振れど無視される)とか“ブラマソーレ”のとある部屋の壁に据え付けられた、装飾の施された“蛇口”から、真っ当に水が流れ出る日は来るのか?(現状=壊れてるのか、何も出ない)とか、幾つかの「フリ」が提示されているのも、ちょっとハートフルな遊び心があって良かった。

原作者=フランシス・メイズ(!)の趣味なのか、映画化に当たっての製作陣の“創作”なのかは分かんないが、全編に渡りフェデリコ・フェリーニ監督へのオマージュが捧げられてる感じなのは、独特の“知性”が作品世界の底を流れてるようで、なかなかに魅力的だった。

紆余曲折はあったけど、最後にはめでたしめでたし・・やはり恋愛モノは、こう言う作りが一番安心出来るのだ。

〜 こんなセリフもありました 〜

フランシス「批評って多様だから・・悪い批評は忘れて」
     「不動産の購入に後悔は付き物よ」
     「こちらがゆっくり手をかけると・・家も応えてくれる」
     「人を知るには時間がかかる」
     「離婚では死なないってこと、離婚して初めて知ったわ」
     「信仰を持つ人々が羨ましい」
     「恋や悲しみは人を愚かにする」
     「人生は・・驚きの連続」

パティー「あなたは生きてない、落ち込み続けないで」

弁護士「ここを乗り越えろ、幸せはまた来る」

※「(隣の)泣き声が迷惑なら、壁を叩けば収まる」

マルティーニ「(幾つもの国で)同じ表現があるのは、それが真実だから」
      「お願いだ、もう悲しまないで、でないと過ちをおかしそうだ」

プラチド「夕食においで、独りは良くない」
    「愛が冷めたとき、残るのは悲しみだけだぞ」

婆さま「年はとっても・・心は傷つくのよ」

マルチェロ「イタリアの信号はこうだ・・青は“進め”黄は“お飾り”赤は“注意しろ”」
     「美しい瞳だ・・その瞳の中で泳ぎたい」
     「君の体を食べ尽くすよ」
     「男女の仲にはタイミングがあるんだ」

フェリーニ「世界はキミのもの、何にでも挑戦しなさい」
     「失ってはいけない、子どもの無邪気さを」
     「後悔は時間の浪費、過去は現在を殺す」

※上記はフェリーニが存命中、恋人のキャサリンに語った言葉、とのこと。

エド「てっきりあなたの結婚かと・・違っててほっとしました」

パベル「結婚出来ないと死んでしまう!」
フランシス「いえ、死なないわ」

追記:フランシスが母国(?)から発送した書籍などの荷物(数箱)。これがトスカーナの新居に届くのが、劇中のかなり後半なのも演出として面白かった。これにより「瞬く間に過ぎて行く新天地での生活」と「既に色褪せつつある過去」が巧く表現されている。

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2008年4月29日 (火)

☆『功夫ハッスル(2004)』☆

26日(土曜)の鑑賞。地上波初放送だったんだろうか?(ややカットが入ってた気もするが・・)

混沌と暴力と貧困が世を支配していた頃の中国(今もそうなのかも知れない?)。街を牛耳り、警察権力ですら手を出すことの出来ない広域暴力組織「斧闘(ふとう)会」のメンバーとなるため、青年シン(チャウ・シンチー)は親友と共に細かい悪事のアピールを積み重ねる。
そんな中「斧闘会」が眼をつけた貧民層アパート「豚小屋砦」に、3人の武術の達人が潜伏していたことを知った組長サムは、凄腕の殺し屋2人を雇い、彼らを襲わせる。
血で血を洗う抗争(?)の結果、達人たちも、殺し屋たちも倒れてゆくことになるが・・

そして遂に、最強レベルと恐れられた達人=火雲邪神(かうんじゃしん:ブルース・リャン演じる)がいよいよ動き出し、それに対抗し得る2人の達人が立ちはだかるが、その正体こそは・・!
そして抗争の中に放り込まれたシンの運命や如何に・・と言う流れか。

公開当時、劇場で鑑賞し、とにかく終盤のアクションにしびれまくった本作(=^_^=) 今回はさすがにCMでずたずた状態だったもんで、感動も低下してしまったが・・それにしても“ブルース・リー作品”へのオマージュが「これでもか」的に全編にちりばめられ、苦笑なしには観られない(=^_^=)

それはそうと本作・・(主人公の幼少時の)いじめシーン、中盤の「猫切断⇒首切断」のシーンなど・・異常にえげつなく、笑うにはブラック過ぎるギャグシーンも少なからずあるんだなぁ、と改めて確認した。ギャグ的にどうか? と冷静に分析すると、、あんまし面白くないし、特に登場キャラが全体的に「嫌悪感を抱かせる系」なので、きっとチャウ・シンチーが出演してくれてなければ、メタメタな作品に成り下がってた気がする(⌒〜⌒ι)

しっかしシンチーさん、折角の好青年なのに、あんなに(自作で)バカばっかしやってて満足なんだろうか・・(・ω・)

〜 連想させるネタ群 〜

・超高速で走るシンと大家の嫁(おばはん)・・『フリント・ストーン(1994)』
・信号機(?)の内側から鉄板をどついて手形をボコボコつけてくシーン・・『仄暗い水の底から(2001)』
・大家の嫁がサムを脅す際の動作・・『ドラゴンへの道(1974)』
・大家の嫁の“声殺法”・・『ブリキの太鼓(1979)』
・「大いなる力には、責任が伴う」なるセリフ・・『スパイダーマン(2002)』
・主人公がいじめられてた広場・・『ドラゴン危機一発(1970)』(の工場長宅)
・「異人類研究センター」地下の映像イメージ・・『シャイニング(1980)』
・驚異的な※※※の回復力・・『アンブレイカブル(2000)』
・相手が喋ってる途中で攻撃する・・『死亡遊戯(1978)』
・アイスクリーム屋の女の子・・『ドラゴン危機一発』
・大量の組員をやっつける主人公・・『マトリックス・リローデッド(2003)』

〜 こんなセリフもありました 〜

シン「善人は報われないと知り、悪人になると決めた」

サム「こいつは本物(の火雲邪神)か?」
シン「ええ・・サンダル履きはどうかと思いますが」

火雲邪神「この私の身が・・硬きものを砕き、速きものを遮る」
    「なかなかいい蹴りだが・・正確さに欠ける」

※※※※「今の技は?」
※※「学びたければ、教えてやる」

追記:あんだけ強くても、家賃を滞納させず払えるかどうかは別問題なんやね。。あんだけ強くなっても、菓子屋の店員に甘んじて暮らすんやね。。

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☆『日本沈没(2006)』☆

13日(日曜)に地上波初放送されたモノを録画、それを25日(金曜)に鑑賞した。
公開当時こそ、なかなかの話題性がワタシの食指をちょっぴりと動かしかけた作品ではあったが、結局はこうしてTV放送で観ることとなった。

音響(サラウンド)面はどうだか分かんないが、“動的”なCG(壊滅時)には殆ど評価すべきトコロのなかった気がする。反面“静的”なCG(壊滅後)の幾つかには独特な「無情感」漂うシーンが少なからずあり、ちょっとワタシの評価は良かったりする(・ω・)

まず目を引いたのは、妙に豪華なキャスト陣か。ハッキリ言えば「へっぽこ群像劇」なのだが「こんな役柄でこんな人が出てるんか〜」と言うサプライズは幾人かに感じた。自衛隊員役のピエール瀧、お偉いさん役(教授らしい)の加藤武、観測所員役(博士らしい)の柄本明、単なる(?)市井の兄ちゃん役の大倉孝二・・と言った面々。

「近い将来・・それは明日かもしれない」の不吉なテロップにて幕を開ける、日本の沈没してゆく姿を捉えた“ディザスター(災害モノ)”ムービー。
・女性ハイパーレスキュー隊員=阿部(柴咲コウ)
・深海調査艇乗組員=小野寺(草彅剛)
・危機管理担当大臣=鷹森沙織(大地真央)
・田所博士(豊川悦司)
を代表とする様々な人物が、異なるそれぞれの立場(専門分野)から、日本の危機を回避すべく奔走する・・と言う流れ。

“地震”“津波”“地盤沈下”“噴火”などの天災が、さながら“神の怒り”でもあるかのように人々を襲うんだが、如何せん相手が「特定(≒具現化)されたテキ」ではないため、どうも怒りの感情が湧きにくい。片や「恐怖を感じるか?」と言えば、これまた特撮がチャチなので、イマイチそんな気持ちにもなれなかったか。
以前に観た『アルマゲドン(1998)』に対し覚えた感情を・・もっとしょぼくしたような心持ちである(・ω・) ←自己犠牲的な“対処法”までもが『アルマゲドン』に似てたっけ、、

一番の不満は「説明的な、無骨ででっかいテロップが頻繁に出過ぎ、興醒めとなる」、次に「ナレーションが少なく(効果的に盛り込むやり方はあった筈・・)人物名、肩書などが分かりにくかった」、最後に「特撮映像&演出がしょぼい」ってことだろうか・・あっ、ええトコないやんか(⌒〜⌒ι)

草彅くんと柴咲さんの絡む辺りは『黄泉がえり(2003)』を何だか連想してしまい、それ故に『日本沈没』ならではのカップルのフレッシュさ&意外なキャスティング感がかなりワタシの中で薄れていた。内閣総理大臣・山本尚之役を力演した石坂浩二氏も、結構“エエこと”おっしゃってる割に、何ともあっけなく“退場”され、失望感&失笑が(ワタシの中で)広がるばかり。
せめて「田所さん、貴方は沙織さんを愛してらっしゃったんですね〜!」とか絶叫しながら退場して頂きたかったかも(・ω・) ←金田一かよ!

まぁ、そんな中でも衝撃的だったのは、
・京都・東寺の五重塔が“ひとまず”ながらも、大地震に耐えたこと(崩れちゃうんだけど) ←で、その倒壊する姿は“寳塔好き”としては涙なしには観られない(×_×)
・京都・清※寺はさっさと文化財を海外に運び出してたこと(僧侶はその後だったのか? 伽藍と運命を共にしたのか?)
・日本で唯一(?!)『沈没』に至るカウントダウン的な壊滅を被ることなく、のどかに暮らせる地域が存在していたこと(ヒントは“ヤッターマン”に出て来る悪役キャラ=ボヤッキーの故郷、である(=^_^=))
などだろうか。特に緊急時、国内の何処に居ても死ぬんだったら、皆で「福※県会※地方」へ向け、大移動(エクソダス)を開始しようではないか! あ、それとは逆に・・(北※道)函※市内とか熊※城の天守閣内とかだと、真っ先に死にそ〜です・・

あと、冒頭でとある災害シーンがちょこっと描かれるんだが、あれは「過去のシーン」ってことで良いのか? 良く分かんなかった。何か背後で山(富士山?)が噴火してたようにも見えたんだけど・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

山本首相「(大変動を前にして)何もしない方がいい、愛する者と共にこの国と一緒に滅んだ方がいい
     ・・そう言う考え方が出ると言うところが、日本人が他の民族と決定的に違うところなのかも知れません。
     正直に告白すると・・私自身はこの考え方が一番しっくりと来たんです」
    「すべての日本人は人間として生まれて来たんだ、だからみんな生きる権利も希望を抱く権利もある」

医師「医者の私が言うのも変ですが、奇跡としか言いようがありません」

小野寺「だけど・・日本は沈むんだよ」
阿部「あたしは自分だけ幸せになんてなれない」

小野寺の母「(自分の)命より大事な場合もあるの、人を好きだって言う気持ちは」

阿部の叔母「はじめはそうやってついた嘘が、いつの間にかあの子の中で本当になっちゃったんだね」

阿部「あたしは・・もう誰のことも好きにならないって決めたの、
   そしたらもうあんな悲しい想いをしなくて済むって」

小野寺「僕も自分の使命を見つけることが出来た」
   「僕は今までやりたいことだけをやって生きて来た、
    ・・けど、やらなければならないことがあると言うことを知ったんだ」
   「俺にも守りたい人がいるんです」

追記1:登場する大学名は「東都大学」とか曖昧にしてるくせに、清※寺はモロに描写(映像)かよ! などと(・ω・)
追記2:「我々はアメリカに見捨てられた!」的な表現がセリフの中で(一瞬)語られ、妙に爽快感を覚えた。言うねぇ☆
追記3:市民の暴動、宗教の台頭、は描かれなかった(リアルさに欠ける?)
追記4:「お国のために」系のセリフは一切語られなかった。天晴れと言うべきか? 嘆くべきか?

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2008年4月26日 (土)

☆『用心棒(1960)』☆

19日(土曜)に衛星第2で放送されたものを鑑賞☆
確か数年前(?)にも観たことがあったが、今回は映画全般に対する経験値が(まだまだ未熟ではあるも)更に高まって来てるのもあり、予想以上に面白く観ることが叶った。

“没後10年・黒澤明特集”と銘打たれた、クロサワ映画のラインナップを飾る代表的な1作。
風来坊が無法者の支配する町にふらりと現れ、2つの組織を荒し回り、最後に双方を壊滅させ何処へともなく去って行く・・と言うその(脚本家養成講座の教材みたいな)粗筋を語るだに気恥ずかしくなりそうな構成であり、いわば“アトラクション的娯楽活劇”なんだが、この単純明快で半ばパターン化されたような脚本こそが、観る者を安心させ、普遍的なその魅力を後年にまで振りまき続けるのであろう。

ともかく。『用心棒』の作られた以降の時代に生を受けて良かった、としみじみ感じる次第である(・ω・)

乾いた疾風の吹き荒れる、何処ぞの宿場町(どうやら上州街道筋らしい)。枯れ枝を空へ投げ上げ、己が行く先を決めた結果、この宿場へとやって来た凄腕の浪人(三船敏郎)ひとり。
宿場では連日、殺し合いが続けられ、笑いの止まらぬのは「をけ屋(棺桶屋)」の主(あるじ)ただ1人。

町を支配するは「清兵衛一家」と「丑寅一家」の2大勢力。
自らを「桑畑三十郎」と名乗ったこの正体不明の浪人、「俺を用心棒に雇わねぇか?」と剣の凄腕をアピールしつつ、双方を行ったり来たり。
そうして、両家をまんまと手玉に取ったかに見えた三十郎だったが、そこに丑寅親分の弟=卯之助(仲代達矢)がひょっこり旅から戻る・・そして三十郎の策略の歯車は次第におかしな回転を見せ始めることとなる・・

ポンポンポンっと要所要所で眼を引く映像を見せてくれるのが素晴らしい。

冒頭で言えば「右手首をくわえた犬」がちょこちょこ浪人の傍を走り過ぎて行く演出だろうか。主人公でなくとも「どうなっとんのやこの宿場は?!」と思わず心中ギョッとさせられることだろう。
(後年のカドカワ映画『悪霊島(1981)』でも、同様に“手首犬”が登場するが、本作の影響だろうか?)

どうにも、両方の一家とも「構成員はバカばっかし」と言う印象が(当初から)あり、それが次第に大きく膨らんで来るんだが、そんな“停滞した状況下”で登場する「卯之助」のキャラ造形がクールでニヒルで、とにかくカッコいいのなんの(=^_^=)
「英国製のマフラーを首に巻き」「懐にピストルを隠し持つ」って設定からして無国籍でぶっ飛んでる!(ひょっとして『ピストルオペラ(2001)』にも影響を与えたか?)

宿場内を代表するロケーションの1つで「火見櫓」が出て来るが、卯之助が「面白(おもしれ)ぇものを見せてやろうか」と言いつつ、半鐘を狙い撃ちして鳴らす辺りの演出は、観客から観ても、同業者から観ても「やるぅ〜!」と唸るしかないんじゃなかろうか。

対する三十郎も「6人斬り」の早業を中盤で見せてくれる! コレが「ただ斬り結ぶ」だけじゃなく、1人当たり“きっちり2太刀”を浴びせ即死させて行くテクニックであり鮮やかでカッコいい。モノクロ映画ならではの利点で、それほど(色彩的に)生々しく映らないのも良かった。

そうそ。モノクロ作品と言えば・・(戸外の)雨の描写がなかなか良く、妙に感動させられてしまった。同監督の『野良犬(1949)』の後半、雨の中を某重要人物の現れるシーン(『セヴン(1995)』に雰囲気が似てる!)も素晴らしかったが、本作もなかなか☆

終盤、居酒屋の親父(東野英治郎)がとっ捕まってしまい、後ろ手にぶら下げられるんだが、これが町の入口にある「鳥居」に、と言うのも、(先の)「火見櫓」同様、ロケーションを余すトコなく駆使してる感があり、楽しめた☆

正直、細かいことを言うと「荒唐無稽」「ご都合主義」「中盤でダレそうになる」って一面もあるんだけど、その辺りの調整をギリギリの許容範囲と言おうか、適度な加減にとどめていて、そこが奏功したのかも、とも思ったものだ。

あ、「2つの勢力を行ったり来たり」と言う(主人公の)処世ぶりってば『もののけ姫(1997)』のアシタカとか、『機動戦士ガンダム』シリーズのシャア・アズナブルにも影響を与えたっぽいトコもあるんじゃなかろうか・・(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

百姓「近ごろの若ぇもんは、みんな気が狂っちまっただよ」

権爺「こんなトコにいると、毒気に当てられて碌(ロク)なことになんねぇ」
  「この宿場のヤツはみんな気ちげぇだ、だが・・お前はもっと気ちげぇだ!」
  「おめぇ、生きてるようには見えねぇぜ」
  「報せたのか、馬鹿野郎! 余計なことしやがって・・」

三十郎「斬られりゃ痛ぇぞ」
   「全く馬鹿につける薬はねぇな」
   「をけ屋! 棺桶2つ・・いや、たぶん3つだ」
   「用心棒にも色々ある・・雇った方で用心しなきゃならねぇ用心棒もある」
   「博打打ちの仲直りぐらい、物騒なもんはねぇんだぞ」
   「人をあんまり安く使うと、却って高く付くことになるぜ」
   「宿場がこの鍋の中みたいにぐつぐつ煮えて来たぜ」
   「面白れぇ見せもんだろうが、見物するのは後回しにして呉れねぇか・・説教も後回しだ」
   「死ぬ前に叩っ斬らなきゃならねぇヤツがだいぶ居る」

※「博打打ちに奇麗も汚ねぇもあるもんか」
※「1人斬ろうが百人斬ろうが、縛り首になるのはいっぺんだけだよ」

丑寅親分「ほかの雁首は要らねぇ」

亥之吉「ところであの6人・・“いい腕”で料理されてたなぁ」

棺桶屋「駄目だ・・喧嘩もこう派手になると、もう棺桶なんか使っちゃ呉れねぇ」

卯之助「駄目だ、暗くなって来やがった」
   「畜生! 俺はお題目なんか要らねぇ! ・・地獄の入口で待ってるぜ」

巨躯の用心棒「やい、旦那の長持(ながもち)に血を垂らすな!」

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2008年4月23日 (水)

☆遅ればせながら・・追悼、ヘストンさん☆

新聞記事を整理してたら、4月7日付の「切り抜き」がひょっこり出て来た(・ω・)

米俳優、チャールトン・ヘストンさん死去、享年84・・の見出し。

ご冥福をお祈りしつつ、少しワタシ自身の印象(思い出)をまとめてみたい。

まずは、何と言っても『ベン・ハー(1959)』における、パワフルなヒーロー像が素晴らしかった。
この作品は歴史小説『ベン・ハー』の3度目の映画化と言うことで、1907年製作のサイレント短編、1925年製作のサイレント長編(?)に続くものらしい(ウィキペディアより転載・・)

後年『スター・ウォーズ・エピソード1/ファントム・メナス(1999)』とか『グラディエーター(2000)』に“やりたいほ〜だいパクられまくった”感のある悲しみの1作でもあるが、ワタシ自身はあの「戦車競争」の場面もアクション的にはむろん印象深いが、何と言ってもガレー船をこぐ主人公の、あの“生気に満ちた瞳”の輝きこそが忘れられない。

※因みにその後、2003年にもアニメ版『ベン・ハー』が製作されてるらしい。

続くは『十戒(1956)』だろうか。こっちの方が『ベン・ハー』より古いんですねぇ。。
「紅海の割れるシーン」が本作においてはやはりスゴく、CG(←特にコンピューター処理)とか一切使ってないのに、よっぽど観客の“記憶”に残る映像に仕上がってたのが苦笑させられる(=^_^=)

あとは『猿の惑星(1968)』とか『地球最後の男/オメガマン(1971)』などか。

特に後者(『オメガマン』)は以前に家人が「面白い映画や!」と妙に絶賛してて、録画したビデオテープを借りて観てみたら・・「とんと面白くなかった」のこそが印象深い(・ω・) ってか、殆ど覚えてないし・・

が、コレが後年にハリウッド大作『アイ・アム・レジェンド(2007)』としてリメイクされるとはねぇ〜!
単に原作が素晴らしいのか、親父どんに先見性があったのか、その両方なのか、良く分かんないが・・また機会があれば新旧2作を見比べてみたいぞ、と。

何が悲しいって・・最晩年の出演となったのが、マイケル・ムーア監督『ボウリング・フォー・コロンバイン(2002)』だったことじゃなかろうか。
作品のサプライズ・ゲスト(?)とし、終盤にヨロヨロと登場されるんだが、何だか「ファットでガチンコな良く分からん若造」にごちゃごちゃ“難クセつけられほ〜だい”だったような印象も(見方によっては)あり、きっと本作への客演を機に、イッキに彼の生命の炎が揺らぎ始めたんではあるまいか、、とか勝手なことを妄想する次第。

2003年に出演した映画『MY FATHER』がどうやら彼の遺作らしいが、良く実態が分からないもんで、ついつい「あのドキュメンタリーこそがいけなかった」などと思ってしまう。

後日執り行われたヘストン氏の葬儀(12日)にムーア監督が果たして参列したのか、その時にも死者を鞭打つような言動があったのか、やっぱりカメラを回してたのか、ついでに女の子のポートレートをそっと置いて帰ったのか、その辺りも何となく気になってしまうものだが・・

それはそれとして、安らかにお眠り下さい。

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2008年4月21日 (月)

☆『ステルス(2005)』☆

20日(日曜)夜に「地上波初放送」されたモノを観た。
ジェイミー・フォックス主演、ロブ・コーエン監督(←どうやらコーエン兄弟とは無関係らしい(・ω・))ってことで「おそらくペラッペラのCG空中アクション“大作”やろ」とタカをくくってたが、中盤に意外なサプライズが勃発し、更にその後の展開が(劇場公開時に情報は得てたけど)結構プチオムニバスな感じで「観ないよりは観といて良かった」と素直に思える作品だった(・ω・)

近未来。世界を覆うテロの脅威に対抗すべく、米国海軍航空隊は400名の志願兵から選ばれた3名の超精鋭パイロットを軸に「対テロ・ステルスチーム」を編成する。そんな彼ら、
ベン・ギャノン、カーラ・ウェイド(ジェシカ・ビール)、ヘンリー・パーセル(ジェイミー)(いずれも階級は大尉)のチームに新たに配属された「第4のパイロット」こそがステルス機一体型の人工知能“E.D.i.(エディ):Extreme Deep Invader(超深層部侵略機?)”であった。

ミャンマーの都市・ラングーンの中心部に建つ「防衛省ビル」に潜伏した3人のテロリストをビルごと抹殺する、と言う第1のミッションにおいてベンの思考パターンを学習した“エディ”は任務完了直後、帰投(帰艦)の際に落雷の直撃を受け、それをきっかけとしてか(?)徐々に歪んだ自我を形成⇒増幅させてゆくこととなる。

第2のミッションで(同盟国パキスタン近くの)タジキスタンへ向かった4機は、核攻撃を目論むテロリストの保有する、スカッドミサイルを破壊することとなるが、その作戦の中、ついに“エディ”は暴走を始める・・

“エディ”を追う3機だが、結果ベン、ヘンリー、カーラはそれぞれに仲間とはぐれてしまうこととなる。

殊に、カーラは制御不能となった機体を棄て脱出するが・・彼女が着地した先は・・何と北朝鮮であった。

一方で、上官ジョージ・カミングス大佐の“不穏な動き”に気付き始めたベンもまた、不時着したアラスカの基地で生命の危機にさらされ・・みたいな流れ。やや大ざっぱ過ぎるけど・・

「近未来のファンタジー(おとぎ話)でっせ〜!」と冒頭ででっかくことわってるもんだから、世界情勢を無視したような有り得ない展開もOK! みたいな痛快さはあったか。
ワシントンの動きを殆ど描くことなく、北朝鮮−韓国間の国境を派手に空爆し、フェンスを破壊し、警備兵らを瞬殺するようなことも。。『007/ダイ・アナザー・デイ(2002)』のリー・タマホリ監督や『G.i.ジェーン(1997)』のリドリー・スコット監督、『スパイ・ゲーム(2001)』のトニー・スコット監督・・と言った面々も流石に本作のムチャクチャさには驚かれるかも知んない(⌒〜⌒ι)

惜しむらくは、ワタシの部屋のTVぽっちでは、映像面でも音響面でも、全くもって迫力不足だったこと(×_×)
その点で納得出来るレベルならば、目をつむれるトコもあったんだが、やっぱりCG依存が強すぎ、薄っぺらい飛行映像が延々続くよなぁ〜と言う「お腹いっぱい感」があったのである。

まぁ、昔で言う『ファイヤーフォックス(1982)』っぽい飛行シーンの荒唐無稽さは(確かに)気持ちが良いし、中盤以降で『カプリコン・1(1977)』を連想させてくれるような“パイロット3名の運命の岐路”が思ったより丁寧に描かれてたのも良かったか。

他に“エディ”の開発者としキース・オービット博士ってキャラが登場するんだが、某所から彼が脱出する際の演出が、何だかプチ『ワイルド・スピード(2001)』してて笑えた。ま、同じ監督さんですから、、

〜 こんなセリフ(指令とか)もありました 〜

上官「完璧以外の結果は認めない」
  「我が国と“あの国”とは国交が全くないんだぞ!」

博士「一度、学びを教えた以上、もはや“学ぶな”とは言えない」
  「急げだと? 時計付きラジオの修理じゃないんだぞ」

※※「少しだけ、1人にさせてくれないか・・」←大抵は“アレ”の寸前のセリフですね、、

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2008年4月20日 (日)

☆『ノーカントリー』☆

20日(日曜)の鑑賞。
「今日こそ、奈良方面へドライヴじゃあ〜!」と気合だけは高めてたモノの・・起きたら正午前だったので、あえなく計画を断念⇒変更(×_×)

午後から電車で大阪市内へ繰り出し、なんばの「TOHOシネマズ」で、前々から予定してた1作『ノーカントリー』をついに観て来た☆

“運命のいたずら”に“ブラックな笑い”を絡め描かせたら、世界でもトップレベルの監督である(たぶん)コーエン兄弟(ジョエル&イーサンの2人。ヒラカタ・コーエン?・・んなヤツはいね〜っての!)。今作では“喪失感”“虚無感”を全編に漂わせつつ、狙われてしまった男と狙う男、そして彼らを追う男・・の3者のドラマが“逃避行”“猟奇殺人”を軸(?)に、余すトコロなく描かれる・・

1980年、テキサス州の西。荒野でハンティングを楽しむ男=ルウェリン・モスは、偶然にも狩猟地の先に広がる谷間で麻薬取引&銃撃戦の行われた直後の現場を見つける。5台の四駆車は全て前輪がパンクし、彼らの連れていたと思しき犬までもが無惨に殺されている。
まだ微かに息のある男(メキシコ人)から「水(アグア)をくれ・・」と懇願(スペイン語か?)されたモスだが、あいにく水筒の持ち合わせはなかった。
うち1台の荷台には大量の麻薬が積み残されており、現場から距離を置いた大木の下では(深手を負いつつそこまで逃げたと思しき)男の遺体と、大きな黒いブリーフケースが残されていた。
モスがケースを開けると・・果たして中には200万ドルの大金が・・!

彼は“ひとまず”遺体から集めた銃器と共にケースを自宅へと持ち帰る。
だが、彼はまだ知らなかった。奪われたケースに仕込まれた「発信器」を辿り、メキシコ人たちが自身を追って来ることを。そして、最凶の殺し屋=アントン・シガー(ハビエル・バルデム)もまた“独自のルール”に従い、静かに動き始めたことを。

一方で、老齢の保安官エド・トム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)は州内で発生した「(シガーの手による)保安官補殺し」の捜査を開始する。
モス、シガー、保安官の繰り広げる追跡劇の先に待ち受けていたものは・・みたいな展開。

コーエン兄弟と言えば・・未だにまず思い浮かぶ佳作が『ファーゴ(1996)』ぐらいしかなかったり(・ω・)
あ、調べたら『赤ちゃん泥棒(1987)』『未来は今(1994)』も観てましたっけ、、

う〜ん・・どうだろ、本作。
最も意外だったのは“追われる立場”である(一応の)主人公=モスのキャラ造形か。追われる一方のか弱い若者か、と思いきやベトナム戦争に2度従軍したこともあるたくましい兄さんだった。殺し屋シガーは劇中で2度ほど手傷を負う訳だが、うち1度がモスによる反撃、と言うのも頼もしかった。

が、一方では物語が不必要に拡大し散漫な印象となり、主人公像もぶれ始めてた感があった。観客によっては「後半、物語世界が崩壊してましたやん!」と言う意見も(小声なりに)きっとあるに違いないし、実際そう言う見方も出来るかな、と。

物語の性質上、仕方ない部分はあろうが、メキシコ人ギャングの行動とシガーの暗躍が混ざってしまい、ワタシなどは「シガーの大暴れ」こそを観たかったので(どんなヤツだ!)生ぬるいドンパチなどは正直どうでも良かった。そのため、後半の(エル・パソの)モーテルで起こる“事件”に対して、どうにも納得出来ない演出だと思った。

※前半はモスの言動を描いてたのが、次第にシガーの言動ばかり追うようになる流れは「あ、監督のチャンネル(興味とも言う(=^_^=))が切り替わったな」と思わせてくれた(=^_^=)

保安官の名やモスの妻の名が殆ど劇中に出て来なかったのも「不親切やなぁ・・」とか。

あと、全般的に「既視感」に包まれまくったのも本作の特徴か、と・・個人的には。

・(殺人現場である)モーテルの部屋に入る保安官と、暗闇でひたすら待ち続けるシガーの姿の対比。このカットバック(=2つの映像の連続切替え)は『羊たちの沈黙(1991)』のクライマックスとそっくり。
・遠くへ歩いて行く※※※の姿・・この映し方も『羊たち〜』のラストっぽい。
・終盤、シガーが“意外な人物”に会いに行く展開は『ゼヴン(1995)』において描かれなかった「ケヴィン・スペイシーとグウィネス・パルトロゥの対話シーン」・・を連想させる。にしても、あの家の中の薄暗さと、戸外の明るさの対比にはクラクラ来ましたワ。
・老いぼれた保安官がただただ「後手に回る」描き方は『パーフェクト・ワールド(1993)』ぽくはないか?
・テキサスの乾いた空気と何処までも広がる荒野の映像は『パリ、テキサス(1984)』辺りにどっか通じるモノがあったかも。
・“不気味なヤツ”がひたすら主人公を追って来る展開は『赤ちゃん泥棒』の焼き直しっぽいかも。

他にも、色々とネタがありそうな(・ω・)

それとは別に、ふと理由もなく(直感的に)思い付いたのが
「“殺し屋”を主人公にして、物語世界を描き始めた時点で、その監督のパワーも下降線を辿り始めたと言えるのでは?」
と言う勝手な仮説ではある。
それは、かつてのフランス映画の雄=リュック・ベッソン氏に対し、近年抱き続けている感情にも似ているが・・

〜 こんなセリフもありました 〜

保安官「昔の人の話を聞く機会を、私は決して逃さない」
   「出来れば、麻薬取締局とは関わりたくない」
   「牛が相手でも、(殺す時には)何が起こるか分からない・・人間であれば尚更だ」
   「メキシコ人たちの死因? “業務上の自然死”さ」
   「オレでは、力が足りない」
   「老境に差し掛かれば、神が人生に入って来ると信じていた・・だが神は入っては来なかった。
    ま、オレが例え神でも、オレを見棄てたろうが」

モス「起こったことは・・元には戻せないのさ」

モス「黙らないと、奥で“手ごめ”にしてやるぞ」
妻「口ばっかり!」

妻「こんな夜中に何処へ?」
モス「“バカなこと”をしに行くのさ」

妻「ケガしてるのね?」
モス「何故?」
妻「声が違う・・“人をだます時”の声だわ」

妻「スーパー勤めのお陰で“悪口”には慣れてるわ」
 「正気じゃないことは、あなたをひと目みて分かったわ」
 「決めるのはコイン(の裏表)じゃない・・あなたでしょ?」

店員「そのコインに何を賭けると?」
シガー「お前のすべてだ」

シガー「それはポケットには入れるな、普通のコインと混ざってしまうからな
    ・・とは言え、只のコインだが」
   「オレが何処から来たか・・お前に関係が?」
   「“気に入らないことがあるか?”とこのオレに訊くのか?」
   「オレがどう言ったトコロで・・それが事実だろうが?」
   「自分がこれからどうなるか分かるな? 分かってる筈だ」
   「お前が(自分の)ルールに従った結果、こうなった。だとすれば、ルールは必要か?」
   「お前には自分を救うことなど出来ない」
   「仕事には“正しい道具”を使うべきだ」
   「オレの顔を見たろ?」
   「“その瞬間”が来たら、誰もがそう言う・・“私を殺す意味はない”と」

ウェンデル「単純な推理ですね」
保安官「オレも年をとったからな・・」

保安官「銃を抜いておけ」
ウェンデル「そう言うあなたは?」
保安官「オレは・・いざとなればお前に隠れる」

妻「ケガしないでね」
保安官「しないよ」
妻「他人も傷つけないでね」

※「遺体がコヨーテに喰い荒らされてないな?」
※「メキシコ人はヤツらも喰わないさ」

※「幾ら若くても、やめるべきだ・・ヒッチハイクは。・・危険過ぎる」

※「どうこの身を守ればいい?」
 「人間は、奪われたものを取り戻そうとして・・更に失うもんだ」
 「この国は人々に厳しい・・“変えられる”と思うのは(若さ故の)思い上がりだ」

ウェルズ「“優雅”とはほど遠い人生さ、この稼業は」
    「イスは座るもんだ」
    「言うなれば・・シガーは“ユーモアを持たない男”なのさ」

ウェルズ「来る途中に数えたら、このビルの階数がどうも1つ足りない」
ボス「早速、調べてみよう」

〜 ほか追記 〜

・本作ってば、コーエン兄弟の(近代の犯罪)社会に対する諦念か? それとも自虐的だが(実のトコは)不敵な我々へのメッセージなのか?(少なくとも警鐘ではなさそうだ)
・あの“オチ”は「夢ネタの一種」と評すべきか?
・“圧縮ボンベ”ネタはサム・ライミ&三池崇史の2監督辺りが狂喜絶賛しそう(=^_^=)
・もう1人の殺し屋=カーソン・ウェルズ(ウディ・ハレルソン)の劇中における殺害者数が・・ハンパじゃない!(=^_^=) ←観た者だけが苦笑出来るネタ
・本作って「全米モーテル協会(ってあるの?)」からクレームがつきそ。何だか「モテール=犯罪者の巣窟」みたいな取り上げられ方なもんで。
・濁流を泳ぎ切った“けなげな犬”があっさりと殺されてしまうシーンには、流石に怒りがこみ上げた(・ω・)

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☆存外近くにありし素晴らしき場所☆

19日(土曜)。
昨夜に降ってわいた(?)飲み会に参加し、帰宅が午前様コースとなってしまった。。
それはそれでイイとして、、やはり恐れてた「寝だめ」に突入してしまったのだった(×_×) ←単に自業自得だけど。

早起き出来たら奈良方面にドライヴしよう! と考えてたが、これにより遠距離ドライヴの望みが絶たれ、近場のドライヴで済ませることとした。

で、思い付いたのが我が街(大阪府枚方市)から「比較的近い」ロケーションにある、寳塔(三重塔)を擁する寺“寳積寺”の存在だった。以前(数年前)にも「寳塔ツアー」の一環で、ガツガツした気持ちでもって(⌒〜⌒ι)半ばルーティン(流れ作業)的に回ったこの寺だったが、しばしば訪問させて頂く先である某ブログ

http://miyumiyu1238.blog5.fc2.com/

にて、ワタシの知るのと正反対の角度(って言うか裏側)からここの寳塔を眺めた画像を拝見(2月ごろのの記事)したもので、それ以来「行っとかなきゃ!」と妙な義務感を高めてたものだった。

枚方からは旧1号線を通り、八幡市を経由し国道171号線を走って(乙訓郡)大山崎町入りした。
JR山崎駅から京都方向(踏切を渡った先)には駐車場が殆どなく、とにかくかなりな坂道&狭路が待ち構えてるので「ムリはすまい」と素直に(踏切手前の)コインパーキングに止め、歩くこととした。

くだんの寺の境内散策は(前にもしたので)後に回すこととし、目指す「アサヒビール大山崎山荘美術館」に向かったが、ここが予想以上に素晴らしかった!
「なんで、なんで、もっと早くに来なかったんだよう!」と山荘の壁にアタマをガツガツぶつけたくなったほどだ(←やめなさい)

館内の殆どは「撮影禁止」となってるので、持参したデジカメ(1眼)にはレンズキャップをかぶせるしかなかったが、テラスなど“一部(半)屋外”では撮影しても構わないようだ。で、バルコニーの向こう、木立の合間に見えたのが「寳積寺・三重塔」の相輪部(先端の装飾)であり、その(木製の)手すりに

「寳積寺(寳寺)三重之塔:(桃山時代)重要文化財 天正10年(1582年)山崎合戦の前夜、羽柴秀吉この塔に泊れりとの伝えあり。「一夜の塔」ともよばれる。」

なるアルミプレートが貼ってあるんだが「これぞ“借景”や!(←ここで言う“借景”は造園技術的なそれとは別)」と妙に興奮してしまった。
かの寺の関係者が果たして「こんな遠いロケーション&角度」から(塔が)眺められてることを知ってるかどうかは分かんないが、この位置にこう言う案内プレートのあるのが、面白いしセンスいいなぁ〜と感心させられた次第。

他にも(1〜2階の)階段・踊り場にあった「からくり時計」の動きがすごかった! ネットで調べたら、どうやら「Bobbin社のPlaying Rhythm時計」と言うらしいが、先端に玉(=錘:おもり)の付いた糸が、2本の軸に(回転しながら)巻き付いてはほどけ、その連続する動きでタイミングをとりつつ刻(とき)を刻む・・と言う感動的な動作を見せてくれる。
コレにはすっかり見とれてしまいましたなぁ・・

常々思うのは「素晴らしいロケーションに、素晴らしい客層がマッチ(調和)することにより、その場所は生涯の最良の記憶とさえなり得る」
ってことなんだが、今回は同館でロケーションを共有した来館者たちもなかなかセンスが良くトクした気分だった。(あるでしょ? 例えば折角の素晴らしいレストラン&メニューなのに、近くの客のマナー(会話レベル等)が恐ろしく低くてゲンナリしてしまったこと・・)

中でも、お茶休憩した際、隣席に座っておられたお2人が良かった☆
ダンディーなおじさまと美しいご婦人だったのだが、どうやら「講演会もこなしてる文化人(?)」なおじさまが「講演」なぞに関する自身のトークを放つんだが、

おじさまが「話す度に、新しい発見が自分自身にあります」と言えば、
ご婦人も「講演を3度聴けば、その方が分かります」とか何とか・・(⌒〜⌒ι)

特におじさまの言ってた「その時々で表現を変える(=アレンジする)のが一流。“超”一流は、決してスタイルを変えない」なるセリフにはちょっとハートを射抜かれてしまったぜワタシ。
ただ、彼らの教養&経験の応酬をウットリと(?)耳に響かせつつ・・内面ではワタシ本来のゲッスい感情・・

「それで、あなた方はこれから、、と言うか今夜、何処でどんな風に過ごされるんでしょ〜かっ?!」を抱いてしまったモノだった(=^_^=)
閉館時間が近付くにつれ、何となくソワソワしてる雰囲気の漂ってたおじさまに、(彼に“奥さん”と呼ばれてた)ご婦人の「何かの決意を秘めていた」ようなご様子、そして「土曜の夜」と言うシチュエーションから総合的に察するに(察するなよ!)、かなり“ご無体な時間”がこの先、控えてるようにも思えちゃったりなんかしちゃったりして、ワタシのアタマはそんな妄想ですっかりクラクラしてしまうのだった。

お2人の会話に付き合い過ぎたか(人のせいにするなよ)、階下へと降りた時には、既に(1階の)販売コーナーは終了してしまってたのだった(×_×)
建築家・安藤忠雄氏の設計による「新館(円形の地下施設)」も“いかにも”なコンクリート打ちっぱなし系だったんだが、適度な静かさが確かにキープされてて良かった。
初老の警備員さんの物腰もすこぶる良かった。

そんな訳でまた是非、時間をゆっくり取って、再訪したいロケーションである。

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☆再開された“ヤッターマン”を観た☆

17日(木曜)の鑑賞。
先月13日の放送以来、特番などで中断され続けて来たが、さる14日(月曜)に放送がようやく再開された☆ 特番の影響もそうだけど、作画が追いつかなかったんでは? などと勝手な想像をしたり(・ω・)

今回から、オープニング&エンディングに関し、作画と歌手が変わった(エンディングは歌自体も変わったようだ)。
オープニング(歌手)についてはちらほら“不評”を耳にした気もするが、私的には今回の歌い手の方が好かない気がする。ま、好きずきだろうけど・・

第11話“ドロンジョ様はお年頃だコロン!”

春⇒恋の季節⇒恋人たち⇒宮崎県の教会・・をテーマにヤッターマンとドロンボ〜一味が性懲りもなく(=^_^=)大暴れ。

今回は、
・ヤッターマン2号=アイちゃんが「山羊座」
・ヤッターマン1号=ガンちゃんのフルネームが「高田ガン」
と言う事実(ってか設定)が判明した(=^_^=)

ヤッターマンの収入源がナニか? とかヤッターワンの公道走行は道交法違反ではないのか? とか言う視聴者の長らくの疑問は今回も解明されず(=^_^=)

ファンとしての見所は
・2号の武器“しびれステッキ”の直撃を受け「コレが最高でんがな〜!」とよがる(=^_^=)トンズラー兄貴
・メカの素(もと)が急性アルコール中毒症状(?)にも即効することが判明☆ ナレーションでは
「いいぞ! メカの素は飲み過ぎにも効くらしい」と説明されてた。
・1号に「あんた、ホントはいい女なんだな」と見透かされたドロンジョ様。コレって新展開?!(=^_^=)

などだったろうか。因みにロケ地が宮崎県であることから「どげんかせんといか〜ん」なあのおっつぁんもカメオ出演してくれた。いずれは大阪が舞台の物語などで“眼鏡を外したとっちゃん坊や”が出演する日も来るんだろうか、、

〜 こんなセリフもあったでコロン! 〜

ボヤッキー「それにつけても、男って切ない生き物よねぇ」

ドロンジョ「かりそめの恋なんて・・空しいだけさ」

追記:何だか気になって(=^_^=) “実写版ヤッターマン”の公式サイトを覗いてみた。監督が三池崇史氏ってことで「何となく期待出来ないかも・・」と先入観を芽生えさせてしまったり(・ω・) ←監督、すんません! でもあなたの手がけた『DEAD OR ALIVE 犯罪者(1999)』の終盤だけは敬愛し続けてます(=^_^=)

「やっぱり日本に生まれて映画監督になったら、『ヤッターマン』をやらないと死ねないだろうと」

・・みたいな熱い言葉を放ってくれてまっさ、三池アニキ!(=^_^=)

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2008年4月18日 (金)

☆『アンフェア the movie(2007)』☆

17日(木曜)。周囲から「つまんない」との“芳しくない評価”を耳にしつつ、、12日(土曜)に「土曜プレミアム」で地上波初放送された(のを録画しといた)モノを観た。

元々は連ドラとし放送されてたのが、好評につき早々に「シリーズ完結編」として劇場版が実現したようだ。
って、全然ドラマ版を観てなかったんですけど・・(・ω・)

警視庁公安部に所属する警部補=雪平夏美(篠原涼子)が本作の主人公。「バツイチ、酒飲み、アウトロー」と言うイマドキな(?)ヒロイン像を体現したような設定なんだが・・如何せん「コントやんか」とまでは酷評しないが、どう演じてもそれが「篠原本人のキャラ」にしか見えない・・って言うか、ワタシの中ではダウンタウンのコント番組に出演してた頃の(彼女の)印象がいまだ強烈で・・(×_×)

警察内部の不正を暴く、重要な証拠となる「極秘文書」の存在を追い続ける夏美。何者かによる警告か、ある朝彼女の自家用車が爆発炎上、ベビーシッター(?)が即死・・自身の愛娘である美央(みお)もまた負傷してしまう。
そして、今度は美央の搬入された「豊洲警察病院(東京都江東区)」がテロリスト集団に占拠されてしまった。折しも同院には篠崎警察庁長官が検査入院しており・・

犯人グループの要求は、警察が密かにプールして来たと言う“裏金”80億円。長官の命を楯に、そして病棟地下の研究施設に保管された「黒色潰疽菌」を奪って“切り札”とし、大金を要求する一味。
刑事として、そして1人の“母”として夏美は病院に潜入し、美央の姿を探し求めるのだが・・そんな展開。

何だか定番の『ダイ・ハード(1988)』路線に『ザ・ロック(1996)』辺りの演出をパクり、豪華俳優陣が亀山千広プロデューサーの号令のもとに集められたけど・・いざ完成したらムチャクチャでした、みたいな作品だった(・ω・)

どうにも誘拐事件と籠城事件が同時に勃発し、そこにバイオテロまで絡んで来るってのは詰め込み過ぎで散漫な感。そこまで風呂敷を広げてる割に、銃撃戦(のシーン)も心理戦(のシーン)も「カネかかってへんな〜」「ちっとも緊迫せんな〜」と(制作側の狙いとは全く違う部分に)びっくりさせられた。

ハッキリ言えば、20年も昔の映画『ダイ・ハード』に全く勝ててる部分がなかったのだ(×_×)

数人の(助演)キャラに関しては断片的なセリフだけでその過去があっさり語られ(片付けられ)「知らんっちゅうねん!」と思わず突っ込まざるを得なかった。「誰もが、怪しい」と言うシチュエーションがウリだったそうだが、詳しくないワタシにすれば「例えそれが誰であっても感情移入もでけへんし、驚きもせんわ!」って感じだ。

緊迫シーン(?)に流れるBGMが、コレまた『レオン(1994)』のそれをパクっていじくったような、お粗末な“エリック・セラ路線”なのも噴飯モノと言えた。
「完結編」とかうたっときながら、大きな流れは完結を見せてないし、登場キャラの何人かは後日談も描かれぬまま、バッサリとカットされて行ったようだった。。

ってことで、その粗悪ぶりこそが「テロ」であり「アンフェア」と呼べるような1作、とは評せそうである。

〜 こんなセリフはあったけれど 〜

夏美「世の中にはフェアなことなんて何もない・・復讐には復讐を・・アンフェアにはアンフェアを」

斉木「犯罪の動機の大部分は怨恨かカネです、違いますか?」
  「正義に犠牲はつきものです」
  「世の中に絶対なんてないのはご存じでしょう」
  「表向きの幹部をすげ替えたところで、組織は何ら変わらない」
  「力がなければ、愛する者さえ守れない」

蓮見「お金は、人と違って裏切らないから」

※今作でも、病院に突撃するSAT隊員を筆頭に、誰1人として「防弾チョッキ」を着用してない(らしかった)のが切なかった。また無意味に“如何にも狙撃されそなロケーション”で無防備にうだうだ語り合ったりするシーンもあるし、、「自分だけは撃たれはすまい」とでも思ってるんだろうか?

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2008年4月16日 (水)

☆『デッド・サイレンス』☆

15日(火曜)。仕事の帰りになんば方面へ向かい、久々の「敷島シネポップ」で『デッド・サイレンス』を鑑賞して来た。
そもそもは『ノーカントリー』を一刻も早く観たいワタシなのであるが、それに先立ち「小品ながら良く出来たホラー」なる好評価を某ラジオ番組でチラリと耳にし、以後気になってたもんで先に割り込ませることとした次第。

初の長編作『ソウ(2004)』で一気に世界へと躍り出た若き才人=ジェームズ・ワンが放つ3年ぶりの監督作品・・ってことで、『ソウ』ファンの期待値こそは高まってるんだろうが・・ワタシは『ソウ』シリーズ(4作目まで続き、5作目も製作されてるらしい)を全く観てないもんで、逆に言えば余計な予備知識を持たぬまま鑑賞出来た、と言う幸せな観客だったかも知れない(・ω・)

・・紀元前6世紀。死せる者の霊魂は、生者の腹部を介し話しかけて来ると信じられていた。
そしてラテン語で“腹”と“話す”をそれぞれ表す言葉が混ざり、“腹話術師”という新たな語が生まれた。
これが“腹話術”の起源である・・

主人公ジェイミーは愛する妻リサに見守られつつ壊れた水道(排水口)の修理をしている。そんな中、戸口に「ジェイミー・アーシェン様」とだけ書かれた、差出人不明の大きな荷物が届けられる。2人が部屋に運び込んだ包みを開けると・・果たして箱(トランク)の中には精巧に作られた木製の腹話術人形(1体)が入っていた。
誰が? 何のために? 不審がるジェイミーとは対照的にリサは「養子がやって来たわよ」などと屈託のない感じ。
結局、水道を直せなかったため、ジェイミーは彼女を家に残し、夕食を買いにクルマで出かける。

そして、帰宅した彼が眼にしたものは、床に広がる血だまり・・そして舌を切り取られ、凄まじい形相で息絶えた妻の姿だった。

リプトン刑事(ドニー・ウォールバーグ)に疑われつつ、独自にリサの死の謎を解明しようと考えたジェイミーは自宅に戻り人形と箱を調べる。その結果、箱の内張りを剥がした部分に「メアリー・ショウとビリー」なるイラストがあること、人形のうなじに「ビリー」の名が刻まれていることを掴む。

ジェイミーはビリー(人形)をクルマに乗せ、父エドワード(ボブ・ガントン)と別れて久しい、故郷である“静かに暮らせる町”「レイヴンズ・フェア」に戻るのだった。
迎えたエドワード、その新しい(3番目の)妻(=主人公にとっては義理の母)エラ、老いた葬儀屋ヘンリー・ウォーカー(とその妻マリオン)に情報を得たジェイミーは町に伝わる恐ろしい詩の一節
「メアリー・ショウにご用心。夢で彼女に出会っても、決して叫んじゃいけないよ。叫べば舌を抜かれちゃう。
誰かが叫んじゃう限り、彼女は殺しをやめないよ。そして最後の最後には、怖い人形が襲って来る」
をはっきりと思い出す。
墓地でメアリー・ショウ(1869-1941)の墓標を眼にしたジェイミーは、そばにある「ビリーの墓」に人形を埋葬するのだが、その“儀式”を経てなお呪いは全く鎮まらず、更なる怪現象が次々と彼の周囲を襲うのだった・・みたいな流れ。

うーん・・何だか荒っぽくて粗い仕上がりのホラーだったなぁ。
と言うか「怪現象が次々と起こるけど、最後には全てがスッキリ“合理的に”解決される」と思ってたもんで「基本オカルト路線」だと知った時はかなり落ち込んでしまった・・劇中で何度も化けモンが襲って来たり、人形が動いたり(←冷静に考えると有り得ない・・)、「聞こえて来る筈のない者」の声が語りかけて来たりするんだが、それらも「ファンタジーやんか!」と見切ってしまうと実にしょ〜もない。「コレ、主人公の幻覚・幻聴・妄想ってオチなのでは?」とまで読んで行ってしまったりも(・ω・)

ただ、ラストの2段階の“オチ”には流石に驚かされた! と言うか、単純に不快でした(×_×)
何だか「登場キャラが全て“人形のように”操られ、それを見せられてる我々観客もまた“人形のように”操られてましたぁ!」みたいな感じ。

ボブ・ガントン、余り出番もないし、決して動き回る訳でもないんだが・・観終わった瞬間、直感的に(=^_^=)「ある意味、アカデミー助演男優賞モノの演技やったやんか!」と妙に絶賛してしまった。もしくはラジー賞か(=^_^=) ←どっちやねん・・
オチの1ツ目は『ロボコップ2(1990)』における大悪党=ケインの解剖後シーン(うげ!)に通じる気味悪さを連想し、
オチの2ツ目(=意外なキャラに繋がる演出)は横溝正史の推理小説「八つ墓村」における真犯人像にも繋がるサプライズがあった。

ほか、演出的に
・リプトン刑事の性格付けと運命⇒『スターリングラード(2001)』におけるロン・パールマンの演じたキャラ(退場の仕方とかも)
・オカルト現象に屈する「現実派キャラ」である筈のリプトン刑事⇒『呪怨(2003)』における2人の刑事さん(・ω・)
・ロストレイク(失われた湖)のほとりに建つ劇場で行われた腹話術人形公演⇒『リング(1998)』における「公開実験とそれにまつわるバッシング」のテイスト

など・・「似てるかも?」と感じた。

前述の通り「全ての“フリ”が合理的に説明されない」辺りは“バカホラー映画”とバッサリ評しても良いんだろうが(ヒッチコック監督作に対して感じるような“クレバーさ”は微塵もない!)、極めて不条理な感情「殺されて尚、尊厳を奪われ、遺体を弄ばれる・・そんな恐怖・絶望・無情ってこの上ないよなぁ・・」を強烈に覚えたのは特筆すべきことかも知れない。

〜 こんなセリフもありました(×_×) 〜

※「答えを求めれば、見つけてしまうかも」

※「完璧な人形をこしらえるのは、大変な作業・・生身の人間の一部すらが必要となる」

追記1:序盤のとある展開だけだが、デヴィッド・フィンチャー監督の『ゲーム(1997)』にそっくりだった(⌒〜⌒ι)
追記2:ドニーさん、こんな役柄ばっかし・・(×_×) 弟のマーク・ウォールバーグと違い、まだまだ映画俳優としての脚光は当たりにくい感じ。。

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2008年4月12日 (土)

☆『Mr.&Mrs.スミス(2005)』☆

11日(金曜)。地上波初放送されたものを観た。
監督をつとめるダグ・リーマンは本作を挟み『ボーン・アイデンティティー(2002)』『ジャンパー(2008)』となかなかのヒットメーカーぶりである! うっかりするとバズ・ラーマン監督(=別人!)と名前を間違えそうになるが(=^_^=)、もうそろそろちゃんと自分の中で区別出来てないとアカンようである・・

コロンビア・ボゴタでの「運命的な出会い」を経て6年、早々に夫婦となったジョン(ブラッド・ピット)&ジェーン(アンジェリーナ・ジョリー)のスミス夫妻は、情熱も流石に一段落したか、結婚生活に関する細かいすれ違いが目立つようになり、揃ってカウンセリングを受けたりもしている。

そんな中、とある「指令」を受けたジョン(表の顔は“スミス設計管理事務所”代表だが、裏の顔は“凄腕の殺し屋”)は護送中の標的=ベンジャミン“タンク”ダンズを狙うが・・同じ地点に現れたナゾの殺し屋に狙撃され、その結果“仕事”に失敗する。
同じ組織の相棒エディ(ヴィンス・ヴォーン)からの情報で「“タンク”の命を狙い、競合組織もまた暗殺者を放った」ことを知ったジョンは、ナゾの殺し屋の残した「破壊されたノートPC」のデータを解析することで、その正体を知って驚く。
所有者の住所=レキシントンアベニューのオフィスビルに勤務するのは・・何と嫁さんジェーン(表の顔は“ウォール街勤務の通信エンジニア”)だったのだ!
そして、ほぼ同時にジェーンもまた、競合する殺し屋の正体にうすうす気付き始めたのだった。

「正体を知られた相手は48時間に殺さなければならない」

と言う組織の掟に従い、今“殺し屋的・仮面夫婦”の凄絶なバトルが開始されたのだった・・! ってな展開。

リーマン監督“お得意”の路線とも言えよう本作。適度なアクション、コメディ、ラヴロマンスなどがちりばめられてて娯楽作品としてはなかなかのレベルと言える。
根本的に「すぐに片は付かない夫婦喧嘩」と言うことはサルにだって分かるので(=^_^=)その点から言えば「意外性」とか「凄惨さ」とか言う表現とは初めっから無縁と言えるが(・ω・)

ま、今にして思えば「ブラピ&アンジー(=アンジェリーナ)の愛の記録映像(公式版)を見せつけられてるようなもんやんけ〜!」とやっかみたくもなるってもんだが(⌒〜⌒ι) 「アントニオ・バンデラス&カーラ・グギノ」の起用ではあかんかったんかい! などとも(=^_^=) ←それ、既に観たことあるぅ〜

互いの組織の存在をかなり秘密裏&巨大そうに描いてる割に、大したライバルたちの存在も、大した指令系統もなさそな感じだったのが笑えた。詰めの甘さのみならず「48時間ルール」までもが似通ってたし・・

私的に楽しかったのは、見た目「殺人歴なし」って印象(=^_^=)だった同僚エディ。お喋りで、極度なマザコンで、まさに『サイコ(1998)』における(ヴィンス演じた)ノーマン・ベイツ青年が正常進化(?)したようなキャラだった。
「殺し屋稼業」なる非常に冷徹で容赦ない世界を題材にしながら、例えば『レオン(1994)』の序盤における「徹底的に鋭く磨かれた殺しの描写」みたいなのが全然描けてなかったのは残念、、エンターテインメントな中にも、観客の姿勢を思わず正させるような表現・演出が必要であることを、リーマン監督に会う機会があればぜひ忠告したいものだ(それって“来世”かなぁ、、(=^_^=))

唯一「たった4分間のシーン」ながら、熱かったのがスミス夫妻の逃走劇を彩ってたカーチェイスの場面。3台のBMW(真っ黒系)が並走しながら不気味に迫って来るんだが、あの場面は良かった!
3台態勢で追いかけてるくせに、間抜けな殺し屋連中しか乗ってなかったんだが(・ω・) とにかくあの4分間は“至福”だった。

〜 こんなセリフもありました 〜

ジェーン「私たちの間には、大きな隔たりが」
カウンセラー「それが結婚と言うものです」

ジェーン「主人にウソは付かないけど・・秘密はあるわ」

ジョン「オレが何者で、(本当は)どんなことが出来るのかを知らないだろ?」
   「ここで撃ち合うか? 運に任せて」
   「終わりのときってのは、最初を思い出すものだ」
   「隣の車を借りることにするよ、貸したバーベキューセットをまだ返してもらってないし」
   「最近は(殺し屋連中も)若造ばっかりだ」
   「この仕事は9割が直感だ」
   「詳細は省くが・・結論だけを言うと、お前は死ぬ」

エディ「(お前らの置かれてる状況が)どのぐらいマズいかって? カナダを覚えてるか?
    あれが“ガキの遊び”に見えるぐらいだ」

ジョン「(今までに)312人も殺した? どうやって?」
ジェーン「時にはまとめて」

※※※「これで2、3回殺しをやれば、めでたく管理職さ」

追記1:カウンセラーに「僕らのセクースの相性は10点さ」とか言いつつ、性描写的には本作、、0点ですた(×_×) ←“完全版”とかがあるんかな?
追記2:終盤は『明日に向かって撃て!(1969)』を意識してたつもりなのか?
追記3:プロの殺し屋には「決して変装してはならない」みたいな掟でもあるんやろか(・ω・) 余りに無防備・・

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☆『フライトプラン(2005)』☆

6日(日曜)に地上波初放送されたものを観た。

出演作では『ジャック・サマースビー(1993)』と『マーヴェリック(1994)』がなかなか良かったけど、その後『ネル(1994)』『コンタクト(1997)』『パニック・ルーム(2002)』と、だんだん女優オーラ(=魅力)が弱まって来てる感もする、ジョディ・フォスター主演による超高空サスペンス作品。

愛する夫ディヴィッドを不慮の転落死で失い、シングルマザーとなったカイル・プラット(ジョディ)は6歳の娘ジュリアを連れ、夫の棺と共にベルリン国際空港発のニューヨーク行き「E-474型機(アルト航空)」の機上の人となる。
が、疲れのためか3時間ほど寝入ってしまったカイルが眼を覚ましたとき、隣の客席にジュリアの姿はなかった・・

驚くべきことに、周囲の乗客、フライト・アテンダント(旅客乗務員)の中に娘ジュリアの姿を見た、と言う者はおらず、リッチ機長(ショーン・ビーン)を通じ「搭乗記録」を確認したトコロ、同機に乗ったのはカイル1人だけだと言う事実が判明・・
そんな孤立無援っぽい状況下、彼女は唯一の協力者となってくれた航空保安官ジーン・カーソンと共に、娘の姿を探し求めるのだった。

果たして、乗客425名の中に犯人が? しかし高度1000mの“巨大な密室”から、ジュリアは果たして何処へ消えたのだろうか・・? って展開。


う〜ん・・序盤のベルリンの街の重苦しい空気感のみは素晴らしかったんだが、舞台が機内に移ってからは“怪しさ”もすっかり影を潜めちゃって、正直あまり面白くなかったぞぅ。確かに娘を必死で探す母親の強さとか悲壮さは伝わらなくもないが・・中盤にもなると、何だか「ロケーションも変わらぬまま“甘いネタ1つ”でいつまでも引っ張り過ぎやぞ〜!」な印象すら漂って来る。
製作側の狙い(ミスリーディング:引っかけ)だったのかも知れないが「これ、結局のオチが『シークレット・ウィンドゥ(2004)』とかと一緒の路線なんとちゃうか?!」などと妙に勘ぐり過ぎる方向に意識を持ってかれそうになったし(=^_^=)

戸田恵子さんが、流石にお上手にジョディの声をあてておられるも・・近年のジョディに華があるんか? と言うとそうでもないし・・せめてもうちょっと知名度や存在感のある俳優さんを(共演にせよ)持って来て欲しかったかな。

そう言えば、最も“黒幕”な感じで終盤まで疑いの解けなかったのが(=^_^=) ショーン・ビーン氏。が、せっかく同氏を起用したと言うのに、殆ど「本来の彼の持ち味」が発揮出来てなかったよ〜な・・本作の監督って、ショーンに対し、日本のファンがどんな演技&キャラ造形を熱く(?)求めてるのか、そこんとこの潜在的欲求が全く分かってないと思うぞ!

意外な「犯人たち」の規模の小ささ(ほんの※人と言うレベルだった・・)、その動機や手口のしょ〜もなさについても「期待し過ぎてた」もんで、肩すかしを食らった気分(×_×)
最高に(観客の)テンションを高めるべき「ディヴィッドの眠っている(筈の)棺」が開かれる瞬間も、何とも淡々と描写してただけって印象。。

ついでに、あのラスト。
折角“主犯”を生け捕りにも出来たのに、何で“作動”させちゃったんやろ? 分からんなぁ・・
それと、観客に衝撃を与える意味でも・・あの窓に描かれた「♡」マークはちゃんと拭っておくべきだったと思うぞ、犯人さんよ!

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2008年4月 9日 (水)

☆『バンテージ・ポイント』☆

8日(火曜)の夜。仕事の帰りに、またまた「ワーナー・マイカル・シネマズ大日」に行って(←リピーターかよ!)ようやく観て来たのが、期待値を高め続けてた“半リワインド(巻戻し)型”クライム群像劇『バンテージ・ポイント』である!
何だか、昨秋からの残業続きにより全然劇場で映画鑑賞出来てなかったフラストレーションが堰を切ったように爆発しちゃってる感じ、、まぁ、またぼちぼち決壊した堰が再建されて行っとる気配もあるけど(⌒〜⌒ι)

取り敢えず「コレは面白いハズや!」と自身を高めつつ観たのもあり、近年まれにみる吸引力を作品全体からビンビン感じた。正攻法+CG依存度低し+短時間(約90分)+きっちり完結(妙に続編とかに引っ張るようなことをしない(=^_^=))・・と言う各点から総評すれば、私的には『クローヴァー・フィールド』も『ジャンパー』も超えてましたわ!

ゴツゴツに骨太な本作を観て、ミ〜ハ〜な若いヤツらが共有してそうなヘナヘナした“絶叫マシン搭乗後系・軽薄感覚”に毒されてる自身をぜひぜひ猛省頂きたいトコロだ!(そこまで言うか!(=^_^=)) ま、ワタシは気に入りました☆

スペイン・サラマンカ。晴れ渡ったある日の正午過ぎ。
方形をしたマヨール広場に集まった群衆の前にアメリカ合衆国大統領ヘンリー・アシュトン(ウィリアム・ハート)が姿を現す。彼はテロ撲滅のための国際会議に出席し、対テロに向けた“大いなる歴史的合意”の第一歩を踏み出そうと、この地へやって来たのだった。
サラマンカ市長の短い挨拶が終わり、代わって演壇に立つアシュトン。笑顔をたたえ、両手を大きく広げた瞬間・・彼は2発の銃弾を受け、仰向けにどうと倒れる・・

広場はパニック状態に。そんな中、立て続けに2度の爆発が起こる。この間、およそ23分。

一部始終を捉えていたのは現地入りしていたGNNニュースのカメラ数台。そしてもう1つ、群衆の中にいた観光客=ハワード・ルイス(フォレスト・ウィテカー)の携行していたハンディカム(ソニー製←ソニーピクチャーズ作品ですし(・ω・))こそが、狙撃手の潜んでいた演壇向かいの建物の窓を偶然にも写していたのだった!

撃たれたアシュトンの側には、昨年も彼が至近距離から銃撃された際、身を挺しそれを庇った凄腕のシークレット・サービス=トーマス・バーンズ(デニス・クエイド)が復職し、配備されていた。同僚テイラーが狙撃手を追って建物へと走る間、バーンズはハワードの撮影した映像、そしてGNNの複数台のカメラ映像を調べて行く・・そうして浮かび上がって来た事件の真相とは? そして襲撃者の正体とは?

劇中、何度か「真相が掴めそうな瞬間」にシーンが23分ほど前に巻き戻される。。
ワタシの覚えてる限りは、

1:GNNの現地撮影プロデューサー=レックス(シガニー・ウィーバー)の視点
2:本作のヒーロー的存在=トーマス・バーンズの視点(その1)
3:サラマンカ市警の私服刑事=エンリケの視点
4:ハンディカムを携えた観光客=ハワード・ルイスの視点
5:合衆国大統領=ヘンリー・アシュトンその人(!)の視点
6:広場にいた少女=アナに始まる、事件の一連の流れ。そしてトーマス・バーンズの視点(その2)

って感じだったろうか。
フツーの観客が感じることでもあるが「大統領銃撃⇒広場爆発」と言う構成が何度も描かれるので「もうエエわ!」と思い始めてしまう向きがあるんかも知れないが(ワタシは存分に楽しんでたが)、そんな中でいきなり「襲撃されたご本人」から描いた視点がババーン! と挿入されて来たのにびっくり!
ここで、事件の「裏側」がいきなり観客に披露され「そう言うことやったんか!」と眼からウロコを叩き落とされることしきり(=^_^=)

最終のチャプターでは、怒濤のカーチェイスになだれ込むんだが、コレがまた妙にリアルかつスリリングで嬉しい。『RONiN(1999)』や『ボーン・アイデンティティー(2002)』なんかで拝めた、あの“予定調和じゃなさげな爆走ぶり”が堪能出来るのだ☆

本作を観てて思ったのは「一見“事件そのもの”に無関係だし(存在)意味のなさげな“ちっぽけな通行人1人”の言動が起因して、例えば歴史が大きく変わってしまうものなんやな」「報道されている事件の裏側に“驚くべき真相”が或いは隠されてるものなんやな」「ひょっとすると、街角で睦まじく囁き合ってるように見える2人が、実は“全然違うシチュエーション”でやり取りしてたってことがあるんやな」なんてな事である。
本作に関しても“一件落着、めでたしめでたし”な物語(?)の裏側で、密かに「その死を闇に葬り去られて行った人々」が少なからずいたりした。
ある意味、マンハッタンで巨大怪獣に踏んづけられて殺されたり(←どう言う例えだよ)する以上に、それは「不自然でいびつな形の人間の死」だとも思う。

何はともあれ、既に公開時期も後半(終盤?)に差し掛かっているこの『バンテージ・ポイント』。ワタシとしては、目下“本年観た中でナンバーワンの娯楽映画(洋画部門)”となるかも知れんぞ?! と思い始めている。

あ、タレントの北野誠氏が「ケビン・コスナーのパチもんみたいや」と評してた(カワイソ〜)デニス・クエイド。序盤こそ精神安定剤のお世話になってたりして「おい、大丈夫かあんた!」と心配させられもするが、実に実に、等身大のヒーロー像をしっかりと確立してくれてた!
『オーロラの彼方へ(2000)』以来の存在感&熱演に、つい「兄貴、これからも付いて行きますゼ!」と心中で叫んでしまったものである(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

バーンズ「礼を言うよ、復職させてくれて」
テイラー「礼なら、まだ早いさ」

アシュトン「素晴らしい日だ」

※※※※「オレが生きてて、驚いたか?」

※※※※※「似てもいないぞ」 ←このセリフはちょっとネタバレ、、

※※※※※「有難うトーマス(thank you,thomas)」
バーンズ「どういたしまして(you're welcome,sir)」

スアレス「末端の“処理”も大切だ・・」
手下「何のことだ?」
ベロニカ「あんたよ!(と言いつつ撃つ(×_×))」

追記1:久々に『ジャッカルの日(1973)』と『ニック・オヴ・タイム(1995)』が観たくなって来た(・ω・)
追記2:密室劇的な空間の物語かと思いきや、意外と広範囲にストーリーの広がって行くのにも“意外性”があった。難があるとすれば、カーチェイスのシーンとかで、ちょっと映像がチャカチャカし過ぎて、眼で追い切れないトコがあったことか。。
追記3:娯楽映画としての配慮(?)からか、アタマを撃ち抜いて殺害するシーンが殆どなかったようだった。平和的で良い反面、(実際なら)関係者各位はきっと「防弾チョッキ」着用してたろうから、あんなに易々と殺されたりはしてなかった気もする。

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2008年4月 7日 (月)

☆『ジャンパー』☆

6日(日曜)の鑑賞。起きた時間こそ、週末にしては“やや早め”だったものの・・思い付いたように(長期プランで)取り組んでる「手持ちCD群のMP3化作業」に妙にのめり込んでしまい(=^_^=)、気が付いたら午後に突入してしまった。。
まとまった時間が取れたら、(午前中の出発で)近場のお寺に出かけよう! と考えてたが、その計画はやめにした。「で、どうするよ?」とアタマを捻り、思い付いたのが「映画でも観に行くか」だった・・ってまたかよ!(=^_^=)

正直、前々から観たいと思ってる作品は『バンテージ・ポイント』『ノーカントリー』の2作なんだが、特に『バンテージ〜』は公開時期も終わりかけてるようで(?)、殆どが夜の開始時間に追いやられてしまってる現状だ、、
「今夜は地上波初登場の『フライトプラン(2005)』も観なあかんしな〜」と気を回したワタシは、昼間の時間で観ることの出来る『ジャンパー』を選び、再び「マーナー・マイカル・シネマズ大日」へとクルマで向かうのだった。

「今、僕は世界の頂点にいる」と言う不敵かつ素敵(?)な独白から幕を開ける、23歳の青年ディヴィッド・ライス(ヘイデン・クリステンセン)を主人公にした異色の(?)「転送(テレポート)活劇」。シリーズ化するつもりかどうかは分かんないが、幾つかの“謎”が尾を引いており、その可能性は多分にありそうだ。

5歳で母メアリー(ダイアン・レイン!)が家を捨てて以来、酒浸り(?)の父(←いちおうはちゃんと働いてはる感じ)との溝を埋められぬまま育って来た少年ディヴィッドは、幼馴染みであるミリー・ハリスへの密かな恋心を“半封印”したままだった15歳の時、悪友(?)マーク・コーボルドの嫌がらせに起因する“とある事件”にて、自身に備わっていた驚くべき“ジャンプ(転送)能力”を知る。数度に渡る同様の体験を経て“覚醒”したディヴィッドは“とある非合法的手段”によって「移民貯蓄銀行」から多額の無利息&無期限融資(?)を受け、家出同然の形で父を捨て飛び出す。

「この力を使って僕は自由になるんだ! 母さんのように逃げ出してやる・・今こそ“前に進む時”なんだ!」

そして8年後。かつてマークに“ライスボウル”とあだ名され、いじめられてた少年はたくましく成長、世界をまたにかけ“ジャンプしまくる”生活(←職業ではなさそだが・・)を満喫していた。
が、何かが足りない・・と“飢え”を感じた彼は、故郷へと戻る。憧れていたミリーに再び逢うために。

互いの気持ちを(ラッキーにも)早々に通じ合わせた2人は、ローマへ旅行をすることに。

だが、その一方で、ディヴィッドら“異能者=ジャンパー”を抹殺すべく、中世時代から“狩り”を全世界規模で展開して来た“宗教的狂信組織=パラディン”の刺客らが追跡を始め、その魔の手はディヴィッドの父、そしてミリーにも迫るのだった・・
そして、婚前旅行の雰囲気(?)すら漂わせ旅先ではしゃぐ若い恋人たちを密かに監視する謎の若者の存在が、ここローマにあった。彼の名はグリフィン。果たして彼は敵なのか味方なのか・・?

何だか「贅沢に世界各地でロケしつつ、ヴィジュアル的な演出にのみ注力して仕上げてみました」的なダグ・リーマン監督の「悪びれぬセリフ」が聞こえて来そうな(=^_^=)本作。

スフィンクス(エジプト)の頭頂部、エベレストの山頂、エンパイア・ステート・ビル(NY)の屋上展望台(アンテナの先ではなかった(=^_^=))、ビッグ・ベン(ロンドン)の文字盤のトコ、銀座!(東京)の怪し気な中華料理店の厨房(=^_^=)・・過去に見知った場所等であれば、距離に関係なく一瞬で“移動”出来るってことで、何か“欲望エンドレス状態”になっちゃいそうな予感(=^_^=) ってか、きっと歩かなくなるからメタボリック体型が加速するやろなぁ〜(=^_^=)

私的に「空を飛べなきゃヒーローじゃないやい!」と思ってるんだが、空中を(墜死することなく)連続して移動出来るなら、それはそれで“アリ”なんかもな〜と思い始めた。
が、本作のディヴィッド君はと言えば、特に正義や平和に燃える訳でもなく、世界各国の「危機的ニュース」を眺めても、特に解決しようとはしない。大きな悪事もしなければ、善行もしない、と“今ドキの若いもん的精神構造”ではあろう(・ω・)

一見クールに見えて実は“青いキャラ”であるクリステンセンくんより、エキセントリック(奇妙)なりにインパクトと魅力を併せ持ってたのが“パラディン”のリーダー格=ローランドを好演したサミュ・L・ジャクソン。『アンブレイカブル(2000)』の時のヘアスタイルだけは流石に爆笑もん(&語り種)だったが、今回は白髪を短く刈り込み、それなりの貫禄が備わっている。特に「骨が弱い」訳でもなさそう(=^_^=) ←あ、でも、本作でも“異能者”に対する激しいコンプレックスは抱えてる様子だった・・

ってことで、約1名の生死を除き「主要キャラ群を続編に(もし企画されるなら)繋いで行ける」ような安定した(余地を残した)ストーリーではあったか。反面「何も決着がついてへんやんか!」と突っ込める訳なんだけど(・ω・)

ほか、ちょこっと気付いたこととか

・「トドメの武器はナイフかよ!」と“パラディン”たちに言いたい。(使うべき時は)銃器を使えよ。
・“脈のなくなった”あの人はどうなったのか? 葬儀シーンはなかったけど・・
・あの飲んだくれ親父と、ダイアン・レインすわんの“接点”がちっとも見当たらないんですけど・・
・グリフィンは“一匹狼を気取る”にしてはちとビジュアル的に軽過ぎた気がする
・「ローマロケ」はまぁ必要だったとして・・「銀座ロケ」はスタッフの慰労目的ではなかったか?
・ローランドおじさん、ラストでまだ余裕有りげな表情だったが・・何か“戻る手段”があるんか?
・“パラディン”の面々(手下レベル)に個性が殆どなくて残念・・
・「中世から互いに存在していた」んなら、もっと歴史的に「大っぴら」になってたんでは?
・「道具を持参しての転送もOK」って設定に安心。衣服が残されて全裸で・・じゃないようだ(⌒〜⌒ι)
・“ジャンパー”は「成長期にトラウマを抱える」「男性に多い資質」とも考えられるか。
・“パラディン”の運んでた道具箱に「プロジェクト125」なる日本語表記が・・それって日本製?
・ヒロインのミリー、、主人公が約45分間も見とれるほどの可愛さだったのかは・・微妙(・ω・)
・『SW(スターウォーズ)』以来、久々のヘイデンくん。何だかちょっとメルギブ(メル・ギブソン)の雰囲気が容貌に入っちゃって来てたような・・??
・“ジャンパー”からすれば、飛行機で移動するローマ旅行なんて、非効率で(=^_^=)まどろっこしかろうな・・
・手袋も覆面も着用しない“ジャンパー”たち。後半では衆目の中で跳んだりするし、、
・コロセウム内で主人公らが戦うシーンは『ドラゴンへの道(1972)』を連想させてくれた(=^_^=)
・数秒間、痕跡として生じるジャンプ・スカー(=ワームホール:空間の裂け目)の映像描写が面白い。後半は行動(ジャンプ)そのものより痕跡(スカー)が物語の“カギ”となりますなぁ。
・「(跳んだ先で)壁にめり込む」「その空間を飛んでいた虫等が体にめり込む」とかどうにも恐ろしい気がする(×_×)
・後半、某リモコン(起爆装置)を巡って主人公らがケンカするシチュエーションが『ゼイリヴ(1988)』『ユニヴァーサル・ソルジャー(1992)』みたいだ(=^_^=) 映像的なスケールはスゴいが、やってることはしょ〜もない・・
・おいお前! 借りた金はちゃんと返せよ!(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ディヴィッド「かつての“ライスボウル”は死んだ」

ローランド「“ジャンプ”は神だけが持つべき力だ、人間には災いの元だ」
     「これで“心配の種”が1つ減った」
     「このドアは長いこと使ってないようだな?」
     「この状況が永遠に続くとでも? 物事には必ず報いがあると考えたことは?」
     「それは神だけが持つべき力だ、お前じゃない」

グリフィン「特別なのが自分だけだと? オレを“跳ばす”ってか?(jump me?)」
     「戦いにようこそ」
     「お前に縁のある者は、みんな殺される。慣れておけよ」

※※※※※「たまには自然に歩きたくてね」
     「気の毒だが、時には犠牲も必要だ・・オレはもう(犠牲を)払ったがな」
     「“ジャンパー”はヒーローじゃない。女を助けたりはしない」

ローマ市警の刑事「座っていないと、力ずくで座らせるぞ」

父「何かあったら連絡します」
ローランド「いや・・しないな」
父「しないとも」

※このやり取りがちょっと緊迫感走っててイイ。『トゥルー・ロマンス(1993)』におけるクリストファー・ウォーケンvsデニス・ホッパーの火花の散るようなやり取りを少し彷彿とさせてくれる!

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2008年4月 6日 (日)

☆『クローヴァーフィールド/HAKAiSHA』☆

5日(土曜)。昼からの出発で、大阪城公園へと花見にぶらり出かけた。
折角の快晴で、桜も良い感じに咲き競ってたんだが・・何だか余り「撮影したるで〜!」と言うまでの気力に恵まれず(・ω・)、コンデジを持参して適当に写した程度だった。。

大阪城公園⇒京橋界隈と歩き、夕方にはそんな花見(っぽいウォーキング活動?)も終了・・「さて、これからどうしよう?」と思った時、ふとアタマに浮かんだのが「あ、今日から“例のアレ”の公開が始まるんやったなぁ」ってこと。

そう、巷で話題に・・なってるようなそうでもないような、けど何とも気になる1作『クローヴァーフィールド/HAKAiSHA』である! 「ま、行ってみて・・ダメ(=満席)ならダメで別な作品を観よっ♪」と楽観的に考えつつ、向かった先は「ワーナー・マイカル・シネマズ大日」であった。

ワタシがメインに使用してるK阪電車からで言うと、わざわざ普通電車に乗り換え下車⇒モノレールに乗り換え1駅・・と言う何とも面倒なアクセスとなるんだが、帰る方角で一番行き易い劇場がここだったもんで仕方あるまい(・ω・)

で、行ってみたら・・何と約20分後に始まる次回上映の座席状況が「○」だったので、コレはもう! ってことで突進した次第・・あ、何だかミ〜ハ〜やんかオレ(=^_^=)

劇場に入って更にびっくり! 意外にも着席状況がスカスカな感じだった。
・公開初日ってことで、もっと「ネット情報&クチコミ」が浸透した時点でヒートアップし始める
・既に試写会で情報が伝播されてて「イマイチ」との評が広がってしまってる
・新聞広告等に『(本作における)特別な手法による映像は、ご鑑賞時の体調によっては激しい車酔いに似た症状を引き起こす可能性がございます。』・・ってな警告文がバンバン載せられてるため、みんなビビっている
・世間は「花見」に絞って出かけてた

など、色々と考えてはみたものの、正直良く分かんない。わが国の観客が「パニック映画なんかより、TVドラマとタイアップしたヒューマニズムなんが観たい」と思い始めてるのかも知んない。

鑑賞するまでローランド・エメリッヒ監督の『GODZiLLA(1998)』みたいな世界を、逃げ惑う民間人の視点から眺めた系かなぁ? とか『ブレア・ウィッチ・プロジェクト(1998)』の舞台を「森林⇒都会」に移した感じ系かなぁ? とか(←『ブレア〜』は未見だが)色々と想像していたが、観終わってから連想したのは

・『宇宙戦争(2005)』の前半、街角に突如現れた“ソレ”をハンディカムで撮影してて“アレ”されちゃった通行人、、のシチュエーションを拡大し、彼を主人公に「人生で一番長かった日」を描いた印象
・引っ張るだけ引っ張っといて・・いきなり終わってしまう『ゼイリヴ(1988)』の作品世界

などだった。とにかく“(遊園地の)ライド系”とでも言おうか、何の「深み」も「解説」もないままに、主人公らがひたすら逃げ回る・・そう言うテイストの作品だ。

米国・国防総省。“US-447地区”と名付けられた、かつて「セントラルパーク」と呼ばれた廃墟にて回収された「事件目撃に関するデジタル記録“暗号名:クローヴァーフィールド”」の映像が、撮影者のいなくなった今、雄弁に語り始める・・そう、5月23日(土曜)の午前6時42分に途切れるまでの約7時間、マンハッタンと呼ばれたエリアで、どんな事態が勃発したのかを・・!

主人公は若い男女ら。日本に発つ青年実業家=ロブ・ホーキンスの壮行会(サプライズ・パーティー)が行われ、そこに集まったロブの兄ジェイソン、その友人のベス・マッキンタイア、ハッド、リリー、マリーナたちがワイワイやっている。そんな中、ロブとベスが数週間前にエッチな関係を持ったことが明らかともなり、会は何となく白けた雰囲気となる。

そこへ突然の爆発音&振動が! 慌てて屋上にあがった面々が目にしたものは、ニューヨーク港に面した遠くの摩天楼(高層ビル群)で何か大規模な爆発が起こり、その炎上した破片が次々に降り注いで来ると言う異常な光景だった!

パーティー会場から我先に階段を下り、通りへ飛び出し逃げる彼ら。その前に遠くからビルの上層階に激突しつつ転がって来た巨大な塊が・・それこそは、全米の独立と自由の象徴・・“自由の女神像”の無惨にもぎ取られた頭部であった!

ここから、パニック的な展開が幕を開けるんだが、そこまでのパーティーのシーンがちょっと長くてダレ気味だったような・・キャラの描き込みをしてるかと思えばそうでもなかったし。ま、続編に繋がる“フリ”がここに隠されてるんかも知れないが。

都心に“謎の巨大生物”が姿を現し、人々を襲い始める。逃げ惑う主人公らを追いかけるように、ブルックリン橋に、ミッドタウンに、そしてセントラルパークに現れる“そいつ”
のみならず、ニューヨークの地下には、獰猛なもう1種類のクリーチャー(バケモノ)が大量発生して・・みたいな流れ。

2種のクリーチャー“でかいの”“ちっこいの”を眺めてて(特に後者)思い出したのは『スターシップ・トゥルーパーズ(1997)』に登場したクリーチャーだった。エンディングで確認すると、手がけたのが“ティペット・スタジオ”とのことで納得(・ω・)
そう言や、本作って登場する人々が(軍人をも含め)軒並み“弱過ぎる”あたりなど「“ニューク弾”なき兵士らによる『スターシップ・トゥルーパーズ/地上篇』って趣もあったかも(⌒〜⌒ι)

※因みに“ニューク弾”とは『スターシップ〜』に登場した、最強兵器です。

それにしても、これまでのパニック映画群でさんざ描かれ尽くした“神の眼(?)による都合の良い客観的視点”を離れ、地を這うように淡々と災害(直面してる事態のみ)を描いた演出はなかなか。ほぼ全編(?)がハンディカム映像だし、次第に夜間のシーンがメインとなって来るので、特撮映像面では「断片的」「ザラツキ&ブレあり」な仕上げで良く、実際「観客が思ってるよか制作費がかかってないんじゃねぇの?」と邪推なんかしてしまったものだ(=^_^=)

字幕担当は珍しくも戸田奈津子女史。この方にしては、ちょこっと作品が小粒過ぎる気もしたか(・ω・)
トム・クルーズ ⇒ J.J.エイブラムス の流れで飛びつかはったんやろか??

ほか、こんなことに気付いたり。

・“影の主人公”と呼んであげたいハッド君。彼の活躍は“ピューリッツァー賞”モノかも知れん。
・シーンによって「撮影者」が代わり「撮影対象」もまた変わるのが面白い。数シーンだけ「置きカメラ」なる演出があったが(=撮影者がひとまずカメラを地面等に置き、足元視点のみの映像がしばらく写される状況)、あれをもっと活用して欲しかった。撮影者の与(あずか)り知らぬトコで密かに録画された映像とか・・
・政府がニューヨーク市に対して下した決断、、には「怒るニューヨーカー」が多いんじゃないだろうか? 作品の舞台が首都ワシントンなら、あんなムチャな選択はしなかった筈・・(ウッディ“ニューヨーク大好き”アレン監督の評価がぜひ聞きたい(=^_^=))
・実は「弱いんでは?」と思われる“でかいの” 皮膚こそ頑丈そうだが「火球を吐く」でもなかったようだ。
・実は「めちゃめちゃ弱いんでは?」と思われる“ちっこいの” 地下鉄のシーン(の顛末に)は「うそやろ」と苦笑してしまった。
・続編の製作が決まってるらしいが・・恐らく「大幅な世界観の変更が余儀なくされる」「(真相を)明らかにして行かねばならぬ“謎”が多い」ことから、私的には「理屈っぽくなって、つまんなくなるんじゃ?」と予想するものだ。
この手(?)の作品は「訳の分からないことは訳の分からないままにしとく」のが一番やと思うけど。
・正直、冒頭の“自由の女神ショック”が大き過ぎ、その後の映像群にそれほどのインパクトを感じなかった。クラ※スラータワービルぐらいを「行っとく」必要があったかも知んない(・ω・)
・終盤でいきなし「愛」がテーマっぽくなるんだが・・ちと強引だったような。。
・ニューヨークの街を知っていたら、更に楽しめるかも知れない。主人公らは「ブルックリン橋(渡れず?)⇒スプリング・ストリート駅⇒ミッドタウン・59丁目(交差点)⇒40丁目⇒セントラルパーク」と徒歩で移動したようだ(北上か?)。
・前半のこんなセリフが“フリ”となってて良かった。
「実はこのパーティーに、ちょっと退屈し始めてるんだ(ロブ)」「あなたが成功して帰国するまでに、ここを安全で楽しい街にしておくわ(ベス)」「何を棄てても、大切な人はしっかり守れ(ジェイソン)」
・1発目の爆発に対し、某キャラの放った「またテロ攻撃かしら?」なるセリフが妙に気になった・・敢えて盛り込まなくても良かったんでは?
・主要キャラ陣の「死ぬタイミング」が余りに出来過ぎていたか。無駄に死んで行かず、それぞれに「観客向けの大きなサービス」を与えてくれる。
・終盤の(某シーンの)緊迫感は一瞬ながら『ユナイテッド93(2006)』に迫るものがあった! しかしあれで良く助かったな・・

〜 こんなセリフもありました 〜

※「あれ、人間を食べてたそうよ」

マリーナ「私は何故ここに? 約束があったのに・・」

※「これ何?!」
ロブ「別のバケモノだ」

ハッド「ここで映像が終わったら、オレは死んでる」

※「いい1日だった」

隊長「“あれ”の正体は分からん・・だが手強いヤツだ」

追記:実験的パニック映画としてはほぼ十分な完成度(そして話題性)のある本作。上映時間が短いのもいい。ただ、私的にはも少し娯楽大作(?)ならではの「大きなポイント」が欲しかったかも知れない。かくなる上は「主人公(視点)」や「時間軸」を更に過激に切り替えての「群像劇」を観てみたい気がする(=^_^=)
続編の公開までに『グエムル/漢江の怪物(2006)』とかも観て、色々と予想力を高めておこうかな。

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2008年4月 2日 (水)

☆『オリヴァー・ツイスト(2005)』☆

1日(火曜)。帰宅後に溜まってる新聞記事をごそごそ切っていたが・・何だか集中力が途切れたもんで(=^_^=)衛星第2で放送された映画『オリヴァー・ツイスト』を“ながら観”しつつ、取り組むこととした。

文豪チャールズ・ディケンズ(『クリスマス・キャロル』『大いなる遺産』などを執筆)の原作小説を巨匠(で少女好き(?)の)ロマン・ポランスキー監督が映像化した長編。
これまでにも繰り返し映像化されて来た物語なので「これを“なぜ?”“今?”“彼が?”」と言う気持ちがあったんだが、前作『戦場のピアニスト(2002)』が想定以上の(?)大成功を(彼のキャリアに)もたらしたので、その勢いに乗じ「これまで長年温めて来たテーマ」ってヤツにいよいよ取り組んだのかも知れない。

10歳の孤児オリヴァー・ツイストを主人公に、運命に翻弄されつつも“純心さ”を失うことなく成長を遂げて行く少年の姿を描いた作品。以前、イギリスのTVドラマ版(1999年製作のヤツらしい)を某国営放送(=^_^=)で観たことがあり、大体の流れは分かっていたが、今回はいっそう「生き延びるために、悪の道にどっぷり浸かって行かねばならぬ者の姿とその悲しみ」をストーリーの裏側に感じてしまったものだ。

極端、オリヴァー少年は本作の“軸”でしかないようにも見え、彼の周りに存在する
「少女ナンシー」「悪党フェイギン(←演じるはベン・キングズレー)」の言動やその運命こそに、強い印象を受けた。

「神は本作に存在するのか? しないのか?」

そこがまず、微妙な感じの描かれ方で面白い。孤児たちの過ごす「救貧院」の食堂の壁には大きく
“GOD IS HOLY”“GOD IS TRUTH”と掲げられてるが、彼らが日々、そこの職員(教区史)らに虐げられてる現状を眺めるてると・・「ここには“彼”はいないんじゃ?」とさえ思えて来る。

オリヴァーの「純粋な心」に触れたが故、フェイギンらの悪事を密告したナンシーが、不自然なほどに惨たらしく殺されてしまうのも、原作に忠実な演出とは言え、、違和感を覚えた。

が、中でも強烈な余韻を残してくれたのがラスト。いよいよ捕まってしまい、幾多の誘拐罪や窃盗罪に問われ絞首刑の確定したフェイギンが、牢獄で半ば発狂したような状態になってるんだが、そこに優しくも訪ねて行ったオリヴァー少年の耳元に、しっかりした声で囁いたのだ。

「絞首台のそぱを通るとき、わしが震えていたとしても構わず進め・・どんどん遠く、どんどん速く・・!」

それまでさんざんオリヴァーの運命を弄び、彼の心を束縛してきた悪党が、ついに彼を「解き放った」ような、そんな不思議な感慨に浸らせてくれるセリフだった。

オリヴァーを眺めていても、実は大して面白くない(かも知れない)本作。(ちっぽけな存在である筈の)彼に影響され、彼によって運命を狂わされる者たちのドラマ・・として楽しむのが、正しい鑑賞法なのかも知れない(違うかも知れない)。

〜 こんなセリフもありました 〜

ブラウンロー「この子に何かを感じる・・心を揺さぶる何かを・・」

フェイギン「なぜ盗みを、だと? それが“今日を生き延びる道”だからだ」
     「この世で最大の罪は何だと思う? それは“忘恩”だよ」

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2008年4月 1日 (火)

☆『実録・阿部定(1975)』☆

31日(月曜)の鑑賞。いよいよ本日をもって、千日前の誇る(?)老舗映画館「千日前国際劇場(千日前国際シネマ、千日前国際地下劇場を含む)」がイッキに閉館となるのだった・・
昨日の時点で「コレは行っとかねば!」「残業がなければ行ってみよう」と漠然と考えていたんだが、何となく仕事に区切りがついたので、出かけた。

3劇場のうち、最下層にある「国際地下劇場(←グローバルかつアンダーグラウンドなその響きがたまんない(=^_^=))」で上映されてた『実録・阿部定』を観たんだが、どうやら劇場側は『団地妻・昼下がりの情事』との2本立てで見せたかった(?)ようで、売り場のおばちゃんには念押しされるように「今からやと1本しか観られへんけど、エエね?」と訊ねられた。
まあ、両方観れるのが理想的なんだが、こちとらそうもいかへんもんで。。

ってことで(ワタシとしてはそっちの方が観たかった(=^_^=)⇒)『団地妻〜』は(残念ながら)切り捨て、上映開始時間に間に合った『実録〜』のみ観た次第。料金500円也(・ω・)

いやぁ・・濃厚で、ツウ好みで、衝撃的な密室劇だった(×_×)
そもそも「阿部定事件」ってのがどう言う顛末なのか、一番インパクトのある部分しか知らないもんで、そこに至る男女の愛憎の流れ、みたいなモノ(全体像)をようやく掴めた気がする・・
って言うか、30歳代半ばぐらいにならないと(閨房においてのみ見受けられる“男女の解放された変態性”なんかがそこそこ理解出来てないと)、物語自体を受け付けられないんじゃなかろうか。。

東京某所(下町)の待合い旅館を舞台に(殆ど戸外ロケーションをしてない!)駆け落ちした中年男女2人=石田吉蔵&阿部定の愛憎の行方を描く。「実録」と銘打ってるもんで“真面目くさったドキュメンタリー仕立て”みたいにも思えるんだが、始まって間もなく「あ、まんま成人映画じゃねぇか・・」と気付かされる。特に男女の絡みが多くて多くて、、気恥ずかしいやら何やらで・・(・ω・)

“有終の美”を飾る作品がこーゆーので良かったのか?! 劇場主さんよ?!(⌒〜⌒ι)

お互いを舐めたり噛んだり、痛め付けて慰めて、もはや「獣チックな領域」に突入しちゃってる「痴男痴女(ちなんちじょ)」なお2人なんだが、妻帯者である吉蔵は場末の安宿にこもってひたすら「酒」と「性」を貪る日々に恐れや引け目も感じ始めているのだった・・

「おかみさんになんか、指1本触らしゃしないよ!(←いや、彼女が正妻なんですけど・・)」と初めての“相惚れ(相思相愛)”に飽くことのない定は、時として静かに激高し、持ち出した包丁で吉蔵を突き殺す真似をしたりする。
そんなある日、性交時の快感をより高める(!)ため、相手の頸部を腰紐で絞める・・なるプレイにハマってしまった定は興奮のあまり、吉蔵の首に痕跡が残るほどのダメージを与えてしまうのだった。

カルモチン(鎮痛剤)や「モナミ(銀座の有名店)」の高級スープを与え、手厚い看護をする定を尻目に、吉蔵は「ここらで一度、家に戻ろう」みたいな言葉を漏らす。
「この人を誰の手にも渡さないようにするには・・」
定の頭に、とある悲壮な決意が浮上するのだった・・みたいな流れ。

主人公を演じた宮下順子さん、とりたてて(めちゃ)美人と言う訳でもなく、そんなに裸体も美しい感じではなかったが、とにかくその表情(中でも“目”)にインパクトがありスゴい!
包丁を持ち出してふざける・・と言うシーンでもホントにぐっさり突き刺して来そうな、そんな“予測不能”な雰囲気を自然体で(?)スクリーンにさらしてくれる。
回想シーンの中で5歳、10代、20代、とピンポイント的に彼女(=定)の半生が映像的に綴られるが、10代の映像を眺めて「10代じゃねぇだろ?!」と思わづツッコんでしまったのは申し訳なくも仕方のないトコロ。。

終盤の“アレ切り”では、ちょっと血のりがニセモノっぽくて、残念だった(と思いつつもホッとしたのも事実だが(・ω・))。因みに、委縮してしまってたのか(?)“アレ”は大した“寸法”でもなかったようである、、

ラストでは、実録映画っぽく画面に「押収証拠品」が文字でババーン!と表示される。ナニナニ・・?
・女もの腰紐1本
・肉切り包丁1挺
・局部 ・・っておい。。(個数は書かなくてエエのか?)

上映時間約75分、と言う短さの割に、何だか濃密な作品世界にすっかりのぼせちゃったみたいで、異常に疲れてしまった鑑賞だった。「とにかく、早く戸外の新鮮な空気を吸いたい」・・と切実に感じてしまったものである(=^_^=)

追記:宮下さん、近年も『美しい夏キリシマ(2003)』『四日間の奇蹟(2005)』『海猫(2004)』などに出演されてる現役女優さんらしい(・ω・) 近作に於ける円熟の演技(?)をぜひ拝見したいものだ。

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