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2008年3月31日 (月)

☆『タイムマシン(2002)』☆

30日(日曜)の鑑賞。この月末をもって、千日前の誇った(?)老舗映画館「千日前国際劇場(千日前国際シネマ、千日前国際地下劇場を含む)」がイッキに閉館となる・・
「コレは行っとかなきゃ!」といきなし根拠なき責任感(=^_^=)に駆られたんだが・・結局、寝だめやら別な外出やらをして、行くことは叶わなかった(×_×)
しかし、(最後のラインナップ中で)興味をそそられる上映作が『実録・阿部定』『団地妻・昼下がりの情事』の2本しかなく、この2本も・・どやねんな?? と悩んでしまったり、、
明日、残業がなければ行ってみようかどうか・・何とも迷ってしまう所だ(・ω・)

ってことで“iPod touch”のデータ修復をしたり、職場で永年的に任命されてる(?)某同好会の会計報告(予算書&決算書)をちまちま作ったりしてるウチに終わってしまったこの週末。ま、体調もイマイチだったんだけど・・

せめて、ってことで地上波放送された『タイムマシン』を観ることとした(地上波初ではなかったと思う)。

“不幸な善人”も“狡猾な悪人”も自在に演じ分けられる個性派(と評価している)ガイ・ピアースを主人公に、暴漢に襲われ亡くなった婚約者の生命を救うため(=運命を変えるため)、自ら開発した「タイムマシン」に乗り込み、時空を旅する青年研究者の驚くべき運命(?)を描く。

壮大なテーマの物語である割に、世界観がどっか小粒(=エリア限定的)だし、ワタシの期待するのと随分違う流れに(中盤以降)持って行かれるトコから、どっちかと言うと好きな作品ではないが「放送されるとつい観てしまう」
そんな不思議な魅力ある映画だ。きっと故・淀川長治氏(映画解説者)が生きておられたら「これぞ“日曜洋画劇場”に相応しい、幾度もの再放送に耐え得る作品(の1ツ)である!」と絶賛されたような気もする(←ナニを根拠に?)。

ウィキペディアも併せて覗いてみたら、色々と原作(小説)からリ・イマジネーション(=^_^=)されてる部分があって面白かった。最大の変更は舞台がロンドン(原作)⇒ニューヨーク(本作)と変わってること。
その割に、ニューヨークらしい(ランドマーク的)建造物が余り登場せず、ティファニーの石看板(?)の破片や、市立図書館などを用いるにとどめられていた。

にしても、今回“意外にも”気になったのは主人公=アレクサンダー・ハーデゲン教授(ピアース)を気に懸けてくれる周囲の温かい人々の存在であった。4年間も(彼のいわば“奇行”を)見守ってくれた友人フィルビー、最後まで主人に対する礼節を欠かさなかった家政婦(?)ウォチット。
どうしようもなく邪悪なヤツもいた反面、結構な善人にも溢れかえってた作品世界だったなぁ。

確かに想い人を喪失する、と言うショックは悲し過ぎるのだが、そのことに固執する余り、もっと大切な「今、周囲にいる愛すべき人々」をバッサリ斬り棄てて(旅立って)しまったのは果たして正しい判断だったんやろか? とも感じた次第。

あ、それから、悲劇のヒロイン(←まさに!)エマを演じたシエンナ・ギロリーさん、何と『バイオハザード2/アポカリプス(2004)』でサブヒロイン=ジルを演じておられた方と知った! 印象が全然違ってて気が付かんかったなぁ!

本作、前にも(劇場鑑賞時に)書いたように思うが・・やはり「主人公、もっともっと過去に執着しろよ!」と思ったものだ。エマの死に“わずか2回”立ち会っただけで「例え千回戻っても、千回の(彼女の)死に方を眺めるだけだ」などといとも簡単にあきらめちゃう。「暴漢を返り討ちにする」「常に行動を共にする」などなど、頑張りようは幾つもあった筈だ!
『タイムコップ(1994)』の主人公(ヴァン・ダム演じる)でもきっとそうすることだろう(=^_^=) 100万回生きて、ようやく真実を掴んだネコだっていたぞ、どこかに(あ、それは絵本のハナシか)。

※「エマの肖像が収められたロケット」を失ったシーン、こそが展開の“切り替わる”瞬間だったんだろう。

『フェイス/オフ(1997)』冒頭における“聖歌隊の美人のおねーちゃん”などと同様に(=^_^=)、本作で気になるのが、2030年のニューヨークにいたスポーティーな感じのおねーちゃん(・ω・)
突如、街角に現れた主人公・・の背後にあるタイムマシンを指し「あれって特大のカプチーノメーカーなの?」と言い残し去っちゃうだけなんだが、妙に印象に残るのだ(・ω・)
きっと彼女、エマ役のオーディションを受けたりもされたに違いあるまい(←決め打ち)

後半では80万年後の世界に突入しちゃうんだが(良くも人類が生き延びてたもんだ、、地形すら激変してるってのに)、何だか世界の雰囲気が『未来惑星ザルドス(1974)』っぽいテイストに仕上がってて笑えた。しかし、何なんだ、あのセンスの悪い(人面(?)の)造形物は。。

劇場での鑑賞当時、出演に全く気付かなかったのがジェレミー・アイアンズ。ウーバーと言う役名があるも、劇中では一切語られなかったような。
今回は彼が「ワタシのような者は大勢いるのだよ」とぼそっと言ってたのが気になった。
こいつを何とかしたら世界が救える・・ってことでもないみたいである(・ω・)

終盤、主人公の究極の選択で、タイムマシンはアレしちゃうんだが・・その破壊力たるや凄まじい! 『スパイダーマン(2002)』に出て来たグリーンゴブリンの使う“パンプキン・ボム”数百個ほどが一度に炸裂したぐらいの威力だった、、
で、思ったのが

“暴走”した際の破壊力がここまでのもの、と知ってて“敢えてニューヨークの街中”で極秘裏に研究を続けてた博士って、、

てなことだった。ってか、序盤で蒸気機関(?)に驚いてた博士だったが、あんたの発明&駆使してた謎のエネルギー源(原子力?)の方がよっぽどスゴいと思うぞ(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

エマ「あなたには驚かされることばかりよ」

アレックス「話しかけたりしなきゃ、ニューヨーカーはいい連中だ」
     「ただ黙って運命を受け入れねばならない時もあるが、闘わねばならない時もある・・例え怖くても」

ボックス「答えが気に入らないのなら、お訊ねにならなければいい」
    「全てを覚えていることの辛さ、をご存じですか?」

ウーバー「80万年の進化をとやかく言う資格が君にあるのか?」
    「あの悲劇はこの状況に不可欠だったのだ」
    「過去へは記憶、未来へは夢を、人は連れて行く」

追記:超未来に残る武器は・・「先端に毒を塗った吹き矢」なのだった!

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2008年3月24日 (月)

☆待望の大作パニック映画?!☆

苦戦してる(・ω・)新作邦画『ガチ☆ボーイ』を観に行った際、ワーナー・マイカル・シネマズ大日のロビーで目に付いたのが、
来月初旬にも公開の始まる『クローバーフィールド』の館内掲示だった。

ただし、

・『クローバーフィールド/HAKAISHA』ってのが正式な日本公開タイトル。サブタイトルのセンス・・すこぶる悪っ!
・4/5に公開開始。
・上映時間=90分、と意外に短い。(ネット情報によると、日本での反響を無視して(=^_^=)早くも続編製作が正式に決定されてるようで、、)
・監督と思ってたJ.J.エイブラムスは製作にとどまる。監督はマット・リーヴス。あんまり知らない監督さんやなぁ。
・「パニック映画」と紹介されてたような。あんまり“深い”作品でもなさそう。

ってことで、ワタシの中では案外早くにDVDソフトが「通常版(1枚組)」とか「2枚買うと1枚あたり2500円」とかのシールを貼られつつ、量販店の処分ワゴン内に放り込まれそな・・そんな予感すらしている(⌒〜⌒ι)

ときに、続編の日本公開タイトルは何やろね〜?
『クローバーフィールド2/KAGAISHA』・・ちょっと違うか・・(×_×) ←こんなセンスじゃスティ※ヴン・セガ※ル作品レベルだな、、

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2008年3月23日 (日)

☆『ガチ☆ボーイ』☆

22日(土曜)の鑑賞。
「久々、劇場に行こう!」と決め『バンテージ・ポイント』とどちらにしよっかな? と迷いつつ決めたのが・・マイナー感漂う“スポ根”邦画『ガチ☆ボーイ』であった。
関西圏を代表(?)する映画評論家・平野秀朗氏(ラジオで喋ってる声しか知らない・・)がイチオシしてた作品、と言うのもあり観てみることに(まぁ『バンテージ〜』が人気あり過ぎて、直近の上映が満席(=座席状況:×ってヤツ)だったのもあるが・・)。

北海道学院大学(北大ではない?)を舞台に、学生プロレスに目ざめた主人公・五十嵐良一(佐藤隆太)の挑戦の日々を描く。

主人公とヒロイン=あさおかあさこマネージャー(サエコ)の恋愛ドラマなんかな〜と思いきや、そうでもなく実は「家族の物語」なんやな〜と気付かされた本作。
その反面、五十嵐家の家庭の事情が余り深く描かれず、それ故に(観客が自由に)想像力をかき立てる“余地”が敢えて残されている。そこが素晴らしい!

北学大プロレス同好会(HWA)はグラウンドの片隅に“くたびれたプレハブ小屋”を部室(?)とし構える小所帯の会。スター的な人気を博した佐田(リング名:ドロップキック佐田=24代目チャンプ)がプロレスを辞め、バンド活動に走ってしまったため、キャプテンの奥寺(リング名:レッド・タイフーン=25代目チャンプ)がかつての“盛り上がる試合”を取り返そうと「北海道学生プロレス連合」への加盟に躍起になっていたりする。

昨年(2006)の学祭でHWAの(無料)興行を観て以来、プロレスのとりことなった“優等生”良一は、当初こそ新メンバーとし温かく迎えられるが・・「試合の“筋書き”が覚えられず、ガチンコ(真剣勝負)に走ってしまう」「身体能力が低く、なかなか技を修得出来ない」「そもそも格闘センスがない」と言うことで、次第にHWAの中で不安視される存在となる。

その一方、都通商店街で開催されたエキシビションマッチ(公開模範試合)における良一(リング名:カエル男爵マリリン仮面)の白熱の試合ぶり(←それもその筈、彼にとっては“筋書き”の吹っ飛んだ“ガチ試合”だった!)をリングサイドで目にした「北学連合」の代表花形選手“シーラカンズ”がそれをいたく気に入り、HWAは見事、連合加盟を果たす。

その後の4試合、マリリン仮面は連合の放ったレスラーを次々に破り、無敗の記録が積み重なって行く。
が、その試合を眺めるHWA所属の新沼(リング名:玉子王子)の目にはそれが「解せない展開」と映るのだった・・
「今のあいつの関節技、全然決まってなかったじゃん?」

そしてマリリン仮面の5試合目を含む、今年(2007)の学祭の日が近付いて来た。
が、直前になり、体育館の使用申請のされていないことが発覚する。
良一にその役目を任せていた奥寺は怒りの余り彼に掴みかかるのだが・・実は良一には家族以外に知る者のない“ある秘密”を抱えていたのだった・・みたいな流れ。

良くも悪くも佐藤隆太のインパクトが大きい。ウィキ(ペディア)で調べてみたら『ローレライ(2005)』において“白球に生き、白球と共に散った”副操舵士を演じていたことを知った。なるほど・・

意外と“イケメンぞろい”だったのも女性客に対する呼び水とはなる・・か?(なってる・・か?)
私的には、
佐田・・反町隆史っぽい
シーラカンズのカッコいい方・・木村拓哉っぽい
玉子王子・・堤真一っぽい
とか勝手に思ってしまった。「っぽい」と言うだけの主観なんだけど。。

「深川湯」を男手1つで切り盛りしてる良一の父(泉谷しげる)はセリフも感情の表出も少ないんだが、それ故に終盤の行動が光る。まさに『遠い空の向こうに(1999)』『リトル・ダンサー(2000)』なんかにおける親父キャラの“渋み”をほうふつとさせてくれる。
妹・あかねを演じた仲里依紗(なか・りいさ)さんの「ぶっきらぼうで不機嫌だけど、兄のために健気に頑張るキャラ」にも好感が持てた。
終盤では自転車をひたすら漕ぎ、どこかの海岸まで突っ走っていたが・・一体どんだけの距離を走ったんやろ。。
(中盤までしか観てないが、伊丹十三監督『静かな生活(1995)』における兄妹にも通じる雰囲気を感じたり)

本作の“軸”となる部分は、まさに「記憶」なのだが、五体健全であるため、より一層“焦り”や“辛さ”が募ってしまう障害(症例)ではないかと思う。
脚本の素晴らしい見せ方により、彼が“記憶障害”を負ってしまったシチュエーションは中盤辺りになってようやく明らかとなるのだが、その直後に良一の1日 〜 朝、目覚めてから家を出、HWAの部室のシャッターをガラガラと押し上げる瞬間 〜 までが描かれる、その「視点」と「配置」が素晴らしいな! と感じた。
ワタシなんかだとシロウトだから、冒頭にそれを持って来てしまうと思う(・ω・)

「言っとくが、学生プロレスは“ガチンコ”じゃないからな」
「求められるのは“体力”“筋力”より・・“演技力”だ」

と言う「ホンネ」が序盤で早々に、率直に明かされる(?)インパクトも小気味良い☆ 

終盤の大ネタ(=大技)として“ドロップキック”が用いられる本作だが『ベスト・キッド(1984)』『シンデレラ・ボーイ(1985)』なんかのラストを連想させられた。
技そのものはシーラカンズが放った“ロープから相手に飛びつきつつ、両足首でその首を挟み、そのまま回転して倒す”みたいな華麗なテクニックの方(何て言う技だろ?)がよっぽど凄まじいと思うんだけど、きっとプロレスファンの中で“ドロップキック”だけは特に格別な扱いなのだろう(・ω・)

※ウィキで調べると“フランケンシュタイナー”なる技に当たりそうだ。ただし本作では“横回転”だったけど。。 

また、劇中で2回泣かされてしまったり(⌒〜⌒ι)

1つは強面(こわもて)キャラの大久保(リング名:デビルドクロ)が、ガチ試合で(良一から)顔面に頭突きを受けた直後の態度。一切怒りを彼に向けず、ひと言すら文句を言わなかったのだ。
ここを観て「顔つきと“外向き”の言動だけで人を推し量ってはあかんのやな〜」と改めて気付かされた。

1つは最後の試合。それまで「ギブアップしろ!」と繰り返してた(マリリン仮面の)タッグ相手が、(彼がいよいよ危機を迎えた)2カウント目を耳にするや(リング内に)助けに飛び出した瞬間。
「非力な(筈の)人間が、より大きな人間を動かし得る」
「そこに計算はなく、ただその人間が(彼に)与えて来た“記憶”が瞬時に、直感的に(彼の中で)結実する」
そんな風に感じた。

・医学的なオチを強引に付け足さなかったこと
・その後の展開を1枚の写真で描くにとどめたこと

も好感を受けた。
真っ先に「プロレス映画」と言う要素が飛び出してしまうため、ファン以外にはかなりとっつきにくい部分があるんだが・・色眼鏡をかけずに観て頂きたい作品である。

「健康であり、今日の自分が昨日の自分のまま続いている」現在の“実は幸福な日々”を、大事に生きようと言う意欲が、ちょこっとばかし高まると思うので。

〜 こんなセリフもありました 〜

良一「カラダは昨日の僕を覚えている。僕は生きてるんだ!」
  「生きてる証は“プロレス”しかない」

あかね「家族がギクシャクしちゃってるのが・・それが辛いです」

奥寺「自分の記憶に残らなくても・・みんなの記憶に、刻んでやるよ」

追記1:元々は舞台劇だったらしい。
追記2:ヒーロー然として描かれる佐田、、の彼女。めちゃめちゃ不細工でしたが(×_×)
追記3:エンドクレジットに入ってた「アヴリル・ビン・ラディン」なる人名にちょっと苦笑させられた。レスラーさん?
追記4:本作のエッセンスを抽出し、イギリス映画(炭坑モノ)としてリメイクしたら・・大ブレイクするんかも(⌒〜⌒ι)

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☆アンソニー・ミンゲラ監督を偲ぶ☆

新聞にて、英国の監督アンソニー・ミンゲラ氏の訃報(3月18日の死去)を知った。
享年54歳と言うお若さ。記事では「脳出血」と(確か)記載されていたが、早すぎる死が惜しまれる。

手がけて来た作品(監督作)では
『イングリッシュ・ペイシェント(1996)』
『リプリー(1999)』
『コールドマウンテン(2003)』
をこれまでに観た。

プロデュース作品として『アイリス(2001)』など。

監督作品群の根底には「抗(あらが)えぬ男女の縁(えにし)」「抗えぬ死」など、どちらかと言えばファンタジックでメロドラマ的、悲劇的なテイストが多く見受けられたように思う。

特に、男性主要キャラ陣の“どこかメソメソした生き方”などは、我々“現代日本人”にとって、大いに参考となるトコロ・・かも知れない。

デビュー作『最高の恋人(1993)』(←本作も鑑賞してたことが判明・・マット・ディロン演じる主人公が“感電”する物語でした←それだけじゃないだろ!)
から遺作『こわれゆく世界の中で(2006)』(←こちらは未見)までの約13年。

主な監督作品=5本と言う寡作ぶりでもあったが、確かに“唯一無二”な世界を、彼は確かに築き上げていたと評したい。

ご冥福をお祈り致します。

※きっと、今後は“シリーズもののファンタジー作品(英文学)”なんかを手がけ始めたんじゃないだろうか? などと勝手な予想をしてみたりもするワタシ(・ω・) ファンがその路線を望むのかどうかまでは分かんないけれど。。(←ここ、ワタシの妄想です)

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☆ぷち鑑賞記(邦画2本)☆

『犬神家の一族(1976)』・・12日(水曜)の鑑賞。
少し前“リメイク版”を観たトコロだったので、観比べることが出来楽しかった。ワタシとしては“佐清(スケキヨ)のラバーマスクの色”以外は、こちらのオリジナル版(?)の方が断然良いと思ったが。

※ラバーマスクの色は「オリジナル=黄」「リメイク=白」となっている。

にしても、大野雄二氏が手がけた本作の主題曲「愛のバラード」・・今にして気づいたのは『シャレード(1963)』のテーマ曲とかなり似てるじゃん! ってこと(あちらは“巨匠”ヘンリー・マンシーニがスコアを担当してた)。
ネットで調べたら・・みんなもそう言ってますわ(=^_^=)

撮影(制作)時期がナチュラルに古い分(=^_^=)、物語全体から立ちのぼって来るドロドロしたものが、巧い具合に効果を上げている。若く書生然とした探偵=金田一耕助(石坂浩二)の存在感や物言いも、犬神家全体を覆うほどの(=^_^=)威圧感がなく、すっきり“門外漢ですが、ここにいます”と静かにアピールするにとどまっている。

自分勝手にミスリーディング(引っかけ)されたのが、猿蔵と言う、ヒロイン=野々宮珠世の従者的な男の存在。原作版(小説)をはるか昔に読み、リメイク版も観たばかり(?)だと言うのに「猿蔵こそが、実は物語の核心を握るキャラかも・・或いは本当の青沼静馬こそが・・??」と勝手に想像力を広げてしまったのだった(=^_^=)

それはそれとしても猿蔵、ホンマは一体何者だったんだろう?(本名すら明らかでないし)

今回は佐武(すけたけ)さんを若き日(?)の地井武男氏が演じておられ、きっちり「菊人形を華やかに飾って」くれてた。
う〜ん・・「ああなっちゃう」ともはや誰が誰だか分かんないってのもあるけど(×_×)

ほか、こんなこととか。

・劇中で一番、演技のまずかったのが原作者=横溝正史センセイですた(⌒〜⌒ι)
・殆ど「喋り」のなかった「ラバーマスク姿の佐清」、、もそっと喋ってたように記憶してたが。
・終盤、※※(あおい輝彦)の絞り出すように呟くセリフ「恐ろしい偶然です・・恐ろしい偶然が、重なってしまったんです」が妙に引っかかり、何故だか苦笑させられてしまった。確かにそうなんだけど、それって説得力に欠けると言うか・・何やら、このひと言で連鎖殺人を片付けちゃおうと言う感がなくもなくて、、
・本作にもし出演出来るとしても、若林弁護士役はイヤだなぁ、と。問題の起こる前にああなっちゃうのはなぁ。まるでアガサ・クリスティの推理小説『そして誰もいなくなった』で一番最初に“退場”しちゃうしとみたいな感じだ(・ω・)

『妖怪大戦争(2005)』・・21日(金曜)の鑑賞。地上波初登場・・ではなく、確か2度目の放送だったのもあり、帰宅後、中盤からだらだら観てたが・・何と前回の放送時以上に“しっかりしたエンディング”が収録されててびっくり! 確か前回は「大爆発が起こり、麒麟に乗った主人公がどっかへ飛んで行く・・」みたいなバッドエンドな印象(滅亡系?)がかなり強かったんだが、ホントはその後の展開がしっかり存在してたのだった(・ω・)

今回、改めて知識がついた分(?)楽しめたのが「阿部サダヲ」「栗山千明」の存在&演技だろうか。メイクしてない時の(彼らの)容貌を大体掴めてるのもあり、鑑賞出来て良かった☆
反面、こんがらがってしまったのが『花田少年史/幽霊と秘密のトンネル(2006)』を観てしまったことで、内容(展開)の一部がこんがらがってしまったこと(×_×) 何か似てません?

今回、初めて拝むことの叶ったラストでは、青年に成長した主人公(津田寛治)の姿が少し登場する。きっちり「大戦争終結後の平和な世界」が描かれてる、と言う“穏やかな雰囲気”が視聴者に安心感を与えてくれる一方、※※※※※が実は成仏出来てなかったり、そこに※※が復活の兆し(?)を見せつつ現れたり、と余計にややこしく後味の悪い印象も残してくれる。
三池崇史監督って、どうも観客(視聴者)をすんなりと楽しませることの出来ないタイプの人物なんやろか・・と失礼ながら思ってしまった、直感的に。

まぁでも、少年期の主人公タダシ(神木隆之介)が放つセリフ(独白)
「自分のためにつくのが真っ赤な嘘。他人のためにつくのが真っ白な嘘・・それが大人への入口らしい」

はイイ感じに響いて来た。

エンディングに、水木しげるセンセイが投げつける、「手投げ弾」のようなスリリングなひと言(⌒〜⌒ι)
「戦争はイカンです、腹が減るだけです」
よりは、よほど聞く者の耳にすんなりと入って行くのではなかろうか。

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☆『TAXi NY(2004)』☆

22日(土曜)。「土曜プレミアム」で地上波初放送されたものを「だらだら」鑑賞した。
リュック・ベッソンの名を冠した作品の中でも、最も「忌わしい」と正直感じている(=^_^=) オリジナル版の『TAXi』シリーズ(1997、2000、2003、2007)。
その第1作をハリウッド・リメイクした作品。

※まぁ、他にも“ベッソンプロデュース”とされる作品群には、「観た」と言う事実・記憶を思わず抹消したくなっちゃう作品も少なくない・・(⌒〜⌒ι) 自身が決して監督しない辺り、天才的な「処世センス」だけは感じるが。

メッセンジャーサービス会社を退職し、タクシー運転手となったイザベル(愛称:ベル)・ウィリアムズ(クイーン・ラティファ)と、ドジでマヌケで運転がド下手な刑事=アンディ・ウォッシュバーンのコンビを主役に、彼らがニューヨーカーを騒がせる銀行強盗団(美女4人組)を追い詰めて行く流れ。

オリジナル版の“プジョー406”ベースの改造タクシーにも余り何も感じなかったが、本作における“フォード・クラウンヴィクトリア”ベースの改造タクシーにも殆ど何もピンと来るものがなかった(・ω・)
強盗団の操る“BMW760”の方がよほど輝いていたようにワタシには思えたぞ、、

全体的にオリジナル版をほぼリ・イマジネーション(?)してる印象なので、物語について特筆すべき部分もないんだが、

・後半、グランド・セントラル駅構内をBMWが暴走する演出
・強盗団の1人(リーダー格=ヴァネッサさんか?)の射撃テクニックが神業的にスゴい

と言う2点のみには、鑑賞の価値があるかも知れない。
4発のみを発砲し、4ヶ所の監視カメラを容易く破壊する腕もスゴいし、駆け付けた警官の手から拳銃のみを弾き飛ばすテクニックなどは・・ここ数年観て来た(映画における)犯罪者の中でもトップレベルである! このシーンにだけは妙に感動すら覚えてしまった(所詮、演出なんだけど・・)。

〜 こんなセリフも聞こえて来ました 〜

ジェシー「君に似合うのは・・俺の香りさ」 ←ベルの恋人。きっとベッドテクもスゴそ〜

ベル「普通、白人(の乗車)は断るの」
  「ダサいクルマは、簡単に燃えるのね」

アンディ「法を守るために、ルールを曲げる」 ←寡黙だとカッコいいのにねぇ・・

追記1:さすがニューヨーク。タクシードライバーのライセンス発行待ち行列が半端じゃない! 毎日あんなに増え続けてるんか・・
追記2:超絶的な運転には「技術・度胸・運」の3点セットが兼ね備わってないとあかんのやな〜と。
追記3:終盤の「ジャンプ」してから、の強盗団一味の“抵抗”が少し描かれており、そこは斬新な感があったか。。
追記4:マンハッタン⇒JFK空港まで、通常ではタクシーで50分ほどかかるらしい。本作では9分半で到着してましたが・・(⌒〜⌒ι)

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☆『太平洋ひとりぼっち(1963)』☆

うう・・すっかり映画メモが溜まってしまってる。。

ようやく、垂れ込めた暗雲に光明がひと筋差し込んだが如く・・書類大量到着⇒長時間残業⇒疲労蓄積・・の悪循環から“一時的に”とは言え、解放された感があるんだが、、一方で録画してる番組(殆ど映画)、切り溜めた新聞記事、購入したまま開封すらしてないDVD群・・などがどうにも気になってしまい、とにかく「まずは!」と新聞記事のさばきを頑張っている(って既に内容の古い記事も多いが)。

そう言うと、つい最近“終身冒険家”とも言うべきエコロジカル・ヨットマン=堀江謙一氏が、何やら“世界初の波浪推進船”『SUNTORYマーメイド2号(←堀江さんは“2号さん”とか略称してはるのやろか?)』を駆っての「太平洋航海」に出航したと言う記事が目に止まった。

奇しくも先日(11日:火曜)に“追悼・市川崑監督作品特集”の一環で衛星第2にて『太平洋ひとりぼっち』が放送され、それを観たので、そのことを少し書き残しておこうと思う。

監督:市川崑、脚本:和田夏十、主演:石原裕次郎・・の凄まじいトライアングルで構築されたドキュメンタリー風(?)冒険活劇。とにかくワタシには色々な点で意外な印象があり、なかなか楽しめた。

・「どちらかと言えば繊細で緻密なイメージを受ける」市川崑にしては、かなりゴツゴツした作風
・「女性の筆とはちょっと思えない」和田女史による、これまた男らしい脚色
・「フレッシュなスター像」とかけ離れた、裕ちゃん(裕次郎)のどてらいキャラ造形(←ワタシだけが“クリーンな裕ちゃん像”を形成してたんやろか?)

1962年に達成をみた、堀江氏の「単独太平洋横断」を実録風に描いた展開。
出航までの構想に5年! ついに1962年5月12日、未明の西宮港を飛び出し、サンフランシスコへと密出国する若者・堀江(裕ちゃん)の姿が独り乗り木造ヨット『MERMAID号』の船内にあった。
だが、なかなか風に恵まれず、いつまでも西宮の灯台周辺から離れることの出来ぬもどかしさ。

⇒突堤までの約500メートルを進むのに80分
⇒翌日夜にやっと大阪湾のど真ん中へ
⇒9日目になってもまだ静岡沖

ひたすらにゆっくり漂流するヨット。殆ど毎日雨に降り込められ、気の滅入った堀江はやがて自問自答を始める・・

何とか伊豆諸島を抜け、ようやく『MERMAID号』は本格的に太平洋を帆走し始めるが、そこに待っていたのは激しい時化(しけ)、そして日々募ってゆく疲労、寒さ、睡眠不足、不安、孤独・・であった。

殆ど役名すらなかったが、船大工を演じた芦屋雁之助、関大セーリング部(?)の先輩を演じたハナ肇に短い出番ながら存在感があって良かった。
そして堀江の妹役の浅丘ルリ子さん。醸し出す雰囲気こそ、お世辞にも明るいとは言えなかったが・・お若い頃は可愛いではないか(・ω・) どうにも近年の彼女のイメージが強過ぎ、寺尾聰演じる“博士”をよそよそしく“ギテイ(義弟)”と呼んだりするおばさまの映像(2005)が浮かんだりするんだが(⌒〜⌒ι)

本編は淡々と(?)船内の独り芝居がほぼ続くのだが、その中で「回想」のスタイルを取って、旅立ちまでの堀江青年の物語が「時間軸を置換され」描かれる。知人にも、そして家族に対してすら“弱さ”を決して漏らさぬ主人公が、時化との戦いの中でふっと垣間見せた“必死で念仏(南無妙法蓮華経)を唱える姿”などは実に人間らしくて印象深かった。
また、太平洋のど真ん中で船外作業する際、律儀に周囲(海原)を見回した後、ちゃんと「海パン」を着用してから取りかかるのも人間=堀江の羞恥心が巧く描かれていたと思う。

激しい揺れで船内の壁に叩き付けられて短時間失神したり、積み込んだ水の節約のため「ビール」で飯を炊いたトコロ、飯ごうのフタが吹っ飛んだりする小アクシデントも幾つかあったが、自身の屈強な心身を最後まで管理維持していたのはすごい!
もし大海原で深い傷を負ったり、高熱に襲われたりしたらどうするつもりだったんだろう(・ω・)

もうちょっと手が込んでたら・・とは感じたものの、金門橋(ゴールデン・ゲート・ブリッジ)やアルカトラズ監獄島などを映し出すサンフランシスコロケの映像もしっかり盛り込まれてた。特に“金門橋の直下をヨットがくぐる”カメラワークなどは邦画ではかなり珍しいんじゃないかと思ったものだ。

〜 こんなセリフもありました 〜

堀江「軍艦かて、沈む時は沈むで」
  「泣くことが精神衛生の1つだと気がついた(独白)」
  「みんなと同じことするのはおもろないわ」
  「こんなとこ(=日常)で押し合いへし合いしとったら、生きてるか死んでるか、分からんようになる」
  「お早うさん、また、朝ですな(独白)」
  「パスポートですか? こっちもそれが頭痛の種ですわ」

母「謙ちゃん、もし嵐にでもおうて死ぬ時は・・“お母ちゃん”と呼んでや」

先輩「(君に)反対してるのは、それぞれの人間の立場から言うてるだけやで。
   正直、君が太平洋で死のうが、僕らには関係あらへん」

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2008年3月21日 (金)

☆“鹿男あをによし”の第9話&第10話(最終話)を観た☆

1話を除き(←しつこし!)「ほぼ」コンプリート鑑賞を自負してたドラマ“鹿男あをによし”も、いよいよ本日(20日:木曜)の放送をもって終了してしまった。
中盤こそ「中だるみ」印象の否めなかった物語ではあったが、後半の「パズルにどんどんピースがはまって行くような」そんな爽快感が確かにあったし、ワタシの評価は決して悪くなかった。
ただ、一般視聴者に対して「観光意欲」を、放送終了後に何処まで引っ張って行けるデキの作品だったのかは、正直何とも言えないかな、、と(・ω・)

第9話・・13日(木曜)の放送を録画しておいたものを、最終話の放送が始まるギリギリ寸前まで観てた(×_×) 何かいっつもアップアップしてるなぁ。

激しさを増す群発地震に続き、いよいよ富士山噴火へのカウントダウンが始まる(噴火警戒レベルは最大の“5”となる)。神無月(10月)もその日を残すのみとなった31日のこと(既に過去のハナシなんやね・・)。

“サンカク”と呼ばれる「鎮めのアイテム」を奪った“ねずみの使い番”を突き止めた主人公たちが、ようやくそれを奪還し“鎮めの儀式”を行う流れ。
にしても“サンカク”を考古学的好奇心から詐取し、独占しようとする“その人物”だが、日本が噴火&地震で滅んじゃったら、もはや「邪馬台国」だの「研究発表」だの言ってる場合じゃなくなると思うんだが。。
別に悪意に満ちた人物でもなかった(?)だけに、もっと長期的な視点で物事を判断出来なかったんだろうか、とふと思ってしまう。

いきなり、と言う訳でもなかろうが、かなり不自然な早さで、2組の男女の恋愛が具現化(進行)して行く脚色は面白い。「闘病ネタ」にも逃げず、こんな急展開を見せる恋愛劇を、ワタシはあまり観た記憶がない(・ω・)

「きつね」のトーク(声)だけは聞けずじまいだったが、他の2神獣「鹿」「ねずみ」を担当してたのは、それぞれ山寺宏一氏、戸田恵子氏、と意外に豪華だった☆
「ねずみ」はどう言う手段でか、大阪からはるばる奈良へやって来てたようだ。うーん・・何処か不自然(⌒〜⌒ι)

今回は主人公・小川(玉木宏)が終盤で放つセリフ

「棄てるんじゃない、生かすんです」

が印象深かった。

何だか資産運用のハナシにも展開出来そうやな。。

〜 ほか、こんなセリフも 〜

長岡「誰にどう思われようと私は私だから・・一番近くにいる人が分かっていてくれたら、それでいいんです」

小治田「ひょっとすると・・人間の与(あずか)り知らぬ所で、何か大きな力が働いてるのかも知れない」

ねずみ「相変わらず、人間はこの世で一番恐ろしい生き物だよ」

※ニュース番組の映像で「高槻市:震度4」なるテロップがちょこっと出てて、(隣接市だけに)嬉しくなった。でも、いっそ「枚方市」と表示して貰えた方が気分が良かったかも知んない。
あ、でも、地震被害のテロップじゃ嬉しくないか(×_×)

第10話・・本日の放送に間に合った。

“鎮めの儀式”がすんなり終わり、その後の「片付け」って感じの展開。
ワタシも好きなロケーションである「平城京・朱雀門」の前で、夜に儀式が行われるが、どうやらそこの地底深くに問題の(災いの元凶たる)「なまず」が潜伏してるらしい。・・富士山麓の地底ではないんやね(・ω・)

ただ、すぐ傍の鉄路をK鉄電車ががんがん走ってたり、(東大寺境内の)「大仏池」から採取した水を何故か敢えて朱雀門前で使用したり、と演出的に何となく釈然としないトコもあった。
「大仏池の水」にこだわるなら、東大寺境内で儀式をすればイイと思うんだけど・・

解雇を宣告された主人公の何処か晴れ晴れした(?)表情と対照的に、(今回は)終始“憔悴し切っていた”とある人物の姿が妙に心に引っかかった。「それまでカモフラージュして来たその人の本来の姿(性格)」がいきなり表出したとしたら、こんな感じなんだろうか?

比売命(ひめみこ)こと卑弥呼(ひみこ:大塚寧々)から「お前は本当に美しい」と言われた鹿が、その言葉に感じ入ったばかりに、その後の1800年間に渡り、忠実に「鎮めの儀式」を守護していることは・・“言葉の持つ力”を暗示してるようで興味深い。
でもきっと、ドラマで映像的に「聞く」より、原作(小説)で文字としてアタマの中に響かせる方が、よりグッと来るんやろなぁ、と。

最後、主人公が東京へ戻るシーンで「奈良駅」を思わせる駅舎が登場するんだが、地上駅だったので「??」と首を捻ってしまった(「K鉄奈良駅」は地下駅である)。「ひょっとしてJ※奈良駅か?」と思ったんだが、どうやらウィキペディアによれば「天理駅」だったらしい。
“ああ言うシーン”を開放的に映すために変更したんだろうけど、もう少し「K鉄奈良駅」を知る視聴者に説得力を持たせる描き方は出来んかったんかなーと、これも少し残念だった。

〜こんなセリフもありました 〜

福原「(その人の心を)確かめたかったら、ちゃんと気持ちを伝えてみるしかないね」

小川「お前、さみしいか?」

ま、何はともあれ、最後までワタシに引きつける「何か」を持つドラマだったことには違いない。
そしてまた、ワタシは「天理市立黒塚古墳展示館」「箸墓古墳」「奈良県立橿原考古学研究所附属博物館」なんかをロケツアーしてみようかな〜とすっかりしっかり感化されてしまってたりするのであった(⌒〜⌒ι)

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2008年3月18日 (火)

☆“ヤッターマン”のここ3話分のまとめだコロン!☆

疲れた夜には“ヤッターマン”ってことで、改めてこのアニメ番組のパワフルさ、柔軟さに感心してる今日この頃。
日曜の夜“サザエさん”を観終わると同時に気持ちがアンダーになっちゃう“お疲れ社会人各位”にこそ、是非すすめたいトコロだ。「悲しむな。月曜の夜には“ヤッターマン”があるさ」と・・(で、火曜以降はどうすんだ?)

某Y新聞の紹介コラムでも「もはやバラエティー番組の域」みたいな(ちょっと違う表現だったかも知れんが)賛辞(?)の贈られてた本作。
次第に「国境」をまたぎ何の違和感もなく諸外国で活躍しちゃう流れに加え、お次は「テレビ局」の壁をぶち破り、他局&他番組の世界にまでネタの範囲を侵食させて行ってる! これって他局への「熱烈なラヴコール」と考えたら良いのか? それとも「キワキワの挑発」と解釈すべきなのか? う〜ん・・分からん(×_×)

「おだいばテレビに潜入だコロン!」
3日(月曜)の放送。とある橋を渡った先にある「お台場テレビ」と人気アイドル「ようこるん」を軸にした展開。ってか、どっちも殆どそのまんまやんか! と。
「もうこんな意味の分からないキャラはいや!耐えられない」と、演じるキャラとホントの性格のギャップに悩むアイドルを狙うドロンボ〜一味とこれを叩くヤッターマン。
彼女の愛用してるカチューシャが至宝“ドクロリング”だと言うことで。
一味の操るのが「和※アキ子女史」そっくりな造形のメカで「何だかなぁ・・」と。どうせならご本人が「声をあてて」くれたら、視聴者も「より納得」しようものなのに・・(⌒〜⌒ι)
お台場テレビの守衛も「なんだ、アッコさんか。お疲れっす〜」とか何とか言いながら(巨大メカに乗った一味を)顔パスさせるのが、何ともリアル・・(?)
ボヤッキーが劇中で「ああ、死ぬかと思いました」と本心を吐露するのが良かった。やっぱし命は惜しいのね(=^_^=)

「オタンカーメンの呪いだコロン!」
10日(月曜)の放送。ドロンボ〜一味随一のイケメン(?)ブツクサ・ボヤッキーを主役格にしてのストーリー。エジプトの王子=オタンカーメンのミイラの鼻輪が“ドクロリング”ってことで、またもドロンボ〜&ヤッターマンは中東へと飛ぶ。
今回は幾つかの「秘密」が明らかとなり少し嬉しかった(嬉しがるなよ、おっさんよ!)。

・ボヤッキーは25歳
・ドロンジョは24歳
・ボヤッキーが搭乗しなくてもドロンボ〜メカは動かせる!

あと「スゴいなぁ〜」と唸らされたネタが(唸らされるなよ!)、スフィンクス型のドロンボ〜メカがミサイル攻撃を行う寸前に披露した「両手を上げ“まっ!”と小さく叫ぶ」動作・・コレって懐かしの特撮番組『ジャイアントロボ(1967-68)』じゃないっスか!

ほか、ドロンジョの放った「おバカ女子アナじゃないよアタシは!」なるセリフに対し「きっと何かのメッセージを含んでるに違いない」と直感的に受け止めたワタシであった。。

「タイガードラマアツヒメだコロン!」
本日(17日)の放送。やっと鑑賞が追いつきました(⌒〜⌒ι)
某国営放送の大河ドラマをネタにしつつ、鹿児島県・桜島を舞台にドロンボ〜vsヤッターマンの激闘(?)が描かれる。
「西郷どん」「おはら節」などもネタに用いられていた。
かつて西郷隆盛が桜島の噴火口に投げ入れたとされる災い(?)のリング・・を探し、火口に降りて行くドロンボ〜たち。何か映画『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズみたいな演出だなぁ・・

放っておけば噴火活動が活発化し、一味が死んじゃうかも知んない(実はそんな程度じゃ死なないけど)・・と考えたヤッターマンは
2号(アイちゃん)「ドロンボ〜たちを助けるつもり?」
1号(ガンちゃん)「人の命は大切だ」
と、ビックリドッキリメカを駆使し、彼らを救出しようとする。
この辺りの「悪は生かさず殺さず」の精神(=^_^=)がイイなぁ〜と思った。

今回は以下のセリフが光ってた感じ。

アイちゃん「男の子って、目の前にいる素敵なお姫様には気がつかないのよね・・」

ドロンジョ「天才(っぷり)に断然カンナがかかるね」 ←“輝く”ってことらしい(=^_^=)

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2008年3月17日 (月)

☆『ペイチェック/消された記憶(2003)』☆

16日(日曜)の放送。「日曜洋画劇場」で地上波初登場、との快挙(?)だったが、どうやらなんぼかカットされてた模様。
本作って公開当時、劇場に観に行ったもんで、確か序盤に主人公による「棒術トレーニングのシーン」があったように記憶してるが・・今夜の放送では収録されてなかった。。

フィリップ・K・ディックが原作に描き、ジョン・ウー監督が映像化を実現した近未来の物語。
企業を渡り歩き、最先端技術の開発を請け負い、多額の報酬を受け取る代わり、その技術特許を放棄、開発期間の記憶を事後に抹消することを生業とするエンジニア=マイケル・ジェニングス(ベン・アフレック)が主人公。
彼はネキシム社の技師とし(ライバルのアーク社をしのぐ技術である)「3次元映像モニター」を開発し、その代償に2ヶ月間の記憶を消去した契約に続き、旧友ジェームズ・レスリック(アーロン・エッカート)が興したオールコム社の極秘プロジェクトに携わる。

3年後。我に返ったマイケルは、ジェームズに契約が完了し、開発が成功したことを聞かされる。彼はその足で「レディ・グラント法律事務所」へ向かうが、何と彼が受け取る筈だった100億円相当の株券は“彼自身により”所有権を放棄されていたのだった・・その代わりに手元に戻って来たのは“19個のガジェット(ガラクタ)”の入った紙封筒のみ・・

当惑する彼だが、そこに追い打ちをかけるようにFBIの捜査の手やオールコム社の放った刺客が次々と現れ・・みたいな流れ。

いや〜、フィリップ・K・ディックなどと耳にすると「難解なSF作品とちゃうんか〜?」とか不安になって全身に発疹が出そうにもなるが(←大丈夫かよ)、そこはジョン・ウー先生が手がけているだけあって、メチャメチャに分かり易い(=^_^=)
この調子で(?)重厚なロシア文学とかもウー先生に次々と映像化して欲しいトコだなぁ☆

ベンアフ(ベン・アフレック)は観てて妙に安心感があると言うか・・憔悴し切ったり、残虐なリンチを受けたりしなさそうなイメージ(これはワタシの勝手な先入観だが)で、最初から「死なないなコイツは」と思わせるヒーロー然とした存在感だ。
と言っても、単独でのその行動には、常に不安感の伴うキャラではあるんだけども。

中盤辺りから本格的に物語に関わるヒロイン=レイチェル・ポーター博士(ユマ・サーマン)のパワフルな言動がすごい!
ほぼ同時期にユマ自身が(恐らく彼女の女優キャリアで“最大のアクション作”とし語り継がれるであろう)『キル・ビル』シリーズ(2003、2004)に主演してることから、そっちとの印象がダブってしまったり。流石のウー先生もタランティーノにちょっと“ユマ使い”で負けちゃってたか。。

実は「20個」だった、と言うガジェットの数々。

「“エディソン”の非常口キー」「携帯式スプレー」「デジタル腕時計」「ダイヤの指環」「ゼムクリップ(1ヶ)」「タバコ(1箱)」「使い捨てライター」「“ニューリバティ銀行”の紙マッチ」「金属球(ベアリング)の入った樹脂の筒」「“BMW”のリモコンキー」「凸レンズ(拡大鏡)」「ミニ6角レンチ」「サングラス」「1ドル硬貨」「“オールコム社”のセキュリティパス」「ピストルの弾丸(1発)」「バスの1日乗車券」「“手の届かない場所ばかり見ていては、足元の富を見失う”と書かれたおみくじ(裏に“17-44-4-26-37-40-22”の数字)」「解きかけのクロスワードパズル」・・で他にもう1つ・・

半分はテキトーに観てて「ダイヤの指環」の使い道だけが良く分かんなかった(カットされたのか?)

「記憶を消される前」の主人公が、とにかく運命を超越しててスゴい。未来を全て予見してるかのように(実際にしてたし!)20のアイテム全てに、それを使うべき「場所」「時間」をぴったりパズルのようにはめ込んでいる。
ってことで、現在の(記憶を失った)主人公も手探りで色々と迷走させられるんだが、それ以上に振り回されたのは観客自身だったかも知れない(⌒〜⌒ι)
って言うか、未来が全て分かってるなら、もうちょっと“近道”させる手立てもあったような気がするけど・・(それってタイムマシン理論に逆らうことなんやろか?)

それにしても。。自分の「時間」を売る、、「人生」を切り売りする、、ってことにどうにも違和感を覚えたワタシ。
開発・研究が成功すればこそ、多額の報酬が最終的に手に入るが、それまでに「非業の死を遂げる可能性も?」とか考えたりしないのか?
「今」と「保証」をまず直感的判断材料にするワタシには、通常の精神状態では考えられん選択・決断やなぁ。

ウー映画と言えば・・代名詞のように(?)登場する「2人の男が互いの拳銃を腕を伸ばし至近距離で突き付け合う、交差状態の緊迫シーン」ってのが本作でも何回か描かれたが、何かもう“お約束”みたいで緊迫感がまるで伝わって来なかったし(⌒〜⌒ι) ウー監督の功罪だなコリャ。

中盤でぜいたくなバイクチェイスに突入するが、同様のシーンで言えば同監督の『M:i-2(2000)』の方が見せ方も巧かったし、はるかにスタイリッシュだったな(ちょっとカメラワークもイマイチだった・・)。
ベンアフのヘルメット姿ってのも何かイケてなかったな、、

ま、自分が覚えてない(気づいてない)範囲で「実はオレには※※が出来た!」「私にはホントは※※の才能が備わっていた!」みたいなサプライズは面白いと思う。ワタシは全くバイクになんか乗れないが、実際にやってみたら意外にヘリが操縦出来ちゃったりなんかしちゃうのかも知んないし(=^_^=)

それにしてもFBIの責任者的なおっつぁん・・「マシンを作れる男が悪人の手に落ちては困る・・いっそ射殺しろ!」みたいなセリフを放ったのには、ちょっと驚き笑わされてしまった。
いや、もそっとマシな折衷案は思い付かないのかよ(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

マイケル「何か優しい言葉を言ってくれ・・僕が忘れる前に」
    「未来を人々に見せてしまえば、未来はなくなる。神秘も希望も彼らから奪われてしまう」

レイチェル「所詮、人生なんて過ちばっかりよ」
     「全ての現実には意味があるわ」

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2008年3月12日 (水)

☆『テイキング・ライヴス/他人を生きる殺人犯(2004)』☆

9日(日曜)夜に鑑賞。地上波初放送ってことで、結構期待してたんだが・・う〜ん、見事にイマイチですた。。
1983年にカナダのフリーウェイでマーティン・アッシャーと言う青年が交通事故に見せかけ殺害される。そして、直前まで彼と行動を共にしていた青年(マット)は行方不明に。
それから19年後、モントリオールの建設現場で白骨遺体の発見された事件を発端に“殺害した相手の人生を乗っ取る男”の存在が浮かび上がる。
地元警察のルクレア警部(チェッキー・カリョ)は部下である、デュバル刑事(ジャン・ユーグ・アングラード)とパケット刑事(オリヴィエ・マルティネス)を伴い捜査に乗り出し、そこにプロファイラーとして加わったのがFBIの特別捜査官イリアナ・スコット(アンジェリーナ・ジョリー)であった。
19年前に消息を絶った息子の姿を最近目撃したと言うマーティンの母、レベッカ・アッシャー(ジーナ・ローランズ)や、新たな殺人現場に居合わせた画商ジェームズ・コスタ(イーサン・ホーク)、そんなコスタの行動を密かに監視し続ける男クリストファー・ハート(キーファー・サザーランド)など・・謎をはらんだキャラ陣が捜査陣を混乱させる中、次々と殺人が起こり・・みたいな展開。

とにかく、ネタ的にはなかなか面白そうで、かつ俳優陣が妙に豪華な本作。それ故、物語がグタグタになって行く中盤以降、作品世界が崩壊に至ったかのような終盤の流れが実に勿体なかった(×_×)

序盤など・・青年たちのロードムービーみたいなテイストが結構な(映像的)完成度で成立してて良かったのになぁ・・
まぁヒロイン=イリアナよりも、観ててよっぽど面白かったのはコスタのキャラなので、『ガタカ(1997)』と比べたりしながら、それはそれで楽しんで観るのも良いと思う。
(どうせなら、イリアナ役にユマ・サーマン、ハート役にジュード・ロゥを起用すると更に面白かったかも(=^_^=))

どんでん返しと言うか・・途中で捜査側キャラの1人があっけなく殺害されてしまったのには驚いた! 何ともムチャクチャ勿体ない演出だと思うんだけど・・

また物語の一方で、どんどん親しくなってくのがイリアナとコスタの2人。それを気に入らぬ感じなのがパケット刑事(ちょっと『セヴン(1995)』におけるミルズ刑事(ブラッド・ピット)を意識したようなキャラ造形)なんだが・・私的には「そう言うあんたも『運命の女(2002)』で、コスタみたいなことをしとったやろ!」と静かにマルティネスに突っ込んでやりたい(・ω・)

地上波初ってことで、放送スタッフも気合が入ってたのか(?)、石でドツかれて崩壊しちゃってる遺体の顔面のアップ(もちろん造りもんだけど・・)やら、イリアナのバスト(nipple含む!)やらがモロに拝めたりして「すげぇな〜!」とこれらにも軽い衝撃を受けた。(私的にはアンジー(アンジェリーナ)のバストってば、ちょっと想像してた印象と違ってて庶民的(?)だったけど・・)

終盤は、もうムチャクチャな感じ。「そこまで待つんか〜?」みたいな。
ただ、ワタシが※※だったら、侵入する前に電話線は何とかしといたと思う。被害者が架ける架けないの問題じゃなく、そこは侵入者のエチケットだと思うし(←何がだ!)

それはそうと・・アッシャー夫人、エレベータに乗り込む前、どう答えるつもりだったんだろう?

〜 こんなセリフもありました 〜

コスタ「あんた、釣りはやるのか? 言っとくが、死ぬのはいつも“エサ”なんだよ」

医師「夕べ、ムチャしませんでした?」

※※「奪ったんじゃない。俺はあいつの“冴えない人生”を最高のものに変えてやったのさ」
  「ふざけないでだと? あの夜はベッドでさんざんふざけ合っただろ?」

追記1:レベッカ・アッシャーってキャラ名は、ひょっとして『レベッカ(1940)』と『アッシャー家の崩壊』から来てるんやろか?
追記2:「家宅に無断で侵入」「無断で墓暴き」など、本作ってFBIさんのやりたい放題・・。。

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2008年3月10日 (月)

☆『デンジャラス・ビューティー2(2005)』☆

7日(金曜)。
地上波初放送されたクライムコメディ作品『デンジャラス・ビューティー2』を帰宅後に観た。

前作『デンジャラス・ビューティー(2001)』を観てねぇし、多分ついて行けんだろうな〜と思ってたら、冒頭で“前作のダイジェスト映像”を放送してくれたので、すっきりと作品世界がフォロー出来た(=^_^=)

爆弾魔による『ミス・アメリカ・コンテスト』脅迫事件に果敢に挑み、見事これを解決したFBI捜査官グレイシー・ハート(サンドラ・ブロック)であるが、恋の芽生えていた(?)同僚エリックにはふられ、かつ捜査官としての存在がメディアにより大っぴらに暴かれてしまったため、これまでのような“秘密裏の捜査”が殆ど出来なくなる。
そんな訳で“FBIの広報担当”として働き始めた矢先、親友でもあるミス・アメリカが誘拐され(どうやらグレイシー自身はその時“準ミス”どまりだったらしい)、グレイシーは彼女を救出するため、再び“現場”に戻る決意をするのだった・・みたいな展開。

良くも悪くもサンドラ・ブロックの魅力が全編に渡って炸裂してる快作(怪作とも・・)
ワタシ自身、『デモリション・マン(1993)』でヒロインとして“掌をクルクル回して挨拶する姿”にちょっと胸キュンとなり(=^_^=)、その後のファンタジック・ラブコメ作『あなたが寝てる間に(1995)』の頃がファンとしてのピーク期だったりもした・・いや、今でも好感を(失うことなく)維持しておりますが・・

が、彼女ならではのステレオタイプなキャラ“恋に破れて強くなるオンナ”と言う部分(『ザ・インターネット(1995)』『あなたが寝てる間に』『スピード2(1997)』も大体は良く似たパターン・・)が今回も繰り返されており、それを打ち破る新境地・・って演出もなかったので、そんなに期待を超える面白さは味わえなかったかな、と。

とりわけ、要(かなめ)であるべきタッグキャラ=サム・フラー捜査官役のレジーナ・キングがどうにも魅力不足で参った・・(×_×)
『ザ・エージェント(1996)』『エネミー・オヴ・アメリカ(1998)』『Ray/レイ(2004)』にも出演してられるそうで、(本来は)今作と毛色の違う女優さんだとは思うんだけど・・

誘拐犯の存在が妙に軽薄だったり、コメディ作品にありがちな「オネェキャラ」「ショーパブ」路線にやっぱり逃げちゃったり(?)、終盤で主人公がとあるアクシデントで死にそうになる演出だけが妙に生々しくて強烈だったり・・と作品自体のバランスもそんなに良くなかった。
まぁ片肘張らずにそこそこに楽しめたから、カネを返せ! とまでは言わないが・・(いや、カネ払ってへんやんか!)

そう言うと、詳しくはないが(=^_^=)FBIの本部がラスベガスにあることを知った本作。DC(ワシントン)にあるんじゃないかと思ってたんだけど・・2本部体制なのかな?

追記1:サンドラ・ブロック主演でヒーローキャラ(若手有名男優)が不在だと「こうなるんやなぁ」と実感されられもした本作。脚本も薄いためか、結局「サンドラの更なる持ち味」を引き出すに至ってない感もあった。。何か歯がゆいんだよなぁ・・
追記2:日本語版スタッフの遊び心と言うか、セリフの端々で「日本国内限定のお遊びセリフ」がちりばめられてて、そこは楽しめた。ダジャレとか流行りネタみたいなもんだが、奏功すればあれって作品自体の魅力を高め得るテクニックだと思う。
尤も監督には「訴えるぞ!」とすら言われかねない“冒涜”にしか受け取って貰えないのかも知れんけど。。

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2008年3月 7日 (金)

☆“鹿男あをによし”の第7話&第8話を観た☆

6日(木曜)。
先週の放送すら、まだ観れないままとなってた連続ドラマ“鹿男あをによし”を2話立て続けに鑑賞。

前回、第6話を観終わった時点で「これはやばいな〜」「リタイアするかもな〜」とうすうす感じ始めてたんだが、この2話がとにかく! やたらと面白くてびっくりした。溜まりに溜まってた白濁した濃い〜液体がイッキにほとばしり出た、そんな感じである(どう言う例えだよ)

基本路線は「今風なビデオ撮り系軽薄映像」なので、保存しとこう、とまでの食指は動かなかったものの・・これが長編映画(フィルム撮り)だったら、即座にDVDソフトの購入を前向きに検討するトコロやな〜とまで考えてしまった。

ってことで、第6話とともにリタイアしてしまった皆さん・・残念でした!

第7話・・先週録画しておいたもの。妙に奈良女学館高校において“存在感の突出”してる生徒・堀田イト(多部未華子)が殆ど主役。彼女の失踪騒ぎを皮切りに、物語が大きく進展をみせる。
劇中でイト自身のセリフにより、彼女がこれまで主人公・小川(玉木宏)に見せて来た数々の言動の謎が解かれる。
これまで実にノロノロと進み、良く分からないまま蓄積されて来た“数々のフリ”がかなり片付く展開&演出は素晴らしい。

このスッキリ感って何やろ? と考えたら『ユージュアル・サスペクツ(1995)』が思い浮かんだ。あの映画も中盤を過ぎるまでは「訳が分かんなくて、つまんなくて、観ててホンマに苦痛」だったからなぁ・・(⌒〜⌒ι)

演出面での大きなバックアップ(手助け)を得て輝いてたイトに対し、福原“重さん”(佐々木蔵之介)、藤原(綾瀬はるか)、そして小治田教頭“リチャード”(児玉清)の各キャラの存在もまた、やたらとパワフルで良かった☆

劇中ではある意味、ポイントが「その人物が果たして“人間”なのか“神獣の使い”なのか」って感じにもなって来るんだが、

教頭が「小川先生、あなたの生徒は堀田だけではないんですよ」
   「うちにはそんな(破廉恥な)教師は1人もおりません。ここは彼に任せてやって貰えませんか?」などと言えば「おおっ!」と感心してしまい、そこに

重さんが「立派な実績があって、皆に尊敬されてて、いつもニコニコしてる・・からっていい人とは限らない」
    「誰かに頼ることは、別にカッコ悪いことじゃない。自分の弱い部分を認めるのも1つの強さだってことだ」などとぴしゃりと放ってくれると「そうや!その通りや!」と激しく同意してしまう。

重さんのシニカルで傍観的で・・それでいて真実を衝いてるようなそんなキャラが、作品の外縁に位置しつつも、実にイキイキと静かに輝いてくれてるのだ。こんな不思議で面白いキャラは久しぶりに観た気がする。

少し“鹿”によるヒントが主人公に提示され「“ねずみ”とは、被害妄想のヒステリーばばあ」「“ねずみ”は大阪にいる」とのことだが、結果的にその2点はミスリード(引っかけ)だったようである。それにしても、なんであの鹿ってばそんなウソばっかり教えるんやろ?

第8話・・前話を観終わるや否や、リアルタイムな放送時間に突入した(⌒〜⌒ι) 今回は専ら「“ねずみの使い番”が誰なのかを突き止めろ!」と言うお題(?)に従って、物語は流れた。また、ある意味(直接的な対峙ではないにせよ)“重さん”と“リチャード”の対決が更なるヒートアップを見せてくれた☆

※※と言う人間が「良く分からなくなって来た」藤原に向かって、
「本当にいい人だと思ってる? 何かが引っかかってるんじゃないの?」とヒントを放つ重さん。あんた、かっこ良すぎるよ!

別なシーンでは、とあるキャラに“直球な質問”をされ、まっすぐな視線で即座に「はい」と答え切った藤原・・を演じた綾瀬さんの表情が素晴らしかった!

所詮はドラマ(ファンタジー)、と言ってしまえばそれまでなんだが、実人生でも「Xと言う余りに巨大な人物に、正面切っては全く勝ち目のないちっぽけな男Aが、Bと言う人間をじわじわ動かし、そのBがCと言う人間を動かし・・と繋がっていけば、最後にはA、B、C・・が共闘する形でXに“とどめを刺す”ことだって出来るんやなぁ」と思ったものだ。

自身に、密かに他人を動かす力が備わっているのかも・・などと妄想を膨らませつつ・・
(ま、備わっていたら、毎日こんなにも打ちのめされはすまいと思うけど(=^_^=))

※大和の古代史に関し、驚異的な集中力&好奇心&記憶力を発揮する藤原。ついつい「奈良のそっち系の施設の音声ガイド(ナレーション)に綾瀬さんを起用してはどうか?!」と真剣に思うものである(=^_^=)

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2008年3月 5日 (水)

☆『アラバマ物語(1962)』☆

4日(火曜)。
残業を2.5時間ほどこなし帰宅。「冒頭に間に合えば観よう」と考えてた映画『アラバマ物語』が衛星第2で放送されており、何とか開始寸前に間に合ったので観ることとした☆

以前のテレビ放送(それも多分衛星第2だったと記憶している・・)で終盤の辺りのみ観て・・「わ! ロバート・デュヴァルが出演してるじゃん! ってかめちゃめちゃ若いし!」と想定外のキャスティングにとにかく驚かされたモノだった本作・・ついに通しでの鑑賞を成し遂げますた☆(大げさな)

1932年のアラバマ州の小さな町メイコム。温厚で誇り高き弁護士アティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)は妻を亡くした後、やんちゃ盛りの2人の子供を男手1つで育てている(家事全般は家政婦がやってるけど・・)。
もの静かで、決して子供たちの前で羽目を外さない父親像を確立していたフィンチだが、一方で「射撃の名人」「ご近所のがんこ婆さんをあしらう達人」と言う意外な一面も見せてくれたり。

そんな中、親友である判事の頼みで、フィンチはとある暴行事件の弁護を引き受けることとなる。
静かに正義の炎を燃やす彼であったが、今回の事件ばかりは少し勝手が違っていた・・
そう、法廷で裁かれる被告は黒人男性、そして被害者は白人女性なのだった。
法廷内は裁判長、検察官、証人、陪審員・・そして傍聴席に至るまでを白人が占め、黒人の傍聴者は2階へ押し込められると言う・・まるで『ロッキー4/炎の友情(1985)』の後半、ロシア(当時はUSSR・・)に赴きイワン・ドラゴ大尉(ドルフ・ラングレン)と戦った際の主人公バルボア(シルベ・スタロ〜ン)のような状況なのであった(・ω・)

被告の利き腕と被害者が殴打された側の顔面の相違点、医学的証拠が何ら提出されていない点、被害者証言の間隙、などを衝いて精一杯の弁論を繰り広げるフィンチであったが・・の流れ。

ナニやら、ウィキペディアによれば「2003年のAFI(アメリカ映画協会)発表による「最も偉大な映画ヒーロー」で、堂々の1位に輝いたと言う本作のフィンチ先生。
よほどの「理解者」が好意的な票を投じたとも思う訳で・・作品の切り口や展開の素晴らしさはあるものの、どうにも華やかさや盛り上げに欠けてる印象も少なからずあった。
まぁ、1960年代のモノクロ作品でこう言うテーマをグリゴリー・ペック主演でぶちかましたことこそが評価されるべきなのかも知れないが。

陪審員は最後、全員一致で(←でないと評決は成立しないが)「有罪」と結論を導き出すのだが、フィンチが被告トム・ロビンソンに「第一審はこうなると最初から予想していた」と言い放ったり、その後に「控訴すれば絶対に勝てていたのに」と悔しがる姿などがワタシには「ちょっと言い逃れっぽいな」「裁判そのものをやや戦略ゲーム的にとらえてそうだな」とも感じられた。
まぁ、そういう「敗軍の将となり果てた途端、饒舌になってしまう姿」もまた、悲しいけれど「悲しいけど、これ人間なのよね(スレッガー・ロゥ語録!?)」と言う主人公の“等身大な人間っぷり”を観客に包み隠さずさらけ出す、大きな演出上の狙いだったのかも知れないが・・

さて、最後の最後で登場するアーサー・ラドリーなる青年を演じたのが、若き日のロバート・デュヴァル。何と本作が31歳にしての映画デビュー作らしい!(同年にマイナーな作品で初出演してた可能性はあるかも、だが)
残念なことにセリフがひと言もなかったんだが、当時の“大物俳優”ペックとがっちり握手するシーンなんかもあって感慨深かった。

また、別に原作者が意識してのことではないんだろうが、終盤の辺りで保安官が「真実を貫くことこそが、我々にとって大きな罪となるのだ」みたいなセリフをボソッと放つトコがあり、『ロミオ+ジュリエット(1996)』で(それまで殆どな〜んもしてくれんかった(=^_^=))ヴェローナ市警のプリンス署長が「我々すべてが罪を背負わされたのだ!」みたいな“ごっつくて美味しいセリフ”を放つシーンにちょっとノリが似てるかもな〜と思った。

ラストの10分ほどで、サスペンスなテイストにちらっと突入するが、何となく「取って付けた感」もなきにしもあらずだった・・まぁ、あのオチがないと、ホンマに観てて救われないんだけど。。

この作品では「家族愛」「隣人愛」などにも力を注ぎつつ「人種系裁判」が取り上げられていたが、何故か鑑賞してて連想したのは『グリーンマイル(1999)』だったりもした。
きっとスティーヴン・キングっぽいセンスで「ノスタルジック性」「サスペンス性」をムリヤリに高めた演出にして「リ・イマジネーション」したら・・本作ってメチャクチャに面白く仕上がるんじゃないだろうか(・ω・)

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2008年3月 2日 (日)

☆舞台“二人の約束 〜The Two Men's Promise〜”を観た☆

1日(土曜)。
本来、寝だめするためにあるような(・ω・)土曜日だったが、以前からチケットを購入していた舞台『二人の約束 〜The Two Men's Promise〜』が大阪・京橋の“シアターBRAVA!”であるので(随分と先の公演・・と思ってたが早いモノである)、もぞもぞと起きて出かけたのだった。

中井貴一氏演じる不惑(40歳)の古美術店主を主人公に、“とある事情”で記憶を失った謎の男(段田安則)、中井に店舗を貸している大家の娘であり、その幼馴染みでもあるバツイチな女性(りょう)の周囲に巻き起こる、失意と再生のドラマ・・って感じだろうか。

中井氏演じるキャラの「吸引力」がまず本作のキモと言え、そこにあんまし期待してなかったワタシなのだが・・ヴィジュアルこそ「いつ、どこで、どんな役を演じてもご本人でしかない」同氏ながら、台詞回し&ハイテンション演技が予想以上に良くて、イイ意味で大きく裏切られた感じ☆
きっとご本人にとっては転機だったであろう邦画『亡国のイージス(2005)』で某国の工作員役を演じた中井氏に対してはそんなにココロを動かされなかったワタシだったが、この舞台に関しては良かったっス!

段田氏を舞台で拝見したのは初めてだったが、前半〜中盤にかけては「記憶を失ってる役」ってことで、なかなか“本来の持ち味”を出せない部分もあり(ってどんな味なんだろ・・?)、耐えに耐えさせられる役回りだったに違いないかな、と。
まぁ後半ともなれば、無事に記憶もアレとなり、重要な役どころであることを長いセリフ群で語りほぐしていく、そんな難しいキャラを危う気なく演じておられたようで。

りょうさんは、通常の(常人っぽい)会話をしてる印象がワタシの中で殆どなく、きっとご本人の“素(す)”の雰囲気や言動を伸び伸びと演じておられたように感じた。
どうにも、映画『クワイエットルームにようこそ』における、※※※※※を頸部に刺されて倒れ、カクカクと苦悶の動きをしている印象・・が強烈過ぎ、いまだ夢に出て来ることもあるんだが(ホンマかい!)

※どうやら本公演がりょうさんの初舞台らしい。

作・演出を手がけたのは福島三郎なる人物だが、「30年前に幼き主人公が“婚約者”と一緒に埋めた、小さなタイムカプセル」と言うノスタルジックかつファンタジックなシチュエーションを軸に持って来るトコロなど、作家・浅田次郎氏をも彷彿とさせる筆力を実感させられた感。

そんなに舞台劇を観る機会も少ないワタシだが、今回の公演についてはとにかく「効果音の挿入が絶妙でエエなぁ」と思った。

・窓の外で暴れる寒風の音が、ガラス障子を開け(主人公が)庭に出た瞬間に一層大きく響く
・戸外で展開される道路工事の騒音が、主人公たちのセリフを妨害する
・誰かが(と言っても出演は3人だけだが・・)舞台に姿を現す前には、必ず入口から入って来たサインである「センサーによる来店チャイム」が鳴り響く

みたいなトコロだ。

また、途中休憩が一切挿入されない本公演。暗転と俳優&小道具の配置転換の際には、頭上から巨大なスクリーンが下降して来て、物語を補足するムービー(と言うかスライドショー)が映し出される、と言うアイデアが秀逸だった☆

軽妙なセリフ回しの中井氏(ボケ)に(シリアスな)段田氏がかぶせて行く(ツッコミ)スタイルは、双方が達人だけあって、これまた絶妙な親密感を確立していた。
中井氏が好んで(=^_^=)放ってくれた「※※※的なサムスィング」なる表現も、思わず明日以降の日常生活で無断拝借したくなったものだ。
ま、日本語で「※※※的な何か」と言った方が語数も少なくてラクなんだけど(=^_^=)

脚本家・和田夏十さん(故人)の放ったセリフで「誰にでも優しいって事は、誰にも優しくないって事よ」と言う名言があるが、本作でもそれを意識したか(?)
「誰に対しても親切なお兄ちゃん(中井氏)は、本当は、誰に対しても親切じゃないのよ」みたいな言い回しが(りょうさんにより)なされ「う〜ん、深いかも・・」と考えさせられた。

主人公も「これ迄の人生で、他人に対して親切であろうと努力して来たが・・考えたら“努力する”って言う時点で、もうそれは不自然なことなんだよな」なんてことをかぶせてられた。

運悪くメモの持ち合わせがなかったので、セリフ群がどんどん記憶から抜けてしまったんだが、、また別な機会に楽しむことが出来たら、もっともっと深く言い回しを味わってみたいと思う。

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2008年3月 1日 (土)

☆『パニッシャー(2004)』☆

29日(金曜)に“地上波初登場”として放送されたものを鑑賞。
しんどかったのもあるが、残業をやや早めに切り上げ、多少の期待感をもって(=^_^=)観ることとした次第だが・・予想以上のへっぽこぶりで余計に疲れちゃった〜い(×_×)

FBI捜査官のフランク・キャッスルは“オットー・クリーグ”を名乗っての大掛かりな潜入捜査の仕上げとし、武器密売の現場を押さえることに成功。だが、銃撃戦によるその(事件)解決の中で、闇組織の大物=ハワード・セイント(ジョン・トラボルタ)の次男ボビーが警官に撃たれ死んでしまう。フランクは任務の完了と共に妻子を連れて国外へ飛び、しばらく身を隠すこととなるが・・そんな彼の一家を怒りに燃えるハワードとその美しき妻リヴィア(ローラ・ハリング←『マルホランド・ドライヴ(2001)』のミステリアスなお姉たま!)の報復の魔の手が襲う・・

ハワードに直々の指令を受けた側近クエンティン・グラス(ウィル“セールスマンのおじさん(=^_^=)”パットン)、ボビーの兄(長男)ジョンらの率いる集団の襲撃により、妻子や両親は無惨に殺され、フランク自身も重傷を負う・・が、奇跡的に一命を取り留める。

やがてキズは癒え、愛する者すべてを奪われたフランクは自身の存在の全てを棄て“パニッシャー(制裁者)”としてハワード一味を壊滅させるべく行動を開始する・・っちぅ流れ。

う〜ん・・何だか俳優陣だけは豪華どころ(個性派どころ?)を揃えたんだけど、全然使いこなせてなかったね、みたいな感じ。
第一に「爽快な復讐劇」を期待してる観客の予想をとことんキレイに裏切り「セコく」「甘く」「間接的」にチマチマと復讐を遂げて行く主人公のやり口にフラストレーションがたまるたまる!

何とも妙な甘さが(行動の底部に)残されとるもんで、彼を“返り討ちにすべく”襲って来る殺し屋連中の方がよっぽど直接的で手際が良くプロっぽかった(こいつらも全体的に詰めが甘かったんだけど・・)

呪術を操るプエルトリコ在住のおっさん(カンデラリアとか言う名)、防弾装甲を誇るつや消し塗装っぽい改造車、親父の形見である“コルト1911改”、など色々と面白そうなサブ設定が用意されてる、、と思いきや、そのどれもが余り意味を持ってなかったし(・ω・)

最大限に生ぬるかったのは“パニッシャー”と化したフランクが潜伏するアパート(?)の隣人として出演するヒロイン=ジョアン(レベッカ・ローミン・ステイモス!)の存在。もっと主人公に絡むかと思いきやそうでもないし、ちっとも肉体関係を結ばないし(←「完全版」とかが存在するんやろか?)・・ホントに登場の意味がなかった。。彼女と半同居(?)してるバンポ、デイヴの2大キャラも「薄い」んだか何なのか存在意義にやや乏しく、エキセントリックさだけが突っ走ってたな〜と。

そして! 何と言っても悲しかったのはウィル・パットン、ローラ・ハリング、そして我らがトラさん(トラボルタ)のあの退場の仕方・・あれでは余りに彼らに対して失礼なんじゃなかろうか。この脚本家は『ソードフィッシュ(2001)』や『ブロークン・アロー(1995)』『フェイス/オフ(1997)』とかを全然観てなかったんやろか? 「な〜んにも分かってないやんか!」と観ててひたすらムカついてしまったぞう。

それから、何度も劇中で重傷を負う主人公が、そのたび驚異的な回復力を発揮するのが、かなり不自然に思えたな。あいつ、実はシャマラン的に言うトコの『アンブレイカブル(2000)』だったんじゃあるまいか? ・・あ、それにしては水に強かったけどさ・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありますた 〜

クエンティン「無用な殺しで“カルマ”を背負いたくはない。
       ・・尤も俺は“カルマ”なんぞ信じちゃいないがな」

ハワード「“無知”は言い訳にならない」
    「君が着けなきゃ、宝石など“ただの石ころ”だ」
    「この手の商売に“保険”などが存在すると?」

フランク「(この制裁は)神には関係のないことだ」
    「平和を望むなら、戦う準備をしておけ」
    「究極の状況に於いては、法など無力」

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☆『シークレット・ウィンドウ(2004)』☆

24日(日曜)。「日曜洋画劇場」にて“地上波初登場”の触れ込みで放送された『シークレット・ウィンドウ』を観た。
劇場公開当時から「スティーヴン・キング原作」「ジョニー・デップ主演」ってことで、かなり気になってたサスペンス作品ではあったが・・実際に観てみたら「微妙〜」な1作であった。
・・って言うか同じキング原作の『シャイニング(1980)』を先に観て、知っているかどうかで随分と評価が変わって来る映画なんじゃないか、と思う。

都会の喧噪から離れた“タシュモア湖(←どうやら架空の地名らしい)”の畔(ほとり)にコテージを構え、執筆活動と称しつつひたすらに自堕落な日々を過ごす作家モート・レイニー(デップ)。どうやら彼には「妻の浮気による別居から半年、スランプが続いている」「盗作をし、その事実を闇に葬った過去がある」などの事情を抱えているらしい。

そんなある日、ジョン・シューターと名乗る南部(ミシシッピ州)出身の不気味な男(ジョン・タトゥーロ:大塚芳忠氏の吹替えがぴったり!)がレニーを訪問し「俺が1997年に書いた小説『種を蒔(ま)く季節』を盗作したろ?」と言いがかりをつける。シューターと言う男の存在も、その作品にも覚えのないレニーは最初取り合わなかったが・・気になって自身が執筆した小説『秘密の窓』(短編集『誰もが密告者』所収)をめくってみると・・果たしてそれは主人公の名前と物語の結末以外は全く同じ作品なのであった!
自らの潔白を晴らすため、レニーはニューヨークの出版元に保管されていると言う1995年の掲載雑誌を“証拠品”として取り寄せるべく、友人である探偵ケンに連絡を取るのだが・・と言う流れ。

主人公にデップを据え、そこにタトゥーロを絡ませる・・ってことで前半の演技合戦から一転、きっと後半はかなりなアクション系orスプラッタ系に変わるんやろかな〜(←そう言う変貌を遂げるサスペンスって意外と多いんで)と思いきや、決してそうではなく。。
結局ワタシは「やっぱりそう落とすんかい!」と呆れつつもツッコんでしまうのだった。

まだしもおどろおどろしさが充満していた『シャイニング』の世界観に比べ、本作に関しては「閉鎖感がない」「やってることが単なる焼き直し」「コテージ全体に“秘密”がなさすぎる」・・とどうにも納得出来なかった。
加えて中途半端にレニーの周辺でキャラの出入りし過ぎるのもイマイチやったなぁ、と。

取り敢えずは「(コテージの)隠された部屋」とか「ミスリード(引っかけ)役キャラの言動」とかをもっとやって欲しかった。
オチっぽいトコではあるが「シューター」なる名に秘められた(?)意味合いも・・実際には余り(手段的に)関係してなかったようだし(・ω・)

色々考えると、どうにもあの家政婦(ガーヴィーさん)も「本当のトコどうだったのか?」「その後どうなったのか?」などと色々と違うトコにまで気が回ってしまう。・・にしてもエイミーさん、もうちょっと“あの人物”について、寄り添っている間に気付くトコもあって然るべきだったと思うんだが。。

〜 こんなセリフもありました 〜

シューター「イカレたヤツは、生きてちゃいけないんだよ」 ←ちょっと配慮に欠ける発言かも、と。。

※※※「何故、帽子をかぶった? ・・望みを遂げるためだ・・」

レニー「そして僕は、カウチに戻る」
   「小説は、結末で決まるから」

追記:本作に併せ『アイデンティティー(2003)』『エンゼル・ハート(1987)』『ファイト・クラブ(1999)』『メメント(2000)』・・なんかも観ると・・流石にだんだんイヤになって来ると思う(=^_^=)

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