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2008年2月29日 (金)

☆『チャップリン映画祭』終了に何とか間に合った!☆

28日(木曜)。残業しようかどうかギリギリまで迷いつつ・・「もう、今夜にも行っとかないと・・行けんぞコレは!」と自分の中で答えをひねり出し、またもやたんまり到着した書類の束に「悪いけど、お前らは明日回しじゃ!」と心中で毒づきつつ会社を後にした。

以前から「行かなあかんのや!」と気には掛けつつ・・殺人的な連日の残業のため、機を逸していた『チャップリン映画祭』である。

昨年暮れの12月22日に『キッド(1921)』『モダン・タイムス(1936)』の2本立上映で始まったこの企画も、いよいよラストを飾る『のらくら(1921)』『ライムライト(1952)』の2本立プログラムの終了する明日(29日)をもって幕となる。

場所が、以前に『グラディエーター(2000)←コレはチャップリン映画ではありません(・ω・)』を(確か)観に行った“千日前国際劇場”だったが、何とまぁ・・巷にはびこる“おしゃれシネコン”の対極に位置するかのような、徹底的なくたびれぶりが何とも当惑モノだった(・ω・) いやま、たまにゃこう言う昭和時代のかほり漂う劇場も悪かぁないんですけどネ。。

にしても、平日の映画鑑賞なんていつ以来だろう・・? と思って調べたら昨年11月初旬に八尾市内で鑑賞した『パンズ・ラビリンス』以来だった(×_×)
その後11月下旬ぐらいから残業が慢性化し、地獄のような日々が始まったんやな〜(×_×)

さて。私的に今回の映画祭(いちおう「〜世界中に愛されて〜没後30年特別企画」と冠された本イベントではある)で注目してたのは1月19日から上映された『街の灯(1931)』『サーカス(1928)』の2本だった(←結局観れず)。
『モダン・タイムス』も『独裁者(1940)』なども確かに面白いんだが「ちょっと考えさせられる」要素も多く、自身で一番好きなチャップリン作品(長編)は案外『サーカス』ではないかな〜と。サーカス一座が華やかな公演を行い、そして最後に町を離れ去って行く・・と言う何とも言えない“寂寥感”が絶妙なのだ。あ、考えたらそう言うのも「考えさせられる」要素ではあるんかも。。

(因みに短編では『サニーサイド(1919)』が好きかなぁ・・ウィキペディア情報では「スランプ期の作品」だそうだが(・ω・))

一方で、良く内容の分かってないチャップリン短編の1ツがこの『のらくら』であり、そのタイトルからして「のらりくらり」の意味なのか? 何なのか? どんな物語だったっけ? と、とんと思い出せないのだった。


『のらくら』・・原題“The Idle Class”。上流階級、とでも訳したら無難だろうか? チャップリンが(劇中で俳優として)1人2役を演じたり、ゴルフ&乗馬&仮装プレイ(甲冑姿)を披露したり、となかなかに個性的かつ魅力的だった短編(約20分)。観てて思い出したのは「コレって『ゴルフ狂時代』とちゃうんか?」ってこと。
帰宅後ネットで調べたら、やはり『のらくら』の別邦題が『ゴルフ狂〜』なのだった。
また、案外珍しい感を受けたのが、劇中でエドナ・パーヴィアンス演じる妻が旦那に宛てた手紙の中に「マイアミ」「1921年11月2日」なる具体的な地名&月日の記されてたことか。

紳士役を演じたチャップリンがそんな妻に愛想を尽かされ、飲酒癖を手紙でたしなめられ・・画面に背中を向け、肩を震わせ嗚咽しているか(←サイレント作品なのでむろん声は聞こえない)・・と思いきや、こちらをクルッと向いたらカクテルの入ったシェーカーを振っている、、と言うギャグは良い! きっとその後の約85年間に、数千回はパクられたギャグじゃなかろうか、と(=^_^=) 何故かゴルフ場(の炎天下)で豪快に爆睡してるヤツ(彼の口の中には何とゴルフボールが6ツ程入ってて、浮浪者(もチャップリンが演じる)がその腹を踏むたびボールを吹き出すのが面白い)、ボールを巡って取っ組み合いの大ゲンカを繰り広げるヤツ、、色々と上流階級にもいるのである。。

終盤で2人のチャーリー(2役)がばったり遭遇するが、そこも面白い持って行き方だった。確かに仮装パーティーと言うシチュエーションなら、浮浪者の格好した男が紛れ込んでも、さほど不自然さはないだろうから(・ω・)

ラストで“人違い”等を詫びる大富豪に対し、握手後にその尻を蹴飛ばし一目散に逃げ去って行く浮浪者の“一撃”には、溜飲を下げた観客が(公開当時)さぞ多かったことだろう。ま、監督としてのチャップリンは・・次第にそんな富豪たちへの仲間入りを果たして行く訳だけど・・

『ライムライト』・・原題“Limelight”。「柔らかな明かり」と思ってたら「舞台照明」や「名声」みたいな意味があるらしい(良くある喫茶店名“来夢来人”とは余り関係なさそう(=^_^=))。
1914年のロンドンを舞台に、かつて名声を博した“道化役者”カルヴェロ(チャップリン)と、精神的な落ち込みにより“踊れない”と思い込んでいるバレエダンサー=テレーズ(テリー)の“愛と再生の日々”を描いた長編(何と約140分!)。

正直、全盛期のチャップリン映画と比較すると「重い」「笑えない」「長い」と言うのがあるが、、これがドラマ的にはなかなかの完成度なのだ。中でもワタシの好きなシチュエーション「励ます者が、実は励まされていた!」がぶっとい軸となって盛り込まれており、そこだけでも観る価値は充分にあるかと。シチュエーション的にはリメイクにも十分耐え得る完成度&普遍性を確立してますし!

老いたる喜劇役者が枯れそうで枯れず、最後まで名声にこだわり、愛する人を眺めながら死んで行く展開は、同性としても何処か心にズプッと刺さって来るモノが、確かにある。また、テリーの前にネヴィルと言う若くてハンサムで才能に溢れた作曲家が現れるのだが・・カルヴェロは最後までネヴィルに対し「男から男への“愛する者を託す”宣言」をすることはなく、その頑固さが印象に残った。まるで、終盤で結局“(トム・クルーズ演じた)若いの”を蹴散らし、しっかり返り咲いちゃう『ハスラー2(1986)』におけるポール・ニューマン翁のようであった(・ω・)

チャップリンならではの強烈な人生訓も全編に渡りちりばめられてて、もはやメモ作業が追いつかないぐらいだった(×_×)

終盤で“親友”役としバスター・キートンが登場するのだが、役名もセリフも殆どなくて「ああ、やっぱりキートンは年を重ねてもキートンなんやなぁ〜」と微笑ましく思えてしまった。

〜 こんなメッセージやセリフがありました 〜

冒頭の惹句「華やかなライムライトの影で、老いは去り、若さへと変わる・・これはバレリーナと道化の物語」

カルヴェロ「人生とは生きること、あとは考えなくていい」
     「太陽に意識などない、ただの星に過ぎない。だが人には(意識が)ある」
     「薔薇はどうしたって薔薇さ」
     「人生を、怯えるな」
     「生きて、苦しんで・・そして楽しめ」
     「生もまた避けられない・・死と同じように」
     「我々は自らを“頼りない存在”と思い過ぎる」
     「(君を知って)目ざめたのは、私の方だ」
     「大人になっても、何も失ったりはしない・・少し変わるだけさ」

※まだまだメモしたんだが、文字が乱れ過ぎて(自分で書いたのに)判読不能・・(×_×)

テリー「もう(深夜の)1時よ、(演奏の)練習には遅くない?」
カルヴェロ「夜想曲なら構わんだろう」

追記1:久しぶりの舞台でスベり、絶望に打ちひしがれるカルヴェロ。そんな彼を今度はテリーが激励する・・そんなシーンでボロボロ泣いてしまいました。
追記2:ワタシだけかも知れないが、O・ヘンリーの代表的な短編『最後の一葉』に何となく通じるエッセンスがあったのかも、と感じた。因みにあちらは1907年に出版された作品だそうだ。

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2008年2月28日 (木)

☆“鹿男あをによし”の第6話を観た☆

26日(火曜)の鑑賞。

残業が(最近はやや惰性っぽく変わって来たが・・)まだ続いており、録画した番組をまとめて楽しむ時間なんぞなかなか取れない。新聞も溜まりに溜まってるし「こりゃ、4月になるまではな〜んも出来ないのかも知れんなぁ・・」と情けなくなったりも。

そんな中「泣いても笑っても週イチの放送が巡って来る」・・って訳で、録画しておいた“鹿男あをによし”を観た。
ワタシの周囲にもちらほら“脱落”しそうな方がおられたりもし・・まぁ、ハッキリ言うと「訳が分かんなくなって来てる状態」と言えようか。

「物語が間延びしてる」「個性的なキャラクター群を全く使いこなせていない」「“ネズミの運び屋”に奪われたモノを“神無月が終わるまで”に“キツネの使い番”の協力を得て見つけ“ナマズを鎮めなければ”この国が危ない・・などと言うストーリー展開からして、全くつかみ所がない」などなど、、流石のワタシも正直、色々と言いたい気がする。

原作そのものが(例え)まったく訳が分からなかったとしても、そこを噛み砕いて“リ・イマジネーション”すべき責任や技量は“プロの脚本家”であれば当然備わっていなければならぬ筈。
このままでは、この国が・・と言うより先に、奈※県の観光協会が激震にさらされるのではあるまいか・・(⌒〜⌒ι)

唯一の救いは主人公・小川(玉木宏)の同僚・藤原を演じる綾瀬はるか嬢の存在感と魅力。
もはや、中盤から主人公を(玉木氏から)彼女にすっぱり切り替えた方が、物語もリズミカルに変わるんでは? とさえ思えて来る。。

また、今回は主人公が“マドンナ”に手ひどい仕打ちを受ける、と言う「転」の演出が盛り込まれていたが、私的に「恋愛が終わる瞬間」にああ言う、何とも形容の出来ない緊迫感が走るし、実際に走ったこともあったなぁ〜オレの人生・・と懐かしくもあり、つい嘆息してしまったのだった。

いやでも、主人公が本当に注意すべきは“マドンナ”の態度なんかじゃなく、すぐそばにいる藤原さんの態度であるに違いない。

「あなたは“鹿男”なんかじゃない・・あなたは“バカ男”です・・!」と(藤原に)言い放たれてしまった主人公だが、これは(ワタシのこんな気持ちに気付かないあなたは・・)と言うメッセージが実のトコロ、こめられているように思えてならなかった、今回のエピソードであった(・ω・)

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2008年2月26日 (火)

☆“ヤッターマン第6&7話”を観たこと☆

溜まって来てたのをまとめて観た(・ω・) 結構、毎週の“ビタミン剤”となってるんかも(=^_^=)

第6話「花の都のファッションだコロン!」・・放送は18日(月曜)。パリを舞台に、女流デザイナー=ココホーレ・シャベル率いる高級ブランド「シャベル」の指環を巡って、ヤッターマンとドロンボ〜一味が仲良くケンカしなさる(・ω・)展開。

今回は、ドロンボ〜一味の放つセリフがとにかく小気味良くてたまんなかった!

トンズラー「マークさえ付いてれば何でも売れるんやから、こ〜んな楽な商売、な〜いでマンネン」
ドロンジョ「簡単にだまされる方が悪いんだよぉ〜」

・・ある部分、確かにあなた方のおっしゃる通りである(=^_^=)

ドロンボ〜メカは(今回も)痛快にパリへ(ジェット噴射でもって)飛んでくんだが、それを追う我らがヤッターマンってば、犬ロボット(←名前で呼んだれよ)にしがみつき、東京湾からの海上ルートではるばるパリへと向かってた模様。そんなんでも、ほぼ同時に現地到着してるのが面白い(⌒〜⌒ι)

ココ・シ※ネルご本人がどう言う主義だったのかは分からないが、シャベル女史曰くは「ヒールの高さはきっかり7.5cm」「ヘビ皮よりもワニ皮」・・などと反射的に側近に返していた。

街中で呼び止めたのがドロンボ〜一味のタクシーだったため、やすやすと指環を奪われてしまったシャベル。その(タクシーの)後部ナンバーに「DRON」とだけ書かれてたのがフランス人の名前っぽい響きで妙にマッチしてたっけ☆

実は「一時的なスランプ(≒アイデアの枯渇)」に陥ってた(?)シャベルがヤッターマンに「教えて! かっこいいって何? クールって一体何なの?」と問うのも、何となく「深い」感があった、か。

ときに、今回も見所はトンズラー兄貴だった!
ドロンジョ&ボヤッキーによる“夫婦漫才”を脇から眺める、兄貴の“何とも言えぬ表情”が毎度のことながら“必見もの”かつ“噴飯もの”なのである(=^_^=)

また、終盤ではついに兄貴もキレたか(=^_^=)「せやせや、もっと言うたれや! 悪いのは(誤った情報でわてらを苦労させる)ドクロベエなんやで〜!」と本音を思わず吐露してくれた(よぅ言うた!)。
直後に隣のボヤッキーから「わ〜バカ、声がでかいってば!」と諌められてたが(=^_^=)

   ※   ※   ※   ※   ※   ※

第7話「セレブ姉妹もつらいよだコロン!」・・ようやく本日25日(月曜)の放送に追いつけた感(=^_^=) モナコ公国を舞台に、カノウ姉妹の“ティアラ”を巡る争奪戦が繰り広げられる流れ。

今回は“カノウ姉妹”がそのまんまのネーミング&ヴィジュアルで登場してた。かつ声をあててたのもご本人さんたち自身らしかった。
ワタシは特にOKだったが、今回は流石に反発したヤッターマンファンも少なくなかったハズ・・と(勝手に)想像するものだ。

前回に続き「女性心理」を巧みに絡めた(=^_^=)演出&ストーリー展開に、またもドロンボ〜たちのセリフが冴えまくっており(=^_^=)

ドロンジョ「今どきのセレブは、やせるためならお金なんか惜しまないのよ」
     「女ってもんはねぇ、やせたって言う数字に弱い生物なのさぁ」
トンズラー「んでも、皆はんこんなんでよぅだまされまんなぁ〜」

アイちゃん(2号)までもが「このひとたち、90パー怪し気・・でも10パー試してみたいかも・・」と弱気なセリフをつい漏らしてしまうのだった・・

それにしても、第3話、第5〜7話・・と“海外出張”が続く我らがヤッターマン。ドロンボ〜一味が渡航を試みる前に、その野望を(国内で)叩き潰す・・と言う作戦も今後は検討してはどうか、と思うんだが・・そんなのは余計なお世話なのだろうかな(・ω・)

追記:ガンちゃん(ヤッターマン1号)が“不仲そうな”カノウ姉妹の姉(恭子)に対し「兄弟喧嘩ってヤツですか?」と問うセリフにどうにも違和感を覚えた。。
正しくは「姉妹喧嘩」なんじゃないのか? いや、それとも定型とし「兄弟喧嘩」のまま使って、特に実生活上(←大げさな!)問題ないのか・・誰か、教えてくれでマンネン。

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2008年2月25日 (月)

☆“ヤッターマン第5話”を実は観てたこと☆

忙しさ故、フォロー出来てなかった・・しなくても良いかも知んないが(・ω・)
11日(月曜)の鑑賞。タイトルは「王子とチョコレート城だコロン!」

今回はチェコ共和国の首都プラハ(の郊外?)にあると言う“チョコレート宮殿”を舞台に激闘を展開するヤッターマン&ドロンボ〜一味。
宮殿を建造したのは『チャーリーとチョコレート工場(2005)』に登場するエキセントリックなチョコ成金(?)ウィリー・ウォンカ(ジョニー・デップが嬉々として演じてた)のヴィジュアルイメージを模したと思われる“チョコット王子”。ついでに、彼の背後にズラリと並ぶ手下らが、コレまたどことなく“ウンパ・ルンパ”の造形を真似てたようにも・・(・ω・) ←名前すら出て来なかったが。。

ラストでは、改心した(?)王子が臆面もなく(=^_^=)「今度はワタシが、世界中の子供たちのために、世界一のチョコレート工場を作るよ!」とか宣言してくれて・・う〜ん、したたかに貪欲に色んなトコからネタを引っ張って来るよなぁ・・と。

今回は、ストーリーそのものにではないが、幾つかの発見をした。

(1)決してヒーローそのものにはなれぬ“悲しきマスコット(ロボット)”の「オモッチャマ」だが、その人工知能レベル&動力源(永久機関?)&性能のすごさに改めて気付いた。充電シーンも劇中にないし、時にはヤッターマンども(←どもっ・・て)よかよっぽど賢明な言動を行ったりもするし!
(2)ヤッターワンから嘔吐(?!)された「今週のビックリドッキリメカ」に対し「何だコレ?!」と発言したガンちゃん(1号)・・これってつまりは、ヤッターマン自身にも「何が出て来るか分かってない」ってことなんやね〜!(予定調和と思いきや、サプライズが含まれてたとは・・)

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☆京都へ行って来たりした☆

23日(土曜)。
やはり残業続きだったこの1週間の影響でか、早起きの実現がなかなか叶わず、ひたすら惰眠を貪ってしまった。。折角の休日が勿体なくはあるも・・きっと寝るべき時に寝とかないと、後々おそろしい身体のトラブルに繋がりそうにも思う。

もし早起き出来たなら、上京区にある某寺へ「多宝塔撮影」に行きたかったのだが、結局そこまでの(時間的)余裕がなくなってしまい、もう1つの目的だった某展覧会を観に、とにかく京都市内へと繰り出した。

それは「京都府京都文化博物館」で催されていた『川端康成と東山魁夷〜響きあう美の世界〜』なる展示で、2人が生前(←そりゃそうか)交わしていた書簡を中心とし、彼らの交流を紹介しつつ、それらにまつわる(魁夷の)絵画、(川端の収集した)美術品などを集めたもの。

私的に、魁夷って言うと「そんなに面白くもなく、巧くもない画家」って先入観があり(すんません)、特に(水墨画(山水画)ではない)西洋画っぽいのがかなり苦手だったんだが・・今回は驚いた!

確かに巧いのかそうでないのか、はっきり判断しかねる作品もまた、少なくはなかったんだが、中でも「水面」「月光」「月影」を描いた作品群がいずれも素晴らしかったのである!

特に、画面の上端、そこに「月」そのものは全く描かれていないのに、柔らかな月光が“確かにそこに月があるであろうこと”を伝えている1枚などは心底「すごい!」と思わせてくれた。
(が、欲しいと感じた数枚について、いずれもポスカ(ポストカード)の販売されてなかったのが悔やまれた)

対する川端は(魁夷が挿絵を手がけた作品である)小説『古都』などを中心に、執筆前後の心中などが書簡からうかがい知れた。併せ、モノクロのポートレートも何枚か展示されていたが、死して尚(そりゃそうか)眼光鋭い1枚がこっちを静かに眺め貫いてるようでもあり、写真そのもののデカさともあいまって、実に怖かった。。
この展示会場の夜間警備などは出来たらご遠慮願いたいものだ・・(誰も頼まないっての)

絵画を撮影する訳にはもちろんいかないので、必死に展示物に近付いたり離れたりしながら、短気記憶(=^_^=)した“川端の名文”の幾つかを携帯電話のメモ機能で控えたのだった。

たぶん周囲から眺めたら、かなり挙動の怪しいおっさんだったような気もするが・・メモ帳の持ち合わせがなかったもので、お赦し願いたい(・ω・)

ってことで、幾つかを書いておきます。

「甕(かめ)を抱(いだ)くは太(はなは)だ愚かにして・・」

「京都は今描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」
(『京洛四季』序文より)

「もつとも高い芸術は人の魂の底にしみて、霊を目ざめさせるものでなければならないだろう。
 短い間の美感に訴へるに終わつてはならぬ。今日、大方の芸術の命数も短くなつた」

「打たれました」←感嘆の表現(・ω・)

追記1:井上靖が川端を「一代を画した文学者」と評していたのが印象的。魁夷も川端のことを「飽くなき美の探求者であり、美の猟人」と表現していた(←これは“当時の世間評”をそのまま引用したものだったようだが・・)。
追記2:魁夷の作品の中では『白夜』なるタイトルを“Polar Summer Night”と訳したり、『不知火』を“Sea Fire”と訳してるのも印象的だったか(・ω・)

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2008年2月20日 (水)

☆『犬神家の一族(2006)』☆

18日(月曜)の夜、地上波初登場で放送される。
数週間前までは、予想だにしていなかった「巨匠・市川崑監督追悼・緊急特別企画」と冠されたプログラムである。

「よぉ〜し、今日こそはパッパと仕事を済ませ帰宅し、じっくり正座して観よう!」と考えてたものの・・やっぱりと言おうか、残業が4時間近く長引き(←最悪や!)、帰宅した時点で第3の殺人がちょうど起こったトコだった(×_×) ・・ってこたぁ既に後半戦突入じゃん!
録画さえしとけば、こんな悔しい気持ちは味わわずに済んだ訳だが、裏ちゃんねる(衛星第2)で放送されてた、これまた市川監督作品『細雪(1983)』を録っていたので、今回はただ、嘆くしかなかったのである。
(まぁ『細雪』の方が“完成度”の高い気がしたし)

が、“日本映画史上最高のミステリー”“巨匠究極の遺作”などと(新聞のTV欄で)賛辞が踊りまくってる割には、何だか全編(と言っても半分しか観れなかったけどさ(・ω・))を覆う空気が、何とも“和気あいあい”としてるように感じられた。物語世界の端々にまで行き渡った空気が、総じて「ミステリーとして、この締まりのなさはどうよ?」とワタシに思わせたのである。

その理由は、1つに「金田一耕助(石坂浩二演じる)の“貫禄つき過ぎな還暦キャラ”の雰囲気」にあり、1つに「コントにしか見えぬ“犬神佐兵衛翁(仲代達矢)の面白すぎな肖像”」にあったようだ。

旧作『犬神家の一族(1976)』の場合、ギャグメーカーは加藤武演じる那須署(?)の署長が一手に引き受けてたような記憶があるが、今回は金田一自身が余りに“ふてぶてしい印象”に映り、そこに「ふざけてんのかい!」的な佐兵衛翁の写真が映ってしまうと・・もうコレがどうしようもなく失笑を誘うのであった。。

そうそう。監督ならではの“殺害の表現”とし、血潮に見立てた墨滴(?)が画面全体を上から下へと列を成し「ダラ〜ッと垂れる」みたいな衝撃的かつ印象的(絵画的?)な映像演出が幾度かあったが、背後から刺したり、背後から殴りつけたりする殺害状況ならまだしも、背後から頸部をぐいぐい絞め上げた時でも「ダラ〜ッと垂れる」みたいな映像が映し出されたのには「それは少し違うだろう・・?!」とツッコンでしまったものだった(・ω・)

あとは、以下のようなトコが気になったかな。

・地方豪族ならではの「ミステリアスさ、閉鎖性、排他性、凄み」みたいなものがやや表現し切れてなかったか。
・珠世さん(松嶋菜々子)と“2人のスケキヨ(佐清)”なる題材は、十分にガストン・ルルーでアンドリュー・ロイド・ウェバーな物語設定が展開出来そう! 誰か本作をベースにスピンアウト(派生)劇、それもミュージカル作品をクリエイトするしとは現れないものか?
・松子ねぇさん(富司純子)には「遺産、独占させてくんちぇ〜」とかリアカーを引きながら言って欲しかった(・ω・) ←『フラガール(2006)』ネタ
・「旧家に青二才扱いされる金田一青年」なる旧作の“持ち味”はすっかり消失してた・・って言うか、すっかりボス然とした風格が・・「だからお前らはダメなんだよ、この田舎豪族が!」「オレがさっさと解決してやるよ!」みたいな“傲岸さ”すらその表情に漂ってたような。。
・佐六(すけろく)、佐々(すけすけ)などのネーミングのキャラも出してやりたかった。
・考えたら「佐兵衛」は「すけべえ」とも読める訳で・・原作者=横溝センセイなりの遊び心があったのかも?
・佐清を演じた尾上菊之助、どことなく容貌が藤原竜也ぽくもないか・・?(ワタシだけそう見えるんか?)
・青沼くん、最後で※※に背を向けたのは「(遂に亡き母の)想いは遂げた! さぁ殺してくれや」と言う“悲しいサイン”だったのか?(もし違うのなら、殺人鬼に背を向けるなど、余りに愚かである!)
・あの蔵に池脇千鶴が入ったとしたら「この辺りを調べたら、ルミノール反応がてんこもり出る筈や」とか言い放ちそうだな・・(⌒〜⌒ι) ←『ジョゼと虎と魚たち(2003)』ネタ
・何だか「人物設定枠」に押し込められてた感じで、やや窮屈そうな印象を受けた松嶋さん。『眉山(2007)』におけるヒロイン役の方が、はるかに伸び伸び演技してたような気がするネ。
・一番「スレイヴ」なキャラとし、気の毒そうな言動を我々に見せつけてくれた※※青年なんだが・・終盤には、誰のアドバイスも受けず、自らの意志のみで“さかさモニュメント”を冷徹にこしらえてるトコロ、、ちょっと「こいつ、ホンマはめちゃくちゃ冷酷で残忍なのと違うか?」と考えさせられてしまう。

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2008年2月19日 (火)

☆名優、ロイ・シャイダー氏のこと☆

10日、米俳優ロイ・シャイダー氏の訃報を新聞で知った。享年75歳。謹んでご冥福をお祈りしたい。

さて。どうしても同氏に関しては『ジョーズ(1975)』『ジョーズ2(1978)』での演技が“真っ先に”取り上げられる傾向があるが、ワタシとしては「パニック映画でたとい主演を果たしたとしても、それでは一寸“印象が薄い”のではありますまいか?」などと歪んだ見方をしてしまうトコロもある訳で(・ω・)、
やっぱり『フレンチ・コネクション(1971)』における(ジーン・ハックマン演じる)主人公“ポパイ刑事”の相棒役と、『オール・ザット・ジャズ(1979)』で演じた(ボブ・フォッシーがそのモデルとされる)敏腕ミュージカルプロデューサー役、そして『ブルーサンダー(1983)』での戦闘ヘリパイロット役がワタシにとっては“3本柱”と言えそうだ。

例えるなら、チャールズ・ブロンソン氏のように“タフガイ”としての存在感こそ、我が日本においても鮮烈に確立出来た(ハズ・・)ものの「超大物ビッグスターなのかよ?」と問われると・・何とも口ごもってしまいそうな(ファンの方、済みません)ある種の「払拭出来ぬBっぽさ」がなきにしもあらずだったシャイダー氏。
(舞台での芸歴は把握できてませんもので、、)

案外、本人のご活躍以上に逸話として(日本で)語り継がれて行くのは「往年の特撮ヒーロー番組『宇宙刑事シャイダー(1984)』における、主人公名の由来となった人」だったりするんかも知れない・・

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2008年2月18日 (月)

☆『マスク2(2005)』☆

11日の鑑賞。「月曜ゴールデン・ホリデーロードショー」と銘打たれ、有り難くも「地上波初登場」の本作。
ジム・キャリー&キャメロン・ディアスと言う「今となっては実現しにくそうな2人」を主演に迎えた前作『マスク(1994)』から約10年、きっと満を持したであろう続編に違いあるまい・・! と思いきや、コレがどうしようもなくポンコツな感じで・・すっかり萎えますた(×_×)

前作の舞台となったエッジ・シティの南西430キロに位置するフリンジ・シティ。ここに流れ着いた“ロキのマスク”(どう言う経緯で川を流れることとなったか、は前作をご覧頂きたい・・)を拾い上げたのは犬の“オーティス”だった。
“オーティス”の飼い主である、ティム&トーニャのエイブリー夫妻は、「アニマジン社」に勤務するアニメーターの夫・ティムの努力が実らず、奥さんとの“夜の生活”も少々お疲れ気味なようす・・

そんな中、会社主催の「ハロウィーンパーティー」に参加するための即席(?)仮装で“マスク”を着用したティムは「マスクの怪人」に変身しパーティーを盛り上げ、そのまま帰宅してトーニャとも盛り上がっちゃう事態に(・ω・) ←奥さん、旦那の“仮装プレイ”は許容範囲内だったんやろか。。

“変身状態”のティム(の陽物)からアレされた、緑色かつパワフルな“精なる子”が見事に(奥さんの)“卵なる子”にヒットし、早くも翌朝にトーニャの妊娠が判明(!)
果たしてその後、エイブリー家には“アルビー”と言う赤ちゃんが誕生したのだった。

一方、北欧神話の最高神オーディン(ボブ“スーパーマリオ”ホスキンス)の命により、無くした“マスク”を探すべく地上へ降りて来たのが、災いとイタズラの神ロキ(アラン・カミング)。
やがて、ロキはエイブリー夫妻の前に姿を現すこととなるが、そんな危機に立ち向かったのが“オーティス”であり、そして“アルビー”なのであった・・ってな流れ。

色んな意味で驚きだったのが、前作で「敢えて封印してる」感すらあった「セク〜スネタ」が、いとも簡単に採用されていたこと。その割に「犯罪組織」「カジノ」「銀行強盗」みたいな“暗黒ネタ”がこの続編では一切取り上げられず、健全なんだかそうでないんだか、何とも良く分かんなかった(⌒〜⌒ι)

ただ、ティムと言うキャラそのものに余り個性と言うか面白味がなく、赤ちゃんや飼い犬を巻き込んで、それでも“前作におけるスタンリー・イプキス(ジム・キャリー演じる)なるキャラ”には到底及んでいないなぁ〜と言う印象が強かった。
そもそも“作品世界に1つしか存在しないマスクを誰が、何処で、どう使うか?”と言うトコ(=シチュエーション)にこそ本作の面白さがあったハズなのに“マスクなしで変身しちゃう”キャラが2人も登場したため、ちっともアイテムとしての“マスク”の有り難みがない訳で。
他にも「特撮映像に依存し過ぎ」「その割に要(かなめ)の特撮がつまんない」「ヒーローとしての活躍が殆ど描かれない」「アラン・カミングの言動がうざい」とか、ワタシの中で文句が次々と噴出した。

※考えたら、アラン・カミングの出演作って、大抵つまんない気がする・・アランの起用があかんのか、たまたまあかん作品にアランが出演してはる(←気を遣ってるつもりかよ)だけなのか・・『タイタス(1999)』なんかは良かったんだけどなぁ。

劇中に幾つかの「ニセ“マスク”」が登場し、裏側に「台湾製」だの「パキスタン製」だのと書いてるのが面白かった。それらの国を痛烈に揶揄(やゆ)してる気もするんだが・・まぁええか(ええんかい)。

ちょっと「ムチャクチャやな〜」と感じたのは、人間状態(つまり“マスク”非着用)のティムが、ロキが振り下ろした「巨大ハンマー」による攻撃を受け止めた演出(普通に考えると“グチャッ”となっちゃう感じ)。どうにも理解出来ないんだが、あそこは「んなアホな!」とツッコませるため(だけ?)に用意されたシーンなんやろか。誰か、教えてくれ。

〜 こんなセリフもあったわけで 〜

社長「君のアイデアにはきらめきがない。でも(私に通じる)ドアはいつも開いているぞ」

ロキ「父親なんて、どいつも威張ってるだけさ」

追記:ティムが「人類最良の友」と言ってたのが・・テレビだった。「悪友」と成り得るトコもあったり・・(=^_^=)

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2008年2月15日 (金)

☆“鹿男あをによし”の第4話、第5話を観た☆

7日(木曜)・・残業の影響で冒頭のみ見逃した(確か)第4話。前回=第3話(1月31日放送)を、帰宅時に勃発した人身事故の影響で完全に見逃してしまったんだけど、(今回の鑑賞で)十分内容に追いつけた気がした(=^_^=) 観てる方からちらほら耳にするんだけど「間延びし過ぎ」「つまらなくなって来た」と言う評価も「確かに一理あるかも」と。。

この回では、剣道大会になだれ込む展開と、ワタシ自身は「このドラマ版では最強のヒロインキャラじゃないんかい?!」と感じる“かりんとう”こと藤原先生(綾瀬はるか)が、酔っぱらって終電に間に合わず、主人公・小川(玉木宏)と安宿(?)で“お泊まりする羽目になる”と言う“あなよろし”な流れとなったんだが・・どうやら指1本たりと入れ・・違う(×_×) 触れなかったようである。。脚本家のバカ!(おい、やめんかい)

また今回、ようやく「この鹿・・造り物ってのがバレバレじゃん!」と突っ込めるような冷静さが自身に戻った(=^_^=)

14日(木曜)・・残業こそ免れなかったが、帰宅後しっかり通しで鑑賞の叶った第5話。剣道大会がひとまず終了し、次回から「次のステージ」に進むらしい(何だか“病状の進行基準”みたいやね・・)。今回は、主人公が神の使い(見た目は鹿・・のロボット(=^_^=))に命じられるまま、とあるアイテムを苦心の末ようやく入手し差し出すのだが・・と言う「誰にでも読める」オチが最後に控えていた。

何だかそこの辺りを観てて・・ついアニメ作品“ヤッタ※マン”を連想してしまったものだ(=^_^=) ※※※※をドクロリ※グに、鹿をド※ロベエ様に置き換えたら、、あ〜ら不思議、全く一緒のパターンじゃあ〜りませんか!!

どうせなら、主人公が鹿に※※※※を献上した瞬間「ブブーッ!」と(外れ)ブザーの音を鳴らしたり、山寺宏一が鹿の声で「このスカポンタン! おしおきだべェ〜」とか「説明しよう!」とか言ってもらえると助かるんだが(←助かるんかい)

「スポーツに全く興味が湧かない」と公言してた某教師が、即座に態度を翻して(同じ回なのに・・)体育館に駆け付けたのも、演出がメチャメチャに下手で、かなり勿体なかった。もうちょっとカメラワークとか、言動とか、ちゃんと作って欲しかったなぁ。

あと、視聴者から苦言が殺到したのか(?)“マドンナ”の出番、と言おうかアップ映像が意図的に少なくなってた気がした・・のはワタシだけの妄想だろうか? 確かに綾瀬さんがあそこまで魅力を発揮しちゃうと・・ちょっと立場的にツライ気はする。まぁでも“マドンナ”と福原さん(佐々木蔵之介)の間に新たな関係が芽生えそうな・・そんな面白さはあるか。

オープニングナレーションだけの起用(とりあえず現時点では)だが、中井貴一さんが担当されてることを今回ようやく知った。豪華と言えば豪華だけど、玉木さんがそのまま担当しても、決して違和感はなかった気もするぞなもし(⌒〜⌒ι)

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☆市川崑監督のこと☆

イマドキ、と言おうか・・残業やらナニやらの連続で、なかなか新聞に日々目を通すことが出来ないでいる。そんな訳で、時としてワタシにとっての「真っ先の情報源」と言うものの1つが“ケータイ電話を開いた際、待ち受け画面の下部に流れるニュースサービスの見出し”だったりする。

昨夜(13日)の帰り(タクシー帰宅となりますた・・)、そんなケータイニュースで知ったのが、映画監督・市川崑氏の訃報。まずはご冥福をお祈りしたい。

・・と、ここでウィキペディア(オンライン百科事典)で監督の項目をざらっと読んでみた。

三重県伊勢市の生まれとは知らなかった。アニメーション作家からの転身(?)と言うことも。

若造のワタシからすれば、どうにも市川監督=“カドカワの金田一もの映画”と言う浅はかな連想&印象が強い訳であるが・・奇しくもと言おうか、昨年末(07年12年)に恐らく代表作と呼べるであろう『炎上(1958)』をDVDソフト版で購入⇒鑑賞の叶ったことは嬉しかった☆
“網羅”と言うには余りにほど遠い鑑賞フォロー数ではあるが、あの(作品の)モノクロな世界観と言い、非常に手を付けにくい題材と言い、市川監督でなければ再現・・ドコロか撮影にすら踏み込めなかったような感じもする。
エンディングのみ、ワタシの好みではなかったのだが、まぁ「ああ言う幕引きこそが相応しい」と脚本を練った上での結論だったのだろう。

リメイク版のTVドラマ(市川監督が再びメガホンを執られたらしい)でしか観れていないが『黒い十人の女(2002)(←オリジナルは1961)』も世界観や着眼点は面白かった。何となく“そうそうたる女優陣が冴えない男優を囲む”ってなテイストがフランス映画とかで幾つかありそうな気がする(『8人の女たち(2002)』とか・・(・ω・))。

『犬神家の一族(1976)』『悪魔の手毬唄(1977)』『獄門島(1977)』『女王蜂(1978)』『病院坂の首縊りの家(1979)』・・の一連の“探偵・金田一耕助シリーズ(原作:横溝正史)”に関しては、とにかく狙ってか狙わずか(きっと狙ってたんだろう)ほとばしるケレン味(←もちろん良い意味で)が凄まじかった。
ババ〜ンとでっかく出るタイトルのクレジットなどは“新世紀エヴァンゲリオン”に半端じゃないインスピレーションを与えたに違いないだろうし、後頭部を殴りつけたら血しぶきがバシューッ!と吹き出るわ、頭部とか腕とかがちぎれてすっ飛ぶわ、何だか“和製スプラッター映画の金字塔”って風格すら漂ってたな(⌒〜⌒ι)

『天河伝説殺人事件(1991)』『どら平太(2000)』とかの頃にもなると、何だか映画作品にパワーダウンを感じてしまったものだが、最晩年の『ユメ十夜(2007)』なんかは、原作(=夏目漱石による短編集)が素晴らしいだけに、いつかは衛星第2で・・と日々心を浮き立たせているワタシである(=^_^=)←DVDソフトを購入せぇよ!

※なお、俳優(映画監督役)として、三谷幸喜の最新監督作『ザ・マジックアワー』に1シーンのみ出演されているそうである。願わくば『舞妓Haaaan!!!(2007)』における植木等さんの“最後の出演”の時のように「“じじぃ呼ばわり”されつつ去っていく気の毒さ」を漂わせることがなければ良いのだが。。

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2008年2月12日 (火)

☆細かい映画レビューなど☆

記載もれのある作品をまとめてみます。

1)『X−MEN2(2003)』
先月(1月)25日の放送。残業を終えて帰り、序盤のみ観逃したものの、以降は何となくしっかり観た。確か2度目の「地上波登場+鑑賞」でもあり、この夜はメモ等を一切取らなかったが・・(・ω・)
「人間側の企みに、ミュータント軍団がまんまと翻弄されるハナシやったんやな〜」と改めて気付かされた今回。それにしても、個人単位で眺めると中途半端な存在&能力のキャラがすこぶる目立ったような。
主人公“ウルヴァリン”を演じるヒュー・ジャックマンなんかも、アダマンタイト合金製の“爪”を用いた格闘術より、全身に受けたあらゆるキズが復活する、ってな特技(?)の方がよほど目立ってたように見えた。
前作に比べ“マグニートー(イアン・マッケラン演じる)”“ミスティーク(レベッカ・ローミン・ステイモス演じる)”の「悪党側キャラ」の魅力が高まり、“サイクロップス”“プロフェッサーX(パトリック・スチュワート演じる)”“ローグ(アンナ・パキン演じる)”らの「正義側キャラ」の魅力や存在が著しく低下あるいは後退した印象を受けたか。
「炎」を自在に操る次世代(?)のミュータント少年が、正義側を離れ、悪党側に付いてしまう展開が終盤で見受けられたが、確かに今回の「Xメンチーム」の醜態の数々には、観客の誰もが失望させられたように思う。(特にプロフェッサーなど「すぐに引退すべき!」との非難もあちこちで噴出した筈・・)
これを言ってはミもフタもないんだが、正義に比べ悪党の方が「より個人が重視され」「より能動的で」「より行動に制約がなく」・・とミュータントとしての活動の自由度が高いに違いない、と。
その辺り、未見ではあるが3作目では是非とも「やはり正義は素晴らしいんや!」と実感させてくれる演出を期待したい。

2)『DEATH NOTE【前編】(2006)』
1日(金曜)の放送。これも確か2度目の地上波登場+鑑賞。最初に本作を観た時ってば「松山ケンイチ」って誰やねん?! と思ったものだが、松山くんの知名度もすっかり上がり、彼の起用についてどうこう言う人間は今やぐっと減った筈だと思う。
金子修介監督が手がけただけあって、そこそこは吸引力を持つ(物語の)流れなんだが、今回はとにかく主人公・月(ライト)を演じた藤原竜也の言動に妙な「クセ」と言うか「情感こもり過ぎさ」と言うか「演じてまっせ感」と言うか、そういう「自然じゃないよ」って印象を強く受け、ほとんど感情移入出来なかった。
また、リュークと言う名の“死神の使い”みたいなヤツが「もろCG造形」で登場するが、連続殺人そのものに彼自身が関わっていたのか否か、その辺りが何だか良く分からなかった。
死因的に言うと『リング(1998)』に共通する“おっそろしさ”があるんだが、本作の場合は何故か・・ばんばん人が死んでいくのに何の恐怖も喪失感も伝わって来なかった。何故だろう?

3)『少林寺三十六房(1978)』
5日(火曜)の鑑賞。少し前、衛星第2で放送されてたのを録画しておいたんだが「コレは傑作だし残しておこう!」と考え、HD⇒DVDにダビングしつつ「序盤」と「後半」を観た。で、中盤は何してたんだっけ・・? ああ、そうだ。珍しく“日経スペシャル「ガイアの夜明け」”って番組を観てたのだった。高速道路のSA(サービスエリア)を巡る売店の生き残り戦略、みたいな内容ですた。

http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview080205.html

※無断リンク済みません。録画こそしなかったけど、なかなか面白かったです☆

さて、ゴードン・リューことリュー・チャーフィー演じる主人公“リョー・ユイト”が少林寺内の三十五の修行房で力を付け下山、一家を皆殺しにした清の悪徳将軍一味にみごと復讐を果たす(←当然か・・)までの成長ドラマでもある本作。
オーソドックスながら(?)少林寺の秘密のベールの内側にキャメラが潜入(=^_^=)、修行僧らが日々どんな過酷(かつ珍妙・・)な訓練を積んでるのかが紹介される。一番後から入門したユイトが、兄弟子らをずんずん追い抜いて三十五ある房をまたたく間に突破(とは言え数年は要したようだが)して行く展開は、何だかとってもファンタジーな気もするが(あ、ファンタジーか)とにかく修行を終えた後のメチャクチャな強さが心地よい。
改めて、後半から終盤にかけての連続バトルを観てみたが、全然顔面にヒットを受けてなかったし!
また、手足や3節棍の使用は言うに及ばず、頭突き攻撃を効果的に使ってるのが印象的だった。お脳に悪影響を与えそうで、ちょっと怖いんだが、何だか「坊主の破戒(=反則技)」をコッソリ眼にしたような心地もし、何とも背徳な感覚でゾクゾクするのである(どんなヤツだ!)
少林寺拳法の関係者各位、頭突きは“禁じ手”ではない、と言う解釈で宜しかったでしょうか?(・ω・)

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2008年2月10日 (日)

☆『エイリアンvs.プレデター【完全版】(2004)』☆

先月20日(日曜)に鑑賞。地上波初放送だと。
2004年10月4日、南極大陸の某島で感知された正体不明の熱源反応。その存在にいち早く気付いたのは(各国の情報機関すら押さえて!)巨大企業ウェイランド社の所有する軍事レベルの機能を持つ衛星だった。
ウェイランド社の総帥にして大富豪のチャールズ・ビショップ・ウェイランド(ランス・ヘンリクセン)は女性探検家アレクシア“レックス”ウッズ、考古学者、掘削チーム、特殊部隊の兵士らを率い、熱源のはるか地下に存在すると考えられる古代遺跡の調査に着手する。
リーダーに任命されたレックスは即席ながらも基本かつ重要な3つのルール

・決して単独行動をしない
・常に仲間と連絡を取り合う
・ハプニングが起こっても英雄になろうとしない

を徹底させんとするも「未曾有の発見を持ち帰り公表する」なる目先の功績に焦った探査チームは、この眠れる遺跡のシステムを“再起動”させてしまうのだった。
そして、遺跡の地下にて覚醒した“謎の生命体”がチームを容赦なく襲う。
一方その頃、時を同じくし、大気圏外に急接近した巨大宇宙船より“謎の異星人”が3体、南極を目がけ降下して来るのだった・・

この遺跡の正体とは? 探査チームの迎える運命とは? リドリー・スコットやジョン・マクティアナンやH.R.ギーガーの本作に対する評価とは?(←ま、それはエエやんか(=^_^=))
様々な謎をはらみつつ、レックスらの“生存をかけた戦い”が始まる・・みたいなノリか。

とにかく「巻き込まれた皆さん、お気の毒!」としか言いようがない本作。最終的に生き残るのは「たった1名」なんだが、そこまでの持って行き方が「イマドキのスプラッター系」って感じで、私的には「練ってるなぁ」とは全く思えない脚本である。
何と言うか「ああ、もうこいつ死んだんや・・」と思いきや、実は後のシーンでしっかり生きてて“再登場”するんだけど、結局はまたすぐに死ぬ・・みたいな演出が目立つのだ。そう言うのってキライなんやねぇ・・

まぁ「熱帯を好む“プレデター”が極寒地帯で動き回ってる」「地球に到達した時点で大問題となる存在の“エイリアン”が既に地球に生息している」「生命体を拒む極地=南極にかつて高度な文明が栄えていた」「古代遺跡の地下に“イマドキな造形の鎖”がぶら下がっている」「プレデターらが、仲間を運ぶ際“イマドキな造形の担架”を使用している」辺りのシチュエーションや演出を眺めるに「・・バカ映画かよ!」と突っ込める余地は十分にあるんだけど(・ω・)

それにしてもランス・ヘンリクセンさん・・まさに「客寄せパンダ」な感じで、殆ど起用に意味がなかったような・・
やはり“エイリアンシリーズ”と言えば“白い血のしと”がセットで登場しないと「しまらない」のかも知んない。“プレデターシリーズ”にジャングルがマッチしているのと同じように・・
(『プレデター2(1990)』にはジャングルが登場しないが・・アレは“大都会=コンクリート・ジャングル”ちぅシチュエーションらしい・・多少、苦しい気がするけど・・)

〜 こんなセリフもあったべさ 〜

ウェイランド「列車はもう走り出したんだよ」
      「死を間近にすると、人間は生きた証を遺したくなるものだ」

レックス「ここでは銃なんか無意味」

副官「仲間が1人死にました。こいつの死に意味が?」
ウェイランド「歴史を作る犠牲となった」
副官「あなたが歴史だと?」

追記1:“プレデターシリーズ”に比べ、本作に登場するプレデターってば、若くて戦闘経験にも乏しい(?)んだが、彼ら“先輩”以上に強かった気がする。
追記2:『アルマゲドン(1998)』とは逆に、穴掘り関係の“地表にいたしとたち”から、真っ先に血祭りにあげられていた。。
追記3:それにしてもプレデターの腕の“某装置”・・ムチャクチャ強力ですなぁ(⌒〜⌒ι)

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2008年2月 7日 (木)

☆“若州(じゃくしゅう)人形座公演/はなれ瞽女(ごぜ)おりん”を観て来た☆

3日(日曜)の夕方、地元・枚方市内の某施設で催された人形公演を観て来た。
故・水上(みずかみ)勉の同名作品を人形劇にアレンジした“はなれ瞽女(ごぜ)おりん”である。
開演が午後5時ってことで「暗そな感じの作品やし、集客面、大丈夫なんやろかなぁ?」と不安にすら思ってたんだが(←失礼!)、行ってみたらこれがまた、めちゃめちゃに大盛況だった! 年齢層も非常に高かったし。。

大正8年の物語。「異性と交わった」咎(とが)により、盲目の女たちによる旅芸人一座(=瞽女衆)を追放(おと)された“はなれ瞽女”おりん(本名:柿崎りん)を主人公に、悲しくも幻想的な旅程が描かれる・・

舞台が至ってシンプル。薄暗い竹林が再現され、あとはライティングや音響効果で観客の想像力を十分に補完してくれる。登場人物も「おりん」とその旅仲間「おたま」のみが人形の形で舞台に登場し、他の2人の重要キャラは「影絵」と、(黒子が顔の位置にかざした)「仮面」のみと言うシンプルさ!

もっと人形の群れがごちゃごちゃ動き回ると思っていたワタシにとっては、シンプルかつ強烈な印象の“出演スタイル”であった。

語り手の女性が「おりん」「おたま」「鶴川(善なる男)」「彦三郎(悪い男)」の4つの役柄+ナレーションを演じ分けるのがなかなかスゴかった! 惜しむらくは、(ワタシの気付いた範囲で)2ヶ所ほどセリフがスムーズじゃなかったトコロか。。
コメディ作品だと多少「噛んでも」OKなんだけど、本作ってば「ほぼ全編がシリアス路線」ですからして・・(×_×)

シンプルながら、印象的だったのは「ちり〜ん」とか「しゃら〜ん」とか鳴る鈴&(金属パイプ)風鈴の音が醸し出す幽玄なる味わいである。あれは「さぁ、今から“幻想の世界”に入りますよ〜!」と言うスイッチの役割を見事に果たしていると感じた。

今回は油断し、入場が遅れに遅れたため、ムチャクチャ後ろの座席となってしまった(×_×)
また機会があれば、是非、もっと前の方の席で鑑賞したいものである。そもそも本作を「観よう!」と直感的に決めたのは、おりんさん人形の優しくも美しい顔立ちだったので・・。

〜 こんなセリフもありました 〜

おりん「おらにとって、世の中のことはみな幻。見えないものを「見た」と言っては“うそ”になるのでごぜぇます」
   「この世の中の何処に“垣根”がごぜぇますか? 少なくとも、おらはそんな垣根を見たことがございません」
   「おらが見たのは人の心でごぜぇます。顔は見えねども、心だけは見えるのでごぜぇます」

鶴川「躯(からだ)を知ってしまえば・・心は空しいもんだ」

おたま「男と女は、2人っきりになると“まぐわる”もんさね」

追記1:何と、監督=篠田正浩+主演=岩下志麻により映画化(1977)されてるそうだ! 観たいなぁ(・ω・)
追記2:若狭、小浜、男女の愛憎劇、殺人・・と水上文学ならでは(?)のキーワードがちりばめられている! 積雪の問題さえなければ、すぐにも「ロケツアー」したいトコロではある(⌒〜⌒ι)
追記3:1つだけ気になったのは、憲兵に捕まり激しい拷問を受けることとなった「おたま」さん。ボロボロになって牢獄に倒れ伏したシーンのまま、その後登場して来なかったが・・演出的に、あれはあんまりなのでは・・(×_×)

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2008年2月 6日 (水)

☆“ヤッターマン”第3話&4話を観たりした☆

4日(月曜)。
いよいよ自室のHDレコーダの録画可能時間(の残り)が(最初は100時間もあったと言うのに)20時間を切ってしまった・・(×_×)

ってことで、観れないままに溜まってたアニメーション“ヤッターマン”の第3話&4話をイッキに片付け、リアルタイムで観てる(のか?)全国の女子高生の皆さんにようやく追いつけたような感じである(・ω・)

マンネリ&ワンパターン&荒唐無稽、とやりたい放題な作品なんだが、毎回ド派手な爆発(核爆発っぽいのも起こったりする・・)がバンバン市街地とかで起こるのに「劇中で誰も死なない」ってコンセプトだけはしっかり死守してることに、妙な安心感&好感を覚えたり(=^_^=)

(30年前に放送の)旧シリーズに比べ、余りにもガンちゃん(ヤッターマン1号)のやる気のないのが、ウィ※ペディアなどでもあげつらわれてるが(ほっといたれよ!)、ワタシとしては「今どきの若者っぽくていいんじゃないの。ささ、どんどんその調子でやりなさい」と温かく見守っている次第だ。

それにしても悪役3人組“ドロンボ〜一味”、、大人の眼で見ると、如何にもドロンジョ様とボヤッキーの間に流れる親密な感情に関し、妄想が膨らんでしまう(・ω・)

例えば第4話では、夫婦漫才っぽいような以下の掛け合い

ボヤッキー「お誉めに預かって、光栄の行ったり来たり」
ドロンジョ「世界のはじっこで愛を叫んじゃうよ、もう〜」

があり、その横でトンズラーがただ、はしゃぐそんな2人をじ〜っと眺めてるシチュエーションがあった。
愚鈍そうなトンズラーなりに“何か”に気付いたのではあるまいか(⌒〜⌒ι)

第3話では「もっともっと(発見まで話数を)引っ張るやろな〜」と思ってた“ドクロリング(世界に5ツ存在するお宝)”のうち、1ツ目が早くも見つかり(=ドロンボ〜に奪われ)、その意外さにびっくりしてしまったワタシ(・ω・)

3話ごとに1つ見つかる流れなら、全15話になるんやろか? とか、ついつい妄想も急いでしまうわけで。

第3話「バカデミー賞を獲るのだコロン!」では、ボヤッキーのセリフがなかなか面白く、きゃつが「会津若松出身であること」とか、作品にエキサイティングとかスペクタクルを求める余り、過剰な爆発演出でボヤッキーの爆死(?)をも辞さない巨匠=スティーヴン・スグニネール監督に対し、
「あの爆弾、本物だろ? 危ないよあんた、死んじゃったらどうするんだい!」
と“守るべき作品のコンセプトを再確認しようとする素(す)の言動”が面白くて仕方なかった。

つまりは、ドロンボ〜なりに「生命と引き換えにしてまでドクロリングが欲しい訳ではない」ことを視聴者に訴えているわけで。

第4話「北の国キャラ2008だコロン!」では、タイムリーにも「さっぽろ雪まつり」をネタの1つに、ストーリーを展開させてくれた。尤も、劇中では「北海道雪まつり」と銘打たれていたが。

ってことで、そのマンネリさに、ますます酔いしれてるワタシである(=^_^=)

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2008年2月 4日 (月)

☆『人のセックスを笑うな/Don't laugh at my romance.』☆

3日(日曜)。
朝起きたら雪が降っていたが、それもしばらくすると止み、陽光が差して来たような気がしたので、デジタル1眼をリュックに詰め込みつつ、大阪市内へと向かった・・ら、雨が降って来やがった(×_×)
時間が許せば、午後から「大阪城公園内の梅林」など歩いてみようかな〜と思ってたが、すっかり“やる気”がしぼんでしまい、結局カメラを一度もリュックから取り出すこともないままの帰宅となった(⌒〜⌒ι)

・・って言うか“梅の開花”にゃ、まだまだ早かったかなぁ?

さて、梅田は「ロフト」の地下で観たのが、新作邦画『人のセックスを笑うな(Don't laugh at my romance.)』であった。あんまし期待してた訳でもなかったが、そのタイトルにとにかくインパクトがあった(=^_^=)のと、今をときめく若手男優である松山ケンイチが、永作博美と「年の差20歳」の無軌道なセックスライフにもつれ込む恋愛劇・・ってなちょっと妄想と股間を膨らませてくれそうなテイストの作品なのが、ワタシの足を劇場へと駆り立てたのだろうか・・(知らんけど)

本作、原作(小説)が発表された頃から、何となく気にはなってた物語ではあったか。
まずタイトルからして何だか人を小馬鹿にしてるし、作者の「山崎ナオコーラ」と言うのもどうもふさげてる(←私見です。ファンの方、済みません)。確か当時、新聞で近影を拝見した感じでは・・著者ご自身の容貌からして何かインパクトがあったような・・(以下自粛)

美大に通う19歳の主人公・礒貝みるめ(松山)。とある早朝、唐突で奇妙な出会いをした年上(39歳)のリトグラフ講師・ユリ(永作)に一目惚れ。キャンパスでの「3度目の再会」に偶然以上のモノを感じたか(?)、乞われる(?)ままに彼女のアトリエに導かれヌードモデルとなる。
同級生・えんちゃん(蒼井優)との間にも「友達のような恋人のような」微妙な感情の漂っていたみるめだが、えんちゃんとは違う「無軌道」で「天衣無縫」なユリとの恋にのめり込んで行く。
そんな中、突然の(リトグラフ)授業の休講を心配したみるめがユリの住所を訪ねると・・ってな展開。

ま、その辺りでまだ中盤ぐらいなんだけど「ここがネタの1つ」でもあるので、敢えて書かない(=^_^=)

さて、この映画。
年齢・価値観(恋愛観も)の異なる男女4人による「3つの恋」の顛末を丁寧な映像を通じて描いた作品、と言えようか。
ただ、上映時間が137分と長いことからも察しがつくように・・「ちょっと各シーンが間延びしてる感」をたびたび覚えた。そこに余韻を楽しませる意図があったのなら仕方もなかろうが・・どうも「編集作業の中で思い切れなかった(=カット出来なかった)」ような印象も強い。
例えば、キャストが通り過ぎた後もしばらく無人の風景が延々映されてるので「この後、何か大変な事態が起こるのかも?!」と妙に構えてしまったり(⌒〜⌒ι)←(コツを掴むまで、その連続による)緊張と肩すかしで疲れますた。。
ま、余計な通行人なんかを入れず“長回し”テクニックをばんばん使ってたのは効果的だったんだけど。

タイトルに「セックス」のワードがババ〜ン! と放り込まれてることから、チケット購入時も妙に気兼ねしてしまい「テ、テアトル1で・・」とかボソボソ伝えてしまったワタシ(・ω・) 係員さんが何か意図的(?)に「テアトル1の『人のセックスを笑うな』の次の回ですねッ!」みたいに復誦したりするので、ますます照れてしまったぞなもし・・

キャスティングとし、途中までこそ永作博美の「オ〜、イエ〜ス」なキャラクターの存在感が爆発してたんだが、実のトコ後半戦(?)では(それまで薄い目だった)蒼井優の言動が作品世界をぐんぐん覆って行った感じだった。
現実(のしがらみ)から目を反らしてるような「みるめ」「ユリ」のキャラ造形に対し、自らの置かれた場面場面でしっかりと自身の立ち位置やすべき行動、言うべき言葉をズバズバ発信してくれた「えんちゃん」こそが、実は本作の主人公だったんじゃないかな〜とまで思えたものだ。
もし本作を「2度観ても良い」と言う方がおられたら、是非2度目は「えんちゃん」を定点観察して貰いたい。ワタシの言わんとしてることが何となく分かって貰えると思う。

男性諸氏が誰しも期待する(たぶん(⌒〜⌒ι))「セックス描写」に対しては「そんなに大したことはない」と言っておこう。1シーンのみ「全裸の上にパーカー1枚っきり」のユリが動き回るシチュエーション(ボーナスか?)があるが、ワタシの“神眼”を持ってしても、全く危う気なき場面に仕上がってしまってた(←ナニを期待してんだ!)

毛布にくるまった「みるめ&ユリ」がごろごろ床を転がったりしちゃう描写こそあるも、ワタシに言わせれば「ホンマのセックスの場合、そんなもんで互いを巻いたり、覆ったりなどせぬわ!」とキッパリ断言したい(=^_^=) ってことで、ペッティングの延長、ぐらいの関係と妄想を止めておいた方が失望も少ないと思うぞ(だから、何をエラそうに!)

過去の名画へのオマージュを感じたのは“観覧車内のシーン”と“単車で街なかを2人乗りするシーン”だろうか。何処からどうみても群馬県桐生市(←メインのロケ地らしい)なんだが(=^_^=)、そのスピリットだけはヨーロッパなのだろう、きっと(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

ユリ「好きな映画? テロとか動物の出るヤツ。 ・・エロじゃないよ」
  「“おごりおごられの仲”になろうよ」
  「キスも巧くなった・・」

堂本「それって、オンナの霊感?」
えんちゃん「オンナの直感!」

ユリ「それ、甘くない?」
えんちゃん「・・甘いのがココアです」

猪熊「慌てなくたって、人生は長いんだから」

えんちゃん「みんな寂しいんだったら・・「寂しい」って言うのなんて、意味ない」
     「みんな弱いんだよ・・だから「強い」って言うのなんて、意味がない」
     「よわよわだな、みるめは」
     「逢いたかったら、自分から逢いに行けばいいじゃん!」

※「会えなければ、(それで)終わりだなんて、そんなもんじゃないだろう」

追記1:劇中、2つのシーンで何気なく画面に存在感を放っていた「黄色い風船」。あのアイテムの意味は・・?
追記2:「能天気な和菓子コント」はかなり面白い! アトリエでの「みるめ&ユリ」のトークもある意味コントっぽくなってて、ジメジメしてないのが救われるかな、と。
追記3:制作費が余ってたら「※※※ロケ」を敢行したんやろか?(⌒〜⌒ι)
追記4:今日は2回目(の上映)で観たが、終わってロビーに出た頃には3、4回目の座席状況が「×」となってた・・恐ろし。。

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2008年2月 3日 (日)

☆“特命係長・只野仁スペシャル2008”を観た(・ω・)☆

2日(土曜)。先週も金曜までみっちり残業続きで、すっかりぐったり疲弊してしまった毎日。ガバッと起きた時点で・・既に午後2時を回ってしまっており、流石に苦笑してしまった。

天気の良いのが外出を誘ったんだが、そこで出かけちゃうと何にも出来ないまま終わるんで、自室にこもり溜まってた新聞記事を出来る限り片付けた。何とか今週分は片付いた気もするので、明日は外出などをしようと考えている。寝過ごさない限りは・・(⌒〜⌒ι)

夜は、珍しくも民放の特番ドラマ「特命係長・只野仁スペシャル2008」を観た。裏で放送されてた『星になった少年(2005)』も決して悪くはなかったんだが、劇場で既に一度観ており、主人公(柳楽優弥演じる)の父親(高橋克実演じる)の言動がどうにも不愉快(←役の上で)だったのを思い出したので、観るのはやめることとした(あのエンディングも(それが事実にせよ)あんまりだったし・・)。
ただ、後から「武田鉄矢の登場シーンだけはも1回観ときたかったな〜」と少し後悔もした(⌒〜⌒ι)

さて、「特命係長〜」だが、これまでに原作(コミック)を読んだこともなく、ドラマを観たこともなかったが「分かり易くて面白く、中年サラリーマンの悲哀が見事に描かれておりこたえられない」的な評価を何処かで(←だから何処だよ!)見たか聞いたかした覚えがあるので、興味津々で観てみた次第。

主演の高橋克典(只野仁役)と言えば・・かなり以前に観た民放連続ドラマ『ピュア(1996)』における、主人公(和久井映見演じる)の兄貴だか従兄弟だかの役の頃をうっすらと覚えている程度か。久しぶりに彼の演技を観てみたが「真面目そうに見えて不真面目そうな、健康そうに見えて不健康そうな、ヤバそうに見えてユーモラスそうな」・・そんな相反する数々のイメージを微妙なバランスで成立させている、面白い男優に育ったんやな〜と感心させられた。

大手広告代理店に勤務する地味な総務課係長・只野仁には風采の上がらない「昼の姿」とは別の、黒川会長(梅宮辰夫)直々の“特命”を受け社内外(主に社外?)の問題解決に奔走する「夜の姿」があった。

今回の依頼者は会長の知己である帝都銀行・五十嵐頭取(竜雷太)。彼が目をかけていた真面目な銀行マン・青木(竹本孝之)の謎の自死を皮切りに、次々と銀行関係者が謎の自殺を遂げて行く・・みたいな流れ。

ドラマには付き物の「ビデオ撮り」であることから、良くも悪くも映像や世界観が「薄く軽く」仕上がってるが、人がばんばん死んで行く割に不快感・恐怖感などが殆ど伝わって来ず、むしろ「流し観る作品」としてはかなり高いレベルを実現していたと感じた(=^_^=)

昼と夜の只野のビジュアルの変貌がまんま『蘇える金狼(1979)』のノリで楽しい。かの作品の故・松田優作より、わざとらしさが「薄い」ぶん「化ける演出」を徹底的に研究したスタッフの苦労(?)がうかがえたりもする。スペシャル版ならでは(?)の豪華さで、今回の只野はもう1人別な人格に「化ける」んだが、こっちは敢えて「コント路線」に走ってて(=造形が粗い)そのメリハリの付け方も楽しかった。

設定的には「昼間は窓際的存在で、極めて存在意義に乏しい」みたいなこの只野だが、ワタシから見れば「同僚の誰にも迷惑かけてないし、職場での立場・雰囲気も悪くないし(決して浮いていない)、会長室に出入り出来る立場だし(←こればかりは外野から見て「メチャメチャ不自然」だと思うが・・)、上司(佐川課長)に何やらかなり目をかけて貰っているような印象すらある・・ってことで「あんた、夜の顔ヌキでも十分うらやましいやんか!」と突っ込めてしまった。
(特命優先で活動してるからには、恐らく遅刻・欠勤も多いハズだし・・出張や研修の扱いなんやろか?)

死んだ青木の恋人であった派遣職員・篠原や、青木のライバルであった中津川(川崎麻世)、篠原を敵視する行員・ルミ(小嶺麗奈←何とまぁ!)など「怪しそうなキャラ」を適度に配しており、そのチープな世界観から、ついついチープに犯人像を推理してしまうチープな自分に苦笑させられたり。こう言うライトな作品の場合、特に脚本家が「ミスリーディング(引っかけ)」にアタマを悩ませずとも、視聴者が勝手に引っかかってくれるのが、作り手側としても醍醐味を覚えるトコではなかろうか(=^_^=)

午後9時からのドラマにしては、ベッドシーン(←エッチ度に関してはかなり低い)があったり(逆にキスシーンが全然なかった・・曖昧な濡れ場の方が女優さんや所属事務所からOKを貰い易いんやろか?)、更衣室のシーンで女性のバストがモロに見えたり(ほんの1秒前後だったが)、股間モザイクネタなんかも頑張ってくれてた(とは言え、やや過激レベルの上がるのは午後10時以降だったか?)。

特命を帯び、命がけの仕事(?)をする見返りに、十分な給料を貰ってるんやろな〜・・と思えば、銀行の預金残高が3万円ちょいと言う只野には意外な感。もっと貰えばエエのに。それとも下半身系の役得が付随する(?)特命ゆえ、カネではない崇高さ(←どんなだ!)に惹かれて続けてるんかも知れない。

いや、それにしても・・青木の過去に関する「とある銀行員」の物語。あすこのネタの解決篇(?)にはちょっと泣かされそうになってしまった。あの辺りのセリフ回しはなかなか良い!(脚本で読むときっとつまらないだろうから、やはり俳優さんの力によるものなんだろう)

〜 こんなセリフもありました 〜

佐川課長「役員は社用車で送り迎え・・きっと満員電車の辛さなんて知らないんだろうねぇ」
    「オレの人生、あれからずっとパスボールだらけ・・」

只野「品性だけは金で買えなかったみたいだな、あんた」

追記1:ビル屋上でのシーン。大して緊迫するトコでもないのに、只野の頬に汗が・・つまりは夏場の収録ってこと?
追記2:只野のベッドシーンは全て「女性上位」のスタイル。視聴者(特に女性)からのクレームが最も付きにくい体位なんかな?
追記3:同僚が顧客に告げる「青木は、他界致しました」の言葉に何だか違和感。確かにそれが「事実」だろうけど、、も少し言い方はないんやろかねぇ。
追記4:劇中の某キャラの自殺事件。バスローブの紐の結び方に関し、只野の推理が冴える(?)が、警察はそこをどう判断したんやろ?(ってか、事件全般に「指紋」とか「毛髪」とか色々遺留品があると思う・・)
追記5:劇中のセリフ「銀行には法人税がないんだよ」について、早速ネットで調べてみた。なるへそ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q119891871

※無断リンクで済みません。
追記6:只野のバトルシーン。格闘動作の合間にブルース・リー調の“怪鳥音”が薄く入るのが良い!それにしても、メチャクチャ鍛え上げてるね(⌒〜⌒ι)

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