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2008年1月15日 (火)

☆『殯の森(2007)』☆

14日(月曜・祝日)の夜。
早くも衛星第2ちゃんねるで放送された邦画(正式には日仏合作)『殯(もがり)の森』を期待しつつ観た☆ コレは(調べる努力を怠ってた)自身に非があるんだが「いつ、何処で上映されてるのか」すら把握出来てないまま、ワタシの中で何となく“第2次・河瀬フィーバー”が過ぎて行ったような、そんな感じだった公開当時。

第60回カンヌ国際映画祭で「審査員特別グランプリ」に輝いた本作。ワタシ自身、本作の監督・脚本を手がけた河瀬直美さんについては・・初期作品『につつまれて(1992)』と『かたつもり(1994)』を観て、「この調子で頑張って欲しいな〜」と願い、直後の『萌の朱雀(1997)』における大ブレイク(いわゆる“第1次・河瀬フィーバー”)を心から祝福した1人ではあるので、その後の「揺り返し(≒反動)」を他人事ながら、かなり気にしていたのだった。

※そう言えば『萌の〜』の頃、同監督のトークショーに一度参加し、当時のマネジャーの方に(厚かましくも)名刺を頂戴したものであった。未だ、大物になることが出来ず、かたじけない、、(×_×)

奈良の山間部にある集団介護施設(グループホーム)を舞台に、“妻を亡くして33年となるも、未だその事実を受け入れられていない”認知症老人・しげき(うだしげき)と、“我が子を失い、未だその失意から回復出来ていない”新米介護福祉士・真千子(尾野真知子)の交流を描いた物語。

※「老いと死を正面から静かに見つめた物語」ともナレーターにより解説されていた。

前半で、大まかな物語世界や主人公である2人の過去&現在の境遇が客観的な映像やセリフで描かれる。
中盤以降は、連れ立って出かけた2人が、ひょんな成り行きから山中をひたすらさまよう展開になだれ込む。

河瀬監督ならでは、と言おうか・・何とも不思議な作風である。カメラが半ば強引に、演者の懐に飛び込み、彼らの手元や横顔を舐めるように写すのだが・・それがあくまで客観的であり、特に何のメッセージも発信してはいないのだ。
で、映像が何も語らないが故、観客は自発的に思考を巡らせて、

「ああ、これは人々の“生”の表現なんやな」

などと、それぞれの解釈を進めなければならない。

2人が「ぶつかり合いながらも交流し、そして山中で迷う」と言うことだけならばもっと脚本を絞って、短い時間にまとめられたのでは?・・とも感じるんだが、そこをある意味“冗長”に描いているため、そこにも何かメッセージが隠されているのでは? と考えを巡らされたり。

本作に対し、私的には『萌の〜』からこっち「“深い”んだけれども“進み易い”方向」に作風が向かったな〜と言う、複雑な思いを抱いてしまった。
音楽的なアーティストに例えるなら「中規模のホールで大成功し、次はドーム規模のツアー狙いかな? と思いきや、地下のライブハウスに行きました。。でも、演奏はより研ぎ澄まされてるよなぁ」・・って印象(⌒〜⌒ι)

「素晴らしい!」とうならせたのは冒頭、「森林のざわめき」をただ静かに映し出したショット、そしてそれに続く「遠くから写された野辺の葬列」なるシチュエーション。ワタシだけではないと思うが、クロサワ作品『蜘蛛巣城(1957)』や『夢(1990)』における映像表現を連想させる。

※尤も『蜘蛛巣城』はモノクロ作品なのだが。

前半こそ「これは現実だ」と確信させてくれる世界観は、次第に「夢かも?」との不安感を観客に与え始める。そこに至る仕掛けも決して不自然ではなく「第三者が全く現れない」「携帯電話(=文明)も“そこ”では役に立たなくなる」と言った幾つかの演出により、自然に「殯の森、或いは幽界」へと観る者を誘(いざな)うのだ。

が、その「イイ雰囲気の世界」を成立させてた中に「農道に電柱が林立していた」「森の上空を飛ぶ※※の音が鳴り響いた」って辺りが“妙な雑観・雑音”に思え、ワタシにはすこぶる残念に思えた。
前者は、ある部分“意識的”な程に「山の稜線に“鉄塔”が写り込む」のを排してたのに、と。
後者は、特になくても良かった演出だし、却って不安感&絶望感をあおるだけだったような、と。

ラストは『萌の〜』を想起させるような「何かが“昇天”して、天に帰ってゆきます・・」的なカメラワークだった。真千子が“上空”を安らぎの表情で見上げるのだが、一方のしげきの姿と対比すると、これまた、色々と考えが回る訳である(・ω・)

で、ワタシとしては、
「“生”と“死”は、絶妙なバランスで(実は常に)隣り合わせにある」
「森林には、その深みに足を踏み入れた者のみが知り得る“表情”がある」
「極限の状況に於いてさえ、女性は“菩薩(女人菩薩)”たり得る」
などと、掴みドコロを探りつつ、掴んだ。そんな感じである。

〜 こんなセリフも良かったです 〜

先輩「こうせなあかんってこと、ないから。・・ん?」 ←この「ん?」の言い回しが良い☆
真千子「何でそんなん言うんですか?」
先輩「好きな人が、言ってくれた」

真千子「私は、生きてんのかなぁ」

追記1:ピアノで弾く「即興曲(?)」がなかなか良かった☆
追記2:しげき爺さんのゴツゴツした腕&手の表情(?)が印象的。何となく、まだまだ“性的に枯れてない”気がした(←おい)。。
追記3:中盤、森の中で傍の木が倒れ、真千子がナチュラルに驚くシーンが。あれって「偶然の産物」だったんだろうか?
私的には“『大日本人(2007)』路線”と呼びたいトコだが(=^_^=)
追記4:ラストで、【殯(もがり)】敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間、またはその場所のこと・・と解説が表示されるが、アレを冒頭に持って来たら『呪怨/劇場版(2002)』のノリやな〜と思った(⌒〜⌒ι)

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コメント

河瀬監督自身が本作によせたメッセージ

「死は死だが、そこで終わりではない。伝えるべきものを遺す」

もまた印象に残った。

劇中でとある僧侶が語る

「生きているとは、実感(すること)」

と言うのも、なかなかに深い。

たまには立ち止まり、自身に向き合って、
今、ここに、こうして存在していることを感じる、考える・・

そう言う時間を持たない限り「生きてるけど、生きてない」となってしまうのかも知れない。

投稿: 管理人(TiM3) | 2008年1月15日 (火) 23時41分

こんばんは。
河瀬監督の過去作品についてもお詳しいのですね。そういう監督の歩んでこられた歴史を踏まえた上でのレヴューは流石に読み応えがありました。

生と死・・・永遠のテーマでありながら、真っ直ぐに向き合う作品はややもすると息苦しくなるけれど、今作は観るほうも(それに応えようとするからか)まっすぐ向き合えた気がします。


>後者は、特になくても良かった演出だし、却って不安感&絶望感

私はあのシーン、異界(TiM3さんのお言葉を借りれば幽界)を彷徨う二人が、こちら側の世界(現実界)に引き戻される(或いは現実界と繋がる幽門みたいなところに立った)象徴的なシーンだと感じたように記憶しているのですが・・・。
故に私は「あの音」がより効果的であったのではないかと・・・。半年前のことなので今もう一度観ると違う印象を抱くかもしれませんが。

>女性は“菩薩(女人菩薩)”たり得る

折り返し地点に立つような年齢の女性にとっては、残りの人生を生きる指標ともなるような?含蓄のあるお言葉です。

>だ、大物になることが出来ず、

どの方面での大物になることを目指しておられたのでしょうか。
こういうレヴューを記されていることで十分「大物」でいらっしゃいます。

ではまた。

投稿: ぺろんぱ | 2008年1月16日 (水) 21時09分

ぺろんぱさん、ばんはです。

真面目なレビューの中に、何とか「おちゃらけ」(高尚に言えば「風穴」(?))をまぶしたかったのだけれど、結局は堅苦しい出来となりました(×_×)

>河瀬監督の過去作品についてもお詳しいのですね。

長編で、観ておきたい作品が幾つかあるのですけどね・・(×_×)

>今作は観るほうも(それに応えようとするからか)まっすぐ
>向き合えた気がします。

エッセンスを絞って行くとかなり「普遍さ」が輝きますもんね。
何処かで、本作に似た「たゆたい」を感じた覚えがあります。

『水の中の8月』だったかな・・(・ω・)?

>私はあのシーン、異界(TiM3さんのお言葉を借りれば幽界)
>を彷徨う二人が、こちら側の世界(現実界)に引き戻される
>(或いは現実界と繋がる幽門みたいなところに立った)
>象徴的なシーンだと感じたように記憶しているのですが・・・。

劇場でご覧になったとすれば、(音響効果面で)印象が大きく異なるのも分かります。

あのシチュエーションを「すっと受け入れられる」かどうかが、観客に対する監督の「1つの挑戦」なのかも知れませんね。

>折り返し地点に立つような年齢の女性にとっては、
>残りの人生を生きる指標ともなるような?含蓄のあるお言葉です。

女性の神々しさ、みたいな雰囲気は年齢とは無関係だと思います。
ただ、それが「無垢な中から自然に生じる」ものか「俗世の業を全て舐め尽くした末に身にまとわれる」ものなのかは・・良く分かりません(⌒〜⌒ι)

>どの方面での大物になることを目指しておられたのでしょうか。
>こういうレヴューを記されていることで十分「大物」でいらっしゃいます。

インディーズ系に資金援助出来るぐらいの財力(と胆力(=^_^=))がいつかは欲しいものです。

>ではまた。

はい・・

投稿: 管理人(TiM3) | 2008年1月16日 (水) 23時34分

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