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2007年12月31日 (月)

☆駆け足的に今年観た映画を振り返ったりする件☆

うーん、全体的にお疲れだった気のする今年。特に10月末ぐらいからやたらと時間外勤務が増え、心身ともにグッタリとなってしまった。。流石に血尿までは出なかったのがコレ幸いだけど・・(・ω・)

劇場にも大して通う事の出来なかった1年でもありますた。

まぁ、振り返れば年始の『武士の一分』に始まり、
『バベル』『ロッキー・ザ・ファイナル』『アポカリプト』『300』『ダイハード4.0』『トランスフォーマー』など、制作費とか製作陣の気合とか(=^_^=)のごっつそうな作品は、出来る限り押さえられた気がする、か。

でも、記憶に残る作品は大体が邦画だったかなぁ、と。
『キサラギ』を筆頭に、『歌謡曲だヨ、人生は』『舞妓Haaaan!!!』『クワイエットルームにようこそ』など、トリッキーで群像スタイルを巧くひねってる作品(脚本)には、感心もさせられ、感動もさせられた気がする。

一方で、全壊状態だった(ビデオ)デッキ、半壊状態だった(ブラウン管)テレビを思い切って買い替えたのも今年の大きなイベント、と言うべきか(=^_^=)
ま、買い揃えた途端に生活が忙しくなったのは笑えない顛末であるが・・

ってことで、新年の“松の内”はあんまりムダな外出とかはせず、録り溜めたり、借りたままになったりしている番組(映画)/DVDソフトを片付けていきたい! 貸して頂いている方、済みません!

そんなこんなで、拙ブログを(たまに、にせよ)ご覧頂いている皆さまに厚く御礼を申し上げる次第でございます。

来年も宜しくお願い致します。

(管理人敬白)

追記:(年明け)未明の出発で「初日の出ツアー」に繰り出す予定(予定では卯(東)の方角か)☆ さて、今年はきちんと拝めますかどうか・・

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2007年12月30日 (日)

☆『大統領の理髪師(2004)』☆

27日(木曜)の鑑賞。番組自体は11月初旬に録画しておいたもの。
基本的に、韓流作品(映画、ドラマなど)は「進んで観る方」ではないのだが、本作はタイトルに何処か「ピン☆」と来るモノがあり、観てみることとした次第(←他意はありません)。

結論としては、感動も共感も“期待ほどは”得られなかったものの、最後までダレずに観れる、ほどほどの佳作ではあった。

「“床屋”でなく“理髪師”と呼べ」と、ささやかなプライドを自身の仕事に持つ、誠実で不器用な男=ソン・ハンモ(ソン・ガンホ)を父とする少年ナガン(樂安)を語り手に、大統領府のお膝元にある下町・青瓦台(チョンワデ)の人々の苦節や人間模様、数奇な運命を描いた半政治系(?)大河ヒューマンドラマ。
政変や政略が“軸”の1つとなっており、劇中で人々を電気拷問にかけるシーンなどがあったり、日本人を決して快く思っていなさそうなセリフが盛り込まれたりすることから、万人におススメ出来る「ノー天気にゲラゲラ笑える作品」と期待して観た向きは「えっ?」と感じるかも知れない。

特にイヤ〜な感じだったのが、
・ヒステリックに旦那に当たる、ハンモの嫁のキャラ
・いきなりハンモの脛を靴先で蹴り付ける大統領の側近ら(さらにエスカレートすると銃を頭部に突き付けたりする)
・ナガン少年が電気拷問を受けるシーン(序盤こそちょっと笑えるんだが・・大変な事態となる)
・「殴る蹴る(?)のリンチ後で麻袋に詰め込まれ、家のオモテに放り出される」と言う帰宅スタイルの横行
などであろうか。
って言うか、全般的に韓国のしとたち、体罰&暴言に際限のないような気がして怖い。国際社会的に言えば、我々日本人の方が大人し過ぎるんかも知れないが・・(・ω・)

映画の最初に「本作品はフィクションです」と大きくことわられるが、劇中では絶妙なタイミングで「日時」を明記する字幕が表示され、その辺りの演出がリアルでかなり気に入った。
「何かが起こるんだな(起こったんだな)」と思わせる印象的な映像や言動を程よく客観的に映し、すかさずそこに「日時」が静かに表示されるのである。これは効果的&印象的と言えよう。

実直で愚鈍で、何だか他人である気のしない(⌒〜⌒ι)ハンモが、警護室長チャン・ヒョクスに見込まれ「専属理髪師(後に理髪室長に昇格)」とし官邸に出入り出来る身分(?)となる流れは、そこそこのサクセスストーリーな印象を与えてはくれるも、大統領とハンモの“血の通った触れ合い”みたいなものまでは殆ど踏み込まれず「ああ、やっぱりファンタジーとしては描けない実情(とか国民性)があるんやなぁ・・」と残念に感じた。

なお、本作に登場の大統領ってば「学生時代、日本留学の経験がある」って設定であり「“四捨五入”は日本から入って来た言葉だ」と知識を披露したかと思いきや「日帝時代の残党を国会から一掃せねば」と手厳しい一面を見せたりもする。かと思えば、サングラスをかけカッコ付けて「日本語」で「今日も最高の気分だっしょ」とか言ったり。
いや・・「だっしょ」ってのはちょっと標準ニホン語的にどうかと思うぞ、この大統領めが!(あ、一国の宰相に対してすんません)

ラストで、青年となったナガンと父ハンモが自転車で並走する・・ってシーンが描かれるが「家族の幸せとは、結局はこういう瞬間なんやなぁ」とホッとさせられた。シチュエーションとしては『アメリ(2001)』にも似ているが、こっちはこっちで何とも幸せな雰囲気が漂って来て良かったのである(あくまで父子の物語だったようで、母親は余り目立ってなかったが)。

〜 こんなセリフもありました 〜

ハンモ「無知な連中に対しては、心の中で笑ってやれ。きっと、説明なんかしても分からない奴らだろうから」
   「この国は民主国家だ、罪がなければ捕まりはしない」 ←この台詞が空しく響くことに・・

大統領「国を滅ぼすのは、今も昔も“学のある人間”だ」

妻「あなたはお父さんみたいに“殴られる側”にならないで」 ←息子に
 「殴られることには慣れてるのね、あなたは」 ←夫に

刑事「スパイに年齢制限などないからな、子供とて例外ではない」
  「これは拷問だ、笑われちゃ困る、苦しんでくれないと」

息子「なんでこんな山の中にいるの?」
父親「達人と言うのは、山の中に隠れているものなのさ」

【おまけ】『大統領の理髪師』簡略年表

1960年 3月17日  大統領選挙。開票時に不正はびこり老大統領が再選さる(間もなく辞任)
1961年 4月19日  ソン・ナガン誕生
1961年 5月16日  軍事クーデター勃発
1964年      ソン・ハンモ、官邸に招かれ(連行され?)大統領の理髪を行う
1971年      大統領に初めて話しかけられる(この時ナガン10歳)
1976年10月25日 大統領が逝去(ハンモが大統領に会ってからちょうど12年後)

追記:ナガン君の少年期(青年期ではない)を演じた子役が、何となくニノ(嵐の二宮和也)に雰囲気が似てて好感が持てた。これってオレだけの感覚なんやろか。。

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2007年12月28日 (金)

☆『コブラ(劇場版アニメーション)(1982)』☆

25日(火曜)。11月初旬に衛星第2で放送されたのを録画、しておいたものを観た。
日本が世界に誇ることの出来る劇画作家・寺沢武一の原作(コミック)を劇場用アニメとし“リ・イマジネーション”した感じの作品。
私的には30分(枠)番組とし製作されたアニメ版『スペースコブラ』の方が好きなんだが、こちらもなかなかにエロティックかつ躍動的な映像美が楽しめたりして面白かった☆

銀河をさすらう一匹狼の“宇宙海賊(スペース・パイレート)”コブラ。銀河系を掌握しようとする巨大無法集団“海賊ギルド”や宇宙最後の正義(?)“銀河パトロール”に追い続けられながらも、美女やお宝のある限り、彼は何処にでも現れる。そして銀河系で唯一“左腕に仕込まれた精神銃(サイコガン)”が火(?)を吹く時、もはや彼の行く手を阻む者はいない・・

今回は主人公=コブラの声を、山田康雄(故人)でもなく、野沢那智でもなく、あの松崎しげるが担当している! 初めて本作を観た(恐らく劇場ではなく地上波(テレビ)放送)際には「何か全然イメージ違うよなぁ〜」と不満に感じたものだが、今回観直すと「“快男児”的な活躍もあんまりないし、どっちかと言うと、劇中で(ヒロイン陣に)翻弄されまくってる⇒“オリジナルとは別物”と考えたら、それはそれで妥当なキャスティングなのかも☆」と“やや微笑ましく”楽しむことが出来たか。

監督があの出崎統ってことで、何やら「出崎節(?)」が炸裂しまくってた(=^_^=)
“(放射系)効果線の多用”
“アクションの3回描写(大抵は上下方向の動き)”
“地表叩き付けられ時の低速+バウンド表現”
“鳥が群れをなして飛びがち”
“古賀新一(怪奇漫画家)にも負けてないリアルな悶絶表情”
などなど、とにかく彼の作品を何か1つでもご覧頂くと、すぐにその(ワタシの言わんとする)ニュアンスが理解頂けるハズだ(=^_^=)

本作はコミックの初期巻をベースに、コブラが銀河系の危機を救うべく奔走「させられる」流れ。ジェーン、キャサリン、ドミニクのフラワー(美人)3姉妹が“軸”となり、そこに宿敵=クリスタル・ボゥイが大ボスとして絡んで来る。

コレも私的ながら・・やたらと嬉しかったのがドミニク・フラワーの声を担当してたのが風吹ジュンさんであったこと。思わづ「コキ〜ユ!」などと意味のない奇声を挙げそになりますた(⌒〜⌒ι)
加え、この3姉妹がやたらとオールヌードになっちゃうのも特徴と言えば特徴であり、特にドミニクの全裸姿には、何やら“己(おの)がサイコガン”すらも暴発しそうな雲行きにもなりかけました(知らんがな!)

ただ感心できなかったのが、彼女らのヌードのバストを描写する際「星形ニプレス」で突起部を表現してた(自粛?)トコだろうか。キミらは「スーパーボウル事件(2004)のジ※ネット・ジ※クソン嬢ですかっ?!」と突っ込みたくなった。何だか潔くな〜い。
一方では、股間部が“つんつるてん表現”なのも違和感あったし・・(いや、そればかりは描写不能か、、)

また、ワタシとしては「ボゥイの声」はやはり小林清志さんにやって欲しかったぞ、と。
(本作では睦五郎と言う方だった)

改めて「発見」出来たネタとしては以下のものがあった。
・「不死身の英雄、ここに眠る」と彫られた共同墓地内の(コブラの)墓碑(無論カモフラージュ)。併せ「2005-2037」との生没年が!
・「2年前に死んだ筈のコブラ」ってセリフがあったことから、作品世界は2039年となる!(ただ、別のセリフで「100年前の2873年、ミロス星人が絶滅した」とも語られてたけど・・)
・「へっぽこな脚本やのぉ〜」と思いきや、脚本担当のクレジットに原作者・寺沢氏自身の名が!(ただし共作)
・本心かどうか量りかねるが・・「オレはしょ〜もない海賊だけど」と自らを卑下する(主人公の)セリフがあった。
・中盤でボゥイにボコボコにされるコブラ。即座に処刑されるんかと思いきや・・「本部へ連行し洗脳⇒ギルドの幹部して迎える」ってなプランが語られてた。“リユース”されるんやね(⌒〜⌒ι)
・ルルージュ星の解放組織「スノウゴリラ」のサンドラ隊長。ヴィジュアル的にちっと『キル・ビル(2003)(2004)』のエル・ドライヴァーさん(ダリル・ハンナ演じる☆)が入ってるかも(・ω・)
・「サイコエネルギー反応」を計測することで、サイコガン発射の痕跡を調べることが出来るらしい。「性犯罪の行われた現場で容疑者の体液の痕跡を見つける」みたいな感じだろうか(←どんな例えや!)
・大幹部=ボゥイの背後に存在する“海賊ギルド”の元締は、ボゥイをして「我らがゴッドがおっしゃった・・“この第7銀河を消してしまえ”とな」と言わせしめたスゴ過ぎる存在。。海賊の親分はもはや「入神の域」なのか? それとも単なるボゥイの妄想なのか?

〜 こんなセリフもありまして 〜

宣教師ダコバ「星々の民よ! 神は神としてのたまわれり・・“この世に神はない!”」
(新銀河創世記・聖アルタウス第491章より、とのこと)

ジェーン「あなたなら、愛せそう」

コブラ「泣くなよ。例え銀河の果てで滅んだとしてもだ・・旅はいい」

クリスタル・ボゥイ「帰って来た・・私の“生き甲斐”が」

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2007年12月26日 (水)

☆“ウルトラセヴンX”の最終話を観た☆

そこそこに長かった“ウルトラセヴンX”もいよいよ最終回を迎えた。考えたら・・毎週欠かさず観たドラマって、コレ1本だった気がする本年。もうちょっと総合的にイケてると良かったんだが・・

第12話。いよいよ、主人公・ジンの失われた記憶(過去)が元カノ(?)・エレアの口から語られる。湖面に偶発的に出現した“異世界へのゲート”の先にあるものとは? そして究極のテキの目的とは? また赤い巨人の正体とは? 番組プロデューサーの放送終了後の運命とは?(おい) って感じで分かり易ぅくストーリーがまとめられて行く流れ。

第10話〜第11話と主人公が一切変身しなかった反動か、最終話はぜいたくにも2度変身し、かつアイスラッガー&ワイドショット(だったかな?)でもってエイリアンの巣窟を派手に壊滅させてくれた。。ちょっと、戦力差があり過ぎな気もしたが(って言うか、全然カラータイマー点滅してなかったし・・余裕の勝利じゃん・・)

今回のポイントは「デウス指令の驚くべき正体」・・などでは全然なく、やはりエレアに語りかける「ウルトラセヴン」の声をあててた俳優さん、であろうか。

そう! “終身名誉ウルトラ警備隊員”たるモロボシ・ダン=森次晃嗣氏の特別出演であった! いやぁ、体型的にも所作的にも「ウルトラセヴンX(変身後)とは・・真っ赤な別人じゃん!」と突っ込めてしまうんだけれど、まぁそう言う言葉を我々にグッと飲み込ませ、ただ温かく微笑ませるだけの安心感&包容力&説得力を確かに持つ男優さんであった。
(旧作を知らないしとからすれば、ラストで唐突に(?)湖畔に現れる森次氏+ひし美ゆり子氏(アンヌ役)に対し「誰?!」と思うに違いないだろうが・・)

彼らベテラン“ウルトラ俳優”から見れば、新参のウルトラファンなど、きっと昆虫のようなものだろう(←クール星人かよ!) ってことで、物語そのものはさっぱり面白くなかったんだが(スンマせん! でもあの仕上がりではDVDソフトを買う気にはとてもなれません、ワタシ)、ダン&アンヌをチラリとながら拝めたことに対しては、大きな拍手を惜しみなく送りたいと思う。

にしても、ラストでジンの独白が「人々は気付かない・・」とか言ってるけど、あきらかに社会や治安が激変してるハズで、以前よかよっぽど「無法化」してるんじゃね〜の? と不安を覚えてしまうものだ。。何やら、街のあちこちにおびただしい破壊の爪痕が残されてるし(因みに下手人=セヴン)。

http://www2.u-netsurf.ne.jp/%7Eokhr/sight7/page01.htm

↑「クール星人」についてです。無断リンク済みません。

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2007年12月25日 (火)

☆『冬の映画スペシャル/手紙(2006)』☆

23日(日曜)の放送を観た。恐らく地上波初登場。
裏番組で『ナショナル・トレジャー(2004)』がこれまた(恐らく)地上波初で流されていたが、こっち(『手紙』)の方が放送時間が短かったことと、少し時間のかぶってる“実相寺昭雄氏関連の特番”が衛星第2で始まるのを立て続けで(途中からにせよ)チェックしたかったので『ナショナル〜』は録画することとした。

強盗殺人(衝動的とは言え)の罪で千葉の刑務所に服役している兄・武島剛志(玉山鉄二)と、獄中の兄へ手紙を綴る弟・直貴(山田孝之)の物語。「往復書簡的な流れがメイン」なのかと思いきや、囚われの兄貴の方が規則正しくストレスの少ない(ように見えた)生活を送る反面、“自由な生活”を送ることの出来る「ハズ」の弟が「殺人犯の家族」とし様々な逆風にさらされることとなる。
原作者・東野圭吾の価値観&人間観が背面に流れているとは言え、賛同出来るような・・でも疑問符が浮かぶような・・不思議な味わいの物語であった。

中学生時代(?)からお笑いコンビ「テラタケ」を組んでいた親友・寺尾祐輔との訣別や、広まる噂により次々と職場を追われる直貴。“高嶺の花”であった恋人・朝美(吹石一恵)との仲も引き裂かれ、いつしか弟は「兄貴がいる限りオレの人生は外れなんだ」と憎悪を抱くこととなる。
そんな中、とある“第三の人物”による「2種類の手紙」が大きく彼の運命を変えることとなり・・みたいな流れ。

兄弟のやり取りするモノ以外に、ああ言う「手紙」の存在を取り入れたか、と少し「やられた」思いがした。基本的に手紙って言うと「本人が肉筆で記したもの」との先入観があるんだが、確かに字面じゃなくて内容なんだよなぁ・・と。
って言いながら「タイプされた手紙」だとかなり軽んじてる自分がいるんだけど(⌒〜⌒ι)

惜しかったのは、ぎりぎりの「崖っぷち」の状況で主人公(=弟)に救いの手を差し伸べる人物が現れるんだけど、彼らがそれぞれに一過性なのが淡白な関わりに思えたか。まぁ、現実的にもそういう関わり方なんだろうけど。

町工場の先輩・倉田(田中要次←珍しく(?)死にません)と、そしてケ※ズデンキ・平野会長(杉浦直樹)のキャラが際立っていた。後者はワタシが言うまでもなかろう。
それ故に、あっさり工場を去る展開、ケ※ズデンキの社宅にも「噂」の広まる展開に、恐ろしいリアルさを感じつつ、納得出来ない気持ちとなるのだった。

納得出来ないと言えば・・町工場の(食堂の)女の子・由実子(沢尻エリカ)のキャラクター。あれだけ主人公を支え続けながら、途中からその神通力(?)がすっかりしぼんでしまってた。。「ああ言う立場」になったからこそ、更に彼を励まし、支え続けて欲しいし、そう言う演出を「見える形で」取り入れて欲しかったな、と。
(途中で由実子さんなりに冷めちゃったのだろうか? 「社宅で噂が立ってますけどっ?!」「別にぃ・・」的な(⌒〜⌒ι))

東野作品(原作)と言えば『レイクサイド・マーダーケース(2004)』の“後味の悪さ”を連想してしまうが、本作でも「とある引ったくり&傷害事件」「とある電気店窃盗事件」が単なるネタのみで扱われ、解決もされず未消化なのがやはり“後味の悪さ”をワタシの記憶に残した。東野氏的に言うと「これがリアルっちぅもんや(関西弁で喋らはるのかどうか知らんけど)」ってトコなんやろか。

現実の事件の場合、加害者家族が手記を出版してちゃっかり印税を稼いじゃうような「ちょっとね・・」って言う部分が得てしてあるモノだけど、こういう「加害者家族の直面する悲しさ、差別」に切り込み、かつ映画化したと言うことは評価出来ると思った。

本作が、現実に増えつつある「不条理な事件」の、まさに“加害者予備軍”たる人々の「想像力」を覚醒させ、抑制の役割を果たせば良いと願ってやまない・・(きっとそう言うヤツは、観ないと思うけど・・)

〜 こんなセリフが(記憶に)残りました 〜

倉田「本当に寂しいんだよ、あん中は」

朝美の父「いつか君が子を持つ父親となったら、今夜の私の理不尽な申し出を少しは分かって貰えるだろうと思う」

平野会長「(殺人者家族に対する)差別は当然なんだよ・・言わば(周囲の)自己防衛本能とでも言うべきかね」
    「差別のない場所を探すんじゃない、君はここで生きていくんだ。
     (中略) ここから始めるんだよ、こつこつとね」
    「この手紙の主に、心当たりがあるようだね・・決して巧い文章じゃないが、私は心を打たれた」

由実子「ごめん、勝手なことをしたと思ってる、でも間違ったことをしたとは思ってへん」
   「直(ナオ)の手紙には、こんなに大きな力があるんやで」
   「手紙って命みたいに大事な時もあるんやで」

※※「直貴君と言ったね・・もうこれでいいと思う、何もかもこれで終わりにしよう、お互い長かったな・・」

直貴「もういいって、あきらめるのにも慣れたし」
  「差別のない国に行きたい」
  「兄貴なんて、オレが生まれた時から“当たり前”のような顔でいましたからね」

追記1:「犯罪者家族について語るスレ★」「クローバー銀行」「元気が出る・素敵な慰問コンサート」など、ちょっと“力抜いてんのかな?”みたいな表記演出が目立ってたかも(・ω・) 適度にリアルさから力を抜いたんかな?
追記2:冒頭の「犯罪再現シーン」で、兄弟の区別の付かなかったワタシ。。ついつい「事件の真相って・・」と想像し過ぎてしまいました(⌒〜⌒ι)
追記3:あの事件で「無期懲役」の判決なのだろうか? いや、別に犯人をひいき目で見てる訳ではないが・・(将来、裁判員になった時に、同情しちゃうかも・・)。。

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2007年12月19日 (水)

☆『死刑台のエレベーター(1957)』☆

18日(火曜)の夜に鑑賞。
HDレコーダーを今秋(9月末だったか)に買って以来、とにかく気になった番組(ってか、殆ど「衛星第2」「民放深夜」で流される旧作映画群であろうか)をバシバシ録画しまくっている。録(と)るだけ録って、一方で全然観れてないもんで、早くも残量(録画可能時間)が半分近くとなってしまった。。
あわわ、時間が許す限りどんどん片付けていかなきゃ・・!
と改めて焦り始めてる今日この頃、頑張って1本を観た次第だ。

作品そのものは先月初め(の深夜)に放送されたもの(確か)。ちょくちょくお邪魔させて頂いてるブログ“シネマで乾杯!”において、管理人・ぺろんぱさんが鑑賞された記事を拝読して以来「早く観なきゃあ!」とは思いつつ・・とうとう今となってしまいました(・ω・)

当時20代半ばだったと言うルイ・マル監督による“密室サスペンス(と安直にジャンル付けて良いんかな?)”の佳作。ウィキペディア情報によると「自己資金で製作した監督デビュー作」ってことで、荒削りな部分も見受けられるものの、主演にジャンヌ・モロー&モーリス・ロネを、そしてスコア(作曲)にかのマイルス・デイヴィスを迎えると言う、恐ろしいまでの豪華さである!
良く言われるように「ヌーヴェルヴァーグ時代(1950年代後半からフランスで起こった若手映像作家による一連の映画製作運動)初期を代表する作品の1つ」と評して良いだろう。

当然のことながら、本作はモノクロなのだが、それ故に「事件そのものの残酷さ」「世界観の閉塞さ」「若き日のヒロイン(ジャンヌ)の表情&感情に対する捉え切れなさ」などがより際立つ形で巧く作品そのものに響く造りとなっていた。即興演奏とされるマイルスのトランペットも然りで、派手さはないものの、焦燥をひとたび経ての虚無感・諦念・静かに燃える情熱・・などを適度な静けさを交えながら表現してくれている。

ワタシが勘違いしてたのは「とある事件を起こした男女2人がエレベーター内に閉じこめられる」っちぅシチュエーション。あ、2人一緒だと・・韓流映画『スカーレット・レター(2004)』のノリじゃんかよ〜(⌒〜⌒ι)
にしても、大きな印象では『ニキータ(1990)』に出て来た婆さま(←すんません!)の印象が私的にとにかく強烈すぎるジャンヌさん、独特の険しさが見受けられる表情はちっとばかし「怖ぇな〜」と引いちゃうトコだが、流石にメチャメチャ美人ですね(或いはカラー映像でないことが奏功してるのかも知んないが・・)。
対するモーリス・ロネも後年の『太陽がいっぱい(1959)』における“スマキにされたしと”の印象が強かったが、結構今(少し前?)で言うジュード・ロゥっぽい“念のため言っときますけど女性には不自由してませんよオーラ(=^_^=)”がバンバン出ていて、好印象だった(カッコいいけれど、おっちょこちょいなトコも母性愛をくすぐるタイプではなかろうか?(=^_^=))。

物語は3つの視点(捜査機関を含めると4つ)で同時進行的に描かれる。

1)主人公ジュリアン・タベルニエ(モーリス)は恋人である“ある人妻”に依頼され、彼の夫である自身の上司=カララ商会のシモン・カララ社長の殺害を計画、実行に移す。「アリバイ(不在証明)・密室形成・凶器準備」の3点において“ほぼ完璧な殺人”と思われたジュリアンの行動であったが、オフィスを去る際に「とある忘れ物」を取りに戻ったことから、彼の“完全犯罪”は思いもよらぬ方向へと暴走を始めるのだった。
2)社長夫人=フロランス・カララ(ジャンヌ)は電話で“不倫相手の男”に熱愛を告げる。そして彼に囁く・・「それをやれば・・自由になれるわ、私たち」 だが、30分後に待ち合わせたカフェに、男はとうとう姿を見せなかった。ひたすら男を待つ女。降り出した雷雨の中、ずぶ濡れとなりながらも女は虚ろな眼をして彼を捜し歩く・・夜の街を。
3)花屋の娘=ベロニクとその恋人ルイ。ほんの出来心(なのか?)から、ルイは“ある人物”の車を盗んでしまう。そして車内で見つけた“拳銃”が、自らの運命を大きく歪ませることを、若い2人は想像すらしていないのだった。
4)モーテルで発生した殺人事件。逃走した容疑者の足取りを追うシェリエ警視は、意外な場所に有力な証拠を発見する。それは2つの事件を一挙に解決に導く、重要なアイテムなのであった。

まずは、近いようでなかなか逢えないのがジュリアンとフロランス。考えたら、結局「冒頭の電話による会話だけ」でしか通じ合っていなかった! もっと直接的で動物的で(おい!)生々しいシーンを想像してしまったワタシがバカですた(⌒〜⌒ι)

いや、それにしても。よくもこんなに変幻自在かつ簡単に人間の運命って狂わされるもんであるなぁ。ちょっとしたきっかけでどんどん「誤算」や「犯罪」が連鎖して起こると言う“奇”を余すトコなく描き切ってくれている。すごいよ、ルイ・マル!
まぁでも、やっぱし可哀想なのはジュリアン氏。“隔離状態の一夜”を過ごすうちに、自身を取り巻く状況がどえりゃ〜ことになっちゃってまぁ(×_×)

本筋とはちょっと関係ない所では、無骨な(当時の)クルマ(庶民カー)が通りを埋めている中で、ひたすらに光彩を放っていた『メルセデス・ベンツ300SL』の本作への起用が、ただただ鮮烈で衝撃的だった! 流線型のボディ&ガルウィング採用の凄まじいインパクト! 『個人教授(1968)』に登場したランボルギーニ・ミウラもスゴかったが、こんなスーパーカーを旧作映画で発見する喜びって、なかなかにオツなもんである(=^_^=)

半世紀前の“傑作”に対し、恐れ多いとは思いつつ・・私的にはもう少し「削っても良かったんとちゃうか」と感じるシーンもちらほらあった。フロランスがあちこちを具体的に“聞き込み”し過ぎるトコと、若い2人(ベロニク&ルイ)の行動の占める(全体に対する)割合がちょっと多過ぎた(と思えた)辺りだろうか。
時計を映すなりして、上映時間的にもダイエット出来る余地はあったと見た。

「おっ!」と身を乗り出しそうになったのは、何と言っても中盤、フロランス自らが“探偵”とし、独自に調査を始める“転”の展開だろうか。ちょっと劇中で(暗かった)雰囲気が少し明るくなるのを覚えた。

ラストはシェリエ警視による“大手柄”と言おうか“一網打尽”と言おうか・・たぶん有名なオチなんだろうが、ワタシはあの写真をパッと見た瞬間に「ってか、コレ、誰が撮ったの?」と素朴に疑問に感じてしまった。あの焦点距離と言い、アングルと言い、被写体に極めて懇意な、かつ撮影のプロが撮ったモノと思うんだけど。。うーん、オレが分かってへんだけなんやろか??

〜 こんなセリフもジュテーム・ボクーでした(←意味不明) 〜

フロランス「勇気がないのね」
ジュリアン「愛は臆病なんだ」

ジュリアン「戦争をバカにするな、あんたの飯の種なんだろ?」

ベンカー「無理して強い煙草を吸うと“あっち”に響くよ」

フロランス『殺しなんかもういい、逃げたのなら、臆病だなんて言わない。
      ただ生きて・・私のそばに戻って』 ←独白
     『あなたと離れたまま1人で老いて行くのが私の宿命・・でもこの※※の中では一緒よ。
      結ばれているわ・・誰にも引き裂けはしない』 ←独白

追記:半ば放心状態のまま、左右の確認もせず道路をずんずん横断するジャンヌ・モローがスゴい! 彼女の前後をクルマが殆ど減速せず左右に通過しまくってるし! もしこれが『ジョー・ブラックをよろしく(1998)』や『ファイナル・デスティネーション(2000)』の世界だったら、まず間違いなく画面外に吹っ飛んでますゾ(×_×)

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2007年12月17日 (月)

☆“ウルトラセヴンX”の第11話を観た☆

15日(土曜)深夜の放送を録画しといた“ウルトラセヴンX”を観た。
あきっぽいワタシなんだが、何とか第1話以外は(←放送すら知らなかった・・)観ることが叶いそうだ、たぶん(・ω・)

全12話ってことで、いよいよ残すのもあと2話。
「前回は、変身しないわ、カネかかってないわで酷かったなぁ〜」と思ってたら、今回も良く似たレベルのデキだった。相変わらず主人公はセヴンに変身しなかったし・・(×_×)

自分たちの住むこの世界が「何者かによって管理下に置かれていること」を知った主人公・ジン。失われた自身の記憶を取り戻し、謎の女・冴木エレアの正体を知るために、所属する地球防衛組織(?)デウスに反旗を翻し(?)、単身調査を開始する。

郊外の能朱(のぅす)湖に隠された極秘計画「AQUA PROJECT」の正体とは? ジンとエレアの過去の関係とは?

今回は「某施設に潜入しデータを盗み出す」ってなミッションやら「某廃墟が大爆発する」ってな展開に、それぞれ『ミッション:インポッシブル(1996)』『M:i:3(2006)』のパクリっぽさを感じた。
他に、エージェントらが互いに銃器を突き付け合うシチュエーションは『フェイス/オフ(1997)』の模倣なのかなぁ。どっちにしても、本家にはほど遠い完成度なんだけどねぇ・・

いやぁしかし・・何だろう、このオチへの持って行き方の強引さと不条理さは・・
これまでのエピソードで、さんざ宇宙からのエイリアンを相手に物語が(順調に)進んでたのに、終盤は足元ばっか眺めてる感じ。。
今までの「侵略者撃退モノ」への“分かり易い回帰”を望むと共に(あ、もう遅いか・・)、「こんな調子じゃ、チ※イヨー・プロダクシ※ンの勢いにすら負けっちまうぞ!」と確たる危機感を覚えてしまうワタシだった・・(to be continued...)

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☆劇団東京ヴォードヴィルショー第62回公演『エキストラ』を観た☆

15日(土曜)。少し寝だめした後、自室の片付けなどをし、午後から大阪市内へ出かけた。
よもや、こんなに忙しい日々に突入しようとは、思いもしなかった頃に購入しておいたチケットの公演『エキストラ』を観に行くためである。
場所は京阪・京橋駅下車で歩いた先にある「シアターBRAVA!」と言う劇場。余裕かましてゆっくり準備してから出発したら・・バスがなかなか来ず、次第に焦り始めたモノだった(⌒〜⌒ι) 最近、私生活でどうにも遅刻気味となる傾向が強い。。社会人としていかんことです。

全然詳しくないんだが、劇団東京ヴォードヴィルショーと言えば、脚本&演出に三谷幸喜が関わり、看板俳優として佐藤B作、あめくみちこらが活躍する、そんな劇団だそう。
今回は、そんなに華やかそうな面々でもなく(ファンの方々済みません)、ちょっと期待値も低めだったんだけど(何しろ前回観た、三谷作の舞台劇『コンフィダント・絆』の完成度が非常に高かったもので)・・結果的には「休憩時間なし(イッキに2時間の舞台と言うのはスゴい!)」「シーン切り替えなし(1セットのまま貫徹)」「群像劇の佳作」って感じで、上演時間の長さも気にならず、チケット代相応には楽しめたと思う☆

三谷氏も意識してのことだろうが、私的に残念だったのは「群像スタイル」にこだわる余り、主役級のキャラ(=言動面で他より抜きん出ていた人物)が終盤でポコポコ“退場”してしまい、その部分だけを眺めると「とてもハッピーとは言えず、(彼らに対する)希望も殆ど感じられなかった」ってことだろうか。
取って付けたようなハッピーエンドな“どんでん返し”を最後に据えといてくれ、とまでは言わないが、もちっと観客の気持ちを高揚させた形でのオチとして欲しかったなぁ・・(・ω・)

舞台は地方の古寺(古刹)の本堂内。戸外ではしとしとと雨が降っている(序盤のみだが、実際に舞台で雨を降らせていた演出に驚かされた!)。集められた農民姿の人々。彼らは「出待ち(撮影に備え待機してる状態)」のエキストラたちである。そこに現れる金ラメ(?)姿の人々。彼らはどうやら「未来人」とのこと。
「台本すら渡されない」エキストラたちは、ようやくそこで(その日)撮影中の物語が「タイムボンバー/危機一髪」なる、タイムトラベルものの連続ドラマであることを知る。

エキストラとは・・「常に時間的拘束を受け」「俳優より目立ってはならず」「製作陣に決して逆らえぬ」そんな縁の下の悲しい存在である(と本作では“やや皮肉な視点”で描かれていた)
元教師・鳴海(ナルミ)が“撮影現場では新人”の元駅員・八代(ヤシロ)を指導したり、エキストラを脱し今や“俳優”とし成功しつつある田所(タドコロ)が“古巣の面々”に毒を吐いたり、エキストラ歴の長さ故、演技過剰になってしまってる古株さん(名主:ナヌシ)、病弱で今や死に体(?)なご老人・小寺(コテラ)(←と言っても劇中で実年齢=53歳と判明するが・・)、家出した妻をテレビドラマ内に見つけ、はるばる現場まで追って来た“存在の薄い男”、屍体役を得意とする“逃げ腰”な男・沈黙(チンモク)、プロデューサーに自身の持てる「全て」を捧げ、のし上がろうとする女・・そんな老若男女さまざまな「名もなき」人々が集まり、撮影現場の裏側を語り、エキストラ役の悲喜をつまびらかにして行く・・そんな流れである。

メインとなるのが「エキストラ」と言う“撮影現場では最下層の人々”なので、彼らに材をとった時点で「悲喜のシチュエーション」は既に成立したようなもんである(=^_^=)が、そこに三谷氏ならではのセンスで「エキストラが主演俳優&スタッフを支えている」ってな“逆転性”や「エキストラとしては素人だが(退職前の)前職に関しては超ベテラン」ってな“どんでん返し要素”を流れの中に盛り込んでくれてるため、悲しいだけのドラマでなく、スパイスの効いた“風刺劇”の構成が奏功していた。

また、劇中で敢えて成立させた“マンネリズム”の面白味もあった。この手法って失敗するとひたすらウンザリさせられるんだが、演者の人柄などによっては実に巧く「笑い」に何度も持って行けるのだ。

まぁ、ワタシとしては「もっとファンタジックな要素があっても良かった」「直接的な感動&面白味を前面に押し出した、より分かり易い物語が欲しかった」とは思うんだが、三谷作品として恥ずべきレベルでは無論なかったことだし、ヨシとしておこうか(←何をエラそうに!)

〜 こんなセリフがありました 〜

鳴海「面白いが、難しい世界です」
  「決して音を出してはいけない。つまり声を出さぬよう騒ぐのです・・照れずに」
  「このメンツじゃ“GI(米兵)”役はムリだ・・」
  「やはり“アングロサクソン”はムリだ・・」
  「今まで続いて来たことだからと言って、これからも続いて良いこととは限らない」
  「エキストラにも感情がある。エキストラも人間だ!」

※「(農民の格好が)お似合いですね」
※「余り嬉しくない褒め言葉ですけどね」

※「お前ではダメだ! その顔に“意味”が有り過ぎる」
 「撮影現場で振り回されるのも、俺たちの仕事のうちだ」
 「エキストラの時は、あんなに輝いてたのに・・」

田所「人に見られるとな、俳優ってのは顔つきが変わるんだよ」
  「こいつらは、どんな役だって欲しいんだよ」
  「自然体で演(や)ろうって意識した時点で、不自然になるんだよ」
  「顔に自信がみなぎりゃ、女なんざ幾らでも寄って来るんだよ」
  「エキストラの芝居が良いと、映画も生きて来る」
  「スタッフの心を掴むためなら何だってやるさ、こっちは人生かかってんだい」

田所「日本語で話せ!」
鳴海「そんなに難しい言葉を使った覚えはありませんが」

※「下に愛想が良い人間は、上にも愛想が良いものだ」

妻「男だったら“いびき”の1つぐらいかきなさいよ!」
 「あたしだって、たまには笑って、泣いて、ドキドキしたいのよ!」

※「ため息を1回つけば、妖精が1匹死ぬと言うよ」
※「その妖精は何処で生まれるの? ※※所?」 ←駄洒落です・・

女優「良くない噂って、(現場の)ああ言う人たちから広まるものなのよ」

小寺「お若いの」
鳴海「さほど若くはありませんが」

追記:48作も続いた邦画の某シリーズ。主人公を演じた男優さん(故人)の本名が「田所」なのだが、三谷氏が本作で取り上げた「田所」の個性的なキャラクターに、ひょっとして何かのインスピレーションを与えたんやろか??

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2007年12月13日 (木)

☆“ウルトラセヴンX”の第10話を観た☆

10日(月曜)の夜。
8日(土曜)深夜の放送を録画しておいた『ウルトラセヴンX』の第10話を観た。
全12話ってことで、いよいよ物語も佳境に入って来た感。どうやら終盤の3話がいわゆる「前編」「中編」「後編」みたいな造りとなって来る様子。
セヴンに変身する主人公=ジンの失われた記憶のことやら、謎の女キャラ=エレアの正体的なことやら、チラホラと(その存在が)ストーリーの背後にちらついてる“AQUA PROJECT”なる秘密裏な計画(?)のことやら、その辺が小出しに解決されてゆくであろう流れ。

だが、今回の「前編」はどうにも「アイデア不足」「資金(制作費)不足」「時間不足」な印象が強く、とても評価に値するエピソードとは言えなかったか。。
とうとう主人公がセヴンに変身するシーンすら挿入されなかったし(尤も、その必然性はなかったんだが・・)。

また、初めて(?)“デウス(謎の地球防衛組織)”以外に、政府お抱えの「暗躍系組織」がちょろっと登場することとなったが、こいつらが何故だか「悪行(殺人など)」「情報操作」「隠蔽工作」をバンバンやるくせに、妙にジンに対してだけは監視や攻撃の“甘い”のが気になった。
ジン自身も、眼の前で関係者が次々に災難に遭ってるってのに、特に“ウルトラアイ”を装着する(←この動作が彼の「変身」を意味する)でもなかったし・・

登場人物のうち、ジンとエレアに絞って脚本を組立てたが故、本来(へっぽこながらも)レギュラーメンバーである味方エージェントの2人を殆ど使いこなせてなかったのも「甘いな〜」と。

・・ってことで、残すは「あと2話」なんだが、こんな調子ではメタメタのままに終わりそうな気もする(⌒〜⌒ι)

「ウルトラセヴン生誕40周年記念作品」でもある(確か)本シリーズ。旧作に泥を塗るような終わり方だけはして欲しくない、と願わずにはいられないのだが・・

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2007年12月11日 (火)

☆『恋人たちの予感(1989)』☆

9日(日曜)。何故だか(=^_^=)観た映画が『恋人たちの予感』である。それも何故だか(=^_^=)LD(レーザーディスク版)で・・
久しぶりに観たんだけど、面白いねぇ〜この作品☆

1970年代後半のシカゴ。大学を卒業したばかりのサリー(メグ・ライアン)は、(同性の)親友の彼氏であるハリー(ビリー・クリスタル)と共に、夢を描いてニューヨークを目指す。
交代でポンコツ車(?)のハンドルを握ることとなった2人だが、恋愛観やら何やらの違いから、全くロマンスめいた出来事のないままにニューヨークへ到着、そのままさっさと別れてしまった。

数年後、シカゴへ(?)向かうニューヨークの空港で2人は再会する。今やお互いに恋人のいる2人は、機内で巧く隣り合せとなるも、またも彼らの恋愛観は一致を見ないままであった。

数年後、またも2人はニューヨークで再会。その頃になるとハリーは離婚寸前の状態、サリーも彼氏との不和が拡大しつつある状況だった。

そんな2人を尻目に、互いの親友(ジェスとマリー)が意気投合してしまったりもする。。

ひとたび会えば、言い争いばかりのハリーとサリー。果たして2人の恋愛感情は進展して行くのであろうか? そんな流れである。

監督がロブ・ライナーで、『スタンド・バイ・ミー(1986)』と『ミザリー(1990)』の間に手がけた作品となると・・何とも意外な感がある。。が、脚本を担当したのがノーラ・エフロンってことで納得☆ まさに女性ならではの“したたかな視点と感覚”で描かれた、そんな“オシャレで知的なラブコメディー”なのである。
ノーラと言えば後年、自身で監督した『めぐり逢えたら(1993)』『ユー・ガット・メール(1998)』が何と言っても有名ドコロであるも、野心的でどこかとんがった人物描写などは、よりロマンティック傾向の強まった(ように思われる)『めぐり逢えたら』などと比較しても(ややもすれば荒削りながら)完成度が高く、普遍的で、何よりスリリングなテイストに溢れていた。
ロブ・ライナーとのコラボレートで、巧い具合に監督&脚本家双方の表現力が奏功したんだと感じた。

撮影監督が何と! バリー・ソネンフェルド。後に『アダムス・ファミリー(1991)』『メン・イン・ブラック(1997)』などでおん自ら監督業を手がける人物である。尤も、彼自身の監督作はと言うと・・どっちかと言えば“一過性”“消耗品系”だったりもするんだが。。

本作、一番気に入ったのは、そのロケーションやシチュエーションの多彩さであろうか。ハリー&サリーに徹底的に密着してる感じで「運転中の2人をフロントガラスごしに捉える」「飛行機内の2人を真正面から捉える」などなど、自然に見せつつ実に大胆な迫り方で映像を作り上げている。
食事シーンや、ぶらぶらと散策するシーンも結構多く配してて(←何気ないようでいて、このどちらもが恋愛ドラマには欠かせない要素だったりもするのだ)、そのメインとなる舞台がニューヨーク圏内ってこともあり、何だかウッディ・アレン監督の『アニー・ホール(1977)』に挑戦してるような空気を感じたりも(・ω・)

毒舌なくせ寂しがり屋な主人公(ハリー)の性格付けなど、考えたらアレンにそっくりとも言える(=^_^=) 新世代(?)が描き直したらこんな風に仕上がる・・ってトコか?

私的に大好きな恋愛映画の1つが『恋人までの距離(1995)』なのだが(何処か似たテイストである(=^_^=)『愛のめぐりあい(1995)』の最終エピソードも好きである)、あすこまで問答系で貫徹されるとちょっと「硬くて疲れる」もので・・その点、本作は主人公2人の“決してクリーンじゃない”そんなキャラ設定(等身大っぽい姿)も気に入った(=^_^=)

随所に様々なご老人カップル(?)のインタビューシーンみたいなのんが挿入されるが(ご老人の挿入シーンではないので悪しからず(←分かっとるわ!))、ある意味「蛇足じゃん?!」と思えるこの部分にも「案外な“深さ”があるんかも。ひょっとすると、決して若者だけに向けた作品ではないのかも」と考えさせられた訳である(・ω・)

「交通事故とか記憶喪失、死別ネタなんかを用いずとも、立派に恋愛映画は描けるもんやネ」ってことで(=^_^=)、本作の持つこの普遍さを抽出し、また次世代クリエイターの感覚でもってリメイク(再構築)して欲しいなぁ〜と希望してやまないワタシである。

追記1:字幕担当は・・戸田奈津子女史だった(=^_^=) にしてもLDって、中盤で円盤をひっくり返さないとあかんかったんやな〜と思い出した。何やら「フィルムのかけ替え」みたいな雰囲気で、これはこれで面白いもんやねぇ(=^_^=) ←やったことないけど・・
追記2:マリー役を演じたのがキャリー・フィッシャー。ひ、姫・・(×_×)

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2007年12月 5日 (水)

☆『マックィーンの絶対の危機(ピンチ)/人喰いアメーバの恐怖(1958)』☆

2日(日曜)の夜。これまた購入したはイイがなかなか観る機会に恵まれなかったDVDソフト『マックィーンの絶対の危機/人喰いアメーバの恐怖』をようやく開封(=^_^=)⇒鑑賞することが叶った☆

世にも珍しい“スティーヴ・マックィーン主演のSF作品”であると同時に、実質的な“初主演作”でもあると言う本作。「デジタルニューマスター仕様」+「初DVD化」らしく(←パッケージ記載より)、

「人喰いアメーバと戦うマックィーンを観ずして、貴方はマックィーンを語ることなかれだっ!!」と竹中直人氏がパッケージ帯で大きく吠えている! ←おおぅ、よしよし(=^_^=)

ワタシの知ってるのは、当然リメイクされた方の『ブロブ/宇宙からの不明物体(1988)』であるが、そちらよりもこのオリジナル版の方が中盤からの“とっ散らかり”がなかった分、ダレずに観ることが出来、楽しめた☆
これ即ち、なかなかの拾い物であった!

町外れでレクリエーション(≒イチャイチャ)中の高校生カップル、スティーヴ・アンドリュース(マックィーン)とジェーン・マーティンが流れ星に願いをかけようとすると、近くの山岳に大きな隕石が落下する。
墜落現場に向かう道中、彼らは右腕に“奇妙な液体”の粘り付いた老人を発見、苦しむ彼を町医者=ハレンのもとへ連れて行く。
患部が大きく腫れて行く老人。ハレン医師はこの未知の症状に関し「寄生物が肉を驚くべき速度で吸収している・・! 直ちに腕を切断せねば・・!」と診断を下す。
彼は看護師のケイトを電話で呼び寄せるが、彼女が駆け付けた時、既にベッド上に老人の姿はなかった。代わりに、診察室の床には巨大な“粘液の塊(=アメーバ)”が出現し、医師と看護師に静かに襲いかかる・・

一方その頃、ハレン医師の命により隕石の墜落現場に向かったスティーヴとその悪友トニーたち一行。証拠品となる「隕石の破片」を見つけるも、その中にはもはや何の痕跡も残されてはいなかった。

報告に戻ったスティーヴは、ハレン医師が“アメーバ”に覆われる、まさにその瞬間を目撃する。彼は事の次第を市警に通報するが、デイヴ警部らがハレン医院を捜索した結果、特に殺人事件の行われた痕跡は何ら見当たらず、逆にスティーヴとジェーンは迎えに来た彼らの父親たちによって、それぞれの自宅へと連れ戻されてしまうのだった。

警察がそんなまったりした対応(?)をしてる間にも、ハレン医院を抜け出した“アメーバ”は深夜の町なかへ繰り出し、次々に市民を喰らって巨大化してゆくのだった・・! そんな展開。

高校生を演じつつも、当時のマックィーンってば、既に実年齢では「三十路前」だったらしい。。道理で老けてる訳だ(⌒〜⌒ι) が、スターとしてのオーラもぼちぼち立ち上りつつあり、魅惑的なブルーアイ(青い眼)は既に十分な“メヂカラ”を放ってるように感じた。

気に入ったのは「脚色」と「世界観」であろうか。複数の場面を同時に描きつつ、しっかりシーンの切り替えをやってるのが良い。必ずしもマックィーンだけを優先して描くのではなく、襲われるその瞬間まではハレン医師もが“主人公の1人”をしっかりと演じ切っていた(←ちょっとグレゴリー・ペック路線の男優さんだった)。
もう1つは「夜明けまでの一夜」を程よい長さと静けさで描いてた点。住宅地は寝静まり、通りもまた静まり返っているのだが、街の中心にある劇場(映画館)の中は大盛況だったりするのも“アメリカの金曜の夜”って雰囲気がムンムン漂って来て、なんかワクワクさせられた(⌒〜⌒ι)

終盤で、タイトル通りスティーヴ&ジェーンはまさに「絶対の危機」を迎える訳だが、その前段階で「観客には“アメーバ”撃退の大きなヒントが提示される」のが最大限に素晴らしかった! マックィーンがそこに気付かないのも自然な感じで良い。あそこで観客より先に「そう言えばさっき・・」などと言われると、ムカつくもんなんですわ、観客ってヤツは(=^_^=)

軍隊の出動が最後の最後ってのも良かった。あんまり中盤から(彼らに)ストーリーに介入されると、主人公らの言動が薄まってしまってつまんなくなるのが必定とも思うもんで☆

何にしても、単なる“B級SF作品”と一蹴するには抵抗のある、十分な佳作だと思った。
オープニングに流れるあの“脱力テイスト溢れるテーマ曲”だけは確かに「アレ」なんだけど。。
(と言いつつ、そのテーマ曲を手がけたのは巨匠バート・バカラックらしい!)

〜 こんなセリフも良かったです 〜

スティーヴ「正気の人でもUFO(←セリフでは“FLYING SAUCER”と言ってた)を見たという人は多い。
      ただの光を錯覚してね・・もしそれと同じだったら、
      ぼくらは大人しく家に帰り、世界は昨日と同じ日が続いて行く」

ジェーン「あなたは真実から逃げる人ではないわ」

デイヴ警部「(対処が)間違っていても、責任者はこの私だ。私が判断する!」

追記1:劇場オモテには「DAUGHTER OF HORROR ALSO BELA LUGOSI」なる表示が! ベラ・ルゴシ出演なんやね〜。また「エアコン完備(AIR CONDITIONED)」ってな看板も何だか微笑ましかった。因みに当時の映画代は80セントとのこと。
追記2:「あちっ!」みたいな動作(演技)をしつつ隕石の破片にベタベタ触るスティーヴら。おまいら、放射能の危険性も考えろよ(×_×)
追記3:一家にクルマが2台あるアンドリュース邸。お金持ちぃぃ!
追記4:追い詰められた※※※で「大丈夫よ」と言い放つ、ヒロインの悲し気な表情が美しい!
追記5:デイヴのセリフ「少なくともこれで活動は止められた」に対し「※※が寒い間はね」と返すスティーヴ。まさに、現代はそこが(地球全体で)問題になってるんですよ!
追記6:表示された「THE END」の文字が形を変え「?」となるエンディング。何だか『フラッシュ・ゴードン(1980)』っぽいオチやね(・ω・)

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2007年12月 4日 (火)

☆『機関車先生(2004)』☆

3日(月曜)。衛星第2で放送されていた教師モノ(?)映画『機関車先生』を観た。
・・が、中盤以降の鑑賞となった。。
午後9時からの放送だったもんで、録画なんかせんでも十分に帰宅出来るやろ、と考えてたら、週の始めから残業3.5時間コースに突入し、こっちが機関車にはね飛ばされたようにズタズタボロボロになってしまった(×_×)

まぁ、中盤以降で観始めても、あんがい展開はフォロー出来たけど(・ω・)

瀬戸内海に浮かぶ小島=葉名島が舞台。臨時教師としその島にやって来た“機関車先生”こと吉岡教諭(坂口憲二)を主人公に、彼の生徒である小学生らが反発しながらもやがて成長して行くさまを描いたドラマ。
島民とし堺正章(校長先生)、伊武雅刀(網元=漁師らの元締)、倍賞美津子(よねバアさん)、大塚寧々(島のお姉さん)が、他に徳井優(瀬戸内新聞の記者)も助演しており、意外に豪華キャストな印象☆

帰宅後、慌てて(=^_^=)テレビを点けると、とにかくあらゆるセリフや効果音が字幕表示されてて、少しびっくり。どうやら聴覚障害の視聴者の方々への配慮らしい。
作品そのものが“機関車先生”が「とある事情」により、話す事の出来ないキャラ設定となっていて、シーンによっては先生と周囲の人々が手話を用いて会話する展開があった。

伊集院静氏の同名小説の映画化と言うことで、島内の描写はややくどいぐらい丹念に作られていた(葉名島のモデルとなったのは、伊集院氏ご自身の出身地の島だそうである)。

なぜ“機関車先生”と呼ばれるようになったのか・・がもはや中盤からでは説明も終わってて分かんなかったのが残念だった(×_×) てっきり、島内への鉄道(蒸気機関)誘致運動絡みか何かの急展開を想像してたんだけど・・

坂口と言えば、CMで放ってた「親父ぃ?!」のひと言ぐらいしか、言葉を聞いた記憶がない感じなんだが、本作ではセリフを“封印”されているが故の「態度や視線で演じてる」って気迫みたいなものが終始立ち上ってて、なかなかに好印象を受けた。

倍賞さんが小僧どもに、ことあるごとに「バア呼ばわり」されてたんだが、ワタシとしては『OUT(2002)』において、全裸で浴室床に横たわる大森南朋を眺め下ろし「皮っかむりだねぇ・・」と呟いたり、襲いかかって来た最凶キャラ=間寛平をぶち殺したりした“武勇伝”ばかりがどうにも記憶に残ってるもんで・・「ゴラァ、ガキどもぉ! このしとは、ホンマはムチャクチャおっかないしとなんやぞ!」と諭したくなること度々であった(⌒〜⌒ι)

ラストでは、先生は生徒らと別れ、北の地へと赴任して行くのであるが、岸から手を振る生徒らに深々と頭を下げる船上の主人公の態度を眺めてて「何だか金田一耕助シリーズのノリやな〜」と妙な方向へ連想が働いたのだった(・ω・)> ←演出家がさしたる理由もなしに(=^_^=)いきなし「チューリップハット」を坂口にかぶらせたりして。。

で、もし更にとことんやるのなら(←何をだ(=^_^=))、校長先生役には加藤武氏をキャスティングし、登場シーンの9割以上で常に彼に粉薬を飲ませつつ、手を叩いて「よし、分かった!」と大した確証もなく叫ばせたり、ラストで同乗の船客として石坂浩二氏に特別出演頂き、島に別れを告げる先生の耳元で「あなたはおよねさんを愛してらっしゃったんですね」と呟いたりさせるとほぼ完璧(←だから何がだ(=^_^=))なんじゃないだろうか。

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2007年12月 3日 (月)

☆“ウルトラセヴンX”の第9話を観た☆

2日(土曜)の深夜に放送されたものを首尾良く録画出来たので、早速観た☆
これまで頑張って(?)観て来た訳だが・・残すはあと3話! 何とか全話をフォローしときたいトコである。とは言いつつ、観終わったら、さっさとHDD上から消去してしまってるが(⌒〜⌒ι)

前回が“ヒッチコック路線”だとすれば、今回は“中途半端な大正ロマン路線”って印象だったか。
「明日が100年ぶりの皆既月食の日」と言う時期に起こる“白いドレスの女連続殺人事件”を我らが(?)デウスのエージェントたちが追う。
今回登場の怪人は「とある物質」に弱いと言う設定。にしては、その格好が旧ウルトラシリーズに出て来た“ラゴン”に何処となく似てる気がしたけど・・(・ω・)

決定的な手がかりを掴めない主人公(ジン)らの前に「東都大学民俗学研究室助手」を名乗る男=尾形俊行が接触して来る。彼が言うには、100年前に発生した「令嬢・鷺ノ宮まひる殺人事件」の容疑者と目されたまま、鷺ノ宮邸からこつ然と姿を消した青年・望(のぞむ)が今回の事件にも大きく関わっているそうであるが・・

調査中に、望のかつての所持品であった双眼鏡(グラスメモリア)を手に入れたジン。双眼鏡を覗き込んだ彼の眼に映った風景とは??

ストーリーこそ、そこそこにミステリアスなんだけど、今回も物語のバランス(組立)のイマイチな感が拭えなかった。終盤のセヴン登場シーンも“付け足し”っぽいし(またも“いきなしアイスラッガー攻撃”だったし・・)、令嬢と美形キャラ(2名)の描き方も、ちょっと淡白な感じで感情移入なんか出来やしなかった(×_×)

「月」が今話の重要なポイントかと思いきや・・実は「※(とある物質名)」だったりして。

〜 こんなセリフが印象的でした 〜

敷島教授「何と言っても、特異な科学的性質を持つと言う点では、水の右に出る物質はないからね」
    「水は、地球上のあらゆる生物の生命活動を支える一方で、最も強固な金属をも溶かす、
     苛烈な性質を併せ持っている」

追記1:演出面では「水滴の効果音」の使い方が面白かった。何か観てて、思わずノドが乾いて来るね(=^_^=)
追記2:主人公の生活する街の地底には“広大な地下網”が張り巡らされているらしい。これって『第三の男(1949)』へのオマージュなんかいなぁ?
追記3:劇中で何度も自然に“獣化(じゅうか)”なる表現が用いられており、思わず「強殖装甲ガイバー」を連想してしまった(⌒〜⌒ι)

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2007年12月 1日 (土)

☆『炎上(1958)』☆

残業に暮れた感じの11月が終わり、12月1日(土曜)。起きた時間こそそんなに遅くはなかったモノの、何か出かける気分にもなれず「たっち君」上でFCソフト『珍説ムサシの冒険』を走らせて遊んでみたり、はたまた「たっち君」上でジャケット(画像)の表示されない音楽アルバムに関し、ちまちま画像を埋め込んだり・・
それらもひと区切りついたので、夕方からDVD版を購入しておいた邦画『炎上』を観た。

ほぼ半世紀前のモノクロ作品。三島由紀夫による原作『金閣寺』を映像化した市川崑監督の手腕は流石になかなかのモノ。昭和期のリアルな京都の映像が満載・・ともなると、コレはもはや映像遺産と呼べるのかも知れない☆

三十路半ば過ぎにて、惜しくも病気で世を去ってしまった花形俳優=市川雷蔵を主演に、ゆくゆくは京を代表する古刹“驟閣寺(しゅうかくじ)”の住職に、とも目されつつあった青年の孤独、苦悩、そしてやがては黄金の楼閣に火を放ってしまう姿を描いた展開。

この時代の映画に多く見受けられる「ぼそぼそ喋り」がやはり目立ってたので、所々で聞き取れない言葉もあったが、多少のセリフを聞き逃しても十分にフォロー出来る、ある種のシンプルさがあった(ま、シンプルながら“浅い”訳では決してないが) 反面、映像面では傷みや乱れが全く見られず、そこは驚愕させられた!

※後でパッケージを確認すると「デジタルニューマスター仕様」と記載されていた。流石!

原作通り、主人公の溝口青年(市川)が吃音の設定であり、そこに絡んで来る悪友(?)の戸苅(とがり)なる男(仲代達矢)もまた歩行に障害を持つ青年であるから、、本作ってちょっとすんなり放送出来ないような・・そんな仕上がりになっている訳である(問題発言も多いし)。。

冒頭は、木造建築“驟閣(=国宝!)”の放火消失事件後、取調室で検事や刑事部長に詰問される溝口の姿から描かれる。そこから彼の回想が始まり、その回想の中で更に「父の死」などの回想が二重構造で描かれる面白さがあったり。

以前、実相寺昭雄監督の初期長編(?)『無常(1970)』を観たときも感じたが、この手の「反骨的な物語(と単に評して良いか分からないが・・)」に登場する“アウトロー”たち(本作での仲代、『無常』では田村亮)のしたたかな言動&生き方って、何ともパワフルやな〜と驚かされてしまう。
やってること、言ってることはメチャクチャなんだが、そのメチャクチャさが偽善や平静を取り繕っているその(作品)世界の中にあって、実に生き生きと輝いているのだ。
前述の“問題”により、テレビ放送はほぼ絶望視せざるを得ないんだが、機があれば、是非観て頂きたい1本ではある。尤も、後味は決して良くないンだけど。。

仕方がないとは言え、惜しいのはやはり全編モノクロである点。乱暴な意見とは承知の上で、是非劇中に描かれる“驟閣”を全てパートカラー処理で「金色に再現」した映像を何とか観てみたいものだ(・ω・)

元ネタである“金閣・舎利殿”に比べると、どっしりした三層の楼閣ではなく、どちらかと言うと正方形型の二重塔として登場したのが本作の“驟閣”。屋根にも鳳凰像でなく、通常の相輪が配されていた。
しっかりと木造塔を建造し、終盤で火を放っているトコロ、スタッフの本作にかける意気込みを感じた・・反面、木造塔好きなワタシとしては「燃やすのはミニチュアにしといて、どこかの寺(←関西圏きぼん(=^_^=))へ移築(寄贈)して欲しかったよなぁ〜」と思ったものだ。

DVD付属のブックレット内の市川監督インタビューによると、金閣寺住職からの注文により「作品名」「登場する寺の名」を修正したところ、すんなりOKが出たそうだ。インタビュアーが苦笑まじりに言ってるように「その程度の改変をしても、誰が観ても『金閣寺』の映画化と分かるのに」と言うのはあるンだけど。。
(冒頭では「登場する人物及び背景はすべて完全に架空のものである」みたいな注釈がどど〜んと出るが)

〜 こんなセリフが印象的でした 〜

老師「寺にいる人間やから言うて、誰も彼もが“仏さま”と言う訳にはいかん」
  「“終わったこと”を、今さら言い訳して何になる?」
  「知っても分からなければ、それは知らぬも同じことだ」
  「学生同士の(カネの)貸し借りに“利子”などと言うことは認められません」
  「仏の裁きじゃ・・」

母親「万一、京都が空襲されても、驟閣寺みたいな“勿体ないお寺”は、きっと焼けしまへん」

溝口「この驟閣で火に焼けて死ぬんやったら・・本望や」
  「暗い毎日をたった1人で生きることを覚えたら・・人とすらすら話しが出来んようになるんや」
  「驟閣は誰のものでもないんや、はじめからそこにあって、はじめから奇麗やったんや。
   それを皆が金儲けの道具にしようとかかってるんや。
   ・・驟閣は生きてるけど、変わらへん」
  「俺のすることは、たった1つ、残っているだけや」

戸苅「孤独になれば、お前も俺のように“超越”して暮らせるようになる」
  「他のヤツらが馬鹿騒ぎしてる時間を、俺は“人間を観る”ために使うのだ」
  「面白いものなんか、何処を捜したってあるものか!」
  「驟閣など、ただこれまで天災に遭わなかっただけの理由でやっとこさ残ってる建物だろ?」
  「俺は死なんよ。早ぅ死ぬ人間は、どっかにひ弱いところがあるんだ。しぶとう生きる人間は
   そう簡単には死なん」  
  「世の中が変われば、坊主だって変わる。殊に、厳しい戒律の中で暮して来た人間は
   カネの力にはもろいからな」

まり子「ここ(遊郭)が焼けたらえらいこっちゃけど、そんな寺が焼けても焼けんでも
    どっちでもよろしやないの」 ←演じたのは、若き日の中村玉緒(!)

追記1:溝口の通ってるのが「小谷(こたに)大学」と言う設定には、ちょっと苦笑させられた。まんまですやんか。。
追記2:ご覧頂くと分かるが、ラストの展開が原作と違う。スパッと作品を終わらせる意味では良いのだが、ああなると母の運命とダブってしまってる感じがするなぁ。
追記3:本作、タイトルもまんま『金閣寺』として1976年に再映画化されているそうだ! 主演:篠田三郎、共演:加賀まりこ。参考サイトはこちら ↓

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD20053/story.html

※無断リンクですみません。(にしても、今度はすんなり金閣寺側の許可が下りたのね・・)
追記4:「カラーで本作を!」と訴えてしまったワタシだが、製作当初から市川監督の胸中では「モノクロで作らせてくれなきゃ、やめる」との意思が固かったようだ(インタビュー記事より) 監督曰く「カラーだと描きたい炎の赤が白々しく仕上がってしまう。白(炎)と黒(驟閣)のコントラストによる格調を狙いたかった」とのこと。そうおっしゃられると・・シロウトはもう、黙るしかありまおんせん(×_×)
追記5:もしまた、再映画化する機があるなら、私的には荒川良々氏にぜひ主演をお願いしたい。結構雰囲気を出してくれるハズ・・
追記6:ワタシの中では、本作(原作)を中心に、水上勉『雁の寺』とか、円谷プロの秀作特撮ドラマ「怪奇大作戦」の『呪いの壷(第23話)』『京都買います(第25話)』などと物語世界がリンクされてしまっている(・ω・)
追記7:不謹慎ではあるが・・私的に映画化して欲しいのは“谷中五重塔放火心中事件(1957)”であろうか。この時期に官能芸術作品(?)として公開すれば、その話題性が“塔再建の起爆剤”となるように思う!

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☆『トム・クルーズのコラテラル(2004)』☆

※溜まってる映画メモをまとめた記事です。とりあえずはここらで追いつけた感じか?
(余りに古いメモはボツとします、しくしく(×_×))

先月(10月)21日(日曜)の夜。“地上波初”で放送された『コラテラル』を観た☆
公開当時、劇場で観たりもし・・あと、今回の放送直前(!)にDVDソフトを購入したトコだったりもした(・ω・) ←ま、2枚組の特別版だし安かったので後悔してないけど。。

トム・クルーズ(以下トムクル)主演による「世にも珍しい(?)」クリミナル(犯罪)アクション! ってことで、トムクルの専売特許(或いはチャームポイント?)とも言うべき“ニヤつき顔”が劇中でほぼ“封印”されてたのはスゴかった! 彼は本作の後『宇宙戦争(2005)』『M:i:3(2006)』に主演することとなる訳だが、それらの作品よりよほど「身体能力」が高かったように見受けられた(・ω・) ←「蹴り」一発で相手の足を折るわ、いきなり相手の首をへし折るわ。。

ロスの空港に降り立った、フリーの殺し屋ヴィンセント(トムクル)。“とある組織”の依頼を受けた彼の目的は、夜明けまでに5人のターゲットを暗殺すること。携行するノートPCを駆使し、スタイリッシュに“仕事”の遂行を目指す彼だったが、たまたま捕まえたタクシーの運転手マックス(ジェイミー・フォックス)の思わぬ妨害に遭い、“殺し屋に巻き込まれたマックス”と同様に、ヴィンセントもまた“波乱の一夜”を過ごすこととなるのであった・・みたいな流れ。

本作がテレビ放送され、やはりガッカリさせられたのは・・冒頭のとある乗客に関し「キャラ紹介」の字幕がご丁寧にも表示されたことか(・ω・) 親切であるとは言え「これじゃ後々のサプライズが台無しじゃん!」みたく感じた。

公開当時、劇場で鑑賞したが、今回はとにかくヴィンセントのメチャクチャな仕事っぷりが眼について仕方がなかった(・ω・) 1人目で大きな目撃者をこしらえ、2人目でその彼が更なるトラブルを巻き起こし、3人目で完全にその彼の信用を失い(←元から信頼関係があったのかは微妙だが)、4人目では騒ぎを大きくし過ぎ、5人目ではとうとう・・

あちこちに足跡(指紋、目撃情報、証拠品)を残しつつ、破滅へと加速的に近付いてゆくヴィンセントとは対照的に、妙な悪運の強さを発揮し、その上“成り切り1日殺し屋気分”で次第に出しゃばって来るマックスにとっては、きっと人生の後半に至るまで「結構楽しかった一夜の思い出」とし記憶に残るんじゃないかな〜と(=^_^=)

ヴィンセント「ロスの地下鉄に乗ったまま死んだ男がいたそうだぞ。彼は6時間、誰にも気づかれなかった」

マックスの母「あの子ったら、頭に銃でも突き付けられないと、何にもしやしないのよ」

なんてな“含み”の有りまくるセリフ群は実に素晴らしいんだけど・・反面、残念に思えたのは映像自体の吸引力の弱さ。撮影スタッフが非力だったのか、元々の絵コンテ(?)からして甘かったのか分かんないが、折角の面白い物語が「没個性で、絵にならない(=際立たない)」映像群によって惜しくも殺されてしまってるのだ。
ここを強化していたなら『アメリ(2001)』『レオン(1994)』『セヴン(1995)』のような「1シーンを切り取ってポストカードにしても十分に引き立つ」・・そんな作品になっていたと思う。

なお、中盤の「ヴィンセントが逃げたマックスを追いかけるシーン」で“ハイウェイの真上に渡された長いトンネル型歩道橋”が登場したが、あれってヴィム・ベンダース監督の『パリ・テキサス(1984)』でもロケーションに使われてたトコじゃないだろうか(←違ってたらすんません)。

また、組織のボスと“ヴィンセント”が接触せざるを得なくなる場面では、ボスによる「もっとデカい男かと思ってたぞ」的なセリフが放たれ、何ともヒヤヒヤしてしまった。あれってトムの耳に入ればたちまち「NG」が出るんじゃないんだろうか。相手が例えマイケル・マン監督にせよ(⌒〜⌒ι)

ちょっと目立たないかも知れないが、本作って「大型トレーラーをチャーター」「ヘリによる空撮を多用」「ディスコ&地下鉄をまるまる貸し切りにする」「ロスにコヨーテを連れて来る(=^_^=)」「大きな面積のガラスを派手に叩き割ったりする」・・とか意外に制作費のかかってる印象ではある。

それ故に、もそっと“派手さ”をアピールしても良かったんじゃなかろうか。

あと、どうにも「FBI捜査官の絡め方」が実に中途半端で不満が残ったなぁ。

〜 こんなセリフも印象的でした 〜

女検事「公判前夜は緊張でぐるぐるしてるわ・・負ける気がしてね。
    朝になって公判が始まれば・・もう大丈夫なんだけど」

ヴィンセント「来るたびにさっさと帰りたくなる街だな、ここは」
      「もうこのクルマはロス1清潔なタクシーじゃないぞ」
      「状況が変わったら変わったで、環境に臨機応変に適応するのが大事だ」
      「いつもの習慣通りにやれ」
      「見舞いには花だ。お前を腹に入れていた女だろ?」
      「やるしかないのさ、そう考えれば多少は気が楽になるだろ?」
      「人生は短い、いつか終わる」
      「生き死にに良い理由も悪い理由もない」
      「広大な宇宙の中じゃ、お前の命も俺の存在もチリみたいなもんだ」
      「なぜ踏み出そうとしない? なぜいつまでもタクシーに乗ってる?」

追記1:終盤の※※局オフィス内。イスを投げ、窓を叩き割った直後、滑ってこけるトムは“ちょっとした見所”かも。きっとトム本人は「こんな風にこけてるオレすらも・・最高☆」とか悦に入ってたに違いあるまい(=^_^=)
追記2:この映画をもっとバカっぽく仕上げたら『ジャッカル(1997)』のリメイク作と呼ばれてたハズである(=^_^=)

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