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2007年11月30日 (金)

☆『いつか読書する日(2004)』☆

※溜まってる映画メモをまとめた記事です。

7日(水曜)の夜。衛星第2で放送されたものを観た。「静かに燃え盛り、やがて散ってゆく」・・そんな中年男女の恋模様を描いた佳作である。
実を言うと、あんまし期待してなかったんだが・・『コキーユ(1999)』同様、たぶんワタシの心の奥底に、ずっと生涯に渡り記憶(の片鱗)の残されてゆく・・そんな作品となるんではないか??
現時点で、そう思っている映画である(←大げさやな〜)

早朝に「田畑牛乳店」の牛乳配達を、その後「Sマート」でレジ打ちのパートをし生計を立てている50歳の未婚女性・大場美奈子(田中裕子)。
そんな彼女と町なかで微妙にすれ違いつつ、市役所職員(児童課)としての決まり切った日々を積み重ねる高梨槐多(かいた)(岸部一徳)。
2人は実は35年前の若かりし日、中学校の同級生であり、ほのかな恋心を互いに描き合っていた仲でもあった。

現実には、高梨には重病の妻・容子(仁科亜季子)がおり、彼女の介護を第一に考える彼は、とにかく余計な言動に時間を割くことを避け、自宅と職場を往復するだけの男だった。

そんな中、「Sマート」で常習的に万引きをする少年の保護を巡り美奈子と槐多は急接近することとなる。

自らを律し、ひたすら無関心を装う夫に対し、容子は“ある決心”をし、毎朝牛乳の届くポストに配達人=美奈子へ宛てた手紙をそっと忍ばせるのだった・・そんな展開。

本作で「直感的に感じた」のは・・「死が迫った時、人の感性は鋭敏になるのかも」ってことだろうか。
寝たきり状態の容子が、真夜中にむっくりと起き上がり、癌に蝕まれた躯に残された“最後の力”を振り絞って部屋を出、玄関のポスト(牛乳箱)へと向かう・・その姿に「このシーンは幻想なのではないんだろうか?」「大仕事を済ませベッドに戻った時、きっと彼女の躯は冷え切っていたんだろうな」などと色々な想いを巡らせた次第だ。

夫の、長年秘めて来た想い・・を的確に見抜いていた病床の妻。
亡くなりゆく存在に対しては、憐憫と言うよりも、直接的な恐怖を感じてしまうものなのかも知れぬ、家族と言うものは・・
(ときに「配達された牛乳を殆ど飲まず、流しに棄ててる槐多」なる描写は秀逸である!)

一方で、半ばコミカルに「認知症老人」の日常が描かれる。
午前6時に新聞を手にトイレに入り・・出て柱時計を見上げたら午前10時。
妻の姿は見当たらないが、入れたてのお茶がテーブルに置かれ、湯気を立てている。
家じゅうに妻の姿を捜し、やがて台所へ戻れば午後4時。
テーブルの上の器がいつの間にか増えており、湯気を立てている・・

妻がいなくなった“事件”を何かに例えたいが、巧く言葉が出て来ず・・最後に捻り出されたのは
「マリー・テレサ号??」などと言うトンチンカンな船舶の名前だったり(⌒〜⌒ι)

ああ、将来はこんな感覚に陥ってしまうのやろか・・(×_×)

細い坂を「よしっ!」と気合を入れ上ってゆく女がいたり、
一方で棺に入り、無言でその坂を下ってゆく女がいたり。
そう言った“対比映像”も独特のセンスで描かれており、印象深かった。

最後の最後に美奈子と槐多とは結ばれるのか? そしてその後は・・?

本作における岸部一徳氏を観ていて、ふと連想したのは『顔(2000)』における切ない役柄だった。あちらもショッキングでやるせない運命を迎える同氏なのだが・・本作では「ラストで確かに笑っていた」のがまだしも救いになっていたかな、と。

・・にしても「ずっと思って来たこと、したい!」「全部、して!」の激しくエッチなやり取りには何とも圧倒された(⌒〜⌒ι)
本作を沢田研二が観たとして・・どんな批評を妻(田中)にするんやろね??(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

妻の手記「全てが判った朝だった」
    「もしこの願いが届いたら・・私も救われると思うのです」

槐多「あの・・50歳から85歳って長いですか? 今、50歳なんで・・」

↓ 問われた老人の答えは、さぁどっち?!(=^_^=) ↓

A)「あっと言う間さ」
B)「長ぇぞ」

敏子「ふと思うのよ。貴女に別の生活とか、人生があったんじゃないかって」
  「この人(認知症の夫)ね、昔に向かって生きてるのよ、どんどん元気になっていく」
  「2人とも長生きしてね、色んなことが分かって行くから」
  「若い頃にね、奪ったんだ、妻子のいたあの人を・・その時に決めたんだ、絶対にこの人を看取ってやるって」

同僚「最近やけに熱心だな」
槐多「仕事だし」
同僚「そうだな・・だが前はそうじゃなかったろ?」

ラジオの女性DJ「恋愛って、片想いの時が一番幸せだったんじゃないかな?」

容子「労らなくていいの、うそつかないで本当のことを言って欲しい」
  「自分の気持ちを殺すって、周りの気持ちも殺すことなんだからね」
  「蚊が飛んでいたけど・・私を刺してもくれない」

槐多「オレさ、若い頃に「平凡に生きてやる」って決めたんだ・・今まで必死でそれを守って来た」

美奈子「私、つまんなそうな女ですか?」
   「これからは・・本でも読みます」

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2007年11月29日 (木)

☆『椿山課長の七日間(2006)』☆

※溜まってる映画メモをまとめた記事です。

8日(木曜)の夜。テレビ放送(=地上波初登場)されたものを観た。原作:浅田次郎、主演:西田敏行/伊東美咲によるハートフルな「転生コメディドラマ」って感じだったか。殆ど期待せず観始めたんだが・・コレがなかなか巧みな「人間讃歌」ぽくなってて、意外に楽しめたのだった(・ω・)

中年男性なら、誰しもの心に“ちょっと残る”ストーリーなんじゃなかろうか・・(⌒〜⌒ι)

繁忙期のデパートで、中年サラリーマンの椿山課長(西田)が急死する。

さて。

眩しい光明の中で彼が眼を覚ますと・・そこは天国と地獄の境界にある“中陰役所(ちゅういんやくしょ)”と呼ばれる(←誰に?)場所だった。案内人マヤ(和久井映見)の説明を受ける、集められた(=死にたての)人々・・どうやら、彼らはいずれも4日前に亡くなったそうである。
彼女の説明の中での「自身の死に納得出来ず、かつその事情の認められた者」のみは「初七日の期間内に限り」現世への“特例の逆送(帰還)”を希望することが出来る・・そんなシステムを知った椿山は早速、それに志願し審査を受けることにする。

果たして、24倍の難関(=希望者72人で最終的に3人が合格)を勝ち抜いた椿山とほか2名(雄一少年、武田親分)はそれぞれの「事情」を酌量され、みごと“逆送”されることとなったが・・現世では、彼ら自身も戸惑うような色々な「事情」が(彼らの死後も)尾を引いていたのだった。・・みたいな流れ。

“逆送”の期限は7日間。なんだけど、眼を覚ました時点で既に4日も経過(!)してたんで、実質的には『椿山課長の三日間』と言った方が正しいのかも知んない(⌒〜⌒ι)

・・にしても「知らずに死んでおいて幸いだった」てことがこんなに多いのね、と浅田センセイの描く悲喜こもごもな人間界の四方山に考えさせられることしきりだった。。

椿山篇としては「介護が気がかりだった父の事情」「残して来た妻子の事情」「同僚=知子(ともこ)の事情」と3つもあるし・・!

中でも、妻子の事情は(観てて)実にツライもんがあった。。
そこから得た教訓(?)は「例え費用が安く済むにしても、会社の後輩(部下)に引っ越しの手伝いを頼むと、色んな問題に発展することがある」ってトコか(・ω・) 
一方で、ウルウルと泣けてしまったのが「認知症で施設に入所した筈の父親が・・実はボケてなんかなかった(!)」と言う演出。ここで親父さんが「息子夫婦を前にしての、一世一代の芝居でね」とぽつり告白するトコで、何だかもう、泣けましたわ(×_×)

知子(余貴美子)が密かに椿山に想いを寄せていたことは、微笑ましい側のエピソードか。妻帯者である主人公の立場からすれば「不貞」と思われても仕方ない関係なのかも知れないが、一方で彼の妻・由紀が実は・・と言う“先制打”が先に放たれてるため、こちらの方などはよっぽど可愛く、プラトニックで、美しくさえ映ってしまう(⌒〜⌒ι)

雄一少年が転生した姿・・蓮子(れんこ)(志田未来)とコンビを組むのが椿山の息子・陽介を演じた須賀健太クン。今回も巧みに(?)“出しゃばりオーラ”を抑えて演技してた感じ。何とも芸達者な小僧だなぁ・・(⌒〜⌒ι)

『呪怨(2003)』『海猫(2004)』・・と出演作を観て来た限り「ラッ、、ラディッシュ?!」と思えてしまう(和山椿を演じた)伊東美咲さんだが、本作では「自分であって自分でない、かりそめのぎごちない姿」みたいな違和感を終始抱えたキャラであり、それ故「妙に自然」に思えた(=^_^=)
そう言うシチュエーションを専門に演じる女優さんとして作品を選べば、もっともっとブレイク出来るんじゃなかろうか?!
(「ラブコメの女王」ならぬ「転生系ドラマの女王」みたいな(=^_^=))

また、準主役とし存在感を発揮してくれたのは(武田親分の弟分である)ヤクザ者・市川を演じた國村隼。やっぱり巧い。黙っていても何かを語ってそうな表情なのが良い。本作ではルーシー・リューにいきなし頭部を斬り落とされるような切ない退場演出もなく、ファンの方も安心して楽しめるのではなかろうか。

しっかし、中年のおっさんである自分が、万一(=^_^=)わっかい美人のね〜ちゃんとしていきなし転生したりなんぞした日にゃ・・事情だの残して来た家族だのは後回しで、まずはとにかく獣欲を満たしまくるような気がしないでもない・・(←どんなヤツだ!)
ま、それは言い過ぎとしても、ついつい、記念のセルフヌード写真なんかでも撮りたくなるのが、リアルな人間ってもんじゃないかしらん(・ω・)

そう言った点では「人間の性」みたいな一面が余りスッキリ描かれておらず、少々観てるこっちとしては歯がゆく、かつ不満も残ったが・・ま、そこをリアルに突き詰めて行くと、ちょっと映像化とかは出来なくなるんだろうね、、生々しくて。。

〜 こんなセリフも良かったです 〜

椿山の老父「死者にもプライバシーってもんがあるからな」

知子「寂しいね・・勝手に死にやがって、あいつ・・」
  「(あいつは)空気のような存在だった、あいつが死んでそのことに気付いた」
  「鼻を触るのは「好きだよ」のブロックサインだった・・使わなかったけど、決して忘れない」

※こうしてセリフを辿ると・・影の主役は余貴美子さんだったような気がしなくもない。

追記1:天国は本作では以下のように定義されていた。「希望すれば、自分の存在をいつでも“消去”することが出来る(死後の“完全”な死?)」「金も病気も戦争もない世界である」「居住地、宗教、言語を自由に選べる」「残して来た家族とは会えない」「死んだ時点の姿(性別、年齢、服装)がそのまま反映される」
追記2:“逆送”された場合「生前とは正反対の姿」「基本的には美男美女」になれる! が、何故・・雄一少年が(熟女or老女でなく)少女の姿となったのかは(説明もなく)良く分かんなかった。。

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2007年11月27日 (火)

☆“ウルトラセヴンX”の第8話を観た☆

26日(月曜)。残業2.5時間+(降って湧いた)飲み会2時間・・をこなし、ヘロヘロになって帰宅しつつ、先週末に録画しておいた『ウルトラセヴンX』を観た。
現在のトコ、録画予約のモレもなく、順調に鑑賞出来ている(それ故、第1話のみ観逃してることがやや悔やまれるが・・) ワタシにしては珍しいかも(・ω・)

今回は、とある若い夫婦を襲った悲劇を「軸」に、雷雨の夜に限り発生する“連続通り魔事件”を地球防衛組織(?)デウスのメンバーが追う・・ってな展開。

「容疑者は赤いコートの女」「現場の壁に“NO MAN”なる血文字が残される」というミステリアスな演出も入れてくれてたが、後半からオチへと繋がる部分に「脚本家は若手じゃないのかも??」と不思議な心地がした。

・登場する合成麻薬の名前が「バーティゴ(Vertigo)」
・登場する映画館(スカラ座)の看板や貼り紙に「スリラー映画の巨匠」「サイコ」「めまい(原題:Vertigo)」の文句

ってトコは、隠しようもなく“アルフレッド・ヒッチコック監督礼讃”であるし、円谷プロ的なネタとしての

・青い血の女 ←“旧怪奇大作戦”のタイトルネタ
・登場する映画館(スカラ座)の貼り紙に「明日を捜せ!」「勇気ある戦い」の文句 ←“旧ウルトラセヴン”のタイトルネタ

などと言うのも盛り込まれている。

私的に面白いなーと思ったのは『サイコ(1960)』『めまい(1959)』の製作年が“旧セヴン”のそれ(1967)よりも更に古いトコだろう! 間もなく(?)半世紀が経とうともしているのに、未だオマージュを捧げ続けられるヒッチコック作品は・・やはり普遍的で素晴らしいのだろう。

若い夫婦として登場のアガタキョウスケ&アサミの描き方は、まさにミスリーディング(引っかけ)。彼らの物語を語る人物が変わることにより、それまでに描かれた映像は殆ど意味を持たなくすらなる。。
それはそれで面白いんだが、日本のサスペンスドラマ的手法としては、既に手垢でテッカテカになっちゃってる印象があったよーな。

因みに、ワタシがこれまでで「最も衝撃を受けた」その手の映像の1つが『ファイト・クラブ(1999)』の後半、タイラー・ダーデン(ブラッド・ピット演じる)に主人公ジャック(エドワード・ノートン演じる)が髪を鷲掴みにされて、引きずって行かれるシーン・・それを「客観的に映した」監視カメラ映像だろうか! あれはスゴかったなぁ〜。

比べると、ああ言う「ハッとさせるほどの描写」にどうにも欠ける感が否めなかった。今エピソードも、ドラマ部分を延ばして描いたが故に「セヴンへの変身シーンなし」「いきなしアイスラッガー攻撃」みたいな“ムチャ”が見受けられたし(・ω・)

終盤に繋がるネタかよっ?! と気になったのは、ヒロインに「どうしたの? 少し疲れているみたい・・」と心配される主人公。“旧セヴン”に通じる、地球での生活で急速に生命を削られてる?! みたいな演出をラスト2話(←前後篇仕立てとか)辺りで炸裂させる気なんじゃねぇか? とついつい邪推してしまうものだ。

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2007年11月25日 (日)

☆『小さな恋のメロディ(1971)』☆

まとめられてないままの映画メモが溜まって来たので、ぱぱっと書いていきたい。最近の鑑賞はテレビ放送がメインだろうか。
ここしばらく続いてる残業量の凄まじさでは、残念ながら劇場に行こうと言う気すら起きない(×_×)

14日(水曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。「タイトルは知っていたが、未見だった作品」の1つであり、きっとお約束的な“お子ちゃま路線”の“甘酸っぱい初恋モノ”なんやろな〜と甘く考えてたんだが、これがなかなかに独創的でスパイスが利いてて良かった☆
・・って言うか! 原作&脚本を手がけたのが、巨匠アラン・パーカーではないっすか! コレは全然知らなかった。後年の監督作『アンジェラの灰(1999)』に通じる脚色センスの一片が垣間みられたかも知んない??

※本作では監督は手がけていない。

ビージーズのナンバーをプロモーションヴィデオ的に配しつつ、ダニエル・ラティマー&メロディ・パーキンスの2人が出会い、気持ちを通じ合わせ、学友らと力をあわせ「不条理なオトナたち」に対するスティング(=反逆の一撃)を放とうと試みる・・そんな展開。
ラストが実に唐突&爽快で「ええっ、コレで終わるんかいっ!? いきなりかいっ!?」と驚かされてしまったので、出来ることなら、上映時間とかオチとかの予備知識なく、楽しんで頂きたい作品である。

中盤で驚かされる(?)のは、厳格な校長に呼び出され“お仕置き”を受けた直後、連れ立って歩いてた親友オーンショーを振り切り、階下で待っていたメロディと2人でさっさと去ってしまうダニエル少年。
そんな展開なぞ予期すらしてなかったオーンショーが叫ぶ「ダニー!」の声が校内に空しく響くのだが・・オーンショーに(きっと)近いレベルで、観てるワタシもびっくりさせられてしまった。
こう言う「必ずしも、恋愛の流れを懇切丁寧に描いてない」って演出(=水面下で進展してた恋愛)はなかなかにトリッキーで「やるなぁ!」と感じるものだ。

本筋には余り本格的に(=^_^=)絡んで来なかったが、ダニエルとオーンショーの友達の1人である「爆弾少年」のキャラが好きだった。まるで『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』に登場する主人公の親友ベンジャミン・ブルーのように(←ブルーの場合は“エビ”あるのみだったが)、このメガネ少年にとっては「手製爆弾」を作成し、友人らの見てる前でそれを炸裂させることだけが「生きがい」のようなのだ。

彼の爆弾が果たして完成するのか否か、その辺りも本作の隠れた見所とは言えるだろう(そうかぁ?)

〜 こんなセリフもありました 〜

メロディの友達「初めてのキスには戸惑ったわ、これで子供が出来るんじゃないかってね」

※「予定外の子の父親は“法王”と決まっとる。(ローマ・カトリック教徒にとって)妊娠は神のご意思だそうだ」
 「空襲で耳をやられたわしのおじだがな・・20年ぶりに手術して治ったと思ったら、
  今度はその祝宴の席でシャンパンの栓が眼を直撃し、失明したそうだ・・運命ってのは残酷なもんさ」

メロディの祖母「そんなウソ! 昔だったら、石鹸で口を洗わされるとこだよ」

オーンショー「女ってのは鼻持ちなんない生き物なんだよ!」
      「勝者がチヤホヤされるのは、俺たちのようなマヌケな敗者がいるおかげさ。
       つまり、全ては“上にいる人(=神様)”が決めることなんだよ」

ダニエル「いつも“好きな人”と一緒にいたいだけなんだ。それが“結婚”ってもんだろ?」

メロディ「周りの人に言いふらすんじゃなく、まず私に「好き」って言って。・・最後はイヤよ」
    「大人になると・・何もかもが分かり過ぎて疲れちゃうのかも」
    「ただ幸せになることが、何故こんなに難しいの!?」

追記1:メロディの母が言ってたセリフ「お茶の時間よ、ニシンが冷めちゃうわよ」が何とも意味不明だった。ティータイムにニシンを食べる習慣があるのか?
追記2:「警官のしゃしゃり出ない青春モノ」「妙に晴れ模様の続くロンドン」は素晴らしいと思う☆

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2007年11月23日 (金)

☆『ザ・クラウン/炎のリベンジャー(2005)』☆

22日(木曜)。このトコロ、連日の残業過多でもうヘロヘロ状態である(×_×)
今夜も3.5時間ほど残業しつつ(それでも尚、仕事は残ってしまってたが)帰宅し「木曜洋画劇場」で放送(たぶん地上波初・・)されてたドイツ映画『ザ・クラウン/炎のリベンジャー』ってのを1時間以上の遅れで、晩飯を食べながら観た。
タイトルからして何ともうさん臭いので(⌒〜⌒ι)敢えて“予約録画”はしなかったんだが、それはそれとして「中盤からの鑑賞ででも、何となく内容について行ける」感じなのが良かった(=^_^=) 恐るべし、ジャーマンアクション!
元捜査官のおっさんが、何らかのリベンジを果たすべく、特殊部隊っぽい金塊強奪集団に戦いを挑む・・的な流れ。
どう言う理由でなのかさっぱり分かんないが、主人公のおっさんが、要所要所でクラウン・・つまり“道化師”のかぶり物(ゴムマスク)をして登場するのが違和感ありまくりだった(・ω・) それに加え「ホンマ言わしてもろたら、こんなんかぶりとぅないんや、わし」的な感じで“かぶらないシーンの割合”の方が圧倒的に多いのも微笑ましかった(=^_^=)
まるで、ヘルメットが折角あるのに“かたくなに”かぶらない『CASSHERN(2004)』の主人公(伊勢谷友介)やら『スパイダーマン3(2007)』のグリーンゴブリン(2世)なんかを思わせる“隠し切れないシャイさ”も感じられたか(=^_^=)

あと、クラウン役のおっさんが若かりし頃のジャック・ニコルソンに結構似てたのもインパクト大きかった☆ どうせなら、斧を手に、雪の中をチェイスして欲しかったかも・・或いは化学工場の廃液プールに“すけきよ状態”でボチャンしちゃうとか・・

本作、カントクが妙に『華麗なる賭け(1968)』(ノーマン・ジュイソン監督)とか、一連のブライアン・デ・パルマ作品のフォロワーを気取ってるつもりなのか(?)「画面分割」テクニックが異常に多用され過ぎてた! 当初こそ「おっ!」とセンスを感じたんだが、ああもムダに使いまくられると、だんだん観てる方も疲れて来る(×_×) きっと作ってる方も疲れてて、惰性で入れたに違いあるまい(=^_^=)

リベンジの一環なのか(?)終盤で、テキのボスっぽいしとがヘリから転落しちゃうんだが、ここの演出も・・妙に落下シーンの長さや(奇妙な)カメラワークの連続やらで「お、この映し方だと・・助かるのかも?!」と思いきや、、やっぱし最後には地表に思いっきり叩き付けられてたみたいで・・「意味ないぢゃん!」とテレビ画面にツッコんでしまった。

あ、“改めて的”にバカ映画の定義を何となく掴んだ今夜のワタシ☆
「必要以上に爆発シーンが入る」「主人公側に妙に饒舌なヤツがいるも、意外としぶとく生き延びる」「ラストシーンが滑走路で、主人公らがグダグダ喋ってる」「テキの最後は転落死or爆死」「女優陣が押し並べてイケてない」などであろうか。

逆に、上記の条件を全て満たしつつ・・しかしながら「ムチャクチャ面白い作品」と言うのをベテラン監督らにはお願いしたいものである。
「続編を作らせたらスゴい!」とされる(?)ジェームズ・キャメロン、レニー・ハーリンなどの御大に是非トライして貰いたいもんだ(・ω・)

追記:口直しに、今夜(深夜)に放送される『パンチドランク・ラヴ(2002)』でも録画予約しとこうっと。

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2007年11月19日 (月)

☆“ウルトラセヴンX”の第7話☆

17日(土曜)深夜の放送を録画したモノを観た。
この2週間ほどはクルマに乗れず、新聞も読めず、映画も殆ど観れずで・・正直苦しい。録画した番組群も、2時間も観続けるだけの根気がイマイチなく、専ら録ってすぐに観るプログラムはこの“セヴンX”ぐらいである。。

物語もいよいよ後半に差し掛かってる・・と言うべきか、半ば唐突ながら、ヒロイン的なキャラが主人公に対し
「その時は近い・・救世主としての本当の戦いの時が」
なんてなことを言ったりもした。まぁ、最後のテキがどんなヤツか・・と言う「謎」以前に、地球防衛のために暗躍(?)してる組織「DEUS(デウス)」の実態からして、何とも良く分からないンですけど。。
(きっとこのまま、あと数話引っ張るようなら、デウスそのものが最後のテキと考えるしかないのかも知んない)

今回は、地球侵略の尖兵として差し向けられたバイロ星人が物語の軸となっており、女性ストリートシンガーに姿を変えたバイロ星人の恋物語が描かれつつ、彼女を抹殺すべくやって来た一団がセヴンたちの活躍でやっつけられる・・みたいな流れだった。
物語自体はさして何がどう・・ってこともなかったんだが(加えて特撮もいつもながらイマイチだし・・)、特筆すべきは女性シンガー=ナタルを演じてた女優さんの石川紗彩。なかなかに笑顔がめんこいでね〜の(・ω・)
ベネツィアの仮面祭とかの(マスク)をモチーフにしてそな(?)デザインの仮面を被ったバイロ星人がそれを外すと・・ナタルの美しい顔の現れる演出があったんだが、この時の何とも言えぬ“蠱惑(こわく)的目線”が・・良かった(⌒〜⌒ι)

結局、彼女以外のバイロ星人がどんな素顔をしてたのかは分かんなかったが(考えたら、ナタルの顔も素顔じゃないかも知れんけど・・『ギャラクシー・クエスト(1999)』みたいに)、私的には「全員が女性、それも美女タイプのエイリアンだったんじゃないかな〜?」などと妄想している。
だとすれば、地球人の男性を標的にして“交接型侵略行為”を進めるのも1ツの手かも、とか思ったり(←ナニを言うとんねんな!)

笑えたのが、バイロ星人が呼び出した巨大ロボット兵器。何となく「キングジョー(旧作で、合体して神戸港を襲ったヤツ)」や「クレージーゴン(旧作で、高速上の自動車を回収しまくってたヤツ)」を連想させる造形で、なかなか強そうだったんだが・・セヴンの“アイスラッガー攻撃”により数秒で“瞬殺”されてしまったのだった。。

ある意味、車田正美のボクシング漫画『リングにかけろ(コミック第11巻)』で言うトコロの「フッ・・おめぇ、笑いもんだぜ」的なあっけない展開に・・やはり「怪獣を強引に登場させる必要あったんやろか、、いや、そもそもセヴンに変身させる必要あったんやろか」と戸惑ってしまうのだった。

他に、何気なくメインキャラの1人が、空中を透明化しつつ飛んでるバイロ円盤に対し「光学迷彩か・・」みたいに呟くセリフが印象的だった。別に、押井守カントクの「登録商標」みたいなもんでもなかったんやね(・ω・) ←漫画家・士郎正宗氏の考案によるトコロが大きいのかも知んないが・・

ってことで石川紗彩さんの起用により、今回のエピソードは飛躍的に完成度が高まったんじゃないかな、と評したい。もっとレギュラーになって欲しいッスね☆

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2007年11月15日 (木)

☆『パリの恋人(1957)』☆

12日(月曜)夜の鑑賞。
オードリー・ヘップバーン主演のミュージカルコメディってことで、楽しみにしてたんだが(観るのは確かこれで2度目だが、記憶が殆ど抜け落ちてしまってて・・)、忌々しい残業が長引いたため(=^_^=)(←いや、時間内に終われなかったワタシのせいであろうな・・)帰宅がすっかり遅くなり、結局は中盤ぐらいからの鑑賞となってしまったのだった。。

パリを舞台に、熟年(?)キャメラマン(=^_^=)のディック・エイヴリー(フレッド・アステア)と彼に見初められた新人ファッションモデルのジョー(オードリー)が愛を育んで行く、みたいな展開。
いやはや! 今から半世紀も前にして、物語世界の洗練された明るさ、この映像の鮮やかさはどうだろう!
因みに邦画では『蜘蛛巣城』『嵐を呼ぶ男』『地球防衛軍』などが同年の作。
う〜ん・・どれもちょっと垢抜けてないよ〜な(・ω・)

にしても! どうやら実際には「年の差=30歳」だったらしいアステアおじさま(当時57歳)とオードリー嬢(当時27歳)。。スター同士をカップリングさせる、ちぅ興行的な意図は十分に理解出来るも、、やはり良く考えたらかなり強引かつ不健全(=^_^=)な気もする。
まるでロジャー・ムーア時代の007シリーズみたいだ。。
おじさま、ベッドでそのまま昇天しちまうんじゃないだろうか(←おい!)

オードリーのダンスシーンは珍しい印象だし、ノーカット(長回し)撮影にこだわって、ステッキ技などを炸裂させるアステアは確かにスゴい! この先、半世紀が過ぎたとして、こんなに貪欲で華麗で完璧なダンスをこなせる俳優など、もはや出て来ないような気がする・・(CGが飛躍的に発達したから、ここまで真剣に踊る必要ももはやないし)

脚本家も「何の妨害もないまま「年の差=30歳」(←くどい!)のカップルをすんなりくっつける物語は・・流石にムリがあるやろ〜」と考えたか(=^_^=)、若く(?)てハンサム(?)で知的(そう)なキャラ(=哲学の教授)を登場させるんだが、このおっちゃんがどうにもジョーと2人っきりになると、、哲学そっちのけでネチっこく性欲をムキ出しにしちゃうのがNGだった(×_×) ま、その気持ちも分からんではないんやけどね、同性として。。

ってことで、ラストでは(当然ながら)大胆かつスマートにキスを迫ったりしてた“紳士キャラ”のアステア様がオードリーを射止めちゃうのであった☆

さて、全然関係ないが・・今回、踊るアステアを眺めてて「どうにもドイツ系の顔やんか!」と改めてハタと気付いたワタシ。
早速ウィキペディアで調べてみたら、果たして彼は本名=フリードリッヒ・エストルリッツなる、立派なオーストリア系ドイツ人の俳優さんであることを知った。
確かに容貌だけで判断したら、クルト・ハイマン、なんて言う名前が似合いそうな気もするね☆
(↑どっからそんな名が出て来るんじゃい!)

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2007年11月14日 (水)

☆“ウルトラセヴンX”の第6話☆

もはやどんどん更新が遅くなってて、何だか細かい記事ばかり増やしてる感もあるが・・性懲りもなく(=^_^=)毎度、律儀に録画してる特撮ドラマ『ウルトラセヴンX』の最新放送分を鑑賞した。
10日(土曜)の深夜に撮っておいたもので、いよいよ中盤の第6話である(全12話の予定)。

今回は、変身シーンも余り意味がなく、特撮もまたショボショボだったんだが(特に、ブルーマット合成の完成度はひと昔以上前のレベルに思えた・・(×_×))、代わりにストーリー面で何とも切ない感が強く、そのインパクトが意外に大きかった。

毎日、オフィスでタイプ入力作業に明け暮れる会社員=日多隆男を主人公に、現実の人生を「単調で無意味なモノ」と思い始めた男が、少年時代に描いた夢「宇宙飛行士になること」を思い出し“宇宙の旅人”となる道を選ぶ展開。

旅の同胞を探し、ついに地球に飛来したエイリアンと“シンクロ”し、やがて隆男は宇宙へと発つのであるが、その後で彼が通っていた店の女バーテン=アリサが彼に想いを寄せていたことが明らかになるオチ。
自らのそばで育ちつつあった「愛の芽」の存在にすら気付かず、何の未練もなしにとっとと地球外へ旅立ってしまった彼の選択には「惜しいなぁ」と思わざるを得なかった。。

「宇宙の深遠を目指す、それこそが知的生命として最も根源的な欲求ではないのか?」と隆男は言っていたが、人類としては大きな一歩にせよ、ワタシなら自分自身にとっての小さな一歩・・愛を知る・・ことをこそ選択したい気がするな。

にしても、エイリアンに対し「地球人の体を“器”として利用するなんて・・身勝手だ!」と憤りを隠さないジン(=セヴンX)の態度に・・「いや、キミらの星雲の先輩方も、さんざ地球人の体を利用しとったやんか!」と小さくツッコんでしまうのだった(・ω・) ←まぁ、それぞれに理由はあったんだけど・・

ただ、宇宙の探求って・・夢想を繰り広げる分にはロマン溢れるんだけど、実際には「永遠の寿命と退屈」って雰囲気もあり、一歩間違えば「永久の生き地獄」って感じにも思える。

隆男が去り、1人の女だけがその事実に寂しさを示したのだが、、果たしてワタシが去った時に、誰が果たして寂しいと思ってくれるのか・・そこまで思いを至らせてしまい、すっかり沈んでしまうワタシでもあった(×_×)

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2007年11月13日 (火)

☆『ALWAYS/三丁目の夕日(2005)』☆

遡って2日(金曜)。(確か)地上波再放送となる『ALWAYS/三丁目の夕日』を観た。
昭和33年の東京を舞台に、高度成長期“前夜”の下町の人々の暮らしをノスタルジックなテイストで描いた群像劇。

『ジュヴナイル(2000)』で鈴木杏と言う超強力な子役女優を世に知らしめ(?)、華々しい初監督作デビューを飾ったモノの・・続く『リターナー(2002)』が余りに大衆迎合的な“パチもんSF”に仕上がってしまい・・「このしと、もう沈むんかも・・」と不安になってたら、見事に“勝ち組”に返り咲いた! ちぅ起死回生っぽい作品でもあった。
と言うか、もはや同監督の代表作とし語り継がれることになるかも知れない1作と言っても良いかも。

今回は「続編公開記念」ってことで2時間半を超えるぐらいの贅沢な放送時間でお茶の間に届けられた☆

原作版(コミック)は全く読んだことがないのだが、昭和期の消費生活を大きく“変革”させたモノ&コトを巧い具合に脚本に織り交ぜつつ、複数の主人公を同時進行的に動かす演出はなかなか。かつ「分かり易い」のが良い☆

ちょっと難を言えば、登場人物名や配役陣に関しては、もそっと工夫した方が良かったかも?? と感じた。茶川竜之介、古行淳之介・・の名前はどうにも“駄洒落にしてはそんなに面白くないし”って感じで。。まぁ、どうやら原作に忠実らしいため、決して監督ひとりが悪い訳じゃないんだけどね・・

勿体なかったのは鈴木オートの奥さん(トモエ)役の薬師丸ひろ子。そつなく演じてくれてはいたものの、もう少し見せ場があっても良かったかも・・夫(堤真一)との間に「一平(長男)に、弟を作ってやろうか?」みたいなリアルな(?)会話が殆ど交わされていないような・・よそよそしい空気感がどうもねぇ(・ω・)

前回の鑑賞時(TVで、だが)は特に(キャラの)誰にも感情移入しなかったんだが、今回は「とある人物」の言動に妙にウルウルしっぱなしであった(⌒〜⌒ι) それこそは・・“アクマ”こと宅間医師を好演した三浦友和氏。

酔った帰りに※※※に※※されて「最も幸福で、最も残酷な夢」を見せられるシーン。あの幻想的な場面は(前回の鑑賞により展開を知っているが故に)泣けて泣けて仕方がなかった。
後半の別なシーン(クリスマスの夜)では居酒屋で「ああ、今日は楽しい・・実に、楽しい」と独りごつ宅間センセイであるが、ここなどは(醸し出す)雰囲気も、言い回しも、何だか“名優・笠智衆(故人)”がまるで憑依したかのような素晴らしい存在感を示してくれた。

ワタシの中では、三浦氏と言えば・・どうにも『潮騒(1975)』で、全裸で焚火を飛び越えるシーンぐらいしか思い浮かばなかったんだが(⌒〜⌒ι)なかなかどうして、イイ俳優さんになられたものである。

いかにも「今後の展開のフリになってるな」と思わせてくれたのは、作家・茶川(吉岡秀隆)に関する「今でこそ、下町の半ばうらぶれた駄菓子屋の店主に過ぎぬが・・実家は信州の名家」ってウワサか。まぁ、吉岡くん&信州と言えば・・まんま『阿弥陀堂だより(2002)』の印象も連想されるんだけど。。←尤も職業は違ってたけど

もう1シーン、もうコレは泣くでしょう(×_×) と言うのは、毎度ながら鈴木オートのひとり息子(←現時点では(=^_^=))一平少年の“右肘の継ぎ当ての秘密”であるなぁ。ここでやっぱり泣いて「ああ、俺にはまだ人間の心が宿っていたのだな」とか安心したりするのだった(←大げさな!)

淳之介少年(須賀健太)と別れた時の茶川の言動を眺め「失って初めて、人間は目覚めるんだよなぁ」などと、故・相田みつを氏のおっしゃってそうなことにも気付かされるのだった。

それにしても・・“氷屋”を演じたピエール瀧のあの冷え冷えとした眼・・アイツはその内に何か“凶行”に及ぶんじゃなかろうか?? とストーリーの向こう側に“流血”までも想像してしまったワタシは、やはりちょっと疲れてるのだろうか(⌒〜⌒ι)

※淳之介少年が空想する“未来世界のビジュアル”のインパクトがスゴい! 中でもスゴいのは、何と言ってもやはり“空飛ぶ市電(路面電車)”であろう! ノーベル賞学者の江崎玲於奈博士が「真空管をいくら研究しても、トランジスタは生まれない」なる持論を何度も講演などでおっしゃっているが、まさにそんな“真空管突き詰め発想”の終着点とも言えるアイデアであろう(・ω・)
まぁ、円谷プロの特撮ドラマ『ウルトラQ(1966)』では、小田急ロマンスカーが夜空を飛んでたけど・・

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2007年11月 9日 (金)

☆『SONGS』の第23回、を観た☆

先月24日(水曜)に録画しておいた『SONGS』と言う番組を(ようやくながら)観た。
国営放送で楽しめる、音楽&トーク番組って感じか。音楽のみならず、そのアーティスト自身の人物像をも含め短時間(30分枠)ながら紹介してくれるプログラムだ。

今回は、女優・戸田恵子さんのニューアルバムに楽曲を提供したことで知っていたシンガーソングライター=中村中(あたる)さんが取り上げられた回である。

1985年、東京生まれ。昨年メジャーデビューされたと言う22歳。若いなぁ・・(・ω・)
今回はナレーションと対談のお相手を戸田さんがされ「真面目だけれど寛いだトーク」が巧い感じで展開された。

ご本人の音楽的才能とは全く別次元のハナシであるが、中村さんは“GID:性同一性障害”をオープンにされているそうだ。身体的には男性で、精神的には女性と言うが・・番組で拝見する限りは違和感もなく、むしろヴィジュアル面では好感を受けたぐらいなワタシ。

が、彼女の持ち味である“情感込めて歌い上げまっせ”的な曲でがんがん気合が高まって来ると・・絶唱の中に男性っぽい声音が表面化してたようで(ワタシがそう感じただけかも知れんが・・)、妙にゾクゾクっとしてしまった。

彼女の歌は、聴き込む人間を吸引する、素晴らしい力があるように思った。
が、悲しいことにワタシが老け過ぎたせいか、耳にして“疲れてしまう”のはあったか。。
大衆狙いのJポップ路線にさっさと着地しなさい、なんてことは言わないが・・余り張り詰め過ぎず、長く歌い続けて欲しい人だなと思う。

「私にとっては、歌が自己表現であり、自身を正常に保つ手段であり・・そして、ここにいる理由」
「力がイーブン(均衡)じゃないと、友達も仕事相手も、恋人との関係も巧くは行かない」
「正直なものこそが私の中での歌詞」
「自分に正直に、本音で歌を創る」

と言う頼もし過ぎるコメント群も「若いなぁ」と思わせつつも、真摯な姿勢が伝わって来たのだった。

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2007年11月 8日 (木)

☆“ウルトラセヴンX”の第5話☆

3日(土曜)の深夜に放送されたもの(を録画したもの)を観た。

ときに、溜まってる新聞+溜まってる録画+溜まってる仕事(=残業)と“3重苦”なここ最近である。。原因不明なジンマシンが連日発症するのも気にかかる・・。どうやら今回は食物摂取系と言うよりストレスから来てる気がするし(×_×)

この第5話、映像的には全然ダメなんだが、物語としてのエッセンスが光ってる! と思った。ハリウッドに盗まれたりしないか、ちょっぴり心配である(⌒〜⌒ι)

5年前のその日「人類最後の戦争」が終結した。そのため、毎年の同日を「地球平和記念日」に制定、「皆でこの平和を祝福しましょう!」と上空に浮かぶ「プロパガンダ円盤」の映像スクリーン内の女性が微笑む。
どうやら全地球規模で「戦争&テロの根絶に成功」したこの(近未来の)世界のようだが「それで本当に平和を手放しで祝福出来るのか?」なる問いが突き付けられる。

1つ目の疑問は「種としての人類がそんなに簡単に争いをやめることが出来るのか?」であり、
2つ目の疑問は「他の惑星で戦争が起きている光景を“対岸の火事”と眺めてていいのか?」である。

私的には「宗教」「貧困」「思想」の3つの違いが存在する限り、この世界から戦争はなくなるまい、と思うのだが・・

今回のエピソードにおいて、αケンタウリ星系の隣接する2惑星に住むエイリアン同士が壮絶な星間戦争を展開しているのを観るに「そもそも、和平に向かう考えなんか毛頭ないんやな〜」と当事者同士の盲目的な「敵惑星殲滅論」にゾッとさせられたのは事実。

ラストでは、攻められる一方だった“か弱い宇宙人”が地球に隠された“秘密兵器”を手に入れ故郷(の星)に帰って行く時の「これでヤツらを滅ぼすことが出来ます」の言葉と“実に晴れやかな笑顔”に、すこぶる後味の苦さが残された。。

そう言えば、今回はセヴンが最強の光線兵器(?)“ワイドショット”を初披露(?)してくれた。コレは両腕を「L字」に組んで射出するのだが、考えたら、セヴンが頬杖をついた時なんかに、ふと油断したら“威力半分のワイドショット”が(片方の腕から)うっかり出ちゃうのかも・・とかどうでも良いことを考えてしまったワタシである(⌒〜⌒ι)

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2007年11月 7日 (水)

☆『バイオハザード2/アポカリプス(2004)』☆

3日(土曜)の夜。シリーズ3作目の劇場公開に併せ、ついに地上波初放送された『バイオハザード2/アポカリプス』を観た☆ 前作(2001)ってば・・私的には「エグいだけであんまし面白くない」が「脚本を更に磨けば、続編でパワーアップし得る可能性はある」って感じに評してた作品であり、(この続編も)そこそこには期待して観始めたんだが、、コレが予想以上にダメダメで、逆に驚いてしまった。。

記憶を失ったまま、全裸で(←設定こそそうだが、実際には「絶妙に隠された描写」なので全然ドキドキしない(・ω・)←『スペース・ヴァンパイア(1985)』におけるマチルダ・メイの女優魂を少しは見習って欲しかった・・)静まり返った洋館内に横たわっていたアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は、突入して来た特殊部隊に同行する形で「地下極秘研究所:ハイブ」の中枢へと向かう。
そここそは、近未来都市(?)ラクーンシティに本拠を構える巨大製薬企業(?)アンブレラ社の擁する秘密の施設であった。

その頃地上では、同社の開発した「Tウィルス」が何者かによって強奪⇒無差別散布され、それに感染した人々が次々とアンデッド(ゾンビ)化して暴動を起こすのだった。アンデッドは基本的に屍肉を貪るのだが・・始末の悪いことに、彼らに噛まれた人間は・・発病までの時間的個人差はあるものの・・例外なくいったん死亡⇒アンデッド化して復活、、と言う繁殖行為を行ってしまう恐るべき存在なのだ。

なんだかんだやってるうちに特殊部隊員らは次々に死んで行き、実は“特殊工作員”だったアリスは驚異的な身体能力と悪運の強さを発揮し、ついに「ハイブ」を支配する人工知能「レッドクイーン」の活動を停止させるのだった。

だが、直後に大挙してやって来た謎の研究員らにとっ捕まり、終盤まで共に戦った環境保護活動家の男=マットとも離れ離れになってしまうアリス。何とか研究施設を脱走し、地上に出てみると・・彼女の眼の前には荒廃した街の情景がただ広がっていたのだった。

・・ってのが前作のおおまかな流れだったと思う。細かいトコは記憶が薄れてしまったが(×_×)

その続きである本編では「Tウィルス」開発者であるチャールズ・アシュフォード博士による外部からの(情報)支援活動を受けつつ、ラクーンシティに集まったS.T.A.R.S(特殊部隊)のジル・バレンタインとカルロス・オリベイラ、情報屋のL.J(=ロイド・ジェファーソン)がアリスと合流、博士のひとり娘=アンジェラをゾンビの巣食う街から救出するべく奔走する約4時間の流れが描かれる。

もしタイムリミットが過ぎると、夜明けと同時に“5キロトンの戦略核”が使用されることとなるのだ・・

個人的に「ゾンビを観たけりゃ、名匠の撮った(過去の)ゾンビ映画を観直すわい!」と思うタイプなので、そこを超えたどんなストーリーが展開されるんやろ? とドキドキしてたら・・『ロボコップ(1987)』の出来損ないみたいなヤツが現れ、お茶を濁しまくってくれた(×_×) 思い出したのが『ロボコップ』と『プレデター(1987)』のパチもん映画である『ロボウォー(1988)』である! レブ・ブラウン主演によるうさん臭いイタリア産のSF映画、、いやーアレはスゴかった。。

まず、全体的にキャラの使い方を間違ってるように思った。基本ザコキャラなのに、妙に逞しく生き延びるヤツがいたり、大事なキャラなのにさっさと殺され、何故か撃たれただけなのに勝手にアンデッド化するヤツがいたり、大した階級でもないくせに、自己判断で核(兵器)使用を命じたり、さっきまで出番すらなかったのに、いきなりアンブレラ社を牛耳らんとする勢いすら持つヤツが現れたり(←きっとコレは“和製特撮ヒーロー(仮面ライダーシリーズなど)”番組におけるテキ幹部の描き方を参考にしてるんだと思う)・・とどうも観てて落ち着かない。

主人公アリスのキャラも、(女性としての)弱さを究極まで削り取ってる割に、クールさ&クレバーさで突き抜けた性格付けにはイマイチ仕上げられておらず『エイリアン』シリーズのヒロイン=リプリー(シガニー・ウィーバー)などと比べても、明らかに軽薄で迫力不足な感が否めなかったな。

・教会の隠れ家で、アンデッド化した身内に屍体(の一部)を与えてる猟奇神父
・自己紹介の直後に殺されてしまうアホ軍人(ニコライ・ジノヴィエフ軍曹)

と言った“美味しいキャラ”は確かに存在するものの、全体的にはやはりダメダメな作品だった。

〜 その他、気付いたトコロ 〜

■アンデッドは「物音に寄って来る」そうである。
■フェンスの高さをも軽々と飛び越えるアリス! 何と超人的な跳躍力! 『ドラゴン危機一発(1971)』のブルース・リー演じた主人公よりも高かったかも知んない(⌒〜⌒ι)
■アリスとジルの共闘ぶりもまた「イマイチ」だった。
■基本「夜の物語」である本作。色彩表現的に言えば、特撮面でも安くついたんじゃなかろうか?(←邪推だが)
■ヘルメットも砕け割れる警棒の一撃! 何とまぁ。。
■監視カメラごしに、警備スタッフを念じ殺す(?)アリス。あれはどんな能力なんだ?!
■核爆発で完全に破壊された筈のラクーンシティの市街地が、また終盤に登場してた。何処かおかしい(・ω・)

〜 こんなセリフもあった 〜

ケイン少佐「コンピュータなどあてにはならん、人間と同じだ」

※終盤で発動する“アリス・プロジェクト”・・だが、衛星からの指令電波(?)さえ遮断出来れば、何とか出来そうな気もするネ(・ω・)

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2007年11月 6日 (火)

☆『僕の彼女を紹介します(2004)』☆

放置状態だった「映画メモ」を起こしてみます、な感じで・・(・ω・)

10月22日(月曜)に地上波初放送の韓流恋愛映画『僕の彼女を紹介します』を録画レスで鑑賞した。
暴走婦警=ヨ・ギョンジン(チョン・ジヒョン)とダメダメ高校教師=コ・ミョンウ(チャン・ヒョク)の2人を主人公に、喜劇から悲劇へ大きくカーブを描くかのような波乱の恋愛ドラマが展開するッッ!

何がスゴいって・・中盤から「死がテーマなのか?!」と叫びたくなるぐらいにとことんねじれてゆく物語世界のことである。脈絡もなく(?)落石事故が起こったり、誤射事件が起こったり・・ともうムチャクチャである(×_×)

冒頭、周到に(設定の)構築された「学園モノ」の好テイストは・・何故にこうあっさりも破棄されてしまったんだろうか? 職業教師である以前に、1人の男として、雄々しく巨悪に(?)吠えたミョンウの言動に“不覚にも”カッコええなぁ・・と感心してしまった自分が情けなくなったぞぅ(×_×)

ってことで、ミョンウの“教師としての”ドラマは早々にカットされ、あとはひたすら暴走婦警の“取って付けたような”凶悪事件やら、お騒がせのドラマやらが展開したに過ぎないのだった。

ちょっとだけ作品(のネタ)に触れると、、後半ぐらいを観てて、正直ワタシは「現実と妄想がだんだん渾然一体になって来とるぞ! お前はいわゆる『ヴァニラ・スカイ(2001)』かい!」と突っ込みたくなってしまったモノだった。

コレが終盤ともなると『ゴースト/ニューヨークの幻(1990)』ぽい演出も加わって来たりして・・「この状態でどうオチにもって行くんや?!」とハラハラしてたら・・『ダークマン(1990)』のラストに酷似した「ノリの強引さ」をまぶしながら『猟奇的な彼女(2001)』の作品世界に絶妙に着地させた、、ってトコだった。
『猟奇的な〜』を観たひとにすれば(あのラストは)“喝采もん”かも知れないが、反面チャン・ヒョクの存在って一体どうよ・・ちぅ“後味の悪さ”がどうにも残ってしまったワタシである。

〜 印象的なセリフなど 〜

ミョンウ「金があろうが、力があろうが、悪いもんは悪いんだよ!」
    「君が必要としてるのは・・召使いか?」

ミョンウ「どうして助けてくれた?」
ギョンジン「後を追うの、イヤだから」

医師「彼女は生きようとしている・・生きたがっている・・」

追記1:まるで『リーサル・ウェポン(1987)』におけるメル・ギブソンのように“※を懇願する”主人公。しかし、そういう時に限って“弾丸がその身を避けて通る”モノなのかも知れない。。
追記2:前半の麻薬取引現場の銃撃戦。どうやらギャグ調らしいんだが、ヴィジュアル的には「かなり凄惨な現場」となってましたが・・
追記3:「自分の彼女」を紹介するにあたり“そんな場面”を選んでナレーションしなくても、と思うが。。
追記4:韓国の警察官は“超特権階級”なんだろうか。ギョンジンちゃん、あれだけのことを次々にやってたら、流石に“裁かれる”のが現実だと思うんだけど(・ω・)

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2007年11月 4日 (日)

☆『クワイエットルームにようこそ』☆

3日(土曜)。待ちに待った祝日や〜! と狂喜しかけるも・・どうやら振替休日もなく、フツーの土日として過ぎて行ってしまうことに気づいたこの週末(・ω・) 色々とやりたいことはあるんだが「1本いっとく?(←う、懐かし・・)」ってことで、映画を観に行くこととした本日。
期待の大作(?)『パンズ・ラビリンス』を観てしまったので、しばらくは(私的に)小品ぞろいかもな〜と思いつつ、選んだのは蒼井優+妻夫木聡共演・・のキャスティングがつい目を引く『クワイエットルームにようこそ』であった。

かなり久々の内田有紀主演作である本作、公開時期的に、吉岡秀隆氏主演(?)の「アレ(の続編)」とモロにぶつかっちゃってる感のあるのがちょいと私的にインパクト。でも「体当たり度」だけで比べたら・・きっと内田さんの圧勝な気がするぞ、たぶん(・ω・)

月刊誌に800字コラムを連載しているフリーライター=佐倉明日香(内田)が眼をさますと、、そこは天井も壁も真っ白な“窓のない部屋”であった。おまけに、寝台に横たえられた自身の身体は両手両足などを“5点拘束”されており・・

そこからの流れで、どうやら彼女が今いるのは東京近郊(多摩辺りらしい)の「緑山精神科病院・女子閉鎖病棟」の「保護室(=クワイエットルーム)」である事が明らかになる。何故こんなトコで拘束されることとなったのか、記憶がすっかり抜け落ちてる明日香。ケータイなぞもちろん使えず、外部との連絡は取りようもない。
はたと思い出したコラム執筆の締め切り。彼女は焦るが事態は当面、どうにもならないようす。

看護師・江口(りょう)の説明によれば、彼女はどうやら「睡眠薬の過剰摂取により、丸2日間、昏睡状態に陥っていた」と言う。身に覚えのない自殺未遂(?)の事実に戸惑う明日香。一体、3日前の夜に何があったのか?
そして、廊下に繋がる扉のすき間から覗き込む若い女(蒼井)が彼女に囁いた言葉とは?
明日香はこの先いつ、どうやって“クワイエットルーム”から脱することが出来るのか? 様々な謎を抱えたままの彼女に、面会にやって来た人物は・・みたいな流れ。

原作&脚本&監督:松尾スズキによる、奔放に振る舞いつつも“生”を求め足掻いていた女性の「14日間にわたる追憶と喪失と再生の物語」である。

まずは何と言っても、助演陣がやたらと豪華である!

目当てにしてた中で、妻夫木氏(コモノ(菰野?))やりょう(江口)の絡み方はちょっと(私的に)中途半端で薄かったような気もしたか。意外なトコで存在感の爆発してたのはやはり大竹しのぶ(西野)、宮藤官九郎(焼畑鉄雄)、そして蒼井さん(ミキ)の面々だろう。
また殆ど言動はなかったけど・・徳井優(白井医師)とか庵野“カントク”秀明(松原医師)の存在感もそこそこに光っていた☆ 

題材としてはさすがに・・何処か既視感のあった設定なるも(やっぱりベタな連想ながら『17歳のカルテ(2000)』や『カッコーの巣の上で(1975)』の世界が浮かんでしまう)イマドキの邦画らしく「スピード感溢れる展開」「時間軸置換を駆使した演出」「妄想やキャラたちの(半ば強引な)言動に説得力を持たせる、ライトかつスタイリッシュな映像センス」が功を奏してた☆
中盤以降でこそ、物語の“暗黒面”が際だってしまってたが・・中盤までのハイテンションな演出は「素晴らしい!」のひと言。出来れば、もう少し観終わった後にカラッと晴れやかな気持ちにして欲しかったけど・・(あの終わり方なりに晴れやかさ(潔さ)はあるんだが・・)

少なくとも、単純なコメディには終わっていない作品と感じた。
登場する男たちが、揃いも揃ってダメダメなんだが(だけど社会的には“正常”)、それに引き替え女性陣がみなそれぞれにしたたかで、パワフルにスクリーンを闊歩してる印象を強く覚えた(だけど社会的には“異常”)。

考えてみると「不規則に、我慢を強いられず、孤独で、笑いもなく」生きることが、果たしてそれが「隔離病棟の外」だからと言ってホントに幸せなの? 健康と言えるの? 正常なの? と考えるに「う〜ん・・」と思わず悩んでしまうワタシである。
例えそれが“塀の中(←ここでは無論「刑務所」の意味合いは含んでいない)”だからとて「規則正しく、我慢(足ること)を知り、共同生活をし、たまには笑う」そんな人がいたら、それはそれで「幸せ」で「健康」で「正常」だと断言する価値観があっても、許してあげて良いと思うのだ。
そう言う意味で、男(である松尾カントク)が作り上げた作品世界ながら“女のココロ”の片鱗を勉強できる、良い機を得たとも思った次第だ。

特に印象的だった事柄をまとめてみる。

■仏壇1つを例に挙げても、宗教観の違いって結構「親族間の大きな溝」になるんかもな〜と。
■例え「不眠の相談を病院で受けた」としてもカルテ的には「心療内科に通院歴あり」と判断されることもある。
■“マトリョーシカ”は結構「隠し場所」に使える(=^_^=)
■例えば「病院の前に置かれたゴミ箱1つ」の中、にだって色んなドラマ的要素が詰まってる・・
■本人の「至って正常そうな言動」に関係なく、リピーターは戻るべくして戻るのかも知れない。
■結局、どんな状況下に置かれようが、退院出来るか否か、良くなるか否かは本人ら次第。医療側に奇跡の療法を期待してもムリなようだ。
■女が「今日まで脈々と続いて来た一族の血を絶やす」と意識するのってば「古い考え」なんだろうか?
■面白いだけの人間、は何事も面白いだけに帰結させてしまうようである。
■例えば、陽の目の当たらない所に、思わぬ“天賦の才能の持ち主”がひょっこりいたりするものである。
■拒食症にも様々な理由がある。患者の中には「自身の問題」を「世界の問題」に結び付けてまで考えを走らせている人がいる。
■三重県民は、もっと首都圏の人々に地元をアピールすべきかも知れない(・ω・)
■じんましんの発症に「ムヒ」の塗布は、医療者にも効用を認められているらしい。

〜 こんなセリフもありました 〜

※「バカはね、泣かれたらもっとバカになるんだよ」

山岸看護師「パンとミルクとイチゴに“スピード感”を与えたような食事です・・
      あ、間違っても“鼻水”のことは連想しないで」

鉄雄「オレってさ、基本“言われたまま”だから」
  「普通ないよな〜“アタマ燃やしません宣言”なんて」
  「いま、ヤラセの会議に、拉致られにゆきます」 成田直行⇒ミャンマーの奥地へと・・
  「“睨みメシ”って言うの? ありゃ絶対、眼からカロリー摂ってんな」

※「明日香、残念だ。」 ←(セリフでなく)手紙ですが・・

ミキ「1時間以内にこの※※を棄てないと、爆発する」
  「おっぱい、キレイよ」 ←“いけず”なカメラワークにウワァァン!

西野「聞き上手なのよぉ・・あたし」
  「生きるってね、重いことよ」

栗田「アドレスなんて書かなくていいわ、どうせすぐ棄てるから。
   ここを出るってのはね・・そういうことなの」

明日香「こんなに集まっているのに・・こんなに孤独」
   「静かだが、確かに動いている世界・・そして私は生きている」

追記1:「ゲロでうがい」・・コレって胃洗浄に関する(医学)業界用語だろうか・・(×_×)
追記2:西野、江口らの個性キャラはちょっと最後に「失速」してて残念。。
追記3:徳井優さん、もっと活躍して欲しかった。あんたの主演で是非「スピンオフ作品」を!(=^_^=)
追記4:金原さん、あんたそんな格好で、いつまでもそんなトコで何やってんですかぁ!
追記5:スリスタナ・ローケンよりもりょうの方が、よっぽど“女ターミネーター”ぽいかな、と。
追記6:あの先生、あの出血量では、もしや死んだ・・?
追記7:クワイエットルーム内は、みごと“トイレ”と化してしまったんやろか??
追記8:劇中に登場のアドレス「life_is_happy@loop.com」にメールするとどうなるのか? ちょっと怖くて勇気が出ないッス(⌒〜⌒ι)
追記9:部屋の中で、マスキングもせず※※をスプレー缶で※色に塗っては・・アカンでしょ。。

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2007年11月 2日 (金)

☆『パンズ・ラビリンス』☆

1日(木曜)。以前から狙ってた映画『パンズ・ラビリンス』をようやく「公開期間中」に「スクリーンで」鑑賞する機を得た☆ ・・と言うか、半ば強引に観に行った次第(・ω・)
そもそもは「なんばパークス」内にあるシネコンで観るつもりだったが、(仕事後に合致する)上映開始時間が午後9時前とやたら遅く・・ひいては終了時間⇒帰宅時間が遅くなってしまうことに我慢出来ず、ネットで調べ「アリオ八尾」なる地方都市(?)のショッピングセンターの上層階にある「MOVIX八尾」ちぅシネコンで観ることに決めた。

地下鉄⇒近鉄電車・・と乗り継ぎ現地へ向かったが・・鶴橋を過ぎたぐらいから、(慣れない移動方向に)妙に心細くなってしまったり・・。八尾駅に到着してからも、目指す「アリオ」までの間が思った以上に賑わっておらず、まるで『メン・イン・ブラック(1997)』の公開当初、混雑を恐れる余りはるばる出向いた奈良・大和高田市内の小劇場の周辺(商店街)が異常に寂しかったことを思い出してしまった(⌒〜⌒ι) ←因みにその時って館内もまたガラガラだったのも印象的である。。大阪市内との温度差を肌で感じた(・ω・)

狙っていた訳ではなかったが、本日=1日=サービスデーってことで、料金が1,000円で済んだのは少し嬉しかった。まぁ、その分売店でポスカ(ポストカード)買ったり、軽食コンボセットを買ったりしたので、結果的にそんなに安くはつかなかったけど。。

さて本編。『ミミック(1997)』『ブレイド2(2002)』『ヘルボーイ(2004)』などを手がけたギレルモ・デル・トロ監督によるメキシコ+スペイン+アメリカ合作映画。
1944年、内戦直後のスペインのとある山岳地帯を舞台に描かれる“ダークファンタジー”である。
物語の約半分こそは、主人公である少女オフェリアの体験する“おとぎ話”的要素に満ち溢れた、ファンタジックな冒険物語なのだが、一方で彼女は“逃避したくなる”ほどの現実の過酷な生活に怯え、喘ぎながら過ごしている。「戦乱の現実世界」と「疑念と苦しみと試練に満ちた空想世界」・・このどうしようもないデュアルな環境に放り込まれたオフェリアの行動を、我々もまた間近に眺めさせられる訳だが・・予期していた以上に「苦くて」「痛い」作品であった。

本作って「PG12」なる年齢制限付きであるが、例え13歳であっても、作品の意図する「面白くない面白さ」を理解するのはかなり厳しいんじゃないかなぁ〜と。ある意味“救いようのない”展開は・・私的にかの『ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)』を連想してしまった程である。。

昔々の物語・・この世界のはるか地底に広がる“魔法の王国”から、“天上の世界”に憧れる“モアナ王女”がとうとう出国を試みたのでした。しかし、地表に足を一歩踏み出した瞬間、彼女は燦々と降り注ぐ激しい陽光により、記憶を奪われてしまいます。
それきり戻っては来なかった娘に対し、国王は「例えその肉体を失い、魂だけになってしまったとしても・・モアナは必ず別な時代、別な世界からここへ戻って来る・・それまではいつまでも私は王女の帰りを待つ」と従者のパン(羊の頭を持つ二足歩行の守護神)に告げるのでした。
そして、小さなフェアリー(妖精)たちを従えたパンは世界中に瞳を巡らせ、転生した“モアナ王女”を見つけ出し、この世のあちこちに隠された“入口=扉”から彼女を王国へ連れ戻そうとしているのです。

こんな物語がベースになっていた。

このおとぎ話がオフェリア自身の創作(妄想)なのか、実際に何かの作品に基づくものなのかが、イマイチ分からなかったワタシ(・ω・) そこ、かなり重要なポイントなんスけどね。。
本来“案内人”である筈のパンは、彼女に次々と過酷な試練を与える。時には「何をしてる? 早く試練に挑め、お前の都合なんか関係ない」とか「うまく行った・・」などと“ダークな本質”をチラリと(セリフに)垣間見せたりする。
私的にはこう言うヤツ、自分の中で一番「信用できんタイプ」ですなぁ(=^_^=) 何だか『ドニー・ダーコ(2001)』に出て来たヘンテコなウサギを思い出したなぁ。。

オフェリアに与えられた試練は3つ。
1つ目では、母カルメンから与えられた“贈り物”を台無しにし、彼女を失望させる展開に。
2つ目では、自身の“欲望”がむき出しにされ、パンに失望を与える展開に。
3つ目では、更に過酷な選択を迫られることに。

特筆すべきは、やはりビジュアルイメージが強烈過ぎる「2つ目」であろうかな。。何気ない空間に、ポソッと“おっそろしい奴”がいるんだが、コレがまた「夢に出て来るほど」のインパクトなのだ。絶対に出会いたくない、こいつに背中は向けたくない・・そんなクリーチャーでした。このシーンの“ビジュアルショック”だけは確かに「PG12」級でしたねぇ(⌒〜⌒ι)

終盤では、庭園(?)の奥に設けられた石壁の迷宮で追いかけっこをするオフェリアと※※。不謹慎ながら『シャイニング(1980)』の終盤を思い出してしまいました(=^_^=) ←どうせだし雪降って欲しかったり☆

ってことで「“痛み描写”があちこちに溢れてて、全体的に暗く、どうにも救いようのない物語世界」「良く良く考えたら・・誰かが誰かをダシにしていた相関関係」「笑いも涙も皆無な作品世界」「本作の監督ってば“S”かつ“M”なのでは?」みたいなことを入れ替わり立ち代わり考えてしまう映画でもあるんだが「スペイン史にこんな凄惨な一幕があったとはつゆ知らず、随分と勉強になった」のも事実であり「戦時下の狂気を肌で感じる」とか「シーンの先に描かれるであろう“恐怖”にドキドキする」などと言うのも、それはそれで正しい鑑賞法と言えるのかも知れない。

因みに、結論としては「エンタテインメント性」という部分で、どうにも容認出来ない「欠落感」が心中に渦巻いているワタシであり、諸手を挙げて「素晴らしい! 万人向けです!」とは言えない作品と評したい。
もちろん物語としての完成度はすこぶる高く、普遍性もあり、考えさせてくれる作品ではあるんだが、その完璧さこそが却って「話題作を“アホネタ視点”で袈裟斬り(袈裟がけ)にし、ふざけたレビューに仕上げたがりたいワタシ」とすれば、酷な物語でもあるわけなのだ・・(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

オフェリア「なぜ再婚なんか?」
カルメン「1人がつらかったのよ」
オフェリア「1人じゃない、私がいるのに・・」
カルメン「大人になれば、あなたにもこの気持ちが分かるわ」

カルメン「赤ちゃんを生むことって大変なのよ」
オフェリア「じゃあ・・私は一生、生まないわ!」

ビダル「それはお前の意見か?」
フェレイロ「医師としての意見です」

ビダル「(私と握手するのなら)(本を抱えたお前の)右手を出せ」
   「男児たるもの、父のいる地で生まれるべきだ」
   「しっかり荷物を調べてから、私を呼べ」
   「この山は血塗られてはいない、むしろ“清められた地”なのだ」
   「最初に(拷問に)使うのはこんな“平凡な道具”だ。だが、こいつを使うとなると・・状況が変わる。
    こちらを使う頃には・・我々とお前の間に“ある種の絆”が芽生えてさえ来る。
    そして・・これを使った時、お前の口から語られる全ては“真実”だ」

メルセデス「“パン”には気を付けろ、と母が言ってたわ」

※※「いつか我が子に伝えてくれ・・父が勇ましく死んだ瞬間を」
※※※※※「あんたの名さえ、教えないわ」

オフェリア「あなたの言葉は真実なの?」 ←このセリフは深い! 実は自問でもあり・・
     「弟よ・・あなたの外の世界は、決して平和じゃないわ」

パン「うたた寝してる奴は、人間ではない」 ←確かに・・

フェレイロ「いいや・・これは負け戦だよ」
     「何の疑いもなく、ただ従うなど・・私に言わせれば“心ある人間”の行いではない」 

※「我々は、生まれ落ちた瞬間から“原罪”を背負っている」

追記1:冒頭の「鼻血リバース」が『メメント(2000)』調で、のっけからショッキングだった。。
追記2:状況によっては“少女ヌード”も描くことは出来たのに、そっちに逃げなかったストイックな(?)演出は天晴れである。
追記3:「王国に至る近道」とは・・。。
追記4:どっちかと言うと“ゲリラ側”を正義っぽく描いてるかと思わせつつ、シーンによっては彼ら(ゲリラ)なりの徹底的な殺戮描写(倒れた兵士の頭部にトドメの銃撃)もあったり・・。

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2007年11月 1日 (木)

☆『涙そうそう(2006)』☆

29日(月曜)の夜に「月曜ゴールデン」で地上波初放送されたものを鑑賞した。「妻夫木聡+長澤まさみ」の強力タッグが主演する、沖縄を舞台とした「4年間の兄妹愛のドラマ」である。

2001年、沖縄・那覇市。21歳の新垣洋太郎(妻夫木)は離島で生まれ育ったが、16歳で沖縄(本島)へ単身渡り“自分の店を持つ”なる夢の実現ため日夜身を粉にして働いている。そんな彼のもとに、那覇北高校に合格したと言う妹・カオル(長澤)が故郷(離島)からやって来ることとなる。カオルは洋太郎の実母・光江(小泉今日子)が愛したミュージシャンの男・金城某の連れ子であり、実際には血の繋がりのない妹であった。

金城は光江との結婚後間もなく何処かへ失踪、彼女もまた病により、幼い兄妹を遺しほどなくこの世を去るのだった。当時8歳だった洋太郎は、母との最期の約束「あの子(カオル)にはお前しかいない、どんなことがあっても妹を守ってあげて」を思い出し、部屋に転がり込んだカオルの世話を色々と焼き始めるのだった。

兄と妹を超えるかのような、理想的な2人の生活は順風満帆にも見えたが・・それはやがて、洋太郎の4年来の恋人である稲嶺恵子(麻生久美子)との関係に静かにひびを入れ、そして彼ら(兄と妹)自身の運命にも大きな試練を与えるのであった・・そんな展開。

“妹を思う兄の気持ち”と“兄を想う妹の気持ち”・・そのすれ違いこそが本作の最大のポイントだろう。

その辺りをもっと対話を駆使し、掘り下げて描いて欲しかったと思うが、物語としてはちょっと安易に「交差させたり」「不幸に投げ込んだり」みたいな(凡庸な)ドラマチック展開に逃げてしまってた気もしたか(・ω・) 折角の対話のチャンスをあちこちに設けながらも・・どちらかが寝入ってしまったり、体調を崩してしまったり・・何だかもどかしかったですわ(←ま、それこそが人為的で普遍的な(てか“王道”な)悲劇性なのかも知れないが・・)

妻夫木ファンの女の子としては、洋太郎がどんどん不幸の沼に沈んで行くトコにショックを受けるかも。
ワタシ自身は亀岡(船越英一郎)や稲嶺院長(橋爪功)が彼に絡んで来た時点で「こいつらの差し伸べる手は絶対に怪しい!」と本能的に察知した次第だが(←何をエラそうに!) 案の定って感じもした・・ただ、折角助演してくれてた友人役の塚本高史(役名失念!)や、いかにも“強力な助っ人”ぽかった大森南朋(おおっ!)(終盤のみプチ出演します☆)にはもっと作品にプラスに働きかけて欲しかったなぁ。

長澤まさみは、本作でも「遠くの立ち姿が映える女優さんやな〜」と感じた。序盤でフェリーの甲板に佇む姿や、兄と別れる朝の、少し離れた路上から洋太郎に別れを言う時の姿。ただやはり『世界の中心で、愛をさけぶ(2004)』のころ程の“殺人的なまでの活発なオーラ”は放てていなかったかな〜と。たぶん、(撮影スケジュール上)この作品にだけ専念してた訳でもなかったんやろ、と勝手に自分の中で納得させてます(=^_^=)

一方で、やはり「憎めないヤツだよなぁ〜」と好感度の高まったのが妻夫木氏。『ジョゼと虎と魚たち(2003)』は今なお彼の最高傑作だと思っているが『きょうのできごと(2004)』『約三十の嘘(2004)』など・・どこか精神的に甘ったれてて、叱咤したくなるキャラクターでありながら(←と他人さまを叱咤出来るほどの人材でもないやな、オレってば) 憎めないのである。本作でも「人を信じ、鬼のような決意を心に秘め(←きっと)仏を演じ切った」と言う人物像を好演してくれた。

願わくば、あの“手紙”の中でぐらいは“妹のことを好きな本当の気持ち”をもそっと吐露して欲しかったな、と。あのストイックさには、どうも妻夫木の背後に“黒子(=ライター)”の存在までも感じてしまったりするのだ(←妄想)

ラストで“おばぁ”こと平良とみさんが登場し、妙に独壇場状態でカオルを励ましまくるんだが、どうにも説得力が薄い気がしたなぁ。「沈黙もまた金」と言うことを“おばぁ”にアドヴァイスしたげたくなりました。

ってことで、決して後味が良い作品でもなかったんだが(私的に)、洋太郎と言う人物の言動を眺めるに「こんなに純粋なヤツになりたかったな・・」と心の何処かで羨ましさをも覚えてしまったのだった。
(ただし、純粋なヤツが幸せに生きていけるとは限らない訳だが・・)

〜 こんなセリフもあったさぁ 〜

洋太「オレはこの美貌と体力で、人生を乗り切ってやるさぁ」
  「涙が出そうになったらこうするさ、そしたら涙が出なくなる」 ←鼻血の止血ではないんやね。。
  「恵ちゃんは・・オレなんかと付き合っちゃだめだよ」 ←こんなこと、一生に一度言ってみたい(=^_^=)

恵子「これからは洋太君の部屋・・泊まれなくなっちゃうね」 ←ウワァァン!

稲嶺「君は悪い人間ではなさそうだが・・少々ヒトが良過ぎるようだね」
  「立場の違う恋人たちにはいつかズレが生じるものさ・・遅かれ早かれね」

追記:後半でカオルの使ってた携帯は(どうやら)ドコモの『n701i』ですた。わ、オレのとおそろじゃん♪

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