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2007年9月30日 (日)

☆女優・戸田恵子のハーフ・センチュリー・アニバーサリー公演☆

29日(土曜)の夜。新大阪で開催されてた某社(1眼デジタルカメラ)の発表展示会に参加(別記事参照)した後、梅田のヨ※バシに寄り、そっから茶屋町にある小劇場「シアター・ドラマシティー」へと移動した。ここでは当夜、女優・戸田恵子の公演が華やかに(?)行われたのであった。

戸田さんと言えば、詳しくないワタシなどは「声優として成功⇒その後、本格的に女優とし開花された方」って印象が強かったんだが、実際には「子役デビュー⇒アイドルフォーク演歌歌手(!)に転身⇒女優(声優>俳優)⇒女優(俳優>声優)とし活躍」と言う複雑な(?)履歴を経て、現在に至っておられる方なのであった。
(そう言えば昔、戸※奈津子さんと(ご尊名が)こんがらがってしまったこともあったっけか・・(⌒〜⌒ι))

舞台は2部構成であり、
♦1部・・裁判仕立てで女優・戸田恵子の半生が「スクリーン映像」「思い出の歌」付きで紹介される。ミニコンサート風。
♦休憩・・約15分。
♦2部・・新作アルバム『アクトレス(Actress)』収録曲中心のコンサート仕立て。
だったが、(場内掲示による)予定では19:00〜21:25の公演時間のトコロ、実際の終演は21:50近くだったので、もうコレは後半だけを取り上げても、立派なライブと言えたんじゃないかな〜と思う。

戸田さんを短く表現すると「パワフルで、骨の髄まで女優」と言う言葉が相応しく、そしてほぼ無難であろうか(⌒〜⌒ι)
「誠実そうなしたたかさをコミカルに演技できる」「常に新境地へ飛び込むことを躊躇わない」「相手にパワーを与え、同時に自身もパワーを得る」みたいなことを気負いなく、実に軽やかにやってのける女優さんと言えようか。

前半では「このままの私で良いのだろうか?」と悩みつつ森(←彼女自身の心境のメタファーか?)を散策する女優がいきなり法廷へ放り込まれ、4人の審問官(?)に裁かれる展開。罪状は何やら・・『女優継続疑問罪』と言う物騒なモノらしい(⌒〜⌒ι)
ウィ※ペディアを覗けば分かることかも知れないが・・この裁判を“傍聴”することで、以下のことを知った。

♦名古屋のご出身。デビューのきっかけは某国営放送局の番組「中学生群像(のちの「中学生日記」)」
♦アイドルフォーク演歌歌手「あゆ朱美」の芸名にて数枚のレコードを出す。・・も、売上げ芳しくなし。。
♦野沢那智氏主宰の「劇団薔薇座」に入団。
♦声優とし絶賛(?)された『機動戦士ガンダム』を通じ知り合った俳優・池田秀一氏と結婚。のちに・・
(本人は「連邦軍とジオン軍の将校同士の結婚が巧くゆくハズもなく・・」と自虐気味に語っておられた(・ω・))
♦印象的だった曲は『みんな夢の中(カヴァー)』『逃避行(カヴァー)』『ギターをひいてよ(レコードデビュー曲!)』『V.I.P(新作アルバムより。打ち込みビートのカッコいいR&B)』など。

終盤で「断罪」された戸田は、自ら「進化」することを誓う。ここでも、彼女ならではのセンスで「進んで、化けます!」と言い放ち、客席は大いにわくのであった。

後半では、ニューアルバムや、近年の舞台作品からの(関連)ナンバーを歌われた。前者について特に凄まじいのが、彼女に楽曲を提供したそうそうたる面々。
『ささやかなジュゲーム』・・作詞に秋元康を迎える。歌われる女性心理が『恐怖のメロディ(1971)』気味でスゴい。。
『わがままブギ』・・作詞に三谷幸喜、作曲に宇崎竜童(・ω・) 正式タイトルが『のっこのわがままブギ』と言うらしく、三谷監督作『ラヂオの時間(1997)』で彼女演じるわがまま演歌歌手・千本のっこ(!)の歌っていた(設定の)曲を再現。

ほか、本人がご謙遜されつつも“そつのない”感じに仕上がっていた(ピアノの)弾き語りや、ドレス姿が(黒⇒白⇒赤・・と)続いていたトコロに、ラスト(のアンコール)でラフな格好(Tシャツ+サスペンダー+ジーンズ姿)で登場されたのがより魅力的に見えたり、4人のバックダンサーとの和気あいあいとした雰囲気も好感が持てたり・・と色々な「変化」の楽しめるステージだったように思う。
因みに「通販番組」のような1コーナーが設けられたトコロ、終演後の販売コーナーが黒山の人だかりになっていた・・恐るべし(⌒〜⌒ι)

惜しむらくは、2部では殆ど活用されていなかったステージ(向かって)右側の大型スクリーンだろうか。消えてても仕方ないんだし、もそっと色々(効果的に)映して欲しかった。

今後の予定とし、三谷監督作『ザ・マジックアワー(仮表記)』への出演、山田洋次監督作『母(かぁ)べぇ』への出演などをPRしておられた。
これから先の10年、ますます日本を代表する女優へと順調に育ってゆきそうな戸田さんである。歌手としても、女優としても世間的な認知で言うと“遅咲き”と映るのが残念なトコロであるが、反面「ただ若いだけ」と評されても仕方のない女優各位には、彼女の活躍をしっかりと「女優としての成長の糧」として欲しいように感じた(←だからナニをエラそうに!)

カーテンコールで、戸田さんが「幼馴染みの腐れ縁」と称される盟友・三ツ矢雄二氏が舞台に登場(本公演の構成&演出を手がけておられる)。遠目に「実直そうで、ちょっとずんぐりされた印象」の三ツ矢氏を眺めるに・・「戸田さんがホントに信頼されているのはこの人なのだな・・」と何故か直感的に(かつ独断&偏見的に)感じてしまったのだった。

追記1:声優としての戸田さんの中では、劇場版アニメーション『強殖装甲ガイバー(1986)』におけるヴァルキュリア監察官役がお気に入りでありましょうか。。中盤で「大変な目」に遭う役柄なんですが、当時の性少年はきっと、ワタシに限らずそのシーンで「溜飲を下げたハズ」・・と決め打ちしておきましょうか(⌒〜⌒ι)
追記2:現在、戸田さんの所属されているのは津川雅彦氏の運営されるプロダクションとのこと。

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☆ニコン新製品発表会に行ってみた☆

29日(土曜)。朝早くに清々しく起床⇒大阪市内に繰り出し映画を観る! などと、シャキシャキした予定をおっ立てながら・・本格的に起き出したのは午前もかなり遅くなってからのことだった(×_×) やっぱし疲レが抜け切らないや、みたいな。
観念し(映画を観に行くのはやめにし)、今週末(金曜〜日曜の3日間)に開催されてる「Nikon Digital Live 2007/新製品発表展示会(入場無料)」に午後から出掛けることとした。

(『D200』のお披露目でもあった)以前の「Nikon Special Live 2005」は南港・WTCホールで行われたが、今回は場所を新大阪に設定しての開催。まぁ、近くなったんかな? それにしても前回からもう2年経つのか・・としみじみ。

今回お披露目されるのは『D3(フラグシップ機たるデジタル1眼)』と『D300(中級者向けデジタル1眼)』の2機種。私的に正直「どっちのカメラもワタシの手には余るなぁ・・」と思いつつ、現在のニコンの技術力&宣伝力を見極めに行きますか、って理由で足を運んだ次第だ。

そう言う訳で、以下に感想を列挙してみます。

■会場へのアクセス・・要所毎に案内スタッフが立っててくれ分かり易い。マンションの現地案内みたいな感じか。
■会場内・・特に禁止事項もなく、思ったままに(持参のカメラで)撮影出来るのが嬉しい。入場者を眺めると『D200』を首から下げてるツワモノどもが流石に目立ってた。「その機種のままでエエやんか!」とツッコミたくなりつつも、ちょっと感心してみたり。
■シューティングステージ・・『D3』『D300』のいずれかを選び、特定のエリア内で、特定の被写体を撮影しまくれる。が「時間制」「1回の参加でどちらか1機種のみ貸与(交換不可)」「カメラはエリア外に持ち出し不可」「被写体(奇麗なハープ奏者のお姉さん)以外(女性スタッフとか)の撮影不可」「CFカードは要返却(=撮影画像データの持ち帰り不可)」「代わりに撮影画像から任意の1枚をプリントアウトし持ち帰れる」ってなルールが設けられていた。
ワタシも何気なく並んだが、瞬く間に行列が伸び始めた(⌒〜⌒ι) 『D3』の方が早く順番が回って来そうだったが、やっぱり『D300』をチョイスしたワタシ。うーん・・『D70(←今のワタシの愛機)』とは全く違うな〜と言うのは直感的&体感的に分かったが、細かくどうスゴいのかまでは伝わって来ず。。スイッチ関係もごちゃっと並んでて、そこは取っ付きにくい印象だった(きっと『D200』ユーザーならすぐ対応出来るんだろう)。周囲では「チャッチャッチャッ!」とシャッターを連射してる音が聞こえてたが、それすら試せず(×_×)
■テクノロジーコーナー・・両機種におごられた最新技術をパネル等で紹介。やっぱりスゴいな〜ってのは「51点AF(オートフォーカス)」。ラケットを振る女性の一連の動きをAFで追ってるビデオ映像が映し出されてるが、画面を横切る腕や激しく動く上半身に惑わされることなく、女性の横顔に焦点を合わせてる性能には感心させられる。もはや人間業を超えてる気がせんでもない反面、人間なら(たといプロカメラマンにせよ)被写体のムダな動き(パーツ)を一瞬眺めるような動作もするハズで・・「そう言う人間らしさがアルゴリズムから排除されているとしたら、ちょっと悲しいかもな〜」と思ったりもした(・ω・) いや、にしても他社製品を圧倒するAF性能ではございます(何せ『D40X』じゃ未だに3点AFですもんね・・(←性格も位置付けも価格も全く違うけど))。
■他の製品紹介・・クールピクスシリーズなどを展示していた。ふと何気なく手に取った1台が『P5000』だったが、ズーミング時の動作の速さに驚かされた。以前に使っていた『CP5000』の頃のもっさり感がウソのようである。。

ってことで、楽しくて多少タメにはなった発表会だが、会場が何となく手狭な気もし、いつまでも居たいな〜と言うワクワクする気持ちがわかなかったのも事実だった。商業的な部分が前面に出過ぎて「遊び」の要素に欠けていたからだろうか?
どこがどう、と言う理由は浮かばないが、2年前の発表会の方が飽きずに楽しめた気がしたワタシである。

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2007年9月29日 (土)

☆『花田少年史/幽霊と秘密のトンネル(2006)』☆

28日(金曜)。実を言うと、昨日に“最後の夏休み”を取らして頂いた訳なんだが・・映画に出掛けるでもなく、(午前中は)寝だめして(午後は)ちょこちょこっと外出して・・ほぼそんだけで終わってしまった。。
リフレッシュするどころか・・何だか余計疲れてしまったような1日だったかも(×_×)
休んだ次の日は、必然その(仕事面の)反動がグンと来るため、またも残業となり、帰宅してからささやかに(=^_^=)「購入したばかりの液晶テレビで映画を楽しむ」こととした。

「金曜ロードショー」で“地上波初登場”の触れ込みで放送された『花田少年史/幽霊と秘密のトンネル』である。「少年モノ+心霊モノ+郷愁モノ」ってことで、当初の(ワタシの中での)イメージは「大人の鑑賞にも堪え得るファンタジー作品」であり、やたら期待しつつ観てみると・・意外とつまらなくて、違う意味で驚いてしまった(・ω・)

広島県竹原市。そこは目の前に瀬戸内海が、背後に山々の広がる漁師町であった。貧乏な家庭に暮らしつつも元気いっぱいな“悪童”、花田一路(須賀健太)は母・ひさえ(寿枝:篠原涼子)と日常茶飯事的(?)な口論を経て飛び出した矢先、山腹にあるトンネルから猛スピードで飛び出して来たトラックにはねられ、死の淵を彷徨う。
峠道のアスファルトにぐったり横たわる自身の姿、そんな自分に駆け寄る母たちの姿を上空からぼんやり眺め下ろす一路。彼は今までに体感したことのない爽快さに、どんどん空を昇って行こうとするが・・そこをセーラー服姿の少女・香取聖子に引き戻される。
次に目覚めた時、一路は病院のベッドの上にいた。すると・・それまでの出来事は全て夢だったのか?

が、その体験を経てから、一路には“死んだ人々が見える(I see dead people←(=^_^=))”ようになる。「見える」となれば、寄って来るのが霊魂の習性(?)ってことで・・以来、彼のもとには聖子、謎のイケメン弁護士・沢井(北村一輝)、死にたて(?)な吉川のおババ(もたいまさこ)、手下的友人(?)壮太の亡き父・たけし(猛:杉本哲太)・・と言った面々が次々と出没することに。
最初は面食らってた一路だったが、彼らなりに成仏出来ない「理由」があることを知り、その頼みに耳を傾けることにする。
かくして少年の、ファンタジックなひと夏が始まるのであった・・みたいな流れ。

フルカラーの液晶画面で初めて鑑賞することとなった(映画である)本作だが、それ故にか「CG面のヘタレ度」までもが際立ってしまい“(ココロ的に)入り込めない”特撮シーンが大半を占めていたのが残念。
序盤では一路が下界を見下ろしつつ空を飛ぶシチュエーションがあるも、合成してるのがバレバレでどうにもアカンかったな(×_×) また、途中でも数ヶ所、光学処理(いわゆる光線&爆発系映像)を駆使した(?)シーンが展開されるんだが、妙にウソっぽくて白けてしまった・・って言うか「本作に敢えて過剰な特撮演出を投入する必要があったのか・・?」とちょっと理解出来ない部分が生じたりもする。

キャラクターの内面的な描き方もイマイチな感が否めず・・周囲(のキャラクター)から評価されてる割に、主観的に眺める限りは大した人物に思えない父・大路郎(西村雅彦)の“キャラの薄さ”は吸引力不足ではなかったか?
謎の弁護士役の北村もヴィジュアルこそ実に“イヤらしい度全開”で素晴らしいんだが「ミステリアスか?」「クレバーか?」と問われると「どうかな?」と。(しかし、劇中に交通災害の目立った作品だったネ・・)
終盤など、ゴーストなのに(肉体がいきなし)実体化したようで、顔面に飛んで来たタコが張り付いておかしな状況に突入してしまったりもしてた(×_×)
そんな中、孤軍奮闘(?)してくれたのが杉本哲太。『世界の中心で、愛をさけぶ(2004)』では「森山未來をぶん殴った」ぐらいしか言動が(ワタシの)記憶にないんだが、本作では寡黙ながら「イイ佇みっぷり」を発揮してくれてた。流石は“和製マット・ディロン”(=^_^=) ←ちょっとちゃうやろ!

きっと原作(コミック)の忠実な再現と思われるが、シーンによっては「唐突だし、荒っぽ過ぎるんじゃ?」と思ってしまうセリフが見受けられ、そこもちょっと「引いてしまった」ワタシだった。
「地獄に堕ちさらせ!」とか「死にさらせ!」とか叫ぶんだけど・・ちょっと世界観にマッチしてないよ〜な(・ω・)
「台本、練り直しさらせ!」と製作陣に優しく言ってあげたい。。

前半こそ、明るく開放的なヴィジュアルが広がるモノの、後半などは「時間軸が入れ替わる」わ「シリアス路線が際だつ」わ「暗く閉鎖的なシーンが多くを占める」わ、でバランス悪かった感もあったかな〜と。

も少し、全体的な見直し(修正)をすれば『シックス・センス(1999)』とか『異人たちとの夏(1988)』などにもう一歩、迫れた気がするだけに残念だ。あと、一路少年とガールフレンド(?)桂(けい)との関係って、あんな中途半端なままで終わってよろしかったンでしょうか??

〜 こんなセリフもあるにはありました 〜

一路「リアルな貧乏はやだ!」

聖子「長い間幽霊なんかやってるとさ、性格まで歪んで来ちゃうんだよね」

寿枝「結婚はね、好きになってするもんじゃないんだよ、愛してするもんなんだ・・なんつって」

猛「いつもお前と一緒に走ってるぞ、たとえ見えなくてもな」

看護師「これって医療ミスじゃないわよね?! 奇跡だよね?!」 ←臨床のプロが妙に“素(す)”に戻ってるリアルさに苦笑させられた(⌒〜⌒ι)

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2007年9月25日 (火)

☆『真珠の耳飾りの少女(2002)』☆

24日(月曜)。いよいよ、泣いても泣いても(←笑いはないんかい)連休の最終日である。今朝もぐうたらと寝だめした後、正午過ぎから市内の某ショッピングモールに出掛けた。この連休限りの特価セールで“液晶テレビ”と“ハードディスクレコーダー”が安く売られてたため(チラシで確認)「ぼちぼち買うべか!」といきなしやる気になって来た次第だ☆

テレビに関しては
・現品、展示品は嫌
・今のテレビが14インチなので、それ以上のサイズは欲しい
・いちおう地上デジタルチューナー内蔵が良い
・あんまし高いのは嫌

レコーダーに関しては
・現品、展示品は嫌
・ビデオデッキは搭載してなくても可
・いちおう地上デジタルチューナー内蔵が良い
・あんまし高いのは嫌

ってな条件を漠然と自分の中に定めておいた。んで結局、
『オリオン製・15インチ地上デジ対応液晶テレビ』を購入し、
『パナソニック・ディーガ(DIGA)』の在庫確認を依頼した(←店頭になかったため)。

いよいよ今後は、映像の変色した“グリーンモード”から脱却出来るって訳で、そこは流石に嬉しい(=^_^=) なお、今のテレビと共に、電源の入らない(←きっと本体内蔵のバッテリー(=分解なしに交換不可)が尽きたのだろう)ビデオデッキの回収もお願いしたが・・考えたら、テープがデッキ内に残されたままなのが気になる(・ω・) 大切な録画だったらどうしよう? 所持してるだけで捕まるよな変態的な録画内容だったらどうしよう? と心安からぬモノがあったりもする(×_×)

夜は、衛星第2で放送された“ゲージツ映画”『真珠の耳飾りの少女』を観た。公開当時、劇場でも鑑賞したが、改めて観直しても格調高く、ヒロインも可愛くて「エエなぁ〜」と映像世界に見とれてしまったモノだ(・ω・)

1665年、オランダの運河の街・デルフト。水面(みなも)に架けられた小橋を渡り、新しいメードの少女がやって来る。彼女の名はグリート(スカーレット・ヨハンソン)。画家のヨハネス(愛称:ヤン)・フェルメール(コリン・ファース)一家に雇われた彼女は、芸術的に極めて高い才能を持ちつつも、恒常的な貧困に喘ぐ(ヤン)一家の暮らしの実態を知る。
現に、彼の隣家がまさに破産し全ての家財が接収される様(さま)を目の当たりにするグリート。

“遅筆”とも評される彼の絵はなかなか完成せず、妻は宝石を売ってしのいだり、パトロンである資産家、ファン・ライフェンに生活費を工面して貰ったりしている。
そんな状況下ながらも・・妻は6度目の出産を経て、その後も7度目の“おめでた(ご懐妊)”を迎えちゃうのだった(⌒〜⌒ι)

まず妻にアトリエ内の掃除を言いつけられ、その後ヤン自身に「絵の具の調達」やがては「調合」まで任されるようになるグリート。一方で彼の妻は“メードにご執心”な夫の言動に、次第に不満を募らせてゆく。

そしてファンの依頼により、次作には「集団肖像画」の描かれることが決まる。その作業の中、ヤンはグリートに「(集団画とは別に)君だけを描く」と密かに耳打ちするのだった。
かくして(後年、彼の最高傑作とされる)『真珠の耳飾りの少女』なる絵画が、極めて短時間で描かれてゆくこととなるのであったが・・って展開。

イギリス映画である本作。全編英語やったんやね、と今回改めて気づいた(・ω・) ロケーションが極めて限られた中なりに、生活感や季節感を大いに感じさせてくれる演出&映像(描写)が巧く盛り込まれていて素晴らしかった☆

ヤンも寡黙なら、グリートももの静かな少女とし描かれており、互いに「偲ぶ恋」を(ある意味)貫徹するトコは、時代&国境を超えた“封建社会(下の物語)”を連想されてもくれ、じわりと辛さや重みが伝わって来る感じだ。

もう1つ、時代を超える“普遍性”を感じてしまった(=^_^=)のが「(温度差のある)主人とその妻の間(はざま)に放り込まれ翻弄される、美貌のメード」と言う「相関図」。
いかようなドラマでも紡ぎ出して行けそうな・・そんな気のするシチュエーションだ。
時として、メードが(黙しつつも)主人やその妻を圧倒しているような展開も、初回の鑑賞では気づかなかったモノの、今夜はある意味「爽快感」を覚えたりしつつ観たワタシだった。

また、前回は「貧困な生活なんやな〜」と切実に感じてしまったフェルメール一家。しかし、良く見たら屋敷のあちこちに「チェンバロ」「リュート」「カメラ・オブスクラ(ピンホール・カメラの元祖か?)」みたいな“贅沢品”の見受けられたのが印象的だった。
(まぁ絵画を描く上で欠かせぬ“小道具”であったのかも知れないが・・)

後半で、グリートが“頭巾”を唯一脱ぐシーン、そして唯一“涙をこぼす”シーンは、殆ど何のセリフもないのだが、それ故に“雑音”もなく、視覚を飛び越え“心にダイレクトに突き刺さって来る”素晴らしいシーンである。
(そう言えば、この作品って“壁から半分顔を出し、ピーピングしてる奴の図”が妙に目立ってた気がしたな(⌒〜⌒ι))

劇場では「薄情そうなやっちゃな〜」のひと言で片付けてしまった(=^_^=) 肉屋のせがれ(?)ピーターを演じたキリアン・マーフィー。今回は「君の言うとることの方が、いちいちもっともやんか!」と頷いてしまったり・・

少女グリートが橋を越えてやって来、また橋を越えて去ってしまった物語。
彼女のその後の生涯が気になって仕方がない。「絵画(画業)に目覚めた?」「(平凡に)肉屋の妻になった?」などと色々と物語世界を超え、考えてしまうワタシなのである。

〜 こんなセリフもあったんですよ 〜

ヤンの母「お前も絵に見とれたのね」
    「お前は、そして私たちも・・彼の蜘蛛の巣の上の蠅に過ぎない」

ファン「彼が私を描いたこの絵・・いずれは(私の)遺影となろう」
   「この絵を見る限り、我が妻が“思慮深い女”に見えるぞ」
   「彼は年増女には動じない。年若く美しい娘にのみ、心を動かされる」 ←あんたもな!
   「この熟れた果実をただ眺めるだけとは・・奴も分からん男よの」 ←“ご無体モード”にいざ突入!

ピーター「君の笑顔1つ、ツケにしておくよ」
    「いいか、自分を見失うな! 奴は別の世界の男なのだ」
    「戻るな! 他人に仕える暮らしなどよせ」

(メード頭)タネケ「結局、どうしようもないのよ・・男なんて」 ←う、重く刺さるセリフ(×_×)

ヤン「君には理解出来まい」
妻「彼女には出来ると言うの?」

妻「絵のことなんかどうせ分からないと? 私を見下さないで! この娘なんか・・字も読めやしないのよ!」
 「この絵、みだらだわ! ・・わたしを描いてよ」 ←妻なりの叫び・・

追記1:フェルメールに「唇を舐めて艶を出せ」と命じられた時の、グリートの舐め方が・・実にイイ! きっと本作のこのシーンだけを動画にして“永久保存版”にして何度も楽しんでる(←何をだ!)おっさんも全世界に少なからずおると思われ(⌒〜⌒ι)
追記2:グリートの「私の心まで・・」に続くセリフは果たして何だったんだろう? 英語ではもっと長かった気がするんで、いつか完訳してみたい(=^_^=)

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2007年9月24日 (月)

☆「ダイハツ・ドラリオン/大阪公演」を観た☆

22日(土曜)。昨晩は寝られそで、なかなか寝つけず・・それでもようやく午前4時過ぎ(?)にぐっすり眠りに落ちたようで・・気持ち良く目覚めたら、間もなく午前10時って時間帯だった。
「やっぱり疲れてたんやな・・」とボンヤリしつつ、次の瞬間には飛び起きてた!
そや、今日は「ドラリオン」昼公演の日やったんや・・。。

素早い動作で外出準備を済ませ、午前10時20分にはそれが整った訳だが、ちょっとスッキリしない“部位”があり「も1度、閉所で自分と対話しとこう(=^_^=)」と考えた瞬間・・「2※分のK阪バスに乗る」と言う理想的なプランは瓦解したのであった(×_×)
結局、次の3※分のバスに乗ることを余儀なくされてしまい、現地に辿り着くまでの間、常に「遅刻やぁ〜!」と言う不安に襲われっぱなすのだった。。
(結果的に、市営地下鉄・中央線の終点「コスモスクエア駅」から猛然と(炎天下を)ダッシュ、開演の3〜4分前に何とか会場に到着が叶った・・)

実際に走ってみて思ったのは、案内にある 〜「コスモスクエア駅」下車・徒歩約8分〜 って記述は、ちと適当なんじゃないかい? ってこと。中年男の小走りでもって、何とか7〜8分って感じだったぞ? ま、俺の走る速度がスロー過ぎてあくびが出る程度だっただけなのかも知れんけど。。

さて。座席は「B席:5500円」と言う一番安いランクの場所だった。コレが何処かと言うと・・ステージの「左斜め後ろ」ってなロケーション。円形のステージを時計の文字盤に例えた場合、4〜8の数字の辺りが最上級の「S席」で、我々(←って何で複数やねん・・)「B席」は10の数字辺りと言えようか。
んでも「前から1※列目」って言う、思ってた以上に「肉眼でステージを楽しめる距離」なのは良かった☆ 何せ双眼鏡を家から持って来る時間的余裕すらなかったもんで(×_×)

※因みに会場では「双眼鏡レンタル」やってませんのでご注意を!

座席は流石にサーカス公演らしいと言うか・・堅くて座り心地が悪い。前・後編が各1時間ほどあるが(合間に休憩が30分)、座って観てただけなのに、膝やふくらはぎが痛くなってしまった(×_×) なんてヒ弱なおいら・・

ひと言で「ドラリオン」の印象を語れば「多国籍、故に無国籍なサーカス公演」って感じだろうか。クラウン(3人の道化師)らは専らイタリア語(?)で喋ってるし、目立つメンバーはやはり中国系の「関節柔らかい派」な方々であった。遠目なので、間違ってるかも知んないが、トランポリン&ジャグリングは白人系、躍動的ダンスは黒人系、誘導スタッフは日本人(・ω・)ってトコか。

メモの用意がなかったので(=^_^=)、記憶だけが頼りなんだが、以下の演目が展開された。

■シングル・ハンドバランシング:片腕で全身を支える少女。「利き腕」があるんやろ、と思いきや・・両方の腕で(持ち替えて)演技してた! (0キロ⇒全体重への)急激な荷重の変化、そして意外に長い演技時間・・「一生分の時間&作業量を合計しても、あんなに酷使されることはないんやろな、ワタシの腕だと」と少し情けなくなってしまった(×_×)
■ボール・ジャグリング:ボール&バトン(?)を自在に操る青年。地面に置いたボールを足で空中にすくい上げるテクニックがスゴい! 確かにそれがマスター出来たら、手で拾うより「早い」し「腰に負担がかからない」んやろね(⌒〜⌒ι)
■トランポリン:壁面を活用し「壁を歩く」ようなパフォーマンスを見せる男女。滞空時間が(あと少し)早くても、遅くても、見映えが悪くなることを考えると・・きっともの凄い練習をしてるんだろう。なお、彼らの動きの中には、ハリウッド映画のアクションシーンに是非“応用”して頂きたいモノもあった☆
■エアリアル・パ・ド・ドゥ:男女が空中で演技。比較的ゆったりした印象か。
■ダブル・トラピス:空中から並んで下げられた2本のハシゴ(?)に男女がそれぞれ1組ずつ。側部がロープでなく、パイプ様に見えたので“ハシゴ”と(勝手に)解釈した。
■バレエ・オン・ライト:一面に電球が配された床の上で少女らのバランス演技が展開される。電球は荷重に耐えられる(?)よう“強化”されてた感じがしたが、何より下で支える女性が「爪先立ち」してる姿に驚愕! 達人からすれば、その方がバランスが良いのかも知れないが・・シロウト眼には「上に2人ほど乗せるなら、カカト着けてしっかり立った方が・・」と思えてしまう。
■バンブー・ポールズ:長い「旗竿」を手にした青年らが演舞。重いようでいて、意外と軽そうにも見える。竿を手にしたままトンボ返り(前転)する演技はなかなか。
■ドラリオン:龍(か獅子)を模した2人1組の“獅子舞(DRA-LiON)”の一団が躍動的に踊る。「玉乗り」が見せドコロだが、ドラリオン自身が玉乗りする(させられる?)のもスゴければ、トンボ返りして玉の上にストンと着地したり、玉の上で連続トンボ返り(後転)したりするリーダー格の青年がスゴい!
■エアリアル・フープ:空中から吊り下げられた輪(フープ)を使ってのソロ演技。女性ならでは(?)の柔軟性を発揮し、腰椎辺りで輪を引っ掛け“仰向け状態”で絶妙にバランスを取ったり、頭部を後ろに反らせ、頸椎だけ(!)でぶら下がったりする。。
■フープ・ダイビング:輪を2、3、4ツと積み重ねたモニュメント(?)を次々とくぐる一団。「寸前で手を着くスタイル」でトンボ返り(前転)しつつジャンプ⇒両足からスポッとくぐったりする。失敗すると、輪をくぐるには成功しても、台座を飛び越し損ね尻餅ついて大ケガする(?)と思うんだが・・そこは流石に。2人が互いの足首を掴んでゴロゴロ転がりつつ(人間キャタピラ状態?)、輪をくぐるのには驚愕させられた。
■スキッピング・ロープ:縄跳び芸。片手で逆立ち(!)しつつ跳んだり、人間ピラミッド(3段)で跳んだり、連続トンボ返り(後転)しつつ跳んだり、小規模の縄跳びをしつつ、更に大きな縄の中を跳んだりする。。飛ぶ方もスゴいが、実は回す方の絶妙なタイミングもスゴい!

※順番、間違ってるかも(・ω・)

そんな感じだった。全体を通じ「雑技団系」が多かったので「ドラリオン(シルク・ドゥ・ソレイユと言う集団)ならではの個性」って部分がちょっと弱い気もしたが(←そう言う感じ方は“観客失格”なんやろか?)、唯一・・眺めてて泣きそうになってしまったのが、ダブル・トラピスであった。
床までネットなし&クッションなしの状況下で、弾みをつけ空中で(縦)回転⇒腕1本でパートナーを支えたりするのだ。失敗したら「即時公演中止」になるんとちゃうの? と眺めててひたすらに恐ろしかった(×_×)
家人曰く「背中にワイヤー(命綱)を装着してたんでは?」とのことだが、ワタシにはそれが見えなかった(し、あの回転演技をするにはワイヤーが逆に邪魔になるように思う・・)。

飛ぶ方も、掴む方も、社会通念的(?)な信頼感なんぞを軽く超越した、確信的な“何か”がないと、とてもやれないんじゃないか? 常人の中でどれだけの夫婦、親子、恋人が少しの躊躇もなく「掴んでやる」と断言出来るんだろう?(少なくとも、ワタシの周辺でパートナーになって貰える人間を考えた時に「いる訳がない!」と即答が導き出されてしまった・・) などと思いを巡らせているウチにウルウルしてしまった次第である(⌒〜⌒ι)

いやきっと、万一に備えての対策を講じてなければ、そもそも「公演の許可」が下りないだろうから、何とかやってるんだろう。
それにしても「人間同士の言葉なき信頼感」みたいなモノが公演全体に流れてて、そこが何より良かった☆

反面、気になったのは次の点だろうかな。

□クラウン(道化師)らのトークに対しては「日本語字幕を電光掲示で表示」して欲しい。言葉が殆ど分からないので、ともすれば(彼らのパフォーマンスが)冗長に感じられてしまう。
□序盤からとある“仕掛け”が展開される。知らなかったワタシはやはり騙されてしまい・・「ちょっとソレはやり過ぎやろ・・」と“如何なモノか的”に思ってしまったモノだ(・ω・) 帰宅後、家人からは「アレを言うと面白味が半減するから、敢えて黙っておいた」との言葉があった。。
□劇場テント内のみならず、売店・アンケート(PC)コーナー・飲食コーナーやらの一切のエリアが“撮影禁止”なのだった。知らず「プログラム表示板」を撮影しようとし、注意されてしまったワタシ(×_×) も少し大きく「会場内はすべて撮影禁止」と表示しといて欲しい(ま、ワタシもワタシなんだけど・・)。

なお、クラウンが演じるパフォーマンスの中で「ノコギリ演奏」の聴けるのが面白かった。あんな音が奏でられるんやね・・初耳ですた(・ω・)

動物演技に依存しなかったり、ラジコン等のハイテクギミックを積極的に投入していたり・・と斬新で“人間パフォーマンス”に特化したサーカス集団と言う点では評価も出来ると思う。

私的には「サーカスには“そこはかとなく漂う物悲しさ”も備わってなきゃ」と言う持論(←どんな持論だ)もあるんだけど、こう言った徹底的な明快さ&華々しさも、悪くはないかな、と。

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2007年9月19日 (水)

☆『東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン(2007)』☆

18日(火曜)。本日も“休み明け”で、順調に長時間残業に突入しそうな気配が濃厚だったが(・ω・) 自分勝手な発言ながら、ハッキリ言って「疲れてた」し「明日もどうせ残業だろうから、明晩に回そう」と直感的に判断⇒職場を後にした。
で、向かった先はホームタウンの市民会館。ここで午後6時半から映画『東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン』が上映されるのだ。
劇場公開時に観そびれたワタシとしては「恐らく、曲がりなりにも(=^_^=)スクリーンで鑑賞出来るのは、きっとコレが最後のチャンスとなろう」と思ったので、「是非!」と最優先で駆け付けた次第。

オダギリジョー&樹木希林主演の、言わば“お涙頂戴”作品ではあるんだが、とにかく俳優陣が妙に豪華でスゴかった! 予想してなかったのは、伊藤歩、荒川良々、宮崎あおい、板尾創路(←役名も“板ちゃん”だった(=^_^=))といった面々。流石に小泉今日子、寺島進、柄本明の客演ともなると・・やや“悪ノリ気味”な感もあったが、それにしてもスゴいよなぁ。「勝ちを取りに行ってる映画」って趣だネ(・ω・)

1966年・・そして現代。九州・小倉&筑豊・・そして首都・東京。2つの土地と2つの時代を(主な)軸に、とある母子の半生が描かれる大河ドラマ(?)。
主人公の“ボク”=中川雅也(オダギリ)が淡々とモノローグ(独白)を放ちながら、グウタラな人生を情けなく流れて行く一方、そんな息子の姿のみを「生きる励み」としつつ、“オカン”=中川栄子(樹木)はひたすら身を粉にして働くのだった。やがて東京で何とか成功し始めた“ボク”は“オカン”をタワーの見える東京の街に呼び寄せるのだが・・既に“オカン”の身体はガンに蝕まれていたのだった・・そんな流れ。

私的に「テイストが似てるな〜」と感じたのは『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』だろうか。あちらの場合は主人公ガンプ(トム・ハンクス)の言動を無意識下で(?)支配(←と言う表現が適切かは分からないが・・)してたのはヒロイン=ジェニー(ロビン・ライト・ペン)の存在だったんだが、本作では、その相手が“オカン”に変わったみたいな感じ。
そんな彼女が病に臥せたり、(幼い)息子に気兼ねしつつ“オトン(中川弘治:小林薫)以外の男性に接近したり”する辺りもミセス・ガンプ(サリー・フィールド)と性格付けが微妙に似てたし。
淡々と、ある意味シンプルに、昭和へのノスタルジー(郷愁)をぷんぷん漂わせながら物語の展開する造りは好感も持てたが、どうせ(TVのスペシャルドラマじゃなく)大作映画なんだし・・ってことで、もっと大胆な仕掛け(味付け)をやって欲しかった気はしたか。

・実在の事件&有名人と“ボク”の半生を絡め描く(記録映像とのCG合成とか(⌒〜⌒ι))
・末期ガンの“オカン”に対し“ボク”が壮大なウソをつく(『ライフ・イズ・ビューティフル(1998)』のノリ)
・“ボク”の大げさな言動でムリヤリ観客を泣かそうとする造りにする(『シンドラーのリスト(1993)』のノリ)
・過去の(主人公のハッキリと知らなかった)事件を“前フリ”にしといて、終盤に“オチ”に持って来る構成とする。
・終盤に“オトン”の意外に長い演説シーンを挿入する。

どうせなら、上記のような「不敵」な脚色で強気にガンガン攻めて欲しかったような。

後半など、周囲ではすすり泣くような声と言うか雰囲気と言うか、そんなのがあった様子だが・・私的には「涙腺を緩ませる」には至らない作品であった。いや、確かにイイ作品とは認めるんだけど・・
ちょっと「主人公の“骨のない”ままの存在感」と「母親の“自分らしさを抑圧したまま”去って行った凄まじさ&不気味さ」がスッキリしなかったのかも知れない。

それに、折角タイトルになってる“東京タワー”の用いられ方(本編への絡ませ方)がイマイチ説得力(のパンチ)に欠けてたようにも。
ま、コレらはワタシが大阪人だから、関西圏度外視(=^_^=)で終始してしまう“あの物語世界”に(内心)反発してしまってるだけかも知れないけど・・

またいつか・・「時が来た」頃に再度観直したら、ボロボロ泣けるのかも知れない(・ω・)

それにしても、この作品で描かれる「抗がん剤」の副作用の描写には凄まじいモノがあった。
「あんなに苦しいのなら、死んだ方がマシ」と言うのが、昼間の回でこの映画を観た、我が“オカン”のコメントである。
(因みに、若い頃の我が“オカン”は内田也哉子さんに雰囲気の似てた気がする・・(・ω・))

〜 こんなアイテムが登場してました 〜

■フジカ・シングルエイト(ハンディ型8ミリ撮影機)・・1965年発売
■モーリスのアコースティック・ギター
■スバル360・・1958年発売
■1メーター=240円時代のタクシー・・昭和だよなぁ〜
■KTKのキハ213系・・「筑前宮川駅」を走ってたが、実際は千葉県・小湊鐵道の列車らしい
■貼り紙“自粛しつつも平成元年フェア”・・控え目に、かつしたたかに(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

オカン「オカンはピラミッドの“頂点”かんね」
   「やっぱり“ウチ(我が家)”はエエね」
   「ごめんね、ありがとう」 ←北野監督作『HANA−BI(1998)』を思い出した。。

ボク「永遠でなければ、総ては幻覚だ」
  「夢と未来へ続くトンネルを抜けると・・そこはゴミ溜めだった」
  「またボクは、オカンに“寄生”した」
  「楽しい時間は、まるで鈴が坂を転がるように、音色だけを残して過ぎ去って行った」
  「心配しなさんな」
  「あなただったら・・死んだ母親の眼の前で、仕事が出来ますか?」

※※「いつも“いない”でイイんですか?」
ボク「イイんじゃないですか・・自信を持って言って下さい」 ←サラ金の取り立て逃れのクセに(・ω・)

祖母「(天井を指差し)あそこに100万円ある。あれやるけん、鍋を買いなさい」 ←婆ちゃん・・

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2007年9月15日 (土)

☆『007/ダイ・アナザー・デイ(2002)』☆

今週もようやく終了。連夜の残業続きだった割に・・しっかり(テレビ放送ながらも)毎日映画を鑑賞出来て良かった(=^_^=) ま、反面、溜まって来た新聞記事の束がどえりゃ〜有り様になってはいるが。。
さっさと片付けたいトコだが、今夜はも少ししたら岡山方面に向け“1泊コース寳塔ツアー”に繰り出そうと考えているんで、更にまた溜まることとなりそうだ(⌒〜⌒ι)

ここ数日間の記事をチョキチョキしつつ、自室の(経年によりもはや映像の変色した)14インチテレビで“ながら鑑賞”としゃれ込んだのが、007シリーズの第20作『ダイ・アナザー・デイ』だった。いよいよこの作品をもって“5代目ジェームズ・ボンド”ピアーズ・ブロスナンも卒業ってことに(・ω・)
ああ、そう言えば次作『007/カジノ・ロワイヤル(2006)』のDVDソフトも購入したまま開封すらしてないや・・(×_×)

さて本作、確かしっかりDVDソフトも持ってて、(今回が)地上波初登場って訳でもなかったんだが「これまでのシリーズの集大成」的な(ある意味)大作に仕上がっており、入門編としても充分満足のゆくレベルに仕上がっていると思う。
私的には発明家スタッフ“Q”(ジョン・クリース)の手がける、数々のガジェット(スパイ小道具)の存在と、それぞれの(適所的な)使われ方を観て楽しむのが好きなもんで・・今回は「驚愕の仕様」を誇る例のボンドカー“アストンマーチンV12/ヴァンキッシュ”を始めとして、敵味方それぞれが駆使する様々なアイテムを眺めてるだけでも楽しかった。
(特にボンドカーの“自己修復機能”は、何度観ても(=^_^=)ぶったまげる!)

氷上で繰り広げられるカーチェイスシーンだけは大画面で観ときたくて、別室の(ちゃんと色の映る)テレビで観た次第だが、少なくとも4回目ぐらいの鑑賞にはなるもんで、ぼちぼち「色々と突っ込みたい病」が鎌首をもたげ始めたりもするのだった(=^_^=)

■K国に配慮してか、劇中の「ロケーション字幕」が一切表示されなかった。私的には、冒頭に出て来る「北※鮮・パクチョン海岸」のテロップがかなり(響き的に)好きなのであるが・・
■序盤のダイヤ鑑定士、余りに突然で凄絶な死である。。
■敵の殺し屋ザオ(リック・ユーン)の声をあてておられたのは池田秀一氏ではなかったか? ブロスナンの声をあててるのが(恐らく)田中秀幸氏なもんで、何だか「アニメ版の聖闘士星矢」でのお2人の共演を思い出してしまったりもした(・ω・)
■後半、ボンドカーが“GG(敵ボス)”の氷の宮殿内部を登って行くシーン。ついつい「立駐(立体駐車場)かよっ!」と突っ込んでしまえる。
■「氷水攻め」に遭って死にかけてしまうジンクス(ハル・ベリー)。この人って『ソードフィッシュ(2001)』出演の時も「首吊りの刑」に遭ってたし(×_×)、何だか不幸な役が多いですね・・(×_×)
■敵アジト(の中庭?)に※※化されたまま「長期放置状態」のボンドカー。誰か、気づけよ!
■全編を通じ、結構特撮面でも頑張ってる感じの本作・・だのに、あの“即興パラセール”シーンのお粗末さは何じゃい! あんなCGなら、やらない方がマシだと思うぞ。あと、そんなにすぐ戻って来れる距離じゃないと思う。。
■『キル・ビル(2003)(2004)』シリーズでバド(ビルの弟)役を演じたマイケル・マドセンが助演してるとは知らんかった(・ω・)

ってことで、どうにも我慢ならないCG特撮シーン(前述)を擁する本作ではあるも、総じて「ワクワクさせる1作」とは評価してあげたい。スーパーカー万歳!(←何だかほんのり意味不明)

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2007年9月14日 (金)

☆『ブルドッグ(2003)』☆

13日(木曜)。今夜も残業が2.5時間ほど長引いてしまい、かなりヘロヘロ状態となってしまった。まだまだ皆さん、頑張るおつもりらしかったが、こちとら明らかに効率が下がって来たのと、とっとと帰宅して楽しみたい映画があったため、20時を回ったぐらいで勝手(失礼)させて頂いた。
んで、何とか放送開始の「約3分前」に自宅に辿り着くことが出来、観ることの叶ったのが「木曜洋画劇場」で地上波初登場となったヴィン・ディーゼル主演作『ブルドッグ』である(・ω・)

DEA(米国司法省麻薬取締局)の捜査官、ショーン・ヴェッター(ディーゼル)は7年越しの潜入活動でいよいよメキシコを中心に暗躍する麻薬組織のボス、メモ・ルセロの逮捕に成功する。
「とんでもないことをしたなお前、取り返しのつかんことになるぞ、誰にとってもな・・」と不敵な言葉を吐きつつ連行されるルセロ。
久しぶりにロサンゼルス(郊外?)の自宅に戻ったショーンは、愛妻ステイシーとのひとときを過ごすのであった。

そんなある夜、自宅が襲撃され、辛くも犯人グループを撃退したショーンであったが・・意識を失った彼が病院のベッドで目を覚ました時、彼は同僚ディミトリアス・ヒックスの口から、トレイシーがその際の銃撃で帰らぬ人となり、既に埋葬も済まされてしまった事実を知る。
静かな怒りをたぎらせつつ、退院したショーンは獄中のルセロに襲撃の命令を下したのかどうかを問いただす。
その結果、捜査線上に浮かんで来た名があった。それはルセロなき後、急激な勢いで彼の勢力圏を塗り替えて行く新しい麻薬組織のボス、“ディアブロ”と呼ばれる存在であった・・!

「復讐に燃える狂犬が、麻薬組織を壊滅させるべく単身暴れまくる!」みたいな単純明快で明るく軽いストーリーを期待してたんだけど、意外とテンポが良くなく、スマートでも爽快でもなかった作品だった(×_×)

妙に時間を取って描かれる中盤の銃撃戦(in市街地)が『ヒート(1995)』っぽいし、次々とロケーションが切り替わり、同時進行で物語が(多角的に)動く造りはトニー・スコット監督風とも言えるし、『トラフィック(2000)』っぽく思えたりも。
終盤で『セヴン(1995)』や『野良犬(1949)』のような激しい雨が降ったかと思えば、主人公らは『S.W.A.T.(2003)』や『第三の男(1949)』のノリで地下水路をひた進み、敵アジトの中枢を目指したりする。ってことで、場面展開やらシーンごとの組み立てにこそ「それなりの工夫」が認められるモノの、ヴィン・ディーゼル主演作として捉えてみて・・どうよ? ってトコで、どうにも不完全燃焼に仕上がっちゃってる印象が強かったなぁ・・(・ω・)

あ、敵組織の中に「ちと毛色の違うヤツ」がいて、それを演じてたのがティモシー・オリファントなる男優だった。どっかで耳にした名やな〜と思い、後で調べてみると・・何と『ダイ・ハード4.0』において重要キャラを演じてた人物であることが判明☆ うう、もっとしっかり観ておけば良かった(×_×)

作品全体を覆う、やたら巨大な“ミスリーディング(“引っかけ”“罠”と言った意)”が存在するも、何かネタが明かされた後でも、スッキリしないもんがあった。必要以上に「こいつとちゃうんでっせ」って演出が鼻につき過ぎたんかも知れない(・ω・)
にしても終盤、完全にディーゼルが「殺されててもおかしくない」シーンがあり、そこで死ななかったのが、どうにも理解出来なかった。監督はあそこでどういう演出をしたかったんだろう・・?

〜 ちょいと心に残るかも、なセリフ 〜

ルセロ「神だけだ、お前を赦せるのは・・俺には出来ん」

※※※「そんなに愛していたのか?」
ショーン「あんな女、他にはいない」

ショーン「家に入れない者の、身の置き所のない者の気持ちを考えたことが?」

※※※「時間か? 時間なら腐るほどある」

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☆『アメリカン・スウィートハート(2001)』☆

12日(水曜)夜に衛星第2で放送されたモノを観た。一見「ハリウッドの内幕を描いたラブコメ映画」の体裁を取りつつ・・実際のトコは「ジュリア・ロバーツお得意(?)の“シンデレラ・ストーリー”」が“軸”とも言える作品なのであった(⌒〜⌒ι)

“アメリカ理想のカップル”と呼ばれ、かつて(?)一世を風靡したハリウッドの大物カップル、グウェン・ハリソン(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)とエディ・トーマス(ジョン・キューザック)が劇的な結婚を遂げ・・その後、別居して1年半が経とうとしている(きっかけはグウェンとスペイン人男優ヘクターの浮気によるもの)。
折しも、個性派名監督ハル・ワイドマン(クリストファー・ウォーケン!)の手がけた“2人の最終共演作”たる『刻(とき)を超えて(原題:Time Over Time)』が“ほぼ”クランクアップし、伝説の映画宣伝担当者=リー・フィリップス(ビリー・クリスタル)に「2人を完成披露宴の場に連れて来い」との指令が下される。
冷え切った仲の2人を何の手立てもなしに引き合わせることなどもはや不可能・・ってことで、リーはグウェンの妹で優秀な付き人でもあるキキ・ハリソン(ジュリア)に協力を依頼する。
著しい人気の低下に悩むグウェン、妻の浮気のショックから長期の療養生活を強いられてたエディ。が、キキとリーの骨折りの甲斐あって、2人はようやく記者会見の場に揃って登場する。
実のトコロ、エディは未だグウェンへの想いを断ち切ることが出来ないでいた。そしてそんな彼に密かに想いを寄せていたのが・・キキなのであった。

奇妙にねじれたまま転がるハリウッドの恋模様が、いよいよ完成披露試写会の場で意外な方向になびいて行くのである・・そんな流れ。

本作、エッセンスのみを抽出すれば、実に“直球勝負”で凡庸な作品となるんだが、そこは巧いこと変化球を投げ込んでくれてて面白い。まずは、良くも悪くも“ムードメーカー”なバイプレーヤー、ビリクリ(=クリスタル)が積極的に前面を動き回ってくれ「放っておけば(きっと)目立ち過ぎるジュリアの存在感」を絶妙に薄める役割を果たしてくれる。そこに、コレまたアクの強い(=^_^=)ゼタ・ジョーンズ&キューザックを放り込んでくれてて、更に味付けは中和され・・仕上げにウォーケンとハンク・アザリア(ヘクター役)、ブレイク寸前(?)のスタンリー・トゥッチ(キングマン役)を配置。
ココまで整えて、ようやく「所詮はジュリア映画やろ?」と言う観客の先入観を何とか払拭するに奏功したって感じか(・ω・)

私的にはちょいとコメディ面が華やか過ぎてアカン気もしたが、助演陣の言動を眺めたり、ビリクリの自虐トークを耳にしてるだけで、なかなか楽しめたのもまた事実であった(=^_^=)

劇中にちりばめられた「ネタ」を分解⇒強引に再構築してみると(=^_^=)・・「ロバ※ト・アル※マン監督の手がけた、ト※・クル※ズ&ニコ※ル・キ※ドマンの最後の共演作『ア※ズ・ワ※ド・シャ※ト』がいよいよクランクアップ、しかし今やニコ※ルはセクシーなスペイン男優、ア※トニオ・バ※デラスと浮気の真っ最中なのであった・・」みたいなノリであろうか(←シチュエーションとゴロを合わせただけなので、全然事実とは辻褄があってません(=^_^=)>)

やや抑えめとは言え、ウォーケン氏の怪演が適度に小爆発を起こしている☆ カジンスキー(ユナボマー)の暮してた小屋をまるごと買い取り、そこにこもって日夜フィルムの編集に励むロン毛のおっさん・・コレばかりはかなり怪しい! その上「私がこれまで撮った中で最も正直な作品です」とかしれっと紹介しつつ、肝心の『刻を超えて』の中身はと言えば・・盗撮と醜聞で固められてたり。。
中でも、ゼタ・ジョーンズがボンテージ&セクシーな衣装でボブヘアーに帽子をかぶって踊る、何とも言えぬ退廃的な雰囲気などは・・どうにも『愛の嵐(1973)』におけるシャーロット・ランプリングを連想してしまうのだった(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフが冴えていた 〜

リー「いいか、褒められるまで決して返事などするな」
  「ホテルに記者どもを缶詰にしろ、『シャイニング(1980)』に出て来たようなホテルにな」 ←(=^_^=)
  「もっと左・・」 ←獰猛な猟犬に股間を舐められつつ
  「その眼はよせ、問題を起こすヤツの眼だ」 ←グウェンに接近しようとするエディに
  「雑草が太陽に向かって伸びる、この世界に感謝」
  「今夜はゆっくり休んで、明日にはとびきり奇麗になってくれ」 ←グウェンに
  「明日はとびきり二枚目に」 ←続いてエディに
  「こんな話を? ある男がラビに相談した。「妻に毒殺される」と。
   ラビは妻の所へ行き、3時間話して戻って来た。そして男に伝えた。「毒を飲め」」

セラピスト「人生はクッキーだ」
リー「・・その言葉を“イエス”と解釈します」

エディ「彼女(グウェン)を近くに感じる、さては隣の部屋だな?」
リー「いや・・う〜んと離れたスイートだ」

リー「そこを動くなよ!」
エディ「動けるかよ!」 ←転落しそうになり、屋根にしがみついてる状態で

守衛「俺が夜勤だと、決まって変態野郎が現れる」

グウェン「その“硬い”のって銃? それとも感じちゃったの?」
    「彼(エディ)と私は“ソドム”と“ゴモラ”みたいに頼り合える存在なの」 ←何だそりゃ・・

エディ「いいネックレスだ」
キキ「実は、私のじゃないの」
エディ「分かってるさ」

エディ「夢に出て来るパンとは・・きっと“望んでも叶わない物”の象徴だ」
   「愛してるのに憎々しく思うなんて・・妙だな」

キキ「“退場”はあたしの十八番(おはこ)だけど、今回は気合を入れて行って来る!」
  「まるで“禁酒に失敗した大酒飲み”の気分ね」

キングマン「あのカートはやれん。何たって“シュワ”のプレゼントだからな」 
     「お前を殺してやりたい、“ある男”に電話を1本架ければ済むハナシだぞ」 ←怖!

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2007年9月13日 (木)

☆『マーサの幸せレシピ(2001)』☆

11日(火曜)の夜に衛星第2で鑑賞したのが『マーサの幸せレシピ』である。
(ワタシの知る限りの)有名ドコロが全く出演しないドイツ映画であるが、それ故に妙な役者陣への“先入観”を感じることもなく(←時としてコレがモノ凄い“雑音”と化す場合がある)、作品世界に没入出来た気がする。

筋金入りの頑固な女シェフ、マーサ・クライン(マルティナ・ゲデック)は、ただ「自分の作り上げた厨房を死守する」ために、自らのココロをある意味“閉ざし”て、高級レストランで美食を毎夜お客に提供している。
クレームを付ける客を「あなたは安食堂にでも行けばいい、どうせ煙草まみれで(料理の)味なんか分かりゃしないでしょ」と詰(なじ)り、咎めるオーナー(女性)の「お客様は神様よ!」の注意にも「それじゃ私はピエロかしら?」とやり返したりもする。
(ご本人曰く・・「私は頑固なんじゃなく、全ての物事に厳密なだけ」とのことである)

そんな中、彼女に3つの転機が訪れることに。

1)実姉クリスティンが(マーサの)アパートに留守電メッセージを残したまま、交通事故で突如帰らぬ人となる。彼女の(姿を消した)夫ジュゼッペ(イタリア人)が見つかるまでの間、姪である8歳のリナを預からなければならなくなってしまうマーサ。しかし少女は母を失ったショックから一切の食事を拒絶するようになってしまう。
2)階下にサミュエル・タルバーグ(愛称:サム)と言う名の紳士的な男性が越して来る。
3)ある日、オーナーが相談もなく“風変わりなイタリア人シェフ”マリオを厨房に雇い入れた。陽気な彼はたちまち厨房の人気者となるが、マーサは「私の作り上げた厨房を奪われる」と危機感を覚え、彼を露骨に敵視するのだった・・。

中盤以降は、マーサが(主に)彼ら3人との交流を通じ、次第に心に厚く張った“氷”を溶かして行く流れが描かれる。
どちらかと言えば盛り上がりもなく、アクションシーンも皆無で(=^_^=)、淡々とストーリーは進むのであるが、ゆったりした気持ちで流れを追うことが出来、なかなか良かった☆

そうそう。マーサ役を演じたマルティナさんが、なかなかにイイ女優さんである。(物語上)厨房内のシーンが多いので当然“シェフ着”姿がメインとなり、髪もアップにしてるんだけど・・プライベートのシーンでは髪を下ろし、アパート内では(一時的ながら)下着姿で歩き回って下すったりも☆
ちょっと体型がモデルさんとは明らかに違うんだけど、、そこにこそ親近感を覚えてしまう(=^_^=) また、ドイツ女性がみなそうなのかは分かんないが、ブラを着用してないらしく“nipple”の形状がうっすらと(衣服の上からも)判別出来る服装などには、油断してたが故に、妙な興奮を感じてしまったりもした(←危な〜い)

性格的に“お堅い”マーサに、更に頑固で(幼さ故に)無軌道なリナが絡み、そこに陽気なイタリア男(マリオ)が絡んで来る。脚本がマズいと、物語全体が「崩壊」や「暴走」を始める危険があるんだが、そこを巧く「飽きさせず」「疲れさせず」終盤まで観客を導いて行く演出に好感を覚えた。

どうしても「サム」と「マリオ」のキャラがヒロイン(マーサ)を巡り“カブって”しまうためか、途中から一方がほぼ“退場処分”となってしまうのだけは、観ててちと悲しくなったか。
も少し“フェードアウト”のやり方(持って行き方)に工夫が欲しかったと思う。

(本来は口べたな設定(?)である)マーサのセリフの中で、心に特に残ったのは次の2ツだった。“むき出しの感情”が思わず口をついて放たれたようで素晴らしい。

マーサ「遅刻はワタシのせいにしなさい」

マーサ「二度と家出しないで・・どれだけあなたを心配したか・・」

その他、“一夜”を経ての朝、(食卓のシーンで)マーサの髪を一瞬優しくなでる“彼”の仕草がイイなぁ、と感じた。

なお、終盤においてマーサがいきなり「これは違う・・」ってなセリフを放ってくれ、ついドッキリさせられてしまった。「ナニがどう違うのか?」・・としばらく気を揉まされてしまうワタシなのだった(=^_^=)>

「一見“苦手な人間”との付き合いも、ひょっとしたらこの自分を育ててくれるのかも知れない。
 そして、自分の眼から鱗を落としてくれるのかも知れない」

そんな少しばかりの希望を与えてくれる佳作である。

〜 こんなセリフもありました 〜

マーサ「腕前の差は、シンプルな料理にこそ出る」
   「生き物にとって釜ゆでほど惨い殺され方はない。何故なら、苦しみが長引くからだ」
   「1つの厨房に2人のシェフ・・それは1台のクルマを2人で(同時に)運転するのと同じようにムリがある」
   「・・! トリュフは棄てちゃダメ!」←高級食材でっせ(⌒〜⌒ι)

マリオ「舌が満ち足りていないと、決していい料理は作れないのさ」
   「(君に)嫌われながら、ここで働く気はない。僕が目障りなら遠慮なく言ってくれ、すぐに辞めるから」
   「言っとくが・・“ニョッキ”は簡単な料理じゃないぞ」

※※※※※「参ったな、使った砂糖の種類まで、君には分かるのかい?」
マーサ「まさか。でも砂糖を使ったかそうでないかぐらいは分かるわ」

リナ「遅いね」
マーサ「“彼”は遅刻魔なの」
リナ「男って・・最低」

追記1:マルティナさん、その後『素粒子(2006)』と『善き人のためのソナタ(2006)』に出演されているそうである。すっかり好きになってしまったので(=^_^=)、機会があれば、それらの作品も前向きに鑑賞してみたい☆
追記2:本作の主人公の名「マーサ」は“Martha”と表記するのが正しい。間違っても「MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)」ではありませぇん(×_×)

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2007年9月11日 (火)

☆『アバウト・ア・ボーイ(2002)』☆

今週も、またまた楽しい楽しい(←半ばヤケ気味(=^_^=))仕事のお時間が始まった☆
(先週末の)土日も殆ど(?)家を空け「寳塔ツアー」やらで走り回ってたため、休みと言える休みが殆ど取れてない状況が続いてたりもする・・(×_×)

さて、今夜からの衛星第2では「ヒューマニズム系の佳作映画」のオンエアが続きそうな気配(・ω・) 第1夜(?)はヒュー・グラント主演の『アバウト・ア・ボーイ』が放送されたので、やや早めに仕事を切り上げ帰宅、バタバタしつつも観ることが叶った。

本作、知らなかったが「イギリス/アメリカ/フランス/ドイツ合作」と言うことだ。ロケーションは主にイギリス(ロンドン界隈)なんだが、どう言う部分で仏&独が制作に関わってるのか、何となく興味津々ではある。←ネットで調べてないので、詳細は掴めてないままだが。。

今は亡き父親の作曲した童謡(?)『サンタの素敵なソリ(1958)』が大ヒットしたお陰で、息子であるウィル(グラント)は38歳を迎えた今も、特に何の仕事をするでもなく、悠々自適なシングルライフ(≒印税収入生活)を楽しんでいる。
ジョン・ボン・ジョヴィの歌詞にある「いかなる人間も島ではない」を独りごち(←正しくは英国詩人、ジョン・ダンによる言葉らしい(・ω・))つつ、「家族なんか鬱陶しくてまっぴらだよ」とふらふら暮らすウィル。
そんな彼の前に「シングル・ペアレントの会(SPA)」の集会をきっかけとし、12歳の早熟な少年マーカスが現れる。

心を病んだ母フィオナ(トニ・コレット!)と母子2人で暮らすマーカス。彼もまた学校でいじめに直面し、心の何処かで“父親”を探し求めていたのだった。
ウィルにすれば「セクシーなシングルマザーをナンパしまくる」目的でSPAに近づいたのだが、その魂胆を早くも見抜いた(=^_^=)マーカスは「内緒にしとくから」と言う条件で、ウィル宅に放課後通い始める。

やがて、ウィルはレイチェル(レイチェル・ワイズ!)なる女性と、マーカスもエリーなる女生徒と親しくなる。
そうして2つの世代の男が、それぞれの恋心に歩み始めるのだが・・ってのがおおまかな流れか。

ヒュー・グラント、まさに“水を得た魚”の如く「ダメ男」を好演してくれてる(=^_^=) 「見た目は好青年、しかし“心の声”(←いわゆる独白)は極めて毒舌な皮肉屋、そしてホンマは小心者」ってキャラクター(人物像)がモノの見事にハマってる!
きっと「名優ウッディ・アレンの“後継者”を名乗る資格のある男優」の筆頭に挙げられるべき人物なんじゃないかと思う(=^_^=)

物語自体は大したひねりもなかった感じだが、とにかくウィルの放つ「こしゃくなモノローグ(独白)」にいちいちメモを取る作業に煩わされまくった(=^_^=) これもまたウッディ・アレン作品を観てるような錯覚に、ときとして陥ったモノであった(=^_^=) ←この“しんどさ”がアレン映画を観るのを躊躇ってしまう理由である。。
が、単にシニカルなまま物語の進んで行く訳ではないのが、まだしも「良心的」とは言えたか(=^_^=)

事実、後半〜終盤になるに従い、ウィルの「ヒネた独白」はどんどん減って行くのである。
ま、その演出(?)を「ウィルが沈黙するに至った」と見るか「ウィルは依然としておしゃべりだが、監督が敢えてそのボリュームを下げた」と見るか・・も観客それぞれの解釈に委ねられてるのかも知れない。

ラストでは、マーカスの“絶対の危機”に駆け付けるウィル。まるで『セント・オヴ・ウーマン/夢の香り(1992)』のアル・パチーノやら『小説家を見つけたら(2000)』のショーン・コネリーやらを連想してしまったものだが・・やはり何処かカッコ悪く、観ててかなりホッとさせられた(=^_^=) まぁでも、撮影現場的には「ヒュー様が我が校の体育館くんだりにやって来たわ〜! キャ〜!」みたいな黄色いフィーバーぶり(←ナニ?)があったのかも知れない?!

私的に面白かったのは、ウィルとフィオナの微妙な関係だった。当初予想するのは「この2人、果たして巧く行くんやろか?」ってシチュエーションなんだが(2人のキャスティングから考えても・・)、実は意外な流れにもなるのである。
それにしてもトニ・コレット。『シックス・センス(1999)』や『イン・ハー・シューズ(2005)』におけるビジュアルと全然雰囲気が違ってて、けっこう驚かされた。意外と“カメレオン女優”さんと呼ぶべきなのかも知んない(・ω・)

〜 こんなセリフ(或いは独白)が印象的でした 〜

※※「実は、今まで黙っていたことが・・」
ウィル「それって、刺激的なこと?」

マーカス「また、下心のある男が一緒だ」

ウィル「まさに最悪の状況だった・・だが、救急車の後ろにぴったり付いて走るのは爽快だ」
   「人生はテレビ番組に似てる。毎回のゲストは変わるが、レギュラーはいつも僕1人だ」
   「人助けは本気で取り組まなきゃならない。だが・・本気も善し悪しだ」
   「クリスマスとはいわば・・自分を再確認する日だ」
   「つまらないプレゼントほど、子供は喜ぶ」
   「一度(心の)ドアが開くと、誰でもずかずか入って来てしまう」
   「今から“最期の威厳”を捨てるぞ・・良ぉく聞け!」
   「問題は“告白のあと”に来る質問だ」
   「他人(ひと)は、君を幸せにもするが・・不幸にもする」
   「人は島だ。その考えは今も変わらない・・だが、島同士が繋がっている場合だってある。
    実際に海底では地続きだ」
   「僕は“怪物”を作った。・・それとも“怪物”がこの僕を?」 

フィオナ「彼女には“怒る権利”があるわ」
ウィル「良く分かるよ。で、僕には“帰る権利”がある」

レイチェル「最初にあなたを見たとき、何処か“うつろ”に見えた・・それは当たっていたのかも」
ウィル「君の言う通りだ・・僕は“空っぽ”なヤツだ」

追記1:本作の原作者(小説)は英国作家のニック・ホーンビィ。何と『ハイ・フィデリティ(2002)』の原作も彼の手によるモノだそうだ。確かに“独身中年男の小心さ&寂しさ”のテイストは共通していたように思う。・・ってか、オレももはや年齢的に“他人事”じゃねえぞ!(⌒〜⌒ι)
追記2:ウィルの愛車は「アウディTT」。終盤でマーカスのもとへ急ぐ際、カーブをやや強引に曲がってたが、一瞬「左後輪が(路肩の)縁石を踏み越えた」のが何ともリアルな演出で印象的だった(・ω・)
追記3:もしスティーヴン・キングが脚色したりすると『ゴールデンボーイ(1998)』路線になっちゃうんやろか。。ラスト辺りはリチャード・リンクレイターが演出したら、もっと“ノリノリ(2003)”になってたかも(=^_^=)
追記4:主人公が下心からサークルに参加する辺りは『ファイト・クラブ(1999)』のエドワード・ノートンに通じるゲスさがあって好感度高かった(←おい)

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2007年9月 6日 (木)

☆舞台劇版『ヘアスプレー』☆

※今回のコメントは映画ではなく、舞台劇(ミュージカル)に関するものです。

こちらもついでなので、ちょっと(過去の)メモを掘り起こして書いておきたい。
8月8日(水曜)の鑑賞。取り敢えず開演に間に合わなきゃシャレになんないんで、微妙に“残業突入”から逃避する感じに(=^_^=)会社を後にした。
場所はフェスティバル・ホール(肥後橋界隈)だったが、予想してた以上に女性客の占める割合が高かった。まぁ「水曜」と言えば・・映画館的にも“女性の日”って印象が強いので、集まり易い曜日だったのかも知れない(?)

2003年に「トニー賞8部門」を受賞したと言う快挙☆
尤も“あの”オリジナル版(映画)(1987)をそのまま“移植”したんでは、きっと仕上がりが“怪作”過ぎてしまう気がする(=^_^=)んで、そこは「より脚色面で洗練」させたんやろな〜と推察する次第。

映画版『ヘアスプレー』(旧作)との違いとし、主人公トレーシー・ターンブラッドの“立ち位置”がちょいと後退した感じで、より群像劇なテイストに仕上がってたように感じた。
ご学友(?)のペニー・ピングルトンの出番もより多くなってるし、何より劇中で“大物シンガー”とし扱われる“ボルチモア・ソウルの女王”モーターマウス(お喋り、の意)・メイベルのキャラが後半以降で大きく弾けちゃうのだ!
ま、確かにメイベルを演じてた女優さんもボディ&ボイス的に大いに貫禄を見せつけてくれてたので、その辺りの“抜擢”は充分に奏功したと言えるだろう。

※因みにリメイク版(2007)ではクイーン・ラティファがメイベルを演じる。彼女にとっては、まさに『シカゴ(2002)』以来の出演代表作になりそやね(・ω・)

面白いのは、混乱の中で逮捕されたトレーシー、(その母)エドナ、メイベルらの一行が留置場(?)内で一夜を過ごす場面(オリジナル版には(確か)なかったシーン)。
「魂の自由」なんかを訴えつつ歌い上げる(そんなシチュエーションだったハズ)んだけど、このシーンでの舞台演出が(これまた)どうにも『シカゴ』の雰囲気を醸し出しまくりなのだ。セットまでもが何処となく似てたゾ(・ω・)

俳優陣については、トレーシーのボーイフレンド=リンク役の青年が何処となくヴァル・キルマーな容貌で良かった(=^_^=) それに、トレーシーパパ=ウィルバー役のおっちゃんは「風采の上がらない」リチャード・ギアな雰囲気を醸し出してたようにも(・ω・)
また、舞台の左右に字幕を表示する電光掲示板が設置されてたんだけど、細かい字幕を読まずとも、大体ストーリーを追って行けるのは良い(ま、先に映画版を観といたからスッと入って来たのかも知んないが・・)

セリフ関係はあんまし記憶に残ってないんだが(←おい)、冒頭で(番組CM調に)ヘアスプレーの売り文句が語り立てられる中で、
「NASAの風洞実験にも耐える弊社のスプレー」みたいな特色の盛り込まれてたのが笑えた。

いや、ワタシって結構「NASA公認の・・」「NASA開発の・・」的な“ひと言(≒殺し文句)”を冠してる商品にかなり弱いもんでして・・(=^_^=)>

追記:いちおう舞台最前部(のピット内)に生バンドを配置していたり、最期には半強制的に(=^_^=)観客ほぼ全員をスタンディング・オベーションさせたり、と豪快(かつしたたか(=^_^=))な演出でワタシを満足させるに足りた本公演だったが・・惜しむらくは、全体的にセット面がやや貧弱だったことだろうか。
かつ“あすこのホール”で公演すること自体、何とも印象的にショボくなっちゃってたかも、、と勝手なことも思ってしまったのだった。
それと・・開演してしばらく、(電光掲示板の)字幕表示が遅れてたように思いまっせ〜(・ω・)

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2007年9月 4日 (火)

☆『ヘアスプレー(1987)』☆

どうやらしばらく、劇場になんぞ殆ど通えそうにない状況・・(×_×)
ってか残業が本格的に続く見込みで、体力&気力の維持が最優先の課題である。
(片や連日、さっさとお帰りの皆様もおられるようですが・・ボソ)

仕方ないんで、溜まってる映画メモをぶちぶちとやっつけてみることとする。尤も、記憶も年相応に薄れて来てるンだけど。。

さる8月の6日(月曜)〜7日(火曜)の2日に分け、ビデオに録画してあったのを鑑賞したのが、ふた昔前の学園コメディ映画『ヘアスプレー』である。
かなりギリギリに迫ってた訳だが、実は翌日の8日(水曜)に舞台劇版『ヘアスプレー』を(仕事後に)観に行く予定があったため、何とかそれに間に合わせ観たって感じ(・ω・)

まぁ、本作っていわゆる“B級コメディ”ではあるんだが、それ故の「パワフルさ」が全編に渡りちりばめられてて予想してたよりも面白かった。中でも、クラクラしそうになるのが(=^_^=)「1960年代の流行&風俗を描いた1980年代の作品」ってシチュエーションである。「作品世界の古さを敢えて強調しつつ、当時としては最新の映像表現(?)で描いてるんだけど、それ自体がもはや古いんじゃい!」的な“古さの二重構造”が見事に形成されてるのだ。「今(2007年)の眼で見た(1989年の)古さ」ばかりはどうにも“狙ったモノじゃない”だけに、不思議な感覚(≒違和感)が常にワタシに付いて回った(=^_^=)

1963年、(米メリーランド州の)ボルチモアが舞台(←因みにこの街って『トータル・フィアーズ(2002)』の劇中で※※※により※※しますたね・・)。街の若者たちは「コーニー・コリンズ・ショー」なるダンス系のTV番組(モノクロ)におネツを上げていた。主人公は“負け組(outsider)”と呼ばれる太っちょの女子高生トレーシー・ターンブラッド。親友のペニー・ピングルトン(反対に痩せてる子)と共に、彼女は「番組レギュラー」になるため、WZZT局のスタジオに殴り込み(?)をかける。
果たして、生放送の「ダンス・コンテスト」コーナーで勝ち残ったトレーシーは、見事レギュラーの座を射止めるが、そのことをきっかけに彼女やその母エドナ(怪優ディヴァイン演じる)、或いは(ターンブラッド母娘の)周囲の“負け組”なしとたちは「貧乏白人(white trash)」や「人種問題(=黒人と白人の人種融合)」と言った、大きな街ぐるみのトラブルに巻き込まれて行くこととなる。

果たしてトレーシーは“勝ち組(insider)”となれるのだろうか? こんな展開の物語である。

鬼才ジョン・ウォーターズによるメガホン。どんな監督さんやったっけ? と思い、ネットで調べたら『クライ・ベイビー(1990)』『シリアル・ママ(1994)』などを手がけたおとっつぁんと判明。うーん・・『ピンク・フラミンゴ(1972)』も“キワモン”として有名らしい(小生は未見!)。。

本作は、如何にも若者向け(?)って感じで、そないに“毒気の強いテイスト”ではなかった。確かに主人公とかその母親の“おデブキャラ”こそは、観てて不快感を覚えるしともなきにしもあらず、だろうが(⌒〜⌒ι)

当時ならではの懐かしい(?)シチュエーションとし、番組へのお便りを「電信(テレグラム):テレタイプ端末」で送るってのが独特だった。また、コンテストの勝者を決定するのに使われた「拍手測定器(APPLAUSE-METER)」ってなでっかいマシンも、何だか中身がスカスカっぽくて“かなりキテる”感じ(=^_^=)
リーゼント風の髪型でバッチリ決めた(←と本人はご満悦な様子)若者はとにかくヘアスプレーを頭髪に噴射しまくる。「おまいら“フロンガス”って知ってるか?」と今なら声を大にして怒鳴りつけてやりたいトコだ(・ω・)

出番こそ余りなかったが、母親に依頼され、ペニーを監禁(?)⇒カウンセリングせんとする、精神科医のフレデリクソンのキャラも、なかなかに“イタい感じ”だった。「落ち着いてこれを見て!」とか言いながら、手にした器具(=ぐるぐる回転する円盤を先端に付けたチープな棒)で治療を試みようとするんだが、なんかコレってティム・バートン監督が自作『マーズ・アタック!(1996)』の劇中で小道具にでも使ってそうな意匠なのだ。

総括とし、全編に「退廃感」「郷愁感」がそこはかとなく漂いつつ、奇妙なホラーテイストにも満ちた“怪作”とは言えようか(⌒〜⌒ι) ま、パワフルなおデブが人々を動かす! ってノリは『バグダッド・カフェ(1987)』『スクール・オヴ・ロック(2003)』などにも通じるモンがあると言えなくもないかも知んない。。

〜 ディヴァイン氏によるこんなセリフも印象的だった(←おっつぁん、何と“2役”演ってました!) 〜

エドナ「何の騒ぎ? キューバと戦争でも起こったの?」
   「陽の高いうちからテレビの前に座るなんて」
   「デビー・レイノルズ(←MGM映画で有名な女優、キャリー・フィッシャーの実母)が神経衰弱にでもなったの?」
   「世界は1日じゃ変えられないのよ」

追記:ディヴァイン氏、太り過ぎに起因する(?)心臓発作により、翌年(1988年3月)に死去されたそうである・・ってかコレが遺作かよっっ!?

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