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2007年8月29日 (水)

☆『オーシャンズ12(2004)』☆

忘れかけてた「映画鑑賞メモ」を発見したもんで、ちょこっと書いてみることと(・ω・)

遡って10日(金曜)。「金曜ロードショー」で地上波初放送されたシリーズ第2弾『オーシャンズ12』を鑑賞した。
前作『オーシャンズ11(2001)』も地上波で手軽に(=^_^=)鑑賞した覚えがあり・・期待して観た割に「全編を貫く何とも軽薄な(作品の)トーン」がどうも肌に合わず「こんなもんか・・」と肩を落としてしまったほろ苦い思ひ出が(・ω・)

その続編たる本作。前作でダニー・オーシャン(ジョージ・クルーニー)率いる11人の盗賊団(?)にまんまと売上げの大金を奪われたカジノ王=テリー・ベネディクト(アンディ・ガルシア)が、プライドとカネを取り戻すべく、オーシャンら一味に挑んで来る展開。

1作目でこそ、そこそこ不気味で恐ろしいキャラとして描かれつつも・・何か「詰め」の甘さの目立ったベネディクト氏でもあり・・今作で「いよいよ本領を発揮し、エゲつない手を使って来るんやろな〜」と別な部分でワクワク(?)してたら・・何とも「ゲスト出演的な関わり方に毛の生えたような立場」に過ぎず、ある意味「このシリーズ、終わった・・」と見切ってしまえたワタシがいた(×_×)

“やり過ぎた”前作における計画のせいで「アメリカではもう仕事(盗み)はムリだ」とか(勝手に主人公らにより)結論が導き出されてる強引な流れ(=^_^=)で、オーシャンら一味(以下“オーシャンズ”とす)は海を渡り、オランダ・アムステルダムへ向かうことに(←マークがそこまで厳しいなら、渡航すること自体が難しいと思うんだが・・)。

だが欧州には、(オーシャンズ最強のメンバーである)ラスティー・ライアン(ブラッド・ピット)と浅からぬ縁のあるユーロポール(欧州警察)女性敏腕捜査官=イザベル・ラヒーリ(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)やら、世界一の怪盗を自認する“ナイト・フォックス”と呼ばれる一匹狼の盗賊(ヴァンサン・カッセル)がオーシャンズを待ち構えていたのだった・・

何やらネットで調べるに、スティーヴン・ソダーバーグ監督ってば「わずか3週間」で本作を撮り終えたとされている! そう考えると、短期でのクランクアップ(撮影完了)こそが“彼最大のマジック”と言えなくもない。
多少、いやかなり・・作品自体が下らなくとも、許してあげてイイ気がする(⌒〜⌒ι)

クルーニー、ブラピ(ブラッド・ピット)、ガルシア、マット・デイモン、ドン・チードル・・など「個々の出演俳優狙い」の女性観客層に向け脚本を調整(?)したものか、本作って何となく「男優陣は鈍感&女優陣は敏感」的な演出が目立ってた気もした。
ハイライトとなるシーンもまた「オーシャンの嫁さん=テス(ジュリア・ロバーツ)vsイザベル」であったり「イザベルvs女性ベテランFBI捜査官」であったりする。
特に美味しかった(?)のが、ライナス(デイモン)の※※※の客演。堂々たる演技でもって「ほぼ壊滅状態」のオーシャンズを全員救い出しちゃう! こんなんでエエんか? と思いつつ、爽快感を覚えたのもまた事実であった(・ω・)>

物語としては純粋な“盗みのドラマ”から、次第に「盗賊のプライド合戦」に脱線(?)して行く感じだったか。
私的には、大勢のメンバーを揃えようが、たった1人の“ナイト・フォックス”に全く太刀打ち出来てない・・と言うか明らかに「格下」な印象が拭えなかったな。
特に、ベネディクトの前に2度姿を現す“ナイト・フォックス”なのだが、1度目の出没の手口たるや“人間業”を超えていた。かつ終盤の“赤外線レーザー突破”のテクニック(体術?)も凄まじ過ぎる! もはや「入神の域」に達してますた(・ω・)

ワタシとしては、以下のことに不満を覚えてしまった本作。コレって気にし過ぎなんやろか(=^_^=)

■テスが※※に成り済まし、ブルース・ウィリスは※※の役を演じる・・こう言う「楽屋オチ的演出」がどうにも好かんねんけどね〜。
■※※※※へのすり替えに気付かなかったフランソワ・トゥルアー男爵(?)。彼の手腕&博識からしてちょっと説得力に欠けるかな、と。
■バンデル・バウデン(?)邸に間違いなく侵入した“ナイト・フォックス”・・その手口も是非知りたかった!
■オーシャンズには「ベネディクトを肉体的に再起不能にする」と言うアイデア(←意外に近道☆)は全く浮かばないんだろうか(・ω・)
■色々な盗みの手口(=作戦名)が紹介されてた・・「偽りの幸せ」「スポットライト」「重い小包」「軽い小包」・・面白そうだが、実際のトコロは何が何だか観客にはさっぱり分かんないンですけど(⌒〜⌒ι)

そんなこんなで、最新作の『オーシャンズ13』(公開中)では、いよいよテス・オーシャンが出演しないらしい(×_×) 多分観に行かないと思われるが、そのことだけをとっても、かなり不安に感じてしまう“シリーズ第3弾”ではありますなぁ。。

〜 こんなセリフもありまして 〜

仲間「オーシャンズだと? オレはヤツの手下なんかじゃねぇからな!」

ソウル「この齢になれば、それぐらいのわがままを言う権利はあるだろう?」

ライナス「“レストランのシーン”で奥さんが話しかけなかったでしょ? アレで分かったんです」
ウィリス「そうか、良く分かったな」

↑この会話はもしや・・(=^_^=)

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2007年8月28日 (火)

☆『蝉しぐれ(2005)』☆

26日(日曜)。「日曜洋画劇場・40周年記念」とし、地上波初放送された『蝉しぐれ』を観た。亡くなられて以後“国民的作家”たる地位をますます高めてる感のある(・ω・)藤沢周平氏の作品の中でも「最高傑作」とうたわれている(らしい)原作小説。
それが映像化されたってことで「更に最強最大の時代劇が完成したんやろな〜」・・と期待してたんだが・・コレが泣くにも泣けず、どうにも肩すかしを食らってしまった印象だった(・ω・)

時は江戸の世。現在の山形県に位置する架空の藩、海坂(うなさか)藩は殿(=藩主)の世継ぎ問題に大きく揺れていた。そんな中、渦中に巻き込まれた下級武士・牧助左衛門(緒形拳)は監察に捕らえられ、程なく切腹を仰せつかることに。
「お家断絶」こそ免れたものの、その後の助左衛門の(義理の)息子・文四郎(市川染五郎)の人生は“謀反人の倅(せがれ)”という陽の当たらぬ、苦労の日々となった。

幼馴染みの小柳ふく(福:後に木村佳乃)との突然の別離、学問のため江戸へ発った友人、島崎与之助(後に今田耕司)との再会、道場仲間の小和田逸平(後にふかわりょう)との変わらぬ友情・・などを経て、いよいよ文四郎にも「家禄回復」が言い渡される。
が、その裏には、文四郎を使って新たな「派閥争い」を治めようとする、悪徳家老の陰謀が渦巻いていたのであった。そしてその中心に存在する女性こそ、幼き日に別れたふくであることを知り、文四郎の心は乱れ始めるのであった・・みたいな展開。

まずは、物語の“骨格”が折角エエのに、“肉付け”が良くなくて失敗してしまってる気がした。原作は未読なので、何処まで忠実に再現されているものかは分からないが・・

■助左衛門に対する妻・登世(原田美枝子)の心情が殆ど伝わって来ない。亭主が腹を切っても、泣かないし、拝みもしてなかったようだ。愛情が冷え切ってたんやろか? などとつい考えてしまう。「夫婦愛こそ、藤沢文学のキモや!」と(これまで)信じ、疑わなかったワタシには軽いショックですらあった。
■父の遺体を引き取り、陽炎(かげろう)漂う夏の陽照りの下、大八車に乗せて連れ帰る文四郎。坂道となった林道(峠道?)で、思いがけぬドラマの起こるのが・・本作随一のハイライトシーンなんだが・・あそこで駆け付けるのは「かの悪友」でこそであるべきなんじゃ? と思った。あの「肝心の場」で馳せ参じず、何が親友やねん、とかね。
※この大八車のシーン、不謹慎ながら『インデペンデンス・デイ(1996)』の中盤、砂漠地帯で※※※を引きずって歩くウィル・スミス(ヒラー大尉役)の姿を連想してしまった(⌒〜⌒ι) いきなしキレて「・・大体、てめぇは臭ぇんだよ!」とか叫びながらご遺体を蹴り始めると・・怖い。。
■全体的に違和感のあったのは、登場人物が(確か)誰1人として“海坂弁(庄内弁)”を喋らなかったことだろうか。ま、監督が山田洋次じゃなかったんで、そこまでこだわる気にもならんかったんかも知れないが・・私的には残念至極。
■大滝秀治。前半こそモノ凄くキャラが立ってて「おお! 鬼の船村(←作品が違!)、未だ健在ナリ!」と喜んだモノだったが・・その後いずこかへ(・ω・) こんではまるで『明日の記憶(2005)』の“ハッスル爺さま”ではねべが・・
■後半の見所が「2人vs数10人」の“欅(けやき)御殿”内での激闘なんだが・・何だか悲壮感&緊迫感が足りず、見せ方に失敗してた気がした。弓矢とか鉄砲を使うヤツが1人もおらへんかったのも・・どうやろなぁ?
■犬飼兵馬、なる秘剣の使い手が文四郎の前に現れるんだが、どう言う剣術なのかも、どうやってその剣を破ったのかも分からんかった。そこはもう、原作を読むしかないんかのぅ(・ω・)
■『隠し剣/鬼の爪(2004)』を観た時も感じたんだが、映像化された“海坂モノ”を観て行くに・・どうにも海坂藩の印象をどんどん悪くして行く自身に気付く。藩の上層部がかなり非情で、腐り切ってるように思えて仕方ないんだが、その辺は「海坂モノ」を楽しむ上で「多少は目を瞑(つぶ)る」しかないんやろか・・?
■如何にも「お前、実は黒幕やろ!」と思わせてくれた(=^_^=)柄本明(礒谷某役)の傍らに控えるは・・怪優・田中要次!!(=^_^=) 兄貴も大忙しっすね〜(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

逸平「感傷に溺れてちゃ、何事も成就せんぞ」
  「振り返ればそう言うもんだ・・人間は後悔するように出来ておる」
  「死ぬときは、一緒だ」

助左衛門「何事が起きたのか・・それはいずれ分かろう。だがわしは恥ずべきことをした訳ではない。
     私欲のためでなく、義のためにやったことだ。この父を恥じてはならん」

文四郎「お黙り召されい! どうやらご家老には、死に行く者の気持ちが推し量れぬものらしい」
   「忘れようと・・忘れ果てようとしても、忘れられるものではございません」←良いセリフなんだけど、、“※※※のシーン”を指してのセリフでなかったのが残念(×_×)

ふく「今日のわたくしは・・ふくです」←木村嬢、終盤でようやく登場ですな(・ω・)

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2007年8月27日 (月)

☆『ブラインド・フューリー(1989)』☆

26日(日曜)。ここ最近、とみにクルマのボディが汚れ果てて来ており「ぼちぼち洗車しなきゃ・・」と思いつつも放置状態となってしまってる。特にこの前ボンネットフードを開け、エンジンルーム内を久々に眺めた時にゃ・・その余りにもの汚さにビックリしてしまった。
ホースで水を思いっきりぶっかけたら気持ちエエやろな〜
・・多分水をかけたらあかんパーツもあるんで、即座に壊れてしまうことだろうけど(×_×)

そういや、フロントガラスに吸盤でくっ付けてる「レーダー探知機」が高温に連日さらされ続けてるせいか、スピーカー関係が熱にやられ、警告ボイスが変な発声となってしまった。
幾らソーラー充電式だからと言え、やはり極度の熱でやられちゃうのはヒトもモノも同じことらしい。。

帰宅後、久しぶりに購入したDVDソフトを鑑賞した。妙に期待値の高まってしまってたアクション映画『ブラインド・フューリー』である。そもそもが『座頭市/血煙り街道(1967)』のハリウッド版リメイクとされる本作。「何処がどうリメイクやねん!」と観る前から拳を震わせ突っ込めちゃう荒唐無稽さ全開なのであるが(=^_^=) 片や上映時間を限りなく一致(オリジナルは87分、リメークは86分)させてたり・・と制作スタッフの妙なこだわりやリスペクトを感じてしまったり(・ω・)

ベトナム戦争時、至近距離で炸裂した爆弾(?)に両眼をやられた兵士ニック・パーカー(ルトガー・ハウアー)。戦友フランク・デベローともはぐれ、戦地をさまよう彼は、やがて親切なベトナムの山岳の村でケガを癒し、驚異的な刀術を体得する。
時は流れ20年後。フロリダ州マイアミのフリーウェイを歩くニックの姿があった。ベトナムから帰国し、フランクの住所を訪ねた彼は、迎えに出た彼の元妻・リン(メグ・フォスター)に、戦友が今はネバダ州リノにあるカジノで暮していることを聞く。そんな中、カジノのボス、マックリーディーの配下が押し入って来る。彼らの目的は非協力的な態度のフランクを服従させるための「人質」として、独り息子ビリーを拉致することであった。
その活躍でビリーこそ守り抜いたニックだったが、戦いの中でリンは凶弾に命を落とす。
どうやらフランクは化学者としての腕前を買われ、ドラッグの精製に手を染めているらしい。
ニックはビリーを父親に会わせるため、そしてフランクを魔の手から救い出すためにリノの街へと向かうのだった・・
ってな流れ。

監督を務めるフィリップ・ノイスと言えば『パトリオット・ゲーム(1992)』『硝子の塔(1993)』『今そこにある危機(1994)』『セイント(1997)』『ボーン・コレクター(1999)』などで有名。私的に好きなのは『セイント』だろうかな。ブレイク前夜、とも言うべき時期(?)に手がけたのが本作であるが「座頭市シリーズへの不敵な挑戦&許されざる冒涜」を同時に成立させていて面白い。
冒頭からニックの独白「眼が見えない・・(I can't see anything)」で始まる“強引さ&説明っぽさ”も何となく男らしいし(=^_^=)、ベトナムの村でニックが居合術を磨く相手が・・「投げられたカボチャ」って言うのも微笑ましい。カボチャと人間では切り方も感触(斬り味?)も全然違うと思うんですけどネ〜(・ω・)

殺陣のえげつなさもなかなかに痛快で、ザコの手首ごと切り落とすのもあれば、終盤なぞ『ブレイド(1999)』よろしく「身体が2つに泣き別れ」になったりもする。私的にはそこの部分の(映像的)演出が『スター・ウォーズ・エピソード1/ファントム・メナス(1999)』で※※※※がダース・モールを倒した時と“かな〜りそっくり”なのにビックリした! ルーカス監督もコレ、観てたんやろか(⌒〜⌒ι)
敵の中にもバカなりに個性派でアクの強いのんが仰山いて、大満足(=^_^=) 防刃ジャケット着用で(一度は)命拾いするスラッグ、タランティーノ作品にでも出て来そうなテクター&ライルの暴走兄弟、そして何と言っても・・終盤に唐突に現れる日本人の刺客(ショー・コスギ)がイイ味だしてる。まるで『クローサー(2002)』の終盤、殺陣の美味しいトコをかっさらって行った倉田保昭のようだ(⌒〜⌒ι)

遊んでるんかい! と突っ込み笑えたのは、やはりニックの「運転シーン」だろうか。頑張れば、頑張れるモノなんすね、兄貴!(=^_^=)

ビリー少年とのロードムービー的な描き方からは『グロリア(1980)』を連想したかな? そういや『グロリア』のジョン・カサベテス監督の息子さん=ニック・カサベテスが本作でバカ兄弟のうちの1人(ライル役?)を好演してます。後に監督としても大成してくニック氏。キミ、こないな役もやっとったんかい!

〜 こんなセリフも心にビンビン響いたぜ(=^_^=) 〜

ボス「自分で(ヤツを)始末出来ないんなら、人を使え! ブルース・リーをな!」
側近「彼は・・すでに死んでいる」
ボス「なら、その弟を使ったら良かろう!」

↑なんちぅテキトーな助言やねん。。

ニック「いいアタマだな、脳がたっぷり詰まっている」←何かまんま『博士の愛した数式(2005)』や(・ω・)
   「強い男は泣くことを恐れない」
   「オレは・・涙を出すトコロが壊れてしまってね」
   「つまらん奴が、世の中を面倒にする」

ビリー「なんで、みんな僕を置いて行くのさ!」

アニー「みんな・・弱いのよね」

ボス「この辺り(カジノ周辺)の砂漠は、バカな奴らの墓場なのだ」←沢山埋まってそやね。。

ザコ「暗くて何も見えん!」
ニック「(闇こそ)オレの世界だ・・」

(ロープウェーのゴンドラ到着を待ち伏せ、銃撃で蜂の巣にしてから)
ザコA「見ろよ! まるで親父の穴あきコ※ドームだぜ!」
ザコB「・・お前の親父が穴あきコ※ドームを?」

↑このやり取りはなかなか良いですね(⌒〜⌒ι)

追記1:オリジナルでは「賭場」だったのが、こちらではカジノ。なかなか巧い置き換えやね(=^_^=)
追記2:バカ兄弟にクルマを強奪された老婆たち。いきなしリボルバー(マグナム銃?)を取り出してバンバン撃ち始める! 流石はアメリカ、銃社会・・!
追記3:セリフの中で「ブートキャンプ」は「新兵訓練所」と訳されてますた(・ω・)
追記4:『ゼイリヴ(1988)』以来、久々に拝見したメグ・フォスターさんの危う気な美しさ(=^_^=)に魅了されちゃったい。疎い方は「メグ・ラ※アンとジ※ディー・フォスターのパチもん?」とか、心なきことを言うのですが、そうじゃないンですわ。

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2007年8月22日 (水)

☆『不都合な真実(2006)』☆

22日(水曜)。今日は残業を早々に切り上げ、K阪電車(準急)に飛び乗った。やるべき仕事がなかった訳では(無論)ないが、明晩に“深いレベルの残業”が恐らく入ることになろう、とあらかた予想出来るため、本日はさっさと失敬しようと考えた次第。残業手当より、優先すべきは自分の精神状態である(・ω・)

さて、ホームタウンである枚方市に戻ったワタシだったが、駅で降りたあと・・帰宅するのじゃなく、小走りで市民会館へと向かった。午後6時半から開始の「映画『不都合な真実』上映会」に参加するためである。

『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』の地元上映に参加して以来、同会館で時折催されるこの手の会を結構楽しみにしている。“スクリーンの大きさ”“シートの座り心地”“音響効果”と言った面(要素)に限って評価すると、間違いなく日本最低レベル(←おい)なんだが、何よりまず(地元開催ってことで)リラックスして観られるのが良い。また観賞後に“心地よい余韻”に浸りつつ、徒歩で家路を急ぐシチュエーションが満更キライでもなかったり。

前回は『二人日和(2005)』を確か5月下旬頃に観たが、本日は「アル・ゴア前米副大統領による、地球温暖化問題がテーマのスライド講演」を軸にしたドキュメンタリー作品『不都合な真実』を観た。
正直、退社のタイミングが少し遅れてしまったため、場内に入った時には、既に予告編の上映が始まってしまってた。。バタバタしてしまったことが悔やまれる(×_×)

政治家であり、どうやらそれ以前に1人の立派な環境問題研究家、と評しても良いであろうゴア氏。何処かでヤツ(←失礼)を観たぞ・・と記憶をたぐって思い出したのが、7人の監督がそれぞれ「10分」と言う持ち時間を使った短編で競作した『10ミニッツ・オールダー/人生のメビウス(2002)』なるオムニバス映画だった☆
ゴア氏は、その中の1本、スパイク・リー監督が手がけた「ゴアvsブッシュ」なる作品の主人公の1人なのだった(⌒〜⌒ι) 「投票用紙の分かりにくさ、投票機の故障・・など“様々なトラブル”に見舞われ、最終的には「報道操作につられる形で早過ぎる敗北宣言をしてしまった男」の悲劇を群像劇テイストで描いた佳作だったように覚えている。
今回はそんな苦悩の過去は持ち出さず、シンプルで明快な話術と映像により、聴衆を思いのままに魅了していた。

冒頭こそ「一瞬だけ合衆国大統領になった男、アル・ゴアです」とやや自嘲気味(?)に自己紹介するゴア氏。聴衆が大ウケするや、すかさず「・・そんなにおかしい?」と憎めないツッコミを放つ。何となくゲイリー・シニーズとかマイケル・ケインが「入ってる」ような容貌なのだが、誠実さが表情や態度(言動)に現れてて好印象だ。
流れとしては「スライドによる温暖化データの紹介」⇒「データの解説+環境破壊に関する映像など(一部アニメや自身の回想アリ)の補足」⇒「別な温暖化データの紹介」・・のように適度なペースで時に切り口を変えたりして進んで行く。
中盤で一度だけ、ダレそうになってしまったが、すかさずスクリーン上のゴア氏が「1989年4月3日に起こったことをお話ししましょう」みたいにハナシを切り替えたため「え? なんやなんや?」とたちまち姿勢を正してしまったワタシ。緩急の付け方が巧いよなぁ・・

奇しくも、ワタシと殆ど同機種のノートPC(アルミニウム製PowerBook G4←少し古いマシン・・)を使いこなしてたゴア氏。それに起因する、妙な親近感を覚えつつも「あなたとこのオレとでは、PC内に保存してるデータの重要度が全然違うんやろなぁ・・」と妙に恥ずかしくなってしまったモノだった(⌒〜⌒ι)

そんなことで、今回は、必死で(暗がりの中)講演をメモした内容(一部だけど)を紹介して幕としたい(=^_^=)
(半分がたは走り書きがムチャクチャで判読不能だった・・(×_×) ぐす〜ん)

■『民主党、共和党・・心ある政治家はいるが、地球温暖化に対する働きかけはない。ひとたび認めてしまえば、法案成立へ動かねばならなくなるからだ』
■『悪いのは“移民”じゃないぞ』(劇中アニメより)
■『世界規模で氷河が消失している。キリマンジャロ(山頂)の雪はあと10年を待たず失われるだろう』
■『地球温暖化は政府の問題と言うより、(国民の)モラルの問題だ』
■『私は“危機感を覚える”と言う能力を身に付けた』
■『喫煙習慣による肺がん死・・それは“罪作りな経済システムの弊害”とも言えよう』
■『物事の結果を描きにくいのが、人間と言う生き物だ。だが、その日が来て後悔しても・・もう遅い』
■『“不都合な真実”の発見とその発表は、政府に黙殺された』
■『正しい対策で、環境は改善する』
■『心がけているのは、問題を明確にさせること。そして“理解の妨げとなるもの”を分析し、取り除いてゆくこと』
■『人々が“変わる勇気”を持てるよう、祈ろう』
■『何かを祈る時は、行動もすべし』(アフリカのことわざより)
■『学んだ知識を、具体的な行動に変えよ』
■『このままでは、若い世代に将来「前の世代は何を考えていた?」と問われるに違いない』
■『地球温暖化問題に取り組む政治家に投票しよう。もしいなければ、自ら立候補を』

追記1:「熱湯に入ったカエルは即座に飛び出すが、ぬるま湯に入ったカエルを徐々に茹でて行くと・・」の例示的アニメーション映像。観客が予想したであろう“結果”と少し違った“オチ”に仕上げてたことに「巧いな〜」と思わされた。ああ言うネタを挟むと、つい相手に親近感を覚えてしまうんだよなぁ・・(⌒〜⌒ι)
追記2:ゴア氏の駆使していたマシン(PowerBook G4)の現行機種は「MacBook Pro」と言う。そういや『舞妓Haaaan!!!』で、主人公・阿部サダヲがコレを使ってましたなァ。
追記3:「環境に関するモラルを持て!」と言うのがワタシなりのゴア論の骨子だと解釈した。・・が、コレって「高度経済成長中」の国からすれば、ある意味「煙たいこと言うとるおっさんやな〜」みたいに曲解されてしまう恐れもあるよなぁ・・と。
ワタシの論として「若いヤツにモラルの問題を訴えても、大方はムダ」ってのがあるし(・ω・)
「お爺さんになってみるまで、孫にお爺さんの“戸惑い”や“悲しみ”なんか分からない」
「自身が末期がんに罹患するまで、どんな名医にもがん患者の“本当の苦しみ”なんか分からない」
「自分の娘が惨たらしく殺されない限り、弁護士が“本当の正義”に目覚めることはない」
なんてことも思うんだけど、どうなんやろね(談)

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☆『出口のない海(2006)』☆

19日(日曜)。「日曜洋画劇場・終戦特別企画」として地上波初放送されたものを観た。

第2次世界大戦末期、既に敗戦が色濃くなりつつあった“大日本帝国”の命運を変えるべく、人間魚雷“回天”に乗り込み、生命を散らして行った学徒兵らの物語。
“エビちゃん”こと、市川海老蔵の映画初主演作であり、原作は横山秀夫。映像化にあたり脚本執筆陣に山田洋次がその名を連ねている!(←共同脚本だが)。
ほかの出演者に、香川“イチゴ娘”照之、伊勢谷“キャシャーン”友介、上野“のだめ”樹里、古手川祐子、三浦“その火を飛び越えて来い!(=^_^=)”友和など。
キャスト面で眺める限り、なかなかに豪華な顔ぶれである。

物語は、明治大学野球部に属する球児(ピッチャー)=並木浩二少尉(市川)の海軍志願に始まる。
そして戦争・・やがては死への避けられ得ぬ(運命の)流れを軸に、彼が家族や学友、そして恋人と過ごした日々を時折回想したり、軍事訓練を経て(潜水)艦内生活を送る(現在の)時間を綴ったりする進行で展開される。

特筆すべきは、焦点を“回天”なる「“戦後生まれ”には耳慣れぬ名称なれど、決して忘れてはならぬ忌まわしき兵器」のみにほぼ絞り切ったことであり、「原子爆弾」や「(終戦を国民に告げる)玉音放送」などの(太平洋戦争を語る上で筆頭に挙げられるべき)要素(≒事件)は、意図的に(脚本から)割愛されたように感じた。
そのため、本作を単体で観た限りでは、決定的な敗戦に突き進んで行く日本の姿&動きは(マクロ視点的に)伝わりにくかったかも知れない。
が、大真面目に“回天”を用いた演習を繰り返す兵士らの姿には何とも言えぬやり切れなさと、少なからぬ狂気が感じ取られ、改めてゾクッとするのだった。

“回天乗り”の中でも、ライバル関係とし描かれる、並木少尉と北中尉(伊勢谷)の確執や価値観が、当時の思想(“小声のホンネ”や“声高なタテマエ”)を直球で伝えてくれもする。それは、彼らが最期に辿り着く、それぞれのセリフに現れている。

北「特攻は最高の名誉だ、軍神と成れる」
 「このまま(死ねぬまま)戦争が終われば、俺は一生“生き恥”をさらすことになる」
 「俺に残された道は、特攻を完遂させて“軍神”になるしかないんだ」

並木「本当のところ、(特攻で)死ぬ覚悟なんて、何も出来てやしなかったんだ」
  「俺はな・・“回天”を伝えるために・・この悲しい“事実”を(後世に)伝えるために、死ぬ」


さて、抑揚ある演技を封印(←いつまで続けてるんだ?)した感じの“エビちゃん”は「まさに本領発揮!」って感じで、水を得た魚の如く感情を抑えた言動で本編を泳ぎ切った(←尤もこれは言葉のアヤであり、物語上では泳ぎ切れなかったのだが)。もう“ラディッシュ・アクター”と評しては失礼だろう(・ω・)
彼につられる形でか(?)本来は明るい役柄の多い(←増えて来た)上野嬢までが、何やら眉をひそめっ放しな印象だった。。(そういや彼女ってば、昨年にTV放送されたドラマ『僕たちの戦争』でも特攻隊員(森山未來演じる)を恋人に持つヒロインを好演されてたっけな)

『ローレライ(2004)』も潜水艦内に搭載された“究極兵器(?)”を軸に進行するハナシだったが、本作の方がより“密室感”は高かったように感じた。これには「敵そのものの姿が殆ど描写されなかった」ことや「“回天”が射出された時点で、乗組員キャラの出番がスッパリ切り落とされてしまう」こと、など・・思い切った脚色の簡素化が手伝った故かも知れない。

ワタシが不満だったのは、香川演じる潜水艦長や、永島敏行演じる海軍将校が、さんざ若い命を死に追いやりながら、自身の「人間的な言葉」を殆ど吐露してはくれぬままに、物語が幕となってしまった辺りだろうか。
自決せぃ、とまでは言わないので、せめてその後(戦後)の人生・・そしてそれぞれの「ホンネの言葉」を他人の口を借りてでも構わないので、語らせて(残して)欲しかった。

一方で、並木の人生は意外な形で終わってしまうのだが、あのエンディングにするよりは(後日談の枕崎台風など描かず)「ただ海底に眠る※※の姿を長回しで映す」のみで良かったんじゃないかな、と。
(作品では)神々しさよりも生々しさが前面に出てしまいイマイチな演出だったぞ。

ラスト、やっぱり「その※※※を海に投げるご老人の姿」には「お茶を濁された」と言うか・・結局『トップガン(1986)』で『タイタニック(1996)』な呪縛からは逃れられんのかよ・・と悲しくなった。

ってことで、着眼点(“回天”を描くと言う)までは素晴らしいのに、細かい“小技”がいちいち鼻にツイて、どうにも後味の悪い作品だった(・ω・)>

〜 こんなセリフも語られていた 〜

艦長「後は金比羅様にすがるしかないだろう」
  「今までは金比羅様のご利益で何とか生きて来られたが」←あんた、神仏頼みばっかし(×_×)
  「辛いな・・出撃命令は。“死ね”と言うことだからな」

並木「いずれ(赤紙は)来るのさ」←召集令状のこと
  「敵、敵って言うが・・彼らにも愛する家族がいるんだ」
  「有難う、お前と会えて良かった」
  「僕の見ることが出来なかったものを、僕の代わりに見て欲しい。
   (中略) そして、(僕が死んで)1年が過ぎたら、僕を忘れて欲しい。
   (中略) そして、生きて、生きて、もう嫌だと言うまで生き抜いて欲しい」←遺された手記より

喫茶店マスター「(そんなことを言うのは)おやめなさい。誰が聞いているか分かりませんよ」

将校「天を廻(めぐ)らし、戦局の逆転を図る・・名付けて回天」

父親「そう言うお前は・・“敵”の姿を見たことがあるのか?」
  「国とは・・いったい何なのだろうな?」
  「そうか・・お国のために、行くのか・・」

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2007年8月20日 (月)

☆『ラストサムライ(2003)』☆

午後からクルマに乗り、ディーラーに行ったり、奈良市内を走ったりした18日(土曜)。
楽しかったが故、帰宅時間がすっかり遅くなってもしまったんだが・・中盤以降、殆ど終盤前って部分からながら、地上波放送されてた映画『ラストサムライ』を観た。

公開当時、劇場で観て・・その後、DVDで観て・・ついでに姫路(書寫山・圓教寺)&京都(知恩院)にロケツアーなんかまでしちゃった作品である(⌒〜⌒ι)
今回、改めて鑑賞し感じたのは「どのシーンも“絵”になってるよな〜」ってことである。
かつての『レオン(1994)』もそうだったが、任意に1シーンを切り取って“ポストカード化”しても、それなりに引き立っているのである。きっと撮影監督の才能と、映像の封じ込めた“世界描写力”“画面構成”の説得力が充分にあるから、に他ならないと思う。

ストーリー的には、実にトム・クルーズの突出した(←彼の場合、どうにも突出しがちである(=^_^=))アクションも(極力)押さえ付けてる感じで、“スーパーヒーローの域”にまで高めてられてない主人公(=トムクル演じるネイサン・オールグレン大尉)の姿に、「ええ感じや〜」と改めて好感を覚えた(まぁ別に、トムクルに「港湾でクレーン作業員を演じてろ(2005)」とかまで言うつもりはないけど・・)。

渡辺謙は、状況により、眼をくわっと見開いた表情で「訴えオーラ」を放つんだが・・見ようによっては「松本人志氏がメイクで化けた姿」のようにも映ってしまった、私的に(⌒〜⌒ι)
「もっとぉ〜!」とか「何でですのん」とか“松っちゃんのセリフ”をかぶせると、意外と「戦国コント」っぽく変わり果てて笑えるかも知れない。。

後半において、主要な“侍キャラ”がバタバタ倒れて行く様は流石に圧巻。
私的には「サイレント・サムライ(=ボブ)(福本清三)」はもう少し生き延びて欲しかったし、氏尾(真田広之)は1度目の乱戦を“不死身の肉体”で生き残ったにしては、その後の活躍があっけなく、悲し過ぎる感があった。

今回、特に注目したのは官軍の少尉役を演じてた俳優・二階堂智さんの存在だった。
キャラクターとしての詳細な設定は殆どないのだが、彼が(部下の)ガトリング銃掃射を独断で止めさせ、涙をこらえて「サムライたちの死」をしっかりと見届けるシーンこそが、本作でエドワード・ズウィック監督が一番描きたかった、重要なシーンであると確信している。
さて、二階堂氏はその後『バベル(2006)』における若い刑事役として、再度ハリウッド作品に助演する訳であるが、これからも更に深みのある役柄をどんどんゲットして頑張って欲しい人材だと思う。

※彼が涙を流すシーンを観てて、同監督作品『グローリー(1989)』の中盤における、デンゼル・ワシントンの落涙を思い出してしまった。あのシーンもウルウル来ましたなぁ・・(←なお、デンゼルはこの作品で“アカデミー助演男優賞”に輝いている)

あと、今回気付いたのは・・ラストシーンで、トムクルの負った「(重篤そうだった)脚のケガ」がすっかり癒えている、と思しきこと。
彼こそは「自らは死なず、ただ自軍を壊滅させる宿命」を生涯背負い続けた、そんな“悲劇の戦士”だったのかも知れない。

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2007年8月18日 (土)

☆『舞妓Haaaan!!!!』☆

盆休み期間にも関わらず、押し寄せる書類やら連日の残業やらに(ある意味いつも以上に?)苦しめられた今週。
「結局休めなかった」「年齢的に、もはや気合でどうにかなるもんじゃないと悟った」ってのがあり、膝も痛むし肩も凝るし眼も疲れるし集中力も低下したまんまだ(×_×)

こんな調子じゃ、来週は乗り切れんぞ! ってことで、多少早めに残業を切り上げさせて頂き、梅田へ繰り出した。
今週だけでも『ボルベール/帰郷』と『憑神』を観れぬままに、その公開終了を見送ってしまった(×_×) ってことで「もうコレしかないっしょ!」と笑える(?)作品『舞妓Haaaan!!!!』を観に梅田・三番街へと急いだ。

宮藤官九郎(=クドカン)脚本、阿部サダヲ・堤真一・柴咲コウ・・ら出演(競演?)による「ハチャメチャ舞根(まいこん)ムービー」である。コレがスポーツ系だと“スポ根”なる呼び方が相応しいトコだろうが、本作の場合“舞妓根性”の方がより上位に位置してるので、“舞根モノ”と勝手に命名させて頂く。
「こんにちは舞根(マイコン)」なんちて。←そんな名前の(PC啓蒙)コミックが昔ありました(・ω・)> ←歳バレる・・

主人公・鬼塚公彦(阿部)(愛称:ぼん、キミちゃん)は埼玉県熊谷市出身のサラリーマン。高校時代の修学旅行先が「京都」であった因縁(?)により、彼は自然な成り行き(?)で「花街」「舞妓はん」に“たった一度の人生(=^_^=)”をのめり込ませて行く。
カップ麺の製造&販売会社「すゞや食品」の東京本社に(入社以来)10年勤務する彼には、オフの時間をフル活用し『ぼんの舞妓日記』なるホームページを運営、管理人として“マニア道”をひた走る一面があった。

そのホームページを“荒らし”に来る「ナイキ」なる人物に自らの尊厳&情熱を傷つけられ「殺!」と怒る鬼塚だったが、そこに「渡りに船」ってな具合に「京都支社ヘ転勤セヨ」の内示が・・彼は新幹線での移動時間ももどかしく(=^_^=) 付き合ってる同僚の女性社員・大沢富士子(柴咲)をあっさり振って「京都入り」するのだった・・

K都銀行のATMで預金を下ろし、キャッシングマシン「無人さん」(←実は「無人じゃない」演出が冴える!)で軍資金を整えた彼は「お茶屋・卯筒」に突入、念願の「お座敷遊び」に興じようとするも・・「一見さんお断り」なる“鉄壁のルール”に阻まれ、あえなく退散せざるを得なくなる。。

そんな折、自作ページの掲載画像にたまたま映り込んでいた“おっさん”が、(自社の)鈴木社長(伊東四朗)であることにふと気付いた鬼塚は、彼に近づき「卯筒に同伴入店」しようと狙うも・・社長が発したひと言は「褒美が欲しければ、結果を出せ!」なる、キビシくも至極真っ当(=^_^=)な一喝であった。

「やったろうやないかい!」と、いきなし商品開発に燃える鬼塚。
一方その頃、フラれてしまった富士子は・・退社の意向を固めつつ、「舞妓にしか興味がない元カレ」を見返すため「とある一大決心」をするのだった。

また一方で、「ナイキ」の正体が“年棒8億円のプロ野球選手(神戸グラスホッパーズ所属)”内藤貴一郎(堤)であることが判明!
・・かくして京都の花街を舞台に鬼塚・内藤、そして富士子の“三つ巴バトル”が加速してゆく・・!!!! ってな展開。

主人公を演じる阿部サダヲと言う男の言動をまず楽しめるか?? が観客に真っ先に突き付けられる問い(←ビニール傘の先端のように尖っている(=^_^=))なので、そこをクリア出来るかどうかが問題かも知れぬ。
その辺は(同じくクドカン脚本作の)『ピンポン(2002)』にも共通するトコかも(・ω・) ワタシは意外に(?)そこはすんなりクリア出来たんで、全然問題はなかったかな(=^_^=)
あ、誰も言わないことだけど・・阿部サダヲを観てて、若い頃の砂川啓介氏を何処となく連想してしまった。中でも俄然インパクトのあったのは特撮ドラマ『超人バロム・1(1970)』でメチャメチャテンションを上げ、怪演に華を咲かせていた青年時代の砂川氏の姿である(・ω・)

猪突猛進型の主人公が、その情熱&パワーを爆発させるが故に、彼に関わる多くの人々が「大きなうねりに巻き込まれ、やがて変わってゆく」と言うノリが最高にパワフルかつハッピーで面白い!
ライバルへの対抗心による相乗効果で、内藤は思いもよらぬ立場の人物に変貌を遂げるし、鈴木社長も(表面的には鬼塚を半ば軽蔑しつつ(=^_^=))彼を窮地から救い出すために数千万円の現金を惜しげもなく(←あ、惜しがってたか(=^_^=))払おうとしたりする。
それは「舞妓道」に目覚める富士子や、彼なりに愛社精神を再燃させるに至る(?)先崎(=京都支社の生産管理部長)(生瀬勝久)も同様であろう。

中でも、彼の情熱(アホさ)を「ホンマもんやわ!」と感心させられた会話があった。
京都でばったり富士子と出会うシーンでのやり取りだ。

富「こっちに帰って来てて・・お盆だから」
鬼「今って盆休みなの?」
富「知らないの?」
鬼「知らない、オレ舞妓はん以外に興味ねぇから」

一般常識的には「空気が読めないヤツ」「暦を体感出来てないヤツ」「自分が殆ど裸であることにすら気付いてないヤツ」「成功し大金が転がり込もうとも、そこで情熱に全くブレーキのかからないヤツ」などは「常軌を逸しているとしか・・」と評すべきだろうが、その荒唐無稽(≒ハチャメチャ)な行動こそが「型にはめられ、がんじがらめの人生に流されている周囲の一般人(常識人)」を引きつけ、波紋を及ぼし、そして少しずつ変えて行くのかもな〜としみじみ感じた次第だ。

クドカンならではの「行き当たりばったり的かよ!」と思わせる脚本もパワフルでスゴく、
京都ロケを殊更にアピールしている序盤に始まり、CG満載で密室的にチャットを繰り出す前半、いきなりミュージカル映像と化したり(←結局、目立つミュージカルシーンはここだけ。。「飽きたかクドカン、お前はチャウ・シンチーか」とツッコんで良いかなと(=^_^=))、見習い舞妓はん(=仕込みさん)の修行(日常)を解説するシーンあり、ライトタッチなエロト〜クあり、株主総会での強引なプレゼンテーションや、うさん臭い(=^_^=)映画撮影現場でのシーンも盛り込んでくれる。

更に中盤を越えると・・ぐんぐん物語が大河ドラマ的に流れて行く展開がすごい!

そこでは、成功の過程なんぞは見事にはしょられ、我々観客は「スポーツ新聞の見出し」の大写しに、ただ想像力を膨らませるしかないのである(=^_^=) 後半で世界は2010年に突入し、終盤では更にそれから10年以上が経過しているようす(・ω・)

細部を突っ込むとキリがない気もするが、それすらも“無粋”と思わせる(=^_^=)クドカンマジックに「やられたなぁ〜」と完敗宣言である。

・人生に本当に必要なのは、大金でなく「盲信的な、果てなき夢」と「切磋琢磨し合えるライバル」なのかも
・「生き方の眩しいヤツ」につい投資したくのが人情なのかも(≒“異端児”は周囲が放っておかない)
・「バッティングセンター通い」が意外に自身の潜在(的運動)能力に火を点けるかも(=^_^=)
・「お座敷の下足番」にも、背負って来た壮大なドラマがある

なんてなことも本作で学べた気がします。ほんま、おおきに・・(=^_^=)

〜 こんなセリフが熱かった!!!! 〜

鬼塚「始まっちゃうってことは、終わっちゃうってことじゃないですか」
  「好きとか嫌いとかじゃないんだよ」
  「自分の好きなものに、誇りを持とうと思ったんだ」

内藤「エエ思いしよ、思ぅたら・・のし上がらんかい!」
  「人間には“眠っとる才能”ちぅのがあるもんや」
  「実家に帰っても寛げん男は・・一体どこへ行ったらエエんや」

※堤真一さんの「遊び慣れた雰囲気」の黒乳首(エロ乳首)が眺め放題ッス!(=^_^=) 脇毛も拝めます(ぐぇ〜)

社長「卓越したアイデアとは、この男のような“おかしな頭”から生まれる」←最大級の褒め言葉(=^_^=)

富士子「何だったんだろ・・私の京都・・」

内藤「どや、年商8億の“バット”は・・握ってみぃ」
駒富士「なんや、“ショートホープ”や思たわ」

↑全体的に堤はんは「火傷に鈍感」でおすなぁ・・(・ω・)

〜 クドカンの「狙い」を感じた色々 〜

■先崎(センザキ)なる登場人物名と、劇中に登場する大作邦画『山猿』
■某三谷(幸喜)作品を意識した『有頂天時代劇』なる邦画(←元ネタは『有頂天時代(1936)』)
■鬼塚なる“異端児”はくだんの『ピンポン』で個性的な主人公を好演した俳優・窪塚洋介を意識した名なのか・・?(ヘアスタイルも何となく路線が似てるし(・ω・))
■富士子との肉体関係を匂わせる(⌒〜⌒ι)鬼塚の自室シーン。「生涯モテナイーズ(not京都オイデヤース)」の一員としては狂喜すべきトコロか(=^_^=)
■八坂界隈に巨大ドームが出現! それって「高さ制限」は大丈夫なのか(=^_^=) ←CG合成です。
(因みに「京セラドーム大阪」だと屋根の高さが約72mとのこと(・ω・)>)
■西陣の社長・斉藤老人役で植木等さんが客演。某キャラに「じじい」呼ばわりされてるのがスゴい。。
(ラストで追悼コメント字幕が表示されてました)
※私的には『新・喜びも悲しみも幾年月(1986)』での助演が、ある意味植木さんの“遺作”だと解釈している(・ω・)
■コメディ作品に有りがちな「主人公(=鬼塚)の家族ネタ」に一切逃げてない脚本は素晴らしかった!

結論:概ね、ワタシの評価は高い。「一時的にせよ、パワーを貰えた気がした」からである。反面、私的にはこんなことも感じた次第だ。

△鬼塚と富士子の「恋愛コメディ」としての一面をもっと貫いて欲しかった(あれでは「三重女」が納得せんだろう(=^_^=))
△若い舞妓はん(=駒子さん姉さん)のキャラがちょっと好かなかった。。後でプロフィール画像(not舞妓はんヴァージョン)を観てみると、充分に可愛いのだが・・白粉を着けるとどうにもワタシの趣味に合わなかった(×_×)
△近年の邦画(かつ現代劇)で「頬かむりしてるヤツ」を観たのはかなり珍しい気が(=^_^=) 余計に目立つってばよ!

さぁ、阿部サダヲ・・『マスク(1994)』のジム・キャリー、『フォレスト・ガンプ/一期一会(1996)』のトム・ハンクス、『ピンポン』の窪塚に勝るとも劣らない「強烈な個性溢れる代表作」をぶっ立てたのはイイが・・お次にどう出るのかな??

※ホームページ『ぼんの舞妓日記』・・きっと物語の中盤ぐらいで、その更新がストップしてしまってるように推察される。。

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☆『戦場にかける橋(1957)』☆

16日(木曜)。残業を4時間近くこなし、ようやく帰路に。。
残れば残るほどに能率が悪くなる気がするんだが、もちろんそんなことは言ってはならない(・ω・)

ボロボロの精神状態で帰宅し、TV放送されていた戦争映画『戦場にかける橋』の後半(と言うか殆ど終盤のみ)を観た。

やはり「半世紀も前」なのにフルカラーな映像は圧巻である。
川面(かわも)とか密林とか爆発などの描写では、流石にフルカラー映像に軍配を上げざるを得ないだろう(・ω・)

第2次世界大戦の時代。タイ−ビルマ(現ミャンマー)国境付近(クワイ河畔)に位置する日本軍の某捕虜収容所を舞台に、日本人所長と英国人技師(将校)の交流、そしてそれを飲み込んで、大きくうねり流れて行く戦局を描いた作品。
余りに有名な「あのテーマ曲」がどうにも明る過ぎる印象なので、きっと(少なからず)コメディータッチな作風なんやろな、と思ってたら・・これがメチャメチャにシリアスで驚いた。

途中こそ、ヒューマニズムな視点&演出を交えて物語が進行したりもするが、ラストは実に淡々と「ああ、これが戦争なんやな」と思わせつつ幕となって行くのだ。
特に「戦場での死って、実際にこんなもんなんや」としみじみ感じさせるのが「現実的で悲しい“突然のうつぶせ死”」であると言える。さっきまで元気に動き、喋っていた人間が、うつぶせに倒れ込んで、もうピクリとも動かないのである。
ドラマ的に仕上げたら「仰向けで痛みに表情を歪ませつつ、なんかひと言ふた言呟いてから、ガクッとうなだれる(都合良く瞼も閉じている・・)」って描写になるトコだけど、そんなご丁寧な死に方は、現実にはまず有り得ないようだ(・ω・)

また、「正義を論じようが、勇敢だろうが、卑怯だろうが・・生き残る奴は生き、死ぬ奴は死ぬ・・それが戦争」とも思わされた。
「橋を建造し、それを(テキ軍の建造物ながらも)死守せんとする英国人の意地」もあれば、一方で「その橋を爆破せんとするアメリカ人の意地」もあり「どちらが果たして正しかったのか?」・・の結論は、観客に委ねられたままに本編は「劇終」となるのである。

「神の冷ややかな視線」でもあるのか、破壊された橋を上空から客観的にとらえた映像で物語は終わってゆく・・

〜 こんなセリフもあったであります! 〜

※※「橋の破壊(任務)なんかより、目の前の命の方がよっぽど大事だ」

※※「ふと思うのです、私は生きて何を成せたのだろう・・私の存在で、いったい世界の何が変わったのだろう、とね」

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2007年8月16日 (木)

☆『アヴァロン/Avalon(2001)』☆

11日(土曜)の深夜・・日付は既に12日(日曜)と変わってしまった頃に鑑賞。
衛星第2で連夜(5日〜12日)、特集の組まれてた「アニメギガ・スペシャル/とことん!押井守」の最終夜を飾った作品の1つであった。んで、公開当時に見逃してしまった作品でもあり、それなりに期待しつつ観た。

近未来、仮想戦闘ゲーム“アヴァロン(not三河車)”に興じる人々を軸に、「退廃的な未来社会」や「現実と仮想世界のすき間に迷い込む女主人公アッシュの運命」を描いたSF。
本作を録画してた家人がさっき観終えたようで、想定範囲内の感想(=^_^=)「全く内容が理解出来なかった・・」と文句を言っていたが、確かに本作を観るに当たっては
「まず、押井守監督作品であることが理解出来ている」
「ストーリーの(起承転結と言った)把握より、その世界観に浸ることを目的と出来る」
・・そんな姿勢が必要不可欠ではないかな、と。

私的には押井監督の実写作品ってモノに殆ど縁がなかったので、それだけでも珍しい感じで楽しめた☆

が「舞台がポーランドであること(オールロケ敢行らしい!)」や「独特のセピア映像で作品の大半が綴られていること」などの“目立つ要素”を取り除いて行くと・・何となくデヴィッド・クローネンバーグ監督の『イグジステンズ(1999)』と殆どおんなじことを言いたかったのかも、と結論が出てしまった。
まぁ言うなれば「現実と夢(≒ヴァーチャル)の混沌」みたいなトコロだろうか。

アクションがスタイリッシュか? とかスゴいか? と言えばそうでもないし、「全カットにCG処理が施された」と言う映像にも、何故だか「深さ」でなく「薄さ」が露呈してしまってたように感じた。
ま、それすらも押井監督の狙いだったのかも知れないが・・

主人公アッシュを演じた女性が「ボブヘアーがトレードマーク」「煙草も吸えば、銃も撃つ」って感じで・・どうにもリュック・ベッソン監督にも通じる「ヒロインの理想像(・・或いは趣味)」を持ってるんかな〜と邪推してしまう。「ミラ・ジョヴォヴィッチ版」「ナタリー・ポートマン版」も是非観てみたいもんだ(⌒〜⌒ι)

後半など、もっと展開が悪ノリ(?)してて、「目を覚ます(?)」と「監禁(拘束?)されてた」アッシュが「近くの窓を開けたら⇒レンガ壁で塞がれている」或いは「とある殺害任務(?)を受け、ドレス姿で拳銃を手に歩き回る」・・って演出はどう考えても『ニキータ(1990)』じゃねぇのか?! とつい突っ込んでしまいたくなる訳で。

まぁ「戦車など、兵器&銃器の描写にはスキがない」「あくまでヒロイン中心に世界を構築させてる」「“イノセンス”な犬が登場する」「“ゴースト”なる概念が本作でも重要なネタとなってる」などなど、「押井センセイ・・たぶん撮影しながら、毎日興奮しまくってたんやろな〜・・」などと観てるこちらまでが微笑ましく思えて来る(=^_^=)

ただ、終盤で「セピア世界」が劇的な変貌を遂げるトコロがあるんだが、ちょっと「近未来とは思えぬ世界の描写(←ほんの一瞬ながら「赤いレガシィワゴン(BF)」の映るのが面白い☆)」やら「意外に※※※映像だと表情(容貌)の冴えないヒロインさん」やらに残念な感が禁じ得なかった。

また、本作は「性的な要素」が一切カットされてた代わりに、妙に「登場人物の食事するシーン」が多かった。「何だこりゃ、小津安二郎監督映画へのオマージュかいな・・」と小ツッコミしてしまったものだ(・ω・)

それと・・この『アヴァロン』だが、タイトルからも(分かる人は)分かるように「アーサー王伝説」が下敷きとなっている。なので、その辺り「ポーランドよりも、アイルランドやウェールズをロケ地にした方が辻褄はあってたんでは?」とシロ〜トなりにふと思ったモノである。

〜 こんなセリフもありますた 〜

ビショップ「本物の肉に野菜・・君の犬は幸せだな」
     「ゲームはワタシにとって・・“手段”ではなく“目的”なのだ」

ゲームマスター「良きGM(ゲームマスター)は、ゲームそのものには関わらぬものだ」

※※※※※「世界とは“思い込み”に過ぎない・・ここが“現実”だとして、それに一体何の不都合がある?」
     「いいか・・事象に惑わされるな」

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2007年8月15日 (水)

☆『タイフーン(2005)』☆

12日(日曜)夜の鑑賞。「日曜洋画劇場」で地上波初登場とし放送されたモノを観た。チャン・ドンゴン主演による、政治系海洋アクション映画(でエエのかな?)である。
1983年に家族らと共に北朝鮮からの亡命を試みるも、韓国政府に受け入れを拒否され、そのまま“脱北”し姿をくらませた少年がいた。彼、チェ・ミョンシンは「シン」と名乗り、海賊集団を率いて東シナ海を中心に略奪行為を続けている。
家族を銃殺され、一番の理解者であった姉、チェ・ミョンジュとも生き別れてしまったシン(チャン)。今や狂気の野獣と化した彼は「亡命者を黙殺した韓国政府への復讐」に燃える。その手段とし、彼は「高レベル核廃棄物」を数10トン単位で入手、それを加工し韓国内に持ち込む計画の実行に着手する。
一方でアメリカ(=国防情報局)が事態を察知、動き出すことを懸念した韓国・国家情報院は海軍将校、カン・セジョン大尉にシンの計画を阻止することを命ずる。シンの姉がロシア・ウスリスクで娼婦をしていることを突き止めたカンは、彼女に協力を要請し、シンをおびき出す作戦に出るが・・ってな展開。

少し前に観た『PROMiSE(2005)』では、何ともふざけたアクション(4つん這いで超高速疾走・・)を披露し、我々に失笑をもたらしてくれたチャンだったが、同年に主演した本作では、悲しみをたたえた表情に、かなりの好感を持った。
中でも、彼と姉が20年ぶりに再会するシーンでは・・涙を浮かべ、唇を震わせるその演技に、ついウルウルと来てしまった。『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997)』の“あの抱擁シーン”も素晴らしいが、本作のこの場面もまた、今まで観た韓流映画の中で、一番ワタシのココロに突き刺さるモノがあったと思う(あんまり韓流系を観てないのはあるが(・ω・))

反面、チャンの存在感が圧倒的過ぎて、彼に対峙すべきカン役の男優さんの容貌やパワーがちぃと弱いように思えた。「堅物の軍人」としてのキャラ造形はほぼ完璧だったんだが、もう少し何処かにパンチが欲しかったトコだ。

ちょっと笑えたのは「自在に韓国へ密入国を繰り返すことが出来る」と説明されるシンの手口が「コンテナに隠れること」と解説されてたセリフだろうか。。ここは是非「おい、もっとスマートかつ奇想天外なやり方とちゃうんかい!」と優しくツッコんであげたいトコロだ。
そもそもが、亡命家族を拒絶した韓国政府のお偉方にも確かに問題(責任)があるんだけど、もっと直接的にぶっ殺すべきは「国境で待ち伏せ、銃撃を浴びせた北朝鮮側の局員たちやろ!」とふと思うのだ。そっちの方が復讐としても手軽かつピンポイント的に済んだように思うんだがどうなんやろ(・ω・)

中盤からは「タイフーン」と名付けられたタンカー(?)に仲間と乗り込み、“海上を吹き荒れる2つの台風”の暴風圏内で、いよいよ計画を実行に移すシンと、それを阻止すべく少数精鋭の部隊を率いて船に乗り込むカンらの銃撃戦が繰り広げられる。
海賊退治、と言えばやはり真っ先に連想しちゃうのが『プロジェクトA(1984)』であるが、本作の場合はもっとシリアスな色合いが濃かった。邦画で言えば『亡国のイージス(2005)』に何処となくシチュエーションが似てたかも知んない(・ω・)

核廃棄物をヘリウムを用いて※※に送り込む作戦は・・つい『ツイスター(1996)』に登場する“ドロシー”なる観測装置を彷彿とさせてくれた。なお、時限装置搭載で、床から跳ね上がり空中で爆発する手榴弾は『イレイザー(1996)』に出て来る兵器のノリだったろうか。

全体的にアクションシーンの弱い感じがしたが、脚本の組立が異常に巧妙で、ラストに「一番のポイントとなるシーン」を持って来るトコロなどは「予想出来るとは言え、巧いよなぁ〜」と感心させられてしまったものだ。
韓国映画史上でも稀にみる「巨額」を投入し(←150億ウォンとか言われてる)製作されたと言われる本作・・普遍的な完成度の高さ、と言うべきモノは感じられなかったものの、邦画アクションを完全に圧倒するだけのパワーには満ち溢れていたように思った。

〜 こんなセリフもありました 〜

シン「同志、飢えに耐え切れず・・人肉を喰ったことがあるかい?」
  「この世こそ地獄だろ?」

姉「あの世に行ってからも、このご恩は絶対に忘れません」

カン「お前が不幸なのは知ってる、だからと言って、他人まで不幸にしていい訳がない」
  「本当は眠ってなんかいなかったのに、何故(亡くなった)あの日、
   枕元に佇んでいた父さんに「行ってらっしゃい」と言えなかったのか
   ・・それが今でも悔やまれてなりません」←母への遺言より

上司「大事を成すには、犠牲が付きものだ」

カン・ジサン中佐「例え国家が動揺しようとも、軍人たる者、決して臆することなかれ」←カンの亡き父

韓国大統領「我が国の若者は、我が国が守る」

カン「生きて、真実を話すんだ」
シン「何を、誰に話せって言うんだ!」

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2007年8月13日 (月)

☆『ランボー(1982)』☆

9日(木曜)。残業をたんまりこなしてから帰る。ココロ的には「今週、休んだる〜」と決めてたハズなのに、現実はなかなかにチビしぃ(←死語)

帰宅してから「木曜洋画劇場」で放送されてた『ランボー』の終盤のみをヘロヘロになりつつ鑑賞した。
始まった途端に「既に警官隊の包囲網が張られてる」「トラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)がのんびり客演(やや日和見状態・・)してる」「山狩りもほぼ終了してる」って状態で、後は主人公ジョン・ランボー(シルベ・スタロ〜ン)がディーズル保安官(ブライアン・デネヒー)をやっつけに町に戻って来る・・ってシチューエーションに突入しつつあった。
ホラー邦画『黒い家(1999)』で言うトコロの「ヤツがボーリング球を手に、(残業中の)オフィスに押し掛けて来るよ〜!」って半端ない状況な訳だ(⌒〜⌒ι)

前半の保安官主導による「ランボーへの肉体&精神的苦痛」の数々を全く観てないため、今回は保安官のキャラが至極真っ当に思えて仕方なかった(・ω・)
勝てない相手が殺しに来ても、決して自分だけ逃げ出そうとはしなかったし、彼が絞り出すように叫ぶ「あの野郎、よくもオレの町を」ってセリフがココロに響いてしまった。

結果的に保安官はランボーに撃たれ、倒されてしまう展開だが、悪いのが「保安官」なのか「ランボー」なのか、はたまた「ベトナム戦争そのもの」だったのか・・「アメリカ人でなく、当時も知らないワタシ」には、想像すらも出来ないままに物語は幕となるのだった。

〜 こんなことも思ったり 〜

■終盤、町のいたる所にある街灯を破壊し、待ち受ける保安官の狙い撃ちを防ぐランボー。もし事務所の武器庫に「スターライトスコープ」とか「ノクトビジョン」とか「ナイトゴーグル」とかがあれば・・保安官の楽勝だったかも。
■「ランボー1人vs警官1000人」って“宣伝文句”も勇ましかった本作。けど、ランボーと正面切って戦った警官はぐっと少なかったハズ(・ω・) 殆どの警官は、待機してるトコに唐突な無線で「たった今、容疑者は拘束された・・各自、通常勤務に戻れ・・繰り返す・・」なんてな連絡を受け「人騒がせな野郎だぜ、全く!」とか毒づきながら帰って行った、って辺りが真実ではなかろうか(←いや、そもそもが真実じゃないんですけど・・)
■本作を町の人々の証言で綴ったドキュメンタリーテイストの映画が観てみたかったり(=^_^=) 「保安官擁護派」「ランボー憎悪派」・・色んな住人が当時、きっといた筈だ。

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2007年8月11日 (土)

☆こちらミガーク探偵団☆

11日(土曜)。起きたら・・既に午後だった(×_×)
今週は特に残業も増えて来ており、かなり疲れてしまったので、「きっとこれはカラダが求める「自己修復行為」みたいなもんなんやろ」と都合良く解釈することに。
今から出掛けても、国道1号線にクルマを乗り入れた時点で、(慢性的な)渋滞に巻き込まれ余計疲れるだけやろ・・と考え、今日は溜まってる新聞記事を切って終日(ひねもす)過ごそうと決めた。

その傍ら、7日(火曜)の仕事帰りに梅田・大阪駅の北側にある、某大手家電量販店で購入したままとなっていた
『Disc Doctor Shining』なる機材をようやく開封、「お磨き作業」に勤しむこととした。

この『Disc Doctor Shining(以下、DDSと略す)』であるが、傷ついたディスク(直径8〜12センチメートル)の裏面(=鏡面、印刷のない側)の表層を削って磨き、キズを消す(低減させる)ものである。
(軟式材の研磨ヘッド(2点)にコンパウンド剤(付属)を塗布しディスクをセット後、本体をモーターで高速回転させる方式)

これまでにも何度か購入を検討したり、そのたび見送ったりしたが(Amazonにおける『DDS』の評価が大きく分かれていることによる)、最近になり不可抗力によりキズの入ってしまうディスクが増えて来たことから「試してみよう!」といよいよ決意した次第。
(因みに(ここで言う)不可抗力の内訳は・・「クルマに搭載のCDチェンジャにセット中、勝手にキズが入った」「Amazonで輸入盤CDを購入したら、「新品」の触れ込みの筈なのに、ケースも盤面もキズが入ってボロボロだった」・・と言うもの。無論、ごくたまにワタシ自身の落ち度で「拭いててキズが入った」「CDを床に落下させてしまい傷ついた(←ワタシのココロにも・・)」って原因もあるにはある)

この『DDS』、「CDプレーヤー型の本体」に「電源アダプタ」「洗浄(クリーニング)キット」「修復(リペア)キット」「仕上げ磨き用クロス(布)」「予備用ヘッド」が同梱されたパッケージで、見た目はかなり安っぽい。
価格は¥5,600-で売られてたモノを(溜まってた)ポイントを使い¥4,470-まで下げて買った。
が、別途売られてる「洗浄キット」「修復キット」がそれぞれ¥1,800-ぐらいすることを考えたら、本体のみで¥2,000-ぐらいになると考えられ「まぁ、アリかな」と納得出来るレベルかも知れない(そう考えると、本体価格に迫り過ぎてる各キットの価格設定にもスゴいもんがあるけど(・ω・))。

ひと昔(以上)前に愛用してた「CDプレーヤー」に外観的にそっくりな本体。造りが実に・・安っぽい(×_×) 裏の表示を見ると「FOR HOME OR OFFICE USE」と書かれてて笑えた。それって区別になってないやんか!
因みに本体&アダプタともに、燦然と輝く(←輝かんでエエけど)「MADE IN CHINA」の文字。きっと塗装面を戯れに舐めたりしたら毒性物質にやられて即座に死んでしまうに違いあるまい(×_×)

で、使用感であるが
・(浅い)引っかかりキズ、拭きキズにかなり効果を発揮!
・打ちキズ、えぐれキズの修復は絶望的か・・
ちぅ印象。
作動中の“チープ&ラウド”な音に「大丈夫かよ!?」と不安感が拭えないが、そこは安心して良いだろう。
(ただ、ロックボタンがないので、作動中にフタを開けないこと! ディスクが顔面に飛んで来る可能性あり)

本日は以下の3枚を磨いてみた☆

「シャー・ルク・カーンのプロモーションDVD」・・数年前、JR西※鶴駅そばにある某インド料理店で購入したもの。どうやら長年店内で使用され続けたモノらしく、恐ろしくムチャクチャにキズだらけだった(×_×)

⇒3回研磨(修復)+1回洗浄。深いキズは修復不可能だったが、「これ以上は仕方ないな」ってなレベルまでは回復した。更なる修復にこだわるなら「磨き剤」を「粗いモノ」に変えて取り組むのが良いか?(そこまではやらないことにしたが)

「R・ケリーのCDアルバム」・・安い中古盤を購入。安いだけあって、キズが何ヶ所か入ってた。

⇒1回研磨+1回洗浄。大成功! ほぼ新品状態にまで回復した! 外周沿いのキズのみが細く残されたが、美品と(私的には)評価出来るレベル。「盤面にかなりうるさい」ワタシが見ても納得の仕上がり☆
因みに研磨だけを終えた状態では「表面全体が曇った感じ」であり、大いに不満が残る。
マニュアルでは「仕上げクロスで磨け」と記載されてたが、「コツがありそうで怖い」ため敢えて「洗浄仕上げ」とした。結果的には「布仕上げ」より「機械仕上げ」の方がイイんじゃないかと思う。

「ホイットニー・ヒューストンのCDアルバム」・・先週末、クルマのCDチェンジャ内でキズの入ったもの(×_×) これが今回『DDS』購入を決断させた“事件”でもあった(⌒〜⌒ι)

⇒洗浄のみ1回施行。結果「細かい擦れキズ」がくっきりと浮かび上がった(×_×) やはり洗浄では限界があったようだ。今日はやんないけど、この次は「研磨⇒洗浄コース」で試そうと思う。恐らく完璧に復活するハズ☆

って感じで、「ネット上での評価」に迷わされまくった『DDS』だったが、自らを“人柱”にしつつ(=^_^=)試したトコロでは「なかなかエエじゃないの!」と納得出来るレベルだった。
メーカーさんももっと貪欲に「品質改善(←根本的に)」「パッケージデザイン改善(←根本的に)」「宣伝戦略(←かなり強化する必要アリ)」を断行したらエエんではなかろうか(潜在的なニーズは決して少なくない筈だ)。

ちょっと笑えたのが「“本体フタを開くボタン”を押すつもりで、横にある“クリーニング開始ボタン”を押すと、誤作動で本体が回転し始める」現象。放置しとくと(自動設定されてる)約1分間、本体はひたすら“空回り”し続けるようだ。
慌ててフタを開くと、開いてる間だけは緊急停止するも、フタを締めるとまた(残り時間ぶん)回転を始める。。

この症状って「本体から(アダプタの)ジャックを抜く」ことでしか「命令解除」出来ないみたいだ。。
「操作者の意思」より「本体内蔵のタイマー」が優先されるシビアな設計・・何とかならんのか、おい(・ω・)

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☆『スコーピオン・キング(2002)』☆

古い映画メモから・・(・ω・)

7月15日(日曜)の鑑賞。
これまでにも何度か地上波放送で観たよな気がするが(=^_^=)、本家(『ハムナプトラ』シリーズ(1998)(2001))よりもよっぽど面白い“スピンアウト(派生)作品”であると思う。きっと映画評論家・淀川長治さん(故人)が生きておられたら、メチャメチャお気に入りの1作となった筈! ・・であろう、きっと(=^_^=)

古代エジプト時代の砂漠&王宮を舞台に、マッチョな主人公マサイアス(=暗殺者の血筋を誇る部族の末裔)が、“無敗王”メムノンへの復讐のために、旅を続ける物語。

シンプルな進行ながら、無駄なキャラがおらず、ダレ場も少ないままガンガン突き進んで行くのが良い。唯一、ちとヒロインの印象があの世界観にそぐわない気がしたが・・ま、コレは私見に過ぎないンだろう。

本家では「CGキャラ」に過ぎなかった“スコーピオン・キング”を演じるザ・ロック(本業は格闘家とのこと)が生き生きと描かれている。やっぱりアクション俳優は「CG造形ではアカン」ってことだろう。

本作で一番好きなシーンは、飛んで来る矢を防ぐべく、巨大な銅鑼(ドラ)に隠れる感じでマサイアスが、それをゴロゴロ転がしながら移動するトコロ。直後に、勢いのついた銅鑼が楼閣のレンガ壁を崩して転落して行くんだが、上空からの映像で「手前に(屋根に)ぶら下がるマサイアス、奥のはるか地上に(落下⇒着地後)ゴロゴロ転がって行く縦向きの銅鑼」ってカメラワークをCGを交えて描いてる、その数秒間こそが「最高」である!

また地上波で放送される機会があったら、そのシーンだけでも観てみましょう(=^_^=)

※助演してる、マイケル・クラーク・ダンカンの女装シーンも、大画面で観たら、結構キッツイもんがあると言えようか。。

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☆『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊(1995)』☆

5日(日曜)夜。衛星第2で連夜(5日〜12日)、特集の組まれている「アニメギガ・スペシャル/とことん!押井守」の第1夜を飾った作品『攻殻機動隊』を観た。
「明朝、また1週間の勤務が始まるしなぁ・・」とか「結局、カントクの独りよがり的難解世界に付き合わされてとことん!疲れるだけやろなぁ・・」とかネガティヴな妄想ばかりが脳内に渦巻いてしまったものだが、いざ観始めると、見事にハマってしまった(・ω・)>

冒頭で「企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても、国家や民族が消えてなくなるほど情報化されていない近未来」とテロップ解説される、2030年ごろの「アジアの一画にある企業集合体国家」を舞台とし描かれる「電脳(サイバー)犯罪」を巡る攻防の物語。
どうやら、具体的に説明されてはいないものの、近未来の日本の姿(やや無国籍風)が映像化されているようだ。

正体不明の国家的電脳テロリスト“人形使い”と、それを追う公安9課(俗称:攻殻機動隊)の面々。この辺りのエッセンスのみをまとめると、どうにも複雑怪奇で、アクション性に乏しく、男だらけの無骨なドラマ世界が連想されるモノだが・・主人公である隊長役が女性キャラ=草薙素子(くさなぎもとこ)少佐と言うこともあり、意外に「小集団によるスマートでテンポの良い脚色&展開」に仕上がっている。

改めて観返すと、予想以上にその進行が早く、中盤を過ぎてすぐに「最後のバトルフィールド(←過去のプレイステーション用ゲームソフト『メタルギア・ソリッド(1998)』のラストに酷似したバトル空間だった・・ま、こっちが影響されたのかも知れないけど)」にハナシが移るような印象だった。

今回、微笑ましく思えたのは、素子隊長=“少佐”と彼女を補佐する巨漢の隊員・バトーのやり取り。
一見、ドラマの(スピーディーな)進行のテンポを下げるような“ダレ場”に思えたダイビングのシーンなど・・まさに2人が「支え合い、好き合っている」そんな風にしみじみ実感出来た。
劇中では「復活(再生、修復)可能な義体(サイボーグ)兵器」なる立場を最大限に踏まえてのことか、突出して“少佐”の危険任務が多いのである。アジト突入、要人暗殺、凶悪犯逮捕など・・。
で、彼女が任務ごとに「光学迷彩」なる特殊技術で全身を透明化させる訳だが、この時に決まって“ヌード”となるのである。
作戦完了時、現場に駆け付けたバトーが“少佐”の背後からコートなんかを着せてやる行為に「優しくていいヤツなんだなぁ」と思わされた。
何故って、それは義体である彼女を「人間」と捉えているが故の“自然な気遣いの行為”に他ならないから。

また、余暇のダイビングを終えた“少佐”がボート上でスーツを脱いで着替える姿(裸の背中)を眼にしたバトーは「バツ悪そう」に背中を向けたりもする。コレだって、眺める方も、眺められる方も、極端に言えば「人間」ではない、とも言えるのに。

終盤で、それまで素子を「少佐」と呼んでいたバトーが、彼女の名前を叫ぶシーンも良い。
あそこで全編を通じ、唯一バトーが垣間見せた「油断による恋心の露呈」を描きたいがため、押井カントクは本作を映像化する決意をしたんではないか、などと邪推もしてみたり(・ω・)

ってことで、今回は犯罪シーンやアクション(バイオレンス描写含む)の数々より、素子&バトーの“秘めたるラブシーンの数々”を「エエなぁ〜」「エエなぁ〜」とうっとり眺めてしまったワタシなのである(・ω・)

〜 こんなことに気付いたりも 〜

■義体は「チタン製」らしい。で、素子の(ボディの)バスト部分は、ラインに沿う形でチタンフレームが構成されていた・・即ち、、“少佐のバストは硬い”と推測出来そうだ。。
■“少佐”が高所から飛び降りるシーンでは、着地時に地面が大きく凹んだり割れたりする。。めちゃ重いんや・・
■義体の後頸部にはプラグ穴が4ヶ。『マトリックス(1999)』では1ヶでしたな(・ω・)
■マーケットで乱射したり、大暴れする犯罪者。そんな彼が「28歳」と知りびっくり! ・・もっと老けてると思ってたぞ(・ω・)
■バトーの放つ「世論が納得するなら・・」なるセリフに「世論まではまだ支配されてない時代なんや」と妙な安心感を覚えた。
■「光学迷彩」は体温(の感知)までも抑えられるのか? ちょっとムリがあるように感じた。
■“少佐”の「最も人間らしい動作」は・・冒頭における「目やにを拭う」アレ。つまりは「分泌機能がある」ってことやね! すごい!
■本作における「生身の人間」とは・・「赤い血の流れてる、ゴースト(自我、自意識)を有するヤツ」と定義出来そうだ。
■中盤の(風景)イメージ映像(←ここでの一連のシーンは素晴らしい!)で、橋の上に“イノセンス犬”を視認した☆
■バトーのセリフ「良心的な運ちゃんから「人をはねちまった」って通報が入ったのさ」より、未来社会では「当事者からの事件通報の珍しい時代」に突入してることがうかがえた(⌒〜⌒ι)
■オペレータの女の子。とても可愛いけど・・義体だったみたい(×_×)
■“少佐”の衝撃セリフ(?)「生理中だからよ」は、やっぱりサイボーグならではの「頑張って放った、お硬いギャグ」なんやろか(・ω・)
■“人形使い”のセリフ「君と、融合したい・・」にズキュ〜ンとハートを射抜かれてしまった(・ω・) とってもエロチックなセリフでおますなぁ・・

〜 こんな思想/理論もありました 〜

・集団の、特殊化・機能化・画一化の果てには「緩やかな死」があるのみ
・「自分」とは、或いは形成された“模擬人格”に過ぎないのでは?
・DNAもまた、自己保存のためのプログラムに過ぎない
・医学は未だに“生命”を定義出来ないでいる
・コピーでは“個性”や“多様性”が存在し得ない

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2007年8月 4日 (土)

☆『フライト・オヴ・フェニックス(2004)』☆

2日(木曜)夜に鑑賞。『木曜洋画劇場/2000回記念特集』の一環でか、で地上波初放送されたモノ。
が、残業が予想外に長引いたため、放送開始を10分以上過ぎてからの帰宅⇒鑑賞となってしまった。よって、離陸前の物語については殆ど分かってなかったりする(×_×)

フランク・タウンズ機長(デニス・クエイド)の操縦するポンコツ輸送機「Cー119」が重量オーバー&砂嵐との遭遇により、灼熱の日差し照り付ける7月のゴビ砂漠(モンゴル/中国の国境付近)にハードに不時着する。
そして、救援隊のやって来る可能性は恐らくかなり低い・・。
生き残ったメンバーは「機体を修復し、再び飛行する」ことでこの危機を脱そうと考える。しかしそこには様々なハプニングやトラブルが常に付きまとうのだった・・みたいな流れ。

序盤こそ、派手なCG絡みの墜落シーンがダイナミックに描かれるも、本作の中心はやはり「同じ(極限の)運命に投げ込まれた赤の他人同士がやがて交流⇒そして団結するに至る軌跡」にあると言って良いと思う。
とは言え、サービス的に(?)中盤でド派手な大爆発が起こるんだが・・この演出がなんか「強引にくっ付けたスペクタクルシーン」みたいな感じでちと好かなかった。
例えると『アルマゲドン(1998)』における「ロシア式修理法敢行(by ピーター・ストーメア)⇒宇宙ステーション※※」の流れにも似た「取って付けたようなアクシデントやな〜」と突っ込んでしまえる演出である。
そこに観客に看破されないような工夫をして欲しかったぞぅ(・ω・)

私的に好きな男女(デニス・クエイドとミランダ・オットー)がタッグを組んでくれてたのは良かった。尚かつデニス演じる機長が、あくまで「いたずらに動き回らず、体力を温存させつつ発見されるチャンスを待つ」と言うある意味ネガティヴかつ真っ当な思考をしばらく保っていたことにも好感を。
必ずしもヒーローやリーダーを気取ってはいないのだ。乗客に対し演説をぶつ訳でなく(ラストこそ、ちとぶってたけど・・)、状況的にそれが必要と知るや、アタマを下げたくない相手にも黙ってしたがう・・こう言った等身大のキャラが「より人間的な存在」として光っていた☆

彼の対極に位置する、設計技師のキャラもなかなか「イヤなヤツだけど実は臆病」ってな複雑な人物像を巧く演じ切ってる感じで良かった。

にしても・・状況が状況とは言え「躊躇することなく目の前のケガ人の頭部を銃で撃ち抜けるヤツ」とか「物陰から飛び出して発砲、次々に相手を射殺するヤツ」がいたりして、とても民間人とは思えなかった。こいつらって(本作で描かれない)前身は“その道のプロ”だったんやろか。。

広大な砂漠、見渡す限り人影すら見えず・・と思いきや、決してそうでもなかったのも意外と言えば意外だったか。連想したのは『6デイズ/7ナイツ(1998)』や『ザ・ビーチ(2000)』だろう。
「世界が如何に広しと言えど・・それぞれの土地には、それなりの人々がいて、それなりの生活を営んでる」そんなモノなんかも知れない(・ω・)
かなり、生きて行くにはキビシいエリアだとは思うんだが。。

重量オーバーが墜落の一因だったとすれば・・最後に乗り込んだ「あの」1人の影響は少なからずあったろうし、またその1人が搭乗してたからこそ、生還への希望の灯が見出された、とも考えられるのは面白い。
「乗せて良かったのか、乗せなければ良かったのか」・・考えると段々ややこしくなって来る(⌒〜⌒ι)

同様に「エンジン内の砂を掃除する作業」を、機長が「3回やった」トコロ「もう1回やれ」と某キャラに命じられるシーンも「実際のトコロ、何回やったのか?」「更にしっかりやってたら、終盤でもっと余裕を持ってエンジン点火を行えたのか?」とか、どんどん自問自答が広がってしまう。

うーん・・実は本作って“緻密に計算し尽くされた脚本”の上に成立してる“奇跡の物語”なんかも知れない!

・・一見、そないに大したモノにも見えんのだが(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフも光ってたかも 〜

機長「諦めるには早いし、考えるには遅い・・今はそんな状況だ」

※※「ヤツら、遊牧民じゃないな・・女子供がいないからな」

機長「俺たちはガラクタじゃなく人間だ! この先の長い人生だってある。
   こんなトコロで死んでたまるか! 一緒に家(うち)に帰るんだ・・家族の待つ家にな!」

追記1:別エンディングとして↓ こんなの ↓はどうだろう(・ω・)

「フェニックス号がいよいよ始動、仲間たちがケリー(ミランダ)を先頭に、機体にかけられたハシゴを登ろうとする。が、ケリーが登り切った瞬間、機長はハシゴを無常にも外す。よじ登る途中の姿のまま、ハシゴごと滑走路(?)に叩き付けられる仲間数人。画面に大きく映し出された機長の口元がニヤリと歪み、磯部勉(←吹替え男優さん(・ω・))がこう呟く・・
「・・重いんだよ、悪いな」
かくして仲間を残したまま、フェニックスは地面を離れ、大空に消えてゆく・・」

・・ってうわ! 後味悪ぅ〜(⌒〜⌒ι)

追記2:ネットで調べてて、笑ってしまったのが「周囲は見渡す限りの砂漠だった筈なのに、ラストでいきなり姿を現す“整地された”滑走路」・・確かに急に現れたよねぇ。。
もしや、チャールトン・ヘストン唐突に姿を現し、杖でも振るったんやろか。。(←作品が違うっての!)

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2007年8月 3日 (金)

☆『PROMiSE/無極(2005)』☆

このメモもちょいと古いんですよねぇ・・(・ω・)

22日(日曜)。夕刻にちょうど(心斎橋界隈で)ノートPCを修理に出し、不安な気持ちとなりつつ帰宅・・その夜「日曜洋画劇場」で地上波初放送されたアジアン恋愛アクション作品『PROMiSE(プロミス)』を観た。
とりあえず、家人に借りた“お古のウィンドゥズノートPC”のテキスト機能を使い、映画メモをちまちまとりつつの鑑賞。
うん、なんかね、観ながら書いてないと、どうも落ち着かんもんでね(=^_^=)

戦乱の世の続く、アジア中原に位置する架空の「馬蹄国」が舞台。貧しい身に生まれつつも、やがて王妃となった(←そこに至る半生、異常に“まいて”ました(・ω・))女性チンチャン(傾城:セシリア・チャン)を軸に、3人の漢(をとこ)たちが愛と憎しみの火花を散らす。
“花鎧”をその身に纏い、華麗に戦う無敗将軍カンミン(光明:真田広之)、その従者となる北方出身の青年クンルン(昆崙:チャン・ドンゴン)、そしてしたたかに覇権を目論む公爵ウーファン(無歓:ニコラス・ツェー)。

※本作における真田、『たそがれ清兵衛(2002)』で演じたキャラ以上に“ダメ男”である。。
※ニコラスは何処となく及川光博っぽい☆

それぞれにアジア各国を代表する(?)スターな筈なのに、作品自体がどうにもアレな感じなので、誰もが光ってなかった気がした。
監督&脚本は“巨匠”チェン・カイコーだってのに・・(因みに彼の手がけた作品では『10ミニッツ・オールダー/人生のメビウス(2002)』に参加していた短編がなかなかに良かった☆) そういや『キリング・ミー・ソフトリー(2001)』はイマイチだったなぁ(主役級の姉弟を演じる2俳優(ナターシャ・マケルホーン&ジョセフ・ファインズ)は良かったんだけど・・)。

まずはCGが全編に於いてしょぼく、泣けて来る。21世紀の、仮にも“大作”とうたわれてる作品で「この程度のレベル」じゃあかんでしょ。。
こんなデキの悪いCGをエラそうに出すんなら、いっそカットして俳優の演技バトル的な部分で盛り上げろよ、と。
(或いは「バカ映画にすんぞ〜」と決意の上、ベタギャグを悪ノリ(とヤケクソ)であちこちに盛り込むとか)

「絶世の美女」なる触れ込みで登場のセシリアも、何とも「化粧濃ゅ〜いだけの垢抜けない感じ」でイマイチぱっとせんかったなぁ。初登場シーンで彼女の横顔、口元の部分がアップになるんだけど、不用意に(?)口を開くもんだから、唾液がちょいと糸を引いちゃってるのが見えたりして「何だかなぁ・・」とゲンナリしてしまった。。
こう言うのんをいちいち気にしててはアカンのやろか(・ω・)

カンミン、クンルン、ウーファン、あと公爵の配下である“黒衣の刺客”クイラン(鬼狼)の4人の強さのバランスが妙にバラバラなのもおかしな印象を受けたか。
カンミンが冒頭では“最強ぶり”を存分に見せつけてくれたのに(まぁ彼が自在に操る“双鉄球”はシロ〜ト眼に眺めても、随分と軽そう&柔らかそうに思えて仕方なかったが(=^_^=))、4人の中ではどうやら最弱だったようだ。。
で、一番なよっちぃ感じのウーファンがしたたかに強かったり、本気を出せば最強な筈のクンルンは、どうにも常に怒りが煮え切らず見事にやられたりする。
かと思いきや、花鎧をまとい「単騎」で(!)鉄壁の王宮に攻め込んで来るカンミンは、この時ばかりはムチャクチャ強かったし・・(それとなく分析すると「花鎧を着用、かつ兜のマスク(≒黄金仮面)を下げて顔を完全に覆った」時のカンミンは“常に無敗状態”だったようだ)

5人のメインキャラの誰もが「愛」に迷い「運命」に弄ばれた物語・・って印象の本作。
実際の“主役”とは・・彼らを“完全なる道化”に仕立て上げた「花鎧」であり「黒マント」であったのかも知れない。

本作のストーリーをなぞると、つい誰もが連想するであろうは・・菊池寛の佳作短編『形』だろうかな。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/4306_19830.html

↑こちらに「青空文庫」に収録の同作があります。無断リンク済みません。

確かに「花鎧」なるアイテムには、観客の記憶に焼き付くような華やかさ&鮮烈さがあった。それに引き換えると「黒マント」の方は何とも存在がくすんでるし、それを着用してるクイランの地味&低吸引力なキャラと共に「イマイチ物語性を感じさせぬ凡アイテム」な感が拭えなかったような(×_×)
アレよか、公爵のお気に入りアイテム=指差し棒(not嘔吐棒)の方がよっぽど“曰くありげ”に思えたぞ(=^_^=)

なお、この記事を書くにあたりネットで色々調べてると、昨夏にセシリアとニコラスがおめでたくも結婚してる事実を知った。ふ〜ん・・って感じかな(・ω・)

追記:オレがクンルンだったら「故郷に帰ります」とか言って立ち去るように思わせつつ・・夜には別荘の周辺に戻り「真田&セシリアの濃厚な一夜」を完徹ピ〜ピングしたかも知れないなぁ。・・まぁ、減るもんじゃなし(おいっ!)

〜 こんなセリフもありました 〜

※※「まことの時の速さは眼に見えぬもの・・そう、いつの間にか誰かを愛しているように」

クンルン「あなたは偉大なる将軍、奴隷である私などに背を向けないで下さい」

カンミン「死は思ったほど怖くはない」

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2007年8月 1日 (水)

☆『ダニー・ザ・ドッグ(2004)』☆

映画メモが溜まってるもんで、次々に切って行きたい・・が(コレなかなかに・・)。。

12日(木曜)の夜。地上波初放送された映画『ダニー・ザ・ドッグ』を観た(not『ワグ・ザ・ドッグ(1997)』)。
“御大”リュック・ベッソンの脚本による「幼い頃から冷酷な殺し屋として育てられた青年が、盲目の老ピアニストとその養女に出会い、次第に人間としての感情(≒家族愛)に目覚めてゆくヒューマンドラマ」ちぅ物語。
そこに、育ての父親(とその一味)を相手にした格闘アクションあり、ピアニストの娘さんとの恋愛模様あり(それって年齢差どうよ・・)、主人公の母親の死を巡る過去ネタあり・・と色々詰め込んでくれてはいるものの、基本路線は“いつものベッソン節(=かなりB級寄り)”と言い切って良いだろう(=^_^=)

でも、コレがテイストとしては「決して悪くなかった」んで、もうちょい演出面に磨きをかけつつ、是非「ベッソン自身」に監督して欲しかった作品である(←彼の双肩に更なる責任を負わせる意味でも)。

ダニー・ボーイと呼ばれる、“首輪”を着けられた孤独な殺し屋を好演してくれたのが“中国武道界の至宝(・・と今でも言われてるのかな?)”たるジェット・リー。
己が肉体を武器に闘い、ただ眼の前の相手を倒す・・それだけのために生きている“闘犬状態”の青年が音楽(ピアノ)を通じ“ココロ”を取り戻してゆく過程はなかなかにイイ!
「無表情から、やがてぎごちない笑顔へ・・」って流れ(変化)の演技をさせたら、ジェット・リーと言う男・・モノ凄い潜在演技力を発揮するのである!(←褒め言葉です、ホントに)
願わくば、本作のような“ナイーブさを含んだ新鮮なキャラクター像”をハリウッドデビューの折(具体的には1998年ごろ)に見せて貰いたかったモノだ・・(・ω・)
なんかね〜、やっぱりちょっとヒロインとのつり合わなさが感じられたもんで。。

リーは本作に対し「テーマは「反暴力」なんだ」とコメントを寄せてたが、その“反暴力(≒非暴力)”の象徴然として描かれるのが、盲目のピアノ調律師=サムを演じたモーガン・フリーマン。
育てのボス=バート役を演じたボブ・ホスキンス(←かつてはボクらのヒーロー“スーパーマリオ”を好演(1993)してくれたのに・・(×_×))とは、最期まで接点がないんじゃないの? と思わせてくれるほどに無垢で純真なキャラクターを(ほぼ)貫徹してくれてた。

私的に気に入ったのは、リーを中心に「究極の善のキャラ」と「究極の悪のキャラ」が、それぞれに(今日まで蓄積させて来た)人生観を彼の両耳に吹き込む流れだろうか。
何となく『プラトーン(1986)』を連想したりも・・(・ω・)

上質なドラマに仕上がってた“静”のシーンに比べ、妙にチープさの目立ったのが“動”のシーンとも言うべきアクションの数々(ユエン・ウーピンが武術指導してんのに(・ω・))。リーが余りに強過ぎるため(=^_^=)、閉鎖的な空間で複数の相手が(ときに武器を手にし)挑みかかったり、リー自身が「良心」に目覚めたが故、戦いにやけに苦心したり・・と「如何にリーの強さを常人レベルまで下げるか」ばかりに工夫して脚本を仕上げてるようにも見えた。
終盤など、バートが「いよいよ、お前の出番だな」とか言いながら、メチャ強いヤツ(白人格闘家)をリーに差し向けて来るんだが・・どうしても「って言うかお前、誰やねん!」とツッコミが出てしまう。
“最強の敵”を登場させるならさせるで、そこまでの組み立て(やフリ)をちゃんとやっておいて欲しかったぞ。

ほか、バートファミリー(リー含む)の乗ったクルマがいきなり襲撃されズタズタボコボコになる場面があるが、傍目にはどう見ても「完全にバート、殺されてるやん」としか思えなかったな。
どうやって、あの有り様で生命が助かったんか・・も(詳しく解説されず)良く分かんない。まるで『ダークマン(1989)』のラストで激突&爆発&炎上して、肉体がほぼ完全に粉々になった・・と思わせしめた敵ボスが『ダークマン2(1994)』の冒頭でピンピンした状態で復活して来るムチャクチャさにも通じるもんがあった(・ω・)

ま、アクションを総括すると「つまんなかった」んだが・・唯一、アパートのトイレ(?)ちぅ「やたら狭い空間」でドカバキと「超接近」して殴り合うリーと“最強敵”のシーンは、流石に少しだけ“白熱モノ”だった。
そういや『ターミネーター3(2003)』でも、(後半の)肉弾バトルのロケーション(の1ツ)がトイレだったりしたが、この当時「トイレ内で格闘」ってのが、アクション映画の“流行り”だったんやろか(⌒〜⌒ι)

なお、全然本作とは関係ないんだが・・主人公の“変化”と言う部分で酷似してる気のする『リベリオン(2002)』をも一度“でっかい画面”で観てみたくなってしまった(=^_^=)
あれは実に面白かったっスよ〜☆ ←おい、別作品をホメてオチにすんなよ!

〜 こんなセリフもありました 〜

サム「ピアノはでかいが頑丈じゃない、乱暴したらたちまち壊れる・・そこは人間と同じさ」
  「音楽は内から溢れ出るものだ」
  「お前さんの中にエネルギーが流れ出すと・・奇跡が起こるって訳さ」
  「自己発見から少年は一人前になる」
  「一度出たらもうここへ戻れないと思ってるんじゃないのか?
   そんなことはない・・ちゃんと戻れるさ」
  「食べ物は語る、それを教わるためには言葉を覚える必要があるがね。
   例えばこうだ・・このメロンは私にこう言ってる・・熟してるよ、とね。
   つまり食材は語りかける、それを舌で聞くんだ」
  「君はもうパートナーだから・・報酬はきちんと山分けさ」
  「手伝いは要らない、自分だけで、と言う人間もいるのだ」

バート「過去は後ろへ追いやるもんだ。前を、未来を見ろ!」
   「ウソも愛ゆえだ。家族は、良くもめるもんだ、それが却って絆を強めるんだ」

※ボブ・ホスキンス、『スターリングラード(2000)』辺りから“悪役俳優”路線が加速して来たんやろか(×_×)

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