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2007年8月28日 (火)

☆『蝉しぐれ(2005)』☆

26日(日曜)。「日曜洋画劇場・40周年記念」とし、地上波初放送された『蝉しぐれ』を観た。亡くなられて以後“国民的作家”たる地位をますます高めてる感のある(・ω・)藤沢周平氏の作品の中でも「最高傑作」とうたわれている(らしい)原作小説。
それが映像化されたってことで「更に最強最大の時代劇が完成したんやろな〜」・・と期待してたんだが・・コレが泣くにも泣けず、どうにも肩すかしを食らってしまった印象だった(・ω・)

時は江戸の世。現在の山形県に位置する架空の藩、海坂(うなさか)藩は殿(=藩主)の世継ぎ問題に大きく揺れていた。そんな中、渦中に巻き込まれた下級武士・牧助左衛門(緒形拳)は監察に捕らえられ、程なく切腹を仰せつかることに。
「お家断絶」こそ免れたものの、その後の助左衛門の(義理の)息子・文四郎(市川染五郎)の人生は“謀反人の倅(せがれ)”という陽の当たらぬ、苦労の日々となった。

幼馴染みの小柳ふく(福:後に木村佳乃)との突然の別離、学問のため江戸へ発った友人、島崎与之助(後に今田耕司)との再会、道場仲間の小和田逸平(後にふかわりょう)との変わらぬ友情・・などを経て、いよいよ文四郎にも「家禄回復」が言い渡される。
が、その裏には、文四郎を使って新たな「派閥争い」を治めようとする、悪徳家老の陰謀が渦巻いていたのであった。そしてその中心に存在する女性こそ、幼き日に別れたふくであることを知り、文四郎の心は乱れ始めるのであった・・みたいな展開。

まずは、物語の“骨格”が折角エエのに、“肉付け”が良くなくて失敗してしまってる気がした。原作は未読なので、何処まで忠実に再現されているものかは分からないが・・

■助左衛門に対する妻・登世(原田美枝子)の心情が殆ど伝わって来ない。亭主が腹を切っても、泣かないし、拝みもしてなかったようだ。愛情が冷え切ってたんやろか? などとつい考えてしまう。「夫婦愛こそ、藤沢文学のキモや!」と(これまで)信じ、疑わなかったワタシには軽いショックですらあった。
■父の遺体を引き取り、陽炎(かげろう)漂う夏の陽照りの下、大八車に乗せて連れ帰る文四郎。坂道となった林道(峠道?)で、思いがけぬドラマの起こるのが・・本作随一のハイライトシーンなんだが・・あそこで駆け付けるのは「かの悪友」でこそであるべきなんじゃ? と思った。あの「肝心の場」で馳せ参じず、何が親友やねん、とかね。
※この大八車のシーン、不謹慎ながら『インデペンデンス・デイ(1996)』の中盤、砂漠地帯で※※※を引きずって歩くウィル・スミス(ヒラー大尉役)の姿を連想してしまった(⌒〜⌒ι) いきなしキレて「・・大体、てめぇは臭ぇんだよ!」とか叫びながらご遺体を蹴り始めると・・怖い。。
■全体的に違和感のあったのは、登場人物が(確か)誰1人として“海坂弁(庄内弁)”を喋らなかったことだろうか。ま、監督が山田洋次じゃなかったんで、そこまでこだわる気にもならんかったんかも知れないが・・私的には残念至極。
■大滝秀治。前半こそモノ凄くキャラが立ってて「おお! 鬼の船村(←作品が違!)、未だ健在ナリ!」と喜んだモノだったが・・その後いずこかへ(・ω・) こんではまるで『明日の記憶(2005)』の“ハッスル爺さま”ではねべが・・
■後半の見所が「2人vs数10人」の“欅(けやき)御殿”内での激闘なんだが・・何だか悲壮感&緊迫感が足りず、見せ方に失敗してた気がした。弓矢とか鉄砲を使うヤツが1人もおらへんかったのも・・どうやろなぁ?
■犬飼兵馬、なる秘剣の使い手が文四郎の前に現れるんだが、どう言う剣術なのかも、どうやってその剣を破ったのかも分からんかった。そこはもう、原作を読むしかないんかのぅ(・ω・)
■『隠し剣/鬼の爪(2004)』を観た時も感じたんだが、映像化された“海坂モノ”を観て行くに・・どうにも海坂藩の印象をどんどん悪くして行く自身に気付く。藩の上層部がかなり非情で、腐り切ってるように思えて仕方ないんだが、その辺は「海坂モノ」を楽しむ上で「多少は目を瞑(つぶ)る」しかないんやろか・・?
■如何にも「お前、実は黒幕やろ!」と思わせてくれた(=^_^=)柄本明(礒谷某役)の傍らに控えるは・・怪優・田中要次!!(=^_^=) 兄貴も大忙しっすね〜(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

逸平「感傷に溺れてちゃ、何事も成就せんぞ」
  「振り返ればそう言うもんだ・・人間は後悔するように出来ておる」
  「死ぬときは、一緒だ」

助左衛門「何事が起きたのか・・それはいずれ分かろう。だがわしは恥ずべきことをした訳ではない。
     私欲のためでなく、義のためにやったことだ。この父を恥じてはならん」

文四郎「お黙り召されい! どうやらご家老には、死に行く者の気持ちが推し量れぬものらしい」
   「忘れようと・・忘れ果てようとしても、忘れられるものではございません」←良いセリフなんだけど、、“※※※のシーン”を指してのセリフでなかったのが残念(×_×)

ふく「今日のわたくしは・・ふくです」←木村嬢、終盤でようやく登場ですな(・ω・)

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コメント

 私も観ておりました。
封切期に劇場で鑑賞し、例の日照りの峠道での大八車のシーンで大泣きしたことも記憶に新しいです。

月曜も(夜型ではないので早く寝なければ、と思いつつ)結局最後まで観てしまいました。で、同じように大泣きしてしまったわけですが、私としては心に残る作品だっただけに貴記事を読ませて頂いて「そうか、そういう見方もあるのだなぁ」と一気に二度読みさせて頂きました。
 確かに・・・峠道シーンで何故友人たちは来なかったのか、とか、助左衛門の妻の余りの淡々とした態度などへのご見解は凄くもっともなことだと感じました。
欅御殿での激闘シーンも、“死闘”を思わせるまでのものではなかったかも・・・。

けれど、私はラストの「私の子が文四郎さまの御子で、文四郎さまの御子が私の子で・・・そういう道は、なかったのでございましょうか・・・。」というふくの言葉と、文四郎が言う「ふく」の言葉を聞くために、やっぱり最後まで観てしまいました。
だから、やっぱり良かったなぁと思っている私なのですが・・・。(^-^)

けれど、(もしご覧になっていたら)TiM3さんがきっとブログに書いて下さると思って楽しみにしておりました。(先ず自分で書けよ!って言われそうですが・・・(^^ゞ)

投稿: ぺろんぱ | 2007年8月28日 (火) 12時49分

ぺろんぱさん、ばんはです。

残業2hコース突入後間もなく・・とんずらしました(=^_^=)
惰性で残っててもしゃぁないですしねぇ。。

>確かに・・・峠道シーンで何故友人たちは来なかったのか、とか、
>助左衛門の妻の余りの淡々とした態度などへのご見解は凄くもっともなことだと感じました。

1)ネットで(昨夜)粗筋を辿った限り、友人の1人は江戸に発っていたため「たち」ではなかったようです。
2)登世さんの件はTV放送にあたってばっさりカットされたんかなと解釈してました(でなきゃ原田さんを起用する理由もないと感じた)。

何にしても「脚本を原石(原案)のまま(磨かず)映像化した」ような印象が強かったです。原作小説には極めて忠実だったのかも知れませんが、映像化するなら、もっと「削る/盛る」の両面でプロなりの演出力を発揮して欲しかったです。

映像として物語世界が動き出した以上「原作で描かれてなかった部分なので割愛しました」では余りにシロウト過ぎると思います。

>欅御殿での激闘シーンも、“死闘”を思わせるまでのものではなかったかも・・・。

駆け付けた友人が「所帯持ち」だったんですね。それにしては、何の“含み”すらも脚色上になくて「ダメだこりゃ・・」と思いました。

いや・・そもそも、冒頭の川(?)の場面で、いきなり※※が現れ、ふくを咬んだ時点でちょっと白けたんですよね。余りに唐突過ぎて(・ω・) 何かコントみたいでした。

>私はラストの「私の子が文四郎さまの御子で、文四郎さまの御子
>が私の子で・・・そういう道は、なかったのでございましょうか・・・。」
>というふくの言葉と、文四郎が言う「ふく」の言葉を聞くために、やっぱり最後まで観てしまいました。

あの2人の演技、そしてそれまでにさんざ積み上げられて来た物語世界の重みをすくい上げること・・が出来たが故の感情移入⇒感動なのでしょうね。

・・ワタシはどうにもダメでした(×_×)

・『隠し剣/鬼の爪』観賞後にこの緒形拳を観てしまったこと
・『たけしの座頭市』観賞後にこの柄本明を観てしまったこと
などが敗因だったのかも知れません(=^_^=)

逆に、本作を観たからこそ『たそがれ清兵衛』はスゴいな! と評価が改めて上がりましたね。特に「死闘に挑む者の心境の変化の描き方」がすこぶる良かったのです。

投稿: TiM3(管理人) | 2007年8月28日 (火) 21時09分

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