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2007年8月16日 (木)

☆『アヴァロン/Avalon(2001)』☆

11日(土曜)の深夜・・日付は既に12日(日曜)と変わってしまった頃に鑑賞。
衛星第2で連夜(5日〜12日)、特集の組まれてた「アニメギガ・スペシャル/とことん!押井守」の最終夜を飾った作品の1つであった。んで、公開当時に見逃してしまった作品でもあり、それなりに期待しつつ観た。

近未来、仮想戦闘ゲーム“アヴァロン(not三河車)”に興じる人々を軸に、「退廃的な未来社会」や「現実と仮想世界のすき間に迷い込む女主人公アッシュの運命」を描いたSF。
本作を録画してた家人がさっき観終えたようで、想定範囲内の感想(=^_^=)「全く内容が理解出来なかった・・」と文句を言っていたが、確かに本作を観るに当たっては
「まず、押井守監督作品であることが理解出来ている」
「ストーリーの(起承転結と言った)把握より、その世界観に浸ることを目的と出来る」
・・そんな姿勢が必要不可欠ではないかな、と。

私的には押井監督の実写作品ってモノに殆ど縁がなかったので、それだけでも珍しい感じで楽しめた☆

が「舞台がポーランドであること(オールロケ敢行らしい!)」や「独特のセピア映像で作品の大半が綴られていること」などの“目立つ要素”を取り除いて行くと・・何となくデヴィッド・クローネンバーグ監督の『イグジステンズ(1999)』と殆どおんなじことを言いたかったのかも、と結論が出てしまった。
まぁ言うなれば「現実と夢(≒ヴァーチャル)の混沌」みたいなトコロだろうか。

アクションがスタイリッシュか? とかスゴいか? と言えばそうでもないし、「全カットにCG処理が施された」と言う映像にも、何故だか「深さ」でなく「薄さ」が露呈してしまってたように感じた。
ま、それすらも押井監督の狙いだったのかも知れないが・・

主人公アッシュを演じた女性が「ボブヘアーがトレードマーク」「煙草も吸えば、銃も撃つ」って感じで・・どうにもリュック・ベッソン監督にも通じる「ヒロインの理想像(・・或いは趣味)」を持ってるんかな〜と邪推してしまう。「ミラ・ジョヴォヴィッチ版」「ナタリー・ポートマン版」も是非観てみたいもんだ(⌒〜⌒ι)

後半など、もっと展開が悪ノリ(?)してて、「目を覚ます(?)」と「監禁(拘束?)されてた」アッシュが「近くの窓を開けたら⇒レンガ壁で塞がれている」或いは「とある殺害任務(?)を受け、ドレス姿で拳銃を手に歩き回る」・・って演出はどう考えても『ニキータ(1990)』じゃねぇのか?! とつい突っ込んでしまいたくなる訳で。

まぁ「戦車など、兵器&銃器の描写にはスキがない」「あくまでヒロイン中心に世界を構築させてる」「“イノセンス”な犬が登場する」「“ゴースト”なる概念が本作でも重要なネタとなってる」などなど、「押井センセイ・・たぶん撮影しながら、毎日興奮しまくってたんやろな〜・・」などと観てるこちらまでが微笑ましく思えて来る(=^_^=)

ただ、終盤で「セピア世界」が劇的な変貌を遂げるトコロがあるんだが、ちょっと「近未来とは思えぬ世界の描写(←ほんの一瞬ながら「赤いレガシィワゴン(BF)」の映るのが面白い☆)」やら「意外に※※※映像だと表情(容貌)の冴えないヒロインさん」やらに残念な感が禁じ得なかった。

また、本作は「性的な要素」が一切カットされてた代わりに、妙に「登場人物の食事するシーン」が多かった。「何だこりゃ、小津安二郎監督映画へのオマージュかいな・・」と小ツッコミしてしまったものだ(・ω・)

それと・・この『アヴァロン』だが、タイトルからも(分かる人は)分かるように「アーサー王伝説」が下敷きとなっている。なので、その辺り「ポーランドよりも、アイルランドやウェールズをロケ地にした方が辻褄はあってたんでは?」とシロ〜トなりにふと思ったモノである。

〜 こんなセリフもありますた 〜

ビショップ「本物の肉に野菜・・君の犬は幸せだな」
     「ゲームはワタシにとって・・“手段”ではなく“目的”なのだ」

ゲームマスター「良きGM(ゲームマスター)は、ゲームそのものには関わらぬものだ」

※※※※※「世界とは“思い込み”に過ぎない・・ここが“現実”だとして、それに一体何の不都合がある?」
     「いいか・・事象に惑わされるな」

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コメント

本編終了後、再び押井監督によるトーク映像が少し挿入された。
その中で印象に残ったのは以下の言葉たちだろうか。

『日本では撮る気の起こらなかったSF』

私的には、本作を観てて連想したのは雨宮慶太監督による実写SF作品『ゼイラム(1991)』でもあった。

・女闘士が主人公
・仮想空間の街が舞台となる
・登場人物が極めて少ない

と言う共通点を持つ佳作である。

日本で撮ったとしたら・・かなり似た「絵作り」にはなったんやろうな〜と妄想した次第だ。

『様々な誤解に耐え得る映画がいい映画』
『監督の国籍と作品の国籍は無関係』

私的には「“誤解すら味方に付けるほどのパワー”を有するのがいい映画」であると思ったりする(・ω・)
極端、公開当時に全く評判にならずとも、その作品を観て育った人間が・・後に映像作家として大成し、
その彼をして「若い頃に観た、この作品が今のワタシの原点だ」などと言わせしめたら・・良いわけだから。

また「外国人監督が、他国の観客を納得させるだけの(その国籍の)映画を作る」ためには・・「思想・文化・嗜好のようなもの」を

A)調べ上げ、肉薄したものにする
B)極力触れないようにする
C)勝手な解釈で強引に描く

・・のいずれかを選ばねばならないのでは、と思っている。

クリント・イーストウッド監督やエドワード・ズウィック監督の近年の作品では、かなり A) を実現させんと意気込み、また苦労したさまを思い浮かべた。
尤も、殆どの外国人監督は、いまだ C) の域を脱していないようにも感じられるが。。

『全カットにデジタル修正を施し、光学的に非常にアンバランスな“絵”で仕上げている』
『俳優さんに“瞬き”しないよう徹底させた』

この辺りは解説など敢えてせず、観客自身に気付かせるぐらいの「オーバーさ」で描いても良かったかも知れない。

『デジタルとはツール(道具)ではなくテーブル(環境)と考えている、何をそこに乗せるのかが問われる』

その通りである。が、無論のことながら「果たしてそのテーブルを選択する必然性がそもそもあったのか?」「誰がそのテーブルに乗せて行くのか、と言う“仕掛人自身の魅力”も同時に問われるのではないか?」なんてなことも気になるし、
ひいては“興行的な成功如何”に大きく関係するのだろう。

投稿: 管理人(TiM3) | 2007年8月18日 (土) 00時31分

続けて、押井監督による『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊(1995)』の続編とも言うべき長編アニメーション映画『イノセンス(2004)』の放送が始まったため、観始めたが・・
結局、襲い来る睡魔には勝てず・・序盤の30分程度を観ただけで寝てしまった・・(・ω・)

今回は前作の主人公(草薙素子隊長)の失踪後、別な事件の捜査に当たる『公安9課』のメンバーら(バトーを始めとする)の活躍が描かれるのだが・・『公安9課』そのものが何とも「枯れた集団」っぽく描かれてしまっており、著しく「ポリスアクションとしての(躍動的な)要素」に欠いてしまってた感があった。

かつ「牽引力」を発揮し、物語をグイグイ引っ張って行く(少なくとも引っ張って行こうとする)だけのパワーや魅力に満ちたキャラがどうにも見つからず・・観ててダレてしまった今回の鑑賞だったりもした(×_×)

音楽面にも前作ほどの凄まじい衝撃は受けなかったし、CGのレベルも前作を観たあとでは「そんなに飛躍的にパワーアップしたとも言えないんでは?」とどうもひねくれた見方をしてしまう。

キャラクター自体は未だに「セル画」で仕上げられ、フルCGの背景に合成されてるんだが・・「もはやセル画ではまずいんでは?」
と正直、違和感を禁じ得なかった。

「義体(サイボーグ)」も妙にその造形がリアルになり過ぎて、不気味だった(・ω・)
何だか人形作家・四谷シモン氏の作品群を眺めてるような妖しさである。。

が、改めてアニメーションの最大の特長を再認識出来たのは、ある意味収穫と言えた。

それは・・

「カメラワーク&長回し」が自由自在であること

・・これに尽きる。

投稿: 管理人(TiM3) | 2007年8月18日 (土) 00時50分

関西学院大学院・奥野卓司教授によるインタビュー記事を(新聞を切ってて)目にした。

同教授によれば
「キャラクターを簡略化し平坦に描く一方、背景を子細に表現する」と言うのは『浮世絵的手法』と呼ばれる(江戸期からの)表現方法らしい。

つまりは「人物=旧来のセル画」+「背景=美麗CG」の組み合せこそが、我々日本人が昔から(DNA的に)慣れ親しんで来た、本来あるべき絵画の姿なのかも知れん、てことも考え得る訳なようだ。

私的には、どっか納得出来ないんだけどね(=^_^=)

投稿: 管理人(TiM3) | 2007年8月19日 (日) 10時04分

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