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2007年6月27日 (水)

☆『300』☆

残業もそこそこに、逃げるかのように(=^_^=)会社を後にする。今日ってば、そもそもから(?)「映画でも観て帰るどゴラァ!」(←ナニ怒っとんねんな) と考えてたのもあり、足は一路ミナミ方面へと向かうのだった。
上映開始時間(←やや遅めであること)を加味し、観ることにしたのは“ヴァイオレンス&スペクタクル・ヴィジュアル・アクション・ムービー(←X−レイ・ヴァイオレンスではない(=^_^=))”って感じの“暴力歴史絵巻”たる『300(スリーハンドレッド)』である。

紀元前480年。一方を大海、もう一方を断崖(山岳?)に囲まれた“関門(ホット・ゲート)”なる地を舞台に、スパルタ王=レオニダス(ジェラルド・バトラー)率いる300人の重装兵らと、世界の覇権を握らんと目論む“神王”クセルクセス(ロドリゴ・サントロ)率いる強大なペルシア軍100万人(!)が激突した「テルモピュライの戦い」を真贋のエピソードを織り交ぜ(?)描いた物語。
史実をネタとするも、世界観の基盤となってるのはフランク・ミラー(ヴィジュアルアーティスト)の描いた同名コミックである本作。どんな人物なのかは詳しくないが・・彼の手がけた作品(原作)は『デアデビル(2003)』『エレクトラ(2005)』『シン・シティ(2005)』・・となかなかにハリウッド映画とも浅からぬ縁があったりする。

んで本編。
まずは出て来る300人の野郎どもが実に筋肉モリモリ(≒筋骨隆々)で暑苦しくてスゴい! 大胸筋が盛り上がってるのは言うに及ばず、腹筋もしっかり「4つ」とか「6つ」とか「8つ」とか(←大抵偶数(=^_^=))に見事に割れてる!(←「2つで十分ですよ!」とか言ったりして(・ω・))
実際にトレーニングで鍛え上げたタマモノなのか、CG加工入ってるのか分かんないが、思わず「ナイスポーズで〜す☆」とか「兄貴・・もう駄目だ!」とか口走ってしまう諸兄も少なくないんじゃなかろうか(ないない)。

スパルタの壮大な歴史を、レオニダス王の半生をなぞるスタイルで描く序盤はなかなかにドラマチックで良い。戦士として生を受け、暴力の世界に身を投じ自らを鍛え上げてゆくスパルタ男児。彼らの辞書に「退却」とか「降伏」の文字はないのである(そもそも、時代的に辞書もなかったと思うが・・)。
あんなでっかい野生の狼が棲息しとるんか・・とか生物学的にも興味津々なお国であるが、きっと大胸筋も盛り上がってないワタシなんぞは、放り込まれて2日ぐらいで発狂するか殺されるかしてしまうんだろうな(×_×)

「勇猛果敢なボクら戦士」を統一イメージに採用(?)したスパルタ軍に対し、ペルシア軍ってばなんとも珍妙な顔ぶれだった。先頭には民兵中心のへなちょこ集団、次に“不死の軍団”と称される仮面の黒装束どもが現れるも、これがどうにも“忍者ルック”なのである(アジア系の兵卒が中心らしい、何やら背中に2本も刀さしてるし)。続けて「鎖に繋がれた巨人」「武装した巨大な犀(サイ)」「飾り立てた巨象」「爆弾を投げて来る呪術兵」なんかが次々と出て来るが、いずれもが単発的でスタミナ不足なヤツらなのが噴飯もの。そんだけ揃っとったら、もっと戦局を何とか出来るやろ! と突っ込めてしまう。
中でも戦闘中、クセルクセス王の怒りにより、敗走したペルシアの将軍らが、見せしめに“公開現地処刑”されちゃうんだが、この執行を請け負ってるヤツ(両手首から先がでっかい刃物になってる!)がメチャクチャ強そうであり「お前が闘えよ!」とついホンネを呟いてしまったものだ(=^_^=)

スパルタ兵は「兜」「楯」「槍」で身を固め(←総重量、むちゃくちゃありそう!)、突進するんだが、いかんせん突出した個性を醸し出すキャラがあんましいないのが残念だった。途中で番狂わせな展開により隊長の※※がアレになってしまうんだが(いわゆる『ブラック・レイン(1989)』におけるアンディ・ガルシア状態(×_×))、それをやってのけた敵兵が何の反撃も受けることなくとっとと走り去ってしまったようで、その辺りも観てて実にモヤモヤしてしまった。あの場では、地の果てまでも追いかけて完全に殺らんとあかんでしょ・・
場所やら戦術が微妙に変化するのはあるも、基本的には「ぶつかり系バトル」なのもあり、予想してたよりも“ちょっと冗長”に感じてしまった。首や手足が血しぶきに合わせバンバン飛べば良いってもんでもないのである(・ω・)

激戦のシーンと交互し、スパルタに残された妃(きさき)のドラマが並行して描かれるのも、ちょっとワタシの理想とする「緩急の構成」とは違う感じがしてもどかしかったかな。本作のようなスタイルの作品ならば、あないに女性の乳首を描写する必要もないのかなーとも思ったり。。まぁ、それはそれで嬉しいんですけどね(おいっ)

「お前、なんやねん!」って感じで、妙に激戦地の最前線をウロチョロしてた印象のあった(=^_^=)クセルクセス王。何がショックって・・ワタシのお気に入りのラテン系男優=ロドリゴ・サントロが“怪演”してたことだろうか(×_×) 頭ツルッパ+化粧+ほぼ裸体・・って怪し過ぎ! 『ラヴ・アクチュアリー(2003)』でのハンサム君が台無しでんがな。。
まるでジョン・レグイザモのファンが『スポーン(1997)』を観た時のような衝撃を受けますた(・ω・)

フランク・ミラー絡みの作品『シン・シティ』もそうなんだが、ヴィジュアル面でのスゴさばかりが一人歩き(?)してしまい、それ以外の部分がどうにもスッカスカに思えてしまったか。『シン〜』の場合だと、まだ個性派キャラが沢山揃えられてて楽しめた(イライジャ・ウッド、ベニチオ・デル・トロ、ニック・スタールなど)んだが、本作って2人の王以外、そんなにインパクトあるしともいなかったし。。象さん弱過ぎるし(滑るなよ、みたいな)。。

まぁ「もはや実写と見えずとも“史実(古戦)を描いた中世絵画そのままの映像世界”にたっぷり首まで浸かる」と言う見方&楽しみ方はアリだと思うんで、取りあえずはおススメしとこうかな。あ、でも、彼女とは行かない方がイイな。

〜 連想したシーンとか 〜

・冒頭、スパルタの子の誕生 ⇒ 『ライオン・キング(1994)』
・王に向け槍を投げる ⇒ 『北斗の拳』の聖帝サウザー&シュウ(懐かし・・)
・ラスト ⇒ 『英雄/HERO(2002)』
・「エフィアルテス」と言う特異キャラ ⇒ 『ロード・オヴ・ザ・リング(2001)』のゴラム(スメルゴア)

〜 こんなセリフもありました 〜

王「汗を流せ、戦場で血を流さずとも済むように」
 「例え使者の立場であろうと、発言には責任を取って貰う」
 「お前は我がスパルタの地を汚し、我が妃(きさき)を辱め、我が民を愚弄した」
 「我らスパルタの戦士に、優しさを持つ余裕などない」
 「我が兵は生業を持たず“戦士”こそがその天職。“戦士”の数でなら負けぬ」
 「今日は1人も死ぬなよ」
 「まずは、上々!」
 「我らを忘れるな」

使者「何と、スパルタの女は“戦士”に発言を」
お妃「その“戦士”を生むのは我々女」

お妃「王よ、その指戯の続きは唇でなさって」←うひょ(=^_^=)
  「例え骸(むくろ)となっても、ここへ戻って」

兵「この状況で、何を笑う?」
兵「ようやく“名誉の死”の叶う相手に出会えた。これが笑わずにいられるか」

兵「王よ、あなたのそばで死ねて本望だ」
王「お前と共に生きたことを誇りに思う」

追記1:最強とも思われたレオニダス王だが、どうやら自国の宰相ら(神官や託宣者、議員)にはアタマが上がらなかったようで(←尤もこれは“法への絶対的服従”なる当時の体制に“半ばウンザリしつつも遵っていた”訳であり、決して恐れていた訳ではない)。。「戦に出る」ことをカモフラージュするため「300人の護衛兵を連れ、北へ散歩に行く」みたいな軽いノリ(?)で政治家を欺き(?)戦地へ赴いた・・との展開。もし本気で戦士をかき集めてたら、1万人ぐらいはラクに揃えられたようである。(それだったら勝ててたかも・・)
追記2:ウィキペディアで確認してみると「ギリシア連合軍5,200人 対 ペルシア軍210,000人」とのことで、決して「300人 対 100万人」と言うのが真実と言う訳でもなさそうである。どっちにしても目撃したヤツはいない訳だが(・ω・)

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2007年6月24日 (日)

☆『あるスキャンダルの覚え書き』☆

23日(土曜)。大阪市内に繰り出し、思いつく中で最も“演技主体で、地味な作品”と思われた(=^_^=)映画『あるスキャンダルの覚え書き』を観て来た。
他にも「京都どすぇ〜!」とか「少数精鋭やで〜!」とか「イリュージョンですねや〜!」とか・・そう言うハデハデ系なモノをこそ観ときたい気持ちもあったが、まぁ敢えて「冒険」してみるのも悪くないかな、とか(=^_^=)
そういや、今回の劇場(2スクリーン)ってば入口から右に入れば『バベル』、左に入れば本作が上映されていた。ケイト・ブランシェット女史が両作品に君臨(?)してるんやね〜。なかなかに天晴れ☆

本作はジュディ・デンチ+ケイト・ブランシェット主演(←このお2人って『シッピング・ニュース(2001)』でも共演してたらしい(ケイトの出演は失念(・ω・))。絡むシーンはないそうだが・・(←確かケイトは序盤ですぐ退場したんでは・・?))の学園モノ(?)。表向きはヒューマンドラマの皮(?)をかぶりつつ、実は充分なホラーテイストを兼ね備えており、そこが意外と言えば意外だった。
そんな「意外さ」から連想した作品は『ピアニスト(2001)』『ケーブルガイ(1996)』あと『アメリカン・ビューティー(1999)』『運命の女(2002)』だろうか。何にしても鑑賞後、予想以上にどよどよ〜んとしてしまった1本ではある。

ロンドンの郊外。労働者階級の人々が中心となって暮らすその町に「セント・ジョージ校」はあった。来年にも定年退職を控える歴史の教師=バーバラ・コヴェット(ジュディ)は厳格であるが故、生徒からも同僚からも距離を置かれ、孤独な女性だった。
彼女の数少ない楽しみは「“ポーシャ”と言う名の猫を飼うこと(自身、劇中で「猫はオールドミスの必需品よ」と悪びれず言及している(・ω・))」と「他人に打ち明けられた秘密を日記に“告白”すること」であった。それまで親しくしていた同僚=ジェニファーが昨年同校を去り、公私共に“孤立”した存在のバーバラの前に、年若く“ミステリアス”な美術教師=シーバ・ハート(ケイト)が赴任して来る。

若く美しいシーバに秘かに魅了されるバーバラ。彼女を“妖精”と称し徐々に接近、その関係を深くしようと企てる。ある夜、美術室で彼女と(個別レッスンを受けていた15歳の学生)スティーヴン・コナリーの“秘め事”を目撃(ピーピング)してしまったバーバラ。彼女はシーバに、学校側には内密にすることを約し、早急にスティーヴンとの関係を清算するよう命じる。

それを機に、微妙に「力関係」の揺らぎ始める2人の女。そしてバーバラの日記の内容は更に濃厚なものへと変わって行く。
だが、彼女の思惑とは裏腹に、シーバとスティーヴンの関係はクリスマスシーズンを過ぎても尚、ずるずると続いていた。
「信じていた友情が裏切られたわ!」
そう確信したバーバラは“とある事件”をきっかけに、シーバの秘密を白日のもとに晒そうと決意する。
「噂を一度放てば、後はそれが自然に広がって行くだろう」・・その目論みは“自身に何の疑念の降りかかることもなく”功を奏する筈であったが・・そんな展開。

とにかく、想像とは違った流れだ。ロケ移動も殆どなく、作品世界的にもスケールのちっこい物語ではあるが「客観的に色んな人間の色んな(ドロドロした)心の内面を覗き見せる」と言う制作側の狙い(?)は成功していると思った。同時に「とことんまで突き進み、凝り固まった人間の主観って恐ろしいなぁ!」とも。
とあるモノローグ(独白)が全編を通じストーリーを紡いでるんだが、コレが実にクセモノなのである。序盤こそ「語られる通り」に物語世界をなぞるんだが、やがて途中で「このモノローグは“事実の湾曲”と“自己の正当化”に満ちている!」と気づかされる。

で、ここで「大国が滅亡、1人の歴史家の遺した日記が遺跡から発見された場合、もし彼が“虚構と狂気に満ちた”歴史を著していたら、真実はどう(正しく)後世に引き継がれてゆくんだろう?」などと妄想が広がってしまった。よしんば、その歴史家の言葉に嘘がなく、悪意を持っていなかったとしても「主観(と史実と)のズレ」は考えられ得る訳で。いやー、日記ってば実は「とってもタチの悪い記録物」でもあるンですねぇ。

もしこれを読まれている方の中に“過激な日記”を日夜したためておられる方がいるなら・・くれぐれも用心深く管理されることをアドバイスしておきたい。
「あの日記・・さらされたら、終わりや・・」と言うことのなきよう、祈念する次第である。(←ダウンタウン『ごっつええ感じ』的ネタ・・)

バーバラに関しては「何故、孤立してしまってるのか」と言うトコロに“理由”があるんだが、その辺が終盤(?)になってから明かされるので、そこは「ちょっとズルいなぁ〜」と感じた。観客に示しとくべき情報は、もう少し巧く“フリ”として演出面で盛り込んでおいて欲しかったように思った。ああ言う「今まで黙ってたけど、実はこんなことがあったんですよね」的なもんだと「あとからなんぼでも言える」訳だし(・ω・)

観ようによっては“悪漢ヒロインもの”とも解釈し得る本作。ジュディと同世代ぐらいの女性の方々はどうご覧になられることだろう??

〜 あるネタとかの覚え書き 〜

・入浴シーン。「おお、ボーナスやぁ!」と興奮しつつ(=^_^=)眺めたら・・足先からずい〜っとカメラが(バスタブに沿って)右に移動した先に映し出されたのは・・ジュディ!!(×_×)
・メディア陣がバーバラに投げる言葉がスゴい。。「ババアだ!」「ババアのお戻りだ!」 ・・せめて名前で呼んだれよ(・ω・)
・ラストに登場する「第三の女」。ヴィジュアル的に何だか(激しく)レベルダウンな感があるんスが。。
・ケイトの「ブルジョワ風(=^_^=)ダンス」が何かええ感じ☆ DVDソフト化の折はメイキング映像を(特典に)頼ム(=^_^=)
・几帳面な人間が、あないに部屋のあちこちに「金星シール」を落とすもんやろか。。
・バーバラさんに言っときたい。「手動式の安いのんでエエから、シュレッダーを買え」と。
・劇中で何度か映される「登場キャラの抱擁シーン」に注目されたい。「言葉」と「腕の動き」を見比べると面白いのだ。
・「忘れていた(男性からの)甘い囁き」が「女性の“性の炎”を再び燃え上がらせる」そうである(・ω・)
・本作でもシーバの携帯から「ノキア」な着信音が。
・本作、個人的にはタイトルがイマイチな感じ。『スキャンダラス』とか『スキャンダル(←ヨンさま主演の同名作品(2003)があったか・・)』とか『サバト/魔女たちの狂宴』とかってのはどうかな? 後者は流石にB級っぽいか(⌒〜⌒ι) 他に『女教師狂騒曲/日記で死にそ〜』とか。。(←またそのネタ(1991)かよ!)

〜 あるセリフとかの覚え書き 〜

ある日記『労働者の子らの将来は・・或いはテロリストかも』
    『上流の人々は、発言に無防備なもの』
    『裕福なお前に、私の抱える孤独の何が分かる』
    『私たちの人生は、似ている』
    『今こそがチャンス。彼女を“支配”し、永遠の“借り”をつくる』

バーバラ「真実の相手かどうかを見極めるには、時に勇気が要るものよ」
    「考えてないで、とにかく行動しなくては(Don't think! do! do! do! ←せわしな気に発音☆)」

リチャード「何が成り行きだ! 出来事は人間が起こすものだ! 自然には起こらん!」
     「年の離れた男には悪いヤツが多いもんだ」 ←アンタもな(・ω・)
     「確かに私はサエない夫だが、いつだって君の一番そばにいただろう?」

シーバ「なぜ快楽を味わってはいけないの?これまでの“真面目な人生”の積み重ねで“その権利”はあるハズ」
   「彼と関係を持っても、それが赦されるように思えた」

母「彼女は美しいから、これまで何とかやって来れたけど・・実力や才能が伴っていないわ」

スティーヴン「遊びがマジになったらヤバ過ぎる。俺じゃあんたの力にはなれない」 ←ガキ・・

※『誰も触らないこの躯・・バスの運転手の手がたまたま触れただけで、下腹部が熱く疼く』 ←ホンマか?!

※「相手が人妻でも、チャンスはあるさ」 ←アンタが言うな!

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2007年6月22日 (金)

☆『大日本人』☆

21日(木曜)。危うく“引っ張られてしまう”と、残業に落ち込みそうな雰囲気であったが「明日出来ることは明日回しじゃあ!」と自分の中で仕事に区切りを付け、梅田へと繰り出した。
ぼちぼち劇場で映画でも観とかなきゃな〜と考えてた訳だが、上映開始時間がちょうどイイ感じだったもんで『大日本人』を観た。いわゆる「松本人志 第1回監督作品」ってヤツである☆

ここ数年(以上)ぐらい、殆ど松本(或いはダウンタウン)の出てる番組なんかは観ておらず、彼のユーモアのセンスがどう変貌(深化?)を遂げてるのか・・興味津々なのはあった。
今となってははるか昔のハナシかも知れないが、ダウンタウンを軸に展開するコント番組(?)『ごっつええ感じ(1991〜97)』がメチャメチャ好きだったのである!
後年、松本自身がかの番組について「皆さん、お亡くなりになられましたね。少なくとも、僕の中では亡くなられてます」みたいなシニカルな私見を何処かで吐いていたそうだが、ワタシとしてもその後の彼の言動を離れた位置(?)から眺めるに「どっかで燃え尽きはったんかな〜」みたいな勝手な決め打ちをしてたトコロである。
今回も「監督とし映画業界に進出する」ってことで「とうとう“そっち方面”に足を踏み入れたか・・」と複雑な心境となった訳でもあった。

「松本が邦画界に君臨するか? 邦画界が松本を退けるか?」とまで思う心中で、観始めた次第である(・ω・)

これまでの歴史上、局地的に出没し、国内の平穏を脅かして来た“獣(じゅう)”と呼ばれる、巨大生物の存在があった。本来は国防を担った然るべき国家組織(自衛隊?)がその対処にあたるトコロかも知れないが、“その世界”においては「大日本人(だいにほんじん)」と呼ばれる神職(?)の一族が代々これを“退治する役目”を宿命的に背負っていた。
そして、当代で6代目となる、その“稼業”の第一人者が大佐藤(松本)である。
「防獣連絡所」の看板を一軒家(←東京都練馬区内らしい)の玄関に掲げ、日夜“日本の危機”に眼を光らせる彼であったが・・そんな流れ。

冒頭から大佐藤の日常に密着取材する形でカメラが回り、インタビュアーが(実に答えにくい(=^_^=))質問を浴びせかける。このテイストがまず面白い。移動する市バス内で唐突に始まるやり取り、

質問「あつい方がお好きですか?」
大佐藤「まぁ・・仕事柄、どうしてもそうなるね」

からして何だか良く分からず・・その不思議さ故、たちまち物語世界へ引き込まれてしまった(=^_^=) 防衛庁(?)の依頼を受け、平和のため戦うヒーロー・・と言うエッセンスのみを抜き出せば「この上なく美味しい役回り」であるハズなのに、実際には全然そうでなかったりする。ピーター・パーカー(=スパイダーマンに変身する青年)以上に「中途半端に大きな力を持たされ、中途半端に大きな責任を背負わされている」そんな印象だ(・ω・)

たわい無いセリフの中に「野良猫の“野良”の定義って?」とか「正義とは?」「命とは?」などの意外に“深い”問いが飛び交ったりもし、ふと背筋を伸ばしたくもなるんだが、確信犯的なモノなのか、登場人物の誰もが(それらに)大した持論(結論)を持っていない辺りも“脱力感”に溢れててイイ感じ。まるでインタビュアーの質問に対し、真剣に答えようとしていると言うより「単にカッコ付けて話し始めたのはイイが、すぐにボロが出て来てしまう」みたいな見苦しさがあったり。
監督(松本)本人は(『座頭市(2003)』における主演俳優・北野武のように)「笑いを狙って行かない」方向の性格付けに自身を固めて(抑えて)いる様子。彼本人より、インタビュアーの語り口や、関係者の「天然な答え」の方にこそ笑わされた。

特筆すべきは、まぁ・・CG特撮だろうか。妙にどのシーンも市民の気配がないんだが(=^_^=) 造形(怪獣の産毛の質感とか・・スゴい!)や映像(ビル群や看板など)は充分“合格レベル”と私的には納得☆
終盤で、とうとうCG制作費が尽きたか?(=^_^=) いきなり、映像的にも作品的にも大きなパワーダウンをするんだが(と言うか監督自身が撮影に飽き始めたような感もあった(=^_^=)) ラスト寸前で

【ここから先は実写でご覧下さい】

みたいな警告テロップがでっかく表示されるんだが・・そこからしばらくの展開は、正直ちょっと盛り下がってしまったなぁ、ワタシは。

ってことで、終盤で酷く失速しちゃったような気もしたが「作品の組立て&描き方」としてはかなり面白いと思うんで、そこいらのハリウッド作品に何となく浪費しちゃうよりは、自身の“ユーモアのセンス”を試してみる意味でもおススメしときたい、“是非!”(=^_^=)

ほか、こんなことに気づいたり
・冒頭の“とある演出”にメチャメチャびっくり。「怪獣が出るぞ出るぞ・・」と言う胸騒ぎの相乗効果か(=^_^=)
・登場する女性キャラ陣はみんなしたたか。コレって監督なりの「女性観」の現れだろうか?
・「乳首」と「お爺ちゃん」の取り上げられ方も独特。監督のコンプレックスだろうか?
・終盤はどう考えても円谷映画『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団(1975)』のテイストを意識してると見た! そういや「不細工で、とあるレベルを超える強さの怪獣に対し、1人では殆ど立ち向かえない」トコも(同作に登場するヒーロー)“ハヌマーン”に似てる気がする。
・「飛べない」「光線系を発射出来ない」主人公は“ヒーロー”のお約束(?)を著しく逸脱してるのかも(・ω・)
・全体的にどこか「気を遣って作りました」的な印象を受ける。資金面なんかでかなりバック(吉※興業)に不自由(路線修正とか)を強いられてるんだろうか。
・序盤で出て来た「もしかしたら焼くことになるかも」だの「焼きます!」だののセリフは何だったんやろ?(カットされたシーンがあるんやろか?)
・子役の顔にモザイクをかける邦画はこれまで観た中で初めてかも!(=^_^=)
・助演の板尾(創路)さん。流石に「水を得た魚」のように個性を放ってました(=^_^=) 素晴らしい!
・「将軍様のお国」のメディアがチラッと登場。もっと叩いたってヨシ。
・「80万円」を理想の月収に挙げる主人公。妙に「リアル」なんですよね。。

〜 こんなセリフも良かったです 〜

大「昔は・・4代目の頃は、使用人も沢山いたようでねぇ」
問「今は?」
大「4代目?」
問「いや、使用人」

大「“第弐”で化けます」
 「・・入りました」
 「獣(じゅう)は怪獣じゃない。怪しくはないから・・と言うか、何を怪しがるのか、と」

問「あれ、何て怪獣?」
大「知らないよ」

妻「愛情注いで育てた娘に、何で電流ながせますかって」

問「いやでも、スゴいことになって来ましたね。何がって? ※※を殺したでしょ?」

大「全然(僕の力は)関係ないじゃないですか」

※劇中では「ダイニホンジン」と発音されてたが、劇場内アナウンスでは「ダイニッポンジン」と・・どっちなんじゃい?!

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2007年6月20日 (水)

☆『ジャンケン娘(1955)』☆

18日(月曜)。何の気まぐれやら(=^_^=)、衛星第2ちゃんねるで放送されてた旧作邦画『ジャンケン娘』を観た。「3人娘」・・つまり美空ひばり&江利チエミ&雪村いづみ(←表記順はコレで良いのだらぅか?)・・の3人(←既にその内お2人までが他界されているとは(×_×))の“夢の共演”による“カラー(←当時のチラシには「イーストマンカラー/総天然色」と書かれてる)”の“ミュージカルコメディ作品”である。
そもそも「観よう!」と決めた動機は「京都&舞妓Haaaanがネタになってる!」と言う、その物語世界に興味が湧いた故であるが、実際に観てみたら・・あんまし「京都」が全般的に取り上げられてた訳でもなく(すぐ主人公らは東京に戻るし、途中で伊豆に移動したりするし)、その点で言うとややガッカリさせられてしまったモノだ。

が、昭和30年当時の「清水寺」や「龍安寺」、「鴨川べり」なんかがチラッとながらも拝めたのは至極眼福ではあった。特に「清水寺・仁王門」の朱色が妙に鮮やかだったのが印象的である(現在の仁王門は、その後、塗り直されたものだったかな?)。

ルリ(ひばり)と由美(チエミ)は高校3年生。修学旅行でやって来た京都で、雛菊(いづみ)と言う名の舞妓はんと知り合う。雛菊の片想いの青年である斎藤(山田真二)を探すため、一肌脱ぐ2人(←これは言葉のアヤであり、決してヌードになる訳ではない、念のため)。一方で、ルリの実の父である外交官・北島が、パリに発つ前に娘の晴れ姿を記憶にとどめておきたい・・と17年ぶりに(ルリの母である)お信に会いに来て申し出るのであった・・みたいな流れ。

「3人娘」は劇中キャラの年齢設定通り、当時18歳だったと言う。
本作の何がスゴいのかと言うと、売れっ子だった3人を「所属するプロダクションの壁を超え」共演させたトコロにある! らしい。
いづみさんが後年語るトコロでは「当時は3人とも日中は忙し過ぎたので、撮影期間を数週間に限定した上で、真夜中に集中的に撮った」とのことだ。

私的には「3人娘」の誰に対してもあんまし感情移入が出来ず、特にチエミさんに関しては「なんか太ってるし、見苦しくてちっとも可愛くないじゃんか!」とファンの耳に入ったら2〜3度は殺害されそうな失礼なことを考えてしまった次第だが・・「ラストで締めるトコロを締め、観客のお涙を頂戴しちゃう“優等生キャラ”を演じたひばり」よりも、その行動力&存在感で本作を牽引してたのは確かに彼女(チエミ)だったと確信した次第。
ふと連想したのは、近年のミュージカル映画『ドリームガールズ(2006)』で言うトコロの“貫禄系”女優=ジェニファー・ハドソンなのである!(そうなると、ひばりは差詰めビヨンセ・ノゥルズな訳やね)
別に美人でもないけど、主人公トリオを“1つ抜きん出て”引っ張って行く圧倒的な存在、そんな感じ。機会があればこの2作をぜひ観比べてみて欲しい(←ってその行為にどんな意味があるんだよ(=^_^=))

後は、今となっては「かなりぶっ飛んだ(←ティモシー・ダルトン風に言えば「ブーツ飛んだ」)感のある」キャラ名&セリフの珍妙さになかなか苦笑させられたか。
鴨川べりで映画(時代劇)の撮影班を見つけた男子生徒が「おおい、ロケーションだぞぅ!」と叫んだり、「あたしたち、フレンドになる」「じゃ、失敬!」「お茶屋でどんちゃん騒ぎ」「ご名答!」「ワンダフルだったわ!」などなど・・「何てノンキな言い草なんだい、君たちってば!」と突っ込んであげたくなるほどに愛おしい(=^_^=)
また、雛菊と由美たちの間を動き回る(?)ヒーロー役・斎藤の下の名前が「またべえ(又兵衛)」と言うのもかなりイカしてる☆ 自分で自分の名を説明する時に「また(又)のひょうえ(兵衛)と書いて又兵衛さ!」とか何とか言ってるし・・そんなんじゃこの21世紀では通用しませんて(・ω・)
日本劇場(いわゆる「日劇」)内で騒ぐ「3人娘」を後ろの座席のおっつぁんがたしなめる時のセリフ「おい、もうちょっと地味に話してくれよな!」ってのも、妙に耳に残ってしまった。

そんな感じで、全体的にはダラ〜ッとした鑑賞姿勢で眺めてた本作だが、中盤のミュージカルシーンでひばりが「ラ・ヴィ・アン・ローズ」と言う曲を歌うシーンで、全身に電撃が走ってしまった!
ムチャクチャ巧いのである! 私的には「みだれ髪」「川の流れのように」などを歌う晩年(?)のひばりの姿しかパッと思い浮かばないのだが、こんなにムードたっぷりに英歌詞をさらっと歌い切るのを観るにつけ、確かに「天才歌手」の呼び名を欲しいままにするだけのことはあるんやな〜・・と今更ながら(←遅いわい)感心してしまったのだった。

にしても、ひばりだけ“別行動”と言うシチュエーションが目立ってた感もあった本作。ワタシが邪推するに「スケジュールの問題」がクリア出来なかったんでは? ってトコなのだが、実際にはどうだったんだろう?

追記:後半、当時の「100万円」で、雛菊を置屋(=所属事務所みたいな存在)から“解放”しちゃう斎藤の行動が天晴れと言うかスゴかった。描き方こそ真っ当ぽくもあるが、ある意味「人身売買じゃん」とも思ってしまう訳で。。(いや、そもそもが人身売買的に連れて来られたのを救い出したと言うべきか・・)

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2007年6月19日 (火)

☆『スプラッシュ(1984)』☆

掲載が遅くなり恐縮至極。。13日(水曜)、衛星第2で放送された『スプラッシュ』を鑑賞した。
ロン・ハワード監督+トム・ハンクス主演のファンタジックコメディってことだが・・メチャメチャ“若造”かつ“痩せてる”トムの存在そのものが、今の眼で眺めたら「それだけで充分にコメディちっく」であり、観てるこっちが妙に気恥ずかしくなってしまったものだ(⌒〜⌒ι)

ニューヨーク港湾で兄フレディ(ジョン・キャンディ)と共に青果市場を営むアラン・バウアー(トム)。恋人ビクトリアと破局を迎えたパーティーの夜、何かの運命に導かれるかのように、彼は礼服のままコッド岬(ニューヨークから片道約480キロも離れてるらしい!!)へとタクシーを走らせる。そこは20年前、フェリー甲板から海中に転落した「当時8歳のアラン少年」が“人魚の少女”に出会った思い出の場所でもあった。
とある成り行きから、またもボートから海中へと転落するアラン。泳げない彼はたちまち意識を失い沈んでゆく・・がその時、またしても彼を救いに駆け付けて来た美女の姿があった。
それが、アラン青年と現代に現れた“人魚”マディソン(ダリル・ハンナ)の恋物語の始まりであった。

観るまでは「かったるいラブストーリーやってんじゃねぇよ!」と舐めてかかってたが、なかなかに吸引力のある作品だ。まずは、ダリル・ハンナの起用が素晴らしい! 近年でこそゴードン・リューとユマ・サーマンにそれぞれ片方ずつの※※を抜かれちゃうような、凄まじい役柄を演じたりもしてるが(2003)(2004)・・当時のダリルってば、メチャメチャ華があって可愛い! 思わず「ダリルHaaaanNa!!!」とか叫んじゃうってもんだ(←どんなヤツだ)。
同じ年齢の頃で比べたら、キャメロン・ディアスよりも輝いてたんじゃなかろうか。それに、惜しげもなく(背中からのショットながら)オールヌードを披露してくれる潔さも良い!

主要キャラが少ないし、それぞれに魅力が全然ないじゃん! と思ってたら・・意外と後半で印象の変わって来るしとがちらほら見受けられて少し感心させられた。
マディソンの正体を明かそうと企むコーンブルース博士。本作でのコメディアン的役回りを一手に引き受けてるようなおっつぁんである。ちょっとぐらい、最後に報われて欲しかった気もしたが・・まぁそう言うキャラなんだろう(・ω・)
単なる「ファット野郎」に思えたフレディの意外な一面も良い。女性に対する異常なまでの執着を言動にこびり付かせてる(=^_^=)かと思いきや・・実は“真面目くん”である彼の弟(アラン)の方が、よっぽど恋愛に対し“偏見”を持っていたことが分かる後半。
「なぜ(彼女に)偏見を持つ? 俺にはお前のような幸せは一度たりとなかったぞ!」と弟に躊躇いなく言い放つセリフにはグッと来てしまったぞなもし(・ω・)。

撮影&演出テクニック的にもなかなかスゴくて、
「水中撮影がやたら美麗(画面が暗くなってない!)」「ダリルの口&鼻から全然アワが出てない!(←彼女は連日の特訓で「無呼吸で2分間の撮影に耐える(それも笑顔キープ!)」「足に付けたヒレだけを動かしイッキに40mを泳ぐ」と言った超絶テクを体得、水中シーンに挑んだとか!)」「パーティーのシーンを盛り込み、大統領を登場させる(←なかなか盛大なシチュエーションだなと感心、なお本作における合衆国大統領は“カンザス出身”の設定)」「ニューヨーク市内でカーチェイスを展開!」「ヘリ空撮もそこそこ多用!」なんてことをやってくれてる。
普通、単なる(?)コメディにここまでカネかけまへんで・・って感じで、(当時まだ“若造”だったハズの)ハワード監督の才能&こだわりが早くも開花してるように感じた。
加えて、エンディングに突入するタイミングが素晴らしい! だらだら引っ張らず、本編から自然に切り替わって行くのだ。

本作はニューヨークが舞台ってことで、何となく(ニューヨークロケにこだわり自作を展開し続ける)ウッディ・アレン監督に対する意識もチラリと見られる。アランの留守中、彼のマンションを抜け出し街に繰り出したマディソン。服装に関する知識もなく、男物のスーツを着込んでデパートにやって来た彼女に女性店員が突っ込む「そのスタイルって、今どき『アニー・ホール』かぶれなの?」って言うセリフが面白かった。(因みに『アニー・ホール』はアレン監督が1977年に手がけた作品)
それに、単なるギャグではあるも(=^_^=)劇中で「スウェーデン語」がやり取りされるのも楽しかった(律儀に英語字幕が表示されるし)。

骨格が実にしっかり造られた本作、今後のリメイクにも充分に耐え得る“普遍性”もまたあり! とみた。映画化がムリでも、舞台化(浅利K太劇団さんなど)とか、色々とそのエッセンスを活用出来ないモノだろうかな。(ブエナビスタ製作なので、背後に“あの会社”が控えてて、すんなり許可が下りないのかも知れんが・・)

〜 こんなセリフもありました 〜

アラン「なぜ愛せない? この辺(←胸の辺りを指して)が壊れてるのかな?」
   「恋に堕ちるには、一瞬あれば足りる」
   「別にヤンキースのセンターを狙ってる訳じゃない」

コーンブルース「おい貴様、さっきから空気管をイスで踏んでるぞ!」←そりゃ海中で息苦しかろ(=^_^=)

フレディ「恋に完璧などないさ」

追記:全く情報不足なんだが『スプラッシュ2(1988)』なる“続編”が存在するらしい(・ω・) 観たくもあり、観たくもないよーな。。

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2007年6月14日 (木)

☆『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード(2003)』☆

10日(日曜)の夜。“地上波初登場”で放送されたものを観た。公開当時、劇場にも足を運んだ映画『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』である。
監督:ロバート・ロドリゲス+主演:アントニオ・バンデラスのタッグが『デスペラード(1995)』の続編とし再び実現(“エル・マリアッチ”シリーズの3作目となる)。バンデラスは同監督の『スパイキッズ(2001)』シリーズでも助演してるが、やっぱし“脇役”じゃあかんやろと思うもんで「待ってました!」って感はあったようだ・・その当時(=^_^=)
私的には、前作の時ってば「どんな作品なのかはっきり予測出来てなかった」ぶん、その衝撃度たるやスゴかったが(=^_^=)、本作はとにかくキャスティングの豪華さを前面に押し出してる感じだろうか。内容は随分とペラペラなんだが・・許せる。

にしても、ロドリゲスと彼の盟友=クエンティン・タランティーノ。よくもまぁ、互いに切磋琢磨しつつ(?)荒唐無稽なバイオレンス作を次々と放ち続けられるモノだな、と。きっと「君らの作品になら、脚本なんぞ読む前に出資してやるとも!」と豪語しちゃうような、かなりプッツン来てる成金野郎(出資者)が何人もいるとみた(⌒〜⌒ι)

伝説のガンマン=エル・マリアッチ(アントニオ・バンデラス)がクーデターの気運高まるメキシコに帰って来た! 最高の殺人者である彼を利用し、混沌の地を鎮圧しようと目論むのは、連邦捜査官でCIAエージェントでもあるシェルダン・ジェフリー・サンズ(ジョニー・デップ)。サンズがマリアッチに狙わせたのは、その仇敵でもあるマルケス将軍。だが、一帯(クリアカンなる地名)を牛耳る麻薬王=アマンド・バリョ(ウィレム・デフォー)がクーデターの裏で将軍を操っていたのだった。
カネの為なら何でもやるゴロツキのククイ(ダニー・トレホ)を雇い、マリアッチに将軍暗殺を急がせるサンズ。一方で彼は地元に暮す元FBI捜査官=ホルヘ・ラミレスを甘言で“復職”させ、バリョの副官的存在たるならず者=ビリー・チェンバーズ(ミッキー・ローク)への接触をも企むのだった。
表側でサンズは、メキシコ市警(?)の女性特別捜査官アヘドレス(エヴァ・メンデス)の動きも掌握しようとするが、そんなサンズの思惑を超え、ヒトクセもフタクセもある連中が、ヒトクセもフタクセもある行動をそれぞれに開始するのであった・・みたいな流れ。

シリーズが進むごとに制作費がガンガン上がって行く(=^_^=)“エル・マリアッチ”モノ。今回はとにかくバトルシーンでのエフェクトが派手派手でスゴかった。ザコの1匹に至るまで、決して地味には死んで行かない(=^_^=) もはや現実世界とは引力の概念が異なるパラレルワールド(?)と言うべきか、銃で撃たれただけのヤツが、まるで圧搾空気を全身に叩き付けられたかのようにポーンと吹っ飛んで行く(=^_^=) 後半では銃撃された衝撃でか(?)床面をズザーッと滑ってくザコもいたし。。
また、唐突にバイクの殺し屋軍団が出て来たりするトコは『007/ユア・アイズ・オンリー(1981)』や『死亡遊戯(1978)』も顔負けの豪華演出だ(=^_^=)
前作では「“死ぬためだけに呼び出された”悲し過ぎる奴ら」だったマリアッチの仲間(その時はカンパ&キーノ)にも、人間味溢れるロレンソ(エンリケ・イグレシアス)&フィデオなる新顔が! 因みにエンリケはフリオ・イグレシアス(歌手)のご子息。銃なんか使わずとも、視線だけで次々と女性を殺めて行きそうなエロさですわ(⌒〜⌒ι) まぁ、本作ではそんな風に人間味溢れるが故、仲間を襲う不幸までは描かれなかったんだけど・・私的にはちと物足りぬ気がした(・ω・) ←不謹慎ながら楽しみにしてたもんで。。

さて、今までに色んな映画で凶悪な悪党を眼にして来たが、本作のバリョと言う男は、その中でも上位にランキングされる凄まじさである。
※他には『リーサル・ウェポン2/炎の約束(1989)』や『ロボコップ(1987)』などの悪役どもがなかなかに凶悪(×_×)
とにかく、相手に対し「一番苦痛」となるやり方で処分して行く。徹底的なサディストかと思えば、自らマゾヒストみたいなこともやってるし。・・にしても後半のバリョ、ホンマにウィレム・デフォー本人が演じてたんやろか? もはや元の顔が判別不能やったぞ(×_×)
(何にせよ、とにかくバリョ邸に連れて行かれた時は“タダでは帰れん”ことを覚悟しといた方が良さそう・・)

ちょびっと気づいたことを幾つか。
・本作では描かれなかった「マリアッチの両袖口から銃が飛び出して来る」演出。観たかったよなぁ(・ω・)
・ヒロイン=カロリーナ(サルマ・ハエック)の描き方が巧い。現実の時間にはいないのに、とても存在感があるのだ。『ナイロビの蜂(2005)』のヒロインもそうだったが、編集(登場シーンの適所への断片的挿入)がしっかりしてると、こんな風にしっかり描けるんやな〜と感心。
・「絶頂期の殺し屋は、弾丸すら避けて行く!」と言うノリの良さを満喫。不自然? いや、それがアクション映画なのです(=^_^=)
・ロドリゲス監督、私生活でフラレ続けてるんやろか? とにかく女性キャラが死にまくり状態。ジョニー・デップが無抵抗な女給を躊躇いなく射殺しちゃうシーンは「スパロゥさまぁ〜☆」だのと黄色い声をあげてる女性ファンらの度肝を抜くこと間違いなし!(⌒〜⌒ι)(←後でそれなりの報いを受ける彼だけど・・)
・後半において「変わり種ギターケース品評会」の開幕でござ〜い(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

サンズ「俺は銃でこの国のバランスを保つ」
   「勝利の秘訣は・・試合に細工することさ」
   「(この銃で)あいつをブロードウェイに送ってやれ」

マリアッチ「コックを殺せば良いのか?」
サンズ「いや、コックは俺が殺す」

大統領の側近「主人を裏切るのは、これが初めてじゃない」

マリアッチ「練習しろ」
フィデオ「ギターをか? それとも銃?」
マリアッチ「どう思う?」

ラミレス「お前がビリーだな?」
ビリー「そう言うあんたが誰かによる」

部下「将軍、マリアッチが逃げたようです」
将軍「なら、お前も(俺から)逃げることだな」

バリョ「運の良いことに、お前のやったことは殺すには値しない」

マリアッチ「昔は悪党を下っ端から片付けたが、考えが変わった・・上から殺る」

フィデオ「装甲貫通弾って知ってるか?」
ロレンソ「ああ」
フィデオ「こいつはそれより強力だ」

カロリーナ「あなたの望みは?」
マリアッチ「・・自由だ」
カロリーナ「簡単ね」
マリアッチ「いや・・」

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2007年6月12日 (火)

☆『ニューオーリンズ・トライアル(2003)』☆

7日(木曜)。「木曜洋画劇場」で地上波初登場された“陪審員制度ネタ”の映画『ニューオーリンズ・トライアル』を観た。
来る2009年から我が国でも始まる「裁判員制度」に備えての“予習”みたいなトコが放送理由かな? と勝手に推測したんだが、制度にマトを絞っての作品ではなく、あくまで「軸」の1つに過ぎなかったような感があった。

そうそ、ニューオーリンズ(本作を観るまで「ニューオリンズ」と言ってたが・・)ってば、フランス系移民が「オルレアン」から命名した街の名だと言うことも改めて知った。(因みに「オルレアン」は聖女ジャンヌ・ダルクが解放した街として有名)

証券会社のオフィスビル。解雇された男=ケヴィン・ペルティエが銃を手に押し入り、11人を射殺後、自殺した。逆恨みによる凶行である。
・・2年後、この事件で愛する夫を失った女性=セレステが銃器メーカー(ビックスバーグ社)相手に訴訟を起こす。そして事件は、選任された12人による陪審員制度にて、その判決が委ねられる方向となる。
ビックス社側はやり手の陪審コンサルタント=ランキン・フィッチ(ジーン・ハックマン)を雇い、原告側は敏腕弁護士=ウェンドール・ローア(ダスティン・ホフマン)を立てる。原告側と被告側の双方により決められる12人の男女。その中には、陪審(員)召喚状を受け取り、不承不承ながらも陪審員(9号)に任命されることとなった、平凡な中年男=ニコラス・イースター(ジョン・キューザック)の姿もあった。

物語は「オーリンズ地裁」での原告側と被告側の「戦い」を表面に据えながら、その裏で秘密裏に進行する“ドロドロした陪審員操作(工作)”・・その中心となるニック(ニコラス)らの奮闘を描く。

うーん・・何だろう。「ネタ:銃器メーカー訴訟」や「演出:表裏を持たせたキャラ像」は素晴らしいんだが、ちょっと描き方が無難にまとまり、つまんなくなってしまった気がする。マイケル・ムーア氏に監修させ、トニー・スコットが監督(『エネミー・オブ・アメリカ(1998)』のノリで)したら、もう少しパンチの利いた作品に仕上がったのかも。。
陪審員の各キャラにさほど“重き”を置いてないため、(ニック以外の)11人が「キャラ立ち」してなくて惜しかった・・もうちっと陪審員ら同士による「重厚な人間ドラマ」を展開させて欲しかったような(・ω・) ←作品のテイストそのものが変質しちゃうかな?

ハックマンは、本作でも“極ワル親父”路線を嬉々として(?)突っ走ってくれてて好感度大(=^_^=) 流石に、年齢的な「へたり」が見られ、自らは暴力行為にまで手を染めないんだが(せいぜい、足元のバケツを怒りの余り蹴っ飛ばす程度・・)、それ故の「間抜けな部下の失態に苛立ちを押さえ切れぬ、老いつつも精神は現役続行中なオヤジ」って感じの難しい役柄(←彼にしたらお手のモノだろうけど(=^_^=))を自然に演じていた。
そんなハックマンに挑みかかるのは、謎の女=マーリー役のレイチェル・ワイズ。どうにも『ナイロビの蜂(2005)』での悲劇的ヒロイン像が強烈過ぎるんだが・・改めて「躍動的できれ〜な女優さんなんやな〜」と見とれてしまった(⌒〜⌒ι) あの不敵な眼差しがまずイイと思う。もし生活を共にしたら・・毎日が怖そ〜だけど(×_×)

中盤の某シーン、ハックマンとホフマン(←実に“初共演”らしい!)が2人だけの空間で対峙するシーンは、流石に背筋を伸ばし(?)画面に観入ってしまった。ロケーションは・・何のことはなく「裁判所内の便所」なんだが(・ω・) ・・もっとイイ場所、なかったんかよ!
ときに、一緒に画面に収まるとまるで「巨人族」と「小鬼」のような2人。。特にホフマンについては「良くこんな演出、快諾(?)したなぁ・・」って感じですわ、ハイ。

「ニック以外の11人に、大したキャラ設定がされてない」・・と前述したが、俳優陣に限って言えばちょっと豪華な感じだった☆ 私的に「おっ!」と感じたのはクリフ・カーティス(フランク役)とルイス・ガスマンの起用。特に温厚そうにも思えたフランクが後半、妙にヒートアップする様を眺めるに「やっぱりこいつの本性は極悪テロリストなんや!」とビビってしまったものだった(←『コラテラル・ダメージ(2001)』での悪党ぶりが忘れられない・・)。

さて、フィッチ氏。「陪審コンサルタント」ってな肩書きで、真っ当そうな出で立ちこそしてるが、手がける(=手下にやらせる)ことはかなりエグい。「尾行」「盗撮」「盗聴」・・「窃盗」「殺人未遂」「放火」「監禁」「暴行」・・(次第にエスカレートする)その罪状を並べて行っただけで、数十年レベルで収監されるべきぐらいなんじゃなかろうか。
対するローア氏が余りにクリーン過ぎて、「ニックの行動」がもしなければ、(法廷で)全く歯が立たなかったような気さえして来る。

そんなことで、将来の「裁判員制度」の“予習”とはならなかったが、日本にもあんな物騒なコンサルタント業者が現れないことを祈りたい(・ω・) 実際に請け負いそうなしとたちって今の社会に「決して少なくない」と思うもんで。。

〜 裁判長! こんなセリフはどうスか? 〜

フィッチ「“太った女”ってのは、概してケチで思いやりがないもんだ」
    「どんな人間にだって、必ず“秘密”がある」

ローア「今回と、この次は勝ったとしても・・君はいつか負ける」
フィッチ「君は私には勝てんさ、例え(君の論に)一理があったとしてもな」

※※「一番大事なのは・・心安らかに眠れることだ」 ←ローアの台詞だったか・・

追記:ちょっと「似た者同士」な印象のジョン・キューザックとエドワード・ノートン。「怪優」2人によるサスペンス作品を観てみたいな〜と思ったものである(⌒〜⌒ι)

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2007年6月 8日 (金)

☆『ハイウェイマン・特別編(2003)』☆

5月31日(木曜)夜の放送・・を録画しておき、後日ビデオで観たのんが、ジム・カヴィーゼル主演によるロードキル・サスペンス(?)作品『ハイウェイマン』である。
番組自体は「木曜洋画劇場・放送2000回記念(←何と1968年からの放送らしい!)」の一環としてめでたく(?)“地上波初登場”となったものだが、満を持して送っとんのやな〜と言う(当初の)期待感&高揚感とは裏腹に・・実に“B”なテイストの映画だった(×_×)
「ジムを主演に据えた」ことで「辛うじて一線は保てたネ(=^_^=)」って感じ。

冒頭の予告映像でこそ「戦慄のマッド・クラッシュ・サスペンス!」だの「悪魔が来りて美女を轢く!(←巧いネ☆)」だのとスタッフらがワルノリだかヤケクソだかでひねり出した(=^_^=)過激なテロップが踊る訳だが・・「特別編」とうたわれる割に、ちっとも観てて得した気分になんない(=^_^=) ま、こう言う肩の力の抜けた(肩関節の外レた?)ラインナップで細く長く食いつないで来たからこその「2000回達成☆」だとは思うんだけど(・ω・)

物語は、モリーと言う“巻き込まれ型キャラ”の女性を軸に、一方に美女(?)ばかりを狙い連続ひき逃げ殺人を起こす猟奇犯を、もう一方にそいつを“妻の仇”としひたすらに追いつめる元医師のレンフォード・ジェームズ・(愛称:レニー)クレイ(ジム)を配し、彼らの5年間に渡り続けられている“ガチンコバトル”の行く末を描く、と言うもの。

当初こそ、殺人鬼の操るクルマ(1972年型キャディラック・エルドラード(緑)、右フロント灯が切れたままである。実はもの凄いハイテク仕様でバリアフリーな1台!)の存在がこの上なく不気味で『ザ・カー(1977)』や『激突!(1972)』の雰囲気を思わせる演出なんだが、次第に犯人像が明らかにされて行き、観てるこっちもだんだんダレて来てしまう(×_×)
クレイが殺人鬼との過去の因縁を殆ど語り尽くすわ、殺人鬼自身が幾度となくCB(車載無線)を通じて「何か親しげに」語りかけるわ(←実際には挑発してるんだが)するもんで、中盤ともなると「恐怖のベール」がすっかり剥がれきってしまうのだった。
劇中では他に、レニーの駆る(←どうやら立派な盗難車らしいが)1968年式プリマス・バラクーダ(赤)とか、モリーの彼氏が乗ってたサァァブとか、出て来てた。
特にサァァブなど、単にボコボコにされんがために起用されたような扱いだったが、ボコボコになりつつも「しっかり頑丈」であることを巧くアピール出来てた気がする。

思いっきり「クセモノ」だったのは、これまた事件に巻き込まれ、途中からはレニーの協力者みたいな立場をとる、交通事故調査官のウィル・マクリンと言うブラックピーポォな親父さん。てっきり『ダイハード(1988)』で言うトコロの黒人警官アルのような役回りかと思いきや・・異常に「ライフルで物事を解決したがる危ないオヤジ」って印象が強かった。
ってか本作、銃を携行し、遠慮なく撃ってたキャラってこのオヤジだけだった気がする。レニーと殺人鬼が「クルマ」だけをお互いの武器に“ある意味、極めてストイックに”戦ってたトコロにいきなり割って入ったような異端者ぶり(=^_^=)に思えた。演出面で更に抑制がなかったら(=^_^=)きっと爆弾も携行してたに違いなかろう。
ラストでも、最後の最後にムチャクチャな蛮行をやってのけるし、そもそも全然“交通事故調査”って行動をとってなかったようにも見受けられた。単に「ライフルぶっ放す機会を長年うかがってた、危ないおっさん」ではなかったか?

視覚効果的には「クルマって容易(たやす)く横転するもんなんやなー」と思わしめた本作。車体のとあるポイントをプッシュしたり、とあるポイントに遠心力がかかったりしたら、案外簡単に「すっ転ぶ」ものなんかも知れない。
私的にはこの先も、たぶん1960〜70年代のクルマに乗ることはないと思うが(燃費面&安全面から考慮するに、出来れば乗りたくないし・・)、そう言う機会がもしあれば、本作を思い出して慎重な運転を心がけたいと思った次第だ(←どんなオチだよ・・)。

※それまで頑(かたくな)にクルマから降りようとはしなかった殺人鬼。何故に終盤、あっさり降りる気になったのだ??(昔あった医療コミック『スーパードクターK』の最終回で言うトコロの「安心感・・」ってヤツか?(・ω・))

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2007年6月 6日 (水)

☆『駅馬車(1939)』☆

4日(月曜)。何だか疲れが抜けず、残業もそこそこに退社。。月曜からこんな体調で大丈夫なんやろか・・
京橋にとある用事のため立ち寄ってからの帰宅。
その後、(新聞作業もそこそこに)衛星第2ちゃんねるで放送された、往年の名作西部劇『駅馬車』を観た。

ジョン・フォード監督+ジョン・ウェイン主演(←若い!)による“スペクタクル群像劇”。どう描いたってモノクロ画面だってのに(←失礼)、照り付ける太陽光や、吹き荒れる粉雪や、濁流を勢い良く渡る馬群や、色々とバラエティに富んだ“絵”を見せてくれる☆ その心意気がまずカッコいい(確かにその空気感は伝わって来るし!)。
6頭の馬+2人のガイド(御者と保安官)+7人の乗客(2人の婦人、酒の行商人、銀行頭取、お尋ね者、謎の紳士、酔いどれ医師)・・それらにより構成される1台の「駅馬車」がアリゾナ州・トントの町を発ち、ドライフォークの町〜アパッチ・ウェルズを経由、ニュー・メキシコ州・ローズバーグの町へと向かう。

乗客1人1人には、(凶暴な酋長ジェロニモ(notジ・エロニモ)が統率する)アパッチ族襲撃の危険を冒してでも、旅立たねばならぬ事情があるようす。それが詳しく語られるキャラがいたり、謎のままだったり。
私的には「あんなちっぽけな馬車の中に、様々な価値観を持つ人物をよくぞ集めた(まさに“当時の社会の縮図”と言える)」「(とある事情で)乗客が8人に増える展開はすごい」と感心した。対面式の座席に3人ずつが(向かい合って)座り、その中央(?)の位置にしゃがみ込むリンゴー・キッド(ジョン・ウェイン)のスタンスが面白い。思わず映画を観ながら「馬車内の座席図」をメモ的に走り描いてしまったが、本編終了後の解説番組で、山本晋也カントクが本作を思い入れたっぷりにトーク展開しつつ「馬車内の座席図」を取り出して見せたので「おお、カントクと同じ思考回路やんか!」と妙に独ぼっちじゃない気がした(=^_^=)

裏表なき、ヒーロー然としたキャラとしてはキッドが筆頭に挙げられるが、私的に「美味しいよなぁ〜」と感じたのは酔いどれ医師のブーン。途中まで飲んだくれてばっかで何の存在価値も認められないのだが・・中盤でしっかり「アルコール抜き」してからは、俄然“本領”を発揮する。銃も撃てば、荒くれ者のたむろする酒場に臆することなく入っていくし、何だか保安官以上にリーダー的、主人公以上にキーマン的な風格すら備わっていたように思ったぞ。
移動する馬車内での「探り合う」ような会話のシチュエーションは、後年の邦画『約三十の嘘(2004)』を何故か連想してしまった(=^_^=) 後半のアパッチ族襲撃シーンはやっぱり後のインド映画『ムトゥ/踊るマハラジャ(1995)』に影響与えたんやろか(=^_^=) ←流石に馬車が崖を飛んだりはしなかったけど。。

登場人物には皆“ヒトクセ”あるんだが、様々なイベントを経て、アパッチ族急襲の頃にもなるとそれなりに“団結”しちゃったりなんかする(←広川太一郎口調で(=^_^=))流れがなかなかに自然で良い。山本監督によると「全体で137分の上映時間の中、110分になってようやく襲撃シーンを迎える」って組立てらしいが、そこまで観客に我慢を強いらせる(=^_^=)ことこそが、後のスペクタクルなシーンにおけるカタルシスをマキシマムにさせるエフェクトを生んだと言えるのかも知れない(←横文字ばっかでもはや意味不明)。

1人の死者&2人の負傷者を出しつつも、馬車はローズバーグに何とか到着するのだが・・そこからも“盛り上げ”があって、意外なボーナスって感じで楽しめる。
因みに終盤に登場する、プラマー3兄弟のボス、ルーク・プラマーが妙にカッコ良く思えてしまったワタシ。ジョン・ウェインよかよっぽどカッコ良かったような(⌒〜⌒ι)

なお、意外と現代のCG映像に見慣れて(毒されて(=^_^=))しまうと「大したことねぇじゃん」って感じに見えてしまうアパッチ族の落馬シーン。結構荒っぽく(もんどり打ち系)倒れてるしともいたりして、観てて妙に心配になってしまった(←作品から半世紀以上経ってからの心配かよ!)。

それと、とあるシーンで、地面に上向きに置かれた(埋められた?)キャメラ(=^_^=)の上をアパッチ族の駆る馬が走って(跨いで)行くショットがあるが、こう言うのも斬新と言うかキャメラいじめと言うか・・当時はもの凄い決断を要する演出だった気がする(もしカメラが踏まれて壊れたら大損失やろからね)。

※ネットで色々な方の意見を読んでると「なんか何処まで走ってもモニュメント・バレー(特徴的な形状の岩山)の周囲をぐるぐる回ってるだけみたいな映像」ってツッコミ風のんがあって笑えた(=^_^=) それはきっと気のせいだ(=^_^=)

〜 結構、素晴らしいっすよ! なセリフ群 〜

ハットフィールド「見えない者に“天使の存在”は分かるまい」

キッド「色々あってね」
ダラス「分かるわ、色々あるから」

キッド「男は(いざって時に)逃げられないもんなのさ」

ブーン「言わば我々は“社会的偏見”と言う病気の犠牲者なのだ」
   「このわしに、他人の人生の是非など言えんよ」
   「先の短い人生ならば、尚さら(今を)楽しまなきゃな」
   「これであいつら、文明に毒されずに済む」

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2007年6月 5日 (火)

☆『コンフィダント・絆』☆

※以下の記事は「映画評」ではなく「演劇評」です!

5月30日(水曜)。この日は残業も早々に切り上げ、京橋方面へと向かった。久々に期待の新作舞台劇を観に行った次第である。
こそっとチケット入手⇒こそっと出かけたのは・・三谷幸喜の作・演出による『コンフィダント・絆』と言うお芝居。チケットはめちゃめちゃ高かったが(=^_^=) 以前に観た三谷原作の映画『笑いの大学(2004)』がなかなかに素晴らしく、同じ“芸術モノ”路線として観といてソンはないのとちゃうやろか? って感じで鑑賞に臨んだわけだが、予想していた以上に観やすく、(本作に関しては)かなり好感を覚えてしまった。

そもそも、三谷氏と言うと「軽薄系」「模倣派(←例えば“ピーター・フォークと正々堂々と(!)公開対談”とかしてくれたら、そんなワタシの悪印象もすっかり払拭されると思うんだが(=^_^=))」「映画監督としての才能はイマイチ(←前述の『笑いの大学』は別監督による作品だが、それこそが奏功したと考えている)」ってな勝手な判断を下している人物(ファンの方、済みません)なので、いつも心のどこかで「この男って、どうなんやろ?」と認めたくない気持ちが強く働くんだが・・こと「登場人物&ロケーションを絞ったシチュエーション劇」を書かせたら、現代日本の演劇人の中でも屈指の実力派と呼べるんじゃなかろうか(逆に“群像劇がヘタ”と思ったり)。

1888年。花の都パリ・・の片隅。窓からは建造中のエッフェル塔が見える古ぼけたアトリエ。そこに“未来の名声と成功”を夢見る4人の青年画家・・ゴッホ、ゴーギャン、スーラ、シュフネッケル・・が集まっている。彼らはモンマルトルで成功し、羽振り良き画業を続けるロートレックを敵視し「いつか我々の中から成功者を!」と誓い合っている仲だ。さて、シュフネッケルの準備したこのアトリエを共用するにあたり、彼らの取り決めたルールは4つ。

・家賃は折半とする
・ここで寝泊まりしない
・使った物は責任を持って片付ける
・モデルには決して手を出さない

表面上では、巧くつり合っていたかに見えた4人のバランスが、新しく雇われた女性モデル(ルイーズ)の参入により忽ちのうちに崩れ行くことになろうとは、誰も予期し得ないことなのだった・・

キャスティングは、
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(生瀬勝久)・・好きな物:糞虫(?)
ポール・ゴーギャン(寺脇康文)・・口癖「何言ってんだお前は!」
ジョルジュ・スーラ(中井貴一)・・愛称:点々の人
クロード・エミール・シュフネッケル(相島一之)
ルイーズ(堀内敬子)
そこに生演奏のピアノ(舞台下手(しもて):客席から見て左端)で荻野清子さんが参加(←最も出ずっぱりな方でもある・・)

私的に・・思い入れあるのが寺脇氏、興味津々なのが中井氏、あとのしとらは詳しく知らん(←おいっ)と言うのがあったが、どうも本作の“軸”を担うのはゴッホを演じた生瀬氏であるように私的に解釈した。

導入部に『タイタニック(1997)』的な組立て、時代背景に『ムーラン・ルージュ!(2001)』、天才が凡才に対し“吠える”くだりは『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997)』をそれぞれ連想させてくれた。あと“時代の寵児”たるトゥールーズ・ロートレック(←蔑称:ちび太(=^_^=))に対し、過剰なまでに敵対心を燃やす主人公らは『ポロック/2人だけのアトリエ(2000)』を彷彿とさせてくれたろうか(←この作品の冒頭では、主人公が酔って「くたばれ、ピカソ!」と叫んでた(⌒〜⌒ι))。

物語は基本的にコメディ路線だったが、ときに「ベタ」に、ときに「下ネタ」に走りつつ(ゴッホが自身を「異常性欲者」とカミングアウトするシーンが面白い・・特に女性客の反応が(=^_^=))、ときとして聞き逃してはいけないような“深みを持つセリフ”をもちりばめ、描かれる。
ルイーズの語る「客観的な物語」の他に、4人の画家それぞれが「(絵に関して素人である)ルイーズに(心を許す余り)そっと語る言葉(←同性にこそ言えぬホンネもあったのだろう!)」「他の3人に明朗に語る言葉」のデュアルな物語空間(?)があり、面白い。
ワタシの好きな路線(=^_^=)である「弱き者こそが、実は強かった」「明るき者こそが、実は心中に寂しさを抱えていた」と言う心情描写がたまらない。4人の画家のうち3人までが、それぞれに心を砕かれ(?)号泣するんだが(←別々のシーンです)、もっと前列の席で観ることが叶っていたら、ひょっとしてウルウルさせられてしまったかも知れぬ(⌒〜⌒ι)

4人の画家の言動を総合的に比べ「・・で、誰が一番すごかったんや?」と言う点が結局“謎のまま”で終わるのも面白い余韻に仕上がっている。モデルであるルイーズは(前述の通り)絵画に疎く、また彼らの描いたカンバスは常に観客から見えない向きに配されているため、何者も「正当な評価」をしようがないのである。その点(=解釈)を観客各位に投げつけたまま、閉幕まで導いた三谷氏は(したたかで)スゴいなー、と流石に感心させられた次第。

そういや、自室のどっかに、三谷監督作品『THE有頂天ホテル(2005)』を録画したまま・・のビデオテープが転がっているんやな・・また探して観とかなきゃな、とふと思い出した次第である。
観た方の意見では“かなりつまんない”らしいが(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフが心に残りました 〜

ゴッホ「この部屋に“青”がないって? それは君が(対象を)しっかり見ていないだけだ」

シュフネッケル「皮肉なもんだ。モデルに三人の画家・・この絵の中に僕はいない」

ゴーギャン「なぜ絵描きになった? なぜこの町にやって来た? なぜ“あいつ”に会ってしまった?」

スーラ「絵を描くことなんて簡単さ、その“法則”さえ掴めればね」

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