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2007年5月31日 (木)

☆『眉山〜びざん〜』☆

26日(土曜)は、これまた随分と寝だめしてしまい・・起きた時点で既に午後2時を過ぎてしまってたようである。。
公開中の邦画『しゃべれどもしゃべれども』じゃないが『やすめどもやすめども』って感じで、幾らでも寝ていられそうな疲れ具合と言える。で、この日は新聞切りに1日(の残り)を捧げることとした・・と頑張ってるように書いても、既に記事が(机上に)山と積まれてしまっており、大して片付く訳もないんだが。。

・・ってことで翌27日(日曜)は比較的早起きし、奈良方面へクルマを走らせた。幾つかの目的はあったが、その1つとして京都府木津川市内に今月初旬オープンした「イオン高の原」内のシネマ・コンプレックス「ワーナー・マイカル・シネマズ高の原」に出かけてみようってのがあった。ロケーションこそ京都(府内)となるが、奈良市内からも近く、私的にかなり手頃な場所にシネコンがオープンしたな☆ って感想だ。駐車場も広いし(とは言え、休日&昼前の到着だと“屋上”に追いやられてしまうが・・)、ぶらぶらショッピングセンター内を歩く楽しみもある。

因みにこの日だと、久々に思いつきでシューズを購入した。何を買ったかと言うと・・“コンバース・オールスター”の黒色ハイカットである。なんでいきなり欲しくなったかと言うと・・昨夜(26日:土曜)にTV放送で観た映画『アイ、ロボット(2004)』でウィル・スミス演じる主人公(スプーナー刑事)がおニューのコンバースを履いてて「やっぱ最高だぜ!」とか言ってるのんにまんまと触発されてしまった訳で(=^_^=)
んで、これがまた安くて驚いてしまった。スミスの履いてた「2004年モデル」とは価格帯が違うんやろか?? ←“にわか野郎”はそういう細かい事情に弱いものである(⌒〜⌒ι)

http://store.yahoo.co.jp/z-craft/10189502.html

↑こちらにシューズの参考画像があります。無断リンク済みません。

映画は場内「前列寄り&ほぼ中央」と言うなかなかのベターポジション。おまけにここのシートがなかなか良かった! 適度に固くホールド性も兼ね備えている。梅田「ブルク7」のシートも良いが、奈良市界隈ではこちらをおススメしときたい(好き嫌いの個人差はあるだろうけど・・)。

本作、犬童一心監督の最新作である。ほんの少し前『黄色い涙(2006)』を手がけた訳で、かなり多忙なご仁となられてるようだ。私的には『金髪の草原(2000)』『ジョゼと虎と魚たち(2003)』『いぬのえいが(2005)』『タッチ(2005)』・・とその作品を幾つか拝見して来た訳だが、やはり『ジョゼ〜』の完成度が抜群に高く、問題は『ジョゼ〜』を超え得るか否か・・そこのみにあったりもした(・ω・)

東京の旅行代理店「キャラバンツアーズ」で働くキャリアウーマン(?)の河野咲子(コウノサキコ:松嶋菜々子)は、叔父(松山某)から「母が倒れた!」の報せを受け、急ぎ徳島へ帰郷する。
「徳島市立大学病院」に駆け付けた咲子の前に、病魔の気配すら感じさせぬ母・龍子(タツコ:宮本信子)の姿があった。若い頃から「神田のお龍」の異名をとり、威勢良き“江戸の鉄火女”として娘を女手ひとつで育て上げた気丈な女性だ。病室で看護師を頭ごなしに叱り付けるのを眼にし、何とも言えぬ反発を覚えたりもする咲子。
だが、主治医・島田(永島敏行)は咲子にその病状を伝える。「肝臓・膵臓、そして肺にも悪性腫瘍が転移しています、ご本人に告知されますか?」
母は自身の病名を「肝臓炎」と理解しており「仕事は女の舞台なんだよ、もうこっちはいいからお前は東京へ帰んな」と娘に言い放つ。

じわじわと死期の迫る母。咲子は記憶の底にある「14歳の夏。(阿波踊りの)演舞場で“泣きながら”踊り続けた母の姿」と「かつて母の隣にいた男性のおぼろげな姿」を知りたいと龍子に迫るが、彼女の口は固く閉ざされたままであった。
やがて叔父から「龍子の荷物」を手渡される咲子。その中には、若き日の母に宛てた「K・S」なる人物からのおびただしい量の恋文(こいぶみ)が大切に保管されていた。
「東京都文京区本郷5丁目32−4」・・その住所が気になった咲子は、密かに「K・S」に会いに行くことを心に決めるのだった。

・・やがて夏。阿波踊りの熱波渦巻く夜がやって来る。母や叔父、懇意にしてくれる青年医師・寺澤大介(大沢たかお)と共に演舞場へ向かう咲子。これが“見納め”とばかり、静かに踊りを眺める龍子。そして咲子は・・観覧席にとある人物の姿を探し求める。そう、あのころ母の隣に寄り添っていた“父”の姿を・・

うーん・・結構“直球勝負”な作品だった。強引に泣かせよう、と言う企みはそんなに映像全般ににじんでおらずホッとしたが、何だかあちこちに気を遣って撮りました、的な(犬童)監督の気苦労が強く感じられ、窮屈な印象が漂っていたなぁ。
特に「松嶋菜々子」「宮本信子」の“2巨頭”には終始、振り回されはったんじゃなかろうか(←邪推)。そう言う意味で、やはり(のびのびと描かれた印象の)『ジョゼ』には及ばなかったなぁ、と。

そもそもが「1つの過去の恋」を一夜限定で再生(?)させるため“不治の病”“阿波踊り”と言う2大ネタを準備しました、と観てて勘ぐれてしまえる「浅さ」があかんのかも知れない。おまけに“次代の恋”として描かれるべき咲子&寺澤の恋模様もちょいと薄味&駆け足ぎみだったし。

ただ終盤、徹底して客観的に描かれる「とある死とその後」が、単なる“美談”に終わらせてへんのやな〜って感じで、何らかの感慨をワタシの心に重く残してくれたのは事実である。
ご本人のリビング・ウィル(生前の意思表示)に基づく、1つの衝撃的な(?)選択の顛末なのだが。ま、ある意味“重過ぎる”演出ってな気がしないでもなかったけど(×_×)

〜 こんなセリフもありましたか 〜

龍子「大の男が泣くってことには、それなりの理由があるものさ」
  「どうしたんだい? 怖い顔して」

寺澤「何かあれば電話します・・何もなくても電話するよ」

※※「もうすぐ、踊りの季節ですね・・」

【その他の小ネタ】

○冒頭、旅行代理店オフィス。残業する咲子を捉えた映像の端で「黙々と段ボール箱を解体してる同僚」がリアルで良い(=^_^=)
○タイトルにもなってる“眉山”・・その名からつい優美な情景を連想するが・・実際には山頂にアンテナがザクザク林立してて、イマイチ情感に欠けるのだ(×_×) 何やら“生駒山(奈良県)”を連想しますた(⌒〜⌒ι)
○後半、阿波踊りのさなか“とある差し迫った事情”により、観覧席から駆け下り“連(=踊り衆)”を横切る咲子。。ちょっと過剰演出な気がしたぞ。「大名を胴切りにする子安婆」てな川柳が確かあったが、さしずめこの場合だと「阿波連を胴切りにする菜々子哉」ってトコか(・ω・)
○終盤、“某祭典終了後”の片付けシーンでの・・あの手際の荒っぽさって何やろ(・ω・) 特に「菊花」の後処理!
○劇中で“蛍”の飛び交う回想シーンがあるが・・『武士の一分(2006)』より、かなり描き方のレベルの落ちる感があった。思い切ってCGを多用した方が良かったんかな?
○冒頭で咲子が1人、龍子が1人、それぞれ“あるキャラ”を攻撃し不愉快にさせるんだが、その2人ってば、その後ふたたび劇中に登場しなかったような気がする。おいおい、そっちはフォローなしかよ(・ω・)
○K・S氏の登場! はエエけど、あんたが選んだ“リアル側の最愛のしと”は一緒じゃないんですか。。ってか何て言って家を出て来たんやろ?
○好青年・寺澤を演じる大沢たかお。本作では“べーチェット病”には悩まされてなかったようで安心しました(・ω・) ←それは別作品(2003)だっつーの。

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2007年5月29日 (火)

☆『阿弥陀堂だより(2002)』☆

28日(月曜)。週始めだと言うに早速、残業ぎみ・・(×_×)
何だか先週末(土曜)辺りから、左の腰部&臀部〜下腿部の神経痛が再発して来たようで、仕事の調子もイマイチ上がらない(←いや、語弊があるので“上がりにくい”と訂正しとこうか(・ω・))。
職場での笑顔も出にくい。でも笑うときっと下品に映るだろうから、それはそれで構わない(←どやねん)

(傷みに顔をしかめつつ)帰宅後、夕食を済ませるや否や、新聞関係の(切り抜き&赤ライン引き)作業を開始☆ 今となっては趣味なのか仕事なのか、果たして楽しいのか苦しいのか、もう何が何だか分かんない(⌒〜⌒ι) が、考えてる間にも日々、記事が溜まってくるから、片っ端からやっつけて行くしかないのである。

ちょうど衛星第2ちゃんねるで邦画『阿弥陀堂だより』が放送されたもんで、それをBGM代わりに流しつつ新聞処理を進めることとした。近年まれなぐらいの“ゆっくリズム(←死語?)”な作品なので、画面をそんなに注視せずとも楽しめるのだ。爆発とか銃撃のシーンもないので(←そりゃそうだ)フラットな気分でダラっと観れるのが良い☆
今夜のワタシの気分にびったりの映画だった。

妻・美智子(樋口可南子)の患った心の病(パニック障害)を和らげるため、小説家である夫・上田孝夫(寺尾聰)は大都会を離れ、自身の実家である信州の山村へ彼女を伴い帰郷する。そこには『阿弥陀堂』に暮らすおうめ婆さん、難病で死の影の迫る孝夫の恩師・幸田(田村高廣)、喉の病気に苦しむ少女・小百合(小西真奈美)などの面々が、等身大にしっかりと日々を生きる姿があった。
美智子は村の人々との触れ合いの中で、次第に病を克服し、やがて町の青年医師・中村(吉岡秀隆)と共に小百合の手術を決意する・・そんな流れ、だろうか。

メインキャスト陣がなかなか豪華で圧倒される。今は観ることの叶わぬ、田村さん(故人)の演技は確かに存在感があって良い。劇中でひと言も喋らない(確か・・)小西真奈美も、それはそれでおしとやかに見えて、全然OKかも(おいこら)
観てて、何故か『少林寺木人拳(1977)』の主人公を演じたジャッキーを連想したりも(・ω・) ハァ、不謹慎ですみまそん。。

吉岡と寺尾が“激突”すると、どうも世界観が『博士の愛した数式(2005)』に変貌してしまうため、ひどく恐れてしまったが(何の脈絡もなくキャッチボール始めたりなんざしたら・・最悪である(=^_^=))、特に接点らしいモノもなく、必要以上に安心してしまった(=^_^=)
これまた何故だか分かんないが・・本作における樋口さんを眺めてて「故・向田邦子さんがもし女優となっておられてたら、若い頃はこんな感じだったのかも」と連想してしまった。これっておれの単なる妄想だろうか。きっとそうだろう(・ω・)

それと、加古隆によるメインテーマ曲は何となく『アメリ(2001)』のサントラをほうふつとさせる旋律だった。。演奏楽器をアコーディオンに切り替えたら、さらにそっくりになるんじゃなかろうか。

今回は、さほど気合入れて観てなかったので、セリフ群をいちいちチェック出来た訳ではなかったが、劇中で宮沢賢治、プーシキンの詩作の引用をしてる演出はそんなに不自然な感じも受けず、私的には好感が持てた。

※ネットで各位の感想を調べてて笑えたのが「何ひとつ(小説家らしい)仕事をしてない寺尾(孝夫役)が・・最後に“大仕事”をやってのけた!」みたいな意見。確かに!
・・って言うか“そこのシーン”を映して欲しかったぜおい。やっぱしここは“ディレクターズカット完全版”のDVD化を待つしかないんかな?(出ねーっての!)

〜 こんな感じのセリフがありました(ちょいとうろ覚えどす) 〜

美智子「例え病に冒されていても、心が元気なら、それは病気ではないと言うこと」

※※※「悲しい日は、心を穏やかに保ちなさい。きっと、幸せな日がやってくる」

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2007年5月27日 (日)

☆『天使のくれた時間(2000)』☆

23日(水曜)の鑑賞。先週の衛星第2ちゃんねるは「ヒューマニズム系」の特集だったんやろかな?
本作、(公開当時から)タイトルだけはおぼろげに知ってたような気がするも、詳しくは知らず、興味本位で観てみることとした。「ニコラス・ケイジ主演」で「天使」とくれば・・どうにも『シティ・オブ・エンジェル(1998)』を連想してしまうんだけど(・ω・)

物語は1987年に始まる。証券会社の(?)研修に向かうためロンドン行きの飛行機に搭乗するジャック・キャンベル(ニコラス)とそれを引き止めようとする恋人のケイト・レイノルズ(ティア・レオーニ)。ジャックが彼女を振り払って(?)ロンドンに発ったことで、この1つの恋は終わりを告げることとなる。

13年後、ニューヨークの街にはラシター社(投資会社)の若き社長となったジャックの姿があった。家族はいないが大富豪にのし上がったジャック、まさに順風満帆である。
シングルのクリスマスイブ。気まぐれで歩いて帰宅することに決めた彼の前に“天使”が現れ、もう1つの“リアルな人生”を見せることになろうとは、降り出した雪につい感傷的となってしまった彼にも想定すらできぬことであった・・

とある事件を経て、一夜が明けると、ジャックの人生は一変していた。
ベッドの隣にはケイトの姿。どうやら彼女と結婚し既に13年が経つらしい。2人の子宝(アニーとジョシュ)に恵まれ、摩天楼を遠くに眺めるニュージャージーで「ビッグ・エドのタイヤ店」に勤務する平凡な男、それが“こちらの世界”でのジャックの生活だった。
いきなり「シングルライフ崩壊」「収入激減」と変わり果てた生活に衝撃を受ける彼だったが、妻子と暮らすうちに、やがて彼の価値観が変化を遂げ始めるのだった・・そんな流れ。

「クリスマスイブの夜」に“とある来訪者”によって奇跡がもたらされ、1人の傲慢な(?)男の心が変化する辺り、チャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』の変則ネタと言えなくもない。

冒頭、ヴェルディのオペラを絶唱(?)するニコラスはなんか『フェイス/オフ(1997)』のテンション再び! な感じで好感度高し!(=^_^=) フェラーリを乗り回してるトコは『ザ・ロック(1996)』っぽいし・・色々な部分でニコラス主演作の集大成って感じもしないでもない(←アクションは皆無でつが・・)

ジャックを導く“天使”キャッシュ役にドン・チードル。私的には「ちょいとミスキャストでは?」ってな感が拭えなかった。チードルが演(や)ると「天使には見えない」し「青年にも見えない」のである。ま、劇中ではキャッシュが“天使”と言う設定はいっさい語られなかった訳だが・・

※私的にはキャッシュ役を(ちょっと登場シーンの演出を変えて)ジョン・トラボルタにやって欲しかった、と(=^_^=) 背中に翼を付けても良いし(『マイケル(1996)』)、ツイストを踊っても良い(『パルプ・フィクション(1994)』)。スポーツカーをかっ飛ばして、ブレーキなしで交差点に突っ込んでも許す(『ソードフィッシュ(2001)』)(=^_^=)

ヒロイン役のティアはどうかなぁ・・『ディープ・インパクト(1998)』の時の方がビジュアル的には好きだったかも。本作ではどうにも所帯じみてしまっていけませんですた(⌒〜⌒ι) ←いや、そういう役柄だよ!
1シーン、磨りガラス越しのヌードシーン(=シャワーシーン)があるも、自室のTVが緑色にしか映らないもんで、かなり気落ちしてしまった・・おれ的“一世一代の大チョンボ”かも(←大げさだよ)
とある夜「子供たちは寝たわよ・・ね、子供たち、ぐっすり寝たってば!」と妙にテンション高く、寝室でジャックに迫る姿はなかなかよろしかった☆ ついでに『釣りバカ日誌シリーズ(1988〜)』で言うトコの“合体”のシチュエーションも余さず観てみたかった・・けど、相手役がニコラスだから、観なくてもエエか。。(←ニコラスファンの方、済みません)
あ、でもニコラスが歌う『LaLa means I love you(ララは愛の言葉)』はなかなか良かった。オリジナルはディルフォニクス(THE DELFONICS)の歌う1968年のナンバーだそうで。キャロウェイ(Calloway)や殿下(Prince)もカヴァーしてるんですよね〜。
あと「サヨナラ、ウォールストリート(Wall Street)」とニコラスの言い放つセリフがあり、彼の流暢な(?)ニホン語が楽しめますわ。
(『タイタニック(1997)』や『ロボコップ(1987)』でもニホン語で「サヨナラ」と言うセリフがあったような・・既にグローバルな言葉なんじゃろか?)

物語の進行上、成功者による「小売業」を批判するようなセリフのあったのが印象的だったか。ジャックも人生で2度「成功を目指す」選択をする訳だし・・作り手側の意識として“やっぱ生きてる以上、成功はしなくちゃ! あ、でも家族も大切にね”みたいなメッセージを発していたんかも知れない(・ω・)

前述の通り「ドン・チードルが天使にはとても見えない(←どっちかと言うと「スーパーカー好き」「頑固で身勝手」って性格が『ヒドゥン(1988)』に出て来た“アルテア星人”にこそ似てると思う(=^_^=))」って入口の時点で、作品世界に躓いてしまったワタシなのだが(=^_^=)
「人と人には出会うべき“瞬間”があって、それを逃しちゃなんねぇ」ってことは良ぅく分かった気がした。
ま、逆に言うと「その“瞬間”をやり過ごせば、一生関わらずに済むだろう関係もある」ってことだけど・・(=^_^=)

〜 こんなセリフもあったでしかし 〜

ジャック「以前は自信に満ちていた、疑いも後悔もなかった」
    「別れてもなんとかやってはいけるだろう、だが僕は君と一緒にいたい」

ケイト「人生設定なんか問題じゃない、一緒にいることが大事なの」
   「あなた、見逃したのよ・・プレゼントを開けた時の娘の笑顔を」
   「人生って予想外のことばかり・・でも結局はこうやって順調に運んでるわ」
   「あなたとこうして一緒にならなければ、確かなものが全て消えてしまっていたわ」
   「それ(転職)があなたの結論なら、私はついていくわ・・愛しているから。
    どこに住むかなんて問題じゃない、一緒にいることが大事なの」

アーニー「信託銀行は債務者にゃ厳しいもんだ」

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2007年5月24日 (木)

☆『ゴール!/GOAL!(2005)』☆

5/20(日曜)。「日曜洋画劇場40周年記念」の一環(?)とし地上波初放送されたものを観た。
「ロサンゼルスで暮らす、喘息持ちの“不法移民系”メキシコ人青年=サンティアゴ・ムネス(愛称:サンティ)がプロサッカー(フットボール)選手としてイングランドで成功する姿を描いたストーリー。トリロジー(3部作)の第1弾。

想像してた流れは「労働者(恐らくは炭坑夫)の父を持つ、イギリス郊外の田舎町に住むサッカー少年が、父と反発しながらも自身の夢を信じ、単身ロンドンへ旅立つ・・!」みたいな感じの『リトル・ダンサー(2000)』と『アンジェラの灰(1999)』の重く薄暗い(?)世界観に『遠い空の向こうに(1999)』のいけず親父キャラを混ぜ込んだようなテイストだったが(=^_^=) も少し「逆境レベルも低く」「展開も早い」物語であった。

何しか「そなぃに苦労してへんやん! ってかぶっちゃけ、じゅうぶんトントン拍子やんかキミ!」と突っ込めちゃう感じの順風満帆さである。地元で野良試合(?)やってるトコに“元イングランドの選手(グレン・フォイ氏)”がやって来て「ジャーメイン・デフォー以来の逸材だ・・」と呟く、みたいな流れからして、そんだけでもう充分に“シンデレラ・ボーイやんか”と思うのだ。
そこから先も、
○“ニューカッスル・ユナイテッド”のドイツ人監督、エリック・ドーンヘルムに紹介してもらう
○「雨中」なる最悪のコンディションながら、入団テストを受けさせてもらう
○移籍入団したアウトロー選手、ガバン・ハリスの口添えでチームへの残留が許される
○パーティー会場でデーヴィッド・ベッカムに「君もこの調子ならレアルに入れるよ☆」と太鼓判を押される(リップサービスやろか?)
などなど「こんなんじゃ、鼻もどんどん伸びまっせ」的な出世街道爆走ぶりなのだ。

まぁ、そういう流れを劇中に盛り込むにしても、第1作でそこまで運んでしまうのは「走り過ぎや!」と私的に強く感じてしまった。せめて、例えば“ベッカムとの絡み”の実現するのは第3作ぐらいのスローペースで良かったんではなかろうか(「現実とのギャップ」は、時代設定を少し昔に設定すれば良いだけのハナシだし)。

ある意味“正しいこと(「働き、家族を養い、そして死ぬ・・」と言う労働者の等身大の生き方)”を息子に諭してた頑固親父のキャラクターも、第1作の中盤ぐらいでいきなり「軟化」しちゃう感じで「もっと引っ張っておくれよー」と心中で叫んでしまった。折角の“美味しいネタ”を余りに早く“オトしてる”印象が強過ぎて、納得いかない。

あっという間に逞しい青年に成長、しっかりガールフレンド(看護師のロズ・ハーミソン)と“レクリエーション”しちゃってるムネスくんにもやや失望してしまった。そういう「ボーナス(←ボーナスって..)」もせめて次作までは“封印”して欲しかったぞう。

ってことで、このたび公開の運びとなる「第2弾」・・主人公はすでにプロとして成功しちゃってる様相なんだけど、一体どういうネタを軸に、観客を引っ張って(最終作まで繋げて)行くんやろ? と別な意味で興味津々なシリーズではある。
ひょっとして本人の選手ドラマは早々に終わりを告げ“ジュニア”が主人公になって行ったり・・するんやろか(⌒〜⌒ι) ←そんな大河ドラマな。。
一方で、何となく存在感のクスぶってる(?)サンティの弟、フリオの動きも気になるトコだし。実はコイツの方が潜在能力が高かったりして・・!

〜 こんなセリフもありました 〜

グレン「荒削りで未熟な若者たちの中から、心をときめかす原石が見つかる」

ドーンヘルム「分かるか? お前が走るよりボールの方が早い・・つまり“パスが必要”ってことだ」
      「みんなが君を残せと言ってる」
      「お前よりいいポジションに2人もいたぞ、パスより自分のアピールが優先か?」

サンティ「僕にあきらめろと言える人は、監督あなた1人です・・もし言われてもあきらめませんけど」

※本作を観ていて感じたのは「(限定された)その瞬間、その場所で“一生に一度の出会い”が起こり得る」「“ホンマにスゴいヤツ”は周囲が決して放っておかない」ってことであろうか。
んな訳で「“一期一会(の巡り会い)”を信じ、元気なうちにあちこち動き回っとこう!」「あちこち動き回り、その上で誰からもコンタクトを取って来ないとすれば・・それがオレと言う人間の存在の限界なのだと知ろう!(ちょっぴり悲しいけど)」と心に決めた次第である(=^_^=)

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2007年5月22日 (火)

☆『二人日和(2005)』☆

22日(火曜)。今日は朝から何となくソワソワしていた。実は、地元の市民会館で邦画『二人日和』が上映される日だからだ。本日限りのプログラムで3回ほど上映されるが、むろん昼間の時間帯などは観れるハズもなく、問題は18:30〜の最終上映に間に合って席に着けるかどうかだった。

正直、先週の和歌山行ドライヴ(メインは釣り活動だったが)を含め、ここ数週間の疲れが殆ど抜けず、働けば働くほどにしんどさが募ってるんだが・・終業間際に自分の胸に手を当て「2秒間」ほど(=^_^=)考えた結果・・「よし、行こう!」と結論を導き出した。

古都・京都を舞台にしたヒューマニズムな佳作。神職相手に装束をこしらえる職人の男・黒由(くろよし)(栗塚旭)とその妻・千恵(藤村志保)を主人公に、彼らを取り巻く日常が“病魔”により崩れて行く過程を、回想や妻から夫へ、また夫から妻への“静かながら激しい”想いと共に綴る物語。
彼らを脇から支える「若い世代」を代表する存在とし、賀集利樹や池坊美佳(矢沢江梨子役)が好演している。

原題は「Turn over/天使は自転車に乗って」と銘打たれてるそうだが(タイトル時テロップより)、何だか妙に「軽い感じ」で違和感が。。そんなん付けなくても良かったように思うけど(・ω・)
本作では「口数少なく、女心を解さぬ頑固一徹おやじ」とし栗塚氏が「水を得た魚のように」その存在感を発揮しまくる。妻を思いやる行為の具現化(?)みたいな感じで、劇中に何度も近所の神社でペットボトル2本に水を汲んで帰る・・ってなシーンが描かれるが、ラストでは「その衣装」と「手にしたペットボトルの本数」が異なっててなかなか“考えさせるオチ”に仕上がっていた。
(因みにエンディングではロケ地とし「梨木神社」「車折神社」がクレジットされていた・・またロケ地ツアーせねば(=^_^=))

意外な本作のキーワードは「タンゴ」や「マジック」だったりする。
また特撮などと言う“小手先然とした映像テクニック”なんぞ、つけいるスキも与えぬわ! と言う骨太な作り手の職人気質を感じたりもしたが・・そんな中、唯一とあるシーンで「トランプの札が炎の中を舞い上がる」ってなイメージ映像が妙に“スタイリッシュな仕上がり”に見え、思わず苦笑してしまった(⌒〜⌒ι)

自転車に乗った好青年=伊藤俊介を演じたのが賀集(←兵庫県尼崎市の出身だそうだ)。これまでは「J※共済のCMに出てる兄ちゃん」と言う印象程度しかなかったんだが、本作では「性の臭い(←おいっ)を感じさせぬフレッシュな青年」を演じており、かなり好感度が上がった。
“マジックをこよなく愛する理学研究生”ってな役柄から、幾つかの手品を披露してくれるんだが、これがなかなか手慣れた感じで良い。『ミッション:インポッシブル(1996)』時代のトム・クルーズ(←極秘情報入りのディスクを出したり消したりしてた)に決して負けてないんじゃなかろうか(=^_^=) 

劇中では詳しい病名が挙げられぬままだったが、※※が蝕まれる病気は「ALS:筋萎縮性側索硬化症」であるそうだ。手先から筋力が次第に損なわれ、最後には呼吸筋までもが麻痺を引き起こすと言う・・
「またここでも“難病”路線かよ・・」と言う先入観が少なからずあったんだが、序盤から終盤に至るまでの流れに不自然なトコロがなかったため、観ていてさして抵抗はなかったように思う(私見)。

ほか、個人的にはもっと寺社仏閣のショットを多用して欲しかった気もしたが(=^_^=) その代わり(?)「木屋町」「新京極」「葵祭」と言った“京都ワード”のざくざく出て来たのがサービスっぽくて良かったか。
なお、黒由夫婦が若い頃に新京極(?)で観た映画とし『麗しのサブリナ(1954)』の名が挙げられていた。うわー、すげー、ふるー。
ってか栗塚さんご本人が(実人生で)『燃えよ剣(1966)』で華々しく主演するよりも前のハナシなんやねー。

若い観客には「地味過ぎちゃって困るわん」ってな印象しか与えないかも知れないが・・年老いてから観直したいな〜と思わせるに足る1作だった。
考えると、こういう地味で内省的な作品にこそ、邦画が世界(ボリウッドとか?)に誇るべきパワーが隠されているし、今こそそこをがんがんアピール(発信)して行くべきなのかも知れない。

同じ“京都”を舞台とした作品でも『舞妓haaaan!!!』とは全く通じるトコロがないと思う(=^_^=) どちらが「邦画史に残る」んかまでは、今のトコロ何とも言えないが・・(=^_^=)

〜 こんなセリフもありましたんぇ 〜

千恵「ウチが邪魔になったら、先生に言ぅて、注射打ってもろうてぇな」
  「やっぱり、ここがええわ」
  「あんたはいっつもそうや、大事な時に黙ってしもて」
  「いっそ責められた方がどんだけ楽か・・やっぱりあんたには分かれへんのや」
  「ここから先は、1人で行きますから」

黒由「この仕事、好きやおもたことはいっぺんもおへん」
  「色んなものが(人生を)通り過ぎて行ったけど、いったい何が残るんでっしゃろなぁ」

俊介「大事なものから、消えて行くのかな」

追伸:この『二人日和』の野村惠一(監督)+栗塚旭+藤村志保の“再度の顔合わせ”による新作『小津の秋』が今秋にも公開される予定らしい! ちょっち興味わいて来たかも☆ 栗塚haaaan!!!(←混乱すな!)

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☆『博士の愛した数式(2005)』☆

19日(土曜)。「土曜プレミアム」で地上波初放送(たぶん・・)されたものを鑑賞。
以前に原作(小説)を読んでたのもあり、あの「曖昧だらけな世界観(←イイ加減な小説と言うことじゃなく、人物名・地名などが明確に語られず、不思議な浮遊感に満ちていた、と言う意)」を果たしてどう映像化したんだろ? と興味と不安が入り混じっての2時間だった。

結論から言えば「無難にまとまってたネ」って感じだろうか。キャストは有名ドコロで手堅く固められ、展開も実に素直、(作り手の)生真面目さがにじんだ出来であったと言える。反面、個々の役柄よりも俳優さん本人らのカラーが濃すぎ“登場人物”に対する感情移入がどうにも出来ないままだった(・ω・)

“ルート”と呼ばれる青年数学教師(吉岡秀隆)が教壇から生徒らに優しく語りかける。「僕が“ルート”と呼ばれるようになってから19年。今日は僕にそう名付けた人・・“博士”のハナシをします・・」

キョウコ(深津絵里)は、10歳になるひとり息子を女手1つで育てる“やり手”の家政婦。そんな彼女が今回派遣された先は、離れに“博士”と呼ばれる数学者(寺尾聰)の住む、風変わりな女性(浅丘ルリ子)の邸宅だった。

女性は“博士”を義弟(ギテイ)と呼ぶ。
「義弟の記憶は・・1975年の春、すなわち“興福寺(奈良!)の薪能の夜”で終わっているのです。その夜の交通事故により、義弟の記憶はきっかり“80分間”しか残されはしないのです」

“博士”はキョウコに身の回りの世話を受けながら、毎朝「リセットされた記憶」で彼女と接する。最初は“博士”の奇妙な言動に戸惑ったキョウコであったが、次第に“博士”の説く「数式」を通じ、彼の優しい人間性を愛するようになって行く・・そんな展開である。

私的には“博士”の風貌に関し「養老孟司氏」のようなビジュアルを原作から想像してたので「ちょっと、寺尾さんではないよなぁ・・」と感じ続けてしまった。寺尾さんだと、どうにも紳士的で上品過ぎて
「食後に大きなゲップをする」「髪を掻きむしるとフケが散らばる」みたいな(←そういう描写が原作にあったように・・記憶している)生々しさが出せないんじゃないかな、と(養老さんならエエのかい! と言うツッコミを受けそうだけど・・(×_×))。
そもそも寺尾さん、キャラが(ワタシの中で)既に固定化しつつあり『半落ち(2003)』も『雨あがる(2000)』も『阿弥陀堂だより(2002)』も、みんな同じキャラ造形に思えてしまう。。ま、そんな普遍性こそが“大スターの証”とは思うけど(それは同様に、佐藤浩市、中井貴一などの方々に対しても感じることだけど・・あ、みんな“2世俳優さん”なんやね)

キャラクターの濃さが妙に作品鑑賞の邪魔になってしまうのは、浅丘さんや吉岡くんも同じ。何だか「キミら“寅さんの同窓会”やってるんスか〜?」みたいに思えるし・・もうちと薄い(?)俳優さんの起用は出来なかったんやろか(・ω・)

原作を読んでて、確か最もエキサイトしたシーン・・博士とキョウコ、ルートの3人がプロ野球観戦に行き、彼らの座ってたベンチ付近にファール球(ホームラン球だったかも・・)が落ちて来る・・てトコがまったく劇中に盛り込まれておらず残念だった(TV放送時にカットされたんやろか?)
あの場面、実際の日時と球場を(公式戦記録から)追跡することが恐らく可能であり、ベンチ付近に彼らがおったんかも! などと想像(=妄想)するのが楽しいのだ!
記録映像とか、CGを使ってでも再現して欲しかったモノだ。(同様に「野球カード」のアイテムとしての用いられ方も殆どなかったし・・)

〜 博士による数学(?)語録集 〜

博士「直感は大事だ」
  「証明は、早さよりも美しさを兼ね備えていなければ」
  「これはなかなか“賢い心”が詰まっていそうだ」
  「子供の“ただいま”の声を聞くほど、幸せなことはない」
  「子供は、大きくなるのが仕事」
  「大きく育つ力は(それを蒔いた人にではなく)種の方にある」
  「まずは(問題を)うまく音読しなくては・・次に問題を絵にしてみよう」
  「真実は“ここ”にしかない(←自らの胸を手で押さえ)」
  「永遠の真実は眼に見えないのだよ。
   眼に見えない世界が、眼に見える世界を支えている」
  「肝心なことは心で見なくては」 ←ちょいとサン=テグジュペリのノリ・・
  「子供は大人よりずっと難しい問題で悩んでいる」
  「自然に任せ、ひとときひとときを生き抜こうと思う」
  「子供には“祝福”が必要だ」

追記1:ラストにはウィリアム・ブレイクの詩が登場。コレもちょっと「数学⇒文学」への繋げ方が何とも強引で暴力的な感があった。。
追記2:「何度も繰り返す1日」って主人公のシチュエーションからは『メメント(2000)』よりも『恋はデジャ・ヴ(1993)』を連想してしまった。本作の場合は(主観的じゃなく)客観的なんだけど・・
追記3:現代における「ルート先生」 の授業シーン。「対面する生徒らの個々を敢えて映さない」ってな演出はなかなか良かった!
追記4:石坂浩二を強引に特別出演させ、浅丘さんに「あなたは、弟さんを愛してらっしゃったんですね」とか言わせて欲しかった(←そのネタばっかしかい!)

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2007年5月20日 (日)

☆新型の洗車機にご注意?!☆

本日は、昨日の和歌山(釣り活動)行ですっかり汚れつちまつたクルマを、市内の行きつけ(?)スタンドで洗車機にかけて来た。

で、ここに設置されてる機械が一新され、これまでの機種にあった
「リアスポイラー装着車は押して下さい」みたいなボタンが無くなったので「おおぅ、コレで今日からはリア周辺もみっちり洗って貰えるずら!」と驚喜したモノだが・・

洗車中にルームミラーをふと見てびっくり・・

リアワイパーがあさっての方向を向いてら・・(×_×)

どうやら、洗車ローラーの勢いで持ってかれちゃったらしい。。
慌てて操作スイッチを動かしても(もはや)まともな動きをしてくれないし、
「すわ、モーターか配線がやられちまったか?!」と不安になり、案外スタンドの近くにあるスバルディーラーに半泣きの表情で駆け込んだ次第・・

結局は、サービスの方いわく
「・・結論から申しますと、ワイパーを固定するネジが緩んでました」
とのことで、部品交換の(最悪の)可能性まで疑ってたワタシは、恐縮するやら恥づかしいやら。。

そう言う訳で、新型の洗車機を使う際、もしリアワイパーが変な方向に歪んでしまったら、慌てず騒がず、ネジの締め直しをしてみるのが良いと学習した次第である(・ω・)

※この洗車機、特定の車種について利用不可と案内してあったのが印象的だった。
 そのクルマは「プジョー206」。何でも「リアサイドガラスがぜい弱なため、破損する危険性がある」とか言うことらしい。具体的な車名が出てたのはこの1台だけだったので、案内の中で妙に目立ってしまってた(・ω・)

因みに、かなり久々に立ち寄ったスバルディーラーでは、店内のパンフレットの1つに“新型インプレッサ”のデザインが載ってて・・ほぼ雑誌で紹介されていた通りの“アレ”な外装に「ううう・・」と悲しくなってしまった(私見)。
(しばらく静観して)マイナーチェンジを経れば、ちょっとはマトモになるのだろうか。

他に、現行の(最新)レガシィに「パドルシフト」が標準装備されてる事実にも驚いた! アルミ製でとにかく目を引く!

http://response.jp/issue/2006/0529/article82288_1.images/113797.html

↑こんな感じです。画像の無断リンク済みません。

最後に・・ディーラーからの帰路、ついに「ガソリン残量警告灯」が点灯してしまったのだった。コレが点くと、つい何か物悲しい気持ちになっていけない・・(⌒〜⌒ι)

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2007年5月16日 (水)

☆『歌謡曲だよ、人生は』☆

16日(水曜)。有休を取り、自室でぶらぶら・・とはせず、午前中から元気に出かけた。
まずはK阪電車・京橋駅で下車、都島区内に唯一(?)あるとされる“寳塔”を探索に向かった。
それは「藤田美術館」敷地内にあると言う“多宝塔”である。ネットを介し、その存在を知ったまではイイが、仕事の合間にほいほい往復出来る距離じゃないし、また終業後だと「閉館後」で敷地内に入れないのである。
考えてみたら、平日にこうやって休みでも取らぬ限り、なかなか立ち入れない“近くて遠き塔”でもあったわけだが、ようやく本日ここに訪問が叶った☆

この塔は「藤田美術館」入口のほんの左脇にあるのだが、生垣に遮られており「もうちょい近づきたいな〜」と思わせる“絶妙な距離”だった。小振りで“華”はないのだが、外観の程度が良く、見飽きぬ塔ではあった。庭園の中に立っており、立地的にも幸せそうな感じだ(=^_^=) ←夜間閉鎖されるし

その後、梅田まで出て、ロフトの地下にあるミニシアター「テアトル梅田」で新作邦画『歌謡曲だよ、人生は』を観て来た。アンソニー・ミンゲラ監督の最新作『こわれゆく世界の中で』も候補に上がっていたが、「オムニバス形式のノスタルジーを誘う映画」って前評判から、『歌謡曲だよ、』に決めた次第。
正直、あんま期待もしてなかったんだけど・・

いや、しかし・・期待値が余りに(←おいっ)低かったぶん、予想外の面白さがあり、かなり楽しく観ることが出来た。その辺、少し前に観た『ロッキー・ザ・ファイナル』と似た“鑑賞姿勢”と言えるかも知れない(=^_^=)

「古き良きあの時代・昭和」を体現したかのような名歌謡曲群をテーマに、11人の映画監督がそれぞれ1曲ずつを担当、11本の短編に仕上げたオムニバス形式の物語(オープニングで1曲挿入されるので、全12曲となるかな)。監督の中でパッと名前の浮かぶのは(私的に)矢口史靖、蛭子能収・・辺りしかいなかったんだが(うう、監督名に疎くて情けない・・)、監督名よかストーリーでこそ評価したげたい、当然ながらそう言う気持ちで観た次第である。

「ダンシング・セブンティーン」・・オープニング。阿波踊り会場の、群舞する人々をとらえた映像をバックに流れる(セリフなし)。どうやら、徳島県のそれではなく、東京・高円寺の阿波踊りを映しているようだ(エンディング・クレジットより推測) 眺めてて「阿波踊りの躍動感ってば・・素晴らしい!」と妙に感動してしまった。
踊り手の映像をシルエットに変え、BPM140程度のループ系ブレイクビーツを流したら、恐ろしくカッコ良いプロモーション映像に仕上がるんじゃなかろうか。誰かそんなムービー作ってませんかねぇ?(・ω・)

「僕は泣いちっち」・・第1話。監督&脚本:磯村一路。冬には雪降る地方の漁村と大都会・東京。2つの地を舞台に、若い男女(歌劇団に入りスターを目指す沙恵&彼女を追い東京でボクサーとなる真一)の挑戦と挫折が描かれる。真一の叫び「青春は、東京にしかねぇのか?!」が耳に残る。
ハッピーエンドとは言えないんかな? ただ、全編を通じ最も“郷愁度”の高かったエピソードではある。
名セリフ「いいパンチだ・・」がちょっとクサくて笑える。

「これが青春だ」・・第2話。監督&脚本:七字幸久。「鈴木工務店」で働く大工の青年・藤木。施主の娘さん(?)・恵理への想いは募る一方だが、仕事ではドジばかり。ある日、公衆トイレで出会ったある男の存在を通じ“エアギター”に目覚める! 満を持し、いよいよ「エアギター選手権」に彼女を誘うのであったが・・。
これもハッピーエンドとはほど遠い、か。そもそも“エアギター”ってのが根本的に分かっておらず「何をやっとんねん」と観ながら思ってしまった。。
棟梁役で徳井優、選手権の司会役で田中要次が出演してるが、特に田中は(化け過ぎで)全然気付かない(×_×)
・・にしても「電ノコを飛ばし、ヘルメットだけを見事真っ二つにする」ってな芸当は、単なるドジには到底出来ない美技だと思うんだが(⌒〜⌒ι)

教訓:トイレを使う際は“起こり得る最悪のトラブル”を想定しておきましょう。

「小指の想い出」・・第3話。監督&脚本:タナカ・T。「山下工業株式会社」に勤務する地味な中年男(大杉漣)。アパート「メゾン・ド・メモワール」に帰宅し、今日もまた夢想(過去の恋)に耽る。そんな彼には、秘められた私生活があったのだ・・
このエピソードはイイッスね! 終盤の“オチ”なんかは「やりおったの、大杉ィ!」と心中で喝采を送ってしまった(=^_^=)
んでも“あんなこと”が出来るなら、こんなしみったれた生活を続けずとも暮してける、とも思うが・・そんな人生は、たぶん彼にとっては「違う」んだろう。
劇中に出て来る「平岩駅」(←新潟県らしい)駅舎内の張り紙「煙草のむな」の表現が何処となく“昭和”しててナイス(=^_^=)

「ラブユー東京」・・第4話。監督&脚本:片岡英子。原始時代の山岳地帯(岩場)と現代の東京。2つの時間軸を舞台に、とある男女(?)のすれ違う愛が描かれる。“転生モノ”と言うべきなのか? しかし、何処かおかしな世界観である。
後半のセリフ「ぶっ込んじゃってイイすか?」がある意味、衝撃的(⌒〜⌒ι)

「女のみち」・・第5話。監督&脚本:三原光尋。まさに「ド演歌コメディ」 本作中、私的に最高のエピソードである! かつて「女のみち」を歌い上げた(?)宮史郎(本人)が“タットゥー過多”な“かなんおっさん”宮田次郎役を見事に演じ上げている。
奈良・猿沢池界隈の銭湯「大西湯」のサウナ室を舞台に、男子学生・正治が“最悪な目”に遭う展開。「他人の不幸は何とやら・・」と言われるように、ホンマは笑っちゃいけないシチュエーションなんだが、コレがメチャメチャ笑える(殆どカメラも動かへんし・・)。
「俺、ホンマに関西人で良かった」と思えて来る。予想外(?)に興福寺・五重塔(因みに“国宝”!)の映像も挿入されたりして、嬉しくてたまんない!
ラストのセリフ「待たせたな」に続く、正治の驚愕の表情が心に残る・・

追記:宮さん、その演技魂と歌唱魂は紛うことなく“ホンモノ”だが・・ちと“そうでもなさげ”なトコも容貌的(?)に見受けられたり(⌒〜⌒ι) 浪速のモーツァルト系と言いましょうか・・(やめなさい)

「ざんげの値打ちもない」・・第6話。監督&脚本:水谷俊之。横浜、海浜の町。「沢木(伏木?)不動産」を女手1つできりもりする中年女性(余貴美子)。ある日、アパート「福寿荘」へ若い男を案内する。その姿を遠くから眺める若い女。そんな2人の若者の姿に、自らの過去をだぶらせる女。だが、そこに「昔の男」がひょっこり訪ねて来て・・
「女から女への、生き方のバトンリレー」とでも言おうか、詳細は敢えて描かれないが、奥の深そうな物語である。かなり暗かったけど。。
にしても、余さん、“演技を超越した演技”と言おうか「業の深い、虚ろな眼をした不幸なおんな」を必要以上に演じ上げ過ぎでは(×_×)

「いとしのマックス」・・第7話。監督&脚本:蛭子能収。この人の監督作を拝見するのは初めてだが「ど〜なってんの?」と口走ってしまう程にルナティックかつバイオレンスである。
地味なOL・沢口さんを救うため、同僚の一郎(武田真治)がついに怒りを爆発させる!
その不条理さの爆発ぶりには、かのロバート・ロドリゲスやクエンティン・タランティーノすらも賛辞を惜しまないのではなかろうか(=^_^=) 蛭子さんの世界と言おうか、なんか筒井康隆センセイの描く暴力世界が連想されてしまった。ときに“3人の女が血祭られる”シチュエーションは、何だか『獄門島(1977)』をほうふつとさせる(=^_^=)
ほか1名、あんまし悪くはないのに“連帯責任”“管理能力欠如”を問われた某男性上司が可哀想だった(×_×)

※ファンの方⇒武田クン、走ります☆ 踊ります☆ もはや血まみれです☆

「乙女のワルツ」・・第8話。監督&脚本:宮島竜治。かつては栄光のバンドマン(ドラムス)、今は喫茶店「5spot」のしがない経営者である中年男・マモル。やって来た常連客の“彼女”に、自らの“過去の恋人”の姿を重ねて・・
ちょっと無難で王道的な「不治の病に蝕まれた、夭折の恋人ネタ」って感じか。
ストレートに終わるとイマイチなトコだが、マモルの奥さんがラストに登場し、このしとが「思いっきり現実的な女性」なのが余りに等身大であり、考えさせられる(・ω・)

「逢いたくて逢いたくて」・・第9話。監督&脚本:矢口史靖。「飯田ハイツC」に引っ越して来た鈴木夫婦(高志:妻夫木聡&恵美:伊藤歩)は、先住者の男・五郎丸が最愛の女性に宛てた大量の手紙をひょんなトコロから発見する。引越祝いに駆け付けた友人らと共に、手紙を盗み読みする夫婦。
「なんだこいつ、ストーカーじゃねぇのかよ・・」 そこにひょっこり、五郎丸本人が訪ねて来て・・
矢口監督と主演の妻夫木は『ウォーターボーイズ(2001)』以来の共演☆ 監督作としては小品ながら、怪しくも最後には優しいテイストが全編を貫いており、その完成度は高い!
終盤では、とある展開からブッキー(=妻夫木)が全力疾走しつつ、涙ぐんだりするんだが、ここが「ええヤツ(って言う設定)なんや〜」と好ましく思えた。ラストの“オチ”は無駄な長さ(=蛇足的余韻)が全くなく、映像的にもパーフェクトと感じた。
あと、助演のベンガル氏もイイ感じです。

「みんな夢の中」・・第10話。監督&脚本:おさだたつや。中牧小学校の旧校舎にて、40年ぶりに6年2組の同窓会が行われる。校庭に埋めたタイムカプセルが掘り返され、懐かしいアイテムが次々と取り出される。その中には「8ミリフィルム」も納められていた。早速映写してみる同級生ら(9人)。そこには“懐かしい顔”が次々と映されるのだった・・
特定の年齢層の方々にとっては「強引に泣かせるような造り」のエピソードと言えるかも知れない。ワタシはまだ若過ぎるのか(?)大した感情の揺さぶりは受けなかったが。。
とにかくベテラン俳優陣が集まっててスゴい。高橋惠子、烏丸せつこ、松金よね子、本田博太郎・・(みんなが同い年とは思えないが・・)
私的には「ピエロがやって来ておどけつつファンタジー世界へ誘う」辺りの演出を眺めてて、ついスティーヴン・キング原作のホラー『IT(1990)』を思い出してしまった(×_×)
「フワフワと、お前も浮かぶンだよ!!」とか言いつつ「ウガーッ!」って牙を剥いたりするイメージだろうか(←どんなイメージやねん)
「無難な仕上がりだけど、決してけなせない」そう言う、ちょっと扱いにくい1編でもありますな(⌒〜⌒ι)
何気ないセリフ「年を重ねるだけでは、人は老いません」がちょっと心にこたえた、か・・

「東京ラプソディ」・・エンディング。「はっとバス(ナンバープレートは確か「8-10」)」が東京都内を周遊する。
バスガイド・渡辺香織役を瀬戸朝香さんが好演☆ そんなに注目してる女優さんでもないんだが・・美人ですね〜(・ω・)

ってことでざらっと書いてみた。
私的には、前述した通り「期待してなかったが故の面白さ」があり、なかなか楽しめた作品。そういう訳で、マイナーだけどおススメしときます(=^_^=)
あー・・また奈良市内の観光がしたくなって来たじぇ〜。

追記:珍しくも、観賞後に劇場売店で思わづ「小説版」を購入してしまったのだった(=^_^=)>

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☆『スパイダーマン3』☆

先週末、土曜日を挟み走りまくって来た“広島&岡山寳塔ツアー(0泊)”の疲労がなかなかに抜けない。。てなことで、職場には「すまんの〜」と感じつつも思い切って明日の有休届を提出して来た。
まぁ、今週ってば「木曜夜:飲み会」「金曜夜〜土曜:和歌山で釣り(1泊)」・・なるちょっと勘弁してよね的なスケジュールが詰まってもおり、ここらでムリせず休むのが賢いんだろう、うむ。

で、当初は「明日にゆったり観よう」と考えた新作映画『スパイダーマン3』を本日の仕事帰りに強引に観て、明日は明日で別な作品を観ようかな〜と考えた次第☆ 必然的に、今夜の“新聞切り作業”は放棄せざるを得なくなった訳だが、まぁ・・たまにはちゃうこともやっとかんとね(=^_^=)

梅田に出て、上映開始時間が手頃な近さ(待つのイヤなんで)だったOS劇場で鑑賞。スクリーンはさして大きくないし、音響面もイマイチ、座席のホールド性も決して良くないんだが・・思った以上に空いてて良かった(=^_^=) 行列なんざ出来てようもんなら、即座に帰ろうと考えてたんで。

予告編では、スーパーマン俳優(ジョージ・リーヴス)の栄光と自死の謎を巡るサスペンス作『ハリウッドランド』が面白そうだったか。ベン・アホレック(←こらこら)が“アホ面”を返上気味に演じてくれてそうなのがナイス。

さて本編。
“新生スパイダーマン3部作の完結編”って感じで、とりあえずは第1作(2002)からの“フリ”や“流れ”がひとまず完結したかと思われた。「もうちょっと(次作まで)引っ張っても良かったのに・・」とも感じたが、同俳優陣の出演を強引にキープし続けなければならない“シリーズならではの辛さ”ってのはあり、そろそろ限界っぽい印象は確かにあったようだ。
パッと感じたトコロでは、主人公ら3人(トビー・マグワイア、キルスティン・ダンスト、ジェームズ・フランコ)ともに「何か若々しい感じが消えたな〜」とか。
トビーは何か「アゴ下の丸み(?)」がいちいち眼に付いて、キルスティンはシリーズ通じての「う〜ん・・どやろ?」的評価、フランコは「クールさがすっかり消え、何か下品な笑い顔が目立ってたな〜」・・と言わせて頂きたい。

豪華なトコでは、リアル肖像画化(ぐぇ・・こんなん飾りたくねぇ!)して未だに息子を“遠隔攻撃”して来る(=^_^=)ウィレム・デフォー(故ノーマン・オズボーン博士役)とジェームズ・クロムウェル(ステーシー警部役)が良かった☆ 他にも、高級フレンチレストランの支配人(?)役で、サム・ライミ監督の盟友、ブルース・キャンベルが怪演! 前作(2004)の劇場係員役の時もイヤ〜な演技全開(=^_^=)だったな。どうやら前々作(=第1作)でもプロレスシーンのリングアナ役だかでちゃっかり出演してたそうで・・シリーズ通しての「コント的起用」って感じなんかも知れない。
あ、ピーターに絡む(ステーシー警部の愛娘でもある)ご学友グウェンを演じてたのは『ヴィレッジ(2004)』のブライス“ハリウッドの新星”ダラス・ハワードさん(←ロン・ハワード監督の娘さん!)だったんやね。後でネットで調べててようやく気付いた(×_×)

物語は幾つかの要素が思いっきり詰め込まれてて、一見目まぐるしい。が「コレ、興醒めだし意味ないんじゃな〜い?」って突っ込めるシーンも少なからず存在するので、意外と“ナメて鑑賞”出来る娯楽作ではある、と断言しておこう(=^_^=)

○主人公=ピーター・パーカー(トビー)とヒロイン=MJワトソン(キルスティン)の恋
○ピーターと親友ハリー・オズボーン(フランコ)の確執
○ピーターのおじ(ベン)が2年前に殺害された事件の真相(そのカギを握る脱獄犯=フリント・マルコ)
○何か分からんけど・・外宇宙から飛来(?)した邪悪生命体の寄生行動(←こいつの中盤までの動きが・・ノロいんだ実に!)
○ピーターが契約している“ビューグル紙”に現れたライバルカメラマン=エディ・ブロックとの確執
○ピーターと(家賃を滞納してる)アパート大家(ディコヴィッチ氏?)の娘=アースラとの関係(←MJよかよっぽどお似合いと思う)
○ピーターとグウェンとの関係
・・ざっと並べるとこんなトコか。あんまし大した関係じゃないのもあるけど。

詳しく書くと面白さがなくなっちゃうんで、ネタバレさせないけど・・予想してた以上に“突っ込みドコロてんこ盛り”な作品ではあった。ま、落ち着いて「監督が“所詮(=^_^=)”サム・ライミであること」を考えたら、これ以上ない“悪ノリ”テイストではあるんだが・・それにしてはあんましゲラゲラ笑えるでもなく複雑ではある。

流れとして予想出来たが、終盤の戦いでスパイダーマンが“殺される寸前”のボコボコ状態となり、とある展開でイッキに形勢逆転するんだが、その一瞬の演出が良かった! もうちょっと引っ張って見せてくれたら・・ウルウルしてたかも知れん(⌒〜⌒ι)

では、例によって突っ込めるポイントを簡単に列挙しときましょうか(=^_^=)

○邪悪生命体・・なぜ、あのタイミングであの場所に堕ちて来たのか? 偶然過ぎる!(ちと『ブロブ/宇宙からの不明物体(1988)』的・・) ←(着地ポイントがずれて)教会の※に激突してたら、そのまま即自滅してたかも(=^_^=)
○オープニングは何処となく『死亡遊戯(1978)』的な映像
○摩天楼の風に乗って“彼”の旅はまだまだ続く・・次は“スピンアウト”作品か?
○手を離れ落ちて行く指環に、空中で手を伸ばすピーター・・ここは『ロード・オブ・ザ・リング(2001)』的
○グリーン・ゴブリンの飛び道具に「あれ嫌い!」と言い放つスパイダーマン。そんなに頻繁にゴブリンに襲われて来たんか?
○“素粒子分解実験場”だかでサンドマン誕生。あの施設、金網(フェンス)1枚ぽっちの防犯対策でええのか。。
○砂の粒子のヴィジュアルエフェクトで暴れまくるサンドマン・・だけど結局『ハムナプトラ/失われた砂漠の都(1998)』の二番煎じな感が・・
○「疾走する地下鉄に押し付けてサンドマンの顔を削ろう!」のコーナー。ここで『ドーベルマン(1997)』を思い出した(×_×)
○後半でバーナード(某執事)が某告白をするが・・「そ〜いう大事なことはもっと早よ言うたれよ!」と。さんざ泥沼化した状況を楽しんでたんやろか?
○それにしても本シリーズ、なかなか“悪党をウェブ(糸)でグルグル巻きにして警察に引き渡す”みたいな(原作コミック的な?)事件解決が出来へんもんやね。。大抵、ラストは相手を死に追いやってるような気がする(・ω・)
○至近距離で「ゴブリン球」炸裂・・顔面熱傷どころじゃ済まず、骨になると思うんだけど・・(威力を下げた?)
○お前、ピアノ弾けたんかい!
○ブティックの店員を殺害して、高級スーツをゲットしたんやろか?
○ピーターの聴覚&視覚ってもっと凄まじかったと思うんだけど・・今作ではめちゃ鈍感ですた(×_×) ←公園の見通しの良い橋の上。近くで誰かが監視してる・・ぐらい分かるやろ!
○聞いてた以上に“ぜんぜん邪悪に染まってない”ピーターの言動に・・「こいつ、やっぱりええヤツなんや」と(・ω・)
○行李(?)の中に収められた「黒いコスチューム」・・おい、脱いで畳んどけるんかいな!
○教会の鐘楼で“解放”されるスパイダーマン。すぐ下で“どエラい状況”になっとるのに、そのまま気付かず帰宅したんかい!
○“ヴェノム”の寄生描写はやっぱり『マトリックス(1999)』の影響を受けてる?
○“ゴブリン”とのスピーディーな空中戦は『スターウォーズ/エピソード2(2002)』辺りの影響か?
○“サンドマン”との格闘シーンは『T2(1991)』を意識してる?

〜 こんなセリフもありました 〜

メイおばさん「愛だけで行き詰まりたくなかった」
      「(例え悪人にせよ)人の死を“当然”だなんて言うべきじゃない」
      「1番難しいことから始めなさい・・それは自分を許すこと」

フリント「俺は悪人じゃない、ただ運が悪かっただけだ」
    「許せとは言わない、分かって欲しい」

※※※「ヤツになら、命だってやれる」

※「1人でも世の中は変えられる・・だろ?」

ノーマン「ヤツの心を攻撃しろ!」

ピーター「家賃が欲しけりゃ、ドアぐらい直せ!」←お、キレてる(⌒〜⌒ι)
    「常に道はある」

追記:例えば「サンドマン誕生」のシーンと「ジャズ喫茶(?)」でのシーン。比べてみたら(カメラワークでも制作費でも)「同じ映画とは到底思えない!」んじゃなかろうか(=^_^=)
何にしても、ピーターが“はしゃぐ”場面なんかは「どうしようもなくB級!」でしたわ。
ま、私的には大好きなシーンでしたが(=^_^=) ←JBも流れるし♪

※『PEOPLE GET UP AND DRIVE YOUR FUNKY SOUL(1973)』と言うナンバーだそうです☆

追記2:ジャズ喫茶(?)にやって来るピーターとグウェン。2人の座ってる背後にいたしとが、ちょっとウィレム・デフォー風で笑えた。黒っぽい皮ジャケットみたいなんを着てるしとです。刮目!

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2007年5月10日 (木)

☆『プロフェッショナル/仕事の流儀』☆

少し前(連休前・・)に某国営放送で観た番組について、鑑賞メモが出て来たので(=^_^=)ちょっとまとめておく。
今回は(実は)映画のハナシじゃないので、応援コメントは要りません(っていつもからコメント貰えてねーっての)

4月24日(火曜)に放送された『プロフェッショナル』。ずーっと以前に観た時は“イタリアの有名デザイン工房に君臨する日本人チーフ”とか“指先の感覚を通じハンドルからテスト車両の情報を得るプロドライバー”などの“でらがばか(=とってもすんごい)しとら”が取り上げられていたが、今回は「英国ロイヤルバレエ団の最高位【プリンシパル】に輝く日本人女性バレエダンサー:吉田都さん」が出演しておられた。

“ロイヤルの至宝”と称される(バレエにはとんと詳しくないが、同団のプリンシパルとしては熊川哲也、アダム・クーパーが有名である)彼女の生い立ちや心情が断片的に紹介される進行であるが、
「他を超越する技術で最高位に立ち続ける方」と(勝手に)思ってたワタシの予想とは若干違い「常に追いすがって来る他ダンサーを牽制しつつ、いっぱいいっぱいの状況下で踊っておられる方」と言う印象を受けた。(番組の演出に乗せられ(?)まんまとそういう受け取り方をしてるだけかも知れないが・・)

「(バレエを)好きでないと、ここまで続けられない」と語っておられるのだが、笑みが何処となくぎごちなく、寂しげな感じで、ついつい「本当にこの方は「心底バレエが好き」で続けておられるのかな? ひょっとしたら、そうご自分に言い聞かせ、暗示をかけ、心の中で叫び続けているのではないのかな?」とまで邪推してしまったものである。
“ポーカーフェイス”と言うと、ちょっと他意も生じてしまうのかも知れないが・・も少し「余裕のある姿、そして屈託のない優雅な笑顔」を拝見したかったように思った。
だって吉田さん、意志の強さと愛らしさの共存したような「イイ表情」を持っておられるのに、どうにも寂しそうなのである。

例えば卓球の世界チャンピオンが登場するとして、ユーモアと個性をまとった映画『ピンポン(2001)』の主人公・星野(窪塚洋介演じる)みたいなしとが現れるのかとワクワクしていら、苦々しい表情で(自己完結的な苦悩に陥った)風間選手(中村獅童演じる)タイプが不機嫌にやって来た、みたいな感じでもあったのだ(・ω・)

この番組の根幹的なコンセプトなのかも知れないが・・「プロフェッショナルが珍しくも見せる、肩の力が抜けた瞬間のイイ顔」を見てみたいな・・と思うワタシは“平和ボケ野郎”なのだろうか。

〜 こんなテロップが表示されてました 〜

「つま先立ちの人生」
「舞台は待ってくれない」
「自分を信じる強さを持て」
「バレエとは、過酷な芸術」
「毎日、油断できない」
「重力との戦い」
「振り返って100点の舞台はない」
「舞台に立てば1人、未だに不安」
「自分の中のどこかに“大丈夫と言う確信”がないと(舞台には)立てない」
「舞台ではその人の経験やすべてが出る」
「あえて、(パートナーに問題点は)伝えない」
「技術は練習で、表現は人生経験で(磨かれる)」
「言い訳をせず、戦い続けられる者・・それがプロ」

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2007年5月 9日 (水)

☆『ウィスキー(2004)』☆

7日(月曜)。衛星第2で放送されてた南米映画(ウルグアイ・アルゼンチン・ドイツ・スペイン合作)『ウィスキー』を観た。。
なんで語尾に「。。」が付いて、歯切れがイマイチ悪いのかと言うと・・(⌒〜⌒ι) 残業が予想外に長引いてしまい、帰宅した時点で物語が中盤近くまで進行しちゃってたから。ああ、ちゃんと“通し”で観たかったのに(×_×) ってことで、なんとか後半の40分ほどだけ観ることが叶った。

寡黙で無愛想な中年男ハコボとその弟のエルマン、ハコボの嫁さんマルタの3人がぎごちない旅をするロードムービー。後で(ネットで)調べたら、ハコボとマルタは「訪ねて来たエルマン」に対し、数日間“偽装夫婦”を演じてた・・って設定だったことを知った。そうかそうか・・。

全編を通し、何が起こる訳でもなく淡々と物語世界が進行し、寡黙でちくはぐで気まずい主人公らの言動の“すき間”に何とも言えぬ味わいがあって良かった。何処となく、アキ・カウリスマキ監督の描く世界観に通じるモノがあるかな、と。

ぶっきらぼうなおっさん=ハコボが全く面白そうな態度を見せず、マルタとも殆ど歩み寄ることなく・・そして、エルマン1人の“盛り上げ”がことごとく空振ってる感じの・・そんな展開が、何と終盤に突入しても「変化の兆しを見せない」のが、私的にかなりスリリングだった(⌒〜⌒ι)
何故って、通常の“お約束”ならば、後半で“何か”がきっかけとなり、フツーは3人の距離が急激に縮まるものだからして。

ハコボは何処となく、クリストファー・リー翁を更にマイナーにしたような感じで印象深い。マルタはプールで水着姿を披露してくれるが「あんさん、むちゃくちゃ老けたはるやんか」とつい突っ込めてしまう。そんなヒロインの老け具合を眺めてて、ついブラジル映画『セントラル・ステーション(1998)』の主人公を思い出してしまった。
ちと大スクリーンで観ると、生々しい感じのしとかも知れない(×_×)
エルマンは、まだまだ性生活を謳歌してそうな(←ほっといたれよ)、ツルツルテカテカな感じのヘアスタイルが眩しいおっさん。が、彼なりに兄(ハコボ)や、マルタに対する気遣いが感じられて好感度は高い。

ラスト。ハコボが劇的に「変わる」んかな? と思わせつつ、何となくそのまま「劇終(←香港映画かよ)」な流れだったか。
ハコボがマルタに「また明日な」とか声をかけ、彼女が「神が望むなら、また明日」みたいなことをボソッと言うんだが、その辺りの“フリ”が、どう翌朝に結実(?)してるのかが、ワタシには掴み切れないままだったのが残念。
でもまた、もっと年を経てからちゃんと観直したい作品だな、と思ったものだ。

途中で、主人公らに関わる新婚夫婦が登場するんだが、彼らが「マルタ&エルマン」に絡んだ後、別シーンで「ハコボ」とすれ違うんだが、その時の「シチュエーションと映し方の違い」が凄まじく良かった!
カメラアングル、そして夫婦の顔を映さず、彼らの会話とその(とある)特徴で描いてるのである。詳しくは書かないが「この映し方はイイなぁ〜!」と妙にホレまくってしまった。

それと、ホテルのカラオケバー(?)で延々歌ってる女の子も、妙な味わいがあって可愛くて良かった。でも、歌詞を日本語字幕で出して欲しかったぞぅ(・ω・)

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2007年5月 8日 (火)

☆『ブレイブストーリー(2006)』☆

5日(土曜)。午後からクルマで出かける。で、市内の某スタンドで機械洗車&空気圧調整。
何とはなしにボディの小キズ関係をチェックしてみたら、左側のAピラー(フロントガラス〜前部ドア間に位置する柱)にサビキズを発見⇒ドンヨリしてしまう(×_×)
駐車場が吹きっさらし状態なもんで、紫外線・・黄砂・・鳩のフン・・汚れに傷みに何でもござれである。もうちょっと出世出来たら、屋根付のガレージを構えてみたいものなんだが。
たぶん出世なぞ望むべくもないけど・・(⌒〜⌒ι)

さて、今夜は「地上波初登場」で放送された劇場用長編アニメーション作品『ブレイブストーリー』を観た。公開当時、ちょっと気になってた映画だったのもあり、新聞切り作業をやめて、鑑賞に専念した(・ω・)

原作:宮部みゆき、製作総指揮:亀山千広(フジテレビの大物プロデューサー)・・と人材的に売れる要素は十分に兼ね備えてるようだが・・
私的にはイマイチ何も感じるものがなかった。(素晴らしくて)泣けるでもなく、(つまんなくて)ハラが立つでもなく・・もう少し何か“印象”を残して欲しかった1作ではある。

小学5年生(11歳)の少年、三谷亘(ワタル)が現実世界(“現世:うつしよ”と呼ばれる)から「空に浮かぶ扉」を越え、向こう側に広がる“ヴィジョン”と呼ばれる世界へと向かう。渡された「勇者の剣」の柄(つか)の部分にある「5ツの穴」に宝玉を全てはめ込むと「運命の塔」に登る資格が得られ、その最上階に待つ「女神」に“とある運命を変えてもらう”のがワタルの旅の目的。
そしてその世界では、彼の同級生であるミステリアスな少年、芦川ミツルが“強力な魔法使い”とし、先に“ヴィジョン”に混乱を巻き起こしていたのだった。
キ・キーマ(ジャージャー・ビンクス系?)、ミーナ(ネコ娘?)、カッツ(女親分?)・・と言った旅の仲間と知り合い、ワタルは宝玉を揃えて行く。だが、最後に彼を待ち受けるのは、余りに過酷な試練の連続なのだった・・そうゆう流れ(・ω・)

うーん・・何だろう。スタッフ(キャスト含む)も映像も確かに一流。物語もそつなく展開するんだが・・何か漫然と観てしまい、何も感じないし、何も残らないって印象だ。
特に“タチが悪い”のは「悪いツッコミのしようもない」ってトコか。脚本や演出、世界観などに「穴ぼこ」がたくさんあれば、そこに対しムチャクチャ突っ込めて、それはそれで楽しいんだが(おい! どういう趣味や!)、そんな面白みもないのである。

コレが原作(小説)を読んでからだと、或いは印象や(作品に対する)思い入れも変わって来るのかも知れないが・・

・次々と脈絡なく主人公のクエスト(冒険)が展開し、次第にそのテンポに置いてけぼりとなる。
・“ヴィジョン”なる作品世界が「断片的なまま」描かれるため、漠然と観るほかない。
・“現世”も“ヴィジョン”も「ステレオタイプな(既視感(?)のある)世界」であり、さしたる斬新さが感じられない。
・登場キャラクターの誰に対しても、感情移入が出来ない。

そういうのんが目立った、私的に。

また、作品のあちこちにアカラサマなオマージュ(?)、或いは模倣のようなモノが多かった。連想したのは『天空戦記シュラト(1989):主人公とライバルの造形』『オズの魔法使(1939):虫瞰図的世界描写』『天空の城ラピュタ(1986):光る宝石』『マトリックス・レボリューションズ(2003):センティネル系敵キャラ』『ネバーエンディング・ストーリー(1984):悪ガキ3人衆&主人公の試練の旅』・・などだろうか。
「結局、現世から来たよそもんが、その世界でいっちゃん強い」ってノリは『ドラえもん/のび太の宇宙開拓史(1981)』系なのかも知んないけど。。

あんまし詳しくないし、ファンのしとたちをテキに回すつもりも毛頭ないンだが・・“宮部みゆき作品”って、別にムリして映像化する必要は全くないのかも・・と直感的に思ったりした。
『模倣犯(2002)』も『理由(2004)』も・・今までに観て来たのんって、あんまし納得出来るモノがなかったのである(・ω・)

まぁ、「作る側」と「観る側」の思惑がすれ違ってるケースって、起こって然るべきではあるんだが。

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2007年5月 4日 (金)

☆『クィーン』☆

この連休で最後の映画鑑賞となるのだらうか?(・・たぶん、なるに違いあるまい) まるで、しばらく観ることの出来なかったフラストレーションがエジャキュレーションと共に爆発(=^_^=)するかの如く、劇場に通ってるワタシである。
本日4日(金曜)もまた、大阪市内へ繰り出し、1本観て来た。選んだのは英国(英仏伊合作)映画『クィーン(notクィーン・コング)』。一部では『バベル』をも凌ぐ、とも囁かれる作品だそうである(どうかな?)。

1997年5月2日。労働党のトニー・ブレア(マイケル・シーン)が他候補を制し、英国首相に就任。

同年8月31日。フランス・パリ市内にてダイアナ元王妃が交通事故により急逝。

これら2つの出来事を軸に、エリザベス女王(ヘレン・ミレン)の抱える心中の葛藤&微妙な変化を中心に、憶測しつつ描いたドキュメンタリータッチな作品。現在、女王陛下ご本人が、16年ぶりに夫妻で訪米中とのことで「いいタイミングの公開やね〜☆」と思ってたが、観終わって「ホンマにええタイミングの公開や・・」と複雑な心持ちになってしまった。決して英国王室に対する“叩き”“揶揄”のふた言では片付け得ぬ物語とは思うんだが・・観客それぞれにより色んな捉え方が出来、肯定も否定もしにくい作品とは言えた(・ω・)

字幕は戸田奈津子女史が担当。(“戸田節”の炸裂なるか・・?(=^_^=) ⇒「儀仗(ぎじょう)兵」て表現があった(・ω・))
主演のヘレン・ミレンは本作で第79回アカデミー賞【主演女優賞】を獲得☆ 「映画史上、最も感情を表に出さずしてオスカー像を獲得出来た演技」とも評せるかも・・(⌒〜⌒ι)

ハナシの中心人物となるのは、女王陛下ご本人と若き熱血宰相ブレア。「女性と男性」「壮年と青年」「保守的と革新的」「無表情と表情過多(=^_^=)」「沈黙と饒舌」て感じで、ことごとく正反対の性格の人物像とし、対を成して描かれる。
お互い、豊富な人生経験を積んでおり、主張を譲らない頑固なトコロもあるんだが、“国民感情”を介し、それぞれが少しずつ思惑を変化させてゆくさまが面白く、また本作の(庶民的な)見所と言えるのかも知れない。

序盤では、「王冠を載せている頭は、寝(やす)んでいる時も不安なもの」なる引用が表示される。それに続く女王のセリフは
「私も一度で良いから投票してみたいわ。自分の意見を言ってみたい」
「彼を“トニー”と呼べと? 嫌だわ!」
などと天衣無縫な印象。そんな彼女も、即位し既に50年。ウィンストン・チャーチルを手始めに、これまで10人の首相を見届けて来たのだ。

ブレアとその妻シェリーは女王の側近=ロビン・ジャンヴリンに「謁見時の手ほどき」を受ける。
・入室してまず一礼
・握手する際に一礼
・女王陛下を「御前」と呼ぶ
・退室まで絶対に背を向けない
・「へーか」でなく「へいか」と正しく発音する(←“戸田節”の1?)
序盤と終盤。ブレアは劇中で2度女王に謁見するが、微妙に部屋に流れる空気の“張り詰め方”の異なってるのが興味深い。

大きな見所は、何気なくも(?)たっぷり時間をとって描かれる「鹿狩り(鹿撃ち)」のシーンか。ランドローバーを自ら運転し、広大な狩り場に向かう女王。とあるトラブルにより“何ものにも干渉されぬ1人の女性”とし大自然の中に佇む彼女を拝むことが出来る。
劇中で唯一(?)屈託なき女王の「感情(の片鱗)」を掴むことの出来る、非常に重要なシーンでもあるので、見逃さぬよう!

私的には、ヘレンの演技より、彼女の夫=エディンバラ公フィリップを演じたジェームズ・クロムウェルの言動がいちいち小憎(こにく)らしく、即ち眼が離せなかった(=^_^=) ある意味『L.A.コンフィデンシャル(1997)』の時の役柄より「よっぽどタチが悪かった」気がする(=^_^=)
マイケル・シーンは・・どうかな? 確かに「未熟さ」と「したたかさ」を内面に共存させた、それなりのブレア像を築くことには成功していたと言える。(前半、サッカーのサポーターみたいな格好で寛ぐ、プライベート場面は面白かった)
個人的には、ちょっと笑った時の表情が“妙な感じ”で気に喰わなかったが・・(・ω・)

※現時点での好かんツラ・三傑【男優篇】とし、

○トビー・スティーヴンス
○キリアン・マーフィー
そしてこの、
○マイケル・シーン
・・をとりあえず挙げておこうかな(⌒〜⌒ι)

女王の「密かな気遣い」を表すシーンとしては「逃げた鹿のこと(その後)」ってのがあるが、あそこだけは描写が何ともダイレクトで生々しくてイヤだった。同じことを表現するにせよ、も少し演出面で工夫すべきなんじゃなかろうか。私的に強く感じた。

そもそもから、英国王室にも、それに関連するゴシップにも、大した興味のないワタシであるが、「本人(女王&首相)の動き」「(彼らの)側近の動き」「(それを取り巻く)報道の動き」「(それにある意味、煽動される)国民の動き」を見比べる意味で、独特の面白みを感じたのはあったか。何処までが真実なのかは知らないけど、まぁ“今が旬な佳作”とは言えるでしょう。

〜 こんなセリフもありました、イエスマム! 〜

女王「彼女(ダイアナ)はもう“民間人”じゃないの」
  「逃げて! 逃げなさい!」
  「衛兵交代の邪魔になるのなら、門の(大量の)献花をどかしなさい」
  「私はね、大げさな涙とパフォーマンスが嫌いなの」

エディンバラ公「(ダイアナは)生きてても、死んでからも厄介な存在だな」
       「(国民と王室の)正気はどっちだ?」
       「葬儀に来るのは芸能人とゲイばかりだ・・エルトン・ジョンが唱うんだぞ!」 ←おいっ!
       「いい娘だった、あの頃(のダイアナ)は」
       「(ブレアからの電話に)あのバカ者! (折角の)お茶が冷めてしまったではないか!」

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☆『ロッキー・ザ・ファイナル』☆

3日(木曜)。「GWの後半戦突入」って感じか。
今日は、梅田で人に会う約束があり「それに絡めて映画でも観よう!」ってことで、1本観て来た☆ 「分かり易いのがイイ」「あまし深刻なんは観たくない」ってことで、大して迷うこともなく(=^_^=)『ロッキー(1976)』シリーズの最新作に決定☆

「何を今さら『ロッキー』なのかと高をくくっていたら、これが予想を上回る面白さ。ぐんぐんと画面に引き込まれ、最後は言葉にならない熱いものがこみ上げてきた」なる“絶賛っぽいのん”をY新聞の映画評(記事)で読んだものだが、さてさて・・??

かつて2度のヘビー級王者に輝いた、栄光のボクサー=ロッキー“イタリアの種馬”バルボア(シルベ・スタロ〜ン)。前作(1990)でかなり危ぶまれた“パンチドランク症候群”も何故か奇跡的に克服し(⌒〜⌒ι) 今は地元フィラデルフィアの下町に暮らし「エイドリアンのレストラン(since1995)」を経営している。
妻エイドリアン(タリア・シャイア)は“女性のガン”を患い、既にこの世にはいなかった(生没年:1950-2002)。ひとり息子=ロバートは有名過ぎる父親の存在を「そばにいるとあんたの影にかすむから」と言い、やや距離を置いた社会人生活を続けている。
義兄ポーリー(バート・ヤング)は、エイドリアンとの過去を引きずったまま生き続けているロッキーに不満を隠せない。

「過去に生きるな・・そんなのロクなもんじゃねぇ」

それは妹の生前、良い兄として一度も接してやれなかったポーリーの、自身に向けられた怒りの言葉でもあった。

現在のヘビー級では、若きチャンプ=メイソン・ディクソン(アントニオ・ターヴァー:元ライトヘビー級世界王者!)が「33戦全勝(30KO)」と言う凄まじい戦歴で“無敵”の名を欲しいままにしていた。
過去の王者。そして現役の王者。
彼ら、“時代を違えた”2人のボクサーが接点を持つことは有り得ないように思われたが・・TV番組の「とある酔狂な企画」に端を発した騒動が、ロッキーを再びリングに上がらせる決意をさせる。

そしてラスベガス。史上最大のエキシビジョン・マッチのゴングが、今高らかに鳴らされた・・みたいな流れ。

良くも悪くも普通にも(・ω・)「まさにシリーズの集大成や!」と言う印象が濃厚。ラストの死闘の真っ最中を始め、意外なトコロで意外な「過去のシーン&過去の関連キャラ」が唐突に描かれたり、登場したりする。ミッキー・ゴールドミル(俳優:バージェス・メレディス)もイワン・ドラゴ(俳優:ドルフ・ラングレン)もちょろっと(過去の“記憶”映像で)出ます☆
反面、アポロ・クリード(俳優:カール“アクション・ジャクソン”ウェザース)とかルドミラ(俳優:ブリジット・ニールセン)とかクラバー・ラング(俳優:ミスター・T)は、ちょっと気づかなかったなぁ(⌒〜⌒ι)

観賞後、そばを歩いてた観客の誰かが「このシリーズ、ホンマに毎回一緒や!」みたいな賛辞(←なのか?)を吐いてたが、まぁそこを外しちゃうと前作(『ロッキー5/最後のドラマ』)の二の舞となっちゃうんで、我慢頂きたい。代わりに、今作では豪邸も、スーパーカーも、家庭用ロボットでさえも登場しないんで、その辺(のリアルさ)はきっちり評価したげて欲しいトコロだ(=^_^=)

全然記憶になかったが「ファン向けの結構細かいシチュエーション」とし、第1作で客演してた(らしい)“スパイダー”なる元ボクサーと、当時不良少女だった“リトル・マリー”なる女性が、“その後”の描かれ方で出てたのがあった。ついつい第1作のDVDソフトを買いたくなるしとも多くなるってもんじゃなかろうか。
ここで商売っけを発揮⇒劇場入口で過去の作品を売ったらエエのに(=^_^=)

マリーを演じたのはジェラルディン・ヒューズと言う女優さんであり、見ようによっては、エミリー・ワトソンに雰囲気が似てる感じもし、好感度がつい高まった(=^_^=) 後半できっちりスタロ〜ンとのキスシーンもある。
監督ご自身、ちと“粉をかけてる”気がしなくもない(⌒〜⌒ι) これっていわゆる「ブリジット・ニールセン症候群」・・?!

全体的には「長い作品やなー」と時計が気になることもなく、脚本的には巧く練られてたんじゃなかろうか。
特に、終盤の試合のシーン、とあるキャラが、
「あんたは笑い者なんかじゃない! 誰もあんたを笑っちゃいない!」
と訴えるセリフには、一瞬ウルッとなってしまいますた(⌒〜⌒ι) 右隣の中年男性がどうやら目頭を押さえてる感じなのが見えたので、辛うじてそこで踏みとどめましたが(=^_^=) ←気にすんなっての(⌒〜⌒ι)

その他、ちょこっと幾つか。

○ポーリーが「人生最後の試合だ!」「人生最後のラウンドだ!」などと強調し過ぎてたのが、やや鼻についた。「これからも続いてええやんか」と。
○試合中、左腕を傷めた※※※※。「患部の痺れがしばらくしたら回復、そこから反撃!」みたいな“フリ”のセリフがあったが、あんまり反撃力は高まってなかったような?
○エンドロール時の映像。私的には「こんなテイストじゃない方が・・」と強く感じた。なんか「提供:フィラデルフィア観光協会」って感じのノリだ(×_×)
○「ロッキーの銅像」がちっとも出て来なくて不満。どうやら“壊されてしまってる”設定のようだが・・
○フィラデルフィアの下町の貧困な雰囲気を改めて感じた。加え、かなり「寒い町」らしいことも知った。
○“還暦”を迎えてのあの過酷なトレーニング。。感動を超えて、危険な印象すら漂ってた(×_×) 真似すると死にます、確実に。
○距離を置いて、ジャブを放って来るディクソン。「ホンマにクレバーな戦い方やな」と感心した。
○今回は、第3ラウンドが終わった辺りで“ロッキー名物・紙芝居的展開”に切り替わってた(・ω・) もうちょっと、しっかり観たかったなぁ・・
○ディクソン側のリングサイドに・・“あのボクサー”が・・! 本人出演には少し驚いた!

〜 こんなセリフもあったでよ 〜

ポーリー「今や、世界中が壊れちまってるのさ・・建物のハナシじゃないぜ」

ディクソン「おい、ジイさん」
ロッキー「お前もいずれそうなるさ」

※「バルボア、笑みを絶やしません」
※「どうせ負け試合だから、ヤケクソなんでしょう」 ←ムチャクチャや(=^_^=)

ロッキー「犬と話してみろ、勉強になるぞ」
    「150年もそこに建ってて壊れないなら、頑丈だって証拠だ」
    「人生、笑いがなくちゃ・・そうだろ?」
    「悩みなんかと付き合うより、この俺と付き合えよ」 ←お、“口説きモード”っスね☆
    「数字でおかしくなるなよ」
    「怖い時ほど、強気でいろ・・俺は今まで、そうやって生きて来た」
    「自分を信じなければ・・それは人生じゃない」

ロバート「何をやっても、それもまた“過去”になるのさ」

リトル・マリー「心は年を取らない・・明日、試合でそれを証明してみせて」

ロッキー「死ぬほど怖いさ」
ロバート「そうは見えないよ」
ロッキー「顔に出せるかよ」

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2007年5月 3日 (木)

☆『プロジェクトA(1984)』☆

3日夜。木曜洋画劇場で放送されていたのを、中盤まで“つまみ観”する。

元々が“ブルース・リー派”なワタシなもんで、あまし積極的にジャッキー・チェン作品を観て来た訳ではなかったんだが・・その中でも「劇場に観に行こうかな?!」と公開当時、思わせしめた「名作」であった。
監督ジャッキーの代表主演作にして、最も過酷なアクションに挑み続けてた頃のピーク的な1作とも言える。

近代の香港を舞台に、海軍突撃隊長のドラゴン(ジャッキー)が、陸軍指揮官のジャガー(ユン・ピョウ)や盗賊フェイ(サモ・ハン・キンポー)と共闘しつつ、世を荒らす海賊を退治すべく奮闘する物語。

映画史上屈指の(?)自転車チェイスが中盤に配されており、このシーンだけでも一見の価値がある。他にも、高所から転落⇒地面に叩き付けられたり、階段落ちしたり・・ホンマに“NGテイク”の多さと凄まじさを想像するだに、クラクラしてしまう作品なのだ。

過剰&不必要にアクションが連続してしまったり、対するコメディー部分がやたら軽かったり、ジャッキーのヌード姿が余り拝めなかったり(←拝まんでエエけど・・)と、やや演出的に洗練されてないトコロも目立つが、それに目をつぶって良いぐらいの“躍動感”が映像全体からバンバン発せられてて良い!

が、「いよいよ」海賊退治に出かける・・実際の『A計画』が発動して以降の展開は、暗いシーン(闇夜とか洞窟内とか)が続き、アクションもぐっと減ってしまう感があり、ちと残念か。。

今回は、海賊退治に出かける寸前辺りで鑑賞を中断した。他にも色々とやることがあるもんで(=^_^=)>

別に、本作が伝えたかったメッセージと言う訳でもなかったんだろうけど、サモ・ハンが劇中で言ってたセリフ
「香港には4種類の人間がいる。俺は金持ちにゃなれないし、貧乏人にもなりたくない。で、警官が嫌いとなりゃ、泥棒になるしかないだろ?」が何故か心に残ってしまった。

何となく芥川(龍之介)文学『羅生門』の終盤に出て来る、「餓死したくないとなれば、盗人になるしかない」的な会話を思い出したものである。
だからどうした、と言われれば、特になんの意味も関連性もないんだけど(・ω・)

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