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2007年1月28日 (日)

☆『赤い月(2003)』☆

26日(金曜)。残業でくたくたになりつつ・・帰宅後「金曜ロードショー」で“地上波初登場”とし放送された邦画『赤い月』を期待半分・不安半分(⌒〜⌒ι)で観た。直木賞作家・なかにし礼の“満州だヨ、おっ母さん”的自伝小説を原作に、降旗康男監督がメガホンを執った作品。主演に常盤貴子。共演に香川照之、伊勢谷友介、布袋寅泰・・あと、山本太郎、大杉蓮など。

昭和20年夏。第2次大戦末期の満州を舞台に、愛を求めしたたかに生きぬいた母と子の、激動の半生が描かれる・・
ってな、なかなかに壮大な大河モノなんだが、TV放送ヴァージョンでカットされまくりなのか、何とも大味な脚本であった。。
北海道・小樽を発ち、新天地・満州へやって来た森田夫妻(勇太郎役:香川、波子役:常盤)とそれに連れ添う大杉中佐(布袋)の“フリ”がちょびっと描かれるが、何とも「台本をただなぞりました」的で頂けない。で、10年後・・夫妻は関東軍の庇護のもと『森田酒造』を満州・牡丹江で成功させるんだが、酒作りとか子供らに関する苦労話は一切なし! いきなり成功し、家族や使用人に囲まれた夫妻が出て来ても感情移入出来んし・・これって制作費の問題?

香川は抑え過ぎな感の演技で、余り嬉々とし演じてるように見えない。反面、常盤はお相手を「布袋⇒伊勢谷」としたたかにシフトして行く流れなので、結構(撮影を)楽しんだんじゃなかろうか(←単なる邪推)
にしても・・メインを張る役者陣が揃いも揃って“ラディッシュな台詞回し”なのには閉口させられた。「演技力がまずありき」ではなかったんやろか。香川は途中で唐突にプチ錯乱して『ブラック・レイン(1989)』における故・松田優作みたいな蛮行(?)をやってのけるし、布袋に至っては、これまた唐突に・・。正直、彼の起用された意図が殆ど分からないのである。
伊勢谷は『金髪の草原(2000)』におけるナチュラル演技には結構好感を覚えたが・・本作でも同じような演法なので「うう・・」とこれまた失望。鍛えまくってる感じの筋肉美が、ロシア人家庭教師(役名:エレナ・イバノーヴァ)との全裸セクースシーンなどで引き立ってるのは確かに認めますがネ(⌒〜⌒ι)

私的に一番良かったのはハルビン在住の怪しげな“片言ぎみ日本語遣い”の中国人役を演じた大杉蓮。彼ひとりのみ、大きく物語の中で存在感を示してたように思う。
役名で遊んでるなぁ〜と思ったのは、伊勢谷演じる諜報部員(スパイ)の氷室啓介(階級は少尉)。布袋のライバル的存在である氷室京介に酷似してるのはどうだろう、と。エレナ役を演じた女優さん(←なかなか可愛いです、散り際は“血しぶき上げ過ぎ”ぽいですが(×_×))がエレナ・ザハローヴァさんと言うそうで、これもそこまで近づけるなら、そのまま同名にしといたらええやんか、と突っ込んじゃった次第。その辺り、原作での設定がどうなってんのか興味がチラリ☆

最大の特撮的見所は中盤、爆撃により全壊する「森田邸」のシーンであろうか。ただ、カメラが“妙に行儀良い位置”で固定されてるので、予定調和な感覚があり、あんまり意外性と言うか、心にどよめくものはなかった。
後半でいよいよ(?)氷室と1つに結ばれる波子。その場面をモロに目撃した子供ら(美咲と公平の姉弟)が衝撃を受けるのが何と言うか・・(×_×)←施錠しとけよ! とも思うし。カギないんか?
美咲は「わたし恥ずかしい・・あんな不潔な人が母親だなんて」と嘆いてたが・・考えるに、小樽時代(或いはそれ以前)から波子が“奔放でなかった”確証は何処にもない訳で・・美咲や公平が「勇太郎のホントの子」と言う訳でもなかったんかも・・と妙に勘ぐり過ぎて余計に頭痛がして来るのだった。。

その他、気になった点など列挙。

○降旗監督はやはり“鉄ちゃん”か? 蒸気機関車の出番が妙に目立つ。
○屋敷の爆発するセットに制作費がかかってるぐらい?
○語り手を屋敷内に(使用人とし)配しても良かったか? 誰の視点で、どう物語を辿れば良いのか曖昧。
○『OUT(2002)』の頃の鮮烈さがどんどんしぼむ香川照之・・。

〜 こんな台詞もありました 〜

波子「私の中であなたを取り戻して」
  「生きる為には愛し合う人が必要なのよ!」
  「大切なのは自分自身の命を生き続けるための愛なのよ、いつかきっとあなたにも分かるわ」
  「あなたの戻るのを待つのが、今から私の生きる理由」

エレナ「罪なら私も同じです・生きることは罪なのです」

大杉中佐「死に場所を失った軍人は哀れだ」

追記:降旗監督作品と言えば、何と言っても『駅/STATION(1981)』が好きである。健さん(高倉健)と倍賞千恵子さんの“結ばれる”シーンがとても良かったのです。海鳴りなんかが枕元で聞こえてそうな感じで(←それって“ピストン運動”のメタファーか? ←おいっ!)、ワタシの理想とする大晦日の過ごし方かも知れません(談)。

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2007年1月24日 (水)

☆『オーロラの彼方へ(2000)』☆

23日(火曜)。久々に(職場の)フロアで最後まで居残る。この先、こんな残業がだんだん増えて来そうな雲行きである。どうしよう(←いや、頑張れよ)
くたくたになりつつ帰宅、衛星第2で放送されていた映画『オーロラの彼方へ』を観た。

公開当時、しっかり劇場で観た本作。基本路線は「SF(タイムマシン)+家族ドラマ」なんだが、そこに巧い感じに猟奇殺人(サスペンス)を絡めており、1作で色々な味わいが楽しめるお得な作品とも言える。
酷似したタイトルの邦画に『オーロラの下で(1990)』があるが、ストーリーは全然違うのでお間違えなきよう・・ ←この作品も終盤の盛り上がりとか、決して悪くなかった気はするけどね(・ω・)

さて『オーロラの彼方へ』。原題が「Frequency(周波)」と至ってシンプルな訳で、軸となるアイテムは「ハム無線機」。これを介し、30年の時空を超え、1969年に殉職した消防士の父、フランク・サリバン(デニス・クエイド)と1999年に生きるその息子、ジョン・サリバン(ジム・カヴィーゼル)が“再会”を果たす。

見所は以下のそれぞれか。
○「タイムトラベル」をするのは登場人物の“肉体”ではなく“声”。ニューヨーク上空で観測された連夜の「オーロラ」がそのカギを握る・・と言うか、その辺りは余り詳細に解説されておらず(・ω・) 劇中ではブライアン・グリーンなる教授が「ストリング理論」を持ち出し何やら解説しておられた。。
○前半の「火災シーン」の臨場感がなかなかいい! 「火事場」と言うとつい『スパイダーマン(2002)』のあの“やたらと驚かされた場面”を思い出すんだが(=^_^=) それを除けば、本作か『バックドラフト(1991)』が他作を大きくリードしてると思う。
○とにかく「野球」ネタが全編を覆い尽くしてる! 1969年ごろの大リーグ史が好きな方には、たまんないんじゃなかろうか。
○クエイド演じるフランクの父親像がいい! 妙に純真で、妙に熱いのである。

反面、こんな疑問点・問題点なども。
○父親、息子・・に続き印象の強かったのが・・犯人(×_×) も少し、母親のキャラを目立たせる感じに配して欲しかった。
○ジョンの恋人サム。序盤で出て行ってしまって・・そのまま? 結局、終盤で再登場した印象がなかったよぅな??
○運命が変わると同時に「変わる前/変わった後」の2つの記憶を同時に有することとなるジョン。それって理論的にOKなんだろか? 変わった時点で、当事者の脳内では、記憶が(瞬間的に)大きく置換される気がするんだが。 ←とは言え、もの凄いムチャなことをしてる訳で、突然にアタマを激しく揺さぶりながら・・白目を剥いたり、耳から出血したりしそうな気がする(⌒〜⌒ι)
○犯人の殺人に至る動機付けも少し弱かったような・・いわゆる“先天的ナース萌え体質”だったんだろうか。。あと、30年間ぐらい、どこに隠れてたんやろか。片や白骨、片や潜伏、人々には様々な30年と言う月日が流れるものなのですね・・。

劇中の台詞では、ジョンの母、ジュリア・サリバン(エリザベス・ミッチェル)による
「母親は、黙っていても分かっているものよ。子供が自分を愛してくれているってことが。
  本当はもっとそれを言って欲しいけれど」
が良かったッス。

いつかまた、観直したい、そんな作品ですなぁ。

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2007年1月19日 (金)

☆『ロードキラー(2001)』☆

18日(木曜)の夜に鑑賞。かなり前にTV放送されてたのを録画しといたもの。番組中の「次週予告」から推理(=^_^=)するに、昨年の11月16日(木曜)に“地上波初”で放送されたようである・・うーん、思えば随分放置したもんだ(・ω・)
「木曜洋画劇場」の冒頭では「超激突!! 迫る鋼鉄の暴君龍(T-REX)! 破滅直行便サスペンス!!」などと、ナレーションがやたらと吠えてた(?)感じだが・・いざ観終わってみれば「予想以上にどうしようもなくポンコツやな〜」と、軽い疲労感を覚えた次第(×_×)

ボストン⇒ソルトレーク・シティ⇒コロラド⇒ネブラスカ・・と長距離ドライヴをするトーマス兄弟(弟:ルイス(ポール・ウォーカー)、兄:フラー(スティーヴ・ザーン))がルイスの女友達ヴェナ(リリー・ソビエスキー)を迎えに行く道中、トラック無線(CB無線)を通じ知り合った謎のトラック運転手“ラスティ・ネイル”に執拗な死の追跡を受ける、と言う流れ。
名作『激突!(1972)』や、近年の同路線作『ブレーキ・ダウン(1997)』などとプロット的に似てる感じもあるが、展開の無意味さ、演出の粗さ、共感出来ないキャラクター陣の言動など・・かえって『激突!』の素晴らしさを再認識させてくれるハナシだったり(・ω・)

薄っぺらな世界観や強引な終盤の流れなどは何処となく『スクリーム(1996)』や『ラストサマー(1997)』辺りの“新世代型即席ホラー”を連想させる。ラストなどは『フォーン・ブース(2003)』そっくりな(ノリの)オチだったし。。

唯一「おっ!」と言う感じだったのは、兄弟がおバカな悪戯で“ラスティ”を深夜のモーテルに誘い出すシーン。隣室内で息を潜める兄弟、その窓の向こう・・大男の影がカーテン1枚を隔て、ゆっくりと横切る・・その辺までは良かったんだけどねぇ。。

親切なおじさん(役名:ジョーンズ)やら、ヴェナのガールフレンド(役名:シャーロット)やら、兄弟たちの周辺に脇役が現れては消えるんだが、必然性が強引ぽいと言うか、正直“ラスティ”の取ってる行動との関連付けがしにくい。兄弟を追いかけつつ、その周辺にも監視の眼を光らせてるトコロなど「ラスティ複数説」まで考えてしまったりするのだ(⌒〜⌒ι) 

あ、スタッフの中に「製作・脚本:J.J.エイブラムス」のクレジットを発見☆ 後に『M:i:3(2006)』の監督さんに抜擢されるとはねぇ・・(・ω・)

追記:ネット上の評価をみてると「なんで(州境のトラック・ストップで)女にチーズバーガーを買いに行かせないのか」なる不満げなツッコミコメントがあり、苦笑させられた。ワタシが勝手に思うに・・何となく“ラスティ”って「女性恐怖症かつ童貞」なんかも知れない。妙に凶行に“男女差”がありますもんで(・ω・)

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2007年1月18日 (木)

☆『マイ・ハート、マイ・ラブ(1998)』☆

17日(水曜)。衛星第2で放送されていたものを鑑賞。録画するテープがないもんで、自室の“14インチ・グリーンモノクロTV”でだらっと観てたが、なかなかに上質な“オムニバス型恋愛群像劇”って感じで良かった☆
5組の「様々な状況を抱える」男女が登場、同時進行型で物語が収束に向かってゆく展開。

ポール(ショーン・コネリー)とその妻ハンナ(ジーナ・ローランズ)
ジョーン(アンジェリーナ・ジョリー)とミステリアスな青年キーナン(ライアン・フィリップ)
グレイシー(マデリーン・ストゥ)と恋人ロジャー(アンソニー・エドワーズ)
病床の青年マークとその母ミルドレッド(エレン・バースティン)
メレディス(ジリアン・アンダーソン)に言い寄るトレント
夜のバーを彷徨うヒュー(デニス・クエイド)

彼らの言動が断片的に描かれ、次々にシーン(パート)が切り替わるもので、余り「深い部分があるはず、見逃さないように観よう!」と気合をこめ過ぎると・・きっと疲れるに違いない。
本作の醍醐味は、後半からの「パズルのピースが埋まってゆくような」キャラ同士の相関関係にある、ように思えるので、まぁ中盤まではだらっと観て頂いて問題はないかなと(=^_^=)

「ベテラン俳優陣」「中堅どころ」「(やや)若手俳優」・・と世代を散らした感じでキャラクターが設定されてるので、それなりに(対象とする)観客の幅は広いのかも。反面、イキイキと作品世界を動き回り、魅力を輝かせてるキャラがいるかと思えば、殆ど移動も行動もしてへんやんか、きみ! ってしともいましたなぁ(⌒〜⌒ι) 全員に平等に脚光を! と言うのはやはり脚本的にムリがあるんやろか。。

で、後半からの“面白み”をバラすと、本作を鑑賞する意味が半減(それ以上?)してしまうに違いないので、細かいことは何にも書けないんだが(=^_^=)、劇中にちらほら登場する「おこりんぼ(anger-ball..と聞こえた)」なる言い回しが、鑑賞後に改めて振り返ると面白い。途中までは「何だ? これって全米を席巻してる流行語だったのか?!」と思ってたし。。

なお、冒頭の某エレベータシーンで“ニッポンジンをからかう”演出があるんだが・・まぁ、そんなもんかって感じか。(ネットの評価を見てると怒ってる方もおられるが、こう言うネタはいつまでも無くならないと思うぞ、うん)

〜 こんな台詞もあったでよ 〜

メレディス「男なんかいなくても、いい女にはなれるわ」
     「今のとこ、恋愛地帯には“着陸待ち”なの」
     「愛する人のすべてを知る必要なんてないわ」

マーク「どんなことにしたって、最初の一歩が難しいんだ」

トレント「指環をしてると、少なくとも“男”には誘われずに済むね」
    「38(歳)の男に、もう遊び相手は要らない」

ミルドレッド「当時はね、20代後半が“女の最後の(結婚の)チャンス”だったの」
      「“耐える女”も私の世代で終わりね、昔は離婚なんて考えられなかった」

グレイシー「私たちは“荷物を持たずに会える”関係・・手ぶらで会い、手ぶらで別れるの」
     「夢なら見るわ・・朝、目覚めてから夜、眠りにつくまでの間に・・」

ジョーン「あいつ・・無口なくせに、喋るとあたしの“急所”を直撃して来るのよね」
    「初恋を“神話化”するのは、ごく自然なこと」
    「哲学すると、どんなハナシも無意味になる」
    「バカね・・人間なんて、みんな欠陥品よ」
    「人間は動物を飼ってるようで・・実は(逆に)飼われてたりして」

キーナン「君の言葉は、僕の中の“死んだはずの部分”に届いた・・生きていたんだ」

ポール「恋の素晴らしいところは、相手の全てをあっという間に理解できることだ」

追記:ロジャー役のエドワーズは何と『トップガン(1986)』でトム“マーヴェリック”クルーズの相棒“グース”を演じてた男優さんでした。うーん・・ちょっと(演技面以外に)頭髪部がベテランの域に達した感じ(・ω・)
あと、クエイドの憂いを帯びた横顔がなかなかカッコ良かったぞ、と。

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2007年1月16日 (火)

☆『You Are The Top 〜今宵の君〜(2002)』☆

※今回の鑑賞作品は正しく言えば“映画”ではありません。

少し遡って13日(土曜)の夜、昨年5月以降(!)借りっぱ(=借りたまま)となってたDVDソフトを観た。三谷幸喜脚本・演出による舞台劇『You Are The Top 〜今宵の君〜』のDVD収録版。私的に“三谷幸喜と言う人物”に対しては・・余り良い印象がなかったり。どうも田村正和を主役に据え置いた某人気推理ドラマが「モシャス(←(c)旧チュンソフト)やんか!」と思えてならないのだ。全般的に(同氏の手がけた)ドラマ関係に関し、どうにも軽薄短小なイメージが付きまとう。「確信犯的オマージュ系ネタ使い」と言おうか・・とにかく小器用にすいすいと泳いでる感じなのが、ともすれば容認しがたい人物に思えたりする(⌒〜⌒ι)

が、以前に観た映画『笑の大学(2004)』(←この作品では(同氏は)原作、脚色のみに関わる)など、たまに“もの凄く冴え渡る、才能を感じさせる”作品がちらほら(=^_^=)あるのは認めざるを得ない。
本作『You Are The Top』もそんなジェラシィを覚えさせるに足る逸品であった。

ロマンティック・コメディーなどとも紹介されているが、交通事故で亡くなってしまった“伝説の”女性シンガー(戸田恵子演じる)の7周忌に併せ、追悼コンサートで彼女に捧げる新曲を製作・発表することとなった作詞家(市村正親)と作曲家(浅野和之)。スタジオでの一夜、と言う限られた時間&空間の中で、スランプに苦しめられる男2人。彼女を偲びつつ、互いの(彼女を巡る)記憶を語り合い、そして「彼女が本当に愛していたのは(お前じゃなく)この俺だ」と次第に口論が熱を帯び始める・・そんな流れ(←と言ってもサスペンスではない)。

芝居のDVDなんか観るの初めてだし、ぶっ通しで150分近くもあるし、舞台移動がないし(←劇だもん・・)、登場人物3人だけだし・・と何となく放置し、観ないままになってたが、ひとたび気合いを入れ鑑賞に取り組むと・・すぐに観れた(=^_^=) この調子で(これまた家人に借りたままになってる)『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還(2003)』のDVDソフトも観なきゃ・・。。

「群像劇とかは、実はヘタなんとちゃう?」と勝手に決め打ちしてしまってる(ワタシの中の)三谷氏だが、登場人物を2人、3人・・と絞り込んだ物語世界における「閉鎖感」と言おうか「濃密感」と言おうか・・その辺りの手腕はもの凄い! 俳優のネームバリューや登場人数で勝負するのはもうやめはったら? と思ったりもする(とは言え、問題作(?)『THE 有頂天ホテル(2005)』はTV放送を録画したまま、未だ鑑賞出来ずにいるが・・)。

時間軸が入れ替わったり・・“2人の男”から観た“1人の女”の性格付け(≒人物像)が妙に異なっていたり・・相手に対する「自慢げな告白」が新たな衝撃の事実とし直後、我が身に降り掛かって来たり・・強い者が実は弱く、弱い者が実は強かったり・・
三谷氏のことだし、きっと何処かに「元ネタ」があるのかも知れないが(←これは根拠なき邪推だが・・)、個人的には「蒲田行進曲」「阿寒に果つ」とかの断片的なイメージが(鑑賞しながら)ちらほらと浮かんだりしたものだった。

惜しむらくは「パッケージ(≒ジャケット)デザインのイマイチさ」と「終盤の大団円(?)における舞台装飾の寂しさ」だろうか。三谷氏の描きたい部分がぶれてしまう危険性はあろうが、出来るなら「映画版」とし、ヴィジュアル的なボリュームアップをはかりつつ“リメイク”して貰いたいものだ(それ以外の要素は極めてシンプルなままで良い!)。それだけ、普遍性もある、素晴らしい舞台劇であった、と感じた。

追記1:副音声で収録されてる「オーディオコメンタリ(三谷氏+戸田さん)」も楽しく、ためになる。衣装ネタ、(観客にははっきりと聞こえない(分からない)が制作者側の意図してた)台詞&演出ネタなど、言われて初めて気付かされる事実も少なくなかった。
追記2:主題歌を手がけたのは井上陽水。歌詞がやや支離滅裂ぎみなんだが、それにも(それなりに?)意味があって面白い。彼自身によるボーカルヴァージョンも是非聴いてみたいものだ(=^_^=)

ってことで「ああ、たまには舞台劇もええなぁ〜」と思って(思わされて)しまった。

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2007年1月15日 (月)

☆『Shall we Dance?/シャル・ウィ・ダンス?(2004)』☆

12日(金曜)の鑑賞。帰宅時間が少し遅く、序盤を見逃したほか・・ちと酔ってたのもあり、横になりながら観てたら・・肝心のダンス競技会(←終盤)の辺りで少し船を漕いで(=眠って)しまったり・・(×_×)
この作品って「序盤:出会いのシーン」と「終盤:大会のシーン」を見逃すと、かなり“鑑賞の醍醐味”を逃すような気がするもんで・・残念(・ω・)
リチャード・ギア演じるジョン・クラーク氏が、日々の単調な(?)暮らし(←弁護士と言う職業設定なので、決して単調ってことはないと思うが・・)の中で“ときめき”に出会い、やがてその秘めたる行為の発覚を経て“家族とのほんとうの絆”を再確認してゆく・・そんな物語。
健全に描けばこの上なく感動的なんだが、ドロドロした方向に展開すると『アイズ・ワイド・シャット(1999)』みたいになっちゃうんじゃないか、と勝手に妄想(=^_^=)>

残念なのは、オリジナル版『Shall we ダンス?(1996)』に比べ、“キャラの濃い&薄い”の点で著しくバランスを欠いてたんじゃないかってこと。オリジナルでは役所広司&原日出子が主人公夫妻を、草刈民代がダンス先生(←「ごっつええ感じ」みたいやね・・)を演じ、周囲を竹中直人、渡辺えり子、徳井優、柄本明が固める・・つまり夫妻&先生の3者が“抑えめ、”周囲が“目立ちめ”な演出なんだが、これがリメイク版はと言うと・・ギア、スーザン・サランドン(妻ビヴァリー役)、ジェニファー・ロペス(教師ポリーナ役)の3人の存在感が強烈過ぎ、その周りが正直かすんで見えた。
辛うじて、スタンリー・トゥッチ(リンク役)がやや頑張りを見せてくれてはいるが、他の3人が押し並べて薄い! これではあかん!

あ、ハナシが外れるが、本作の出演俳優・・実際に今回観るまでは「ピーター・ストーメア」と「フォレスト・ウィテカー」が出演してる、と勘違いしてた(×_×) いやでも、2人とも俳優さん同士が妙に似てるんスよね(⌒〜⌒ι)

あと、やはりスーザンの出演は「妻の存在」としては“前面に出過ぎてた”ように感じた。どうせなら、妻役をダイアン・レインにして、妻の浮気相手の若造にオリヴィエ・マルティネスを配したら良かったのでは? あ、それだとまんま『運命の女(2002)』か。。

後半で、ビヴァリーの職場(デパートかな?)に押し掛けた(?)ジョンが、そこにいる店員の視点を気にすることもなく、何やらイチャイチャを見せつけるシーンがあるんだが、どうにも(スーザンの実際の亭主である)ティム・ロビンスの複雑な表情がぼんやり映像の向こう側に見えるような気がし、入り込めなかった(・ω・)>

そうそう、オリジナルより印象的で成功してたのは、ジョンが通勤に使ってる電車の「駅舎の雰囲気」だろうか。あの独特な寂れた感じのホームはいい! どっかで観た雰囲気だぞ・・と思い、記憶をたぐってみたら『あなたが寝てる間に(1995)』なるラブコメ(?)作品を思い出した。どちらもシカゴが舞台なんですね。

それからスタンリー・トゥッチ。ワタシもようやく(存在を)意識し始めた男優さんだが、本作とほぼ同時に『ターミナル(2004)』にも出演してるってことで、その“演じ分け”に改めて感心してしまった次第。今後が楽しみな俳優の1人ではある。

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2007年1月12日 (金)

☆『アリ(2001)』☆

映画メモがすっかり溜まって来てる。。折角、鑑賞しつつ取ってるものなので、使わぬまま棄てるのもしのびなく(・ω・)
短くまとめ、何とか日の目を見せてやりたい。
鑑賞日が異常に古いのも混ざって来ると思われますが、ご勘弁のほどを・・

12月29日(木曜)。録画しといて久しい、スポーツドキュメンタリー映画(?)『アリ』を観た。監督マイケル・マン+主演ウィル・スミスによる生真面目で長尺な実録映画である。
この監督の作品ってば「硬派」で「骨太」で「出演俳優がやたら豪華」なのが大きな特長なんだが・・何と言うか「こってりしてるだけで華がない」「俳優の輝きが消されがち」「とにかく長い」と言う“負の1面”もまたあるのかも、と感じたり。
『ヒート(1995)』ではロバート・デ・ニーロ+アル・パチーノ+ジョン・ヴォイト+ヴァル・キルマー+ナタリー・ポートマン、
『コラテラル(2004)』ではトム・クルーズ+ジェイダ・ピンケット・スミス(←実生活ではウィルスミの奥さん!)+ジェイミー・フォックス、
『インサイダー(1999)』ではアル・パチーノ+ラッセル・クロゥ、
とそれぞれもの凄いアクターが集まってるんだが、余りそれぞれの個性が生かされず(むろん殺されてはいないが・・)、作品の全体像も(ワタシの記憶の中で)結構ぼやけてたり。もう一歩“パンチ”と言おうか“アクの強さ”の欲しい監督さんである。
本作も、ウィル“フレッシュ・プリンス”スミス(以下ウィルスミと表記)を筆頭に、ジェイミー・フォックス、ジョン・ヴォイト(←過剰なメイクのせいで終盤まで気づかなかった(=^_^=))、マリオ・ヴァン・ピーブルズ(←マルコムX役!)、ロン・シルバー(←『タイムコップ(1994)』ではヴァンダムに蹴られ、エラい目に・・)、ミケルティ・ウィリアムソン(←いわゆる“えび野郎:ベンジャミン・ブルー(1994)”)、ジェイダ・ピンケット・スミス、ノーナ・ゲイ・・など特にブラック系アクターの集結ぶりがすごい! 白人監督による作品と思えないほどの充実ぶりですなぁ。

私的に、カシアス・マーセラス・クレイなるボクサーがどんな流れで“モハメド・アリ”に改名したのか・・彼を取り巻く思想的な背景が全く分かっておらず、その意味ではためになる鑑賞だった。ブラックムスリム(教団)との微妙な関係、マルコムXや(プロモーター)ドン・キングとの交友、ベトナム戦争時の徴兵拒否によるライセンス剥奪問題、3度に渡る結婚など・・ボクサーと言う“本業”以外での様々なスキャンダルにまみれて生きた、そんな男であり、その強烈な“光と闇に縁取られた個性”故にアメリカの歴史に名を残す人物となり得たように感じた次第。

が、ボクシングのシーンが意外に少なめだったのが個人的には不満だったか。4つの試合(←確か)が描かれるが、楽しみにしてた“蝶のように舞い、蜂のように刺す”ファイトスタイルがそれほど展開されなかったのはどうにも(・ω・) ザイールのキンシャサで行われたジョージ・フォアマンとの“奇跡の一戦”でも、総括的には防戦一方と言う感じで、足(フットワーク)も使われず、期待してた「鮮やかな復活劇」とはとても言えぬ試合運びだったのである。

公開当時、ウィルスミが「徹底的に鍛え上げたから、プロのヘビー級ボクサー相手にだって1ラウンドは闘えるんじゃないかと思ってる」と豪語(?)していたが、ファイトシーンのカメラワークは流石に秀逸。盛り上がった重量級の筋肉に極限まで接近し、時にロープをまたぐカメラ・・その臨場感は素晴らしい。

報道陣を前にしては攻撃的に捲し立てるアリであるが、マスコミ不在の場では極めて寡黙なのが印象深い。試合前にチャンプのジョー・フレイジャーとじかに会い、ファイトの約束を取り付けるシーンも良かった。

ジョー「俺はこの拳で勝ち、タイトルも手にした。あとは得るより失うだけだ」
アリ「だが、あんたのそのタイトルはまだ本物じゃないだろ?」
ジョー「ところで、懐は大丈夫か? 当座の助けは?」
アリ「いや、大丈夫だ」

プライベートでは「至って寡黙」な2人の、短いやり取りの中に「誠実さ」「親愛の情」が伝わって来る、良い場面だと感じた。

〜 アリの吠えゼリフ集 〜

「チャンプに教えてやるさ。話し方、闘い方、倒れ方までもな」
「俺は22歳の若さだ。見ろ、かすり傷1つない。俺は偉大だ、最高だ」
「試合にはかなり早めに来なきゃな、でないと相手がノビてる」
「ハッタリ男は5回でバッタリ、減らず口は4回で閉じさす」
「俺は偶像でなく“民衆のチャンプ”となる、俺の望むままの」
「喜べ、俺は最高だ。ここにいるのが俺でなきゃ君は場が持たない」 ←キャスター相手に
「俺はベトコンとケンカなんかしない。彼らも俺をニガー呼ばわりしないから」
「忌避も国に挑戦もしない、カナダにも逃げない、投獄したけりゃしろ。400年も牢獄にいた、4,5年なんか平気さ。だが人を殺しに1万6000キロの旅は断る、むしろこの国の圧政と闘って死ぬさ。死ぬ時は君らが敵だ、中国人でもベトコンでも日本人でもない、君らは自由と正義を求める俺の敵だ、平等の敵だ、戦地に送る敵だ。君らは俺の権利と信仰を応援しない、この米国においてさえ」
「お前の一族を集めろ、みんなの見てる前でお前を叩きつぶす」
「俺の動きが速すぎてヤツには見えない。俺は目にも留まらぬ早さで優雅に動き回るのさ」
「べガスでなら誰だって試合出来る、ここアフリカですることに意味がある」
「俺の信仰は神の眼には落第だろうね」

(恋人と)
ソンジー「ビートルズに会ったの?」
アリ「ああ、眼鏡のヤツはイカしてた。(俺はヤツに)こんなに熱狂するのか? と聞いた」
ソンジー「彼、なんて?」
アリ「自分であろうとするほど、ファンは(俺を)偶像化する、と」

(会見の場)
記者「彼(フォアマン)はあなたよりずっと若いですが」
アリ「俺はそういうあんたよりずっと若い、まだ32歳で絶好調だ」

(会見の場)
ハワード「失礼ながら、もう君に10年前の強さはないと皆、思ってる」
アリ「そう言う君の奥さんはこう言ってたぞ。あの人、もう2年前ほど強くないわ! って」

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2007年1月 8日 (月)

☆『武士の一分』☆

本年初めての“劇場”映画鑑賞! ってことで、手堅いトコで(?)評判の邦画『武士の一分』を観て来た。監督:山田洋次×原作:藤沢周平=時代劇トリロジー(3部作)の最期を飾る(←余りに好評だし、6部作ぐらいプランが拡張されそな気がせんでもないが・・(=^_^=))一作。先に観た家人も「なかなか良かったで」「何カ所か泣いたで」みたいな高評価☆

ネット上の評価からも「(主人公を演じる)木村拓哉(以下キムタク)の存在(演技、言動)に納得できるかどうか」が最大のポイントだと予期してた次第だが、結論とし、ワタシの中では「良く頑張ってる!」と感心した。序盤、ちと寡黙な印象だったので「庄内弁はどうなんや?!」と不安を覚えてしまったものだが、ちょっと崩れた(関東風に洗練された?)現代っぽい言い回しはあるものの、ワタシなんぞを騙くらかすには充分なレベル(=^_^=) 庭で木剣を手に稽古する場面での動き(殺陣)もなかなか良かった。
映画初出演とされる壇れいさん。ワタシと多分近い年齢の筈だろうが、若く見える! 幾つかのシーンで(裸足の)足裏や足指が(意図的に?)際だつ映し方がされるが、ゾクッとするほど良いおみ足をしておられた(⌒〜⌒ι) それに、ややふっくらした輪郭に、アゴがちょいと割れてる感じなのが良い! 個人的に、アゴの割れてるしとが大好きなんですわ(=^_^=)

物語は「封建藩主のお毒味役(=鬼役)とし暮らす青年武士・三村新之丞(キムタク)の慎ましい生活」を描く前半、「とある事件により、突如とし暗雲立ちこめる三村家。戸惑う妻・加世(壇)」って感じの中盤、「“武士の一分”のため、立ち上がる三村の孤独な戦い」が展開される後半・・って構成に分けられるだろうか。

シンプルな組立ての割に“約120分”とゆったり描かれた物語世界。三村家の3人(キムタク、壇、中間(ちぅげん:従者のこと)・徳平役を演じた笹野高史)以外の登場人物は、(意識的にか)その存在(印象)を極めて薄く描かれている。
驚いたのは樋口某を演じた小林稔侍。とぼけた持ち味を最大限に発揮出来ぬまま、役柄の通り“つんのめって転んで”しまった(×_×) 『たそがれ清兵衛(2002)』の時のようなインパクトがもっと欲しかったのに・・(×_×)
珍しいやん? と勝手に感じたのは、町医者・玄斎を演じた大地康夫。この人もそんなに出番はなかったが、美味しい役回りの1人だったかと。

物語の進行やオチについて書くのは問題なので触れないが・・私的に気になったのは下記の幾つか。

□劇中で描かれた場所(ロケーション)がやや限定&屋内的だったか。例えば「村祭りの風景(←ちと定番過ぎるが・・)」とか、「竹刀で子どもに稽古をつける三村」とか「屋外での夫婦の語らい」とかあっても良かったかと。因みに私的には「(序盤に登場の)堀端の風景」がとても良かった! 城の姿を水面に映すに止めてるのが素晴らしいのだ!
□殿様(藩主)の人物像が極めて薄い。特にあの「大儀」なる“そっけない発言”と、後半で「伝え聞いた言動」とのギャップがどうにも埋まらない。
□新陰流の使い手である番頭(ばんがしら)・島田藤弥(坂東三津五郎)の「俺はこんなに強いんだぞ」的なアピール場面も欲しかったか。何だかプライドばかり前面に出てて、剣術の腕は未知数だった印象。苦労して“あんな行動”に出た(鞘を投げる寸前)のに、結果は“アレ”だし。。
□後半、とある流れで、三村宅を去ることとなる加世。新之丞の「月代(さかやき)」の変化から察するに・・かなり長期だった気がするが・・どう糊口を凌いだんだろ(・ω・) ことによっては、更なる「果し合い」を重ねなければ「武士の一分」に関わる・・って事態は起こらないんだろうか(⌒〜⌒ι) 何だか『シー・オブ・ラブ(1989)』の世界みたいな。。
□城内、あんなに「蚊」が飛んでるのは不自然では。。スクリーンに映るほどでっかい体長っぽかったし(×_×) 一方で「蛍」のCG造形は自然で良かったッス☆
□剣術の師匠役の緒形拳。後で嫌疑をかけられなかったんだろうか。同じ流派(太刀筋)な訳だし。
□藩命により「聞き込み」を徹底すれば、“訪問者”を手がかりに、下手人は探し出せたと思われるが・・。或いは藩主は全ての事情をご存知だったか?
□本作の裏タイトルは『武士の醜聞』がピッタリ来るかも。要所で物語を“転がす”ネタ(?)が全て「噂」だったし。
□徳平役を福本清三氏が演ってたら、ひと味違って面白かったかも(=^_^=) 寡黙だろうなぁ・・

〜 印象に残った台詞 〜

加世「私は、あなたのことを心配したいのです! もっと心配したいのです!」

新之丞「共に死するを以て、心と為す。勝ちは其の中に在り。・・必死、即ち生くる也!」

新之丞「貴女の下世話な告げ口は、自身の心の醜さ、卑しさを白状したようなもの」

※細かいキャラの“所作”も丁寧で魅力的だった本作。「良人(夫)の膝にこぼれた飯粒を見つけつまむ妻(その米粒は・・)」「縁側に上がる際、足袋に付着した砂を払う桃井かおり」「剣の手入れをしつつ、刃に映した妻の姿に微笑む良人」・・。職人芸的なカメラワーク(←惚れ惚れします!)と、ふとした動きにこめられた人物の心情・・それが最大の見所と言えるのかも知れません。

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2007年1月 5日 (金)

☆『ディープ・ブルー(2003)』☆

年が明け、1月4日(木曜)。明朝から早くも仕事が始まる・・。
結局、自室の片付けばかりに時間をもぎ取られ、ブログ方面が放ったらかし状態となってしまった(因みにまだ片付け終わってないし)。。
劇場に足を運ぶでもなく、溜まってるのんを(DVDやビデオで)観るでもなく・・つまり、映画関係と遠ざかりっぱなしだったこの年末年始(×_×)
今夜は、久々にTVをつけ(=^_^=)、衛星第2で放送されてた海洋ドキュメンタリー作品『ディープ・ブルー』を観つつ、溜まり始めた新聞記事のチョキチョキ作業を進めた。

本来なら、本年初めての映画鑑賞ってことで、もそっと気合いを入れ、襟を正し観るべきだったんだろうが・・以前からもお伝えしてるように、自室の14インチTVは経年劣化で「グリーン系モノクロ映像」に変わり果てているのだ(⌒〜⌒ι) 何だか観る前から萎えるのです。
白黒時代のチャップリン作品を観ようが、ハリウッド系の凄まじい特撮パニック作品を観ようが・・色彩感が同次元でしか展開し得ない不思議さ・・と苛立たしさ。はぅぅ。

イギリス・ドイツ合作である本作(←レニー・ハーリン監督による、サミュ・L・ジャクソンが力演中、背後から凶暴ザメにガブられるパニック作(1999)とは全くの別モノである)。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による壮大なシンフォニックをBGMに、「生命の源、宝庫」である深く蒼い海洋の物語が展開される。
ある時は海面で、またある時は水面下・・そして深海で・・。当方は“モノクロモード”でしか楽しめず、その素晴らしさも半減(それ以下かも・・)してしまった印象だが、空撮やら(超望遠レンズ使用によるであろう)接写映像の嵐やら。ごっつい時間(撮影に約4年半、製作に約7年かかったとか!)とごっつい機材をバーンと使い、ごっついスタッフがごっつい作品を放ってる訳だ。無論、音楽も前述の通りかなりごっつい。

が、観始めて「どうも疲れる作品やな・・」と感じた。作品の「裏テーマ」が“弱肉強食”なのである。心地よい海洋生物の生態を満喫しようと思ってたら、次から次へと逃げ惑うわ、食われるわ。。公開当時、タレント・北野誠氏が某ラジオ番組のトークで評しておられた通りの印象(・ω・)
自然のリアルさ、生々しい一面を伝える、その意義は確かに大切なんだが・・も少し「観てて抱擁感、爽快感に浸れる」・・そんな物語の演出をお願いしたかった。「食うもの、食われるもの」のシーンが衝撃的に描かれ、次々にそういう場面が切り替わる(≒仕切り直しされる)んだが、観てるこっちはそうそうすぐに気持ちを切り替えられるモノでもないやんか、みたいな。

マイケル・ガンボンによるナレーションでは、終盤でシロナガスクジラ(←確か)の生息数が激減していることを観客に伝え、
「我々は未だに、海から略奪を続けている」なる言葉で物語は幕となるんだが、これも「聞かされて・・どうよ?」ってツッコミが静かに口をついて出て来るのだった。
ナレーションを極力排したそうであるが、いっそそれなら、字幕表示にした方が気分が重くならず良かったかも知れないぞ、と。

取り敢えず「ムチ>アメ」な印象を少なからず受けてしまった作品なのであった。

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