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2006年12月23日 (土)

☆『たそがれ清兵衛(2002)』☆

22日(金曜)。仕事を終え帰宅後、すっかり溜まってた「月曜〜木曜ぶんの新聞」に眼を通し、取りあえずひと通り切り終える。
・・と、それが終わるや否や本日の新聞が「カゴ」に投入されてる。。思わず「ゲッ!」となってしまう。

ちと疲れて来たんで、そこで手を止め、地上波で放送されてた映画『たそがれ清兵衛(英題:TwilightSamurai)』を観ることとした。
既にこれまでに2度ほど鑑賞してるので、今回は主人公・井口清兵衛(真田広之)を巡る“運命の歯車”が軋みながら急回転を始める“中盤以降から”ってことで。
物語としても、後半あたりの「緩急の塩梅」が最高にスリリングで面白い本作だが、反面、今回の鑑賞では「故・丹波哲郎氏のお姿を拝めず」「小林稔侍氏(奉行・久坂某役)のコミカルなキャラを殆ど堪能出来ず」「小悪党(役)の大杉蓮も出て来ず」と言う残念な一面もあったか(・ω・)

戸田仁斎道場の元師範であり“小太刀の達人”と言う設定の清兵衛と、一刀流の剣客、余呉善右衛門(田中泯)が“ある意味特殊なロケーション”の下で「果し合い」をすることとなるんだが(←詳しく書くとネタバレに繋がるので書かない)、その際の対話・・と言うか緩急の流れが素晴らしい!
そのシーンで「刀も抜かず、何をグタグダやり取りしてんだい!」とイライラしてしまう人はきっと「能天気系アクション映画バカ」に違いなかろう(・ω・)
物語を知ってしまうと、もはや顛末が記憶に焼き付いてしまうのが悔しいが「不遇な運命を生きる下級武士同士」である2人が「一線を越える(=アレを※※する)かどうか」「それを許せるかどうか」のプライドの違いみたいな部分で訣別し、その後の行動で互いの「イズム」を主張し合う・・“正しいかどうかの結論は己が刀で下す”みたいなサムライの心意気が巧くストーリーの背後に流れていたように感じた。

実際にそのようなハナシが(その当時の社会で)あったにせよ、本来あまり「表立って描かれなかった」端くれ武士の(華のない)貧乏生活をメイン(軸)に持って来てるトコロも実に斬新だ(賭場のシーンのない(←確かなかったハズ・・)時代劇自体、結構珍しいように思えた(私見))。

ヒロインである朋江役に宮沢りえ。映画の中での姿しか知らない(出演のドラマやバラエティ番組などは観ないんで)彼女だが『トニー滝谷(2004)』『父と暮せば(2004)』での印象がすこぶる良い。本作でも真田氏との演技レベル(=共に高い)に巧くバランスが取れてて、好感を持った。
さて、ほぼ同時期に『ラスト・サムライ(2003)』でも助演していた真田氏。あちらでも幕末期のサムライ(氏尾某役)を演じてるが、(片や『ラスサム』では)甲冑着て乗馬して・・とその印象が180度違って見える。ついついあの作品のパロディ的に、果し合いのシーンで(外で待つ)立会人2人が「井口さんが三手で取る」「いや、五手だ」みたいなやり取りをしてくれると楽しかったかも(=^_^=)
CG映像と言うと・・余り目立った処理は観られなかったが「山頂の鉄塔&電線を消す」とか「余呉に斬られた刺客・服部玄蕃の遺体にたかってるハエ(×_×)」・・とかに用いられてたのやろか?

ほか、幾つか気付いたこと。
□※のお骨をかじる余呉。あれは少なくとも“干菓子”ではなかったようだ・・
□余呉の台詞「浪人どもに紛れて、京に上るもよし、江戸に下るもよし」に「お!」と思った。当時の「おノボリさん」の向かう先は「京都」だったんやね(・ω・)
□「認知症」も作品のネタの1つに。。ただ、朋江が「自身が今、清兵衛にとってどんな存在の女であるか」を問われ“それに答えた直後、うなだれる”・・そんな演出に持って行くための設定と考えたら、これはなかなか素晴らしい!
□斬られた男が立ち上がり、動くたび「床にこぼれる血の音」のするのがすごい・・ま、更にリアルを追求し描写すると『ハンニバル(2000)』の某殺人シーンみたく“斬られた腹部からバシャッと何かがアレする”んだろうけど(×_×)
□ネットでもコメントを見つけたが・・清兵衛って「月代(さかやき)を剃らぬまま」に果し合いに挑んだんやね。。時間がなかったからか?
□ここを突っ込んでもどうしようもないんだが、この作品ってばある意味「映画館で観るしか手段のなかった時代に、映画館で観るべき作品」とは思った。高性能なディスプレイを通して、DVDソフト版で観る・・そんな作品じゃなかったように思う。ちょっと作られるのが遅過ぎたんやろか・・?
□1度だけ、頭上を見上げ“※※の※さ”を確認した余呉。“わざわざ描かれた”あの行為は何を我々に伝えているんだろう??
□本作の後で『たどんとちくわ(1998)』を観て、また『たそがれ』を鑑賞、再び『たどちく』を観る・・と繰り返すと、その内に発狂するかも(=^_^=)

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2006年12月20日 (水)

☆『幻魔大戦(1983)』☆

19日(火曜)。帰宅後、だらだらっと新聞切りしつつ、衛星第2で放送されてた往年の“角川長編アニメ映画”『幻魔大戦』を観た(オープニングとその直後のみ見逃した・・)。

公開時、劇場に足を運んだ記憶は・・確か「ない」んで、ある程度の流れや幾つかのシーンを覚えてるのは民放で流れたのを観たからだろう。当時こそ、メディアで宣伝をばんばん展開した(と言ってもその頃のメディアに「インターネット」なぞは無論含まれないが(・ω・))“大作”であったが・・懐かしみながら“今のワタシの肥えた眼”で観てみると・・思ったより制作費が低い(かもな)感じ。かつ演出面が結構ポンコツっぽい印象で、全編に渡り“何とも形容出来ぬトンデモ世界観”が作品を覆い尽くしてたように思えた(⌒〜⌒ι)

東京・吉祥寺在住の高2生、東丈(あずまじょう)を主人公に、世界中の超能力戦士が新宿や富士山麓に集結(なぜ日本が大戦の舞台なのか、それも関東限定なのかは詳しく解説されず・・)し、銀河系の破壊者“幻魔大王”率いる“幻魔一族”に立ち向かう・・! ってな流れ。

観ててまず苦笑してしまったのが、敵ボスと言うべき悪の元凶的存在・・“幻魔大王”。つい「閻魔(えんま)大王」のパロディかよっ! と滑らかなツッコミ。“幻魔一族”って呼称も何だか忍者軍団みたいでピンと来ないし。。
丈と(同居する)姉との間に見事な“姉弟愛”が貫かれているんだが、これも何となく観てて(背筋と股間に←おいっ)ゾクッと走るものがあった。明らかに「シスコン(シスターコンプレックス)」が背後に流れており、時代が時代なら(?)同人誌で“ネタ”としてさぞ盛り上がったことだろう。
ロケーション的に、中盤で首都圏(新宿アルタ、吉祥院サンロード商店街など)やニューヨーク(マンハッタン、リバティ島など)が壊滅する場面が描かれるが、何だか小松崎茂先生が肩の力をやや抜いて描いた(?)ような「パニック絵図」が表示されるだけ、、なのだ。ああ、何て紙芝居的なのだらう(・ω・)

キャラデザインも物語も固く、アニメ作品としてはカット割りやカメラワークの大胆さとも殆ど無縁な印象を強く受けた。おまけに緊迫したシーンなのに“のどかなBGM”が流れたりするし。
そのくせ、主人公宅を幻魔の手下が襲撃、丈の姉が衣服を破かれ、ブラジャーの一部を露出させつつ追い詰めらるる・・的な「全年齢対象では無さげな演出」が妙に丹念かつリアルに描写されてたり(⌒〜⌒ι) なんかまるで、製作スタッフら自身が「幻魔」に精神を支配されていたかのようだ。。

新興宗教的な表現が作品世界を支配してた気味なのもやや気になったか。
「サイオニクス(←サイキッカーとは言わないんやね)」「プリコグニッション(未来透視←今なら“プリコグ”で通じるしともいるかも☆)」「テレパシー放送」などの“エスパー清※氏”的なワードがちりばめられたかと思えば、
「みんな、オレが生まれるずっと前からの仲間なんだ」
「地球を守る力は、愛から湧いて来るものなんだ」
「サイコキネシスで体感温度を調節する」
「石に元素転換された肉体にサイキック・ウェーブ・マッサージを施す」
「エネルギーが生体原子変換され跳ね返される」
「ボディを増幅装置に変えてぶつける」
などの“独特な台詞群”が飛び交い、その“エスパー原理主義”な強迫観念ワールドにときとしてクラクラしそうになる(×_×)

ただ、起用された声優関係は余りにも豪華だった! 丈を演じる古谷徹、ヒロイン・ルナ姫(←トランシルヴァニア王国ってどこだよ? やっぱりルーマニア地方なのか?)を演じる小山茉美、他にも潘恵子 、塩沢兼人の各氏。
聞き覚えのある声! と思ったのは美輪明宏氏だった。このころから既にアニメ界に進出(?)しておられたんやね。江守徹、穂積隆信・・と言ったベテラン陣の陰に隠れ(?)原田知世さんも声優デビュー(?)しておられるようだし。
なお、キャラクターデザインは(私的にイマイチ気に入らなかったが)大友克洋氏であることを知った。本作でのステップがその後『AKIRA(1988)』や『MEMORIES(1995)』・・『スチームボーイ(2003)』に繋がって行くことになるんやね。

追記:公開時の有名なコピーが“ハルマゲドン接近!(not春曲鈍)”だったと思うんだが、あまりそれに特化した台詞が飛び交ってた感はなかった。がその言葉自体は『アルマゲドン(1998)』として、後年の大作映画のタイトルに取り上げられることになるとはね。

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2006年12月19日 (火)

☆ライカ!☆

17日(日曜)。昼過ぎまで惰眠・・。疲れが取れなくて。
午後から「土日ともこれではあかん!」と思い立ち、クルマで出かけることに。

この日の目的は4つほどあり、
1)鶴見区内にある(という)「Oakley(オークリー:ゴーグル、サングラスのブランド)」の専門店に行く
2)クルマ関係の店で「ETC」について工賃を含んだ見積額を確認する
4)幹線沿いの某カメラ店に寄り「Nikon」関係商品の店頭実勢価格を把握する
といったものであった。

1)についてはMP3プレイヤー搭載の“アイウェア”の最新モデル『THUMP(サンプ)2』を実際に触ってみたかったのだ。「鶴見はなぽ〜とブロッサム」のアウトレット・モール内にあるらしいんだが、界隈に近付くにつれ、もの凄い渋滞が。。待ち行列の大嫌いなワタシはさっさと諦めるのだった。
2)については「オートバックス」系に行こうかなと当初考えてたが、道中のロケーションが思い浮かばず、素直に(?)看板の見えた(スバル)ディーラーに入ることに。ちょうど一時的に激しい雨が降って来たこともあり、ショップを探すのが億劫になってたのもあったろうか。「ETC」に関して「安いの」と「高いの」があり、「高いの」だと、現在装備してるカーナビ(P製)と機能をリンクさせることが出来るんだが、本体価格も高ければ、接続ケーブルが別途必要とか言う事で、合計額を目にすると何とも勿体ない気がした。で、「安いの」を購入⇒取付しようと考えたが・・「あいにく店頭に在庫がなく取寄せとなります」の説明を受けたため急に気持ちが萎えてしまい「もう一度考えてみます」と伝えディーラーを後にしたのだった。帰りは傘付きの店員さん見送りもなく、何だか寂しかったかも・・(・ω・) いや、結局はただの冷やかし客となったんだから当然か。
4)については帰路に立ち寄ってみた。正直Nikonからリリースされている「D200(高いの)」と「D80(安いの)」に関し「ボディ単体での価格」にかなり興味津々だったんだが、前者は「ちと高い」、後者は「安いけど・・(今使ってるD70から)買い替えるまでのモデルではないように“直感的に”感じる」ってことで、心にブレーキが働いたのだ。
気分転換に他社のデジタル1眼やら、中古レンズ関係やらをまんべんなく眺めつつ・・店内を2巡してみたら、意外な“ブツ”をショーケースの片隅(?)に発見したのだった!

『Leica C-LUX 1』(シルバー/ブラック)・・表示価格¥66,000-より更に値下げ

ええっ?! 店頭から消滅したと思ってた「ブラック・ヴァージョン」が!? かつ値下げとはっ!?
そこから先のハナシは・・すこぶる早い(=^_^=)

最近、余り活躍の場のないコンパクトデジカメ『OLYMPUS C-770 Ultra Zoom』の恨みがましい眼(←どんな眼だ)が脳裏に浮かんだ気もしたが・・「今買わねば、もう買えんのだ!」と自らに言い聞かせ、レジへと急ぎ足で向かったのである。

※因みに・・ネットでも、心斎橋そごう内のライカショップ『サン・エス』でも、(C-LUX 1の)ブラックはもう見かけないのである。そこのショップにはあと1ヶは店頭在庫があるのだが(・ω・)

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2006年12月17日 (日)

☆後半だけ観ました『NaNa(2005)』☆

11日(月曜)、仕事後にちょっと寄るところがあり、帰宅したのは22時前だった。そこからで、地上波初登場の邦画『NaNa(ナナ)』のTV放送をだらっと流し観た。途中からなので、中盤までの流れが全く分からないし、そんな鑑賞では「観た」とは言えないだろうが、ちょこっとまとめてみたい。

とにかく眼を引いたのは「出演者が豪華やんか」ってトコだろう。私的には取りあえず「宮崎あおいさん目当て」ってのがあったが(=^_^=)、松田龍平、それに『DEATH NOTE(デスノート)(2006)』の主役の1人として目立ってる松山ケンイチの“ちゃんとした容貌”が確認出来た意義も(ある意味)大きかったかも(・ω・) あの作品では役作りし過ぎてて(?)俳優としての「素」の部分が良く分からんかったもんで。。
続編『NaNa2』が劇場公開されているが、キャスト的には「前作からの(俳優陣の)変更はかなり辛いイメージダウンかも」と思ったり。
原作を知らないので、雰囲気が再現出来ているのかは何とも評価できないが「眉毛なさげ!」「禿頭にサングラス!」「唇と耳をチェーンで繋いでる!」とインパクトの強いキャラでガッツリ揃えてる感じで、確かにその辺りから「コミック原作な雰囲気」が漂っては来る。

後半は中島美嘉の演じる方のナナの印象が強かった。。ひょっとしたら前半は宮崎あおいナナが主人公だったんやろか? ←もしそうなら、まるで前後半で主役キャラの変わる『運命の女(2002)』みたいな演出やね。。
「不釣り合いな感じ(?)の女の子2人の友情を描く」と言うより「引きずって来た過去(の恋)にけじめを付ける女の子とそれを応援する女の子」みたいな流れだと感じた。
まぁでも、ベテラン俳優がストーリーにのしかかって来て、世界観がほつれ始める・・みたいな邦画にありがちな「特別(友情)出演俳優起用系自壊(≒崩壊)」が全くなかったのは良い☆
物語の持ち味であろう「疾走する流れ」がラストまでほぼ貫かれてたし。登場人物みんな若いし。
ストーリー自体も「斬新でもなく、大きなメリハリもない」ものの、気合い入れて観るでもなく、気楽に「青くて軽くて温かい、そんなノリ」を流し観れる、それでいてどこか吸引力がある、そう言う「作り手側の狙い」が奏功してたように感じた。

私的にはシェークスピア劇『マクベス』における(魔女たちによる)「奇麗は穢(きたな)い、穢いは奇麗(fair is foul, and foul is fair.)」なる名台詞をもじって・・「強いは弱い、弱いは強い」なる言葉を「本作の主要なテーマのハズや!」と勝手に決め打ちたいっ。
・・ってかそこまでエラそうに言う前にちゃんと全編通して観たれよ、と(=^_^=)

追記:劇中で「ハチ」なるキャラ名がしばしば登場し、最後まで誰のことやら分かんなかったのだった。。これを書いてて、ネットでようやく知りましたわ(⌒〜⌒ι)

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☆リスナー忘年会はええよ!やっとかめ☆

ってことで、さる8日(金曜)、京都市内の某居酒屋で開催された某忘年会に参加して来た。
現在では、名古屋を拠点にご活躍されている泡沫(←おい)ラジオパーソナリティ(ここでは仮に彼を「ふぼい氏」と表記するにとどめる(=^_^=))を囲む会だが、今回もワタシ、例年のように遅刻はするわ(平日の仕事後に大阪から向かうんだからある部分仕方ないが・・)、参加者中でも若い方(か?)かも知れないわ(京都時代の深夜番組(水曜)を聴いてた当時、中学生だったし・・)で、会場入り直後は居場所もなく「参ったなぁ・・」と妙に人見知りしてしまうのだった(・ω・)> ←いつもだね・・
だが! 「遅参者に福」のことわざ通り(そんなんあるんか?)、中央テーブル奥の「空きスペース」にちょこんと座ってたら(テーブルは合計3本だった)、何と左隣の方があの福※ディレクターであり(いよいよ局を退職されるとのこと)、左斜め前に着席されたのが、ふぼい氏本人なのだった。なんと!なんと!
実を言うと、会場入り直前に氏とは一瞬会ってたりした。ビル上層階にあるその居酒屋に向かうエレベータに彼が乗り込む姿を前方に認めたのである。・・が、ワタシの辿り着くのが一瞬遅く、驚いたビーバーような(←おいこら)氏の顔を向こうに、非情にもエレベータのドアは閉まってしまい、ワタシは次のエレベータ到着を待つこととなってしまったのだ(×_×)
が、後にふぼい氏本人から「さっきは残念やったね」と温かい気遣いの言葉(?)をかけて頂き、心の薄氷は程なく溶けて行ったのであった。

お恥ずかしいハナシながら「ベテランリスナーの方かな」と勘違いしてたのが福※氏。ご挨拶されるまで気付かず失礼しました。。思えば、京都の深夜番組(金曜)の終了直後(だったか?)、これまた宴席で「ふぼいを必ず京都(の番組)に呼び戻す!」と絶叫しておられた・・その言葉のみが今も記憶に残る。その公約(かな?)は遂に叶わなかったけど、やはりふぼい氏は“中部エリア”の方なんやろな、と言う私見もあるので、それはそれで仕方ないのだろう。
我々リスナーの見えない部分で尽力しておられた筈であり、ここは素直に「ご苦労様でした」の労いの言葉で福※氏に報いて差し上げるべきだろう。

惜しくも・・サインの準備もなく、まともなカメラも持参しておらず、携帯電話のカメラでブレブレな画像を数枚撮影したに過ぎなかったが、色々と楽しいふぼい氏のトークを拝聴出来たのは素晴らしい!
今回一番耳に残ったのは、
「もうね、ワタシはね、上の者にゴマをするのはやめましたよ、ええ!
 これからはですね、若い者に親切にするんですわ!」
の名文句。いやー、イイですね〜(=^_^=)

終盤にはふぼい氏から福※氏への「花束贈呈」があり、参加者がお2人を取り囲みシャッターが幾度となく光るのだった。ワタシはついつい悪ノリをしてしまい、締めの挨拶をされてるふぼい氏の股間にちょうど当るであろう位置に、あろうことかビール瓶を掲げてしまうのだった(⌒〜⌒ι) そこにすかさずシャッターが幾度となく・・
気付いた氏に「何をしとるのや、君は、ええ〜?!」と突っ込まれてしまったが、まぁこれも末席リスナーなりの愛情表現の1つと言うことで、きっと分かって頂けることと思う(←どういう理屈やねん)

ってことで、京都の夜は楽しく更けて行ったのであった。

追記:1次会は9:30ごろ(?)で締めとなり、何人かの(大部分の?)参加者は2次会になだれ込まれた模様・・。ワタシは後ろ髪を引かれつつ帰阪するのだった・・(2次会のディープなネタも聴きたいですん)

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2006年12月11日 (月)

☆『硫黄島からの手紙』ふたたび・・☆

10日(日曜)。昨日(土曜)は起きたのも遅かったし、雨降ってたし・・ってことで自室にこもり切り、終日(ひねもす)新聞切ったり、赤マーカー引いたりして過ごしたのだった。流石に2日続けてその流れだとメリハリなくてあかんだろ、との事で出かけることに。
守口市内に9月末オープンした「イオン大日」内のワーナー・マイカル・シネマズにて映画を観て来た訳だが、作品はまたもやと言うか『硫黄島からの手紙』である(・ω・)
いや、先日観た時って流石に“試写会”なもんで、会場が古くて映画上映に特化しておらず、映像面&音響面ともにどうにも納得出来なかったのである。

詳しいストーリーや、初めて観た際に感じた“新鮮な感想”みたいなトコは、先日のブログ記事をご覧頂くこととしたいが、今回観直して気づいたトコなどをちょこっと書き添えてみたい。
今日の鑑賞では、特に主だったキャラクターそれぞれの思惑や行動を追う事を第一としたワタシ。ようやく清水役を演じた加瀬亮くんの容貌&言動をハッキリ確認出来たのは良かった・・(・ω・)

□対立する関係の1つに「西中佐(伊原剛志)と伊藤大尉(中村獅童)」があるが、この2人の確執が『プラトーン(1986)』におけるバーンズ(トム・ベレンジャー)とエリアス(ウィレム・デフォー)を連想させた。
□同じく西中佐。明らかに周囲の兵卒と異なる“爽やかさ”を1人戦場に放っていたのだ。その辺りは『ウインドトーカーズ(2001)』におけるオックス・ヘンダーソン(クリスチャン・スレーター)の役回りを連想したものだ。
□兵卒・西郷を演じる二宮和也。何がスゴいかって、彼が「敵兵を殺めた数」なのである! ときにライフルで、ときにシャベルで果敢に米兵を攻撃するのだが・・。
□将校の1人が激戦区からの無電で栗林中将(渡辺謙)に嘆願する。「何卒(なにとぞ)、武士の本懐を・・!」 やはりこの時代の男子は武士道を精神に刻んで生きていたんだなぁ、と。
□ジョニーウォーカーをくいっと飲み干す栗林中将。1杯目を飲み干す顔つきの軽妙さが好きだ(=^_^=) 直後、2杯目をあおるが、この時の表情は真剣そのもの。緩急がついていて、かなり良い。
□兵卒らの愚痴の数々がリアルで面白い(面白がってたらあかんけど)。「いい加減にしてくれよ」「やってらんねぇぜ」・・いずれも上官の耳にまともに入ったら只じゃすまんと思うんだが。。
□重要な役回り(?)のあの犬の名は「ゴロウ」と判明。それまでしばらく静かにしてたのに、日章旗を掲揚しようとした途端吠えまくるのは何故に。。子供らがけしかけたんか?
□栗林中将と共に海岸まで落ち延びる副官(市丸少将か)。激戦を経ながら特に手傷を負ってなかったのはスゴい。
□※※※※を手に、海岸の栗林中将のもとへ駆けつける1兵士。何だか唐突な感も・・(・ω・)
□激戦前の硫黄島に存在した日本人町。「福ちゃん」なる看板の掲げられてた店は何の店だったんやろ?
□爆発シーン、「深紅の爆炎」の起こるのが恐ろしくてたまらない。砲弾の直撃で人が砕けた瞬間なのだ、あれはきっと・・。

□“もし”投降の際、千人針を巻き忘れてなければ・・。“もし”先人がおらず、1人だけの捕虜だったならば・・。“もし”見張りの米兵が人間愛を持ち併せていたならば・・。色々な“もし”が戦場に浮かぶ。そして一方では、自死(爆死)の初志が萎えてしまうほどに、※※の到来に見放された男もいたのである。
□兵卒・西郷が最も泣いた瞬間とは? それは決して「硫黄島が陥落した時」ではなかったのである。
□考えたら“老兵卒”の殆ど目立たなかった本作であった。
□スピルバーグが演出面でもっとのさばって(?)いたら・・「手にした手榴弾が不発のため、死ねなかった兵士」みたいな“過剰ぎみ演出”が恐らく取り入れられてたことだろう(・ω・) ←『シンドラーのリスト(1993)』における「銃の不発シーン」ぽい感じで。
□リアルさを追求するなら、きっと終盤“飢えによる狂気”・・つまり食人行為が描写されたように思う。でも、それは描かれなくて良かったのだろう。
□犬の「ゴロウ」くん。やっぱり、(日章旗掲揚前に)家の裏で吠えたとしても、(小さい吠え声なりに)上官どのの耳には入った筈と思うんだが。 ←しつこいねぇ・・(=^_^=)

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2006年12月10日 (日)

☆『ミリオンダラー・ベイビー(2004)』☆

7日(木曜)の夜に観賞(地上波初登場)。公開当時、劇場で観たのが少し懐かしい。山田康夫氏が亡くなってしまった故、今作での(クリント・イーストウッドの)吹替えは嵯川哲朗氏。うーん・・考えたら嵯川さんってば長編アニメ映画『ゴルゴ13(1983)』で主役・デューク東郷(=ゴルゴ13、not更家)の声をアテておられた記憶・・当時も、そして今回も「ちょっと違うぞ・・」と素直に感じたものだ。まぁ私見に過ぎないが。

タイトルマッチに縁がなく、一人娘ケイティとも疎遠となって久しい老ボクシング・トレーナー、フランキー・ダン(クリント)。かつてはコンビを組んでいた元ボクサー、スクラップ(←エディ・デュプリスと言う本名もあるらしい!)(モーガン・フリーマン)と共に『HIT PIT GYM(ヒット・ピット・ジム)』を細々と経営している。そんな中、彼の一番弟子ビッグ・ウイリー・ジョーンズが“やがて迎える”タイトル戦に備え慎重に調整を続ける(じらす)余り、ある日“堪え切れず”突然、他のジムへ移籍してしまう。
打ちひしがれた彼の前に現れたのは31歳の田舎娘、マーガレット・フィッツジェラルド(ヒラリー・スワンク)。フランキーを「ボス」と呼ぶマギー(=マーガレットの愛称)は「年を取り過ぎてる」と言う彼のにべもない態度にもめげず、黙々とサンドバッグを前に日々練習に励む。やがてそんな彼女を見かねたスクラップがコーチし始める。
追い払おうとするフランキーにマギーは言い放つ。「あたしが欲しいのはトレーナー。慈悲や情けなんか必要ない。あたしに興味がないならこれ以上邪魔しないで!」
遂に彼女の熱意に屈したフランキーは二人三脚のトレーニングを開始する。
女性ボクサーとしての素質を瞬く間に開花させたマギーは、やがて無敗のファイターに成長する。そして遂にラスベガスでウェルター級のタイトル戦を迎える2人。ダーティーなファイトを持ち味とするチャンピオン「ビリー・ザ・ブルーベアー」を圧倒するマギーであったが・・ってな流れ。
後半、描かれる世界がガラリと変わるので、余り詳しく書くと「ネタバレ」になってしまう作品でもある(・ω・) 予備知識を持たずに観るのが、クリント監督への最大の敬意であろうか。
本作では御大クリント、監督、製作、音楽、主演・・とマルチにこなしている。『ブラッド・ワーク(2002)←未見』『ミスティック・リヴァー(2003)←DVDは購入するも未見』・・と休みなく作品を放ち続けてて、ホンマに敬服します。。

ときに、松本人志氏は「丹下段平(トレーナー役)を2人設定する必然性はあったんだろうか?」的な真っ当げなツッコミを映画評『シネマ坊主』で放ってたが・・まぁいわゆる「語り手」としての存在をキーキャラとし配したかったんだろう。確かに本作、スクラップの独白に始まり、同様に彼の独白に終わってゆく物語なのだ。“動き(行動)”として目立つ役回りはフランキー、“語り(思考)”として目立つ役回りはスクラップなのである。
そうやって眺めると、かなり饒舌なキャラにも思えるスクラップ。まさに全盛期の名ボクサー、モハメド・アリのように「言葉で戦ってる」ようにも見受けられた(・ω・)
「ボクシングはプライドの競技、そして不自然な競技だ」
「最高のパンチを打ち込むためには、後ろに下がった方が良いこともある。だが、下がり過ぎると戦いにならない」
「ボクシングは自分の限界を超えて戦える、と思わせる魔法を人にかける」
「今は休ませてくれ、後でゆっくり話し合おう、と体が言う・・それがノックアウトのメカニズムだ」

一方、行動がある意味(周囲から見て)予測不能なのがフランキー流。教会に欠かさず通い(神父には煙たがられてる)、ゲール語の勉強をし、とある事件が起こった直後には「こうなったのは全部お前のせいだ!」とスクラップに怒り(と責任)を叩き付けるのだ。決して人格者とは言えぬ、観ようによって「劇中で一番弱い人物ではないか?」とも思えたのが今回の鑑賞だった。

フランキーを“再生”させたのがマギーの存在であるなら、物語以降の世界でスクラップを“再生”させるのが「ハートだけのボクサー」と言われた“デンジャー少年”かも知れない。以前観た時は「このキャラ(デンジャー)の存在意義って一体何なのや?!」と全く理解出来なかったんだが、何となく彼(デンジャー)がこの先、頭角を現して行くような・・そんな観後感を覚えたものだ。
(クリント監督は「それは全く違う解釈だ、君は私の作品から何も読み取れていない、実に不愉快だ」と仰るかも知れんが・・そこは観る者の“想像(妄想)の自由”を尊重して欲しい(=^_^=))

にしても、マギーの故郷(ミズーリ州セオドシア)からやって来たロクデナシ一家(別名:デ※ズニーファミリー)。あいつらの鬱陶しさってば演技の壁を超越してて素晴らしい! こんなにムカつく奴らは久しぶり。何ちぅことか御大クリントを劇中で「ジジイはすっ込んでな!」とか罵倒するし(⌒〜⌒ι)
「アカデミー助演賞をおまいらにくれてやるよ! ほら!」などと叫びながらオスカー像の形状をしたバット(=^_^=)でぶん殴ってあげたいぐらい(←いや、ホントは真面目な役者さんたちだっての)

〜 こんな台詞もあったんですよ 〜

フランキー「パンチは強いかどうかじゃなく、効くかどうか」
     「どんな時も自分を守る、それがルールだ」
     「大事なのは勝つことじゃなく強くなること」

マギー「あたしにはあなたしかいない」
フランキー「そう、オレがいる」

スクラップ「バカな質問なんてない」
     「誰だって一度は負ける。ここから這い上がるんだ」

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2006年12月 7日 (木)

☆『プラダを着た悪魔』☆

7日(木曜)。どうにも疲れが抜けない感じで、それが仕事に影響するのもプロ(セミプロ? ハイアマチュア?)としてどうか、みたいな気持ちもあり(←そないにエラそうな働きぶりでもないが)、本年内恐らく最後(?)となろう有休を頂くこととした。
溜まってる新聞記事も、もはや両手で引っ掴んで破き裂けないぐらいの分厚さになって来てるんで、本来なら出かけない方がイイんだろうが、気分転換したいのもあり、大阪市内へ出て公開中の映画『プラダを着た悪魔』を観てきた。
「コレって結局、トレンディで能天気なアパレル(not暴れる)業界モノじゃねーかよっ!」てな先入観が強かったが、まぁたまにはこーいう「畑違いな作品」を積極的に観るのも何らかのプラス効果をもたらすかも、みたいな(・ω・)

ニューヨーク。ジャーナリストを目指す、美人だが野暮ったい服装センスの持ち主、アンドレア・サックス(アン・ハサウェイ)。オシャレにとんと縁のない彼女が働くこととなったのは「世界のモードの発信基地」とも言えるファッション誌『RUNWAY(ランウェイ)(not RUNAWAY)』の編集部。気まぐれに彼女の(アシスタントとしての)採用を決めたのは、“プラダを着た悪魔”として業界に君臨する女性編集長、ミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)である。数々の無理難題を押しつけられ、ファッションセンスをけなされ、ときに落ち込むアンディ(←アンドレアの愛称)だが、ミランダの副官的存在であるファッション・ディレクターのナイジェル(スタンリー“空港では嫌なヤツ(2004)”トゥッチ)や下半身の“筆”使いもなかなかに達者そうな大物コラムニスト、クリスチャン・トンプソン(サイモン・ベイカー)・・など色んな方面からアシストを受け、次第に彼女の信頼を得てゆく。
「ミランダの下(もと)で1年間、アシスタントを勤められる実力があれば、このニューヨークの何処でだって通用する」なるアドバイスを信じ今日も奮闘するアンディ。さて、彼女は1アシスタントの立場から更に高い地位に上り詰めてゆけるのか? そして、地味なボーイフレンド、ネイトとの関係は?
見た目ちょっと浅いけど、その実ちょっと深い、そんな女の子向けの映画かなってトコです(・ω・)

サクセス系の『ワーキング・ガール(1988)』+業界系の『プレタポルテ(1994)』のノリか? と予想してたら、“弱肉強食”で“同僚即ち敵”な展開に『ショーガール(1995)』の趣を感じたり(=^_^=) んでも、思ったほど“性”が前面に押し出されてなく、スッキリ観ることの出来た作品かと。
いよいよ一般公開の迫る問題作『硫黄島からの手紙』とでは・・「何の関係もないやんか!」と思ってしまうが、実は“選択と決断”と言うキーワードに関し、2作には共通するものが流れていたり(・ω・) 本作でも、直接「生死に関わる」訳ではないが、端的に言うと「悪魔となる(なれる)かどうか、一線を越える(越えられる)かどうか」の選択を主人公が迫られたりする。いや、別に『ディアボロス/悪魔の扉(1997)』的なオカルトタッチの作品ではないですけど(=^_^=)

本作、監督や衣装など、スタッフがヒットしたドラマ『SEX and The CITY(略称:SaTC)(1998-2000)』にもちらほら絡んでるそうで、そっちを観たしとだと、更に楽しめるのかも知んない。
お次に俳優関係。
キーキャラを好演するメリル・ストリープ、流石に巧いですね。台詞や動き(←主役的な視点での)が意図的に少なく、一歩間違うと“薄い”役になってしまうトコを、きっちりと強烈な印象を放ってくれてます。人物設定そのものの(ヴィジュアル)イメージだと、グレン・クロースが演(や)っても別に構わんのじゃないか? と早合点してしまったかも(=^_^=) 役名も「ミランダ・デ・ビル」とかに変えてね(=^_^=)
劇中の合間合間に少しだけ“私生活の表情=無防備な素顔”をのぞかせる演出はなかなか。化粧も落とし、ヒールを脱いで裸足になってるし。きっと本心では「ファッションなんてもうウンザリ」などと思っているのだろう(←邪推)。
アン・ハサウェイ。衣装によっては妙に“バストの谷間”を強調してたよ〜な・・にしては、性行為のシーンとかは皆無なんスけど(おい、何を期待しとんねんな! でも『完全版』のDVDに期待☆ ←いや、ないない)(前出演作『ブロークバック・マウンテン(2005)』ではバストをモロに拝めた覚えが・・?)。。私的には仲間由紀恵さんや鷲尾いさ子さんなどの雰囲気を(風貌から)連想しちゃいますかね。整った美人顔だけど、あんまし男性の獣欲は刺激しないかな、みたいな(←こらッ!)。
にしても、劇中でさんざ「サイズ6!」とかからかわれる割に、見た目全然太ってませんけど・・。
スタンリー・トゥッチは『ターミナル(2004)』以来の拝見かな。極めて感情の乏しいような(生活感の薄い)人物なんだが、後半で“ほんの一瞬”無邪気に喜ぶシーンがあり、そこが良かった! それもカメラと反対に顔を向けてるから、表情が良く分かんないのがイイ(=^_^=) 女性臭(?)のまったくしなかった人物像だが、どうやら本作ではゲイの役だったらしい・・(・ω・)>
にしても、個性的でイイですね。もうじきブレイクか? スタンリー氏。

ラストは・・私的に「ちょっと意外」な感じだったか。でも、私的には「ミランダとアンディ」よか「ナイジェルとアンディ」の“その後”の方が観てみたかった気がするな(ちょっとバッサリ切れてたんで)。

実在の人物名として「J.K.ローリング(禁断の第七巻!)」「グウィネス(・パルトロゥ)」「サルマ(・ハエック?)」「スヌープ・ドッグ」とか出てましたか。デザイナー関係も「ゴルチェ」「ガッバーナ」「ジミー・チュー」「シュウ・ウエムラ」とか台詞で語られてたかな。
ワタシ、ファッション関係にはとんと縁も興味もないんで、殆ど憶えられなかったけど(×_×)
多分、依頼しても出演しないだろうけど、ニューヨークが舞台ってことで、ウッディ・アレンに是非カメオ出演して欲しかったかも。で、ミランダにぼろくそに言われる・・(=^_^=)

〜 こんな台詞もありました 〜

ナイジェル「仕事が上達すれば、私生活が崩壊する。いいぞ、その分では君の出世もそう遠くはない」
     「確信はしないが、信じ続けるよ・・」

エミリー「私はこの仕事が好き、私はこの仕事が好き、私は・・(←何度も自身に言い聞かせる)」
    「炭水化物を摂る女なんて!」 ←パリコレ出発前は“断食”がお約束(×_×)

ミランダ「どんな境遇に置かれようと、最後に決めるのはあなたよ」
    「またも、失望・・」

アンディ「私は“ベイビー”じゃない」

ネイト「君はいつもそう言う・・“仕方がない”と」
   「バッグなんぞ、1つ持ってりゃそれで充分だろ?」
   「服を着ないで(=ファッションを気にせず)出来ることをしないかい?」

※「ミランダのアシスタントなんて、君のような“優しくて賢い娘”には勤まらない仕事だよ」

↑言い換えれば、それが勤まる娘って・・(⌒〜⌒ι)

※いずれも耳コピー(メモなし=記憶依存型)なので、違ってるかもです。。

〜 その他 〜

□きらびやかなファッションアイテムの数々は貰い放題?!(←編集部への試供品?) それって役得過ぎるかも。1800ドル相当のバッグも貰えたみたいだし(・ω・)
□コメディでもホラーでもない作品でしたか。ラブストーリーかと言うと、そうでもないし。決して悪くはないですけど(私的にはあのラストこそ好きだし)。
□アンディがストリートを歩くシーン。手前の柱や壁を横切った瞬間「衣装が変わる」演出が良い!(時間の経過を視覚的に表現してる、『ノッティングヒルの恋人(1999)』でも似た演出をやってた☆)
□関わり過ぎても、ないがしろにしても・・近づき過ぎても、離れ過ぎても・・成り立たないのが恋愛関係かも、と。
□「ファッションはアイデンティティーだ!」って感じで着飾るしとたち。あでやかに変わって行くごとに、“純粋な個の存在”が塗り消されて行くようにも思えた。

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2006年12月 1日 (金)

☆『硫黄島からの手紙』☆

30日(木曜)。仕事の後、大阪市内・某所で開催された試写会に出かけた。クリント・イーストウッド監督による最新映画「硫黄島2部作」の完結篇(?)『硫黄島からの手紙』である。一般の劇場公開は12月9日からであり、その時にはきっと観に行こう・・と考えていたが、運良く事前に鑑賞することが叶った☆
太平洋戦争末期、小笠原諸島の硫黄島(IWO-JIMA)に於いて米国海兵隊と旧日本軍が激戦を展開した(1945年2月18日開戦、同年3月22日終結)。
その戦いを(戦勝国)米側の視点で描いたのが第1部『父親たちの星条旗』であったが、本作では(敗戦国)日本側から硫黄島を見たシチュエーションとなっている。

ワタシとしては、とにかく主演の渡辺謙。ブレイクするブレイクすると言われつつ・・なかなか『ラストサムライ(2003)』以降、そないに“ハリウッドで弾けてない”気がするもんで(と言いつつワタシは『SAYURI(2005)』は未見なんで『バットマン・ビギンズ(2005)』における彼の起用のされ方しか評価出来ないんだが・・)「そろそろここらで決めてくれよ!」と半ば念じながら観たものだが・・うーん、まだしばらくは「助走期間」って感じか。

とにかく。「地に足が着き過ぎ」と言おうか・・ホントに地味に、淡々と描かれた戦争映画だった。
第1部と比べても「(舞台が)明るい⇒暗い」「(作風が)華やか⇒地味」「(世界が)広い⇒狭い」「(CGが)派手⇒控え目」とホントに“陽と陰”、正反対の印象を受けたものだ。前作と並べると、どうにもスケールダウンしたような、作品としての勢いに欠けるような、そんな歯痒さを覚えもしたものだが、逆に言えば「それでこそ等身大の戦争映画や!」と言える訳なのだろう。「派手さをつい求めてしまう」自身をここらで猛省せねば。

にしても。この第2部、登場する台詞のほぼ全てが日本語(字幕担当:戸田奈津子女史だが、今回は「ラクしたね☆」って感じだ(=^_^=))だし、どう観ても「米兵側=悪」に描いてる印象なので、きっと本国(アメリカ)では評判が悪いんじゃないかな〜と思う。かつ、もはや「アメリカナイズされちゃった」日本でも、あんまし評判は良くないんかも(・ω・) ←今の若い連中がキライそうな作品ではある・・

さて。登場キャラをまとめて振り返ってみると「あっけなく&カッコ良く、死んでいくヤツ」「しぶとく&無様に、生き延びるヤツ」の2者に大きくその運命が分かれてたように思う。意外な印象では中村獅童くん。途中からちと物語本筋から脱線してゐる感じでした。。
栗林陸軍中将(若き日のニックネーム:クリ大尉☆)を演じた渡辺謙は、全体的な印象(家族想い、英語を話す、最後に突撃を選ぶ・・など)がやはり『ラストサムライ』における「あのキャラ」の域を脱せてなかったような。。
『青の炎(2003)』のラスト、蜷川幸雄監督ご自身が乗り移ったかのような重いモノローグを放ってくれてた(=^_^=)二宮和也くんが、本作では「戦争に批判的で、生存の可能性を模索」する性格(←実はそれこそが正常で健全な精神なんだが)の1兵卒を好演してくれたが、私的には何となく『グローリー(1989)』におけるデンゼル・ワシントンの演じた兵士に通じるキャラ設定を連想したか(天邪鬼系)。

まぁ、爽快感も笑いもなく(私的には)、怒りも涙も湧かなかったんだが、140分と言う長尺の作品の割に時計に目をやることは一度もなかったですな。
「日本人として絶対に観ろ!」・・とは思わないが、こんなに日本側に特化した視点のハリウッド作品を、ワタシは今日まで眼にしたことがなく(たぶん今後も少ないだろう)、そう言う観点で「やっぱりクリント・イーストウッドと言う人間はもの凄い!」と改めて感心させられたものである。

ほか、注目ポイントなど。

□本作では前作と異なり「英雄論」は一切展開されず。
□日米の「捕虜の扱い」を比べてみるのも興味深いかと。
□日本刀(軍刀)をゲットして喜ぶ若い米兵。やっぱし珍しいんやね(・ω・)
□前作で印象を残してた「突撃ラッパ」。意外にも全然重要アイテムじゃなかったッス(×_×)
□「天皇陛下、万歳!」と連呼する渡辺謙。やはり戦下における“狂気”を見事に瞳に漂わせてます。。
□「硫黄島協会」「愛國婦人会」などの(日本の)単語が印象的。犬は可哀想(・ω・)

〜 少し心に残った台詞 〜

米兵サムの母(故郷オクラホマからの手紙)「正義の意思を貫けば、やがてそれは本当の正義となるわ」

清水(加瀬亮)「犬が悪い訳じゃない」

西郷(二宮)「俺たちが掘ってるこいつは何だ? 墓穴か?」

栗林「ここはまだ※※か?」

※メモなし(記憶のみ)なので、台詞の一部が間違ってたらすんませーん(⌒〜⌒ι)

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