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2006年11月30日 (木)

☆『ケヴィン・コスナー(1997)は2度ベルを鳴らす(のか?)』☆

ハナシは2つの段落に分かれる。

その1:さる20日(月曜)。衛星第2で放送されたドキュメンタリー番組「ルキノ・ヴィスコンティ」をだらだらっと観た。イタリアを代表する映画監督であり、“巨匠”と呼ばれる映像作家の人生とその作品を、彼を知る人々のコメントや資料映像などで綴ったドラマである。
『郵便配達は2度ベルを鳴らす(1942)』『山猫(1963)』『ベニスに死す(1971)』など、パッと手がけた作品名が出て来るほどの巨人ではあるも、正直どんな風貌の人物なのか、分かってなかったりもした。
生没年・・1906〜1975年。(助監督を経ての)監督デビュー作が『郵便配達は〜』であり、そう考えると、若くして恐ろしい才能をいきなり開花させてた感を受ける。
かつての作品に絡め、当時の心境&裏話を(出演)俳優&(参加)スタッフが振り返るシチュエーションが少なくなかったが・・さすがに皆さん、当時との落差が激しかった。。老いて尚「俳優としてのプライド」が(顔出しの)出演を許さない・・そんな抵抗感とか、なかったんやろか(⌒〜⌒ι)
ラストで監督自身はこんなコメントをしていた。

ヴィスコンティ「大事なのは、テーマだ」
       「多くの作品をただ撮ることは容易(たやす)い。だが、私は自らが正しいと信じる作品をこそ撮りたい」

その2:本日29日(水曜)。ヴィスコンティ作品がしばらく特集されてる中(そしてそれらが観れぬままに過ぎてく中)、ようやく監督デビュー作『郵便配達は2度ベルを鳴らす(1942)』を中盤からながら、かいつまんで観ることが叶った(新聞を切りながらの鑑賞だったんで、観たと言えないレベルだが)。
流れ者の短気な青年ジーノと年上の旦那との生活に倦怠を感じる人妻ジョヴァンナの出会い。惹かれ合う2人はやがて邪魔者の存在(=旦那)を計画的に亡き者とする。訪れたかに見えた蜜の時間。しかし2人の想いは間もなくすれ違いを見せ始める。
別離と再会を繰り返すジーノとジョヴァンナ。ようやく2人の気持ちが1つになった・・その瞬間、恐るべき報いが2人に下されるのだった。
そんな流れだろうか。
半世紀以上も昔の物語なのに、物語のエッセンスが殆ど古びてないのがスゴいなぁ、と。当時としては「カースタント(≒カーアクション)」も斬新で大胆でハイカラ(←死語)な演出だったんじゃなかろうか。ラスト近くの幸せそうな2人の描写が、如何にも「もうすぐ何かが起こりそう」な不安をかき立ててくれる。そう、まるで後年の名作『俺たちに明日はない(1967)』のボニーとクライドのように(・ω・)
※『俺たちに〜』はヴィスコンティ監督の関連作ではありません。
ジーノが終盤、自分たちに言い聞かせるように「これが人生だ、これが人の生きる道なのだ」「運命は決して俺たちを見捨てない」と放つ台詞が何とも哀しい。直後、彼は全ての希望を失ってしまうのだから・・。

因みに本作、原題(イタリア語)が「Ossessione(意味:妄執、妄想)」であり、英題だと「The Postman Always Rings Twice」となるのだが、劇中に“郵便配達夫”は登場しない、確か。もちろん“ポストマン”に扮した近未来のヒーロー気取りのケヴィン・コスナーも出演しないし(=^_^=)
以前、学生時代に教師のどなたか(誰だったか?)に聞いたハナシでは「The Postman」は“郵便配達”ではなく、正しくは“過去の男性(恋人)”を指す表現であると言う。確かに、その方がストーリーとの辻褄は合っているかも知んない。
だけど、ベルを2回鳴らすシーンがあったかどうかは分かんなかった。「ピンポンダッシュ」するシーンは少なくとも盛り込まれてなかったようだが・・(←コメディだろ、そういう演出だと)

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2006年11月28日 (火)

☆通勤時にエロい本を読もう!(=^_^=)☆

ってことで、今朝からハードカバー版の本『快楽(けらく)』を
読み始めてます(=^_^=)>

ノンフィクション作家・工藤美代子さんによる
“更年期の性生活”を軸に書かれた実録系レポート。

タイトルから受けるインパクト(?)に「も少し、重くてお硬いハナシなんかな?」と身構えてたもんで、
そのくだけた内容には、読みながらときに苦笑しそうになったり。。

中盤以降はどう展開して行くか分からないが、今までの(読んだ)部分では主に著者周辺の“熟年女性”から聞き取った、あけすけな「性の遍歴」「性の実態」が幾つも綴られる。
「あんましそんなん読みたくね〜よ〜」と思いつつも、何だか気になってついついページをめくっちゃう。ああ工藤さん、貴女は渡辺淳一か、シドニィ・シェルダンか、はたまたポール・シェルダンか(=^_^=)

著者自身は「肯定も否定も出来ない」とことわりを挿入(いれ)ているが、大きく目立つシチュエーションが“不倫”なのは事実であり「それってどうなんやろかいね〜」と。読んでて急に殊勝な気持ちになって来たり(=^_^=)

性行為やら何やら(←何だ?)の描写が「ニュートラルな立場」である作者の筈なのに、妙に「筆が走ってまっせ!」と突っ込める感じなのは「やや噴飯ぎみ」かも知れない。

男性側からすると「女性心理の総論」とすんなり納得出来る訳でもなく、学ぶべき内容があるのかどうか、ちょっとまだ結論は導き出せてないんだが、少なくとも“エンターテインメント”としてはかなりの快作(けさく?)だと思う。

若い女性の皆さんはこの本を手に取って・・“将来訪れる心身の変調”に恐れおののいちゃって下さい(←何だよそりゃ)。

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2006年11月26日 (日)

☆『ケミカル51(2002)』☆

26日(日曜)の夜・・詳しく言えば「土曜から日曜に日付が変わり、少ししてから」民放深夜で流れてたのを観た。ただ、自身では“初めてのスタイル”での鑑賞となった。これは、深夜からの出発で「寳塔巡りドライヴ(滋賀方面)」に向かう道中、ナビに搭載のTVチューナーでちょこちょこっとチェックしながら・・って感じのスタイルである。無論、運転中なので画面の注視なんぞ出来ないし、大阪⇒京都⇒滋賀・・とクルマが西進(?)するにつれ、ノイズが増え、映像も音声も途切れる頻度高し。。って有り様だった。
ってことで、こんなんでは「鑑賞した」とは言えないだろうけど。

『フレディvsジェイソン(2003)』などを手がけたロニー・ユー監督作。サミュ・L・ジャクソンとロバート“放っといてもいずれくたばるンですよ、なテロリスト:レナード(1999)”カーライル、そこに『ノッティングヒルの恋人(1999)』『シッピング・ニュース(2001)』でのキャラが光ってたリス・エヴァンスが助演☆
ぶっとべる新型ドラッグ「POS51」を開発(精製)したサミュ・L氏が、それを武器(手土産)に渡英。イギリスのドラッグ市場に売り込みを企み、そっちの麻薬組織ボスと一悶着を起こすハナシ・・みたいな感じ、と物語の断片から推測したが、どうなんだろ?

なんか顔面にあざをこしらえ、鼻血を流したイギリスのチンピラがたくさん拝めたような。。爆発とか銃撃とか、ピンポイントで劇中を彩り、盛り上げてたようだが、私的には敵味方問わず、出演するヤツらの容貌にイマイチ好感が持てず(×_×)
制作スタッフにサミュ・L自身が(ちゃっかり)クレジットされており、スカート姿&アフロヘアー&背中向きオールヌード(?)など「やりたいこと」をふんだんに作中に取り入れてた感が(・ω・) ←なんかサミュのプロモーション・ビデオみたいや。
それにしては、何を着ても、何をやっても、面白くなかったンスけど。
しかしアレだ、劇中でカーライル(左側)とサミュ(右側)が並んで歩くシーン・・サミュの方がやたらと背が高い! 或いはカーライルが低いのか? 良く分からんが、あの映像が一番“強烈で”印象に残りそうだな(⌒〜⌒ι)
ラスト、敵ボスが何か大変なことになっちゃってたようだが、あれって「北斗神拳」で言うトコロの「ひでぶっ!(=柔破斬)」みたいな演出だったのだろうか?
サミュちゃんのラス決め(終盤の決め台詞)が「ヤクは人を破滅させるんだよ」みたいなんだったが、あれって正しくは「ヤクは人を破裂させるんだよ」と(吹替えで)言ってたのか? ちとその台詞が「ノイズで聞き取りにくかった」のが残念。
「そうそう、そこ、確かに“破裂”ってゆうとったで!」と耳にされた方、ぜひ一報をお願いしますわ(=^_^=)

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『デイ・アフター・トゥモロー(2004)』

うう・・なかなか更新の時間がない。。

19日(日曜)の放送を観た。どうやら地上波初登場☆ 公開当時、真面目に劇場に足を運びますた・・(・ω・)
温暖化を皮切りに起こる地球規模の災害をテーマに、存亡の危機にさらされる人類を描いたスペクタクル巨編。・・と言うより、実際に描かれるのは人類を代表する(?)とある父子の「信頼と希望と絆のドラマ」だったりするが(・ω・) ←何とも広過ぎる風呂敷だこと!

南極で海面下の棚氷を調査する気象学者、ジャック・ホール(デニス・クエイド)は海水温の上昇が顕著となっていることに気付く。環境シンポジウム(地球温暖化会議)で早急の対策を訴えるが、出席したベッカー副大統領をはじめ、各国の危機感はイマイチ盛り上がらない。
一方、ジャックの息子、サム・ホール(ジェイク・ギレンホール)は「高校生クイズ大会」に出場のためワシントンから飛行機でニューヨークへと向かう。
そうこうしてる内に、東京・千代田区に雹(ひょう)が、ニューデリーには雪が降る。被害は各地で激化し、ロサンゼルスは竜巻に、ニューヨークは押し寄せる津波に襲われる!
北半球をやがて覆う「マイナス100度超」の激しい寒波。北米の生き残った人々は、メキシコ国境へと南下する。そして救援を待つ息子・サムに会うため、父ジャックは厳寒の中、ワシントンからニューヨークへと旅立つ・・

私的に『インデペンデンス・デイ(1996)』が好きなので(=^_^=)、本作もそんなに悪くはないんじゃないかと思う。少なくともペラペラな印象だった『GODZILLA/USゴジラ(1998)』よりは好きである。「合衆国大好き(?)」なドイツ人監督ローランド・エメリッヒが「父子劇大好き(?)」でもあることを『パトリオット(2000)』に続き、カミングアウトさせた作品、とも言えなくもない。
ただ、良く似たネタの『アルマゲドン(1998)』『ザ・コア(2003)』などにも思うことだが、相手が“自然災害”に過ぎない(?)ことから、イマイチ「ぶっ殺せ〜! うお〜!」的な盛り上がりに欠ける。確かにそこここには、意思を有したかのような存在(仮想敵?)
・米市民を翻弄する竜巻&看板(←現地リポーターのトミー、殉職!)&津波
・迫り来る超低温の波
・動物園から逃げ出した狼
・絶妙な緊迫感を与えつつひび割れるショッピングモール天井(?)のガラス
が描かれるんだが、どうにもノレない。
どころか、竜巻を観て『ツイスター(1996)』、看板を観て『ファイナル・デスティネーション(2000)』、狼のシーンを観て『ジュラシック・パーク(1993)←厨房とかが舞台』『バイオハザード(2002)←蹴らないけど・・』、亀裂の走るガラスを観て『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク(1997)』・・など他作品を連想しちゃう心の隙間がなかなかに埋まらない(・ω・)>

テリー・ラプソン博士役で“大物”イアン・ホルムが助演してるが所詮「受け身キャラ」だし、ギレンホール君も全体的に見れば「受け身」なのだ。そう言う意味で、災害シーンのCGにばかり酔わされ、人々のドラマ面にはとんと酔えないのも難。
予算的な問題か、ニューヨーク&ロサンゼルスの災害シーンばかりがピックアップされ、トーキョー都内の描写なんぞは、何だか『ブルース・リー/死亡の塔(1980)』にプチ登場する“へっぽこ系リトル・トーキョー”の趣の域を未だ脱し切れていない感で、もどかしさを禁じ得ない(=^_^=)
恐らくこの先もエメリッヒは「勘違い」したままニッポンを描き続けることだろうから、そろそろ日本映画界も看過を続ける姿勢を崩す時なのかも知れない。とにかく21世紀の千代田区に「高級鉄板焼き山本」の看板は似つかわしいだろう。。

ブレイク大統領も要(かなめ)のキャラかと思いきや、そうでもなかったし、感動的な演説が終盤にぶたれる訳でもなく、やっぱり「薄い」のである。

因みに、劇場に観に行った時には「ビル屋上に(あの状況下で)生き延びた人があんなにおるとは思えん!・・既にゾンビ化してるのかも?!」と思った程度だったが、今回のTV鑑賞では「(ジャックの嫁はん)ルーシーと同僚の若手研究員ピーターの関係は何か怪しい」とか「竜巻専門家、ジャネット高田のネーミングも何処となく怪しい」とか、あんまし本筋と関係ないトコにか弱い突っ込みを数発繰り出したものだ。まぁいいけど・・

人によっては『ポセイドン・アドベンチャー(1972)』とか『猿の惑星(1968)』を思い出すこともあるだろう。いや、別にそれが悪いこととは言わない・・(=^_^=)

教訓: 書は読むことのみにて人を活(い)かすにあらず(・ω・)

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2006年11月18日 (土)

☆こんな作に接した。☆

読売新聞・朝刊のコラム「編集手帳」のネタの1として挙がっていた夏目漱石の短編小説『夢十夜』について。
余りに面白そうなハナシなので、すかさず青空文庫(ネット図書館)で調べてみた。

http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person148.html

※無断リンクで済みません。

ぺらぺらと眼を通すと、くだんのコラムで取り上げられた1編は、作中の「第六夜」からのものであった。
伝説の仏師、運慶が護国寺・山門の高いところに登って、仁王像の顔面を鑿で彫っている・・それを門の下から群衆と共に眺める主人公のハナシ。
すぐ読めるし、分かりやすい。流石は文豪! と唸らされてしまった。

この作品に接し、ようやく気付いたこと(何処かで聞いたような記憶もあるが、やはり覚えてはいなかった)。
幾つかの編で冒頭を飾るこの言葉。

“こんな夢を見た。”

そうか、黒沢明監督の『夢(1990)』のルーツ(の1つ)がこの作品にあったのか。

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2006年11月17日 (金)

☆『プレミアム10/チャップリン・世紀を超える』☆

13日(月曜)。某国営地上放送(非教育系チャンネル←ここまで書けばチャンネルを書いてるも同じや(=^_^=))にて放送された特番『プレミアム10/チャップリン・世紀を超える』を観た。
個性派俳優・伊武雅刀氏を案内役に、喜劇王チャールズ・チャップリン(1889-1977)の生涯を駆け足式に辿る進行。
私的にも「映画史上最高の巨人」と認めざるを得ないチャップリンの特集であるからして、観なければならぬのは決まってたが、中でも番組の目玉企画としての「(破棄されたと思われていた)400巻にものぼるアウトテイクス(=未使用フィルム)に収録された、世界初公開のメイキング映像群」の幾つかが紹介され、それをネタに喜劇王の軌跡を綴る・・みたいな組立てが良かった。

ゲストとして“斬られ屋”福本清三氏、“日本屈指のチャップリン研究家”大野裕之氏(←同氏もまた“ひろゆき”なる名を冠するだけあり、なかなかにディープそうな青年である(=^_^=))、“喜劇王の次女”ジョゼフィン・チャップリンらもちらほらと登場、コメントを寄せる。
短いながらもそれぞれの存在感を示していた。

メイキングとして流れた映像が初期短編の『チャップリンの移民(1917)』『チャップリンの霊泉(1917)』。そして大幅に取り上げられていたのが後年の代表作『独裁者(1940)』であった。
前の2作では、とにかく演技・演出・舞台設定などがテイクを追うごとにどんどん“進化”を遂げて行くさまが凄まじい! 途中で大幅に映像の雰囲気が変わったり、撮影を進めながら常に“考えている”監督=チャップリンの姿が映し出されたシーンもあった。
次女ジョゼフィンもコメントを寄せていた通り、喜劇王は紛れもなき「極端な完璧主義者」であり、どれだけ撮影が進行し、そこまでに制作費が投入されていたとしても「ピンと来なければ」さっさとそのシーンを切り捨て、最初から撮り直していたりもしたようだ。印象とし「自分のコメディ演技が(とりあえず)引き立ってたらエエことやんか」などとつい思ってもしまうんだが、もっと作品全体を眺めた、大きな視野を体得していたように感じた。
番組でもその経緯を「面白くとも冗長であれば、容赦なく“笑いを削って”しまう」「つまり、不必要なものを削ぎ落とす」「最終的に、コメディとアクションは磨き上げられた究極の表現へと“進化”していった」的に紹介していた。

そして「チャップリンが純粋に笑いとリアリティを追求した軌跡が、これらのアウトテイクスには刻まれている」と。

さて、ファンの方々なら既にご周知のことと思われるが、ワタシが初めて知ったことも多かった(・ω・)
・『サーカス(1928)』での“綱渡りシーン”にスタントなしで挑むため、2ヶ月の特訓を積んだ。
・1931年、世界旅行に出かけた際には、英国首相チャーチル、物理学者アインシュタイン、インド独立の父ガンジー、自動車王ヘンリー・フォードとそれぞれ会した。
・『独裁者』の台本執筆に2年を費やした。なお台本には「スタジオからの持ち出しを禁ず」と自筆されている。
・『独裁者』の当初のエンディングは、兵士らが武器を捨て、踊り始めると言うものだった。完成版では有名な「チャップリン自身による約6分間の演説」へと変化を遂げた。
・この演説は公開当時、不評だった。
・台本のみが遺された“最期の作品”は“翼の生えた少女”を主人公にしたファンタジー作『THE FREAK(1969)』である。
・台本に併せ、絵コンテがちらっと紹介されていたが・・何となく宮※駿、リュ※ク・ベ※ソンなどの監督にエッセンスをパクられる運命にあるような気もした(・ω・)

〜 こんな言葉も紹介されてました 〜

母ハンナ・ヒル「ぼろをまとっていても、上品でありなさい」

チャップリン「私は悲劇を愛する。悲劇の底には何かしら美しいものがあるから」
      「愛国心こそが戦争をもたらす」
      「私は、勇敢になろうとも政治的になろうとも思った訳ではない。
       ただ心に感じたままに、正しい事を述べようしただけなのだ」
      「人間は、優しくあらねば」

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2006年11月15日 (水)

☆『ファイヤーフォックス(1982)』☆

おお、ちょっと更新がサボりがちになってるじゃねぇか、などんぶりこの頃(←意味不明)。ハナシは先週に戻るのじゃ。
7日(火曜)。クリント・イーストウッド監督特集【第2夜】って感じで(衛星第2で)放送されたスパイアクション(?)『ファイヤーフォックス』を観た。元空軍のエースパイロットが単身ソ連(=ソビエト連邦:冷戦時代のロシアの呼称)に潜入、地元エージェントらの決死の協力を得て、最新鋭の“思考誘導式超音速戦闘機”ファイヤーフォックスを奪う、と言うもの。
御大クリントの監督&主演作の中でも、かなり異色の1作。前半は「抑え過ぎや!」ってぐらいに究極に地味なスパイドラマだし、後半からは一転して、CG映像満載のスカイアクションに変貌を遂げるのである!
が本作、中盤まで鬱屈してた観客の気持ちが「離陸」と共に爆発(射精?)するかのような後半への投入部、そのカタルシスが大好きなのである。私的には前半に『スパイ・ゲーム(2001)』、後半に『インデペンデンス・ディ(1996)』に通じる雰囲気を感じたりするものだが、どうだろ?

アラスカ。軍を退役し3年になるミッシェル・ガント少佐(クリント)のもとにヘリがやって来る。彼を“米空軍随一のパイロット”と見込んで連れ戻しに来たのだ。そして彼に与えられた任務は「理論物理学の権威、バラノビッチ博士により開発された“レーダー探知不能”な最新鋭戦闘機“ファイヤーフォックス”をソ連・ビリャースク基地から奪い、米領空圏内に持ち帰ること」と言う単純明快だが、荒唐無稽なミッションである。
上官は彼に語る・・「この機が実戦配備されたら、米ソの軍事バランスが入れ替わる」と。
「史上最速の戦闘機を飛ばせる」と言う高度な操縦技術のほか、ロシア語が堪能でなければならず、母親がロシア人(←ホンマかよ!な設定)と言うこともガントが選ばれた理由だった。
だが、ベトナム戦争時代、捕虜となった若き日に「援軍のナパーム攻撃を受け目の前で爆死した現地少女」の姿が時折フラッシュバックする・・と言う重度の後遺症(PTSD)に、今も悩まされるガントだった。

ロンドン経由でソ連に入国するガント。彼の仮の姿は「表向きは実業家を名乗る」武器商人、レオン・スプレーグである。現地でエージェントのウペンスコイと合流したガントは国家警備局(≒国家保安委員会:KGB)に早速マークされつつ、マイケル・ルイス⇒ボリツ・グラズノフと次々に名を変え、次第にビリャースク基地へと近づいてゆく・・そんな流れ(と言うか、そっから先は展開が早いし(=^_^=))。

以前は民放の吹替え版で何度か観たので、とにかくテンポが良く、クリントの声を当ててた故・山田康夫氏の「ファイヤーフォックス2番機だぁ」みたいな独特のアクセントの利いた言い回しに終始酔いしれたものだった。
今回、初めて「オリジナル字幕版」を観た訳だが、改めて感じたのは次の2点である。
・BGMが余りなく、ドックファイトシーンがイマイチ盛り上がらない・・と言うか静か過ぎる印象(ある意味リアルだが)
・ソ連国内でも、みんなバンバン英語で会話してるし(=^_^=)

特に失笑モノなのは、後半で基地の指揮権を掌握、逃げるガントを追い詰める“第一書記(或いは一等書記官)”。ロシアっぽい訛り(?)をムリヤリに利かせて英会話するもんだから、もうムチャクチャな感じである。。
「ガント君」と呼びかける⇒「ミスタル・ガント(Mister Gant)」
「機体は破壊しろ」と命じた後「完全にな」と言い添える⇒「コンピリトリ(Completely)」
「奴らはここだ」と地図を指す⇒「ゼイ・アル・ヘル(They are here)」

ちょっと「大人の鑑賞眼」が養えた今、(アクションだけでなく)じっくりドラマ面を観て心を打たれたのは、何と言っても現地スタッフが「ファイヤーフォックスを無事、離陸させるためだけに命を散らして行く」展開。銃撃されたバラノビッチ博士が事切れる瞬間に目にした、機体へと歩いて行くガントの姿・・或いは捜索隊による大規模な山狩りの手が迫る中、いよいよ自決を決めたウペンスコイの上空を飛び去る機影・・そんな演出がいちいち心にグッと迫るのである。
なお、基地内の1シーンのみ、クリントがロシア語で警備兵に何事かを命ずるくだりがある。字幕が出ないのが残念だが、後ほど「第3ゲートが手薄だ、直ちに警備犬を配備させろ」などと言っていたことが判明する。是非ここの台詞、ロシア語の分かる方に評価を聞いてみたいトコロである(・ω・) 「ダー(ええやん)」なのか「ニエート(あかんわ)」なのか。

〜 こんな台詞も印象的ですた 〜

ガント「(奴は)このパスポートが偽造だと」
ウペンスコイ「何言ってる?! 本物に決まってるだろ! それが奴らの手なんだ」

ウペンスコイ「本当に飛ばせるのか?」
ガント「飛ばせるとも・・俺の腕は確かだ」

ガント「何故、目的のため自分を犠牲に?」
バラノビッチ「君には分かるまいな。君らアメリカ人は自由だ・・だが我々はそうではない。
       我々にとっては、死ぬ事よりも保安局の支配の方が耐えられない」

第一書記「乗り心地はどうだね? ガント君」
ガント「イマイチだ」

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2006年11月11日 (土)

☆『パーフェクト・ワールド(1993)』☆

6日(月曜)の鑑賞。今週は現在公開中の監督最新作『父親たちの星条旗』に併せてか(?)“クリント・イーストウッド特集”で放送プログラムが組まれてる感じの衛星第2。第1夜とし、ケビン・コスナーとの共演作である『パーフェクト・ワールド』が放送されたんで、観てみた☆ 実はこの作品、観るの初めて(・ω・) 何かケビコス主演作ってだらだら長いのんが多く、ちと取っ付きにくいのれす。「演技力もあるだろうし、存在感もなかなかだろうけど、ちと好きになれん」ってトコは、何処となくワタシの中でリチャード・ギア氏と双璧を成してる俳優さんであったりも(⌒〜⌒ι)
クリントは監督のほか、助演でも参加してるが、予想してたのとやや違うキャラだったか。「宿命の関係」にあるケビンと終盤、いよいよ“ご対面”となるんだが・・その辺りのあっさりしたやり取りが、意外と言えばかなり意外だった。ちょっと弱々しく、苦り切った役に専念してた印象でしたな、本作。

時は、合衆国大統領ケネディがダラスで開催されるパレードにやって来る少し前、ハロウィーンの夜(即ち1963年10月31日)。2人の囚人、ロバート“ブッチ”ヘインズ(ケビコス)とテリー・ピューが収監されていたテキサス州・ハンツビル刑務所を脱獄する。所員を拉致、殺害し、奪ったクルマで立ち寄った先は“エ※バの証人”を信仰する、異教徒のペリー家だった。そもそもは車両交換&食料調達が目的だったが、テリーの暴走により騒ぎが大きくなってしまったため、囚人らはその家の8歳になるフィリップ少年(T.J.ローサー)を拉致、州境を目指し更なる逃亡をはかる。彼を追うのは「少年時代のブッチを知る」レッド・ガーネット署長(クリント)率いる州警察のチーム。その中には州知事に派遣された、女性犯罪心理学者サリー・ガーヴァー(ローラ・ダーン)、FBI捜査官と言った面々も含まれていた。
フィリップをことごとくいじめ、自身の足手まといともなったテリーをブッチは道中で射殺、次第に心を通わせたブッチとフィリップはクルマを乗り換え、色んな人々(家族)との束の間の交流を経ながら、アラスカへ向かうことに。

時に兄貴的存在として、また時に親友として・・人生のこと、両親のことなどを少年に語って聞かせるブッチ。しかし、よその親が子に“目に余る力ずくの躾(しつけ)”を行う場面を目にすると、彼の中にある“少年期に培われた凶暴性”が突然に牙を剥いたりもするのだった。

やがて黒人の小作人、マックの一家に宿を借りたブッチ&フィリップ。既に彼らの周りでは、州警察の包囲網が狭められつつあった・・そして、ブッチは予想もしなかった一弾をその身に受けることとなる・・ってな流れ。

冒頭の「マルパソ・プロダクション」のクレジットからして、何ともワクワクされてくれる☆
オープニングで、草原に仰向けに寝転ぶケビコスが描かれるが、これってラストに繋がる“フリ”となってるので、後で思い出してちょっと感傷に浸るもヨシ(・ω・)
ケビコスと言えば、この当時ブレイクしまくってて、『JFK(1991)』『ボディガード(1992)』に続く華々しい主演作だった訳だが、良く観たら“お腹が結構ぷにぷにダァーッ”なことに気づいたり(←ネットでも酷評されているトコロ)。まぁ、本作の翌年に『ワイアット・アープ(1994)』に主演してる訳で、その辺りの「役作り(=貫禄アップ)」の一環だったのかも。 ←とフォローしてみる。

「逃避行」なだけあって、どの出会いもそこそこに緊張感漂う「ブッチ組」に比べ、何だか“珍道中”と化してるのが「州警察組」。ムリヤリっぽく「追跡車両の暴走シーン」や「レッド&サリーの良さげな関係」をイベント的に盛り込んでるが、イマイチ乗れない印象だなぁ(・ω・)

ただ、私的に気に入ったのは、それを外(はず)して「健全路線」をひた走ってもええトコロの“性的描写”を、敢えて演出上に大胆に加えてることだろうか。
「ドライブインの中年女性相手(←いわゆる美人ではない・・)に“突っ走りそう”になるケビコスと、それを目撃する少年」「自分のに自信がないんだ、と言う少年の“ソレ”を見て、“その年にしちゃ立派なもんだ”とお墨付きを与えるケビコス(←仮にケピスペが言うと何かリアルで生々しいかも・・)」など、なかなかに“ダーティー”な様子から、御大クリントが嬉々としてメガホンを振り回した姿が鮮やかに脳裏に浮かんだりもする(←単なる妄想)

微妙に上映時間がダブついてる感も、ケビコスの腹がダブついてる感もある(←ほっといたれよ!)が「ブッチの不器用な人生」を辿るロードムービーとし、考えさせられるトコロのある1作だと思った。

〜 こんな台詞がありましたぞと 〜

レッド「俺と付き合うには、根性とユーモアが必要なのさ」
   「記録が全て真実とは限らんさ」

サリー「もしここが“完璧な世界”なら、犯罪なんて存在しないわ」

ブッチ「盗みは良くないが、欲しくても買えない時は・・借りてもいい。これは“ルールの例外”だ」
   「俺とお前は似てるよな。ハンサムで、コーラが好きで、おまけにろくな父親に恵まれていない」
   「いいか、人の親切は忘れるな」
   「アメリカ人なら誰にだって、綿アメを食べてコースターに乗る権利があるのさ」
   「今までやれなかったことのリストを作れ。何をやりたいかは、自分の頭で考えろ」
   「俺はいい人じゃない、極悪人でもない。人と変わってるだけだ」

(“保護観察”でロクデナシの父親元に帰すより、少年院に送致する方が適正とした、過去の判断に対し)
サリー「わからないわ」
レッド「わかるまいさ」

サリー「あなたは出来る限りのことをした」
レッド「もうわからんよ、何もかも」

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2006年11月 6日 (月)

☆『父親たちの星条旗』☆

5日(日曜)。それなりに(←おい)楽しかった3連休もいよいよ終了。。
おとつい3日(金曜):電車で「京都寳塔ツアー」
んで昨日4日(土曜):クルマで「和歌山寳塔ツアー」
とこなしたが、本日は「イオン大日」内にある劇場「ワーナー・マイカル・シネマズ大日」で、クリント・イーストウッド監督の最新作である『父親たちの星条旗』を観て来た。同監督の手がける、恐らく最初で最後のスタイルではないか? と思われる(←勝手なワタシの判断かも知れんが・・)「2部作」の第1弾。

太平洋戦争末期、小笠原諸島の硫黄島(IWO-JIMA)に於いて米国海兵隊と旧日本軍が激戦を展開した(1945年2月18日開戦、同年3月22日終結)。
戦争が始まって間もない1945年2月23日午前、島内の最高点にあたる摺鉢山(MOUNT-SURIBACHI)の頂に6名の青年兵が星条旗を掲揚する。その瞬間を映した1枚の写真は本国各紙で大きく取り上げられ、長く続く戦争に意気消沈していた米国民に希望を与える存在・・「英雄(HERO)」・・として大きくまつり上げられることに。
うち3人はその後も続く闘いの中で戦死、本国に帰還した残る3人は「つかの間の栄光の日々」の果てに、それぞれ大きくその後の人生を歪められて行くこととなる・・そんな流れ。

オープニング、まず「マルパソ/アンブリン・エンターテイメント」の文字に異常に興奮(=^_^=) おお、クリントとスピルバーグの制作会社がタッグ組んでる! で、続く「字幕:戸田奈津子」の文字に苦笑(⌒〜⌒ι) 押さえてますねぇ、戸田女史。

私的には、ちと理由あって、心からおススメ出来る作品でもないかと言う気がする。が・・大きな視点で評価すると戦争映画の決定版に近い「渾身の大作」とは言えよう。きっと本作に続く第2弾『硫黄島からの手紙』の公開により「1つの作品として完成」すれば、しばらくの間「戦争系映画の金字塔」として君臨するんじゃないかと予想する。

○日本兵の言動がへんてこじゃない
○海兵隊も(敵に対し)へんてこな作戦行動はとらない
○戦場ではヒーロー(超人)が存在しない
○戦争を美化せず、米側の施策(政策)を決して正当化していない
○とにかく戦場の描写が凄惨で恐ろしい
こう言った部分がクリント監督の真面目な視点と言うか、決して「アメリカ万歳路線」で売ろうとしてない姿勢を感じさせてくれ、そこが良い。

難があったとすれば、主人公ら・・特に戦死した3人のキャラが薄かった感じと、戦争そのものの終盤の流れが、丁寧に描写されないままだったことか。作品からは「旗を立ててはいおしまい」的な『パトリオット(2000)』的な印象(?)も受けるが(←生還兵の戦地における体験とし)、実際にはその後、約1ヶ月間に渡り更なる激戦が続いた訳でもある・・無論、それを帰国した3人は体験していないのだが(してたら戦死してた筈)。
まぁ、その辺りの戦場に舞台を絞ったドラマはきっと第2弾で詳細に描かれるのであろう。

戦場のシーンが作品の約半分(←まぁ、そう言うことで)を占めるって訳で・・冒頭から『プライベート・ライアン(1998)』や『スターリングラード(2001)』をしのぐレベルの凄惨なバトルが展開される! 手首が転がるわ、ヘルメットごと首が吹き飛ぶわ、内臓が弾けるわ・・良く考えたら「R指定」の付いてないのがちょっとおかしいような場面が・・(・ω・) ←描写をおさえた「クリーンヴァージョン(ファミリー向け)」も上映すれば良かったかも。

生き残った3人は何となく『L.A.コンフィデンシャル(1997)』に登場した3刑事を思わせるような性格付け。「着実にPR活動をこなす者」「それなりに巧く立ち回る者」「疑問を感じやがて去る者」・・個人的にはアダム・ビーチ(アイラ・ヘイズ役)とバリー・ペッパー(マイク・ストランク役)の印象が強烈だった。ビーチは『ウインド・トーカーズ(2002)』の“ホリョだ”なナバホ兵、ペッパーは『プライベート・ライアン』や『ワンス・アンド・フォーエバー(2002)』でも個性を発揮してた“戦地ロケの似合う男”でもあるからして。。逆にポール・ウォーカーとかロバート・パトリックの出演は正直気づかなかった(×_×)

戸田節もあんまし炸裂してなかったか。「選(よ)りに選(よ)って」とか「お歴々」ぐらいだろうか。“個性的な漢字訳”と“古そ〜な表現”が最近の戸田路線って感じか(=^_^=)

そや、びっくりと言えば本作、スコア(音楽)を手がけてるのも御大(クリント)ご本人。いや〜多才だなぁ。

アメリカ史に詳しい人に聞いてみたいのは「ヤンキース・スタジアムのシーンに登場する選手たちって当時のチームの面々に似てるの?」ってトコかな。あ、シカゴのシーンでは『ミッション:インポッシブル(1996)』で取り上げられる重要なポイント(?)「ドレイクホテル」が登場してましたな〜。ジョン・ボイト(ジム・フェルプス役)が備え付けの聖書を勝手に持ち出してミスった、あのホテルっすね(=^_^=)

何だか人物名が(群像劇的に)飛び交ってて、今回は“メモ取らず”に鑑賞したモノで、誰が誰やら正直フォロー出来てない部分もあったけど、時計が気になるほど苦痛な時間でもなく(130分ちょいの上映だが、長さは気にならない)、眠くなることもなかった(同じ戦争モノでも『シン・レッド・ライン(1998)』はかなり観てて眠たくなった覚えが)。

も少し、だらっと書きます(=^_^=)

日本人については真っ当に描けてた・・と言いたいが「日本人に左利きはいない」みたいな俗説(?)が勝手に流布されてて、ちとショボ〜ンとなってしまった。。まぁでも「金の仏像」やら「“奉納”とか書かれた暖簾(?)」やら、その手の怪しげな小道具は出て来なかったので許す(=^_^=)
それから終盤の戦闘で、洞窟内に「突撃ラッパ」が転がってたが、アレってばきっと「続編」に繋がる重要アイテムに違いあるまい! と邪推しておきたい(=^_^=)
あと、完全に「続編」とスタッフ&キャストを区別してるようで、『硫黄島からの手紙』の日本俳優陣(有名どころ)が全く出演してないのが良かった☆
(あぁでも・・もし“マコ岩松さん”がご健在なら、きっと出演しておられたんやろな〜)

その他のチェックポイント
□戦場のシーンで最初に叫ばれる台詞は・・やっぱり「※※※!」なのだった
□「全米インディアン会議」の参加メンバーを観て、ちょっと笑いそうになってしまった・・猛省(・ω・)
□最初の戦死者(それも開戦前)は・・“アレ”して“漂っていた”あの兵士・・合掌
□登場する2人の合衆国大統領、フランクリン・D・ルーズベルト(第32代)、ハリー・S・トルーマン(第33代)の対照的な描かれ方が興味深い。前者は終始無言&殆ど後ろ姿しか映されない。片や後者は動き、陽気に喋り、笑顔まで見せてくれる。クリント監督流の何かの“思想”に基づく演出なのか、気になるトコだ
□火炎放射兵が背中のタンクを銃撃され、爆発するアクションはなし(←だから、それはジョン・ウー監督作だっての!)
□もはやクラシックなノートPC「PowerBookG3(1998年モデル)」が登場、元気に活躍する☆ このマシンの愛称は「液晶先端部・絶壁くん」でした(←ホンマかいな)
□生還した3兵の上官、キース・ビーチ大尉を演じた俳優ジョン・ベンジャミン・ヒッキー。何処となく風貌がクリント似な感じ。きっと監督がも少し若ければ、この役で(ちゃっかり)助演してたんじゃなかろうか(⌒〜⌒ι)

〜 心に残るかも、な台詞 〜

※「先発の兵は撃たれない。時間を置いてそれに続く、後続の兵が撃たれる。
 尤も、見せしめとして先頭の兵が真っ先に撃たれる場合もあるが」 ←おい、どっちやねん(・ω・)

※「戦争のことを知っていると言う者がいる。大抵は若い愚か者で、戦争を知らない連中だ。
 本当の戦争を知る者は黙して語らない。何故ならそれは彼らにとって、1日も早く忘れたい記憶だからだ」

※「戦場には英雄も悪玉も存在しない。英雄とは、我々が作り出した虚像に過ぎない」

※「もはや国庫はパンク寸前だ、銃器などもう買えはしない。
 お前がこれから使う事の出来る武器は石ころだけだ。それを投げて日本人と戦うがいい」

※「硫黄島は日本の領土だ。だから日本人をそこから追い出す」 ←お、侵略行為を自覚してるネ☆

※「戦車のことは忘れろ」 ←援軍の戦車が颯爽と上陸・・した直後、着弾で爆発炎上するのを眼にして

追記1:本作の「タイトル」にどうも違和感を感じたのが「父親たち」の対極にいる「息子たち(=複数形)」の存在が余りに希薄だったことによるものだろうか、ワタシの中で。原作では、もっと複数の「息子」が登場したんだろうかな?
追記2:にしても中※獅※。仕事(撮影)の硫黄島が終わった・・と思いきや、お次は「実生活が硫黄島」ではないか。。ここは1つ、続編の劇中で「ちっぽけな島の覇権を巡って殺し合う・・人間って面白っ!」とか「(島を)落とすンだろうが!」とか過去の出演作をセルフパロディ化した台詞をアドリブで放って欲しいぞぅ。

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2006年11月 5日 (日)

☆『オール・アバウト・マイ・マザー(1998)』☆

2日(木曜)。帰宅後、衛星第2で放送されてたのを観た。劇場公開当時、観に行った作品でもある。作品のテーマが「生(誕生)と死(別離)を“軸”にした、女の喪失と再生の物語」ってトコロにあるので(と我流に解釈)、性別の異なるワタシとしては、ちょっと作品世界に突き放された気がしないでもない(・ω・) 年頃の息子を持つシングルマザーの方が観ると「眼を覆いたくなるほどに痛々しい」そんな作品とも聞いたことがある・・
奇才ペドロ・アルモドバルが監督・脚本を手がけたスペイン映画。その後の彼の作品『トーク・トゥ・ハー(2002)』に比べると、やや全体から受ける印象ががさつな感じ(洗練されていない)で、(人により)不快感を覚えるエロ表現(台詞)などもあったりするが、登場する様々な女たちの秘めたる経験、人生観があちこちにちりばめられているようで、その意味ではパワフルでもある。
「性同一性障害」「後天性免疫不全症候群」「臓器移植」・・と取り上げるネタが精神医療、近代医学の分野に走ってる傾向もあるか。その点では医学関係の方の感想も聞いてみたいかも(・ω・)

マドリードの街。ラモン病院で「移植コーディネーター」として働くマヌエラ(セシリア・ロス)は36歳(実際にはセシリアさん、1956年のお生まれとのこと)。シングルマザーとし、育て上げた1人息子のエステバンは間もなく18歳。文豪トルーマン・カポーティを敬愛する彼は「母の半生を題材にした小説」を執筆しようと考えている。そのため、これまで母の口から語られることのなかった父の姿について教えて欲しい、とマヌエラに乞う。
そんな母が「18歳になったら教える」と息子に対する決心を固めつつあった矢先のこと。母子で出かけた公演『欲望と言う名の電車』を鑑賞した雨降る夜、エステバンは主役(ブランチ・デュボワ役)を演じた女優ウマ・ロホにサインを貰うため、終演後に楽屋口からタクシーに乗る彼女を追いかけるが・・交通事故に遭い死んでしまう。

エステバンの若い心臓は摘出され、移植されることに。それを見届けたマヌエラは、17年前とは逆に、マドリードからバルセロナへと旅立つ。自身の過去と向き合い、またエステバンの死を別れた夫ロラに伝えるためバルセロナにたどり着いた彼女は、ゲイでモデルをする(F行為もする・・)アグラードに再会、ロホが既に同居人の彼(?)のもとを去ったことを知る。またアグラードを介して知り合ったシスター(妊娠3ヶ月)、ロサ・サンス(ペネロペ・クルス)には、その実の父親もまたロラであることを聞くのだった。
当面の仕事を探していたマヌエラは、バルセロナで『欲望と言う名の電車』の公演中だったウマ・ロホに再会、とある流れから彼女の付き人となる。

若き日に、ロラ(スタンリー・コワルスキー役)と組んでステラ役(ブランチの妹かつスタンリーの妻)を演じた経験のあるマヌエラは、今回の公演で薬物中毒により出演出来なくなった女優ニナ・クルスに代わり、急きょステラ役を演じてのける。公演中止と言う事態を救ったマヌエラに対し感謝しつつ、「雨の夜、マドリード公演でサインを無視してしまった少年」のことを思い出したウマ・ロホは彼女に詫びるのだった。

やがてマヌエラの傍らで、親しき者の「死」と「誕生」が。その葬儀の日(息子の死から半年後)、彼女はようやくロラに再会するのだが、彼にもまた「死」の影が迫りつつあるのだった・・そんな流れだろうかな。

落ち着いて振り返ると、何だか主人公マヌエラの周囲で絶えず「別離or死」が展開されてる感もあったり。「セシリア現るところ乱あり」みたいなツッコミも何となく沸き起こった今回の鑑賞(⌒〜⌒ι) いや、彼女は別に悪くないんだけど。
また、今回観直して思い浮かべたのは「“エステバン”と呼ばれる生命のリレー」って言葉だろうか。劇中に3人の“エステバン”が登場することとなるんだが、妙に大河ドラマっぽい流れになっていて、作品全体に「荘厳さ」を与えてもいる印象。
マヌエラの息子であるエステバンが「死して他者に心臓(=命)を与えた」と言うシチュエーションも、1つの「リレー」として描かれてるが、マヌエラの決断・・そしてロサの決断も無意識にそんな「リレー」をイメージさせてはいないか?

ちょっと面白かったのは、バルセロナと言う街の描写のされ方だろうか。マヌエラが到着した夜、彼女の乗るタクシーの窓ごしに「桜田さん一家(≒サグラダ・ファミリア教会)」がチラッと映されるんだが、全編を通じ「観光地らしい観光地」が映像とし出て来たのはそこぐらいだった気がする。どうもアルモドバル監督が「ロケ強調の路線、やめっ!」と製作現場でいきなり叫んだような気がしてならない(=^_^=)
終盤なんぞ、線路が映し出された画面で列車が「グォーッ」とすれ違い(?)、そこに「2年後」と言う字幕がかぶせられるだけ。。「なぁあんた、何か手抜きしてないか?」みたいな(⌒〜⌒ι)
って言うか、ラストに「ウン年後」って字幕を入れるやり方は日本の連ドラ(とそれを送り出すヘタレ脚本家)の専売特許なんだから、巨匠にはマネして欲しくないぞぅ(=^_^=)

〜 こんな台詞もありました 〜

アグラード「あたしの中の本物は、ハートと体中のシリコンだけよ」

ウマ・ロホ「私の人生なんて、このタバコの煙と同じ。味もにおいもない・・慣れれば“ない”も同じ存在よ」

マヌエラ「何人もの男と寝たけど、私は売春婦じゃない」
    「女は孤独だと何だってするものよ」
    「うそは巧いわ、アドリヴも慣れてる」 ←ステラ役を演じ切る実力をアピール

ロサ「あなたは大女優だけど・・人間として間違ってる」 ←ウマ・ロホに
  「私をそう追い詰めないで」 ←咎める母親に

エステバン「たとえ彼がどんな人で、母に何をしたとしても・・僕にとっては父だ」

ロラ「この子に流れる1滴の血に、私の時が凝縮されている」

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2006年11月 2日 (木)

☆『過去のない男(2002)』☆

月が変わって1日(水曜)。月は変わろうと、“ツキ”が変わらないとはコレ如何に(・ω・) などと。
昨夜の『アイリス(2001)』に続き、また今夜も衛星第2を観てしまう☆ フィンランドの雄、アキ・カウリスマキ監督(←パロディで“任侠映画の雄:アニキ・カワニスマキ(=兄貴・川に簀巻き)”ってのはどやろ?)が製作・脚本・監督をつとめた『過去のない男』である。
カルト的な評判に吸い寄せられ(=^_^=)かつて『レニングラード・カウボーイズ2部作(1989)(1994)』を観た頃から気になってた監督さんであるが、その後『白い花びら(1998)』や『10ミニッツ・オールダー/人生のメビウス(2002)・・に収録の1篇“結婚は10分で決める”』などに触れ、次第に“崇拝の対象”となりつつある人物だったり(・ω・)

彼の作品の特徴は「単純な物語構成」「少ないが深いセリフ&独特の間」「平凡でリアクションの少ない俳優陣」などであろうか。ハッキリ言って万人には勧めにくいし、理解もしにくかろう作風なのだが、ある程度の映画経験を積み、人生の滋味を知った人間が観ると・・コレがめちゃくちゃ面白いのである。ワタシも今回、(いつものように)それほど期待もせず、観始めたんだが、序盤からどうにもニヤついてしまって仕方がなかった。地味だけど良質のコメディであり、ヒューマンドラマであり、必要十分な娯楽作なのである☆
この作品が楽しめた・・って自分に「まだ、終わらんよ」と妙な自信までもが芽生えたものだった(←大げさな(=^_^=))

列車でとある街にやって来た主人公の男が、公園で仮眠中、3人組の暴漢にいきなりメッタ打ちにされる。ボロボロの状態で病院に運び込まれた男は間もなく心停止・・の筈が数秒後に蘇生! 病院を後にする。一夜が明け、海岸で無様に倒れている男。その顔面は包帯でグルグル巻きにされており、実に痛々しい。通りがかった少年2人により彼らの家にしばらく厄介となる男。やがて傷は癒えるが・・男は頭部をしこたま暴漢らに殴打されたことで、自らの名前、出身、過去・・あらゆる記憶を失ってしまう。無一文である男は、取りあえず生きて行くために仕事を探そうとするが、名前すら思い出せぬ状態では職業安定所にすらなかなか相手にして貰えないのだった。そんな中、男は広場でスープの配給をしている「救世軍」勤務の孤独な中年女性、イルマに出会う。
2人はお互いに惹かれ合い、いい感じとなってゆくのだが、ある日「とある事件」に男が巻き込まれたお陰で、彼の素性が明らかになり・・と言う流れ。
ラストの辺りで男の本名が明らかとなるが(確かヤッコ・アンテロ・ルヤネンとか言う名)、分かったからドヤネンって感じでもはやどうでも良い、記号に過ぎない、みたいな思いが湧いたり。

にしても、劇中にちりばめられた“珠玉or玉石混淆(=^_^=)”なセリフの数々が素晴らしい! ちょっと幾つかをメモしてみたので、楽しんでみて下さいよ、と(⌒〜⌒ι)

看護師「何か措置を?」
医師「脳死状態になるより、このままの方が(この男にとって)幸せだろう」

奥さん「あんた、喋れたのね」
男「今まで特に話すことがなかっただけだ」

おじさん「(記憶が濁るのは)脳に血栓があるからかも・・アルコールで溶かすといい」
    「昼間から酔って帰ったら女房に殴られるかも・・さいわい子供の前では殴らんが」

※このおじさん、配給に並ぶためわざわざスーツを着込み、身だしなみを整える律儀さが良い(=^_^=)

警官「ここでの釣りは禁じられているが・・タバコをくれるなら見逃そう」
男「紙巻きタバコでは?」
警官「それだと監獄行きだ」

男「神が俺を見捨てなければ、明日には家賃が払える」
警官「神など当てにはならんな」

男「(無償で工事して貰い)どうこの借りを返せば?」
電気工「俺が道端で倒れてたら・・仰向けに」

ゴミ箱で暮らす男「ストが続くと、ゴミが溜まって狭くなり、ここで暮らせなくなる」

男「職業安定所は?」
※「教会が見えるだろ? その影に沿って歩け」

男「友だちが1人いるが、彼は何も知らない」
職安の担当「そいつも頭を?」

男「送ろうか? 物騒な世の中だ」
イルマ「いいえ、ここから遠くはないわ」
男「実は俺が、夜道が怖いんだ」

男「荷造りを手伝ってくれ」
イルマ「(荷物なんて)何もないでしょ」
男「だからこそ、こうして静かに座っていてくれ」

警官「今までの行為の当然の報いだ。救急車は呼んでやるが、急がなくてもよかろう」

〜 さらに短く、研ぎすまされて 〜

男「強欲は原罪だぞ」

女「音楽が人を殺したためしはないわね」

男「スイスにあるような、番号だけの口座が欲しい」

女「白樺は、落ち葉を悲しむかしらね」

イルマ「初恋だったわ」

追記:主人公が終盤、列車に再び乗るシーン。彼は日本酒を飲みながら箸で(食べにくそうに)弁当を食べている。そこに流れる挿入曲がクレイジーケンバンドの『ハワイの夜』なる1曲。これが、なかなかに違和感がないのだ! びっくり(・ω・)

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2006年11月 1日 (水)

☆『アイリス(2001)』☆

31日(火曜)。衛星第2で放送された映画『アイリス』を観た。劇場公開当時から気にはなってた作品。
実在した英国の女性作家、アイリス・マードック(1919-1999)の半生を、彼女とその夫となる文芸評論家ジョン・ベイリーとの若き頃の交流の日々を交え描くヒューマンドラマ。「ある高名な女流小説家の半生」を題材としつつ、その物語全体に大きく影を投げかけるのが、晩年のアイリスを襲う“認知症”である(劇中では“アルツハイマー症”と呼称される)。果てしなく奔放に生きた若き日の彼女(ケイト・ウィンスレット演じる)と晩年(=現在の時間)の姿(ジュディ・デンチ演じる)のある種の“ギャップ”にどうにもため息が止まらない・・(×_×)

何と言っても驚かされるのは、オープニングの“遊泳シーン”からいきなし始まる、ケイトの脱ぎっぷりの良さである(・ω・) 14インチのTV画面(自室)がすっかり経年劣化で「緑色」と化してしまってるが、それに苦しめられながらも(=^_^=)水中で揺れる、若い彼女の豊満なバストにはすっかり魅了されてしまった。
シーンの途中で、泳いでるのが水着を着用したジュディに切り替わるが「切り替えんでええ!」「水着を着ててもあり得へん!」などと思いっきり突っ込んでしまう・・そんな向きも劇場公開当時は必ずやおったに違いあるまい(⌒〜⌒ι)
水から上がったケイトの全裸の肢体にも驚き! 一瞬側面からのショットで股間部分がボカされるんだが、それって“自主規制してませんヴァージョン”だったら、きっと“シェイム・ヘア”なんぞまでも映り込んでおるのでは?!
私的には『タイタニック(1997)←げ〜もうそないに昔の作品か!』のヒロインを演じてた頃から、あんましケイト・ウィンスレットってば好きなタイプの女優さんではないンだが、このささやかな探究心を満たすがためなら、メイキング映像付のディレクターズカット完全版+無修正版のDVD(2枚組)を購入してもええかも☆ とか思ってしまったりもするものだ。

※本作のDVDソフトは「通常版」しかリリースされてません(・ω・) ←きっぱり!

若い頃は大勢のボーイフレンドに囲まれ、ウブなジョン(本人曰く当時童貞..)にとって「高嶺の花」な存在のアイリス。過去の男性遍歴を延々聞かされることとなるジョンの複雑な表情。だが、彼女はこうも吐露する。
「セックスは重要じゃないわ、大事なのは“いい人”を選んで離さないことよ」
何とも女性の本質をバシッと言ってくれてる(のかな?)みたいで気持ちが良い。ウブな頃のワタシだと、こう言うのを聞くと、激しく動揺してたことだろう・・(=^_^=)
やがて、並み居る男友達を押しのけ、ジョンとアイリスは結ばれる。
ア「私たち、そろそろ寝てもいいころね・・あなた、コンドームは?」
ジ「いや」
ア「用心すればいいわね」
・・おい、あかんやろ! と突っ込めつつも微笑ましく、少し刺激的なそんな会話も交わされたり☆

自転車で、水泳で、ダンスで・・若い頃は常にアイリスに追いつけなかったジョンが、晩年、認知症に蝕まれた彼女につきまとわれ、何度も同じ言葉を繰り返され、ついに“一瞬”キレるシーンが切ない。
直後にジョンは「君は悪くない・・謝るな」とフォローするんだが、この辺りの2人のやり取りが心にグッと迫るのである。
CTスキャン検査にて、アイリスの脳は恐ろしく「萎縮」を遂げていることが判明する。往診したガジョン医師も絶望の言葉しか語らなくなり・・

漠然とながら、人生の虚しさ、哀しさに気づきつつあるワタシ(やっとかよ!)は、下記のように感じた。

○年なんか、取るもんじゃない
○年を取ることって素晴らしい! と言ってる人は(今が)健康だからそう言えるに過ぎない
○健全であってこそ、輝ける老後を送り得る
○耐えて耐えて耐え抜いて・・追いかけ続けることで恋が(意外と?)成就することもある(生理的に嫌われてる場合を除く(・ω・))

〜 ズシッと来るかも、なジョンのセリフ群 〜

ジョン「現代人に通じるのは、言葉より映像だな」
   「私たちは彼女の言葉を学ぶべきだ、その精神の光が消える前に」
   「君の優しい言葉を待っていたよ・・ずっと」
   「愛には終わりが・・人生にも」
   「昔は君と2人きりになるのが怖かった・・今は君なしじゃ生きられない」

※認知症が顕著になって来た時点で、アイリスの意識は濁り、記憶は閉ざされ、言葉も殆ど封じられる訳だが、彼女が言いたかったことは、既にそれまでの人生で言い尽くされていたようでもある。そう言う意味で、時折「若い頃の言動」や「講演会の映像」などを劇中に効果的に挿入する演出に対し「巧いな〜」と感心した。
※「老いたアイリス(ジュディ)が若き日のインタビュー映像(ケイト)を眺めるシーン」が印象的だった。こう言う“共演”のさせ方もあるんやね〜!

ってことで、ケイト・ウィンスレットの頑張りに男気(?)を感じ、未見の貴兄におススメ致します☆

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